1: 2011/08/03(水) 02:09:20.95
「ちょっ、待って」

左手を強く引かれて、靴の片方がひっくり返っているのを気にしながら階段を駆け上がる。
リビングに辿り着くなり身体ごと押されて、もつれ合うようにソファに倒れ込んだ。

「ちょっと、待ってってば、ねえ、まっ……!」

馬乗りになった彼女に唇を塞がれて、言葉を奪われる。
ひょいと外された眼鏡の行方は、多分またソファの背もたれの上だろう。

噛み付くような激しいキスに呼吸が乱れて、
たまらず開いた唇の隙間から柔らかな舌が滑り込んできた。

「……んっ、……ん」

「……っ、すきっ……、のどか、ちゃんっ、すき……!」

彼女は両手で私の頬をがっちりと押さえて、
忙しく舌を絡ませながら、吐息を漏らすように私の名を呼ぶ。

2: 2011/08/03(水) 02:10:02.68
「……ッ、はッ……、まっ……、待って!」

酸素を求めて互いの唇が離れた隙に、ぐい、と両手で彼女の肩を押し上げた。
腕の長さぶんだけ二人の唇が遠のく。

「っはぁ、はあ……」

「はっ……はー……」

窓を閉め切った蒸し暑いリビングに、二人の荒い呼吸が響く。
お預けされた犬のような目で見下ろしている彼女の額から鼻先へと滑った汗が、
ぽたり、と私の頬に落ちた。

両手で彼女の肩を掴んだまま深呼吸をしたら、肺の中が汗と唾液の匂いで満たされた気がした。
なんとか息を整えてから、ようやく口を開く。

「……玄関、鍵掛けてないよ」

「……あっ、忘れてた」

慌てちゃった、と舌を出した彼女に、小さく息を吐く。

3: 2011/08/03(水) 02:11:00.59
「それと……、制服も皺になるし……暑いし……。汗、かいてるし……」

「うん?」

「……先に、シャワー浴びない?」

私の提案に彼女は少し眉を上げて、すぐにいたずらっ子のような笑顔を作った。

「そうだね。シャワー、浴びよっか」

「それに……」

「うん、わかってる、だいじょーぶ」

私の言葉を途中で遮り、頬に落ちた汗の粒をぺろりと舌先で掬い上げる。

ぬるい室温の中、しょっぱいね、と呟いた彼女の唇が緩やかな弧を描くのを
私はぼんやりと見上げていた。

4: 2011/08/03(水) 02:12:22.43



ーーーーーー



「和、おはよう」

「おはよう、澪。今日も暑いわね」

「ほんと。夏だからしょうがないけど、毎日こう暑いと嫌になるよ」

私よりも5分ほど遅れて教室に入ってきた澪と挨拶を交わす。
教室のアチコチで夏を恨むような会話が飛び交い、うちわ代わりの下敷きがぱたぱた揺れる。

「……あれ?和、首の後ろ」

「え?」

「蚊に刺されたの?」

赤くなってるぞ、と澪に指摘されて、咄嗟にてのひらで押さえた。

「ああ……。うん、ゆうべしつこい蚊がいてね。どおりで痒いと思ったわ」

「痒み止め持ってるけど、塗っとく?」

「うん、ありがとう」

5: 2011/08/03(水) 02:13:47.35
「あ、自分じゃ見えないだろ。塗ってあげるからあっち向いて」

澪はそう言って、
スクールバッグから取り出したスティックタイプの痒み止めを私の前に掲げてみせた。

「襟、ちょっとめくるよ。……うん?なんかこれ……」

「あぁ、ちょっと掻きすぎたのかも。そんなに赤くなってる?」

「あ、うん、結構赤いよ。虫さされはあんまり掻いちゃだめだぞ?痕が残るから」

「分かってはいるんだけど、つい無意識にポリポリッと、ね」

「ははっ、まあわかるけど」

首筋を撫でるぬるりとした感触に、思わず身震いする。

「あっゴメン、沁みた?」

「ううん、ちょっとくすぐったかっただけ」

ありがとう助かったわ、と口角を上げてみせた私に、
澪は、どういたしましてと微笑みを返した。

6: 2011/08/03(水) 02:14:53.87
予鈴が鳴って、クラスメイト達がおしゃべりしながらそれぞれの席に向かう。
ふと用事を思い出して、澪を呼び止めた。

「軽音部、また書類出し忘れてるわよ」

「えっ。何の書類?」

「校外活動の申請書。今年も合宿するんでしょ?」

「ああ……。あ~もう、律の奴!」

はぁ、ごめんな、と溜息を吐いた澪に、大丈夫よと微笑んでみせる。

「放課後にでも、申請用紙持って部室に寄るわね」

「そんな、悪いよ。律に生徒会室に行くよう言っとくから」

「いいのよ、あわよくばムギの淹れたお茶を飲ませてもらおうって算段だから」

そう言うと澪はきょとんとした顔をして、それからくしゃりと表情を崩した。

「わかった、じゃあ待ってる。いつもありがとう、和」

どういたしまして、と笑みを返すのと同時に教室前方のドアが開いた。

慌てて自席に向かう澪の背中を目で追いながら
首筋に付いた痕をそっとてのひらで隠して、私は小さく溜息を吐いた。

7: 2011/08/03(水) 02:15:56.73



ーーーーーー



「ぷぅ~ん……ちくりっ」

「やめなさい」

くすくすと笑いながら首筋の痕をつつく彼女の手を、やんわりと払う。

「見える所にキスマーク付けないでって、いつも言ってるでしょ」

「付けようと思って付けたわけじゃないよ。ついうっかり、だよ」

「付けたなら同じことよ」

「手厳しいなぁ、和ちゃん。……ゴメンね?」

言葉とは裏腹に彼女は依然として笑ったままで、上体を起こして私を見下ろすと
ゆっくりと顔を近づけ、ちゅう、とわざと音を立てて唇を吸った。

8: 2011/08/03(水) 02:17:04.97
「……もう。全然反省してないでしょ」

反省してるよ~?と応えた彼女の頬を軽くつねってから、栗色の髪に触れる。
指をゆるゆると滑らせて後ろ髪を束ねる山吹色のリボンをつまんだら、
駄目だよ和ちゃん、と彼女は笑顔のまま私の手首を掴んだ。

「メッ、だよ。こうしてる時は、髪を解かないって約束だよね?」

「……そうだったわね、ごめんなさい。……憂」

その名前を呼ぶと彼女は僅かに目を細めて、
はぁ、と大きな溜息とともに私の胸に顔をうずめた。

「ねえ和ちゃん」

「うん?」

「お姉ちゃんが合宿行っちゃうと、寂しい?」

「……。そうね、寂しいかもしれないわね」

「……ふぅん」

「……」

9: 2011/08/03(水) 02:18:36.20
私の呼吸に合わせて上下する彼女の頭をやんわりと撫でる。
彼女は少し身じろぎして首を捻ると、右耳と頬を私の胸に押し当てた。

「……ねえ、和ちゃん」

「なあに?」

「どうすれば私たち、フツーに幸せになれるんだろうね」

「フツーに幸せ……ねえ」

「……」

「……」

「……。和ちゃんの心臓、トクントクン鳴ってる」

「そりゃあ、生きてるからね」

「……うん」

10: 2011/08/03(水) 02:19:33.98

「ねえ。フツーの幸せって、たとえば?」

「え……。みんなとおんなじように、フツーに色々できること、かな」

「みんなって?」

「うんと……。友達とか、クラスメートとか?」

「そう」

「……」

窓を閉め切った部屋に籠った空気を、扇風機が首を振ってかき混ぜ続けている。
日が落ちたとはいえ、昼間の熱が残る部屋は居るだけで汗が噴き出す。

彼女のベッドの上、裸で抱き合う二人の汗はどちらのものか分からなくなるほど混ざり合い、
火照った肌を滑り落ちてオフホワイトのシーツを湿らせていく。

髪を撫でていた手を止めて、しっとりと濡れた彼女の背中に両腕を回す。
ぎゅっと力を入れて抱きしめたら、彼女は温かな溜息を漏らした。

11: 2011/08/03(水) 02:21:21.97
「……私はね、」

「んー?」

「私は、誰かを基準にしないと計れない幸せなんて別に欲しくないわ」

彼女が一瞬、呼吸を止めたのが分かった。
少しの間があって、はぁー……、と長く息を吐いて全体重を私に預けてくる。

「……なんか今、すっごい幸せ感じちゃった」

私の胸に頬を付けたまま喋る彼女の声が、振動となって身体に響く。
それがやけに心地よくて、知らず笑みがこぼれる。

「そう? よかった、って言っていいのかしら」

「えへへ……。ねえ、和ちゃん」

「うん?」

「大好き」

「……。私もよ」

12: 2011/08/03(水) 02:22:13.92



ーーーーーー



夏休みも二週目に入った。
立てたスケジュール通り順調に宿題をこなしていたら、勉強机の隅で携帯が鳴った。
ディスプレイを見ると、軽音部の夏合宿に行っている唯からの着信だった。

「もしもし、唯?」

『あ、和ちゃん?元気にしてるー?』

「一昨日会ったじゃない」

『そうだけどさあ、なんとなく言いたい気分ってものがありまして』

「はいはい、元気よ。そっちも元気にやってる?」

『うん、みんな元気だよー。海で遊んで、あずにゃんなんかもう真っ黒になっちゃって』

「遊んでって……。練習はしてないの?」

『えっ、うん、練習も、ちゃんとやってるよ、うん』

13: 2011/08/03(水) 02:23:39.71
「……ギター失敗して、梓ちゃんを困らせたりしてない?」

『おや真鍋さん、妬いていらっしゃるので?』

「用事がないなら切るわよ」

『まっ!待って!あるある、用事あるから!』

「はぁ……。それで、何?」

『んとね、合宿から帰ってからのことなんだけど』

「うん?」

『お父さんとお母さんが戻ってこれないみたいで、私があっちに行くことになっちゃって』

「うん」

『だから、合宿から帰って、また一週間ほど留守にしちゃうんだ』

「そうなんだ」

14: 2011/08/03(水) 02:24:25.05
『……ごめんね?』

「別に、謝らなくてもいいわよ」

『……うん』

「……」

『……』

途切れた声の代わりに、波の音と、さくさく砂を踏む音が聞こえてくる。

「唯、いま外にいるの?」

『うん、ムギちゃんちの別荘からすぐの砂浜。星がきれーだよ。和ちゃんにも見せてあげたい』

「そう」

『ねえ和ちゃん』

「なあに?」

『お父さんたちのところから戻ったら、二人でどこか出掛けようよ』

15: 2011/08/03(水) 02:25:12.59
「……そうね。でもその前に、唯」

『うん?』

「そんなに遊んでて、宿題、夏休み中に終わるの?」

『うぐっ……。痛いところを』

「……まあ、いつも通り泣きついてくるんだろうけど」

『えへへ……いつもありがと。和ちゃん大好き』

「はいはい」

『んもう、違うでしょ!』

「え?」

『私が、大好きって言ったら?』

「……」

『……』

「……。私も大好きよ、唯」

16: 2011/08/03(水) 02:27:06.43



ーーーーーー



耳を突く、蝉時雨。
激しく降る雨音のように絶え間なく流れ込んでくるその鳴き声が、
空っぽになったこの身体をいっぱいに満たしてしまいそうな気にさえなる。

喉が乾いた。

見慣れた自室の天井を仰ぎ見たまま、こくり、と喉を鳴らして唾液を飲み込む。
額にぷつりと浮いた汗が、つう、と眉間から頬を滑って白いシーツに落ちる。

こんな時でも喉は乾くんだ。当たり前のことが悲しくて、視界がじわりと歪む。
こんな時でも私の身体は水分を欲して、まるでもっと泣けとでも言われているみたいだ。


ふ、とあの子の笑顔を思い出した途端、胃がぐるりと反転したような不快感に襲われた。
背中を丸めてシーツを噛み締め、せり上がってくる吐き気をこらえる。

「……ッ、うぅ……ッ」

脂汗と涙が混ざり合ってこめかみを伝い、シーツにぱたぱたと染みを作った。

17: 2011/08/03(水) 02:29:10.05


唯が軽音部の夏合宿から帰宅した翌々日。
ご両親の赴任先に向かうため乗った空港行きの高速バスが、多重事故に巻き込まれた。

バスは運悪くトレーラーと橋の欄干に挟まれる格好となり、
乗客に多くの氏傷者を出すことになってしまったそうだ。
事故の仔細は、葬儀中ずっと後ろに立っていた近所のおばさんたちの会話で知った。

葬列には、互いの肩を抱いて泣きじゃくる澪と律、ムギの姿が見えた。
それから今にも崩れ落ちてしまいそうな梓ちゃんと、彼女の小さな身体を支える山中先生。
他にも見知った制服姿の子が居たように思うけれど、誰だったのかは全く覚えていない。

私はというと、喪服姿の父に肩を抱かれたまま、涙の一粒も流せずにいた。
ショックが大き過ぎて現実を受け入れられないのだろうと同情の目を向けられても、
ただぼんやりと、綺麗な花で縁取られた唯の笑顔を見ていることしかできなかった。


……唯の葬儀が終わって、3日目の夜。
それまで一切食べ物を受け付けなかった胃が空腹に耐えきれず鳴いたとき、
私はようやく声をあげて泣いた。

18: 2011/08/03(水) 02:30:02.66


「……はぁ……」

なんとか吐き気は治まり、肩で息をしながら手の甲で涙と脂汗を拭う。

あと数日で夏休みが終わる。
少しずつ食事は出来るようになったとはいえ、思考は霞がかかったように漫然としていて
浮かんだ言葉は上手く結べず、ぽろぽろとこぼれ落ちてしまう。

そんな調子だから、時折澪たちから届くメールにとても返信する気にはなれなかった。
学校に行ってもまともに授業を受けることすら出来ないだろう。

それに、学校に行ったって、いや、どこに行ったとしても、もう唯は居ないのだし。

「……二人で出掛けようって、言ったじゃない」

唯の嘘つき。そう呟いたら、また涙がこぼれた。

19: 2011/08/03(水) 02:31:29.17


ーーーぎしり。ふいにベッドが軋んで目が覚めた。

少しまどろんでいたらしい。いつの間にか日が傾いて、
オレンジ色の西日がレースカーテンの隙間から部屋の壁を頼りなく照らしていた。

背中越しに誰かの気配を感じた。妹か弟が様子を見に来たのだろう。
寝返りの要領で身体を捻って視線を上げた瞬間、私は言葉を失った。

「えへへ、来ちゃった」

「……」

「うわ、酷いクマ。頬もげっそりしちゃって……。駄目だよ、ご飯ちゃんと食べないと」

「……どうして」

思うよりも先に出た声は、乾いた喉に引っ掛かって酷くかすれてしまった。

彼女はベッドに両手をついて、私を覗き込むように見下ろした格好で
和ちゃんに逢いに来たんだよ、と山吹色のリボンを揺らして笑った。

20: 2011/08/03(水) 02:32:34.80
「…………ゆ」

「うい、だよ。和ちゃん」

呼ぼうとした名を遮られ、訂正される。

「知ってるでしょう? お姉ちゃんはもう、氏んじゃったんだよ」

「……」

「信じられないって顔してるね」

「……」

「……まあ、しょうがないか」

彼女は少し困ったように微笑むと、ベッドから右手を浮かせて私の頬を撫でた。
それからゆっくりを顔を近づけて、乾いた私の唇に触れるだけのキスを落とした。

21: 2011/08/03(水) 02:33:41.17



ーーーーーー



『あのね、和ちゃん。私いいこと考えたんだ』

『いいこと?』

『うん。えっとね、架空の妹を作るの』

『……へ?』

『んで、私がその妹になって、和ちゃんの恋人になるんだぁ』

『……なにそれ』

『んと、私が本当はいない妹になって、和ちゃんが本当はいないその子と恋をするの』

『……』

『そうすれば……。二人だけの空想ってことにすれば、誰にも、遠慮しなくていいでしょ?』

『……二人だけの?』

『そう、二人だけの』

22: 2011/08/03(水) 02:34:38.21
唯自身も、思いつき半分、遊び半分だったのかもしれない。
けれど私はその、おままごとじみた提案に乗って架空の女の子と恋人になった。

そうすることで、誰にも言えない二人の関係をずっと守っていけるかもしれない、と
何の根拠もない、ただ淡いだけの期待を抱いたからだった。


……そのくらい、あの時の私たちは幼なかった。

23: 2011/08/03(水) 02:36:16.07

唯は架空の妹に《憂》という名前を付け、普段の自分と区別をつけるため
《憂》でいる間は山吹色のリボンで後ろ髪を縛ることにした。

『憂はね、とってもお料理が上手で家事もなんでも完璧で、すごいんだよ』

『ふぅん』

『おまけに頭もよくて優しくって、和ちゃんがみんなに自慢したくなるような子なんだ』

『そうなんだ』

『大人になって憂が和ちゃんのお嫁さんになったら、きっと毎日が幸せだよ!』

『……そうかもしれないね』

二人で作り上げた空想上の女の子は、
唯とキスを重ね、身体を重ねるたびに不思議とその存在感を増していった。

やがて、山吹色のリボンで後ろ髪を束ねた唯が自身を「お姉ちゃん」と呼んだ時、
確かに私の目の前で、彼女がーーーー《憂》が、微笑んでいた。

24: 2011/08/03(水) 02:37:21.49



ーーーーーー



気がつけば、あんなに煩かった蝉の声がぴたりと止んでいた。
キィン、と小さな耳鳴りをおぼえながら、私は目の前で微笑む彼女から目を逸らせずにいた。

彼女のーーーー《憂》の手が、再び私の頬を撫でる。
感覚が麻痺してしまったのか、その手が暖かいのか冷たいのかも分からない。

「ごめんね、和ちゃん。悲しい思いをさせて」

《憂》はそう言って、ベッドの端に腰を下ろした。ぎしり、とスプリングが沈む。
彼女の右手が私の左手をとらえて、指を絡ませてきた。

「……あなたは、幽霊なの?」

私の質問に彼女は少し眉を上げて、それからくすくすと笑った。

25: 2011/08/03(水) 02:38:44.88
「そういうとこ、和ちゃんらしい」

「え?」

「こんな状況なのに妙に冷静っていうか」

「……冷静ってわけじゃ、ないけどね」

そう応えたら彼女はぺろりと舌を出して、それもそっかとおどけてみせた。

「……。ねえ、和ちゃん」

「うん?」

「和ちゃんは、お姉ちゃんと私、どっちに逢いに来て欲しかった?」

「……」

26: 2011/08/03(水) 02:39:30.49
「質問がいじわるだったかな。ゴメンね」

「……」

「お姉ちゃんが氏んじゃったから、二人の空想ももうお仕舞いなのかな」

「……」

「私たち、もう、一緒に居られないのかな? ねえ、和ちゃん」

「……」

絡めた指に力を入れて、彼女の手をぎゅっと握ってみる。
彼女の手が、ぎゅっと握り返してきた。

そこには確かに、彼女がいた。

27: 2011/08/03(水) 02:40:51.85


ほんとうは私も唯も、気付いていたんだ。

二人の関係を守るために作り、積み上げたはずの空想は実際、
脆く柔らかな殻の中に閉じこもっていただけだということに。

殻の中に満たされたぬるい空気の底で互いの肌の温もりを求め、
二人だけの空想の中に見い出そうとしていた幸せは多分、偽りだということにも。

「……和ちゃん」

彼女の顔が再び近づいて、二人の唇が重なる。
ちゅっ、ちゅ、と音を立てて、乾いていた私の唇が次第に水分を取り戻す。

「和ちゃん……すき」

まるで息継ぎするように、彼女はキスの合間に私の名を呼ぶ。

「すき……大好き」

28: 2011/08/03(水) 02:42:09.44
彼女がベッドに膝を乗せ、ぎしり、とスプリングが軋んだ。

絡めていた指を外して両手を持ち上げる。
覆いかぶさるようにして私を見下ろす彼女の背中を抱きしめると、
彼女は少し泣きそうな目で笑ってから、私の首筋に吸い付いた。

「…………憂」

「うん?なあに?」

「ありがとうね」

「えっ……」

彼女はぴたりと愛撫を止めて、ゆるゆると顔を上げて私を見た。
互いの息がかかるほどの距離で、見つめ合う。

29: 2011/08/03(水) 02:43:23.69
「和ちゃん?」

不安そうな顔をした彼女の頬を、優しく撫でてやる。

「さっき聞いたわよね。あなたと唯、どっちに逢いに来て欲しかったかって」

「……」

頬を撫でていた指を少し上げて、柔らかな栗色の髪に触れる。

「私ね、あなたのことも大好きよ。憂」

「……」

手ぐしを通すように彼女の前髪を撫で、更に手を伸ばす。

「今までほんとうに、ありがとう」

「……!! 和ちゃん、ダメーーーー」

気付いた彼女が上体を起こすよりも早く、
私は指先でつまんだ山吹色のリボンを一気に引いた。

30: 2011/08/03(水) 02:44:44.79



ーーーーーー



「……なんで」

結びを解かれた栗色の髪が、今にも泣き出しそうな表情を半分覆い隠している。
再び手を伸ばして、唯の頬にてのひらをくっつける。

「……今までごめんね、唯」

「……」

「憂を演じさせて、ごめんね」

「……なんで?なんでこんな……」

「もっと早く、言うべきだったの」

「……」

「私は、あなたが居てくれればそれでよかった」

「……」

「愛してるわ、唯」

31: 2011/08/03(水) 02:46:16.65
じわりと視界が濡れて、こめかみを伝った涙がシーツに落ちる。
私を見下ろす唯の両目がみるみる潤んで、
あふれた涙は頬に触れたままの私のてのひらから腕を伝い落ちて、一筋の跡を作った。

「……はぁ。あーあ、やっぱ来るんじゃなかったかなぁ」

「え?」

唯は鼻をすすって、少し困った顔で微笑んだ。

「最後にもっかいだけ和ちゃんに逢って、さよならするつもりだったんだけど」

「……」

「憂の格好なら大丈夫かなーなんて、思ったんだけど」

「……」

「どうやら和ちゃんを侮っていたようだよ、私」

まさかここにきて愛の告白をされるなんて、と
おどけてみせた唯につられて、私もつい笑みをこぼす。

32: 2011/08/03(水) 02:47:56.78
「キスしといて、大丈夫もなにもないと思うけど」

「あ、えと、それは……つい?」

「つい、で氏んだ子にキスされる私って何なの」

「うっ……」

「……まあ、いいけど」

「でも、どうしよう」

「うん?」

「和ちゃんと離れたくなくなっちゃった」

「……それは、私に取り憑くってことかしら」

「んー、っていうよりは……」

「よりは?」

「連れて行く、って感じ?」

「……」

てへっと舌を出した唯を、しばし絶句して見上げる。

33: 2011/08/03(水) 02:48:43.35
「……そういうとこは氏んでも変わらないのね、あんたは」

「今のは地味に刺さったよ、和ちゃん」

「……まあでも、」

「うん?」

「私も、もう無理ね」

「へ?無理って、何が?」

「唯と離れるのが、よ」

「……」

大きく開かれた唯の目からこぼれた一粒が、私の頬にぽつりと落ちた。

34: 2011/08/03(水) 02:50:42.94


「……いいの?ほんとに?」

「言ったでしょ。あなたが居てくれれば、それでいいの」

「……」

「だからもう泣かないの、ほら」

ぐい、と涙を拭ってやった私の左手を、唯の右手がとらえる。

「和ちゃん」

「なあに?」

「大好き」

「……違うでしょ?」

「ふぇ?」

「私が愛してるって言ったら、なんて言うの?」

「…………あっ!」

唯はしまったという表情を見せると、今のなし!と叫んで姿勢を正した。

35: 2011/08/03(水) 02:52:17.85
「コホン、……準備はいいですか?」

「いつでもどうぞ」

「うむ、」

「……」

「……私も愛してるよっ、和ちゃん!」

キリッと決め顔を作った唯と視線を合わせて、一瞬の間。
こらえきれずに噴き出して、二人してくすくすと笑う。

「ふざけてるようにしか思えないんだけど」

「えぇ~!私は真面目だよぉ」

「うん、まあ……いいわ。ありがとう、唯」

「……うん」

唯はこくりと頷いて、掴んだままの私の左手に優しくキスをした。

36: 2011/08/03(水) 02:53:59.00


「だけど、ほんとにいいのかな。私が和ちゃんの幸せ奪っちゃって」

私の左手を口元に寄せたまま、唯が呟く。

「……ねえ、唯」

「うん?」

「唯の言う幸せって何?」

「え。んと……みんなみたいにフツーに生活して、フツーに年を取って……」

「みんなって、誰?」

「…………。ねえ和ちゃん、こんな会話、前にもしなかった?」

眉を寄せた唯に少し笑って、頬を軽くつねってやる。

「それじゃもちろん、私の返事も分かってるわよね?」

「……」

「私は、誰かを基準にしないと計れない幸せなんて、別に欲しくないわ」

37: 2011/08/03(水) 02:55:40.84


唯はちょっと泣きそうな顔をして私の名を呼び、ゆっくりと深くくちづける。
触れ合う唇から次第に熱が広がって、二人の身体が溶け合っていくような錯覚に陥る。

知らずこぼれた一粒の涙を、ぺろりと舌先で掬いとられた。


涙、しょっぱいね、と囁いた彼女の唇が緩やかな弧を描くのを、
私はただ微笑みながら見上げていた。





おしまい

40: 2011/08/03(水) 14:35:49.94
html化依頼を出してきました。
読んで下さった方、ありがとうございました。

41: 2011/08/03(水) 15:12:40.23
おっつ

引用元: 和「私が愛してるって言ったら」