5: 2009/07/21(火) 15:05:41.41 ID:RPNsguXN0
唯「ぜったいおんかん?」
 
 あずにゃんが何気なく言い放ったその言葉に疑問符を浮かべる。 

律「あれだ。眼が紅くなると全ての系統の能力が100%引き出せる……」

澪「そりゃ絶対時間。HUNTER×HUNTERの読みすぎだ」

梓「簡単に言えば、全ての音の音階を一発で言い当てる能力ですね」

唯「……どゆこと?」

6: 2009/07/21(火) 15:10:13.46 ID:RPNsguXN0
澪「例えば、だ」

 みおちゃんがあずにゃんの言葉の後を継ぎながら、ベースを爪弾いた。

澪「唯、今の音は何だ?」

唯「? レでしょ?」

紬「じゃあ唯ちゃん、これは?」

 ムギちゃんが軽やかに白鍵をはじく。

唯「ソだよ」

律「んじゃあ、こいつはどうだ」

 りっちゃんがクラッシュを高らかに打ち鳴らす。

唯「んっと……シ、かなぁ」

律「へぇ~、今のシだったんだ」

澪「分からずに試したのかよ!」

11: 2009/07/21(火) 15:15:43.26 ID:RPNsguXN0
梓「と、まあこのようにあらゆる音を瞬時に聞き分けて、言い当てる能力のことを絶対音感っていうんですよ」

唯「え? でもそれって普通でしょ?」

 なぜか皆が揃ってずっこける。

澪「おいおい、唯……」

律「そんなトンデモ能力、みんながみんな、持ってるわけねーだろ」

紬「少なくとも私達にはありませんし」

梓「みんなが持ってたら世の中、チューナー要らずですよ」

唯「へぇ~、そうだったんだぁ」

 自分にそんな特別な能力があるなんて意識したこともなかった。誰かに自慢出来るようなものがない私にとって、それはちょっと嬉しいことだった。我知らず笑みが零れる。

15: 2009/07/21(火) 15:20:53.24 ID:RPNsguXN0
唯「えへへ~」

梓「まあ絶対音感があっても練習しなくちゃギターは上手くなりませんけどね」

唯「あぅ……ですよね~」

 あずにゃんの手厳しい指摘に肩を落とす。が、それも一瞬のことで次の瞬間にはいつもの笑顔に戻る。
 下校時間を知らせるチャイムが校舎に鳴り響いた。意識を研ぎ澄ませ、全身の感覚を耳に集中させる。

唯「ド~ミ~レ~ソ~」

 ドレミを口ずさみながらギー太を鳴らす。普段は何気なく聞いていた音が途端に表情を変えたように思えた。

16: 2009/07/21(火) 15:24:39.70 ID:RPNsguXN0
 机の上に置いてあったフォークを手に取り、ティーカップを軽く小突く。

唯「これは……ラ!」

澪律紬梓「おぉ~」

唯「あははは、おもしろ~い」

 聴き方を変えただけで世界の全てが一変したようだった。世界に満ちる音がこんなにも彩りに溢れたものだったなんて。

18: 2009/07/21(火) 15:29:24.64 ID:RPNsguXN0
梓「え、じゃあ家でもあんな調子なの?」

憂「うん、お姉ちゃんってば、家中の物を叩いたり、テレビから流れる音を言い当てたり、ずっとはしゃぎっ放しだったよ~」

梓「子供っぽいというか……まあ唯先輩らしいと言えば、らしいか」

憂「でもそんな子供っぽいお姉ちゃんも可愛いよ?」

梓「その感覚は分からない……」

 惚気にしか聞こえない憂の言葉をスルーして、お弁当箱の中の玉子焼きを箸で突付く。

19: 2009/07/21(火) 15:36:07.85 ID:RPNsguXN0
梓「でもまあこれで納得したわ」

憂「何が?」

梓「唯先輩の演奏力の高さよ」

憂「どういうこと?」

梓「あの一つのことをやりだしたら、脇目も振らずに最後までやり抜く集中力に絶対音感が加われば、そりゃ上達も早いわけよねぇ」

 澪先輩達から聞いた話によると初めて三ヶ月も経たないうちに、結構な腕前にまで上達していたそうだし。

20: 2009/07/21(火) 15:39:41.47 ID:RPNsguXN0
梓「絶対音感を意識した唯先輩なら、今まで以上のスピードで上達するかもね」

憂「さすがお姉ちゃん!」

梓「はいはいごちそうさま」

 実際、その考えは間違ってはいなかった。この後、以前よりも音楽にのめり込んだ唯先輩の演奏技術の向上は目を瞠るものがあった。

 だけどそれは────

22: 2009/07/21(火) 15:45:16.78 ID:RPNsguXN0
唯「あぅ、また音がずれたぁ~」

 ペグを微調整し、調弦する。

律「おいおい、またか~」

澪「あんまり気にしすぎるのもどうかと思うぞ、唯」

唯「ん~、分かってるんだけどね……。どうも音がずれていると、こう、背中がぞわぞわ~ってするんだよぅ」

律「今までギターの手入れとかサボってた奴の言葉とは思えんな」

梓「唯先輩、ちゃんとギターの手入れしてますか? 手入れを怠ると弦が緩みやすくて、すぐ音がずれてしまいますよ」

唯「それは大丈夫だよ~。定期的に弦も張り替えてるしね。そのおかげでお小遣いが大変なことになってるけど……」

 苦笑しながらチューニングを続ける唯ちゃん。その横顔には何の翳りもない。

23: 2009/07/21(火) 15:51:18.10 ID:RPNsguXN0
紬「………………」

律「ムギ~、どうした? ぼ~っとして」

紬「あ、いえ、なんでもないわ」

 いつもと同じ柔らかな笑顔で応える。

紬(そうよね。杞憂、よね。唯ちゃんに限ってそんな……)

 頭の片隅に居座る小さな不安を追い出すように、首を振る。

24: 2009/07/21(火) 15:53:51.11 ID:RPNsguXN0
唯「あ、そういえばみおちゃんのベースも音が少しずれてるよ~。一弦のソの音が」

澪「え、本当か?」

 シールドをチューナーに繋いで調弦する澪ちゃん。

澪「ほんとだ。ほんのちょっとだけど確かにずれてる」

律「なんかますます磨きが掛かってきたなぁ、唯の絶対音感」

梓「一流の音楽家にもなると、湿気の影響で歪んだ楽器の僅かな音の違いも許せないらしいですしね。唯先輩が音のずれを気持ち悪いと感じるのも、その類なんでしょう」

26: 2009/07/21(火) 15:55:02.16 ID:RPNsguXN0
唯「一流の音楽家……えっへん!」

律「あっはは、唯がそんな繊細なわけないだろー」

唯「あ、ひどいよ、りっちゃん~」

 ほっぺたを膨らませてむくれる唯ちゃん。いつもと同じ、他愛のない会話。変わらない日常。そのはずなのに胸に巣食った一抹の不安は消えてくれない。

紬(思い過ごしならいいのだけれど……)

27: 2009/07/21(火) 16:00:09.93 ID:RPNsguXN0
澪「おはよう、唯」

唯「………………」

澪「唯? おはよう」

唯「………………」

 返事がない。ただのしかばねのようだ……ってそんなわけがない。こちらを無視してすたすたと前を歩く唯に追いつき、肩をぽんと叩く。

澪「唯ってば」

唯「ひゃッ!? あ、な~んだ、みおちゃんかぁ。びっくりしたぁ」

 耳にはまったイヤフォンを取りながら、唯が振り向く。なるほど、だから返事がなかったのか。髪に隠れて後ろからでは分からなかった。

30: 2009/07/21(火) 16:03:47.67 ID:RPNsguXN0
澪「おはよう、唯。にしても珍しいな。唯が音楽を聴きながら登校だなんて」

 iPodを操作しながら歩く唯に話しかける。

唯「あ~、うん。なんか最近、疲れちゃってね~」

澪「疲れた? なんか運動でも始めたのか? それともバイトとか?」

 疲れたことがどうして音楽を聴くことに繋がるのだろう? ヒーリングミュージックでも聴いているのだろうか。

32: 2009/07/21(火) 16:09:16.95 ID:RPNsguXN0
唯「うん、最近ね、意識とかしていなくても雑踏の音とかが全部、頭の中でドレミに変わっちゃって。ず~っと聞いてると頭の中がドレミでいっぱいになっちゃってねー。だったらまだ音楽を聴いてた方がましかなぁって」

 そう言いながら苦笑する唯の顔には、少しだけ疲れの色が滲んでいた。

澪「大変だな、絶対音感というのも」

唯「ん~、でも便利だし、面白いこともあるしねぇ」

 こちらに心配を掛けさせまいと思ったのか、それとも素でそう言っているのか。唯は疲れの色を顔から消して、いつもの笑顔で答える。

33: 2009/07/21(火) 16:11:49.18 ID:RPNsguXN0
澪「なあ、唯……」

律「おっはよー、二人とも。澪ぉ~、ひどいぜ、おいていくなんて~」

澪「律がいつまでもうだうだと朝食を食べてるからだろ。もっと早起きしたらどうだ?」

律「そいつぁ、無理な相談だ!」

澪「胸を張って言うことか!」

 かんらかんらと笑う律にツッコミを入れる。律の突然の乱入のせいで、唯に声を掛けるタイミングを逸してしまった。

澪(大丈夫かな、唯……)

35: 2009/07/21(火) 16:16:10.88 ID:RPNsguXN0
唯「あ……またずれた……」

 ぼそりと呟き、演奏を勝手に止める唯。

律「おい、唯~。何度目だよ。音が外れる度に演奏、中断してたんじゃ、練習になんないぜ」

 それに合わせてこちらもスティックを振るう腕を止める。

澪「少しぐらいずれても、一度通しでやらないと全体の流れが掴めないぞ?」

 ギターの音や歌声の音程が外れる毎に演奏を止めては、個人練習に入る唯。始めはそれだけだったのだが───。

36: 2009/07/21(火) 16:18:40.10 ID:RPNsguXN0
唯「うん、ごめん。じゃあもう一回、最初からいってみよ」

律「……オッケー。1・2・3・4・1・2!」

 スティックでカウントを刻み、軽快なポップロックが鳴り響く。

37: 2009/07/21(火) 16:21:00.98 ID:RPNsguXN0
律(なんつー顔で弾いてんだよ……)

 滑り出しは順調なのだが、Bメロに入るか入らないかというところで、唯の顔が少しずつ歪んでいくのが分かる。また微妙な音程のずれを感じ取っているのだろう。やがてそれに耐えかねたのか、声を荒げながら、ストロークする腕を止めた。

唯「……ムギちゃん! 今のところ、さっきもずれてたよ!」

紬「あ……ごめんなさい、唯ちゃん」

律「………! いい加減にしろよ、唯!」

澪「律!?」

梓「律先輩!?」

38: 2009/07/21(火) 16:23:21.36 ID:RPNsguXN0
律「そんな粗探しするように演奏してても、しょーがねえだろ! 曲の完成度を高めるためにストイックになるのもいいけどな、それを何度も押し付けられるこっちの身にもなってみろよ!」

紬「りっちゃん、喧嘩は……」

 そのための練習だというのも分かっている。だけどミスする度に責められるような口調で指摘されれば、苛立って当然だ。ここまでいくとストイックというレベルを通り越して、ただの神経質だ。だけどそれ以上に許せないのは───。

律「あーもう止め止め! そんな無理してやってますー、みたいな顔してやられたんじゃ、こっちも楽しんでやれねーよ!」

 いつも楽しそうに演奏している唯の顔から笑顔が消えてしまったことだ。

39: 2009/07/21(火) 16:26:01.62 ID:RPNsguXN0
唯「……しくないんだもん……」

紬「……唯ちゃん?」

唯「だって!」


 「楽しくないんだもん!」


 音楽室の時が止まる。唯の言葉に誰もが凍り付いて身動ぎ一つ出来なかった。私以外は。

41: 2009/07/21(火) 16:29:23.99 ID:RPNsguXN0
律「……あーそう! じゃあもうやらなきゃいいだろ!」

唯「………………!!」

 唯は何も言わずにギターをソフトケースに仕舞い、足早に音楽室から去っていった。その瞳に涙を浮かべながら。

律「……ちくしょー……」

 売り言葉に買い言葉。黒板に額を打ちつけ、ついさっき吐いた自分の言葉に後悔する。

律(あんなこと、言いたかったんじゃないのに……) 

42: 2009/07/21(火) 16:34:03.15 ID:RPNsguXN0
紬「りっちゃん」

律「……なに」

紬「おでこ、汚れちゃうわよ」

 そう言うとムギは私を振り向かせて、差し出したハンカチでおでこを拭ってくれた。

紬「……りっちゃんの悪いところは言葉がちょっと足りないところ。あれじゃあ、本当の気持ちは伝わらないわ」

律「……なんだよ、ほんとの気持ちって」

澪「心配なんだろ、唯のことが」

律「なっ、そんなんじゃねーよ! ただ私は唯のやつが───」

梓「律先輩が一番、唯先輩のことを見てましたからね。バンドを支えるリズム隊として。軽音部の部長として。……親友として」

律「んな……ッ!」

 図星を衝かれ、ぱくぱくと開いた口が塞がらない。

43: 2009/07/21(火) 16:36:40.01 ID:RPNsguXN0
紬「みんな、同じ気持ちよ。だから今日のことは謝って、ちゃんと伝えなきゃね、本当の気持ち」

律「……しゃーねーなぁ。じゃあ唯が明日、ちゃんと練習に来たら……あ、謝ってやるよ」

 照れくささのあまり、顔を背けながらぶっきらぼうに言葉を放つ。素直になれない私にみんなが微笑ましい笑みを零した。

 だけどその願いは。

 叶うことはなかった。

52: 2009/07/21(火) 17:19:57.70 ID:RPNsguXN0
梓「唯先輩が部活に顔を出さなくなってから、もう一週間、かぁ……」

 梓ちゃんが溜め息を吐きながら、独り言のように言葉を漏らす。

憂「家でもギターに触ってないみたいだし……。大丈夫かな、お姉ちゃん……」

梓「家でも弾いてないんだ……。このまま音楽、やめちゃうのかな、唯先輩……」

 暗く沈んだ顔で肩を落とす梓ちゃん。

憂「大丈夫だよ。お姉ちゃんだもん。きっとすぐ立ち直って、またあの笑顔を見せてくれるよ」

 何でもないことのように、努めて明るい口調で梓ちゃんを励ます。そう自分に言い聞かせるように。  

53: 2009/07/21(火) 17:24:04.24 ID:RPNsguXN0
梓「そう……そうだよね。またすぐにいつもの笑顔に戻ってくれるよね」

憂「うん。お姉ちゃんはどんな時でも、いつも笑顔だったんだから。みんながこんなに心配してるって分かれば、嬉しくてすぐ笑顔になるに決まってるよ~」

 きっとそうだ。そうに違いない。あのお姉ちゃんがこんなにも長く塞ぎ込んでいるのは初めて見るけど、またいつもの調子で立ち直ってくれるに違いない。

梓「あ、じゃあ私、こっちだから……。唯先輩によろしくね、憂」

憂「うん、また明日ね、梓ちゃん」

57: 2009/07/21(火) 17:29:55.52 ID:RPNsguXN0
 手を振りながら梓ちゃんと別れて、一人、家路へと着く。

憂(大丈夫だよね、お姉ちゃん……)

 言い知れぬ不安が胸を埋め尽くす。ここ最近の姉の様子を思い出すと、その不安に拍車が掛かった。

 ギターを弾かなくなり、テレビも見なくなり、目覚まし時計の秒針が刻む音すら耳障りなのか壊してしまった。まるで全ての音を遠ざけるように四六時中、部屋に引き篭もり、学校に行く時でさえ、耳栓で耳を塞いでいる。

憂「早く良くなってくれればいいんだけど……」

 いや、そもそも別に病気に罹っているわけではないのだ。ただ人より少し感覚が鋭敏になっているだけという話。それを考えると治るという言葉は正しくないように思えた。

58: 2009/07/21(火) 17:33:55.00 ID:RPNsguXN0
憂(前のように戻れる、のかな……)

 降って湧いたその疑問を追い出すように首を振る。あれこれ考えても仕方が無い。今の自分に出来るのは、少しでもお姉ちゃんの負担を軽くすることだけだ。

憂「ただいまー。お姉ちゃん、帰ってるー?」

 全ての音が絶えたように静まり返った家からは、何の返事も返ってこなかった。

憂「まだ帰ってきてないのかな? 部活に行ってないのなら、もう帰ってきててもいいはず───」


 「───ぁ、ああぁぁぁぁぁあぁぁぁッ!」


憂「お姉ちゃんッ!?」

59: 2009/07/21(火) 17:36:45.83 ID:RPNsguXN0
 聞き慣れたお姉ちゃんの声で、耳慣れぬ絶叫が木霊する。靴を乱暴に脱ぎ捨て、鞄を放り出し、姉の部屋へと向かう。

憂「どうしたの、お姉ちゃん!?」

 ノックもせずに、姉の部屋へと駆け込んだ。そこには───。

66: 2009/07/21(火) 17:41:00.24 ID:RPNsguXN0
唯(うるさい……)

 自分の声さえも耳障りに思え、ただ心の中でだけ悪態を吐く。

 どんなに部屋に引き篭もり、塞ぎ込んでいても、完全に音をシャットアウト出来るわけではない。今では授業中ですら耳栓をして、余計な音が頭に入り込むのを防いでいる。

67: 2009/07/21(火) 17:43:12.81 ID:RPNsguXN0
唯(うるさい……!)

 そこまでしているにも拘らず、この世界から雑音は消えてくれない。

 風が吹く音。木々の葉擦れの音。雨粒の弾ける音。以前は心地好いと感じた音でさえも、今はただただ不快だった。どんなに綺麗な音でも、絶対音感というフィルターを通した途端、頭の中でただの音の羅列に変換され、無味乾燥なものへと変わっていってしまう。

 始めは綺麗に思えた音の色も、今では全てが混ざり合わさってしまって、黒く濁った色にしか思えなかった。

72: 2009/07/21(火) 17:47:00.13 ID:RPNsguXN0
唯(うるさい、よぅ……)

 ぎゅっと目を瞑り、両手で耳を塞ぐ。だがそれでも音は鳴り止まない。筋肉の動く音。血の流れる音。自分が生きている音。最早それすらも耳障りにしか思えない。

74: 2009/07/21(火) 17:48:58.75 ID:RPNsguXN0
唯「あ……」

 壊れていく。

唯「あぁ……」

 綺麗だった音が。世界が。大切だった何かが壊れていく。

唯「ああぁぁぁあぁぁぁあぁッ!!」

 両の掌で自分の耳を打ち据える。何度も何度も。こんなに苦しいのなら、いっそ聴こえなくなってしまえばいい。鼓膜よ破れよといわんばかりに、ばんばんと激しく平手で叩く。

77: 2009/07/21(火) 17:52:25.38 ID:RPNsguXN0
憂「どうしたの、お姉ちゃん!?」

 慌てて部屋へ入ってきた憂の顔が驚愕に歪む。

憂「やめて、お姉ちゃん!」

 憂に抱きすくめられ、耳を叩く手が止められる。

憂「いった■どうし■ゃったの、お姉ちゃ■!」

78: 2009/07/21(火) 17:54:19.59 ID:RPNsguXN0
唯「あ……ぁ……」

憂「こ■な■■した■、耳が聴■えな■■っち■■よ!?」

唯「あぁ……!」

 憂の言葉が言葉として頭に入ってこない。言葉として認識される前に、音として変換され、何の意味も為さない旋律だけが頭の中に渦巻く。

憂「■■■■■? ■■■■■■■■■■!?」

 聞こえない。どれだけ耳を澄ましても。耳を澄ませば澄ますほど。

唯「い……」

 大切な人の声が、言葉が聴こえない。

唯「いやあああぁぁぁぁぁぁあぁぁッ!!」
 

 その日

 私の世界は

 終りを迎えた

80: 2009/07/21(火) 17:56:47.46 ID:i/XunAMm0
こえーよ

82: 2009/07/21(火) 17:58:32.94 ID:RPNsguXN0
澪「憂ちゃん! 唯は!?」

憂「あ、みなさん……」

律「唯の容態はどうなんだ!?」

憂「ふ、ぅっく……うぇぇ……」

梓「何号室にいるの!? ねえ、憂!」

紬「みんな、落ち着いて。今、一番混乱しているのは憂ちゃんなんだから。憂ちゃん、大丈夫? あっちに座って、少し落ち着きましょう」

憂「は、い……」

 紬に促され、憂はすぐ傍のソファーに腰を落ち着けた。他の面々も気まずそうにしながらも、腰掛けていく。静まり返った待合室のロビーには彼女達以外の人間は見当たらなかった。

87: 2009/07/21(火) 18:02:25.49 ID:RPNsguXN0
紬「落ち着いた? 憂ちゃん」

憂「はい……ありがとうございます、紬さん」

紬「そう、よかった。それで憂ちゃん。唯ちゃんは……?」

憂「お姉ちゃんは……」

律「急に唯が倒れたって電話があって駆けつけたけど、いったい何があったんだ?」

澪「倒れたのって、やっぱりここ最近の唯の様子と関係あることなのか……?」

 憂は家に帰ってからのことを事細かに説明していく。搾り出されるように紡がれる憂の言葉に、軽音部の面々の顔色が暗く翳っていく。各々その様子を想像して、遣り切れない思いを抱いているのだろう。

91: 2009/07/21(火) 18:05:24.99 ID:RPNsguXN0
憂「詳しいことは私にも分からないんです。ただ……」

梓「ただ?」

憂「お姉ちゃん、本当に耳が聴こえなくなってしまったみたいなんです」

澪律紬梓「ッ!?」

憂「あ、と言っても鼓膜が破れたとかそういうのではなくて。お医者さんが言うには、恐らく心因性のものだろうって。全ての音が音階でしか認識出来ないストレスで、心が脳の音や言葉を聴き取る機能を止めちゃっているのかもって」

澪「随分、曖昧だな」

律「それで、唯は治るのか? また耳が聴こえるようになるのか?」

憂「それはお姉ちゃん次第だそうです。本人が音を聴くことを拒否し続ければ、もう、このまま……」

 憂の言葉が悲しみに震える。それに呼応するように彼女達の顔には悲しみが滲んでいた。

93: 2009/07/21(火) 18:09:41.83 ID:RPNsguXN0
梓「わ、私の、せいだ……。私が唯先輩に絶対音感の話なんか、した、から……」

澪「遅かれ早かれ、唯は自分の能力に気付いていただろう。梓のせいじゃないさ……。私があの時、唯の異変に気付いていれば……」

紬「絶対音感を持つ人の中には、その能力故に純粋に音楽を楽しむことが出来ない人もいると聞きます。そのことを知っていたのに、私……なんにも出来なかった……」

律「音楽家としての最高の資質が、音楽を楽しむことを邪魔するなんてな……。くそっ! なんで私はあの時、唯にあんな、言葉を……!」

 皆が皆、後悔に沈む。一人の少女の身に降りかかった悲しみが、少女達に伝播し、心を引き裂く。

95: 2009/07/21(火) 18:12:30.33 ID:RPNsguXN0
さわ子「はいはい、心配するのはいいけど、あなた達までそんな顔してたら唯ちゃんがもっと悲しむでしょ」

澪「先生……いつの間に……」

さわ子「顧問なんだから部員の身に何かあったら飛んでくるのは当たり前でしょ」

紬「先生……」

律「そうだな……私達が沈んでてもしょうがねえよな」

梓「そうですね……。今は、信じましょう。唯先輩を……」

憂「お姉ちゃん……」

98: 2009/07/21(火) 18:16:52.38 ID:RPNsguXN0
澪「唯!?」

律「唯じゃないか!」

紬「唯ちゃん、もう身体は大丈夫なの?」

梓「唯先輩!」

 唯ちゃんの肩を押して、馴染み深い音楽室へと足を踏み入れる。その途端、昨日までまるで元気のなかった部員のみんながにわかに活気付いた。

100: 2009/07/21(火) 18:18:45.55 ID:RPNsguXN0
澪「唯……? どうしたんだ?」

さわ子「みんな、取り敢えず落ち着きなさい。まだ唯ちゃんの耳は治っていないわ」

梓「そうなん、ですか……」

さわ子「お医者様の話では何かきっかけさえあればまた耳が聴こえるようになるかもしれないから、いつもと同じように過ごした方がいいって。ただ……」

律「ただ……? ただ、なんだよ、さわちゃん」

さわ子「……唯ちゃんにとって聴覚を取り戻すことが彼女の幸せに繋がるとは限らないってこと」

梓「そんな!」

紬「どういうことですか、先生!」

102: 2009/07/21(火) 18:21:56.98 ID:RPNsguXN0
さわ子「だから落ち着きなさいって。思い返してもみなさい、絶対音感を意識しはじめてからの唯ちゃんの様子を。あれが幸せだったように思える?」

 食って掛かるような視線を投げ掛けていた彼女達の瞳が悲しみで濁る。傍らに立つ唯ちゃんはといえば、あの日以来、完全に心を閉ざしてしまったらしく、そんな仲間の様子を目の当たりにしても、表情一つ変えなかった。

さわ子(人形みたいな顔になっちゃって……)

 こんな風になってしまうまでに何も出来なかった自分に忸怩たる思いを抱く。顧問として、教師として、彼女を想う一人の人間として、何か彼女にしてやれることはないのだろうか。

107: 2009/07/21(火) 18:26:13.66 ID:RPNsguXN0
憂「あの、さわ子先生……」

さわ子「あぁ、憂ちゃん」

 いつの間に音楽室に訪れていたのか、入り口のところには憂ちゃんが立っていた。

憂「お姉ちゃん、そろそろ病院に行く時間ですので、その……」

さわ子「そうね、じゃあ後はお願いできるかしら。ほら、唯ちゃん」

 唯ちゃんの肩をそっと押して、憂ちゃんの元へと導く。憂ちゃんはそんな唯ちゃんの手を引き、音楽室から去っていった。されるがままの唯ちゃんを見ているのは正直辛かった。

 再び音楽室に静寂が訪れる。久々の再会は彼女達に現実を突きつけるだけに終わってしまった。

108: 2009/07/21(火) 18:28:14.36 ID:RPNsguXN0
律「……めねぇ」

澪「……律?」

律「認めねぇ!」

紬「りっちゃん?」

梓「律先輩?」

112: 2009/07/21(火) 18:33:39.04 ID:RPNsguXN0
律「このまま耳が聴こえない方が唯にとって幸せだなんて、音楽が出来ない方が幸せだなんて絶対に認めねぇ! 
  だってそうだろ!? あいつはここで、この場所でいつも笑顔で、ギターを弾いて、一緒にお茶を飲んで、時には馬鹿やったりして……。
  そんなあいつがこのままの方が幸せだなんて嘘だろう!!」

澪「でも律、お前も見ただろう。ここ最近の唯の変わり様を。今、あいつが苦しんでいるというのなら……ならこのままの方がいっそ……」

律「確かに今は唯にとって苦しい時かもしれない。だけど始めからそうだったわけじゃないだろう!? あいつはなにより音楽が、この場所が大好きなんだよ! ……そうだ、その気持ちさえ、思い出さえ思い出せばあるいは……!」

紬「確かに聴覚を取り戻すかもしれないわ。だけどそれは諸刃の剣。もし唯ちゃんが思い出からも目を背けたら、きっともう……唯ちゃんの聴覚は一生、戻らないかもしれない」

梓「だったらこのままの方が、思い出は綺麗なままの方がいいのかも、しれませんね……」

 彼女達の顔を諦念が支配する。たった一人の少女を除いて。

115: 2009/07/21(火) 18:38:23.82 ID:RPNsguXN0
律「それでも!」

 少女は諦めない。涙を浮かべた瞳でただ只管に前だけを見据えようと眼を見開く。
律「それでも私はそれに賭けたい……。嫌なんだ……あいつが苦しんでいるのに何もせず、手をこまねいてるだけなんて。
  これはただの我が侭かもしれない……。もしかしたらあいつの聴覚を取り戻すことなんて叶わないかも、あいつが思い出も手放して、私達のことを嫌いになるかもしれない。
  だけどそれでも───」
 
 迷いを振り切ったかのように───いや、彼女は最初から迷ってなどいなかったのだろう。りっちゃんは手の甲で乱暴に涙を拭い、高らかに宣言する。

117: 2009/07/21(火) 18:41:34.49 ID:RPNsguXN0
律「私は唯とまた音楽をやりたい……一緒に笑いたい!」

梓「律先輩……」

紬「……そうね。私もまた唯ちゃんにおいしいお菓子を食べてもらいたいわ」

澪「諦めるなんて私達らしくなかったな……。まったく、唯の笑顔がなくなった途端、こうも弱気になるなんてな。……改めてあいつの存在の大きさを思い知ったよ」

紬「今度は私達が唯ちゃんにその恩返しをする番ね」

梓「唯先輩の笑顔を取り戻すために!」

律「やろう!」

澪紬梓「おーッ!」

 勝鬨を上げる彼女達の顔には決意が満ち溢れていた。それが微笑ましくて、こんな時だというのに思わず笑みが零れる。

 そうだ。唯ちゃんの笑顔を取り戻せるのは親友である彼女達にしか出来ないことだ。なら今の自分に出来ることは彼女達を精一杯サポートすることぐらいだ。 

119: 2009/07/21(火) 18:44:49.86 ID:RPNsguXN0
和「本当に大丈夫なんでしょうか、先生……?」

さわ子「分からないわ。だけど和ちゃんもこのままでいいなんて思ってないんでしょう?」

憂「はい……でも」

さわ子「全責任は私が負うわ。だからあなたも信じてあげて、彼女達を」

 物言わぬ人形と化した唯のことを思い出す。唯の様子は相変わらずだった。なにをするでもなくただ漫然と過ごすだけの日々。幼馴染として付き合いは長いつもりだったが、あんな唯を見るのは初めてだった。

120: 2009/07/21(火) 18:47:14.16 ID:RPNsguXN0
和「取り敢えず言われた通り、体育館の使用許可は申請しておきましたけど……いったい何が始まるんですか?」

さわ子「さあ?」

和「さあっ、て……」

 先ほど全責任は負うと言ったのはどの口か。そのあまりに無責任な発言に思わず眼鏡がずり落ちる。

さわ子「今、あの子達が唯ちゃんのために出来る、全てのことをやろうとしてるのよ。顧問の私としては信じるしかないじゃない?」

 不敵の笑みを浮かべながら、何でもないことのように言い放つ。信じるしかない。その言葉の重みを全て背負いながらも、あくまで笑顔のままで。それは彼女達への信頼の現われなのだろう。ならば───。

121: 2009/07/21(火) 18:51:12.23 ID:RPNsguXN0
和「じゃあ私も信じてみることにします。……それだけしか出来ないのが、ちょっと悔しいけど」

さわ子「それだけで充分よ。今の唯ちゃんにとってはそれだけで、とても心強い力になる。私はそう思うわ」

 体育館の重い扉を引き開け、暗幕に包まれた空間に目を凝らす。そこには先に来ていた唯と憂ちゃんの姿があった。すぐ傍まで歩み寄り、唯の様子をそっと窺い見る。

 その瞳には何も映っていない。その耳には私達の足音さえ届かない。その心にはどんな想いも届かない。記憶の中にある唯と、今の唯の姿が重ならない。もしかしてもう一生このままなのだろうかと思うと背筋がぞっとした。

和(頼んだわよ、みんな……!)

 今の私に出来るのはただ信じることだけだった。唯を。唯を想う軽音部のみんなを。

123: 2009/07/21(火) 18:55:00.27 ID:RPNsguXN0
 照明が一斉にステージを照らし出す。そこにいるのは澪さん、律さん、紬さん、梓ちゃん。それと───スタンドに立て掛けられたチェリーサンバーストのレスポール、お姉ちゃんのギターだった。

律「いくぜぇッ、ふわふわタイム! 1・2・3・4・1・2!」

124: 2009/07/21(火) 18:59:44.14 ID:RPNsguXN0
 律さんの掛け声と共に聞きなれた曲が始まる。ただいつもと違うのはボーカルがお姉ちゃんではなく、澪さんという点だった。大事な何かを欠いたその光景に胸が締め付けられる。 

 澪さんの左指が弦の上を跳ね踊り、軽快な重低音が地を這う。

 律さんの全身が震えるたび、空気が脈打つように律動する。

 紬さんの両の手が黒鍵と白鍵を行き交い、薄闇を綾なすようなメロディが舞い降りる。

 梓ちゃんの右手がフィンガーボードの上を奔るたびに、泣き声のような想いを綴る。

 それはいつも以上に力の籠もった演奏だった。だけど───

125: 2009/07/21(火) 19:05:28.66 ID:RPNsguXN0
澪(頼む、唯……!)

紬(どうか……)

律(思い出してくれ!)

梓(唯先輩!)

 何かが足りない。そう感じているのは、ステージにいる澪さん達も一緒のようだった。それを取り戻すために、それを補うために一生懸命なその顔は見ていて胸が張り裂けるようだった。

129: 2009/07/21(火) 19:12:42.80 ID:RPNsguXN0
 傍らに座るお姉ちゃんを横目で窺う。身動ぎはおろか、瞬き一つしていない。届いていない。みんなの想いは、切なる願いは───何一つ届いていないようだった。

 演奏が終わる。想いの熱は何一つ伝わらず、ただただ中空に霧散してしまった。

律「駄目、なのか……」

梓「そんな……う、うぇ…っく……」

澪「もう、届かないのか……なに一つ……!」

紬「唯ちゃん……!」

 絶望が支配する。みんなの顔に諦めの色が走る。

131: 2009/07/21(火) 19:16:21.76 ID:RPNsguXN0
「しっかりしなさい、あなた達!」

 そんな空気を一蹴するかのような檄がすぐ隣から飛んだ。

さわ子「唯ちゃんの笑顔を取り戻すんでしょう!? ならあなた達がそんな顔してどうするの! あなた達が笑ってなきゃ、唯ちゃんが笑えるわけないじゃない!」

和「先生……」

さわ子「思い出しなさい! 唯ちゃんの笑顔を! 一緒に笑いあった思い出を! あの文化祭のステージを!」

紬「先生……」

澪「そうだ……取り戻すんだ。唯の笑顔を、あの思い出を!」

梓「私、もう泣きません!」

律「確かにこんな湿気た顔で演っても楽しくもなんともねぇ……。私達が笑ってなきゃ、あいつが! 唯が! 笑えねぇ!!」

澪「いくよ、みんな! ふわふわタイム!」

律「1・2・3・4・1・2!」

135: 2009/07/21(火) 19:22:01.35 ID:RPNsguXN0
 文化祭でのあのステージを思い出す。

(そういやさわちゃんの作った浴衣を着てはしゃぎまわったせいで、風邪ひいたんだったよな)

(治ったと思ったらギターを家に忘れて、取りに帰ったんでしたっけ)

(先輩が一緒じゃなきゃ意味がないって私がごねて……)

(唯がいつも迷惑掛けてごめんって、目に涙をいっぱい浮かべて……)

(だけどみんな笑ってて……)

(誰一人迷惑だなんて思ってなくて……)

(だってそういうのが友達だから……)

(一緒に泣いて、笑って、一つ一つ思い出を積み重ねていって……)

(それをこんなところで終わらせねぇ……!) 

(だから唯……)

(唯ちゃん……!)

(唯先輩……!)


『思い出して!!』


136: 2009/07/21(火) 19:24:17.22 ID:RPNsguXN0






 「……ふ……ァ~イム」


 気が付けば口ずさんでいた。私にとって歌いなれたそのメロディを。


 「ふわ……タ~ァ~……♪」


 自身の一部だと思っていたメロディを口ずさむたび、忘れようとしていた何かが心の奥底から湧き上がってくる。


 「ふわふわタ~ァ~イム♪」

 
 なんで忘れようとしたんだろう。こんなに大切なものを。こんなに楽しくなれるものを。こんなに心がウキウキするものを。

 眩しいものに魅かれるようにステージへと歩を進める。みんなが笑顔で待っている。

 なら行かなきゃ。いつもみんなで笑いあっていたのだから。 

141: 2009/07/21(火) 19:27:36.62 ID:RPNsguXN0
 だけどなんでだろう。

 うまくわらえない。

 ただただなみだだけが、あとからあとからあふれてくる。

 うれしいのとか、かなしいのとかでむねがいっぱいになってわらえない。

 それがもどかしくて。どうしていいか、わからなくて。

「ごめん、ね……みんな……ごめん……」

 ばかみたいにあやまっていた。

「いつも迷惑掛けて、ごめん。あの時、ひどいこと言って、ごめん。いっぱい心配かけちゃって、ごめん。ごめん……ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 涙が止まらない。あの文化祭の時のように。私はあの時、どうやって謝っていたんだっけ……?

143: 2009/07/21(火) 19:30:15.18 ID:RPNsguXN0
「唯」

 みおちゃんが手を差し伸べる。その手を掴んでステージへと上がった。

律「まったく……遅刻だぞ、唯」

唯「りっちゃん……」

紬「おかえりなさい、唯ちゃん」

唯「ムギちゃん……」

梓「もう、ほんと心配、したんですからね」

唯「あずにゃん……」

澪「お前がいないと盛り上がらないんだ。……演ろう、唯」

唯「みおちゃん……」

 みんなが涙を浮かべながら笑っている。
 そうだ。あの時もこんなかんじだったっけ。

唯「みんな……ただいま!」

145: 2009/07/21(火) 19:33:14.71 ID:RPNsguXN0
 ギー太を手に取り、ピックを構える。
 なぜだろう。少ししか離れていなかったのに、ひどく懐かしく感じる。今は肩に圧し掛かるこの重さでさえ、愛しく思えた。
 ムギちゃんのシンセサイザーがサビのメロディを奏でる。私達はステージの真ん中で顔を突き合わせ、互いの呼吸を通い合わせる。それだけで言葉にしなくてもみんなの想いが伝わってきた。


 「いっくよ~、ふわふわタイム!」

147: 2009/07/21(火) 19:37:19.80 ID:RPNsguXN0
律「うぃ~ッス」

唯「うぃ~ッス、りっちゃん」

律「ムギ~、今日のおやつはなに~?」

紬「今日はマカロンの詰め合わせよ」

唯「やったぁ、おいしそ~」

梓「みなさん、それより練習を……」

澪「まあまあ、梓」

 いつもと変わらない日常。少しの間、失っていた日常がそこにはあった。


148: 2009/07/21(火) 19:39:11.82 ID:RPNsguXN0
律「そういやぁ、耳の調子はどうなんだ、唯」

唯「もうばっちりですよ、りっちゃん隊員。絶対音感も無くなったし」

澪「絶対音感が無くなった?」

唯「ん~と、お医者さんが言うには聴覚を取り戻した代償なんじゃないかとかなんとか言ってたけど……よく分かんないや」

梓「分からないって……もったいないとか思わないんですか?」

唯「うん、もう絶対音感はこりごりだよ~。それに……」

梓「それに?」

唯「そんなものなくてもみんなと一緒なら音楽は楽しめるしね」

紬「唯ちゃんらしいわね♪」

 みんなの顔に笑顔が灯る。胸が優しい気持ちでいっぱいになる。今ほど誰かと一緒にいて幸せを感じたことはない。


149: 2009/07/21(火) 19:40:29.91 ID:RPNsguXN0
律「よ~し、じゃあ唯の快気祝いにいっちょパ~っと遊びに行くかぁ!」

唯「やったぁ~」

紬「じゃあ憂ちゃんと和さんとさわ子先生も呼ばなくちゃね」

梓「練習……」

澪「まあまあ、梓」

唯「早く行こーよぅ、みんな♪」

 幸せな日々は続く。

 いつかこの日に終りが来ても。

 胸に宿るこの優しい音楽はいつまでも絶えることはないだろう。

 fin.

160: 2009/07/21(火) 19:53:28.62 ID:RPNsguXN0
 次回予告っぽいもの

紬「やっぱり気のせいなんかじゃ、ない……」

唯「わぁ~、りっちゃん、男装、似合うねぇ♪」

律「へっ、ドラマーの腹筋をなめんなよ!!」

斉藤「斉藤氏すとも───執事は氏なず!」

 ではバイト、行ってきまッス。

164: 2009/07/21(火) 19:55:36.50 ID:U/I4vpkz0

引用元: 唯「ぜったいおんかん?」