1: 2015/02/22(日) 23:15:23.72 ID:Kw3uxajN0

目が覚めると、まずシャワーを浴びる。
夜も勿論お風呂には入るけれど、これは私の昔からの習慣。

だって寝起きのボサボサ頭で外へ出ることは彼に何度も怒られた、少しは女の子らしくしろと、そう言われてきた。
寝癖があるとどうも女の子らしくないらしい。

最初は私も必氏に櫛で髪を整えていたりしてたんだが、私の髪は癖が強いから一度シャワーを浴びてしまった方がてっとり早い。

でも、シャワーを浴びた後のドライヤーは少し億劫で、腰まで届くほどの長さの髪を全部乾かすまでには時間がかかる。

それに乾かす時は丁寧にやらないと結局ぐしゃぐしゃになってしまうし。
指を櫛代わりに髪を梳いても、たまにひっかかって痛かったりもする。

これだけめんどくさいことなのに、特に今日は少し時間をかけないといけなくて、まぁ仕方ないか、女の子らしくないとかよく分からんことで怒られるのはいやだしな。



2: 2015/02/22(日) 23:17:26.85 ID:Kw3uxajN0

髪が十分乾いたら小さな三つ編みを作り、リボンで結ぶ。
ピンクのリボンはもう色が褪せてしまっていて、そろそろ新しいのを買った方がいいのかもしれない。

今日の服はどうしようか。
昔友人に勧められて買ったアクセサリーとかゴチャゴチャしてるやつは結構お気に入りで、たまのお出掛けの時はこれをよく着ていくのだけど。
……ん、いいか、久しぶりにこの服にしてみるか。

黄緑色のシンプルなシャツ、正面には沢山のカラフルなキノコが印刷されている。
下は白のスカート、ちょっと短いがまぁ大丈夫、誰も見んだろ。

黄緑と白、子供の頃はよくこんな組み合わせの服を選んでいた気がする。
まだ外は少し肌寒いから上にパーカーを羽織ってみると、なんだか懐かしくなって思わず口がニヤついてしまった。


机の下にあるキノコの様子を確認して、肩掛けのバッグを手にとる。
トモダチは今日も元気そう、心なしか昨日より大きくなってる。いや、実際大きくなってるんだ。私がトモダチの成長を間違えないわけないしな。

彼らに行ってきますと声をかけ、外へ出た。
今日は快晴だ、ジメジメしてないのもたまにはいい。


……あ。


朝ご飯……た、食べてない。
朝というには今はもう、遅い時間だが。

3: 2015/02/22(日) 23:19:49.92 ID:Kw3uxajN0

…………
……




電車に二十分程度乗った後、駅から更に十分くらい歩くと見えてくる綺麗なビル。

結構大きい建物だけど、一つの会社という訳ではないらしい。入り口の前にはよくわからんポスターが沢山貼ってある。

私が用事があるのはここの六階。
ロビーで談笑しているスーツ姿の人達から隠れるように移動しながらエレベーターに乗り、上の階に向かう。


なんだか少し、緊張してきた。

い、いや、緊張することはないはずなんだけどな、うん。


目的の階に到達したことを音声ガイドが告げてくれる、エレベーターから降りるとまたすぐ目の前に小さなドアがあって。
少し深呼吸をした後、数回ノックを鳴らす。
……反応がない。鍵がかかってないか確認してみると簡単にドアノブは回った。どうやら開いているみたいだ。


「お、おじゃま……します……し、していい、ですかー……?」


私は中を探るように扉をゆっくり開け、部屋の中に入る。
沢山の机が並んであったが、机に座ってる人は殆どいない。

でも、ただ一人だけ、ずっと奥の方に少し背の高いショートカットの女の人を見つけた。
じっと静かにパソコンの方を見つめていてこちらには目さえ向けてこない、あの様子だと多分私のノックも聞こえなかったのだろう。

さ、最初から仕切り直しするか。今度は強くノックを叩いて気づいて貰おう。と、とりあえず外に出るか。

4: 2015/02/22(日) 23:22:45.38 ID:Kw3uxajN0

「あら、こんにちは」


再び外に出ようと後ろを振り向いたら、声をかけられてしまった。
慌ててまた体を彼女の方へ向ける。くるくると半回転、半回転。なんだか昔のダンスレッスンのことを思い出す。
私はあまり得意じゃなかったな。

彼女は私の方を見ながら微笑んでいて。
私は「コンニチハ」とオウム返しのように言葉を機械的に発する……語尾が高くなってしまった……い、未だに挨拶は慣れん。


「あ、あの、えと……あれです……」

「Pさんなら今、少し出かけていますよ、もうすぐ帰ってくると思いますが」


どうぞ、それまでこちらに座って待っててください。

彼女は手のひらを上にして遠くのソファーを指し示した。
それはとても柔らかそうで、きっといいものなんだろうな、あれ、ちょっと座ってみたい、けど。


「い、いいです……それなら、ま、また、後でくる……きます」


彼女は知らない人じゃない。ここに来る時には何度か会って話だってしたこともある。
でも、私がうまく喋れないせいで彼女との会話は一方的なものだったし、特別親しい人というわけでもなかった。
なのに私がここにいると相手は気まずいかもしれない、というか何より仕事中だ。私が一緒の空間にいるのは迷惑になるだろ。

5: 2015/02/22(日) 23:24:46.26 ID:Kw3uxajN0

またしばらく時間を置いて訪ねなおそう、それかエレベーターの前で待っとくのもありか。
そんなことを考えながら、逃げるようにドアノブを握ろうとしたその瞬間、勝手にドアが開いた。

掴もうとしたものが目の前から遠ざかり手は空を切る、その勢いで私はバランスを崩してしまう。
咄嗟に縁に手を引っ掛けようとしたが間に合わない。

時間にすれば数瞬の出来事なはずのに思考だけはずっと早くに伝わってきて。

い、痛いかな、痛くないといいんだが。
そう祈ってももうどうしようもない。私は覚悟して目を瞑る。


けれど、いつまで経っても痛みはこなかった。
代わりに感じたのは柔らかい衝撃、そして、私がぶつかったくらいではびくともしない力強さ。

それが人だと気づいた時には、その人に体重を預けるようにしていた私は、腰に手を回されぎゅっと腕の中に引っ張られた。

……タバコの香りと、慣れ親しんだあの匂い。
顔を見なくたって、もう私には誰が抱き留めてくれたのか分かる。


「おっと……輝子、もう来てたのか」

「……うん、来てたぞ」


相手の胸に顔を少しうずめる。
タバコの匂いが彼を覆い隠しているようで、この匂いはやっぱり、好きになれないな。

6: 2015/02/22(日) 23:27:54.72 ID:Kw3uxajN0

「先程、丁度いらっしゃったんですよ」

「そうですか、あー……それなら……」

「はい、お疲れ様でした、あとは任しといてください、最近はお仕事ばかりだったんですから……たまには彼女と羽を伸ばさないと、ですよね」


……彼女じゃない。

この人にはそう見えるのだろうか。いや、他の人達に私達はどう見えるんだ?
まぁ、人からどう見られてるなんかは問題ないが。私達が、私達をお互い親友だと認め合ってたら別に。


「ありがとうございます、じゃあ……ちょっと彼女をエスコートしてきますよ、たまには構ってやらないといじけますしね」


……だ、だから、彼女じゃない。

親友までそんな冗談を言うのか。
抗議するように彼を睨みつけたけど、彼はそれを無視して頭を撫でてきた。

誤魔化されたみたいで不満があるが、目が合わなかったことに少しだけほっとする。

7: 2015/02/22(日) 23:30:20.98 ID:Kw3uxajN0

「じゃあとりあえず……飯でも食いに行くか、俺実は朝から何も食ってないから腹ペコなんだよ」


ん、朝ご飯食べてないのか。
私も食べなかったぞ。流石親友、気が合うな。

数秒の沈黙の後、今度はさっきより酷く乱暴に撫でられてしまった。
ちょ、ちょっと、折角ちゃんとしてきたんだぞ。髪がボサボサになったら怒るのは親友だろ……?

そんな私の想いは全く伝わらず、せっかく整えてきた髪型はぐしゃぐしゃに。

彼が私に触れた部分を手で抑える。
親友はよくわからない、でも、そんなに悪い気はしなくて口元が少し緩む。


「その辺の喫茶店とかで軽くつまむぐらいでもよかったんだが……お前も腹ペコなら、美味しいとこ行こう」


少し待っててくれ。そう続けて彼は自分の机へと向かった。
多分帰る準備をしているんだろう……彼の机は昔と同じで、相変わらず色んなものが散らばっていた。

8: 2015/02/22(日) 23:33:35.86 ID:Kw3uxajN0

…………
……




「……うまいだろ?」

「う、うん……うまいな……」


難しい漢字の看板を掲げていたお店の地下。
お昼にはちょっと早い時間だと言うのに活気がある。飛び交う言葉は多分中国語だろうか、メニューも見たことない料理ばかりだ。

彼が聞いたこともない言葉で聞いたこともないものを注文するのに対して、私は炒飯や餃子のような、聞き馴染んだ言葉の料理を選んだ。


「こ、ここ、高くないのか?」

「心配すんな、普通の値段だよ」


そうなんだろうか。
立てかけてあったメニュー表を再び目で盗み見てみる……や、やっぱり、高い気がする、少なくとも私には。

それでもやってきた料理は値段以上に美味しくて、一つ一つ沢山量もあって。
い、いや、本当に多いなこれ。そんなに頼んだつもりはなかったんだが。

半分ぐらい食べただけで、もうお腹がいっぱいになってしまった。
これ以上はとても食べれない、料理を見てるのもちょっと厳しいくらいだ。

9: 2015/02/22(日) 23:36:41.33 ID:Kw3uxajN0

気を紛らすために食器を置いて、ぼんやりとお店の中を見渡す。
なんとなく見つめた視界の先に、カウンターに並んで座っている男女の二人組を見つけた。

お店には家族連ればかりで、男女二人きりという組み合わせはなかなかいない、彼等二人と私達ぐらい。

……というかなんか、距離近くないかあの二人、椅子がくっついてしまいそうだ。


今私達は向かい合って食べてるけど、もし私達が彼等のように並んで座ったら左利きの私と右利きの彼とではちょっとめんどくさそう…………あっ……今……き、きす、した、あいつら、キス、したぞ、あいつら。


「カップルか、昼からイチャイチャしやがってなぁ、羨ましい」


毒づいた彼は呆れたような顔をしていたが、口調はとても優しく、悪意は感じられない。

そうか、羨ましいのか、ああいうの。それなら。


……。


い、いや、違う。これは違う。
これは、うん、親友のやることじゃない。私には恋愛とかそういうの、全く分からんが、それくらいは分かる。
もちろん、彼等がどういう関係なのかも分かっている。

そういうのは、特別だ。多分。いや、知らんけど、特別なんだろう。
それは親友じゃ、ダメなことだ。

……ん、ダメかな? いやでも、親友だって特別じゃないか。


それは恋人ってのに、負けてないよな……?

10: 2015/02/22(日) 23:39:34.01 ID:Kw3uxajN0

「輝子」

「フヒッ?」


急に名前を呼ばれた、意識はすぐ彼の方に向く。
なんだか変な声が出てしまって、少し恥ずかしい。なんで私はこうなんだろうか。

彼が小さく笑う。
親友だから、別にいいが……わ、笑わなくたっていいだろ。


「これからどうするか決めよう、お前は行きたいとこあるか?」

「い、行きたいとこ……?」

「おう、まぁいつも通りここから適当に街をブラブラしてもいいんだけどさ」


な、何も考えてないぞ私。
親友と会うことしか、考えてなかった。

彼との付き合いはこうして今もずっと続いているけど、いつだって私は彼の側をついてまわるだけだったから。

……ああ、でも、行きたいとこか。
それなら一つだけ、あるかもしれない。

11: 2015/02/22(日) 23:41:23.17 ID:Kw3uxajN0

「な、なぁ」

「ん?」

「行くとこないなら……じ、事務所、行かないか……?」


その一言を告げた途端、彼の笑顔が消えた。
それは冷たいコンクリートのような無機質な表情で。


……わ、私は言っちゃいけないことを言ったのだろうか。
静かにこちらを見つめる彼に、私はどうすればいいか分からない。
目を逸らし、手元のおしぼりをひたすら指で弄る。


「事務所……そうだな、事務所か」


い、行きたくないのなら別にいいんだ。
二人一緒なら私はどこだっていいしな。

12: 2015/02/22(日) 23:42:10.65 ID:Kw3uxajN0

周りは相変わらずとても活気があって、暖房もとても強く暑いくらい。
それなのに私達の空間だけが時間ごと氷に包まれたようで。

おしぼりを小さく丸めたり広げたりする。彼の方にこっそり盗むように視線を投げると、彼はいつの間にか目を瞑っていて何かを考えているようだった。


「……うん、いや、行こうか、俺もなんだかそういう気分になったよ」


しばらく時間が経って彼は目を開けた。
その瞳は私の方向を向いていたけれど、私を超えてさらに遠くを見ているような気がした。

何か彼に言葉を返そうとする前に、彼は立ち上がり、会計の方へ向かう。

あれ、あれまだ料理が残っている、いいのかこれ。……い、いいんだな。うん。

慌てて鞄を持ち、私も置いてかれないように立ち上がる。
その後にご馳走様をするのを忘れていたことに気付いて、彼の分を含めて二回ほど手を合わせておいた。

13: 2015/02/22(日) 23:44:51.67 ID:Kw3uxajN0
続きはまた明日ぐらいに

15: 2015/02/23(月) 15:24:33.12 ID:zW0LuoBg0

…………
……




「P、P、待て……待って……!」

「ん? 悪い悪い、少し早かったか」


外に出ると少し強い風が吹いていた。
気温はそんなに寒くないはずだけど、風のせいで体感温度はとても低い。

Tシャツにパーカーだけだと、足りなかったみたいだ。撫でる風が容赦無く体温を奪っていく。
少しでも暖かさが欲しくて、私は彼の腕に抱きつく。


「お、おい、恥ずかしいだろ」

「寒いんだ……す、少し我慢しろ……いいだろ?」


困惑した声だったけど、腕を振りほどこうとはしない、ならきっとダメじゃないってことだ。

親友はあったかくていい。
そう呟くと彼は恥ずかしそうに頬をかく。

彼の歩幅が小さくなって、歩くペースもゆっくりになった。
私に合わせてくれているのだろう。彼の優しいところに触れて心まであったかい、これは私だけのものだと嬉しくなる。

何も喋らずにただ一緒に歩くことが楽しいのはきっと親友だけだしな。
他の人だと私はきっと氏んでしまう。何を喋っていいのかなんて分からずテンパって混乱して、氏ぬ、多分。

だから、やっぱり親友はいいな。

親友って、素敵だ。

16: 2015/02/23(月) 15:27:14.08 ID:zW0LuoBg0

しばらく歩いていたら、体も段々とあったまってきた。
腕を解いて彼の隣を歩く、すぐ隣に立つのはなんだか恥ずかしい気がして、一歩だけ引いて。
腕を組むとかは別にいいんだけどな、なんでだろう。

それに気付いて彼がこっちを向く。
じっと私の目を見つめてくる、今度の彼の瞳は確かに私を見ていた。

……す、少し、落ち着かない。


「輝子はなんで、事務所に、行きたいんだ?」


感情の感じさせない抑揚のない声で、彼が言の葉を切るようにそう質問してきた。

なんで? り、理由がいるのか。
理由なんて知らん、特に思いつかん……。

私はただ、ふとそう思っただけなんだ。
なんとなくまた行ってみたくなった。本当にそれだけ。


「……そうか」


彼が再び前を向く。
なんとなく、そんな言葉で納得してくれただろうか。

彼の歩く速度は変わらずゆっくりだったけど、それでも私は置いてかれるような気がして、慌てて袖を掴む。


「もう、三年も経つんだな」


小さな呟き。
なんて答えたらいいか分からなくて、私は聞こえなかったフリをした。

17: 2015/02/23(月) 15:29:12.03 ID:zW0LuoBg0

…………
……




さっきの大きくて綺麗なビルと比べて、ここは小さくそして小汚い。
確かそう、最上階は五階までだったはず。
昔はまだ動いていたエレベーターももう動いてはいない、ランプさえ点灯してはいない。

三年前まで、私と彼はこのビルの四階の小さな事務所で働いていた。

今はもう無くなってしまった芸能プロダクション。
彼はプロデューサーで、私は……アイドル。自分でも信じられん。

たった二年間の活動だったけれど、沢山の思い出がそこにはある。
ひっそりと生きていた私を彼が見つけてくれて、キラキラさせてくれた。大切な場所。


「綺麗に残ってるもんだな、今のご時世、すぐ取り壊しになるか誰か他の会社が使うかしてると思ったけど」

「……これ、事務所、入れない?」


入れないんだろうな。そんなことは分かっている。
エレベーターの前でただ二人佇んでいることがさみしくなって、私は下を俯いた。

18: 2015/02/23(月) 15:32:09.59 ID:zW0LuoBg0

「いや、そう決めるのは早いかもだぞ」

「……ん?」


彼はそう言うと、早足で一階の奥に向かい非常口のマークが上についているドアを開いた。
そこには薄汚れが染み付いた階段があって、彼は私の方を一瞥し、黙ってそれを登っていく。
……ちょ、ちょっと、待て、待って、なんか早い。

私も彼の後をすぐに追おうとする。けれど階段は結構急な勾配をしていて、体力も力もない私は時間を掛けて一段ずつ踏ん張らないといけない。

そうこうしてるうちに彼の姿は見えなくなってしまった。
お、置いてかれた、さっきまでずっと私に合わせてくれてたのに……これ、かなり落ち込むんだが。

でも、そうは言っても彼がどこに向かったのかは分かっていた。
私がどこに向かえばいいかは分かっていた。

19: 2015/02/23(月) 15:33:44.42 ID:zW0LuoBg0

ようやく彼の姿が見えてくる。腕を組みながら佇んでいる。
酷いぞ、親友。私を置いていくなんて。

悪態の一つでもつこうかと思ったけれど、彼は真剣に何かを見ていて。
その目線の先を追うと、大きくて冷たそうな銀色の扉があった。


「お前はエレベーターで来てたみたいだったから知らなかったと思うが、ここは事務所の裏口でな……普段は閉まってんだけど……ええと……」


隅の方にある何個か並んだ丸い植木鉢。
きっと綺麗な花だったであろうものは、茶色く萎れてボロボロになっている。
彼はその植木鉢の一つの前にしゃがみ、中を漁り出す。


「……あった」


手に握られた小さな何か、それは所々が錆びていて。色はまるで鉄くずのようだったけど……その形は普段私も使う見慣れたもの。

……まさか。

泥を払いながら彼はこちらを見て笑う。
ま、待って欲しい、私は状況の早さに呑まれているばかりで、追いつけてない。というか階段を急いで登ったせいでまだ息さえ整ってない。

す、少し深呼吸だけ、させてくれ、心の準備がいる。

そう言ったのに、彼はそんな私の願いを無視してそれをドアに差し込んで。
カチャリと、音が鳴った。

20: 2015/02/23(月) 15:36:20.95 ID:zW0LuoBg0

ゆっくりと開くドア、その錆びた高音は私の奥の方に響いてきた。
彼が部屋の中に入るのを見て、私もその後ろに隠れるようにしながら恐る恐る続く。

無言で入るのは少し変な気がしたから、部屋に入る前に一言だけ「ただいま」と一言呟いてみたけれど、ドアの向こうには勿論誰もいない。

黒い服を纏った少女が難解な言葉をかけてくることも、緑色の服を着たお姉さんがこちらに気付いて笑顔で挨拶してくれたりすることもなかった。

そこにあったのは、小さなソファーとボロボロになった机だけ。
……念のため机の下も覗いてみたが、気弱そうな少女はいない。


「懐かしいな、お前がいっつも過ごしていた机だ」


彼が部屋を感慨深そうに見回す。
私もそれを真似をする。……こんなにここは広かっただろうか。

21: 2015/02/23(月) 15:37:31.25 ID:zW0LuoBg0

「お、ソファーも残ってるんだな……これでよく仮眠とかとってたっけ」


彼がソファーに座ると部屋に埃がまった、吸ってしまったのか少し咳き込んでいて、心配になる。

私の過ごしていた机の下にも埃がたくさんあるのが分かった。手でそれを軽く払って、私は再びここに入ってみる。
広かったはずの机の下は、部屋全体とは違って、昔よりずっと狭く感じた。

ここで私はずっとキノコの世話をしていたんだ。たまに、となりのから借りた漫画を読んだりして……あれはそう、可愛らしい動物が主人公だったのを覚えている。
何もすることがない時は眠ったりもしたっけ。ほの暗いここは眠るのにうってつけの場所だったしな。

机の下で私はゆっくり目をつぶる。ここであった色んなことを思い出す。

親友との二年間。彼以外にも色んな人と会って、とてもとても楽しかった。
結局私はそこまで売れずにライブの経験も数える程しかできなかったけれど、その全てが忘れることのできないものだ。


ここは、私の大切な場所だった。それはきっと今も変わらない。

22: 2015/02/23(月) 15:39:34.45 ID:zW0LuoBg0

小さな私の部屋の中、目を瞑り昔のことを思い出していたら、すぐ側でガタガタと音がして私は今に引き戻される。

目を開けてみると親友が椅子に座っていた。顔は見えなかったけれど、くつくつと笑い声が聞こえる。
なんで笑ってるんだ? ……まぁいいか。
二人で机と椅子を占領する、この感じは、悪くない。


「いっつもお前は机の下だな」


うん、私はここが大好きだったからな。
暗くて、ジメジメしてて、キノコたちも喜んでた。

……と、というか親友、あれだ、近いなこれ。ただでさえ狭いのに、さらに窮屈だ。


「ああ、悪い悪い、お前ももう小さいままじゃないか」


彼が椅子をひく。
こんなに狭いところなのに、昔は彼の足にまで場所を奪われていたし、側にはキノコまであった。よく暮らせてたな、私。

24: 2015/02/23(月) 15:43:28.61 ID:zW0LuoBg0

「しかし懐かしいな、本当に……ここには俺とお前がいつもいて、隣の机にはちひろさんがいた」


そう、そしてその机の下には隣人がいて、他に空いていた何個かの机には皆の私物が入れてあったり、台本やプリントが散らかってたり。
お菓子とかもたくさん散らかっていたけど。


「いっつも賑やかでさ、仕事やレッスンのない日はここでだべるなって言ってたのに……ずっとあいつら、事務所で遊んでた」


ニートはソファで眠ってて、魔王はノートによく分からない絵を描いてて。
テレビでホラーを見る少女や、カワイイ服を見つけて来たと自慢してくる少女。

彼は楽しそうに皆の話をする。それを聞いてると私も同じ気持ちになって……でも、少し棘がささる。
わからないけれど、どこかがぎゅっと痛い。


「幸せだった」


呟きはまるで雲のように浮かぶ。掠れるような、今にも消えてしまいそうな酷く怖い響き。
私はいつの間にか、彼のズボンの裾を小さくつまんでいた自分に気づいた。

25: 2015/02/23(月) 15:46:27.92 ID:zW0LuoBg0

「ごめんな」

「……なんで、なんで、謝る?」

「トップアイドルにしてあげたかった、皆とならその景色を一緒に見れると思ってた」

「でも、足りなかったのは」


言葉を待っていたけれど、その後には、何も続かない。彼は何も言わない。
何が足りなかった? 私も親友も、事務所にいた皆だって必氏に頑張ってた。

それで、何が足りなかったんだ。


「……帰ろうか、輝子」


その一言で、私の中で小さく痛みを感じていた何かが、真っ黒に染め上げられた。

ここは、私の大切だった場所で、でも。

26: 2015/02/23(月) 15:49:32.29 ID:zW0LuoBg0

今更になって後悔する。何で私はここに来たいなんて思ってしまったんだろうか。
何もかもが終わってしまったこの場所に。
ここにはもう、なくしたものしかなかったはずなのに。

彼が椅子から立ち上がる。ぎゅっと力強く掴んでいたつもりだったのに、彼の服の裾が私の手から離れてしまう。
少しでも離れてしまうことがいやで、すぐにでもまた彼の側に行きたかったけれど、体は縮こまってしまってこの机の下から出ることが出来ない。
なんだか息をすることすら、難しい。


「輝子、出てこい」


子供に優しく言い聞かせるように彼は言う。
それでも私の体はやっぱり動かない、ここから出ようとはしない、ピクリとも反応してくれない。

彼がゆっくり息を吐く、それは溜息のようにも深呼吸のようにも聞こえた。

27: 2015/02/23(月) 15:50:34.69 ID:zW0LuoBg0

「なぁ輝子、俺はさ、ここに来れてよかったんだ」


嘘だ。

だって私は今、凄く後悔してる。
私の言葉で、ここに来たことで、彼のことを、自分のことさえも傷つけてしまった。

思わなかったんだ。
ここは、大切なものを無くしてしまったところでもあって。それは親友にとっても、私にとっても。

楽しかった思い出がじくじくと蝕んでくる。私はこの事務所が終わった時も同じことを感じたのだろうか。
それとも、今の私がここに来たから、こんな苦しみを感じているのだろうか。

28: 2015/02/23(月) 15:52:59.79 ID:zW0LuoBg0

「でもさ、確認出来たんだ……終わらなかったものもあるんだよ」

「……お、終わらなかった、もの?」

「ああ、終わらなかったものだ」


何が、終わらなかったと言うんだ、ここにはもう昔のものしかないのに。

彼が机の下に手を伸ばしてくる。
私はその手を掴むことさえできない。
代わりにただ、じっと見つめる。


……彼の手はとても大きい、私よりもずっとずっと。大きな手。


いつも私はこの手に引っ張られてきた。
そうだ、どんな時だって。

初めてこの手に触れた時はいつだっただろう。
それは私からだっけ、彼からだっけ。

あの日私はなんで、この手を掴んだんだっけ。

必氏に思い出そうとする。それでも頭の中にフィルターがかかったみたいに、何も思い出せない。

29: 2015/02/23(月) 16:00:05.79 ID:zW0LuoBg0

「昔も、こんな感じだったな」


手を差し伸べたまま、彼が言葉を紡ぐ。


「いちいち机の下にこもっているお前を『さん、に、いち』で引っ張り上げてたんだ、覚えているだろ?」


それなら、覚えてる。
だってそれは私達の日常だったから。

レッスンやお仕事が来るまで机の下にこもっている私を、彼が外に出してくれるんだ。
机の下にいれば彼はずっと側にいてくれるし、彼が何処かへ出かけようとする時に立ち上がればすぐ分かる。ついていくことができる。

そう、いつだって私は彼の側をついてまわるだけだった。

勿論、レッスンや仕事の関係上、全部が全部一緒ってわけではなかったけど、可能な限りはずっと。


「今でも皆からの連絡はたまに来るんだ」


彼はポツリポツリと話しだす。昔と違う、今の話。
あの子はデザイナーを目指して絵の専門学校に通っているとか、アメリカに留学して研究者の道を選んだとか。
そこには私も知っている話もあったし、知らなかった話もあった。

でも、その中に一人も、アイドルを続けている人はいない。

30: 2015/02/23(月) 16:05:14.95 ID:zW0LuoBg0

「皆は、ここで活動出来たことは自分の糧になってくれたって、そう言ってくれる」

「でも俺は怖かった、ずっとずっと怖かった、だから今のあいつらと会いたくなかったし、会わなかった」

「わ、私には会ってるだろ」

「……うん、そうだな、そうなんだ」


……え、なんか含みないかそれ。
も、もしかして私にも会いたくなかったのか。
それは……い、いやだ……いやなんだが。

心配になって彼の方を見上げようとしても、机の天井は彼の表情を見ることを許してくれない。


「実を言うとな、ここに来る気になったのは、もう何もかもケジメをつけようかと思ってたからなんだ」

「何もかもをもう忘れて、二度と触れないようにしようとしてた」

31: 2015/02/23(月) 16:05:48.81 ID:zW0LuoBg0

彼はまた息を吐く。
溜息のような、深呼吸のような。
それはでも谷のように深く暗いものではなく、洞窟のような道を連想させる。


「お前が、側にいてくれたのにな」


雲のように浮かぶ、か細くて消えてしまいそうな響き。
けど、違う。それには力強さがあって。


「なぁ、輝子……お前はずっと、これからもずっと、俺の親友でいてくれるか」

32: 2015/02/23(月) 16:08:04.51 ID:zW0LuoBg0

やっぱりここからだと彼の顔は見えない。
見えるのは、差し出された彼の手だけ、それは暗闇に伸ばされた一筋の光みたいで。

私は今の今になって気づく。
彼が差し出してくれていたのはいつだって左手だった。
それは彼の利き手ではなくて、私の利き手だ。

親友でいてくれるか、なんて、初めて彼から言われたな。
親友でいて欲しいなんていつだって私の言葉だったから。

側にいて欲しいなんて、私の言葉だったから。


親友、私はそれぐらい、親友の特別になれたんだろうか。

私はこれからもっと、もっともっと親友の特別になれるんだろうか。


ああ、私は何でまたここに来たくなったのかが今やっと分かった。

ここは私達の関係が始まって、色んなことが終わってしまった場所。
でも、変わらないままずっと続いてきた、終わらない場所で。


沢山のことがあった。私もいっぱい変わることが出来た。
彼という大切な親友が出来て。ひっそりと目立たない私をキラキラにしてもらって。
暗くてジメジメした場所も、日の当たる場所もとても綺麗なんだと教えてもらった。


私がここに来た理由は、何かを終わらして、何かをずっと続けたかったんだ。

33: 2015/02/23(月) 16:12:16.95 ID:zW0LuoBg0

……けど、一つだけやっぱりわからない。
私が終わらせたいのは、何だろうか。


ただ、続けたいものだけは分かる。

私はやっと彼が差し出してくれた手をとる。左手に対して右の手で、手のひらは掴めなかったから代わりにしっかり彼の手首を握って。
もうきっと私はこの手を離せないんだろうな。これまでも、これからも……優しくて、私の小さな手よりもずっと大きいこの手を私は離さない。

「さん、に、いち」の掛け声。
それと同時に彼が私を机の外へ引っ張ってくれた。
私はその力と自分の足に込めた力を合わせて勢い良く彼に抱きつく。首に手を回す。


そして、そのまま唇を重ねた。

34: 2015/02/23(月) 16:14:04.52 ID:zW0LuoBg0

感じたのは、トんでしまいそうなあの感覚。初めてのライブで叫んだ、とても気持ちよかった、あのイメージ。
でもこれはあれよりも甘く、一秒ごとに脳が痺れて蕩けていくみたいだ。

親友は戸惑っているのか、全く微動だにしない。
なんか新鮮だな。いつも私が混乱する側だから、たまにはこういうのもいい。

目を瞑りながら、背の高い彼の頭を手でこちらに強く引きよせる。
……うん、これは、本当に、悪くない。カップルとかがやってるのを見たこと、何度かあるが……いいな、これ、こんなにか。

数秒、いや、十数秒かもしれない。それぐらい時間が経ってやっと私達は離れる。

離れて彼の表情を見ると、驚いてるのがありありと分かって……ちょっと面白い。


「しょ、輝子……?」

「……な、なんか、あれだな、とりあえず、してみたけど……よくわからんな、これ」

「よ、よく分からんって、何がだ」

「か、変えたくない……けど、でも…………や、やっぱり、よくわからん、ごめん……」


うまく言葉に出来ない。というか当たり前だ、自分だって私のしたことがよく分からん。

まぁいいか、これからどんどん伝えていこうと思う。今確かに、自分の中で何かが終わった、そんな気がするから。

35: 2015/02/23(月) 16:15:49.93 ID:zW0LuoBg0

「なぁ、親友」


彼の顔は真っ赤になっていて。きっと彼の瞳に映る自分の顔も真っ赤なんだろう。
それは驚いたからか、それとも恥ずかしいから……?
い、いや、なんか違うな……私にはやっぱりわからん。

だけど、いつだって私は変わらない。
いつまでも、そう在りたいだけ。


「これからもずっと、側にいるからな」


カーテンが無い窓から光が私達に降り注いだ。
それは眩しくて目を閉じてしまいそうだったけど、私達の事務所の中をキラキラに彩っていった。

36: 2015/02/23(月) 16:17:58.09 ID:zW0LuoBg0
輝子ともっとイチャイチャしたの書きたい

読んでくれてありがとうございました
駄文失礼しましたー

37: 2015/02/23(月) 16:23:40.37 ID:PEA17rYNo
すばらしいホントすばらしい

引用元: 輝子「プロローグ」