2: 2010/06/27(日) 09:48:03.72 ID:S7g2/KSc0
私は悩んでいた。
その日の帰り道、アクセサリーショップの前で。
初めこそ楽しんで私と一緒に何か見ていた澪すら
呆れて帰ってしまった。

そこまでして、私を引き止めるものがそこにあった。
…白百合の花。
もちろん、生花じゃなくてアクセサリー。

「律がこんな店見るなんて、珍しいな」

ついさっき、澪が言った言葉を思い出す。
確かに私は普段こんなところを見ない。
自分で言うのもなんだが、私は女らしくないから。

それなのに。
なぜか、この日は見てみたい気持ちになった。
誰かの誕生日が近いわけでも無いのに。
我ながらおかしいな、とぼんやり思った。

3: 2010/06/27(日) 09:51:10.51 ID:S7g2/KSc0
置いてあるネックレスを、そっととってみる。
窓の夕焼けの光を浴びてきらきらする小さな白百合がとてもキレイだ。
小さな鏡の前で、なんとなく付けてみる。
…やっぱり、似合わない。

「ありがとうございましたー」

似合わないと思ったのに。
なぜか私はネックレスを買っていた。
小さなピンク色の袋に入ったそれを、バッグに入れておく。
なんでこんな女らしいものを買ったんだろうといまさら思う。
これに合う服は家に無いし、これを付けている自分も想像できない。

…まぁ、いつか使うか。
その「いつか」がいつか分からなかったけど、
自分にそう言い聞かせ家へ歩いた。
ぽつんと光る一番星を見て、明日も晴れるなと思った。

6: 2010/06/27(日) 09:53:03.21 ID:S7g2/KSc0
「ただいまー」

家へ帰ってバッグを部屋に置く。
ベッドに寝っ転がると、すぐに眠くなってきた。
今日も部活で頑張ったからかな?
そういや唯のギターも今日は決まってたなぁ。

気付くと、時計は10時になっていた。
階段を下りると、お風呂に入って無いことに気付く。
明日も学校だから、入らないわけにはいかない。
眠くてふらふらする体で、冷たい廊下を歩いた。

目覚まし時計がうるさい。
そう思って、半分怒りながら起きた。
思いっきりボタンをたたくと、目覚ましは静かになった。
…その代わりに、私の右手はじわじわと痛くなったけど。

朝食を食べて、鏡の前で髪を整える。
いつものカチューシャで前髪を上げると、いつもの私が鏡にいた。
やっぱりこの髪型が一番落ち着く。

7: 2010/06/27(日) 09:59:10.43 ID:S7g2/KSc0
学校へ行こうとすると、電話が鳴った。
こんな時間に誰だろうと番号を見ると、澪だった。

「もしもし?」

受話器から聞こえる澪の声は、かすれている。
それに呼吸が荒い。

「ごめん律、今日学校休む」

それだけ言ってへっくし、というクシャミが聞こえた。
風邪をひいたらしい。

「風邪ひいたか」

そう言うと、澪は咳混じりに風邪だと言った。
軽い方だから、明日くらいには学校へ行けるらしい。
今日は学校へ行くのは一人か。
そう思いながら、玄関を出て学校へ向かう。

不思議なことにいつもより歩くスピードが速い。
やっぱりさみしくて、誰かに早く会いたいのかもしれない。

8: 2010/06/27(日) 10:02:19.43 ID:S7g2/KSc0
「あ、りっちゃん」

教室にはいると、とことことムギが来た。
唯がいない。

「ムギ、唯は?」

聞くと、ムギは和の方を見て

「唯ちゃん、風邪ひいちゃったみたい」

と言った。
澪に続き唯も風邪か。
ムギと和はいて良かった。
そう思うと同時に、今日の部活は出来るのかと心配になった。

「律さん」

教室のドアから声が聞こえた。
憂ちゃんが私を呼んでいた。

「梓ちゃん、風邪ひいちゃってお休みなんです」

梓もか。
軽音部にドラムとキーボードしかいなくなった。

9: 2010/06/27(日) 10:03:44.16 ID:S7g2/KSc0
「お姉ちゃんに言ってもらおうと思ったけど…お姉ちゃんも風邪で…」

心配そうに言う憂ちゃんが
また唯に変装してくるんじゃないかと思ってしまった。
もうさすがにないだろうけど。

「それでは」

憂ちゃんは心配そうに廊下を歩いて行った。
やっぱり姉思いな妹だな、と感心してしまう。

「梓も風邪だって」

ムギに言うと、ムギは驚いた顔をした。

「それじゃあ、部活が出来ないわねぇ」

私と同じことを考えていたムギに、思わず笑ってしまう。
やっぱり軽音部だ。

「しょうがない、お茶だけにしよう」

私が言うと、ムギはうふふと笑って
お茶会はいつもどうりなのね、と言った。

10: 2010/06/27(日) 10:06:14.77 ID:S7g2/KSc0
話していると、さわちゃんが来た。
みんなの前でネコを被るさわちゃんには、やっぱり違和感を感じる。

「出欠をとるわね」

そう言い、いつもどうり名前を読み上げる。
唯と澪が欠席なのを知ると、さわちゃんは驚いたような顔をした。
…きっとお茶会が無いと思っている。
みんなは気付いていないみたいだったけど、私にはハッキリと分かる。

「りっちゃーん」

廊下でさわちゃんが泣きついてきた。
やっぱり…。

「みんないないじゃない!お茶会はどうなるのよー」

さわちゃんが訴えると、ムギがさわちゃんを見ながら言った。

「大丈夫ですよ、さわちゃん先生。お茶会はやります」

ムギが言うと、さわちゃんは女神を見たかのように瞳を輝かせ
いきなり元気になった。

「みんなの分は私が食べてあげるから♪」

機嫌良くそう言い、職員室へと行ってしまった。

11: 2010/06/27(日) 10:07:20.45 ID:S7g2/KSc0
授業をぼーっと受けていたら、いつのまにか放課後になっていた。
なんだか時間がたつのが早い。
まだぼーっとしている私をムギが優しく叩く。

「りっちゃん。部活に行こう?」

その言葉で、私ははっとした。
そうだ。部活へ行くんだ。
…3人いないけど。

音楽室へ行くと、やっぱり静かだった。
いつもなら、梓が一番早く来ていて、早く練習しましょうとか言ったり。
それでもみんながお茶しだすと、呆れたようにしながらそれに付き合って。

そんな事を思っていると、目の前に紅茶が置かれた。
見ると、ムギがにっこり微笑んでいた。

「今日は演奏できないわね」

そう寂しそうに言う姿は、いつものムギらしくなかった。

14: 2010/06/27(日) 10:13:32.27 ID:S7g2/KSc0


想うと会いたくなる人は、軽音部のみんな。
誰か一人でもいないとさびしいし、一人でいる時に会いたくなる。

可愛いと思うのは梓。
小さくて可愛いし、なによりたった一人の後輩だ。
可愛くないはずがない。

澪の事は大切に思っている。
昔からの友達だし、小さい頃と変わらない頼りなさが、心配になる。
だから私が守らなきゃ、という気持ちになる。

唯とは気が合う。
私がボケると唯もボケて、ノリが良いからとっつきやすい。

じゃあ、ムギは?
目の前で優しく笑うムギの事を、私はどう思っているのだろうか。

15: 2010/06/27(日) 10:15:10.30 ID:S7g2/KSc0
可愛い…よりはキレイと言った方がいいのか。
長くてふわふわな髪は憧れる。
空みたいな色の目もキレイで、吸い込まれそうだ。

よくよく考えてみると、私はムギの内面を知らない。
優しく美人。勉強ができて、おっとりしてるけど力持ち。
私から見た外面は、こんな感じ。

でも、本当の彼女はもっと違う性格なのかもしれない。
そんな事を思った。

16: 2010/06/27(日) 10:19:14.65 ID:S7g2/KSc0
こんなに近いのに、なんだか遠い。
寂しさに似た感情を抱いた。

「ムギ」

私の口から言葉が漏れる。

「私と、恋人にならない?」

出てきた言葉には、私も驚いた。
何を言っているんだ、私は。
ムギは女だぞ?

「え…?」

戸惑うムギ。
それもそうか…。
いきなり同性からこんなことを言われたら、誰だって驚く。
実際言った自分自身が驚いている。

ただ、その後のムギの言葉に私はもっと驚いた。

「いいよ?」

あっさりと、でも少しほっぺを赤くして言うムギに
私は衝撃すら覚えた。

17: 2010/06/27(日) 10:25:17.63 ID:S7g2/KSc0
りっちゃんから、いきなり告白された。
すごく驚いたけど、内心どきっとしてしまった。
だから、とっさに了解してしまった。

…好きな人。
自分から話題を振っておいて、私は「好き」の感情が分からない。
昔から、好きになる相手が決まっていたから。
小さいころに、父から繰り返し言われた言葉。

「お前は、この人を愛するんだよ」

そう言われ、その相手をただ好きになろうとした。
将来、結婚する相手だから。
この人を好きになるしかないのだから。
愛するしかないのだから…。

だから、私は自然な男女の恋愛に夢を抱けなかった。
…それで、女の子同士が好きになってしまったのかもしれない。

でも、私は見ていることが好きなだけで、女の子一人はきっと好きにならない。
そう思っていたのに。

唯ちゃんが梓ちゃんに一方的に抱きついて居るのを見たり、
りっちゃんと澪ちゃんがじゃれ合っているのを見たり。
その中に私が入りたくなかったかと言われれば嘘になるけれど、
それでも女の子同士が好きだった。

…そう思っていたはず、なのに。
りっちゃんたら。

18: 2010/06/27(日) 10:29:05.93 ID:S7g2/KSc0
「ムギ、ホントに…いいの?」

正直戸惑うように言うりっちゃん。
自分から言ったのに。

「りっちゃん」

戸惑うりっちゃんがどうしようもなく可愛く見えて。
自分でもよく分からない感情に襲われた。

…りっちゃんが、可愛いのがいけないんだ。

「りっちゃん、恋人ってことは、キスしたりするのよね?」

攻めてみた。
少しのからかいもあるけど、りっちゃんは何か上手い事切り返すと思って。
どきどきしながら待つと、りっちゃんは真っ赤になった。

…あれ?
照れてる?

19: 2010/06/27(日) 10:33:15.63 ID:S7g2/KSc0
「むむむムギ、考えなおそ?」

本当に慌てているりっちゃん。
私のどこを見たらいいのか分からないみたいに、目をそらしていた。

「りっちゃん、私は本気よ?」

真剣にりっちゃんを見つめて、柔らかいほっぺに手を当てる。
こんなに真面目に嘘をつくのは初めてだ。

「う…ムギ…」

たじろぐようにするりっちゃんが、また真っ赤になる。
なんだか少し可哀相な気もしてきた。

「う…うう…優しく、してね?」

恥ずかしそうに言うりっちゃんに、唇にキスなんて可哀相すぎる気がした。
りっちゃんだって、普通の女の子だもの。
やっぱり、ファーストキスは男性の方がいいか…。

「りっちゃん、目閉じて?」

部室で何て事を。
そう思ったけど、どうにも自分を抑えられない。

20: 2010/06/27(日) 10:35:14.05 ID:S7g2/KSc0
言われるがままに目を閉じるりっちゃん。
とても素直で、女の子らしいなと思った。
だから恋人としてではなく、親愛の証として。
柔らかいりっちゃんのほっぺに、そっとキスをした。

りっちゃんは驚いたように目を開けた。
多分、唇に来ると予想して、身構えていたのかもしれない。

「ムギ…」

恥ずかしそうに言うりっちゃん。
なんだか、こっちまで恥ずかしくなってしまった。

「…ほっぺ、なんだ」

「唇の方が良かった?」

からかうように言うと、りっちゃんはまた真っ赤になった。
そんな様子を可愛いと思いつつも、
いつものりっちゃんとは違う表情に、いつの間にか見とれている自分がいた。

22: 2010/06/27(日) 10:38:59.42 ID:S7g2/KSc0
もしかして。
これが、好きという感情なのかもしれない。

楽しくて、切ない。
りっちゃんのいろいろな顔を、もっと見てみたいと思ってしまう。

まさか…ね。
自分がそうでも、そんな事、あってはいけない。
りっちゃんは普通の女の子。
きっと、普通の恋をして幸せになるから。
私だけの、感情に彼女を巻き込んだらいけないから…。

…でも、神様。
今だけ、私はりっちゃんを好きでいていいですか?
約束された恋じゃなくて、今だけの恋をしてもいいですか?

23: 2010/06/27(日) 10:42:15.04 ID:S7g2/KSc0
ムギにほっぺにキスされた。
恥ずかしかったけれど、嫌ではなかった。
柔らかいムギの唇が、心地良いとさえ思ってしまった。
私は、どうしてしまったのだろう?

「私と、恋人にならない?」

あの時、とっさに出た言葉を思い出す。
ムギの事を知りたくて。
なぜか出てしまった、あの言葉。

自分でも分からないのに欲しくなった。
どうしようもなく惹かれた。

あの時の、小さな白百合のように。

ぼんやりしてると、そっとムギの手が私のほっぺに触れた。
柔らかくて、すべすべした手のひらだった。
その感触が気持ちよくて、つい目を細める。

「りっちゃん可愛い」

ムギは何度も何度も私を可愛いと言う。
ただぽかんとしている私より、優しく笑うムギの方が可愛いのに。
ただ、その笑みの中に、悲しそうな色が混じっている。

25: 2010/06/27(日) 10:47:25.24 ID:S7g2/KSc0
やっぱり、ムギはただ私に合わせてくれているだけかもしれない。
元が優しいムギだ。
断れば私が悲しむと思って、
無理やり恋人っぽいことをしてくれたのかもしれない。

そう考えると、私はムギに何かとんでもないことをしてしまった気がする。
ムギの、覗き込んでほしくない部分に、直に触れてしまった気がした。

…私だけの感情に、彼女を無理やり巻き込んでしまった気がした。

「…ムギ、ごめんね」

謝った。
それしか思いつかなかった。
するとムギはきょとんとした。

「どうして?」

優しげなこの声も好きだけども。
本人に無理をさせて手に入れるものなんて、ない。

「やっぱり、私じゃダメだよね」

きっと、ムギは琴吹家の娘として、ちゃんとした男性と付き合うから。

26: 2010/06/27(日) 10:49:27.13 ID:S7g2/KSc0
「私、女だもんね」

私は女。ムギも女。
友情の「好き」はあっても、恋愛の「好き」があってはいけない。

「りっちゃん」

ムギが何か言いたげに私の名を呼んだ。

でも、私はその言葉を遮って言った。

「ムギも、男女の普通の恋がしたかったんだよね?」

普通に憧れるムギが、恋愛に憧れる事はあると思っていた。
でも、きっとムギはこんな恋愛を望んではいない。

普通に男を愛し、普通に男に愛される。
普通の恋愛は、女同士じゃ無いと思った。

27: 2010/06/27(日) 10:51:25.29 ID:S7g2/KSc0
ムギは、すごく傷ついたような顔をしていた。
泣きそうにもみえる顔だった。
ゆっくりと、首を横に振った。

「そんな事、言わないで」

今まで見たこともないようなムギの顔が、私を見る。
涙をいっぱいにした瞳が、私をすがるように見つめた。

「りっちゃんまで、私に普通を押し付けるの」

何の事だか良く分からなかった。
だけど、
私が今言った言葉のせいで、ムギが泣いてることは分かった。

「私は」

ムギが言葉を切る。
涙がぽろっと落ちた。

「りっちゃんが好きなのに」

確かにムギは、そう言った。

31: 2010/06/27(日) 11:04:28.28 ID:S7g2/KSc0
りっちゃんは、私の事を愛してくれていたのかと思った。
2人とも女の子だけど、それでも私はりっちゃんのことが好きだった。
届かないのに、届くなんて思ってしまった。

「ムギ」

りっちゃんが困惑した顔で私を見る。
でも、私はその視線を直に受け止める事が出来ない。

だって、りっちゃんの考えてることが何も分からない。
もしかして、りっちゃんは私の事をからかっただけなの?

32: 2010/06/27(日) 11:09:32.59 ID:S7g2/KSc0
「りっちゃん、は」

息が苦しくて、涙がひどくて、顔を上げないで言った。

「私の事、やっぱり、嫌いだっ、た?」

よくよく考えれば分かることだ。
りっちゃんは、私なんかよりももっと付き合いの長い澪ちゃんがいる。
澪ちゃんが今日いないせいで、気持ちがおかしかったのかもしれない。

「そう、だよね。だって、りっちゃんには、澪ちゃん、がいるもの」

自分でもよく分からない笑みがこぼれる。
ただ、自分がものすごく自虐的になっていることだけは分かった。

35: 2010/06/27(日) 11:15:08.15 ID:S7g2/KSc0
「ふふ。りっちゃん、私にキスされたの、嫌だった?」

それまで困惑して黙って私の話を聞いていたりっちゃんが、
驚いたような顔で私を見た。

「そうだよね。そうだよね?だって、りっちゃんは、私の事」

好きじゃないから。
そう言いかけたけれど、言えなかった。

だって、
いきなりりっちゃんが抱き締めてくるなんて、思ってなかったから。

38: 2010/06/27(日) 11:26:56.36 ID:S7g2/KSc0

「りっちゃ、ん?」

抱き締められたのが、りっちゃんじゃ無いみたいで。
思わず名前を言ってしまう。

「何も言わないで」

りっちゃんが小さな声でそれだけ言った。
私より、ちょっと小さな体は、とても暖かい。

「ごめんね」

りっちゃんが痛いくらいに抱き締める。
その痛さすら愛おしく感じてしまう。

「りっちゃん」

見ると、小さな肩が頼りなく震えていた。

私は、何て事を彼女に言ったのだろうか。
りっちゃんが、本当は人のためを思って行動している事を、馬鹿みたいに忘れていた。
きっと、あの時りっちゃんが言った言葉だって。
私の事を考えて、言ってくれたんだ。

39: 2010/06/27(日) 11:37:38.51 ID:S7g2/KSc0
「りっちゃん、ごめんね」

自分の醜さと、りっちゃんの優しさにまた涙が出る。
小さなりっちゃんは、何もかもを吐き出すように泣いている。

「ありがとう」

そう言って、私もりっちゃんを抱き締める。
人を抱き締めるのはりっちゃんが初めて。
抱き締められるのも、りっちゃんが初めてだった。

40: 2010/06/27(日) 11:50:42.78 ID:S7g2/KSc0
私は人前で初めて泣いた。

小さい頃からあまり泣かない子だと言われ続けた私は、
ケンカに負けた事はないし、転んでも笑って立ち上がった。
だから、いつも泣き虫な澪を守っていた。

だから、人前で泣くのが怖かった。
笑われそうで。
ほっとかれそうで。
だれも守ってくれなさそうな気がして。

いつもおっとりとしていて笑顔なムギが、私のせいで泣いている。
私じゃなくて、自分を傷つけている。

そう思うと、勝手に体が動いた。
抱き締めて守らなければいけない気がした。

ムギの事が、嫌いなわけがない。
でも、好きなのかと言われると迷ってしまう。

そんな自分が嫌で、泣いてしまった。
さっきまで泣いていたはずのムギは、私を抱き締めてくれた。
暖かくて柔らかいムギの体に、心から安心する自分がいた。

41: 2010/06/27(日) 11:59:17.61 ID:S7g2/KSc0
「りっちゃん、大丈夫?」

だいぶ落ち着いてきた私に、ムギが声をかけた。
青い瞳が、まだ少し潤んでいた。

「ごめんね、大丈夫」

それだけ言って、そっと腕の力を弱める。
でも、ムギは私を離さない。

「ムギ?」

私が問うと、ムギは優しく笑って

「もう少し抱き締めさせて?」

と言った。
素直な言葉にドキッとしたけど、もう少しこのままでも良いと思った。
この温もりが、遠くなってしまうと寂しいから。

「りっちゃんて暖かい」

目を閉じて言うムギが、とても優しげで。
いつものムギだな、と安心できた。

43: 2010/06/27(日) 12:19:33.55 ID:S7g2/KSc0
ゆるやかなこの時間がずっと続けば良いのに、なんて思ってしまう。
甘いムギの匂いも、暖かな空気も。
私のものに出来たら良いのに。

そう思いながらムギの暖かさを感じていると、
終わりのチャイムが鳴った。
びっくりして離れると、ムギがニコニコ笑う。

「もうちょっとあのままが良かったのに」

少しいじわるそうに、でも少しもそう見えない言い方で言うムギ。
少なくとも、私はもう少しあのままが良かったな。

「帰ろ?」

ムギが穏やかな顔で微笑む。
夕焼けの橙色で髪が鈍く光る姿が、とても神秘的に見えた。

「うん」

うなずいて、バッグを片手に持って、ムギの右手を片手に握る。
ムギは驚いたようにして、それからゆっくり笑った。
…もうすぐ、今日も終わる。

46: 2010/06/27(日) 12:53:48.28 ID:S7g2/KSc0
りっちゃんとの帰り道。
つないだ手が、とても嬉しくて暖かい。
だから、私はいつもよりゆっくり歩いた。

だって、
今日が終わったら、私達はまた明日から友達同士だから。

「寄り道しよっか」

だから、無邪気に言うその姿が、とても愛おしい。
ずっとずっと、時間が止まっていたらいいのに。

りっちゃんに手を引かれて着いたのは、公園。
夕暮れの明かりに照らされる姿は、誰もいないせいか少し寂しげだった。

「公園なんて、久しぶり」

りっちゃんはそう言って、ブランコに座った。
私も、隣のブランコにそっと座る。
きぃぃ、ときしむような音を立てて、ゆらゆらとゆれた。

47: 2010/06/27(日) 13:06:40.10 ID:S7g2/KSc0
空は、紫色みたいな赤で雲は灰色だった。
見馴れたはずのこの空の色を私はずっと忘れないだろう。

「ムギ」

ブランコを止めて、りっちゃんが立ち上がる。
そして、そのまま私の後ろに歩いて行った。

「こうすると、私の方が大きい」

りっちゃんは楽しそうに笑うと、バッグから何か出した。
不思議に思って振り向こうとすると、りっちゃんが

「待って」

と止めるので、仕方なく前を向いて座っていた。
りっちゃんは、私に何をするんだろう?
少しだけドキドキしながら、空を見ていた。

48: 2010/06/27(日) 13:18:37.20 ID:S7g2/KSc0
しばらく待つと、首元がひんやりとした。
寒さでも、冷たいものを当てられたのとも違うこの感覚は、多分金属。
ネックレス?

「はい、出来たっ」

りっちゃんが笑顔で私の方へ歩く。
首元を見ると、小さくて可愛らしい白百合の花が見えた。

「え、りっちゃん、これどうしたの?」

驚いて聞いてみた。

「実は昨日買ったんだけど…私には似合わないと思って」

照れてるみたいにするりっちゃん。
でも、ネックレスなんてそんな安いものじゃないのに。

「でもりっちゃん、お金…」

りっちゃんは優しく首を振って、私のほっぺに手を当てた。

「良いよ。これは多分、ムギにあげるための物だから」

今日のお礼、と言ってにっこりするりっちゃん。
白百合は私の誕生花。
それを知っているのかは知らないけれど、それでも嬉しかった。

50: 2010/06/27(日) 13:42:21.70 ID:S7g2/KSc0
「良く似合ってる」

そう言ってくれた。
嬉しさと恥ずかしさで、ほっぺが熱くなる。

「りっちゃん」

このネックレスは、婚約指輪みたいに大事にしよう。
そう決めた。

「大好き」

ずっと言いたかった言葉を言えた。
本当に愛してる人に、大好きを言うのが夢だった。

「私もだよ」

ささやくような声で言うりっちゃんの顔がとてもキレイで、
この世界に2人だけで居るような感覚がした。

「愛してる」

きっと最初で最後の、私の恋。

きっと最初で最後の、りっちゃんとのキス。

私が次にキスをするのは、きっとりっちゃんじゃない人。

51: 2010/06/27(日) 13:55:17.74 ID:S7g2/KSc0
長い長いキスをした後、りっちゃんはにっこり笑った。

「帰ろっか」

そう言って、座っている私に手を差し出した。
小さくて、それでも優しくてしっかりした手。

「うん」

笑顔でその手を取って、私は立ち上がる。
冷たかったネックレスは、いつのまにか暖かくなっていた。

52: 2010/06/27(日) 13:57:38.66 ID:S7g2/KSc0
「ねぇりっちゃん」

長くなった影と一緒に、私達は歩く。
沈みかけている夕日が、燃えているみたいだった。

「明日も、学校で会おうね」

私の言葉に一瞬きょとんとしたりっちゃん。
でも、すぐに笑ってうなずいてくれた。

「明日はみんなそろうかな」

大好きな放課後ティータイム。

大好きなりっちゃん。

そのすべての大好きが明日も続くなんて、幸せだと思う。
だけども、少しだけ寂しかったりもした。

53: 2010/06/27(日) 14:05:45.54 ID:S7g2/KSc0
「じゃあね」

りっちゃんとお別れ。
1日だけだったけど、りっちゃんと恋人になれて幸せだった。


「また、明日ね」

何だか泣きそうになって、慌てて振り向く。
悲しくはないのに。

「あ、待ってムギ!」

りっちゃんが声をかけた。
私の体は反射でピタッと止まる。

「…ありがとう」

りっちゃんがどんな意味で言ったのかなんて分からない。
分からないけど、涙が溢れた。
嬉しいのに悲しい、変な気分になる。

「バイバイ」

でも、私は笑った。
笑いながら手を振った。
今日が、本当に幸せだったことは確かだから。

55: 2010/06/27(日) 14:13:29.73 ID:S7g2/KSc0
家への道を歩く。
こんなに遅くなったから、斎藤が心配しているかもしれない。

ふと、空を見上げる。
ぽつんと寂しそうに輝く星が見えた。

「明日も、晴れるかな」

一人つぶやく私の横を、風が通り抜けた。
冷たくまっすぐな風の中、胸元の白百合が揺れていた。

私は歩きだす。
永遠に続くこの人生の中、1日だけの想いを忘れずに。

私しか知らない、1日だけの彼女を。


終わり

58: 2010/06/27(日) 14:21:47.26 ID:S7g2/KSc0
エピローグ


よく晴れた空の下、私達は歩いていた。
途中、唯が靴ずれを起こしたこと以外は、なんら学生時代と変わらない。

「りっちゃーん、足痛いよー」

右足を引きずるようにして歩く唯。
慣れないヒールなんか履くからだ。

「普通のかかとが無い靴でも良かったんだぞ?」

澪が呆れたように言う。

「えー、だってせっかくのムギちゃんの晴れ舞台だよー?オシャレしないと」

「唯先輩の晴れ舞台じゃないんですから…」

呆れる梓。
未だに私達の事を「先輩」と言うので少し恥ずかしい。

59: 2010/06/27(日) 14:27:08.38 ID:S7g2/KSc0
「ほら、ここだここだ」

大きな式場を前に、唯が興奮する。

「おおー!!良いなぁ、私も早く結婚したいなあ」

「憂ちゃんに先越されちゃうぞ?」

軽音部の中で、一番早い結婚がムギ。
だから、その結婚式に呼ばれたわけだ。

「ムギちゃんキレイなんだろうなぁ!真っ白なドレス着て…」

ムギのドレス姿。
金髪だし、確かに似合ってそうだ。

61: 2010/06/27(日) 14:32:47.26 ID:S7g2/KSc0
式場の中に入ると、たくさんの人がいた。
やっぱり琴吹家の娘の結婚、とあってかお偉いさんが多い。

「わ…私達場違いじゃないでしょうか…」

少し緊張している梓。
そんな中、私達に声をかける人がいた。

「田井中…律様達でいらしゃいますか」

びっくりして振り向くと、優しそうなおじいさんだった。

「これは失礼。私、紬お嬢様の執事の斎藤と申します。お嬢様はこちらです」

やっぱり執事がいたのか…。
そう思いながら付いて行った。

63: 2010/06/27(日) 14:41:03.18 ID:S7g2/KSc0

「お嬢様。ご友人方がお見えですぞ」

大きなドアを叩くと、中から入れて、と声がした。
執事さんはドアを開けると、私達を中に入れた。

真っ白な部屋の中、真っ白なドレスを着ているムギがいた。

「ムギちゃん!」

唯が呼ぶと、ムギはゆっくりと振り向いた。
その美しさに皆が言葉を失ったのは言うまでもない。

「みんな、久しぶり」

あの時と変わらないおっとりとした声で、ムギは笑う。
長い髪を後ろに結って、キレイな花の飾りが付いていた。

「ムギ、キレイだよ」

正直に私が言うと、ムギはゆっくりと笑った。
昔と比べて、少しゆったりとした気がする。

64: 2010/06/27(日) 14:45:33.86 ID:S7g2/KSc0
「ムギ先輩、すごく素敵です!!」

梓がキラキラしながら言う。
もしかしたら、ウェディングドレスに憧れているのかもしれない。

「あずにゃんはベールの代わりに猫耳を付けなきゃね!!」

唯の一言で、梓以外がどっと笑う。
懐かしい感覚。みんなでこうして笑うなんて、久しぶりだ。

「みんな、変わってないわねぇ」

ムギが笑いながら言う。
そういうムギも、あまり変わってないけれど。

65: 2010/06/27(日) 14:50:41.68 ID:S7g2/KSc0
しばらく話すと、時間はあっという間に過ぎた。

「あ、私そろそろいかなきゃ…。」

ムギが立ち上がった。
色々と準備があるらしい。

「そっかー。じゃあ私達も会場に行ってるね!」

唯の言葉で、みんな部屋を出る。
私も出ようとしたけれど、

「あ、待ってりっちゃん!」

というムギの言葉に引き止められた

66: 2010/06/27(日) 14:57:16.96 ID:S7g2/KSc0
「どうしたの?」

近寄ってみると、ムギはにっこりした。

「付けて?」

そう言って私に渡したのは、あの時あげたネックレスだった。
まだ、とっといてくれていたんだ。

「これ、結婚式でつけるの?」

思わず聞くと、ムギはうなずく。
こんな安物で良いのか?

「だって、私の宝物だもの」

私がムギにネックレスを付ける最中、そんな事を言った。

「これはね、私にとって婚約指輪みたいなもの」

「私があげた、これが?」

意外すぎて、驚いてしまう。

「うん。りっちゃんからもらった、大切なプレゼントだもん」

鏡を見て、嬉しそうにムギは言う。

67: 2010/06/27(日) 15:04:37.39 ID:S7g2/KSc0
「とってもキレイ」

うっとりと言うムギこそキレイなのに。
多分自分の美しさに気付いていないのかもしれない。

「りっちゃん」

私を見て、ムギが言う。

「今でも大好きだよ」

大人っぽくなったムギの顔が、一瞬少女みたいな顔になる。
あの時の公園の顔に似ていた。

「抱き締めさせて?」

あの時の様に。
懐かしくて切なくなり、私は手を伸ばした。
あの時と同じように、私はムギより背が小さかった。

「りっちゃんて暖かい」

「ムギも暖かいよ」

温もりにあふれたムギ。
きっと旦那さんも優しい人なのだろう。

69: 2010/06/27(日) 15:12:51.41 ID:S7g2/KSc0
しばらくして手を離すと、ムギは優しく笑った。

「幸せになるね」

きっと、優しくて強いムギならやっていける。

「時間だよ、ムギ」

私が言うと、ムギはうなずいた。
そして、立ち上がるのと一緒に言った。

「りっちゃんは、あの日の事覚えてる?」

「…うん」

ムギが、少し不安げに聞いてきた。

「あの時言った、ありがとうの意味がまだ分からないの」

なんだ。
意味が伝わってなかったのか。

「それはね…」

ムギにそっと耳打ちした。
その時の彼女の顔がどんなものだったのかは、私しか知らない。


今度こそ終わり。

72: 2010/06/27(日) 15:19:35.41 ID:S7g2/KSc0
暗くならないように…とエピローグ描いてみたんですが
逆効果…?

とりあえず、こういう会話文だけじゃないss書いたのは初めてです
見てくれた方ありがとうございました。

73: 2010/06/27(日) 15:19:57.07 ID:22CdfwsmO
ふぅ・・・・

おつ!

74: 2010/06/27(日) 15:23:35.43 ID:ofZGwCBt0
いや、ムギが幸せそうでよかった。逆効果ではないよ
面白かった、乙!

引用元: 律「1日だけの彼女」