1: 2011/07/18(月) 01:50:52.51 ID:jRbkEbZcO
唯「財布」ズイッ

紬「……へ?」

二番目に部室に到着した私に、唐突に差し出される唯ちゃんの右手。
これは、つまり、あれでしょうか。所轄カツアゲとかゆすりとかたかりとかいうジャンルの行為でしょうか。

いつかは、いつかはされるかもと思い、私は自衛手段としてお菓子で皆に媚びていました。でも…ついにその時が来てしまったようです。
しかも、よりによって唯ちゃんから。

紬「………グスッ」

唯「へ? あ、あれ? どしたの??」

8: 2011/07/18(月) 02:05:41.67 ID:jRbkEbZcO
紬「ごめんなさい…現金はあまり持ち歩かないようにって言われてて……あ、明日なら持ってきますから…」

唯「えっ、ちょ、なんで泣くの? なんでお金くれるの? 嬉しいけど」

紬「その、ちなみにいくらほど御入り用ですか…?」

唯「え、えっと…ごいりようって何?」

紬「何に使うのかはわかりませんけど、いくらほど必要ですか?ってことです…」

私の言葉に、唯ちゃんはたっぷり一分ほど逡巡して頭上に電球を光らせた後、言いました。

唯「いいからとっとと財布渡せっつってんだよォ!」ダンッ

紬「ひいぃ!? は、はいっ!!」

11: 2011/07/18(月) 02:15:47.88 ID:jRbkEbZcO
唯ちゃんの気迫に負け、土下座して財布を差し出してしまいます。ごめんなさい、お父様、お母様…紬は弱い子でした…
……いえ、弱いというのは語弊があるかもしれません。友達に…唯ちゃんに嫌われるのが怖いのです。臆病なのです…

唯「…ふむふむ」ゴソゴソ

……唯ちゃんが中身を漁っています。

唯「………」クンカクンカ

……何故か匂いを嗅いでいます。

唯「……ペr」

……舐めようとして思い止まったようです。

唯「…普通の財布だね」

紬「ご、ごめんなさい…」

はい、と普通に返却されました。あ、あれ?

17: 2011/07/18(月) 02:29:45.34 ID:jRbkEbZcO
紬「あの、お金…は?」

唯「ん? いらないよー。見たかっただけだもん」

紬「な、何を…?」

唯「ムギちゃんの財布……と、あとムギちゃんのびっくりした顔。ごめんね?」

……えっ、と? どういうことでしょう?
とりあえず…さっきの唯ちゃんらしくない暴言は冗談?

唯「えっとね、純ちゃん…じゃなくて鈴木さん、あのあずにゃんの友達の」

紬「あ、うん」

唯「その純ちゃんがね、昨日「お金持ちは財布からして違う!」とか言ってたんだよね。それでほら、身近にムギちゃんがいるからせっかくだから財布見てみたいなぁっていうのが第一の理由」

それはたぶん、見た目と匂いと味じゃない場所の話だと思いましたけど黙っておきます。
何より唯ちゃんに悪意はなかったということで私はホッとしてるので、余計な波風は立てたくありません。

20: 2011/07/18(月) 02:48:46.31 ID:jRbkEbZcO
唯「あとね、もうひとつの理由なんだけどね! こっちはもう私、ホントに怒ってるんだけどね!」プンプン

唯ちゃんが怒るとは珍しいこともあるものです。何なんでしょう?

唯「りっちゃんと澪ちゃんとあずにゃんがね、お揃いの財布持ってたの!」

紬「あぁ…」

そういえば数日前、さわ子先生がブランド品と偽って買わされた大量の財布を私達に押し付けに来ました。
私に渡さなかったのは「安物の押し付けになるから」と言ってました。唯ちゃんに渡らなかったのは、たまたまその場にいなかったのもありますが、それが偽物だと見抜いたのが憂ちゃんだからでしょう。露骨な偽物の押し付けになってしまいます。

紬「唯ちゃん、あれはね…」

唯「うん、事情は聞いたよ。聞いたんだけど、なんだか仲間外れみたいで嫌じゃん! りっちゃんと澪ちゃんなんかお揃いのストラップつけてたし!」

…それは初耳です。お揃いなんて…アツアツですよね。もしかして…二人は!?

22: 2011/07/18(月) 03:01:01.17 ID:jRbkEbZcO
っと…いけないいけない。誰彼構わず恋愛に結び付けたがるのは私のいけない癖です。
……でも、案外…お似合いだとは、本気で思っていたりして。

唯「あの二人、私がそれを指摘したら顔真っ赤にして否定するんだもん。新婚夫婦かいっ!てね」

紬「…あれ? もしかして唯ちゃんも…あの二人、お似合いだと思ってる?」

唯「…んー、どうかなぁ。一生一緒にいるだろうなぁ、とは思うけど」

紬「そういうのをお似合いって言うんじゃないの?」

唯「でも…親友から恋人になるのは、友達からより難しいと思うよ」

33: 2011/07/18(月) 04:28:47.84 ID:jRbkEbZcO
和ちゃんという親友を持つ唯ちゃんには、何か思うところがあるのでしょうか。
澪ちゃんりっちゃんよりも長い年月を共に過ごした幼馴染は、それだけ多くの出来事を乗り越えてきているのでしょうか。
興味は尽きません。私のいた環境では経験出来ないことばかりなのでしょうから。
つまるところ、私はただの好奇心で動いている、とも言えます。恋愛とか、もっと言うなら人と人との深い触れ合い、そのようなものは常に私の目に眩しく映るのです。
……でも、だからといっていい加減な気持ちで向き合っているつもりもありません。

紬「…それでも、好き同士なら幸せになるべきだと思う」

唯「……そうかもしれないけど、恋愛ってそんなに簡単なものじゃないと思うよ」

さっきからの唯ちゃんは、らしくないほど歯切れが悪いように思えます。
何か思う所があるのだろうとは思いますが、内容の予想はつきません。

……あの二人のことも気になるけど、唯ちゃんも悩みがあるなら解決してあげたいな。

紬「ねぇ、唯ちゃん? 何か気掛かりがあるなら話してみて?」

35: 2011/07/18(月) 05:03:01.54 ID:jRbkEbZcO
唯「……うーん、それじゃ…りっちゃん達の事に絡めて話すけど、いい?」

紬「もちろん」

……浮かれていた、と言えばそうなります。
唯ちゃんの、誰よりも大切な仲間からの悩み相談。意気込むと同時に、やっと友達らしいことが出来る、という喜びが私を自分に酔わせてもいました。
だから…


唯「私が、澪ちゃんが好き、って言ったら、ムギちゃんはどうする?」


だから、その言葉に、まさに虚を突かれたその言葉に、私は反応できませんでした。

紬「……え、っと…」

唯「…もちろん、例えばの話だよ?」

紬「そ、そうよね!例えばの話よね…」

とはいえ、私は返答に悩みました。悩んでしまいました。
誰とも均等に仲良く接している唯ちゃんが、一人にだけ恋愛感情を抱いていたらどうなるのか。
更にその相手が両想いと思しきりっちゃんと澪ちゃんの片方だなんて、叶うはずのない恋だとしか言いようがなくて。そして、それを唯ちゃんは心得てる…という前提の相談で。
そして何より……唯ちゃんが誰かに恋愛感情を抱いている、そう考えるだけで胸が張り裂けそうになるのです。


……軽音楽部の発足当時から、澪ちゃんとりっちゃんは仲良しでした。私は二人を眺めているだけでも充分楽しかったのですが、それでも唯ちゃんが入部してくれて、少なくとも数の上では偶数になりました。
つまり、楽しそうな二人に対抗して私達も仲良くできる、ということ。
私が唯ちゃんに傾倒していったのは自然なことだったと言えます。

43: 2011/07/18(月) 07:37:31.26 ID:jRbkEbZcO
とはいえ、それが私自身も、そして唯ちゃんも興味津々な『恋愛感情』であるかといえば……首を傾げざるを得ません。
でも、そんなことは問題ではなくて。結局のところ、唯ちゃんが誰か一人だけを見ているという、ただそれだけのことで、私は寂しくなってしまうのです。
別に、入部当時のような一歩引いたポジションに戻るだけ。眺めているだけで幸せ、と言い張っていたあの頃に戻るだけ。
それなのに……何故、こんなにも寂しいのでしょうか?

唯「…ムギちゃん?」

紬「……何?」

唯「……そんなに悩まないでいいのに。例えばの話なんだってば」

紬「…わかってる。わかってるんだけど…」

唯「…一つだけ答えてくれればいいよ。私を応援してくれるか、思い止まらせようとするか」

……唯ちゃんを応援すれば、きっと軽音楽部はギクシャクしてしまうだろう。
思い止まらせるならば…それは唯ちゃんに、恋を諦めろ、と告げるということ。何よりも尊い恋愛感情を、相手に伝えずに、戦わずに捨てろということ。
私は…私には…

46: 2011/07/18(月) 08:19:21.51 ID:jRbkEbZcO
紬「……応援、すると思う…」

悩みに悩んで、そう答えました。
唯ちゃんを傷つけることは、私には出来ませんでした。だからこの道を選びます。
……その結果、軽音部はギクシャクして、唯ちゃんはきっと最終的には澪ちゃんにフラれて、私が告げた場合の倍くらいは落ち込んで、もしかしたらそのまま軽音部を辞めてしまうかもしれません。

……もしかしたら、唯ちゃんは無責任に応援した私を恨むかもしれません。
もしかしたら、私が寂しいのを我慢すれば全てが丸く収まる…なんて単純な問題ではないのかもしれません。
もしかしたら、私は唯ちゃんに残酷な言葉を突き付ける汚れ役から逃げたいだけなのかもしれません。

でも……それでも、大切な友人を傷つけることなんて、私にできるはずがないのです。
汚れ役から逃げた偽善だ、と言われれば否定はできません。
でも、やっぱり、温もりをくれた大事な大事な友人だから、その意志を否定することなんて出来ません。

唯ちゃんを傷つけたくないと同時に、唯ちゃんに嫌われたくないのです。
どちらを選ぼうと嫌われるというのなら、より後に嫌われる方を選ぶのは自然だと思います。

でも、やっぱりそんな私の判断は間違っているのでしょう。眼前の彼女の表情が、何よりも物語っています。

49: 2011/07/18(月) 08:53:17.59 ID:jRbkEbZcO
唯「……ごめんね。こんな話やめようか」

やめようとは言ってくれたけれど、きっと唯ちゃんは今、私に失望しています。
例え話だったはずなのに、私も……そしてきっと唯ちゃんも、いつの間にか真剣になってしまっていました。

紬「あ、あの、唯ちゃん!?」

唯「…なに?」

紬「わ、私が応援するって言ったのは、単純に、唯ちゃんに「諦めなさい」とか言えなかったからだから! 私はいつだって唯ちゃんの味方だから!」

フォローと言うにはあまりに自分勝手な言葉ですが、これは私の本心です。いつだって味方でいたいから、嫌われたくないし傷つけたくない。それだけなのです。
何よりも単純な、たった一つの結論です。

なのに、それを聞いた唯ちゃんは余計に悲しそうな顔をして、私から目を背けてしまいました。

53: 2011/07/18(月) 09:20:46.73 ID:jRbkEbZcO
唯「……やっぱり、うまく伝わらないものだよね」

小声で、私から目を背けて唯ちゃんが呟きました。
でも、いくら小声でもそれは確かに私への呟きで。

紬「そう…だね…」

私も、唯ちゃんを大切にしたいって伝えようとしただけなのに、結果的にこうして唯ちゃんを悲しませてしまいました。
想いというものは、こんなにも伝わりにくい、伝えにくいものだったのでしょうか。

……そして、唯ちゃんが伝えたかった想いとは、何だったのでしょうか。

わかっていることは、一連の会話で私が唯ちゃんを悲しませてしまったことだけ。それだけです。

紬「……ごめんなさい…」

唯「…ううん、私が変な事言ったからだよ。ごめんね」

変な事、と唯ちゃんは言うけれど、案外『例え話』ではなかったのかもしれません。
本当に澪ちゃんのことが好きで、それを貫けばみんなが傷つくことが唯ちゃんにもわかっていて。
どちらが悪いかなんてわかりきってるのに諦めきれなくて、私に相談したのかもしれません。
しかもきっと真の意味での相談ではなくて、背中を押してほしいだけの相談。軽音部のために身を引くことを私から勧めて欲しかっただけの相談。

なのに、私は唯ちゃんを傷つけたくないがために逆の選択をした。それが唯ちゃんを悲しませてしまったのです。

59: 2011/07/18(月) 10:08:47.84 ID:jRbkEbZcO
要はいろいろ細かく考え込んでしまった私の間違い。それだけなのでしょう。
それならば、繰り返しになってしまうけれど、私は益々どんな時でも唯ちゃんの味方でいたい。
償いの意味でも、唯ちゃんの意志だけを尊重してあげたい。私の意志なんて関係なく。

紬「……唯ちゃん?」

唯「…なあに?」

紬「ごめんね。きっと私は相談相手として不適切なの。私は唯ちゃんを大切に考えすぎるから」

唯「ムギちゃん…」

紬「だから、唯ちゃんは誰を好きでもいいの。誰を好きでも、その先がどうなっても、私だけは着いていくから。支えるから」

唯「………」

紬「たとえ唯ちゃんに嫌われようとも……私はずっと友達だと思ってるから!」

私の想いなんて関係ありません。高望みはしません。唯ちゃんの友達でいられる、それだけで幸せなんです。

唯「……ありがと、ムギちゃん……っ」

……机に伏せって泣き出した唯ちゃんの頭を、私はずっとずっと撫でていました。

60: 2011/07/18(月) 10:09:23.35 ID:jRbkEbZcO
おわり

引用元: 紬「ラブコ…メ?」