4: 2010/09/27(月) 17:27:11.95 ID:uL7Yz+ik0
それは何気ない梓の言葉が始まりだった。

夏期講習を何となくといった感じで終え、澪が用事があるからと言って駅前で別れた私は、
暇潰しにと思って入ったハンバーガーショップで後輩の姿を見つけた。
梓はジュースを飲みながら、唯の妹である憂ちゃん、それからなんだっけ、なんとか純ちゃん
と話し込んでいるようだった。

私は驚かせてやれ、と梓の背後に周り、憂ちゃんたちが驚いているのにも関わらず、
梓の耳元で「猫耳」と囁いた。

「ふにゃあ!?」

案の定、梓はそんな可愛い悲鳴をあげてくれた。梓は後ろを振り向くとそこに私が
いたことでさらに驚いたらしく「律先輩!?」と叫び思い切り後ろに退いた。
おいおい、そこまでされたらなんだか悲しくなってくるぞ、梓。


5: 2010/09/27(月) 17:38:26.60 ID:uL7Yz+ik0
「な、何なんですか律先輩!っていうか何でここにいるんです!?夏期講習は!?」
「もう終わったよー」

私は答えると、梓の隣にどさりと腰を下ろした。純ちゃんがきょろきょろと周りを見て
「澪先輩はいないんですね」と少し残念そうに言った。
私じゃ不満かー?と冗談交じりに言うと、「いえ、そんな」と純ちゃんはハハと目を逸らし
笑った。
そんな態度とられるんならはっきり言われた方がマシだって。

「律さんっていつも澪さんと一緒にいるイメージあるから」

憂ちゃんがどよーんとした私を慰めるように声を掛けてくれた。私は「そうかなー」と
言うとさっき買ってきたジュースをテーブルの上に置いた。
確かに澪とはよく一緒にいるけど、「いつも」ってわけじゃない。
幼馴染の腐れ縁で親友。澪とはそんな関係。


6: 2010/09/27(月) 17:39:10.92 ID:uL7Yz+ik0
「あ、そういえば憂ちゃんさー、唯……」
「ちょっと、やめてよーう」
「いいだろ、俺たち付き合ってるんだから」
「やだー」

あちこちにハートマークが飛び交う声に私の声がかき消された。
もう一度言葉を紡ごうとすると、今度は別の方向から恋人たちのお熱い声が
飛んでくる。

「何か、……私、悲しくなってきました」

梓がぽつりと呟いた。憂ちゃんと純ちゃんも控えめに頷いた。
うん、大丈夫。私もだから。
夏休みだというのに女四人で狭い席に集まって雑談。何だこの悲しい状況。

8: 2010/09/27(月) 17:47:28.70 ID:uL7Yz+ik0
さわちゃんじゃないけど、この周りにいるカップルをどうにかしてやりたくなる。
十代のうちは軽音部に捧げるんだから別に彼氏なんていらない。いらない、けど。

「くうっ……寂しい!」
「なんだか私たち、場違いですよね」

梓がそう溜息をついたとき、純ちゃんがそういえば、と言った。

「律先輩って彼氏、いないんですか?」
「へ?」
「だって、律先輩って結構モテそうじゃないですか」

私は慌てて首を振った。
そんなわけない。それなら美人で凛々しい澪のほうがモテるに決まってる。
けど憂ちゃんも「そうだよね」と言った。

「律さん、かっこいいですし」
「そうそう。意外と小学校とかのときモテたんじゃないですか、律先輩」
「意外とって何だよ意外とって!」
「あ、あはは。でも律先輩は女の子にモテるタイプじゃないですかー?」
「な、何かムギみたいなこと言うな……」
「律さんを彼氏って言って紹介されても違和感ないかも」
「は、はあ!?」

その時だった。梓がその言葉を言ったのは。

「そうだよね、じゃあいっそ私、律先輩と付き合ってみようかな」



10: 2010/09/27(月) 17:53:31.00 ID:uL7Yz+ik0
「へ?」
「梓!?」
「あぁ、いいかも」

約一名、違う反応をしたのは置いといて(こうして話してみると唯と憂ちゃん、
結構似てるんだな)私と純ちゃんは驚いて梓を見た。

「や、やだ、冗談ですよ冗談」

梓はそんな私たちにもっと驚いたようであははと乾いた笑みを漏らした。
冗談か。私はほっと息を吐いた。
けど……。梓と付き合う、か。冷静に考えてみれば私たちは女同士なわけで。
ただの遊びなら面白いかもしれない。そうだな、これは『ごっこ』と考えればいい。
『恋人ごっこ』
悪くないな。夏期講習で疲れた頭をフル活用しながら考える。
どうせ明日からはまた暇なんだし。良い暇潰しになるかも。



11: 2010/09/27(月) 18:03:08.09 ID:uL7Yz+ik0
「そうだなー、じゃ私と付き合うか、梓」
「……は!?」

自分の発言を本気にとられて恥かしかったからなのか少し赤くなりながらジュースを
飲んでいた梓は盛大に噴出した。それもわざわざ私のほうを向いて。
……いや、唯とかで慣れてるからいいんだけどさ。

純ちゃんやさすがの憂ちゃんまでも目を丸くして私を見た。
私は得意げにその場にいた三人を見回すと、「『ごっこ』だよ、『ごっこ』」と
言った。憂ちゃんが私の顔を拭いてくれながら「『ごっこ』?」と首を傾げる。
純ちゃんはあぁ、と小さく納得したような声を上げた。

「要するに遊びみたいなものですか?」
「そ、暇潰し。それにこんな寂しい思いしなくてもすむだろ」
「いや、けど……」
「何だよ梓ー。どうせ梓も暇だろー?」
「まあそうですけど……、っていうか先輩受験生じゃ……」
「期間は夏休みが終わるまで!それなら他の皆に知られて変な噂たてられなくてもすむだろ?」

私はそこまで言うと、梓に向き直った。

「ってことで」

あぁ、やっぱり遊びってわかってても改めてこんなクサい台詞を言おうとすると
恥かしいな。

「中野梓さん、私と付き合ってください」


12: 2010/09/27(月) 18:13:32.82 ID:uL7Yz+ik0
場所が場所。ハンバーガーショップでこんなこと言うバカなんて普通いない。
ムードもへったくれもないそんな場所で、私と梓はその日、『恋人』になった。

梓は私の差し出した手をとると、「ちょっとだけ、『暇潰し』に付き合ってあげます」
と言ってはにかんだ。
純ちゃんがヒューと口笛を噴いた。憂ちゃんもわあ!と嬉しそうに手を叩く。
いやあ、ありがとう、ありがとう。
……なんて愛想笑いを振りまいている場合じゃない。

ここ公共の場!公共の場だから!いくら遊びだとはいえ、さすがに恥かしい。
周りの人たちが怪訝そうに見てるし!あのバカップルだって。





13: 2010/09/27(月) 18:16:52.72 ID:uL7Yz+ik0

――恋人、か。

私は純ちゃんと憂ちゃんの喝采を何とか鎮めると、隣にちょこんと座って
さっきよりも恥かしそうに頬を赤らめている梓を見て思った。

恋人って何するんだろ。
手を繋ぐ?抱き合う?……キスをする、とか?
いや、無理。さすがに『ごっこ』とはいえそれは無理だろ。

私は自分で考えたことに思わず心の中で突っ込みをいれた。あぁ、
何か梓と『恋人らしいこと』してるのを想像してしまって顔が熱い。

15: 2010/09/27(月) 18:28:27.99 ID:uL7Yz+ik0
そっと気付かれないように梓の横顔を眺めた。
一応、私が『彼氏』役みたいなもんなんだから、私がリードしなきゃダメだよな。
先輩でもあるんだし。部長でもあるんだし。関係ないかも知れないけど。

「……、何ですか?」

そんなことを考えていると、ふっと横を向いた梓と目が合った。
私は慌てて「何でもないぞっ」と手と首をわたわたと振った。
「そうですか」と梓も気まずそうに目を逸らした。

「何か本当に初々しい恋人同士みたい」

純ちゃんがそう言ってけらけらと笑った。

16: 2010/09/27(月) 18:40:13.19 ID:uL7Yz+ik0
「そろそろ帰るか」と腰を上げたのは日がだいぶ傾いてきた頃だった。
後輩三人組とこんなに話したのは初めてだったけどいつもの三年生メンバーと
違ったノリで面白かった。たまには学校でもこの三人組に絡んでみようか。

「それじゃあ、律さん、失礼します」

憂ちゃんは夕飯の買物があるからとかで駅前のスーパーに入っていった。
純ちゃんも気を利かせたらしく、用があるからと電車で帰って行った。
去り際、梓に「『恋人』なんだから二人きりのほうが良いでしょー」と笑いながら
言っていた。
その言葉を聞いていた私は、だから妙に梓を意識してしまって他の二人がいたときは
すらすら出てきたジョークも言えずにいた。暫く無言のまま歩いた。

17: 2010/09/27(月) 18:45:58.01 ID:uL7Yz+ik0
そろそろ居心地が悪いなと思い始めたとき、梓は立ち止まった。

「先輩、私、こっちなんで」
「あ、そっか」

えーっと。ここはなんて言えばいいんだろう。かっこよく「送ってくぜ」とか?
いやいや、何か違うよな。私が迷っていると梓は「それじゃあ」と私に背を向けた。
私は思わず梓の手を掴んで引き戻した。

「先輩?」

引き戻したのはいいけど、何も考えてない。
あぁ、もう何とでもなれ!

「今は『先輩』はやめないか?」

やけくそで口をついて出た言葉はそれだった。梓が目をぱちくりさせて
私を見た。「どういうことですか」と首を傾げる。
私はえっと、と口篭ると「律、とかりっちゃんって呼んで、っていうか……」
としどろもどろに答えた。
すると梓は。

「……律」




18: 2010/09/27(月) 18:52:04.66 ID:uL7Yz+ik0


え?


思考停止。
上目遣いで私を見る梓の頬が、段々赤く染まっていく。
「これでいいんですか」とそっぽを向いた梓を、私は思わず抱き締めていた。

「……せ、先輩!?」
「今は『恋人』同士だからいいだろ」

そう言うと、梓はおずおずと私の背中に腕を回してきた。不覚にもかわいいと
思ってしまった。いつも梓に抱きついている唯の気持ちがわかった気がした。

20: 2010/09/27(月) 19:04:00.34 ID:uL7Yz+ik0
夜。
携帯を開くと澪からメールが来てた。

『明日、一緒に勉強しないか?』

明日、か。私はうーん、と考える。いや、本当はもうとっくにその返事は決まってる
んだけど。

『ごめん、明日無理』
『そっか。わかった』

メールを送ると返事はすぐに返ってきた。ずっと私からの返信を待ってたのかな、澪。
そう思うのは少し自意識過剰か。けど私はもう一度心の中で澪に謝ってから、
もう一度メールボックスを開いて文字を打った。

『明日午後10時。駅前の噴水で待つ』

まるで果たし状だな、と自分で呆れながら梓にメールを送る。
私は携帯を閉じると、大きく欠伸をしてベッドに寝転んだ。寝返りを打つと、
ふいに梓の温もりを思い出した。

明日は何をしてやろうかな、なんて考えながら私は浅い眠りの海に堕ちて行った。

21: 2010/09/27(月) 19:11:37.81 ID:uL7Yz+ik0
まだ夜が明けていない頃、私は目を覚ました。最近、良く眠れない。
これでも受験生ということで色々不安があったりする。大学どこに行くかまだ
決めてないし、就職するにしても何するにしても私だって普通の女子。それなりに
将来のことを考えて怖くなる。

こんなときは澪に電話したくなる。私は傍においてあった携帯を手に取って開けた。
暗い部屋にぼうっと小さな光。暗闇に慣れた目で眩しいディスプレイを見ると午前3時。
微妙な時間だな、なんて思って澪に電話するのを躊躇っていると、メールが来ているのに
気付いた。開けてみると梓からだった。

『わかりました』

さっき送ったメールの返事。簡潔だなあ、と苦笑する。そういえば梓、今起きてるかな。
まさか起きてないだろうな、と思いながらも私はお化けの絵文字を1つだけ打つと他は何も
書かずにそのメールを送ってみた。



22: 2010/09/27(月) 19:16:19.60 ID:uL7Yz+ik0
なんと、その数秒後、梓からメールの返信が来た。
まるでさっきの澪並みだ。

『なんですか』

私はそのメールに返信せず、梓のアドレス帳を呼び出した。
そしてそこに記されてあった電話番号に電話を掛ける。
真夜中、静かな部屋で聞こえる呼び出し音。
程なくして、梓は電話に出た。

「梓、やっほー」
『やっほーって……。先輩、今何時だと思ってるんですか!』
「梓だって起きてるしいいじゃん。何か眠れなくってさー」
『……先輩も、ですか』
「ん?」
『い、いえ、何でもないです!』

24: 2010/09/27(月) 19:39:22.26 ID:uL7Yz+ik0
「なあ、梓」
『はい?』
「本当に良かったのか」

私は携帯ストラップを指で弄びながら訊ねた。何となく、何となくだけど聞きたくなった。
遊びだってわかってるけど。わかってるからこそ、訊ねたくなった。
だって、無理矢理私の暇潰しに付き合せるのも先輩として、部長として、かっこ悪いし。

『何がですか』

けど梓は惚けたようにそう言った。鋭い梓がわからないはずない。きっとわかってて
そう言ってるんだ。それは「良い」ととっていいんだろうか。けど、多分そう。
これも自意識過剰かも知れないけど。梓はきっと、私との『遊び』を楽しんでくれてるんだ。


26: 2010/09/27(月) 20:11:19.93 ID:uL7Yz+ik0
それから、私は梓とどうでもいいようなことを話した。
本当にどうでもいいようなこと。唯や澪が一年の時にしでかしたこと、ムギの不思議な
言動や今日夜にあったドラマの話から楽器や好きなミュージシャンの話。
気が付くとそろそろ夜明けだった。時計を見ると午前4時過ぎ。

私は立ち上がるとカーテンを開けて外を見た。
電話越しに梓も同じことをしているらしく、カーテンの開く音がした。
今登ってきたばかりの朝日が眩しい。

「梓、おはよう」
『おはようございます』

私たちはそう言ってくすくすと笑った。
待ち合わせ時間を12時に変更して、私たちは電話を切った。ずっと手を上げてたから腕が
痛いけど程よい眠気が襲ってきて私はベッドに寝転ぶとすぐに眠りにおちた。

28: 2010/09/27(月) 20:24:48.81 ID:uL7Yz+ik0
次に目が覚めたときにはもう日は高く上っていて、私は慌てて携帯を開いて時間を
確認した。12時過ぎ。駅前まで行くにはどれだけ頑張っても10分はかかる。
私は急いで着替えると家を飛び出した。家を出た後、遅れると連絡を入れればよかった
んだと気付いたけど私はそのまま走った。

駅前につくと12時半過ぎ。もう梓、帰っちゃったかもな、なんて思いながら噴水のほうへ
歩いていく。

「やっぱり」

私は荒い息を整えながら呟いた。どこを見ても梓らしい姿は見えない。
梓も遅れてきたかも、なんて考えて暫く待とうとしたけどやめた。あの真面目な
梓が遅れるわけないから。
私はポケットから携帯を取り出すと今更ながら遅れてごめんメールを打とうとした
とき、ぽんっと肩を叩かれた。

「あ、梓?」

そこには見知らぬ女の子――いや、梓が立っていた。
梓は普段ツインテールの髪を下ろしていた。だから後姿じゃわからなかったんだな。
ていうか。

「律先輩?」

梓に怪訝そうに私の顔を覗きこんだ。梓の顔が近くなり、私の心臓が飛び跳ねた。
それを悟られないように乱暴に梓の手を掴むと歩き出す。
バカ、私。何梓に見惚れてたんだ。



32: 2010/09/27(月) 20:42:22.81 ID:uL7Yz+ik0
私はこの火照った頬を冷やそうと、人のあまりいない河原のほうへと歩いた。
少し私に引っ張られるようにして着いて来ていた梓が、いつのまにか私の隣を
歩いていた。
梓はどこへ行くのか訊ねてこなかった。だから私も早足で歩いた。
何も会話はなかったけど、昨日みたいに重苦しい雰囲気にはならなかった。
握った手だけで満足で寧ろこの沈黙が心地よくすら感じた。

そうだ。
私は突然思い立って方向転換した。

「律先輩、どうしたんですか?」
「梓、秘密の場所へ連れてってやる」

私はふふふ、と笑うと言った。昔澪と一緒に作った秘密基地。きっと澪は覚えてない
と思うけど。私は中学校に上ってからも何かある度そこへ行っていた。高校生になった今は
中々行く機会がなかったから行ってないけど。澪以外、誰にも言う気はなかった。
けど梓なら何となく良いかな、って。

「秘密の場所、ですか?」
「そ。誰にも言っちゃダメだからなー!」

言うと私は走り出した。梓も私に手を引かれ慌てて着いて来た。

33: 2010/09/27(月) 20:51:23.68 ID:uL7Yz+ik0
息を切らせて辿り着いた場所は、一目につかない開けた場所だった。草むらに
隠れて、周りから隔離された空間。

「こんな場所、あったんですね」

梓が驚いたように言った。私は「もっとデートの定番っぽいとこに連れてきたほうが
良かったか?」と笑いながら訊ねるとふるふると首を振った。

「いえ、ここ、律先輩の秘密の場所なんですよね?それならここのほうが嬉しいです」
「そ、そうか?」

何でそんな嬉しそうな顔で言うんだ、梓は。
私はまた突然抱き締めたい衝動に駆られてそれを慌てて必氏に押し止めた。
だめだめ、確かに私たちは『恋人』同士であるわけだけど、今ここで梓を抱き締めて
しまったら何でかわからないけどだめな気がする。
……抱きつくのは唯の特権だし。



35: 2010/09/27(月) 21:05:22.03 ID:uL7Yz+ik0



そう自分に言い聞かせて、私は地面に座り込んだ。

そういえば、ここには何もない。ずっとここで過ごすのは無理があるよな。
いくら梓がここに来れて嬉しいとか言ってても。

梓は興味深そうに辺りを見回している。何か面白いものでも見つけたんだろうか、
突然梓は「あ!」と声を上げた。

「どしたー?」

私は地面に座り込んでいた腰を上げた。梓は遠くを指差しながら「律先輩、
川が見えます!」と言った。思わずがくっと声に出してずっこけていた。
何だ、それだけであんな驚けるのか梓は。
けど梓は私の手を引っ張ってその「川」が見える場所まで連れて行った。

確かに川があった。凄く細々とした川。今にも干からびて水がなくなっちゃいそう。
結構この辺探索したつもりだったんだけどな。こんな川があったなんて気付かなかった。

「ちっちゃ」
「ですよね!この川、何なんでしょう?行ってみましょうよ」

37: 2010/09/27(月) 21:14:36.38 ID:uL7Yz+ik0
子供みたいにはしゃぐ梓に手を引っ張られる。やれやれ、何がそんなに珍しいんだか。
けど私は梓の横顔を見てたら自分まで楽しくなってきて、「よし、行くか」と逆に私が
梓の手を引っ張った。
『彼氏』なんだから『彼女』に引っ張られるなんてかっこ悪いだろ?

川は小さかったけど長かった。梓が手に水を浸し、「冷たい」と目を丸くして呟いた。
本当、小さい子みたいだな。
私はそんな梓を見ながら思った。軽音部にいるときと違った表情。もしこれが私の前
だけで見せてくれてるものなんだったら多分、絶対凄く嬉しい。

水面に映る梓の表情は本当に幸せそうで。
そんな梓を見てるとあぁ、まただ。抱き締めたくなる衝動に駆られた。

38: 2010/09/27(月) 21:20:04.12 ID:uL7Yz+ik0
「梓」

梓の名前を呼んだ。梓は「はい?」と振り向いた。私は「何でもない」と答えた。
やっぱりだめ。このままじゃ。
このままじゃ。

きっと、本気になってしまう――

「なあ、梓」
「今度は何ですか先輩」

梓はどうやら小さな魚を見つけたらしく、まるで猫みたいに魚を指で弄んでいる。
私は少し迷うと訊ねた。

「もし、私が本気で梓と付き合いたいって言ったらどうする?」
「そんなことあるわけないじゃないですか」
「梓?」

梓の声が今までの声と違ってどこか尖っていたように聞こえて、私は戸惑った。
けれど振り向いた梓の顔は笑顔で。梓は今までの明るい声で
「先輩、私そろそろお腹減りました」と言った。
だから、――きっと気のせいなんだろう。

42: 2010/09/27(月) 21:43:55.75 ID:uL7Yz+ik0
その後、私たちは商店街をぶらぶらして歩いた。梓は昼ごはんを食べて来てない
というからたこ焼きを奢ってやった。梓は猫舌らしく、何度もフーフーしながら
たこ焼きを口に運んでいる。見兼ねた私は梓の手をどけるとたこ焼きを冷まして
梓の口許へ運んだ。
よく言う「あーん」だ。いや、恥かしくてそんなことは言わないけど。
梓は始めは恥かしそうにしてたけど、だんだん慣れてきたのか美味しそうにもぐもぐ
食べている。私も欲しいな、なんて視線を送ってみると梓が仕方ないなあ、と
いった表情でもう一本ついていた爪楊枝でたこ焼きを刺すと私の口許へ。
うん、やっぱりこれ、やるほうもやられるほうも恥かしい。
私は顔を熱くしながらそれを食べた。ちなみに梓は冷ましてくれなかったので
口の中のたこ焼きも熱かった。

食べ終えるとゲームセンターで遊んだ。何度も失敗しながらやっととれた小さな
猫の人形を、梓は大切そうに抱き締めた。それだけで今日の出費はいくらだとか
そんなこと、どうでもよくなった。



46: 2010/09/27(月) 22:00:07.29 ID:uL7Yz+ik0
「律先輩」

ゲームセンターを出るとすっかり日は暮れていた。梓は私の名前を呼ぶと、自分から
ぎゅっと手を握ってきた。

「今日は楽しかったです、ありがとうございました」
「なんだ、いやに礼儀正しいな」
「先輩と二人きりで遊ぶのって初めてじゃないですか」
「これは『デート』だけどな」

だから別にお礼とかはいいの。私たちはただの先輩後輩じゃないだろ?
そう言って笑いたかったけど声は出なかった。出なくていいと思った。
どうせ「今だけ」なんだから。夏休みが終わるとあっけなくこの関係は崩れる。
なら言わない方がいい。虚しいだけだから。

「そうでしたね」
梓は頷いて、小さく笑った。

けど。「今だけ」は、梓は私の『恋人』なんだ。
もうだめだなんて思わなかった。大丈夫、もうちゃんと自分の心にブレーキかけられる。
だからこれは「今だけ」の『恋人』として。
私は梓の身体を引き寄せるとぎゅっとその小さな身体を抱き締めた。



48: 2010/09/27(月) 22:09:06.15 ID:uL7Yz+ik0
その次の日も、そしてそのまた次の日も私たちは『デート』を重ねた。
その度に私は梓を抱き締めた。けど、それ以上には勿論進むわけ無い。
自分の気持ちのコントロールも上手くなっていた。
気が付くともう8月の半ばで、部活のことを思い出したのは久しぶりに掛かってきた
澪からの電話だった。
聡の相手をしながら梓に次いつ会おうかっていうメールをしていたところで、
そういえば最近、全然澪と話してないなと思い出した、そんな時。

『律?』
「お、澪、久しぶり!今こっちから電話掛けようかなって思ってたとこ」
『うん、それでさ、部活、どうすんの?もうすぐ夏休みも終わるし、一回くらいは学校に
出てきてみんなで練習しない?学園祭も近いし』
「……あ」
『まさか忘れてたんじゃないだろうな。まあ律のことだし図星なんだろうけど』
「悪い悪い」
『全然反省の色が見えないんだけど。全く、部長なんだからもうちょっとしっかり
しろよな。そういえば最近全然メールとかしてこなかったけどどうしたんだ?』

澪が不思議そうに訊ねてきた。確かにこの時期、去年とかなら澪に遊ぼう遊ぼうと
言いまくってたっけ。




50: 2010/09/27(月) 22:11:28.09 ID:uL7Yz+ik0
>>47
凄く同感!最近梓純にもはまりかけてしまってる。いつか書きたいなwww
律は澪か梓だと思うんだ。

51: 2010/09/27(月) 22:18:17.54 ID:uL7Yz+ik0
けど「どうしたんだ」と聞かれても困る。何て答えれば良いのやら。
梓と毎日遊んでる、なんて言ったら澪はどんな反応するだろう。

「ん、まあちょっとな」
『そっか。で、早速なんだけど明日、どう?』

澪は深くは聞いてこなかった。そこが澪の良い所であり悪い所。まあ、今は深く
聞かれたら困るからいいんだけど。
それにしても明日、か。明日は梓と映画でも行こうかって言ってたんだけどな。
部活でも梓に会えるし、いっか。

「いいけど」
『わかった、じゃあ私、梓と唯に連絡するから律はムギに……』
「いや、私が梓に電話する!澪は唯とムギに連絡して!」
『あ、そう?わかった。じゃあまた明日』
「うん、また明日」

電話を切って一息吐く。澪が梓と電話してるとこを想像すると凄く胸が変な感じの
圧迫感に襲われた。もう一度大きく息を吐くと、私は一旦閉じた携帯を梓に電話する為に
開けた。

53: 2010/09/27(月) 22:24:05.67 ID:uL7Yz+ik0
翌日、私は久しぶりに澪と登校した。久しぶりに会ったせいか、私たち二人とも
口数が少なかった。けど沈黙してても重苦しくないのは長年一緒にいるせいなんだろう。

「おいーっす」

部室の扉を開けると唯とムギが先に来ていてお茶を飲んでいた。
梓のところを見るといない。まだ来てないんだ。

「りっちゃんおいーっす、あ、澪ちゃん昨日はありがとねー」
「りっちゃん、澪ちゃん、久しぶりー」

そういえば本当に久しぶりだな。夏休み、あの夏期講習以来全く会ってなかった。
ムギはにこにこと嬉しそうに私と澪の分のお茶を淹れた。

「何かりっちゃん、変わったね」

梓を待っている間、お茶を啜っていると突然唯が言った。
私がは?と聞き返すとムギと、そして澪までうんと頷いた。

「何かかっこよくなったっていうか」
「りっちゃん、恋煩いにでもかかったのですかいー?」
「り、律好きな人でも出来たのか!?」


54: 2010/09/27(月) 22:30:07.16 ID:uL7Yz+ik0
恋煩い?好きな人?いや、ないだろ。
きっとみんなの気のせいだよ。そう言いたいのに。何でここで梓の顔が出てくる。

「あれ、りっちゃん沈黙!?まさか本当に……!」
「ち、違うって!」

慌てて否定すると、部室のドアが音をたてて開いた。梓がいた。
梓は一瞬、ほんの一瞬泣きそうな表情になった。ここ数日、本人は気付いてないかも
知れないけどたまに見せたあの表情。
梓は自分でもよくわかっていないようで、多分無意識のうちにドアを開けていたんだろう。

「あ、あずにゃんおはよーう」

そんな梓を他所に唯はいち早く立ち上がると梓に向かって駆け出した。そして
ぎゅうと抱き付く。

「ゆ、唯先輩……!」
「あずにゃん分補給ー!」

55: 2010/09/27(月) 22:38:32.46 ID:uL7Yz+ik0
「梓、おはよう」
「今日は梓ちゃんの好きなお茶にしてみたの」

澪とムギもそれぞれ梓に声をかける。
ていうか。
唯の奴、何があずにゃん分補給だよ。ムギだって何で梓の好きなお茶になんかするんだ。

そこまで考えて私はバカなこと考えてる自分に気付いた。
だって、梓は私のものじゃないんだし?『恋人』だって言ってるけど、どうせ夏休みの間
だけじゃん。唯が梓に抱きついてるのはいつものことだし。梓が抵抗しないのもいつものことだし。
ムギだってきっとたまたまなんだろうし。

あぁ、私なんか変だ。私は梓のこと好きじゃない、好きじゃない、そうだろう?
なのになんでこんなに苦しいんだ。



56: 2010/09/27(月) 22:43:05.57 ID:uL7Yz+ik0
「あー、ごめん、ちょいトイレ」

私は椅子から立ち上がると笑って言った。
――今ちゃんと笑えてたかな、声、上ずってなかったかな。

梓が「律先輩」と私を呼んだ。けど私はそれを無視した。今振り向いちゃったりしたら
自分が壊れてしまいそうだった。
私は急いで部室を出て、階段を下りた。そして階段の踊り場で誰にも見えないところで私は
頭を抱えた。

何だよこの気持ち。ちゃんと、自分の気持ちをコントロールしてきたはずなのに。
私は梓のこと好きじゃない、って何度も言い聞かせた。けど何度そう言い聞かせても
私の心は正直で、胸の痛みはさらにひどくなった。

遊びのつもりだった。
ただの『恋人ごっこ』
なのになんで。

「律」

57: 2010/09/27(月) 22:51:42.25 ID:uL7Yz+ik0
聞きなれた優しい声がした。俯いていた顔を上げるとそこにはやっぱり澪がいた。
澪は私のすぐ傍まで来ると、「大丈夫?」と言って頭を撫でてくれた。
幼い頃、泣いてる澪に私がしたのと同じように。

「律さ」
「……何」
「――もしかして、梓が好き、なの?」

澪は控えめに、けどはっきりとそう訊ねてきた。きっと澪の言ってる『好き』は
友達や後輩としての『好き』じゃない。澪は私の気持ちをちゃんとわかってるんだ。

「……、悪いかよ」

何となく素直に認めるのが癪、けど澪の前でなら素直に自分の気持ちを曝け出せる。
私は、いつのまにかこんなに梓のこと好きになってた。気付かないうちに。
ブレーキをかけてたつもりが、本当は自分の気持ちを隠してただけなんだ。

澪は私の返事を聞くと、そっか、と言った。そしてその大きな手を私の頬に添えると
真剣な瞳で、澪は言った。

「律、私じゃ、だめ?」


58: 2010/09/27(月) 22:52:55.43 ID:uL7Yz+ik0
そろそろ限界orz
良ければ保守宜しくお願いします。



97: 2010/09/28(火) 16:54:39.88 ID:8Q4v+RyO0
「み、澪……?何言って……」
「じょーだん」

私が狼狽えるのを見ると、澪はぱっと手を離してすぐに顔を逸らした。
嘘だ、恥かしがり屋の澪がそんな冗談、言えるはずない。

「ありえないよ、私が律を好きなんて」
「……うん」
「それに女同士だぞ?変だよな、気持ち悪いよな」

最後のほうは、澪は自分に言い聞かせるように言った。それからはっと私を見ると
「あ、ごめん」と謝った。私はのろのろと首を振る。

そうだ、私と梓は女同士。好きになるはずなんてないんだ。
そんなことあっていいはずがない。私はきっとおかしいんだ、どうかしてる。
けど。けど、私は。
自分の気持ちを自覚しちゃったんだ。もう、戻れない。

澪は黙りこくった私を見てもう一度「ごめん」と謝ると気まずそうに「先、部室
戻ってるから」と言って階段を上っていった。

私はその後姿を見て、何で、と思った。
何で私はあの日、『恋人ごっこ』なんて考えてしまったんだろう。

98: 2010/09/28(火) 17:13:40.33 ID:8Q4v+RyO0
「りっちゃん、大丈夫?お腹痛かったの?」

澪が戻ってからすぐ後に部室に戻ると、唯が心配そうにやってきて訊ねてきた。
私は曖昧に返事すると、机の上に置きっぱなしにしていたスティックを鞄に入れて持った。

「りっちゃん、帰るの?」
「うん、体調悪くてさ」

ムギに訊ねられ、私はそう言うと皆に背を向けた。どうしてか、場の空気が
暗くなった。私は軽音部の雰囲気が悪くなったら盛り上げるのは自分の役目だって
自負していた。だけど今日はそんなことできる自信がない。だから私はその空気に
気付かないふりをしたまま、部室を出た。


99: 2010/09/28(火) 17:20:36.90 ID:8Q4v+RyO0
梓と澪のほうは見ないようにして部室を出たので、部室に一人欠けていたなんて
気が付かなかった。
下駄箱で靴を履き替え玄関を出て校門を抜けると、そこには梓が立っていた。

「梓」
「律先輩」

梓に気付いて私が驚いて立ち止まると、梓は真直ぐ私に向き合って名前を呼んだ。
その瞳があまりにも強い想いを秘めていて、目が逸らせなかった。

「梓、部活は?」
「抜けてきました。律先輩もでしょう?」
「……そうだけど」
「律先輩、デートしましょう。映画、連れて行ってくれる予定だったんですから」

101: 2010/09/28(火) 17:27:50.31 ID:8Q4v+RyO0
私が何も答えずにいると、梓は言葉を続けた。

「先輩、これは遊びなんですよね。遊びは最後まで続けなきゃだめじゃないですか。
私たちはまだ『恋人』です。だから夏休みが終わるまで、律先輩は私の傍に
いてくれなきゃだめなんです」

私は「あぁ、そうだな」って掠れた声で頷いた。
けど梓は、私の気持ちに気付いてないからそんなこと言えるんだ。
そう、これはただの遊び。梓にとってはきっとその程度の意識なんだ。
梓は生真面目だからそんなふうに意地になって言うんだ、なあ、そうだろ?

「……ごめん、今日は調子悪いんだ」
「そうですか。それじゃあ明日、午前10時、駅前の噴水に集合です。絶対です」
「わかった」



102: 2010/09/28(火) 17:36:33.33 ID:8Q4v+RyO0
頷くと、梓はぺこり、と頭を下げて私を残して別方向へ帰って行った。
一緒に帰りましょう、くらいは言っても良いんじゃないのか?って考えた後、
すぐに私は呆れて苦笑した。
当たり前だ、私は梓の本当の『恋人』じゃないんだから。それに、今日は一人で
いたかった。

家に帰り着くと鞄を放り投げて制服のままベッドにうつ伏せに倒れこんだ。
何気なく携帯を見ると澪からメールが来ていた。

『律、さっきはごめん。後、本当にあのことは気にしなくていいから』

私は返事を打たずに、梓のアドレス帳を開けた。そしてメール画面を呼び出すと
明日も無理になったっていうメールを送ろうとした。けどなんて書けばいいかわからなくて
結局やめた。その画面のまま携帯を閉じると、私はそのまま目も閉じた。



103: 2010/09/28(火) 17:46:06.45 ID:8Q4v+RyO0
気が付けば日はすっかり暮れていた。聡が部屋の扉をドンドン叩いて
「姉ちゃん、飯ー」と叫んでいる。けど私はそれを無視してもう一度目を閉じた。
もう少し、夢の余韻に浸っていたかった。

梓と私の、何でもない普通の日の夢。部室にいるのに他の皆はいない。そこで
私たちは他愛もない話をして笑い合う。

心地の良い空間。もうずっとそこにいたまま、目覚めなくてもいいと思うほど。

「姉ちゃんが起きねー」と聡が大きく音をたて階段を下りて行った。
私は立ち上がると電気のスイッチを押した。カーテンは朝から閉まったままだった。
机の上にあった卓上カレンダーを見た。もう、夏休みはあと少し。

夏休みが終わったら、私たちは昨日の私たちみたいに笑えるだろうか。
少なくとも、私は無理な気がした。

104: 2010/09/28(火) 18:10:31.40 ID:8Q4v+RyO0
翌朝、カーテンの隙間から漏れる明るい光で目が覚めた。制服のままで眠ってしまい
スカートがぐしゃぐしゃだ。私は制服を脱ぐとハンガーにかけ、手近にあったズボンと
パーカーに腕を通した。

部屋の時計を見ると、9時過ぎ。充分約束の時間まで間に合う。
流石に梓はまだ来て無いだろうから、ごめんって断ろうかな。髪を梳かしながら
携帯を弄る。けど結局、私は昨日のようにメール画面を開いたまま携帯を閉じた。

今日が最後。今日、梓と遊び終わったら「別れよう」って言おう。
あれ、実際付き合ってないんだから変か。なんて言おう。

そんなことを考えながら、駅前の噴水へと急ぐ。気分は暗いのに、私の足取りは
初めて梓と『デート』したときのように軽かった。


5: 2010/09/28(火) 21:41:22.14 ID:US20FqcD0
翌朝、カーテンの隙間から漏れる眩しい光で私は目を覚ました。
制服のまま眠っていたのでスカートが皺になっていた。私はスカートとブレザーを脱ぐと
ハンガーにかけ、手近にあったズボンと半そでのTシャツに腕を通した。
部屋の時計を見ると9時過ぎ。充分待ち合わせ時間には間に合う時間だった。
今ならまだ梓は来て無いだろうし、ごめんってメールを送ろうかな。
髪を梳かしながら携帯を弄る。けど、私は昨日と同じようにメール画面を開けたまま
携帯を閉じた。

今日で最後。今日梓と遊び終わったら「別れよう」って言おう。
あれ、実際本当には付き合ってないからそれは変か。じゃあ何て言おう。

私はそんなことを考えながら家を出て待ち合わせの場所へと急いだ。
気分は暗いのに、不思議と初めて梓と『デート』したときのように足取りは軽かった。

6: 2010/09/28(火) 21:49:17.93 ID:US20FqcD0
梓は遅いです、という顔で私を見た。
待ち合わせ場所に着いたのは約束の時間より10分も早く。梓はそれ以上早くここに
来てたのか。梓は今日、髪を下ろしていた。初めてデートした日以降、梓はこの
髪型にして来なかった。久しぶりに見たその姿に私はまたもや見惚れてしまっていた。

「律先輩?」

顔を覗きこまれる。あぁ、まるでこれじゃデジャヴ。梓の顔が近くなって私の心臓が
大きく飛び跳ねる。動揺して私が思わず乱暴に梓の手を掴んだことさえ同じだった。
けど、梓は私が引っ張ってもそこから動こうとしなかった。

「梓?どうしたんだよ。映画、行くんだろ?」
「いえ。今日は律先輩の秘密基地に行きたい気分なんです」

7: 2010/09/28(火) 21:59:57.64 ID:US20FqcD0
私は仕方なく進路変更。けど梓があの場所を覚えていてくれたのが少し嬉しかった。
これで梓と手を繋ぐのも最後だと思うと、私は知らず知らずのうちに梓の手を強く握っていた。

「律先輩、手、痛いです」
「あ、あぁ、悪い」

梓に言われて慌てて手を離した。でも梓はすぐにもう一度私の手を握りなおしてきた。
こんなことされると期待してしまう。けど、きっと梓はこれも遊びのつもりなんだ。
だから期待なんてしちゃだめだって、そう自分に言い聞かせる。

『秘密基地』に着くと、梓はやっぱりあの日みたいに小さな子供のようにはしゃいだ。
前に来たことがあるんだからそんなに珍しいものだってないはずなのに。
それに梓はここに何もないことだって知ってるはずだ。なのになんでここに
来たいなんて言い出したんだろう。と、突然梓がなにやらいつもより大きめの鞄を
探って言った。

「律先輩、私、トランプやりたいです」
「は?トランプなんてどこに……、って持って来てたのか」
「はい、静かなとこで先輩と過ごすのだって『恋人』らしいでしょう?」

そうだな。最後くらい、梓と誰もいないところで過ごすのも良いかもしれない。
いや、きっと私たちの最後を飾るにはぴったりだ。



8: 2010/09/28(火) 22:07:16.24 ID:US20FqcD0
私たちは向かい合って地面に座ると、トランプをしながら何の意味もない会話を
交わした。本当にどうでもいい話。けどそれは夢で見たあの光景にそっくりで、
心が安らいだ。

「そろそろお腹減りましたね」

長々とトランプをしてさすがにそろそろ飽きてきたのか、梓はそう言ってだいぶ上まで
上った太陽を見て言った。そうだな、と相槌を打つと私は「何か食いに行くか」と立ち上がった。
けど梓は私の手を引っ張ると同じ場所にもう一度座らせた。

「私、お弁当作ってきたんです」
「え?」
「だから、お弁当作ってきたんですってば。一回、やってみたかったんですよね、
『恋人』にお弁当作って食べさせるの」

梓はそう言いながら、またもやあの大きな鞄を探って大きめの弁当箱を取り出した。

11: 2010/09/28(火) 22:35:03.39 ID:US20FqcD0
梓に渡されて持ってみると意外と結構重くて、梓はここに来る間ずっとこれを持ってたんだと
思うと申し訳なく思った。せめてカタチだけでも鞄持つよ、くらいは言えば良かったかなって。
開けてみると見事に綺麗揃えられた美味しそうなものばかりが詰っていた。

「すげえな、これ。梓、自分で作ったのか?」
「えーっと……。多少お母さんに手伝ってもらったんですけど」

私がつい興奮して訊ねると、梓はあはは、と笑って目を逸らした。
多少じゃない、“結構”手伝ってもらったな、この様子では。
けど。
それでも頑張って作ってくれようとしてくれた。たとえそれが私の為じゃなかったと
しても、やっぱり私は嬉しかった。


13: 2010/09/28(火) 22:49:08.00 ID:US20FqcD0
「いただきます」
「どうぞどうぞ」

きちんと手を合わせて割り箸を割る。早速食べようとすると、先に梓の手が伸びてきて
小さな丸いお握りをとられた。「あ」と呟くと、それを梓は私の口許に持って来て、
恥かしそうに「あーん」と言った。
だからそれ、やるほうが照れるとやられるほうも照れるんだって。いや、逆も勿論照れる
んだけど。

「あ、あーん?」

疑問系になってしまったけど仕方が無い。大きく口を開け、梓の作ったお握りを
頬張った。梓は「美味しい?」と訊ねてきて、私はこくこくと頷いた。
塩加減も絶妙だし、梓のお母さんはきっと料理が上手なんだろう。
(この場合は梓は、って言った方がいいんだろうけど)

「それじゃあ律先輩も」

私がお握りを食べ終えると、梓が待っていたように言った。私は訳がわからず
首を傾げると「だから……」と恥かしそうに俯いた。
あぁ、なるほど。さっきの「あーん」を私もやれ、と。そういうことか。

14: 2010/09/28(火) 22:55:34.60 ID:US20FqcD0
納得すると、私は食べやすそうな卵焼きを選んでそれを梓の口許へ持って行った。
梓が私を横目で見る。

「ほら、あーん」
「んぐっ……」

卵焼きを梓の口の中に放り投げると、梓が喉を詰らせた。私は慌てて傍にあった水筒から
お茶を淹れて渡してやった。梓はごほごほ咳をしながら「先輩!」と睨んできた。

「悪い悪い」
「危うく喉詰らせて氏ぬとこでした」
「だから悪かったって」

拗ねたように顔を逸らす梓に頭を下げると、突然梓がくすくすと笑い出した。
「どうしたんだ?」と訊ねると、梓は言った。

「やっぱり、こっちのほうが私たちらしいですよね」


15: 2010/09/28(火) 23:03:03.34 ID:US20FqcD0
え?と聞き返すと、梓はだって、と言って続けた。

「甘ったるい雰囲気、似合わないじゃないですか。どっちかっていうと
夫婦漫才みたいな感じのほうが似合ってると思いませんか?」
「……ん、まあそうだな」

どう答えればいいのかわからず、私は曖昧にうなずいた。梓の表情は逆光で
よく見えなかったけど、どこか切なげな顔をしていたように思えた。

それ以降、私たちは普段部室にいるようなノリで話した。
さっきトランプをしていたときは二人とも意図的に出さなかった軽音部の話も
どんどん持ち出した。
こうすることで、今までと変わらない関係に戻っていくんじゃないかって思った。
それでいい、梓と微妙な雰囲気になるのだけは絶対に嫌だから。

18: 2010/09/28(火) 23:11:11.44 ID:US20FqcD0
お弁当も綺麗に食べ終えると、梓はさて、と言って立ち上がった。
今度は何をやり始めるのかと思って見ていると、手を差し出された。

「律先輩も立ってください」
「良いけど……、何するんだ?」

差し出された手を掴んで立ち上がると、私は訊ねた。梓は「鬼ごっこです」と
得意げな顔で言った。
鬼ごっこって……。小学生かよ。

「けどまだ飯食ったばっかだしなー……」
「ひょっとして律先輩って運動できない……」
「わかった、やってやる!」

いつの日か梓に言った言葉を返されそうになり、私は慌てて言った。
それで梓が楽しいんなら、いくらでも付き合ってやる、と言うと梓は「どうも」
とぺこりと頭を下げた。そこまで感謝することでもないのに。
梓は頭を下げたままごしごしと顔を擦ると、元気良く顔を上げた。
さっきまでの梓の顔だった。

「それじゃあ先輩が鬼です」
「はあ!?ジャンケンじゃないのかよ、ってか二人だけって面白くないんじゃ……」
「良いんです、それじゃあ10数えてくださいね」


19: 2010/09/28(火) 23:19:42.95 ID:US20FqcD0
私はしぶしぶ言われたとおり目を閉じて10数えた。
たたたっと梓の走る音が聞こえる。いつのまにか、こんなに短い間なのに梓の足音を
覚えてしまっている自分がいる。

10数え終わると、私は目を開けた。けど梓の姿はなかった。
たった10秒で見えないほど遠くに行けるわけはない。
どこかに隠れてるんだろう。まったく、これは隠れん坊じゃなくて鬼ごっこだろ。

「梓、どこだよー?」

一歩、二歩とゆっくり歩きながら叫んだ。少し先の人一人隠れられるくらいの草むらから
小さくかさりと音がした。私がそこに向かって走り出すとさらにその音は大きくなった。

「梓ー、隠れるのはせこいだ……」

最後まで言えなかった。梓の肩を掴んだ私は、その肩が小刻みに震えていることに気付いたから。
梓、泣いてるのか?

「もう……、先輩見つけるの、早すぎ、です……」

梓は泣きながら言った。
「律先輩に……こんなとこ、っ見せたく、なかったのに……」と。

「梓……」
「私っ……、今日で最後、って、思って、ました……。律先輩と、『恋人』で、
いるのは、今日が最後、って……。だからっ、だから私……」




22: 2010/09/28(火) 23:28:52.81 ID:US20FqcD0
今日は私のことを忘れる為の儀式だったんだって。
梓はそう言った。

「忘れよう、って、何度も、思いました……っ。けど、忘れるなんて、出来なくて……
このままじゃっ、元の今までの関係に、戻れないって……、そう、思ってたのに……
律先輩は、ずるいですっ……、何でそんなに、優しい、んですか!何で……っ」

梓は泣きじゃくりながら、途切れ途切れに言葉を吐き出した。私はそんな梓をただ
強く抱き締めた。
梓が自分と同じ気持ちでいてくれたなんて。それだけで天にも昇るような思いだった。

「何でっ……」
「梓、私」

呟いた梓を、さっきよりもっともっと強く抱き締めると、私は梓の声を遮るように
掠れた声で言った。好きだ、って。
私は一旦、梓の身体を離すと口付けようと顔を近付けた。
あと数センチ、あと数ミリ、唇が近付いたとき、突然梓は私の身体を突き飛ばした。

「あ、梓……?」

59: 2010/09/29(水) 13:45:47.56 ID:cL7ptQh60
これが唯やムギなら「冗談だし」って笑えたのに。
これが澪なら「何本気にしてんだよ」ってからかえたのに。
私は梓を呆然と見上げることしか出来なかった。

梓は私を突き飛ばした後、はっとしたように私を見て、「あ、ごめん、なさい……」
と呟いた。梓の両目からまたぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
けど私はそれを拭ってやることは出来なかった。

「ごめん、なさい……、ごめん……なさいっ!」

梓は何度も何度もそう言って謝ると、この場にいることに耐え切れなくなったように
近くに置いていた自分の荷物を手に取って走り去った。

「梓っ」

止める間もなかった。
私はただ一人、その場に取り残された。



60: 2010/09/29(水) 14:05:47.04 ID:cL7ptQh60
あれ以来、梓と私は会っていない。澪や唯、ムギは部室にたまに集まっているようだけど、
誘われても私は行かなかった。梓が来てるかも知れない、そう思うと行けなかった。

カレンダーの8月の日にちがだんだん少なくなっていく。
夏休みはもう終わる。
終わってしまう。このまま終わって欲しいと思った。このまま、もう何事もなく。
夏休みが終わったら、この気持ちにけじめがつくんじゃないか、って思った。
梓のこと、早く忘れてしまいたかった。
なのに、忘れられない。忘れたくない。けど、梓は私じゃだめなんだ――

どうすればいいんだろう。
どうしたらいいんだろう。

ベッドに寝転びながら考える。窓から入る冷たい風は、夏の終わりを意識させた。
机にあった携帯が震えた。私は起き上がると、携帯を取って開けた。
ムギからだった。






61: 2010/09/29(水) 14:15:14.47 ID:cL7ptQh60
「もしもし?」
『りっちゃん、今ちょっと時間ある?』
「部活ならちょっと……」
『違うの、今ね、りっちゃん家の前にいるんだけど』
「え?」

言われて窓から外を見てみると、確かにそこにはムギの姿があった。
そして相変わらず少し間抜けなギターの持ち方の唯の姿も。

「ムギ、唯!?」
「やっほー、りっちゃん!来ちゃったー」

えへへ、と笑って手を振る唯。私は「ちょっと待ってて」と言うと、携帯を閉じて
階段を転びそうになりながら駆け下りた。
何でムギたちがここにいるんだよ、と思いながらドアを開ける。
そこには私の幻じゃなく、確かに唯達の姿があった。


62: 2010/09/29(水) 14:28:03.92 ID:cL7ptQh60
「学校行っても会えないし、皆で来てみようって話になったんだけど……」
「澪ちゃんは私は良いって言って断られちゃって。あずにゃんもりっちゃんと同じで
部活に来ないし……」

そっか、梓も部活に行って無いんだ。そのことに少しほっとする自分がいる。
ムギと唯は、交互に話しながら私の顔を時折ちらちらと盗み見る。
暫くの間、最近の近況を話すとムギはここからが本題という様に「それでね」と言った。

「りっちゃんと梓ちゃん最近来ないし、澪ちゃんも元気ないから三人の間で何かあったのかなって」
「澪ちゃんと喧嘩……じゃないよね?」
「私たち、ずっと心配してたの」

私は頷くとごめん、と言った。ムギたちの表情から、本当に心配してたんだってことは
痛いほど伝わった。だから私は謝った。そして今は何も話せないって意味も込めて。
話したくなんかなかった。話したら泣いてしまいそうだったから。
話したら、こんなに優しい仲間に嫌われてしまいそうだったから。
同性が好きだなんて、普通ありえないだろ?
以前の私だったらきっと、笑い飛ばすか何かしている。

「りっちゃん……、いつでもいいから電話でも何でもしてきてね?話くらいは聞くから」
「わ、私も!あんまり頼りないかも知れないけど……でも、りっちゃんの役に立ちたいから!」
「ん、二人ともありがとな」

私は二人に笑いかけた。久しぶりの笑顔で、ちゃんと笑えてるか自信はなかった。

63: 2010/09/29(水) 14:37:48.63 ID:cL7ptQh60
二人が帰っていくのを外で見送ると、私は部屋に戻った。聡も両親も出かけている。
家は一人だった。無性に誰かの体温が恋しくなった。

携帯を開けて、誰かの電話番号を押そうとした。けどそれは、もう電話しすぎてすっかり
指が覚えてしまった梓の電話番号だった。
私は指を止めると、今押した数字を全て消して別の数字を並べた。発信ボタンを押す。
電話の相手はすぐに出た。

「澪?」
『律……?」
「あのさ、今から家に来れる?」
『え?……でも』
「澪に会いたい」

うん、わかったと澪は返事すると電話を切った。あとものの数分で澪は家の前に
立ってるだろう。
私はずるい、最低だ。澪の気持ちをわかってるくせに。

64: 2010/09/29(水) 14:55:33.86 ID:cL7ptQh60
「律、あのさ」
「何?」

律は何度も来ているはずの私の部屋にちょこんと居住まいを正して座っている。
いつもなら人のベッドの上をごろんとかしてるはずなのに。それは私もだけど。

「いや……何も。で、でもどうしたんだ、急に呼び出して」
「だから言っただろ、ただ会いたかったからってだけ」

こう言ったら澪は何かしてくるかな、なんて思いながら私は言った。
けど澪は違った。少し心配そうに眉を顰めると、「梓と、何かあったのか?」と
訊いてきた。

「何で、……」
「律がそんなこと言うなんて……、ありえないし」

澪はそう言って、少し哀しげに微笑んだ。そんな澪の様子に私の胸が痛くなる。

66: 2010/09/29(水) 15:13:36.05 ID:cL7ptQh60

「私、梓と『恋人』同士だったんだ」
「……え?」

私は軽く目を逸らすと、話し始めた。今までのこと、全部全部。
話してる間、何度も泣きそうになった。けど泣いたらだめだって我慢した。
澪は最後まで、話を聞いてくれた。話し終わってつい耐え切れなくなって私が泣き出すと、
「辛かったな」って頭を撫でてくれた。

「なあ、澪」
「ん?」
「何で私……『恋人ごっこ』なんて始めちゃったんだろう」

ここ数日ずっとずっと考えていたこと。けど、今更後悔したって仕方無い。もう
後には引けないくらい、梓への想いは確かなものに、重いものになっていた。
澪に話しながら、やっぱり私は梓を忘れることなんて出来ないって思った。
そして、やっぱり梓は私なんかじゃだめなんだって、そう思った。





67: 2010/09/29(水) 15:23:09.95 ID:cL7ptQh60
私が泣き止むと、澪は一度私の涙を愛おしそうに拭うと立ち上がった。

「じゃあ私、帰るな」
「……やだ」
「やだじゃないの、帰るから」
「やだ澪、もうちょっと傍にいてよ」
「……無理、やだ、却下」

私は澪の手を引っ張った。けど澪はいやだいやだと首を振った。澪の肩が震えていた。
それがあの時の梓と重なる。

「澪……」
「律、私わかんないよ、何で女同士じゃだめなのかなあ、私か律が男だったら良かったのに。
そうだったら私、無理矢理にでも梓から律を奪えたのに」
「……っ」
「私、やっぱりまだ律のこと諦められないよ、無理だってわかってるのに。
だから優しい顔で律の頭撫で続けるなんて出来ない、自分がおかしくなりそうだ、
だから……ごめんな、律」

私は何度、人を泣かせれば気がすむのだろう。
澪は私の手を振り払うと部屋を出て行った。

68: 2010/09/29(水) 15:26:09.09 ID:cL7ptQh60
私は追いかけなかった。追いかけたってどうにもならないことは知っているから。
ただ一人、私は自責の念に苛まれた。
そんな私に構わず、開け放った窓から優しく冷たい風が吹き込んでくる。

ふとカレンダーを見ると、夏休みは明日で終わりだった。


69: 2010/09/29(水) 15:31:48.45 ID:cL7ptQh60
昨日の夜は一睡も出来なかった。
梓になんて言おう、梓を見てどんな顔をしよう、そんなことばかり考えていて。

昨日、私は梓に一通のメールを送った。来てくれるかどうかわからない。
見てくれているかどうかすらわからない。
けど私は、『会いたい』って一言、メールを送った。
場所がどこか、時間は何時かは書かなかった。何となく、何も書かなくても伝わるんじゃないかって
思ったから。

本当に、こんどこそ今日が最後。
私たちは普通の先輩と後輩の関係に戻るんだ。
昨日の間に、気持ちの整理をした。これが一番、私にとっても梓にとっても
いいことのように思われた。勿論、澪にとっても。




71: 2010/09/29(水) 15:40:18.90 ID:cL7ptQh60
久しぶりに来た『秘密基地』は昨日の雨のせいか水たまりや泥がいっぱいだった。
梓が見つけた小さな川は、雨で増水したのか少し流域面積が広くなっていた。

私は待った。
来てくれるはずないって思いながら。ずっとずっと、梓が来るのを待った。
汚れると思いながらも、地面に寝転がりながら。
久しぶりに見た青い空に、雲が次々と流れていく。
それを見ているうちに、最近の寝不足も加わって私はまどろんだ。




72: 2010/09/29(水) 15:41:42.18 ID:cL7ptQh60
「……せんぱい」

夢だと思った。夢の中で梓に呼ばれてるんだって思った。今までどおりの優しい声で。

「りつ……い」

けど、その声はだんだんとはっきりとなっていく。
 
「りつせんぱい!」

大きな声で名前を叫ばれ、私ははっと目を覚ました。すぐ傍に梓の顔があった。
握っていた携帯を見ると、時刻は昼前だった。
ここに来てかれこれ1時間、眠っていたようだった。
頭が徐々にはっきりしてくる。私は「梓!」と飛び起きた。梓の額と私の額が
ごつんとぶつかりあった。

「いたっ」
「わ、悪い梓!」
「い、いえ……」

私たちは何がおかしいのか、そう言うと思わず噴出して笑い出した。
それから私たちはお互い見詰めあう。これが最後、最後だ。
梓もきっと、わかってる。私が何を言い出すのか。きっと、わかってる。

74: 2010/09/29(水) 15:47:29.49 ID:cL7ptQh60
「梓、あのさ」
「先輩、その先は言わないで下さい」

だけど。梓は私の声を遮った。私が黙り込むと、梓は私の膝に自分の頭を乗せると
ごろんと寝転んだ。

「服、汚れるぞ」
「いいんです」
「……梓」

梓は私の瞳を探るように見詰めてから、顔を逸らした。
そして話し出す。

「私、あの後、自分の気持ちをよく考えてみたんです。何であのとき、先輩を
拒んじゃったんだろうって」
「……うん」
「律先輩のこと、好きなのに。……けどあの時は確かな自覚がなくって、だから
きっと私の恋に対しての憧れからの想いなんじゃないかって、だから私は律先輩を
拒んだんじゃないかって、そう思ったんです」

けど、と梓は一息吐いて続けた。

「私、きっと怖かったんだと思います」

76: 2010/09/29(水) 16:10:45.95 ID:kPrnW4qC0
「いつか絶対に、律先輩と今までどおりの関係に戻っちゃうってわかってたから、
だから怖かったんです」

梓は言うと、突然ひっくと嗚咽を漏らした。きっとずっと、泣くのを我慢していたんだ。
私が梓の頭を撫でてやると、梓はそれでも話を続けた。

「律先輩とほんとの『恋人』じゃないって、わかってた……っ、始めは遊びのつもりだった、
けど、けど私、いつのまにか律先輩のことが……」

「ごめん、梓。別れよう」



77: 2010/09/29(水) 16:17:43.74 ID:kPrnW4qC0
その先の言葉は聞かなかった。聞けなかった。だから私は梓に次の言葉を言わせず
遮るように言った。梓は「え」と言うと、私の真意を確かめようとして私を見た。
私はもう、梓から目を逸らさなかった。
逸らしたら、梓に縋りついてでも夏休みが終わっても私の『恋人』でいてくれなんて
かっこ悪いことを叫んでしまいそうだから。

梓の目からぽたり、と涙が落ちて私の膝を濡らした。梓はのろのろと起き上がると
「どうして」と言った。

「どうして……、先輩、私のこと好きだって、言ってくれたじゃないですか!
わがままだって、わかってます!最低だってわかってます!だけど私は!」
「梓、始めに言っただろ、これは遊びだって。ただの恋人『ごっこ』。
本気で言うわけないじゃん、そんなこと」

嘘だ、本当は嘘だ。梓のこと、本気で好きだった。今も、梓のことが好き。
だからこそ、私は自分の気持ちに嘘をついてでも、梓を今この瞬間傷付けてでも、
未来の梓を傷付けないように、私は言葉を紡ぐ。


80: 2010/09/29(水) 16:25:33.34 ID:kPrnW4qC0
私はへらりと笑ってみせた。梓の大きな瞳から、次々と涙が零れ落ちていく。
ごめん、ごめんな梓。
けど私じゃ、私なんかじゃ梓を幸せになんて出来ないから。
このまま『恋人ごっこ』を続けていても、お互い傷つくだけだから。
だからお願い、梓。そんな顔はするなよ、これ以上、私の気持ちを揺るがさないでくれ。

「もう、『恋人ごっこ』は終わりにしよう」
「……いや、ですよ!終わりだなんて、言わないで下さいっ!律先輩!」

梓が私に圧し掛かるようにして叫ぶように言った。いやだ、いやだと何度も。
涙をぼろぼろ零しながら。顔をぐちゃぐちゃにして泣きながら。
けど、もう私はそんな梓を抱き締めてやることは出来ない。
もう、『恋人ごっこ』は終わったんだから。

「律先輩……お願いですから……、続けてください……っ、ただの遊びでいいから……、
律先輩が本気じゃなくていいから……!」

そんなこと、できるわけないだろ。梓、私だって終わりになんてしたくない。
けど私たちは女同士だ。最初から、『恋人』なんて無理だったんだ。
所詮『ごっこ』。ただの真似事。私たちには無理なんだ。


84: 2010/09/29(水) 16:30:05.90 ID:kPrnW4qC0
「ごめん、な、……梓」

私は耐え切れずにそう言うと、今まで溜まっていた涙が次々と頬を伝って流れ落ちていく
のを感じた。自分の涙と梓の涙が交じり合う。
梓は大きく目を見開いて私を見た。

「――好きになって、ごめん」

その瞬間、梓が崩れるようにして地面にへたり込んだ。大きな声で子供みたいに
泣く梓を、私はぎゅっと抱き締めた。
そしてごめん、と繰り返す。梓はただ、首を横に振り続けた。


85: 2010/09/29(水) 16:35:07.99 ID:kPrnW4qC0
「律先輩」

ふいに梓は私の名前を呼んだ。私は「何?」と小さな声で答えた。
梓は自分の手で涙を拭うと、いつもの“後輩”の梓の顔で言った。

「カチューシャはずしてください」
「え?」
「だって、ずるいじゃないですか。私は髪を下ろした姿を律先輩に見せたけど、
律先輩はカチューシャはずした姿を私に見せてくれてません」
「そらそうだけど……」

私は呟くと、渋々カチューシャをはずしてみせた。はずしたカチューシャを
梓に奪われる。下りてきた長い前髪のせいで、梓の姿がよく見えなかった。

「おかしーです」

88: 2010/09/29(水) 16:40:41.80 ID:kPrnW4qC0
「へ?」


――本当に一瞬だった。
梓と私の唇が突然、重なった。梓は少し名残惜しそうに離れると、頬を染めて、
目尻に涙を溜めながら、満足げに、微笑んだ。

「律」

梓が私の名前を呼んだ。ほとんど声にならない声だった。だけど私は、
ちゃんと聞こえた。

「大好きだったよ」

梓は囁くように言うと、私に背を向けた。
最後に見えた梓の表情は泣いていた。だけど、さっきまでの苦しい表情じゃなくって
どこかすっきりしたような泣き顔。

『秘密基地』に風が吹いた。冷たい風が吹いた。
夏の終わりを意識させる、風が吹いた。

終わり。




90: 2010/09/29(水) 16:42:13.87 ID:kPrnW4qC0
祝!映画化決定!
なのに、バッドエンド(?)になってしまったorz
今まで保守、読んでくれた奴、本当にありがとう。


引用元: 律『こいびとごっこ』