3: 2010/09/25(土) 20:51:39.96 ID:p0LV6jR20

「え……何?」
「いや、だから今度の日曜日映画行かね?って話」
「あ、うん……」

私は律の言葉に曖昧に頷いた。
律が不思議そうに首を傾げる。

「澪、お前最近変だぞ?何かあったのか?」

その言葉にカアッと頬が熱くなった。数日前のあの出来事が頭に浮かんで。

「バカッ、何もない!」

私は律を押し退け部室の扉を開けた。中にはたった一人、梓がいた。
私の頬がさらに熱くなる。

「あっ、澪先輩……。お疲れ様です」
「う、うん」

お互い目を合わせずに挨拶する。遅れて入ってきた律がまた不思議そうに首を
傾げた。

6: 2010/09/25(土) 20:56:37.92 ID:p0LV6jR20
数日前の昼休み、私は梓に呼び出された。
『昼休み、校舎浦に来て下さい』というメールが送られてきたのはその日の朝。
放課後に会うのに何で昼休みなんだ?と疑問に思いながらも校舎裏に行くと、梓は
真っ赤な顔をして私を待っていた。

「あ、えっと、梓待った?」
「い、いえ」

なんだ、この変な雰囲気。
暫くの間、沈黙が続いた。先にそれを破ったのは梓だった。

「み、澪先輩!」
「はいっ!?」
「あ、あの、澪先輩はお付き合いしてる人、いるんですか?」
「お、お付き合い?……いないけど」
「それならその……。私、澪先輩のこと好きです、良かったら私と付き合ってください!」


         え?





8: 2010/09/25(土) 21:01:04.42 ID:p0LV6jR20

私の頭はさっきの沈黙より長く思考停止に陥った。
信じられないくらい、頭や顔が熱くなって、今自分がどんな状況にいるのかさえ
わからなかった。

とりあえず私は、どうすればいいんだ?

口を開いても言葉が出てこない。
梓は俯いたまま私の返事を待っている。

「あの、梓……」

とりあえずそう言ってみたものの、その先に何を言えばいいのかなんて考えてない。
丁度昼休み終了のチャイムが鳴った。梓の肩が小さく震えた。

「突然こんなこと言ってすいませんでした……!返事は今直ぐじゃなくていいです、
失礼します!」

そして梓は私に何も言わせず走り去った。

10: 2010/09/25(土) 21:07:33.45 ID:p0LV6jR20

その日から梓とまともに話せないし、いつもそのことを考えてしまって何をするにも
ボーっとしてしまい力が入らない。律が首を傾げるのも当然のこと。
ほら、今だって。
妙に梓の視線を意識してしまい、カップを落としそうになった。
けど前に居た律が瞬時に反応して身体を前に乗り出させ受け止めた。

「あっぶねー、このカップ高いんだろ、割ったらどうすんだよ」
「ご、ごめ……」

慌てて謝り律からほぼ空になったカップを受取る。

「カップ一つくらい良いのに」

ムギが笑いながら私のカップにお茶を淹れ直してくれる。
唯が律のほうを向いて尋ねた。

「りっちゃん、火傷してない?」
「ん?あぁ、大丈夫だぜ」

ほら、と広げて見せた律の両手は仄かに赤みを帯びている。私は思わず目を伏せた。

「えー、火傷してるよ、りっちゃん!」
「大変、早く手当てしないと……!」
「別にそこまでじゃないし……」

良いって、と首を振る律。でも律が火傷をしたのは私のせい。
痛い話がダメとか言ってるわけにはいかない。
私は耳に添えていた手を律の手に伸ばした。火傷してるだろう掌のあたりを避け手首を
掴むと立ち上がる。

11: 2010/09/25(土) 21:16:14.90 ID:p0LV6jR20
「澪?」
「せめて保健室行かないと……!」
「いや、そんな震える声で言われてもな……。あぁ、わかったわかった!行くって
保健室!だから澪は来なくて良いから!」
「だ、だめ!元はといえば私のせいなんだし、だから……」
私は律の手を引っ張ると「着いて行く!」と言う唯やムギに大丈夫と言って部室を
出る。
そういえば梓は何も言わなかったな……。
多分、あの日からほとんど部室で話す梓を見ていない。
やっぱり……早く返事したほうがいいのかな。

「みおー」
「なんだよ」
少し口調がきつくなってしまった。
「あ、いや、手……痛いなと」
「へ?あ、ごめん」
慌てて手の力を緩める。それと同時に肩の力が抜けた。
梓といるときは変に緊張して力を入れてしまう。
これじゃダメだとわかっているのに身体は言うことを聞いてくれない。
そういえば小学校や中学校の頃もこんなことあったっけ。
あんな風に告白されて、どうすればいいかわからなくなってしまったこと。
あの時は……、あぁ、そうだ。律に言ったんだ。

「あのさ、律」
保健室の扉に手をかけると律の名前を呼んだ。
「ん?」


12: 2010/09/25(土) 21:18:03.48 ID:p0LV6jR20
無防備な表情で私を見る律。
その顔にいつか見た律の寂しそうな、悲しそうな表情が重なって私が言葉をつぐんだ。
律にこのことを言ったらまたあんな顔をさせてしまう。
それでも律は私のことを一番に考えて助けてくれる。けど今回は律に迷惑を
かけたくなかった。もうすぐ冬休みという頃で、受験勉強にも支障が出る。
何より律にはずっと笑顔でいてほしかった。

「ううん、何でもない」

今回は自分で何とかするしかない。
保健室の扉を開けると誰もいなかった。

「あれー?いないのかな、保健の先生」
「みたいだな……」
「とりあえず水道で冷やすか。澪、氷探しといて」
「う、うん……」

13: 2010/09/25(土) 21:21:27.61 ID:p0LV6jR20
薄暗い保健室は気味が悪い。遮光カーテンが閉められ妙に肌寒い。
どこかでカシャンッと何かが落ちる音がして、私は小さく悲鳴を上げ、
ぎゅっと目を閉じて座り込んだ。

「なーに怖がってんだよ、澪」

優しい律の声が聞こえおずおずと顔を上げると、律がおかしそうに笑いながら
私に手を差し出していた。

「ほら、澪。大丈夫だよ、さっきのは私が間違えてハサミ落としちゃった音だし。
氷も見つけたしもう出よ」
「……うん」

小さく頷くと律の手をとる。律の手はほんのり冷たくて気持ちよかった。

14: 2010/09/25(土) 21:25:21.39 ID:p0LV6jR20
「たっだいまー」

元気良く部室の扉を開く律。「こら、うるさい」と律の頭を叩くと律はなぜか
安心したように笑った。

「何だよ」
「なーんにも」

律は首を振ると定位置に座った。
そして唯に「冷たい攻撃!」とか言って氷を唯の首筋に当てたりしてる。

「うひゃっ!?ぬう、やったなりっちゃん隊員!ていっ!」
「うお!ぬぬぬ、それならこれでどうだー!」

律と唯のバカ騒ぎを見ながら私も定位置に座った。ムギが話しかけてくる。

「澪ちゃん、大丈夫だった?」
「ん?何が?」
「りっちゃんのこと」
「え?」
「ほら、最近澪ちゃんの様子変だったからりっちゃんと何かあった
のかなって……」
「あ……ううん、大丈夫!」

そっか、ムギはそんな風に思ってたのか。
私が首を振ると、ムギは「何かあったら言ってね」とだけ言って後は何も
聞かないでいてくれた。

16: 2010/09/25(土) 21:29:10.08 ID:p0LV6jR20
「あ、あの、私ちょっとトイレ行って来ますね!」

突然梓が立ち上がった。私は思わずびくりと反応した。
梓は意識的に私のほうを見ずに扉へと歩いていく。

「あ、梓、待って、私も行く」

反射的に梓を呼び止めた。
早く何とかしなきゃ、という気持ちが私の身体を動かした。けど呼び止めたのは
いいが、やっぱり何も考えていない。
自分がどうしたいのかさえわからない。梓の気持ちを受取るのか、拒否するのか。
そのどっちかなのにずっと迷ってる。

「は……はい」

梓と一緒に部室を出て、少し離れたところで向き合った。
しかし、その次に出るはずの言葉が出てこない。
梓のことは嫌いじゃない。寧ろ好きだ。けれどそれが一人の人間として好きなのかと
問われればわからない。それなら振ってしまえば良い。けどその後のことを考えると
出来ない。一体どうすれば良いんだ。

18: 2010/09/25(土) 21:32:56.53 ID:p0LV6jR20
「先輩」
「え、あ、うん」
「無理ならはっきり無理って言ってください。そのほうが私もすっきりしますから」
「梓……」

はっきりとそう言う梓の瞳は濡れていた。それだけであの言葉が本気だったということ
がわかった。こんなに誰かが自分のことを想ってくれているんだ。

「梓、無理じゃないよ」

私は迷いを振り切り、梓の小さな身体を引き寄せた。自分の腕の中で梓が小さく
息を呑んだ。

「澪先輩……」
「これから改めて宜しくな」
「……はい……っ」

これでいいんだ、これで。
まだ何か胸に引っ掛かるのにそれに気付かないふりをする。
だって、これが私や梓の為、軽音部の為なんだから。

20: 2010/09/25(土) 21:36:49.27 ID:p0LV6jR20
「戻ろうか」

暫くして、梓が落ち着くと私は梓の手を引いて今来た道を引き返そうと歩き出した。
廊下の角を曲がったとき、座り込んで俯いている律がいた。
私は無意識のうちに梓の手を離していた。

「……律。こんなとこで何やってるんだ?」

さっきの話、全部聞かれてたかな。
必氏に平静を装い訊ねる。どうしてか鼓動がひどく早くなった。
律はあぁ、と声を発し立ち上がった。

「ちょっと購買行こうとしたら立ち眩みが……」
「そう、なんだ」
「大丈夫ですか、律先輩?」
「大丈夫大丈夫、澪たちは部室戻れよ、二人とも遅いって唯たちが心配してたぞ」

律はそう言うと、逃げるように購買のほうへ走って行った。
立ち眩みした後に走れる奴いないだろ、バカ。

聞かれてた、んだ。

21: 2010/09/25(土) 21:51:32.97 ID:p0LV6jR20
「澪先輩、行きましょう」
「……うん」

部室に戻ると唯があれ?と首を傾げた。

「澪ちゃん、あずにゃん、りっちゃんと一緒じゃないの?」
「え?うん」
「律先輩は購買に行きましたけど……」
「そうなんだ。てっきりりっちゃんは澪ちゃんたちの様子見に行ってるんじゃ
ないかなって」
「澪ちゃんたちが出て行った後、すぐに心配そうな顔して部室飛び出して行った
から……」

ムギはそう言うと、私と梓を交互に見て訊ねた。

「本当にそれで良いのね?」

突然問われ、私たちは訳がわからずに顔を見合わせた。何のことだと視線を送るけど
ムギは答えてくれなかった。私は何もわからないのに頷くことは出来なくて
梓を見ると、梓は一瞬だけ私を見てそれからムギに向き直り頷いた。

「そっか、梓ちゃんは良いのね」
「はい」

今度は梓は声に出してはっきり頷いた。ムギはどこか切なそうな顔をすると
「お茶、淹れましょうか」と立ち上がった。

22: 2010/09/25(土) 21:54:51.07 ID:p0LV6jR20
「え、ムギちゃん、お茶ならまだ皆残ってるよ?」
「うん、けどりっちゃんの分がないから」
「あ、そっかあ」

二人の会話を余所に、梓は私の服の袖を少し引っ張った。

「澪先輩、座りましょう」
「うん」

言われてから気が付いた。そういえば私と梓は立ったままだった。
どうしてか苦しかった。座ったら治ると思ったのに、椅子に座ってもそれは治ら
なかった。正面の席は空っぽ。ただ律の姿が見えないだけで、治るどころかもっと
苦しくなった。


23: 2010/09/25(土) 21:56:32.76 ID:p0LV6jR20

結局その日、律は部室に戻ってこなかった。


25: 2010/09/25(土) 22:00:29.81 ID:p0LV6jR20
「澪先輩、一緒に帰っていいですか?」

帰り道。
一人帰路につこうとすると、梓が走り寄ってきた。

「え、でも梓、方向違う……」
「良いんです、私が律先輩と帰りたいだけですから」

私の言葉を遮り、梓は言うと不安そうに「ダメですか?」と訊ねた。
そんなふうに聞かれると謝れなくなってしまう。

「ううん、梓が良いんなら一緒に帰ろっか」
「はいっ」

隣に並んで歩き始める。梓は見慣れない道を歩いているせいかいつもより
テンションが高くて、小さな子供みたいにはしゃいでいる。
そんな梓と同じようにはしゃげなくて、私はただ俯いて歩いた。

「それでですね、唯先輩が……。澪先輩?」
「……あ、うん、それで?」
「今の話題、つまらなかったですか?」
「ううん、そんなことないよ。ほんと唯って不思議な奴だよなあ」


26: 2010/09/25(土) 22:03:50.37 ID:p0LV6jR20
「……はい。それじゃあムギ先輩は?」
「ムギ?」
「ムギ先輩のことはどう思いますか?」
「どうって……。優しいし、一緒にいるとほっとする、かな」

「じゃあ――律先輩、は」
「……律は、……いつもうるさいくらい元気で、勝手に突っ走るトラブルメーカー」

けどちゃんと皆のことを人一倍考えてて、どんなときも傍に居てくれて笑って
くれている幼馴染。

「そうですか」
「うん、……梓?」

突然、梓の顔が曇った。
けど梓はそれを悟られまいとしてか私から顔を逸らした。
ぎゅっと左手を握られる。

28: 2010/09/25(土) 22:06:20.12 ID:p0LV6jR20
「良いですよね、誰も見てないんですし」
「……、う、うん」

困惑気味に頷くと梓はさらに強く手を握ってきた。
そして私を少し不安げな瞳で見上げて言った。

「先輩、さっきみたいに抱き締めて下さい。抱き締めて、私のこと好きだって言ってください」

30: 2010/09/25(土) 22:11:57.22 ID:p0LV6jR20
『抱き締めて、私のこと好きだって言ってください』

告白されたときみたいに、私の頭は真っ白になった。

「梓、何言って……、ここ外だし……、落ち着こう、な、梓?」
「落ち着くのは先輩の方です。私は冷静ですよ」
「うぅ……」
「私まだ、澪先輩に好きって言ってもらってません」
「え……」
「無理じゃないよ、ってことは付き合ってくださるんですよね?けど……
ちゃんと好きって言われて無いです。だから言ってください、私のこと好きって」

私は戸惑い、狼狽えた。確かに無理じゃないよと言ったし、「これから宜しくな」
と言った。私自身、梓と付き合うつもりだった。けどこう言われて詰め寄られれば
動けない。梓はそんな私を見て、すっと背を向けた。

「やっぱり、澪先輩、私のこと好きじゃないんですね」
「そんなこと……」

ないよ、とは続けられなかった。振り向いた梓は泣いていた。いつもの梓からは
考えられないくらい小さな子供のように。
梓は私に凭れ掛ると「ほら、やっぱり」と言った。

私は人を傷つけてばかりいる。誰も自分の所為で涙を流して欲しくなかった。

「好きだよ」

梓をぎゅっと抱き締めて、私は言った。少しだけ、少しだけ胸に鈍い痛みが走った。
けどやっぱり私はそれに気付かないふりをした。

31: 2010/09/25(土) 22:17:02.69 ID:p0LV6jR20
次の日、学校に行くと下駄箱の前に律がいた。

「おはよ、澪」
「……お、おはよ」
「昨日何も言わないで帰ってごめんなー、なんかしんどくてさ」

あくまでいつもどおりに振舞う律。
だから私もいつもどおりに律と接する。

「大丈夫か?また風邪じゃないだろうな。もうすぐ受験だぞ」
「あぁ、うん。その受験のことで話があるんだ」

突然の律の言葉に私はえ?と聞き返した。

「あのな、第一志望、やっぱF大にするわ。私の学力じゃ到底あそこ、無理そうだしなー」
「何言って……、みんなで一緒のとこ受けるって……」
「うん、まあそうなんだけどさ」
「じゃあ何で!」

私が詰め寄ると、律は一瞬泣きそうな顔をしてから怒ったように言った。

「だから言っただろ!勉強できる澪やムギ、天才肌な唯と違って私はバカなんだ
よ!だから同じ大学には行けないの!」
「律……」
「唯たちには自分で言うから。……先教室行くわ」

律は言い終えると私に背を向け、早足で教室へと歩いて行ってしまった。
私は暫くその場から動けそうに無かった。

32: 2010/09/25(土) 22:19:07.57 ID:p0LV6jR20
「澪、律とケンカでもしたのー?」
「りっちゃんがあんなふうに怒鳴るの初めて見たー。澪ちゃん大丈夫?」

近くにいたクラスの子が次々に声をかけてきては慰めてくれる。
けど私の足は動いてくれなかった。

「澪?そんなところに突っ立ってどうしたの?」
「和……」
「おはよう……って、澪?」


33: 2010/09/25(土) 22:21:57.91 ID:p0LV6jR20
私はなんだか和の優しい声に安心して、
突然足から崩れ落ちるように座り込んだ。

涙が止まらなかった。

「ちょっと、どうしたのよ澪!?」
「律に……、嫌われちゃった」

律が第一志望を変えると言った理由は嘘だ。律は絶対私たちと一緒に行くんだって
必氏に勉強していたから。このままいけば余裕で受かるくらいのはずだった。
律はきっと、昨日の話を聞いたから。
女同士で付き合う私と梓を、律は気持ち悪いと思ったのかな。
何にせよ、律はもう私の傍に居てくれない。

そのことがこんなにも苦しいなんて。

34: 2010/09/25(土) 22:26:20.92 ID:p0LV6jR20
「澪、とりあえず落ち着いて。ほら、立てる?」
「ん……」

和に手を貸してもらい、立ち上がる。その時、昨日の保健室で律と重ねた手を
思い出してまた私は泣きそうになった。
和の手は律と違って暖かかった。
ちゃんとそこにいてくれてなんでも受け止めてくれると安心できる手。

私は和に手を引かれ、軽音部の部室へと連れて行かれた。
部室の扉を閉めた途端、予鈴が響いた。

「和、行かなくていいの?」

その頃には何とか落ち着いていた私は心配になって訊ねた。
和はいつも律が座る椅子に腰掛けると「大丈夫よ」と笑った。

「今は澪のことのほうが大事だし」
「和……」
「昨日、唯から頼まれてたのよ。澪が最近大変みたいだから何かあったら
宜しくねって。ほんとあの子って鈍いようで鋭いのよね。唯も、それにムギもね、
すごく澪のこと心配してたわ」

和はそこで一旦言葉を切ると、
「何があったか、教えてくれる?」

35: 2010/09/25(土) 22:29:53.23 ID:p0LV6jR20
私は頷き、話し始めた。
梓に告白されたことから付き合うことになったこと。
そして律の言葉……。
自分の気持ちがわからなくて感情が昂ぶり、支離滅裂な話を和は最後までちゃんと
聞いてくれた。話し終えると、和は「それで?」と言った。

「え?」
「それで澪はどうしたいの?」
「私は……。わからないんだ。だから迷ってる。けど……、律には嫌われたくない、
ずっと隣にいてほしい」
「そう。梓ちゃんのことは?」
「梓は……。梓も大切な後輩なんだ、傷つけたくないし、軽音部を辞めちゃうなんて
ことにはしたくない」

「……けど澪。それは欲張りなことってわからない?」

私は俯いていた顔を上げて和を見た。

36: 2010/09/25(土) 22:33:11.95 ID:p0LV6jR20
「欲張りなことって……。私は二人とも大切だから……」
「澪、律の気持ち、考えたことある?」
「え?」
「澪は律のことを大切な“友達”だって思ってるかも知れない。けどね、
律は……!」

普段の様子からは考えられないような剣幕の和に私が思わず立ち上がりかけると
部室の扉が開いた。

「もういいよ、和!」
「律……」

和が驚いたように部室に入ってきて近付いてくる律を見た。

「和、ありがとな。私の為にさ」
「半分は唯の為でもあるんだけどね。あんた達が雰囲気悪くなるとあの子、
元気なくなるから」

和はずり落ちた眼鏡を直すと苦笑交じりに笑った。

「そっか。やっぱ唯は優しいんだな」

律が目を細めてそう言った途端、私の胸が小さく軋んだ。

37: 2010/09/25(土) 22:39:48.64 ID:p0LV6jR20
「それじゃあ私お邪魔虫だし戻るわね」
「そんなことないって。あ、唯心配してたぞ、和が遅いって」
「ありがと」

和は立ち上がると私に小さく手を振ってから部室を出て行った。
その一連の流れを私は傍観者の立場で見ているしかなかった。
律が音を立てさっきまで和が座っていた椅子に座った。
私は目が合わせられずに視線を泳がせた。
律も机の角を見ている。と、律が口を開いた。

「澪、さっきは怒鳴ってごめんな。皆から泣いてたって聞いて……。怖かった?」
私は無言で首を横に振った。
「そっか」

律はそう言うと、小さく溜息をつき机に肘をついたまま私から目を逸らした。
「律……、あのさ」
「澪。和の言ってたことは気にするなよ。あと、梓とのこともちゃんとわかってるし。
……、澪が決めたんなら応援、するから」



38: 2010/09/25(土) 22:40:51.22 ID:p0LV6jR20
ずきん。
何この胸の痛み、苦しい。

応援、するから。

違う、私が律に掛けて欲しかった言葉は――

何?
私は一体律に何を求めてるんだ?
わからない、わからないよ。この痛みは何なのか、わからないよ。

「律」
「何?」

私の声に律が顔を上げた。
私はどうしようもなく悲しくて寂しくて、悔しくて。

39: 2010/09/25(土) 22:42:42.55 ID:p0LV6jR20

「バカ律!」

思わずそう叫んだ。
律の目が大きく見開かれる。

「なっ……。いきなりなんだよ」

わかんないよ、私にもわかんない。
ただ、言葉が止まらない。

「律のバカ、何で律は……!ずっと隣に居てくれるんじゃなかったのか、
何でだよ……なんで!」

40: 2010/09/25(土) 22:46:04.00 ID:p0LV6jR20
「澪!」

律が大きな声で私を呼んだ。
私は肩を震わせた。律が私を怖い目で見ていた。すごく怒った目で。
律は椅子から立ち上がると私の腕を掴み無理矢理立ち上がらせた。

「律……、私」
「そんなこと言って人の気持ち惑わせて、少しだけ期待したのに裏切られて……
結局澪は私を、どうしたいんだよ!?」

突然強く腕を引かれた。律の唇が私の唇に重なった。少し開いた隙間から律の
舌が私の口内に侵入してきた。それは憧れたような優しいキスじゃなかった。


41: 2010/09/25(土) 22:49:47.95 ID:p0LV6jR20
「ん……っ」

律を押し返そうとしても力が入らない。律の手が私の胸の上をまさぐった。
タイを片手でするりとほどく。漸く離れた唇を、今度は律は首筋に移した。

「……やっ、……律っ……」

律が怖かった。獣のように私を求めてくる律が。初めて律のことが
本気で怖いと思った。
けど、それ以上に自分の中で涌き上がってくるよくわからない感情に私は戸惑った。

「澪先輩!?」

律の手が私のシャツのボタンに触れたとき、梓の声と共に部室の扉が開いた。
律の手が止まり、はっとしたように私を見た。律の顔がみるみるうちに歪んだ。
律は「ごめん」と謝ると私から手を離した。

42: 2010/09/25(土) 22:56:04.91 ID:p0LV6jR20
「律先輩……」

梓が呆然と律、そして乱れた服装の私を見た。
律はもう一度ごめんなと言うと梓の横をすり抜け部室を出て行った。

「律、まっ……!」

私は律を引きとめようとして梓がそこにいることを思い出し、追いかけられなかった。

「梓……あの、ごめ」
「謝らないで下さい!」

私の小さな声は梓の大声にかき消された。
私は近付いてくる梓をただただ見詰めることしか出来なかった。

「澪先輩」
「……なに?」
「律先輩に何されたんですか」
「何って……、キ……スされた」
「先輩は、抵抗しなかったんですか」
「抵抗した、よ……。だけど」
「嫌じゃなかった?」
「え?」
「律先輩にキスされて、嫌じゃなかったですか?」

45: 2010/09/25(土) 23:00:31.79 ID:p0LV6jR20
私はさっきのことを思い返した。あの時は吃驚してよくわからなくて、そんなこと
考えなかったけど、今思い出してみると不思議と同性なのに嫌だとか汚らわしい
とか思わなかった。
寧ろ、怖いと感じながらもどこか心の奥底でもっともっとと望んでいた。
突然律の唇の感触を思い出し私は赤面した。

「嫌、じゃなかった」

私は正直に答えた。案の定、梓は傷ついたような顔をした。

「ごめん、梓」
「だから……、謝らないで下さいっ……。よけい、虚しいじゃないですか……」
「うん……ごめん」

私は言うと梓を引き寄せようとした。けれど梓はそれを拒んだ。


47: 2010/09/25(土) 23:02:53.27 ID:p0LV6jR20
「……、最後に一つ、答えてください。澪先輩は、本当は誰が好きなんですか」

私は答えに窮した。よくわからなかった。
梓も好きだし唯やムギ、和だって大好きで。けど私が本気で好きなのは……。

「澪先輩が一緒にいて一番楽しくて、一番悲しくて、一番嬉しい人……。
傍にいるだけで鼓動が早くなったり姿が見えないだけで苦しくなったりする……
そんな人、いるんですよね?」

私はあ、と思った。
そうか、私は律のことが好きなんだ。
なんだか今までのモヤモヤが晴れていくような気がした。

「律先輩、なんですよね?」

私はこくりと頷いた。梓は突然、力が抜けたように泣き崩れた。

ごめん、梓。本当にごめん。
心の中で何度も謝りながら私は梓を引き寄せた。今度は梓は拒まなかった。
梓は私の腕の中で時折嗚咽を漏らしながら静かに泣いていた。
昨日、私が梓にとってあまりにも残酷な言葉を放ってしまったときのように。


48: 2010/09/25(土) 23:06:02.57 ID:p0LV6jR20
どれくらい時間が経っただろう。
気が付くともうすぐ昼休みの時間だった。

「先輩、すいませんでした」

赤い目をした梓はそう言って私から離れた。

「ううん、私こそ……」
「私。……、私、はじめからわかってたんです」
「……え?」
「澪先輩は本当は律先輩のこと好きなんじゃないかって。だから半分は諦める
つもりで澪先輩に告白したんです。けど澪先輩は無理じゃないって言ってくれて……
凄く嬉しくて」
「……、うん」
「嬉しくて……。だけど……、やっぱり心の中ではわかってたんです、美緒先輩の
心は私のものじゃないんだって。だから……すっきりしました」
「梓……」

49: 2010/09/25(土) 23:07:53.34 ID:p0LV6jR20
「先輩、行って下さい」
「……っ」
「律先輩のところに。きっと、律先輩、澪先輩のこと待ってますから」

私は小さく頷いた。
そして今日何度呟いたかわからないごめんをもう一度漏らすと私は部室を走り出た。
部室を出て梓の姿が見えなくなった時、声が聞こえた。

「澪先輩、大好きでした!」

ごめんな、梓。
こんな私に大好きをありがとう。

50: 2010/09/25(土) 23:10:02.95 ID:p0LV6jR20
部室を出て教室へ向かう。丁度チャイムが鳴って、教室からたくさんの生徒が
出てくる。自分のクラスの前に着くと、私は深呼吸しようと立ち止まった。
すると扉が開いて唯とムギが出て来た。

「あ、澪ちゃん!」
「澪ちゃん、大丈夫だった?」

二人は心配そうな顔で聞いてくる。
私は声を発したらまた泣き出しそうで、ただこくこくと何度も頷いた。
唯とムギは顔を見合わせると良かったと笑った。

51: 2010/09/25(土) 23:13:29.61 ID:p0LV6jR20
「ごめんな、心配かけて」

なんだか今日は謝ってばかりな気がする。
私が律の姿を探そうと教室を覗こうとすると和が出てきた。

「律なら保健室よ」

和は優しい顔で私に言った。和ちゃーん!と唯が嬉しそうに和に抱きついた。
それを当たり前のように受け入れると和は私に頑張って、と言って笑ってくれた。
私が頷きありがとう、と言ってその場を離れようとしたとき、ムギに呼び止められた。

「なに?」
「澪ちゃん、今度はちゃんと、澪ちゃん自身が決めたのよね?」

私は大きく頷いた。
ムギは全部わかってたんだ。梓のことも、私のことも。
そして、自分でさえ気付かなかった律への想いさえ。
ムギはふんわりと笑うと「そっか」と言った。私も笑い返すと、和に教えてもらった
律がいる場所へ今度こそ走り始めた。

53: 2010/09/25(土) 23:16:28.50 ID:p0LV6jR20
保健室の扉をノックする。そういえば昨日もここに来たっけ。
その時の暗くて不気味な部屋を思い出して私は小さく身震いした。

「律?いるんだろ?」

中から返事はない。けどその変わり、微かに物音が聞こえた。
扉に手を掛けると、鍵は空いていた。私は返事しない律が悪いんだからなと
心の中で言い訳しながら中に入った。そのまま後ろ手で鍵を閉める。
その音に吃驚したのか、「澪!?」と小さな声が聞こえた。
部屋の中は暗くて何も見えない。
ただ、暫くすると一つだけカーテンが閉まっているベッドを見つけた。そこから
微かな息遣いも聞こえる。

54: 2010/09/25(土) 23:18:47.55 ID:p0LV6jR20
「律」

私が近付くと呼びかけた。そして、カーテンに手を掛けようとしたその時、
「開けるな!」という律の大きな声が響いた。

「り、律?」
「澪、お願い。帰って。お願いだから」
「……律」

律の必氏の懇願。
律にこれ以上嫌われたくない。けどこのまま帰るわけにもいかない。
自分の気持ちを素直に伝えられるのはきっと今しかないから。

「ごめん、律」

私は謝ると、カーテンを開けた。

55: 2010/09/25(土) 23:21:05.26 ID:p0LV6jR20
「……え」

目と目があった。律と、じゃなく他の誰かと。
タイは赤。二年生だ。茶色い巻き毛の女の子。彼女は私と目が合うと何も言わずに
ベッドから飛び降りるとさっき私が閉めた鍵を空けると保健室を出て行った。

「あっ……!」

そんな彼女を見て、律もベッドを降りると追いかけようとしてか私の隣を擦り抜けた。
去り際、律は呟いた。
「何で来るんだよ」と。


94: 2010/09/26(日) 12:26:38.44 ID:C7S5s8In0
携帯が鳴ってる。頭ではわかってるのに身体が動かない。
阿野後、体調が悪いと早退させてもらった私は家に帰るとベッドに倒れこんだ
まま動けなくなった。身体が重い。もう何もかもどうでもよくなっていた。
ただ、このまま消えてしまいたいと思った。
携帯はまだ鳴り続けている。
私は涙で濡れた枕からのろのろと顔を上げた。
すぐ傍にあった携帯を手にとると、『ムギ』という文字が見えた。

「ムギ……?」
『澪ちゃん?』

電話越しに聞こえたムギの優しい声。ムギは私の泣き濡れた声で何か
察したのか向こうで少し息を呑んだのがわかった。

96: 2010/09/26(日) 12:31:33.53 ID:C7S5s8In0
『澪ちゃん……、あの』
「ムギ、私……、もうどうすればいいかわかんないよ」

誰でもいいから助けて欲しかった。行き場のない想いは募るばかりでぶつける
場所もない。

『……りっちゃんと、上手くいかなかったの?』

ムギは静かに聞いてきた。
私はうん、と小さく頷いた。その途端、とっくに決壊していたはずのダムから
枯れたはずの涙が溢れ出てきた。
一体私の中にどれだけ涙があるんだろう、なんてどうでもいいことを考える。

「律、もう私と一緒にいてくれないんだ。私、本当に律に嫌われちゃった」
『澪ちゃん……』

もう、律と昔みたいに仲良く出来ないのかなあ。“友達”のままでいい。ただの
“幼馴染”でいい。なのに、もう律と話せないのかなあ。
そう考えるとたまらなく辛くて、私は泣きながら乾いた笑みを浮かべた。


97: 2010/09/26(日) 12:35:56.54 ID:C7S5s8In0
「いっそ、もう一回梓と付き合おうかな」

ふいに口をついて出た言葉。
勿論本気なわけない。
けどムギは、突然押し黙った。

「む、ムギ?」
『澪ちゃん、そんなの最低よ』

怒りを押し頃した様な声。
その声が聞こえた途端、電話は切れた。

「ムギ!?」

私は慌ててかけなおそうとムギのアドレス帳を引っ張り出した。
けどやっぱりやめた。

これ以上、誰かに嫌われるのが怖かった。
ムギの冷たい声が耳に蘇る。
私は最低だ。自分でも笑っちゃうくらい。

「律……」

律の名前を呼んだ。けど返事は返ってこない。
虚しいだけなのに、何度も何度も「律」と「ごめん」を繰り返した。
胸に穴がぽっかり空いたような気がした。
大切な人が、だんだん私から離れてく。だって、私は最低な女だから。
仕方ないんだ。そう、仕方ないんだ。もう私は、みんなと笑い合う資格すら
ないのかも知れない。

98: 2010/09/26(日) 12:40:25.82 ID:C7S5s8In0
翌日、私はいつもどおり登校した。いつも律と会う時間帯を避けて少し遅目に
教室へ行く。そんなことしなくても、律だってきっと私を避けているんだろうけど。

律もムギも、私に話し掛けてこなかった。律は休み時間になるたびにどこか
へ出かけていった。ムギも同じだ。

.

「今日はりっちゃんもムギちゃんもどうしたのかな」

唯が心配そうな顔で空席を見ながら言った。うん、と私は気の無い返事を
する。
放課後、律もムギも部室に来ていない。梓が居心地悪そうに身動ぎする。
私はそんなあずさに気を使わせたくなくて立ち上がった。

「ごめん、今日は帰るな」
「えぇ、澪ちゃんまで帰っちゃうの!?」
「うん、昨日から調子悪くてさ」
「そっかー……」


99: 2010/09/26(日) 12:47:10.80 ID:C7S5s8In0
「梓」

私は梓に向き直る。
梓の両方のツインテールがぴくっとはねた。

「は、い」
「梓、ありがとう」

今日ちゃんと部室に来てくれて。
私を嫌わないでいてくれて。
梓は一瞬、戸惑いの表情を見せた。けどすぐに「いえ……」と言って顔を逸らした。
私は「えー、何の話ー?」と声をあげる唯に手を振り「じゃあ」と言うと、
唯に手を掴まれ引き止められた。

「唯?」
「澪ちゃん。変なこと聞くけど、良い?」
「……うん」
「このまま軽音部、なくなったりしないよね」


100: 2010/09/26(日) 12:48:37.98 ID:C7S5s8In0
ドキッとした。唯だって、わかってたんだ。この軽音部の雰囲気が普段と違う
ことに。いつもより明るく振舞っていたのはきっと、この雰囲気を変えようとして
くれたから。
私は目を逸らした。唯の真直ぐな目が今の私には痛かった。

「……うん」

私は頷いた。嘘になるかもしれないなんて思いながら。
ただ、今の私が唯の為にしてあげられることはこれしかないから。
唯の手がゆっくり離れた。唯はいつもの笑顔で言った。

「そうだよねえ」

私はごめん、と小さく謝った。
そして、その場から逃れるように部室を走り出た。

102: 2010/09/26(日) 12:50:56.19 ID:C7S5s8In0
下駄箱に行くと、私の靴箱の前に手持ちぶさたなムギが立っていた。
ムギは私に気が付くと、ふんわり笑いながら近付いてきた。

「ムギ……」
「澪ちゃん、昨日はごめんね」

ムギはそう言って頭を下げた。
私は慌てて首をぶるぶる横に振った。

「わ、私こそ……!」
「私ね」

私の声を遮り、ふいにムギは言った。

「へ?」
「りっちゃんが好きなの」

104: 2010/09/26(日) 12:56:39.91 ID:C7S5s8In0
「あ、そうなんだ」

突然のムギの告白に、私は腑抜けた返事しか返せなかった。
そっか、ムギは律が好き。

――え?

「私さっき、りっちゃんに『好きです』って言いに行ったの」

ムギは私の返事を気にすることもなく、いつもの口調で続けた。
私の心がまた軋んだ。
ムギが律に告白したのか?律は何て言ったんだ?

「それでね」


105: 2010/09/26(日) 13:03:35.98 ID:C7S5s8In0
ムギは一旦、言葉を切ると俯いた。ムギの肩が小さく震えている。
ムギ、泣いてるのか?

「それでね、言いに行こうとしたんだけどりっちゃん、他の女の子に
『澪の代わりに私と付き合わないか?』って」

そう言って顔を上げたムギは笑顔だった。くすくすとおかしそうに笑っている。

「な、何だよそれ」
「澪ちゃん、落ち着いて」

私は思わず語尾を荒くしてムギに詰め寄った。ムギは悪くないのに。
ムギに頭を軽く撫でられ、私は落ち着きを取り戻した。
けれどさっきムギの言った律の言葉がずっと頭で響いていて、胸が苦しかった。


106: 2010/09/26(日) 13:09:08.29 ID:C7S5s8In0
他の女の子に『私と付き合わないか?』って、何だよそれ。
昨日の茶色い巻き毛の女の子を思い出す。あの子にそう言ったんだろうか。
それとも別の子?

律。
苦しいよ。もう、何もわからない。助けてよ律。

私はその場にへたり込んで頭を抱えた。その時、ムギの暖かな声が
私の上から降ってきた。

「澪ちゃん、私ね、昨日澪ちゃんがもう一回梓ちゃんと付き合おうかなって言った
とき、初めて澪ちゃんに負けたくないって思ったの。けど、もうとっくの昔に私は
負けてたのよね」
「え?」

108: 2010/09/26(日) 13:20:31.33 ID:C7S5s8In0
「りっちゃんね、澪ちゃんを澪ちゃんのファンクラブの子から守ろうとして
他の子と何人も付き合ってるの」

何、それ。

「どういうこと?」

私は尋ねた。心臓が早鐘を打つ。そういえば、と思い出す。
ここ最近、ファンクラブらしい子たちの視線をあまり感じていなかった。
下駄箱にも何も入っていないし机の中にも異常はない。

「りっちゃんね、ストーカー紛いの子が最近頻発してるって和ちゃんから
聞いて、それで自分の悪い噂とかプライドとか、そんなの全部放って澪ちゃん
のファンクラブの子を澪ちゃんから遠ざけようとしてるの」

ムギはそう言って笑った。


109: 2010/09/26(日) 13:26:22.18 ID:C7S5s8In0
「りっちゃんは澪ちゃんを傷付けたくないんだと思う」

だから梓と私のことでも、自分から身を引いた。
昨日あんなこと言ったのも、私にそのことを知られない為に。
自分の痛みを隠して。

「りっちゃん、きっと本当は澪ちゃんを待ってるよ」

110: 2010/09/26(日) 13:31:48.19 ID:C7S5s8In0
ムギはそう言うと、そっと身体を横にずらした。
私は靴を履き替えるのももどかしくて、「ありがとう」とムギに言うと上靴のまま
外に飛び出した。

何一人でかっこつけてるんだ、バカ律。

息が荒い。スカートの裾が翻る。けど私は律の姿を見つける為に走った。
今外にいるかすらわからない。もしかしたらもう家に帰ったのかも知れないし、
まだ校舎の中にいるかも知れない。けど立ち止まったらそこから動けなくなって
しまいそうで、私は走った。

校門を抜けて角を曲がる。目の前が開けた途端、見慣れた背中。


112: 2010/09/26(日) 13:38:31.63 ID:C7S5s8In0
「律!」

私は叫んだ。周りを気にすることなく、大きな声で、律の名前を呼んだ。
律は一瞬びくっと身体を震わせてから振り向いた。律の隣には見知らぬ女の子
の姿があった。

律は横断歩道を渡ったばかりのところで私の姿を見つけ立ち止まった。

「律、そこで待ってて!」

私はもう一度叫ぶと、最後のダッシュ。
律に伝えなきゃ。これが本当に、きっと最後のチャンス。
律に伝えなきゃ。そしてもう一度、みんなと、律と、笑い合いたいんだ。

信号が赤に変わった。それでも私は走った。
クラクションの音。それと同時に急ブレーキのキキーッという耳障りな音も。

「澪、危なっ……!」

律の声が聞こえた気がした。
――あれ?身体がふわりと浮かんだ。
何もわからなくなる前、一瞬だけ律の顔が見えた。律は、泣いていた。





118: 2010/09/26(日) 14:02:25.47 ID:C7S5s8In0
目の前は真っ暗だった。光が恋しくて目を開けようとした。けど目は開いてくれない。
この暗闇が怖くて、誰かに縋りたくて手や腕や足を動かそうとした。けどどれも
動いてくれない。

怖い。怖いのに動けない。
やだよ、誰か……、律、助けて。

「……だろっ!……かるって言ってくれよっ!」

律?律の声だ。ねえ律、早くこの暗闇から連れ出して。
眠くなんてないのに頭がぼーっとして変な感じなんだ。
なあ、律?

「……ちゃん、落ち着いて!」

あれ、ムギもいるのか?ムギ、お願い。早くこの場所から出たいんだ。
律やみんなに謝らなきゃ、それから律に「大好き」って言わなきゃ――

「やだよ、……ちゃん、やだよう!」

唯、唯の声だ。何だ、もしかして皆いるのか?あ、梓の声。
「唯先輩、泣かないで下さいよ、そんなことしたって澪先輩は」
梓、泣いてるのか?その先はよく聞き取れなかった。というより梓が言えなかった
んだ。

119: 2010/09/26(日) 14:05:24.82 ID:C7S5s8In0
「澪、なあ、澪!」

あ、律が呼んでる。律、私はここにいるよ、早く光が見たいんだ。
ちょっと手を引っ張って。

「澪、頼むから……もう、ただの友達でも他人でもいいから……氏なないでよ!」


――え?

な、何言ってんだよ律。私、ちゃんと生きてる、よな?
身体が動かないだけで、目が開けられないだけで、ちゃんと律の声聞こえてるよ?
何で私が氏ぬんだよ。バカだな律は。
笑いたいのに声が出ない。

突然記憶がフラッシュバックする。
そうだ、あの時。律のところへ走ろうとしたとき、私は。

――車にはねられた。


130: 2010/09/26(日) 17:24:13.74 ID:UWVxPjbo0
はねられた、私は車にはねられたんだ。
やだ、じゃあ私は本当に氏んじゃうの?
嫌だ、やだよ律、皆、私を助けて。お願い、私はまだ氏にたくないんだ!

まだ、皆や律に、伝えなきゃいけない言葉があるのに!

.

――あ、れ。

突然何もわからなくなった。おかしいな。さっきまで聞こえてた皆の声が聞こえない。
皆?皆って誰だっけ?
変だな、思い出せない。

ああ、何でだろう。凄く眠くなってきた。もう私、充分頑張ったよね。
寝ちゃったっていいよね。凄く疲れたんだもん。
段々、意識が遠くなっていく。お休み、私の大好きな人たち――




137: 2010/09/26(日) 19:16:26.35 ID:5pVzlWNx0
「みおちゃん、確りして!」
「みお先輩、目を開けてくださいっ」
「やだよみおちゃん!私たちと軽音部続けようよ!」

私の、大切な人たち――?

「澪!」

手が握られる。いつかの出来事が頭に浮かんだ。真っ暗な保健室。冷たい感触。
大切な、大好きな人の冷たい温もり。

そうだ、私はまだ生きなくちゃいけない。
律や皆がこんなに私の名前を呼んでくれている。
私は冷たい手を自分の大きな手で包み込むように握った。力が入らない。けど、
精一杯の力を込めて。私はここにいるよ、大丈夫だよって、そんな想いを込めて。

138: 2010/09/26(日) 19:26:27.71 ID:5pVzlWNx0
重い瞼を開ける。真っ暗だった世界に光が差す。皆がいる、暖かな世界。
私の顔を覗きこんでいたらしい律と目が合った。
律の瞳が濡れている。泣いてたんだ。

そんな顔、律には似合わないよ。
だから笑ってよ、律。私はちゃんと生きてるよ。

「澪……」

律が驚いたように目を見開いた。その途端に溜まっていた涙が私の頬に一粒落ちた。
それはまるで私の涙みたいで。



139: 2010/09/26(日) 19:27:47.69 ID:5pVzlWNx0
「律」

私は律の名前を呼んだ。囁くような声しか出てくれない。けれど構わない。
ちゃんと律に伝われば、それでいいんだ。
動かない手を必氏に動かし、律の腕を引いた。バランスを失った律の唇が
私の唇に触れた。

「律、笑って?」
「……ん」

律は一瞬私から目を逸らすと、引き攣った笑みを見せてくれた。
変な笑い方。私は笑った。すると、律も、そして皆もつられたように笑った。

良かった。これで私たちの軽音部は元通り。
安心したらまた、眠気が襲ってきた。私は最後にもう一度律の腕を引っ張ると
耳元で囁いた。それは殆ど声にならなかった。けど、きっと、ちゃんと律に
伝わったよね。

「         」

 (律、大好きだよ)

終わり。

142: 2010/09/26(日) 19:38:22.83 ID:5pVzlWNx0
最後まで読んでくれた奴、保守してくれた奴ありがとう!

続き書くか書かないか迷ってるwww

152: 2010/09/26(日) 20:44:34.97 ID:5pVzlWNx0
◆(梓目線+後日談)

澪先輩に告白した。
朝、悩んで悩んで迷った末、私は澪先輩に呼び出しのメールを送った。
澪先輩はちゃんと来てくれた。
私は言った。ずっと心に溜めていた想いを澪先輩に打ち明けた。
これですっぱりと澪先輩を諦められると思った。

けど、やっぱり心のどこか奥底では少しだけ、期待していた。
諦めなきゃ、諦めなきゃと思うほど、頭は澪先輩のことでいっぱいになった。

だから澪先輩が私を受け入れてくれたとき、素直に嬉しかったし幸せだと思った。
でも澪先輩は違った。澪先輩の表情は固くて、私の好きな澪先輩の笑顔を見せてくれなかった。

153: 2010/09/26(日) 20:52:22.48 ID:5pVzlWNx0
無理してるんだと悟った。正直、これならちゃんと振ってもらえばよかったと
思った。それでも私は澪先輩が好きで。大好きで。

休憩時間、友達に聞いた律先輩と澪先輩の喧嘩話。澪先輩が泣いていたと聞いて
急いで部室へ行くとそこには澪先輩を泣かせた張本人と、乱れた格好の澪先輩。
澪先輩は何度も「ごめん」と謝った。これでいいんだって何度も自分に言い聞かせた。
私はそのとき、初めて本気で律先輩を妬んだ。けどそれ以上に律先輩が羨ましいと思った。

その後のことは良く知らない。


154: 2010/09/26(日) 20:58:05.30 ID:5pVzlWNx0
私はまだ誰も居ない部室で、トンちゃんの水槽を指で突きながら溜息をついた。
まだ少し、傷は癒えてない。
律先輩は今日も澪先輩のお見舞いに行っているそうだ。

澪先輩は一ヶ月前、交通事故で重症を負った。命を落とさなかったのが奇跡的
と言われるくらいの事故だったらしい。一時期意識不明の重態だったが今は
『愛の力』(律先輩談)らしきもので順調に回復に向かっているらしい。

律先輩、最近本当に幸せそうだ。きっと、病院にいる澪先輩も同じなんだろう。
私はあれから一度も病院を訪れていない。まだ笑って会える自信がないから。

「梓ちゃん?」

155: 2010/09/26(日) 21:07:54.42 ID:5pVzlWNx0
何の気配もなかったから、心臓が飛び出るほど驚いた。驚きすぎて声も出ない。
いつのまにか、背後にはムギ先輩が立っていた。

「む、ムギ先輩っ!」

辛うじてそう声を発すると、ムギ先輩は一瞬きょとんとしてから驚かせちゃったー?と
いつもどおりのふんわりとしながら笑った。

そういえば、ムギ先輩もつい昨日、唯先輩と「失恋しちゃったの」とか話してたっけ。
「失恋しちゃったの」があまりにも明るい言い方だったからてっきりその時は冗談かと
思ったけど、今よくムギ先輩を見てみるといつもより元気がないように思えた。
相手はきっと、律先輩だ。

ムギ先輩は定位置に座りながら「どうしたの?」と言った。
私は突然とわれ「は?」と間抜けな顔をして返した。そしてそういわれたのは自分が
じろじろとムギ先輩を見てたからだと気付いて「あ、いえ」と慌てて首を振った。


156: 2010/09/26(日) 21:13:41.00 ID:5pVzlWNx0
ただ、……ムギ先輩も辛いのかなって。そう思ってただけ。
ムギ先輩はうーん、と顎に手をあてる名探偵お馴染みのポーズをとると、
「澪ちゃんかりっちゃんのことでしょ?」と言った。

「へ?」

違うとも違わないとも言えない。今考えてたことはムギ先輩のことだけど、けど
その二人もある程度関係していて。
ムギ先輩は私専用のカップにお茶を淹れると、「はい」と私の前に置いた。
「ありがとうございます」とお礼を言い、一口紅茶を啜った。
今日の紅茶は少し苦かった。

「ねえ、梓ちゃん」

157: 2010/09/26(日) 21:15:17.04 ID:5pVzlWNx0
「はい?」

私は熱いお茶を冷ますのに苦労しながらムギ先輩のほうを見た。
ムギ先輩は至って普通の顔で爆弾発言をしてくれた。


「私たち、付き合っちゃいましょうか」



――はい?



159: 2010/09/26(日) 21:35:58.68 ID:5pVzlWNx0
お茶を噴出さなかったことが澪先輩の命が助かったことより奇跡に思えた。
いや、勿論こんなことと比べるなって話なんだけど。

「つつつ、付き合うって……!?」
「だって、唯ちゃんと和ちゃん、それからりっちゃんと澪ちゃん、軽音部で残った
の私たちだけじゃない。お試し期間で誰かと付き合うの、夢だったのー」

いや、それ、何の漫画見たんですかムギ先輩。
ムギ先輩は私を見ながら「ダメ?」と訊ねてきた。その様子があまりにも捨てられた
子犬みたいで、私は思わずいいえ、と首を振っていた。

引用元:  澪『smile again』