1:◆smf.0Bn91U 2015/06/25(木) 23:03:59.08 ID:0Owt49Oy0
 「SOUL CATCHER(S)」と「響け!ユーフォニアム」のSS。
 というか「SOUL CATCHER(S)」サイドは神峰くんしか出ない予定。それも年齢は二十代半ば設定。
 色々思いつき。一日に書けた分をその都度投下という勢いだけでやり始める。
 >>1の音楽知識は皆無。

 以上注意点終わり
 以下本文




2: 2015/06/25(木) 23:06:17.67 ID:0Owt49Oy0
滝「皆さん、初めまして。これから皆さんを指導していくことになる、滝昇です。そして――」


神峰「え、えと……付き添い? いや、お手伝い? の、神峰翔太です! よろしくお願いしますっ!」


ガヤガヤヒソヒソ…


神峰(うっ、やっぱりすげぇ不審に思っている心だ)

神峰(誰だコイツってのが突き刺さる)

神峰(……いや、そんなの分かってここに来たんだ。今更何ビビってんだ、俺)

神峰(にしても、久しぶりだな。こんな“心”は)


滝「はい皆さん、お静かに」

滝「彼はこれでも、有名な指揮者の方です」

滝「ちょっと先生のツテで、この部活をお手伝いしてもらうことになりました」


神峰「よ、よろしくお願いします!」

3: 2015/06/25(木) 23:08:52.58 ID:0Owt49Oy0
神峰(俺と刻坂は、ある程度名が通る指揮者とサックスのコンビとなった)

神峰(だが刻坂が音楽CDを出すことになり、そのプロデュースやらなんやらで一年間、俺だけぽっかりとスケジュールが開いてしまった)

神峰(指揮者の――それも刻坂とのコンビ以外ウリのない俺じゃあ、そうなっても仕方がない)

神峰(そんな俺を見兼ねてか、この滝さんの父親と顔見知りだった刻坂の姉さんの紹介でこの人と知り合い……)

神峰(そして、全国に行かせたい高校の手伝いをして欲しいと頼まれた)

神峰(もちろん、あくまでも手伝いだ)

神峰(俺が大会の際に直接指揮をする訳じゃない)

神峰(誰かに指導した経験もないし、相方の刻坂がいないと指揮者としてもまともに機能させられない俺としては、何か経験を得られるだろうと引き受けた)

神峰(高校生……俺と刻坂が出会い、そして俺が音楽の世界に足を踏み入れ、ずっと続けていくことになった時間)

神峰(俺の心を見る“目”が嫌いでは無くなったその時と同じ時間を生きているこの子達を、俺はこれから、見ていくことになる)

4: 2015/06/25(木) 23:10:42.27 ID:0Owt49Oy0
神峰(のだが……やっぱなんだコイツって心がいてぇ……!)

神峰(俺もそれなりに有名になったつもりだったが……まさかここまで知られて無いなんて……!)

神峰(刻坂なら歓声でも上がったんだろうがなぁ……! いや! まあそういうもんだよな、うん!)

神峰(むしろやりやすいと思うべきだ、うんっ!)

神峰(前向き! 前向きだっ!)

ギュイ

神峰「っ!」


滝「ああ、失礼」

滝「これが、昨年度の皆さんの目標でしたね」


全国大会出場


神峰(全国大会か……懐かしい響だ)

神峰(俺達も鳴苑にいた頃はよく口にしてたなぁ)シミジミ


晴香「いえ、あの、先生」


滝「ん?」


晴香「それは、その……スローガン、と言いますか……」


神峰(って、え……?)

5: 2015/06/25(木) 23:14:01.98 ID:0Owt49Oy0
滝「そうですか……では、これではない、と」


バッテン


神峰(いやいや、そんなあっさりと認めないで下さいよ滝先生!)

神峰(そこはこう、ガツンと言って皆を奮起させないと!)

神峰(そりゃなんか皆、吹越先輩みたいに楽な楽しみ方を望んでるような心をしてるけど……!)

神峰(中にはちゃんと全国に行きたいって子もいるんだしさぁっ!)

神峰(そこで大人が引っ張って責任取るようにしねぇと……!)


あすか「じゃ、多数決で決めよっか」


晴香「多数決って……!」


あすか「これだけの人数がいるんだよ? そうでもしなきゃ決まらないって」

6: 2015/06/25(木) 23:15:40.19 ID:0Owt49Oy0
あすか「良いですよね?」


神峰(ん? この子……この心は……)


滝「どうぞご自由に。私は皆さんの意志を尊重しますから」


晴香「では、全国を目指すべきだという人っ」


神峰(それと、あの前列の子……)


久美子「…………」


神峰(なんか、他の皆とは違う迷い方をしてる……?)


晴香「はい」

7: 2015/06/25(木) 23:17:51.98 ID:0Owt49Oy0
晴香「では、目指すべきではないという考えの人」


「…………」


葵「…………」スッ


ザワザワ…


神峰(逆にあの手を挙げた子は……なんだ? もうどこかで、諦めてる……? いや、今更本気になることに躊躇ってるのか?)

神峰(それに、それを見て動揺した人が何人か……)

神峰(いや、もちろんそれは分かるんだが……)


晴香「…………」

香織「…………」

久美子「…………」


神峰(何人かが、それとはちょっと違う、か……?)


晴香「はい、ありがとうございました」

晴香「多数決の結果、全国を目指すことにします」


神峰(いや、それよりもあのメガネを掛けた、多数決を提案した子だ)

神峰(制服のリボンからして、あの手を挙げた子と同じ学年だろう)

神峰(それなのに……あんな……)



神峰(あんな真っ暗な、底のない井戸を覗きこんだような不安を煽る程にまで、手を挙げたことに対して無関心でいられるものなのか……?)

8: 2015/06/25(木) 23:20:08.27 ID:0Owt49Oy0
神峰(全てどうでもいいって感じだ……)

神峰(演奏さえ出来ればいい。こんな下らないことに時間を使いたくない。早く練習したい)

神峰(何も見えないその深淵から、ユーフォの音でそう訴えてくる)

神峰(だがその吹く姿すらも、見えない。あくまで音が聞こえるだけだ)

神峰(この音から感じるモノ自体、正しいのかどうか……)


あすか「…………」ジッ


神峰「っ」


あすか「…………」ウインクパチッ


神峰「っ……」ゾクッ

神峰(なんだ……あの心の暗さは……!)

神峰(昔の金井淵先輩とは違う……!)

神峰(あの人の隠すようなものとは違う……!)

神峰(なんだ……何を見落としているんだ……!)


滝「では、今日はここまでにします。明日もまずはミーティングからになると思いますので、よろしくお願いします」


神峰「っ」ハッ


『ありがとうございました!』

9: 2015/06/25(木) 23:21:40.18 ID:0Owt49Oy0
神峰「あ、滝先生。ちょっと……」


滝「はい?」


あすか「せ~んせ」


神峰「え?」


滝「どうやら、副部長が君に用事があるようです」

滝「神峰くんの用事は、後で聞きますよ」


神峰「はぁ……」

神峰(って先生って俺かっ!?)


あすか「どうかしました? 神峰先生」


神峰「いや、その先生ってのはどうも慣れなくて……」


あすか「そうなんですか?」


神峰「良ければ“さん”付けとか、そんな感じで……」

10: 2015/06/25(木) 23:22:29.88 ID:0Owt49Oy0
あすか「ん~……じゃあ、神峰さん」

神峰(年下にさん付けされるのも慣れないな……いや、慣れていくしかないか)

神峰「それで、えっと……」


あすか「田中です」


神峰「田中さん。俺に何か用事か?」


あすか「はい。神峰さんって、あの神峰さんですか?」

11: 2015/06/25(木) 23:25:15.45 ID:0Owt49Oy0
神峰「あの?」


あすか「はい。サックス奏者の刻坂さんと一緒にコンサート荒らしをしてるっていう」


神峰「いや、俺達としては荒らしてるつもりはないんだけどさ……なんかそう言われるんだよなぁ……」


あすか「ってことは、やっぱり本人?」


神峰「ああ。っていうか、たぶん知ってるのはキミだけじゃないか?」


あすか「そんなことないですよ。まあ刻坂さんの方が有名なのは事実ですけど」


神峰「うっ……分かってたけど面と向かって言われるとさすがにヘコむな……」


あすか「まあまあ。黙っててあげますから」

あすか「でないと、刻坂さんのサインとか沢山求められますよ?」


神峰「そこで俺のでないのところが悲しいなぁ……いやでも事実だし」

神峰「アイツ一人だけ有名だから仕方ないっちゃあ仕方ないんだけど」


あすか「でも私、神峰さんの指揮、結構好きですよ?」

あすか「神峰さんが指揮をとると、他の曲とは違う演奏になって、しかもそれが心に直接入り込んできますから」


神峰「えっ、そ、そう? ありがとう」


あすか「それで神峰さん」

あすか「コンクールでは指揮、してくれるんですか?」

12: 2015/06/25(木) 23:26:44.31 ID:0Owt49Oy0
神峰「いや、俺は大会とかで指揮が出来ないんだ」

神峰「アレは教師とかじゃないといけないからさ。俺はあくまでお手伝いでしかないし」


あすか「あ~……そうなんですか」


神峰(……ん?)


あすか「わっかりました~。ありがとうございます」


神峰「あ、ああ……」

神峰(なんだ……? 一気に関心が失せたな…………ん?)

神峰(さっきまでの話が井戸の中に……?)

神峰(もしかしてあの井戸……ゴミ箱みたいなもんなのか?)

神峰(ってことは、俺がコンクールで指揮が出来ないって分かった途端、どうでも良くなったってことだ)

神峰(それって、一体……)


神峰(……いや)

神峰(今は考えても仕方がない。とりあえず今は戻ろう)

神峰(戻って滝先生に色々と聞かないとな)

22: 2015/06/26(金) 23:17:10.26 ID:Gt9WuV5I0
~~~~~~

滝「皆のやる気を出させるためですよ」


神峰「やる気、ですか」


滝「はい。沢山の現場を見てきた神峰くんなら分かるでしょう?」

滝「彼らとプロの演奏者では、意識が大きく違います」


神峰「そりゃ、まあ」

神峰「でもプロと高校生を比べるのは、あまりにも酷ってもんじゃないですか?」


滝「では思い出してください」

滝「確か、神峰くんは群馬の鳴苑高校出身でしたよね」


神峰「……あ」


滝「さすがです。もう分かりましたか」


神峰「はい」

神峰(確かに、あの頃の俺達も高校生だった)

神峰(だがそれでも、全国を目指す、って話になった時、あんなフワついた心をしてた奴は誰もいなかった)

神峰(あの時は間違いなく、プロに負けないぐらい、音楽に対して真剣に向き合っていた)

23: 2015/06/26(金) 23:18:57.68 ID:Gt9WuV5I0
神峰(そりゃ、皆色々と心にシコリを残してたのは確かだが……)

神峰(それでも、あんな感じじゃ無かった)

神峰(ここのバンドは、そんな個人個人のシコリとは違う)

神峰(さっきは吹越先輩みたい、って言ったが、あの人とは何かが根本的に違っていた)

神峰(なんていうか、そう……)


滝「やる気が無いように見えたでしょう?」


神峰「あれ? 俺、声に……?」


滝「出していなくても分かります。僕もそう感じましたから」

滝「あのやる気では、到底全国なんて目指せません」

24: 2015/06/26(金) 23:22:07.87 ID:Gt9WuV5I0
神峰「いえ、だから尚の事、滝先生が先陣を切って引っ張ってやれば……」


滝「それは、やる気のある生徒の前でこそ効果を発揮するものです」

滝「あのやる気の状態でそんなことをしても、誰もついて来てくれません」

滝「なんなら、自分たちは別に全国を目指すつもりはなかった、なんて身勝手なことを言ってくるかもしれません」


神峰「それは……」


滝「私も、皆のやる気があればちゃんと指導はします」

滝「ですが今はそれがない」

滝「無い以上、作り出すしか無い」


神峰「それがあの質問……ですか?」


滝「はい」

25: 2015/06/26(金) 23:23:51.12 ID:Gt9WuV5I0
滝「ああして、自分たちで決めたこと、という名分を掲げれば、逃げることはできなくなります」


神峰「でもそれが、あんな多数決なんて方法じゃあ……」


滝「多数決に対しての反対もでなかったでしょう? なら同意したようなものです」

滝「今回、あそこで反対に手を挙げた生徒……斎藤さん、でしたか」

滝「極端な話、彼女すらも私に押し付けることはできなくなりました」

滝「ま、言い訳はいくらでも出来るでしょうが」


神峰「……でも、それでやる気なんて……」


滝「起きます」

滝「神峰くんもプロの集団を指揮する時、することがあるそうじゃないですか」


神峰「えっ?」


滝「まああなたの場合は、正面切ってする喧嘩のような音楽のやり取りの方が多いそうですが」

滝「ともかく、明確な敵を作り出せば良いんです」


神峰「……まさか」


滝「はい。私が、生徒達皆の敵になります」

26: 2015/06/26(金) 23:25:19.30 ID:Gt9WuV5I0
滝「ムカつく先生、というレッテルは、そのまま見返したいという感情に繋がります」

滝「それはいわば、生徒自身が自主的に練習して上手くなりたいと思うことになります」

滝「そのためにまずは、自分たちの実力を知る」

滝「そしてその後、練習した結果によって巧くなった演奏を、自分たちで確かめる」

滝「そうして良い音が出せるようになった後、自分たちの腕が向上していると、周りの反応から分かる舞台に出してあげれば……」


神峰「全国を目指すためのやる気は十分になる、と」


滝「その通りです」

滝「とはいえ、それだけで全国優勝とはいかないでしょうが」


神峰「まあ……そうですね」

神峰(上手に吹けるだけで全国優勝になるなら、俺達鳴苑もあそこまで苦労しなかった)


滝「だからその後は、神峰くんの出番です」


神峰「え? 俺……ですか?」


滝「そのために一年間だけとはいえ、協力をお願いしたんです」

27: 2015/06/26(金) 23:26:48.74 ID:Gt9WuV5I0
滝「あなたのその、相手の心を直接掴むような演奏をさせる指揮」

滝「その力が分かる場所にまで生徒の皆が辿り着けば、全国優勝も夢ではありません」


神峰「その力が分かる場所……なるほど、音楽での感情表現……!」


滝「はい。プロの皆さんはそれが当たり前のようにできています」

滝「元気に、と言われれば相手の心が飛び跳ねるような演奏を。鋭く、と言えば肌を斬るような演奏を」

滝「そうした、音に気持ちを乗せた演奏を、身内だけでなく観客にまで分かるレベルにまで達しさせることこそが、全国を勝ち抜くのにどうしても必要なことなんです」


神峰「……なんか、話だけ聞くと、かなり先の長いことになりそうですね」


滝「一年間もあるんです。必ず、なんとかしてみせましょう」

28: 2015/06/26(金) 23:28:08.33 ID:Gt9WuV5I0
滝「それでですね、神峰くん。あなたにお願いがあります」


神峰「お願い?」


滝「生徒達のフォローをお願いします」


神峰「フォロー……」


滝「指揮者として、演奏者の近くにいることを信条としているあなたなら大丈夫でしょう」

滝「もちろん、私の考えとか、そういう私に対するフォローはいりませんよ」


神峰「はぁ……まァ、そうでしょうけど」


滝「今回のこの方法、言ってしまえば荒療治です」

滝「もしかしたら、辞めてしまう部員が出てしまうかもしれません」

滝「ですが、私が無理矢理目標を掲げて引っ張るやり方よりも、その数は少なく済む……と思っています」


神峰「なるほど。それでも減ってしまうかもしれない生徒を、出来る限り出さないで欲しい、と」


滝「そういうことです」

29: 2015/06/26(金) 23:29:45.69 ID:Gt9WuV5I0
滝「生徒の皆さんには、音楽は楽しいものだということを、知っておいてもらいたい」

滝「ですから、辞めさせないようにして欲しいのです。それとなく、で構いませんので」

滝「もちろん、無理な人は無理でしょう。直接言葉にせず引き止めるのですから、難しくもあります」

滝「ですから、出来る限りで結構なんです」

滝「音楽を、嫌いにさせないで欲しいのです」


神峰「…………」


滝「とはいえ、これは私の我儘ですから、無理にとは――」


神峰「いいスよ。引き受けます」


滝「……そうですか。ありがとうございます」


神峰「いえ。任せて下さい」

神峰「俺も、滝先生と同じスから」


滝「え?」


神峰「音楽がイヤなものだって思われるのは、我慢ならないってことスよ」

神峰(俺の“目”の使い道を教えてくれた音楽……それを否定されるのは、イヤに決まってる)

神峰(そうならないようにしてくれってお願いなら、むしろこちらからお願いしてェぐらいだ)

30: 2015/06/26(金) 23:32:49.59 ID:Gt9WuV5I0
滝「では早速ですが、明日から忙しくなりますよ」


神峰「え?」


滝「だって明日からしばらく、私は直接指導をしない、と皆に宣言しますから」





 次の日滝先生は、海兵隊を合奏できるようになれば呼んでくださいとだけ言って、ミーティングを終えた。

39: 2015/06/27(土) 18:12:04.95 ID:FhJXdbTZ0
~~~~~~

香織「はい吸ってー」


スウゥゥゥ…


香織「吐いてー」


フウゥゥゥ…


神峰(懐かしいな……こうした練習でキッチリ改まってするのは久しぶりだったが、意外に吐けるもんだ)


香織「腹式呼吸の練習は、コレを使うんだよ」


ピロー…………


神峰(ああ……俺もあれやらされたな……)


あすか「ちょっと借りていっても良い?」


香織「もう、物みたいに言わないの」


神峰(あの子は……)


あすか「あれ? 神峰さんも腹式呼吸やってんの?」


神峰「ん、ああ。ちょっと、懐かしくて」

40: 2015/06/27(土) 18:13:17.92 ID:FhJXdbTZ0
あすか「そうなんですか。っていうか、腹式呼吸の指導も出来ないんですか?」


神峰「うっ……!」


香織「こらあすかっ」


あすか「ははっ。ごめんごめん。それじゃあ黄前ちゃん、加藤ちゃん。行くよ」


久美子「行くって、どこにですか?」


あすか「相方を選ばないとね」


久美子・葉月「「?」」

41: 2015/06/27(土) 18:18:22.48 ID:FhJXdbTZ0
香織「神峰先生、ごめんなさい。あすかが失礼なことを……」


神峰「いや、本当のことだから仕方ねェよ」

神峰「どの楽器も教えることが出来ねェんなら、せめて基礎練ぐらいは教えられたら良かったんだが」

神峰(こんなことなら昔聞いた御器谷先輩の練習メニューとかメモって持って来とくんだった……!)


香織「そんな、良いんですよ。こうして先輩が教えるのも伝統ですし、私は下級生を教える係でもありますから」


神峰「ああ……ありがとう、中世古さん。あ、それとオレのことは先生じゃなく“さん”付けで……」


香織「そうなんですか?」


神峰「ああ。現にオレ、何も教えることが出来ないしな……」


香織「そんなことないですよ」


神峰(いい子だな、中世古さんは……)

神峰(……ん?)


 さっさと練習再開させろよ
 いつまで中世古先輩と話してんだコイツ
 どうせ先輩が可愛いから親しくなりたいんだろ。下心見え見え
 図々しいな。今迷惑かけてることに気付けよ


神峰(うっ……確かにその通りだ)

神峰「ともかく、俺のことは気にせず、練習を再開してくれ」


香織「はあ……分かりました。では神峰さんもご一緒に、腹式呼吸をもう一度」


神峰(ふぅ……中世古さん、もう一年に慕われてんだな。ちょっと長話になっただけで心が突き刺さった)

神峰(最初の頃の邑楽先輩を相手にした時みてェだったな……)

42: 2015/06/27(土) 18:19:46.15 ID:FhJXdbTZ0
~~~~~~

晴香「あ、神峰先生」


神峰「えっと、小笠原さん。出来れば“さん”付けで……」


晴香「はあ……それで、どうされました? 滝先生から何か伝言でも?」


神峰「あ~、いや、そうじゃねェんだ。ちょっと、各パートを見て回っててよ」


晴香「もしかして、指導して下さるんですか?」


神峰「いや、オレピアノしか出来ねェんだ」


晴香「えっ?」


神峰「それも素人よりもマシぐらいなもんだし……人に教えられるほどのレベルには達してねェんだ」


晴香「それじゃあ、どうしてサックスパートに?」


神峰「俺の相棒がサックス吹くからさ。なんとなく、腹式呼吸の練習終わったら真っ先に来たくなって」

43: 2015/06/27(土) 18:21:21.13 ID:FhJXdbTZ0
晴香「へぇ……その人はどのサックスを吹いてたんですか?」


神峰「アイツはどれも吹けたんじゃねェかなァ……オレが指揮する曲に合わせて変えてくれたし」

神峰「まァよく吹いてもらってたのはアルトサックスだけど」


晴香「それじゃあ、アルトサックスのグループ見ていきます? あそこの五人なんですけど」


神峰「……いや、ありがとう。本当、なんとなく顔出しただけだから」


晴香「はあ……そうですか」


 本当に何しに来たんだ、あの人。
 練習の邪魔なんだけど。
 っていうか部長と話したいだけだろ。
 バイトだからって気楽だよな。


神峰「と、ともかく! 練習頑張って! それじゃあ!」

44: 2015/06/27(土) 18:23:15.98 ID:FhJXdbTZ0
~~~~~~

神峰「う~ん……」

神峰(やっぱなんの指導もできねェのに顔出してたらそう思われるよなァ……)

神峰(だからっていきなり指揮するのも無理だろうし……)

神峰(っていうかサックスパートの中にいたあの全国を目指さない方が良いに手を挙げた子)


葵「…………」


神峰(斎藤さん、だっけ)

神峰(あの子、別に吹くのがイヤって訳じゃァないみたいだった)

神峰(でも心の中はなんか、追い詰められるように机に向かって、ずっと勉強してたが……)

神峰(アレは……勉強に追い詰められてた、のか……?)

神峰(今のところ、あの子が一番注意しとかねェとな)

45: 2015/06/27(土) 18:31:18.85 ID:FhJXdbTZ0
~~~~~~

神峰(周る順番を間違えたせいで、トランペットの子達は全員見れなかった。あんなバラバラになるよう個人練に行くとは)

神峰(思えば、奏馬先輩も音羽先輩もそんな感じだったな。つい抜けていた。次からは気をつけよう)

神峰(とはいえ、他のパートは見れた)

神峰(なんというか……皆温厚だった)


神峰「…………」


神峰(でも、そのせいでここの生徒達と関わるための取っ掛かりがねェ)

神峰(鳴苑バンドだと先輩方や刻坂のおかげなのもあって積極的に関われたが……)

神峰(皆どういうわけか、本気で全国を目指してねェ)

神峰(なんとなく、ってェ気持ちがかなり大きい)

神峰(なんとなく目指して、なんとなく苦労することなく全国に行けたら良い。そんな感じだ)

神峰(明確な理由がないのがここまでやり辛ェなんてな……)

神峰(……いや、それを滝先生は気付いてたのか)

神峰(だから「自分を敵にする」なんて荒療治みたいな方法を取るしか無かったのか)


――一年生が気にすることじゃあない――


神峰「っ」

46: 2015/06/27(土) 18:32:45.08 ID:FhJXdbTZ0
神峰(最後に回した低音パート……)

神峰(コンバスとかユーフォとかチューバとか、俺達の所だとそれぞれのパートで分かれてたのが、ここでは人数が少ねェからって一つのパートにまとめられてるんだったな)


――ちょっと出てくる――


卓也「あっ」


神峰「あ」


卓也「……なにか御用ですか?」


神峰「あ~……いや、特には何も。ただちょっと、全パートを見て回っててさ」


卓也「そうですか……ちょっと、失礼します」


神峰「ああ」

神峰(心が苛立ってたな……いや、でもあれは……自分に、か……?)

神峰(中で何の話をしていたのかは分からねェが……怒ってしまった自分を責めてたのか……?)

神峰(一体なんの話を……)ヒョコ


緑輝「あれ? 神峰先生?」

47: 2015/06/27(土) 18:34:09.81 ID:FhJXdbTZ0
神峰「おう」

神峰「えっと……川島さん、だよな?」


緑輝「わ~! 緑のこと、知っていてくれたんですかっ?」


神峰「まァな。一応、全員の名前ぐらいは」

神峰(滝先生と一緒に憶えたからな。にしても、他のパートでいきなり名前を呼ぶと気味悪がられたのに、この子は純粋に喜んでくれてる……ちょっと安心)

神峰(でもこんな小さな子が弦野と同じコンバス担当だってんだから、なんか不思議だ)

神峰(もし弦野みたいに指揮を乗っ取らんばかりに気性が荒かったら……)


緑輝「?」
想像上の緑輝「叩っ斬ってやるぜぇっ!」


神峰(……世界に絶望しちまうな)

48: 2015/06/27(土) 18:35:35.02 ID:FhJXdbTZ0
緑輝「あっ、もしかして、ご指導してくれるんですか?」


神峰「あ~……いや、悪ィがオレって指導とか出来なくて……」


あすか「そうそう。だから川島ちゃんも、その人のこと先生って呼ばなくても良いから」


緑輝「あすか先輩っ。そんな、失礼ですよ」


神峰「いや、オレからもお願いして回ってんだ。ホント、素人に毛が生えた程度のピアノしか出来ねェしな」


緑輝「そうなんですか? あんなに指揮が上手ですから、てっきり他の楽器も出来るのかと」


神峰「んっ? 川島さん、オレのこと知ってんのか?」

49: 2015/06/27(土) 18:37:09.63 ID:FhJXdbTZ0
緑輝「? はい。あの『七色の音(虹)を出す指揮者』の神峰翔太さんですよね?」

緑輝「吹奏楽をやってる人なら一度は耳にしたことがありますよっ」


神峰「いや、そのキャッチコピーは雑誌が勝手に言ったようなもんで……」

神峰「オレはそんな大それたことは出来ねェって」

神峰「むしろ、虹が出てくるような演奏ができる皆がスゴいってだけだから」


葉月「久美子もあの人のこと知ってる?」


久美子「いや知らない。そんな有名な人に見えないし」

久美子「長瀬先輩は知ってました?」


梨子「ううん。たぶん、後藤くんも知らないと思うし……」チラ


夏紀「…………」


梨子「夏紀も知らないと思う」


神峰(ですよねー!)

50: 2015/06/27(土) 18:38:41.48 ID:FhJXdbTZ0
あすか「それで神峰さん、うちの低音パートはどうですか?」


神峰「いやどうって言われても……パート練も個人練も聞いてねェし」


あすか「ま、神峰さんが来たら集中して練習できませんしね」


神峰「うっ」

神峰(この子、怒ってるな)

神峰(練習を邪魔されたからか? それとも指導できない奴が興味本位で覗きに来てるようにしか見えないからか?)

神峰(いやたぶん、この子の場合は“どちらも”だろう)

神峰「……そうだな。じゃあオレは退散するよ」


緑輝「え~? もうですか?」


神峰「いや、本当、一度顔を出しておきたかっただけだし」

神峰「それに皆の腕前は、滝先生の前で海兵隊を披露する時に見れるからさ」

神峰(とはいえ……他のパートを見てきた感じからすると……いくらこの土台部分がしっかりしていようとも……)


緑輝「そうですか……じゃあ緑、沢山練習しますねっ」


神峰「あ、ああ……うん。頑張って」

神峰(というかここまで慕われると、それはそれでむず痒いな……)

51: 2015/06/27(土) 18:40:44.06 ID:FhJXdbTZ0
~~~~~~

神峰(それにしてもこの部、過去に何かあったのか……?)

神峰(教室に入ってきてすぐの長瀬さんの心……まるで昔を悔いているようだった)

神峰(この部で起きた何かを)

神峰(となれば、必然一年前に絞られる)

神峰(……副顧問の松本先生なら何か知っているかもしれない)

神峰(一応、話ぐらい聞いてみよう)

52: 2015/06/27(土) 18:41:49.17 ID:FhJXdbTZ0
 そうして、一年前に起きた部員が大量に辞める事件を松本先生から聞いた、その数日後……。

 あんな手を抜いた練習を続けているだけで完璧になるはずがねェのに、滝先生は音楽室に呼ばれた。



 結果は、案の定だった。

 これを合奏と呼んで良いのかどうか。

 真面目に練習していないのが分かるその結果に、滝先生は演奏を途中で止め、反発を全て言葉でねじ伏せ、帰っていった。


 中世古さんがその間際、サンフェスの参加について訊ねても、そんなことを考える必要はない、と一蹴していた。


 俺はそれを、見学している初心者に混じり、黙って眺めていた。

62: 2015/06/28(日) 18:31:21.99 ID:1LlgfzJZ0
 誰も俺には頼ってこない。

 頼られているのは、部長の小笠原さんだった。


 指導なんて出来ないから先生と呼ばないでくれ、と言って回ったアルバイトの頼りない男よりも、部をまとめて来た部長に白羽の矢が立つのは当たり前。


 中には、俺に頼めば良いんじゃ、なんて心と声も聞こえてる。

 が、それもまた、滝先生とグルなのではという考えによって掻き消される。

 どうせあの人もああして出て行った先生と同じ考えなのだろう、と。


 まァ、滝先生に連れて来られた奴を信用なんて出来ないだろう。

 つまりこの場において俺は、いないも当然の存在だった。

63: 2015/06/28(日) 18:34:21.95 ID:1LlgfzJZ0
 それでも、オレはこの場を離れない。

 オレにだって役目がある。

 生徒の心が音楽から離れないよう注意する。


 今皆は、滝先生の思惑通り、サンフェスに出ないといった滝先生のことを責めている。

 なんならあの人の指導を受ける必要すらないとさえ思っている。

 本当にサンフェスに出ないつもりなら抗議するべきだと、小笠原さんに言っている。


 それはともすれば、滝先生に強く出ない彼女を責めているようにも見える。

 とはいえ、皆の心の敵意は滝先生に向いているから、それはない。


 しかしそんなもの、“見える”オレの意見だ。

 ぶつけられている小笠原さんに、そこまで分かるはずがない。

64: 2015/06/28(日) 18:40:19.21 ID:1LlgfzJZ0
 しかしそれでも、彼女の心は潰れない。

 強く、耐えるように、戸惑いながらも、皆の声に耳を傾けようとしている。

 ただそれら全てに答えようとしているから、どうにも出来ていないだけで。


 強く在ろうとしている子なのだろう。

 だからこそ部長として、皆の前に立っていられている。


 無茶をしているようにも見える。心だってベコベコだ。

 でも今、オレが手を差し伸べては、皆のためにはならない。


 確かに、小笠原さん一人は救えるだろう。

 だがオレに責める対象を変えてその感情を発散してしまえば、滝先生への反骨心を失くしてしまうかもしれない。


 それだけは、避けないといけねェ。


 彼女なら耐えられる。

 周りの子達が助けてくれる。

 ただそう信じ、黙って、歯痒くなりながらも、歯を食いしばって、祈るような気持ちで、見守っているしかない。

65: 2015/06/28(日) 18:42:55.40 ID:1LlgfzJZ0
 そしてその場はとりあえず、副部長である田中さんがパートリーダー会議で話し合うことを提案し、決着がついた。


神峰「…………?」


 滝先生を責める人がほとんどで、中には自らの演奏を悔いたり反省したりしている人達がいて、数人だけこの部に対して諦めにも似た感情を抱いている子達がいて、斎藤さんと田中さんだけが時間の無駄と思っている中……一人だけ。


 一人だけ、“滝先生に怒ってる人たちに怒っている人”がいた。


麗奈「…………」


 高く遠い未来を見つめ、トランペットを手に持ち吹きながら、何かを探しているその自信と不安が混じったような心が……苛立ち一色に染まっていた。

66: 2015/06/28(日) 18:45:23.16 ID:1LlgfzJZ0
~~~~~~

麗奈「…………」

 練習が生徒達の一存で勝手に休みになった、その日の放課後。

 偶然見かけた彼女は、学校の裏手へと向かっていた。


 つい、その後を追いかけてしまう。


 正直、心が惹かれた。

 彼女の演奏に。


 あの、“吹く”と決めた心で奏でられる力強い音楽がどんなものなのか、興味があった。

67: 2015/06/28(日) 18:47:28.80 ID:1LlgfzJZ0
 新世界より。

 その音を聞いて、最後の雄叫びを聞いて……。

 漠然とした何かを真っ直ぐに目指そうと、それは正しいのだと恐怖の中自らに言い聞かせ、トランペットを握りしめているその心を見ていると、一つ分かったことがあった。


 その内にある、滝先生へと寄せている、全幅の信頼が。


 そして……彼女の目指している、漠然としているものの正体が。

68: 2015/06/28(日) 18:48:18.94 ID:1LlgfzJZ0
麗奈「はぁ……はぁ……はぁ……」


神峰「……いい演奏だった」


麗奈「っ!」


神峰「あ、すまねェ。ビックリさせたな」


麗奈「……いえ、別に」


神峰「……滝先生とは、知り合いなのか?」


麗奈「どうしてですか?」


神峰「さっきの音楽」


麗奈「音楽?」


神峰「練習を休みにした先輩たちに何も出来ない悔しさもあったが、それ以上に、あの人を悪く言われたことへの苛立ちのほうが、強く見えた」

69: 2015/06/28(日) 18:50:10.01 ID:1LlgfzJZ0
神峰「いや……悔しさの方は、苛立ちを抑える堰が外れたキッカケみたいなもんで、苛立ちがメインか」

神峰「最後の雄叫び、アレが全てを物語っている」


麗奈「……もしかして、それも含めて音楽って言いました?」


神峰「ああ。声も歌も、心から出せば、それは立派な音楽だ」


麗奈「……さすが、指揮者専門、といったところですか」


神峰「えっ?」


麗奈「あなたのことを知っている人が少ないことに、アタシは驚いているぐらいです」


神峰「……そうか」


麗奈「……皆、滝先生の凄さを分かってない。自分たちがちゃんと練習してないくせに文句ばかり言って……イライラする」

麗奈「あんなのでちゃんと指導してくれないと、なんてよく言えたわね。基礎すら出来てないじゃない」

麗奈「そのくせサンフェスには出たいなんて」

麗奈「伝統? そんなもの重んじる程の腕持ってないくせに、滝先生叩いて調子乗ってんじゃないわよ」


神峰「荒れてるなァ……」

70: 2015/06/28(日) 18:51:51.29 ID:1LlgfzJZ0
神峰「だが、このバンドを辞めるつもりはねェんだろ?」


麗奈「……はい」


神峰「やっぱりか」


麗奈「どうして、分かったんですか?」


神峰「キミは、滝先生のためにこの高校を受けたんだろ?」


麗奈「えっ……?」


神峰「あ~……いや、そう強く警戒すんな。特に何かを言うつもりも吹聴するつもりもねェ」

神峰「当然、方法を探るつもりも、関係を聞くつもりも、だ」

神峰「ただ、聞いていてそう思ったってだけだ」

71: 2015/06/28(日) 18:53:20.15 ID:1LlgfzJZ0
神峰「それに個人的にも、高坂さんに辞めてもらうのは困る」


麗奈「は?」


神峰「キミのその一点を目指す演奏は、全員が付いてきてくれれば、それだけで特別になる」


麗奈「特別……」


神峰「ああ。北宇治高校吹奏楽部だけの音楽が出来上がる」

神峰「その先陣たるものが、お前のトランペットの中にはある」

神峰(刻坂のように聴く人の心を掴む演奏でも、音羽先輩のように才能の壁を感じさせる圧倒的な演奏でもねェ)

神峰(でも、だからこそ、彼女にしかないものがある)

72: 2015/06/28(日) 18:55:53.39 ID:1LlgfzJZ0
麗奈「神峰さん。私は、特別になれますか?」


神峰「なれる」

神峰「そのなりたいと思う心を、皆が持てば」

神峰「全員が特別になろうとして、その特別がガッチリと嵌まり込めば、必ず」

神峰「その中でさらに際立つ“特別”として、キミが選ばれる」


麗奈「……でも今のこの部に、そんな人達がいるようには思えません」


神峰「まァな。それにハッキリ言って、そんな特別になろうとする人全員なんてのは理想論だ」

神峰「プロの世界でやっと、って感じだしな」


麗奈「じゃあ……」


神峰「だが、それで何もしなけりゃ、それで終わるだけだ」

神峰「高坂さんからで良いから、その波が広がらないと話にならねェ」


麗奈「……アタシも一人だけ、そういった気持ちを持っているかもしれない人に、アテがある」


神峰「じゃあまずは、高坂さん自身がその子と話さねェとな」


麗奈「え?」


神峰「その子とちゃんと、自分の口で、話してみてェんだろ?」


麗奈「……はい」

73: 2015/06/28(日) 18:58:00.36 ID:1LlgfzJZ0
神峰「ま、それ以外の人は、俺の役目だ」

神峰「そのために滝先生に呼ばれたような部分もあるしな」


麗奈「……もしかして、海兵隊の後に色々な人に話しかけてたのは……」


神峰「ま、そんなところだ」

神峰「中には部に対して諦めてる人がいたりしたし、辞めようと考えてた人もいたけどな」

神峰「だがここで辞めさせるのは違うからよ……色々と話を聞いたりとか、な」


神峰(特に田中さん。アレは練習を真面目にしないことが“当たり前”だと思うほどに、周りに対して諦めてた)

神峰(ムシャクシャしてガムシャラに吹いてた癖に、その感情の原因が分からず、それにまた苛立って吹き続けていた)

神峰(こちらが色々と話しかけても無駄だった)

神峰(……が、彼女の演奏が必要なのもまた事実)

神峰(技術力の高さに、自分が勝手に演奏を楽しみたい以外の感情を乗せられたら……)


麗奈「……神峰さん?」


神峰「いや、なんでもねェ」

74: 2015/06/28(日) 18:59:04.15 ID:1LlgfzJZ0
神峰「ともかく、お前はそのままでいてくれ」

神峰「その後について行かせるのは難しいだろうが……」

神峰「パート内での特別な役割を見つけてやれるぐらいは、してやれると思う」


麗奈「アタシがアタシのまま……特別になろうとしていたら……」


神峰「ああ。難しいことを言ってるのは分かってるが……」


麗奈「何を言ってるんですか、神峰さん」


神峰「え?」


麗奈「そんなこと、あなたに言われなくても目指し続けます」

麗奈「そのためにアタシは、トランペットを吹いてるんですから」

75: 2015/06/28(日) 19:00:49.17 ID:1LlgfzJZ0
~~~~~~

滝「皆の指導を、ですか?」


神峰「はい。そろそろするべき時かな、と」


滝「そうですね……神峰くんが言うのなら、そうなのでしょう」


神峰「今日、パートリーダー会議をするみたいで、それで皆の意思が固まると思います」


滝「どんな結論が出るにせよ、ですか」


神峰「はい」


滝「ちなみに、神峰くんはどういった結論が出ると思いますか?」


神峰「……皆と話してきた感じ、たぶん、次の合奏の後サンフェスに出ないとなったら抗議をしてくるか……勝手に申し込むか……」

神峰「もしくは、滝先生の練習を拒絶するか、顧問として相応しくないと校長か教頭に直談判するか……だと思います」


滝「そうですか……そうですね」

滝「なら、そろそろ始めましょうか」

滝「そうなってしまうと、全国を目指す上で練習時間の無駄になりますからね」

76: 2015/06/28(日) 19:02:32.88 ID:1LlgfzJZ0
 そうして、滝先生の指導が始まった。

 走ることから基礎訓練、オレもやらされたあらゆることを各パートごとに指導していった。


 オレが指揮を始めた頃の鳴苑よりもレベルが低かったその練習内容が一変した。


 またそれに伴い、あらゆる部員の心にも変化が訪れた。

 滝先生の狙い通り、彼を見返そうと頑張るもの。

 皆の頑張りに感化されたもの。

 さらなるレベルアップに喜びを感じるもの。

 メキメキと上達していく自分の腕に実感を得て、やり甲斐を感じていくもの。


久美子「…………」

 蕾のまま咲いていない心の花に刺さっている無数の棘が、少しだけ、抜けかけた子。


葵「…………」

 勉強に追い立てられるその心がさらに強く――ともすれば逃げるように机に向き合うようになった子。


あすか「…………」

 また逆に、皆が変化し始めても、何の興味も示さない子。

77: 2015/06/28(日) 19:03:17.11 ID:1LlgfzJZ0
 そんな感じで、色々な子が心に少しずつの変化をいい方向へともたらせたその後の合奏では……。


 見事、合奏の体を成した「海兵隊」を滝先生へと披露し、サンフェスへの参加を認められることになった。





 だがそれは同時に、オレの存在意義を、皆が疑問に持つようになるキッカケにもなった。

78: 2015/06/28(日) 19:04:48.02 ID:1LlgfzJZ0
 運動場での行進の練習。

 音楽室での合奏の練習。


 それらサンフェスへの練習を積み重ねる中で、相変わらずオレは、皆に対して何も出来ないでいた。

 今のように上を目指す心になる前に、辞めようとした子から少し話しを聞いた程度の存在なんて、いなくても同じだ。


 別に、それに対して焦りを持った訳じゃない。

 嫌われることや邪魔者扱いされることなんてのは、高校ではもちろんのこと、大学やコンサートでも慣れてしまったので問題ない。


 そう。

 オレに役目なんてやってこないほうが良い。

 皆の心が一丸になり、強くなっている今……綻びが生まれていない証でもあるオレの不必要性は、そのままであった方が良いに決まってる。


 そうあってしまって欲しいと願ってしまっていたせいか。





 オレは、斎藤さんの心の変化に対して、鈍くなってしまっていた。

87: 2015/06/29(月) 23:05:48.44 ID:Mm9A+QFk0
サイドエピソード1・神峰翔太が認められていくキッカケ

~~~グラウンド練習~~~

滝「さて……では一度、行進しながら曲を通してみようと思うのですが……」

滝「その前に、まずは動かないで一度通しで吹いてみましょう」

滝「グラウンドだとどれぐらい音が分散するのか、皆さんの耳で直接確認してみてください」


『はいっ!』


滝「ではその指揮をドラムメジャーの田中さんに……と言いたいところですが、どうせなら神峰くんに頼みましょう」


神峰「えっ?」


ザワザワ…


滝「神峰くん、よろしいですか?」


神峰「……はいっ」

88: 2015/06/29(月) 23:09:36.55 ID:Mm9A+QFk0
滝「では、準備をお願いします。楽器を吹く皆さんは本番と同じように整列してください」

滝「そうでない方は……そうですね。どうせなら、彼の腕前を知ってもらいましょうか」

滝「トラックの外側。観客が聞けるほどの距離のところにいてください」


神峰「いや滝先生……そんなオレの腕前なんてハードルの上げ方はすげェ緊張しちまうスよ」


滝「上げたハードルを余裕で超えてくれるでしょう。あなたなら」

滝「それに私としても、そろそろあなたの凄さを皆さんに知ってほしいのです」


神峰「……まあ、せっかくくれたチャンス。無駄にはしないスよ」

神峰(とはいえ、皆の風当たりは……)


 おいおい、大丈夫かよアイツなんかの指揮で。
 今まで何もしてこなかった奴の指揮なんてアテにならねぇよ。
 やっぱりあすか先輩にしてもらった方が良いんじゃないの?
 っていうか指導もできない奴が正確なリズムなんて取れるのかよ。


神峰(……ま、そりゃそうか)


 みどりちゃんがあれだけ褒めるんだもの。きっとスゴいはず。
 神峰さんの指揮……いい経験になる。
 さて……お手並み拝見。
 いいな~……みどりも神峰さんの指揮で演奏してみたいです。


神峰(……いや、ちょっとだけは認めてもらえてる……かな)

89: 2015/06/29(月) 23:11:38.18 ID:Mm9A+QFk0
滝「では神峰くん、お願いします」


神峰「はい」


 皆を見渡せるようにと用意した少し高い台に乗り、愛用の指揮棒を構える。

 そして本番を想定し、用意しておいた笛でリズムを刻み……指揮棒を振るう。


 ピッ、ピッ、ピッピッピッ。


 スネアドラムのリズムが小さく聞こえ、皆が構え……指揮棒を振り下ろす。


《打楽器(パーカッション)!! 誰よりも目立て!!》


「っ!」


 打楽器の彼等にとってそれは、初めての経験だったのだろう。

 振るう指揮棒から明確な指示が伝わる、なんてものは。


 滝先生のような、楽譜の正しさを――演奏の道標を示し続けるものとは違う、突然道を作り上げるようなその指揮が。

 あまりにも突然過ぎて、咄嗟のその指示は果たされなかった。

 それでも何とか、練習通りの音は聞こえてくる。


 今回は演奏が止まらなかっただけで十分。

 驚いていたのに音が止まらなかったのは、正に練習の賜物だろう。

90: 2015/06/29(月) 23:14:58.03 ID:Mm9A+QFk0
 その光景を、他の演奏者も目の当たりにし、驚き、つい演奏の手を止めてしまいそうになっている。


《演奏!! 止めるなっ!!》


 その心を読み取り、すぐさま指揮棒から指示を出し、演奏を続行させる。


《トランペット!! 音を上げて皆を引っ張れ!!》


 次の指示を出し、動揺して濁る音をクリアにさせていく。


《クラリネット!! トランペットに続け!!》


 その音に引っ張られ、皆が立て直していく。


《スーザフォン!! もっと他の楽器を支える!!》
《ユーフォ!! トロンボーンに付き添うように!!》
《フルート!! ホルン!! そろそろ前面に!!》


 動揺している彼らに、身振り手振りで次々と指示を出していき、立て直った音の土台を、さらに上へと築いていく。

91: 2015/06/29(月) 23:16:44.58 ID:Mm9A+QFk0
~~~~~~

優子(なに……? あの指示……?)


夏紀(楽譜に無いことも言ってきて、正直やり辛い……!)


晴香(それに、強くとか弱くとかじゃなくて、漠然とした指示も多い)


香織(たぶん、明確な指示を砕いてくれているせいで、感情に依るところが多い指示になりがちになってる)


優子(本当、よく分からない指示ばっかりで分かり辛い!)


久美子(……でも……!)


麗奈(それなのに……!)





 ――音が、良くなっていってる。

~~~~~~

92: 2015/06/29(月) 23:19:15.21 ID:Mm9A+QFk0
神峰(よしっ……なんとか動揺していた分を立て直すことは出来た。なら次にすることは……)


 さらに音の質を引き上げること。

 合奏をして周りの生徒達の心を掴むこと。


 そして、本番さながらに、彼らの目を惹かせること。


 放課後、帰ろうとしている人達に、吹部の演奏を認めてもらう。


《オーボエ!! 音量そのままに、弱く優しく!!》
《打楽器!! 少し音量落として!!》
《サックス!! オーボエを引き立たせろ!!》


 遠くに見える疲れて帰ろうとしている生徒達の耳に届くよう、優しい音色を際立たせる。

 それで足を止めさせることに成功。


 次、友達と話しながら帰っている、テンションが高い男子生徒達に注目してもらう。


《トロンボーン!! 一際強く!!》
《バスクラリネット!! そのトロンボーンを呑み込むつもりで!!》

93: 2015/06/29(月) 23:20:24.02 ID:Mm9A+QFk0
~~~~~~

緑輝「スゴいです……」


葉月「うん……あたしでも分かる。指揮者が違うだけでここまで音が変わるなんて……」


緑輝「それに、周りの生徒達が……」


葉月「足を止めて、聞き入ってくれてる」


緑輝「……私も、こんな演奏、してみたいです」


葉月「うん……そうだね」

~~~~~~

94: 2015/06/29(月) 23:21:46.03 ID:Mm9A+QFk0
 次々と指示を出し、続々と人垣を大きくしていく。


 放課後まで残っていた生徒の数は確かに少ない。

 部活動をしていた生徒の数を含めてもそれは変わらない。


 それでも、休憩のタイミングでちょっとした疲れを取りたい生徒や……。

 友人との帰り道に、一つの話題として提供できるように……。


 皆の心を読み取り、そこに合わせて音を強調させ、この音楽に夢中にさせていく。


 音のバランスが時たま崩れてしまうのは、やはりまだ練習不足の証。

 高音が足りず低音が目立ったり、打楽器が他の音に飲み込まれてしまったり。


 皆の力を把握出来ていない、俺のミスもある。


 しかし……それでも。


 何人もの生徒の足を止めさせることに、成功した。


 これこそまさに……彼女たちの現在の実力を示す、確かなる証。


 それを作り上げた合奏が……今、終わりを迎える。

96: 2015/06/29(月) 23:23:29.63 ID:Mm9A+QFk0
~~~~~~

 ジャン…!

神峰「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 すごい汗。
 そりゃ、あれだけ沢山の指示を出してたんだもんな。
 繊細さと大胆さ……神経を研ぎ澄ませながらの、あの動きだったんだ。
 指揮者って、こんなに大変だったのか……。


わあああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーー……!!


久美子「えっ、え?」


晴香「スゴい歓声……」


葵「皆……足を止めて聞いてくれたんだ」


香織「こんな……少しだけ足を止めてくれたりはしたけど、歓声なんて……」


 ――これが、神峰さんの指揮……!


神峰「違う……!」


 ――えっ?


神峰「これは……皆の、実力だ……!」

神峰「だが……これでもまだ……まだ足りねェ……!」

神峰「もっとだ……もっと演奏者(みんな)が周りに聞かせたいって思いを乗せて吹けば……」

神峰「もっともっと……周りは聞いてくれるぞ」ニヤリ


 ――…………!

97: 2015/06/29(月) 23:24:37.91 ID:Mm9A+QFk0
滝「神峰くんの言うとおりです」

滝「これでもまだ、あなた達の限界ではありません」

滝「あくまでも、現状の最高演奏というだけです」

滝「とはいえ、さすがにマーチングで先程のをやれとは言えません」

滝「ですが、完成形の明確なビジョンが見えたでしょう?」

滝「神峰くんが居なくてもそれに近づけるよう、もっと練習をしましょう」

滝「分かりましたか?」


『はいっ!』


葵(…………)

98: 2015/06/29(月) 23:27:32.03 ID:Mm9A+QFk0
サイドエピソード2・サンフェス当日


神峰(ヤバイな……強豪校に挟まれたプレッシャーのせいで、皆萎縮しちまってる)

神峰(オレは部外者だから皆を励ますことも出来ねェし……どうすれば)


麗奈「…………」スッ


神峰「っ!」

神峰(高坂さん……トランペットで皆を落ち着けようとしてるのか……!)

神峰(だったら……気付けっ……!)スッ


麗奈「っ!」


神峰(…………)ニヤッ


《躊躇うな!! 全力で吹いてやれっ!!》


麗奈「……っ」


神峰(あァ、分かってる。オレなんかの指揮がなくても、お前なら全力で吹いてくれただろうさ)

神峰(だがそれでも、責任を被るのがオレの役目だ。だから何も、気にするな)

100: 2015/06/29(月) 23:30:08.15 ID:Mm9A+QFk0
優子「ちょっと高坂さん! ここに来たら吹いちゃダメって言われてるでしょっ!?」


麗奈「すいません」


晴香「あれ? でも何か、遠くで神峰さんが指揮棒持ってるけど……」


優子「えっ!? またあの人っ!?」

優子「も~! 練習で吹いた時も訳わかんない指揮してくるし、いつもは紐ニートみたいに何もしないくせに、こんな時だけ余計なことしないでよっ!」


晴香「まあまあ。でも、あの人の指揮で吹いた時、確かに上手になってたでしょ?」


優子「それは……そうですけど」

優子「でも他は、楽器運搬ぐらいでしか役に立ちませんでしたしっ!」


晴香「あはは……」

101: 2015/06/29(月) 23:31:41.25 ID:Mm9A+QFk0
サイドエピソード3・葉月ちゃんの落ち込み


神峰「なァ、低音パート」


あすか「ん? なんですか、神峰さん。あたし達今結構忙しいんだけど」


神峰「えっ、あ、いや、ごめん」

神峰(着ぐるみ着てたっぽい黄前さんがいるけど、本当に忙しかったのか……?)

神峰「いや、それよりも聞いてくれ。どうも加藤さんの様子が――」


久美子「あ~、はいはい。分かってますよ。今それを話してるんですから」


神峰「うっ、なんか、やさぐれてる?」


緑輝「ごめんなさい。あすか先輩のせいで、ちょっと……」


神峰「あ~……いや、オレが来たタイミングが悪かったな」

102: 2015/06/29(月) 23:32:30.50 ID:Mm9A+QFk0
神峰「で、皆でそのことを話し合ってたのか?」


卓也「はい」


梨子「それで、どうやったらやる気が出るかなぁ、と思いまして」


神峰「担当の楽器はチューバだもんなァ……あの子は初心者だから、基礎練しかしてないのか?」


久美子「あ……」


神峰「ん?」


久美子「そういえば葉月ちゃん、合奏、したことないかも」

103: 2015/06/29(月) 23:33:30.19 ID:Mm9A+QFk0
~~~~~~

麗奈「……それで、どうしてアタシの所に来たんですか?」


神峰「いや、これから低音だけで吹くみてェだから、もうちょっと音が欲しいな、と思って」


麗奈「……加藤さん、初心者なんでしたっけ」


神峰「ああ。そのモチベーションを復活させるためにもさ」

神峰「それにこれがキッカケで、キミが話したがってる黄前さんと話すキッカケになるかもしれねェし」


麗奈「っ……卑怯です、それ」


神峰「いや、わりィわりィ」


麗奈「……少しもそう思ってませんよね?」


神峰「まァ、そこはどうでも良いだろ?」

104: 2015/06/29(月) 23:34:18.99 ID:Mm9A+QFk0
麗奈「……はぁ……」

麗奈「分かりました。アタシも行きます」


神峰「おう、サンキューな」


麗奈「他には誰か呼ぶんですか?」


神峰「いや、そこまで大事にするつもりもねェし、高坂さんが来てくれるなら、他はもう良いかな」


麗奈「そうですか」

105: 2015/06/29(月) 23:35:16.02 ID:Mm9A+QFk0
麗奈「……噂、本当だったんですね」


神峰「噂?」


麗奈「部員が躓いてるタイミングで手を貸してるって話し」

麗奈「パート内でもあまり話さないアタシにまで届いてました」


神峰「まァ、辞められるのは困るしな」

神峰「それに、オーディションが決まって、皆どこかで気を張ってる」

神峰「それが変な形で爆発しないようにしねェと」


麗奈「それも、滝先生の頼み、ですか」


神峰「それと、俺個人の勝手な行動、だな」


麗奈「……それなら、先にそちらを言ってくれたら、さっきみたいに脅すようなことを言う必要も無かったんですよ」


神峰「いや、キミの場合は黄前さんを持ち出した方が良いかと思って」


麗奈「は?」

106: 2015/06/29(月) 23:36:31.95 ID:Mm9A+QFk0
神峰「少しずつ、彼女の心に変化が起きてる」

神峰(棘はそのままだが、蕾が少しだけ開き始めていた)

神峰「その手助けをしてるのが高坂さんなんだろ?」


麗奈「…………」


神峰「前話してくれた自分で話をしたい子っていうのが黄前さんだ。違うか?」


麗奈「……楽譜」


神峰「え?」


麗奈「何を吹くのか教えてくれないと、吹けません」


神峰「あっ、ああ。えっと、楽譜はたぶん、高坂さん自身が持ってると思う」


麗奈「もしかして、課題曲か自由曲ですか?」


神峰「まさか。このバンドでの練習曲として、最初に皆に配られるって聞いたぞ」

107: 2015/06/29(月) 23:37:31.64 ID:Mm9A+QFk0
~~~~~~

緑輝「あ、神峰さん」


神峰「おう、お待たせ」


久美子「えっ? 高坂さん!?」


神峰「ああ。低音だけだとアレかと思ってな」

神峰「ついでに、俺も指揮をさせてもらう」


緑輝「本当ですかっ!?」


神峰「うおっ!」


緑輝「私一度、神峰さんの指揮で演奏してみたかったんです!」


神峰「そ、そうか……そこまで喜んでもらえて、何より」


麗奈「……よろしく」


久美子「うん、その……よろしく」

久美子「なんで引き受けたんだろ」


麗奈「いけなかった?」


久美子「あ、いや、そんなつもりじゃ……」

108: 2015/06/29(月) 23:38:40.59 ID:Mm9A+QFk0
麗奈「ふふっ、冗談。そういうとこ、やっぱり黄前さんらしいね」


久美子「あ……」


麗奈「この間の仕返し」


久美子「……なぁに、もう。まだあのこと根に持ってたの?」


麗奈「さあ? どうだろうね」


久美子「まったく……高坂さんはいい性格してるよ」


葉月「あれ? 皆何して……ってあれ? 高坂さん?」


緑輝「あ、葉月ちゃん! 実はコレ、皆で合奏してみたいんですけど――」



……………………

…………

……

109: 2015/06/29(月) 23:40:05.60 ID:Mm9A+QFk0










葵「先生……私、部活辞めます」

110: 2015/06/29(月) 23:41:50.98 ID:Mm9A+QFk0
~~~~~~

神峰「斎藤さん! 待ってくれっ!」


葵「神峰さんも追いかけてきたんですか?」

葵「私よりも、晴香や久美子ちゃんを気にしたほうが良いですよ?」

葵「言い合いの声が聞こえてきましたし」

葵「どうせ、私は辞めるんですから」


神峰「本当にそれで良いのかっ?」


葵「……良いに決まってるじゃないですか」

葵「そうでもしないと、志望校にだって合格出来ないし……」

葵「どちらも中途半端にするぐらいなら、どちらかを切り捨てて集中しないと……」


神峰「でもキミの心は、そうは言ってない」


葵「っ」


神峰「勉強に追い立てられているその心を唯一癒してくれていたのが、音楽じゃなかったのか?」

神峰「ここの! この、バンドだったんじゃないのかっ!」


葵「あなたに! 私の何が分かるって言うんですかっ!」





神峰「分かるに決まってんだろ!」





葵「っ!」

111: 2015/06/29(月) 23:43:11.62 ID:Mm9A+QFk0
神峰「これから苦しいだけのことに足を突っ込もうとしてるキミがいることぐらい……分かるに決まってんだろ……!」


葵「そんなの……だって、勉強なんて、辛いだけなのは、当たり前で……」


神峰「あァ。でも、だからこそ、息抜きが必要なんだろ?」


葵「それが、あそこでは出来なくなった。だから辞めるんです」


神峰「本当は、そうじゃねェんだろ?」


葵「っ」


神峰「キミは、全国を目指すことを、良しとしていない」

神峰「でも、自分の出来る範囲で全力を目指す楽しさを、否定はしていない」

神峰「あくまでも、全国を目指すことだけだろ? キミの否定は」


葵「それ、は……」


神峰「……去年のこと、か」


葵「っ!」

112: 2015/06/29(月) 23:44:38.83 ID:Mm9A+QFk0
神峰「真剣に取り組もうとしていた後輩を引き止められなかったくせに、自分たちだけそのことに目を背けて全国を目指す」

神峰「それが、イヤなのか」


葵「…………」


神峰「……断言してやる」


葵「え……?」


神峰「このまま辞めたらきっと、キミは後悔ばかりする」

神峰「そして、今止まっている勉強が、より進まなくなる」


葵「だから……吹部を続けろって言うんですか……?」


神峰「ああ」


葵「っ! あなたは! 大学は諦めて! 部活にだけ専念しろと、そう言うんですかっ!」


神峰「違う」


葵「なっ……!」


神峰「オレが言いてェのは、勉強に集中するにしても部活を続けるにしても、その心にケジメを付けろってことだ」


葵「ケジメ、って……」


神峰「中途半端はダメ、なんだろ?」

神峰「今みたいに、負い目を感じたまま音楽を辞めたって、どうせ心にシコリが残る」

神峰「だったら、徹底的に向き合うべきだ」

113: 2015/06/29(月) 23:45:12.89 ID:Mm9A+QFk0
葵「でも……そんなの、どうやって……」


神峰「俺に、考えがある」


葵「えっ……?」


神峰「斎藤さん、アンタが塾を休める日……教えてくれないか?」

118: 2015/06/30(火) 20:46:36.28 ID:VJ1kkMw70
~~~翌日~~~

滝「……分かりました。では本日の放課後、音楽室の片付けはしないでおくよう伝えておきます」


神峰「よろしくお願いします」


滝「……神峰くん」


神峰「はい?」


滝「私の指導は、間違えているでしょうか?」


神峰「えっ……?」

119: 2015/06/30(火) 20:49:11.37 ID:VJ1kkMw70
滝「あなたのおかげでこの世界に戻れて、あなたのように音楽で人を助けていけるようになりたいと思ってました」

滝「……全国を目指す、なんてこと自体、そもそもあの子達を助けることになっていなかったのでは……」

滝「もしかして私は、妻の母校で金賞を取りたいというエゴに、あの子達を巻き込んでしまっているだけなのではないか……」

滝「そう考えてしまって、仕方がないのです」


神峰「……オレは、そうは思いません」

神峰「全国を目指すことになってから、この部は間違いなく、いい方向へと変わってます」

神峰「滝先生が手を尽くしてなかったら、ここにいた子達は全員、全力を出す楽しさを分かることなんて無かったと、そう思うス」


滝「ですがそのせいで、斎藤さんのような人を出してしまった」

滝「あの子の望みは、そんなことではなかったのでは……」


神峰「違います」

神峰「彼女も間違いなく、全力を出す楽しさを知ってます」

神峰「何よりまだ、音楽は好きなままです」

神峰「だから滝先生の指導は、何も間違えていません」


滝「……そう、でしょうか……」

120: 2015/06/30(火) 20:55:32.28 ID:VJ1kkMw70
神峰「それに、滝先生のように厳しい指導をしてくれてないと、あの運動場での練習の時にみたいな、周りを引き込む合奏なんて出来なかったスよ」

神峰「アレはやっぱり、しっかりとした実力があってこそ出来ることです」

神峰「いくらオレの指揮が良くても、地力が無いと何の意味もない」

神峰「その地力を作ってくれてる指導に、間違いなんてあるはずもないスよ」


滝「……私も、あなたのような指揮が出来れば良かったのですけどね」


神峰「そんなの必要ねェスよ」

神峰「高校時代、一緒に学生指揮で注目されてたヤツがいたんスけど」

神峰「アイツのやり方と先生のやり方は、おんなじです」

神峰「あらゆる音の中から一人一人を見て、聴いて、それぞれに合った適切なアドバイスをし、ブレることなく成長させる」

神峰「そうして上がった質の高い音楽を一つに纏めて、最高以上の“合奏”にする」

121: 2015/06/30(火) 20:57:30.04 ID:VJ1kkMw70
神峰「オレみたいに、個性を際立たせる合奏とは真逆スけど……でもだからって、間違いって訳じゃ決してねェ」

神峰「少なくとも、コンクールって場では正しい方だとさえ思うス」

神峰「だから、大丈夫スよ」


滝「……それは、伊調剛健氏のお孫さんですね」


神峰「はい」

神峰「アイツはオレが認めた、生涯のライバルッスから」


滝「だから大丈夫、と」


神峰「はい」

122: 2015/06/30(火) 20:58:17.63 ID:VJ1kkMw70
滝「そうですか……ありがとうございます、神峰くん」

滝「どうも私は、弱気になってしまっていたようです」

滝「神峰くんどうか、斎藤さんのこと、よろしくお願いします」



神峰「……任せてください」

123: 2015/06/30(火) 21:00:08.25 ID:VJ1kkMw70
~~~練習後~~~

神峰「中世古さん! ちょっと待って!」


香織「はい?」


神峰「これから帰り……というか、小笠原さんのお見舞いだよな?」


香織「え? えぇ……そうですけど」


神峰「良かったら家の場所、教えてもらえないか」


香織「えぇ!? それって、あの……は――小笠原さんの、ですよね?」


神峰「ああ。ちょっと直接、頼みたいことがあって」


香織「それは……ちょっと……私が伝言で、ってのではダメですか?」


神峰「出来れば、オレが直接伝えたい」

神峰「斎藤さんのことだから」


香織「っ……」


神峰「……いや、それでも一女子高生の家を訪ねるのはあまりにも失礼か」

神峰「じゃあ伝言、頼めるか?」


香織「……ちょっと、待ってください」


神峰「? ああ」

124: 2015/06/30(火) 21:03:38.16 ID:VJ1kkMw70
~~~~~~

香織「渋ってましたけど、インターホン越しなら話だけ聞きます、って」


神峰「そうか。ありがとう、中世古さん」


香織「そんな。構いませんよ」


神峰「でもなんか、電話で結構お願いしてくれてたみてェだからさ」


香織「……神峰さんならなんとかしてくれるかも、って」

香織「そう、思ったんです」

香織「だから本当に、構いません」


神峰「……ああ」


香織「じゃあ、一緒に行きますか? 少し寄り道することになりますけど」


神峰「いや、せっかくの嬉しい申し出だけど、他にも声をかけて回らないといけねェから、後で行くことにする」


香織「え?」


神峰「そうだな……中世古さんにも、頼みがあるんだ」


香織「頼み……?」

125: 2015/06/30(火) 21:06:16.70 ID:VJ1kkMw70
~~~~~~

神峰「黄前さん!」


久美子「え?」


神峰「良かった。まだ残っててくれて」


久美子「? あの、どうかしましたか?」


神峰「この後、ちょっと残れるか?」


久美子「は? なんでですか?」


神峰「斎藤さんのために、頼む」


久美子「葵ちゃんの……」


神峰「ああ」


久美子「でも……葵ちゃんは、たぶん……」

久美子「だって今日も来てなかったし……」


神峰「後で俺が連れてくる」

神峰「昨日約束したから、絶対だ」


久美子「…………」

126: 2015/06/30(火) 21:07:37.39 ID:VJ1kkMw70
神峰「……これが、あの子の心と音楽を繋ぎ止める、最後のチャンスだ」


久美子「えっ……?」


神峰「ここで来なかったら黄前さん、キミもきっと斎藤さんのように、心にシコリを残し続けることになる」

神峰「その突き刺さっている棘が、抜けなくなるぞ」


久美子「…………」


神峰「自分の気持ちを乗せて吹く。それだけで良い」

神峰「今日みたいに散々でも良い」

神峰「そのための練習会、みたいなもんだ」

神峰「だから……頼む……!」


久美子「……分かり、ました」

127: 2015/06/30(火) 21:13:35.20 ID:VJ1kkMw70
秀一「あの……俺もそれ、残って良いんすか?」


神峰「ああ! 是非頼む!」

神峰「塚本だって、斎藤さんと幼馴染だろ?」

神峰「彼女に……音楽を辞めてほしく、無いんだろ?


秀一「……はいっ」


神峰「よしっ」


麗奈「…………」


久美子「あの、他にも声を……?」


神峰「ああ。練習前から休憩中、斎藤さんのことを気に掛けてる奴には片っ端からな」


久美子「じゃああすか先輩は……?」


神峰「……わりィ」

神峰「あの人の説得は、出来なかった」

128: 2015/06/30(火) 21:14:58.74 ID:VJ1kkMw70
~~~晴香宅前~~~

香織「神峰さん」


神峰「お見舞い、終わったか?」


香織「はい」

香織「あっ、神峰さんの話はあえてしませんでしたから」

香織「……だから……絶対、晴香を連れて来て下さい」


神峰「……ああ。任せろ」


香織「では私も、学校に戻ってます」」

129: 2015/06/30(火) 21:16:53.45 ID:VJ1kkMw70
ピンポーン

晴香『……はい』


神峰「えっと、小笠原さんの……いや、この場合は、えっと……」


晴香『神峰さん、ですよね?』


神峰「あ、ああ。えっと、小笠原さんで……って、この場合は親でもそうなるから、んと……」


晴香『うふふ……大丈夫です。北宇治高校吹奏楽部部長の方の小笠原ですから』


神峰「あ、ああ。すまねェ、気ィ遣わせて」


晴香『いえいえ』


神峰「……なんだか、元気になってるな」


晴香『香織の……中世古さんのおかげで、少しだけ』


神峰「それなら……早速本題に入らせてもらって良いか?」


晴香『はい』


神峰「すぅ~……はぁ~……」

神峰「小笠原さん、斎藤さんのために一曲、吹いてくれないか?」

130: 2015/06/30(火) 21:18:38.06 ID:VJ1kkMw70
~~~三年生の教室~~~

ガラッ

葵「あ……」


神峰「すまねェな。待たせちまった」


葵「いえ。自習しておくには、十分な時間でしたから」


晴香「葵……」


葵「……これから、音楽室に行くんですよね」


神峰「ああ」


葵「これで私は、音楽を辞められるんですよね?」


晴香「えっ!?」

晴香「ちょっと神峰さん、どういうことですかっ!?」


神峰「そうなるかもしれねェ可能性があるってだけだ」


晴香「そんな……」


神峰「……オレに出来るのは、指揮だけだ」

神峰「彼女の心に音を届けられるのは、直接吹くおまえだけだ」

神峰「だから……斎藤さんを助けるためにも、頑張ってくれ」


晴香「…………」

131: 2015/06/30(火) 21:20:03.44 ID:VJ1kkMw70
~~~音楽室~~~~

 教室への扉を開けると同時、中のザワつきは息を潜めた。


久美子「…………」

秀一「…………」

香織「…………」

「…………」


晴香「みんな……」


 皆から一斉に視線を浴びせられ、隣で呆然とした口調で呟く小笠原さん。

 後ろに立つ斎藤さんも、小さく息を呑み圧倒されていた。

 そんな二人を連れ従うように、中へと入っていく。


 そこにいたのは、声をかけた面々全て。

 斎藤さんと面識があり、去年の彼女の頑張りを知り、ここで辞めて欲しくないと思っている三年生のほとんどと……。

 そんな彼女を慕い、辞めずにここまでやってきた二年生のサックスメンバー……。

 そして、今年に入って指導してもらったのであろう、一年生のサックスメンバー。


麗奈「…………」


 それに何故か、高坂さん。

132: 2015/06/30(火) 21:22:17.34 ID:VJ1kkMw70
 心を見る限り、黄前さんを励ます意味でここに来たらしい。

 この場にいて唯一、斎藤さんのためではないのにここに存在している。


神峰「…………」


 こんなことなら、もう少し声をかけても良かったかもしれない。


神峰「え~……みんな、放課後に臨時の練習会に集まってくれてありがとう」

神峰「練習する曲はもちろん、コレだ」


 楽譜を取り出すまでもなく、皆が理解してくれている。





 それはまさに、斎藤さんが辞めると言うことになった、あの曲だった。

133: 2015/06/30(火) 21:23:17.71 ID:VJ1kkMw70
~~~~~~

神峰「それじゃあ皆、行くぞ」


 いつもの練習通りの席に座ってもらい、準備が完了したのを見計らい、指揮棒を上げる。


 チューニングも終えた。皆の心も落ち着いてる。


 さあ……斎藤さん、行くぞ……!


神峰「っ!」


 指揮棒を振り、演奏を開始。


《皆!! 思っていることを 音に乗せろ!!》


 漠然としすぎた指示。

 しかし皆、その指示通り心を音に乗せ、斎藤さんに自分を伝えるかのように、届ける。


 何人かは微かにしか乗っていない。

 しかしそれでも、慕われている張本人である斎藤さんには、しっかりと届いている。

134: 2015/06/30(火) 21:25:11.60 ID:VJ1kkMw70
 戻ってきて欲しい。
 辞めないで欲しい。
 一緒に全国に行きたい。


神峰「っ……」


 葵、一緒に頑張ろう。
 練習ならいくらでも付き合うから、葵。
 葵ちゃん、もっともっと、一緒に吹いていたい。
 斎藤先輩、昔みたいに久美子と一緒に三人一緒になって、吹いてみたい。


葵「…………」


 葵先輩、もっと一緒に吹きたい。
 斎藤先輩、もっと教えて下さい。
 指導して下さい。
 先輩がいないと、ダメなんです。


神峰「っ……!」





 ――違う。

135: 2015/06/30(火) 21:26:38.93 ID:VJ1kkMw70











神峰「違うだろっ!!」





神峰「そうじゃねェだろっ!!」

136: 2015/06/30(火) 21:28:14.53 ID:VJ1kkMw70
《演奏!! 止めるなっ!!》


 突然のオレの声に驚き、止まりそうになる音の流れを、指揮棒を振るい繋ぎ止める。

 それでもいくつか、音が止まる。


 構うもんか。

 そうじゃないってことを、伝えてやらないといけねェっ!


《トランペット――いや、高坂さん!!》


 一人を指差し、指示を出す。


《お前の気持ちを 強く音に乗せろ!!》


 一つ特出し、音のバランスを崩してしまっても構わない。

 ただそれでも、彼女の心を、皆に聞かせる必要があった。



 その……関わりが無いが故の、言葉を。





 逃げるな、と訴えてる、その力強い音を。

137: 2015/06/30(火) 21:30:23.40 ID:VJ1kkMw70
葵「っ……」


 そうだ。

 それで良い。


 やっと、斎藤さんの心が、動いた。


 周りの音に無関心になり、ただ机に向かっていただけの心がようやく、顔を上げた。


《その調子だ!! もっと強く!! 周りの音を飲み込めっ!!》


 音楽室に響くのは、大きな一人のトランペット。

 最早合奏でもなんでもない。


 でもオレは、その大きな音に、皆がついてきて欲しかった。

 そうした合奏が、聞きたかった。


 だが、それは無理だ。

 こんな、戻ってきて欲しいという、懇願するような音では……。

 高坂さんの突き放つような力強い音に、ついて行けるはずがない。

138: 2015/06/30(火) 21:33:11.93 ID:VJ1kkMw70
神峰「なんでだよ……! なんで“戻ってきて欲しい”なんだよっ……!」

神峰「違うだろ! そうじゃねェだろうがァッ!!」


《他の音!! トランペットに続け!!》


 その指示にはやはり、誰も従わない。

 従えない。

 逃げるな、という音の意図が、分からないから。


 だったら……教えてやる。

 口で言うしかない。


 みんなが気付いていないというのなら、オレが……!


 斎藤さんの逃げようとしている、その弱さを……!


神峰「去年の事件に斎藤さんの責任なんて無かったんだろ? それは皆分かってんだろ?」

神峰「それなのに彼女は、自分のせいだと勝手に思って、逃げようとしてんだぞ!」


 違う!

 そんな斎藤さんの心の訴えを、オレはトランペットの音色だけを武器に反論する。


神峰「分かるか? ここにいる全員は、おまえを慕ってここにいる!」

神峰「それなのにお前は! 受験って言葉を武器にして、コイツ等を突き放そうとしてんだ!」

神峰「自分の中にある罪悪感を遠ざけたいがためだけに!」

神峰「全部を捨てるために、そんなことをしてんだっ!」


 でも私は! 辞めていったあの子達を無視して、今更全国なんて目指せない!


神峰「だからって! 手を尽くしてくれたお前のその背中を追いかけてきた仲間を! 切り捨てて良い理由にはならねェ!!」

139: 2015/06/30(火) 21:38:01.82 ID:VJ1kkMw70
神峰「辞めるのを止められなかった負い目は分かる! 辛ェのも分かる! もっと最善の手があったんじゃないかと後悔し続けるのも分かる!」

神峰「そうやって辞めた奴らを見ないふりして、全国を目指せないってのも分かる!」


 それから逃げることの何が悪いのっ!


神峰「ああ! 確かにそれから逃げることは何も悪くねェ!」


 じゃあ――


神峰「俺が許せねェのは、音楽が好きな癖に嫌いなんて言って、自分にまで嘘ついて逃げてることだっ!」


 っ!


神峰「しがらみから逃げたって構わねェ!」

神峰「過去の罪悪感を全て遠ざけたって構わねェ!!」

神峰「なんなら仲間を切り捨てて自分だけを守るのだって一つの考えとしてはありなのかもしれねェ!!!」

神峰「だがな……音楽を好きだって気持ちからは、逃げるなよ」


 …………。


神峰「隣を見てみろ」

神峰「そこには、お前が見捨てようとしたのを知って尚、お前の音楽が好きって気持ちを支えてくれようとしてる仲間がいるだろ」


 あ……。

140: 2015/06/30(火) 21:41:39.36 ID:VJ1kkMw70
 戻ってきて欲しい。

 そんな重りにしかならない、縋るような音はいつの間にか……。

 何が何でも支えてやるという、優しい音へと変わっていた。

 これなら……。


《小笠原さん 今の気持ちを》


晴香「っ……!」


 聞こえる音色に乗せられたのは、何が何でも傍にいるという……彼女らしい音。


《皆も 今の気持ちを》


 その音に追従するかのように、逃げるなと激励する高坂さんのような力強い音と……。

 小笠原さんのような、共に歩んで守っていきたいという、優しい音が重なる。


 それは、作曲者の気持ちを無視し、演奏者同士の気持ちだけを優先した、身勝手な演奏と呼んでもおかしくない代物だ。

 しかし……それなのに何故か、この別々の音の重なりは確かに合奏となり、皆の心に届く音楽となっていた。

141: 2015/06/30(火) 21:43:28.86 ID:VJ1kkMw70
 心の中の彼女もまた、その音楽に触発され、机に立てかけていたサックスへと手を伸ばす。

 しかし、あと一歩で、そのサックスへと、触れられない。


 引き止められなかった自分が、今更全国を目指す。

 見て見ぬフリをして同じことを言っている、周りの環境。

 それら全てに対する、嫌悪感。


 それがイヤで、苦しくて、全てを捨てて、逃げようとした。

 音楽を好きだって気持ちまで否定して、自分に嘘までつこうとした。



 そんな心で、前に進もうとした。


 例えそれが、苦しいだけの道のりだと、分かっていても。


 だから――





神峰「好きなんだろっ!!!」





 ――そうなってしまっている心に、直接叫ぶ。

 皆の音で開かれた、その心に。

142: 2015/06/30(火) 21:44:37.16 ID:VJ1kkMw70
神峰「ただ純粋に! 音楽を続けたいんだろっ!」

神峰「だったら! 小難しいこと考えんな!」

神峰「どうすることも出来ないことが襲ってきても! オレが守ってやる!」

神峰「どんな苦痛も、オレが受け止めてやる!」

神峰「だから! 好きな音楽ぐらい! 好きに続けろよっ!」



神峰「自分の心ぐらい、自由にさせてやれよっ!」

143: 2015/06/30(火) 21:46:17.33 ID:VJ1kkMw70
 音楽を捨てきれない。

 だから机に立てかけてあったのだ。そのサックスは。

 それこそが、彼女の心のシコリの正体。


 重りの、正体。


 だけどそれは手に取れば、羽根のように軽い。

 そして吹いてみれば……それは彼女の心をクリアにする、魔法のアイテムとなる。

 だがそれを手にするということは、好きなものまで巻き込んで捨てようとしたイヤなものと、また向き合うということ。

 巻き込まなければ捨てられなかったものと、また戦うことになるということ。


 確かに、それは怖いだろう。


 だったら……それらを全部、オレが受け止めてやれば良い。

 盾になる存在がいると、教えてやれば良い。

 仲間もいると、分からせてやれば良い。


 そしたらきっと……彼女の心は、自由になる。


 そして自由になった心は、知ってくれるはずだ。

 そうして歩いて行く未来は、怖がる必要なんてないぐらい、楽しいものだってことを。

144: 2015/06/30(火) 21:47:17.36 ID:VJ1kkMw70
~~~♪ ~~~~~~♪


 それは、滝先生に幾度と無く注意されていたフレーズ。


 部を辞めると宣言するキッカケとなる箇所とは別の、さらに難しい箇所。


 しかしそこを、失敗することなく……むしろ今まで失敗していたのが嘘のように、流麗な音で奏でる。


 それは正に、心のシコリが取り除かれた証の音。


 そこをしっかりと吹けている彼女の心は……閉じ込められた部屋の窓を開け放ち、外に向けて元気にサックスを吹く、明るく解き放たれたものになっていた。

145: 2015/06/30(火) 21:47:57.59 ID:VJ1kkMw70
~~~演奏終了~~~

晴香「葵……!」


葵「あ……」


晴香「あなた……泣いて……」


葵「ううん……大丈夫」

葵「……ねえ、みんな」


晴香「ん?」


葵「音楽って、やっぱり楽しいね」

153: 2015/07/01(水) 23:07:43.41 ID:T/Ts7gw80
~~~~~~

滝「退部届の取り下げ、ですか」


葵「はい。ダメ、ですか……?」


滝「……おかしいですね」

滝「元々、退部届を受理していないんですよ、私は」


葵「……え?」


滝「まあ、格好つける必要もありませんね」

滝「実は、神峰くんに頼まれていたんです」


葵「神峰さんに……?」


滝「あなたの退部届を受理しないで欲しい。自分が必ず連れ戻すから、と」


葵「あ……」


滝「彼を信じて良かったです」

滝「斎藤さん、よく戻ってきてくれました」

154: 2015/07/01(水) 23:08:43.57 ID:T/Ts7gw80
滝「ただ、私はあなたを特別扱い出来ません」

滝「また前のように、厳しく注意してしまうと思います」

滝「それでも、構いませんか?」


葵「……もちろんです」

葵「だって私も、音楽を全力でやることが楽しいことだって、思いますから」

葵「ぜひ全力でのご指導、よろしくお願いします」

155: 2015/07/01(水) 23:12:00.35 ID:T/Ts7gw80
~~~~~~

神峰「ふぅ……ざっとこんなもんか」

神峰(音楽室を使わせてもらう交換条件で片付けすることになってたが……)

神峰「二人が手伝ってくれたおかげで早く片付れた。助かったよ」


晴香「いえ。私、部長ですから」

晴香「それに今日、学校自体休んだのにここにいますから……これぐらいしないと」


葵「私も、今日は部活をサボっちゃいましたし」


神峰「そっか」

神峰「……なあ、斎藤さん」


葵「はい?」


神峰「これだけのことやっといてアレだけど」

神峰「結局高校生にとって、受験って結構大切だと思う」

神峰「だから――」


葵「続けますよ。部活は」


神峰「……良いのか?」


葵「逃げるな、って言ったのは、神峰さんですよ?」


神峰「そりゃそうだけど……別に部活に拘らなくても、音楽は続けれるだろ?」

神峰「オレはあくまで、音楽を好きなままでいてくれりゃ良いだけなんだし」

156: 2015/07/01(水) 23:14:47.55 ID:T/Ts7gw80
葵「もしかして、私って吹部に来たら邪魔ですか?」


神峰「いや、それはねェ」

神峰「斎藤さんが来てくれた方が部は支えられる」

神峰「それにオレ個人としても、来てくれた方が嬉しい」


葵「……そですか」


晴香(……あれ……?)


葵「まあ、それなら良いじゃないですか」


神峰「……正直言うと、音楽から逃げることを辞めた時点で、オレは勉強に戻っても良いと思ってた」

神峰「自分の気持ちが整理出来てない内に勉強に取り組んだ所で、集中なんて出来ねェのが目に見えていたが……今なら大丈夫だろ」


葵「だからこそ、です」

葵「これからはきっと、前までとは違い、両立できると思います」

葵「そんな気が、するんです」


神峰「……そっか」


葵「それに、神峰さんには責任を取ってもらいたいですから」


神峰「責任?」

157: 2015/07/01(水) 23:15:43.40 ID:T/Ts7gw80
葵「サンフェスの練習の時……もしあなたの指揮で吹いていなかったら、私はまた、こんなにも音楽を好きになんてなってなかった」

葵「きっと、そこまで好きじゃなかったとか言って、本当に音楽を捨てることが出来てたと思います」

葵「だから今、こうして続けることになったのは、神峰さんの責任です」


神峰「……なるほどな」

神峰「だったら、責任は取らねェとな」


葵「はいっ」

158: 2015/07/01(水) 23:17:00.20 ID:T/Ts7gw80
晴香「それにしても神峰さん、先生でもないのに葵の受験のこととか心配してくれてますけど……もしかして大学入試に失敗でもしたんですか?」


神峰「いや、オレは刻――友達と一緒の音大に行ったからな」


晴香「えっ!? 神峰さん、音大出身なんですかっ!?」


神峰「つっても、友達と一緒に受験してそのまま付き添って入学と卒業したようなもんだから」


晴香(いや、音大を友達に付き添っただけで入学して卒業出来るって……それは色々とおかしくない!?)


神峰「そりゃ、色々と音楽の知識が入るのは楽しかったが……途中から楽団荒らしばかりしてたからなぁ……」


葵「楽団荒らし?」


神峰「荒らし、ってのは言い過ぎか」

神峰「ま、色々なバンドに入ったり辞めたりを繰り返しただけって話だ」

神峰「それでいつの間にかそう呼ばれるようになってよ」


葵「へ~……いや、でも神峰さんなら別に違和感ないですね。なんかそういうの繰り返してそうなイメージですし」


神峰「そんな気性荒く見えてんのか、オレ……」

160: 2015/07/01(水) 23:18:40.41 ID:T/Ts7gw80
神峰「さ、それじゃあ帰るか。もう遅いし、二人共送って行くよ」


葵「良いんですか?」


神峰「ああ。車で来てるから、ちょっと待っててくれ」


晴香「あ、いえ……私は電車で」


神峰「ん? なんだよ。そう遠慮すんなって」


葵「そうだよ、晴香。乗せてってもらお」


晴香「ん、ん~……まあ、葵がそう言うなら」


葵「や、やだな~、晴香。どうして私が言うとなの?」


神峰「?」


晴香「……まあ、いきなり二人きりは気まずい、か」


葵「ちょっと晴香ったら……!」


神峰「???」

162: 2015/07/01(水) 23:21:02.63 ID:T/Ts7gw80
神峰「ま、ともかく二人共、だな」

神峰「じゃあちょっと、大きな通りに出といてくれ」


晴香「はい。あの、ありがとうございます」


神峰「こちらこそだ」

神峰「こうやって斎藤さんと話せてるのだって、小笠原さんのおかげだからな」


葵「あ、あの! 神峰さん!」


神峰「ん?」


葵「今日は本当に……ありがとう、ございました」


神峰「……ああ」

神峰「これから大変だろうけど、頑張れよ」

神峰「オレなんて頼りねェかもしれねェが、いくらでも相談に乗るからさ」


葵「……はいっ!」

163: 2015/07/01(水) 23:23:04.52 ID:T/Ts7gw80
サイドエピソード4・県祭り


神峰「はァ……見回りッスか?」


滝「はい。お祭りの日当日は、我が部の生徒も結構いるみたいですので」


神峰「それ、オレも行って良いんスか?」


滝「もちろん。人数は多いに越したことはありませんから。ね、松本先生?」


松本「はい」


滝「まあ、遊べる訳でありませんので、無理にとは言いませんが」


神峰「いや、どうせ一人だと行くことも無かったので、是非ご一緒させて頂きます」


滝「そうですか。では当日の夜、お願いします」

164: 2015/07/01(水) 23:24:46.67 ID:T/Ts7gw80
~~~県祭り当日~~~

神峰(はぐれた……!)ゴーン!

神峰(う~ん……まさかこうも人が多いとは)

神峰(大人になって迷子とか、シャレにならねェぞ)


香織「あれ?」


晴香「どうしたの? 香織」


香織「いや……あの独特の髪質でキョロキョロしてる男の人って……」


晴香「……間違いなく神峰さんだね」


葵「えっ!?」バッ!


あすか「ん~……? どうしたのかな~? 葵ちゃん。そんなすぐに反応するなんて、本当にど~したのかな~?」


葵「べ、別に……なんでもないよ」

葵「なんでもないけど、今の私の格好、別に変じゃないよね?」


香織「……葵って、こうも分かりやすかったんだね」


晴香「黙っててって言うから二人にも話さなかったのに……どうしてこうすぐにバレるかな~……」


葵「な、なにがっ!?」


あすか「」ニヤリ

あすか「お~い! 神峰さ~ん!」


葵「ちょっ、あすかっ!?」

165: 2015/07/01(水) 23:26:02.73 ID:T/Ts7gw80
神峰「っ!」

神峰「お、なんだ。四人も来てたのか」


あすか「神峰さんこそ~。もしかして彼女さんとですか~?」


葵「っ!」


神峰「んな訳ねェだろ」

神峰「それより四人とも――」ハッ


~~~回想~~~

滝「一応、見回りのことは内密に」


神峰「どうしてスか? 事前に教えといた方が厄介なことをしないかもしれないのに」


松本「私達見回りを警戒するせいで人混みを避け、人通りの少ないところを歩き、そのまま連れ去り事件になってしまうかもしれませんから」


神峰「あ、なるほど」


滝「そういうことです。ま、個人的にはそうやって警戒していては楽しめない、というのもありますけどね」


松本「滝先生?」


滝「いえいえ、なんでもありませんよ」

~~~回想終了~~~


晴香「? どうされました、神峰さん」


神峰「い、いや、楽しんでるかって聞こうと思って」

166: 2015/07/01(水) 23:27:13.16 ID:T/Ts7gw80
あすか「まあ、それなりですかね~」


香織「さっき、お祈りを済ませてきたところなんです」


神峰「へ~……斎藤さんはやっぱり、合格祈願?」


葵「あ、いえ、まあ……でも、最近は成績も上がってきてますし、このまま行けば、志望校も余裕だって、塾でも言われてて……」


神峰「そっか。それは良かった」


晴香「…………」<●><●>ニヤニヤニヤニヤ
香織「…………」<●><●>ニヤニヤニヤニヤ


葵「っ……!」キッ!


晴香「…………」サッ
香織「…………」サッ

167: 2015/07/01(水) 23:28:08.57 ID:T/Ts7gw80
神峰「それじゃあ、オレはもう行くわ」


あすか「あれ? 一緒に回らないんですか?」


神峰「そうしたいのは山々なんだが、ちょっと用事があってさ」


葵「あ……そうなんですか」


神峰「四人とも美人なんだから、変なナンパとかには付いて行くなよ?」


あすか「どれだけ信用ないんですか~?」


香織「ついて行きませんよ、そんなものに」


晴香「特に葵は、ね」


葵「晴香っ……!」


神峰「? まあ、それなら安心だな」

神峰「それじゃあまた明日、学校で」

168: 2015/07/01(水) 23:29:31.45 ID:T/Ts7gw80
~~~~~~

晴香「結局、なんでお祭りに来てたんだろ?」


香織「あすかの質問に答えたあの様子だと、本当に彼女とかじゃないっぽいし」


あすか「ま、大方見回りか何かでしょ」

あすか「で、どうせあの人のことだからはぐれちゃって、これから先生でも探すんじゃない?」


葵「よくそこまで分かるね……」


あすか「分かるよ~。彼女連れでもないのに一人でお祭り来てんだったら仕事でしょ?」

あすか「あ、それともなに? 自分と一緒に周るため、とかだったら良かったの?」


葵「べ、別にそんなんじゃ……!」


晴香「まあ、葵がこのままだと普通に卒業してさよならだよね」


葵「だから……!」


香織「でも葵が年上好きとは思わなかったな~……」


葵「ああもう! 私、先行くからねっ!」


あすか「あ~あ。図星突かれて怒っちゃった」


晴香「でもあすか、こんなの学校では言っちゃダメだよ?」


香織「そうだね。神峰さんの立場も悪くなるし……」


あすか「分かってるって~」


晴香「本当かな~……」

180: 2015/07/02(木) 22:32:07.17 ID:V5htqJJG0
~~~~~~

神峰(う~……もうかれこれ三十分は迷ってる気がする……)

神峰(こりゃもう背に腹は変えられねェ……)


――友恵も帰っちゃうし、おかげでアンタなんかと二人きりよ――

――それなら帰れば良いでしょ~?――


神峰(この歳で迷子なんでダセェからつい遠ざけてたが……)


――で、でも! そろそろ香織先輩とすれ違うかもしれないし……!――

――いやそれで会っても、どうせ二・三挨拶して終わりでしょ? だったら帰っても同じだって――


神峰(出発前に交換しておいた滝先生の番号に連絡するッ!)


――う、うっさい! 大体、なんでアンタまで一緒にいるのよ! そんなに文句言うならアンタも帰りなさいよっ!――

――放っといて先に帰ったら、アンタの場合何やらかすか分からないしね――


神峰(はぁ……ホント、情けねェなァ、オレ……)


――なにその子供扱い! ムカつく!――

――あ! ちょっとアンタ前――


ボスッ


神峰「……っとと」


??「あっ……!」


神峰「危ねェ!」ガシッ!

181: 2015/07/02(木) 22:34:44.63 ID:V5htqJJG0
神峰「ふぅ……助かった」


??「ご、ごめんなさい! 他所見してて……」


神峰「いや、携帯持って他所見してたオレも悪ィ」


夏紀「ほら、言った通り危ない」


??「た、たまたまよ! こんなのっ!」


神峰「って、中川さん?」


夏紀「ん? って、なんだ。神峰さんじゃん」


??「神峰……? げっ!」


神峰「いや、げっ、って……それはさすがに傷つくな……」


夏紀「そうよ。さすがにそれは失礼」


優子「う、うっさい! それよりもいい加減手放して!」


神峰「あ、ああ。悪ィ」パッ


優子「全く……ま、まぁ、助けてくれて、ありがとうございます……」

182: 2015/07/02(木) 22:37:51.42 ID:V5htqJJG0
夏紀「それよりも神峰さん、一人でお祭りですか?」


神峰「いや……まあ、ちょっとした用事でな」


優子「ふ~ん。もしかして見回りですか?」


神峰「いや! そんなことは……!」アタフタ


夏紀「神峰さんってウソ苦手ですね」


神峰「うっ……」


夏紀「まあウチ等も、さっき松本先生と滝先生を見かけたからそうかな、って思っただけですけど」


神峰「えっ?」


優子「先生たちならアッチにいましたから、行ったらどうですか?」


神峰「あ、ああ! 助かった! 二人共ありがとう!」

183: 2015/07/02(木) 22:39:49.88 ID:V5htqJJG0
~~~~~~

優子「はぁ~……やっと行ってくれた」


夏紀「なに? 手繋がれてドキっとした?」


優子「あ゛?」


夏紀「ごめん」


優子「全く……あたし、あの人嫌いなのよ」


夏紀「まあ、見てたら分かる」


優子「訳分かんない指揮するし、香織先輩に色目使ってるし」


夏紀「色目?」


優子「そうよ。よくパート練とか個人練の時、見に来るのよ。ウチを」


夏紀「……それって、他のパートもよくされてることじゃない? 低音パートにもよく来るし」


優子「でも指導する訳じゃないでしょ」


夏紀「まあ、そうだけど」

184: 2015/07/02(木) 22:40:45.51 ID:V5htqJJG0
優子「アレ、邪魔なのよね」

優子「葵先輩が部に留まってくれるようになってから、香織先輩もあの人に一目置くようになっちゃったし。何したのかよく分かんないけど」


夏紀「なにそれ? 要は嫉妬?」


優子「そうよ。悪い?」


夏紀「……ま、アンタらしいっちゃあらしいかな」

185: 2015/07/02(木) 22:41:37.20 ID:V5htqJJG0
優子「あ~あ、気が削がれちゃった。帰ろ」


夏紀「あれ? 香織先輩は良いの?」


優子「探してる途中でまた神峰さんに会うほうがもっとイヤだし」


夏紀「あ、そ」



タッタッタッ…

「松本先生が見回りに来てるなんて聞いてないよ~!」

「神峰さんまで来てるとかマジ最悪だし! もうっ!」

タッタッタッ…



夏紀「……ま、じゃあ私も帰ろうかな」

夏紀(遠くにあすか先輩達の姿が見えた気がしたけど……まあ良いか)

186: 2015/07/02(木) 22:45:24.76 ID:V5htqJJG0
サイドエピソード5・県祭りのその後


神峰(祭りの後、皆の心に変化があった)


久美子「…………」

麗奈「…………」


神峰(黄前さんの心は、刺さっていた棘が幾つか抜け、花も少しだけだが開き始めていた)

神峰(高坂さんの遠くを見つめる心も、支えを得てより遠くを見つめることが出来ていた)


葉月「…………」


神峰(加藤さんの心は……深く、傷ついちまっている)

神峰(それにその心を表に出さないよう、強がって無茶しちまってる……)

神峰(だが……それなのに、小さな後悔はあっても、大きな後悔はねェ)

神峰(それにその小さな後悔もまた……これからどうにかしようと考え、燃えている)


香織「…………」


神峰(中世古さんは、昨日会った時には気付かなかったが、何か一つ大きな決意を滾らせている)

神峰(たぶん……アレは……)

187: 2015/07/02(木) 22:46:22.49 ID:V5htqJJG0
緑輝「…………はぁ」


神峰(そして一番大きなのが、川島さんだ)

神峰(他の子も確かに気になるが……演奏にまで影響が出ているのは、彼女だけ)

神峰(彼女だけが、その傷との向き合い方が、出来ていない)

神峰「なんとかしねェとな……」ボソッ


滝「では、先程注意したところを重点的に、各自練習に移って下さい」

188: 2015/07/02(木) 22:47:17.81 ID:V5htqJJG0
~~~~~~

神峰「加藤さん」


葉月「はい?」


神峰「ちょっと聞きてェんだが……川島さんが落ち込んでる理由、何か知ってるか?」


葉月「えっ!?」


神峰(ん? 心が……)


葉月「い、いや~……ちょっと、あたしにもよく……」


神峰「……いや、言い辛ェことなら良いんだ」

神峰(なんだ)


葉月「はい?」


神峰「川島さんのこと、よろしく頼むな」

神峰(川島さんをどうにかしたいって気持ちで一杯じゃねェか。この子の心は)


葉月「……っ! もちろんです! 任せて下さいっ!」グッ!


神峰「ああ!」

神峰(オレが気ィ遣うまでも無かったな)


葉月「神峰さん!」


神峰「ん?」


葉月「背中、押してくれて、ありがとうございます!」


神峰「おう! 頑張って来い!」

189: 2015/07/02(木) 22:48:38.22 ID:V5htqJJG0
サイドエピソード6・オーディション当日


松本「あら?」


神峰「おはようございます」


松本「おはようございます。今日は早朝に来られたのですね」


神峰「いやぁ……お恥ずかしながら、オーディションだからってちょっと緊張してしまって」


松本「……神峰さんがですか?」


神峰「生徒のことが気になって気になって……」

神峰「やっぱ皆には、オーディションでも緊張すること無く全力を出してもらたいスから」


松本「……本当は、そうして生徒のことを気にするのは、私の役目なんですけどね……」


神峰「? 松本先生も生徒に話しかけたら良いじゃないスか」


松本「私には……その資格がありませんから」

190: 2015/07/02(木) 22:51:29.14 ID:V5htqJJG0
松本「今の吹奏楽部を作ったのは、滝先生と神峰さんです」

松本「サンライズ・フェスティバル……いえ、その前の運動場での合奏から、生徒達の気持ちは変わり始めました」

松本「あなたが指揮してのあの練習で、皆自分たちの実力を知り……」

松本「その実力を周りに評価され、本当に全国を目指すようになった」


神峰「でもそこには、松本先生の指導もあったじゃないスか」


松本「私は……ただ口うるさく言ってただけですから」

松本「それに去年、私は前任の先生がイヤという個人的な理由であまり部活に顔も出しませんでした」

松本「今更指導者面して、ここまで成長できたのは私のおかげだ、なんて、言えませんよ」


神峰「…………」


松本「それに、鬼軍曹と陰で呼ばれている私が声をかけても、不気味がられるだけですもの」


神峰「……それでも」


松本「え?」


神峰「それでも、あなたの言葉を待っている生徒は、必ずいます」


松本「…………」

191: 2015/07/02(木) 22:52:27.23 ID:V5htqJJG0
神峰「声、かけてみて下さい」

神峰「きっと皆、喜んでくれるスよ」


松本「……そうですね」

松本「たまには、優しくしてみても良いかもしれませんね」


神峰「はいっ」

神峰(だってあなたの心は、後悔しながらも皆を気にしているじゃないスか)

神峰(それはきっと、伝わる。伝わってる。……なんてのは、さすがに言えねェよな)

神峰「じゃあオレ、皆を見て来ます」


松本「はい」

192: 2015/07/02(木) 22:54:57.36 ID:V5htqJJG0
~~~~~~

神峰(朝練をしている子達の緊張は、ある程度ほぐすことが出来たかな)

神峰(そろそろ授業も始まるし、オレは学校から出とかねェとな)

神峰(また放課後の時間に戻ってきて……)

神峰(……面倒臭いけど、それだけの価値はあった、か……)


久美子「…………」


神峰「っ!」

神峰「黄前、さん……?」


久美子「あ……神峰、さん」

久美子「珍しいですね、朝にいるなんて……」


神峰「いや……まァ、ちょっと、今日のオーディションが気になってな」


久美子「そう、ですか……」


神峰(どうしたんだ……)

神峰(なんで……なんで減った棘の内の一つが、あんな大きくなって、茎じゃなくて直接花に刺さってんだよ……!)

193: 2015/07/02(木) 22:55:45.52 ID:V5htqJJG0
神峰(なにか……怖いことでもあったのか……?)

神峰(それか……トラウマを、抉られた……?)

神峰(緊張……は確かにあるが、それがキッカケで、ここまで酷くなるはずが……)

神峰(なんにしても、こんな大きな物……オレ程度の言葉だけじゃあ、余計に悪化するだけだ……!)


久美子「それでは、楽器を仕舞いに行かないといけませんので、これで」


神峰「あ、ああ……」

神峰(どうする……どうする!?)

神峰(このまま行かせたら間違いなくマズい……!)

神峰(だが……今日中の解決なんて、オレにはどうすることも……!)

神峰「っ!」ハッ

神峰(高坂さん……!)ダッ

194: 2015/07/02(木) 22:57:21.56 ID:V5htqJJG0
~~~~~~

神峰「いたっ!!」


麗奈「っ!」ビクッ

麗奈「か、神峰さん……?」


神峰「もう片付けたところか?」


麗奈「は、はい。これから戻るところで……」


神峰「頼む! すぐに楽器部屋に行ってくれ!」


麗奈「は?」


神峰「黄前さんが……!」


麗奈「っ!」ダッ


神峰「高坂さん! 黄前さんを、よろしく頼む!」

201: 2015/07/03(金) 23:07:48.66 ID:qXllMH//0
~~オーディション翌日~~~

神峰「斎藤さん」


葵「あ、神峰さん」


神峰「オーディション棄権しただろ? どうしたんだ?」

神峰「音楽を全力でするの、楽しいんじゃなかったのか?」


葵「楽しいですよ。今でも」

葵「でもそれって、Aグループに入らなくても出来ることですから」

葵「それに、受験のために塾で抜けることが多い私が万一Aグループに入ったとしても、迷惑をかけるだけですし」


神峰「……そうか」

神峰「まァ、音楽が嫌いになったんじゃねェなら良いけどさ」


葵「あはは……もう大丈夫ですよ、私は」


神峰「みたいだな。安心した」

神峰「あ、いや、別に信用してねェ訳じゃ……」


葵「分かってます。心配してくれて、ありがとうございます」

202: 2015/07/03(金) 23:10:55.39 ID:qXllMH//0
葵「それじゃあ私、音楽室に向かいますね」


神峰「ああ。引き止めて悪かったな」


葵「いえ。あ、そうだ、神峰さん」


神峰「ん?」


葵「Bグループは……誰が指導してくれるんですか?」


神峰「そうだなァ……今のところ、滝先生にはAグループに集中してもらいたいから、オレと松本先生が見ることになってる」

神峰「と言っても、オレじゃあまともな指導なんて出来ねェけどさ」


葵「……そですか」


神峰「ん?」


葵「いえ、それだけ聞ければ十分です」

葵「ありがとうございました」


神峰「お、おう」

神峰(なんか心が喜んだように見えたけど……松本先生に見てもらえるのが嬉しかったのか?)

203: 2015/07/03(金) 23:11:50.24 ID:qXllMH//0
~~~オーディション結果発表~~~


松本「トランペットパートは以上」

ザワザワザワザワ…

「あれ、ソロパートって誰になるの?」
「誰かって言ってないよね?」


松本「静かに」

松本「では神峰さんから、トランペットのソロパートについて説明してもらいます」


神峰「皆、すまねェ。ちょっと聞いてくれ」

神峰「実はソロパートについて、オレと滝先生の意見が割れた」


ザワザワ…!

「え? どういうこと?」
「香織先輩以外に誰が……」


神峰「……高坂さん」


麗奈「……はい」


神峰「それと、中世古さん」


香織「はい」


神峰「二人には数日後……ホールを借りての演奏をする前日に、皆の前で吹いてもらう」

神峰「そこで、皆に選んでもらいたい」

神峰「どちらが、ソロパートに相応しいのかを」

204: 2015/07/03(金) 23:12:32.23 ID:qXllMH//0
~~~回想~~~

滝「では、以上がAグループのメンバーでよろしいですか?」


松本「依存はありません」


神峰「オレもス」


滝「では、トランペットのソロパートですが……」

滝「……神峰くんは、誰が相応しいとお考えですか?」


神峰「オレは……そうスね」

神峰「やっぱり、高坂さんスかね」

神峰「滝先生もスよね?」


滝「……いえ」

滝「私は、中世古さんを推したいと考えています」

205: 2015/07/03(金) 23:14:23.56 ID:qXllMH//0
松本「その理由は?」


滝「確かに、高坂さんの方が音に奥行きがあります」

滝「ですがもし、一年生の彼女をソロパートに選べば……皆の統率が崩れてしまうかもしれません」


松本「それが理由なら、私は反対です」


滝「やはり、ですか」


松本「それは、去年までの吹奏楽部と同じではありませんか?」

松本「結局、年功序列での選出となります」


滝「同じではありません」

滝「中世古さんの腕なら、これから練習を積み重ねれば、高坂さんの所に到れるかもしれない」

滝「神峰くんのおかげで、彼女の演奏も上向いている……と私は考えています」


神峰「でもそれ、かもしれない、スよね」

神峰「もし無理だったら、どうするつもりスか」


滝「では、高坂さんを選んで、部内でトラブルが起きたらどうするつもりですか?」


神峰「…………」


滝「中世古さんは後輩に慕われています」

滝「練習の音を聞いていれば分かります。高坂さんを除くトランペットパートは皆、彼女についていくように吹いています」

滝「その統率が崩れるかもしれないリスクを冒してまで、高坂さんに吹かせるメリットがありません」

206: 2015/07/03(金) 23:16:29.96 ID:qXllMH//0
神峰「つまり、滝先生はこう言いたい訳スね」

神峰「高坂さんを選べばトラブルが起き、トランペットパートの――ともすれば部内の統率が乱れるかもしれない」

神峰「中世古さんを選べば部内の統率は守られるが、ベストの演奏に至れないかもしれない」


滝「天秤にかけ、どちらを選ぶかだと、私は考えています」


神峰「……だったら、高坂さんがソロパートを吹いて、部内で何のトラブルが起きないのがベスト、ってことスね」

神峰「それも、高坂さんが皆に――皆に認められている中世古さんに認められるようにするのが」


滝「それは……そうですが」


神峰「滝先生。オレに頼んだこと、忘れたんスか?」


滝「……任せても大丈夫、と?」


神峰「はい」

神峰「オレがそのベストな結果に、持って行ってやりますよ」



~~~回想終了~~~

207: 2015/07/03(金) 23:17:14.52 ID:qXllMH//0
~~~~~~

麗奈「神峰さん」


神峰「ん? どうした、高坂さん」


麗奈「香織先輩を推したのは、滝先生ですよね」


神峰「……よく分かったな、それ」


麗奈「いえ」


神峰「?」


麗奈「たった今、カマをかけただけです」


神峰「……まんまと嵌められた、か」

208: 2015/07/03(金) 23:18:11.88 ID:qXllMH//0
麗奈「……滝先生は、どうして香織先輩を?」


神峰「部内の統率が乱れるから、だそうだ」

神峰「ま、一年生の高坂さんがソロパートってなりゃァ、去年の中世古さんの頑張りを知ってる人たちはいい気分しねェだろうしな」


麗奈「そんなの、アタシには関係ないですよね」


神峰「ああ。関係ねェ」

神峰「だから、お前の演奏で捻じ伏せてやれ」

神峰「そうやって中世古さんよりも巧いところを――高みを目指し続ける尊さを見せつけて、お前の後をついて来させろ」

神峰「今の皆なら、今の高坂さんのスゴさぐらい、分かるだろ?」


麗奈「……“全員が特別になろうとして、その特別がガッチリと嵌まり込めば、必ず特別になれる”」


神峰「?」


麗奈「“その中でさらに際立つ“特別”として、キミが選ばれる”……神峰さんが、そう言ってくれました」


神峰「……ああ」


麗奈「これは、その絶好のチャンス……プロでやっとの所に到れるかもしれない、またとない機会」

麗奈「そういうことですね」


神峰「そういうことだ」

神峰「それをキミに託す、高坂さん」


麗奈「……任せて下さい」

麗奈「全員、捻じ伏せてみせます」

209: 2015/07/03(金) 23:18:59.68 ID:qXllMH//0
サイドエピソード10・ソロパートオーディションまでの経過



滝「では、各自パート練習に移ってください」


優子「香織先輩! 今日もソロパートの練習ですか?」


香織「うん。でもその前に、トランペットパートで合わせてみようか」


優子「はいっ!」


香織「高坂さんも、それで良い?」


麗奈「はい」


ヒソヒソ、ヒソヒソ…


久美子「…………」

210: 2015/07/03(金) 23:19:57.16 ID:qXllMH//0
~~~個別練~~~

麗奈「悪い噂?」


久美子「うん……なんか、麗奈が選ばれたのは滝先生と知り合いだからって……」

久美子「それでまあ、神峰さんが香織先輩を推して、今回みたいなことになったって……」


麗奈「そう。ま、そんなデマ、気にすること無いよ」


久美子「まぁ、麗奈ならそう言うと思ったけどね」


麗奈「ええ。だってアタシ、特別になるんだもの」


久美子「そうだったね」


麗奈「それに、アタシを推薦したのは神峰さんだし」


久美子「え?」


麗奈「つまり、滝先生が選んだのが香織先輩ってこと」


久美子「……そうなんだ」


麗奈「実は……ちょっと、悔しいんだ」


久美子「なんで?」


麗奈「アタシ、滝先生のこと好きだから」

麗奈「だから香織先輩が選ばれたの、ちょっと悔しい」


久美子「…………え?」

211: 2015/07/03(金) 23:20:49.43 ID:qXllMH//0
~~~~~~

久美子「な、なるほどね~……まさか、学校まで変えてるとは思わなかったな~……」


麗奈「本当に?」


久美子「……ウソ。本当はなんとなく、そうなのかなぁ、って考えてた」


麗奈「やっぱり」


久美子「…………」


麗奈「ねえ久美子。何か変わった?」


久美子「え?」


麗奈「何か、明るくなった」


久美子「あ~……それ、神峰さんにも言われた」

久美子「私自身はよく分からないんだけど……」

久美子「何か、刺さってた棘が抜けたみたいに、今は心が軽いの」


麗奈「……そっか」


久美子「うん」


麗奈「良かった。久美子が元気になって」

麗奈「オーディションの時、元気なかったから。心配してた」


久美子「うん。……ありがと、麗奈」


麗奈「どういたしまして」

212: 2015/07/03(金) 23:21:37.36 ID:qXllMH//0
~~~~~~

久美子「それじゃあ、私そろそろ戻るね」


麗奈「うん。アタシは、まだ練習していく」


久美子「うん。分かった」


~~~~~~


優子「…………」


久美子「わっ!」


優子「…………」


久美子「えっとぉ……失礼しま~す……」


優子「……ねえ」ガシッ


久美子「はひっ!」


優子「どう思う?」


久美子「え?」


優子「この音、どう思う?」


久美子「……良いと思います」

久美子「スゴく、良いと思います」

213: 2015/07/03(金) 23:22:14.00 ID:qXllMH//0
~~~~~~

久美子「…………」

久美子(やっぱり気になる)ダッ

久美子(あの後、吉川先輩が残ったけど、絶対、何か……!)


優子「私、どうしても香織先輩にソロを吹いて欲しいの」

優子「だからお願い!」


久美子「っ!」

214: 2015/07/03(金) 23:24:47.36 ID:qXllMH//0
~~~~~~

麗奈「…………」


久美子「……麗奈」


麗奈「久美子……戻ったんじゃなかったの?」


久美子「ちょっと……気になることがあって」


麗奈「……さっきの、見てた?」


久美子「……うん」


麗奈「……香織先輩、優しいんだよね」

麗奈「こんなアタシにも気遣ってくれてるし、ソロパートオーディションで争うことになっても優しいし」

麗奈「トランペットパートでも気まずくならないようにしてくれてるし」


久美子「そうなんだ」


麗奈「だから、やり辛い……」


久美子「……もしかして、さっきの吉川先輩の、引き受けるの……?」


麗奈「…………」


久美子「……やだ」

久美子「そんなのやだよ、麗奈」


麗奈「…………」


……………………

…………

……

215: 2015/07/03(金) 23:25:40.82 ID:qXllMH//0
~~~ソロパートオーディション・当日~~~

神峰「それじゃあ約束通り、全体練習前に、オーディションを始める」

神峰「この前言った通り、選ぶのは皆――」


『…………』


神峰「――いや、当事者の二人、かな」


香織「…………」


麗奈「…………」


神峰「それじゃあ、吹いてもらう」

神峰「まずは中世古さん、上級生のキミからだ」


香織「……はいっ」


優子(……香織先輩!)

216: 2015/07/03(金) 23:34:52.10 ID:qXllMH//0
~~~~~~

神峰「次に、高坂さん」


麗奈「はいっ」


久美子(麗奈……)


~~~回想~~~

麗奈「でもこれで勝ったら、アタシ悪者だよ」

久美子「そんなこと言われても、私が言ってやる!」

久美子「麗奈がソロを吹くべきだって言う! 言ってやる!」

久美子「もし裏切ったら、頃してもいい」

麗奈「良いの? 本気で頃すよ?」

久美子「良いよ。麗奈ならしかねないって、分かった上で言ってる」

麗奈「…………」

久美子「麗奈?」

麗奈「大丈夫」


麗奈「だって最初っから負けるつもりなんて、全くないから」


~~~回想終了~~~

217: 2015/07/03(金) 23:35:51.52 ID:qXllMH//0
~~~~~~

神峰「…………」

滝「…………」

香織「…………」

麗奈「…………」

優子「…………」

久美子「…………」

晴香「…………」

あすか「…………」

『…………』

218: 2015/07/03(金) 23:37:21.95 ID:qXllMH//0
神峰「…………」

神峰「……なァ、中世古さん」


香織「……はい」


神峰「キミは、ソロを吹きたいか?」


優子「……っ!」
麗奈「……っ!」
久美子「……っ!」


香織「……いいえ」


優子「えっ……」


香織「確かに……ソロは、吹きたいです」

香織「でも、吹けません」

香織「……吹きたく、ありません……」


神峰「……そうか」


香織「高坂さんが吹くのが、一番相応しいと思います」

219: 2015/07/03(金) 23:38:21.12 ID:qXllMH//0
~~~~~~

優子「神峰さん!」


神峰「ん?」


優子「Bグループの練習に行く前に、ちゃんと答えてください!」

優子「どうして! 最初に言っていた通り、皆に多数決を取らなかったんですかっ!?」


香織「ちょっと、優子ちゃん……!」


神峰「いや、中世古さん。大丈夫だ」

神峰「どうしてって言われてもな。中世古さんが納得してたからだ」


優子「納得!?」


神峰「高坂さんが吹くことを、だ」


優子「あんな聞き方されたら、優しい香織先輩はああ答えるに決まってるじゃないですか!」


神峰「……本当に、吉川さんはそう思ってるのか?」


優子「そ、んなの……!」


神峰「……キミも、分かってんだろ」

神峰「高坂さんの方が、巧かったってことが」


香織「…………」


優子「そ、れでも……! それでも! 香織先輩の方が相応しいです!」

220: 2015/07/03(金) 23:39:20.50 ID:qXllMH//0
神峰「それは、吉川さん個人の心だ」

神峰「中世古さんはもう、決めちまった」

神峰「直接皆の前で吹いて、あの緊張感の中互いに全力を出して……自分のパートだからこそ、分かっちまった」

神峰「……そうだな」


香織「……はい」


優子「そんな……!」


香織「優子ちゃん」


優子「っ!」


香織「……ありがとう」


優子「……あ……!」


香織「私なんかのために、そこまでしてくれて」


優子「かおり……せんぱぁい……!」


香織「うん」

221: 2015/07/03(金) 23:41:20.75 ID:qXllMH//0
優子「香織先輩は……なんかじゃ、ありません……!」

優子「立派な……トランペットパートの、リーダーなんです……!」


香織「……うん」


優子「だから……だからぁ……!」


香織「うん」ギュッ


優子「あ……」


香織「ありがとう、優子ちゃん」


優子「あ……あぁ……!」


香織「あり……がとう……!」


優子「……っぅ!!」





 廊下に、吉川さんの泣き声が――悲しみ以外の感情が溢れた泣き声が、響き渡った。

 それはまるで、中世古さんの分まで泣いているような……そんな彼女の優しさが溢れる音だった。

229: 2015/07/04(土) 18:02:17.58 ID:R/LCIDfn0
~~~放課後~~~

葵「香織」


香織「葵……」


葵「オーディション、お疲れ」


香織「うん。ありがと」


葵「どうだった?」


香織「どうだった、って……私の演奏、一緒に聞いてたじゃん」


葵「そうじゃなくて」


香織「?」


葵「本当に、後悔せずに吹けた?」


香織「……うん」

230: 2015/07/04(土) 18:03:46.71 ID:R/LCIDfn0
葵「私、部活辞めるって言った時、きっとこれから後悔を背負って生きていくと思ってた」

葵「だから、なんとなく分かったの」

葵「香織もきっと、このまま勝手にソロパート決められたら後悔するだろうな、って」


香織「……正解」

香織「たぶん、今回みたいな方法取ってくれなかったら、ずっと心に引っかかりが残ったままになってた」

香織「そしてそれを、誤魔化し続けてた……と思う」


葵「……でも、神峰さんに恥をかかされたようなものだよ?」


香織「……葵」


葵「ん?」


香織「それって、吹く前から私の方が高坂さんより下手だって分かってたってこと?」


葵「あ、そうなっちゃうのか……」


香織「全く……素直に、自分の好きな人が嫌われてないか不安、って言えば良いのに」


葵「だから、別に好きとかそんなんじゃ……!」


香織「……感謝してるよ、神峰さんには」

231: 2015/07/04(土) 18:06:02.92 ID:R/LCIDfn0
香織「確かに、練習の時のを聞いてたから、分かってたの」

香織「あ、高坂さん私より巧いな、って」

香織「でも、それをちゃんとした場で決められないと、やっぱり納得できなかったと思う」

香織「だから、今日のオーディションでやっと……納得できた」


葵「……そっか」


香織「たぶん、神峰さんには見破られてたんだと思う」

香織「私の演奏が……あすかを見返したい――あすかの想像してる私の一歩先を行きたい、って気持ちだけなのを」


葵「あすかを……?」


香織「葵も、見返したいと思ったこと無い?」


葵「……ある」

葵「あの本当の天才の、特別の、鼻を明かしたいって」

葵「何度も何度も、思ったことある」


香織「それと同じ」

香織「それがたぶん、演奏に出てたんだと思う」

香織「だから、きっと……」

232: 2015/07/04(土) 18:07:41.45 ID:R/LCIDfn0
~~~回想~~~

神峰「そうだ、中世古さん」

香織「はい?」

優子「うっ……うぅ、ひっく……っ」

神峰「こんな時にアレなんだが、頼みがあるんだ」

香織「頼み、ですか?」

神峰「ああ。もしかしたら、キミのその心にある望み、叶えられるかもしれねェ」

~~~回想中断~~~

葵「香織?」

香織「……ううん、なんでもない」

233: 2015/07/04(土) 18:09:34.02 ID:R/LCIDfn0
葵「やっぱりまだ、落ち込んでる?」


香織「それは……まあ、多少はね」


葵「……ねえ。アイス食べに行こっか」


香織「え? 今から?」


葵「うん。晴香もあすかも誘って」

葵「っていうか、晴香そこにいるよね?」


香織「え?」


晴香「えへへ……バレてた?」


葵「バレバレだよ」

葵「で、どうする?」


晴香「うん。私は行きたいな」

晴香「あ、でもお芋味のアイスがある所がいいかな」


香織「晴香……」


葵「お芋味か……どこかあったかな」

234: 2015/07/04(土) 18:10:56.80 ID:R/LCIDfn0
香織「あすかは……来て、くれるかな」


葵「さあ? でも、誘ってみないと、そもそも来てくれないよ」


香織「……そう、だね」

香織「うん、じゃあ、行こうかな」


葵「そうこなくっちゃ」


香織「でも葵、勉強大丈夫なの?」


葵「もう、何言ってるの」


香織「?」


葵「落ち込んでる友達と一緒にいることと勉強、どっちが大切かなんて、比べるまでも無いでしょ?」

235: 2015/07/04(土) 18:12:17.12 ID:R/LCIDfn0
~~~ホール練習~~~

滝「皆さん、準備出来ましたか」


神峰「あの、滝先生。一つ、お願いがあるんスけど」


滝「どうしました、神峰くん」


神峰「このホール練習……まず、オレ達にやらせてもらえないスか?」


滝「俺達?」


神峰「オレ達、Bグループ全員ス」


滝「……それが、次のコンクールに対して、何か意味がありますか?」


神峰「あります」


滝「……そうですか。分かりました」

滝「ではBグループの十一名、準備してください」

滝「Aグループの皆さんは、客席の方へ」

236: 2015/07/04(土) 18:21:24.33 ID:R/LCIDfn0
~~~~~~

神峰「……さあ皆、ついにこの時が来た」


『はいっ!』


神峰「この日を目指して練習してきた。Aグループに見せつけるために演奏してきた」


『…………』


神峰「……って、堅苦しく考える必要はねェ」

神峰「オレ達は積み重ねた練習を、ただ披露するだけだ」

神峰「こっから先は、それを皆がどう受け取るかしかねェ」

神峰「励ます意味での演奏を目指してきた」

神峰「だから、そう受け取ってもらえれば良し、程度で良い」

神峰「ま、皆の腕なら、それぐらい余裕だろうけどな」


葉月「神峰さんの指揮通りにやれば尚の事、ですよね」


神峰「じゃあ、絶対だ」

神峰「皆がオレの指揮に付いて来れねェ訳ねェしな」


『……はいっ!!』

237: 2015/07/04(土) 18:23:36.80 ID:R/LCIDfn0
~~~~~~

ザワザワザワ…

「そういえば、Bグループって何の曲やるの?」

「言われてみれば……聞いたことないなぁ」

「っていうか、教えてくれなくない?」

「そうだったかも。なんかはぐらかされてた」

「でも、私たちに関係のある曲ってことだよね?」

「あ~、神峰さんの言葉?」

「うん。滝先生にわざわざ聞かれたのに真っ直ぐ答えるってことは、そういうことじゃないの?」

「う~ん……どうなんだろ」

「あ、出てきたよ」

パチパチパチパチ…

~~~~~~

238: 2015/07/04(土) 18:24:35.11 ID:R/LCIDfn0
~~~~~~

 Aグループの練習のために広げられた大量の椅子。

 その中央に集まるように、けれども所々隙間を開け、皆が座る。


神峰「…………」


 チューニングを終え、準備は終えた。

 皆が静かになったのを背中に感じながら――


神峰「…………」クルッ


 ――ガランとした舞台が背に来るように、オレは観客席へと振り返った。


『えっ……!?』

麗奈「あ……」

緑輝「わぁ……!」

あすか「へぇ……」

滝「…………」


 様々な反応と心を見つめながら、指揮棒を振り上げる。

 そのまま拍を取り……頭を振って、全力で指揮棒を振り下ろした。

239: 2015/07/04(土) 18:26:59.89 ID:R/LCIDfn0
 その音を聞いて、観客全員がハッとする。


 ああ、そうだ。


 この曲のことなら、皆がよく知ってるだろ。





 なんせ、皆がオーディションで練習した、自由曲――





 『三日月の舞』だ。

240: 2015/07/04(土) 18:32:50.73 ID:R/LCIDfn0
~~~回想~~~

神峰「さて……Bグループの皆」

神峰「早速だが、オレのワガママを聞いてくれ」


葉月「ワガママ?」


神峰「ああ。って言っても、無理に言う通りにしてくれって訳じゃねェ」

神峰「とりあえず、聞くだけ聞いてくれ」


「…………」


神峰「オレ達Bグループは、オーディションに落ちた」


「っ!」


神峰「でも、オーディションに合格したあちら側を恨んでる奴らなんて、一人もいねェ」


葉月「…………」


神峰「皆、自分たちが落とされた理由ぐらい、なんとなく察してる」


夏紀「…………」


神峰「だからこそ、合格した奴らには、全力で全国を目指して欲しい」


葵「…………」


神峰「……オレは指揮者だから、自分勝手にそう思ってるんだが……もしその考えが間違えてねェのなら、頼みがある」


「…………」


神峰「オレは……このBグループで、Aグループの皆を励ますための合奏をやりたいと思ってる」

241: 2015/07/04(土) 18:34:07.06 ID:R/LCIDfn0
「Aグループを、励ます……?」


神峰「ああ」


「それって、わたし達が吹いたところで出来ることなんですか?」


神峰「もちろんだ」


「でも、あたし達は演奏が下手だから落とされた訳だし……」

「だよねぇ……そんな人達の演奏を聞いて、よし私達も頑張ろう、なんてなるとは……」

「しかも向こうよりも人数だって少ないし」

「音にだって迫力が……」


神峰「ごちゃごちゃ考えるのは後だ」


「っ!」


神峰「ただオレから言えることは一つ」

神峰「出来もしないことを、オレは提案なんてしねェ」


「えっ……」


神峰「皆がAグループに演奏を披露できる日……おそらく、コンクール本番前のホール練習の時までに、お互いを分かり合うことが出来れば……」

神峰「絶対に、出来る」

242: 2015/07/04(土) 18:35:15.52 ID:R/LCIDfn0
神峰「必要なのは、Aグループの皆のために、これからの練習に時間を捧げることが出来るかどうかってだけだ」

神峰「皆の心を本当に動かせるかどうか分からない、自分じゃそんな大それたこと出来るはずがない」

神峰「んな不安、今は考える必要なんてねェ」

神峰「オレの出来るって言葉を信じて、全国出場の夢を合格者に託せて、励ましたいって気持ちがあるかどうか」

神峰「重要なのは、そこだけだ」


「…………」


神峰「やりたいか、やりたくないか」

神峰「……皆の考えを、教えてくれ」


「…………」


葵「……私は、やりたい」


「えっ?」

「葵先輩……?」

243: 2015/07/04(土) 18:37:00.82 ID:R/LCIDfn0
葵「確かに、私なんかの演奏で皆を励ます――まして、あすかもいるのに皆の心に音を届けるなんてこと、出来るとは思えない」

葵「結局、人数が少ないなりに頑張ったね、って思われて終わっちゃうだけかもしれない」

葵「でも……何の目標も無しに、なんとなく一曲演奏できるよう頑張るだけだなんて、ソッチの方がやってられない」

葵「だったら、戯言に乗ってみるのも、悪くないと思う」


神峰「斎藤さん……」


「まあ、確かにそうかも」

「うん。結局、何か練習しとかないといけないって言うんなら」

「そうですよね。オーディションの時みたいに、やっぱり何か、目標がないと……」

「初心者の私でも、出来るのなら……」

「もし言う通りになって、香織先輩が頑張れるようになるなら……」

「可能性は低いけど、やらないよりはマシ、か」

「だねぇ」

夏紀「なんとなく練習するよりはマシ、か」

葉月「ですよね。それに、本当に久美子達の応援になるんなら……あたしは、嬉しいですし」

「先輩の、ため……」


神峰「……皆、ありがとう」

244: 2015/07/04(土) 18:45:45.41 ID:R/LCIDfn0
葉月「でも先生。合格した皆を応援するための曲って、何を吹くんですか?」


神峰「正直言って、初心者が多いこのグループに、新しい曲を吹けなんて酷なことは言えねェ」


夏紀「まぁ、確かにそうだね」

「私達二年生で三人。三年生はオーディションを受けなかった葵先輩だけ」

「残りは初心者ばかりの一年生。トランペットも私と秋子ちゃんの二人しかいないし」

夏紀「低音だって、わたしと加藤ちゃんだけで、コンバスがいない」

葵「オーボエとファゴットも、だよね」

「それ言い出したら、バスクラもピッコロもいませんよ」

「私だって、パーカス出来る楽器限られてるし」

「……なんか、本当に搾りかすみたいな余り方ですね」

「あ~……言っちゃったよ」

夏紀「……それで、本当にこの少人数で何を吹くんですか?」


神峰「『三日月の舞』だ」


葉月「……は?」


神峰「皆がオーディションに向けて練習した曲だ」

神峰「それを吹くのが、一番現実的だろ?」

245: 2015/07/04(土) 18:47:24.11 ID:R/LCIDfn0
「いやいやいや! それ吹いて落ちてるんですよあたし等っ!」

「しかもこの小規模であの大勢で吹く人たちと同じ曲で張り合うなんて!」

「無理っすよ! 無理無理!」


神峰「確かに、この楽譜のままじゃ難しいだろうな」


葵「と、言うと……?」


神峰「初心者の子が詰まりやすいところを、滝先生はオーディションの課題として出した」

神峰「で、皆はそこを吹くことは出来てた。それはオレも聞いてたから間違いねェ」


夏紀「…………」


神峰「だが、そこ以外の場所でのミスがあまりにも酷くて、オーディションには落ちた」


「うぅ~……分かってますよぉ……そんな改めて言われるとララ落ち込みますよぉ~……?」


神峰「だが逆を言えば、そこをフォロー出来れば、他は練習でどうにかなるってェことだ」


葵「……っ! まさか、神峰さん……!」


神峰「ああ。オレたちは、『三日月の舞』のこの楽譜を、初心者にも吹きやすくアレンジしたものを吹く」

253: 2015/07/05(日) 18:10:56.22 ID:Bm+RPMj90
葉月「アレンジ……?」


神峰「ああ。この滝先生が用意した楽譜は、大人数で吹いて一丸になった時、聞き手を音の重なりで圧倒させられるようになってる」

神峰「つまり、少人数で吹いた時、音の厚みが無さ過ぎて、あまりにも不格好になりやすいってことだ」


「そこを無くすってこと?」


神峰「別楽器同士の音のハーモニーを重視するってェことだ」

神峰「そのついでに、失敗しやすいところを吹きやすくする」


「そんなことしたら、それこそ不格好になるんじゃ……」


神峰「ああ」


「本末転倒……!」


神峰「だが、吹けねェ場所にいつまでも固執する必要はどこにもねェ」

神峰「それに、だ」

神峰「少人数とはいえ、ある程度楽器はバラけてる」

神峰「つまり、他の楽器で音の凹みをフォローすることだって出来る」


夏紀「……ん?」

夏紀「ねえ神峰さん。それってつまり、この楽譜以上に吹く箇所が増えるってこと?」


神峰「そういうことだ」


夏紀「げっ、マジですか……」


神峰「ああ、マジだ」

254: 2015/07/05(日) 18:15:02.22 ID:Bm+RPMj90
「でも、そんな楽譜のアレンジなんて誰がするんですか?」

「松本先生じゃないの?」

「あ、そっか」


神峰「いや違う」


「え?」


神峰「オレと松本先生と……皆だ」


「皆って……あたし達!?」


神峰「ああ」


「ちょっ、私達初心者って言ったばっかりですよね!?」

「それなのにいきなり楽譜をイジれって……!」


神峰「いや、何も直接イジって欲しい訳じゃねェ」

神峰「ただ、どうすれば吹きやすいのかを教えて欲しいんだ」

神峰「オレはまだ、皆のことをよく知らねェ」

神峰「だから、自分たちの腕の限界を、オレに教えてくれ」

255: 2015/07/05(日) 18:18:08.85 ID:Bm+RPMj90
葵「ということは、私たちは吹ける吹けないを言うだけで良いってことですか?」


神峰「それも違う」


「は?」


神峰「吹ける吹けないは当然言ってもらうが……オレがお前たちの力量を見て吹けると思った場所は、絶対に変えねェ」


「えぇ~!?」

「そんなのおーぼーだ!」


神峰「ああ。横暴だな」


「それで本当に吹けなかったらどうするつもりですかっ!?」


神峰「そん時はそうだな……喧嘩だ」


「え? 喧嘩?」

「何言ってんの、この人」


神峰「相手と分かり合うのに必要なのは喧嘩だ」

神峰「オレはそれを、高校の時に学んだ」


葉月「……そんな野蛮なこと、本当に教えるんですか?」ヒソッ

夏紀「いや、私も初めて聞いた」ヒソッ


神峰「つっても、何も殴りあう訳じゃねェ」

神峰「意見をぶつかり合わせるんだ」

256: 2015/07/05(日) 18:27:17.03 ID:Bm+RPMj90
神峰「これから練習を始める前に、ロングトーンを始めとした基礎練習から始める」


夏紀「えっ!? 時間無いのに!?」

「今更っ!?」


神峰「それでも、これは重要な時間だ」

神峰「良いか? これまではパート毎の力量さえ分かってれば問題は無かったかもしれねェ」

神峰「だがこれからは、この十一人全員が、それぞれの楽器の子達全員のことまで分かっとかないと話にならねェ」

神峰「一丸になるってのは、そういうことだ」


『…………』


神峰「だから基礎練習の時、吹いた子のどこがいけなかったとか、気付いたことは全員、片っ端から言っていく」

神峰「遠慮なんてすんな。そうして喧嘩していって、相手を知っていく必要がある」

神峰「そして、相手の癖とか、個性とか、そういったもんを見つけ出して、それを楽譜のアレンジにも反映させる」

神峰「この子じゃあここは辛いだろうから、私がフォローしますとか」

神峰「自分はここが得意だから任せてくれとか」

神峰「そうやって自分の個性をどう使えばこのグループの役に立つかを考えて……それで完成するのが、オレ達にしか吹けない、『三日月の舞』だ」

神峰「そうして隣にいる演奏者のことも知らないといけないって教えるのが、オレ達なりのAグループへの、励ましになると思う」


葵「……全員でぶつかり合って、互いが互いの個性を知り・尊重させ・引き立たせる……」


神峰「ああ」


葵(……あすかに借りた雑誌通りだ)

257: 2015/07/05(日) 18:30:22.80 ID:Bm+RPMj90
葵(演奏者同士……時には自分も一緒になって、喧嘩をする)

葵(でも、そうすることで相手のことが分かるから、それを繰り返すことで相手を認め、理解していく)

葵(そうやって全員が全員、互いの個性を知ってくれる)

葵(後は、そのバンド内でどうすればその際立った個性が役に立つのかを考えて……)

葵(観客との橋渡しをしながら、その個性を殺さず活かせるよう、指揮をする)

葵(それが、神峰さんの指揮……)


神峰「さあ……皆」

神峰「ケンカ、始めようか」

~~~回想終了~~~

258: 2015/07/05(日) 18:40:17.82 ID:Bm+RPMj90
久美子(スゴい……!)

緑輝(これが、同じ曲……?)

(確かに、同じなのは分かる……)

(でも……何かが違う)

(圧倒されない……)

(音の数だって、楽器の数だって少ない)

(普通に考えれば、同じ曲でそんなことをされても、どうも思わないはず)

(それなのに、こんなにも……)

(夢中に、させられる……!)

259: 2015/07/05(日) 18:42:37.00 ID:Bm+RPMj90
晴香(フォローが巧い)

香織(楽器ごとの目立たせたいけど難しい箇所を、そのメインとなる楽器の音を多少簡略化してでも吹かせ、他の楽器との音の重なりを重視してる)

優子(しかもそれで音が足りなくなってるって違和感を感じさせないし、むしろ目立たせてる……!)

(寸分違わぬ息の合ったタイミングでやってる、ってこと……?)

(練習を重ねた……というより、互いが互いのことを信用してる……?)

(どこか苦手とか、何が得意とか、全員が把握しているような感じがする)

(そうすることで、個人での難易度は初心者でも吹けるレベルにまで落ちている)

(普通、音の簡略化なんてされたら違和感が目立ちすぎるはずなのに……もしかしたらこれ、同じパートでもないと気付かないんじゃないの……?)

あすか(そして、それができているのは……)

滝(神峰くんの指揮、ですかね)

260: 2015/07/05(日) 18:43:54.33 ID:Bm+RPMj90
滝(楽譜を目で追わなくても分かるぐらい、曲のことを、彼女たちのことを知っている)

滝(だから背中を向けていても、指揮をすることが出来ている)

滝(こちらを向き、Bグループの皆さんとAグループの皆さんを繋げるような演奏の指示を、送ることが出来ている)

滝(おそらくその指揮の中には、アレンジされた楽譜の中にもない指示が混じっているはず)

滝(それなのに皆、神峰くんの指揮通りの演奏を行っている)

滝(彼の指揮が、パート毎の心を、上手く掴んで夢中にさせている)


あすか(全く……何が指導なんてできない、よ)

あすか(こんな皆の力量を最大限発揮できるようなアレンジしといて)

あすか(苦手な吹き方とかそれぞれの癖とか、そういうの全部分かった上で楽譜を作って……)

あすか(その上、それら全てを知った上で、指揮をしてる)

あすか(十分、音楽の知識があるじゃない)


滝(壇上にいる皆さんは、神峰くんのことを信頼している)

滝(それはおそらく彼の指揮が、自分の出したい感情の音と一緒だからでしょう)


あすか(神峰さんは、あの子達皆のことを信頼している)

あすか(どんな練習の積み重ねをしたのかは分からないけど、きっと分かり合うようなことをしてきたんだと思う)


滝・あすか((それが伝わるから、この少ない楽器の演奏でも、こんなに重く感じる演奏が出来ている))

261: 2015/07/05(日) 18:44:54.31 ID:Bm+RPMj90
神峰(さあ……皆の心をこちらに向かせることは出来た)

神峰(皆の演奏に聞き入り、自分たちにはない信頼感があるが故の、支え合うことで出来る力強い演奏の魅力に取りつかれてきた)

神峰(さあ……それじゃあ、そろそろ行こうか)チラッ


葉月「…………」コクッ
夏紀「…………」コクッ
葵「…………」コクッ


《加藤さん!! 中川さん!! 鋭く 自己主張を!!》


あすか「っ!」
久美子「っ!」


《斎藤さん!! 他の楽器との 橋渡しを!!》


卓也「っ!」
梨子「っ!」


あすか(今まで土台を作ってきただけの低音が……!)

久美子(音の中に、入り込んできた……?)

卓也(でも、低音が目立つ様子はない)

梨子(土台も崩れてない……? なんで?)

緑輝(あ……テナーサックスが、巧く繋げてる……)

262: 2015/07/05(日) 18:45:47.37 ID:Bm+RPMj90
あすか(なるほど……葵か)

あすか(テナーサックスで器用に低音を自己主張させ過ぎないよう、他の楽器との音を繋げてる)

あすか(そうすることで土台を失わせず済んでいる)

あすか(夏紀も一枚噛んでるな、これは……)

あすか「…………」

あすか(……上手く、カトちゃんの音と、葵の音に寄り添ってる)

あすか(カトちゃんもカトちゃんで、二人のフォローに乗れる程度の音の重さをキープしてる)

あすか(二人共……いつの間に、こんなに巧く……)


晴香「? どうしたの、あすか」


あすか「う、ううん。なんでもない……」


晴香「……? そう?」


あすか「そう……なんでも、ね……」

263: 2015/07/05(日) 18:46:47.96 ID:Bm+RPMj90
神峰(ああ、田中さん。お前なら気付けるはずだ)

神峰(この三人の巧さが)

神峰(成長の結果が)

神峰(オレは今まで、田中さんは他人との思い出を全て捨ててまで、ただ音楽を奏でるだけの心を手にしていたと思っていた)

神峰(その心の中にある大きな井戸のようなゴミ箱の中に、関心をなくしたものを全て捨てていってると思ってた)



神峰(でも……違った)



~~~♪ ~~~~~♪

神峰(キミの音は心からではなく、その井戸の傍で座るように奏でられていた)

神峰(それはまるで、捨てた井戸の中の物が尊くて、離れられなくて……)

神峰(守れないながらも無くなるその瞬間まで、ずっと近くにいたがる子供のような心だった)

264: 2015/07/05(日) 18:48:15.02 ID:Bm+RPMj90
神峰(心の中にいる小さなキミの奏でるそのユーフォは、これから襲ってくることを悟っている絶望を、少しでも誤魔化そうとしているような音色)

神峰(その未来の悲しさを考えないよう、夢中になって吹き続けている)

神峰(傍に、思い出を詰め込んだ箱を置いて)

神峰(ああ、そうだ。その井戸はゴミ箱なんかじゃない。宝箱だ)

神峰(心の空にある大きな月。次第に大きくなっているそれがきっと、キミの心の中にある絶望そのもの)

神峰(アレが落ちてきて、心が砕かれ、音を奏でられなくなった時……その宝箱に仕舞った思い出を見つめ、少しでも心の安寧を得ようとしてる)

神峰(だから、落ちてきても被害が及ばないよう、地下深くに落としてんだろ?)



神峰「…………」

《打楽器!! トロンボーン!! もっと 力強く!!》
《心を 燃え上がらせるような 音色を!!》


あすか「っ!」


神峰(そんな弱気でどうする! 田中あすかっ!!)

265: 2015/07/05(日) 18:49:50.47 ID:Bm+RPMj90
神峰(落ちてくるそれが怖いのは分かる)

神峰(思い出が大切なのも分かる)

神峰(立ち向かえない恐怖なんだろうってのも想像できる!)



神峰(でもな、自分を犠牲にしてまで守ってどうすんだよ!)



あすか「あ……っ」


神峰(自分も! 思い出も! 全て守り! その恐怖に耐え切れるぐらい、強くなれ!)

神峰(壊せない月は壊さなくていい!)

神峰(だがな……その落ちてきた絶望の後、ボロボロで歩けない中思い出に縋って生きていくなんて、情けない生き方はするなっ!)


《トランペット!! アルトサックス!! 明るく 陽気に!!》
《未来への希望を 抱かせるように!!》


神峰(ボロボロの心でも! 砕けないまま生きて歩いてやる!)

神峰(そんな強さを持てよっ!)


《ホルン!! 深く突き刺さるように!!》
《クラリネット!! フルート!! 道筋を 静かに照らすように!!》

266: 2015/07/05(日) 18:50:46.92 ID:Bm+RPMj90
神峰(お前なら持てるはずだ……!)

神峰(今まで蓄えてきた……この――)


あすか「やめっ……!」



神峰(――三年間の、思い出があれば……!)



《チューバ!! ユーフォニアム!! テナーサックスを 導けっ!!》



神峰(何よりも音楽を愛して、同級生と後輩の成長を喜んできた、お前なら……!)

神峰(この環の中に居たいって、強い気持ちを持ち続けようとしていれば……!)



《斎藤さん!!》



神峰(……強く、なれるだろ!!!!)グッ!!



《……掴め……!!》



あすか「……………………あ」

267: 2015/07/05(日) 18:51:30.72 ID:Bm+RPMj90
神峰「……掴んだ」

神峰(井戸の底にある思い出を……)

神峰(彼女たちの成長によって思い起こされた、過去の全てを……)


晴香「……あすか?」

あすか「…………」


神峰(さあ……後は、引っ張り上げるだけだ)



《トランペットソロ……頼む》





《引っ張り 上げろ!!》

268: 2015/07/05(日) 18:53:12.21 ID:Bm+RPMj90
香織「~~~♪ ~~~~~♪」


 え、香織先輩!?
 嘘……客席の一番前で……!?
 いつの間に……!


あすか「……うそ……」


神峰(いいや、本当だ)

神峰(お前の心の中に落として封印した思い出を引っ張りあげるには、やっぱり彼女じゃないといけない)

神峰(長年、見つめられ、そのことを知っていたキミなら……)

神峰(この演奏の成長と、キミの心を支えたいという想いが、伝わるだろ)


《ユーフォニアム トランペットに力を》
《チューバ 土台となる道筋を 静かに》
《テナーサックス 三つの楽器を 繋げて》


神峰(アンタのことを見返したいって二人と、アンタのことを尊敬している二人の、アンタだから分かる成長した合奏だ)

神峰(アンタの心にだって、響くだろ)

神峰(なんだかんだで絶望して倒れても……その守っていた思い出が、無くなっても)

神峰(また手を差し伸べて……新しい思い出を作ってくれる……その想いが)


あすか「…………」

269: 2015/07/05(日) 18:54:16.35 ID:Bm+RPMj90
神峰「…………」

神峰(さァ……田中さん)

神峰(キミの思い出は、もう宝箱の外に出たぞ)

神峰(それを再び落とす苦労より、それをそんなところに仕舞わなくても大丈夫になるぐらい、強くなったほうが早いぞ)


あすか「…………」


神峰(不安がある? だったらそんなの、気にすること無いって教えてやる)

神峰(その思い出の中には、今まで練習してきたこの自由曲だってあるはずだ)

神峰(最初の不出来さから、ここまでやってきて、さらに成長できることを知れば)

神峰(キミ自身も成長できるかも、って、少しは思えるだろ)


《さあ皆 ラストスパートだ!!》
《静かに 力強く いくぞ!!》
《Aグループ皆に 危機感を 抱かせてやれ!!》

270: 2015/07/05(日) 18:55:24.35 ID:Bm+RPMj90
~~~ホール練習終了~~~

~~~片付け中~~~

滝「神峰くん」


神峰「あ、滝先生。お疲れ様ス」


滝「演奏、とても良かったですよ」


神峰「ありがとうございます」

神峰「と言っても、オレよりもあの子達がスゴいってだけスけどね」


滝「いいえ」

滝「きっとあなたの指揮による演奏を聞いたから、田中さんもあそこまで伸び伸びと吹けたのでしょう」

滝「今までとは、音が違いました」


神峰「……昔、高校時代の時、言われたことがあるんス」

神峰「ユーフォは、寄り添う楽器だって」

神峰「田中さんは、技術はあっても、寄り添うような演奏をしてなかった」

神峰「だから、それが出来たら、もっとこのバンドは良くなるって……そう、思ったんス」


滝「そうですか……ありがとうございます」

271: 2015/07/05(日) 18:56:47.11 ID:Bm+RPMj90
滝「それにしても、大胆なアレンジでしたね」

滝「後半、ほとんど削るとは思いませんでした」


神峰「いや~……ああしないと、皆のスタミナが持たないし、何より今回のような演奏まで出来ませんでしたから」

神峰「ただでさえ滝先生の楽譜よりも吹く箇所を多くしてるんスから、これぐらいはしないと」

神峰「それにああした方が、田中さんに伝わると思ったんス」


滝「なるほど。あと驚いたと言えば、中世古さんをソロパートに起用したことでしょうか」

滝「まさか、客席から吹かれるとは思いませんでした」


神峰「アレは……まァ、彼女自身が、田中さんに認めてもらいたいって想いが強かったッスから」

神峰「彼女の感情は、田中さんが好きだからこそ沸いてました」

神峰「そんな彼女だからこそ、田中さんの心を動かす決定打になると……そう思ったんス」


神峰(そう……)


神峰(中世古さんの、好きだからこそ彼女の想像を超えたいという感情と)

神峰(斎藤さんの、相手が天才であるが故の嫉妬からくる見返したいという感情)

神峰(中川さんの、別次元だという決めつけからくる雲の上を見つめるような尊敬と)

神峰(加藤さんの、凄さが朧気にしか分からないからこそくる純粋な尊敬)


神峰(その四つが絡まることで強くなり、なんとかあの大量の思い出を、外へと引っ張り上げることが出来た)

神峰(もしどれかが欠けても……強すぎても、引っ張り上げる途中で、その腕は引き千切れた)

神峰(彼女たちがいたからこそ、出来たことだ)

272: 2015/07/05(日) 18:57:36.14 ID:Bm+RPMj90
~~~~~~

あすか「か~みっねさん」

あすか「副部長として報告しま~す。無事、片付けも楽器運搬も終わりました~!」


神峰「……いや、それはオレじゃなくて滝先生に言わねェと」


あすか「いえいえ。そちらは小笠原部長に一任致しましたので~」


神峰「そっか」


あすか「……あの、ありがとうございました」


神峰「ん?」


あすか「不安で、心は一杯ですけど……それでも今日、皆とちゃんと向きあえて、良かったです」


神峰「……そっか」


あすか「はい。もっと、皆と吹きたい」

あすか「押し潰された後の思い出としての皆じゃなくて、今ここにいる皆と、沢山の思い出を作りたい」

あすか「それがきっと、私の大好きな、音楽になると思うので」


神峰「ああ。頑張れよ」


あすか「……はい」

あすか「これから本当、大変そうですから」

273: 2015/07/05(日) 19:00:05.17 ID:Bm+RPMj90
~~~~~~

神峰(……本当は、その不安を取り除きたかったんだけどな……)

神峰(でも、すまねェ)

神峰(それはオレでも、Bグループの皆の力を借りても、無理だった)

神峰(いや、そもそもそれはきっと……酷な言い方だが、一度向き合う必要がある代物だ)

神峰(オレ達外野が、その絶望をもたらす出来事が起きる前に、何か手出しをして良い訳がねェ)

神峰(だから……それと向き合う時に強さが必要だからと、こんなことしか出来なかった)

神峰(無理矢理強くなってもらうために、大切な思い出を引っ張り出して、人質みたいにしちまった)

神峰(きっと……それと向き合う時ってのは……)


神峰(……黄前さん……)


神峰(……彼女の、未だ抜けていない二本の棘……)

神峰(その内の、小さな一本……)

神峰(だけど、深々と刺さっている、その一本……)

神峰(それが抜ける時が……きっと……)

281: 2015/07/06(月) 22:57:01.85 ID:rJmmpnnr0
サイドエピソード11・Bグループの演奏を終えて


滝「はい、止めて」


『…………』


滝「そうか……だから神峰くんはこうアレンジしたのか……」

滝「今のとこ、ユーフォも入れますか? 162小節目、コンバスとユニゾンで」

282: 2015/07/06(月) 22:58:10.09 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~

久美子「私! 個人練行ってきます!」


あすか「えっ、ちょっと黄前ちゃん。教えるから一緒に練習しない?」


久美子「い、いえいえそんな! もうちょっと、もうちょっとちゃんと吹けるようになったらでお願いします!」


あすか「ん~……まあ、黄前ちゃんがそう言うんなら……分かった」


久美子「ありがとうございます。ではっ」

283: 2015/07/06(月) 23:00:43.35 ID:rJmmpnnr0
梨子「行っちゃった……」


葉月「久美子、なんか焦ってたけど大丈夫かな~?」


梨子「そうだね~……根を詰め過ぎないと良いんだけど」


卓也「そういえば、加藤と中川は今日はパート練に参加するんだな」


夏紀「なあに? ダメなの?」


卓也「いや、ダメって言うか……」


梨子「今日までそっちはそっちで、パート練習の時間も集まってたもんね」


葉月「それはほら、皆を驚かせるために練習している曲を教える訳にはいかなかったので」


夏紀「それも終わったし、それならこっちのグループと合流して練習したほうがお互いのためになるだろ、って神峰さんが」


葉月「と言っても、こんなにアレンジされた曲じゃあ、こっちと練習しても邪魔にしかならないと思うんですけどね~」


緑輝「そんなことありませんよ」

284: 2015/07/06(月) 23:03:24.67 ID:rJmmpnnr0
緑輝「私たちが本来吹かない場所も吹いてますし、何より後半ほとんど吹いてないじゃないですか」

緑輝「それのおかげで、私達には気付き辛いコツとか、神峰さんが伝えたことを伝えてもらうとか」

緑輝「何より、お二人が後半部分の練習ができる、って狙いじゃないですかね」


あすか「それに、二人の上達ぶりを見れば、尚の事こっちだって頑張らないとって気になるし」

あすか「あの人のことだから、多分その辺も狙ってんでしょ」


梨子「あ! そうだよ。神峰さんに久美子ちゃんのこと相談したらどうかな?」

梨子「葉月ちゃんと夏紀がこれだけ上達したんだもん。きっと何とかしてくれるよ」


葉月「いや~……どうでしょう」


梨子「え?」


夏紀「多分、難しいかな」

285: 2015/07/06(月) 23:05:32.17 ID:rJmmpnnr0
夏紀「あの人のやり方は、滝先生のやり方とはまた別だから」


梨子「そうなの?」


あすか「簡単に言うと、滝先生のはパート毎の質を高める練習、神峰さんのは個人それぞれの特徴をそれぞれが把握する練習、ってところかな」

あすか「短所を無くす、ってのは練習として当たり前のことだけど、それをパート毎でどうにかするのが滝先生」

あすか「逆に、他の楽器も巻き込んで吹部全体でどうにかしようとするのが神峰さんなの」


卓也「その言い方だと、滝先生のが手抜きに聞こえますね」


あすか「でも滝先生のが一般的だし、何より合奏練習に大きく時間を割けるから、質は高められる」

あすか「そのためのパート練習なんだし」

あすか「それに神峰さんのは、一人一人がそれぞれの短所を見つけようとするんだから、必然的に時間が掛かる」

あすか「ってことはつまり、合奏の練習時間が大きく削られる」

あすか「多分、夏紀たち十一人でも、結構ギリギリだったんじゃない?」


夏紀「はい。おかげで、後半はほとんど削ることになりましたし」


あすか「でしょうね。それに滝先生の方法は、あらゆる音の中から一人一人の音を聞き出して、指摘して、成長させるほどの実力もいる」

あすか「神峰さんにはそれが出来ない、ってのも、そうした方法の違いが出る理由になってるんでしょ」

あすか(とはいえ、神峰さんの場合は楽団を渡り歩いた結果そうなった、という見方も出来るけど)

286: 2015/07/06(月) 23:06:44.87 ID:rJmmpnnr0
梨子「そっか~……」


葉月「それに、あたし達があんなに吹けてたのって、多分神峰さんのおかげですしね」


卓也「どういうことだ?」


夏紀「私たちが吹いた場所を、その場その場のフレーズで吹け、って言われても、多分吹けるとは思う」

夏紀「でも、通しで、ってなったら、たぶんどこか躓くと思う」


梨子「どうして?」


夏紀「どうして、って言われてもなぁ……」


葉月「神峰さんの指揮だと、何故か安心できるんですよ」

葉月「なんかこう、失敗しちゃいけない、って気持ちが、全く湧いてこないんです」


夏紀「まあ、楽譜のアレンジであんなに揉めて、あそこまでわたし達のこと考えてくれてるの分かったらね~……」


葉月「信用できる、って言うのかな」

287: 2015/07/06(月) 23:08:38.98 ID:rJmmpnnr0
緑輝「実はこれ、結構有名な話なんですけど」

緑輝「神峰さんが演奏者に背中を向けるのは、演奏者のことを信頼しているからなんだそうです」

緑輝「どこで演奏者が緊張するかとか、どのタイミングでどう指示を出したら良いのかとか、見なくても分かるぐらい向き合ったから観客だけに集中出来るよう、こちら側を向くんだそうです」


梨子「へぇ~……」


緑輝「あ~……葉月ちゃんも夏紀先輩も羨ましいです~」

緑輝「わたしも神峰さんに指揮してもらいたかったな~」

緑輝「いえ、今からでもBグループに」


あすか「こらこら」


緑輝「じょ、冗談ですよ~……」

288: 2015/07/06(月) 23:09:48.79 ID:rJmmpnnr0
葉月「まあでも、今回のことであの人がスゴいってのは、さすがのあたしでも分かったかな」


緑輝「葉月ちゃんも分かりましたか! 神峰さんのスゴさが!!」


夏紀「スゴい、というかあの人、人間辞めてるように見えたけど」


葉月「ああ、確かに。そうかもしれませんね」


梨子「何かあったの?」


葉月「私たちが演奏した『三日月の舞』の楽譜アレンジって、ほとんど神峰さんがしてくれたんですけど」


夏紀「あれ、皆がここは吹けない、って言ったら、その部分を簡略化して、さらに他の楽器のフォロー用の音符をすぐに起こしたりしてたの」


葉月「それも一度吹いてみたら確かに合ったりして……それでも難しいって言ったらもう一つ楽器足して同じようなことして……」


夏紀「その後で音が軽くなりすぎるって思ったら、また音を足したりして……」

夏紀「足しすぎて重いと感じたら、どこを削れば違和感ないのかすぐに分かったりして」


葉月「まるでアレンジの先が既に見えてるみたいな感じでしたよね」

289: 2015/07/06(月) 23:10:37.75 ID:rJmmpnnr0
あすか「たぶん、写譜してきた量と指揮だけに集中してきたが故の知識が膨大なんでしょ」


葉月「写譜?」


あすか「楽譜を書き写すこと」

あすか「たぶん、それで音楽に関する情報が全て入ってるんだと思う」

あすか「あの人の指揮があんな感じなのも、たぶんそこに起因してるんじゃないかな」


緑輝「それとたぶん、あすか先輩に向けたものだったから想像しやすかった、ってのもあると思いますよ」


梨子「え、それどういうこと、みどりちゃん」


緑輝「え? そのままの意味ですけど……あのアレンジ、たぶんあすか先輩に向けてですよね」

緑輝「まあ、後半を大幅に削っていたのは、違うかもしれませんが」


葉月「へぇ~……みどりってやっぱりスゴいよね~」


緑輝「そんなことありませんよ」


梨子「いや、聖女でコンバスレギュラーってだけで十分スゴいと思うんだけど……」

290: 2015/07/06(月) 23:11:34.78 ID:rJmmpnnr0
緑輝「そ、そんな褒められると照れちゃいます~……」

緑輝「あ、あすか先輩はどうなんですか?」


あすか「あたし?」


緑輝「神峰さんが、あすか先輩のために楽譜をアレンジしたんですよ?」

緑輝「つまり! あすか先輩のためだけのアレンジなんです!」

緑輝「そこまでされたのなら、ついに神峰さんにラブなんじゃないですかっ!?」キラキラ!


卓也・梨子「「えぇっ!?」」


あすか「いや違うけどって言う前にそこのカップルが一番に驚くなぁ!」

あすか「まあ、前からスゴい人とは思ってたし、サファイア川島と一緒であの人の指揮で吹いてみたいとは思うけど、それが恋愛感情には結びつかないな~」


緑輝「みどりです!」


あすか「それに神峰さんのことなら――っとと、なんでもないなんでもない」


緑輝「えっ、えっ!? なんですかなんですか!?」キラキラ!!


あすあ「いや、あの人はいろんな人に好かれてんじゃない? って言いたかっただけ」


葉月・夏紀「「あ~……」」

葉月・夏紀((葵先輩か……))

291: 2015/07/06(月) 23:12:23.75 ID:rJmmpnnr0
緑輝「あれ? もしかしてお二人もっ?」


葉月「いや~……ちょっとそれは……」


夏紀「まあ、無いよね……」


葉月・夏紀((葵先輩の分かりやすい好意見てたら、なんだか応援したい気持ちのほうが強くなるし))


緑輝「え~? そうなんですか~?」


梨子「そういうみどりちゃんはどうなの?」


緑輝「みどり、神峰さんのことは尊敬してますし好きですけど……う~ん……付き合うっていうのは、ちょっと分からないですね」


梨子「まあ、アレだけの年上って時点で想像できないよね~」

292: 2015/07/06(月) 23:13:25.71 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~

麗奈「くしゅん」


久美子「ん? 麗奈、大丈夫?」


麗奈「うん……何か、鼻がムズムズした」


久美子「風邪?」


麗奈「案外、噂されてるのかも」


久美子「誰に?」


麗奈「嫉妬?」


久美子「……じゃあ、もう一回通してくれる?」


麗奈「無視はさすがのアタシも傷つくけど……うん。分かった」


……………………

…………

……

293: 2015/07/06(月) 23:14:59.85 ID:rJmmpnnr0
滝「ここは、田中さん一人でお願いします」


久美子「えっ……」


あすか「先生それは……!」


滝「聞こえませんでしたか?」

滝「お願いします」


あすか「……っ!」

あすか「……はい……!」


久美子「……………………」

294: 2015/07/06(月) 23:16:54.60 ID:rJmmpnnr0
~~~夜・携帯回収後~~~


久美子「すいません……車で送って頂いて……」


神峰「いや、こんな夜遅くに女の子一人なんて危ねェよ。襲ってくれって言ってるようなもんだ」


久美子「そんなことないと思いますけど……」


神峰「高校時代も思ってたんだが、女子高生ってどうしてこう危機感がねェんだろうなァ……」

295: 2015/07/06(月) 23:18:39.63 ID:rJmmpnnr0
久美子「あ、着信が……」


神峰「ん? 携帯か?」


久美子「あ、はい」


神峰「電話してやれよ。後部座席だから電話の向こうの声も聞こえねェしな」


久美子「いや車内ですから私の声は聞こえますよね」


神峰「誰に電話掛けてるかまでは分かんねェってことだ」

神峰「まあ、どうしてもプライバシーを気にすんなら一旦停めるけど?」


久美子「いえ、まあこのままで構いませんけど」ピッ


プルルルル…

久美子「あ、うん。今大丈夫?」

久美子「……うん。私は大丈夫」

久美子「ねえ、これから会えない?」

久美子「場所は……うん。じゃあそこで」

久美子「うん。……待ってる」

久美子「…………ありがと」

久美子「じゃあね」

ピッ

296: 2015/07/06(月) 23:19:26.47 ID:rJmmpnnr0
神峰「高坂さんか?」


久美子「え゛」


神峰「そんな気持ち悪がるなよ……オレは二人、お似合いだと思うけど」


久美子「それは……」


神峰「いや、そんな百合的な意味じゃなくてだな……こらこら、シートの隅っこに移動するな」


久美子「…………」


神峰「……支え合ってるってことを言てェんだよ、オレは」


久美子「支え……?」


神峰「ああ」

297: 2015/07/06(月) 23:20:44.40 ID:rJmmpnnr0
久美子「……私は、麗奈に支えられてばかりです。だからそんな、支え合いなんて」


神峰「全員が特別になろうとして、その特別がガッチリと嵌まり込めば、必ず特別になれる」


久美子「えっ?」


神峰「オレが高坂さんに言った言葉だ」

神峰「今高坂さんから見て、特別になろうとしているのはきっと、黄前さん一人だ」

神峰「それだけで、彼女の支えになってんだよ」

神峰「自分一人だけじゃないってのは、それだけで安心できる」


久美子「……そう、かもしれないですね」

298: 2015/07/06(月) 23:23:24.64 ID:rJmmpnnr0
神峰「オレはな、バンド内の皆が皆、それぞれの長所と短所を知ったら良いと思ってる」

神峰「高校時代組んだバンドがさ、それが出来てた人達で……」

神峰「全員尊敬できて、全員が頼もしかった」

神峰「だからきっと、全国金賞だって取れたんだと思ってる」


久美子「え? 金賞……?」


神峰「ああ。オレが二年の時にな」

神峰「群馬の鳴苑高校って所なんだけどよ」


久美子「へぇ~……神峰さんって実はスゴい人だったんですね」


神峰「そうでもねェよ」

神峰「これぐらいのこと、黄前さん達にだって出来る」


久美子「これぐらいって……葉月ちゃん達がやってたみたいなことですよね」


神峰「アレは……それの一部みてェなもんだ」

神峰「本当は、そうやって短所を指摘して直していきながらフォローし合うだけじゃなくて……」

神峰「その上で見えるその人の飛び抜けた長所を活かすための演奏を、皆が出来るようにしていくんだ」

神峰「それが“全員が特別になろうとする”ってェことで、それが“特別がガッチリと嵌まり込む”ってことだ」


久美子「特別……」


神峰「黄前さんも、特別になれるさ」

神峰「それも、さっきから言ってる特別じゃなくて……高坂さんが本当に目指す、本当の“特別”にな」

299: 2015/07/06(月) 23:24:20.96 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~


神峰「本当にここで良いのか?」


久美子「はい。麗奈とここで待ち合わせてるので」


神峰「そうか……なあ黄前さん」


久美子「はい?」


神峰「良いこと、あったんだな」


久美子「え?」


神峰「花がな、満開だからさ」


久美子「花?」


神峰「……まァ良いか」

300: 2015/07/06(月) 23:25:11.15 ID:rJmmpnnr0
神峰「そうだ。最後にアドバイス」


久美子「はい?」


神峰「滝先生に注意された場所。もし心の底から吹けると思ったら、吹け」


久美子「えっ?」


神峰「間違えたらどうしようとか、緊張とか、雑念が少しでも入るなら止めとけ」

神峰「だがもし、そんなのが考えられないぐらい、吹ける・吹きたいって思ったら……迷うな」

神峰「今の黄前さんなら、その一回だけだろうが、完璧に吹ける」

神峰「オレが、保証してやる」


久美子「…………」


神峰「じゃあな。気をつけて帰れよ、黄前さん」


久美子「え、ちょっと、神峰さんっ!?」

301: 2015/07/06(月) 23:26:01.66 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~

久美子「……どういうことかちゃんと説明してってよ……もう」

久美子(でも……どうしてか)

久美子(それを後日改めて聞くのは、なんだかダメなような気がした)

久美子(もちろん、他の人に相談するのすら、だ)

久美子(もし聞いてしまえば、その時かけられた神峰さんの魔法が解けてしまうような……そんな錯覚に陥ってしまったからだ)

久美子(だから……)


麗奈「久美子」


久美子「麗奈……」


麗奈「待たせた、かな」


久美子「ううん。大丈夫」

久美子「ねえ麗奈」


麗奈「ん?」


久美子「今日は、ごめんね?」

302: 2015/07/06(月) 23:26:42.76 ID:rJmmpnnr0
~~~後日~~~

神峰「鎧塚さん」

みぞれ「え?」

神峰「ちょっと、頼みがあるんだ」

303: 2015/07/06(月) 23:28:03.25 ID:rJmmpnnr0
~~~コンクール当日~~~


松本「お前ら! 気持ちで負けたら承知しないからなっ!」


『はいっ!』


「あれ? 先生、神峰さんと滝先生は」


松本「滝先生は遅れている。神峰さんは今日は来られないとのことだ」


「え~?」

「こんな大事な時に~?」

「大丈夫? 葵」

「な、なんで私に振るのかなっ!?」


松本「ただ、言伝を預かってる」

松本「……関西大会の出場権、持って帰って来い……とのことだ」


『っ!』


松本「以上だ」


『はいっ!』


松本(私に返事をされてもな……まあ、彼も彼で、色々と手を尽くしてくれているのだろう)

304: 2015/07/06(月) 23:29:47.99 ID:rJmmpnnr0
~~~コンクール会場~~~

神峰「おっ、来た来た」


「ごめん。待たせたか」


神峰「いや、いきなり誘ったのに来てくれて良かった」


「まさか、数日前にいきなり京都に来てくれって言われるとは思わなかった」


神峰「悪ィ悪ィ。用意したチケットが一枚使わなくなっちまって」

神峰「どうせなら使ってもらったほうが良いだろ?」

神峰「それに、高校生の音楽を聞くってのも、CDのプロデュースの参考になるかと思ってよ」

神峰「刻坂」


刻坂「ま、それもそうだな」

305: 2015/07/06(月) 23:31:52.76 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~

刻坂「北宇治はどうだ? 上手くやれてるか?」


神峰「どうだろうなァ……ま、ボチボチってところか」


刻坂「ボチボチ、か」

刻坂「にしても、まさかお前が先生みたいなことをするとはな」


神峰「ぶっちゃけ暇だったからな」

神峰「お前がCD出すまで燻っててもしゃあねェし」


刻坂「僕抜きでどこかの楽団に所属するって選択肢もあったんじゃないか?」


神峰「それはねェよ」

神峰「そんなことするぐらいだったら、北宇治に来て正解だった」


刻坂「……そうか」


神峰「今になってそう思えたから、お前も何か掴めるかと思ってここに呼んだんだよ」

306: 2015/07/06(月) 23:32:50.31 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~

刻坂「チケットが余ったんなら、邑楽先輩を呼べば良かっただろ」


神峰「刻坂が無理だったら次は恵さんの予定だったんだけどよ……っつか、それを言い出したら刻坂は最近、歌林先輩とはどうなんだよ」


刻坂「どうって言われてもな……普通に連絡は取ってるぞ」

刻坂「お前は……取ってないだろ」


神峰「うっ……」


刻坂「全く……一つのことに夢中になるとすぐこれだ」


神峰「いや刻坂だって楽団に入ったら同じようなもんじゃねェか」

神峰「今はそれなりにゆとりがあるから連絡取れてんだろ」


刻坂「それについては否定出来ないけど……ま、そろそろ連絡ぐらいしてやれよ」


神峰「……まァ、この後一段落ついたらな」

307: 2015/07/06(月) 23:38:57.50 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~


刻阪「……次が北宇治、か」


神峰「ああ」


刻阪「お前の指導の結果、見せてもらおうかな」


神峰「といっても、オレは特別何かをしたって訳でもねェんだけどな」


刻阪「そうなのか?」


神峰「ああ。一年で辞めちまうからな」

神峰「あの場で棒を振るのは、オレの役目じゃねェ」

神峰「だから最初に指導は出来ないって言ったぐらいだ」

神峰「ま、実際どれか一つでも楽器に精通してる訳じゃねェから当然なんだけどよ」


刻阪「なんなら、もう一年二年、やっていても良かったんだぞ」


神峰「それも魅力的だが……やっぱ刻阪と世界を回るほうが、もっと面白そうだ」

神峰「だからオレは、一年間だけって決めたんだ」


刻阪「……そっか。なんか、不思議な気分だ」


神峰「え?」


刻阪「僕のせいで神峰が満足に力を貸せない子達の演奏を、今僕が聞くってのはな……」

308: 2015/07/06(月) 23:40:06.06 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~

刻阪「……いい演奏だった」


神峰「だろ?」

神峰(黄前さん……ちゃんと吹いたんだな)


刻阪「でもこれ、完全じゃないんだろ?」


神峰「やっぱり、刻阪なら分かるか」


刻阪「ああ。まだ多くの子達が、何か心に引っかかりを持ってる」

刻阪「神峰でも、どうすることも出来ないのか?」


神峰「何人かはそうだが、何人かはまだ手を付けてねェだけだ」

神峰「この府大会で優勝してくれれば、やっと手をつけ始めることが出来るって感じだ」


刻阪「……そうか」

刻阪「それじゃあその辺、期待して待ってようかな」スッ


神峰「? おい、最後まで聞いて行かねェのか?」


刻阪「まあな」

309: 2015/07/06(月) 23:42:23.21 ID:rJmmpnnr0
刻阪「実は黙ってたけど、僕、全国大会の審査員を頼まれてるんだ」


神峰「なっ……!」


刻阪「本当はお前にも声は掛かってたんだが……その時から滝さんに高校に来てくれないかって頼まれてただろ?」

刻阪「神峰なら絶対に行くと思ってたから、神峰のは断っといた」


神峰「いやお前めっちゃいい笑顔でなんてこと言ってんの!?」


刻阪「だったら審査員、引き受けたのか?」


神峰「いや、それは……まあ」


刻阪「そういうことだ」

刻阪「だから他の学校は、全国までの楽しみにしておく」

刻阪「それに……だ」


神峰「?」


刻阪「さっきから、一曲吹きたくて仕方がないんだ」

刻阪「ホテルに戻る前に貸しスタジオに片っ端から連絡してどこかで場所を借りたくて仕方がないんだ」

310: 2015/07/06(月) 23:43:17.93 ID:rJmmpnnr0
刻阪「……お前も、今すぐやりたいことがあるんじゃないか?」


神峰「……ああ」


刻阪「だったら、今日はここまでだな」


神峰「ああ」

神峰「次は、全国だ」

311: 2015/07/06(月) 23:44:08.33 ID:rJmmpnnr0
~~~~~~

神峰「隣、良いか?」


「えっ?」


神峰「いい演奏だっただろ、北宇治」


「……まだ、座って良いって言ってませんよ」


神峰「おっと。それは悪ィ」


「…………」


神峰「で、どうだった?」


「……とても、良かったです」


神峰「だろ?」

312: 2015/07/06(月) 23:45:13.51 ID:rJmmpnnr0
「……あなたが、みぞれの言ってた“お手伝いさん”ですか」


神峰「ああ」


「チケットを譲るから来てくれ、ってみぞれに伝えるよう頼んだのも……」


神峰「ああ。オレだ」


「……そこまでして、なんの用ですか」


神峰「なあに。簡単な頼み事だ」





神峰「傘木希美さん。北宇治高校吹奏楽部に、戻って来てくれねェか」





終わり

313: 2015/07/06(月) 23:49:02.14 ID:rJmmpnnr0
 以上。
 神峰以外出さないって言ってたのに最後刻阪頼り。その癖名前間違えという暴挙。
 しかも(後半は特に)ミスが目立つ出来上がり。色々と脳内変換頑張って下さい。
 こっから先はアニメ第二期があってまた同じぐらいドハマりしたらまた書かせてもらいます。

 今日までありがとうございました。

引用元: 神峰翔太「北宇治高校吹奏楽部?」