1: 2009/12/17(木) 19:56:18.06 ID:HuoNSWde0
澪「えっ」
律「えっ」
律「え、と、冗談なんだろー?w」
澪「……」
律「お、おい、澪? なんか言えよーw」
澪「じ、冗談なんかで……」
律「え?」
澪「冗談なんかで、こんなこと言えるはずないだろ……っ」

 それは、高校三年の、自分の行く末なんて何も分からない時に、突然起きた事件だった。
 その時私はまだまだ子供で、先のことも何も分からなくて、このまま軽音部で楽しくやって行けたらな、
なんて有りもしないことを考えていて、――どうしようもなく幼かった。

 だから、そんなことを言われるなんて夢にも思わず、いつもとは全く違った澪の様子にも気付かないふりをして、
冗談で流してしまうつもりだった。その時私はまだまだ子供で、そしてどうしようもなく馬鹿だった。
 

4: 2009/12/17(木) 20:00:53.35 ID:HuoNSWde0
 高校三年の冬――私と澪はいつものように二人で帰路を辿っていた。
 澪は何だかいつもと様子が違ってて、私は異様な様子の澪に気付かないふりをして、お互いに黙ったまま
気まずい時間をただひたすらに耐え続けていた。
 擦れ違う人々は、クリスマスを間近にして、誰も彼もが浮かれているように見えた。私も澪も、
この気まずい雰囲気の中に、クリスマスという浮かれた日を意識していたのかも知れない。

澪「な、なあ律?」
律「んあー?」
澪「……話があるんだ」
律「何だよかしこまってw」
澪「う、うるさいな。大事な話なんだよっ」
律「なんだー? 私に愛の告白でもするのかー?w」
澪「……」
律「……おーい? みーおー?」

6: 2009/12/17(木) 20:06:55.49 ID:HuoNSWde0
 その時には、澪の異様な様子が、どんなものかなんて見当はついていた。
 でも、それを確かめたい気持ちと、確かめたくない気持ちとがせめぎ合い、結局私はいつものように
澪をからかうような調子で話すことしかできず、澪が続けようとしている言葉から、耳を塞ごうとしていた。
 だから、その言葉に対して、準備と言えることなど、何もなかった。

澪「な、なんかさ、クリスマスが近付いてくると、街の雰囲気も随分変わってくるよなw」
律「そりゃそうだろー、世の中のカップルはお熱い日を過ごすんだろーし」
澪「……」
律「……」
澪「あのさ、律」
律「ん?」
澪「少し、寄り道してもいいか?」
律「ん、いいぜ」

 それから私達は見慣れた公園のベンチに、座った。
 冬の肌寒い空気の中、コートのポケットに手を突っ込んで、何をするともなく、寒空の下で無言の時を過ごしていた。
 澪は中々話を始めなかったし、私もそれを催促するようなことはしなかった。ただ、このまま無言の状態で、
時が過ぎ去ってくれたらいいのに、なんて私は考えていた。澪が話を始めたら、今までの関係で居られなくなる、そんな
根拠のない予感がして、不安だった。

8: 2009/12/17(木) 20:11:38.24 ID:HuoNSWde0
澪「……律?」
律「ん?」
澪「昔はさ、この辺でよく遊んでたよな」
律「そうだなー。結構遅くまで夢中になって遊んで、それで暗くなってくると澪が泣きそうになって――」
澪「そ、そんなことなかった」
律「あったよw私がよく澪を家まで送ってったじゃん」
澪「そうだっけ……」
律「そうだよ」
澪「それから、中学の時も、高校になってからも、この公園でよく話したよな」
律「そうだなー、私の想い出の中で、澪が居ないことなんてないもんな」
澪「私達って、いつも一緒だったんだよなぁ」
律「こういうのも、腐れ縁っていうのかねぇ」
澪「……でもさ」
律「……」
澪「これから大学受験に入ったら、二人ともばらばらになっちゃうんだよな」

10: 2009/12/17(木) 20:18:09.13 ID:HuoNSWde0
 三年の後半ともなれば、大半の生徒が自分の進路を決めている時期で、私と澪も――それだけじゃなく唯やムギだって、
ちゃんと自分の進路を決めて、そのための準備をしていた。私は近くの短大、澪は音楽の専門学校、唯は私立の大学、ムギは
有名な国立の大学に、それぞれ進む。まだそれが確定したわけじゃないけれど、みんな自分なりに自分の行く末を決めていた。

 だから、澪の言葉は妙に重々しくて、色々な不安にさいなまれていた私には、少しだけ辛く感じられて、私達の間の雰囲気が
妙にシリアスな感じになっていたのも、未だ続いている気まずい雰囲気に拍車をかけていた。

律「でも、なんだかんだで私達は一緒にいるだろwまさ北海道と沖縄に引き離されるわけじゃないんだから」
澪「そうだけど、中学や高校みたいに、いつも一緒にいれるわけじゃないだろ」
律「そりゃまあ、……そうだけど」
澪「だから、私、決めたんだ。ちゃんと決着をつけよう、って」
律「決着? なんのだよ?」
澪「話したいことって、そのことなんだ」

 澪はそれからしばらく俯いて、公園の中ではしゃいでいた子供達は、だんだん帰って行く。どこか寂しげな街灯が、
ぽつりぽつりと明かりを灯し始めていた。

11: 2009/12/17(木) 20:24:05.93 ID:HuoNSWde0
律「なんだよーw 勿体ぶらないで言えよw」
澪「じ、じゃあ言うからな。絶対笑うなよ」
律「笑わない笑わないwほれ、言ってみろってw」

 二三回、澪は大きく深呼吸して、白く色付く吐息を吐き出すと、ゆっくりと私の方に向き直った。
 澪の真剣な顔を見るのは、勿論始めてじゃなかった。だけど、その時の澪の表情は、少なくとも私が今まで見た事のない
種類の表情で、そこにはどこか艶めかしい、恥じらいのようなものがあった。

 公園にはもう誰も居ない。暗くなり始めた空には星がちらほらと見え始めている。身を刺す寒さは、更に厳しくなって
私達を取り巻いていた。それでも仄かに赤く色付く澪の頬だけが、私の目には明らかに映っていた。

澪「女同士なのに、おかしいかも知れない。普通じゃないかも知れない。でも、」
律「……」
澪「でも、私は、律が好きなんだ。友達としてとかじゃなくて、本当に律のことが……」

12: 2009/12/17(木) 20:29:21.99 ID:HuoNSWde0
 その時の澪の顔は、未だに覚えている。
 真赤になった顔を隠そうともせず、私をまっすぐに見据えて、硬く握り締めた拳を膝の上で震わせながら、
澪は私に好きだと言った。冗談か本気か、そんな区別を付けられないほど私は子供じゃなかったし、
澪のことなら尚更分からないなんてことはなかった。

 それでも、当時の私はまだまだ子供で、どうしようもなく馬鹿で、下らない羞恥心から、澪の言葉を本気で受け止める
ことができなかった。心の中では色々なことを考えていた。だけど、それを直接伝える術を、私は全く心得ていなかった。

澪「……」
律「……」
澪「……」
律「……ぷっw」
澪「……え?」
律「あっはははははwwなんだよいきなりwww好きってwww」
澪「り、律?」
律「だって、女同士で恋愛とかwwwねーよwww」

13: 2009/12/17(木) 20:35:05.32 ID:HuoNSWde0
澪「えっ」
律「えっ」
律「え、と、冗談なんだろー?w」
澪「……」
律「お、おい、澪? なんか言えよーw」
澪「じ、冗談なんかで……」
律「え?」
澪「冗談なんかで、こんなこと言えるはずないだろ……っ」

 それから、澪は涙を目尻に浮かべると、一目散に走り出してしまった。
 マフラーに顔をうずめて、「馬鹿!」という一言を残して、行ってしまった。
 取り残された私は、一人馬鹿なことをしたな、なんて考えながら笑ってみたりした。だけど愉快な気分には全然なれなくて、
結局寒さに耐え切れなくなると、重い足取りで家へ向かった。

 「冗談だってwww」
 と言えば許されるだろう、そんなことを思いながら、気楽な気分で居ようと努めていた。
 澪がどれだけ傷付いたか? それが分からないはずはないのに、私はそれにすら気付かないふりをしていた。

 その日の夜は、眠るまでの間、ずっと携帯電話を手にしていた。澪宛てのメールを開きながら、
どうやって謝ろうか、と色々な言葉を探したけれど、けっきょくそれを送ることはしなかった。
明日になればどうにでもなるさ、馬鹿な私はそんなことを考えていた。 

16: 2009/12/17(木) 20:43:57.37 ID:HuoNSWde0
 翌日、学校に行き、いつものように唯やムギと話をして、適当に授業を受けて、何となく放課後を迎えると、
やっぱり同じように唯やムギと一緒に部室に向かった。途中で梓も合流したが、遂に澪とは会わなかった。

律「あれ、今日は澪を見ねーなぁ」
唯「そだね、どうしたんだろ?」
紬「きっと先に部室に行ってるのよ」
梓「卒業ライブまで後少しなんですから、先輩達も澪先輩みたいにやる気ださないと!」
律「はいはいwまあ最後くらいびしっと決めないといけないしな!」
唯「おー!りっちゃんがやる気に!」
紬「頑張ろう!」

律「みーおー! 練習する……ぞー……あれ?」
唯「居ないね……」
梓「居ませんね」
紬「どうしたのかしら」
律「よっし唯、電話だ電話!」
唯「らじゃ!」

18: 2009/12/17(木) 20:50:19.12 ID:HuoNSWde0
唯「……」
唯「……」
唯「……」
唯「……出ない……」
律「なにー?澪のやつ、さぼろうとしてるな? 私がじきじきに電話してやる」
律「……」

『……お留守番サービスに接続いたします。御用件が御有りの方は……』

律「おっかしいなー、何してんだ?」


 その後、ムギと梓も連絡してみたが、やっぱり澪は電話に出なかった。それどころかメールも返してこない。
私はこの時になって、漸く事の重大さを実感し始めた。もはや「私の所為じゃない」なんて言い逃れができるはずもなく、
次第に責任を感じ始めた。だけど、だからといってどうすればいいのか、それが私には分からなかった。

19: 2009/12/17(木) 20:56:57.61 ID:HuoNSWde0
律「仕方ないし、今日は澪無しで練習するかー」
梓「そうですね、できることからやって行きましょう」
唯「どうしたんだろー澪ちゃん」
紬「心配ね」

 澪がいない部活は、何だかあるはずのものがないような、そんな気がして、いまいちはかどらなかった。
だけど、昨日の事件のことをみんなに話すこともできず、明日になれば来るだろう、そんな甘い考えが私の中にはあった。

 それから、次の日、次の日、と時間が経過しても澪は部活はおろか、学校にさえやって来なかった。みんなも流石に
妙だと思い、澪の家に行こうという話が出たのは、私が澪から告白されて、三日後のことだった。

22: 2009/12/17(木) 21:03:39.99 ID:HuoNSWde0
 澪の家に向かう途中の私の足取りは、とてつもなく重たくて、出来ることならこのまま走って逃げだしたい心地だった。
だけどそんなことができるはずもなく、澪の家に着くと、私達は澪のお母さんに話を聞いてあがらせて貰うことになった。

 澪のお母さんの話によると、澪は私に告白した日から、具合が悪いと言って部屋から出て来なくなったらしい。
何を言っても聞かないので、暫く様子を見ようとしたらしいが、私達には事情を話してくれるかも知れないので、
是非話をして行って欲しいと言われた。

 正直気はあまり進まなかった。だけど、だからといってのこのこと帰れるはずもなかった。

唯「澪ちゃん……? 入るよー」

 そういって真先に澪の部屋に入ったのは唯で、私はお邪魔しますと続くムギと梓の後ろから、おずおずと入った。
薄暗い部屋の中はカーテンが閉め切られて、乱雑に散らかされた衣類の数々は、澪の部屋とは思えないほどだった。

 微かに膨らんでいるベッドの上には、澪が居るという証があって、唯はゆっくりと傍に近寄った。
私と紬と梓は、その後ろで見守るばかりで、私だけが澪の挙動に恐れを抱いていた。

24: 2009/12/17(木) 21:07:56.00 ID:HuoNSWde0
澪「……」
唯「澪ちゃん、どうしたの? 具合悪いの?」
澪「……」
梓「澪先輩、何かあったんですか?」
澪「……」
紬「澪ちゃん……」
澪「……」
律「……」

 口々に心配の言葉を投げ掛けるみんなを見ながら、多分私だけがとてつもない不安に襲われていたのだと思う。
澪はその時ぴくりとも動かなかったけれど、それでも私はいつあの時の事を言われるのか、気が気じゃなかった。

 その内、一向に反応を示さない澪を見かねて、唯が澪の身体を揺すり始めた。澪は私達に顔を向けないように、布団を
頭まで被っていて、その表情は少しも判らなかった。だけど、こうなった原因が私にあるのだ、という事実が、
深く心を抉るようだった。あの時、真剣に澪の言葉を受け取っていれば、こんなことにはならなかったのに。

26: 2009/12/17(木) 21:12:48.76 ID:HuoNSWde0
唯「澪ちゃん、澪ちゃんっ! 何か言ってよぅ……」
澪「……」
梓「澪先輩! どうしたんですか、何で何も言ってくれないんですか……」
紬「……」
律「……」

 唯が更に激しく澪の身体を揺する。梓は泣きそうになりながら、それを見守っている。ムギはおろおろして、私は
何も出来ないまま、ただ無表情にその光景を眺め続けていた。

唯「澪ちゃんっ!」
澪「……ゆ……い……?」
唯「澪ちゃん!」

 その時の澪の声は、何だかとても掠れていて、ゆっくりと唯の方へと向き直った目は、赤く晴れていた。髪の毛はぼさぼさで、
パジャマにも着替えないまま、制服姿で澪はベッドの上に横たわっていた。

27: 2009/12/17(木) 21:18:38.52 ID:HuoNSWde0
唯「澪ちゃん、どうしたの……? 何かあったの?」
澪「……」
梓「何かあったなら、私達に相談してくれてもいいじゃないですかっ」
澪「……」
紬「澪ちゃん……」

 その時、部屋の中を見回すように動いた澪の眼が、確かに私を捉えていた。怯えるような光を中に湛えて、
悲しげに涙を浮かべて、何かを訴えかけるように切なそうで、そんな表情を見るのが苦痛だった。私は思わず視線を逸らし、
自分の馬鹿さ加減に嫌気が差した。

澪「唯……みんな……、悪いけど、部屋から出てって。来週にはちゃんと学校にも行くから……。ごめんね、今は体調悪くて……」

 そういって、乾いた笑みを漏らす澪の様子は、どう見ても大丈夫そうには見えなくて、きっとみんな澪の言葉を信じていなかったと
思う。だけど、有無を言わさない、澪の雰囲気に気圧されて、唯も梓もムギも、みんな黙ってしまった。掠れた声も赤く腫らした目も、
澪が泣いていた、と証明するには充分すぎて、みんな何も言えなくなってしまったのだろう。

29: 2009/12/17(木) 21:27:31.66 ID:HuoNSWde0
 それから、何を言っても澪は「帰って」と「大丈夫だから」の一点張りだった。
大人しく私達が引き下がって、澪の家から出た時には、誰もがショックを隠せずにいて、誰もが言葉を発しようとはしなかった。

 そして、ようやく私達が会話を始めたのは、澪の家から離れて、数十分もした頃の、喫茶店の中でのことだった。

唯「澪ちゃん、どうしたのかな……」
梓「……何もないって顔をしてませんでしたよ」
紬「りっちゃん、何か知らない?」
律「えっ? わ、私は、何も……」
唯「澪ちゃん、このまま居なくなっちゃうのかな……」
梓「そ、そんなことあるわけないじゃないですか! 今まで一緒にやってきたんですよ!」
紬「でも、ただごとじゃない様子だったし……」
梓「そ、そんな……り、律先輩もそう思いますよね!?」
律「……」

 梓が全員の顔を眺める。だけど、梓が望む言葉を言ってくれる人は誰も居ない。

梓「そんな……そんなことって……」
唯「あずにゃん……。……きっと大丈夫だよ! だって澪ちゃんだもん、絶対また来てくれるよ!」

 堪らず泣き出した梓を、唯が抱きしめる。梓の泣き声を聞くと、私の中の罪悪感も膨れ上がるようで、二人から視線を外す。
ムギは神妙な面持ちで、何かを考えているようだった。

30: 2009/12/17(木) 21:31:00.19 ID:HuoNSWde0
紬「りっちゃん、この後時間ある?」
律「え? あ、うん、まあ……」
紬「じゃあちょっと付き合ってくれる?」
律「うん、分かった」

 唯が梓を慰めている間、私はムギとそんなやり取りをした。何を言われるのかなんて、考えるまでもない。
私の不審な様子が分からないほどムギは鈍くないし、それが澪の様子と直結していることにも気付かないムギじゃない。
私は心の中で覚悟を決めると同時に、どうにかして、現状を打開する策を見付けださなければならないと思った。

梓「澪せんぱい、きっと、きっと大丈夫ですよね……」

 梓の辛辣な呟きが、私に突き刺さるかのように思えた。

31: 2009/12/17(木) 21:39:26.92 ID:HuoNSWde0
 それから、唯は梓を家まで送るために、二人一緒に帰って行った。私とムギは、喫茶店を出たあと、適当な場所で
寒さに手を擦り合わせながら立っていた。

紬「りっちゃん、澪ちゃんと何かあったの?」
律「……ちょっとな」
紬「澪ちゃんの様子、ちょっとで納得できないわ」
律「……」
紬「何があったのか、話してくれる?」

 押し黙る私を覗きこんで、ムギは優しく言った。自分の中だけに押し込んでいた感情が爆発しそうになって、
不意に泣きそうになる。私は半分涙声になりながら、ムギに全てを打ち明けた。

紬「そう……そんなことが……」
律「私が馬鹿だったんだ。澪が真剣なのは分かってたのに、冗談で済ませようとして……」
紬「そうね、りっちゃんが悪いわ」
律「……」

33: 2009/12/17(木) 21:46:58.15 ID:HuoNSWde0
 分かっていた、分かっていたけど、ムギの言葉は予想以上に辛くて、涙を堪えることができなかった。
一粒二粒と流れ出す暖かい雫を頬で感じながら、私は誰に謝っているのかも分からないまま「ごめん」と繰り返していた。

律「なんて……答えれば良かったのか、分からなくて……」
紬「……」
律「それでっ……」
紬「りっちゃん」
律「……っ?」
紬「りっちゃんは、今まで何度も澪ちゃんと喧嘩したことあるでしょ?」
律「う、ん……」
紬「それで、ちゃんと仲直りしてきたじゃない」
律「でも……」
紬「今回だって同じよ、今まで通り、自分の悪かったところを謝って、その後に正直な気持ちを伝えてあげればいいのよ」

 そういって、私を抱きしめたムギの腕はとても暖かくて、街中だというのに大声を上げて泣いてしまった。
ムギはそんな私の頭を優しく撫でてくれて、大丈夫、と何度も囁いてくれた。

 ――クリスマスが近付いて来た街は、どこか騒がしくて、大学受験に追われる私達を小馬鹿にするように、人々は
私達の横を通り過ぎて行く。その時の私はまだまだ子供で、どうしようもなく馬鹿で、そしてどこまでも楽観的だった。

35: 2009/12/17(木) 21:56:37.03 ID:HuoNSWde0
――――――――――
――――――――
――――――

律「あーあ、とうとう私も大学生かー」

 珍しく朝早くに目が覚めて、私は早々と着替えると、枕元に置いた目覚まし時計を見遣った。
時刻は午前六時、何時もの私なら、決して目覚めることのない時間帯だった。

 カーテンを開け放つと、眩しい光が部屋中に降り注ぐ。新しいカーペット、新しいベッド、まだ物も少なく、寂しげなキッチン。
まだ見慣れない部屋――これが今の私が住んでいる所だった。親に無理を言って、都心にある安いワンルームのアパートに
越してきてから、まだ三日しか経っていない。私は今日から、この家から、大学へと出発する。

 窓の外は驚くほど以前とは違っていて、まだ朝もやの残る外には、人影もあまり見られない。本当に引っ越したんだ、
そう自覚したのは、今この瞬間だった。

律「あいつら、元気にやってんのかな」
律「唯は変に抜けてるところあるから心配だし……」
律「梓はちゃんと部長としてやれてるのかな……」
律「ムギはきっと心配いらないな、私達の予想もつかないところにいるんだろうし」
律「……」
律「私は、何をやってるんだろうな……」

 私の気分とは裏腹に、ただただ眩しい太陽の光が、何だかとても悔しかった。

――――――――
――――――――――
――――――――――――

36: 2009/12/17(木) 22:03:36.28 ID:HuoNSWde0
 それから、澪の言った「来週」が来ても、やっぱり澪は学校に来なかった。
私はその日、ようやく決心して、私から澪と直接話しに行くことを決めた。

 みんなには「これも部長の役目だから」と適当な理由を付けて、私は一人澪の家へと向かった。歩き慣れた道、見慣れた風景、
この中の想い出には、いつも澪がいる。それを思い出す度に、私はほんの少しだけ勇気づけられる気がした。

 澪のお母さんは、快く私の来訪を受け入れてくれた。お邪魔します、と言って、澪の部屋に向かう途中には、一体どれほど物事を
考えたのか、分からない。とにかく、どんなことを話そうだとか、どうやって謝ろうとか、そんな事をこの短時間の内に
考えていたような気がする。

 でも、そんなに沢山考えたって、いざ澪の部屋に入ってみれば、全て頭の中から吹き飛んでしまった。

律「澪……」
澪「……」
律「き、今日はさ、私一人なんだ、はは、嬉しいだろー?w」
澪「……」
律「……はは、は」

37: 2009/12/17(木) 22:10:35.16 ID:HuoNSWde0
 澪は何も答えずに、ただ布団の中でじっとしているだけだった。同じ過ちを繰り返すのか、と心の中に強く繰り返し、
私はゆっくりと澪の傍に近寄った。前にみんなと来た時よりも部屋の中は散らかっていて、所々に破り捨てられて
いる紙には、書き途中の歌詞らしきものが、乱雑な字で書かれていた。

 ベッドを背もたれにして腰掛けると、微かに澪の匂いがした。寝息は聞こえない。意識して息をひそめているような
息遣いが聞こえる。私は薄暗い室内の天井を見上げて、一人話し始めた。

律「この間は、悪かったよ」
澪「……」
律「突然、しかも澪から告白されて、驚いちゃって、それでつい、冗談にしようとしちゃって……」
澪「……」
律「澪が真剣で、本気だったことは知ってる。澪、分かりやすいもんな」
澪「……だ」
律「え?」
澪「分かってて、あんなこと言うなんて、……最低だ」
律「……うん、悪かった。本当にごめん」

39: 2009/12/17(木) 22:17:39.06 ID:HuoNSWde0
澪「じゃあ、答えてくれるのか……?」
律「それを言おうと思って、一人でここまで来たんだよ」
澪「……」

 澪が息を呑む音が聞こえたような気がした。私も緊張やら何やらで、喉が異常に乾いていた。ライブの時も、こんなに
緊張したりしなかったのに、今は未だかつて経験したこともないような緊張で、押し潰されそうだった。

澪「……やっぱり、いいよ」
律「え?」
澪「無理して答えなくても、良いんだ。私が我がままだったんだから」
律「いーや、ダメだ」
澪「いいって、やっぱり女の子同士でおかしいし、律も答えにくいだろ」
律「いーやダメだったらダメだ!」
澪「律……」
律「こういうのは白黒すっきりさせなくちゃいけないんだよ。澪もそっちの方が良いだろ?」
澪「それはまあ、そうだけど……」

 暫しの沈黙。私からも澪からも、話そうという気配が感じられず、私が言わなければならない、そう思った。
時計の針の音だけがやかましく聞こえて、どれぐらい時間が経ったのかさえ、私にはもう分からない。ただ、
緊迫した時間が、薄暗い部屋の中で、ゆっくりと、本当にゆっくりと進んでいるような気がした。

40: 2009/12/17(木) 22:22:27.73 ID:HuoNSWde0
律「私は……」
澪「うん……」
律「実は、」
澪「……」
律「あんまり分からん!」

 カチコチ。時計の音が無音の空間に響く。その内、どちらからともなく、私達は笑った。

澪「分からんって、白黒付けれてないだろw」
律「いや、色々と考えたんだけどさ、やっぱり分かんなくて、ということで付き合おうぜ、澪!」

 カチコチ。また時計の音だけが響く。

澪「はい?」
律「だから、あんまり分からないから、とりあえず付きあってみようぜ、っていう」
澪「ちょ、ちょっと待って。展開に付いて行けないから」
律「何だよー、順応力ない奴だなー」
澪「お前があっさりすぎるんだ!」

41: 2009/12/17(木) 22:31:30.43 ID:HuoNSWde0
律「……ぷっ、あっはははは!」
澪「……ったく……」
律「なんかさ、久し振りだよな、こういうやりとりも」
澪「それは……まあ、私が悪かったよ」
律「ちゃんと学校にも部活にも来いよな。梓も唯も、心配しすぎて練習にならないんだから」
澪「……うん、ごめん」
律「それで、返事は?」
澪「えっ?」
律「さっきの」
澪「……そ、それは……その、あ、当たり前というか……」
律「あー? よく聞こえないぞー、澪ちゃーん」
澪「つ、付き合うよ! 律と、付き合いたい!」
律「ふっふっふw」
澪「あ……」
律「やっぱ澪は可愛いなーw」
澪「ばっ、バカ律っ! もう帰れ!」
律「ほほーう、本当に帰っていいのかなー?」

42: 2009/12/17(木) 22:35:03.45 ID:HuoNSWde0
澪「あっ……」
律「ん?」
澪「や、やっぱり……」
律「んんー?w」
澪「やっぱり帰れー!」
律「あははwごめんごめんwちょっとからかいたくなったんだよ」
澪「もう、相変わらずだな……」
律「んじゃ、晴れて私達は恋人って訳だ。女同士だけどなw」
澪「……うん」
律「なんだよー、もっと嬉しがれよー」
澪「その、私は嬉しいけど、律は……」
律「私が何だよ」
澪「律は本当にこれでいいのかな、って」
律「……正直、まだよく分かってないけど、それを確かめるためにも、やっぱり付き合ってみないとさ」
澪「そういうものかな」
律「そういうものだって」

43: 2009/12/17(木) 22:40:58.52 ID:HuoNSWde0
律「……それじゃ、そろそろお暇するかな」
澪「もう帰っちゃうのか?」
律「ん、明日も学校だし、もうこんな時間だし」
澪「そっか、……そうだな。私も、明日はちゃんと行くから」
律「うん、それじゃな」
澪「あっ! ……っと玄関まで送るよ」
律「別にいいのにw」
澪「いいから!ほら、早く行くぞ!」

律「んじゃ、また明日なー」
澪「うん……」
律「……」
澪「……」
律「澪、ちょっとこっち来て」
澪「え? ……うん」
律「お休みなさいのー」
澪「え?」
律「ちゅー……んっ……」
澪「ええっ!? ……んむっ……」
律「へへへーw それじゃな! 寂しくなったらいつでも電話しろよーw」
澪「あっ、こらっ! バカ律! ……全く」

46: 2009/12/17(木) 22:48:14.94 ID:HuoNSWde0
 澪の家を走って出て行って、私は近くの公園に入るとベンチに座った。もうすっかり夜も更けて、
公園の中にも、公園の外にも人影は見えない。ただ凍て付く空気が、火照った私の顔を、急激に冷まして行く。

 ――澪と唇を合わせた時、なんとも言えない感覚に陥った。陶酔とも、愛情とも、まして喜びとも言えない、
何だか複雑な気持ちで、恥ずかしいのもあったけれど、私のその感覚に恐れを成してあの場から逃げたのかも知れない。

 澪の恋人のなる。それも、同性である私が。
 私の決断は本当に正しかったのか、それは分からない。ただ、どうすればいいのか分からなかったのは本当で、
ああするしかないと思ったのも本当で、私は自分の気持ちに素直に従った。もしかしたら、やっぱり澪を恋愛対象と見れずに、
余計辛い思いをさせてしまうかも知れないし、私が澪の事を本当に好きになるかも知れない可能性もあるけれど、
それでも今の私にとっては、後者の可能性は限りなく低いように思えた。

 自分には来ないだろうとばかり思っていたような展開が、今現実に私の前にある。それに対して何も準備をしていない私は、
きっとまた澪を傷付ける。そんなことばかり考える自分が何だか堪らなく嫌なやつに思えて、私は頬を両手で叩くと、
冬の夜空の下を走りながら家へと帰った。

 この冷たい風が、私をとてつもなく冷静にしてくれたらいいのに。
 そんなことを考えながら。

47: 2009/12/17(木) 22:57:29.48 ID:HuoNSWde0
律「ただいまー」
聡「お帰りー」
律「はあー寒かった」
聡「今日は遅かったじゃん。彼氏でも出来たのかよー?w」
律「ばーか、お前こそ彼女の一人でも早く作ってこい」
聡「うるせー」
律「……」
律「なあ、もしもさ、聡が男に告白されたらどうする?」
聡「うえっ!? 気持ち悪いこと言うなよ! そんなの有り得ないだろ!」
律「だから、もしもって言ってるじゃん」
聡「あんまり考えたくない……」
律「ふーん、そっか。まあそうだよな」
聡「何だよいきなり……澪さんに惚れたの?w」
律「ばーか」

 軽くあしらってみたものの、聡の当然といえば当然の反応は、少なからず私を不安にさせた。
 同性での恋愛なんて、遠い世界のことだと思っていたし、聡だって私と同じだと思う。でも、私はいきなりその世界に
入ってしまって、どうすればいいのかも分からずに悩んでいる。澪の前では普通に接することはできた。だけど、これから先、
私は今まで通りの接し方をできるのだろうか、と考えると、そんなことは絶対にできないと思う。

 それぐらい、友人と、恋人という関係は懸け離れているものだ。
 だからこそ、私も不安になるのだと思う。澪は……澪は、どう思っているのだろう。不意に、嬉しそうに、恥ずかしそうに
微笑む澪の姿が脳裏に浮かんだ。

50: 2009/12/17(木) 23:17:15.10 ID:HuoNSWde0
一服してた。
風邪で頭がヤバイんでいつ落ちるか分からないけど、
できるだけ頑張ってみる。

つまらなかったら落としてくれ。

51: 2009/12/17(木) 23:23:12.59 ID:HuoNSWde0
 翌日――

律「みんなー! 澪を連れ戻したぞー!」
澪「そんな大袈裟な……」
唯「!澪ちゃーん! 寂しかったよー!」
梓「澪先輩……! 心配したんですよっ!」
紬「りっちゃん……澪ちゃん……良かった……」
澪「うわっ! 唯……梓まで……。その、悪かったよ、心配かけて……」

 久し振りに部活に顔を見せた澪を、唯と梓は泣きながら、ムギは微笑みながら出迎えた。
そんな光景を見ると、私の悩みなんて何処かに吹っ飛んで行くんじゃないかと思えて、少しだけ気が楽になる。だけど、
澪がこっちを向いて、困ったような、嬉しいそうな笑みを浮かべると、私は本当に笑い返せているのか、分からなくなった。

澪「これからは卒業ライブに向けて頑張るから、……ごめんね」
唯「うええ、澪ちゃんが戻ってきてくれて、ほんとに良かったよー……」
梓「ほんとに居なくなっちゃうのかと……私本気で思ってました……」
律「澪は罪作りな女だなーw」
澪「う、うるさいっ!」

54: 2009/12/17(木) 23:29:31.34 ID:HuoNSWde0
 そして、何時も通りの日常が、再び始まった。
 練習前にはムギが持ってきてくれたお菓子を摘まんで、ムギが淹れてくれたお茶を飲んで、その間だけは
以前のような感覚で澪と接することができた。時折は殴られることはあったけど、それは殴るというよりも
撫でるという感覚に近くて、少し擽ったい感じがした。そんな誰も気付かないようなところで、私と澪の
関係は、着実に変化の兆しを見せ始めていた。

律「よし、今日はこれにて解散! お疲れ!」
唯「えー、もう終わりー? なんか短いような気がするよー」
梓「やっぱり澪先輩がいると、練習もはかどりますね!」
紬「もうちょっと練習したかったな……」
律「まあまあ、落ち着け皆の衆。疲れを溜めずにまた明日頑張るためにも、今日は解散だ」
唯「り、りっちゃんがまともなことを言ってる……!」
律「おーいお前の中の私は一体なんなんだー」

 終始微笑ましい雰囲気だった私達は、そうしてそれぞれ家路についた。その中で、私と澪だけはいつもと同じように、
同じ帰路を辿る。以前よりはお互いに寄り添って、以前よりも初々しく、以前よりも緊張しながら、手と手が触れ合うたびに
顔を赤くして。そんないかにも恋人染みたやりとりが、――何故だか心から喜べるものではなかった。

56: 2009/12/17(木) 23:35:02.70 ID:HuoNSWde0
澪「り、律っ」

 何度か手が触れ合った頃、澪が例の如く顔を真っ赤に染め上げて、私を呼んだ。
 でも、澪の言いたいことなんて、私には言わずとも分かっていて、私は自ら手を差し出した。

澪「え……」
律「繋ぎたいんだろー、ほら早くしないと冷えちゃうぞ」
澪「う、うん」
律「ほら、こうすればあったかい」

 言いながら、私は澪と絡めた手を、コートのポケットの中に入れた。二人分の温もりが一気に身体を暖めていくような
その感覚は、どこか心地よく、どこかぎこちない。初めての恋人なら誰にでもある感覚だ。私は自分にそう言い聞かせながら、
照れて真赤になった澪の横顔を見つめながら歩いた。

 恥ずかしがって俯く澪の顔は、やっぱり整っていて綺麗だった。以前はそんなことに意識なんて向けなかったのに、
今は何故か無性に気になる。桜色の唇も、紅の差す頬も、喜色を隠しきれない目も、全て今までの澪とは違って見えた。
だからこそ、私はそんな澪に対して、後ろめたい気持ちを感じずには居られなかった。

58: 2009/12/17(木) 23:40:54.38 ID:HuoNSWde0
澪「律、私、今までこんなに幸せだったことなかった気がする」

律「そっか。まあ、この私が相手なんだから当然だ」

澪「また調子に乗って……」

律「あははw」

澪「それじゃ、また明日」

律「うん、帰ったらメールする」

澪「分かった。……ありがとう」

 そんなやりとりをして、私達は別れた。家に着くと部活の疲れやら何やらが一気に襲いかかってきて、お風呂に入ると、
夕飯も食べずに寝てしまった。その疲れが何なのか、それは言葉にしたくはない。だけど、その疲れが全て部活の所為にするのは
確かに違っていて、それでも私は無理矢理それを考えないようにして寝てしまった。

 澪には一言だけ「おやすみ」というメールを送った。明日はちゃんと送らないといけないな、なんて考えていると、
そのうち私は深い眠りに落ちていた。
寝てしまった。

59: 2009/12/17(木) 23:41:35.37 ID:HuoNSWde0
やべ、最後の寝てしまったは脳内削除で

63: 2009/12/17(木) 23:52:26.66 ID:HuoNSWde0
――――――――
――――――
――――

 時間が丁度よくなった頃を見計らって、誰もいない部屋に向かって「行ってきます」と言うと、私は大学へと出発した。
 まだまだ寒い時期なので、結構な厚着をして歩いていると、制服に身を包んだ中高生と擦れ違うことが沢山あった。
以前の私達も、あんな風に学校に通っていたのだろう。高校生と大学生とでは、見る視点が大分変わっていることに気付いて、
老けたかな、なんてことを考えると、自然に自嘲的な笑みが漏れた。

 時折ギターかベースらしきものを背負って、忙しそうに駆けて行く女子高生を見ると、私は思わず昔を思い出してしまって、
不覚にも泣きそうになった。あの頃は毎日輝いていたような気がする。良い友人に囲まれて、好きなことに打ち込んで、
将来に対して不安なんかなかった。ずっとこのままの時が続いて行くんだろうな、なんてことを考えていた。

 だけど現実は厳しくて、私達は離れ離れになってしまって、私は対して行きたくもなかった大学に入学しようとしている。
以前志望していた短大は受けるのをやめた。代りに受けたのが、今の大学で、実家とは結構距離が離れている場所にある所だった。
どうしてここを受けたのか、と聞かれたら、私は誰に対しても何となくと答えると思う。でも、自分にだけ正直に話すのなら、
私は逃げたかったから、と答える。それが、正直な私の気持ちだった。

――――
――――――
――――――――

65: 2009/12/18(金) 00:02:04.71 ID:uBvtxG1v0
 今年のクリスマスが、私にとって、私達にとって特別な日になるなんてことは、当初予想もしなかったことだった。
 女子高で恋人ができるなんて思っていなかったし、ましてや澪の恋人になるなんてことは、今までの人生で一度も考えたことがなかった。
だから、今年のクリスマスが近付くにつれて、私は何だか言葉にしがたい心境に陥っていた。澪の浮かれた表情を見るたびに、それは段々と
色濃くなって、そうして自己嫌悪する毎日だった。

 クリスマスにパーティーをしよう! と言いだしたのは唯で、今年は予定あるから、と断ったのは澪だった。
事前に打ち合わせがあった訳でもなければ、約束があった訳でもなかったけれど、私もそう言わなければならないと思って、
誘いを断った。結局唯達はムギや梓、和を招いてパーティをするらしい。

 私と澪は、勿論二人でクリスマスを過ごすことになった。
 特別な日。それはきっと恋人にしか分からない感覚で、恋人という初めての関係に慣れて居ない私が、
やっぱり言葉にしがたい心境に陥るのは、誰もが通る道なのだと思う。初々しくて、まだあまり進展してないカップル。
私と澪は、きっとそんな関係にあった。

律「クリスマスはどこ行く?」

澪「私はどこでもいいよ」

律「そういうのが一番困るんだよなー」

澪「だ、だって、そんなに思い付かないし……」

律「あー、じゃあ適当にどっかで飯食って、ラブホにでも行くか」

澪「ラっ、ララララブホって、おま、何いって……!」

律「冗談だって冗談wほんと澪は面白いよなー」

澪「か、からかうな!」

66: 2009/12/18(金) 00:09:28.01 ID:uBvtxG1v0
 そしてクリスマス当日、私達は駅前で待ち合わせることにして、各々家を出た。
 私は唯ほどではないけど、元々時間にはルーズな方だったので、澪よりも遅く着くだろうと思っていたが、案の定そうなって
しまったので、急いで家を出た。

 駅前はとても賑わっていて、男女のカップルがこれ見よがしに手を繋ぎながら、いかにも幸せそうな表情で歩いている光景が
よく見られる。私はそんな人達を傍目に見ながら、澪との待ち合わせ場所に向かった。時刻は夜の七時。雪は降ってなくて、
空気の澄み渡った夜だった。

DQN「君一人なの? だったら俺達と楽しいことしようZE!」

DQN2「気持ちいいの間違いだろwww」

DQN3「フヒヒwww」

澪「あの、これから友達と予定あるんで……すみません」

 待ち合わせ場所に着くと、澪が柄の悪い男達に絡まれているのが見えた。下品な声が少し離れたここからでも聞こえてくる。
何だか無性に腹が立って、近くの店のショーケースに自分を映して、カチューシャを外して、適当に髪の毛を弄って、男のような
出で立ちで澪のところに向かう。男達はまだしつこく澪に絡んでいた。

70: 2009/12/18(金) 00:16:21.63 ID:uBvtxG1v0
DQN「え、なに、これってツンデレ?ww うわーツンデレだよこの子www」

DQN2「逆に誘ってんぞーwww」

DQN3「フヒヒwww」

澪「や、やめて下さい! 人呼びますよ!」

DQN「やっぱツンデレだよwwwツンデレwww ここでツンツンベッドでデレデレwwwってかwww」

DQN2「ちょwwwおまwwww」

DQN3「フヒヒwww」

 遂に澪の腕を無理矢理掴み始めた男の間に、私は割り込んだ。そして事前にかけておいた「110 通話中」の
文字が浮かぶ携帯のディスプレイを男の前に出して、少し声を低くして「まだやんの?」と相手を睨む。

DQN「やべ、こいつマジで警察呼びやがった!」
DQN2「おい逃げるぞ!」
DQN3「フヒヒwww」

 突然の男――もしかしたら女にしか見えなかったかも――の乱入に、あからさまに焦った男達は、110の番号を見るやいなや
一目散に逃げ出して行った。「全く……」なんてかっこつけてた私は、「大丈夫か?」と澪に振り返る。澪は、何だか恍惚とした
表情で、まるで恋する乙女のそれにしか見えない潤んだ眸で、私を見つめていた。

72: 2009/12/18(金) 00:22:39.40 ID:uBvtxG1v0
律「大丈夫か、澪、おーい、澪さーん?」

澪「あ、ああ、大丈夫大丈夫」

律「ほんとに大丈夫かー?」

澪「うん、ちょっとびっくりしちゃっただけw」

律「あ、私のかっこよさに?w」

澪「まあ、うん、そうだよ……」

 思いもよらぬ予想外の言葉に、私まで驚いてしまって、またいつものようにカチューシャを着けると、私は赤くなっている澪の手を引いて歩きだした。

 ――いつもなら行かないようなレストランに行って、いつもなら行かないようなゲームセンターに行って、いつもなら行かないような夜景スポットまで足を運んで。

 私達は男女であれば、カップルにしか見えないことをやっていたのだと思う。

 澪は本当に楽しそうで、幸せそうで、それを見てると、何だか私まで幸せになってくる。

 実際澪と色んなところを回るのは楽しかったし、その楽しさも以前とはまた違ったものだった。

 それを楽しめるようになったら、私は今のこの関係を、完全に受け入れることができるのだろうか、そんなことを考えた。

73: 2009/12/18(金) 00:31:35.30 ID:uBvtxG1v0
 それから、行こうと思った場所は全て行き尽くして、何しようかなんて話していた頃、澪が突然言った。

澪「私の家、行かないか……?」

律「おーいいねぇ、最近は澪の家でちゃんと遊んでないもんな!」

澪「それもあるし……」

律「いやー澪の家でクリスマス過ごすのって久し振りだな。昔はさ、澪のお母さんが作った料理が美味くて美味くて――」

澪「今日は、両親は居ないんだ」

律「えっ」

澪「うん、久し振りに夫婦水入らずで遊んで来る、って……」

律「へ、へえ、澪のところもまだまだお熱いねー」

 それが何を意味するのか、なんて考えなくても分かることで、思春期だった私は尚更それを意識してしまった。

 きっと澪も同じだったと思う。澪は直接口には出さずとも、それを望んでいるのだと、その時の私は心の奥で認めながら、どこかそれを認めたくなかった。

 だからなるべく余計なことを意識しないようにした。澪の家に行く道中も、喋れるだけ喋って、気まずくならないようにした。

 ただ、澪の顔が赤くなっているのを見るたび、いやおうなしにそれは頭の中に想像されてしまって、私は平静を装うのさえ難しかった。

 いつか来ること。クリスマスが私達にとって特別な日になったということは、それによるものが多分最も大きかった。

106: 2009/12/18(金) 13:01:33.25 ID:uBvtxG1v0
律「……」

澪「……」

 澪の部屋に、二人して黙りながらただ座っている。澪の部屋に来ることなんて、いつもなら大したことじゃない。
それなのに、こんなにも変な緊張感が漂っているのは、やっぱりクリスマスの所為だとしか言いようがなかった。

 澪は時折私の方をちらちらと見てくる。その時に図らずも目が合ってしまうたび、赤くなって俯く澪が、何を期待しているのか、分かってしまう。
いつもの快活なキャラはもう影も形もなく、ただこの気まずい雰囲気の中を、どうやって過ごしたらいいのか、その時の私はそればかり考えていた。

律「い、いやー、来てみたはいいけど、なんかすることないなーw」

澪「そ、そうだな。さっきまで色々と話してたし……」

律「唯達は今頃何やってるんだろ」

澪「さすがに帰ったと思うけど……もう0時回ってるし……」

律「ほんとだ。……もう、こんな時間か」

107: 2009/12/18(金) 13:09:33.98 ID:uBvtxG1v0
 その言葉を区切りにして、「そろそろ帰るわ」なんて言っても、きっと澪はごく普通に返事を返して、玄関まで私を見送ったと思う。
でも、その時の澪の悲しげで切なげで、苦しそうな表情を想像すると、そんな言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。

 恋人として何をするべきか、そんなことは分かっているはずなのに。それでも躊躇してしまっていたのは、私の覚悟が甘過ぎたせいなのだろう。
カチコチと時を刻む音が無性に腹立たしかった。焦燥感ばかりが募り、拳を強く握り締めていた。

澪「あ、あのさっ」

律「あのさー」

 そう言葉を発したのはほんとに同時で、目を見合わせてくすりと笑った。それから「どうぞ」の譲り合い。結局澪から話すことになった。

澪「ちょっと、こっち来て」

 その時澪はベッドに腰掛けていて、私はテーブルの上に頬杖を着いていた。澪は真直ぐに私を見ている。拒絶なんてできるはずもない。
私は大人しく澪に従った。

 
 澪の隣に腰掛けると、当たり前のようにふわりと澪の香りがした。当たり前のように澪の横顔が近く、赤くなった頬は、いつもとは違う艶めかしさを含んでいた。

 ――長い沈黙。私がそう感じただけかも知れないけれど、私にとっては、この間の沈黙はとてつもなく長かった。

109: 2009/12/18(金) 13:18:04.13 ID:uBvtxG1v0
澪「律……」

 不意に伸びてきた澪の手が、私の両肩にそっと触れる。決意を決めたような強い眼差しが、私の射抜くように見つめている。

律「澪……?」

澪「ごめんっ」

 そう言いながら、澪は私の肩を強く掴んだまま、ベッドの上に押し倒した。私の上には澪しか見えなかった。

 澪はそれから何も言わなくて、私もまた何も言わなくて、抵抗なんて言えることは何一つとしてしなかった。

 物音一つしない部屋の中には、私と澪の息遣いだけが聞こえて、澪が眸を閉じた時、私も視界から全てを消し去った。

律「んっ……」

澪「んん……」

 長く触れ合うような口付けだった。だけど、それから私の唇をこじ開けるようにして、澪の舌は乱暴に私の口内へと侵入する。

 今まで感じたことのない感触。口内で混ざり合う唾液。次第に苦しくなってくる呼吸。

 それでも、澪とこういう行為をする。そんな現実が未だに信じられなかった。

110: 2009/12/18(金) 13:24:27.84 ID:uBvtxG1v0
律「はあっ……ふはー……」

 ようやく長く深いキスから解放された時、私はこれでもかと言わんばかりに深呼吸した。

 澪が積極的だー、なんてからかう気概はあったが、それも上から私を見つめる澪の視線を見ると、どこかに吹き飛んでしまうようだった。

澪「ごめん、苦しかった?」

律「……ちょっとなw」

澪「いい……のか?」

律「……」

 それは一つの機会であり、ともすれば機会でも何でもなかった。そこで止めようと思えば止められたとは思う。

 だけど澪は、どんな言訳を並びたてたところで、不安に陥る。それを想うと、拒絶することなんてできなかった。

 ――所詮私はまだまだ幼い高校生で、どうしようもなく馬鹿で、救いようがないくらい臆病だった。

律「……いいよ」

112: 2009/12/18(金) 13:34:22.00 ID:uBvtxG1v0
――――――――
――――――
――――

 定期を持って、改札を通り、駅のホームで白い息を吐きながら電車を待つ。

 周りには高校生やサラリーマンなど、人も結構多かった。電車を待つ私は携帯で時間を確認しながらマフラーに顔を埋める。

 昔――といっても、考えてみれば数カ月前のことを思い返していると、何だか無性に惨めな気分になる。

 多分今の私は一人で陰鬱な顔をしていて、傍から見れば何かあったのかな、なんて思われるぐらいには、辛気臭い顔をしていると思う。

 そのうち電車がやかましい音を立てながら停車すると、私は人混みに紛れて、混み合う電車の中に入った。

 暑苦しいくらいにすし詰めになった電車の中は窮屈で、何だか束縛されているような気分になった。

 ここから大学までは三駅分くらい。時間を確認すると、まだまだ余裕がある。私は吊革に掴まりながら、小さく溜息を吐いた。


――――
―――――
―――――――

115: 2009/12/18(金) 13:42:45.52 ID:uBvtxG1v0
 私達が特別なクリスマスを過ごしたと言っても、私と澪が変にぎくしゃくするようなことはなかった。

 澪は幸せそうな顔をしていたし、練習にも精を出して頑張っているように見えた。

 私もいつものように、お調子者として過ごしていた。だけど、それが澪のように幸せそうだったのかどうかは、分からなかった。

 卒業ライブは日に日に近付く。それに伴って、私達が離別する日も、着実に近付いていた。

 卒業ライブは受験よりも早くて、年が明けてから間もなく行われる。

 だから、私達も最後の追い込みをかけ始めていた時期だった。

 受験やらなにやらで、不安も募る時期で、それでも卒業ライブに向けた演奏をしている間は、まだ気楽だった。

 クリスマス以降、私と澪の距離は近くなったけれど、私はそれを素直に喜べなかった。

 一緒に帰路を共にする時も、部活中に目が合って笑い合う時も、たまに二人で外出する時も――

 私は素直にそれを喜んでいなかった。その癖それを隠すのだけは上手くて、澪にそれを悟られることもなかった。

 自分が卑怯な人間になっていくことが、何だかとても嫌な心地がしていた。

118: 2009/12/18(金) 13:49:54.44 ID:uBvtxG1v0
唯「いよいよ明日だねっ!」

梓「緊張してきました……」

紬「いつも通りやれば大丈夫よ」

 卒業ライブを前日に控えた日、私達は練習が終わったあと、部室で話しこんでいた。

 話題は卒業ライブを無事に終えることができるか、とか最後の演奏か、とか、そんなことばかりで、多分みんながみんな、不安だったと思う。

 私だってそうだった。明日で本格的な部活が終わってしまうのかと思うと、何だかやるせなかった。

律「まあ最後なんだしさ、最高のライブにしてやろうぜ!」

唯「おー!」

梓「頑張ります!」

紬「みんなで頑張ろう!」

澪「そうだな」

122: 2009/12/18(金) 13:57:04.50 ID:uBvtxG1v0
 それからは思い出話に花を咲かせて、結局家に着いたのは夜の八時ごろだった。

 その日だけは、澪と二人で過ごすこともしなくて、二人とも大人しく家に帰った。

 だけど、一人になると、どうしようもなく寂しくなって、夕飯もろくに食べられなかった。

 だから、結局私は風呂やらなにやら入ったあとに、みんなへメールでエールを送ると、早々に寝てしまった。


――卒業ライブ当日。

唯「緊張するー」

律「唯が緊張なんて珍しいこともあるもんだなーw」

唯「そりゃそうだよ! 最後の晴れ舞台だもん!」

律「あははw」

 朝、申し合わせたようにみんなで部室に集まった私達は、何をするともなく座っていた。

 機材は運んだし、もうすることもなくて、だからといって気の利いた言葉も思い浮かばなかった。

 ただ、ライブを目前にして、高揚感のような不安感のようなものが、沸々と湧き上がってくるようだった。

124: 2009/12/18(金) 14:03:59.83 ID:uBvtxG1v0
澪「律、ちょっと……いい?」

 突然そう言われて、私はもちろんいいよと答えた。

 そしてちょっとトイレに行ってくると、みんなには伝えて、二人で部室を出て行った。

 向かった先は人気のない階段の踊り場で、私と澪以外の声はしない静かな場所だった。

律「なんだよ、緊張しすぎて不安になっちゃったかw」

澪「それもあるけど……今の内に伝えたいことがあって」

律「……」

澪「わ、私さ、今まで軽音部で活動してきて、本当に楽しかった。律が強引に誘ってくれなかったら、きっとこんなに楽しいこと知らなかったと思う」

律「だろー?w 感謝しなさいこの私に!」

澪「それで、まあ色々あったけど、り、律と、その……」

 そう言い淀んだ澪に、どんな言葉をかけるべきか、なんて分からないはずがなかった。

 ただ、それを言ってしまえば、卑怯な私は二度と元の私に戻れなくなる、そんな気がしていた。

律「恋人になれた、だろ」

125: 2009/12/18(金) 14:11:38.29 ID:uBvtxG1v0
澪「う、うん」

律「……」

澪「今だから言えるけど、本当は不安で不安で仕方なかったんだ。私達は女の子同士だし、迷惑って思われても仕方ないと思った」

澪「でも、律は最初こそ茶化してきたけど、とりあえず付き合ってみよう、なんて言ってくれて、本当に嬉しかったんだ」

澪「だけど……それも、言ってみればお試し期間みたいなもので……だから、クリスマスの日、律が私を受け入れてくれた時は、もう泣きそうだった」

澪「律……私は今でも、これから先も、多分ずっと律のことが好きだよ。忘れることなんて、多分できない」

澪「だから……卒業ライブが終わっても、部活が終わっても、私達が卒業してしまっても、私と……一緒に居て欲しいんだ」

 何を言えば傷付いて、何を言えば嬉しいのか、そんなことは子供にだって分かる問題だった。

 でも私はやっぱり子供で、どうしようもなく馬鹿で、救いようがないくらい臆病だった。

 傷付くことも傷付かれることも怖くて、みんな幸せだったらいいな、なんて子供みたいな理想を掲げていた。

律「あったり前だろーw 私達は昔も今もずっと一緒だったんだし、これから先もきっと一緒だよ!」

澪「律……」

126: 2009/12/18(金) 14:17:45.23 ID:uBvtxG1v0
律「そりゃー最初は戸惑ってたけど、そこはほら、クリスマスのことがあるし……なっ?」

澪「うん……ありがとう、律」

 私が出した答えは、きっと澪が求めたものではなかったのかも知れない。

 親友として過ごしてきた過去と、恋人として過ごしている今、二つの中で「ずっと一緒だった」という言葉は同じじゃない。

 それでも、何もないよりかは、根拠のない約束があった方が良いに決まっている。

 例えそれが自分を縛り付けるものだとしても、例えそれが澪を縛り付けるものだとしても、子供で馬鹿で臆病で卑怯な私は、それを選んでしまった。

 ――その時、丁度チャイムが鳴って、同時に唯達が階段を下りて来た。

唯「あっ、りっちゃん澪ちゃん、もうすぐ始まるよ!」

律「よーし! 行くか!」

 みんなで手を重ね合って、「おー!」と叫ぶ。そうして私達は体育館へと走った。

128: 2009/12/18(金) 14:28:22.16 ID:uBvtxG1v0
 熱気に溢れる体育館の中は、とても心地よくて、自分が生きていると、これ以上になく実感できる場所だった。

 唯も梓も紬も澪も、みんな汗を流しながら、全力で演奏している。

 走り気味だと言われていた私のドラムに、色んな音が追い付いてくるような、私のドラムがみんなの演奏と同調しているような、そんな感覚。

 四曲しかない短い時間が、まるで永遠のように感じられて、一曲が終わるたびに鳴るけたたましい拍手の音が、心臓の鼓動を早まらせる。

 全ての曲が終わった後、会場から溢れんばかりのアンコールが鳴り響いた時は、きっと私だけじゃなくて、みんな泣いていたと思う。

 ステージの幕に隠れていた和のOKサインを確認して、本当に最後の曲が始まると、私のドラムを筆頭に、演奏が始まった。

 唯の歌声は半分涙声で、澪も同じだった。

 本当にこれが最後なんだ、そう思えば思うほど、涙は溢れてきて、梓は演奏が終わると同時に唯に抱きついていた。

 ムギが「最高の演奏だったね!」と涙交じりに言った時、私は知らず知らずの内に、声を出して泣いてしまっていた。

 照明が消されて、幕が閉じられても、鳴り止まない拍手を、私は二度と忘れない。――そう、思った。

130: 2009/12/18(金) 14:34:53.20 ID:uBvtxG1v0
 ――その後、私達軽音部は、活動を休止した。

 梓以外の三年生は受験が控えているからだ。

 ムギや澪は塾に通うと言っていた。唯は自分で勉強すれば何とかなる、なんて言っていた。

 私だけが、何をすればいいのか分からなくて、ただいたずらに時間を無駄にしているような気がした。

 当初の志望校だった短大は、最早なんの魅力もなくて、だからといって澪と同じ音楽の専門学校に行くのは違う気がした。

 それでも自分の進路が分からず、ただ何となく勉強して、何となく大学のことを考えて、本当に何となく過ごし続けていた。

 澪とはあまり会わないようにした。お互いに受験があるから、と言って、なるべく遊んでしまわないように、私が配慮して提案した事だった。

 澪は不満そうだったけれど、仕方ないと思ったのか承諾してくれて、皮肉にもそれが、今の私の体たらくの要因だったのかも知れない。

131: 2009/12/18(金) 14:43:26.94 ID:uBvtxG1v0
澪『大学のこと決まった?』

澪『悩んでるなら相談に乗る』

澪『早く会いたいよ』

 その頃の私は本当に焦っていて、親の言葉も担任の言葉も、全てが鬱陶しくなるくらいには自棄になっていた。

 だから、澪から送られてくるメールにも、何事もなかった風を装って、無難な返事を返していた。

 澪のメールには感情が溢れていて、時折かかってくる電話では、本当に楽しそうに話していた。

 でもその時の私は自棄になっていて、大学について考えることも、澪と私の関係を考えることも、――全てが煩わしかった。

 澪が「会いたい」と言うたびに、私は不安になる。

 ずっと一緒居るなんて根拠のない約束が、いつでも脳裏に張り付いて離れない。

 あの時私は決めてしまった。自分を縛り、澪を縛り、そうすればみんな幸せになると、勝手に思い込んでいた。

 だから、私は子供で、馬鹿で、臆病で、卑怯な奴だった。――全てのしがらみから逃れたい。そう思ったのは、すぐだった。

132: 2009/12/18(金) 14:51:07.42 ID:uBvtxG1v0
 親に一人暮らしがしたい、と申し出ると、物凄い勢いで反対された。

 そんなことは承知の上だったし、無理な頼みだろうとは思っていたが、バイトをして最低限の生活費は自分で稼ぐ。

 アパートやらなにやらも自分で探す。そう提案すると、しぶしぶ了承してくれた。

 このことは澪には言わなかった。それどころか、軽音部のみんなにも、それを教えることはしなかった。

 私はこのまま消えてしまおう、なんて、本気で考えていた。

澪『受かったよ! 律の方はどう?』

律『まだ分かんない。もうちょっとで発表』

澪『そっか。じゃあ会えるのはもうすぐだな』

律『まだ受かるって決まったわけじゃないって』

澪『受かるよ、律ならきっと大丈夫』

 私は手元に握り締めた合格通知を見ながら、「ありがとう」と文字を打った。

 

134: 2009/12/18(金) 14:58:15.26 ID:uBvtxG1v0
唯『お陰さまで受かったよー! みんなありがとー!』

紬『なんとか受かりました。りっちゃんの方はどうですか?』

梓『先輩、受験どうでしたか? 応援してたけど、ちょっと心配です』

律「……」

 次々と送られてくるメールを見ながら、溜息を吐く。一人一人に「おめでとう」と返しながら「私は大丈夫」と付け加えて行った。

 でも、それを送信することは、なかった。

 綺麗に片づけられた部屋の中を知っている人は、家族以外には誰も居ない。

 もう、引越しの準備は整っていた。

律「ごめん、澪」

 メールの受信ボックスを開けば、澪からのメールが沢山ある。

 本当に大丈夫? 連絡して欲しい。 何かあったの? 嫌いになったの?

 ――最近は、そんなメールばかりだった。

135: 2009/12/18(金) 15:04:52.72 ID:uBvtxG1v0
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 電車が止まると、人が一気に吐き出される。私はその人波の中に混じって、一歩一歩苦労しながら改札へと向かった。

 まだ寒い時期だというのに、人の密度の所為でひどく暑苦しい。

 早くここから脱出したかった。

律「やっと抜け出せた……」

 駅を出て一息吐くと、私は大学への道を歩き始めた。この駅からそう遠くない所に私が通う大学がある。

 時間を確認するために携帯電話を取り出す。高校の時使っていた携帯とは違う、新しい携帯。

 アドレス帳には、かつての友人の名前はなかった。

 ――ふと前を見た時。長い黒髪を風に靡かせている女の姿があった。

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137: 2009/12/18(金) 15:10:59.59 ID:uBvtxG1v0
 親には、私の居場所を誰にも教えないように、強く言っておいた。

 これから心機一転して頑張るから。大学では大学のことを頑張るから、と。

 そうして引っ越しはつつがなく行われ、以前私が部屋として使っていた場所には、何も残らなかった。

 ただ、今は使っていない携帯電話だけを、部屋の片隅に置いておいた。

 もう鳴ることのない携帯電話の中には、今までの思い出が詰まっている。

 私を縛り、大事な人を縛った思い出が、いくつもいくつも詰め込まれている。

 何故か、知らぬ間に涙が頬を流れていた。

律「ごめん、みんな……。ごめん、澪……」

 そうして、逃げるように私は自分の部屋から出て行った。

 これで全て終わってしまったんだ。

 自分で全てをかなぐり捨てて、新しい道を歩み始めるんだ。

 そう思えば思うほど、涙は溢れ続けた。もう後戻りはできない、そう言い聞かせながら。

138: 2009/12/18(金) 15:17:00.21 ID:uBvtxG1v0
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 大学の正門は人で賑わっていて、どこを見ても入学の喜びを友達と共に分かち合っている人ばかりが目立つ。

 私はその中で一人、入学式の予定を片手に持ちながら、寂しく歩いていた。

律「さっきの子……ははは、まさかな」

 長い黒髪の女のことが、頭から離れなかった。長年の付き合いだし、澪の後ろ姿なんて、一目で分かる。

 その私が、澪を他の人と間違えるなんて、するはずがなかった。だけど、恐怖と不安で、あの女を澪と認めたくなかった。

 会えば何を言われるか、また何を言ってしまうのか、分からなかったから。

 それでも、辺りを頻りに見回すことはやめられなかった。

 もしかしたら本当に澪かもしれない。そんなことを想うと、探さずにはいられなかった。

 ――その時、混み合う人波の中で、遠くに一人の女を見付けた。それはとてつもない偶然だったのかも知れない。

 色んな人に視界を阻まれる中で、決して近くない距離で、私はその人と目を合わせた。

140: 2009/12/18(金) 15:21:01.97 ID:uBvtxG1v0
律「なん、で……」

 静かに歩み寄ってくる女……それは他の誰でもなく、澪だった。

澪「……」

律「……」

 私達が向かい合って、相手の表情の動きさえ分かる距離に近付いた時、澪は何も言わなかった。

 私は、何も言わなかったというよりは、澪にかける言葉が見付からなくて、何も言うことができなかった。

澪「律のお母さんに無理を言って、聞いたんだ」

律「そ、そっか」

澪「一つだけ、聞いてもいい?」

律「……」

澪「本当にこれが最後だから。これ以上は何も望まないから」

144: 2009/12/18(金) 15:31:43.76 ID:uBvtxG1v0
 澪の眼は、いつかと同じように、真剣で、切なそうだった。

 それでも、私達の関係は、いつかと同じようにはならない。そんな確信があった。

澪「女同士でおかしいのかも知れない。でも、それでも私は律が好きだ。昔も今も、この先も……」

律「……」

澪「正直に答えて欲しい。そうすれば、私はもう、縛られないだろうから」

 澪の言葉は、強がりにしか聞こえなかった。私達は互いに縛られている。私も澪も、もうその束縛からは逃れられない。

 でも、澪の望みに対して、私は正直な気持ちを告白しなければならなかった。

 本当はこんなことになって、寂しいとか、できるならあの頃に戻りたいとか、そんなことも考えた。

 でも、それでも澪が望んだのは正直な答えで、澪が私に聞いたのは「私が澪を好きなのかどうか」だった。

 だから、私は、精一杯笑顔を作れるように心がけて、なるべくなら以前の私を取り戻せるように、答えた。

律「……女同士で恋愛とか、……ねーよ……」

澪「……うん、分かった。……ありがとう、律」

律「……」

 去って行く澪の背中は、微かに震えていた。残された私もきっと震えてる。

 私は泣いていた。人目も憚らず、恥も外聞も関係なしに、その場で声を押し頃して泣いていた。何度も「ごめん」と呟きながら。

145: 2009/12/18(金) 15:32:38.93 ID:uBvtxG1v0



――完。

147: 2009/12/18(金) 15:36:31.15 ID:8pfOgK5kO
え?

148: 2009/12/18(金) 15:38:02.78 ID:xZ2k9NNy0
終わりかよおおおつ

引用元: 律「女同士で恋愛とかwwwねーよwww」