551 :◆iX3BLKpVR6 2014/07/12(土) 02:12:41.78 ID:Gl0S96aK0
*
アイドル。
それは人々の憧れであり、遠い存在。
テレビの向こう側、雲の上の人、女の子の永遠の夢。
人によってその表現は違うが、どれもが自分とは別の世界のように語る。
それもそうだ。目にする事はあっても、そこに自分と同じ現実味などそう簡単には抱けない。
自分と同い年の少年が、甲子園に出ているように。
自分となんら変わりない少女が、コンクールで受賞されるように。
画面の向こうというだけで、どこか遠く感じてしまう。
前編はこちら
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「これで最後、だね」【前編】
ー 金曜 friday ー
八幡「ーー何でだッ!」
柄にもなく、叫んでしまう。
こんなに喉が痛くなる程声を出すなんて、俺らしくない。
しかしそれでも、叫ばずにはいられなかった。
絶対に諦めるわけには、いかなかったんだ。
奈緒「…………」
そんな俺を、酷く冷めた目で見つめる奈緒。
呆れ果てたように、どこか侮蔑を含めた視線で、ただただ俺を射抜く。
何だってんだ……
そんなに、そんなにいけない事なのかよ……!
未央「なおちん……」
そしてその隣では、奈緒を宥めるように声をかける本田。
どちらかと言えば、彼女は俺を擁護してくれている側だった。
未央「少しくらいなら、ね? プロデューサーもここまで言ってるんだし……」
奈緒「ダメに、決まってるだろ……」
八幡「ッ!」
だが、それでも奈緒は引き下がらない。
俺への睨みを強くし、更に畳み掛けてくる。
奈緒「そんなの……そんなの許されるはずがない! 例え周りが良いって言ったって、アタシが認めないっ!」
絶対に引かないという、奈緒の強い意志が伝わってくる。
だがな、そんなのは俺だって一緒なんだよ。
絶対に、引けるかーーッ!
八幡「いいぜ……お前が俺の頼みを聞けないってんならーー」
奈緒・未央「「ッ!!」」
八幡「ーーまずは、そのふざけた幻想をぶt「そろそろ本番でーす! 出演の方は準備お願いしまーす!」
…………。
奈緒「あ、はーい。今行きまーす」
未央「ごめんねプロデューサー? もう始まるし、行ってくるね♪」
スタッフの声が聞こえるや否や、奈緒と本田はさっきのノリから一転、何事も無かったかのようにさっさとその場を後にする。
残されたのは、ただ虚しく右拳を掲げる俺一人。
……なんでだ。
俺はその場に崩れ落ち、無様にも膝をつく。
どうしようもない想いが、溢れてしょうがなかった。
なんで、なんでーー
八幡「なんで俺も『千葉散歩』に出してくれないんだ……!」
奈緒「いや無理に決まってるだろ」
奈緒のツッコミすら、今の俺には虚しかった。
わざわざ戻ってくるなよ……
そんなこんなで、今日の俺の仕事は奈緒と未央の番組『千葉散歩』の同行だ。
千葉出身の二人が、千葉の名所を紹介していくローカル番組。今最も俺の中で熱いテレビ番組だと言えよう。
ちなみに毎週録画しているのは秘密である。
俺が今日このロケに同行しているのは、先日奈緒たちに相談を受けた事が発端になる。
より身近な意見を取り入れたいという事で、出演者以外の千葉出身者からの案が欲しかったらしい。
もちろん、俺は二つ返事でOKした。むしろ心待ちにしていたまである。
俺が積極的過ぎてスタッフが若干引くくらいだったが、まだまだこんなもんじゃ足りないくらいなんだよこっちは!
そしてそんな俺の意見が採用された回の収録が、今日というわけだ。
やはり原案者としては現場まで同行せねばなるまいと、半ば強いn……快諾を得てロケに付いて来た。
本当なら少しだけでもいいから出してほしかったが……やっぱ無理ですよねー
まぁ俺もダメもとだったしね。半分冗談だったしね。いやホントホント。超出たかったーーッ!!
というわけで、俺は大人しくスタッフさんと一緒に静かに見守るのでした。
未央『いやー楽しかった♪ 今日はどうだったナナミン?』
菜々『ナナもすっごい楽しかったです! ゲストで呼んで頂きありがとうございました♪』
カメラ越しに見えるのは、今日のゲストである安倍菜々……さん。
既にロケも終盤で、残るはエンディングを残すのみだ。
菜々『いやー最近は忙しかったから、あまり帰ってこれn……あっ』
未央『帰って??』
菜々『い、いやあのそのっ、そう! ウサミン星へのワープホールが千葉にあってですね! それで……』
未央『そう言えばナナミン、マザー牧場行った時に、昔よく遊びに来てたとかなんとか……?』
菜々『ミ、ミミミン……』ダラダラ
奈緒『こ、今週はこの辺で! また来週も千葉のどこかでお会いしましょう! またなー!』
『はーい、オッケーでーすっ!』
八幡「…………」
オッケーなのかよ。
心の中でツッコミを入れ、今日の収録は無事終了した。
いや、約一名無事じゃない気もするが。
なんでもファンには、このグダグダな緩い感じがウケているらしい。
まぁ、気持ちは分からんでもない。
ちなみにレギュラーは本田と奈緒。
そして順レギュラーには同じく千葉出身のデレプロ所属アイドルの、太田優に矢口美羽がいる。
ただ基本的には本田と奈緒の二人進行なので、たまーに太田さんか矢口がそれに参加するといった具合だ。
基本的にゲストは珍しいのだが、何故か安倍さんはよく呼ばれる。ナンデダロウネー。
そろそろ凛もゲストに呼んでほしいものだ。
そんなわけでロケも終了し、場所は変わってロケバス内。
今日はもう上がりなので、東京の会社まで送ってくれるらしい。良いスタッフさんたちだ。
奈緒は疲れたのか、窓へもたれ眠ってしまっている。
安倍さんは……なんか凹んでるな。そっとしておいてあげよう。
そんで本田はというと……
未央「お疲れ様プロデューサー♪」
何故か、俺の隣の席へと座っている。
いや、他にも席結構空いてるよ?
八幡「……お疲れ」
未央「もうプロデューサー、そこは闇に飲まれよ! くらいは言ってくれないと!」
八幡「お前は俺に何を求めてるんだ……」
からかうような笑顔で、これでもかと絡んでくる未央(比喩です)。
ロケが終わったばかりだというのに元気な奴である。ちょっと杏に分けてやれ。
俺が鬱陶しそうな態度を隠そうともせずにいると、それが気に食わなかったのか、わざとらしく拗ねた顔になる本田。
未央「あーあ、折角千葉散歩に出演出来るようにディレクターさんにかけあおうかと思ったのになー」チラッ
八幡「クックック、闇に飲まれよ!」
そして俺は単純な男であった。
くっ、俺を即陥落させるとはな。やりおるわい。
未央「あはは、期待せずに待っててね」
そう言って笑う本田だが、俺としては期待せずにはいられない。
ぶっちゃけ俺が出演した所で一体誰得なの? と、当たり前過ぎる疑問も湧くが全力でスルー。
いやぁ、まさか本当にかけあってくれるとはな。マジ本田△。
内心で彼女に対し賞賛の嵐を送る。
と、そこで本田はふと、いつもとは少し違う笑みを見せた。
それは何と言うか、昔を思い出し、懐かしむような微笑み。
俺だって本田とはそれほど長い付き合いというわけでもない。臨時プロデュースした事だってたかだか数回だ。
が、それでも今の表情は少し違って見えた。
いつもの眩しい笑顔とは違う、どこか哀愁を漂わせた微笑。
その見た事のない一面に、不覚ながらも一瞬目を奪われる。
未央「……ありがとね、プロデューサー」
八幡「えっ? あ、あぁ……」
不意に声をかけられるもんだから、思わず変な声を出してしまう。
俺は何とか取り繕い、言葉を続ける。
八幡「別に気にすんなよ。こんくらいなら千葉県民として当然のことだ」
未央「あはは、そっちじゃなくってさ。……まぁ、それもあるんだけど、それとはまた別のこと」
八幡「別のこと?」
何だろう。何かお礼を言われるような事をしただろうか。
この間凛のブロマイドあげたけど……でも代わりに凛の写メ貰ったしなぁ。あれじゃないか。
未央「忘れてないよね? 宣材写真だよ」
八幡「宣材写真って……あの、初めて会った時の事か?」
未央「うんっ。しぶりんとしまむーと……私たちの、初めてのアイドル活動」
初めてのアイドル活動。
確かに今にして思えば、あれが俺にとっても最初のプロデュースだった。
八幡「そういや、お前らが初の臨時プロデュースだったな。つっても写真撮っただけだが」
思わず、俺も懐かしむように思い出す。
あれをきっかけに、奉仕部のデレプロ支部として活動するようになったんだよな。
まぁ最初の臨時プロデュースと言っても、俺は精々見てたくらいだが。
しかし本田はと言うと、俺の言葉に対し首を振る。
未央「ううん。確かに写真を撮っただけだったけど……でも、私たちにとっては大切な第一歩だったんだよ」
八幡「……第一歩、ね」
未央「うん! しまむーも、同じことを感じてると思う」
そう言う本田の言葉に、妙に納得してしまう。
確かに、島村なら同じような事を言いそうだ。
未央「そりゃプロデューサーにとっては、たくさん臨時プロデュースしてきたアイドルの一人かもしれないけど……私たちにとっては、ただ一人のプロデューサーなんだよ?」
俺の目を見つめて、そんな事を平然と宣う。
未央「たぶんこれは、臨時プロデュースしてもらったアイドルみんなが感じてると思う」
そう言って、本田はまた微笑んだ。
……中学の時にこいつに出会わなくて良かったな。
危なく、勘違いで好きになってしまいそうだ。
八幡「……その内、お前らにも新しいプロデューサーがつくさ」
未央「フフフ……実は私たちがそれを断ってるって言ったら……?」
八幡「えっ」
ニヤリ、という擬音がこれでもかと思うほど似合う表情。
いやいや、まさか、ねぇ。
八幡「……冗談だよな?」
未央「さて、どうだろうね♪」
いやそんな可愛く舌出しても騙されんぞ。
まぁでもさすがに冗談だろ。あいつらがプロデューサー断ってるとか……冗談だよね? ね。
と、俺が悶々と深みに嵌っていると、本田が思い出したように口にする。
未央「そうだ、プロデューサーにお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
八幡「お願い?」
お願い。なんだろう、ついこの間もそのワードを聞いた気がする。
しかし俺が思い出す暇もなく、本田は俺に面と向かって口を開く。
未央「しぶりんの事、よろしくね」
そして言われたのは、ある意味では予想通りのものだった。
まさにデジャヴ。
八幡「……それ、この間も別の奴に言われたぞ」
未央「え、ホント? そっかぁ、やっぱり私だけじゃなかったんだね」
そう言う本田は、納得したように一人でうんうん頷いている。
いやどういうわけよ。
未央「なんだろうね。二人を見てると、頑張ってほしいなって思うというか、心配になるっていうか……」
八幡「オカンかお前は」
そんな親心みたいな心境で見られてたのか俺たちは。
なんとも恥ずかしいものである。
未央「まぁそういうわけで、よろしくお願いね。それと……」
スッ、と。不意に右手が差し出される。
それは小さく奇麗な本田の手で、握手を求められているという事に気付くのに、数瞬かかった。
未央「私たち臨時アイドルの事も、これからもよろしくね♪」
八幡「…………おう」
それは、これからも奉仕部として頑張ってくださいという意味でいいのだろうか。
そう思うと中々に複雑な心境であったが、まぁ、ここは良しとしておこう。
ただ恥ずかしいものは恥ずかしいので、握手した後はすぐに手を離した。
やべぇな。手汗とか大丈夫だろうか。
とりあえず、平静を装って話題を変える。
幸いにも、到着まで間もなくだ。
八幡「ほら、そろそろ着くぞ。安倍さんは……なんかブツブツ言ってるから起きてるな。本田、奈緒のこと起こしてやってくれ」
未央「むむむ……」
と、ここで何故かしかめっ面の本田。
未央「プロデューサー、もっかい言ってくれる?」
八幡「あ? いやだから、奈緒を起こしてくれって…」
未央「……そうじゃなくて、もっかい呼んでみて」
八幡「呼んでみろって…………本田?」
俺が若干困惑気味に呼ぶと、本田はあからさまに肩をすくめながら溜め息を吐く。
今にもやれやれだぜと言いそうな雰囲気だ。何だオイ。
未央「そうかぁ……やっぱり私としまむーは、まだその段階まで達してないって事か。道のりは長そうだなぁ……」
八幡「何の話だ?」
一人でブツブツ言っている本田に俺が訊くと、一度だけこっちをチラッと見る。
そしてその後、フッと鼻で笑う。え、何この子。
未央「あーいいよいいよ~その感じ。正にラノベ主人公って感じ? きゃーモッテモテー☆」ふっふー♪
八幡「バカにしてんだろオイ」
その後ヒートアップした会話のうるささで奈緒が起きるのだが、まぁ手間が省けたという事にしておこう。
スタッフさんには迷惑をかけたので、後で菓子折りでも送っておく。
けど、今日はやっぱ同行して良かったな。
こうして臨時プロデュースしたアイドルたちの現状を知れるという意味では、貴重な機会だ。
もちろん、本人たちの前では口が割けても言わんがな。
しっかし、本田には困ったもんだ。どっちが鈍感なのやら。
………………改めて呼び方変えるの、恥ずかしいだろ。察しろっつーの。
ー 土曜 saturday ー
東京都内にそびえ立つ一つのビル。
総勢200人以上ものアイドルと社員を抱える、ご存知シンデレラプロダクションだ。
その姿はコンクリートジャングルの景観の中、周りにとけ込み過ぎる程にとけ込んでいる。
しかしそれは如何せん地味という意味であり、別に立派だとか、外観が美しいとかいう意味ではない。
しかも一階は喫茶店。小奇麗で良い店ではあるのだが、それがまた芸能プロダクションらしさを打ち消しているような気もする。
コーヒーも美味いし、ウェイトレスさんも可愛い。けれど、何だか締まらない。ちなみに可愛いウェイトレスさんはこの間社長にスカウトされてアイドルになりました。もう提携でも結んどけ。
だがそんな何とも言えないうちの会社も、その地味さから未だファンからあまり場所が特定されていない。
いや、ホームページとかに普通に住所は載っているんだけどな。ファンが押し掛けてきたりもあんましない。
たぶん実際にアイドルに会いに来ても「あれ? ここであってる、よな……?」とかってなって、いまいち確信が持てないのかもしれない。やったね。良いカモフラージュになってるね。
とまぁ、そんなお世辞にも豪華な装いとは言えないシンデレラプロダクション本社だが(別に支店とかは無い)、それでも俺は評価している点はある。
例えば、冬場はコタツが出る。今はソファーだが、これも中々良い。時系列とかは気にしちゃいけない。
休憩所は奪い合いになるからな。杏あたりに奪われると5時間は動かない事を覚悟せねばならない。でも俺が座ってると皆座ろうとしなくなるんだよね。不思議ダネ。
例えば、嫌な上司がいない。というか、俺は一般Pだから直属の上司がそもそもいない。金銭面にがめつい事に目を瞑れば、奇麗な事務員さんはいるよ。
ちなみによく求人票とかに「アットホームな職場です!」とか書いてあるけど気をつけろよ。あれは嘘だ。
そして俺が最も評価している点。それは……
ガコンッ、と。一本の缶が取り出し口に落ちてくる。
その黄色く細長い。特徴的な缶。
俺のマイフェイバリットドリンク。
八幡「やっぱこれだね。MAXコーヒー」
一口飲み、口の中いっぱいに広がるその甘さ。
こいつを買える自販機が置いてあるんだから、分かってる会社だぜ。
心の中でサムズアップをし、社内へと戻るのであった。
……外に無ければもっと良いんだがな。
今日は土曜日。
一般Pとしてこの会社へやってくる前であれば、今頃は家で休日を満喫していただろう。
だが、今では立派な社畜。
当時の俺からすれば、目を疑うような状況だ。
が、それに慣れてしまったのだからそれが一番恐ろしい。
階段を上りながらそんな事を考えていたら、心なし足が重くなっていうような気がした。
やべぇな、俺もう歳じゃね? アンチエイジングしなきゃなんじゃね? 平塚先生なんじゃね? ……いや、俺はまだ大丈夫だな。
そんな失礼な事を考えて少し楽になり、俺は会社への扉を開く。
会社の中へと戻ると、そこにはソファーでくつろぐアイドルの姿が。
一応言っておくが、杏ではない。
美嘉「おっ、プロデューサーじゃん。お疲れ~★」
卯月「お疲れ様です、プロデューサーさん♪」
こちらを見るやヒラヒラと手を振ってくる美嘉に、ペコッと軽く礼をしてくる島村。
この組み合わせがいるって事は……
八幡「お疲れさん。お前らはデレラジの収録帰りか?」
美嘉「うん。今さっき帰ってきた所」
卯月「今日も楽しかったです」
満面の笑みの島村。
その反応を見れば、建前とかではなく本当に楽しかった事が伝わってくる。
うむ。仕事を楽しめるというのは良い事だ。杏に爪の垢でも煎じて飲ませたれ。
八幡「…………」
しかし、あれだな。
このメンバーだと、ついついアイツがいないかと思っちまうな。
そんな事はありえないと分かっていつつ、俺はなんとなしに空いたソファーを見てしまう。
そしてふと、視線を戻した時に美嘉と目が合った。
美嘉「? 凛ならいないよ?」
八幡「……いや、知ってるが」
え、なに。今の視線の動きだけで察したの?
八幡「そんな事言われんでも、あいつのスケジュールくらい把握してる」
美嘉「ふーん? まぁ別にいいけどさ。なんか凛いないのかなーって顔してたから」
八幡「なに言ってんだ。しちぇるわけねーだろ」
卯月「かみかみですね」
女の勘って怖い。
改めてそう思いました。
ちなみに今頃凛は海の向こうへ行っているだろう。いや、別に世界レベルさんとかじゃなく。
今回は輝子と一緒に海外ロケ。あの例のキノコ採取番組のゲストとかで、輝子が嬉しそうにしていたのを思い出す。
それに対し凛の表情は複雑そうだったがな。南無三。
八幡「そういや凛がいない代わりに代行としてデレラジに一人着くって聞いたが、誰だったんだ?」
卯月「ちひろさんですよ」
八幡「…………は?」
え? 今なんて言った?
八幡「鬼?」
美嘉「いやだから、ちひろさん」
八幡「あ、そうか悪魔か。なに、蘭子の奴ついに召還術でも会得したのか」
卯月「そろそろ怒られますよ?」
さすがに呆れた様子の島村。
いやだって、ねぇ?
当然アイドルが代わりに出ると思ってたのに、まさかの事務員ちひろさん。
いや、確かに美人だけどね? 確かにサトリナボイスだけどね?
さすがにこれは予想外である。
美嘉「スケジュール的に代わりに出てくれそうなアイドルがいなくってさ。もうこの際アイドルじゃなくてもいいかって話になって」
卯月「そこで、普段お世話になってるデレプロ関係の人って事で…」
八幡「ちひろさんが選ばれたわけ、ね」
まぁ確かにアイドル意外でとなれば無難な選択と言えるな。
アニメのラジオとかでも原作者や監督が呼ばれる事は多々ある事だ。面白いかどうかは別として。
八幡「けど、よくちひろさんもOKしたな」
断言は出来ないが、あの人はあまり目立つのは好きそうにないと思ったんだがな。
俺の疑問に、美嘉は何とも言えない表情をする。
美嘉「あー……ちひろさんもね、最初はしぶってたんだけど…………お給料を弾むよって社長に言われたら…」
卯月「快く引き受けてくれました♪」
八幡「さすが、さすがだちひろさん……!」
やっぱブレねぇなあの人は!
もはやここまでくれば、平塚先生とは別の意味で心配になってくる。誰か早く養ってあげてよぉ!
美嘉「でも今思えば、プロデューサーでも良かったかもね」
八幡「は?」
俺でも良かったって、それはつまりデレラジのゲストって事だよな。
卯月「あ、それもいいね! どうですか? プロデューサーさんもその内ゲストととして出演するのは」
八幡「いや、無理だろ。普通に考えて」
一体何を妙案みたいな感じで言っているんだコイツらは。
俺が? ラジオのゲスト? どう考えたってあり得ないだろ。
八幡「十時のプロデューサーとかならともかく、俺みたいな捻くれ卑屈プロデューサーの話聞いたってなんも面白くないだろ」
美嘉「あ、自覚はちゃんとあるんだ」
今この子サラッと酷い事言いませんでした?
いや自分で言った事だから別に良いんだけどさ。
美嘉「んーでも、プロデューサーの話もそれはそれで面白いと思うけどなぁ」
卯月「そうですよ。前のライブの時みたいに、凛ちゃんの魅力を沢山話してくれれば!」
八幡「もうその話はよしてくれ……」
そういやこいつ総武高校のライブ見に来てたんだったな。
確かにあれのせいで俺の事を知ってる一部の奴らはいるかもしれんが、それでもほんの一握りだ。需要があるとは思えん。
八幡「大体、そのせいでリスクを増やす必要もない」
卯月「リスク?」
八幡「俺と凛の事だよ」
決して多くはないだろうが、それでもつまらない因縁をつけてくるファンは少なからずいるだろう。
つまり、俺と凛の関係を勘繰る奴らだ。
八幡「アイドルのファンって奴は、少しでも男の陰を見ると疑ってかかるもんなんだよ。俺みたいな若い男が凛のプロデューサーだと広めて、いらん誤解を招くのも面倒だろ」
美嘉「はーなるほどね。そんなものかぁ」
八幡「そんなもんなんだよ」
よくブログやらツイッターで「弟と~」とか言ってるアイドルがいるが、あんなん疑ってくれと言ってるようなもんだ。どんだけアイドルの皆さんは弟と仲良いの? 弟とそんなしょっちゅう遊びに行くの? 絶対嘘だろ。ただしやよいちゃんには当て嵌まらないがな!
八幡「お前らも気をつけろ。不用意に男の名前とか出すなよ」
美嘉「心配しなくても、そんな相手いないよ」
卯月「……」
しかし俺の忠告に対し、美嘉とは違い島村は俯き無言のままだった。
え、もしかしてそういう相手いんの?
と、俺が若干不安になっていると、突如軽快なメロディがその場に流れ出す。
恐らくはケータイの着信。もちろん俺ではない。
美嘉「あ、ごめんアタシだ。……って、嘘!? もうそんな時間!?」
卯月「美嘉ちゃん?」
美嘉「ゴメン卯月、プロデューサー! アタシ莉嘉の迎え行かなきゃだから、もう行くね!」
言うや否や、美嘉はカバンを引っ掴むと慌てて事務所を後にした。
大方、莉嘉からの催促のメールでも来たのだろう。相変わらず仲の良い姉妹である。
八幡「ったく、あんな変装も碌にしないで帰りやがって。もう少し自分の知名度を自覚しろよな」
卯月「そ、そうですね。あはは……」
俺の呟きに対し、島村は言葉を返すもどこかぎこちない。
……なんなんだ一体。
いつもの天真爛漫を絵に描いたような島村を知っている為、今の状態はどうもやり辛い。
やっぱ、さっきの話が原因か?
まぁそうだとしても、俺にはどうする事も出来ないし、どうしようとする気もない。
仮にそんな相手がいた所で、それは島村の問題だ。俺がどうこう言う理由もないしな。
あくまで俺は、凛のプロデューサーだ。
ふとーー
そこで、一瞬だけ頭を過った。
もしも。
もしも凛に、そんな相手がいたら?
いる事を知ってしまったら?
そんな考えが一瞬だけ思い浮かんで、そして、直ぐに頭から追いやった。
そんな事を考えた所で、意味は無い。
例え現実逃避だと言われようと、その時に考えればいい事だ。
だから。
だから、一瞬胸の内に宿った黒い感情は、気のせいだ。
きっとこれも、ただの気の迷いで、無視していい感情だから。
八幡「お前も気をつけて帰れよ」
そう一言だけ言い残し、俺は事務スペースへと戻る事にする。
余計な事に気を割く余裕は無い。さっさと事務処理を終わらせて、今日は帰って寝るとしよう。
卯月「ーープロデューサーさん」
だが、そんな俺を島村は呼び止めた。
振り返り、島村へと視線を向ける。
その表情は、以前として暗いままだった。
八幡「どうした?」
卯月「プロデューサーさんは、さっき自分はラジオには出ない方が良いって言いましたよね」
八幡「……ああ」
卯月「私は、そうは思いません」
そう言った島村の顔は、さっきまでの暗い表情から一転、強い意志を感じさせるものとなる。
まるで俺の言葉は間違っていると、そんな想いが込められているように見えた。
卯月「プロデューサーさんは凛ちゃんの事を大事にしてて、いつだって一生懸命にプロデュースしてて、だからきっと、ファンの皆さんも分かってくれるはずです。だって」
だって、私がそうだからーー
島村は、そう言った。
けれどそれは、都合の良い理想だろう。
エゴと言ってもいい。自分の考えが、全て周りに分かってもらえるなど勘違いもいいところだ。
彼女は優しい。
優しいから、それだけに他の者とは違う。
皆そんな風にはなれないんだ。
そんな風に優しくなれないから、彼女の優しさは特別で、分かってもらえない。
そうあれたらいいとは思う。
けどきっと多くの人は、思うだけなんだ。
だから俺は、ゆっくりと首を振った。
八幡「……悪いな。お前がそう言ってくれても、皆そうじゃないんだよ。諦めてくれ」
卯月「そんな……」
あからさまに落ち込んだ様子の島村。
こいつも本田も、どうしてこんなに気遣ってくれんのかね。
八幡「……けどまぁ、その言葉はありがたく受け取っとくよ」
らしくもなく、フォローを入れてしまう。
そんな顔をずっとされてたんじゃ、こっちの気が滅入っちまうからな。
それで幾分かは立ち直ったのか、島村はコクンと頷いた。
未だ納得はしていない様子だったが、それでも折り合いはつけられたようだ。
やがて島村を顔を上げ、口を開いた。
卯月「じゃあ、これだけは言わせてください」
ここに来て、一体何を言うというのか。
俺は少々身構えつつ、島村に聞き返す。
八幡「なんだ?」
卯月「あの時は、ありがとうございました」
そう言って、島村は頭を下げた。
いきなりの行動だったので、俺は思わずぎょっとする。
あ、あの時? あの時ってーと、やっぱ初めて臨時プロデュースした時の事か?
昨日の本田との会話を思い出し、その件だろうと見切りをつける。
だが、実際はそうではなかった。
八幡「あ、あぁ。宣材写真の時の事か? 別に礼を言われるような事は…」
卯月「それもありますけど……私が言ってるのは、個性の話の時のことです」
そう言って、島村は微笑んだ。
個性の話……?
そう言えば、なんかそんな話をした時もあったような……
俺が頭を捻っていると、島村は胸に手を当て、目を閉じ、思い出すように呟いた。
卯月「『お前が普段通りに振る舞って、普段通りに笑っていれば、それはもうお前の個性で、魅力なんだよ』……って、プロデューサーさん言ってくれましたよね」
八幡「……俺、そんなこっぱずかしい事言ったのか?」
卯月「はい♪」
嫌になるくらいの笑顔だった。
八幡「悪い、よく覚えてない……」
卯月「いいんです。何気ない会話の中だったですし、あの後色々あったみたいですから」
「でも……」と、島村は続ける。
卯月「あの時、ああ言ってくれたから私は自信が持てたんです。私は、私のままで良いんだって。私のままで頑張れば、それが魅力になるんだって」
八幡「……」
卯月「だから、ありがとうございます」
そうして、島村はまた笑った。
その言葉を聞いて、俺は素直に受け取る事が出来なかった。
正直に言えば、買い被りもいい所だと思う。
実際俺はよく覚えていないし、その時大した意味も無くそう言ったんだろう。
けれど、島村はそれでもいいと言うだろう。
そんな事はどうでもよく、自分が元気付けられたのだと。
彼女は、そう言ってくれる。
いつだったか、「自分の言葉に責任を持て」と言われた事がある。
プロデューサーという仕事は、正にその言葉の通りなのではないだろうか。
俺の発言が、その言葉が。
アイドルという他の誰かの糧ともなり、枷ともなる。
だから、責任を持たなければならない。
その言葉に。
八幡「……ラジオは無理だ」
卯月「え?」
八幡「ラジオは無理だが…………まぁ、雑誌のインタビューくらいなら、まだいいかもな」
俺は明後日の方向へ視線を向け、言う。
八幡「俺なんかがプロデューサーをやってるって、わざわざ伝える必要もないけどよ。それでもまぁ、俺がプロデューサーだって知られて、お前らが恥ずかしくないような奴には、なろうと……思う……なれたらいいなぁ」
最後の方はちょっと願望になってしまったが、今はこれが精一杯。
何より、恥ずかし過ぎる。
八幡「……お前らが胸を張れるようなプロデューサーになるから…………それまで待っといてくれ」
もう聞こえないんじゃないかというくらいの小声で、なんとかそこまで言葉に出来た。
なんぞこれ。何の羞恥プレイ? 絶対帰ったら枕に顔埋めて足パタパタコースだよ……
そして島村はと言えば、最初はぱちぱちと目を瞬かせていたものの、その後すぐに笑顔になり、元気に応えた。
卯月「ーーはいっ♪」
ほんと、これだから優しい女の子はダメなんだ。
柄にもなく頑張ろうとか考えちゃってるのだから、我ながら情けない。
八幡「じゃ、じゃあ俺はまだ仕事が残ってっから」
とりあえずこの場に留まるのは限界だったので、俺は逃げるようにそそくさとその場を後にする、
が、島村はなおも着いてくる。
卯月「あっ、プロデューサーさん! それともう一つお願いがあって…」
八幡「どうせ凛のことだろう」
卯月「え! なんで分かったんですか!?」
八幡「そのくだりはもう既にさんざんやった」
というかなんで着いてくるんですかねぇこの子は!
その後もうっかり島村と呼んでしまったせいで、本田の時みたく名前呼びがどーのという話になってしまった。
いい加減俺に仕事をさせてくれ。いややりたくはないんですけどね!
……でも、淹れてくれたお茶は美味かったな。
最近、俺の思考回路が単純になってきている気がする。
全くもって、アイドルというのは面倒くさい。
誰よりも面倒くさい俺が言うのだから、きっと間違いないんだろう。
けどそれ以上に、彼女たちは純真で、懸命で、本物だ。
誰よりも腐った目の俺が言うのだから、きっとそれも、真実なのだろう。
だから俺は今日も、プロデューサーとして仕事をし、家に帰って休息を取る。
明日は日曜日。相も変わらず休みは無いが、一週間も明日で終わり。
明日を乗り切れば、凛とも、また会える。
会社を出て、階段を降りる。
自販機の前を通り過ぎようとして、ふと立ち止まる。
俺は財布から小銭を取り出し、MAXコーヒーを買う。
一口飲めば、その甘さが、一日の疲れを癒してくれるようだった。
……なんだ、やっぱ良い会社じゃねぇか。
ー 日曜 sunday ー
「「「かんぱーいっ!」」」
グラスとグラスがかち合う、軽快が音が響き渡る。
僅かに飛び散る冷たい雫。
一息にあおれば、乾いた喉を潤してくれる。
見れば、皆一様に思わず声を漏らしていた。
やはり仕事終わりのビールというのは、格別らしい。
……まぁ、俺はソフトドリンクなんだがな。
場所は都内にあるとある居酒屋。
どこか昔懐かしいオープンな店構えで、席と席との間にも僅かな仕切りしかない。
至る所からワイワイと賑やかな声が聞こえ、時たま耳を塞ぎたくなる程の笑い声も飛んでくる。
まさにTHE・居酒屋といった印象。正直静かな店の方が好みではあるが……まぁ、たまにはこういった店も悪くはない。
時刻は8時を回った所。
無事に会社での仕事を終え、俺は大人組の打ち上げへと付き合わされていた。
一応言及しておくが、俺は断った。断ったのだが、それは特に意味を成さなかった。何故だ。
座敷の席でテープルを囲む4人。
楓「今日はお疲れさま比企谷くん」
八幡「え、ええ。楓さんもお疲れさまです」
俺の隣で美味しそうにお酒を飲んでいるのは高垣楓さん。
おちょこで熱燗を飲むその姿は、何とも様になっている。
しかし、今日は酒場放浪記のロケ終わりと聞いたんだが、まだ飲むのかこの人は……
ちひろ「ぷはー! 店員さん、生おかわりお願いします!」
そして楓さんの前、俺の斜め向かいに座っているのはご存知千川ちひろさん。
勢いよくビールを空にし、なんかもう既に顔が赤い。もしかしてこの人お酒弱いのか?
そしてそして、問題なのがこの人。
俺の目の前に座る良く見知ったこの人物。
平塚「いやーやっぱ仕事終わりの一杯は最高だなぁ……比企谷、お前も働くようになったから分かるだろう?」
八幡「いや、俺ウーロン茶ですし」
我が担任であり、元祖奉仕部顧問、平塚教諭である。何故またいるし……
なんでも元々ちひろさんと飲む約束をしていたらしく、そこに丁度帰ろうと思っていた俺が通りかかりさぁ大変。もうなすがままです。途中ロケ終わりの楓さんをお供に、居酒屋へと乗り込むのでした。だから何でだよ。
そしてその平塚先生はと言うと、ビールを始め次ぎ次ぎにお酒を飲んでいる。
もの凄い勢いでハイボールをおかわりし、煙草をくわえるその姿はまさにオッs……あ、いえ。なんでもないです。
やべぇな、今スゲー眼光で睨まれた。声に出てた?
とまぁ、今日はこのようなメンバーでお送りしている。
いつぞやのラーメン一行だな。もしかしてこの後また行くのか?
と、俺がそれなら腹開けとかないとなーとか考えていると、楓さんが肩をつついてくる。
出来ればその仕草はやめて頂きたい。なんかこう、色々くるものがある。
楓「比企谷くん、今日は会議に出ていたみたいだけど、何を話していたの?」
八幡「あぁ、アニバーサリーライブの事ですよ。もうあまり日もありませんから」
思い出すは、今日行われたプロデューサーと会社の上役による会議。
ライブの概要や、会場準備、演目の確認、音響や衣装の事までとにかく打ち合わせを行った。
まぁ、基本的には一般Pはサポートが主な内容になるがな。
会社の正式なプロデューサーたちが中心となり、ライブを形にしていくといった所だ。
さすがに一年もたたない一般Pたちでは、不安も大きいからな。当然と言えば当然である。
もっとも、もう既に大分形にはなっている。後はライブに備え、滞りなく準備していくだけだ。
八幡「慣れない事ばっかりで、正直てんやわんやですけど……まぁ、なんとかなるでしょう」
平塚「ほう? 君も言うようになったじゃないか」
そう言って平塚先生はもう一杯ハイボールを頼む。
つーかそれ何杯目だアンタ。隣のちひろさんなんてもう既に眠そうだぞ……
八幡「ちひろさん、あんま飲み過ぎない方がいいですよ。明日も仕事でしょう」
ちひろ「ら~に言ってんれすか……これくらい大丈夫ですっ!」
ビシッと何故か敬礼するちひろさん。ダメだこいつ…早くなんとかしないと……
ちひろ「それに、さすがに全員揃うまでは帰れませんよ~」
八幡「は?」
全員揃うって……え? なに、まだ増えるの?
てっきりこれでフルメンバーだと思っていた俺は思わず面食らう。
楓「それでしたら、もう少しで到着するってさっきメールがありました」
ケータイを見ながら言う楓さん。
だから、一体誰が……
そう声を出そうとした時だった。
その人の声が聞こえてきたのは。
「ごめんなさい、遅くなってしまって」
八幡「ッ!? 由比…が…はま……?」
何処かデジャヴを感じるこの展開。
声のした方に振り返る。
が、そこにいたのは、もちろん由比ヶ浜結衣ではなかった。
そう言ったのは、20代……恐らく後半の、大人の女性であった。
例によって、とびきり美人の。
瑞樹「隣、いいかしら?」
八幡「え? あぁ、どうぞ……」
いやよくねーだろ!
なに、俺の隣座んの? いやちょ、平塚先生の隣も空いてますよ!
しかし俺の心の中の叫びも虚しく、川島さんは隣に座ってしまった。
いやそんな事よりも、俺が驚いたのは……声だ。
……由比ヶ浜そっくりですのだ。
楓さんの時もそうだったが、思わずアテレコしてんじゃないかっていうレベル。
まぁよく聞けば違いもあるのだが、やはり根本的に声質が似ている気がする。
なんというか、大人になった由比ヶ浜? ってな感じだ。
実は由比ヶ浜の母親だったり? ……さすがにねーか。
楓「前の仕事が長引いていたんですか?」
瑞樹「ええ。ちょっと撮影が中々終わらなくてね……でも、その分お酒が美味しくなりそうだわ」
楓「ふふ……最初はビールにしますか?」
瑞樹「そうね。楓ちゃん、店員さん呼んでもらえる?」
楓「はい♪」
八幡「…………」
頼むから、俺を挟んで会話をするな!
なんなんだこれは……
穏やかになった雪ノ下と、大人っぽい由比ヶ浜が会話してる……ようにしか聞こえん。
しかも話の内容があの二人では絶対しなさそうなものなので、余計に違和感を感じる。
どうしよう、録音してあの二人に聞かせてやりたい。
実際、川島さんの事は前々から知っていた。
うちのアイドルたちの中でも有名な方だし、何度か見かけた事もある。
しかし、声をちゃんと聞いたのは今回が初めてだ。
まさか、ここまで由比ヶ浜と似ているとはな。
と、ここで何処か不穏が空気を感じる。
それは俺の前の席。平塚先生からのものだった。
その目は真剣で、真っ直ぐに川島さんへと向かっている。
平塚「……はじめまして。そこの比企谷の担任の平塚です」
瑞樹「っ! ……こちらこそ。川島です」
そして対する川島さんも、真剣な表情で相対する。
お互いがお互いを、睨むように見据えていた。
え? 決闘でも始まるの? と戦々恐々とする俺。
しかし、その緊張感も長くは続かなかった。
二人は無言で動かなかったと思うと、瞬時に右手を差し出し合う。
それは別に突きを放ったわけではない。二人は差し出した合ったその手で……
熱い熱い、握手を交わした。なんだこれ。
平塚「何か、あなたとは通じ合うものを感じました……!」
瑞樹「わかるわ。あなたも、苦労なさっているようで」
うんうんと頷き合う二人。
心無しかさっきよりもイキイキして見える。あれですかね。アラサー同士だから通じる何かなんですかね。
そしてそんな場を収めるはちひろさん。どうやらお酒が来たようだ。
ちひろ「まぁまぁお二人とも座って♪ ビールが来たので、また皆で乾杯をし直しましょう! それじゃ、せーの…」
「「「かんぱーいっ!!」」」
だから俺、ウーロン茶なんですけど。
とまぁ途中茶番もあったりしたが、なんだかんだ楽しく飲んでいるようだった。
そしていくつか話が弾んだ後、川島さんがふと思い出したように言った。
川島「そう言えば、今日は凛ちゃんは来れなかったの?」
八幡「凛、ですか?」
日本酒を飲みながら話すその姿は、何処か色っぽい。
ちょっとだけ目を逸らしつつ、俺は質問へ答える。
八幡「ちょっと3日前から海外ロケへ出てまして。今日帰ってくる予定らしいですけどね」
瑞樹「そう、久しぶりに合いたかったわね」
残念そうに言う川島さん。
この人も結構飲んではいるはずだが、あまり大きな変化は見られない。
たぶん楓さんタイプで、お酒には強いんだろうな。ちなみにちひろさんは既にネクタイが頭に巻いてある。
瑞樹「……これは余計なお節介かもしれないけれど、ひとついいかしら?」
不意に、川島さんが真面目な表情になる。
その顔を見て、なんとなく俺もふざける場面ではない事を悟り身構える。
八幡「……なんでしょうか」
瑞樹「あまり、気を張りすぎないようにね」
八幡「…………はい?」
思わず変な声を出してしまった。
気を張りすぎ……と言っても、特にそんな気もないのだが。何に対しての事だ?
俺がよく分かっていないのが伝わったのか、川島さんはクスリと小さく笑い、もう一度話し始める。
瑞樹「プロデュース業のことよ。相手を……凛ちゃんを信用するのは良い事だけど、それだけに見えていない部分が見えた時がね」
八幡「見えて、いない部分……」
瑞樹「そう。あなたと凛ちゃんは強い信頼で結ばれてるように思うけど、それが逆に心配でもあるの」
信頼で結ばれてるとは、またえらい大袈裟な表現を使うものだ。
だが、川島さんは本気で俺に忠告をしているようだ。
その顔を見れば、分かる。
瑞樹「その信頼がある故に、何かあった時の結果が怖い。……まぁ、そう感じてるのは私くらいかもしれないけどね」
そう言って、川島さんはお酒に口を付けた。
何かあった時、ね。
その何かが何を意味するのかは分からないが、それでも、確かに川島さんの言う事は妙に納得出来た。
今のような関係も、環境も、状況も、いずれは変わって、無くなってしまう。
それが何かのきっかけによるものなのか、はたまた自然に瓦解するようなものなのか。それは分からない。
そしてその時、俺と凛はどうなってしまうのか。
考えても仕方のないことだと分かっていても、頭を過ってしまう。
それはきっと、決して避けては通れない道だろうから。
とりあえず今は、川島さんの言葉を素直に受け取っておく事にした。
……つーか、また凛との事を心配されてんのか。
一体全体、皆して何だと言うのか。さすがに心配し過ぎィ!
楓「ふふ……私も負けていられませんね」
八幡「そうですよ。うっかりしてたら、俺が凛をシンデレラガールにしちゃいますんで」
俺がやや挑発的にそう言うと、そこで何故か平塚先生がニヤリと笑う。
平塚「なら、こんな所でのんびりしている暇は無いんじゃないのかね?」
八幡「は?」
平塚「さっきから、時計ばかり気にしてるじゃないか」
ぎくっ。
な、何でそんな事が分かんだよ……
確かに見てはいたが、気付くような素振りは見せなかったぞ?
平塚「確か、渋谷は今日帰ってくるんだったよな?」
八幡「…………」
平塚「何時の便だね?」
八幡「……21時です」
そう言うと、平塚先生はまた笑った。
平塚「なら行きたまえ。今からならまだ間に合う」
八幡「は!?」
いや間に合うって、空港までって事ですのん?
八幡「いやでも、どうせ後で会えるし、わざわざ仕事終わりに会わなくても……」
平塚「何を言う」
俺の言葉に、平塚先生はちゃんちゃらおかしいと笑う。
その姿は、正に威風堂々とした様子だ。
平塚「仕事以外で会っちゃいかんと誰が決めた? アイドルとプロデューサーである前に、君たちは人と人だろう?」
やだカッコイイ。惚れそう。
俺が思わず呆然としていると、ちひろさんがそれにならう。
ちひろ「今日は私たちの奢りですから、気にせず行って来てください♪」
左右を見れば、楓さんも川島さんも笑顔で頷く。
……これ、もう行かなきゃいけないパターンじゃね?
八幡「…………ハァ、わかりました」
俺は立ち上がり、荷物をまとめてその場を後にする事にする。
帰り際、残った4人に向かって頭を下げた。
八幡「ゴチになります」
どうしてこうも、大人ってのは粋な事をしてくれるのかね。
四人の生暖かい視線を背中に受け、俺は歩き出した。
*
歩く、歩く。
普段来る事の無い場所で、それなりの人ごみに流されないよう、注意を払って歩いていく。
歩く、歩く。
先程、連絡をとっておいた。このまま迷わず行ければ、そこで待っているはず。
歩く、歩く。そしてふと、立ち止まる。
待合室の柱に寄りかかり、虚空を見つめている少女を一人、見つける。
大きなキャリーバックを携えている辺り、遠くへ行っていたという事実を如実に感じさせる。
そして彼女は、俺に気付いた。
凛「……わざわざ迎えに来るなんて、どうしたの?」
なんでもなさそうにそう言う凛。
最初に会って言う言葉がそれかよ。
と思わないでもなかったが、まぁ、素直に挨拶出来ない点で言えば俺もどっこいどっこいなので良しとする。
八幡「別に、仕事以外で会っちゃ行けないなんて決まりはないだろ」
特に何の言い訳も考えてなかったので、平塚先生の言葉を借りる。
それを聞いた凛は、少しだけ意外そうにした。
凛「ふーん。……まぁ、プロデューサーがそう言うんなら良いけどさ」
凛はそう言うと、キャリーを引っぱりながら歩き出す。心なし、機嫌は良さそうだ。
俺もそれに習い、隣に立って歩き出す。
凛「でも事務所に行く手間が省けて良かったよ。こっからじゃ結構遠いし」
八幡「? お前は直帰の予定だったよな。事務所に何か用事でもあったのか?」
凛「あ、いやそれは…」
俺が訊くと、何故か顔を赤くしてドモり始める凛。
八幡「それに手間が省けたって…」
凛「な、なんでもない! それより、一週間の間何かあった?」
八幡「特ニ何モ無カッタヨ」
凛「……なんで片言なの?」
その後、他愛の無い話をしつつ凛を家まで送った。
どんな事をしてきたのか、アニバーサリーライブでは何をしたいか、話題はいくらでもある。
この一週間、色んなアイドルと過ごし、凛とは会わずに過ごして来た。
だがそれでも、会っていない時の方が、より凛の存在を意識したような気がする。
それが何を意味するかは分からない。
まぁ、余計な事は後で考えればいいだろう。
ただ今はーー
隣を歩く彼女の声に、耳を傾けていよう。
凛「ねぇプロデューサー、聞いてる?」
八幡「あ? あ、あぁ悪い悪い。どうしたんだ?」
凛「だから、この前のお返しの事。プロデューサーの家に遊びに行くってだけでいいよ」
八幡「………………は?」
凛「今度の休み、行くから」
満面の笑みで、彼女はそう言った。
……来週も、一筋縄ではいかなそうだ。
*
この世の中において、一番大事なものとは一体なんなのだろうか。
突然何を、と思うやもしれんが、俺は今だからこそそれを問いかけたい。
大事なものなんて、結局は人それぞれ。
そう言ってしまえば、実際はそれで済む問題だ。今更、議論する余地すらないものかもしれない。
だがそれでも、俺はまだ答えを出せずにいる。
俺は、今でもそれを探し続けている。
よく耳にするのは、お金か愛か、という月並みな台詞。
愛はお金では買えないが、愛以外はお金で買える。
これだって、状況によって答えなんて変わっていくものだ。
世の中、愛に飢えた女教師もいれば、お金に執着する事務員もいる。そんなものだ。誰か早く貰ってあげて!
お金か愛か、それとも地位か名声か、その人にとっての大事なものなど、やはりそれぞれだとしか言えない。
誰だって自分の考えはあるし、それを共有出来る時もあれば、誰にも分かって貰えない事だってある。
だがここで重要になってくるのは、何が自分にとって一番大事なのか、それをハッキリと答えられるかどうかだ。
“本当に大事なものは、失ってから気付くもの”。
よく聞く言葉だが、実際の所真理でもある。
当然だ。いつだって人は幸福を日常と捉え、不幸を非日常とする。
自分にとっての“当たり前”が恵まれているという事に、人は気付けない。
ならば、俺はどうか?
俺にとっての大事なものとは何で、失いたくないものとは、なんなのか。
昔の俺ならば、それは家族と答えたかもしれない。
いや、もちろん今でも言える。だが昔と違うのは……
俺なんかの事を見てくれる、そんな奇特な奴らが増えたという事。
友達と言ってくれる奴らもいた。
信じてくれる奴らもいた。
……俺に、見ていてほしいと言ってくれる奴も、いた。
そんな奴らが出来て、俺にも失いたくないものがあるんだと、最近になって自覚する事が出来た。
それは他の奴らからすれば何て事の無い存在なのかもしれない。いて当然の関係だと言うかもしれない。
だが、俺には分かる。
彼らがいてくれる、その大切さを。
いてくれる、その尊さを俺は知っている。
いて当たり前なんて事は、決してないんだ。
こんな事、本人たちの前では口が裂けても言えはしまい。
言えたとしても、いつものように捻くれた物言いになってしまうだろう。
だがいつかは。
いつかは、ちゃんと言葉に出来たらと思う。
あいつらの存在が。
どれだけ、俺を救ってくれたのかを。
……まぁ、その内な。
それと、最近他にも大事なものを一つ自覚した。
それもある意味では尊く得難いもので、誰しもが望むものとも言える。
以前の俺であれば、そう難しくなく得る事が出来たのだが、今ではそれも無理だ。
本当に、大事なものは失ってからしか気付けない。
その大事なものとはーー
小町「お兄ちゃん! そろそろ凛さん来るんでしょ! ほらさっさと着替える!」
八幡「……なんでお前が張り切ってんだよ」
休み、休日、ブレイクタイム?
なんでもいいから、たまにはゴロゴロさせてくれ……
場所は千葉県某所にある比企谷家。
久方ぶりの休日に、俺は心行くまでゴロゴロしようと思っていたのだが……
小町「凛さん、夕飯も食べてくの? なら買い物行っておいた方がいいかな」
八幡「別にいーだろ。食う事になっても、最悪外食すりゃいいし」
小町「何言ってんのもう、これだからゴミいちゃんはダメなんだよ!」
八幡「なんで今俺罵倒されたの……」
話の通り、今日は凛が家にやってくる。
久しぶりに休みを満喫できると思っていたのだが……まぁ、仕方あるまい。
お返しを考えるのも面倒だったし、これで済むなら安いもんかもしれんしな。
ともすれば、一番面倒なのはこの妹かもしない。
小町「いい? 彼女が家に行きたいって言ってる、それはつまり、彼氏の家でのんびりしたいっていう意味なんだよ? なのに外食なんてしたらいつもと変わらないでしょ。OK?」
八幡「OKじゃないが。つーかそもそも彼女じゃない」
何故こうもノリノリなのだろうかこの妹様は。
それと彼女が彼氏の家に行きたいとか、その話はやめろ。いつぞやのクイズを思い出す。
小町「そんな細かい事はいーの! お兄ちゃんも一応料理出来るんだから、ここは振る舞ってしかるべきだよ!」
全然細かくない。
つーか、え? 俺が料理すんの? 何それ最高に面倒くさい。
八幡「何でわざわざ俺が作らなにゃならんのだ。尚更外食を推すぞ」
小町「減るもんじゃないし、いいじゃん。それにここで家庭的な面を凛さん達にアピールすれば、専業主夫を目指すお兄ちゃんとしても好都合でしょ?」
八幡「好都合とか言うな。まぁ確かに俺の主夫度を見せてやるのもいいかもしれんが……ん? 凛さん“達”?」
小町「あ、やばっ」
俺が言われた台詞に疑問符を浮かべていると、小町は慌てて口を抑える。いや露骨過ぎんだろ。
八幡「……お前、何か隠してるだろ」
小町「な、何を仰ってるか分かりませんなぁ」
面白いくらいに目を泳がせる小町。
怪しい。もう何が怪しいって姉ヶ崎のバスト逆サバ疑惑くらい怪しい。
俺がもう一度問いつめようとすると、しかしそこで我が家のチャイムが鳴る。
それに反応する小町。功を奏したとばかりに、その場から逃げる。
小町「あ、凛さんもう来ちゃったね! 小町お出迎えしてくる~☆」
八幡「あ、おいこら」
俺の静止虚しく、小町はたったかと行ってしまった。
激しく嫌な予感がするが……まぁどうしようもないか。
とりあえずリビングで待機。
その辺の雑誌を片付けつつ、気持ちを落ち着ける。
小町のせいで、何か俺まで緊張してきた。
いや、別に遊びにくるだけだからね? 深い意味は無いからね?
そうだ。両親も帰ってくるし、小町だっている。
……逆に言えば、夜まで両親は帰ってこないし、小町が出かけれガ二人っきりだな。
八幡「…………」
おおおおおお落ち着け俺。
そうだ、雑誌でも呼んで待とう。すげー自然だろ、うん。
テーブルの上に投げ出された雑誌を手に取り、その表紙を見る。
『彼氏必見! 女の子をお家に招いた時の必勝法特集♡』
何を読んでんだあの妹はぁ!?
いや完全にこれ俺への当てつけですよね!
や、やばいぞ。こんなん凛に見つかったら何を勘違いされるか。決して俺が買ったわけじゃないのよ?
とりあえず、その雑誌は本棚のジャンプに挟んで隠しておく。
なんか工口本を買う時のカモフラージュみたいで嫌だが、今はこうするしかあるまい。
と、ここでリビングのドアが開けられる。
危なかった……
小町「さぁさ、どうぞどうぞ~」
最初に小町が入ってきて、その後に来客者を招き入れる。
八幡「おう、遅かった…な……」
だが、リビングへと入ってきたのは凛だけではなかった。
奈緒「うーっす」
加蓮「お邪魔しまーす」
卯月「こんにちはプロデューサーさん」
未央「やっはろー☆」
輝子「フヒ……ここが、八幡の家……」
凛「あはは……お邪魔するね、プロデューサー」
八幡「…………」
うわっ…俺のお客さん…多すぎ…?
なんて言っている場合ではない。何でこんなにいるのん!?
八幡「凛、いや小町。どういう事だこれは?」
小町「そこで小町に聞いちゃう辺り、信頼されてるなぁ」
八幡「ある意味ではな」
つーかこんな事態、お前意外に考えられないですしおすし。
小町「そりゃ小町だって、本当は凛さんと二人っきりにさせてあげたかったですよ? 凛さんだって勇気を出して言ったわけですし」
凛「いや、私は別にそんな…」
なんか凛が顔を赤くしながら抗議しているが、小町はそのまま続ける。
絶対悪いと思ってないだろ。
小町「だけどそこで考えたわけですよ。もしも、もっとアイドルの皆さんが来たら、どうなるか……」
奈緒「どうなるんだ?」
未央「最高に面白そう!」
小町「Yes!」
最低にはた迷惑です。本当にありがとうございました。
YesじゃねーよYesじゃ!
卯月「でもえっと、小町ちゃんは悪くないんですよ?」
未央「元は凛から聞いて、私たちも行きたい! って言ったのが発端だからね」
小町をフォローするように言う二人。
なるほど。それで小町へ連絡して、OKを貰えたと。いや小町がOKしてる時点でおかしいけどね? 俺に聞いて!
つーか、いつの間に連絡先を交換してたんだこいつらは……
加蓮「えーっと、なんかゴメンね凛」
凛「別に大丈夫だよ、多い方が楽しいし。……ていうか、そもそも二人っきりになりたかったわけじゃないし」
申し訳なさそうに言う加蓮に対し、凛は気にしてないという風に返す。
が、最後の方は拗ねた風だった。
いや、分かってはいたけどね。うん。そんなはっきり否定されるとちょっと傷つく……
輝子「八幡、キノコはどこに置けば……?」
八幡「え? あ、あぁ。とりあえずそっちの隅の方に…………って何ナチュラルに持って来てんだお前は」
輝子「フヒ……ロケに行った時の、お土産……」
え? なにそれくれんの?
滅茶苦茶いらないが、滅茶苦茶断り辛い。どうしよう。
八幡「なんかすっごい緑色なんだが……」
輝子「フフフ、八幡をイメージしてみた」
八幡「お前の俺へのイメージって苔が生えてんの?」
仕方ない、受け取るだけ受け取っておこう。
なんか凛が遠い目でキノコを見つめているが、トラウマは刺激してやらないのが吉だ。そっとしておいてやろう。
卯月「でも、突然こんなに押し掛けて本当に良かったんでしょうか……?」
島村が今更ながら遠慮がちに問うてくる。
八幡「まぁ……………………………………いいわ。どうでも」
奈緒「めっちゃ間を開けた割に投げやりだ!?」
そら投げやりにもなるわ。
むしろ不貞寝しないだけ褒めてほしいレベル。
小町「まぁまぁ、とりあえず皆さん座ってください♪ 今お茶でも出しますから」
小町に促され、皆一様にソファへと座っていく。
つーか席足りるか?
俺がテーブルの椅子を持ってこようかと思っていると、キッチンへ向かう小町の独り言が聞こえてきた。
小町「なるほど、人数が多いとお兄ちゃんの部屋へ招けないわけか……これは後々の反省点として…」ブツブツ
妹って怖い。
本気でそう思いました。
その後はお茶を飲みながら雑談に花を咲かせ、ゆったりとした時間が流れていた。
途中俺が隠した雑誌を見つけられて焦ったが、別に俺が買った訳じゃないし? ちょっと読んでみたいとか思ってないし?
奈緒がジャンプ読もうとしたのは誤算だったな……
そして1時間程たった頃、小町が時計を見てこんな事を呟いた。
小町「そろそろ着く頃かなー……」
瞬間、俺は背筋に冷たいものを感じた。
そろそろ、着く……?
なんだそれは。それでは、まるでーー
他に誰か、この家に向かって来ているようではないかーー?
いや待て、もしかしたら宅配便とかかもしれない。
まだ可能性はある。Amazonで何か頼んだとか、きっとそんな所だ。そうに違いない!
と、そこでピンポーンとチャイムが鳴る。
小町「あ、結衣さんたち来た」
やっぱりなのぉーーーー!!?????
八幡「あ、俺そろそろ夏イベ始まるからオリョクルしてk…」 ガッ
凛「どこ行くの? プロデューサー」ニッコリ
奈緒「お前この前資材は充分だって言ってなかったか?」
凛の握力が強い。
畜生! そこは目を瞑ってくれよ神谷提督!
やがて、出迎えに行った小町と共に新たな客人がやって来る。
まぁ、その面子はある意味では予想通りであったが。
由比ヶ浜「やっはろー! ってうわっ! アイドルがいっぱいいる!?」
雪ノ下「……こんにちわ。お邪魔するわ」
元祖奉仕部こと、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣であった。
しかし由比ヶ浜はともかく、まさか雪ノ下も来るとはな……
八幡「お前らまで何しn…」
奈緒「おっ! 雪乃に結衣じゃん、久しぶりだな!」
加蓮「こんにちわ。結衣さん雪乃さん」
俺が話かけるよりも前に、わいわいと挨拶を始める面々。完全に家主が置いてけぼりであった。
そうか、そういやお前らも顔見知りだったな……
未央「ねぇねぇ、プロデューサー。あの可愛い人たちとは一体どんな関係なの?」
八幡「そんな嬉々として訊いてくるな。……あいつらが総武高の奉仕部だよ」
卯月「あ、そうなんですね! 噂には聞いてましたけど、奇麗な人たちですね~」
ここで普通の奴ならお世辞と思うだろうが、言ったのが島村だからな。きっと本心で言っているのだろう。
さすがは雪ノ下に由比ヶ浜。アイドルからお墨付きを頂いたぞ。
由比ヶ浜「わわっ、未央ちゃんに卯月ちゃん、輝子ちゃんまでいるよゆきのん! どどど、どうしよう!」
雪ノ下「分かった、分かったわ由比ヶ浜さん。だから肩をそんなに揺すらないで……」
さっきから由比ヶ浜のテンションが凄い。
まぁ、確かに一般の人からすれば中々お目にかかれない光景だわな。
つーか、更に人数が増えてもうどうしていいか分かりません。
……こうなりゃ、もうやけになるか。
小町「あれ? お兄ちゃんどうしたのケータイなんか取り出して」
八幡「いや、なんかもう折角だから俺も呼ぼうかと」
小町「え? 呼ぶって……誰を?」
八幡「友達」
そう言った瞬間、雪ノ下と由比ヶ浜が目を剥くくらい驚いていたが、それはこの際置いておく。
*
戸塚「こ、こんにちは」
そう言って遠慮がちに入ってくるのは、マイエンジェル戸塚たん。
呼んで良かった。掛け値なしに。
八幡「戸塚、良く来てくれた」
戸塚「ううん、遊びに誘ってくれて嬉しかったよ。……ちょっと女の子が多くて緊張しちゃうけど」
そう言って照れたように笑う戸塚。
あー癒されるー、ノンケになるーって元々ノンケだった。
八幡「……で、なんでこいつまでいんの?」
材木座「クックック……呼ばれて飛び出て、剣豪将軍良輝ゥゥウウウウ、っ参上!!」
八幡「いや呼んでないし」
別に飛び出てもいなかった。
戸塚「来る途中で会って、折角だから一緒に遊んだら楽しいかと思ったんだけど…」
八幡「……まぁ、戸塚がそう言うんならいいか」
と、そこでまたも本田が興味津々といった様子で訊いてくる。
内容は先程と同じ質問。
未央「それでそれで? その可愛い人とプロデューサーはどんな関係なの?」
八幡「一番大切な人だ」
由比ヶ浜「即答だ!?」
驚く由比ヶ浜を皮切りに、一同が驚愕する。
え? 俺なんか変な事言った?
凛「い、一番、大切な人…………ふーん、そっか。そうなんだ……」
中でも凛は特に衝撃を受けたご様子。
というか、妙にギラついた目で戸塚を見つめていた。
凛「戸塚さん、だっけ? 私は渋谷凛。よろしくね」
戸塚「え? あ、うん。こちらこそよろしく……」
何故か知らんが燃えている凛に、たどたどしく挨拶を返す戸塚。
……まさか、凛のやつ戸塚を狙ってるわけじゃあるまいな。許さない! そんなの八幡許しませんよ!
由比ヶ浜「いやいや、なんか皆勘違いしてるけど、彩ちゃんおt…」
未央「おぉーっと!? これはもの凄く面白い展開だぁーーー!!」
小町「ええ! 小町は全部知ってるけど、とりあえず面白そうなんで黙っておきますよぉ!!」
なんか由比ヶ浜が言おうとしたが、テンションの高い二人に遮られる。
お前ら気が合いそうね……
加蓮「八幡さん、あんなに可愛い彼女さんいたんだ……」
奈緒「えぇ!? いや、でも彼女とはまだ言ってないし…」
卯月「でも、一番大切な人って言ってたよ?」
奈緒「ぐっ、確かに……」
あっちはあっちでなんか盛り上がってるし。
あれ、そういや輝子と雪ノ下は……?
雪ノ下「あら。シイノトモシビタケなんて珍しいわね」
輝子「フヒヒ…これがわかるなんて、中々やる……」
……そっとしておこう。
戸塚「八幡から聞いてるよ。渋谷さんが八幡の担当アイドルなんだよね」
凛「な、名前呼び……!? う、うん。そうなんだ」
こっちでは相変わらず戸塚と凛が相対している。
なのに温度差が違うのが何とも言えない。
戸塚「ふふふ。お互い信頼し合える関係って、羨ましいなぁ」キラキラ
凛「ま、眩しい……!」
戸塚のエンジェルオーラにやられたのか、その場にガクっと膝を着く凛。
なんか「ま、負けた……」とか呟いてるが、その体勢はアイドルとしてどうなんだ。
しばらくそんなやり取りは続いたが、由比ヶ浜の「だから、彩ちゃん男の子だし!」という一言でその場は落ち着いた。
そして、材木座が終始空気だった。だから、何で来たんだよお前。
その後、とりあえず俺たちは人でいっぱいになったリビングでゲームをする事になった。
だがテレビゲームでは、一度でやれて多くて精々4人だ。交代制にしたって他がさすがに暇過ぎる。
つーか今ここに12人もいるんだよな。どう考えたって多過ぎる。
そこで、小町が考案したのがこれ。
小町「『ドキっ! アイドルだらけの人生プロデュースゲーム』~☆」
未央「イェーーイっ!!」
どんどんぱふぱふーと聞こえてきそうなテンションで盛り上げる二人。
その手には、一見普通の人生ゲームを持っていた。
卯月「人生……」
加蓮「プロデュースゲーム……?」
奈緒「それって、普通の人生ゲームとは違うのか?」
思った事をそのまま聞いてくれる奈緒。
進行が楽になる良い質問ですね。
小町「基本的には普通の人生ゲームと一緒です。ただし、ちょ~っとばかり小町が細工してありますけどね♪」
八幡「昨日夜中までコソコソ作業してたのはそれか……」
珍しく勉強頑張ってるのかと思ったら、そんな事をやっていたとはな。
俺の労いを返して!
雪ノ下「人生ゲーム……それはつまり、生涯をかけて勝負する、という事で良いのかしら?」
由比ヶ浜「だから、そういうゲームじゃないから!」
そして相変わらず燃えている雪ノ下であった。
猫とパンさんと勝負事の時ばかりは本気を出さずにはいられないらしい。
小町「先にルールを説明しておくと、まず二人一組を作ります」
輝子・材木座「「えっ?」」
八幡「落ち着け。これは遊びだから。はぶられる事は無いから」
とはいえ俺も二人と一緒に少々過敏に反応してしまった。
全く、ぼっちにとって『二人一組』なんて言うもんじゃない。怯えちゃうでしょうが。
小町「アイドルとプロデューサーで役割を分け、そのコンビでゲームを進めて行くわけですね」
未央「それじゃあ、組み合わせはどうするの?」
八幡「戸塚、俺と組もう」
由比ヶ浜「答えを聞く前に!?」
いやだって碌な選別方法じゃなさそうなんだもん。
断言出来るが、戸塚とは組めそうにない。ならこれくらいはやって然るべきだ!
小町「私と未央さんは進行&銀行役なので、他の皆さんでくじを引いてもらいます」
人生ゲームに進行って必要なの? というツッコミはさておき、なんだ。意外とまとも…
小町「お兄ちゃんと凛さん意外は!」
八幡・凛「「えっ?」」
戸塚と組める可能性があると安堵した途端のこれだ。
え、つまり俺と凛は強制的にコンビって事?
小町「だって、お兄ちゃんは凛さんのプロデューサーでしょ? ならやっぱりゲームでもそうじゃないとね」
凛「……私は、それでもいいけど?」
と、どこか期待の眼差しでこちらを見る凛。
いやこれ断れる雰囲気じゃなくね? ……まぁ、別に断る理由も無いのだが。
八幡「……ま、いいんじゃねーの。それで」
小町「はい! 双方の了解を得られましたので、他の方はこちらのくじを引いてください~」
そしてくじを引いていく面々。
由比ヶ浜はなんか「むー」っと唸り、凛は小さくガッツポをしていたが、まぁ、気にせずにいこう。
ちなみに組み合わせはこんな感じ。
奈緒「お、雪乃か。よろしくな」
雪ノ下「ええ。私がプロデューサーになったからには、あなたを必ずトップアイドルしてみせるわ」
奈緒「お、おう。……これ、ゲームだからな?」
由比ヶ浜「よ、よろしくね卯月ちゃん!」
卯月「うん! 頑張ろうね結衣ちゃん」
由比ヶ浜「う、うわ~本物だよ~……緊張してきた…」
戸塚「えっと、輝子ちゃん、でいいのかな?」
輝子「う、ん。……彩加って、呼んでもいい……?」
戸塚「もちろん!」
材木座「クックック、お主が今宵のパートナーか。我と共に勝利を掴み取ろうぞ!!」
加蓮「ぷっ…アハハ、何それ? 面白い人だね。まぁ一つよろしく♪」
材木座「…………」
ダダダダダっと駆け寄ってくる材木座。
いや近い、すっごい近いから。
在木材「八幡! 八幡っ! 我の事引かなかったよ!? これ来たんちゃうん!? 今度こそ春が来たんちゃうん!?」
八幡「だから落ち着け材木座! 今のを翻訳するとだな……『うわ何言ってんの? マジキモい。これ以降は関わらないでねムリ☆キモい』って意味だ」
材木座「なん…だと……?」
加蓮「いや違うからね!?」
とまぁこんな感じでコンビは決まった。
良いなぁ、輝子……
その後はダラダラと人生ゲームを楽しんだ……と思う。……楽しめたのか…?
まぁ所詮は人生ゲーム。小町が細工を施したからといって大きくは変わらない。
以下、プレイ中から抜粋。
雪ノ下「どうして株の種類がこれしか無いのかしら? これでは少な過ぎると思うのだけど」
奈緒「いやだってゲームだし、そんな忠実じゃなくていいだろ」
雪ノ下「それに保険には一度しか入れないし、一度使用したらもう入れないというのも納得いかないわ」
奈緒「作った会社に言ってください……」
とりあえず奈緒が大変そうでした。
卯月「結衣ちゃん、その髪型可愛いね。毎日自分でやってるの?」
由比ヶ浜「あ、ありがとう。朝早く起きてセットしてるんだ~」
卯月「へぇ~、私も今度やってみようかな?」
由比ヶ浜「あ、じゃあアタシがやってあげようか? 今日じゃなくても、また遊べたら…」
卯月「本当? 楽しみにしてるね♪」
由比ヶ浜「う、うん!」
ゲームやれ。
戸塚「あ、輝子ちゃん。お家買えるよ。どこがいいかな?」
輝子「出来れば、キノコが沢山置ける所……」
戸塚「そっか、それじゃあマンションは厳しいかもね。でも大き過ぎるとお金が足りないし……あ、こことか丁度良いんじゃないかな?」
輝子「フフ……彩加はやり繰り上手」
混ぜてください(切実)。
加蓮「1、2、3……『ライブを行い大成功。100,000円稼ぐ』だって! やったね!」
材木座「お、おう。これくらい、加蓮嬢の力にかかれば雑作もない事よ」
加蓮「何言ってるの、私たちの……でしょ?」ニコッ
材木座「……は、はちまーーん!」
いやもうそのくだりはいいから。
八幡「……お、結婚だ。…………え、これ結婚のシステムあんの?」
小町「そりゃありますとも。ほら、車にピンさして」
八幡「いや、もう既に俺と凛の分刺さってるんだが」
小町「別にアイドルとプロデューサーったって、結婚は普通にするでしょ? 小町何かおかしい事言ってる?」
凛「ふーん? ……隣に担当アイドルがいるのに、プロデューサー結婚するんだ?」
未央「おおう、しぶりんチームの車が修羅場に……」
え、これ俺が悪いの?
そんな感じで、人生ゲームは終わったのだった。
ちなみに一着は島村・由比ヶ浜チーム。雪ノ下が悔しそうにしてたが、まぁ、いずれリベンジしとけ。
またやるかは微妙だけどな。
気付けば時間も遅くなってきている。
……そろそろ頃合いか。
俺が遅くならない内に、と声をかけ、お開きとあいなった。
それぞれが帰路につく準備を始め、玄関へと向かう。
小町「ほら、お兄ちゃん送っていかなきゃ」
八幡「……まぁ、しょうがないか」
今回ばかりはな。
元々お返しの意味合いで招待したののに、終始騒がしいだけで終わってしまった。
玄関の外へ出ると、そこには既に雪ノ下と由比ヶ浜、そして凛しかいなかった。
てっきりアイドル組が一緒に駅まで行くと思ってたんだけどな。千葉在住の奈緒は別にして。
雪ノ下「それじゃあ比企谷くん。渋谷さんをお願いね」
言うと、雪ノ下は由比ヶ浜を引っぱりその場を後にする。
由比ヶ浜「え? ちょっ、じゃ、じゃあねヒッキー! 待ってゆきのん~!」
雪ノ下「……案外、家に遊びに行くというのも楽しめたわ」
言い残して、彼女らは去って行った。
そういや、何気にあいつが俺の家来たの初めてだったんだな。人数のインパクトのせいで気付かなかったが。
しかし雪ノ下が由比ヶ浜を連れて行くというのも中々珍しい光景だ。
……変な気ぃ遣いやがって。
八幡「……そんじゃ、行くか」
凛「……うん」
その場に残された凛と共に、駅へと歩いて行く。
道中、特に会話も無く歩いていく。
こうしていると、いつぞやの帰り道を思い出す。
あの時も、雪ノ下と由比ヶ浜に見送られて帰ったっけな。
その時はまだ凛は名も知れてないアイドルで、俺も、右も左も分からないプロデューサーだった。
それから徐々に成功を重ねて、少しずつ成長していった。
今では凛も、トップアイドルに行かないまでも、大分有名になったと思う。
……早いもんだな、月日が流れるってのは。
俺がそんな事を考えていると、不意に凛が声を出す。
凛「プロデューサー」
隣へと、顔を向ける。
凛は、その透き通るような瞳で俺を見ていた。
八幡「なんだ?」
俺が聞き返すと、凛は何か言いそうになって、
何も言わず、首を振って微笑んだ。
凛「ううん。なんでもない」
八幡「なんだよ、それ」
つられて、俺も笑いを零す。
凛が何を言いたかったのか、俺には分からない。
けれど、不思議とお互いが感じてる事は一緒なような気がした。
通じ合っている、とまでは言わない。
それでも何処か、感じる所はあるんだ。
……まさか、俺がこんな事を思うなんてな。
1年前の俺に、聞かせてやりたいものだ。
凛「……ずっと」
八幡「ん?」
凛「ずっと……こんな日が続くといいね」
空の果てを見つめながら、凛は呟く。
八幡「……そう、だな」
俺も、これに応える。
実際の所、それは叶わないのだろう。
いつかは終わりがやってくるし、俺たちは、それが3ヶ月後だと知っている。
けれどだからこそ、俺たちはその歩みを止められない。
この日々を、無駄にしない為にも。
凛を、トップアイドルへとする為に。
俺は、俺たちは歩いて行く。
先の見えない、この道を。
俺のアイドルプロデュースは、終わらない。
「ふざけんな、クソ野郎」
俺に向かってそう言ったのは、名前も知らない一般Pだった。
いつも通りの朝、会社へと出社し、事務所へと入った所。
すれ違い様、そいつは俺に怒りを隠そうともせず、その言葉を吐いて会社を出て行った。
初め、理解するのに時間を要した。
呆然とその場に立ちすくみ、しばらくは頭が処理出来なかった。
だが、やがて俺へ向けられるいくつもの視線に気付く。
軽蔑、憎悪、唾棄するような、その視線。
覚えが、ある。
この、悪意に満ちた視線を。
そして脳が活動を始めた所で、社内がやけに騒がしい事にも気がついた。
鳴り止まない電話。
止まらないFAX。
社員が対応に追われる中、ちひろさんが俺に気付き、やってくる。
ちひろ「比企谷くん……」
そう言って、悲痛そうな面持ちで俺に一冊の週刊誌を渡してくる。
上手く、受け取れない。
手が震えているのが、分かる。
受け取った雑誌の表紙には、こう書いてあった。
『人気アイドル渋谷凛、プロデューサーとの熱愛発覚!?』
頭が、真っ白になった。
そのまま、雑誌を捲っていく。
内容は、俺と凛に対するバッシング。いや、比率的には、俺への方が圧倒的に多い。
凛と俺が自宅前にいる写真が、記載されていた。
『担当アイドルを自宅へと招く下種プロデューサー』
『それだけにあきたらず、他の何人ものアイドルに手を出しているという話も』
『社内での評判も悪く、また不正な取引の疑惑までもが上がっている』
凛も、他のアイドルまでもが、いいように晒されていた。
これは、誰が招いた結果だ?
いや、そんな事は分かり切っている。
思わず、乾いた笑いが漏れそうになった。
本当に。
本当に無様で、滑稽じゃないか。
あれだけ凛の成功を願っていたのに。
誰よりも、凛の手助けをしたいと思っていたのに。
他の誰でもない。
俺がーー
俺が、あいつの道を鎖してしまった。
……なんだよ、気付いてなんかいなかったじゃねーか。
全然気付いてなんかいなかった。
本当に大事なものは、
失ってからしか、気付けないんだ。
*
酷く、喉が乾く。
やけに胸の奥の辺りが気持ち悪いし、頭が痛い気もする。
ただ立っているだけの事が、辛い。
出来る事なら、今すぐにでもベッドに倒れ込みたいくらいだった。
だが、ここは俺の部屋ではないし、そんな事をしていられる余裕もない。
取り返しのつかない事を、してしまったから。
今目の前に座っている一人の男。
俺をこの業界へと誘った張本人。
彼がいなければ、俺はプロデューサーになる事はなかった。
そして凛に出会う事も、なかった。
シンデレラプロダクション社長。
未だ静かに座る彼は、意を決したかのように、俺に向かってこう言った。
社長「……何か、申し開きはあるかね?」
重く、静かに耳へと届く言葉。
俺は、何と答えればいい?
八幡「……」
……言える事など、ない。
口を開いてしまえば、情けない言い訳をべらべらと喋ってしまいそうだったから。
まともな答えを返す事が、出来ない。
口を鎖し、奥歯を噛み締める事しか、出来なかった。
社長「……キミも、まだ心の整理が出来ていないだろう」
酷く悲しそうな顔で、話す社長。
社長「キミがあの週刊誌の通りのような人間でない事は、私は理解している。だが、アイドルを自宅に招き、それを目撃されたのも事実……」
辛い選択をするように、言葉を言い淀む。
やがて社長は俺の方を見据え、ハッキリと言った。
社長「……比企谷くん。キミはしばらく、自宅謹慎だ」
八幡「ッ!」
社長「渋谷くんにも動揺の処置を取る。しばらくは会う事も禁止だ。キミ達の処分は上層部で取り決め次第追って連絡するから、それまでは待機していてくれ」
自宅…謹慎……?
俺が驚きを隠せずにいると、社長は尚も続ける。
社長「安心したまえ、決して悪い結果にはならないよう尽力する。所詮は週刊誌のゴシップ記事。ほとぼりも冷めれば、また仕事を始められるだろう。まぁ一応責任を取るという形で謹慎はしてもらうがね」
そう言う社長の言葉を、正直俺は信じられずにいた。
てっきり俺は、
クビを切られると。
本気でそう、思っていた。
八幡「……何でですか?」
社長「……それは、どういう意味だね?」
気付けば、言葉が口から出ていた。
八幡「いくら結果をそれなりに出していたとしても、所詮は一般応募のプロデューサーですよ? 正式な社員じゃない。俺の代わりなんて、それこそ掃いて捨てる程いるはずだ」
プロデューサー大作戦という企画に、一体どれだけの人材が募ったか。
その中には、俺よりも優秀な奴などいくらでもいるだろう。
八幡「はっきり言って、クビにされない方が不思議なくらいです。俺なんかは切り捨てて、新しいプロデューサーを凛につけた方がいい」
社長「……」
俺の言葉を、社長は黙って聞いている。
俺の言っている事は、正しいはずだ。だからこそ社長の決断が分からない。
俺なんかはさっさとクビにてして……
クビに、して……
……違う。
違うだろ。
俺が言いたい事は、そんな事じゃない。
クビにしてほしいわけが、ない。
……けど、
そう言わなくちゃ、いけないんだ。
俺は、責任を取らないと。
社長「……比企谷くん」
気付ば、俺は顔を俯かせていた。
言葉をかけられ、顔を上げる。
社長は、薄く微笑んでいた。
社長「キミをここに呼ぶ前に、実は他のプロデューサーと少し話をしていてね」
八幡「他の、プロデューサー?」
社長「ああ。前川くんと新田くんのプロデューサーだよ」
前川と新田のプロデューサー。
一般Pの中では、珍しくも俺とまともに関わりがあった二人。
その二人が、社長と何を……?
社長「開口一番、怒鳴られたよ。『アイツはあんな事をするような奴じゃない』とね」
八幡「ッ!」
あの二人が?
俺を、庇って……
社長「私も一緒だよ」
社長は椅子から立ち上がると、俺の前へと歩み寄ってくる。
社長「あれだけのアイドルを笑顔に出来るキミが、こんなくだらない事でクビになる必要はない。……それが、アイドルプロダクションの社長をやっている私の決断だ」
八幡「……」
社長「甘い考えだと社員たちには怒られてしまうかもしれんがね。生憎とこれが私なんだ」
苦笑しつつ、彼は俺へとそう言ってくれる。
その言葉には優しさが含まれているのを、今の俺はかろうじて感じ取れた。
ホントに、本当に、甘い。
社長「今日はもう帰りなさい。親御さんも心配しているだろう」
俺の肩へ手を置き、そう言う社長。
ただただ単純に、暖かいなと、そんな気持ちがポツリと湧いて出た。
社長「外には記者達がいるかもしれんし、車を出そう。幸い、腕ききのドライバーが我が社にはいるからね。まぁ彼女もアイドルなんだが」
八幡「……」
俺は、社長の言葉に甘えるしかなかった。
情けないが、今の俺じゃ碌に考える事も出来ない。
社長の言葉に無言で頷ずくと、重い足取りで社長室を後にする。
その後の事は、正直よく覚えてはいない。
事務所にいた何人かのアイドルに声をかけられたが、大した返事も出来なかったと思う。
車で送ってくれた女性にも、言葉少なくお礼を言ったのみだ。
ただ、その中でも覚えているのは……
会社に凛は、いなかった。
ただそれだけは、漠然と覚えていた。
*
渋谷凛のスキャンダルは、瞬く間に広がっていった。
社長は直ぐにほとぼりも冷めると言ったが、俺には、そんな楽観的には考えられない。
担当プロデューサーとしての贔屓を抜きにしても、凛は既に一人前のアイドルだとはっきり言える。
素顔で街を歩けば声をかけられ。
ライブを開催すれば直ぐにチケットは売り切れ。
シンデレラプロダクションの中でも、5本の指に入る程の人気と言ってもいい。
そんな彼女が。
そんな彼女が、スキャンダルを起こしたのだ。
平和に解決する筈がない。
誰よりも応援しているつもりだった。
あいつをトップアイドルに、頂きへと導いてやりたいと本気で思っていた。
その想いは、紛れも無い本物だった。
そんな、そんな俺が。
スキャンダルを引き起こした張本人。
あろうことか、凛のスキャンダルの相手になってしまった。
なんとも、皮肉な話だ。
滑稽ですらある。
世にいる凛のファン達は、俺を頃したいくらい憎んでるかもな。
やっぱり、どこにいっても憎まれ役は変わらないらしい。
ある意味では、古巣に帰ってきたって感じだ。
以前まで当然だったこの立場が、今は酷く懐かしい。
最近の俺は、周りのアイドルたちのおかげで少々舞い上がっていたんだと思う。
本当に、ここまで悪意を集中的に受けたのは久しぶりだ。
だが、そんな事はどうでもいいんだ。
俺の事情なんかどうだっていい。
極端に言うなら、ゴシップ記事を書いた奴らだってそこまで憎んではいない。
いや、確かに怒りは湧く。
既にアニバーサリーライブまで一ヶ月を切った。
何故そんな時期に、わざわざやらかしてくれるのかと。
色々と言いたい事はあるが、そんな事よりもーー
自分自身に、怒りが湧いて仕方が無い。
こんな事、気をつければいくらでも予想できた事だ。
さっきも言ったように、凛は既に名の売れたアイドル。
なら、自宅に招くなんて自殺行為だ。そんなの、少し考えれば分かる事だろ?
なんでそんな、バカな真似をした。
例え結果論だったとしても、そう思わずにはいられない。
何度も何度も……
後悔して、仕方が無かった。
行きたいと言った凛も、それに乗じたアイドルたちも、許可した小町も、俺には責められない。
俺が、責められるわけがない。
俺はプロデューサーなんだ。俺がプロデューサーとして、断るべきだったんだ。
本当に、
何をやってんだ、俺は。
八幡「…………」
ソファーへと寝転び、ただ呆然と天井を見上げる。
薄暗いリビングの中、聞こえるのは時計の秒針の音のみ。
ただ何の気無しに、手元にあるケータイを見る。
画面には、何件もメールや着信の知らせが表示されていた。
……由比ヶ浜の奴、連絡よこし過ぎだろ。迷惑メールに登録したくなるレベル。
一個だけ知らない番号から着信があるが、まぁ、どうせ間違い電話だろう。
他にはアイドルたちや戸塚、材木座からも来ている。どんだけ心配してくれてんだよ。泣くぞ。嬉しくて。
だが俺はそのどれ一つにも連絡を返す事なく、ケータイをテーブルの上に放る。
リビングに、カツンという小さな音が響いた。
最近の俺は、ずっとこんな感じであった。
会社は勿論、学校にも行かず、家からは一歩も出ない。
自宅謹慎なのだから当然とも言えるが、俺のそれは違う。
何に対しても気力が湧かず、ただ怠惰に時間を浪費する。
食うか寝るか、本を読む事もテレビを見る事もせず、ただただ呆然と過ごしているだけ。
心配してくれている奴らにも、何も返せずにいた。
それでも、伝えなきゃならない事はと思い、謹慎を言い渡された日にそれぞれメールを送っておいた。
今回の件は俺が招いた事だから、お前らが責任を感じる必要は無いと。
俺のせいで、お前らの顔に泥を塗ってしまってすまないと。
そう伝えておいた。
……まぁ、その後の反感のメールが凄かったんだけどな。
結局それらにも、返事は返していない。
そんな生活も、一週間近くたとうとしていた。
最初家に帰った時は、えらく両親に心配されたものだ。
気に病む必要は無いと、世間など関係無いと。
俺が無気力な生活を送っていても、何も言ってこない。
ホント、迷惑をかけてばっかりだな俺は。
謝るべきは、俺なのに。
そして小町は…………泣いていた。
八幡「……あいつの泣き顔、久しぶりに見たな」
ぽつりと、何処からとも無く言葉が漏れる。
小町は泣きながら、俺に謝ってきた。
何度も何度も、自分のせいだと。
俺は、お前からそんな言葉を聞きたいわけじゃないのに。
ただそうさせた自分自身が、情けなかった。
一体何人に迷惑をかけるつもりだろうか。
今までは、ぼっちだったが故にこんな事は無かった。
こんなにも、誰かに対して申し訳ないと思った事は無かった。
八幡「…………」
凛とは、家に来たあの日から会っていない。
会う事が禁止されている今、あいつからの連絡は二つのみだった。
自宅謹慎を告げられた日、一度だけ着信。
俺は何を言えばいいか分からず、電話に出られなかった。
謝る事も出来ず、ただただ怖かった。
そして、その後に一通だけのメール。
『ごめんね』と。
それだけ、送られてきた。
俺は、どうすればいいんだろうな。
凛に謝ればいいのか?
凛のファンたちに謝ればいいのか?
謝って済む、問題なのか?
ずっとずっと、自問自答を繰り返す。
答えの見えない迷路を彷徨うように。
……いや、本当は分かってるんだ。
俺が出すべき答えは、もう分かり切っている。
だが俺は、その選択をーー
ふと、物音が聞こえてきた。
ドアを静かに開ける音だ。
この時間帯、親は仕事に出ている。
つまりリビングに入ってくる人物はただ一人。
小町「……お兄ちゃん」
物憂げな顔で、小町はやってきた。
俺はソファから上体を起こし、顔を小町へと向ける。
八幡「……どうした?」
俺が訊くと、小町は一度小さく深呼吸をし、真剣な表情をつくる。
そして、不意に予想外の行動をおこした。
小町「この間はお恥ずかしい所をお見せしてしまい、真に申し訳ありませんでした」
そう言って、ぺこっと頭を下げたのである。
……え? どうした急に?
俺が目を丸くして見ていると、頭を上げた小町は照れくさそうに言う。
小町「いやーちょっとあまりの事態に小町も取り乱しちゃいまして。我ながらお恥ずかしい」
そして、また悲しそうな顔になる。
小町「……本当に、ごめんね」
八幡「……だから、この間も言っただろ」
俺はやれやれと、わざとおどけた風に言ってみせる。
八幡「お前を責めたら、来たいって言ったあいつらも、それを許した俺も責められなくちゃいけねぇよ。……だから、気にすんな」
そう言って、笑ってやる。
空元気のように思われるかもしれないが、それでも言った事は本心だ。
小町「お兄ちゃん……」
小町は目を見開き、やがて告げる。
小町「こんなに優しいお兄ちゃんなんて、お兄ちゃんじゃない……!」
八幡「あれ、この子反省してない?」
折角の良いお兄ちゃんで応えたのにこの仕打ち。
あんまりじゃない!?
小町「……ぷっ」
八幡「くく……」
そして小町が不意に吹き出し、俺もつられたように笑いを零す。
なんか久しぶりに笑った気がすんな。
……ありがとよ、小町。
口にするのは恥ずかしいので、俺は心の中でお礼を言った。
小町「隣、座っても?」
八幡「ご自由に。コーヒー、沸かすか?」
小町「お願いします」
小町がソファーへと座るのと入れ替わるように、立ち上がりキッチンへ向かう。
コーヒーを用意し、二人分のマグカップを持ってリビングへ戻った。
そして、一息つく。
小町「……何か、小町に出来ることは無いかな?」
ぽつりと、呟く小町。
虚空を見つめる視線。その表情は思い詰めるようで。
何か自分に出来る事は無いかと、俺に訴えかけていた。
八幡「そうだな……」
考える。
小町の事だけじゃなく、俺に出来る、俺が出来ること。
いや、何度考えたって答えは同じだろう。
俺はとっくに、その解を出している。
なら、頼める事は一つに決まってる。
……小町のおかげで、決心がついた。
八幡「小町、一つ頼めるか」
小町「っ! なに?」
食いつくように反応する小町。
だが、俺の頼みにそんなに気構える必要はない。
頼む事はただ一つ。
八幡「俺がする事を、何も言わずに見届けてくれ」
小町「……えっ…?それって……」
俺の言葉を聞き、表情を険しくしていく小町。
小町「お兄ちゃん、まさかまた……」
“また”、というワードに思わず苦笑が出る。
確かに、そう言われても仕方ないな。
八幡「また、悲しませるような事になるかもしれん。……それでも、止めないでいてくれるか?」
小町は俯き、少しだけ迷うような素振りを見せる。
だが直ぐに顔を上げ、真っ直ぐな瞳で訊いてきた。
小町「それしか、方法は無いの?」
八幡「分からん。けど、俺がやりたいんだ」
小町「……そっか。じゃあ、小町は止められないかな」
言って、また微笑む。
それは無理につくったような笑顔で、さっきの表情よりも、余計哀しさを感じさせた。
八幡「……悪いな」
小町「いいですよ。小町はお兄ちゃんの妹だからね。あ、今の小町的に…」
八幡「ポイント高ぇよ。八幡的にもな」
小町「あはは♪」
こうして何気ない日常を送るだけで、少し勇気が貰えた気がする。
きっと、あの日家に来たアイドルたちは皆一様に小町のような責任を感じているのだろう。
だが、これは俺がけじめをつける問題なんだ。
だから後は、選択をするだけ。
その後は雑談も程々に、部屋へ戻る。
クローゼットを開けると、そこには一着のスーツ。
こいつを着るのも、おそらくは明日で最後だな。
まぁ、卒業して就職すれば着る事もあるかもしれんが。
それでも、一つの意味で、こいつを着る事はもう最後だろう。
本当にーー
八幡「本当に、一年間ありがとな」
優しくクローゼットに戻し、決意を固める。
俺はケータイを取り出して、一本の電話をかけた。
*
社長「……それで、話というのは何かね?」
場所はシンデレラプロダクション社長室。
一週間前と同じ場所。
そしてこの人と相対するのも、同じ状況だ。
本当であれば俺は謹慎中。
社長に無理を言って、この場を設けてもらった。
今会社には、恐らく俺と社長のみ。
他の社員やアイドル、パパラッチなんかに見つかったら面倒だからな。
人目につかないよう、営業時間外の夜に訪れた。
八幡「今日は、お願いがあってきました」
真っ直ぐに相手を見据え、拳を握りしめる。
言うべき事は決まっている。
俺が導き出した答え。
これが、俺の最後のプロデュース。
俺が凛にしてやれる最後の事で。
これしか、もう俺にしてやれる事は無い。
目を閉じ、数泊置いて、ゆっくりと開く。
俺は、その言葉を告げる。
八幡「俺はーーーーこの会社を、辞めます」
自分でも不思議なくらい、すんなりと言葉は出てくれた。
これが、俺の出した答えだ。
社長「…………一応、訊いてもいいかね?」
ある程度は予想していたのか、以前落ち着いた様子で話す社長。
八幡「どうぞ」
社長「確かに責任は取らねばならない。だが、私はそこまでする必要は無いと先日言ったね」
八幡「ええ」
社長「なら、何故自分からわざわざそう言い出すのかね?」
その真意が分からないと、社長は眉をよせる。
確かに、その疑問はもっともだ。
社長が辞めなくていいと言っているのに、自分からそれを申し出る。
別に俺はこの会社に不満も無いし、辞めたいとも思っていなかった。
なら何故か。
答えは単純。
八幡「凛の、ファンの為です」
俺の言葉に、社長は一瞬だけ目を見開く。
だが俺のその言葉に思い当たる事があるのか、そのまま黙って話の続きを待ってくれた。
八幡「今俺は、凛のファンにとっちゃ邪魔でしょうがない存在でしょう。妬ましくて、恨めしくて、消えてほしい。そう思われていても何ら不思議はない。あなたなら分かる筈です」
俺の言葉に、社長は何も言わない。
八幡「そんな俺が、たかが自宅謹慎程度で復帰して、何食わぬ顔で凛のプロデュースを続けて、……ファンがそれで黙ってるわけがないですよ」
社長「……」
八幡「謹慎なんて軽い処置じゃダメなんです。俺が辞めて、凛ともう関わらないと言わなければ、彼らは納得しない」
俺がずっと応援していた765プロのやよいちゃん。
そんな彼女に手を出した輩がいるとすれば、俺はそいつを絶対に憎むだろう。
……いや、違う。
今は、凛の話だ。
八幡「もしも、もしも俺が凛のプロデューサーじゃなくただのファンの一人だったとして」
これは仮定の話。
だが、絶対と言っていい程に断言できる。
八幡「凛が顔も知らないプロデューサーとスキャンダルを起こしたなんて聞いたら…………きっと、俺は絶対にそいつを許しません」
社長「……ッ…」
八幡「そして俺は、今、その立場にいる」
ファンからの敵意を一身に受ける、その立場に。
実際、男の存在を一切感じさせない事など不可能なのだろう。
アイドルとて一人の女の子。恋もすれば、いずれは結婚だってする。
仮に全ての恋愛感情を捨て、アイドルに徹したとしても、それでもそれは全員には伝わらない。
家族が。
兄弟が。
共演者が。
業界人が。
……プロデューサーが。
その存在が、実は、本当は、裏では、という考えを生み出す。
男の陰を排除し切る等、不可能なんだ。
八幡「だから、俺は辞めるべきなんです。俺が辞めるだけで、ファンの憤りも多少は軽減できるでしょう」
それでも全てのファンは納得させられないだろう。
スキャンダルを起こした事実は変わらないし、凛への不信感も拭い切れない。
だが、謹慎だけなんていう生温い処置よりは圧倒的にマシな筈だ。
これが、俺に出来る最善の手なんだ。
社長「……確かに、キミの言う通りなのは認めよう。そうした方が、ファンにとってもいいのは事実だ」
そう言って苦い顔をする社長。
社長「……だが」
それでも、何処か納得をしていない様子であった。
社長「キミが辞めてしまえば、それこそあの記者達の思う壷だろう!? あそこに書かれていた嘘の報道まで認めるようなものじゃないか!」
八幡「……」
社長「確かにスキャンダルは起こしたが、それでも受け入れる必要のない虚偽を抱え込む事はないんだ」
社長は、俺を説得するように必氏に訴えかける。
尚も、俺に言葉をぶつけてくる。
社長「確かに自宅には招いたが、記事に書かれたような嘘の事実は無かったと、そう公表しよう。きちんと謝罪すれば、きっと全員でなくともファンは分かってくれる」
八幡「……」
社長「キミが辞める必要は無いんだよ。比企谷くん」
社長の言う事は、ある意味では正攻法だろう。
俺が辞める意外の選択で言えば、一番の手だと言える。
だが、
それでも俺は、その手は使えないんだ。
八幡「すいませんが、それだけは出来ません」
社長「っ! 何故だ?」
理解に苦しむように、俺へ問いかける社長。
けど、俺が取れる選択は一つだけ。
八幡「確かにあの記事は嘘だらけで、それを認める必要はないと思います」
社長「なら……!」
八幡「全部が嘘、ならの話です」
その言葉に、社長の顔が驚愕に歪む。
だが、勘違いしてもらっては困る。
八幡「安心してください。前に説明した通り、あの日はゲームをやったくらいでやましい事は一切していません。凛とも、交際なんてしていない」
ならば、一体何が問題なのか。
答えは単純。
八幡「問題なのは……俺の、気持ちです」
社長「……どういう、意味だね」
八幡「あの記事が全部デタラメで、俺と凛はただのプロデューサーとアイドルで、仕事上だけの関係なら、俺は社長の言った通りの手を取ったでしょう」
だが、そうじゃない。
実際には、そうじゃないんだ。
凛は、アイドルだ。
俺はプロデューサーで、仕事の上での関係なんだ。
けどーー
八幡「けど俺はーーーー仕事なんて関係なく、あいつの側にいたいと思ってしまった」
特別な感情を、抱いてしまった。
あいつは本当に真っ直ぐで。
こんな俺を信じてくれて。
ずっと隣に立っていてやりたくて。
いつまでも支えてやりたくて。
だからこそ、俺は顔向けが出来ない。
凛の、ファンたちに。
八幡「そんな俺が、あの記事は全部嘘だと、凛とは何も無いと、言えるわけがないんだ」
言ってしまえば、それが嘘になってしまう。
そんな事、と言われるかもしれない。
些細な事、と思われるかもしれない。
だが、俺にとっては譲れない事だ。
八幡「俺があいつに向けちまった感情は、誤摩化していいものじゃない。そこに嘘をついたら、それこそファンを裏切る事になる」
プロデューサーがアイドルに、そんな感情を抱くなんてあってはならない。
そしてそれを、無かった事になんて出来る筈がない。
だから、俺は責任を取らなければならない。
凛の、プロデューサーとして。
社長「比企谷くん……」
何も言えず、ただただ俺を見つめる社長。
そんな社長の前に、俺は膝をつく。
社長「っ!? 比企谷くん、何を……!」
社長が止めにかかるが、そんなものはお構いなしだ。
地面に手を置き、俺は頭を垂れる。
八幡「お願いです社長。まだ俺をプロデューサーだと思ってくれてるなら、俺の我が侭をきいて下さい…」
社長「比企谷くん!」
八幡「初めてなんです…ッ……誰かの為に、何をしてでも護りたいと思ったのは……!」
みっともなく、懇願する。
声に、嗚咽が混じっていくのが自分でも分かる。
八幡「俺は、プロデューサー失格だッ……だから……これが、俺の出来る最後のプロデュースなんですッ……!」
こんな時でも、思い浮かぶのは彼女の顔。
その表情はいつも笑顔で、だからこそ、それを失わせていい訳がないと思った。
八幡「お願いしますッ……社長ッ!!」
本当に、らしくない。
こんなにも惨めったらしく喚くなんて。
それだけ、大切なものが出来るなんて。
社長「……」
俺の凶弾を聞いた社長は、静かに佇むままだった。
やがて、歩み寄ってくるのを足音で感じる。
俺の近くまで来ると、かがみ込み、肩へと手を手を添えるのを感じた。
社長「比企谷くん、顔を上げてくれ」
その言葉で俺は頭を上げ、社長に支えられるようにして立ち上がる。
社長「……キミの気持ちは分かった」
俺に対し、ただ静かにそう告げる。
そして苦笑したかと思うと、哀しそうに、言う。
社長「自分が情けないね……社員一人の生活も、守ってやれないとは」
八幡「社長……」
社長「……比企谷くん。キミの最後のプロデュースを認めよう」
そう言うと、社長は俺に真っ直ぐに向き合い、俺の目を見る。
社長「しかし条件もある。あのゴシップ記事の記載は誤りで、キミはアイドルを自宅に招いたという事実への責任で自主退社する。……それで会見を開く。それでいいね?」
八幡「……はい」
俺は、静かに頷く。
本当であれば、何の説明もせずに懲戒免職にした方が世間への効果はある。
俺が無理矢理アイドルに手を出したと、そういった憶測が飛び交ってくれるから。
アイドルへの不信も、そうすれば多少は減るだろう。
だが、社長はそれでも俺の身を案じてくれた。
少しでも俺の身を守ろうと、今言った手段で手を打ってくれたのだ。
アイドルプロダクションの社長としては、甘い処置もいい所。
正式な社員でもない、俺なんかを心配してくれる。
そんな気持ちが、俺には嬉しかった。
八幡「これまで、お世話になりました……それと」
深く礼をし、一年近く前の事を思い出す。
いつもの、学校からの何気ない帰り道。
ともすれば、全てのきっかけとも言える出会い。
八幡「あの日、俺を誘ってくれて……ありがとうございました」
本当に、感謝してもしきれない。
この人のおかげで、俺は大切なものを沢山貰えたのだから。
社長は俺の言葉に目を丸くし、そして、微笑む。
社長「いつか、キミが成人したら飲みに行こう。もちろん私の奢りでね」
その申し出に、俺は無言で頷いた。
*
薄暗い事務所内。
もう既に社員もアイドルたちも帰り、静けさが残るばかり。
ここに来る事も、もう二度と無いだろう。
今の内に私物は持って帰らないとな。
事務スペースへ行き、自分のデスクを見る。
……まぁ、元々俺の席ではないのだが。
ここにいると、これまでの事を必然的に思い出してしまう。
アイドルと、プロデューサーと、事務員と。
まるで部活でもやっているかのような居場所。
仕事は辛かったが、それでも、楽しいと感じる時はいくらでもあった。
おっと、ダメだな。
思いを馳せている場合ではない。
誰か来ないとも限らないからな。
さっさと片付けて、この場を後にしよう。
改めてデスクを見る。
しかし私物と言っても、殆どが仕事関係の物ばかり。
持って帰るような物は僅かしか無かった。
八幡「筆記用具に、充電器、後は何があったか……」
と、そこで気配を感じる。
気付けば、彼女はそこにいた。
手に持つのは、俺の数少ない私物の一つ。
ちひろ「マグカップ、忘れてますよ」
千川ちひろさんが、立っていた。
八幡「ちひろ、さん……」
ちひろ「社長に聞きましたよ。本当、何も相談せずに決めちゃうんですから」
腰に手を当て、ぷんぷんと怒ったように言うちひろさん。
しかし、その仕草は何処か芝居がかっている。
ちひろ「そうだ! 折角ですし、最後にスタドリでも…」
八幡「結構です」
折角の申し出を、即答で拒否する。
それを聞いたちひろさんは大袈裟過ぎる程にショックを受け、項垂れる。
ちひろ「そ、そうですか。残念でs…」
八幡「ちひろさん」
俺は、不意に声をかける。
いや、気付いたら呼びかけていたと言った方が正しい。
そんなつもりは無かったのに、言葉を口をついて出ていた。
八幡「コーヒー、淹れてもらえますか?」
ちひろ「……ッ…………はいっ」
ちひろさんは、すぐに用意してくれた。
持ち帰る予定だったマグカップに、コーヒーが注がれる。
八幡「ありがとうございます」
ちひろ「いえいえ」
ちひろさんも自分のマグカップに注ぎ、お互い、向かい合うように席へと座る。
この位置で、ずっと一年近くもやってきた。
カップに口を付け、一口飲む。
その暖かさが、何故だか懐かしく感じた。
ちひろ「……本当に、辞めちゃうんですね」
不意に、ちひろさんが呟いた。
それに対し、俺は一言だけ返す。
八幡「ええ」
俺のそんな憮然とした態度にちひろさんは苦笑すると、昔を懐かしむように話し出す。
ちひろ「初めて比企谷くんが来た時は、色んな意味で印象的だったな~」
八幡「どうせ、目が腐ってると思ったんでしょう?」
大体俺の第一印象はそれである。
正直眼鏡でも使おうか真剣に悩む所。男の眼鏡が果たして上条さんに需要はあるのだろうか。
ちひろ「まぁそれもありますけど……」
やっぱあるんですね。
だが、その次にちひろさんは続ける。
ちひろ「どうして、いつもそんなに辛そうな顔してるのかなって、そう思ったんです」
八幡「辛そうな、顔?」
マジか。自分では分からなかったが、俺そんな顔してたの?
初めて言われた事実に俺が困惑していると、ちひろさんは笑いながら問うてくる。
ちひろ「ねぇ、比企谷くんは私の第一印象はどうだった?」
八幡「は?」
ちひろさんの第一印象?
そんなの、言えるわけが……
……いや。
八幡「美人な人だなーと、思いました」
敢えての直球で言ってみる。
ちひろ「え? は!? いや、その、ぅ……お、お世辞はいいですって!」
面白いくらいに顔を赤くして狼狽するちひろさん。
だがまぁ、実際事実だしなぁ。
八幡「俺が今までにお世辞言った事、ありました?」
ちひろ「うっ……そう言われると確かに…………あ、ありがとう、ございます……?」
いや、別に俺を言われるような事ではないんだがな。
俺は、正直に答えただけだ。
……こうして、ちひろさんと話すのも最後になる。
なら、きちんと伝えておくべき事は、今伝えるべきだ。
ちひろ「比企谷くん?」
俺は無言で椅子から立ち上がり、ちひろさんに向かって頭を下げる。
八幡「今まで、ありがとうございました」
ちひろ「えっ?」
呆けた様子のちひろさん。
俺はそのまま話続ける。
八幡「ちひろさんのおかげで、これまで仕事をこなせてきました。席を頂けた事にも感謝しています」
ちひろ「ちょ、ちょっと待って比企谷くん…」
八幡「俺がプロデューサーとして無事やってこれたのも、ちひろさんのおかげです」
ちひろ「だから……!」
八幡「迷惑も沢山かけて、申し訳なく…」
ちひろ「比企谷くんっ!!」
その大きな声で、俺は思わず言葉を止める。
ちひろさんも立ち上がり、少し怒ったように言ってきた。
ちひろ「何なんですか比企谷くん。さっきからまるで今生の別れみたいに喋って!」
八幡「いや、もう辞めるから、最後にお礼を…」
ちひろ「だからって、もう会えなくなるわけじゃないでしょう!」
俺へ向けるその目から、ちひろさんが本当に怒ってるのが分かる。
そんな事は言ってほしくないと、暗に告げているような気がした。
八幡「……俺がシンデレラプロダクションの関係者と会うのは、もう極力避けた方が良い。なら、ちひろさんとだって…」
ふっ、と。
突然、暖かい感触が身体を包み込んだ。
ちひろ「そんなの、どうとでもなります」
ちひろさんが抱きしめてくれていると気付くのに、そう時間はかからなかった。
まるで子供をあやすように、優しく頭を撫でてくれた。
……俺の方が背高いのに、無理をする。
ちひろ「バレないように会えばいいし、ほとぼりが冷めれば、私みたいな事務員ぐらい会えますよ」
普段なら、羞恥から直ぐに振りほどいていただろう。
だが、何故か今はそれが出来ない。
ちひろ「お茶でもいいですし、大人になったら、お酒も酌み交わしましょう。……だから、これで最後だなんて言わないでください」
八幡「……はい」
お互い、顔は見えない。
だが、不思議とどんな顔をしているかは想像できた。
きっと、相手も。
八幡「コーヒー、ごちそうさまでした」
ちひろ「こちらこそ、お粗末様でした。……また、いつでも淹れますよ」
私物を片付け、洗ってもらったマグカップも持ち、帰る仕度を整える。
ちひろさんは、最後まで付き合ってくれた。
ちひろ「比企谷くん」
八幡「はい?」
事務所を出ようとした所で、声をかけられる。
俺が振り向き聞き返すと、ちひろさんは照れたように言ってくる。
ちひろ「さっきはああ言いましたけど……お礼、嬉しかったです」
微笑み、そう言ってくれる。
ちひろ「こちらこそ、ありがとうございました。……また会いましょう♪」
八幡「……はい」
俺も思わず笑いを零し、その場を後にした。
会社を出ると、ひんやりとした風が頬を撫でる。
もう既に時間も遅く、辺りは暗かった。
まぁ電車には余裕で乗れる。特に急ぐ必要もない。
最後にシンデレラプロダクションを目に焼き付け、足を踏み出そうとーー
「ーーーープロデューサーっ!!」
その声に、足が止まった。
いや、足だけではない。
身体が、思考が、一瞬止まる。
聞き間違えるわけがない。
ゆっくりと、振り返る。
ぜぇぜぇと息を切らし、膝に手を付いて立っている少女。
渋谷凛は、俺の事を真っ直ぐに見ていた。
八幡「……凛」
俺は、咄嗟に何も言う事が出来なかった。
こんな所を目撃されれば、またいらぬ誤解を招く。
早く立ち去らないといけない。
だが、足は動かない。
言葉も、出てこない。
何で来たんだ……
もう、会うつもりは無かったのに。
凛「……ちひろさんから、連絡を貰ったんだ」
落ち着いたのか、髪を払い、そう言う凛。
そうか、ちひろさんが呼んだのか。
……本当に、最後までお節介な人だ。
凛「全部、聞いたよ」
その言葉で、理解する。
既に凛は、俺がプロデューサーを辞める事を知っている。
なら、俺の意図する事も分かる筈だ。
だが、凛の表情は読めない。
怒っているようで。
悲しんでるようで。
呆れているようで。
そんな色んな感情がない交ぜになった顔で、俺を見る。
凛「……私には、何も相談してくれないんだね」
目を伏せる凛。
そんな姿を見て、胸が痛む。
心が、痛むのが分かる。
八幡「……必要ないからな」
凛「え……?」
だが俺は、ここで甘えた言葉を返すわけにはいかない。
ここで凛の未練を作っちゃ、いけないんだ。
八幡「これは俺がしでかした事だ。だからお前が責任を感じる必要も無いし、俺が辞めるのも気に病まなくていい」
凛「そん、な……でもっ……!」
それでも食い下がる凛を、
俺は拒絶する。
八幡「だから、俺なんかはとっとと切り捨てて……お前はトップアイドルを目指せ」
凛「ーーッ」
八幡「道から外れた奴を、振り返る暇なんてねぇだろ」
凛の顔が歪んでいくのが分かる。
だが俺は、踵を返してその場を後にしようとする。
凛「っ! ま、待って!」
凛は俺の前に周り込み、両肩を掴んで止めようとしてくる。
必氏に、離しはしないようにと。
凛「私は、私はプロデューサーと夢を追いかけたくて……!」
その声は、悲痛な叫びだった。
一言一言が俺の胸に刺さって、心を、傷つけてやまない。
凛「プロデューサーは、これでいいって言うの? これで終わりでいいって、本当に思って……」
八幡「ああ。そうだ」
凛「ッ……」
それでも、俺の答えは変わらない。
俺の選択は、覆らない。
凛は俺の言葉に目を見開き、俯く。
脱力したように肩から手を離し、立ちすくむ。
凛「……プロデューサーは、それでいいんだ」
八幡「ああ」
凛「……私が、トップアイドルになれれば、それでいいんだ」
八幡「……ああ」
凛「…………そっか」
凛は、ゆっくりと顔を上げる
俺はその表情を一生忘れないだろう。
凛は、笑っていた。
凛「なら…………私、頑張るから」
こんなに哀しい笑顔があっていいのかと、そう思った。
凛「さよなら」
そう言って、凛はすれ違うように去っていく。
俺は振り返らないし、きっと凛も振り返らない。
……これでいいんだ。
プロデューサーとして、俺は出来る事をやった。
これが、俺に出来る最後のプロデュース。
これで、正しいんだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は足を踏み出す。
だが、迷いと振り切ろうと踏み出す毎に、足はどんどん重くなっていくように感じる。
頭の中に、ずっと残って離れない。
懸命に笑う彼女の、
頬を伝う、その雫が。
*
それから、また日は流れていく。
テレビやニュースで、俺が会社を辞めた事は公表された。
社長の言う通り、一応の責任を取る形で発表されたようだ。
思惑通り、少しはファンの落ち着きも取り戻せた様子。
そして、もう一つ懸念していた問題。
それが、凛のアニバーサリーライブの参加だ。
あんな事件を起こした手前、本来であれば自粛するのが当然だろう。
だが、俺はその件についても社長にお願いをしておいた。
出来る事なら、凛にも参加させてやってほしい。
既にシンデレラガールの投票まで時間もない。
であれば、このライブを逃すのは完全な痛手だ。
ファンが落ち着き、ライブに支障が無いようであれば参加させる。
それが会社の条件だったが、この分じゃ大丈夫そうだ。
本当に、社長には感謝してもしきれない。
そして、俺が今何をしているかと言えば……
絶賛引きこもり中である。
正式に会社を辞めた事で、本来であれば学校に行かなければならないのだが……
生憎と、そんな気も起きない。
今は奉仕部の二人に会う事すら億劫だった。
相変わらず家でダラダラと過ごし、ただ時間が過ぎるのを傍受していた。
さすがに、小町にそろそろ怒られそうだな。
……だが、俺がした事には何も言わず、許容してくれた。
こんな時、そんな存在が本当にありがたい。
もっと良い方法があったのかもしれない。
けど、
これが俺の選んだ選択なんだ。
『○月△日! シンデレラプロダクション、アニバーサリーライブ!!』
八幡「っ……」
テレビから流れてきたワードで、思わず顔をしかめる。
最近、やたらCMを目にするな。
さすがはシンデレラプロダクション。まさかこんな所でその有名ぶりを思い知らされる事になるとは。
正直、見る度にHPを削られる思いである。
と、そんな時にケータイにメールが届く。
それは今まで散々無視して来た一人、平塚先生からのものであった。
内容は、土曜日に学校で行われる補習の事。
と言っても、参加者は俺だけらしいが。
文面を読むに、生徒があまりいない方が来やすいのではないか、という平塚先生の配慮らしい。
おお、ちょっと感動するな。
あの人なら、どっちかってーと直接家まで殴り込んで来て連れ出しそうなイメージだが。
一応、気を遣ってもらってるらしい。
確かに土曜ならあの二人もいないし、何かと気が楽だ。
八幡「ん、この日付……」
そしてメールを読んでいる内に気付く。
補習は、件のアニバーサリーライブと同じ日付であった。
果たしてわざとなのか……
いや、平塚先生が単純に気付いていないだけか。
八幡「……行くか」
どうせ、家にいても気になってモヤモヤしてしょうがないんだろう。
なら、まだ何かしていた方がマシだし、気が紛れるってもんだ。
俺は、参加するとメールで平塚先生に送る。
その後怖いくらい早く返事が返ってくるが、まぁそこは目を瞑る事にする。
送った後、本当にこれで良かったのかと、一瞬だけ脳裏を過った。
……いや、良いに決まってる。
別に、問題なんてない。
今の俺は、プロデューサーじゃないんだ。
ライブのなんて気にする必要もない。
見に行く必要もない。
あいつは、凛は、他のプロデューサーと頑張ってる。
なら、そこに俺が付け入る隙はもう無い。
あいつは、頑張ると言ったんだ。
だから、俺はただ、陰ながら応援するだけ。
俺はケータイの電源を切り、机の上に置く。
ベッドへ向かい、その身体を預けた。
もう今日は寝てしまおう。
目を瞑る。
そうすると、またあの子の顔が思い出される。
だが、俺にはどうする事できない。
こうして、
俺の最後のプロデュースは、終わった。
×
×
×
×
×
×
「キミ、アイドルのプロデューサーをやってみないかね?」
「お兄ちゃん! やろうよ! 小町が応募しておくよ?」
「そっか……私、個性が無かったんだ……確かに薄々…」
「それにしても、プロデューサーの制服姿ってなんか新鮮だね。似合ってるよ♪」
「久々に会った人には、最初に言う言葉があるでしょう。そんな事も分からないのかしら」
「…っあ! そっか! やっはろーヒッキー!」
「私も……プロデューサーついてないんですよ?」
「嫌いにも、なれそうにない」
「……私の言葉、表と裏……どっちだと思う?」
「確かに、専業主夫なら奥さんがアイドルでもやっていけるもんね」
「“友達”だからに、決まってんだろッ!!!」
「あーあー、いつになったら印税生活出来るんだろう」
「そうだねーっ! 杏ちゃんはすっごく頑張ってるよねー☆」
「私が顧問をしている部活を訪ねてみるといい。あそこには、頼れる子たちが揃っているよ」
「あったまえじゃん。お姉ちゃんがアイドルなんだよ? なら、アタシもアイドルになる」
「うん。……すっごい優しそうに笑うんだなーって、思った記憶がある」
「僕が、102回目だからね」
「さぁ、我が舞台の幕開けだ。……その能力、私に捧げてくれるか? 眷属よ」
「いやあなたですしおすし」
「他の人がどう言ってても、みくもPちゃんも、ヒッキーの事ちゃんと分かってるから!」
「……うん。プロデューサーさんは、私に色んなものをくれたから」
「その信頼がある故に、何かあった時の結果が怖い。……まぁ、そう感じているのは私くらいかもしれないけどね」
「お茶でもいいですし、大人になったら、お酒も酌み交わしましょう。……だから、これで最後だなんて言わないでください」
「さよなら」
「やはり、俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」
*
凛「歌いたい曲?」
目をパチクリと瞬かせ、疑問符を浮かべる凛。
八幡「ああ。曲のリストはもう貰ったよな」
凛「うん。これでしょ?」
ファイルから取り出した数枚の資料を、俺へと見せる。
そこには、ライブで歌う曲が記載されていた。
八幡「ユニットで歌うのが『お願い!シンデレラ』、『輝く世界の魔法』、『Nation Blue』、『ススメ☆オトメ~jewel parade~』」
凛「そしてソロで歌うのが『Never say never』とカバーの『蒼穹』、だね」
八幡「そうだ。そんで、上位枠はそれにプラスでもう一曲歌えるんだよ」
ソロの曲を持つアイドルは何人かいるが、上位枠でライブに参加するアイドルは少数だ。
その限られたアイドルには、更にもう一曲歌える権利を貰える。
八幡「『蒼穹』と一緒でカバー曲になるが、何か歌いたい曲はあるか?」
凛「歌いたい、曲か。そうだなぁ……」
うーんと唸る凛。
まぁ、大事なライブの一曲だ。そう簡単には思い浮かぶまい。
八幡「『蒼い鳥』とかは無しな」
凛「えっ、なんで!?」
いやホントに考えてたのかよ……
八幡「そりゃ、他のプロダクションの曲を歌えるわけねぇだろ。総武高の時とは違うんだぞ?」
凛「そ、そっか、うーん……」
八幡「……ま、ゆっくり考えとけ」
これは、いつかの思い出。
いつもの事務所で、いつもの二人で。
たまにちひろさんがコーヒーを淹れてくれて。
他のアイドルたちが絡んできたりもして。
今にして思えば、あの居場所がかけがえの無いものだったんだと分かる。
だがそれは、もう取り戻せないものだ。
だからこれは、思い出でしかない。
凛「あ……そういえば、個人的に好きな歌があって…」
八幡「へぇ、なんて曲なんだ?」
いつしか、この光景も忘れていくのだろう。
なら、気にする事はない。
ただただ、その時を待つだけの事。
ただ、その時を。
*
アニバーサリーライブ当日。
天気は快晴。ドームなのだから関係ないが、実にライブ日和の良い天候である。
だが、俺には本当に関係ない。
俺にとっちゃ、ただの補習当日である。
久しぶりに総武高校の制服に身を包み、ネクタイをしようとして、違和感を覚える。
そういや、俺学校じゃネクタイしてなかったな。していたのは最初の頃だけだ。
ここ最近、ずっとスーツだったから思わず手が動いていた。
俺はモヤモヤとした気持ちをネクタイと共にクローゼットに放り込み、部屋を出る。
リビングへは向かわず、そのまま玄関へと一直線に向かう。
朝飯も今日はいらない。
補習で出かける事も、小町には言っていなかった。
家の外に停めてあるチャリを用意し、サドルに跨がる。
そういや、こいつに乗るのも久しぶりだな。
いざ行かん、と漕ぎだした瞬間だった。
……チェーンが外れた。
八幡「………………歩くか」
仕方なしに、自転車を置いていく。
まぁ、別に補習だし、間に合わなくてもいいだろ。
てくてくと、道を一人で歩いていく。
普段であれば通学する生徒がいくらかいるもんだが、今日は日曜日。
生徒もいないし、道往く人も心なし少ない。
そうやって歩いていると、自然と考え事をしてしまう。
そして考えてしまうのは、やはり決まって一つだけ。
あの時の笑顔が、鮮明に映し出される。
八幡「……くそっ」
イライラする。
無性に苛立って仕方が無い。
気を紛らわせようにも、頭から離れない。
俺に、どうしろってんだ。
歩き歩き、ふと、立ち止まる。
…………なんか、補習とかアホらしくなってきたな。
よく考えたら、学校に行くのが面倒なのに何故休みの土曜にわざわざ行こうとしているのか。
それも、行けば平塚先生と二人きりでの補習。
人がいないというメリットも、元々ぼっちなのだから人がいようといまいと関係ない。
そう考えたら、途端に面倒くさくなってきた。
八幡「……行かなくていいか。別に」
俺は方向を変え、街の方へと向かう事にする。
気を紛らわせるなら、別に補習なんて嫌な事をする必要もない。
テキトーに街をふらついて、遊んだり買い物したりすればいい。
……おお、そう考えたらなんかウキウキしてきた。
よっしゃ、休みを満喫するぞー!
と、それまで引きこもり生活を送っていた事を完全に忘れ、俺は歩き始める。
本屋か、ゲーセンか、漫画喫茶か。アニメイトでも、とらのあなでも、なんだっていい。
とにかく、何か他の事をしていたい。
そんな俺の意味のない希望は、しかし叶う事は無かった。
電車に乗れば。
ポスター『○月△日! シンデレラプロダクション アニバーサリーライブ!!』
八幡「……」
店に入れば。
ラジオ『今日、あのデレプロのアニバーサリーライブなんですよ~』
八幡「…………」
街を歩けば。
街頭テレビ『いよいよ本日、シンデレラプロダクションのアニバーサリーライブ! 皆さん見に来てくださいね♪』
八幡「………………」
完全チケット制なんだから、当日に見に行けるわけないだろぉぉおおおッ!!!!
と、思わず心の中で島村にツッコミを入れてしまった。
本当に一体なんなんだ……
今日は、どこへ行ってもこんな感じだ。
いたる所でそのを目にし。
どこへ行ってもその名を耳にする。
本当に、一流のアイドルプロダクションだ。
元社員であった俺が言うんだから、間違いない。
……それだけに、鬱陶しい
ケータイを見て、時間を確認する。
ライブ開始まで、残り一時間ちょっと。
今は東京都内まで出ているから、ここからなら普通に間に合うな。
八幡「……なに考えてんだよ。この期に及んで」
行ってどうするというのだ。
行ったって、俺には何もする事はない。
何も、出来はしない。
俺はもうただの一般人で、プロデューサーどころか関係者でもない。
というか、行ったりしたらまたマスコミに何を言われるか。
そうだ、無駄な考えては捨てろ。
その為にも……
俺は、アニバーサリーライブの会場とは逆方向へと向かう。
バスでも、電車でも、タクシーでも、なんだっていい。
とにかく、違う場所へ。
間に合わない、所へ。
それから気付けば、どこかの駅にいた。
テキトーな場所で電車を降りてしまった為、駅名もよく確認していない。
一応都内ではあるようだが、正直初めて降りた駅なのであまり分からない。
ふらふらと歩き、待合室のような開けた空間を見つける。
人の少ない手頃な所に向かい、椅子へ座った。
時計を見る。
ここからなら、どうやったって間に合わない。
もうじきライブも始まる。
後は、時がたつのを待つだけ。
俺は一息つくと、背もたれに背中を預け、顔を上げた。
テレビ『さぁアニバーサリーライブの開演です! これからこの時間は、その様子を中継していきたいと思います!!』
八幡「……………………」
ここの駅は、待合室に大きなテレビが設置されていた。
いや完全に嫌がらせですよね?
そういや、確かにライブの一部を中継するみたいな事は言ってたな……
企画段階ではそんな話を聞いていたが、俺はあの事件のせいで途中から参加していなかった。
まさか、本当にやっていたとは……
正直、本当に嫌でしょうがない仕打ちだが、ここまで来ればもう関係ない。
何かの拍子に血迷ったとしても、ここからでは何も出来ない。
……ある意味では、これが俺に対する罰なのかもな。
何も出来ず、ただその光景を見せられる。
あいつの、歌う所を見る。
それは、今の俺にとっては地獄のような状況だと言えた。
なら、俺はそれを甘んじて受けるべきかもしれない。
椅子へと座ったまま、画面へとジッと目を向ける。
まだ、開演には幾ばくかの時間があった。
……凛のソロは、何曲目だったか。
無意味な思考を振り切るように。
俺は、その目を閉じた。
*
暗闇だ。
真っ暗で、何も見えない。
当たり前だ。目を閉じているのだから。
そうしていると、やけに耳に入ってくる音が鮮明になる。
自分が駅にいるという事を実感させる喧噪。
テレビから聞こえてくる、ライブ開演までの、中継模様。
そして、
「あー! も、もうライブ始まっちゃうよぉ……」
女の子の、声だった。
八幡「……」
その声に、思わず目を開ける。
特に大きな声ではなかったが、やけに通る声だった。
見ると、そこにいたのは一人の女の子。
歳は俺と同じくらい。私服だが、恐らくは女子高生。
キャスケット帽を被り、黒ぶちのメガネをかけている。
テレビ画面へと視線を向けているので顔はよく見えないが、たぶん可愛い。
印象としては、どこにでもいる普通の女の子。
島村を、なんとなく思い出した。
「はぁ、折角招待して貰えたのに……まだお仕事長引いてるのかな」
独り言を呟きながら、ケータイを見ている。
恐らくは誰かと待ち合わせをしていて、もう一人が遅れているのだろう。
しかしライブに招待して貰えるって……関係者か何かか?
するとその女の子はメールでも送り終えたのか、ケータイ(今時ガラケー)をしまうと、あろうことか俺の近くまで歩いてくる。
そして、二つ程離れた席に座るのだった。びっくりした……
どうでもいいが、座った時に帽子の隙間から赤いリボンが見え隠れしていた。
その様子に、なーんか既視感を覚えるのだが……思い出せん。
と、そこでテレビ画面から開幕の音楽が流れてくる。
いよいよ、アニバーサリーライブが始まるらしい。
隣では先程の女の子が「始まっちゃった……」と呟いている。
しかし、そちらへ視線を向ける余裕は無い。
ちひろさんが、アナウンスをしていた。
……あの人、事務員なのにそんな事までしてんのか。
後半は殆ど企画会議には参加していなかったとはいえ、さすがにこれは驚いた。
また、お給料弾むよとか言われたのだろうか。
ちひろさんのアナウンスが終わると、やがて、あのよく知ったメロディーが聞こえたきた。
やっぱり、最初の曲はおねシンみたいだな。
八幡「…………」
いた。
全員で歌う中、凛の姿を見つける。
会場からも特に野次などは無さそうだ。
その様子を見て、安堵と共に不安が募ってくる。
何処か、凛の調子が悪い。
見れば分かる。
動きはぎこちないし、声にも覇気が無い。
他の奴にとっては些細な違いかもしれないが、俺には分かる。
そりゃ、あんな事があったんだ。元のようにやる方が難しいのは分かる。
だがそれでも、何をしているんだという気持ちが湧いて出てくる。
そうさせたのは、俺なのに。
八幡「チッ……」
気付けば、拳を強く握っていた。
「あの、どうかしたんですか……?」
八幡「ッ!」
隣からの声に、思わずハッとなる。
見ると、先程の少女が心配そうな顔で俺の事を見ていた。
「凄く辛そうな顔で画面を見てましたけど……」
八幡「……いえ、大丈夫です」
平静を装い、その少女に対し言葉を返す。
どうやら、思わず声をかけられる程に酷い顔をしていたらしい。
だがそれにしたって、見ず知らずに人間にいきなり声をかけるなんてな。
余程のお人好しか、変わり者だろう。
「……アイドル、苦手なんですか?」
そのまま、少女は俺に話を振ってくる。
声にはどこか不安を混ぜたようなニュアンスがあり、同時に、俺を気遣ってるようにも感じた。
正直、話しかけられのは若干鬱陶しいが……今の俺は、どうかしていたらしい。
八幡「……好きだよ。自分で自分に引くくらいな」
正直に、そのまま言葉が口から出ていた。
同年代だし、敬語を使うのもアホらしかった。
「へ、へぇ…そ、そうなんだ……」
そして、女の子も引いていた。あっるぇー?
つーかお前も敬語無くなってんぞ……
俺が思わずジト目で睨むと、少女は慌てて弁解しだす。
「あ、あぁいや! い、良いと思うよ! きっとそう言って貰えるアイドルも嬉しいよ! うん!」
手をわたわたと振り、うんうんと頷いてみせる。
いや必氏過ぎない? なんか逆にその気遣いが痛い。
八幡「……そんなの、本人じゃないと分からないだろ。気持ち悪いと思って…」
「分かるよ」
八幡「っ……」
「私には、分かる」
思わず、目を見開く。
そう言った少女の顔が、いつぞやのアイドルたちと一緒で。
俺は、押し黙るしかなかった。
八幡「……そうか」
俺はぼつりと呟き、その後少しの間沈黙が続く。
そして、再び少女は俺に問うてきた。
「……ねぇ、あなたは、ライブへは行かなくて良かったの?」
八幡「……チケットが取れなかったんだよ」
「……そっか」
無論、嘘だ。
そもそもプロデューサーを続けていたら、顔パスで会場へ入れただろう。
だが、今は関係無い。
しかし少女は、俺のその答えでは満足出来なかったようだ。
「……本当に、それだけ?」
もう一度、俺に問いかける。
八幡「……何が言いたいんだよ」
「えっと…………何だか、私にはそう思えなかったから、かな」
言葉を選ぶように、ゆっくり話す少女。
本当に余計なお節介だ。
普段なら、無視していたって不思議じゃない。
……けれど、気付けば俺の口は勝手に開いていた。
八幡「……あんたなら」
「え?」
八幡「あんたなら、どうする?」
不思議と、俺は話しだしていた。
八幡「誰かの為に行動を起こして、でもそれは相手にとっては望んでいない事で、それでも止めるわけにはいかなくて……」
何がそうさせたのかは分からない。
それでも、俺は何故か少女に言葉をかけていた。
八幡「……合わせる顔が無い。あんたなら、どうする」
それはたぶん、懺悔のようなものだ。
まともな返しなんて求めちゃいない。
何故なら、俺はもう選択してしまったから。
だから、今更何を言われようが、変わる事はない。
「…………」
そして俺の言葉を聞いた少女は、俯いていた。
目を伏せ、口をつぐんでいる。
そして顔を上げたかと思うと、彼女はこう言った。
「わからない」
八幡「…………は?」
至極単純なその答え。
思わず、間抜けな声を出してしまった。
少女はタハハと笑い、頭をかいている。
いや、わからないて……
「……その時になってみないと、私がどうするかなんて分からないよ」
八幡「いやまぁ、そりゃそうなんだが…」
「でも、これだけは言えるかな」
少女は、俺を真っ直ぐに見つめ、その口を開いた。
「私はきっと、その人にも分かって貰おうとするよ」
少女は、微笑んでいた。
「その人が望んでいなくても、自分でやりたいと思ったから行動したんでしょ? なら、それを分かってもらおうと頑張るよ。私なら」
八幡「……思いっきり否定されても、か?」
「思いっきり否定されても、だよ」
そう言って、少女はまた笑う。
何故、そこまではっきり言えるのか。
仮定の話だから、そんな事が言えるんじゃないか。
最初はそう思った。だが、彼女の言葉には強い意志が感じられた。
俺なんかよりも、辛い事や大変な事を何度も乗り越えた、そんな強い意志が。
……けど、
八幡「……もう、遅いよ」
「え?」
八幡「俺は、もう選択しちまった。俺があいつに出来る事は、もう無い」
あいつの、凛の為に、俺はプロデューサーをやめた。
そしてそれが俺に出来る最後のプロデュースで、
プロデューサーを辞めた今、俺には何も出来ない。
しかし、それでも少女は言う。
「そんな事ないよ」
笑って、俺の背中を押すように。
言葉を、投げかける。
「その人の為にあなたは頑張った。……なら、次はあなたの為に何かすればいいよ」
八幡「俺の、為……?」
少女は、虚空を見つめ、懐かしむように言う。
「『未来は今の延長……だからこそ、今を大切に。悔いの無いように』」
静かに、それでも良く通る声で、彼女は言った。
その言葉は、すんなりと俺の胸の内へと入ってくる。
「……今のは、私の大切な人に言われた台詞なんだ」
そう言って、照れくさそうに笑う少女。
「その人がいたから、今の私がいる。……でも、その人が遠くにいっちゃう事になってね」
八幡「…………」
「その時、今の台詞を言われて……それがずっと、私の支えになってくれた」
改めて、俺に向き合う少女。
その瞳の奥には、確かな輝きが見えた。
「あなたは、今を大切にしてる?」
八幡「……俺は」
俺は、今を大切にしているのだろうか。
凛の為に。
凛のファンの為に。
凛の、将来の為に。
俺は大切にしてきた筈だ。
大切だから、俺は責任を取った。
……だがそれは、あくまでプロデューサーとして。
プロデューサーだから、俺は凛に、余計な感情を抱いちゃいけなかった。
プロデューサーとして、俺は責任を取ったんだ。
なら、今の俺は?
プロデューサーとして、俺にもう出来ることはない。
なら、比企谷八幡としての俺には、もう出来ることは無いのか?
……そんな事は、ない。
そんな事はないはずだ。
プロデューサーではなく、ただの比企谷八幡として。
俺の為に。
比企谷八幡として。
俺に、出来ること。
八幡「……未来は今の延長。だからこそ、今を大切に。悔いの無いように…」
なら……
俺は、どうしたい?
「おーいっ!」
その時、改札側から呼びかける声が聞こえてくる。
小走りで駆け寄ってくるのは、一人の若い男性。
スーツ姿でメガネをかけており、爽やかな印象。
何となく、十時愛梨のプロデューサーを思い出した。
恐らく、彼が待ち合わせをしていた相手なんだろう。
「あっ、もう! 遅いですよ!」
椅子から立ち上がり、抗議するように言う少女。
だが、別に本気で怒っているわけではないらしい。
何となく、俺もつられて椅子から立ち上がる。
「すまんすまん、前の仕事が長引いてな……あれ、そちらの方は……?」
その青年は俺に気付くと、それとなく少女に訪ねる。
「ふふ、熱心なアイドルファンです」
設置されたテレビに視線を向けつつ、ご丁寧にそう説明してくれる彼女。
いやいやいや。その説明だと俺完全にただのアイドルオタクみたいじゃないですか。否定できないけど。
俺が苦虫を噛み潰したような顔をしていると、青年は目を丸くし、その後微笑む。
「……そうか」
その様子は、何かに気付いたようでもあった。
「……なぁ、ちょっと音無さんに遅れるって電話してきて貰えるか?」
「え? 私がですか?」
「あぁ。……俺がすると、怒られそうだろ?」
もう仕分け無さそうに頼む青年を見て、少女は「分かりました」と言って頷く。
ケータイを取り出し、少し離れた所まで歩いて電話をかけ始めた。
その場には、俺と青年が取り残される。
「……その格好、今日は学校に?」
青年は、そう言って俺に訪ねてくる。
言葉には何となく、優しさが含まれているような気がした。
「ええ。……まぁ、行く途中で嫌になってサボっちゃいましたけど」
「それは頂けないな」
苦笑し、テレビへと視線を向ける青年。
「……ここにいて、いいのかい?」
八幡「…………」
微笑みながら、青年は問いかける。
俺は、沈黙で答えるのみ。
八幡「…………一個、訊いてもいいですか?」
逆に俺は、青年へと問うた。
「なんだい?」
八幡「あなたから見て、俺のやった事は……正しいと思いますか?」
「……そうだね」
とても難しい質問をされたように、彼は目を伏せる。
だが、答えは存外すぐに返ってきた。
「思うよ。君は、正しい事をしたと思う」
八幡「……」
「プロデューサーとして、ね」
彼は俺の方へと向き合い、真っ直ぐにその瞳を向けてくる。
「プロデューサーとして、最善の手だったと俺は思う」
それはつまり、個人の気持ちは捨ててという事。
彼は、暗にそう告げていた。
八幡「プロデューサーとして、ですか」
「ああ」
八幡「……なら、俺自身にとっての答えって、なんなんでしょうね」
俺の呟きに、しかし彼は笑って言う。
「……もう、答えは出てるんじゃないのか?」
それは、答え合わせのようなもの。
そうだ。
初めから、本当に最初っから。
俺は、ずっと気付いていた。
なら……
俺は、こんな所で何をしている?
そう思った瞬間、俺は動く。
青年へと真っ正面に向き合い、深く頭を下げる。
その行動に青年は面食らうが、お構い無しに告げる。
八幡「ありがとうございました」
しっかりと、お礼を言い、頭を上げる。
八幡「……彼女にも、お礼を言っておいてくれますか?」
その一言で、彼には伝わったようだ。
チラッとだけ電話をしている少女に視線を向け、その後微笑み、頷く。
「ああ。ちゃんと伝えておくよ」
その言葉に、思わず俺も笑いを零す。
すると、青年はポツリと呟いた。
「……君は、良い目をしているね」
思わず、目を見開く。
まさか、俺のこの目を褒めてくれる奴がいようとは。
八幡「皮肉ですか?」
「まさか。……大事なものを見据えている、良い目だよ」
八幡「……そんな事言われたの、初めてですよ」
俺は苦笑し、また軽く頭を下げる。
八幡「それじゃ、失礼します」
俺は、その場を後にする。
走れ。
とにかく走れ。
まだ、終わっちゃいないーー!
× × ×
「行ったか……」
青年は、以前微笑みながらその背中を見送る。
「あれ、もう行っちゃったんですか?」
背後からの声に青年が振り向くと、そこには電話を終えたのか、リボンの少女が立っていた。
「ああ。……春香にお礼を言っておいてくれって頼まれたよ」
「そうですか……私なんかの言葉が力になってくれたんなら、嬉しいな」
微笑み、少女は照れくさそうに言う。
「彼を見てたら、昔の自分を思い出したよ。頑張ってほしいなぁ」
「プロデューサーさんったら。そんな事言って、今後強力なライバルとなって立ち塞がるかもしれませんよ?」
「あはは、それは大変だ。敵に塩を送るような真似しちゃったかな……?」
そう言いつつも、二人の表情は明るい。
まるで、あり得たかもしれない未来の共演を、楽しみにするかのように。
一人の少年を、見守るのだった。
× × ×
走る。
駅の中を駆け、とにかく急ぐ。
足が、止まるなと勝手に動く。
正直、虫の良い話なんだとは思う。
俺はプロデューサーとして責任を取って、もう凛にしてやれる事はない。
そう、思っていた。
けれど、俺個人として。
比企谷八幡として、まだ出来る事があるんじゃないか。
かけてやれる言葉があるんじゃないか。
……いや違う。
俺が、俺の為にしたいのだ。
大した事じゃなくっても、とにかく、行動したい。
そう思ったら、いても立ってもいられなかった。
そうだ。
俺はプロデューサーである前に、
比企谷八幡なのだ。
なら、後は行動するだけだろう。
走れ。
とにかくーー走れ!
駅の中で、時刻表と駅周辺の見取り図を見つける。
それを確認し、現在の時刻と照らし合わせる。
もう既にライブは始まっている。
だが、凛のソロまではいくらか時間はある筈だ。
それまでに、あいつが歌う前に、何としてでも会いたい。
あいつに、この気持ちを伝えたい。
時刻表と時計を見ながら、算段を立てる。
電車は……ダメだな。次のに乗っても間に合わない。
しかも駅からもそれなりに距離があるし、そっからの足も問題になる。
バスも恐らくは似たようなもの。
会場近くまでは直接行けても、時間がかかるようじゃ意味がない。
なら、タクシーはどうだ?
……いや、距離があり過ぎる。超かっ飛ばしたとしてもギリギリだ。
今日は土曜。どう考えたって混むし、会場付近となったら尚更だ。
…………あれ?
八幡「……………………」
どう考えたって、間に合わなくね?
一瞬、思考が止まる。
間に合わねぇぇええええええええええッ!!???
思わず、その場でリアルに頭を抱えてしまった。
え、え、あんだけ威勢良く走り出しといて、間に合わないの?
何それ格好悪過ぎる。
いやいや、んな事言ってる場合ではない。
どうにかして、どうにかしてこの状況を打破しなければ。
どうする。考えろ、考えろマグカイバー……!
八幡「……………そういや」
そこで、思い出す。
あいつらにも、チケットは送っておいた。
なら、きっと会場にいる筈。
俺はケータイを取り出すと、スパムメールのような登録名を選択する。
……総武高の困った奴は、ここに頼むんだよな。
今にして思えば、確かに、あいつらは頼れる存在かもしれない。
なら、俺が頼み事をするのも、当然のことだ。
俺は、電話をかけた。
…………。
何度も、コール音が鳴り響く。
……出ないな。
と、俺が諦めかけた時だった。
子気味良い音と共に、着信に応答した旨が、画面に表示された。
由比ヶ浜『ヒッキー!? ヒッキーなのッ!?』
思わず耳から電話を離したくなる程の声量。
だが、こいつなら出てくれるって思ってたぜ。
八幡「ああ。そのヒッキーだ」
由比ヶ浜『もう! 心配したんだよ! 何も連絡寄越さないし! ってか、今どこ!? ライブには来ないの!?』
だから声デケーって。
いや、ライブ会場にいるから声大きくしてんのか?
……それはねーか。電話するんなら、さすがに会場は出ないと迷惑だろう。
八幡「落ち着け。それより、そこに雪ノ下はいるか?」
由比ヶ浜『え? ゆきのん? いるけど…』
八幡「代わってくれ」
由比ヶ浜づてでも良かってが、如何せん今は時間が無い。
とにかく、早く事を運びたかった。
由比ヶ浜は若干不服そうにしながらも、すんなり代わってくれた。
雪ノ下『もしもし。比企谷くん?』
八幡「雪ノ下。頼みがある」
雪ノ下『……代わってそうそう、いきなりね』
その声には呆れが多分に含まれていたが、どこか、安堵したような声音も感じる。
いや、雪ノ下に限ってそれはねぇか。
八幡「悪いが、時間が無いんだ。頼む」
雪ノ下『……なら、一つだけ確認させて貰えるかしら』
そう言った雪ノ下は、相変わらず良く通る声で俺に尋ねる。
雪ノ下『その頼みは、奉仕部への依頼? それとも、プロデューサーとしての頼み?』
八幡「……いや」
その問いに対する答えは決まっている。
俺は、はっきりと言葉を返す。
八幡「俺個人の、お前らへの頼みだよ」
奉仕部も関係なければ、俺はプロデューサーでもない。
これは、単なる俺の我が侭だ。
だから、こいつらしか頼めない。
雪ノ下『そう……』
俺の言葉を聞いて、なんとなく、雪ノ下は笑っているような気がした。
電話越しなのだから、実際どんな顔をしているかは分からない。
けれど、不思議とそう感じた。
雪ノ下『分かったわ。それで、頼みというのは?』
八幡「ああ。まず、どうにかして凛のソロの前に会場へ行きたい」
その後は簡潔に状況を説明する。
今現在いる場所。利用出来る交通手段では間に合わない事。
そして、凛のソロまでの恐らくの時間。
それを聞いた雪ノ下は、少しだけ考えた後呟く。
雪ノ下『まず無理ね』
ですよねー。
思わず、口からついて出そうになった。
雪ノ下『……けれど、どうにかするわ』
しかしそこはそれ。
やはり、雪ノ下雪乃は有能であった。
雪ノ下『発想の転換で、プログラムの方を変更して貰いましょう』
……は?
今、こいつは何と言った?
八幡「プログラムの変更って……お前、曲順を変えるって事か?」
雪ノ下『そのつもりで言ったのだけれど?』
いやいや、そんなしれっと言いのけられても。
雪ノ下『あまり使いたくは無い手段ではあるけど、アイドルの子たちにお願いしてみるわ』
八幡「お願いしてみるわって……あーでも、アイツらなら普通に承諾しそうで怖い……」
なんとなく、その光景が目に浮かぶ。
だがアイドルが良いと言ったからって、そんなに簡単に通るとも思えない。
しかし意外な事に、雪ノ下は自身満々に言う。
雪ノ下『あなたの名前を出せば、少しは良い返事を期待できるんじゃないかしら』
思わず、言葉を飲み込んでしまった。
まさか雪ノ下から、そんな事を言われる日が来るとは。
八幡「……どうだろうな。逆に反対意見が出るかもしれないぞ」
雪ノ下『さて、どうかしらね』
ふふっと、彼女は今度こそ確かに笑った。
全く……
ホントにこいつには、敵わない。
雪ノ下『それじゃあ時間も無いし、早速こっちは行動に移るわ』
八幡「ああ。すまんが頼む」
雪ノ下『それと最短の移動手段だけど、こちらで準備が出来次第連絡するから、そのまま待機していて頂戴』
は? 準備出来次第って、何を準備するんだ?
それを確認しようと口を開くが、しかし電話の向こうで相手が代わってしまう。
由比ヶ浜『ヒッキー! なんだかよく分からないけど、アタシも手伝うから!』
必氏にそう告げる彼女の声を聞いて、思わず苦笑が漏れる。
ホント、どこまで行っても“優しい女の子”だな。お前は。
八幡「……ああ。頼む」
由比ヶ浜『っ! ……うん!』
嬉しそうに返事をする由比ヶ浜を最後に、電話は切れる。
アイツらなら、きっと大丈夫だろう。
そんな気持ちが、確かにあった。
*
『西側駅出入口の駐車場にて待機』
由比ヶ浜のアドレスからそうメールが届いてきたのは、電話を切って10分後の事であった。
この簡潔なメール、明らかに雪ノ下が打ったものだと分かる。
まぁ、今は状況が状況だからな。
その命令通り、俺は指定された場所に立つ。
しかし雪ノ下が準備すると言った辺り、あいつが足を用意したって事だよな?
そうなると、まさかリムジンがお出迎えしてくれたりするんだろうか。
しかし、俺のその予想はある意味で大きく外れる事になる。
気付けば、猛スピードで近づいてくる車が一台。
駅前の急カーブをものともせず、まさかのドリフト。
そのまま俺の眼前へピタリと駐車し、エンジン音を唸らせる。
彼女は、その姿を現した。
平塚「乗りたまえ。急いでいるんだろう?」
いや、格好良過ぎねぇ? いやマジで。
今回ばかりは、惚れても仕方が無い。
その劇的過ぎる登場に俺は最初硬直していたが、ハッと我に帰り、ドアを開けて車に乗り込む。
直後、車は直ぐに発進しだす。
八幡「あの、場所は…」
平塚「心配ない。雪ノ下から聞いてるよ」
進行方向から目を離さず、そのまま答える平塚先生。
口には煙草をくわえており、それがまた相変わらずカッコイイ。
なるほどな。雪ノ下の言っていた移動手段とはこれの事か。
確かに、平塚先生の車なら並の車よりずっと速い。
でも、それならまだタクシーのが早かったんじゃ?
平塚「今日はライブの他にも、色々とイベントをやってるらしくてね。中々タクシーも拾えないそうだ」
と、まるで俺の心を読んだかのようなタイミングで声をかけてくる平塚先生。
そして、チラッと俺へと視線を向ける。
平塚「それとも、私の運転では不満かな?」
八幡「め、滅相も無い」
ふるふると首を振り、否定する。
やべぇな、やり辛い。
俺は一体いつあの話を振られるのかと、内心ビクビクしていた。
いや感謝もしているのだが、それ以上におっかなかった。
平塚「比企谷」
八幡「っ!」ビクッ
平塚「……何か、言う事があるんじゃないのかね?」
き、来たァ!!
やべぇよ、これ完全に怒ってるよ……
仕方あるまい。これ以上怒らせる前に、正直に謝っておいた方が吉だ。
八幡「…………ほ」
平塚「ほ?」
八幡「補習サボってすいませんでしたぁっ!!」
平塚「そっちじゃなぁーーーいいッ!!!」
瞬間、真横から拳骨が飛んできた。
ビルドナックルもびっくりの威力である。
俺が打たれた側頭部をさすっていると、平塚先生が呆れたように言ってくる。
平塚「私が言っているのは、君がプロデューサーとしてやった事だ」
八幡「……」
平塚「それ自体は咎めたりはしない。……だが、一言くらい相談してくれても良かっただろう」
そう言う平塚先生は、怒っているというよりは、悲しんでいるようだった。
どうして、生徒が先生に相談してくれないのかと。
まるでそう言うように。
八幡「……すいません」
平塚「……まぁ、いいさ。今はこうして力になれるのだから」
平塚先生は、笑う。
本当に、迷惑をかけてばっかりだ。
そしてふと、ケータイが鳴る。
着信は由比ヶ浜から。まぁ、雪ノ下からという可能性もあるが。
俺は確認の意味で平塚先生に視線を向けると、先生は構わないと首肯する。
画面をスライドさせ、俺は電話に出た。
八幡「もしもし」
ちひろ『もしもし? 比企谷くん?』
未央『本当に出た!』
卯月『由比ヶ浜さんからの着信だと、ちゃんと出るんですね~』
加蓮『もしかして、実はそういう関係だったり?』
奈緒『なっ……た、確かに前々から怪しいとは思ってはいたが…』
由比ヶ浜『え、えぇ!? いや、別にそういうんじゃなくて…』
美嘉『なんか、そうやって必氏に言い訳する方が怪しいような~?』
輝子『フヒ……八幡、こっちに来るの……?』
雪ノ下『ええ。……だから、そろそろ本題に移ってもいいかしら?』
電話に出たらアイドルだらけであった。
いや、お前らライブ中だろ!?
時間を確認する。
今のメンバーから考えて、恐らく今は楓さんが歌ってるのか?
ちひろ『比企谷くん。雪ノ下さん達からお願いされた通り、曲順は何とか変更出来そうです』
八幡「そうですか。……本当にありがとうございます」
またも、この人に迷惑をかけてしまった。
だが、ちひろさんは笑いながら言ってくれる。
ちひろ『何言ってるんですか。私と比企谷くんの仲ですよ♪』
その言葉に、俺も思わず笑みを零す。
八幡「……はい。……そういや、凛は?」
雪ノ下『安心して。ここにはいないし、事情も説明していないわ』
由比ヶ浜『一応、演出の手違いって事にして貰ったから!』
それは、また何とも不安になる言い訳だな。
だが、凛に言っていないのは助かった。
出来れば、俺の口から直接言いたい。
奈緒『そういうわけだから、早く来い!』
加蓮『それと、後でちゃんと説明して貰うからね?』
美嘉『そーそー。プロデューサー辞めるとか、アタシたちも納得してないし?』
輝子『八幡……待ってるから』
未央『まだまだ、言ってやりたい事がいっぱいあるんだから!』
卯月『凛ちゃんも、きっと待ってますよ!』
八幡「……お前ら」
その言葉を聞いて、感情が昂る自分を感じる。
今更、本当に今更なのに。
こいつらの臨時プロデュースをして、本当に良かった。
蘭子『……プロデューサー』
八幡「っ!」
そこで、初めて蘭子の声を聞く。
てっきり、別室で準備していると思ったのだが。
蘭子『その魂……解き放てっ!!』
顔が見えなくても、ノリノリで言ってるのが分かる。
……ホントに、意味分かんねぇよ。
けど、
八幡「……ああ。ありがとな」
充分、伝わった。
すると、電話の向こうで「デレたープロデューサーがデレたー」と大騒ぎ。
いやデレてねぇし。ただちょっと素直に感謝しただけだし。
……いや、それがデレたって言うのか。
思わず、自分で自分に笑ってしまった。
雪ノ下『そういうわけだから、あなたも急いで頂戴。変更したとはいえ、それでも時間ギリギリよ』
八幡『ああ。分かった』
由比ヶ浜『ヒッキー、頑張ってね!』
そして、電話は切れた。
あいつらに頼んで本当に良かった。
時間もそうだが……
こんなに、勇気を貰えるなんて。
と、そこで平塚先生がもう仕分け無さそうに言う。
平塚「比企谷。悪いが、私に出来るのはここまでのようだ」
言われて見ると、辺りは酷い渋滞。
これでは、もうまともに動けない。
平塚「ここからなら、直接走った方がまだ早い。行きたまえ」
八幡「分かりました。……平塚先生、本当にありがとうございました」
シートベルトを外し、お礼を言う。
だが、平塚先生はそれを何て事のないように笑い飛ばす。
平塚「何を言う。私は当然の事をしたまでだ」
八幡「教師が生徒の背中を押すのは当然の事……ですか?」
いつか、俺がプロデューサーになるのを悩んでいた時に言われた言葉だ。
普段のお返しとばかりに、俺は先回りして言ってやる。
平塚「いいや、違うな」
しかし、平塚先生はそれすらも違うと言う。
平塚「……“私”が“比企谷”を助けたいんだよ。当たり前だろう?」
そう言って、彼女は笑った。
八幡「……っ」
本当に、何でこの人は……
俺は無言で車から降り、扉を閉める前に言ってやる。
八幡「本当に、何で結婚出来ないんだよあんた!」
そして、思いっきりドアを閉めて走り出した。
後ろからは「な!? ちょっ、後で覚えてろよ比企谷ァー!!」という怒鳴り声が聞こえてくる。
が、俺はそれを無視。
そのまま走り続ける。
本当に、ありがとうございます。
……そろそろ、俺が貰っちまうぞマジで。
*
ケータイの地図をチェックしつつ、その足は止めない。
人の多い道を、ぶつからないように気を配りつつ、とにかく走る。
途中何度かぶつかりそうになり、転びそうになりつつも、それでも止まらない。
急げ、急げ!
息を切らしながら、俺は走り続ける。
時間を確認。
くそっ、このペースだとヤバイな……!
思ったよりも渋滞が酷かった為、雪ノ下の計算よりも近くまで車で行けなかった。
さっき平塚先生が言っていた通り、他のイベントやらが影響しているのだろう。
どうする? どうすれば……
と、そこで不意に声を聞く。
「お兄ちゃーーんっ!!」
それは、絶対に聞き逃す事も、聞き間違える事もない声。
声がした方を振り向けば、やはり、彼女が立っていた。
小町「お兄ちゃん! こっちこっち!」
妹の、小町だ。
八幡「小町!? なんでここに…」
とりあえず、近くまで走り寄る。
すると、そこで気付くが、小町はある物を携えていた。
八幡「これって…」
小町「うん。お兄ちゃんの自転車」
そこにあったのは、俺が今朝自宅に置いてきたチャリだった。
チェーンは、直っている。
小町「お母さんがお父さんに頼んで、直しといてくれたんだ。折角の休みにーってぼやいてたけど」
そう言って、クスクスと笑う。
っていうか、なんでお前…
八幡「由比ヶ浜に、聞いたのか?」
小町「うん。ここまでは、雪乃さんの家のリムジンで来たんだ」
小町が視線を向けた方を見れば、そこには黒いリムジンが停めてあった。
雪ノ下の奴、ここまで考えていたとはな……
さすがの俺も、舌を巻く。
小町「ほらほら、早くしないと!」
小町に促され、俺は自転車に跨がる。
確かにこれなら、こっからでも間に合うかもしれない。
小町「あっ! そうだそうだ。あとこれ……はいっ」
何かを思い出したかのように、小町は持っていたカバンからそれを取り出す。
それは、一本のネクタイとネクタイピンだった。
八幡「お前、これ……」
小町「さすがにスーツは無理だったけど……それ着けて、ビシッと行ってきなよ」
俺がプロデューサーになると決まった時、小町に選んでもらったネクタイ。
だけど、俺は……
八幡「けど、俺もうプロデューサーじゃねぇし…」
小町「なーに言ってんの」
小町は、俺の戸惑いを物ともせずに言う。
小町「小町はお兄ちゃんにそれを選んであげたんだから。だから、そんなの関係ないよ」
子憎たらしいくらい、可愛くウィンクしてそう言った。
八幡「……おうっ」
その場で、素早くネクタイを締める。
もうこの作業も慣れたものだ。
30秒とかからず終え、ネクタイピンで留める。
小町「さぁ、とっとと行っちゃえ!」
八幡「おうっ!」
思いっきり、ペダルを漕ぐ。
全力で、俺は自転車を走らせた。
八幡「愛してるぜ、小町!」
小町「私もだよ、お兄ちゃん! 特別に今だけ!」
俺の魂の叫びに対する答えはそっけなく、思わず泣きそうになったが、
それでも、今は背中を押してくれる。
なら、俺は頑張れる!
*
漕ぐ、漕ぐ。
ペダルを全力で踏みつけ、自転車を走らせる。
もう、体力も限界に近い。
ゼェハァと、息が切れる。
けれど、そのスピードは緩めない。
ライブ会場まで、もうそう距離は無いはずだ。
このまま行けば、間に合、うッ……!?
ガクンと、力が空回りするのを感じた。
軽くコケそうになり、足を踏み外したのかと錯覚したが、そうではないらしい。
見れば、チェーンがまた外れていた。
親父ぃーー!?
やっつけ仕事かオイ!!
……まぁけど、
八幡「ありがとよ畜生ッ!!」
近くにあった駐輪場付近にチャリを乗り捨て、再び走り出す。
若干申し訳ないが、今は事態が事態だ。
ちゃんと後で回収しておく。材木座が!
限界が近い足で、走る。
くそっ、こんな事なら、普段からもっと運動しておくんだった。
そんなテンプレな後悔を胸に抱きつつ、それでも足は止めない。
とにかくひたすら、走れ。
八幡「…っ………く……!」
こうして走っている間にも、
思い出すのは、一人の女の子。
『ふーん、アンタが私のプロデューサー? ……まぁ、目が腐ってるとこ意外は悪くないかな…。私は渋谷凛。今日からよろしくね』
『隣で私のこと……見ててね』
『なんで私も連れてってくれなかったの!?』
『いやいや、その前に、プロデューサーの正式な担当アイドルは私だからね?』
八幡「っ……はぁ……ッ!」
走れ……
『ここまで来れたのは、プロデューサーのおかげ。…………ありがとう、プロデューサー』
『ホント、プロデューサーは腐った目の割に、よく見てるよね』
『い、一番、大切な人…………ふーん、そっか。そうなんだ……』
八幡「……っ……はぁ……はぁ……!」
走れ。
『ずっと……こんな日が続くといいね』
『じゃあ…………私、頑張るから』
八幡「くそっ…………っ…!!」
走れーー
『さよなら』
八幡「っ……ぐっ……あぁぁあああああああッ!!!」
走れッ!!!
ただただ、走り続ける。
恥も外聞も、何もかもを捨てて、ひたすら。
柄にも無いと思う。
けど、
そんな事、考えてる余裕も無かった。
ーーそして、見えてくる。
シンデレラプロダクション、アニバーサリーライブの会場が。
凛が、いる場所が。
八幡「はぁ…はぁ…………やっと、着いた…」
息を整えつつ、とりあえず時間を確認。
大丈夫だ。まだ雪ノ下が言っていた時間まで少しある。
何とか、間に合った。
八幡「つーか…はぁ……どこに、行けばいいんだ……?」
会場に入るのはいいが、真っ正面から行ったって警備員に止められる可能性がある。
雪ノ下たちが説明してくれているといいんだが……
……つーか、全力疾走のダメージが案外キツい。
ちょっと吐きそう。
フラフラとおぼつかない足取りで歩き、会場玄関をくぐる。
会場内に入れないとはいえ、辺りには人が多い。
ライブを見れなくとも、声を、一目でも、というファンで溢れていた。
正直ゴシップ記事で顔バレしているから、気付かれないかと不安だったが……バレる様子はない。
安心したけど、それはそれで複雑だな。
所詮は、俺への興味などその程度なのだろう。
凛が解放された今、そのプロデューサー等どうでもいいらしい。
とりあえず一番可能性の高い、関係者以外立ち入り禁止の所まで行ってみたが……
やはりというか、警備員に止められた。
八幡「いやだから、確認して貰えれば分かる筈なんです」
警備員「君ね、そんな言い訳こっちは飽きる程聞いてきたわけ。大体、君みたいな若い関係者見た事無いよ」
七面倒とばかりに言う警備員。
いや確かにその通りだから困る。ぐうの音も出ん。
いやはや、俺が困っていると、しかし女神は現れた。
未央「警備員さん、その人は大丈夫だよ☆」
卯月「ちゃーんと関係者ですから、安心してください♪」
島村と本田が、そこにいた。
八幡「お前ら……」
警備員「しまむーにちゃんみお……!? あ、これは失礼しました!」
思わず素に戻った警備員が、慌てて謝罪する。
つーか、お前もアイドルオタクかい……
卯月「やっと来たんですね。凛ちゃん、まだ控え室にいる筈ですから」
未央「ちゃちゃっと行ってきなよ。ここは私たちに任せてさ」
そう言って、二人は道を指し示す。
この先へ行けば、凛がいる。
……思えば、この二人は凛に次いで長い付き合いのアイドルになる。
もしかしたら、凛ではなくどちらかのプロデューサーとなっていたかもしれない。
二人は俺の事を、プロデューサーだと最初から言っていた。
なら、俺も、誠意を持って答える。
例え、今はプロデューサーじゃなくっても。
八幡「……ありがとな。卯月、未央」
本当に感謝の気持ちを込めて、言う。
そして俺の言葉に二人は驚き、やがて微笑む。
未央「全くもう。……言うのが遅いよ!」
卯月「今それを言うなんて……ずるいです」
悪いな。
素直じゃないのが、俺なんでね。
俺は苦笑し、歩き出す。
警備員が一瞬止めにかかるが、それも卯月と未央に制される。
後は、二人に任せよう。
後は、この先へ向かうだけだ。
*
何処からか、歓声が聞こえてくる。
きっと、今頃ライブは最高潮になっているんだろう。
それに引き換え、裏側は静かなものだった。
廊下を歩く内に、会場の奥へと自然と進んでいく。
控え室付近は人が少なく、ほとんどのスタッフが出払っているようだ。
俺は、凛の姿を探して歩き続ける。
コツコツと、俺の足音が響く。
そして、
それと重なるように、扉の開く音が聞こえた。
八幡「……っ…」
その後ろ姿は、見間違えるはずがない。
やや茶色みがかった、長い黒髪。
蒼を基調とした、ゴシック衣装。
渋谷凛が、そこにいた。
まだ、凛は俺に気付いていない。
そのまま、ステージへと歩いていく。
どうした。声をかけろ。
躊躇ってんじゃねぇ。
何の為に、俺はここへ来た?
八幡「ーーーー凛ッ!!」
凛「ーーーーっ」
俺は叫び、そして彼女は、立ち止まった。
凛「…………何しに、来たの」
凛は、振り返らない。
俺に背中を向けたまま、問いかけてくる。
八幡「……お前に、ちゃんと話そうと思って来た」
俺は静かにそう告げる。
だが、凛はその言葉が気に入らなかったようだ。
凛「ーーッ!!」
バッと振り返り、一心に俺へと視線をぶつける。
その顔には哀しみと、それ以上に怒りが込められていた。
凛「今更! ……今更、何を話すって言うの?」
今にも泣き出しそうで。
溢れる思いを、堪えられないようで。
彼女は、言葉を俺へぶつける。
八幡「……すまん。お前からすれば、身勝手な事を言ってるのは分かってる」
だから俺は、それに答える。
自分の全てを以て。
八幡「けど……俺はどうしても、お前に伝えたい事がある。……だからここに来たんだ」
凛「伝えたい…こと……?」
呆然と呟く凛。
しかしやがて、僅かな希望を見つけたかのように、俺へ問う。
凛「もしかして……また、私のプロデューサーに…………?」
八幡「…………」
それはきっと、本当に望ましい未来なんだろう。
俺も、心からそうありたいと思う。
……でもそれは、お伽噺でしかない。
八幡「……いや」
だからーー
八幡「俺は、プロデューサーには戻らない」
凛に、ちゃんと伝えるんだ。
凛「ーーっ」
目を見開き、口をつぐむ凛。
希望を断たれ、もう何も受け入れられないように、立ちすくむ。
けど、そうじゃないんだ。
俺はプロデューサーとしてではなく、
比企谷八幡として、ここへ来た。
八幡「俺はもうプロデューサーじゃない。……けど、それでもお前に伝えたい事がある」
凛「……さっきからプロデューサーは何をっ…」
八幡「だから、プロデューサーじゃねぇって」
凛の言葉を、俺が断じる。
すると凛はあからさまにムッとなり、不機嫌さを隠そうとせずに言う。
凛「なら、八幡」
八幡「う…」
凛「八幡は、私に何を言いたいの?」
毅然とした態度でそう言う凛。
ここでまさかの名前呼び。
いや、確かにプロデューサーじゃないとは言ったが、さすがに予想外である。
何気に、名前で呼ばれたのは初めてであった。
八幡「ああーっとだな……」
我ながら情けない。
名前で呼ばれた程度で、ここまで動揺するとは。
気を取り直して、言葉を選ぶ。
八幡「……ここで少し、俺の友達の話をしていいか」
凛「…………」
凛は思いっきり怪訝な顔をするが、その後首肯する。
良かった、ここで断られたらどうしようかと思った。
俺は、ゆっくりと語り出す。
八幡「……その友達は、ぼっちでな」
凛「…………」
八幡「昔っから人付き合いが苦手で、忘れられ、いない者として扱われるのがざらだった」
凛「…………」
八幡「ずっとそうやって生きてきて、人を信じるのも嫌になって、人を好きになるのも……怖くなっていった」
凛「…………」
八幡「そんな時、出会うんだ。一人の真っ直ぐな女の子と」
凛「…………」
八幡「最初は、気まぐれか気の迷いか、その子を支えてやりたいと思った。どうせ裏切られても、また一つトラウマが増えるだけだからな」
凛「…………」
八幡「けど、いつしか気付くんだ。その子の存在が、自分の中で大きくなっていく事に」
凛「…………」
八幡「その女の子は、そいつにとっては初めて感じる程尊い人で、失いたくなくて、かけがえの無い存在になった」
凛「…………」
八幡「でも、その子の未来は、そいつ自身の手で摘み取られちまった」
凛「……っ、それは……!」
八幡「だから、最後まで聞けって」
凛「っ………」
八幡「……本当に、絶望する思いだったんだろうな。辛くて苦しくて、後悔が募るばっかりだった」
凛「…………」
八幡「だから、俺がどうなってでも、何もかもを捨ててでも、女の子を助けた」
凛「…………」
八幡「そこに後悔はない。プロデューサーとして、俺は責任を取った。それ事態は、俺は間違っているとは思わない」
凛「…………」
八幡「けど、気付いちまったんだ」
凛「………え…?」
八幡「プロデューサーとして答えを出した後…………どうしようもないくらい、俺自身が悔やんでる事に」
俺は、凛の目を真っ直ぐに見て、言う。
八幡「プロデューサーとして、俺は最後までプロデュースを貫いた。……だから、俺は俺として、比企谷八幡として、この気持ちを伝えたい」
凛は、彼女は本当に真っ直ぐで。
こんな俺を信じてくれて。
ずっと隣に立っていてやりたくて。
いつまでも支えてやりたくて。
だから、だからこそ俺は。
そんなお前がーー
八幡「ーーーー好きです」
プロデューサーではなく。
ただの比企谷八幡として。
八幡「あなたのことが、好きです」
俺は、俺の気持ちを伝えた。
凛は、何も言わなかった。
ただ呆然と、立ったまま。
そして、何かに気づいたように。
何かと、向き合うように。
彼女は、きゅっと拳を握った。
俺は、その間もずっと、凛を見つめていた。
やがて、凛は顔を伏せる。
長い髪で、その表情は伺え知れない。
ぽたっと、雫が落ちた。
しかし、凛は直ぐさま目元を拭い、顔を上げる。
俺と同じように、真っ直ぐに俺の目を見つめ、告げる。
凛「ーーーーごめんなさい」
それは、いつかと同じ、哀しそうな笑顔だった。
凛「……私は、プロデューサーと約束したから。トップアイドルを目指すって」
八幡「…………」
凛「だから……今は無理、かな」
八幡「…………そうか」
凛は笑い、
そして俺も、思わず笑みが零れた。
……お前なら、そう言ってくれると思ってたよ。
だからこそ、俺は比企谷八幡としての気持ちを伝えられたし。
プロデューサーとして、最後までプロデュースできたんだ。
やがて、ステージへと繋がる会場入り口からコールが聞こえてくる。
凛を呼ぶ声。
恐らく、雪ノ下たちがギリギリまで時間を稼いでくれたんだろう。
もう、本番まで時間は無い。
八幡「……呼んでるな」
凛「うん……そろそろ行かなくちゃ」
八幡「大丈夫か? いきなりステージに直行で」
俺が笑いながら聞くと、凛もまた、笑って返す。
凛「当たり前だよ。誰に言ってるの?」
八幡「……そうだったな」
そうだ。
俺は知っている。
彼女の強さを。
その、美しさを。
凛「……歌、聴いてってね」
八幡「それこそ、当たり前だ」
何たって俺は、
凛の、ファン第一号だからな。
その一歩を、踏み出す。
凛はスタジオに向けて。
俺は反対へ。
お互いに振り向かず。
二人は、歩き出す。
×
×
×
×
×
陽の満ちるこの部屋
そっとトキを待つよ
気づけば俯瞰で眺めてる箱
同じ目線は無く
いつしか心は白色不透明
雪に落ちた光も散る
雲からこぼれる冷たい雨
目を晴らすのは遠い春風だけ
アザレアを咲かせて
暖かい庭まで
連れ出して 連れ出して
なんて ね
幸せだけ描いたお伽噺なんてない
わかってる わかってる
それでも ね
そこへ行きたいの
胸に張りついたガラス 融けて流れる
光あふれる世界
もうすぐ
ひとりで守っていた小さなあの部屋は
少しだけ空いている場所があって
ずっと知らなかったんだ
ふたりでも いいんだって
わからずに待っていたあの日はもう
雪解けと一緒に春にかわっていくよ
透明な水になって
そうして ね
アザレアを咲かすよ
長い冬の後に
何度でも 何度でも
陽の満ちる
この部屋の中で
× × ×
アイドル。
それは人々の憧れであり、遠い存在。
しかし、それも全てではない。
写し出された光景が真実のみとは限らない。
本当に性格が良いのか。恋人がいるのではないか。裏では汚い真似をしているのではないか。
そんな誹謗中傷は当然の事だ。
……だが、俺は知っている。
彼女らは懸命で、美しく、真っ直ぐだった。
もちろん、俺が見たものも全てではない。
俺が知る意外の所にも、アイドルの存在はいる。
もしかしたら俺の周りが特別だっただけで、本当のアイドルとは、やはり俺の知るものと違うのかもしれない。
……だが、そんな事はどうだっていい。
少なくとも俺は知っているんだ。
彼女たちが、人々に希望を与え、輝きを見せる存在だと。
そう信じて、疑わない。
少女がその輝きに憧れを抱くのは当然で、
夢を与える彼女らは、遠いからこそ、その場所を目指す。
そんな彼女らの力になれた事は、きっと俺の財産となる。
ずっと誇りに持って、生きていける。
その出会いに後悔は無いし、あるとすれば、それは感謝のみ。
……だから、俺は今でも胸を張ってこう言える。
八幡「凛ちゃんマジ女神」
学校への道を、一人歩く。
今日は月曜日。アニバーサリーライブから、既に二日が経過していた。
ipodから流れる音楽を耳に、その足を進める。
何故チャリではないのか? それは至極簡単な事。
……引き上げるの忘れてた。
一応翌日に思い出して見には行ったのだが、当然ながらそこには何も無かった。
そりゃ、不法投棄もいいところだもんな。むしろ何故わざわざ確認しに行った俺……
なので、今日は歩いて学校へ向かう。
大分早い時間に出たので、遅刻する事は無いだろう。
早くチャリ買わないとな……
幸い、蓄えはある。
あの後、ライブは無事成功。
凛も、それまでの不調が嘘のように抜群のパフォーマンスを見せた。
俺は卯月や未央の計らいで、特別席で見させてもらった。
金も払ってないのに申し訳なかったが……まぁ、元プロデューサーの権限という事にして貰おう。
それよりも、アイドルたちへの説得の方が大変だったな。
けど、これは俺が決めた事だ。
最後まで、プロデューサーとしてやり切った。
なら、もう思い残す事もない。
……俺自身としても、もう踏ん切りはついたからな。
気持ちの良い風を頬に受けながら、俺はそのまま歩く。
たまには、こうして通学するのも悪くない。
音楽を聴きながらってのもまた…………あれ。
八幡「……うわ、電池切れかよ」
不意に音が止まったので確認してみると、画面には充電切れのマーク。
昨日、充電器に繋いでおくのを忘れていたらしい。
八幡「マジか。ついてねぇな…」
その時、ひと際強い風が吹き付けてくる。
今歩いていたのは丁度見晴らしの良い坂道で、時折、こうして強い風が吹いてくるのだ。
俺は思わず目を瞑り、風が通り過ぎるのを待った。
やがて風は吹き止み、俺は、ゆっくりと目を開ける。
八幡「ーーっ」
瞬間、俺は目を疑う。
数メートル離れた、少し俺よりも高い位置。
木漏れ日の中、彼女は、そこに立っていた。
八幡「…………凛」
凛「おはよ、プロデューサー」
長い髪をなびかせ。
いつもの制服に身を包み。
彼女は、渋谷凛は微笑んでいた。
凛「あっ……もうプロデューサーじゃないんだっけ」
凛は自分の台詞にハッとなると、少しだけ恥ずかしそうに言う。
凛「えっと……八幡。…………なんか、改めると恥ずかしいね。この前は平気だったのに」
いや、その様子は大変可愛らしいのだが…
そんな事はこの際どうだっていい。
八幡「いや、お前こんな所で何してんだよ」
俺は至極当然の疑問をぶつける。
しかし、それに凛は何て事のないように答えた。
凛「何って…………プロデュ、じゃなくて、八幡に会いに来たんだけど?」
首をかしげ、本当に不思議そうに言う。
いやだから、そうじゃなくて!
八幡「いや、あんな事あったら、普通もう会わないんじゃねーの?」
凛「え? なんで?」
八幡「なんでって、そりゃお前、あれだよ。………あれ、俺がおかしいの?」
なんか、凛がさも当然のように言うもんだから俺が間違っているような気がしてきた。
いやいやいや、そんな事はない。
凛「……なんか勘違いしてるようだから、ちゃんと言っとくね」
凛はジト目で俺を睨んだかと思うと、その後目を閉じる。
そして、ゆっくりと語り出した。
凛「私ね。プロデューサー……じゃなくて、八幡の自分を顧みない所が、嫌い」
八幡「うぐ……」
凛「捻くれ過ぎてるのもどうかと思うし、変なとこで頑固だし、正直引く」
え? なんなのこれ?
もしかして俺、現在進行形でトラウマ刻まれてる?
この間女の子に振られ、そして今日同じ子に罵倒される奴がそこにいた。
凛「ぶっちゃけ私服のセンスも微妙だし、妹思いもいいけど、過度なシスコンは気持ち悪いかな」
八幡「ぐ……」
凛「その上、女の子にも気が遣えない」
凛は、言葉を止めない。
凛「自分が泥を被って、それで勝手に満足して」
八幡「っ………」
凛「周りにどう思われても、自分をちゃんと持ってて」
八幡「…………」
凛「大切なものを、どんな事をしてでも護って……」
凛は、その瞳を俺へと向ける。
凛「誰よりも、優しくて」
どこまでも真っ直ぐで。
ただ、一心に。
凛「ーーーー私は……そんなあなたが、大好きです」
彼女は、そう告げた。
俺は、言葉が出なかった。
ただただ、目を見開いて。
彼女の、微笑む顔を、見つめるのみ。
頭が理解するよりも早く。
胸の奥が、
熱くなっていくのを、感じる。
勝手に、涙腺が緩む。
八幡「……っ……お前、この前言ってた約束はどうなったんだよ…」
かろうじて、言葉を絞り出す。
だが、その声は情けない程にか細い。
凛「言ったでしょ? 『今は無理』って」
確かに、彼女は言っていた。
だけど、いやそれって……なんかずるくねぇ?
凛「だから、待っててほしいんだ。私がトップアイドルになるまで」
凛は、何て事の無いように言う。
それがどれだけ大変で、難しい道のりだと分かっていながら。
平然と、言ってのける。
凛「プロデューサーと、私はトップアイドルになるって約束した」
八幡「……ああ」
凛「だからそれが叶ったら……今度は、八幡との約束を叶えたい」
凛の顔を見れば、分かる。
こいつは、本気で言っているんだ。
八幡「……まだ、約束なんてしてねぇだろ」
凛「……ふーん。じゃあ、八幡は待っててくれないんだ」
八幡「いや、そうは言ってねぇけど……」
凛「じゃあ、約束ね♪」
そう言って、凛は珍しく無邪気に笑った。
照れたように、それでも、何処か嬉しそうに。
その笑顔を見ていたら、なんかどうでも良くなってしまうのだから、本当にずるい。
凛「……よく、人を好きになるのに理由はいらないって言うけど、私はそうは思わないな」
本当に思いついたように、凛は呟く。
凛「好きになる理由なんて、いくらでもあるよ。むしろ、あり過ぎて困るまであるかな」
八幡「……なんだそりゃ」
凛「プロデュ、……八幡は、違うの?」
そう訪ねられて、俺は思わず押し黙る。
人を好きになる理由、か。
八幡「…………」
凛「…?」
八幡「……知るか」
凛「あっ、ちょっと!」
俺は誤摩化すように早足で歩き、凛の横を通り過ぎる。
本当に、痛い所を突く奴だ。
……マジであり過ぎて困るんだから、何も言えねぇよ。くそっ。
その後、二人肩を並べて歩いていく。
だがもう少しで学校だ。生徒に見られる前に、離れた方が良い。
……けどそれでも、出来るだけはこうしていたい。
俺も、凛も。
その気持ちは、確かにお互いに感じ合っていた。
凛「プロデューサーは、ガラスの靴をくれた、って感じはしないかな」
八幡「なんの話だよ。つーか、プロデューサーじゃねぇ」
特に意味の無い会話をし。
たまに軽口を叩き合って。
お互い、笑い合う。
凛「なんだろ…………動き易い運動靴……というかむしろ、安全靴をくれた、とか?」
八幡「夢も希望もねーな」
今の俺と凛は、ただの人と人。
アイドルとプロデューサーでもない。
ましてや、友達でも、恋人同士でもない。
凛「……いや、プロデューサーはどっちかっていうと…」
八幡「今度はなんだ?」
凛「ガラスの靴はくれなかったけど…………裸足で、一緒に歩いてくれたって感じかな」
八幡「……なんか、ちょっと納得しちまったのが嫌だな」
元々は、プロデューサーとアイドル。
だが、今は俺はただの高校生で、彼女はアイドルのままで。
それでも、そうさせたのは俺自身。
後悔はしていない……が、どこかおかしい。
やはり、俺のアイドルプロデュースはまちがっている。
だからーー
凛「ねぇ、聞いてるプロデューサー?」
八幡「……だから、プロデューサーじゃねぇって」
俺たちの青春ラブコメを、始めよう。
了
*
アイドル。
それは人々の憧れであり、遠い存在。
テレビの向こう側、雲の上の人、女の子の永遠の夢。
人によってその表現は違うが、どれもが自分とは別の世界のように語る。
それもそうだ。目にする事はあっても、そこに自分と同じ現実味などそう簡単には抱けない。
自分と同い年の少年が、甲子園に出ているように。
自分となんら変わりない少女が、コンクールで受賞されるように。
画面の向こうというだけで、どこか遠く感じてしまう。
前編はこちら
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「これで最後、だね」【前編】
552 :2014/07/12(土) 02:15:00.54 ID:Gl0S96aK0
そして、自分と“偶像”との距離を鮮烈に感じた時。
きっと誰しもが自問自答を繰り返すだろう。
俺は、このままでいいのか?
私は、何をやっているんだ?
その自分自身への問い掛けは、自然と俺たちを“ふるい”にかける。
数回で折り合いをつける者は、そのまま何事も無く人生を送るだろう。別に悪い生き方ではない。
数十、数百と葛藤を続けて生きて行く者は、いつしか何かを成すかもしれない。辛いが、やりがいはあるだろう。
そして一度の問いで答えを出す者は、酷く少ない。
しかしそれは、決して諦め妥協する事ではない。誰だって、自分の夢を奇麗さっぱり忘れる事など出来ない。少なからず、その問いと向き合いながら生きて行く。
だからきっと、一度で答えを出せる者はーー
ーー形振り構わず決心出来る、本当に“夢見る”者なのだろう。
553 :2014/07/12(土) 02:17:18.70 ID:Gl0S96aK0
まぁ別に、だからと言って誰々があーでこうだの言うつもりもない。
いつの間にか、俺は沢山のアイドルと触れ合ってきた。
それぞれが自分の信じるものや、譲れないものを持って、懸命にアイドルをやっていた。
そこにきっと優劣は無いし、差別も無い。
俺が何かを言うには、おこがましい程の輝き。
その輝きを、確かに俺は知っている。
例えば、独りの夜に勇気をくれた笑顔の少女。
例えば、勘違いする程に居心地の良い場所をくれた二人の少女。
例えば、俺の隣で、俺を信じて、俺を見てくれている少女。
彼女達のおかげで、この世には確かに“本物”があるって事を、俺は信じることが出来た。
……まぁ、あの二人は別にアイドルではないがな。
かつて苦手意識を持っていたアイドルという存在を、俺は今は受け入れられている。
もちろん、俺が知ってるアイドルが全てではないだろう。
けれど、俺がアイツのプロデューサーでいる限りは、信じていたい。
554 :2014/07/12(土) 02:19:03.78 ID:Gl0S96aK0
アイドルとは、偶像で、憧れで、遠い存在。
そして、夢なのだと。
まぁ、つまりだ。
何が言いたいかって言うと……
八幡「忙し過ぎてハゲそう……」
555 :2014/07/12(土) 02:21:05.29 ID:Gl0S96aK0
ー 月曜 monday ー
シンデレラプロダクション、その事務スペースの一角に、俺はいた。
否、屍が一体。
八幡「……もう昼か」
机に突っ伏したまま時計を確認。
見れば、丁度針が正午を回った所であった。
机の上には企画書やら報告書やらの書類が散らばっており、正直コーヒーのカップを置く所でさえ迷う程だ。
俺はそんな机の上に、無理矢理頭を預けている。結果ノートパソコンを前の席にはみ出す程押しのける形になったが、問題無いだろう。ちひろさんのデスクだし。
しかし、おかしい。
朝出社して、9時過ぎにはレッスンをやってる凛の所まで行こうかなーなんて考えていたのに、今はお昼過ぎだ。ふむ今一度状況を整理しよう。
556 :2014/07/12(土) 02:23:01.11 ID:Gl0S96aK0
とりあえず身の回りの書類の整理をしていたら、お世話になってるテレビ曲のディレクターさんから電話がかかってきて、良いお話を頂けたから直ぐさまスケジュール調整。それが終わったと思えば、今度は前に載せてもらったファッション雑誌の編集さんが挨拶周りにやってきてその対応。ようやく終わり、書類整理を続けようとした所で某有名歌番組からの急なオファーが舞い込み、急いで企画書を作る。やっと完成。←今ここ!
結局書類整理が終わらんがな!
アニバーサリーライブまでもう二ヶ月を切った。それに加えて凛の人気のアップ。
そう考えるとこの忙しさも納得出来るが……それにしたって体が追いつきませんもの。13人なんてプロデュースした日には発狂もんである。
そんなこんなで、俺は凛のレッスンを見に行く事も出来ずにお昼を迎えるのであった。
八幡「疲れて腹も減らんな……」
何か食おうかとも思ったが、別にそこまで腹も減っていないのでパスする事にする。
さっさと書類整理を終わらせて、午後の仕事に備えた方が良いだろう。
と、そこで視界にある書類の山へ陰がさす。
まだ日が落ちるには早過ぎる。何かと思い顔を上げると、そこには小人を肩車する巨人がいた。違うか。
きらり「にゃっほーい! はっちゃんおはよー☆」
杏「ちーっす」
八幡「……よぉ」
557 :2014/07/12(土) 02:24:47.68 ID:Gl0S96aK0
双葉杏と、諸星きらり。
最近何かと一緒にいる二人が、そこにいた。
つーか、肩車って……
いくら小柄とは言え、同年代を肩車出来る女子はそうはいないぞ?
何、きらりってもしかして夜兎の一族とかなの?
杏「なんかお疲れみたいだねー」グデー
八幡「……」
いや、そんな状態で言われても馬鹿にされてるとしか思えないんだが。
きらりの頭の上に顎を乗せ、これ以上無いくらい緩み切った顔の杏。
この間まで抵抗を見せていたと言うのに、今では懐柔された猫のように丸くなっている。チョロイン乙。
八幡「ちょっと仕事が溜まってたんでな。少し休んでただけだよ」
そう言って、手近な書類に手を伸ばす。
しかしその様子を見て、俺の行動に異を唱える者が一人。
きらり「ダメだよはっちゃん! お昼まだでしょー?」
担いでる杏をものともしない程の早さで詰め寄ってくるきらり。その反動で杏がガックンガックン揺れている。ちょっと面白い。
つーか前から思っていたが、はっちゃんて何だはっちゃんて。潜水艦か俺は。
558 :2014/07/12(土) 02:26:25.49 ID:Gl0S96aK0
きらり「ご飯はしっかり食べないと☆ 大きくなれないよー?」
八幡「そうか……しっかり食べてるとそうなるのか」
きらりを見ながら思わず言葉が漏れる。いや一体どれだけしっかり食えばそうなるのん?
どうせなら、同じ事務所にいる剣道娘に教えてやれ。
きらり「まだ食べないってゆーなら、ここはきらりが……☆」ゴゴゴゴゴ……
八幡「わ、わかったから。だからその変なオーラを引っ込めてくれ…」
きらり「おっつおっつばっちし♪」
怖えぇよ……なんかもうスタンドとか出しそうな勢いだったよ。
つーか、そろそろ大きく動くのは止めとけ。杏がいよいよ気持ち悪そうになってきてる。
その後近くのコンビニへ行き、テキトーな弁当を見繕う。
雑誌コーナーへ行くと城ヶ崎姉妹が表紙の物を発見したので、ついでに購入。
会社へ戻り、休憩スペースで飯を食おうと向かうと、そこには再び杏ときらり。
きらりが杏を抱え、膝の上に載せてソファーに座っている。テーブルには数種類のお菓子とジュース。
視線の先、テレビの画面には、お昼の有名バラエティ番組が映っている。
八幡「……お前ら、仕事に来たんじゃないのか?」
559 :2014/07/12(土) 02:28:08.26 ID:Gl0S96aK0
杏たちとは逆側のソファーへと座り、弁当を袋から取り出す。
やっぱ、からあげクンはレッドだな。
杏「午後からはねー。まぁ写真撮影だけだけど」
口の中でコロコロと飴玉を転がしつつ、気怠げに言う杏。
なるほど、今はそれまでの暇つぶしか。
しかし、仕事前だというのに二人とも全く緊張といったものは感じられない。凄い自然体だ。
……いやまぁ、この二人がそういうキャラじゃないのは重々承知してはいるんだが。
きらり「あれ? そういえばはっちゃん、今日は凛ちゃんはいないのー?」
八幡「あー……今日はレッスンでな。今頃は昼休憩してるだろ」
本当であれば午前中の内に見に行きたかったのだが、時既に遅し。
午後は予定入ってっから行けそうにないしなぁ。
きらり「そっかー、凛ちゃん寂しいねー」
八幡「まぁ確かに今週はもう会えないだろうしな」
杏・きらり「「えっ」」
八幡「あ?」
560 :2014/07/12(土) 02:30:46.97 ID:Gl0S96aK0
二人が急に俺の方に視線を向ける。
俺まで思わず呆気にとられ、弁当を口に運ぶのを止めてしまう。
八幡「……どうかしたか?」
杏「いや今、今週はもう会えないって言った?」
八幡「ああ」
杏「え、なんで? 担当外されたの?」
八幡「んなわけあるか」
つーか、何自然に担当を“外れた”じゃなくて“外された”って言ってんだ。
まるで俺が何かやらかしたと確信してるみてーじゃねぇか。
八幡「単純に、スケジュールの都合だよ」
ちらっとホワイトボードのスケジュール表を見る。
八幡「ちょっと今週他の奴らに付く仕事を頼まれてな。凛も一人で出来る仕事が主だったし、一緒じゃなくても大丈夫と判断したんだよ」
きらり「そっかぁ……残念だにぃー」ショボーン
そこで何故かきらりの元気が無くなる。感受性が豊かなのやらなんのやら。
そして杏はと言うと、珍しく、真剣な表情を作っていた。
561 :2014/07/12(土) 02:33:56.28 ID:Gl0S96aK0
杏「……八幡、大丈夫?」
八幡「何がだよ」
杏「いやだって、これじゃあ八幡が真面目な仕事人みたいだよ? そんなのおかしいよ」
八幡「どういう意味だおい」
いや、確かに今の自分が、嫌になるくらい社畜ってるのは認めるけども。
俺だって、うん、真面目ダヨ?
杏「まぁ別に杏には関係無いからいいんだけどね」
八幡「……ならいいだろ」
俺がやれやれと食事を再会すると、しかし、そこで杏は少しだけ悲しそうな表情になる。
杏「……でも、凛ちゃんはそうじゃないからさ」
八幡「あ?」
杏「仕事で忙しいのも仕方ないし、お互い納得の上なら何も言えないけど……ね」
八幡「……」
本当は、今日の午前に会う筈だった。
ともすれば、恐らくこれが今週会える唯一のチャンスだったから。
だが、その為に仕事を棒に振って、凛のチャンスを無駄にするわけにもいかない。
だから、きっとこれが正しい選択なんだ。
きっと。
562 :2014/07/12(土) 02:35:22.46 ID:Gl0S96aK0
杏「……ま、余計なお世話だとも思うけどねー」
見ると、さっきまでの悲しげな表情はどこへやら。
杏は、いつもの飄々とした態度で言う。
杏「これまで何とかなってきた二人なんだから、大丈夫なんじゃない? 知らんけど」
八幡「……お前はプロ雀士かよ」
思わず、苦笑する。
それは杏の珍しい気遣いで、なんとなくレアな物を見た気分になって、少しだけ、元気が出た。
きらり「あっ! はっちゃんもお菓子食べるー? デザートデザート☆」
杏「えー、八幡にあげるなら杏にちょうだいよー」
八幡「別に欲しいわけではないが、そう言われると渡したくもないな」
お昼の休憩時間、少しだけそうして戯れる。
その短い時間だけで、ちょっとだけ元気を貰えた気がした。
一週間は、始まったばかりだ。
579 :2014/07/13(日) 01:17:55.27 ID:0NkGZsnF0
ー 火曜 tuesday ー
都内にある某スタジオ。
カメラや機材がいくつもある、いかにもな薄暗い室内。
その中で、白いバックペーパーの前でポーズを取る一人の少女。
カメラへ向かって笑顔を振りまき、時折ポーズを変えている。
天真爛漫という言葉がピッタリな、まさにアイドルを思わせる光景だ。
そしてその少女は、俺の担当アイドル、渋谷凛ではない。
みく「こーんな感じかにゃ?」
カメラマン「いいねぇ、次は前で腕を組んで…」
同じシンデレラプロダクションの所属アイドル、前川みくである。
580 :2014/07/13(日) 01:19:44.03 ID:0NkGZsnF0
今日はとある雑誌の写真撮影と取材の為、こうして俺が付き添いとして出向いている。
ぶっちゃけ、あまり必要性は感じられないんだがな。
その後30分程で撮影を終え、次の取材に備えて休憩時間に入る。
こちらに戻ってくる前川を目で捉え、寄っかかっていた壁から背を離す。
八幡「ほれ、お疲れさん」
そう言って手渡すのは、先程自販機で購入しておいたペットボトルのお茶。
緑茶もあったが、何となく紅茶を選んだ。ティータイムは大事にしないとネー。
前川は少しだけ驚いた様子を見せた後、嬉しそうな笑顔でお茶を受け取る。
みく「ありがとっ、ヒッキーは気が利くにゃ♪」
八幡「……」
え、お前もその呼び方で俺を呼ぶの?
どこぞのガハマさんを思い出させるその言葉。誰かの差し金とかじゃないだろうな……
みく「ウチのPちゃんも、いつもこれくらい気が遣えればにゃあ」
八幡「Pちゃん? え、お前キムタクと知り合いなの?」
みく「誰もスマスマの話はしてないにゃ! みくのプロデューサーのことっ!」
581 :2014/07/13(日) 01:21:29.99 ID:0NkGZsnF0
あーなんだそっちか。
思わずアイドルってスゲーと思ってしまった。いや分かって言ったけどね。
ポンキッキーズとどっちにしようか迷ったが、まぁそこはどうでもいい話。
八幡「まぁ俺が言うのも何だが、確かに……なんだその、あー……」
みく「頭悪そう?」
八幡「いやそこまでは言わんけど……まぁ」
みく「あながち間違いでもないにゃ」
間違いでもないんですね。
しれっと言いのける前川。良かったなPちゃん、担当アイドルお墨付きだぞ。
みく「大体、Pちゃんはみくの事ちょっと面白がってる節があるにゃ!」
八幡「と、言うと?」
みく「お魚苦手なの知っててグルメロケに出演させたり、ドッキリ系のお仕事よく取って来たり、楽屋のお弁当がお魚だったり!」
つまり魚が嫌いなんだった。
いやでも楽屋のお弁当はどうしようもなくねぇ?
582 :2014/07/13(日) 01:23:30.20 ID:0NkGZsnF0
みく「全く、少しはみくの事も考えてほしいにゃ!」プンプン!
八幡「……その割には、楽しそうに話すのな」
みく「え?」
八幡「今日の写真撮影、好きだった雑誌の特集なんだろ? 自分の為に頑張ってくれたって、さっき嬉しそうに話してたじゃねーか」
思い出すのは、撮影が始まる前のスタッフさんとの雑談。
社交辞令も含まれていただろうが、確かにあの時話していた言葉には、前川の本音が込められいた気がする。
自分のプロデューサーに対する、信頼と感謝が。
しかし俺のその言葉に、前川は少しばかり恥ずかしそうに目を逸らした。
みく「そ、それとこれとは話が別にゃ」
拗ねたように言うその態度に、思わず苦笑が漏れる。
ま、本人がそう言うなら、そういう事にしておこう。
八幡「けど実際、俺なんかに付き添いを頼むんだから変わった奴だよ」
数日程前、奉仕部経由で前川のプロデューサーは俺に依頼してきた。
なんでも得意先の会社のお偉いさんと打ち合わせが入ってしまい、誰かに付き添いを頼みたかったとか。
583 :2014/07/13(日) 01:25:28.71 ID:0NkGZsnF0
探せば他にいくらでも変わりはいたと思うのだが、頼まれたからには引き受けるしかない。
そして前川だけでなく、今週一週間は毎日そんな感じ。なので、凛には出来るだけ一人でこなせるスケジュール組んだ。
伊達に場数をこなしてはいないからな。恐らく問題は無いだろう。
みく「Pちゃん、ヒッキーの事結構信用してるみたいだよ? 中々根性のある奴だ、って」
八幡「根性は無い自信があるがな。そんな事言ってくれんのは、お前と新田んとこのプロデューサーくらいだよ」
実際、俺の事務所内での評判はあまりよろしくない。
主に一般Pからのものではあるがな。なんというか、妬みやらも多分に含まれているのだろう。
奉仕部とかいう立場にかこつけて、複数のアイドルに手を出してるだとか。
他の一般Pと関わろうとせず、愛想も態度も悪いとか。
事務員を買収して、デスクや情報を貰っているとか、な。
……本当にあながち間違いでもないから困る。
そんな中で、こうして俺に依頼を出してくれる前川のプロデューサーは、珍しい部類と言えた。
だからこそ、引き受けた所もあるんだがな。
みく「……ヒッキーは、陰口とか、周りに悪く言われてても平気なの?」
見ると、何処か悲しげな、というよりは心配しているような表情の前川。
しかしその気遣いは、嬉しいが杞憂と言わざるを得ない。
584 :2014/07/13(日) 01:27:20.54 ID:0NkGZsnF0
八幡「俺を誰だと思ってんだよ。総武高校の“いないもの”とは俺の事だぞ? こんくらいは日常茶飯事だ」
みく「全然威張って言う事じゃないにゃ……」
というか現在進行形で本当に総武高校にいないんだから凄い。
恐らく、ウチのクラスでは何事も変わりなく授業が進んでいるのだろう。良かったね。これで殺人事件も起きないね。
八幡「そんなどうでもいい事は気にしてんな。お前は、自分ん所のプロデューサーと頑張りゃいい」
みく「……うん」
未だやり切れない様子ではあるが、何とか頷く前川。
その様子だけで、こいつが本当に優しい女の子だという事を実感する。
少しばかりおつむが弱そうな所はあるが、いつも明るく元気で。
人の事を心配して、一緒に悲しんでくれて。
優しいその人柄は、呼び方も相まって、あの少女を思い出す。
やっぱり優しい女の子は、嫌いだ。
いつも、勘違いしそうになってしまうから。
585 :2014/07/13(日) 01:28:46.59 ID:0NkGZsnF0
と、休憩時間が終わったのか、記者さんがこちらに呼びかけてくる。
この後は取材を兼ねたインタビューだ。
八幡「ほら、取材が始まるから行ってこい」
みく「あっ、うん!」
お茶を預かり、前川は小走りで向かっていく。
しかしそこで、彼女はふと歩みを止めた。
八幡「? どうした」
みく「ヒッキーっ!」
八幡「うおっ」ビクッ
思いがけない大きな声に、思わず体が反応する。
前川は、真っ直ぐな瞳で俺を見ていた。
みく「他の人がどう言ってても、みくもPちゃんも、ヒッキーの事ちゃんと分かってるから!」
八幡「っ!」
586 :2014/07/13(日) 01:31:26.22 ID:0NkGZsnF0
「そこだけ忘れないでよね!」と言い残し、彼女は笑顔でスタッフの元へと走っていった。
……まさか突然あんな事を言われるとは思っていなかったので、少しばかり唖然としてしまった。
そして、遅れて苦笑が漏れる。
あのプロデューサーあって、このアイドルあり、か。
家族でもないが、どこか似通ってしまうものなんかね。
前川といい、臨時プロデュースしてきた奴らといい。
どうしてこう、俺の予想の及ばない事をしてくれるのか。
それで嬉しいと、気持ちが軽くなっている自分がいるのだから、どうしようもない。
本当に。
優しい女の子は、苦手だ。
612 :2014/07/15(火) 00:41:26.94 ID:U0sZprrf0
ー 水曜 wednesday ー
少しだけ、急ぐ。
足は自然と小走りで、そんな気も無いのに急いてしまう。
自動ドアの開くタイミングと合わず、少しだけつんのめる形になった。
ドアが開いた瞬間、あの独特の匂いが鼻につく。
正直に言えば、あまり好きではない匂い。
というより、好きな奴などそうはいないだろう。
有り体に言えばーー
消毒液の、匂いだ。
613 :2014/07/15(火) 00:43:00.74 ID:U0sZprrf0
その後受付で面会の許可を取り、以前の記憶を頼りに足を進める。
前に来たのは、もう三ヶ月以上も前になる。まさか、また来る事になるとはな。
途中迷いそうになりながらも、なんとか目的地付近まで辿り着く。
自分の記憶が正しい事にホッとしていると、目的の部屋の前で人影を目にする。
白衣に身を包んだ、20代前半くらいの女性。
柔和な印象を与える整った顔立ちに、きっちりと纏め上げられた奇麗な茶髪は清潔感を思わせる。
首には聴診器、手にはクリップボード。挟んである紙は、恐らくはカルテだろう。
一言で言えば、看護婦さんである。
ナースキャップが眩しい。
その看護婦さんは丁度部屋から出て来た所らしく、すぐに俺に気付いた。
俺の顔を見ると、ニコッと笑顔を作る。
「お見舞いですか?」
八幡「ええ、まぁ」
しかし本当に美人だな……
こんなに奇麗な看護婦さんに看病して貰えるなら、入院生活も案外悪くないかもしれん。
きっとさぞ優しくお世話してくれるんだろうな。
「たった今定期検診が終わったので、もう面会しても大丈夫ですよ」
八幡「ありがとうございます」
614 :2014/07/15(火) 00:44:57.03 ID:U0sZprrf0
無難にも程がある返事を俺がすると、看護婦さんはまた少しだけ笑みを見せる。
「以前にもいらっしゃってましたよね。彼氏さんですか?」
少しばかり、からかう様な言い方。
なんとも悲しくなる事を訊いてくれるものだ。分かって言ってる?
つーか、まさか俺の事を覚えてるとはな。そっちの方が驚きだ。
八幡「そんなんじゃないですよ。あいつとは仕事の…」
と、そこまで言って言葉が止まる。
なんとなく、こんな事を言ったら怒られそうな気がしたから。
誰に、とは言わない。
八幡「……いえ。友達の、お見舞いです」
そう言って、言ってから恥ずかしくなる。
世間ではこんなこと平気で言えるのかもしれないが、俺には大分ハードルが高い。
顔があっついなクソ。
「そうですか」
そして看護婦さんはまた微笑み、満足そうに頷いた。
616 : ◆iX3BLKpVR6 2014/07/15(火) 00:49:14.71 ID:U0sZprrf0
「では、ごゆっくり」
そう言い残し、彼女は去っていった。
なんというか、不思議な雰囲気の人だったな。
咄嗟に名札を見たが、柳……せいら? さんで良いのだろうか。
あの人なら、アイドルとしてもやってけそうな気がするな。
615 :2014/07/15(火) 00:46:50.86 ID:U0sZprrf0
八幡「今度、社長に紹介でもしておくか」
そう呟いてから、今日の目的がそんな事ではないのを思い出す。
念のため、部屋の前に貼ってある名前を確認。ここで間違えたりしたら笑えないからな。
そしてゆっくりとノックをし、返事を待つ。
これも、前回の反省をちゃんと踏まえてだ。というか、あれは完全に奈緒のせいだ。俺は悪くない。
やがて中から声がし、俺は無事に入室の許可を得る。
扉を開くと、そこには見知った顔の少女がベッドに掛けていた。
加蓮「やっはろー。八幡さん」
八幡「……その分じゃ、大事は無さそうだな」
熱のせいかは分からないが。
少しだけ紅潮した加蓮が、そこにいた。
髪を降ろし、またいつぞやと同じパジャマのような病院服を来ている。
ホント、大した事無くて良かったよ。
電話でまた入院したって聞いた時は、正直心臓が止まるかと思ったぞ。
本人は軽い風邪だから心配無いと言っていたが、そんなもの信用ならないからな。放っておくわけにもいくまい。
午前の仕事を出来るだけ早く片付け、お昼に時間を作ってこうして出向いてきた。
午後も仕事があるので、あまり長くはいられないが……まぁ、顔を見れただけ良しとするか。
617 :2014/07/15(火) 00:52:21.87 ID:U0sZprrf0
加蓮「八幡さん、ホントに来てくれたんだ…忙しいんだから、無理しなくてよかったのに」
八幡「無理なんてしてねーよ。むしろ仕事をサボれてラッキーまである。それよか、本当に平気なのか?」
加蓮「えっ?」
八幡「いや、実は余命宣告されたとか…」
冗談めかして言ったが、ちょっとおっかなびっくり聞いてみる。
加蓮「もう、ただの風邪だってば」
八幡「ホントに?」
加蓮「ホントだよ」
可笑しそうに笑う加蓮。
そうか、ただの風邪か。いやー良かった……なんかお前が体調崩したって聞いただけでヒヤヒヤもんだわ。ぶっちゃけこっちの心臓に悪い。
八幡「ほら、テキトーに差し入れ持ってきてやったから、これ食って大人しくしてろ」
そう言って、持って来ていたビニール袋を手渡し、ベッド横の椅子に座る。
中にはコンビニで買ったプリンとかゼリーとか、飲み物とかも入っている。風邪引いた時って、なんか無性にこういうの食いたくなるよな。
それを見て、加蓮を目を丸くする。
その後苦笑しつつ、照れたように言う。
加蓮「もう、こんなに買ってきちゃって…食べ切れないよ」
その割には嬉しそうにしてるのだから、なんともむず痒い。
まぁ、いらないと突き返されなくて安心したよ。
618 :2014/07/15(火) 00:55:55.30 ID:U0sZprrf0
八幡「よく食わないと大きくなれないらしいぞ。身長180センチ強の女子にこの間言われた」
加蓮「誰が言ったか直ぐに分かる上に、凄い説得力だね……」
しかしプロフィールを見れば分かるが、あいつ身長の割に体重軽過ぎなんだよな。
むしろかなり痩せてる方。少し心配になる八幡なのでした(小並感)。
八幡「具合はもう良いのか?」
加蓮「うん。熱も大分下がったからね。明日には退院出来るってさ」
電話で聞いた限りじゃ、元々入院する程の事でもなかったらしい。が、前科が前科な為、今回は念のためお休みを取る事にしたそうだ。
病弱キャラってのも考えもんだな。いやキャラってわけでもないが。
加蓮「最近レッスン増やしてたから、ちょっと疲れが溜まってたのかな」
八幡「……やっぱ、アニバーサリーライブの為か?」
約二ヶ月後に控えている、シンデレラプロダクション主催のアニバーサリーライブ。
その推薦枠に入るため、ここ最近のアイドルたちの間には、何かと緊張が走っている。
それも当然。上位枠のメンバーは既に発表されているが、推薦枠はまだだ。
近々発表予定だが、それまでに出来るだけ成果を上げておきたいという気持ちがあるのだろう。
加蓮「うん。でも、それで身体壊してたら意味無いよね……アハハ」
619 :2014/07/15(火) 00:57:26.39 ID:U0sZprrf0
そう言って加蓮は、少しだけ顔を伏せる。
笑みを浮かべてはいるが、その表情は心なしか暗い。
その乾いた笑いは、自分の不甲斐なさを笑っているように思えた。
加蓮「多分、今回ので大分評価落ちたよね。体調が戻っても、選ばれるのは無理かぁ」
八幡「……」
加蓮「あーあ……ライブ、出たかったなぁ……」
天井を仰ぎ、加蓮のその言葉は、虚しく響くばかり。
だから、俺はそんな加蓮にーー
八幡「ほれ」
加蓮「わぷっ」
一枚の書類を、顔に突きつけてやった。
加蓮「もう。なに、する…の……?」
その紙を見て、加蓮の表情が変わっていく。
書類には、こう書いてある。
620 :2014/07/15(火) 00:59:17.29 ID:U0sZprrf0
『“シンデレラプロダクション アニバーサリーライブ”の参加メンバーの一人に、“北条加蓮”を推薦する事をここに明記する』
加蓮「こ、これって……!」
八幡「おめでとさん。お前はちゃんと選ばれたよ」
瞬間、何かが俺に向かって突撃してくる。否、それは分かり切っている。
加蓮が、俺に抱きついて来たのだ。
加蓮「やった! やったよ八幡さんっ! 私、ライブに出れるって!!」
八幡「知ってるよ! つーか、は、離れろ……!」
あまりに突然だった為、椅子から転げ落ちそうになるが、なんとか踏みとどまる。
興奮し切っている加蓮を押しのけ、ベッドに戻す。
…………。
……ふー。さすがはトライアド・プリムス1のむn…………いや、なんでもない。
八幡「落ち着け。熱ぶり返したりしたらどうすんだ」
加蓮「ごめんごめん。でも、すっごく嬉しくって!」
加蓮のその表情は、見ているこっちまで元気が出てきそうな、そんな笑顔だった。
それを見れただけで、教えた甲斐があったよ。
621 :2014/07/15(火) 01:00:54.96 ID:U0sZprrf0
八幡「ホントはまだ発表じゃないからな。あんまし周りには言うなよ」
加蓮「それって……入院してる私に教えに来てくれたって事?」
八幡「……うっ」
いや、別にそういうわけじゃないよ?
ただこのタイミングで体調崩して、落ち込んでるだろうなーとかは思ってたけども。
お見舞いにはどっちみち来ようとは思ってたし? べ、別に、お前を喜ばせようと思ったわけじゃないんだからね!
と、懇切丁寧に説明したが、加蓮は嫌な笑みを浮かべるだけだった。
なんだその皆まで言うな的なしたり顔は。
加蓮「……ありがとね、八幡さん」
そして真顔になったかと思えば、微笑んでこんな事を言ってくる。
ホント、俺じゃなきゃ騙されてるぞ。
八幡「別に、お礼を言われるような事はしてねーよ。頑張ったのはお前だ」
だから俺は、いつも通りこう言ってやる。
純粋に、そう思っているからな。
……本当に、皆よく頑張った。
622 :2014/07/15(火) 01:03:03.34 ID:U0sZprrf0
その後いくつか会話を交わし、その場を後にする事にする。
しかしその別れ際、加蓮はこんな事を言ってきた。
加蓮「……八幡さん。お願いがあるんだ」
その表情は、真剣でいて、どこか悲しげだった。
八幡「どうしたよ。そんな改まって」
加蓮「……凛を、よろしくね」
八幡「? なんだよ急に」
凛をよろしく……とは、また急だな。
そもそも、担当アイドルなんだから世話を焼くのは当然と言える。
しかし、加蓮が言いたいのはそういう事ではないようで。
加蓮「最近、あまり凛と会ってないでしょ?」
八幡「まぁ、な」
というか今週一週間会えないのだが、それを言ったら更に何か言われそうなので黙っておく。
623 :2014/07/15(火) 01:05:24.61 ID:U0sZprrf0
加蓮「凛は……あの子は、あまり我が侭とか言わないからさ。仕方ないとか、仕事だからとかって、自分の気持ちを押さえ込むとこあると思うんだ」
八幡「……」
加蓮「まぁ、これは八幡さんにも言える事なんだけどね」
「似た者同士だよね」と言って笑う加蓮。
いや、別に今はそこはいいだろ。なんかハズイ。
加蓮「……だからさ、凛のこと、大事にしてあげてね」
八幡「…………善処する」
なんと答えたものかと考えた挙げ句、何ともぶっきらぼうな言い回しになってしまった。
しかし、加蓮はそれで満足したらしく、笑っていた。
……これも加蓮たってのお願いだ。
ここは素直に、受け取っておくとしよう。
624 :2014/07/15(火) 01:07:07.55 ID:U0sZprrf0
加蓮「それじゃあ八幡さん。今日はありがとね」
八幡「いいって。……そうだ加蓮」
加蓮「ん?」
扉を閉める直前、このまま言われっぱなしも癪なので、お返しとばかりに俺も言ってやる事にする。
八幡「一応アイドルなんだから、むやみやたらに男に抱きつくのはやめとけよ」
加蓮「っ!」カァァ
瞬間、紅潮する加蓮。
俺は満足し、扉を閉めて病室を後にするのであった。
去った後の部屋からは、「もーう!」という声が響いたそうな。
657 :2014/07/20(日) 02:22:12.39 ID:xehw/xfK0
ー 木曜 thursday ー
さて、ここで改めて名言しておくが、俺は比企谷八幡である。
いきなり何を、と思われるかもしれんが、これはとても重要な事だ。
そう、重要な事なのだ。大事な事だからな。2回どころか3回言ってもいい。
今でこそ様々な人間と関わり、多少なりとも変化が見られたとしても、俺は俺だ。
そこだけは、どれだけ時間がたったても変わりはしない。
知らない人に話しかけられれば、盛大にキョドるし、
優しくされれば、何かあるのではと裏をかく。
伊達に、長年ぼっちはやっていない。
最近になって奇跡的に俺の事を友達と呼んでくれる奴らも出て来たが、それもごく稀だ。
658 :2014/07/20(日) 02:24:24.84 ID:xehw/xfK0
リア充を見れば、心の中で九九艦爆を出撃させるし、
昔の知り合いを見かければ、バレないようにと逃げてしまう。
どうしたって、変わらない所は変わらない。
だが、俺はそんな自分が好きだし、それで構わないと思っている。
他人に否定される事はあっても、自分くらいは肯定してやりたい。
だから俺は、今日も比企谷八幡であり続ける。
例え、
八幡「…………」
美波「…………」
現在進行形で、女の子と気まずくなっていたとしても、だ。
……やりづらい。
現在、俺は隣に座る彼女と仕事場へ向かっている。
足はタクシー。車の免許を持たない俺では、移動手段はどうしたってこうなる。
そしてただただ静かに鎮座している彼女は、新田美波。
今日、俺が付き添いを頼まれたアイドルだ。
659 :2014/07/20(日) 02:26:05.74 ID:xehw/xfK0
彼女は自信がキャンペーンガールとなっているラクロス全日本選手権の会場で、宣伝も兼ねた選手達への応援をする事になっている。
そして俺は、例によってその付き添い。理由は前川の時と似たようなものだ。
しかし、今回俺は思わぬ壁に衝突している。
前川の時以上に、いや。下手をすれば、今までプロデュースしてきたどのアイドルたちよりも厳しい状況かもしれない。
全ては、新田さんの人柄に起因する。
それと言うのもーー
美波「あ、あの、今何時くらいですか……?」
八幡「え、あー……8時、半、くらいですね」
美波「そう、ですか……」
八幡「ええ……」
美波「…………」
八幡「…………」
と、いった何とも言えないやり取りがずっと続いている。
何と言うか、ホントに……
八幡「(やりづらい……)」
660 :2014/07/20(日) 02:27:50.16 ID:xehw/xfK0
今にして思えば、これまでのアイドルたちが少々特殊だったのだ。
物怖じしないと言うか、強気というか、遠慮が無いというか。
基本受動的な俺に対し、グイグイ来る奴が多かった。
よく考えれば、同い年か少し年下が多かったからな。
気兼ねなく話しかけてこれたのは、それが理由の一つでもあるのかもしれん。
八幡「…………」
いや、あいつらなら例え年上でも同じように接してるだろうな。
予想ではあるが、断言出来る。
そしてそこに来て、年上の新田……さんだ。
正直、どう接していいのか分からない。
同じ年上でも、楓さんの時とは勝手が違う。
あっちはもっと年上だったし、何というか大人の余裕があった。
本人も気にせず話しかけてきたしな。
しかし新田さんは花も恥じらう19歳。
なんつーか、少女でもあり、大人の色気も出て来たりで……とにかくなんか緊張しちゃう!
まぁ最初は全然19歳だって知らなかったけどな。普通に女子高生だと思ってた。
しかも年齢を抜きにしても、新田さんはとても大人しい。
お淑やかというか清楚というか、間違っても「にょわー☆」とか言わないタイプだ。いや普通は誰だって言わんだろうけど。
無駄に元気があっても振り回されるだけだと思っていたが……
まさか、ここにきてあいつらの積極性にありがたみを感じる日が来るとは。
661 :2014/07/20(日) 02:29:47.47 ID:xehw/xfK0
別に新田さんの性格が悪いとは言わない。
むしろ個人的には好ましいまである。
だが如何せん……
八幡「(気まずい……)」
ホント、まさかこんな所で俺のコミュ力の無さを思い出すとはな。
俺も、プロデューサーとしてまだまだヒヨっ子なのだった。
美波「あ、あの……!」
と、ここで新田さんから再び声がかけられる。
ちなみにタクシーに乗ってからいくつか会話を交わしたが、その全ては新田さんからのものである。
し、仕方ないやん? そんな面識無いし、何話していいか分からないやん?
俺は窓の外から目を離し、新田さんへと顔を向ける。
さぁ次は何の話題だ? 天気か? 会話の墓場か?
俺はどんな話を振られてもいいように身構える。が、新田さんの発した言葉は、俺の予想の斜め上だった。
新田「ご、ごめんなさい……!」
八幡「…………は?」
思わず、間抜けな声が出る。
何を言われるかと思えば、何故か謝られてしまった。
え、俺何か謝られるような事した?
662 :2014/07/20(日) 02:33:21.18 ID:xehw/xfK0
新田「わ、私、今まであまり歳の近い男の人と話したこと無くて……だから、ちょっと緊張して……」
申し訳なさそうに、俯きがちに言う新田さん。
あーつまりなんだ。自分が緊張して上手く話せないから、そのせいで気まずい空気にしてしまって申し訳ないと、そう言いたい訳か。
別にそれは謝る事じゃないし、そもそも気まずいに空気にしている原因は俺にもある。
お人好しというか、律儀な人であった。
八幡「……いーっすよ。こっちこそすんません、年下のプロデューサーとかやり辛くて仕方ないでしょう」
美波「そ、そんな事ないですよ! 私なんかよりしっかりしてて、凄いと思います」
そう言って、やっと彼女は微笑んだ。
う……やばいな、本当に美人だ。これは勘違いしても責められない。いやしないけど。
というか、さっき何かとんでもない事を言ってなかったか?
確か、あまり歳の近い男と話した事が無いとかなんとか。
……マジかよ。こんな可愛いのに男の免疫ないとか、完全に誘ってやがるよ!(違います)
美波「あまり話した事が無かったですけど、比企谷さんがとても良い方で良かったです」
安心したようにそう言う彼女。
というか、比企谷さん呼びとな。年上なだけに、何とも違和感を覚える。
八幡「さん付けとか、敬語もいいですよ。年下なんですし」
美波「え? でも……」
八幡「そっちのが、かえって気遣っちゃいます」
少し卑怯な言い方だが、こう言えば彼女も諦めるだろう。
実際言った事は本音だし、普通に話してくれた方が俺も何かと気が楽だ。
663 :2014/07/20(日) 02:35:11.80 ID:xehw/xfK0
美波「そう……かな? ……じゃあ、よろしくね比企くん」
八幡「…………ええ」
ニコッと笑い、新田さんは少し恥ずかしそうに言う。
うぁぁああああああ天使か己はッ!!!!
し、しっかりしろ八幡! 戸塚だ、戸塚の笑顔を思い出せ!
俺は心の中で戸塚とのアバンチュール(妄想)に没頭するが、勿論新田さんはそんな事など知らない。
美波「今日はありがとう比企谷くん。プロデューサーさんが来れなくて困ってたから、助かっちゃった」
八幡「えっ? あ、あぁ。別にこれくらい大丈夫ですよ」
新田さんの言葉で、俺は現実に戻る。
危なかった。もう少しで超えてはいけない一線を超える所だった……
八幡「実際、俺が一緒にいてもやれる事なんて殆ど無いですしね」
美波「でも、男の方が付き添いなら危ない人に襲われる心配も少ないってプロデューサーさんが言ってたよ?」
八幡「まぁ確かに……でも、新田さんのプロデューサーならどっちにしろ心配無さそうですけどね」
美波「あ、あはは……うん……」
664 :2014/07/20(日) 02:37:55.19 ID:xehw/xfK0
思い出すは、あのやけにキリッとした金髪眼鏡の女プロデューサー。
美人でスタイルも抜群。ぶっちゃけアイドルとしても通用するような容姿の彼女だが……如何せん、残念だ。
なんでも男には興味が無いらしく、可愛い女の子をプロデュースしたくて一般Pになったらしい。何それ怖い。
元女子大の主席とは聞いていたが、まさかここまでとはな。
この間なんかは、アイドルたちのライブ衣装の試着に同伴して「メ、メニアーック!」とか言って鼻血出して倒れたらしい。だから怖ぇって。
美波「で、でも良い人なんだよ? 私の為に凄い頑張ってくれてるし。……まぁ、ちょっと薦めてくる衣装は恥ずかしいけど」
八幡「えっ」
なん…だと……
そうか。新田さんのやけに露出の多い衣装はそのせいだったのか。やるじゃねぇか変態プロデューサー!
世の美波ファンを代表して、心中で賛辞を送る。
美波「それに、比企谷くんの事も評価してたよ? プロデューサーさん、あまり男の人の事を良く言わないから、ちょっと驚いちゃった」
八幡「あーそれはまぁ……」
というのも、新田さんのプロデューサーと初めて話したのは最近になってからだ。
なんでも、凛のライブに感銘を受けたらしい。
直接会いに来て、なんか凛にハァハァしていたのは記憶に新しい。凛が怯えてて可愛かったです。
ちなみにその時に「あなた、中々良い趣味してるわね」と言われた。
いやアンタには敵いませんて。
俺はその時の事を思い出し苦笑する。
すると、そこで新田さんは別の話題を振ってきた。
665 :2014/07/20(日) 02:40:11.98 ID:xehw/xfK0
美波「……比企谷くん、一つ訊いてもいい?」
八幡「? 何です?」
美波「こんな事訊くのは、あまり良くないかもしれないんだけど……」
顔をしかめつつ、新田さんはおずおずと話し出した。
美波「私や凛ちゃんはシンデレラプロダクションのアイドルだけど、プロデューサーや比企谷くんは、その……正式には、社員じゃないよね」
八幡「……そう、ですね」
美波「だから、その……このプロデューサー大作戦っていう企画が終わったら……」
その続きは、言葉になることは無かった。
それでも、言わんとしてる事は充分に伝わっていた。
俺だって、気付いていなかったわけじゃない。
このプロデューサー大作戦という企画が終われば、俺も、新田と前川のプロデューサーも、
会社を辞めて、元の一般人に戻るのだ。
もしかしたら、そのまま正社員になる可能性もある。
以前に言ったように、この企画自体に選定的な意味合いがあるなら、それは決して低い可能性ではないだろう。
だがそれでも、確実な話ではない。
企画が終われば、別れがやって来る。
そう思っていた方が、きっと身の為だ。
666 :2014/07/20(日) 02:43:02.32 ID:xehw/xfK0
八幡「……やっぱり、プロデューサーと離れるのは寂しいですか?」
俺がそう訊くと、新田さんは俯き、やがて小さく頷いた。
美波「……うん。プロデューサーさんは、私に色んなものをくれたから」
その言葉を聞いて、ふと凛の顔が、凛と過ごしたこれまでの記憶が蘇る。
色んなものをくれた。その言葉はきっと、事実だろう。
そしてそう思っているのは、彼女のプロデューサーも同じはずだ。
俺が、そうだから。
美波「……比企谷くんは、どう思う? プロデューサーさんには聞けないけど、同じ立場の比企谷くんならどうなのかなって……」
八幡「…………」
アニバーサリーライブまで、既に二ヶ月を切った。
そしてそれが終われば、もう企画終了まで僅かな時間しかない。
つまり、それが凛との残された期間。
そんな事は分かり切っている。
だから、俺はーー
八幡「わからないです」
美波「え?」
667 :2014/07/20(日) 02:44:59.35 ID:xehw/xfK0
俺の言葉が意外だったのか、目を丸くする新田さん。
そんな新田さんに対し、俺は言葉を続ける。
八幡「……いや。というよりは、考えてる余裕が無いって感じですかね」
美波「余裕が無い……?」
八幡「ええ。だって、まだ企画は終わってませんから」
美波「っ!」
そうだ。
確かに別れはいつか必ずやってくる。
でもそれは、今じゃない。
八幡「そりゃ俺だって思う所が無いわけじゃないです。それでも、今は凛をトップアイドルにする事だけを考えるようにしてます」
美波「…………」
八幡「まぁ、問題を先送りにしてるって言われたらそれまでですけどね。……けど俺は、凛をシンデレラガールにしたくてプロデューサーやってるわけですから」
きっとこんな事、本人には言えないだろうな。
相手が新田さんだからこそ言える、今の俺の本音。
そしてこれはきっと、俺だけではない。
668 :2014/07/20(日) 02:46:29.22 ID:xehw/xfK0
八幡「……新田さんのプロデューサーも、たぶん同じだと思いますよ」
美波「っ! プロデューサーさん、も……?」
八幡「ええ」
新田さんとプロデューサーが、二人で話しているのを見た事がある。
本当に中が良さそうで、こんな俺からでも、確かな絆があるように感じられた。
まるで、姉妹のように。
美波「そっか……」
そして俺の言葉を聞いた新田さんは、少しだけ晴れやかな表情になっていた。
いつもよりちょっとだけ、力強い笑顔。
美波「それなら、私も頑張らないとだね」
八幡「……ですね。手始めにまずは、今日の仕事を片付けましょう」
美波「うん♪」
そうして、タクシーは仕事場へと向かって行く。
その後いくつか会話を交わしている内に気付いたが、いつの間にか普通に話せるようになっていた。
お互い、自分の胸の内を見せたおかげかもな。
669 :2014/07/20(日) 02:49:27.63 ID:xehw/xfK0
きっと、誰しもが等し並に悩みを抱えている。
それはアイドルでも、プロデューサーでも。
解消できたとは言えない。それでも、今このときだけは彼女を笑顔に出来た。
比企谷八幡は変わらない。
イケメンを見れば呪詛を唱えたくなるし、
可愛い子を見れば、どうせビッチだろうと決めつける。
我ながら、腐った目と性根をしているものだ。
しかし。そんな俺でも、一人のアイドルを笑顔に出来た。
ならやっぱり、
比企谷八幡という人間も、案外捨てたもんじゃない。
694 :2014/07/24(木) 01:13:50.65 ID:b0oTqJpy0
ー 金曜 friday ー
八幡「ーー何でだッ!」
柄にもなく、叫んでしまう。
こんなに喉が痛くなる程声を出すなんて、俺らしくない。
しかしそれでも、叫ばずにはいられなかった。
絶対に諦めるわけには、いかなかったんだ。
奈緒「…………」
そんな俺を、酷く冷めた目で見つめる奈緒。
呆れ果てたように、どこか侮蔑を含めた視線で、ただただ俺を射抜く。
何だってんだ……
そんなに、そんなにいけない事なのかよ……!
695 :2014/07/24(木) 01:15:23.69 ID:b0oTqJpy0
未央「なおちん……」
そしてその隣では、奈緒を宥めるように声をかける本田。
どちらかと言えば、彼女は俺を擁護してくれている側だった。
未央「少しくらいなら、ね? プロデューサーもここまで言ってるんだし……」
奈緒「ダメに、決まってるだろ……」
八幡「ッ!」
だが、それでも奈緒は引き下がらない。
俺への睨みを強くし、更に畳み掛けてくる。
奈緒「そんなの……そんなの許されるはずがない! 例え周りが良いって言ったって、アタシが認めないっ!」
絶対に引かないという、奈緒の強い意志が伝わってくる。
だがな、そんなのは俺だって一緒なんだよ。
絶対に、引けるかーーッ!
八幡「いいぜ……お前が俺の頼みを聞けないってんならーー」
奈緒・未央「「ッ!!」」
696 :2014/07/24(木) 01:19:34.37 ID:b0oTqJpy0
八幡「ーーまずは、そのふざけた幻想をぶt「そろそろ本番でーす! 出演の方は準備お願いしまーす!」
…………。
奈緒「あ、はーい。今行きまーす」
未央「ごめんねプロデューサー? もう始まるし、行ってくるね♪」
スタッフの声が聞こえるや否や、奈緒と本田はさっきのノリから一転、何事も無かったかのようにさっさとその場を後にする。
残されたのは、ただ虚しく右拳を掲げる俺一人。
……なんでだ。
俺はその場に崩れ落ち、無様にも膝をつく。
どうしようもない想いが、溢れてしょうがなかった。
なんで、なんでーー
八幡「なんで俺も『千葉散歩』に出してくれないんだ……!」
奈緒「いや無理に決まってるだろ」
奈緒のツッコミすら、今の俺には虚しかった。
わざわざ戻ってくるなよ……
697 :2014/07/24(木) 01:22:03.99 ID:b0oTqJpy0
そんなこんなで、今日の俺の仕事は奈緒と未央の番組『千葉散歩』の同行だ。
千葉出身の二人が、千葉の名所を紹介していくローカル番組。今最も俺の中で熱いテレビ番組だと言えよう。
ちなみに毎週録画しているのは秘密である。
俺が今日このロケに同行しているのは、先日奈緒たちに相談を受けた事が発端になる。
より身近な意見を取り入れたいという事で、出演者以外の千葉出身者からの案が欲しかったらしい。
もちろん、俺は二つ返事でOKした。むしろ心待ちにしていたまである。
俺が積極的過ぎてスタッフが若干引くくらいだったが、まだまだこんなもんじゃ足りないくらいなんだよこっちは!
そしてそんな俺の意見が採用された回の収録が、今日というわけだ。
やはり原案者としては現場まで同行せねばなるまいと、半ば強いn……快諾を得てロケに付いて来た。
本当なら少しだけでもいいから出してほしかったが……やっぱ無理ですよねー
まぁ俺もダメもとだったしね。半分冗談だったしね。いやホントホント。超出たかったーーッ!!
というわけで、俺は大人しくスタッフさんと一緒に静かに見守るのでした。
未央『いやー楽しかった♪ 今日はどうだったナナミン?』
菜々『ナナもすっごい楽しかったです! ゲストで呼んで頂きありがとうございました♪』
カメラ越しに見えるのは、今日のゲストである安倍菜々……さん。
既にロケも終盤で、残るはエンディングを残すのみだ。
698 :2014/07/24(木) 01:25:08.75 ID:b0oTqJpy0
菜々『いやー最近は忙しかったから、あまり帰ってこれn……あっ』
未央『帰って??』
菜々『い、いやあのそのっ、そう! ウサミン星へのワープホールが千葉にあってですね! それで……』
未央『そう言えばナナミン、マザー牧場行った時に、昔よく遊びに来てたとかなんとか……?』
菜々『ミ、ミミミン……』ダラダラ
奈緒『こ、今週はこの辺で! また来週も千葉のどこかでお会いしましょう! またなー!』
『はーい、オッケーでーすっ!』
八幡「…………」
オッケーなのかよ。
心の中でツッコミを入れ、今日の収録は無事終了した。
いや、約一名無事じゃない気もするが。
なんでもファンには、このグダグダな緩い感じがウケているらしい。
まぁ、気持ちは分からんでもない。
ちなみにレギュラーは本田と奈緒。
そして順レギュラーには同じく千葉出身のデレプロ所属アイドルの、太田優に矢口美羽がいる。
ただ基本的には本田と奈緒の二人進行なので、たまーに太田さんか矢口がそれに参加するといった具合だ。
基本的にゲストは珍しいのだが、何故か安倍さんはよく呼ばれる。ナンデダロウネー。
そろそろ凛もゲストに呼んでほしいものだ。
699 :2014/07/24(木) 01:27:32.41 ID:b0oTqJpy0
そんなわけでロケも終了し、場所は変わってロケバス内。
今日はもう上がりなので、東京の会社まで送ってくれるらしい。良いスタッフさんたちだ。
奈緒は疲れたのか、窓へもたれ眠ってしまっている。
安倍さんは……なんか凹んでるな。そっとしておいてあげよう。
そんで本田はというと……
未央「お疲れ様プロデューサー♪」
何故か、俺の隣の席へと座っている。
いや、他にも席結構空いてるよ?
八幡「……お疲れ」
未央「もうプロデューサー、そこは闇に飲まれよ! くらいは言ってくれないと!」
八幡「お前は俺に何を求めてるんだ……」
からかうような笑顔で、これでもかと絡んでくる未央(比喩です)。
ロケが終わったばかりだというのに元気な奴である。ちょっと杏に分けてやれ。
俺が鬱陶しそうな態度を隠そうともせずにいると、それが気に食わなかったのか、わざとらしく拗ねた顔になる本田。
3: 2014/07/24(木) 01:13:50.65 ID:b0oTqJpy0
そして、自分と“偶像”との距離を鮮烈に感じた時。
きっと誰しもが自問自答を繰り返すだろう。
俺は、このままでいいのか?
私は、何をやっているんだ?
その自分自身への問い掛けは、自然と俺たちを“ふるい”にかける。
数回で折り合いをつける者は、そのまま何事も無く人生を送るだろう。別に悪い生き方ではない。
数十、数百と葛藤を続けて生きて行く者は、いつしか何かを成すかもしれない。辛いが、やりがいはあるだろう。
そして一度の問いで答えを出す者は、酷く少ない。
しかしそれは、決して諦め妥協する事ではない。誰だって、自分の夢を奇麗さっぱり忘れる事など出来ない。少なからず、その問いと向き合いながら生きて行く。
だからきっと、一度で答えを出せる者はーー
ーー形振り構わず決心出来る、本当に“夢見る”者なのだろう。
553 :2014/07/12(土) 02:17:18.70 ID:Gl0S96aK0
まぁ別に、だからと言って誰々があーでこうだの言うつもりもない。
いつの間にか、俺は沢山のアイドルと触れ合ってきた。
それぞれが自分の信じるものや、譲れないものを持って、懸命にアイドルをやっていた。
そこにきっと優劣は無いし、差別も無い。
俺が何かを言うには、おこがましい程の輝き。
その輝きを、確かに俺は知っている。
例えば、独りの夜に勇気をくれた笑顔の少女。
例えば、勘違いする程に居心地の良い場所をくれた二人の少女。
例えば、俺の隣で、俺を信じて、俺を見てくれている少女。
彼女達のおかげで、この世には確かに“本物”があるって事を、俺は信じることが出来た。
……まぁ、あの二人は別にアイドルではないがな。
かつて苦手意識を持っていたアイドルという存在を、俺は今は受け入れられている。
もちろん、俺が知ってるアイドルが全てではないだろう。
けれど、俺がアイツのプロデューサーでいる限りは、信じていたい。
554 :2014/07/12(土) 02:19:03.78 ID:Gl0S96aK0
アイドルとは、偶像で、憧れで、遠い存在。
そして、夢なのだと。
まぁ、つまりだ。
何が言いたいかって言うと……
八幡「忙し過ぎてハゲそう……」
555 :2014/07/12(土) 02:21:05.29 ID:Gl0S96aK0
ー 月曜 monday ー
シンデレラプロダクション、その事務スペースの一角に、俺はいた。
否、屍が一体。
八幡「……もう昼か」
机に突っ伏したまま時計を確認。
見れば、丁度針が正午を回った所であった。
机の上には企画書やら報告書やらの書類が散らばっており、正直コーヒーのカップを置く所でさえ迷う程だ。
俺はそんな机の上に、無理矢理頭を預けている。結果ノートパソコンを前の席にはみ出す程押しのける形になったが、問題無いだろう。ちひろさんのデスクだし。
しかし、おかしい。
朝出社して、9時過ぎにはレッスンをやってる凛の所まで行こうかなーなんて考えていたのに、今はお昼過ぎだ。ふむ今一度状況を整理しよう。
556 :2014/07/12(土) 02:23:01.11 ID:Gl0S96aK0
とりあえず身の回りの書類の整理をしていたら、お世話になってるテレビ曲のディレクターさんから電話がかかってきて、良いお話を頂けたから直ぐさまスケジュール調整。それが終わったと思えば、今度は前に載せてもらったファッション雑誌の編集さんが挨拶周りにやってきてその対応。ようやく終わり、書類整理を続けようとした所で某有名歌番組からの急なオファーが舞い込み、急いで企画書を作る。やっと完成。←今ここ!
結局書類整理が終わらんがな!
アニバーサリーライブまでもう二ヶ月を切った。それに加えて凛の人気のアップ。
そう考えるとこの忙しさも納得出来るが……それにしたって体が追いつきませんもの。13人なんてプロデュースした日には発狂もんである。
そんなこんなで、俺は凛のレッスンを見に行く事も出来ずにお昼を迎えるのであった。
八幡「疲れて腹も減らんな……」
何か食おうかとも思ったが、別にそこまで腹も減っていないのでパスする事にする。
さっさと書類整理を終わらせて、午後の仕事に備えた方が良いだろう。
と、そこで視界にある書類の山へ陰がさす。
まだ日が落ちるには早過ぎる。何かと思い顔を上げると、そこには小人を肩車する巨人がいた。違うか。
きらり「にゃっほーい! はっちゃんおはよー☆」
杏「ちーっす」
八幡「……よぉ」
557 :2014/07/12(土) 02:24:47.68 ID:Gl0S96aK0
双葉杏と、諸星きらり。
最近何かと一緒にいる二人が、そこにいた。
つーか、肩車って……
いくら小柄とは言え、同年代を肩車出来る女子はそうはいないぞ?
何、きらりってもしかして夜兎の一族とかなの?
杏「なんかお疲れみたいだねー」グデー
八幡「……」
いや、そんな状態で言われても馬鹿にされてるとしか思えないんだが。
きらりの頭の上に顎を乗せ、これ以上無いくらい緩み切った顔の杏。
この間まで抵抗を見せていたと言うのに、今では懐柔された猫のように丸くなっている。チョロイン乙。
八幡「ちょっと仕事が溜まってたんでな。少し休んでただけだよ」
そう言って、手近な書類に手を伸ばす。
しかしその様子を見て、俺の行動に異を唱える者が一人。
きらり「ダメだよはっちゃん! お昼まだでしょー?」
担いでる杏をものともしない程の早さで詰め寄ってくるきらり。その反動で杏がガックンガックン揺れている。ちょっと面白い。
つーか前から思っていたが、はっちゃんて何だはっちゃんて。潜水艦か俺は。
558 :2014/07/12(土) 02:26:25.49 ID:Gl0S96aK0
きらり「ご飯はしっかり食べないと☆ 大きくなれないよー?」
八幡「そうか……しっかり食べてるとそうなるのか」
きらりを見ながら思わず言葉が漏れる。いや一体どれだけしっかり食えばそうなるのん?
どうせなら、同じ事務所にいる剣道娘に教えてやれ。
きらり「まだ食べないってゆーなら、ここはきらりが……☆」ゴゴゴゴゴ……
八幡「わ、わかったから。だからその変なオーラを引っ込めてくれ…」
きらり「おっつおっつばっちし♪」
怖えぇよ……なんかもうスタンドとか出しそうな勢いだったよ。
つーか、そろそろ大きく動くのは止めとけ。杏がいよいよ気持ち悪そうになってきてる。
その後近くのコンビニへ行き、テキトーな弁当を見繕う。
雑誌コーナーへ行くと城ヶ崎姉妹が表紙の物を発見したので、ついでに購入。
会社へ戻り、休憩スペースで飯を食おうと向かうと、そこには再び杏ときらり。
きらりが杏を抱え、膝の上に載せてソファーに座っている。テーブルには数種類のお菓子とジュース。
視線の先、テレビの画面には、お昼の有名バラエティ番組が映っている。
八幡「……お前ら、仕事に来たんじゃないのか?」
559 :2014/07/12(土) 02:28:08.26 ID:Gl0S96aK0
杏たちとは逆側のソファーへと座り、弁当を袋から取り出す。
やっぱ、からあげクンはレッドだな。
杏「午後からはねー。まぁ写真撮影だけだけど」
口の中でコロコロと飴玉を転がしつつ、気怠げに言う杏。
なるほど、今はそれまでの暇つぶしか。
しかし、仕事前だというのに二人とも全く緊張といったものは感じられない。凄い自然体だ。
……いやまぁ、この二人がそういうキャラじゃないのは重々承知してはいるんだが。
きらり「あれ? そういえばはっちゃん、今日は凛ちゃんはいないのー?」
八幡「あー……今日はレッスンでな。今頃は昼休憩してるだろ」
本当であれば午前中の内に見に行きたかったのだが、時既に遅し。
午後は予定入ってっから行けそうにないしなぁ。
きらり「そっかー、凛ちゃん寂しいねー」
八幡「まぁ確かに今週はもう会えないだろうしな」
杏・きらり「「えっ」」
八幡「あ?」
560 :2014/07/12(土) 02:30:46.97 ID:Gl0S96aK0
二人が急に俺の方に視線を向ける。
俺まで思わず呆気にとられ、弁当を口に運ぶのを止めてしまう。
八幡「……どうかしたか?」
杏「いや今、今週はもう会えないって言った?」
八幡「ああ」
杏「え、なんで? 担当外されたの?」
八幡「んなわけあるか」
つーか、何自然に担当を“外れた”じゃなくて“外された”って言ってんだ。
まるで俺が何かやらかしたと確信してるみてーじゃねぇか。
八幡「単純に、スケジュールの都合だよ」
ちらっとホワイトボードのスケジュール表を見る。
八幡「ちょっと今週他の奴らに付く仕事を頼まれてな。凛も一人で出来る仕事が主だったし、一緒じゃなくても大丈夫と判断したんだよ」
きらり「そっかぁ……残念だにぃー」ショボーン
そこで何故かきらりの元気が無くなる。感受性が豊かなのやらなんのやら。
そして杏はと言うと、珍しく、真剣な表情を作っていた。
561 :2014/07/12(土) 02:33:56.28 ID:Gl0S96aK0
杏「……八幡、大丈夫?」
八幡「何がだよ」
杏「いやだって、これじゃあ八幡が真面目な仕事人みたいだよ? そんなのおかしいよ」
八幡「どういう意味だおい」
いや、確かに今の自分が、嫌になるくらい社畜ってるのは認めるけども。
俺だって、うん、真面目ダヨ?
杏「まぁ別に杏には関係無いからいいんだけどね」
八幡「……ならいいだろ」
俺がやれやれと食事を再会すると、しかし、そこで杏は少しだけ悲しそうな表情になる。
杏「……でも、凛ちゃんはそうじゃないからさ」
八幡「あ?」
杏「仕事で忙しいのも仕方ないし、お互い納得の上なら何も言えないけど……ね」
八幡「……」
本当は、今日の午前に会う筈だった。
ともすれば、恐らくこれが今週会える唯一のチャンスだったから。
だが、その為に仕事を棒に振って、凛のチャンスを無駄にするわけにもいかない。
だから、きっとこれが正しい選択なんだ。
きっと。
562 :2014/07/12(土) 02:35:22.46 ID:Gl0S96aK0
杏「……ま、余計なお世話だとも思うけどねー」
見ると、さっきまでの悲しげな表情はどこへやら。
杏は、いつもの飄々とした態度で言う。
杏「これまで何とかなってきた二人なんだから、大丈夫なんじゃない? 知らんけど」
八幡「……お前はプロ雀士かよ」
思わず、苦笑する。
それは杏の珍しい気遣いで、なんとなくレアな物を見た気分になって、少しだけ、元気が出た。
きらり「あっ! はっちゃんもお菓子食べるー? デザートデザート☆」
杏「えー、八幡にあげるなら杏にちょうだいよー」
八幡「別に欲しいわけではないが、そう言われると渡したくもないな」
お昼の休憩時間、少しだけそうして戯れる。
その短い時間だけで、ちょっとだけ元気を貰えた気がした。
一週間は、始まったばかりだ。
579 :2014/07/13(日) 01:17:55.27 ID:0NkGZsnF0
ー 火曜 tuesday ー
都内にある某スタジオ。
カメラや機材がいくつもある、いかにもな薄暗い室内。
その中で、白いバックペーパーの前でポーズを取る一人の少女。
カメラへ向かって笑顔を振りまき、時折ポーズを変えている。
天真爛漫という言葉がピッタリな、まさにアイドルを思わせる光景だ。
そしてその少女は、俺の担当アイドル、渋谷凛ではない。
みく「こーんな感じかにゃ?」
カメラマン「いいねぇ、次は前で腕を組んで…」
同じシンデレラプロダクションの所属アイドル、前川みくである。
580 :2014/07/13(日) 01:19:44.03 ID:0NkGZsnF0
今日はとある雑誌の写真撮影と取材の為、こうして俺が付き添いとして出向いている。
ぶっちゃけ、あまり必要性は感じられないんだがな。
その後30分程で撮影を終え、次の取材に備えて休憩時間に入る。
こちらに戻ってくる前川を目で捉え、寄っかかっていた壁から背を離す。
八幡「ほれ、お疲れさん」
そう言って手渡すのは、先程自販機で購入しておいたペットボトルのお茶。
緑茶もあったが、何となく紅茶を選んだ。ティータイムは大事にしないとネー。
前川は少しだけ驚いた様子を見せた後、嬉しそうな笑顔でお茶を受け取る。
みく「ありがとっ、ヒッキーは気が利くにゃ♪」
八幡「……」
え、お前もその呼び方で俺を呼ぶの?
どこぞのガハマさんを思い出させるその言葉。誰かの差し金とかじゃないだろうな……
みく「ウチのPちゃんも、いつもこれくらい気が遣えればにゃあ」
八幡「Pちゃん? え、お前キムタクと知り合いなの?」
みく「誰もスマスマの話はしてないにゃ! みくのプロデューサーのことっ!」
581 :2014/07/13(日) 01:21:29.99 ID:0NkGZsnF0
あーなんだそっちか。
思わずアイドルってスゲーと思ってしまった。いや分かって言ったけどね。
ポンキッキーズとどっちにしようか迷ったが、まぁそこはどうでもいい話。
八幡「まぁ俺が言うのも何だが、確かに……なんだその、あー……」
みく「頭悪そう?」
八幡「いやそこまでは言わんけど……まぁ」
みく「あながち間違いでもないにゃ」
間違いでもないんですね。
しれっと言いのける前川。良かったなPちゃん、担当アイドルお墨付きだぞ。
みく「大体、Pちゃんはみくの事ちょっと面白がってる節があるにゃ!」
八幡「と、言うと?」
みく「お魚苦手なの知っててグルメロケに出演させたり、ドッキリ系のお仕事よく取って来たり、楽屋のお弁当がお魚だったり!」
つまり魚が嫌いなんだった。
いやでも楽屋のお弁当はどうしようもなくねぇ?
582 :2014/07/13(日) 01:23:30.20 ID:0NkGZsnF0
みく「全く、少しはみくの事も考えてほしいにゃ!」プンプン!
八幡「……その割には、楽しそうに話すのな」
みく「え?」
八幡「今日の写真撮影、好きだった雑誌の特集なんだろ? 自分の為に頑張ってくれたって、さっき嬉しそうに話してたじゃねーか」
思い出すのは、撮影が始まる前のスタッフさんとの雑談。
社交辞令も含まれていただろうが、確かにあの時話していた言葉には、前川の本音が込められいた気がする。
自分のプロデューサーに対する、信頼と感謝が。
しかし俺のその言葉に、前川は少しばかり恥ずかしそうに目を逸らした。
みく「そ、それとこれとは話が別にゃ」
拗ねたように言うその態度に、思わず苦笑が漏れる。
ま、本人がそう言うなら、そういう事にしておこう。
八幡「けど実際、俺なんかに付き添いを頼むんだから変わった奴だよ」
数日程前、奉仕部経由で前川のプロデューサーは俺に依頼してきた。
なんでも得意先の会社のお偉いさんと打ち合わせが入ってしまい、誰かに付き添いを頼みたかったとか。
583 :2014/07/13(日) 01:25:28.71 ID:0NkGZsnF0
探せば他にいくらでも変わりはいたと思うのだが、頼まれたからには引き受けるしかない。
そして前川だけでなく、今週一週間は毎日そんな感じ。なので、凛には出来るだけ一人でこなせるスケジュール組んだ。
伊達に場数をこなしてはいないからな。恐らく問題は無いだろう。
みく「Pちゃん、ヒッキーの事結構信用してるみたいだよ? 中々根性のある奴だ、って」
八幡「根性は無い自信があるがな。そんな事言ってくれんのは、お前と新田んとこのプロデューサーくらいだよ」
実際、俺の事務所内での評判はあまりよろしくない。
主に一般Pからのものではあるがな。なんというか、妬みやらも多分に含まれているのだろう。
奉仕部とかいう立場にかこつけて、複数のアイドルに手を出してるだとか。
他の一般Pと関わろうとせず、愛想も態度も悪いとか。
事務員を買収して、デスクや情報を貰っているとか、な。
……本当にあながち間違いでもないから困る。
そんな中で、こうして俺に依頼を出してくれる前川のプロデューサーは、珍しい部類と言えた。
だからこそ、引き受けた所もあるんだがな。
みく「……ヒッキーは、陰口とか、周りに悪く言われてても平気なの?」
見ると、何処か悲しげな、というよりは心配しているような表情の前川。
しかしその気遣いは、嬉しいが杞憂と言わざるを得ない。
584 :2014/07/13(日) 01:27:20.54 ID:0NkGZsnF0
八幡「俺を誰だと思ってんだよ。総武高校の“いないもの”とは俺の事だぞ? こんくらいは日常茶飯事だ」
みく「全然威張って言う事じゃないにゃ……」
というか現在進行形で本当に総武高校にいないんだから凄い。
恐らく、ウチのクラスでは何事も変わりなく授業が進んでいるのだろう。良かったね。これで殺人事件も起きないね。
八幡「そんなどうでもいい事は気にしてんな。お前は、自分ん所のプロデューサーと頑張りゃいい」
みく「……うん」
未だやり切れない様子ではあるが、何とか頷く前川。
その様子だけで、こいつが本当に優しい女の子だという事を実感する。
少しばかりおつむが弱そうな所はあるが、いつも明るく元気で。
人の事を心配して、一緒に悲しんでくれて。
優しいその人柄は、呼び方も相まって、あの少女を思い出す。
やっぱり優しい女の子は、嫌いだ。
いつも、勘違いしそうになってしまうから。
585 :2014/07/13(日) 01:28:46.59 ID:0NkGZsnF0
と、休憩時間が終わったのか、記者さんがこちらに呼びかけてくる。
この後は取材を兼ねたインタビューだ。
八幡「ほら、取材が始まるから行ってこい」
みく「あっ、うん!」
お茶を預かり、前川は小走りで向かっていく。
しかしそこで、彼女はふと歩みを止めた。
八幡「? どうした」
みく「ヒッキーっ!」
八幡「うおっ」ビクッ
思いがけない大きな声に、思わず体が反応する。
前川は、真っ直ぐな瞳で俺を見ていた。
みく「他の人がどう言ってても、みくもPちゃんも、ヒッキーの事ちゃんと分かってるから!」
八幡「っ!」
586 :2014/07/13(日) 01:31:26.22 ID:0NkGZsnF0
「そこだけ忘れないでよね!」と言い残し、彼女は笑顔でスタッフの元へと走っていった。
……まさか突然あんな事を言われるとは思っていなかったので、少しばかり唖然としてしまった。
そして、遅れて苦笑が漏れる。
あのプロデューサーあって、このアイドルあり、か。
家族でもないが、どこか似通ってしまうものなんかね。
前川といい、臨時プロデュースしてきた奴らといい。
どうしてこう、俺の予想の及ばない事をしてくれるのか。
それで嬉しいと、気持ちが軽くなっている自分がいるのだから、どうしようもない。
本当に。
優しい女の子は、苦手だ。
612 :2014/07/15(火) 00:41:26.94 ID:U0sZprrf0
ー 水曜 wednesday ー
少しだけ、急ぐ。
足は自然と小走りで、そんな気も無いのに急いてしまう。
自動ドアの開くタイミングと合わず、少しだけつんのめる形になった。
ドアが開いた瞬間、あの独特の匂いが鼻につく。
正直に言えば、あまり好きではない匂い。
というより、好きな奴などそうはいないだろう。
有り体に言えばーー
消毒液の、匂いだ。
613 :2014/07/15(火) 00:43:00.74 ID:U0sZprrf0
その後受付で面会の許可を取り、以前の記憶を頼りに足を進める。
前に来たのは、もう三ヶ月以上も前になる。まさか、また来る事になるとはな。
途中迷いそうになりながらも、なんとか目的地付近まで辿り着く。
自分の記憶が正しい事にホッとしていると、目的の部屋の前で人影を目にする。
白衣に身を包んだ、20代前半くらいの女性。
柔和な印象を与える整った顔立ちに、きっちりと纏め上げられた奇麗な茶髪は清潔感を思わせる。
首には聴診器、手にはクリップボード。挟んである紙は、恐らくはカルテだろう。
一言で言えば、看護婦さんである。
ナースキャップが眩しい。
その看護婦さんは丁度部屋から出て来た所らしく、すぐに俺に気付いた。
俺の顔を見ると、ニコッと笑顔を作る。
「お見舞いですか?」
八幡「ええ、まぁ」
しかし本当に美人だな……
こんなに奇麗な看護婦さんに看病して貰えるなら、入院生活も案外悪くないかもしれん。
きっとさぞ優しくお世話してくれるんだろうな。
「たった今定期検診が終わったので、もう面会しても大丈夫ですよ」
八幡「ありがとうございます」
614 :2014/07/15(火) 00:44:57.03 ID:U0sZprrf0
無難にも程がある返事を俺がすると、看護婦さんはまた少しだけ笑みを見せる。
「以前にもいらっしゃってましたよね。彼氏さんですか?」
少しばかり、からかう様な言い方。
なんとも悲しくなる事を訊いてくれるものだ。分かって言ってる?
つーか、まさか俺の事を覚えてるとはな。そっちの方が驚きだ。
八幡「そんなんじゃないですよ。あいつとは仕事の…」
と、そこまで言って言葉が止まる。
なんとなく、こんな事を言ったら怒られそうな気がしたから。
誰に、とは言わない。
八幡「……いえ。友達の、お見舞いです」
そう言って、言ってから恥ずかしくなる。
世間ではこんなこと平気で言えるのかもしれないが、俺には大分ハードルが高い。
顔があっついなクソ。
「そうですか」
そして看護婦さんはまた微笑み、満足そうに頷いた。
616 : ◆iX3BLKpVR6 2014/07/15(火) 00:49:14.71 ID:U0sZprrf0
「では、ごゆっくり」
そう言い残し、彼女は去っていった。
なんというか、不思議な雰囲気の人だったな。
咄嗟に名札を見たが、柳……せいら? さんで良いのだろうか。
あの人なら、アイドルとしてもやってけそうな気がするな。
615 :2014/07/15(火) 00:46:50.86 ID:U0sZprrf0
八幡「今度、社長に紹介でもしておくか」
そう呟いてから、今日の目的がそんな事ではないのを思い出す。
念のため、部屋の前に貼ってある名前を確認。ここで間違えたりしたら笑えないからな。
そしてゆっくりとノックをし、返事を待つ。
これも、前回の反省をちゃんと踏まえてだ。というか、あれは完全に奈緒のせいだ。俺は悪くない。
やがて中から声がし、俺は無事に入室の許可を得る。
扉を開くと、そこには見知った顔の少女がベッドに掛けていた。
加蓮「やっはろー。八幡さん」
八幡「……その分じゃ、大事は無さそうだな」
熱のせいかは分からないが。
少しだけ紅潮した加蓮が、そこにいた。
髪を降ろし、またいつぞやと同じパジャマのような病院服を来ている。
ホント、大した事無くて良かったよ。
電話でまた入院したって聞いた時は、正直心臓が止まるかと思ったぞ。
本人は軽い風邪だから心配無いと言っていたが、そんなもの信用ならないからな。放っておくわけにもいくまい。
午前の仕事を出来るだけ早く片付け、お昼に時間を作ってこうして出向いてきた。
午後も仕事があるので、あまり長くはいられないが……まぁ、顔を見れただけ良しとするか。
617 :2014/07/15(火) 00:52:21.87 ID:U0sZprrf0
加蓮「八幡さん、ホントに来てくれたんだ…忙しいんだから、無理しなくてよかったのに」
八幡「無理なんてしてねーよ。むしろ仕事をサボれてラッキーまである。それよか、本当に平気なのか?」
加蓮「えっ?」
八幡「いや、実は余命宣告されたとか…」
冗談めかして言ったが、ちょっとおっかなびっくり聞いてみる。
加蓮「もう、ただの風邪だってば」
八幡「ホントに?」
加蓮「ホントだよ」
可笑しそうに笑う加蓮。
そうか、ただの風邪か。いやー良かった……なんかお前が体調崩したって聞いただけでヒヤヒヤもんだわ。ぶっちゃけこっちの心臓に悪い。
八幡「ほら、テキトーに差し入れ持ってきてやったから、これ食って大人しくしてろ」
そう言って、持って来ていたビニール袋を手渡し、ベッド横の椅子に座る。
中にはコンビニで買ったプリンとかゼリーとか、飲み物とかも入っている。風邪引いた時って、なんか無性にこういうの食いたくなるよな。
それを見て、加蓮を目を丸くする。
その後苦笑しつつ、照れたように言う。
加蓮「もう、こんなに買ってきちゃって…食べ切れないよ」
その割には嬉しそうにしてるのだから、なんともむず痒い。
まぁ、いらないと突き返されなくて安心したよ。
618 :2014/07/15(火) 00:55:55.30 ID:U0sZprrf0
八幡「よく食わないと大きくなれないらしいぞ。身長180センチ強の女子にこの間言われた」
加蓮「誰が言ったか直ぐに分かる上に、凄い説得力だね……」
しかしプロフィールを見れば分かるが、あいつ身長の割に体重軽過ぎなんだよな。
むしろかなり痩せてる方。少し心配になる八幡なのでした(小並感)。
八幡「具合はもう良いのか?」
加蓮「うん。熱も大分下がったからね。明日には退院出来るってさ」
電話で聞いた限りじゃ、元々入院する程の事でもなかったらしい。が、前科が前科な為、今回は念のためお休みを取る事にしたそうだ。
病弱キャラってのも考えもんだな。いやキャラってわけでもないが。
加蓮「最近レッスン増やしてたから、ちょっと疲れが溜まってたのかな」
八幡「……やっぱ、アニバーサリーライブの為か?」
約二ヶ月後に控えている、シンデレラプロダクション主催のアニバーサリーライブ。
その推薦枠に入るため、ここ最近のアイドルたちの間には、何かと緊張が走っている。
それも当然。上位枠のメンバーは既に発表されているが、推薦枠はまだだ。
近々発表予定だが、それまでに出来るだけ成果を上げておきたいという気持ちがあるのだろう。
加蓮「うん。でも、それで身体壊してたら意味無いよね……アハハ」
619 :2014/07/15(火) 00:57:26.39 ID:U0sZprrf0
そう言って加蓮は、少しだけ顔を伏せる。
笑みを浮かべてはいるが、その表情は心なしか暗い。
その乾いた笑いは、自分の不甲斐なさを笑っているように思えた。
加蓮「多分、今回ので大分評価落ちたよね。体調が戻っても、選ばれるのは無理かぁ」
八幡「……」
加蓮「あーあ……ライブ、出たかったなぁ……」
天井を仰ぎ、加蓮のその言葉は、虚しく響くばかり。
だから、俺はそんな加蓮にーー
八幡「ほれ」
加蓮「わぷっ」
一枚の書類を、顔に突きつけてやった。
加蓮「もう。なに、する…の……?」
その紙を見て、加蓮の表情が変わっていく。
書類には、こう書いてある。
620 :2014/07/15(火) 00:59:17.29 ID:U0sZprrf0
『“シンデレラプロダクション アニバーサリーライブ”の参加メンバーの一人に、“北条加蓮”を推薦する事をここに明記する』
加蓮「こ、これって……!」
八幡「おめでとさん。お前はちゃんと選ばれたよ」
瞬間、何かが俺に向かって突撃してくる。否、それは分かり切っている。
加蓮が、俺に抱きついて来たのだ。
加蓮「やった! やったよ八幡さんっ! 私、ライブに出れるって!!」
八幡「知ってるよ! つーか、は、離れろ……!」
あまりに突然だった為、椅子から転げ落ちそうになるが、なんとか踏みとどまる。
興奮し切っている加蓮を押しのけ、ベッドに戻す。
…………。
……ふー。さすがはトライアド・プリムス1のむn…………いや、なんでもない。
八幡「落ち着け。熱ぶり返したりしたらどうすんだ」
加蓮「ごめんごめん。でも、すっごく嬉しくって!」
加蓮のその表情は、見ているこっちまで元気が出てきそうな、そんな笑顔だった。
それを見れただけで、教えた甲斐があったよ。
621 :2014/07/15(火) 01:00:54.96 ID:U0sZprrf0
八幡「ホントはまだ発表じゃないからな。あんまし周りには言うなよ」
加蓮「それって……入院してる私に教えに来てくれたって事?」
八幡「……うっ」
いや、別にそういうわけじゃないよ?
ただこのタイミングで体調崩して、落ち込んでるだろうなーとかは思ってたけども。
お見舞いにはどっちみち来ようとは思ってたし? べ、別に、お前を喜ばせようと思ったわけじゃないんだからね!
と、懇切丁寧に説明したが、加蓮は嫌な笑みを浮かべるだけだった。
なんだその皆まで言うな的なしたり顔は。
加蓮「……ありがとね、八幡さん」
そして真顔になったかと思えば、微笑んでこんな事を言ってくる。
ホント、俺じゃなきゃ騙されてるぞ。
八幡「別に、お礼を言われるような事はしてねーよ。頑張ったのはお前だ」
だから俺は、いつも通りこう言ってやる。
純粋に、そう思っているからな。
……本当に、皆よく頑張った。
622 :2014/07/15(火) 01:03:03.34 ID:U0sZprrf0
その後いくつか会話を交わし、その場を後にする事にする。
しかしその別れ際、加蓮はこんな事を言ってきた。
加蓮「……八幡さん。お願いがあるんだ」
その表情は、真剣でいて、どこか悲しげだった。
八幡「どうしたよ。そんな改まって」
加蓮「……凛を、よろしくね」
八幡「? なんだよ急に」
凛をよろしく……とは、また急だな。
そもそも、担当アイドルなんだから世話を焼くのは当然と言える。
しかし、加蓮が言いたいのはそういう事ではないようで。
加蓮「最近、あまり凛と会ってないでしょ?」
八幡「まぁ、な」
というか今週一週間会えないのだが、それを言ったら更に何か言われそうなので黙っておく。
623 :2014/07/15(火) 01:05:24.61 ID:U0sZprrf0
加蓮「凛は……あの子は、あまり我が侭とか言わないからさ。仕方ないとか、仕事だからとかって、自分の気持ちを押さえ込むとこあると思うんだ」
八幡「……」
加蓮「まぁ、これは八幡さんにも言える事なんだけどね」
「似た者同士だよね」と言って笑う加蓮。
いや、別に今はそこはいいだろ。なんかハズイ。
加蓮「……だからさ、凛のこと、大事にしてあげてね」
八幡「…………善処する」
なんと答えたものかと考えた挙げ句、何ともぶっきらぼうな言い回しになってしまった。
しかし、加蓮はそれで満足したらしく、笑っていた。
……これも加蓮たってのお願いだ。
ここは素直に、受け取っておくとしよう。
624 :2014/07/15(火) 01:07:07.55 ID:U0sZprrf0
加蓮「それじゃあ八幡さん。今日はありがとね」
八幡「いいって。……そうだ加蓮」
加蓮「ん?」
扉を閉める直前、このまま言われっぱなしも癪なので、お返しとばかりに俺も言ってやる事にする。
八幡「一応アイドルなんだから、むやみやたらに男に抱きつくのはやめとけよ」
加蓮「っ!」カァァ
瞬間、紅潮する加蓮。
俺は満足し、扉を閉めて病室を後にするのであった。
去った後の部屋からは、「もーう!」という声が響いたそうな。
657 :2014/07/20(日) 02:22:12.39 ID:xehw/xfK0
ー 木曜 thursday ー
さて、ここで改めて名言しておくが、俺は比企谷八幡である。
いきなり何を、と思われるかもしれんが、これはとても重要な事だ。
そう、重要な事なのだ。大事な事だからな。2回どころか3回言ってもいい。
今でこそ様々な人間と関わり、多少なりとも変化が見られたとしても、俺は俺だ。
そこだけは、どれだけ時間がたったても変わりはしない。
知らない人に話しかけられれば、盛大にキョドるし、
優しくされれば、何かあるのではと裏をかく。
伊達に、長年ぼっちはやっていない。
最近になって奇跡的に俺の事を友達と呼んでくれる奴らも出て来たが、それもごく稀だ。
658 :2014/07/20(日) 02:24:24.84 ID:xehw/xfK0
リア充を見れば、心の中で九九艦爆を出撃させるし、
昔の知り合いを見かければ、バレないようにと逃げてしまう。
どうしたって、変わらない所は変わらない。
だが、俺はそんな自分が好きだし、それで構わないと思っている。
他人に否定される事はあっても、自分くらいは肯定してやりたい。
だから俺は、今日も比企谷八幡であり続ける。
例え、
八幡「…………」
美波「…………」
現在進行形で、女の子と気まずくなっていたとしても、だ。
……やりづらい。
現在、俺は隣に座る彼女と仕事場へ向かっている。
足はタクシー。車の免許を持たない俺では、移動手段はどうしたってこうなる。
そしてただただ静かに鎮座している彼女は、新田美波。
今日、俺が付き添いを頼まれたアイドルだ。
659 :2014/07/20(日) 02:26:05.74 ID:xehw/xfK0
彼女は自信がキャンペーンガールとなっているラクロス全日本選手権の会場で、宣伝も兼ねた選手達への応援をする事になっている。
そして俺は、例によってその付き添い。理由は前川の時と似たようなものだ。
しかし、今回俺は思わぬ壁に衝突している。
前川の時以上に、いや。下手をすれば、今までプロデュースしてきたどのアイドルたちよりも厳しい状況かもしれない。
全ては、新田さんの人柄に起因する。
それと言うのもーー
美波「あ、あの、今何時くらいですか……?」
八幡「え、あー……8時、半、くらいですね」
美波「そう、ですか……」
八幡「ええ……」
美波「…………」
八幡「…………」
と、いった何とも言えないやり取りがずっと続いている。
何と言うか、ホントに……
八幡「(やりづらい……)」
660 :2014/07/20(日) 02:27:50.16 ID:xehw/xfK0
今にして思えば、これまでのアイドルたちが少々特殊だったのだ。
物怖じしないと言うか、強気というか、遠慮が無いというか。
基本受動的な俺に対し、グイグイ来る奴が多かった。
よく考えれば、同い年か少し年下が多かったからな。
気兼ねなく話しかけてこれたのは、それが理由の一つでもあるのかもしれん。
八幡「…………」
いや、あいつらなら例え年上でも同じように接してるだろうな。
予想ではあるが、断言出来る。
そしてそこに来て、年上の新田……さんだ。
正直、どう接していいのか分からない。
同じ年上でも、楓さんの時とは勝手が違う。
あっちはもっと年上だったし、何というか大人の余裕があった。
本人も気にせず話しかけてきたしな。
しかし新田さんは花も恥じらう19歳。
なんつーか、少女でもあり、大人の色気も出て来たりで……とにかくなんか緊張しちゃう!
まぁ最初は全然19歳だって知らなかったけどな。普通に女子高生だと思ってた。
しかも年齢を抜きにしても、新田さんはとても大人しい。
お淑やかというか清楚というか、間違っても「にょわー☆」とか言わないタイプだ。いや普通は誰だって言わんだろうけど。
無駄に元気があっても振り回されるだけだと思っていたが……
まさか、ここにきてあいつらの積極性にありがたみを感じる日が来るとは。
661 :2014/07/20(日) 02:29:47.47 ID:xehw/xfK0
別に新田さんの性格が悪いとは言わない。
むしろ個人的には好ましいまである。
だが如何せん……
八幡「(気まずい……)」
ホント、まさかこんな所で俺のコミュ力の無さを思い出すとはな。
俺も、プロデューサーとしてまだまだヒヨっ子なのだった。
美波「あ、あの……!」
と、ここで新田さんから再び声がかけられる。
ちなみにタクシーに乗ってからいくつか会話を交わしたが、その全ては新田さんからのものである。
し、仕方ないやん? そんな面識無いし、何話していいか分からないやん?
俺は窓の外から目を離し、新田さんへと顔を向ける。
さぁ次は何の話題だ? 天気か? 会話の墓場か?
俺はどんな話を振られてもいいように身構える。が、新田さんの発した言葉は、俺の予想の斜め上だった。
新田「ご、ごめんなさい……!」
八幡「…………は?」
思わず、間抜けな声が出る。
何を言われるかと思えば、何故か謝られてしまった。
え、俺何か謝られるような事した?
662 :2014/07/20(日) 02:33:21.18 ID:xehw/xfK0
新田「わ、私、今まであまり歳の近い男の人と話したこと無くて……だから、ちょっと緊張して……」
申し訳なさそうに、俯きがちに言う新田さん。
あーつまりなんだ。自分が緊張して上手く話せないから、そのせいで気まずい空気にしてしまって申し訳ないと、そう言いたい訳か。
別にそれは謝る事じゃないし、そもそも気まずいに空気にしている原因は俺にもある。
お人好しというか、律儀な人であった。
八幡「……いーっすよ。こっちこそすんません、年下のプロデューサーとかやり辛くて仕方ないでしょう」
美波「そ、そんな事ないですよ! 私なんかよりしっかりしてて、凄いと思います」
そう言って、やっと彼女は微笑んだ。
う……やばいな、本当に美人だ。これは勘違いしても責められない。いやしないけど。
というか、さっき何かとんでもない事を言ってなかったか?
確か、あまり歳の近い男と話した事が無いとかなんとか。
……マジかよ。こんな可愛いのに男の免疫ないとか、完全に誘ってやがるよ!(違います)
美波「あまり話した事が無かったですけど、比企谷さんがとても良い方で良かったです」
安心したようにそう言う彼女。
というか、比企谷さん呼びとな。年上なだけに、何とも違和感を覚える。
八幡「さん付けとか、敬語もいいですよ。年下なんですし」
美波「え? でも……」
八幡「そっちのが、かえって気遣っちゃいます」
少し卑怯な言い方だが、こう言えば彼女も諦めるだろう。
実際言った事は本音だし、普通に話してくれた方が俺も何かと気が楽だ。
663 :2014/07/20(日) 02:35:11.80 ID:xehw/xfK0
美波「そう……かな? ……じゃあ、よろしくね比企くん」
八幡「…………ええ」
ニコッと笑い、新田さんは少し恥ずかしそうに言う。
うぁぁああああああ天使か己はッ!!!!
し、しっかりしろ八幡! 戸塚だ、戸塚の笑顔を思い出せ!
俺は心の中で戸塚とのアバンチュール(妄想)に没頭するが、勿論新田さんはそんな事など知らない。
美波「今日はありがとう比企谷くん。プロデューサーさんが来れなくて困ってたから、助かっちゃった」
八幡「えっ? あ、あぁ。別にこれくらい大丈夫ですよ」
新田さんの言葉で、俺は現実に戻る。
危なかった。もう少しで超えてはいけない一線を超える所だった……
八幡「実際、俺が一緒にいてもやれる事なんて殆ど無いですしね」
美波「でも、男の方が付き添いなら危ない人に襲われる心配も少ないってプロデューサーさんが言ってたよ?」
八幡「まぁ確かに……でも、新田さんのプロデューサーならどっちにしろ心配無さそうですけどね」
美波「あ、あはは……うん……」
664 :2014/07/20(日) 02:37:55.19 ID:xehw/xfK0
思い出すは、あのやけにキリッとした金髪眼鏡の女プロデューサー。
美人でスタイルも抜群。ぶっちゃけアイドルとしても通用するような容姿の彼女だが……如何せん、残念だ。
なんでも男には興味が無いらしく、可愛い女の子をプロデュースしたくて一般Pになったらしい。何それ怖い。
元女子大の主席とは聞いていたが、まさかここまでとはな。
この間なんかは、アイドルたちのライブ衣装の試着に同伴して「メ、メニアーック!」とか言って鼻血出して倒れたらしい。だから怖ぇって。
美波「で、でも良い人なんだよ? 私の為に凄い頑張ってくれてるし。……まぁ、ちょっと薦めてくる衣装は恥ずかしいけど」
八幡「えっ」
なん…だと……
そうか。新田さんのやけに露出の多い衣装はそのせいだったのか。やるじゃねぇか変態プロデューサー!
世の美波ファンを代表して、心中で賛辞を送る。
美波「それに、比企谷くんの事も評価してたよ? プロデューサーさん、あまり男の人の事を良く言わないから、ちょっと驚いちゃった」
八幡「あーそれはまぁ……」
というのも、新田さんのプロデューサーと初めて話したのは最近になってからだ。
なんでも、凛のライブに感銘を受けたらしい。
直接会いに来て、なんか凛にハァハァしていたのは記憶に新しい。凛が怯えてて可愛かったです。
ちなみにその時に「あなた、中々良い趣味してるわね」と言われた。
いやアンタには敵いませんて。
俺はその時の事を思い出し苦笑する。
すると、そこで新田さんは別の話題を振ってきた。
665 :2014/07/20(日) 02:40:11.98 ID:xehw/xfK0
美波「……比企谷くん、一つ訊いてもいい?」
八幡「? 何です?」
美波「こんな事訊くのは、あまり良くないかもしれないんだけど……」
顔をしかめつつ、新田さんはおずおずと話し出した。
美波「私や凛ちゃんはシンデレラプロダクションのアイドルだけど、プロデューサーや比企谷くんは、その……正式には、社員じゃないよね」
八幡「……そう、ですね」
美波「だから、その……このプロデューサー大作戦っていう企画が終わったら……」
その続きは、言葉になることは無かった。
それでも、言わんとしてる事は充分に伝わっていた。
俺だって、気付いていなかったわけじゃない。
このプロデューサー大作戦という企画が終われば、俺も、新田と前川のプロデューサーも、
会社を辞めて、元の一般人に戻るのだ。
もしかしたら、そのまま正社員になる可能性もある。
以前に言ったように、この企画自体に選定的な意味合いがあるなら、それは決して低い可能性ではないだろう。
だがそれでも、確実な話ではない。
企画が終われば、別れがやって来る。
そう思っていた方が、きっと身の為だ。
666 :2014/07/20(日) 02:43:02.32 ID:xehw/xfK0
八幡「……やっぱり、プロデューサーと離れるのは寂しいですか?」
俺がそう訊くと、新田さんは俯き、やがて小さく頷いた。
美波「……うん。プロデューサーさんは、私に色んなものをくれたから」
その言葉を聞いて、ふと凛の顔が、凛と過ごしたこれまでの記憶が蘇る。
色んなものをくれた。その言葉はきっと、事実だろう。
そしてそう思っているのは、彼女のプロデューサーも同じはずだ。
俺が、そうだから。
美波「……比企谷くんは、どう思う? プロデューサーさんには聞けないけど、同じ立場の比企谷くんならどうなのかなって……」
八幡「…………」
アニバーサリーライブまで、既に二ヶ月を切った。
そしてそれが終われば、もう企画終了まで僅かな時間しかない。
つまり、それが凛との残された期間。
そんな事は分かり切っている。
だから、俺はーー
八幡「わからないです」
美波「え?」
667 :2014/07/20(日) 02:44:59.35 ID:xehw/xfK0
俺の言葉が意外だったのか、目を丸くする新田さん。
そんな新田さんに対し、俺は言葉を続ける。
八幡「……いや。というよりは、考えてる余裕が無いって感じですかね」
美波「余裕が無い……?」
八幡「ええ。だって、まだ企画は終わってませんから」
美波「っ!」
そうだ。
確かに別れはいつか必ずやってくる。
でもそれは、今じゃない。
八幡「そりゃ俺だって思う所が無いわけじゃないです。それでも、今は凛をトップアイドルにする事だけを考えるようにしてます」
美波「…………」
八幡「まぁ、問題を先送りにしてるって言われたらそれまでですけどね。……けど俺は、凛をシンデレラガールにしたくてプロデューサーやってるわけですから」
きっとこんな事、本人には言えないだろうな。
相手が新田さんだからこそ言える、今の俺の本音。
そしてこれはきっと、俺だけではない。
668 :2014/07/20(日) 02:46:29.22 ID:xehw/xfK0
八幡「……新田さんのプロデューサーも、たぶん同じだと思いますよ」
美波「っ! プロデューサーさん、も……?」
八幡「ええ」
新田さんとプロデューサーが、二人で話しているのを見た事がある。
本当に中が良さそうで、こんな俺からでも、確かな絆があるように感じられた。
まるで、姉妹のように。
美波「そっか……」
そして俺の言葉を聞いた新田さんは、少しだけ晴れやかな表情になっていた。
いつもよりちょっとだけ、力強い笑顔。
美波「それなら、私も頑張らないとだね」
八幡「……ですね。手始めにまずは、今日の仕事を片付けましょう」
美波「うん♪」
そうして、タクシーは仕事場へと向かって行く。
その後いくつか会話を交わしている内に気付いたが、いつの間にか普通に話せるようになっていた。
お互い、自分の胸の内を見せたおかげかもな。
669 :2014/07/20(日) 02:49:27.63 ID:xehw/xfK0
きっと、誰しもが等し並に悩みを抱えている。
それはアイドルでも、プロデューサーでも。
解消できたとは言えない。それでも、今このときだけは彼女を笑顔に出来た。
比企谷八幡は変わらない。
イケメンを見れば呪詛を唱えたくなるし、
可愛い子を見れば、どうせビッチだろうと決めつける。
我ながら、腐った目と性根をしているものだ。
しかし。そんな俺でも、一人のアイドルを笑顔に出来た。
ならやっぱり、
比企谷八幡という人間も、案外捨てたもんじゃない。
694 :2014/07/24(木) 01:13:50.65 ID:b0oTqJpy0
ー 金曜 friday ー
八幡「ーー何でだッ!」
柄にもなく、叫んでしまう。
こんなに喉が痛くなる程声を出すなんて、俺らしくない。
しかしそれでも、叫ばずにはいられなかった。
絶対に諦めるわけには、いかなかったんだ。
奈緒「…………」
そんな俺を、酷く冷めた目で見つめる奈緒。
呆れ果てたように、どこか侮蔑を含めた視線で、ただただ俺を射抜く。
何だってんだ……
そんなに、そんなにいけない事なのかよ……!
695 :2014/07/24(木) 01:15:23.69 ID:b0oTqJpy0
未央「なおちん……」
そしてその隣では、奈緒を宥めるように声をかける本田。
どちらかと言えば、彼女は俺を擁護してくれている側だった。
未央「少しくらいなら、ね? プロデューサーもここまで言ってるんだし……」
奈緒「ダメに、決まってるだろ……」
八幡「ッ!」
だが、それでも奈緒は引き下がらない。
俺への睨みを強くし、更に畳み掛けてくる。
奈緒「そんなの……そんなの許されるはずがない! 例え周りが良いって言ったって、アタシが認めないっ!」
絶対に引かないという、奈緒の強い意志が伝わってくる。
だがな、そんなのは俺だって一緒なんだよ。
絶対に、引けるかーーッ!
八幡「いいぜ……お前が俺の頼みを聞けないってんならーー」
奈緒・未央「「ッ!!」」
696 :2014/07/24(木) 01:19:34.37 ID:b0oTqJpy0
八幡「ーーまずは、そのふざけた幻想をぶt「そろそろ本番でーす! 出演の方は準備お願いしまーす!」
…………。
奈緒「あ、はーい。今行きまーす」
未央「ごめんねプロデューサー? もう始まるし、行ってくるね♪」
スタッフの声が聞こえるや否や、奈緒と本田はさっきのノリから一転、何事も無かったかのようにさっさとその場を後にする。
残されたのは、ただ虚しく右拳を掲げる俺一人。
……なんでだ。
俺はその場に崩れ落ち、無様にも膝をつく。
どうしようもない想いが、溢れてしょうがなかった。
なんで、なんでーー
八幡「なんで俺も『千葉散歩』に出してくれないんだ……!」
奈緒「いや無理に決まってるだろ」
奈緒のツッコミすら、今の俺には虚しかった。
わざわざ戻ってくるなよ……
697 :2014/07/24(木) 01:22:03.99 ID:b0oTqJpy0
そんなこんなで、今日の俺の仕事は奈緒と未央の番組『千葉散歩』の同行だ。
千葉出身の二人が、千葉の名所を紹介していくローカル番組。今最も俺の中で熱いテレビ番組だと言えよう。
ちなみに毎週録画しているのは秘密である。
俺が今日このロケに同行しているのは、先日奈緒たちに相談を受けた事が発端になる。
より身近な意見を取り入れたいという事で、出演者以外の千葉出身者からの案が欲しかったらしい。
もちろん、俺は二つ返事でOKした。むしろ心待ちにしていたまである。
俺が積極的過ぎてスタッフが若干引くくらいだったが、まだまだこんなもんじゃ足りないくらいなんだよこっちは!
そしてそんな俺の意見が採用された回の収録が、今日というわけだ。
やはり原案者としては現場まで同行せねばなるまいと、半ば強いn……快諾を得てロケに付いて来た。
本当なら少しだけでもいいから出してほしかったが……やっぱ無理ですよねー
まぁ俺もダメもとだったしね。半分冗談だったしね。いやホントホント。超出たかったーーッ!!
というわけで、俺は大人しくスタッフさんと一緒に静かに見守るのでした。
未央『いやー楽しかった♪ 今日はどうだったナナミン?』
菜々『ナナもすっごい楽しかったです! ゲストで呼んで頂きありがとうございました♪』
カメラ越しに見えるのは、今日のゲストである安倍菜々……さん。
既にロケも終盤で、残るはエンディングを残すのみだ。
698 :2014/07/24(木) 01:25:08.75 ID:b0oTqJpy0
菜々『いやー最近は忙しかったから、あまり帰ってこれn……あっ』
未央『帰って??』
菜々『い、いやあのそのっ、そう! ウサミン星へのワープホールが千葉にあってですね! それで……』
未央『そう言えばナナミン、マザー牧場行った時に、昔よく遊びに来てたとかなんとか……?』
菜々『ミ、ミミミン……』ダラダラ
奈緒『こ、今週はこの辺で! また来週も千葉のどこかでお会いしましょう! またなー!』
『はーい、オッケーでーすっ!』
八幡「…………」
オッケーなのかよ。
心の中でツッコミを入れ、今日の収録は無事終了した。
いや、約一名無事じゃない気もするが。
なんでもファンには、このグダグダな緩い感じがウケているらしい。
まぁ、気持ちは分からんでもない。
ちなみにレギュラーは本田と奈緒。
そして順レギュラーには同じく千葉出身のデレプロ所属アイドルの、太田優に矢口美羽がいる。
ただ基本的には本田と奈緒の二人進行なので、たまーに太田さんか矢口がそれに参加するといった具合だ。
基本的にゲストは珍しいのだが、何故か安倍さんはよく呼ばれる。ナンデダロウネー。
そろそろ凛もゲストに呼んでほしいものだ。
699 :2014/07/24(木) 01:27:32.41 ID:b0oTqJpy0
そんなわけでロケも終了し、場所は変わってロケバス内。
今日はもう上がりなので、東京の会社まで送ってくれるらしい。良いスタッフさんたちだ。
奈緒は疲れたのか、窓へもたれ眠ってしまっている。
安倍さんは……なんか凹んでるな。そっとしておいてあげよう。
そんで本田はというと……
未央「お疲れ様プロデューサー♪」
何故か、俺の隣の席へと座っている。
いや、他にも席結構空いてるよ?
八幡「……お疲れ」
未央「もうプロデューサー、そこは闇に飲まれよ! くらいは言ってくれないと!」
八幡「お前は俺に何を求めてるんだ……」
からかうような笑顔で、これでもかと絡んでくる未央(比喩です)。
ロケが終わったばかりだというのに元気な奴である。ちょっと杏に分けてやれ。
俺が鬱陶しそうな態度を隠そうともせずにいると、それが気に食わなかったのか、わざとらしく拗ねた顔になる本田。
3: 2014/07/24(木) 01:13:50.65 ID:b0oTqJpy0
ー 金曜 friday ー
八幡「ーー何でだッ!」
柄にもなく、叫んでしまう。
こんなに喉が痛くなる程声を出すなんて、俺らしくない。
しかしそれでも、叫ばずにはいられなかった。
絶対に諦めるわけには、いかなかったんだ。
奈緒「…………」
そんな俺を、酷く冷めた目で見つめる奈緒。
呆れ果てたように、どこか侮蔑を含めた視線で、ただただ俺を射抜く。
何だってんだ……
そんなに、そんなにいけない事なのかよ……!
4: 2014/07/24(木) 01:15:23.69 ID:b0oTqJpy0
未央「なおちん……」
そしてその隣では、奈緒を宥めるように声をかける本田。
どちらかと言えば、彼女は俺を擁護してくれている側だった。
未央「少しくらいなら、ね? プロデューサーもここまで言ってるんだし……」
奈緒「ダメに、決まってるだろ……」
八幡「ッ!」
だが、それでも奈緒は引き下がらない。
俺への睨みを強くし、更に畳み掛けてくる。
奈緒「そんなの……そんなの許されるはずがない! 例え周りが良いって言ったって、アタシが認めないっ!」
絶対に引かないという、奈緒の強い意志が伝わってくる。
だがな、そんなのは俺だって一緒なんだよ。
絶対に、引けるかーーッ!
八幡「いいぜ……お前が俺の頼みを聞けないってんならーー」
奈緒・未央「「ッ!!」」
5: 2014/07/24(木) 01:19:34.37 ID:b0oTqJpy0
八幡「ーーまずは、そのふざけた幻想をぶt「そろそろ本番でーす! 出演の方は準備お願いしまーす!」
…………。
奈緒「あ、はーい。今行きまーす」
未央「ごめんねプロデューサー? もう始まるし、行ってくるね♪」
スタッフの声が聞こえるや否や、奈緒と本田はさっきのノリから一転、何事も無かったかのようにさっさとその場を後にする。
残されたのは、ただ虚しく右拳を掲げる俺一人。
……なんでだ。
俺はその場に崩れ落ち、無様にも膝をつく。
どうしようもない想いが、溢れてしょうがなかった。
なんで、なんでーー
八幡「なんで俺も『千葉散歩』に出してくれないんだ……!」
奈緒「いや無理に決まってるだろ」
奈緒のツッコミすら、今の俺には虚しかった。
わざわざ戻ってくるなよ……
6: 2014/07/24(木) 01:22:03.99 ID:b0oTqJpy0
そんなこんなで、今日の俺の仕事は奈緒と未央の番組『千葉散歩』の同行だ。
千葉出身の二人が、千葉の名所を紹介していくローカル番組。今最も俺の中で熱いテレビ番組だと言えよう。
ちなみに毎週録画しているのは秘密である。
俺が今日このロケに同行しているのは、先日奈緒たちに相談を受けた事が発端になる。
より身近な意見を取り入れたいという事で、出演者以外の千葉出身者からの案が欲しかったらしい。
もちろん、俺は二つ返事でOKした。むしろ心待ちにしていたまである。
俺が積極的過ぎてスタッフが若干引くくらいだったが、まだまだこんなもんじゃ足りないくらいなんだよこっちは!
そしてそんな俺の意見が採用された回の収録が、今日というわけだ。
やはり原案者としては現場まで同行せねばなるまいと、半ば強いn……快諾を得てロケに付いて来た。
本当なら少しだけでもいいから出してほしかったが……やっぱ無理ですよねー
まぁ俺もダメもとだったしね。半分冗談だったしね。いやホントホント。超出たかったーーッ!!
というわけで、俺は大人しくスタッフさんと一緒に静かに見守るのでした。
未央『いやー楽しかった♪ 今日はどうだったナナミン?』
菜々『ナナもすっごい楽しかったです! ゲストで呼んで頂きありがとうございました♪』
カメラ越しに見えるのは、今日のゲストである安倍菜々……さん。
既にロケも終盤で、残るはエンディングを残すのみだ。
7: 2014/07/24(木) 01:25:08.75 ID:b0oTqJpy0
菜々『いやー最近は忙しかったから、あまり帰ってこれn……あっ』
未央『帰って??』
菜々『い、いやあのそのっ、そう! ウサミン星へのワープホールが千葉にあってですね! それで……』
未央『そう言えばナナミン、マザー牧場行った時に、昔よく遊びに来てたとかなんとか……?』
菜々『ミ、ミミミン……』ダラダラ
奈緒『こ、今週はこの辺で! また来週も千葉のどこかでお会いしましょう! またなー!』
『はーい、オッケーでーすっ!』
八幡「…………」
オッケーなのかよ。
心の中でツッコミを入れ、今日の収録は無事終了した。
いや、約一名無事じゃない気もするが。
なんでもファンには、このグダグダな緩い感じがウケているらしい。
まぁ、気持ちは分からんでもない。
ちなみにレギュラーは本田と奈緒。
そして順レギュラーには同じく千葉出身のデレプロ所属アイドルの、太田優に矢口美羽がいる。
ただ基本的には本田と奈緒の二人進行なので、たまーに太田さんか矢口がそれに参加するといった具合だ。
基本的にゲストは珍しいのだが、何故か安倍さんはよく呼ばれる。ナンデダロウネー。
そろそろ凛もゲストに呼んでほしいものだ。
8: 2014/07/24(木) 01:27:32.41 ID:b0oTqJpy0
そんなわけでロケも終了し、場所は変わってロケバス内。
今日はもう上がりなので、東京の会社まで送ってくれるらしい。良いスタッフさんたちだ。
奈緒は疲れたのか、窓へもたれ眠ってしまっている。
安倍さんは……なんか凹んでるな。そっとしておいてあげよう。
そんで本田はというと……
未央「お疲れ様プロデューサー♪」
何故か、俺の隣の席へと座っている。
いや、他にも席結構空いてるよ?
八幡「……お疲れ」
未央「もうプロデューサー、そこは闇に飲まれよ! くらいは言ってくれないと!」
八幡「お前は俺に何を求めてるんだ……」
からかうような笑顔で、これでもかと絡んでくる未央(比喩です)。
ロケが終わったばかりだというのに元気な奴である。ちょっと杏に分けてやれ。
俺が鬱陶しそうな態度を隠そうともせずにいると、それが気に食わなかったのか、わざとらしく拗ねた顔になる本田。
9: 2014/07/24(木) 01:29:24.87 ID:b0oTqJpy0
未央「あーあ、折角千葉散歩に出演出来るようにディレクターさんにかけあおうかと思ったのになー」チラッ
八幡「クックック、闇に飲まれよ!」
そして俺は単純な男であった。
くっ、俺を即陥落させるとはな。やりおるわい。
未央「あはは、期待せずに待っててね」
そう言って笑う本田だが、俺としては期待せずにはいられない。
ぶっちゃけ俺が出演した所で一体誰得なの? と、当たり前過ぎる疑問も湧くが全力でスルー。
いやぁ、まさか本当にかけあってくれるとはな。マジ本田△。
内心で彼女に対し賞賛の嵐を送る。
と、そこで本田はふと、いつもとは少し違う笑みを見せた。
それは何と言うか、昔を思い出し、懐かしむような微笑み。
俺だって本田とはそれほど長い付き合いというわけでもない。臨時プロデュースした事だってたかだか数回だ。
が、それでも今の表情は少し違って見えた。
いつもの眩しい笑顔とは違う、どこか哀愁を漂わせた微笑。
その見た事のない一面に、不覚ながらも一瞬目を奪われる。
10: 2014/07/24(木) 01:31:14.64 ID:b0oTqJpy0
未央「……ありがとね、プロデューサー」
八幡「えっ? あ、あぁ……」
不意に声をかけられるもんだから、思わず変な声を出してしまう。
俺は何とか取り繕い、言葉を続ける。
八幡「別に気にすんなよ。こんくらいなら千葉県民として当然のことだ」
未央「あはは、そっちじゃなくってさ。……まぁ、それもあるんだけど、それとはまた別のこと」
八幡「別のこと?」
何だろう。何かお礼を言われるような事をしただろうか。
この間凛のブロマイドあげたけど……でも代わりに凛の写メ貰ったしなぁ。あれじゃないか。
未央「忘れてないよね? 宣材写真だよ」
八幡「宣材写真って……あの、初めて会った時の事か?」
未央「うんっ。しぶりんとしまむーと……私たちの、初めてのアイドル活動」
初めてのアイドル活動。
確かに今にして思えば、あれが俺にとっても最初のプロデュースだった。
八幡「そういや、お前らが初の臨時プロデュースだったな。つっても写真撮っただけだが」
11: 2014/07/24(木) 01:33:28.39 ID:b0oTqJpy0
思わず、俺も懐かしむように思い出す。
あれをきっかけに、奉仕部のデレプロ支部として活動するようになったんだよな。
まぁ最初の臨時プロデュースと言っても、俺は精々見てたくらいだが。
しかし本田はと言うと、俺の言葉に対し首を振る。
未央「ううん。確かに写真を撮っただけだったけど……でも、私たちにとっては大切な第一歩だったんだよ」
八幡「……第一歩、ね」
未央「うん! しまむーも、同じことを感じてると思う」
そう言う本田の言葉に、妙に納得してしまう。
確かに、島村なら同じような事を言いそうだ。
未央「そりゃプロデューサーにとっては、たくさん臨時プロデュースしてきたアイドルの一人かもしれないけど……私たちにとっては、ただ一人のプロデューサーなんだよ?」
俺の目を見つめて、そんな事を平然と宣う。
未央「たぶんこれは、臨時プロデュースしてもらったアイドルみんなが感じてると思う」
そう言って、本田はまた微笑んだ。
……中学の時にこいつに出会わなくて良かったな。
危なく、勘違いで好きになってしまいそうだ。
12: 2014/07/24(木) 01:34:55.64 ID:b0oTqJpy0
八幡「……その内、お前らにも新しいプロデューサーがつくさ」
未央「フフフ……実は私たちがそれを断ってるって言ったら……?」
八幡「えっ」
ニヤリ、という擬音がこれでもかと思うほど似合う表情。
いやいや、まさか、ねぇ。
八幡「……冗談だよな?」
未央「さて、どうだろうね♪」
いやそんな可愛く舌出しても騙されんぞ。
まぁでもさすがに冗談だろ。あいつらがプロデューサー断ってるとか……冗談だよね? ね。
と、俺が悶々と深みに嵌っていると、本田が思い出したように口にする。
未央「そうだ、プロデューサーにお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
八幡「お願い?」
お願い。なんだろう、ついこの間もそのワードを聞いた気がする。
しかし俺が思い出す暇もなく、本田は俺に面と向かって口を開く。
13: 2014/07/24(木) 01:37:29.35 ID:b0oTqJpy0
未央「しぶりんの事、よろしくね」
そして言われたのは、ある意味では予想通りのものだった。
まさにデジャヴ。
八幡「……それ、この間も別の奴に言われたぞ」
未央「え、ホント? そっかぁ、やっぱり私だけじゃなかったんだね」
そう言う本田は、納得したように一人でうんうん頷いている。
いやどういうわけよ。
未央「なんだろうね。二人を見てると、頑張ってほしいなって思うというか、心配になるっていうか……」
八幡「オカンかお前は」
そんな親心みたいな心境で見られてたのか俺たちは。
なんとも恥ずかしいものである。
未央「まぁそういうわけで、よろしくお願いね。それと……」
スッ、と。不意に右手が差し出される。
それは小さく奇麗な本田の手で、握手を求められているという事に気付くのに、数瞬かかった。
14: 2014/07/24(木) 01:40:00.64 ID:b0oTqJpy0
未央「私たち臨時アイドルの事も、これからもよろしくね♪」
八幡「…………おう」
それは、これからも奉仕部として頑張ってくださいという意味でいいのだろうか。
そう思うと中々に複雑な心境であったが、まぁ、ここは良しとしておこう。
ただ恥ずかしいものは恥ずかしいので、握手した後はすぐに手を離した。
やべぇな。手汗とか大丈夫だろうか。
とりあえず、平静を装って話題を変える。
幸いにも、到着まで間もなくだ。
八幡「ほら、そろそろ着くぞ。安倍さんは……なんかブツブツ言ってるから起きてるな。本田、奈緒のこと起こしてやってくれ」
未央「むむむ……」
と、ここで何故かしかめっ面の本田。
未央「プロデューサー、もっかい言ってくれる?」
八幡「あ? いやだから、奈緒を起こしてくれって…」
未央「……そうじゃなくて、もっかい呼んでみて」
八幡「呼んでみろって…………本田?」
15: 2014/07/24(木) 01:42:43.00 ID:b0oTqJpy0
俺が若干困惑気味に呼ぶと、本田はあからさまに肩をすくめながら溜め息を吐く。
今にもやれやれだぜと言いそうな雰囲気だ。何だオイ。
未央「そうかぁ……やっぱり私としまむーは、まだその段階まで達してないって事か。道のりは長そうだなぁ……」
八幡「何の話だ?」
一人でブツブツ言っている本田に俺が訊くと、一度だけこっちをチラッと見る。
そしてその後、フッと鼻で笑う。え、何この子。
未央「あーいいよいいよ~その感じ。正にラノベ主人公って感じ? きゃーモッテモテー☆」ふっふー♪
八幡「バカにしてんだろオイ」
その後ヒートアップした会話のうるささで奈緒が起きるのだが、まぁ手間が省けたという事にしておこう。
スタッフさんには迷惑をかけたので、後で菓子折りでも送っておく。
けど、今日はやっぱ同行して良かったな。
こうして臨時プロデュースしたアイドルたちの現状を知れるという意味では、貴重な機会だ。
もちろん、本人たちの前では口が割けても言わんがな。
しっかし、本田には困ったもんだ。どっちが鈍感なのやら。
………………改めて呼び方変えるの、恥ずかしいだろ。察しろっつーの。
35: 2014/07/28(月) 00:34:55.12 ID:ssSX13fx0
そろそろ投下するよー
37: 2014/07/28(月) 00:39:59.48 ID:ssSX13fx0
ー 土曜 saturday ー
東京都内にそびえ立つ一つのビル。
総勢200人以上ものアイドルと社員を抱える、ご存知シンデレラプロダクションだ。
その姿はコンクリートジャングルの景観の中、周りにとけ込み過ぎる程にとけ込んでいる。
しかしそれは如何せん地味という意味であり、別に立派だとか、外観が美しいとかいう意味ではない。
しかも一階は喫茶店。小奇麗で良い店ではあるのだが、それがまた芸能プロダクションらしさを打ち消しているような気もする。
コーヒーも美味いし、ウェイトレスさんも可愛い。けれど、何だか締まらない。ちなみに可愛いウェイトレスさんはこの間社長にスカウトされてアイドルになりました。もう提携でも結んどけ。
だがそんな何とも言えないうちの会社も、その地味さから未だファンからあまり場所が特定されていない。
いや、ホームページとかに普通に住所は載っているんだけどな。ファンが押し掛けてきたりもあんましない。
たぶん実際にアイドルに会いに来ても「あれ? ここであってる、よな……?」とかってなって、いまいち確信が持てないのかもしれない。やったね。良いカモフラージュになってるね。
とまぁ、そんなお世辞にも豪華な装いとは言えないシンデレラプロダクション本社だが(別に支店とかは無い)、それでも俺は評価している点はある。
38: 2014/07/28(月) 00:42:06.19 ID:ssSX13fx0
例えば、冬場はコタツが出る。今はソファーだが、これも中々良い。時系列とかは気にしちゃいけない。
休憩所は奪い合いになるからな。杏あたりに奪われると5時間は動かない事を覚悟せねばならない。でも俺が座ってると皆座ろうとしなくなるんだよね。不思議ダネ。
例えば、嫌な上司がいない。というか、俺は一般Pだから直属の上司がそもそもいない。金銭面にがめつい事に目を瞑れば、奇麗な事務員さんはいるよ。
ちなみによく求人票とかに「アットホームな職場です!」とか書いてあるけど気をつけろよ。あれは嘘だ。
そして俺が最も評価している点。それは……
ガコンッ、と。一本の缶が取り出し口に落ちてくる。
その黄色く細長い。特徴的な缶。
俺のマイフェイバリットドリンク。
八幡「やっぱこれだね。MAXコーヒー」
一口飲み、口の中いっぱいに広がるその甘さ。
こいつを買える自販機が置いてあるんだから、分かってる会社だぜ。
心の中でサムズアップをし、社内へと戻るのであった。
……外に無ければもっと良いんだがな。
39: 2014/07/28(月) 00:44:14.67 ID:ssSX13fx0
今日は土曜日。
一般Pとしてこの会社へやってくる前であれば、今頃は家で休日を満喫していただろう。
だが、今では立派な社畜。
当時の俺からすれば、目を疑うような状況だ。
が、それに慣れてしまったのだからそれが一番恐ろしい。
階段を上りながらそんな事を考えていたら、心なし足が重くなっていうような気がした。
やべぇな、俺もう歳じゃね? アンチエイジングしなきゃなんじゃね? 平塚先生なんじゃね? ……いや、俺はまだ大丈夫だな。
そんな失礼な事を考えて少し楽になり、俺は会社への扉を開く。
会社の中へと戻ると、そこにはソファーでくつろぐアイドルの姿が。
一応言っておくが、杏ではない。
美嘉「おっ、プロデューサーじゃん。お疲れ~★」
卯月「お疲れ様です、プロデューサーさん♪」
こちらを見るやヒラヒラと手を振ってくる美嘉に、ペコッと軽く礼をしてくる島村。
この組み合わせがいるって事は……
八幡「お疲れさん。お前らはデレラジの収録帰りか?」
美嘉「うん。今さっき帰ってきた所」
卯月「今日も楽しかったです」
40: 2014/07/28(月) 00:47:05.10 ID:ssSX13fx0
満面の笑みの島村。
その反応を見れば、建前とかではなく本当に楽しかった事が伝わってくる。
うむ。仕事を楽しめるというのは良い事だ。杏に爪の垢でも煎じて飲ませたれ。
八幡「…………」
しかし、あれだな。
このメンバーだと、ついついアイツがいないかと思っちまうな。
そんな事はありえないと分かっていつつ、俺はなんとなしに空いたソファーを見てしまう。
そしてふと、視線を戻した時に美嘉と目が合った。
美嘉「? 凛ならいないよ?」
八幡「……いや、知ってるが」
え、なに。今の視線の動きだけで察したの?
八幡「そんな事言われんでも、あいつのスケジュールくらい把握してる」
美嘉「ふーん? まぁ別にいいけどさ。なんか凛いないのかなーって顔してたから」
八幡「なに言ってんだ。しちぇるわけねーだろ」
卯月「かみかみですね」
女の勘って怖い。
改めてそう思いました。
ちなみに今頃凛は海の向こうへ行っているだろう。いや、別に世界レベルさんとかじゃなく。
今回は輝子と一緒に海外ロケ。あの例のキノコ採取番組のゲストとかで、輝子が嬉しそうにしていたのを思い出す。
それに対し凛の表情は複雑そうだったがな。南無三。
41: 2014/07/28(月) 00:49:28.36 ID:ssSX13fx0
八幡「そういや凛がいない代わりに代行としてデレラジに一人着くって聞いたが、誰だったんだ?」
卯月「ちひろさんですよ」
八幡「…………は?」
え? 今なんて言った?
八幡「鬼?」
美嘉「いやだから、ちひろさん」
八幡「あ、そうか悪魔か。なに、蘭子の奴ついに召還術でも会得したのか」
卯月「そろそろ怒られますよ?」
さすがに呆れた様子の島村。
いやだって、ねぇ?
当然アイドルが代わりに出ると思ってたのに、まさかの事務員ちひろさん。
いや、確かに美人だけどね? 確かにサトリナボイスだけどね?
さすがにこれは予想外である。
美嘉「スケジュール的に代わりに出てくれそうなアイドルがいなくってさ。もうこの際アイドルじゃなくてもいいかって話になって」
卯月「そこで、普段お世話になってるデレプロ関係の人って事で…」
八幡「ちひろさんが選ばれたわけ、ね」
まぁ確かにアイドル意外でとなれば無難な選択と言えるな。
アニメのラジオとかでも原作者や監督が呼ばれる事は多々ある事だ。面白いかどうかは別として。
42: 2014/07/28(月) 00:51:33.19 ID:ssSX13fx0
八幡「けど、よくちひろさんもOKしたな」
断言は出来ないが、あの人はあまり目立つのは好きそうにないと思ったんだがな。
俺の疑問に、美嘉は何とも言えない表情をする。
美嘉「あー……ちひろさんもね、最初はしぶってたんだけど…………お給料を弾むよって社長に言われたら…」
卯月「快く引き受けてくれました♪」
八幡「さすが、さすがだちひろさん……!」
やっぱブレねぇなあの人は!
もはやここまでくれば、平塚先生とは別の意味で心配になってくる。誰か早く養ってあげてよぉ!
美嘉「でも今思えば、プロデューサーでも良かったかもね」
八幡「は?」
俺でも良かったって、それはつまりデレラジのゲストって事だよな。
卯月「あ、それもいいね! どうですか? プロデューサーさんもその内ゲストととして出演するのは」
八幡「いや、無理だろ。普通に考えて」
一体何を妙案みたいな感じで言っているんだコイツらは。
俺が? ラジオのゲスト? どう考えたってあり得ないだろ。
八幡「十時のプロデューサーとかならともかく、俺みたいな捻くれ卑屈プロデューサーの話聞いたってなんも面白くないだろ」
美嘉「あ、自覚はちゃんとあるんだ」
今この子サラッと酷い事言いませんでした?
いや自分で言った事だから別に良いんだけどさ。
43: 2014/07/28(月) 00:53:19.59 ID:ssSX13fx0
美嘉「んーでも、プロデューサーの話もそれはそれで面白いと思うけどなぁ」
卯月「そうですよ。前のライブの時みたいに、凛ちゃんの魅力を沢山話してくれれば!」
八幡「もうその話はよしてくれ……」
そういやこいつ総武高校のライブ見に来てたんだったな。
確かにあれのせいで俺の事を知ってる一部の奴らはいるかもしれんが、それでもほんの一握りだ。需要があるとは思えん。
八幡「大体、そのせいでリスクを増やす必要もない」
卯月「リスク?」
八幡「俺と凛の事だよ」
決して多くはないだろうが、それでもつまらない因縁をつけてくるファンは少なからずいるだろう。
つまり、俺と凛の関係を勘繰る奴らだ。
八幡「アイドルのファンって奴は、少しでも男の陰を見ると疑ってかかるもんなんだよ。俺みたいな若い男が凛のプロデューサーだと広めて、いらん誤解を招くのも面倒だろ」
美嘉「はーなるほどね。そんなものかぁ」
八幡「そんなもんなんだよ」
よくブログやらツイッターで「弟と~」とか言ってるアイドルがいるが、あんなん疑ってくれと言ってるようなもんだ。どんだけアイドルの皆さんは弟と仲良いの? 弟とそんなしょっちゅう遊びに行くの? 絶対嘘だろ。ただしやよいちゃんには当て嵌まらないがな!
八幡「お前らも気をつけろ。不用意に男の名前とか出すなよ」
美嘉「心配しなくても、そんな相手いないよ」
卯月「……」
44: 2014/07/28(月) 00:56:11.69 ID:ssSX13fx0
しかし俺の忠告に対し、美嘉とは違い島村は俯き無言のままだった。
え、もしかしてそういう相手いんの?
と、俺が若干不安になっていると、突如軽快なメロディがその場に流れ出す。
恐らくはケータイの着信。もちろん俺ではない。
美嘉「あ、ごめんアタシだ。……って、嘘!? もうそんな時間!?」
卯月「美嘉ちゃん?」
美嘉「ゴメン卯月、プロデューサー! アタシ莉嘉の迎え行かなきゃだから、もう行くね!」
言うや否や、美嘉はカバンを引っ掴むと慌てて事務所を後にした。
大方、莉嘉からの催促のメールでも来たのだろう。相変わらず仲の良い姉妹である。
八幡「ったく、あんな変装も碌にしないで帰りやがって。もう少し自分の知名度を自覚しろよな」
卯月「そ、そうですね。あはは……」
俺の呟きに対し、島村は言葉を返すもどこかぎこちない。
……なんなんだ一体。
いつもの天真爛漫を絵に描いたような島村を知っている為、今の状態はどうもやり辛い。
やっぱ、さっきの話が原因か?
まぁそうだとしても、俺にはどうする事も出来ないし、どうしようとする気もない。
仮にそんな相手がいた所で、それは島村の問題だ。俺がどうこう言う理由もないしな。
あくまで俺は、凛のプロデューサーだ。
ふとーー
そこで、一瞬だけ頭を過った。
45: 2014/07/28(月) 00:57:53.85 ID:ssSX13fx0
もしも。
もしも凛に、そんな相手がいたら?
いる事を知ってしまったら?
そんな考えが一瞬だけ思い浮かんで、そして、直ぐに頭から追いやった。
そんな事を考えた所で、意味は無い。
例え現実逃避だと言われようと、その時に考えればいい事だ。
だから。
だから、一瞬胸の内に宿った黒い感情は、気のせいだ。
きっとこれも、ただの気の迷いで、無視していい感情だから。
八幡「お前も気をつけて帰れよ」
そう一言だけ言い残し、俺は事務スペースへと戻る事にする。
余計な事に気を割く余裕は無い。さっさと事務処理を終わらせて、今日は帰って寝るとしよう。
卯月「ーープロデューサーさん」
だが、そんな俺を島村は呼び止めた。
46: 2014/07/28(月) 01:00:39.18 ID:ssSX13fx0
振り返り、島村へと視線を向ける。
その表情は、以前として暗いままだった。
八幡「どうした?」
卯月「プロデューサーさんは、さっき自分はラジオには出ない方が良いって言いましたよね」
八幡「……ああ」
卯月「私は、そうは思いません」
そう言った島村の顔は、さっきまでの暗い表情から一転、強い意志を感じさせるものとなる。
まるで俺の言葉は間違っていると、そんな想いが込められているように見えた。
卯月「プロデューサーさんは凛ちゃんの事を大事にしてて、いつだって一生懸命にプロデュースしてて、だからきっと、ファンの皆さんも分かってくれるはずです。だって」
だって、私がそうだからーー
島村は、そう言った。
けれどそれは、都合の良い理想だろう。
エゴと言ってもいい。自分の考えが、全て周りに分かってもらえるなど勘違いもいいところだ。
彼女は優しい。
優しいから、それだけに他の者とは違う。
皆そんな風にはなれないんだ。
そんな風に優しくなれないから、彼女の優しさは特別で、分かってもらえない。
そうあれたらいいとは思う。
けどきっと多くの人は、思うだけなんだ。
だから俺は、ゆっくりと首を振った。
47: 2014/07/28(月) 01:02:52.03 ID:ssSX13fx0
八幡「……悪いな。お前がそう言ってくれても、皆そうじゃないんだよ。諦めてくれ」
卯月「そんな……」
あからさまに落ち込んだ様子の島村。
こいつも本田も、どうしてこんなに気遣ってくれんのかね。
八幡「……けどまぁ、その言葉はありがたく受け取っとくよ」
らしくもなく、フォローを入れてしまう。
そんな顔をずっとされてたんじゃ、こっちの気が滅入っちまうからな。
それで幾分かは立ち直ったのか、島村はコクンと頷いた。
未だ納得はしていない様子だったが、それでも折り合いはつけられたようだ。
やがて島村を顔を上げ、口を開いた。
卯月「じゃあ、これだけは言わせてください」
ここに来て、一体何を言うというのか。
俺は少々身構えつつ、島村に聞き返す。
八幡「なんだ?」
卯月「あの時は、ありがとうございました」
48: 2014/07/28(月) 01:04:57.04 ID:ssSX13fx0
そう言って、島村は頭を下げた。
いきなりの行動だったので、俺は思わずぎょっとする。
あ、あの時? あの時ってーと、やっぱ初めて臨時プロデュースした時の事か?
昨日の本田との会話を思い出し、その件だろうと見切りをつける。
だが、実際はそうではなかった。
八幡「あ、あぁ。宣材写真の時の事か? 別に礼を言われるような事は…」
卯月「それもありますけど……私が言ってるのは、個性の話の時のことです」
そう言って、島村は微笑んだ。
個性の話……?
そう言えば、なんかそんな話をした時もあったような……
俺が頭を捻っていると、島村は胸に手を当て、目を閉じ、思い出すように呟いた。
卯月「『お前が普段通りに振る舞って、普段通りに笑っていれば、それはもうお前の個性で、魅力なんだよ』……って、プロデューサーさん言ってくれましたよね」
八幡「……俺、そんなこっぱずかしい事言ったのか?」
卯月「はい♪」
嫌になるくらいの笑顔だった。
八幡「悪い、よく覚えてない……」
卯月「いいんです。何気ない会話の中だったですし、あの後色々あったみたいですから」
49: 2014/07/28(月) 01:08:08.06 ID:ssSX13fx0
「でも……」と、島村は続ける。
卯月「あの時、ああ言ってくれたから私は自信が持てたんです。私は、私のままで良いんだって。私のままで頑張れば、それが魅力になるんだって」
八幡「……」
卯月「だから、ありがとうございます」
そうして、島村はまた笑った。
その言葉を聞いて、俺は素直に受け取る事が出来なかった。
正直に言えば、買い被りもいい所だと思う。
実際俺はよく覚えていないし、その時大した意味も無くそう言ったんだろう。
けれど、島村はそれでもいいと言うだろう。
そんな事はどうでもよく、自分が元気付けられたのだと。
彼女は、そう言ってくれる。
いつだったか、「自分の言葉に責任を持て」と言われた事がある。
プロデューサーという仕事は、正にその言葉の通りなのではないだろうか。
俺の発言が、その言葉が。
アイドルという他の誰かの糧ともなり、枷ともなる。
だから、責任を持たなければならない。
その言葉に。
50: 2014/07/28(月) 01:10:34.72 ID:ssSX13fx0
八幡「……ラジオは無理だ」
卯月「え?」
八幡「ラジオは無理だが…………まぁ、雑誌のインタビューくらいなら、まだいいかもな」
俺は明後日の方向へ視線を向け、言う。
八幡「俺なんかがプロデューサーをやってるって、わざわざ伝える必要もないけどよ。それでもまぁ、俺がプロデューサーだって知られて、お前らが恥ずかしくないような奴には、なろうと……思う……なれたらいいなぁ」
最後の方はちょっと願望になってしまったが、今はこれが精一杯。
何より、恥ずかし過ぎる。
八幡「……お前らが胸を張れるようなプロデューサーになるから…………それまで待っといてくれ」
もう聞こえないんじゃないかというくらいの小声で、なんとかそこまで言葉に出来た。
なんぞこれ。何の羞恥プレイ? 絶対帰ったら枕に顔埋めて足パタパタコースだよ……
そして島村はと言えば、最初はぱちぱちと目を瞬かせていたものの、その後すぐに笑顔になり、元気に応えた。
卯月「ーーはいっ♪」
ほんと、これだから優しい女の子はダメなんだ。
柄にもなく頑張ろうとか考えちゃってるのだから、我ながら情けない。
51: 2014/07/28(月) 01:16:07.13 ID:ssSX13fx0
八幡「じゃ、じゃあ俺はまだ仕事が残ってっから」
とりあえずこの場に留まるのは限界だったので、俺は逃げるようにそそくさとその場を後にする、
が、島村はなおも着いてくる。
卯月「あっ、プロデューサーさん! それともう一つお願いがあって…」
八幡「どうせ凛のことだろう」
卯月「え! なんで分かったんですか!?」
八幡「そのくだりはもう既にさんざんやった」
というかなんで着いてくるんですかねぇこの子は!
その後もうっかり島村と呼んでしまったせいで、本田の時みたく名前呼びがどーのという話になってしまった。
いい加減俺に仕事をさせてくれ。いややりたくはないんですけどね!
……でも、淹れてくれたお茶は美味かったな。
最近、俺の思考回路が単純になってきている気がする。
全くもって、アイドルというのは面倒くさい。
誰よりも面倒くさい俺が言うのだから、きっと間違いないんだろう。
けどそれ以上に、彼女たちは純真で、懸命で、本物だ。
誰よりも腐った目の俺が言うのだから、きっとそれも、真実なのだろう。
52: 2014/07/28(月) 01:17:46.22 ID:ssSX13fx0
だから俺は今日も、プロデューサーとして仕事をし、家に帰って休息を取る。
明日は日曜日。相も変わらず休みは無いが、一週間も明日で終わり。
明日を乗り切れば、凛とも、また会える。
会社を出て、階段を降りる。
自販機の前を通り過ぎようとして、ふと立ち止まる。
俺は財布から小銭を取り出し、MAXコーヒーを買う。
一口飲めば、その甘さが、一日の疲れを癒してくれるようだった。
……なんだ、やっぱ良い会社じゃねぇか。
71: 2014/08/01(金) 01:13:27.76 ID:TgOXFkqO0
ー 日曜 sunday ー
「「「かんぱーいっ!」」」
グラスとグラスがかち合う、軽快が音が響き渡る。
僅かに飛び散る冷たい雫。
一息にあおれば、乾いた喉を潤してくれる。
見れば、皆一様に思わず声を漏らしていた。
やはり仕事終わりのビールというのは、格別らしい。
……まぁ、俺はソフトドリンクなんだがな。
場所は都内にあるとある居酒屋。
どこか昔懐かしいオープンな店構えで、席と席との間にも僅かな仕切りしかない。
至る所からワイワイと賑やかな声が聞こえ、時たま耳を塞ぎたくなる程の笑い声も飛んでくる。
まさにTHE・居酒屋といった印象。正直静かな店の方が好みではあるが……まぁ、たまにはこういった店も悪くはない。
72: 2014/08/01(金) 01:15:50.36 ID:TgOXFkqO0
時刻は8時を回った所。
無事に会社での仕事を終え、俺は大人組の打ち上げへと付き合わされていた。
一応言及しておくが、俺は断った。断ったのだが、それは特に意味を成さなかった。何故だ。
座敷の席でテープルを囲む4人。
楓「今日はお疲れさま比企谷くん」
八幡「え、ええ。楓さんもお疲れさまです」
俺の隣で美味しそうにお酒を飲んでいるのは高垣楓さん。
おちょこで熱燗を飲むその姿は、何とも様になっている。
しかし、今日は酒場放浪記のロケ終わりと聞いたんだが、まだ飲むのかこの人は……
ちひろ「ぷはー! 店員さん、生おかわりお願いします!」
そして楓さんの前、俺の斜め向かいに座っているのはご存知千川ちひろさん。
勢いよくビールを空にし、なんかもう既に顔が赤い。もしかしてこの人お酒弱いのか?
そしてそして、問題なのがこの人。
俺の目の前に座る良く見知ったこの人物。
平塚「いやーやっぱ仕事終わりの一杯は最高だなぁ……比企谷、お前も働くようになったから分かるだろう?」
八幡「いや、俺ウーロン茶ですし」
我が担任であり、元祖奉仕部顧問、平塚教諭である。何故またいるし……
なんでも元々ちひろさんと飲む約束をしていたらしく、そこに丁度帰ろうと思っていた俺が通りかかりさぁ大変。もうなすがままです。途中ロケ終わりの楓さんをお供に、居酒屋へと乗り込むのでした。だから何でだよ。
73: 2014/08/01(金) 01:18:24.74 ID:TgOXFkqO0
そしてその平塚先生はと言うと、ビールを始め次ぎ次ぎにお酒を飲んでいる。
もの凄い勢いでハイボールをおかわりし、煙草をくわえるその姿はまさにオッs……あ、いえ。なんでもないです。
やべぇな、今スゲー眼光で睨まれた。声に出てた?
とまぁ、今日はこのようなメンバーでお送りしている。
いつぞやのラーメン一行だな。もしかしてこの後また行くのか?
と、俺がそれなら腹開けとかないとなーとか考えていると、楓さんが肩をつついてくる。
出来ればその仕草はやめて頂きたい。なんかこう、色々くるものがある。
楓「比企谷くん、今日は会議に出ていたみたいだけど、何を話していたの?」
八幡「あぁ、アニバーサリーライブの事ですよ。もうあまり日もありませんから」
思い出すは、今日行われたプロデューサーと会社の上役による会議。
ライブの概要や、会場準備、演目の確認、音響や衣装の事までとにかく打ち合わせを行った。
まぁ、基本的には一般Pはサポートが主な内容になるがな。
会社の正式なプロデューサーたちが中心となり、ライブを形にしていくといった所だ。
さすがに一年もたたない一般Pたちでは、不安も大きいからな。当然と言えば当然である。
もっとも、もう既に大分形にはなっている。後はライブに備え、滞りなく準備していくだけだ。
八幡「慣れない事ばっかりで、正直てんやわんやですけど……まぁ、なんとかなるでしょう」
平塚「ほう? 君も言うようになったじゃないか」
そう言って平塚先生はもう一杯ハイボールを頼む。
つーかそれ何杯目だアンタ。隣のちひろさんなんてもう既に眠そうだぞ……
74: 2014/08/01(金) 01:20:58.99 ID:TgOXFkqO0
八幡「ちひろさん、あんま飲み過ぎない方がいいですよ。明日も仕事でしょう」
ちひろ「ら~に言ってんれすか……これくらい大丈夫ですっ!」
ビシッと何故か敬礼するちひろさん。ダメだこいつ…早くなんとかしないと……
ちひろ「それに、さすがに全員揃うまでは帰れませんよ~」
八幡「は?」
全員揃うって……え? なに、まだ増えるの?
てっきりこれでフルメンバーだと思っていた俺は思わず面食らう。
楓「それでしたら、もう少しで到着するってさっきメールがありました」
ケータイを見ながら言う楓さん。
だから、一体誰が……
そう声を出そうとした時だった。
その人の声が聞こえてきたのは。
「ごめんなさい、遅くなってしまって」
八幡「ッ!? 由比…が…はま……?」
何処かデジャヴを感じるこの展開。
声のした方に振り返る。
が、そこにいたのは、もちろん由比ヶ浜結衣ではなかった。
77: 2014/08/01(金) 01:23:12.31 ID:TgOXFkqO0
そう言ったのは、20代……恐らく後半の、大人の女性であった。
例によって、とびきり美人の。
瑞樹「隣、いいかしら?」
八幡「え? あぁ、どうぞ……」
いやよくねーだろ!
なに、俺の隣座んの? いやちょ、平塚先生の隣も空いてますよ!
しかし俺の心の中の叫びも虚しく、川島さんは隣に座ってしまった。
いやそんな事よりも、俺が驚いたのは……声だ。
……由比ヶ浜そっくりですのだ。
楓さんの時もそうだったが、思わずアテレコしてんじゃないかっていうレベル。
まぁよく聞けば違いもあるのだが、やはり根本的に声質が似ている気がする。
なんというか、大人になった由比ヶ浜? ってな感じだ。
実は由比ヶ浜の母親だったり? ……さすがにねーか。
楓「前の仕事が長引いていたんですか?」
瑞樹「ええ。ちょっと撮影が中々終わらなくてね……でも、その分お酒が美味しくなりそうだわ」
楓「ふふ……最初はビールにしますか?」
瑞樹「そうね。楓ちゃん、店員さん呼んでもらえる?」
楓「はい♪」
八幡「…………」
78: 2014/08/01(金) 01:24:54.89 ID:TgOXFkqO0
頼むから、俺を挟んで会話をするな!
なんなんだこれは……
穏やかになった雪ノ下と、大人っぽい由比ヶ浜が会話してる……ようにしか聞こえん。
しかも話の内容があの二人では絶対しなさそうなものなので、余計に違和感を感じる。
どうしよう、録音してあの二人に聞かせてやりたい。
実際、川島さんの事は前々から知っていた。
うちのアイドルたちの中でも有名な方だし、何度か見かけた事もある。
しかし、声をちゃんと聞いたのは今回が初めてだ。
まさか、ここまで由比ヶ浜と似ているとはな。
と、ここで何処か不穏が空気を感じる。
それは俺の前の席。平塚先生からのものだった。
その目は真剣で、真っ直ぐに川島さんへと向かっている。
平塚「……はじめまして。そこの比企谷の担任の平塚です」
瑞樹「っ! ……こちらこそ。川島です」
そして対する川島さんも、真剣な表情で相対する。
お互いがお互いを、睨むように見据えていた。
え? 決闘でも始まるの? と戦々恐々とする俺。
79: 2014/08/01(金) 01:27:23.85 ID:TgOXFkqO0
しかし、その緊張感も長くは続かなかった。
二人は無言で動かなかったと思うと、瞬時に右手を差し出し合う。
それは別に突きを放ったわけではない。二人は差し出した合ったその手で……
熱い熱い、握手を交わした。なんだこれ。
平塚「何か、あなたとは通じ合うものを感じました……!」
瑞樹「わかるわ。あなたも、苦労なさっているようで」
うんうんと頷き合う二人。
心無しかさっきよりもイキイキして見える。あれですかね。アラサー同士だから通じる何かなんですかね。
そしてそんな場を収めるはちひろさん。どうやらお酒が来たようだ。
ちひろ「まぁまぁお二人とも座って♪ ビールが来たので、また皆で乾杯をし直しましょう! それじゃ、せーの…」
「「「かんぱーいっ!!」」」
だから俺、ウーロン茶なんですけど。
とまぁ途中茶番もあったりしたが、なんだかんだ楽しく飲んでいるようだった。
そしていくつか話が弾んだ後、川島さんがふと思い出したように言った。
80: 2014/08/01(金) 01:29:53.91 ID:TgOXFkqO0
川島「そう言えば、今日は凛ちゃんは来れなかったの?」
八幡「凛、ですか?」
日本酒を飲みながら話すその姿は、何処か色っぽい。
ちょっとだけ目を逸らしつつ、俺は質問へ答える。
八幡「ちょっと3日前から海外ロケへ出てまして。今日帰ってくる予定らしいですけどね」
瑞樹「そう、久しぶりに合いたかったわね」
残念そうに言う川島さん。
この人も結構飲んではいるはずだが、あまり大きな変化は見られない。
たぶん楓さんタイプで、お酒には強いんだろうな。ちなみにちひろさんは既にネクタイが頭に巻いてある。
瑞樹「……これは余計なお節介かもしれないけれど、ひとついいかしら?」
不意に、川島さんが真面目な表情になる。
その顔を見て、なんとなく俺もふざける場面ではない事を悟り身構える。
八幡「……なんでしょうか」
瑞樹「あまり、気を張りすぎないようにね」
八幡「…………はい?」
思わず変な声を出してしまった。
気を張りすぎ……と言っても、特にそんな気もないのだが。何に対しての事だ?
俺がよく分かっていないのが伝わったのか、川島さんはクスリと小さく笑い、もう一度話し始める。
瑞樹「プロデュース業のことよ。相手を……凛ちゃんを信用するのは良い事だけど、それだけに見えていない部分が見えた時がね」
八幡「見えて、いない部分……」
81: 2014/08/01(金) 01:32:44.22 ID:TgOXFkqO0
瑞樹「そう。あなたと凛ちゃんは強い信頼で結ばれてるように思うけど、それが逆に心配でもあるの」
信頼で結ばれてるとは、またえらい大袈裟な表現を使うものだ。
だが、川島さんは本気で俺に忠告をしているようだ。
その顔を見れば、分かる。
瑞樹「その信頼がある故に、何かあった時の結果が怖い。……まぁ、そう感じてるのは私くらいかもしれないけどね」
そう言って、川島さんはお酒に口を付けた。
何かあった時、ね。
その何かが何を意味するのかは分からないが、それでも、確かに川島さんの言う事は妙に納得出来た。
今のような関係も、環境も、状況も、いずれは変わって、無くなってしまう。
それが何かのきっかけによるものなのか、はたまた自然に瓦解するようなものなのか。それは分からない。
そしてその時、俺と凛はどうなってしまうのか。
考えても仕方のないことだと分かっていても、頭を過ってしまう。
それはきっと、決して避けては通れない道だろうから。
とりあえず今は、川島さんの言葉を素直に受け取っておく事にした。
……つーか、また凛との事を心配されてんのか。
一体全体、皆して何だと言うのか。さすがに心配し過ぎィ!
82: 2014/08/01(金) 01:34:40.55 ID:TgOXFkqO0
楓「ふふ……私も負けていられませんね」
八幡「そうですよ。うっかりしてたら、俺が凛をシンデレラガールにしちゃいますんで」
俺がやや挑発的にそう言うと、そこで何故か平塚先生がニヤリと笑う。
平塚「なら、こんな所でのんびりしている暇は無いんじゃないのかね?」
八幡「は?」
平塚「さっきから、時計ばかり気にしてるじゃないか」
ぎくっ。
な、何でそんな事が分かんだよ……
確かに見てはいたが、気付くような素振りは見せなかったぞ?
平塚「確か、渋谷は今日帰ってくるんだったよな?」
八幡「…………」
平塚「何時の便だね?」
八幡「……21時です」
そう言うと、平塚先生はまた笑った。
平塚「なら行きたまえ。今からならまだ間に合う」
八幡「は!?」
83: 2014/08/01(金) 01:37:07.22 ID:TgOXFkqO0
いや間に合うって、空港までって事ですのん?
八幡「いやでも、どうせ後で会えるし、わざわざ仕事終わりに会わなくても……」
平塚「何を言う」
俺の言葉に、平塚先生はちゃんちゃらおかしいと笑う。
その姿は、正に威風堂々とした様子だ。
平塚「仕事以外で会っちゃいかんと誰が決めた? アイドルとプロデューサーである前に、君たちは人と人だろう?」
やだカッコイイ。惚れそう。
俺が思わず呆然としていると、ちひろさんがそれにならう。
ちひろ「今日は私たちの奢りですから、気にせず行って来てください♪」
左右を見れば、楓さんも川島さんも笑顔で頷く。
……これ、もう行かなきゃいけないパターンじゃね?
八幡「…………ハァ、わかりました」
俺は立ち上がり、荷物をまとめてその場を後にする事にする。
帰り際、残った4人に向かって頭を下げた。
八幡「ゴチになります」
どうしてこうも、大人ってのは粋な事をしてくれるのかね。
四人の生暖かい視線を背中に受け、俺は歩き出した。
84: 2014/08/01(金) 01:39:20.59 ID:TgOXFkqO0
*
歩く、歩く。
普段来る事の無い場所で、それなりの人ごみに流されないよう、注意を払って歩いていく。
歩く、歩く。
先程、連絡をとっておいた。このまま迷わず行ければ、そこで待っているはず。
歩く、歩く。そしてふと、立ち止まる。
待合室の柱に寄りかかり、虚空を見つめている少女を一人、見つける。
大きなキャリーバックを携えている辺り、遠くへ行っていたという事実を如実に感じさせる。
そして彼女は、俺に気付いた。
凛「……わざわざ迎えに来るなんて、どうしたの?」
なんでもなさそうにそう言う凛。
最初に会って言う言葉がそれかよ。
と思わないでもなかったが、まぁ、素直に挨拶出来ない点で言えば俺もどっこいどっこいなので良しとする。
85: 2014/08/01(金) 01:40:53.96 ID:TgOXFkqO0
八幡「別に、仕事以外で会っちゃ行けないなんて決まりはないだろ」
特に何の言い訳も考えてなかったので、平塚先生の言葉を借りる。
それを聞いた凛は、少しだけ意外そうにした。
凛「ふーん。……まぁ、プロデューサーがそう言うんなら良いけどさ」
凛はそう言うと、キャリーを引っぱりながら歩き出す。心なし、機嫌は良さそうだ。
俺もそれに習い、隣に立って歩き出す。
凛「でも事務所に行く手間が省けて良かったよ。こっからじゃ結構遠いし」
八幡「? お前は直帰の予定だったよな。事務所に何か用事でもあったのか?」
凛「あ、いやそれは…」
俺が訊くと、何故か顔を赤くしてドモり始める凛。
八幡「それに手間が省けたって…」
凛「な、なんでもない! それより、一週間の間何かあった?」
八幡「特ニ何モ無カッタヨ」
凛「……なんで片言なの?」
86: 2014/08/01(金) 01:42:47.86 ID:TgOXFkqO0
その後、他愛の無い話をしつつ凛を家まで送った。
どんな事をしてきたのか、アニバーサリーライブでは何をしたいか、話題はいくらでもある。
この一週間、色んなアイドルと過ごし、凛とは会わずに過ごして来た。
だがそれでも、会っていない時の方が、より凛の存在を意識したような気がする。
それが何を意味するかは分からない。
まぁ、余計な事は後で考えればいいだろう。
ただ今はーー
隣を歩く彼女の声に、耳を傾けていよう。
凛「ねぇプロデューサー、聞いてる?」
八幡「あ? あ、あぁ悪い悪い。どうしたんだ?」
凛「だから、この前のお返しの事。プロデューサーの家に遊びに行くってだけでいいよ」
八幡「………………は?」
凛「今度の休み、行くから」
満面の笑みで、彼女はそう言った。
……来週も、一筋縄ではいかなそうだ。
109: 2014/08/04(月) 03:06:23.70 ID:xOOKUcQI0
*
この世の中において、一番大事なものとは一体なんなのだろうか。
突然何を、と思うやもしれんが、俺は今だからこそそれを問いかけたい。
大事なものなんて、結局は人それぞれ。
そう言ってしまえば、実際はそれで済む問題だ。今更、議論する余地すらないものかもしれない。
だがそれでも、俺はまだ答えを出せずにいる。
俺は、今でもそれを探し続けている。
よく耳にするのは、お金か愛か、という月並みな台詞。
愛はお金では買えないが、愛以外はお金で買える。
これだって、状況によって答えなんて変わっていくものだ。
世の中、愛に飢えた女教師もいれば、お金に執着する事務員もいる。そんなものだ。誰か早く貰ってあげて!
お金か愛か、それとも地位か名声か、その人にとっての大事なものなど、やはりそれぞれだとしか言えない。
誰だって自分の考えはあるし、それを共有出来る時もあれば、誰にも分かって貰えない事だってある。
だがここで重要になってくるのは、何が自分にとって一番大事なのか、それをハッキリと答えられるかどうかだ。
111: 2014/08/04(月) 03:08:18.25 ID:xOOKUcQI0
“本当に大事なものは、失ってから気付くもの”。
よく聞く言葉だが、実際の所真理でもある。
当然だ。いつだって人は幸福を日常と捉え、不幸を非日常とする。
自分にとっての“当たり前”が恵まれているという事に、人は気付けない。
ならば、俺はどうか?
俺にとっての大事なものとは何で、失いたくないものとは、なんなのか。
昔の俺ならば、それは家族と答えたかもしれない。
いや、もちろん今でも言える。だが昔と違うのは……
俺なんかの事を見てくれる、そんな奇特な奴らが増えたという事。
友達と言ってくれる奴らもいた。
信じてくれる奴らもいた。
……俺に、見ていてほしいと言ってくれる奴も、いた。
そんな奴らが出来て、俺にも失いたくないものがあるんだと、最近になって自覚する事が出来た。
それは他の奴らからすれば何て事の無い存在なのかもしれない。いて当然の関係だと言うかもしれない。
だが、俺には分かる。
彼らがいてくれる、その大切さを。
いてくれる、その尊さを俺は知っている。
いて当たり前なんて事は、決してないんだ。
112: 2014/08/04(月) 03:09:45.66 ID:xOOKUcQI0
こんな事、本人たちの前では口が裂けても言えはしまい。
言えたとしても、いつものように捻くれた物言いになってしまうだろう。
だがいつかは。
いつかは、ちゃんと言葉に出来たらと思う。
あいつらの存在が。
どれだけ、俺を救ってくれたのかを。
……まぁ、その内な。
それと、最近他にも大事なものを一つ自覚した。
それもある意味では尊く得難いもので、誰しもが望むものとも言える。
以前の俺であれば、そう難しくなく得る事が出来たのだが、今ではそれも無理だ。
本当に、大事なものは失ってからしか気付けない。
その大事なものとはーー
小町「お兄ちゃん! そろそろ凛さん来るんでしょ! ほらさっさと着替える!」
八幡「……なんでお前が張り切ってんだよ」
休み、休日、ブレイクタイム?
なんでもいいから、たまにはゴロゴロさせてくれ……
113: 2014/08/04(月) 03:12:05.82 ID:xOOKUcQI0
場所は千葉県某所にある比企谷家。
久方ぶりの休日に、俺は心行くまでゴロゴロしようと思っていたのだが……
小町「凛さん、夕飯も食べてくの? なら買い物行っておいた方がいいかな」
八幡「別にいーだろ。食う事になっても、最悪外食すりゃいいし」
小町「何言ってんのもう、これだからゴミいちゃんはダメなんだよ!」
八幡「なんで今俺罵倒されたの……」
話の通り、今日は凛が家にやってくる。
久しぶりに休みを満喫できると思っていたのだが……まぁ、仕方あるまい。
お返しを考えるのも面倒だったし、これで済むなら安いもんかもしれんしな。
ともすれば、一番面倒なのはこの妹かもしない。
小町「いい? 彼女が家に行きたいって言ってる、それはつまり、彼氏の家でのんびりしたいっていう意味なんだよ? なのに外食なんてしたらいつもと変わらないでしょ。OK?」
八幡「OKじゃないが。つーかそもそも彼女じゃない」
何故こうもノリノリなのだろうかこの妹様は。
それと彼女が彼氏の家に行きたいとか、その話はやめろ。いつぞやのクイズを思い出す。
小町「そんな細かい事はいーの! お兄ちゃんも一応料理出来るんだから、ここは振る舞ってしかるべきだよ!」
全然細かくない。
つーか、え? 俺が料理すんの? 何それ最高に面倒くさい。
114: 2014/08/04(月) 03:13:44.22 ID:xOOKUcQI0
八幡「何でわざわざ俺が作らなにゃならんのだ。尚更外食を推すぞ」
小町「減るもんじゃないし、いいじゃん。それにここで家庭的な面を凛さん達にアピールすれば、専業主夫を目指すお兄ちゃんとしても好都合でしょ?」
八幡「好都合とか言うな。まぁ確かに俺の主夫度を見せてやるのもいいかもしれんが……ん? 凛さん“達”?」
小町「あ、やばっ」
俺が言われた台詞に疑問符を浮かべていると、小町は慌てて口を抑える。いや露骨過ぎんだろ。
八幡「……お前、何か隠してるだろ」
小町「な、何を仰ってるか分かりませんなぁ」
面白いくらいに目を泳がせる小町。
怪しい。もう何が怪しいって姉ヶ崎のバスト逆サバ疑惑くらい怪しい。
俺がもう一度問いつめようとすると、しかしそこで我が家のチャイムが鳴る。
それに反応する小町。功を奏したとばかりに、その場から逃げる。
小町「あ、凛さんもう来ちゃったね! 小町お出迎えしてくる~☆」
八幡「あ、おいこら」
俺の静止虚しく、小町はたったかと行ってしまった。
激しく嫌な予感がするが……まぁどうしようもないか。
とりあえずリビングで待機。
その辺の雑誌を片付けつつ、気持ちを落ち着ける。
小町のせいで、何か俺まで緊張してきた。
いや、別に遊びにくるだけだからね? 深い意味は無いからね?
115: 2014/08/04(月) 03:14:52.28 ID:xOOKUcQI0
そうだ。両親も帰ってくるし、小町だっている。
……逆に言えば、夜まで両親は帰ってこないし、小町が出かけれガ二人っきりだな。
八幡「…………」
おおおおおお落ち着け俺。
そうだ、雑誌でも呼んで待とう。すげー自然だろ、うん。
テーブルの上に投げ出された雑誌を手に取り、その表紙を見る。
『彼氏必見! 女の子をお家に招いた時の必勝法特集♡』
何を読んでんだあの妹はぁ!?
いや完全にこれ俺への当てつけですよね!
や、やばいぞ。こんなん凛に見つかったら何を勘違いされるか。決して俺が買ったわけじゃないのよ?
とりあえず、その雑誌は本棚のジャンプに挟んで隠しておく。
なんか工口本を買う時のカモフラージュみたいで嫌だが、今はこうするしかあるまい。
と、ここでリビングのドアが開けられる。
危なかった……
小町「さぁさ、どうぞどうぞ~」
最初に小町が入ってきて、その後に来客者を招き入れる。
八幡「おう、遅かった…な……」
だが、リビングへと入ってきたのは凛だけではなかった。
116: 2014/08/04(月) 03:16:20.23 ID:xOOKUcQI0
奈緒「うーっす」
加蓮「お邪魔しまーす」
卯月「こんにちはプロデューサーさん」
未央「やっはろー☆」
輝子「フヒ……ここが、八幡の家……」
凛「あはは……お邪魔するね、プロデューサー」
八幡「…………」
うわっ…俺のお客さん…多すぎ…?
なんて言っている場合ではない。何でこんなにいるのん!?
八幡「凛、いや小町。どういう事だこれは?」
小町「そこで小町に聞いちゃう辺り、信頼されてるなぁ」
八幡「ある意味ではな」
つーかこんな事態、お前意外に考えられないですしおすし。
小町「そりゃ小町だって、本当は凛さんと二人っきりにさせてあげたかったですよ? 凛さんだって勇気を出して言ったわけですし」
凛「いや、私は別にそんな…」
なんか凛が顔を赤くしながら抗議しているが、小町はそのまま続ける。
絶対悪いと思ってないだろ。
117: 2014/08/04(月) 03:18:10.72 ID:xOOKUcQI0
小町「だけどそこで考えたわけですよ。もしも、もっとアイドルの皆さんが来たら、どうなるか……」
奈緒「どうなるんだ?」
未央「最高に面白そう!」
小町「Yes!」
最低にはた迷惑です。本当にありがとうございました。
YesじゃねーよYesじゃ!
卯月「でもえっと、小町ちゃんは悪くないんですよ?」
未央「元は凛から聞いて、私たちも行きたい! って言ったのが発端だからね」
小町をフォローするように言う二人。
なるほど。それで小町へ連絡して、OKを貰えたと。いや小町がOKしてる時点でおかしいけどね? 俺に聞いて!
つーか、いつの間に連絡先を交換してたんだこいつらは……
加蓮「えーっと、なんかゴメンね凛」
凛「別に大丈夫だよ、多い方が楽しいし。……ていうか、そもそも二人っきりになりたかったわけじゃないし」
申し訳なさそうに言う加蓮に対し、凛は気にしてないという風に返す。
が、最後の方は拗ねた風だった。
いや、分かってはいたけどね。うん。そんなはっきり否定されるとちょっと傷つく……
輝子「八幡、キノコはどこに置けば……?」
八幡「え? あ、あぁ。とりあえずそっちの隅の方に…………って何ナチュラルに持って来てんだお前は」
輝子「フヒ……ロケに行った時の、お土産……」
118: 2014/08/04(月) 03:19:35.02 ID:xOOKUcQI0
え? なにそれくれんの?
滅茶苦茶いらないが、滅茶苦茶断り辛い。どうしよう。
八幡「なんかすっごい緑色なんだが……」
輝子「フフフ、八幡をイメージしてみた」
八幡「お前の俺へのイメージって苔が生えてんの?」
仕方ない、受け取るだけ受け取っておこう。
なんか凛が遠い目でキノコを見つめているが、トラウマは刺激してやらないのが吉だ。そっとしておいてやろう。
卯月「でも、突然こんなに押し掛けて本当に良かったんでしょうか……?」
島村が今更ながら遠慮がちに問うてくる。
八幡「まぁ……………………………………いいわ。どうでも」
奈緒「めっちゃ間を開けた割に投げやりだ!?」
そら投げやりにもなるわ。
むしろ不貞寝しないだけ褒めてほしいレベル。
小町「まぁまぁ、とりあえず皆さん座ってください♪ 今お茶でも出しますから」
小町に促され、皆一様にソファへと座っていく。
つーか席足りるか?
俺がテーブルの椅子を持ってこようかと思っていると、キッチンへ向かう小町の独り言が聞こえてきた。
小町「なるほど、人数が多いとお兄ちゃんの部屋へ招けないわけか……これは後々の反省点として…」ブツブツ
妹って怖い。
本気でそう思いました。
119: 2014/08/04(月) 03:21:12.65 ID:xOOKUcQI0
その後はお茶を飲みながら雑談に花を咲かせ、ゆったりとした時間が流れていた。
途中俺が隠した雑誌を見つけられて焦ったが、別に俺が買った訳じゃないし? ちょっと読んでみたいとか思ってないし?
奈緒がジャンプ読もうとしたのは誤算だったな……
そして1時間程たった頃、小町が時計を見てこんな事を呟いた。
小町「そろそろ着く頃かなー……」
瞬間、俺は背筋に冷たいものを感じた。
そろそろ、着く……?
なんだそれは。それでは、まるでーー
他に誰か、この家に向かって来ているようではないかーー?
いや待て、もしかしたら宅配便とかかもしれない。
まだ可能性はある。Amazonで何か頼んだとか、きっとそんな所だ。そうに違いない!
と、そこでピンポーンとチャイムが鳴る。
小町「あ、結衣さんたち来た」
やっぱりなのぉーーーー!!?????
八幡「あ、俺そろそろ夏イベ始まるからオリョクルしてk…」 ガッ
凛「どこ行くの? プロデューサー」ニッコリ
奈緒「お前この前資材は充分だって言ってなかったか?」
凛の握力が強い。
畜生! そこは目を瞑ってくれよ神谷提督!
120: 2014/08/04(月) 03:22:48.12 ID:xOOKUcQI0
やがて、出迎えに行った小町と共に新たな客人がやって来る。
まぁ、その面子はある意味では予想通りであったが。
由比ヶ浜「やっはろー! ってうわっ! アイドルがいっぱいいる!?」
雪ノ下「……こんにちわ。お邪魔するわ」
元祖奉仕部こと、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣であった。
しかし由比ヶ浜はともかく、まさか雪ノ下も来るとはな……
八幡「お前らまで何しn…」
奈緒「おっ! 雪乃に結衣じゃん、久しぶりだな!」
加蓮「こんにちわ。結衣さん雪乃さん」
俺が話かけるよりも前に、わいわいと挨拶を始める面々。完全に家主が置いてけぼりであった。
そうか、そういやお前らも顔見知りだったな……
未央「ねぇねぇ、プロデューサー。あの可愛い人たちとは一体どんな関係なの?」
八幡「そんな嬉々として訊いてくるな。……あいつらが総武高の奉仕部だよ」
卯月「あ、そうなんですね! 噂には聞いてましたけど、奇麗な人たちですね~」
ここで普通の奴ならお世辞と思うだろうが、言ったのが島村だからな。きっと本心で言っているのだろう。
さすがは雪ノ下に由比ヶ浜。アイドルからお墨付きを頂いたぞ。
121: 2014/08/04(月) 03:23:51.93 ID:xOOKUcQI0
由比ヶ浜「わわっ、未央ちゃんに卯月ちゃん、輝子ちゃんまでいるよゆきのん! どどど、どうしよう!」
雪ノ下「分かった、分かったわ由比ヶ浜さん。だから肩をそんなに揺すらないで……」
さっきから由比ヶ浜のテンションが凄い。
まぁ、確かに一般の人からすれば中々お目にかかれない光景だわな。
つーか、更に人数が増えてもうどうしていいか分かりません。
……こうなりゃ、もうやけになるか。
小町「あれ? お兄ちゃんどうしたのケータイなんか取り出して」
八幡「いや、なんかもう折角だから俺も呼ぼうかと」
小町「え? 呼ぶって……誰を?」
八幡「友達」
そう言った瞬間、雪ノ下と由比ヶ浜が目を剥くくらい驚いていたが、それはこの際置いておく。
122: 2014/08/04(月) 03:25:02.94 ID:xOOKUcQI0
*
戸塚「こ、こんにちは」
そう言って遠慮がちに入ってくるのは、マイエンジェル戸塚たん。
呼んで良かった。掛け値なしに。
八幡「戸塚、良く来てくれた」
戸塚「ううん、遊びに誘ってくれて嬉しかったよ。……ちょっと女の子が多くて緊張しちゃうけど」
そう言って照れたように笑う戸塚。
あー癒されるー、ノンケになるーって元々ノンケだった。
八幡「……で、なんでこいつまでいんの?」
材木座「クックック……呼ばれて飛び出て、剣豪将軍良輝ゥゥウウウウ、っ参上!!」
八幡「いや呼んでないし」
別に飛び出てもいなかった。
戸塚「来る途中で会って、折角だから一緒に遊んだら楽しいかと思ったんだけど…」
八幡「……まぁ、戸塚がそう言うんならいいか」
と、そこでまたも本田が興味津々といった様子で訊いてくる。
内容は先程と同じ質問。
123: 2014/08/04(月) 03:26:43.10 ID:xOOKUcQI0
未央「それでそれで? その可愛い人とプロデューサーはどんな関係なの?」
八幡「一番大切な人だ」
由比ヶ浜「即答だ!?」
驚く由比ヶ浜を皮切りに、一同が驚愕する。
え? 俺なんか変な事言った?
凛「い、一番、大切な人…………ふーん、そっか。そうなんだ……」
中でも凛は特に衝撃を受けたご様子。
というか、妙にギラついた目で戸塚を見つめていた。
凛「戸塚さん、だっけ? 私は渋谷凛。よろしくね」
戸塚「え? あ、うん。こちらこそよろしく……」
何故か知らんが燃えている凛に、たどたどしく挨拶を返す戸塚。
……まさか、凛のやつ戸塚を狙ってるわけじゃあるまいな。許さない! そんなの八幡許しませんよ!
由比ヶ浜「いやいや、なんか皆勘違いしてるけど、彩ちゃんおt…」
未央「おぉーっと!? これはもの凄く面白い展開だぁーーー!!」
小町「ええ! 小町は全部知ってるけど、とりあえず面白そうなんで黙っておきますよぉ!!」
なんか由比ヶ浜が言おうとしたが、テンションの高い二人に遮られる。
お前ら気が合いそうね……
124: 2014/08/04(月) 03:28:08.53 ID:xOOKUcQI0
加蓮「八幡さん、あんなに可愛い彼女さんいたんだ……」
奈緒「えぇ!? いや、でも彼女とはまだ言ってないし…」
卯月「でも、一番大切な人って言ってたよ?」
奈緒「ぐっ、確かに……」
あっちはあっちでなんか盛り上がってるし。
あれ、そういや輝子と雪ノ下は……?
雪ノ下「あら。シイノトモシビタケなんて珍しいわね」
輝子「フヒヒ…これがわかるなんて、中々やる……」
……そっとしておこう。
戸塚「八幡から聞いてるよ。渋谷さんが八幡の担当アイドルなんだよね」
凛「な、名前呼び……!? う、うん。そうなんだ」
こっちでは相変わらず戸塚と凛が相対している。
なのに温度差が違うのが何とも言えない。
戸塚「ふふふ。お互い信頼し合える関係って、羨ましいなぁ」キラキラ
凛「ま、眩しい……!」
戸塚のエンジェルオーラにやられたのか、その場にガクっと膝を着く凛。
なんか「ま、負けた……」とか呟いてるが、その体勢はアイドルとしてどうなんだ。
125: 2014/08/04(月) 03:30:09.63 ID:xOOKUcQI0
しばらくそんなやり取りは続いたが、由比ヶ浜の「だから、彩ちゃん男の子だし!」という一言でその場は落ち着いた。
そして、材木座が終始空気だった。だから、何で来たんだよお前。
その後、とりあえず俺たちは人でいっぱいになったリビングでゲームをする事になった。
だがテレビゲームでは、一度でやれて多くて精々4人だ。交代制にしたって他がさすがに暇過ぎる。
つーか今ここに12人もいるんだよな。どう考えたって多過ぎる。
そこで、小町が考案したのがこれ。
小町「『ドキっ! アイドルだらけの人生プロデュースゲーム』~☆」
未央「イェーーイっ!!」
どんどんぱふぱふーと聞こえてきそうなテンションで盛り上げる二人。
その手には、一見普通の人生ゲームを持っていた。
卯月「人生……」
加蓮「プロデュースゲーム……?」
奈緒「それって、普通の人生ゲームとは違うのか?」
思った事をそのまま聞いてくれる奈緒。
進行が楽になる良い質問ですね。
小町「基本的には普通の人生ゲームと一緒です。ただし、ちょ~っとばかり小町が細工してありますけどね♪」
八幡「昨日夜中までコソコソ作業してたのはそれか……」
珍しく勉強頑張ってるのかと思ったら、そんな事をやっていたとはな。
俺の労いを返して!
126: 2014/08/04(月) 03:31:29.08 ID:xOOKUcQI0
雪ノ下「人生ゲーム……それはつまり、生涯をかけて勝負する、という事で良いのかしら?」
由比ヶ浜「だから、そういうゲームじゃないから!」
そして相変わらず燃えている雪ノ下であった。
猫とパンさんと勝負事の時ばかりは本気を出さずにはいられないらしい。
小町「先にルールを説明しておくと、まず二人一組を作ります」
輝子・材木座「「えっ?」」
八幡「落ち着け。これは遊びだから。はぶられる事は無いから」
とはいえ俺も二人と一緒に少々過敏に反応してしまった。
全く、ぼっちにとって『二人一組』なんて言うもんじゃない。怯えちゃうでしょうが。
小町「アイドルとプロデューサーで役割を分け、そのコンビでゲームを進めて行くわけですね」
未央「それじゃあ、組み合わせはどうするの?」
八幡「戸塚、俺と組もう」
由比ヶ浜「答えを聞く前に!?」
いやだって碌な選別方法じゃなさそうなんだもん。
断言出来るが、戸塚とは組めそうにない。ならこれくらいはやって然るべきだ!
小町「私と未央さんは進行&銀行役なので、他の皆さんでくじを引いてもらいます」
人生ゲームに進行って必要なの? というツッコミはさておき、なんだ。意外とまとも…
小町「お兄ちゃんと凛さん意外は!」
八幡・凛「「えっ?」」
127: 2014/08/04(月) 03:33:03.27 ID:xOOKUcQI0
戸塚と組める可能性があると安堵した途端のこれだ。
え、つまり俺と凛は強制的にコンビって事?
小町「だって、お兄ちゃんは凛さんのプロデューサーでしょ? ならやっぱりゲームでもそうじゃないとね」
凛「……私は、それでもいいけど?」
と、どこか期待の眼差しでこちらを見る凛。
いやこれ断れる雰囲気じゃなくね? ……まぁ、別に断る理由も無いのだが。
八幡「……ま、いいんじゃねーの。それで」
小町「はい! 双方の了解を得られましたので、他の方はこちらのくじを引いてください~」
そしてくじを引いていく面々。
由比ヶ浜はなんか「むー」っと唸り、凛は小さくガッツポをしていたが、まぁ、気にせずにいこう。
ちなみに組み合わせはこんな感じ。
128: 2014/08/04(月) 03:34:28.20 ID:xOOKUcQI0
奈緒「お、雪乃か。よろしくな」
雪ノ下「ええ。私がプロデューサーになったからには、あなたを必ずトップアイドルしてみせるわ」
奈緒「お、おう。……これ、ゲームだからな?」
由比ヶ浜「よ、よろしくね卯月ちゃん!」
卯月「うん! 頑張ろうね結衣ちゃん」
由比ヶ浜「う、うわ~本物だよ~……緊張してきた…」
戸塚「えっと、輝子ちゃん、でいいのかな?」
輝子「う、ん。……彩加って、呼んでもいい……?」
戸塚「もちろん!」
材木座「クックック、お主が今宵のパートナーか。我と共に勝利を掴み取ろうぞ!!」
加蓮「ぷっ…アハハ、何それ? 面白い人だね。まぁ一つよろしく♪」
材木座「…………」
ダダダダダっと駆け寄ってくる材木座。
いや近い、すっごい近いから。
在木材「八幡! 八幡っ! 我の事引かなかったよ!? これ来たんちゃうん!? 今度こそ春が来たんちゃうん!?」
八幡「だから落ち着け材木座! 今のを翻訳するとだな……『うわ何言ってんの? マジキモい。これ以降は関わらないでねムリ☆キモい』って意味だ」
材木座「なん…だと……?」
加蓮「いや違うからね!?」
とまぁこんな感じでコンビは決まった。
良いなぁ、輝子……
129: 2014/08/04(月) 03:38:00.36 ID:xOOKUcQI0
その後はダラダラと人生ゲームを楽しんだ……と思う。……楽しめたのか…?
まぁ所詮は人生ゲーム。小町が細工を施したからといって大きくは変わらない。
以下、プレイ中から抜粋。
雪ノ下「どうして株の種類がこれしか無いのかしら? これでは少な過ぎると思うのだけど」
奈緒「いやだってゲームだし、そんな忠実じゃなくていいだろ」
雪ノ下「それに保険には一度しか入れないし、一度使用したらもう入れないというのも納得いかないわ」
奈緒「作った会社に言ってください……」
とりあえず奈緒が大変そうでした。
卯月「結衣ちゃん、その髪型可愛いね。毎日自分でやってるの?」
由比ヶ浜「あ、ありがとう。朝早く起きてセットしてるんだ~」
卯月「へぇ~、私も今度やってみようかな?」
由比ヶ浜「あ、じゃあアタシがやってあげようか? 今日じゃなくても、また遊べたら…」
卯月「本当? 楽しみにしてるね♪」
由比ヶ浜「う、うん!」
ゲームやれ。
戸塚「あ、輝子ちゃん。お家買えるよ。どこがいいかな?」
輝子「出来れば、キノコが沢山置ける所……」
戸塚「そっか、それじゃあマンションは厳しいかもね。でも大き過ぎるとお金が足りないし……あ、こことか丁度良いんじゃないかな?」
輝子「フフ……彩加はやり繰り上手」
混ぜてください(切実)。
130: 2014/08/04(月) 03:39:26.72 ID:xOOKUcQI0
加蓮「1、2、3……『ライブを行い大成功。100,000円稼ぐ』だって! やったね!」
材木座「お、おう。これくらい、加蓮嬢の力にかかれば雑作もない事よ」
加蓮「何言ってるの、私たちの……でしょ?」ニコッ
材木座「……は、はちまーーん!」
いやもうそのくだりはいいから。
八幡「……お、結婚だ。…………え、これ結婚のシステムあんの?」
小町「そりゃありますとも。ほら、車にピンさして」
八幡「いや、もう既に俺と凛の分刺さってるんだが」
小町「別にアイドルとプロデューサーったって、結婚は普通にするでしょ? 小町何かおかしい事言ってる?」
凛「ふーん? ……隣に担当アイドルがいるのに、プロデューサー結婚するんだ?」
未央「おおう、しぶりんチームの車が修羅場に……」
え、これ俺が悪いの?
そんな感じで、人生ゲームは終わったのだった。
ちなみに一着は島村・由比ヶ浜チーム。雪ノ下が悔しそうにしてたが、まぁ、いずれリベンジしとけ。
またやるかは微妙だけどな。
気付けば時間も遅くなってきている。
……そろそろ頃合いか。
俺が遅くならない内に、と声をかけ、お開きとあいなった。
それぞれが帰路につく準備を始め、玄関へと向かう。
131: 2014/08/04(月) 03:41:07.68 ID:xOOKUcQI0
小町「ほら、お兄ちゃん送っていかなきゃ」
八幡「……まぁ、しょうがないか」
今回ばかりはな。
元々お返しの意味合いで招待したののに、終始騒がしいだけで終わってしまった。
玄関の外へ出ると、そこには既に雪ノ下と由比ヶ浜、そして凛しかいなかった。
てっきりアイドル組が一緒に駅まで行くと思ってたんだけどな。千葉在住の奈緒は別にして。
雪ノ下「それじゃあ比企谷くん。渋谷さんをお願いね」
言うと、雪ノ下は由比ヶ浜を引っぱりその場を後にする。
由比ヶ浜「え? ちょっ、じゃ、じゃあねヒッキー! 待ってゆきのん~!」
雪ノ下「……案外、家に遊びに行くというのも楽しめたわ」
言い残して、彼女らは去って行った。
そういや、何気にあいつが俺の家来たの初めてだったんだな。人数のインパクトのせいで気付かなかったが。
しかし雪ノ下が由比ヶ浜を連れて行くというのも中々珍しい光景だ。
……変な気ぃ遣いやがって。
八幡「……そんじゃ、行くか」
凛「……うん」
その場に残された凛と共に、駅へと歩いて行く。
132: 2014/08/04(月) 03:42:45.44 ID:xOOKUcQI0
道中、特に会話も無く歩いていく。
こうしていると、いつぞやの帰り道を思い出す。
あの時も、雪ノ下と由比ヶ浜に見送られて帰ったっけな。
その時はまだ凛は名も知れてないアイドルで、俺も、右も左も分からないプロデューサーだった。
それから徐々に成功を重ねて、少しずつ成長していった。
今では凛も、トップアイドルに行かないまでも、大分有名になったと思う。
……早いもんだな、月日が流れるってのは。
俺がそんな事を考えていると、不意に凛が声を出す。
凛「プロデューサー」
隣へと、顔を向ける。
凛は、その透き通るような瞳で俺を見ていた。
八幡「なんだ?」
俺が聞き返すと、凛は何か言いそうになって、
何も言わず、首を振って微笑んだ。
133: 2014/08/04(月) 03:43:58.57 ID:xOOKUcQI0
凛「ううん。なんでもない」
八幡「なんだよ、それ」
つられて、俺も笑いを零す。
凛が何を言いたかったのか、俺には分からない。
けれど、不思議とお互いが感じてる事は一緒なような気がした。
通じ合っている、とまでは言わない。
それでも何処か、感じる所はあるんだ。
……まさか、俺がこんな事を思うなんてな。
1年前の俺に、聞かせてやりたいものだ。
凛「……ずっと」
八幡「ん?」
凛「ずっと……こんな日が続くといいね」
空の果てを見つめながら、凛は呟く。
134: 2014/08/04(月) 03:45:24.79 ID:xOOKUcQI0
八幡「……そう、だな」
俺も、これに応える。
実際の所、それは叶わないのだろう。
いつかは終わりがやってくるし、俺たちは、それが3ヶ月後だと知っている。
けれどだからこそ、俺たちはその歩みを止められない。
この日々を、無駄にしない為にも。
凛を、トップアイドルへとする為に。
俺は、俺たちは歩いて行く。
先の見えない、この道を。
俺のアイドルプロデュースは、終わらない。
135: 2014/08/04(月) 03:46:25.63 ID:xOOKUcQI0
「ふざけんな、クソ野郎」
136: 2014/08/04(月) 03:48:06.66 ID:xOOKUcQI0
俺に向かってそう言ったのは、名前も知らない一般Pだった。
いつも通りの朝、会社へと出社し、事務所へと入った所。
すれ違い様、そいつは俺に怒りを隠そうともせず、その言葉を吐いて会社を出て行った。
初め、理解するのに時間を要した。
呆然とその場に立ちすくみ、しばらくは頭が処理出来なかった。
だが、やがて俺へ向けられるいくつもの視線に気付く。
軽蔑、憎悪、唾棄するような、その視線。
覚えが、ある。
この、悪意に満ちた視線を。
そして脳が活動を始めた所で、社内がやけに騒がしい事にも気がついた。
鳴り止まない電話。
止まらないFAX。
社員が対応に追われる中、ちひろさんが俺に気付き、やってくる。
137: 2014/08/04(月) 03:50:14.48 ID:xOOKUcQI0
ちひろ「比企谷くん……」
そう言って、悲痛そうな面持ちで俺に一冊の週刊誌を渡してくる。
上手く、受け取れない。
手が震えているのが、分かる。
受け取った雑誌の表紙には、こう書いてあった。
『人気アイドル渋谷凛、プロデューサーとの熱愛発覚!?』
頭が、真っ白になった。
そのまま、雑誌を捲っていく。
内容は、俺と凛に対するバッシング。いや、比率的には、俺への方が圧倒的に多い。
凛と俺が自宅前にいる写真が、記載されていた。
『担当アイドルを自宅へと招く下種プロデューサー』
『それだけにあきたらず、他の何人ものアイドルに手を出しているという話も』
『社内での評判も悪く、また不正な取引の疑惑までもが上がっている』
凛も、他のアイドルまでもが、いいように晒されていた。
これは、誰が招いた結果だ?
138: 2014/08/04(月) 03:52:15.34 ID:xOOKUcQI0
いや、そんな事は分かり切っている。
思わず、乾いた笑いが漏れそうになった。
本当に。
本当に無様で、滑稽じゃないか。
あれだけ凛の成功を願っていたのに。
誰よりも、凛の手助けをしたいと思っていたのに。
他の誰でもない。
俺がーー
俺が、あいつの道を鎖してしまった。
……なんだよ、気付いてなんかいなかったじゃねーか。
全然気付いてなんかいなかった。
本当に大事なものは、
失ってからしか、気付けないんだ。
174: 2014/08/09(土) 01:48:58.53 ID:9UPUoVTN0
*
酷く、喉が乾く。
やけに胸の奥の辺りが気持ち悪いし、頭が痛い気もする。
ただ立っているだけの事が、辛い。
出来る事なら、今すぐにでもベッドに倒れ込みたいくらいだった。
だが、ここは俺の部屋ではないし、そんな事をしていられる余裕もない。
取り返しのつかない事を、してしまったから。
今目の前に座っている一人の男。
俺をこの業界へと誘った張本人。
彼がいなければ、俺はプロデューサーになる事はなかった。
そして凛に出会う事も、なかった。
シンデレラプロダクション社長。
未だ静かに座る彼は、意を決したかのように、俺に向かってこう言った。
社長「……何か、申し開きはあるかね?」
175: 2014/08/09(土) 01:51:51.26 ID:9UPUoVTN0
重く、静かに耳へと届く言葉。
俺は、何と答えればいい?
八幡「……」
……言える事など、ない。
口を開いてしまえば、情けない言い訳をべらべらと喋ってしまいそうだったから。
まともな答えを返す事が、出来ない。
口を鎖し、奥歯を噛み締める事しか、出来なかった。
社長「……キミも、まだ心の整理が出来ていないだろう」
酷く悲しそうな顔で、話す社長。
社長「キミがあの週刊誌の通りのような人間でない事は、私は理解している。だが、アイドルを自宅に招き、それを目撃されたのも事実……」
辛い選択をするように、言葉を言い淀む。
やがて社長は俺の方を見据え、ハッキリと言った。
社長「……比企谷くん。キミはしばらく、自宅謹慎だ」
八幡「ッ!」
社長「渋谷くんにも動揺の処置を取る。しばらくは会う事も禁止だ。キミ達の処分は上層部で取り決め次第追って連絡するから、それまでは待機していてくれ」
自宅…謹慎……?
俺が驚きを隠せずにいると、社長は尚も続ける。
社長「安心したまえ、決して悪い結果にはならないよう尽力する。所詮は週刊誌のゴシップ記事。ほとぼりも冷めれば、また仕事を始められるだろう。まぁ一応責任を取るという形で謹慎はしてもらうがね」
176: 2014/08/09(土) 01:54:33.23 ID:9UPUoVTN0
そう言う社長の言葉を、正直俺は信じられずにいた。
てっきり俺は、
クビを切られると。
本気でそう、思っていた。
八幡「……何でですか?」
社長「……それは、どういう意味だね?」
気付けば、言葉が口から出ていた。
八幡「いくら結果をそれなりに出していたとしても、所詮は一般応募のプロデューサーですよ? 正式な社員じゃない。俺の代わりなんて、それこそ掃いて捨てる程いるはずだ」
プロデューサー大作戦という企画に、一体どれだけの人材が募ったか。
その中には、俺よりも優秀な奴などいくらでもいるだろう。
八幡「はっきり言って、クビにされない方が不思議なくらいです。俺なんかは切り捨てて、新しいプロデューサーを凛につけた方がいい」
社長「……」
俺の言葉を、社長は黙って聞いている。
俺の言っている事は、正しいはずだ。だからこそ社長の決断が分からない。
俺なんかはさっさとクビにてして……
クビに、して……
……違う。
違うだろ。
俺が言いたい事は、そんな事じゃない。
クビにしてほしいわけが、ない。
177: 2014/08/09(土) 01:56:29.78 ID:9UPUoVTN0
……けど、
そう言わなくちゃ、いけないんだ。
俺は、責任を取らないと。
社長「……比企谷くん」
気付ば、俺は顔を俯かせていた。
言葉をかけられ、顔を上げる。
社長は、薄く微笑んでいた。
社長「キミをここに呼ぶ前に、実は他のプロデューサーと少し話をしていてね」
八幡「他の、プロデューサー?」
社長「ああ。前川くんと新田くんのプロデューサーだよ」
前川と新田のプロデューサー。
一般Pの中では、珍しくも俺とまともに関わりがあった二人。
その二人が、社長と何を……?
社長「開口一番、怒鳴られたよ。『アイツはあんな事をするような奴じゃない』とね」
八幡「ッ!」
あの二人が?
俺を、庇って……
社長「私も一緒だよ」
社長は椅子から立ち上がると、俺の前へと歩み寄ってくる。
178: 2014/08/09(土) 01:59:19.16 ID:9UPUoVTN0
社長「あれだけのアイドルを笑顔に出来るキミが、こんなくだらない事でクビになる必要はない。……それが、アイドルプロダクションの社長をやっている私の決断だ」
八幡「……」
社長「甘い考えだと社員たちには怒られてしまうかもしれんがね。生憎とこれが私なんだ」
苦笑しつつ、彼は俺へとそう言ってくれる。
その言葉には優しさが含まれているのを、今の俺はかろうじて感じ取れた。
ホントに、本当に、甘い。
社長「今日はもう帰りなさい。親御さんも心配しているだろう」
俺の肩へ手を置き、そう言う社長。
ただただ単純に、暖かいなと、そんな気持ちがポツリと湧いて出た。
社長「外には記者達がいるかもしれんし、車を出そう。幸い、腕ききのドライバーが我が社にはいるからね。まぁ彼女もアイドルなんだが」
八幡「……」
俺は、社長の言葉に甘えるしかなかった。
情けないが、今の俺じゃ碌に考える事も出来ない。
社長の言葉に無言で頷ずくと、重い足取りで社長室を後にする。
その後の事は、正直よく覚えてはいない。
事務所にいた何人かのアイドルに声をかけられたが、大した返事も出来なかったと思う。
車で送ってくれた女性にも、言葉少なくお礼を言ったのみだ。
ただ、その中でも覚えているのは……
会社に凛は、いなかった。
ただそれだけは、漠然と覚えていた。
179: 2014/08/09(土) 02:01:13.19 ID:9UPUoVTN0
*
渋谷凛のスキャンダルは、瞬く間に広がっていった。
社長は直ぐにほとぼりも冷めると言ったが、俺には、そんな楽観的には考えられない。
担当プロデューサーとしての贔屓を抜きにしても、凛は既に一人前のアイドルだとはっきり言える。
素顔で街を歩けば声をかけられ。
ライブを開催すれば直ぐにチケットは売り切れ。
シンデレラプロダクションの中でも、5本の指に入る程の人気と言ってもいい。
そんな彼女が。
そんな彼女が、スキャンダルを起こしたのだ。
平和に解決する筈がない。
誰よりも応援しているつもりだった。
あいつをトップアイドルに、頂きへと導いてやりたいと本気で思っていた。
その想いは、紛れも無い本物だった。
180: 2014/08/09(土) 02:03:56.88 ID:9UPUoVTN0
そんな、そんな俺が。
スキャンダルを引き起こした張本人。
あろうことか、凛のスキャンダルの相手になってしまった。
なんとも、皮肉な話だ。
滑稽ですらある。
世にいる凛のファン達は、俺を頃したいくらい憎んでるかもな。
やっぱり、どこにいっても憎まれ役は変わらないらしい。
ある意味では、古巣に帰ってきたって感じだ。
以前まで当然だったこの立場が、今は酷く懐かしい。
最近の俺は、周りのアイドルたちのおかげで少々舞い上がっていたんだと思う。
本当に、ここまで悪意を集中的に受けたのは久しぶりだ。
だが、そんな事はどうでもいいんだ。
俺の事情なんかどうだっていい。
極端に言うなら、ゴシップ記事を書いた奴らだってそこまで憎んではいない。
いや、確かに怒りは湧く。
既にアニバーサリーライブまで一ヶ月を切った。
何故そんな時期に、わざわざやらかしてくれるのかと。
色々と言いたい事はあるが、そんな事よりもーー
自分自身に、怒りが湧いて仕方が無い。
181: 2014/08/09(土) 02:06:37.18 ID:9UPUoVTN0
こんな事、気をつければいくらでも予想できた事だ。
さっきも言ったように、凛は既に名の売れたアイドル。
なら、自宅に招くなんて自殺行為だ。そんなの、少し考えれば分かる事だろ?
なんでそんな、バカな真似をした。
例え結果論だったとしても、そう思わずにはいられない。
何度も何度も……
後悔して、仕方が無かった。
行きたいと言った凛も、それに乗じたアイドルたちも、許可した小町も、俺には責められない。
俺が、責められるわけがない。
俺はプロデューサーなんだ。俺がプロデューサーとして、断るべきだったんだ。
本当に、
何をやってんだ、俺は。
八幡「…………」
ソファーへと寝転び、ただ呆然と天井を見上げる。
薄暗いリビングの中、聞こえるのは時計の秒針の音のみ。
ただ何の気無しに、手元にあるケータイを見る。
画面には、何件もメールや着信の知らせが表示されていた。
182: 2014/08/09(土) 02:08:50.18 ID:9UPUoVTN0
……由比ヶ浜の奴、連絡よこし過ぎだろ。迷惑メールに登録したくなるレベル。
一個だけ知らない番号から着信があるが、まぁ、どうせ間違い電話だろう。
他にはアイドルたちや戸塚、材木座からも来ている。どんだけ心配してくれてんだよ。泣くぞ。嬉しくて。
だが俺はそのどれ一つにも連絡を返す事なく、ケータイをテーブルの上に放る。
リビングに、カツンという小さな音が響いた。
最近の俺は、ずっとこんな感じであった。
会社は勿論、学校にも行かず、家からは一歩も出ない。
自宅謹慎なのだから当然とも言えるが、俺のそれは違う。
何に対しても気力が湧かず、ただ怠惰に時間を浪費する。
食うか寝るか、本を読む事もテレビを見る事もせず、ただただ呆然と過ごしているだけ。
心配してくれている奴らにも、何も返せずにいた。
それでも、伝えなきゃならない事はと思い、謹慎を言い渡された日にそれぞれメールを送っておいた。
今回の件は俺が招いた事だから、お前らが責任を感じる必要は無いと。
俺のせいで、お前らの顔に泥を塗ってしまってすまないと。
そう伝えておいた。
……まぁ、その後の反感のメールが凄かったんだけどな。
結局それらにも、返事は返していない。
そんな生活も、一週間近くたとうとしていた。
最初家に帰った時は、えらく両親に心配されたものだ。
気に病む必要は無いと、世間など関係無いと。
俺が無気力な生活を送っていても、何も言ってこない。
ホント、迷惑をかけてばっかりだな俺は。
謝るべきは、俺なのに。
そして小町は…………泣いていた。
183: 2014/08/09(土) 02:10:37.91 ID:9UPUoVTN0
八幡「……あいつの泣き顔、久しぶりに見たな」
ぽつりと、何処からとも無く言葉が漏れる。
小町は泣きながら、俺に謝ってきた。
何度も何度も、自分のせいだと。
俺は、お前からそんな言葉を聞きたいわけじゃないのに。
ただそうさせた自分自身が、情けなかった。
一体何人に迷惑をかけるつもりだろうか。
今までは、ぼっちだったが故にこんな事は無かった。
こんなにも、誰かに対して申し訳ないと思った事は無かった。
八幡「…………」
凛とは、家に来たあの日から会っていない。
会う事が禁止されている今、あいつからの連絡は二つのみだった。
自宅謹慎を告げられた日、一度だけ着信。
俺は何を言えばいいか分からず、電話に出られなかった。
謝る事も出来ず、ただただ怖かった。
そして、その後に一通だけのメール。
『ごめんね』と。
それだけ、送られてきた。
184: 2014/08/09(土) 02:12:06.57 ID:9UPUoVTN0
俺は、どうすればいいんだろうな。
凛に謝ればいいのか?
凛のファンたちに謝ればいいのか?
謝って済む、問題なのか?
ずっとずっと、自問自答を繰り返す。
答えの見えない迷路を彷徨うように。
……いや、本当は分かってるんだ。
俺が出すべき答えは、もう分かり切っている。
だが俺は、その選択をーー
ふと、物音が聞こえてきた。
ドアを静かに開ける音だ。
この時間帯、親は仕事に出ている。
つまりリビングに入ってくる人物はただ一人。
小町「……お兄ちゃん」
物憂げな顔で、小町はやってきた。
俺はソファから上体を起こし、顔を小町へと向ける。
八幡「……どうした?」
俺が訊くと、小町は一度小さく深呼吸をし、真剣な表情をつくる。
そして、不意に予想外の行動をおこした。
185: 2014/08/09(土) 02:13:43.99 ID:9UPUoVTN0
小町「この間はお恥ずかしい所をお見せしてしまい、真に申し訳ありませんでした」
そう言って、ぺこっと頭を下げたのである。
……え? どうした急に?
俺が目を丸くして見ていると、頭を上げた小町は照れくさそうに言う。
小町「いやーちょっとあまりの事態に小町も取り乱しちゃいまして。我ながらお恥ずかしい」
そして、また悲しそうな顔になる。
小町「……本当に、ごめんね」
八幡「……だから、この間も言っただろ」
俺はやれやれと、わざとおどけた風に言ってみせる。
八幡「お前を責めたら、来たいって言ったあいつらも、それを許した俺も責められなくちゃいけねぇよ。……だから、気にすんな」
そう言って、笑ってやる。
空元気のように思われるかもしれないが、それでも言った事は本心だ。
小町「お兄ちゃん……」
小町は目を見開き、やがて告げる。
小町「こんなに優しいお兄ちゃんなんて、お兄ちゃんじゃない……!」
八幡「あれ、この子反省してない?」
折角の良いお兄ちゃんで応えたのにこの仕打ち。
あんまりじゃない!?
186: 2014/08/09(土) 02:16:57.90 ID:9UPUoVTN0
小町「……ぷっ」
八幡「くく……」
そして小町が不意に吹き出し、俺もつられたように笑いを零す。
なんか久しぶりに笑った気がすんな。
……ありがとよ、小町。
口にするのは恥ずかしいので、俺は心の中でお礼を言った。
小町「隣、座っても?」
八幡「ご自由に。コーヒー、沸かすか?」
小町「お願いします」
小町がソファーへと座るのと入れ替わるように、立ち上がりキッチンへ向かう。
コーヒーを用意し、二人分のマグカップを持ってリビングへ戻った。
そして、一息つく。
小町「……何か、小町に出来ることは無いかな?」
ぽつりと、呟く小町。
虚空を見つめる視線。その表情は思い詰めるようで。
何か自分に出来る事は無いかと、俺に訴えかけていた。
八幡「そうだな……」
考える。
小町の事だけじゃなく、俺に出来る、俺が出来ること。
いや、何度考えたって答えは同じだろう。
俺はとっくに、その解を出している。
なら、頼める事は一つに決まってる。
……小町のおかげで、決心がついた。
187: 2014/08/09(土) 02:18:27.20 ID:9UPUoVTN0
八幡「小町、一つ頼めるか」
小町「っ! なに?」
食いつくように反応する小町。
だが、俺の頼みにそんなに気構える必要はない。
頼む事はただ一つ。
八幡「俺がする事を、何も言わずに見届けてくれ」
小町「……えっ…?それって……」
俺の言葉を聞き、表情を険しくしていく小町。
小町「お兄ちゃん、まさかまた……」
“また”、というワードに思わず苦笑が出る。
確かに、そう言われても仕方ないな。
八幡「また、悲しませるような事になるかもしれん。……それでも、止めないでいてくれるか?」
小町は俯き、少しだけ迷うような素振りを見せる。
だが直ぐに顔を上げ、真っ直ぐな瞳で訊いてきた。
小町「それしか、方法は無いの?」
八幡「分からん。けど、俺がやりたいんだ」
小町「……そっか。じゃあ、小町は止められないかな」
言って、また微笑む。
それは無理につくったような笑顔で、さっきの表情よりも、余計哀しさを感じさせた。
188: 2014/08/09(土) 02:20:13.02 ID:9UPUoVTN0
八幡「……悪いな」
小町「いいですよ。小町はお兄ちゃんの妹だからね。あ、今の小町的に…」
八幡「ポイント高ぇよ。八幡的にもな」
小町「あはは♪」
こうして何気ない日常を送るだけで、少し勇気が貰えた気がする。
きっと、あの日家に来たアイドルたちは皆一様に小町のような責任を感じているのだろう。
だが、これは俺がけじめをつける問題なんだ。
だから後は、選択をするだけ。
その後は雑談も程々に、部屋へ戻る。
クローゼットを開けると、そこには一着のスーツ。
こいつを着るのも、おそらくは明日で最後だな。
まぁ、卒業して就職すれば着る事もあるかもしれんが。
それでも、一つの意味で、こいつを着る事はもう最後だろう。
本当にーー
八幡「本当に、一年間ありがとな」
優しくクローゼットに戻し、決意を固める。
俺はケータイを取り出して、一本の電話をかけた。
189: 2014/08/09(土) 02:23:07.41 ID:9UPUoVTN0
*
社長「……それで、話というのは何かね?」
場所はシンデレラプロダクション社長室。
一週間前と同じ場所。
そしてこの人と相対するのも、同じ状況だ。
本当であれば俺は謹慎中。
社長に無理を言って、この場を設けてもらった。
今会社には、恐らく俺と社長のみ。
他の社員やアイドル、パパラッチなんかに見つかったら面倒だからな。
人目につかないよう、営業時間外の夜に訪れた。
八幡「今日は、お願いがあってきました」
190: 2014/08/09(土) 02:24:46.50 ID:9UPUoVTN0
真っ直ぐに相手を見据え、拳を握りしめる。
言うべき事は決まっている。
俺が導き出した答え。
これが、俺の最後のプロデュース。
俺が凛にしてやれる最後の事で。
これしか、もう俺にしてやれる事は無い。
目を閉じ、数泊置いて、ゆっくりと開く。
俺は、その言葉を告げる。
八幡「俺はーーーーこの会社を、辞めます」
自分でも不思議なくらい、すんなりと言葉は出てくれた。
これが、俺の出した答えだ。
191: 2014/08/09(土) 02:26:55.31 ID:9UPUoVTN0
社長「…………一応、訊いてもいいかね?」
ある程度は予想していたのか、以前落ち着いた様子で話す社長。
八幡「どうぞ」
社長「確かに責任は取らねばならない。だが、私はそこまでする必要は無いと先日言ったね」
八幡「ええ」
社長「なら、何故自分からわざわざそう言い出すのかね?」
その真意が分からないと、社長は眉をよせる。
確かに、その疑問はもっともだ。
社長が辞めなくていいと言っているのに、自分からそれを申し出る。
別に俺はこの会社に不満も無いし、辞めたいとも思っていなかった。
なら何故か。
答えは単純。
八幡「凛の、ファンの為です」
俺の言葉に、社長は一瞬だけ目を見開く。
だが俺のその言葉に思い当たる事があるのか、そのまま黙って話の続きを待ってくれた。
192: 2014/08/09(土) 02:29:22.61 ID:9UPUoVTN0
八幡「今俺は、凛のファンにとっちゃ邪魔でしょうがない存在でしょう。妬ましくて、恨めしくて、消えてほしい。そう思われていても何ら不思議はない。あなたなら分かる筈です」
俺の言葉に、社長は何も言わない。
八幡「そんな俺が、たかが自宅謹慎程度で復帰して、何食わぬ顔で凛のプロデュースを続けて、……ファンがそれで黙ってるわけがないですよ」
社長「……」
八幡「謹慎なんて軽い処置じゃダメなんです。俺が辞めて、凛ともう関わらないと言わなければ、彼らは納得しない」
俺がずっと応援していた765プロのやよいちゃん。
そんな彼女に手を出した輩がいるとすれば、俺はそいつを絶対に憎むだろう。
……いや、違う。
今は、凛の話だ。
八幡「もしも、もしも俺が凛のプロデューサーじゃなくただのファンの一人だったとして」
これは仮定の話。
だが、絶対と言っていい程に断言できる。
八幡「凛が顔も知らないプロデューサーとスキャンダルを起こしたなんて聞いたら…………きっと、俺は絶対にそいつを許しません」
社長「……ッ…」
八幡「そして俺は、今、その立場にいる」
ファンからの敵意を一身に受ける、その立場に。
193: 2014/08/09(土) 02:31:10.13 ID:9UPUoVTN0
実際、男の存在を一切感じさせない事など不可能なのだろう。
アイドルとて一人の女の子。恋もすれば、いずれは結婚だってする。
仮に全ての恋愛感情を捨て、アイドルに徹したとしても、それでもそれは全員には伝わらない。
家族が。
兄弟が。
共演者が。
業界人が。
……プロデューサーが。
その存在が、実は、本当は、裏では、という考えを生み出す。
男の陰を排除し切る等、不可能なんだ。
八幡「だから、俺は辞めるべきなんです。俺が辞めるだけで、ファンの憤りも多少は軽減できるでしょう」
それでも全てのファンは納得させられないだろう。
スキャンダルを起こした事実は変わらないし、凛への不信感も拭い切れない。
だが、謹慎だけなんていう生温い処置よりは圧倒的にマシな筈だ。
これが、俺に出来る最善の手なんだ。
社長「……確かに、キミの言う通りなのは認めよう。そうした方が、ファンにとってもいいのは事実だ」
そう言って苦い顔をする社長。
社長「……だが」
それでも、何処か納得をしていない様子であった。
社長「キミが辞めてしまえば、それこそあの記者達の思う壷だろう!? あそこに書かれていた嘘の報道まで認めるようなものじゃないか!」
八幡「……」
社長「確かにスキャンダルは起こしたが、それでも受け入れる必要のない虚偽を抱え込む事はないんだ」
194: 2014/08/09(土) 02:33:03.95 ID:9UPUoVTN0
社長は、俺を説得するように必氏に訴えかける。
尚も、俺に言葉をぶつけてくる。
社長「確かに自宅には招いたが、記事に書かれたような嘘の事実は無かったと、そう公表しよう。きちんと謝罪すれば、きっと全員でなくともファンは分かってくれる」
八幡「……」
社長「キミが辞める必要は無いんだよ。比企谷くん」
社長の言う事は、ある意味では正攻法だろう。
俺が辞める意外の選択で言えば、一番の手だと言える。
だが、
それでも俺は、その手は使えないんだ。
八幡「すいませんが、それだけは出来ません」
社長「っ! 何故だ?」
理解に苦しむように、俺へ問いかける社長。
けど、俺が取れる選択は一つだけ。
八幡「確かにあの記事は嘘だらけで、それを認める必要はないと思います」
社長「なら……!」
八幡「全部が嘘、ならの話です」
195: 2014/08/09(土) 02:35:05.92 ID:9UPUoVTN0
その言葉に、社長の顔が驚愕に歪む。
だが、勘違いしてもらっては困る。
八幡「安心してください。前に説明した通り、あの日はゲームをやったくらいでやましい事は一切していません。凛とも、交際なんてしていない」
ならば、一体何が問題なのか。
答えは単純。
八幡「問題なのは……俺の、気持ちです」
社長「……どういう、意味だね」
八幡「あの記事が全部デタラメで、俺と凛はただのプロデューサーとアイドルで、仕事上だけの関係なら、俺は社長の言った通りの手を取ったでしょう」
だが、そうじゃない。
実際には、そうじゃないんだ。
凛は、アイドルだ。
俺はプロデューサーで、仕事の上での関係なんだ。
けどーー
八幡「けど俺はーーーー仕事なんて関係なく、あいつの側にいたいと思ってしまった」
196: 2014/08/09(土) 02:37:16.19 ID:9UPUoVTN0
特別な感情を、抱いてしまった。
あいつは本当に真っ直ぐで。
こんな俺を信じてくれて。
ずっと隣に立っていてやりたくて。
いつまでも支えてやりたくて。
だからこそ、俺は顔向けが出来ない。
凛の、ファンたちに。
八幡「そんな俺が、あの記事は全部嘘だと、凛とは何も無いと、言えるわけがないんだ」
言ってしまえば、それが嘘になってしまう。
そんな事、と言われるかもしれない。
些細な事、と思われるかもしれない。
だが、俺にとっては譲れない事だ。
八幡「俺があいつに向けちまった感情は、誤摩化していいものじゃない。そこに嘘をついたら、それこそファンを裏切る事になる」
プロデューサーがアイドルに、そんな感情を抱くなんてあってはならない。
そしてそれを、無かった事になんて出来る筈がない。
だから、俺は責任を取らなければならない。
凛の、プロデューサーとして。
197: 2014/08/09(土) 02:39:06.97 ID:9UPUoVTN0
社長「比企谷くん……」
何も言えず、ただただ俺を見つめる社長。
そんな社長の前に、俺は膝をつく。
社長「っ!? 比企谷くん、何を……!」
社長が止めにかかるが、そんなものはお構いなしだ。
地面に手を置き、俺は頭を垂れる。
八幡「お願いです社長。まだ俺をプロデューサーだと思ってくれてるなら、俺の我が侭をきいて下さい…」
社長「比企谷くん!」
八幡「初めてなんです…ッ……誰かの為に、何をしてでも護りたいと思ったのは……!」
みっともなく、懇願する。
声に、嗚咽が混じっていくのが自分でも分かる。
八幡「俺は、プロデューサー失格だッ……だから……これが、俺の出来る最後のプロデュースなんですッ……!」
こんな時でも、思い浮かぶのは彼女の顔。
その表情はいつも笑顔で、だからこそ、それを失わせていい訳がないと思った。
八幡「お願いしますッ……社長ッ!!」
本当に、らしくない。
こんなにも惨めったらしく喚くなんて。
それだけ、大切なものが出来るなんて。
198: 2014/08/09(土) 02:41:45.80 ID:9UPUoVTN0
社長「……」
俺の凶弾を聞いた社長は、静かに佇むままだった。
やがて、歩み寄ってくるのを足音で感じる。
俺の近くまで来ると、かがみ込み、肩へと手を手を添えるのを感じた。
社長「比企谷くん、顔を上げてくれ」
その言葉で俺は頭を上げ、社長に支えられるようにして立ち上がる。
社長「……キミの気持ちは分かった」
俺に対し、ただ静かにそう告げる。
そして苦笑したかと思うと、哀しそうに、言う。
社長「自分が情けないね……社員一人の生活も、守ってやれないとは」
八幡「社長……」
社長「……比企谷くん。キミの最後のプロデュースを認めよう」
そう言うと、社長は俺に真っ直ぐに向き合い、俺の目を見る。
社長「しかし条件もある。あのゴシップ記事の記載は誤りで、キミはアイドルを自宅に招いたという事実への責任で自主退社する。……それで会見を開く。それでいいね?」
八幡「……はい」
俺は、静かに頷く。
199: 2014/08/09(土) 02:44:02.50 ID:9UPUoVTN0
本当であれば、何の説明もせずに懲戒免職にした方が世間への効果はある。
俺が無理矢理アイドルに手を出したと、そういった憶測が飛び交ってくれるから。
アイドルへの不信も、そうすれば多少は減るだろう。
だが、社長はそれでも俺の身を案じてくれた。
少しでも俺の身を守ろうと、今言った手段で手を打ってくれたのだ。
アイドルプロダクションの社長としては、甘い処置もいい所。
正式な社員でもない、俺なんかを心配してくれる。
そんな気持ちが、俺には嬉しかった。
八幡「これまで、お世話になりました……それと」
深く礼をし、一年近く前の事を思い出す。
いつもの、学校からの何気ない帰り道。
ともすれば、全てのきっかけとも言える出会い。
八幡「あの日、俺を誘ってくれて……ありがとうございました」
本当に、感謝してもしきれない。
この人のおかげで、俺は大切なものを沢山貰えたのだから。
社長は俺の言葉に目を丸くし、そして、微笑む。
社長「いつか、キミが成人したら飲みに行こう。もちろん私の奢りでね」
その申し出に、俺は無言で頷いた。
200: 2014/08/09(土) 02:45:30.04 ID:9UPUoVTN0
*
薄暗い事務所内。
もう既に社員もアイドルたちも帰り、静けさが残るばかり。
ここに来る事も、もう二度と無いだろう。
今の内に私物は持って帰らないとな。
事務スペースへ行き、自分のデスクを見る。
……まぁ、元々俺の席ではないのだが。
ここにいると、これまでの事を必然的に思い出してしまう。
アイドルと、プロデューサーと、事務員と。
まるで部活でもやっているかのような居場所。
仕事は辛かったが、それでも、楽しいと感じる時はいくらでもあった。
おっと、ダメだな。
思いを馳せている場合ではない。
誰か来ないとも限らないからな。
さっさと片付けて、この場を後にしよう。
201: 2014/08/09(土) 02:46:54.35 ID:9UPUoVTN0
改めてデスクを見る。
しかし私物と言っても、殆どが仕事関係の物ばかり。
持って帰るような物は僅かしか無かった。
八幡「筆記用具に、充電器、後は何があったか……」
と、そこで気配を感じる。
気付けば、彼女はそこにいた。
手に持つのは、俺の数少ない私物の一つ。
ちひろ「マグカップ、忘れてますよ」
千川ちひろさんが、立っていた。
八幡「ちひろ、さん……」
ちひろ「社長に聞きましたよ。本当、何も相談せずに決めちゃうんですから」
腰に手を当て、ぷんぷんと怒ったように言うちひろさん。
しかし、その仕草は何処か芝居がかっている。
ちひろ「そうだ! 折角ですし、最後にスタドリでも…」
八幡「結構です」
203: 2014/08/09(土) 02:48:23.18 ID:9UPUoVTN0
折角の申し出を、即答で拒否する。
それを聞いたちひろさんは大袈裟過ぎる程にショックを受け、項垂れる。
ちひろ「そ、そうですか。残念でs…」
八幡「ちひろさん」
俺は、不意に声をかける。
いや、気付いたら呼びかけていたと言った方が正しい。
そんなつもりは無かったのに、言葉を口をついて出ていた。
八幡「コーヒー、淹れてもらえますか?」
ちひろ「……ッ…………はいっ」
ちひろさんは、すぐに用意してくれた。
持ち帰る予定だったマグカップに、コーヒーが注がれる。
八幡「ありがとうございます」
ちひろ「いえいえ」
ちひろさんも自分のマグカップに注ぎ、お互い、向かい合うように席へと座る。
この位置で、ずっと一年近くもやってきた。
カップに口を付け、一口飲む。
その暖かさが、何故だか懐かしく感じた。
204: 2014/08/09(土) 02:50:13.48 ID:9UPUoVTN0
ちひろ「……本当に、辞めちゃうんですね」
不意に、ちひろさんが呟いた。
それに対し、俺は一言だけ返す。
八幡「ええ」
俺のそんな憮然とした態度にちひろさんは苦笑すると、昔を懐かしむように話し出す。
ちひろ「初めて比企谷くんが来た時は、色んな意味で印象的だったな~」
八幡「どうせ、目が腐ってると思ったんでしょう?」
大体俺の第一印象はそれである。
正直眼鏡でも使おうか真剣に悩む所。男の眼鏡が果たして上条さんに需要はあるのだろうか。
ちひろ「まぁそれもありますけど……」
やっぱあるんですね。
だが、その次にちひろさんは続ける。
ちひろ「どうして、いつもそんなに辛そうな顔してるのかなって、そう思ったんです」
八幡「辛そうな、顔?」
マジか。自分では分からなかったが、俺そんな顔してたの?
初めて言われた事実に俺が困惑していると、ちひろさんは笑いながら問うてくる。
ちひろ「ねぇ、比企谷くんは私の第一印象はどうだった?」
八幡「は?」
ちひろさんの第一印象?
そんなの、言えるわけが……
……いや。
八幡「美人な人だなーと、思いました」
敢えての直球で言ってみる。
205: 2014/08/09(土) 02:51:49.79 ID:9UPUoVTN0
ちひろ「え? は!? いや、その、ぅ……お、お世辞はいいですって!」
面白いくらいに顔を赤くして狼狽するちひろさん。
だがまぁ、実際事実だしなぁ。
八幡「俺が今までにお世辞言った事、ありました?」
ちひろ「うっ……そう言われると確かに…………あ、ありがとう、ございます……?」
いや、別に俺を言われるような事ではないんだがな。
俺は、正直に答えただけだ。
……こうして、ちひろさんと話すのも最後になる。
なら、きちんと伝えておくべき事は、今伝えるべきだ。
ちひろ「比企谷くん?」
俺は無言で椅子から立ち上がり、ちひろさんに向かって頭を下げる。
八幡「今まで、ありがとうございました」
ちひろ「えっ?」
呆けた様子のちひろさん。
俺はそのまま話続ける。
八幡「ちひろさんのおかげで、これまで仕事をこなせてきました。席を頂けた事にも感謝しています」
ちひろ「ちょ、ちょっと待って比企谷くん…」
八幡「俺がプロデューサーとして無事やってこれたのも、ちひろさんのおかげです」
ちひろ「だから……!」
八幡「迷惑も沢山かけて、申し訳なく…」
ちひろ「比企谷くんっ!!」
206: 2014/08/09(土) 02:53:27.00 ID:9UPUoVTN0
その大きな声で、俺は思わず言葉を止める。
ちひろさんも立ち上がり、少し怒ったように言ってきた。
ちひろ「何なんですか比企谷くん。さっきからまるで今生の別れみたいに喋って!」
八幡「いや、もう辞めるから、最後にお礼を…」
ちひろ「だからって、もう会えなくなるわけじゃないでしょう!」
俺へ向けるその目から、ちひろさんが本当に怒ってるのが分かる。
そんな事は言ってほしくないと、暗に告げているような気がした。
八幡「……俺がシンデレラプロダクションの関係者と会うのは、もう極力避けた方が良い。なら、ちひろさんとだって…」
ふっ、と。
突然、暖かい感触が身体を包み込んだ。
ちひろ「そんなの、どうとでもなります」
ちひろさんが抱きしめてくれていると気付くのに、そう時間はかからなかった。
まるで子供をあやすように、優しく頭を撫でてくれた。
……俺の方が背高いのに、無理をする。
ちひろ「バレないように会えばいいし、ほとぼりが冷めれば、私みたいな事務員ぐらい会えますよ」
普段なら、羞恥から直ぐに振りほどいていただろう。
だが、何故か今はそれが出来ない。
207: 2014/08/09(土) 02:55:29.09 ID:9UPUoVTN0
ちひろ「お茶でもいいですし、大人になったら、お酒も酌み交わしましょう。……だから、これで最後だなんて言わないでください」
八幡「……はい」
お互い、顔は見えない。
だが、不思議とどんな顔をしているかは想像できた。
きっと、相手も。
八幡「コーヒー、ごちそうさまでした」
ちひろ「こちらこそ、お粗末様でした。……また、いつでも淹れますよ」
私物を片付け、洗ってもらったマグカップも持ち、帰る仕度を整える。
ちひろさんは、最後まで付き合ってくれた。
ちひろ「比企谷くん」
八幡「はい?」
事務所を出ようとした所で、声をかけられる。
俺が振り向き聞き返すと、ちひろさんは照れたように言ってくる。
ちひろ「さっきはああ言いましたけど……お礼、嬉しかったです」
微笑み、そう言ってくれる。
ちひろ「こちらこそ、ありがとうございました。……また会いましょう♪」
八幡「……はい」
俺も思わず笑いを零し、その場を後にした。
208: 2014/08/09(土) 02:57:17.36 ID:9UPUoVTN0
会社を出ると、ひんやりとした風が頬を撫でる。
もう既に時間も遅く、辺りは暗かった。
まぁ電車には余裕で乗れる。特に急ぐ必要もない。
最後にシンデレラプロダクションを目に焼き付け、足を踏み出そうとーー
「ーーーープロデューサーっ!!」
その声に、足が止まった。
いや、足だけではない。
身体が、思考が、一瞬止まる。
聞き間違えるわけがない。
ゆっくりと、振り返る。
ぜぇぜぇと息を切らし、膝に手を付いて立っている少女。
渋谷凛は、俺の事を真っ直ぐに見ていた。
209: 2014/08/09(土) 03:00:43.71 ID:9UPUoVTN0
八幡「……凛」
俺は、咄嗟に何も言う事が出来なかった。
こんな所を目撃されれば、またいらぬ誤解を招く。
早く立ち去らないといけない。
だが、足は動かない。
言葉も、出てこない。
何で来たんだ……
もう、会うつもりは無かったのに。
凛「……ちひろさんから、連絡を貰ったんだ」
落ち着いたのか、髪を払い、そう言う凛。
そうか、ちひろさんが呼んだのか。
……本当に、最後までお節介な人だ。
凛「全部、聞いたよ」
その言葉で、理解する。
既に凛は、俺がプロデューサーを辞める事を知っている。
なら、俺の意図する事も分かる筈だ。
210: 2014/08/09(土) 03:02:23.11 ID:9UPUoVTN0
だが、凛の表情は読めない。
怒っているようで。
悲しんでるようで。
呆れているようで。
そんな色んな感情がない交ぜになった顔で、俺を見る。
凛「……私には、何も相談してくれないんだね」
目を伏せる凛。
そんな姿を見て、胸が痛む。
心が、痛むのが分かる。
八幡「……必要ないからな」
凛「え……?」
だが俺は、ここで甘えた言葉を返すわけにはいかない。
ここで凛の未練を作っちゃ、いけないんだ。
八幡「これは俺がしでかした事だ。だからお前が責任を感じる必要も無いし、俺が辞めるのも気に病まなくていい」
凛「そん、な……でもっ……!」
211: 2014/08/09(土) 03:04:43.78 ID:9UPUoVTN0
それでも食い下がる凛を、
俺は拒絶する。
八幡「だから、俺なんかはとっとと切り捨てて……お前はトップアイドルを目指せ」
凛「ーーッ」
八幡「道から外れた奴を、振り返る暇なんてねぇだろ」
凛の顔が歪んでいくのが分かる。
だが俺は、踵を返してその場を後にしようとする。
凛「っ! ま、待って!」
凛は俺の前に周り込み、両肩を掴んで止めようとしてくる。
必氏に、離しはしないようにと。
凛「私は、私はプロデューサーと夢を追いかけたくて……!」
その声は、悲痛な叫びだった。
一言一言が俺の胸に刺さって、心を、傷つけてやまない。
凛「プロデューサーは、これでいいって言うの? これで終わりでいいって、本当に思って……」
八幡「ああ。そうだ」
凛「ッ……」
212: 2014/08/09(土) 03:11:16.48 ID:9UPUoVTN0
それでも、俺の答えは変わらない。
俺の選択は、覆らない。
凛は俺の言葉に目を見開き、俯く。
脱力したように肩から手を離し、立ちすくむ。
凛「……プロデューサーは、それでいいんだ」
八幡「ああ」
凛「……私が、トップアイドルになれれば、それでいいんだ」
八幡「……ああ」
凛「…………そっか」
凛は、ゆっくりと顔を上げる
俺はその表情を一生忘れないだろう。
凛は、笑っていた。
凛「なら…………私、頑張るから」
こんなに哀しい笑顔があっていいのかと、そう思った。
213: 2014/08/09(土) 03:13:03.15 ID:9UPUoVTN0
凛「さよなら」
そう言って、凛はすれ違うように去っていく。
俺は振り返らないし、きっと凛も振り返らない。
……これでいいんだ。
プロデューサーとして、俺は出来る事をやった。
これが、俺に出来る最後のプロデュース。
これで、正しいんだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は足を踏み出す。
だが、迷いと振り切ろうと踏み出す毎に、足はどんどん重くなっていくように感じる。
頭の中に、ずっと残って離れない。
懸命に笑う彼女の、
頬を伝う、その雫が。
214: 2014/08/09(土) 03:14:57.77 ID:9UPUoVTN0
*
それから、また日は流れていく。
テレビやニュースで、俺が会社を辞めた事は公表された。
社長の言う通り、一応の責任を取る形で発表されたようだ。
思惑通り、少しはファンの落ち着きも取り戻せた様子。
そして、もう一つ懸念していた問題。
それが、凛のアニバーサリーライブの参加だ。
あんな事件を起こした手前、本来であれば自粛するのが当然だろう。
だが、俺はその件についても社長にお願いをしておいた。
出来る事なら、凛にも参加させてやってほしい。
既にシンデレラガールの投票まで時間もない。
であれば、このライブを逃すのは完全な痛手だ。
ファンが落ち着き、ライブに支障が無いようであれば参加させる。
それが会社の条件だったが、この分じゃ大丈夫そうだ。
215: 2014/08/09(土) 03:16:11.84 ID:9UPUoVTN0
本当に、社長には感謝してもしきれない。
そして、俺が今何をしているかと言えば……
絶賛引きこもり中である。
正式に会社を辞めた事で、本来であれば学校に行かなければならないのだが……
生憎と、そんな気も起きない。
今は奉仕部の二人に会う事すら億劫だった。
相変わらず家でダラダラと過ごし、ただ時間が過ぎるのを傍受していた。
さすがに、小町にそろそろ怒られそうだな。
……だが、俺がした事には何も言わず、許容してくれた。
こんな時、そんな存在が本当にありがたい。
もっと良い方法があったのかもしれない。
けど、
これが俺の選んだ選択なんだ。
216: 2014/08/09(土) 03:17:57.91 ID:9UPUoVTN0
『○月△日! シンデレラプロダクション、アニバーサリーライブ!!』
八幡「っ……」
テレビから流れてきたワードで、思わず顔をしかめる。
最近、やたらCMを目にするな。
さすがはシンデレラプロダクション。まさかこんな所でその有名ぶりを思い知らされる事になるとは。
正直、見る度にHPを削られる思いである。
と、そんな時にケータイにメールが届く。
それは今まで散々無視して来た一人、平塚先生からのものであった。
内容は、土曜日に学校で行われる補習の事。
と言っても、参加者は俺だけらしいが。
文面を読むに、生徒があまりいない方が来やすいのではないか、という平塚先生の配慮らしい。
おお、ちょっと感動するな。
あの人なら、どっちかってーと直接家まで殴り込んで来て連れ出しそうなイメージだが。
一応、気を遣ってもらってるらしい。
確かに土曜ならあの二人もいないし、何かと気が楽だ。
八幡「ん、この日付……」
217: 2014/08/09(土) 03:19:12.08 ID:9UPUoVTN0
そしてメールを読んでいる内に気付く。
補習は、件のアニバーサリーライブと同じ日付であった。
果たしてわざとなのか……
いや、平塚先生が単純に気付いていないだけか。
八幡「……行くか」
どうせ、家にいても気になってモヤモヤしてしょうがないんだろう。
なら、まだ何かしていた方がマシだし、気が紛れるってもんだ。
俺は、参加するとメールで平塚先生に送る。
その後怖いくらい早く返事が返ってくるが、まぁそこは目を瞑る事にする。
送った後、本当にこれで良かったのかと、一瞬だけ脳裏を過った。
……いや、良いに決まってる。
別に、問題なんてない。
今の俺は、プロデューサーじゃないんだ。
ライブのなんて気にする必要もない。
見に行く必要もない。
あいつは、凛は、他のプロデューサーと頑張ってる。
なら、そこに俺が付け入る隙はもう無い。
あいつは、頑張ると言ったんだ。
218: 2014/08/09(土) 03:20:39.36 ID:9UPUoVTN0
だから、俺はただ、陰ながら応援するだけ。
俺はケータイの電源を切り、机の上に置く。
ベッドへ向かい、その身体を預けた。
もう今日は寝てしまおう。
目を瞑る。
そうすると、またあの子の顔が思い出される。
だが、俺にはどうする事できない。
こうして、
俺の最後のプロデュースは、終わった。
234: 2014/08/09(土) 21:06:45.46 ID:9UPUoVTN0
×
×
×
×
×
×
「キミ、アイドルのプロデューサーをやってみないかね?」
「お兄ちゃん! やろうよ! 小町が応募しておくよ?」
「そっか……私、個性が無かったんだ……確かに薄々…」
「それにしても、プロデューサーの制服姿ってなんか新鮮だね。似合ってるよ♪」
「久々に会った人には、最初に言う言葉があるでしょう。そんな事も分からないのかしら」
「…っあ! そっか! やっはろーヒッキー!」
「私も……プロデューサーついてないんですよ?」
「嫌いにも、なれそうにない」
「……私の言葉、表と裏……どっちだと思う?」
「確かに、専業主夫なら奥さんがアイドルでもやっていけるもんね」
「“友達”だからに、決まってんだろッ!!!」
「あーあー、いつになったら印税生活出来るんだろう」
「そうだねーっ! 杏ちゃんはすっごく頑張ってるよねー☆」
235: 2014/08/09(土) 21:07:43.99 ID:9UPUoVTN0
「私が顧問をしている部活を訪ねてみるといい。あそこには、頼れる子たちが揃っているよ」
「あったまえじゃん。お姉ちゃんがアイドルなんだよ? なら、アタシもアイドルになる」
「うん。……すっごい優しそうに笑うんだなーって、思った記憶がある」
「僕が、102回目だからね」
「さぁ、我が舞台の幕開けだ。……その能力、私に捧げてくれるか? 眷属よ」
「いやあなたですしおすし」
「他の人がどう言ってても、みくもPちゃんも、ヒッキーの事ちゃんと分かってるから!」
「……うん。プロデューサーさんは、私に色んなものをくれたから」
「その信頼がある故に、何かあった時の結果が怖い。……まぁ、そう感じているのは私くらいかもしれないけどね」
「お茶でもいいですし、大人になったら、お酒も酌み交わしましょう。……だから、これで最後だなんて言わないでください」
「さよなら」
「やはり、俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」
255: 2014/08/11(月) 01:14:51.73 ID:QKnXaulJ0
*
凛「歌いたい曲?」
目をパチクリと瞬かせ、疑問符を浮かべる凛。
八幡「ああ。曲のリストはもう貰ったよな」
凛「うん。これでしょ?」
ファイルから取り出した数枚の資料を、俺へと見せる。
そこには、ライブで歌う曲が記載されていた。
八幡「ユニットで歌うのが『お願い!シンデレラ』、『輝く世界の魔法』、『Nation Blue』、『ススメ☆オトメ~jewel parade~』」
凛「そしてソロで歌うのが『Never say never』とカバーの『蒼穹』、だね」
八幡「そうだ。そんで、上位枠はそれにプラスでもう一曲歌えるんだよ」
ソロの曲を持つアイドルは何人かいるが、上位枠でライブに参加するアイドルは少数だ。
その限られたアイドルには、更にもう一曲歌える権利を貰える。
八幡「『蒼穹』と一緒でカバー曲になるが、何か歌いたい曲はあるか?」
凛「歌いたい、曲か。そうだなぁ……」
うーんと唸る凛。
まぁ、大事なライブの一曲だ。そう簡単には思い浮かぶまい。
256: 2014/08/11(月) 01:16:14.74 ID:QKnXaulJ0
八幡「『蒼い鳥』とかは無しな」
凛「えっ、なんで!?」
いやホントに考えてたのかよ……
八幡「そりゃ、他のプロダクションの曲を歌えるわけねぇだろ。総武高の時とは違うんだぞ?」
凛「そ、そっか、うーん……」
八幡「……ま、ゆっくり考えとけ」
これは、いつかの思い出。
いつもの事務所で、いつもの二人で。
たまにちひろさんがコーヒーを淹れてくれて。
他のアイドルたちが絡んできたりもして。
今にして思えば、あの居場所がかけがえの無いものだったんだと分かる。
だがそれは、もう取り戻せないものだ。
だからこれは、思い出でしかない。
凛「あ……そういえば、個人的に好きな歌があって…」
八幡「へぇ、なんて曲なんだ?」
いつしか、この光景も忘れていくのだろう。
なら、気にする事はない。
ただただ、その時を待つだけの事。
ただ、その時を。
257: 2014/08/11(月) 01:18:07.15 ID:QKnXaulJ0
*
アニバーサリーライブ当日。
天気は快晴。ドームなのだから関係ないが、実にライブ日和の良い天候である。
だが、俺には本当に関係ない。
俺にとっちゃ、ただの補習当日である。
久しぶりに総武高校の制服に身を包み、ネクタイをしようとして、違和感を覚える。
そういや、俺学校じゃネクタイしてなかったな。していたのは最初の頃だけだ。
ここ最近、ずっとスーツだったから思わず手が動いていた。
俺はモヤモヤとした気持ちをネクタイと共にクローゼットに放り込み、部屋を出る。
リビングへは向かわず、そのまま玄関へと一直線に向かう。
朝飯も今日はいらない。
補習で出かける事も、小町には言っていなかった。
家の外に停めてあるチャリを用意し、サドルに跨がる。
そういや、こいつに乗るのも久しぶりだな。
いざ行かん、と漕ぎだした瞬間だった。
……チェーンが外れた。
八幡「………………歩くか」
258: 2014/08/11(月) 01:19:20.23 ID:QKnXaulJ0
仕方なしに、自転車を置いていく。
まぁ、別に補習だし、間に合わなくてもいいだろ。
てくてくと、道を一人で歩いていく。
普段であれば通学する生徒がいくらかいるもんだが、今日は日曜日。
生徒もいないし、道往く人も心なし少ない。
そうやって歩いていると、自然と考え事をしてしまう。
そして考えてしまうのは、やはり決まって一つだけ。
あの時の笑顔が、鮮明に映し出される。
八幡「……くそっ」
イライラする。
無性に苛立って仕方が無い。
気を紛らわせようにも、頭から離れない。
俺に、どうしろってんだ。
歩き歩き、ふと、立ち止まる。
…………なんか、補習とかアホらしくなってきたな。
259: 2014/08/11(月) 01:21:36.00 ID:QKnXaulJ0
よく考えたら、学校に行くのが面倒なのに何故休みの土曜にわざわざ行こうとしているのか。
それも、行けば平塚先生と二人きりでの補習。
人がいないというメリットも、元々ぼっちなのだから人がいようといまいと関係ない。
そう考えたら、途端に面倒くさくなってきた。
八幡「……行かなくていいか。別に」
俺は方向を変え、街の方へと向かう事にする。
気を紛らわせるなら、別に補習なんて嫌な事をする必要もない。
テキトーに街をふらついて、遊んだり買い物したりすればいい。
……おお、そう考えたらなんかウキウキしてきた。
よっしゃ、休みを満喫するぞー!
と、それまで引きこもり生活を送っていた事を完全に忘れ、俺は歩き始める。
本屋か、ゲーセンか、漫画喫茶か。アニメイトでも、とらのあなでも、なんだっていい。
とにかく、何か他の事をしていたい。
そんな俺の意味のない希望は、しかし叶う事は無かった。
260: 2014/08/11(月) 01:22:56.13 ID:QKnXaulJ0
電車に乗れば。
ポスター『○月△日! シンデレラプロダクション アニバーサリーライブ!!』
八幡「……」
店に入れば。
ラジオ『今日、あのデレプロのアニバーサリーライブなんですよ~』
八幡「…………」
街を歩けば。
街頭テレビ『いよいよ本日、シンデレラプロダクションのアニバーサリーライブ! 皆さん見に来てくださいね♪』
八幡「………………」
完全チケット制なんだから、当日に見に行けるわけないだろぉぉおおおッ!!!!
と、思わず心の中で島村にツッコミを入れてしまった。
本当に一体なんなんだ……
今日は、どこへ行ってもこんな感じだ。
いたる所でそのを目にし。
どこへ行ってもその名を耳にする。
本当に、一流のアイドルプロダクションだ。
元社員であった俺が言うんだから、間違いない。
……それだけに、鬱陶しい
261: 2014/08/11(月) 01:24:03.04 ID:QKnXaulJ0
ケータイを見て、時間を確認する。
ライブ開始まで、残り一時間ちょっと。
今は東京都内まで出ているから、ここからなら普通に間に合うな。
八幡「……なに考えてんだよ。この期に及んで」
行ってどうするというのだ。
行ったって、俺には何もする事はない。
何も、出来はしない。
俺はもうただの一般人で、プロデューサーどころか関係者でもない。
というか、行ったりしたらまたマスコミに何を言われるか。
そうだ、無駄な考えては捨てろ。
その為にも……
俺は、アニバーサリーライブの会場とは逆方向へと向かう。
バスでも、電車でも、タクシーでも、なんだっていい。
とにかく、違う場所へ。
間に合わない、所へ。
262: 2014/08/11(月) 01:25:51.20 ID:QKnXaulJ0
それから気付けば、どこかの駅にいた。
テキトーな場所で電車を降りてしまった為、駅名もよく確認していない。
一応都内ではあるようだが、正直初めて降りた駅なのであまり分からない。
ふらふらと歩き、待合室のような開けた空間を見つける。
人の少ない手頃な所に向かい、椅子へ座った。
時計を見る。
ここからなら、どうやったって間に合わない。
もうじきライブも始まる。
後は、時がたつのを待つだけ。
俺は一息つくと、背もたれに背中を預け、顔を上げた。
テレビ『さぁアニバーサリーライブの開演です! これからこの時間は、その様子を中継していきたいと思います!!』
八幡「……………………」
ここの駅は、待合室に大きなテレビが設置されていた。
いや完全に嫌がらせですよね?
そういや、確かにライブの一部を中継するみたいな事は言ってたな……
企画段階ではそんな話を聞いていたが、俺はあの事件のせいで途中から参加していなかった。
まさか、本当にやっていたとは……
263: 2014/08/11(月) 01:27:05.46 ID:QKnXaulJ0
正直、本当に嫌でしょうがない仕打ちだが、ここまで来ればもう関係ない。
何かの拍子に血迷ったとしても、ここからでは何も出来ない。
……ある意味では、これが俺に対する罰なのかもな。
何も出来ず、ただその光景を見せられる。
あいつの、歌う所を見る。
それは、今の俺にとっては地獄のような状況だと言えた。
なら、俺はそれを甘んじて受けるべきかもしれない。
椅子へと座ったまま、画面へとジッと目を向ける。
まだ、開演には幾ばくかの時間があった。
……凛のソロは、何曲目だったか。
無意味な思考を振り切るように。
俺は、その目を閉じた。
264: 2014/08/11(月) 01:28:16.33 ID:QKnXaulJ0
*
暗闇だ。
真っ暗で、何も見えない。
当たり前だ。目を閉じているのだから。
そうしていると、やけに耳に入ってくる音が鮮明になる。
自分が駅にいるという事を実感させる喧噪。
テレビから聞こえてくる、ライブ開演までの、中継模様。
そして、
「あー! も、もうライブ始まっちゃうよぉ……」
女の子の、声だった。
八幡「……」
その声に、思わず目を開ける。
特に大きな声ではなかったが、やけに通る声だった。
見ると、そこにいたのは一人の女の子。
265: 2014/08/11(月) 01:30:06.52 ID:QKnXaulJ0
歳は俺と同じくらい。私服だが、恐らくは女子高生。
キャスケット帽を被り、黒ぶちのメガネをかけている。
テレビ画面へと視線を向けているので顔はよく見えないが、たぶん可愛い。
印象としては、どこにでもいる普通の女の子。
島村を、なんとなく思い出した。
「はぁ、折角招待して貰えたのに……まだお仕事長引いてるのかな」
独り言を呟きながら、ケータイを見ている。
恐らくは誰かと待ち合わせをしていて、もう一人が遅れているのだろう。
しかしライブに招待して貰えるって……関係者か何かか?
するとその女の子はメールでも送り終えたのか、ケータイ(今時ガラケー)をしまうと、あろうことか俺の近くまで歩いてくる。
そして、二つ程離れた席に座るのだった。びっくりした……
どうでもいいが、座った時に帽子の隙間から赤いリボンが見え隠れしていた。
その様子に、なーんか既視感を覚えるのだが……思い出せん。
と、そこでテレビ画面から開幕の音楽が流れてくる。
いよいよ、アニバーサリーライブが始まるらしい。
隣では先程の女の子が「始まっちゃった……」と呟いている。
しかし、そちらへ視線を向ける余裕は無い。
ちひろさんが、アナウンスをしていた。
……あの人、事務員なのにそんな事までしてんのか。
266: 2014/08/11(月) 01:31:51.37 ID:QKnXaulJ0
後半は殆ど企画会議には参加していなかったとはいえ、さすがにこれは驚いた。
また、お給料弾むよとか言われたのだろうか。
ちひろさんのアナウンスが終わると、やがて、あのよく知ったメロディーが聞こえたきた。
やっぱり、最初の曲はおねシンみたいだな。
八幡「…………」
いた。
全員で歌う中、凛の姿を見つける。
会場からも特に野次などは無さそうだ。
その様子を見て、安堵と共に不安が募ってくる。
何処か、凛の調子が悪い。
見れば分かる。
動きはぎこちないし、声にも覇気が無い。
他の奴にとっては些細な違いかもしれないが、俺には分かる。
そりゃ、あんな事があったんだ。元のようにやる方が難しいのは分かる。
だがそれでも、何をしているんだという気持ちが湧いて出てくる。
そうさせたのは、俺なのに。
八幡「チッ……」
気付けば、拳を強く握っていた。
「あの、どうかしたんですか……?」
八幡「ッ!」
267: 2014/08/11(月) 01:33:51.24 ID:QKnXaulJ0
隣からの声に、思わずハッとなる。
見ると、先程の少女が心配そうな顔で俺の事を見ていた。
「凄く辛そうな顔で画面を見てましたけど……」
八幡「……いえ、大丈夫です」
平静を装い、その少女に対し言葉を返す。
どうやら、思わず声をかけられる程に酷い顔をしていたらしい。
だがそれにしたって、見ず知らずに人間にいきなり声をかけるなんてな。
余程のお人好しか、変わり者だろう。
「……アイドル、苦手なんですか?」
そのまま、少女は俺に話を振ってくる。
声にはどこか不安を混ぜたようなニュアンスがあり、同時に、俺を気遣ってるようにも感じた。
正直、話しかけられのは若干鬱陶しいが……今の俺は、どうかしていたらしい。
八幡「……好きだよ。自分で自分に引くくらいな」
正直に、そのまま言葉が口から出ていた。
同年代だし、敬語を使うのもアホらしかった。
「へ、へぇ…そ、そうなんだ……」
そして、女の子も引いていた。あっるぇー?
つーかお前も敬語無くなってんぞ……
268: 2014/08/11(月) 01:35:23.94 ID:QKnXaulJ0
俺が思わずジト目で睨むと、少女は慌てて弁解しだす。
「あ、あぁいや! い、良いと思うよ! きっとそう言って貰えるアイドルも嬉しいよ! うん!」
手をわたわたと振り、うんうんと頷いてみせる。
いや必氏過ぎない? なんか逆にその気遣いが痛い。
八幡「……そんなの、本人じゃないと分からないだろ。気持ち悪いと思って…」
「分かるよ」
八幡「っ……」
「私には、分かる」
思わず、目を見開く。
そう言った少女の顔が、いつぞやのアイドルたちと一緒で。
俺は、押し黙るしかなかった。
八幡「……そうか」
俺はぼつりと呟き、その後少しの間沈黙が続く。
そして、再び少女は俺に問うてきた。
「……ねぇ、あなたは、ライブへは行かなくて良かったの?」
八幡「……チケットが取れなかったんだよ」
「……そっか」
無論、嘘だ。
そもそもプロデューサーを続けていたら、顔パスで会場へ入れただろう。
だが、今は関係無い。
269: 2014/08/11(月) 01:36:52.83 ID:QKnXaulJ0
しかし少女は、俺のその答えでは満足出来なかったようだ。
「……本当に、それだけ?」
もう一度、俺に問いかける。
八幡「……何が言いたいんだよ」
「えっと…………何だか、私にはそう思えなかったから、かな」
言葉を選ぶように、ゆっくり話す少女。
本当に余計なお節介だ。
普段なら、無視していたって不思議じゃない。
……けれど、気付けば俺の口は勝手に開いていた。
八幡「……あんたなら」
「え?」
八幡「あんたなら、どうする?」
不思議と、俺は話しだしていた。
八幡「誰かの為に行動を起こして、でもそれは相手にとっては望んでいない事で、それでも止めるわけにはいかなくて……」
何がそうさせたのかは分からない。
それでも、俺は何故か少女に言葉をかけていた。
八幡「……合わせる顔が無い。あんたなら、どうする」
270: 2014/08/11(月) 01:38:20.26 ID:QKnXaulJ0
それはたぶん、懺悔のようなものだ。
まともな返しなんて求めちゃいない。
何故なら、俺はもう選択してしまったから。
だから、今更何を言われようが、変わる事はない。
「…………」
そして俺の言葉を聞いた少女は、俯いていた。
目を伏せ、口をつぐんでいる。
そして顔を上げたかと思うと、彼女はこう言った。
「わからない」
八幡「…………は?」
至極単純なその答え。
思わず、間抜けな声を出してしまった。
少女はタハハと笑い、頭をかいている。
いや、わからないて……
「……その時になってみないと、私がどうするかなんて分からないよ」
八幡「いやまぁ、そりゃそうなんだが…」
「でも、これだけは言えるかな」
少女は、俺を真っ直ぐに見つめ、その口を開いた。
「私はきっと、その人にも分かって貰おうとするよ」
少女は、微笑んでいた。
271: 2014/08/11(月) 01:40:02.29 ID:QKnXaulJ0
「その人が望んでいなくても、自分でやりたいと思ったから行動したんでしょ? なら、それを分かってもらおうと頑張るよ。私なら」
八幡「……思いっきり否定されても、か?」
「思いっきり否定されても、だよ」
そう言って、少女はまた笑う。
何故、そこまではっきり言えるのか。
仮定の話だから、そんな事が言えるんじゃないか。
最初はそう思った。だが、彼女の言葉には強い意志が感じられた。
俺なんかよりも、辛い事や大変な事を何度も乗り越えた、そんな強い意志が。
……けど、
八幡「……もう、遅いよ」
「え?」
八幡「俺は、もう選択しちまった。俺があいつに出来る事は、もう無い」
あいつの、凛の為に、俺はプロデューサーをやめた。
そしてそれが俺に出来る最後のプロデュースで、
プロデューサーを辞めた今、俺には何も出来ない。
しかし、それでも少女は言う。
「そんな事ないよ」
笑って、俺の背中を押すように。
言葉を、投げかける。
272: 2014/08/11(月) 01:41:55.22 ID:QKnXaulJ0
「その人の為にあなたは頑張った。……なら、次はあなたの為に何かすればいいよ」
八幡「俺の、為……?」
少女は、虚空を見つめ、懐かしむように言う。
「『未来は今の延長……だからこそ、今を大切に。悔いの無いように』」
静かに、それでも良く通る声で、彼女は言った。
その言葉は、すんなりと俺の胸の内へと入ってくる。
「……今のは、私の大切な人に言われた台詞なんだ」
そう言って、照れくさそうに笑う少女。
「その人がいたから、今の私がいる。……でも、その人が遠くにいっちゃう事になってね」
八幡「…………」
「その時、今の台詞を言われて……それがずっと、私の支えになってくれた」
改めて、俺に向き合う少女。
その瞳の奥には、確かな輝きが見えた。
「あなたは、今を大切にしてる?」
八幡「……俺は」
俺は、今を大切にしているのだろうか。
凛の為に。
凛のファンの為に。
凛の、将来の為に。
273: 2014/08/11(月) 01:44:21.72 ID:QKnXaulJ0
俺は大切にしてきた筈だ。
大切だから、俺は責任を取った。
……だがそれは、あくまでプロデューサーとして。
プロデューサーだから、俺は凛に、余計な感情を抱いちゃいけなかった。
プロデューサーとして、俺は責任を取ったんだ。
なら、今の俺は?
プロデューサーとして、俺にもう出来ることはない。
なら、比企谷八幡としての俺には、もう出来ることは無いのか?
……そんな事は、ない。
そんな事はないはずだ。
プロデューサーではなく、ただの比企谷八幡として。
俺の為に。
比企谷八幡として。
俺に、出来ること。
八幡「……未来は今の延長。だからこそ、今を大切に。悔いの無いように…」
なら……
俺は、どうしたい?
274: 2014/08/11(月) 01:45:50.75 ID:QKnXaulJ0
「おーいっ!」
その時、改札側から呼びかける声が聞こえてくる。
小走りで駆け寄ってくるのは、一人の若い男性。
スーツ姿でメガネをかけており、爽やかな印象。
何となく、十時愛梨のプロデューサーを思い出した。
恐らく、彼が待ち合わせをしていた相手なんだろう。
「あっ、もう! 遅いですよ!」
椅子から立ち上がり、抗議するように言う少女。
だが、別に本気で怒っているわけではないらしい。
何となく、俺もつられて椅子から立ち上がる。
「すまんすまん、前の仕事が長引いてな……あれ、そちらの方は……?」
その青年は俺に気付くと、それとなく少女に訪ねる。
「ふふ、熱心なアイドルファンです」
設置されたテレビに視線を向けつつ、ご丁寧にそう説明してくれる彼女。
いやいやいや。その説明だと俺完全にただのアイドルオタクみたいじゃないですか。否定できないけど。
俺が苦虫を噛み潰したような顔をしていると、青年は目を丸くし、その後微笑む。
「……そうか」
その様子は、何かに気付いたようでもあった。
275: 2014/08/11(月) 01:47:18.20 ID:QKnXaulJ0
「……なぁ、ちょっと音無さんに遅れるって電話してきて貰えるか?」
「え? 私がですか?」
「あぁ。……俺がすると、怒られそうだろ?」
もう仕分け無さそうに頼む青年を見て、少女は「分かりました」と言って頷く。
ケータイを取り出し、少し離れた所まで歩いて電話をかけ始めた。
その場には、俺と青年が取り残される。
「……その格好、今日は学校に?」
青年は、そう言って俺に訪ねてくる。
言葉には何となく、優しさが含まれているような気がした。
「ええ。……まぁ、行く途中で嫌になってサボっちゃいましたけど」
「それは頂けないな」
苦笑し、テレビへと視線を向ける青年。
「……ここにいて、いいのかい?」
八幡「…………」
微笑みながら、青年は問いかける。
俺は、沈黙で答えるのみ。
八幡「…………一個、訊いてもいいですか?」
逆に俺は、青年へと問うた。
276: 2014/08/11(月) 01:48:57.50 ID:QKnXaulJ0
「なんだい?」
八幡「あなたから見て、俺のやった事は……正しいと思いますか?」
「……そうだね」
とても難しい質問をされたように、彼は目を伏せる。
だが、答えは存外すぐに返ってきた。
「思うよ。君は、正しい事をしたと思う」
八幡「……」
「プロデューサーとして、ね」
彼は俺の方へと向き合い、真っ直ぐにその瞳を向けてくる。
「プロデューサーとして、最善の手だったと俺は思う」
それはつまり、個人の気持ちは捨ててという事。
彼は、暗にそう告げていた。
八幡「プロデューサーとして、ですか」
「ああ」
八幡「……なら、俺自身にとっての答えって、なんなんでしょうね」
俺の呟きに、しかし彼は笑って言う。
「……もう、答えは出てるんじゃないのか?」
277: 2014/08/11(月) 01:50:36.76 ID:QKnXaulJ0
それは、答え合わせのようなもの。
そうだ。
初めから、本当に最初っから。
俺は、ずっと気付いていた。
なら……
俺は、こんな所で何をしている?
そう思った瞬間、俺は動く。
青年へと真っ正面に向き合い、深く頭を下げる。
その行動に青年は面食らうが、お構い無しに告げる。
八幡「ありがとうございました」
しっかりと、お礼を言い、頭を上げる。
八幡「……彼女にも、お礼を言っておいてくれますか?」
その一言で、彼には伝わったようだ。
チラッとだけ電話をしている少女に視線を向け、その後微笑み、頷く。
「ああ。ちゃんと伝えておくよ」
その言葉に、思わず俺も笑いを零す。
すると、青年はポツリと呟いた。
「……君は、良い目をしているね」
278: 2014/08/11(月) 01:51:51.19 ID:QKnXaulJ0
思わず、目を見開く。
まさか、俺のこの目を褒めてくれる奴がいようとは。
八幡「皮肉ですか?」
「まさか。……大事なものを見据えている、良い目だよ」
八幡「……そんな事言われたの、初めてですよ」
俺は苦笑し、また軽く頭を下げる。
八幡「それじゃ、失礼します」
俺は、その場を後にする。
走れ。
とにかく走れ。
まだ、終わっちゃいないーー!
279: 2014/08/11(月) 01:53:26.58 ID:QKnXaulJ0
× × ×
「行ったか……」
青年は、以前微笑みながらその背中を見送る。
「あれ、もう行っちゃったんですか?」
背後からの声に青年が振り向くと、そこには電話を終えたのか、リボンの少女が立っていた。
「ああ。……春香にお礼を言っておいてくれって頼まれたよ」
「そうですか……私なんかの言葉が力になってくれたんなら、嬉しいな」
微笑み、少女は照れくさそうに言う。
「彼を見てたら、昔の自分を思い出したよ。頑張ってほしいなぁ」
「プロデューサーさんったら。そんな事言って、今後強力なライバルとなって立ち塞がるかもしれませんよ?」
「あはは、それは大変だ。敵に塩を送るような真似しちゃったかな……?」
そう言いつつも、二人の表情は明るい。
まるで、あり得たかもしれない未来の共演を、楽しみにするかのように。
一人の少年を、見守るのだった。
280: 2014/08/11(月) 01:54:59.97 ID:QKnXaulJ0
× × ×
走る。
駅の中を駆け、とにかく急ぐ。
足が、止まるなと勝手に動く。
正直、虫の良い話なんだとは思う。
俺はプロデューサーとして責任を取って、もう凛にしてやれる事はない。
そう、思っていた。
けれど、俺個人として。
比企谷八幡として、まだ出来る事があるんじゃないか。
かけてやれる言葉があるんじゃないか。
……いや違う。
俺が、俺の為にしたいのだ。
大した事じゃなくっても、とにかく、行動したい。
そう思ったら、いても立ってもいられなかった。
そうだ。
俺はプロデューサーである前に、
比企谷八幡なのだ。
なら、後は行動するだけだろう。
走れ。
とにかくーー走れ!
281: 2014/08/11(月) 01:56:35.54 ID:QKnXaulJ0
駅の中で、時刻表と駅周辺の見取り図を見つける。
それを確認し、現在の時刻と照らし合わせる。
もう既にライブは始まっている。
だが、凛のソロまではいくらか時間はある筈だ。
それまでに、あいつが歌う前に、何としてでも会いたい。
あいつに、この気持ちを伝えたい。
時刻表と時計を見ながら、算段を立てる。
電車は……ダメだな。次のに乗っても間に合わない。
しかも駅からもそれなりに距離があるし、そっからの足も問題になる。
バスも恐らくは似たようなもの。
会場近くまでは直接行けても、時間がかかるようじゃ意味がない。
なら、タクシーはどうだ?
……いや、距離があり過ぎる。超かっ飛ばしたとしてもギリギリだ。
今日は土曜。どう考えたって混むし、会場付近となったら尚更だ。
…………あれ?
八幡「……………………」
どう考えたって、間に合わなくね?
一瞬、思考が止まる。
間に合わねぇぇええええええええええッ!!???
282: 2014/08/11(月) 01:58:13.24 ID:QKnXaulJ0
思わず、その場でリアルに頭を抱えてしまった。
え、え、あんだけ威勢良く走り出しといて、間に合わないの?
何それ格好悪過ぎる。
いやいや、んな事言ってる場合ではない。
どうにかして、どうにかしてこの状況を打破しなければ。
どうする。考えろ、考えろマグカイバー……!
八幡「……………そういや」
そこで、思い出す。
あいつらにも、チケットは送っておいた。
なら、きっと会場にいる筈。
俺はケータイを取り出すと、スパムメールのような登録名を選択する。
……総武高の困った奴は、ここに頼むんだよな。
今にして思えば、確かに、あいつらは頼れる存在かもしれない。
なら、俺が頼み事をするのも、当然のことだ。
俺は、電話をかけた。
…………。
何度も、コール音が鳴り響く。
……出ないな。
と、俺が諦めかけた時だった。
子気味良い音と共に、着信に応答した旨が、画面に表示された。
283: 2014/08/11(月) 02:00:28.34 ID:QKnXaulJ0
由比ヶ浜『ヒッキー!? ヒッキーなのッ!?』
思わず耳から電話を離したくなる程の声量。
だが、こいつなら出てくれるって思ってたぜ。
八幡「ああ。そのヒッキーだ」
由比ヶ浜『もう! 心配したんだよ! 何も連絡寄越さないし! ってか、今どこ!? ライブには来ないの!?』
だから声デケーって。
いや、ライブ会場にいるから声大きくしてんのか?
……それはねーか。電話するんなら、さすがに会場は出ないと迷惑だろう。
八幡「落ち着け。それより、そこに雪ノ下はいるか?」
由比ヶ浜『え? ゆきのん? いるけど…』
八幡「代わってくれ」
由比ヶ浜づてでも良かってが、如何せん今は時間が無い。
とにかく、早く事を運びたかった。
由比ヶ浜は若干不服そうにしながらも、すんなり代わってくれた。
雪ノ下『もしもし。比企谷くん?』
八幡「雪ノ下。頼みがある」
雪ノ下『……代わってそうそう、いきなりね』
その声には呆れが多分に含まれていたが、どこか、安堵したような声音も感じる。
いや、雪ノ下に限ってそれはねぇか。
八幡「悪いが、時間が無いんだ。頼む」
雪ノ下『……なら、一つだけ確認させて貰えるかしら』
284: 2014/08/11(月) 02:01:49.59 ID:QKnXaulJ0
そう言った雪ノ下は、相変わらず良く通る声で俺に尋ねる。
雪ノ下『その頼みは、奉仕部への依頼? それとも、プロデューサーとしての頼み?』
八幡「……いや」
その問いに対する答えは決まっている。
俺は、はっきりと言葉を返す。
八幡「俺個人の、お前らへの頼みだよ」
奉仕部も関係なければ、俺はプロデューサーでもない。
これは、単なる俺の我が侭だ。
だから、こいつらしか頼めない。
雪ノ下『そう……』
俺の言葉を聞いて、なんとなく、雪ノ下は笑っているような気がした。
電話越しなのだから、実際どんな顔をしているかは分からない。
けれど、不思議とそう感じた。
雪ノ下『分かったわ。それで、頼みというのは?』
八幡「ああ。まず、どうにかして凛のソロの前に会場へ行きたい」
その後は簡潔に状況を説明する。
今現在いる場所。利用出来る交通手段では間に合わない事。
そして、凛のソロまでの恐らくの時間。
それを聞いた雪ノ下は、少しだけ考えた後呟く。
285: 2014/08/11(月) 02:03:19.06 ID:QKnXaulJ0
雪ノ下『まず無理ね』
ですよねー。
思わず、口からついて出そうになった。
雪ノ下『……けれど、どうにかするわ』
しかしそこはそれ。
やはり、雪ノ下雪乃は有能であった。
雪ノ下『発想の転換で、プログラムの方を変更して貰いましょう』
……は?
今、こいつは何と言った?
八幡「プログラムの変更って……お前、曲順を変えるって事か?」
雪ノ下『そのつもりで言ったのだけれど?』
いやいや、そんなしれっと言いのけられても。
雪ノ下『あまり使いたくは無い手段ではあるけど、アイドルの子たちにお願いしてみるわ』
八幡「お願いしてみるわって……あーでも、アイツらなら普通に承諾しそうで怖い……」
なんとなく、その光景が目に浮かぶ。
だがアイドルが良いと言ったからって、そんなに簡単に通るとも思えない。
しかし意外な事に、雪ノ下は自身満々に言う。
雪ノ下『あなたの名前を出せば、少しは良い返事を期待できるんじゃないかしら』
思わず、言葉を飲み込んでしまった。
まさか雪ノ下から、そんな事を言われる日が来るとは。
286: 2014/08/11(月) 02:04:25.65 ID:QKnXaulJ0
八幡「……どうだろうな。逆に反対意見が出るかもしれないぞ」
雪ノ下『さて、どうかしらね』
ふふっと、彼女は今度こそ確かに笑った。
全く……
ホントにこいつには、敵わない。
雪ノ下『それじゃあ時間も無いし、早速こっちは行動に移るわ』
八幡「ああ。すまんが頼む」
雪ノ下『それと最短の移動手段だけど、こちらで準備が出来次第連絡するから、そのまま待機していて頂戴』
は? 準備出来次第って、何を準備するんだ?
それを確認しようと口を開くが、しかし電話の向こうで相手が代わってしまう。
由比ヶ浜『ヒッキー! なんだかよく分からないけど、アタシも手伝うから!』
必氏にそう告げる彼女の声を聞いて、思わず苦笑が漏れる。
ホント、どこまで行っても“優しい女の子”だな。お前は。
八幡「……ああ。頼む」
由比ヶ浜『っ! ……うん!』
嬉しそうに返事をする由比ヶ浜を最後に、電話は切れる。
アイツらなら、きっと大丈夫だろう。
そんな気持ちが、確かにあった。
287: 2014/08/11(月) 02:05:41.92 ID:QKnXaulJ0
*
『西側駅出入口の駐車場にて待機』
由比ヶ浜のアドレスからそうメールが届いてきたのは、電話を切って10分後の事であった。
この簡潔なメール、明らかに雪ノ下が打ったものだと分かる。
まぁ、今は状況が状況だからな。
その命令通り、俺は指定された場所に立つ。
しかし雪ノ下が準備すると言った辺り、あいつが足を用意したって事だよな?
そうなると、まさかリムジンがお出迎えしてくれたりするんだろうか。
しかし、俺のその予想はある意味で大きく外れる事になる。
気付けば、猛スピードで近づいてくる車が一台。
駅前の急カーブをものともせず、まさかのドリフト。
そのまま俺の眼前へピタリと駐車し、エンジン音を唸らせる。
彼女は、その姿を現した。
平塚「乗りたまえ。急いでいるんだろう?」
いや、格好良過ぎねぇ? いやマジで。
今回ばかりは、惚れても仕方が無い。
288: 2014/08/11(月) 02:07:15.67 ID:QKnXaulJ0
その劇的過ぎる登場に俺は最初硬直していたが、ハッと我に帰り、ドアを開けて車に乗り込む。
直後、車は直ぐに発進しだす。
八幡「あの、場所は…」
平塚「心配ない。雪ノ下から聞いてるよ」
進行方向から目を離さず、そのまま答える平塚先生。
口には煙草をくわえており、それがまた相変わらずカッコイイ。
なるほどな。雪ノ下の言っていた移動手段とはこれの事か。
確かに、平塚先生の車なら並の車よりずっと速い。
でも、それならまだタクシーのが早かったんじゃ?
平塚「今日はライブの他にも、色々とイベントをやってるらしくてね。中々タクシーも拾えないそうだ」
と、まるで俺の心を読んだかのようなタイミングで声をかけてくる平塚先生。
そして、チラッと俺へと視線を向ける。
平塚「それとも、私の運転では不満かな?」
八幡「め、滅相も無い」
ふるふると首を振り、否定する。
やべぇな、やり辛い。
俺は一体いつあの話を振られるのかと、内心ビクビクしていた。
いや感謝もしているのだが、それ以上におっかなかった。
289: 2014/08/11(月) 02:08:43.50 ID:QKnXaulJ0
平塚「比企谷」
八幡「っ!」ビクッ
平塚「……何か、言う事があるんじゃないのかね?」
き、来たァ!!
やべぇよ、これ完全に怒ってるよ……
仕方あるまい。これ以上怒らせる前に、正直に謝っておいた方が吉だ。
八幡「…………ほ」
平塚「ほ?」
八幡「補習サボってすいませんでしたぁっ!!」
平塚「そっちじゃなぁーーーいいッ!!!」
瞬間、真横から拳骨が飛んできた。
ビルドナックルもびっくりの威力である。
俺が打たれた側頭部をさすっていると、平塚先生が呆れたように言ってくる。
平塚「私が言っているのは、君がプロデューサーとしてやった事だ」
八幡「……」
平塚「それ自体は咎めたりはしない。……だが、一言くらい相談してくれても良かっただろう」
そう言う平塚先生は、怒っているというよりは、悲しんでいるようだった。
どうして、生徒が先生に相談してくれないのかと。
まるでそう言うように。
八幡「……すいません」
平塚「……まぁ、いいさ。今はこうして力になれるのだから」
290: 2014/08/11(月) 02:10:26.63 ID:QKnXaulJ0
平塚先生は、笑う。
本当に、迷惑をかけてばっかりだ。
そしてふと、ケータイが鳴る。
着信は由比ヶ浜から。まぁ、雪ノ下からという可能性もあるが。
俺は確認の意味で平塚先生に視線を向けると、先生は構わないと首肯する。
画面をスライドさせ、俺は電話に出た。
八幡「もしもし」
ちひろ『もしもし? 比企谷くん?』
未央『本当に出た!』
卯月『由比ヶ浜さんからの着信だと、ちゃんと出るんですね~』
加蓮『もしかして、実はそういう関係だったり?』
奈緒『なっ……た、確かに前々から怪しいとは思ってはいたが…』
由比ヶ浜『え、えぇ!? いや、別にそういうんじゃなくて…』
美嘉『なんか、そうやって必氏に言い訳する方が怪しいような~?』
輝子『フヒ……八幡、こっちに来るの……?』
雪ノ下『ええ。……だから、そろそろ本題に移ってもいいかしら?』
電話に出たらアイドルだらけであった。
いや、お前らライブ中だろ!?
時間を確認する。
今のメンバーから考えて、恐らく今は楓さんが歌ってるのか?
291: 2014/08/11(月) 02:11:39.73 ID:QKnXaulJ0
ちひろ『比企谷くん。雪ノ下さん達からお願いされた通り、曲順は何とか変更出来そうです』
八幡「そうですか。……本当にありがとうございます」
またも、この人に迷惑をかけてしまった。
だが、ちひろさんは笑いながら言ってくれる。
ちひろ『何言ってるんですか。私と比企谷くんの仲ですよ♪』
その言葉に、俺も思わず笑みを零す。
八幡「……はい。……そういや、凛は?」
雪ノ下『安心して。ここにはいないし、事情も説明していないわ』
由比ヶ浜『一応、演出の手違いって事にして貰ったから!』
それは、また何とも不安になる言い訳だな。
だが、凛に言っていないのは助かった。
出来れば、俺の口から直接言いたい。
奈緒『そういうわけだから、早く来い!』
加蓮『それと、後でちゃんと説明して貰うからね?』
美嘉『そーそー。プロデューサー辞めるとか、アタシたちも納得してないし?』
輝子『八幡……待ってるから』
未央『まだまだ、言ってやりたい事がいっぱいあるんだから!』
卯月『凛ちゃんも、きっと待ってますよ!』
八幡「……お前ら」
292: 2014/08/11(月) 02:12:59.63 ID:QKnXaulJ0
その言葉を聞いて、感情が昂る自分を感じる。
今更、本当に今更なのに。
こいつらの臨時プロデュースをして、本当に良かった。
蘭子『……プロデューサー』
八幡「っ!」
そこで、初めて蘭子の声を聞く。
てっきり、別室で準備していると思ったのだが。
蘭子『その魂……解き放てっ!!』
顔が見えなくても、ノリノリで言ってるのが分かる。
……ホントに、意味分かんねぇよ。
けど、
八幡「……ああ。ありがとな」
充分、伝わった。
すると、電話の向こうで「デレたープロデューサーがデレたー」と大騒ぎ。
いやデレてねぇし。ただちょっと素直に感謝しただけだし。
……いや、それがデレたって言うのか。
思わず、自分で自分に笑ってしまった。
雪ノ下『そういうわけだから、あなたも急いで頂戴。変更したとはいえ、それでも時間ギリギリよ』
八幡『ああ。分かった』
由比ヶ浜『ヒッキー、頑張ってね!』
293: 2014/08/11(月) 02:14:40.94 ID:QKnXaulJ0
そして、電話は切れた。
あいつらに頼んで本当に良かった。
時間もそうだが……
こんなに、勇気を貰えるなんて。
と、そこで平塚先生がもう仕分け無さそうに言う。
平塚「比企谷。悪いが、私に出来るのはここまでのようだ」
言われて見ると、辺りは酷い渋滞。
これでは、もうまともに動けない。
平塚「ここからなら、直接走った方がまだ早い。行きたまえ」
八幡「分かりました。……平塚先生、本当にありがとうございました」
シートベルトを外し、お礼を言う。
だが、平塚先生はそれを何て事のないように笑い飛ばす。
平塚「何を言う。私は当然の事をしたまでだ」
八幡「教師が生徒の背中を押すのは当然の事……ですか?」
いつか、俺がプロデューサーになるのを悩んでいた時に言われた言葉だ。
普段のお返しとばかりに、俺は先回りして言ってやる。
平塚「いいや、違うな」
しかし、平塚先生はそれすらも違うと言う。
294: 2014/08/11(月) 02:15:47.42 ID:QKnXaulJ0
平塚「……“私”が“比企谷”を助けたいんだよ。当たり前だろう?」
そう言って、彼女は笑った。
八幡「……っ」
本当に、何でこの人は……
俺は無言で車から降り、扉を閉める前に言ってやる。
八幡「本当に、何で結婚出来ないんだよあんた!」
そして、思いっきりドアを閉めて走り出した。
後ろからは「な!? ちょっ、後で覚えてろよ比企谷ァー!!」という怒鳴り声が聞こえてくる。
が、俺はそれを無視。
そのまま走り続ける。
本当に、ありがとうございます。
……そろそろ、俺が貰っちまうぞマジで。
295: 2014/08/11(月) 02:17:11.34 ID:QKnXaulJ0
*
ケータイの地図をチェックしつつ、その足は止めない。
人の多い道を、ぶつからないように気を配りつつ、とにかく走る。
途中何度かぶつかりそうになり、転びそうになりつつも、それでも止まらない。
急げ、急げ!
息を切らしながら、俺は走り続ける。
時間を確認。
くそっ、このペースだとヤバイな……!
思ったよりも渋滞が酷かった為、雪ノ下の計算よりも近くまで車で行けなかった。
さっき平塚先生が言っていた通り、他のイベントやらが影響しているのだろう。
どうする? どうすれば……
と、そこで不意に声を聞く。
「お兄ちゃーーんっ!!」
それは、絶対に聞き逃す事も、聞き間違える事もない声。
声がした方を振り向けば、やはり、彼女が立っていた。
296: 2014/08/11(月) 02:18:26.42 ID:QKnXaulJ0
小町「お兄ちゃん! こっちこっち!」
妹の、小町だ。
八幡「小町!? なんでここに…」
とりあえず、近くまで走り寄る。
すると、そこで気付くが、小町はある物を携えていた。
八幡「これって…」
小町「うん。お兄ちゃんの自転車」
そこにあったのは、俺が今朝自宅に置いてきたチャリだった。
チェーンは、直っている。
小町「お母さんがお父さんに頼んで、直しといてくれたんだ。折角の休みにーってぼやいてたけど」
そう言って、クスクスと笑う。
っていうか、なんでお前…
八幡「由比ヶ浜に、聞いたのか?」
小町「うん。ここまでは、雪乃さんの家のリムジンで来たんだ」
小町が視線を向けた方を見れば、そこには黒いリムジンが停めてあった。
雪ノ下の奴、ここまで考えていたとはな……
さすがの俺も、舌を巻く。
297: 2014/08/11(月) 02:19:39.19 ID:QKnXaulJ0
小町「ほらほら、早くしないと!」
小町に促され、俺は自転車に跨がる。
確かにこれなら、こっからでも間に合うかもしれない。
小町「あっ! そうだそうだ。あとこれ……はいっ」
何かを思い出したかのように、小町は持っていたカバンからそれを取り出す。
それは、一本のネクタイとネクタイピンだった。
八幡「お前、これ……」
小町「さすがにスーツは無理だったけど……それ着けて、ビシッと行ってきなよ」
俺がプロデューサーになると決まった時、小町に選んでもらったネクタイ。
だけど、俺は……
八幡「けど、俺もうプロデューサーじゃねぇし…」
小町「なーに言ってんの」
小町は、俺の戸惑いを物ともせずに言う。
小町「小町はお兄ちゃんにそれを選んであげたんだから。だから、そんなの関係ないよ」
子憎たらしいくらい、可愛くウィンクしてそう言った。
298: 2014/08/11(月) 02:20:34.89 ID:QKnXaulJ0
八幡「……おうっ」
その場で、素早くネクタイを締める。
もうこの作業も慣れたものだ。
30秒とかからず終え、ネクタイピンで留める。
小町「さぁ、とっとと行っちゃえ!」
八幡「おうっ!」
思いっきり、ペダルを漕ぐ。
全力で、俺は自転車を走らせた。
八幡「愛してるぜ、小町!」
小町「私もだよ、お兄ちゃん! 特別に今だけ!」
俺の魂の叫びに対する答えはそっけなく、思わず泣きそうになったが、
それでも、今は背中を押してくれる。
なら、俺は頑張れる!
1: 2014/08/11(月) 02:28:40.60 ID:QKnXaulJ0
俺ガイルとモバマスのクロスSSです。
モバマス勢がメインなので俺ガイル側の出番は少ないです。
ヒッキーのこれじゃない感はご容赦を。
ヒッキーと凛ちゃんが、大好きです!
前前前々スレ
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1374344089/
前前々スレ
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その2だね」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1377037014/
前々スレ
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その3だよ」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1387391427/
前スレ
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「これで最後、だね」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1396804569/
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1407691710
モバマス勢がメインなので俺ガイル側の出番は少ないです。
ヒッキーのこれじゃない感はご容赦を。
ヒッキーと凛ちゃんが、大好きです!
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八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」
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八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その2だね」
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八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その3だよ」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1387391427/
前スレ
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「これで最後、だね」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1396804569/
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1407691710
19: 2014/08/11(月) 02:34:50.50 ID:QKnXaulJ0
*
漕ぐ、漕ぐ。
ペダルを全力で踏みつけ、自転車を走らせる。
もう、体力も限界に近い。
ゼェハァと、息が切れる。
けれど、そのスピードは緩めない。
ライブ会場まで、もうそう距離は無いはずだ。
このまま行けば、間に合、うッ……!?
ガクンと、力が空回りするのを感じた。
軽くコケそうになり、足を踏み外したのかと錯覚したが、そうではないらしい。
見れば、チェーンがまた外れていた。
親父ぃーー!?
やっつけ仕事かオイ!!
……まぁけど、
八幡「ありがとよ畜生ッ!!」
近くにあった駐輪場付近にチャリを乗り捨て、再び走り出す。
若干申し訳ないが、今は事態が事態だ。
ちゃんと後で回収しておく。材木座が!
24: 2014/08/11(月) 02:36:28.53 ID:QKnXaulJ0
限界が近い足で、走る。
くそっ、こんな事なら、普段からもっと運動しておくんだった。
そんなテンプレな後悔を胸に抱きつつ、それでも足は止めない。
とにかくひたすら、走れ。
八幡「…っ………く……!」
こうして走っている間にも、
思い出すのは、一人の女の子。
『ふーん、アンタが私のプロデューサー? ……まぁ、目が腐ってるとこ意外は悪くないかな…。私は渋谷凛。今日からよろしくね』
『隣で私のこと……見ててね』
『なんで私も連れてってくれなかったの!?』
『いやいや、その前に、プロデューサーの正式な担当アイドルは私だからね?』
八幡「っ……はぁ……ッ!」
走れ……
25: 2014/08/11(月) 02:37:53.93 ID:QKnXaulJ0
『ここまで来れたのは、プロデューサーのおかげ。…………ありがとう、プロデューサー』
『ホント、プロデューサーは腐った目の割に、よく見てるよね』
『い、一番、大切な人…………ふーん、そっか。そうなんだ……』
八幡「……っ……はぁ……はぁ……!」
走れ。
『ずっと……こんな日が続くといいね』
『じゃあ…………私、頑張るから』
八幡「くそっ…………っ…!!」
走れーー
『さよなら』
八幡「っ……ぐっ……あぁぁあああああああッ!!!」
走れッ!!!
26: 2014/08/11(月) 02:39:01.75 ID:QKnXaulJ0
ただただ、走り続ける。
恥も外聞も、何もかもを捨てて、ひたすら。
柄にも無いと思う。
けど、
そんな事、考えてる余裕も無かった。
ーーそして、見えてくる。
シンデレラプロダクション、アニバーサリーライブの会場が。
凛が、いる場所が。
八幡「はぁ…はぁ…………やっと、着いた…」
息を整えつつ、とりあえず時間を確認。
大丈夫だ。まだ雪ノ下が言っていた時間まで少しある。
何とか、間に合った。
27: 2014/08/11(月) 02:40:23.83 ID:QKnXaulJ0
八幡「つーか…はぁ……どこに、行けばいいんだ……?」
会場に入るのはいいが、真っ正面から行ったって警備員に止められる可能性がある。
雪ノ下たちが説明してくれているといいんだが……
……つーか、全力疾走のダメージが案外キツい。
ちょっと吐きそう。
フラフラとおぼつかない足取りで歩き、会場玄関をくぐる。
会場内に入れないとはいえ、辺りには人が多い。
ライブを見れなくとも、声を、一目でも、というファンで溢れていた。
正直ゴシップ記事で顔バレしているから、気付かれないかと不安だったが……バレる様子はない。
安心したけど、それはそれで複雑だな。
所詮は、俺への興味などその程度なのだろう。
凛が解放された今、そのプロデューサー等どうでもいいらしい。
とりあえず一番可能性の高い、関係者以外立ち入り禁止の所まで行ってみたが……
やはりというか、警備員に止められた。
八幡「いやだから、確認して貰えれば分かる筈なんです」
警備員「君ね、そんな言い訳こっちは飽きる程聞いてきたわけ。大体、君みたいな若い関係者見た事無いよ」
七面倒とばかりに言う警備員。
いや確かにその通りだから困る。ぐうの音も出ん。
いやはや、俺が困っていると、しかし女神は現れた。
28: 2014/08/11(月) 02:41:34.74 ID:QKnXaulJ0
未央「警備員さん、その人は大丈夫だよ☆」
卯月「ちゃーんと関係者ですから、安心してください♪」
島村と本田が、そこにいた。
八幡「お前ら……」
警備員「しまむーにちゃんみお……!? あ、これは失礼しました!」
思わず素に戻った警備員が、慌てて謝罪する。
つーか、お前もアイドルオタクかい……
卯月「やっと来たんですね。凛ちゃん、まだ控え室にいる筈ですから」
未央「ちゃちゃっと行ってきなよ。ここは私たちに任せてさ」
そう言って、二人は道を指し示す。
この先へ行けば、凛がいる。
……思えば、この二人は凛に次いで長い付き合いのアイドルになる。
もしかしたら、凛ではなくどちらかのプロデューサーとなっていたかもしれない。
二人は俺の事を、プロデューサーだと最初から言っていた。
なら、俺も、誠意を持って答える。
例え、今はプロデューサーじゃなくっても。
29: 2014/08/11(月) 02:43:00.67 ID:QKnXaulJ0
八幡「……ありがとな。卯月、未央」
本当に感謝の気持ちを込めて、言う。
そして俺の言葉に二人は驚き、やがて微笑む。
未央「全くもう。……言うのが遅いよ!」
卯月「今それを言うなんて……ずるいです」
悪いな。
素直じゃないのが、俺なんでね。
俺は苦笑し、歩き出す。
警備員が一瞬止めにかかるが、それも卯月と未央に制される。
後は、二人に任せよう。
後は、この先へ向かうだけだ。
30: 2014/08/11(月) 02:44:52.27 ID:QKnXaulJ0
*
何処からか、歓声が聞こえてくる。
きっと、今頃ライブは最高潮になっているんだろう。
それに引き換え、裏側は静かなものだった。
廊下を歩く内に、会場の奥へと自然と進んでいく。
控え室付近は人が少なく、ほとんどのスタッフが出払っているようだ。
俺は、凛の姿を探して歩き続ける。
コツコツと、俺の足音が響く。
そして、
それと重なるように、扉の開く音が聞こえた。
八幡「……っ…」
その後ろ姿は、見間違えるはずがない。
やや茶色みがかった、長い黒髪。
蒼を基調とした、ゴシック衣装。
渋谷凛が、そこにいた。
31: 2014/08/11(月) 02:45:53.09 ID:QKnXaulJ0
まだ、凛は俺に気付いていない。
そのまま、ステージへと歩いていく。
どうした。声をかけろ。
躊躇ってんじゃねぇ。
何の為に、俺はここへ来た?
八幡「ーーーー凛ッ!!」
凛「ーーーーっ」
俺は叫び、そして彼女は、立ち止まった。
凛「…………何しに、来たの」
32: 2014/08/11(月) 02:47:40.28 ID:QKnXaulJ0
凛は、振り返らない。
俺に背中を向けたまま、問いかけてくる。
八幡「……お前に、ちゃんと話そうと思って来た」
俺は静かにそう告げる。
だが、凛はその言葉が気に入らなかったようだ。
凛「ーーッ!!」
バッと振り返り、一心に俺へと視線をぶつける。
その顔には哀しみと、それ以上に怒りが込められていた。
凛「今更! ……今更、何を話すって言うの?」
今にも泣き出しそうで。
溢れる思いを、堪えられないようで。
彼女は、言葉を俺へぶつける。
八幡「……すまん。お前からすれば、身勝手な事を言ってるのは分かってる」
だから俺は、それに答える。
自分の全てを以て。
八幡「けど……俺はどうしても、お前に伝えたい事がある。……だからここに来たんだ」
凛「伝えたい…こと……?」
33: 2014/08/11(月) 02:49:03.10 ID:QKnXaulJ0
呆然と呟く凛。
しかしやがて、僅かな希望を見つけたかのように、俺へ問う。
凛「もしかして……また、私のプロデューサーに…………?」
八幡「…………」
それはきっと、本当に望ましい未来なんだろう。
俺も、心からそうありたいと思う。
……でもそれは、お伽噺でしかない。
八幡「……いや」
だからーー
八幡「俺は、プロデューサーには戻らない」
凛に、ちゃんと伝えるんだ。
35: 2014/08/11(月) 02:51:03.08 ID:QKnXaulJ0
凛「ーーっ」
目を見開き、口をつぐむ凛。
希望を断たれ、もう何も受け入れられないように、立ちすくむ。
けど、そうじゃないんだ。
俺はプロデューサーとしてではなく、
比企谷八幡として、ここへ来た。
八幡「俺はもうプロデューサーじゃない。……けど、それでもお前に伝えたい事がある」
凛「……さっきからプロデューサーは何をっ…」
八幡「だから、プロデューサーじゃねぇって」
凛の言葉を、俺が断じる。
すると凛はあからさまにムッとなり、不機嫌さを隠そうとせずに言う。
凛「なら、八幡」
八幡「う…」
凛「八幡は、私に何を言いたいの?」
毅然とした態度でそう言う凛。
36: 2014/08/11(月) 02:52:24.57 ID:QKnXaulJ0
ここでまさかの名前呼び。
いや、確かにプロデューサーじゃないとは言ったが、さすがに予想外である。
何気に、名前で呼ばれたのは初めてであった。
八幡「ああーっとだな……」
我ながら情けない。
名前で呼ばれた程度で、ここまで動揺するとは。
気を取り直して、言葉を選ぶ。
八幡「……ここで少し、俺の友達の話をしていいか」
凛「…………」
凛は思いっきり怪訝な顔をするが、その後首肯する。
良かった、ここで断られたらどうしようかと思った。
俺は、ゆっくりと語り出す。
八幡「……その友達は、ぼっちでな」
凛「…………」
八幡「昔っから人付き合いが苦手で、忘れられ、いない者として扱われるのがざらだった」
凛「…………」
37: 2014/08/11(月) 02:54:14.95 ID:QKnXaulJ0
八幡「ずっとそうやって生きてきて、人を信じるのも嫌になって、人を好きになるのも……怖くなっていった」
凛「…………」
八幡「そんな時、出会うんだ。一人の真っ直ぐな女の子と」
凛「…………」
八幡「最初は、気まぐれか気の迷いか、その子を支えてやりたいと思った。どうせ裏切られても、また一つトラウマが増えるだけだからな」
凛「…………」
八幡「けど、いつしか気付くんだ。その子の存在が、自分の中で大きくなっていく事に」
凛「…………」
八幡「その女の子は、そいつにとっては初めて感じる程尊い人で、失いたくなくて、かけがえの無い存在になった」
凛「…………」
八幡「でも、その子の未来は、そいつ自身の手で摘み取られちまった」
凛「……っ、それは……!」
八幡「だから、最後まで聞けって」
凛「っ………」
38: 2014/08/11(月) 02:55:51.53 ID:QKnXaulJ0
八幡「……本当に、絶望する思いだったんだろうな。辛くて苦しくて、後悔が募るばっかりだった」
凛「…………」
八幡「だから、俺がどうなってでも、何もかもを捨ててでも、女の子を助けた」
凛「…………」
八幡「そこに後悔はない。プロデューサーとして、俺は責任を取った。それ事態は、俺は間違っているとは思わない」
凛「…………」
八幡「けど、気付いちまったんだ」
凛「………え…?」
八幡「プロデューサーとして答えを出した後…………どうしようもないくらい、俺自身が悔やんでる事に」
俺は、凛の目を真っ直ぐに見て、言う。
八幡「プロデューサーとして、俺は最後までプロデュースを貫いた。……だから、俺は俺として、比企谷八幡として、この気持ちを伝えたい」
凛は、彼女は本当に真っ直ぐで。
こんな俺を信じてくれて。
ずっと隣に立っていてやりたくて。
いつまでも支えてやりたくて。
だから、だからこそ俺は。
そんなお前がーー
39: 2014/08/11(月) 02:57:17.18 ID:QKnXaulJ0
八幡「ーーーー好きです」
プロデューサーではなく。
ただの比企谷八幡として。
八幡「あなたのことが、好きです」
俺は、俺の気持ちを伝えた。
40: 2014/08/11(月) 02:59:51.37 ID:QKnXaulJ0
凛は、何も言わなかった。
ただ呆然と、立ったまま。
そして、何かに気づいたように。
何かと、向き合うように。
彼女は、きゅっと拳を握った。
俺は、その間もずっと、凛を見つめていた。
やがて、凛は顔を伏せる。
長い髪で、その表情は伺え知れない。
ぽたっと、雫が落ちた。
しかし、凛は直ぐさま目元を拭い、顔を上げる。
俺と同じように、真っ直ぐに俺の目を見つめ、告げる。
凛「ーーーーごめんなさい」
それは、いつかと同じ、哀しそうな笑顔だった。
41: 2014/08/11(月) 03:01:24.02 ID:QKnXaulJ0
凛「……私は、プロデューサーと約束したから。トップアイドルを目指すって」
八幡「…………」
凛「だから……今は無理、かな」
八幡「…………そうか」
凛は笑い、
そして俺も、思わず笑みが零れた。
……お前なら、そう言ってくれると思ってたよ。
だからこそ、俺は比企谷八幡としての気持ちを伝えられたし。
プロデューサーとして、最後までプロデュースできたんだ。
42: 2014/08/11(月) 03:02:42.66 ID:QKnXaulJ0
やがて、ステージへと繋がる会場入り口からコールが聞こえてくる。
凛を呼ぶ声。
恐らく、雪ノ下たちがギリギリまで時間を稼いでくれたんだろう。
もう、本番まで時間は無い。
八幡「……呼んでるな」
凛「うん……そろそろ行かなくちゃ」
八幡「大丈夫か? いきなりステージに直行で」
俺が笑いながら聞くと、凛もまた、笑って返す。
凛「当たり前だよ。誰に言ってるの?」
八幡「……そうだったな」
そうだ。
俺は知っている。
彼女の強さを。
その、美しさを。
43: 2014/08/11(月) 03:03:59.65 ID:QKnXaulJ0
凛「……歌、聴いてってね」
八幡「それこそ、当たり前だ」
何たって俺は、
凛の、ファン第一号だからな。
その一歩を、踏み出す。
凛はスタジオに向けて。
俺は反対へ。
お互いに振り向かず。
二人は、歩き出す。
44: 2014/08/11(月) 03:06:48.48 ID:QKnXaulJ0
×
×
×
×
×
陽の満ちるこの部屋
そっとトキを待つよ
気づけば俯瞰で眺めてる箱
同じ目線は無く
いつしか心は白色不透明
雪に落ちた光も散る
雲からこぼれる冷たい雨
目を晴らすのは遠い春風だけ
アザレアを咲かせて
暖かい庭まで
連れ出して 連れ出して
なんて ね
幸せだけ描いたお伽噺なんてない
わかってる わかってる
それでも ね
そこへ行きたいの
胸に張りついたガラス 融けて流れる
光あふれる世界
もうすぐ
ひとりで守っていた小さなあの部屋は
少しだけ空いている場所があって
ずっと知らなかったんだ
ふたりでも いいんだって
わからずに待っていたあの日はもう
雪解けと一緒に春にかわっていくよ
透明な水になって
そうして ね
アザレアを咲かすよ
長い冬の後に
何度でも 何度でも
陽の満ちる
この部屋の中で
45: 2014/08/11(月) 03:08:23.96 ID:QKnXaulJ0
× × ×
アイドル。
それは人々の憧れであり、遠い存在。
しかし、それも全てではない。
写し出された光景が真実のみとは限らない。
本当に性格が良いのか。恋人がいるのではないか。裏では汚い真似をしているのではないか。
そんな誹謗中傷は当然の事だ。
……だが、俺は知っている。
彼女らは懸命で、美しく、真っ直ぐだった。
もちろん、俺が見たものも全てではない。
俺が知る意外の所にも、アイドルの存在はいる。
もしかしたら俺の周りが特別だっただけで、本当のアイドルとは、やはり俺の知るものと違うのかもしれない。
……だが、そんな事はどうだっていい。
少なくとも俺は知っているんだ。
46: 2014/08/11(月) 03:09:29.69 ID:QKnXaulJ0
彼女たちが、人々に希望を与え、輝きを見せる存在だと。
そう信じて、疑わない。
少女がその輝きに憧れを抱くのは当然で、
夢を与える彼女らは、遠いからこそ、その場所を目指す。
そんな彼女らの力になれた事は、きっと俺の財産となる。
ずっと誇りに持って、生きていける。
その出会いに後悔は無いし、あるとすれば、それは感謝のみ。
……だから、俺は今でも胸を張ってこう言える。
八幡「凛ちゃんマジ女神」
47: 2014/08/11(月) 03:11:27.95 ID:QKnXaulJ0
学校への道を、一人歩く。
今日は月曜日。アニバーサリーライブから、既に二日が経過していた。
ipodから流れる音楽を耳に、その足を進める。
何故チャリではないのか? それは至極簡単な事。
……引き上げるの忘れてた。
一応翌日に思い出して見には行ったのだが、当然ながらそこには何も無かった。
そりゃ、不法投棄もいいところだもんな。むしろ何故わざわざ確認しに行った俺……
なので、今日は歩いて学校へ向かう。
大分早い時間に出たので、遅刻する事は無いだろう。
早くチャリ買わないとな……
幸い、蓄えはある。
あの後、ライブは無事成功。
凛も、それまでの不調が嘘のように抜群のパフォーマンスを見せた。
俺は卯月や未央の計らいで、特別席で見させてもらった。
金も払ってないのに申し訳なかったが……まぁ、元プロデューサーの権限という事にして貰おう。
それよりも、アイドルたちへの説得の方が大変だったな。
けど、これは俺が決めた事だ。
最後まで、プロデューサーとしてやり切った。
なら、もう思い残す事もない。
……俺自身としても、もう踏ん切りはついたからな。
48: 2014/08/11(月) 03:12:46.24 ID:QKnXaulJ0
気持ちの良い風を頬に受けながら、俺はそのまま歩く。
たまには、こうして通学するのも悪くない。
音楽を聴きながらってのもまた…………あれ。
八幡「……うわ、電池切れかよ」
不意に音が止まったので確認してみると、画面には充電切れのマーク。
昨日、充電器に繋いでおくのを忘れていたらしい。
八幡「マジか。ついてねぇな…」
その時、ひと際強い風が吹き付けてくる。
今歩いていたのは丁度見晴らしの良い坂道で、時折、こうして強い風が吹いてくるのだ。
俺は思わず目を瞑り、風が通り過ぎるのを待った。
やがて風は吹き止み、俺は、ゆっくりと目を開ける。
八幡「ーーっ」
瞬間、俺は目を疑う。
数メートル離れた、少し俺よりも高い位置。
木漏れ日の中、彼女は、そこに立っていた。
49: 2014/08/11(月) 03:14:10.49 ID:QKnXaulJ0
八幡「…………凛」
凛「おはよ、プロデューサー」
長い髪をなびかせ。
いつもの制服に身を包み。
彼女は、渋谷凛は微笑んでいた。
凛「あっ……もうプロデューサーじゃないんだっけ」
凛は自分の台詞にハッとなると、少しだけ恥ずかしそうに言う。
凛「えっと……八幡。…………なんか、改めると恥ずかしいね。この前は平気だったのに」
いや、その様子は大変可愛らしいのだが…
そんな事はこの際どうだっていい。
八幡「いや、お前こんな所で何してんだよ」
俺は至極当然の疑問をぶつける。
しかし、それに凛は何て事のないように答えた。
凛「何って…………プロデュ、じゃなくて、八幡に会いに来たんだけど?」
首をかしげ、本当に不思議そうに言う。
いやだから、そうじゃなくて!
50: 2014/08/11(月) 03:16:10.32 ID:QKnXaulJ0
八幡「いや、あんな事あったら、普通もう会わないんじゃねーの?」
凛「え? なんで?」
八幡「なんでって、そりゃお前、あれだよ。………あれ、俺がおかしいの?」
なんか、凛がさも当然のように言うもんだから俺が間違っているような気がしてきた。
いやいやいや、そんな事はない。
凛「……なんか勘違いしてるようだから、ちゃんと言っとくね」
凛はジト目で俺を睨んだかと思うと、その後目を閉じる。
そして、ゆっくりと語り出した。
凛「私ね。プロデューサー……じゃなくて、八幡の自分を顧みない所が、嫌い」
八幡「うぐ……」
凛「捻くれ過ぎてるのもどうかと思うし、変なとこで頑固だし、正直引く」
え? なんなのこれ?
もしかして俺、現在進行形でトラウマ刻まれてる?
この間女の子に振られ、そして今日同じ子に罵倒される奴がそこにいた。
51: 2014/08/11(月) 03:17:17.18 ID:QKnXaulJ0
凛「ぶっちゃけ私服のセンスも微妙だし、妹思いもいいけど、過度なシスコンは気持ち悪いかな」
八幡「ぐ……」
凛「その上、女の子にも気が遣えない」
凛は、言葉を止めない。
凛「自分が泥を被って、それで勝手に満足して」
八幡「っ………」
凛「周りにどう思われても、自分をちゃんと持ってて」
八幡「…………」
凛「大切なものを、どんな事をしてでも護って……」
凛は、その瞳を俺へと向ける。
凛「誰よりも、優しくて」
どこまでも真っ直ぐで。
ただ、一心に。
52: 2014/08/11(月) 03:18:21.88 ID:QKnXaulJ0
凛「ーーーー私は……そんなあなたが、大好きです」
彼女は、そう告げた。
俺は、言葉が出なかった。
ただただ、目を見開いて。
彼女の、微笑む顔を、見つめるのみ。
頭が理解するよりも早く。
胸の奥が、
熱くなっていくのを、感じる。
勝手に、涙腺が緩む。
53: 2014/08/11(月) 03:20:03.50 ID:QKnXaulJ0
八幡「……っ……お前、この前言ってた約束はどうなったんだよ…」
かろうじて、言葉を絞り出す。
だが、その声は情けない程にか細い。
凛「言ったでしょ? 『今は無理』って」
確かに、彼女は言っていた。
だけど、いやそれって……なんかずるくねぇ?
凛「だから、待っててほしいんだ。私がトップアイドルになるまで」
凛は、何て事の無いように言う。
それがどれだけ大変で、難しい道のりだと分かっていながら。
平然と、言ってのける。
凛「プロデューサーと、私はトップアイドルになるって約束した」
八幡「……ああ」
凛「だからそれが叶ったら……今度は、八幡との約束を叶えたい」
凛の顔を見れば、分かる。
こいつは、本気で言っているんだ。
54: 2014/08/11(月) 03:21:52.38 ID:QKnXaulJ0
八幡「……まだ、約束なんてしてねぇだろ」
凛「……ふーん。じゃあ、八幡は待っててくれないんだ」
八幡「いや、そうは言ってねぇけど……」
凛「じゃあ、約束ね♪」
そう言って、凛は珍しく無邪気に笑った。
照れたように、それでも、何処か嬉しそうに。
その笑顔を見ていたら、なんかどうでも良くなってしまうのだから、本当にずるい。
凛「……よく、人を好きになるのに理由はいらないって言うけど、私はそうは思わないな」
本当に思いついたように、凛は呟く。
凛「好きになる理由なんて、いくらでもあるよ。むしろ、あり過ぎて困るまであるかな」
八幡「……なんだそりゃ」
凛「プロデュ、……八幡は、違うの?」
そう訪ねられて、俺は思わず押し黙る。
人を好きになる理由、か。
55: 2014/08/11(月) 03:24:05.98 ID:QKnXaulJ0
八幡「…………」
凛「…?」
八幡「……知るか」
凛「あっ、ちょっと!」
俺は誤摩化すように早足で歩き、凛の横を通り過ぎる。
本当に、痛い所を突く奴だ。
……マジであり過ぎて困るんだから、何も言えねぇよ。くそっ。
その後、二人肩を並べて歩いていく。
だがもう少しで学校だ。生徒に見られる前に、離れた方が良い。
……けどそれでも、出来るだけはこうしていたい。
俺も、凛も。
その気持ちは、確かにお互いに感じ合っていた。
凛「プロデューサーは、ガラスの靴をくれた、って感じはしないかな」
八幡「なんの話だよ。つーか、プロデューサーじゃねぇ」
56: 2014/08/11(月) 03:25:07.88 ID:QKnXaulJ0
特に意味の無い会話をし。
たまに軽口を叩き合って。
お互い、笑い合う。
凛「なんだろ…………動き易い運動靴……というかむしろ、安全靴をくれた、とか?」
八幡「夢も希望もねーな」
今の俺と凛は、ただの人と人。
アイドルとプロデューサーでもない。
ましてや、友達でも、恋人同士でもない。
凛「……いや、プロデューサーはどっちかっていうと…」
八幡「今度はなんだ?」
凛「ガラスの靴はくれなかったけど…………裸足で、一緒に歩いてくれたって感じかな」
八幡「……なんか、ちょっと納得しちまったのが嫌だな」
57: 2014/08/11(月) 03:27:50.11 ID:QKnXaulJ0
元々は、プロデューサーとアイドル。
だが、今は俺はただの高校生で、彼女はアイドルのままで。
それでも、そうさせたのは俺自身。
後悔はしていない……が、どこかおかしい。
やはり、俺のアイドルプロデュースはまちがっている。
だからーー
凛「ねぇ、聞いてるプロデューサー?」
八幡「……だから、プロデューサーじゃねぇって」
俺たちの青春ラブコメを、始めよう。
了
58: 2014/08/11(月) 03:28:07.70 ID:Bc8BFCeYO
乙!!
69: 2014/08/11(月) 03:29:20.54 ID:QKnXaulJ0
というわけで、これにて完結です!
本当に長い間お付き合い頂き、ありがとうございました!!
本当に長い間お付き合い頂き、ありがとうございました!!
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