8: 2016/06/07(火) 00:20:42.80 ID:J34r1N8z0
*
人には得手不得手というものがある。
得意であることと、そうでないこと。その内容や数に差はあれど、誰しもが等しく持ち得ているもの。
勉強は出来るが、運動が苦手。歌は下手だが、絵が描ける。
なんだっていい。挙げればキリが無い程に、人にはそれぞれ得手不得手がある。幅広く言ってしまえば、ルックスや性格だってその内に入れてしまって良いだろう。
そんな誰もが当たり前のように受け入れているそれは、しかし実際の所は不条理な事この上ない。
この世の中には、得手よりも不得手の方が多いと嘆く者の方が、圧倒的に多いのだから。
八幡「…………」
そして例によってこの俺もその一人。
勉強も出来るし、運動も苦手ではない。手先も割と器用だし、顔だってそこそこ良い。
だが悲しきかな、そんな基本ハイスペックな俺でも、友達と恋人だけはいない。とある冷酷非道才色兼備女子から言わせれば、もうそれだけで補って余りある程マイナスらしい。……あくまでも言われた当時の話だが。
どうやら机や手元に向き合う事は得意でも、他人と向き合う才は与えられなかったようだ。
1: 2016/06/06(月) 23:58:29.38 ID:xWMiymgj0
俺ガイルとモバマスのクロスSSです。
モバマス勢がメインなので俺ガイル側の出番は少ないです。
ヒッキーのこれじゃない感はご容赦を。
ホントのホントに今度こそ、ヒッキーと凛ちゃんのこれからを願って!
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その2だね」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その3だよ」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「これで最後、だね」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「ぼーなすとらっく!」
前スレ
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「きっと、これからも」
モバマス勢がメインなので俺ガイル側の出番は少ないです。
ヒッキーのこれじゃない感はご容赦を。
ホントのホントに今度こそ、ヒッキーと凛ちゃんのこれからを願って!
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その2だね」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「その3だよ」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「これで最後、だね」
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「ぼーなすとらっく!」
前スレ
八幡「やはり俺のアイドルプロデュースはまちがっている。」凛「きっと、これからも」
9: 2016/06/07(火) 00:22:26.91 ID:J34r1N8z0
八幡「……………」
本当に嫌になるよな。何が嫌になるって、得手不得手がある事を良しとせず、欠点がある事を許せない輩が多い事だ。
そりゃ、誰だって苦手を無くせるものならそうしたい。努力や反省で直す事が出来るのなら、それは本当に素晴らしいと、俺だって思う。
だが、現実はそんな簡単にはいかないのだ。
八幡「…………」 きょろ
人にはどうしたって変えられないものがある。出来ない事がある。払拭できないコンプレックスや、癒えない古傷があるんだ。
出来ない事を出来るようになる。乗り越えられない壁を、乗り越えられるようになる。なるほど。それは素晴らしい。
しかしそれは、一部の人間のみだ。誰もが、そう易々と叶えられると思うな。
自分が出来る事を、他人も出来ると思う等、なんと傲慢なことか。
八幡「…………」 きょろきょろ
世界はそこまで等しくはない。
誰しもが等しく悩みを抱えていても、その内にある全容は、不平等と言える程に格差がある。
他人でも、自分でも、そんな暗い部分を認めずしてどうする。どうして、出来ない事を肯定してやれない。
得手があるなら良いじゃないか。不得手があったって、それを補って余りあれば良い話じゃないか。
弱い所に劣等感を感じるのは仕方がない。恥るのも分かる。だが、悪とする必要は無い。
得手も不得手も、等しく、己の一部なのだから。
10: 2016/06/07(火) 00:23:53.28 ID:J34r1N8z0
八幡「…………ふぅー……っし」
ーーだから、俺がたった今困難に立ち塞がって、足が生まれたての子鹿みたいになっちゃってるのもどうしようもない事なんだ。うん。きっとそうなんだ。
情けない両足を必氏に動かし、目標へと近づいて行く。
狙うは、あのコンビニ前で談笑する女子高生二人組だ。俺としてはボブカットの子の方を推したい。……いや、狙うって何だよ。別にあれですよ? 声かけ事案とか、そういうつもりではなくてですね、会社から頼まれた仕事で仕方なく…
「ねぇ、ちょっと」
八幡「は、はい……?」
後ろからの呼びかけに、恐る恐る振り返る。
そこに立っていたのは、怪訝な顔をした警察官。……警察官?
「スーツ姿の不審な男がうろついてるって近隣住宅から通報があったんだが……署までご同行お願い出来るかな?」
八幡「…………」
あ、マジで事案になったね。
気付けば周りの人たちからの視線が痛い。目標のJK二人も蔑むような視線をこちらに向けていた。
八幡「……………………はい」
なんとかかんとか、声を絞り出して返事をする。
なんか警官が「随分若いねー」とか言ってるけど、ショックがデカ過ぎて頭に入ってこない。
はぁ……これ、あれか。会社に連絡されるパターンか。ちひろさんとアイドルたちに笑われちゃう奴か。頼むから凛だけにはバレたくないな。
だから俺には無理だって言ったんだよ、スカウトなんて。
11: 2016/06/07(火) 00:25:38.95 ID:J34r1N8z0
*
“新たな企画の為に、アイドルのスカウトをして貰いたい”。
社長がそう言ったのは、三日程前のこと。
最初にその発言を聞いた時は、それはもう耳を疑ったものだ。というより脳が理解する事を拒否していた。
俺が?
知らない人間を?
スカウト?
無理だ。普通に考えて無理だ。案件になること間違い無しだ。ってかホントになった。
知り合いの人間ですら上手くコミュニケーションを取れないというのに、何故そんな暴挙が出来ると思うのか。小一時間問い詰めたい。ってか問い詰めたよかなりの焦りをもってね!
しかし社長は心配は無いと言うばかり。
なんでも今回のその企画というのは、既にデビュー済みの現役アイドルと、初々しい新人のアイドル候補生たちによる合同バラエティ番組らしい。
つまりは蘭子の時と似たようなパターンだ。
光る原石をスカウトし、そしてそのまま番組出演。その後にデビューが確定するわけではないが、候補生たちにとってはまたと無いチャンスと言える。
「新人枠の方には既に何人か候補がいるから、無理にスカウトしてくる必要はない。だが、プロデューサーとして経験しておくのは大切な事だよ」と、社長は言っていた。
なのでダメで元々。当たって砕けてもいいし、めぼしい子が見つからないのであれば諦めてもいい。そう気楽に当たってほしいと社長は思ってるんだろうが……実際、そういうわけにもいかない。
12: 2016/06/07(火) 00:27:22.88 ID:J34r1N8z0
正直、無理しなくてもいいのであれば俺は投げ出す気満々でいた。不審者扱いされる可能性だって否定出来ないからな。ってか実際された。
けど、そう簡単に割り切れなかった。割り切れないんだよぉ……!
俺にスカウトの話をした時、最後に社長はこう言っていたのだ。
社長『そうだ。もしも上手くスカウト出来たなら、番組の現役枠の方に渋谷くんを抜擢しようか。それくらいの見返りは考えないとね』
現役枠への、抜擢。
それはつまり、テレビ出演……!
凛の名が売れて来たと言っても、テレビでの仕事はやはり貴重だ。こんなチャンスをみすみす逃す理由は無い。
だから、だから俺は、何としてもスカウトを成功させないと……!
凛の為にも、スカウトしなきゃ…………って思ってたけどやっぱキツい! SAN値がガリガリ削られる! こんな挙動不審じゃお縄になっても文句言えねぇぞ! ってかなった!!
八幡「……と、まぁそんな紆余曲折を経て、現在に至るというわけだ」
「なるほどー。それは大変でございましたねー」
13: 2016/06/07(火) 00:28:41.09 ID:J34r1N8z0
とある公園のベンチ。
派出所でお巡りさんに必氏こいて説明して、会社に電話してやっと分かって貰えて、なんとか解放されたのがついさっき。
近くにあったこの場所で、俺は見事に項垂れていた。
それも、見ず知らずの人間に吐露する程に。
「プロデューサーというお仕事も、簡単には行かないものでございますねー」
八幡「本当にな……」
手に持っているアイスを一口齧る。
あぁ…甘い……
この真ん中でパキッと割って二本になるアイス、久しぶりに食ったな。このチープな味が懐かしくてなんとも美味い。
このアイスは隣に座る少女から分けて貰ったもので、もう一本はその少女が食べている。
美味しそうに顔を綻ばせている少女。
褐色の肌に奇麗な金髪がよく映える。瞳を見てみれば、深い海を想像させるかのように青く澄んでいる。
日の光に照らされた少女の姿は、幼さを垣間見せながらも、どこか神秘的な美しさを感じさせた。
八幡「…………」
「美味しいでございますねー」
八幡「…………なぁ」
「なんでございますですか?」
八幡「……………………どなたでございますか?」
14: 2016/06/07(火) 00:30:13.63 ID:J34r1N8z0
凛がいたら「今更!?」と突っ込まれること請け合いな質問。
いや、本当に今更で申し訳ないんだけど、本当に誰? アイスを貰って、身の上話まで聞いて貰って、しかし名前も知らない。分かる事と言えば、異国の方だという事くらいか。見れば誰だって分かる。
「わたくしはライラさんですよー」
俺の失礼とも言える質問に、しかし彼女は怒ること無く、むしろ感情を感じさせないくらいの表情で返事をしてくれた。
ライラ……って確かアラビア系の名前だったか? あまり詳しくはないが、そっち方面の国出身なのかもしれない。なんだか冒険にでも行けそうな名前だ。
八幡「そうか。……アイス、ありがとな」
ライラ「いえいえ。困った時はお互い様、という言葉が日本にはありますです。日本は良い国ですねー」
ぽけーっというか、にぱーっというか、そんなのほほんとした笑顔で言うライラ。
なんつーか、毒気を抜かれる思いだな。こいつには邪な気持ちなんて存在するのかと疑いたくなるほど純粋そうな顔だ。
ライラ「貴方様は、なんというお名前でございますですか?」
八幡「比企谷八幡だ」
ライラ「では、八幡殿でございますね。よろしくお願いしますですー」
そして、また笑顔。
人懐っこいというか何というか、壷とか買わされないか心配になる奴だな。
でも、良い奴だ。間違いなくそう言える。
八幡「……まてよ」
15: 2016/06/07(火) 00:31:35.18 ID:J34r1N8z0
これはもしかして、絶好のチャンスではなかろうか?
何でかは知らんが、こいつは今俺の事を怪しもうともせず、話を聞いてくれている。ちょっと抜けている感はあるが、見た所美少女と言って差し支えない容姿だ。制服を来ている事から恐らくは華の女子高生だという事が連想できる。外国人という点も、上手くすれば他の新人たちに差を付けるアドバンテージになるかもしれない。
……いける! これは、もしかしなくてもいけるじゃないか!
今こそ、スカウトのチャンス――ッ!
八幡「…………なぁ、ライラ」
ライラ「なんでございます?」
八幡「これ」
俺はスーツの内ポケットから名刺ケースを取り出し、一枚だけ抜き取って、それをライラに差し出す。
ライラ「……おー」
八幡「改めて、シンデレラプロダクションの比企谷八幡だ」
鼓動が高鳴る。
通報される心配が無いと分かっていても、緊張感はどうしたって拭えない。
さぁ、躊躇わず、言うんだ。
今こそ――
八幡「お、お前こそ良ければ、アイドルに…」
ライラ「ライラさんと同じ事務所でございますですねー」
八幡「そう、同じ事務所に…………え?」
え? なんて?
16: 2016/06/07(火) 00:33:19.93 ID:J34r1N8z0
ライラ「ライラさんもデレプロのアイドルでございますよ。奇遇ですねー」
八幡「……………」
一瞬、思考が固まった。
ええええええぇぇぇぇぇぇぇ……
デレプロの、アイドル……? こんなん流石に予想外だ。奇遇どころの騒ぎではない。
ライラ「八幡殿がデレプロのプロデューサー殿とは、驚きなのでございますよ」
驚きなのはこっちでございますよ。ってかそう言うライラのが全然驚いてるようには見えない。本当に君感情とかあるのけ?
八幡「……じゃあ、何。もう既にアイドル活動してるわけなのか」
ライラ「あー…あまりやってないですねー。とても黒い社長さんにスカウトされたのが、先月くらいでございますからねー」
とても黒い社長という面白い言い回しはともかくとして、そうか、既にスカウト済みだったか……。いや、あの社長貪欲過ぎでしょ。なんでスカウトしようとした子が既にスカウトされてるの? これがアイドル事務所社長の慧眼か……
しかしスカウトされたばかりというのを聞いて少し納得した。見覚えが無かったのも、まだあまり目立った活動をしていなかった為か。
八幡「まぁ、断られるよりは良かった……のか?」
とりあえず、スカウトが失敗したという事は分かった。
またこれで振り出しかぁ……
がくっと、自然と肩をおりる。これ以上ないチャンスだと思ったんだけどなぁ。
だが、そこで隣に座るライラから以外な言葉を聞く。
17: 2016/06/07(火) 00:34:44.78 ID:J34r1N8z0
ライラ「……でももしかしたら、アイドルじゃなくなるかもしれないですねー」
八幡「は?」
アイドルじゃ、なくなる?
一体どういう意味かとライラの方を見てみれば、その表情は先程よりも少しばかり暗い……ような気がする。
ライラ「ライラさん、お金に困ってるでございますよ。今はアパート暮らしで……それは幸せでございますけど、難しいです」
八幡「……さっき、あまり活動できてないって言ってたな」
ライラ「はい。レッスンは楽しいですけど、アルバイトもあるので大変でございますです」
アイドル業とバイトの両立。
それはまだあまり売れてないアイドルにしてみれば、酷く切実な問題であった。仕事を貰えないんじゃ他にバイトでもしないと生活できない。だが、それだけキツいスケジュールじゃ身が保たない。学校にも通わないといけないし、外国から日本に来てそんな酷な生活じゃ確かに堪える。
こんな飄々としてはいるが、心労は半端じゃないだろう。
八幡「それじゃあ……アイドル、辞めるつもりなのか?」
恐る恐る聞いてみる。先程の言い回しじゃあ、続けるのが困難なように聴こえたからな。
しかし、ライラの返答は思いの外希望に満ちていた。
ライラ「できれば、続けたいでございます。アイドルは、楽しくて、幸せでございますから」
その顔は、先程よりも少しばかり明るい……ように思えた。
18: 2016/06/07(火) 00:37:03.94 ID:J34r1N8z0
ライラ「今度、初めてテレビ出演するかもしれないのでございますよ」
八幡「っ! そうなのか?」
ライラ「はい。それがダメだったら、辞めるかもしれません」
八幡「…………」
ライラ「だから、お仕事を頑張って、アイドルをやりたいのです」
頑張って、アイドルに。
そんなライラの姿を見ていると、とても懐かしい気持ちを覚える。
まだCDデビューも、テレビ出演も無く、ただただ上を目指していた時期が、俺の担当アイドルにもあった。
彼女は成功する事が出来た。だが、そこに辿り着けるのはほんの一握り。誰もが夢見るそのステージは、あまりにも狭き門。
この異国の少女が目指している頂きはそういう場所で、だが、だからこそ夢に見る。
そんな彼女だからこそ、眩い程に輝かしく、美しい。
……社長も俺も、スカウトしたくなるわけだよ。
八幡「そうか。……頑張れよ」
だから、俺は彼女の行く末を祈ろう。
ライラ「頑張りますです。お家賃とアイスの為にも」
八幡「お家賃とアイス」
このアイス好きで節約家なちょっと変わった異国の少女。
同じ事務所なら、いつか臨時プロデュースをする機会もくるかもしれない。
もしそうなれば、仕方が無い。甘んじて依頼を引き受けるとしよう。
だってきっとその時は、彼女は立派なアイドルになっているはずなのだから。
19: 2016/06/07(火) 00:38:50.61 ID:J34r1N8z0
*
ライラと分かれた後、もう少しだけスカウトが出来ないかと奮闘はしたものの、結局成功する事は無かった。
さすがにもう通報はされちゃいかんと気を付けていたので、行動が制限されてたしな。仕方ないね。うん、仕方ない。
仕事を手に入れる事が出来ず凛には申し訳ないが、こうなれば他の仕事を取ってきて挽回するしかないな。凛も無理しなくて良いと言っていたし、分かってくれるだろ。情けないプロデューサーであった。
とりあえずは、社長に謝罪と報告だな。
事務所へ戻り、そのまま社長室へと向かう。こういう時は社長のあのフランクさがとても有り難い。
扉の前に立つと、何やら中から話し声が聴こえてきた。
ちひろさんか? まぁ、もし間が悪いなら後で良いと言われるだろうし、とりあえず顔は出しとくか。
数回ノックをすると、中から入って良いと返事が来る。
失礼しますと言いつつ扉を開くと、そこに居たのは社長と、ある意味じゃ予想外の人物であった。
社長「比企谷くんか。どうかしたかね?」
「…………」
社長の前に立つ、険しい表情をした40代程の男性。
その眼光は鋭く、スーツ姿から一瞬ヤーさんかと見紛うくらいだ。正直めっちゃ怖いです。
一応、彼とは俺も面識はある。彼はこのシンデレラプロダクションの常務。
まぁ、言ってしまえば上司ってやつだ。
八幡「スカウトの件の報告に来たんですが…」
社長「ああ。やっぱり、難しかったかい?」
八幡「……ええ。すいません」
20: 2016/06/07(火) 00:42:20.75 ID:J34r1N8z0
苦笑する社長に対し、頭を下げる。
申し訳ないが、やはり俺には荷が思い。
社長「大丈夫だよ。他のプロデューサーくんたちにも頼んではいるし、期待できそうなアイドル候補生も何人かはいる。ご苦労だったね」
本当にこの社長は人が良いな。企画で参加した一般Pとはいえ、ここまで良くしてくれると申し訳なさでいっぱいだ。こりゃ社畜にもなる。ならんけど。
社長「そういう訳だから、候補生から決まり次第君に連絡しよう」
常務「……分かりました」
返事をしたのは静観していた常務。あれ、この人も今回の番組に関わってるのか?
社長「ああ、今回の企画は彼がメインで担当してくれていてね。今も丁度その打ち合わせをしていたんだ」
俺が不思議に思っているのを察したのか、そう説明してくれる社長。なるほどな。
……って事は、あれか。一応常務にも謝っといた方が良いよな? 担当であるわけだし、思いっきり関係してるもんな。……うん、謝っとこう。怖い。
八幡「あの、常務。すいません……」
常務「…………」
無視だった。割り易いくらいの無視。スルーと言っても良い。あれ、俺のこと見えてない?
とりあえず、常務はクールで寡黙な方なんだなぁ……と自分に言い聞かせる事にする。じゃなきゃ怖過ぎるよぉ!
そんな俺の葛藤を尚無視するかのように、常務はさっさと別の話へ移る。本当に仕事人って感じの人だな。
21: 2016/06/07(火) 00:43:38.73 ID:J34r1N8z0
常務「番組へ出演するアイドルですが、現役組の方を新しくリストアップしておきました。こちらが資料になります」
社長「ありがとう」
常務「基本的には社長の告げたメンバー構成ですが、こちらで調整してリストから外したアイドルもいますので確認しておいてください」
なんか、これ以上は俺がいても関係無い話になりそうだな。
邪魔になるのも悪いので、一礼して部屋を後にする事にする。
常務「除外したのは…」
しかし、踵を返した所で、俺は思わず足を止める事になる。
というのも……
常務「ライラ、というドバイ出身のアイドルです」
聞き捨てならない名前を、聞いたから。
社長「ライラくんを外したのかね? 一体どうして?」
常務「彼女は未だ経験が浅い。テレビ出演するには、今回の企画はまだ早いと判断致しました」
社長「ふむ……」
22: 2016/06/07(火) 00:45:37.66 ID:J34r1N8z0
常務の言い分に理解出来る事もあったのか、考え込む社長。
ちょっと待て。ライラを、今回の企画から降ろすだと?
あいつは、初めてテレビに出演出来ると言っていた。それが、今回俺がスカウトを任されていた番組の事だった……?
そして、もしもそれが上手くいかなければ、あいつはアイドルを辞めるかもしれないと、そう言っていた。
それなのに、出演すら、出来ない……?
そんなのは、そんなのはあまりにも酷じゃないのか。彼女の折角のチャンスを、奪い取っていいのか?
良いわけが、無いだろ。
八幡「……待ってください」
思わず、声を出す。
二人の視線が俺に向けられる。ここで黙って見過ごすわけには、いかなかった。
八幡「ライラを今回仕事から外すって……その、考え直してくれないっすか?」
社長「比企谷くん……?」
常務「…………」
社長は怪訝そうな表情を浮かべるが、常務は変わらず無表情なまま。だが、その目は俺に向けられたままだ。彼はまだ、俺の言葉を待っている。
八幡「あいつとは知り合い……って程でもないんすけど、聞いたんです。今回の企画にかけてるって」
常務「…………」
八幡「生活が苦しいみたいで、もしも企画がダメだったら、アイドルを辞めるかもしれないって。だから、せめて出演だけでも…」
常務「甘えだな」
八幡「っ!」
23: 2016/06/07(火) 00:47:09.16 ID:J34r1N8z0
ずん、と。その言葉がのしかかる。
元々低い彼の声が、更に重く、俺へと投げかけられた。
常務「そんな個人の私情を仕事に持ち込むわけにはいかない。降板は変わらん」
八幡「なっ……」
俺が思わず絶句すると、そこで社長が見咎めたのか割って入る。
社長「待ちたまえ。もう少し詳しく話を聞いてからでも…」
常務「彼女を現役アイドルとして出すには技量不足と言わざるを得ません。リスクも高い。既に企画会議で取り決めた内容を変更するのは難しいかと思います」
八幡「いや、だからって……!
俺が抗議しようとするも、常務は更に鋭い眼光で俺を射抜く。
常務「所詮は企画で雇われている半人前のプロデューサーが、口を挟むんじゃない」
八幡「――ッ」
それを、今言うか?
自分で言うのは良いが、人に言われと、思わずカチンとくる。
八幡「……関係ねぇだろ」
常務「なに?」
八幡「あんたがふざけた事ぬかすから、それはおかしいって言ってんだ。俺の事は関係ねぇだろ」
ギ口リと、思わず俺も睨み返す。
上司とはいえ、そんな横暴を認めるわけにはいかない。
あいつの事をよく知りもしない奴が、そんな勝手な判断をして良い筈がねぇだろ。
しばしの間、無言の膠着状態が続く。
その沈黙を破ったのは社長だった。
24: 2016/06/07(火) 00:48:25.14 ID:J34r1N8z0
社長「その辺にしておきたまえ。もう少し頭を冷やすんだ」
八幡「……すんません。口が過ぎました」
一呼吸置いて、一応謝罪する。
別に常務の判断を許したわけじゃないが、社長の顔もあるからな。
社長「君もだよ。いくらなんでも、言って良い事と悪い事がある」
常務「……申し訳ありません」
頭を下げる常務。
いや、それ社長に謝ってるよね。俺に対してじゃないよね。
だが、それでも常務の言い分は変わらないようだ。
常務「ですが決定は変わりません。もう一度会議で話すにしても、可能性は限りなく低いという事だけは確かですので、そのつもりで」
言うや否や、さっさとこの場を後にする常務。
俺とすれ違う瞬間も、彼は俺に一瞥もくれる事は無かった。
俺が言うのもなんだが、あれだ。
いけ好かねぇ。
25: 2016/06/07(火) 00:49:36.91 ID:J34r1N8z0
*
社長「彼は元々、君と同じプロデューサーだったんだよ。それはもう敏腕のね」
事務所の休憩スペース。
昔を懐かしむように、ソファに座った社長はどこか遠くを見つめていた。
社長「別の事務所ではあったんだが、この会社が出来た時に私が声をかけてね。それから常務として働いてくれている」
八幡「そうだったんすか」
社長「気難しい所もあるが、優秀な社員だよ」
確かにその仕事ぶりは一般Pの俺でも聞き及んでいる。
だが、それにしたってちょっと非情過ぎやしないか。仕事の為とはいえ、アイドルを切り捨てるなんて。
ちひろ「元プロデューサーだからこそ、公平に徹したいというのもあるかもしれませんね。……コーヒー、お持ちしましたよ♪」
どこからともなく現れる事務員ちひろさん。テーブルの上にコーヒーを置いてくれる。
ちなみに俺のとこには砂糖とミルク付き。分かってるじゃないか。
社長「確かに、仕事がほしいのはアイドル皆が思っている事だ。贔屓にしてはいけないという彼の言い分も、間違いじゃない」
八幡「…………」
26: 2016/06/07(火) 00:50:45.31 ID:J34r1N8z0
甘え、と彼は言っていた。
確かに甘いんだろうな。社長の言うように、仕事がほしいのは皆一緒だ。続けられないからアイドルを辞めるというのは、何も不自然な事ではない。競争率の高いこの業界では尚更の事。
もしも俺がライラという少女と知り合わなければ、きっと気にも留めなかっただろうし、情が移ったんだろうと言われれば、何も否定できない。
だからきっと、常務の言う事は正しい。
だから。
だから俺は、このまま見過ごせば良いんだろうか。
八幡「…………」
ふと、隣に誰かが座る気配を感じる。
座った拍子に少しだけ舞う長い髪から、ふわりと花の香りがした。
凛「それで?」
彼女は、俺の担当アイドル、渋谷凛は、
凛「プロデューサーは、どうしたいの?」
俺の目を真っ直ぐに見て、問いかける。
八幡「……一応、策、みたいなものはある」
凛「あるんだ。……まぁ、どうせいつもみたいな感じなんだろうけど」
八幡「否定できんな」
27: 2016/06/07(火) 00:52:25.42 ID:J34r1N8z0
俺の答えに苦笑する凛。
だが呆れながらも、彼女は絶対に俺を見限ろうとはしないんだから、物好きな奴だ。
そして、物好きは何もこいつに限った話ではない。
輝子「フヒ……そこは、否定してほしいところ……」
八幡「……お前、さすがにテーブルはキツくないのか」
休憩スペースに置いてある平たいテーブル。の、下から頭を出すのは元ぼっち系アイドル星輝子。
いつもは仕事用デスクの下に潜んでいるが、今回はテーブルか。ほとんど四つん這いだよ君?
輝子「フヒヒ……いつか、挑戦したいと思ってた」
八幡「ちひろさん。自腹切りますんで、ここのテーブル買い替えません? ガラスの透けてるやつとかに」
ちひろ「あら、オシャレで良いですね♪」
輝子「お、鬼……悪魔…………八幡」
忌々しいと言わんばかりに呻く輝子。どうやら日の光にはやはり弱いようだ。
ってかその位は俺には早いって! ポストちひろだって!
輝子「……それで、八幡。策とは……?」
八幡「…………」
やっぱり、お前も訊いてくるんだな。
凛は、俺がどうしたいかと問うてきた。
そして輝子は、話を聞かせてほしいと言ってきた。
こいつら、そして、今まで担当してきた臨時アイドルは、俺なんかの事を見てくれるし、聞いてくれる。
本当に物好きで、お人好しな奴らだよ。自分が嫌になるくらいな。
28: 2016/06/07(火) 00:53:52.45 ID:J34r1N8z0
八幡「……凛の言うように、どうせいつもみたいな感じのやり方なんだが……お前らはどう思う?」
逆に俺が問いかけてみれば、凛は一度溜め息を吐いて、輝子は小さく笑って、愚問だとばかりに言う。
凛「いいんじゃない? それがプロデューサーのやりたい事なら、別にさ」
輝子「フヒヒ……上に同じ」
八幡「そうかい」
その言葉が、何よりも助かる。
こんな俺のどうしようもないやり方も、救いがあるように思えるから。
だから俺は、正しい事に対して、真っ向から間違えてやれるんだ。
八幡「社長」
社長「何かね?」
今まで静観していた社長は、まるで期待するかのような眼差しで、俺の言葉を待つ。
八幡「俺がスカウトした子を番組に出して貰えるって話、まだ通りますかね?」
29: 2016/06/07(火) 00:55:26.67 ID:J34r1N8z0
*
翌日、準備を整えた俺は再び社長室へ向かう。
既に社長には話を通してある。であれば、彼もきっと部屋にいるはずだ。
……あー、なんか、無駄に緊張すんな。正直かなり怖い。
大丈夫だよね? さすがに暴力沙汰とかにはならないよね? 大人しそうな感じだし、手を出すにしてもどっちかってーとチャカとか取り出しそうだ。そっちのがヤバイ。
しかし、もう後には引けない。
歩きながらも、俺は事が上手く運ぶように頭の中でシミュレーションしつつ、真っ直ぐに目的地へと向かう。
この程度の修羅場、今までも乗り越えて来たからな。
だから、きっと大丈夫だ。
予定通りの時間に到着すると、俺は扉をノックし、返事を待った後に入室する。
八幡「失礼します」
入れば、昨日と同じ面子が揃っていた。
椅子に座る社長と、その前に立つ常務。
相変わらず、常務のその表情は険しい。ってか前よりも不機嫌そうに見える。
常務「……呼び出された理由は、昨日の件ですか?」
社長「そうだ。比企谷くん、報告を頼めるかい」
八幡「はい」
社長の言葉に応じ、俺は常務の隣に立って報告を始める。
30: 2016/06/07(火) 00:56:48.15 ID:J34r1N8z0
八幡「シンデレラプロダクションの所属アイドルであるライラですが、今回の降板に伴い退社する事になりました」
常務「…………」
社長「……そうか」
ライラが、事務所を辞める。
報告を聞いても、常務は特に表情を変える事は無い。その様子に少々嫌な気分になるが、しかしとりあえずは置いておく。
彼は、本当に何も思う所が無いのか、それとも……
常務「…………」
八幡「それと候補生枠での出演の為のスカウトですが、何とか出てくれる子を見つけられましたので、その報告も」
俺の発言のに、ぴくりと、常務の視線がこちらに向けられたのを感じた。
ま、仕事に関係あるし、これには反応するよな。そうでなくては始まらない。
八幡「入ってくれ」
俺は扉の外で待機してるであろう彼女に、声をかけた。
常務「……っ!」
入室してきた彼女を見て、予想通り、常務は驚愕の表情を浮かべてくれる。
そうだ、その反応で当然。
なんせ入ってきたのは、常務もよく知る少女なのだから。
31: 2016/06/07(火) 00:57:47.28 ID:J34r1N8z0
ライラ「失礼しますです。わたくしスカウトされました、新人アイドルのライラさんでございます」
何てことのないように、出会った時のような飄々とした様子で自己紹介するライラ。
ある意味じゃ、大物の対応だなこれは。
ライラ「好きな食べ物はアイス。趣味は公園で知らない人とおしゃべりでー…」
八幡「ライラ、とりあえず自己紹介はいい」
ってか、それ趣味なの? 公園で知らない人とお喋りって……あれ、俺の事?
しかし今はそんな話をしている場合ではない。能天気なやり取り等どうでもいいとばかりに、常務がドスの効いた声を出す。
常務「……ふざけてるのか? どういうつもりだこれは」
八幡「言ったでしょう。彼女がスカウトしてきたアイドルなんですよ」
常務「馬鹿を言うな。先程お前は退社したと…」
八幡「だから、“辞めた後のアイドルでも何でもないライラを、改めてスカウトした”んですよ」
常務「ッ!?」
今回の企画は現役アイドルとアイドル候補生による合同番組。そしてライラは現役アイドルとしての出演が不可能になった。だから俺は、“アイドル候補生として出演出来るように、一度辞めて改めてスカウトし直した”のである。
32: 2016/06/07(火) 00:58:49.34 ID:J34r1N8z0
八幡「俺がスカウトした子は番組へ出演させてくれる……そういう約束でしたから。ですよね社長?」
社長「うむ。確かにそう言った」
苦笑しつつ頷く社長。
まぁ、昨日の時点で社長には確認して了承は得てあるけどな。元々ライラが出れない事は良く思っていなかったようだし(そもそも社長がスカウトしてきたし)、何とか引き受けてくれた。
常務「そんな屁理屈で……!」
八幡「実際、問題なんてありますか? 現役組と違って、候補生組には経験なんていらないですし。むしろ無い方が良いまである」
アイドルとしての活動があまり出来ていなかったからこそのこの手段。まぁ、実際は別に辞める手続きも特にしてないし、候補生側として出演する事になったってだけなんだがな。
だが、これでライラが出演するのに弊害は無くなった。
八幡「これでも、まだ反対するつもりですか?」
俺は常務へそう問いかける。
彼は重苦しい表情ではあったが、しかし、やがて熟考するかのように一度目を閉じる。
常務「……番組へ出演する資格があるのであれば、私は異を唱えるつもりはない」
八幡「…………」
常務「話は以上でしょうか?」
33: 2016/06/07(火) 00:59:35.53 ID:J34r1N8z0
常務の質問に社長が首肯すると、常務は「では」と言って踵を返す。
もう用は無いとばかりに、扉へ向かっていった。
ライラ「……あの」
しかし、以外な事にライラが彼を呼び止める。その行動は俺もさすがに予想外だった。
常務はドアノブへ手をかけた所で動きを止め、振り返らないまま彼女の言葉を待った。
ライラ「ライラさん、アイドルを頑張ります。だから……よろしくお願いしますです」
いつもより、少しだけの早口。
言って、ライラはぺこっと頭を下げた。
常務は少しの間何も言わず黙っていたが、やがて小さく「ああ」と答えると、扉を開けて部屋を後にした。
34: 2016/06/07(火) 01:00:50.60 ID:J34r1N8z0
*
あれから数日。何とか出演権を勝ち取ったライラは、無事に番組へ出演する事が出来た。
対談型の、候補生が現役アイドルに話を聞いたり、一緒に歌って踊ってみたりするありがちなバラエティ番組。当初とは違う候補生側の出演ではあったが、それでも、彼女は嬉しそうにしていた。
お家賃もちゃんと払えたようで、俺としても何よりだ。
八幡「よっこらせっと」
誰もいない休憩スペース。備え付けのテレビを点け、DVDプレーヤーへディスクを入れ、ソファへとどかっと座る。こんだけ堂々と使ってりゃ誰も寄り付かんだろ。何もしなくても寄り付かんけど。
八幡「…………」
これからも、きっとあいつは、ライラは苦労するんだろうな。
今回俺がやった事は、所詮はただの繋ぎでしかない。次の仕事が成功出来なければアイドルを辞める、そんな事情を抱えた彼女を、何とか番組へ出演させて一時的に繋ぎ止めただけ。
番組へ出演した事でこれからチャンスは来やすくなるかもしれないが、それでも現状がさほど変わっていないのは事実。
だからこれからも、ライラは頑張り続けなければならない。
アイドルを、続けるため。
八幡「…………」
凛「あれ。プロデューサー、何見てるの?」
ふと、偶然通りかかったのか、後ろから凛の声が投げかけられる。
35: 2016/06/07(火) 01:02:15.21 ID:J34r1N8z0
八幡「ああ。この間の番組」
凛「ふーん。この間の…………え」
八幡「録画しといたからな。折角だから見返してた」
テレビ画面の向こうには、候補生たちの色んな質問に困惑しながらも頑張って返答する凛の姿。その下手をすれば候補生たちよりも必氏な姿は、見ていて何とも和む。可愛い。
八幡「また候補生の奴らも中々エグい質問するよな。ライラとか無自覚なのが何とも…」
凛「ちょ、ちょっとプロデューサー。もうやめない? 一回実際に見てるんだから、また見返さなくてもいいでしょ?」
八幡「いやでも、この後に振られる『同じ事務所のアイドルのモノマネ』が…」
凛「い、いいから! もう見なくていいから!」
顔を真っ赤にしてリモコンを奪い取る凛。
結局、続きは見られずDVDも没収されてしまった。ちぇー、蘭子のモノマネ結構良かったと思ったけどなー。赤面してるとこが面白可愛くて。
こりゃ、俺が今まで出演してる番組全部録画してDVDに焼いてるって知ったら、めちゃくちゃ怒りそうだな。大原部長ばりに家まで乗り込んでくるかもしれん。
とぼとぼと休憩スペースを後にして、仕方なく事務所外の自販機へと向かう。
こういう時はMAXコーヒーでも飲んで癒されよう。……けど今考えたら事務所の中であれ流すって結構鬼畜だな。反省反省。
そんな事を考えながら階段を下り、自販機へと目を向けた所で一人の人物を捉えた。
うげっ、あの人は……
常務「…………」
相変わらず険しい表情の常務と、ばっちりと目が合う。
その手にはブラック缶コーヒー。イメージ通り過ぎるだろ。
36: 2016/06/07(火) 01:03:40.50 ID:J34r1N8z0
八幡「……うっす」
とりあえず何も挨拶しないのもあれなので、軽く会釈する。
だが、常務は相変わらずの無視。やっぱりこの人俺の事見えてないんちゃう? 名前すら呼ばれた事無いし。もしかして覚えてないのか……
しかしそのくせ常務は自販機の前を空けると、すぐ側で缶を開けて飲み始めてしまう。いや、事務所戻れよ。買いづれーだろ。
俺は外に出た手前引き返すわけにもいかず、仕方なく自販機まで歩いてMAXコーヒーを買う。
そしてさっさと戻ろうと踵を返した所で、まさかの声がそこでかかった。
常務「……先日の合同番組の報告書、まだ出ていなかったようだが?」
八幡「………………」
あーやっべーー完全に忘れてたぁーー!!?
足が止まり、ダラダラと嫌な汗が流れる。しまった、マジでしまった。普通にガチで忘れてた。いやでも、期限とか特に無いですし、催促もされないし、はい。すぐに出すのが当たり前ですよねすんません!!
八幡「す、すぐに出します」
常務「そうしてくれ」
常務はそう言うと、コーヒーをまた一口飲んで黙ってしまう。俺は何となく動けず、その場に立ちすくむ。
あー…これ完全に立ち去るタイミング失った奴だ。あのまま勢いで走り去れば良かった。もう俺もMAXコーヒー飲んじまうかな。
そんな事を考えていると、また常務が話し始める。
常務「……ひとつ、訊いてもいいか」
八幡「は、はい?」
常務「どうしてお前は、あんなに彼女の肩を持ったんだ」
37: 2016/06/07(火) 01:05:04.83 ID:J34r1N8z0
話されたのは、意外な言葉。
常務の言う彼女とは、もしかしなくてもライラの事だろう。
どうして、彼女の肩を持ったのか。
そんな事を訊かれるとは思っていなかったので、思わず面食らってしまった。
八幡「どうして、と言われても……」
常務「知り合いだと言っていたな。やはり、情が移ったのか」
別に知り合いと呼べる程会った事があるわけじゃない。情が移った? そう言われれば、それも間違いではないな。彼女がアイドルを辞めてしまう事に思う所があった。それは事実だ。
だが、たぶんそれだけではない。
敢えて言うのであれば……
八幡「……笑顔、ですかね」
常務「笑顔?」
思わず怪訝な表情になる常務。
さすがに良く分からなかったか。でも、これが一番しっくりくる。
八幡「あいつ、良い顔で笑うんすよ」
あの能天気そうな、邪気の無さそうな、こっちの気が抜けるような、そんな幸せそうな笑顔。
彼女の笑顔を見ているだけで、嫌な事も、抱えてる物も、どうでもよくなってしまう。そんな不思議な魅力がある。
八幡「あんな良い笑顔が出来る女の子がアイドルを辞めるなんて、それは惜しいなって、そう思ったんす」
常務「……それだけか?」
八幡「それだけです。けど、そんなもんじゃないんすか。アイドルをスカウトする理由なんて」
38: 2016/06/07(火) 01:06:22.47 ID:J34r1N8z0
社長のように、ティンときた! ってわけじゃない。
けど、確かにあいつと初めて会った時。話をした時。何か感じるものが、光るものが、あったような気がしたのだ。
『どうかしたのでございますか?』
『これ、ライラさんのアイスを半分あげますです。パキッと割れるですよー』
『本当は節約しないといけないのでございますが……頑張った貴女様には、ご褒美でございますですよ』
差し出してくれたその手は、俺にはとても眩しく見えた。
八幡「本当、惜しいですよ。あいつの事を知らない奴がいるなんて」
常務「…………」
常務は目を伏せ、しばしの間口を鎖す。
やがて缶コーヒーを飲み終えた頃、彼は小さい声で呟いた。
常務「……お前を見ていると、酷く懐かしい気持ちになる」
八幡「はい?」
常務「何故だろうな。自分でも不思議だよ」
珍しく、本当に珍しく、苦笑しながらそう言う常務。
良くは分からんが、俺を見て懐かしいというのであれば、それはきっとあれだろう。
39: 2016/06/07(火) 01:08:23.92 ID:J34r1N8z0
八幡「そりゃ、俺はプロデューサーですから。かつて、あなたがそうだったように」
常務「っ!」
八幡「…………」 ドヤァ
常務「…………」
八幡「…………」
常務「…………映画の見過ぎだ」
あ、バレました?
いや、この元ネタの台詞めっちゃ好きなんよね。個人的にはフォースと共にあれ、よりも好きだ。マジ名作。
そして常務はまた苦笑すると、重く、それでもどこか優しい声音で俺に言う。
常務「なら、プロデューサーとして責任を果たせよ。中にいる私に出来ない事を、お前がやれ」
その言葉は、初めてちゃんと俺へと向けられたように感じた。
……いやでも、常務に出来ない事を俺がやるとか、ちょっと責任重過ぎません? 俺ちょっと名台詞パロっただけよ?
だが、ここまで言われては断る事も出来ない。
自信は無い。だがそれでも、意志はある。
八幡「……うっす」
情けない話だが、これが今の俺に出来る最大限の返事だ。
まぁ、それでも常務は満足してくれたようだったがな。
これが、上司ってやつか。
と、そこで階段をパタパタと下りてくる音がした。
事務所の誰かが来たのかと思って視線と向けると、そこには以外な人物。
40: 2016/06/07(火) 01:10:15.81 ID:J34r1N8z0
ライラ「あ、こんな所にいたのでございますねー」
相変わらずのほほんとした金髪碧眼褐色の少女。件のライラである。
ライラ「おや、八幡殿も。プロデューサー殿とお話中でございましたか?」
八幡「まぁそんな所……って………………え?」
話しかけて、一瞬、思考が止まる。
ん? え、何。今、こいつは何て言った? プロデューサー? 誰がプロデューサーだって?
常務「そういえば言ってなかったな。今度から、私がライラの担当プロデューサーをする事になった」
ライラ「でございます」
八幡「…………………………」
なん…だと……
いや、マジでか。なんで、何で!?
常務「アイドルの人数に対し、プロデューサーの数が足りていないのはお前も知っているな」
八幡「え、ええ」
常務「その対策として、私を始めとする他の社員もプロデューサーとして活動する事になった。一時的ではあるがな」
そ、そういう事か……
いやでも、それはまだ分かるとして、何故よりによって常務がライラの担当? 選考理由は分からないが、何かあるんじゃないかと勘繰ってしまう。
そして俺のそんな心中が伝わったのか、常務は少しばかり所在無さそうに目を逸らす。
常務「……私が自ら志願した。特に他意は無い」
八幡「…………」
常務「……っ……先に戻る。ライラ、この後の時間には遅れるなよ」
ライラ「はいです。頑張りますですよー」
41: 2016/06/07(火) 01:11:29.86 ID:J34r1N8z0
言うや否や、足早に去る常務。
照れてる。あれ、完全に照れてるな。
常務のそのらしくもない様子に、思わず破顔してしまった。
常務「比企谷」
八幡「っ」
常務「……報告書、忘れるなよ」
そして今度こそ、常務はその場を後にした。最後に余計な一言を残して。
……なんだ、ちゃんと覚えてんじゃねーか。名前。
ライラ「プロデューサー殿と八幡殿は、仲が良いのでございますねー」
八幡「そう見えるなら眼科へ行く事をオススメするな」
そりゃ、前に比べればマシな関係にはなったかもしれないが、それでも良くはないだろ。ってか別になりたくもない。
ライラ「ライラさんは、お二人には感謝してますですよ」
嬉しそうに、幸せそうに、笑うライラ。
ライラ「八幡殿のおかげで、ライラさんはアイドルを続けられるですよ。そして、プロデューサー殿と一緒に、これからどんどん頑張りますです」
八幡「…………」
42: 2016/06/07(火) 01:13:15.52 ID:J34r1N8z0
番組へ出演する為に策を講じた時、ライラには常務の考えを話してあった。けれどそれでも、彼女はその常務と手を取り合い、歩んでいくと言っている。
気がかりだった。俺のやった事は、最適であっても、最善ではなかったんじゃないかと。
けれど、それでも彼女は俺に感謝してくれる。
俺が取った手段に救われたと、そう言ってくれる。
ならきっと、良かったんだよな。
八幡「……ホント、いつもながらまともな手が使えないな」
ライラ「何の話でございますか?」
八幡「人には、得手不得手があるって話だよ」
俺の言葉に、しかしライラは首を傾げるばかり。これだけ日本語が達者でも、さすがに外国人には伝わらないか。
八幡「人には得意な事と、得意じゃない事があるだろ? それを手段、つまり手で現してんだ。得手、不得手ってな」
ライラ「おぉ……なるほどでございますねー」
お、今ので理解したのか。我ながらテキトーな説明だったんだが……もしかして結構頭良い?
八幡「人と話したり、誰かの相談に乗ったり、スカウトしたり……そういうのは、俺は不得手なんだよ」
今回のライラのスカウトだって身内に対してやったも同然だからな。やっぱり俺には荷が重い。まぁ、それでもちゃっかり報酬である凛の番組出演権は獲得してるのだが。
ライラ「んー…でも、ライラさんは嬉しかったですよ?」
八幡「あ?」
ライラ「……八幡殿の差し出してくれた手は、フエテでも、とても暖かかったでございますよ」
にこりと、またあの幸せそうな柔らかい笑顔。
その言葉は、俺の意表を突くには、充分過ぎた。
43: 2016/06/07(火) 01:14:59.23 ID:J34r1N8z0
八幡「…………」
ライラ「八幡殿?」
八幡「……なんでもない」
あぁ、本当に、こいつは天然だ。
天然でこんな事が出来るなら、きっと凄いアイドルになれるだろうよ。
オマケにあの堅物常務もついてる。こりゃ、強力なライバルになるかもな。
八幡「……アイスでも食いに行くか。奢ってやるよ」
ライラ「本当でございますか? おー…楽しみでございますです」
結局、得手も不得手も、俺から見た一面でしかない。
それが他の角度から見る事で、全く違う側面を見せる事もある。
たぶんそれは自分じゃ気付けなくて、捻くれた奴にも見えなくて……
八幡「この辺でってなると……サーティワンでいいか」
ライラ「サーティワン……ライラさん、31個も食べれないでございますよ」
八幡「いや種類ね。種類。個数じゃないから」
こんなお人好しの素敵な女の子だから、見ていてくれて、気付かせてくれるんだろう。
……やっぱ、こいつがアイドルを辞めるなんて勿体ないな。
鉄面皮のプロデューサーと、どこか抜けた異国の少女。
どうにも面白いこの二人の行く末を、俺も同士として祈るとしよう。
願わくば、彼女のその手が目指す場所へと届きますように。
おわり
44: 2016/06/07(火) 01:19:12.27 ID:J34r1N8z0
というわけで、短めではありますがライラさん編でした。
254: 2017/02/14(火) 01:31:51.76 ID:VNrjHIkh0
八幡「プロデューサーの休日」
*
とある日のとある朝。
いつものように目覚まし時計に起きる時間を告げられ、いつものように眠い目を擦り起き上がる。
日に日に段々と、この音が不快になっていくのが自分でも分かる。冬とか特に。布団の魔力ったらよ。
これはあれだなー、録音式の目覚まし時計とかを買って、好きな曲でも流そうか。そうすりゃ少しは気分の良い朝を迎えられるかもしれん。
そんな風にぼんやりと考え事をしながら、顔を洗い、歯を磨き、着替えを済ませる。リビングからはかすかに朝食の良い匂いが漂ってきていた。
しかし学生の頃ですらあんなに朝はキツいと思っていたのに、仕事を始めたら更にキツく感じるようになったな。世の社畜ちゃんたちへ本当に労いの言葉を送りたい。そして俺も送られたい。
だがまぁ、自分の境遇に関して言えば、俺が好きでやってる事だしな。
自業自得、って言うとあれだな。何か悪い意味に聞こえる。因果応報……身から出た錆? どんどん遠ざかってんな。
八幡「ん?」
ふと、朝食にありつこうとリビングを横切った時、テレビ画面が目に入る。
映っているのは毎朝やっている星座占い。この手の朝の情報番組じゃ定番とも言える。俺も昔は毎朝かかさず見ては一喜一憂したもんだ。いつからか憂しかない現実に嫌になって見なくなったが。
255: 2017/02/14(火) 01:33:21.39 ID:VNrjHIkh0
『今日の第一位は、獅子座のあなた!』
お、なんだ。俺じゃないか。よっしゃラッキー! ……別に信じているわけではないが、一位だと言われれば何となく興味を引かれる。我ながら単純だ。
席に着き、いただきますと手を合わせてからみそ汁に手を伸ばす。
『まさかのあの人と会えるかも! 憧れの人へアタックするチャーンス☆』
なんかイラッとする言い方だな。まさかのあの人って、俺からしたらそのワードは会いたくない人にしか使わないぞ。
『そして、なんだか新しいスタートの予感! その瞬間を見逃さないで!』
やけにぼんやりしてんなオイ。……まぁ占いのマジレスするのもどうかと思うが。でもたまにそんなラッキーアイテムどうすんの? ってチョイスがあるよな。あれ誰決めてんだ。
『最後に、今日のラッキーカラーは~……』
八幡「…………」 もぐもぐ
『カラーは~~………』
長ぇな。
『……すばり! 蒼です!!』
八幡「……」 もぐ…
……青?
『青じゃなくて、蒼です!!』
何故か念を押すように告げ、占いコーナーは終了した。そんなに大事なことだったのか。
八幡「蒼……ねぇ」
なんだかもう、その単語じゃあいつの事しか思い浮かばない。ラッキーカラーって言うかイメージカラーだ。そう言う意味じゃ俺は今日に限らず常にラッキーカラーと行動を共にしてる事になる。ご利益感ねぇなオイ。
256: 2017/02/14(火) 01:34:36.91 ID:VNrjHIkh0
八幡「ごちそうさん」
朝食を平らげ、食後の茶をすする。
まぁ、占いなんて結局は気休めみたいなもんだ。良い運勢ならそれだけで人は安心し、悪ければご利益があるものを身につけ、大丈夫だとまた安心する。要は気持ちの問題。結局はそんなもん。
藤居あたりが聞いたら怒るかもしれんが、今の俺はさすがにそこまで純粋にはなれん。やるとしても精々Twitterの診断くらい。あれなんでついやっちゃうんだろうな。くやしいけどちょっと楽しい。
「あれ?」
と、そこでリビングの扉が開いたかと思うと、素っ頓狂な声が上がる。
目線を向ければ、そこにいたのは相変わらず兄のシャツを勝手に着ている我が妹小町。
小町は俺の姿を捉えたまま、不思議そうな面持ちで呟いた。
小町「お兄ちゃん、どしたの? その格好」
八幡「は?」
どう、と言われても……
視線を下げ、自分の姿を見やる。
白いYシャツに、鮮やかな色のネクタイ、黒いスラックス。片手にはジャケットを持っている。紛う事無きスーツ姿であった。
八幡「…………」
小町「明日はデレプロのお仕事お休みだから、学校行くーって昨日言ってなかったっけ?」
八幡「……あ」
慣れ、とは本当に恐ろしいものだと思う。意識がはっきりしていない朝なんかは特に。
とりあえずは静かに席を立ち、静かにその場を後にする。小町の視線は無視。
とにかく急いで制服に着替えてクラスチェンジ! やっべーそうだった! だ、大丈夫だ。幸いまだ時間には余裕がある。
でもそうかー、今日は学校かー、仕事無しかー良かった良かった。
八幡「…………」
学校、かぁ……
なんか、それはそれでやっぱりめんどくせぇわ。
そんなどうしようもない事を考えながら、俺はまたのそのそと着替えをするのであった。……やっぱ占いなんて当てになんねぇな。
257: 2017/02/14(火) 01:35:49.68 ID:VNrjHIkh0
*
家を出てチャリンコに乗り、学校へと向かう。
そんな前なら当たり前な通学が、今では何とも新鮮だ。
こうしてると、電車乗るより全然気持ちいいな。あの通勤ラッシュはマジでヤバい。痴漢保険とか入っといた方が良いかもとマジで考える。
そうして軽快に走っていると、ふと胸ポケットに入れていた携帯電話が震えだす。
なんだなんだとチャリを止めてチェックしてみると、おお、画面には我が担当アイドルの名前が表示されていた。
八幡「もしもし」
凛『もしもしプロデューサー? おはよう』
電話に出ると、聞こえてきたのは相変わらず奇麗に澄んだ声。担当アイドル渋谷凛だ。
八幡「おはようさん。ラッキーカラー」
凛「え? 今何か言った?」
八幡「何でもない。こっちの話だ。……んで? 何か用か?」
適当に話を濁し、用件を尋ねる。
凛『用っていうか、今日は随分遅いから電話かけてみたんだ。もしかして寝坊?」
ちょっとからかうかのような凛のその問いかけ。あら、これはもしや……
八幡「あー……もしかして、俺言ってなかったか?」
凛「え? 何を?」
言ってないようだった。
258: 2017/02/14(火) 01:36:52.68 ID:VNrjHIkh0
思い返してみれば、確かに最近は忙しくて中々休日が中々取れず、あまりそういった話をしていなかった。この休みも、凛の仕事と重なっていなかったから急遽ちひろさんがねじ込んでくれたものだしな。
とはいえ担当アイドルへ連絡していないのは完全に俺のミス。凛に説明をし、素直に謝る。
八幡「ーーと、いうわけで今日は休み貰ってたんだ。悪かったな、ちゃんと伝えてなくて」
凛『いいよ、謝らないで。昨日はお互い直帰だったし、別に私も今日はレッスンだけだったからさ』
八幡「そう言って貰えると助かる」
別に相手が目の前にいるというわけでもないのに、軽く頭を下げる。なんでこれついやっちゃうんだろうな。仕事の電話とか特に。
凛『じゃあ折角の休みなんだから、プロデューサーもたまにはゆっくり休んでね』
八幡「ああ。……と言っても、今日は学校行くんだがな」
本当であれば家でゴロゴロしようかとは思っていたのだが、最近はあまり顔を出していなかったし、ちょっとした野暮用もある。ってか、もう平塚先生に行くと言ってしまったのが大きい。なんであの時の俺はあんなこと言っちゃったかなぁ……そしてなんで当日の朝になるとあんな嫌になんのかなぁ……
凛『学校……』
と、そこで何故か凛の声のトーンが若干下がる。
凛『プロデューサー、大丈夫?』
八幡「大丈夫って、何がだ?」
もしかして、折角の休日なのに休まなくても大丈夫なのか? という心配だろうか。まさか担当アイドルにそこまで心配されるとはな。まぁ、これもプロデューサー冥利に尽きるという奴か……
凛『いや、学園ライブの事もあるし、回りから変態プロデューサーとか蔑まれないのかなって』
全然違う心配だった。ドロップキックした奴が言う台詞じゃないよね!
259: 2017/02/14(火) 01:37:45.24 ID:VNrjHIkh0
八幡「えらく真剣な声音で訊くと思ったらそんな事かよ……」
凛『あははは。……まぁ、プロデューサーからしたら今更かな』
八幡「おう」
凛『そこは否定してよ』
と、また凛は小さく笑う。
あまり本気で心配しているようではなさそうだ。
八幡「まぁ、奉仕部にも一応顔出しときたいしな。……一人、挨拶しとかないとうるさそうなのもいるし」
凛『誰の事だかすぐわかるね。……じゃあ、雪乃と結衣によろしく言っといて』
八幡「ああ」
凛『そういえば今日は奈……え? ああ、うん。今行く』
話してる途中で誰かに呼びかけられたのか、若干声が遠さかる。
凛『ごめんプロデューサー、そろそろ移動だから切るね』
八幡「大丈夫だ。レッスンしっかりな」
凛『うん。それじゃ』
そこで通話は切れる。
かけてきた方から電話を切る、というマナーもしっかりしていてプロデューサーは嬉しいです。
八幡「さて……」
時間を確認。予想はしていたが、ちょっとこれは怪しくなってきたぞ。
まぁでも、ほら、担当アイドルとの電話を無下にするのもね? 電話しながらチャリとか、危ないし。やっぱ電話したくらいじゃラッキーカラーとは認められないのかしら……
そんな言い訳もほどほどに、俺は全力でペダルを漕ぎ出した。坂道くぅーん!
260: 2017/02/14(火) 01:38:54.99 ID:VNrjHIkh0
*
八幡「……………………はぁー……」
つ、疲れた……
まさか、ここまで精神的にやられるとはな……俺もさすがに予想外だった。
机につっぷしていると、横から怪訝な声が聞こえてくる。
雪ノ下「そんなに干物みたいになって、どうかしたの比企谷くん。まさか本当に干されたわけじゃないでしょうね」
八幡「安心しろ。俺が言うのもなんだが、うちの担当アイドルは絶賛活躍中だ」
雪ノ下「ええ。もちろん知っているわ」
つっぷしたまま顔だけ向けてみると、雪ノ下雪乃は涼やかに笑みを浮かべていた。
ほう。冗談だとは思ったが、まさか知っていると返されるとはな。もしかして凛のことチェックしていらっしゃる?
由比ヶ浜「最近テレビでよく見るようになったよねー。録画忘れないようにするの大変だよ」
そう困った風には言うが、由比ヶ浜結衣の表情は笑顔だ。お母さんかお前は。……確かに気持ちはわかるけど。最近録画超大変。
八幡「……けどまさか、その余波を俺が食らうことになるとはな」
雪ノ下「余波?」
俺の発言に首を傾げる雪ノ下。由比ヶ浜は事情を知っているため複雑そうに苦笑している。
由比ヶ浜「確かに、今日は凄かったね。休み時間とかは特に」
八幡「別のクラスからわざわざ見に来るとはヒマなこった」
そこまで言った所で合点がいったのか、雪ノ下は納得したように頷く。
261: 2017/02/14(火) 01:40:14.65 ID:VNrjHIkh0
雪ノ下「成る程。……つまりは野次馬ね」
その言葉で、自然と眉をよせてしまう。
確かに変態発言と共に俺がプロデューサーである事は公表したが、まさか凛が有名になった事でここまで俺に興味が注がれるとは思ってみなかった。
クラスの奴らの視線や囁きなんてまだ良い。休み時間になれば更に多くの喧騒が廊下から聞こえてくる。調子に乗ってどうでもいい話をふっかけてくる奴も中にはいた。まぁガン無視したんだが。
八幡「もううるせぇこと。あんなに始業のチャイムが嬉しく感じた事はねぇよ」
寄ってたかって、何が楽しいんだか。しかも一目見たら勝手にあんなもんかと鼻で笑って去るんだからそういう奴が一番腹立つ。凛の前でやったら小指折るからな?
八幡「しかも、最後の休み時間とかあいつも来たからな……」
由比ヶ浜「ああ、なおちんね」
そう、奈緒だ奈緒。なんであいつ来るかなー。しかも特に用事も無くダベりに来ただけって……君アイドルの自覚ある? いや、なんか休み時間にダベるって普通の友達っぽくて、ほんのちょっと、ほーーんのちょっとだけ嬉しかったけど、アイドルよ君?
……あれ、もしかして占いの“まさかの出会い”ってこの事か? 憧れの人どころか割と普段会う人なんですが。やっぱラッキーじゃねぇ。
由比ヶ浜「でも凄かったねー。なおちんが来たら途端にざわつきが増えたもん」
八幡「そら増えるわな」
由比ヶ浜「それでいて普通にヒッキーに話しかけるんだもん」
八幡「……そら気も遣うわな」
あまりに気にしてなかったもんだから思わず小声で注意したけど、あいつは何の気無しに「ん? ああ、もう慣れたよ」って言うんだもんよ。そらお前はアイドルだからそうかもしれんけど、俺は慣れてねーんだっつーの!
雪ノ下「流石に同情に値するわね。半分くらいは」
八幡「残りの半分は何なんだよ」
雪ノ下「三割は変態発言による自業自得。二割は因果応報ね」
八幡「それ殆ど同じ意味なんですが」
あるいは、身から出た錆とも言う。
262: 2017/02/14(火) 01:42:13.22 ID:VNrjHIkh0
雪ノ下「でも良かったじゃない。いつもよりは短く済んで」
由比ヶ浜「そうだよ。今日来れてヒッキー運が良かったね」
そう言って、雪ノ下と由比ヶ浜はそれぞれ“弁当”へと手をかける。
そう。今は昼だ。だが決して昼休みではない。放課後だ。放課後ティータイムだ。いや違う違う言いたいのはそんな事じゃなくて……
つまり、今日は午前授業だったのである。いわゆる半ドン。
……今日び半ドンとか言わないか。平塚先生くらい?
八幡「……メシ食ったら、お前らはどうするんだ?」
自分のパンを齧りつつ、二人に尋ねる。
しかしまさか部室で三人で昼飯を食うことになるとはな。ある意味じゃとても珍しい。
由比ヶ浜「あたしはこの後優美子たちと予定あるから、食べたら行くよ」
雪ノ下「私も予定があるわ。だから部活は今日は休み。……それとも、あなただけでもやっていく?」
意地の悪いような笑みで尋ねてくる雪ノ下。俺がどう答えるか分かってて聞いてるだろお前。
八幡「遠慮しとく」
由比ヶ浜「うんうん。折角の休みなんだから、ヒッキーもたまにはゆっくりしなよ」
笑顔でそう言う由比ヶ浜。
ゆっくり、ねぇ。
八幡「…………」
由比ヶ浜「ヒッキー? どうかしたの?」
八幡「ん。いや、何でもない。食い終わったし、俺はそろそろ行くわ」
由比ヶ浜は早っ! と驚いていたが、特に気にせずゴミを片付ける。
263: 2017/02/14(火) 01:43:26.70 ID:VNrjHIkh0
八幡「んじゃあ、また」
由比ヶ浜「うん。たまには顔出してよー!」
雪ノ下「さようなら」
軽く手を挙げ、部室を後にした。
八幡「ふう……」
廊下は静けさに包まれており、何故だか少しだけもの寂しさを感じた。
ゆっくりしなよ、か。
八幡「……そう思って来たんだがな」
小さく呟いて、自分で自分の発言に気恥ずかしくなる。
何を言ってんだか、俺は。
これからどうしようかと考えながら、歩を進める。
とりあえず、運は良くねぇわ。やっぱ。
264: 2017/02/14(火) 01:44:30.29 ID:VNrjHIkh0
*
ちひろ「なるほど。それで寂しくなって、休みの日に事務所へ来たと」
八幡「誰も言ってません」
場所は打って変わってシンデレラプロダクションは休憩スペース。
向き合うようにソファに座るは、事務員千川ちひろさん。今は休憩中なのか珍しく寛いでいる。
八幡「俺はただ、休日だし家にいるのも勿体ないなーと思って都内に出て、近く寄ったし折角だからーって顔を出しただけですよ」
ちひろ「まず比企谷くんが家にいるのを勿体ないと思う時点でおかしいです」
そ、そんな事ないよ? 思うよ? ……いややっぱ思わねぇわ。何時間でも潰せる自信ある。
ちひろ「あと、どうせ明日また来るのにわざわざ寄る意味が分かりません」
八幡「そこまで言います?」
まぁその通りなんだけどさ。
八幡「……別に、ただの気まぐれですよ。他意はありません」
実際嘘はついていない。どうしようかと彷徨っていたら、自然と事務所へ足が向かっていたのだ。……あれ、これもしかして社畜化の予兆始まってない?
ちひろ「もう、そこは素直に寂しかったから遊び来たで良いんですよ♪」
八幡「氏んでも言わねぇ」
大体、本当に寂しいなら家に帰るわ。だって家には小町がいるんだよ? これ以上の癒しがあるだろうか。いや無い! 妹最高! こっちの方が気持ち悪かった。
ちひろ「あと、それはそうと……」
ジーっと、ちひろさんの視線を一身に感じる。
しげしげと見やるちひろさんはまるで審査員のようだ。いやどっちかって言えば鑑定士?
265: 2017/02/14(火) 01:45:45.80 ID:VNrjHIkh0
八幡「どうしたんすか」
ちひろ「いえ。……制服姿の比企谷くんが、新鮮だなーと」
ちひろさんのその言葉に最初は何をと思ったが、言われてみれば確かにな。
よく考えてみれば、制服を着て事務所へ来たのは初めてかもしれない。
ちひろ「そうですよね、比企谷くんも学生なんですよね。変に大人びてるから時々忘れちゃいそうになりますね」
八幡「変には余計です」
ちひろ「無駄に大人びてるから」
八幡「悪化してます」
なんかこの人どんどん俺に遠慮無くなってない? いやこの人に限んないんだけどさ。最近事務所のカーストでもどんどん下へ向かっているように感じる……アイドル怖い……
「コーヒーはいかがですか?」
八幡「え? あ、どうも」
そこで割って入る甘ったるい声。急な申し出に、思わず背筋を伸ばす。これがプロデューサー経験によって培われた脊髄反射である。
コーヒーを淹れてくれたのは、何故かメイド服を着用しているポニーテールの女……の子。
ご存知我らがウサミン星のアイドル、安部菜々……さんである。
菜々「ちひろさんもどうぞ♪」
ちひろ「あ、すいません菜々さん! 私が淹れて貰ってしまって……」
菜々「良いんですよ! ちひろさんも休憩中くらいはゆっくりしてください」
なんとも和やかなやりとり。
……ちひろさんの呼び方はセーフなんだな。
菜々「砂糖とミルクはいりますか?」
八幡「すいません。頂きます」
軽く会釈して、少し多めに貰う。やっぱコーヒーは甘くないとね。うん。
しかし菜々さんは俺の言い方が気に入らなかったのか、眉をムッとつり上げ(かわいい)、抗議するかのように言ってくる。
菜々「もう、比企谷くんったら。同い年なんだから、敬語じゃなくたって良いんですよ?」
八幡「は、ははは」
266: 2017/02/14(火) 01:47:01.87 ID:VNrjHIkh0
やべぇ、こういう時って何て返したら正解なんだ……
しかし俺が困っていると、菜々さんの視線がやや下に向いている事に気付く。これはもしかしなくても…
菜々「わー! それ、総武高校の制服ですよね!」
八幡「え、ええ」
やはりというか、予想通り俺の格好を見ていた。
菜々「そっかぁ、比企谷くんは総武校の生徒でしたもんね。女子の制服は奈緒ちゃんがたまに着てくるけど、男子の制服は久しぶりに見たなぁ…」
まじまじと見てくる菜々さん。なんだか酷くこそばゆい。
……しかし、久しぶりとな。
八幡「あ、安部さん?」
菜々「可愛いデザインですよね~。懐かしいなぁ……」
八幡「安部さーん…」
菜々「……ハッ!?」
と、ようやく我に返る菜々さんじゅうななさい。ちょっと遅過ぎる気もする。いや婚期がとかじゃなく。
菜々「あ、あーいやー違うんですよ? 懐かしいっていうのは、その、昔よく知ってたとかそういうんじゃなくてですね、ま、前々から、知ってたという意味で、と、とととにかく違いますからね!?」
言うや否や、ぴゅーっとあっという間に去って行ってしまった。
なんとも心配になる。あれで隠せてると……いや、皆まで言うまい。あれも魅力の一つ。
ちひろ「世の中には、知らなくても良い事がありますからね……」
八幡「このタイミングでその台詞は悪意を感じますよ」
まぁ、言ってる事には概ね同意だが。
ちひろ「それじゃあ、私もそろそろ仕事に戻ります。比企谷くんはゆっくりしていってくださいね」
八幡「ええ」
ちひろ「あ。あと知っているとは思いますけど、凛ちゃんは遅くまでレッスンなので直帰するそうですよ」
八幡「…………」
知ってると思うなら何故わざわざ言うんですかね。
悪戯っぽい笑顔を残し、敏腕事務員はデスクへと戻っていった。
267: 2017/02/14(火) 01:48:26.32 ID:VNrjHIkh0
八幡「さて……」
それからというもの、特にする事も無いので事務所をぷらぷら。
だがこれがまた、色んな奴に声をかけられる。
サボってる杏とダベったり。
白坂から借りたDVDをもう勘弁して下さいと頼みながら返したり。
上田の着ぐるみの修復を手伝ったり。
前川にカマクラの写真を見せて自慢したり。
蘭子に黒魔術教えたり。
城ヶ崎姉妹に制服姿でプリクラ撮ろうとごねられたり。
……なんだか不意に視線を感じたり。
いつのまにやら色々とやっていた。
こうしてみると、仕事中とはまた違った面が見えてくるな。
……最後の視線はほんと謎だが。なんかバレンタインがどうのって呟いてたような気もする。
そしてそろそろけーるかなー、と考えていた時。
「八幡P!」
背後から、またもや声をかけられる。この呼び方は…
光「制服だなんて珍しいね。今日はお休みなのか?」
八幡「光か。まぁな」
相も変わらず、やけにキラキラした瞳を覗かせる黒髪の少女、南条光。
年端もいかないように見えるが、こう見えて中学二年生である。
光「あ、そうだ! 八幡P、昨日は見た? もちろん見たよね!」
八幡「昨日?」
はて。昨日は何かやっていただろうか。もしかして占い? んなわきゃないか。
光「え。もしかして見てないの?」
八幡「悪い。何を…だ……?」
と、そこで尋ねる途中でようやく思い至る。
そうだ、話を振ってきたのは何を隠そう光だぞ? となれば、確認する番組などその手のものに決まっている……!
268: 2017/02/14(火) 01:49:44.92 ID:VNrjHIkh0
八幡「あ…ああ……!」
光「そうか……見逃したか」
八幡「……し、しまったぁぁぁ!!」
光「キュウレンジャー……あとエグゼイドも…」
プリキュアもなぁ!!
八幡「い、いや待て。大丈夫だ。毎週録画設定にしてあるから、ちゃんと録画されてるはず! よっしゃラッキー!」
光「本当に見てないの? ……あれ、でもさ、エグゼイドとプリキュアはともかく、キュウレンジャーは新番組だからそのまま録画されないんじゃ……いやでも、どうなんだろう。テレビによるのかな」
八幡「」
光「……ダメなんだね」
“新しいスタートを見逃さないで”って、そういう事ぉ!? ってか昨日の朝の放送なんだから既にもう見逃してんじゃねぇか!!
八幡「畜生……俺の、一週間の楽しみが……」
光「八幡P……」
がっくりと膝をつく俺に、光はそっと手を差し伸べる。
光「アタシん家のテレビ、録画してあるからさ。今度一緒見ようよ。ね?」
八幡「光……」
光「アタシは人を笑顔にする為にアイドルになったんだ……だったら、プロデューサーを笑顔にしたっていい!」
八幡「さすがにその台詞のねじ込みは無理があると思う」
とりあえず、どうにか2話から視聴という事態は免れそうだった。
これも持つべきは臨時担当アイドルという奴か……
よっしゃラッキー!
光「やっぱり本当は見てるだろ」
269: 2017/02/14(火) 01:51:35.21 ID:VNrjHIkh0
*
ゆっくりと歩みを進める。
もうすっかり夕暮れ時だ。遠くの空を見れば、微かに星空が見える。今日は天気が良かったからきっと奇麗だろうな。
八幡「……はぁ」
なんだか、どっと疲れた。
たまの休日だし、今日はゆっくりするはずだったんだがな。なんだかんだで下手したら仕事よりも活動したかもしれない。自業自得……で片付けるのはさすがにもう嫌だ。
だがまぁ、次でたぶん最後だ。
最後の最後に、もうひとイベント。
八幡「……どうしたんだ。急に呼び出して」
歩みを止め、少し先に立つ少女へと問いかける。
店の前で待っていた少女は、俺の担当アイドル。そして傍らには、その愛犬。
凛「ん。何となく、ね。迷惑だった?」
ハナコを抱え上げ、こちらへ笑顔を見せる凛。
八幡「……若干」
凛「もう。そこは少しくらい見栄を張ったら?」
270: 2017/02/14(火) 01:52:41.77 ID:VNrjHIkh0
呆れながらも、凛に別に怒る様子はない。
八幡「お前は知らんかもしれんが、これでも色々あったんだよ。ちょいと疲れた」
凛「ふーん。まぁ、これは歩きながら聞くよ」
八幡「歩くのは確定なんですね……」
そりゃまぁ、メールには『ハナコの散歩に付き合ってくれる?』とは書いてあったけども。
八幡「お前、レッスン終わりだろ。平気なのか?」
凛「うん、大丈夫。レッスンも思ったより早く終わったからさ。だから、久しぶりにハナコの散歩に行こうかと思って」
八幡「そりゃ、殊勝な心がけなことで」
歩きつつ、凛の隣に並ぶ。
凛「プロデューサーこそ、疲れてたなら断っても良かったのに」
八幡「生憎と帰る途中でな。家についてたら断ってた。良いタイミングだよほんと」
これはマジ。あともうちょっと遅かったら愛しの千葉へ帰ってたね。そしたらもう俺に成す術はない。家路一直線だ。
凛「そっか。じゃあ運が良かったんだね。……占いもバカにならないかも」
八幡「ん? 何か言ったか今」
凛「ううん。何でもないよ!」
八幡「あ、おい!」
271: 2017/02/14(火) 01:54:14.70 ID:VNrjHIkh0
ダッと、凛が駆け、ハナコもそれに続く。
俺は、それに遅れないようにと、追いつく為に走り出す。
凛「ほらほら、新しいライブも近いんだから、プロデューサーも気合い入れないと!」
八幡「俺が…走る……意味、が……っ……あんのかよ……!」
散歩だと聞いていたのに、これじゃあマラソンだ。明日筋肉痛になっていない事を祈るばかり。
本当、忙しない休日だったな。断言するが、絶対運は良くはない。こんだけ疲労困憊なんだから間違いない。
……けど、非情に不本意なことに、運が良いかと楽しいかどうかは別だしな。
凛「ほら早く、プロデューサー!」
八幡「分かってるよ! ったく……」
だからこの胸中に広がる気持ちは誰にも言わないし、言葉になんて絶対しない。
楽しかった、なんて。氏んでも言ってやらねぇよ。
終わり
272: 2017/02/14(火) 01:55:55.86 ID:VNrjHIkh0
今回はここまで! 凛ちゃんも獅子座でしたというオチ。
前に番外編もう書かない的なことを言いましたけど、すいません。たぶんまた書きます。
前に番外編もう書かない的なことを言いましたけど、すいません。たぶんまた書きます。
391: 2017/08/09(水) 02:57:44.58 ID:rz2WyN+/0
アイドル。
それは人々の憧れであり、遠い存在。
そう言ったのは、濁ったような、淀んだような、どこかに斜に構えて物事を捉える、そんな目をした男の子だった。
ーーそう、男の子。
自分とそう歳の変わらない、どこにでもいるような普通の男の子。
……いや、どこにでもいるって言うのは、少し言い過ぎかな。あの人みたいなのがいっぱいいたら、正直色々と大変だと思う。
捻くれていて、素直じゃなくて、卑屈で不遜で、でも、本当は優しい男の子。
その在り方は不器用そのものではあったけど、きっと醜いものではなかった。一見しただけでは、表面だけを見るのであれば、それは歪で、とても完璧とは程遠いものではあったけど……
ーーそれでもきっと、それは美しいものだったんだ。
凛「……ねぇ、奈緒」
私は窓の外を流れる雲を見ながら、ぽつりと、言葉を零す。
凛「奈緒にとって、アイドルって何?」
それは、いつかあの少年から問われたこと。
自分に自信が持てず、憧れから目を背けていた、私への問い。
結局その時は答える事が出来なかったけれど、”それ”を探し続け、私は今も歩み続けている。
392: 2017/08/09(水) 02:58:43.56 ID:rz2WyN+/0
奈緒「あん?」
凛「だから、奈緒にとってアイドルは何なのかって、そう訊いてるの」
奈緒「それは……」
言葉を淀む奈緒。その表情は曇っていて……というより、訝しんでいた。
奈緒「……それは、今答えないといけないことか?」
私が押さえる椅子の上で、雑巾を持ちながら。
奈緒「急に真面目なトーンで話かけてくるかと思ったら、まさかそんなどこぞのインタビューみたいな質問をされるとは…」
凛「ごめんごめん、なんか窓の外を見てたら、ふと考えちゃって」
奈緒「そっから連想する時点で謎だよ。……うーん、そうだなぁ」
棚の上を拭きつつ、それでも奈緒は考えてくれている。
なんだかんだ言いつつ、こういう所は素直だよね。
奈緒「私にとっての、アイドルね……」
どこか虚空を見つめるようにしていた奈緒は、そこで腕組みをしたかと思うと、静かに、そして何故だかとても恥ずかしそうに呟いた。
奈緒「……か、可愛さの頂点、かな」
凛「可愛さの、頂点……」
393: 2017/08/09(水) 02:59:38.22 ID:rz2WyN+/0
うん、なるほどね。確かにその言い方は分からなくもない。
女の子の夢、とも言われるくらいだし、間違ってはいないと思う。どこか可愛さに対して憧れのようなものを抱いている奈緒にはピッタリな表現かもしれない。
と、納得している人物がもう一人。
加蓮「ふんふん、なるほどなるほど。つまり奈緒は、可愛さの頂点に立てた、と」
奈緒「なっ、いや別に、アタシがそうって言うわけじゃなくてだな……!」
茶化すように言うのは、いつの間にか側で聞いていた加蓮。壁に寄りかかり、その手にはモップを携えている。
加蓮「いやいや、謙遜することないって~。奈緒は立派なアイドルだし、可愛さの頂点に立ってるとアタシも思うよ♪」
奈緒「~~っ! だ、だから、別にアタシのことじゃ……あーもう、だから言いたくなかったんだよ!」
顔を真っ赤にして、ぷいっとそっぽを向く奈緒。慌てて椅子を押さえ直す。そんなに動くと危ないんだけど……
凛「……それじゃあ、加蓮は?」
加蓮「ん? アタシ?」
ニマニマと楽しそうにしている加蓮に、今度は話を振る。なんとなく始めた話題ではあったけど、聞いていたら何だか興味が湧いてきた。
加蓮「そうだなぁ、アタシにとってのアイドルは……うーん……夢、かな?」
凛「夢、か」
加蓮「あ、今なんか普通だなって思ったでしょ?」
凛「えっ、いや、そんなことは……」
ない、とは言い切れない。正直思った。というよりは、ポピュラーな言い回しだな、という感じだけど。
加蓮「アタシにとっては、ちょっと意味合いが違うんだよね。二つあるっていうか」
凛「二つ?」
加蓮「うん。アタシにとっての夢っていうのは、良い意味じゃなかったから」
そう言う加蓮の顔は、先程までと比べ少し儚げなものになる。
どこか哀愁を感じさせるその表情には、私も、そして奈緒も、覚えがあった。
394: 2017/08/09(水) 03:00:31.11 ID:rz2WyN+/0
加蓮「夢は叶えるもの、なーんてよく言うけど……アタシにとっては、夢は見るだけのものだったからさ」
奈緒「…………」
加蓮「でも、今は違うよ?」
一転、加蓮の表情は明るくなる。そこにいたのは、私たちが知る、いつもの加蓮。
加蓮「今のアタシにとっては、夢は叶ったもの。そして、これからも更に見続けるものだから」
凛「……そうだね」
思わず、自然と笑みがこぼれる。見てみれば、奈緒も同じ様子だった。
そう。ただ見ているだけだったのは昔の話。
今は夢を叶え、そしてずっと見続けている。加蓮だけじゃなく、私も、奈緒も。
アイドルは、可愛さの頂点であり、夢、か。
凛「…………」
ちひろ「こらこら。三人ともお喋りは良いですけど、掃除もちゃんとしてくださいね」
振り向くと、何やら段ボールを抱えたちひろさんが立っていた。その中身は、やたらに多い白封筒……あ、閉じられた。
ちひろ「午後からは合同レッスンがありますから、午前の内に終わらせちゃいましょう」
奈緒・加蓮「「は~い」」
凛「……ふふ」
395: 2017/08/09(水) 03:01:36.19 ID:rz2WyN+/0
まるで先生と生徒のようなそのやり取りに、思わず笑ってしまう。
辺りを見てみると、アイドルたちが皆一様に掃除へと勤しんでいる。雑巾がけしている子もいれば、掃除機をかける子に、棚の整理をしている子も。
普段であれば、業者の人たちがやっている仕事ではあるけど、今日は別。それも……
社長『この会社も設立して随分と経つ……たまには、社員皆で奇麗にして労おうじゃないか』
という社長の発言から、こういう事になってるというわけ。確かに、この事務所にはいつもお世話になってるし、良いことだよね。
きらり「こらー! 杏ちゃん! サボってないで、ちゃんとお掃除しないとダメだにぃ!」
杏「うぇー充分きれいじゃーん、もう終わりでよくなーい?」
……まぁ、一部めんどくさがってる子もいるけど。
凛「……けど、そっか」
ふと、事務所の一角へと視線を向ける。
事務スペースにある一つの机。今は誰も使っていない、何の道具も資料も置いていない、どこか空虚さすら感じる、何の変哲もない机。
今は丁度ちひろさんが掃除をしている所だ。その今は使われていない机を、丁寧に拭いている。
けど、なんでだろう。こうして皆で掃除をする時じゃなくても、ああしてちひろさんがあの机を掃除している光景を、よく目にするような気がするのは。
……たぶん、気のせいなんかじゃないんだろうな。
凛「ん……」
不意に、緩やかな風が頬をなでた。
視線を向けてみると、誰かが開けたんだろう。カーテンを揺らしながら、窓が開けている。
その切り取られた青い空を眺めていると、どうしても、あの約束を思い出してしまう。
いつも隣にいてくれた、あの少年との約束。
凛「……あれから、もうそんなに経つんだね」
いつもいた筈の彼は、今はいない。そしてそれが当たり前になってしまった。
そんな風景が、”いつも通り”になってしまった。
これは、
彼がプロデューサーを辞めて、一年程たったある日の出来事。
396: 2017/08/09(水) 03:02:35.62 ID:rz2WyN+/0
*
社長の発案による掃除はその後も進み、ある程度片付いたのはお昼前くらいの時間だった。思ったよりも早い。
まぁ、アイドルも含めてこの会社には相当な人数の社員がいるからね。全員で取りかかれば、そりゃあ早く終わるはず。
あまり広いとは言えない事務所だけど、今では思い入れも強い。それだけの時間を、ここで過ごしてきた。
社長だけじゃなくアイドルもそう思ってるんだから、しばらくは移転も無さそうだね。
掃除が終わった後に昼休憩を挟んで、予定通り私たちはレッスンルームへと向かった。既に着替えは済ませている。
未央「私にとってのアイドル……すばり、星だね!」
壁によりかかり、レッスンが始まるまでの待ち時間。
キラン、と。それこそ星のように目を光らせて言う未央。
別に訊いて回るつもりもなかったんだけど、さっきの話をしたら何となく話題が続いてしまった。ちなみに、その奈緒と加蓮は少し離れた所でストレッチをしていた。……加蓮容赦無いなぁ。
凛「星って例えは、また未央らしいね」
未央「でしょ? 遥か高みにある、輝く星。それぞれ違うし、どれも奇麗。まさに、夢は星の数ほどあるって感じ?」
卯月「なるほど~」
こっちは、座ってスポーツドリンクを飲んでいた卯月。
卯月「素敵ですね。さすがは未央ちゃん」
未央「そ、そう?」
397: 2017/08/09(水) 03:03:27.26 ID:rz2WyN+/0
本人的にはちょっとカッコつけて言ったのかもしれないけど、卯月が屈託のない笑顔でそう言うもんだから、ちょっと気恥ずかしそうにしている。本当に純真だよね。
未央「それじゃあ、しまむーはどうなの?」
卯月「私ですか? 私は、そうだなぁ……」
むーっと、眉を寄せて考え始める卯月。
卯月「えーっとですね……」
未央「うんうん」
卯月「え、えーっと……」
未「……うん」
卯月「う、うぅー……ん~……?」
未央「……し、しまむー? そんなに真剣に考え込まなくても…」
頭から煙が出てくるんじゃないかと、そう思うくらい目をぐるぐるさせている。その様子はちょっと可愛らしいけど、何もそこまで悩まなくても。思わず苦笑する。
卯月「ダメです……何も良い例えが思い浮かびません……」
未央「別に良いって。大喜利やってるんじゃないんだからさ」
凛「そうだよ。卯月は、どうしてアイドルになりたいと思ったの?」
私がそう訊くと、卯月は思い出すかのように、虚空を見つめる。
その瞳、未央に負けないくらい光を灯していた。
卯月「憧れ……だったんです。キラキラしてて、あんな風に、なりたいなって」
未央「良いじゃん、憧れ! 私も分かるよ。っていうか、全世界の女の子の憧れだよね。アイドルって」
確かに、それはその通り。
女の子が一度は思い描く、理想の存在。正に憧れと言うに相応しいね。
398: 2017/08/09(水) 03:06:08.13 ID:rz2WyN+/0
卯月「えへへ……でも、良いんでしょうか? そんなに普通の答えで」
凛「悪いことなんてないよ。というか、別に私は普通だとは思わないけど」
卯月「え?」
凛「素敵なことだよ。……それに、アイドルを目指すくらい憧れを抱き続けるって、簡単なことじゃないと思うし」
私の台詞に、うんうんと未央も頷いている。
こうして憧れの存在になれた私たちだから分かるんだ。ここまでの道のりは決して簡単なものじゃなかったし、そしてこれからも、きっともっと大変なことが待ち受けてる。
凛「だから憧れを持ち続けている卯月は、凄いよ」
卯月「凛ちゃん……」
嬉しそうに、顔を綻ばせる卯月。ちょ、ちょっとくさかったかな。
そんな顔をされちゃうと、何だか非情に照れくさくなってくる。
未央「っていうか前から思ってたけど、しまむーってある意味普通じゃないよね」
凛「ああ、それは分かるかも。……普通じゃないね」
卯月「え、ええ!? どういう意味ですか!?」
卯月を普通だなんて言ったら、たぶん世の女の子たちに怒られそうだ。
そうして雑談をしていると、レッスンルームの扉が不意に開いた。
今ここにいるデレプロのアイドルたちは大体揃っているから、恐らく入ってきたのは……
千早「失礼します」
落ち着いた声音で、礼儀正しく入ってるくるその人は、私も良く見知った人。
765プロ所属アイドル、如月千早さんだ。
千早さんはこちらに気付くと、近くまで来て挨拶をする。
千早「こんにちは。渋谷さん」
凛「お久しぶりです。千早さん」
399: 2017/08/09(水) 03:07:13.13 ID:rz2WyN+/0
ぺこっと、思わず深くお辞儀をする。
……初めて会った時から随分経つけど、やっぱり今でも緊張しちゃうな。もちろん、話しかけてきてくれるのは凄い嬉しいんだけど。
千早「今日はよろしくお願いするわね」
凛「はい。こちらこそ」
そう。今日は765プロとデレプロの合同レッスン。
約三ヶ月後に控えている、合同ライブに向けてのレッスンである。
最初話を聞いた時は、本当に信じられないくらい驚いた。
どちらかと言えば、今まではライバルとしてイメージが強かったからかな。まさかこうして肩を並べてライブに挑む日が来るなんて、思いもしなかったよ。
凛「今日は765プロの皆さんは全員参加ですか?」
千早「いえ、私を含めて5人かしら。みんな忙しいから、時間を見つけて来れる時に来るという感じね」
凛「なるほど。確かに、こっちもそんな感じですね」
デレプロの場合、今日来ているのは私と卯月と未央、あとは奈緒に加蓮、もう少ししたら愛梨や蘭子も来るはずだ。だから今日は7人。
……今回765プロとの合同ライブということで、当然ながらデレプロでは出演の選考があった。765プロに比べて、こっちはさすがに人数が多過ぎるからね。
最初は希望を募って、その先は完全に事務所側の抽選。最終的には、デレプロからは15人での参加となった。一応同じくらいの人数に合わせたみたい。
正直、選ばれないことも覚悟してたけど、選ばれて良かったな。こんな貴重な機会もそうそう無いだろうし……
何より、あの765プロと共演できるんだ。
出たくないわけがない。
千早「……元気そうね」
凛「? はい」
何故か、含みのあるように笑う千早さん。
確かに元気ではあるけど、どうして今そんな風に確認したのだろう?
千早「それじゃあ、ああ言って間違いはなかったようね」
凛「何がです?」
千早「何でもないわ」
400: 2017/08/09(水) 03:08:14.86 ID:rz2WyN+/0
そう言って、また笑う。どういう意味?
首を傾げていると、再びレッスンルームの扉が開かれたのに気付く。
千早「他のみんなも来たみたいね」
入ってきたのは、今日来る765プロアイドルの他の4人。
高槻やよいさん、四条貴音さん、水瀬伊織さん。そして、最後にあくびをしながら星井美希さんが入ってくる。
千早さんが入ってきた時もそうだったけど、765プロのアイドルたちがこうして目の前に現れると、やっぱり凄いね。他のみんなも、少し緊張してるのが伝わってくる。
未央「うわー……凄いねしまむー! 本物だよ本物!」
卯月「はい! やっぱり、オーラってあるんですね!」
ヒソヒソと、何やら興奮して話し込んでる二人。まぁ、気持ちは凄い分かるけど。
とりあえず、今いるメンバーだけでも挨拶をすることに。
各々が挨拶を交わしてる中、高槻さんたちが私に気付いて歩いてくる。
やよい「うっうー! お疲れ様です、凛さん!」
凛「高槻さん、お久しぶりです。四条さんも」
貴音「ええ。お元気そうで……心配はいらなかったようですね」
凛「心配……?」
はて? とまた首を傾げていると、四条さんは千早さんと目を合わせて笑い出す。
どうしたんだろう……なんか視線がやけに生暖かいというか、優しげに感じる。
そう言えば、この3人とは初めてテレビに出演する時に共演した縁があった。因縁の相手、ってわけじゃないけど、私からすれば特別な印象を持っている。今日はいないけど、たぶん美嘉も。
……それに、高槻さんに関してはちょっとしたライバル心みたいなのも。個人的にね。
やよい「? どうしたんですか?」
凛「な、なんでもないよ……です」
危ない、またちょっと敬語が崩れた。どうも苦手なんだよね……
前に千早さんたちに同年代なんだしいらないとは言われたけど、他所の事務所の、その上大先輩だからね。さすがにそれは遠慮した。
早く慣れるよう頑張ろう。
401: 2017/08/09(水) 03:09:00.01 ID:rz2WyN+/0
あと挨拶していないのは……と、視線を彷徨わせると、やがて一人と目が合った。
相変わらずどこか眠たげな、金髪の少女。
凛「渋谷凛です。よろしくお願いします、星井さん」
いたって普通の挨拶。
けど、星井さんはジッと私の顔を覗き込むように見て、何も言おうとしない。
凛「……?」
不思議に思っていると、しかしすぐに星井さんは笑顔になる。
美希「うん。よろしくなの。凛」
テレビでよく見る、あの無邪気そうな笑顔。
でも、さっきの表情はなんだったんだろう。
まるで、見定めるかのような……
美希「ねぇ、凛」
凛「はい?」
美希「これからストレッチしようと思うんだけど、相手をしてくれないかな?」
凛「えっ」
その申し出に驚く。
いや、別に嫌というわけじゃないんだけど、ちょっと予想外というか。
それにしても、いきなり名前呼びとは凄いフレンドリーだ。
美希「ほらほら、早くやるの」
凛「ちょ、ちょっと…」
手を引っ張られ、比較的空いたスペースに連れてかれる。ほ、星井さんって、こんなに積極的なタイプなの?
確かに765プロの人たちは奇数だし、ペアを作ったら一人溢れるけど……
と、何だか分からない内にストレッチが始まってしまった。
先に開脚をしている星井さんの背中を、ゆっくりと押してやる。
……さすが、柔らかいね。
402: 2017/08/09(水) 03:10:18.24 ID:rz2WyN+/0
美希「……ねぇ、凛」
凛「なんですか?」
ぐっ、ぐっ、と。
背中を押しつつ、言葉を返す。
その時は、他愛のない話だろうと思って特に身構えてなかった。だからだろう。
星井さんの言った次の言葉に、思わず身体が固まってしまったのは。
美希「プロデューサーのこと、本当に大切に思ってたの?」
その、さっきまでと何ら変わらない声。
それなのに、その言葉はまるで刃物のように、鋭く渡しの胸に刺さった。
凛「…………えっ……」
言葉が、出てこない。
というより、上手く頭が働いていなかった。
突然すぎるその質問を、すぐに理解することが出来なかった。
それでも、星井さんは私の返答を待たずに話し続ける。
美希「はちまん、だっけ? 凛のプロデューサー。この前、少し会ったの」
凛「どうして……」
美希「んーそれは言わない方がいいのかな。まぁ、その内分かるの」
あっけらかんとした物言い。
その内分かるって……彼が、765プロの星井美希と? 一体どんな理由があれば会うことになるのだろう。考えても全然分からない。
けどそれよりも、さっきの質問。
403: 2017/08/09(水) 03:11:19.47 ID:rz2WyN+/0
凛「……大切に思ってたのかって、どういう意味?」
美希「そのままの意味だよ。詳しくは知らないけど、事情があって辞めちゃったんだよね?」
凛「…………」
美希「それでも、普通にアイドルをやれてるみたいだから。ちょっと気になったの」
何でもない事のように、変わらないトーンで喋る星井さん。
背中をこちらに向けているため、今、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。
……それでも、中々踏み込みにくいことを訊いてくるものだ。
凛「…………大切だったよ。凄く」
だから、だからこそ私も、真摯に応えることにした。
きっと彼女も、自分が何を訊いてるか、分かった上で話してると思うから。
凛「もちろん、今でも大切に思ってる。だから約束を守る為に、私はアイドルをやってるんだ」
美希「約束?」
凛「うん。必ずトップアイドルになるって。そうしたら、必ず迎えに行くって約束」
もう一年くらい前にもなる、あの日交わした約束。
思えば、このことを人に話すのは初めてだ。そりゃ、話して回るようなことでもないしね。
そしてそれを聞いた星井さんは、少し面白そうにして声を上げる。
美希「あはっ。迎えに行くって、王子様みたいだね凛」
凛「そ、そんなカッコいいものじゃないと思うけど…」
美希「……まぁ、どっちが先かは分からないけど」
凛「え?」
美希「なーんでもないの!」
すると星井さんは立ち上がり、今度は交代と私を座らせて背中を押す。
そう言えば、今はストレッチの最中だった。
404: 2017/08/09(水) 03:12:23.86 ID:rz2WyN+/0
美希「さっき、凛は約束の為にアイドルをやってるって言ったよね」
凛「ん、うん」
背中を押しながら、星井さんは再び会話を続ける。
美希「じゃあ、その約束が無かったら、凛はアイドルやらないの?」
凛「え?」
またも、一瞬身体が止まる。
約束が無かったらって……
美希「もしプロデューサーが元々いなかったら、アイドルやってなかったの?」
凛「いや、それは……」
美希「それとも……プロデューサーが『アイドル辞めて結婚してくれー』って言ったら、辞めてた?」
凛「け、結婚!?」
思わず、上ずった声が出る。
け、結婚って、そんなの考えたことも……いや、確かに迎えに行くとは言ったけど。
狼狽する私を見て、星井さんは「大袈裟なの」とおかしそうに笑う。
けど、その後すぐに静かになって言ってくる。
美希「……ごめんね、急に色々訊いちゃって。ただ、ちょっと気になったの」
振り返ると、彼女はジッと私の目を見る。
さっき見せた、あの覗き込むような目。
美希「あんな奇麗な歌を唄う凛が、どんな思いで唄ってるのか」
奇麗な、歌。
どこかで、私の歌を聴いてくれていたのだろうか。だとすれば、その評価を含めてとても光栄なことだ。素直にそう思う。
美希「それに千早さんや、あの春香も気にかけてるみたいだしね」
凛「え?」
405: 2017/08/09(水) 03:14:09.16 ID:rz2WyN+/0
千早さんはともかくとして、ハルカというのは、あの天海春香さんでいいのだろうか。私は直接会ったことは無いはずだけど……どういうこと?
しかし、星井さんは特に説明はしたりしない。こうい所は本当にマイペースだ。
そして星井さんは、改めて問うてくる。
美希「だから、聞かせてくれないかな。あなたが、どんな思いでアイドルしているのか」
悪意なんて感じない。
冷やかしとか、皮肉とか、そんなものは一切感じない。
ただ純粋に、彼女は”アイドルとして”私に尋ねたいんだろう。
その気持ちに応えるべく、私はーー
凛「……私は」
と、そこで私の声は遮られる。
音の方を見てみれば、今日最後のアイドル、愛梨と蘭子が丁度来たところのようだった。
伊織「アンタたち、いつまで話してんのよ。みんな集まったみたいだからレッスン始めるわよ」
美希「むー、まだ話してるのに。でこちゃんってば厳しいの」
伊織「今日はレッスンしに来たんでしょうが!」
ぴしゃり、と叱ってのける水瀬さん。
こうして星井さんにはっきり言える人は案外珍しいように思う。
伊織「ほらアンタも」
凛「あ、はい」
言われ、慌てて立ち上がる。
すると何故か、水瀬さんは私の近くに寄ってきて小声で話し出した。
伊織「……ごめんなさいね。あの子も、悪気があるわけじゃないの」
言いながら見る視線の先には、ドリンクを取りに行った星井さんの背中。
406: 2017/08/09(水) 03:15:26.40 ID:rz2WyN+/0
凛「き、聞いてたんですか」
伊織「そりゃ、あれだけ普通に喋ってれば聞こえるわよ」
そこまで言われて気付いたが、他のアイドルたちも少し気まずげにこっちを見ている。そうじゃないのは今来た愛梨と蘭子だけだ。
凛「……まぁ、いいですよ。隠すようなことじゃないし、それに…」
伊織「それに?」
凛「星井さんが言ってたことは、私もずっと思っていたことでもあるから」
苦笑しつつそう言うと、水瀬さんは少し驚いたように目を丸くする。
そしてその後、同じように苦笑い。
伊織「アンタも大概面倒そうな性格ね。……プロデューサーとアイドルって似るのかしら」
凛「え?」
伊織「なんでもないわよ」
最後の方が聞こえなかったので聞き返すも、水瀬さんはさっさと行ってしまう。
……765プロのアイドルって、みんな何か含みのある言い方するよね。高槻さん以外。
あの人がファンになる理由が、ちょっと分かった気がする。
その後合同レッスンはつつがなく進み、予定より少し早めに終了した。
今日は顔合わせも兼ねていたので、内容としては軽いものだ。
そして着替えも終わって各々が帰り支度をしてる中、星井さんは「また明日ね」と去り際に言い残し、他の765プロのアイドルたちと一緒に帰っていった。確かに明日もレッスンはある。
……あの言い分じゃ、明日また訊かれるのかな。
デレプロのアイドルたちもそれぞれ帰宅。レッスン前の会話について誰も触れてこなかったのは、私に気を遣ってくれたんだろう。
未央「しぶりーん、早く帰ろー!」
凛「うん。……あ、ごめん。私ちょっと忘れ物しちゃったみたいだから、先行ってて」
407: 2017/08/09(水) 03:17:01.97 ID:rz2WyN+/0
出口の方で待っててくれていた未央と卯月にそう告げ、レッスンルームに戻る。
着替えの入った手提げを忘れちゃ、さすがにまずいよね。
暗い部屋の中、目当ての物を見つけてすぐに戻る。
出口へ向かう途中、しかしそこで思わぬ遭遇をすることになった。
「失礼しまーす……」
扉を開け、キャスケット帽を被った女の子が入ってきたのだ。
「あれ、もう終わっちゃったのかな……顔だけでも出しておこうかと思ったんだけど…」
キョロキョロと辺りを見渡し、そこで、ようやく私と目が合う。
眼鏡をかけ、帽子から少しだけ赤いリボンが見え隠れしてる、この人はーー
凛「……天海、春香さん?」
春香「あなたは……」
お互い目を丸くして、見つめ合う。
こうして、私は彼女と初めて出会った。
恐らく、今一番トップアイドルに近いであろう、彼女と。
416: 2017/08/11(金) 22:30:59.02 ID:JnIiLH7j0
*
前にも言ったけど、765プロというアイドルプロダクションは、この業界においてトップの知名度を誇る。
所属人数も、事務所の規模も、そこまで大きくはないと聞いたことがあるけど、それでも765プロは間違いなくトップアイドルへの座へと足を踏み入れている。それだけは確か。
それぞれのアイドルがそれぞれの分野で輝き、様々なことに常に挑戦し、時には、一致団結し最高のライブを届ける。
その輝く姿は、誰をも魅了してやまない。
もちろん、私もその一人。
そして、そんな765プロにおいて一人中心的アイドルがいる。
全員のライブではセンターを張り、765プロのアイドルたちを引っ張っていってる、そんなアイドル。
天海春香さん。
その人が、今、すぐ隣に座っている。
合同レッスンでいつか会う日が来るとは思っていたけど、まさか、こんな二人っきりの状況で偶然会うことになるなんてね。
春香「はい、これ」
レッスン場の廊下にある、備え付けのベンチ。
そこに腰掛けながら、天海さんはこちらに缶コーヒーを手渡してくる。
先程、側の自販機で買っていたものだ。
春香「コーヒーで良かった?」
凛「あ、うん。じゃなくて、すいません……っ」
417: 2017/08/11(金) 22:32:46.67 ID:JnIiLH7j0
受け取った後、慌てて鞄から財布を取り出す。
春香「あっ、いいよいいよ! これくらい!」
凛「でも……」
春香「お近づきの印ってことで、ご馳走させて?」
ニコッ、と。屈託のない笑顔でそう言う天海さん。
なんとなく、卯月を思い出した。
何と言えば良いんだろう。安心感、というか、素直に可愛らしいと心から思える、そんな笑顔。
凛「ありがとう……ございます」
お礼を言うと、彼女はまた笑ってくれた。
たまたま忘れ物を取りに戻ったことで偶然会った天海さん。
折角会えたのだから、という理由で、彼女はお話をしようと言ってくれた。もちろん私としても嬉しいんだけど……さっきの星井さんの件があるから、ちょっと怖い。
でも、この感じだと大丈夫そうかな。
卯月と未央には先に帰っていてほしいとお詫びのメールを送っておく。
春香「そっか。予定より早く終わってたんだね」
凛「はい。私は、ちょっと忘れものをしちゃったから」
春香「本当、偶然だったんだね~」
何でも、天海さんも重なっていた仕事が早く終わったので顔だけでも出そうと、レッスン場へ足を運んだらしい。
残念ながら入れ違いになってしまったけど、本当に偶然、私とは会うことができた。
春香「合同レッスンはどうだった? 上手くいった?」
凛「ええと……」
その質問に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
レッスン自体は良かったと思う。初日ということもあって軽めではあったし、765プロアイドルの動きを間近で見れたのも貴重な体験だった。
418: 2017/08/11(金) 22:33:57.13 ID:JnIiLH7j0
……ただ、星井さんとのアレがあったから、ね。
それをわざわざ説明するのもどうかと思うし、なんと言えばいいのか…
凛「レッスンは上手くいったと思います。ただ、その……」
春館「うん?」
な、なんて純真な目で見てくるんだろう。なんだか既視感を覚える。……たぶん卯月だろうけど。
まぁ、どうせその内聞くかもしれないとも思うし、言ってしまっても問題ないかな。
凛「ちょっと、星井さんとお話したんです」
春香「美希と?」
凛「はい。その、私のプロデューサーの件で。……元ですけど」
春香「えっ!?」
声を上げ、思った以上に大きなリアクションを取る天海さん。内容をまだ言っていあいのに、この驚きよう…
凛「もしかして、天海さんも会ったことあるんですか?」
春香「え、ええーっと、そう……だね」
私の質問に、天海さんは何とも答え辛そうに言う。ただ、その返答内容にも驚いた。
凛「美希さんといい、どうして……?」
春香「う、うーん……どこまで話していいのかな……」
聞き取れないくらいの小さな声で、ぶつぶつと何やら呟いている天海さん。
少しの間があった後、彼女は思い至ったように、思いもよらない発言をする。
春香「えっと、そう! 比企谷くんとは、友達なの!」
凛「……………………」
419: 2017/08/11(金) 22:35:26.07 ID:JnIiLH7j0
なの……なの………なの…………
と、天海さんの言葉が木霊していくのを感じる。
静寂が、辺りを包んだ。
凛「…………天海さん」
春香「な、なに?」
凛「いいんですよ、別にあの人に気を遣わなくても」
春香「どういう意味!?」
いや、だってね……
友達って、そりゃ、最初に会った頃に比べればそういう関係も増えたみたいだけど。
春香「いや、本当だよ? ちょっと詳しくは話せないっていうか、言い辛いんだけど…」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話す天海さん。
春香「……友達っていうのは、間違いじゃないよ。もしかしたら、私がそう思ってるだけかもしれないけど」
そう言って、苦笑する。
あの天海さんにこんなことを言わせるなんて。本人はちゃんと自覚してるのかな……してないだろうね。あの人のことだし。
春香「それにほら、LINEのIDも交換してるし」
凛「えっ!?」
今度は私が思わず大きな声を出す。
ま、まさか本当に友達なの……? いや、天海さんは最初からそう言ってるんだけどさ…
420: 2017/08/11(金) 22:36:33.36 ID:JnIiLH7j0
と、今はそんな話をしてるんじゃなく。
凛「その、星井さんに言われたんです」
春香「言われた?」
凛「はい。……『プロデューサーのこと、本当に大切に思ってたの?』って」
その後の会話も含めて、大体のあらましを説明する。
話してる途中、天海さんはずっと申し訳なさそうな顔をしていた。
春香「ご、ごめんね! 美希がそんなこと話してたなんて…」
凛「いえ、良いんです。別に嫌なわけじゃなかったんで」
これは本当。
確かに凄い驚きはしたけど、言っていたことは、やっぱり向き合うべきことだから。
凛「なんていうか、再確認した気分です。私の気持ちを」
あの人と約束していなかったら、私はアイドルを続けなかったのか。
あの人がいなかったら、私はアイドルになっていなかったのか。
あの人が、結婚しよう、なんて事をもしも言っていたなら、私はアイドルを辞めていたのか。
そんな、誰に訊かれるでもない、誰に答えるでもない、自分への問い掛け。
それを、改めて訊かれただけの話なんだ。
凛「凄い人ですね、星井さん」
苦笑しつつ、素直に思ったことを口にする。
あんなことを面と向かって訊ける人は、中々いない。もちろん、良い意味で。
そんな私の様子を天海さんは少し意外そうな顔で見ていたかと思うと、不意に、安堵したかのように笑みをつくる。
春香「……なんだ」
凛「え?」
春香「もう、凛ちゃんの気持ちは決まってるんだね」
421: 2017/08/11(金) 22:37:56.49 ID:JnIiLH7j0
その台詞で、今度は逆に私が意表を突かれた。
私が驚いているのが伝わったのか、天海さんは少しおかしそうに笑って言う。
春香「だって凛ちゃん、そういう顔してるから」
凛「……なに、そういう顔って」
私も、つられて笑ってしまった。
そうだよ。
私の気持ちなんて、もうとっくに決まってる。
一頻り笑ったあと、天海さんはやけに嬉しそうに話す。
春香「凛ちゃん、やっと敬語とってくれたね」
凛「えっ……あ、すいません!」
春香「ううん、いいの。私はそっちの方が嬉しいな」
また、あの屈託のない笑顔。
凛「でも、先輩に向かってってのは……」
春香「それ以前に、もう友達でしょ?」
そんなことを言う天海さんに一瞬呆気にとられた後、思わず吹き出してしまう。
今日初めて会った後輩に、それ以前に友達だから、とはね。
何となく、あの人と友達と言うのも頷けてしまった。
この何とも言えない押しの強さに翻弄される姿が、目に浮かぶ。
凛「ふふ……」
春香「な、なんで笑うの? 私、変なこと言ったかな?」
凛「……ううん。全然?」
なんだが、無理をするのがバカらしくなった。
本人が良いと言うのであれば、良いのだろう。そう思うことにした。
422: 2017/08/11(金) 22:39:08.68 ID:JnIiLH7j0
その後結局レッスン場が閉められるまで話し込んでしまい、すっかり暗くなった頃に別れることとなった。
私はそこまで人見知りってほどじゃないけど、それでも、初めて会った人とこれだけ話せるんだから、天海さんは凄い。
春香「明日は私もレッスンに参加できそうだけど、凛ちゃんは?」
凛「私も明日はいるよ。……どうやら、星井さんもいるみたいだし」
春香「あはは、それは大変そうだね」
苦笑した後、天海さんはふと遠くの街の方を眺める。
つられて見れば、仄かに青さが残った暗い空の向こうに、ついさっき太陽が沈んだであろう微かな灯火が見えた。
その光へ辿っていくように、ぽつぽつと、まるで星のように街の明かりが灯り始めている。
なんだか、いつかの帰り道を思い出してしまう。
春香「……前も、こんな時間だったな」
凛「え?」
春香「ううん。こっちの話」
誤摩化すように笑う天海さんは、改めて私の方へ向き合う。
春香「頑張ってね。……って、私が言わなくても、凛ちゃんはもう頑張ってるよね。あはは」
凛「どうかな。必氏ではあるけど、それが頑張ってることになるかは分からないし」
春香「あ、今の言い方比企谷くんっぽい」
凛「……それは、あまり嬉しくないかな」
まさか反面教師じゃなくて、真っ当に似てきているなんてね。そりゃ、見習いたい所もあるにはあるけどさ。
春香「……凛ちゃんも比企谷くんと同じくらい、悩んで考えて、必氏に進もうとしてきたんだね」
凛「……それこそ、どうなんだろうね」
423: 2017/08/11(金) 22:40:15.60 ID:JnIiLH7j0
あの時、私は何もできなかった。
考えることもできず、悩むことすら放棄して、ただただ流れに身を任せてただけ。
そんな私の背中を押してくれたのは、やっぱり彼だった。
あれから一年。彼がいなくても、私なりになんとか頑張ろうともがいてきた。
悩んで、考えて、少しでも前へ、前へと。
でも、それも結局は自分の為なんだ。
そうして足掻いていないと、苦しいから。何もしない方が、じっとしている方が、苦痛になってしまったから。
だからこうして駆け抜けている間だけは、楽でいられる。ただ、それだけ。
そんな私の自分よがりな思いが、本当に、彼と一緒と言えるんだろうか。
春香「大丈夫だよ」
でも、彼女は笑って言ってくれる。
なんてことのないように、背中を、押すように。
春香「だって、二人ともそっくりだもん。私が保証するよ」
たったそれだけの言葉で、ただ笑顔でそう言ってくれるだけで、
何故だか、自分でも信じられないくらい安心することができた。
凛「……ありがとう、天海さん」
しかし私がお礼を言うと、彼女は少しむくれてしまう。
というより、呼び方が気に入らなかったようだ。
春香「もう。春香でいいよ、凛ちゃん」
凛「え? い、いいのかなぁ」
春香「いいの!」
ウインクし、まるでお願いするかのように、力強く言い放つ。
……なら、ここで渋るのも失礼な話か。
424: 2017/08/11(金) 22:41:21.34 ID:JnIiLH7j0
凛「……ありがとう、春香」
少々照れくさいけど、でも、他でもない彼女の頼みだから。
春香「うん。どういたしまして」
そうして、春香は満足げに微笑んだ。
やっぱり、トップアイドルって凄いんだね。
春香「それじゃあ、また明日ね」
凛「うん。また明日」
手を振り、春香と別れる。
逆方向へと向かって歩き出し、今日は色んなことがあったな……なんて考え出した時、
春香「凛ちゃん!」
突然の呼びかけ。
驚きすぐに振り返る。
5メートルほど離れた所にいる春香。彼女はバレることなどお構い無しに、よく通る大きな声で、私にエールを送ってくれた。
春香「昔の偉い人は言ったよ。……『乙女よ、大志を抱けっ!』」
そう良い残し、彼女は去っていった。
最初は呆気にとられていたが、遅れて笑いが起きてくる。
本当、強敵だなぁ。
あれがいずれ超えなきゃいけない存在なんだから、アイドルは大変だし、面白い。
たぶんその偉い人っていうのは、リボンを付けた笑顔のとてもよく似合う、可愛らしい女の子なんだろうね。
425: 2017/08/11(金) 22:42:38.68 ID:JnIiLH7j0
*
765プロアイドルとの予想外の出来事があった、その翌日。
私は少し早めに目が覚めた。昨日あんなことがあったせいかな。なんだか、とても懐かしい夢を見たような気がする。
今日は朝一から合同レッスンがあるし、折角だから早く家を出ることにしよう。もしかしたら、彼女も早く来てるかもしれないし。
……いや、あの人だったらギリギリまで寝てるかな。どうだろ?
手際良く準備を済ませ、両親とハナコに行ってきますとちゃんと挨拶をし、家を出る。
今日は気持ちがいいくらいの快晴だ。
きっと、良いことがある。
レッスン場へ着くと、何故だかほとんどのアイドルたちが揃っている。結構早めに着いたと思ったんだけど、もしかしたら765プロとの合同レッスンだってことで、みんな先に来ていようと気をつけたのかな。
でも、その765プロの人たちも既に全員来ているとは、さすがに予想外。
もちろん、その中には春香もいる。
春香「おはよう、凛ちゃん」
凛「おはよう、春香」
他に人がいる中で呼び捨てにするのは少し勇気が必要だったけど、思ったより周りの反応は小さい。……もしかして、私敬語とか使わないのが普通だと思われてる?
そしてレッスンルームの奥の方。壁に寄り掛かるようにしてる星井さんを見つけた。
星井さんは私に気付くと、いつもと変わらない笑顔で軽く手を振ってくる。
それに私も笑い返し、近くまで歩いて行った。
隣に立ち、寄り掛かるように私も壁へ背中を預ける。
426: 2017/08/11(金) 22:43:43.36 ID:JnIiLH7j0
美希「おはよ、凛」
凛「うん。おはよう……ございます」
私が取り繕うように後から付け足すと、星井さんはおかしそうに笑い出す。
美希「あはっ、もう敬語なんて使わなくていいの」
凛「そ、そう……かな」
美希「うん。それに昨日もほとんど使ってなかったよ?」
凛「えっ」
そう言われて思い返す。
確かにそう言われれば、そうかもしれない……あれ、なんか会話に集中してたせいで良く思い出せない。たぶん本当に使ってなかったんだろう。
美希「呼び方もミキでいいよ。今更、他人行儀なの」
凛「……なら、遠慮なく」
既に春香に対してそうだし、星井さん…じゃなくて、美希は同い年だ。
これも本人が良いと言うのであれば、遠慮なく呼ばせて貰おう。正直、私としても助かる。
……こんなんだから、敬語が使えないと思われてるのかもしれないけど。ほ、本人が良いって言ってるから良いの!
凛「朝は弱いのかと思ってたけど、随分早く来てたんだね」
美希「むー、レッスンは別なの! っていうか凛、はっきり言い過ぎじゃない?」
凛「あはは、ごめんごめん」
ぷんぷんと怒った風に言うが、全然怖くない。むしろ可愛らしいくらい。
美希「そう言う凛は、来てすぐにミキに会いにきたよね」
凛「ん。まぁ、昨日のこともあったしね」
美希「……じゃあ、聞かせてくれるんだ」
427: 2017/08/11(金) 22:46:51.78 ID:JnIiLH7j0
期待するかのような、それでいて、穏やかな目で私を見る美希。
どうしてそんなにも私のことが気になるのか、そこが少し不思議に思う。あの星井美希に興味を持たれるなんて光栄だけど、やっぱりちょっと信じられないからね。
私の歌にそこまでの魅力を感じてくれたなら、こんなに嬉しいことはないけど。
凛「私がどんな思いでアイドルをやっているのか……だったよね」
色んなことがあった。
アイドルになっていいのかと悩んだこともあった。
アイドルを続けていいのかと苦悩したことがあった。
私にとってアイドルとはなんなのか。そう、今でもずっと考え続けている。
正直、今でも気持ちが揺らいだり、どうしていいか分からなくなることもある。
でも一つだけ、たった一つだけ、はっきりと言えることがある。
胸を張って、確信を持って、堂々と言えることがある。
凛「楽しいから」
それは、とても簡単なこと。
凛「私は楽しいから、アイドルをやってるんだ」
428: 2017/08/11(金) 22:48:10.63 ID:JnIiLH7j0
至極単純で、シンプルすぎるその答え。
でも、だからこそ心からそう言える。
凛「歌を唄ってる時は気持ちがいいし、ライブが上手くいけば凄く嬉しい」
美希は、私の言葉に頷いてみせる。
凛「新しい仕事を貰えればやる気が溢れてくるし、ファンから応援されれば思わず舞い上がっちゃう」
美希「うん」
凛「辛いことも、苦しいことも沢山あるけど、でもそれ以上に、アイドルが楽しい」
美希「うん……分かるの」
毎日たくさんレッスンをして、仕事をこなして、くたくたになって眠りにつく。
起きれば、またレッスンや仕事をして、その繰り返し。
非難や中傷もある。応援や賞賛もある。
数え切れない、私もまだ見たことのない景色が、ここにある。
凛「こんな楽しいことを辞めちゃうのは、私は勿体無いなって、そう思うんだ」
それを教えてくれたのは、今は隣にいないあの人だけど。
でも、だからと言って私が手放す理由にはならない。
429: 2017/08/11(金) 22:49:22.27 ID:JnIiLH7j0
あの人と約束していなかったら、私はアイドルを続けなかったのか。
あの人がいなかったら、私はアイドルになっていなかったのか。
あの人が、結婚しよう、なんて事をもしも言っていたなら、私はアイドルを辞めていたのか。
その問いに対する答えは……否だ。
あの人との約束を叶えたい。
あの人が残した思いを無駄にしたくない。
あの人が背中を押してくれたことを無かったことにしたくない。
でも、それ以上に。
私は、私がやりたいから、アイドルをやるんだ。
それが、私の答え。
美希「……そっか」
じっと聞いていてくれた美希は、目を閉じて満足そうに微笑む。
彼女がほしい答えを、私は返すことができたのかな。
美希「それが、凛の思いなんだね」
凛「ただの我が侭だよ。誰の為でもない自分の為。そんな立派なものなんかじゃないんだ」
美希「そんなことないの。ミキだって、キラキラしたいからアイドルをやってるし」
キラキラしたい……
その例えは、何だかとても美希らしい。会って間もないけど、そんな風に思えた。
美希「もちろん、ハニーに喜んで貰いたいっていうのもあるけどね。あはっ」
凛「は、ハニー?」
430: 2017/08/11(金) 22:50:30.05 ID:JnIiLH7j0
もしかして、それは765プロのプロデューサーのことを言っているのかな。凄い呼び方だ。
美希「あ。あとこれは本当に興味があるから訊くんだけど…」
凛「な、なに?」
美希「凛は、ハチマンのことを好きだったの?」
また、なんともどストレートなその質問。
でも、正直予想はついてたかな。だから私は、特に言い淀むこともなく言う。
凛「……うん。好きだよ」
思いのほか、簡単にその言葉は出て来てくれた。
気恥ずかしくはあったけど、でも、相手が美希だからかな。こうしてちゃんと口にできたのは。
その答えが何やら嬉しかったのか、美希は「そっか」と言って、また微笑んだ。
そこで、なんとなく気付いた。
たぶん。美希もそうなんだろう。
自分のプロデューサーのことをハニーと呼ぶ彼女も、きっと私と同じで、同じように色んな思いを抱えてるのかもしれない。
だから、こうして歩み寄ってきてくれたのかな。
美希「なんだか甘酸っぱいね」
凛「甘酸っぱい?」
美希「うん。楽しいことや辛いことがあって、好きな人と出会ったり別れたりもして、なんていうか…」
凛「……青春してる?」
美希「そう! まさにそれなの」
青春、ときたか。
美希のその例えに、思わず苦笑してしまう。
それは、またなんとも皮肉が効いてるね。まさか、あの人が嘘であり悪であると言った青春を私が謳歌しているとは。
……うん。でも、確かにそうかも。
その言葉は、なんだか私にはとても素敵に聞こえた。
凛「……私にとってのアイドルは、青春なんだ」
431: 2017/08/11(金) 22:52:21.24 ID:JnIiLH7j0
他の人には笑われてしまうかもしれない。あの人が聞いても、たぶん苦い顔をするだろう。
でも、私は好きだな。
少なくとも、今隣にいる彼女もそう感じてくれている。
美希「ありがとね、凛。色々聞かせてくれて」
凛「ううん、こっちこそ。良い経験? になったよ」
美希「……ちょっと疑問系なの」
思わずジト目で見られる。
でもこっちだって結構驚いたんだから、これくらいは許してほしいかな。
美希「これからは、ライバルだね」
凛「……美希にそう言って貰えるなら、光栄だよ」
美希「あと、恋バナ友達?」
凛「それは、あまり大っぴらには言えないかな……」
でも、美希が私をライバルと言ってくれたように、私だって負けたくないとずっと思っていた。必ずあの頂きへ行くと、思い続けてきたんだ。
凛「……美希や千早さんや、春香にも。いつか追いついてみせるから」
私のその言葉に、美希はやや挑戦的に、不適に笑う。
432: 2017/08/11(金) 22:53:54.50 ID:JnIiLH7j0
美希「ふーん? 追いつくだけでいいの?」
その返しには思わずぽかんとしてしまったが、こっちも、負けじと笑い返してやる。
凛「まさか。追い抜いて……トップアイドルを目指すよ」
アイドル。
それは人々の憧れであり、遠い存在。
誰をも笑顔にして、勇気を与えて、元気をくれる。
キラキラしていて、懸命で、美しく、真っ直ぐで。
人々に希望を与え、輝きを見せる、そんな存在。
そんなまるでお伽噺のような、偶像と言われても仕方が無いような存在を、私は目指す。
きっと、それは難しいのだろう。
辛いし、苦しいし、数え切れない程の困難がきっと待っている。道は険しいなんてものじゃない。
もしかしたら、最初から辿り着けるような場所じゃないのかもしれない。
そもそも、そんなものは存在しなくて、ただの幻想なのかもしれない。
けど、私は諦めたくないんだ。
たとえ私が抱いているのが叶わぬ夢で、ありもしないものへの憧れだったとしてもーー
それでも、私は本物になりたい。
本物のアイドルに、なりたいんだ。
433: 2017/08/11(金) 22:55:32.09 ID:JnIiLH7j0
凛「……全力で、駆け抜けてみせるから」
いつか、彼と約束した時のように。
私は、私へと言い聞かせた。
と、そこでレッスンルームにトレーナーさんが入ってくるのに気付く。
もうそんな時間かと思って準備にかかろうとすると、何やら他のアイドルたちも慌てて動き始めている。
……この様子は、またみんな聞いてたな。
私も美希も、なんだかおかしくて笑ってしまった。
美希「凛、ストレッチしよっか」
凛「うん。よろしく」
その後はレッスンを順調にこなし、お昼頃まで取り組んだ。
昨日も集中してやっていたとは思うけど、でも、それでも頭の片隅には美希との件があったからね。どこか少なからず気持ちが入り切っていなかったかもしれない。
だからその分、今日はちゃんとやれたと思う。
……こうして見ると、やっぱり765プロのみんなは凄いね。
合同ライブまで、あと三ヶ月。
時間はまだ結構あるように感じるけど、きっとあっという間だ。
だから今のこの気持ちも、貴重な経験も、忘れないよう胸に刻んでおこう。
434: 2017/08/11(金) 22:56:59.68 ID:JnIiLH7j0
*
月日の流れは、本当に早い。
美希や春香、765プロのアイドルたちと出会ったあの日から、もう三ヶ月。
あれから何度もレッスンを重ね、打ち合わせし、時にはご飯へ一緒にいったり、親睦も深めたりもした。
……美希や春香、千早さんが家まで遊びに来た時は本当に驚いたよ。
どうやら他のアイドルのみんなも、それぞれ交流しているみたい。
春香と連絡先を交換できたと、卯月がとても嬉しそうにしていたのを思い出す。
765プロが憧れなのは、みんな一緒だからね。
そしてそんな日が続いて、今日は遂に、765プロとシンデレラプロダクションの合同ライブ。その当日だ。
きっと上手くいく。そう信じられる。
だって、デレプロも765プロも、みんなどうしようもないくらい素敵で、輝いているって、私が誰よりも知ってるから。
だから、きっと今日は大丈夫。
開場前の待機時間、各々は準備に取りかかったり、気持ちを落ち着かせたりしている。
もちろん私もその一人で、ステージの様子を確かめたり、他のみんなと話したりしてから、控え室に戻った。
凛「……あれ」
しかしデレプロの控え室に戻っても、そこには誰もいなかった。
いや、正確にはスタイリストさんやマネージャーさんが何人か出入りしているけど、アイドルは一人も見当たらない。
たぶん、まだ他の所にいるのかな。もしかしたら765プロの方へ挨拶へ行ったりしてるのかも。
435: 2017/08/11(金) 22:57:47.78 ID:JnIiLH7j0
ただ少し出歩いて疲れたので、私は座って待つことにする。その内誰か来るだろう。
凛「ふぅ……」
「ステージ、どうだった……?」
凛「ひぁっ!?」
どこからかの突然の声に、椅子ごと倒れそうになるくらい驚く。び、びっくりした……
凛「……輝子。またそんな所にいたの?」
輝子「フヒヒ……落ち着くから」
控え室の机の下、そこを覗けば、思った通り輝子がいた。アイドル衣装で。
っていうか、他にほとんど人がいないのに入る意味はあるのかな……落ち着くんなら良いけどね。
凛「ステージならもう準備万端だったよ。そろそろ開場じゃないかな」
輝子「そ、そうか……いよいよ、だな……」
ぷるぷると、緊張しているのか肩を振るわせる輝子。
でも、不思議と表情に陰りは見えない。むしろ、目をギラつかせているようにすら見える。
凛「……楽しみ?」
輝子「うん。……こんな大きなステージ、立てるとは、思わなかったから……」
凛「ふふ、そっか」
そうやって笑えるなら、きっと大丈夫だね。
なんだか、輝子がとても頼もしく思えた。
輝子「……凛ちゃんは、やっぱり平気そう、だな…」
凛「そんなことないよ。これでも緊張してる」
436: 2017/08/11(金) 22:58:46.64 ID:JnIiLH7j0
こういうライブは何度経験しても慣れるなんてことはない。しかも今日は756プロとの合同ライブ。平気なんてことはなく、強がっているだけだよ。
輝子「でもその割には、最初のレッスンの時、啖呵切ってたよな……」
凛「あ、あれは啖呵とかじゃないから!」
思わず反論してしまう。
いや、確かに追いつくとか追い抜くとか、そんなことを美希(と765プロアイドル)の前で言ったけど、あれは別にそういうつもりじゃなくてね?
しかし輝子は、分かった分かった、みたいなしたり顔で頷くのみ。絶対分かってないでしょ。
凛「……そう言えば、レッスン二日目の時は輝子もいたんだったね。みんなしてばっちり聞いてるんだから…」
輝子「フフ……私、存在感が薄いから……」
凛「ああいや、そういう意味で言ったんじゃなくてね?」
というか、ある意味じゃとてつもない存在感を放ってる気がするけど。
特にライブなんかはそう。その誰もの目を引く存在感に、私も負けてられないと常に思っている。……まぁ、気恥ずかしくて本人には言えてないけど。
凛「……別にあの時の話を聞かれたのは良いんだけどさ。でも、やっぱりちょっと恥ずかしいね」
輝子「なんでだ……?」
凛「だって、結局は私の独りよがりな思いだからね。アイドルの答えとして良いとは言えないでしょ?」
私がそう言うと、輝子は「ふむ……」と頷くようにする。
輝子「……確かに、”アイドルとして”は良くないかもな」
凛「うっ……思ったよりハッキリ言うね…」
輝子「ただ……」
凛「?」
437: 2017/08/11(金) 23:00:14.23 ID:JnIiLH7j0
輝子はそこで言葉を切ると、ニッっと笑みを見せ、真っ直ぐな目で私を見つめる。
輝子「私はそれ以前に……凛ちゃんの親友だから、な……」
凛「っ!」
輝子「あの時の凛ちゃん……かっこ良かったぜ」
フヒヒ……と、何故だか嬉しそうに笑う輝子。
……嬉しいのは、こっちの方だってば。
凛「……ありがとう、輝子」
私もニッと笑みを返し、お互い笑い合う。
全く……こんな台詞を当然のように言えるんだから、本当にニクい。
私には、勿体無いくらいの親友だ。
そうしていると、スタッフさんの一人が開場の始まりを教えてくれる。
ステージ裏に招集とのことで、たぶん他のみんなも直接向かっている頃だろう。
凛「それじゃあ、私たちも行こっか」
輝子「おう……フヒヒ……」
438: 2017/08/11(金) 23:01:19.91 ID:JnIiLH7j0
机の下から出てきた輝子(まだいた)と共に、ステージ裏へと向かう。途中、他のアイドルたち何人かとも合流した。
ステージ裏には、もうほとんどのメンバーが集まっている。
そこには、いつもお世話になっている事務員さんの姿も。
凛「ちひろさん。お疲れ様です」
ちひろ「あ、凛ちゃん。お疲れ様です」
ぺこっとお辞儀。手には、何やら色々な資料を持っている。
凛「もしかして、アナウンスの準備ですか?」
ちひろ「ええ。デレプロのライブでも毎回やらせて頂いてますけど、今回は765プロの事務員さんの音無さんと一緒にやることになりまして…」
ちらっ、と。ちひろさんの視線を辿ってみれば、ショートヘアーのこれまたアイドルのような容姿をした女性がスタッフさんと話をしている。ちひろさんに負けず劣らずの美人だ。
というか、事務員さんがアナウンスをするのは伝統か何かなのかな……?
ちひろ「アイドルのみなさんには敵いませんが、やっぱり緊張しますね」
凛「ふふ……いつもありがとうございます。ちひろさんも、頑張ってくださいね」
ちひろ「はい。凛ちゃんも」
と、そこでちひろさんは何かを思い出したように耳打ちをしてくる。
内容はそこまで秘密にしたいことではなかったけど、一応気を遣ってくれたらしい。
ちひろ「今日のチケット、ちゃんと彼に送っておきましたよ」
439: 2017/08/11(金) 23:02:22.69 ID:JnIiLH7j0
彼……というのは、もう言うまでもないね。
来てくれるかどうかは分からなかったけど、それでも、この晴れ舞台を見てほしいという思いはあった。
無理強いはしたくないし、連絡も特にしていない。チケットが送られても、向こうからも何か返事が来ることは今日まで無かった。
ちひろ「……彼のことです。きっと、どこかで見てますよ」
微笑みながら、ちひろさんはそう言う。
凛「大丈夫だよ」
ちひろ「え?」
たとえあの人が来ていなくても、それでも私がすることは変わらない。
今は隣にいなくても、全力で私は駆け抜けるだけだから。
凛「あの人がどこにいたって、私は歌うし……全力でアイドルをやるよ」
どこかで、今日も私を信じて待ってくれていると、そう信じてるから。
ちひろ「……そうですか」
ちひろさんは最初目を丸くしていたが、その後微笑んで言ってくれる。
ちひろ「彼が残したものは……こうして、今も輝いているんですね」
凛「……まぁ、良くないものも色々と残していった気もするけどね」
ちひろ「それは確かに」
言って、お互い声を出して笑う。
……本当、ただでいなくならないんだから、あの人は。
440: 2017/08/11(金) 23:03:48.66 ID:JnIiLH7j0
ちひろ「それじゃあ、そろそろ準備をお願いしますね」
凛「はい。行ってきます」
ちひろ「行ってらっしゃい!」
踵を返し、集まっているアイドルたちの方へ歩き出す。
しかし向かう途中で、「凛ちゃん!」とちひろさんに再び呼ばれてしまい慌てて足を止めた。
振り返ってみれば、ちひろさんは小さなフラワーバスケットを抱えている。
ちひろ「はい、これ。凛ちゃんにです」
凛「私に? 誰から……」
と、そこでメッセージカードに気付く。
バスケットをちひろさんに預け、開封し、中のカードを取り出す。
カードには、ただ一言。
『 しっかりな。 』
とだけ、書かれていた。
凛「…………」
ちひろ「凛ちゃん?」
凛「……ふふ」
思わず、笑いが零れてくる。
その、不器用さを隠そうともしないたった一言。
何を書くかと悩んで、考え込んで、何とか絞り出したのがこれだと思うと、なんだか無償におかしかった。
441: 2017/08/11(金) 23:06:35.31 ID:JnIiLH7j0
凛「……アザレア、か」
フラワーバスケットの花を見て、私の好きな歌を覚えてたんだなと、少し嬉しくなった。
とりあえず、次会った時にはうちの花屋を差し置いてどこでこれを買ったのか、問い詰めなくちゃね。
そんな私の様子を見て、ちひろさんも何だかおかしそうにしている。
ちひろ「……さっきより良い顔してますよ?」
それは、何とも複雑な台詞だ。少し顔が熱くなる。
どうやら、私もまだまだらしい。
隣にいなくたって、こうしてあなたの一押しが、私の力になるんだからね。
凛「ーー行ってくるね」
だから、もう一度私は告げる。
この会場のどこかにいる、あの人に向かって、そう言ってやる。
誰も見たことのないような景色を、キラキラとした最高の光景を。
あの人と、会場にいる全員に見せてあげよう。
今はまだ至らない、未熟なアイドルだけど。
情熱と憧れを手に、ずっと走り続ける。
ステージの、その輝きの向こう側。
そこを目指し、私は駆け出す。
いつか違った道が交わるようにと、思いを込めて。
了
442: 2017/08/11(金) 23:09:18.85 ID:JnIiLH7j0
というわけで、渋谷凛のその後でした!
そして明日のエピローグをもって、本当の本当に終わりです。
ここまで随分とかかってしまいましたが、どうか最後までよろしくお願いします!
そして明日のエピローグをもって、本当の本当に終わりです。
ここまで随分とかかってしまいましたが、どうか最後までよろしくお願いします!
448: 2017/08/12(土) 23:18:00.18 ID:P+l3VGEy0
~エピローグ~
青春とは嘘であり、悪である。
青春を謳歌せし者たちは常に自己と周囲を欺く。
自らを取り巻く環境のすべてを肯定的に捉える。
何か致命的な失敗をしても、それすら青春の証とし、思い出の1ページに刻むのだ。
例を挙げーー
八幡「なんだ、こりゃ」
随分と、懐かしいものが出てきた。
確か、平塚先生へ最初に提出したレポート用紙だよな。再提出を言い渡されて、奉仕部やりながら書いたっけ。
たまには片付けをしようと机を漁っていたら、くしゃくしゃのレポート用紙。内容はリア充への犯行声明。
ふむ……
八幡「我ながら、なんと的を射た文面だろうか。とっとこ」
ぴしっと、レポート用紙のシワを伸ばし、改めて引き出しにしまう。
もしかすれば、こいつが日の目を見る時が来るやもしれん。万が一俺が自伝を書く時が来たら冒頭に載せることにしよう。
449: 2017/08/12(土) 23:18:51.17 ID:P+l3VGEy0
小町「なーにやってんの。お兄ちゃん」
声に振り返ると、そこには廊下から部屋の中を覗き込んでいる小町。
その格好は寝間着のままで、眠たげに目を擦っている。もしかして起こしちまったか。
八幡「おう。ちょっとヒマだったんで、部屋の片付けをとでも思ってな」
小町「……朝の5時に?」
八幡「朝の5時に」
外からはチュンチュンと鳥のさえずりが聞こえ、窓を見れば空は未だ薄ら暗い。ようやく白んできたと言ったところだ。
小町「……緊張して早く起きちゃったんだね」
八幡「別にそういうわけじゃない。ただ……」
小町「ただ?」
八幡「なんだか寝付けなくて色々してたら、いつの間にか朝だっただけだ」
小町「めっちゃ緊張してるよそれ」
ですよねー
いや、だって、仕方が無いだろ? 今日ばっかりは。
俺が口を尖らせていると、そんな様子を見て小町は呆れたように笑う。
小町「……それじゃ、朝ご飯用意するから」
八幡「いやいいぞ、そんな俺に合わせなくても」
小町「もう起きちゃったし。それに、何かしてないと落ち着かないんでしょ?」
どこまでも見透かされたかのようなその台詞。さすが、長年俺の妹をやっているだけある。
ここは、お言葉に甘えておこう。
450: 2017/08/12(土) 23:19:27.38 ID:P+l3VGEy0
八幡「悪いな」
小町「いえいえ。……っていうか、やっぱりそのスーツなんだ」
小町が言っているのは、今の俺の格好。
ワイシャツにスラックス。ネクタイをピンでしっかりと留め、ジャケットは既に椅子にかけてスタンバイ。もういつでも出れる格好だ。
小町「新しいのもう一着あるんでしょ? ネクタイも。そっち着てけばいいのに」
八幡「いいんだよ」
小町の提案も、今日くらいは断らせてもらう。
八幡「今日は、これでいい」
小町「……そっか」
小町は微笑むと、それ以上は何も言ってこない。
ホント、出来た妹だ。
小町が用意してくれた朝食をいただき、出かける準備をする。
と言っても、もう既にほとんど終わっているんだが。
両親はまだ寝ているようだが、もう出ることにする。なんだか気恥ずかしいしな。
小町「初日なんだから、しっかりね」
八幡「おう。任せとけ」
小町「言ってるのがお兄ちゃんだからなぁ。小町は不安です」
八幡「どういう意味だそりゃ」
言って、二人して笑う。
451: 2017/08/12(土) 23:19:56.32 ID:P+l3VGEy0
八幡「……見送り、ありがとな」
小町「お、お兄ちゃんがそんな素直な言葉を……! ちょっと気持ち悪い……」
八幡「うるせぇよ」
ちょっと素直にお礼を言ったらこれである。
……まぁ、日頃の行いがあれだからなんだろうけども。
小町「……今日くらいはね。私も見送りたかったんだよ」
八幡「小町……」
小町「なんだっけ? 門松はおめでたい、みたいな感じ」
八幡「……もしかして、門出を祝う、か?」
小町「そう、それ!」
いや全然似てねぇよ。お前ホントに高二?
よく総武高に受かったなと、今更ながら呆れてしまう。
本番に強いってのは、何とも小町らしいが。
八幡「そんじゃ、行ってくる」
小町「うん。行ってらっしゃい」
玄関の前で手を振る小町を背に、俺は歩き出す。
さて、気合い入れて行きますか。
452: 2017/08/12(土) 23:20:39.31 ID:P+l3VGEy0
× × ×
八幡「し、失礼しまーす……」
恐る恐る、中を覗き見る。
既に入り口は開いていたので、誰か人はいると思うんだが……
八幡「……変わってねぇな」
相変わらず受け付けらしい物も無く、広いとは言えないオフィス。
ちょこちょこ物の配置は変わっているが、基本的には俺がいた時と一緒だ。
しかし、人の気配は無い。さすがにちょっと早過ぎたか。
八幡「…………ちょっとその辺で時間潰してk…」
ちひろ「おはようございます♪」
八幡「おぁっ!?」
突然の背後からの挨拶に、思わず飛び退くほど驚く。
いや、今気配も音も無かったんだが……
振り返れば、そこには事務員の千川ちひろさんが笑顔で立っていた。
……この人も、まるで変わらない。
八幡「ち、ちひろさん。えっと……お、おはよう、ございます……」
ちひろ「ええ。今日は早いですね、比企谷くん」
八幡「そう言うちひろさんこそ」
453: 2017/08/12(土) 23:21:22.18 ID:P+l3VGEy0
俺がそう言うと、ちひろさんはやけに嬉しそうにする。
ちひろ「待っていたかったんですよ。……おかえりなさい、比企谷くん」
八幡「……別に、この間も面接の時会ったじゃないですか」
ちひろ「もう! こういう時くらいは素直に、ただいま、って言ったらどうなんです?」
ぷんぷんと、全く怒ったように見えない怒り方をするちひろさん。
……まぁ確かに、今の言い方は我ながら捻くれていた。ただ気恥ずかしいのは勘弁してほしい。
八幡「あー……」
ちひろ「……………」
待ってる。ちひろさんめっちゃ待ってる。
……仕方ねぇなぁ、ホント。
八幡「…………ただいまです。ちひろさん」
俺がそっぽを向きつつ、何とかそうひねり出すと、ちひろさんは満足げに微笑んだ。
こういう所も、相変わらずだな。
社長「おー比企谷くん! 来てたのかね!」
と、そこで奥の方から社長もやって来る。こっちはこっちで相変わらず黒い。
社長「今日からよろしく頼むよ。……よく戻ってきてくれた」
八幡「……はい。こちらこそ、本当にありがとうございます」
454: 2017/08/12(土) 23:22:08.92 ID:P+l3VGEy0
深く礼をして、感謝を告げる。
本当に、礼を言っても言い足りない。こんな俺を、また引き受けてくれたんだからな。
そしてなんかちひろさんが「私の時より素直……」みたいな非難めいた顔をしているが、スルーしておく。
社長「これからは、きっと前以上に大変な事が待っている。やれるかね」
八幡「ええ。承知の上です。……それに、やり残した事も沢山ありますから」
思えば以前の俺も、ここへ戻ってくるまでの俺も、支えられて、与えられたからやってこれた。
なら、少しずつでも、それを返していこう。
正社員として、ここから俺は再出発するんだ。
八幡「……飲みに行く約束も、忘れてませんしね」
社長「っ! ……それは、嬉しいことを言ってくれるね」
そう言って社長は快活に笑う。
飲める年齢まではもう少しかかるが、それでもその時は必ず付き合おう。これも約束だ。
ちひろ「え、なんですか飲みに行くって。それ、私も入ってます?」
私聞いてないとばかりにちひろさんがしゃしゃり出てくる。いや、あなたはちょっと……
この人も誘うと、なんだか他の酒豪アイドルたちも寄ってきそうでなぁ……それは勘弁してほしい。
社長は一つ咳払いをすると、仕切り直すように改めて話し始める。この人も流したな……
社長「それじゃあ、比企谷くんに今日一日の仕事を今ここで命じよう」
ちひろ「あれ、今私スルーされました?」
社長「それはズバリ……」
勿体ぶる社長に、俺も何となく身構える。
俺の、初仕事。
社長「手始めとして、今日一日アイドルとの交流をするんだ!」
八幡「……ん?」
455: 2017/08/12(土) 23:22:40.94 ID:P+l3VGEy0
アイドルとの、交流?
社長「もうしばらくすれば、アイドルたちもどんどんと事務所へやってくる。積もる話もあるだろう。よろしくやってくれたまえ」
社長はそう言うが、それはつまり、ほとんど自由にしていいってことだよな?
初日にいきなり、そんな事をしてて良いのだろうか……?
俺の不安が通じたのか、社長は不適に笑う。
社長「安心したまえ。明日からはビシバシ働いてもらう。期待してるよ、君」
そりゃまた、何とも安心できない言葉だ。
しかし社長がそう言うのであれば、謹んで受けよう。
俺の、初仕事。
ちひろ「……あの子も、すぐに来ますよ」
そう言って微笑むちひろさん。
……それじゃあ、情けない姿は見せられないな。
今日から、俺はプロデューサーなんだから。
456: 2017/08/12(土) 23:23:20.67 ID:P+l3VGEy0
× × ×
未央「ヒッキ~~! 待ってたよー!!」
会うや否や、ぐわーっと、しがみつきにかかって来る元気娘。
思わず相手がアイドルということも忘れてアイアンクロー。しかしそれでもなお向かってくる。くっ……こ、こいつ……!
八幡「こ、この、そんな寄るんじゃない……!」
未央「そんなこと言わずに~」
卯月「わ、私も……」
一緒にいた卯月まで手をもじもじさせているので、絶対に来るんじゃないと目で制す。そんな可愛くしょぼんとしたってダメ! つーか、お前は無駄に力強ぇな!
なんとかかんとか、ひっぺがす。
八幡「ったく、お前らも変わんねぇな」
その遠慮が無いとことか。
卯月「八幡くんも、お元気そうで何よりです」
八幡「お前らと会ったら体力が減ったけどな」
未央「またまた~目の保養になったからプラスの方が多いでしょ?」
457: 2017/08/12(土) 23:23:54.57 ID:P+l3VGEy0
それ自分で言う?
……まぁ、見た目が良いのは間違いないから何も言えん。っていうか、口が避けても言ってやらん。
八幡「まぁ、なんだ……」
卯月・未央「「?」」
そんなキョトンとしやがって……
言わなくもいいと思ったが、初日だからな。面倒な上に気が乗らないことこの上ないが、一応言っといてやる。
八幡「……改めて、これからよろしくな」
そう俺が気恥ずかしさMAXで言うと、二人は目を丸くし、お互いを見て、盛大に吹き出した。舐めてんのか。
こんだけの覚悟を持って言ってやってんのに、酷い奴らだよ。
けどま、
未央「うん! これからもよろしく!」
卯月「よろしくお願いしますね♪」
と、本当に良い笑顔を見れたんだから、チャラにしといてやろう。
……むしろ、プラスの方が多いくらいだよ。
458: 2017/08/12(土) 23:24:30.60 ID:P+l3VGEy0
× × ×
瑞樹「そうね。わかるわ」
どこか遠い所を見つめ、何とも哀愁漂うオーラの川島さん。
瑞樹「月日の流れっていうのは、本当に早いわよね。……残酷なくらい」
レナ「本当、その通りね」
なんで兵藤さんまで……と思ったが、そうか。そういう事か。
つまり、この人も……
早苗「年齢なんて、アイドルには関係ない、関係ないのよーー!!」
思った通り、荒れに荒れている。
何年ぶりにお会いしましたね~なんて、そんな話題を振ったのがいけなかったらしい。俺のせい?
八幡「そうか。三人とももう、さn…」
楓「ストップよ比企谷くん。それ以上はいけないわ」
無駄に切なげな顔で諭すように言う楓さん。
しかし止めるのが遅かったのか、早苗さんは素早く俺の首をホールド。というかロック。技の衰えを感じさせない。ってか絞まってるぅーー!
早苗「女性に、年齢の話を、するなって、言ったでしょうがー! おかえり比企谷くん!!」
八幡「だ、だから、言い出したのはそっち……!」
つーか、最後のは締めながら言うことじゃねぇ! ギブギブギブギブ!
楓「……これで、また飲みに行けますね。ふふっ」
何やら楓さんは嬉しそうに笑っているが、そんな事より助けてほしい。この人なんとかしてー!
瑞樹「若いって、良いわね……」
レナ「あれ止めなくてもいいの?」
459: 2017/08/12(土) 23:25:11.93 ID:P+l3VGEy0
× × ×
パシャリ、と。スマホから音が鳴る。
莉嘉「もっかいもっかい! 次はアタシのケータイね!」
美嘉「オッケー、それじゃ別の角度でー…」
イエーイとばかりに、もう一枚。
忙しなくスマホを弄りつつ、さっきからあっちへこっちへ色んな角度で写真を撮りまくっている。つーか、いちいちケータイ変えんでも後で送ればいいだろ。
八幡「なぁ、もういいか?」
いい加減うんざりしてきたので、鬱陶しさを隠そうともせずにそう言う。
しかし姉はともかく妹の方は未だ満足できていないようで…
莉嘉「えー! 好きなだけ撮ってやるって言ったじゃん。まだダメだよ!」
美嘉「だってさ」
八幡「さいですか……」
460: 2017/08/12(土) 23:25:42.67 ID:P+l3VGEy0
久々に会ったからと言って、何をそんなに撮る必要があるのか。八幡、誰かと写真を撮るなんて経験が無いので分かりません。……ここ、笑うとこだぞ。
莉嘉「……だって、八幡くんがまたいなくなっちゃったら、撮れないかもしれないじゃん」
八幡「……っ」
俯き、そんなことを言う莉嘉に思わず口を噤んでしまう。
……ったく、んなこと言うなよな。自惚れちまうぞ、俺。
八幡「……別に、今日じゃなくたって大丈夫だろ。そんな心配する必要ねぇ」
莉嘉「え?」
八幡「ここに来れば、いつでも俺なんて会える。見たくなくたって顔見ることになんだから、覚悟しとけ」
我ながら捻くれたもの言い。
だが、それでも莉嘉には充分だったようだ。
莉嘉「……えへへ。ダメだよ、今日もいっぱい撮るし、これからも嫌になるくらい撮るんだから!」
美嘉「……だってさ」
八幡「そうかよ」
正直それは本当にマジで勘弁してほしいが……まぁ、千葉のお兄ちゃんはみんなシスコンだからな。
たとえ妹っぽいってだけの女の子でも、その力を遺憾なく発揮してやろう。仕方なくな。
と、そこで不意に袖を引かれる。
461: 2017/08/12(土) 23:26:12.95 ID:P+l3VGEy0
美嘉「ねぇ、さっきの台詞……」
八幡「あん?」
美嘉「アタシも、信用していいんだよね?」
小悪魔的な笑みで、ジッと俺を見てくる美嘉。そ、その訊き方はちょっと卑怯じゃないですかね。
まぁ、俺の返す答えなんて決まりきってはいるんだが。
八幡「ああ、骨を埋める覚悟だよ」
あんだけ働きたくないと言っていた俺が、まさかこんな台詞を吐くことになろうとは。
昔の俺に聞かせてやりたいぜ。
美嘉「……そっか」
うんうんと、何そんなに満足しているのか頷いている美嘉。
莉嘉「ほらほら二人とも、次撮るよー?」
美嘉「オッケー! ほら、もっと笑って。……は、八幡」
言って、みるみる顔を赤くしていく美嘉。
美嘉「あ、つ、次はアタシが撮るから、二人で並びなよ、ほら!」
莉嘉「お姉ちゃん、照れるくらいなら言わなきゃいいのに」
八幡「本当にな……」
こっちまで恥ずかしくて、そっち見れねぇよ。畜生め。
462: 2017/08/12(土) 23:26:49.67 ID:P+l3VGEy0
× × ×
光「やっぱり、Wの世界観と繋がってるんじゃないかと思うんだよね」
八幡「まぁ、確かに見た目もそれっぽいし、財団Xあたりが絡んできそうな気もするな」
光「でしょ? ……あ~でもビルドも楽しみだけど、エグゼイド終わっちゃうのか~」
八幡「最初は正直ゲームと医者ってどうなんだと思ったが、予想に反した面白さだったな。正直俺の中では、平成二期だとかなり上位に入る」
光「アタシもだ。くぅ~……最後どうなんのかなぁ」
麗奈「……アンタたち、何の話してんの?」
呆れたように言う小関。いたのか。
光「あ、今度映画一緒に行こうよ! 麗奈も一緒に!」
麗奈「いや、アタシは別にそういうの興味ないし」
八幡「つーか、お前まだ見に行ってなかったんだな。意外だ」
光「ううん、行ったよ! 2回!」
まさかの3回目。好きだなホント……俺も特典目当てで何回か行くことはあるけどさ。主にアニメ映画。
光「じゃあ約束な!」
麗奈「いや、アタシ行くって言ってn…」
八幡「本当はあんま良くないんだがな。変装はしっかりな」
光「おう!」
麗奈「聞けぇ!」
諦めろ。こうなると光は折れない。
ヒーローは諦めないのが常だからな。
463: 2017/08/12(土) 23:27:28.86 ID:P+l3VGEy0
× × ×
李衣菜「だーかーらー、こっちの衣装の方が絶対ロックだってば!」
みく「別にロックである必要もないでしょー!? もっと可愛い方が絶対良いにゃ!」
ぎゃーぎゃーわーわーと、姦しく何やら言い争っている二人。
まぁ、意見をぶつけ合うのは良いことだ。少なくとも、ろくろを回すような手つきで延々と話し合いしてるよりかはな。……だが、もうちょい静かにやってほしい。
八幡「……いっつもこんな感じなんすか」
夏樹「まぁな。ユニット組んでからはよく目にする光景だよ」
苦笑しつつ、その様子を眺めている木村先輩。
特に仲裁したりもしない所を見るに、もう慣れたもんなんだろうな。
菜々「はいはい、コーヒーをお持ちしましたよ~」
と、そこへ安部さんの差し入れ。この人も相変わらず変わらんなぁ……今いくつなんだろうか。
夏樹「二人とも、コーヒー飲まないか」
みく「ネコミミはアイデンティティーなの! これは絶対なの!」
李衣菜「そんな取り外し出来るアイデンティティーなんていらないよ!」
みく「にゃっ!? と、とってつけたようなロックよりはマシでしょー!?」
李衣菜「なんだとー!?」
夏樹「……ダメだこりゃ」
菜々「あ、あはは」
まぁ、変わらないようで安心したよ。……したのか?
464: 2017/08/12(土) 23:28:12.67 ID:P+l3VGEy0
× × ×
廊下を歩いていた時に急に声をかけられたのは驚いたが、その顔を見てもっと驚いた。まさか、向こうから話しかけられるなんてな。
モバP「就職おめでとうございます、比企谷さん」
八幡「ありがとうございます」
そう祝ってくれたのは、十時愛梨のプロデューサーだ。
廊下に備え付けてあるベンチに座り、話を聞く。
モバP「今日からもう仕事に?」
八幡「ええ。……と言っても、社長の計らいで今日は見学みたいなもんですけど」
自分で言って苦笑する。本当、こんなダベっているだけで良いんだろうか。
八幡「十時、相変わらず色んな所で見ますよ。さすがですね」
モバP「そう言って貰えると、嬉しいです」
お世辞でもなんでもなく、これは本当に思っていること。
かつれ俺が参加した、『プロデューサー大作戦』という企画。そしてその優勝者、総選挙を行い見事一位となったシンデレラガール……
それが、十時愛梨だ。
十時自身もそうだが、その手伝いをしたこの人も、さすがと言うほかない。
モバP「……でも、凄いのはあなたもですよ」
八幡「え?」
モバP「あなたが担当していた彼女も、あなたがいなくなってからも、ずっと頑張っている。ずっと輝き続けている」
465: 2017/08/12(土) 23:28:40.70 ID:P+l3VGEy0
そう言う十時のプロデューサーは、笑っていた。
モバP「彼女が活躍するのを目にする度に、あなたに負けられないと僕はずっと思っていました」
その言葉に、素直に驚く。
まさか、この俺なんかのことをそんな風に思っていたとは。
モバP「これからよろしくお願いします」
八幡「ええ。こちらこそ」
同僚としてだけではなく、ライバルとして。
告げなくても分かる。お互いがお互い、負けたくないと思っている。
きっと、これも悪い関係じゃない。
愛梨「プロデューサーさーん、そろそろ出る時間ですよー?」
見ると、遠くの方で十時が手を振って呼んでいる。俺に気付くと、彼女はぺこっとお辞儀をした。
モバP「ああ! ……それじゃ、僕はもう行きます」
八幡「ええ」
この二人が、俺とあいつがいずれ超えなきゃならない相手。
そして、更にその先にも、超えるべき奴ら沢山いる。
一筋縄では、いかなそうだ。
愛梨「プロデューサーさん、なんだか今日は熱いですね~」
モバP「ちょっ、こら愛梨! こんなとこで脱ぐな!?」
……たぶん。
466: 2017/08/12(土) 23:29:20.05 ID:P+l3VGEy0
× × ×
鷺沢「比企谷さん……これを、どうぞ」
そう言って渡されたのは、何やらリボンの巻かれた包み。
形状と重さからして、恐らく中身は本だろうな。それもハードカバーの。くれたのが鷺沢さんなら尚更だ。
八幡「あの、これは……?」
本というのは分かるが、それを何故くれたのかが分からない。
困惑しつつ尋ねると、鷺沢さんは微笑みながら説明してくれる。
鷺沢「所謂……就職祝い、というものです。私のおすすめの本ですので、是非」
就職、祝い……?
一瞬、脳が理解しなかった。そうか、世の中にはそんなものが存在するのか。都市伝説だと思ってた。
美波「ごめんね、私は用意してなくて…」
一緒にいた新田さんが何やら申し訳なさそうにしているが、別に全く気にしていない。というか、わざわざ用意していた鷺沢さんに驚いたわ。
467: 2017/08/12(土) 23:29:49.73 ID:P+l3VGEy0
八幡「その、ありがとうございます。新田さんも、お気持ちだけで嬉しいです」
ここは素直にそう言っておく。デレプロきっての常識人二人だ。さすがの俺も皮肉の一つも言えやしない。
新田「ううん。今度、ごはんでもご馳走するよ。プロデューサーさんも一緒に♪」
八幡「それは、なんというか、できれば遠慮したいですね……」
あの金髪眼鏡の美人プロデューサー、苦手なんだよな……
まぁ、いつかお礼を言いたいとは思ってたけどさ。
鷺沢「読み終わったら、是非、感想を聞かせてくださいね……」
八幡「ええ。……そういう約束でしたからね」
鷺沢「っ! ……はい」
笑顔で頷く鷺沢さん。
この人がおすすめする本だ。きっと、面白いんだろうな。
また、楽しみが一つ増えた。
468: 2017/08/12(土) 23:30:26.45 ID:P+l3VGEy0
× × ×
まゆ「どうやら、リボンがまた結ばれたようですね」
驚いた。そりゃもう驚いた。
不意に、なんてもんじゃない。音も気配もなく、どこからともなく現れた。
八幡「…………頼むから、もうちょい普通に話しかけてくれ」
一息つこうとしていた所だったから、余計に驚いた。こいつも相変わらずどこか人間離れしてんな。
八幡「ところで、お前が今持ってるそれはなんだ?」
まゆ「これですか? これは今営業に出てるプロデューサーさんに付いてる発信器を探知する端末で…」
八幡「もういい分かった。もう充分だ」
あれ、おかしいな? 前に会った時はコイツ恋愛アンチじゃなかったっけ?
恋は盲目、とは言うが、ここまで人が変わるとちょっと怖い。
あまり踏み込みたくはない話題なので、話を変えよう。
469: 2017/08/12(土) 23:30:52.33 ID:P+l3VGEy0
八幡「……それで、最初なんて言ったんだ?」
まゆ「リボンですよぉ。……今度は、解けないようにもっと固結びをしてくださいね」
八幡「あー……」
そういや、そんな話をしたこともあったな。よく覚えてる奴だ。
八幡「分かんねぇぞ。どれだけ解けないくらい固く結んでも、切れちまえば終わりだ」
もちろん、そんなつもりはない。
けど、なんとなく照れくさいので、いつものように捻くれたもの言いをしてしまった。
だが、それでも彼女は不適に笑う。
まゆ「ふふふ……なんだ。知らないんですか?」
八幡「あん?」
小指を立てて、まるで恋する乙女のように、歌うように彼女は言う。
まゆ「リボンがある限り、何度だって結び直せるんですよ?」
470: 2017/08/12(土) 23:31:40.50 ID:P+l3VGEy0
× × ×
蘭子「フゥーーーハッハッハァーー!!!」
八幡「絶好調だなお前……」
会うや否や、キレッキレの動きでポーズを決める蘭子。
しかし、その距離は何故だか遠い。
八幡「なぁ、なんでそんな離れて……」
蘭子「ちょっ、少々待て眷属よ! それ以上は、その、とにかく寄るなっ!」
八幡「…………」
ズザザーっと、すかさずポーズを取りながら後ずさる蘭子。
え、なに、どゆこと?
八幡「……そんなに俺と近寄りたくないか」
蘭子「えっ!? あ、いや、そういう意味じゃ、なくて…」
八幡「じゃあどうしたってんだ」
何か納得のいく理由を教えてくれないと、俺体臭キツいのかな? とか、もしかして近いだけで不快なの? とか、普通に傷ついて今夜枕を濡らすことになる。久々だな……昔はよくあった。あったのかよ。
蘭子「え、えっと、その…」
八幡「…………」
蘭子「いざ久しぶりに会うと……何を話せばいいのか、分からなくて……」
恥ずかしそうに、震える声でそう言う蘭子。
よくよく見てみれば、その大仰なポーズは顔を隠すようにしているだけにも見える。耳赤いし。
どうやら、絶好調に見えたのは俺の勘違いだったらしい。
だから、俺はこう言ってやったのさ。
471: 2017/08/12(土) 23:33:31.19 ID:P+l3VGEy0
八幡「アホかお前」
蘭子「えぇっ!?」
ガーン! と、ショックを受けたように思わずポーズを解除する蘭子。やっと顔が見れたが、ちょっと涙目になっている。
八幡「そんなの、俺だってそうだっつの」
蘭子「え……?」
八幡「会わせる顔が無いってのに、こうして色んな奴に会って回ってんだ。ちったー見習えよ」
なんとも情けないその台詞。だが、そう言いたくもなる。
これでも、結構な勇気をもって歩き回ってるんだぜ?
蘭子「……ふふ」
八幡「なに笑ってんだ」
蘭子「だって、変わってないから」
安堵するかのように笑う蘭子。
変わってないのはお前も一緒だよ。どいつもこいつもな。
八幡「つーか、お前はもう少し大人っぽくならんのか。もう高校生だろ?」
蘭子「なっ、わ、我とて、以前よりも更に魔力が増大し、深淵なる闇の業火を…」
八幡「あー分かった分かった」
こいつは、当分中二病を卒業する気は無さそうだな。
つーか、卒業したらただの可愛いアイドルになっちまうんだが。
八幡「……そろそろメシの時間だが、なんか食いに行くか? 二代目シンデレラガール」
蘭子「っ! うん!」
そんな雑な誘いでも、蘭子は嬉しそうに頷いてみせる。思わず熊本弁を忘れるくらい。
……どうやら、相当頑張ったみたいなだから。少しくらい褒めてやっても、あいつも怒らないだろ。
しかしこうして女の子をメシに誘えるくらいには成長したんだから、誰か一人くらいは変わったね~とか言ってほしいぜ、本当。
472: 2017/08/12(土) 23:33:59.33 ID:P+l3VGEy0
× × ×
思わず、身体が固まった。
食後にコーヒーでも飲もうと、自販機まで来たのはいいのだが……
常務「…………」
八幡「お、お久しぶりです」
まさかの、あの強面常務のお出ましだ。
いや、この人は元々いたから、お出まししたのは俺なんだが……
常務「……挨拶に来ないと思えば、まさか昼休みに出くわすとはな。比企谷」
いちいちトゲのある言い方をする人だ。いや、確かに上司に真っ先に挨拶しなきゃならんのはその通りなんだが……
とりあえず、大人しく謝罪しておこう。
八幡「す、すいません。常務」
常務「違うな」
八幡「へ?」
違う、とはどういう意味だろう。そう思っていると、常務は仏頂面のまま、表情も変えずに言ってのける。
専務「今は専務だ」
473: 2017/08/12(土) 23:34:33.78 ID:P+l3VGEy0
まさかの昇格だったー!
ま、まさか俺のいない間に、専務になっているとは……いや、無い話じゃないんだろうが、さすがに予想外だ。
八幡「……すいません、専務」
専務「以後気をつけろ」
そう言ってブラックコーヒーを飲む専務。
しかし相変わらず寡黙ではあるが、なんだか以前よりも印象が柔らかくなった気がするな。本当に気持ち、ってレベルだが。もしかしたら、あいつの影響か?
そんな風に思っていると、その噂のあいつがやってきた。なんだかデジャヴを感じる。
ライラ「おや、八幡殿。お久しぶりございますー」
何とも言えない間延びした話し方。こいつはこいつで変わらんな。
八幡「おう。……その分じゃ、アイドルは順調そうだな」
あれから、ちょこちょことライラの姿を目にすることも増えてきた。今じゃ、結構な知名度を誇るんじゃないか? 無事にアイドルを続けられているようで、俺としても何よりだ。
474: 2017/08/12(土) 23:34:59.25 ID:P+l3VGEy0
ライラ「はい。これも、プロデューサー殿のおかげでございますですねー」
八幡「ほう」
専務「…………」
八幡「……企画が終わっても、まだ担当プロデューサーなんですね」
専務「……それが何か?」
ギロッと、いつも以上の眼光で睨まれた。怖い……
けど確か、あの時は企画の一般プロデューサーが足りないから、臨時的にライラの担当になったんだったよな。それが、今もこうしてプロデューサーとしてやってるんだ。
専務「……何を笑ってるんだ」
八幡「いえ、なんでもないっす」
そりゃ、頬を緩むだろ。
しかしそんな俺の態度が面白くないのか、専務はコーヒーを飲み終わるとさっさと行ってしまう。
去り際、こんな言葉を残して。
専務「もうヘマはするなよ。……人手が足りなくなるのは、私も困る」
ライラ「また、一緒にアイス食べるでございますよー」
専務を追うように、ライラも手を振りながら去っていく。
……期待に応えられるよう、頑張りますよ。
自分に出来ないことをやれって、あなたに頼まれましたしね。
475: 2017/08/12(土) 23:35:42.88 ID:P+l3VGEy0
× × ×
奈緒「な、な、なんでアタシには教えてくれなかったんだよぉーーー!!!」
つんざくような非難めいた叫び。というか非難。
あまりの声の大きさに、俺も加蓮も耳を塞ぐ。
加蓮「あれ、言ってなかったっけ? おっかしいなー」
八幡「ちひろさんに聞いてたんじゃないのか?」
奈緒「き、聞いてないぞ!?」
加蓮「んー何人かに直接教えてたみたいだったけど…………あ、そっか。そういえばあの日奈緒いなかったから、アタシが伝えておくって言ったんだった」
奈緒「かれぇーーーーんっ!!」
アハハーごめんごめん、と頭をかきながら笑う加蓮。全然悪びれる様子ねぇなオイ。
奈緒「ったく、普通にお前がスーツ着て事務所にいるもんだから、こっちはめちゃくちゃビックリしたんだからな」
八幡「いや、俺に言われても…」
伝え損なったちひろさんと加蓮に言ってくれ。
そしてそこで奈緒は一旦静かになったかと思うと、こっちをジッと見て、睨むようにする。一体どうした。
奈緒「……………んん、……あー……」
チラチラと、俺の方を見て、俯いての繰り返し。
そして意を決したかのようにもう一度睨み、やっとこさ口を開いた。
奈緒「……………………おかえり」
八幡「おう」
奈緒「だぁー! なんでアタシがこんな恥ずかしい思いをしなくちゃならないんだよ!」
八幡「だから、俺に言われても…」
見事な逆ギレである。そんなに恥ずかしいなら言わなきゃ良いのによ。
それでも言わないと気が済まないってんだから、生きにくい性格だな。
476: 2017/08/12(土) 23:36:13.23 ID:P+l3VGEy0
加蓮「それじゃあ、アタシからも」
と、便乗するように加蓮もこっちに向き直り、満面の笑顔で告げる。
加蓮「おかえり、八幡さん」
八幡「お、おう」
こいつはさすがだな……言われたこっちが恥ずかしくなる。
そんな様子を奈緒が「そのメンタルが羨ましい……」とジト目で見ている。気持ちは分かる。
加蓮「……でもホント、戻って来てくれて良かったよ」
さっきまでのイタズラっぽい笑みとは違い、安堵したかのような顔になる加蓮。
加蓮「あなたが育てたアイドルなんだから、最後まで面倒みてよね?」
期待するかのような、その眼差し。
直視するのもこっぱずかしく、目を逸らす。つーか、育てたつもりも特に無いんだが……
奈緒「まぁ、確かに中途半端に逃げるのは良くないよな」
習うように、奈緒も勝ち気な笑みを浮かべて言う。
奈緒「責任はちゃんと取れよ、比企谷」
……本当、遠慮の無い友達だよ。
こんなんだから、俺もほだされるんだ。
だから、仕方なく返事をしてやる。
八幡「……へいへい」
なんともやる気の無さそうな、照れ隠し満載の返事。
けど、これが俺の精一杯だ。
それでも奈緒も加蓮も、満足そうにしてるんだから、許してくれ。
477: 2017/08/12(土) 23:36:40.51 ID:P+l3VGEy0
× × ×
休憩スペースでちょっと一休み……と言っても、元々今日は仕事らしい仕事はしてないんだが。
自販機でMAXコーヒーを買い、ソファに座ってゆっくりする。なんだが、こうしているのも懐かしい。
そういや今は炬燵は無いんだな。あれも季節感ゼロだったし大分謎だったが。
杏「うー……疲れたー」
そこにやって来るは、仕事終わりなのかやたらとぐったりした杏。
まぁ、こいつの場合レッスンとか何やってもその後ぐったりしてたけど。
八幡「お疲れさん」
杏「お疲れー。もう、杏はダメだよ……ぐはっ…」
わざとらしいうめき声を上げ、反対のソファへと倒れ込む。
八幡「なんか飲むか」
杏「甘いものを……」
八幡「あいよ」
確か炭酸は平気だったはず、と。テキトーにコーラを買って、渡してやる。
杏「サンキュー」
478: 2017/08/12(土) 23:37:21.12 ID:P+l3VGEy0
起き上がり、ごくごくと良い音を立てて飲む杏。
その後ふぃ~と何ともオッサンみたいな仕草で口元を拭う。そして、目が合い一言。
杏「え、なんでいんの」
今更かい。
きらり「杏ちゃん? ここにいたの……って、あー! はっちゃーん!」
そこへ諸星登場。駆け寄り、手を握ってぶんぶんと振ってくる。いや、ちょっ、そんなに軽々しく手を握るとか青少年の心を玩ばないで!
きらり「今日からだったもんね! やっと会えたにぃ~」
八幡「お、おう。お疲れさん」
俺がたじろいでいると、杏が納得したように頷いていた。
杏「あーそう言えば正社員として入るって言ってたもんね。今日からだったんだ」
何ともあっけらかんとしたその言い方。だが、その気持ちは俺も少し分かる。
杏「……たまにオンラインで会うし、ソシャゲでログインしてるの確認できるから、あんまり久しぶりな感じしないなぁ」
八幡「俺が心に留めたことをあっさり言うんじゃない」
まぁ、そこがお前の良い所だけどよ。
479: 2017/08/12(土) 23:37:53.12 ID:P+l3VGEy0
× × ×
八幡「……やっぱ、懐かしいな」
丁度人が少ないのを見計らって、事務スペースへとやってくる。
目の前にあるのは、かつて俺が使っていたデスク。
正式にここの社員になったとは言え、またここを使っていいかは分からないからな。今はこうして眺めているだけ。
何も物が無いのを見る限り、特に誰も使ってはいないようだ。……その割には、何故か奇麗にしてあるが。
八幡「ちょっとくらいなら……」
ちひろさんや社長なら構わないと言いそうなもんだが、念のため周りに人がいないことを確認し、座ってみようと椅子を引く。
輝子「フヒヒ……」
キノコの精が、そこにいた。
八幡「…………」
輝子「だ、黙って椅子を戻さないで……」
八幡「冗談だ」
改めて椅子を引いて、そこへ座る。
……こうしてると、本当に懐かしいな。
正直に言えば、輝子ならここにいるんじゃないと思ってやって来た。
480: 2017/08/12(土) 23:38:24.19 ID:P+l3VGEy0
八幡「どうだ、元気にやってるか?」
輝子「フフ……ちひろさんに許可を貰って、ここを正式にキノコの栽培場所として使わせて貰ってる。……見よ、この新たなフレンドを」
八幡「聞きたいのはそういうことじゃないんだが」
まぁ、たまにLINEとかで連絡は取ったりするから、上手くやってることは知ってるけどよ。
八幡「あんまり俺が戻ってきても驚かないんだな」
輝子「フヒヒ……まぁ、ね」
俺の質問に、いつもとなんら変わりなく、さも当然のように、輝子は言う。
輝子「八幡のことだから……帰ってくると、思ってた」
八幡「そんなん分かるのか」
輝子「分かる。……親友、だからな」
そうして、また笑う。
……そうか。
八幡「……親友なら、分かっても仕方ないな」
481: 2017/08/12(土) 23:38:50.98 ID:P+l3VGEy0
そんなことを言われてしまえば、俺も納得するしかない。
やれやれ。何かもお見通しだぜ。
俺がそう言って笑うと、輝子も嬉しそうに微笑んだ。
輝子「……あ、そろそろ、来るな」
不意に、輝子がケータイを見ながらそう呟く。
八幡「来る?」
輝子「八幡。外に、行くんだ……」
真剣な目でそう告げる輝子。
まさか、来るってのは……
八幡「……ああ。分かった」
椅子から立ち上がり、すぐに出口へと向かう。
チラッと背後を見てみれば、机の下から掲げるように腕を突き出す輝子の姿。
その手は、健闘を祈るように親指を立てていた。
ターミネーターかよ、お前は。
……けど、サンキューな。
482: 2017/08/12(土) 23:39:38.03 ID:P+l3VGEy0
× × ×
事務所の外へ出てみれば、気持ちの言い風が吹いていた。
朝出た時は早過ぎて気付かなかったが、今日はどうやら快晴みたいだな。気温も丁度良いし、仕事初日としては最高と言える。
まぁ、もう既に半日以上は終わってしまったんだが。
事務所の前に立ち、ぼーっと空を眺めながら待つ。
輝子はそろそろ来るとか言ってたが、辺りに人影は無いし、特に誰か来る様子も無い。
っていうか今更だが、来るのってのはあいつのことで良いんだよな? 宅配便とかじゃないよね?
八幡「…………」
……しかし、こうして事務所の前に立っていると思い出すな。
あれは最初の最初、初めてここへやって来た時。
今もしてるこのネクタイを見てニヤついてる時に、あいつに見られたんだっけ。あん時は、まさかその女の子が俺の担当アイドルになるなんて思いもしなかったな。
思わず、笑みが零れる。
本当に、懐かしいーー
483: 2017/08/12(土) 23:40:16.87 ID:P+l3VGEy0
「なに、ニヤニヤしてるの?」
よく通る、済んだその声。
不意を突かれてかなり驚いたが、それでも、動揺はない。
今日は、いつ会えるのかとずっと考えてたからな。
振り向けば、そこには思った通りの人物。
容姿は特に変わらない……と思ったが、ちょっと大人っぽくなったか?
もしかしたら、少し背が伸びたのかもしれない。元々高い方なのにな。
……相変わらず、まっすぐな目をしてやがる。
凛「もしかして、アイドルのプロデューサーになれるのが嬉しかったの?」
イタズラっぽく笑って言うその台詞は、いつかの真似事か。
なら、俺も返す答えは決まってる。
八幡「ちげぇよ。……このネクタイ、妹に選んで貰ったんだ」
凛「知ってる」
そうして、俺たちは笑い出した。
……ああ、本当に、俺は戻ってきたんだな。
484: 2017/08/12(土) 23:41:16.79 ID:P+l3VGEy0
八幡「昼過ぎから出社とは、随分と社長出勤だな。うちの社長なんて6時前にはいたぞ」
凛「午前は直行で収録があったんだよ。っていうか、それはうちの社長が特殊なんでしょ?」
八幡「どうしても俺より早く会社にいたかったらしい」
凛「社長らしいね」
八幡「あと、ちひろさんもな」
久しぶりに会ったってのに、話すことはこんなことばかり。
凛「あ、そう言えば春香がまた会いたいって言ってたよ? みんなでお茶でもしようって」
八幡「……そういや、LINEでそんなことも言ってたな。っていうか”春香”?」
凛「それもだよ、そもそもなんでLINEのIDを交換してるんだか」
八幡「ま、まぁ、おいおい説明してやるよ」
凛「どうだか」
笑って、他愛のない話をする。
凛「あのフラワーバスケット、どこで買ったの?」
八幡「どこって、普通に近所の花屋だが」
凛「ふーん。……うちじゃなくて、他所の花屋で買ったんだ?」
八幡「いや、さすがにお前んとこは無理だろ……ちょっと考えたけど」
凛「考えたんだ……」
もっと、話さなきゃならないことがあったと思ったのに。
凛「そのスーツ、久しぶりに見たよ」
八幡「社会人は最低二着はあった方が良いって聞いたから、もう一着買ったけどな」
凛「でも、今日はそっちを着てきたんだ」
八幡「……まぁ、な」
凛「……そのネクタイピンも」
八幡「…………まぁ、な」
話したいだけ話して、いつの間にやら、もう事務所の前で随分と話し込んでいた。
485: 2017/08/12(土) 23:41:58.00 ID:P+l3VGEy0
凛「…………ねぇ」
向かいに立っていた凛は俺の近くまで歩いてくると、隣に立ち、ふと事務所を見上げた。
俺も、それに習う。
凛「もう、いなくなったりしないんだよね」
こっちを見ずに、そう問いかけてくる凛。
八幡「なんだ、俺がいなくてもトップアイドルを目指すんじゃなかったのか?」
凛「もう、またそうやってひねた言い方をする…」
拗ねたようなその物言い。
自分でも悪いと思うが、これが俺なんでね。諦めてくれ。
凛「これはただの確認だよ」
そう言って、凛は強気に笑ってみせる。
凛「私は私がなりたいから、トップアイドルを目指す。一人でも、走り続ける覚悟はある。……けど」
八幡「…………」
凛「……あなたが隣にいてくれれば、きっともっともっと、遠くまで行けると思うんだ」
そう言う凛の瞳は、キラキラと輝いている。
まだ見ぬ景色を見通すように、輝きの向こう側を、見定めるように。
486: 2017/08/12(土) 23:43:00.97 ID:P+l3VGEy0
凛「私の、隣にいてくれる?」
俺を見て、凛は再び尋ねてきた。
八幡「……そんな今更な質問、すんなよな」
だから、俺は決まりきった、ずっと思い続けていた答えを返す。
八幡「当たり前だろ。……俺が、隣にいたいと思ってるからな」
約束のために。
凛のために。
そして何より、俺のために。
俺は、ここへ戻ってきたんだ。
そんな俺の答えに、凛は「そっか」と言って、満足したよう微笑んだ。
凛「……本当に、先に迎えに来て貰っちゃったな」
八幡「あ?」
凛「なんでもないよ」
487: 2017/08/12(土) 23:44:49.92 ID:P+l3VGEy0
上手く聞き取れず聞き返すが、凛は笑って流すのみ。
いや、なんかすげぇ気になるんですけど……
凛「それより、そろそろ事務所入ろうか。ちひろさんとか探してるかもよ」
八幡「あ、おい!」
俺を放って、さっさと行こうとする凛。
……本当、決めたらどこまでも行こうとする奴だ。
一度は辞めて、それでもこの場所に焦がれ、俺はまた戻ってきた。
隣にいたいと、凛を、トップアイドルにしたいと、またやってきたんだ。
どうやら人生ってのは、簡単には終わらないらしい。
好きになった女の子はアイドルで。
だからこそ辞めたプロデューサーに、俺は、再びなった。
……本当に、おかしな話だよな。
もしも自伝を書くんなら、最後の〆はこうしようと思う。
いつかの再提出の、更にやり直し。
凛「ほら、早く。プロデューサー!」
八幡「……ああ」
やはり俺の青春ラブコメは、まちがっている。
了
488: 2017/08/12(土) 23:45:54.28 ID:P+l3VGEy0
というわけで、これにてシリーズ完結です! ありがとうございましたっ!!
491: 2017/08/12(土) 23:49:48.98 ID:P+l3VGEy0
本当に、四年間もありがとうございました。長いこと待たせてしまって申し訳ない……
492: 2017/08/12(土) 23:52:08.77 ID:P+l3VGEy0
これまで読んでくれて、本当に感謝しかないです……!
依頼は明日あたりに出しますので、ご感想や質問等頂けると嬉しいです。
繰り返しになりますが、本当にありがとうございます!
依頼は明日あたりに出しますので、ご感想や質問等頂けると嬉しいです。
繰り返しになりますが、本当にありがとうございます!
493: 2017/08/13(日) 00:20:29.43 ID:79ug4WY5o
お疲れ様でした
ありがとう御座います
ありがとう御座います
494: 2017/08/13(日) 00:23:47.49 ID:V3OgtkAV0
お疲れ様でした、完結おめでとうございます!
終わってしまうのが惜しいSSは初めてです……。
完結記念にまた最初から読み直してきます!
繰り返すよえになりますが本当にお疲れ様でした!
終わってしまうのが惜しいSSは初めてです……。
完結記念にまた最初から読み直してきます!
繰り返すよえになりますが本当にお疲れ様でした!
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