1: 2015/03/01(日) 05:14:09.46 ID:HgFLdlguo

子どものころ、よく、三人で本を読みました。
穂乃果ちゃんは、愉快な話が好きでした。
海未ちゃんは、勇敢な話が好きでした。
わたしは、恋の話が好きでした。
おませさんな子だったのです。

―――――――――――

ことり「うみちゃん、このおはなし、よんで!」

海未 「ことりのほうが、よむの、じょうずじゃないですか」

ことり「このおはなしは、カッコいいうみちゃんがよむのがいいの!
    ほのかちゃんも、そうおもうよね?
    ……あ、ほのかちゃん、ねてる。
    いつも、このおはなしをするときには、ねちゃうんだね」

海未 「ほのかには、まだ、こいのはなしは、たいくつみたいですね」

ことり「うみちゃんも、たいくつ?
    ことり、わがままかな?」

海未 「いいえ。
    ハレンチなおはなしはこまりますけど、
    このおはなしは、ハレンチなところがないから、すきです」

ことり「じゃあ、よんで!
    ことりのおねがーい」

海未 「ことりに、そういわれると、ことわれないですね。
    それじゃあ、よみますよ。
    『白いアネモネ』」




2: 2015/03/01(日) 05:16:23.95 ID:HgFLdlguo
お話の中に出てくるのは、白いアネモネと、アポロという蝶々。
白いアネモネは、美しいアポロのことが好きでした。
だから、アポロが自分の蜜を吸いにくるたびに、こう尋ねるのです。

「あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?」

でも、いつもアポロは、つれない態度。

「いいや、そんなことはないよ」

どんなにつれない態度をとられても、アネモネは、アポロに好かれていると信じていました。
しかし結局、アネモネの恋が叶うことはありませんでした。
そしてある日、アネモネの花は、虫取り網に追いかけられるアポロをかくまって、散りました。
彼女が散ったあと、アネモネの花壇からは、風にのって、こんな声がそよぐようになりました。

「あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ」

3: 2015/03/01(日) 05:19:07.62 ID:HgFLdlguo
幼い海未ちゃんと私は、穂乃果ちゃんが起きるのを待つあいだ、よく、アネモネごっこをしました。
アポロ役は海未ちゃん。
アネモネ役は、わたし。

ことり「ねえ、アポロさん」

海未 「何かな、アネモネちゃん」

ことり「あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?」

海未 「いいや、そんなことはないよ」

ことり「……あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ」

幼いわたしは、この台詞を言うときに、いつも泣きました。
子どもなりに、アネモネの失恋のことを思って、悲しくなったのでしょう。
すると、優しい海未ちゃんは、いつもあわてて、わたしを慰めてくれました。

海未 「わああ! ことり、泣かないでください!
    これはお芝居ですよ!
    ほんとは、わたし、ことりのことが、だーいすきですよ!」

それを聞くと、わたしは泣きやむことができました。
アネモネに共感しているといっても、やはりわたしは、まだ子どもだったのです。

ことり「わーい、うみちゃん、ありがとう!
    ことりも、うみちゃんのこと、だーいすきだよ!」

海未 「それじゃあ、ほのかをおこして、みんなで、おそとにあそびにいきましょうか」

ことり「うん!」

―――――――――――――

さて、高校生になった今、私たちが何をしているのかというと……

4: 2015/03/01(日) 05:20:13.91 ID:HgFLdlguo
【放課後、音ノ木坂学院、部室】

ことり「ねえ海未ちゃん、またあれやって、あれ!」

海未 「いや、勘弁してくださいよ……
    恥ずかしいですよ。
    誰かに見られたら誤解されちゃうじゃないですか」

ことり「部活の後にラブストーリーを演じることで、疲れが癒える気がするの。
    ことりのおねがーい」

海未 「……子どもの頃から、いつもそうです。
    ことりにそう言われると、断れないですね」

そう、今でも私たちは、ときどきアネモネごっこをするのです。

5: 2015/03/01(日) 05:21:20.50 ID:HgFLdlguo
ことり「ねえ、アポロさん」

海未 「何かな、アネモネちゃん」

ことり「あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?」

海未 「いいや、そんなことはないよ」

ことり「……あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ。
    うう、さめざめ……」

海未 「ことり、小さいころは素直に泣いていたのに、今ではすっかり泣き真似が上手くなりましたね。
    でもそんな芝居には、乗せられませんよ。
    ていうか『さめざめ』って声を出して泣く人なんて、いませんからね」

ことり「さめざめ……」

海未 「うう……降参です。
    ことり、これはお芝居ですよ」

ことり「じゃあ、海未ちゃんは、わたしのこと、どう思ってるの?」

海未 「私は、ことりのことが、だーいすきです!」

絵里 「こんちは! かしこい、かわい……
    ごめんなさい、お邪魔しました」

6: 2015/03/01(日) 05:22:04.44 ID:HgFLdlguo
海未 「わああ、絵里!
    今のは、違うんです、これは……」

ことり「え? 違うの?
    海未ちゃん、お芝居じゃないって言ってくれたじゃない!
    ひどーい、アポロさん、私のアネモネハートを弄んだのね!」

海未 「あわわ」

絵里 「事態は紛糾しているのね。
    コンガラガリーチカなのね。
    海未、あなたがモテモテなのは承知してるけど、想い人のことりを泣かせちゃだめよ。
    それじゃエリチカは、馬に蹴られないうちに、おうちに……」

海未 「こら、絵里、そんなニヤけた顔して……
    このこと、皆に言いふらすつもりですね?
    嘘の恋路とはいえ、そんなふうに茶化してると、ほんとに馬に蹴られますよ?」

ことり「嘘の恋路? ひどいわ!
    アポロさん、可憐な白い花に何てことを……」

海未 「あわわ」

7: 2015/03/01(日) 05:23:17.77 ID:HgFLdlguo
穂乃果「こんちは!
    海未ちゃん、ことりちゃん、そろそろ帰ろうよ!」

絵里 「あ、穂乃果、ちょうどいいところに来てくれたわ。
    今、あなたの幼なじみの二人が、神聖なるミューズのおわします部室でチワゲンカを……」

穂乃果「あー、いーけないんだー、いーけないんだー!
    海未ちゃんが、ことりちゃんを泣かしてる!
    せーんせいにー、いってやろー。
    りーじちょーに、いってやろー」

海未 「わああ、理事長に言うのは勘弁してください!
    叱られるならまだしも、たぶん、からかわれるから……
    ていうか穂乃果、知ってるでしょ?
    これは子どもの頃からやってる、アネモネごっこですよ」

穂乃果「アネモネごっこか。
    でも私、その遊びのときはいつも寝てたから、よく分かんないんだよね」

絵里 「海未、そうやって口から出任せを言うのは、プレイボーイの常套手段よ。
    ねえ、ことり。
    ほんとは、何をしていたの?」

ことり「えへへ、海未ちゃんがかわいそうになってきたから、タネあかしをするね。
    アネモネごっこは、たしかにお芝居だよ。
    お芝居で、海未ちゃんに、私のことをフる蝶々の役を演じてもらったの」

絵里 「でも、何のために?」

ことり「うーん。
    しいて言うなら、失恋の練習のためかな」

絵里 「子どものころから、何度も、失恋の練習をしてるの?」

ことり「うん、そうだよ。
    備えあれば憂いなし。
    事前にきちんと準備をしておけば、失恋という大きな憂いからも、軽やかに立ち直れるというものだよ」

8: 2015/03/01(日) 05:24:37.59 ID:HgFLdlguo
【その日の帰り道】

穂乃果「ねえねえ、ことりちゃん。
    この前貸してくれた少女漫画、読んでみたんだけど、まだ私にはよく分からないよ。
    恋って、何?」

ことり「誰かのことを、好きになることだよ」

穂乃果「でも、私、ことりちゃんのことも、海未ちゃんのことも、だーいすきだよ。
    μ’sのみんなのことも、家族のことも。
    その「だーいすき」は、ぜんぶ恋なの?」

ことり「うーん、どうかな。
    ただ好きなんじゃなくて、ずっと一緒にいたいと思うこと、かな」

穂乃果「それでも、やっぱり分からないよ。
    だって私、大好きなみんなと、できればずっと一緒にいたいもん」

ことり「そうだね。
    でも、『ずっと一緒にいたい』という気もちにも、色んな意味があるよね。
    たぶん、恋人どうしの『ずっと一緒にいたい』の気もちは、ほかの場合とは、ちょっと違うの」

穂乃果「どんなふうに、違うの?」

ことり「別々でいるのが辛くなるくらいに、焦がれてしまうの」

穂乃果「コガレル?」

ことり「うん、そうだよ。
    胸こがる。
    胸が焦げちゃうくらい、カーッと熱くなるの。」
    そんなふうに焦がれるあまり、そうだな……『チューしたい』とか考えちゃうの」

穂乃果「ふーん。そんなに胸が熱くなるのか。
    今の私には、まだ、よくわからないな。
    でも、恋するとチューしたくなるということは、逆に、チューすると恋した気分になれるかも。
    そんなわけで、海未ちゃん、ちょっとチューしてみてもいい?」

海未 「ちょ、穂乃果、その理屈はおかしいですよ!
    そもそも、チュー……いや、接吻はハレンチです!」

穂乃果「海未ちゃんは、ハレンチな話が苦手だね。
    でも、せめてチューくらい許容しないと、少女漫画読めないよ?」

海未 「いいんです。私は、少女漫画読まなくても。
    今のところは、ハレンチじゃない恋の話だけで、じゅうぶんです」

穂乃果「例えば、どんなお話?」

海未 「『白いアネモネ』です」

9: 2015/03/01(日) 05:25:37.94 ID:HgFLdlguo
穂乃果「子どものころ、何度聞いても眠くなった話だ……
    ねえ海未ちゃん、そろそろ私にも理解できると思うから、お話ししてほしいな!」

ことり「わたしも、また昔みたいに、聞きたいな!」

海未 「いいですよ。
    小さい頃から、ことりに何度もせがまれて、もうすっかり覚えてしまいましたからね」

こうして私たちは、海未ちゃんから、アポロくんとアネモネちゃんの物語を聞かせてもらいました。

10: 2015/03/01(日) 05:26:35.59 ID:HgFLdlguo
穂乃果「なるほど、そんなお話だったのか。
    今あらためて聞くと、とてもガンチクぶかい話のような気がするよ。
    ねえねえ海未ちゃん、ことりちゃん。
    このお話は、恋のお話なの?」

海未 「そうですね。恋の話と言えるでしょうね。
    でも、それと同じくらい……」

穂乃果「同じくらい?」

ことり「それと同じくらい、失恋の話でもあるの」

穂乃果「シツレン、か。
    恋のことは、さっきのお話で少しだけ分かったけど、失恋については、まだぜんぜん分からないよ。
    失恋って、いったい何なのかな?」

ことり「恋してる人は、白いアネモネちゃんみたいに、こう言うわけだね。
    『あたし、あなたのことが好きよ』って」

海未 「ただし、それだけでは、アネモネちゃんの恋は成就しないんです。
    だからアネモネちゃんは、アポロくんに、こんなふうに訊いたわけですね。
    『あたしがあなたのことを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?』って。
    告白するときには、好きだと言うだけじゃなくて、好きかと訊かなくちゃいけないんです」

ことり「一言でいうと、『好きですが好きですか?』というわけだね」

11: 2015/03/01(日) 05:28:27.66 ID:HgFLdlguo
穂乃果「うーん、なかなか難しいんだね。
    それで、アポロくんがイエスと言ってくれれば、恋が叶うわけだね。
    じゃあ、アポロくんがノーと言うときには、恋が失われるのかな?」

ことり「うん、失恋というくらいだから、恋心が失われることもあるかもね。
    でも、いつもそうとは限らないよ。
    中には、恋心を失わずに失恋するひともいるの」

穂乃果「どういうこと?」

ことり「たとえば、アネモネちゃんが、そうだったの。
    アネモネちゃんは、ずっと、
    『あたしがあなたのことを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?』って期待してたんだけど、
    やがて気づくことになるの。
    自分が相手を好きだからといって、相手も自分を好きだとはかぎらないんだ、って」

穂乃果「それでもアネモネちゃんは、アポロくんのことが好きだったんだね」

ことり「そうだね。
    だから、アネモネちゃんは、あんな言葉を残したんだね。
    『あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ』って」

12: 2015/03/01(日) 05:29:20.63 ID:HgFLdlguo
すると、海未ちゃんが、誰に尋ねるともなく、言いました。

海未 「叶わなかった恋心は、どうなるんでしょうね。
    行き場のない胸の焦がれは、どうなるんでしょうね」

風が吹いて、さらさらと街路樹が揺れました。
わたしは、その様子を眺めながら言いました。

ことり「アネモネちゃんの恋心のように、言葉になって、風にそよいで、遠くに運ばれていくんだよ」

海未 「遠くに?」

ことり「そう、遠くに。
    アネモネちゃんの胸の焦がれは、遠くへの憧れに変わるの。
    たとえ、憧れの向かう先に、もうアポロくんがいなくてもね」

13: 2015/03/01(日) 05:30:42.81 ID:HgFLdlguo
【その日の夜、南家、居間】

理事長「ことり、この前の話、ちゃんと考えてくれてる?」

ことり「うん。お母さん。
    わたしなりに、考えてるつもり。
    でも、まだ、迷ってるの。
    確かに、デザイナーになるのは、子どものころからの憧れだったよ。
    でも……」

理事長「憧れを叶えるために、遠くに行くのは、辛い?」

ことり「ううん。
    ちゃんと、やるべきことをやった上で、行きたいと思ってるの」

理事長「やるべきこと?」

ことり「高校で、μ’sのみんなと、最後まで一つのことをやり遂げること。
    それが終わったあと、大学に行ってから、留学したいと思ってるの」

理事長「ええ、私も、それはいい考えだと思うわ」

ことり「でも、まだ、お母さんの知り合いの人に、返事を伝えるのは待ってくれないかな?」

理事長「ほかにまだ、やるべきことがあるの?」

ことり「うん。言わなきゃいけないことがあるの」

理事長「お別れの言葉?
    それはまだ、ずっと先のことなんだから、今から言わなくてもいいんじゃない?」

ことり「ううん、お別れの言葉じゃないよ。
    ほかに、まだ、子どものころから練習していた言葉があるの」

理事長「……分かった。知り合いには、まだ返事を保留しておくわね。
    大丈夫よ。時間はたくさんあるから。
    後悔のないようにね」

14: 2015/03/01(日) 05:32:04.27 ID:HgFLdlguo
【数日後、穂乃果の家】

穂乃果「ようこそ、みなさん!
    さあ、あがってあがって!」

希  「お邪魔します。
    ごめんな、穂乃果ちゃん。
    大勢で押しかけてしまって」

穂乃果「希ちゃん、そんな遠慮しないで。
    たまにはこうやって、みんなで遊ぶのも、いいと思わない?」

希  「せやね。ありがとう。
    ところで今日は、何をするのかな?」

ことり「ふふふ。
    みんなで、海未ちゃんの作詞のお手伝いも兼ねて、映画鑑賞会だよ」

にこ 「映画? どんな映画を見るの?」

ことり「恋愛映画だよ。
    恋心の何たるかを知らないと、ラブソングの作詞もできないからね」

海未 「え、私は初耳ですよ?
    配慮してもらえるのはありがたいですが、恋愛映画は勘弁してください!
    友人の家でハレンチなDVDの鑑賞だなんて、いかがわしいです!
    不純同性交友です!」

真姫 「海未、誤解を招く言い方をしちゃだめよ。
    ところでことり、DVDは誰が調達するの?」

ことり「自他ともに認める少女漫画マイスターのかよちゃんと、
    μ’sのセクシー担当を自称する絵里ちゃんに選んできてもらう予定だよ」

凛  「あ、絵里ちゃんとかよちんが来たよ!
    おーい、ふたりとも、何を借りてきたの?」

花陽 「すてきなラブストーリーだよ!」

絵里 「恋のメタファーに溢れた、すばらしい映画よ。
    思春期の少女が見る風景は、すべて恋の物語なのよ」

15: 2015/03/01(日) 05:33:00.83 ID:HgFLdlguo
そんなわけで、私たちは、DVD鑑賞会を始めました。
凛ちゃんと穂乃果ちゃんは、映画が始まるとすぐ、ふたり仲良く寝てしましました。
真姫ちゃんと希ちゃんとにこちゃんは、一歩下がって、ほむまんを食べながら、映画を鑑賞しています。

にこ 「あいつら、何してるのよ」

希  「恋愛映画好きの三人やからね。
    近くで見たいんじゃないかな?」

真姫 「でも、どうして海未も混じってるの?
    一見、そういうのが好きなようには見えないけど」

希  「真姫ちゃん、よく見てごらん。
    海未ちゃんは、三人に押さえつけられて、解説を聞かされてるんだよ」

にこ 「頭にかぶった座布団まで剥がされて……海未、哀れね」

16: 2015/03/01(日) 05:34:31.35 ID:HgFLdlguo
絵里 「ほら、海未。
    目を逸らさずに、よく見て。
    画面の端に見えるあの二つの山は、きっと、おっぱ……」

海未 「ひいい!」

ことり「絵里ちゃん、深読みしすぎだよ。
    さすがにアレは、ソレのメタファーではないよ」

絵里 「そうかしら、ことり。
    でも、どこかの工口い……じゃなかった、エラい人も言っているわ。
    私たちの生は、アレなのよ。
    いわゆる、ヰタ・セクスアリスなのよ」

花陽 「絵里ちゃん、もうちょっときれいな眼鏡で見るべきだよ。
    いくらなんでも、山のアレがソレをナニしてるというのは、穿った見方だよ。
    それより見るべきなのは、ふたりの男女のプラトニックな心情描写だよ」

絵里 「花陽、あなたは清らかな眼鏡をかけているのね。
    でも残念ながら、私の見たてによれば、あのテーブルの上の二つの林檎も、おそらく、おっぱ……」

海未 「ひいい!」

ことり「絵里ちゃん、林檎のソレがナニをアレしてるというのは、さすがに言い過ぎだよ。
    それより、本筋に集中しようよ。
    ほら、キスシーンが始まるよ、海未ちゃん……わあ、海未ちゃん、暴れないで!」

海未 「ハ、ハレンチです!」

海未ちゃんは、私たち三人の手を振りほどくと、キスシーンの途中で停止ボタンを押してしまいました。

花陽 「ああ……」

ことり「怖い映画じゃないのに……」

絵里 「そうよ、こんな感動的なシーンなのに……」

結局、その日は、キスシーンを見ることができないまま、おひらきになりました。

17: 2015/03/01(日) 05:36:16.25 ID:HgFLdlguo
帰り際、玄関の前で、わたしは穂乃果ちゃんと言葉を交わしました。

ことり「穂乃果ちゃん、今日はありがとう!
    ねえ穂乃果ちゃん、今日の恋愛映画、面白かった?」

穂乃果「えへへ、ステキな映画だとは思うけど、私には、まだよくわからないよ。
    ねえねえ、ことりちゃん。
    どうして海未ちゃんに、恋愛について教えようとしてるの?」

ことり「海未ちゃんの作詞家としての才能を開花させようと思ってね」

穂乃果ちゃんが、嬉しそうに笑って、言いました。

穂乃果「そうだね。
    私も、海未ちゃんの才能、すごいなって思ってるんだよ。
    でも……ことりちゃん、それだけじゃないでしょ?
    小さいころから、ことりちゃん、ずっと考えてることがあるんでしょ?」

ことり「えへへ、穂乃果ちゃんは、眠ってるふりしてたけど、何でもお見とおしなんだね。
    そうだよ。
    わたし、海未ちゃんに、いつか、言わなきゃいけないことがあるの。
    だから、そのための準備を、海未ちゃんにも、しておいてほしいの」

18: 2015/03/01(日) 05:38:12.67 ID:HgFLdlguo
【その日の帰り道】

ことり「ねえねえ、海未ちゃん」

海未 「何ですか、ことり」

ことり「わたし、海未ちゃんのことが好きだよ」

海未 「ありがとうございます」

ことり「わたしが海未ちゃんのことを好きなように、海未ちゃんはわたしのことが好き?」

海未 「好きですよ」

ことり「友達として?」

海未 「友達として」

ことり「ふうん」

海未 「いきなり、どうしたんですか?」

ことり「まだ、早いかな」

海未 「早い? 
    何が早いのですか?」

ことり「言わなきゃいけない言葉を伝えること」

19: 2015/03/01(日) 05:39:08.67 ID:HgFLdlguo
【数日後の放課後、音楽室】

海未 「どうしたんですか、ことり。
    練習が終わったあとに、音楽室に呼び出したりして」

ことり「映画の次は、音楽から恋愛を学ぼうと思ってね。
    とはいえ、そう頻繁にみんなに集まってもらうわけにはいかないから、
    今日のメンバーは、穂乃果ちゃんと海未ちゃんと私と、それから、特別講師の先生」

穂乃果「特別講師? 誰が来てくれるの?」

真姫 「音楽と恋愛といえばこの私、マッキーよ」

穂乃果「ヒューヒュー!
    マッキー、カッコいいよー!
    じゃあ今日は、真姫ちゃんの豊富な恋愛経験について聞けるというわけだね」

真姫 「そんなわけないでしょ。
    あなたたちと同じで、彼氏いない歴イコール年齢なんだから」

穂乃果「じゃあ、何を話してくれるの?」

真姫 「クラシックから恋愛を学ぶのよ」

穂乃果「ヒューヒュー!
    文化的なマッキーも、カッコいいよー!」

真姫 「えへへ」

20: 2015/03/01(日) 05:40:05.93 ID:HgFLdlguo
そして真姫ちゃんが、きれいな曲を、ピアノで聴かせてくれました。
そして、外国の言葉で、きれいな歌を歌ってくれました。

ことり「ありがとう、真姫ちゃん。
    これは、何ていう曲なのかな?」

真姫 「モーツァルトの『すみれ』という歌曲よ」

海未 「今歌ってくれた歌詞は、どういう意味なのですか?」

真姫 「ある有名な詩を、そのまま歌詞にしてるの。
    牧場に咲く、可憐なスミレの恋の物語よ」

穂乃果「スミレさんは、誰に恋をしたの?」

真姫 「羊飼いの、かわいこちゃんよ。
    彼女に摘まれて、四半刻でもいいから、その胸に抱かれたいと思ったの」

ことり「その恋心は、叶ったの?」

真姫 「残念ながら、叶わなかったわ。
    小さなスミレは、気づかれることなく、かわいこちゃんに踏まれてしまうの」

穂乃果「かわいそうな、スミレさん。
    悲しかっただろうね」

真姫 「そうね。悲しかったと思うわ。
    でも、それと同じくらい、嬉しかったらしいの」

海未 「嬉しい?
    なぜ、踏まれて喜ぶのですか?」

真姫 「えーと、その……
    かわいこちゃんに踏まれるなら本望だ、と思って……」

穂乃果「ははーん、わかったよ。
    スミレさんは、ヘンタイさんなんだね」

真姫 「違うわよ!
    もっとこう、スミレさんの詩的な熱情を理解してあげなさいよ!」

21: 2015/03/01(日) 05:41:07.22 ID:HgFLdlguo
海未 「えーと、ちょっと倒錯的なところもありますけど……
    これは、失恋についての歌なのですね」

穂乃果「失恋というのは、要するに、踏まれる喜びなの?
    失恋した詩人は、ヘンタイさんと紙一重なの?
    私には、よくわからないよ。
    ……そうだ! ねえ真姫ちゃん、ためしに私のこと、踏んでみてよ!」

真姫 「うええ?」

穂乃果「失恋した人は、踏まれて喜ぶ。
    ということは、踏まれて喜べば、失恋した人と同じ気持ちになれるかもしれないよ」

海未 「いや穂乃果、その理屈はちょっとおかしいですよ」

穂乃果「ほら、海未ちゃんも一緒に踏まれてみようよ!」

海未 「私は遠慮しときます!」

穂乃果「じゃあ私だけでいいから!
    あれー、真姫ちゃん、できないんだあ?」

真姫 「できるわよ、そこまで言うなら、やってやろーじゃない! ……とでも言うと思ったか!
    女性の体はデリケートなのよ!
    踏みつけるなんて、ぜったいダメなの!」

穂乃果「じゃあ男の人なら、踏んでもいいの?
    男の人は、踏まれると喜ぶの?」

ことり「それはまた別の話だよ、穂乃果ちゃん」

穂乃果「むむむ……
    それなら、軽く足を載っけるだけでいいから。
    さあ真姫ちゃん、カモン!」

ことり「あ、真姫ちゃん、わたしにもお願ーい!」

22: 2015/03/01(日) 05:42:11.02 ID:HgFLdlguo
【数分後、ふたたび音楽室】

花陽 「失礼します。
    真姫ちゃん、遅くなってごめんね。
    凛ちゃんと私の用事は済んだから、私たちにもぜひクラシックを聴かせて……ぴゃあ!」

真姫 「うええ……」
   (椅子に腰掛けて、おそるおそる、穂乃果とことりの上に足を載せる)

穂乃果「Ach, das arme Veilchen!
   (ああ、かわいそうなすみれ!)」

ことり「Ach, das arme, arme Veilchen!
   (ああ、かわいそうな、かわいそうなすみれ!)」

海未 「……」

凛  「かよちーん、扉の前で立ち止まって、どうしたの?
    凛も中に入りたいよー」

花陽 「凛ちゃんは見ちゃだめ!」

海未 「……」

花陽 「う、海未ちゃん……
    これは、どういう状況なの?」

海未 「……いわゆるヰタ・セクスアリスです」

23: 2015/03/01(日) 05:43:36.04 ID:HgFLdlguo
【その日の帰り道】

ことり「いやー、真姫ちゃんから足を載せられてみたら、
    失恋したスミレさんの気もちが、少しだけ分かったような気がするよ!」

穂乃果「だよね、だよねー!
    何というか、こう、悲しみの奥にかくれたヨロコビを感じられた気がする!」

海未 「二人とも、危ない悦びを感じるのは慎んでください!
    あんまり行きすぎると、ただの変態になっちゃいますよ。
    それに真姫も、怯えてましたよ。
    まきちゃんおびえて、あいうえお、ですよ」

ことり「真姫ちゃんには、明日、あらためて謝ることにしようか。
    でも、おかげで、わたしたちは、お花を通じて失恋について学ぶことができたよ。
    アネモネちゃんの失恋と、スミレさんの失恋を通じてね。
    学んだことは、どんなふうにまとめられるかな?」

穂乃果「うーん、失恋しても、フられたほうの恋心は、残り続けるということかな。
    風にそよぐ言葉として、あるいは、踏まれる喜びとして。
    後者は、ちょっと変態チックだけどね」

24: 2015/03/01(日) 05:44:57.33 ID:HgFLdlguo
海未 「これで私たちは、失恋について、すっかり学んだことになるんでしょうか。
    実際に失恋するのと同じくらいのことを、追体験したことになるのでしょうか」

ことり「うーん、まだだよ。
    お花と私たちには、大きな違いがあるからね」

穂乃果「どんなふうに違うの?」

ことり「アネモネちゃんとスミレさんは、失恋したら、散ってしまうの。
    でも、わたしたちは、失恋したあとも、散らないんだよ。
    フられたあとも、新しい日々を迎えて、また笑えるようになるべきなんだよ」

海未 「それは、どこで学べるのでしょうか?」

ことり「お花で追体験できないなら、自分で実際に体験するしかないよね。
    だから、練習することはできないんだよ。
    初めてフられる人は、いつでも、ぶっつけ本番で立ち直らなきゃいけないんだよ」

穂乃果「うーん、なかなか難しいんだね。
    ……あ、いつのまにか家の前だ。
    それじゃあ、ことりちゃん、海未ちゃん、また明日!」

海未 「はい、また明日」

ことり「また明日ね、穂乃果ちゃん」

25: 2015/03/01(日) 05:46:38.02 ID:HgFLdlguo
穂乃果ちゃんを見送ったあと、しばらく海未ちゃんと二人で歩きました。

ことり「ねえねえ、海未ちゃん」

海未 「何ですか、ことり」

ことり「わたし、海未ちゃんのことが好きだよ」

海未 「ありがとうございます」

ことり「わたしが海未ちゃんのことを好きなように、海未ちゃんはわたしのことが好き?」

海未 「好きですよ」

ことり「友達として?」

海未 「……友達として」

ことり「……そっか。
    ねえねえ、海未ちゃん。
    海未ちゃんはカッコいいから、後輩の子からすごく人気があるよね。
    もしファンの子から、友達とは違う意味で『好き』って言われたら、どうする?」

海未 「難しいですね。
    軽々しく求めに応じるわけにはいきませんよね。
    かといって、相手を傷つけたくはないし」

ことり「モテモテの蝶々にも、悩みがあるんだね」

海未 「よしてください。
    私はアポロくんみたいにモテモテじゃないですよ。
    ……でも、フられるほうにも立ち直る勇気が必要ですけど、きっと、フるほうにも、覚悟が必要なんでしょうね。
    相手を置いて、その場を去る覚悟が。
    アポロくんみたいに軽薄にならないためには、相手を思いやる心が必要ですからね」

ことり「それなら海未ちゃんは、安心だね。
    だって海未ちゃんは、冷たい蝶々のアポロくんと違って、とっても優しいもんね」

海未 「いいえ、私には、よくわからないです。
    フる相手を思いやる心が、十分にあるかどうか、わからないです」

ことり「じゃあ、むやみに告白されるのは、辛い?」

海未 「辛いでしょうね。
    さいわい、そんな経験は、まだありませんけどね」

ことり「……まだ、早いかな」

海未 「早い? 何が早いのですか?」

ことり「言わなきゃいけない言葉を伝えること」

29: 2015/03/01(日) 16:25:09.34 ID:HgFLdlguo
【その日の夜、南家、居間】

理事長「ことり、あまり急かすつもりはないのだけど……
    留学の件、あれからどう?」

ことり「お母さん、ごめんなさい。
    もう少しだけ、待ってくれないかな?」

理事長「ええ、大丈夫よ。
    もうすぐ最終予選だから、そっちに集中してね。
    でも、残念ながら、本選が終わるまでは、待てないわ。
    遅くとも二月の終わりまでには、答えを出してほしいの」

ことり「うん、わかった」

30: 2015/03/01(日) 16:25:43.26 ID:HgFLdlguo
それからわたしたちは、最終予選のための練習に励み、何とか当日を迎えました。
みんなの応援のおかげで、わたしたちは本選に進むことができました。
あわただしい日々の中で、失恋について考える機会は、少なくなりました。
とはいえ、やはり、それについて考えなくちゃいけない日もあります。

31: 2015/03/01(日) 16:26:19.33 ID:HgFLdlguo
【2月14日の放課後、部室】

にこ 「久しぶりね、ことり。
    調子はどう?」

ことり「あ、にこちゃん、希ちゃん、絵里ちゃん!
    こっちの準備は、おかげさまで順調だよ。
    三人の受験の調子は、どう?」

希  「こっちも、おかげさまで、何とかなりそうだよ。
    今日は久しぶりに顔を出すついでに、チョコの差し入れに来たの」

ことり「わーい、ありがとう!
    わたしたちの作ったのも、食べてくれる?」

絵里 「ええ、もちろんよ。ありがとう」

ことり「わあ、絵里ちゃん、すごい量のチョコ!
    それぜんぶ、ファンの人からもらったの?」

絵里 「ええ、なぜこんなポンコツがモテるのか、わからないけどね。
    ありがたい話よ」

ことり「ぜんぶ手渡し?」

絵里 「いいえ。受験生ということで遠慮してもらえたみたいで、ぜんぶロッカーの中に入ってたわ」

希  「でも去年は、大変だったよね。
    絵里ちにチョコを手渡ししたい後輩の女の子が、列をつくってたもんね」

にこ 「たぶん今年は、あいつが囲まれてるんじゃないかしら?」

ことり「うん、そうなの、今日は……」

32: 2015/03/01(日) 16:27:20.17 ID:HgFLdlguo
そこに、大きな紙袋を抱えた海未ちゃんが、げっそりとした様子で入ってきました。

海未 「おひさしぶりです」

希  「わー、すごいな、海未ちゃん。
    それぜんぶ、手渡しでもらったん?」

海未 「ええ。ありがたい話ですが、さすがに心労で倒れそうです」

にこ 「心労? 嬉しいだけじゃないの?」

海未 「もちろん、嬉しいことは嬉しいですよ。
    でも、返事をするときに過度な期待をもたせてはいけませんし、かといって、つれない態度をとるわけにはいきません。
    そのバランスをとるのが、難しいんです」

にこ 「ははーん。モテる人にも、辛いことがあるのね。
    でも、今日一日で、だいぶ鍛えられたんじゃない?」

海未 「どうでしょうね。
    告白のときの心の動きには、少しだけ敏感になれた気がしますけどね」

33: 2015/03/01(日) 16:28:47.10 ID:HgFLdlguo
そこに、穂乃果ちゃんが嬉しそうにやって来ました。

穂乃果「海未ちゃーん! チョコを分け合おう!
    私の作ったチョコあげるから、海未ちゃんのをぜんぶ、味見させてほしいな!」

海未 「いいえ。申し訳ないですが、そういうわけにはいきません。
    私が用意した分は、もちろん、あげますよ。
    でも、私が後輩の子からもらったチョコは、一口たりとも、ほかの人にはあげません」

穂乃果ちゃんは、それを聞くと、事情を察した様子で口を開きました。

穂乃果「……あ、確かにそうだね。
    ごめんね、無理なお願いをしちゃって。
    海未ちゃん、チョコをくれた女の子の恋心を、たいせつにしたいんだね」

海未 「さすが、穂乃果です。
    わかってくれて、ありがとうございます」

そう言って海未ちゃんは、包装を傷つけないように丁寧に外すと、黙々とチョコを食べはじめました。

34: 2015/03/01(日) 16:29:33.41 ID:HgFLdlguo
にこ 「ねえ海未、あんたの考えは立派だと思うわ。
    でも、あんまり無理して食べすぎないようにね」

希  「そうだよ、海未ちゃん。
    くれぐれも、体に気をつけてな」

海未 「心配してくれて、ありがとうございます。
    でも私なら、大丈夫ですよ」

わたしは、チョコを味わう海未ちゃんの目を見つめて、話しかけました。

ことり「ねえ、海未ちゃん。
    どうして、そこまでして、恋心を受け止めようと思ったの?」

海未ちゃんは、チョコを飲みこむと、わたしの目を見つめ返して言いました。

海未 「私のためにチョコを作ってくれた女の子の気もちを、想像してみたんです。
    私は恋をしたことが……ないから、うまく想像できたかどうか、わかりません。
    でも、とても大切な気もちが、分かった気がしたんです。
    だから、その気もちを、ぜんぶ受けとめたくなったんです」

ことり「もし、チョコをくれた子と、これから会うことがなくても?」

海未 「もう会うことがなくなっても、私はその子のこと、忘れません。
    だから、その子のチョコは、ぜんぶ頂きます」

ことり「えへへ、やっぱり海未ちゃんは、カッコいいな」

そろそろ、いいかな。

35: 2015/03/01(日) 16:30:53.04 ID:HgFLdlguo
【その日の夜、南家、居間】

ことり「ねえ、お母さん。
    留学の件だけどね。
    前に言ってたとおり、大学に入ってから行けるように、手続きすることに決めたよ」

理事長「ええ、分かったわ。
    そのように伝えておくわね。
    言わなきゃいけないことを言う準備ができたの?」

ことり「うん」

理事長「いつから、それを言う準備をしてたの?」

ことり「小さいころから、ずっと」

今日は、海未ちゃんも疲れてるだろうから、少し日を置こう。
それからわたしは、なにくわぬ顔で、数日を過ごしました。

36: 2015/03/01(日) 16:31:50.50 ID:HgFLdlguo
【数日後の夜、南家、ことりの部屋】

ことり「もしもし、穂乃果ちゃん。
    いま、お話しても大丈夫?」

穂乃果:
    うん、大丈夫だよ。
    何のお話しよっか?

ことり「大事な話、してもいい?」

穂乃果:
    ……うん。
    最近、ことりちゃんの様子がいつもと違うから、
    もしかしたら、何かあるのかなって思ってたんだ。

ことり「さすがは穂乃果ちゃん。
    何でもお見とおしなんだね」

それからわたしは、留学のことについて、詳しく話しました。
高校を卒業して大学に行ったあとで、いずれ留学するつもりだということ。
たぶん、わたしが夢を叶える場所は、海の向こうになるだろうということ。

37: 2015/03/01(日) 16:33:02.57 ID:HgFLdlguo
穂乃果:
    ……うん、わかった。
    寂しいけど、私は、ことりちゃんが夢を叶えるのを応援してるからね。
    それに、すぐにお別れというわけじゃないもんね。
    これからまた、たくさん、みんなで楽しいことしようね。

ことり「ありがとう、穂乃果ちゃん。
    私、みんなのこと、だーいすきだよ。
    このことだけ、忘れないでね」

穂乃果:
    うん、ありがとう。
    私たちもみんな、ことりちゃんのこと、だーいすきだよ」

ことり「ありがとう。
    何があっても、そのことは、忘れないよ」

穂乃果:
    ねえ、ことりちゃん。
    海未ちゃんにはもう、留学のこと話したの?

ことり「ううん、まだ」

穂乃果:
    海未ちゃんに、言わなきゃいけない言葉があるんでしょ。

ことり「そうなの」

穂乃果:
    これから、海未ちゃんに電話するの?

ことり「うん」

穂乃果:
    電話を切るまで、泣かないようにね。

ことり「うん」

38: 2015/03/01(日) 16:33:49.33 ID:HgFLdlguo
穂乃果ちゃんとの電話を終えたあと、わたしは一呼吸ついて、海未ちゃんに電話をかけました。

ことり「もしもし、海未ちゃん。
    いま、お話しても大丈夫?」

海未:
    はい、大丈夫ですよ。
    何のお話をしましょうか?

ことり「大事な話、してもいい?」

それからわたしは、留学のことについて、詳しく話しました。
穂乃果ちゃんに話したのと、同じことを。
そのあとすぐ、わたしは、海未ちゃんに言いました。

ことり「ねえ、海未ちゃん」

海未:
    ……何でしょう。

ことり「わたし、海未ちゃんから聴きたいお話があるんだ」

海未:
    ……何でしょう。

ことり「白いアネモネ」

39: 2015/03/01(日) 16:34:52.22 ID:HgFLdlguo
【その頃、高坂家、穂乃果の部屋】

穂乃果「はい、もしもし」

絵里:
    こんばんは、穂乃果。
    今、電話しても大丈夫かしら?

穂乃果「うん、大丈夫だよ」

絵里:
    ちょっと穂乃果に、訊きたいことがあるの。

穂乃果「うん、いいよ。
    私でよければ、何でも答えるよ」

絵里:
    最近、ことりに、何かあったんじゃない?

穂乃果「うん。さすが、絵里ちゃんだね。
    この前のバレンタインデーの日に気づいたのかな?
    あの日の絵里ちゃん、あんまり喋らずに、ずっとことりちゃんのことを見てたもんね」

絵里:
    ことりは、ぎりぎりまで大切なことを自分の胸にしまっておく性格だから。
    だから、何か悩みを隠してるんじゃないかなって、思ってたの。
    どこか遠くに行くような素振りをしてたから、心配になって……
    でも、そのことを、ことりは穂乃果に話してくれたのね。

穂乃果「うん、そうなの、実は……」

絵里:
    ううん、いいわ。言わなくて。
    あなたの口調からして、それほど急を要する話じゃないみたいだから。
    私は、その日がくるまで、知らないふりをしておくから。

穂乃果「ありがとう。
    その日が近づいたら、きっとことりちゃんの口から話を聞けると思うよ」

絵里:
    それを聞いて、まずは一安心したわ。
    でも、もう一つ心配ごとがあるの。
    ことりと海未のことよ。

40: 2015/03/01(日) 16:35:26.26 ID:HgFLdlguo
穂乃果「すごいね、絵里ちゃん。
    そこまで分かって、見守っててくれてたんだね」

絵里:
    いいえ、私はただのポンコツよ。
    ただ、あの日、ことりが海未に大事なことを言いたそうだったのに気づいただけ。

穂乃果「うん、それも絵里ちゃんの見立てどおりだよ。
    でも安心して。
    ちょうど今、ことりちゃんが、海未ちゃんに、それを話してると思う」

絵里:
    白いアネモネの話?

穂乃果「……いつから気づいていたの?」

絵里:
    ことりが、失恋の練習と称して、白いアネモネごっこをしてるのを見たとき。
    あの日から……いや、子どもの頃からずっと、ことりは、失恋の練習をしてたのね。

穂乃果「うん、海未ちゃんと一緒にね」

絵里:
    白いアネモネは、ことり自身だったのね。

41: 2015/03/01(日) 16:36:20.08 ID:HgFLdlguo
穂乃果「ううん、絵里ちゃんの推測は鋭いけど、そこだけはちょっと違うんだ」

絵里:
    どういうこと?
    だって、いつも、アネモネ役は、ことりだったじゃない。

穂乃果「確かに、練習では、そうだったね。
    でも、本番のときは、立場が逆になるんだよ。
    白いアネモネは、ほんとうは、海未ちゃんだったの」

42: 2015/03/01(日) 16:37:05.50 ID:HgFLdlguo
【その頃、南家、ことりの部屋】

海未:
    いつからことりは、気づいていたんですか。
    私がことりに恋をしているってこと」

ことり「子どものころから、ずっと、分かってたよ。
    『白いアネモネ』のお話を、はじめて読んでくれたときから」

海未:
    ふふふ。私自身よりもずっと早く、知ってたんですね。
    だって、私が自分の気もちに気づいたのは、つい最近のことなんですよ。

ことり「ふふふ。わたしが恋愛のことを教えてあげたおかげだよ。
    海未ちゃんに、自分自身の気もちに気づいてもらえるように、色んなことをしたでしょ。
    一緒にアネモネごっこをして、恋愛映画を見て、歌曲を聴いて……
    でも、最後は、海未ちゃんが自分の力で気づいてくれたね。
    この前のバレンタインデーの日に」

海未:
    そうですね。
    後輩の子たちの恋心に思いを馳せているときに、やっと気づいたんです。
    私の心の中にも、同じ焦がれがあるということに。

ことり「もー、海未ちゃんたら、鈍感なんだから。
    穂乃果ちゃんのほうが、早く気づいてたみたいだよ。
    海未ちゃんの気もちにも、アネモネごっこの本当の意図にも」

海未:
    ふふふ、さすがは私たちのリーダー、穂乃果ですね。
    寝ているふりをして、何でもお見通しなんですね。

ことり「さて、それではそろそろ、始めようか。
    ねえ、海未ちゃん、これは練習じゃなくて、本番だからね。
    今から話す言葉は、お芝居の台詞じゃなくて、わたしたち自身の言葉だからね」

海未:
    わかりました。

43: 2015/03/01(日) 16:37:49.06 ID:HgFLdlguo
【その頃、高坂家、穂乃果の部屋】

絵里:
    驚いたわ。
    ことりが海未にフられる練習をしてたんじゃなくて、ことりが海未をフる練習をしてたのね。

穂乃果「うん。
    ことりちゃんは、お別れの日が来るまえに、海未ちゃんの気もちを受けとめる準備をしてたの」

絵里:
    二人とも、立ち直れるかしら?
    また笑えるようになるかしら?

穂乃果「きっと大丈夫だよ。
    今まで逆の役を演じてきたのは、お互いの心を思いやるためだからね。
    フられる側には恋心が残るし、フる側にも恋心は残る。
    それを思いやることができれば、きっと二人は、また顔を合わせて笑えるようになるよ」

44: 2015/03/01(日) 16:38:27.59 ID:HgFLdlguo
【その頃、南家、ことりの部屋】

海未:
    ねえ、アポロさん。

ことり「何かな、アネモネちゃん」

海未:
    あたし、あなたが好きよ。

ことり「……」

海未:
    あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?

ことり「……いいや、そんなことはないよ」

海未: 
    あたしを置いて、遠くに行っちゃうのね。

ことり「そうだよ。
    でも、安心しなよ。
    つれない蝶々が、どこかに飛んでいくだけだよ。
    そんなひどい僕のことなんか、忘れてしまいなさい」

海未:
    ……あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ。

そこまで言うと、わたしたちは、言うべき言葉を見つけられずに、二人で沈黙しました。
海未ちゃんは、決して自分から電話を切ろうとしませんでした。
電話を切るのは、フられるほうじゃなくて、フるほうじゃなくちゃいけないのです。
だからわたしが、静かに電話を切りました。

45: 2015/03/01(日) 16:39:16.62 ID:HgFLdlguo
ツーツーと音をたてる電話に耳を当てて、わたしはベッドに突っ伏しました。
言うべきことはもうないけど、言いたかったことは、まだあります。
子どものころ、泣いているわたしに、海未ちゃんは、いつもこう言ってくれました。

――――――――――

「わああ! ことり、泣かないでください!
 これはお芝居ですよ!
 ほんとは、わたし、ことりのことが、だーいすきですよ!」

「わーい、うみちゃん、ありがとう!
 ことりも、うみちゃんのこと、だーいすきだよ!」

「それじゃあ、ほのかをおこして、みんなで、おそとにあそびにいきましょうか」

「うん!」

―――――――――――

できることなら、同じことを海未ちゃんに言ってあげたかったな。

「海未ちゃん、泣かないで。
 ほんとは、わたし、海未ちゃんのことが、だーいすきだよ」

切れた電話にそう告げてから、わたしは、つぶやきました。

「ごめんね」

46: 2015/03/01(日) 16:43:27.44 ID:HgFLdlguo
【二週間後、部室】

とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにはいきません。
間近に迫った本選に向けて、動き出さなくちゃいけません。
どんなに練習を重ねても、失恋から軽やかに立ち直ることはできません。
それでも海未ちゃんとわたしは、ゆっくり立ち直り、日常に戻ることができました。
戻る前と後で、海未ちゃんには、二つの変化がありました。

47: 2015/03/01(日) 16:44:11.70 ID:HgFLdlguo
真姫 「海未、あなたの書く詩は、最近ますますステキになったわね」

希  「うん、ウチもそう思う。
    海未ちゃん、恋について書けるようになったんやね」

海未 「ふふふ、ありがとうございます」

真姫 「何か心境の変化があったの?」

海未 「さあ、どうでしょうね」

そう、海未ちゃんの第一の変化は、恋の詩を書けるようになったこと。
一度は行き場を失った海未ちゃんの胸の焦がれは、憧れの言葉になって、行き先を見つけたようです。
これでわたしも、安心して、自分の憧れを遠くに飛ばす準備ができそうです。

48: 2015/03/01(日) 16:45:02.88 ID:HgFLdlguo
花陽 「海未ちゃん、新しいDVD借りてきたから、一緒に見ようよ!」

絵里 「そうそう。
    息抜きに、恋愛映画を見ましょうよ」

海未 「はい、私もぜひ見たいです!」

絵里 「ほら、花陽、ここの場面を見て。
    お椀の中の二つのお餅は、おそらく、おっぱ……」

花陽 「違うよお!」

海未 「いいえ、花陽、絵里の言うとおりですよ。
    目を逸らさずに、よく見てください。
    それだけじゃなくて、さっきのお椀のふたを閉めるシーンは、おそらく、せっぷ……」

花陽 「それも違うよお!
    ねえ、絵里ちゃん、海未ちゃん。
    二個セットで丸い形のモノを何でもアレに結びつけたり、
    モノどうしの接触を何でもソレに結びつけたりするのは安易だよ。
    人間の生活を何だと思ってるの?」

絵里 「ヰタ・セクスアリス」

海未 「ヰタ・セクスアリス」

そう、海未ちゃんの第二の変化は、恋愛映画や少女漫画を見られるようになったこと。
恋と失恋をいっぺんに経験して、海未ちゃんの趣味には、ささやかな変化が起きたようです。
それに伴って、ちょっとスケベな話もできるようになったのは、まあお愛嬌でしょう。
ただ、少し困った嗜好にも目ざめてしまったようで……

49: 2015/03/01(日) 16:45:37.78 ID:HgFLdlguo
海未 「あ、ことり、丁度いいところに来てくれました。
    恋愛映画、いっしょに鑑賞しませんか」

ことり「うん、ありがとう!
    わたしも、まぜてもらおうかな」

海未 「ところで、ことり」

ことり「何かな」

海未 「ちょっと私を踏んでくれませんか?」

ことり「ちょ、海未ちゃん!
    女性の体はデリケートなんだよ!
    だから、踏んづけるなんて、ぜったいダメなの!」

海未 「それなら、足を載せるだけでいいですから。
    さあ、ことり、カモン!」

51: 2015/03/01(日) 16:47:38.44 ID:HgFLdlguo
【その頃、部室近くの廊下】

穂乃果「ねえ、にこちゃん、凛ちゃん。
    二人に相談というのは、ほかでもない海未ちゃんとことりちゃんのことだよ。
    ちょっと最近、二人には色々なことがあったの。
    だから、三バカの私たちで、少しでも明るい雰囲気づくりを目ざしたいんだよ」

にこ 「今こそ、三バカの本領発揮というわけね」

凛  「よーし、テンション上げていくにゃー!」

穂乃果「では、ドアを開けるよ。
    やっほー、海未ちゃん、ことりちゃ……」

ことり(椅子に腰掛けて、おそるおそる、海未の上に足を載せる)
   「海未ちゃん、どう、嬉しくなってきた?」

海未 「Ach, das arme Veilchen!
   (ああ、かわいそうなすみれ!)」

凛  「たいへんだ」

にこ 「へんたいだ」

穂乃果「あーよかった。
    もう安心みたい」

52: 2015/03/01(日) 16:49:00.00 ID:HgFLdlguo
わたしに踏まれながら、海未ちゃんが囁きました。

海未 「蝶々さん、私は、嬉しいですよ」

ことり「踏まれるのが、嬉しいの?」

海未 「それもあるけど、それだけじゃありません。
    これから飛び立つあなたの見る世界が、海の向こうまで開けているのが、嬉しいんです」

わたしも、それに応えて、囁きました。

ことり「白いアネモネさん、わたしも、嬉しいよ」

海未 「どうして、嬉しいんですか?」

ことり「アネモネさんが、これからますます、きれいになってくれるはずだから。
    ねえ、アネモネさん。
    一度めの失恋のあとには、いつかきっと、二度めの恋が始まるよ。
    ますますきれいに咲いたアネモネさんのところには、
    いつかきっと、すてきな王子さまが迎えに来てくれるよ」

そのあと、海未ちゃんとわたしは、同じように微笑みました。
同じように微笑んだので、わたしにはもう、どっちがアネモネで、どっちが蝶々なのか、分かりませんでした。

53: 2015/03/01(日) 16:49:33.60 ID:HgFLdlguo
※おわりです。
 読んでくれた方、ありがとうございました。

 文中の「白いアネモネ」の話は、フィンランドの作家サカリアス・トペリウスの児童文学作品です。

54: 2015/03/01(日) 16:51:20.51 ID:rnr6++bCo
乙。
なんとも不思議な雰囲気で見入ってしまった。

引用元: ことり「白いアネモネ」