1: 2012/05/14(月) 21:24:56.50 ID:X1CkfZw9P
秋のなかば。
夜ごとに見る夢は過ぎ去った夏の名残り。
その夏の記憶は草むらと海。
そして私の恋人は京子。
彼女が氏んでしまった今でも、私の恋人は京子。
京子が氏んでからだ。あの、おかしな夢を見るようになったのは。
でもあの夢は、京子と無関係のようにも思える。
2: 2012/05/14(月) 21:26:55.11 ID:X1CkfZw9P
夢の中──七森駅の前で私が来るのを待っているあの子。
あの子は京子とは似ていない。
私が知っている他のどの女の子とも似ていない。
京子は本当に氏んでしまったんだろうか?
そうは思えない。
3: 2012/05/14(月) 21:28:57.09 ID:X1CkfZw9P
京子。戻ってきて。
私の夢の中だけでいいから、戻ってきて。
私が、悪かったよ。
6: 2012/05/14(月) 21:30:55.10 ID:X1CkfZw9P
京子がまだ生きていた頃、私は京子をいじめることがあった。
小さな頃からずっと“仲の良い幼馴染”だった私と京子。
私は京子を小さな頃からずっといじめ続けていた。
京子──この子は私におもちゃにされるだけの可愛い人形。
涙でうるんだ黒い瞳は、夏空の白い雲を映し出す黒曜石の鏡。
7: 2012/05/14(月) 21:32:55.97 ID:X1CkfZw9P
私は京子が好きだった。
好きで好きでたまらなかった。
だからいじめたんだ。
京子、帰ってきて。
私を、許して。
9: 2012/05/14(月) 21:34:55.67 ID:X1CkfZw9P
だけど、誤解しないでほしい。
私は京子を精神的に虐待したことは一度もないんだ。
10: 2012/05/14(月) 21:36:56.59 ID:X1CkfZw9P
─
──
───
────
去年の夏──それは素晴らしい夏だった。
草むらの夏──それは草いきれの中の静寂。
私と京子との遊びは、やがて京子のすすり泣きに終わる。
何故かって、それは、私が京子をだまして、西垣先生の薬を飲ませたから。
13: 2012/05/14(月) 21:38:55.58 ID:X1CkfZw9P
身体中から赤紫色のできものを吹き出させ、夏草の底で悶え苦しむ京子。
京子は泣き声も立てず、私を恨めしげに見ることもしなかった。
そんな京子の可愛らしい手足を縛り上げた私は、京子を抱き上げて、
その小さな身体を、漆(うるし)の茂みの中へ転がして帰ってきた。
15: 2012/05/14(月) 21:40:56.34 ID:X1CkfZw9P
だけど、あの草むらは、私の夢には出てこない。
夢に出てくるのはいつも街角──私がいつも行くあの七森駅だ。
16: 2012/05/14(月) 21:42:55.42 ID:X1CkfZw9P
去年の夏は長かった。
京子は夏の海を見て悲しそうにしていた。
あの素晴らしい夏の日の午後──私は京子をボートに乗せて沖へ出た。
泳げない京子を、私は海に投げ込んだ。
19: 2012/05/14(月) 21:44:55.59 ID:X1CkfZw9P
魚の腹みたいに白くて、水面に現れては消える京子の手や足。
揺れ動く金色の髪は波にきらめく陽光。
私の助けを求めて水面をさまよう小さな指先は、さざ波を立てて跳ねる小魚。
苦しみ続ける京子の哀れさに涙を浮かべながら、私はその様子にいつまでも見とれていた。
ボートの底に横たわり、水を吐いて苦しんでいた京子。
青藍色の水着を脱がせてやると、京子の白い下腹部は飲んだ海水で一杯に膨らんでいた。
20: 2012/05/14(月) 21:46:55.06 ID:X1CkfZw9P
だけどあの海は、私の夢には出てこない。
一度も出てこない。
あの夏は私の中から消えていくだけだ。
21: 2012/05/14(月) 21:48:55.12 ID:X1CkfZw9P
京子は氏んだ。肺炎だった。
私は泣いた。
私にいじめられた記憶ばかりを持ち、
私に愛された記憶は持たずに氏んでしまった京子の哀れさに、
私は声をあげて泣いた。
────
───
──
─
22: 2012/05/14(月) 21:50:56.17 ID:X1CkfZw9P
そして、ふたたび夏。
七森の夏。
街を歩く私。半袖の制服の洪水。
雑踏にまぎれた私の心に、しかしあの夏は蘇ってはこなかった。
やがて夏の終わり。
想い出が少しだけ顔を出した。でもそれは去年の夏の想い出だ。
その頃だった。あの夢が現れたのは──。
23: 2012/05/14(月) 21:52:56.72 ID:X1CkfZw9P
それは京子の夢じゃなかった。知らない女の子の夢だった。
なんで京子は夢に出てきてくれないんだろう──と私は思った。
夢は眠りを妨げてはならない。
京子を夢に見たら、きっと私の眠りは妨げられるのだろう。
25: 2012/05/14(月) 21:54:56.57 ID:X1CkfZw9P
あの女の子は京子に似てはいないと思う。
でも京子なんだ。
本当にそう?
──いや、そうじゃないみたいだ。
夢の中の知らない女の子──それは何だろう?
もしかして自分?
そうだ、あの子はきっと“アニマ”だ。
26: 2012/05/14(月) 21:56:55.49 ID:X1CkfZw9P
> アニマとアニムス Anima,Animus
>
> 男性における女らしさ、女性における男らしさである。
> アニマとは本来ラテン語で〈魂〉を意味する語。
> スイスの精神医学者ユングが分析心理学の用語として用い,
> 現在ではその意味で使用されることが多い。
>
> ユングは夢分析の際に,男性の夢に特徴的な女性像が多く出現することに注目して,
> そのような女性像の元型が,男性たちの共通のイメージ(普遍的無意識)に存在すると仮定し,
> それをアニマと名づけた。
> 女性の場合は夢に男性像が現れ,その元型がアニムス(アニマの男性形)である。
>
> アニマ(アニムス)は共に肯定的,否定的なはたらきをもっている。
> しかしそれを可能な限り意識化して人格の統合をはかることが,
> 個人の自己実現の過程であるとユングは主張している。
>
> その過程は創造的である一方、破壊の可能性も秘めている。
http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/anima.htm
28: 2012/05/14(月) 21:58:56.74 ID:X1CkfZw9P
アニマ──それは女性遺伝原質の精神的表現。
アニマ──それは私の無意識の擬人化。
あの子は女の子なんだから、アニムスよりはアニマと呼んだ方が良いのだろう。
アニマは夏の終わりから秋にかけて、私の夢の中の七森駅で私を待ち続けた。
夢の中で、私はそこへ行こうとした。
でも、どうしても行けなかった。
29: 2012/05/14(月) 22:00:55.10 ID:X1CkfZw9P
ある日私は、七森駅へ行き、
いつも夢の中でアニマが立っていた場所に立ち、
人混みの中であの子が来るのを待ち続けた。
でもあの子は来なかった。
30: 2012/05/14(月) 22:02:55.16 ID:X1CkfZw9P
夕映えの街を吹き過ぎていく秋風は、満たされない期待に冷たく凍った心臓。
待ち続けながら、私は再び過ぎ去ったばかりの夏の空白を悔やんだ。
ミラクるんの劇場版は今年も新作が上映され好評を博したという。
でも、それはそれだけのこと。
31: 2012/05/14(月) 22:04:56.66 ID:X1CkfZw9P
夏──今年の夏にはどんな想い出があったっけ?
何もない。空白だ。
去年の夏──京子がいた。
その前の夏にも、さらに前の年の夏にも、京子がいた。
だけど今年の夏は──。
32: 2012/05/14(月) 22:06:56.37 ID:X1CkfZw9P
アニマは来なかった。
次の日も来なかった。
次の日も、その次の日も来なかった。
36: 2012/05/14(月) 22:08:57.01 ID:X1CkfZw9P
私はあの子にメールを送った。
ただ、「会いたい」とだけ書いて送った。
送信先アドレスの欄には何も書かなかった。
アニマは私の無意識だ。アドレスは必要ないだろう。
そのメールの「送信」を押すと、私の携帯はいつもと同じように「送信中」を表示し、
それはやがて「正常に送信されました」となった。
私は安心して、携帯の画面を閉じた。
37: 2012/05/14(月) 22:10:56.52 ID:X1CkfZw9P
家にいるときも、学校にいるときも、私は切なく夏を想った。
夏が──今年の夏が蘇ってくれることを、祈りを込めて想った。
38: 2012/05/14(月) 22:12:57.35 ID:X1CkfZw9P
そして2日後、私は一人でごらく部にいた。
ミラクるんのテーマ曲を携帯で流しながら、私は帰らぬ夏を想い続けていた。
アニマがやってきた。
40: 2012/05/14(月) 22:14:57.32 ID:X1CkfZw9P
茶道部室の障子をそっと空けて、顔を伏せて入ってきた彼女の秋の装いは、
黒く染まった七森中の制服と黒いリボン。
彼女は部屋の隅から座布団をとると、私の前に敷いてその上に座った。
私は訊ねた。
「あの、あなたは誰なんですか? 私のアニマなんですか?」
41: 2012/05/14(月) 22:16:56.07 ID:X1CkfZw9P
『結衣が勝手にそう呼んでるんじゃん?』
43: 2012/05/14(月) 22:18:55.02 ID:X1CkfZw9P
「……京子なの?」
『違うよ』
「じゃあ、誰?」
44: 2012/05/14(月) 22:20:56.53 ID:X1CkfZw9P
『私は、なもり』
46: 2012/05/14(月) 22:22:56.58 ID:X1CkfZw9P
私は絶句した。
この子がそう答えることを、私は前から知っていたんじゃなかったか?
すると私は──私だけでなくこの子以外の全てのものは、
この子によって存在を許されているんじゃないか。
私は、この子の作品の中の存在なんだ。
49: 2012/05/14(月) 22:24:56.64 ID:X1CkfZw9P
「ああああああああ!!!!!!!!」
私は叫んだ。
「私は存在しないんだ! 私は存在しないんだ!」
私はわめきちらしながらテーブルの上に飛び乗った。
天井の蛍光灯をつかみ取り、壁に投げつけて割った。
それから部室の障子を体当たりでぶち破って外に出た。
「私は存在しないんだ!」
51: 2012/05/14(月) 22:26:55.32 ID:X1CkfZw9P
しかし何度も叫びながら校舎や校庭を走り回っても、誰も私には見向きもしなかった。
部室に戻ると、いつのまにかアニマもいなくなっていた。
──ちょっと待てよ?
53: 2012/05/14(月) 22:28:56.10 ID:X1CkfZw9P
あの子は私のアニマだ。
アニマなんだ!
アニマは私の無意識なんだ。
あの子はさっき私が訊いたとき、自分が私のアニマであることを
特に否定はしなかったじゃないか。
54: 2012/05/14(月) 22:30:55.87 ID:X1CkfZw9P
──とすると、つまり、なもりは私なんだ。
この世界は、私によって存在を許されているんだ。
私は、原作者なんだ!
58: 2012/05/14(月) 22:32:55.37 ID:X1CkfZw9P
私は誇りに満たされて学校を後にした。
原作者=造物主としての自覚にめざめた私は、赤信号のままの交差点を渡ろうとした。
すると、たまたま通りかかった綾乃が私の腕をつかんで引っ張った。
「船見さん、信号まだ赤よ! 危ないじゃない」
しかし私は綾乃を怒鳴りつけた。
「綾乃、私に触るな! 私はなもりなんだ!
私が綾乃を否定したら、綾乃だって消えてなくなっちゃうんだよ!」
62: 2012/05/14(月) 22:34:56.91 ID:X1CkfZw9P
「どうしたの船見さん? なもりって何?」
いつまでも綾乃がまとわりつくので、私は綾乃に「消えろ!」と叫んだ。
64: 2012/05/14(月) 22:36:56.53 ID:X1CkfZw9P
でも、綾乃は消えなかった。
綾乃の存在を、私の無意識は否定していなかったんだ。
いや、そもそも綾乃は、私の無意識が作り上げた存在だったんじゃないか?
ギャグで笑わせてくれる存在として、
私と京子との関係をうらやましがってくれる存在として──。
65: 2012/05/14(月) 22:38:55.80 ID:X1CkfZw9P
何とか綾乃を振りほどいて、私はそのまま街に出た。
七森駅へ行った。
もういちど、アニマに会いたかった。
だが、アニマはいなかった。
66: 2012/05/14(月) 22:40:55.82 ID:X1CkfZw9P
アニマにはもう、夢でしか会えないのだろうか?──私はそう思った。
会いたい。一目でもいいから会いたい。
私が誰なのか教えて。
私は何をすればいいのか教えて。
67: 2012/05/14(月) 22:42:56.38 ID:X1CkfZw9P
夢は私の故郷。
その街角は常に秋──冬の来ない秋、そして夏を悔やむ秋。
夏よ、帰ってきて。
クーラーと花火の夏。
ラムレーズンと汗ばんだシャツとコムケの夏。
その夏よ、帰ってきて。
69: 2012/05/14(月) 22:44:56.43 ID:X1CkfZw9P
その夏の夢は、アニマのいない夢だった。
灰色の道は混沌への旅路。
果てしなく続く霧の中の道を歩き続ける私の心は、まだ夏を想う。
70: 2012/05/14(月) 22:46:56.23 ID:X1CkfZw9P
向こうからやってくる女の子は、京子だった。
いや、京子に似ていた。
でも近づくにつれ、その子はだんだん京子ではなくなってきた。
すれ違うときのその子は、京子に似てはいるけど、やっぱり全然別の子だった。
その次に見かけた子も、その次の子も、やっぱり京子に似ていたけど、
すれ違うときは、はっきりと違う子だった。
悲しみに声をあげ、私は目をさました。
72: 2012/05/14(月) 22:48:56.16 ID:X1CkfZw9P
窓の彼方の夜は未知を包む闇。
窓ガラスの外の闇の中に、私は京子の気配を感じた。
そっと窓を開け、暗黒を眺めると、そこに京子の姿はない。
窓を閉じると、ふたたび外に京子の気配。
また窓を開ける。京子がそこにいるように念じながら──。
京子はいなかった。
何回か窓の開け閉めを繰り返した後、私は再び横たわる。
73: 2012/05/14(月) 22:50:55.93 ID:X1CkfZw9P
睡魔は私を蝕み、夢魔は私に囁く。
「そんなに京子ちゃんに会いたいんだったら、
結衣ちゃんが京子ちゃんの代わりに、
京子ちゃんの苦しみを継いであげればいいんじゃないかなぁ?」
75: 2012/05/14(月) 22:52:56.48 ID:X1CkfZw9P
混沌は塩の味。
私は沈んでいく──夏の海に……。
苦痛は私の心の安らぎ。
浮かび上がり、また沈み──。
そして浮かび上がる。
77: 2012/05/14(月) 22:54:56.72 ID:X1CkfZw9P
海面に照りつける真夏の太陽!
夏だ! 夏が蘇ったんだ!
私は叫ぶ。
その私の口の中へは、苦い海水がどっと流れ込んでくる。
78: 2012/05/14(月) 22:56:55.75 ID:X1CkfZw9P
私はまた叫ぶ。
──苦しい! 苦しいよ! 結衣、助けて!
ボートから私を見おろす結衣。
79: 2012/05/14(月) 22:58:56.31 ID:X1CkfZw9P
ああ、でも私は、結衣を恨んだりはしない。
だって私は結衣のことが好きなんだから!
それに結衣も、きっと私のことが好きでいてくれてるんだから!
どんなに私をいじめることがあっても、それは照れ隠しみたいなもんで、
きっと本心では、私のことが好きで好きでたまらないんだから!
80: 2012/05/14(月) 23:00:55.05 ID:X1CkfZw9P
結衣の心を知りたい!
私は海の中でもがきながら、強く願う。
ううん、知るだけじゃダメだ。
結衣の心、そのものになりたい!
84: 2012/05/14(月) 23:02:55.24 ID:X1CkfZw9P
混沌。暗黒。
意識は私から遠ざかり、私は夏の海の底深く沈んでいく。
沈んでいく──。
あたたかい目ざめは真綿の雌しべ。
再生への滑翔は希望への疾走。
愛の狂濤と慕情の扶育。
85: 2012/05/14(月) 23:04:56.56 ID:X1CkfZw9P
七森駅で結衣のことを待つ孤独な私。
私は結衣からのメールを受け取る。
たった4文字のラブレター。
でもそれはどんな言葉にも優る。
──会いたい!
そして私は結衣に会う。秋の装いを身につけて──。
86: 2012/05/14(月) 23:06:55.86 ID:X1CkfZw9P
『あの、あなたは誰なんですか? 私のアニマなんですか?』
ああ、結衣も苦しんでるんだ。
「結衣が勝手にそう呼んでるんじゃん?」
『……京子なの?』
87: 2012/05/14(月) 23:08:56.38 ID:X1CkfZw9P
ああ、私はもう歳納京子じゃなくなってるんだ。
でも、結衣に嘘ついちゃいけないよね。
「違うよ」
『じゃあ、誰?』
90: 2012/05/14(月) 23:10:55.93 ID:X1CkfZw9P
私にとって結衣は私のすべて──そして今、私は結衣なんだ。
私のすべて──私が私であることを示す設定のすべて──
私が私であることを設定しているのは──
「私は、なもり」
91: 2012/05/14(月) 23:12:55.07 ID:X1CkfZw9P
終わった。この秋は終わった。
秋の終わりに私は消える。
次の夏まで、私は消える。
あの夏の日を、結衣に想っていてもらうために。
さよなら、さよなら結衣。
私はまた夏の終わりに来るからね。
92: 2012/05/14(月) 23:14:55.70 ID:X1CkfZw9P
元ネタ:
筒井康隆著『会いたい』
(新潮文庫『笑うな』所収 ISBN4-10-117111-4)
おしまいです。
お付き合い頂き有難うございました。
筒井康隆著『会いたい』
(新潮文庫『笑うな』所収 ISBN4-10-117111-4)
おしまいです。
お付き合い頂き有難うございました。
93: 2012/05/14(月) 23:15:26.40 ID:uCcOrsGRi
乙
俺にはわからなかった
俺にはわからなかった
94: 2012/05/14(月) 23:17:03.17 ID:L64f+XAF0
なんというか圧倒されてて理解が及ばなかったからもう一度読み返してみる
おつ
おつ
引用元: 結衣「会いたい」
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