201: 黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/07/31(木) 17:44:45.75 ID:Tp3RL0j30



第10章







6月14日 木曜日





無機質な携帯アラームを停止し、すぐさまサイドテーブルに携帯を戻す。

横に顔を向けると、いつもいるはずの雪乃はいない。

昨夜9時過ぎ、ギリギリまで粘りはしたが、

陽乃さんからの最終通告が雪乃を実家に連れ戻す。

これ以上雪乃を引きとめてしまえば、雪乃の両親が家に戻ってくる前に

雪乃が実家に戻すことが危うくなり、せっかくお膳立てしてくれた陽乃さんに

申し訳ない。後ろ髪を引かれる思いだが、仕方ない。

土曜には、雪乃は帰ってくるんだから、それまでの辛抱のはずなのに

ぽっかりと心に穴があいてしまう。小町からすれば、

雪乃に頼りすぎってことなんだろう。

だけど、そうじゃない。依存ではなく、俺の一部だって思えてしまう。

それこそ依存だっていわれそうだけど、この感覚、表現しがたい。

その人の為に自分を差し出したい、全てを捧げたいと言うのならば、

それは依存ではなく、人生のパートナーといえるんじゃないだろうか。



顔を洗い、寝ぼけた頭を叩き起こしたものの、キッチンから漂ってくるいつもの

コーヒーの香りがないことに、軽く落ち込む。

雪乃の面影を探るべく、冷蔵庫を覗くと、

昨夜大量に作り置きした料理が詰め込まれている。

今朝食べるようにと指示されていた皿と冷えた麦茶を取り出す。

ラップをはがすと、山葵と高菜の香りが漂ってくる。

さすがに昨夜おろした山葵とあって、おろしたての新鮮さは薄まってしまっているが

食欲を誘うには十分すぎる。

雪乃のことだ、山葵を使うって俺が主張したものだから、

わざわざ山葵を使うところが可愛く憎たらしい。

なんて、雪乃がおにぎりを握っている光景を思い浮かべながら一つ手にとり

口に運ぶ。

うん、美味い。さっぱりとした味わいに、山葵の辛みがうまく融合している。

朝食欲がなくても、これならばっちり食事をとることができるな。

たしか弁当で、いなりずしの中身がこれだった時があった気がする。

前話
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部
202: 07/31(木) 17:45:46.82

いなりもいいけど、ノリを巻くだけでも十分すぎるほど美味しいレベルだ。

勢いよく一つ目を完食し、2個目へと手を伸ばす。

今度のはノリではなく、ゴマをまぶしているところが、心にくい。

味を変えて飽きさせない心配り、恐れ入ります。

と、大きく口に含むと・・・・、



八幡「ぐぁ・・・、ん・・・・・・・・。かれぇーーーーーーーーーー!!!!!」



すり下ろした山葵が増量しているだけなら、香りで多少は分かるかもしれない。

しかし、一晩おいたわけだから、香りはとんでしまって判断基準にならない。

くそっ、やられた。

よく見ると、ゴマがまぶされたおにぎりはこれ一つだけだ。

つまり、これ一つだけがジョーカーってことらしい。

なんなんだよ。

戸塚か? いや平塚先生に嫉妬してたのか?

いやいや、由比ヶ浜っていうせんもあるだろうし・・・・、

心当たりがありすぎてお手上げだ。

それにしても、戸塚だったとしたら、それはいきすぎだろうに。



子供の悪戯としては、可愛いレベルだけど、この悪だくみをせっせと準備を

している姿を思い浮かべてしまうと笑みがこぼれてしまう。

俺は、おにぎりを睨みつけると、手に残っているおにぎりを二口で飲み込む。



八幡「うっ・・・・。やばいかも」



手元にある麦茶だけでは用が足りず、

急ぎ水道の蛇口をひねりコップに水を入れる。

一息に飲み干したものの、鼻から抜ける辛さは衰えることはない。

食べられないことはないレベルの辛さだけど、さすが山葵。

食べ終わってからのダメージが絶大すぎるだろ。

ダメージが消え去り、さらなるお茶を全て飲み干したが、次の一個に手が伸びにくい。

あと2つ残ってはいるが、はたしてこれがジョーカーではないっていう保証は

あるのだろうか。

手からうっすら汗がにじみ出し、小刻みに震えが伝わる。

唾を飲み込むこと数回。すでに唾を飲み込む唾すら出にくくなってきている。

覚悟を決めた俺は、最後に空唾を飲み込み、すかさずおにぎりを喉に通す。

驚くことに、というか、常識的に残り二つのおにぎりは普通に美味しかった。

何を思って始めた心理戦かはわからないけど、朝から手に汗握る心理戦だけは

やめていただきたいと、切に願う一日の始まりだった。


203: 07/31(木) 17:46:31.21










一日の始まり。朝、気持ちよく目覚めれれば、その日一日はうまくいく気がする。

朝の占いで、自分の星座が運勢最悪ならば、違うチャンネルに回し、

都合がいい占いを見繕う気持ちもわからなくもない。

たとえチャンネルを変えなくとも、占いなんて気持ちの持ちようだっていいはったり、

今が今日の最悪の時間帯で後は上り調子だと思い込んだりもしたりする。

つまりは、気の持ちようなのだが、朝の一手がその日一日引きずることはたしかである。

ましてや、昨日までの出来事の積み重ねがあるのならば、

人間、警戒しないほうがおかしいってものだ。

だから、俺が由比ヶ浜の笑顔を警戒しても、なにもおかしくない。



今日も昨日と同じように教室で由比ヶ浜お手製のお弁当を食べている。

ありがたいことに、雪乃のアドバイスを実行することなく、3日連続して

全く同じ弁当だった。

まじで、危険すぎるから雪乃のアドバイスを取り入れた応用編お弁当だけは

やめてほしい。命にかかわるだろ、まじで。

違う点があったとすれば、フリカケの代りに、小分けになったノリを

用意されていることと、緑茶ではなくほうじ茶であったことくらいだ。

本日も美味しく弁当を食べ終わったところまではよかった。

しかし、ここからが急転直下、地獄に突き落とされる。



結衣「ねえ、ヒッキー。頼みたいことがあるんだけど」

八幡「あぁ、言ってみ。聞くだけなら聞いてやる。でも、断るけどな」

結衣「はつ! そんなの意味ないし。ねえったらぁ」



俺の腕をとり、揺さぶる由比ヶ浜。傍目からすれば、微笑ましい光景なのだろう。

かわいい女の子が、男の子に可愛くねだってる姿にあこがれを持った時期もありました。

しかしだ。由比ヶ浜が持ち込むお願いごとの9割以上は、厄介事だ。

まず筆頭としてあげられるのは、俺と雪乃と同じ大学に行きたいと

高校3年の1学期も終わるころにお願いしてきたことだ。

せめて2年の冬休みなら、救いようもあるだろう。

得意科目と不得意科目を見極め、センター試験と本試験でうまく取りこぼしがないよう

に勉強を開始すればいい。

時間があるんなら、たとえ由比ヶ浜であっても、俺も雪乃も温かく迎え入れただろう。

しかしだ。なんで夏期講習の準備を考え始めようとする1学期終了直前なんだ。



204: 07/31(木) 17:47:19.28


3年の夏季講習なんて、一通りの受験勉強を終えて、試験に向けて再確認する時期だろ。

なのに、なにを好き好んで受験勉強をスタートせねばならない。

俺が諦めモードで話しを聞いたのは当然として、

あの雪乃であっても顔が凍りついていた。

氷の女王といわれる雪乃を凍りつかせるなんて、すさまじすぎる由比ヶ浜パワー。

って、まあ、由比ヶ浜のお願いは、十分すぎるほど警戒すべき案件である。



とまあ、子供のごとくねだりまくる由比ヶ浜を放置することもできず、

結局話を聞く羽目になる。

教室で話題振ったのさえ、俺が断りにくくするためじゃないかって

疑いたくもなるが、なんだかんだいっても由比ヶ浜に甘いんだよなと

ため息をつく。



八幡「とりあえず腕を離せ」

結衣「話を聞いてくれるまで、は・な・さ・な・いぃ~」

八幡「揺さぶられてたら話をきけないだろ」

結衣「あっ、そっか」



ぱっと腕を離し、納得するあたり、なんでうちの大学に現役で合格できたのか

不審に思えてしまう。

雪乃の親の力を使ったとしても、裏口入学なんて無理だろうし、

そもそも雪乃が賛成するわけもない。

だったとしたら、底抜けにあほ過ぎるところが、合格の決め手だったのだろうか。

俺や雪乃の言うことを、心から信じて、馬鹿まっすぐにやり遂げられる精神構造が

奇跡をよんだんじゃないかって、最近思ったりもする。



八幡「で、なんだ?」

結衣「あ、そうそう。それでね、英語のDクラスって知ってる?」

八幡「あれだろ? 大学に入学してすぐに受ける英語のクラス分け試験だよな」

結衣「うん、そう」



英語のクラス分けテスト。成績のいい順に振り分けられる英語の授業。

大学受験が終わったと気を抜いていると、突然突き付けられる英語の試験。

誰もがうれしいと思うことがない最初のイベントだ。

ちなみに、俺と雪乃は、順当にAクラス。由比ヶ浜もAクラスを獲得している。

それもそのはず。俺達は大学受験が終わっても、由比ヶ浜の勉強をやめていなかった。

そもそも現役合格なんて夢物語であったから、来年に向けての受験勉強でもある。

そして、大学に入ったとしても勉強についていけないのならば、中退するリスクが出る。



205: 07/31(木) 17:47:53.24


俺と雪乃が無理をして合格させたのに、中退なんて由比ヶ浜の両親にも

申し訳ない。ならば、卒業までさせるのが人情ってものだ。

俺と由比ヶ浜は同じ学部だし、俺が由比ヶ浜の勉強をみるってことになったが、

クラスが違うとなるとフォローもしにくい。

よって、入学して最初のクラス分け試験も念頭に入れて、

由比ヶ浜に勉強を教え続けていたというのも当然の出来事であった。

まあ、とうの由比ヶ浜は、やっと受験勉強から解放されたと思ってたところで

英語漬けの毎日。俺や雪乃に対して、鬼・悪魔と連発していたけど

その気持ちはわからなくもない。

だけど、許せ。これも親心ってやつだ。

半分程度は、自分の受験勉強以上にストレスをため込み、体力を擦り減らして

しまったうっぷんを由比ヶ浜にぶつけてたけど、それも愛嬌っていうもんだ。



結衣「それでね、今年のDクラスの人たちに頼まれてさぁ・・・・・」



首をかしげて覗き込む姿は、女の子の姿としては可愛いのだろろ。

しかし、今の俺には、地獄からの招待状を届ける悪魔にしか見えない。



八幡「・・・・なんだよ」

結衣「ヒッキーにその人たちの勉強見てほしいの」



手を合わせ、頭を下げてくる。

顔を下に向けながらも、ちら、ちら、と俺の顔色を覗き込む姿、わかいいじゃないか。

でも、俺も対由比ヶ浜用に訓練された男。

この程度では、びくともせんぞ。



結衣「お願いします。ヒッキーしか、頼れる人がいないんです」



さらに深く頭を下げてくる。

外野からは、ひそひそ声のはずなのに、俺への突き刺さる非難の言葉。

お前らは外野で実害ないから、軽い気持ちで引き受けろって言えるんだ。

実害を受ける俺の方としたら、たまったものじゃない。



八幡「頭を上げろって・・・」



由比ヶ浜の肩に手をかけ、頭を引き上げる。

目にはうっすらと涙をため込んで、うるうるを見つめてくる。

くぅ~んと寂しげな瞳をきらめかせるのは、やめなさい。

由比ヶ浜に同情する外野は、さらに俺への非難を強めてしまう。

206: 07/31(木) 17:48:45.80

これだったら、下手に顔を上げさせるなんてしなければよかったと考えはしたが、

どちらにせよ俺は詰んでいたはずだ。



八幡「わかったよ」



俺は、視線を横にスライドさせ、なるべくぶっきらぼうに返事をした。



結衣「ありがとう、ヒッキー」



すると俺に抱きつき、ふくよかな双胸を押し当ててくる。

雪乃とは違った破壊力抜群の柔らかさに、血のめぐりが加速する。

小柄で丸みを帯びた肉体。だからといって、たるんでいるわけでもなく、

しなやかな柔らかさがじかに伝わってくる。



八幡「わかったら、とりあえず離れろって」

結衣「ごめん、ごめん。うれしくて、つい」



名残惜しそうに俺から離れる由比ヶ浜をみて、はやし立てる外野はこの際無視。



八幡「でも、俺のできる範囲だからな。もし、うまくいかなくても、文句言うなよ」

結衣「うん」



元気よく返事をする由比ヶ浜をみて、どこまで納得しているのか判断しかねる俺だった。

とりあえず、教室で俺達の寸劇をみている連中にどう言い訳しようか・・・・。

って、どんな言い訳しても無理でした。

現行犯だし・・・・・・・。










午後の講義の後、由比ヶ浜に連れられて行かれたのは、少人数用の小さな教室。

主に外国語の講座なんかで使われていた気がする。

部屋に入ると既に人は集まっていて、十数人の生徒が席についていた。

由比ヶ浜は、室内を見渡し、そのまま教壇の上に立つ。



由比ヶ浜が授業をする風景をふと考えてみたが、

あまりにも現実から離れ過ぎていて想像できん。

思わず笑いそうになってしまったが、皆俺達を注目していたので、

口元を抑えて無理やり隠す。

207: 07/31(木) 17:49:17.83





結衣「皆そろってるみたいだね」

生徒A「はい。全員そろっています」



一番前に座ってるまじめそうな学生が全員を代表して応える。

ただ、まじめそうであって、勉強ができるではない。

そもそも勉強ができるんなら、英語でDクラスになんてなってはいない。

しかしだ・・・・・、元から勉強ができないわけではない、と考えている。

なにせ、由比ヶ浜みたいな特例はあっても、一応うちの大学の入試をパスしている。

最近は、AO入試とかあるし、なかにはとんでもない奴もいるらしいけど。



結衣「こちらは、ヒッキー・・・・、じゃなくて、比企谷八幡」



おい。ヒッキーはやめろ。うちの学部でも、ヒッキーって言う奴がたまにいて、うざい。

ほとんどが比企谷だけど、ノリでヒッキーって言う奴がいるけど、

諸悪の元凶は、お前なんだよ、由比ヶ浜。



八幡「ども」

生徒A「お噂は、かねがね聞いております。あの由比ヶ・・・・ではなくて、

    試験対策のプロだとか」



あぁ、やっぱり由比ヶ浜に勉強を教えている関連の噂は1年まで届いてるか。

まさしく調教だからな。

教授だって、こいつの成績と顔が重ならないらしいし、

いつぞやはカンニングまで疑われる始末。

そんときは、雪乃が怒って、大騒ぎになって、挙句の果てには陽乃さんまで

出てきたんだっけ。大怪獣パニックそのもので、見ている方は楽しかったけど

あの助教授かわいそうだったよなぁ・・・・・。



八幡「いいって。由比ヶ浜に勉強教えてることをきいたんだろ。

   こいつも自覚してるし、変に気を使わなくていい」

結衣「あぁ~・・・・・。私には気を使ってほしいかも」



目をスライドして、ふてくされてる由比ヶ浜をちら見するが、すぐさま視線を前に戻す。



八幡「別に気を使わなくっていいってよ」

結衣「ちょっと、ヒッキー」




208: 07/31(木) 17:49:51.83



きゃんきゃん騒ぐな、鬱陶しい。みんな知ってるんだから、オープンにした方が

話がしやすいだろ。

だから、由比ヶ浜は、無視っと。



八幡「それで、勉強を教えてほしんだって」

生徒ALL「お願いします」



今度は、代表Aだけでなく、全員が一斉に声を合わせて言うものだから

声が響いてちょっとだけどびびってしまう。

こっちは小心者なんだから、お願いするにしてもビビらせちゃだめだって。



八幡「うふぉん。えっと、それで・・・、英語ならいいけど、

   専門は無理だぞ。Dクラスって、全学部から集まってるし、

   専門までは面倒はみられない。それと、第2外国語もドイツ語ならOKだけど、

   これも英語とやり方だから、できれば自分たちで対処してほしい。

   それでも、専門もやり方くらいは教えられるかな・・・・・」



そもそも大学の勉強なんてなんてものは、高校とは違う。

人手をかければかけるほど、楽ができる。

なにせ、サークルで、試験対策サークルなんてものまで存在する。

もちろんサークル名がそのまま試験対策サークルではないけど、

実情は試験・レポート・ノート、そして、遊びだ。

なんだかんだいって、みんなで楽して勉強をやっちまって、あとは遊ぼうっていう

いかにも健全なサークルなわけだが、ノウハウを知っていれば、個人でもできる。

そこんところを教えて、実行してほしいんだけど、いきなりは無理だろうなぁ。



八幡「とりあえず、前回の小テストみせてくれ。実力がわからないと

   対策の立てようもない」



あらかじめ集められていた小テストの答案を、リーダーA(仮称)が持ってくる。

どれどれ・・・・・・。

ごめん。先に俺の心が折れちまった。

なにせ、大学受験を宣言した高3夏の由比ヶ浜が勢ぞろいだったのだから・・・。

どうすりゃいいって言うんだよ!










209: 07/31(木) 17:50:23.52




とにかく、勉強会の準備も必要ってことで、勉強会は明日の朝7:30から

と告げて終了。一応次回の授業でやる範囲の全訳だけはしとくようにと指示。

はぁ・・・・・。先が思いやられる。由比ヶ浜一人でも大変なのに、

今度は十数人もいるなんて。

俺のことを心配して、由比ヶ浜が声をかけてくる。

いたわるくらいなら、最初から難題持ってくるなといいたいところだけど。



結衣「ヒッキーごめんね。なんか思ってたより大変そう」

八幡「そうだよ。あいつら全員お前レベルなんだ」

結衣「じゃあ、大丈夫だね」



さっきまで心配そうにみつめていやがったのに、もう能天気に笑っていやがる。

どういう頭の回路をしているか、一度調べたいものだ。



八幡「どこに、そんな楽観視できる要素がある?」

結衣「私レベルなら、きっとヒッキーがなんとかしてくれるでしょ」



自信満々に俺を覗き込む姿に、NOなんて言えやしない。

みえじゃないけど、信じてもらえるっていうのも悪くない。



八幡「はぁ・・・・」



わざとらしく大きなため息を見せる。

そして、大きなためをつくってから、ゆっくりと語りだす。



八幡「あんまり俺に頼りすぎるなよ。今回だけだ」



ぶっきらぼうに語り、目を横にそらしたはずなのに、すぐさま俺の目線に移動して

じっくりと瞳を覗き込んでくる。

そんなに見つめられると、ドキドキしてしまう。

もちろん2つの意味で。

1つ目は、異性としての由比ヶ浜。

そして、2つ目は、こんな光景を雪乃に見られたらと思うと、包丁沙汰騒ぎどころじゃない!



結衣「ひひひ・・・」



にっこり笑う由比ヶ浜の口から、白い歯がこぼれる。



210: 07/31(木) 17:50:57.71


こいつ、最近わかっててやってる節があるから困ってしまう。

だから、俺は軽口をたたくしかない。

もちろん、由比ヶ浜に対して、重いペナルティーつきでだ。



八幡「ちょうどいい。お前も補習一緒に受けろよ。去年の復習だし楽なもんだろ。

   もちろん去年のノートをみるのはNGな」

結衣「な!」



白い歯をのぞかせていたと思ったら、今度は唖然として口をあほっぽく丸くしている。

天国から地獄とは、こういうことなんだなと、実験成功をふむふむと感心する。



結衣「あ、、、私は関係ないじゃん。もう単位とったし」

八幡「英語は、卒業しても必要だし、これからの授業でも英語の文献使うだろ。

   それに英語の資格とるかもしれないから、やっといて損はない」

結衣「えぇ~」



不満たらたらの由比ヶ浜をみると、なんかすっとするが、ここはあえて

やる気が出るご褒美も与えておくか。



八幡「お前が予習して分からないところがあれば、あいつらも大抵わからない。

   俺を助けると思って、手伝ってくれるとうれしい」

結衣「そうなの?! じゃあ、やってあげる。

   しょうがないなぁ、ヒッキーに頼まれたんじゃ、やらないわけにはいかないし」



由比ヶ浜があほの子でよかった。こいつほど扱いやすい奴はいないんじゃないか。

尻尾をプルプル振り回しながら、ぶつぶつつぶやくのを横目に、

もう一度ため息をつく。

どんなに御託を並べても、人に勉強を教えるっていうのはストレスが溜まりそうだ。










第10章 終劇

第11章に続く







217: 08/07(木) 17:40:33.49



第11章







6月14日木曜日 夜







夕方、由比ヶ浜に連れられ、Dクラスの連中に紹介された夜。

俺は、平塚先生からの電話を受けていた。

八幡「まじで由比ヶ浜状態なんだから、しゃれにならないですよ」

静「それでも君は見捨てないのだろ?」

八幡「見捨てる、見捨てない以前に、見捨てることができない状態なのですが」

静「君らしいな。だけど、どんな状態であろうと、逃げようと思えば逃げられるはず。

  たとえどんな評価が下されようとも、逃げてしまうやつは逃げてしまうよ」


たしかに逃げようと思えば逃げられたかもしれない。平塚先生が言うような

最低なレッテルを貼られないまでも、うまく言いくるめて逃げることもできたはず。

だけど、俺はそれをしなかった。なぜか?

答えはいつくか浮かんだけど、答えを出したいとは思えなかった。


八幡「そうですかね。俺は、楽したいんですけどね。

   ただでさえ、自分の勉強の方で手一杯なのに、由比ヶ浜の世話もしてるんですよ」


だから、俺はお茶らけて語りだすしかない。自分の気持ちをうやむやにする為に。


静「ふふっ・・・、それが今君が出した答えならば、そうなんだろうな」


なにか含みがある笑い方をするので、裏を読もうとしてしまう。

裏を読もうとするたびに深みにはまってしまうので、無駄なことはしない。

だけど、俺が熟考する前に、平塚先生は今の話題を打ち切り、

本来の要件を打ち出してきた。


静「それはそうと、今日電話したのはだな、明日行くラーメン屋を変更してもらいたい」

八幡「それは、かまわないっすよ」

静「そうか。それは助かる」

八幡「それで、どこにするんですか?」

静「総武家にしようと思う」

八幡「いいですけど、最近よく行ってるから、別のところにするんじゃ

   なかったんですか?」

静「そうだったな。だけど、ちょっと確かめたいことがあってな」


218: 08/07(木) 17:41:04.65


八幡「そうですか。それで、何を確かめるんです?」

静「まだ噂の段階なので、総武家に行ってから話すよ」

八幡「はぁ・・・・・・」


どうも由比ヶ浜といい、平塚先生といい、俺にトラブルを運んでくるようにしか思えない。

そもそも朝の出だしが悪かったんじゃないかって、ほんのわずかだけど

雪乃を恨みたくもなる。

雪乃に悪気があったわけでもないし、いや、あったのか。

えっと、あの特性山葵入りおにぎりを食べてから、俺の運が下降気味な気もする。

別に俺と雪乃の間だけのことならば、微笑ましいエピソードで終わるけど

朝、由比ヶ浜につかまったことを考えると、おにぎりもマイナスエピソードに

思えてくるのは、人間の負の心理連鎖とも言えるのだろうか。

まあ、俺の気持ち次第で何事もプラスにもマイナスにも変化してしまうけど、

いくら雪乃がプラスの極致といえども、今日の由比ヶ浜と平塚先生のマイナス要素には

プラス要因が少なすぎるようだった。


静「なにか暗いな、君は」

八幡「あぁ、そうだ。平塚先生とラーメン屋行くことを雪乃に話したんですけど、

   大変でしたよ」


気持ちが暗くなっていくのを振り払うように、努めて明るく話題を切り出す。


静「別にラーメン屋行くくらいで、なにが大変なんだ?」


俺は、まだ、平塚先生の要件がマイナス要件だと決定したわけでもないが、

つい頼れる大人だということで、由比ヶ浜へのうっぷんを吐き出してしまう。

甘えだってわかってはいるけど、それをあえて受け止めてくれる平塚先生に

頼ってしまう。


八幡「雪乃に包丁で脅されました」

静「はっ?」


さすがの平塚先生でも言葉を失う。緊張感が、電話が押しからでも伝わってくる。

そう思うと、からかってみたいと思うのが人の心情というもので。


八幡「雪乃以外の女とデートするなんて許せないそうです」

静「デートではないだろ。教師と教え子だし、それは、卒業してもかわらない」

八幡「そうですよね。でも、平塚先生は、綺麗で、とても魅力的じゃないっすか。

   しかも、俺が平塚先生に色々と頼ってしまうところもあるし」

静「それでも・・・・」


だんだんと声が震えてきているのがわかると、こっちも調子にのってしまう。




219: 08/07(木) 17:41:37.63


八幡「雪乃からすれば、俺達の性格がうまく一致してるって思ってしまうのかも

   しれませんね」

静「たしかに君とはラーメンの趣味も合うし、話してしても楽しいとは思う。

  だけど・・・・」

八幡「安心してください。俺もそう思ってますから。だけど、これは平塚先生だから

   ってことで言ったわけではないのですが、もし俺が浮気なんかしたら・・・・・」

静「浮気なんかしたら、どうなのだね・・・・」


息をのむ音が聞こえてくる。それがかえって俺を慎重にさせ、なおかつ調子づかせる。


八幡「包丁で刺すそうですよ」


俺は、爽やかな声で言い放った。


静「ひっ!」


あまりにもの驚きように、やりすぎたのではないかと後悔の念が押し寄せる。

たしかに雪乃だったらって、平塚先生も思ってしまうかもしれないけど。


八幡「嘘です。冗談です」

静「本当かね?」


まじでビビって、涙声じゃないか。


八幡「本当ですよ。でも、言ったことは確かなんですけどね」

静「どっちなのかはっきりしたまえ。・・・・・・言ったってことは、言ったんだな。

  私を刺すのか? あぁ、結婚して、子供も産んでいないのに氏ぬのか」

八幡「ちょっと、ちょっと平塚先生。冗談で言ったんですよ。

   俺を脅かす為に雪乃が言っただけですって」

静「君を脅かす為に雪ノ下が言ったっていうのか。

  ・・・・・そうか、そういうことか」


どうにか落ち着いてきたようだが、今のうちにあやまっておくか。

雪乃じゃないが、平塚先生も怒らせると怖いし。

親しき仲にも礼儀ありってことで。


八幡「脅してしまって、すみま・・・」

静「比企谷」


遅かった。謝るタイミングをミスったことに気がついたときには、時は遅く。

もはや、嵐が去るのを待つしかない。


八幡「はい」

静「明日、楽しみにしておくように。おそらく、君の力を借りることになると思う」



220: 08/07(木) 17:42:22.28


八幡「力を貸したいのは、やまやまなのですが、あいにく忙しいしので。

   ほら、由比ヶ浜の件もありますから、ちょっと・・・・」

静「ちょっと何かね?」

八幡「なんでもありません」

静「わかればよろしい。では、明日、総武家の前で」

八幡「はい」


電話が終了した後も、俺は、後悔の念しか残っていなかった。

もちろん自分のしでかした過ちについてだ。

これでトラブル二つ目確定じゃないか。

やはり朝の山葵が今日の運勢の最高点だったらしい。

最高点ってことは、後は下るしかないが、いつまで下るのかは俺も想像できなかった。













悪いタイミングは重なるわけで、俺が平塚先生との電話を後悔している暇もなく、

電話を切るとすぐさま次の電話がかかってくる。

携帯の表示を見ると、雪乃からであった。本来ならば嬉々して電話をとるが、

平塚先生をからかったネタが雪乃であったこともあり、気が重い。


八幡「もしもし」

雪乃「珍しく話し中だったものだから、かけ間違えたのかと思ってしまったわ」

八幡「俺だって、電話することくらいある」


たしかに珍しいけど、ないことはない。
 

雪乃「小町さんかしら?」


疑ってやがるな。

ここは今日のことを踏まえて、正直に、かつストレートに言ったほうが

被害が少ないはず。


八幡「ちげーよ。平塚先生だ。明日のラーメン屋、いくところを変更だってさ」

さも事務的な報告を強調すべく端的に言ったけど、かえってわざとらしすぎたか?


雪乃「そう。・・・・そうなの」


あまりにもしおらしい反応に対応困ってしまう。

こちらから話を振れば、墓穴を掘りそうだし、困ったものだ。



221: 08/07(木) 17:42:58.17



八幡「総武家に行くことにしただけだ」

雪乃「そっか・・・・そうね」

八幡「そうだ」


なにこの受け答え。先に手を出したほうが負けなの? 

心理戦だったら、雪乃有利に決まってるから、もう詰んだのかよ。


雪乃「ねえ、八幡」

八幡「はひっ?」


思わず声が裏返る。やましいことなんてないのに。絶対ないはずなのに。


雪乃「なんて声出してるの」

八幡「ちょっと考え事してて」

雪乃「私と話しているのに、他の事を考えてたっていうのかしら?」


やばい、墓穴を掘ってしまった。どうする、どうするよ、俺。


八幡「それは、ええっと。なんだ・・・・・」


何も思いうかばねぇ。


雪乃「まあいいわ。明日平塚先生と会うのだったら、明後日、うちに食事に

   来てくださらないか聞いてくれないかしら?」

八幡「どうして?」

雪乃「どうしてって、あなたが平塚先生にお世話になってるっていったんじゃない」

八幡「そうだっけ?」

雪乃「そうよ。いきなりすぎて平塚先生の予定が埋まっていなければいいのだけれど」

八幡「それは大丈夫だと思うぞ。なにせ、クリスマスだろうとスケジュールは 

   真っ白って豪快に笑って・・・・・、泣いてたからな」


きつい。自分で言っておきながら、悲しすぎるだろ、平塚先生。


雪乃「そうなの? それならば、聞いておいてね」

八幡「ああ、予定聞いたら、早めに雪乃にも伝えるよ」

雪乃「そうしてくれると助かるわ。それでね、八幡」

八幡「まだあるのか?」

雪乃「用ってことでは、ないのだけれど・・・・・」


平塚先生を食事に誘うことは、本題ではないのだろう。

それに、雪乃が言う通り、用もないと思う。つまり、用がないこと自体が用ってことで。

普段、なにも話すこともなく、黙々と二人で勉強している時間。



222: 08/07(木) 17:43:27.91


けっして二人で楽しく会話をしているわけでもないが、至福な時間だって

胸を張って言える。何をするかが問題ではない。誰と過ごすかが重要なのだ。

たとえ話す内容がないとしても、今日の食事の話だったり、大学の話だったり、

他人が聞けばつまらない話だろうが、俺達にとっては、楽しい会話が成立する。

だから俺達は、くだらない話をながながと話続けることができる。















気がつけば深夜。まだ風呂も入っていないことに気がつく。

とっととシャワーだけでも浴びて、寝ようかと動き出したところ、

またしても電話の着信音に呼びとめられる。

携帯の表示を見ると、雪ノ下陽乃。

見なかったことにしてシャワーを浴びたい気持ちが非常にでかかったけど、

電話に出ないと後が怖いので、渋々電話に出ることにする。


八幡「もしもし」

陽乃「もう寝てた?」


不機嫌な声がもろに出てしまってたか?

しかし、すでに睡眠中と誤解してくれたおかげで、難を防げたようだ。


八幡「そうっすね」

陽乃「そんなことないか。だって、雪乃ちゃんと今さっきまで電話してたよね」


知ってたんなら、かまかけるなって。

こっちが適当なこと言ってるのばれるだけじゃないか。

本当にこの人には敵わない。


八幡「わかってるなら、変な探り、入れないで下さいよ」

陽乃「だって、比企谷君に電話しようとしても、なかなか雪乃ちゃんが比企谷君の

   こと離してくれないんだもの。だから、少しくらい虐めてもいいよね?」

八幡「やめていただけると助かります。それに、用があるんだったら、

   直接雪乃に言っておけばいいじゃないですか」

陽乃「それは無理」

八幡「どうしてです?」


やはり今日の最後もトラブルか? 俺の声に警戒心が漂う。



223: 08/07(木) 17:44:07.69


陽乃「土曜日、静ちゃんと食事するんでしょ。

   だったら、私も用があるから一緒に食事したいなぁって」

八幡「それだったら、なおさら雪乃に言ってくださいよ」

陽乃「駄目よ」

八幡「駄目って・・・・」

陽乃「だって、雪乃ちゃんに言っても、断られるだけじゃない。

   比企谷君に言えば、断られないでしょ」

八幡「わかりましたよ。俺の方から言っておきます」

陽乃「ありがとう。じゃあ、土曜日にね」


あっという間にハリケーンは過ぎ去ったが、疲労感半端ねぇな。

もう、これ以上話を長引かせたくなくて、簡単に引き受けたけど、

そもそも雪乃だって、陽乃さんのこと嫌いじゃないのになぁ。

たしかに嫌がるそぶりは見せるけど、本音は嬉しいはず。

面倒な姉妹・・・・。

もう思考の限界か。

さっさとシャワーを浴びて、寝ることにしよう。

明日は、トラブルがありませんようにと、切に願って。















6月15日金曜日






そして、本日が第一回英語勉強会。やるき満々の由比ヶ浜は、一番前の席を

陣取ってるけど、ここはあえてスルー。お前がやる気を出しても

他の奴らの成績が上がらなきゃ意味がない。


八幡「提出してもらった全訳は、悪くはない。悪くはないけど、よくもない。

  よくない理由が分かる人?」

結衣「はいっ」


お前が手を上げても意味がないんだって。しかも、お前には今までみっちり

教えてるんだから、わからないほうが問題だ。

由比ヶ浜の勢いに委縮したのか、誰も手を上げようとはしない。



224: 08/07(木) 17:45:00.03


そもそもわかっているんなら、ここにはいないけど、積極性に欠けるのは

どこも同じか。


八幡「わからないところはそのままでいいって言ったけど、わからない理由まで

   書きこんでほしい。まあ、俺がわからない理由まで書くように指示してないから

   書かなかったって言えばそれまでだけどさ。

   あと、テキスト量が多いから、雑になってるっていうのも問題だ。

   こんなのまだまだ少ない方だし、専門課程入ったら英語の参考資料も

   使うだろうし、このままの速度だとちとやばい」


なんかお通夜モード・・・・・。わかっちゃいたけど、これをやる気にさせるのも

俺の仕事なのか? つーか、昨日のやる気はどこにいったんだ?


八幡「というわけで、強制的にやる気を出してもらいます」

結衣「えぇ~」


由比ヶ浜よ、あからさまに嫌そうな顔をするなって。

お前ほど、落差が激しい奴はこの教室にはいない。

まあ、お前が一番つらい勉強を強いられてきたのは知ってるから、

その表情もわかるけど・・・・・、今はやめろ。経験者が語るって奴で、

教室にいるやつらがドン引きしているだろ。


八幡「由比ヶ浜」

結衣「なになに」


椅子の上で座ったままピョンピョン跳ねるあたり、単純すぎる。

俺に名前呼ばれただけなのに、現金なやつ。


八幡「お前は、経験者だし、普通はペアだけど、お前を抜いた人数が偶数だから

   お前は一人な」

結衣「えぇ~・・・・え~」


反抗的な視線を見せたって、お前が持ってきたトラブルだろ。

しかも、さっきの「えぇ~」よりも、数段厭味込めただろ。


八幡「反抗的なやつは、厳しいペナルティーを課します。

   あと、ノルマをやってこなかったやつも同様だ。

   ちなみに、今回のペナルティーは・・・・、由比ヶ浜、

   今回皆で分担して全訳するところを、お前は一人でやってこい」

結衣「・・・・・・・・・・・・・・・」


あ、まじでショック受けてやがる。口をパクパクさせて、悲しそうな目で

俺を見つめてるなぁ。



225: 08/07(木) 17:46:32.52



やば、ちょっと薄っすらだけど、目に涙溜まってないか?

やりすぎたか?

ま、あとでフォローいれておくか。


八幡「それじゃあ、具体的な手順説明するな・・・・・・」


大まかに言うと以下の通り。

毎回ペアを組んで、分担された自分の範囲を全訳する。

ペアは、毎回違う人にする。

分からないところは、分からない理由を書く。単語の意味などは、分かる範囲で書く。

人に聞いてもいいけど、人に聞いた訳をそのまま写すのはNG。

ペアを組んだ人と、分からないところは教え合って、できる限り全訳を埋める。


ざっと言えば、こんな感じだけど、いくらテキスト量が多いといっても、

人海戦術を使えば短時間で終わる。しかも、ペアを組むことで責任感をアップ。

まさしく、隣の味方は監視役ってやつだ。

自分がやらなくても、誰かしらがやってくれるなんて甘い考えを捨てさせる作戦だけど、

うまくいくかはこいつら次第かな。

でも、こいつらも高校では学年トップ集団だったはずだし、そのときの意地は

残ってるはず。大学で、天井が見えない実力者たちを見て、落ちぶれはしたけど、

やればできるやつらだと信じたい。


八幡「それじゃあ、今日はここまで。次回は火曜日の朝な。では解散」


俺のおしまいの合図とともに、ぞろぞろと席を離れていく。

やはり初日から飛ばし過ぎたかもすぎない。

やるきはあったはずなのに、実際始めてみると勢いが続かないのは人のサガかね。

そのやる気を引き出すのが俺の仕事だけど、暗雲立ちこめて雷雨じゃねぇか。

やる気っていうのは信用できないもので、あったと思っても、すぐさま消えちまう。

たとえ10分前にあったとしても、ほんの些細な出来事で霧散する。

些細な出来事っていうのは、現実だけど、人間は現実を直視できるようには

出来上がってはいないらしい。だから、現実との折り合いをつけるべきだけど

それができない奴が多いわけで。

まあ、とにかく現実って奴は、面倒だ。

由比ヶ浜を基準に授業をやってみたけど、こうしてみると、由比ヶ浜の根性は

すさまじいって感じられる。

何を言われても、きっちりと勉強してたもんなぁ。

もちろん反抗的な目をギラギラ俺にぶつけてきたけど、それは仕方がない。

俺が居残って質問してきたのを解答し終わると、由比ヶ浜は、すすすっと俺に

近寄ってくる。



226: 08/07(木) 17:47:20.38



何も言ってはこないけど、しっかり先生やってるじゃんって

訴えてきてるのだけはしっかりと理解できた。

だけど、俺が課したペナルティーが重いのか、気持ちは重めだ。


八幡「由比ヶ浜」

結衣「なぁに・・・」


まじでまだいじけてやがる。落ち込ませたままだと、これからの調教、もとい、

お勉強のモチベーションも落ちるし、やっぱ餌もやらんとな。


八幡「お前の場合、分からないところは俺に直接聞けばいい。

   だけど、わからないからってすぐに聞くなよ。

   早く読む練習も必要なんだからな

   あと、午後時間あるし、一緒に勉強していくか」

結衣「うん」


やっぱり由比ヶ浜のコロコロ変わる表情を見るのは面白い。

いじけてたと思ったら、今度は尻尾をプルプル振りながらじゃれついてくる始末。

だけど、じゃれつくのはいいけど、腕に絡みつくのはやめなさい。

誰か見てるかもしれないでしょ。

といっても、俺達を知ってるやつらなら、いつものことかってことですまされるかな。

でも、お前の柔らかい感触はデンジャラスだから、やめてほしいです。

理性の崩壊が始まってしまうし、なによりも、雪乃がこわい・・・・・。













第11章 終劇

第12章につづく






234: 08/14(木) 11:39:33.88



第12章







6月15日金曜日 夜








夕方、由比ヶ浜との勉強会を済ませ、なおかつ、さらなる課題を付け加えてやると

俺は急ぎ総武家に向かう。

由比ヶ浜の質問が多いこともあって、約束の時刻はとうに過ぎていた。

早足だったのが、いつのまにか小走りになり、今や軽く走っている。

遅れる理由を平塚先生にメールしたけど、終わったらダッシュで来いって返信は横暴すぎる。

確かに今は日が暮れて、夕食時。約束の時刻は既に2時間は過ぎているけど、

・・・・・、はい、ごめんなさい。

今もあと5分で着くってメールしたけど、メールする暇があったら走れって・・・・。

近くまできたらメールしろって言ったのは平塚先生でしょ。

お腹すいてるのはわかるよ。わかるけど・・・、もう、ごめんなさい。

走ってますから。



額から汗の粒がはじけ出て、前髪がぺたっと額に張り付くころ、俺はようやく総武家に着く。

夕食時を少し過ぎたからといっても、まだまだラーメン屋は稼ぎ時だ。

美味そうなラーメンの香りが漂ってきて、すきっぱらにダイレクトに食欲をかきたたす。



静「遅い」



ラーメン屋の列の前に一人たたずむ黒い影。

いつものようにスーツを着こなし、存在感を撒き散らしながら俺を待つ。

けっして体のラインを強調するようにはできてはいないスーツであろうと

艶めかしい曲線美が完成している。

列に並び、とくにすることがない男連中の視線を集めるには十分すぎる魅力を

解き放っていた。



八幡「すんません。これでも、全力で走ってきたんですけどね」



俺は申し訳なさそうに謝罪をする。もちろん平塚先生にだけれど、

それだけではなく、俺にきつい視線を送ってくる男連中にもだ。



235: 08/14(木) 11:40:11.28



でも、俺は恋人じゃないんで、辛辣な視線はやめてください。



静「そうみたいだな」



男連中の視線など全く気にすることもなく、ハンドタオルを俺に差し出す。

俺は素直に受け取り、汗をぬぐう。



八幡「今度洗って返しますから」

静「うむ。では、並ぶぞ」



俺は、さっそうと列に加わる平塚先生の後を急ぎ付いていく。

列に並ぶと、既に食券を買ってあった平塚先生は、俺に食券を一枚手渡す。

総武家は、回転率アップのために店外に食券機があり、外で並んでるときに

注文を取りに来てしまう。

早く食べられることは嬉しいけど、初来店の人なんかは戸惑い気味だ。

慣れれば、うまいシステムだとは思うけど、繁盛店ならではだろう。



静「これでよかったよな」

八幡「うす」



たしかに、その日の気分で違うものをっていう気持ちもないわけでもないが、

それさえもお互い、ラーメンに関しては分かってしまう気がする。

そこまでわかってしまうほど一緒にラーメンを食べまくったっていうべきかもしれないけど

ラーメンに関して趣味が合うのは確かだ。

俺は、いそいそと食券代の小銭を手渡す。この一連の流れ。まさしく熟年の夫婦って

気もしないではないが、あえて考えないようにしている。

なんか考えだしてしまうと、いつの間にかに平塚先生と結婚してる気がしてしまう。

見た目は綺麗だが、性格も若干男っぽく、趣味も偏っている。

だからといって、居心地が悪いわけでもなく、むしろしっくりくる。

だけど、これを認めてしまうと、婚姻届を突き付ける姿が目に浮かんでしまう。

って、やばい思考を打ち消すべく、ラーメンの香りを肺に満たす。

平塚先生は、待たせたことを怒ってるわけではないみたいだが、

空腹が言葉を少なくさせる。

俺達は、ラーメンの香りを嗅がねばならないという拷問を乗り切り

ようやくラーメンを目の前にする。

空腹が最高のスパイスなどとよくいったものだが、ここのラーメンは空腹じゃなくても

十分すぎるほど美味しい。逆に、空腹すぎると味が分からなくなる気もする。



236: 08/14(木) 11:40:48.60



食欲のみで食事をしてしまうと、かえって味が分からなくなり、

せっかくのラーメンが台無しだ。

今回は、空腹ではあったが、なんとか美味しくラーメンを頂くことができ

ホクホク顔で残りのスープをすする。

すでに食べ終わった平塚先生は、ラーメン屋には似つかわない真剣な表情で

ドンブリを見つめていた。



八幡「どうしたんすか?」

俺の声も届かなく、しばらく沈黙のみが居残る。

静「ゆっくり食べたまえ。今は食べることを楽しむべきだ」

八幡「そっすか」



俺は、あえて追及することをやめ、残り少ないラーメンに意識を集中させた。

ほどなくして俺も完食し、コップの水を飲み干す。



八幡「ごっそさんでした」

大将「今日も見事な食べっぷりでしたね。また来てくださいよ」

八幡「あ、はい」

静「ごちそうさまでした。・・・・・それで大将」

大将「なんでしょう?」



いつも軽く挨拶したり、客が少なければ多少は会話をすることもある。

だけど、真剣な顔で話すことなんて、今まではない。

だから、平塚先生の真剣なまなざしをみれば、大将も警戒してしまう。

食券を渡し、食べ終わるまでの一連の流れが変われば、人は何かあるなって

身構えるものだ。



静「閉店するそうですね」



俺は、平塚先生の言葉に衝撃を受ける。千葉のラーメン激戦区。

たしかに、少しは超激戦区から外れた場所にあるといえども、大手チェーン店も

最近近所に開店し、経営は大変だと思う。しかし、だからといって、閉店するほど

客足が少なくなってるわけではない。むしろ、客は減りもせず、

多いままといってもいいほどだ。だからこそ、俺は閉店する理由が見当たらず

困惑してしまう。

俺は、答えを求めて大将に視線を向ける。すると、すでに平塚先生の質問が

分かっていたのか、穏やかな顔をしていた。




237: 08/14(木) 11:41:23.25



大将「もう知ってたんですね。はい、来月には閉店する予定です」

静「あの噂は本当だったんですね」

大将「えぇ」



寂しそうにつぶやく二人は、理由が分かっているのだろう。大将は当事者としても、

平塚先生も知ってたわけか。だから、俺を今日ここに連れてきたってことだな。

でも、俺にやってほしいことって何だろうか?

なぞは謎を呼び、困惑を深めるばかりであった。



八幡「なんで閉店するんですか?」

大将「もう噂が広がってるみたいだから言いますけど、道路拡張工事が始まって、

   ここのビルも取り壊しになるんですよ。

   でも、もうちょっとやれると思ってたんですけど、急に大家さんがね」

八幡「じゃあ、移転先も?」

大将「ええ、まだ何も。いい物件ないか探しているんですけど、

   もともと激戦区ですし、いい物件は既にね」

静「早く次の物件が見つかるといいですね。大将のラーメンが食べられなくなると

  寂しく思うお客も多いですから」

大将「そう言ってくださると、うれしいね」

静「ごちそうさまでした」

大将「またいらしてくださいね」



平塚先生の用事は終わったらしく、店外に出ていく。俺はもう一度「ごちそうさま」

と告げると、急ぎ後を追う。

店を出ると、平塚先生は煙草を吸おうとしていた。

いらだちぎみにたばこを取り出そうとしていたが、うまくタバコが出てこない。

煙草の箱を軽く握りしめると、そのまま鞄にしまいこみ、店の横に設置されている

自動販売機からコーヒーを2本購入する。

マッカンを俺に渡すと、自分のブラックコーヒーを一息に飲みきる。

タバコが吸えなかったいらだちをコーヒーに向けただけでなく

閉店の悲しみも含まれているのだろう。

俺はとりあえず自分のコーヒー代を支払おうと財布を取り出すが、

「奢りだ」とそっけなくつぶやくものだから、反論などできやしない。

自分の思い通りにできないことなんて、人生には山ほどある。

思い通りにできることより、できないことの方が多いほどだ。

だから、人間、忍耐強くならなきゃいけないけど、それでも、

いらだちは減るものじゃない。




238: 08/14(木) 11:41:52.52


ここで、俺さえも「奢り」を断ることで、平塚先生の思い通りを否定するなんて

野暮なことはするなんてできまい。

わかってますって、素直にコーヒーを受け取るのが、友情?、ラーメン仲間?、

まあ、二人の仲ってものだろう。



八幡「平塚先生の頼みって、総武家のことだったんですね?」

静「は? 頼みって?」



え? 電話でなにかやってもらうことがあるっていってましたよね?

もしかして、老化で記憶の方も劣化して・・・・・。



八幡「電話で言ってたじゃないですか?」

静「ああ、あれは冗談だ。ここが閉店するのを確かめたかっただけだよ。

  それともあれか、君に頼めば閉店を取りやめにできるとも」

八幡「それは、俺の力ではちょっと」

静「すまんな。こんなこと言うべきではないな。忘れてくれ」

八幡「いいんすよ。俺も閉店だなんて、ショックですから。

   でも、平塚先生と一緒でよかったですよ。一人だったら、ちょっと辛いかも。

   こういうとき、一緒にいて欲しい人が側にいてくれると助かります」



カランと缶が転がる音が響く。静かな夜の街に、イレギュラーな音が一つ混ざる。

俺は、すっと視線を向けると、その先には平塚先生がぼ~っと俺を見つめる視線が

あるだけだった。

ラーメンを食べたばかりだとはいえ、アイスコーヒーを一気飲みしたばかりだから

体が熱くなるわけでもないのに、顔は熱いものを食べた直後のように赤く染まっている。

俺の視線に気がつくと、うろたえて視線を泳がす始末。



八幡「どうしたんすか」

静「なんでもない!」



俺のマッカンを強引に奪い取ると、またしても一気に飲み干す。

ぷはぁって男らしい飲みっぷりに感心していると、自分が落とした空き缶を拾い上げ

ゴミ箱に捨てる。そして、律儀にもう一本マッカンを買ってくれるので、

今度は財布を取り出すこともなく、奢りの礼を伝える。

どうやら今月は、トラブルっていうか、厄介事ばかりらしい。

厄介事も一気に飲み干し、胃で消化できないものかと儚い願いを思い浮かべつつ、

俺はプルタブをひと思いに開けた。





239: 08/14(木) 11:42:28.88










6月16日土曜日







太陽はすでに昇りつめ、ゆっくりと傾きかけたころ、

ようやく俺は遅すぎる朝食を口にする。

昨夜は、ラーメン屋に行った後、平塚先生と遅くまで話し込んでたし、

主に平塚先生がだが、その後は英語の勉強会の為の準備で寝た時間などとうに忘れた。

英語の準備なんて明日にしてしまえばいいって悪魔が何度も誘惑してきたが、

土曜は雪乃が帰って来る。

面倒事を持ち越して土曜を迎えるのなんて嫌だ。

面倒事なんて、仮に持ち越したとしても、精神衛生上よくないし、

持ち越している時間経過ごとに精神を蝕まれてしまう度合いが増大する。

締切間近まで引き延ばしたとしても、漁り、圧迫、ストレス、時間・・・・・、

どれ一つ見てもプラス材料なんてない。だったら、早めに終わらせて、

次の仕事に移ったほうが、よっぽど健康にいいし、仕上がりもいいはず。

つまりは、楽したいだけなんだが、久しぶりに雪乃に会えたのに、

雪乃にかまえないでいると、雪乃の機嫌が悪くなるのが、一番怖いともいえる。



さて、朝食もとい昼食をとるべく冷蔵庫を物色しているとインターホンが鳴り響く。

アマゾンや楽天で注文したものもないし、この部屋にやって来る者などほぼいない。

雪乃にしたって夕方に帰ってくる予定だ。

どうせ宗教かんかの勧誘だろうと思い無視しようと考えはしたが、

英語の準備が終わったことに心が寛大になっていた俺は重い脚を引きずって

インターホンに応答する。



八幡「どちら様?」

雪乃「どちら様? 比企谷の妻ですけど。その他人行儀な態度は、もしかして

   浮気でもしているのかしら?」



ろくにモニターを見ずに応答したのが悪かった。しかも、宗教だとたかを

くくって、ぶっきらぼうに言ったのも最悪だ。

モニターの中の雪乃は、画像が悪いくせに、不機嫌さだけは如実に映し出している。

そもそも夕方に帰ってくるんじゃなかったのか?



240: 08/14(木) 11:42:58.90


八幡「すまん、寝起きなんだよ。モニターも見ないで応対してさ。

   今すぐロック解除するな。ほら、雪乃の顔を見て、目が覚めた、覚めた」

雪乃「いいわ。上がっていけば、わかることだから」



雪乃は、そう短く答える。

あぁ、なんなんだよ、いったい。せっかく目覚めがいい朝?、昼だっていうのに。

それなのに、雪乃を怒らせてしまって、最悪じゃないか。

もうすぐ雪乃が上がってくるし、どうしたものか。

テーブルの上には、冷蔵庫から取り出した食事が少し。これだけでは足りないから

もう少し冷蔵庫から拝借せねばなるない。

って、食事の心配している暇なんてないだろ。

いやまて、雪乃は昼食とったのか? それに、雪乃が予定より早く帰ってきたんだ。

喜ばしいことじゃないか。もともと浮気なんかしているわけもないし、

後ろめたいことなんかも一つもない。

だったら、やることといえば・・・・・・・、



八幡「おかえり、雪乃」



玄関で雪乃を待って、家に迎え入れることだけだ。



雪乃「ただいま。・・・・・・ちょっと、にやにやしていると、

   本当に浮気しているんじゃないかって疑ってしまうわ」

八幡「にやにやじゃない。にこにこに訂正してくれれば、問題ない。

   ぶっきらぼうな応対は悪かったけど、本当に寝ぼけていたんだよ。

   これから遅い朝食をとるところだったんだし」

雪乃「朝食って、もう1時過ぎよ。すでに昼食と言うべきだと思うのだけれど」



俺は、雪乃の鞄やら手提げ袋を受け取り、部屋の中に運ぶ。

出かけるときにはなかった荷物も増えていることから、実家から何か貰って来たのかな

って能天気な事を考えをしていると、背中に心地よい重みが加わる。



雪乃「ただいま、八幡」



雪乃は、俺の脇の下から手を回し、胸のあたりで両手を結びつける。

両手に荷物持ってるし、どうしたものかなと悩んでいると、

雪乃は、そっと俺から離れてしまう。名残惜しい感触を手放してしまったことに

俺の優柔不断さを呪いそうになるが、これからゆくり距離を詰めていけばいいと

呪いの言葉を取り下げた。



241: 08/14(木) 11:43:33.43




八幡「夕方に帰ってくると思ってたのに、早かったんだな。

   言ってくれれば、よかったのに。そうしたら食事も」

雪乃「そうね。驚かそうなんて考えないで、早く連絡しておけばよかったわね。

   でも、私も昼食まだだし、ちょうどよかったわ」



やっぱ驚かそうって考えていたわけか。

たしかに驚きはしたけど、早く帰ってくるって言ってくれていれば、

それなりの準備もしていたわけだし、優劣つけがたいか。



八幡「ま、いいんじゃねえの。これから食事なんだし、

   堅苦しいこと考えるのはよしとこうぜ」

雪乃「それもそうね。それと、平塚先生は夕方いらっしゃるのよね」

八幡「その予定だけど。あと、陽乃さんも来るって言ってたな」

雪乃「姉さんが? なにも聞いていないのだけれど」



あの人、マジでなにも言ってないのかよ。たしかに俺に言っておいてくれって

言ってたけどさ、姉妹なんだし、さっきまで一緒にいたわけなんだから、

自分で言ってくれてもいいんじゃないか。

それを、面倒事のみ俺に押し付けて・・・・・。



八幡「昨日、雪乃からの電話の後、かかってきたんだよ。

   しかも、雪乃と俺が電話してるの知ってたみたいだし、

   もしかして、監視されてたの?」



冗談っぽく言ってみたものの、あの人ならやりかねないと思い、

じわじわと苦笑いが浮かびあがる。

それにつられて、雪乃も苦虫を噛み潰したような表情をする。



雪乃「姉さんについては、もうあきらめましょう。深く考えたほうが負けよ」

八幡「そうだな。考えても答え出ないし、疲れるだけだ」

雪乃「それで、姉さんは何か言ってたのかしら?」

八幡「なにか用があるとは言ってたけど、詳しいことは何も。

   どうせもうすぐ来るんだし、なにも考えず、直接聞いたほうが早いだろうな」

雪乃「そう・・・・・・・」



雪乃は、消え去りそうな小さな声で呟くと、珍しく俺から目をそらす。

雪乃には、なにか心当たりがあるのだろうか?



242: 08/14(木) 11:44:02.54


そもそも、今回実家に戻ったのも、実家の用事というのみで、

詳しい内容は聞かされていない。俺の方も、あれこれ詮索するのも悪いと思ったし、

俺に聞いてほしいのならば、雪乃の方から話すだろう。

だけど、雪乃の顔を見ていると、心配してしまうことはたしかであった。



八幡「お腹すいたな。雪乃も食べるんだろ? 何食べる?」



だから俺は、明るくふるまう。雪乃が話したくなるまで。



雪乃「そうね。冷蔵庫を確認してみなければ、わからないのだけれど、

   昼食は軽めに済ませて、あとで夕食の為にお買い物にいきましょう」

八幡「りょ~かい」



雪乃は俺の意図を察知してか、俺の流れにのっかる。

だけど、これは面倒事を後回しにしてるだけだ。

いつか解決しなければならないし、解決できるとも限らない。

英語の準備のように、解決できる内容であることを祈ることしか今はできなかった。










日が暮れ始めるころ訪問者の訪れが鳴り響く。

買い物をしているとき、陽乃さんからメールが届き、平塚先生と待ち合わせてから

来るとのこと。もちろん俺の携帯にメールが来たことは言うまでもない。

しかも、平塚先生と一緒に来るとは、やはり抜け目がない。

どれだけ妹を警戒しているんだよって、突っ込みを入れてみたくもあったが、

その倍以上の答えたくもない質問をされそうなので自重する。



静「今日は、食事に招待してくれて、ありがとう。

  これは食事の時にでも飲もうと思ってな」



平塚先生が手土産としてワインを持参する。どっちかっていうと、日本酒の方が

似合いそうな気もするんだが、あえて突っ込むまい。

こちらも痛々しい自虐ネタを披露されても泣きたくなるだけだし。



雪乃「ありがとうございます。今日はラーメンではないので、

   ちょうどワインがあうと思います」




243: 08/14(木) 11:44:37.43



って、おい。いつまで平塚先生とラーメン食べに行ったの気にしてるんだよ。

いつもは平塚先生とラーメン食べに行っても、事前報告だしな。

やっぱ事後報告っていうのがいけなかったのか。



静「いやいや、ラーメンであってもワインに合うのもあるんだぞ。

  ラーメンといってもあなどるなかれ」



平塚先生は平塚先生で、雪乃の厭味なんか全く気が付いていないし。

それはそれでありがたいけど、しょっぱなから気疲れするとは、この先おもいやられる。



陽乃「雪乃ちゃん、比企谷くん、こんばんは~。

   ご招待してくれて、ありがとねん」

雪乃「私は、招待した覚えはないのだけれど」

陽乃「あれ~・・・・。てっきり招待してくれているって思っていたんだけど。

   そっかぁ、ごめんね、雪乃ちゃん。邪魔者は帰るね」



陽乃さんは、しょんぼりと肩を落として、帰るふりをする。

あくまで「ふり」だ。

見るからにして、落ち込んでいないし、引き止めるのを待っている。

だけど、雪乃は引き止めはしないだろうし、平塚先生は誰も聞いてはいないのに

いまだラーメン談義をしているし。

やっぱ俺が引き止めるのかよ・・・・・・・。



八幡「せっかく来ていただいたんだし、俺も陽乃さんと食事してみたいなぁって」



自分で言っておきながら、嘘くせぇ。大根役者以下のセリフ回し。

ま、いっか。どうせだれも俺のセリフなんてきいちゃいないだろうし。



陽乃「そう? だったら久しぶりに語っちゃう? 雪乃ちゃんの昔話もOKだよ」



あ、それ、おもいっきり聞きたいかも。お義姉さま、お聞かせてください。

なんだったら、今晩泊まっていってくださっても。



雪乃「姉さん・・・・・・・」



そんなに都合よくはいかないか。一気に部屋の空気が冷えきったし。

俺達3人の周りだけ一気に零度以下じゃね?




244: 08/14(木) 11:45:18.91



もちろん平塚先生は、我関せず・・・・・・ではなく、いまだラーメンだし。



陽乃「あちゃ~・・・・・。昔話は、雪乃ちゃんがいないときにね。

   だ・か・ら、今度お義姉さんとふたりっきりで食事しようね」



近い、近い。って、もうくっついてますよ。

雪乃とは違う大きなお胸がむにゅって腕に。

このままだと、俺の体が雪乃にむにゅって潰されそうです。



雪乃「離れなさい」



俺か陽乃さんのどちらに言ったかわからないけど、ありがたいことに

陽乃さんのほうから離れてくれた。

ただ、ほっと一息つく間のなく、今度は雪乃が対抗して腕をからめてくる。

こればっかりは陽乃さんの圧勝なのだけれど、言えるわけもない。

まあ、大きさじゃないから安心してくれ。誰が隣かが一番大事なんだし。



陽乃「比企谷君、悪いけど、静ちゃんをちょっと現実に連れ戻してくれない?

   その間に、雪乃ちゃんと食事の準備しちゃうからさ」



陽乃さんは、雪乃の返事を聞く前に行動にうつす。

実家では料理どうなのかなって思い返してみたが、あいにくそんな場面には遭遇していない。

だったらここでは?と思い返すが、いまいち確証が出ない。

勝手に人ん所の台所使われるの嫌がる人いるけど、雪乃もその例に漏れない。

由比ヶ浜が来て、一緒に料理したりするけど、それは雪乃が一緒であるから

問題にならないだけ。目の届く範囲なら、いくら失敗しても由比ヶ浜なら許される。

だけど、陽乃さんはどうなんだ?



雪乃「姉さんは、スープの方を仕上げてくれないかしら」

陽乃「お、トマトと卵のスープかぁ。OK、OK。

   中華風? それともコンソメかな?」

雪乃「そうね。コンソメで仕上げようかと思っていたのだけれど」

陽乃「OK」



どうやら問題はなさそうだ。

この分だと、実家では、一緒に料理をしているのかもしれない。



245: 08/14(木) 11:45:57.30



素直に仲がいい姉妹っていうわけではないかもしれないけど、

俺が心配することなんてなさそうだ。

この分なら、料理の準備は、何事のなくすすみそうであった。

あのときまでは・・・・・・・。










第12章 終劇

第13章に続く






254: 08/21(木) 17:36:22.29




第13章








6月16日 土曜日 夜








陽乃「ねえ、雪乃ちゃん。あのこと、もう比企谷君に話した?」



雪乃の手が止まる。あのこと? やはり雪乃には、心当たりがあったのか。

陽乃さんの方は、あいかわらず手際よく料理を進めている。



陽乃「面倒だし、早めに言っちゃうね」

雪乃「姉さん!」



雪乃が声を荒げるなんて。冷静、沈着、氷の女王。その雪乃が震えている。

平塚先生も事の急変に驚き、ことの次第を見守っていた。



陽乃「私ね、結婚するの」



結婚? ということは、相手は誰なんだ?

それよりも、結婚って言葉に敏感なお年頃の女の子がいることをお忘れでは

ないでしょうか。

平塚先生の前ですべき話では・・・・・、というレベルではなかった。

あの平塚先生でさえ、まじめくさった顔つきで陽乃さんの言葉を吟味している。

平塚先生も陽乃さんとの付き合いもあるし、平塚先生の方が俺よりも

なにか知っているのかもしれない。



陽乃「驚いてくれたのは、比企谷君だけか。まっ、そうだろうねぇ。

   もともと政略結婚の話は、あったわけだし。

   それを私の方がのらりくらりと先延ばしにしていたわけだしさ」



あっけからんと話す内容じゃないだろ。政略結婚?

いつの時代の話だよ。ていうか、企業の経営者や、議員やってると

今でもある風習なのか?



255: 08/21(木) 17:37:35.52

陽乃「比企谷君には、初めて言うのかな。私ね、今度お見合いするの。

   お見合いといっても、断ることなんてできないけどね」

八幡「それってお見合いっていえるんですかね。お見合いだと、断ることが

   できるもんじゃないですか」

陽乃「そう? だったら、政略結婚するっていったほうがいい?」



なんで、そんなに無表情で言えるんだよ。もっと感情的に言ってくれよ。

いまだったら、子憎たらしいいつもの陽乃さんでいいからさ。

まったく掴むことなんてできない遥上を歩いている陽乃さんでいてくれよ。



陽乃「比企谷君は、優しいのね。私の為に悲しんでくれるんだね」

八幡「そりゃあ、身近にいる人が、望みもしない政略結婚なんて強行されたら

   悲しみもしますよ」

陽乃「そっかぁ。悲しんでくれるか。いい義弟をもてて、なによりだ」

雪乃「ちゃかさないで、姉さん」

陽乃「雪乃ちゃん?」



いつの間にかに復活した雪乃は、陽乃の前までやってきて、陽乃さんを睨みつける。

雪乃の強い意志が詰まった瞳に、あの陽乃さんが目をそらしてしまう。

今までの姉妹の関係からすると、ありえない。

あの陽乃さんが逃げるだなんて、誰が想像できる。



雪乃「政略結婚になってしまったのは、姉さんの責任でもあるのよ」

八幡「雪乃?」

雪乃「だって、姉さん、今まで誰とも付き合おうとしなかったじゃない。

   父だって、誰かいい人がいれば、考えてくれるっておっしゃってたじゃない。

   もちろん母は嫌な顔してたけど、それでも姉さんが選んだ人だったらって」

陽乃「それが難しかったんだけどね。だって、誰がいいかってわからないし」

雪乃「そんなの付き合ってみなければ、わからないじゃない」

陽乃「わかっちゃうのよ」

雪乃「わからないわよ」

静「雪ノ下」



今まで黙っていた平塚先生が、雪乃の肩に手をかけ、そっと雪乃を引き寄る。

雪乃も平塚先生に体を預け、身を任せていた。



陽乃「わかっちゃうのよ、これが。それとな~く、将来のことを探りいれてみると

   これじゃダメだなって。絶対母のお眼鏡にかなうわけないし、

   父であっても無理ね。それよりも先に、私の方がその男に幻滅しちゃうかな」


256: 08/21(木) 17:38:35.67



まるで何度も経験してきたことのように語る。

苦々しくて、思い出したくもない過去。

きっと自分なりに改善すべきことは改善し、目をつぶるところは諦めてきたのだろう。

それでも手が届かない。やはり解決なんて難しい話だった。

雪乃は、今日陽乃さんが来るってことの意味がわかっていたんだ。



陽乃「だってねえ、私と付き合うってことは、将来が決まっちゃうのよ。

   しかも、あの母がもれなく付いてくるし」



それは、俺も嫌かもしれない。いや、できることなら逃げ出したい。

しかし、雪乃と一緒にいる為には、克服しなければなるまい。

たしかに、初めて会った時のインパクトは強烈だったし、お互いの印象も最悪だった。

それでも付き合っていかなければならないし、今では、まあ、味がある人だなと

なんとか、かろうじて、わずかに、若干・・・・・、どうにか思えるようになった。



陽乃「もし私が逆の立場で、男だったら、私と付き合うなんて願い下げよ。

   だって、めんどくさいもの」

雪乃「そんなの言い訳にしかならないわ」

陽乃「そうかもね。でもね、雪乃ちゃん。私も何人かいい人そうな人、見つけはしたのよ。

   でも、無理だった。だって、ちょっと将来を視野にいれた話をしてみると

   みんなドン引きしちゃうのよ。

   たしかに、いきなり企業経営とか議員活動なんて話されたら

   よっぽどの馬鹿か、私を踏み台にして成りあがろうって人しか

   話にのってこないわ」



雪乃は、もはやなにも言い返さない。もう何も言い返せなかった。



陽乃「だからね、私、雪乃ちゃんに嫉妬しちゃう。

   だって、比企谷君がいるんですもの。

   あの母に正面切って挑んじゃうなんて、正直正気を疑ったわ。

   だけど、比企谷君は、馬鹿でも踏み台希望でもなかった。

   純粋に雪乃ちゃんに惚れてただけ。それだけで、行動できちゃうだなんて

   妬けちゃうわ。でも、私には、そんな人、現れなかった。

   それが現実」



もし俺が雪乃の両親に交際宣言しなければ、同じことが雪乃にも起こっていたかもしれない。

そう考えると、ぞっとする。




257: 08/21(木) 17:39:06.04


あの時は、なりふり構わず行動したけど、あれも若さゆえの行動ともいえるし。



陽乃「でもね、どうにか大学院卒業しても、海外留学できそうなのよ」



そう明るい話題をふる陽乃さんには、話題とは裏腹に、明るい笑顔なんてなかった。



陽乃「もちろん婚約するのが前提だけどね」



あるのは、悲しいまでもの無表情のみ。

この日、俺が勝手に作り上げていた陽乃さん像が崩壊していく。

勝手に祭り上げて、勝手に壊して幻滅する。

陽乃さんだって、望んで今の自分を作り上げたわけではないだろう。

陽乃さんが置かれている環境が、強制的に陽乃さんを作り上げていく。

それが今、壊れかけていた。



雪乃「また姉さんは逃げ出すの? 最初は大学卒業するまでに相手を見つけられれば

   って話だったのに、姉さんは相手を見つけなかったのよ。

   そして、今すぐ結婚したくないからって、大学院に入ったんじゃない。

   それで今度は、婚約してもいいけど、結婚は留学が終わってから?

   笑えてしまうわ」



それは突然だった。予期せず出来事が起こってしまうと、人間何もできないものだ。

乾いた音が一つ鳴り響く。それは、雪乃が陽乃さんの頬を叩いた音。

雪乃が暴力で訴えたことなんて、今まで一度たりともない。

言葉で散々心をえぐりはするが、けっして暴力だけはしない。

それが今、やぶられた。

陽乃さんよりも、雪乃の方が、叩いたことによるショックを受けている。

むしろ、叩かれた陽乃さんは、薄寒い笑みさえ浮かべ、事の行方に身を任せていた。

自分からは動かない。人をコマのように扱ってきたあの陽乃さんが

自分の意思で自分を動かすことを放棄してしまっている。
  

 
静「陽乃も今日のところは、ここまでにしておけ。雪ノ下もだ。

  ・・・・・・・比企谷」



蚊帳の外に置かれたいたと思ったのに、突然自分の名前を呼ばれ、肩をぴくつかせる。



静「悪いが、食事の用意は比企谷がしてくれ。私ができればいいんだけど、

  あいにく料理はからっきしでな」



258: 08/21(木) 17:39:35.09


八幡「あ、料理くらい、俺がやりますから・・・・・・・」



いち早く平常心を取り戻せたのは、平塚先生だった。年の功ってやつかもしれないけど、

いくら平塚先生が事情を知っていたとしても、それは当事者としてではない。

冷たい言い方かもしれないけど、いくら平塚先生が事情を知って、相談にのったとしても

それはどこまでいっても第三者でしかない。

だから、ここにいる誰よりも冷静になれる。ここに平塚先生がいてくれて助かった。

いや、陽乃さんは、こうなるってわかっていたから、強引であっても

平塚先生がやってくる今日の食事に割り込んできたのではないだろうか?

それならば、雪乃が平塚先生を今日食事に招いたことだって、

さらには、雪乃が陽乃さんが来るって言った時の反応だって・・・・・・。

あらゆることに疑問を投げかけてしまう。悪い癖だ。

きっとどれかは真実であって、なにかは思いすごしであるのだろう。

しかし、いくら思いを巡らせようとも、

今目の前で起こっている現実には、役に立つとは思えなかった。



部屋を見渡すと、平塚先生は、雪乃を連れ、リビングのソファーに腰をかけていた。

陽乃さんといえば・・・・・、いまだ雪乃に叩かれた場所で立ち尽くしている。

ふいに陽乃さんが体を震わせる。すると、陽乃さんを見ていた俺と視線が交わる。



陽乃「・・・・・・・・」



唇が動いているが、声は聞きとれない。読唇術なんかができれば、読みとることが

できたかもしれないけど、あいにくそんな高等技術は持ち合わせていない。

むしろ、読みとれなくてよかったと思ってしまう自分が情けなかった。



陽乃「手伝うわ」

八幡「え?」

陽乃「だから、手伝ってあげるっていってるのよ」



表情は堅いが、いつもの陽乃さんに近い表情を浮かべている。

あくまで近いであって、そのものではないとこからしても、無理をしているのがわかる。

だって、最初の言葉が「手伝うわ」ではないことくらいは、読みとることができたから。













259: 08/21(木) 17:40:07.36





これほど重苦しい食事なんて、経験したことがない。

雪乃の両親と食事をしたときでさえ緊張はしたが、ここまでではなかった。

雪乃には悪いが、どちらかといえば、陽乃さんと二人で食事の準備をしていたときの

ほうが気が楽でさえあった。

感情が欠落した笑みをまとった陽乃さんではあったが、意思疎通は可能であったし、

なによりも料理をしていれば気がまぎれる。

しかし、ゆっくりと腰を据えて食事となれば、事態は変わる。

食事に集中すればいいと思い込んでみたが、味が知覚できない。

それは、平塚先生であっても同じようで、しかめつらで食事を進めていた。



陽乃「なになに? 私のせいでみんな暗いなぁ。だったら、なにか面白い話でも

   してあげようか? そうだなぁ、・・・・・・じゃあ、比企谷君、

   面白い話をどうぞ」



俺ですか? いきなり振られましても。それに、いつだって面白い話なんかあるわけもない。

俺は、助けを求めるべく、平塚先生に視線を向けるが、そっと視線を背ける。

あ、逃げやがったな。こういうときこそ年の功ってもんを発揮してくださいよ。

いつまでも若手だなんて、いってられ・・・・・、ごめんなさい。

俺がまごついていると、陽乃さんは、最初から俺に話を振るわけでもなかったのか、

自ら話を展開させる。



陽乃「それでは、とっておきの笑えないけど、笑える話を。

   実は私、ストーカー被害にあってま~すっ」



作り笑顔いっぱいに、両手を上げて笑いを醸し出す。

ただ、内容が内容だけに、誰も笑うわけもなく、重い空気がさらに重くなる・・・・・。

って、最初から狙ってやってたんだろ。

これ以上重い空気にならないだろうって踏んで話したんだろうけど、

いかにも陽乃さんらしいといっても、少しは空気を読んでくださいよ。



雪乃「姉さん。それは、まったく笑えない話なのだけれど。

   むしろ、姉さんには危機感をもってほしいわ」

静「そうだぞ陽乃。自分だけでどうにかなる内容ではないだろ。

  警察に届けなければならないかもしれないし、

  君は、自分が女性だということも忘れがちなところがある」



二人とも、思い思いの感想を述べるが、基本、陽乃さんを心配してのことだ。


260: 08/21(木) 17:40:43.70


もちろん俺も心配しているのだが、以前、陽乃さんがストーカーを撃退したっていう

話をきいていることから、今回のことが異常なケースなのではと勘繰ってしまう。

いくら政略結婚という厄介事があったとしても、陽乃さんがストーカー被害を

黙って対処せずにいるとは思えなかった。



陽乃「おや。みんな心配してくれているのね。お姉ちゃん、もてもてだな」

雪乃「姉さん」

陽乃「お、雪乃ちゃん、こわい」

雪乃「ちゃかさないで」

陽乃「はい、はい。でも、そこの勘のいい比企谷君は気が付いているみたいだけど、

   どうも普通のストーカーでは、ないみたいなのよ」

雪乃「そもそもストーカーなんて、普通の人ではないと思うわ」

静「まあ、そうくくってしまえば、そうなんだろうが・・・・・」



苦笑いを浮かべる平塚先生をよそに、陽乃さんは話を続けた。



陽乃「友達に手伝ってもらってるんだけど、なかなかストーカーの尻尾がつかめないの。

   いつもは友達に頼んで、とっ捕まえてもらって、

   楽しい話し合いをするんだけどね」



楽しい話し合い。きっと楽しいのは、陽乃さんだけだろ。

俺なんかは小心者だし、ストーカーの方を心配してしまう。

自業自得ではあるけど、話し合いに「楽しい」なんてつけるあたり、怖すぎる。

さて、ここで気になった点といえば、三つある。

まず一つ目は、そもそもこのストーカー自体が陽乃さんの虚言ではないかということ。

重苦しい雰囲気を、方法には問題があるが、別の方向へ誘導するには効果がある。

現に、雪乃も平塚先生も、うまく話に乗せられている。

だけど、これはすぐに却下だ。

なにせメリットが小さすぎる。政略結婚という話をしていた時に、

それをわざわざさらなる問題でうやむやにしようだなんて、後のことを考えれば

デメリットの方がでかい。人に心配させながら、それを嘘で煙に巻いたなんて

あとでしれたら、今後の信頼関係が崩壊する。

雪乃と陽乃さんの姉妹関係なんて、見た目ほど悪くはない。

むしろ最近は良好だといえる。

それと、平塚先生との関係であっても、高校を卒業しても付き合いがあるなんて

レアケースだし、今それを壊す意図が思い浮かばない。

で、それで二つ目の疑問点だが、本当に陽乃さんより上手なのだろうかということだ。

ひいき目なしに考えたとしても、あの陽乃さんだ。俺が逆立ちしたとしても

手玉にとれるとは思えないし、雪乃であっても、難しいだろう。

261: 08/21(木) 17:41:25.03




さらに、陽乃さんの友達の協力を得ていることからしても、

もし本当にストーカーが存在すると仮定すると、陽乃さん以上の人物となる。

陽乃さんの存在を過信しすぎかもしれない。さっきも、政略結婚という話題で

見たこともない陽乃さんを発見したばかりでもある。

しかし、どうも陽乃さん以上に頭がきれるストーカーなんて・・・・・・・。

最後に三つ目だが、陽乃さんが、なぜ俺達にストーカーの話題をふったかだ。

俺達にストーカーを捕まえてほしいのか? それとも助言がほしいとか?



陽乃「比企谷君? ねえ、比企谷君ったら?」



思考の海に投げ出された俺は、名前を呼ばれたのに気がつかないでいた。



八幡「あ、はい?」

陽乃「ほんといい子ねぇ。しっかり考えてくれていたのね」



俺の頭を撫でるのは、よしてください。ほら、人を殺せる視線がちらっと・・・・・・。

陽乃さんは、雪乃を無視し、頭を撫でまくる。俺も、邪険に払っても

無理だと経験上わかっているので、飽きるまでやらせておくことにした。

あとで、雪乃が対抗心むき出しの行動があるだろうけど、

場を壊すよりは、あとで雪乃が納得するまで付き合う方が建設的だ。



陽乃「それで、どう思った?」

八幡「どうっていわれましても。情報が少なすぎますし、陽乃さんが無理なのに

   俺が対処できるとも思えませんよ」

雪乃「それもそうね。姉さんが対処できていないのに、私たちが何かできるとは

   思えないわ」

静「それなら、早めに警察に相談してみてはどうかね?」

陽乃「それも考えてはいるんだけど、時期的にちょっとね」

雪乃「はぁ・・・・・。娘の安全と社会的地位。どちらが大事なのかしらね」

陽乃「いいのよ。警察に相談したところで、なにかプラスに事が進むとは思えないし」



警察に相談したとことで、大きなトラブルが発生していなければ、

警察が実力行使をしてくれるとは思えない。

それに、24時間陽乃さんを警護してくれるわけでもあるまいし、金にものを

いわせるのならば、陽乃さん個人でボディーガードを雇ったほうが手っ取り早いし、

両親もそれならば許可するだろう。

しかし、それは根本的解決につながるわけではない。



262: 08/21(木) 17:42:07.02


いつまでも後手後手に回っていては、ますますストーカーの行動はエスカレート

してしまう。ならば、過剰反応を起こさせるように仕向けて、そこで捕まえるなんて

強引な作戦も思い浮かぶが、追い詰められたストーカーが何をやってくるか

わからない分、今はむやみに行動すべきではないだろう。



陽乃「そういうわけだから、比企谷君」

八幡「はい?」

陽乃「雪乃ちゃんのことよろしくね。読めない相手だけに、雪乃ちゃんの方も心配だし」

八幡「それはできる限りのことはしますよ」



なるほど。最初から雪乃の事を心配してのことだったのか。

シスコンであっても、ここまで変化球で愛するシスコンも珍しいんじゃないか?

きっと半分以上は、うざがられているはず。それさえも楽しんじゃってるのが

陽乃さんらしいけど、もう少しストレートにできないものですかね。



陽乃「そこは、命に代えてもって言ったほうが、かっこいいんじゃない?」

八幡「あいにく、できないことは約束しないたちでしてね」

陽乃「そういう捻くれたところ、直したほうが、雪乃ちゃん、喜びそうなのに」



うっせ。自分の方こそ、直した方がいいんじゃないですかね。

捻くれたシスコンなところとか。



雪乃「姉さん。人の事を心配するよりも、自分の方をした方がいいのでは?」

陽乃「雪乃ちゃんが、私の事心配してくれるのね。

   お姉ちゃん、うれしいなぁ・・・・・・・」

雪乃「はぁ・・・・・・・」



雪乃は、ため息をつく。伝染してしまったのか、俺や平塚先生まで、長いため息をつくが

あいかわらず陽乃さんは、面白そうに俺達を眺めていた。



八幡「ところで、明日はご両親は家にいますか?

   先日、雪乃が俺のせいで家に戻ってきたこともあるし、最近会ってもいないので、

   一度挨拶に伺いたいなって思っていたんですよ」



とりあえず俺は、俺の用事の方を済ませておくことにした。

なにせ、このまま陽乃さんのペースにさせておいたら、

いつ食事会が終わってもおかしくない。

だったら、面倒事は早めにすませておくに限る。



263: 08/21(木) 17:43:19.56



それに、いつ話ができない状態に逆戻りするかわからないし。



陽乃「いい心がけだねぇ。父は、今夜泊まりだけど、

   明日の午後には帰ってくると思うわよ。だから、夕方なら大丈夫だと思うけど、

   帰ったら母に聞いてみるね」

八幡「ありがとうございます」

雪乃「わざわざ出向かなくても。それに、何を言われるか・・・・・」

八幡「いいんだよ。けじめはしっかりしておかないとな。

   そしてなによりも、根回し、ゴマすり、強いものに巻かれろがモットーだからな」

静「あまり関心できない心がけだが、比企谷が行くって言ってるんだ。

  素直に連れていったらどうだ、雪ノ下?」

雪乃「・・・・はい」

陽乃「それなら、夕食も食べていってね。だって、いつも辛気臭い食卓なんだもの。

   せっかく二人がくるんだったら、食べていってほしいな」

八幡「お邪魔でないのでしたら」

陽乃「なら決まりね。父は喜ぶわ。母の方は相変わらずだろうけど」

雪乃「わかったわ。でも、その前に、由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントを買わなければ

   いけないのだから、そのことも忘れないでちょうだいね」

八幡「わかってるよ」

陽乃「ほんと、雪乃ちゃんには敵わないなぁ。いい彼氏見つけられて、よかったね。

   うらやましいったら、ありゃしない・・・・・・・」



陽乃さんが、自虐的な笑みをふりまく。

幾分好転したかと思われた雰囲気も、

その雰囲気を作ろうと努力した陽乃さんであったが、

それも全て、陽乃さんの一言で崩れ落ちる。

悪い雰囲気は、いくら好材料があっても振り払えるものではない。

逆に、いい雰囲気など、悪材料一発で全てが吹き飛ぶ。

人間、楽天的には行動などできやしない。あのあほの子由比ヶ浜であっても、

空気を読み、世間と自分を擦り合わせて生き抜いている。

もし、自分は楽天家なのって言い張るやつがいるんなら、いってやりたい。

楽天家など存在しないと。そいつはただ、目の前の問題を後回しにし、

見ないふりをしているだけの落後者予備軍であると。

だから、人間、問題が山積みになって逃げられなくならないように

常に悪材料を注目する。そうしないと、身動きできなくなってしまうから。

つまり、人は、悪材料ほど敏感に反応してしまう。



264: 08/21(木) 17:44:08.71


俺は、見渡すかぎりに埋め尽くされている難題に、そっとため息をついた。








第13章 終劇

第14章に続く
269: 08/28(木) 17:30:46.74



第14章








6月17日 日曜日








由比ヶ浜への誕生日プレゼントは、昼食前には見つかり、

今は歩き疲れた脚を休めている。

人ごみに酔った俺達は、いささか酔いをさますには不十分なレストランに入る。

それも仕方がないか。今は休日の昼食時。

どのレストランに行っても人があふれているはず。

それでもタイミング良く待ち時間もわずかで席に座れたんだ。文句も言えないだろう。

店内は、家族連れや高校生・大学生のグループがあふれかえっている。

やはり大型ショッピングモールということもあって、店舗自体は小さいが、

さすが今時のイタリアンレストラン。客席からピザを焼く窯や

料理をしている姿が見渡せるいかにもおしゃれなレストランであった。



歩きつかれ、正直とりあえず食べられればいいかなっていう思いは強い。

もし雪乃と一緒でなく一人で来ていたら、牛丼でも腹にかっこんで

そのまますぐ帰途に就いていたはずだ。

いや、家に帰ってから雪乃の料理を食べるのに一票か・・・・・・・。

だけど、今は雪乃もいる。

かっこつける訳ではないけど、それなりのお食事を提供したい。

ま、半端な知識で見栄を張ってもぼろが出る。

ピザなんて、スーパーの冷凍ピザか宅配ピザが関の山。

外でピザやパスタなんて食べることなんて、雪乃と一緒の時しかあり得ない。

だから、俺はいつもの黄金パターンを披露する。

それは、とりあえずビールならぬ、とりあえずセットメニューで。

セットメニュー。すなわちお店のお勧め商品。

お勧めならば、その店の看板商品であるし、下手な商品は提供しないだろう。

もし、初めて行った店で、その店の看板商品が意に沿わない味ならば、

次は来なくなるだけだ。

ほら、お寿司屋さんに行った時も、お勧めの握りを聞くでしょ?

やっぱ旬のものを、その日仕入れた活きがいいものを、

店員から聞くのが間違いを回避する王道だと思える。


270: 08/28(木) 17:31:27.18


ここで見栄を張って、自己流で注文したって、店員は内心笑いはしないけど、

苦笑いくらいはしているかもしれない。被害妄想かもしれないが、

プロにみえなんて張る必要なんてない。

それに、お勧めのセットメニューなら、仮に苦手なものがあっても、

セットメニューを軸にして、自分たち好みのセットメニューを組み立てていけば

いいだけだし、ほんとよく考えられているシステムだこと。

というわけで、雪乃には見破られているけど、いつものセットメニューを提案した。



雪乃「そうね。セットもいいけれど、こちらの季節限定のはどうかしら?」

八幡「そうだな。それだったら、一つは季節限定セットにして、もうひとつは

   ピザとパスタと適当に頼めばいいんじゃないか?

   この前はたしかマルゲリータだったし、他のも食べてみたいかもな」



雪乃の俺のかじ取り絶妙するぎるな。うまく操縦されているともいうけど、

俺が受け入れて、納得してるんだから問題あるまい。

ざっとメニューに目を通した雪乃は、俺の案も考慮に入れて、最終案を提示する。

俺も特に対案を出す気もなく、店員を呼ぶブザーを押す。

注文を終え、ようやく一息つけたところで、今夜の心配事案を訪ねることにした。



八幡「なあ雪乃。実家に行くんだし、なにか手土産買っていったほうがいいか?」

雪乃「特にいらないと思うわ。行儀よくしていてくれるのが、なによりの手土産よ」



にっこり笑いながらも、余計なことしないでねって釘をさしているのね。

もちろん俺も、面倒事はごめんだ。お前のかーちゃん、こえーし。

睨まれただけでも寿命が縮んじまう。



八幡「そうはいってもなぁ・・・・・・・・。夕食ご馳走してくれるって言ってるし、

   それに、いきなり会いたいって言ったのに会ってくれるんだぞ。

   やっぱ、なにか持って行ったほうがいい気がしないか?」

雪乃「でも、なにを持っていっても母は喜ばないと思うわ」

八幡「それって、俺が持っていってもってことだよな?」

雪乃「ええ、・・・・・・まあ、そうなるわね」



あのかーちゃんが冷たい目をして、俺の手土産を受け取りはするが

即座に視界の外に外すべく、部屋の片隅に追いやられるのは目に見える。

だったら、嫌がらせでもして、受け取ることさえ嫌なものを送ってやろうか。

と、邪悪な笑みを浮かびそうになるが、ふと、逆の考えが浮かびあがる。

手元から離せないものを送ればいいってことか。



271: 08/28(木) 17:32:16.49


俺の手土産は嫌でも、邪険に扱えないもの。

それだったら、



八幡「決めた。紅茶にしよう」

雪乃「紅茶? 実家にも十分そろっているし、母が喜ぶとは思えないわ。

   たしかに、そのうち飲むことになるかもしれないけれど」



子供の浅知恵を丁寧に諭す雪乃。ま、雪乃がそう思ってしまうのも仕方ないだろ。

俺も、ただ渡しただけなら、すぐさま引き出しの奥にしまいこまれてしまうと思う。



八幡「そこは付加価値だ。店では買えないものを特典として提供すればいいんだよ」

雪乃「ちゃんと面白いのでしょうね?」



雪乃もわかっていらっしゃる。俺の悪だくみにのってくるとは、

だんだんと俺に染まってきちゃってる?



八幡「面白いっていうか、王道パターンだよ。だから、面白くはない。

   だけど、一泡吹かせる程度には、なるはず・・・・・かな?

   少なくとも、手元には置いておいてくれるはずだよ」

雪乃「そう? なら、聞かせてもらいましょうか」



さすがは共犯者。邪悪な笑みを浮かべていらっしゃる。

だれも俺達の悪だくみなんて聞く訳ないけど、そこは雰囲気だ。

俺達は顔を近づけて、こっそりと作戦を立て始めた。












夕方、日が沈みかけたころ、お迎えの車に乗り込み、雪乃の実家に向かう。

娘にぽんと高級マンションを与えるあたりですでにお嬢様だって理解しているはずだけど

運転手つきの車でお迎えがくると、あらためて社会的格差を実感してしまう。

雪乃と暮らしていると、育ちの良さを見る機会が多いけど、

近くにいすぎるせいで、それが雪乃の性格そのものだと感じてしまう。

その背後には、小さい時からの躾や親の影響があるはずなのに、

どうもそれを見落としてしまう。

だから、雪乃の実家に行くと、自分なんかが雪乃と付き合ってるのもそうだが、

将来結婚なんてできるか不安になってしまう。


272: 08/28(木) 17:32:52.54


いつまでも大学生カップルのままではいられない。

陽乃さんのお見合い話を聞いて、俺は現実に引き戻されてしまっていた。

雪乃との緩やかな時間。幸福に満たされた時間だけど、それも無限ではない。

いつか終わりを迎えて、次の段階へ行かなければならない。

追い出されていくのか、準備を整えて自分の意思でいくのか。

俺達は今、大学二年生。

次の段階への意識を持つには、俺と雪乃にとって、ちょうどいい機会だったのかもしれない。



家に着くと、玄関にはメイドさん・・・・・は、いなく、陽乃さんが出迎えてくれた。

メイドさんはいないけど、ハウスキーパーが週5回も来てるし、

やはり桁違いのお金持ちだ。

一度、週5回も来てくれるんなら、うちにも一回わけてほしいって雪乃に冗談まじりに

言ってみたが、まじめな顔をして言い返されてしまった。



雪乃「実家は広いし、毎日全てを掃除するわけではないのよ。

   掃除する場所のローテーションを決めて、

   週に二回はすべてを掃除できるようにされているの。

   それと、とくに汚れが付きやすいところは、毎回かしら。

   掃除だけでなく、洗濯や買い物、庭の手入れ・・・・・。

   やるべきことはたくさんあるわ。だから、もしうちのマンションにも

   来てもらうとなると、別のハウスキーパーを雇うことになるわね。

   ・・・・・・・あと、これは個人的な意見なのだけれど、

   八幡と私が暮らしている部屋に、信頼できる人といっても、

   他人を入れるのは、・・・・・・ちょっと、ね」



俺が一生懸命雪乃の長い説明を聞かねばと集中していたら、いつの間にかに

話のテンポは遅くなり、しまいには顔を赤らめてしまう。



八幡「そ・・・そうか」

雪乃「そうね。・・・・・それに、私も八幡も自分で家事をやってるし、

   問題ないと思うわ。私は、八幡の為に料理を作るのも好きだし、

   一緒に料理したり、掃除したりするのも、有意義な時間だと感じてるわ」

そっと俺の出方を見定めるべく、下から覗き込んでくる姿にたじろいてしまう。



八幡「それだと、ハウスキーパーなんて、必要ないな」

雪乃「ええ、そうよ」



そのあと二人して、中学生カップルかよっていうほど、うぶな会話をしたっけ。



273: 08/28(木) 17:33:28.04



あのときは若かった。今も若いし、今でもドキドキしちまうのは、しょうがない。

だって、雪乃が相手だし。

と、のろけたところで、陽乃さんが、悪魔・・・・・、いや女帝の元へと案内してくれた。

ほんと、陽乃さんが可愛く思えてしまうほど、雪乃の母親は恐ろしい。



雪乃「ただいま戻りました。急に来ることになってしまい、申し訳ありません」

八幡「今日は自分たちに会う時間を作っていただき、ありがとうございます」

雪父「私も比企谷君には、会いたいと思っていたから、かまわないよ。

   それに、君の元に雪乃が帰ってしまったから、当分はうちには寄りつかないと

   思っていたしね」



愛想笑いでもすればいいのか判断に困るところだ。未だに女帝はご機嫌斜めで

俺の方は一切みようとしていない。雪乃の方には、目を盗むように見つめている。

いっけんうまくいってないような母子関係。

雪乃や陽乃さんから聞いていた印象からは、面倒な関係だと思っていた。

もちろん雪乃も苦手意識は持っていたと思う。

だけど、実際会ってみて、それは間違いだと結論付ける。

だって、どう見たって、溺愛している。しかも、重度なツンデレ。

母子関係でツンデレって、雪ノ下家の女性って、皆ツンデレ遺伝子でも持ってるのかよ

って、叫びたい。

ある意味面倒な母子関係。こんな母親なら、雪乃じゃなくたって、苦手意識をもつはず。

しかも、女帝様は、雪乃が苦手意識を持ってるなんて、微塵にも感じていないし。

むしろ、好かれていると思ってさえいる。どんだけ自信家なんだよって、

これまた叫びたいところだったが、これも自重。

もちろん、雪乃だけでなく、陽乃さんも溺愛されている。

だから俺は、分が悪い賭けだとしても、今日ここまできたのだ。

きっとこの母子関係がなにか糸口になるはずだと信じて。



雪乃「ごめんなさい。お父さん。大学の方にも慣れてきたし、

   八幡も、時間が会えば、これからはもっとここにも来たいって言っていたのよ」

雪父「そうか。だったら、自分の家だと思って来るといい。

   私の方は、なかなか時間が取れなくて家を留守にしてしまうが、

   陽乃もいるし、来てくれると嬉しいよ」

八幡「はい。是非」



和やかな空気が作り出され始め、ほっとしたのもつかの間、この人には空気も逆らえない。



274: 08/28(木) 17:34:03.46


雪母「大学の方に慣れてきたからといって、気を抜くべきではないわ。

   慣れてきたときこそ今までの習慣を見直して、生活態度は改めるべきね。

   惰性で続けていることもあるでしょうし、他の学生に差をつけるには

   うってつけの時期だわ。

   まあ、大学で他の学生を気にしなければいけないレベルであるとすれば

   そのほうが問題だけれど」



一瞬で和やかな空気をぶち壊しやがって。でも、この人、本気で心配してるんだろうな。

言い方はきついけど、内容は的確だし。

だけど・・・・、雪乃にはその親心は届いてないんだろうなぁ・・・・・・。

ほら、敵対心むき出しの目で女帝を見つめちゃってるもん。

女帝も、雪乃が食いついてきて、嬉しそうに見つめ返してるんだから、

似たもの親子ともいえる気もする。

陽乃さんと親父さんは、その二人を面白そうに見つめてるんだから、

この二人もいい性格してるよな。きっと陽乃さんは、父親似な気もする。

最初は陽乃さんこそ母親似だと思ってたけど、それは自分を守るための

防衛反応に過ぎない気がする。小さいころから大人の社会に引っ張り出され、

訳もわからん議員やら企業やらの集まりにマスコットとして放り出されたんだ。

そりゃ、身近にいる母親の真似をして、身を守るってのも不思議ではない。

力強く社会を渡り歩く母。それは、心強い存在だけど、それと同時に、

恐怖の存在であったような気もする。ま、すべて俺の想像だけど。
   


雪乃「私も八幡も、1年の成績は主席だったわ。

   だからといって、気を抜いたりなどしていません。

   今も、毎日遅くまで勉強していますし、問題はないはずです」

雪母「そう? でも、大学生の本分は勉強だけれど、大学の時の人脈は大切よ。

   そちらのほうは大丈夫かしら?」



さすが痛いところをつく。俺も雪乃も講義が終われば、まっすぐ家に帰ってしまう。

由比ヶ浜の勉強を見ることはあっても、他の奴らとの人付き合いがあるわけではない。



雪乃「そのことについては、・・・・・検討中です」

雪母「検討しているだけで、もう一年経ってるわね。二年生になったのですし、

   どうするつもりかしら?」

雪乃「それは・・・・・」



検討中だなんて、ここにいる誰もが苦しい言い訳だってわかってる。

げんに、雪乃は悔しそうに唇を軽く噛みしめている。



275: 08/28(木) 17:34:34.25



ま、陽乃さんと親父さんは、今も面白そうに眺めてるだけだけど、

なにを考えているのやら。



八幡「それはですね、今、勉強会を立ち上げたんです」



俺の突然の割り込みに、嫌そうな顔を見せる女帝。

やっぱ大切な彼女がピンチなんだし、かっこよく彼氏が助けるべきでしょ。

その彼女といえば、なにをいってるのかしらって、いぶかしげに見つめてるし、

ちょっとは彼氏を信じなさい。



八幡「今は英語がメインなんですけど、ゆくゆくは他の教科もやっていくつもりです。

   それと、英語を出発点にしたのは、他学部の人も英語の講義はあるわけで、

   一緒に取り組むにはちょうどいい教科だと考えたんです。

   ここを足がかりにすれば、他学部との交流もできますし、

   勉強面でもプラスになります。

   ですから、勉強をおろそかにせず、人脈も築ける、一石二鳥のプランを

   現在実行中です」

雪母「そう。だったらいいわ」



つまらなそうに俺を見つめた女帝は、興味を失ったのか、紅茶のカップを優雅に

持ち上げ、ティーブレイクに入っていく。

どうにか最初の嵐は通り越せたか。

それにしても、ナイス由比ヶ浜!

ほんとうは勉強会じゃなくて、俺が勉強を教える会だけど、勉強会には違いない。

それに、Dクラスは全学部から集まってるし、他学部との交流も嘘をついているわけではない。

ここから人脈を作ったり、自分の勉強にプラスになるかと聞かれれば

嘘をつかなければならないかもしれないけど、今は聞かれてないし、セーフだよな。

冷や汗ものだけど、大丈夫なはず。

横を見ると、雪乃がまた変な理屈積み上げたわねって言ってるけど、お前の為なのに。

わかってもらえない男心は、つらいなぁ・・・・・・・・・。

それにしても、あの二人。

陽乃さんと親父さんだけど、結局最後まで面白そうに見つめるだけか。

陽乃さんに関しては、女帝がひいた後、

にたぁ~って隠れて笑ってたけど、気がつかないふりをした。

なにせ、せっかく嵐が去ったのに、変な横槍いれられたら大変だし。



八幡「あ、そうだ。これお土産です」




276: 08/28(木) 17:35:01.50


俺は、手土産として買った品を差し出す。しかし、誰に渡すものか。

一応目の前にいる女帝に渡すのが自然だけど、受け取ってくれそうにない。

だって、こっちをまったく見てないもの。



雪父「わざわざすまないね」

八幡「いつもお世話になってますから、気持ち程度ですまないのですが」



さて、本当に困った。ここは親父さんに渡すべきか。



雪乃「珍しい紅茶を買ってきたのよ。前から気にはなっていたのだけれど、

   どうしても買うとなると、いつも同じものになってしまうのよね。

   だから、夕食の後、みんなで試飲してみようと思って」



雪乃は、俺から紙袋を受け取ると、そのまま女帝に受け渡す。

俺からの手土産はノーサンキューだけど、やはり雪乃からならば即受け取るよな。

これで、俺の手土産も引き出しの奥に放り込まれなくて済むはず。

ま、こんなところかな。

レストランで立てた計画なんて、だれでもやってるありふれた計画だ。

むしろ計画だなんていうほうが恥ずかしい。

贈り物を受け取らないのならば、受け取ってくれる人を介して渡せばいい。

ただそれだけの作戦。雪乃もこの計画を聞いたときは、あまりにも陳腐な作戦で

拍子抜けしてたけど、効果の高さを考えたら、深く納得してくれた

奇策なんてものは、本来使わない方がいい。

奇策は奇策でしかなく、今まで使われてきてない分、データがない。

だから不確実性が高まってしまう。つまらない王道だろうが、

データがそろったテンプレートな作戦の方がうまくいくに決まってる。



雪母「そう。だったら、夕食の後、飲みましょうね。

   私も新しい茶葉、探してみようと思ってたのよ」



嬉しそうに受け取る女帝に、雪乃もほっと胸をなでおろす。

こうしてみているだけなら仲がいい母子なんだけどな。

それから、外野のふたり。いつまでニタニタ見つめてるんです。

いい根性してるよ、まったく。











277: 08/28(木) 17:35:59.09

食事も終わり、雪乃がいれた紅茶を飲み、皆リラックスしている。

あの女帝さえも、雪乃が紅茶をいれる一つ一つの動きを、頬笑みをまじえて

見つめているほどであった。

とうの雪乃は、紅茶の用意に集中しまくって、視線なんか気がついてないのが

女帝の悲しいところだろう。

さて、こなすべきイベントは全て終わった。あとは、雑談でもして帰るのみ。

今なら気まづくなっても、冷却期間を取ることで、俺達の関係も改善できる。

そろそろ動きますか。



八幡「あの、少しいいでしょうか?」



カップをソーサーに戻し、姿勢を正す。視線はまっすぐと女帝に向け、

けっしてそらすなと暗示をかける。だって、こえーもん。

腹に力を入れ、若干椅子を浅目に座る。

手には汗がじっとりと湿り、背中からも汗がしみだしていた。

自分の姿勢は正しいかなって、チェックを始めてみると、

いつも雪乃に姿勢を正すようにって言われていたことを、

緊張度合急上昇中というのに思い出す。

ふふっ。なんだ、雪乃がいつも一緒じゃないか。

俺がいくら取り乱そうが、俺の横には雪乃がいる。

一瞬だけど雪乃を確認すると、やはり心配そうに俺を見つめている。

彼氏を信じろって。俺は、この為だけに、今日ここに来たんだからさ。



雪母「なにかしら?」



あっ。すっげー不機嫌そう。そりゃ、雪乃がいれてくれた紅茶を飲むのを邪魔されたしな。

でも、タイミングは今しかないんで、ごめんなさい。



八幡「陽乃さんの結婚についてです」

雪母「あなたが口をはさむことなんて、一つもないわ」

八幡「はい。ですから、取引をしにきました」

雪母「取引?」



いぶかしげに俺を見つめ、カップをおろす。

カチッとカップとソーサーが触れる音が静かな室内に染み渡る。






第14章 終劇

第15章に続く

284: 09/04(木) 17:34:18.65



第15章








6月17日 日曜日







八幡「はい、取引です。陽乃さんの結婚は、将来企業経営をまかせられる人材と

   人脈の為だそうですね。そして、陽乃さんは、父親の地盤を引き継いで

   議員活動。これであっていますか?」



女帝は、俺をじっと見つめるだけで、なにも返事をしてこない。

俺の真意を探るべく、なるべく俺に情報を与えないつもりか?



雪父「それであっているよ」



俺と女帝の小競り合いに今までずっと沈黙を続けていた親父さんが、

思わぬ助け船を出してくれる。今まで通り穏やかな表情ではあるが、目だけは真剣であった。

こちらの方も一筋縄では、いきませんよねぇ・・・・・・・、はぁ。

女帝は、親父さんに視線を送り、威嚇する。

けれど、親父さんがじっと見つめ返すと、頬を少し赤らめて視線を外す。

あれ? なんなのこれって? 

ただ、それも一瞬のこと。すぐさま俺に向かって、倍の威力で威嚇する。



八幡「自分が雪乃と結婚して、婿養子として経営見習いになってはいけませんか?

   もちろん俺一人の力では無理でしょうから、雪乃や陽乃さんの協力が必須ですが」



雪乃と将来の仕事については、何度も話し合ってきた。

俺には好きな仕事をして欲しいって言ってたけど、そもそも俺がしたい仕事なんて

ありゃしない。適当に仕事して、適当に給料くれて、適当に残業して、

そして、雪乃との時間がとれるなら、なんだってよかった。

雪乃が実家の企業に就職するっていったときは、

俺もそれを支えたいって真剣に伝えた。

だから、実家の企業で勤めるんなら、平社員だろうと、経営者をサポートする役だろうと

たいして変わり映えしない。どんな仕事につこうが、責任と大変さは

俺にとっては大した差はないんだから。やるか、やらないか、それだけだ。



285: 09/04(木) 17:34:50.64



雪母「それだけかしら?」

八幡「はい」

雪母「それだけならば、取引とはいえないわね。だって、そちらの商品に魅力がないもの」



痛いところをついてくる。今の俺には、将来性でしか魅力がない。

その将来性さえも、不確定なもので、一学年の成績が主席なんてプラス要因にさえ

なるわけでもない。



八幡「必要ならば、大学院でも、留学でもなんだってします。

   今の自分には将来性しかないのはわかっていますが、それでも考えては

   いただけないでしょうか?」

雪母「そうねぇ・・・・・・」



俺を上から下までゆっくりと眺めると、侮蔑を含めた笑みを浮かべる。



雪母「人脈については、大学・留学で築きあげるとして、今は置いておきましょう。

   ただ、あなたがこれから築く人脈よりも、陽乃がお見合いをして手に入る既存の

   人脈の方が大きいのよ。

   仮にあなたが留学するとしても、世界ランク一ケタのMBAに入学して、

   なおかつ、一ケタの順位で卒業しなければ、価値がないわ」

八幡「それがお望みでしたら、やってのけるまでです」

雪母「そうね。でも、それも将来性でしかないわ。

   だって、今もお見合いの話は進んでいるのよ。

   今しているお見合いを止めるほどの将来性が、今のあなたにあるのかしら?」



これは反論できない。なにせ、俺には将来性しかないのに、

その将来性を納得させるだけの材料なんてありはしない。

ある高校生が東大に合格してみせるって言い張ったとしても、高校での定期試験や

模試で好成績を残していなければ、誰も信じやしないだろう。

今の俺には、定期試験の結果も模試の成績もない。

女帝を納得させるだけの結果がなにもない。



八幡「今はありません。ですから、時間をくだされば・・・・・・」

雪母「時間って、どのくらいかしら? 1年? 2年? それとも5年かしら?

   それだけ待つだけの価値があると思って?」



ずっと女帝を見つめていた目線がぶれようとする。ここで視線を外したら負けだ。

だけど、俺にはなにも反撃する武器がない。


286: 09/04(木) 17:35:23.15


わかってたさ、こうなるって。何度も何度もシミュレーションして、

最後に行きつくのが今の状態だって。

くらいつくように視線を向ける。これしか武器がないけど・・・・・・・・。



陽乃「もういいわ。・・・・・・ありがとね、比企谷君」



いつ俺の隣に来たのだろうか。声がする方を見上げると、陽乃さんが隣まできていた。

俺の肩にふわりと手をのせて、悲しそうな笑顔を浮かべている。

そっと肩に触れているだけなのに、小刻みに揺れる振動が陽乃さんとのつながりを

強く印象付けていた。



八幡「陽乃さん・・・・・・・」



この人は、初めからわかっていたんだ。

俺が今日ここに来た理由も、そして、どんな結果になるかも。

もしかしたら、俺に電話した時から全てのイメージが出来上がってたいのかもしれない。

俺が惨敗するのが既定路線。陽乃さんも鬼ではない。

俺に惨敗させるためだけに、ここに呼んだわけではないだろう。

一番の目的は、・・・・・・・雪乃だろうな。

だって、重度のシスコンだし。

ここまで俺に見込みがないって分かれば、陽乃さんが結婚して、外から経営者を呼ぶしかない。

そうすれば、雪乃が実家に縛られることもなくなるだろう。

つまり、すべては雪乃の為。

その為に俺に面倒な役回りを押しつけやがって。

ま、俺も分かってて引き受けたんだけどさ。



宴が終わる。俺と陽乃さんで仕掛けた演劇も、沈黙と共に幕が下りる。

誰も喜ばない、誰も感動しない、儚い泥仕合。

俺が勝手に転んで、勝手に泥の中で這いつくばっただけ。

最後に美しいお姫様が手を差し伸べてくれたんだから、一応はハッピーエンド。

ただそれだけのお話だ。








陽乃「お母さんも、この話はここまででいいわよね?」

雪母「ええ、かまわないわ」



女帝は、再びカップを手にとり、既に冷めきった紅茶に口をつける。


287: 09/04(木) 17:35:51.86


冷めてしまっても、いつもなら味と香りを楽しめそうだが、あいにく今の俺には無理そうだ。

でも、乾ききった喉を潤す為に俺も紅茶を飲もうと手を伸ばす。

しかし、話を切り出す時から緊張していたわけだ。

だから、その時から喉が渇いてたわけで、紅茶など残っているわけもない。



雪乃「お代わりをいれてくるわね」



俺達の寸劇をずっと横から眺めていた雪乃が、すっとカップを持ち去る。

雪乃は、どう思ったんだろうか? すでに陽乃さんの意図に気がついてるのだろうか?

きっと頭の回転が速い雪乃のことだ。途中から気が付いていたからこそ、

何も言わず寸劇を見ていたともとれる。

陽乃さんの、心がこもったプレゼントを受け取るために、

駆け寄りたい気持ちを押し頃して、黙って観客であり続けのかもしれない。



八幡「ありがとう」



これで俺の役目は終わりかな。そう思うと、どっと疲れがでてきたな。

食事も豪華だったけど、まったくといっていいほど味がわからんかった。

帰ったら何か雪乃に作ってもらおっかな・・・・・・・、

って、その前に説教されるか。

俺は何もできなかったんだし、説教することで気が晴れるんなら、

何時間だってされてやる。

雪乃が陽乃さんの行動を理解できても、納得なんてできやしないだろうけどさ。



陽乃「ところで、比企谷君」

八幡「はい?」



俺の役目って、もう終わったんじゃ?

戸惑いの目を陽乃さんに送る。



陽乃「もうすぐ暑くなるし、自転車通学は無理でしょ。去年も夏場は電車だったし」



たしかに、体力がない雪乃に夏場自転車通学なんてできやしない。

通学するだけで体力を使いきって、勉強どころではないだろう。



八幡「ええ、そうですね。そろそろ電車通学に切り替えようかと思っていたところです」

陽乃「それならさ、車で通学しちゃいなよ。ちょうど車もあるし、

   免許も持ってるんだしさ」



288: 09/04(木) 17:36:20.86



免許は、大学合格発表後に教習所に通ってとってはいる。雪乃も一緒だったが、

由比ヶ浜には遠慮してもらった。もちろん英語の勉強のためだ。



八幡「でも、マンションには駐車場ありますけど、大学にはありませんよね」

陽乃「そこは大丈夫だから。すでに大学の側の駐車場を確保済みよ」

八幡「えっと。・・・・・・ほら、ガソリン代かかるし」

陽乃「ガソリン代くらい、雪乃ちゃんに渡したクレジットカードで払えばいいわよ。

   ね、お父さん」



話を振られた親父さんは、静かにうなずく。

ということは、車の件は、すでに話が通ってるってことか?



八幡「自分たちは、まだ学生ですし、電車で大丈夫ですよ」

陽乃「あれぇ、雪乃ちゃんが電車を待つ時、日差しにやられて、

   軽い熱中症になったことなかったかなぁ」



なぜそのことを知ってるんですか。そんなこといっちゃったら、

超ド級の親馬鹿のお母様がお怒りになるではないのでしょうか。

堅く固まった首をゴリゴリ動かし、正面から視線を向ける勇気はないので、

視線の端にかかるようにお母様に目を向ける。

あっ、般若・・・・・・・・・・。

重い首を元の位置に戻すと、陽乃さんを睨みつける。

なんてこと言っちゃってくれたんですか!

俺を生きて帰らせないつもりですか?



陽乃「車だったら、エアコンも効いてるし、夏場でも快適に移動できるでしょ?」

八幡「そうですね」



陽乃「じゃあ、車の用意はできてるから、今日もっていってね」



八幡「はい・・・・・」



俺達、戦友だったんですよね? 共に女帝に立ち向かって、負けはしたけど

堅い友情を結んだばかりじゃないですか。

それなのに背後から撃つだなんて。

やはり陽乃さんにはかなわない、というか、何を考えているかわからない。



俺が苦笑いをうがべていると、ふと、視線を感じる。


289: 09/04(木) 17:36:52.49


だれだ?

女帝は紅茶にしか興味がなさそうだし、雪乃は紅茶の準備中。

陽乃さんと親父さんは、車の話をしているし。

この部屋には、もはや誰もいない。

ならば、陽乃さんが言っていたストーカーか?

俺は、暗くなった外に目を向ける。注意深く窓の外を眺めるが

庭の外灯の光は不審者を浮かび上がらせはしなかった。

遠くと見つめるとビルもあるが、さすがにそこからの視線を感じるとは思えないし、

気のせいだったのだろうか。

女帝との対決だけでなく、最後に陽乃さんからの一撃もあったし、

疲れのせいかもな。

疲れた脳は思考を減速させる。普段は気がつくはずなのに、

疲れをいいわけに、考えることを放棄してしまう。

重い腰を上げることもなく、雪乃が持ってきたお代わりの紅茶を

大事に味わってしまっていた。

カップから昇る芳醇な香りが俺を癒し始める。

導かれるように茶色い液体を口に含むと、紅茶の熱が今という時間を実感させる。

緩やかに進む時計の針は、明日も同じ時を刻むだろう。

それは、ほんとうに同じ時を刻むのだろうか?

もはや考える気力など残っていない俺は、雪乃を眺めることにした。













6月18日月曜日








大学の講義が終わり、俺達のマンションに集まった一同は、

由比ヶ浜の誕生日パーティーを楽しんだ。

この日ばかりは、大学受験勉強中の小町も大義名分を盾にパーティーに参戦したけど

そんな言い訳しなくても来てもらったのに。

ただ、小町を家に迎えに行った時、レクサスで行ったのは、マジ引いてた。

その点由比ヶ浜は順応性が高い。

あほの子といえども、そんなこともあるよねぇ的なノリで、びっくりしたのはほんの一瞬。

あとは、何事もないように雪乃共に後部座席に乗り込んだ。


290: 09/04(木) 17:37:27.59


まあ、はた目から見ると、若い運転手って感じがしてしまったのは事実だが、

それに気がついて、つっこんでくるあたりが由比ヶ浜なんだけど。









楽しい誕生日会も終わりを迎える。楽しい時間を過ごした後こそ、静けさが重い。

ふだん俺達は、たくさん会話をするわけでもない。

だから、部屋が静かなのはいつもと同じ。

それでも、人の温もりが名残惜しいのは、由比ヶ浜や小町のおかげなんだろう。



雪乃「静かになったわね」



誰に言うともなく、つぶやく。おそらく自分自身に言い聞かせているのかもしれない。



八幡「そうだな。後片付けも手伝っていくって言ってたけど、

   あいつらと一緒にやる方が時間かかりそうだな」

雪乃「たしかにそうね。でも、人の善意は、受け取っておくべきよ」

八幡「まあな。でも、夜も遅い。あいつらを送っていけなかったのは、悪いことしたな」

雪乃「姉さんたら、なんの用かしら? 今日は由比ヶ浜さんの誕生日会だって

   しっていたはずなのに」



俺もその点が気がかりだった。パーティーの終わりごろを見計らっての電話。

それも雪乃ではなく、俺にだ。

本来、陽乃さんも誕生日会に来る予定だったのに、急用でキャンセル。

それが一転して、いきなりの電話であった。

陽乃さんは、人の迷惑を考えずにひっかきまわすことはあっても、

人が楽しいでいる時間をぶち壊しなどはしない。

今日、由比ヶ浜の誕生日会があると知っているのだから、途中参加して、

その後俺達と用とやらをすませば済んだはず。

それなのに、誕生日会の後で話があるなんて、警戒しないほうがおかしい。



八幡「そうだな・・・・・・・。なんだろうな」



重たい沈黙が支配する。

俺達は、これ以上詮索することもなく部屋の片づけを機械的に進める。

いい話だなんて、到底思えない。だから、悪い話をあれこれ想像だなんて

したくはないために、後片付けに集中した。



291: 09/04(木) 17:37:56.07











陽乃「悪いわね。誕生日会だったのに」



部屋に上がった陽乃さんは、顔色が悪い。それが第一印象。

悪い予感が的中したって、俺も雪乃も感じ取ってしまうほどの焦燥感を漂わせていた。



雪乃「姉さん。体調が悪いのだったら、私たちが実家に行ったのに」

陽乃「いいの。私が巻き込んだわけだし、実家の方も慌ててて、

   ゆっくり話なんてできやしないだろうし」



実家も慌ててる? 両親もこのことにタッチしているわけか。

つまり、それだけの重要案件ってことかよ。



八幡「とりあえず、座ってください。なにか飲みますか?」

陽乃「水をもらえないかしら」



今にもふらつきそうな雰囲気なのに、いつものひょうひょうとした威厳を保ったまま

ソファに倒れるように座り込む。

俺が差し出した水を一口飲むと、あろうことか、あの陽乃さんが頭を下げて謝罪した。



陽乃「ごめんなさい。あなたたちを巻き込んでしまって」

八幡「お見合いの話でしたら、もう・・・・・・・・」



頭を下げたまま動かない陽乃さんを見て、雪乃がぼそりとつぶやいた。



雪乃「どうやら違うみたいね。だって、急に車を渡すんですもの。

   それも関係あるんじゃないかしら」



頭を上げた陽乃さんは、揺れ動く瞳を雪乃の瞳にぶつける。

覚悟をしてきたのだろう。だけど、覚悟してもしきれないほどの何かが

陽乃さんを追い詰めていた。



陽乃「ええ。ストーカーの話はしたわね」

雪乃「覚えているわ。ただ、実際どのような被害を受けているかは聞かされては

   いないけれど」


292: 09/04(木) 17:38:29.29


陽乃「雪乃ちゃんは、気が付いていたかぁ」



自嘲気味に笑う陽乃さんは、ほんとうに痛々しかった。全てが後手に回っている。

陽乃さんが打ち出す手立てが全て、悪い方に悪い方へと進んでるとさえ思える。

俺は、雪乃が言うまでストーカー被害の内容まで気にはしていなかった。

ストーカー被害といえば、跡をつけ回したり、盗撮くらいだろうか。

漠然とあるストーカー被害を思い浮かべ、その程度だろうなと決めつけていた。



雪乃「今日は、話してくれるのでしょう」

陽乃「まいったな、雪乃ちゃんには」



陽乃さんは、斜めに傾けたコップの表面を見つめていた。

揺れ動く水面をゆっくりと落ち着かせ、話のタイミングを探っている。

何度もコップの角度を変えるところをみると、タイミングがとれないらしい。

揺れ動く陽乃さんの心は、落ち着くことなんてあるのだろうか。

カチッと、テーブルにコップを置く音が小さく響く。

陽乃さんは、テーブルを使って強制的に揺れ動く水面を落ち着かせる。

雪乃は、その一連の動作をせかすわけでもいらだつのでもなく、黙って待っていた。

その表情からは、なにを考えているのかわからなかったが。



陽乃「跡をつけ回したり、盗撮くらいは今までもあったんだけど、

   ネットに写真がアップされるようになったの。

   たぶん、どこかに本命サイトがあって、そこからの転載だろうけど、

   プロバイダーとかには連絡入れて、削除依頼はいれたわ。

   父も色々手をまわしてくれて入るけど、このくらいなら仕方ないかなって

   割り切ってはいたかな」



ネットに出回った写真が独り歩きをして、

どのような実害が起こるか想像できないわけでもないだろう。

芸能人でもない一般の女性の写真にどのくらいの価値があるかは俺にはわからない。

ひいき目なしで判断しても、陽乃さんはかなりの美人とはいえるだろうが、

でも、それだけだろう。もちろん裸の写真ともなれば別だろうけど、

そのような写真を撮られてしまっとは考えにくいし。



雪乃「どのような写真かしら」



うわっ。聞きにくい質問をストレートによく聞けるな。

雪乃らしいっていったら雪乃らしいけど。



293: 09/04(木) 17:39:05.18



陽乃「そうね。街で遊んでいるときの写真が多いわね。

   大学のもあるけど、大学だとストーカー自身が特定されかねないから

   少ないわ」

雪乃「私に車で登下校するように仕向けたのは、ストーカーの対象が私も含まれるように

   なる可能性が出てきたからかしら」

陽乃「ええ・・・・・その通りよ」



苦々しそうに、俯き加減でつぶやく。陽乃さんにとっても、俺が想像していた中でも

最も最悪の部類に入ってしまう。最悪の展開を想像して対策しておけば、

どのような展開になっても対応できるって豪語していた奴もいたけど、

それは嘘だ。本当に最悪の展開に遭遇した時、いくら想像して対策を練っていたとしても

平常心でなんかではいられやしない。



雪乃「具体的には?」



毅然と背をまっすぐにのばした雪乃は、美しかった。まっすぐ前を見て、

なにがあろうが立ち向かっていく。

だけど、膝の上で堅く握りしめた手が震えている。

今すぐ雪乃の手を握って、俺がついているって根拠もない安心感を与えるべきなのだろうか。

いや、雪乃はそんなまやかしを求めてはいない。

今一番つらいのは陽乃さんだ。その陽乃さんの前で、りりしい姿を見せているのは

雪乃のせめてものなぐさめなのだろう。それを打ち壊すような俺の出しゃばりなんか

必要とはしていない。

俺は、黙って事の推移を見つめ、必要な時、必要な発言をすればいい。



陽乃「今は一枚だけ。それも、後ろの方に小さく写っているだけだけど、

   姉妹だってすぐにばれるでしょうね。大学もばれているわけだし、

   私たち姉妹が通っていることも有名でしょうし」



陽乃さんの美貌もさることながら、その立ち振る舞いも目立ちすぎる。

そして、去年雪乃が入学して、一時大騒ぎになったほどだ。

ただ、雪乃は表に出るのを嫌がっていたし、講義が終わってもすぐに帰宅していたことも

あって、騒ぎは徐々に終息していった。陰で陽乃さんの働きもあったのだろうけど。



雪乃「それがわかったのは、今日になってからということでいいのかしら?」

陽乃「そうよ」



なにをたしかめようとしてるんだ? 昨日と今日での違い? 車か!


294: 09/04(木) 17:39:38.36



雪乃「八幡に実家に来るように仕向けたのも、ストーカー対策だったのね。

   わざわざお見合いの話を持ち出し、ごく自然に八幡のやる気を引き出して、

   実家におびき出したというわけね」

陽乃「ふぅっ・・・・・・・・・・」



長い吐息は正解を引き当てたのだろう。昨日散々緊張しまくって、挙句の果てには

醜い猿芝居までしたっていうのに、本丸は車を渡す為だけだったのか。

どこまでシスコンなんだよ。雪乃の為に自分を傷つけて、それさえも

当然のようにやってのけてしまう。



陽乃「比企谷君は、何も疑いもなく踊ってくれたんだけどねぇ。

   雪乃ちゃんは気が付いていたのかしら?」

雪乃「いいえ。なにかあるかもとは思ってはいたけれど、わかったのは

   ついさきほど姉さんの話を聞いてからよ」

陽乃「そっかぁ。だったら、一芝居した甲斐があったかもね。

   ぎりぎりまで伏せておきたかったらか、私の作戦もひとまず成功かな」

八幡「成功じゃないでしょ。失敗したから、ここにいるんじゃないですかね」

陽乃「さすがに痛いところをつくわ。嫌な子ね」

八幡「あいにくそういう性分なので」



無愛想に横槍を入れた俺に、頬笑みさえ浮かべている。

どこまで先を読んでいるか、わからなくなる。この頬笑みさえも計算なのだろうか。

けれど、雪乃を想う気持ちだけは、計算ではないはずだ。









第15章 終劇

第16章に続く






300: 09/11(木) 17:32:50.75




第16章







6月18日 月曜日







雪乃「母は、今回の件、どういう方針なのかしら?」

陽乃「選挙のこともあるし、内密にという方針は変わらないわ」

雪乃「そう・・・・・・・」



選挙となると、党の方針や後援会など、俺の想像も及ばぬ複雑な関係があるのだろう。

ましてや母体となる企業もあるわけだ。

弱みを見せることはできないのだろう。

わかってはいる。しかも、超ド級の親馬鹿だということさえも、

両親に会って、痛い目にあって実感したほどに、雪乃や陽乃さんを愛しているのを

知っている。

だけど、親である前に経営者なのだ。一人の親として行動するよりも

経営者として、従業員の人生を守らねばならない。

よく、正義のヒーローもののアニメで、「一人の大切な人を守れないのに

世界を守ることなんかできない」って、恋人と世界を天秤にかけて、

恋人を選ぶ自称ヒーローがいるが、そういうシーンを見るたびに胸糞悪くなる。

お前何様だと言ってやりたい。世界が滅びたら、いくら恋人が助かっても

どこで暮らしていくんだ。そもそも世界と恋人を天秤にかける時点で

正義のヒーロー失格だろ。この主人公こそ世界を滅ぼす危険人物だ。

まあ、お約束の展開に冷静な突っ込みを入れる時点でどうかしているが、

親と経営者。親はやめることはできないが、経営者はやめることができる。

ならば、経営者で居続けるのならば、従業員を守る義務が発生する。

今回の件でいうならば、陽乃さんと企業を天秤にかけて、企業をとっただけ。

家族としては、心苦しいはず。もしかしたら、今までも何度もあったかもしれない。

でも、最近こういう場面に遭遇した俺にとっては、自称ヒーローと同じくらい

胸糞悪い決断だって判断してしまった。



八幡「それで、どうするんですか? いつまでも後手後手に回って、

   今度は雪乃がターゲットになるのを待つんですか」

陽乃「それは!」



301: 09/11(木) 17:33:48.17



激情にまかせ立ち上がり、俺に食いかかる勢いで一歩踏み込む。

それさえも演技ではと疑ってしまう俺は、薄情だ。

蚊帳の外にいる俺は、いつまでも第三者だ。だからこそ冷静でいられる。

もし雪乃がターゲットになって、俺が当事者になったとき、

俺は陽乃さんを許せるのだろうか。いや、そんなこと、わかりきっている。



八幡「とりあえず、今わかってる情報全てください。

   画像は転載らしいですけど、本命サイトは会員制サイトかなにかですかね。

   ストーカーの仲間内だけのサイトですと、素人だと手が出ないか。

   でも、誰かしらが、そこから転載しているわけですし、一枚岩ってこともなく

   比較的緩い仲間関係っていうのが唯一の突破点でしょうけど」



雪乃もうなずいてることから同意見らしい。険しい表情ながらも目は氏んではいない。

やはり雪乃も守りに入る気はないか。

だったら話は早い。ストーカーの弱みを突いて、ぼろを出させるまで。



雪乃「これからは、姉さんも一緒に行動してもらうわ。

   情報の共有もそうだけれど、もはや私のことを気にしている時期ではないでしょうし」

陽乃「雪乃ちゃん」

雪乃「送り迎えも、八幡がしてくれるでしょうし、こういう時くらいこきつかえばいいわ」

八幡「おいっ」



俺も送り迎えはするつもりだったけど、もう少し彼氏をいたわる発言を・・・・、

まあ無理か。雪乃も腹が煮えくりかえるほど怒り狂ってる。

陽乃さんでも両親へでもない。自分だけ隠しごとされていたことは

かなしいけれど、それは雪乃を守るため。

だから、おそらく怒りの対象は、自分自身だろうな。

雪乃も陽乃さんや両親が苦手って口では言ってるけど、大切に思ってるしさ。

ところで、ストーカーに対してはって聞きたいだろ?

もちろん、奴は氏刑だから、雪乃が氏人に感情など向けるはずもない。


















302: 09/11(木) 17:34:19.03


6月19日火曜日









陽乃さんのストーカー問題があろうと大学はある。

陽乃さんも大学院にはいつも通りに通っていたわけだし、

並みの精神力ではないと感心してしまう。

今日からは陽乃さんを迎えに行かないといけないし、帰りも送っていかなければならない。

俺に出来ることなんか限られている。

こんなことでよかったら俺を使い倒してもかまわない。

ただ、俺としては、雪乃と陽乃さんを一緒に行動させるのはどうかと考えている。

だけど、陽乃さんと一緒の方がなにかと情報が入ってくるし、

なによりも雪乃の攻撃的な性格もある。

守っていないで、こっちから攻撃してせん滅するのが信条のお人だし。

多少は無理はしても、短期決戦にもちこめれれば。

しかし、雪乃や陽乃さんの心情を思うと、やりきれない思いでいっぱいだった。

だから、由比ヶ浜の底抜けに明るい笑顔を見ると、ホッとしてしまう。

こいつだけは、いつもの日常。ちょっとトラブルを運んできてしまうけど、

それさえも楽しい日常の一部だって思えてしまう。



結衣「ヒッキーおはよう。あれ? なんか今日暗くない?」

八幡「おはよう」



こいつ、いつもぬぼ~ってしているくせに、人の表情読む能力だけは侮れない。

車の駐車場から大学まで道のり、ずっとストーカーがいないかって

気を張っていたせいで、自然と今も険しい表情をしていたのかもしれない。

さらに、昨夜も遅くまで陽乃さんから貰った情報を雪乃と共に分析していて、

さすがに眠い。



八幡「遅くまで、英語の補習講義の準備していたからな。

   そりゃあ、疲れもするさ」



本当は、金曜日のうちに終わってたけど、由比ヶ浜にいらぬ心配させるべきではない。

それに、由比ヶ浜は、パッと見あほの子だけど、男にもてる。

胸の大きさや人当たりの良さもプラス要素だけど、ルックスだっていいほうだ。

だから、もしこいつまでストーカー騒動に巻き込まれたらと思うと

ぞっとするほど恐ろしかった。



303: 09/11(木) 17:35:02.11


結衣「ごめんね、自分の勉強だって大変なのに、手伝ってもらって。

   私の勉強も見てもらってるし、・・・・・ほんと、ごめん」



由比ヶ浜は、しゅんとしてしまい、自分の靴をじっと見つめる。

そこになにかあるわけでもないのに、答えを探し出そうとする。

そりゃあ、俺の顔をみて考え事をしろなんて言うわけでもないが。



八幡「気にするな。俺が好きでやってることだしな。

   今朝はちょっと疲れていただけで、愚痴っぽいこと言って、悪かったな」

結衣「ううん。私にできることがあったら、なんでも言ってね。

   ・・・・・・・・・なんかヒッキー、悩んでいそうだったし」



はじけるように顔を上げ、俺に宣言する由比ヶ浜ではあったが、

後半は自信なさげで、声も消え去りそうであった。

ほんと、由比ヶ浜は人をよく見てるな。俺の些細な違いを見分けるだなんて。

だからこそ、俺はこいつの前では明るい表情でいなければならない。

って、俺の明るい表情ってなんだ?

・・・・・・ああ、一つわかった。

明るい俺は気持ち悪い。

ま、ともかく、こいつの前では、暗い顔だけはできない。



八幡「なにかあれば相談させてもらうよ。でも、今はお前の英語の方が心配だけどな」

結衣「あぁ・・・・・」



何故目をそらす。お前去年やったテキストと全く同じなのにできなかったとか?

俺が疑いの目をむけると、じりっ、じりっっと後ずさる。・・・・・・まじかよ。



八幡「正直に言ってくれよ。どのくらいのできなんだ」

結衣「えぇっとね・・・・・・・・」

八幡「昨日、わからないところは俺に質問してただろ。それでも駄目だったのか?」

結衣「違うよ。違うって。全部訳すことはできたんだけど・・・・・・・」

八幡「だけど? 怒らないから言ってみ」

結衣「うん・・・・・・・」



怒らないからという言葉ほど信用できない言葉はない。

なにせ、たいていは正直に言ったところで怒られてしまう。

だったら何故こんな言葉が存在するのか考えてしまうが、要は、とっとと話せ。

これからもっと怒るんだから、無駄な努力はするな。



304: 09/11(木) 17:35:41.32


言わないでいて俺を焦らすと、もっと酷いことになるぞという強迫なのだろう。

由比ヶ浜は、俺の顔色を伺いながらも、ぽつりぽつりと話しだす。



結衣「2か所だけ、どうしてもわからないところがあったの。一応ヒッキーにも

   質問したんだけど、家に帰ってみて自分の言葉で訳してみようとしたらできなくて。

   それで、去年のノート見ちゃいました。ごめんなさい!」



勢いよく全て打ち明けると、深々と頭を下げてる。お団子頭が揺れ動き、

あっ、つむじみえるなぁって、どうしようもない感想を思い浮かべる。

はっきり言って拍子抜け。もっとすごい面倒事かと思ってたさ。

たとえば、時間がなくて適当になってしまったとか、英語ばかりやって他の教科の

勉強できなかったとか。だけど、こいつは律儀にも、俺の言いつけを守って去年の

ノートを見ないという約束を守ろうとした。

たとえノートを見たとしても、俺に黙っていれば気がつかれないのにだ。

こういう馬鹿正直なところが、こいつの魅力なんだろうなと、つむじをまじまじと

見ながら思ってしまった。

と、まじめくさった感想を浮かべているのに、視線は首筋に這わせていく。

シャツの襟から見える白い肌に視線が吸いこまれそうになる。

もう少し角度を変えれば、奥の方までって・・・・・・・、

邪な目線を這わせていると、急に由比ヶ浜が頭を上げるものだから、うろたえてしまう。



結衣「約束やぶっちゃって、ごめんね」



純粋すぎる眼差しが俺を射抜く。やっぱ、俺も男だし。目の前に魅力的なご馳走あったら

自然と目を向けてしまう・・・・・・・・。由比ヶ浜、ごめんなさい。



八幡「いや、いいって。わからないままにしておくよりは、約束破ってでも

   しっかりと訳してきたほうが意味があるからな」

結衣「でも!」



いや、まあさ。下心があって、甘くなってるわけではない。ちゃんと意味がある。

そりゃあ、少しは下心をもってしまった反省の色も反映されてるけど。



八幡「去年のノート見るなって言ったのは、去年のノートを最初から見てしまうと

   勉強の意味が薄まるからだ。それを釘さす為に言っただけなんだよ。

   むしろ、どうしてもわからないところがあったんなら、そこで去年のノートを

   使ったことは誉めるべきところだ」

結衣「へ? そなの? だったら、最初から言ってよぉ」



305: 09/11(木) 17:36:26.04



勉強で誉め慣れてないせいか、妙に腰をくねらせて照れてやがる。

やめろって。そんな腰を強調されては、いくら雪乃によって訓練されているからといっても

八幡アイがしっかりと目に焼き付けてしまう。



結衣「もう!」

八幡「うっ」



盛大な照れ隠しとして、おもいっきり背中を叩かれてしまったが、これはこれで

よしとしよう。痛みによって邪な心は消え去ったし、気合も入ったわけだし。

けっして雪乃への後ろめたさではないことは、強調しておく。



今日の勉強会もテンションが高かったのは由比ヶ浜一人だけ。

分担した分の和訳は、きちんとやってきてるところをみると、やる気はある。

だけど、一度潰されたプライドは簡単には取り戻せない。

大学でズタボロならば、これから社会に出て、さらには世界出るってことになったら

どうするつもりなんだ。

上には上がいるのは当たり前。

地方の高校で、やっかいな優越感なんか植え付けられてしまっていては、

これから成長していこうにも成長しきれやしないだろう。

ま、プライドなんかこだわらないで、利益を追求していけば、

おのずと自分の道が見えてくるんだろうけど。



八幡「さてと、ここいらでちょっとお得な情報を伝えていおく。

   これをどう使うかはお前たち次第だ」



俺のお得情報とやらで教室はざわつく。

ほんの数秒前までは静まり返っていたのに現金なものだ。

俺もお得な情報とやらがあるって言われたら、とりあえずは聞く。

そして、そのまま忘れ去ってしまうところが経験の差だな。

だって、世の中にはお得な情報とやらは存在しない。

TVのグルメ番組で、美味しくない料理が存在しないくらい存在しない。

たまには、美味しくないってコメントも出せよ。いくらスポンサーとか利権問題が

あったとしても、どれもかれも美味しいっておかしいだろ。

むしろ、まずいって意見をストレートにいう出演者がいるんなら、

これからずっと、その人のことを信じてしまうかもしれん。

ま、俺くらいになれば、その悪評までも裏を読んでしまうけどな。



八幡「このDクラスは、ある意味ついている。運がいいんだ」


306: 09/11(木) 17:37:09.70



さすがにDクラスで運がいいは、拒絶反応でるよな。教室を見渡せば

反応は各々違ってはいるが、馬鹿にするなと訴えている。



八幡「まあ、最後まで聞いてくれ。英語の講義っていうのは、水曜日のDクラスから

   始まって、次にあるのはBクラスの金曜日の午後だ。

   そして、AクラスとCクラスにいたっては、火曜日のある。

   そこで注目なのは、金曜日のBクラス。こいつらは、Aクラスではないけど

   それなりに勉強ができるやつらが集まっているから、こいつらの授業ノートは

   出回りやすい。そりゃあ、勉強できるやつらのノートは信用できるし、

   だれだって欲しいよな。Dクラスのやつらは喉から手が出るくらいほしいし、

   Aクラスであろうと、予習が楽になるんなら欲しくなるのが人間ってものだ」



ここまでいっきに話し続けてみたが、俺が言おうとしていることに気がついてる奴は

ほとんどいないみたいだ。一応いままで実践してきた由比ヶ浜は、というと、

わけがわからないみたいで、ぽか~んとしてやがる・・・・・・・・。

こいつ、なにも考えないで生きているのかよ。

散々こいつをこき使って・・・・・・・、いや、利用して?・・・・・・・、

ギブ&テイクでやってきたというのに、それさえも忘れているとは。



八幡「つまりはだな、お前たちのノートが最新の授業ノートになるんだよ。

   一番最初にできあがるから、一番需要がある。Bクラスのやつらだって、

   楽したいんだから、自分たちより前に講義をしているクラスがあるんなら

   そいつらからノートを借りたいんだよ。

   でも、今までは、お前たちがやる気がない態度で授業受けてたし、

   ノートの質も最悪だ。だから、Bクラスのやつらは、お前たちのノートに

   見向きもしなかった。しかしだ、これからは違う。

   みんなで分担して全訳しているし、勉強会でチェックもしている。

   だから、今お前らが手にしているノートは、買い手がいるってことだ」



ここまでいってやれば、ほとんどのやつらが理解できたみたいだ。

若干ぽかんとしている奴もいるけど、実際やっていくうちに理解するだろう。

さて、由比ヶ浜はというと、・・・・・・もういいや。諦めよう。



307: 09/11(木) 17:37:46.24


八幡「情報は武器だ。最新の情報となれば、高値で売れる。

   それは、大学生の社会であっても通用する。だったら、お前たちが持ってる商品

   使って、自分が欲しい情報と交換してこい。

   そうすれば、あらたに手にした情報も商品となって、さらに情報が手に入る。

   お前ら、わかるよな。これは、他の教科の情報が手に入るだけじゃない。

   過去のレポートや過去の試験問題だけが目的ではない。

   このトレードを通じて、人脈が作れるっていうのが最終目的なんだよ。

   だいたいな、いったん情報の元締めになってしまえば、こいつに聞いてみれば

   もしかして、なにかしら情報もってるかもって人は思うんだよ。

   そうなれば、自然と情報が集まってくるし、たとえ何もわからなくても

   人脈使って情報を解読していけばいいんだ。

   まあ、俺は人づきあいが苦手だから、そういった人脈作ったりするのは

   そこにいる由比ヶ浜に頼んで、自分はというと情報となる商品ばかり作ってたけどな」



教室内の視線が由比ヶ浜に集まる。が、当の本人は、なぜ注目されているかは

わかってはいない。由比ヶ浜は俺の顔をみて、なにかを感じ取ったのか、

自分が誉められていると直感で感じ、えへんと胸を張る。

まあ、間違ってはないんだけど、たぶん、教室にいるやつらの評価は

お前が思ってるのとは違うと思うぞ。



八幡「お前らの中でも、サークルの先輩から、去年のノートや過去レポート

   もらってるのいると思うけど、それを大々的にやっていく感じだ。

   まずは、お前らが同じ講義受けているので集まって、英語みたいに勉強会

   作るところから始めるといいと思うぞ。

   あとは、せっかくDクラスで勉強会もしているんだし、ここでの繋がりも

   有効につかっていけよ。

   と、いうわけで、お得情報どうだった?」



俺は、あくどい笑みを浮かべる。にやっと、いやらしく、憎たらしく。

ここは、うわっと皆ひくところだと思ってたのだが、何をとち狂ったのか

由比ヶ浜以外の全員が、俺と同じく、あくどくにやって笑う。

もし、この教室を除いた奴らがいたとしたら、異様な光景に逃げ出しただろう。

昔、平塚先生が、俺には新興宗教の教祖の素質があるって冗談でいったけど、

この光景をみたら、もしかしてって思ってしまうかもしれない。

もちろん、笑い話で済ますけど。

というわけで、こいつらのやる気は、もう大丈夫だろう。

あとは、プライドなんか忘れて、自分ができることをやっていくのを気がつくだけだ。





308: 09/11(木) 17:38:51.16






6月20日 水曜日






今日は、Dクラスの英語の授業がある。小テストの結果は、明日聞くことになるけど

いきなり大幅な点数アップは望めないだろう。いくらやる気と勉強方法が

わかったとしても、それがすぐさま点数に結び付くわけではない。

勉強っていうのは、面倒なもので、日々の積み重ねがものをいう。

さて、人さまの心配をする時間は俺にはあまりない。

今は、陽乃さんから預かったストーカー情報を分析しないといけないし。

陽乃さんと登下校するようになったが、これといって成果はない。

ネットへの書き込みは続けられているが、一般サイトへの転載はあまり多くはない。

せめて本命のサイトへアクセスできたのなら、多少は進展があるかもしれないが。



陽乃さんが言っていた雪乃が写っている写真っていうのは、6月16日のか。

実家から帰ってくる日の朝、コンビニ前の写真だけど、よくもまあ朝早くから

ストーカー行為なんてできるよなぁ。しかも、この日は深夜までやってるみたいだし、

ある意味ご苦労なことで・・・・・・・。





6月16日 土曜日 6:22

実家近くのコンビニにてお買い物。画像もアップ。

今日もお美しい!



6月16日 土曜日 22:28

人気ラーメン店・総武家で夜食。友人と店に入るのを発見!

土曜の夜だというのに女と一緒とはw



6月16日 土曜日 22:56

一緒にラーメン食べたいお。

さすがです。お友達も美人! 

でも、年がちょっとw

画像もアップ。



6月16日 土曜日 23:43

ラーメン屋から、そのまま帰宅。

操は守られた。


309: 09/11(木) 17:40:09.36


朝のコンビニは、実家の近くだし、張り込みでもしてたのか?

よく行くコンビニくらいなら、すぐにでも割り出せるだろうし、

行動パターンさえつかめれば、時間帯も予測くらいできるかもな。

まあ、写真に雪乃も写って入るけど、これといってコメントも出ていない。

転載だから、本命サイトでは話題になってる可能性もあるが、

続報が出てこないうちは、なんとも言えないな。

それと、この日のは、時間がとんで深夜のだけか。

陽乃さんがうちに食事に来たけど、その時は車で送ってもらったみたいだし、

さすがに車を追ってでまで来ることはできないのか?

バイクとか用意しているかもしれないし、油断はできんな。

それにしても、家での食事の後にラーメン食べに行ってたのかよ。

きっと平塚先生の提案なんだろうけど・・・・・・・。

総武家は、大学に近いラーメン屋だし、行動パターンを読めなくても、

もしかしたら偶然見つけ出したのかもしれないか。

となると、ストーカーは、うちの大学生なのだろうか?

いや、決めつけるのはよくないな。

大学の近くに住んでいるとか、仕事・バイトをしている可能性もあるし。

ああっ! 可能性ばかりで、まったく手掛かりがつかめない。



俺は、深夜のラーメン屋の写真をする。

映し出された画像は、照明がラーメン屋からの明りだけともあって、鮮明さに欠けている。

ちょうど平塚先生は、のれんに隠れて顔は写ってはいない。



平塚先生は、不幸中の幸いってやつか。

でも、「さすがです。お友達も美人! でも、年がちょっとw」なんて

書き込みされているって知ったら、怒り狂うだろうな。

たしかに、年齢がちょっとだし。

もし、この書き込み見せたら、身近で適当なストレス解消ツールとして、

俺への被害が予測される。

俺が殴られでもしたら、恨むからな、ストーカー君。

・・・・・・やはり情報が少なすぎる。いくらみても、解決の糸口は見つからない。

俺にできることなんて、たかがしれている。

あの陽乃さんでさえお手上げなのだし・・・・・・・。

正攻法でも奇策でもうまくいかないのだから、雪乃でも難しいか。

いやまて、・・・・・・アプローチそのものが間違っているとしたら?





第16章 終劇

第17章に続く

316: 09/18(木) 17:28:47.38


第17章







6月21日 木曜日





こりゃあ、やられた。俺の第一印象はこれだけだった。

俺の戸惑いをよそに、英語勉強会に集まっているDクラスの連中の

気持ちの高まりはすさまじい。

狭い教室から大音量の声が漏れ響き、不審に思った生徒がのぞきにまでくる。

やつらの気持ちもわからなくもない。

低空飛行していた小テストの成績が跳ね上がったのだから。

俺も多少は上がりはすると思ってはいたけど、この上昇率は異常だ。

軒並み8割以上はとっている。



結衣「ヒッキー、みんなすごいね。やればできるんだよ」



由比ヶ浜自身は試験は受けていないというのに、自分のことのように喜んでいる。

いつの間にかに仲好くなった女子生徒達と手を取り合い、飛び跳ねていた。

悪くはない。むしろ、いい傾向なんだけど、俺が教える必要なんてあったのって

疑問を感じてしまう。



結衣「ヒッキーも、一緒に喜びなよ。

   ヒッキーがみんなの気持ちに火をつけてくれたおかげだよ」

八幡「俺は、なにもやってねぇよ。勉強したのは、こいつらだし。

   勉強なんて、いくら教えても、結局は本人が勉強しないと覚えないからな」

結衣「むぅ~」



喜びから一転、しかめっ面に。俺に詰め寄る由比ヶ浜に笑顔はない。



結衣「こういうときくらい、素直に喜ぼうよ。

   みんなヒッキーに感謝してるんだから」

八幡「だから、俺は大したことはしてないんだって。

   少しははっぱかけて、勉強するように仕向けはしたけどな。

   それに、今回点数よくても、それを持続させる方が難しいし」

結衣「もう、捻くれてるんだから。いい点数取ったときには素直に皆で喜んで

   次につなげるものなの」



317: 09/18(木) 17:29:33.22



由比ヶ浜は、くるりと俺に背を向けると、教室内に響きわたる声で問う。



結衣「ねえ、みんなぁ! ヒッキーは、みんなが勉強したから点数よくなったって

   いってるけど、でも、そう仕向けてくれたのはヒッキーのおかげだよね?」



沸き立っていた教室は、由比ヶ浜の突然の質問に静まり返り、

声の発生源たる由比ヶ浜に視線が集まる。

その由比ヶ浜は、そのまま視線を背負ったまま俺に振りかえり、

全ての視線を俺に向けさせた。

おい、由比ヶ浜。俺を注目させてどうする。

恩着せがましい発言なんて、やめてくれよ。

本当に、勉強頑張ったのは、本人のおかげ・・・・・・・、

と思っていると、再び歓声が沸き起こる。

ヒッキー最高! 最初は胡散臭かったけど、ついてってよかったぜ。

目は今も腐ってるけどな。由比ヶ浜さんがいなかったら、誰も付いていかなかっただろ。

それは、いえてるな。比企谷さんのおかげっていよりは、由比ヶ浜さんのおかげっしょ。

そう、それ。由比ヶ浜さん最高!

って、おい。俺への賛辞は、ほとんどないじゃないか。

それでもいいけど、ちょっとは誉めろよ・・・・・・・・。

まあ、なにはともあれ、こいつらがやる気になってくれて、よかったか。



結衣「ね? みんな感謝してるでしょ」

八幡「そうだな」



優しく微笑む由比ヶ浜に、俺は思わず顔をそらす。

素直に喜ぶことなんてできてたら、ぼっちなんてやってないっつーの。

・・・・・・・たまには、一緒に喜んでみてもいいかもしれないが。



結衣「それにしても、みんなすごい点数だよね」

八幡「それはそうだろ」

結衣「なんで?」



ちょっとは自分で考えろって。前にちょろっとだけど、話してもいるだろ。



八幡「こいつらは、大学では落ちこぼれてしまったけど、地元の高校じゃトップ集団

   だったんだよ。しかも、中学でも上位で、そのまま地元の上位高校に入学

   してるの。だけど、いくらエリート街道突っ走っていても、大学入って

   全国区になると 一気に順位は下がっちまう。上には上がいるからな」


318: 09/18(木) 17:30:29.07



ふぅんって、初めて聞いたって顔をして俺を見つめるなって。

まじでこいつ、忘れてるだろ。



八幡「でもな、もともとこいつらは勉強できる集団なんだよ。

   ちょっと前までは、プライドへし折られて、落ち込んで、勉強する気にも

   ならないでいたけどな」

結衣「そっか。だったら、ヒッキーがプライドを取り戻してくれたんだね?」

八幡「はぁ? んなことしてねぇよ。その逆だ。わずかに残ったプライドは、

   最後まで全部へし折ったんだよ」

結衣「はあ?」



わからないって顔してるな。こいつに関しては、勉強に関してのプライドなんて

持ち合わせてないから、しゃあないか。



八幡「プライドが少しでも残っていたから、それが邪魔して、勉強に集中できて

   なかったんだよ。いくら勉強してもトップにはなれない。

   なにせ、上にいる連中の実力は天井がないからな。

   それでも今まで地元ではトップにいたプライドがくすぶってしまう。

   上の奴らには、どうやっても勝てない。

   社会人になってもそれは同じだし、しかも理不尽な要求さえ求められてしまう。

   しかし、それでも知恵を絞って、うまく乗り越えていかなきゃならないだろ」

結衣「う~ん、なんとかくだけど、わかったかな」



いや、わかってないはず。視線をわずかだけど、そらしたしな。

もういいや。こいつには、じっくりと時間をかけて教えていくしかない。



八幡「まあ、俺が今回したのは、役に立ちもしないプライドなんか捨てさせて、

   今いる環境で、今できる手段を使ってのし上がっていく方法を

   ちょろっと教えただけさ」

結衣「そなんだ」



ふぅ・・・、もういいよ、由比ヶ浜。わかってないの、わかったから。

それにしても、過去の価値基準っていうのは、やっかいだな。

高校の自分が絶対だって、大学生になっても思ってしまう。

価値なんて、場所や時間によって変化するものだし、絶対変わらない価値なんか

存在しやしない。しかも、同じ価値だとしても、見方によって評価は変わる。

価値なんて、人が勝手に作り上げたものだし、先入観にしかならない。

先入観? 価値基準? 自分が勝手に作り上げたもの・・・・・・・・。


319: 09/18(木) 17:31:03.93


そうか!

俺が勝手にストーカー像を作り上げていたんだ。

だから、今回のストーカーの犯人像が見えてこなかったんだ。

そうか。そうだったんだ。

となると、あのネットの転載、ちょっと変じゃないか。

俺は、今もなお沸き立つ室内をよそに、静かに思考を巡らせた。



時間は有限であり、取り戻すことはできない。

いくら慎重に行動して、有意義な時間を過ごしたとしても、それは過去の事。

未来は突然現在に現れ、人を混乱に陥らせる。

されど、人に与えられている時間は平等だ。

いくら有能なストーカーであろうとも、それは同じ。

陽乃さんもそうだが、ストーカーも自分の生活をしている。

人が自分に与えられた時間で行動できることなど、限られているのだ。














6月22日 金曜日







陽乃さんの講義終わるのを待って、俺達はマンションに向かっている。

今回ばかりは由比ヶ浜の力も借りなければならない。

車の後部座席に陽乃さんと由比ヶ浜をのせ、まっすぐマンションへと向かう。

助手席に座る雪乃は、訝しげに俺を見つめていた。

なにせ昨日の夜から何度詳細を説明してほしいと乞われても、

明日みんながいるときに話すと断ってきたからな。

だけど、由比ヶ浜が一緒じゃないと意味がない。

そうしないと、雪乃のことだから全部自分一人でやると言い張るだろうし。



八幡「なんだよ。なにか顔についてるか?」

雪乃「ついてるわ」



憮然と答える雪乃に、やれやれと首を振る。

真っ直ぐに俺を見つめる瞳に曇りはない。一緒に過ごした時間。


320: 09/18(木) 17:31:43.38


その積み重ねが雪乃にプライドを持たせる。俺の隣にいるのは自分だと。

それなのに、肝心なことを何も話さないでいられたら、傷つくのは当たり前か。

でもな、雪乃。お前と同じように、俺も雪乃と一緒にいたんだよ。

だから、お前がどういう行動をとりたいかだって、わかっちまうんだよ。

雪乃の潤んだ瞳を盗み見て、雪乃の手に自分のをそっと重ねる。



八幡「頼りにしてるよ」

雪乃「腐生菌が顔についてるわ」



そうつぶやくと、顔を背け、窓の外を眺めだす。照れ隠しだってわかってはいるけど、

俺はまだ氏んでないから腐生菌は付いてないはず。

微生物だし、もしかしたら付着するかもしれないが、最近は専門用語増えてきてません? 

あまりにも専門的すぎると、俺も突っ込み入れられないよ?

俺は、一回ぎゅっと手に力を加えると、ハンドルに手を戻す。

さすがにずっと雪乃の手を握ったまま運転などできやしない。

もしできるのならば、映画のワンシーンみたいで様になってたかもしれないけど、

現実なんてこんなものだ。

現実は泥臭い。天才と謳われる頭がいい連中であっても、勉強しなければ

脳みそは真っ白なまま。勉強しないでテストで好成績なんてとれやしない。

小説で、高得点をとるシーンだけがクローズアップされるが、

その裏には、コツコツと勉強しているシーンが隠されている。

結果ばかりみてると、そいつがどうやって生きてきたなんか忘れてしまう。

存外天才も泥臭く生きてるものかなと、ふと雪乃をもう一度盗み見て、思ってしまった。










リビングのソファーに各々が座ると、程度の差はあれど早く話せと顔が訴えている。

まあ、待て。なんか、すさまじいプレッシャー感じるんだけど、

ここまで大げさな発表なんてないんだけどなぁ・・・・・・・・。

ちょっと気がかりなところがあるから、みんなで話し合おうと思ってまして。

あとは、雪乃が一人で背負いこまない為だが。



八幡「えっと、まあ、集まってくれてありがとうございます」

雪乃「そんな気持ちがこもっていない前置きはいいわ。

   早く本題に入ってくれないかしら」



不機嫌度マックスの雪乃をこれ以上おあずけなんてできやしないか。


321: 09/18(木) 17:32:18.33


雪乃は、長い黒髪を一房掴むと、指先にくるくる巻きつける。

そして、肩にかかった髪を全て払いのけると、ソファーから立ちあがり

空席だった俺の隣にすっと座り込んだ。



雪乃「これって、ネットにアップされた発言よね。

   画像と行動記録以外に、なにかわかったのかしら?」



俺の前にあるパソコン画面には、陽乃さんから渡されたストーカー情報の一つが

映し出されている。

雪乃の画像が映し出された日の陽乃さんの行動記録であり、

俺が違和感を感じた日の記録でもある。

陽乃さんも由比ヶ浜も近寄ってきて画面を覗き込む。

覗き込みはしたものの、目新しい情報は一切ない。

互いに何かわかったかと目で問うが、何もわからにと返すのみ。



結衣「なにか新しい情報でもあったの?

   だったら、そっちの方を見せて欲しいんだけど」

八幡「いんや。これであってる。見て欲しいのは、6月16日の記録だ」

陽乃「画像でも解析したの?」

八幡「いいえ。画像解析するスキルもないですし、それができる友人もいませんよ」

結衣「もったいぶらないで、早く話してよ」

八幡「まあ、待て。今話すから」



それにしても、皆さま。お顔が近いです。熱心に画面を見るのはわかりますけど、

このままだと、雪乃さまのお怒りが・・・・・・・・。

目を横に流すと、雪乃も画面に集中している。

ならば、素早く要件を伝えて、今の状況から解放されなければ、俺の命が危うい。



八幡「まず見て欲しいのは、22:28の発言。

   土曜の夜だというのに女と一緒とはって言ってるだろ。

   これと、他の3つの発言は、おそらく発言者が違う」

結衣「は? なんで、そんなのわかるの?」

陽乃「由比ヶ浜ちゃん。ちょっと黙ってて。比企谷君、続けて」



あっ、陽乃さん、マジモードっすね。由比ヶ浜はかわいそうに、委縮してるし。

俺も、いちいち由比ヶ浜の相手してる暇もないけど、あとでお前でも

わかるように説明してやるから、今は我慢してくれよ。



322: 09/18(木) 17:32:56.07



八幡「えっと・・・・・・、2つ目の発言では、女と一緒で、

   ちょっと馬鹿にしている感じがするんですよ。

   でも、4つ目だと、操は守られた、って男と一緒じゃないことに安堵している。

   つまり、仮に2つ目の発言者が4つ目の発言をするんなら、

   土曜日なのに、男っ気なしに、悲しく一人で帰宅って感じの内容になると

   思えたんだ。まあ、ネットだし、コロコロ発言が変わるかもしれないですけど、

   俺も強引すぎる説明だとは感じてはいますよ」

雪乃「そうね。2つ目と4つ目が確実に違う発言者という証明にはならないわね。

   でも、ストーカーが一人ではないっていう点に気がついてのは大きな成果ね」

八幡「そうなんだよ。俺達は、ストーカーが一人だと思い込んでいた。

   いくら陽乃さんの行動パターンを読んで先回りしたとしても、

   突発的な行動なんて先読みできない。だけど、それさえもネットにアップされてる。

   だから、俺は、陽乃さんに近い関係の人の中に、スケジュール情報を

   流しているやつがいるんじゃないかって考えてる。

   それにな、他の日のコメント日時見てくれよ。

   こんなにも頻繁に、しかも早朝から深夜まである。

   こいつにも自分の生活ってものもあるわけだし、

   協力者がいなければ実行不可能だろうよ」

結衣「それじゃあ、味方の中に敵がいるってこと?」

八幡「そうとは限らないけどな。本人が気がつかないうちに話してしまってるって

   こともあるしさ。あと、情報を流してしまってるやつが女だって可能性もある」

結衣「ストーカーなんだし、男なんじゃないの?」

八幡「今説明しただろ。うまく誘導されてスケジュールを他人に話すだけなんだから、

   それだったら男だろうと女だろうが関係ない」

結衣「そっか。その人は、ストーカーとは直接関係があるわけじゃないもんね」

陽乃「いいえ。この際、ストーカーへの先入観全て捨てましょう。

   ストーカーに女の協力者がいないだなんて、あり得ないことではないし」

八幡「・・・・・・そうですね」

結衣「でも、女性だったらストーカーの肩坊なんて担ごうなんて思わないんじゃないかな。

   だって、自分がされたら嫌じゃん」



たしかにな。由比ヶ浜の言うことは一理ある。

だけれど、それがそのまま他人に当てはまるとはいえない。



323: 09/18(木) 17:33:46.48


八幡「たしかに女性一般からすれば、ストーカーに協力なんかできないだろうよ。

   むしろ、毛嫌いして、即座に警察に通報すると思う。

   だけどだ。世の中には変わりものなんて山ほどいる。

   そもそも由比ヶ浜の理屈からすると、犯罪者が一人もいなくなるだろうよ。

   でも、実際には世の中には溢れるほど犯罪者がいる。

   捕まってない連中も数に入れたら、とんでもない数字になると思うぞ」

雪乃「そうね。現に姉さんが被害にあっているのだし、全ての可能性を排除しないで

   考えるべきなのかもしれないわ」



雪乃からは悲壮感が漂っていた。陽乃さんも同じく重く沈んでいる。

由比ヶ浜に関しては、重く受け取って入るが、二人ほどの深刻さはない。

二人は気が付いているのだろう。全ての可能性を排除しないという意味を。

それは、友人を疑うってことを意味する。

今まで隣にいた友人を疑いの目を持って接せねばならない。

ましてや、意図的ではないにせよ、今回はスケジュールを流してしまっている友人が

いるはずである。

その情報の供給源をストーカーから切り離さなければ、ずっと陽乃さんはつきまとわれる。



八幡「それにしても、平塚先生と総武家に行ったのって、偶然なんですよね?」

陽乃「あのときは、静ちゃんに誘われて、行ったんだけどね。

   私はあまり食べられないって言ったのに、食べ残したら自分が食べるって

   言い張って」



俺は、げんなりとその光景を思い浮かべる。

なにせ今まで何度も実際に見てきた光景。

ラーメン食べて、俺は飲まないけどビール飲むのに付き合わされ、

そして、しめにもう一度ラーメン屋。

あの男を虜にできるはずのメリハリがあるスタイル。

暴飲暴食をしていながらも、それを維持できるなんて誰も信じやしないと思う。

もし由比ヶ浜辺りが平塚先生の食生活を知ったら、マジでへこむレベルだろう。



八幡「つまり突発的な行動だったわけか。それなのにストーカーが見つけ出すなんて

   ある意味すさまじいな。何人くらいでやれば見つけ出せるんだ?

   逆に考えると、それだけの大人数でやってたとしたら、目立つはずだよな。

   まあ、そんな大人数が追っかけやってたと想像すると、なんか怖いけど」



俺の言いすぎではあるが、あり得なくもない想像に、各々苦笑いを洩らす。

陽乃さんは、アイドルじゃないんだぞ。アイドルなんかの追っかけなら



324: 09/18(木) 17:34:26.23


大挙して追いかけまわしているのが想像できるが、一般人相手にそれやるか?



雪乃「その日、平塚先生とは、どのような話をしたのかしら?」



たしかその日は、うちでストーカーの話も出ていたはず。

主な話は、陽乃さんのお見合いだったけど、平塚先生の意見でも聞きたいのか?



陽乃「えっとねえ・・・・・・、ラーメンの話ばかりだったと思うな。

   美味しいラーメン屋だといても、それだけでは商売がなりたたないとか、

   仕れコストや店舗の位置、人の流れ、リピーター、ネットでの情報とか、

   聞いているこっちの方が恥ずかしくなるくらい熱く語っちゃってね」



ああ、なんとなくわかる。総武家の立ち退きに関連しているんだろう。



雪乃「そう・・・・・・・」



聞いて納得したのか、雪乃の瞳からは興味が失う。

それを見た陽乃さんも、今までのことを再確認でもしているのか思考の没頭する。

由比ヶ浜だけは、ぼけぼけっと相変わらずだ。



結衣「ねえ、もし情報が漏れているんだとしたらさ、嘘の情報も混ぜたらどうかな?

   ほら、映画とかでよくあるでしょ。嘘の情報も混ぜて、その嘘の情報に

   ひっかかって、犯人がのこのこやってくるってやつ」



重苦しい空気に耐えかねて苦し紛れの意見を述べた由比ヶ浜ではあったが、

たまにはいいことを言う。10回言ったとしたら、1回くらいの確率の成功だけど、

今回は感謝しないとな。



雪乃「それはやってみる価値はありそうね」

陽乃「でも、だれが洩らしているか検討もつかないし、難しくないかな」



あくまで慎重な陽乃さんの気持ちもわかる。

なにせ、嘘情報をこれから友人に自分がばらまくのだから。

自由気ままで、まわりをひっかきまわす陽乃さんであっても、

友人を疑い、悪意の情報を流すとなれば後ろめたいはず。

苦痛に満ちた陽乃さんは、心配して見つめている雪乃と目が合うと、

儚い笑顔を浮かべ決意を固めた。

友人と妹。この二つを天秤にかけた場合、圧倒的に雪乃を大事にするだろう。



325: 09/18(木) 17:35:05.63


だからといって、友人が大切でないわけではない。

優先順位の差はあれば、どちらも陽乃さんのなかの日常の一部で切り離せやしない。



陽乃「私のスケジュールを知ってるのは、院で同じの4人かな。

   遊びに行ったりもするし、大学にいるときはたいてい一緒だしね」

雪乃「その中に男性は何人いるのかしら」

陽乃「3人」

八幡「その3人って、今までストーカー捕まえるの手伝ってもらってたのと

   同じメンツじゃないんですか?」

陽乃「よくわかったわね」



俺の指摘に陽乃さんは驚きを見せる。まあ、身近な人に手伝ってもらうのは鉄則だろうし、

大学の時の友人は、卒業して、今は社会人で忙しいしな。



結衣「だったら、なおさら犯人じゃないんじゃない?

   ストーカー捕まえるのを手伝ってもらってたのに、スケジュールを洩らすなんて

   しないと思うんだけど」

八幡「だから、さっきも言っただろ。うまく誘導されて、ぽろっと言ってしまうことも
   あるってさ」

結衣「そうかもしれないけど、今もストーカーに迷惑していて、そのストーカーも

   捕まっていないんだし、用心してるんじゃない?」

八幡「それは・・・・・・・」

雪乃「由比ヶ浜さんの意見にも一理あるわね」

結衣「でしょ、でしょ」



雪乃という大きな援軍に、喜びいっぱいの笑顔を振りまく由比ヶ浜。

由比ヶ浜に痛いところをつかれるとは、俺も落ちこぼれたものだ。



陽乃「由比ヶ浜ちゃんの意見ももっともだけど、ここは友人3人に絞ってやってみましょう。

   もしその3人が関係ないのなら、それはそれで信頼できる協力者が手に入るのだし」



それは陽乃さんの嘘いつわりのない本心であった。友人を疑いたくない。

もし疑うのだったら、一刻も早く無実を証明したい。



雪乃「では、残りの一人の女性はどうするのかしら?

   その人にも嘘情報を混ぜたほうがいいのかしらね?」



326: 09/18(木) 17:35:35.86


八幡「今回は、3人でいいんじゃないか? 4人にもなると、嘘情報をさばききれなくなる。

   こっちの弱点といえば、人が少ないことだからな。

   人が多ければ、大規模に嘘情報を流して、犯人かどうかを確認してけるけど、

   今はちまちま潰していくしかないだろうよ」

陽乃「じゃあ、それでいきましょう」

雪乃「そうなると、あらかじめスケジュールを調整して、嘘情報につられてくる

   犯人を確認しやすいようにしなくてはいけないわね」

八幡「その辺は、雪乃と陽乃さんの二人に任せる。そういう細かいことは、

   俺や由比ヶ浜には無理だからな」

雪乃「わかったわ」

結衣「でも、3人にそれぞれ嘘情報教えるんでしょ。その3人がスケジュールを

   お互い確認し合ったりしたら、やばくない?

   だって、みんな違うスケジュール教えられてるんだから、変に思わないかな?」

陽乃「その辺はうまくやるわ。ストーカーのことは知っているんだし、

   一応あなただけにはスケジュール教えておくから、いざっていうときには

   お願いねって感じで言っておけば、大丈夫でしょ」

結衣「そっか。それなら大丈夫だね」



って、それで納得するのかよ。まあ、陽乃さんみたいな美人の頼み事だったら

世の男性は、ころっと信じてお願いをきいちゃいそうだけどよ。



結衣「ねえ、ねえ、ヒッキー。私も何か手伝えることない?」



俺の袖口を軽く掴み、下から俺を見つめてくる。

足りないおつむを持ちながらも、こいつなりに心配している。



八幡「お前にも頼みたいことはある」

結衣「ほんとっ」



一段高い返事に、思わずのけぞる。それさえも面白そうに眺める由比ヶ浜は

嬉しそうに髪を揺らし、さらさらと髪を波打たせていた。



八幡「俺と陽乃さんが一緒にいるところを遠くから見て、

   不審人物を確認してほしい。それと、俺達の行動も記録しておくことか」

結衣「うん、わかった」

八幡「お前一人だと危険だから、監視するときは雪乃と常に一緒な。

   なにがあっても単独行動は禁止」

結衣「ヒッキーは、陽乃さんの護衛ってこと?」



327: 09/18(木) 17:36:30.47



八幡「そうだよ。ストーカーをおびき寄せるにせよ、陽乃さん一人でやらせるわけ

   にはいかないだろ」

結衣「それはそうかもしれないけど、彼氏?・・・・だと勘違いされないかな」

八幡「それは・・・・・・・」

陽乃「それは大丈夫よ。多少ストーカーに刺激を与えたほうが動きがわかりやすい

   でしょうしね。私一人の方が、かえって発見しにくいと思うわ」

八幡「まあ、それも一理あるな。でも、なにかあってもやばいから

   俺は陽乃さんの側にいるよ」

結衣「そだね。相手はどんな人かわからないし」

八幡「雪乃もわかったな」

雪乃「ええ、わかったわ」



雪乃は不満を押し頃して、短く返事をした。

やっぱりな。雪乃のことだから、一人で行動すると思ってた。

だからこそ、由比ヶ浜がいるときに全て話すことにしたんだから。

俺は、雪乃へのストッパーがうまく機能したことに、かすかに笑みを浮かべてしまう。

陽乃さんと目が合うと、陽乃さんも笑みを浮かべていた。

やはり陽乃さんも雪乃の行動を心配してたってわけか。

俺達の笑みは膨らみ、もはや声を頃すことなどできやしなかった。

一度決壊した笑みは爆発し、暗い室内に反響する。

訳がわからずぽかんと見ていた由比ヶ浜も、俺達につられて笑いだす。

さすがに雪乃は笑いにのってはきやしなかったが、

俺達の笑いが収まるまで優しく見守っていた。

いつ以来だろうか。こんなにも笑えたのは。

辛い時の笑顔は人に前向きにさせる。

自分が辛い時にへらへら笑っている奴がいたら、一発ぶん殴りたくなるけど、

みんなと笑いあう笑顔なら、それは別物だ。














第17章 終劇

第18章に続く







335: 09/25(木) 17:31:44.65



第18章






6月24日 日曜日








これからデートである。待ち合わせ場所での最初の笑顔ほど格別なものはない。

期待を胸にしまいこみ、身なりを確かめる。鏡に映る俺は、いたって平凡。

それなりのルックスはあるつもりだが、これからデートをする相手を思うと

なにぶんパワー不足を否めない。



雪乃「はいsuica。昨日チャージしておいたわ。

   どうせあなたのことだから、あまり入っていないのでしょ」

八幡「悪いな。帰ってきたら金払うよ」



財布に万札入ってるけど、帰って来たときにも無事か?

これからも使いそうだし、心もとないな。やっぱバイトすっかな。



雪乃「別にいいのよ。必要経費だと思って使ってちょうだい。

   姉さんのボディーガードをしにいくだけなのだから」



俺に詰め寄る雪乃の視線は冷たい。



八幡「ありがたく使わせてもらうよ。・・・・・・なあ?」

雪乃「何かしら」



俺の呼びかけに対し、棘がある返事が返ってくる。

しかも、顔つきもさらにきつい。

あの時は、雪乃も納得してなかったか?



八幡「あのな、昨日のデート・・・」

雪乃「ボディーガード!」



あくまでデートとは、言わせないのかよ。

俺は、心の中でこっそりとため息をつく。気苦労が絶えない。

陽乃さんのことがメインだけど、それが俺の生活すべてではない。


336: 09/25(木) 17:32:14.66


俺の中心は雪乃であって、それでも、時と場合によっては、優先順位が入れ替わってしまう。

雪乃が絶対だっていう根底は揺るがないことは、雪乃も知っているはずなのに、

今回動いてるのも間接的には雪乃のためなのよ。

しかも、雪乃にまで被害が及びそうだというのに。



八幡「えっと、昨日のボディーガードって、雪乃と由比ヶ浜が作ったプランだろ?」

雪乃「そうね。主に由比ヶ浜さんの意見が中心ですけどね。

   私の意見は、参考意見くらいかしら」



本屋がデートプランに入っていたのは、確実に雪乃の意見だろうけどな。

由比ヶ浜が、わざわざ本屋をデートプランにいれるとは、考えられん。

それでも、漫画喫茶ならありえるか? 

ペアシートとかよさそうだよなぁ。今度雪乃と・・・・・・・・。



雪乃「何をニヤついているのかしら?

   そんなに姉さんとのデート・・・・いえ、ボディーガードが楽しみなのかしらね?」

八幡「違うって。本屋が入っていたのが、いかにも雪乃らしいなって。

   由比ヶ浜なら漫画喫茶だろうし、でも、雪乃と漫画喫茶でペアシートもいいかなって」



ああ、なに言っちゃってるの、俺?

ぺらぺらぺらぺらご丁寧に全部ゲロっちゃってるよ。



雪乃「私と? ペアシートとは、どういうものなのかしら?」



雪乃が知らないのも無理ないか。漫画喫茶なんて無縁だろう。



八幡「個室に二人掛けのソファーがあって、そこで二人で漫画読んだり、

   ネットしたりするんだよ。俺もペアシートなんて使ったことないから、

   ネットで見た情報くらいしか知らんけどな」

雪乃「それだったら、自宅でもできるじゃない?

   ほら、そこ座りなさい」



雪乃が指差す先には、二人掛けのソファー。

漫画喫茶のソファーとは、比べ物にならないほどの上等の品だ。

普段から、席を二つ占領して寝転がって本を読むのが日課になりつつある。

そして、途中から雪乃が割り込んできて、二人で読書タイム。

って、おい。俺達って、いつも漫画喫茶のペアシートを体験してるのか?

俺は雪乃に言われるがままソファーに座る。



337: 09/25(木) 17:33:32.00



するとすぐさま雪乃が俺の左横に腕をからませ座ってきた。

雪乃の重みがソファーに加わり、俺の重心が雪乃側へと引っ張られる。

いつもと同じはずなのに、漫画喫茶というシチュエーションを意識してしまい、

なにか照れくさい。

俺を見つめる雪乃の頬も、やや赤いのも同じ理由だろうか。



雪乃「これでいいのかしら? これだったら、わざわざ漫画喫茶に行かなくても

   いいのではないかしら? それとも、漫画喫茶には特別な事でもあるのかしらね?」

八幡「とくにはないと思うぞ。せいぜい漫画がたくさんあるくらいか。

   あとは、ジュース飲み放題とか」

雪乃「それだったら、なおさら行く必要がないじゃない。

   それとも、私の紅茶よりも、漫画喫茶のジュース飲み放題の方が魅力的なの?」



すぅっと目を細める雪乃に、身を引いてしまう。しかし、ソファーという限られた空間。

俺が逃げても、その分俺の方にソファーが沈み込み、雪乃もそのまま俺についてきてしまう。



八幡「そんなことないって。雪乃の紅茶が一番だから。

   それに、漫画喫茶だと、衝立の向こうには人がいるから、落ち着かないかもな」

雪乃「それもそうね」



俺の方に沈みかけていたソファーを、雪乃の方に押し返す。

体が軽い雪乃は、あっという間に押し倒されて、ソファーに沈みこんでしまう。



雪乃「あっ・・・・・・・」



小さな吐息が俺の耳に届く。軽く身じろいで抵抗するそぶりはみせるが、

それは照れ隠しに過ぎないってわかっている。

だって、目だけはずっと俺を求め続けている。

だから、俺の体も雪乃に加わり、さらに雪乃は沈んでいく。



八幡「こんな色っぽい声は、隣の客には聴かせられないな」

雪乃「だったら、ふさいでしまえばいいじゃない」



あくまで主導権は渡しませんってか。挑発的な瞳が俺を誘惑する。



八幡「そうだな・・・・・・・。でも、俺達には漫画喫茶は似合わないかもな」

雪乃「それは、私も同じ意見だわ」




338: 09/25(木) 17:34:01.09


俺は雪乃の唇を覆い尽くす。

しっかりとふさいだはずなのに、かよわい声が漏れ出す。

雪乃がときたま洩らす喉の音さえも、はっきり聞こえてしまいそうであった。

もうそろそろ出かけないと行けない時間か。

でも、もう少しだけ目の前にいる雪乃を最優先事項にしておいても

陽乃さんも文句はいうまい。

時計を横目に、あと3分を3回繰り返した・・・・・・。












千葉駅前。日曜ともあって、行き交う人も多い。

すでに雪乃は由比ヶ浜と合流して、俺達の事を遠くから監視しているはず。

でも、こんだけ人が多いと、ストーカーなんて見つかるか?

地道にやるしかないんだろうけど。

と、これからの長い道のりにすでに疲れそうになるが、人ごみの中からでも

目が吸いこまれてしまう陽乃さんを発見する。

まだ距離があるけど、人の目を引きつけるオーラ。

陽乃さんとすれ違う人がいれば、振りかえりまではしないまでも

目で陽乃さんを追ってしまう。

その陽乃さんも俺に気がついたらしく、俺に向かって大きく手を振ってくる。

やばくない? 目立つことが目的だが、それでもちょっと視線が痛い。

なにせ、陽乃さんが手を振ってくるから、俺も返事をせねばと思い、

小さく手を振ってしまえば、陽乃さんの相手が俺だと公言することになる。

すなわち、陽乃さんを目で追っていた男連中、女連中も結構いたが、そいつらの視線も

陽乃さんの視線の先にいる俺に集まってしまうわけで・・・・・・・。



陽乃「こっち、こっち。はちま~ん」



歩みをとめた俺に、陽乃さんは、俺が陽乃さんを探してると思ったのだろうか。

大きな声で俺を呼ぶ。しかし、さっき手を振り返したでしょ。

しかも、陽乃さんもそれを確認していたし。

俺が立ち止まったのは、周囲からの視線が痛かったからで、陽乃さんを探してではない。

陽乃さんもそれくらいわかっているはずなのに、・・・・・あんた、わざとだろ!

これ以上の公開羞恥プレイはご勘弁を。

俺は足早に陽乃さんに近寄っていくと、有無を言わさずその手を取る。

そして、そのままその場を離れようとしたのだが、がくんと俺の腕が引っ張り返される。


339: 09/25(木) 17:34:31.20


え? 振りかえった先には、にっこりとほほ笑みかける陽乃さんが一人。

不意をつかれた俺は、腕から力が抜け落ちる。

するとすぐさま陽乃さんに引っ張られ、公衆の面前だというのに、二人は抱き合う形に。



八幡「陽乃さん?」



俺は陽乃さんの耳元に問いかけると、陽乃さんも俺にだけ聞こえる大きさの声で

囁きかえしてきた。



陽乃「ストーカーに見せつけるのが目的なのに、いきなりここから去ろうだなんて

   なにを考えているのかしら」

八幡「そうかもしれませんけど、やり過ぎはよくないですよ」

陽乃「そうかしら? それでも、待ち合わせ場所でいきなり恋人の手をとって

   そのまま行こうとするよりは恋人らしくみえるんじゃないかなぁ?」

八幡「はぁ。そうですかね。わかりましたよ。わかりましたから、
   少し離れていただけませんか」


陽乃「照れちゃって、このこの」



陽乃さんは、俺を小突きながら離れていく。

すっといなくなった温もりに、いささか不謹慎な寂しさを感じてしまう。

雪乃とは違う女性の感触。それに体は正直に反応してしまう。

こんなことが今日一日繰り返されては体がもたないかもしれない。

ここはひとつ釘を打っておくかと、陽乃さんを見やると、あの陽乃さんが

いつもの風に装ってはいるが照れている。

視線をせわしなく動かし、偶然俺の視線と交わると、急いでそらしてしまう。

こうまでして陽乃さんがデレてしまうとは、ある意味貴重だけれども、

こわ~い視線も投げかけられているわけで。

その視線の主は、きっと雪乃のはず・・・・・・。

はぁ・・・、この姉妹。存外似たもの姉妹なのかもしれないと、ふと思ってしまった。












陽乃さんが俺を引き連れていった場所は、予想に反して駅前のデパートであった。

予想に反してとはいったが、今日のデートプランは既に立案され、

雪乃たちも知っている。

まあ、言葉のあやってやつだが、予想に反しているのには違いない。


340: 09/25(木) 17:35:02.13


ショッピングなら、駅ビルやパルコあたりかなとあたりをつけていた。

初めて出会った場所もららぽーとだし、デパートとは少し意外ではあった。



陽乃「そうかな? 

最近では、ユニクロも入っているし、安い価格帯のも多いんじゃないかな。

   それに、別館は若者がメインの構成だし、デパート イコール 値段が高い

   は、成立しないと思うな」

八幡「そうなんですか。俺はあまり利用しないんで、知らなかったです」

陽乃「ふぅ~ん。雪乃ちゃんとは来たりしないの?」



どこか探りをいれるような雰囲気に、自然と身を堅くする。

しかも、俺の小さな変化さえも見逃すまいと覗き込んでくるので、

その表情におもわずどきりとしてしまう。



八幡「ここのデパートはきたことないですね。隣の方は何度かありますけど」

陽乃「やっぱり、そうか」



なにか一人納得した顔に、今度は俺の方が陽乃さんの顔を覗き込む。

雪乃の事ということもあるが、一人納得して完結されては気になってしまう。

そりゃあ、陽乃さんの思考なんてわかりもしないし、わかったとしても

さらなる深みにはまって、迷走してしまいそうだけど。



八幡「なにかあるんですか?」

陽乃「ん? ん~・・・・・・・、これといった大きな出来事ではないけど、

   ここのデパートは母がよく利用するのよ。

   雪乃ちゃんが高校に入ってからは、あまりないけど、それまでは

   家族で来てていたものよ。といっても、母があれこれ指示をして

   買い物をしていくだけなんだけどね。

   私たち姉妹は、母のマネキンって感じかしら」



陽乃さんは笑って話してはいるが、雪乃にとっては笑い話ではないのだろうな。

あの女帝。愛情の注ぎ方がいささか特殊だから、愛情を注がれる方にとっては

苦痛なのかもしれない。



八幡「そうなんですか。それは、災難というか・・・・・はは」

陽乃「私は、それなりに楽しかったけど、雪乃ちゃんはね」



陽乃さんの苦虫をつぶすような表情に、俺の予想は正しいと審判が下る。



341: 09/25(木) 17:35:38.44



そういや、比較的安い商品や若者向けの商品が別館にあるって言ってたな。

ここは本館だし、どこに行くんだ?

このまま昇っていくと、たしかロフトか。それなら、雑貨でも見るのかな?

と、ロフトの手前の階でエスカレーターを降りる。

ここ?

フロアを見渡すと、食器、キッチン道具、寝具など、俺には無縁の高級そうな

商品がひしめき合っている。とくに食器。見るからに高そう。

できることならば、近づきたくない。

だって、ちょっと触ってしまって落として割ったりしたら大変だ。

俺が買うようなコップと比べたら、少なくとも桁が2つは違うはず。

なかには桁3つというのもあるかもしれないしまさしく危険地帯。

入ったら危ない。

小さな子供なんて連れてきたら、親はひやひやものだろうな。

まあ、ここに子供を連れて買い物に来る親だったら

仮に弁償するにせよ大した金額とは思わないかもしれないけど・・・・・・・・。



陽乃「こっちよ」



俺の手を握り、引き連れていく先には、・・・・・・・・光り輝く包丁が。

ねえ、陽乃さん。雪乃から包丁エピソードをお聞きになられたのでしょうか?

もしそうだったら、悪い冗談ですよね。

なんか、いや~な汗が背中を這いずりまわっていますよぉ。



陽乃「これこれ。このぺティーナイフ見たかったの。

   ツインセルマックスのMD67とM66。

   ネットで色々調べはしたんだけど、包丁だし、実際触ってみないと

   手になじむかわからないでしょ」



目をらんらんと輝かせ、包丁を見つめるその姿。まさに子供がおもちゃを見る姿そのもの。

ただ陽乃さんの目の前にあるのは包丁で、ちょっと特殊かもしれない。

仮に家庭的な女の子で、料理が好きだとしよう。包丁は使うし、使い慣れてもいる。

愛用の包丁もあることだろう。しかしだ。陽乃さんの目の輝かせ方は異常だ。

まさにコレクターと同類だった。



陽乃「あ、すみませ~ん。これとこれ、触ってみてもいいですか」



俺のいくぶん失礼な感想をよそに、陽乃さんは自分の欲求をみたしていく。




342: 09/25(木) 17:36:30.55



店員がショーケースの鍵を開け、包丁を2本取り出すと、じっと見つめてから

赤い柄の包丁を握りしめる。何度か握り方を変えてみてから、一つ頷き、

今度は黒い柄の包丁を同じように確かめる。

再び赤い方を握ると、今度はじっくりと握り具合を確かめているようだった。

陽乃さんが包丁を見ているとき、俺はというと、雪乃には悪いが、

真剣に包丁を確かめる陽乃さんを見惚れてしまっていた。

その真摯な姿勢が、いつもの陽乃さんからかけ離れていて、別人のように感じてしまう。

この包丁を初めて見た時も子供のような目をしていて、これも別人のように感じたが、

もしかしたら、これが本来の陽乃さんの姿なのかもしれない。

そう思うと、ますます陽乃さんを知りたいと思ってしまう。

今までの雲を掴むような曖昧な存在ではなく、今まさにそこに実在する陽乃さん。

理想的な女性を形作った存在よりも、今の陽乃さんの方が数段魅力的であった。



陽乃「ごめんねぇ。いきなり自分の買い物しちゃって」

八幡「別にいいですよ。欲しいものが手に入ってよかったですね。

   結局赤い方を選びましたけど、柄の色以外に何が違うんですか?

   値段を見ると、赤いほうが一万円も高いんですよね。

   なんか騙されてません?」

陽乃「比企谷君には、そう見えるか」

八幡「ええ、まあ」

陽乃「安心して。私もそうだから」

八幡「えっ? だったら、安い黒い方でいいじゃないですか?」



見た目は全く同じような包丁。包丁を握るところが赤いところと黒いところが

違うとしか判別できない。しかも、なんだこの値段設定。

安い黒い方であっても二万を超えている。高い方なんて三万超えだぞ。



陽乃「刃が違うみたいなのよ。素人の私が使っても違いなんてわからないでしょうね。

   値段が違うのは、その刃の構造のせいなのかしら。

   でも、どちらの刃も堅い分、包丁を研ぐのも大変みたいなのよ。

   頻繁に研ぐわけでもないし、ま、いっかなって感じね」

八幡「そんなに使いにくい包丁でしたら、もっと簡単に使える包丁にすれば

   いいんじゃないですか?」

陽乃「そうねぇ。家にあるのはミソノUX10でそろえられているんだけど、

   ミソノのは値段が手頃の割には品質はいいのよね。

   しかも研ぎやすいし、使い勝手を考えたらミソノを選ぶわね」

八幡「だったら、なんでそれ買ったんです?」




343: 09/25(木) 17:37:05.84




だれもが抱く疑問だろう。使い勝手がいい包丁が自宅にあるのなら、

わざわざ値段が高い包丁を買う必要がない。



陽乃「だって、かっこいいでしょ、この包丁。

   まず、見た目にびびっときたのよ!」



自信満々に宣言する姿に、いささか肩をすかされる思いを感じた。

もっと理詰めな理由があると思いきや、見た目とは。



八幡「はぁ・・・・・・・」

陽乃「別にいいでしょ。料理が私の唯一の趣味なんだから、ちょっとくらいこだわっても」



意外な告白に、俺は面を喰らう。

告白した陽乃さんのほうも、ちょっと拗ねながらも、

なんか照れくさそうにもじもじしていた。



八幡「いや、悪くないですよ。料理が趣味だなんて、家庭的なんすね」

陽乃「ううん。全く家庭的ではないとおもうよ」

八幡「え? だって、料理好きなんですよね?」

陽乃「そうだけど?」

八幡「それならば、家庭的っていえるんじゃないですか?」

陽乃「ああ、なるほどね。そういう観点から見たら家庭的かもしれないけど、

   私の場合は、家庭的からは、程遠い存在だと思うよ。

   だって、誰かの為に作ったことなんてないんだもの」

八幡「はい?」

陽乃「言葉の意味そのものよ」

八幡「雪乃や両親の為に作ったことってないんですか?」

陽乃「作りはしてるけど、誰かの為にっていうのはないかなぁ、たぶん。

   それは作った料理を美味しいっていって食べてくれるのを

   見るとうれしいけど、そんなのは結果にすぎないかな。

   私は、料理を作る過程が好きであって、極論を言えば、食べてくれる相手なんて

   全く興味がない。これって、料理の精神論の基本みたいのが欠落している

   かんじだけど、仕方ないのよね。だって、興味ないんだし」



ある意味衝撃的な告白のはずであるのに、陽乃さんは全く悲壮じみていない。

逆に、自分の考えの何が悪いだって、悪態をつくほどでもある。




344: 09/25(木) 17:37:37.94


陽乃「その点、雪乃ちゃんは料理が趣味ってわけでもないけど、比企谷君の為に

   料理作ってるわけだし、家庭的って言えるんじゃないかしら」

八幡「そうかもしれないですね。あの・・・・・・・」

陽乃「なにかな?」

八幡「彼氏に作ってあげたいとか、思ったこともないんですか?」

陽乃「ないわね。それに彼氏は今までいたことないから、彼氏候補ね。

   それと、皆が集まったときなんかに、手分けして料理したりしたことはあるかな。

   でも、それは役割分担だし、誰かの為に作るっていうのとは違うかな」



陽乃さんは、全く悲しむ姿を見せない。むしろ堂々と無表情に、かつ、たんたんと

事実を述べているだけ。悲壮感にくれているのはむしろ俺の方。悲しんでいるのも俺だ。

何がそうさせるって? そんなの簡単だ。目の前いる表情を失った少女を憐れんでいる。

憐れんでるというと、ちょっと語弊があるかもしれないのだけれども、

俺は、初めて陽乃さんを守ってあげたいと思ってしまった。

ストーカーの話を聞いた時も、どこか自分は他人様であった。

きっと最後には陽乃さんがなんとかしてくれる。

陽乃さんなら大丈夫だと、無責任なたかをくくっていたのである。

けれども、今存在しているむき出しの陽乃さんの無防備さ。

ちょっと風が吹けば吹き飛ばされそうであるのに、当の本人はそれに無自覚だ。

危うい。とてつもなくあやうい存在。

だれかが守らないといけない。しかし、だれも近寄らない。誰も肩を並べれられない。

かたくなにそれを拒んできた陽乃さんには、友達はたくさんいるかもしれないが、

一緒に肩を並べて歩んで行く存在が、著しく欠損していたのである。



陽乃「紅茶もね、今では雪乃ちゃんの足もとにも及ばないけど、

   昔は私が紅茶を淹れていたのよ」

八幡「え? まじっすか?」

陽乃「まじっすよ」



首を少し傾け、笑いを堪えながら挑発的に答える。

その様があまりにもおかしく、あまりにも無邪気でどぎまぎしてしまう。

どこか作りものの笑顔だったその顔が、いつの間にかに年相応の笑顔にすり変わる。

いや、雪乃よりも幼く感じてしまう。姉妹共に感情をうまく表現するのが

苦手だが、それでも雪乃は自分を作ったりはしない。

一方、陽乃さんは自分を演じなければならない境遇であったが、それに気がつく奴なんて

少なかっただろう。それは、もともとの基本スペックがずば抜けていたことも起因するが、

どこか現実離れしたひょうひょうとした性格を演じてしまったために、

だれもがあり得るかもしれないと思えてしまった。



345: 09/25(木) 17:38:31.19


たとえば、高校の後輩だった一色いろは。彼女のように、相手によって態度を変えたり、

人受けがいい性格を演じていたのならば、誰かしら気が付いたかもしれない。

だが、雪ノ下陽乃はぶれない。彼女は常に自分が演じる雪ノ下陽乃であり続ける。

どこか胡散臭く、人によっては苦手意識を持ってしまう人物であろうが、

演じきってしまえば彼女は雪ノ下陽乃であり続けてしまうのだ。

しかし、その雪ノ下陽乃が今、崩れ去ろうとしていた。

それは一瞬の出来事かもしれないが、目の前にいる陽乃さんは、

今まで見たどの雪ノ下陽乃にも該当しなかった。



陽乃「あれ? どうしたの? きょとんとして」



がん見してしまった。

陽乃さんを、その笑顔を見逃すまいと、脳裏に焼きつけようとしてしまっていた。



八幡「いや、なんか、意外だったので」

陽乃「そう? だってそうじゃない? 私が料理が趣味だから、紅茶にだって

   色々挑戦することだってあるわけなじゃない。それで雪乃ちゃんが

   紅茶好きになって、自分で淹れるようになったとしても不思議ではないでしょ?」



陽乃さんは、俺の言葉の意味を取り違えていた。正直助かった。

俺の本心をこの人に知られたらと思うと、あとあと怖い目にあいそうだ。

だから、俺は、陽乃さんの間違いにのることにする。



八幡「そう言われれば、そうかもしれないですね」

陽乃「そうでしょ? でも私は、それほどは紅茶に興味持てなかったから

   すぐに雪乃ちゃんに抜かれちゃったな。それに、コーヒーも好きで

   どっちかというとコーヒーにはまってた期間の方が長いかもしれないわね」

八幡「それも意外ですね」

陽乃「別に飽きっぽいわけでもないのよ。それなりにできるようになると限界も

   わかってきちゃうのよね。諦めがよすぎるのともいうけど」



そう言いきると、表情を曇らせる。どこか困ったように笑顔を作り上げる。

ただそれもすぐに霧散して、再構築しなければならない。

どこか壊れたおもちゃのようにぎくしゃくした表情に悲しみを覚えてしまう。

この人は、何度諦めてきたのだろうか。この人は、何度自分を偽ってきたのだろうか。

そして、何度自分を嫌いになったのだろうか。

その答えは聞くことはできない。なにせ、俺にはその資格がない。

もし聞く資格があるとしたら、それこそ陽乃さんを全て受け入れた彼氏しかいないだろう。



346: 09/25(木) 17:39:02.66


そんな人物、このままだと現れやしないだろうけど、

陽乃さんの隣に現れることを願わずにはいられなかった。







第18章 終劇

第19章に続く



352: 10/02(木) 17:32:08.22



第19章









6月24日 日曜日








陽乃さんが目当ての包丁を購入してからは、

俺達は隣の鍋コーナーやフライパンなどを見て回った。

俺にとっては、雪乃が使ってる道具を見つけるたびに、

めっちゃたけーじゃねえかって驚くくらいだった。

道具を大事に使っている雪乃がいるわけだから、俺も大事に使ってるけど、

それでもこんなに高いとは。これからは、もっと大事にしないとな。

手が震えないといいけど・・・・・・・・。



陽乃「このグラスなんて、夏にぴったしだと思わない?」



陽乃さんが指差す先の鮮やかな朱色と藍色のペアグラスを見入る。

細やかにカットされたそのグラスは、製作者の息吹をまとい、芸術作品にまで昇華していた。

吸いこまれるような光の芸術に、おもわず手で触れてしまいそうになるが、

グラスの前に鎮座している価格表をみて体が硬直する。

たっけーー! なにこれ? 実家で使ってた百均の俺のコップだと、何個買えるんだよ。

一生分のコップ買えちゃうだろ。

もし、手を止めることができずにグラスに触れてしまって、

もし、間違いを犯してグラスを割ってしまったらと思うと、

背中から嫌な汗を噴き出してしまった。



陽乃「どうしたの? 固まっちゃって。もしかして、値段見て、びびっちゃった?」

八幡「そりゃあ、びびりますよ。ここいらに展示している食器って、

   全部似たような値段ですよね? 地雷原じゃないですか。

   危なっかしくてゆっくり見てられないっすよ」

陽乃「そうかな? でも、綺麗なグラスを見ていると、ほっとしない?

   比企谷君も見いってたでしょ」



よく俺を観察していることで。



353: 10/02(木) 17:32:35.53



八幡「そうですけど、値段が値段なんで。それに、俺は一般家庭の人間なんですよ。

   こんな高い食器なんて無縁なんです」

陽乃「でも、雪乃ちゃんちにある食器も、似たようなものだと思うけど」

八幡「すみません。ちょっと向こうで休んでていいっすか。

   少し落ち着かないとやばいみたいで」



やっぱりうちの食器って高かったのか。

なにか実家の食器とは違う高貴さを感じるとは思っていたけど、

雪乃の趣味くらいとしか思わなかった。

そりゃ高いよな。いいものじゃないと、

シンプルでありながらもにじみ出る優雅さなんてもちえないだろう。

ほんと、今まで一枚も割っていなくてよかった。



陽乃「いいわよ。私はもうちょっと見てから行くから、

   エスカレーターの側のソファーにでも座っててよ」

八幡「ありがとうございます」



俺は、用心深く食器売り場から抜け出ると、言い忘れていたことを思いだし振りかえる。

八幡「なにかあったら声かけてくださいね。念のためにソファーには行かずに

   ここで待ってます。ここなら安全だろうし」



食器売り場から抜け出せば、怖いものはない。

一応デートではあるが、その前に俺はボディーガードでもあるわけなのだ。



陽乃「まじめねえ」

八幡「違いますよ。怖がりなだけです」

陽乃「そっか。案外私たちって似ているのかもね」



そう小さくつぶやくと、陽乃さんは食器に意識を移した。

似ているか・・・・・。

怖がりっつっても、俺と陽乃さんとでは決定的に違いがあるんじゃないか。

俺のは、失うのが怖いから、失わないように先回りして予防策を張り巡らす。

仮にもし失っても、そうなった場合を想定して、心の準備までしておく。

しかし、陽乃さんの場合は、スタートから違う。

陽乃さんは、失うのが怖いから、最初から手にしようとしない。

自分の手に入っていなければ、失うことも、失って悲しむこともありえない。

だから、同じ怖がりだとしても、スタート地点から決定的に異なってしまう。




354: 10/02(木) 17:33:09.93


八幡「すんません。ちょっとトイレ行ってきます。

   すぐ戻ってきますけど、いざってときは・・・・・・・」

陽乃「うん。大丈夫よ。人も多いし」

八幡「じゃあ、行ってきます」



少し気持ちを切り替えよう。二人の間合いをリセットすべく、一度この場を離れる。

今日俺は、陽乃さんに深入りしすぎたかもしれない。

あの仮面を脱ぎ去った無邪気の笑顔に魅了されてしまったのかもしれないと思えた。





トイレから戻ると、新たに紙袋が追加されていた。

となると、あの馬鹿高い食器のどれかしらを買ったという可能性が高いわけか。

包丁ならば壊れる心配は少ないだろうが、俺なんかが食器が入った紙袋を持って、

もし壊してしまったらと思うと、気軽に荷物を持ちますよと声をかけにくい。

さて、どうしたものか・・・・・・・。



陽乃「あら、軽い包丁はもってくれても、こっちの方はもってくれないのかしら?」



と、意地が悪い顔をニヤつかせる。どうせわかってるんだろ?

だったら、それにのるまでよ。もし壊れたとしたら、ひたすら謝るまで。



八幡「それも持ちますよ」



俺に荷物を預けると、陽乃さんは俺の腕をとり、他の売り場へと進んで行った。



昼食を取り終えると、階下のロフトに移り、またしても料理グッズを見て回った。

今度は、俺も楽しめる価格帯であったので、気兼ねなく手にとれる。

まあ、片手には高級食器が入ってるわけだから、ぶつけないようにしなければ

ならないのが難点だった。

さらに難点なことといえば、もう片方の腕に絡まる陽乃さんの手だろうか。

一度は荷物を持ってるから手を離したほうがいいのではと聞いてみたが、

デートをしてストーカーをおびき寄せるのには必要と反論される。

たしかにその通りなのだが、遠くの方から痛い視線が突き刺さってくるのが

大変気がかりであった。



陽乃「さてと、私ばかりが楽しんでもしょうがないから、

   今度は比企谷君が好きそうなものを見に行きましょうか」

八幡「別に面白かったっすよ」



355: 10/02(木) 17:33:48.79


陽乃「そうかな? 午前中に食器を見ていたときなんて、青ざめていたわよ」

八幡「それは、高級品には縁がなかったからですよ。

   ロフトなら身近なグッズばかりですし、掃除グッズなんて、割と楽しめましたよ」

陽乃「変わってるわね。掃除好きなの?」

八幡「掃除が好きってわけではないですけど、なんかすっごく綺麗になりそうで

   使ってみたくなりません? 

   あと、デザインがいい日用品なんて部屋に飾ってみたくなりますよ」

陽乃「あぁ、雪乃ちゃんに調教されちゃったんだ。

   しっかりと主夫しちゃってるのね」



陽乃さんは、面白くなさそうにつぶやく。

腕に絡まっている手に力が入り、陽乃さんの方に少し引き寄せられた。

そのちょっと拗ねた顔色が普段とは違う素の陽乃さんらしく思えてしまう。

やはり自分が好きな物を見て回ってる時くらいは、無防備になるのかな。



陽乃「どうしちゃったの、ぼぉっとして?」

八幡「いや、素の陽乃さんをはじめてみたなって思って」



急な質問に動揺して、馬鹿正直に答えてしまう。

こんなこと言ったら何を言われるかわかったものじゃない。

雪乃も絡めてしばらくおもちゃにされるかもしれないと、身構えてしまう。



陽乃「なぁにかっこいいこと言っちゃってるの。この・・・・このこの」



俺の腕に手をからめたまま、陽乃さんの腕をそのまま押し付けてくる。

ただ、その表情はいつもの陽乃スマイル。

完璧すぎるほどの笑顔に、俺は笑えない。

思い返してみれば、包丁、食器料理グッズなどを見ているときの陽乃さんの笑顔を

今まで見てきたどの陽乃さんとも該当しない。

今見せているような隙がない笑顔ではなく、人を温かくする笑顔。

この人をもっと知りたくなってしまう好奇心に満ちた子供っぽい笑顔。

だから、目の前にいる陽乃さんは、いつも俺の前にいる陽乃さんなのだけれど、

どこか胡散臭く、どこか絵にかいたような品のよさを作り上げられていて

薄気味悪かった。






陽乃「どうかしら? コーヒー飲みながら、本を選ぶのって」

八幡「いいですね。気になる本を椅子に座って選べるのがいいです」


356: 10/02(木) 17:34:25.73



コーヒーのスパイシーな香りが立ち込める中、

本屋に併設されているカフェで休憩をしている。

陽乃さんは1冊、俺は3冊ほど気になる本を持ち込み、本の中身を確かめていた。

最近多いよね、こういったカフェ併設の本屋。

でも、中には併設ではないけれど、フードコートが隣にあったり、

さらにはゲームセンターまで隣に作られちゃってる本屋もあるから

静かに本を選びたい俺にとっては、最低な本屋も存在する。

コーヒーの香りではなく、脂っぽいジャンクフードの臭いが充満し、

馬鹿高い音量のゲームのBGMが流れ着く。

本って、本来静かに読むものでしょって文句も言いたいところだが、

立地もよくてたまに使うことはあっても、目当ての本を買ったら、即座に退散していた。



八幡「でも、いいんですか?」

陽乃「なにが?」

八幡「人目がつく場所を恋人のふりして歩き回らなくて」

陽乃「ああ、それ。別に大丈夫じゃないかな。いくら歩き回っても、

   人が多すぎても見つけられないし、少なすぎても警戒されるだろうし。

   だったら、好きなところを行ったほうが有意義でしょ」

八幡「それはそうですけど」

陽乃「でもねえ、昨日のデートプランは傑作だよね」



笑いを隠そうともせず、豪快に笑う。コーヒーをいれる音と本のページをめくる音

くらいしか聞こえてこなかった店内に笑い声がこだまするのだから、

注目を集めてしまう。すぐさまひんしゅくをかってしまうのは当然である。

俺は何度も頭を軽く下げて謝罪をするが、当の本人の陽乃さんといえば

そんな非難も素知らぬ顔で、俺のことをみて楽しんでさえいた。



八幡「何が楽しいんです」

陽乃「うーん・・・・・・、色々かな」

八幡「色々ですか。それならしょうがないですかね」



もう、なにがって聞くのは諦めた。聞いたら負けだよ、きっと。



陽乃「映画見て、食事して、ショッピング。で、本屋でまったりして、

   最後に食事して、バイバイ。本屋は雪乃ちゃんの意見だろうけど、たぶん他は

   由比ヶ浜ちゃんのデートプランよね。まさしく絵にかいたようなデートプラン。

   かわいいわね、由比ヶ浜ちゃんって」




357: 10/02(木) 17:35:11.97



昨日、俺と陽乃さんがまわったデートコースか。

雪乃と由比ヶ浜がプランを立てるって、はりきっていたけど、

映画館でどうやってストーカーを見つけるんだ?

暗闇の中で人探しなんか難しいだろうし、映画館なんて意味ないだろ。

ま、由比ヶ浜のことだ。なにも考えてなくて、ただたんにデートっぽいから

プランにいれただけだろう。



八幡「いかにも由比ヶ浜らしいですね」

陽乃「そうね」

八幡「ちょっと聞きたかったんですけど、なんで俺が彼氏役なんですか?

ボディーガードはやるっていいましたけど、別に彼氏役じゃなくても

他の適当な役でよかったんじゃないですか。荷物持ちとか」



突然すぎる質問に陽乃さんは、目を丸くする。

驚いたのは一瞬で、今は目を細めて俺をじっくり観察してくる。



陽乃「そうかしら。ストーカーを揺さぶる為にも彼氏の方が都合がいいと思うわ」

八幡「俺が彼氏役だと不自然だと思いますよ。

   それでも俺に彼氏役をやらせる意味があるんですか?」

陽乃「なんでだと思う?」



質問に質問で返すのって、反則だよね。やられた方は、ちょっとむっとすんだよ。

わからないから聞いているんだからさ。

でも、俺は大学生になったし、大人になりつつあるわけだ。

ここはジェントルマンとして、大人の対応をみせるかな。



八幡「俺と雪乃が付き合ってるのは、大学では有名ですよね。

   だから、俺と陽乃さんがデートなんかしても、不審がられるだけではないでしょうか」

陽乃「そうかしら。そう考えているのなら、それは勘違いよ」

八幡「そうですかね」



さすがにこれには、ジェントルマンの俺でもむっとしてしまう。

俺と雪乃が恋人なのは周知の事実だし、それはいくら陽乃さんでも変えようがない。

だったら、なにが勘違いだというのだ。



陽乃「私は、今まで恋人を作ってこなかったのよ。

   一応これでもたくさんの求愛を受けてきたけど、全て断ってきたの」


八幡「ええ、知ってますよ」

358: 10/02(木) 17:35:47.70


陽乃「だから、その私が急に恋人なんか作ったりしたら不自然でしょ」

八幡「考えてみれば、そうかもしれないですね。かえって、ストーカー対策だって

   思われるかもしれませんね」

陽乃「でしょう。でもね、比企谷君。その雪ノ下陽乃でも、この人だったらあり得る

   っていう恋人が一人だけいるのよ」

八幡「そ・・・うですか」



嫌な予感しかしない。聞かない方がいいって、全身が拒絶反応を示しそうだ。



陽乃「そうなの。雪乃ちゃんの恋人だったら、私の恋人になりうるのよ。

   だって、あの雪ノ下陽乃なのよ。

   妹に恋人なんかできたら、ちょっかい出すに決まってるじゃない」

八幡「決まらないでください。自重してください」

陽乃「でも、ありうる選択肢ではあるでしょ」

八幡「認めたくはないですけど、あり得るから怖いですね」



マジで怖いって。もし雪乃が聞いてたらと思うと、背筋が凍る。

今は本屋周辺を見回ってるってメールが来ていたから大丈夫だとは思うが、

恐ろしいことをいう人だよ、まったく。



陽乃「ね。比企谷君が思うんなら、周りだって思ってくれるはずでしょ」

八幡「俺を基準にするのは賛成できかねますが、おそらく周りの人間も

   陽乃さんならあり得るなって思ってくれるはずですよ」

陽乃「でしょ、でしょ」



面白そうに言ってはいるけど、事の重大さをわかっているのか。

下手したら姉妹で大げんか物だぞ。しかも、核の撃ち合いレベルの・・・・・・。



八幡「でも、なるべく大学内で噂にならないようにしてくださいよ」

陽乃「そんなのわかってるから、大丈夫だって」

その大丈夫が一番信用ならないんですよ。

陽乃「そんなに眉間にしわを寄せないの」

八幡「誰のせいだと思ってるんですか」

陽乃「それは、あなた自身のせいでしょ。いくら私に原因があったとしても、

   それをどう受け止めるかは比企谷君次第なんだし」

八幡「そういわれると反論しかねますけど、論理のすりかえじゃないですか」

陽乃「やっぱりいつまでたっても捻くれてはいるのね」

八幡「ほっといて下さい」



359: 10/02(木) 17:36:22.52


陽乃「は~い。・・・・さてと、そろそろ行きますか」

八幡「もう少し、ゆっくりしていくんじゃなかったんですか?」

陽乃「私が別に気にしないけど。比企谷君は気にするんじゃないかな?」



そういうと、陽乃さんはゆっくりと店内を見渡す。

そう、コーヒーを入れる音と本をめくる音しかしていなかった店内は

いつしか騒々しくなっていた。

いくら顔を寄せ合って、ひそひそ声で話していても、声は店内で振動し、

不快な音となって響き渡る。

今俺達の周りには、不機嫌そうに俺達を見つめる目が複数存在していた。



八幡「はぁ・・・・・・・。行きましょうか」

陽乃「行こっか」



俺は陽乃さんに腕を引っ張られながら、あとに続いた。

もうこの人。どこまで計算してやってるんだがわからないけど、

俺で遊ぶのは勘弁してください。











その後俺達は、地下でコーヒー豆とロールケーキを購入すると

雪ノ下邸に向かう為にタクシーに乗り込んだ。

本来の予定では、レストランに行くはずだったのだが、急遽陽乃さんの要望で変更となる。

一応実家に行くことは、大学院の3人の友人のうちで安達さんだけに教えておいた嘘情報

だったが、まあいっかという軽い気持ちで陽乃さんが提案してきた。

俺も特に問題ないと反論はしなかってけど、あとをついてくる雪乃たちにとっては

迷惑きわまりないだろうな。メールで予定変更のお知らせと謝罪を送ったが、

すぐさま盛大なお怒りメールがかえってくる。

家に帰ったらもう一度誤っておくことにして、今は目の前の陽乃さんに意識をむけた。

だって、目を離すとなにをしでかすかわかったものじゃないから、目をはなせやしない。

家に着くころには日は沈み、閑静な住宅街はさらに物静かな雰囲気を醸し出す。

街灯の光が道を照らし、家々から漏れ出る明りがほのかな光を提供する。

喧騒に満ち溢れた駅前から、緩やかな時間を提供する空間へと帰宅した。

タクシーから降りると、涼しげな風が頬を撫でる。

日が暮れたことで気温も下がってはいるが、

それ以上に街と人が生み出す熱がないことが一番の要因なのだろう。



360: 10/02(木) 17:36:50.04



陽乃「今日は、意外と楽しめちゃったわね」

八幡「それはよかったです」



嘘ではない。本音でそう思えた。政略結婚にストーカー。

やっかいな出来事が目の前にあり、陽乃さんのストレスも蓄積されているはずだった。

たとえストーカーをおびき寄せる為の疑似デートであっても、

陽乃さんが楽しめたのならば、良い副作用を得られてほんとうによかった。



八幡「来週も行くと思いますし、今度も陽乃さんが行きたいば・・・・・・・」



俺の前を歩いていたはずの陽乃さんが立ち止まり、俺の腕に手をからめ身を寄せてくる。

それは、昼間のデパートと同じ感触であるはずなのに、なにかが違う。

もっとこう。切羽詰まって、今にも取り乱してしまいそうな感じであった。



八幡「陽乃さん?」



不審に思い陽乃さんの顔を覗き込もうとするが、暗くてよく見えない。

ただ、かすかにふるえているような感じが見てとれた。

震えてる? なんでだ?

俺は、なにかあるのかと辺りを見渡そうとすると、突然強い力に身を押し出され

住宅の塀の隙間へと押し込まれる。

一瞬のことでなにがなんだかわからず、説明を求めようと陽乃さんを見ると、

真剣な声色で警告される。そっと、俺だけが聞こえる声で、かつ、

逃げだしたいのを抑え込もうとする声で。



陽乃「きょろきょろ見ないで。ストーカーが見てる。

   たぶん、ここなら抱き合ってるようにしか見えないわ」



低く抑えられた声が、事の重大さを助長する。

陽乃さん自身が、自分で自分を落ち着かせようと演じてはいるみたいだが、

うまく機能しているかは疑問だ。おそらく、うまくいってないとさえ思えてしまう。

それが、俺をかえって冷静にさせた。



八幡「このままだとやばいですね。雪乃達も、あとを追ってタクシーできますから。

   携帯で連絡できますか?」

陽乃「私は無理ね。鞄に入ってるから、この位置で鞄を漁ったら、

   不審に思われてしまうでしょうね」



361: 10/02(木) 17:37:26.71


八幡「俺の携帯は、背中のバッグに入ってますから、荷物も持ってるので

   難しいです。・・・・・陽乃さん、取ってもらえますか?」

陽乃「わかったわ。・・・・・・・・雪乃ちゃん、ごめんね」



なにがごめんなんだ? 疑問に思ったその答えはすぐに陽乃さんの行動で証明される。

陽乃さんの両腕が俺の背中にまわされ、周りから見れば

抱き合っているカップルにしか見えないだろう。

住宅街でなにをやってるんだかと思いもするが、

デートの終わりに抱擁を交わすカップルならば自然かもしれない。

だけど、不謹慎ながらも、雪乃とは違う甘い香りに魅了される。

どこか子供っぽさを感じるのが意外だけれど、今日一日の陽乃さんをみたきた俺には

納得できる感想でもあった。って、臭いフェチではないことははっきりさせたい。

そもそも女の香りなんて、嗅ぐ機会が限定されている。

雪乃しかいないわけだし、今陽乃さんが胸の中にいるのだってイレギュラーな

出来事であるわけで・・・・・・・。

そうこう不謹慎な考察を展開させていると、

陽乃さんは俺のバッグから携帯を取り出していた。

すると、携帯を俺の胸に押し当てて、陽乃さんの耳とで携帯を挟み込む。



陽乃「荷物を地面に下ろして、私がしゃべっているのを見えなくしてくれないかしら?

   もしかしたら、私が確認できていないところにもストーカーがいるかも

   しれないから」



俺は、返事の代りに荷物を地面に置き、ぎゅっと陽乃さんを抱き寄せる。

俺の方からは道がよく見えるから、ストーカーも見えるかなと思いもしたが

抱きしめ合うカップルの男の方が、彼女そっちのけできょろきょろしたら

不自然だと思い、ストーカー探索は思いとどめた。

陽乃さんは、俺が抱きしめるのを確認すると、素早く電話し、

雪乃達は間一髪で難を逃れた。

道の向こうから照らし出されるまばゆい光は、おそらくタクシーのライトだろう。

しばらくすると、目の前をタクシーが通過する。

一瞬だけど、由比ヶ浜が心配そうに窓にへばりついていたのが見えた。

まあ、これで雪乃と由比ヶ浜がストーカーと鉢合わせになることはないか。

だけど、俺達はどうすっかな・・・・・・・・。







第19章 終劇

第20章に続く

369: 10/09(木) 17:30:34.64



第20章






6月24日 日曜日









雪乃達の危機は去った。さて、俺達はどうしたものか。



陽乃「雪乃ちゃん達には、このまま馬場君と千田君に伝えてあったデート予定地に

   行ってもらったわ。たぶんストーカーはいないと思うけど、

   なにかあったら逃げるように忠告はしておいたわ。

   でも、あっちは人も多い場所だし、大丈夫だと思うけどね。

   うぅ~ん、でも、実家の前にストーカーが張り込む可能性は高いから

   一概に安達君から情報が漏れているとは断定できないのが痛いわね。

   あぁっ、雪乃ちゃん達が馬場君と千田君のところを確認して、ストーカーがいなければ

   安達君の可能性が高まるか。そうなると、時間と人手を考えると、

   安達君を集中的にマークしたほうがよさそうね」



饒舌すぎる陽乃さんに、俺は心配を覚える。さすがにちょっと喋りすぎだ。

どうみても恐怖を紛らわせるために喋り続けているようにしか見えない。

げんに、耳から離した携帯を握る手は、携帯と共に俺の胸あたりの服ごと

堅く握りしめている。また、背中にまわされているもう一方の手も同じように

俺の服を強く掴みながら震えていた。

いくら背伸びをしてもかなわないと思っていた雪ノ下陽乃がか弱い少女になっていた。

どこにでもいる大学生で、夜道に浮かび上がる不審人物に恐怖し、

恐怖におののいていたのだ。

守りたい。守ってあげたい。人間として、男として、当たり前の感情かもしれないけど

そんな建前関係ない。俺が陽乃さんを守る。それだけだ。

今は俺しかいないっていうのもあるけれど、頼ってきてくれているなら、

こういうときくらいは根性見せねばならないでしょ。

俺は陽乃さんを抱く腕の力を強め、顔を陽乃さんの耳元までもっていき、

努めて冷静を装って告げる。



八幡「とりあえず、家の中に入りましょう。家の中までは追ってこないと思います。

   それに、ご両親もいますから、大丈夫ですよ」



370: 10/09(木) 17:31:10.25


陽乃「ごめんなさい。安達君に伝えた通り、本当に両親いないの。

   帰っては来るけど、10時頃になってしまうと思うわ」



思わぬ誤算に計画が狂う。嘘って、なんなんだよ。

たしか両親いるって話だったじゃないか。それじゃあれか。

家に誰もいないのわかってて、俺を家に招いたってことか。

なにか意図が・・・・・、あるわけないか。

深く考えても、答えは出ないだろうな。だって、陽乃さんだし。

と、思わぬ誤算の副作用によって、俺の気持ちはわずかだが軽くなる。



八幡「それでも、家の方が安全ですよ。さ、行きましょう。

   このままひっついて行っても怪しくはないでしょうけど」

陽乃「きゃっ。・・・・・・うん、そうだね」



可愛い声で、愛らしい悲鳴をあげるものだから、おもわず俺も驚きの声を上げそうになる。

陽乃さんは、今さらになって俺と抱き合っていることを意識してしまったようだ。

悲鳴と共に俺から離れようとしたが、俺がきつく抱きしめている為に逃げられない。

俺も意識しないようにしてはいるが、陽乃さんが意識してしまうほどに

俺も意識してしまう。

きっと、陽乃さんを知っている誰であろうとも、俺以外は信じやしないだろうな。

だって、かわいすぎるだろ。

きゅんってなって、おもわず抱きしめる力を強くしてしまいそうであった。



陽乃「そうと決まれば、早く行きましょう」



俺は地面に置いている荷物を拾い上げると、もう片方の手でしっかりと

陽乃さんの手を握りしめ、陽乃さんを片手に家へと歩み出す。

頭上から降り注ぐ街灯の光がほのかに陽乃さんの顔を映し出したが、頬を赤く染め上げ、

ストーカーに見張られてる状況には不釣り合いなほどはにかんでいるのは、

幻想とは思えなかった。












家の中に入ると、安心してしまい、どっと力が抜け落ちる。

さすがに家の中までは、入ってくることはなかった。

荷物は床におろし、そのまま靴も脱がずに寝転がる。


371: 10/09(木) 17:31:40.03


横を向くと陽乃さんの顔が目の前に迫っている。

陽乃さんも俺と同じように床に寝転がっていた。

こういう状況だと、見つめ合う二人が笑いだしたり、いい感じの雰囲気になって

キスなんかしたりするんだろうけど、そんな甘い状態にはならなかった。

ただ、陽乃さんは、俺を見つめたまま瞬きを数回して、じっと俺の顔を見つめていたが、

その表情からは何も読みとれない。

俺の方も、どう反応していいかわからず、ずっと陽乃さんを観察していた。

さて、どうしたものか。とりあえず状況確認だな。



八幡「外にいたストーカーに見覚えはありますか?」

陽乃「うぅ~ん。こっちを見つめていたのはわかったんだけど、顔までは」

八幡「そうですか。では、ストーカーではない可能性はどうですか?

   ただ、人が来たから警戒したとか。ほら、住宅街って暗いですし

   足跡が聞こえてくるだけでも警戒するじゃないですか」

陽乃「それはないと思う。ずっと私たちを観察していたし、あんな人目が付きにくい場所で

   隠れるようにしていたから」

八幡「だとすれば、ストーカーの可能性が高いですね」

陽乃「そうね」

八幡「他にストーカーは、いましたか?」

陽乃「それは、わからなかったなぁ。視線に過敏になってたせいもあるけど、

   他にも視線を感じる程度しかなかったわ」

八幡「とりあえず、雪乃からの連絡を待ちましょうか。

   外にはストーカーが見張っているから、今日はもう外出はできませんよ」

陽乃「ええ、比企谷君もしばらくゆっくりしていってね。食事もまだでしょ」

八幡「言われてみれば、お腹すきましたね」

陽乃「今日は、比企谷君の為にお礼も兼ねて、精一杯作ってあげるから、

   楽しみにしていてね」

八幡「ありがとうございます」



陽乃さんは、俺の顔を見て満足気に頷くと、勢いよく立ちあがろうとするが、失敗する。

それもそのはず。俺と陽乃さんの手は、繋がれたままなのだから。

この手を離さなければ、一人で立ち上がることもできまい。



陽乃「きゃっ」



バランスを崩した陽乃さんは、俺の上に覆いかぶさるように落下する。

軽い衝撃が走るが、きゃしゃな陽乃さん一人くらいは問題なかった。

目の前には、先ほど以上に接近している陽乃さんの顔があった。



372: 10/09(木) 17:32:13.03


その距離、数センチ。呼吸をする息遣いさえ聞こえてくるこの距離。

色々とまずい。

もう映画だったら、このままキスしちゃえよって感じだけど、現実はそうもいかない。

なにせ、後のことを考えると非常に怖い。



陽乃「ごめんなさい」

八幡「大丈夫ですよ。陽乃さんの方は、痛めたところとか、ありませんか」

陽乃「うん、大丈夫だと思う」

八幡「そうですか」

陽乃「うん、そう」

八幡「そっか」

陽乃「そうだよ」

八幡「・・・・・」

陽乃「ふふ・・・」



この状況。どう収拾付ければいいんだ。

陽乃さんの方も、こけたことがよっぽど恥ずかしかったのか、顔が真っ赤だ。

耳まで赤く染め上げた陽乃さんは、これはこれで貴重な一場面ではあるが、

悠長に楽しんでいるわけにもいかない。

とにかく、ここから脱出せねば。



八幡「とりあえず、俺の上からどいてくれると助かります」

陽乃「ごめんなさい」



そういうと、今度は手を離したのを確認してから、俺から離れていく。



陽乃「でも、比企谷君。女の子に重いなんて言っちゃ駄目だよ」

八幡「言ってないじゃないですか。どいてくださいとは言いましたけど」

陽乃「それは、間接的には重いって言ってるのと同義だから」

八幡「じゃあ、なんて言えばいいんですか?」



おそらく、俺の中の日本語では、そんな都合がいい言葉は存在しない。

たとえあったとしても、陽乃さんから却下宣言されてしまうだろう。



陽乃「そこは男の子なんだから、黙って女の子がどくのを待つか、

   そっと女の子を抱きかかえて立つくらいの事をしないとね」

八幡「それって、言う言葉がないのと同じじゃないですか」

陽乃「私は、言葉があるとは一言も言ってないけど?」



373: 10/09(木) 17:32:43.21


八幡「それは、そうかもしれないですけど」

陽乃「ほら、男の子なんだから、細かいことは気にしない。

   それよりも、私が腕によりをかけて比企谷君の為だけに料理作ってあげるんだから

   楽しみにしていなさい」



そう高らかに宣言すると、家の奥へと進んでいってしまった。

俺も遅れまいと靴を脱ぐと、後に続く。

そういえば、陽乃さんって、誰かの為に料理したことないって言ってなかったか?

そうなると、陽乃さんの初めての相手が俺になるってことか。

俺は、陽乃さんの後姿を追いながら、

ふと、陽乃さんが言っていたことを思い出してしまった。








部屋に入った俺は、とくにやることもなく、陽乃さんが料理している姿を眺めていた。

料理が趣味というだけあって、その手際はいい。

この前一緒に料理したけど、その時よりもテキパキと動いている。

あの時は使い慣れた台所ではなかったし、

なによりも俺に合わせてくれていたのかもしれない。

そう考えると、俺の想像を遥か上をいく腕前なのかもしれなかった。



陽乃「そんなに熱心に見つめられちゃうと、照れちゃうんだけど」

俺は、自分の姿を指摘され、恥ずかしくなって急ぎ視線を外す。

八幡「すんません」

陽乃「別に見ていてもいいわよ」

八幡「そっすか」



視線を戻すと、陽乃さんは、すいすいと大根の皮をむいていた。



八幡「今日買ってきた包丁ではないんですね」



今使っている包丁は、ミソノの包丁だろうか?

実家の包丁はミソノだって言ってたよな。



陽乃「うん。使い慣れた包丁の方がいいかなって。

   だって、せっかく比企谷君の為に料理しているのに、初めて使う包丁使ったら

   うまくできないかもしれないでしょ」

八幡「そんなものですかね」


374: 10/09(木) 17:33:11.45



陽乃「気分の問題かもね」



そう無邪気に笑いながら言うと、再び料理にへと没頭していった。

陽乃さんくらいの腕があれば、今日買ってきた包丁であっても満足する出来になるはずだ。

それでも使い慣れた包丁を使うあたりは、気分の問題かもしれないけれど、

真剣に料理に向き合う姿、尊敬に値した。

俺には、人に誇れるような趣味はない。

陽乃さんは、人に自分の料理を誉めてもらいたいわけでもないだろうが、

真摯にむきあえる趣味があることは羨ましくもある。

俺は本をたくさん読むが、雪乃ほどではない。

読書が趣味かと問われれば、それはどうかなと疑問に感じさえするだろう。

そう考えると、俺には趣味なんてあるのだろうか?

しかも、最近では、読書さえも大学の勉強に追われ、本を読む時間が減ってきている。

俺も趣味といえるものを作るべきかなと、陽乃さんをまじまじと見つめながら

物思いにふけっていると、携帯の電子音が俺を現実に引き戻した。



八幡「もしもし」

雪乃「そちらは大丈夫だったかしら?」



冷静を装った口調ではあるが、心配している様子がありありと伝わってくる。

きっと由比ヶ浜も気が気でなくて、雪乃の携帯に耳を傾けているに違いない。



八幡「こっちは、雪乃達のタクシーが行ったのを見届けた後、すぐに家に入ったよ。

   もしかしたら、今も外にいるかもしれないけど、確認はできていない。

   家の中からだと見えない位置にいるみたいだからさ」

雪乃「そう」



短く答える雪乃の返事であっても、緊張が解けていくのがよくわかる。

きっと雪乃達もここに残りたかったに違いないだろう。



八幡「そっちの方はどうだった? ストーカーは見つかったか?」

雪乃「馬場さんと千田さんに教えたレストランに行ってみたのだけれど、

   ストーカーらしき人物はいなかったわ。

   もちろん私たちにはわからなかった可能性は捨てきれないのだけれど、

   怪しい人物はいなかったと思うわ」

八幡「そっか。だとすれば、安達さんを中心に探っていく方向で再調整していったほうが

   いいかもな」



375: 10/09(木) 17:33:42.07


雪乃「そうね。もともと判断材料が乏しいのだから、優先順位をはっきりさせて

   行動したほうが効率的でしょうね」

八幡「俺はもう少しここに残るから、由比ヶ浜の事頼むな。

   雪乃もタクシーで帰って、家に着いたら電話してくれると助かる」

雪乃「ええ。家に着いたら、ちゃんと電話して、八幡の心配を取り除いてあげるわね」

八幡「まあ、・・・・な。タクシーでマンションの前までいっても、

   エントランスまで多少は距離あるんだから、気をつけろよ」

雪乃「わかってるわ。本当に心配症ね」

八幡「彼氏だからな」

雪乃「あっ・・・、そうまじめに返されてしまうと、反応に困るのだけれど」

八幡「俺の方も、照れられると反応に困るっつ~か・・・・・・・」

雪乃「あなたが言いだしたのだから、責任とりなさい」

八幡「責任つっても・・・・・・」

雪乃「まあいいわ。姉さんを頼むわね」

八幡「ああ」

雪乃「それじゃあ、家に着いたら電話するわ」



電話を終えると、陽乃さんがニヤニヤと俺を見つめていた。

これは関わってはいけない。なにか一言でもしゃべってしまっては、餌食にされてしまう。

俺は、ゆっくりと携帯に視線を戻し、特に用があるわけでもないのに携帯をいじりだす。

しばらく携帯をいじってから陽乃さんの様子を盗み見たが、すでに俺への関心は

薄れたらしく、料理にいそしんでいた。

だいぶ仕上がってきたみたいで、食欲を誘う香りが部屋を包み込んでいる。

携帯を意味もなくいじるのも飽きた俺は、再び陽乃さんの料理姿に夢中になっていた。

そんな俺の姿に気が付いた陽乃さんは、満足そうに一つ頷くと、

料理をまた一品仕上げたのであった。

そういえば、雪乃に家には両親がいないって言うの忘れたな。

まあ、いっか。雪乃が家に着いたら電話するって約束してあるから、その時に伝えれば。

俺はこのとき軽い気持ちで事を見ていたが、家に着いた雪乃に事情を説明したら

とんでもなく激怒したのは、また別のお話だ。

雪乃が今すぐ実家に来るというのをなだめるのに、30分で済んだことは奇跡とも言えた。



陽乃「さ、食べましょう」



テーブルに展開されている食事は純和食であった。

イタリアとかフランスあたりの料理名さえ口が回らないような皿が出されると

思っていた。しかし、目の前にあるのは、ぶりの照り焼き、ホウレンソウの和え物、

大根と鶏肉の煮物、ごま豆腐、豆腐の味噌汁、それと、煮豆や漬物などだ。



376: 10/09(木) 17:34:13.11



派手な振る舞いの陽乃さんにしては、地味すぎるメニューともいえる。

俺の意外だという気持ちも露骨に表情に出ていたらしく、陽乃さんはそれを指摘してくる。



陽乃「ちょっと、美味しくなさそうかな」



若干不安そうな様子に、愛らしささえ感じてしまう。



八幡「そんなことありませんよ。洋食かなって思っていたのが和食だったので、

   驚いていただけです」

陽乃「え? 洋食がよかったの? だったら、最初に言ってくれればよかったのに」



と、心底残念そうに呟くものだから、俺もフォローに奔走してしまう。



八幡「いえいえ、違いますって。ただなんとなく、陽乃さんのイメージだと

   洋食の方が多いのかなって思っただけです」

陽乃「そう? 私は、洋食も和食も両方好きだけど、比企谷君は和食の方が好みかなって

   思ったんだ。だから、今日は和食作ったんだけど、洋食がよかったのなら、

   今度作ってあげるね」

八幡「あ、はい。ありがとうございます」



俺のフォローも少しは効果があり、陽乃さんもほっと胸を撫でおろす。

俺の方もほっと一息つけ、どうにか食事にたどりつけそうだ。



陽乃「うん。じゃあ、たべよっか」

八幡「はい。いただきます」

陽乃「はい、召し上がれ」



陽乃さんが、しげしげと見つめる中、俺は箸を伸ばす。

まずは、汁物からと。うん、美味い。

次は、ブリと。・・・・・これも美味い。

箸が止まらず、次々に箸を口に運ぶ。

俺は、料理研究家でもないし、ダシがどうのとかわからないけど、

とにかく美味しかった。目立った特徴があるわけでもないが、

基本がしっかりしていて、その基本の水準が高い分、すさまじく美味い。

美味い、美味いと同じ感想しか出てこない自分が嘆かわしく思えてくるが、

美味しいものを美味しいと言って何が悪い。

雪乃の料理の腕も相当なものであったが、それは素人が店をやれると思えるレベルだ。



377: 10/09(木) 17:34:52.04


陽乃さんに関しては、プロの料理人としてやっても、

繁盛店を生み出せるんじゃないかと思えるレベルであった。

さすがは料理が趣味というだけの事はある。

料理に夢中になる中、視線を感じ、顔を上げると、心配そうに見つめる陽乃さんがいた。



陽乃「どう・・・・かな?」



まずい、忘れていた。せっかくもてなしてくれているのに、

なにも感想も言わないとは失礼すぎる。早くなにか気がきいた感想を言わないとな。



八幡「美味いです。すっごく美味くて、料理の感想言うの忘れていました。

   すみません、心配させてしまって」



ああ、なんたること。やはり語彙が貧弱な俺って、美味いしか言えなかったか。

それでも俺の気持ちは伝わったらしく、陽乃さんは、

ほんわかと柔らかい頬笑みを浮かべ、自分もようやく箸を取り、食事を始めた。









食事を終えた俺達は、二人で洗い物を済ませた。

料理中も使わなくなった鍋類を洗っていたので、あっという間に荒いものはなくなった。

そうなると、やることもなくなり、少し気まずい。

ときたま外の様子を疑うが、何も手掛かりが見つかるわけもなく、手持無沙汰に陥る。

今日はデートっつーことで、本も持ってきてないし、どうするかな。

一人本を読んで、陽乃さんをほったらかしというのも気まずいし、悩むところだ。



陽乃「ねえ、比企谷君」

八幡「はい、なんでしょう」



陽乃さんから何か話題を振ってくれるのは、ありがたい。

この波、のらせてもらいます。



陽乃「まだ両親が帰ってくるまで時間あるし、私汗かいちゃったから、

   お風呂入ってもいいかな」

八幡「ああ、いいっすよ。俺は、ここで外の様子を見張っていますから」

陽乃「それなんだけど、悪いけど、バスルームの側で待っててくれないかな?」

八幡「はい?」



378: 10/09(木) 17:35:26.31



なにを言ってるか、八幡、わからないなぁ。あれ? 日本語が少し、変?



陽乃「ほら、外にはストーカーいるみたいだし、ちょっと怖いでしょ。

   だから、声が届く範囲にいてくれると、助かるかなぁって」

八幡「それくらいなら・・・・・・・・」



このビッグウェーブのれませんでした。のったと思ったら転倒して、溺れそうです。

やばいっしょ、この状況。

もし両親が早く帰ってでもしたら、言い訳できない気も。



陽乃「じゃあ、行きましょう」

八幡「はい」



俺は反論できるわけもなく、陽乃さんの後をついていくことしかできなかった。

まあ、結論を言うと、何もなかった。湯上りの陽乃さんが妙に艶っぽくて

心臓が跳ね上がったけど、それくらいは想定内。

なにもないことは当たり前だし、何かある方が異常だ。



陽乃「比企谷君もお風呂入っていく?」

八幡「いや、俺はいいっす。もうすぐご両親も帰ってくるはずですし」

陽乃「そう?」



そう短くつぶやくと、俺が座っているソファーに割り込んでくる。



陽乃「ねえ、雪乃ちゃんと二人でいるときって、なにしてるの?」



近いって。しかも、パジャマではないようだけど、薄着すぎる。

そりゃあ、お風呂入ったわけだから、こてこてに着込む必要もないけど、

俺がいることも少しは念頭にいれてくださいよ。



八幡「なにしてるかって聞かれましても、たいていは勉強していますよ」

陽乃「勉強以外では?」

八幡「本読んでます」

陽乃「他には?」

八幡「一緒に掃除したり、料理したりとかですかね」



思い返してみると、大したことやってないな。



379: 10/09(木) 17:36:04.91



それで満足しちゃってる俺も俺だけど、今度雪乃にも聞いてみるかな。



陽乃「他は?」

八幡「それくらいですかね。あとは、食材買いに行ったり、本を見に行ったりかな」

陽乃「ふぅ~ん」



既に関心は薄れたのか、今度は俺の腕にちょっかいをかけてきた。

薄い布地がほぼダイレクトに陽乃さんの感触を伝えてくる。

雪乃とは違う甘い感触に、酔い潰れそうになってしまう。

シャンプーが違うのかなと、どうしようないことを考えるが、

意識をそらすには効果が薄すぎた。

ここは強く出て追い払おうとも思いもしたが、バスルームの側に俺を置いておくことを

考慮すると、やはり陽乃さんであってもストーカーに恐怖心を抱いているのだろう。

それをむげに追い払っては、なんのためのボディーガードだ。

なるべく意識を外へ向けて、部屋を見回していると、時計の針が10時を指していた。



八幡「もうすぐ帰ってきますね。だったら、俺はそろそろ帰りますよ。

   お義父さんは問題ないと思いますけど、お義母さんは俺がいると嫌がりそうですから」



なるべくなら、俺も女帝にはお会いしたくない。

きっと汚物を見る目で見下してくるだろうし、風呂上がりの陽乃さんを見て

誤解されたくもなかった。

俺はソファから立ちあがろうとするが、ふいに背中を引っ張られ、

ソファーへと引き戻される。



八幡「陽乃さん?」



そこには、俺の服を掴む陽乃さんがいた。

目元には、うっすらと涙を浮かべ、心細そうに唇をかみしめている。



八幡「えっと、ご両親が帰ってくるまで、帰らない方がいいですかね?」



陽乃さんは、返事の代りに深く頷くと、そのまま頭を俺の胸に押し付けてくる。

ぐりぐりと何度も押し付けられはしたが、いやらしい気持ちは沸き上がらなかった。

頭を撫でてあげると、さらに強く頭を押し付けてくるものだから、

なんだか可愛らしく思えて、さらに強く撫でてしまう。

何度も繰り返されるいたちごっこにしびれを切らしたのは陽乃さんのほうで、



380: 10/09(木) 17:36:46.14


陽乃「もうっ! せっかくブローしたのに、髪ぐちゃぐちゃじゃない」



髪を手ぐしで整えながら不平の訴えてくるが、特段怒ってるわけでもないようだ。

むしろ甘えているといってもよかった。

あの雪ノ下陽乃に甘えられているという、意外すぎる衝撃もあったが、

俺の心を満たしていたのは、この人を守りたい。

その決意が大半を占めていた。








第20章 終劇

第21章に続く


382: 2014/10/09(木) 18:05:09.07 ID:h6QjMzBAO



演技でないのだったら陽乃には悲惨な状況なのかもな


自分が甘える事が出来た相手がよりにもよって妹の彼氏(しかも妹と結婚秒読み)じゃ救いも何もあったものじゃない



八幡のシスコンが義姉予定の陽乃にまで発動しているような気がするのは気のせいだろうか……

引用元: やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている )