551:黒猫 ◆7XSzFA40w 2014/12/25(木) 17:30:33.42 ID:raeklLg30
第31章
『愛の悲しみ編』
7月11日 水曜日
初夏を匂わす日差しも、心地よく吹き抜けて行く風も、
目の前で繰り広げられている惨劇を直視すれば、どうでもいいような気がしてしまう。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
どうして止めることができなかったのだろうか。
どうしてもっと強く言うことができなかったのだろうか。
目の前の惨劇の全ての原因が自分にあるとは思わないが、
そうであってもあんまりではないか。
自分が何をしたっていうんだ。
俺はちょっと二人の仲が良くなればいいと思っただけなのに。
そう、数分前までは平和だったんだ。
陽乃「ねえ比企谷君。今夜もうちに食べにおいでよ」
車を大学近くの駐車場に止め、大学の正門へと足を進めている朝。
昨日に引き続き、今日も食事の招待を受けていた。
別にいやってわけでもない。
むしろ美味しい食事にありつけるわけなのだから、嬉しいともいえる。
もちろん雪乃の手料理は何物にも代えられないほどの大切な食事ではあるが、
先日のストーカー騒動を思い出すと、
どうしても陽乃さんを一人にしておくことができないでいた。
だから、もはやストーカーが待ち伏せしているわけでもないのに、
今朝も車で送り迎えをしているわけで。
そして、雪乃も姉の陽乃を心配して、むげに断ることができないでいた。
俺の数歩前を颯爽と歩く二人の姿は、もはや今の時間帯の名物となっている。
美人姉妹がそろって登校するのだから、目の保養になるのかもしれない。
ただ、二人が話している会話内容を知らないから無責任に眺めていられるんだ。
常に俺達の日常を面白おかしくかき乱す姉の雪ノ下陽乃。
今日は珍しく活発さを前面に押し出している服装をしていた。
肩をむき出しにした黒のタンクトップは、これでもかっていうほど肌の白さと
胸の大きさを強調させ、
洗いざらしのスキニーデニムは、腰から足首にかけての優雅な女性らしい曲線を
浮かび上がらせていた。
前話
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない『パーティー×パーティー』
552: 2014/12/25(木) 17:31:09.09 ID:raeklLg30
さらに膝からももにかけてクラッシュ加工されてできた隙間から覗く素肌には
それほど露出部分が多いわけでもないのにドギマギしてしまう。
そして、肩まで伸びている黒髪は、ポニーテールにして揺らし、
どこか人をからかっているような気さえしていた。
雪乃「昨日もそうなのだけれど、月曜も食事に招待されているだから
今日もとなると三日連続になってしまうわ」
陽乃「どうせうちに私を送ってから帰るのだから、食事をしてから帰ってもいいじゃない。
それにあなた達も料理をする手間が省けるのだから、
勉強する時間も増えるんじゃないかな」
雪乃は、陽乃さんが勉強ネタを先回りしてふさいでしまった為に、きゅっと唇を噛んでいる。
姉に反論しても見事に潰された妹の雪ノ下雪乃は、
姉とは対称的な落ち着きみせる夏の高原がよく似合いそうな服装をしていた。
アイボリーホワイトのワンピースは、胸元のレースとスカート部分のこげ茶色のラインが
アクセントになっていた。
膝元まで伸びたスカートは、夏を強く意識させるミニスカートのような
華やかさはないが、その分、風が通り抜けているたびに揺れるスカートの裾が
なにか見てはいけないようなものに思えて、目をそらしてしまう。
ただ、背中の部分だけは、大胆に肌を見せていた。
腰まで届く光り輝く黒髪が、その白い素肌を守るようにガードを固めているのが、
彼氏としては心強く思えてしまう。
俺も雪乃も、雪乃の母との約束によって海外留学をしなくてはならなくなり
今まで以上に勉強しなくてはならなくなった。
とくに英語での講義を受けねばならなくなるわけで、
英語力向上はさしせまった最優先課題といえる。
ましてや、雪乃に関しては、三年次に経済学部に学部変更しなければならないので
そのための試験対策もせねばならなく、俺以上に大変そうであった。
雪乃「そうなのだけれど・・・・・・」
陽乃「それに今日も両親は帰ってくるのが遅いし、気兼ねなくゆっくりしていけるわよ」
雪乃「ええ・・・」
もう全てに関して先回りされているな。
勉強に、雪乃の母親。俺達が実家に近寄りにくくなる要因をすべて排除されていては
断ることなどできないだろう。
八幡「あのぅ」
553: 2014/12/25(木) 17:31:43.83 ID:raeklLg30
陽乃「なにかな?」
八幡「今日もご両親いらっしゃらないんですか?」
陽乃さん相手では、雪乃だけでは分が悪い。
俺がいたとしてもたいした戦力にはならないけれど、いないよりはなしか。
二人に追いついて横に並んで歩くと、美人姉妹を眺めていた通行人が俺の事を見て
訝しげな表情を浮かべてしまう。
たしかに、この二人と見比べてしまえば、その落差に驚くかもしれない。
だからといって、俺もいたって夏という服装をして、おかしくはないはずなのに。
リブ織りの薄水色のTシャツに、七分丈のバギーデニム。それとスニーカー。
いたって平均レベルのファッションに、平均レベルを少し超えるルックス。
だから、俺の事を見て怪訝な顔をされるようなレベルではないはずなのだけれど、
やはり俺が一緒にいる二人のレベルが遥か上を突き抜けまくっているのが原因なのだろう。
陽乃「ああ、そうね。今日もっていうか、たいていいないわよ」
八幡「え?」
陽乃「雪乃ちゃんから聞いていないの?」
八幡「何をですか」
陽乃「うちは両親ともに仕事で忙しいから、自宅で食事をするのは珍しいのよ」
八幡「まあ、うちも共働きですから、同じような物ですよ」
陽乃「そう? でも、うちの場合は、極端に干渉してくるわりに、
普段はほったらかしなのよね。どっちか一方に偏ってくれた方が
子供としては対処しやすいんだけどな」
八幡「どこの家庭でも同じですよ。全てが満遍なく均一にだなんて不可能ですから」
陽乃「それもそうね。・・・・・・どうしたの雪乃ちゃん?」
雪乃「姉さん。ごめんなさい」
陽乃「どうしたの? 雪乃ちゃん。そんな神妙な顔をして」
振りかえると、俺と陽乃さんに置いて行かれた雪乃がポツリと立ち止まっていた。
やや俯き加減なのでよくは見えないが、表情を曇らせているようにも見える。
俺は訳がわからず、陽乃さんに助けを求めようと視線を動かすと、
陽乃さんは、元来た道を引き返し、雪乃の元へと歩み進めていた。
陽乃「雪乃ちゃんが気にすることなんて、何もないのよ。
私が好きでやってるんだから、あなたは好きなように生きなさい」
雪乃「それはできないわ。私は、一度はあの家から逃げ出したけれど、
それでも姉さんに全てを押しつけることなんてできない」
554: 2014/12/25(木) 17:32:57.98 ID:raeklLg30
陽乃さんの政略結婚はなくなったが、それでも雪ノ下家をしょっていかなければ
ならないことには違いはない。
自由に結婚できるようになった分、陽乃さんの責任は増したともいえる。
勝手に結婚するのだから、政略結婚に劣らないくらいの成果をあげなくてはならないだろう。
つまり、言葉通りの自由なんて存在しない。
自由であるからこそ責任が生じ、責任を果たすからこそ自由を得られる。
一見矛盾しているように聞こえるが、そもそも自由なんてものは根源的には存在しないの
だからしょうがないと思える。
たとえば、空を自由に飛ぶ鳥であっても、自由に空を飛ぶ事は出来ない。
重力の影響は受けるし、体力がなくなれば羽ばたく事も出来ない。
しかも、空を飛んでいるときは外敵に身を晒すわけなのだから、危険も伴ってしまう。
だったら、自由とは何かという哲学的な思考に突入しそうだが、
そこまで俺は暇人でもないし、哲学が好きなわけでもない。
ただ、なんとなく「自由」という言葉は「権利」という言葉の方があっている気がするのは
俺が捻くれているからだろうか。
陽乃「私は、十分雪乃ちゃんに助けられているわ。だから、責任を感じる必要なんて
なにもないのに。それに、これからは比企谷君も助けてくれるんでしょ?」
八幡「自分ができることならやりますよ」
陽乃「だそうよ。ね、だから、雪乃ちゃんは今まで通りでいいの」
雪乃「でも、あのただでかいだけの家で、一人でずっと食事をしてきたのでしょ。
それに、姉さんが料理が好きなのも知っていたわ。
でも、私はそれを知らないふりをしていた。食べてくれる相手もいないのに
ずっと一人で作り続ける孤独を見ないふりをしていた」
そっか。
陽乃さんが誰かの為に食事を作った事がないって言っていた意味がこれで理解できた。
料理をするようになって、最初に食べてもらう相手といったら、
一緒に生活している親か兄弟が最初の相手になるだろう。
だけど、もともと家政婦が雪ノ下家にはいるわけだから、陽乃さんが料理をする必要はない。
それでも陽乃さんが料理をしたとしても、食べてくれる相手が仕事で家に帰ってこない
のならば、誰かの為に料理をすることなどないはずだ。
また、雪乃も実家を出てしまって、家にはいない。
ましてや、得られないのならば、
最初から手に入れる事を諦めてしまうことに慣れてしまった陽乃さんだ。
無駄な期待などしないで、最初から誰かの為に料理をすることを諦めていても
おかしくはないと思えた。
この位置からでは陽乃さんの後姿しか見えない。
苦笑いでもしているのだろうか。それとも、優しく微笑んでいるのかもしれない。
555: 2014/12/25(木) 17:33:28.51 ID:raeklLg30
ただ、これだけは言える。
今まで作り上げてきた理想の雪ノ下陽乃を演じる為に被ってきた作り笑いだけは
していないはずだ。
陽乃「それはそれで仕方がないわ。そういう雪乃ちゃんの選択も私は受け入れていたんだし」
雪乃「でもっ!」
陽乃「はいはい、この話はここまでね。だって、今、私は幸せなのよ。
だから、過去がどうであろうと、問題ないわ」
そう雪乃に告げると、陽乃さんは俺の方に振りかえる。
振りかえったその顔は、晴れ晴れとしているのだが、それも見間違えかと思うくらい
ほんのわずかな時間で、・・・・・・・今はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
陽乃「ねぇ~、比企谷くぅ~ん」
甘い声色で俺を呼ぶと、つかつかと俺に近寄ってきて、そのまま俺の腕に体をからませ、
雪乃をおいて大学へと歩き出す。
甘い声色と同等以上の陽乃さんの甘い香りが俺を駄目にしそうにする。
俺は、てくてくと陽乃さんに引きつられるまま歩み出すが、
雪乃の声がどうにか意識を現実につなぎとめてくれていた。
雪乃「ちょっと姉さん。八幡から離れなさい」
陽乃「だって、そろそろ大学に向かわないと遅くなっちゃうでしょ?」
雪乃「それと八幡に抱きつくのとは関係ないわ」
陽乃「だってだって、比企谷君の腕の絡み心地っていうの?
なんかだ落ち着くんですもの。さっきまでおも~くて、くら~いお話していて
なんだかお姉ちゃん、精神的に疲れちゃった」
雪乃「だからといって、八幡に抱きついていい理由にはならないわ」
陽乃「えぇ~・・・。
これから大学行くんだし、ちょっとは回復しないとやってけないでしょ。
だ・か・ら、栄養補給よ」
首をひねって後ろにいる雪乃を見ると、陽乃さんの言葉にあっけにとられ
口をぽかんとあけていた。
しかし、すぐさま唇を強く噛み締めると、つかつかと早足で俺達に追いつくてくる。
俺の隣まで来ると、空いているもう片方の腕に自分の腕を絡ませて
自分が本来いるべき場所を陽乃さんに見せつけようとする。
といっても、その雪乃の可愛らしい自己主張さえ、陽乃さんが雪乃をからかう為の
材料にしてしまいそうであったが。
556: 2014/12/25(木) 17:34:11.71 ID:raeklLg30
雪乃「姉さんは、普段からエネルギー過剰なのだから、多少いつもより少ない方が
バランスがとれて、周りに迷惑もかけなくなるからちょうどいいと思うわ」
陽乃「その理論だと、普段と違うバランスということで、いつも以上にピーキーに
なって、周りに迷惑をかけてしまうリスクが考慮されていないんじゃない?」
雪乃も陽乃さんも、お互いに話がヒートアップしていっているはずなのに、
俺の腕に自分の臭いを染み込ませるべく腕と胸を擦りつけることを忘れてはいない。
頭と体に二つの脳があるかのように、理屈と本能を使い分けているところが姉妹共に
似ていると思うが、朝からこの二人に付き合う俺のエネルギー残量も考慮してほしい。
なにせ、この二人が表面上は争ってはいるけれど、
実は仲睦まじく、普通とは違う姉妹関係を築きあげている。
それは、俺としても嬉しい事だ。だが、二人のじゃれあいは、俺の精神もすりへらす事も
忘れないでくださると八幡も大変助かります。
雪乃「姉さんがもたらす周りへの被害は、常に極限値なのだから、これ以上の被害は
考慮する必要はないわ。
だから、リスクを考慮する必要性はないといえるのではなくて」
陽乃「えぇ・・・。雪乃ちゃん酷い。私の事を台風みたいな存在だと認識していたのね。
それは多少は周りに迷惑はかけはしているけど、それでも学園生活を
楽しむ潤滑油みたいなものじゃない。それなのに、これ以上のリスクを
考える必要がないって断言するなんて、酷過ぎるわ」
と、悲しむふりをしながら、俺に体重を預けてくるのはやめてください。
ただでさえ夏の装いで薄着なのに、こうまで肌をこすりつけられては、
意識しないように意識しても意味をなしえません。
雪乃以上に女性らしさを強調する胸や体の柔らかさが俺に直撃して、防御不能です。
しかも、陽乃さんの様子を見て、
隣の国の雪乃さまは核ミサイルの発射装置に指をのせていますよ。
雪乃「姉さんは、周りに迷惑をかけているという自覚があるのならば、
少しは自重すべきね」
そろそろ大学の近くまでやってきた事もあって、電車通学の連中の姿も見え始めている。
このままだと、ただでさえ大学で有名な雪乃下姉妹なのに、
それが一人の男を挟んで言いあいなんて、格好のゴシップネタにされてしまう。
学園生活に潤いをもたせる潤滑油として俺を犠牲にするのは、
俺にとってはた迷惑なことなので、できればやめていただきたい。
この辺で二人を言い争いを終わらせないとな。
557: 2014/12/25(木) 17:34:49.35 ID:raeklLg30
八幡「この辺で終わりにしときましょう。
そろそろ大学に着きますし、人も増えてきたので」
雪乃「そうね」
雪乃は俺に指摘にすぐさま反応して、耳を真っ赤に染め上げる。
しかし、もう一方の陽乃さんといえば、不敵な笑みをうかべ、
さらに攻撃的な瞳を輝かせてしまっていた。
陽乃「そうよねぇ。言葉なんて、いつでも嘘をつけるもの。
その点、体は正直よね」
陽乃さんは、俺の腕に絡みつき、ぐいぐいと豊満な胸を押しつけてくるものだから、
気になってしょうがない。
視線を斜め下に向けてはいけないと堅い決意をしても、甘い誘惑がその決意を崩壊させる。
それでも幾度も決意を再構築させてはいるものの、視線がその胸に釘つけになるのも
時間の問題であった。
雪乃「なにを言いたいのかしら」
引きつった笑顔を見せる雪乃に、俺はもはや打てる手はないと降参する。
もはや核戦争に突入とは、思いもしなかった。
核なんて、抑止力程度のもので、実際に打ち合いなんかしないから効果があるのに
実際の撃ち合いになったら、どんな結果になるかわかったものじゃない。
陽乃「そうねえ・・・」
陽乃さんは、自分の胸に視線を向けてから、雪乃の胸に視線を持っていく。
俺もその視線につられてしまい、陽乃さんの視線が雪乃の胸から陽乃さんの胸に
戻っていくので、つい陽乃さんの胸を見てしまった。
でかい! そして、柔らかい。
柔らかいといっても、適度の弾力があり、張りも最高品質だった。
その魅惑の胸が、俺の腕によって形を変えているのだから、
俺の意識は目と腕に全てを持っていかれていた。
だから、雪乃の痛い視線に気がつくわけもなく・・・・・・。
陽乃「どちらの体に魅力を感じているかなんて、言葉にしなくてもいいってことよ」
雪乃「それは、私に魅力がないといいたいのかしら?」
陽乃「そんなこと言っていないわ」
558: 2014/12/25(木) 17:35:19.02 ID:raeklLg30
雪乃「そうかしら?」
陽乃「そうよ。だって、女の私から見ても、雪乃ちゃんは綺麗よ。
でも、私と比べると、どうなのかなって話なのよ」
雪乃「それは、私は姉さんより劣るといいたいのかしら?」
陽乃「だ・か・ら、そうじゃないのよ。
比企谷君が、どちらが好みかっていうのが問題でしょ?」
そう陽乃さんは呟くと、下から俺の顔を覗き込む。
俺は、二人の言い争いを聞きながらも、陽乃さんの胸から視線をはぎ取ることができずに
鼻を伸ばしていたので、実に気まずかった。
しかも、陽乃さんの視線から逃れようと視線を横にそらすと、そこには雪乃が
じっと見つめているのだから、さらに気まずい。
俺にどうしろっていうんだ。
俺に非がないわけではないが、俺を挟んで核戦争を勃発させないでほしい。
雪乃「ねえ、八幡。私の方が魅力的よね?」
陽乃「そうかしら? 雪乃ちゃんの慎ましすぎるものよりも、
自己主張をはっきりさせている私の方が好きよね?」
八幡「あの・・・、その」
俺はこの場からとりあえず離脱しようと思いをはせるが、いかんせ両腕をしっかりと
腕と胸とで挟み込まれているのだから、逃げる事はできない。
都合よく由比ヶ浜あたりが乱入してくれれば、逃げるチャンスができそうかもと
淡い期待を抱くが、人生甘くはなかった。
むしろ厳しい現実が、俺を路頭に迷わす。
腕からは、甘美な誘惑が俺を酔わせているのに、俺に向けられている視線は
俺の命を削るのだから、釣り合いが取れていないんじゃないかって、
俺の運命を呪いそうであった。
雪乃「八幡」
俺をきっと睨む雪乃にうろたえてしまう。
理性では、雪乃の言い分が正しいって理解はしている。
それでも、陽乃さんの攻撃はそれを上回っていた。
だが、陽乃さんは、挑発的な表情を一転させ、いつものひょうひょうとした顔にもどすと
とんでもない事実を俺に突き付けてくる。
陽乃「さてと、大学に着いたし、そろそろ終わりにしようか」
559: 2014/12/25(木) 17:35:58.59 ID:raeklLg30
俺は、二人に連行されていた為に気がつかないでいたが、俺達は既に大学の敷地内に
入っていた。だから、周りを見渡すと、俺達に近づいてはこないが、
遠くから俺達の様子を伺う目が数多く存在していた。
雪乃「あっ」
雪乃は小さく吐息をもらすと、自分が置かれている現状を把握して
首を小さく縮こませる。
頬はすでに赤く染め上げてはいるが、俺の腕を放さないところをみると、
雪乃の負けず嫌いの性格がよく反映されていた。
陽乃「雪乃ちゃんは戦意喪失みたいだし、比企谷君もこれ以上の惨劇は困るでしょ?」
八幡「俺としては、こうなるのがわかっているのだから、初めから遠慮してくださると
大変助かるんですけどね」
陽乃「それは無理よ。だって、これが姉妹のコミュニケーションだもの」
俺は、その異常な姉妹関係に深い深いため息をつくしかなかった。
その深すぎるため息さえも、陽乃さんを満足させる一動作にすぎないようだが。
陽乃「それはそうと、比企谷君は、午後からうちの父の所に行くんでしょ?」
八幡「あ、はい」
落差がある会話に俺は陽乃さんについていけなくなりそうになる。
今まで散々核戦争さながらの話をしていたのに、今度は真面目な話なのだから。
それでも、陽乃さんにとっては、どちらも同列の内容なのかもしれない。
陽乃「総武家の正式契約の話し合いに同席したいだなんて、変わってるわね」
八幡「俺が関わった話ですから、ちゃんと結末まで見ておきたいんだすよ」
陽乃「そうはいっても、すでに細かい所まで話は詰めてあるから、
今日は最終確認みたいなものらしいわよ」
八幡「それは俺も伺ってますよ。でも、見ておきたいんです」
陽乃「そう? だったら、しっかり見ておきなさいね。
父もあなたの事を期待しているみたいだし」
八幡「あまり期待されても困るんですけどね」
陽乃「期待されないよりはいいじゃない」
雪乃「そうよ。あなたは自分がしてきたことを誇りに思うべきよ」
八幡「そうは言ってもなぁ」
なにせ、今回の契約は俺が口を出したせいで動きだしたかのように見えても、
裏では、初めから雪乃の父が手を貸してくれているふしがあった。
560: 2014/12/25(木) 17:36:42.80 ID:raeklLg30
俺は親父さんの筋書き通りに動いていた気がしてしょうがない。
だから、それを見極める為にも今日の会談に出席したかった。
もちろん、今日の会談で親父さんがぼろを出すとは到底思えないが。
陽乃「まっ、それが比企谷君らしいところなんだから、いいんじゃない?
雪乃ちゃんは、しっかりと私が預かっておくから安心してね」
雪乃「預かるではなくて、送っていくの間違いではなくて?
いえ、むしろ、車は私が運転するのだから、姉さんを預かるのは私の方だと思うわ」
たしかに陽乃さんの言いようは、間違っているはずだった。
陽乃「ううん。間違ってないわよ。だって、会談って夜までやるわけじゃないし
今日の会談はすぐに終わるはずよ。
だから、うちで食事していく時間もあるはずだから、雪乃ちゃんは
うちで預かっておくねってことよ」
陽乃さんは、さも当然っていう顔をみせるので、
俺も雪乃も肩を落とすことしかできなかった。
俺達は、これ以上の言い争いは無駄だと実感していた。
初夏の陽気が俺達から体力を容赦なくじわじわと奪っていく。
これから日が高く昇り、昼前には焼けるような日差しが降り注いでくるはずだが、
俺達の隣にいる太陽は、朝から元気良すぎるようであった。
第31章 終劇
第32章に続く
567: 2015/01/01(木) 03:20:00.38 ID:x/Aex12G0
第32章
7月11日 水曜日
朝の雪乃と陽乃さんとの一悶着はあったが、それ以外はいたって平穏な一日が過ぎてゆく。
俺の隣に座っている由比ヶ浜は、一日中ボケボケっとしており、
つい先ほど食後の眠気に敗北してお昼寝タイムに突入していた。
そう、俺の周りはちょっとしたいさかいがあっても、もっとも原因は陽乃さんで
攻撃対象は雪乃だが、とても緩やかな日常を取り戻しつつあった。
ただ、今日の午後に限っては、俺は頭を悩ましていた。
どう考えてもスケジュールがきつすぎる。
というか、時間が足りない。この後ある午後一の橘教授の講義を終えれば
今日の講義は全て終了する。
講義は終了するけれど、その後の予定がないわけではない。
とても重要な予定が組まれていた。
その予定とは、雪乃の親父さんに会いに行くのだが、
橘教授の講義を最後まで受講してしまうと、どうしても遅刻してしまう。
そもそも講義日程は毎回同じなのだから、親父さんに頼んで最初から約束の時間を
ずらしてもらうべきなのだが、今回の会談は俺が急遽同席させてもらえるように
頭を下げてお願いしたもので、俺の都合で会談時間を変更することはできない。
今回の会談は、ラーメン店総武家の移転問題で、俺がほんのわずかながらも
関わってしまったわけで、その行く末を見届けたく、
本日の契約締結に立ち会いたいと思ったわけだ。
細かい契約内容の話し合いは終わっているが、
契約が完了するまでは安心する事はできない。
まあ、相手が雪乃の親父さんなわけで、信用できないわけではないが、
それでも最後くらいは見ておきたかった。
というわけで、由比ヶ浜が隣で熟睡している中、どうやったら遅刻しないですむか、
俺と悪友の弥生昴は頭を悩ましていた。
八幡「ほら、学年次席。頭いいんだから、ちょっとはましなアイディアをだせ」
昴「だったら、学年主席のお前が知恵を絞れ。もうさ、諦めろよ。
どう考えたって、電車の時間に間に合わない」
俺の理不尽な要請に、いたって冷静に反論してくる弥生昴。
背は俺よりも高く、180くらいはあり、少々やせ気味なのも、
クールなルックスのプラス要素にしかならない。
568: 2015/01/01(木) 03:20:27.17 ID:x/Aex12G0
弥生本人が嫌がっているくせ毛も、耳を隠すくらいまで伸びた黒髪は、
緩やかなウェーブを作り出し、その独特な雰囲気にさらなる加点を与えてしまう。
カルバンクラインのカットソーも、ディーゼルのデニムも
自分おしゃれ頑張ってます感がまるっきりないのも好印象を与えている。
まあ、要するに、服装には肩に力が入っていないのにうまくまとめられていて、
こいつの話しやすい性格がなかったら、相手にしたくない奴筆頭だったはずだった。
八幡「せめて20分早く講義が終わってくれたらな」
昴「無理だって。それだったら、講義後の小テストを受けなければ20分稼げるぞ」
八幡「そんなことしたら、出席点もらえないだろ。お前馬鹿だろ」
昴「へいへい。主席様よりは馬鹿ですよぉだ」
八幡「お前、俺を馬鹿にしているだろ?」
昴「あっ、わかる? でも、正確に言うんなら、馬鹿にしているんじゃなくて、
いつも馬鹿にしているんだけどな」
八幡「お前なぁ。真正の馬鹿だったら、俺の隣で寝てるから、そいつに言ってやれ。
でも、何度馬鹿だって教えたとしても、すぐに忘れてしまうけどな」
昴「由比ヶ浜さんは、いいんだよ。馬鹿じゃない。むしろ天使」
八幡「はぁ・・・」
昴「女の子は、可愛ければ問題ない」
八幡「だったら、俺の代わりにこいつの勉強みてやれよ。
可愛ければ問題ないんだろ?」
昴「俺は忙しいから無理だ。比企谷も知ってるだろ?」
こいつは俺と同じで、講義終わるとすぐに帰るんだよなぁ。
友達がいないってわけでもないし、けっこういろんな奴と話したりしてる。
そう、由比ヶ浜や雪乃レベルの有名人であり、2年の経済学部生で
弥生昴のことを知らない奴はほとんどいないんじゃないかってくらいの有名人だった。
いや、むしろ由比ヶ浜や雪乃の場合は、相手が一方的に知っているだけの場合がほとんだが、
弥生昴の場合は、わずかな会話であっても、会話をした事があるからこそ
相手が弥生昴のことを知っていると言ったほうがいい。
それでも、目立つ容姿もあって、会話をした事がなくとも、初めから弥生昴の事を
相手は知っていたのかもしれないが。
ただ、だからといって特別に親しい友達がいるってわけでもないから不思議だと思っていた。
八幡「俺だって、忙しいんだよ。じゃあ、あれか?
もし、お前に時間の余裕があったら、由比ヶ浜の面倒みてやるのか?」
弥生の顔が微妙に引きつっている。
ポーカーフェイスを装うとしてはいるが、残念な事に成功してはいないみたいだ。
569: 2015/01/01(木) 03:20:55.71 ID:x/Aex12G0
こいつは、むしろ感情のコントロールがうまい方だとみている。
その弥生が感情を制御できないとは、恐るべし由比ヶ浜結衣。
八幡「ごめん、弥生。泣くなよ」
昴「泣いてない! 俺は断じて泣いてないからな」
八幡「いいから、いいから。俺が悪かった。だから、すまん」
俺は、弥生の方に体の向きを変えると、軽く頭を下げて謝罪する。
昴「いいんだ。比企谷の日ごろの苦労を茶化すような発言をした俺の方も悪かったんだ。
だから、俺の方こそ、すまん」
弥生は、俺の肩に手をかけ、全く涙を浮かべていない瞳を俺に向ける。
俺は、そんな馬鹿げた猿芝居をしている暇なんてないのに、
つい後ろの観客の為に演劇を上演してしまった。
結衣「もう、いいかな?」
振り向かなくてもわかる。にっこり笑いながら怒り狂ってる由比ヶ浜がいるって。
だって、俺の肩を掴む手が、肩に食い込んでいるもの。
ぎしぎしと指を骨に食い込ませながら、鎖骨をほじるのはやめてください!
非常に痛いですっ!
いや、まじでやめて。手がしびれてきてるよっ。
目の前の弥生の顔が青ざめていくのが、よりいっそう精神にダメージを与えてくる。
八幡「いつっ・・・。ギブギブ。まじで痛いからっ!」
首を後ろに回し、振りかえると、やはり般若のような笑顔の由比ヶ浜が出迎える。
弥生がいう天使こと由比ヶ浜結衣は、堕天していた。
すらりと伸びた健康的な腕に絡まる細いシルバーチェーンのブレスレットさえ、
なにか呪術が刻まれているんじゃないかって疑ってしまう。
まあ、いくら肩まで伸びた茶色い髪を揺らして怒ろうとも、
人を安心させる柔和な顔つきは、いくら怒っていても損なわれてはいない。
けれど、いまだ内に秘めた由比ヶ浜の怒りは収まらないようで、
俺の顔を見たことでさらに手の力を強めてしまった。
八幡「ごめん、由比ヶ浜。本当にシャレにならないほど痛いからっ」
結衣「ほんとうに反省してる?」
そう可愛らしく、俺の顔色を下から覗き込むように問いながらも、
全く肩に加える力は衰える事はない。
570: 2015/01/01(木) 03:21:21.98 ID:x/Aex12G0
むしろ由比ヶ浜の口がひくついていることからしても、
少しも怒りは衰えていないようだった。
八幡「反省してるって。飼い犬は、最後まで面倒見ないといけないからな」
結衣「ペットじゃないし・・・・・・」
ちょっと落ち込んだ表情をして俯いて、可憐な少女を演出しても、
まったく手の力弱めていないのは、どうしてですか~?
なにがまずかったんだ? 反省してるとか、謝罪の言葉じゃいけないのか?
俺は、どうすればいいか困り果て、わらにもすがる思いで弥生に助けを求める視線を送る。
すると、さすが弥生。伊達に学年次席をやってないすばらしさ。
俺のSOSを感じ取って、俺の耳元に助言を囁いてくれた。
いや・・・、たぶん、俺の涙目を見て、本気で心配してくれたんだろけど・・・・・・。
昴「なあ、比企谷。由比ヶ浜さんは、謝罪を求めているようじゃないぞ」
謝罪じゃないって、なんだよ? 反省しているかって、由比ヶ浜は聞いているんだぞ。
それなのに、・・・・・・俺からどんな言葉を引き出したいんだ?
・・・・・・・・・・・・・・ふぅ~。やっぱあれかな?
俺が由比ヶ浜の事を投げ出そうとした事か?
俺が言った発言を思い返してみても、たいした数の発言をしたわけでもない。
だから、必然的に候補は絞られてしまう。
候補としては、二つしかない。
由比ヶ浜を馬鹿だと認定した事。
そして、もうひとつは弥生に由比ヶ浜に勉強教えるのを変わってほしいって言った事だ。
だとしたら、やはり後者の方で怒ってるとしか思えない。
怒っているというよりは、悲しんでいるのかもな。
だから、俺が謝罪しても許してくれないわけか。
八幡「俺は、お前の事を重荷にだなんて思ってない。
むしろ、こんな俺に飽きずに付きまとってくれて感謝してるくらいだ。
だから、これからも俺の馬鹿な行動に付き合ってほしい」
やばっ。恥ずかしすぎる発言を言い終わって、そこで正気に戻ってしまた。
なんだかだ、教室内が静かすぎるなぁって見渡すと、
みんな俺達を注目している。
しかも、目の前の由比ヶ浜ときたら、はにかんで、
顔がうっすらと赤く染まってるじゃないか。
これはあれか。青春の一ページという名の黒歴史確定か?
571: 2015/01/01(木) 03:21:49.36 ID:x/Aex12G0
弥生なんか、うんうんと頷きながらも、俺から少し距離とってるやがる。
八幡「ごほん」
俺がわざとらしく咳払いをすると、俺達に集まっていた視線はどうにかばらける。
もちろん注目はされ続けてはいる。
それでも、直接見ようとしている奴はいなくなったからよしとするか。
結衣「まあ、いいかな。・・・・・うん」
そう由比ヶ浜は呟き、一人納得すると、俺の方に詰め寄ってきて、俺がさっきまで
弥生と格闘していたノートを覗きこんできた。
結衣「さっきから何をやってたの? ヒッキーこの後何かあるの?」
寝てたと思ったら、寝たふりして聞いていたのかよ。
それでも半分くらいは寝てたみたいだけど。
昴「ああ、これね。比企谷が授業の後に約束しているみたいなんだけど、
どうしても間に合わないんだってさ。
だから、どうやったら間に合うか考えてるんだよ」
結衣「へぇ~」
由比ヶ浜は、さらにノートに書かれている電車の時刻表などを見ようと
俺にぴたっとくっついてくる。
俺の腕に柔らかいふくらみがぶつかって、その形をかえてくるものだから、気が気じゃない。
さらには、俺の腕に沿って由比ヶ浜の体の曲線が伝わってきて、
その女性らしい適度に引き締まったウエストラインとか、形のいい大きな胸だとか、
由比ヶ浜結衣を形作っている全ての女性らしさが俺の腕が記憶してしまう。
俺がその甘美の測定から逃れようと腕を動かそうと考えはしたが、
いかんせ由比ヶ浜は俺にくっついているわで、腕を動かせば一度は由比ヶ浜の方に
腕を動かして今以上に由比ヶ浜の体を感じ取らねばならない。
その時俺はそのまま腕を逃がすことができるだろうか。
今でさえギリギリなのに、これ以上由比ヶ浜を感じ取ってしまったら
甘い沼地に望んで沈んでいってしまいそうだった。
昴「だけどさ、そんな都合がいい方法なんてなくて困ってるんだよ」
フリーズしている俺越しで話を進める二人なのだが、
弥生は俺が困ってるのわかってるんだから助けろよ。
572: 2015/01/01(木) 03:22:18.24 ID:x/Aex12G0
由比ヶ浜は、無意識なのか、馬鹿なのか、意識してるのかわからないが、
俺から離れてくれとは言いづらいし・・・。
結衣「だったら、授業休んじゃえばいいんじゃない?
ヒッキー、この授業休んだことないし、期末試験もどうせいい点とるんでしょ?」
昴「そうなんだよ。俺もそう進言したんだけど、こいつが頑固でさ」
結衣「へえ・・・・」
由比ヶ浜は、俺が勉強熱心なのを感心したのか、俺の横顔を見つめてくる。
しかし、俺の顔をしばらくきょとんとみつめると、俺達のあまりにも近すぎる距離に
気が付いたのか、頬を染めて、気持ち程度だが距離をとる。
俺の顔が不自然なほど赤くなっていただろうから、
さすがの由比ヶ浜でも気が付いたんだろう。
これで少しは平常心を取り戻せたし、話に参加できるな。
あと、俺と由比ヶ浜がくっつきすぎていた事は、弥生もスルーしてくれたし、
あえて由比ヶ浜に指摘して、どつぼにはまるくらいなら、黙ってた方がいいな。
八幡「橘教授の授業は休みたくても休めないだろ。
だから困ってるんだ」
結衣「へぇ・・・。そんなに橘先生の授業好きだったの?」
八幡「好きなわけあるか。むしろ必修科目じゃなかったら、とってない」
結衣「まあ、ね。あたしも必修じゃなかったらとってなかったかも」
八幡「だろ? 毎回授業の後に小テストやるなんて、この講義以外だと聞いたことないぞ」
結衣「Dクラスの英語もそうだよ」
八幡「あ、そっか。自分の講義じゃないから、ど忘れしてた」
結衣「でも、そうかもね。自分が受けてない講義だと、なんか実感わかないというか」
昴「比企谷が授業休むのに躊躇してるのって、小テストの授業点だろ?」
八幡「まあ、な」
雪乃の母に大学での成績だけでなく、大学院での留学も約束しちまった手前、
小さな失点だろうととりこぼしたくはない。
実際問題、今回休んだとしても、大したマイナス点にはならないだろう。
しかし、小さな失点を仕方ないで諦めるくせを付けたくはなかった。
一度だけの甘えが、次の甘えをよんでしまう気がしてならない。
小さな失点も、積み上がれば大きな失点になってしまい、
ここぞというときに取り返しのつかない失敗に繋がってしまう。
俺と雪乃の人生がかかっている大事な時期に、精神面での緩みは作りたくはなかった。
573: 2015/01/01(木) 03:22:44.39 ID:x/Aex12G0
昴「橘教授も意地が悪いよな。小テストの答案が出席票の変わりで、
しかも、授業の開始の時しか答案用紙を配らないからな」
結衣「あぁ、それ。女子の間でも評判悪いかも。
遅刻したら、遅刻専用の答案用紙くれるし、あまりにも遅くきたら、
答案用紙くれないもんね」
八幡「俺は、その辺については、合理的だなって思うぞ」
結衣「なんで?」
由比ヶ浜は、俺の事を理解者だと思っていたせいか、裏切られたと感じたらしい。
別に裏切っちゃいないが、よくできたシステムだとは思ってしまう。
八幡「10分遅刻したやつと、1時間遅刻したやつを同じ土俵に上げるんじゃ
不公平だろ」
結衣「そうだけどさぁ・・・」
いまいち納得できていない由比ヶ浜は、まだ何か言いたげであった。
それでも、俺が話を進めるてしまうから、これ以上の不満は押しとどめたようだ。
昴「たしかに橘教授は合理的だよ」
結衣「そうなの?」
八幡「お前、最初の講義の時の単位評価の説明聞いてなかったのか?」
結衣「たぶん聞いてたと思うけど、ほとんど覚えてないかも」
八幡「はぁ・・・。お前なぁ、自分が受ける講義の評価方法くらい知っとけよ」
結衣「えぇ~。だって、わからなくなったらヒッキーに聞けばいいじゃん」
どうなってるんだよ、こいつの思考構造。
大学入ってから、いや大学受験の時から面倒見過ぎたのが悪かったのか。
こいつに頼られるのは悪い気はしないが、だけど、それが当然になって
自分でできなくなってしまうのは悪影響すぎるぞ。
昴「大丈夫だって、比企谷。由比ヶ浜さんは、自分一人でもやっていけるって」
八幡「そうか?」
昴「比企谷が一番そばでみてるんだろ?」
八幡「まあ、そうかもな」
なんで弥生は、俺が考えていることがわかるんだよ。
もしかしたら、ほんのわずかだが顔に出たかもしれない。
それでも、些細な変化に気がつくなんて、普通できないって。
574: 2015/01/01(木) 03:23:13.95 ID:x/Aex12G0
たしかに、こいつの人を見る目というか、雰囲気を感じ取る力は、
たぶん由比ヶ浜を上回ると思う。由比ヶ浜が直感とかのなんとなくの感覚だとしたら、
こいつのは理詰めの論理的思考だ。
ある意味陽乃さん以上に手ごわい相手なんだけど、
どうしていつも俺の側にいるのか疑問に思う事がある。
俺が知っている弥生昴は、俺と同じようにある意味一人でいることに慣れている。
でも、だからといって社交的でないわけではない。
むしろ、この学部のほとんどの生徒が弥生と一度くらいは話をしているはずだ。
うちの学部に何人いるかだなんて正確な人数は知らない。
それでも、少なくない人数がいるわけで、波長が合わない奴が必ずといっていいほど
出てくるのが当たり前だ。
人当たりがいい由比ヶ浜でさえ苦手としている人物がいるし、
本人は隠しているようだが、誰だって苦手なやつがいるのが当たり前だ。
それなのにこの弥生昴っていう男は、相手がどんなやつであっても
会話に潜り込んでいってしまう。
これは一つの才能だって誉めたたえるべきであろう。
しかしだ。そんな人間関係のスペシャリストのはずなのに、
こいつと親しくしている友人というものを見たことがない。
ある意味、誰とでも仲良く会話ができるが、それはうわべだけだから成立してしまう。
本音を言わず、相手の意見に逆らわずに、
どんな場面でも感情をコントトールしているのなら、
それは友人関係ではなく、単なる交渉相手としか見ていないともいえるかもしれない。
そんな男が、何故俺の側にいることが多いのだろうか。
昴「比企谷?」
やばい。普段疑問に思ってたけど、考えないようにしていた事を考えてしまった。
八幡「すまない。ちょっとぼ~っとしてただけだ」
昴「そうか」
弥生は、とくに気にする事もなく、再び由比ヶ浜の相手へと戻っていく。
ただ、本当に「なにも気にする事もなかったか」疑わしいが。
結衣「で、ヒッキー。橘教授の評価方法ってなんなの?」
八幡「ああ、そうだったな。俺が詳しく教えてやるから、今度こそ覚えておけよ」
結衣「・・・・・善処します」
八幡「ふぅ・・・、まっいっか」
こいつに教えるのは、犬に芸を覚えさせるようにするより難しいって
理解しているだろ、俺。だから、我慢だ。頑張れ、俺。
575: 2015/01/01(木) 03:24:12.78 ID:x/Aex12G0
八幡「小テストが出席の確認の代りだっていうのは、知ってるだろ?」
結衣「うん」
八幡「ふつうの授業の評価方法は、授業点の割合の大小があるにせよ、
それほどウェートが大きいわけではない。
レポートとかもあるけど、橘教授ほど明確に数値化されてないんだよ」
結衣「へぇ・・・、そなんだ」
八幡「そうなんだよ。数値化されているせいで、今の自分の評価が丸見えになるから
嫌だっていう奴もいるはずだ」
結衣「へぇ・・・、自分で計算してる人もいるんだ」
八幡「もう、いい・・・」
結衣「えっ? ちゃんと話してよ。しっかりと聞いているでしょ」
こういう奴だったよ。何も考えない奴だって、わかってたさ。
八幡「いや、違う。一人事だから気にするな。ちょっと気になって事があって
それを急に思いだして、おもいっきり沈んでただけだ」
結衣「ふぅ~ん。あるよね、そういう事。あたしも急に昨日見たテレビの事を思い出して
授業中に笑いだしそうになる事がしょっちゅうあるもん」
八幡「そ・・・そうか」
顔が引きつりそうになるのを、強制的に押しとどめて、話を元に戻すことにする。
お前の事で悩んでたんだよって、両手でこいつの頭を掴んで揺さぶりたい気持ち。
あと数ミリで溢れ出そうだけど、どうにか保ちそうだ。
だから、これ以上俺を刺激するなよ。
八幡「で、だ。他に評価の内訳として、期末試験が5割。そして、授業点が5割に
なっている。もちろん授業点っていうのは、小テストの点数が直接反映される。
だから、一回でも小テストを受けないと、それだけで総合評価が下がるんだよ」
結衣「へぇ・・・、面倒なんだね」
八幡「面倒か? これほどすっきりと明確な評価方法はないと思うぞ。
レポートなんか、字が汚いだけで評価下がりそうな気もするしな」
結衣「まあ、今はパソコンで印刷したのが多いから、関係ないんじゃない?」
八幡「そうかもな。評価方法の話に戻るけど、遅刻したやつは、いくら小テスト受けても
7割しか点数もらえないんだぞ。知ってたか?」
結衣「そなんだ。遅刻すると、答案用紙が違うから気にはなってたんだけど
今その疑問が解決したよ」
八幡「お前、今頃知ってどうするんだよ。もう期末試験始まるんだぞ」
結衣「でも、あたし遅刻したことないし」
576: 2015/01/01(木) 03:24:49.82 ID:x/Aex12G0
たしかに遅刻した事はないか。この授業の前に必修科目があるし、
通常ならば遅刻なんてする奴はいない。
それでも、遅刻する奴は出てくるから不思議だよな。
八幡「遅刻はしないけど、授業中寝てるだろ」
結衣「そう?」
八幡「そうだよ」
俺の追及から逃れようと由比ヶ浜は視線を横にそらそうとする。
しかし、俺は成長した。いや、成長せざるをえなかった。
なにせ、この野生の珍獣を大学に合格させるという至難の調教をしてきたのだ。
由比ヶ浜の扱いには慣れざるをえなかった。
俺はおもむろに由比ヶ浜に両手を伸ばすと、そのまま柔らかい頬を両手で思いっきり
つまみ取り、強引に前を向かせる。
不平を口にしてきているようだが、両頬をつままれている為に言葉にできないでいた。
だから、目でも不満を訴えてはきているが、そんなのは無視だ。
八幡「いっつも言ってるよな。授業はつまらない。とってもつまらなくて退屈だ。
でも、あとで試験勉強に明け暮れるんなら、退屈な授業をしっかり聞いて、
暇つぶしで授業をしっかり受けろって言ってるよな」
結衣「ふぁい」
八幡「どうせ勉強しなきゃいけないんだから、わざわざ授業に来てるんだから
授業をしっかり聞けよ。後で自分で勉強するより、よっぽどわかりやすいだろ」
結衣「ふぁい」
八幡「わかったか」
結衣「ふぁい」
俺は、由比ヶ浜が頷くのを確認すると、頬から手を放す。
由比ヶ浜は、たいして痛くはないはずなのに、頬を手でさすりながら
反抗的な目を向けてくる。
もう一度手を両頬に伸ばすふりをすると、今度はようやくぎこちない笑顔で
頷いてくれた。
結衣「でもでもっ、あたしが隣で寝ていても、ヒッキー起こしてくれないじゃん。
寝てるのが駄目だったら、起こしてくれないヒッキーにだって問題あるんじゃない?」
はぁ、まだ反抗するか。でも、俺にも言い分ってものがあるんだ。
577: 2015/01/01(木) 03:25:19.09 ID:x/Aex12G0
八幡「橘教授の講義って、小テストが授業ラスト20分に毎回あるから
その分早口だし、授業の進行ペースも速いんだよ。
だから、授業中はお前のおもりはできないっつーの」
結衣「ああ、そんな感じするよね。なんか早すぎて、ついていけないっていうか」
それは、お前が授業内容を理解してないだけだろ。
今それを指摘すると長くなるから言わんけど。
結衣「あれ? でも、人気がない授業だけど、いっつも教室は満席だよね?
なんで?」
八幡「お前、本当に大丈夫か?」
結衣「なにが?」
きょとんと首をかしげ、俺を見つめてくるその瞳には、嘘偽りはないようだ。
しかし、今はそれでは救われない。なにせ・・・・・・。
八幡「なにがって、この講義って、必修科目だぞ。
必修科目は一つでも落としたら留年しちまうんだよ。
だから、みんないやいやでも授業に真面目に出てるの」
結衣「そなんだ」
もういいや。ため息も出ない。
俺は、これ以上由比ヶ浜を見ていると、頭が痛くなりそうなので、視線を外す。
すると、俺を見つめているもう一人の視線の人物に気がつく。
正確に言うと、俺と由比ヶ浜を見つめる視線だったが。
昴「なに?」
八幡「なんだよ、さっきからニヤニヤしてみてやがって」
昴「いやね、仲がいいなって」
八幡「まあ、そうかもな。なんとなくだけど、憎めない奴だから、
こうやって付き合いが長くなったのかもな」
結衣「ちょっと、ヒッキー。きもい。そんな恥ずかしいセリフ真顔で言わないでよ」
八幡「心外だな。きもいはないだろ」
結衣「きもいから、きもいの。い~っだ」
なんだよ、こいつ。たしかに、昔の俺ならこんな恥ずかしいセリフは言わなかった。
最近、いや、雪乃と付き合うようになって、変わったのかもしれない。
言葉にしなければ、伝えられない事があるって知ったからな。
578: 2015/01/01(木) 03:25:50.25 ID:x/Aex12G0
昴「仲がいいね」
八幡「どうだか」
昴「でも、仲がいいところ悪いけど、このままだと会談に遅刻するよ」
そうだった。
どうやったら橘教授の授業を早く切り上げられるか弥生と相談していたのに、
いつの間にか由比ヶ浜の相手をしていた話がそれてしまった。
まったく、こいつは和むんだけど、時と場合を選んでくれよ。
第32章 終劇
第33章に続く
582: 2015/01/08(木) 17:30:13.94 ID:PACE+wQi0
第33章
7月11日 水曜日
さて、さてさてさてさて、どうしたものか?
いくら考えようとも、都合よく打開案なんて思い浮かびやしやしない。
いたずらに思考を繰り返しても、時間だけが過ぎ去ってゆくだけだ。
ここは、由比ヶ浜のいう通り、欠席するか。
ここで休んだとしても、だらだらと休み癖がつくとは思えないし、
雪乃の父親の仕事現場をみることで、よりいっそう気を引き締められるとも考えられる。
ならば、ここは潔く自主休講としてもいいかもしれない。
ただ、諦めが悪すぎる俺は、すぐさま代替案を模索してしまう。
出席がそのまま単位評価に結び付いてしまう為に、病欠などの場合は、
しかるべく証明書を提出して、なおかつレポートも提出すれば、
小テストの8割の点数を貰える事が出来る。
つまり、満点のレポートならば、欠席しても80点の評価が貰えるのだから、
俺も初めに欠席してレポートを提出するという選択肢を考えなかったわけではない。
ここで問題となるのは、仕事の契約締結の場に参加することが、
橘教授が認める欠席理由になるかである。
一応未来の仕事に関わっているわけで、またとない社会経験を得るという大義名分も
あることにはある。
でもなぁ、これが橘教授の講義を休むことと釣り合うかと問われると、微妙だ。
ならば、欠席証明書を提出しないで、小テストの五割の評価も貰う事もできるので、
これだったら問題は少ない。
そう、あくまで「問題が少ない」にすぎないのが、このレポートの落とし穴だった。
なにせ、授業は眠いし、実際由比ヶ浜はよく爆睡しているし、他にも多くの学生が
夢の中で受講しているといってもいい。
そんな夢の中の受講生は、講義ラストに待ち受けている小テストで痛い目にあうんだから
うまくできている講義システムだと、
授業を真面目に受けている俺からすると評価してしまう。
そう、俺が眠いの我慢して授業に参加しているのに、
由比ヶ浜とかなにを眠りこけてるんだよ。
そんな奴にかぎって、小テストの時答えを見せてくれとか、どの辺がヒントになるか
教えてくれとか言ってきやがる。
俺はそういう由比ヶ浜みたいなやつは、毎回無視してやっている。
隣で由比ヶ浜が小さな声で不平をぶちまけまくりまくって、
最後の方には俺の肩を揺さぶりまくるのが、いつものパターンだ。
583: 2015/01/08(木) 17:30:46.74 ID:PACE+wQi0
まあ、由比ヶ浜が実力行使に来る時間あたりには、俺も解答を埋め終わってるから、
由比ヶ浜に一瞬ちらっと解答用紙を見せるふりをして、ニヤッと優しい笑顔を見せてから
席を立つんだけどな。
毎回猿みたいに「ムキ~」とかわめくけど、そろそろ猿でも自分でやるって事を
学習してるはずなのに、俺にまとわりついてくる牝猿もそろそろ学習しろよ・・・。
話は大きく脱線してしまったが、誰しもが受けたくない講義をレポートで出席の
代わりにできるというのに、誰もレポートを選択せず、
一応講義に出席して小テストを受けているかというと、それはすなわち、
レポートの量が半端なく多いからである。
他の講義もあるわけで、レポートだけに時間を割いていられるわけではない。
しかも講義は90分で終わるというのに、レポートはどう見積もっても
休日が丸一日つぶれること必至だ。
誰もが望む夢の日曜日に、誰が好き好んで陰気なレポートをやらねばならない。
どう考えても、講義に出たほうがいいに決まっている。
そんなわけで俺は、大切な大切な日曜日を献上して契約締結の場に出席しようと
苦渋の決断に迫られていた。
まあ、色々御託を並べたが、誰が橘教授の講義を必修科目にしようだなんて考えたんだよ。
きっと、決めた人間は悪魔に違いない。
それだけは、はっきりと確信できた。
結衣「ねえ、ヒッキー。もうそろそろ諦めたら?」
八幡「諦められるわけないだろ。講義休んだら、日曜が潰れるレポートがあるんだぞ」
結衣「じゃあ、いっそのこと、レポートもやらなきゃいいじゃん」
八幡「そんなことできるかよ。成績が落ちるだろ」
昴「一回くらい休んだところで、最終的な成績は変わらないと思うけど」
八幡「そういった油断が、成績をじわじわ下降させるんだ」
結衣「もう、意地っ張りなんだから。
ん~・・・。だったらさあ、問題の山はって、先生が黒板に問題書く前に
解答用紙に答え書いちゃえばいいんじゃない?
そうすれば、ちょうど20分短縮できて、電車に間に合うんじゃない?
問題解く時間の20分をあらかじめ解答書いとけば、
20分使わないで済むでしょ」
昴「ちょうどいいじゃないか。20分早ければ電車に間に合うんだし、
いっそのこと山はって、外れたら諦めて遅刻して出席すればいいじゃないか。
そもそも遅刻しても怒られはしないんだろ」
結衣「ちょっと、ヒッキー、黙らないでよ。
そんなに怖い顔して黙っていると、怖いよ。
・・・・・・ねえ、ヒッキー?」
昴「おい、比企谷?」
584: 2015/01/08(木) 17:31:10.64 ID:PACE+wQi0
結衣「ごめんね。そんなに真剣に悩んでいたなんてわからなかったから、
ちょっと調子に乗りすぎて、言いすぎたのかもしれない。
ねえ、・・・ねえったら」
由比ヶ浜が俺の肩を揺さぶってくる。最初は遠慮がちに小さく揺さぶってきたが、
俺が何も反応を示さないでいると、意地になってか、激しく揺らしてきた。
八幡「ええい、うるさい。ちょっとは静かに出来ないのかよ」
結衣「だから、謝ってるんじゃない」
八幡「それが謝ってるやつの態度かよ」
結衣「いくら謝っても、そっちが無視していたんでしょ」
八幡「別に無視してないだろ。ちょっと考え事をしていたから、気がつかなかっただけだ」
結衣「え?」
八幡「え?って、なんだよ。お前が問題の山はって、解答あらかじめ書いとけって
言ったんだろ」
結衣「え? えぇ~?!」
八幡「なにをそんなに驚いてんだ。自分で言っておきながら、驚くなんて。
ん? 自画自賛しているのか?
たまに、ほんとうにごくまれに役に立つこと言ったんだから、
そういうときくらい自己満足に浸りたいよな。
気がつかなくて、ごめんな」
結衣「いや、いや、いや。なんかヒッキーがあたしの事で酷いこと言ってるみたいだけど
この際今はどうでもいっか。
なに、なに。ヒッキー、山はって書くの?」
昴「由比ヶ浜さんは、どうでも、いいんだ?」
弥生なら、そう思うよな。
でもな、由比ヶ浜の思考回路には、二つの事を同時処理なんてできやしないんだよ。
一つの事でさえも、途中でセーブもできない年代物なんだぞ。
きっとレトロマニアには、もろうけること間違いなしだけど、
最先端を突っ走ってるやつには、理解できない代物なんだよ。
八幡「ああ、山はって書いてみようと思う」
結衣「そっか。なにもやらないよりいいもんね。運がよかったら、間に合うかもしれないし
やらないよりはやったほうがいいもんね」
八幡「それは違う。やるからには、確実に問題を当てる」
結衣「そんなのは無理だって。だって、問題は、黒板に書くまでわからないじゃん」
八幡「そんなことはない。なんとなくだけど、傾向くらいはあるもんさ」
昴「たしかに出題傾向はあるけど、論述問題なんだから、問題のキーワードを
全て当てないと、見当外れの解答になってしまうぞ」
585: 2015/01/08(木) 17:31:54.42 ID:PACE+wQi0
結衣「そうだよ。あたしも軽々しく山はりなよって言ったけど、
やっぱ絶対無理だよ。当たりっこないって」
八幡「問題のキーワードを全て当てるんだろ?
それなら問題ない。むしろキーワードほど当てやすい」
結衣「そんなことないって。一回の講義の内容も広いんだし、無理だよ」
たしかにな。無鉄砲に、なんとなく探すんなら、無理に決まっている。
だけど、解答に導くために、キーワードなんて、なにかしらの繋がりを持ってるんだよ。
一つの論述を完成させるわけなんだから、一つ一つのキーワードには、
他のキーワードとのつながりがあって、その繋がりがあるからこそ、
一つの論述が意味を持って完成する。
仮に、キーワード一つ一つに、全くの因果関係がないとしたら、
それは論述ではなくて、一問一答形式の、穴埋め問題に過ぎない。
八幡「論述問題に必要なキーワードなんて、だいたい決まってるんだよ。
そもそもそのキーワードが一つでも欠けていたら、減点ものだ。
だから、キーワードを全てそろえること自体はたいしたことではない」
昴「たしかにそうだな。でも、キーワードがわかったとしても、
問題自体を当てるのは難しくないか?」
結衣「ちょっと、ちょっと待ってよ。今、ゆっくりとだけど、ヒッキーが言った事を
理解するから」
八幡「悪い、由比ヶ浜。今お前の相手をしている時間も惜しい。
だから、この説明は、また今度な」
結衣「あたしの事を馬鹿にし過ぎてない?」
八幡「だったら、もう理解できたのかよ?」
結衣「それは無理だけど」
八幡「だろ?」
昴「由比ヶ浜さんには、授業のあとで、俺が説明してあげるよ」
結衣「え? ほんとう?」
ぱっと笑顔を咲かせる由比ヶ浜を横目に、俺は弥生が渋い顔を見せたのを
見逃さなかった。
何度か俺の代りに弥生が由比ヶ浜に説明した事があった。
だがしかし、何度やっても由比ヶ浜は理解できなかった。
弥生昴の名誉のために言っておくが、けっして弥生の説明が下手なわけではない。
むしろ上手な方だと思う。俺以上に論理的で、道筋をはっきりと示す解説だとさえ思える。
だけど、相手があの由比ヶ浜結衣だ。
普通じゃない。俺も雪乃も、高校三年の夏、何度挫折を味わったことか。
まあ、一応、お情け程度のフォローになってしまうが、由比ヶ浜結衣も
けっして馬鹿ではないということは伝えておきたい。
586: 2015/01/08(木) 17:32:45.03 ID:PACE+wQi0
なにせ、俺と同じ大学の同じ学部に、一緒に現役合格できるくらいの学力はあるのだから。
しかし、こいつの思考回路はとびまくっているんだ。
俺も雪乃もこいつに勉強を教えるコツみたいなのを、
わずかだが習得できたから言えること何だが、
どうやら由比ヶ浜は感覚で理解しているらしい。
とくに数学なんかは、どういう感覚で理解しているのか、雪乃でさえ理解できなかった。
それでもどうにか教える事はできるようになったから、
こうして同じ大学に通えているんだが。
だから、弥生のように、理路整然としている理論派の極致の説明は、
由比ヶ浜にとっては天敵だと言えるのかもしれなかった。
八幡「まあ、お前ら。二人ともお手柔らかにやっておけよ」
昴「わかってるって。無理はしない」
結衣「ん?」
どうやら弥生だけは、俺の意図を理解したみたいだな。
だとすると、俺の感覚が由比ヶ浜に偏ってないってことか。
うし・・・、俺の感覚は由比ヶ浜化してないぞ。
な~んか、由比ヶ浜とつるんでいると、おつむが由比ヶ浜化しそうで怖いんだよな。
八幡「なあ弥生。このノート見てくれよ」
昴「これって、橘教授の講義のか?」
八幡「そうだ」
昴「なんでノートの真ん中で折り目が付いているんだ?」
八幡「ああ、これな」
こら、由比ヶ浜。弥生とは反対側から俺のノートを覗き込んできたけど、
そのドヤ顔やめろ。さっきまでまったく話についてこれなかったからって、
ここぞとばかりに誉めて誉めてって尻尾を振るな。
このノートの折り目を、お前が知っているのは当然なんだよ。
何度も俺のノートのお世話になってるからな。
まあ・・・、普段の俺なら、ちょっとくらいかまってやってかもしれないけど・・・。
八幡「弥生は、この講義のノート見るの初めてだっけ?」
昴「どうだったかな? 他の科目のならあったと思うけど、
あとで調べてみないとわからないな」
八幡「さすがのコピー王も、俺の対橘用のノートは初見か」
昴「この講義は、小テストが毎回ある分、みんな自分でノートとってるから需要がないしな。
それと、そのコピー王っていうのは、やめろって。学部中に広がってしまったのは、
比企谷のせいだろ」
587: 2015/01/08(木) 17:33:37.73 ID:PACE+wQi0
八幡「それは違う」
昴「どうしてだよ。お前が言いだしたんだろ」
コピー王。たしかに、俺が命名した弥生昴の二つ名だ。
といっても、中二病全開で命名したわけではない。
なんとなくこいつの行動を見ていたら、ふと口にしただけだ。
それに、何度もコピー王なんて言ったとも思えない。
たしかに、こいつはコピー王だとは思う。
なにせ、こいつはコンパクトスキャナーを随時携帯して、
レポート、ノート、過去門などなど、あらゆるデータをコピーしまくっている。
まず、突出すべきところは、その交渉術と行動力だろう。
図書館で、同じ学科の奴を見つけたら、友達でなくても、しかも、話した事がない相手でも、
顔を知っていれば突撃して、ノートの交換をしてくるのだ。
そして、その行動範囲は同学年にだけで終わらず、大学一年次の前期日程、正確にいえば、
五月の下旬には全学年で弥生昴の名と顔を知らない奴はいなくなってしまった。
一見弥生の行動は、無謀にも絶大なる行動力を有しているようにも見える。
しかし、本人曰く、一人のつてがいれば、その人を介して十人は声をかけられるとのこと。
俺からすれば、図書館で、いきなり顔しか知らない奴に声をかけているのを
目撃しているので、一人のつてもいなくても、もしかしたら全学年制覇はきっと
可能なんじゃないかって思えていた。
いやいや、俺が言ってる事は矛盾しているな。
俺みたいなぼっちは例外としても、一般的な大学生ならば、一人か二人くらいの連れはいる。
ならば、一人のつれがいれば、ドミノ式に全生徒に繋がっているとも言えなくはない。
たしかに、ぼっちは、誰ともつるんでいないので、どの組織にも接点がないともいえる。
それでも、大学生をやっていれば、グループ学習やら、ペアでの講義も必ずあるわけで
大学生活を誰とも接点を持たずに生活することは事実上不可能である。
ここで言いたいのは、事実上不可能であるということだ。
理論上は、なんかしらのつながりがあるかもしれない。
しかし、その繋がりは儚いくらいに細いもので、それが人と人との伝手であると
言ってもいいのか疑問に残る。
おそらくその伝手は、一般的に言ったら赤の他人というべきだ。
だが、弥生ならば、強引に、そのあるかどうかも疑わしい伝手を使って
交渉ができてしまうのだから、これはある種の尊敬すべき能力といえるだろう。
ここで話を戻すが、コピー王たる弥生昴のすごさはわかってもらえたと思うが、
そのデータ量のすごさは、既存の試験レポート対策委員会とかいうサークルを
上回ってるんじゃないかと思えるほどだった。
八幡「たしかに、俺が言いだしたのは認める」
昴「だろ? だったら、お前の責任じゃないか」
588: 2015/01/08(木) 17:34:24.01 ID:PACE+wQi0
八幡「いいや、違う」
昴「なんでだよ」
八幡「俺がお前にコピー王って連呼したとしても、誰がお前の事をコピー王って呼ぶだよ。
俺は自慢じゃないが、友達はほとんどいないぞ。
だから、お前の事をコピー王だなんて、伝える相手がそもそもいないんだよ」
昴「そうだな。この学部で、お前の話相手といったら、俺か由比ヶ浜さんくらいしか
いないんだよな」
八幡「だろ?」
昴「比企谷の友達の少なさを忘れるところだったよ」
八幡「それさえも忘れてしまうほどの存在感のなさなんだよ。俺って奴は」
昴「そんなことないだろ。お前、この学部で、ダントツに目立っているぞ」
八幡「それはないだろ。お前も俺の友達の少なさを認めたじゃないか。
友達もいないから、ひっそりと教室の片隅に座っていたら目立たないだろ」
昴「由比ヶ浜さんがいつも隣にいるだろ」
八幡「由比ヶ浜は友達多いし、そりゃあ、目立ちはするけど、だからといって
俺が目立つわけじゃあない」
昴「いやいやいや、違うって。人気がある由比ヶ浜さんを比企谷がいつも独占しているから
必然的に比企谷も目立ってるんだよ」
八幡「俺は由比ヶ浜を独占した覚えはないんだけどな」
ほら、俺の横の由比ヶ浜結衣とかいう人。
頬を両手で押さえて、ぽっと頬を染めて、デレない!
お前の責任問題を話し合ってるんだろ?
って、俺達って、なに話してたんだっけ? 時間ないとか言ってたような。
昴「工学部に綺麗な彼女がいるくせに、ここでも学部のヒロインを一人占めしているんだから
恨みもかっているぞ」
八幡「雪乃は、あまりここの学部棟には来ないから、関係ないだろ」
昴「雪ノ下姉妹っていったら、うちの大学で知らない奴がいないほどの美人姉妹だぞ。
その妹の彼氏といったら、注目されるに決まってるじゃないか」
八幡「雪乃が美人っていうのは認めるけど、だけどなぁ・・・」
結衣「ねえ、ヒッキー」
八幡「なんだよ」
せっかく危機的状況で、パニクっていたのを雪乃の事を思い出して和んでいたのに
なんで横槍を入れてくるんだよ。
俺に恨みでもあるのか?
だから、必然的に由比ヶ浜に向ける視線も、投げ返す返事も荒っぽくなってしまう。
由比ヶ浜は、むっとした表情で、やや批判を込めて訴えてきた。
589: 2015/01/08(木) 17:34:57.49 ID:PACE+wQi0
結衣「別にヒッキーがゆきのんのことで、でれでれしているのは、あたしは、
かまわないんだけどさ」
八幡「なんだよ。時間がないんだから、とっとと言えよ」
ん? なんで時間がないんだっけ?
結衣「別にあたしはいいんだけど、早く小テストの山をはらないと
授業始まっちゃうよ」
血の気を失うとはこの事だろう。
さあっと体温が低下するのと同時に、体中の汗腺から汗が噴き出してきて体が火照る。
やばい、やばい、やばい。
時間がないのに何を白熱してるんだよ。
コピー王って、学部中に広めたのは、俺じゃなくて由比ヶ浜だっていうことを伝える為に、
なんだってこんなに話に夢中になってるんだよ、俺。
八幡「ありがとよ、由比ヶ浜。助かった」
結衣「いいんだけどさ。・・・いつもお世話になってるし」
俺は、もじもじしながら口ごもる由比ヶ浜を横目に、
弥生に向けて応援要請を手短に伝えていく。
もうすぐ講義が始まって、橘教授がきてしまう。
その前に、一応保険として、弥生にも問題の山を一緒にはってもらわなくてはいけない。
なぁに、たぶん俺一人でも大丈夫だけど、念には念をいれないとな。
普段俺のレポートやらノートのコピーをしてるんだ。
このくらいの労働、対価としては安いだろう。
八幡「弥生、山はるの手伝ってほしい」
昴「それはかまわないけど、あと五分もないぞ」
八幡「それだけあれば十分だ。山をはるのは講義を聞きながらじゃないとできないからな」
俺は、にやりと不敵な笑みを浮かべるのだった。
第33章 終劇
第34章に続く
595: 2015/01/15(木) 17:28:23.82 ID:2jPBwEpe0
第34章
7月11日 水曜日
俺が弥生に頼んだ事は、いたってシンプルなノートの使い方だった。
まず、ノートを半分に折り、左側を授業の内容を筆記する。
これは、一般的なノートを取り方と変わりがない。
黒板を板書して、必要ならば解説を自分で付け加える。
黒板には書かないで口頭のみの説明時に聞きそびれて、
書き損ねそうになる事もあるが、悪態を心でつきながら、教科書とノートを見比べて
聞きそびれた個所を自分の言葉で埋めていく。
左側は誰もが小学生の時からやっている事だから、特に説明はいらないだろう。
俺が弥生に指示したのは、ノート右側の書き方であり、
この講義特有の事情から生まれた手法だ。
小テストは、必ずと言っていいほど「説明せよ」という設問であった。
授業で習ったばかりの知識を思い出して、論述を書きあげていく。
だとすれば、授業を受けながら、小テスト用の論述を書いておけばいいんじゃないかと
思って始めたのが、右ページの使い方であった。
つまり、左側に書かれている授業で示された記号を、右側ページに論述形式で
書きなおしていくってことだ。
一見、人からみれば二度手間だろう。
なにせ、左側に書かれている内容を単に文章にしただけなのだから。
雪乃も最初は二度手間だからやらないといっていたが、
俺からの説明を聞いたら納得してくれた。でも、結局は、雪乃はやらないらしいが。
俺からノートをよく借りる由比ヶ浜は、まあ、理解しているのか、してないのか
怪しいところだから保留にしておこう。
この二度手間ともいえる右ページ。
なにがいいかっていうと、解答の文章量がはっきりとわかることだ。
左ページの記号のみでの説明だと、シンプルでわかりやすいのだが、
文章にしてみると文章量が予想以上に多い時があったりする。
それに気がつかずに実際解答用紙に書いてみたりすると、文字数オーバーに
なったりすることがざらである。
また、文字数がオーバーしてしまうから、他の本来必要なキーワードをいれないで
減点くらう事も多くなってしまう。
ほとんどのやつが指定の文字数を埋めることで満足して、キーワード不足を
気がつかないんだよな。
つまり、あらかじめ文章量がわかるから、キーワードも落とさないし、文章量からの優先度
も明らかにわかるわけで、省くべき説明も最初から書かないですむ。
596: 2015/01/15(木) 17:28:51.70 ID:2jPBwEpe0
なんて理屈を上げてみたが、本当の狙いは、文章を書く練習だったりする。
要点のみをわかりやすく説明するっていうのは、案外難しい。
キーワードがわかっていても、実際文章を書くとなると、文章の構成がちぐはぐだったり、
短くまとめるべきところをダラダラと書いてしまったりもする。
だったら日ごろから鍛錬すればいいじゃないかという事で始めたのが
このノートの使い方だった。
嬉しい副作用としては、授業の復習時間が短縮された事と、
自分の言葉で今受けたばかりの授業内容を書く作業によって印象を深める事だろう。
雪乃みたいな才能がない俺にとっては、嬉しすぎる副作用であった。
さて、これが表の右ページの効用なのだが、今回は、これを逆手にとって
隠された右ページの効用を試してみたいと思う。
昴「比企谷って、ほんとうにこういうせこい方法を思いつくのがうまいな」
八幡「せこいっていうな。要領がいいって言え」
昴「はい、はい。要領がいいですね」
絶対心がこもってないだろ。
結衣「あたし、説明聞いてたんだけど、それでもよくわからないんだけど」
八幡「だからな、俺が由比ヶ浜を起こさない理由にもなるんだけど、
この授業は、そうとう忙しいってことなんだよ」
結衣「それはわかったんだけど・・・」
八幡「ノートの左側に黒板の板書を写して、
右側には、小テストにそのまま使えるように書き直した文章を書いていく。
ここまではいいな」
結衣「なんとなく・・・」
わかってないな。
うん、弥生も、由比ヶ浜はわかってないねって顔をしている。
八幡「で、だ。ここからなんだけど、一回の授業で習った範囲で、試験に出そうなのは
多くて三つが限度だ。下手したら一つって事もある。
これは、論述形式にするから、それなりの容量が必要って事もあるけど、
一回の授業で何個も試験で出題するようなものが出てこないんだよ。
たいていは、一つの主題を補足する為の説明がほとんだ」
結衣「はぁ・・・。ん、それで」
わかってないのに相槌うつなよ・・・・。
いっか。時間ないし。俺は、しかめっ面になりそうなのを無理やりうやむやにする。
597: 2015/01/15(木) 17:29:29.96 ID:2jPBwEpe0
八幡「だからな、小テストで書かす文章量と、これは出題傾向でもあるんだけど、
橘教授はその日一番重要な個所を出題する傾向があるところから、
この二つをあわせもつ個所を授業を聞きながら探せばいいんだよ。
いくら重要でも、小テストにするには文章量が少なすぎたりするのはNG。
また、次の週にまたがるのもNGだな」
結衣「ふぅ~ん」
もう、適当に相槌うってるな。
それでも、この由比ヶ浜を相手しちゃうんだよな。
それは、俺がこいつに助けられているからかもな。
八幡「ま、あとは慣れだな。他の講義も聞いていると、なんとなく、この辺を試験に
だしたいだろうなっていう所がわかるようになるから」
結衣「え? そうなの? だったら、もっと早く教えてよ。
とくに期末試験なんて、それやってくれたら勉強する量が減って助かったのに」
自分にとって有用な情報だけは聞きながさないんだな。
食い付きが違いすぎるだろ。さっきまでの、はいはい、
付き合ってあげてますよオーラ全開の態度はどこにやったんだ。
いまや尻尾を振って、襲い掛かる勢いじゃねぇか。
八幡「う・る・さ・い。今は忙しいんだよ。
それに、試験直前には、いつも試験の山みたいなのは教えてるだろ」
結衣「それは教えてくれているけど、それっていつも、最後の最後でぎりぎりにならないと
教えてくれないじゃん」
八幡「当たり前だろ。試験に出そうな所だけを覚えたって、知識としては不完全で
役にたたないだろ」
結衣「・・・そうかもしれないけどぉ」
昴「ほらほら、橘教授がきたよ」
八幡「弥生、悪いけど頼むわ。由比ヶ浜は、前を向けよ」
昴「貸しにしておくよ」
結衣「あたしだけ態度が違うのは気になるんだけど」
騒がしかった教室も、講義が始まれば静まり返る。
教室の前にある二つの扉も閉められ、外から聞こえてきていた喧騒もかき消される。
どこか几帳面そうな声色と、ペンがノートとこすれる音だけで構成される時間が始まった。
いたって普通。どこまでも先週受けた時と同じ時間が繰り返される。
598: 2015/01/15(木) 17:29:57.72 ID:2jPBwEpe0
始まって間もないのにどこか眠そうな生徒達の横顔も、
やる気だけは空回りしている由比ヶ浜も、
教室の前の方に陣取っている真面目そうな生徒達も、
先週見た風景と重なっていた。
ただ違う事があるとしたら、俺の期末試験と同じレベルの集中力と
隣で手伝ってくれている弥生の姿くらいだろう。
・・・・・・講義時間も残り少なくなり、あとは小テストを受けるのみとなった。
弥生と予想問題と解答を確認したら、ほぼ同じ内容なのは安心材料なのだが、
実際黒板に問題が書かれるまでは落ち着かなかった。
けれど、その緊張も今は新たな緊張へと変わっていっていた。
昴「おめでとう」
八幡「ああ、サンキューな。じゃあ、また明日」
昴「あせってこけるなよ」
結衣「ヒッキー、頑張ってね」
俺は二人に向かって頷くと、あらかじめ片付けておいた教科書を入れた鞄を手に
教室の前に向かって歩き出す。
試験問題は、ばっちし予想通りだった。
あとは、解答用紙を提出して、全速力で駅まで走るだけだ。
予想通りの設問に興奮状態で席を立ったまでは良かったのだが、
今俺が置かれている状態を予想するのを忘れていた。
いや、ちょっと考えれば誰もが気がつく事だし、気がつかない方がおかしいほどだ。
そう、小テスト開始直後に席を立つなんて、通常ではありえない。
どんなに急いで書いたとしても5分はかかる。
それも、解答があらかじめ分かっている事が前提でだ。
それなのに俺ときたら、誰しもがこいつなにやってるの?って気になってしまう状態を
作りだしてしまっていた。
最初は、俺達がひそひそ声で別れの挨拶をしているのに気が付いた比較的席が近くの
連中だけだったが、教室の通路を歩く俺の足音が響くたびに、俺を見つめる観衆の目が
増えていってしまう。
俺は、まとわりつく視線を強引に振り払い教卓の前へと向かっていく。
一段高い教卓を見上げると、訝しげに俺を見つめる橘教授がそこにはいた。
悪い事をしているわけでもないのに目をそらしてしまう。
ちょっとチートすぎる手を使ってはいるが、問題ない範囲だと思える。
弥生に応援を頼んだのだって、そもそもこの小テストはテキスト・ノートの持ち込み可
だけでなくて、周りの生徒との相談だって可能なのだ。
もちろん授業中であるからして大声を出すことはできないが、
ある程度の会話は認められていた。
599: 2015/01/15(木) 17:30:24.64 ID:2jPBwEpe0
由比ヶ浜なんかは、毎回俺に質問してくるんだから、ちょっとは自分一人でやれよと
言いたくなる事もあるが。
俺はするりと解答用紙を教卓の上に提出し、橘教授を見ないように出口の方へと向きを変えた。
提出完了。あとは早足でここを切りぬけて、室外に逃げるのみ。
テクテクと突き進み、あと少しで教室の出口というところで、聞きたくない音を
耳が拾ってしまった。
なんでこういう音だけは拾ってしまうんだよ。
たくさんある音の中で、しかも似たような音がいくつも重なっている場面で、
たった一つ、俺が一番聞きたくない音だけを耳が拾ってきてしまう。
全速力の早足が、徐々に勢いに陰りを見せ、通常歩行へと移行する。
それでも出口までの距離は短かったおかげでどうにかドアノブを掴むことができた。
けれど、怖いもの見たさっていうの?
見たくはないんだけど、知らないままでおくのも怖い。
だったら見ておいてから後悔するほうがましなのだろうか。
ここで結論が見えない迷宮に深入りする時間もないし、なによりも現在進行形で目立ち
まくっているわけで、俺が取るべき行動はこのドアノブをまわして、
出口から室外に出る事だ。
しかし、人の意思は弱いもので、ドアノブをまわしてドアを開け、
一歩外へと踏み出した瞬間に、見たくもなかった光景を見てしまう。
振り返らなければ、見ることもなかったのに。でも、見てしまった。
もちろん後悔しまくりだ。
俺の視線の先には、俺の解答用紙を凝視している橘教授がいた。
俺が見たその姿は、数秒だけれども、氏ぬ前の走馬灯のごとき時間。
けっして氏ぬわけではないのだけれど、閻魔さまは確かにそこにはいた。
ここから逃げ出して走ったのか、遅刻しない為に走ったのか。
もちろん後者のためなのだが、本能が前者を指し示す。
駅のホームに着いたところで時計を見ると、想定以上に早くつくことができていた。
電車がやってくるアナウンスもないし、慌てて階段を駆け上ってくる客も俺一人しかいない。
これは橘教授効果だなと、皮肉を思い浮かべることができるくらいまでは
精神は回復したいた。
電車に間に合った事で、自然と子供が見たら泣くかもしれない(雪乃談)笑顔を浮かべていると
マナーモードにしていた携帯が震え、俺も心臓を止めそうなくらい震えてしまう。
もう、やめてくれよな。びっくりさせるなよと、携帯の画面を確認すると、
弥生からの電話であった。
あいつも俺と同じように解答だけは出来上がっているんだから、
もう小テストは終わったのだろう。そうしないと、電話をする事は出来ないし。
・・・・・・でも、もし、いや、あり得ないとは思うけど、でも、ん、なくはないが、
橘教授が弥生の携帯を借りて俺に電話したとしたら?
600: 2015/01/15(木) 17:30:54.83 ID:2jPBwEpe0
橘教授も、生徒一人に時間をかける余裕なんてないんだしと、心に嘘をつきながら
通話開始ボタンを押した。
八幡「もしもし?」
昴「電車間に合ったか?」
八幡「なんだよ、弥生かよ」
昴「俺の携帯なんだから当然だろ。
それに、心配してやってるのに、そのいいようはないと思うよ」
安堵のあまり人目を気にしないでその場に座り込んでしまった。
せめてもの抵抗として、片膝を立てて座っているのが救いだろうか。
・・・誰も気にしないだろうけど、男の意地ってうやつで。
八幡「全速力で走ってきたから疲れてるんだよ。
今日は手伝ってくれて、ありがとな。だから、感謝してるって」
昴「そう? 感謝してるんなら、そのうち恩返しを期待してるからな」
八幡「俺に出来る事ならな。あと、時間に余裕があるとき限定で」
昴「それって、恩を返す気がないって事だろ」
八幡「返さないとは言っていないだろ。そろそろ電車も来るし、用件はそれだけか?」
昴「いや、伝言を頼まれて」
八幡「由比ヶ浜か? 無事に着いたって言っておいてくれよ」
昴「それは伝えておくけど、伝言を頼んだ人ではないよ。
ちなみに由比ヶ浜さんは、今も教室でテストやってると思う」
八幡「じゃあ、誰だよ?」
嫌な汗が額から滑り落ちる。
これは走ったからでた汗だ。そう、走ったからね。
と、俺の考えたくもない人物を全力で拒否しているっていうのに弥生の奴は
無情にも判決を下してしまった。
昴「橘教授からなんだけど、聞く?」
八幡「聞かないわけにはいかないだろ。一応聞くけど、聞かないという選択肢は可能か?」
昴「それは無理」
八幡「とっとと言ってくれ」
ちょっとは期待させる言い回しをしろよと、批難も込めて伝言の再生を催促した。
昴「そんなにびくつくなって。橘教授は笑っていたぞ。
あの橘教授が大爆笑していたんだから、研究室に一人で行っても殺されはしないって」
601: 2015/01/15(木) 17:31:27.68 ID:2jPBwEpe0
八幡「ちょっと待て。前半部分はいいんだけど、後半部分はサラっという内容じゃないだろ」
昴「とりあえず、伝言伝えるよ」
こいつマイペースすぎるだろ。だからこそ、俺と一緒にいられるんだろうけどさ。
でも、こいつったら友人関係は広いくせに、なんだって俺の側にいるんだろうか。
八幡「はいはい、どうぞご勝手に」
昴「比企谷みたいにまでとはいかないけど、毎年何人かは去年の問題使って
解答をそのまま提出する人がいるんだってさ」
八幡「たしか試験対策委員会のやつが出回っているらしいな」
昴「らしいね。でも、教授も言ってたけど、去年の問題は使えないように
若干設問を変えているんだってさ」
八幡「論述だし、設問変えたって、似たような解答になるんじゃないか?」
昴「その辺の違いは教授も説明してくれなかったけど、今回のは、
授業中の例え話が違っていたらしいよ。
今日授業でやった例を用いて説明せよってなってただろ?」
八幡「なるほどな」
たしかに、去年の問題を持っていたら、俺も過去問をそのまま使っていたかもしれない。
俺の場合は、過去問をくれる相手がいないんだけど・・・。
でも、弥生だったら持っていてもおかしくないか。
昴「だから、去年までのをそのまま使って解答書いた答案は、出来の良しあしにかかわらず
3割までしか点数をくれないそうだよ」
八幡「設問の要求を満たしていない解答だし、当然だろうな」
昴「それで、今回の比企谷の方法なんだけどさ」
八幡「ああ」
昴「橘教授、大絶賛だったよ。面白いってさ。
面白ければOKとか、あのしかめっ面でいったんだから、みんな唖然としてたよ。
できれば写真に撮って、比企谷にも見せてやりたかったな」
八幡「いや、遠慮しとく。想像だけでも、ちょっときついものがある」
昴「ということで、橘教授の研究室に来てくれってさ」
八幡「だから、どうして俺が行かないといけないんだよ」
昴「気にいられたからじゃないのか?」
八幡「なんで気にいられるんだよ」
昴「比企谷が今回とった方法を、自分が橘教授に教えたからかな?」
八幡「なんで馬鹿正直に教えてるんだよ」
昴「そりゃあ、聞かれたからだよ」
八幡「だとしても・・・」
昴「電車来るんじゃない? アナウンスしてるんじゃないか」
602: 2015/01/15(木) 17:32:00.05 ID:2jPBwEpe0
八幡「ああ、もう電車がくるけど、・・・いつこいって?」
昴「いつでもいいって言ってたけど、来週も授業あるんだから、早めに行っておいた方が
いいと思うよ」
八幡「わかったよ」
駅のホームに来るまでは絶好調だったのに。
どこかしらに落とし穴が待ち受けている。
注意深く突き進んできても、どこかでエラーが出てしまう。
あの時、教室を出る時、教授の顔を一瞬でも見たのが悪かったのか?
運命論なんて信じないし、俺のちょっとした行動が運命を、未来を変えてしまうとは
思えないが、それでも、あの時橘教授の顔を見なければよかったと、
電車を降りるまで何度も後悔を繰り返した。
無事遅刻する事もなく到着し、雪乃の親父さんと総武家の大将との話し合いも
和やかムードで終えることができた。
結論から言うと、俺が遅刻しようと、その場に全くいまいと、話し合いには
これっぽちも影響はない。
契約書の内容も、突っ込んだ内容になってしまうとあやふやだし、
これを自分一人で精査しろといわれたら無理だってこたえるしかない。
それは大将だって同じはずなのに、
そこは当事者としての意識の差がでてしまったかもしれない。
たしかに雪乃の親父さんがわかりやすいように説明していたけれど。
これは、陽乃さんから聞いた話だが、本来ならば親父さんが直接契約の場に
出てくる事などないそうだ。
もちろん大型案件ならば違うだろうが、企業所有のテナント一つの賃貸契約で
企業のトップが出てくるなど、あり得ない話であった。
となると、これは俺の勝手な想像になるのだけれど、この会談、もしかしたら
俺の為に設けられた部分もあるんじゃないかと思ってしまう。
ならば、俺が遅刻しないで到着した事も、意味があるのだといえるかもしれない。
さて、俺は親父さんにお礼を言ってから本社ビルをあとにする。
緊張しまくっていた体がほぐれ出し、肺に過剰に詰まっていた空気も、
どっと口から抜け出てくる。
振り返り、ビルを見上げると、さっきまであの上層階にいたことが幻のように思えてくる。
俺があの場にいられたのは、親父さんの計らいであって、俺の実力ではない。
いつか俺の実力で・・・・・・、いや、雪乃と二人の力で昇り詰めなければならない。
具体的な目標を目にできた事は、モチベーションの向上につながる。
けれど、今は鳴りやまない携帯メールの対応が優先だな。
603: 2015/01/15(木) 17:33:22.29 ID:2jPBwEpe0
マナーモードにしてあった携帯は、ビルから出る直前に解除したのだが、
ひきりなしに鳴り響くメール着信音に、再びマナーモードにしていた。
なにせ着信メール数が二桁を超えている。
現在進行形で増え続け、もうすぐ三桁になりそうであった。
チェーンメールではないよな?
アマゾンや楽天であっても、こんなにはメール来ないし、
アダルト関係は雪乃の目が光っているから完全に隔離状態だしなぁ。
となると、小町か戸塚か?
だったら、徹夜してでも全メールに返事を書くまでであるが、
どう考えたってあの二人だよな。
先ほどまでいた会談とは違う緊張感を身にまとい、とりあえずメールフォルダを
した。
第34章 終劇
第35章に続く
610: 2015/01/22(木) 17:28:50.26 ID:rAodTcpR0
第35章
7月11日 水曜日
俺が携帯画面を見るのを拒むように差し込む西日を避ける為、ビルの柱の陰に入り込む。
夏のむっとする空気が幾分か和らぎはしたものの、携帯に蓄積され続けているメールは
俺の汗腺を緩めてしまう。首も元にねっとりとまとわりつく汗を和らげるために、
ネクタイを緩めて、Yシャツの第二ボタンまで外す。
一応商談ともあるわけでスーツに着替えてはいた。
雪乃の親父さんからは、服装は普段着でいいとのお許しを得てはいたが、
総武家の大将が、ラーメンを作るときのユニホームからスーツへと着替えているのを
見た時は、親父さんのご厚意をやんわり返上していた事に、ほっと息をついてしまった。
やはりビジネスであるわけで、第三者である俺もマナーを守るべきである。
今はいいかもしれないが、雪ノ下の関係者という甘えがなあなあの関係からの甘えを生み、
いつ落とし穴に落ちてしまうかわかったものではない。
とりあえず商談も終わり、大学生に戻った俺は、スーツの上着を鞄と一緒に抱え込み
臨戦態勢で目の前まで迫った恐怖に立ち向かう事にした。
俺が商談中に舞い込んだ携帯データによると、
86通のメールと10件の留守番電話メッセージが届けられている。
雪乃と陽乃さんの二人によるもので、おおよそ半分ずつといった感じだろうか。
内容をまとめると、陽乃さんからは、雪乃を預かった。
返してほしかったら雪ノ下邸まで来い、といった感じだ。
一方、雪乃からは、陽乃さんの戯言に付き合っている時間はないから、
私を迎えにきたら、そのまま帰りましょうといったものだ。
この内容で、どうして86通ものメールを送る事になったのか、
今も送られてきているメールも含めると91通になるのだが、
このメール合戦にいたるまでの経緯など知りたいなど思えなかった。
どうせ陽乃さんが雪乃を挑発して、雪乃が負けじと応戦したのだろう。
とにかく夕方になっても気温は低下してくれないし、
暑苦しい事は極力さけるべきだ。
だから俺は、ビルの陰から西日が強く叩きつけられるアスファルトを早足で歩きだす。
一刻も早く次の日陰に逃げ込もうとテンポよく進む。
だが、一通だけ趣旨が違うメールが着ていた事を思い出し、早足だった足が止まってしまう。
脳にインプットされたメール情報が誤情報でないか確認する為に携帯で再度確認したが、
やはり誤情報ではなかった。
送信者は、雪ノ下陽乃。
611: 2015/01/22(木) 17:29:20.40 ID:rAodTcpR0
メールの内容は、ペリエ750mL瓶を五本買ってきて。
最後にハートマークやら、うざったい記号が羅列していた事は、この際デリート。
なんだって、このくそ暑い中、4キロほどの水を買って帰らないといけないんだよ。
そもそも俺は歩きなんだぞ。
俺の代りに陽乃さんが運転して帰っているんだから、
その時買えばいいじゃないか。なんだって車の陽乃さんじゃなくて、
徒歩の俺がくそ重い荷物を持って帰らにゃならん。
きっと、これは嫌がらせなんだろうけど、このとき雪乃が陽乃さんをやりこめていたんじゃ
ないかって思えてもきてしまう。
だって、これってただの姉妹喧嘩のたばっちりである事は確定しているのだから。
陽乃「御苦労さまぁ。2本は冷蔵庫に入れて冷やしておいてね。
あとの3本は、あとで片付けるからその辺の置いておいていいわ」
手に食い込んだスーパーの袋を床に置くと、ようやく苦行から解放される。
若干手に食い込んだビニール袋によってしびれは残るが、快適な温度まで気温が下げられて
いるリビングは、俺の疲れを癒してくれていた。
雪乃「八幡は休んでいていいわ。冷蔵庫には私がいれるから」
と、雪乃は冷たく冷えたタオルを俺に渡し、重いビニール袋を運んでいく。
いつもならば俺が重いものを率先として運ぶのだが、ここは雪乃の好意を素直に
受け取っておこう。
八幡「買い物だったら、車で行けばよかったじゃないですか。
しかも、重い瓶だったし。これって嫌がらせですよね?」
陽乃「嫌がらせではないわよ。だって、家に着いてからメールした内容だしね。
もし家にいた時かどうかを疑うっていうのならば、雪乃ちゃんに家に着いた時刻を
確かめてもらっても構わないわ」
毅然とした態度で俺に反論するのだから、本当の事なのだろう。
あまりにも俺の駄々っ子ぶりの嫌味に、ちょっと大人げなかった発言だと反省してしまう。
冷たいタオルが俺の体を癒していくにつれて、どうにか正常モードの思考を取り戻せ
つつあるようだった。
612: 2015/01/22(木) 17:29:50.69 ID:rAodTcpR0
八幡「いや、陽乃さんがそういうんなら、本当の事なんでしょう?
だったら雪乃に聞くまでもないですよ」
陽乃「そう?」
八幡「でも、ペリエ5本はないでしょ。俺は歩きなんですよ。せめて車の時に
言って下さいよ」
陽乃「うぅ~ん・・・。それはちょっと悪いことしたなって、メール送った後に
気がついたんだけど、でも比企谷君なら断ったりしないでしょ」
八幡「断りはしなかったと思いますけど、俺をいたわってくださると助かりますね」
陽乃「だったらちょうどいいわ」
ちょうどキッチンから戻ってきた雪乃は、陽乃さんの発言を聞きつけて、
綺麗な曲線を描いている眉毛をピクンと歪な曲線に変えてしまう。
雪乃「だったらちょうどいいわではないわ。
最初から姉さんはそうしようと考えていたじゃない」
陽乃「そうだったかしら?」
陽乃さんは、まったく悪びれた顔もせずに、雪乃の追及をさらりとかわす。
だもんだから、雪乃の眉毛はさらに歪さを増してしまうわけで。
八幡「で、なんなんですか?」
陽乃「うん。今日も夕食準備したから、二人とも食べていってほしいなってね」
そう温かく微笑むものだから、俺はもとより、雪乃でさえ反論はできないでいた。
今の陽乃さんの笑顔の前では、雪乃も強くは出られない。
昨日、強引に帰宅しようとした雪乃を見て、陽乃さんが見せた寂しそうな姿を
雪乃も忘れることができないはずだ。
どこかおどおどしく、子供が親に許しを乞おうとする姿に重なってしまう陽乃さんを
見ては、強気でなんていけはしないのだから。
雪乃「わかったわ。食べていくわ」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんがOKだしたからには、比企谷君も問題ないわよね?」
八幡「ええ、食べていきますよ。だけど、今度からは、重いものを頼む時は
車の時にしてくださいよ」
陽乃「ええ、わかったわよ。でも、帰宅する前に買い物を頼むって、なんだか
ホームドラマの一場面に出てきそうで、ほのぼのするでしょ?
お帰りぃ。今日も暑かったね。はい、これ頼まれていたやつって感じでさ」
八幡「そんなこと考えてたんですか?」
613: 2015/01/22(木) 17:30:22.53 ID:rAodTcpR0
陽乃さんの求めるものがちょっと意外すぎて、批難っぽい声をあげてしまったものだから、
陽乃さんはすかさず俺に食いついてきてしまう。
陽乃「そんなことってなによ。
私がいわるゆ家庭的な場面を求めるのが似合わないっていうの?」
八幡「馬鹿にしたわけじゃないですよ。それに、似合わないとも思ってませんって」
陽乃「本当かしら? なんだか比企谷君お得意の論理のすり替えをして、これからうやむやに
しようとしているんじゃなないかしら?」
八幡「違いますって」
この人、どこまで俺の事好きなんだよ。
俺の行動パターン全てお見通しってわけか。
俺の事を時間かけて研究したって、何もメリットなんてないですよって言ってやりたい。
ただ、言ったところで面白いからやだって即時却下されるだけだろうな。
しかし、八幡マイスターたる陽乃さんであっても、今回の分析は間違いなんですよ。
八幡「俺が言いたかったのは、そんな意図的にホームドラマの一場面みたいな状況を
作りださなくても、俺達ってもう家族みたいなものじゃないですか。
だったら、人のまねなんてしないで、自分達らしいホームドラマをやっていけば
いいだけだと思うんですよ。
といっても、俺も雪乃も家庭的って何?って人間なんで、
どうすればいいか、わからないんですけど」
陽乃「えっと、それって、私もその家族の一人に入ってるのかな?」
八幡「入っていますよ。そもそも陽乃さんは雪乃の姉じゃないですか。
だったら、その時点で家族ですけど、・・・・まあ、今俺が言っているのは、
それに陽乃さんが言ってるのも形式的な家族ごっこじゃなくて、
精神的な繋がりをもった家族ドラマだと思うんですけど、
そういう精神的繋がりを持った家族、俺達はやってると思うんですよね。
俺の勝手な思い込みかもしれないですけど・・・」
陽乃「うれしぃ」
八幡「ん?」
陽乃さんの声が、陽乃さんに似合わず小さすぎたんで、戸惑い気味に聞き返してしまった。
陽乃「うれしいって言ってるのよ。たしかに、比企谷君も雪乃ちゃんも、
もちろん私だって、ホームドラマみたいな家族なんて似合わないし、
どうやればそうなるかもわからないけど、・・・もうなってたのか。
そうか、これが家族なのか、な」
八幡「どうなんでしょうね?」
雪乃「あいかわらず適当な事を言う人ね。たまにはいい事を言うものだから
感動しかけてのたのに、なんだか騙された気分ね」
614: 2015/01/22(木) 17:30:55.75 ID:rAodTcpR0
八幡「俺は適当なことなんて一言も言ってないぞ」
雪乃「たった今言ったばかりじゃない。どうなんでしょうね?って」
八幡「それは、俺達の関係だけが家族じゃないって言っただけさ」
雪乃「もう少しわかりやすく言ってくれないかしらね。
コミュニケーションって知っているかしら?
自分一人が理解しているだけではコミュニケーションは成立しないのよ」
八幡「はいはい、わかっていますよ。これから説明するって。
だからさ、雪乃の親父さんも、そしてあの母ちゃんだって、俺から見たら
家族やってるって思えるだけさ。そりゃあ、あの母ちゃんだし、きついし
相手したくないし、逃げられるんなら即刻退却するけどさ、
それでも、雪乃や陽乃さんのことを大切にしてるなって思えるんだよ」
雪乃「あの母が? 冗談でしょ。あの人は、自分の着せ替え人形が欲しいだけよ。
自分の思い通りに動かない人形には、興味はないわ」
八幡「たしかに、そういう一面は否定できないし、俺もそうだと思う」
雪乃「だったら、あの母のどこに家族ドラマみたいな家庭があるのかしら?
雪ノ下の為。企業だけの為に行動してきたのよ。
現に姉さんのお見合いだって、進められてきたじゃない」
八幡「陽乃さんのお見合いは中止になっただろ」
雪乃「それは八幡のおかげでどうにか取りやめになっただけじゃない」
八幡「俺のおかげかは議論の余地が多大にあると思うけど、
雪乃や陽乃さんを大切に思っていることは間違いないと思うぞ」
雪乃「自分の人形コレクションの一つとして大切にしているだけだわ」
平行線だな。いや、俺があの女帝をフォローするたびに距離が広がっている。
だったら地球を一周回ったら線が交わりそうな気もするが、
ねじれの位置ならば、永久に交わらないし、永遠に距離が広がっていってしまう。
いわゆる「どうあっても交わることのない存在」を表す比喩を思い浮かべるが、
それは直接交わらないだけだと俺は捻くれた横槍を入れたりしたもんだ。
直接交わらないのなら、間接的に交わればいい。
どうせ人間一人では生きられない、ぼっちという意味ではなく、人間社会という意味で、
ならば、誰かしらが緩衝材として働けばいいだけだ。
だったら俺は、雪乃の為ならば、少しくらいあの女帝に近づいてもいいって思えてしまう。
この行動さえも雪乃からすれば余計なお節介なのかもしれないが。
八幡「その辺の事は今回は横に置いといてもいいか?
今回の話とは論旨がずれているからさ」
雪乃「いいわ。べつに、あの人の事を話したいわけでもないのだから」
八幡「助かるよ」
陽乃「それで、私と母達がどうして家族ドラマみたいな家族なのかしら?」
615: 2015/01/22(木) 17:31:33.62 ID:rAodTcpR0
八幡「どんな家族であっても、なんかしらの問題を抱えているからですよ。
うちだって父親が小町ばかり溺愛して、息子の方にお金をかけてくれないとか、
仕送りをもっとしてほしいって申請しても即時却下だとか、
たまに家族で食事に行くとしても俺の意見は全く聞いてくれないとか、
・・・小町優先なのは俺もだからいいんだけど、
親くらいは俺の事を気遣ってくれと言いたい」
雪乃「それは、八幡が愛されていないだけで、家族の問題にさえならないのではなくて?」
陽乃「そうね。問題意識を持たないのならば、問題にはならないわ」
八幡「そこの冷血姉妹。ちょっとは俺の事を大切にしてくれない?
そもそも雪ノ下家の話をスムーズに進める為に比企谷家の例を出しただけなのに、
どうして俺を揶揄することに全力をあげるんだよ」
雪乃「あら? 揶揄なんてしてないわ」
八幡「どこがだよ」
雪乃「私は、事実をそのまま言ったまでで、人を貶める発言など一切していないわ。
そもそも私があげた事実を聞いて、それで自分が馬鹿にされたと思うのならば、
その本人が自分の悪い点を自覚していると考えるべきだわ。
そうね、補足するならば、見たくもない事実を目にしてしまったということかしら」
雪乃は首を傾げながら饒舌に語りだす
そして、顔にかかった長い髪を耳の後ろに流す為に胸の前で組んでいた腕を解く。
八幡「別に認めたくない事実でもないし、仮に事実だとしても、
親が俺の事を放任してくれていて助かってるから問題にはならない」
雪乃「強がっている人間ほど、認めないものよ。
早く楽になりなさい。人間、一度認めてしまえば、あとは落ちるだけよ。
最低人間の極悪息子なのだから、仕送りをしてもらっている事実だけで
ご両親に最大限の感謝をすべきだわ」
八幡「なあ、雪乃。お前って、俺の彼女だったよな?」
最近では、あまりく聞くことがなくなってきた雪乃の毒舌。
久しぶりすぎて耐性が落ちてきている気もする。
ある意味新鮮で、高校時代を思い出してしまい、感慨深かった。
雪乃「そうよ。あなたみたいな男の彼女をやっていけるのは、私しかいないわ。
だから、・・・感謝するのと同時に、けっして手放さないことね」
訂正。高校時代とは違って、現在はデレが入っております。
頬を赤く染めて視線をそらす雪乃を見て、これが典型的なツンデレかと感動してしまった。
これがツンデレが。ツンデレだったのか。
616: 2015/01/22(木) 17:32:02.24 ID:rAodTcpR0
高校時代の雪乃の場合、ツンはツンだけど、そのツンの破壊力がでかすぎて、
殲滅兵器だったからなぁ。
たとえデレがあったとしても、ツンによって殲滅された後に雪乃しか立っていなければ
ツンデレは成立しない。
八幡「そうだな・・・そうすることにするよ」
雪乃「ええ、そうすることを強くお勧めするわ」
陽乃「あぁら、私は一言も比企谷君を傷つけたりしないわよ。
どこかの言語破壊兵器娘とは違って、大切な人がいるのならば、
自分自身が傷つけることはもちろん、他人にだって傷付けさせないわ」
八幡「いやいやいや・・・、さっき雪乃と一緒に言っていましたよね?」
陽乃「私が言ったのは、問題意識を持たないのならば、問題にはならないわって
言っただけよ」
八幡「それが揶揄しているって言うんじゃないですか」
陽乃「違うわね」
八幡「陽乃さんの中だけでは、そうなのですか?
でも、俺の中ではそれを揶揄しているっていうんですよ」
陽乃「私の中でも相手に向かって言ったのならば、揶揄しているというわ」
八幡「だったら、俺に対して揶揄したことになるじゃないですか」
陽乃「それは違うわね」
あくまで強気で、挑戦的な瞳をしている陽乃さんにくいついてしまう。
この人に立ち向かったって、痛い目をみるだけの時間の無駄だってわかっている。
だから、むしろ立てつかないで、うまく受け流すべきなのだろう。
だけど、この人を知っていくうちに、深く関わりたいと思ってしまう自分がいた。
八幡「どう違うんですかね?」
陽乃「それは、私が比企谷君に対して言った言葉ではないからよ」
八幡「はぁ?」
要領をえない。陽乃さんが何を言っているのか理解できず、
気が抜けた短い返事しかできないでいた。
陽乃「だから、私は比企谷君に向かって発言していないって言ってるのよ。
私がした発言は、雪乃ちゃんが言った発言に対する同意意見であって、
比企谷君をさして発言した内容ではないってことよ。
つまり、一般論を言ったってことかしらね」
八幡「はぁ・・・」
陽乃さんが言っている意味はわかる。わかるんだけど、ずるくないか?
617: 2015/01/22(木) 17:32:33.07 ID:rAodTcpR0
いくつかの意味にとれる言葉を使って、責任をうまく回避していて、
なんだが政治家が使う口述技法と重なってしまう。
陽乃「ね? 比企谷君を傷つける言葉なんて、どこかの自称彼女とは違って
一言も言っていないでしょ」
八幡「たしかにそうなんでしょうが・・・」
と、陽乃さんは、自分はいつだって味方だと言わんばかりに俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
自分を大切にしてくれて、いつも味方でいてくれるというのならば、それは俺だって
嬉しく思える。
だけど、陽乃さんの行動が、さらなる危機を招くってわかっていてやっているのだから、
これは完全なる味方だって言えるのか?
げんに雪乃の殲滅兵器起動のセーフティーロックが外された音がはっきりと耳がとらえたし。
それは陽乃さんだって、知覚しているはずだ。
陽乃「ねぇ、酷いわよねぇ。暑い中帰って来たというのに、冷たい麦茶の一つも
用意しないだなんて、そんな彼女はいないわよね。
はい、八幡。これ飲んで」
陽乃さんは、いつの間に用意したのか、氷が適度に溶けだし、グラスがうっすらと
曇り始めた麦茶を俺に手渡す。
八幡「あ、ありがとう、ございます」
陽乃「もう、他人行儀なんだから。暑かったから喉が渇いたでしょ」
八幡「そうですね。夕方なのに蒸し暑いし、なれないスーツっていうのもきつかったですよ」
陽乃「そうでしょ、そうでしょ、ささ、ぐぐっと飲んで」
八幡「あ、はい」
きんとくる爽快感が喉を駆け巡る。熱くほてっていた体も、この麦茶を皮切りに
クールダウンに入ってくれそうだ。
雪乃の親父さんとの会談。その後の雪ノ下姉妹の対決。
おっと、大学での時間調節もあったか。・・・あれは、明日にでも橘教授の元に
行かなくてはならないから、問題ありだけど、今日はもういいか。
色々面倒事の目白押しだったけれど、今日はもういいよ。
喉の渇きが癒されたら、今度は胃袋が陳情してくる。
ただでさえ暑くて燃費が悪いのに、緊張の連続で激しくエネルギーを消費してしまった俺の
エネルギーは枯渇間近であった。
陽乃「ねえ、比企谷君。今日は、銀むつの煮付けを作ったのよ。
食べたいって言ってたわよね」
618: 2015/01/22(木) 17:33:04.75 ID:rAodTcpR0
八幡「え? 本当に作ってくれたんですか?」
陽乃「もちろんよ。先日デートに行った時、デパ地下でお惣菜を見ていたときに
食べたいって言ってたじゃない」
たしかにデートはデートだけど、ストーカーをいぶりだす為の偽デートじゃないですか。
でもここで訂正入れても面倒事を増やしそうだし、かといってこのまま受け入れたら
雪乃が黙ってない、か。
と、雪乃の出方を伺おうと視線だけ動かすと、雪乃は俺の視線を感じて
ゆっくりと瞬きを一つ送ってよこしてきた。
・・・・・・セーフってことかな?
八幡「たしかにいましたけど、覚えていたんですか?
でも、あの時見たのは西京焼きでしたよね」
陽乃「そうよ。西京焼きも好きだけど、煮付けの方が好きだって言ってたから、
作ってみたのよ。でも、味付けが比企谷君好みだといいんだけどね」
八幡「そんなの陽乃さんの作ってくれるものだったら、
美味しいに決まってるじゃないですか」
陽乃「もうっ、嬉しいこと言ってくれるわね。でも、比企谷君好みの味付けも覚えたいから
ちゃんと意見を言ってくれると助かるわ」
八幡「あ、是非」
と、空腹の俺に好物を目の前に放り込まれてしまっては、雪乃の痛い視線に気がつくのに
遅れてしまっても、しょうがないじゃないか。
だって、疲れているし、好物だし、嫌な事忘れて食事にしたいし・・・。
はい、ごめんなさい。
俺は、やんわりと陽乃さんが絡めて来ていた腕をほどくと、雪乃に謝るべく膝を床についた。
第35章 終劇
第36章に続く
623: 2015/01/29(木) 17:30:11.41 ID:ebUOfYOG0
第36章
7月11日 水曜日
陽乃さんの指示の元、俺と雪乃はその手足となって料理を運んでゆく。
三人が一斉にキッチンを動きまわったら身動きがとりにくくなって非効率かと思いきや
そこは雪ノ下邸。比企谷宅とは違って三人が一同に行動しても問題はなかった。
どことなく注意深くキッチンを観察すると、俺と雪乃が暮らすマンションのキッチンと
どことなく雰囲気が似ている気がする。
もちろん部屋の作りが違うし、規模だって違う。
だけど、なんとなくだけど使い慣れた感じがするっていうか、
違和感を感じないのは、
雪乃が実家キッチンの仕様をそのまま導入しているからだと思えた。
比企谷家の台所にだって比企谷家なりのルールがあって、主に台所の支配者たる小町が
作ったルールが絶対なのだが、その小町が作ったルールでさえ俺の母親が
台所を自分なりに使いやすいようにアレンジしたものが源流だ。
そう考えると、いくら実家を飛び出して高校から一人暮らしをしだした雪乃であっても
実家での生活の全てを実家に置いてくることなんてできなかったんだって
今さらながら思いいたってしまうわけで。
ま、だからなんだって話で、雪乃に話したら、自分が使いやすいようになっているだけよって
そっけなく突き放されそうだけどさ。
陽乃「あまり改善点らしい意見はなかったわね。
本当にこのままでいいの?」
食事が進み、陽乃さんから依頼を受けていた銀むつの煮込みへの意見。
俺好みの味を知りたいって言われても、俺が今まで食べた中で最高に美味しかった。
なにせ俺が初めて食べたのは、親父が東京駅のデパ地下で買ってきたものであり、
そして、それを俺が大絶賛したものだから母親が自分なりに作るようになった。
そもそも親父だって、しょっちゅうそのデパ地下に行けないわけで、だからこそ
母親が作ってくれるようになり、そして平日夜の料理番を任されるようになった小町
が比企谷家標準の味付けとなった。
味付けに関しては、お店の物とは違うのだけれど、俺好みに改良されており、
なにより小町が作ってくれているんだから文句はない。
文句がないのは陽乃さんが作ってくれたものも同じだ。
624: 2015/01/29(木) 17:30:40.18 ID:ebUOfYOG0
でも、同じ文句がないでも、その方向性が違うのが大きな差なのだろう。
八幡「俺が今まで食べた銀むつの煮付けの中で、ダントツで美味しいですって。
だから、これをどう改善すればいいかなんてわからないですよ。
むしろなにか俺の意見を取りいれることで味のバランスが崩れかねませんか?」
陽乃「その辺の味のバランスは、私の方で調整するから、比企谷君がもっと甘い方が
いいとか、しょっぱい方がいいとか言ってくれると助かるんだけどな」
八幡「味加減も抜群だと思いますよ」
陽乃「それじゃあ、面白みがないじゃない。
私の味付けを比企谷君に押し付けているみたいで。
私は、比企谷君の好みが知りたいのよ」
八幡「そう言われましても・・・」
雪乃「八幡に無理難題を押し付けても、八幡が困るだけよ。
それに、私も姉さんの味付けはバランスがとれていると思うわ」
八幡「そうですって。俺の意見を聞くまでもないほど美味しいんですから」
陽乃「そ~お? だったら雪乃ちゃんが作ってくれたのと比べたらどうかしら?
作った人が違ったら、味付けが変わるでしょ」
八幡「いや・・・、その」
雪乃「ないわ」
陽乃さんが望むアットホームというべき温もりに満ちた食卓が、
雪乃を中心に遥か遠くの南極の風を吹き乱す。
室温は一気にマイナスを振り切り、絶対零度。
この極寒の世界で生きられるのは、
雪の女王たる雪乃とパーフェクトクィーンたる陽乃さんくらいだろう。
あとは雪乃と陽乃さんの母親を思い浮かべるが、
あれはあれで別次元の生き物って感じだし。
そんなわけで小市民たる俺は、吹雪が止むのを黙って見ているしかなかった。
陽乃「ないって?」
雪乃「銀むつの煮付けを作った事がないっていっているのよ」
陽乃「そうなの?」
雪乃「ええ、そうよ」
陽乃「一応言っておくけど、銀むつってメロのことよ」
雪乃「そのくらいは知っているわ」
陽乃「雪乃ちゃんって、銀むつ嫌いだったっけ?」
雪乃「嫌いではないわ。ただ・・・」
陽乃「ただ?」
雪乃「・・・・・・・知らなかったのよ」
625: 2015/01/29(木) 17:31:07.55 ID:ebUOfYOG0
雪乃の小さな呟きは、俺達の耳までは届かなかった。
けれど、雪乃の姿を見れば、陽乃さんはもちろん、俺だって見当はつく。
その言葉の裏に込められた意味までも、しっかりと。
雪乃「知らなかったのよ。だって八幡、言ってくれなかったじゃない」
八幡「言う機会がなかっただけだって。スーパーに行っても、銀むつって
サンマやイワシみたいなメジャーな魚じゃないだろ。
だから、陽乃さんが知っているのも、
たまたまデパ地下の総菜コーナーで見かけたからにすぎない」
雪乃「そうかもしれないけれど、だからといって・・・」
陽乃「姉の私が知っていて、彼女たる雪乃ちゃんが知らないのは許せない?」
だから、やめて下さいって、煽るのは。
挑発的な顔をして雪乃を追い詰めるのは、ただただ姉妹喧嘩に発展するだけじゃないですか。
いまや絶対零度の吹雪を撒き散らしていた雪乃王国の氷塊は溶け始めていた。
なにせ熱砂の女王陽乃さんが雪乃国に熱波をたたきこんで
食卓を混乱に引きずり込もうといしているのだから。
雪乃「姉さん!」
陽乃「彼女だからって、全てにおいて他者よりも優れていたい?」
雪乃「そんなことは・・・」
陽乃「彼女だから、誰よりも比企谷君を理解している?」
雪乃「それは・・・」
陽乃「彼女だから、他の女を寄せ付けたくない?」
雪乃「だから、姉さん・・・」
陽乃「彼女だから、比企谷君の・・・」
八幡「陽乃さん、もうその辺にしときましょうよ」
陽乃「そう?」
雪乃は俯き、膝の上で握りしめているだろう拳をじっと見つめていた。
その表情は黒髪が覆い尽くしている為に確認できないが、
きっと打ちひしがれているのだろう。
・・・いや、負けず嫌いの雪乃のことだから、陽乃さんを睨みつけながら反旗の機会を
探っているか?
どちらにせよ、ここで止めないとせっかく改善した姉妹関係が壊れかねない。
それにしても今日の陽乃さんは、踏み込み過ぎていないか?
今までだって小競り合い程度のコミュニケーションは何度もあったけれど、
今日みたく雪乃を追い詰めようとしたことはない。
だから、不安になってしまう。
626: 2015/01/29(木) 17:31:39.78 ID:ebUOfYOG0
何を考えているかわからない陽乃さんに逆戻りしてしまうんじゃないかって、
陽乃さんから漏れ出ているかもしれない不気味な雰囲気を探してしまいそうになってしまう。
八幡「雪乃もいいな」
雪乃「私は・・・、構わないわ」
八幡「あとな、雪乃・・・」
雪乃「なにかしら?」
雪乃を顔をまっすぐ見つめて、言うべきか迷ってしまう。
俺がこれから言おうとしている事は間違いではない。
おそらく正しい。けれど、今の精神状態の雪乃が理解してくれるだろうか?
人は時として、事実を受け入れられなくなる。
正しいのだけれど、正しいと理解できなくなってしまう。
それでも今の雪乃には必要な言葉だと、信じたい。
八幡「雪乃が俺の事を理解するなんて、無理だと思う」
このたった一言で、雪乃の顔が凍りつく。
うつろな目で俺を見つめ返し、膝の上になったはずの手は、
だらりの椅子の下の方へと垂れ下がる。
裏切られたと思っているはずだ。
どんなときだって味方だと思っていた俺に見捨てられたと思っているはず。
なんだけど、こればっかりは言っておかないといけない、と思う。
八幡「長年一緒に育った小町だって、俺の事を全ては知らないし、
俺だって小町の事を誰よりも理解しているって、うぬぼれてはいない。
そもそもこんな一般論を言う事自体必要な事ではないと思うんだけどさ、
なんだか今の雪乃には、こんな教科書に載っているような一般論が必要かなって」
陽乃「ある人物の全てを知る事はできない。
知ることができるのは、ほんのわずかな一面のみ。
親しい人ほど、その人物が持つ一面を数多く手にしてくけれど、
それは多いだけであって、すべてではない。
裏を返せば、親友が知らなくても、顔見知り程度の人が知っている事さえ
あり得るってことかしらね」
八幡「まさしく教科書通りの解説ですね。まあ、そんなところですよ」
雪乃「いまさら小学校の教科書に出てくるような事例を八幡に上から目線で
ご演説して頂けるとは思ってもいなかったわ」
雪乃の力が抜けきっていた肩がピクリと反応したかと見受けられると、
半分虚勢が入りつつも胸をしっかりと張る。
627: 2015/01/29(木) 17:32:14.42 ID:ebUOfYOG0
そんな雪乃を見ていると、
どこまでも負けず嫌いなんだよって誉め撫でまわしたい衝動に駆られてしまう。
なんて自制心を鍛えていると、俺の漏れ出たわずかの衝動を察知した雪乃の瞳が
笑いかけてきているのは思いすごしではないだろう。
なにせ陽乃さんがむすぅっと俺を雪乃を見比べているのだから、ほぼ確定事項といえた。
陽乃「そうね。雪乃ちゃんなんて、涙ながらも比企谷君の演説を聞いていたんだから、
なかなかの演説だったといえるんじゃない?」
雪乃「姉さん・・・」
陽乃さんに険しい視線を向ける雪乃を見て、俺はため息しか出てこなかった。
陽乃さんも陽乃さんで、どうして雪乃に挑戦的なんだよ。
これが雪ノ下姉妹の正常な関係って言われてしまえば、そうなんだけど、
その姉妹の間に置かれている俺の事も考えてほしいものだ。
八幡「もう、いいでしょ。俺だって雪乃の事を全て知っているわけじゃないし、
俺よりも陽乃さんの方が雪乃の事を知っている事は多いはずだ。
その一方で、ここ数年の雪乃に関しては、
誰よりも俺が知っていると自負しているけどな」
陽乃「はい、そこ。のろけない」
八幡「のろけていませんって。それに陽乃さんのことだって、ここ数日で大きく印象が
変わってきているのも事実なんですよ。
はっきりいって、今までの印象との落差がありすぎて、戸惑っているというか
・・・・いや、当然の結末だったというか、かな?」
陽乃「どうなんでしょうね? 比企谷君が今見ている私も、それ以前の私も、
同じ雪ノ下陽乃だと思うよ。だって、私は私だもの」
八幡「それは事実ですけど、俺の頭の中でイメージされている雪ノ下陽乃は
やはり変化していますよ」
陽乃「それは、比企谷君が私の事を知らないだけよ」
八幡「ですよねぇ・・・」
雪乃「落ち込むことなんてないわ。なにせ私なんて、生まれてきた時から姉さんの事を
見てきたけれど、全く理解できないもの。
・・・・そうね、理解しないほうが幸せなのかもしれないわ」
そっと頬に手を当てて陽乃さんを流し見る雪乃の姿に艶っぽさを感じてしまったのは
ここでは内緒だが、陽乃さんを理解しようと踏み込むのは、雪乃が言うような不幸せには
ならないと思う。ただし、空回りしてしまうとは思ってしまうが。
なにせ、陽乃さんは自分を見せない人だ。だから、ひょんなことがきっかけで
突然垣間見せる陽乃さんの本心を見逃さないように注意深く見守るしかないのだろう。
628: 2015/01/29(木) 17:32:42.59 ID:ebUOfYOG0
陽乃「女はね、謎があったほうが魅力的なのよ。
男は理解できないから理解したくなるってものじゃない」
雪乃「理解したいって思って下さる殿方がいらっしゃればいいわね、姉さん」
言葉づかいこそ丁寧だが、絶対雪乃の言葉の裏には悪意がこもっているだろ。
にっこりと細めた目の奥には、きっと陽乃さんへの反骨心がこもっているはずだ。
陽乃「そうねぇ・・・」
陽乃さんも陽乃さんで、妖艶な瞳を俺に送ってくるのはよしてください。
陽乃「まずは自分を理解してもらおうと思ったら、相手の事を理解しないと。
だ・か・ら、今日は銀むつの煮付けを作ってみたけど、
今度は、西京漬けの方を作ってみるわね」
八幡「宜しくお願いします」
陽乃「それと、煮付けの方も私の方で研究してみて、ちょっと味付け変えたのが出来たら
また食べてくれると嬉しいな」
八幡「絶対食べますって。俺の方がお願いしたいほどですよ」
陽乃さんは、俺の返事に頬笑みで返事を返してきた。
もう終わりだよね? 大怪獣戦争は終わりだよね?
食事の話に戻ってきたし、核戦争は防がれたんですよね?
俺は、ある意味「楽しい話し合い」が終わりを迎えた事に胸を撫でおろす。
やや雪乃の方には不満がくすぶっているみたいだが、ここは我慢してくださると助かります。
波乱に満ちた食事も終わり、食後のコーヒータイムとしゃれこんでいた。
香り高いコーヒーの誘いが鼻腔をくすぐる。
これといってコーヒーにこだわりがあるわけではないし、
人に自慢するような知識もあるわけでもない。
だからといって、コーヒーの香りの魅力が落ちるわけはなく、
陽乃さんが淹れるコーヒーの香りに体は素直に反応する。
コーヒーの臭いを嗅ぐと、体がコーヒーを渇望してしまう。
まっ、MAXコーヒーはコーヒーのジャンルではあるが、それはそれ、あれはあれだ。
むしろマッカンは、MAXコーヒーというジャンルだと思える。
コーヒーに格別詳しいわけではない俺であっても、
毎日のように嗅いでいる特定のコーヒー豆ならば、
なんとなくだけど、いつものコーヒーだなって気がつくことができる。
629: 2015/01/29(木) 17:33:08.66 ID:ebUOfYOG0
雪乃の紅茶を淹れる動作もそうだが、陽乃さんのコーヒーを淹れる仕草は絵になっていた。
雪乃が柔らかい物腰だとしたら、陽乃さんはきりっとした優雅さを描いている。
いつもはコーヒーメーカーで淹れるらしいが、今日は特別にハンドドリップだそうだ。
本人いわく、コーヒーメーカーでやっても、自分でいれても大した差はないわ。
自分でやるのは面倒だし、時間と手間がかかるだけ。
だったら、機械に任せた方が効率的なのよ、とのことだったが、
俺からしたら、陽乃さんがコーヒーを淹れてくれている動きそのものがご馳走であり、
コーヒーの魅惑をより高めているとさえ思えてしまった。
先日も陽乃さんに手料理をご馳走になったが、
そのときも包丁の選択を気持ちの問題で選んだところがあった。
普段の陽乃さんの行いを見ていると、なにかしらの意味・効率があると思えていた。
人の気持ちを手玉にすることも多々あるが、面白半分で行動に起こす事はない。
むしろ明確な目的があって行動するわけで、気持ちの問題で選択などしないと思える。
人間なんて気持ちでモチベーションや成功率が大きく変化するのだから、
陽乃さんに限って気持ちの部分を切り離して語ろうだなんて論理的ではない。
ただ、自分の気持ちを切り離して、親の期待を優先して行動してきた陽乃さんだからこそ、
俺は陽乃さんの行動原理においては気持ちの部分を切り離して考えてしまう悪い癖が
ついてしまったのかもしれなかった。
だから、真心というか、陽乃さんがそういった気持ちの部分を大切にしてくれて
いる事自体が、無性に嬉しくも思えていた。
陽乃「鼻がひくひく動いて可愛いわね」
俺の鼻を見て、小さく笑顔を洩らす陽乃さんに、俺は顔が赤くなってしまう。
コーヒーに誘われて、体が反応してしまったのも恥ずかしかったが、
それよりも、陽乃さんのコーヒーを淹れる姿に魅入っていたことに
気がつかれてしまったことに恥じらいを覚えた。
その俺の恥じらいさえも陽乃さんにとっては、歓迎すべき振るまいなのだろうか。
機嫌が悪くなるどころか、鼻歌まで歌いそうな勢いで準備を進めていく。
八幡「なあ、雪乃。これって、いつも家で飲んでいるコーヒーじゃないか?」
陽乃「そうなの?」
俺と陽乃さんは、雪乃にコーヒー豆の答えを求める。
急に雪乃に話が振られたせいで、雪乃は一瞬キョトンとしたが、
すぐさまいつもの調子でたんたんと解説をしてくれた。
ただ、俺と目が合った時、ちょっと不機嫌そうになったのは気のせいだろうか?
なにか雪乃の機嫌を損ねることなんてしたかなぁ・・・・・・。
雪乃「ええ、うちのと同じコナコーヒーよ」
630: 2015/01/29(木) 17:33:44.25 ID:ebUOfYOG0
八幡「いつも飲んでるのって、コナコーヒーだったのか」
雪乃「自分が飲んでいるコーヒーくらい知っておきなさい」
陽乃「でも、雪乃ちゃんがコナコーヒーを選ぶなんて意外ね。
いや、想像通りっていうのかな?」
陽乃さんは、ひとり何やら疑問に思ったり、納得したりとニヤついているので
この際ほっとこう。むやみに突っ込むと、被害を受けるのはこっちのほうだ。
八幡「てっきりスーパーで買ってきた何かのブレンドか何かかと思ってたんだよ。
だってさ、雪乃ってコーヒーにはこだわりがなさそうだから」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんもコーヒー飲まないわけじゃないわよ」
八幡「そうなんですか?」
陽乃「だって、雪乃ちゃんが実家にいた時、私がコーヒー淹れてあげてたんだから。
今日淹れたコナコーヒーも、私が特に好きな銘柄で、
雪乃ちゃんも好きだと思うわよ」
八幡「へぇ・・・」
意外だった。雪乃は、いつも紅茶ばかり飲んでいるから、コーヒーはそれほど好みが
あるとは思いもしなかった。
いや、紅茶が好きだからといって、コーヒーの好みがないって決めるけるのは早計か。
陽乃「雪乃ちゃんって、私の事がちょっと苦手なことろもあったから、
比企谷君に私が好きなコーヒーを勧めるなんて意外だったわ」
雪乃「八幡がいつも甘いコーヒーばかり飲んでいるから、心配になったのよ。
外ではいつも甘すぎるMAXコーヒーだし、家ではインスタントコーヒーに
練乳をたっぷり入れて飲んでいるのよ。
いつか糖尿になるんじゃないかって心配になるじゃない。
・・・・・・・だから、美味しいコーヒーを八幡に飲ませれば、
少しは甘くないコーヒーも飲むかなって・・・。
だからね・・・、コーヒーなら姉さんのチョイスを信じたほうがいいかと」
陽乃「うぅ~んっ。雪乃ちゃんってば、健気で可愛いすぎるっ。
思わず抱きしめたくなるわ」
雪乃「姉さん。抱きしめたくなるわではなくて、既に抱きついているのだけれど」
すでにコーヒーを淹れ終わったのか、コーヒーカップを3つのせたトレーとテーブルに
置くと、陽乃さんは雪乃の後ろから抱きついていた。
そのあまりにも素早すぎる動きに俺も雪乃も気がつかないでいた。
気がつかないというよりは、一連の動作があまりにも自然すぎて違和感がなかった。
だから、陽乃さんが雪乃の後ろに回り込んでいた事に気がつかなかったのかもしれない。
631: 2015/01/29(木) 17:34:12.25 ID:ebUOfYOG0
雪乃「ちょっと、・・・姉さん、苦しいわ」
陽乃さんの強烈な胸に頭を圧迫されている雪乃が、目で俺に助けを求めてくる。
どうしろっていうんだよ?
下手に手を出したら、二次被害に陥るぞ。
ましてや、どこにどう手を出せばいいんだ。
百合百合しい光景に目が奪われていたわけではない事は、主張しておこう。
だから俺は、トレーからカップを一つ手に取って、
そのまま口にカップをよせたとしても、なにを非難されよう。
うん、うまい。この前も陽乃さんのコーヒーを飲んだけど、さすがだ。
ま、俺に味の違いなんてわからなくて、気持ちの問題なんだけどさ。
俺が優雅にコーヒーを楽しんでいると、ちょっと忘れようとしていた問題が蒸し返される。
先ほどより強く鋭い雪乃の視線が俺に突き刺さっている。
おそらく、早く助けなさいって、雪乃が目で訴えているんだろう。
その必氏な視線を貰い受けたのならば、彼氏としては助けるべきなのだろうな。
でも、相手はあの陽乃さんなんだよなぁ・・・。
へたに助けに入ると俺の方がさらなる被害をうけちゃうし。
だから、雪乃。ここは一つ自分で頑張ってくれ。
俺は、再び雪乃達の百合百合しい姿緒堪能・・・いや、静かに見守るとするよ。
きっと陽乃さんも飽きれば解放してくれるはずだしさ。
さて、俺は陽乃さんが淹れてくれたコーヒーを飲んで待ちますか。
第36章 終劇
第37章に続く
639: 2015/02/05(木) 17:29:08.48 ID:ymAshzYk0
第37章
7月11日 水曜日
・・・・・どうやら俺が助けに入らないとわかり、諦めたのか、雪乃の反抗は弱まる。
一方、陽乃さんの方も横目で俺の動向を伺っていたので、
俺が手を出さない事を理解したのだろう。
ん? あれ? もう終わり?
俺が再びカップに口につけようとすると、目の前の惨劇はトーンダウンし、
二人とも静かに自分の席へと戻っていくではないか。
あら? なんだか二人ともコーヒー飲み始めちゃったぞ。
どうなってるんだ?
陽乃「ねえ、雪乃ちゃん」
雪乃「なにかしら、姉さん」
陽乃「もしもの話なんだけどさ、もしもよ、もしも」
雪乃「ええ」
陽乃「もし、目の前で彼女が、それも愛おしい彼女が困っていたら、
彼氏だったら、たとえどんなに困難であっても彼女を助けるものよね?」
雪乃「姉さん。何を当たり前の事を言っているのかしら。
仮に、仮にだけれど、私がお付き合いする彼氏だとしたら、
たとえ自分の命を引き換えにしてでも、私を助けに来るに決まっているじゃない」
陽乃「そうよねぇ。彼氏なんだし。
もし、もしもだけれど、彼女を見捨てることなんてあったら、彼氏失格よね」
雪乃「当たり前じゃない。これも仮定の話なのだけれど、彼女が困っているのを
目にしながらも、それを平然と横目で見ながらコーヒーなんて飲んでいるとしたら
氏刑ものね」
陽乃「そうよねぇ・・・・・・。もしもだけど、雪乃ちゃんがそんな彼氏と付き合って
いたとしたら、即刻別れるわよね?」
雪乃「そうね」
あれ? なんで、こうなった?
なんでこんなときだけ息ぴったりなんだよ!
そりゃあ、雪乃を見捨てて、陽乃さんから逃げ出したけど、それは、俺が加わると
二人して被害にあって、それも、その被害が倍どころじゃすまないって
雪乃も知ってるじゃないか。
640: 2015/02/05(木) 17:29:36.99 ID:ymAshzYk0
だから、俺は黙って嵐が過ぎ去るのを待っていたのに。
陽乃「だってさ、比企谷君」
八幡「え?」
陽乃さんは、そう弾むような声で言うと、後ろから俺の首元に両腕を絡みつけてきた。
そして、今度は雪乃ではなく、俺の頭をその豊満な胸で抱きかかえてくる。
ほどよい弾力を持つそのクッションで俺の頭を包み込むと、
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
陽乃「比企谷君、雪乃ちゃんに振られちゃったねぇ」
八幡「え? あの・・・」
陽乃「だ・か・ら、私と付き合っても問題ないね。
だって、比企谷君は、今フリーでしょ。彼女いないんだったら
私と付き合っても問題ないし」
八幡「えっ、えっ? 陽乃さん?」
陽乃「もうっ。陽乃さんじゃなくて、陽乃でいいよ。
あっ、私の比企谷君じゃなくて、八幡って言ったほうがいいかな?」
雪乃「姉さん」
怒涛のごとく進む展開についていけない。
いつしか陽乃・雪乃連合は決裂していた。
いや、最初からこうなる運命だったのか。陽乃さんだったら、ありえる。
雪乃も気がついたときには遅く、陽乃さんのペースについていけてはいないようだった。
八幡「陽乃さん? あの陽乃さん、ちょっと待って」
陽乃「もうっ。陽乃さんじゃなくて、陽乃でしょ。
ほら、言ってみて」
八幡「え? はい。陽乃」
陽乃「はい、八幡。・・・・・・あぁ~、いいわ。なんか彼氏彼女ってかんじがするぅ」
陽乃さんは、勝手に舞い上がって、勝手にはにかんで、勝手に身悶えていた。
ただ、問題があるとしたら、どの行為であっても陽乃さんの動きに連動して
胸が大きく揺れ動き、その結果、俺の頭もその胸の恩恵を受けるわけで・・・・・・。
うん、・・・・・柔らかくて、気持ちいいっす。
と、陽乃さんの精神攻撃を直撃されていると、遠方から致氏性の精神攻撃が準備されていた。
もしトリガーが引かれでもしたら、俺の精神はすぐさま崩壊するだろう。
しかし、まだトリガーに指をかけた状態だというのに、雪乃から漏れ出る冷気だけで
俺を圧迫していた。陽乃さんは、雪乃の冷気を感じ取っているはずなのに、
まったく意に関せずで我が道を突き進んでいた。
641: 2015/02/05(木) 17:30:08.36 ID:ymAshzYk0
雪乃「姉さん」
ほら、陽乃、雪乃が呼んでますよぉ。
・・・・・・・訂正。陽乃さん、雪乃が呼んでいます。
陽乃「もう、八幡ったら。もう一回陽乃って呼んで。・・・きゃっ」
雪乃「姉さん」
陽乃「ほらぁ、八幡も照れないで。陽乃って、言ってよぉ」
雪乃「姉さん」
陽乃「ほら、ほらぁ」
雪乃「姉さん」
八幡「陽乃、そろそろやめた方がい・・・・・ぐっ」
俺は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
顔を雪乃の手で掴まれ、そのまま陽乃さんの胸へと押しやられる。
クッションが効いていて気持ちいいだけだが、
前からの迫りくる圧迫はその心地よさも全て帳消しにしてしまう。
いったい雪乃の細い指のどこに俺の顔をしっかりと掴む力がやどっているのか疑問に思う。
見た目通り線が細い雪乃の体に、俺を抑え込む力があっただなんて、
到底想像なんてできなかった。
俺の顔を掴み取り、じりじりと俺の皮膚に爪が食い込んでいく。
爪が食い込んで痛いのか、それとも、指による圧迫が痛いのかわからない。
おそらくその両方なんだろうけど、とにかく救いがあるとしたら、
雪乃の手によって目が半分以上おおわれて視界を奪われている為に、
雪乃の顔を直視しなくていい事だった。
それでも雪乃の手の隙間から覗き込む雪乃の顔を見ると、ほんのわずかでもその顔を
見た事を後悔してしまう。
だって、その表情だけでも致氏性の精神攻撃が備わっているんだぜ。
もし、これを直視していたんなら、俺は石になっていた自信がある。
心を堅く閉ざして、必氏に嵐が去るのを待つしかない。
陽乃さんくらいなら、笑いながらその嵐の中でサーフィンをやってのけてしまう馬鹿者
だろうけど、あいにく俺にはそんな度胸も卓越した能力も持ち合わせてはいなかった。
雪乃「ねえ、八幡。今、陽乃って言いませんでしたか?
たぶん、私の聞き間違いだと思うのだけれど」
たしかに思わず「陽乃」って言ってしまった。でもさ、雪乃。
それは、陽乃のプレッシャーというか、いや、訂正します。
642: 2015/02/05(木) 17:30:53.83 ID:ymAshzYk0
陽乃さんのプレッシャーからくるもので、心の底から呼び捨てにしたいって
思ったわけではないんだって。
八幡「あ、・・・ぐっ」
だから、言い訳になってしまうけれど、俺の本心を雪乃に伝えようとはした。
だが、雪乃によってアイアンクローを喰らっている俺には口を動かす余裕もなく、
ただただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。
陽乃「ゆき・・・の、ちゃん?」
陽乃さんの声もくぐもっていく。
なにせ、雪乃の握力だけで俺を陽乃さんの胸から引き離してしまったのだから。
俺は雪乃に顔を引っ張られるまま、抵抗もせず、腰を椅子から浮かす。
そして、雪乃の誘いのまま雪乃の胸へと収められた。
雪乃「姉さん。おふざけにしても、限度があるのよ?
私の八幡にちょっかい出さないでくれないかしら」
陽乃「あら? いつ雪乃ちゃんと比企谷君が結婚したのかしら。
せめて婚約したのなら問題だけど、ただ付き合ってるってだけじゃねぇ。
比企谷君の所有権を主張するんなら、それくらいの根拠を示してほしいわ」
雪乃「あら。姉さんにとっては、法的根拠など意味をなさないのではなくて?
そんな曖昧で、紙切れ一枚の根拠など、寂しいだけだわ」
陽乃「あら。気が合うわね。私もそう思うわ。
だ・か・ら、比企谷君が望む場所を選ぶべきよね?」
雪乃「それが姉さんの所だとでも言いたいのかしら?」
陽乃「べっつに~・・・。でも、比企谷君は、私の胸の中で幸せそうにしていたわよ。
今いるゴツゴツしているだけの場所よりは、気持ちよさそうだったわ」
おっしゃる通りで。だからといって、それを認めるわけにはいかない。
認めたら最期。今度は冷たい箱に俺が収められてしまう。
雪乃「そうかしら? 姉さんの場合は、無駄に八幡を圧迫しているだけだったようだけれど。
それに、たとえ肉体的優位性があったとしても、それがなんだというのかしら?
それこそ一時の快楽にしかならないわ。
そのような浅いつながりで八幡を繋ぎ止めておけはしないわ」
陽乃「雪乃ちゃんも、言うわねぇ。そこまで比企谷君を信頼しているっていうことかしら。
でもね、それだったら、肉体面だけでなく、精神面での優位性も確保すれば
いいだけじゃない。すでに肉体面では雪乃ちゃんは白旗を上げたんだし、
あとは精神面しか残っていないとも言えるわね」
643: 2015/02/05(木) 17:31:22.24 ID:ymAshzYk0
雪乃は少し悔しそうに唇をかむ。
肉体面だけならば、一般的に見れば明らかに陽乃さんが有利だ。
出るところは出ているし、引っ込むべきところは引っ込んでいて、
優美な曲線が女性らしさを際立たせている。
それはある種の理想的な女性美なのだろう。
誰もがうらやむその肉体を独占できるのならば、男としては本望だ。
だけど、それは一般的な意見でしかない。その一般に俺が含むかは別問題だ。
たしかに俺も陽乃さんの女性らしい美しさは認めるし、見惚れてしまう。
こればっかりは雪乃には足りない。いくら新月のような儚い美しさと、
満月のような引き込まれる笑顔を持っていようとも、
圧倒的な太陽の前ではかすんでしまう。
でもな、雪乃。俺は一般的な意見には含まれない。
なにせ捻くれているからな。
若干線が弱いか細い肉体も、優美さが多少弱かろうと、それがなんだっていうのだ。
精神面の絶対性があるのなら、その肉体の持ち主のそのものを受け入れるのに。
まあ、その精神面での絶対的持ち主から、強烈なアイアンクローを現在進行形で
喰らっているのは、どうしてなんだろうなぁ・・・・・。
ちょっとだけ涙が出てきているのは、アイアンクローが痛いせいなんだよ、きっと。
けっして、ひょっとして愛すべき人を間違えちゃったって
疑問に思ったわけじゃないんだから、ね!
雪乃「そう、かもしれないけれど、だからといって、八幡を姉さんに渡すわけないじゃない」
雪乃はそう宣言して、きつい目つきで陽乃さんを威嚇すると、さらに手の力を強める。
きっと誰にも渡さないっていう意思表示なのだろう。
陽乃さんも、その強烈すぎる雪乃の主張を見て、不安を覚えてしまったらしい。
そして、雪乃は、陽乃さんの戦意喪失していっているのを見て、勝ち誇ってしまう。
だけどな雪乃・・・・・・。
陽乃「ねえ、雪乃ちゃん」
雪乃「なにかしら? もう何を言っても意味をなさないわ」
陽乃「そんなことじゃなくて」
雪乃「なんだっていうのかしら? もう姉さんの戯言には聞く耳をもたないわ」
陽乃「そうじゃなくって」
雪乃「勝ち目がないからって、見苦しいわよ」
陽乃「ねえ、そうじゃなくって。見苦しいわよは聞き捨てならないけど、
そうじゃなくってね」
雪乃「もうっ、歯切れが悪くてイライラするわね。はっきり言ったらどうなのよ」
644: 2015/02/05(木) 17:31:50.74 ID:ymAshzYk0
雪乃は、陽乃さんへのいらつきを、さらに手に力を加えることで発散する。
その雪乃の発散を見て、陽乃さんの顔はさらに不安げになっているようだった。
陽乃「はっきり言ってもいいのかしら?」
雪乃「ええ、どうぞ」
陽乃「たぶん、そのままだと、比企谷君に愛想を尽かされるわよ」
雪乃「なにを言っているのかしら?」
雪乃は勝ち誇った顔で陽乃さんを見つめ返しているらしい。
おそらくそうなんだろう。
実際目の前で見ているのだから、確定情報だろうって?
いや、違うね。重大な事を忘れられちゃこまる。
なぜなら、雪乃のアイアンクローによって、意識が朦朧としてきている俺に
とっては、今何が起きているかはわからなくなってきているのだから。
そう、陽乃さんが気にしていたのは、俺の意識。
消えゆく俺の命のともしびを心配していたのだ。
そりゃあ、顔をわしづかみにされているんだから、今も痛いさ。
でもな、ある水準以上の痛みを加えつけられていると、意識がとぶんだよ。
これが落ちるっていうやつなんだろう。
愛する人の腕の中で眠るのを夢見るやつは数知れず存在するだろう。
だけど、愛する人の手で顔を鷲掴みにされて落とされることを
想像したことがあるやつなんているのだろうか?
薄れゆく意識の中、初めて落とされて意識を失う前に思ったのは、
そんなくだらない現状確認であった・・・・・・。
遠くの方で雪乃の声が聞こえる。
もういいや。このまま眠らせてくれよ。
もう疲れたんだよ。精神を抉る会話戦はこりごりだ。
俺は、ふわりとした優しい温もりに包まれていくのを感じたのを最後に、意識を失った。
俺が意識を取り戻すと、心配そうに俺を見つめる雪乃と陽乃さんがそこにはいた。
どうやら五分ほど意識を失っていたらしい。
やはり俺の意識がとんだ事態までなってしまったことに、二人とも反省していた。
だから、雪乃が俺を膝枕していても、とくに言い争いにはなってはいない。
もしかしたら、俺が意識を失っている間にひと悶着あったのかもしれないが、
そこまで気にしていたら、この二人の間で生きてはいけないだろう。
645: 2015/02/05(木) 17:32:18.96 ID:ymAshzYk0
八幡「いつっ」
さすがに雪乃によっての被害だとしても、膝枕をして、顔をタオルで冷やしてくれて
いたのだから、一言お礼を言わなければならない。
だけど、顔に多少の歪みがあるのか、うまく口がまわらず、痛みのみが俺に襲い掛かる。
雪乃「大丈夫? まだ顔が腫れているわ。無理に話さない方がいいと思うわ」
陽乃「ほら、じっとしてるのよ」
陽乃さんは、そう俺に優しく語りかけると、顔から滑り落ちた濡れタオルを
再び俺の顔に当て、冷やしてくれた。
最初は、雪乃が原因なのだから、陽乃さんは雪乃をからかうのではと身構えていた。
普段の陽乃さんならば、きっとしていたはずだ。
だけれど、俺のこの状況を見て、さすがに停戦協定を結んでくれたらしい。
まあ、いつ停戦破棄がなされてもおかしくないけど・・・・・・。
陽乃「それにしても、雪乃ちゃんったら、比企谷君に関してだと、
リミッターが外れちゃうのね」
雪乃「もう・・・、それは姉さんが悪いのよ」
陽乃「ごめんなさい。さすがにやりすぎちゃったわね。
でも、雪乃ちゃんも気をつけたほうがいいわよ。
いい方向にリミッターが外れるのならばいいのだけど、
悪い方向に外れたとしたら、今日のことが可愛い失敗だと
思えてしまう事態になりかねないわ」
雪乃は、陽乃さんの指摘に息をのむ。
そして、唇を引き締めると、しおらしい小さな声で呟いた。
雪乃「そうね。気をつけるわ」
それっきり、俺にとっては多少気まずい時間が進んで行く。
雪乃と陽乃さんは、甲斐甲斐しく頬笑みを浮かべながら俺を介抱してくれているので
なんだかんだいっても充実していた。
そんな二人の姿を見ていれば、俺も微笑ましい気持ちになるかといえば、そうでもない。
陽乃さんは、なにをしたいのだろうか?
今までずっと、俺と雪乃の仲を取り持ってくれて、なにかと協力してくれていた。
多少行きすぎた場面や、冷やかしなどは受けていたが、それは許容範囲に収まる。
けれど、最近の陽乃さんは、
陽乃さん自身が自分の感情に振り回されているんじゃないかって疑問に思ってしまう。
646: 2015/02/05(木) 17:32:48.15 ID:ymAshzYk0
本人もそれを自覚しているみたいであったが、だからといって、
俺が何かできるわけでもない。
陽乃さん本人でさえ制御できていないのに、俺が何かできるとは到底思えもしなかった。
だから、雪乃に対して言ったリミッター云々の話は、雪乃に対してではなく、
むしろ自分自身に言ったのではないかと思わずにはいられなかった。
陽乃「せっかくコーヒー淹れたのに、さめちゃったわね。
もう一度淹れなおすわ」
陽乃さんは、床から立ち上がり、コーヒーを淹れなおしに行こうとする。
八幡「冷めてても大丈夫ですよ。それ飲みます」
陽乃「え? でも」
雪乃「姉さんのコーヒーは美味しいのだから、冷めていても美味しいわ。
だから、私もそれで構わないわ」
陽乃「そう?」
陽乃さんは、持ちあげたトレーを再びテーブルに置くと、再び俺の横へと戻ってきた。
なにやら少し嬉しそうにしているのは、俺の気のせいではあるまい。
今まで料理を作ってあげる相手がいなかったのだから、
コーヒーだとしても、ハンドドリップで淹れた陽乃さん特性のコーヒーを
誉められて、陽乃さんが嬉しくないわけがなかった。
八幡「そうですよ。こんなに美味しいコーヒーは、飲んだ事はありませんよ」
陽乃「そっかぁ。だったら、また淹れてあげるね」
たしかにお世辞抜きに美味しすぎるコーヒーなのだから、本心からの発言ではあった。
これでも、ここまで陽乃さんが心を開いてくれてるとは思いもしなかった。
まるで童女のような、無垢な頬笑みに、俺は心を全て奪われてしまう。
その年初めて雪が降った翌朝。
足跡一つない雪原のような真っ白な心。
汚れがないっていうのは、こういうのだって初めて目の当たりにした。
もちろん陽乃さんは、人の汚い部分を俺以上に知っている。
小さい時から大人の世界に投げ込まれてきたのだから、その場数は相当なものだろう。
しかも、人の心を敏感に察知して先回りすることができる陽乃さんの事だ。
必要以上に、普通の子供なら体験できないような、仮に体験できたとしても
小さな体では受け止められないようなプレッシャーを抱え込んできたと思う。
だから、汚れなら、誰よりもその醜さも、いらだちも理解しているはずだ。
けれど、俺が言いたい事は、他人の汚れではない。
647: 2015/02/05(木) 17:33:25.51 ID:ymAshzYk0
陽乃さんの汚れがない感情表現について語ってしまいたい。
こんな事を言ってしまうと、心変わりでもしたか、もしくは陽乃信仰者とも勘違いされて
しまいそうだが、陽乃さんに汚れがないわけでもない。
最近の情緒不安定な陽乃さんの行動からすれば、汚れがあるといえてしまう。
なんだかまとまりがない論文のようになってしまったが、俺が言いたいのは
陽乃さんが、今、初めて、自分の心が汚されてしまう事を考えもせずに
ありのままの心をさらけ出しているっていう事だ。
普通の人間ならば、自分の心を守ろうと自己防衛が働いて、
どんな言葉であろうと自分の心を守りながら発言する。
よくあるのが、一応頑張ったけど、難しい試験だし、次頑張ろうとか、
あらかじめ先回りして自分を慰めたりすることといったところだろうか。
これは発言ではないけれど、言葉自体に意味があるのだから、言葉を発した瞬間に
身を危険にさらしてしまう。
だから人は、自分が傷つかないように殻にこもった言葉を発する。
つまり、今の陽乃さんは無防備すぎる。
まあ、誰にでも心を開いているってわけではないので、今のところは大丈夫だとは思うが、
危うい状態であることにはかわりがない。
おそらく、特定の人間一人。多くても4人だと考えられる。
・・・一人と考えてしまうのは、恐れ多いか。
これでは雪乃には勝ち目がないとさえ思えてしまう。
直線的に、相手の心に飛び込んでくるその姿に、誰が抗う事が出来るっていうのだ。
しかも、汚れがない、無垢で、純粋すぎるその心をむき出しにしたまま。
こんな事を言ってしまうと、処O信仰者とも思われてしまいそうだが、けっして違うと
一応言っておこう。
されど、真っ白な心を目の前にして、その雪原への招待状をプレゼントされて
喜ばない男がどこにいるというのだろう。
なんて、回りくどい事をくどくどしく考えてしまったが、
もしかして陽乃さん、本当に自分の感情を制御できなくなってません?
感情を抑え、表面に出さない事は長年の生活で当たり前のようにできるようになっており、
偽りの感情表現は豊かだと思う。
一方で、その反作用で本心を素直に出すことができなくなり、
本心からでる感情表現が制御できなくなってしまったのではないだろうか。
だから、陽乃さんが感情を表に出す時は、常に全力で、
それが隠しもしない丸裸の本心になってしまう。
俺は、今目の前にいる陽乃さんに見惚れていた。
・・・・・・俺は、思わず身震いしてしまう。
いや、なに。陽乃さんに対してではない。
俺と一緒に陽乃さんを見ているであろう雪乃に対してだ。
648: 2015/02/05(木) 17:33:59.57 ID:ymAshzYk0
俺が陽乃さんに見惚れているのだから、雪乃だって陽乃さんの溢れ出る魅力に
気が付いているはずだ。
つまり、魅力的な陽乃さんに俺が見惚れてしまうと勘づくはずだった。
俺は、そっと視線だけを雪乃に向けて、様子を伺う。
雪乃は俺の方を見てはいなかった。
念のためにもう一度しっかりと確かめたのだから見間違えてはいなかった。
雪乃は、固く唇を噛んで陽乃さんを見つめていた。
別に雪乃は恐れを感じていたわけでもないだろうが、きっと複雑な心境なのだろう。
なにせ陽乃さんが本心を見せたのだ。
もちろん今までも陽乃さんが作り上げた感情を、偽物の感情表現を見てきた。
けれど、雪ノ下陽乃という剥き出しの生身の感情を雪乃に見せた事はない。
それを初めて雪乃は見たのだから、言い表せない感情が雪乃の中で渦巻いているはずだ。
八幡「はい、是非お願いします」
陽乃「いつでも気軽に言ってね」
八幡「はい」
陽乃「雪乃ちゃん?」
雪乃「・・・・・・あ、はい。私も姉さんのコーヒー、また飲みたいわ」
雪乃は、陽乃さんの呼びかけに、どうにか笑顔を作り上げて返事をする。
意識の底辺から一瞬で表情を再構築するあたりは、さすが雪乃だ。
でも、作り上げた笑顔はあまりにも急ごしらえすぎたようで、
すぐさま崩れ落ちようとしていた。
雪乃の驚きようは、わからないまででもないにしろ、ここは俺が話をつないでおくかね。
八幡「そういえば、このコーヒーって、コナコーヒーなんですよね?」
陽乃「そうよ。私の一番のお気に入り。比企谷君も気にいってくれているみたいで
すっごく嬉しいわ」
八幡「ずっと銘柄も気にしないで飲んできましたけど、名前を意識すると
なんだか急に実感してくるというか、明確な存在感が出てきますね」
陽乃「たいていの物には名前があるんだし、名前によって比企谷君の記憶に
明確なまでもコナコーヒーが刻まれたんじゃない?」
八幡「名前がある方が印象深いですからね」
陽乃「それに、コナコーヒーの注意書きには、私も含まれているしね。
雪ノ下陽乃の一番のお気に入りコーヒーって」
八幡「まあ、そうかも・・・しれませんね」
ちょっと陽乃さんっ。その発言危険ですって。ついさっき同じような状況で
雪乃に締め落とされたばかりなんですよ。ちょっとは気をつけてください。
649: 2015/02/05(木) 17:34:33.21 ID:ymAshzYk0
・・・・・・・と、雪乃の方の様子を伺うと、まだ立ち直れてなかった。
どうにかセーフか。やばいですよ、陽乃さん。こんなラッキー、次はないですから。
第37章 終劇
第38章に続く
662: 2015/02/12(木) 17:30:01.77 ID:0xDrLxJ20
第38章
7月11日 水曜日
八幡「そうだ。コナコーヒーって、どんなコーヒーなんですか?」
陽乃「どんなって?」
八幡「この際だから、もうちょっと詳しくなっておこうかなって思いまして、
生産地とか特徴とか知ってみたなと」
本当は、このまま陽乃さんの話の流れに乗るのは危険だと思ったから
別の話題をふっただけなんですけどね。
コナコーヒーにまったく興味がなかったわけではないけど
話題を強引に変えたって、陽乃さんは気が付いているみたいだった。
それでも陽乃さんが俺の意図に乗ってくれたのだから、使わせてもらいますが。
陽乃「そうねぇ・・・・・・。生産地がハワイということは有名じゃないかしら?」
八幡「ええ。そのくらいなら知っていますよ」
陽乃「ブルーマウンテンまでとはいかないまでも、高価なコーヒーなのよね。
たしかに味も香りも私好みだわ。でも、値段が高い理由は、人件費などの
生産コストなのよね」
八幡「人件費って、特殊な作業員でも必要なんですか?」
陽乃「違うわよ。純粋に人件費が高いだけよ。ほら、ハワイってアメリカでしょ。
だから、発展途上国で作るよりも人件費が割高なのよ。
ただ、それだけよ。
一応世界最大の先進国なわけでもあるのだから、人件費もお高いわよね。
だから、どうせ作るのならば、人件費が安い発展途上国よね」
八幡「でしたら、ブルーマウンテンは値段が安くなるんじゃないですか?」
陽乃「ジャマイカの詳しい賃金は知らないけど、アメリカよりは安いはずよね。
でも、生産量が少ないのよね。だからじゃないかしら?」
八幡「希少価値ってやつですね。
でも、アメリカは農業国でもあるわけじゃないですか。
小麦とかトウモロコシなどの大規模経営は有名ですよ」
陽乃「たしかにね。まあ、私も詳しく調べたわけでもないから、実情はわからないわ。
まあ、ブランドの維持も関わってくるじゃないかしらね」
八幡「ブランドですか・・・・・・」
663: 2015/02/12(木) 17:30:43.76 ID:0xDrLxJ20
陽乃「だって、日本人だってブランド物大好きでしょ?
合成の革だったり、ビニールのような化学繊維で作られた鞄が何万も何十万もの
値がつくのよ。同じコストで生産できるのなら、高いブランド力を維持して、
値段を高いままにしておきたいのが、経営者というものじゃないかしら」
八幡「そこまで身も蓋もない事を言われてしまうとなんですがね。
日本人って、行列ができていれば並んでしまうし、価値がないものを
価値があるって思う心理もあるから、その辺をうまく売りにすれば、
商売ぼろもうけですね」
陽乃「だよね。美味しいってわからないのにならんじゃって、何十分も並んで
実際食べてみたら期待外れだっていう人も多いし」
八幡「美味しくないものを美味しいように見せるのは犯罪ですよ。
だから、TVのグルメ番組は信じません」
陽乃「そう? あれはあれで無知な群衆に売れない商品を売り付けるいい商売方法だと
思うんだけどなぁ」
八幡「陽乃さんは、食べてみたいと思った事はないんですか?」
陽乃「さすがにあるわよ。でも、どうしても食べていって思う事はないわね。
友達が買ってきたのを貰ったりとかで、食べる程度よ」
八幡「それだと、陽乃さん自身は被害にあってないじゃないですか」
陽乃「まあ、ね。でも、私の場合は、たとえまずくても、料理をする上での
サンプルになってしまうだけね」
八幡「だったら、まずい料理でもかまわないってことですか?」
陽乃「それは、美味しいものを食べたいわよ。
私も好き好んでまずい料理は食べたくはないわ」
八幡「そうですよね」
ここで、陽乃さんはイエスといったら、どこまでストイックな料理人なんだよと
ちょっと意外すぎる評価をくだしそうではあった。
陽乃「あれ? なんでまずい料理の話になったんだっけ?」
八幡「ブランドものとか、TVの評判の話からですよ」
陽乃「そっか。コナコーヒーもある意味ブランドものだしね」
八幡「このコーヒーの美味しさには罪はないんでしょうけど・・・・・・」
陽乃「まあ、ね。私もこのコーヒー大好きよ」
雪乃「はぁ・・・・・・」
陽乃「どうしたの、雪乃ちゃん?」
陽乃さんにコナコーヒーの事を聞いていたら、
雪乃が突如としてため息を漏らすものだから、気になってしまう。
雪乃にかまってあげずに、陽乃さんと話していたから拗ねたのか?
664: 2015/02/12(木) 17:31:16.52 ID:0xDrLxJ20
そう全く方向違いの勘違いをしていると、もう一度ため息をついてから雪乃は語りだした。
雪乃「どうしたもこうしたもないわ。どうして美味しいコーヒーを飲みながらも
擦れた会話をしているのかしら?
上品な会話をしてくださいとは言わないけれど、もう少し周りにいる人間が
聞いていても楽しい会話をできないのかしらね?」
八幡「俺は、けっこう今している会話を楽しんでるけど?」
陽乃「私もよ」
俺も陽乃さんも、雪乃が言っている意味が訳がわからないといた顔を見せるものだから、
雪乃はさらにため息をついてしまった。
雪乃「もういいわ。楽しい会話を邪魔してしまって、ごめんなさいね。
続けてくださってもけっこうよ」
陽乃「あぁ・・・、雪乃ちゃん」
雪乃「なにかしら、姉さん?」
陽乃さんは、口角を釣り上げて、意地が悪い笑みを浮かべるものだから、
雪乃は陽乃さんの挑発にのってしまう。
二人とも安い挑発だってわかっているはずだ。それでも出来レースのごとく挑発を
売り買いするんだから、けっこうこういう関係を気にいってるのかもしれなかった。
陽乃「もしかしてぇ、やいちゃってる?」
雪乃「はぁ?」
陽乃「私の比企谷君が、楽しく、弾んだ会話をしているものだから、
雪乃ちゃんは、一人でコーヒーを飲んでいないといけなものね」
雪乃「私は、やいてなんていないわ」
陽乃「そうかしら?」
陽乃さんは、さらに口角をあげて、雪乃に迫りくる。
雪乃も雪乃で、引いたり、かわしたりすればいい所なのに、
自分から一歩前に出るんだもんなぁ。
二人して負けず嫌いだから、しゃーないか。
雪乃「そうよ。私はただ、二人が世の中に擦れ切った人間の会話をしていて、
そっと一人でため息をついていただけよ」
陽乃「そうかしらね。まっ、いいわ。それで」
雪乃「なにかしら。なにか馬鹿にされているような気がするのだけれど」
陽乃「ええ。馬鹿にしているわ」
665: 2015/02/12(木) 17:31:46.23 ID:0xDrLxJ20
雪乃「姉さんっ」
八幡「おいおい、雪乃。その辺にしておけって。それと、陽乃さんも」
陽乃「は~い」
雪乃「八幡は、どちらの味方なのかしら?」
八幡「今は、どちらの味方でもないよ。コーヒー飲んで、会話しているだけだろ?」
陽乃「そうよねぇ。比企谷君の言う通りだわ。
つっかかってきたのは、雪乃ちゃんじゃない?」
雪乃「あっ、そう・・・よね。ごめんなさい」
たしかに、つっかかった内容の発言を最初にしたのは雪乃だ。
でも、その原因を作ったのは陽乃さんでしょ。
だから、ここで雪乃のフォローもしておかないとな。
八幡「陽乃さんも、雪乃を挑発させるような発言は控えてくださいね」
陽乃「は~い」
ちょっと面白くなさそうな顔を陽乃さんは見せるが、まったく反省してないんだろうなぁ。
明日になったら、いや、数分後には再び雪乃を挑発してそうだ。
それが二人の関係を維持するのに必要な儀式みたいなものでもあるから仕方ないといえた。
八幡「でも、雪乃。コーヒー豆の生産コストについて話していたんだし、
擦れた内容ってわけではないんじゃないか?」
雪乃は目を丸くして俺を見つめる。
そして、再度ため息をつこうとしたが、無理やり大きく息を吸う事でため息を打ち消した。
そして、呆れ果てた顔つきで、言いかえしてきた。
雪乃「日本人のブランド好きとか行列好きの話をしていたじゃない。
しかも、商品価値が低いとか、味がまずいのが前提で話していたわ」
八幡「そうか?」
雪乃「そうよ」
陽乃「そうかしら?
でも、実際問題、商品価値が実売価格よりも低くなるのは当然の事よ。
そもそも原価よりも安い値段で販売なんてできないのだから。
まあ、たしかに商品そのものの価値と販売価格が釣り合っていないのは
詐欺だと思うわね」
雪乃「それが擦れているというのよ」
八幡「でも、事実だろ?」
陽乃「事実よね?」
666: 2015/02/12(木) 17:32:13.87 ID:0xDrLxJ20
雪乃「はぁ・・・・・・」
今度こそ雪乃はため息を打ち消すことができなかった。
雪乃は、あきれ顔で俺達を見渡すと、そっと瞳を閉じる。
そして、数秒後にその瞼を開けた時には、陽乃さんにも劣らない意地が悪い瞳をしていた。
雪乃「私だけいいこぶってもしょうがないわね。
今日は、二人の会話に乗ってあげるわ」
八幡「べつに、俺達は特殊な会話をしていたわけじゃないぞ」
雪乃「そう感じているのは、あなた方二人だけよ。一般人には、十分特殊で、
十分すぎるほど異常だったわ」
八幡「だったら、一般人の感覚がおかしいんじゃないか?
TVのグルメリポーターの言う事は信じるなって、小さい時に親から教わるだろ?」
雪乃「そのようなことは教わらないわ」
八幡「うそ?!」
雪乃「嘘じゃないわ」
あれぇ? 俺は、小さい時に親父から何度も言われてたんだけどなぁ。
グルメ番組見ていたら、必ずといっていいほど言ってたし。
どの辺が美味しくない根拠とか、夫婦そろって言い争ってたりしていたのが
小さい時からの家族の団らんだったんだけどな。
けっして美味しいとは思わないくせに、なんであの夫婦はよくグルメ番組なんて
みていたんだろう? ちょっと不思議だ。
八幡「知らない人から声をかけられたら逃げろとかは言われただろ?」
雪乃「ええ、言われたわ」
八幡「街で行列を見たら、笑いながら指をさしてスルーしろ。
けっしてならんじゃいけないは?」
雪乃「言われた事はないわ」
八幡「グルメ番組に出てくるお店は、TV局にコネがある店しか出ないから、
けっして美味しい店は出てこないは?」
雪乃「ないわ。・・・・・・でも、よく姉さんが言ってた気がするわね」
陽乃「ええ、言ってたと思うわ」
八幡「じゃあ、そうだなぁ・・・・・・」
雪乃「もういいわ。あなたの性格形成の一端がよくわかったから」
陽乃「面白いご両親だったのね」
八幡「そうかな? くそ親父だったと思うぞ」
陽乃「用心深くなったのは、両親のおかげよ。
だから、偽物ではなく、本物を手に入れられたのではないかしら、ね、雪乃、ちゃん」
667: 2015/02/12(木) 17:32:45.25 ID:0xDrLxJ20
雪乃「な・・・なにを言っているのかしら? もう・・・」
雪乃は頬を赤らめる。そんな雪乃を見て、陽乃さんは満足そうにしているけど、
さっきした反省はもう忘れたのですか。それでこそ陽乃さんだけれど、だけどなぁ・・・。
八幡「まあ、偽物も磨き続ければ、本物とは違う輝きを放つと思いますから
一概に偽物が悪とは思っていませんよ」
陽乃「え? そうなの? だったら、雪乃ちゃんに、もう飽きてしまったとか?」
なんなんだよ、この人は。せっかく話題を変えようとしているのに、
まだ雪乃をターゲットにするのか?
今は分が悪いと思ってか、雪乃は静かにしているけど、さっき散々面倒な事に
なってたじゃないですか。
八幡「一般論を言っただけですよ」
陽乃「もうっ・・・、ちょっとからかっただけじゃない」
陽乃さんは肩をすくめると、ちょっと残念そうに息をつく。
俺も、もろに嫌そうな表情が顔に出てただろうしな。
でもなぁ、このまま陽乃さんが拗ねてしまうのも、気が引けるし。
八幡「そういえば、コーヒーも偽物が多いそうですね」
陽乃「たしかに、偽物も多いわね。でも、一概に偽物とは言えないものもあるのよ」
雪乃「それは、先ほど八幡が言っていた偽物でも上質な物もあるということかしら」
俺がもう一度話題を振ると、雪乃も俺の意図を察してか、話に乗って来てくれる。
そうなると陽乃さんも俺達の意図を理解してくれてか、にこやかに語りだしてくれた。
陽乃「それともちょっと違うわね。だいたいはあってるんだけどね」
八幡「だいたいですか」
陽乃「そもそもブルーマウンテンもコナコーヒーも生産量が少ない希少な品なのよ。
それなのに日本中にあふれているじゃない。
希少な品なのに日本にあふれているって、異常だとは思わない?」
八幡「そう言われてみれば、異常ですね」
雪乃「だとすれば、名前だけの別ブランドなのかしら?」
陽乃「それともちょっと違うわね。
まず、ブルーマウンテンだけど、ブルーマウンテンと名前をつけることができるのは
ブルーマウンテン山脈の標高800~1200メートルの特定の地域だけ
らしいわ。だけど、日本に輸入されている豆の多くは、標高800メートル以下の
本来ならばブルーマウンテンとは名乗れない豆なのよ」
668: 2015/02/12(木) 17:33:52.07 ID:0xDrLxJ20
八幡「だとしたら、偽物ってことですか?」
陽乃「どうなのかしらね? それなりに美味しいわけだから、飲んだ人が知らなければ、
幸せなんじゃないかしら?」
八幡「ま、ブルーマウンテンっていう名前だけでコーヒーを飲んでいる奴らばかりだし
問題ないかもな」
陽乃「ええ、そうね」
雪乃「あなたたちって・・・・・・」
八幡「事実だろ?」
陽乃「事実よね?」
陽乃さんとは、どこか俺と近い感性がある気がする。
二人して顔を合わせると、思わず笑みが浮かんできてしまった。
雪乃「知らないからといって、許されるわけではないわ」
陽乃「知らないから、幸せって事もあるわよ」
雪乃「詭弁だわ」
陽乃「そうかしら? これはコナコーヒーのことになってしまうけど、
ホワイトハウスの公式晩餐会では必ずコナコーヒーが出るそうよ」
八幡「アメリカを代表するコーヒーってことだからかな」
陽乃「どうでしょうね?
美味しいからというのもあるだろうけど、見栄もあるのでしょうね。
極論を言ってしまえば、コナコーヒーでなくても、そこそこのコーヒーでも
それが慣習のコーヒーになってしまえば、銘柄なんて気にしないんじゃないかしら」
雪乃「それは、外交上の、アメリカから信頼の証として、コーヒーをふるまわれたと
いう意味かしら」
陽乃「そうね。アメリカとしても、まずいコーヒーを出して信頼の証なんて
プライドが許さないから、しないだろうけどね」
八幡「そこは、わざとまず~いコーヒーを出して、アメリカの信頼を得たいのならば
飲み干せって脅迫するのも手ですね」
雪乃「はぁ・・・。そんなこと考えているのは、あなたくらいよ」
八幡「そうか?」
雪乃「・・・あと一人いそうね。はぁ・・・・。八幡と姉さんくらいよ」
陽乃「よくわかっているじゃない。でも、わたしでも、まずいコーヒーなんて出さないわよ」
たしかに、陽乃さんなら、まずいコーヒーなど出さないと思えた。
料理が趣味で、コーヒーを愛している陽乃さんが、信頼を得る為にわざとまずいコーヒーを
出すなんて事はないはず。
むしろまずいコーヒーを出されたら、信頼されていないとみるべきかもしれない。
669: 2015/02/12(木) 17:34:30.32 ID:0xDrLxJ20
雪乃「それを聞いて、ほっとしたわ」
八幡「全然ほっとしたようには見えないのは、俺の気のせいか?」
雪乃「気のせいよ」
あっ。これ以上つっこむなって、凍りつく笑顔で俺を見てる。
これは危険信号だ。これ以上の刺激は、極めてやばい。
八幡「・・・・・・そうだな。えっと、ブルーマウンテンでも偽物が多いって事は、
コナコーヒーでも偽物多いんじゃないですか?」
俺は、身の危険を感じて、顔を引きつらせながら話題の軌道修正を図る。
頼む、陽乃さん。俺の命がかかってます。
俺は、命のバトンを陽乃さんに託すと、陽乃さんはじっと俺を見つめ返す。
そして・・・・・・。
陽乃「コナコーヒーは、もっと酷いわよ。コナコーヒーほど、偽物が多いといえるわ」
通った。やった。通じた。俺は、天に感謝をしつつ、陽乃さんの機嫌が変わらないように
相槌を的確にうっていった。
陽乃「コナコーヒーはね、日本で出回っているほとんどが、コナ・ブレンドと
表記すべき混ざりものよ。だから、純粋なコナコーヒーは、価格が高いし、
あまり出回っていないんじゃないかしら?」
八幡「だったら、これこそ知らない方が幸せって事ですかね」
陽乃「そう考えるのも幸せになる方法だとは思うわ」
八幡「じゃあ、今飲んでいるこのコーヒーは?」
陽乃「どう思う?」
陽乃さんが俺を試すような瞳を俺に向ける。
きっと陽乃さんが俺達にふるまってくれたのだから、本物だとは思う。
しかし、ホワイトハウスの話の時に話題に上った、わざと偽物をということもあるし、
本物だとは即座に決めることができない。
まだ、判断できない・・・。
判断を下せないまま、俺は陽乃さんの瞳を見つめ返す。
どちらとも目をそらさず、重い時間だけが過ぎていく。
どうやって判断しろっていうんだよ。
俺にはコーヒーの違いを区別できるほどの知識も舌もない。
わかる事があるとしたら、陽乃さんが喜んでコーヒーを淹れてくれた事だけだ。
だったら俺は、こう答えるしかないじゃないか。
670: 2015/02/12(木) 17:35:06.50 ID:0xDrLxJ20
八幡「俺は、・・・俺は、陽乃さんが淹れてくれたコーヒーを飲んで、すっごく幸せですよ。
だから、このコーヒーの銘柄がコナコーヒーでも劣悪なコナ・ブレンドでも
どちらでもかまいせん」
陽乃「そう? でも、コナ・ブレンドといっても、全てが劣悪ってわけでもないのよ。
偽物を売ってるのだから、お店の良心は疑ってしまうけれど、
それなりには美味しいのよ」
雪乃「そうよ、八幡。もし劣悪なコナ・ブレンドが出回りすぎたら、
それこそアメリカの威信が失墜して、コナコーヒーのブランド力が落ちてしまうから
お店の方もその辺は考えてはいるはずよ」
八幡「たしかにそうだな。でも、俺が言いたいのは、そんなことじゃなくてだな・・・」
陽乃「わかってるわよ」
八幡「そうなの?」
雪乃「そうよ」
陽乃さんは、恥ずかしそうに俺から顔を背けてしまう。
さっきまでの俺を試そうと堂々としていた態度はどこにいったんだよ。
八幡「え? えぇ?」
雪乃は俺の耳元まで顔を寄せて、小さく呟いた。
雪乃「姉さんは、照れているのよ」
思わず陽乃さんの顔を見ると、俺の視線を感じて首をすくめると、
さらに顔を赤くして俯いてしまう。
そして、雪乃を見ると、なにやら満足そうに陽乃さんを見つめていた。
あっ、そうか。さっきまで雪乃は陽乃さんにやられっぱなしだったもんな。
陽乃「でもね、比企谷君。コナコーヒーみたいに、あなたが普段見ている私も、
偽物かもしれないのよ?
本物だと思っていたら、混ざりものが入った偽物かもしれない。
出来はいいかもしれないけど、本物ではない」
八幡「えっとう・・・、どういう意味で?」
陽乃「この際だから認めてしまうのだけれど、私って自分を作っていたでしょ?
母が求める私。父が求める私。姉としての私。そして、雪ノ下陽乃としての私」
八幡「ええ、まあ。そうですね」
ここにきて急に自分の立ち振る舞いを認めるだなんて、どうしたんだ?
671: 2015/02/12(木) 17:35:59.68 ID:0xDrLxJ20
俺としたら、最近は素の陽乃さんを見る機会が出てきてもいるし、
そう考えると悪い傾向とは思えないけど、雪乃はどう思っているのだろうか?
俺は雪乃の方に視線をずらしてみたが、その表情からは心情は伺えない。
もう少し陽乃さんの出方を見るべきかな。
陽乃「だけど、最近、二人には素の私を見せてしまってるって
あなた達は思ってるのではないかしら?」
雪乃「そうね。最近の姉さんは、どこか今までとは違うかもしれないわね。
けれどね、姉さん」
陽乃「ん?」
雪乃「それが本当の姉さんの本性かは、見破れてはいないのだけれど、
今の姉さんの行動は、特に私達二人に対しては遠慮がなさすぎよ」
陽乃「それはね。二人が私にとって特別だからよ。
だからこそ、雪乃ちゃんが言う通り素の私を見せてるとは思うのよ」
これは驚きだ。素の陽乃さんを見せているって本人が認めるとは。
陽乃「でもね、自分を作らなくなっていいと思うと、
どれが本来の自分かわからなくなるのよね。
ほらっ、だって、いくら自分を作っていてとしても、どれも自分が望んで演じて
いたわけでしょ。だから、一概に全てが偽物というわけでもないと思うのよ」
雪乃「たしかに、姉さんほどではないにしろ、
どんな人であっても自分を作っている部分はあるわね」
陽乃「でしょう。
だからね、二人の前だと、どうすればいいかわからなくなっちゃうのよねぇ」
陽乃さんは、なにやら複雑そうな苦笑いを浮かべる。
悲しいでも、自嘲でもない。
嬉しいのだろうけど、どう扱っていけば分からないからもどかしいといったところか?
たしかに、俺だって素の自分を、さあ見せろと言われても困ってしまうし、
たとえ雪乃の前だとしても本性だけで行動しているわけではない。
けれど、それでも雪乃の前だとリラックスできるし、心を許した行動もする。
つまり、陽乃さんは、俺達に心を許しているけど、どうすればいいかわからないってことか。
小さいころから雪乃のお姉さんをしていて、雪ノ下家の長女もして、
そして、あの母親が求める優秀な雪ノ下家の継承者を演じ続けていたんだしな。
人に甘えることなんて、できなかったのだろう。
だからこそ、甘え方なんてわかるわけないのか・・・・・・・。
672: 2015/02/12(木) 17:36:28.91 ID:0xDrLxJ20
第38章 終劇
第39章に続く
678: 2015/02/19(木) 17:29:10.77 ID:4sp8M6Yt0
第39章
7月11日 水曜日
陽乃「作っていた自分も自分の一部で、・・・・・・あぁ、何を言いたいんだろ、私」
おおげさに両手で頭をかくと、そのままソファに身を沈め、
両手両足をソファーの外に大げさに投げ出す。
ある意味降参ってことかと見てとれる。照れ隠しともいえるが。
けれど、今回の陽乃さんが照れてしまった流れを作ってしまったのは俺なんだよな。
しかも、陽乃さんが誤魔化そうとしても失敗しちゃってるし。
これは、あとで倍返し以上の仕返しが来るんじゃないか?
いやいや、こんなにも照れまくっている陽乃さんなんて初めてなんだから、
倍じゃ済まないだろ・・・・・・。
やっぱ、ここはフォローしておいて、後々の禍根を断っておくか。
そうしておかないと、俺の精神がやばいっす。
と、後々のことを考えて効果があるとは思えない対策を練る。
八幡「陽乃さんは、陽乃さんですよ。今も昔も同じ陽乃さんです。
包丁を見て、目を輝かせていた陽乃さんも、もうちょっとはまりすぎていたら
怪しすぎる人だと思いましたが、一緒にいて微笑ましかったです。
高級食器売り場に俺を連れていって、俺が売り場を恐る恐る見学して、
あたふたしているのを意地が悪そうな目で見つめていたのだって、
・・・・・・少し手加減してくれると助かりますが、
一緒に見ていて楽しかったですよ。
そうですねぇ、あとは、初めて俺の為に手料理を作ってくれたときなんて、
あまりにも料理が美味しすぎてびっくりしましたよ。
料理をしている陽乃さんを飽きもせず眺めていたのを今でも覚えています。
どれも初めて見る陽乃さんでしたが、今までの陽乃さんがいたからこその
感動ですし、今も、今以前も、陽乃さんの事を嫌ったことなんてないです。
むしろ、今では一緒にいてワクワクしますよ。
ただ、まあ、もうちょっと手加減だけはして欲しいですけどね」
ちょっと臭すぎる演説を終えると、聴衆の反応をみるべく陽乃さんの様子を見る。
すると、いつの間にかにソファーの上で膝を抱えてこちらをじっと見つめていた。
ソファーの上で、トドみたいにぐてぇ~って横たわっているよりは、回復してるようだった。
これならば、俺も雪乃もこの後に陽乃さんからの仕返しを受けずに済みそうだ。
679: 2015/02/19(木) 17:30:01.37 ID:4sp8M6Yt0
よかったな、雪乃。少しは俺に感謝しろよ、と、雪乃に視線を向けると、
あろうことか、身を凍らすような冷徹な瞳で俺を射殺そうとしていた。
えっとぉ、何故? 俺は、雪乃がこれから被るであろう被害を回避したんだけどなぁ。
それとも、何かまずいことでもいったか? でも、当たり障りのないことしか言ってないし。
訳がわからず陽乃さんの方に再び目を向けると、事態は急変していた。
陽乃さんは、目を丸くして俺を見つめ、そして、
鯉が餌を求めるがごとく口をパクパクさせている。
よく由比ヶ浜がパニクっているときに見る表情だけれど、あの陽乃さんがパニクってる?
これこそ俺が初めて見る陽乃さんであり、俺の中で想像できうる陽乃さんの中で
一番遠い場所に位置する陽乃さんでもある。
つまりは、パニクっている陽乃さんを見て、陽乃さん以上に俺はパニクってしまった。
なんなんだよ!
俺は助けを求めるようと雪乃を見るが、・・・・・・駄目だ。殺される。
あれは見ただけで人を殺せる瞳をしている。見ちゃだめだ。
俺は、凍える吹雪がこれ以上侵入しないように扉を閉め、
すぐさま陽乃さんの方へと視線を戻す。・・・・・・・・なんなんだよ。もう訳わからん。
顔や首元だけじゃなくて、その腕さえも真っ赤に染め上げている陽乃さんが
とろんと蕩けきった顔で俺を見つめていた。
そして、俺が陽乃さんを見ていると気がつくと、一瞬目をあわせはしたが、
猛烈な勢いで顔を膝で隠し、そのまま膝を抱えて小さく丸まってしまった。
・・・・・・これって、もしかして、何か俺がフラグ建てちゃった・・・のか?
そんなことはないよな? だって、なぁ。どうしよう。
これ以上何か俺が言っても火に油を注ぐだけだよな。
だったら、一回氏ぬ覚悟で雪乃に助けを求めるしかない。
このまま何もしないと、確実に殺されるし。
せぇので雪乃の方に振り向くぞ。せぇのだ。せぇの。
勢いでやれば、半頃しくらいで済むかもしれないんだ。
だから、何も考えないで、・・・・・・・せぇのっ!
八幡「えっ?」
俺は、思わず声を洩らしてしまった。陽乃さんは陽乃さんで急展開すぎたが、
雪乃も雪乃で危なすぎるほどの急展開をみせていた。
雪乃「何を馬鹿な顔をしているのかしら? あら、もともとお馬鹿だったわね」
八幡「おい。馬鹿なのは認めてはいいが、どうなっているんだよ」
雪乃「どうなっているとは、どういう意味かしら? 何がどうなっているかを
しっかりと示さなければ、お馬鹿の同類ではない私にはわからないわ」
八幡「いや、もういい。今の質問は忘れてくれ」
680: 2015/02/19(木) 17:30:43.56 ID:4sp8M6Yt0
雪乃「そう?」
雪乃は、もはや興味なさげに肩にかかった黒髪を優しく払うと、じぃっと俺を見つめてくる。
いったい「なんなんだよ」を何回繰り返せば済むんだよ。
急展開がフル回転で俺を揺さぶるから、ついていけないって。
ただ、致氏性をもった雪乃の瞳が閉じられたのは幸いか。
しかし、今も何かしらの審判が継続されているんだろうなぁ。
一度殺意を持った雪乃が、簡単に俺を許してくれるとは思えない。
何について殺意を抱いているかを知らないままで氏ぬのだけは勘弁だけれど。
八幡「俺がこれ以上陽乃さんに何か言っても、フォローにはならない気がする。
だから、俺の代りに何かフォローしてくれないか?
ほら、このままほっとくと、後が怖いだろ?」
雪乃「そうね? このままだと、後が怖いほど面倒になるわね」
雪乃は、そうわずかに致氏毒が漏れ出した発言をこぼすと、席を立ち、
陽乃さんの元へと向かう。
またなにか俺が雪乃の癇に障る発言をしたか?
ちょっと雪乃の毒にあてられたみたいで、息苦しい。
それでも、雪乃は陽乃さんの前まで来ると
膝を折ってかがみ、陽乃さんの耳元で何やら呟いたようであった。
陽乃さんは、雪乃の声にピクリと肩を震わせて反応すると、顔を膝から上げ、
正面にいる俺と目が合ってしまう。
すると陽乃さんは逃げるように視線を俺から外すと、なにやら雪乃の耳元で囁いた。
その陽乃さんの発言の結果として、雪乃は首を横に振る。
それを見た陽乃さんも、その答えを予想していたのか驚きもしない。
そして、雪乃も陽乃さんも不敵な笑みを浮かべて、いつもの二人へと戻っていったのだが、
その陽乃さんが何か囁いた直後の二人の反応が、どうしても気になってしまった。
どうしてっていわれても、勘だとしか答えようがない。
まあ、勘といっても、生命の危機を感じるほどのインパクトがあったのだから、
おそらくは俺の勘は当たっているのだろう。
陽乃さんの発言を聞いた直後の、雪乃の痛みを抱えたまま永久に氷漬けにさせそうな笑顔。
一方、陽乃さんのその氏を選びたくなるほどの氷の拷問を笑って払いのけてしまう挑発的な瞳。
二人の側には一般人たる俺もいることも気にかけて欲しいところだけれど、
これ以上近づくと、氏ぬ事さえ許されなくなってしまいそうで怖い・・・です。
なにか話題を振って、現状を打開しないと、確実に氏ぬ。
なんでもいい。セクハラ発言で二人からひんしゅくをかってもいい。
もうこの際なんだっていい。とにかく、生きたい。
このまま命を、精神を削られて、病んでいくのだけは、回避せねば。
681: 2015/02/19(木) 17:31:21.13 ID:4sp8M6Yt0
こうどんな話題でもいいという時こそ話題は見つからない。
普段だったら、どうしようもない事をぽろっと言って、雪乃のひんしゅくを買うほどなのに。
それさえも出てこねぇ・・・。
焦れば焦るほど、精神が擦り減って、じわじわと自分がつぶれていくのがわかった。
陽乃「私がコナコーヒー好きなのは知ってもらえたけど、
雪乃ちゃんがどのダージリンが好きか知ってる?」
陽乃さんの突然すぎる発言に、驚きを感じ得ないが、喜びの方が上回る。
女神きたぁ~。心の第一声は、この一言に尽きるだろう。
氏神が女神の仮面かぶってるだけかもしれないけど、この際問題ない。
もう、氏にそうだったんだよ。だったら、氏神にさえすがるって。
八幡「ダージリンは、ダージリンじゃないんですか?
なにか生産農園が違うとかですか?」
陽乃「農園の違いはあるかもしれないけど、もっと根本的な事よ」
八幡「だったら、コーヒーと同じように偽物が多いって事ですか?」
陽乃「それとも違うわね。もちろん日本に出回っているダージリンのほとんどが偽物だけどね。
コナコーヒーよりも劣悪な混じりものが多いと思うわよ。
コナコーヒーよりも紅茶のダージリンの方が日本では有名だしね」
八幡「やっぱり偽物ばっかりが流通してるんですね」
陽乃「当然でしょ」
当然すぎる事を聞くなというような目はしていない。
むしろ、俺が話にくいついたことを嬉しそうに感じていた。
だから、雪乃が訝しげに冷たい視線で見ていた事も、陽乃さんが何かを企んでいた事も
氏神にすがってしまった俺には、気がつくことなんてできやしなかった。
だって、女神だよ。氏神が女神の仮面をかぶっていたとしても、
その笑顔は最高だし、なによりもスタイルが素晴らしすぎるし。
陽乃「ダージリンはね、葉を摘む時期によって値段も味も香りも色も違うのよ」
八幡「そうなんですか。一年で何度も収穫できるんですね」
陽乃「そうね。でも、狙った季節で一番美味しいのが収穫できるようには
調整しているのではないかしらね。
それでは、雪乃ちゃんが好きな季節の葉はどの季節でしょ~か。
はい、比企谷君、どうぞ」
八幡「じゃあ、冬で」
雪乃「え?」
八幡「不正解か?」
682: 2015/02/19(木) 17:31:51.31 ID:4sp8M6Yt0
雪乃が思わず声を洩らすものだから、不安になってしまう。
雪乃「何故冬なのかしら?」
八幡「雪乃の誕生日が一月で冬だし、名前にも雪ってついているから、冬かなと」
陽乃「面白い解答よねぇ」
雪乃は、俺の説明を聞くと、手で頭をおさえる仕草をわざとらしくする。
あまりにも俺の解答理由がお粗末ってことを伝えようとしているみたいだけど、
雪乃から伝わってくる気配で、十分すぎるほど理解できるからなっ。
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「なんだよ」
雪乃「冬にどうやったら収穫できるほどの葉が成長するのかしら?」
八幡「あっ」
雪乃「どうやら、根本的なことを忘れていたようね。いくらなんでも冬は難しいわ。
秋摘みでさえ、なかなか成長してくれないのに」
陽乃「雪乃ちゃんにからませて冬を選んだあたりは悪くはないけど、
さすがに冬はねえ」
雪乃も陽乃さんも、ちょっとお馬鹿すぎる解答を聞き、
俺を可愛そうな人認定してしまったらしい。
せめて苦笑いをして、聞くに堪えない罵倒を受けたほうがましだった。
陽乃「今度は、各季節の特徴も教えておくわね」
八幡「はぁ・・・」
特徴って言われてもね。
普段雪乃が紅茶を淹れてはくれているけど、いろんな種類のを淹れるんだよな。
どれも美味しいし、なんとなくの特徴くらいはわかる。
だけど、なんで今まで雪乃が一番好きな紅茶の銘柄を聞かなかったんだよ。
聞く機会ならいくらだってあったのに。
雪乃は紅茶が好きなんだし、大好きな銘柄の一つや二つくらいはあるはずだ。
それなのに、なぜ俺は聞かなかったのだろうか。
・・・・・・答えは簡単か。
俺は、紅茶を淹れる雪乃そのものが好きだったわけで、
どの紅茶を淹れるかは問題にはしてこなかった。
さっき陽乃さんが言っていた偽物のコーヒーではないけれど、
これもやはり、誰が紅茶を淹れたかが重要なのだろう。
陽乃「気のない返事ねぇ。まっ、いいわ。では、雪乃ちゃん、解説して」
683: 2015/02/19(木) 17:32:23.45 ID:4sp8M6Yt0
雪乃「姉さん。自分で言っておきながらも、重要な所を人に丸投げしないでくれないかしら。
でも、まあいいわ」
陽乃「じゃあ、お願いね」
雪乃「まずは、三月から四月に収穫するファーストフラッシュ。
爽やかな香りが特徴の一級品よ。カップに注いだ時の色が淡いオレンジ色で
ストレートティーがよくあうわ。そうねぇ・・・。
春の季節にふさわしい、さわやかな感じかしら」
八幡「それって、俺も飲んだことあるよな?」
雪乃「ええ、もちろん。八幡は、覚えてないかしら?」
八幡「すまん。毎回違った紅茶が出てきて、それ自体は新鮮で、毎回美味しい紅茶を
淹れてもらってるのを感謝してるんだけど、どれがどれだかまでは、ちょっとな」
雪乃「そう」
八幡「ごめんな。せっかく雪乃が淹れてくれているのに。
だから、これからはさ。紅茶を飲むときに葉の特徴とか話してくれると助かる。
だって、雪乃が好きなものだし、知りたいんだよ。
いつまでも雪乃が紅茶を準備している姿ばかり目で追って、見惚れているのも
あれだしなって、今になって痛感した。
やっぱ、どんなものが好きかとかも知っておきたいしさ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?
無・・・反応?
と、無反応と思っていたら、急激に雪乃の表情が変化していく。
急に立ち上がったかと思うと、ソファーの周りを歩き出す。
どこかに向かうわけでもなく、早足で歩きだしたかと思えば、
急に止まって顔を両手で覆って座り込んでしまう。
それもすぐに立ち上がったかと思えば、再び歩き出した。
今度はどうするのかなって様子を見ていると、顔を真っ赤にしたまま俺を見つめ、
目が合うと、ぷいっと目をそらして、両手で顔を仰いで冷やそうとする。
これはまた、なにか言っちゃったか?
陽乃さんに打開策を求めて視線を送ろうとすると、不機嫌そうに頬を膨らませている。
おいおい。今回に限っては、陽乃さんには何も言ってないだろ。
それなのに打開策をくれないだけでなく、睨みつけるって、どういうこと?
俺は困惑するしかなかった。
八幡「なあ、雪乃。落ち付けって」
俺が声をかけても逆効果で、雪乃の足を速めるくらいにしか効果がない。
俺が雪乃を捕まえて落ち着かせるか、それとも、落ち着くまでほっとくのがいいのか。
悩むところだけど、早く決断しないとやばそうだ。
684: 2015/02/19(木) 17:32:50.16 ID:4sp8M6Yt0
そうこうして、次の手を決めかなていると、陽乃さんが雪乃の元へと向かった。
ここは、陽乃さんの出方を見るのが得策かな。
火に油を注ぐ事態になるんなら、強引にでも介入しないといけないが・・・・・・・。
それだけは、ないですよね?
じわりと嫌な汗が額から顎へと滑り落ちた。
陽乃「・・・・・・・」
陽乃さんが、なにやら雪乃の耳元で何か囁くと、雪乃は、急に電池が切れたおもちゃのように
動きを止めて立ち尽くす。
そして、ゆっくりと陽乃さんの方へと首を動かす。
こちらからは雪乃の表情は見えない。
また、陽乃さんの表情を読み取っても、雪乃がどんな表情をしているかなんて
わかることなんてできやしなかった。
だから、俺は、いつもよりゆっくり進む時計の針を、心臓を抑えながら待つしかなかった。
どのくらいの時が経っただろうか。
陽乃さんはすでに自分の席へと戻ってきている。
コーヒーカップを優雅につまみ上げ、
残り少なくなった冷え切ったコーヒーを楽しんでさえいた。
やはり、待つしかないのか。
と、俺もコーヒーを飲んで落ち着こうとカップに手を伸ばす。
しかし、全て飲みきっていては、飲むことなどできなかった。
俺は苦いコーヒーを飲む代わりに、渋い顔でカップを眺める。
そんなことをしてもカップからコーヒーが沸きだすわけでもないのに、
やることがないと人間、なにかしら無意味な行動をしてしまうのかもしれなかった。
なんか陽乃さんなんて、俺の三文芝居を面白そうに見てるんだよなぁ・・・。
俺を見ていて、カップにコーヒーがないのをわかっているんなら、
お代わり淹れてくれないか?
自分勝手な催促だってわかっているけれど、陽乃さんが淹れてくれるコーヒーの前では、
自分で淹れたコーヒーなど飲みたくはない。
3段階評価が落ちるどころか、7段階位は美味しさの差が出てしまう気がする。
俺と陽乃さんが、無意味すぎる空中戦をやっていると、ついに待望の進展がみられた。
雪乃「では、春摘みの次は、五月から六月に摘む夏摘みね」
え、えぇ~・・・・・・。
雪乃は、自分の席に戻ってくると、
空になっているコーヒーカップを勢いよくもう一度全て飲みきる。
カップの中身など気にもせず、ソーサーにカップを戻すと、雪乃は話を再開させてしまった。
685: 2015/02/19(木) 17:33:21.59 ID:4sp8M6Yt0
まあ、このまま再起動しないよりはましか。
ここで何か言って、再びフリーズされて、再起動不能になるよりは、
ここは雪乃にあわせるのが得策だと考えがいたった。
八幡「あぁ、そうだな」
陽乃「そうねん」
陽乃さんも俺に続いて陽気な声で相槌を打つ。
けれど、腹の底で何考えているか、わからないんだよな。
陽乃さんは陽乃さんで、面白そうに雪乃と、ついでに俺を眺めているだけだし、
・・・・・・これ以上ひっかきまわされるよりはいいか。
雪乃「夏摘みは、セカンドフラッシュともいわれ、ダージリンの中でも最高級品に
分類されているわ。マスカットフレーバーと言われているセカンドフラッシュ特有の
香りが楽しむ事ができ、この香りを楽しむだけでも価値があると思うわね」
陽乃「これもストレートティーがいいわね」
雪乃「そうね。ミルクなどを加えるのならば、秋摘みのオータムナルをお勧めするわ。
十月から十一月に収穫するとあって、なかなか葉が成長しないのが難点ね。
でも、その分味は強めで、しっかりしているわ。
甘みもあって、セカンドフラッシュやファーストフラッシュのような
際立った特徴がないのが特徴かしらね。
だから、紅茶らしい紅茶ともいうのかしら。
一般的な紅茶の味というのならば、オータムナルが一番近いかもしれないわ。
でも、ダージリンの中では値段が安いのだけれど、それでも
ミルクティーにすれば、他の二つを圧倒する味なのよね。
これも好みだから、私の意見が絶対とは言えないのだけれど」
八幡「いや、雪乃の意見は参考になるよ。もちろん人の好みってのもあるだろうけどさ」
陽乃「これで全て出そろったわね。
モンスーンフラッシュっていうのもあるけど、これは味も香りも価格も落ちるから、
今回は考えなくてもいいとしましょう。
ではでは、比企谷君。もう一度解答をどうぞ」
もう一度俺に恥をかけってことですか?
なんか、さっきの可愛そうな人認定も俺の精神を深くえぐる為に、
二人してわざとやった気もするんですけど、どうなんでしょうか?
・・・・・・でも、本気で可愛そうな人認定されるよりも、わざとの方がいいか。
いや、まて。こんな風に俺が思い悩む事まで想定にいれて精神攻撃してるってこともないか。
686: 2015/02/19(木) 17:33:48.67 ID:4sp8M6Yt0
陽乃「ちょっと比企谷君。そんなに考え込まなくてもいいから。
さっきみたいに、なんとなくの解答でいいわよ」
俺も、さくっと解答したかったんですけどねぇ。
なんだか深読みしなければいけない状況に追いやられてるんですよ。
ふだんがふだんだけに、それは大変なんですよ。
まあ、馬鹿にされたり、おもちゃにされるのはなれてるから、考え込んでエネルギーを
膨大に消費するよりは、流れに任せて痛めつけられた方が被害が少ないかもな。
だったら、さくっとお馬鹿な解答見せて差し上げます。
八幡「だったら、夏摘みで」
陽乃「ほう・・・、その理由は?」
陽乃さんは、面白い解答を聞けたと目を細めるが、解答が正解しているかは読みとれない。
雪乃にいたっては、無表情なまでの沈黙を保っているから、こちらも無理だ。
八幡「まず、消去法で秋摘みを消します。理由は、紅茶らしい紅茶だからかな」
陽乃「それは、雪乃ちゃんが捻くれてるっていいたいのかな?」
八幡「違いますよ。もちろん紅茶らしい紅茶も好きだとは思いますよ。
だけど、なにか違う気がするんですよ」
陽乃「何が違うのよ?」
八幡「それを言葉にするのが難しいから困ってるんじゃないですか。
まあなんですか。今まで雪乃と一緒に暮らしてきて得た勘みたいなものですよ」
陽乃「それは、値段が三つの中では一番安いから?」
八幡「それは絶対ないと思いますよ。雪乃は、値段よりも自分の舌と鼻を信じると
思いますから」
陽乃「つまらないわね。雪乃ちゃんは、値段どころか、銘柄さえも知らないで
選びとったわよ」
八幡「へぇ、そうなんですか」
俺は感嘆の声を洩らして雪乃の方を向くと、雪乃は首をすぼめてはにかむ。
なんだか雪乃の彼氏でいられる事を誇らしく思えてきてしまう。
値段も名前も判断材料にせず、自分の感性のみで選びとるか。
なんだか雪乃らしいな。
けっして人の意見や先人たちの知識を否定するわけではないだろうが、
むしろ知識は喜んで吸収しているけど、最終判断は自分ですべきだ。
どんなツールであっても、それが世界最高のツールであっても、
使う人間が使いこなせなければ世界最低のツールになり下がってしまう。
だから、どんな時も自分を持ち続ける雪乃を見て、誇らしくもあり、
羨ましくもあった。
687: 2015/02/19(木) 17:35:48.30 ID:4sp8M6Yt0
俺は、この先、雪乃と同等の強さを持つことができるだろうか?
不安を感じずにはいられなかった。
第39章 終劇
第40章に続く
692: 2015/02/26(木) 17:29:22.02 ID:XApkFNfO0
第40章
7月11日 水曜日
陽乃「はい、はい。そこ、いちゃつかない。さっ、比企谷君、解答の続き、続き」
八幡「あ、はい。次は、春摘みが違うかなって思います。
これも勘なんですけど、爽やかな感じっていうのがちょっとちがうかな、と。
もちろん春っていうと、さややかな感じがすっごくして
雪乃のイメージにも合うとは思うんですけど、夏摘みと比べると劣るかなと」
陽乃「それはなぜかな?」
八幡「これは、俺の願望かもしれないんですけど、いいですか?」
陽乃「もちろん」
八幡「マスカットフレーバーでしたっけ?」
陽乃「ええ」
八幡「夏摘みだけ、なんか仲間外れみたいじゃないですか」
陽乃「え?」
八幡「だから、秋摘みは、紅茶らしい紅茶だから、一般的な紅茶ですよね」
陽乃「ええ、そうね」
八幡「それから、春摘みは、いくら爽やかな感じとはいっても、
夏摘みよりは紅茶らしい紅茶なんじゃないかなって、思ってしまって」
陽乃「だから、夏摘みを?」
八幡「ええ、まあ、そうですね」
陽乃「あのね、比企谷君。いくら味や香りに特徴があるといっても
フレーバーティーじゃないんだから、紅茶の専門家が聞いたら怒りそうだけど、
紅茶は紅茶なのよ」
八幡「それはわかっていまうすよ。だから、なんとなく思った、勘みたいなものだって
言ったじゃないですか」
陽乃「まあ、そうね」
陽乃さんが、つまらなそうに呟く。
もしかして、正解を引き当てたか?
陽乃「でも、それだけじゃ、セカンドフラッシュを選んだ理由にはならないんじゃない?」
八幡「そうですね。これだと一番紅茶らしい紅茶から遠いのを選んだだけですからね。
そうですねぇ・・・・・・」
俺は、一度雪乃の顔を見やる。
急に雪乃の方を向いたものだから、雪乃は驚き目を丸くした。
693: 2015/02/26(木) 17:29:55.27 ID:XApkFNfO0
すると、すぐに反撃とばかりに、驚かすなと睨みつけてくれではないか。
こればっかりは俺のせいだし、ごめんと目で合図して、再び陽乃さんの方へと向き直った。
八幡「孤高・・・ですかね。孤高ともいえる独特の香り。
ダージリンに限定されなければ、
本当に何が好きかだなんてわかりそうもないですけど、
雪乃なら、自分はこれが好きっていう香りをもってそうかなと。
最高級品といっても、マスカットフレーバーが苦手な人も
いるかもしれないですけどね。
まあ、だから、右になおれじゃないですけど、
誰もが飲み慣れた紅茶らしい紅茶よりは、独特な香りを有するセカンドフラッシュを
選んだんですよ。そうですね。こう考えると、捻くれているっている意見も
あながち間違いではないかもしれないですけど」
俺は、自分で建てた推理に、おもわず心地よい苦笑いをする。
陽乃さんから正解をまだ聞いたわけではないが、なんだか俺の心には満足感が
満たされていっているようだった。
捻くれている?
上等じゃないか。似た者同士が惹かれあって何が悪い。
普段は、俺も雪乃も、お互い似てなんかいないって言いはってはいるけれど、
やっぱり俺達って似た者同士なのかもしれない。
そう思うと、なんだか嬉しくなってしまった。
陽乃「ちょっと二人とも、二人してニヤニヤ笑っているなんて、気持ち悪いわよ。
もういいわ。正解よ、正解」
俺と雪乃は顔を見合わせて、初めてお互いがニヤついている事に気がつく。
どうやら雪乃も俺と同じ意見らしい。
悪くはない。いや、むしろ嬉しくもあるのだけれど、
雪乃が捻くれてしまったのは俺のせいか。
でも、セカンドフラッシュが好きになったのは、おそらく俺と付き合う前からだろうし、
雪乃が仮に捻くれているとしても、それは元からというわけで。
雪乃「答えにたどり着く過程がめちゃくちゃなのだけれど、
それでも正解にたどり着くなんて、ある意味才能ね」
八幡「そりゃどうも」
雪乃「いいえ。まったく誉めてはいないわ」
雪乃は、そっけなく言った割には、嬉しそうにほほ笑む。
694: 2015/02/26(木) 17:30:42.93 ID:XApkFNfO0
確かに誉められた解答過程ではないかもな。
捻くれている俺だからこそ辿った過程であり、捻くれているらしい雪乃だからこそ
俺がたどり着けたのだから、けっして世間から見れば好ましい関係ではないのかもしれない。
でもさ、一組くらい俺たちみたいな関係の彼氏彼女がいたとしてもべつにいいだろ?
八幡「悪かったな」
雪乃「でも、いいわ。それでこそ八幡なのだから」
八幡「それも誉めてないだろ?」
雪乃「わかったの?」
八幡「当然だろ」
陽乃「はい、はい。そこの二人。勝手にいちゃつかない。
でも、やっぱり雪乃ちゃんは今も昔も最高の物を見つけ出すことができるのね。
それに、比企谷君は本物を見つけ出すことができるみたいだし」
八幡「そうですか? でも、本物も素晴らしいとは思うけど、
でもやっぱり、たとえ偽物であっても、俺にとってそれに価値があるのならば、
世間では偽物だと評価されようと、本物以上の価値があると思いますよ」
陽乃「そうなの?」
八幡「だから、さっきから何度も言ってるじゃないですか。
本物だけに価値があるなんて、それこそ偏見ですよ」
陽乃「・・・・・・そっか。コーヒーのお代わり淹れてくるわね」
陽乃さんは、そう小さく呟くと、パタパタと床を響かせながらリビングを後にする。
その後ろ姿がなんだか可愛らしく思えて、
その可愛らしさは本物ですよって、念を送ってしまった。
雪乃「鼻の下が伸びているわよ」
振り返ると、不機嫌そうに睨む雪乃が俺を出迎える。
なんだか二人して喜怒哀楽が激しすぎないか。
俺は小さくため息をつくが、この微笑ましい仮初めの幸せに身を任せずにはいられなかった。
なかなか俺達を離してくれない陽乃さんを、後ろ髪ひかれる思いのまま
マンションまで戻ってきたのは午後11時近くになっていた。
お風呂も雪ノ下邸で入ってきたので、あとは寝るだけなので問題はない。
勉強にしたって、雪ノ下邸でいつもと同じようにやり遂げてもいた。
雪乃に関しては、同じ学科の先輩たる陽乃さんもいるわけで、
雪乃は必要ないと言いながらも、陽乃さんがさりげなくサポートしていたので
自宅マンションで一人で勉強するよりもはかどっていた気もする。
捻くれている俺だからこそ辿った過程であり、捻くれているらしい雪乃だからこそ
俺がたどり着けたのだから、けっして世間から見れば好ましい関係ではないのかもしれない。
でもさ、一組くらい俺たちみたいな関係の彼氏彼女がいたとしてもべつにいいだろ?
八幡「悪かったな」
雪乃「でも、いいわ。それでこそ八幡なのだから」
八幡「それも誉めてないだろ?」
雪乃「わかったの?」
八幡「当然だろ」
陽乃「はい、はい。そこの二人。勝手にいちゃつかない。
でも、やっぱり雪乃ちゃんは今も昔も最高の物を見つけ出すことができるのね。
それに、比企谷君は本物を見つけ出すことができるみたいだし」
八幡「そうですか? でも、本物も素晴らしいとは思うけど、
でもやっぱり、たとえ偽物であっても、俺にとってそれに価値があるのならば、
世間では偽物だと評価されようと、本物以上の価値があると思いますよ」
陽乃「そうなの?」
八幡「だから、さっきから何度も言ってるじゃないですか。
本物だけに価値があるなんて、それこそ偏見ですよ」
陽乃「・・・・・・そっか。コーヒーのお代わり淹れてくるわね」
陽乃さんは、そう小さく呟くと、パタパタと床を響かせながらリビングを後にする。
その後ろ姿がなんだか可愛らしく思えて、
その可愛らしさは本物ですよって、念を送ってしまった。
雪乃「鼻の下が伸びているわよ」
振り返ると、不機嫌そうに睨む雪乃が俺を出迎える。
なんだか二人して喜怒哀楽が激しすぎないか。
俺は小さくため息をつくが、この微笑ましい仮初めの幸せに身を任せずにはいられなかった。
なかなか俺達を離してくれない陽乃さんを、後ろ髪ひかれる思いのまま
マンションまで戻ってきたのは午後11時近くになっていた。
お風呂も雪ノ下邸で入ってきたので、あとは寝るだけなので問題はない。
勉強にしたって、雪ノ下邸でいつもと同じようにやり遂げてもいた。
雪乃に関しては、同じ学科の先輩たる陽乃さんもいるわけで、
雪乃は必要ないと言いながらも、陽乃さんがさりげなくサポートしていたので
自宅マンションで一人で勉強するよりもはかどっていた気もする。
695: 2015/02/26(木) 17:31:17.77 ID:XApkFNfO0
まあ、雪乃本人はけっして認めはしないだろうが。
それでも、陽乃さんも嬉しそうにかまっているので、どうにか姉妹間バランスは
うまい具合にバランスがとれているのだろう。
しかし、それも一定の距離感を保てる勉強に限るかもしれない。
お風呂に関しては、どうもうまくいかなかったらしい。
俺は、自宅マンション以上に広くて、どでかい檜の湯船を堪能できたことで
すこぶる満足できるバスタイムではあった。
純日本風の檜の香りに包まれる風呂。
俺も、噂レベルでは聞いた事はある。
高級旅館や、今はやりの各部屋に作られている室内備え付け温泉なんかでは、
もしかしたら、めぐりあうことができるかもしれないと思ってはいた。
けれど、個人宅で、しかも、ここまで豪華な檜の風呂に入れるとは、夢にも思わなかった。
豪華でありながらも、厭味を感じさせないわびさびを反映させた日本の風呂文化。
俺がどうこういうのもあれだし、風呂にわびさびなんか求めてなんか
いないのかもしれないけど。
ただ、俺がこうまではしゃいでしまうほどの風呂に入れたってことだけは確かだった。
そして、この雪ノ下邸の風呂場は、湯船だけでなく、洗い場もすこぶる広かった。
大人二人が一緒に入ったとしても、十分すぎるほどのスペースが確保されている。
だから、雪乃と陽乃さんが一緒に入ったとしても、風呂における人間の占有領域
からしてみれば、十分すぎるほどの空き領域を確保できていた。
そんな最高級のお風呂であっても、入浴直後の雪乃の感想を聞くと、
次に俺がこのお風呂に入れるのは、当分先かもしれないと思ってしまった。
雪乃「もう絶対に姉さんとはお風呂に入らないわ」
八幡「そういいながらも、けっこう長い時間入ってたじゃないか?」
雪乃「姉さんが離してくれなかったのよ。姉さんとお風呂に入るのなんて久しぶりだから
油断していたわ。姉さんも年を積み重ねて大人になったのだから、少しは落ち着きを
もった人間になったと考えたのが甘かったみたいね」
八幡「そうか? なんだか肌がつやつやしてて、満足そうにみえるんだけどな」
雪乃「それは・・・、それは、姉さんがあれもこれもと、マッサージやオイルなど
色々としてきたせいよ」
八幡「だったらよかったじゃないか?」
雪乃「それが、肌や髪の潤いを与えるだけならば、私も考えなくはないわ。
けれどね八幡」
八幡「なんだよ」
俺に問いただすように詰め寄る雪乃の顔には、
はっきりと修羅場を潜り抜けた人間にしか持ちえない決意が秘められていた。
696: 2015/02/26(木) 17:31:47.25 ID:XApkFNfO0
雪乃「お風呂は、一日の汚れを流し、リラックスする為の場だと考えているわ」
八幡「それは、俺も同意見だよ」
雪乃「そうね、一般的に言ってもほとんどが同意見でしょうね。
けれど、姉さんはその一般的回答に含まれていないのよ」
ある程度は予想はしていたが、雪乃にこうまで堅い決意を抱かせるほどとは。
たしかに雪乃の肌のつやや、髪の艶は素晴らしいほどに整っている。
しかしだ、その肌と髪の持主たる雪乃は、明らかに疲れ果てていた。
雪乃が言う風呂でのリラックスは、どう見ても出来ていないといえる。
八幡「へ・・・えぇ」
雪乃「八幡は、姉さんの過剰すぎるもてなしを経験していないから
そんなふうに他人事として言えるのよ」
八幡「いや、俺も、雪乃ご苦労さんって気持ちをもっているぞ」
雪乃「そうかしら? 八幡も一度経験してみればわかると思うわ」
八幡「それは、さすがに駄目だろ」
陽乃「あら? そうかしら。私はいつでもウェルカムなんだけどな。
それに、雪乃ちゃんのお許しもでたわけなんだから、何も問題ないでしょ」
俺達が振り返ると、ちょうどキッチンからペリエの瓶を三本持ってきた陽乃さんが
そこにはいた。
そして、俺達に瓶を手渡すと、俺達の向かいのソファーへと身を沈めていく。
これは雪乃には言えないのだけれど、妖艶さに磨きをかけた大人に成長した陽乃さんの
湯上りの姿は、直視できないほど色っぽく、艶やかさを振りまいていた。
陽乃さんも久しぶりの雪乃とのバスタイムともあって、
大人の慎み深さは霧散してしまったのだろう。
俺も、雪乃の背中を両手で押して風呂場に消えていく陽乃さんを目撃していたので、
ある程度は陽乃さんのはしゃぎようは予見はしていた。
ただ、今目の前にいる頬が上気した湯上りの陽乃さんは、
想像以上の大人の色気を備え持っていた。
八幡「問題ありまくりですって」
雪乃「私は許可した覚えはないのだけれど」
陽乃「だって雪乃ちゃんが、八幡も一度経験してみればわかると思うわって言ったじゃない。
だったら、比企谷君には、是非とも経験してみるべきよ。今後の為にも」
八幡「なんのためにですか。俺を捕まえてどうしようっていうんですか」
陽乃「そんなの決まっているじゃない。
それとも、私の口から生々しい詳細を聞きたいのかしら?」
697: 2015/02/26(木) 17:32:19.22 ID:XApkFNfO0
陽乃さんの入浴後効果120%増しの色っぽさは、もはや回避不可能レベルに達していた。
一度捕まってしまえば、どこまで引きづり込まれるかわかったものじゃないっていうのに、
今日の陽乃さんはなんだかリミッターが外れた強さを持っていた。
常に常識外れの強引さはあるけど、いつもは今一歩踏み込んでこない弱さがある。
しかし、今日はその弱さがややかすんでいる。
今話題になっているお風呂の話だけではなく、俺は、今朝陽乃さんを迎えに行った時から
なにか違和感を感じていた。
雪乃「姉さん、そこまでにしておきなさい。
これ以上の事となると、私も本気にならざるを得ないわ」
陽乃「あら、雪乃ちゃんはいつも本気じゃない?
もしかして、いつも余裕があったのかしら?」
雪乃は、ほんのわずかの時間目を丸くしたが、それを打ち消すように毅然と姿勢を正す。
その行為が、その気持ちの切り替えが、雪乃の敗北を強く示していた。
いつだって雪乃は本気だ。どんな時であっても、試合開始直後だろうと雪乃は
実力を100%近く発揮している。
これはある意味気持ちの切り替えが早いから、わずかな時間でさえも集中して勉強できる点で
非常に優れているといえる。
俺なんかからすれば、勉強に集中する為には多少の時間がかかるわけで、
10分くらいの空き時間さえも全力で勉強できる雪乃をいつも羨ましくも思い、
コツを教えて欲しいといったものだ。
一応コツを聞き、かえってきた言葉は、特に意識してやってるわけではないとの事だが。
そう、だからこそ雪乃には、余裕がない。
常に全力だからこそ、実力の天井を晒してしまうし、力の余裕なんてあるわけがない。
これが格下相手ならば問題ないのだろう。
けれど、相手が陽乃さんであったり、雪乃の母親なんかの化け物級の相手となると
状況が一変してしまう。
陽乃「それとも、雪乃ちゃんは、自分が言った言葉に責任を持てないのかしらね」
雪乃「家族の会話で、冗談を言ってはいけないのかしら。
たしかに私は八幡に一度経験してみればいいとは言ったわ。
でもそれは、経験する事はないだろうけど、もし経験したら逃げ出したくなるような
経験だっていう意味で言ったまでよ」
たしかに、常識的な話の流れからすれば雪乃の言い分が正解なのだろう。
・・・でも、相手は陽乃さんであった。
陽乃「そう?」
698: 2015/02/26(木) 17:32:54.48 ID:XApkFNfO0
雪乃「そうよ」
目を細めて雪乃を見つめる陽乃さんの眼光が、雪乃の体を縮みあがらせてしまう。
もはや勝負はついているのだろう。ついているんだろうけど、雪乃はきっと逃げないはずだ。
陽乃「だったら、同じ事を母にも言えるかしら?」
雪乃「それは・・・」
陽乃「もし、大学での成績が下がってしまって、比企谷君との交際を認めてもらえなく
なった場合、その時、交際は男女間の意思のみで成立するから、母の指示には
従わないって言えるかしら?」
雪乃「成績は今のレベルを維持するわ」
陽乃「それは覚悟であって、未来での確定事項ではないわ。
でも言ったわよね? 二人が母に交際を認めさせる条件として。
それさえも、家族間の冗談としてすますのかしら」
強引な論理の入れ替えだ。
あの時の俺達の宣誓と、さっき雪乃がいった言葉の背景には大きな隔たりがある。
強引すぎる。それは雪乃だってわかっている。
わかっているけど、それを指摘する気力が雪乃からは消えかかっていた。
まあ、あの女帝相手に冗談なんて言えやしない。
きっと言えるのは、親父さんくらいだろうな。
俺は、想像もできない女帝と親父さんのやり取りを無理やり想像して
苦笑いを浮かべてしまう。
雪乃も陽乃さんも一歩も引く事をせず、時間だけが過ぎ去っていく。
このあと女帝が帰ってくるまで冷戦状態が続いたのだが、
このとき初めて雪乃の母親に会えた事に喜びを感じてしまった。
あの俺の事を人として見ない蔑む目を見て、
ほっとしてしまう日が来るとは夢にも思わなかった。
それほどまで重苦しい雰囲気だったと言えるのだが、それはいつもの姉妹の会話と
言ってしまう事も出来た。
しかし、なにかが違う。ほんの少しだけれど、今日何度目かの違和感を覚えた。
とはいっても、女帝が帰ってくると、雪乃も陽乃さんもいつもの調子に
戻っていたので、俺の考え過ぎだったのかもしれないと、この時は思っていた。
699: 2015/02/26(木) 17:33:26.21 ID:XApkFNfO0
7月12日 木曜日
コーヒーの香りが俺の鼻をくすぐる。
雪乃のマンションで朝起きると、コーヒーの香りが俺を出迎えてくれるようになったのは、
いつからだっただろうか?
そもそも雪乃がコーヒーを豆から用意してくれるだなんて想像した事もなかった。
奉仕部では、いつも紅茶を淹れてくれていたので、どうしても雪乃というと
紅茶と結び付けてしまう。
それでも俺の為にコーヒーを準備してくれているのは、俺がマックスコーヒーを
好んで飲んでいるせいなのだろう。
だったら練乳も用意してくれればいいのに、ミルクだけって、
おそらくコーヒーに関しては、雪乃は陽乃さんの影響を受けているのだろうと結論付けた。
雪乃「どうしたの? 朝から渋い顔をして」
八幡「いや、なんでもない」
雪乃「なんでもないという顔ではないと思うのだけれど」
俺の適当すぎる返答に、雪乃は訝しげに首を傾げて、俺の顔を覗き込んでくる。
朝から人の心の奥底まで見通してしまうような目で見つめられると、
ちょっと腰を引いてしまいしそうになってしまう。
以前同じような状況で実際に腰を引いてしまったら、雪乃が悲しそうな顔をしたのを
脳裏によぎってしまった。
俺からすれば、適当に相槌を打ってしまった後ろめたさからくる逃げ腰だったのだが、
雪乃からすれば隠し事をされたと感じてしまったようだった。
今まで俺が一人で厄介事を抱え込んでしまう前科が山ほどあるわけで、
いくら恋人になり、同棲までしたとしても、
雪乃は、その前科を忘れることができないのだろう。
以上から、俺が今すべきことは、雪乃が納得すべき回答を胸を張って答える事だった。
八幡「いや、な。このコーヒーって、いつもと同じだよな?」
雪乃「ええ、そうよ。八幡が毎朝飲む為に買ってきた百グラム三百円のブレンドコーヒーよ。
しかも、賞味期限一カ月前から3割引きになるお買い得品。
普段から目が腐っているのだから、少しくらいエコに目覚めて、
廃棄ロスを減らすべく、環境に優しい行いをと、選んでいるわ」
八幡「俺の目が腐っているのと、スーパーの廃棄ロスとの間には、
少しも因果関係ないだろ」
雪乃「そうかしら? てっきり八幡は腐りかけのものが好きなのだと思っていたわ」
700: 2015/02/26(木) 17:33:53.60 ID:XApkFNfO0
八幡「そもそもスーパーのお買い得品は、腐ってないだろ。
もし腐っていたら、それこそ大問題になってしまう」
雪乃「そうね。八幡の存在自体が大問題だったわね」
八幡「俺の存在自体を否定するなよ。俺の目がたとえ腐っていようと、
俺自身が腐っているわけではない」
雪乃「訂正するわ」
八幡「ありがとよ」
雪乃「性格が腐っているから、その腐った心が外に漏れ出てしまったために、
目が腐ってしまったのね。
頑丈な体で産んでくださったお母様に申し訳ないわ」
八幡「俺の体は、腐敗を抑え込む為の器かよ」
雪乃「器としては不十分ね。げんに漏れ出ているじゃない」
八幡「俺の体が欠陥品だっていいたいのか。
・・・もういいよ」
早朝からのこのハイテンションはさすがにきつい。
俺は、降参の合図として両手をあげてから、コーヒーカップを手に取り、喉に流し込んだ。
それを見た雪乃は、満足そうにほほ笑むと、自分の為に用意したブラックコーヒーを
一口口に含んだ。
八幡「昨日は、コナコーヒーって言ってただろ?」
百グラム三百円が高いかどうかは判断しかねるが、インスタントコーヒーと比べるならば、
高いと言えるのだろうか。
いや、まてよ。この前、陽乃さんとコーヒー豆を買っていた時は、
百グラム1400円くらいだったはず。
一番高いのが1800円くらいで、コナコーヒーが2番目に高い豆だって印象が残っていた。
そうなると、300円は安いのか?
頭の中で試算しようとしたが、幾分コーヒーの知識が足りな過ぎる。
インスタントコーヒーやマックスコーヒーについてなら、わかるんだけどな。
なんて、頭の中で考え事をしてしまって、ちょっと難しい顔をしていると、
雪乃が心細そうな顔色をみせてくる。
だったら初めから毒舌吐くなよと言ってやりたいものだが、
これが俺たちなのだから、しょうがないか。
第40章 終劇
第41章に続く
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない『愛の悲しみ編』【中編】
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