やはり雪ノ下雪乃にはかなわない『愛の悲しみ編』【前編】
710:黒猫 ◆7XSzFA40w   2015/03/05(木) 17:29:51.36 ID:MZPnThgr0

第41話





7月12日 木曜日





雪乃「そうだったかしら?」



雪乃は俺の顔色を伺いながら、精一杯の虚勢を張ってとぼける。

その、頑張っていますっていう顔つきが可愛らしくて、思わず笑みがこぼれてしまう。

すると雪乃が俺の反応に気がついて、頬を膨らませるのだが、

雪乃が安心していくのを如実に感じ取ることができた。



八幡「とぼけるなよ。昨日、その口が言ってただろ」」

雪乃「その口と言われても、どの口かわからないわ」



すっかり調子を取り戻した雪乃は、俺をからかうような瞳を投げかけてくるものだから、

俺としては条件反射でしっかりと大事に受け取ってしまう。

もう一生消えない癖になってしまったな、・・・なんて教えてあげないけど。



八幡「あくまでとぼけるつもりなんだな。・・・わかったよ。

   だったら、雪乃が理解できるようにいってやる。

   雪乃の可愛い口が言ったんだ。

   いつもは罵詈雑言ばかり乱れ撃ちするその唇が、

   しっかりとはっきりと言葉を形作ったんだよ。

   陽乃さんとコーヒーの話を聞いたときは、拗ねちゃって口をとがらせていたくせに、

   家に帰って来てからは、俺の唇を求めてしおらしく泣いてたっけな。

   その俺が大好きな雪乃の口が、コナコーヒーって断言したんだ」

雪乃「・・・そうね」



雪乃はきょとんとした目で俺を見つめて小さく呟いた。

そして、俺の目とかち会うと、恥ずかしそうに頬を赤く染めながら視線を斜め下にそらす。

視線をそらした後も、挙動不審さ全開で、瞳を揺れ動かしながら俺の挙動を観察していた。

ある意味自爆覚悟の攻撃だったが、ここまで効力があるとは恐れ入る。

ナイス俺! 毎日負けてばかりではないのだよ。

連敗記録を更新するだけが取り柄じゃないところをたまには見せつけられたことに、

俺はちょっとばかし天狗になってしまう。



八幡「雪乃?」


711: 2015/03/05(木) 17:30:53.64 ID:MZPnThgr0

俺の呼びかけに、雪乃は腰をよじって、緩く握った拳で口元を隠すことしかしない。

なんだか、俺の攻撃が威力がありすぎて、

・・・こう言っちゃなんだけど、雪乃、可愛すぎないか?

さっきまで勝ち誇っていた勢いはどこにやら、すでに敗戦ムード一色に塗り替わっていた。

もうさ、俺の負けでいいです。だから、これ以上の拷問はやめてください。



八幡「雪乃さん?」



俺の再度の呼びかけに、小さく肩を震わせると、雪乃は喉に詰まっていた言葉を

猛烈な勢いで吐き出してきた。



雪乃「そうだったわね。私がコナコーヒーだと言ったわ。

   私は紅茶なら詳しいのだけれど、コーヒーについては疎いのよね。

   確かに姉さんが好きなコーヒーの銘柄で、コーヒー好きの姉さん一押しの銘柄なら

   八幡も喜ぶと思って選んだのだったわ。

   でも、八幡も毎日飲んでいるのだから、自分が飲んでいるコーヒーの銘柄くらい

   覚えて欲しいわ。だって、私が淹れているコーヒーなのよ。

   だったら、私が教える前に自分から聞いてくるべきだったのよ。

   それと、たしかにコーヒーも悪くないわね。

   八幡に合わせて朝食のときに、私も飲むようになったのだけれど、

   目覚めの一杯としては効果がある飲み物である事は認めるわ。

   やはりカフェインの効果なのかしら? でも、紅茶の香りもいいけれど、

   コーヒーも最近いいかなって思うようになったのよ。

   ふふっ。一緒に暮らしていると、似てきてしまうのね。

   だけど、アフタヌーンティーともいうわけで、

   ゆっくりと落ち着きて会話をしながら飲むのならば、やはり紅茶をお勧めするわ。

   コーヒーは香りが強すぎて頭をすっきりさせるのには最適なのだけれど、

   リラックス効果は紅茶の方が上ね。

   これは私の偏った評価だけが示している効能ではないと思うわ。

   朝の目覚めのコーヒーというのように、同じような効果として、

   眠気覚ましのコーヒーというじゃない。

   つまり、眠気が飛ぶような強い効能があると言えると思うわ。

   だから、リラックスしたい場面で、そのようなインパクトがあるコーヒーは

   あわないと思うのよ。そうね、あわないというのは狭量すぎるわね。

   あわなくはないと思うのだけれど、私としては紅茶が好きだから、

   紅茶を飲みながら八幡と会話をしたいわ。

   あと、鳥と同等の脳みそしか有さない八幡に、

   こうまで強気に断言される日が来るなんて、今日は雪が降るわね。

   夏なのに雪だなんて、今日の異常気象は八幡のせいね。

   だから、八幡は、日本国民に対して謝罪する義務があると思うわ」

712: 2015/03/05(木) 17:31:22.63 ID:MZPnThgr0


と、どこまで理解できたかわからないが、最後の方は肩で息をしながら雪乃はそう言った。



八幡「・・・えぇっと、雪乃は自分の彼氏の事を何だと思ってるんだよ?」

雪乃「ペットの鳥かしら?」

八幡「だったら、籠の中にでも入れておく気かよ」

雪乃「・・・・・・・それがもし可能ならば、実現させたいものね」



どうにも本気とも冗談ともとれる怖い発言を目を光らせて朝からのたまうものだから、

明らかに雪乃の様子がおかしいと、脳みそ鳥並みの俺であっても判断できた。

もちろん雪乃のいつ息継ぎしたか質問したくなるご演説もおかしいけれど、

これは雪乃なりの照れ隠しだ。だから、問題はない。

一方、雪乃が俺を鳥のように閉じ込めておきたいと言った時の表情は、

照れ隠しには当てはまらない。

むしろもっと内に秘めた葛藤なのだろうか。

彼氏彼女だからこそ言えない一言が含まれている気がした。

これでも雪乃の彼氏であり、今までも、そしてこれからもずっとやっていきたいと

思っているわけで、雪乃が抱えている悩みを一刻も早く解決したい。

悩みなんて人それぞれ抱えているものだし、ましてや自分の悩みでさえ簡単には

解決できるものではない。

ならば、自分の彼女だって、簡単に解決できるものではないのだろう。

そもそも偉そうに人の悩みを解決してやるだなんて言う方がおこがましい。

でも、今回の、俺の彼女たる雪ノ下雪乃の悩み限定ならば、完全に解決できるとまでは

言えないまでも、それなりに悩みを軽減させる自信が俺にはあった。

なにせ、その悩みの原因は、おそらく俺自身なのだから。



八幡「雪乃も喋りすぎて喉が渇いただろ。ちょっと喉を潤わせる為に休戦にしないか」

雪乃「そうね。私も喉が渇いてしまったわ」



そりゃそうだろ。あれだけ喋ったのだから。

雪乃は、俺の勧めに従って、コーヒーカップを取ろうする。



八幡「雪乃のお勧めでもあるし、紅茶を淹れてくれないか?

   雪乃とゆっくりとリラックスしながら朝食をとりたいんだ。

   そうだな、明日からはコーヒーじゃなくて、紅茶にしないか?」



雪乃は、俺の真意を探ろうと見つめ返してくる。

どこか訝しげで、触ってしまったら泣きだしてしまいそうな瞳に吸い寄せられてしまう。

だから、俺は雪乃からの視線に逃げることなく、視線を受け止める。

さすがに演技かかった発言だったと思う。

713: 2015/03/05(木) 17:31:49.62 ID:MZPnThgr0


しかも三文芝居だったしな。けれど、俺の真意だけは雪乃に伝えたい。

伝えなければならない。

やはり陽乃さんが淹れてくれるコーヒーと比べてしまうと、

同じコナコーヒーの豆を使っていても、違いがわかってしまう。

俺の味覚がすごいわけではない。

そもそも陽乃さんはハンドドリップであり、雪乃はコーヒーメーカーを使っているのだから

味の違いが出て当然だ。

もちろん俺は缶コーヒーも飲むし、喫茶店のコーヒーや、チェーン店のコーヒーも飲むし、

最近はコンビニのコーヒーだって飲む。

さすがにインスタントコーヒーは、練乳たっぷりのマックスコーヒーもどきを愛飲しているが、

だからといって、陽乃さんが淹れてくれるコーヒーが絶対であり、

他のコーヒーを認めないと考えているわけではない。

ただ、朝の目覚めで飲むコーヒーとしては、一緒に暮らす雪乃に対して失礼だと

俺が思ってしまう。

彼氏であって、同棲している彼氏でもある恋人が、雪乃の実の姉であろうと

朝一番で違う女性の事を考えてしまうのは、けっしてよろしいとはいえない。

むしろ裏切り行為だとさえいえるだろう。

そもそも朝一番にコーヒーを飲む習慣を作ってしまったのも、

雪乃の勘違いから始まったものだ。

普段から俺がマックスコーヒーばかり飲んでいるわけで、

そのせいで俺がコーヒー好きだと雪乃が思ったらしい。

もちろん間違いではない。厳密にいえば、マックスコーヒー限定なのだが、

その辺の違いを熱く語ったとしても、俺が論破されてしまうだけだろう。

まあ、いってみれば、俺が好きなマックスコーヒー関連について雪乃に論破されるのが

嫌だったという、器が小さすぎる俺に今回の騒動の小さな原因があったのかもしれない。

若干こじつけ臭いが、嘘は言ってないとはずだ。

俺からしたら、コーヒーではなく、朝は、雪乃が淹れてくれた紅茶でよかった。

むしろ最初から雪乃の紅茶がいいと選択したほうがよかったとも今なら思えるが、

いろんなところでコーヒーを飲むと言っても、

そのほとんどがインスタントコーヒーか缶コーヒーくらいしか飲まない俺からすれば、

雪乃が用意してくれたコーヒーメーカーで淹れてくれたコナコーヒーならば、

目が覚めくらいうまいコーヒーであった。

だからこそ、俺は雪乃が用意してくれた最初の一杯のコーヒーを皮きりに、

その翌日も雪乃が用意してくれるコーヒーを飲む習慣を作ってしまった。

だけど、その習慣も今日で終わりだ。

やはり俺の偽らざる裸の真意を伝える為には、オブラードにくるまずに

ストレートに言おう。

きっと雪乃も、それを望んでいるはずだ。



714: 2015/03/05(木) 17:32:20.58 ID:MZPnThgr0


八幡「どうしても陽乃さんのコーヒーと比べてしまうからな。

   でもさ、朝一番に感じたいのは雪乃だから。

   それが一杯のコーヒーであろうと、それは雪乃に対して不誠実だと思うんだよ。

   だから、これからは、雪乃が淹れてくれるダージリンのセカンドフラッシュを

   毎朝飲みたい、と思っている」

雪乃「ええ、わかったわ。・・・・・・ありがとう、八幡」



蕾がゆっくり開くように微笑みかける雪乃に、俺は見惚れてしまう。

儚く、美しい花びらが、一枚、また一枚と、しっかりと自己主張していく。

他人から見たら、温室育ちのか弱い花だっていうのかもしれない。

花は他人を寄せ付けず、花の管理者さえも厳重に他者を寄せ付けないように

薄いビニールハウスを張り巡らせている。

でも、俺はわかっている。

しっかりと根を張って、外に出ようとしているその花は、気高く、強いって。

けれど、今降り注ぐ夏の陽差しは強すぎる。

陽は、花にとってなくてはならない存在だ。

しかし、強すぎる陽差しは毒にこそあれ、しまいには花を枯らせてしまう。

ならば、管理者たる俺が、うまい具合に調整しなければならない。



雪乃「紅茶、淹れてくるわね」

八幡「頼むよ」



もう一度小さく微笑んだ雪乃は、くるりと華麗にターンを決めると、

キッチンへと一歩踏み出そうとした。



雪乃「・・・そうね」



雪乃は何か思い出したらしく、一つ確認するように呟くと

再びターンをきめると、俺の方へと歩み寄ってくる。

椅子に座る俺の目線に合わせるようにかがみこんでくると、

すっと俺の瞳の奥まで侵入してくる。

朝日を背にする雪乃の表情はよく読みとれなかった。

気がついたときには、雪乃はキッチンへと消えていた。

雪乃が残していった香りをかき集めて余韻に浸っていると、

いつもの朝がこれで終わった事を実感した。

これからは、今までとは違う朝を毎日過ごす事になるんだと思う。

テーブルの上には、飲みかけのコーヒーカップは存在していなかった。





715: 2015/03/05(木) 17:32:50.48 ID:MZPnThgr0






今日も今日とて大学の講義はある。

今朝の出来事のおかげか、雪乃はすこぶる上機嫌で俺の隣を闊歩している

昨日の雪乃と陽乃さんの衝突を心配してはいたが、陽乃さんにいたっては、

昨日の事など微塵も感じさせない様子であり、俺の方がかえって戸惑ったほどだ。

一方雪乃はというと、陽乃さんを迎えにいって、陽乃さんが車に乗り込んだ直後までは

緊張してはいたみたいだが、陽乃さんがいつも通りの雰囲気である事を確認すると、

雪乃からはとくに昨日の事を蒸し返そうなどしなかった。

もちろん雪乃は、表面上はいたって普通であることを演じてはいたが、

俺や陽乃さんは雪乃のぎこちなさに気がついたし、

陽乃さんもそのことに触れようとはしなかった。

そして現在、俺を挟んで雪乃と陽乃さんは、いつもの激しい会話を繰り広げているが、

俺はそんな微笑ましくもあり、精神を削り取られる会話を楽しむ気にはなれないでいた。

なにせ今日はいつもの登校時間より30分も早くして、

橘教授に会いに行かねばならないのだから。

さすがにいつもの登校時間ではないともあって、雪ノ下姉妹の登校風景に見慣れていない

人たちがほとんどであり、振り返る奴があとを絶たない。

本来の俺ならば、興味半分にその数を数えたりしたりもするが、

今日はそんな気にさえなれなかった。

一応昨日の弥生の話からすれば、俺の解答が橘教授に悪印象を与えてはいないらしい。

悪印象は与えていなくても、好印象を与えているとは限らないところが面倒だ。

つまり、個人的には面白い好意かもしれないが、講義の小テストとしてはNGであり、

レポートの提出を義務付けるなんてこともありうるわけで。

そんなマイナスイメージばかりを昨日から幾度ともなく考えていれば憂鬱にもなってしまう。



陽乃「雪乃ちゃんも比企谷君も、今朝は心ここにあらずって感じで、つまんな~い」



陽乃さんは、つまんな~いと言いながら、腕をからませてくるのはやめてください。

いくら平凡な朝の光景だとしても、そこに核兵器を実装しては不毛の地になるだけですって。

現に隣の国の雪乃さんのレーダーは、緊急事態を察知して、俺に絡める腕の力を

限界まであげていますよ。

だから俺は、肩にかかった鞄をかけ直すふりをして、

さりげなく陽乃さんの誘惑を退けるしかなかった。



陽乃「ねえ雪乃ちゃん」

雪乃「なにかしら?」

水面下で高度すぎる外交取引があったというのに、二人の顔は崩れる事もなく会話を進める。

陽乃「今度私の誕生日会を開いてくれるらしいわね」

716: 2015/03/05(木) 17:33:24.74 ID:MZPnThgr0


雪乃「ええ、由比ヶ浜さんが企画したのよ」

陽乃「それだったら、雪乃ちゃんが具体的な準備をまかせられたってところかしら?」

雪乃「その認識で間違っていないと思うわ」



異議あり。たしかに雪乃が具体案を作り上げるだろうが、

こまごまとした準備は俺の方に回ってこないか?

と、不満をぶちまけそうになるが、結局は、料理なんかの重労働は雪乃がやるわけで、

一番大変なのは雪乃なんだよな。

料理だけは由比ヶ浜に手伝ってもらうわけにはいかない。

むしろ由比ヶ浜を料理から遠ざけねばなるまい。

いくら最近少しは上達してきたといっても、まだまだ戦力には数えられないだろう。

となると、俺がヘルプに入るわけか。それはそれで楽しいからいいんだけどさ。



陽乃「だったら、リクエストしたいことがあるんだけど、いいかな?」

雪乃「もちろん構わないわ。姉さんが主役のパーティーなのだから、

   その主役の要望にはできるだけ応じるつもりよ」

陽乃「だった・・・」

雪乃「でも、出来る事と、出来ない事があるから、その辺の事は察してほしいわ」



さすが雪ノ下雪乃さんっす。

陽乃さんが無理難題を突き付ける前にシャットダウンするとは。

長年陽乃さんの妹をやっているわけではないっすね。

俺だったら、ずるずると陽乃さんの雰囲気にのまれて、

無理難題を意思不問で押しつけられていた所だ。

しかし、陽乃さんも雪乃が生まれた時から雪乃の姉をやっているわけで、

一呼吸つくと、再度の攻勢に取り掛かった。



陽乃「もちろん出来ない事ではないから安心してほしいわ。

   雪乃ちゃんに頼む事ではないしね。

   私がリクエストしたい事・・・・・・」

雪乃「却下よ」



雪乃の冷たく重い言葉が、陽乃さんの声を遮る。

雪乃が陽乃さんを見つめる瞳は黒く輝いていて、

何人たりとも国境からの侵入をゆるさない決意を漂わせていた。

一方陽乃さんも、一瞬のすきを伺うその集中力は、まさに狩人といったところだろう。

こえぇ~。陽乃さんは、まだ何もリクエストしてないだろ。

それでも雪乃には、陽乃さんが何をリクエストしたいかわかっているのかよ。



717: 2015/03/05(木) 17:33:52.80 ID:MZPnThgr0

陽乃「えっと、ねぇ・・・」

雪乃「却下」

陽乃「だか・・」

雪乃「不許可」

陽乃「そのね」

雪乃「不採用」

陽乃「ちょっと聞いてよ」

雪乃「不受理」

陽乃「むぅ~」



雪乃は、あくまで陽乃さんに言わせない気かよ。

そこまでして聞き入れたくない内容なのだろうか。

だとすると、陽乃さんだってこのまま引き下がるわけがないと思うのだが・・・。

と、陽乃さんの出方を伺っていると、陽乃さんはさっそく俺の腕にしがみつき、

俺の耳に口をあて、俺だけに聞こえる声でリクエストを伝えてきた。

急すぎる不意打ちに、俺も雪乃も対応できないでいる。

今までは、雪乃に対してのアプローチだったので、俺に来るとは思いもしないでいた。

ただ、たしかに雪乃が聞き入れたくない要望だと納得せざるを得なかった。

なにせ・・・。



陽乃「一日、比企谷君をレンタルしたいな」



だったのだから。



雪乃「姉さん。いくら八幡に直接言ったとしても、私が許可しないわ」

陽乃「えぇ~。これは比企谷君が決めることでしょ?」



雪乃には、陽乃さんの囁きは聞こえなかったはずなのに、

それでも許可申請をしないところをみると、

やはり雪乃には陽乃さんのリクエストが詳細にわかっていたってことか。

ただ、このまま陽乃さんが引き下がるとは思えないし、

ましてや雪乃は徹底抗戦しかしないはずだった。

だとすれば俺が調停役にならなければ、この騒動は終息しない。

はぁ・・・。なんで朝っぱらからため息ついてるんだろ。

おい、俺の事を見て羨ましがってるそこのやつ。

俺の苦労も知らないで、俺の事を睨むなよ。

と、通りすがりの美女二人を眺めている男に八つ当たりをしてしまう。

けっしてこの苦労を譲ろうとは思わないし、手放しはしないけれど、

一方的決めつけだけはやめてくれ。いや、お願いします。


718: 2015/03/05(木) 17:34:18.30 ID:MZPnThgr0

じゃないと、心が折れそうです。

俺が周囲を観察中も、あいかわらず雪乃達の外交交渉は続いていた。

さてと、このままでは核戦争まっしぐらだし、俺が交渉の場につくとしますか。



八幡「いくら陽乃さんであっても、俺をレンタルする事は出来ませんよ」

陽乃「えぇ~。いくら雪乃ちゃんに悪いといっても、一日くらいはいいじゃない」

八幡「それも違いますよ」



俺の発言に、陽乃さんに戸惑いが浮かべるが、

援護されていたと思って浮かれ気味だった雪乃の表情にまで戸惑いが広がる。



陽乃「どういうこと?」



陽乃さんは、意味がわからないと聞き返してくる。

雪乃も陽乃さんと同じ気持ちらしく、ちゃんと話してあげなければ、

今にも詰め寄りそうなので、雪乃に対して優しく目で制しておく。

一応その牽制で雪乃は落ち着きをみせてくれるが、

納得していないのは目を見れば明らかだった。



八幡「そもそも俺は雪乃の所有物ではないですよ。もちろん彼氏ではありますけど」

陽乃「ふぅ~ん。逆のたとえとして、雪乃ちゃんが比企谷君の恋人であっても、

   その体は雪乃ちゃんの物であって、比企谷君が自由にできる事はないっていいたいわけ?

   案外比企谷君も常識すぎる事を言うものなのね」

八幡「そういう言い方をされると、俺が非常識人みたいじゃないですか」

雪乃「あら? 八幡が一般人と同じレベルだと思っていたのかしら?

   その認識こそ非常識よ」

八幡「おい、雪乃。雪乃は俺に援護してもらいたいのか、それとも殲滅したいのか、

   はっきりしろ」

雪乃「援護してもらいたいけれど、間違いは訂正したくなるのよね。

   潔癖症なのかしら?」

八幡「可愛らしく首を傾げても、今は無駄だぞ。なにせ魔王が目の前にいるんだからな」

陽乃「あら? 魔王って私の事かしら?」

八幡「そうですよ。自分では認識していなかったのですか?

   そう考えると、陽乃さんも非常識人ですね。

   あっ、魔女っていう認識でもいいかまわないですよ」

陽乃「へぇ・・・、比企谷君が私の事をそんなふうに思っていたなんて、予想通りよ」



だから、陽乃さんも可愛らしく首を傾げても、怖いだけですから。

もう、両方の腕に絡まる細い腕をふりほどいて逃げだしたい。


719: 2015/03/05(木) 17:34:55.53 ID:MZPnThgr0

俺の状態は、いわば護送中の容疑者の気分よ。



八幡「そう認識していただいてもらえて助かります」

陽乃「どういたしまして。で、まだ一般常識をご高説していただけるのかしら?」

八幡「そんな上から目線のことなんて言いませんよ。

   ただ、俺をレンタルしたいなんて言わないでも、直接俺に付き合ってくれって

   言ってくれれば、遊びにも買い物にも、いくらでも付き合いますよ」

陽乃「え?」



おいおい・・・、あの陽乃さんの目が丸くなったぞ。

真夏だっていうのに、本当に雪が降るかもしれない。

俺は、あまりにも失礼な感想を思い浮かべているが、雪乃も同様みだいだった。

もしかしたら、別の意味も含まれているかもしれないが。



八幡「だから、貸し借りなんて考えないで、素直に誘ってくれればいいんですって。

   そうすれば、いくらでも付き合いますよ。

   あっ、でも、時間がない時は無理ですからね。

   陽乃さんもわかっていると思いますけど、ご両親との約束がありますから

   勉強に忙しいんですよ。ですから、その辺の事情も考えたうえで誘ってください。

   出来る限り時間を作りますから。

   そうじゃなかったら、今朝だって車で迎えに行きませんよ。

   つまり、陽乃さんと一緒にいるのもいいかなって思っているから、

   こうやって登校しているんです。

   あぁっ、・・・なんか恥ずかしすぎること言ってますけど、

   まあ、あとは察してください」



俺は、あまりにも恥ずかしすぎるご高説は演じてしまう。

もし両腕が自由だったら、すぐにでも顔を両手で覆っていたはずだ。

だが、無防備にも顔を晒している今のこの状況は、ある意味羞恥プレイすぎるだろ。

なんとか視線だけ動かし雪乃を見ると、一応ほっとした顔を見せていた。

雪乃だって、俺と同じ気持ちで陽乃さんといるんだし、納得はしてくれるとは思っていた。

けれど、全てが納得できるかと問われれば、

そうじゃないのが雪乃の立場たるゆえんなのだろう。

一方陽乃さんはというと、何を考えているかわかりません。

だって、普段からわからないんだから、突然今だけわかったほうがおかしいってものだ。

まあ、その顔色を見てみると、プラス方向に傾いているようなので、

このままその外交交渉の落とし所は見つかったって事でいいのか、な?



八幡「俺は、今日こっちだから」


720: 2015/03/05(木) 17:35:23.18 ID:MZPnThgr0


俺は、終戦を確認すると、この後に待っている本来の目的を遂げようと行き先を告げる。

俺が急に歩くのを緩めたものだから、雪乃達に腕を引っ張られる形でその場に止まった。

本来ならば、もう少し先まで一緒に行くが、今日は橘教授に会いに行かねばならない。

だから、今日はここでお別れだ。

橘教授に呼ばれた事は、雪乃にも話してはいなかった。

呼ばれた事ばかり考えていたせいで、

雪乃に話す事をすっかり忘れていたのが原因なのだが、

そのせいで、雪乃は訝しげに俺を見つめてきた。



八幡「橘教授に会いに行かないといけないんだよ。昨日呼ばれていたな。

   今の時間だったらいるらしいから、面倒事は早めに済ませたいんだよ」

雪乃「聞いていないわよ」

八幡「ごめん、すっかり忘れていた。あまり行きたくない用事でもあったんでな」



俺は、ご機嫌斜めの雪乃に、誠意を持って素直に謝る。

その謝罪があまりにも自然すぎて、雪乃はこれ以上の追及はしてこなかった。



陽乃「で、なんで呼ばれたの?」

雪乃「そうね。理由くらいは教えて欲しいわ」



ですよねぇ・・・、陽乃さんに続いて、雪乃も理由開示を求めてくる。

陽乃さんは簡単には撒けませんよねぇ。

雪乃も、すっかり復活してるし。

わかってはいましたけど、理由を説明すると全部言わないといけなくなって、

きっと二人は笑うんだろうな。

ようやく訪れるはずだった静かな朝。

こうして再び乱世へと舞い戻っていく運命だったんだな。

さっきまで核戦争開戦間近だったのに、今は同盟ですか。

この二人のタッグを目の前にして、俺は開戦直後に白旗をあげるのだった。








第41章 終劇

第42章に続く










728: 2015/03/12(木) 17:29:14.51 ID:GjFUVEDS0

第42章





いつもより少し遅い時間に到着した教室内は、あらかた席が埋まっている。

しかしもう7月ともあってこの講義も終盤であり、

毎回違う席を狙って座る変わり者以外はたいてい同じような場所に座るわけで、

俺がいつも座っている席も空席のままであった。

まあ、由比ヶ浜が先に来ていて、

俺の分の席も確保しているみたいだったせいもあるみたいだが。



八幡「よう」

結衣「あ、おはよう、ヒッキー」



ノートとにらめっこしていた由比ヶ浜は、俺が隣の席に着くまで気がつかないままであった。

よく見ると、弥生の鞄らしきものも置かれているので、弥生はすでに来ているみたいだ。

ここにはいないのは、きっと奴の事だから誰かと情報交換でもしに行っているのだろう。

あいつは頭がいいんだし、面倒な情報交換なんてしなくても

今の成績をキープできると思うんだけどな。

不安要素を潰したいっていう気持ちだったらわからなくもないが、

あいにくそういう理由で行っている行為とも思えない。

まっ、俺からその辺の詳しい事情を聞く事はないし。

それに弥生だって聞かれたくはないだろう。



八幡「朝から復習とはお前もしっかりしてきたな」

結衣「まあ、ね。そろそろ期末試験だしさ」

八幡「それはいい心がけだ。わからないところがあったら早めに聞いてこいよ」

結衣「うん、ありがと」



俺はひとつ頷くと、授業の準備に取り掛かる。

ノートにテキスト。それに筆箱っと。

由比ヶ浜との会話でわずかながらであっても気分転換できたはずなのに、

どうも朝の後遺症が俺の腕を重くする。

いや、朝の雪乃と陽乃さんの衝突も神経を削りとられたが、それはいつもの光景にすぎない。

このイベントを慣れてしまうのはどうかと思うが、

一種の姉妹のコミュニケーションとして受け入れはしている。

俺の手を鈍らせていたのは、橘教授に呼ばれた事に原因があった。

・・・もう忘れよう。終わった事だ。問題はなかったし、ただ疲れただけだ。



昴「おはよう、比企谷。橘教授はなんだって?」


729: 2015/03/12(木) 17:30:00.75 ID:GjFUVEDS0

俺が忘れた事にしたばっかりなのに頭の上から声をかけてきたのは、

席を離れていた弥生だった。

こいつ、人が忘れようとした事を数秒も経たないうちに思い出させやがって、

と心の中で愚痴るが、こいつには全く悪気あったわけではないし、

むしろ本当に俺の事を心配しての事だとわかっている。

そんな弥生の性格をわかっていも俺の顔は引きつってしまい、

その顔を弥生が見たものだから、弥生は勘違いしてしまった。



昴「なにか問題でもあった? 昨日の感触ではけっこうよさげだったんだけどな」

八幡「教授はいたって友好的だったよ」



俺の返事に弥生は訝しげな瞳で見つめ返してくる。

そりゃあ懸念対象たる橘教授に問題がなければ、なにも問題を抱える事はないと思うし、

俺だってそうだ。



昴「だったらなんでそんなにも疲れた顔をしてるんだよ?」

八幡「雪乃と陽乃さんが一緒についてきたんだよ」



俺の簡潔すぎる説明に、弥生は全てを納得したといった顔を見せる。

それと、俺が雪乃達の名前を出したとたん周りの喧騒がボリュームアップした事は

この際無視しだ。

正確にいうならば、雪乃ではなく、陽乃さんに期待してのものだろうが、

実被害を受けないで外から眺めているだけの奴らは、きっと楽しいのだろう。



昴「なるほどね」

八幡「俺が呼ばれたはずなのに、ほとんど陽乃さんが話していたよ。

   それはそれで助かったんだが、ときおり爆弾発言投げつけてくるから

   ひやひやものさ」

昴「でも、問題はなかったんでしょ?」

八幡「ないけど、疲れたよ」

結衣「どんなこと話していたの?」

八幡「別に大した事はない世間話だったよ。

   さすがに解答時間ゼロ分で提出したやつは珍しくて、

   どんなやつか話したかったんだと。

   一応昨日の試験を採点したのを見せてもらったけど、満点だった」

昴「よかったね」

結衣「・・・ねえ、私のはどうだったかな?」



にこやかな表情の弥生とは対称的に由比ヶ浜の表情はどんよりと沈んでいて、

その声に覇気はない。

730: 2015/03/12(木) 17:30:35.69 ID:GjFUVEDS0


八幡「いや、俺の解答しかみせてくれなかったな。

   そもそも他人の答案用紙は見せてくれないだろ」

結衣「だよね」

八幡「なあ由比ヶ浜」

結衣「ん?」

八幡「出来が悪かったのか?」



由比ヶ浜からの返答はなかった。つまりそういう事なのだろう。

隣の席で俺と弥生が真面目に授業に参加して、さらには

必氏に山をはっていたっていうのに、

こいつは何をやっていたんだって呆れそうになってしまう。

その内心が露骨に態度に出てしまったのか、由比ヶ浜は慌てて自己弁護を開始しだした。



結衣「ヒッキーが想像しているほど悪くなかったって。

   ただちょっとだけ自信がなかったから、聞いただけだし」

八幡「へぇ・・・」



俺は条件反射的に訝しげにな声を返してしまい、由比ヶ浜はますます取り繕おうと

やっきになってしまう。



結衣「ほんとうだって。試験なんて自信がある方がおかしいんだって。

   ふつうは答案用紙が戻ってくるまでドキドキするものなのっ」

八幡「ふぅん」

結衣「だから、ほんとうに出来が悪かったわけじゃないんだって。

   ねえ、弥生君も見てたからしってるよね?」



俺が信じてないと思ってしまっている為に隣で見守っていた弥生にも援護を求めてきた。

俺だって一応由比ヶ浜の成績は把握しているわけで、

昨日の小テストの出来だってある程度の予想もできている。

おそらく由比ヶ浜が主張するように悪くはない出来なのだろう。

ただ、俺の返事に元気がないのは由比ヶ浜が懸念している原因とは違って、

まじで陽乃さん達の相手をしていて疲れ切っていたわけで・・・。

その辺も教室に来た時に話したのに、

由比ヶ浜はすっかりとそのことを忘れてしまっているらしい。



昴「僕も昨日のテストは早めに教室から出てしまったから

  由比ヶ浜さんの解答を全てチェックしたわけではないけど、

  それなりに書けていたと思うよ」

結衣「ほら、弥生君だって悪くなかったって言ってるじゃん」

731: 2015/03/12(木) 17:31:01.70 ID:GjFUVEDS0

八幡「別に疑ってるなんて言ってないだろ。

   そもそもお前が聞いてきたんじゃないか」

結衣「そうだけど、ヒッキーのその目は私の事を信じてないって感じだし」

八幡「この目はいつもこんな感じなんだよ」

結衣「でも、でもぉ・・・」



俺が人を信じているっていう目があるんなら、どんな目なのか俺の方が聞きたい。

散々腐った目とか言ってたくせに、こういうときだけ疑うなんて都合がよすぎないか。



昴「比企谷は、陽乃さんの相手をして疲れてただけだよ。

  さっき言ってたじゃないか」

結衣「え? そうなの? だったら早くいってくれればよかったのに」
  
八幡「最初に言っただろ」

結衣「そうだっけ?」



俺と弥生は顔を見合わせて苦笑いを浮かべてしまう。

それでも由比ヶ浜なりに勉強していたんだし、俺達の会話を全て聞いていろって

暴言を吐くほど暇じゃあない。



八幡「そうだったんだよ」

結衣「そっか、ごめんね聞いてなかった」

八幡「別にいいよ。勉強してたんだろ?」

結衣「うん、期末試験もあるし頑張らないとね。

   それはそうとヒッキー・・・」



由比ヶ浜の声質ががらりと変わり、

どこか俺を探るような意識がにじみ出ているような気がしてしまう。

だもんだから、由比ヶ浜からのプレッシャーに押し負けて、

俺の方もほんのわずかだけ体を引いてしまった。



八幡「な、なんだよ」



ちょっとだけどもってしまったが、それを気にしているのは俺だけで、

由比ヶ浜はそんな俺を失態を気にもせず、俺へのプレッシャーを解こうとはしなかった。



結衣「うん・・・、ねえヒッキー」

八幡「ん? 言ってみ」

結衣「う、うん。だからね今日ヒッキーがお弁当当番でしょ。

   ちゃんとヒッキーが自分だけで作ってきたかなって」


732: 2015/03/12(木) 17:32:09.46 ID:GjFUVEDS0
由比ヶ浜の視線を改めて辿っていくと、

俺が普段使っている通学用の鞄とは違うバッグに向けられていた。

そのバッグは、通学の為の用途とは違い、底の部分が広めに作られており、

弁当など底が広い物を入れる分にはちょうどいいバッグではあった。

ぶっちゃけ俺一人で作ったみんなの弁当が入っているわけだが、

おそらく由比ヶ浜が気にしているのは、雪乃が手伝ったかどうかなのだろう。



八幡「俺一人で作ったつ~の。お前だけでなく、陽乃さんや雪乃まで俺一人で作るのを

   強要したからな。いくら雪乃に手伝ってくれって頼んだって、

   雪乃が俺一人に作る事を強要しているのに手伝ってくれるわけないだろ」

結衣「それもそうだよね。ゆきのんも楽しみにしているもんね」

八幡「なにが楽しみなのかわからないけどな。俺としては、雪乃か陽乃さんに

   作ってもらったほうが断然美味しいと思うんだけどな」


俺の不用意すぎる発言を聞いた由比ヶ浜は口をとがらせ、すかさず俺に非難を向けてくる。

いや、まじで怒っているのか、俺に詰め寄り、席が隣でただでさえ近い距離なのに、

顔の表情の細かいところまでわかるほど近寄ってくる。

いいにおいがしてくるのはなんでだろう?って、毎回思ってしまうのはこの際省略。

いやいや、まじで近いですって、ガハマさんっ!

二重のプレッシャーをかけてくる由比ヶ浜に対して、俺はひたすら動揺するしかなかった。


結衣「むぅ・・・。あたしが作ったのは美味しくないっていうのかな?

   そりゃあゆきのんや陽乃さんの料理と比べたら、まったく比べ物にならないくらいの

   差ができているのはあたしだって認めるけど、それでも前よりはうまくなったよ。

   プロ並みなんて当然無理だし、主婦レベルだってまだまだ遠い目標になっちゃうけど、

   それでも、それでも・・・」


一気に言いたい事を撒くしあげると、

最後の最後には唇を噛んで泣くのを我慢しているように感じられた。

別に由比ヶ浜の言っているような事を意図的に言ったわけではなかった。

雪乃と陽乃さんの料理の腕がとびぬけてうまいのは事実ではあるが、

由比ヶ浜の料理であっても、普通に食べられるレベルまでは上達してはいる。

だけど、今ここでそのことを指摘するのは場違いなような気もしてしまった。



八幡「悪かったよ。俺は由比ヶ浜の事をお前がいうような目では見ていない。

   雪乃は雪乃の料理だし、陽乃さんも陽乃さんの料理だ。

   だから、由比ヶ浜が作る料理だって、由比ヶ浜にしか作れないんだよ。

   いくら陽乃さんの腕がずば抜けていても、由比ヶ浜が心をこめて作った料理を

   再現することなんてどだい不可能なことなんだ。

   そして俺は由比ヶ浜が作ってきた弁当を楽しく食べていただろ。

   文句なんて言ってなかったろ?

   それに、俺はまずそうに食べていたように見えたか?」

733: 2015/03/12(木) 17:32:48.94 ID:GjFUVEDS0

結衣「だけどぉ・・・」



なおもぐずつく由比ヶ浜に、さすがに俺もお手上げ状態になりつつあった。

ただ、今ここにいるのは幸い俺と由比ヶ浜の二人だけではない。

運がよすぎる事に、弥生が隣にいた。

つまりは、友人関係を円滑に丸めてくれる弥生に俺は由比ヶ浜の事を丸投げしようと

画策しただけなんだが・・・、まあ、弥生が自分から助け船を出してくれるようだし、

丸投げっていうわけではないかも、しれない、かな?



昴「比企谷も由比ヶ浜さんのお弁当を楽しみにしているだけよ。

  別に他の人のお弁当と比べる為に作っているわけじゃあないでしょ?

  食べてもらいたい人がいて、その人の為に作っているんだから、

  その食べてもらい人が満足していれば、

  由比ヶ浜さんは自信をもってもいいと思うよ」

結衣「ほんとうに美味しかった?」



弥生の言葉に平静さを取り戻しつつあった由比ヶ浜は、

俺の表情を探るように下から覗き込んでくる。

んだから、その女の子っぽい仕草、NGだからっ!

威力ありすぎ、効果てきめん、防御不可、回避不能、胸でかすぎ。

つまりは陥落寸前の比企谷八幡ってわけで、

俺はしどろもどろに返事を返すのがやっとであった。

やっぱ夏の薄着であの胸のでかさは、脳への刺激が強すぎだろ・・・。



八幡「美味かったよ。だいぶ上達してきたのがよくわかったし、これからも頑張っていけば、

   だいぶうまいレベルまでいくんじゃないか?」

結衣「うん、頑張ってみるね。それと弥生君もありがとうね」

昴「僕は別に・・・。それにしてもお弁当っていいね。僕は、お弁当は無理だからさ」

八幡「毎日は無理でも、たまにくらいなら弁当作ってきてもいいんじゃないか?」

昴「あいにく僕は料理ができなくて」

八幡「だったら家の人に作ってもらえばいいんじゃないか?

   まあ、弁当作ってもらうのに気が引けるんなら、

   夕食のおかずを多めに作ってもらっておいて、

   それを朝自分で詰めてくるのも手だと思うぞ」

昴「まぁ、それもいい考えかもしれないけど・・・」

八幡「ん? それも駄目か?」



どうも弥生の反応が鈍い。どうやら俺は地雷か何かを踏んでしまった気がする。

それもそのはず、弥生は苦笑いを浮かべて、丁寧に俺の案を退けてきた。


734: 2015/03/12(木) 17:33:17.55 ID:GjFUVEDS0


昴「いや、比企谷のアイディアはいいと思うんだ。

  でも、うちの家族は僕と同じように料理が苦手で、

  だから、もし作ったとしてもそれをお弁当にして持ってくるのはちょっと・・・」

八幡「すまん、無神経な事言って」

昴「ううん、いいんだって」



ちょっとばかり俺達の間に気まずい雰囲気が漂ってしまう。

だが、空気を読むのに優れているのは弥生だけではなかった。

ここにはもう一人の元祖空気人間たる由比ヶ浜がいる。

空気人間っていってしまうと存在感がない人みたいに思われてしまうは、

まあ、空気を読んで、その場の空気を安定方向にもっていく属性を持っているって意味では

似たようなものかな? いや、全く違うか。

どちらにせよ、今回はそんな空気を読める由比ヶ浜に助けられてしまった。

もしかしたら、先ほど助け船を出した弥生への恩返しかもしれないが。



結衣「あっ、そだ、弥生君。テスト対策の方はどうだった?」

昴「あぁ、うん。なんだか歯切れが悪い対応ばかりで、なんだか調子悪いっていうかな」

結衣「そっかぁ・・・。でも、弥生君なら過去問とかなくても独学だけでも

   すっごい点、とっちゃうんじゃないの」

昴「しっかりと時間をかけて勉強すれば可能かもしれないけれどね」

結衣「ふぅん・・・。やっぱり弥生君でもてこずるんだ」

昴「そりゃあね」



由比ヶ浜ではないが、今度は俺の方が二人の会話を飲み込めないでいた。

わかっている事といえば、弥生がさっきまでいなかったのは、

期末試験の過去問コピーを手に入れる為の交渉をしに行っていたらしいことと、

そしてその交渉は失敗したらしいってことだ。

珍しい事もあるんだな。弥生との取引に応じないなんて

ちょっとどころじゃないほどに珍しい事件と言えるはずだ。



八幡「過去問って、今度の期末試験のか?」

昴「うん、そうだよ。既に持っているのもあるけど、いくつか抜けていてさ。

  それを手に入れたくてお願いしてみたんだけど、振られちゃったかな」

八幡「珍しい事もあるんだな。弥生の期末対策ノートが交換材料だろ?」

昴「うん、そうなんだけどね」

八幡「だったら、他の奴に頼んでみたらどうだ?」

昴「それがさ・・・」



弥生が醸し出す重い雰囲気に、思わず由比ヶ浜に事情を説明してほしいと目で求めてしまう。

735: 2015/03/12(木) 17:33:46.14 ID:GjFUVEDS0

しかし、由比ヶ浜が説明する前に弥生自身が説明をしてくれた。



昴「なんか避けられているっぽいんだよね。

  8月の初めから期末試験が始まるからそろそろ本格的に過去問やノートのコピー、

  対策プリントなんかが出回るはずなのに、僕のところには表立っては回ってこないんだ」

八幡「表立ってはって?」

昴「うん。僕が作った対策プリントなんかは今回も好評で出回っているんだけど、

  そのおかげでか、プリントを渡した時には過去問を貰う事は出来ないけど

  後になってメールで送られてくる事があるんだよ。

  やっぱりサークルとかに所属していないから僕は先輩とのつながりが希薄で、

  過去門は手に入りにくいからね。

  その点サークルに所属している人たちは無条件で先輩から回ってくるから

  その辺の強みはでかいね」

結衣「サークルはサークルで人間関係っていうの? 上下関係も厳しいから

   大変みたいだよ。それでもサークルが楽しいから続いているみたいだけど」



由比ヶ浜のいい分もわかるが、だからといって、

試験の為だけにサークルに参加したくはない。

たしかに俺や弥生みたいな一匹オオカミは試験だけでなく講義を受けるだけでも

デメリットが生じてしまう。

教室の変更や急な提出物なんか講義にしっかり参加して、こまめに掲示板を

チェックしていれば問題はないが。

もちろん試験対策やレポートは、一応一人でもいい点が取れるようにはなっている。

そもそもテストは一人で受けるものだが。

しかし、一人でやってもいい点は取れるが、

一人でやると時間がかかってめんどいとも言える。

その点友達を総動員して取りかかれば楽ってもので、

もし俺なんかが参加したら、あり得ない事だが、比較的楽そうなところを見つけて、

やっかいごとは人に任せてしまう自信がある。



八幡「そんなにサークルって楽しいか?」

結衣「ヒッキーは所属していないからわからないだけだよ」

八幡「お前だって所属してないだろ」

結衣「まあ、そうなんだけど・・・」



といっても人気がある由比ヶ浜は、俺とは事情が違う。

サークルに所属はしてはいないが、飲み会やらバーベキューやら

海やら・・・、リア充氏ねって感じのイベント事には随時招待されていた。

普段も時間があれば遊びに行っているみたいだし、

それなりにサークルの先輩との繋がりもあるみたいだ。

736: 2015/03/12(木) 17:34:18.51 ID:GjFUVEDS0



八幡「サークルなんて面倒だから俺は絶対にやりたくない。

   そもそも向こうも俺を入れてくれないだろ」

結衣「それは・・・」



苦笑いしながら目をそらすなって。繊細な心の持ち主たる俺は、傷つきやすいんだからな。

もっと丁寧に扱ってほしいものだ。

特に、雪乃とか陽乃さん、おねがいしまっす。



結衣「でも高校の時、奉仕部は好きだったよね。

   こればっかりはヒッキーであっても否定させないんだから」

八幡「それは・・・、例外だよ。

   奉仕部は部活っていうよりも、よくわからない集まりだったからな。

   だから、あれだよあれ。

   うんっと・・・そうだな、例外事項だ、例外事項。

   一応部活動って定義であっても、奉仕部は例外にすぎない」

結衣「ふぅ~ん」

八幡「何ニヤニヤしてるんだよ」



俺を見つめる由比ヶ浜の表情は喜び成分半分。

これからからかってやろう成分半分ってとろこだろう。

わかってる。わかってるって。俺にとって奉仕部は特別だった。

口が裂けても言えないけど、雪乃や由比ヶ浜。それに平塚先生がいたから

俺はぼやきながらも卒業式のその日まで奉仕部の部室に通っていたんだよ。

こいつ絶対わかっててニヤついてるだろ?

居心地が悪い俺は、話を元に戻そうと、弥生の話の続きを促す事にした。



八幡「んで、弥生。後からこっそり過去問メール送ってもらえてるんなら、

   問題ないんじゃないのか?」



だから由比ヶ浜。こっち見るなって。わかったから今はスルーということで。

そして、さすがは俺を気遣ってくれる弥生昴。

俺の情けない取り組みを感じ取ってくれたのか、弥生は俺の要求に素直に応じてくれた。



昴「今は問題ないかもしれないけど、きっと問題の先送りにしかならないと思うんだ」

八幡「レポートの方にも問題が出たとか?」

昴「いや。過去レポは、4月にはそろえていたから問題なかったけど、

  おそらく後期日程には反応が鈍くなると思うんだ」

結衣「どうして? 前期日程のが手に入ったんだから、後期日程のもあるんじゃないの?」


737: 2015/03/12(木) 17:34:52.62 ID:GjFUVEDS0


昴「過去レポ自体はあると思うよ。あると思うけど、4月みたいに、同一レポートに対して

  複数の過去レポは手に入りにくくなるとおもうんだ」

結衣「へ? 過去レポなんて一つあれば十分じゃない?」

八幡「お前わかってないな」

結衣「何が?」

八幡「みんなが同じ過去レポを参考にしてレポート作成しちまったら、

   全部似たようなレポートが出来上がっちまうだろ。

   それでも参考程度ならいいんだけど、なかにはまる写しってやつが何人かいるから

   同じ過去レポを参考にしたやつらは、その不届き者の煽りをくらっちまうんだよ。

   レポートの再提出にはならないだろうけど、減点対象になりかねない。

   教授たちも馬鹿じゃないんだよ。伊達に長年教授職をやってはいない。

   過去レポの写しなんてすぐにばれるんだよ。対策だってしているはずだ。

   だから、過去レポ写したのがばれたら最後。

   即刻評価減点対象に認定される」

結衣「そっか」

八幡「だから複数の過去レポがあると便利なんだよ。

   キーワードだけを抜き取って、

   あとはなんとなく自分の言葉でレポートをまとめられるからな」

昴「それに複数の視点からのレポートを研究できるから、

  より深みのあるレポートを作成できるしね」

結衣「ふぅ~ん・・・」



こいつにとっては、レポートが仕上がるか仕上がらないかが最重要課題だったか。

レポートの評価を気にしないのであれば、提出期限のみが問題であって、

そこそこまともなレポートができるのであれば、レポートの中身を気にする必要なんてない。

どうせレポートを提出する頃には、レポートに何を書いたかさえ忘れているはずだしな。

まあいい。話が脱線気味だし、元に戻すか。









第42章 終劇

第43章に続く











744: 2015/03/19(木) 17:29:55.61 ID:Q9EWgt+u0

第43章




八幡「弥生の話を聞いていると、試験対策委員会が機能しなくなったんじゃないかって

   思うんだけど、あそこってサークル活動停止したのか?」

結衣「経済研? この前も食事会に誘われたから、活動していると思うよ。

   これから期末試験だし、決起集会みたいな感じだとかいってたかな?」

八幡「決起集会? 合コンの間違いじゃねぇの?」



俺は、由比ヶ浜の訂正に訝しげな視線を送ってしまう。

経済研って、試験対策やレポート対策の為に、大量の資料を毎年収集して、

部室に歴代の過去問、過去レポを保管してあるんだよな。

あれさえあれば俺の勉強も楽になるにはなるけど、その分厄介事も増えるから

経済研はやっぱ遠慮したいサークルに分類される。

いや、全サークルから遠慮されているのは、俺でした。



結衣「合コンは、いかないし」



俺の問いかけに、由比ヶ浜は全力で否定してくる。

あまりの勢いに、俺が悪い事を聞いちゃったんじゃないかって、

すぐさま謝ろうとしてしまうほどであった。



八幡「でも、この前行ったんだろ?」

結衣「あれは、知らなかったの・・・。

   ただ食事してカラオケ行くって話だったのに、行ってみたら合コンだったってだけで」

八幡「騙されたってことか」

結衣「その言い方面白くないぃ」

八幡「でも実際は合コンだたんだろ?」

結衣「そうだけど・・・」

八幡「だったら騙されただけじゃないか」

結衣「だから・・・」

八幡「違うのか?」

結衣「そうだけど・・・」

昴「そろそろ話しを戻してもいいかな?」



弥生は、このまま俺と由比ヶ浜の押し問答を続けさせるのはまずいと感じたのか、

会話の途切れを狙って、話の軌道修正に入った。



結衣「うん、ごめんね。変なふうに話がたびたび脱線して」

昴「いやいいよ。楽しいし」

745: 2015/03/19(木) 17:30:23.77 ID:Q9EWgt+u0


楽しいのはお前だけだろうけど。でも、これ以上由比ヶ浜を虐めてもしゃーないか。

ここまでお人よしっていうのも美徳だけれど、もう少し友達は選んだほうがいいぞ。

合コンの餌の為にお前を巻き込んだっていう事は、だしに使われたってわけだ。

お前を連れてった自称友人は、合コン会場のトイレで、由比ヶ浜早く帰らねぇかなって

きっとぼやいているはずだしな。

雪乃じゃないが、施しは人の為にはならないってやつだ。



八幡「じゃあ、経済研は、活動してるってことか。

   だったら今の時期のあいつらは、はりきって活動してるんじゃね?」

昴「らしいね」

八幡「らしいねって、あいつらとも情報交換してなかったか?」

昴「してたんだけど、急にサークルに所属している者以外には、

  過去問を配布することはできないって言われたんだよ」

八幡「は? 今までなんか、こっちがお願いしなくても過去問ばらまいていた連中だっただろ」

昴「そうなんだけどね・・・」



どうも弥生の表情は芳しくない。

なにか裏事情を隠していますって顔をしてるから、聞いてくださいって言ってるようなものだ。

けれど、空気を読むのがうまい俺としては、

そっとしておくっていう選択肢をチョイスしておこうと判断した。

期末試験やらレポートやらでとにかく忙しいこの時期。

やっかいごとに巻き込まれるのだけは勘弁だ。



結衣「あれ? 私は経済研の子から過去問もらったよ」



おい、由比ヶ浜さん。空気が読める子じゃなかったんですか?

わかっていますよね? 時間がないんですよ。

英語のDクラスみたいなことだけは、やめていただきたいです。

・・・・・・お願いします。



八幡「由比ヶ浜は、あれじゃね? えっと、おこぼれをもらたってういか、

   経済研の合コンにも誘われているわけだし」

結衣「合コンは行ってないし」

八幡「わかったよ。合コンは行ってないでいいな」

結衣「うん」



由比ヶ浜は俺の回答に満足したのだろう。とびきりの笑顔で短く答えた。



結衣「じゃあ、ちょっと経済研の子の所にお願いしてくるね」

746: 2015/03/19(木) 17:30:52.79 ID:Q9EWgt+u0


って、おい。



昴「ちょっと、ゆいが・・・」

八幡「やめとけ」



俺の低い声が弥生の声を上書きする。

それ以上に、俺が由比ヶ浜の腕を掴んだ手の方が威力があったのかもしれなかった。

戸惑い気味の由比ヶ浜は、とりあえず席に再び腰をおろして、俺の出方を伺った。



八幡「すまん。強く握りすぎちまったな」

結衣「ううん。別に痛くなかったから大丈夫」



俺は、わかってしまった。弥生昴が話したくない裏事情ってやつを。

伊達に人間観察が趣味っていうわけではなのだよ。

ようは、簡単に言ってしまえば縄張り争いって奴だ。

俺や弥生は、そんな面倒な縄張りなんて放棄してしまいたいが、

当の本人達はそうではないらしい。プライドっていうやつか。

そんなくだらないプライドなんて捨てちまえっていいたいものだが、

プライドなんて人それぞれだから、声高に馬鹿にする事はしないでおこう。

ま、面倒事に巻き込まれたくないだけなんだけど。

事の発端は、俺や弥生のノートやレポートだろうな。

過去問、過去レポ以上に価値があるものといえば、生レポートしかない。

今年の、しかもまだ提出していないレポートほど価値があるものはない。

さすがに完成したレポートをそのままコピーして学部内に出回らすことはしないが、

参考資料やキーワードなどを詳しく記載した設計図みたいなものは

誰だって欲しくなるものだ。

過去レポは、過去レポでしかなく、教授によっては、まったく違う課題を出題したり、

微妙に変化をつけてきたりする。

だから、誰だって今年の生レポートは欲しくなってしまう。

それが学年主席と次席の生レポートなら、なおさらだ。

しかも、俺は由比ヶ浜に勉強を教えている都合上、試験対策ノートや

普段の授業対策までもプリントを用意している。

気のいい由比ヶ浜は、その対策プリントを友達に見せたりするものだから

通称ガハマプリントは経済学部では知らないものはいないほどの地位を確立していた。

弥生も自分用に対策ノートを作っており、俺と情報交換するようになったのも

こうやって弥生と話をするようになったきっかけの一つといえるかもしれない。

まあ、こうやって俺と弥生が生レポートや対策プリントを

経済学部に出回らしているのを気にくわない奴らがいるっていうのが

今回弥生が過去問を手に入れにくくなっている理由なのだろう。

747: 2015/03/19(木) 17:31:21.81 ID:Q9EWgt+u0

つまりは、経済研。試験対策委員会との縄張り争いに巻き込まれてしまったってことだ。

・・・・・・・残念なことに。



結衣「ヒッキー、その・・・」



由比ヶ浜の視線が下の方に俺を誘導する。

先ほどまで戸惑いを見せていた由比ヶ浜の顔色は、今や赤く染まりつつあった。

俺は、由比ヶ浜の視線の先を見つめて、ようやく現状を把握した。



八幡「すまんっ」



言葉とともに、勢いよく由比ヶ浜の腕を掴んでいた手を放す。

勢いをつけようと、急いで放そうと、いまさら現在俺が直面している状況を

改善してくれるわけでもないのに慌てて行動してしまう。

結果としては、俺の行動がさらなるさざ波を立てて由比ヶ浜の頬を赤く染め上げてしまった。



結衣「うん。・・・大丈夫だから」

八幡「あぁ、悪かったな」



どうしたものか。こういったアクシデントは、時たま起きてしまう。

今回のそれは、運よく弥生が危惧する由比ヶ浜と試験対策委員会の対立を回避してくれた。

ただ、それは偶然であり、今後起こらないとは限らない。

俺や弥生は、過去問や過去レポがなくとも評価そのものには影響ないはずだ。

俺は今年も主席を取らなければならないし、弥生も次席をきっちりキープすると思われる。

由比ヶ浜に関しても、俺や弥生がサポートすれば、全く問題はない。

そう、表面上は、まったく問題ないように見える。

だから、困ってしまう。

多くのクラスメイトに愛されている由比ヶ浜ならば、今後も試験対策委員会との関係は

何事も問題がなかったかのように続いていくだろう。

・・・合コンにもきっと、こりずに誘ってくるはずだろうし。

しかしだ。高校時代の文化祭や体育祭のような恨みをかう事態までとはいかないまでも、

いや、人のひがみなんて底がしれないから用心に越した事はないが、

ぎすぎすした人間関係のど真ん中に放り込まれてしまうのだけは勘弁してほしい。

ただでさえ雪乃の母君様から、卒業後も役立てられる人間関係を築いてこいと命令されて

いるのに、試験対策委員会のせいで、

今以上に人が寄りつかない状態を作ってもらいたくはない。

まあ、今も俺に寄ってくる人間なんて、由比ヶ浜と弥生くらいで

時々由比ヶ浜にノートを渡しておいてくれって、由比ヶ浜の友人に頼まれることくらいだ。

そのノートを渡してくれレベルの接点さえも稀だというのに、

どうやってこの学部で人間関係を作っていけばいいんだっていうんだ。

748: 2015/03/19(木) 17:31:47.51 ID:Q9EWgt+u0

さて、現実逃避はさておき、由比ヶ浜の対処はどうしたものか。

由比ヶ浜をこのままほっておいたら、

いずれは俺達と試験対策委員会の関係に気がついてしまう。

弥生の意見はどうなのだろうかと、弥生に目を向けると、

俺の長々と費やしてしまった熟考を解決してしまった。



昴「実は僕は、試験対策委員会に嫌われてしまったようなんだよ。

  ちょっとしたすれ違いだと思うんだけど、今はそっとしておいてほしいんだ。

  ごめんね、由比ヶ浜さん。少しの間、迷惑かけることになると思う」



ストレートすぎないかい?

俺は、目を丸くして、弥生を見つめてしまう。

俺の視線に気がついた弥生が、悲しそうな笑顔を俺に向けると、

俺の体温が熱くなっていくのを実感した。

こいつが何をしたっていうんだ。

たしかにギブ&テイクの関係であるようには見えるが、実は弥生の方が損をしているとも

考える事も出来る。

ある程度のシステムが出来上がってしまった現在では、

弥生は中継地点としての機能ばかりが注目されてしまう。

でも、俺は知っている。

無数に集まってきてしまうデータを解析して、使えるデータと使えないデータを

ふるいにかけなくては、使えるデータ集は提供できない。

ただ集まってくるデータを、そのまま提供するのでは信用力が築かれないはずだ。

だから、今あるコピー王の地位も、中継地点としての機能も、

すべては弥生昴の能力によるものが強いと思っている。

まあ、そんあ中継地点なんかやらないで、自分の勉強のみに集中したほうが

よっぽどいい点が取れそうな気もするし、時間もかけないで済むとも考えられる。

ならば、何故、弥生はこうまでして中継地点をやり続けているのだろうか?

これこそが、女帝が言っていた人間関係の構築とでもいうのだろうか?

・・・わからない。

わからないけど、今の弥生と試験対策委員会の関係をこのままにしておくことはできないと

いうことだけは確信できた。










講義が終わり、ほどなく出口付近には帰ろうとする生徒がつまりだす。

まだ教壇の上にいる教授は、そんな混雑を避ける為か、

黒板に塗りたくったチョークをゆっくりと拭っていく。

749: 2015/03/19(木) 17:32:16.03 ID:Q9EWgt+u0

チョークの粉っぽいほこりと、教室の出入り口から侵入してくる夏の熱気を

不快に感じながら、俺も教授にならってのんびりと今日習った部分を見直していた。



結衣「今日はごめんね」



由比ヶ浜は、ぽつりと謝罪の言葉を呟く。

自分の鞄を見つめる瞳には、後悔の念が漂っていた。

ここまでくれば、由比ヶ浜が何について謝罪しているかなんて問い返さなくたって

わかるものだ。

由比ヶ浜が気にしているのは、弥生と試験対策委員会の事だろう。

お前がいくら弥生の事を気にしても、俺達に出来ることなんて何もない。

むしろ俺達がしゃしゃり出ることで、話はさらに複雑化してしまうほどだろう。

なにもしないよりはしたほうがいいとか、やってみなければわからないなんて

少年漫画の王道を恥ずかしくもなく叫ぶ奴がいるが、

俺はそんなやつは何もわかっていないと反論する。

なにもしないのではない。今はなにもできないのである。

今無駄に動けば事態は悪化するだけだし、時間が経ってチャンスが来た時に

無駄に事態をひっかいたために動けなくなる事さえあるのだ。

様子を見て、特に何もしない行動を冷めた大人の判断だって子供は笑うが、

本当に解決を望むのならば、今は何もしないが正解の時がある。

まあ、由比ヶ浜が一時の自己満足だけで納得するのならば、俺も付き合わない事もないが。

だから俺は、あえて別の話題にすりかえる。

それに、今回はちょうどネタもあったしな。

授業前に、あろうことか俺との勉強会を断ってきたのだ。

それも、真面目に勉強するかわからない友達との勉強会に参加するという理由で。

心の広い俺は、今回の事は気にしないでおいてやるか。

だから俺は、これ以上の議論はさせない為に、これ以上の心労を由比ヶ浜に負わせない為に、

ぱたんとノートを閉じてから道化を演じることにした。



八幡「いいって。俺からすれば、きっちりと予定範囲の勉強をしてくるんなら

   どこで勉強していようと問題はない。

   むしろ俺の方こそ自由にできる時間ができて助かっている方だよ」



案の定、俺のわざとらしすぎる話題のすり替えに、由比ヶ浜は訝しげな視線を俺によこす。

しかし、ほんの数秒俺の事を睨むと、肩の力が抜けていくのがわかった。

そして、俺の意図はわかったが、納得はしていないという典型的な結論を

俺に瞳で訴えかけながら、言葉だけは俺のすり替えにのっかってくれた。



結衣「そういわれると、なんだか複雑なんだけど」


750: 2015/03/19(木) 17:32:41.58 ID:Q9EWgt+u0


由比ヶ浜は、そうちょっとぶっきらぼうに言い張ると、

教科書などを鞄にしまう作業を再開させる。



八幡「複雑な事ないだろ。勉強なんて結局は自分がやらないといけない事だからな。

   ただ、ちょっと俺の方にも複雑な気持ちがあることにはあるけど」



俺は、ノートを鞄の中にしまおうとする手を止めると、由比ヶ浜を悲しそうな目で見つめる。

俺の言葉が途絶えた事に気がついた由比ヶ浜は、俺の方に視線をやり、

当然のごとく俺の視線にも気がつく。

目がかちあうとまではいかないが、視線が軽く絡まると、俺はそっと視線を外して

手元にある鞄を適当な目標物として見つめた。



結衣「え? ・・・やっぱりヒッキーも悲しいと思う事があるの?」



由比ヶ浜は、俺の瞳の色を見て呟く。

そして、照れた顔を隠そうとするふりをして、俺を覗き込んできた。

ここで強調して言っておきたい事は、あくまでふりであって、

由比ヶ浜はやや赤く染まった顔を本気で隠そうとはしていないってことだ。

こういう女の武器を露骨に使おうとする奴ではなかったが、そうであっても、

経験があろうとなかろうと、女の色香を自然と発揮してしまうところが

由比ヶ浜が大人になっていっているんだって実感してしまう。



八幡「そりゃあ、悲しいに決まってるだろ」



これは、俺の本心。嘘偽りもなく、心の底から思っている事だ。

雪乃にだって、正直に答えることができるって確信している。



結衣「ほんとにっ?!」



由比ヶ浜の声には、嬉しさが溢れ出ていた。

実際その表情を見れば、誰だってその心が表すものを理解するはずだ。

由比ヶ浜の声に反応して、その声も持ち主を見やった男子生徒は、ことごとく由比ヶ浜に

対してだらしない視線を送った後に、俺に敵意を向けてから通り過ぎていく。

女子生徒は、温かい目で由比ヶ浜を愛でた後に、これまた俺に厳しい視線を浴びせてから

通り過ぎて行った。

どちらにせよ、俺に対してはあまり宜しくない反応だが、これも毎回の事などに

とうに慣れきった予定調和といえよう。



八幡「当たり前だろ」

751: 2015/03/19(木) 17:33:09.54 ID:Q9EWgt+u0

結衣「そっか・・・。寂しいって思ってくれているんだ。そっか、・・・へへ」



お団子頭をくしゅっと掴み、にへらっと笑う。

こうして見ていれば、十分魅力的だって俺でも評価してしまう。

雪乃を毎日のように見ていれば、採点基準が厳しくなってるんじゃないかって

言われた事もあるが、そんなことはない。

由比ヶ浜は、雪乃とは違った華やかさと柔らかさがあり、

大学内でどちらを実際恋人にしたいかというアンケートをとれば、

由比ヶ浜が勝つのではないかと思っていたりもする。

けれど、俺の眼の前で極上の笑みを浮かべている美女に言わなければならないことがある。

お前の笑顔は勘違いによるものだと、強く言わねばならない。



八幡「寂しいとは思わんけど」

結衣「は?」



極上の笑みが停止する。

未だ絵画のごとく笑みが描かれているところを見ると、機能が停止しただけかもしれない。



八幡「寂しいかぁ・・・。ある意味寂しいと思うかもしれないけど、

   どちらかというと悲しいの方があってる気がするかな」



由比ヶ浜の笑みが徐々に消え去っていってるのを横目に見ながら俺は言葉を紡ぎ続ける。

由比ヶ浜からの反応はないみたいだが、聞いてはいるらしい。



八幡「そりゃあ、勉強会行って、しっかり理解してきてくれたものだと思っていたのに、

   後になって全く理解していませんでしたってわかったら、

   悲しいに決まっているだろ。

   しかも、先に勉強する範囲を理解もしていないのに、その先の勉強を進めて

   いるんだ。当然前提となるものを理解もしていないで次の事を勉強しても

   ろくに理解できないに決まってるじゃないか。

   時間を無駄にしたとは言いたくないけど、

   遠回りしちまったなって思ってしまうだろうなぁ・・・」

結衣「悲しいって・・・、そういう意味のこと」

八幡「まあ、な。勉強見てるのに、理解が不十分だって後になってわかったら悲しいだろ?」

結衣「そうだねー。ヒッキーは、そう思うよねー」



なんか、いわゆる棒読みってやつじゃないか。

どこかそらそらしく、まったく感情がこもっていない。

俺を見つめる目に、魂がこもっていないことが、手に取るようにわかってしまった。


752: 2015/03/19(木) 17:33:35.76 ID:Q9EWgt+u0


八幡「どう勘違いしたかは知らんけど、勝手に勘違いしたのはそっちのほうだろ」

まあ、俺は鈍感主人公ではないので、由比ヶ浜がどう勘違いしたか理解している・・・、

が、理解はしているけれど、あえてそれをわかっていると教えるほど、優しくはない。



結衣「なんか、最近のヒッキーって、意地悪になってない?

   陽乃さんと一緒にいるからうつっちゃったんじゃないの?

   ゆきのん、ヒッキーと陽乃さんが楽しそうに話しているのを見ている時、

   悲しそうにしてるもん。隠そうとしているみたいだけど・・・」



俺の表情が一瞬沈み込んで、立て直してことに由比ヶ浜は気がついてしまう。

大学に入って、ずっと一緒にいるから気がついたとも言えるし、

高校時代からの付き合いだからとも言える。

ましてや、人の機微に敏感な由比ヶ浜の事だから、当然の結果とも言えるのだが、

この際どうでもいい情報だ。

俺と由比ヶ浜の間に、気まずい雰囲気が横たわってしまったのだから。

しかし、俺も由比ヶ浜も、それなりに交友を深めているわけで、

リカバリーの方法を心得ていた。



八幡「すまんな、心配掛けさせて。それに、俺の方も配慮が足りなかった」

結衣「ううん、あたしの方もごめんね。ヒッキーなら気が付いていたもんね」

八幡「まあ、な。でも、雪乃も理解していることなんだし、

   俺も出来る限りのフォローもしているはずだったんだけど、

   由比ヶ浜が口に出してしまったのだから、配慮が足りなかったんだろうな」



自嘲気味に呟く様をみて、由比ヶ浜は慌てて俺に対してフォローをしだしてしまう。

俺なんかじゃなくて、その心配りは雪乃にやってほしいって心から願ってしまう。

別段邪魔というわけではなく、雪乃を癒してほしいという意味でだ。



結衣「ううん。あたしが出過ぎたまねしただけだから。

   ヒッキー頑張ってるもん。ゆきのんの為に勉強頑張ってるのだって

   ずっと隣で見てきたんだから、わかるもん」

八幡「そうだな」

結衣「でも、ね・・・」

八幡「ん?」

結衣「陽乃さんの気持ちも、わかっちゃうんだなぁ。

   一度は通った道というかな・・・・・・」



由比ヶ浜が言いたい事は、痛いほどに、俺の胸を締め付けるほどにわかってしまう。

俺の何倍も、何十倍も苦しんできた由比ヶ浜の前で、痛み自慢なんてしないけれど。

753: 2015/03/19(木) 17:34:07.91 ID:Q9EWgt+u0


だから俺は、由比ヶ浜が次の言葉を発するのを黙って待つしかなかった。

俺には、由比ヶ浜にかける言葉を何一つもちあわせていない。

時が解決してくれるだなんて、甘い事は考えていないし、

人として成長していけば解決するだなんて、ご都合主義も持ち合わせていない。

だから俺は、黙って由比ヶ浜が突き付ける切れないナイフを身に沈めていく。

いくら突き出しても体を割くことができないナイフを永遠に受け止め続ける。

由比ヶ浜が顔をあげて、歩き始めるまでずっと。



結衣「そろそろあたしも行かなくちゃいけない時間かな」

八幡「頑張って勉強してこいよ」

結衣「うん! あとでヒッキーにお小言言われないように頑張ってくる」



由比ヶ浜にまだ固さが残っているが、あえてそれを指摘するような顔を見せる事もないだろう。

由比ヶ浜が頑張っているのに、俺の方が水を差すべきではない。



八幡「お小言なんか言わないから、わからないところがあったら、

   いや、怪しいと思ったところがあったら、すぐに言えよ。

   これもまた俺の復習になるんだから、問題ない。想定内の出来事すぎるんだから、

   お前はいらない心配などせずに、俺を使い倒せばいいんだよ」

結衣「うん、ありがとね」



今度の笑顔には固さはみられなかった。

俺が見分けられないほどの作り笑いではなかったらという条件付きだが。

人は痛みと共に成長していく。

それはまた、痛みを隠すのもうまくなるって事なのだろう。








第43章 終劇

第44章に続く







760: 2015/03/26(木) 17:30:56.07 ID:Ux4V/0K+0


第44章






八幡「気にするな。で、いつものメンバーか?」

結衣「そだよ」



あいつらって、どいつも由比ヶ浜レベルなんだよな。

真面目に勉強をしようと取り組んでいる由比ヶ浜の方がややおりこうとさえ思えたりもする。

とはいっても、うちの学部では平均的な学力ではあるはずだ。

俺や雪乃とは違って交友関係が広くい由比ヶ浜結衣は、

いたって順調に我が経済学部においてもすくすくと友人関係を築いている。

高校時代の三浦や海老名さんのような気の知れた友人というか、一歩踏み込んだ友人関係

までとはいかないまでも、健全な友人関係を作り上げていた。

三浦や海老名さんとは今でもちょくちょく会っているらしいので、

高校卒業イコール友人関係まで卒業となっていないことからしても、

深い友情を高校時代に積み上げることができたレアなケースだと思う。

ましてや、高校時代とは違って規模も条件も大きく異なる大学生活。

大学時代の友人関係は、雪乃の母親に言われるまでもなく今までとは違うことくらい

俺でもわかっていた。

まず、規模については全国区ということがあげられる。

高校までだったら、それなりに中学までの友人関係が使える場合が多い。

高校からいきなり北海道から東京に引っ越してくる奴なんて少数派だ。

たいていの奴が地元の高校に進学して、

ちょっと離れた高校であっても1、2時間くらいで通える範囲の高校を選択しているはずだ。

しかし、大学ならば地方から東京に、ちょっと離れた県から有名私立大学に

なんてケースはざらである。

つまり、大学入学は今までの友人関係をリセットされる場合が多いといえよう。

ただ、高校は同じレベルの生徒が集められているわけで、同じレベルならば同じレベルの

大学に行くのも当然であり、俺や由比ヶ浜のように高校時代からの顔見知りも

継続して大学でもお世話になる事はある。

けれど、同じレベルの大学であっても、学部や学科が違うことは当然に発生する。


それは将来を見越しての選択なのだから、当然の結末といえよう。

そう、将来を見越しての選択は、自分の選択学部・学科だけではない。

友人関係も最後の選択だと俺は考えている。

一応社会人になっても、普通の人間ならば友人を作ることができる。

俺が普通の人間にカウントされていないことは、雪乃に言われるまでもなく認識しているが。

但し、社会人になってからの友人関係は、どうしても仕事を介しての交友と

考えてしまう嫌いがある。



761: 2015/03/26(木) 17:31:53.27 ID:Ux4V/0K+0

学生時代だって同じ学校という枠を介しての交友だと反論されてしまいそうだが、

そうであっても、金銭面の損得や職場の先輩後輩といった生活に必要な仕事に

直結した関係ではない。

一応これもフォローしないといけないが、中学・高校時代なんて、

学校が世界のすべてだと考えている奴らが大勢いることは、

友人がほぼゼロだった俺でも認識はしている。

なんていうか、実際社会人になってみないとわからない事だろうけど、

金銭面が全く絡んでいない友人関係は、大学で最後って気がしてしまうのも

俺の思いすごしではないと思われる。


なんて、そんな大事な大学生活において、大学に入学してからまともな友人を一人も

作っていない俺が大学生活の友人作りの大切さを力説しても、

ましてや社会人になってからの友人関係に危機感を抱いたとしても、

まったく意味のないことだって雪乃の痛い視線をぶつけられなくても理解はしていた。

つまり、先ほどまで俺の隣で講義を受けていた弥生昴は、

いつものように毎時間俺の隣で講義を聞いてはいるものの、

俺は弥生昴を友人ですと紹介できるレベルの関係までは発展していないと

自信を持って言えた。



八幡「そっか・・・。まっ、がんばれ」

結衣「うん」

八幡「そういや弥生って、交友関係広いくせに講義が終わるとすぐに帰るよな」

結衣「そだね。昼食の時も、うちの学部の人と食事をしているわけでもないみたいだし」

八幡「そうなのか?」



これは初耳だ。

弥生の事だから、特定の誰かと毎回食事をしてはいないとは思っていたが、

情報交換も兼ねて誰かしらと食事をしているとは思っていた。

たしかにレポートなどの課題は、常にどれかしらの講義からの提出を求められており、

手元に全く課題がないという状態はほぼない。

ほぼないと言えるが、だからと言って

毎日のように情報交換するほどでもないのも事実である。



八幡「あいつの事だからてっきり誰かと食事しているものと思っていたんだけどな。

   でも、他の学部の、高校の時の同級生と会っているってこともあるんじゃないか?」
   
結衣「どうだろ? 弥生君の高校の時の友達って聞いたことがないかも」

八幡「県外から来たんだっけ?」

結衣「うぅ~ん・・・、どうなんだろ? 高校の時の話も聞いたこともないけど、

   今どこに住んでいるのも知らないんだね」

八幡「ま、そんなもんじゃねぇの? 俺も高校の時もそうだったし、

   大学に入ってからも、その初心は忘れずに実行しているぞ」

結衣「はは・・・」


762: 2015/03/26(木) 17:32:46.07 ID:Ux4V/0K+0


乾いた笑いをするんじゃねぇよ。繊細な心の持ち主の俺が傷ついちゃうだろ。

自虐的なギャグをうまくさばくのがお前の持ち味だろ、

と勝手に役割を決めつけちゃったりする。

・・・別にいいけどさ。



八幡「でも弥生は交友関係広いんだし、

   誰かしらあいつんちに行ったことがあるんじゃねえの?」

結衣「それはないと思うな。だって、弥生君ってもてるじゃん」

八幡「そうなのか?」



つい見栄?を張ってしまって、とぼけてしまった。

いや、俺だって弥生が女性うけするルックスと性格の持ち主だって理解している。

しかも背は高いし、物腰も柔らかい。

どこかの雑誌アンケートを元に作りだした理想の男っていっても過言ではないかもしれない

と、思っていたりもする。

まあ、実際の生活感がないというか、大学外での行動が全くわからないところが

アクセントとしてのちょっとした秘密を有している危ない男に該当しているかは疑問だが。



結衣「そうだよ。もてもてだよ。頭もいいし、勉強も優しく教えてくれるんだから

   もてないわけないじゃん。

   だから、狙っている子もけっこういるんだけど、

   実際家に上げてもらった子はいなかったし、

   デートまでこぎつけた子さえいなかったんだよ」

八幡「へぇ・・・」



由比ヶ浜の指摘は、俺の予想通りだった。

あいつがもてないわけがない。

本来なら、俺と仲良く並んでお勉強なんてする相手でもないってことも自覚している。

ん?・・・・・・いなかった?

いなかったってことは、今はいるってことか?

俺の顔の変化を察知したのか、由比ヶ浜は俺が問いかける前に俺が求める答えをくれた。



結衣「うん、でも、なんだか最近弥生君が彼女といるところを見た子がいるんだって」



由比ヶ浜の顔を見ると、いたって平然としている。

よくある噂話の延長なのだろうが、見たという奴がいるのならば事実なのかもしれない。

まあ、噂の伝聞なんて信用なんてできないし、

根も葉もない噂話など、今回の由比ヶ浜から聞いた話のように出来上がっていく

のかもしれないが、ここは素直に驚いておこう。


763: 2015/03/26(木) 17:34:07.02 ID:Ux4V/0K+0

八幡「あいつの彼女を見たって言っても、噂話じゃないのか?」

結衣「ううん。大学構内で一緒に歩いているのを見たって言ってたから本当みたいだよ」

八幡「まじかよ。でも、たまたま一緒に歩いていただけかもしれないだろ」

結衣「何度も見かけてるらしいから確かな情報だと思うよ。

それに、二人が仲良さそうに歩いていて、

   友達同士の距離感ではなかったみたいだよ」



こいつはまじで驚いてしまった。

大学構内って事ならば目撃者も多いだろうし、信憑性が高くなってしまう。

友人だと思っていたやつが、自分には教えてもらってないけど恋人がいましたっていうのは

こういう事をいうのか? こういう立場を言っているのか?

・・・落ちつけ。落ちつけ、俺。

ここはクールに、・・・クールにいくべきだ。



結衣「やっぱヒッキーも聞いてなかったんだ?」

八幡「やっぱってなんだよ」



頬と唇と手や足と・・・

体中がぴくついて、俺が挙動不審な動きをしてしまっているのはこの際無視だ。

頭だけはクールに冷静で沈着な頭脳を有していれば、クールな俺で立ち振る舞えるはず。



結衣「でも、あたしもちょっとショックだよね」

八幡「そうか?」

結衣「そうか?って、ヒッキーすっごくきもいよ」

八幡「はぁ? どうして俺がきもくなるんだよ?」

結衣「だって、いかにも変質者っぽく共同不審なんだもん。

   そりゃあ、ヒッキーの大学での唯一の友達って言ったら弥生君しかいないもんね。

   その弥生君に彼女がいたって教えてもらえなかったらショックだよね。

   うん、あたしだったらショックを受けるもん」

八幡「まあ、そうかもな」



俺の顔を見て呆れていたはずなのに、それが急に由比ヶ浜の顔からこぼれ落ちる。

俺と雪乃が由比ヶ浜に交際の報告をしたときの事を思い出してしまったのだろう。

悲しそうな顔をして、ここではない遠い過去の事を見ているような瞳をしていた。

しかし、それもすぐに切り替わり、今目の前にいる俺に同情がこもった目を向けてきやがった。



結衣「ヒッキーがいつも弥生君に冷たい態度取るから拗ねちゃったんじゃないの?

   この前の橘教授の講義を早く抜けられてのだって、まだお礼してないでしょ」

八幡「今朝会ったときにありがとくらいは言ったさ。

   それにあいつは見返りが欲しくてやってくれたわけじゃないと思うぞ。

   もちろん勉強に関しては色々と手伝ったり手伝わされたりしているけど、

   お互いに見返りがなければやらないってわけじゃあない」

764: 2015/03/26(木) 17:34:42.13 ID:Ux4V/0K+0

結衣「そなの?」

八幡「そんなの意外ですっていう顔するなよ。

   たしかにお互いの勉強効率が上がるっていうのは事実だ。

   でも、それが直接見返りを求めているかと聞かれると、違うって答えたい」

結衣「でもでも、ヒッキーが一方的に勉強を教えるってことだったら

   ヒッキーは協力関係を解消するでしょ?」

八幡「お前のその設定だと、そもそも一方的な施しにならないから協力関係とは言わない」

結衣「そっか」

八幡「でも、由比ヶ浜が言いたい事はなんとなくだけどわかるよ。

   弥生がたとえ学年次席じゃなくても俺はあいつのと関係を

   今と同じように続けていたと思うぞ。

   あいつはしっかり期日までにやってくるからな。しかも、気遣いがすごいっていうか、

   他人が嫌がる事は、一度わかれば二度とはしない」

結衣「ヒッキーがそこまで人を誉めるだなんて、珍しくない?」

八幡「そこまで俺の採点は厳しくねえよ」

結衣「そうかなぁ・・・」

八幡「まあいいさ。彼女がいたとしても驚く事じゃあない。

   俺が言うのもなんだけど、あいつはいいやつだからな。

   だから、彼女がいてもおかしくない」

結衣「そだね」

八幡「それに、もし彼女がいるんだったら、そのうち紹介してくれるかもしれないしな」

結衣「うん、あたしもそう思う」



由比ヶ浜は、笑顔でこの話題を締める。

ただ、俺からすると、弥生に彼女がいようがいまいがどちらでもよかった。

彼女がいたとしても、その彼女を紹介しなければいけないというルールはない。

むしろ会う機会がないのだったら紹介なんてしても意味がないとさえ思えている。

だから、どちらかというとこの話題。

弥生の彼女の事というよりも、俺と弥生の関係の方が気になるっていうか、

知り合い以上友人以下であるかもしれないことに軽いショックを受けていたりする。










由比ヶ浜とは友達と勉強会という名の免罪符を得たお喋り会に行くという事で

教室の前で別れた。

あいつの場合は気がしれた友達よりも、勉強をするように睨みつけてくれる監督が

必要だとは思うんだが、毎回俺が睨みつけるのは、さすがに俺の方が疲れてしまう。

ちょうどいい機会だ。俺の方も休暇が必要だし、とくに何も言うことはなかった。

由比ヶ浜が今日の俺たちとの勉強会を休む事情をかいつまんで説明している間、

雪乃は何も口を挟んでこなかった。

俺は袖を二度引っ張られるのに気が付いて、歩く速度を落とす。

765: 2015/03/26(木) 17:35:11.51 ID:Ux4V/0K+0
顔を後方に向けると、一歩遅れて雪乃が付いてきていた。

すぐさま雪乃の歩幅に合わせてその隣を歩く。

ときおり俺が考え事や話すのに夢中になって歩幅が大きくなってしまう事があって、

その時は雪乃が俺の袖を二度引っ張ることで知らせてくれる。

俺の方が雪乃のペースにあわせていても、

以前までは俺の歩幅が大きくなってしまうと、雪乃が俺の速度に合わせてくれていた。

だけど俺と雪乃の歩く速度は違うわけで、無理をしないで早く言ってくれと、

俺は雪乃に言ってしまう。

ただそうすると、ちょっとばかし気が強い雪乃と

どちらの歩く速度に合わせるかという微笑ましいひと悶着に繋がってしまう。

お互い相手を思いやっての行動なんだろうけど、それで喧嘩をしては意味がない。

その結果として、面倒な思いやりを回避するために決められたルールが、

雪乃が俺の袖を二度引っ張って知らせる事であった。



雪乃「そう・・・。今日は由比ヶ浜さんの勉強を見てあげる必要はないのね」

八幡「たまにはいいんじゃねぇの? あいつもいつまでも俺達に頼りっぱなしって

   いうわけにもいかないし、一人でも勉強できるようになってくれないと困るだろ」

雪乃「今日は勉強会ではなくて?」



雪乃は俺の言葉を聞き、訝しげな瞳を横から向けてくる。

二人して横に並んで歩いているので、やや下の方から覗きこむ形になっているが、

俺は素知らぬ顔をして前を向いたまま歩き続けた。

俺と雪乃はもう一コマある陽乃さんの講義が終わるまで時間をつぶす為に

喫茶店に向かっている。

本来ならば由比ヶ浜の勉強を見て時間を潰していたが、今回はそれができない。

だから学外の駐車場近くにある喫茶店に向かっていた。

大学にあるカフェでも学食でもよかったが、雪乃がいるとどうしても視線が集まってしまう。

その応急処置として選ばれたのが学外の喫茶店だった。



八幡「たしかに勉強会だとは言っていたな」

雪乃「だとすれば、一人で勉強するわけではないと思うのだけれど」

八幡「あいつが行く勉強会だからこそ、一人で勉強する為の強靭な精神力が必要なんだよ」



雪乃はあえて言葉を挟まず、俺に話を続けろと目で訴えてくる。

俺の方も前を向いたままだが、横目で雪乃の反応だけは確認していた。



八幡「別に勉強会が悪いっていうわけでもないんだが、あいつらが集まっても

   30分も経たないうちに休憩に突入して、お菓子食べながらのおしゃべりタイムが

   ずっと続く事になると思うぞ。

   さすがに試験直前ならば違うだろうけど、まだ試験直前というには早すぎるからな」

雪乃「まるで見てきたことがあるかのような発言をするのね。

   もしかして一度くらいはお呼ばれしたことがあるのかしら?

   でも今回呼ばれていないという事は、一緒にいることが不快だったようね」

766: 2015/03/26(木) 17:36:01.11 ID:Ux4V/0K+0


八幡「ちげぇよ。一度も呼ばれた事はないし、呼ばれたとしても行かねぇって」

雪乃「負け犬の言い訳ほど見苦しいものはないのよ」

八幡「だからそんなんじゃないって」

雪乃「だとしたら、どうして由比ヶ浜さんが参加する勉強会の様子がわかるのかしら?」

八幡「あいつらが教室でミニ勉強会っていうの?

   授業前にわからないところとかを教え合っている事があるんだが、

   いつも問題解決する前に別の話題、主に雑談に突入しているんだよ。

   だから、結局はわからないところはわからないままになっちまってる」

雪乃「そう・・・。八幡もその会話に参加したかったのね。かわいそうに。

   いくら由比ヶ浜さんの隣の席にいたとしても、会話には参加できないのね」

八幡「それも違うから。あいつらの声が大きいから聞こえてくるだけだ。

   まあ、本当にわからないと困るところは弥生に聞いたりしてるから問題ないけど」

雪乃「そういうことにしておきましょうか。・・・あら?」

八幡「そういうことにしておくんじゃなくて、そうなんだって。

   って、店の入り口で急に立ち止まるなよ」



喫茶店の扉を開け、先に店内に入った雪乃は、俺達よりも先に席に座っている客に

視線を向けていた。

俺は雪乃の視線を辿ってその席に着く二人の客に目を向ける。



雪乃「彼って、弥生君よね?」

八幡「弥生だな」

雪乃「一緒にいる女性は、彼女かしら?

   だとしたら、別の店にしたほうがいいのかしらね?」



雪乃は首を傾げ思案する。

一応雪乃にも由比ヶ浜から聞いた弥生に彼女がいるらしいという事を伝えていた。

だから雪乃は、まだ弥生から恋人を紹介もされていないことに配慮して

店を変えたほうがいいかと提案してきたのだろう。

たしかにあいつが恋人の存在を隠しているのならば、

ここは知らないふりをして立ちさるべきなのだろう。
しかし・・・。



八幡「あの人って、弥生准教授じゃねえの?」

雪乃「弥生准教授? でも、どう見ても私たちより年下ではないかしら?」



たしかに弥生准教授には似ているが、今いる女性は俺達よりも年下に見える。

だとしたら、弥生准教授の妹ってことになるのだろうか。

そういえば雪乃は、1年Dクラス担当の弥生夕准教授とは面識がなかったはずだ。

弥生って苗字は珍しいとは思っていたが、もしかして兄妹か親戚かなんかなのだろうか。

俺も弥生准教授と直接会話をしたのは一回きりだから、すっかり忘れていた。


767: 2015/03/26(木) 17:36:31.66 ID:Ux4V/0K+0

だとすれば、由比ヶ浜の友達が見たっていう弥生の彼女は、

弥生准教授の妹か弥生准教授本人ってことになるんじゃないだろうか。

でも、何度も大学で二人で歩いているところを見たという情報があることからすると、

妹というよりは弥生准教授の可能性の方が高いと思えた。

年は准教授ということから推測すると20代後半だと思えるが、

見た目以上に若く見え、なによりも美人だ。

弥生昴と同じ血筋かもしれないというのも頷ける容姿だった。

違いがあるとすれば、弥生昴の髪質がややくせ毛がある為に緩やかなウェーブを

作りだしていることだろう。

弥生准教授のほうは同じ黒髪でも、真っ直ぐ伸びた素直な髪質を有していた。

どんな姉弟であっても、よっぽど似ていないと姉と弟なんてわかるわけがない。

ましてや、髪質が全く違っていたらなおさらであり、由比ヶ浜の友人が

恋人同士であると勘違いしても、責める事なんて出来なやしない。

そして今、俺達の目の前にいる妹らしき人物は、

どういうわけか俺が准教授と会った時に准教授が着ていた服装に似ている。

濃紺のスーツのパンツルックできめていた。高校生にしてはやや大人めいた服装ではある。

それとも社会人なのだろうか。

座っているので身長の方はおおよその見当しかできないが、低くはないように見える。

准教授の身長もたしか170は超えていたので、身長が180近くもある弥生昴と並んで歩けば、

とても絵になったことだろう。

たしかに弥生と准教授、もしくは妹が並んで歩いていたら、注目されない方がおかしなほどだ。

まさに美男美女なんだし。

准教授の雰囲気は、雪乃が図書館司書になったらこんな感じかもしれないと思ってたりする。

綺麗にとかされたまっすぐな黒髪は、雪乃よりは短いが、

准教授の柔らかい面影にすこぶるはまっていた。

妹の方も似たような雰囲気を醸し出しており、姉との違いがあるとすれば、

細いメタルフレームのメガネをかけていないことくらいだろう。

なんて事を考えていたら、弥生が俺達の事に気がついて、声をかけてきた。



昴「比企谷じゃないか」



席から立ち上がる弥生は、一緒のテーブルでどうかと誘っているようだ。

同席の弥生准教授も俺の事を知っているせいか、同じ意見のようだった。

だから俺は軽く頷き返事を返すと、雪乃の意見を聞くべく視線を雪乃のほうにスライドさせる。

雪乃も軽く顎を引いたところからすると、雪乃も同席は問題ないらしい。



八幡「偶然だな」

昴「そうだね。僕たちはよくここに来ることがあるんだよ」

八幡「そうか。俺達はそばの駐車場を借りているんだが、

   ここの喫茶店はいつも素通りしているだけだったな」


768: 2015/03/26(木) 17:37:55.77 ID:Ux4V/0K+0
昴「そうなんだ。それはもったいない事をしたね。ここの紅茶は美味しいよ」

八幡「へぇ・・・」



俺は弥生の隣に席を移した彼女に視線を向けると、

そのことに察知した弥生がテンポよく彼女を紹介し始めた。



昴「比企谷は、姉さんには会ったことがあるよね?」

八幡「姉さん?」

昴「あれ? 姉さん。比企谷に僕たちの事言わなかったの?」



弥生は慌てて隣の席の彼女に確認を求めるが、

当の本人たる弥生准教授?はほんわかとした笑みを浮かべるだけだった。

あれ? なんだか雰囲気が違くないか? それに妹じゃなかったのかよ。

この前はもっと、神経質そうな雰囲気を匂わせていたけど、弟が一緒だと違うのか?

それともあの時は緊張してしただけともいえるし、それに今は

メガネをかけていないことで、それだけでも柔らかい印象を感じられた。

メガネをかけているときでも大学4年生くらいには見えていたが、

メガネをはずした今は、高校3年生でも十分通用しそうな気さえした。

だからこそ俺も雪乃も、年下だと思ったわけで。

ただ、若くは見えるが幼くは見えない。

ある意味ちょうどいい具合に成長が止まったとも考えることができるが、

人間がもっとも若々しい時期や美しい時期なんて個人の主観でしか成り立たないし、

なおかつそんな事を考える事自体が無意味だ。どんな人間であっても老いるのだから。

ただ、目の前にいるこの人においては、俺の主観によれば、ちょうど美しさのピークで

成長が止まっているように思えた。



第44章 終劇

第45章に続く




第44章 あとがき

773: 2015/04/02(木) 17:29:46.71 ID:RpzwNEHw0

第45章





夕「どうでしたっけ?」



そうにこやかに俺に問いかける姿に、俺も自然と頬の筋肉が緩んでいく。

以前会った時は話をするうちに打ち解けて硬さが抜けてはいったが、

ただ話していた内容が大学教育や勉強論が主な内容であった為に

准教授としての面だけが表に出ていた。

その時の印象は真面目で一生懸命。

熱血指導とはいかないまでも、教育にひたむきな姿勢が感じられて好印象であった。

しかし、今目の前にいる弥生准教授はほんわかとしており、

由比ヶ浜以上にフワフワしていて年下の女性としか見えない。



八幡「俺に聞かれても・・・。まあ、以前会った時にはDクラスの事が中心でしたよ。

   大学の教育についてとかも話しましたけど、

   あとはこの辺のラーメン屋についてくらいですかね」

夕「そうでしたか。それは失礼しました。

  あの時は、なかなか面白い意見を思っている方だという印象が残っております。

  とても楽しかった時間でしたよ」

八幡「それは、どもです」



にかっと軽く首を傾げる姿に、俺もにやっと硬くく首を傾げて返事をする。

・・・・・・いい人だ、絶対いい人に決まっている。

弥生の姉?だからというわけではないが、俺の不気味な笑みを見ても引いていない。

あろうことか、俺の笑みを見て、さらに笑みを返して下さったではないか。

これは、恋だな。きっと恋だ。俺は今自分が恋に落ちる瞬間を目撃してしまった。

・・・・・・あっ、雪乃の厳しい視線が恋を焼き払っていく。

恋は儚い。儚いからこそ恋。恋に焦がれ、恋は焼き払われていく。

短い恋だったが、後悔はしていない。

うん、恋っていいなぁ。



昴「じゃあ、僕が比企谷の予定を教えて事も言わなかったの?」



弥生は俺の短すぎる青春を気にもせずに姉と話を進めていく。

いいんだ、俺の事は一人のものさ。



夕「そうなるのかしらね」

昴「ごめん、比企谷。いきなり姉さんが話しかけたんで、びっくりしたんじゃない?」



今は妹じゃなくて姉だったという事にびっくりしているけどな。

まじで若く見え過ぎだろう。

774: 2015/04/02(木) 17:30:25.73 ID:RpzwNEHw0

雪乃のかあちゃんも若く見えるけど、弥生の姉さんは女帝とは違う方向で若く見える。



八幡「ちょっとだけな」

昴「姉さんもいきなり面識がない人に声をかけられたら警戒するでしょ」

夕「ごめんなさい。でも、あの時は私も緊張していて、いっぱいいっぱいだったのよ」



弥生が姉をたしなめる姿は、どっちが年上なんだよとつっこみを入れたいくらい自然だった。

これがこの二人の通常の関係なのかもしれない。

だとすれば、やはり以前会った時の硬さは、本人が言うように

緊張から来るものだったのだろう。



昴「本当にごめん。姉さんも悪気あったわけじゃないみたいだし、許してほしいな」

八幡「気にしてないからいいって」

昴「そう?」

八幡「あんまり責めると、泣きそうだぞ」

昴「え?」



俺の指摘を聞き、弥生は慌てて隣の姉に顔を向ける。

実際泣いてはいないし、泣きそうでもない。

それでもしょげてしまって俯く姿は、どうしても年下の女の子に見えてしまう。



昴「姉さん、ごめんね。僕が強くいいすぎたよ」

夕「ううん、いいの」

八幡「ま、もういいんじゃないか。俺の隣にいる雪乃のことも、早く紹介してあげないと

   居心地悪いみたいだしさ。

   弥生は面識あるけど、弥生准教授は初めてでしたよね?」



ようやく出番とばかりに雪乃は綺麗にお辞儀をしてから自己紹介を始める。

背筋がまっすぐ伸ばされた背中がゆっくりと傾倒していく様はいつみても美しかった。

丁寧過ぎる挨拶のような気もするが、厭味ったらしさがまったく出ていないのは

雪乃の気品と育ちのおかげだろう。



雪乃「はじめまして、工学部2年の雪ノ下雪乃です」

夕「はじめまして雪ノ下さん。英文科で准教授をしている弥生夕です。

  比企谷君には英語の講義でお世話になっています」

雪乃「比企谷君がご迷惑をかけていなければいいのですが」

夕「いいえ、とても助かっていますよ。

  ・・・そうですね。弥生が二人いると不便ですので、私の事は夕でいいですよ。

  弟の事は昴でいいですから」



ぽんっと手を合わせて、名案が閃いたとばかりに訴えてくる。

たしかに弥生が二人もいたら面倒なことは面倒だ。

775: 2015/04/02(木) 17:30:57.37 ID:RpzwNEHw0
だけど、いきなり名前で呼ぶ事は俺にとってはハードルがやや高い気もする。



夕「駄目ですか?」



俺が苦い顔をしたのを察知して不安に思ったのか、

瞳に薄い涙の膜を作って弱々しく尋ねてきた。

別に虐めているわけではないのに、

虐めてしまったと感じてしまうのはどうしてなのでしょうか?

雪乃も雪乃で、弥生さんをいじめるなと鋭い視線を送ってきているような気がしてしまう。



八幡「だめじゃないですよ。でも、俺が夕さんって言ってもいいんですか?」

夕「はいっ。問題なしです」



にっこりと元気よく返事をする夕さんに、昴は横でちょっと困った顔をする。

なんとなくだが、二人の位置関係がわかった気もした瞬間でもあった。



八幡「昴もそれでいいのか?」

昴「まあ、いいんじゃないかな。僕としては名前で呼ばれでもいいと思っているし」

雪乃「なら、私の事も雪乃とよんでください。

   おそらく私の姉の陽乃にもそのうちお会いする可能性が高いと思いますから」

夕「たしか陽乃さんは大学院に行っていらっしゃるのですよね。

  雪乃さんの事も陽乃さんの事も昴から聞いているんですよ。

  とても賢くて綺麗な方だと」

雪乃「いいえ、私などまだまだです。姉は大学院にいっていますから、

   姉ともども宜しくお願いします」

夕「いいえ、こちらこそ。雪乃さんと呼ばせてもらいますね」



なんだか夕さんを前にすると、これが当然という雰囲気になってしまう。

ふんわかとした雰囲気というか、穏やかな空間というか。

悪い気はしない。なにせ雪乃の事を知っていると言っていたが、

昴から聞いたとしか言わなかった。

これはある意味思い込みが激しいと言われるかもしれないが、

雪ノ下姉妹はうちの大学では有名すぎるほど有名な姉妹だ。

生徒の間だけでなく、

教授たちの間であっても知らない人はいないレベルにまで達していた。

教授レベルまで達してしまったのは、

陽乃さんの行動によるものなんだが今はまあいいだろう。

噂なんて、眉をひそめてしまう内容まで作りだしてしまうのが現実だ。

たしかに陽乃さんの行動は、噂以上にぶっとんでいるのもあるから

あながち嘘ではない気もするが、噂で知っていますと言われるよりは、

共通の知人、ここでは弥生昴から聞いていますと言われる方がよっぽど信頼できる。

これは勘ぐりすぎかもしれないが、こんな小さな気遣いができるのが弥生昴であり、

その姉の弥生夕も当然同じレベルの気遣いができる人間であるのだろう。

776: 2015/04/02(木) 17:31:36.06 ID:RpzwNEHw0

一応自己紹介を終えた俺達は、俺と雪乃の分の紅茶とケーキを注文する。

・・・まあ、なに。俺の事は比企谷で定着していることは、まあ、いいさ。

いじけてなんかいないんだからねっ!

注文後、しばしの静けさの中少しばかりいじけてはいたが、

夕さんの視線に気が付くと、どういうわけか自分まで晴れ晴れとした気持ちになってしまう。

というわけではないが、このまま夕さんに見惚れてしまうのはやばいと本能が

察知した俺は、適当な話題を振ることにした。



八幡「そういえば、今日はメガネかけていないんですね?

   以前会った時はメガネかけていましたよね」

夕「ええ、普段はかけていないんですよ」

昴「僕はメガネをかけなくても問題ないって言ってるのに、

  わざわざ伊達メガネをかけているんだよ」

八幡「じゃあ、目が悪いっていう訳じゃあ・・・・・・」

昴「両方視力2.0だよ」

八幡「だったら、なんでかけてるんです?」

夕「それは・・・・・・」



俺の問いかけに、夕さんは頬を少し赤く褒めあげながら視線を斜め下にそらした。

そんないじらしい恥じらい姿に、雪乃が隣にいるっていうのに今度こそまじで見惚れてしまう。

おそらく意識してやっていないんだから、ある意味陽乃さん以上にたちが悪いというか

注意すべき存在だと認識してしまう。



昴「メガネをかけたってたいして変わり映えしないのに、顔が幼く見えるのが嫌だって

  メガネをかけて伊達威厳をかけているんだってさ」

八幡「はぁ・・・・・・」



たしかにメガネなしだと高校生でも通用しそうだが、これって平塚先生が聞いたら

泣いちゃうぞ、きっと・・・・・・。

人によっては想像もできない悩みがあるんだなって思い、

今度こそ雪乃の存在を忘れて夕さんの顔をまじまじと観察してしまった。

・・・・・・一応テーブルの下での血の制裁があったとこだけは示しておこう。




俺達が注文した紅茶とケーキが運ばれてくる。

身なりをしっかりと整えた渋い初老の男性店員がティーポットとカップを

必要最低限の騒音だけをたてて置いてゆく。

ふいにカップに手が伸びカップを手に取ると、カップから温かさが感じ取れた。

おそらく客に提供する前に暖めたのだろう。

小さな気配りが、昴がお勧めする店であることに納得してしまった。

雪乃もそれに気が付いているようで、口角を少しあげながら

嬉しそうに紅茶が注がれていくのを見守っていた。


777: 2015/04/02(木) 17:32:10.32 ID:RpzwNEHw0


紅茶を飲み、ケーキが食べ終わるまで俺達の会話は弾んでいたと思う。

ケーキも想像通り美味しかったし、

なによりも雪乃が自分以上の腕前だと紅茶を誉めた事に俺は驚きを隠せないでいた。

これならばきっと陽乃さんも気にいるだろう。

そうなると、この喫茶店で待ち合わせという事も今後増えるのだろうかと

お財布事情を考えなければ素晴らしすぎる未来に思いをはせる。

雪乃や陽乃さんは、財布の中身なんか気にしないで好きな物を注文するんだろう。

俺はついこの間も馬鹿親父に申請した小遣いアップ申請を即時却下されたばかりなのに。

まあいいさ。雪乃も陽乃さんも、その辺の俺の懐具合はわかっているから、

無理に俺を誘ったりはするまい。

いや、俺だけ水で、二人だけ紅茶とケーキってことはあり得ないか?

よくて俺だけ紅茶だけとか。

まあ昴も未来の俺の同じように紅茶だけのようであった。

昴はこの中でただ一人ケーキを注文していないが、

紅茶だけで十分満足している様子である。

さすが普段から俺の相手ができる昴とその姉というべきか。

夕さんも話をする端々に相手を思いやる繊細な心づかいが伺えた。

雪乃もそれを察知してか、柔らかい頬笑みを浮かべながら今も夕さんと会話を楽しんでいる。

だが、雪乃がティーポットに残っていた紅茶をカップに注ぎ終わった時、

それは突然訪れた。

今までほんわかいっぱいの雰囲気を振りまいていた夕さんが、

俺に初めて声をかけてきたとき以上に緊張した面持ちで

俺と雪乃の前で姿勢を正して語り始めようとしていた。

俺と雪乃も、目の前から発する重たい空気を感じとる。

ただ事ではないプレっっシャーに、夕さんと同じように姿勢を正し、

これから語り始めるだろう夕さんの言葉を聞き洩らすまいと

身構えるように耳を傾ける。

そして昴は、これから何を語るのかに気がついたようで、

やや青ざめた顔で夕さんを見つめていた。



昴「姉さんっ」



重い沈黙をやぶったのは昴だった。

ここまで昴が取り乱しているところは見たことがなかった。

この事から、これから夕さんが話す話題の中心は

昴の事だって推測するのはたやすかった。

夕さんは手元にあったケーキ皿とティーカップを少し横に寄せてから、

再び俺達に視線を向ける。

俺達は、昴には申し訳ないが夕さんを止める事は出来ない。

それだけの意思がその瞳には込められていた。

昴も夕さんの意思が固いとわかっているのか、これ以上の抵抗はよしたようだった。


778: 2015/04/02(木) 17:32:49.34 ID:RpzwNEHw0
夕「比企谷君たちには、いずれは話そうと考えていましたよね」

昴「そうだけど・・・・・・」

夕「それとも今日はやめておきます?」

昴「いや、任せるよ」



ここで話を切られても、重大な何かがありますって宣伝しているものだ。

仮に話を切ったとしても、俺は見ないふりをするだろうし、

雪乃も態度を変えることはないだろう。

でも、弥生の顔色を見ていると、どうも俺の懸念は考えてはいないように見えた。

ここまで話したから話の流れで話を進めるというよりは、

姉に背中を押されたから決心できなかったことにようやく決心できたという方が

正しい気がした。



夕「どこから話せばいいのか迷ってしまうのですが、手近なところからお話ししましょう」



そうゆっくりとだが、しっかりとした口調で語りだす。

俺達は軽く頷き、聞く意思を示した。



夕「ありがとうございます。

  ・・・・・・まず、昴がケーキを頼んでいないのに気がついたかしら?」

雪乃「ええ、気が付いていました」



俺も首を縦に振って肯定する。



雪乃「甘いものが苦手だったのかと」

八幡「いや、弥生は・・・、昴は甘いものが好物だって言ってたと思う。

   由比ヶ浜が美味しいケーキ屋について話していたときに昴もケーキが好きだって

   言ってたと思うし」

昴「よく覚えてるね」

八幡「たまたまだ。・・・たしか昴が紹介してくれた店に行ったはずだからな」

昴「どうだった?」



昴が間髪いれずに店の事を聞いてくる。

それを聞いて夕さんは話がそれていると瞳で注意を促す。

けれど昴は夕さんの意向を踏みつぶして話を続行するようである。

おそらく昴はいまだ決心ができていないのだろう。

ならば・・・・・・、俺は夕さんに向かって一つ頷いてから昴の話にのることにした。



八幡「ん? 美味しかったと思うぞ。雪乃も好きな味だって言ってたはずだし」

雪乃「ええ、たしか歯科大の近くのレストランだったわね」



雪乃も俺の意図に気が付き、話に合わせてくる。

もはや夕さんも納得したようで、もう何も語ってはこなかった。

779: 2015/04/02(木) 17:33:23.88 ID:RpzwNEHw0
昴「道がわかりにくい場所で大変だったでしょ?」

八幡「大丈夫だったよ。あの時は昴が地図書いてくれたからな」

昴「地図がお役にたててよかったよ」

八幡「いやいや、こっちが書いてもらったのだから、

   お礼をしないといけないのはこっちだよ」

雪乃「ありがとう、昴君」

昴「あそこのパスタやピザも、なかなか美味しかったんじゃない?」



昴が紹介した店は、パスタとピザのレストランである。

本来ならばパスタやピザの方が有名なのだが、昴一押しはメインの品ではなく

デザートのケーキであった。

中でもチーズケーキを勧めされていて、レストランの中では色々なケーキをシェアして

食べたが、テイクアウトではチーズケーキのみを選択したほどであった。



八幡「ああ、あれから何度行ってるよ。

   車がないと不便な場所っていうのが難だけどな」

雪乃「今は車があるから気軽よね。またおねだりしようかしら」



と、夕さんが見守る中、俺達3人は意図して話を脱線させたままにする。

けれど、それであっても夕さんは話を無理やり勧めようとはしなかった。

じっくりと昴が決心するのを待ってくれていた。



昴「ごめんね姉さん。大事な話の途中で腰を折って」

夕「ううん。これも話したいことの一部でもあるから問題ないわ」



その返答に、俺と雪乃は訳がわからず顔を見合わせてしまう。

一方昴だけは理解していたみたいであったが。



夕「そのレストラン。相変わらず美味しいですか?」

八幡「はい、美味しいです」

雪乃「そうですね。リピーター客が多いみたいで、相変わらず繁盛しているみたいでした」

夕「昴はね、今はそのレストランでは、ケーキしか食べられないの」

八幡「え?」

夕「正確に言うのでしたら、テイクアウトのケーキしか食べられない、かしらね」



俺と雪乃は、自分達と夕さんのケーキ皿を見てから、

ティーカップしか置かれていない昴の手元を確認した。

たしかに、テイクアウトではないケーキはこのテーブルには用意されていない。

つまりは、テイクアウトではないから、今昴はケーキを食べていないって事になる。



八幡「それって、どういう意味ですか?」



俺は問わずにはいられなかった。聞かなくたっていくつか仮説は立てられる。

780: 2015/04/02(木) 17:33:53.99 ID:RpzwNEHw0

つまり、外での食事ができないという事なのだろう。

どうやらドリンクは大丈夫みたいだが、どの程度の食事までが無理かはわからない。

由比ヶ浜が言っていた昴が昼食時には消えるというのも関係あるのだろう。

今手にしている情報からでも結果だけはわかる。

では、どうして食事ができないか。原因だけはわからない。

だから俺は、平凡すぎる問いしかできなかった。



夕「そうね・・・・・・。基本的には、外食は無理です。条件次第では改善している点も

  あるのだけど、それでも普通に外食をするのは無理かな」

雪乃「理由を聞いてもよろしいでしょうか?」



雪乃も問わずにはいられなかった。けれど、好奇心からではない事は

その意思が強い瞳から感じ取ることができた。

ようは雪乃も昴と正面から向き合うってことなのだろう。



夕「ええ。これから話しますけど、昴が高校3年生になる春休みの時まで遡ることになります。

  それでもいいかしら?」

雪乃「中途半端な情報よりは、しっかりと聞きてから・・・・・・、

   どうお力になれるか考えさせて下さい」

夕「それで構いませんよ」



夕さんは俺達の顔をもう一度確かめたから小さな笑顔で返事をした。

先ほどまでの柔らかい印象は損なわれてはいないが、強い決意が宿っており、

日だまりのような温もりが満ち溢れている。

しっかりと冷房が効いているはずなのに、窓から降り注ぐ真夏の陽光が

ちりっちりっと皮膚を焼き、ひんやりとした汗が背中を這う。

決意なんてものは聞いてみなければわからないって返すしかないのが実情だ。

しかし、親しい人間が痛みを隠して笑ったり、平気なふりをしているのを

見ないふりができるほど精神は腐ってはいないし、鈍感ではない。

俺は一度瞼を閉じて、すぐに瞼を開ける。別にこれで頭がリセット出来るわけではないが、

リセットしたと思う事くらいは効果はあるはずだ。

さて、雪乃も俺と同じように理由がわからないことに焦点を当てていたらしい。

ただ、その原因を聞いたとして、どう判断するか、どう接すればいいのか。

実際俺達にできることなんて限られている。

雪乃だって、力になれるのか考えさせてほしいと慎重な姿勢だ。

実際聞いてみなければわからない。

こういうシリアスなときほど言葉のニュアンスを選びとるのは大変だ。

期待だけさせておいて、話を聞いたら突き放すだなんて、雪乃にはできやしない。



夕「私たちの実家は東京なのですが、昴も高校を卒業するまでは実家で暮らしていました。

  私は既に実家を離れ、千葉で暮らしていたので当時の事は話を聞いただけなのですが、

  今思うと、あの時実家に戻っていればと後悔せずにはいられません」

781: 2015/04/02(木) 17:34:22.64 ID:RpzwNEHw0
昴「姉さん・・・・・・」



弥生姉弟が軽く視線を交わらすが、俺達は話の腰をおらないように黙って続きを待った。



夕「東京だけではないですが、移動となれば電車ですよね。

  数分おきに来る電車に乗ったほうが車より早く着きますし、高校生となれば

  移動の手段の主役は電車となるのは当然でした。

  しかし昴は、高校3年生になる春休みを境に、電車に乗れなくなりました。

  一応薬を飲んで無理をすれば乗れない事はなかったようですが、

  高校3年の1年間は、今でも夢に見るほど苦痛だったようです。

  なにせ、高校に行くには電車に乗らなければ無理ですからね。

  便利なツールがある分、それが使えないのは苦痛でしかなく、

  しかも人には言えない理由となれば、高校生活も暗くなるのは当然だと思います」



ここまで一気に話きると、夕さんは昴の様子を伺う。

2年前の話であり、昇華できるいる問題とは思えない。

それでも昴の顔には苦痛は見えず、むしろ俺達を気遣っているとさえ思えた。



夕「電車に乗れなくなった原因はパニック障害です。

  昴の場合は電車限定ですが、薬を飲んで無理をすれば乗れる分

  他の人よりは軽かったと言えるかもしれませんが、だからと言って

  正常な生活を手放した事には変わりはないのです。

  きっかけは予備校に通う電車の中で気分が悪くなって倒れ、そして、

  救急車で搬送された事だと思います。

  ただ、なぜ倒れたかはいくら検査を受けてもわかりませんでした。

  昼食で食べたものが悪かったのか、それとも風邪気味だったのか。

  もしくは胃腸に問題があったのか、あとで胃カメラものみましたが、

  結局は根本的な原因はわかりませんでした。

  でも・・・・・・」



夕さんは一度話を中断させ、ティーカップを選ばずに水が入ったグラスを選択して、

冷たい水で喉を潤した。

やはり重い内容であった。聞いた事自体は後悔してはいない。

運悪く面倒な奴と喫茶店で出くわしたなんて思いもない。

ただ、ここまで辛い思いを昴が隠していたことにショックを覚えた。

まだ話の途中だが、昴はどう気持ちの整理をして俺と接していたのだろうか。

俺はなにか無意識のうちに昴を傷つける事をしていなかったかと不安になる。

無知は救われない。知らなかったからといって許される事はない。

むしろ、無知は罪だ。



夕「比企谷君。辛いですか? ここで引き返してもいいのですよ」



夕さんはあくまで低姿勢で、大事な弟よりも俺達他人を気遣っている。

782: 2015/04/02(木) 17:35:14.10 ID:RpzwNEHw0

昴さえも同じ意識のようだ。

俺はそれがたまらなく辛かった。自分よりも他人を気遣うこの姉弟に、

俺はあなた達が気遣う必要がある人間ではないって教えてあげたかった。



八幡「違いますよ。・・・知らなかった事とはいえ、なにか昴を不快な目にさせなかったかなと

   思い返していただけです」

昴「大丈夫。慣れ・・・問題なかったから」



昴らしからぬミスに、俺の気持ちは沈んでゆく。

昴ならば、相手が気がつかないように言葉を選択するはずだ。

それなのに、今の昴は精神が追いこまれていて、それができない。

つまり俺は、昴に対して無神経な言葉を吐いたことだ。

さっき言葉を飲み込んだのは、慣れてしまった。

無神経な言葉に慣れてしまった、と言わないでおこうとしたのだろう。


八幡「そうか」



だから俺は短く言葉を返す。

言い訳は当然のこととして、意味がないフォローはそれこそ不快にしかならない。

これが最低限使える返事だと思う。

ベストでもベターでもない、どうにか役に立つかもしれないボーダーラインぎりぎりの言葉。



夕「では、話を進めても?」

八幡「お願いします」

夕「では・・・・・・。結局体の健康上の問題はすぐに回復しました。

  ただ、精神的な後遺症を残したのが大問題でした。

  つまり、電車で倒れたトラウマで電車に乗ると気持ち悪くなってしまうのです。

  しかも、電車に乗って吐いてしまうのを避けようとする為に、外での食事さえも

  避けるようになり、食べると吐きそうになってしまうのです。

  実際吐く事はほとんどありませんでしたが、動けなくなるという点では

  大きな問題を抱えてしまったわけです」

雪乃「無理をすれば電車に乗れるのですよね。

   では、どのくらいの無理を強いられるのでしょうか?」



雪乃の眼には憐みは含まれていない。凛とした背筋で問う姿が何とも心強かった。



783: 2015/04/02(木) 17:38:29.65 ID:RpzwNEHw0

夕「ええ。今では精神安定剤を飲まなくても、どうにか電車に乗れるようにはなりましたが

  当時は精神安定剤なしでの乗車は不可能でした。

  できれば座って乗車したいほどで、満員電車を避けるべく、

  部活に入っているわけでもないのに朝早く高校に登校していました。

  ただ、下校は家に帰れる、安心できる場所に逃げられるという意識のせいか、

  比較的楽に帰ってこられたそうです。

  でも、精神的余裕のなさから予備校には通えなくなりましたが」

八幡「それはきついですね。高3で、まさしく受験生なのに」



一般の受験生以上の負担を強いられるわけか。

由比ヶ浜の指導も大変だったが、

それとは違う角度での負担は漠然とした想像しかできなかった。



夕「その点は、弟自慢ではないですが、勉強面では不安はありませんでしたよ」

え? なにこの弾んだ恥じらいの声?

昴「もうっ、姉さんったら」

ええ? なにこのデレている弟?

夕「だって、昴だったら、どこの国立大学でもA判定だったじゃない」

昴「そうだけど、さ」

夕「予備校だって、友達といたいから通っていたって言ってたじゃない」

昴「予備校で知り合った友達は、高校の雰囲気とは違って新鮮っていうか」



あれ? シリアス展開だったんじゃないの?

俺からしたらシリアスよりも、目の前で展開中のブラコン・シスコンカップルの

萌えを見ている方が和むんだけど、見た目があまりにもお似合いのカップルすぎて

ちょっと引き気味になってしまう。

・・・・・・雪乃は苦笑いを噛み頃して話を続きを待っていたけどさ。

じゃあ俺は、生温かい視線でも送っておくよ。



第45章 終劇

第46章に続く

788: 2015/04/09(木) 17:29:29.15 ID:efeD18EI0

第46章





夕「こほんっ・・・。話がそれましたね」



俺の腐った目が生温かい熱のせいで腐臭を増していくのに気がついたのか、

夕さんは上擦った咳をしながらも場を収めにかかる。



八幡「いえ、大丈夫ですよ」



俺の方もたぶんクールに言葉を返せたはずだが、若干声が上擦っていたかもしれない。

なにせ一瞬であろうが恋に落ちた相手が目の前でいちゃついてたんだもんな。

しかも姉弟でだし・・・・・・、リアルでこういうのってあるだな

と、変な所で感心しつつ興奮を隠せないでいた。



夕「それでですね・・・・・・」



つえぇなぁ・・・・・・。もう立ち直ってるというか、マイペースなのかもしれないけど、

健気に立ち上がろうとするその姿に俺は心を激しく揺さぶられてしまいますよ。

つまりは、やっぱまだ恋は続いているそうです。

一応俺は誰にも見せられない夕さんプロフィールをこっそり更新させておく。

むろん雪乃プロフィールは墓場まで誰にもみせないで持っていくつもりだ。

小町や戸塚のならば本人に延々と可愛さを訴えてもいいけど。



夕「本来ならば、昴は東京の実家に残って東京の国立大学に入る予定でした。

  その実力もありましたしね。でも、実際選択したのは千葉の国立大学です。

  そして私が所属している大学でもあります。

  理由はお察しの通り私がフォローする為です。

  住むところは電車に乗らなくていいように

  私も大学まで徒歩で来れるアパートに引っ越しましたし、

  昼食も食べないわけにはいかないので、私の研究室で一緒に食べられるように

  リハビリしてきました」

昴「大学1年の冬になりかけた頃に、やっとどうにか食べられるようになっただけだけどね。

  高校の時は全く食べられなかったから、それと比べれればずいぶん進歩したって

  姉さんは誉めてはくれているけどね。

  高校の時は学内では全く食べられなかったけど、受験生ということで昼食の時は

  図書館にこもっていても不審がられないのは運が良かったというのかな」

八幡「考えようだな」

昴「だね」

雪乃「では、昴君は夕さんと一緒に暮らしていらっしゃるということでいいのですね」

夕「ええ、そうです。その方が自宅でのサポートができますからね。

  それに、大学で体調を崩した時も家が近いと便利ですからね」

789: 2015/04/09(木) 17:29:54.45 ID:efeD18EI0



雪乃の質問に夕さんは誠実に答えていく。

まっすぐ雪乃を見つめ返すその瞳は、隠し事をしないと意思表示しているようであった。



昴「もう一生姉さんには恩返しができないほどの恩を貰ってしまったかな」

夕「いいのよ。私が好きでやっているだけですもの・・・・・・」



だから、そこっ! 見つめ合わないでっ。

シリアスな展開なら、最後までシリアスで通してくれよ。

どうして途中途中でブラコン・シスコンカップルを眺めなければならないの。

しかし、俺の視線に気がついたようで、夕さんはすぐさま話の軌道修正を図った。



夕「今は私と研究室で食事をすれば対処できていますが、いつまでもそれができるわけでは

  ないでしょう。それに、この問題を解決しなければ、昴の夢を諦めなければならなく

  なるので、それだけは絶対に避けたいんです」



力強い意思がこもった言葉に、俺は夕さんの想いの強さを感じ取る。

いい姉弟だと思えた。陽乃さんと雪乃もやたらととがっているところがあるが、

これもいい姉妹だと最近では思えるようになってきている。

そもそも誰であっても何かしらの問題を抱えている。

俺はもちろんだが、

あの陽乃さんだって大きすぎて一人では抱えられないほど巨大な問題を抱えていた。

普段の行動だけでは真意はわからないって陽乃さんのことで経験したはずなのに、

今回の昴の事でも気がつかないでいた事で自分の未熟さを痛烈に実感させられてしまった。



雪乃「東京の大学も夢の実現の一部だったのではないのでしょうか?」

昴「絶対行きたい大学だとは思っていなかったけど、夢を実現する為に通るべき道だとは

  思っていたかもしれないね。でも、千葉の大学に来て、比企谷や雪乃さんに

  出会えた事を考えると、こっちにきてよかったと、心から思えているよ」



柔らかい笑顔を見せるその姿に、戸塚以外ではあり得ないと思っていた男に惚れそうになる。

いや、まじでこれを見た女どもはほっとかないだろ。

皮肉でもなんでもないが、これは強烈だと思えてしまう。

浮かれている自分を不審がられていないかとちょっと、いや、

やたらと心配して雪乃を状態を盗み見る。

・・・セーフ、かな? どうやら雪乃も昴の発言を嬉しく思っているようだが、

感動止まりらしい。それに俺の事も不審には思ってはいないみたいだ。

これはこれで安心したのだが、もしかして俺って変なのか?と、

顔が青くなるくらい本気で自分の嗜好を疑いそうになってしまった。



昴「迷惑だったかな?」



790: 2015/04/09(木) 17:30:25.74 ID:efeD18EI0
俺の自分勝手な暴走に昴は勘違いして不安を覚え、声がか細くなってしまう。



八幡「いや、俺も昴に出会えてよかったよ。

   ・・・もし昴がいなかったら、由比ヶ浜以外に話す相手がいなかったなって

   思えてさ。男友達となるとゼロだったんだなって」

昴「そう? 比企谷ならきっと友達できたはずだよ。

  最初はぶっきらぼうな人だと思っていたけど、思いやりがある人だってわかったし、

  それに惹かれて近寄ってくる人がきっと現れたはずさ」

八幡「そうか?」



思わぬ誉め言葉に俺は頬を緩め顔を崩す。これは恋かもしれない。

なんて、もう言ったりはしないが、心地よい温もりを感じさせてくれる言葉に酔いしれる。

だからといって友達が欲しいわけではないのは今でも、これからでも変わらないだろう。

ただ、側にいて苦痛にならない人間ならばいても悪くないと、

・・・・・・居て欲しいとさえ思えるようになったのは、

人として成長しているかもしれないと柄にもなく思ってしまった。



昴「でも比企谷の事だから、自分からは友達作らないんだろうけどね」

八幡「おい・・・。誉めるのか貶めたいのかはっきりしろ。

   精神的に疲れるだろ」

昴「そうかな? なら、比企谷は友達ほしいって思ってる?」

八幡「どうかな・・・・・・」



これは率直な俺の意見であり、嘘も建前もない。

わからない。今はそう判断するのが正しいと思えた。

自分では判断できないのが、今俺が出せる結論であり、限界でもある。

いくら雪乃という彼女ができたからといっても俺が今まで築いてきた人生観が

変わるわけではない。

ぼっちをなめるなとか言うつもりもない。

好きでぼっちをやっていたわけであり、後ろめたい感情も持ち合わせてもいない。

だけど、雪乃が紅茶を愛していても、コーヒーが嫌いではなく、むしろ好きな飲み物で

あったように、俺もぼっちであった自分を誇りに思っているのと同時に、

誰か自分の側にいて欲しいと思ってしまったとしても、俺のアイデンティティーが

崩壊するわけではないと考えることができる。

それが一見すると矛盾しているように見えたとしても、人間の感情はロジカルでは

ないのだから・・・と、自己弁護したことも付け加えておこう。



昴「だろうね。比企谷ならそう言う思った」

八幡「まあな」

夕「昴は、比企谷君の友達ではないの?」



夕さんの素朴すぎる疑問に息を飲む。これが由比ヶ浜あたりの問いならば、

いくらでも適当すぎる回答ができたはずだ。

791: 2015/04/09(木) 17:30:57.16 ID:efeD18EI0
でも、今目の前に問うているのは昴の姉である夕さんだ。

ごまかしがきかない。

俺をまっすぐと見つめ、瞳の奥深くにあるかもしれない俺の心を射抜いてくる。



八幡「わかりません」



そう言うしかなかった。これも俺の本音だ。



八幡「今まで友達なんて欲しいとも思わなかったし、

   いたとしても人間関係が面倒だって思っていましたから。

   でも雪乃と出会って、自分勝手な偶像を押し付けるのは

   相手にとっても、自分にとっても、視野を狭めるしかないってわかりました」



雪乃を見ると、首を傾げて俺を見やり、「そうなの?」って訴えかけてくる。

これは雪乃にも話したことはない偏見。

勝手に雪乃を理想化して、勝手に裏切られたと思って、そして、

自分の馬鹿さ加減を直視した昔話だ。

雪乃だって嘘をつく。隠したいことだってある高校生であるはずなのに、

俺の理想で塗り固めてしまった。

俺が作り上げた雪ノ下雪乃を通して雪乃を見ていたって言えるだろう。

雪乃にとっては、はた迷惑極まりなかっただろうに。



八幡「雪乃の一面しか見ていないのに、勝手に知ったかぶってもたかが知れているんですよ。

   今でも知らない部分の方が断然多いでしょうし、それで構わないと思っています。

   えっと・・・つまり、何が言いたいかといいますと、

   今知っている面と、これから知る面。そして、一生かかっても知ることがない面の

   全てを兼ね合わせて雪乃が出来上がっているわけなんですが、

   たぶん新たな面を知って戸惑う事があるでしょうし、また、

   知っていたとしても苦手に感じてしまうところも正直あります。

   そんな面倒すぎる相手であっても、雪乃となら一生付き合っていきたいなって

   思ってしまったわけで・・・。すみません。

   今、自分で何を言っているかわからないっていうか、まとまってないところが

   多分にあって、それでも、雪乃とだったら、うまくやっていける・・・、

   そうじゃないな、側にいたいって思ったんです。

   あと、雪乃以外でも由比ヶ浜っていう面倒すぎる奴もいますが、

   こいつは色々と俺の平穏な日常をかき乱すんですけど、今ではかき乱されるのも

   いいかなって思ってしまっている自分がいまして。

   あとは、雪乃の姉の陽乃さんって人もいまして、この人は由比ヶ浜以上に台風みたいな

   人でして。でも、陽乃さんに対しても、ほんのわずかな側面しか

   見ていなかったんだなって、最近知ることができたんです。

   今では新たな一面を見せてくれるたびにハラハラして、新鮮な毎日を送っています。

   えっと、だからですね・・・。弥生に対しても・・・・、昴に対しても、

   そういうふうになっていくのかなって、なったらいいなと、思っています」

792: 2015/04/09(木) 17:31:25.06 ID:efeD18EI0

夕さんの問いかけに、うまく答えられただろうか。

言っている自分でさえ矛盾だらけの演説だって落胆してしまう。

今思うと、けっこう俺、恥ずかしいこと言ってなかったか。

今となっては雪乃の反応さえ見るのが怖い。

ましてや、俺の事を多くは知らない夕さんや昴に対してはなおさらだ。

喉がいがらっぽい。長く話しすぎたせいだけではないってわかっている。

でも、冷めきった紅茶を飲むことで喉を潤せられるならばと、カップをぞんざいな手つきで

掴み取ると、一気に喉に流し込む。

やはり紅茶だけでは喉は潤わない。だから、まったく手をつけていなかった水のグラスも

強引に掴むと、これもまた一気に喉に流し込む。

氷がほぼ溶けてしまった水はほどよく冷えていて、

喉に潤いと爽快感をもたらしてくれた。

血が頭に上っていた俺をクールダウンさせるには最適なドリンクではあった。

と同時に、張りつめていた緊張を自動的にほぐす効果もあったわけで・・・、

俺は何も心構えをしないまま顔をあげ、弥生姉弟と対面することになった。

俺は無防備なまま弥生姉弟を直視する。

普段の夕さんを見た事はないが、

教壇に立つときのように毅然とした態度で俺を観察しているように思えた。

一方昴は、相変わらずいつも俺に接しているときのように、柔らかい表情を浮かべていた。

ついでにというか、一番結果を知りたくない雪乃はというと、

顔がかっかかっかしていまだ確認できていない。

だけど、知らないままではいられない。俺に似合わない独白までしたんだ。

しっかりと見ておく必要があるようと強く感じられた。

首を回すとグギグギって擦れてしまうそうなのを強引に回して様子を伺う。

見た結果を述べると、よくわからないであっているだろう。

なにせ俯いていて、雪乃の後頭部しか見えなかったのだから。

でも、テーブルの下で俺の膝上まで伸ばされた指が、俺の手の甲をしっかりと

握りしめていることからすれば、けっして悪い印象ではなかったのではないかと思えた。



夕「それはもう友達ということでいいのではないかしら?

  普通そこまで考えてくれないと思うわ。  

そこまで考えてくれているってわかって、よかったといえるかしらね。

  ね、昴?」

昴「あ・・・、うん。やっぱり千葉に来てよかったよ」

八幡「そう、か・・・? 昴がそう思うんなら、よかったの、かな?」

昴「だね」



テーブルの下で握られていた手がよりいっそう強く握られる事で雪乃の存在を確認し、

そっと雪乃の方に瞳をスライドさせる。

まあ、いいか。なにかあるんなら、あとでゆっくり聞けばいいし。

聞くまでには心の準備もできているだろうしな。



793: 2015/04/09(木) 17:31:57.88 ID:efeD18EI0

雪乃「でも、昴君は何故八幡と友達になったのかしら?

   自分の彼氏を貶すわけではないのだけれど、八幡は元々積極的に友好的な

   関係を築く方では・・・、いえむしろ交友関係を断絶しているといっても

   いいほどだといえるわ。

   だから、そんな内向的な人間に、どうして昴君のような人間として出来ている人が

   接してみようと思ったのかしら?

   そもそも八幡に近づくメリットなど皆無だし、むしろデメリットの方が・・・」



俯きながらも透き通る声はくぐもる事を知らずに響き渡る。

雪乃は貶さないと初めに断っておきながら、

デメリットばかりあげていくのはどうしてだろうか。

ここで俺が口を挟んでも、雪乃の的確すぎる指摘は止まらないだろうし、

俺は精神を削り取られながら雪乃が飽きるのを待つしかない、か。

ただ、雪乃が誉めるほどの人格者の昴は、雪乃の暴走を止めるべく、

話の流れを引き戻してくれる。



昴「比企谷と初めて話した時、比企谷について何か意識したわけではなかったと思うよ。

  授業でグループでレポート出さないといけない課題があって、

  その時のグループの一員がたまたま比企谷のグループの人と友達だっただけで、

  その接点でたまたま比企谷が近くにいただけだったと思う。

  たしか一人で黙々とレポート取り組んでいたのは、今でも覚えているよ」

雪乃「はぁ・・・。やはりどこにいても八幡は八幡なのね」



ナイス、昴!と、心の中でガッツポーズをとるが、雪乃の間髪を入れずのご指摘に

俺は小さく拳をあげるのが精々だった。



八幡「グループ課題なんて、自分の分担はとっとと終わらせておくのがいいんだよ。

   遅れると文句出るだろ?」

昴「あの時も比企谷はそう言ってたよ」



昴は懐かしそうに語るが、俺は顔を引きつるしかなかった。

もちろん雪乃があきれ顔であった事はいうまでもない。



八幡「そんなこと言ったっけな。昔の事だから、忘れたな」

昴「まあ、あの時の比企谷は本当にレポートで忙しかったみたいだけどね。

  後で聞いたんだけど、比企谷が他の人の分のレポートまで押しつけられてたって」



あぁ、思いだした。早く自分の分担終わらせたせいで、

他の奴の分までやるはめになったんだっけな。

そのことだったら、今でも覚えている。

あのくそムカつく女。

あいつのせいで俺のレポート提出期限が守れなくなるところだったんだよな。

794: 2015/04/09(木) 17:32:39.49 ID:efeD18EI0
グループのうちで誰かしら一人が分担部分の仕上げ期限を守らないと、

自動的に俺までもがレポートの提出期限を守れなくなる。

これがグループ大きな弊害だ。

一番の弊害は、他人と一緒にレポートをやらなくてはならない事だが、

これと同じように足を引っ張られるのもたまったものじゃない。



八幡「いつも面倒事を押し付けられ慣れているから、いちいち全部は覚えてねえよ」



俺は嘘は言ってはいない。

いちいち「全部を」覚えていたら、ストレスが解消されなくなっちまう。

だから、面倒を持ちこんでくる「危険人物だけ」は覚えていて、

そいつらには近づかないようにしている。

まさしく日本人の典型パターンといえよう。サイレントクレーマーとは俺の事よ。

ただし、悪評を人に流す事がない分善良的かもしれないが。

ま、言う相手がいないだけなんだけど・・・・・・。



昴「比企谷ならそう言うと思ったよ。でも、自分の役割はしっかりとやるんだよね。

  たとえそれが理不尽な内容であったも」

八幡「買い被りすぎだ。それに世の中の8割は理不尽でできているから、

   あんなのありふれた日常だ」

昴「それでもだよ」

昴は困った風に笑って反論する。

昴「雪乃さんの問いかけの答えに戻るけど、その出来事で比企谷に興味を持ったんだけど、

  僕はがもともとレポートとかを収集して情報交換をしていた関係で、

  比企谷に話しかけることが増えていったんだ。

  比企谷は、レポートとかの課題は、提出期限よりも比較的前にやりおえていたしね」

八幡「そういやそうだったな。俺の方も昴から使いやすい参考文献とかの情報貰えるんで

   重宝していたけどな。まさしくギブ、アンド、テイク。悪くはない。

   最近の昴はコピー王とか言われるくらい有名になったしな」

昴「そのあだ名は恥ずかしいからやめてよ」

八幡「そう思うんなら由比ヶ浜に文句を言えよ」

昴「それはもう言ったとしても意味がないから諦めているよ」



一応弁解しておくと、今は由比ヶ浜はコピー王などとは言ってはいない。

由比ヶ浜がそのあだ名を使ったのは、おそらく一週間もないと思う。

しかし、名前って言うのは独り歩きするもので、

昴が流した情報と共にあだ名までもが広まってしまい、由比ヶ浜一人があだ名を

使わなくなったとしても、コピー王の名前は定着されてしまっていた。



八幡「あいつも悪気があってじゃないしな・・・・・・」

昴「それに、今は有名になりすぎた自分にも問題があるみたいだしね」


昴は独り言のように自戒する。

795: 2015/04/09(木) 17:33:53.06 ID:efeD18EI0
おそらく試験対策委員会のことだろう。

しかし、昴が今その話題を持ちあげてこないのならば、議題にすべきではない。

今はもっと切迫した問題が目の前にあるのだから。


夕「それで昴は、比企谷君と仲良くなっていったという事でいいのね?」


夕さんはおかしくなりかけた話の流れを修正する。

昴が夕さんに試験対策委員会との確執を話しているかはわからないが、

昴が何か抱えている事だけは気が付いているようではあった。


昴「どうかな? きっかけにはなったけど、決定的な要因ではないかな」

雪乃「と、いうと?」


雪乃も昴の異変に気がついてはいるみたいだが、昴の言う決定的な要因に

関心を示した様であった。


昴「比企谷は人の心に踏み込んでこないからね。

  ある程度の距離を保ってくれるというか、踏み込んできてほしくないところには

  けっして踏みこんでこない。
  そういうところが、問題を抱えている僕にとっては都合がよかったんだよ。

  それに人との関係もあるけど、勉強に関してもね」

八幡「当時は昴の事情なんて知らないだけだったけど、そもそも俺は人の内側に

   好き好んで踏みいれたりしないだけだよ。面倒だからな」

昴「それも、比企谷を見ていて気がついたよ。

  でも、最初は本当に都合がいいだけだったんだけど、いつの間にかに

  僕の方から比企谷の方に踏み込んで行きたいと思ってしまったけどね」

八幡「そ、そうか・・・」


どういえばいいんだよ。俺は好意を向けられるようなことなんてしてないと思うんだが。


夕「比企谷君の側にいる事によって昴も比企谷君の魅力に気がついていったって

  ことだと思うわ。表面上のうわべだけで判断したのではないと思うから、

  それだけ昴も比企谷君に惚れたってことではないかしらね」


と、夕さんがまとめてくるんだが、どうも男同士の友情っていうよりは、

男女間の恋愛話に聞こえてしまうのは気のせいだろうか。

まあ、深く考えたら負けだと思うので、俺にとって都合がいい部分だけ記憶して、

後の部分は聞かなかった事にしておく。


夕「昴と仲良くしてもらっている比企谷君には悪いとは思っているのですが、

  きっといいように利用しているって思われる事でしょうが、

  少し話を聞いてくれませんか?」


夕さんがうまく話をまとめてくれたと思っていたら、

夕さんの固く引き締まった声が俺に投げかけられてくる。

あの昴でさえ顔を引き締めていて、心細げに俺を見つめていた。


八幡「いいですよ。利用っていうなら、この前も昴に俺の身勝手なお願いを

   聞いてもらったばかりですし、お互い様ですよ」

796: 2015/04/09(木) 17:35:03.39 ID:efeD18EI0
この前雪乃の父親との会談に間に合うようにと昴には助けてもらったばかりだ。

あの時昴は、楽しげに恨み事を言いながらも手伝ってくれた。

ギブ、アンド、テイク、ではないが、人に頼られるっていうのも悪くないって

教えてくれたのは由比ヶ浜のおかげだろう。

たしかに、由比ヶ浜の性格がよくなければ、いい人すぎなければ、

由比ヶ浜の為に大学受験の家庭教師なんてするわけがなかったとは言い切れる。

それでも合格まで見届け、さらには今でも面倒見ているなんて、

俺が面倒と言いながらも楽しんでいなければ続きっこない出来事だ。

まあ、由比ヶ浜には絶対に楽しんでやっているなんて教えてやらんけどな。


第46章 終劇

第47章 2週間の休載

由比ヶ浜結衣誕生日 2週にわたって掲載予定

829: 2015/04/30(木) 17:29:18.12 ID:X2mOQ2ue0

第47章


夕「ありがとう」

昴「ありがとう、比企谷。でも、聞いた後でやっぱり引き返したいって思っても

  かまわないから。だから、変な責任感だけは持たないでほしい」


 夕さんに続いて昴までもが硬く引き締まっていた顔を緩めてほっと肩を下ろす。

俺の立場からすれば簡単な事なのに、きっと当事者となれば違ってくるのだろう。

しかも俺には昴達が考えているほどの価値なんてないという思いもあるが、

それもここで言うべき言葉ではないはずだ。


八幡「そこまで俺は責任感の固まりじゃない。

   逃げたくなったら自分の意思でとっとと逃げているさ」

雪乃「困ったことに逃げて欲しくても逃げないでいるのよね」


雪乃の声は小さく、隣にいる俺にさえ声はかすれて聞きづらいはずなのに、

どういうわけかはっきりと俺の耳まで届けられる。

しかも、なぜか弥生姉弟にまで届いてしまっているようで、柔らかい笑みが眩しかった。


夕「では、本題に入りますね。

  昼食会を開いているそうですが、それに私たちも参加させていただけませんか?」

八幡「俺は構わないけど、・・・問題ないと思うぞ。な、雪乃」


弥生姉弟を昼食会に参加させることに、俺個人としては問題ない。

だけど、俺一人の一存で決まれらる事ではないので、隣にいるもう一人の参加者の

意見を聞くべく問いかける。


雪乃「もちろん私も歓迎します。ただ、由比ヶ浜さんと姉さんの意見も聞かなくては

   いけませんので、今すぐ正式なお返事をする事は出来ません。

   ・・・でも、由比ヶ浜さんと昴君は友人同士ですし、夕さんも昴君の

   お姉さんなのですから、おそらく反対意見は出ないと思いますよ」

八幡「それに、昼食会なんてお上品な昼食の集まりではないですよ。

   ただたんにその日の弁当当番が弁当作って、みんなで食べているだけですから。

   だから都合が合えば一緒に食べればいいし、逆に用事があるんなら無理をして

   参加する必要もない。そんなありふれた食事ですよ」


雪乃はごくごく常識的な回答をしたが、雪乃自身受け入れないわけではないのだろう。

むしろ・・・考えたくはないのだが、俺の数少ない友人を確保すべく、

積極的に動いてさえいるようにも見えた。

・・・それほどに俺に友達なんて呼べる人間ができたことが奇跡だといえるのだが。


夕「ありがとうございます。

  ・・・でも、言いにくいのですが、二つだけ問題がありまして」


夕さんの恥じらう姿に見惚れてしまう。いや、大丈夫。もう恋なんてしないって誓ったから。

なんてドギマギしていたが、夕さんが述べた二つの問題のうち、二つ目の問題が気になった。

おそらく高い確率で一つ目の問題は、昴の食事についてだろう。

830: 2015/04/30(木) 17:30:20.27 ID:X2mOQ2ue0

今は夕さんの研究室で食べる練習をしていると言っているが、

今回の昼食会はそのステップアップだと考えられた。


八幡「たぶん二つとも大丈夫だと思いますよ。・・・一つ昴の事ですよね?」


俺が夕さんが言い淀んでいる内容をズバズバ言ってしまうものだから、

雪乃は無言で非難の声をあげる。

細められた雪乃の目からは、見るからにして凍傷になりそうな視線が送り込まれてきていた。

背筋がぞくりと伸びきったが、俺はそれを我慢して前を見続けようと努力する。


八幡(だから、そんなに睨むなって。ほら、夕さんも言いにくそうだったし、

   どうせ言わなければならない事なら、俺の方から後押しすべきだろ?)


しかし、俺の健闘は空しく敗戦を喫し、俺はとぼとぼとアイコンタクトで

弁解の意を返したが、雪乃から返ってくるアイコンタクトは

さらに100度ほど下がった凍てつく視線のみであった。

俺があたふたと雪乃の対応に困っていると、昴から温かく見守っている視線も感じ取れる。

ただ、そんな外野の思いやりは今回ばかりは無視だ。

夕さんは少し困った風な表情を浮かべているだけであったが、

昴はニコニコと頬笑みまで浮かべていた。

お前の事で困っているだぞって突っ込みを入れたいほどだったが、やはりそれも却下。

そんなことをしたら雪乃からさらなる非難が降りてくることが必至である。

だが、俺の置かれている状況に察してくれたのか、夕さんは話を進めようとしてくれた。


夕「ええ、昴の事です。先ほどもお話ししましたが、現在昴は

  普通に外食することができません。

  私の研究室での食事はどうにかできるようになりましたが、それ以外は全く・・・」

雪乃「飲み物を飲む事は出来るのですよね?

   げんに今は飲んでいますし」


雪乃が昴の前に置かれたティーカップに視線を向けながら話すので、自然と残りの3人も

雪乃の視線を追いかけて、そのティーカップに意識を向けた。


夕「はい、飲み物は比較的問題はありません。

  ただ、大丈夫だと言っても、水やお茶くらいですね。

  コーヒーや炭酸飲料は飲めなくはないみたいですけど、控えているようで」

昴「そうだね。飲めなくはないのだけど、胃を痛めると思ってしまうものや

  刺激が強いものは無意識のうちに・・・、意識をしてともいうかな、

  やはり避けてしまう傾向があると思う。

  あとは甘いのもやはり避けてしまうかもね。

  胃に残るというか、甘ったるい感じが残るのが怖いというか」

雪乃「わかりました。ありがとうございます」

夕「いいえ。こういうことは初めに言っておいた方がいいですからね。

  もちろん聞いた後であっても、やはりお断りというのも問題ありません。

  私達家族の問題を無理やり押し付けようとしているのですから」


831: 2015/04/30(木) 17:31:04.11 ID:X2mOQ2ue0


雪乃「無理やりだなんて、そんなことは思っていません。

   少なくとも私は迷惑だとは思っていませんし、ここにいる八幡も

   わりとお人よしで、自分が認めた人間はけっして見捨てる事はしない人間ですから」


雪乃はどこか誇らしげにない胸を張って目の前の姉弟に俺の事を自慢する。

その誇らしげな瞳が曇らないような人間になろうとは思うのだけど、

ちょっとばかし持ちあげすぎじゃね?、と照れが入ってしまう。


夕「そのようですね。昴もそういうことを言っていましたから」


俺を持ちあげないでくださいって。

期待にこたえたくなっちゃうでしょうが。

だから俺は照れくささを隠す為にぶっきらぼうに答えるしかなかった。


八幡「出来ることしかやれませんよ。過剰に期待されても困るだけですけど、

   まあ、出来る限りの事はやるつもりです」

昴「比企谷らしいね」

八幡「お前も俺を誉めるなって」

昴「誉めてないよ。事実を言っただけだよ」

八幡「それを誉め・・・、もういいよ」


俺は照れ隠しの限界を感じて雪乃とは逆の通路側に顔を向けて戦略的撤退を試みた。

ただ、人の良すぎる彼ら彼女らの事だから俺の顔色を見れば、

俺の現状を把握なさっているようですが。

まあ、いいさ。いじりたければいじってくれ。

俺は無抵抗で身を捧げますよっと。ちょっとばかし斜め下に捻くれた感情をむき出しにして

頭を冷ますべく店内を見渡す。

すると、当然ながら自分たち以外の客も紅茶を飲んでいるわけで。

そして、俺はその紅茶を美味しそうに飲んでいる知らない客の姿を見て、

過去の過ちに気がついてしまった。


八幡「昴。前にマッカンを布教しようと奢ったことあったよな。

   あれはやっぱり・・・迷惑だったんじゃないのか?

   知らなかった事とはいえ、本当にすまなかった」


俺は昴の方に視線を戻すと、すかさず過去の過ちを懺悔する。

昴は一瞬目を見張ったが、すぐにくすぐったそうに笑みを浮かべる。

つまりは俺が指摘した事実を覚えていたって事だった。

嫌がらせをした方が忘れて、された方がずっと覚えている。

俺のは意図的にしたわけではないからといって免責されるべき罪ではない。

固く握りしめる拳から不快な生温かい汗が手を濡らしていった。


夕「比企谷君。その缶コーヒーのことがあったことも、

  今回昼食会の参加をお願いしようと決心した原因の一つでもあるのですよ」

雪乃「どういうことでしょうか?」


832: 2015/04/30(木) 17:32:09.77 ID:X2mOQ2ue0

いまいち夕さんの言葉を素直に飲み込めない。それは雪乃も同じ感想であり、

すかさず質問した事にも出ているのだろう。

だから、無言で夕さん達を見つめ返す俺を助けるべく、

雪乃が話の相槌を代りに問いかけてくれた。

昴達の話によれば、胸やけをしそうな甘すぎるマッカンは、

昴が避けるべきドリンクの一つと考えるべきだ。

ましてや気持ち悪い症状を避けるようにしている昴が、

積極的に飲むべきものとはどのように分析しても導くことができないでいた。


昴「僕は甘いものが苦手というわけではないから、マッカンが嫌いというわけで

  はないよ。むしろ自宅であったならば、好んで飲んでいるからね」

夕「そうですね。比企谷君に布教されてからは、昴は好んで飲んでいるほどですから。

  今ではいつも常備しているんですよ。よっぽど嬉しかったんでしょうね」

昴「姉さんったら・・・」


夕さんの暴露話に、照れ半分、拗ね半分で甘える昴。

どこのほのぼの姉弟だよって、今度こそつっこんでやりたかった。

・・・が、つっこんでやらん! 勝手にやってろ。こういうのは関わったら負けだ。

・・・・・でも、どういうことなのだろうか?

甘いのも駄目だと言っていたし、コーヒーも避けると言っていた。

なのに、どうしてマッカンだけは大丈夫だったのか、どうしても疑問に残った。


八幡「どうしてマッカンだけは大丈夫だったのでしょうか?」


聞かずにはいられなかった。俺の過去の過ちが昴を傷つけていたかもしれないのに、

どうして大丈夫だったのだろうか。

俺の姿が必至すぎたのか、夕さんは姿勢を正して、先ほどまでの姉弟のじゃれつきを

きっぱりとぬぐいさってから、頬笑みを交えて答えを開示してくれた。


夕「それは、比企谷君がくれたものだからですよ。

  もし比企谷君がくれたものが他の飲料水であったのならば、

  それがよっぽどのものでなければ、昴は嬉しく思っていたはずです」

昴「もともとマッカンは知っていたけど、

  それほど手に取ろうとする品ではなかったからね。

  それほど販売に力を入れている商品というわけでもないし、

  コーヒーは新商品がどんどん出てくるジャンルでもあるからさ。

  でも、比企谷に勧められて飲んでみたら、美味しかったと思ったのは嘘じゃないよ」

八幡「でも、体調の方はどうだったんだよ」


これが一番聞きたい事であった。味の方はマッカンだから心配はしていない。

むしろ味を否定する奴は味覚が狂っていると判断すべきだ。


昴「それも問題ないよ」

八幡「でも・・・」


俺はなおも信じられないと疑問を姉弟に投げかける。

833: 2015/04/30(木) 17:33:15.23 ID:X2mOQ2ue0
いくら大丈夫だと言われても、自分の過ちは許されない気がした。


夕「本当に問題なかったんです。むしろ好調すぎて、私の方が疑ってしまったほどで」


夕さんが笑いながら驚き体験を思い出すものだから、

俺だけでなく雪乃までも次の言葉を紡げないでいた。


夕「そんな顔をしないでくださいよ。本当の事なのですから」

八幡「でも・・・」

雪乃「どうして大丈夫だったのでしょうか?」


なおも信じられないという顔で雪乃が問い直す。


夕「それは先ほども言いましたが、比企谷君がくれたものだからです。

  この説明だけでは不十分ですね」


俺達がまだ納得していないと判断したのか、夕さんはさらに話をすすめた。


夕「つまりですね、私の研究室では食べられるようになった理由はわかりますか?」


俺と雪乃はそろいもそろって首を横に振る。

考える事を放棄したわけではないが、答えが見えてこなかった。


夕「これは昴の感覚的な問題なのですが、私の研究室が疑似的な自宅の一部と

  認識しているみたいなのです。

  そもそも家でならば、安心できる。

  家でならば、いくら吐いたとしても問題を世間に隠したままにしておける。

  家でならば、家族が助けてくれる。

  そういった守られた空間があるからこそ昴は家でならば食事ができているのだと

  思います。

  そして私の研究室が家の延長線上と考えることができれば、

  そこでならば食事ができると考えましたし、実際徐々にではありましたが

  食事ができるようになってきました。

  そもそも外出先での食事だけが無理であって、自宅では問題なく食事が出来ている事に、

  研修室では食事ができるのは不思議に思わないでしたか?」

八幡「そう言われてみればそうですね」

昴「それでも病院に担ぎ込まれた直後は、家であっても外出直前の食事は気を使ったけどね。

  食べてしまったら、外出先で吐いてしまうかもっていう強迫観念があるから」

夕「たしかにそういう段階もありましたが、今では私の研究室でならば一人でも

  食べられるようにはなったんですよ。

  さすがに毎日必ず私が研究室にいることなんてできはしませんから」


今では困難を乗り越えた結果のみを俺達に伝えてくるが、

その過程をみてきたわけではないが、きっと挫折の繰り返しに違いない。

今だからこそ話せる事であって、

今だからこそ俺達に告白できるようにまで前進したと推測することができた。

だから、夕さんが俺達に打ち明けるときの緊張も、その突然の告白を聞いた時の昴の驚きも、

今となっては十分すぎるほど納得できるものであった。

834: 2015/04/30(木) 17:33:53.27 ID:X2mOQ2ue0

八幡「それで今度は俺達と一緒の食事にステップアップということですか?」


たしかに合理的で、よく考えられたリハビリ計画ではある。

だけど、それがどうして俺が布教したマッカンに結び付くのだろうか?


昴「比企谷達には悪いとは思っているけど、今回ばかりは甘えさせてほしい」

八幡「いや、ぜんぜん迷惑だとは思ってないから、改めてかしこまられると

   そのせいでむずがゆくなっちまうよ。

   だから、俺達をばんばん使い倒してくれればいい。

   それに、俺達に出来ることなんてたかがしれている。

   昴の問題は、昴本人にしか解決できないからな」


酷い事を言っているようだが、事実だから仕方がない。

由比ヶ浜の勉強であったも同じことが言えるが、俺や雪乃がいくら一生懸命勉強を

教えたとしても、結局は由比ヶ浜が勉強しなければ学力は向上しない。

これと同じ事が昴にも当てはまってしまう。


昴「まあ、そうだね。それでも感謝しているって事だけは覚えておいてほしいんだ」

八幡「感謝されているんなら、遠慮なく貰っておくよ」


と、やはりぶっきらぼうにしか感謝の念は受け取れない。

こればっかりは慣れていないのだからしょうがない。


雪乃「それでは、先ほどの缶コーヒーがどうして関係あるのでしょうか」


雪乃は俺達のホ〇ホ〇しい、いや断じて拒絶するし、雪乃がそう思うはずはないが、

状況に耐えかねて、話の続きを夕さんに促した。


夕「はい、そのことですが、本来ならば昴は甘すぎる缶コーヒーは飲めないはずでした。

  例えば、貰ったとしても、この後歯医者に行かなければいけないから飲んではいけない

  とか、病院の検査があるから無理だとか、あとは、

  このあと長時間電車に乗る予定があって、

  トイレが近くなるような飲み物は口にできないなど、

  適当な理由を述べて断っていたはずなんです」


おそらく今まで幾度となく繰り返してきた言い訳の一部なのだろう。

覚えてはいないが、もしかしたら俺もその言い訳をされた対象なのかもしれない。


夕「でも、比企谷君がくれた缶コーヒーはその場で飲んだそうです」

昴「比企谷からすれば、由比ヶ浜さんに勉強を教えている途中のいつもの

  休憩にすぎなかったようだけど、僕からすれば画期的な事件だったんだ」

八幡「すまん。なんとなくしか覚えていない」

昴「仕方がないよ。

  比企谷からすれば、普段勉強を教えている日常のうちの一つにすぎないんだから」

雪乃「それにしても八幡が缶コーヒーを奢ってあげる友達がいた事の方が驚きね」

八幡「俺の彼女なのに、どうしてそう自分の彼氏を悲しい目で見ているんだよ」

雪乃「あら? 事実を述べただけなのだけれど」

835: 2015/04/30(木) 17:34:54.21 ID:X2mOQ2ue0
雪乃はとくに表情を変える事もなく、淡々と悲しすぎる事実を述べあげていく。

その淡々と口にするその瞳に、少しばかり嬉しそうな光が宿っていた事は、

俺や陽乃さんくらいしか気がつかない事だろう。


八幡「わぁったよ。もういいよ」

雪乃「ええ、理解してくれたのならば、もう何も言う必要はないわね」


雪乃は上品に笑顔を作りあげると、最後にもう一度くすりと笑ってこの話を締める。

だが、今回は俺達二人だけではないということを雪乃は失念していた。

目の前に二人も観客がいるのに、雪乃は雪乃らしくいつも通りに俺に甘えてしまった。

だから、目の前の観客の受け取り方は人それぞれではあるが、

雪乃が観客の視線に気がついてしまえば、

照れて体を委縮させてしまう効果は十分すぎるほど備えられていた。


夕「仲がよろしいのですね」

昴「そうだね。いつも一緒にいる由比ヶ浜さんでさえついていけない時があるみたいだよ」


由比ヶ浜についてはこの際どうでもいいことにしよう。

付き合い長いし、今さら意識して隠したって、既に知られてしまっていることだ。

だから、気にしたって意味がない。

しかし、夕さんに関しては別である。

いくら昴の姉であっても、会って話をしたのがこれで二回目であるし、

雪乃においては初対面でさえあった。

そんなほぼ初対面の相手に、こうまでも雪乃が警戒心を解いて素に近い言動を

晒してしまうだなんて、これはある意味異常事態だといえた。

これはおそらく弥生姉弟が持つ雰囲気が影響しているはずだ。

この姉弟はどことなく無意識のうちに話しやすい雰囲気を作り上げる傾向がある。

これが詐欺だったら問題ではあるが、俺に詐欺を働いても利益など得られはしないだろう。

まあ、雪乃相手であれば、雪ノ下の財産を狙うという自殺行為でもあるわけだが、

詐欺師相手に命の大切さを説くなど必要はない。

・・・陽乃さんに、その母親たる女帝。

親父さんもこの前の事で陽乃さんに近い存在であると、

性格そのものというよりは策略家という意味で、わかったわけで、

その怪物たちが住む雪ノ下に手出しをするなんて、

はっきりいって自殺行為としか思えなかった。

なんて、俺が頭を冷やすべく現実逃避をしていると、

雪乃が俺に助けを求める視線を送って来ていた。

しかし、その雪乃の視線さえも恋人たちのアイコンタクトには違いなく、

さらなる温かい視線を加算する行為にしかならないでいた。

そして雪乃は自分の自爆行為に気がつくと、

さらに顔を赤くして、俯くしか取れる手段は残されていない。

とりあえず落ち着きを取り戻そうとしている雪乃は、

氷が溶けきった水をゆっくりと何度も口元に運んで頭の再起動を始める。

目の前にいる弥生姉弟も俺達を冷やかす気などさらさらないようで、

雪乃と俺が話に復帰できるのを黙って待っているだけであった。

836: 2015/04/30(木) 17:35:50.21 ID:X2mOQ2ue0

一応自爆行為をしたのは雪乃だけあり、軽傷?だった俺の方が雪乃より先に

立ち直れたのは当然だったのかもしれない。

このまま沈黙を続けるよりは、なにか会話をしていた方が雪乃も回復が早いと

ふんだ俺は、夕さんが言いかけたままでいた事を聞くことにした。


八幡「色々話を脱線させてしまってすみません。

   それで、先ほど言っていた昴に奢ったマッカンなんですが、

   どういう意味合いがあるんですか?」


俺の復帰に、夕さんは顔色を変えることなく応じてくれる。

先ほどの夫婦漫才さえも見なかった事にして話を再開してくれたのは、

雪乃よりダメージが少ないといっても、とてもありがたかった。


夕「それはですね、比企谷君が昴が安心して食事ができる空間を作り上げていたと

  考えることができることです。

  もちろん食事そのものはまだ未経験ですが、警戒していた甘いコーヒーを

  自分から飲んだことは、私からすれば驚くべき事態なのです。

  そうですね、ちょっとだけ妬けてしまいましたね」

八幡「・・・それは、友情っていう意味でよろしいのでしょうか?」

夕「ええ、そうですね」


夕さんはさも当然という顔で答えてくれた。

そこには他の意味合いなど含まれてはいないようであり、

俺は心の中でゆっくりと胸をなでおろした。

これは、一応確かめなければいけない事項である。

いや・・・、ないとは思うのだけれど、

海老名さんと同類の腐女子っていう可能性は捨てきれなかった。

そもそも腐女子の存在を考えてしまう事自体が

海老名さんの影響を受けている証拠だが、まあ一応用心ってことだ。

とはいっても、そんな用心をする事自体が悲しい事であり、

また、用心しなくてはいけない事自体が俺自身が正しい道を歩いているか不安に

させてしまうものであった。

まあ、俺がアブノーマルなわけがない。

そして、そんな嫌疑がかかったとしたら、雪乃が黙っちゃいないだろう。



第47章 終劇

第48章に続く




おまけという名の妄想



八幡「ずっと前から好きでした。俺と付き合って下さい」

海老名「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。

   誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら私、もう行くね」


837: 2015/04/30(木) 17:36:45.87 ID:X2mOQ2ue0





雪乃「・・・・・・あなたのやり方、嫌いだわ。うまく説明できなくて、

   もどかしいのだけれど・・・・・・。あなたのそのやり方、とても嫌い」

結衣「ゆきのん・・・・・・」

雪乃「・・・・・・先に戻るわ」

八幡「ちょっと待てよ」

雪乃「なにかしら? 今はもう話す事はないわ」

結衣「そ、そうだね。いったん頭を冷やすっていうか、あ、あたしたちも、戻ろっか」

八幡「・・・・・・そうだな」

結衣「いやー、あの作戦は駄目だったねー。確かに驚いたし、

   姫菜もタイミングのがしちゃってたけどさ」

八幡「そうか? あれを待っていたような気がしたけどな」

雪乃「え?」

結衣「けど、うん。結構びっくりだった。一瞬本気かと思っちゃったもん」

八幡「んなわけないだろ」

結衣「だよね。あはは・・・・・・、でも。・・・でもさ、

   ・・・・・・こういうの、もう、なしね」

八幡「あれが一番効率がよかった、それだけだろ」

雪乃「由比ヶ浜さんはそういうことを言っているのではないのよ」

八幡「わかったよ。でもな」

雪乃「なにかしら?」

八幡「言わせてもらえば、この中で一番葉山に近い由比ヶ浜が葉山の異変に気が付いて

   いなかったのって、なんなんだろうな? お前一応は友達なんだろ?」

結衣「ヒッキー?」

八幡「しかも、海老名さんとも友達なのに、ぜんっぜん気が付いてやってもいない。

   海老名さん、葉山に戸部のこと相談していたぞ。告白されたくない。

   今の関係を壊したくないってな。だから葉山が不自然な行動をしていた。

   だから俺達のサポートを邪魔するような事をしていた」

結衣「ほ、本当に?」

八幡「ま、三浦あたりはなんとなく気が付いていたみたいだけどな。気が付いていないのは

   由比ヶ浜、お前だけだったよ」

結衣「そんな・・・・・・」

雪乃「比企谷君、仮にその事が事実であったとしても由比ヶ浜さんに言いすぎよ。

   あなたは気がついていたかもしれないけれど、私たちに相談も報告もしなかったじゃない」

八幡「そうか? もし相談していたら、何か解決策を出してくれたか?」

雪乃「仮の話をしてもしょうがないじゃない」

八幡「そうだな。もう結果は出てしまってるしな」

結衣「ごめんね、ヒッキー。あたしのせいだ。あたしが気がついていたらヒッキーに辛い目に

   合わせることなんてなかったよね。ごめんね」

雪乃「由比ヶ浜さん。あなたが謝る事はないわ。もし落ち度があったとしたら、

   それは奉仕部全体の問題よ」

838: 2015/04/30(木) 17:37:35.59 ID:X2mOQ2ue0

八幡「そうだな。でもな雪乃。おまえもおまえだよな。さっきの言葉訂正するよ。

   この中で葉山に一番近い人間は由比ヶ浜ではなく、雪乃。お前だったんだからな」

雪乃「八幡?」

八幡「いわゆる幼馴染らしいじゃないか。しかも家族ぐるみの。だったら葉山の事だって

   わかっていたんじゃないか。わかっていて黙っていたんじゃないか。いや、考えないように

   していたんじゃないか。もしかしたら、最後には俺が泥をかぶるって、な」

雪乃「あっ、・・・・・・・はぁ・・・、葉山君の事を黙っていた事については謝罪するわ。

   でも、私は気がつかなかった。それにあなたにそこまで言われるすじあいはないわ」

八幡「そうだな。俺は部外者だ。赤の他人だから気がつく事ができたのかもしれない。

   それは今までも、そしてこれからもかわらない」

結衣「ヒッキー、それは言いすぎだよ。ヒッキーは奉仕部の仲間で、それに、と、

   友達だとも思ってるし」

八幡「由比ヶ浜は優しいな。でも、そういうんでもないんだよ」

雪乃「ごめんなさい、八幡。葉山君の事を黙っていたのは、・・・その怖くて。

   あなたに嫌われるんじゃないかって」

結衣「ゆきのんも謝ってるじゃん。ねえ、ヒッキー」

八幡「そうだな。最初雪乃と葉山が幼馴染って聞いたときはかっとなってどうしたらいいか

   わからなかった」

結衣「・・・・・・あれ?」

八幡「だから海老名さんの事に気がついたときは喜んじまった。駄目だってわかっていたのに、

   喜んだ。これで雪乃に仕返しができる。焼きもちを焼かせる事が出来るって、な。

   そんなことないのに。そんなことしても雪乃が悲しむだけって、

   心の奥底では気が付いていたのに」

結衣「あのぉ・・・ヒッキー、どういうこと?」

八幡「いくら海老名さんへの告白が嘘でも、雪乃は焼きもちなんて焼かないで、

   ただ傷つくだけだってわかっていたのに。俺って最低だ」

結衣「あぁ・・・・・・」

雪乃「・・・ばか」

八幡「雪乃?」

雪乃「傷つきもしたけれど、でも嫉妬もしたわ。

   あなたが葉山君のことで嫉妬してくれたようにね」

八幡「雪乃、ごめんな」

雪乃「ううん。私の方こそごめんなさい。そろそろ行きましょうか。

   ここは八幡が嘘でも海老名さんに告白なんてしてしまったから落ち着かないわ」

八幡「そうだな。冷えてきたし戻るか」

雪乃「ええ」(にっこり)

八幡「お、おい。くっつきすぎだぞ」

雪乃「だって、冷えてきたのではないのかしら?」



結衣(ぽっつぅ~~~ん・・・・・・)



えっと、ごめん。今回もごめん。

844: 2015/05/07(木) 17:29:36.23 ID:K1/j9s740

第48章 




八幡「ということは、マッカンが大丈夫だったのならば、弁当も大丈夫かも

   しれないと考えたわけですか。

   俺からすればかいかぶりすぎだって思えてしまう事態なんですけどね」


俺が確認を込めて夕さんに問いかけると、昴と夕さんはやや興奮気味に反論してくる。


昴「そんなことはないよ。あの時は無意識のうちに飲んでしまったんだから。

  飲んだ事に気がついたのは、家に帰って姉さんにコーヒーの事を話した時なんだ。

  その時までは自分がしでかしたことにさえ気がつかなかったんだから、

  そういう意味では僕はリラックスできていたって思えるんだ」

夕「本当ですよ。昴がそんな悲しい嘘をつくはずはないってわかっていましたけど、

  なかなか昴の言っている事が信じられなかったほどなんですよ」


 前のめり気味に話す二人を見ていると、その喜びは真実であり、

本当に長く険しい道のりだったのだろうと推測できる。

パニック障害なんてネットでならばよく見る言葉であり、

ありふれた症状にすぎないが、当事者を目の前にしてしまうと

自分の浅はかな認識が悲しくなってしまう。

日々のニュースの中で交通事故などもありふれた日常ではある。

また、台風などの天災も身近な存在ではあるが、どうしても活字になっていたり、

TV画面の向こう側の情報として知覚してしまうと、

自分とは関係ない世界の出来事にすり替わってしまう。

実際はいつ自分に降りかかってもおかしくない出来事であり、

極論を言ってしまえば、戦争であってもいつ自分が巻き込まれてしまっても

おかしくはない事態ではある。

それなのに俺はいつも隣にいる弥生昴の日常にさえ気がつかないでいた。

目の前まで、あと数センチまで迫ってきていた日常であるのに、

俺は一年以上も無関心に過ごしてしまい、そのことがどうしようもなく歯がゆく思えた。


八幡「どこまで効果があるかなんてわかりませんけど、

   俺に出来る事なら遠慮せずに言って下さい」

夕「ありがとうございます」

昴「すまない、比企谷」

八幡「気にする事はない。俺ができる事を出来る範囲でやるだけだからな。

   だから、そんなのは俺の日常生活の範囲内だし、

   その影響下に人が好き好んで身を置いたとして、

   そこで得られる利益があったとしても俺はとくに何もやっていないといえる。

   つまりは、その、俺がもし利益を生み出しているんなら、

   それを享受してくれるんなら俺も嬉しい、かもしれない。

   その代わり、俺は昴の事を気の毒だなんて思わないからな。

   腫れものに触るようなことなんてしないから、その辺だけは覚悟しておけよ」


845: 2015/05/07(木) 17:31:41.67 ID:K1/j9s740
昴「比企谷・・・」


これは俺自身への宣戦布告みたいなものだ。

どうしても弱っている人間に対しては、人は上から目線になってしまう。

使わなくてもいい気づかいをして、かえって相手を傷つけてしまう。

だから俺は今まで通り昴と接する事に決めた。

どこまでできるかなんてわからない。でも、実際言葉にして本人に伝えてしまうと、

なんだか本当にできてしまいそうな気がしたのは気のせいかもしれないが。


八幡「食事を一緒にするだけだ。あんま気追わないで、たとえ箸が進まなくても

   その場の雰囲気だけでも楽しんでればいいんじゃないか? 

   そうすれば夕さんの説明でもあったようにそこが昴の安心できる場所へと

   変化していくかもしれないだろ。もちろん保証なんてできないけどな。

   ・・・・・・まあ、昴の大変さなんて俺が経験してないからわかるわけないけど、

   それでもできることがあるんなら協力するし、

   それに、できることからしか始める事は出来ない」

昴「そうだね」


俺が言うのもなんだが、ここで話が終わっていれば感動のシーンだったのだろう。

友情ものの映画のオファーがきちゃいそうな雰囲気も作ってしまったし、

俺自身も少しはりきってしまった感もあった。

しかし、どうにか頭の再起動を完了できた雪乃の一言が、

俺を巻き込んで事態を一変させてしまった。


雪乃「八幡と食事をする効能についてはわかりました。

   お二人が気になさっている昴君の体調面も、由比ヶ浜さんもうちの姉も

   人に言いふらす事もないでしょうし、サポートも進んでしてくれるはずです。

   でも、さきほど仰っていた二つの問題のうちの二つ目の問題とは

   どのような問題なのでしょうか?」


雪乃の問いかけに夕さんは顔を青くして固まり、

昴はそんな姉を見て、なにか残念そうな視線を送っていた。


雪乃「いいにくいことでしたら、無理にいわなくてもかまいません。

   しかし、言なわないでいることで食事に支障をきたすのならば、

   ヒントくらいはいただけないと対処のしようがありませんが」


雪乃の気遣いを聞いても、やはり夕さんの瞳は揺らいだままであった。

もともと年より若く見えるのに、今はさらに若いというか幼くさえ感じられる。

そこまで動揺している姉を見ては当然のごとく昴はサポートする奴なのだが、

今回ばかりはなかなかフォローする間合いを取れないでいた。


八幡「いや・・・、俺達が覚えておく必要があるのは昴のことぐらいだろうし、

   後の事は多分問題ないと思いうぞ。一緒に食事をしてみないと気がつかない

   ような事はたくさんあるけど、今気にしていることだって、後になってみれば

   気にする必要がないことかもしれない。だから、もし実際食事をしても問題に

   なっていると感じたのでしたら、その時話せばいいんじゃないか」

846: 2015/05/07(木) 17:32:40.52 ID:K1/j9s740

昴「比企谷もああいってくれているし、それでいいんじゃないかな?」

夕「そうね・・・、ごめんなさい。今はその言葉に甘えさせてもらうわ」

八幡「はい、遠慮せずにそうしてください」


俺は夕さんの顔から堅さが抜けていくのを見て、ほっと一息つく。

それは自分から話をふった雪乃も同じようで、俺以上にほっとしているようであった。

しかし・・・雪乃の何気ない一言が核心に迫ってしまう。


雪乃「私の方こそすみませんでした。プレッシャーを与えるような発言をしてしまって」

夕「元々は私が問題は二つあるなんて言ったのですから、

  一つ目の問題しか説明しなければ、二つ目が気になるのは当然の事ですよ」


夕さんは照れながらも雪乃に謝罪の言葉を返す。

柔らかな笑みを纏ったその姿は、どうやら立ち直れたらしい、


雪乃「いえ、配慮が足りなかったのは私の方です。

   本来ならば歓迎の意もこめて明日のお弁当を私が作ることができれば

   よかったのですが、あいにく姉が当番なんですよ。

   でも、姉は私以上に料理が得意なので、きっと夕さん達も満足すると思います。

   そうね、夕さん達のお弁当当番どうしようかしら?

   姉さんが月曜日と金曜日を兼務していて一人だけ二日も当番なのだから、

   姉さんが当番の日を夕さんに担当してもらおうかしら?

   あっ、すみません。もしかしたら昴君からはお聞きになっていらっしゃるかも

   しれませんが、私たちはお弁当を作ってくる担当日を決めて

   お弁当を用意しているんです。

   もしよろしければ、夕さん達も参加してくれませんか?

   八幡も参加できているのですから、気楽に考えてくださってかまいません」


しかし、雪乃が俺達のお弁当当番について説明すると夕さんの顔からは安堵は流れ落ち、

無表情なまでも堅い表情を作り出してしまう。

雪乃も突然の夕さんの変化に対応できないでいた。

それはそうだ。雪乃はさっきの二つ目の問題のことも、今の発言だって

話の流れ上当然出てくる話題であり、話しておかなければならない内容である。

そのことを忘れずに発言しただけなのに相手がその発言を聞いて戸惑ってしまっては、

雪乃の方が困惑してしまうのは当然であった。

雪乃も夕さんも気まずそうに視線を彷徨わせ、

昴は夕さんを気遣いつつも何もできないまま心配そうに見つめている。

・・・そこで俺は気がついてしまった。そして、思いだしてしまった。

昴が何故夕さんを心配そうに見つめていて、夕さんがどんな問題を抱えているかを。

そもそも昴は人の繋がりを大切にし、相手を思いやるやつだ。

人と群れるのが苦手な俺ともうまく具合に距離をとってくれているのだから、

その技量は相当なものだと思われる。

それなのに、今昴が気遣っているのは雪乃ではなく夕さんであった。

むろん弟が姉を気遣うのは普通だし、違和感はない。

しかし、弥生昴ならば身内よりも先に友人を気遣うのが先のはずだ。

847: 2015/05/07(木) 17:33:17.12 ID:K1/j9s740

でも、実際には雪乃ではなく夕さんを心配そうに見つめているだけで、

雪乃の事は意識はしていても、フォローする余裕がないようであった。

もちろん俺がいるから雪乃のフォローは後回しでもいいという考えもできるが、

それでも一言ぐらいはフォローするのが弥生昴だろう。

だからこそ俺は違和感を感じてしまい、それがあったからこそ昴が何を心配していて、

夕さんが何を問題にしているかを思い出してしまった。

以前俺達が弁当である事を昴が羨ましいと言ったことがあった。

もしかしたらお世辞も混ざっていたかもしれないが、ごくありふれた日常の会話ではある。

ただその時昴は言ったのだ。俺の発言に対して苦笑いを浮かべていたはずだった。


八幡「だったら、家の人に作ってもらえばいいんじゃないか?

   まあ、弁当作ってもらうのに気が引けるんなら、

   夕食のおかずを多めに作ってもらっておいて、

   それを朝自分で詰めるのも手だと思うぞ」

昴「あぁ、それもいい考えかもしれないけど・・・。

  比企谷のアイディアはいいと思うんだ。

  でも、家の人も僕と同じように料理が苦手で、

  それをお弁当にして持ってくるのはちょっと・・・」


って、会話があったことを思い出してしまった。

その時は母親が料理が苦手だと勝手に思いこんでしまっていた。

しかし、昴が今一緒に住んでいるのは夕さん一人だけだ。

つまりは、母親が料理を作ってはいないってことになる。

なにせ一緒に住んでいないのだから当然無理だしな。

だから自動的に「僕と同じように料理が苦手」な人は、夕さんとなってしまう。

ここまでわかればあとは簡単な理屈だ。

夕さんが気にしていた二つ目の問題。

きっと夕さんは昴から聞いていたのだろう。

俺は昴には話してはいないが、由比ヶ浜が話していたのを俺は覚えていた。

弁当当番があり、由比ヶ浜も頑張っており、俺の料理も楽しみにしていると。

二つ目の問題。それは、夕さんは弁当当番を任されても料理が出来ないって事だろう。

そりゃあ夕さんも気まずいにちがいない。

自分の方から昼食会に参加させてほしいといっておきながら、

弁当当番は出来ないと言うのは勇気がいる告白である。

たとえ誰も無理やり弁当を作ってほしいと強制しないとわかっていても

気が引けてしまうはずだ。

俺としては、無理やり弁当当番の一員に任命されてしまった俺の事も

弁当当番を免除してほしいと訴えたいが、おそらく全員一致で却下されるだけだろうけど。

ただし、弥生姉妹は除く。


八幡「えっと、その・・・。夕さんたちは弁当を無理に作らなくてもいいですよ。

   弁当を食べる機会は週五回あり、陽乃さんはそのうち二回作りますけど、

   俺と雪乃と由比ヶ浜は一回ずつでして、もし作ってくれるのでしたら

   俺の登板と交換っていうのでもいいですけど」

848: 2015/05/07(木) 17:33:56.44 ID:K1/j9s740


俺は凍りついた雰囲気にさらなる災厄が降り注がないようにと、恐る恐る提案してみる。

すると、さすが昴といったところか。

俺の意図にいち早く気付き、この場を丸めようと参戦してくれた。


昴「僕はもともと料理が全くできないし、姉さんも大学の事だけでも大変なのに

  僕の事もあるわけだから、ここは甘えさせてもらってはどうかな?」

八幡「甘えるといっても、そんな大層な事はしてないですから」


雪乃はといえば、自分の発言が発端となった事もあり、

未だに困惑を身にまとったままでいるが、事の推移を見守ろうと沈黙を保ってくれていた。

ここで雪乃が今ある状況も理解しないままなにかしら発言でもしたら、

俺と昴の苦労は一瞬にして泡ときす。

しかし、交友関係を活発に広げようとはしない雪乃であっても、

自分がおかれている状態を読みとる能力が乏しいわけではなく、

不必要に人間関係に波風を起こさない術くらいは学んできているようであった。

まあ、学んではいるけど、気にくわない相手に対しては好戦的ではあるが。

それが雪乃らしいといえばらしすぎるわけで、その辺を無理に隠す必要もないとは思う。

とりあえず、この場は俺に任せるといった視線を雪乃から受け取った俺は、

目の前で未だぬ動けないでいる夕さんに意識を集中させた。


昴「姉さん?」


いくら昴のサポートがあっても、弁当に関しては夕さんの言葉がなければ話は進まない。

昴が夕さんの意識を揺り動かそうと声をかけると、聞き慣れた声に反応した夕さんは

唇と軽く噛むと、俺達向かっていきなり頭を下げてきた。


夕「ごめんなさい。私も料理が全くできません」


俺と昴はどうしようかと目を交わすも、夕さんを見守るしか手が残されてはいなかった。

一方雪乃はやっと今置かれている事態を全て理解したようだ。


夕「比企谷君はわかっていたみたいだけど、昴から聞いたのかな?」


顔をあげて俺を見つめる夕さんは、頬を上気させて潤んだ瞳で俺に問いかけてきた。

これはやばい。女の色気がぷんぷん撒き散らすタイプではないが、

自然と男を引き寄せる魅力が俺を惑わそうとする。

俺の中の夕さんのイメージは、英語の講義に一生懸命取り組んでいる真面目な講師で

ほぼ固まっていた分、このギャップはすさまじすぎる。

いくら雪乃が隣にいたとしても、魅力的な女性の魅力を否定する事は出来ない。

いや、どことなく雪乃と雰囲気が似ているせいもあるのだろうか。

年も違うし、性格は全く違う。見た目は若く見えるせいもあって年齢を感じさせないが、

俺が初めて弥生准教授と会った時に抱いた生真面目さと言うか清潔感?

几帳面さというか芯が通った力強い美しさが雪乃とダブらせる。

なんて夕さんに見惚れていると、隣の本物の雪乃が訝しげに俺の顔を覗き込んできて、

はっと息を飲んでしまった。


849: 2015/05/07(木) 17:34:43.92 ID:K1/j9s740

雪乃「八幡? 大丈夫?」

八幡「えっ、あぁ、うん。問題ない。えっと、ストレートに夕さんが料理ができないと

   聞いたわけではなくて、なんとなく料理がうまくないって話を聞いたことが

   あっただけですよ」

夕「そうなの?」


昴に首を傾げて聞く姿、本当に30歳くらいなのですか?

実際の年齢を聞いたわけではないけど、昴の年齢と

准教授っていうことを考えれば30前後ってきがするだけだが、

どう見ても雪乃よりも幼く見えてますって。しかも、かわいすぎるし。

本当に初めて夕さんを見たときに感じた几帳面そうな講師の印象を

どこに忘れてきたんですかって聞いてみたい。


昴「うん。ごめんね」

夕「ううん、いいのよ。私が料理ができないのは事実だから。

  本当は私が料理が出来るのならば、もっと昴の食事面でのサポートもできるし、

  もっと早く回復していたかもしれないのに、本当に駄目なお姉ちゃんでごめんね」


今度こそ本当に涙を瞳に貯め込んだ夕さんは、昴に向けて許しを乞う。


昴「そんなことないよ。夕姉はいつも僕の為にがんばってくれているよ。

  僕の方こそ迷惑ばかりかけていて、申し訳ないって思ってしまっているんだ。

  仕事だって大変だし、それなのに僕という負担までしょいこんでしまって、

  感謝は毎日しているけど、夕姉の事を駄目だなんて思ったことなんてないよ」

夕「昴・・・」


駄目だ・・・。二人だけの世界作っていやがる。

なんだか、見ているだけで胸やけがするっていうか、これが砂糖を吐くっていう場面なのか?

砂糖を吐くってラノベでしか体験できないことだったんじゃないのかよっ!

とりあえず、げんなりとした顔だけは見せないように俯いて顔を隠し、

俺は雪乃の様子を伺うべく目だけ隣にスライドさせた。

すると俺の視線に気がついた雪乃は、とくになにか訴えかけてくる事もなく、

視線は目の前で繰り広げられ続けている甘ったるい光景に向けられた。

まっ、しゃーないか。

冷めてしまってはいるが、砂糖がなくても甘くなりすぎた紅茶を飲みながら待つとしますよ。

こういう場面に介入してもろくな事はないからな。

と、諦めモードで視線だけは甘さを避けるべく店内を眺めることにした。

ただ、そんな甘ったるい時間はそう長くは続くわけはなかった。

一つ目の理由としては、喫茶店の中ということで公共の場であること。

二つ目としては、目の前に俺と雪乃がいることだが、おそらく3つ目の理由が本命だろう。

それは、弥生姉弟のその場の空気を読む能力が由比ヶ浜並みであるっていうことだ。

そりゃあ、いくら蕩けるような雰囲気を作っていようと、

目の前で気まずそうな雰囲気を隠そうとしているのが二人もいたら気がつくに決まっている。

いくら俺と雪乃が平静を装ったとしても、

平静さを強く装うほどに気がついてしまう二人なのだから。

850: 2015/05/07(木) 17:35:27.45 ID:K1/j9s740

昴「えっと、その・・・、待たせてしまったみたいでごめん」

八幡「いや、気にするな」

夕「比企谷君に雪乃さん。恥ずかしい姿を見せてしまってごめんなさいね」

雪乃「いいえ。私は気にしていませんから大丈夫です。

   むしろ八幡がいやらしい目で夕さんを見ていたみたいなので、その方が申し訳ないです。

   彼女として、彼氏の不始末をお詫びします」


と、雪乃は丁寧過ぎるほど丁寧に頭を下げて謝罪する。

絶対雪乃は俺が夕さんに見惚れてしまった事を怒ってるな。

って、いつ頃から気が付いてました?

でもそれは雪乃とダブらせてしまった部分が大きいわけで・・・、はい、ごめんなさい。

隣から発せられる局所的な冷気が俺だけを襲う。

きっと昴も夕さんも、雪乃の冷気に気が付く事は出来ても、

その身を凍らせる冷気を感じる事はできないのだろう。

それだけピンポイントに俺だけに嫉妬を向けられていた。


夕「いいえ、比企谷君はとくに・・・」

雪乃「それは夕さんが気が付いていないだけで、

   八幡が巧妙にいやらしい視線を隠していただけです」

夕「本当に大丈夫ですから」

雪乃「そうですか? 夕さんが大丈夫と仰ってくださるのでしたら」

昴「僕たちのせいで話を中断させてごめん。

  それで話を戻すと、僕と姉は料理ができないんだ。

  だから、僕たちは自分たちの分のお弁当だけは用意するよ。

  それでもいいかな?」


俺の窮地を察知した昴は、ちょっと強引だけど話を元に戻そうと努める。

俺だけじゃなくて夕さんも若干雪乃に引き気味だったのも、

強引に話を戻した原因かもしれない。

ただ、昴が強引な手を使った為に、さらに雪乃の機嫌を悪くしてしまうかという不安

だけは残っていた。

再び視線だけをぎこちなく雪乃に向けると、さっきまで申し訳なさそうな表情を

作っていたのに、今は少しだけ頬笑みを浮かべて昴の話に合わせてきた。


雪乃「お弁当を用意するといっても、

   それはコンビニかお弁当屋さんで買ってきたものですよね?」

昴「そうだね。その日の気分で店は変えてはいるけど」

雪乃「だったら、私たちが昴君たちの分もお弁当を用意しますよ」

昴「それは悪いよ」

夕「そうですよ。私たちはお店で買いますから、これ以上のご迷惑は」

雪乃「いいえ。これは昴君の為でもあるんですよ。

   お店のお弁当よりは手作りのお弁当の方が食べやすいと思います。

   もちろん健康面においても違いがあるでしょうし」



851: 2015/05/07(木) 17:36:35.11 ID:K1/j9s740

たしかに雪乃の言う通りだ。いくら店の弁当で野菜を多く取って健康面を考えようとしても、

家庭で作った健康を考えた手料理には敵わない。むしろ大きな差があるはずだ。

それに、外で食事ができない昴の症状を考えれば、少しでも刺激が少なく

胃の負担が小さい料理を選ぶべきでもある。



第48章 終劇

第49章に続く






おまけ『がんばれ葉山君』


アパレルショップ


折本「さっきの、友達?」

葉山「ああ、同じサッカー部のやつら」

折本「わかるっ! そんな感じする!」

折本「葉山くんもサッカーって感じ。昔からやってたの?」

葉山「ああ。でも、ちゃんとやったのは中学からだよ」

仲町「昔からスポーツが得意だったんだね。だからか・・・、

   胸板とか腕の筋肉もすっご~いっ」

葉山「どうだろ?」

折本「ううん、細身だけどしっかりと筋肉ついているし、

   ただでさえかっこいいのにますます目が離せなくなっちゃうよ。・・・だからかな?」

葉山「なにかな?」

折本「うん、人の視線を普段から意識しないといけないから自然とだとは思うんだけど、

   葉山君が制服の下に着ているインナーのシャツもなんかおしゃれしてるなって。

   でもでも、おしゃれしているのを前面に押し出してるんじゃなくて、

   さりげなく着ているところがいいんだよね」

葉山「そうかな?」

仲町「そうだよ。うん、葉山君だからこそだよ」

折本「比企谷もそう思うよね?」

八幡「どうだろうな・・・」

折本「ほらぁ、もっとちゃんと見なさいよ」

八幡「わぁったよ。・・・ん? なあ葉山」

葉山「なんだい比企谷」

八幡「そのシャツってさ、どこで買ったやつ?」

葉山「どうして?」

八幡「いや、俺もそのシャツと似ているのを最近まで着ていたからさ」

葉山「そ、そうだったのか。偶然だな。比企谷と趣味が合うんだな」

折本「比企谷はともかく、葉山君のセンスはちょういいかんじでしょ」

葉山「だとすれば、同じ服を選んだ比企谷もセンスがいいってことかな」

仲町「どうだろうね?」


852: 2015/05/07(木) 17:37:18.33 ID:K1/j9s740

八幡「服のセンスがいいっていうのなら、雪乃を誉めてやってくれよ。

   以前まで着ていた服は全て雪乃に回収されて、

   今持ってるのは全部雪乃が用意してくれてるやつだからな」

折本「もうっ、比企谷が背伸びしないの。いくら比企谷がまったく同じのを着たとしても、

   葉山君みたいにはならないって」

八幡「・・・まっ、そのシャツ今はどこかいっちまったからどうでもいいけどよ」




カフェ


葉山「そういうの、あまり好きじゃないな・・・・・・」

仲町「あ、だよね!」

葉山「ああ、そうじゃないよ。俺が言っているのは君たちのことさ」

折本「え、えっと・・・・・・」

葉山「・・・・・・来たか」

八幡「お前ら・・・・・・」

結衣「ヒッキー・・・・・・」

八幡「なんでここに・・・・・・」

葉山「俺が呼んだんだ。・・・・・・比企谷は君たちが思っている程度の奴じゃない。

   君たちよりずっと素敵な子たちと親しくしている。表面だけ見て、

   勝手な事を言うのはやめてくれないか」

折本「ごめん、帰るね」

雪乃「選挙の打ち合わせ、と聞いていたけれど」

八幡「選挙って、生徒会のか?」

雪乃「・・・・・・。由比ヶ浜さん、やってくれないかしら?」

結衣「らじゃ~・・・・・・。くんくん、くんくん」

葉山「ちょっと結衣。何を急に!」

八幡「おい由比ヶ浜。なんで葉山の服を嗅いでるんだよっ」

結衣「やっぱり隼人がワイシャツの下に着ているシャツってヒッキーの臭いがする」

葉山「・・・・・・」

結衣「でも、どうしてゆきのんと陽乃さんの臭いもしてくるんだろ?」

八幡「ちょっと待て! 俺は葉山と抱き合ったことなんてないからな。

   けっして海老名さんが喜ぶような展開なんてなかった。わかってくれ雪乃。

   俺がそんなことするわけないって、お前が一番わかってくれるよな」

雪乃「わかってるわ(にっこり)」

八幡「お・・・ありがと」

雪乃「でも、そんなに慌てて否定されると、ほんのわずかだけれど、疑いたくなってしまうわ」

八幡「ゆきのぉ・・・・」

雪乃「嘘よ(極上の笑み)」

八幡「勘弁してくれよぉ」

陽乃「ふーん、なるほどねぇ。雪乃ちゃんが妙にガハマちゃんのことを大切にしているのって、

   そういう理由もあったわけか」

雪乃「姉さん・・・・・・」

853: 2015/05/07(木) 17:39:15.36 ID:K1/j9s740
陽乃「ガハマちゃんの犬みたいな嗅覚を味方につけたってわけね」

雪乃「姉さん」

陽乃「なにかな?」

雪乃「愛人は愛人らしくしていられないのかしら?」

陽乃「あら? 愛人だからこその行動じゃない」

雪乃「はぁ、まあいいわ。・・・葉山くん」

葉山「・・・どうしたのかな?」

雪乃「生徒会の話なのだけれど」

葉山「あぁ、そうだったね」

雪乃「生徒会長については一色さんが「自主的に」立候補して生徒会長になることを

   泣き叫んで?、泣いて?、命乞いをして?、・・・了承してくれたわ」

葉山「そ、そうか」

雪乃「えぇ、葉山君が自分にできることならなんでもしてくれると

   言ってくれたのがきいたみたいね」

葉山「自分には大した事なんてできやしないよ」

折本「さすが葉山君」

雪乃「謙遜だわ。葉山君には生徒会副会長としての立候補届けを出しておいたわ。

   葉山君の推薦人は簡単に集まったから問題なかったのだけれど、書記をやりたいって

   言ってきた相模さんの推薦人がなかなか集まらなかったのが大変だったわ」

八幡「よく相模がやるなんていってきたな」

雪乃「どういう風の吹き回しかしらね? でも、これも奉仕部への依頼だから協力したまでよ。

   だから葉山君。一色さんと相模さんと生徒会がんばってね(にっこり)」

葉山「ははは・・・」

雪乃「それと、葉山君の体操服やサッカー部で使っているスパイクやユニフォーム。

   手違いでなくなってしまったから新しいのを用意しておいたわ。一応みんなに声を

   かけて探すの手伝ってもらったのだけれど、駄目だったわ。でも、さすが葉山君ね。

   葉山君の私物だとわかったら飛ぶように手が挙がったもの」


今回もごめんなさい。

858: 2015/05/14(木) 17:30:32.54 ID:HykEPny/0

第49章



 昴も理屈の上では雪乃の言い分が正しいとわかっても、

だからといって簡単に雪乃の提案に甘えることなどできやしなかった。


昴「でも・・・」

雪乃「私たちが好きで作っているのだから、無用な遠慮をする必要はまったくないわ。

   それに作る量が二人分増えたとしても手間暇はそれほどかわらないと思うし」

夕「ですけど・・・」


 やはり昴も夕さんも簡単には首を縦にはふれやしない。もし俺が逆の立場なら、

同じ態度をとったはずだ。いや、まて。そもそも俺に弁当を作ってきてやるって

いう奇特なやつがいないから考えても時間の無駄、か。

そもそも昴がまともに食事ができないというハンデキャップが弥生姉弟の心を重くしてしまう。

それなのにお弁当まで甘えるというのは、

さすがによほどの鈍感な人間くらいしか簡単には甘えることなどできやしないだろう。

 しかし、弥生姉弟が甘えられないとしても、雪乃はそれをよしとはしない。

だったら、俺が妥協案を提示するしかない。

 雪乃の為、弥生姉弟の為、そして、何よりも俺の命を守る為に。このまま何も挽回しないまま

では、俺が雪乃に殺されてしまう。それだけはなんとか回避せねばなるまい。

 純粋なる好意の前に、俺はみにっくたらしい自己保身のための行動にでる決意をした。


八幡「それじゃあこういう案はどうだ?」

昴「何かいい抜け道でも見つけたの?」

八幡「抜け道とは心外だな。俺はいつもそこにある道からしら選択していない。

   もし昴が抜け道って言うのならば、それはお前がその道を見ていないだけにすぎない。

   そこにある道をどうして抜け道と言う。目の前には最初から道があるんだぞ」

昴「さすが主席様が言う事は違うね」

八幡「言ってろ」


 俺は昴の軽口にのせられて、どうにか雪乃によって作り出された極寒の地からは抜け出せた。

だから調子に乗った俺はそのままの勢いで、

それほど大したことではない案を提示することにした。


八幡「俺としては、俺の弁当当番をなくせるのが一番なんだが、それは無理みたいなので

   代案を提案する。代案て言っても、ただ材料費として一人一食400円を昴達から

   貰うだけなんですけどな。一応大学内で売っている弁当の値段と学食の値段、

   あとは俺達が作る労力を加味すると、400円くらいの価格が妥当かなと考えんだが、
   どうよ?」

夕「私たちはそれでも構いませんよ。むしろ400円では安すぎませんか?」

雪乃「いいえ。先ほども言いましたが、作る手間暇は変わりませんから、材料費さえ

   いただければ、それはお弁当の対価だけと考えていただいて構いません」

八幡「だな。その方がお互い貸し借りの意識がなくていいかもしれない」

昴「僕も雪乃さん達がそれでいいというのだったら、それでお願いしたいな。

  どうかな? 姉さん」

859: 2015/05/14(木) 17:32:17.58 ID:HykEPny/0

夕「私も比企谷君の案でお願いしたいかな」

八幡「だったらこれで決まりだな」

雪乃「姉さんはこのあと来るからいいとして、

   由比ヶ浜さんには連絡を入れておいた方がいいわね」

八幡「由比ヶ浜の方は任せる」


 これで昴の状態がよくなっていく一助になればいいと願わずにはいられない。

 つい最近大学に入学したばかりかと思っていたら、今はもう大学2年の夏季休暇が

目の前まで迫って来ている。そして昴と友達だか知り合いだかよくわからない連れになって

1年以上も経つというのに、俺はこの弥生昴の事をちっとも知らなかったという事実を

突き付けられてしまった。案外俺は他の同級生よりも昴の事を知っていると根拠もない自負

さえしていた気がしてしまう。ただいつも席を並べて講義を受けていただけなのに、

たまに試験対策やレポート対策の為の情報交換をしていただけなのに、たったそれだけで

弥生昴の事を知っていると思いこんでいた。

 俺も他の連中と同じように昴の外見と人当たりがいい性格のみしか知らなかったくせに、

いい気なものだ。もし俺が逆の立場だったならば、そんなうわべの情報だけで知ったかぶり

するなと鼻もちならない態度さえしてしまうのに。

 だけど、そんなちっぽけすぎる俺であっても、昴の病状を心配せずにはいられなかった。

俺が自虐的に使う心の傷なんて、お遊び程度のネタにすぎない。本物の心の傷とは、

昴のように日常に影響を及ぼしてしまう消せない傷だ。なんて、俺がなんちゃって自虐ネタで

黄昏いていると、弥生姉弟は楽しそうに雪乃と昼食についての段取りを進めていた。

 ただ、拗ねくれている俺は明日からの弁当の事より、さっきはさらっと説明しただけで

すませてしまった根本的原因であり、全く対応策について聞かされていない昴の悩みについて

気になってしょうがなかった。そもそも昴が外食できなくなったのは、電車での出来事が

あったからだ。夕さんの話によれば、薬を飲んで無理をすれば電車に乗れるとはいっていたが、

もし日常的に電車がのれるのならば、わざわざ千葉の大学なんて入らないでそのまま東京の

大学だって入れたはずなのだ。それなのに千葉に来たっていう事は、

夕さんの説明では不十分すぎると言わざるをえない。

つまりは、夕さんが昴の面倒を見るというよりは、出来る事なら昴は電車には乗りたくない。

もっとつっこんで言ってしまえば、電車に乗ることができないといえるのかもしれない。

 この間違ってほしい推測が正しいとすれば、事態はもっと深刻なのだろう。

 中学の時は、自転車に乗ればどこまでもいけるような気がした。高校になって電車通学の

奴らを見るようになってからは、電車というツールが台頭し、世界はもっと広くなった。

そして大学生になった今、全国から集まってきた生徒だけでなく海外からの留学生なんてのも

いるわけで、俺達の世界は本当の意味で広くなったんだと思う。

 ましてや社会人になったならば、いうまでもないだろう。そんな俺も大学院は海外に

いく予定なわけで、飛行機というツールも日常的になってしまうはずだ。

 それなのに昴は高校時代に獲得するはずであった電車という便利なツールを

使えなくなってしまった。これは誰が見ても大きな損失のはずだ。

もし、昴が広い世界を望むのならば、

もし、昴が俺とは違って狭い人間関係だけで満足できないとしたら、

もし、昴が千葉よりも遠くの世界にいく事を望んでいたのならば、

今のままではけっしてよくないとだけは、当事者でない俺でも理解できた。

860: 2015/05/14(木) 17:33:30.92 ID:HykEPny/0

こんな俺を友達だと言ってくれた昴に、なにかしてやりたいとがらでもない事を考えてしまった。

 友達なんていらないって、とがってみたりもした。友達ごっこならなおさらいらないし、

そういう青春ごっこをしているやつらを白けた目で見てもいた。

 でも、そういううわべだけの関係を演じるのではなく、人から認められるのならば、

他人からは友達ごっこだと罵られようと、俺は喜んで友達ごっこを演じてやる。


八幡「そういえば、夕さん」


 会話に割って入った俺の問いかけに笑顔で顔を向けてくれる夕さんって、本当に

いい人だよな。こういう姉だったらまじでほしいかもしれない。・・・駄目だな。

まじで惚れちまいそうだ。さすがにアウトローの俺であっても姉弟間の恋愛は遠慮したいが、

昴と夕さんとの組み合わせなら・・・。いかん。海老名さんの気持ちが少しわかった気が

してしまうのはどうしてだろう。


夕「どうなさいました?」


 心配そうに見つめるそのまなざしに、俺は吸い寄せられそうになる。そしてつい本当に

前のめりになりそうになった瞬間、テーブルの下にあった手をつねられる痛みで当然の

ごとくだらしない姿を見せる事を防ぐ事が出来た。

 だらしない姿というか、俺が夕さんに見惚れていたのが雪乃にばれただけなんだが、

とりあずこれで済んで良かったと冷や汗を流しつつ横目で雪乃を見ながら強引に納得した。


八幡「いや、その・・・夕さん。橘教授に俺の事を話しましたよね?」

夕「ええ、橘教授にはお世話になっていますから、いつも講義方針について相談に乗って

  もらっているんですよ。ですから、そのときに比企谷君の事も話した事があります。

   ・・・ごめんなさい。私が比企谷君の事を話してたせいで何か不都合がありましたか?」


 夕さんは眉尻を下げて申し訳なさそうに慌てふためく。全然夕さんは悪くはないのに困らせて

しまった事で俺の方も気まずくなり、慌てて話の続きをすることになる。


八幡「いや、不都合なんて全く。むしろ夕さんが教授に俺の事を話していてくれたおかげで

   今朝の面談もスムーズに終える事が出来たのですから、感謝しているほどですよ」

夕「ほんとうですか?」


 俯き加減だった顔をあげ、ぱっと絵になる笑顔を咲かす。


雪乃「ほんとうですよ。八幡は自分の方からは積極的に話さないものだから、

   夕さんからの事前情報がとても役に立ちました」


 雪乃が俺の言葉が真実であると補強するがごとく補足説明をする。

ただ、余計な事まで言いそうなのが怖いが。


雪乃「八幡は人に誉められる事に慣れていないせいか、

   結局は姉さんがほとんど話していたんですよ」

昴「え? そうなの? 今朝比企谷は陽乃さんがほとんど話していたとはいったけど、

  その内容は比企谷の事だったの?」


 雪乃の説明を聞き、昴は驚いた顔を俺に見せる。

861: 2015/05/14(木) 17:34:45.16 ID:HykEPny/0

たしかに今朝、かいつまみ過ぎた教授との面談内容を昴と由比ヶ浜には話したわけで、

雪乃の説明との乖離はちょっとばかしでかいとも言えた。


雪乃「もしかして八幡。自分の英雄談を話すのが嫌だったから姉さんのせいにしたのね」


 雪乃は呆れ果ては顔を見せ、これ見よがしに二人もギャラリーもいる前で盛大に

ため息をつく。そんなため息をつかれちゃったら、俺がしょっちゅう雪乃に気を

使わせているって思われちゃうだろ。たとえ事実だとしても、もうちょっと・・・、

はい、だから睨まないでください。反省しています。

・・・と、雪乃の激しい調教を兼ねた睨みに脅えつつ反省の顔を見せた。


八幡「まあな。・・・でもな。昴に詳しい事情を話さなかった理由があるんだよ」


 雪乃は言葉には出さないが、「そうかしら? ほんとうにまともな事情があるのなら

言ってみなさい」と、目力一杯に俺に語りかけてくる。


八幡「今朝は由比ヶ浜がいたからな。だから話せなかったんだ」

雪乃「そう・・・」


 雪乃の肩から力は抜け落ち、いまは優しい面持ちさえ浮かべていた。

俺も雪乃が今何を思っているかを想像出来る分、俺の方も強張った体の力が消えていった。


雪乃「そう、そうね。由比ヶ浜さんには話さないほうがいいわね」

八幡「だろ?」

雪乃「変に揶揄ってしまってごめんなさい」


 しおらしく謝る雪乃に俺はデレそうになり、

その感情を押しとどめながらテーブルの下にある雪乃の手をそっと握りしめた。


八幡「俺の普段の行いが悪いせいだから気にするな」


 雪乃が小さく笑みをこぼし、俺のそれにつられそうになる。しかし、この甘ったるい雰囲気は

そう長くは続かなかった。そりゃそうさ。なにせ一メートルも離れていない目の前に観客が

いれば、素人演者でもある俺達は照れずに演じることなんてできやしない。

それに、俺達には人に見せつける偏った嗜好なんてもってやいない。


昴「えっと・・・、話を戻してもいいかな?」


 昴が申し訳なさそうに声をかけてくる。その声を聞いた雪乃は肩を震わせ顔を真っ赤に

染め上げる。動揺しきったその顔に、昴も夕さんも優しい瞳を向ける。ただ、雪乃にとっては

逆効果っていうか、全く慰めにもならず、ただただ体を縮こませていた。唯一冷静だった部分が

あったとしたら、それはテーブルの下で俺と手と繋がれた手のみだろうか。


八幡「あぁ、すまんな。由比ヶ浜のことだったな」

昴「うん。どうして由比ヶ浜さんの前では話せなかったの? 

  この前の小テストも悪い点数にはならないと思っていたけど」

八幡「そうだろうな。由比ヶ浜の答案用紙を橘教授に見せてもらったけど、よくできていたよ。

   文章の構成がおかしい部分もあったけど、内容は悪くはない。評価はAマイナスだったしな」


862: 2015/05/14(木) 17:36:27.39 ID:HykEPny/0

 俺の説明に昴は眉をひそめる。その反応は当然か。なにせ今朝の話では、由比ヶ浜の答案は

見せてもらってないどころか話にさえ上がっていないと話したのだから。


昴「どういうこと?」

八幡「そうだな。昴には話しても大丈夫だし、話すとするか。でも、由比ヶ浜には話すなよ」

昴「それは構わないけど」

八幡「夕さんもお願いしますね」」

昴「ええ、大丈夫ですよ」


 俺は雪乃に一つ視線をおくると、今朝の出来事を語り始めた。






 静寂、この一言に尽きる廊下に足音が三つこだまする。朝日が射しこむ廊下は既に暑苦しく、

全開まで開けられた窓から時折入ってくる風が待ち遠しいほどで蒸し暑かった。先ほどまで

登校してくる学生たちのうるさいほどの話声が風にのって聞こえてくるのが、今では微笑ましき

光景とさえ思えてくるのは、俺達が今いる場所が教授たちが巣くうエリアだからだろう。

たった一階階層が違うだけなのに、どうしてここまで緊張してしまうんだろうか。

 別に初めて教授の研究室に行くっていうわけではない。橘教授の研究室には行った事は

ないが、ほかの教授に用があってこの階にも何度も脚を運んでいるし、その時は全くといって

緊張はしていない。むしろ用がある張本人たる由比ヶ浜の方が緊張していたほどだ。

 となると、今回用がある張本人たる存在が俺だからこそ背中から嫌な汗が流れ出て、

シャツが背中にへばりつくという嫌な経験をしているのだろう。

 由比ヶ浜。あんときは背中押して、とっとと部屋に入れってせっついて悪かった。

今なら俺はお前と同じ気持ちを共有できる自信がある。げんに教授の部屋の前に来ているのに

ドアにノックできないでいる。


雪乃「どうしたの八幡? 入らないのかしら? 橘教授の部屋はここであっているはずよ」


雪乃はドアに張り付けてあるネームプレートを再確認し、わざわざ俺に部屋に入るように促してくる。

 わかっている。雪乃は悪くはない。雪乃はあの時の俺と同じであって、俺が由比ヶ浜に

仕出かした無神経な行動を、翻訳すると余計なおせっかいをしてしまっているだけにすぎない。

いや、雪乃の事を悪く言うつもりもこれっぽちもないが・・・・・・。

 雪乃になんて言葉を返したものか思い悩みながら雪乃の不審がる瞳に四苦八苦していると、

俺の手はまだノックしていないはずなのに二度硬質のドアを叩く音が鳴る。俺と雪乃は自然と

音が発生したほうへ首を回す。すると、陽乃さんが部屋の中からの返事を聞く前にドアノブを

回して室内へ入ろうとしていた。


八幡「ちょっと待ってください陽乃さ・・・・・・」

陽乃「じん~、いる? あ、鍵あいてるからいるよね?」


 友達の部屋に来たって感じで陽乃さんが部屋の中に向けて声をかける。俺の制止など気にも

せずに中へと足を進めていってしまう。雪乃は陽乃さんの行動を咎めはしなかった。

もしかしたらあの姉だから、というどうしよもない諦めを交えた結論で納得しているの

だろうか。となれば、俺だけ廊下で突っ立っているわけにもいかず、

重い足を引きずって俺も室内へ入っていった。

863: 2015/05/14(木) 17:37:19.80 ID:HykEPny/0

男「どうぞ~」


 いまさらだが部屋の中にいた人物から間延びした入室の許可が聞こえてくる。

そして目の前には、あろうことか芸者がいた。

 いや、まじで。

 正確に言うのならば、Tシャツにプリントされた芸者だけど、

この部屋に似つかわしくないレベルでは同等だろう。

 人間理解の範ちゅうを超えてしまうと、どうしようもない事を考えて現実逃避をしてしまう。

俺がこの部屋に入って最初に考えて事は、この芸者Tシャツってどこで買ったんだろうかって

ことだ。浅草とか行けば海外からの観光客相手に売ってそうなきもしたが、いかんせまったく

興味がないシャツであるわけで、どこで売っているのか知っているわけもない。

そうなると興味はすぐに他にうつり、部屋の中そのものに意識を向けることとなる。

 部屋の作りはいたって平凡で、椅子の数より机の数が多いのは、いくつかの机を組み合わせて

利用しているようだ。ほかの研究室と同じように本棚には本やファイルがぎっしり並べられ、

机の上にも参考資料などが山となって積み上げられている。ただ、本棚もそうだが、

その山のようにある資料であっても、綺麗に並べそろえられているところから、

この部屋の主は几帳面なのだろうと推測出来る。

 たしかに普段の講義ときの服装もその片鱗が伺えた。夏であっても濃紺のスーツをびしっと

着こなし、髪型は七三で綺麗にとかし、しかも黒ぶち眼鏡さえもかけていた。よく海外の

日本人サラリーマンのイメージを思い浮かばせれば出てくるような典型的な日本人サラリーマン

姿に、最初の講義の時はめんどくさそうな教授だと警戒したものだ。実際授業ラストに

毎回小テストなんてぶちまける面倒な教授であったから、俺の目に狂いはなかったともいえる。

まあ、他の連中も似たような感想を持っていたはずだがら、

俺の目が特別だというわけではなかったようだ。

 さて、そんなくそまじめな教授が使っている部屋であるはずなのに、何故芸者のプリント

されたTシャツなんか着ているおっさんなんかがいるのだろうか? どうやら雪乃も同意見

らしく、俺の方に不安そうな視線を送ってきている。でも、俺も訳がわからないわけで、

首を振って返事をするしかなかった。

 とりあえず現状を確認しないと話はすすめられない。このおっさんが教授の秘書かなんか

かもしれないし、もしかしらた掃除のおっさんかもしれない。まあ、秘書は堅物そうに

みえる教授がこんなおっさんを雇うとは思えないので、

とりあえずその選択肢は消去してもよさそうだ。

 目の前にいるおっさんの特徴といえば、芸者Tシャツが際立って目立ってはいるが、

ほかに着ているものが独特なTシャツと混じり合ってアンバランスな真面目さを

にじませている。下から見ていくと黒の皮靴に濃紺のスラックス。Tシャツはおいておいて、

髪型はぼさぼさ。メガネはかけてはいないが軽薄そうな瞳が印象的で、売れない役者かなんかを

彷彿させた。背は185くらいはありそうで、その甘いルックスからして

意外ともてるんじゃないかって思えたりもした。

 ・・・・・・もてそうな気もしたが、なんだがヒモが似合いそうな気がしてしまう。

そう思うとヒモが天職って気がしてしまい自然と笑みがこぼれ出そうになる。俺もちょっと

前までは主夫志望だったわけで、ヒモではないが、当時の俺がこの人物を見たら通じつものを

感じ取っていたのかもしれない。そう、先輩って・・・。だから俺は引きつりそうな口を

隠そうと筋肉を強張らせる。すると俺は自分がいる場所を再認識してしまい、現実に引き戻された。

864: 2015/05/14(木) 17:38:01.44 ID:HykEPny/0

 陽乃さんは勝手に部屋に入って行ったというのに、俺がきょどっているのを見てニヤついて

いるだけで、先ほどの挨拶以降は沈黙を保っている。雪乃はというと、状況が判断できずに

様子見といったところだ。で、芸者のおっさんは俺をこのを見てはいるが、

俺の方が用件を言うのを待っている様子であった。

 だもんだから、事情が全く分からない俺が必然的に会話を主導しなければならなわけで、

ちぐはぐな言葉を紡ぐのがやっとであった。


八幡「あの・・・・・・、橘教授は不在でしょうか?」

男「ん?」


 おっさんは面白そうに終えを見ると口の口角を引きあげ返事をする。別に俺の質問が

おかしいってわけでもないだろう。橘教授が「不在ならば」適切な質問であるし、

教授の部屋にいる人物に教授の居所を聞くのが当然の流れである。

 訳がわからず陽乃さんを見ると、やはりニヤついたままで要領を得ない。ただ一方で、

おっさんの方も陽乃さんの方に謎の視線を送り、このおっさんの方には陽乃さんはけっして

関わりたくもないような意地が悪い笑みを送り返していた。


八幡「あの、橘教授はいつごろ戻るでしょうか?」

男「ああ、ごめん。その辺の椅子に適当に座って構わないよ」


 外見通りの陽気でちょっとだけ低い声が返ってきた。俺は座るべきか判断に迷ってしまう。

座ってろってことはすぐにでも教授は帰ってくるのだろう。だけど、どうもこのおっさんは

胡散臭い。見た目で判断するなとはよく言ったものだが、このおっさんに関しては見た目で

判断せざるを得ない。得体のしれない人を引き付ける存在感が俺を警戒させた。

 なんて俺がまたもや思案に暮れていると、陽乃さんは当然座ると思っていたが、

雪乃も椅子に座り、俺の為に雪乃の隣に一席用意してくれていた。


雪乃「どうしたの八幡? 座らないのかしら?」


雪乃は小首を傾げながら俺を見上げて聞いてきた。

もはや何も疑問がないといった表情が俺をさらに困惑させる。


八幡「いや、その・・・・・・」

雪乃「まだわかっていないのかしら? 姉さんに担がれたのよ」

八幡「は?」

雪乃「だから、あなたの目の前にいる人物こそが橘教授なのよ。ですよね? 橘仁教授」

八幡「えっ? この人が橘仁・・・教授?」


 俺は橘教授だと言われている人物を凝視してしまう。目は悪くはない方だと思うが、

何度見直しても俺が講義の時に見ているあの橘教授だとは思えない。橘教授といったら

濃紺スーツに黒ぶち眼鏡。それに七三にきっちりとわけられたいかにもっていう

日本人サラリーマンだぞ。それがこの軽薄そうな芸者のおっさん? はぁ?

 俺は急いで陽乃さんを見るが、先ほど以上にニヤついていて、もはや笑いが止まらないと

いった感じでさえある。これは触らないほうがいいと即断した俺は、当の本人たる橘教授に

視線を向かわせた。すると教授はすまなそうな顔をして頬を指でかいている。

ただそれでも笑い成分が四十パーセントくらいは含まれてはいたが。

865: 2015/05/14(木) 17:41:23.98 ID:HykEPny/0


橘「僕が橘仁教授であってるよ」

雪乃「初めまして雪ノ下雪乃です。姉とは面識があるようですね」

橘「まあね。初めまして雪乃君。悪いけど名前で呼ばせてもらうよ。

  雪ノ下が二人もいたらややこしいからね」

雪乃「はい、かまいません」

橘「うん、ありがと。陽乃君には色々とお世話になっているんだよ」

雪乃「そうですか。ご迷惑をかけていなければいいのですが。それで今日比企谷が来る事も
   知っていたのですか?」

橘「いや、弥生昴君に頼んではいたけど、こんなに早く来てくれるとは思ってはいなかったよ。

  ようこそ比企谷君。君と話がしてみたかったんだけど、驚かせてしまってすまないね」


 軽薄そうな外見に似つかわしくなく、本当にすまなそうにこうべを下げてくる。

俺の方もそれにつられて頭を下げてしまったのは、この人が悪い事をしたわけではないと

本能が判断したからだろう。だって、俺をひっかきまわそうとした人物なら、

さっきから俺たちの挨拶をよそに盛大に笑い転げていたのだから。





第49章 終劇

第50章に続く





871: 2015/05/21(木) 17:31:04.18 ID:bamkGDGV0

第50章



八幡「いえ、こちらこそ失礼な態度を取ってしまい済みませんでした」

橘「陽乃君の様子からして何かしら仕掛けてきた事はわかってはいたんだけど、

  僕が途中で横槍を入れると後で僕の方に甚大な被害がでてしまうんでね。

  すまないけどちょっとばかし静観させてもらったよ」

八幡「そんなことは・・・・・・」


 その理由を言われては、俺の方も自動的に納得せざるを得ない。いまだに笑いを

収めうようとはしない陽乃さんに睨まれる事だけはけっしてしたくはないものだ。


橘「でも、雪乃君はすぐに気がついたみたいだけどね」

雪乃「えぇ、姉がこの部屋に入るときに「じん」と言っていましたので」

橘「ああ、なるほどね」

雪乃「それにドアのプレートにも「橘仁」と記載されていましたから、それが決め手でした」

橘「さすが陽乃君の妹さんってところかな」


雪乃は姉と比べられてやや複雑そうに眉をひそめる。ただそれも一瞬の事で、すぐに朗らかな

笑みを向けているところからすると、以前ほどは陽乃さんを意識してはいないようではある。


橘「僕の方こそ講義の時と同じ格好をしていれば陽乃君の策略にはまらないで済んだと

  思うと、ほんと悪い事をしたね。せめてジャケットくらいは着ておくべきだったかな」


橘教授は後ろにかかっている濃紺のスーツの上着を、後ろを振り返らないで手のひらだけを

裏返してジャケットを指し示した。そこにはポールハンガーにかけられているジャケットと

真っ白なYシャツがつるされていた。しかし、仮にジャケットとYシャツを着ていたとしても

今と同じ状況になっていたのではないかと思ってしまう。黒ぶち眼鏡までかけたフル装備で

あっても疑わしいところだ。この軽薄そうな役者崩れのおっさんが、

どうしてあの橘教授と重なるっていうんだ。


八幡「ああ、なるほど」


 どこがなるほどか俺自身でもわからない。雪乃なんて俺同様に俺の返事を

まったく信頼していない目をしている。それでも俺の気持ちと同じらしく、

苦笑いを我慢している為に口元がゆがんでいた。


陽乃「そういう反応になるわよねぇ。だって仁の今の姿はアンバランスすぎるもの。

   スラックスにそのTシャツって、男子高校生かって思っちゃうわよね。まあ、

   Tシャツのセンスが破壊的な所と幾分顔が老け過ぎているのが難点って感じかな」


 ようやく笑いから解放された陽乃さんが笑いを引きずりながらも俺達の間に入る。

 教授の事を知ってるんだったら会う前に教えてくれればいいのに。こうなるのが

わかっているからこそ黙っていたんだろうけど、緊張して損したというよりは、

もっと緊張してもいいから騙すのだけはよしてくださいと土下座したいくらいだ。


橘「そうかな? 僕はそれほど違和感ないんだけど」

陽乃「それは着ている本人だからよ。見ている方からすれば違和感半端ないわ」

872: 2015/05/21(木) 17:33:06.57 ID:bamkGDGV0

仁「でも、この格好って陽乃君がコーディネートしてくれたものだよ」


 これは驚きだ。陽乃さんが芸者のTシャツを? 面白半分で俺に着させる事もありそうな

気がするのは考えない事にして、でも、案外橘教授なら似合ってるか? もしかしたら

違和感半端ない服装だけど、見慣れればOKか、な?

 俺と雪乃は頭を揺らしながら目線を幾度も変え橘教授をチェックする。

 でも、やっぱなしだよな。どう考えたって違和感しか残らない。


陽乃「ちがう、ちがう。私がコーディネートしたのは、スーツ、皮靴、メガネ、それに

   髪型だけよ。そのTシャツは初めから仁の趣味じゃない」


 さすがに我が姉の奇抜なファッションセンスに落胆していた雪乃は、陽乃さんの訂正に

ほっと胸をなでおろしていた。たしかに小町が芸者のTシャツを着て家ん中だけでなく街中を

歩きまわっていたら・・・・・・、まあ小町は何着てもかわいいから許す。

 さっそく身贔屓して自己完結した俺は、目の前にいる奇抜なファッションセンスの持ち主の

おっさんに意識を戻すことにした。


橘「たしかにそれは元々僕の趣味だね」

八幡「あの、ちょっといいですか?」

橘「なんでしょうか?」

八幡「普段講義の時着ている格好は、陽乃さんプロデュースなのですか?」

橘「ええ、そうですよ。おかしいですか?」

八幡「おかしくはないのですが、今と講義とではそのギャップが激しかったので」


 雪乃は講義を受けた事がないので、真面目サラリーマンスタイルの橘教授を想像できず、

きょとんとしている。たしかに今いる姿のインパクトがでかすぎるので、

講義の時の真逆の恰好は想像できまい。


橘「でしょうね。僕もそう思いますよ。でも講義ですからね。僕も割り切っているんですよ。

  普段からあんな肩がこるような服は着られませんよ。スタンフォードにいた頃は

  けっこう好きな服装でよかったのに、日本は厳しいね」


いや、日本だろうとスタンフォードだろうと芸者のTシャツを着て仕事なんて出来ないだろうに。

懐疑的な目が四つと、理解不明な笑みを浮かべている目の二つの計六つの目が橘教授に

向けられるが、当の本人はのほほんとその目の意味するとことを全く気にしないでいた。

たしかにそのくらいの精神力がなければ罰ゲームよりもひどい服装なんて出来やしないだろう。


雪乃「日本だけではなくスタンフォードでもその場にあった服装をする礼儀は同じだと思いますよ」


 珍しくないか? あの雪乃が年上でしかも面識が少ない相手に突っ込みを入れるなんて。

それだけ言うのが我慢できなかったという事か。俺も相手が教授じゃなくて陽乃さん

あたりだったらど突き倒すいきおいで突っ込みを入れまくってたと断言できるが。


橘「そうかもしれないね。でも、むこうでも注意はされていたんだけど、日本みたいには

  呼び出しまではなかったからなぁ・・・・・・」

陽乃「むこうでも散々お世話になった恩師に毎日のように服装について指摘されていたって

  言ってたじゃない」

873: 2015/05/21(木) 17:33:50.48 ID:bamkGDGV0

橘「それは僕の芸術的なTシャツに感銘を受けて感想を言っていただけだと思うよ」


 いや、それはどう考えても嫌味ですって。気が付いてないのはあなただけですよって

突っ込みたい。この気持ち、君に届け。


陽乃「でも春画がプリントされたのを着て行った時は、

   さすがに着替えさせられたっていっていたわよね」

橘「あれは僕もやりすぎたかなって思ってたんだよ。でもスティーブンがさ・・・・・・。

  あぁ、スティーブンというのは、僕のTシャツを作ってくれるスタンフォードからの

  友達でね。そいつが是非ともって言うんだよ。でもいくら芸術だといっても春画だし、

  さすがに公共の場で着るのはモラルに反するだろ? だから恩師のサーストン教授にだけ

  にこっそり見せたんだけど、その場で没収されてね。でも、今まで通り芸者のシャツ

  だけは着る事を許してはくれたけどね」

陽乃「それも条件付きで許してくれただけじゃない。しかも、私が聞いた印象では、

   泣く泣く許してくれたって言う感じだったわよ」

橘「そうかな? そこまできつい感じではなかったと思ったんだけどなぁ。でも、もう二度と

   裸の女性が印刷されたものは着てくるなって何度も何度も念押しされたな。

   さすがに裸は刺激が強すぎたんだね」


 この人天然なのかって疑いたくなるほどに疑惑がきつくなり、

自然と俺がこの目の前にいる理解不能な教授を見る目つきもきつくなるわけで。


橘「大丈夫だって。スティーブンもさすがにやりすぎたって教授に怒られてね。でも、今まで

  着ていた普通の芸者のTシャツは今まで通り着ていいって、ちゃんと許可してくれたんだ

  から。だからお礼に10枚ほど教授にもプレゼントしたんだけど、それ以降は教授も僕の

  服装の事を誉める事がなくなっちゃったんだよね。やっぱ教授も毎日のように僕のシャツ

  を誉めてくれていたから、このシャツが欲しかったんだろうな。そんなに欲しいんなら

  誉めるだけじゃなくて直接欲しいっていえばいいのに」


いやいやいやいや・・・・・・・・。それは絶対諦められただけですって。サーストン教授。

会った事はないけど、ご愁傷様です。こちらには雪ノ下陽乃という爆弾姉ちゃんがいますが、

そちらにも橘仁という問題児がいたんですね。その苦労わかります。

もし会う事がありましたら、その苦労を分かち合いましょう。

 ・・・・・・・ん? 今目の前にいるのって、その爆弾姉ちゃんと問題児じゃねえか。

やっぱ訂正。サーストン教授。俺の方が大変そうです。もし会う事がありましたら、

俺をねぎらって下さい。いや、今すぐ助けて下さい!


陽乃「そういうわけでサーストン教授も仁の服装を直すのを諦めちゃって、それ以降は

   モラルに反しなければ仁が何着ていこうが何も言われなくなったわけ。だもんだから、

   日本に戻って来てからが大変だったんだから」


 陽乃さんはさも見てきたかのように手振りを交えて解説を始めようとする。だったら、

帰国して千葉の大学で教授になったのは最近って事なのだろうか。でも、陽乃さんは工学部だし、

経済学部系の講義に出るとは思えない。と、俺が疑問に思っている事に雪乃もぶち当たったのか、

雪乃も陽乃さんにその疑問を目で投げかけていた。


874: 2015/05/21(木) 17:34:35.20 ID:bamkGDGV0
陽乃「ん? もちろん私は仁の講義はとってないわよ。陣の面白い噂を聞いて、

   もぐって講義に出ただけよ」


大学の講義でもぐるって、よっぽどのことがないとやらない行為じゃないか。たしかに目の前

にいるみたいな変なおっさんがいたら見てみたいけどさ。俺は自然とその講義の風景と目の前

の教授を見て二つを重ねようとしてしまう。すると俺の視線に気がついた橘教授がにやっと

俺に笑いかけてくるので、反射的に頭を下げていそいそと陽乃さんの方に視線を戻した。


陽乃「まあ、比企谷君みたいに冷やかしついでに窓から覗く程度の人がほとんどだったかな」


 ちょっと陽乃さん。どこまで俺の心の中を監視しているんですか。

もう気が抜けないじゃないですか。なにかしかけられるんじゃないかって。

 俺がびくついてるのを面白そうに陽乃さんは視線をスライドして確認するが、

今はこれといって指摘してはこない。どうやら今は話の方が優先らしい。


陽乃「でね、奇抜なファッションだけなら別に興味をもたななかったわよ」

八幡「たしかに陽乃さんだったら仮装して講義してるって聞いても興味を示さないでしょうね」

陽乃「だね。仮装が見たかったら比企谷君に着せちゃえばいいんだし」


 ウィンクして可愛くきめても着ませんからねっ!

俺は断固拒否を示すべく無言で睨みをきかせる。しかし、五秒も経たないうちに陽乃さんの

視線から逃げ出してしまったことは、まあ当然の結果なのだろう。


雪乃「では、姉さんは何に興味を持って橘教授の講義に出たのかしら?」

陽乃「経済学部にも友達がいてね。彼って東京の大学に行かないで千葉にきたくらいで、

   けっこう優秀な人だったのよ。今もアメリカの大学院行っているほどだし、

   かなり優秀だと思うわ」


 陽乃さんが誉めるって、よっぽど頭がきれる人物ってことか。


陽乃「で、その彼が最初の授業で聞いた経済に関する仁の独演をまったく理解できなかったのよ」

橘「一応最初の授業だし、これから勉強していく世界について話してみただけだよ。まあ僕が

   これから教える内容自体ではないからわからなくてもよかったんだけど、それでも僕が

   大学入学した当時の僕が理解できる程度にはくだいた内容から初めて、最後は僕が

   今研究しているところまでを駆け足で話したんだけど、かいつまんで話したのが

   悪かったのかな?」

陽乃「それは仁レベルが理解できるであって、一般の大学生が理解できるレベルじゃないわよ。

   彼もそこそこ優秀だったのに、その彼でさえ理解できないって、どんな事を話したの

   よっていうわけで、私は仁の講義に興味を持ったの」

八幡「でも、中には自慢話をしているだけで、内容がさっぱりの独演ってあるじゃないですか。

   しかも熱をあげていって、意味がない言葉を繰り返したり」

陽乃「その可能性も考えたんだけど、彼の話しによると、最初の方は仁が言っている通り

   かみ砕いた内容だったから理解できたんだって。しかも、そうとう面白い内容だった

   そうよ。でもね、仁ったら、彼もまた話をするのに熱をあげていってね、ただでさえ

   大学院レベルの内容なのに、それを早口の英語で話す、話す。限られた時間しかなくて、

   早口になるのはわかるけど、聞いているのは普通の大学生って事を理解してほしいわね。

   途中まではくらい付いて聞いていた生徒が、一人また一人で諦めていったそうよ」

875: 2015/05/21(木) 17:35:18.80 ID:bamkGDGV0
八幡「それで実際講義に出てみたらどうだったんです?」

陽乃「たぶん比企谷君が一番知ってるんじゃないかな」


 俺は、はてな?と首を傾げてしまう。そもそも今まで橘教授は、ガイダンスを含めて生徒が

理解できない内容を講義したことなどはない。これは橘教授に直接言うことなんてできない

事ではあるが、はっきりいって橘教授の講義はつまらないほど丁寧で理解しやすい。

この講義を聞いてわからないっていう奴がいたんなら、そもそもうちの大学レベルではないと

諦めて退学したほうがいいとさえ思うほどでもある。しかも、講義の最後に確認のための

小テストまでやる至れり尽くせりの懇切丁寧な講義だ。


陽乃「比企谷君が今想像しているのと同じ講義だったわ」


 だから俺の心を覗かないでくださいって。もう俺の事が好きすぎるでしょ。


陽乃「私が出た時も比企谷君が受けているつまらない講義と同じで、すっごくがっかりしたの

   を今でも鮮明に覚えているわ。ちなみに服装はあの芸者Tシャツだったけどね」

橘「あの後でしたね。陽乃君に服装指導を受けたのは」

陽乃「その前に学部長からの呼び出しだったじゃない」

橘「そうでしたね」


 なんだか年上相手にタメ口で話しているというのに、それがいかにも自然すぎて、

俺は橘教授に親近感を覚えるのと同時に、この部屋に入るまでの緊張を捨て去ることが

できていた。別に陽乃さんが意図してやっているはずもないと思えるが、一応心の中で感謝

だけはしておこう。・・・・・・・意図的だな、絶対。半分だけ感謝してますよ、陽乃さん。

でももう半分は、俺をからかう為だったでしょ。


雪乃「学部長に呼ばれたのは服装についてですよね?」


 雪乃の方は最初から緊張などしていなかったので、とくに変化もなく平然と質問を

しているが、それでも橘教授とも距離感は縮めているようではあった。


橘「そうだよ。スーツを着てこいとまでは言われなかったけど、教授として威厳がある服装を

   しろって1時間近くも叱られたのを今でも覚えているよ。たしか陽乃君が僕の

   研究室に来ているときだったよね?」

陽乃「ええ、そうよ。学部長ったら、話は少しで終わるから廊下で待っててくれって

   言ったくせに二時間もお説教してたのを覚えているわ」


 あれ? 1時間じゃないんですか? いくらなんでも一時間も違うっておかしいでしょ。

陽乃さんが意図的に間違えるのならばわかるけど、それはないだろうし。また、「俺が知って

いた」橘教授が時間を間違えるとも思えない。だったら、この認識の違いはどこからくるんだ?


橘「二時間だっけ? 僕はわりと早くすんだっていう印象が残っていたんだけど」

雪乃「そもそも一時間でも長いと思うのだけれど」


 雪乃は隣にいる俺にだけ聞こえる声でぽそっと呟く。

きっと目の前の二人に伝えても意味がないとわかっているのだろう。


陽乃「今は落ち着いているからいいけど、また面倒な事を起こしてスタンフォードに

   戻るなんてことにならないようにしてよね」

876: 2015/05/21(木) 17:35:57.25 ID:bamkGDGV0

橘「わかってるさ」

陽乃「どうかしらね? でも、ようやくこの大学に腰を据えたと思っていたら、

   夏季休暇はずっとスタンフォードに戻るらしいじゃない」

橘「戻るといっても他の所にも用事があって、全米を転々とする予定だけどね」

陽乃「もっと酷いじゃない」

橘「ここにくるまでにお世話になっていたところで情報交換というかね。情報だけは

   どこにいても手に入るけど、その場の空気だけは手に入れられないのが難点だね」

陽乃「ちょんと戻ってきなさいよ。あなたの講義を楽しみにしている生徒がここにも

   いることを忘れないで頂戴ね」

橘「わかってるさ。そのために千葉に戻ってきたのだから」


 戻ってきた? ということは、この大学の出身者なのだろうか? それならば俺も留学を

しなければならないし、意見を聞きたいところだな。


八幡「あの、ちょっといいですか?」

橘「あ、なんだい? 比企谷君」

八幡「あのですね、橘教授はこの大学の出身者なのでしょうか?」

橘「一応この大学出身者ってことになるのかな? どうかな?」

陽乃「出身じゃなくて在籍ってところね」

八幡「へ?」

陽乃「だから、仁ったら大学1年の夏休みに明けに大学やめちゃったのよ。

  だから在籍の方があってるでしょ」

八幡「たしかに・・・。でも、なぜやめたんですか?」

橘「父の交友関係のおかげで、スタンフォードにいるサーストン教授とは面識があってね。

  それで色々と大学に入る以前からやり取りをしていたんだ。それでこの大学の経済学部に

  入って初めての夏季長期休暇を利用して向こうに行ってみたんだよ」

八幡「それでそのまま向こうに?」

橘「そう簡単にはいかないよ。一端戻って来て大学受験のやり直しさ。留学なんて考えて

  なかったらすぐに留学できる準備なんてできていないしね。だけど、両親は賛成して

  くれたから、留学することが決まればそこからはあっという間だったかな」

八幡「それでそのままずっとスタンフォードで研究を?」

橘「いや。スタンフォードの大学はとっとと卒業して、大学院までいったけど、そのあと

  ハーバードにも行ったよ。でも結局はスタンフォードに戻って来て研究職についたけどね。

  まあ、研究ばかりじゃなくて実践の方にも興味があって、色々と出て回ってたけど」

八幡「なら、なんで千葉に戻ってきたんです? 経済を研究するならアメリカが本場だと

   思いますけど」

橘「そうだね。でも、研究するだけなら日本でもできるから、僕はもういいかなって思ったんだ」

陽乃「よく言うわよ。早く夏季休暇が来ないかなって、

   スタンフォードに行くの楽しみにしていたじゃない」

橘「こらっ。僕がせったくかっこつけていたのにさ」


 というわりには、まったく陽乃さんの横槍を気にしていないじゃないですか。それよか

陽乃さんのつっこみを楽しんでさえいませんか? まあ、そのくらいの広い心がないと

陽乃さんと仲良くなんてできないってことかもしれないけど。

877: 2015/05/21(木) 17:36:27.58 ID:bamkGDGV0

陽乃「ま、いいじゃない? 仁はそのままで十分よ」

橘「そうかい? 美人さんにそう言われるんならいいか。・・・えっと、スタンフォードに

  行くのは戻りたいからじゃないからね。やはり最新のものは向こうで仕入れてきたいからさ」

陽乃「はいはい」

橘「え~っと、日本に戻ってきた理由だったよね」

八幡「はい」

橘「それはね、僕は運よく人との縁に恵まれていたんだなって強く思ったんだ。

  サーストン教授との縁がなければ、僕はきっとアメリカには行かなかった」

八幡「でも、いずれはアメリカに行っていた可能性はあったのではないですか?」

橘「可能性の話をしたら、僕の場合はそのまま千葉の大学を卒業してサラリーマンをやって

  いた自信があるよ。だって、ほかに特にやりたい事があったわけじゃないし、卒業したら

  仕事をしなきゃいけないわけだしね。だから、疑問を抱く事もなくサラリーマンに

  なってたはずさ」

八幡「そうですか・・・・・・」


 たしかに俺も雪乃と出会わなければ主夫は夢だとしても現実はサラリーマンになっていた

のだろう。それが今や海外お留学必至。しかも帰国後は雪乃の親父さんの下で働かないといけ

ないときたもんだ。橘教授の言葉ではないが、人との縁ってもんは数奇なもんだな。


橘「まっ、それも可能性にすぎないからね。僕はひとりで生きているわけじゃないくて、

  人とのつながりの中で生きているのだから、いつも何らかの影響を人から受けている。

  こうして今君たちと話しているのも、もしかしたら僕の今後の人生に重大な影響を与えて

  いるのかもしれない。これって面白い事だとは思うんだよね。・・・そ、そ。だから僕は

  千葉に戻ってきたんだ。僕が得ることができた縁をちょっとだけでもいいから日本に

  いる大学生にもおすそ分けしたいんだ」

八幡「おすそわけですか」

橘「そうだよ。僕はアメリカで好きな研究を目いっぱいしてこれた。学問の最前線で、経済の

  最前線で、そこでしか味わえない緊張感を感じ取ることができた。だからね、僕は

  そういう経験を日本の学生にも味わってもらいたいんだよ。ちょっとでもいいから新たな

  可能性を提示したい。僕なんかとの縁なんて大したものではないけど、それでも道端に

  転がっている石ころ程度にはなれるはずさ。まっすぐサラリーマンになる道もきっと

  間違ってはいない。でも、その道に転がっている石ころにつまずいて違う道に進むのも

  魅力的だとは思わないかい?」

八幡「人によりますけど魅力的だと思う人もきっといると思いますよ」


 そこにいる陽乃さんみたいな人とか。

 陽乃さんは自分の道を切り開いていった橘教授に憧れに近い感情を抱いたのかもしれない。

自分にはない開拓心を手に入れたいとさえ思ったのかもしれない。

 誰もが憧れる雪ノ下陽乃を捨てる事を望んでいたのかもしれない。

橘「だといいんだけどね」


陽乃「でも、極端すぎるわよね。経済に興味を持ってほしいなら、もっと生徒が面白いと

  思う講義をすればいいのに」

橘「面白い? 一応初めての講義の時したんだけど、誰も理解してくれなかったんだよね」

878: 2015/05/21(木) 17:37:02.62 ID:bamkGDGV0


陽乃「当然よ。大学生が大学院レベルの内容を簡単に理解できるっていうのよ。しかも途中

  から早口の英語になったらしいじゃない。せめて日本語だったらついてきてくれる人も

  いたかもしれないけど」

 それもどうかとは思いますよ、陽乃さん。せめて英語だったから、わからなかった理由が

できたとも考えてしまうのは俺だけでしょうかね。

橘「仕方ないじゃないですか。大学で学ぶ事は基礎であって、本当に面白いのはその先なのですから。

  それに英語だって帰国したてでね。話に熱が入ってしまうとつい英語が出てしまって」

陽乃「だとしても、その面白い学問を学ぶ前にあんなつまらない講義されちゃったら、

  みんな面白いと思う前にいなくなっちゃうわよ?」

橘「それは困りましたね」


 いや、ぜんっぜん困ったようには見えませんけど・・・・・・。


八幡「あの……、陽乃さんが講義に潜ったときは今と同じような講義だったんですよね?」

陽乃「ええ、そうよ。すっごく基本に忠実で、すっごくつまらない講義だったわ」

橘「それはひどい評価だな。でも、初めからそうするつもりだったんだけどね」

陽乃「私としては仁にはぶっとんだ講義をやっててほしかったんだけど」

橘「大学生相手にはしませんよ。あれはガイダンスだから羽目を外してしまったというので
  
  しょうかね。もしそういったものをお望みでしたら院に進学してくれればいいだけです。

  そうですね……。院に上がらなくても、こうして僕の所に来てくだされば、

  時間の限りお相手しますよ」

陽乃「たしかにそうね」

雪乃「姉がいつもお邪魔しているのでしょうか?」

橘「ええ、そうですね。わりと頻繁にきていますね。だから、陽乃君の担当教授からはいいよう

  には思われていないんですよね。面と向かっては言われないですけどね」

陽乃「いいのよ、あんなの」


 いや、まずいでしょ。しかも、あんなの扱いとは、陽乃さんの担当教授様を同情します。

きっと俺と同じように酷い目にあっているんでしょうね。……あっ、でも付きまとわれないよりは

ましじゃないかよ。俺なんかほっといて欲しいと思っているときでさえまとわりつかれるのに。

どうもサーストン教授といい、陽乃さんの担当教授といい、一度は共感をもっても、どうしても

すぐに破綻してしまう。どうしてだよ。同じような境遇なはずなのに不公平過ぎやしないか?


橘「たしかに陽乃君のいうように面白い講義はしたいですよ。でも面白いってなんでしょうね?」

八幡「その講義に興味をもつとか、雑談が面白いとか?」

橘「雑談でしたら友達とすればいいじゃないですか。講義とは関係ない僕の体験談を話しても

  時間の無駄ですし、仮に講義と関係がある体験談だとしても、

  それは聞いていても理解できないですよ。内容が専門的すぎて」

八幡「たしかに……」

橘「それに、僕と高度なディスカッションをしたいのでしたら、最低限の知識がなければ整理

  しませんよ。別に馬鹿にしているわけではないのですよ。ただ、基礎もできていないのに、

  なにを話すというのです?」

八幡「まあ、正論ですね」


879: 2015/05/21(木) 17:37:35.13 ID:bamkGDGV0
陽乃「比企谷君が言う通り、ほんと正論すぎるわ。正論しすぎるから生徒に人気がないわけ

  なのよね。ある意味仁の思惑とは真逆に進んじゃってて笑えないわよね」

 真逆? というと、人気が出ると思ってるのかよ。たしかに授業はわかりやすいし、

理解もしっかりできる。しかも毎回確認テストまでやってくれるお節介さ。講義の質からすれば

及第点だが、面白さからすれば誰が点数つけたって不合格だろ。


橘「手厳しいですね」

陽乃「当然じゃない。つまらないものはつまらないのよ」

雪乃「では、どうして姉さんは橘教授に興味を持ち続けたのかしら? 

  実際見に行って面白くはなかったと判断したのではないのかしら」

陽乃「面白くはなかったわよ。奇抜な服装も興味なかったしね。でも、真面目で馬鹿丁寧な講義

  だったのよ。この講義で理解できないなら、とっとと大学やめたらいいと思えるほどに

  ね。……うん、進級試験は仁の講義の試験結果で判断してもいいっていうくらいかしらね」


 ごめん、陽乃さん。それだと由比ヶ浜が……。いや、ね。大丈夫だとは思うのよ。

でも、万が一ってことがあると怖いじゃないですか。


陽乃「だからかな。あんな脳に知識が流れ込むような講義をする人がどんな人かって興味を

  持ったのよ。もちろんあのガイダンスを聞いてまったく理解できなかったというのも

  ひっかかっていたけどね」

橘「そのおかげとういうのかな。

  僕は日本にきてもこうして刺激的な毎日を送らざるをえなくなったわけさ」

陽乃「それは誉めて頂いているのかしら?」

橘「もちろん」

陽乃「そういうことにしておいてあげるわ」

橘「どういたしまして。さて比企谷君。これで僕と陽乃君との関係はわかったかな?」

八幡「ええ……、はい、だいたいは」

橘「それじゃあ今度は君の事を聞かせてくれないかな?」

八幡「俺ですか?」

橘「そう、君」


 橘教授は冷めてしまっているだろうコーヒーカップを取る為に少し前に出ただけなのに、

その存在感も大きさに俺は身を引いてしまう。

 プレッシャー? いや、どこか陽乃さんと通ずるところがあるんだろう。

だからこそあの陽乃さんと楽しい会話ができるんだろうよ。


八幡「俺の事を話せといわれましても、何を話せばいいのでしょうか?」

橘「そうだね。なにがいいかな?」


 橘教授は助けを求めるように陽乃さんに視線を向ける。当然ながら橘教授が俺に用があって

呼んだわけで、陽乃さんにわかるわけもなく、曖昧な笑顔を浮かべるにとどまっている。


橘「あっ、そうだ。弥生准教授と話した事があるそうだね」

八幡「ええ、一度だけですけど」

橘「僕も弥生君とはわりと仲良くしてもらってる方で。ほら、僕って人見知りで、

  なかなか友達できないんだよね。僕はフレンドリーに接しているつもりなのに」

880: 2015/05/21(木) 17:41:37.02 ID:bamkGDGV0


それ、きっと勘違いですからっ。フレンドリーすぎて相手が困ってるんですよ。しかも服装が

すごすぎて、相手の人も関わりたくないって思っているはずですし。こうしてじっくり話して

みると陽乃さんじゃないけど、この人に好感をもつのもよくわかるけどな。


陽乃「仁のフレンドリーさについては今度にしましょうか。比企谷君も困ってるしね」


 陽乃さんが助けてくれた。これは奇跡なの? 俺明日氏ぬの? 

だったら俺はまだ氏ねないから酷い事をしてもいいのよ?


陽乃「ほら、今は時間ないし、比企谷君をいじるんなら、

   もっと時間にゆとりがあるときじゃないと面白くないじゃない」


 やっぱ助けてくれたわけじゃないのね。八幡わかってたよ。だって陽乃さんだもの。


橘「じゃあ、それは今度にするかな」


 ちょっと、橘教授も納得しないでくださいって、やっぱ陽乃さんと同類じゃないですか。

 俺の顔が警戒感がにじみ出す。しかしそのスパイスさえも目の前の二人には旨味成分だったらしい。







第50章 終劇

第51章に続く
883: 2015/05/28(木) 17:29:53.14 ID:3eiwQNEj0

第51章



雪乃「それで結局なぜ由比ヶ浜さんには話さなかったのかしら?」


 雪乃の問いももっともだ。昴も夕さんも同様の意見のようで俺の言葉を待っていた。

たしかに橘教授の印象の話題ばかりを話していて、まだ肝心な事は話してはいない。 


八幡「ああ、それな。別に話しても俺の方がうまく調教……、もとい家庭教師の方をしっかり

   やれば問題ないんだが、まあ端的にいえば気を緩めて欲しくなかったんだよ」

雪乃「というと?」

八幡「今回の小テストも由比ヶ浜の出来は悪くはなかった。それに他の教科も調子がいいしな」

雪乃「それはいいことじゃない? 

   でも、調子が良かったとしても由比ヶ浜さんがさぼりだすとは思えないのだけれど」

八幡「俺もそうは思うんだけどよ。なんだか橘教授に指摘された事がちょっとな……」

雪乃「というと?」

八幡「俺と昴の点数はどちらもほぼ満点だったが、論述の構成というか話の流れってものが違う。

   たしかに似たような答案にはなるが、いくら書く要点が同じでも論述であれば

   全く同じ答案が出来上がる事はない。」

雪乃「それはそうね。同じ人間が書いたとしても、全く同じ論述はできないもの」

八幡「それがだな、俺と由比ヶ浜の答案は似てたんだよ。雪乃は評価の方ばかり気に

  していたけど、俺はむしろ答案の中身の方が気になってた。まあ、由比ヶ浜の答案は

  あいつらしくいくつかポイントが抜け落ちていて減点をくらってはいたけどな。

  それでも雰囲気っていうか話のもっていきようが似てたんだよ。だから、その……なんて

  いうか雪乃の言葉を借りると、学力には違いがあっても同じ人間が書いたって感じかもな」

雪乃「まさか?」


 昴も夕さんもわけがわからないっていう顔をしている。それもそのはずだ。

俺の言葉なのに俺自身がその言葉に自信を持てないでいる。困り果てている俺に、

目の前の二人は辛抱強く俺の言葉を待っていた。


雪乃「そうね、八幡の言葉をそのまま捉えると……、つまりは単純な事じゃない」

八幡「雪乃?」

雪乃「だから答えは単純な解だってことよ」

八幡「どういうことだよ?」

雪乃「つまり、八幡は由比ヶ浜さんの成長を喜んではいるのだけれど、でも心のどこかで

  自分が抜かれる事はないってうぬぼれているのではないのかしら?」

八幡「そんなことは……」

雪乃「ないとは言い切れないのではないかしら? たしかに由比ヶ浜さんは覚えるのが

  苦手で、なかなか勉強の効率が上がらないわ。でもそれは八幡も似たような経験をして

  きたのではなくて? そして今由比ヶ浜さんは伸びている。以前の八幡のように、ね」

八幡「……どうだろうな。雪乃の言う通りかもしれないけど、俺は由比ヶ浜が俺の成績を

  超えても一カ月はへこむけど、俺の将来に影響はない。だから気にしないと思うぞ」

夕「気にはするのね」

昴「気にするんだ」
884: 2015/05/28(木) 17:30:41.35 ID:3eiwQNEj0

 目の前の二人、ユニゾンしないっ。そりゃあ俺だって由比ヶ浜に抜かれたらへこむに

きまってるだろ。でも、俺はいっつも化け物みたいな彼女らと付き合ってるんで、

そういうのには耐性ができてるんですよ。


雪乃「そう……。でも、今の八幡はたとえ由比ヶ浜さんが全力で追いかけてきても、

  それ以上の速さで突き進んでいくのでしょ?」


 どこか挑戦的な瞳に俺はたじろいでしまう。けれど、その瞳の奥には俺を信じている雪乃が

いつもいる。だから俺はその雪乃に対して深く頷いた。 






 今日は珍しく?陽乃さんの方が忙しくもあったようで、恒例となってしまった雪ノ下邸での

夕食も食事が終われば早々に自宅マンションへと引き上げていた。俺も忘れてしまう事が

あるのだが、陽乃さんはこれでも大学院生である。

 俺が高校生のときだって、本当に大学行ってるの?って疑問に思うくらいに俺達の前に

現れては面倒事を笑顔で放り込んできたわけで、ある時期などいつも正門で見張っているので

はないかと疑心暗鬼になったことさえあった。

 とりあえず今日は大学院の課題で忙しいと言われたので、ようやく陽乃さんも大学院生を

真面目にやっていると確認する事が出来たと、余計なお世話すぎる感想を俺は抱いていた。


雪乃「ねえ八幡。珍しいわね。自分からキッチンに立とうだなんて」


 ネコの足跡がトレードマークの白地のエプロンを身にまとい、一見するまでもなく

見目麗しい姿とは裏腹に、雪乃は笑顔で毒を振りまいてくる。しかも心外すぎるレッテルを

貼り付けてくるとは恐れ入る。ただ、雪乃がそういいたいのもわからなくもない。

今日の弁当だって、面倒だと不平を早朝からぶちまけながら弁当を作っていたわけで、

雪乃が訝しげな視線でキッチンに立つ俺を見つめていても不思議ではなかった。


八幡「そうか? けっこう雪乃のヘルプで台所に立っていたから、

   俺としてはそんな感覚はないんだけどな」

雪乃「たしかにそうかもしれないわね。でも、私がキッチンを占領してしまっているから

  八幡が自分から料理をしたいとは言えなくなってしまった可能性も否定できないのよね。

  そう考えると、いつも八幡に手伝ってもらうだけというのも考えものね」

 すかさずジャブを入れてくるあたりはさすがっす。

八幡「そういうなって。俺はヘルプだとしても雪乃と一緒に料理作るの楽しんでるぞ」


 雪乃が攻撃してくるのがわかっていた俺は、さらに言葉を返す。ただし、俺の言葉の矢は

途中で失速してしまう。なぜらな雪乃には俺が持ちえない極寒の瞳があるわけで、

俺のへなちょこじ編劇など一睨みで撃墜させてしまう。

 でぇも、ただでは負けない俺としては、雪乃でさえ持っていない武器があるわけで。


八幡「それに、俺が雪乃の手料理を食べたいんだから、ちょっとくらいの我儘は聞き入れて

  くれてもいいだろ? それとも俺に食べさせる手料理なんてないとか?」


 さっそうと撤退戦を開始させる。即座の撤退ばかりは常勝雪乃も持っていないカードだろう。


885: 2015/05/28(木) 17:31:44.81 ID:3eiwQNEj0

逆を言えば、常に俺に勝ち続けているとも言うが……。まあ、それ以上は聞かないで下さると

大変嬉しいです、はい。いつもの俺達の雰囲気になってきた感もあるわけだが、いつもの

ように雪乃が頬を染めてくれるのを確認でき、俺も気持ちが弾んでしまう。

ともかく雪乃も俺が浮かれているのを見て喜んでいるんだから、お互い様なんだろう。


雪乃「しょうがないわね。八幡が私の料理を食べたいのだったら、作らないわけにはいかないわ」

八幡「ああ、たのむよ」

雪乃「ええ……。でも、プリンだけは八幡に勝てないのよね」


 俺はまだ何をなにを今から作るかなんて教えてないのに、どうしてわかるんだよ。

といいつつも、テーブルの上にある材料が牛乳、タマゴ、砂糖、バニラエッセンスときて、

今までの俺のレシピからすれば、当然の推理か。当然雪乃の推理は正しいわけだが、

ここは意地悪して茶碗蒸しでも……、って、どうして俺のお馬鹿な反抗がわかってしまわれる

のですか? 雪乃の眼光が一瞬だけ暗くひかり、俺の邪な野望を打ち消すと、

いつもの温かい視線へと戻っていった。


八幡「小学生のころから作ってたからな。まず、年季が違うし、なによりも執念が違う」


 とりあえず俺は、雪乃の言葉に対して素直に返事をしたはずなのに、

どうして首を傾げて訝しげに見つめてくるんでしょうか?


雪乃「年季が違うのは認めるのだけれど、執念が違うとは意味がわからないわ」

八幡「雪乃はお嬢様だからな」

雪乃「その言いよう、鼻に付く言い方で好きではないわ」

八幡「厭味でいったんじゃない。事実を言っただけだ」

雪乃「よりいっそう不快感が増しただけなのだけれど、もしかしてわざとやっているのかしら?」


 素直になれっていつも小町に言われているのに、それを実行しただけなのにどうしてこうも

禍々しいオーラが噴き出てくるんだろうか? 小町の言う事が間違っているはずもなにのに、

八幡わけわからないんだけど……。俺がひるんだすきに雪乃は俺が逃げないように自分の腕を

俺の腕に絡めてくる。ふわりとくすぐる甘ったるい雪乃の香りと温もりを打ちすように下から

見上げてくる眼光は俺を極寒の地へと誘った。時として事実をありのままに言うのはよくない

とわかっているが、雪乃が求める答えを説明するには、その不快感を含まなければ事実を

伝えられない事もあるのも事実である。物事なんて小さな事実の積み重ねだ。その小さな事実

を一つ引っこ抜いてしまうと、言いたかった物事のニュアンスが違ってしまう。

 だから俺は悪くない……、と心の中だけで反論することにする。けっして雪乃が怖いわけ

ではない、はずです、たぶん。……ごめんなんさい、だからなんで雪乃は俺が考えていること

がわかるんだよ。俺の腕に爪跡がくっきり残るくらいつねりあげると、

雪乃は極上の笑みを浮かべてきた。


八幡「じゃあ、気にするな」


 けれど、顔から下の攻防などないかの如く俺達の会話は続く。これが熟年カップルの生態と

いうのならば、今のうちに俺達の方向性を修正すべきだと固く誓った。


雪乃「まあいいわ。それで、執念が違うとはどういう意味かしら?」

八幡「雪乃は学校から帰って来て、おやつが用意されていなくて困った事がないだろ?」

886: 2015/05/28(木) 17:32:17.97 ID:3eiwQNEj0

雪乃「たしかに困った事はないわね。でも、あまりお菓子は食べない方だったと思うわよ。

  紅茶は自分で淹れて飲んでいたけれど、

  おやつとして毎日のようにお菓子は食べていなかったはずだわ」

八幡「そうなのか?」

雪乃「ええ……」


 雪乃は俺の顔のさらに向こう側を見つめると、何か悟ったかのように優しく微笑む。

柔らかい笑みなのに、どうして憐みを感じてしまうのだろうか。

俺はかわいそうな子でもないし、いったいなんなんだよ?


八幡「なんか含みがある言い方だな」

雪乃「そうね。八幡が自分から言った事でもあるわけなのだから、

  私が遠慮することなんて初めからなかったわね」

八幡「すまん。なんか、そう改まって言われてしまうと、

  ちょっとどころじゃないくらい怖いんだけど?」

雪乃「そう? 事実をこれから言うだけよ」


 もしかして、さっきの仕返しか? 雪乃が根に持つタイプだとは知っていたが、

こうも早く仕掛けてくるとは、根に持つタイプだけでなく負けず嫌いってことも関係している

のだろう。ただ、なんでプリンを作ろうとしただけで、こんなに精神を削られたのかが

わからない。だから、すでに精神をすり減らしきった俺は思考を捨てる。

事実もそうだが、考えない方がいいことも世の中にはあるのだろう。


八幡「で、どんな事実なんだよ」

雪乃「これは八幡から聞いた話なのだけれど……」

八幡「もう前置きはいいから、先進めてくれていいから」

雪乃「わかったわ」

雪乃「中学までの八幡は、放課後に学校に残って部活に励む事はなかったし、友達と遊びに

  いく事もなかったじゃない。そうなると自宅に早く帰ってくるわけなのだから、帰宅後に

  使える時間は人よりもたくさんあったと言えるわ。だとすれば、時間をもてあましている

  八幡はすることがないからおやつを食べるという習慣を作ってしまったのもうなづけると

  おもったのよ」

八幡「さらっとひどいことを言っているようにみえるが、おおむね事実だから反論できんな。

  でも、別におやつを食べる習慣があったわけではないぞ」

雪乃「そうかしら?」

八幡「ちょっと小腹がすいたからお菓子を食べる習慣はあったけど、だからといっておやつを

  食べる習慣があったわけではない」


 雪乃は数回ゆっくりと瞬きをすると、さらにゆっくりと首を振る。その仕草を見ている俺と

しては、なんだかイラッと来るのは気のせいだろうか。

とりあえず一応俺の可愛い彼女の仕草なんだし、と自分の心を否定しておく。


雪乃「それをおやつを食べる習慣と言うのではないかしら? 

  なら、八幡にとっておやつとは、どういった定義なのかしらね」

八幡「一応雪乃の言い分もわかる」

887: 2015/05/28(木) 17:32:51.38 ID:3eiwQNEj0

雪乃「そう? ちゃんとわかってくれるのだったらうれしいわね」


 心が全くこもっていない笑顔を頂戴した俺は、極力落ちついた声を装って反論を始める。


八幡「雪乃が言いたいのは、おやつとは間食の事だって言いたいんだろ?」

雪乃「ええ、そうよ。朝昼晩の三食の食事以外は、基本的には間食と定義されているわね」

八幡「だな。俺もその見解にはおおむね同意見だよ」

雪乃「だとしたら、八幡が先ほど言っていた小腹がすいたらお菓子を食べる習慣は、

  おやつを食べる習慣と同義と言えないかしら」

八幡「まあ、な。雪乃のその見解も間違っているわけではない。でも、俺がさっきおやつの

  定義にをおおむね同意見だっていっただろ? 

  つまり、賛同できない部分が一部分だけあるってことだ」


 雪乃は俺の説明を聞くや否や、今度は演技でもなく無表情のまま数回瞬きをしながら俺を

見つめると、ゆっくりと首を振ってから大きく肩を落とし盛大なため息をついた。

 さっきのが演技なら、俺も笑って見ていられる。しかしこれが本心からやられると、

心の奥底まで杭で打ち抜かれた痛みが走る。普段から雪乃の精神攻撃を受けて耐性があるとは

思っていたが、こうもナチュラルにやられてしまうと、まじでへこんでしまった。


雪乃「とりあえず八幡の言い分も聞こうかしら」

八幡「お、おう。聞いてくれてうれしいよ」


 涙を拭いたふりをした俺は、雪乃の気が変わらないうちに説明を始める。

指先が湿っている感じがしたのは、気がつかなかった事にして。


八幡「えっとな、昔はどこかのカステラ屋のCMのせいでおやつは3時に食べるものとか、

  そういった時間的概念で否定しているわけではない」

雪乃「たしかにそういった考えも日本には根付いているそうね」

八幡「だろ? 今はCMがやっているか自体知らんけど、なんだかそういうイメージも

  あったりはする。だけど、そういうことで異議を述べているんじゃない」

雪乃「だったら、どういった観点から言っているのかしら」

八幡「それは俺の小学生のころからの日課から説明しなければいけない」

雪乃「友達が一人もいなくて、一人で遊んでいたという黒歴史ね」


 雪乃はさらりと親が聞いたら泣いちゃうかもしれない事実をつまらなそうにつぶやく。

いや、親父なんかは大爆笑しそうだが、このさいどうでもいい情報だ。


八幡「別に黒歴史だって思っていねぇよ。それだったら雪乃だって友達いなかったわけ

  だから黒歴史になっちまうだろ」

雪乃「……そ、そうね。友達がいないだけで黒歴史になるわけではないわね。

  好きで一人でいることを否定すべきではないわ」

八幡「だろ?」

雪乃「私の間違いは認めるわ」

八幡「あんがとよ。で、だな。放課後に小学校に残っていてもやる事はないし、

  俺はそのまま帰宅するんだけど、家に着いたらまずは宿題を済ませていたんだよ」

雪乃「宿題を?」

888: 2015/05/28(木) 17:33:37.16 ID:3eiwQNEj0

八幡「そうだよ」


 本気で意外な行動だって思っていやがるな。たしかに俺の行動を見ていれば、

成績が良くても、優等生だとは思わないだろう。


雪乃「ふぅん」

八幡「わかっていないな。ぼっちは宿題を忘れることが許されない。もし忘れる事なんか

  あったら、だれにも頼れないからな。しかも、その宿題が次の授業で使うとなれば最悪だ。

  誰も助けてはくれないし、最悪その授業はなにもわからず、

  ぽつんと一人取り残されることになる」

雪乃「たしかに誰も助けてくれなければ、そうなるわね。でも、先生は何か救済処置を

  してくれるのではないかしら?」

八幡「馬鹿だな。それこそ地獄なんだよ」

雪乃「どういう意味かしら? 私の事を馬鹿扱いするくらいの理由は、

  しっかりとあるのでしょうね?」


 雪乃よ……、言葉のあやだとか言い訳はしないけどさ、一つ一つの語句に突っ込みを

いれないで、話の流れぐらいだと思ってスルーしてくれないのか? なんて顔を青ざめていると、

雪乃はくすりと笑みをこぼす。そうやって俺をからかうようになったのは、

高校時代の毒舌と比べれば優しくなったと思いたい。


八幡「先生が俺の席の隣の女子に頼むだろ」

雪乃「ええ、そうなるわね」

八幡「そうすると、当然その女子は嫌な顔をする。しかも、そのあとの休み時間には、

  その女子はお友達に泣きついたりもする。そうすると、

  お優しいお友達は俺に詰め寄って来て、謝罪しろって言ってくるんだよ」

雪乃「それは大変ね」


 雪乃は当時の俺の姿を想像でもしたのか、なんともいえない微妙な顔を俺に向ける。


八幡「大変なんてものじゃねえんだよ。小学生低学年にとっても、けっこう痛いトラウマに

  なっちまう。だから、俺はその謝罪騒動以後絶対に宿題とか提出物など、学校に

  持ってくる物全てに関して、忘れ物をしないように心がけた。

  いや、忘れ物はしないって制約をたてた」

雪乃「いい心がけなのだけれど、原因が寂しいわね」

八幡「んなもんいくらでもあるから、いちいち寂しがってはいないけどな」


 たしかにいちいち傷ついていたら、ぼっちなんてできやしない。ぼっちは一人だから

傷つかないだろうと思われるかもしれないが、実はそうではない。人と接しなければ、

特定の人からは傷つけられたりはしないかもしれない。しかし、人間っていうものは

恐ろしいっていうか、小さい子供ほど罪悪感がないせいで、集団になってしまうと

その場の雰囲気で不特定多数としてぼっちを攻撃の対象にしたりしてしまう。ぼっちからすれば、

なにもやっていないのに理不尽な攻撃だとしかいえない。よく子供は純粋だとか馬鹿な

ロマンチストが言ったりもするが、それは経験が浅すぎる子供が罪悪感もなしに行動している

にすぎない。罪悪感もないから歯止めもきかないし、大人よりも残酷だと断言できる。


889: 2015/05/28(木) 17:34:14.09 ID:3eiwQNEj0


雪乃「そうかもしれないわね」

八幡「だから宿題は家に帰ったら最初にやるようにしてたんだよ」

雪乃「でも、悪くはない習慣になったからよかったじゃない」

八幡「まあ、悪い習慣ではなかったと思う。宿題なんてとっとと終わらせてアニメ見たかった

  からな。テレビを見て楽しんだ後に、どうして面倒な宿題なんてやらなきゃならん」

雪乃「それは宿題なのだからやるしかないのではないかしら」


 雪乃の弁と瞳がはさも当然のことだと訴えかけてくる。


八幡「たしかにやらないといけない。でも、せっかくテレビを見て楽しい気分になったのに、

  その満足感をぶち壊すべきではない」


 俺が拳に力を込めて胸のあたりまで突き上げると、雪乃は乾いたため息を漏らす。


八幡「いや、そんな残念な人間をみるような目で俺を見るなって」

雪乃「違うわよ。残念な人間をみるような目ではなくて、残念な人間を見ている目よ」

八幡「そ、そうか。親切な訂正あんがとう」


 どうしてかな。俺は罵倒されているはずなんだけど、どうして俺の方が謝らないといけない

気持ちになってしまうのだろうか。とりあえずこれ以上深入りするとより深い傷を負って

しまいそうなので話を進めることにした。






第51章 終劇

第52章に続く
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない『愛の悲しみ編』【完結編】
784: 2015/04/02(木) 17:47:04.49 ID:WDkJQH1mO
おつ

785: 2015/04/02(木) 17:57:09.85 ID:0tYt78vLo
乙です

引用元: やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている )