1: 2010/12/28(火) 20:42:17.88 ID:LYpwLbU00
唯「見ちゃうんでしょ?」

2: 2010/12/28(火) 20:46:16.98 ID:Sr74ujdm0
紬「……見ちゃわないわ」

唯「いや、見るね。断言できる。そんなところがムギちゃんのいけないところなんだよ」

紬「見ちゃわないってば」

唯「ホントに?それじゃあ私が今からべらべらと私と紬ちゃんのラブストーリーを語るけど良いね?
  ラブストーリーは突然に訪れるけど、良いね?」

紬「えっ」

唯「襲ったりしないね?大丈夫なんだね?」

紬「……まあ、八割がた大丈夫だと思う」

唯「残りの二割は?」

紬「自分を抑えるために熱湯を浴びようと思うわ」

唯「そうなんだ。頑張ってね……」
けいおん!Shuffle 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

4: 2010/12/28(火) 20:47:47.49 ID:Sr74ujdm0
綺麗な女の子。私が最初に思ったのは、ただそれだけのことでした。
自分でも、なんだかなあと思います、けれどしようがないことです。

「よしっムギ、お茶の準備だ」

そんなことをカチューシャをつけた女の子に言われて、彼女はお茶を淹れてくれました。
このときは少し苦いな、と思ったのですが、次に飲んだお茶はほどよく甘くて、なんとなく、すごいな、と思ったのです。

「他に入りたい部活はあるの?」

柔らかい声でそう聞かれたときは、思わずどもってしまったものです。
なんて気持ち悪いんだろう、思い出すだに、鳥肌がたつような思いです。

その日に聞いた演奏は、彼女の演奏技術だけ不自然に突出していて、それでも、
キーボードの音は演奏に溶け込んでいたから、彼女は綺麗なだけじゃない、そう思えたのです。

6: 2010/12/28(火) 20:50:03.35 ID:Sr74ujdm0
「あら、唯ちゃんだけ?」

少し肌寒い季節に、乾いた音を立ててドアを開けて、彼女は音楽室に現れました。
彼女と一緒に軽音楽部で活動している私は、いつも、彼女の親切に甘えて、お茶やらお菓子やらを堪能しています。
けれど、それではいけない、と思っています、いくら私でも。

「なんかねえ、りっちゃんは掃除サボって怒られてた。澪ちゃんのクラスは、まだホームルーム終わってなかったよ」

そう言って、私は立ち上がります。
一心不乱に、食器棚の方を目指して、手を伸ばす。
その時に、柔らかい白い手に触れてしまいました。

「ふふ、どうしたの?」

首に巻いたマフラーが髪の毛を軽く曲げています。
金色の髪の毛、これのお陰で、すぐに彼女のことが分かるのです。

「あ、っと、お茶、私が淹れようと思って」

妙に裏返った声、不自然に思われなかったでしょうか。
いいわよ、座っていて、といつもどおりの声で言ったから、多分、大丈夫だったのでしょう。
なんとなくそれが悔しくて、強引に彼女を座らせました。

「いいから、私に淹れさせて」

肩を掴むと、思ったよりも肉付きが良くて、拒まれたら強制できないと思いましたが、
そんなこともなく、彼女は躾のできた犬のように、ぺたりと椅子に座りました。
冷たいね、と言って笑いました。

「じゃあ、たまには甘えてみようかな」

7: 2010/12/28(火) 20:51:44.92 ID:Sr74ujdm0
甘えられているのです、今、彼女に、私は。
そう思うと、手が震えます。
良家のお嬢様、そんな彼女に甘えられて、お茶を淹れるのだから。

「うん、任せて。茶葉はどこ?」

マフラーを外して、彼女は食器棚の上のほうを指さしました。
そこにはいくつか茶葉の入った容器があって、よく分からないけれど、
そのなかで一番香りのいいものを選んで、棚から取り出しました。

「あ、唯ちゃん、危ないから気をつけてね」

彼女は席に着いたままでいるものの、明らかにそわそわして、今にも私を制止して、自分でお茶を淹れてしまいそうでした。
だから、そんなことが無いように、急いで茶葉を机において、ティーポットを用意し、お湯を沸かし始めました。
沸騰したお湯を、いったんポットに淹れます。何故って、彼女がいつもそうしているのを見ていたから。

「つっ」

跳ねたお湯が手の甲に当たって、思わず歯を食いしばりました。
彼女は心配そうな顔で、こちらを見つめています。
大丈夫だよ、と彼女にブイサインを出します。
失敗するところなんて、見られたくない。

一度お湯を湯沸かし器に戻して、ティーポットに茶葉を入れ、蓋を閉める。
これも、彼女がいつもやっていたことです。

ぼうっと待っていると、お湯の沸騰した音が聞こえました。
だから、慌ててポットにお湯を入れます。

多分、失敗はなかったはずです。

8: 2010/12/28(火) 20:53:41.26 ID:Sr74ujdm0
「その茶葉は小さいから、二、三分位したら他のポットに移し変えてね?」

所在なさ気な彼女が、じっとこっちを見つめて、そろそろと言いました。
多分、私を気遣ってくれているのでしょうけれど、そんなこと、知っています。

「知ってるもん」

私が知っているということを、彼女が知らなかったということは、
私がいつも見ているということを、彼女が知らないということだから、だから無性に腹がたつのです。

「そう、頼もしいね」

小さく笑って彼女は言いました。
気づくと、いつの間にか時間は過ぎていて、これまた慌てて私はポットを移し変えました。

強い香りが鼻をくすぐります。完成です。
私は落としてしまわないように、そっと高そうなティーカップを運んで、お茶を入れました。
きっちり二杯分、私のと、彼女のです。

ティーカップには、底のほうに細かい茶葉が沈んでいますが、多分味に影響はないでしょう。
しばらく冷ましておこうとすると、彼女は数秒後、すぐに飲み始めました。

「熱くないの?」

「私、熱いほうが好きだから」

そうなんだ、と言って、私はまた、紅茶が冷めるのを待ち始めました。

10: 2010/12/28(火) 20:55:32.40 ID:Sr74ujdm0
「ムギちゃん、美味しい?」

「ええ、美味しいわ。ありがとうね」

彼女に笑顔でお礼を言われて、私は少し、頬が緩むのを感じました。
それで、早くお茶を飲もうとしました。

「あ、唯ちゃん、せっかくだから、私もう一杯飲みたいの。お願い、くれないかしら?」

口の傍までカップを上げたところで、彼女は言いました。
少し迷いましたが、私は、彼女と一緒に、美味しいね、と言ってお喋りがしたいのです。
それでもって、少し経ったら、また冷えきたね、なんて言って、彼女にお茶を淹れてもらうのです。
だから、妙に食い下がる彼女をおいて、私は私の紅茶を飲みました。

「唯ちゃん?」

しばらく黙っていると、彼女が私に声をかけました。情けなくて、声が出なかったのです。
私のお茶は、初めて彼女が淹れてくれたお茶よりも、ずっと、嫌がらせかとおもうほど、苦かったものですから。

「ムギちゃんの、ばか」

理不尽だとは思っていても、言うしか無いのです、
彼女を私が見ていることを、彼女が知らないということは、彼女は私を見ていないということで、
私が上手にお茶を淹れられないということは、まだ全然彼女のことを理解していないということです。
全部、私が悪いのだけれど、それでも言うしか無いのです。

「ムギちゃんのばか、まずいじゃんか……なら、そう言ってよ……」

震える声を情け無いと思いながら、自分で入れた、気持ち悪くなるほど苦いお茶を飲むのです。
最後の一滴、そこには一番苦い部分が沈殿していたような気がしました。

11: 2010/12/28(火) 20:57:59.46 ID:Sr74ujdm0
「苦いからって、美味しくないわけじゃないもの」

取り繕うように彼女が言ったから、もう、私は音楽室にいられなくなったのです。
困ったような目でこちらを見る彼女を、きっ、と睨みつけて、音楽室を出ました。
捨て台詞まで、吐いてしまいました。

「ムギちゃん、何もわかろうとしてくれないんだ。そんなことを言いたいわけじゃ、無いのに」


長い廊下を歩いていました。
込み上げてくる苦さが不快で、途中、トイレに入りました。
異臭が鼻を突きます。

けれど、あんなにいい香りがした茶葉から、あんな紅茶を淹れてしまった私だから、
こんな臭いのするトイレのほうがお似合いなのかもしれない。

そう思って、曇った汚いガラスを覗き込みました。
ほろほろと、私は泣いていました。

12: 2010/12/28(火) 21:00:39.97 ID:Sr74ujdm0
とぼとぼと、涙の跡のついた汚い顔で、重い足取りで歩いていました。
今、通りを歩いている人の中で、あれほど不味いお茶を淹れられる人が、他に何人いるのでしょうか。
そう思うと、気が飛んでしまいそうで、家に着いたのも気がつかないほどでした。

「おかえり、お姉ちゃん、今日は早かったんだね?」

そう言って顔を覗かせた妹が、私の顔を見るなり、眉を潜めます。
妹が何を言うか予想がついたから、私は無理に笑って言うのです。

「お茶。紅茶、淹れてくれる?」

妹は何も聞かずに、黙って紅茶を淹れてくれました。
少し弱い香りの、薄い色の紅茶で、私の淹れたものよりずっと美味しかったから、もう笑うしかありません。
ははは、と乾いた声を立てて、妹に言いました。

「美味しいよ、憂。自慢の妹だね」

私は笑っているというのに、憂は笑ってくれませんでした。
かと言って、無遠慮に尋ねることもしません。
じっと私を見つめて、首をかしげて、言うだけです。

「笑ってたほうがいいと思うけど」

物心ついた時から一緒にいる妹には、私が笑っているようには見えなかったらしいのです。
また、やけに大きな笑い声を立てて、私は二階ヘ上がりました。
部屋に入って、制服のまま、寝てしまいました。

14: 2010/12/28(火) 21:03:01.31 ID:Sr74ujdm0
朝、いつもより早く起きました。
そっと忍び足で台所へ行くと、茶葉がいくつか置いてあります。
そのうちの、一番香りの弱いのを選んで、淹れてみました。

それでも、苦くて不味いのです。

そのうち妹が起きてきて、多分、今にも泣きそうな顔をしていた私に言いました。

「よく分からないけれど、ティーパック、使ったら?
 どうしても自分で淹れたいなら、今日帰ったら教えてあげるから」

どちらも、駄目なのです。
どちらも駄目なのだけれど、私は、選んでしまいました。

選んではいけない選択肢の、多分、もっと選んではいけないほうを。

15: 2010/12/28(火) 21:04:49.02 ID:Sr74ujdm0
「今日もりっちゃんたちは来てないよ」

私が窓際に立って、携帯電話を弄っていると、彼女が音楽室に入ってきたから、私は言いました。
机には紅茶の入ったティーポットと、ティーカップが一つ。
彼女はそれを見て、そうでしょうね、と嬉しそうに呟きました。

「お茶、飲んでもいいかしら?」

「どうぞ。二杯分残ってるから」

音も立てずにお茶を飲んで、彼女は、思い切り顔をしかめたのです。
電源の入っていない携帯電話を弄りながら、彼女の顔を窺っていた私は、その表情に驚いて、
続いて、彼女の声に萎縮しました。

「唯ちゃん、座りなさい」

有無を言わせない口調で、静かに、力強く彼女は言いました。
あまりに怖くて、私は何も考えずに彼女の言葉に従ってしまいました。

「唯ちゃん、これはあなたが淹れたの?」

決して彼女は目を逸らさないから、私の視線も逃げることは出来ず、
彼女をじっと見つめたまま、私は言うしか無いのです。

「淹れた、昨日よりは上手でしょ、自分でも飲んだもん」

自嘲的に私が言うと、彼女は厳しく言いました。

「ふざけないで」

16: 2010/12/28(火) 21:06:51.28 ID:Sr74ujdm0
そんなことを言われるなんて、思ってもみなかったのです。
ただ、私は彼女に昨日のような紅茶を飲ませたくなかっただけなのに。

「別にふざけてないもん」

私は震える声で、それでも相変わらず彼女の目を見て、言いました。
彼女はため息を付いて、目を伏せて言いました。
彼女はもう、私のことを見ていないのです。

「唯ちゃん、インスタントティーを淹れるのは、お茶を淹れるとは言わないわ」

「でも、お茶じゃん。昨日よりも美味しい、紅茶だよ」

「ばか言わないで。こんなものが、昨日より美味しいわけ無いでしょう。
 私に溝水を二杯も飲ませる気だったのね、あなたは」

「どぶみずじゃ、ない……昨日より美味しいもん……昨日のより、ずっと」

彼女は目を開けました。その目は私を見ずに、高そうなティーポットを見つめていました。

「昨日は、どうしてお茶を淹れてくれたの?」

「ムギちゃんが、いつも大変そうで……それで、喜んでもらいたくて……」

「今日も?」

私が頷くと、彼女は立ち上がって、詰問するような調子で続けました。

17: 2010/12/28(火) 21:09:34.61 ID:Sr74ujdm0
「じゃあ、唯ちゃんは……いえ、あなたは、私がこんな風に、お湯を沸かして茶器に移すだけの作業を、
 毎日毎日繰り返してるとでも言うつもりなの?それが大変そうに見えたとでも言うつもりなの?」

私は黙っている他ありませんでした。
彼女は私の肩に手をかけて、震える声で続けます。

「お願い、答えて……そんなふうに、あなたは思っているの?」

「思ってるわけ無いよ!」

私は、怒鳴りつけてしまいました。
彼女のきれいな髪が、批難がましく揺れます。

「そんなこと、思ってるわけない、だけど昨日の紅茶は、不味かった、吐きそうになるほど不味かったんだ!」

「私は吐いたりしてないわ」

「……私は、吐きそうになったよ」

「私のために淹れてくれているのに、唯ちゃんの意見がそんなに大事なの?」

私は、しぶしぶ首を振ります。
そこでようやく、ドン臭い私は、彼女の声の調子が変わっていることに気がついて、顔を上げました。
むぎゅっ、と抱きしめられました。

「お茶の淹れ方、勉強した?」

「ムギちゃんがしてるの、いつも見てたから、できると思った」

「いつも見てたの?」

18: 2010/12/28(火) 21:11:15.49 ID:Sr74ujdm0
彼女はくすくす笑って、意地悪く尋ねました。
意地が悪いというより、いたずらっぽい、という感じだったかもしれません。

「見てた、見てたん……だよ……」

見ていたのに、あんな紅茶を淹れてしまった自分が憎くて、いい年して泣いてしまいました。
彼女は察してくれたのか、もしかしたらそうじゃないかもしれないけれど、とにかく私の頭を撫でてくれました。

「そっか、ありがとう……ほら、いい子いい子」

声も手も髪も、いつもの柔らかい彼女に戻っていて、ほっとすると同時に、
抑えていた悔しさが溢れでてくるようでした。

「ごめんね、ムギちゃんはあんなに不味いお茶淹れないもんね……ごめん、なさい」

「まずくなかったわよ、別に」

「うそ」

もう、と彼女は笑って私を放して、顔をじっと見つめました。

「淹れ方を勉強しなかったのは、どうして?」

「ムギちゃんの見てたから、出来ると思ったの」

「そっか、そんなに見ててくれたのね」

私は頷きました。

19: 2010/12/28(火) 21:12:47.73 ID:Sr74ujdm0
すると彼女はいっそう優しく微笑んで、私の手を握って立ち上がらせました。

「唯ちゃん、お茶の淹れ方、教えてあげる」

「やだ、見てたから、出来るもん」

意固地になって、私が横に首を振ると、彼女は眉を下げて笑いました。
それから、少し恥ずかしそうに笑って、言うのです。

「私も、唯ちゃんのこと見てるから分かるわ。
 唯ちゃんが何かを出来るようになるには、集中力が必要で、それは大抵好きなもののために発揮されるでしょう?」

「よくわかんないけど、そうかな」

「そうよ、いつも見てるもの……ねえ、私のことは好き?」

突然に彼女は尋ねてきました。
それでも、なぜだか、どもらずに言えてしまったのです。

「好きだよ」

「……そう、じゃあ、私のために集中して聞いていてね?」

少しはにかんで、照れくさそうに彼女は食器棚へ向かいました。

「まずティーポットを温めるの。昨日、唯ちゃんもやってたわね」

熱湯をポットに注いで、彼女は私の頭を撫でます。
けれど、昨日私がやったのは、ただの真似だから、褒められることでもないと思うのです。

20: 2010/12/28(火) 21:15:35.92 ID:Sr74ujdm0
「これはね、茶葉の味がよく出るように、するのよ。そうしたほうが、美味しくなるから」

そう言って、彼女はお湯を湯沸かし器に移し変えて、ポットに茶葉を入れ、蓋をしました。

「こうやって少し蒸すと、もっと風味が出るわ、これも唯ちゃんがやったわね」

「やってないよ」

意識する前に、声が出ていました。
ただ、これは絶対に言わなければならないと思うのです。

「私がしたのはただの真似で、お茶を美味しくしようなんて考えてなかったから、だから何もしてない」

「そうかもね」

彼女は笑って、また私の頭を撫でました。
そして、お湯が沸騰してすぐに、泡立つ熱湯をポットに入れました。
ふわふわと、細かい茶葉が熱湯の中を漂います。

「勢い良く注ぐと、こんな風に茶葉が舞うの。これでずっと美味しく出来るわ」

美味しく、美味しく。
彼女がそればかり言うから、私は思わず笑ってしまいました。

「やっぱり、笑っていたほうがいいわ。でも、どうしたの?」

「あのね、ムギちゃんは優しいね」

そうかしら、と言って、彼女は小さく微笑みます。
そして、ポットに蓋をして、ポットを手で包み込みました。

21: 2010/12/28(火) 21:18:08.66 ID:Sr74ujdm0
「何やってんの、熱いよ!」

「こうすると熱が逃げないかな、って、根拠はないんだけれどね」

でも、頑張ったって、自慢できるから。
そう言う彼女は、とても子供っぽく見えました。
それに、彼女はそんなことを自慢なんて、決してしないのです。

「自慢なんてしてないじゃない」

「ふふ、じゃあ、今からするね。頑張ってるでしょ、私」

ふわふわと茶葉が漂って香りが漂って、最後に彼女の笑顔が混ざるのです。
それだけで、私は嬉しくなります。

「あと三分蒸すの?」

「二分一五秒くらいで良いの。苦いの、苦手でしょう?」

私は頷きます。
彼女は、今まで見せたこともないような笑顔で、少し飛び跳ねました。

「やっぱり!良かったわ、最初にお茶を出したとき、少し困ったような顔をしていたから、そうだと思っていたの」

少しどきっ、として、私は息を吐きます。
彼女は、私よりもずっと前から、ずっと注意深く、私のことを見ていてくれたのです。

「じゃん、ここで唯ちゃん専用の隠し味です」

23: 2010/12/28(火) 21:20:04.66 ID:Sr74ujdm0
そう言って彼女が鞄から出したのは、スチール製の容器。
りんご、うし、とラベルが貼ってありました。

「うし……え、牛肉?」

「牛乳よ」

くすくすと彼女は笑って、湯気のたつティーポットの中の紅茶を、別のポットに移し変えました。

「移し替えなくても別にいいけれど、茶葉が入ったままだとどんどん味が濃くなっちゃうから。
 それに、こうすれば味も混ざるからね」

「あじ」

「そう、奥のほうに沈んでいる部分は、ちょっと苦いの。茶葉に近いところなんかは特にね」

そういえば、昨日私が飲んだお茶は、茶葉は入ったままで、その上よく混ぜもしませんでした。
よくもまあ、あんなに根拠の無い自信を持てたものだと、すこし可笑しくなります。

「それで、唯ちゃんのカップには牛乳とりんごジュースを入れます」

「ええ、どうして?ムギちゃんのと一緒がいいよ」

彼女は少し照れくさそうに、手を後ろで組んで言いました。

「でも、これが唯ちゃんのための紅茶なの。一ヶ月間、注意深くあなたの反応を見ていたのよ?」

24: 2010/12/28(火) 21:26:05.91 ID:Sr74ujdm0
「そう、嬉しい……いつもおいしいお茶、ありがとう」

私は顔が赤くなるのを感じて、さっと顔を背けました。
彼女も少し小さな声で、言いました。

「座りましょう。きっと美味しいから」

彼女の言ったとおり、それはいつも通りのおいしいお茶でした。
いや、彼女がどんなことを思いながら淹れたか知った今では、ずっと美味しく感じます。

「美味しい」

「そう」

彼女はにこりと笑って、そして、少し間を空けて言いました。

「唯ちゃん、あのね、昨日の紅茶は少し苦すぎたわ」

「だよね」

「うん、その、ごめんね……余計な気遣いだったかしらね」

「いいよ。次は、ちゃんと淹れるからね」

そう言ってしばらくして、彼女は微笑んで言いました。

「ちゃんと私のこと、見ていないと駄目よ?おいしいお茶、淹れたいなら、ね」

27: 2010/12/28(火) 21:29:21.88 ID:Sr74ujdm0
素敵な彼女が私のために淹れてくれた初めての紅茶。

それは彼女のオリジナルで、出会ってまだ二日でした。

その味は甘くて、少し苦くて、こんな素晴らしい紅茶をもらえる私は、

彼女に取って特別な存在なのだと、そうならいいな、と思いました。

今では私がお茶係。彼女にあげるのはもちろん平沢唯オリジナル。

なぜなら、彼女は当然、私にとって特別な存在だからです。

28: 2010/12/28(火) 21:30:56.06 ID:Sr74ujdm0
唯「……とっぴんぱらりのぷう」

紬「……」

唯「アレレー、オッカシイゾー、そんなに震えてどうしたのかな?」

紬「べ、別に。会いたくて会いたくて震えてるわけじゃないわ」

唯「へえ、じゃあ信頼するよ、大丈夫なんだね?」

紬「どんとこいです」

唯「じゃあ、こんなふうに指を絡めても、平気……?」

紬「……どんとこいよ」

唯「そう、じゃあ、こんなふうに顔を近づけるのは……?」

紬「息がかかって温かいわ……エコね」

唯「そう……じゃあ、さ……ん……」

紬「ん……」


唯「ふふ、帰ろうか」

紬「うん……ねえ、今度、お茶、淹れてね?」

29: 2010/12/28(火) 21:33:24.55 ID:Sr74ujdm0
おわりだよ!
やっぱみんな見ちゃうんだね!
みんなもっと和ちゃんスレも見てくれよな!
次回も超エキサイティンッ!!

30: 2010/12/28(火) 21:34:30.64 ID:tV8KyiWK0

むぎゅは天使

31: 2010/12/28(火) 21:34:59.75 ID:aFVEiE3D0

結構なお点前で

47: 2010/12/28(火) 23:10:23.69 ID:Sr74ujdm0
唯「あのねあのね、ムギちゃん、ニルギリならストレートで飲めるよ!」

紬「あら、大人になったのね唯ちゃん」

唯「えへへ~、今から淹れてみるね」

律「……澪さんや、あの人達は一体どうしたんです?」

澪「知らないよ……なんか怖いな、唯が熱湯持ってると」

紬「そうかしら。唯ちゃん紅茶淹れるの上手なのよ?」

律「意外だな」

唯「はい、平沢唯オリジナルだよ」

紬「ありがとうございまーす♪」

唯「どういたしましてー」

澪(……滅茶苦茶仲いいな、気持ち悪いくらいだ……もしや……)

48: 2010/12/28(火) 23:13:02.49 ID:Sr74ujdm0
「ムギちゃんの家ってさあ、お金持ちだよね」

唐突に、愛しい可愛い彼女が言いました。
そんな不躾な質問、ここまで直接にされたことはありませんでしたから、すこしたじろいでしまったのです。

「あ、え、ええ……まあ、普通より、少し生活水準が上なくらいにはね」

「だよねえ……あ、紅茶入ったよ、生姜いれてみようか、寒いから」

すっかり慣れた手際で紅茶を淹れて、彼女はにこにこと笑います。
彼女が出してくれた紅茶は、冬の寒さを簡単に和らげてくれるものでした。
平沢唯オリジナル、とかなんとか、彼女は言っていたっけ。

「あら、ありがとう……ちょっと辛いわね」

「ありゃ、美味しくなかったかな?」

彼女が不安気に私の顔を見つめてきました。
けれど、すぐに笑います。

「ふふ、ばれちゃった?すごく美味しいわよ」

顔を見れば、何かが分かる、なんて、なんだか素敵なことです。
自然と笑みがこぼれました。

「えへ、もうどぶ水なんて言わせないもんね」

溝水。そう言って、彼女の淹れたインスタントティーをさんざこき下ろしたことがありました。
思い出すだに、皮肉なことです。

49: 2010/12/28(火) 23:14:48.70 ID:Sr74ujdm0
「うん、すごく美味しいわ。こんなのが溝に流れてたら、顔を突っ込んで飲んじゃうくらい」

はしたないね。
彼女はそう言って笑いました。

「あ、そうだ、話の続きね。あのね、ムギちゃんの家に遊びに行きたいの」

一瞬、ティーカップを持ち上げていた私の手が止まりました。
何故でしょうか、不安で、けれど、なにかを期待して、私は動けなくなったのです。

「それは、どうして?」

「あのね、えっと……」

顔を見れば、何かが分かる。
それはとても素敵なことだけれど、分かってほしくないものもあるから、私はそっと目を伏せました。

「えっと……か、隠れんぼがね、してみたいな、って」

かくれんぼ。
それを聞いて、私は目を開けました。

「ふふ、楽しそう。今度の日曜日にどうかしら?」

彼女は顔を輝かせました。
平沢唯オリジナル、最後の一滴は、やけに辛く、苦い、味の濃いものでした。
また、この娘は最後の最後でツメが甘いようです。
美味しいから、いいけれど。

50: 2010/12/28(火) 23:16:59.31 ID:Sr74ujdm0
今日もお喋りをしていたら一日が終わってしまいました。
いけないなあ、と思いはしますが、それが楽しいのだから、しようがありません。

みんなと別れて、駅へ向かいます。
ポケットから定期入れを出して、ICカードをピッ。
慣れたものです、寂しいものです。
昔は駅員さんに定期券を見せていたらしいのですが、今はかたいカードをかざすだけです。

寂しいものです、でも、そんなものです。

「おかえりなさいませ」

家に、無駄に、下品なくらい広い敷地の我が家へ帰ると、数人の使用人が迎えてくれました。
みんな、年頃の上品な女の子たちです。けして私の趣味ではありません。
そういえば、琴吹分家の人も使用人として、この屋敷で働いている、とか。

「お嬢様、お召し物をこちらへ」

可愛らしい顔立ちの使用人が、私の制服を腕にかけて、どこかへ歩いて行きました。
けして私の趣味ではありません。

「お嬢様、御部屋の掃除は済んでございます。
 後ほど紅茶を持ってまいりますので、どうぞごゆっくりなさってください」

初老の男性が、深々と頭を下げて言いました。
紅茶、と彼は言いました。紅茶なら、好きなのだけれど。

部屋に入ってそうそう、ベッドに寝転びます。
柔らかい、弾力のあるベッド。
残念なことに、温かくはないのです。

52: 2010/12/28(火) 23:19:13.10 ID:Sr74ujdm0
うとうととまどろんでいると、硬い音がなりました。
遠慮がちに扉を叩く音。

「はーい、入って構わないわ」

これまた遠慮がちに扉を開けて、初老の男性が部屋に入ってきました。
手には茶器の乗った盆が。

「これは失礼しました、ご就寝なさっていたのでしょうか?」

「ううん、ぼうっとしていただけよ。それに紅茶好きだから、構わないわ」

肩にかかった鬱陶しいほど長い髪の毛を払って、彼の持った紅茶を飲みます。
途端に、気づくのです。
彼の持った紅茶は、彼の淹れた紅茶じゃない。

「これ、斉藤が淹れてくれたの?」

「恐縮ながら、そうでございます。使用人に手の空いているものがおりませんでしたので」

私が黙り込んでいると、彼は心配そうに、けれどいつも通りの口調で、言いました。

「なにか、不都合なことでも」

馬鹿です、彼は。
彼は私のことを心配しているのに、私のために紅茶を淹れることすらしてくれないのです。

「いいえ、何でもないわ。だって、昨日と、一昨日と、全くおんなじ味だものね?」

「それは、まあそうでしょうな」

53: 2010/12/28(火) 23:22:32.60 ID:Sr74ujdm0
馬鹿です、彼は。

「うん、そうよね。ありがとう、下がっていいわ」

「では、失礼いたしました」

馬鹿です、彼は。
昨日は栗毛の使用人が、一昨日はメイド長が淹れてくれました。
そして、今日は、彼が淹れてくれたのです。
私のために、いつも繰り返される味の、溝水を。

「斉藤、馬鹿よ、あなたは」

音楽室よりも広い部屋、黒板よりも大きなベッドの上、私はつぶやきました。
けれどその言葉が、彼が出て行った扉まででさえ、届いたかどうかは分からないのです。

「ばか」

もう一度だけ、呟きました。
言葉は、行き先を見失って、困ったように私のもとへ帰ってきてしまいました。

54: 2010/12/28(火) 23:24:24.66 ID:Sr74ujdm0
日曜日。
どれほどこの日を待ったでしょう。

「ひ、ひらさわですっ!む……紬ちゃんはいらっしゃいますでしょうか」

「唯ちゃん、応答してるのは私よ」

インターフォンがなって、使用人が取り次いでくれたのですが、なんだか面白くて、
かちこちに緊張した彼女を、ベッドの上から眺めていました。
彼女ははっとして、頬を膨らませました。

「先に言ってよね、馬鹿みたいじゃんか」

そう言いながらも、彼女はへらっと笑っていました。

「ふふ、ごめんね。鍵、開けたから、入ってきて」

たったかと、運動会へ急ぐ子供のように、彼女は敷地へ入ってきました。
彼女にとって楽しい日になればいいのだけれど。

「お嬢様、失礼いたします。ご学友がいらっしゃったようなので、歓迎の準備ができてございます」

もしかしたら、そうはならないかもしれません。
この冗長な話し方をする、初老の男のお陰で。

56: 2010/12/28(火) 23:26:20.01 ID:Sr74ujdm0
「え、えっと、あの、かくれんぼを」

「はあ、かくれんぼ、でございますか」

教室の黒板くらいある、木製のテーブルに座って、彼女と私はお菓子を食べました。
ふわり柔らかいお菓子で、少し甘い。
だから、きっと、今日も紅茶が出るのでしょう。

「そうなんです、あの、駄目か……でしょうか?」

首をかしげて、彼女は尋ねました。
そう言う間にも、彼女はお菓子を口に放っています。

「さあ、どうでしょうな……西館と裏庭は現在清掃中ですから、立ち入れませんし、少し豪快さに欠けるやもしれませんな」

「いや……まあ、はい、そうですか」

初老の執事はテーブルにつきっきりです。
けれど、これから出てくる紅茶もきっと昨日と同じ味なのでしょう。
昨日と同じ、溝水。

「むう……あれ、ムギちゃんどうしたの?」

彼女は私と目が合うと、訝しげに言いました。

「そんなに見られると、なんていうか、照れるんだけど」

彼女は気づくのでしょうか。
私は、彼女に気づいて欲しいのでしょうか。

57: 2010/12/28(火) 23:28:14.76 ID:Sr74ujdm0
「ん、ああ、ご苦労……お嬢様、平沢様。紅茶が入りましてございます」

おどおどとした、可愛い――繰り返しますが、私の趣味ではありません――使用人から、
薄赤色の茶の入ったポットを受け取って、彼は軽く頭を下げました。

「ダージリンでございます。S.F.T.G.F.O.P.、きっと平沢様もお楽しみいただけるでしょう。
 ファーストフラッシュではないのが心苦しいのですが、どうかご容赦を……」

「す、すぺしゃるふぁいんてぃっぴ……?」

仰々しい彼の説明に、彼女はすっかり萎縮してしまいました。
つい苛々して、半ば怒鳴りつけるように、彼に言ってしまいました。

「斉藤、そういうのは良いから」

彼は特に気にかける様子もなく、こともなげに頭を下げるのです。そう、彼は気にしていないのです。

「失礼いたしました。では、牛乳はこちらにございますので、どうぞお好みで……」

彼の説明を聞いて、突然、彼女は素っ頓狂な声を上げました。

「え、すぺしゃるてぃっぴぴなのに、そんな手抜きなんですか?」

これには流石に、初老の、石のような心を持った執事も気を悪くしたようで、少しぞんざいな口調で言いました。

「手抜き、でございますか。とんでもない、一流の茶葉を、一流の淹れ方で、まさに最高級の品でございます。
 茶葉を蒸らす時間を秒単位で指定、茶葉の量ですら、誤差0.1グラムで決まっておるのですよ」

誇らしげに言う斉藤。少し、むかむかします。
けれど、彼女の言った言葉は、それを忘れてしまうくらい、衝撃的でした。

58: 2010/12/28(火) 23:31:05.08 ID:Sr74ujdm0
「どぶみずでも、飲んでいたらどうですか?」

しばらく、重たい沈黙が流れていました。
斉藤は眉を潜めています、よっぽど気に触ったのでしょう。
彼は馬鹿です。そんなことよりも、誇るべきことが、やるべきことがあるはずなのに。
すう、と息を吸って、一言一言、はっきりと彼女は言いました。

「どぶみずです、こんなの。だって、あなた達はムギちゃんのために何をしたんですか?」

「紅茶を淹れましてございます」

「淹れて無いよ、馬鹿にしないで」

彼女は、詰問するような口調で、言いました。
斉藤も驚いているようです。

「ムギちゃんの顔も見ないで、マニュアルだけ見て、それで淹れたなんて言わないで。
 こんなどぶ水を、私たちに飲ませる気だった……んですか?」

彼女がおざなりに付け足した丁寧語が可笑しくて、思わず私は吹き出して笑いました。
斉藤はぽかんと口を開けています。

「笑っちゃだめだよ、ムギちゃん、この人たち、最低なんだよ」

「まあまあ」

私がなだめすかして、その場を離れようとするとき、彼女は大声で捨て台詞を放ちました。

「ばかっ、平沢唯オリジナルのほうがよっぽど美味しいもん!」

60: 2010/12/28(火) 23:33:43.38 ID:Sr74ujdm0
彼女の手を引いて、部屋まで駆けていきました。

「かくれんぼ、できなくなっちゃったわねえ」

ぽす、と柔らかい音を立てて、ベッドに座り込むと、彼女もそれに続きました、
やけに広い部屋も、二人でいるには丁度いいかもしれません。

「いや、この部屋も広いよ……でも、ちょっと気まずいね」

「あら、そうなの?」

「うん、流石にあんな啖呵を切る必要はなかった……かも」

ごろり。柔らかい、金ばかりかけたベッドに寝転んで、馬鹿に高い天井を見上げます。

「そんなことないわよ、本当のことだもの」

彼女は座ったまま、こちらをじっと見下ろしています。

「柔らかいね、このベッド」

「そうね。でも、冷たいのよ」

何の気なしに、私はそう言ってしまいました。
本当に無意識だったものですから、自分でも驚きました。

「そっか、ねえ、ムギちゃん」

そう言って、彼女は勢い良く倒れこみ、私を抱きしめてくれました。
36度数分、程よい暖かさです。

63: 2010/12/28(火) 23:37:09.77 ID:Sr74ujdm0
「えへへ、平沢唯オリジナルです」

はにかむ彼女に、くすくすと笑って、私は言いました。
その髪を撫でてみると、ベッドより、よっぽど柔らかかったのです。

「そりゃあ、唯ちゃんの体だものね」

そのまま十数分、二人でぼうっと天井を眺めました。
彼女も私の真似をして、無駄に長い髪を弄ります。

「髪、切っちゃおうかしら」

「ええ、駄目だよ。長くて綺麗だもん」

「でも、邪魔なのよ」

「そうかな、凄く優しいよ」

優しい。
そう口の中で呟いて、私は彼女に抱きつきました。

「唯ちゃんは、優しいね」

そうかな、と言って、彼女は微笑みます。

66: 2010/12/28(火) 23:39:11.46 ID:Sr74ujdm0
ばたばた、騒がしい音が扉の外でして、大きな音を立てて扉が開きました。
息を切らした斉藤が、手に茶器とティーポットを持って現れました。

「お嬢様、平沢様……おっと、無粋でしたかな」

斉藤、その発想と発言のほうが無粋よ。
私が文句を言おうとすると、彼女は嬉しそうに言いました。

「斉藤さん、それ」

彼女が指さしたのは、恐らく、彼の淹れた紅茶。

「む、ああ……ダージリンティーでございます。
 お嬢様はいつも牛乳を入れる、と使用人から聞きましたので、僭越ながら、私の独断でミルクを入れております」

長い、冗長な言葉。

「さらに、これまた私の独断ではありますが、柚子を入れております……その、お嬢様が好きかと思いまして」

くつくつと、彼女は声を頃して笑います。
私も何だか可笑しくて、彼女と顔を見合わせて笑いました。

「いやあ、給仕室なぞ久しく訪れておりませんでしたから、恥ずかしながらいい加減な時間配分になってしまいました。
 なにぶん、あわてていたもので、しかし、よろしければ……

「斉藤さん」

くだくだと説明を続ける斉藤の言葉を、私の長い髪を肩から払って、唯ちゃんが遮ります。ちょっと先輩風を吹かせて、楽しそうに。

「長いよ、結局、その紅茶は何?」

67: 2010/12/28(火) 23:42:08.50 ID:Sr74ujdm0
しばらく考え込んで、合点がいったように、斉藤は笑いました。
大袈裟な、厳かな口調で、頭を下げて言いました。

「斉藤オリジナルでございます。どうぞ、ご堪能下さい」

「うん、頂くわ」

自然と、心を踊らせながら、彼が私のために初めて淹れてくれた紅茶を飲みました。
少し、甘すぎます。また、唯ちゃんと顔を見合わせて、笑いました。

「斉藤、甘すぎるわ」

「む、それは精進せねばなりませんなあ」

とても悔しそうに、そう言う斉藤。
彼は馬鹿です、彼はもっと、溢れるような父性を誇りに思ってもいいはずなのに。

「でも、美味しいわ。柚子もすごくいい香り」

「美味しいねえ、ほんわかするよ」

唯ちゃんも私に同調しました。斉藤が少し曖昧な笑い方をして、口を開きました。

「そうでございましょう、なんせ、厳選された一流の素材しか……」

「斉藤さんや」

唯ちゃんが、それはもう可笑しくて堪らないというように、枕を胸に抱えて、笑いを抑えて言いました。

「もしかして、恥ずかしがっておるのかね?」

69: 2010/12/28(火) 23:45:31.68 ID:Sr74ujdm0
斉藤はゆっくりと口を開きます。

「いやはや、参りましたな」

小さく呟いた声は、それでもしっかりと、私たちの耳を目がけて、旅をして、ちゃんと到着しました。
それは、とても愛しいことだと思うのです。

「斉藤」

まだはにかんでいる斉藤に向かって、私は言うのです。

「ありがとう、いつも感謝しているわ、本当に」

それでもって、今日は、下がっていいわ、なんて言わないでおきましょう。
彼の冗長な口上を楽しみましょう。
だって、私の髪を、綺麗で、優しいと思えるようになったのです、ようやく、私も。

70: 2010/12/28(火) 23:47:36.83 ID:Sr74ujdm0
頼れる執事が私のために淹れてくれた初めての紅茶。

それは彼のオリジナルで、長すぎる口上を伴う物でした。

その味はあんまり甘くて、けれど素晴らしい香りで、こんな素晴らしい紅茶をもらえる私は、

彼に取って特別な存在なのだと、改めて確信を持てて、私は微笑みました。

今度は私が淹れるのです。彼にあげるのはもちろん琴吹紬オリジナル。

なぜなら、彼は当然、私にとって特別な存在だから、ねえ、そうでしょう?

72: 2010/12/28(火) 23:49:32.97 ID:Sr74ujdm0
澪(……なんてことが、あったのかもしれない、な……)

澪(それにしても、斎藤さんも大変だよな、ムギに怒鳴られたりしてたし)

紬「……澪ちゃん、流石にそんなにドラマティックなことはないわよ?」

澪「うひぃっ!?こ、心を読むんじゃありません!」

紬「ふふ、ごめんね。ほら、美味しいわよ、平沢唯オリジナル?」

澪「全く……」


紬「ああ、でも、ドラマティックなキスはした、かな」

澪「」ブーッ

律「うぉ、汚っ!つか熱っ!」

73: 2010/12/28(火) 23:50:44.00 ID:Sr74ujdm0
おわりです!早く寝ろ!

75: 2010/12/28(火) 23:52:11.88 ID:rG6iBg0AO
終わりだと?
まだ930も残ってるぞ

102: 2010/12/29(水) 08:15:11.14 ID:iCKS5U7r0
紬(新入部員が入ってきました!)

梓「新歓ライブの皆さんの演奏聴いて感動しました!」

紬(いいこです)

唯「……でも、眩しくて直視できないこです」

紬「!?」

唯「……えへへ、顔、見てたから」

紬「うふふ」

梓「早速練習を……お茶?」

紬(真面目な子です。一悶着あるかもしれません)

紬(というか、そういうことにしておかないと、妄想的に困るのです)

紬(というわけで、行ってみましょう!)

唯「……複雑な思考はトレースできないよお」

紬「うふふ、精進しないとね?」

104: 2010/12/29(水) 08:19:29.21 ID:iCKS5U7r0
人間って、優しいと思うのです。
斉藤も優しい、彼女も優しい、軽音楽部のみんなも優しい。
さわ子先生と斉藤を見て、紙切れに群がるゲスの大群、だなんて、
パーティに訪れる人を見て大人にいだいていた印象は無くなりました。
それって、素敵なことです。

「では、お嬢様、いってらっしゃいませ」

斉藤は私が電車で通学することに、文句は言いません。
けれど、時折心配気に、せめて家の周りだけでも、と辺りをうろうろ見回っているのを知っています。
それって、優しいことです。

「ええ……ねえ、斉藤?」

みんなが優しいから、私も優しくなれるのです。
これは甘えかもしれないけれど、事実は事実として認めましょう。

「毎朝見回りご苦労様、ね?」

斉藤は困ったように、俯いたのか頭を下げたのか分からない、曖昧な程度に腰を曲げました。

「いやはや、まったく参りました」

彼だって、そうしているのです。
事実は事実として、そういうふうに認められる事実は、大抵素敵なことですから。

「ふふ、行ってくるわ」

そんなやりとりをして、思っていたよりずっと綺麗だった春の空を見て、街を歩くのです。

105: 2010/12/29(水) 08:24:43.64 ID:iCKS5U7r0
ぴっ。
だから、この自動改札の電子音が嫌いです。
これは、私が溝水と称した、インスタントティーと全く同じ発想で開発された物ですから。
でも、文句を言っても詮無いことでしょう。

「――行き、始発電車は、3番乗り場より七時四二分発の予定です――」

疲れたような駅員さんのアナウンスを聞いて、私は電車へ乗るのです。
ごとんごとん、気が狂ったように繰り返される音を聞いて、学校へ向かいます。
レニークラビッツのAre you gonna go my wayですら、こんなにしつこいリフでは無かった、と思います。

「おっと、すみません」

肩幅の広い男性が、電車に揺られて私にぶつかって、軽く頭を下げます。
ほら、きっとこの人は、ぶつかった人を無視できないくらいには、優しいのです。
みんなみんな優しい、そんな世の中のほうが、素敵です。

「――次はあ――」

はふがはほかん。
そういえば、車内アナウンスは、マイクに息が入らないようにあんな喋り方をするそうです。
聞き取りにくいけど、これも彼らなりの優しさでしょう。

ぴっ。
揺れる電車を降りて、また、無機質な改札機の音を聞きます。
けれど、そんなことで台無しになるような通学路でも無かった、と思うのです。

106: 2010/12/29(水) 08:28:08.06 ID:iCKS5U7r0
「あ、おはようございます」

駅から学校までの道のり、小柄な女の子に挨拶をされました。
彼女が頭を下げると、長いツインテールが揺れます。
少し高い細い声は、上品な猫のようです。
そういえば、スイスのおばさんが、うちのシャムシャムは夜うるさくて困っちゃうわ、なんて言っていたっけ。

「あら、朝から元気いっぱいね」

「ええ、そりゃあもう!ほら、見てください、私のムスタングです」

ギターのことなんてよく分からないけれど、小柄な梓ちゃんによくあった、ショートスケールのギターでした。
だから、可愛いね、と毒にも薬にもならない意見を言っておきます。
新入部員の梓ちゃんは眉を下げて笑いました。

「変な褒め言葉ですね」

飛び跳ねるように、短い――というのは失礼かもしれませんが――足を交差させて、梓ちゃんは私の隣を歩きます。
同じく、跳ねるような声で言いました。

「今日はどんな練習をするんでしょうか。楽しみで仕方が無いんです、私」

きらきらと輝く瞳、思わず私も笑みがこぼれます。

「そうねえ、まずはお茶じゃない?」

「あはっ、面白い冗談ですね」

屈託なく笑う梓ちゃん、けれど、私はあの時の斉藤と違って、少し眉をひそめずにはいられないのです。
梓ちゃんがそれに気づいて、心配気に尋ねてきました。

107: 2010/12/29(水) 08:32:23.70 ID:iCKS5U7r0
「あの、どうしました?」

「いえ、なんでもないのよ。ただ、まだちょっと寒いから、薄着で出たのは失敗だったかな、って」

ふうん、と梓ちゃんは気のない返事をしました。
なんとなく、何かが心配で、私は梓ちゃんの小さい背中に言いました。

「練習、いっぱい出来るといいわね」

「ええ、そりゃあ、あんなに素敵な演奏をする軽音楽部ですから!」

眩しい笑顔で、梓ちゃんは笑います。
そういえば、彼女は梓ちゃんの笑顔が眩しくて直視できないと言っていたけれど、
それはもしかしたら、いったん目を大きく開いて、それから細める、梓ちゃんの独特な笑い方のせいかもしれません。

梓ちゃんの笑い方を知っている、それは、梓ちゃんが楽しんでいるかどうか分かるということです。
顔から何かがわかるって、素敵で、大切で、愛しいことです。

「ねえ、梓ちゃん。部活、頑張りましょうねえ」

「はい!」

まだ似合わない制服を着た梓ちゃんと一緒に、終始微笑んで学校へ向かいました。

108: 2010/12/29(水) 08:35:17.54 ID:iCKS5U7r0
授業が終わりました。
授業は……これまた言い方は悪いですけれど、溝水です。
だって、四〇人に同じ方法で、同時に教えるなんて、えっと、そう、工場制手工業です。
資本主義の悪しき効率至上の考えです。

「ふうい、しばらくはガイダンスばっかで楽ちんだねえ」

く、と掠れた声を出して、彼女が伸びをしました。

「すぐにお前は和に泣きつくんだろうが」

りっちゃんに言われて、彼女は、そんなことないもん、と頬をふくらませます。
そうです、だって彼女は、多分、私に泣きつく。
そう思って、くつくつと笑いました。

「あ、ムギちゃんが変なこと考えてるよお」

「いや、笑っただけでその言い草は酷いだろ」

ひゃあ、とおどけた仕草で言う彼女に、りっちゃんは言いました。
けれど、ご名答、変なことを考えてました。
だから、笑って誤魔化して言いました。

「まあまあ、それより、早く音楽室へ行きましょう。後輩より遅れてちゃあ、示しがつかないわ」

いい加減でおちゃらけている彼女とりっちゃんも、流石に後輩の前ではいい格好がしたいようです。
大声で、梓ちゃんのことを話しながら、音楽室へ向かいました。

109: 2010/12/29(水) 08:40:50.40 ID:iCKS5U7r0
音楽室へ着くなり、彼女は言いました。

「よし、はりきってお茶淹れちゃうよ!」

お湯をわかす姿でさえ、もう随分と様になったものです。
りっちゃんも、もう彼女がお湯を使うことを心配なんてせずに、わくわくと待っています。

「じゃあ、今日は久々に、二人とも淹れようぜ。で、美味しかったほうが梓の先輩な!」

変なことを言います。
みんな梓ちゃんの先輩なのだけれど、まあ、初交流としては面白いし、悪くない企画でしょう。

「ムギちゃんにだって負けないよ」

「あら、師より優れた弟子なんて、いるわけないじゃない」

なんてことを言いながら、私も彼女も、多分りっちゃんも、分かっているのです。
どちらが美味しいか、どれだけ手間をかけたかなんて問題ではなく、結局必要なのは……

「おお、今日は二人が淹れる日か。唯の紅茶はちょっと甘すぎるよな、それはそれで好きだけど」

音楽室へ入ってきた澪ちゃんが、長い髪を揺らして、さっさと席へ着きます。
練習練習言わずに、紅茶も楽しみにしてくれているというのは、けっこう嬉しいものです。

「今日は梓ちゃんの反応見だから、いつもと味は変わっちゃうわよ」

「そうそう、いわばジャブだよね!間合いを取る右中段突きだよね」

そうねえ、と微笑んでいると、また、音楽室の扉が開きました。

110: 2010/12/29(水) 08:43:32.52 ID:iCKS5U7r0
「こんにちはっ!」

元気のよい声を出したのは、我らが新入部員梓ちゃんです。
皆さん早いんですね、なんて言うから、私と彼女とりっちゃんはほくそ笑みました。
澪ちゃんが落ち着いた様子で言います。

「まあ、仮にも先輩だからな。それより、梓、その髪の毛、大変じゃないのか?」

「え、何故です?」

「随分と揺れてるから。下ろせばいいのに」

でも、気に入っていますから、と笑って梓ちゃんは言いました。
りっちゃんが席に付くように促すと、梓ちゃんは不思議そうな顔をしました。

「は、お茶?」

「そ、お茶」

続いて、澪ちゃんになにやら目配せをします。
続いて、りっちゃん、彼女、最後に私。

「お茶、ですか。でも、先生に怒られちゃうんじゃあ……」

けれど、残念。さわちゃんだって楽しみにしているのです。

「あー、疲れた。ムギちゃん、私ミルクティーね」

こんなことを入って早々言うくらいには。
梓ちゃんも、少し驚いてから、渋々席に着きました。

112: 2010/12/29(水) 08:50:26.60 ID:iCKS5U7r0
「あ、美味しい……甘い」

梓ちゃんは紅茶を口に入れるなり、言いました。
それは彼女の。次に、梓ちゃんは私の淹れた紅茶を飲んでくれました。

「こっちは果物……たぶん、オレンジでも入れてるんでしょう?」

「うん、正解」

梓ちゃんは一度目を大きく開いて、眉毛を下げて笑いました。
それで、所在なさ気にふらふらと、ギターのもとへ向かいます。

「ふう、ムギちゃんのお茶は落ち着くわ。唯ちゃんのお茶は元気出るわねえ」

先生はそんなことを言ってくつろいでいましたし、りっちゃんと澪ちゃんはなにやら雑談していました。
私と彼女は、顔を見合わせて、なにごとだろう、と肩をすくめました。

次の瞬間、爆音が流れました。音量の調整をしていなかったのでしょう、フィードバックノイズまで入って、酷い音でした。

「うっ……どうもすみません」

そう梓ちゃんが言い終わる前に、さわちゃんは立ち上がって、言いました。

「うるさあいっ!」

梓ちゃんは驚いて、しばらく固まりました。
このとき、私たちも、連続で音楽室に響いた大きな音に、子犬のように萎縮してしまっていたのです。
これが、不味かったのかもしれません。

「な、なんですかそれ……」

113: 2010/12/29(水) 08:54:33.29 ID:iCKS5U7r0
梓ちゃんの震えた声が聞こえるまで、私たちは何も出来なかったのです。
彼女とりっちゃんが立ち上がったときには、梓ちゃんは大声で怒鳴っていました。

「こんなんじゃ駄目です!みなさんやる気が感じられません!」

もっともです。
私も澪ちゃんも、肩をすくめてうなだれるしかありませんでした。
彼女は必氏でなだめすかそうとしています。

「い、いや、ほらね、梓ちゃんの歓迎のつもりであってこれは何の他意もないわけだからして……」

「歓迎ってなんですか!お茶なんか、軽音楽部の歓迎にはなるわけないでしょうが!」

ぱん。乾いた音が響きます。
もう冬も過ぎて、空気も湿ってきたというのに、乾いた音が。
続いて、あちゃー、と言うさわちゃんの声。

「……お茶なんか、って、なにさ」

至極無表情に、彼女は言いました。
りっちゃんが慌てて彼女と梓ちゃんの間に割って入ります。

「まあまあ、ほら、落ち着け、な。それで、唯も謝ろう、手を上げちゃいかんよ。それは賛成するだろ?」

「そう、ですよ……なんなんですか、いきなり」

搾り出すように言う梓ちゃんに、彼女は頭を下げました。
梓ちゃんは水を得た魚のように勢いづきました。

「そうですよ、私間違ったこと言ってないもん。正論言われて手を出すなんて、小学生なんですか、あなたは?」

115: 2010/12/29(水) 09:00:24.11 ID:iCKS5U7r0
多分、りっちゃんが味方についたと思ったのでしょうけれど、それだけに、すぐに梓ちゃんの表情は曇りました。

「梓も謝れ。正論だったけど、暴論だし、一番言っちゃいけない類のことだ」

「あ、な……」

打ち上げられた魚のように、目を見開いて、ぱくぱくと口を動かす梓ちゃん。
一瞬後には、眉を下げて笑っていました。

「なんなんですか、私が悪いんですか……ふざけてんですか?」

「ふざけてんのは、お前だろうが」

眉をひそめるりっちゃん。
続いて、澪ちゃんが二人の間に割って入ります。

「二人とも熱くなりすぎだ。はい、おしまい。梓は……そうだな、一旦帰れ。
 それでもって、明日ゆっくり話しあおうな。ウチはディベート部じゃないんだから、いますぐ話しあうこともないだろ?」

梓ちゃんは終始俯いていました。
私は、張り付いたように冷たい椅子に座ったまま。

「……ええ、そうさせてもらいますよ……ッチ」

舌打ちをしたように聞こえました。
皆顔をしかめたけれど、梓ちゃんが出ていった後、さわちゃんだけが、大声で笑いました。

「サノバビXチ、って……私たちみんな女よ」

けらけらと笑うさわちゃんを、りっちゃんが睨みつけます。

116: 2010/12/29(水) 09:04:55.52 ID:iCKS5U7r0
「半分くらいさわちゃんが悪いんだからさ、そりゃないだろ……
 まあ、いいや。第一回野良猫をなだめすかした飼い猫にしましょう会議を始めます」

りっちゃんの号令で、私たちは席に着きました。
が、さわちゃんは席を離れて、音楽室の扉を開けました。

「嫌味っぽいわね、あなたたち。私でもあなたたちでもどうにもならないわよ。
 ……そうねえ、ムギちゃんと……あと一人くらいかな、私が知ってる中で、解決に役立ってくれそうなのは」

あっけに取られて見つめる私たちを置いて、さわちゃんはゆうゆうと音楽室を出ていきました。
あとには、ぽつん、と私たち四人が残されました。

「帰る、か」

誰かが、これまたぽつんと言って、みんなぞろぞろと、何も言わずに帰って行きました。


夕方は、ちょっと暖かくなります。
なんせ、春ですから。

「……あのさあ、私は澪ともうちょっと話しとくけど、どうする?」

「あー……私は帰るよ。一人でじっくりことこと、考えを深めようかなあ」

相変わらずのぽわぽわとした口調で、彼女が言うものだから、私たちは皆くすりと笑いました。
なんとかなるよね、そう思えたのです。
そう思って、皆と別れたのです。

ぴっ。
改札機の電子音で台無しになるような一日じゃあ無かったと思うのですが、なんとなく、憂鬱になりました。

118: 2010/12/29(水) 09:08:22.83 ID:iCKS5U7r0
電車、楽しくないどころか、少し不快でした。
だだっ広い敷地。ガラス張りのガーデンの中に、斉藤がいるのが見えました。
引き寄せられるようにそこへ向かっていくと、斉藤が私を見て、言いました。

「おお、お帰りなさいませ、お嬢様」

スーツ姿に如雨露は、なんだか似合いません。

「なにをしているの?」

「ああ、私はガーデニングの知識はございませんので、せめて水をやるだけでも、と思いまして。
 お嬢様は、真っ赤なバラがお好きでしょう?」

ふうん。気のない返事をしながらも、嬉しかったのだから、私はありがとう、と一言言うべきだったのです。
それなのに、何故だか、出てきたのは汚い言葉。

「斉藤って、お給金はどれくらいもらっているの?」

「は?……まあ、一般家庭よりはそれなりに多くもらっておりますな。それがいかがなさいましたか?」

ありがとう、と一言お礼を言うべきだったのに、私は下らないことを言って、部屋に戻ってしまったのです。

「ふうん、そうなの。随分と高給取りなのね」

斉藤は表情を変えませんでした。それが悔しくて、私は走るように部屋に戻りました。
部屋のベッドは、相変わらず柔らかくて、まだ冷たかったのです。
ですから、つい、思ってしまったのです。

多分、明日は梓ちゃんは音楽室に来ないだろう。
だって、私が梓ちゃんなら、できれば訪れたくないもの。

119: 2010/12/29(水) 09:12:12.52 ID:iCKS5U7r0
朝です。
こんこん、と氏んだ木が叩かれる音がしました。
扉を開けたのは斉藤で、相変わらず、ミルクが多すぎるように見える紅茶を持っていました。

「お嬢様、朝でございます……こちら、寝覚めの紅茶を。オレンジをいれてみたのですが……」

「いらないわ」

凄くいい香りがしたけれど、私は断ったのです。

「なんと……いえ、失礼いたしました」

深々と頭を下げる斉藤の隣を、ため息をつきながら通り過ぎたのです。

「大変ね、あなたも」

精進せねばなりませんな。
斉藤がそう呟くのが、聞こえました。
言葉は一生懸命私の耳を目指していたけれど、私はそれを払いのけました。

広い屋敷を出て、駅へ向かいます。
相変わらずの人ごみ、繰り返される電子音に、吐き気すら催します。
人ごみが避けている場所があったので、そこを見てみると、太り気味のおばさんが、地面に散らばった小銭を拾っていました。

そういえば、私は昨日は何もできなかったのでした。
梓ちゃんが怒って出て行った時、私はただ座っていたのでした。

もしかしたら、踏みとどまることが出来るのかもしれません。

そう思って、おばさんに近寄りました。

120: 2010/12/29(水) 09:16:09.72 ID:iCKS5U7r0
「ちょっと、ネコババするつもりなの!?近寄るんじゃないわよ!」

駄目、だったみたいです。
私は肩をすくめて、眉を下げて笑うしかありませんでした。

ぴっ、と無機質な電子音が、いつまでも耳に残りました。

電車に乗れば、誰かしらと肩がぶつかります。
謝らない人もいっぱいいるんだと、今になって気づきました。

「――お次は――」

はふがはほかん。
その声に、聞き取りにくいんだよ、と小声で文句をいう人がいることに、今になって気づきました。

もう一度電子音を聞いて改札を出ました。
見上げた空は、思ったより汚くて、私には苦笑いすることしか出来ませんでした。

とぼとぼと、通学路を歩くことしか出来ませんでした。

122: 2010/12/29(水) 09:19:30.11 ID:iCKS5U7r0
今日も小柄なあの娘の背中を見つけました。
気まずくなって、目を逸らすと、全力で駆けていく影が見えました。

「梓ちゃんっ!」

大きな声でそう言って、その影は、彼女は梓ちゃんに抱きつきました。
梓ちゃんは驚いたような顔をして、眉をひそめました。

「なんですか」

「あのね、紅茶、ちょっと甘さ抑えてみたら良い感じだったよ!今日、飲みに来てね?」

明るく尋ねる彼女を見て、梓ちゃんは溜息をつきました。

「はいはい、紅茶じゃなくて、練習しに、ですけどね」

長いツインテールが揺れます。
あんまりきつく縛っているものだから、頭皮を痛めやしないか、そんなことばかりが気にかかりました。
そのまま一人で歩いて、教室へ着いて、いつも通り、授業を受けました。

なによりも、悲しかったのは、授業が楽しく思えてしまったこと、でした。
いえ、楽しいというほどでもありませんが、少なくとも、批判の言葉を抑えるくらいには、合理的に思えました。
インスタントティーを黙って飲む自分を想像して、少し苦笑いをしました。

「ムギちゃん」

放課後、ぎゅっと私の手を握って、彼女が、私の顔を見つめて言いました。
なによりも辛いのは、彼女が何を考えているか分からないのです。
電車の中の、疲れた人たちの考えはなんとなく分かったのに、彼女の考えはわからないのです。

123: 2010/12/29(水) 09:24:23.70 ID:iCKS5U7r0
「音楽室、行こっか」

彼女はそう言って微笑みました。
そうだね、と私は目を伏せて返しました。
目を開けたときには、彼女は私に背中を見せていました。


音楽室に、梓ちゃんは来ませんでした。
りっちゃんが天井を眺めて、呟きました。

「来ねえなあ……澪なら、多分来るんだろうな」

「そうかな、がくがく震えて家に帰っちゃうんじゃないか……自分で言うのもなんだけど」

「いや、来るよ、お前は来る……がくがく震えて、鼻水ズビズビにしたって来るさ」

澪ちゃんはりっちゃんを見て、ちいさく息を漏らしました。

「ふふ、そりゃあ、どうも」

彼女は難しい顔をして、牛乳を飲んだり、みかんを囓ったりしています。
思い出したように、言いました。

「あ、そうだ。梓ちゃん、音楽室に来るって言ってたよ。朝、話した」

「そっかあ」

りっちゃんが顔を下げて、澪ちゃんを見ました。小さく、笑います。

「でも、来ないだろうなあ。さわちゃんの言ったこと、なんとなく分かったよ」

124: 2010/12/29(水) 09:28:24.15 ID:iCKS5U7r0
そのあと、肝心の梓ちゃんは来ないのに、気味が悪いほど明るい空気で、部活は終わりました。
談笑して、分かれる間際に、彼女が、私の耳元に口を寄せて言いました。

「笑ってたほうが、良いと思うけど」

私が言葉を返す前に、彼女は駆けて帰ってしまいました。
自分の口を指でなぞると、三日月型に曲がっていました。笑っていた、はずなのに。

とにかく、彼女の言葉を不思議に思いながらも、駅へ向かいました。
電子音がずっと鳴り響いています。
改札機、あれを越したら……私の定期券で音を鳴らしてしまったら、もう戻れない気がするのです。

しばらくじっと突っ立っていると、肩をポンと叩かれました。
振り向いた頬に、長い、綺麗な人差し指が刺さります。

「やっほ。あなたの恋人の幼馴染は、あなたの幼馴染も同然よね?」

学校では見せない陽気な笑顔で笑って、赤いアンダーリムの眼鏡をかけた生徒会長がいました。
短い髪が、冷たい風に揺れています。

「幼馴染のお誘い、断らないわよね?」

じゃあ、公園に行きましょう。
私は何も言わずに、和ちゃんについていきました。

日が傾きかけた公園には、子供はまばらにしかいませんでした。
ぎい、ぎい、と悲鳴をあげる古びたブランコの周りに、数人の子どもが集まっていました。
和ちゃんはスタスタとそこへ近づいていって、明るく言います。

「やあ、みんな。ちょっとお姉さんにもブランコ使わせてくれないかしら」

127: 2010/12/29(水) 09:31:20.79 ID:iCKS5U7r0
子供たちは少し不満げな声を上げました。

「あんだよ、高校生のくせにブランコなんて乗るのかよ。順番守れよな」

「はいはい。ほら、ムギ、一緒に待ちましょう」

あまり乗りたくありません。恥ずかしいです。
けれど和ちゃんがあまりに楽しそうだったから、ため息をついて、私は彼女にあわせました。

「よっしゃ行くぜ、一、二、三!」

掛け声を上げて、男の子がブランコから跳ぼう、としたのだけれど、何もせず、そのままブランコを降りました。
友達のところまで行って、悔しそうに笑って言います。

「無理だなあ、やっぱ怖いよ」

それを見て、和ちゃんは私の肩を掴んで、まるで十年来の相棒に言うように言いました。

「準備はいい?」

並んだブランコの片方に私、片方には和ちゃんが乗って、ブランコを漕いでいます。
子供の頃に、一度ブランコに乗ったことがあります。
あの時は、上手く漕げなくて、斉藤に背中を押してもらったのでした。

今、ブランコはぐんぐんとスピードを増して行きます。
空、地面、空……私の視界は色んなもので満たされていきます。
成長したら、こんな風に見えるんだと、なんとなく感心しました。

128: 2010/12/29(水) 09:34:52.07 ID:iCKS5U7r0
「すげー!姉ちゃんたちカッケー!」

子供たちが歓声を上げます。
それに負けない大きな声で、和ちゃんは言いました。

「このぐらいで何言ってんのよ、サノバビXチ!見ときなさいよ……」

前に行ったときに、一。
後ろに戻って、二。
そしてまた前に行ったとき、和ちゃんは叫びました。

「三!」

放物線を描いて、和ちゃんの体は宙を駆けました。
ずだっ、と大きな音。
勢いを抑えきれずに、和ちゃんは数歩走りました。
振り向いて、ブイサイン。

「ほら、どんなもんよ!ムギも跳びなさい!」

子供たちの期待の目が、こちらへ向けられます。
移り変わっていく映像の中に、和ちゃんと子供たちの笑顔が加わります。

「で、でも……私怖いわ!」

情けない声を上げた私に、和ちゃんは怒鳴りました。

「甘えなさい、大馬鹿ちん!受け止めてあげるから、頼りなさいよ!」

132: 2010/12/29(水) 10:19:08.24 ID:iCKS5U7r0
子供たちも、歓声を上げます。

「カッケー!眼鏡の姉ちゃんカッケー!」

続いて、跳べ、のコール。
とーべ、とーべ、とーべ……
催眠術に描けられたように、私は跳んだのです。

ふわりと、地球が私を手放します。
視界が空でいっぱいになって、そして、長い髪が宙になびきます。

綺麗だと、彼女が言った髪が、次は上へなびいて、体に衝撃が。
私は和ちゃんに受け止められたのです。
和ちゃんが低いくぐもった声を出します。
続いて、拳を天にあげて、一言。

「私は……私たちは勝ったわ!」

子どもたちの、溢れるような声が続きました。
その声は私にも向けられていて、それで、和ちゃんが全力でwe will rock youを熱唱するから、つい、私は笑ってしまいました。

「あら、ほら、ムギも足踏みしなさいよ」

シンギン!と、子供たちの声が混ざります。
私たちの声は、誰に届いたわけでもないけれど、この汚らしい赤色の空には、きっと届いたでしょう。

134: 2010/12/29(水) 10:25:14.52 ID:iCKS5U7r0
数分後、日もすっかり傾いて、子供たちは親に手を引かれて、家へ帰っていきます。

「やだよ、あの姉ちゃんたちまだ帰ってないじゃんかよ!」

親はきっ、と私たちを睨んで、言います。

「あのお姉ちゃんたちは大人だからいいの」

「嘘つけよ!大人がブランコなんてするわけないじゃんか……あああ」

ほっぺたをつねられて、生意気な男の子は悲鳴を上げました。近くの女の子が、まあまあ、となだめすかします。

「明日も遊べるじゃない」

やけに大人びた一言で、けれどその娘も、明らかに帰るのを渋っていました。
隣を見ると、きーこ、きーこと、ゆっくりブランコをこぎながら、和ちゃんが微笑んでいました。

「あれ、私たち」

和ちゃんが指さした先には、大人びた、落ち着いた子がいました。

「で、あっちは唯達」

次に指さしたのは、ぎゃーぎゃーと文句を云っている、生意気な子が。

「分かったかしら?」

「うん、分かった」

首をかしげた彼女に、私は答えました。

135: 2010/12/29(水) 10:29:03.74 ID:iCKS5U7r0
きい、きい……
だんだん、ブランコの音は小さくなっていき、やがて止まりました。
膝に肘をついて、頬杖を突いて、和ちゃんが、唄うような調子で言いました。

「素敵な大人になりましょうね。そりゃあ、嫌なこともあるけれど、全部飲み込んで、笑えるようになりましょう。
 それで、子供たちだけは、ずっと笑わせていましょう。運良く、私たちは大人と子供の中間にいるんだから」

なんとなく先生の顔が頭に浮かんで、私は微笑みました。

「それ、先生が言ってたんでしょ?」

「ばれたか」

小さく舌を出して、和ちゃんはいたずらっぽく笑いました。

「素敵なひとよ、さわ子さん……私も、ああいう人になりたい」

「ふうん……」

さわ子さん、ね。
けれど、そんな無粋なことは言わないでおきましょう。
和ちゃんは立ち上がって大きく背伸びをしました。

「よし、帰りましょう」

和ちゃんは、もしかして先生に私と話すように言われたんだろうか。
けれど、そんなことはどうでもいいのです。ただ、私は言うべきことを言うのです。

「うん……和ちゃん、ありがとう」

136: 2010/12/29(水) 10:31:47.78 ID:iCKS5U7r0
和ちゃんはひらひらと手を振って、帰って行きました。
一人になった私は、ゆうゆうと、改札を通るのです。
今日という日は、こんな電子音なんかで台無しになるような一日じゃあ無かったんですから。

電車にのっている人々は、なにを考えているのでしょうかって、そんなもの、知りません。
ただ、彼らもきっと誰かに優しくて、たまたま私に優しくないときがあっても、それは仕方ないのです。

押し合いへし合いしながら、電車を降りました。
広々とした敷地、今日も斉藤はガーデンにいました。
こそこそと、栗毛の使用人と話しています。

「お、おい、これは白薔薇なのか……」

「そうですよ。綺麗ですよねえ」

「いや、しかし……なんと……どうしたことか、いっそ赤ペンキで塗ってしまうか」

草木のさざめきしか聞こえないガーデンに、彼らの声はよく響いていました。
すう、と息を吸って、私は声をかけました。

「斉藤」

斉藤はばっとこちらを振り向いて、深々と頭を下げました。

「お帰りなさいませ」

「そんなのはどうでもいいの」

そう言った後で、私は考えました。
何を言おう。

139: 2010/12/29(水) 10:36:01.32 ID:iCKS5U7r0
きょとん、と斉藤と使用人がこちらを見つめてきます。

「……わ、私の家が倒産しましたっ!」

指を二人に突きつけて、私は叫びました。
だって、恥ずかしいのです。

「リーマンショックやら不良債権やら不況やらデフレやらうんぬんかんぬん……
 貴方達が朝の食卓で話題に出すようなことで、えらいことに……それで……」

しどろもどろに話す私を、斉藤は優しい、柔らかい口調で止めました。

「お嬢様、長うございます……もしかして、照れていらっしゃいますな?」

あら、と使用人が声を上げました。
だから、私は渋々頷くのです。

「私、今から馬鹿馬鹿しいこと言うから……恥ずかしいの」

「安心なさってください、あなたが言うまで、いつまでも待ちましょう、笑ったりもいたしません」

斉藤に目配せされて、栗毛の使用人も、くすくす笑いました。

「ええ、お嬢様があんまり可愛くて笑うことはあるかもしれませんけどねえ」

だから、それで私は安心して、深く息を吸って言いました。

「私の家が、倒産しました……そうしたら、あなたたちはどうするの?」

「当然、執事をやめるでしょうな」

140: 2010/12/29(水) 10:40:15.06 ID:iCKS5U7r0
斉藤が事もなげに言います。
けれど、私は泣きません。それなら、それで、飲み込んで……

「しかし、男たる者、一度仕えた主君をそう簡単に捨てられましょうや?」

まさか、ご冗談を。
そう言って、斉藤は笑いました。

「他の家にお仕え申し上げ、その給金で、僭越ながらあなたがたを養いましょう。お嫌ですかな?」

「ああ、男女差別ですよ、それ。私だってパートして家計を支えますもん」

いらんことを言うな、と斉藤が、むっとしたように言います。

「今は私が格好をつけるときだ」

「ちぇ、そんな横暴な」

彼女たちのやりとりを見て、私は笑うのです。
今日で、何度目でしょうか、こんなに明るく笑うのは。

「ねえ」

小さい声で、呼びかけます。それでも、ちゃんと言葉は届きました。

「大好きよ、あなたたち」

斉藤がこれまた小さい、けれどちゃんと届く声で、言いました。

「参りましたな……」

141: 2010/12/29(水) 10:49:50.04 ID:iCKS5U7r0
ひとしきり使用人と笑った後で、私は部屋へ戻りました。
斉藤が、素敵なご客人がおいでですよ、と言うから、胸を弾ませて。
仰々しい飾りのついたドアを開けると、柔らかそうな髪を振って、唯ちゃんが足踏みをしていました。

「ばでぃ ゆあ ぼーい めいか びっぐ のいず ぷれいん ざ……あ、どうも」

私と目が合うと、バツが悪そうな顔をしました。
けれど、私の顔を見て、微笑むのです。

「うん、笑ってたほうがいいよ」

流れるようにベッドに倒れ込む私に、彼女は紅茶を差し出しました。
いい香りです。

「ミルク、減らしてみた。梓ちゃん、こういう味のほうが好きなのかな?」

ずず、とはしたない音を立てて、その紅茶を飲みます。
程よい甘さの紅茶でしたけれど、意を決して、私は言うのです。

「あのね、唯ちゃん、ティータイムはしばらく休止にしましょう」

彼女は表情を変えずに、ただ、どうして、と聞き返します。

「梓ちゃんは、練習をしたがっているから。そっちのほうが好きみたいだから」

「私たちは、ティータイムが好きなんだよ?」

「分かってるわ。だから、しばらくしたら私が梓ちゃんと話し合って、休憩時間を挟むように」

そんなことを言う私に、強い口調で彼女は言いました。

143: 2010/12/29(水) 10:55:27.40 ID:iCKS5U7r0
「分かってないじゃんか」

ぽす、と私の胸に飛び込んできて、震える声で言うのです。

「分かってないよ。そんなに私は頼りない?
 紅茶を淹れられるようになっても、和ちゃんとは比べものにならないほどに頼りないの?」

ああ、と、思わずため息を付きました。
和ちゃんの言ったことを、私は全然理解していなかったのです。
ごめんね、と呟いて、私は彼女の頭を撫でました。

「ごめん、自惚れていたわね。そうね、明日……明日、梓ちゃんと話し合いしましょうね」

数秒黙って、彼女はけらけらと笑いました。目には、全然涙が浮かんでいません。

「えへへ、和ちゃんが言ってた。ムギなら泣き落とせば大概の要求は飲むわ、って」

「あら」

思わずため息が漏れます。
本当に、和ちゃんのことは、全然分かっていなかった。

「なんか考えがあるんでしょ?」

「いや……そんな目で見ないでよ、仲間に入れてあげるから」

「へへ、やった」

小さくベッドの上で飛び跳ねる彼女を見て、私は微笑みました。
その夜は、いい夜になりました……そういう意味じゃありません。彼女はすぐに帰りました。

144: 2010/12/29(水) 11:02:50.12 ID:iCKS5U7r0
朝起きて、斉藤にありがとうと言って、電車に乗って、学校へ。
授業、つまらなかったけれど、それでも、ちゃんと受けられる程度には大人です。
けれど、やっぱり欠伸をしてしまうくらいに子供な私がいたから、一人微笑みました。

今日も部活に梓ちゃんは来ません。

「来ないなあ……」

「ま、気長に待とうよ」

澪ちゃんとはりっちゃんは天井を眺めてそんなことを言っています。
その日も結局、梓ちゃんは部活に来なかったから、皆は帰りました。
皆と別れて、彼女と待ち合わせ、音楽室へ戻ります。

響いてくるのは、激しいロック調のリフと、物憂げな声。

「ほら、いたでしょ?」

「ほんとだ、すごいねムギちゃん」

ドアの窓から覗いて、私たちはこそこそと話しました。
音楽室では、小さなギターを抱えて、床に直に座った梓ちゃんが演奏していたのです。

がらがらと、大きな音を立てて扉を開けると、梓ちゃんがゆっくりとこちらを見て、微笑みました。

「やっぱり、琴吹先輩は来たんですね。平沢先輩が来るなんて、意外でしたけど」

「ええっ!?酷いよお……」

145: 2010/12/29(水) 11:06:03.10 ID:iCKS5U7r0
くすくすと梓ちゃんが笑います。

「すみません。さあ、練習しましょうか」

紅茶じゃなくて、練習しに、梓ちゃんは音楽室へ来ているのです。
部活を練習とごっちゃにしているから、彼女は、私が練習を頑張ると思っているのでしょう。
私は、部活を頑張ろうといっただけなのに。

「お茶、淹れるね」

私がそう言うと、梓ちゃんはギターをスタンドに掛けて、私たちを睨みつけました。

「なんですか、それ」

「なにって、ニルギリよ。ファーストブレイク、美味しいわよ?」

ふざけるな。
梓ちゃんは、今にもそう言い出しそうでした。

「まあまあ、いったん座ろうよ。ほら、私もギター持ってきたよ」

梓ちゃんは、彼女の言うことを無視して、突っ立っています。
少し、むっとして、私は言いました。

「ムスタング。フレット数は21か22、スケール長は22.5インチ。
 あなたの大切な物、少し調べてみたの。だから、あなたも理解する努力はしてくれない?」

「紅茶が、そんなに大事なものですか」

「紅茶じゃないんだけど……まあ、いいわ」

146: 2010/12/29(水) 11:10:07.71 ID:iCKS5U7r0
じゃんじゃんと、オーバードライブのかかった音を奏でて、梓ちゃんは歌います。

「あ ゆ がな ごー まい うぇい」

お前たちは、ついてくるのかい?
ついてきて欲しいなら、歌なんか歌わずに、日本語でそういえばいいのに。
そんな梓ちゃんが可愛くて、私は微笑んで紅茶を出しました。

「はい、飲んでみて」

最初は嫌がっていましたけれど、梓ちゃんは渋々紅茶を口にしました。
そして、目を大きく見開きました。

「これ……なんで……」

「そ、ストレートティー。好きでしょう?」

「でも」

「あなた、愛想笑いするとき、眉が下がってるわ……ごめんね、可愛いギターだなんて、つまらないこと言って」

いいえ。肩をすくめて、梓ちゃんは言いました。
さて、どうしよう。
迷って黙り込んでいると、彼女が言ったのです。
ちょっと悔しいですけれど、小柄で抱き心地の良さそうな彼女に飛びついて。

「ほーら、あ、ず、さ、ちゃん!」

ひっ、と梓ちゃんが小さな悲鳴を上げます。
そんなことには構いもせずに、彼女は続けるのです。

148: 2010/12/29(水) 11:16:41.77 ID:iCKS5U7r0
「ほら、眉毛下がってないよ、可愛いなあ、もう」

「……そうね」

少し妬けるけれど、顔を真赤にした梓ちゃんはたしかに可愛かったから、私は頷きました。

「な、なにを……」

「ねえ、梓ちゃん」

私に名前を呼ばれて、少し梓ちゃんは萎縮します。
あら、可愛い。私も思わず微笑んでしまいました。

「あのね、無理にお茶しなくていいし、練習してもいいわ。
 ただね、他の人を否定するのは、駄目よ。否定されて自分を抑えこむのも、駄目」

「どうしろってんですか」

「うん……私たちは紅茶が好きで、あなたはギターが好きだから、そうね……紅茶飲みながら、演奏する?」

きょとんとして、梓ちゃんは頬を膨らませました、
彼女も、呆れたように言います。

「ムギちゃん……それはないよ」

「だ、だって……なにも思いつかなかったし」

慌てて取り繕おうとする私たちを見て、梓ちゃんは笑いました。

「あはっ、馬鹿ですか、あなたたちは……」

150: 2010/12/29(水) 11:20:51.16 ID:iCKS5U7r0
「ば、ばか……って……」

彼女はショックを受けたように呟いたけれど、私は微笑んだのです。
梓ちゃんの顔が、昨日の生意気な子と、被って見えたから。

「いいですよ、貴方達についていきます、でも、もしよければ……」

ぼうっと天井を眺めて、少し頬を赤らめて、梓ちゃんは言いました。
まるで天井に喋りかけているようでしたが、残念。

「道に迷った時くらい、私に……ついてきて、くださいね」

音は反射するのです。
サッカー選手のパスのように、梓ちゃんの言葉はしっかりと私たちに届きました。

「どっちかがついていく必要なんて無いじゃない。一緒に話し合いながら進みましょう」

「おお、格好いいよ、ムギちゃん!」

きゃーきゃーと騒ぐ私たちを見て、梓ちゃんはため息をつきました。

「まったく、参りましたね……」

けれど、眉は下がっていなかったから、私たちはいっしょくたになって、ずっと笑っていました。

152: 2010/12/29(水) 11:23:12.93 ID:iCKS5U7r0
次の日。
梓ちゃんはそろりそろりと音楽室に訪れました。
りっちゃんがそれを見て、古臭いヤンキーのように言いました。

「……よぉ」

梓ちゃんは少し慌てて、迷ったあとで言いました。

「……よ、よぉ……いや、えっと……こんにちは」

それがあんまり可愛らしくて、私たち皆、笑ってしまったのです。
梓ちゃんが顔を真赤にして頬をふくらませます。

「な、なんですか!ちょっと今から謝るからちゃんと聞いてくださいよ!」

すう、と大きく息を吸って、勢い良く頭を下げて一言。
音楽室を震わせました。

「すみませんでした!」

げらげらと皆が笑う中で、驚いたことに、梓ちゃんのほうへ真っ先に向かっていったのは澪ちゃんでした。
カバンから何かを取り出して、梓ちゃんの頭を撫でます。

「冷たっ」

梓ちゃんが小さく悲鳴を上げました。
澪ちゃんは事もなげに、梓ちゃんのヘアゴムを取ります。

「まあ、冷やした酢だからな。なんか頭皮に良いらしいぞ。
 それと、お前はきつく結びすぎだ、頭皮、痛むぞ?」

153: 2010/12/29(水) 11:25:40.13 ID:iCKS5U7r0
そう言って、澪ちゃんは梓ちゃんの髪を手で梳かして、また頭を撫でました。
その姿はまるで姉妹のようで、とても微笑ましいものでした。

「よしっ、たまには練習するかね」

りっちゃんが、パンと手を叩いて言いました。
澪ちゃんが顔を輝かせます。
そこに水を差す人がひとり。勢いよく扉をあけて入ってきました。

「話は聞かせてもらったわ!これが仲直り完了アイテムよ!」

長い髪をなびかせた、和ちゃん曰く"さわ子さん"。
手には妙な形のカチューシャが握られています。

「先生、それ……」

「猫耳です!」

先生は得意げに胸を張って言いました。
梓ちゃんは周りを見渡しましたが、どうやら私も含めて、みんな先生の味方のようです。
梓ちゃんは渋々猫耳をつけました。とても良く似合っていました。
そういえば、スイスのおばさんの家の猫は、夜に五月蝿いんだっけ。

「軽音部へようこそ!」

「ここで!?」

昼なのに、梓ちゃんの声は学校中に響きました。

154: 2010/12/29(水) 11:29:27.08 ID:iCKS5U7r0
こんにちは、中野梓です!

素敵な先輩が私のために淹れてくれた初めての紅茶。

それはただのストレートでだけれど、私はそれが好きでした。

その味は、少し苦くて、優しくて、こんな素晴らしい紅茶をもらえる私は、

先輩たちに取って特別な存在なのだと、そうならいいな、と思いました。

私はお茶を淹れられません。だから、彼女たちにあげるのは、オリジナルとまでは言わないけれど、

アレンジを加えたロック調のジャズ。それを聞きながら、紅茶を飲んで欲しいんです。

だって、私たちは一緒に進むんですから、ねえ、そうでしょう?

155: 2010/12/29(水) 11:33:16.04 ID:iCKS5U7r0
紬(……われながらこれはないわ)

唯「私も厳しいと思うよお」

紬「なんと」

唯「えへっ」


和「ちょっと律!講堂使用届け出てないわよ!」

律「なんと!?」

和「まったく……さわ子さんも注意してやってくださいよ」

さわ子「ええーめんどくさいわ」


紬「あっちはあるのかしらね?」

唯「どうだろうねえ」

156: 2010/12/29(水) 11:37:33.25 ID:iCKS5U7r0
おわる!
こんなグダグダスレいつまでも保守ってないで落とすように!

それじゃあ、次回も超エキサイティンッ!

157: 2010/12/29(水) 11:38:39.80 ID:ZvzjLiFu0
乙カレー

引用元: 唯「どうせ唯紬とかあったら」