1: 2008/10/20(月) 19:42:58.77 ID:HVgsZCUpO
「んん……」
 また申請却下。この三年で何回したかわからない申請。その度にわたしは言いようのない感情を覚える。
 この感情がどんなものなのかも、例えば申請が受理されたときにわたしが満たされるのかどうかもわからない。
大抵のことは知ろうとするだけで分かってしまうのに、感情の正体だけはわたしには分からない。
 でも長門さんはきっともっと……

 今日もあの子のところへ行こう。寂しがりやだって、わたしが勝手に決めているあの子のところへ。

3: 2008/10/20(月) 19:48:54.78 ID:HVgsZCUpO
 わたしたちがここに来てから何回もわたしは長門さんのところへ料理を持っていった。
彼女は決して表情を変えたりましてや感想を言ってくれたりはしないけれど 、いつも全部平らげてくれる。
 初めはあっというまにお皿を……いえ、鍋ね。いつもおでんだし。とにかくあっというまに綺麗にしたものだったけど、最近は味わってくれているのか、ゆっくりお箸を動かす。それを眺めてるのが、わたしは好き。

4: 2008/10/20(月) 19:54:37.26 ID:HVgsZCUpO
「……できた」
 いつもより気合いいれたから時間がかかっちゃった。でも今日は大事な日だから、このくらいじゃないと。
「……♪」
 お鍋を持ってエレベーターへ。思わず鼻歌を歌ってるのに気づいて、何だか憂鬱になる。
 長門さんは鼻歌をうたわない。

5: 2008/10/20(月) 20:00:21.91 ID:HVgsZCUpO
 どうしてかしら。
 エレベーターに乗る と、階数表示を見ずにはいられないのよね。有機生命体も同じようにするのかな。
 その階数表示が、6から7に変わる。わたしの足が前に二歩。鍋がぶつかりそうなくらいドアに近づく。
 ドアが開くと―

「……」
「長門さん」

6: 2008/10/20(月) 20:05:12.60 ID:HVgsZCUpO
 制服姿の長門さんがお財布を片手に立っていた。
「ちょうど良かった、一緒に食べよう?」
「……」
 こくりと頷くと踵を返し、708号室に向かう。

 もうちょっと喜んでくれてもいいのに。

7: 2008/10/20(月) 20:12:12.89 ID:HVgsZCUpO
 かちゃ、かちゃ。
 二人がお箸を動かす音が静寂の中に響く。長門さんの取り皿には、信じられないくらい沢山のからしが添えられている。
長門さんて辛いのが好きなのかしら?だったらあのカレーってものを作ってみようかな。

「おいしい?」
「わりと」
「良かった」
「そう」

 話してる間も長門さんはお箸を同じテンポで動かしてる。

9: 2008/10/20(月) 20:24:15.22 ID:HVgsZCUpO
「いよいよね」
「……」
「今日で待機モードはおしまい」
「……」
「わたしがサポートにまわるけど、無理はしないでよね」
「へいき」
「そうよね」

 そう、明日はいよいよ涼宮ハルヒが北高に入学する日。わたしたちの任務は明日から本格化する。
わたしは涼宮ハルヒと同じ学級に所属し、直接的に接触しながら長門さんの間接的観察任務を円滑にするという任務を帯びている。

12: 2008/10/20(月) 20:34:22.67 ID:HVgsZCUpO
 食事が終わって、すぐにわたしは自分の部屋に戻った。そしてまた同じ内容の申請をする。却下。申請。却下。
 どうしてだろう。間接的な観察だから、必要ないというの?

「パーソナルネーム長門有希に基礎プログラム386を付加することを申請」
「申請却下」

 こんなのってないわ。
「長門さんがかわいそうじゃない……」

 疑似感情を付加してもらえないなんて。

14: 2008/10/20(月) 20:43:54.93 ID:HVgsZCUpO
 決めた。わたしが長門さんに感情を教える。これからずっと長門さんのバックアップとして存在し続けるわたしが、彼女に感情の素晴らしさを教えるの。
わたしが持っている感情は確かに疑似的なものかもしれないけれど、それがどんなにいいものかってことは分かるわ。
 こうして長門さんのことを思う気持ちがあったから、わたしは三年もの待機時間を退屈に思わなかった。感情がなかったら退屈も感じないけれど、楽しさも愛しさも感じない。
 そんなの、かわいそう。
 任務遂行とは別の、わたし自身の勝手な決意を胸に目を閉じた。

19: 2008/10/20(月) 20:56:38.67 ID:HVgsZCUpO
「わたし、委員長になっちゃった」
「そう」
「長門さんは文芸部だよね?」
「そう」
「本読むの好き?」
「……」
「……長門さんはどうして本を読むの?」
「情報を得るため」
「情報を得ると、自分が成長してる感じがしない?」
 かちゃり。長門さんがスプーンを置く。
「分かることが増える」 まっすぐわたしの方を見て言う。
「じゃあ、長門さんは本が好きなのよ」

21: 2008/10/20(月) 21:06:56.02 ID:HVgsZCUpO
 やっぱり長門さんはカレーを気に入った。
 わたしは長門さんの部屋にお邪魔する度に彼女に話しかけ、好きだとか、面白い、ユニークだとかそういうことを教える。
彼女がどう思ってるか、むしろ何かを思っているのかどうかさえもわからないけれど、きっとこう思ってるといいだろうなぁ、と考えて。

22: 2008/10/20(月) 21:12:03.20 ID:HVgsZCUpO
 そんな日々が続いて―

 5月。


 わたしと長門さんが変わるときが来た。

23: 2008/10/20(月) 21:24:41.35 ID:HVgsZCUpO
 珍しく長門さんがわたしの部屋に来た。要件は分かっていた。
 その日教室で涼宮さんが不確定要素のキョンくんと騒いでいた。新しい部活を作る、って。そして涼宮さんが部室に選んだのは 長門さんのいる文芸部室。
 この時は任務の形態が変わるだけだと思ってた。

「今後はわたしが観察任務をするわけ?」
「わたしが直接的に観察する。あなたは涼宮ハルヒの安定を図って」

 わたしの任務は涼宮さんの観察が完了するまで彼女に致命的な世界改変をさせないことに変わった。

32: 2008/10/20(月) 21:35:34.75 ID:HVgsZCUpO
 その日からわたしはその日までとは違う感情で長門さんの帰りを待つようになった。
 長門さんが文芸部室にいるのは同じ。でも、彼女は他の誰かと一緒にいる。わたしの疑似感情が嫉妬心をアウトプットする。バカみたいだ。

「パーソナルネーム長門有希に基礎プログラム……疑似感情を」
「申請却下」

 自分の決意を曲げ、久しぶりにこの申請をしたとき―

 わたしの中で何かが壊れたのだろう。

35: 2008/10/20(月) 21:43:01.84 ID:HVgsZCUpO
 あの日、休みの日にも関わらず長門さんはどこかへ出かけていった。部活のメンバーとどこかへ行くのだろう。
 土曜日と日曜日は一日中一緒にいられたのに。
 わたし以外に彼女に感情を教えてあげられるものはいないのに。

 わたしが一番長く長門さんと一緒に生きてきたのに。

36: 2008/10/20(月) 21:51:57.00 ID:HVgsZCUpO
 6時頃長門さんは帰ってきたけれど、わたしは彼女の所へは行かなかった。明日の為にカレーを作っていたからだ。
 明日は絶対にずっと一緒にいたい。
 わたしの持っている感情はその時にはもう庇護欲ではなく、自分本位の愛だった。

「だって、長門さんがかわいそうじゃない」

 かわいそうなのは、わたしだ。

37: 2008/10/20(月) 22:00:43.13 ID:HVgsZCUpO
 翌日。
 晩ご飯の時間になるまで煮込んだカレーは最高のできだった。
 またお鍋を持って階数表示を眺め、長門さんのところへ行く。

「入って」
 と彼女は言った。わたしが教えた。
「おいしい」
 と彼女は言った。わたしが教えた。

 長門さんが腰を上げてキッチンに向かった。そして急須とお茶を持ってきた。

「どう」
 と彼女は言った。
「カレーのお返し」
 と彼女は言った。
「ありがとう」
 と彼女は言った。


 わたしは教えてない。

39: 2008/10/20(月) 22:07:29.60 ID:HVgsZCUpO
 どうして?誰に教わったの?あなたには感情がないはず。だからわたしがあなたに教えてあげてきたのに。

「朝比奈みくるがいつも部室でお茶を煎れる。有機生命体は『和む』らしい。だから」

 わたしは長門さんの言葉を待たずに部屋を飛び出した。聞きたくない!

「今日で最後だから……ごめんなさい」


 長門さんが目を伏せたのをわたしは知らない。 

41: 2008/10/20(月) 22:18:02.87 ID:HVgsZCUpO
 週明け、キョンくんと涼宮さんが会話しているのを聞いている間わたしは申請を繰り返していた。
 長門さんに感情を与えるのはわたしでなければいけない。三年間ずっとそうしてきたのだから。
 統合思念体も長門さんに酷い仕打ちをした。もう主流派の言うことは聞けない。全て壊してしまえばまた長門さんとの三年を取り戻せる。
 どうすればいいだろうか。……いや、もうやることは決まっていた。


 キョンくんを頃して、涼宮ハルヒの出方を見る。ううん、その時起きるであろう情報爆発に乗じて世界を改変する。

43: 2008/10/20(月) 22:23:26.95 ID:HVgsZCUpO
 翌日、ノコノコと現れたキョンくんをわたしは笑顔で迎えた。
「遅いよ」
 意表を突かれた顔で突っ立っている彼に、
「入ったら?」
 と手招きする。
「お前か……」
「そ。意外でしょ」
 思わず笑みがこぼれる。教室に入ってきた。余計な事をしたあなたはここで氏ぬの。
「何の用だ?」
 ぶっきらぼうな声に笑いをこらえきれない。
「用があることは確かなんだけどね。ちょっと聞きたいことがあるの」

44: 2008/10/20(月) 22:30:48.09 ID:HVgsZCUpO
「人間はさあ、よく『やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいい』って言うよね。これ、どう思う?」
 わたしはこう切り出した。
 しばらく会話を楽しむ。
何も分かっていない有機生命体に対して、意味もなく思念体のヒューマノイドインターフェースとしての真意と、朝倉涼子としての真意を隠した言葉を投げかける。
「何も変化しない観察対象に、あたしはもう飽き飽きしてるのね」
 長門さんを奪ったあなた達を許せない。かわいそうな長門さんはわたしにしか救えない。
「だから……」
 だから……
「あなたを頃して涼宮ハルヒの出方を見る」
 あなたを頃す。そして涼宮ハルヒの力を奪う。

45: 2008/10/20(月) 22:35:36.07 ID:HVgsZCUpO
「氏ぬのっていや?殺されたくない?わたしには有機生命体の氏の概念がよく理解できないけど」
 弱々しく立ち上がるキョンくんに言葉をかける。
 わたしの疑似感情は狂気をアウトプットしていた。
「意味が解らないし、笑えない。いいからその危ないのをどこかに置いてくれ」
「うん、それ無理」
 何を言ってるの?そんなの無理に決まってるじゃない。
「だって、あたしは本当にあなたに氏んで欲しいのだもの」

47: 2008/10/20(月) 22:41:46.28 ID:HVgsZCUpO
 もう会話するのにも飽きた。わたしはキョンくんの運動神経の伝達を支配して、動けなくしてやった。
 自分が何を喋っているのかもう解らない。この感情は喜び?ナイフを振り下ろす。


 止まった。


「一つ一つのプログラムが甘い」
 どうして?長門さん。
「邪魔する気?」
 わたしはあなたの為に!

48: 2008/10/20(月) 22:50:37.65 ID:HVgsZCUpO
「情報連結解除、開始」
 長門さんの声とともに、わたしの両腕の感覚がなくなっていく。その両腕が鋭く伸びた先には、穴の空いた長門さんが繋がっていた。
「そんな……」
 わたしがこれを……?長門さんにこんな酷いことを……?
 そう思っている間にも、わたしの口は勝手に統合思念体によって動く。
 完全に消え失せようとしている最後の時に、わたしは悟っていた。
 本当にかわいそうなのはわたしだ。
 今、長門さんの目には彼を守るという意志が宿っている。
それは彼女自身が獲得した自然な感情だ。わたしのような偽物とはちがう。

50: 2008/10/20(月) 22:53:37.77 ID:HVgsZCUpO
 統合思念体はきっと、自律進化の糸口は感情にあると判断した。だからメインのインターフェースである長門さんに疑似感情を与えなかったんだ。
 ゆきのようにまっさらな……。


52: 2008/10/20(月) 22:58:22.24 ID:HVgsZCUpO
 統合思念体はきっと、自律進化の糸口は感情にあると判断した。だからメインのインターフェースである長門さんに疑似感情を与えなかったんだ。
 ゆきのようにまっさらな……。

§

 朝倉涼子の消失を確認。規定時間通り。
 同時刻に未確認のエラーを検出。一昨日と類似したケース。

 朝倉涼子の有機情報の保持を申請する。

 理由を。

 いつかまた会える日のため。




憂鬱編 おわり

57: 2008/10/20(月) 23:03:48.21 ID:IGxWp0sF0

憂鬱編…だと?

58: 2008/10/20(月) 23:05:13.65 ID:HVgsZCUpO
続きは全然おもいついていないです。
ただ消失編も書かないとだめな気がしていちおうこのお話は憂鬱編としました。

引用元: 朝倉「長門さんがかわいそうじゃない」