1: 2019/03/20(水) 00:23:05.251 ID:Z8Ukr3ADa.net
アタシはプロデューサーが苦手だった。

強引で、スケベで、どこかオタク臭くて、

何を考えてるのかちっとも分からねぇプロデューサーが、アタシは苦手だった。

だがプロデューサーはアタシをヤンキーという狭い世界から

アイドルという新しい世界に引っ張り出してくれた人でもある。

こんな不良上がりのアタシをそこそこ人気のアイドルにまでしてくれたのだから、仕事の腕も確かだ。

その点でアタシはプロデューサーを尊敬していた。

しかし、いかにもアタシに似合わなさそうな衣装や仕事を敢えて持ってきたり、

セクハラ寸前の言動でからかったりと、

いつも調子を狂わせてくるプロデューサーのことが、アタシはやはり苦手だった。


そんなプロデューサーは今――。


「面会時間はあと三十分ですよ、向井さん」

「ああ、看護婦さん。分かったよ」

「『看護師』ですよ、今の時代はね」


――病室のベッドで静かに眠っている。

6: 2019/03/20(水) 00:27:20.057 ID:Z8Ukr3ADa.net
それは、つい昨日のこと。

アタシはプロデューサーと大喧嘩をしてしまった。

きっかけはアイツが持ってきた衣装だ。

やはりアタシが苦手な、オレンジ色にヒラヒラフリフリのついた可愛らしい衣装。

いつもならそこまでキレるようなことではない。

怒ったフリして、最後は笑い飛ばすだけだ。

しかし、アタシはその日のレッスンでミスを連発したせいで、虫の居所が良くなかった。

アタシは思わずプロデューサーを怒鳴りつけていた。

百パーセント八つ当たりだ。

「クソオタク野郎」とか「口リコン趣味」とか、結構酷いことも言ったと思う。

気づいた時には、既に売り言葉に買い言葉の大喧嘩に発展していた。

腕っぷしの喧嘩ならともかくおつむの弱いアタシが理詰めの口喧嘩で勝てるはずもなく、

ぐうの音も出ないほどにに言い負かされる。

怒りに身を任せたアタシは資料を床に叩きつけてミーティングを打ち切り、事務所を逃げるように飛び出した。

7: 2019/03/20(水) 00:30:33.696 ID:Z8Ukr3ADa.net
その後アタシは特に目的もなく、バイクで河川敷までやってきていた。

そういえば、初めてプロデューサーと出会ったのもここだったっけな。

折角プロデューサーが持ってきた仕事なのに、酷いことを言っちまった。

明日、事務所できちんと謝ろう。

そう思いながら立ち上がり、さっさと家に帰ることにした時だった。


――よぉ、女特攻隊長さん。


アタシは久々にある野郎に出くわした。

以前アタシがボコしたことのある、敵対グループの連中の一人だ。

何人か取り巻きも侍らせている。

いつもいつも喧嘩を申し込んできては負ける、全く懲りない野郎だった。

8: 2019/03/20(水) 00:33:05.508 ID:Z8Ukr3ADa.net
「懲りない野郎」はいつも通り、アタシにリベンジのタイマン勝負を申し込んできた。

地元で負け知らずだった自分が女にボコられてやられっぱなしではプライドが許さない、

女特攻隊長・向井拓海を負かして自分が最強だと証明しなければならない、

などと手前勝手なことをほざいていた。

だが、今のアタシにはタイマン勝負だとか、

女特攻隊長の肩書だとかは、糞ほどにどうでもいいことだった。

そんなものよりずっとアツくて、楽しくて、輝いている世界、「アイドル」を知っちまっていたから。

だからアタシは断った。

下手すればスキャンダルにもなりかねないし、そのせいで事務所の連中に迷惑をかけるのは御免だ。



すると奴は――とんでもない暴言を吐いた。

9: 2019/03/20(水) 00:37:05.552 ID:Z8Ukr3ADa.net
奴にとっては単なる挑発のつもりだったのだろう。

何を言われたのかも、今となっては細かくは覚えていない。

だがそれは間違いなくアイドルへの、そして事務所の仲間たちへの最大級の侮辱だった。

アタシのことはいくら馬鹿にされてもいい。

でもアイツらを、アタシにもう一つの世界を教えてくれた「アイドル」を馬鹿にするのだけは絶対に許せねぇ。

気づくとアタシは右手に渾身の力を込め、奴の顔面に一発食らわせる――その直前。


 
誰かがアタシの右腕を掴んだ。

10: 2019/03/20(水) 00:40:18.828 ID:Z8Ukr3ADa.net
奴の取り巻きか?

そう思って振り返るとそこには――。

プロデューサーが息を切らせながら立っていた。

アタシが事務所を飛び出してからプロデューサーは、

自分の仕事を放り投げてまでアタシのことを探していたらしい。

なぜ場所が分かったか尋ねたら、何となくここだと思った、だとよ。


――邪魔すんじゃねぇよ。イチャイチャなら他所でやってくれんかねぇ。


そう言うと、奴はプロデューサー目掛けて突進してきた。

プロデューサーは逃げるように促しながら、アタシを奴らとは反対方向に突き飛ばした。

11: 2019/03/20(水) 00:43:39.489 ID:Z8Ukr3ADa.net
最初こそ必氏に応戦していたプロデューサーだったが

三分も経てばもう殴られ、蹴られ、刺されといいように嬲られ満身創痍の有様だった。

そのうち奴の取り巻きまでもが加勢し、プロデューサーを袋叩きにし始めた。

血だらけの頭、苦し気な呻き声、逆に曲がった関節。

余りの光景に目を疑った。

しかし、いや、だからこそアタシは逃げ出すことができなかった。

「頼むから……頼むからもう止めてくれええええええぇぇぇぇぇぇぇ! このアタシが相手だああああぁぁぁぁぁぁ!」

叫びながら奴らに殴りかかろうとしたとき、警官がたまたま橋の上を通りかかった。

すぐに状況を把握した警官はあっという間に奴らを取り押さえてしまった。

――アタシも含めて。

12: 2019/03/20(水) 00:46:59.910 ID:Z8Ukr3ADa.net
『現役』の頃の行いのせいか、アタシまでサツに捕まってしまった。

だが、全員を取り調べるうちにアタシが被害者側であることはすぐに判明し、

今日の昼過ぎにアタシは釈放された。

その足でアタシは病院へと急いだ。

アタシは愕然とした。

プロデューサーの怪我の度合いが深刻であること。

手術は済んだものの、生存の可能性が五分五分であること。

そして――今日が峠であることを知らされた。



今アタシは、プロデューサーの病室で現実を目の当たりにしている。

13: 2019/03/20(水) 00:49:50.514 ID:Z8Ukr3ADa.net
「法律上」アタシには何も罪はない。

プロデューサーを一方的に殴っていたのは奴らだ。

だが、アタシは本当に、何も悪くなかったのか?

そもそもアタシが変に意地張って、八つ当たりして、

勝手に事務所を抜け出さなければ

プロデューサーはこんな目に遭わずに済んだんだ。



そうだ。

プロデューサーがこんなになっちまったのは――アタシのせいだ。

14: 2019/03/20(水) 00:52:14.241 ID:Z8Ukr3ADa.net
なあ、プロデューサー。

アタシが悪かったよ。

もう我儘言わねぇ。

てめェがどんな仕事持ってきても、もう文句言わずに受けるよ。

どんなヒラヒラフリフリの衣装だって着てやるよ。

だから、目ェ覚ましてくれよ。

てめェがそんなんじゃ張り合いがねぇよ。

いつもみたいな意地悪な笑顔でアタシをからかってくれよ。

いつもみたいにつまらねぇジョーク飛ばしてくれよ。



――寂しいじゃんかよ。

15: 2019/03/20(水) 00:55:47.260 ID:Z8Ukr3ADa.net
「あ……あれ?」

おかしいな。

さっきから目の前がぼやけて、プロデューサーの顔がよく見えねぇ。

目を拭ってみる。

なぜかアタシの手の甲は濡れていた。

「何だよ。何だってんだよチクショウ」

拭っても拭っても、アタシの視界はぼやけっぱなしだった。

頬に熱いものが伝わるのを感じ、

思わず視線を下にやると病室の冷たい床に

透明な雫がぽたぽたと滴るのが見えた。

目が痛ぇ。

16: 2019/03/20(水) 00:58:05.883 ID:Z8Ukr3ADa.net
「アタシ、グスッ、泣いてる……のか?」

おい、嘘だろ。

あんなに苦手だったはずなのに、有り得ねぇ。

絶対に有り得ねぇよ、こんなこと。

否定すればするほど、胸の奥が引き裂かれるように痛く、

息が止まりそうなくらい苦しくなる。

初めての感情だった。


そうか、分かった。やっと分かった。

「アタシは、プロデューサーのことが――」

アタシは気づいてしまった。

自分の本当の気持ちに、あまりにも残酷なタイミングで。

「そんなの……そんなのアリかよ……。ふざけんな!」

やり場のない怒りの声が、殺風景な病室にこだまする。

17: 2019/03/20(水) 01:01:59.550 ID:Z8Ukr3ADa.net
「何だよ、いいカッコしやがって!」

「何が『俺のアイドルの顔に傷をつけるな』だこの野郎!」

「本当はビビりまくりで、脚も声もガタガタ震えさせて」

「喧嘩の『け』の字もしたことねぇお坊ちゃん育ちの癖によぉ!」

「しかも結局やられちまってるじゃねぇか!」


しかし、プロデューサーは精一杯身体を張ってくれた。

アタシなんかを守るために、文字通り命懸けで。

その事実は決して変わらない。


プロデューサーは――漢の中の漢だ。


「ずりぃよ、プロデューサーさんはよぉ」

「こんなボコボコになるまで、アタシなんかのためによぉ」

「こんなの――」


こんなの、惚れないはずねぇだろ。


「うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!」

自分の恋心に気づいたアタシは、涙が枯れんばかりに泣き叫び続けた。

18: 2019/03/20(水) 01:03:52.908 ID:Z8Ukr3ADa.net
しばらく泣いて、泣きまくって、ようやく泣き止んだ頃。


「あの……面会時間過ぎてますよ」

看護婦さんが声をかけてきた。

時計を見ると、既に五時を少し回っている。

「もう少しだけ、もう少しだけ残ってもいいか?」

「しょうがないなぁ……なるべく早めに退室して下さいよ!」

少し不機嫌そうに溜め息をつきながら、看護婦さんがナースステーションへ戻っていった。

19: 2019/03/20(水) 01:06:27.354 ID:Z8Ukr3ADa.net
アタシにはやり残したことがあった。

明日にもプロデューサーとお別れかもしれないという不安が、アタシをそうさせた。

アタシは周囲に誰もいないのを確かめ、

顔を覆っているガーゼの下部分をそっとめくった。

擦り傷や切り傷だらけの頬や顎が、リンチの凄まじさを物語っていた。

「今までのお礼と、今回のお詫びの印だ」

「本当はてめェもこんなこと、したかったんじゃねぇのか?」

「ったく、いつもいやらしい目で見やがってよ、このスケベ」

こんな時にも悪態をついてしまう自分が憎い。

アタシはプロデューサーの傷だらけの顔に、自分の顔をゆっくりと近づけた。

そして。



横の部分が切れたプロデューサーの唇に――アタシの唇を重ねた。

20: 2019/03/20(水) 01:08:43.751 ID:Z8Ukr3ADa.net
暖かい。

唇を通じて、プロデューサーがどうにか生きていることをようやく実感できた。

十八年間生きてきた中で一番長くて、一番短い五秒間の後、

すぐさまガーゼを元の状態へと戻す。

「てめェが大好きだ、スケベプロデューサー。早く目ェ覚ましてくれよ」

そう言ってアタシは、足早に病室を後にした。



アタシのファーストキスには、微かに鉄の味が混ざっていた。

21: 2019/03/20(水) 01:11:55.456 ID:Z8Ukr3ADa.net
あれから二か月が経った。


ニュージェネの三人が、楽屋で雑談をしている。

「ところでさ、白雪姫の話あるじゃん?」

未央が唐突に話題を切り出した。

「私、白雪姫のお話大好きですっ!」

「白雪姫が、どうかしたの?」

食いつきの良い卯月と少し冷めたように見える凛との対比が印象的だ。

「毒リンゴを食べた白雪姫は、王子様のキスで目を覚ますじゃん?」

「だけど、逆に王子様が倒れた時のお姫様のキスって、効果あると思う?」

「うーん、どうなんだろうね。条件にもよりそうだけど」

凜は首を傾げる。

「でももし効果があったら、それはそれで素敵なお話になりそうですよね!」

卯月はやけに嬉しそうだ。

緊張を解すための何気ない雑談なのだろうが、

アタシにとってはものすごく気恥ずかしい話題だった。

23: 2019/03/20(水) 01:14:42.820 ID:Z8Ukr3ADa.net
「あっれーたくみん、いつもより緊張してない? ほーら、たくみんスマーイル☆」

突然未央が声をかけてきた。

「うるせぇな! 誰のせいだよ!?」

顔が赤いのが自分でもよくわかる。

「えー、私のせいなの? 怒らなくたっていいじゃーん」

未央は頬を膨らませる。

「……わりぃ、未央。だが、今はあまりからかわないでくれ……」

「はいはい、ごめんよっ! じゃ、ニュージェネレーションズ、一足先に失礼するね! たくみんも頑張って!」

「ああ、てめェらもしっかり根性見せて来い!」

出番が近づいた三人は足早に舞台袖へと向かっていった。

24: 2019/03/20(水) 01:16:42.543 ID:Z8Ukr3ADa.net
今アタシは、これまでで一番多くの観客の前で歌おうとしている。

事務所に入ってから初めて経験する大一番。

リハーサルも、メイクも、ヘアセットもバッチリだ。

ニュージェネの出番が終わり、舞台ではみりあが可愛らしく歌っている。

客の盛り上がりも、かなりのものだった。

嬉しさの反面、アタシは不安だった。

この盛り上がりをアタシが冷ましてしまったらどうしよう、

ミス連発しちまったらどうしよう、と内心はブルっていた。

そんなアタシの右手を、誰かが優しく掴んだ。



握っているその手は――アタシが一番苦手で、そして一番大好きな手だった。

25: 2019/03/20(水) 01:19:40.182 ID:Z8Ukr3ADa.net
本当は肩を叩いて励ましたかったが、

車椅子と腕の麻痺の影響で手が届かず、手を握ることで妥協したらしい。

――妥協になってねぇよ、馬鹿野郎。

アタシは赤面とニヤつきを抑えるのに必氏だった。

メイク崩れたらどうしてくれるんだよ……。



あのお見舞いの日。

プロデューサーはアタシが病室を出るや否や目を覚ましたのだという。

医者も想定できないほどの回復の早さだったようだ。

正直アタシも驚いた。

それとも、マジでアタシのキスの力で目を覚ましたってか?

やっぱりプロデューサーはスケベ野郎だ。

ちなみに、去り際にプロデューサーにキスをしたことは

事務所のみんなは勿論、本人にも秘密にしている。

26: 2019/03/20(水) 01:21:43.734 ID:Z8Ukr3ADa.net
しかし、完全に元通りというわけにもいかないようで

プロデューサーの両腕と左脚にはまだ麻痺が残っている。

今はリハビリの段階だがまだ車椅子が手放せないらしい。

会場には病院の人にしつこく無理を言って駆けつけてきてくれたようだ。

担当アイドルの舞台だけは絶対に見逃したくない、と駄々をこねて。

あの看護婦さん、滅茶苦茶困ってただろうな。


「ありがとー!」

ステージで歌っていたみりあが今歌い終わった。


ついに出番だ。

27: 2019/03/20(水) 01:23:25.672 ID:Z8Ukr3ADa.net
――よし、行ってこい!

プロデューサーは握っていた手を放し、アタシを激励する。

アタシはゆっくりとステージの真ん中へと向かった。

もちろん衣装はフリフリヒラヒラの、オレンジ色したドレスだ。

「会場のてめェら、気合入ってっかオラぁ!?」

眩しく照らすスポットライト、割れるような歓声、光る無数のサイリウム。

ハードロック調の激しいイントロが会場一面に響き渡る。

「今日はガンガン飛ばしていくぜェ! てめェらついて来い!」

アタシは全力で歌った。

観客の興奮は、今にも暴走しそうな勢いだ。

それは間違いなく、今までで一番輝いているステージだった。

28: 2019/03/20(水) 01:24:23.631 ID:Z8Ukr3ADa.net
アタシは今日も、そしてこれからも歌い続ける。

アタシを慕ってくれるファンのために。

そして――。


アタシが世界で一番愛している人のために。

29: 2019/03/20(水) 01:26:10.366 ID:Z8Ukr3ADa.net
~完~


ご清聴ありがとうございました!

地の文の練習も兼ねて、なるべくセリフを使わずに書いてみました。

お楽しみ頂けたなら幸いです!

32: 2019/03/20(水) 01:45:48.471 ID:Z8Ukr3ADa.net
それと鬱展開を期待してた人には申し訳ない
俺は、完全な鬱展開を書くのが苦手みたいだ

引用元: 拓海「アタシの苦手な人」