1: 2012/12/25(火) 00:15:09.87 ID:ciVG5wjy0
12月24日。時刻は午後九時を少し回ったところ。
昼間大降りだった雪も今はほぼ止んでおり、吹雪じみていた風もしんと凪いでいる。
街灯に照らされて踊る雪の粒に都会の情緒を感じつつ、事務所へと帰ってきた私は、傘にまぶさるように乗っていた雪を払い落とし、まだいくらか明かりの点いている事務所ビルの中へと歩を進めた。

しんとした廊下に、濡れた靴音が擦れるようにして響く。
こんな時間だ。普段は動物園のごとく騒がしいこのプロダクションも今は静まり返っていた。
クリスマスイヴというのも影響しているだろうか……
ぽつぽつと考えを巡らせながら、まだ明かりの漏れる事務室へと向かい、扉を開ける。
手に感じる冷たい感触と裏腹な暖気がふわりと体を包む――帰ってきた、という感じがしてどこか心地良い。

「ただいま、今帰ったよ」
「お帰りなさい真奈美さん、お疲れさまです。スタミナドリンクは…… 今はさすがに要りませんね」
「フフッ、流石の私もこれから仕事というのは勘弁だな。歌の仕事ならやらないでもないがね?」

迎えてくれたちひろさんと軽い冗談を交わしつつ、荷物を置きに上の階のロッカールームへと向かおうとする。
……するのだが、今日は珍しいことに、ちひろさんが私を引き留めた。

「あ、すいません真奈美さん。ちょっとお願いしてもいいですか?」


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2: 2012/12/25(火) 00:20:37.76 ID:ciVG5wjy0
振り向いてちひろさんを見ると、なにやら机の引き出しを開けて小さな鍵束を取り出しているようだった。
この時点でだいたい先が予想できたが、一応黙って続きを聞くことにする。

「悪いんですけど、誰か残っている人がいるか軽く見てきてくれますか?」
「ん? そうか、クリスマスイヴといえどそろそろ店じまいだものな。よし、ちょっと見てくるよ」
「……」
「……何かな」

行こうとしたところで、手に鍵束を持って動かないちひろさんに目をやる。
そして、笑顔かつ無言の事務員としばし見つめ合う。

「……」
「……」
「……戸締まりも見てこようか」
「あ、いいですか? それじゃあお願いします。まず1階は資料室あたりから確認して――」

目で通じ合う仲なんて言葉もあるがとりあえず、今のアイコンタクトがなかなかにイヤな目線のやりとりであったことは言うまでもないだろう。

3: 2012/12/25(火) 00:25:00.72 ID:ciVG5wjy0
別に戸締まりだの見回りだのは苦でも何でもないからいいのだが…… 事務員がアイドルに戸締まりなんて任せてしまって良いのだろうか。
色々つっこみたいところではあったけれども、このプロダクションはある意味、社員からアイドルまですべての人の適当さ――もとい、信頼関係で成り立ってるところもあるので、細かいことは頭の隅に追いやっておくことにする。

「――とまぁ、そんな感じでよろしくお願いします」
「了解だ。私も荷物をまとめて帰り支度をするから少し時間がかかるが、構わないね」
「大丈夫ですよ」

戸締まりが必要な部屋の確認などを済ませたところで、ポケットに入る程度の、小さい鍵束を渡される。
1,2,3,4階と屋上、すべて合わせても案外鍵のかかる部屋というのは少ないようで、鍵の数も大した量ではない。ビルそのものの入り口にも鍵はかかるため、わざわざ二重に閉めなきゃいけないような扉もそうそうないからだ。
各階にある事務室や倉庫、あとは階ごとにエステサロン、サウナルーム、カフェテラス――他、もろもろのアイドル向けの設備くらいか。
他にも結構な種類の設備があるが、こうして見ると以外に部屋数自体は多くないように感じた。

4: 2012/12/25(火) 00:30:11.57 ID:ciVG5wjy0
          ※         ※         ※


「じゃあ見てくるかな。まだちひろさんは帰らないんだね?」
「ええ、しばらくいますからゆっくりで大丈夫ですよ」
「了解だ」

真奈美さんが鍵を受け取って部屋を出ていくのを見送る途中、ふと言い忘れたことがあるのに気づきました。
慌てて呼び止めるものの――

「あっ、そうだ――って行っちゃった」

――ゆっくりでいいのに。
頼まれごとでも何でも、やることやらずにはいられない性分なのか、姿勢良く早足で出ていく真奈美さん。
私が振り返ったそのときにはすでに部屋の扉がパタンと閉まっていました。

「まだ“二人”帰ってないはずだけど…… まぁ途中で会うだろうし、会ったところでどうってことないし、いいかな?」

真奈美さんが帰ってくるだいぶ前から、何人も入っては出てと入り乱れてたけれど……
今になってまだ事務所を出てない二人の存在に気づいたのでした。


          ※         ※         ※

5: 2012/12/25(火) 00:35:35.15 ID:ciVG5wjy0
1階のロッカールームに荷物や脱いだ防寒着を一通り置いたのち、廊下、いくつかの事務室や給湯室、各設備などを見て回る。
2階3階と上がってきて、人の姿は見当たらず、各設備・部屋の鍵もしっかりとかかっていた――が、4階のレッスンルームの鍵が開いていた。

「む…… 誰かいるのか?」

明かりはついているが、声をかけても返事はない。
どこの部屋でもこうあると心配なものの、部屋が部屋だけに私の心配はより高まっていた。
というのも、ここは普通のレッスンルームとは違い、精密なオーディオ機材やそれらを管理するPCなどもある、防音の特別室になっている。いうなればボーカル特化型のスタジオで、他の部屋よりだいぶん厳重に管理されている部屋だ。
私もよく世話になっているし、何かあると特にシャレにならない部屋なのだが――

「“中には”誰もいないわよ」
「うわっ!? と、瞳子さんか……脅かさないでくれ」

背後から急に声をかけられ、思わず体をビクリと震わせてしまう。
冷や汗を垂らしながら振り返ると、コートにマフラーに耳当てにと、完全防備の瞳子さんが立っていた。

「あ、ごめんなさい。さっきまでレッスンルームを使わせてもらっていたのだけど、テラスに積もった雪を見てたらついそっちに気が行ってしまって」
「そ、そうか…… まぁおかしな事はなくてなによりだ」

6: 2012/12/25(火) 00:40:32.91 ID:ciVG5wjy0
さっきまで瞳子さんがいたというカフェテラスはレッスンルームのすぐ向かい側にある、張り出たベランダのようなスペースだ。普段はイスやテーブルがざっと並んでおり、アイドルたちの憩いの場となっている。
ただし今は、屋根の下に避難しきれなかったイスがきれいに雪化粧されるかたわら、大小様々の雪だるまがぽつぽつと並ぶ奇妙な空間になっていた。

「大きいのは昼間きらりちゃんやちびっこたちが作ったもので、小さいのはさっき私が作ったの。楓さんも一つ作っていったわね」
「……きらりたちはともかく、なんでこんな時間にそのメンバーで雪だるまなんか……」
「楓さん曰く、クリスマスに雪が降ったらウキウキしてはしゃぎたくなるのは自然の摂理なんだって」
「そ、そうなのか……?」

分かるような分からないような。
故郷の長崎では雪など滅多に降らなかったし、外国にいた頃の雪は悠長に風情を感じていられるような生っちょろいものではなかった。

「……そういえば、楓さんの姿が見えないのは?」
「あなたが来るちょっと前に、深夜ラジオのお仕事に出かけたわ」
「そうか、入れ違いだな」

各々が作ったという雪だるまを眺めながら、その創作風景を思い浮かべてみる。
雪が積もったのを見てはしゃぐきらりは容易に想像がつく。楓さんも、まぁ分からないでもない。
しかし瞳子さんが楽しそうに雪だるまを作る様子は……本人を前にして申し訳ないが、少し想像できなかった。
志乃さんじゃあるまいし、酔っぱらっているわけでもないだろう。なんにせよ珍しいことだ。

7: 2012/12/25(火) 00:45:23.03 ID:ciVG5wjy0
「それにしても、クリスマスの夜にこうして女ばかり集まってるのも何だかおかしな感じよね。賑やかだけど、どこかさみしいような……」
「ふむ……そうかな? アイドルをやってるっていう実感も沸くし、私は悪い気はしないがね」

なんて事はない雑談が続いた後、ふいに瞳子さんがため息混じりに言った。
確かに、クリスマスだというのに恋愛は御法度、夜遅くまで仕事やレッスン漬けというのは世間的に見れば寂しい部類の人種だろう。
私は瞳子さんの言葉を、何のことはない愚痴のようなものとしてとらえ、またなんのことはない答えを返した――
いや、返したつもりだったが、何かが彼女の琴線に触れたのだろう。

「アイドルをやってる……」
「あぁ…… それがどうかしたのか?」

はっとした表情を浮かべたかと思うと、瞳子さんは物憂げな雰囲気で私の言った言葉を小さく呟いた。

8: 2012/12/25(火) 00:51:34.37 ID:ciVG5wjy0
「……いいえ、大したことじゃないわ。ただちょっと、アイドルって聞いて夢みたいに思えて」

すぐに顔を上げて苦笑してみせる瞳子さんだが、どことなく不安げな雰囲気は拭えない。
夢。瞳子さんがよく口にする言葉だったが……
以前アイドルをやっていて一度は挫折したという彼女の過去を知っているだけに、彼女の言う“夢”の重みが、私にもいくらかは理解できた。

「女の子の夢よね、アイドルって。それにファンに夢を届ける存在」
「あぁ。そうだと思うし、そうありたいとも思う」
「でもアイドルになった後も、やっぱり現実は厳しくて…… 今だって一年前に再デビューはしたけれど、結局この一年は下積みで過ぎちゃった感じね」
「そういえば……『努力しても実らなかったこと、ある?』だっけな。いつだったか君に聞かれたのを覚えてるよ」
「ええ…… 今も小さな仕事はあるけれど、まだまだ夢の実りというには早いわよね」
「そりゃあそうさ、まだまだ終わるには早すぎる」
「……そうね」

瞳子さんは、なんてことはない落ち着いた口調で……しかし確実に切実に、胸の内を訴えるように語った。
実際アイドルなんて結果の出ない人の方が多いし、私だってそこまで売れている訳ではない。
なんとなしに、弱気な瞳子さんを激励したくもなったし、自信を持って努力し続けるべきだと叱咤したくもなった。
だが、偉そうにそんなことを考えている自分はどうだろうかと――ふと考えて、口をつぐんだ。

9: 2012/12/25(火) 00:55:32.74 ID:ciVG5wjy0
テラスを離れ、そろそろ帰ると言う瞳子さんから鍵を受け取った。

「えっと、レッスンルームの鍵は預けちゃっていいのね?」
「あぁ大丈夫だ。この鍵束に返せばいいんだろう?」
「ちひろさんから借りた時にそこから出してたから、間違いないと思うわ」

差し込んだ鍵をくるりと回し、扉を引っ張る。しっかり鍵のかかったことが確認できた。
しかし、二人して暗くまとまらない考えごとをしていたからか、どうも気まずい雰囲気だ――

「む……? なかなか、難しいな……」

――そのせいなのかどうなのか、鍵を束に戻そうとしても、なかなかどうして束の中に入っていかない。
しばらくカチャカチャと苦戦したところで、目の前で微かに笑う瞳子さんとふと目が合う。
……なにやら無性に恥ずかしいような、決まりの悪いような気がしたので、私は鍵を束に戻すのを諦め、まとめて乱暴にポケットに押し込んだ。

「ふふ、手先はあんまり器用じゃないのね?」
「う、うるさいな。寒くて手がかじかんでいるだけだ」
「本当?」
「本当だとも」

この後、いつの間にか首を傾げぽりぽりと頭をかいていた私は、なおのこと瞳子さんにからかわれることとなった。

10: 2012/12/25(火) 01:00:42.81 ID:ciVG5wjy0
一応、私の感じたこっ恥ずかしさは無駄では無かったようで、頭に重くのしかかる考えごともひとまずは吹き飛ばせたようだ。
からかったりからかわれたりしつつ、別れの挨拶をして瞳子さんの背中を見送る。
と、階段を下りていく間際に、瞳子さんがふいと振り返った。

「……楓さん、今日の昼間はライブがあったんだって。ホワイトクリスマスをステージに大勢のファンに囲まれて、夢みたいだって、喜んでた」
「……『夢みたい』というより、ついに夢を現実のものにしたんだろうな。ずっと夢を持ち続けてそこに向かっていたからこそ叶ったんだろう」
「そうね。夢って、現実でも見られるのよね」

こちらに向いた瞳子さんの表情は明るい。

「……私もね。夢、まだ捨てちゃいないわ」

彼女は決して夢を見ている訳でもなく絶望をしている訳でもなく、ただ現実を見据えているように見えた。
先程私が口をつぐんだのは、恥ずかしながらも正解だったということになる。

「ごめんなさいねこんな話。実を言うと、楓さんが行っちゃったあと一人でレッスンしてたら、寂しくって、なんだか急に不安になっちゃって」
「さしずめ急性夢欠乏症ってところか。 ……ま、私なんかで役に立つなら、いつでも隣は開けておくぞ?」
「あら頼もしい。でも、あなたが話し相手になってくれたおかげで、当分はお世話にならずに済みそうよ。他の患者さんのとこに行ってあげて?」
「ははっ、あんまりやってると自分の分の夢が足らなくなりそうだな。サンタじゃあるまいし配って歩くのは遠慮したい」
「ふふ、なかなかうまいこと言うじゃない。さしずめ……木場サンタさんってとこかしら?」
「き、木場サンタ? 予想外に語呂はいいが……できれば勘弁願いたいなぁ」

彼女が先程とは見違えるような明るさでこちらを見る。会話も小気味良く弾むというもの。
だが私は一方で、さっきふと考えたことを隠したままでいるのを、常に心のどこかで申し訳なく思っていた。
『他の患者さん』とは、案外私自身のことかもしれない。

11: 2012/12/25(火) 01:06:10.04 ID:ciVG5wjy0
「私、まだまだ頑張る。頑張れるわ。プロデューサー君とも、二度と夢を無くしたりしないって誓ったもの」
「あぁ、その笑顔があれば、まだ見ぬファンもきっと君に振り向いてくれるよ」

私の言葉に笑顔でうなずくと、瞳子さんはばいばいと手を振り、はっきりとした足取りで階段を下りていく。
瞳子さんの足音が遠ざかりあたりが静まり返るまで、私はその場を動かなかった。
ふぅと息を吐くと、言葉が無意識に口を割って出る。

「夢、か」

言ってから、改めて今の会話を振り返るとなぜだか気持ちが沈む。
自分でもおかしいと思うが、まっすぐに夢を貫き通す瞳子さんを見て自分を比べてしまっているような、そんな感じだ。
羨望と嫉妬をないまぜにしたようなもやもやした気分。自分自身、ひいては自信というものが揺らぐような不安が、心の内に顔を覗かせた。

「アイドルというのも皮肉なものだ。夢を届ける側にありながら、誰よりも夢を失いやすいだなんて……」

しかし、何を考えたところで現状は変わりはしない。
自信を持って仕事に取り組み100%以上の成果を出して、ただ一つ一つの結果を積み上げていく。
これだけは、前の仕事の時から貫いてきた、プロとしての私の、信頼に足る信条であり方針だ。
これだけは、決して間違っていたことはない。 ……そう思うと、胸のつかえもやがて消えるようだった。

「フフ……まったく、アイドルとしても……ついでにサンタとしても、まだまだ私は力不足だな」

瞳子さんとの会話を思い出すと、冗談のつもりで言ったサンタが思いのほかアイドルと重なって見える。
なにせこうして悩んで夢をすり減らしているうちは、アイドルにせよサンタにせよ、人に配ってなお有り余るような夢なんて持てるはずがないのだから…… そうひとりごつと、不思議と気持ちが落ち着いた。
これが瞳子さんの言う『夢』の補充になっているのかは微妙なところだったが、なんにせよ複雑な思いにケリをつけられたのは確かである。
ため息混じりに浮かんでくる自嘲的な笑みを抑えつつ、私は残る数部屋の確認へと戻った。

12: 2012/12/25(火) 01:10:12.48 ID:ciVG5wjy0
腕時計を見ればもう十時だ。
特に何も言ってはこないが、ちひろさんも待ちくたびれているに違いない。
あとは確認すべき部屋もほぼないので、急いで済ませて戻るべく、数部屋を見回り廊下を進み――

「次で最後……屋上か。滅多に人が入ることも無いところだが一応は見ておかないと…… ――ん?」

――階段に差し掛かったところでわずかな違和感を感じた。
足下を撫でるように、ひやりとした風が流れ降りてくる。紛れもなく屋上からだ。
さっき上がってきた時はこうでは無かった……つまり、私が瞳子さんと話している間に、誰かが屋上に入ったことになる。

『――――~? ――――……!』
「……女の子の声か。 だがこれは……なんだ? 日本語ではないな……」

不審者などの可能性を鑑み、ちひろさんを呼びに戻ろうか様子を見るかと決めかねていると、話し声が断続的に聞こえてきた。
しかもそれはどうやら外国語で……あまり耳慣れない言語だ。
口調はのんびりしているものの、今は口論でもしているのかしょげたり荒ぶったりと忙しい。

「誰か外国人のアイドルが電話でもしているのか…… やれやれ、どうしたものかな」

女性の不審者という可能性も無いではないが、私の頭には他の懸念が浮かんでいた。
こんな時間に、こんな場所でアイドルが電話をしていたなら、それは明らかに不自然だ。
こう言ってはなんだが、アイドルとしての後ろ暗い怪しさを感じるというわけだ。
無論そうでないに越したことはないが、いずれにせよ何が起きているのかはっきりさせたほうが、もっと越したことが起こらない。

「ここで軽口を叩いている場合ではないな…… ええい、ままよ」

何が起こっているとしても、放っておくという選択肢は私の中には無かった。
つくづくおせっかい焼きなことだ自分でも思うが――それで止まれるような私ではない。
やれる事があるなら、やらずにはいられない。それが私の性分だった。

13: 2012/12/25(火) 01:17:26.94 ID:ciVG5wjy0
音を立てないよう慎重に階段を上って踊り場を折り返すと、予想通り開け放たれた両開きの大扉。さらにちらちら舞う雪が目に入った。
なおも上っていくと、次第に屋上の全容が明らかになり……私はひとまず安堵の息をつくことができた。
誰にも踏まれていないまっさらな雪の絨毯に、一人分の足跡と…… なにやら予想外のひづめのような跡。
足跡の主はこちらに背を向け、携帯電話を持ったその手を気合いの抜けた様子で垂れ下げていた。

「(デンマーク語)……。うぅー…… どうしたらいいんでしょうー……」

そこにいたのは、もこもことした紅白のサンタ服にしなやかな長い銀髪の映える、一人のサンタクロースと…… 
全長2メートル近い、もこもこしたトナカイ。
普通なら十分驚くに値する光景だろうが、鬼が出るか蛇が出るかと身構えていた私にとってはまぁまぁ見知ったありがたい面子であった。
ほっと胸をなで下ろしつつ屋上に足を踏み入れ、落ち込んだ様子の彼女に声を掛ける。

「こんばんは、イヴ」
「ふぇ……? き、木場さん……? う、うぅ……」
「なにやら怪しい話し声が聞こえたものでね。こんな所で何を――」

ふいと振り向いた彼女は目に涙を浮かべており、驚きを隠せない様子だった。
私もどうしたものかと考えを巡らせながら、ひとまずは状況を聞き出すことを試みる――

「うぁぁぁん!! 木場さぁぁぁぁん!!」
「なっ、ちょっと待て!落ち着け!飛びついてくるんじゃ――

――などと、悠長に考えていられるほど余裕のある状況では無かったようだ。
一瞬こちらを見て驚いたかと思えば、すぐさま涙に表情を歪め、すがるように走り寄ってくるイヴ。
突然のことにろくな対処もできず、そのままの勢いで飛びついてくるらしいイヴを避けるわけにも行かず。

「木場さぁぁぁぁん!!」
「ぐはぁっ!?」

哀れ私はイヴの猛烈なタックルにより、真っ白な雪の絨毯へと全力トライされる羽目になった。

14: 2012/12/25(火) 01:20:22.18 ID:ciVG5wjy0
「いてて…… どうしたイヴ、本当に何があった?」
「ごめんなさい~!でも私、もうどうしたらいいか~!」

全身に浴びた雪も気にせず、倒れ込んだまま私の胸元にぐりぐりと頭を押しつけ泣きわめくイヴ。
私の方も背中を打ったり薄着で雪まみれになったりと結構な惨状ではあったが、彼女の様子と比べれば自分のことなど心配している場合ではない。
一回り小さな彼女の肩を抱いて、あやすように抱き起こす。

「私、今年こそはって!今年こそはって、心に決めてたのに……」
「……何か、大切なことなのか?」
「生きがいです!使命です!」

イヴもすでに分別のある年頃の女の子だ。それがここまでの乱れようなのだから、生半可なことではないのだろう。
人目をはばかるような電話をしていたこと、生きがいや使命として心に決めたこと……思いつくのは、取り返しのつかない仕事を失敗したとか、危篤の家族を置いてまで何かに取り組まねばならないとか、そんなところだ。そして、考えたくはないが、男女の関係云々ということも有りうる。
ぐずぐずと鼻をすするイヴが一生懸命息を整えるのをそっと待ち、どうにか何か言おうとしているのを見守る。
そしてイヴが口を開き――

「――サンタのお仕事、できなくなっちゃいました~!うわぁぁぁぁん!」
「は?」

――私は盛大に拍子抜けした。

15: 2012/12/25(火) 01:22:27.32 ID:ciVG5wjy0
まさか瞳子さんもこの展開を見越してサンタ云々を言ったわけではないだろうが……いやはや。

「起こるものだな、偶然というのも……」
「? 今、何か~?」
「いや、何でもないよ」

サンタのお仕事と聞いてすぐは、その真偽、はたまた存在すら疑ったものの、どうやらイヴは本気らしかった。
事務所的には何事もなく肩透かしで済んだのだからいいのかもしれないが……それで終わらせてしまえば目の前で困り果てているイヴを無碍に見捨てるすることになる。
下で待っているちひろさんに重ねて申し訳なく思いながらも、やはり私はイヴの話につきあっていた。

「ん~…… あっ、あそこ、あの青い屋根の二階建てのお家、見えます~?」
「どれだ…… あの川沿いの、庭のある家か?」
「そうです~、兄弟そろってすごくいい子が住んでいて~…… あっ、それにその2区画先のアパートの3階の右から2番目の」
「いっぺんに言われてもな……」
「え~とそれじゃあ、あの家とあの家とあの家とあの家と」
「いっぺんに指さされてもな……」

屋上の端から、ぼちぼち明かりの消えてきた町並みをぼんやり眺めつつイヴの話を聞く――ついでに、寒いのでブリッツェンの背に寄っかかるような形で暖をとらせてもらうことにした。
イヴも同じように町の方を向いているが、私と違って見る場所は決まっているようだ。
話から推測するに、サンタとして今日プレゼントを配って回る予定の家だろう。
それは数軒どころではなく、聞いている限りでは数百軒近い数があるようだった。

16: 2012/12/25(火) 01:23:54.95 ID:ciVG5wjy0
「しかし、驚いたな。毎年これだけの仕事を真夜中にこなしていたのか?」

聞けば聞くほどサンタの仕事量は凄まじく、素直に感心した。
しかしイヴのほうは話すにも妙に覇気がなく、私の言葉の端々に何か思うことでもあるのか、時折困ったような苦笑を浮かべていた。
そんな中、特に言葉に詰まり、むむむと考え込むように話し出すイヴ。

「毎年…… 毎年ですか~」
「……なんだ? 今年は何か特別だとか、そういうことかい?」
「う~ん、悪い意味で特別っていうのかもしれませんねぇ。実はさっきの、その、取り乱しちゃったのってその辺が原因でして~」
「辛いなら無理して言わなくても良いんだぞ?」
「そういうことでもないんですけど~ ……なんていったら良いんでしょう~? ちょっと待ってください、すぐ戻ってきますから~」

イヴはまた困った様子でしおらしく笑うと、おもむろに立ち上がり屋上を出ていく。
ブリッツェンものそっと動きだしイヴについていこうとするので、寄りかかっていた私は慌てて離れた。
何をするつもりかと、状況に置いて行かれながらしばし立ち尽くしていると……階下からガタンガタンと、台車を無理矢理引き上げるような音が一瞬聞こえ、またすぐに止んだ。
その音を聞いてまもなく駆け戻ってくるイヴ――彼女は屋上に入るなり、手に何かを掲げて見せる。
一瞬それが何を意味するのか理解しかねたが、意味が分かると…… なるほど、彼女の落ち込むのも理解できた。

「お待たせしました~」
「……その袋は」
「一昨年まではちゃんとプレゼント、配れてたんです~。でも…… この有様でして~」

彼女の手に掲げられたしおれた袋。
それはよくて半分程度しか中身のない、プレゼントの入れ物だった。

17: 2012/12/25(火) 01:25:24.48 ID:ciVG5wjy0
「プレゼントを盗まれて、プロデューサー君に拾われて、アイドルをやりながらプレゼントを用意していた、と。聞けば聞くほど凄まじいな……」
「これでもすっごく持ち直したんですよ~?」
「いや、何というか…… まぁ、あんまり辛いことがあるなら、頼ってくれていいからな? 私に出来ることなら手伝うから」

話を聞くにつれ、今まで聞いたこともなかったイヴの悲惨な境遇が怒濤の勢いで明らかになっていくのだが、なにぶん本人がぽわぽわとした口調で何の気なしに語るものだから、激しく反応に困る。

「しかも、君はうちの事務所のアイドルとしてはかなり売れている方だろう。それでもまだ足りないのか……」
「う~ん、服まで取られちゃって0から再スタートでしたからねぇ」

それだけの服まで盗られるというのはつまるところ追い剥ぎで…… 想像したくもないが、そういうことなのだろうか。
しかしイヴはこんな事を口にしながらも変わらずのほほんとしており、やはり私は激烈に反応に困っていた。

18: 2012/12/25(火) 01:27:15.94 ID:ciVG5wjy0
「これ以外にも、まだたくさんプレゼントはあるんですよ~。でも、必要な分にはぜんぜん足りないっていう、そういうことなんです~」
「しかし、去年はまったく配りに行けなかったんだろう? 君の言うとおり大きく持ち直しているし、配れる分だけでも配ればいいじゃないか」

こう率直に言うのも何だが、イヴは相当に売れている。
未成年という事もあり、今のような深夜は仕事がないのかもしれないが……
何にせよほぼ毎日仕事が入っている、我が社のエースと言っていいアイドルだ。
それでも用意しきれないプレゼントとは、いったいどれほどの量なのか。

「そうしたかったんですけど~…… もうそれも叶わないんです~」
「叶わない?」
「……木場さんが来る前に、先輩のサンタさんとお電話してたんですよ」

結局毒にも薬にもならない推測をあれこれ組み上げながら話しているうちに、イヴの困惑の微笑みに暗い陰が落ちる。
私が聞き返すと、それはより顕著になった。

「……子供たちの夢がかかっているのに、中途半端な仕事はさせられない、って」

言葉の出ない喉から絞り出すようにして、イヴは言った。

「今年も、先輩のサンタさんにお仕事を代わってもらうことになっちゃいました」

19: 2012/12/25(火) 01:29:03.37 ID:ciVG5wjy0
「もちろん、今あるぶんだけでも、お仕事させてほしいって言いました! けど……」

高ぶる思いを叫ぶように口にし、また辛そうに俯く。
嗚咽を漏らしかねない様子でなお言葉を紡ごうとするのがいたたまれなくなって、また私はイヴを抱きしめた。

「夢の象徴のように思っていたが、サンタの世界も厳しいんだな」
「……あはは、なかなか夢のようにはいかないんですねぇ」

涙ながらになお笑おうとするイヴ。乾いた笑みはどこか諦観の念すら臭わせ、私もどうしていいものか途方に暮れる思いだ。
――しかし、イヴの話を思い起こすうちに、私は脳裏に何かひっかかるものがあることに気づいた。
そこから瞳子さんとの話を遡り、思い返すと……それはある種天啓じみた閃きへと昇華していく。
それが打開策を生むかも分からないが、私からできることとして、せめてこの場を清々しく清算するくらいは……

「それで、イヴはこれからどうするんだ?」
「……」
「ここが事務所だということもある。残念だが、これから取れる行動として、ここで悩み続けるという選択肢はない」

現実を突きつけるだけあり心が痛むが、どうあっても時間は過ぎる。このままいればこの場は過ぎる。
わざわざ言う意味は無いかもしれないが……

「今すぐ帰るか――」
「そんな……」

言わねば、始まらない。

「――今すぐ行くかだ」
「……え?」

20: 2012/12/25(火) 01:32:53.86 ID:ciVG5wjy0
「そのままの意味だよ。ただ、行くか帰るかと聞いたんだ」
「私、行くといっても……」
「もう、どこも行くところがないってことはないだろう?」

きょとんとするイヴの言葉を遮って私は続ける。

「サンタに夢を求めるのは子供だけかもしれないが、単に夢を必要としている人はたくさんいるぞ。特にアイドルの中なんかに」
「ど、どういう意味ですか~?」
「これもそのままだよ。夢をそのまま配るんじゃないにせよ、君が配るプレゼントが夢の原動力になるかもしれないということさ」
「夢の原動力……?」
「ここに来る前、瞳子さんと会ってな。アイドルについて少し話したんだ」

どうにも理解しかねる様子のイヴに、私は自らの確信をただそのまま聞かせた。

「アイドルとしてファンに夢を届ける辛い時期も夢を捨てずにいないと、アイドルとして成功する夢は叶わないんじゃないか…… 結論だけ言ってしまえばそんな話だった――」

あくまで私の主観に過ぎないことではある。
しかし、まるで瞳子さんがこの展開を予知していたかのように思えて、私は一言言わずにはいられなかったのだ。
何しろこうして自信たっぷりに話している私も、瞳子さんとのやりとりで自らの夢を疑い、また再確認したところだったから。

「――だが本当にそうか、ちょっと揺らいできたよ。なにせ目の前にいる君が、夢も希望もあったもんじゃないって顔をしているんだから」
「あ……」

イヴがはっとした表情で顔に手を当てる。

「君にはまだ出来ることがあると思う。それは、夢を見失いがちなアイドルたちのもとへ行ってやることだ」
「まだ、私が行って、出来ること、ありますか……?」
「それは君が判断することだが……私は、出来ると思っている」

21: 2012/12/25(火) 01:34:36.61 ID:ciVG5wjy0
「アイドルもサンタも同じだ。悩んで自ら夢をすり減らしているうちは、人に夢を配る仕事なんてできっこない」
「……!」
「だから、こうして私に出来る形で、君が進める道を照らして示させてもらった。しがない一アイドルからのクリスマスプレゼントだ」

言いたいことを全て吐き出し、私は出口に向かった。イヴの表情が何を表しているのかはわからないが、もう私に出来ることはない。
大扉の取っ手をぐいとつかみ、イヴに向かって大きく開け放つ。

「さぁ、あとはどこへでも行け。もうここも閉める」

イヴは立ち尽くしたまま動かない――だが、その表情がだんだんと笑顔に変わっていく。
雨滴のようにぽつんと発した喜びは、瞬く間に怒濤の驟雨のように膨れ上がり、私に押し寄せてきた。

「ありがとうございます!私に足りない何かを、いま木場さんから貰った気がします~!すごいです~!」
「……それはよかった。必要なものが足りたなら、あとは取りかかるだけだ。さぁ、行ってこい」

ぴょんぴょんと跳ねて抱きついてくるイヴに心温まるものを感じつつも、私がここでサンタを独占しては仕方がない。
なかなか離れない彼女を送り出すのが、私の本日最後の仕事だ。

「木場さん!すごい、木場さんは私のサンタさんです~!」
「な、なんだって?」
「木場サンタです~!」
「き、君もその名前で呼ぶのか。柄でもないし、やめてくれないかな……」
「それじゃあ真奈美サンタです~!」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ……」

……いやしかし、最後の仕事を終えるにも、まだ少しかかりそうだ。
私は苦笑いしながらも、抱きついてくるイヴの温もりを心地よく感じているのだった。

22: 2012/12/25(火) 01:36:17.19 ID:ciVG5wjy0
私の腰に巻きついたまま、イヴが言う。

「あ、そうです!さっき『困ったことがあったら頼っていい』って言ってくれましたよね~?」
「あぁ、いつでも言ってくれて構わない」
「いま、一つだけお手伝いしてもらいたいんです~!お願いしてもいいですか~?」
「? まぁ、私に出来ることならな」
「わぁ~、ありがとうございます~!それでは、いきまっしょ~!」
「行きましょう……?」

気持ちも奮い立ったのか威勢良く声を上げ、ようやく屋上を飛び出すイヴ。
しかし私はというと、イヴがお願いしてきたと思えば、唐突に扉の向こうへ走り出す様子に当惑していた。

「ブリッツェ~ン、カモ~ン!」

――扉を一歩出たところで立ち止まり、大声でブリッツェンを呼ぶイヴ。
当然ここは屋上であり、ここから出発するなんて出来ようはずもない。呆気に取られながら、声をかける。

「? 待て、ここに呼んでどうす――」

ガタガタガタッ!
私が言い終わる前に、遥か階下から大きな音が響く。
私も存在を忘れかけていたが……先ほど聞いた、あの台車が段差を駆け上がるような音だ。そういえば、ブリッツェンのことも頭から抜け落ちていた。

「来ましたね~! それじゃ、まもなく出発ですよ~!」

まもなく出発?
ますますおかしな状況に疑問を覚えたものの……何となく、直感的にだが、嫌な予感がした。

23: 2012/12/25(火) 01:39:07.88 ID:ciVG5wjy0
ガタンガタンと、音はなおも近く、大きくなって、イヴもざくざくと雪を踏みしめながら屋上へと舞い戻ってきた。
そして私の手を取り、屋上の真ん中まで引っ張ってくると、おもむろに言う。

「私が合図をしたら、いっせ~のせ、でソリに飛び乗ってください~! 木場サンタさん、今日はよろしくお願いします~!」
「……おい、ちょっと待て。これが君の言う『手伝って欲しいこと』か? なぁ、言いたいことは山ほどあるがまずはこの手を離してくれないか、おい、ちょっと」
「ブリッツェンが飛び出してきたら、そのままの勢いで離陸します~。うまく飛び乗ってくださいね~」

……嫌な予感がいよいよ現実味を帯びてきた。
離陸とは何なのか。私の記憶ではトナカイは空を飛ぶ生き物ではなかった気がする。私が間違っているのか。
それ以前にあの異音はトナカイがソリを引いて事務所の階段を駆け上がっている音なのか。シュールすぎて想像がつかない。

「安心してください~!木場サンタさんの分のサンタ服もあります~!アイドルの皆さんの住所録もばっちりです~!」
「そんな心配はしていない!もっと根本的に気にするところはないのか!?」
「え~? ……ちょっと思い当たりませんねぇ。それじゃ、いきますよ~!」
「おい、おい!イヴ、待て、待てと言っている!」
「いっせ~の――」
「おぉい!落ち着け、イヴ!」

24: 2012/12/25(火) 01:42:19.71 ID:ciVG5wjy0
当惑というか、すでに混乱の極みにある私を気にする様子もないイヴ。
――とうとう、ソリを引きながら階段を駆け上がり、ブリッツェンが突進してくるのが見えてきた。
両開きの扉を勢いよくぶち破って飛び出してくる。軽トラックばりに大きいソリに山盛りいっぱい積まれたプレゼント袋……
あれ、足りないんじゃなかったか。あれでも足りないのか。いや、そんなことはもうどうでもいい。
そして、飛び出した勢いのままふわりと浮き、そのまま空に向かってまっすぐ突き進むブリッツェン。

「――せっ~!」

イヴが開いたソリの座席部分に向かって飛び移る。むろん私の手を握ったまま。
……心の中で、何かが切れる音が聞こえた気がする。

「ふっ、いいだろう……! もう――」

私は考えることを止めて、身を投げ出すようにソリへと飛び移った。

「――どうにでもなれ!!」

25: 2012/12/25(火) 01:45:45.33 ID:ciVG5wjy0

          ※         ※         ※


「うぅ、怖いよぅ…… やっぱり早苗さんにでも連絡すれば良かった……」

ありがたきもの。
上機嫌な瞳子さん。帰ってこない真奈美さん。屋内なのに当然のようにソリを引いて通り過ぎるイヴちゃんのトナカイ。
……なんて冗談言ってられる場合じゃない、時折聞こえる不審な物音。
翠ちゃんがいざというときのために置いていった暴徒鎮圧用さすまたを持って様子を見に行く私でしたが……
真っ暗な階段はただでさえ怖く、とどめと言わんばかりに上の階から聞こえた爆音には、内心おしっこ漏らしそうでした。千川ちひろです。

『――おぉぉい! 落ち着け、イヴ!』
「屋上から声!? 真奈美さんの声よね…… まさかイヴちゃんが飛び降りとか……!」

同様のあまり謎の自己紹介を挟んで心を落ち着ける私でしたが、すぐ上から響いてくる真奈美さんの叫び声で我に返りました。
急いで階段を駆け上がると、やはり何かあったらしく、屋上の扉は全開になっています。

「真奈美さん、イヴちゃん!」

意を決して、私は雪の踏み荒らされた屋上へと突入しました。

26: 2012/12/25(火) 01:48:17.73 ID:ciVG5wjy0
「おいイヴ!落ちる!いったんブリッツェンを止めてくれ!」
「は、はい~!ブリッツェン、ストップですよ~!ストップ~!」

屋上に踏み入った私の目にしたものは、空を飛ぶトナカイとソリ。それに乗るイヴちゃんと、ぶら下がる真奈美さんでした。

「……ん? ちひろさんか、心配かけてすまないな!今ちょっと大変だから、十秒待ってくれ。よっと……!」
「わ~、木場さん力持ちですね~。けんすいで軽々登って来ちゃいました~」
「普段から筋トレは欠かさなかったが、こんなところで役に立つとはな。まぁ、こんなことで投身自殺は御免こうむる」
「うぅ、すいません~…… で、えっと、荷台につかまってればひとまず大丈夫ですかね~? 行きますよ~?」
「おい、本当に行くのか? できれば座席に座らせて欲しいしまだちひろさんとの話も……って、もうブリッツェンもやる気だな」

空に浮かんだままの二人を、ブリッツェン?はまたぐいぐいと牽引し始めます。
そして私が呆然と立ち尽くしていると、遠ざかり始めるソリから身を乗り出して、真奈美さんが声をかけてきました。

「あぁ、そうだ。ちひろさーん!鍵束、投げるから受け取ってくれ!全部屋確認した、異常はない!」
「えっ、この状況は異常じゃないんですか!? ……わわっと!」
「何が起こっているのか分からないだろうが、私にも分からない!以上だ!」
「えっえっ、以上? 異常?」

異常だよね。だから何って話ですけど。
まったく話についていけてない私にも何のお構いもなしです。
とりあえず、真奈美さんが慌ててポケットから鍵束を取り出して投げてくるのを、危なっかしくキャッチ。

「とりあえず屋上だけ開けておいてくれ!先に帰ってくれて構わない!何かあったら連絡する!」
「お願いします~! 行ってきま~す!」

……そうして後に残されたのは、微かに雪の舞う夜空に消えていく二人(と一匹)をただ、ぽかーんと眺める私でしたとさ。


          ※         ※         ※

27: 2012/12/25(火) 01:50:02.45 ID:ciVG5wjy0
イヴから渡されたサンタ服を着込むと、極寒の冬空にも何のことはなく耐えられた。
普段より近い雲と舞い散る雪、眼下に広がる光あふれる街と、思わず息を呑むような絶景がみるみるうちに流れていく。
普通に生きていては味わえない感覚にしばし感動を覚える……
が、今は少々イヴと話したいこともあったので、私は意識を現実に引き戻し、前方の座席に座るイヴに声をかけた。

「おーいイヴーーー!!」

全力で、声をかけた。

「えーーー!? 何ですかーーー!?」
「ひとつ聞いていいかーーー!?」
「ごめんなさーい!! 風で何にも聞こえませーん!!」
「ならスピードを落とせーーーッ!!!!」
「今のは聞こえましたーーー!! 減速しますーーー!!」

……トナカイというのは地上を時速80キロで走れるらしい。
まぁ空中はどうか知らないが、風で何にも聞こえなくなる程度には、ブリッツェンも速度が出るようだ。
歌のために培った発声法を無駄に発揮し、イヴに減速の意を伝えたところで、なんとか普通に話せるようになる。

「はぁ、はぁ…… ど、どうか、しましたか~?」
「一つ聞きたいんだが、君はなんで私を連れて来たがったんだ?」
「はひぃ……ちょ、ちょっと待ってくださ……木場さん、なんで息、上がって、ないんですか~?」
「おいおい、はぐらかすようなことでもないだろう」
「ち、ちが……」

どうやら簡単には話したくないことのよう……いや、単に息切れか?
今度みっちりレッスンしてやろうかと思わないでもない。

28: 2012/12/25(火) 01:51:50.93 ID:ciVG5wjy0
「私も一応は自分の意志で付いて来たからな。とやかく言うつもりはないんだが」
「う~ん。木場さん、夢を届けるって言ってたじゃないですか~」

速度が収まったので、荷台を移動してイヴの横へと座る。
典型的なサンタのイメージである、恰幅の良い男性のサンタ用に作られているのか、私たちは二人並んでちょうどよく収まった。
呼吸を整えて、にわかにイヴが話し始める。

「良い子にプレゼントなら慣れてるんですけど、足りない夢って、届けるにしてもどうすればいいのか、不安だったんですよ~」
「……そういえばそうだな」

彼女が言い出したのは至極まっとうな疑問であり、また不安であった。
……正直言うと、私も方法までは考えていなかった。

「で、どうしようかと思っていたらまさに目の前に、夢と自信の伝導師?そんな木場サンタさんがいらっしゃるじゃないですか~」
「よく分からないキャッチフレーズだな……」
「でも、途方に暮れる私に夢を届けてくれたのは、他でもない木場さんです~」

なるほどまったくもって正しい要請だ。自分でも驚くが、私はイヴにきちんと夢を届けることができていたらしい。
それならば頼られるのも当然と言うものだが…… どうしたものか。

「まぁ、ものは試しです~。夢のお届け第一号、行ってみましょ~!」
「……もう着いたのか?」

考えがまとまらないうちに、ブリッツェンが高度を下げる。
見たところ都会といった風ではないが、少し豪華な一軒家が建ち並ぶ、裕福な住人の多そうな地区だ。
私たちはその中でも少し大きめの一軒家の庭へとそっと着地し……そういえばこれは不法侵入ではないだろうか。

「……まぁ、夢の届け方なんて相手が誰かにもよるな。話はそれからだ」

まどろっこしいことはなしにして、私は周囲を警戒するイヴの後について、表札を確認しに向かった。

29: 2012/12/25(火) 01:54:09.65 ID:ciVG5wjy0
輿水。表札にはそう刻まれていた。

「幸子か…… 確かに苦労人な感はあるし、割と良いチョイスだとは思うが……サンタを信じているような年か?」
「どうでしょう~。まぁ、まずは幸子ちゃんの寝室を探しましょう~」
「……ところで、仮に彼女へのプレゼントが決まったとして、どうやって置くんだ?」
「今回は侵入までは簡単そうです~。玄関にも警備会社の警報装置などはありませんでした~」

なにやら物騒なことを言うイヴを見て、これは犯罪ではないかと改めて思う。今更遅いか。
声と足音を潜めるようイヴに言われ、その調子で私たちは家の周りをぐるりと回る。

「たぶん2階のあそこですね~。カーテンは閉まってますけど、あの窓だけ鍵が開いています~」
「……閉め忘れ、とかじゃないか。というか、よく見えるな」
「う~ん、見慣れてるからですかねぇ。とりあえず、幸子ちゃんって几帳面ですし鍵の閉め忘れとか少ない気がします~」
「まぁ、見てみないことには分からないが…… いったいどうやって――」
「行ってみましょう~。ブリッツェン、出番ですよ~」
「――あぁ……そうだったな」

イヴに呼ばれたブリッツェンが音もなくソリを引きながらこちらへ寄ってくる。
私たちが座席の部分に乗ると、今度は垂直にスーッと上がっていった。
……このトナカイはいったいどういう生き物なんだろうか。

30: 2012/12/25(火) 01:58:26.88 ID:ciVG5wjy0
イヴが音もなく窓を開け、注意深くカーテンをずらす。私はいざというとき見つからないよう、脇に隠れている。

「……ビンゴです~。手紙と大きめのサンタ用靴下を確認しました~」
「おいおい……」

こちらに顔を向け、ささやくようにイヴが報告する。
それと同時に、大胆にもイヴは部屋の中に手を突っ込み、可愛らしい便せんを持ち出す。
また音もなく窓を閉めると……イヴは一度を開いてから、中に手紙が入っているのを確認し、もう一度閉めた。
そして、すっと真剣な顔になったかと思うと、ふいに私に聞いてきた。

「まずは手紙を確認しましょう~。心の準備はいいですか~?」
「……心の準備とは?」

なにが起こるというわけでもないが、嫌な予感がした。
というのも、イヴに聞き返してどんな答えが返ってくるか、どうも予測が付いてしまったのだ。

「……人の心の見ちゃいけない部分を見るかもしれない、ということです~。木場さんは、遠慮しておきますか~?」

やはり……。イヴはまたいつも通りの笑顔に戻るが、私はどうしても『知ってしまった』という感じが拭えず、イヴをサンタの仕事に駆り立てておきながら今頃こんなことで悩み始める自分自身にも嫌悪感を覚えた。

「……イヴはそういうの、見慣れているのか?」
「子供たちの手紙にも、たまに切実なのがありますから~。でも大丈夫ですよ~、サンタを信じる子のほとんどは平和に幸せに暮らしてます~」
「夢が足りなくて幸せを逃してて、子供と大人の中間で多感な時期の子をピンポイントで狙った結果、私たちはここにいるんじゃないのか?」
「……あ、あはは~。大丈夫ですって、あの輿水のさっちゃんですよ~? 夢と自信にあふれるファンタスティックなお手紙に決まってます~」

現状を把握するというのは大事なことだが、見なくて良い現実まで見てしまっているという感覚がじわじわと私を苛む。
イヴも言葉にはしないが私と同じようなことを感じているようではあるが……
まずは見てみるつもりらしく、便せんの中から二つ折りの手紙を取り出していた。

「まずは私が見ます~。取り越し苦労ならそれでよし! そうじゃなかったら……そのとき考えましょう~」

そう言ってイヴは手紙を開いた。

31: 2012/12/25(火) 02:04:58.97 ID:ciVG5wjy0
開いて、閉じる。その間に、じっくり読むという行為は存在していなかった。
もういちど開く。じっくり読む。頭を抱える。
あちゃー。イヴは表情でそう伝えてきた。

「これはのっけから核爆発なみの地雷ですね~。夢の伝導師木場サンタさん、どうしましょう~」
「……見てしまっていいんだな?」
「ええっと…… じゃあ、二つ折りの上半分からどうぞ~」

イヴが手紙を字が見えるように折り返し、渡してくる。
私はまず言われたとおり上半分を読みにかかる。

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 サンタさんへ

こんばんは。
サンタなんていないに決まってますけど、仮にサンタさんがいて、ボクのカワイイオーラに惹かれてついふらっと訪ねてきてしまったのに何もなかったら寂しいでしょうから、手紙の一つでも置いといてあげます。
フフーン!ボクの優しさに感謝してくれて良いんですよ?
なんならファンになってくれたって構いませんし!
カワイイボクにメロメロになって、クリスマス以外でもプレゼントを届けに来てくれてもいいくらいです!


--------------------------------------------------

「ここまでは普通だな……あ、いや、一般的な意味では普通ではないんだが」
「そうなんですけど~…… あぁ~、何を渡したらいいんでしょう~、何か良いものありませんでしたっけ~?」

ごそごそと荷台に満載の荷物を探り始めるイヴをよそに、私は深呼吸をする。
何が出ても良いように心構えをしてから、裏面をめくってみた。

32: 2012/12/25(火) 02:07:08.36 ID:ciVG5wjy0

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……さて、こんな風に一生懸命、自信を持ちきれない自分を取り繕いながら、なんとかアイドルとして頑張っています。
やっぱり、どこか無理しているのは自分でも分かってますし、それが結果としてキャラに結びついて売れているというのもあると思います。
でも、最近はそのキャラが災いして、腹パンだとか、虐めれば虐めるほど怯えてカワイイだとか、そういう声が漏れ聞こえてきます。
挙げ句の果てに、信じてたプロデューサーには単身スカイダイビングまでさせられるし、もう周りの人が怖くて怖くて仕方ないです。
ファンのみんなもプロデューサーも、いつもはとても優しい笑顔を向けてくれるのに……裏ではいったい何を考えているんでしょう?

アイドルとしてはこれでいいのかもしれませんけど、ボク自身はもうダメになりそうです。
せっかく努力してアイドルになったのに、こんなのってないです。

どうせこの手紙を見るのは、サンタさんなんかじゃないでしょう。
けど、お父さんでもお母さんでもサンタさんでも、誰でもいいので、ボクを純粋な優しい目で見てくれる世界をください。
お願いします。  

                           輿水幸子より

--------------------------------------------------

33: 2012/12/25(火) 02:14:44.66 ID:ciVG5wjy0

「……なぁ、イヴ」
「は、はいっ!」
「私はなんてことをしてしまったんだろうな。こんな、何が出来るわけでもないのに、人の心の傷を覗き見て……」
「はわわ!木場さんのせいじゃないです~!落ち着いてくださいぃ~!」

混沌とした絶望感。やっちまった、というのが正しいのだろうか。
後悔や自己嫌悪、やり場のない怒り、手の届かないというはがゆさ、すべて混ぜこぜにして一気に押し寄せてくる感じだ。

「……さて、まだ諦めちゃいけないな。イヴ、なにか使えそうなものはあったかい?」

まぁ、その中に責任感や意地というのも混じっていたぶん、まだ私も捨てたものじゃない……ということにしておこう。
相変わらず袋をのぞき込んでいるイヴの方も苦戦しているようだ。
袋の中から顔を上げ、窓のほうをちらりと横目に見ながら答えるが……

「全然ですね~、ビーダマンとか手鏡とかネックレスとか――」

突如、イヴが窓の方を向いてビクリと肩を震わせた。
私もつられて声を上げながら、窓の方を見ると――

「どうした? 何か見つかっ――もがっ」
「静かに!ブリッツェン上昇~!!」

口をイヴに塞がれながら、急上昇によりバランスを崩す。
よろめきながら、私は窓の端に幸子が顔を出そうとしているのを垣間見たのだった。

34: 2012/12/25(火) 02:17:52.21 ID:ciVG5wjy0
「なんですかこんな夜中に…… サンタさんってことは、まさか…… まさかないでしょうけど……」

私たちのちょうど真下、幸子が窓から顔を出した

(声、出しすぎちゃいましたね~。かなり警戒されました~)
(さらに状況が悪化したわけか……?)
(そうかもしれません~…… とにかく、いったん屋根の上のほうまで待避しましょう~)

うかつな行動を反省しつつ、ほぼ聞こえないような声でイヴと相談する。
早鐘のように打つ心臓の鼓動と、嫌でも上がる息を抑えながら、どうにかこの状況の打開策を模索していく。
怪訝な様子で周囲を見回している幸子、身を隠すという選択、あったら使えそうなプレゼント。一つ一つ条件を整理しながら、あたりを見回す。
だが、幸か不幸か、私はプレゼントの方を見た際に気づく。

(……さっきのプレゼント袋、開きっぱなしじゃないか? いや、それどころじゃない……中身がこぼれ落ちる)

さっきイヴが掘り返していた袋が横倒しになり、中から一つ、小さなプレゼント箱が転がり落ちようとしていた。
とっさに拾いに行けば物音が立ってしまうし、かといって放っておけば幸子の目の前をそのままプレゼントが落下する羽目になる。
イヴも私と似た同じ状況だし、第一気づいていない。万事休すだ。

「……はぁ、ホントにサンタが来たと思ったのになぁ。ちょっとでも信じたボクがバカみたいじゃないですか……」

今まさに転がり落ちようとしているプレゼントを何も出来ずに眺めながら、私は幸子の呟きを聞いた……

35: 2012/12/25(火) 02:19:33.99 ID:ciVG5wjy0
いや、まだだ。幸子の呟きを聞いた私の頭に、閃きが降りてくる。
幸子は心のどこかで、サンタを望んでいる。ならば、この状況を逆に利用できるはずだ。
プレゼントが荷台から離れる。イヴも音でようやく気づいたが、ふつうに対応するにはもう遅い。
私は、幸子に聞こえないよう小声で、しかしはっきりと言葉を届けるため、ほとんど無意識のうちに口を動かしていた。

「イヴ、上着を脱いで私に貸せ! ブリッツェン、落ちるプレゼントを可能な限りダイナミックにかっこよく拾いに行け!」

我ながら、頭がおかしくなったのかと思うような指示だ。
しかし、言いながら体は既にイヴの上着を剥いでおり、次の瞬間には混乱するイヴを抱き込みつつ、剥いだ上着を二枚重ねにしながら無理矢理羽織っていた。
――これで、恰幅の良いサンタに見えないでもないだろう。

「……え? 誰?」

幸子の不安げな声が聞こえてくる。ちらりとそちらを見れば、まさに幸子が振り向かんとするところだった。
――それを私が確認したところで、ソリが急加速した。

36: 2012/12/25(火) 02:23:00.79 ID:ciVG5wjy0
空中に弧を描くように。大地を踏みしめるように力強く。しかし軌跡は乱れもなく美しく。
ブリッツェンはこのうえなくダイナミックにかっこよく、ソリを牽いてみせた。
ちょうど地面スレスレを掠めたところで、私の目の前に、落ちていったあのプレゼントが現れる。

「おっとと危ない! プレゼントを落としてしまうところだった!」

わざとらしく言いながら、プレゼントを危なげなくキャッチする。
そして気を利かせたのか、ブリッツェンは丁寧に、勢いをうまくゆるめながらなおも円の軌道を揺らすことなく飛行を続け……
ちょうど窓から顔を出す幸子の前まで行ってソリを止めた。こんな粋なトナカイは世界中どこを探してもいないだろう。
私は心のうちでブリッツェンに感謝を述べた。

37: 2012/12/25(火) 02:25:27.16 ID:ciVG5wjy0
――さぁ、舞台は整った。私は落ち着いて喉をやわらげたのち、普段とは違う中性的な声で、幸子に話しかける。
もちろんこの声は、私のものではない、サンタの声だ。
……そのつもりだ。

「こんばんは、幸子さん」
「えっ、えぇ……? えっ、えぇっ!?」
「夜更けに起こしてしまって済まないね。まだまだサンタさんも修行を積まないとなぁ、はっはっは」

動揺する幸子の視線から極力顔を隠しつつ、朗らかに頭の中でのサンタ像に近い感じで言ってみる。
なおイヴは、私の上着の中でふらふらになりながら、恰幅のいいサンタっぽく見せるためのかさ増しの役目を担っている。

「手紙を読ませてもらったよ。君にプレゼントを届けに来た」
「ほっほほ本当によ、よんよんよん読んだですか?」
「あぁ、受け取っておくれ」

さっき落としたプレゼントをそのまま幸子に手渡す。
彼女はおっかなびっくり、それを両手で受け取った。

「な、中身は何ですか? あっああ、怪しいものじゃないですよね?」
「……」
(イヴ!中身は何だ!?)
(ネ、ネックレスです~)
「ネックレスだよ」
「あ…… あの、それでこのネックレスで、ボクのお願いはどう……」

疑うのも無理はないものの、質問をされると急ごしらえの木場サンタは言葉に詰まるというもの。
あんまり上着の中とやりとりなどしていると怪しまれるので私は早急に、一番伝えたい用件に移る。

38: 2012/12/25(火) 02:27:11.86 ID:ciVG5wjy0
私の頭には、一つの策があった。

「明日はそれを身につけて仕事に向かうといい。そうすれば――君の望んだ世界が、少しは見えるはずだ」
「本当ですか?」
「本当だとも。ただ……君のファンや、君のイメージすべてを変える力は、残念ながら私にはない」
「それじゃあ……他に何が変わるっていうんです?」

彼女の手紙にあった“信じてたプロデューサー”という言葉を思い出す。
私の力でなにかどうにかできる可能性があるのは、同じプロダクション内の、幸子のプロデューサーくらいだ。
しかし我が社のアイドルとプロデューサーの絆は皆相当に深い。そこに賭けてみることにしたのだ。

「――君の信じたあの人だけは、君を優しく見つめてくれるはずだ」
「……プロデューサーが? 本当に!? あのどうしようもないドSのプロデューサーがですか?」

当たり……か? やはりプロデューサーのことは並一通りでなく想っているようだが……
……精一杯心を込めてサンタとして言ったつもりなのに、この反応はなんだろう。
しかしまぁ、これはこれでプロデューサーへの期待が高まっている証拠なのかもしれない。

「では、私はそろそろ次のお宅へと向かうとしよう。……メリークリスマス!」
「あっ、メ、メリークリスマス!」

何はともあれ、ここで出来ることは全てやった。
私は、申し訳程度に握っていたブリッツェンの手綱とを軽く動かし、幸子に背を向けて夜の空へと戻った。

39: 2012/12/25(火) 02:34:23.25 ID:ciVG5wjy0
「プロデューサーさんですか~? 夜分遅くにすいません~、ちょっと聞きたいんですけど、幸子ちゃんのプロデューサーさんって――」

イヴに上着を返し、また雪の中を悠々と飛ぶ私たち。
幸子のところでなんとか仕事を全うしたことで、ひとまずは喜び合う私たちだったが、まだひとつ仕事が残っていた。
まずは私たちのプロデューサー君に電話して、幸子のプロデューサーの電話番号を聞いた。

「しかし、ブリッツェンもなかなかやるな。さっきのあの惚れ惚れするような動き、君が人間だったら本当に惚れていたかもしれないぞ?」
「そりゃあブリッツェンも男の子ですから、やるときはやるん……あっと、繋がりましたね~。」
「……健闘を祈る」

明るい話で元気付けようと試みる私だが、そんな間もなく、幸子のプロデューサーに電話が繋がる。
電話を始めるイヴは力強く親指を立て、私の言葉への返事とした。

40: 2012/12/25(火) 02:39:42.88 ID:ciVG5wjy0
「夜分遅くに申し訳ないです~、幸子ちゃんのプロデューサーさんですか~? 同じプロ所属のイヴです~。大事な用件があって電話させて頂きました~」

幸子に渡したプレゼント自体には、当然パワーもなにも宿っていない、効果もなにもないはずだ。
それに効果をつける作業を、今この場で行っているのである。急ごしらえにも程があるが、他に方法など無かったのだ。

「そりゃ幸子ちゃんは我慢強いですから一見何ともないです、でも今のあの子はすごく心を痛めてます~!――そうです、空なんて飛べるのは飛行機とトナカイだけですよ~!? あなたも飛んでみやがれってんです~!!」

できるかぎりの説得をして、彼女が明日事務所に来て、晴れ晴れとした気持ちになれるようにするというわけだ。

「甘えさせてあげるんでも、褒めてあげるんでもなんでもいいんです~…… 大事なのはちゃんと、ちゃんとあの子を幸せにして、夢あふれるアイドルにしてあげることです!」

そういうことで私が電話をしようとしたところ、手伝ってもらってばかりで忍びないと、イヴが自らプロデューサー君に電話をした次第だ。
聞いている限り、なにやら迷走している感がしないでもないが……

「夢のないアイドルが、ファンに夢を配り続けるなんてできっこないって、偉いサンタさんも言ってました!」

しかも、私がいつの間にか偉いサンタさんにされているようだが……

「――ホントですか~!? ありがとうございます~、くれぐれも幸子ちゃんのこと、よろしくおねがいしますね~。それでは、失礼しました~」

イヴが電話を切る。どうやら決着が付いたようだ。
結果は明日まで持ち越しだが、聞いている限りではうまくいったのだろう……私は安堵に胸を撫で下ろした。

そして、それと同時に流れる街の風景がだんだんと止まり、また地面が近づいてくる。
大した間もなく、次のお宅に着いたようで……私は気を引き締めて、向かう先の家の様子を伺うのであった。

41: 2012/12/25(火) 02:43:18.64 ID:ciVG5wjy0
「かな子……まさかこんな時間まで起きているとはな」
「う、う~ん、やっちゃいましたね~」

雪の積もった三村家の屋根の上で、二人して心臓をバクバクさせながら、必氏に気持ちを落ち着かせる私達。
それも当然、屋根のすぐ下、2階の窓には――

「今ぜっったい何か居たよね? 泥棒、とかだったらどうしよう……」

――目をぱちくりさせたかな子が、外の様子を伺っているのだ。

「いやぁ~、まさかこんな簡単に見つかってしまうとは……」
「明かりも点いていなかったのに、鍵に手をかけた途端に窓から顔を出してくるとは流石に予想できないさ。今はこの場を切り抜けよう」

私たちは、さきほど輿水家の一件から学習し、努めて音を立てず模範的な侵入法を取ったのだが……
不幸なことに、こちらの予期できる範囲外のことが起きたというわけだ。
このまま逃げるだけなら可能だが――それだとのちのち、三村家に泥棒が入ったという事件としてとられかねない。
八方塞がりではないものの、どうするのが正解なのかいまいち掴めずにいた。

「どうする? 幸子の時と同じく、本当にサンタが来たものと思わせるか?」
「でも、幸子ちゃんと違ってサンタなんて信じていないお年でしょうから……あっ」
「……閃いたか?」
「どうすればいいか、分かったかもです~。なにごとも正直が一番ですよね~。うふふ~」

そんな折、イヴがピーンと来たという様子で、楽しそうな笑みを漏らした。

42: 2012/12/25(火) 02:45:38.81 ID:ciVG5wjy0
「サンタなんていないなら、いないでいいんです~」
「どういうことだ?」

イヴは私を屋根の上に避難させて、一人ソリに乗ってかな子の部屋の前に静止した。

「あえて正直に、真っ正面から訪問するんです~。それで、さも当然のように『サンタです~』って挨拶するんですよ~」
「それは……分かりやすい作戦だが、私たちの存在をばらして解決とするのはどうなんだ?」
「うふふ~、バレてもいいんですよ~。だって、私たちがここに来たなんて、かな子さんには少しも思わせたりしませんから~」
「何? そんなことが可能なのか?」

朗々と作戦を説明して聞かせるイヴだったが、私はそのあまりの大胆さに冷や汗を垂らすばかりだった。

「可能も何も、普通はそうなると思いませんか~? サンタなんて夢に決まってるのなら……あえて現実離れした様子をそのまま……いえ、もっと大げさに見せて、これは夢ですよ!って思わせちゃえばいいんです~! どうですか、この作戦~!」
「……なるほど、確かに『正直が一番』だな。かな子がどう思うかは分からないが……いけるんだな、イヴ?」
「行けますとも~!」

親指を立て、こちらにやる気を示すと、今し方かな子が引っ込んでいった窓へと肉薄するイヴ。
私も大げさに屋根から身を乗り出すのをやめ、そっと様子を見守った。

「では『しずかちゃんをお誘いするリズム』で行きますね~」
「……?」
「かーなー子さんっ、こーんばーんはーっ」

うむ……なんとなく不安だが、見守ろう。

43: 2012/12/25(火) 02:47:47.15 ID:ciVG5wjy0
「こんばんは~」
「やっぱり不審者――えっ? イヴちゃん?」

バーンと勢いよく窓を開け放って出てきたかな子を、持ち前のぽわぽわしたオーラで受け流す。
よくよく見れば、静止できるはずのブリッツェンがゆらゆらと上下に揺れて必氏に非現実的に浮いてますアピールをしていたりと、芸が細かい。

「クリスマスと言えばサンタさんですね~。私もよい子のみんなに夢をお届けすべく、がんばってます~」
「えっえっ、あっ…… はい……」
「かな子さんはよい子ですか~? よい子だったらプレゼント上げちゃいます~」
「え? あ、どうだろう。そんな悪い子じゃないと思うけど……」

にわかには信じられないが、かな子も混乱しているようで、かなりうまく行っているようだ。

44: 2012/12/25(火) 02:50:21.77 ID:ciVG5wjy0
「あ、でもどうかな。最近事務所の給湯室を私物化してお菓子キッチンにしちゃってるし、悪い子かも…… 冷蔵庫なんてケーキ1ホール作れるくらい材料詰め込んじゃってるし……」
「むむむ~、それはちょっと悪い子ですね~。悪い子はいねが~ですよ~」
「え、サンタってそんなこと言うの?」
「東北と北欧のサンタさんは言うんですね~。でも、サンタさんは心が広い! プレゼントあげちゃいます~!」
「あ、ありがとう……?」

かな子の隠された罪まで暴きつつ、ちゃくちゃくと意味不明展開に持ち込むイヴ。
かな子も寝起きでいくらか寝ぼけているようだし、これならのちのち夢だと思ってしまうかもしれない。

「中身はみんな大好き、川島さんのお面です~!気になりますね~!」
「えぇっ、なにそれ怖い……けどなんだろう…… すごい気になる……」
「朝になるまで開けちゃだめですよ~、呪われますから~」

……イヴは川島さんをなんだと思っているんだろうか。
たしかに写真などに撮られる時に変な癖が出るのか、能面のように表情が固定されていることもままあるが……いや、そんなことは今はいい。

「ではサンタさんはクールに去りますよ~、メリ~クリスマ~ス! いい夢見てくださいね~!」
「あ、うん、メリークリスマス? ていうか、イヴちゃん浮いてるし……なにこれ、夢?」

どうやらうまく行ったようだ。
イヴが言い終わるやいなや、ブリッツェンが屋根の上へとソリを引っ張り上げてくる。
次いで姿を現したイヴは、やり遂げたという表情で親指を立てて見せ、私をソリへと引っ張り上げる。
そのままのノリで、私たちは親指を立てた拳を付き合わせながら、次の家へと向かったのだった。

45: 2012/12/25(火) 02:53:36.66 ID:ciVG5wjy0
「――いやしかし、小春の手紙には驚いたな。『うま、うまが欲しい。ヒョウくんといっしょに乗りたい』とは」
「お馬さんはソリに乗らなかったからっていうお返しのお手紙はうまいと思いますよ~? うまだけに~」
「馬のぬいぐるみに手紙を添えたわけだから、本当『うまだけに』だな……と、もう2時か。 時間が過ぎるのは早いな……」

かな子の家を出てからさらに数件を巡ったが、それらは概ね成功したと言ってよかった。
プレゼントのかさもだいぶん減り、それらはアイドルたちの夢の原動力になっていると、確かに感じられた。

「私はまだまだ付き合えるが……イヴ、体調は大丈夫か?」
「大丈夫ですけど~…… ここらで一回休憩しましょうか~。目立たないところに降りて、コンビニで飲み物でも買ってきましょう~」
「そうするか……」

ブリッツェンに連れられてひたすらにアイドルの家々を回っていたら、いつの間にか結構遠くまで来ていたようだ。
都内からはまだ出ていないものの、畑や大きな緑地帯なども目立つようになっている。
駅近くの適当なビルの屋上に降りてから、ブリッツェンの背に乗って改めて地面まで降りる……
そうしたところで、ふと横にいるイヴの出で立ちが気になった。

「真っ赤なサンタ服に、銀髪の外国人美少女アイドル……」
「ふぇ? や、やですよぅ、木場さんたら~! いきなりそんな、その……照れちゃいますよぅ~」
「い、いやそう言うことではなくて…… こんな深夜にそんな格好でアイドルがコンビニに行くのはいかがなものかと思ってな」

もちろん私もイヴに渡されたサンタ服を着ているのだが、なにせイヴ=サンタクロースの名で日々活動しているこの子の目立ちようといったら、私の比ではなかった。
今は目立たない裏路地に居るものの、ここから見える通りの向こうのコンビニは、立地がいいのかこんな時間でもやけに人が多い。

「え、あ、そういうことなんです? なんですかもう~、素直に褒めてくれたのかと思ったのに~」
「すまないな。私だけならそう目立ちはしないだろうし、イヴの分も何か買ってくるよ」
「分かりました~。そしたら私、ブリッツェンと一緒に屋上にいますから……そうですねぇ、10分したらお迎えブリッツェンをここに、って感じでいいですか~?」
「それでいいだろう。暖かいお茶とかでいいかな?」
「あ、あったらでいいのであまざけかおしるこをお願いします~」
「意外なチョイスだな…… よし、それじゃ行ってくるよ」

ちょっと不服そうなイヴだったが、私がサンタ服を脱いで渡すと素直に受け取ってくれた。
ブリッツェンにまたがり垂直上昇するイヴに見送られながら、私は通りの向こうの青い看板を目指した。

46: 2012/12/25(火) 02:57:29.05 ID:ciVG5wjy0
サンタ服の下は少々薄着だったもので、通り一本向こうに行くだけでもかなり体が冷える。
歩行者信号が青になると、私は溶けかけた雪を跳ね上げながら、いつにも増して早足で歩く。

「いらっしゃいませー…… え? 木場さん? なんで?」
「……凛? そっちこそ、なんで○ーソンの制服なんて着てるんだ?」

店内に駆け込むように入ると……なにやら事務所で見慣れたような、長い黒髪が目についた。
振り向いてみれば、やはり渋谷凛本人であり、まさかの出会いに驚きを隠せなかった。

「私は『有名人一日店長・24時間働けますか?』って番組の収録で…… 未成年だってのに、プロデューサーも付きっきりでいるからって言うから断れなくて」

別に凛のプロデューサーのことは一言も聞いていないのだが、労働基準法などものともせず幸せそうにプロデューサーの話をする凛は、女の私から見ても大変に可愛らしいので、野暮なことをいうのは無しにしておいた。これはファンに見せられない、とかな。
まぁ、どこから見ても夢あふれる乙女であり、木場サンタの出番はないだろう。



……しかし、まずいな。『木場サンタ』というフレーズに抵抗がなくなってきた。
脳内で自然に発せられた言葉に、ひとり恥ずかしい思いをする自分がバカらしいのは分かっているのだが……

47: 2012/12/25(火) 03:10:55.85 ID:ciVG5wjy0
「今はプロデューサーもスタッフさんも裏で話してるけど…… 木場さんが来たなんて言ったらみんなびっくりするよ?」
「私は……そうだな。仕事の関係でこの近くに来て、ちょっと小休止に飲み物を買いに来た。ということにしておいてくれ。というか、何も言わなくていい」
「そりゃややこしくなるから言わないけど……『しておいてくれ』って、本当はそうじゃないってこと?」
「本当にそうだが、細部が微妙に説明しづらい」

何も嘘など言っていないが、細かいところを説明して理解して貰うのは無理だろう。そんな必要性もない。
私は商品棚に目をやってしばし悩んだ後、ペットボトルのお茶を2本、ホットぶどう、それにあまざけとおしるこを手に取った。
ぶどうの甘さは健康に良く、また柑橘系のように喉に刺激を与えず、それでいてコーヒーのようにカフェインの分解によって体の水分を浪費することもない。
お茶は喉の油を吸い取るが、程度は気にするほどではないし、今は歌う場面でもない。
あまざけとおしるこは知らん。甘いことは確かだ。

「レジ、頼んでもいいかな」
「はいただいま……え? これ全部木場さんが飲むの?」
「そんなわけないだろう。私のはお茶1本とぶどうだけだ」
「相方の人、すんごい好みしてるね…… お会計678円になります」

相方の人の顔を思い浮かべながら、私も凛の意見に同意する。
なにせ缶を見ているだけで胸焼けしそうなチョイスだ。

「これでちょうどだな」
「ありがとうございましたー…… って、あ、プロデューサー戻ってきたみたい。早くとんずらした方がいいよ?」
「そうさせてもらおう。ではまた明日、事務所で会おう」
「うん、また明日」

こちらに凛に笑顔で手を振ると、凛もまた笑顔を返してくれた。
……店を出て数歩行ってから振り返ってみると、凛とそのプロデューサーが仲睦まじく話している。
やはり木場サン……もとい、私たちの出る幕はないなと、ふっと口元が綻ぶのが、少し嬉しく思えた。

52: 2012/12/27(木) 13:57:00.48 ID:c0RIlJVf0
通りを越えて帰ってくると……ビルの上から微かに、口ずさむような歌声が聞こえた。
屋上で聞いたあの電話とは違い、今度は英語なので、私の耳にもごく自然に届く。

「Hark how the bells……sweet silver bells…… 鐘のキャロルか。イヴが歌っているんだろうが、下まで聞こえているのはいかがなものかね」

日本ではあまり馴染みのない曲だが、ヨーロッパの方ではよく知られている、ポピュラーかつ伝統的なクリスマスの曲だ。
この曲の発祥はこれまた日本人になかなか縁のないウクライナで、その辺りを鑑みるとやはりイヴが外国人であることが再認識される。
何はともあれ、私は少し足を速めて10分前にイヴと別れた場所へ向かう。ブリッツェンは既にビルの下の目立たない箇所にスタンバイしていた。

「待たせて悪かったな。まだお世話になるよ……っと」

背中に跨ると、もはやお馴染みの垂直上昇でスィーと動き出し、そのまま屋上のフェンスを乗り越え着地する。
そうして帰ってみれば、イヴはイヤホンをして何か曲を聞いているようだった。
おそらく先ほどの歌声も、曲を聞いていてつい口ずさんでしまっていたのだろう。
イヴはこちらに背を向ける形で町の様子を眺めており、まだ私が帰ってきたのには気づいていないようだ。

「イヴ。おい、イヴ?」

声をかけてもまだ気づかない。
……そんなイヴに歩み寄るうちに、私の心にちょっとした悪戯心が芽生える。
暖かい飲み物がぎっしり詰まったビニール袋から、ほどよい熱さのおしるこ缶を取り出し、イヴの無防備な首筋に……
ぺたり。

「わひゃあ!」
「ただいま、ご注文の品はこちらでよかったかな?」

びっくりして体を跳ね上げながら振り返るイヴに、そのまま缶を手渡した。

53: 2012/12/27(木) 13:59:30.85 ID:c0RIlJVf0
45
ここの屋上も当然雪が積もっており、直接座ったりするのもはばかられる。
どうしようかと迷ったものの、事務所を出る前と同じくブリッツェンに寄っかかりながらのお喋りで落ち着いた。
私がホットぶどうを軽く振り、封を開けるかたわら、イヴは渡したおしるこを早々に飲みきる。
今はあまざけを開けてちびちびと口にしつつ、ソリの座席に腰を下ろしていた。

「そういえばさっき私が帰ってくるちょっと前、鐘のキャロルを歌ってただろう?」
「歌ってましたね~ って、あれ? 何で知ってるんですか~?」
「下まで聞こえてたからだな」
「わぁ~お。そういえば、誰かに聞かれるかもなんて考えてもいませんでした~」
「ま、聞かれたところでさしたる問題もないだろうがね。一応は気にしておいてくれ」

実を言えば私も、もう滅多なことは起こらないだろうしなによりブリッツェンは飛べるしと安心していた。
そのため、そうくどくど小言を言う気にはならなかった。
それよりも、先ほどイヴが聞いていた曲のほうに興味が沸いた。というより、イヴの音楽事情についてか?
なにしろ私は長らく外国にいた上、元々音楽畑の人間である。外国の音楽についてについて話が合う人がなかなかおらず、こうしてイヴと話せるのは良い機会だと思ったのだ。

「ところで、さっき歌っていたのはクリスマスの歌だが…… 普段もよく聞くのはそういう曲なのかい?」
「普段はほんと何でも聞きますよ~? あ、でも今はやっぱり、“コレ”ですねぇ」

私が何気なく話を振ると、楽しそうに答えてくれるイヴだったが……今は何かを思うところがあるのか、感慨深そうにサンタ服のポケットをぽふりと叩いて見せた。
なにが入っているのかと聞くと、イヴはポケットに手を突っ込み中に入っているものを私に見せてくれる。

「やっぱりクリスマスは“コレ”がないと~」

イヴのいう“コレ”とは――年季の入った、ポータブルMDプレイヤーだった。

54: 2012/12/27(木) 14:07:07.92 ID:c0RIlJVf0
「私、このプロダクションに入るまでパソコンとかよく分からなかったんですよ~」
「だからMDを使っていた、と」
「当時はそれぐらいしか使い方が分からなかったので~。あ、今はいろんな人に教えてもらったりして、ふつうの音楽プレーヤーも使えるんですけどね~?」

イヴがプレーヤーからMDのカートリッジを取り出し、私に渡してくる。
張られた曲目リストには10曲ほどクリスマス関連の曲が載っていて、中身は日本のメジャーな曲から、近代以前のかなりマイナーな賛美歌まで様々だった。ただ、最後の曲には名前がなく、ただトラック11とだけ書かれている。
その他に目を引くのは、透明なカートリッジにマジックではっきりと書かれた『From P to Eve』の文字だ。筆跡や『P』の一文字から見るに、このMD自体がプロデューサー君からイヴへ贈られたものだというのを表しているらしい。

「特に好きな曲を集めたもののようだが…… このPは、プロデューサーのPだな?」
「うぇへへ~☆」
「まったく、彼といったら……私にはいつも頼ってばかりのくせに……」

心底嬉しそうなイヴを見ると私も幸せになる思いだったが、同時に少しだけ妬けてしまうような気持ちもあった。
明日会ったら、クリスマスだし私にも何かくれとせがんでみるか?
……いや、柄でもない。やめておこう。

「それでですね~。好きな曲を好きなときに聞きたいな~って思ってパソコンと悪戦苦闘してたら、プロデューサーがこう言うんですよ~。『言ってくれれば好きな曲、まとめてMDに入れてあげようか?』って! きゃ~☆」
「……ん? 別段かっこいいセリフじゃないような……」
「んもう~。そういうのは気分ですよ~、気分~」

……話を聞いていると、どうやら私が妬く必要はなさそうだ。
ほんの少しでもドキドキした私がバカみたいじゃないかとは、思っても口には出さなかった。

55: 2012/12/27(木) 14:11:59.21 ID:c0RIlJVf0
イヴに渡されたMDに少し興味が沸いたので、プレーヤーを貸してもらった。
全部聞いているわけにもいかないので、飲み物で口を潤しながら流し聞きする。
知っているままの曲もあれば、独特なアレンジが加えられた曲もありと、コンスタントに楽しめる曲集になっていた。
だがそれが最後の曲に差し掛かると……どうにも他の曲と雰囲気が違うような感じがする。

ドラムやキーボードといった現代的な音はなく、民族の伝統を感じさせるような神秘的な音で占められている。
穏やかさと活発さを両立させた流麗な旋律、それを諸々の楽器が繋いでいく中、時折楽しげに鳴る鈴の音が、曲全体に印象深く響きわたる。
お祭りの中にも芯の通った祈りを忘れない、本来の『クリスマスイヴ』を感じさせる良い曲だが――それ以上に、この曲が想起させるものとして、いま私の横にいる『イヴ』を感じずにはいられなかった。

まるで『イヴ本人をイメージして作られたかのような曲』――私はそう感じたのである。

56: 2012/12/27(木) 14:17:20.17 ID:c0RIlJVf0
しかし、聞いていると歌声などはないものの、明らかに曲調は伴奏と言った風で、あるべきはずの歌だけがそこにないという感じがした。
音質も妙に悪く、砂嵐のようなサーという音が常につきまとう。

「これはインストルメンタル…… いや、どちらかといえばカラオケ版だな」
「あ、最後の曲ですか~?」

違和感を覚えつつ聞いていると、私の前にイヴが横からひょいと顔を出す。
どうやらイヴにとっても、この曲は気になるものらしい。

「私、この曲ってすごいポピュラーなのかと思ってたんですけど、プロデューサーは『この曲だけは何をどう調べても正体が分からない』って言うんですよね~。元は私のおうちにあった伴奏だけ入ったカセットテープで、とりあえずそれを入れてもらったんですけど~」
「……となると、イヴは歌のついた原曲を知っているのか?」

どうやら出自も通常の曲とは違うようで、この曲がこうして私の耳に届くまでの経緯をイヴは事細かに説明してくれる。

「はい~、いつ覚えたのか自分でも分かりませんけど、カセットを聞いたら自然と英語の歌詞が口から出てきたんです~。きっと小さい頃にでも聞いていたんでしょうね~」
「ふむ……案外、イヴの身内が作った曲だったりしてな。曲調も……君らしい雰囲気が伝わってくる」
「あ、それプロデューサーにも言われました~! 私ってこんな感じのイメージなんですね~、なんだか自分の曲みたいで嬉しいかもです、えへへ~」

奇遇なことに私とプロデューサー君は同意見だったようで、それを聞いたイヴも上機嫌だ。
曲について話すイヴはとても嬉しそうで、彼女の持った思い入れがありありと伝わってくる。

「プロデューサーも気にいってくれたみたいで~。カセットをお貸ししたら『歌も聴かせてくれ』って言われて、録音までして~。なんと、全部まとめて楽譜まで作ってくれたんです~」
「……すごい気合いの入りようだな。今度言って見せてもらうか」

プロデューサー君としてはイヴのためもあるだろうし、そうでなくても何かが気になって仕方ないときというのも往々にしてある。
何か始めると栄養ドリンク片手にどこまでも突き進むのが彼の常だ、なにかひっかかるものがあって、つい燃えてしまったのだろう。
かくいう私も、少しこの曲に心惹かれるところがあった。

57: 2012/12/27(木) 14:22:09.85 ID:c0RIlJVf0
「……でも実を言うと私も、この曲の原本があるなら聞いてみたいんですよ~」
「それはまぁ、正体が分からないというのもむずがゆいものな」
「ですね~。でも、それだからいい、って部分もあるんです~」
「分からないから、良いと?」

すべてを聞き終わったところで、イヴにMD一式を丁寧に返す。
それをにこにこしながら受け取ると、また大事そうにポケットにしまう。
そんなやりとりの間に、イヴはこの『最後の曲』についてしみじみと語った。

「おうちのお掃除してたらぽろっと出てきたのがこの曲でして~、降って沸いた出会いに思わず『プレゼントみたいだな~』って思ったんです。それが一度目のプレゼントでした~」
「一度目?」

私が聞き返すと、悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見返す。
一度目があるなら、二度目はどうか。そう思うのを見越しての笑みのようだ。

「うふふ…… プロデューサーや木場さんに、『イヴらしい曲だ』って言われると、それがまた私へのプレゼントみたいに感じるんですよ~。変かもしれないですけど、これが二度目のプレゼントです~」
「……おいおい、よしてくれ。私はただ感想を述べたまでだ」
「いいじゃないですか~、私がプレゼントだと思って幸せになれるんですから、それくらいは思いこませておいてください~」

二度目、ね。
なるほど今の悪戯っぽい笑みの意味が分かったうえで、今のイヴの屈託のない純粋な笑顔を比べて見ると……
とりあえず、自分が嬉しさと恥ずかしさに当惑しているのだけは、はっきり感じられた。
そんな私をさておいて、イヴはさらに続けた。

「……そして、いつか本当にこの曲の正体が分かったなら、それも三度目のプレゼントになるかもしれません~。でも、いつか分かるかもしれないっていうドキドキを、分からないままで夢として持っておくのも、ある意味ではオツなプレゼントなんですね~」

なるほど……なるほど。
ものは考えようというが、これほど身近にあり、いつまでも自分の力になってくれるような曲というのは、確かに紛れもなくプレゼントだ。

58: 2012/12/27(木) 14:25:45.93 ID:c0RIlJVf0
「……よくよく、君のために尽くしてくれているな。この曲は」
「はい~、一粒で何度もおいしいってやつですね~」
「……ん? そ、そんな例えでいいのか?」
「あ、あれれ? 何かおかしかったですか~?」
「いや……そうだな。これも『君らしい』というやつかもしれない」
「むむむ~、どういう意味でしょう~?」

感動すら覚えつつ、イヴの話を聞いていた私だった……が、イヴの方はというと、大事ではあるものの特別なこととは思っていないのか、きょとんとした様子だ。
まぁ、普段感じていることを話してくれたのだろうから、それも当然か。
そんな風に、一歩ずつ一歩ずつ広がっていったこの話は、なし崩し的に締めくくられることとなった。

「……ん、もう飲み物はカラか。そろそろ行くか?」
「あっ、そうですね~。あんまり休憩してると朝になっちゃいます~」

くいっと飲み物のボトルを傾けたところで、いつの間にやら中身がカラになっていたことに気づく。
腕時計を見てみれば、既に2時半。
私はイヴの言う『一粒で何度もおいしい』曲を心の隅に留め置きつつ、空っぽのボトルを片づけて、出発の支度をするのだった。

59: 2012/12/27(木) 14:31:10.36 ID:c0RIlJVf0
ソリに乗って街の上を進むのにも慣れたもので、周囲の様子をじっくり観察するくらいの余裕も、既に私の中に生まれていた。
ふと空を見れば雪が止んでおり、4分の1程度が欠けた月が空に浮かんでいるのが、雲間にはっきりと見えた。
そういえば、のあさんがスケジュールの確認をしながら、今月の満月は28日だと言っていたのを思い出す。
それを考えると、今の月は結構明るい方なのだろうか。

「お月様なんて見えてたんですね~」
「ほんのちょっと前まで、空じゅう雲に覆われていたのにな」

天候なんてころころ変わるものではあるが、夜にも関わらず白く覆われた空が、今は全体的に黒く染まってきているのを思うと、結構な時間が経ったのだなとつい思ってしまう。
今までは事務所から遠ざかる形だったブリッツェンの行路も、少し回り道をしながら事務所へ戻るルートに変わった。
行きにプレゼントを配った家の近くも通り過ぎつつ、まだ行っていない家を目指す。
眼下の街並みが、だんだんと明かりの多い都会へと移り変わり――イヴが見えてきた目的地を指で指し示す。

「次のおうちが見えてきましたよ~」
「すぐ近くには高層ビル街、3時近いのに車もよく通っているが……こんなところに住んでいる子がいるのか?」
「むこうはオフィス街ですからおうちはあんまりないですね~。こっちの、ビルとかと比べて暗いほうの……あの家ですね~」

ゆうに2、30メートルはあるようなオフィスビルが1キロほど先にはずらりと並ぶ。
そして低空を飛ぶ私たちの下には、ビル街を囲むようにぎっちりと詰まった、都会周辺特有の家の並びがあった。
そのままゆっくりと目的地であるらしい家の真上に位置づけ、ゆっくりとその場で旋回する。

「……この家か? まだ蛍電球が点いている部屋があるな」
「う~ん、あの赤い光はそれっぽいですね~。これはもしや、サンタさんの最大の敵である『サンタに会うべく夜更かししてる子』かもしれませんよ~」
「それはなかなかの強敵だが……それ、ちょっと悪い子じゃないか? 行っていいのか、サンタ的に」
「……あ、あはは~? と、ともかく、ここらはソリをおける場所がありません~。一度着地できそうな場所を探しましょう~」
「あぁ、頼む」

話しているうちにだんだんとこの家の様子が掴めてきたが、とりあえずはイヴに従い、この場を離れる。
後ろを向いて、その家をじっと見つめていると――家と家の隙間にほんの一瞬、目的の部屋の様子がちらりと確認できた。
部屋の中には小さな灯り、転落防止用の頑丈そうな柵、カーテンの閉まっていない窓。
それらの向こうに見えたのは――羊のもこもことした着ぐるみを着て、一人ベッドにたたずむ小さな女の子。
まだ遠く、ギリギリ誰か確認できた程度だが、気のせいや見間違いではないようだ。

「仁奈……?」

……それにしても。
ほの暗い部屋で一人ベッドに座っているらしい彼女は、とても寂しそうに見えた。

60: 2012/12/27(木) 14:37:21.38 ID:c0RIlJVf0
「去年はこういう『着地場所がないな~』って時に、ほんの一瞬だけ目立つところにソリを止めちゃったんですよ~。でも、今年は同じ間違いはしません~!」
「なるほど、その教訓を生かして……ここか」

庭のある家などは少なく、背丈もそう高くない一軒家。それらがほぼ密接した塀でかろうじて区分けされているこの地域。
そんな中でイヴがかろうじて見つけた、人の手が届かず、どうにかソリとブリッツェンを待機させられる場所。

「家四軒の塀の角が突き合わされば、安定した十字の足場になります~! ここならプレゼントをとられる心配もありません~! ばっちぐぅです~!」

正直これは予想していなかった。
確かに狭いものの何とか着地はできたし、見つかりづらいし、見つかったところで塀をよじ登ってまで調べにくる輩はいないだろうが……

「まぁ私たちは、雪の積もった、安定しない塀一枚の上を歩いて目的地に向かうわけだがな。プレゼント袋を担いで」
「これもサンタらしいといえばらしいですよ~。ほら、あそこが仁奈ちゃんのおうちです~」

画期的な駐車スペースから原始的な方法で出発した私たちは、ダンスレッスンで培ったバランス感覚を無駄に……もといフルに発揮して、音もなく、塀から塀へ、屋根から屋根へと飛び移る。
街灯のない住宅同士の隙間はかなり暗く、さらには雪が邪魔になるので足下には注意を払わねばならなかったが、結局は10分程度で目的地にたどり着く。
私たちは小さく赤い光の漏れる、2階の一室を見上げた。

61: 2012/12/27(木) 14:39:50.29 ID:c0RIlJVf0
仁奈の家もやはり周りの家と同じく、塀で囲まれた区画にかっちりと詰め込まれた二階建てだ。
2階には小さなベランダ、1階には駐車スペースがあり、ちょっとした高級車が停まっている。
家自体は普通だったが――家の周囲を回る際に、仁奈の部屋ではなく、一階の居間らしき部屋から声が聞こえた。
私は後ろにいるイヴを手で制してから、プレゼント袋やおぼつかない足下を気にしながらその場にかがむ。
こんな時間――時計はすでに3時を回っているというのに、まさか家族そろって起きているのだろうか。

『せっかく帰ってきたのに、仁奈のところに行ってあげないの?』
『行きたいさ、プレゼントだって持ってきた。しかし部屋の様子からして起きているようだし……ううむ』
『今日だってすごい偶然が重なって、やっと少しだけ帰って来れたんでしょ?』
『そうそう、本当運命の悪戯でもあったのかってくらい……それでもほとんど時間がないのが悲しいな……』
『今は帰って来れただけでも喜んで、仁奈に会わないと……』

いや、聞いている限りでは仁奈はいないようだ。

『……あ、そういえば、あの子、朝からサンタさんに会うでごぜーますって言って聞かなかったわね』
『普段は君と一緒に寝てるあの子が、今日に限ってこうとはなぁ…… いっそのことサンタ服でも買ってくればよかったかな?』
『冗談言ってないで、何か考えましょうよ。あなたもなんとか帰ってきたはいいけど、また朝になる前に出発しなきゃいけないんでしょ?』
『……あぁ、あと数時間もないな。むむむ……』

どうやら仁奈の両親らしい二人の話し声。
話しているのはたった窓一枚隔てたところのようなので、しっかりと内容まで耳に入れることができた。イヴにも同様に聞こえているだろう。

「仁奈のご両親か。私たちと同じく『起きてる子』に手を焼いているようだ」
「うわぁ~…… お父さん、いらっしゃるんですか~?」
「そのようだが、何か問題が?」

家の中の二人に存在を悟られないよう、慎重に、音を立てずにイヴの方を向く。
すると、イヴが合わせた手で口を隠し、驚いた様子を伝えてきた。
その様子から察するに、それは仁奈のお父さんが居ること自体についての驚きらしい。

62: 2012/12/27(木) 14:41:50.85 ID:c0RIlJVf0
「問題だなんてとんでもないですよ~。仁奈ちゃんのお父さん、長いこと海外でお仕事してて帰ってないって聞きましたもの~」
「なるほど、それならお父さんも是が非でも会いたいところだろうな」
「でも、仁奈ちゃんの夢を壊さないために、悩んでいるみたいですね~」

ご両親の会話から、大体の事情は掴めた。
なんとか仁奈の顔を見てプレゼントだけでも置いていこうと深夜に帰ってきたはいいものの、起きてサンタをこの目で見ようとしている我が子に困っているわけだ。
……家の外にいるか中にいるかの違いはあるものの、ご両親と私たちはほぼ同じ状況に置かれているようだ。

「弱りましたね~。このままじゃプレゼント渡すどころじゃありません~」
「そうだな……そういえばブリッツェンも、こんな家の間の細い隙間には入ってこれないし、部屋に向かうことすら――」
「あっ、それは大丈夫です~」
「何――なんだそれは」
「かぎづめロープですね~」

今までのように空を飛んで近づけるのは、道に面した側か、2階のベランダ付近くらい。
それらはいずれも仁奈の部屋の窓とは方角が違う。
これでは状況云々どころか物理的にも部屋に入れないと危惧したその瞬間、イヴはごそごそと背負っていた袋の中に手を突っ込み、丈夫そうなロープを取り出す。
その端にはこれまた丈夫そうな金属性のかぎづめが付いており、見るだけで用途がはっきりと分かる代物だ。

「これで仁奈ちゃんの部屋の窓の所まではいけます~。幸い、窓の周りには丈夫そうな鉄柵もついてますし~」
「そいつは頼もしいが…… ますますサンタというものが私の中の一般的なイメージからかけ離れていくんだが」
「あやめさんから頂いた品を元に改良しました~。忍びとサンタが合わされば、たどり着けない部屋などありませんとも~」
「……サンタ、サンタってなんだ」
「木場サンタさん曰く、夢を配って回る人じゃないでしょうか~」
「……そうだったな」

かくして潜入方法を獲得した私たちは、仁奈の部屋の様子を窺いに向かった。

63: 2012/12/27(木) 14:42:38.07 ID:c0RIlJVf0
「う~ん、二人して覗くのは無理そうですから、ここは体重の軽い私が行きましょうか~」
「そうしよう。プレゼント袋はひとまず私が持っておくよ」

イヴから袋を受け取り、仁奈の部屋を見上げる。
ご両親がいた居間らしき部屋とは反対の面に位置しており、多少の物音くらいなら感づかれることはなさそうだ。

「それでは行きますよ~。えいっ」

イヴが投げたかぎづめはカシャンと控えめな音を立てて柵に引っかかる。
そしてロープを握った手に力を込めてイヴは塀から壁へと足を移していった。

「よいしょっと。それじゃ、ちょっと見てみますね~」

すいすいと垂直の壁を登り、瞬く間に窓まで到達するイヴ。
彼女が真下を向いてこちらに話しかけてくるのを牽制し、今は部屋の方を見ろと、一声かけようとしたその時――

「サンタ!サンタでござーますか!?」

――慌てた表情の仁奈が、窓を開けるのすら忘れて、透明なガラスへとへばりつく様子が見えた。

64: 2012/12/27(木) 14:44:31.52 ID:c0RIlJVf0
「あれ、イヴおねーさん? サンタはイヴおねーさんでいやがりましたか?」
「あ、あはは~。そうですよ~、」
「そうだったのですか……!? これはすげーことを聞きました!起きてたかいがあったですよ!」
「に、仁奈ちゃん、夜も遅いから静かに、ね~?」
「は。そうでごぜーました。仁奈はいい子にしなきゃです」

今のは相当に焦った。
少々油断していたこともあり、プレゼント袋を取り落としそうになりながら、さらには足も踏み外しそうになりながら、なんとか仁奈からの氏角へと隠れる。心臓はあり得ないほどに早く鼓動を打ち、体中から冷や汗がどっと吹き出る。
さらに、持ち物や急な動きが災いして物音が立ってしまう。昼間ならともかく、誰もが寝静まった夜には少々目立ってしまうほどの大きさではなかったかと思い、いたく後悔する。
しかし……つい隠れてしまったものの、よく考えればイヴは既に存在も正体もバレているし、私も隠れる必要はなかったんじゃないだろうか。

「ところで、さっき下にもう一人いらっしゃいやがった気が――」
「きょっ、きょきょ今日は先輩のサンタさんもいるんですよ~。今は別のおうちにプレゼントを配りに行ってます~」

しかも、隠れたのにバレてるときた。
一応イヴもこちらの行動に口裏を合わせてくれるが、結局私であるということをぼやかしただけで存在は認めている。
さてここからどうしたものか。サンタを見るという仁奈の目的は達成されたものの、プレゼントは私が持ったまま。
あとはイヴがどう展開を収拾してくれるか……この場は全てイヴに託されてしまったと言っていいだろう。
収まってきた鼓動や冷や汗をため息で押し流しつつ、私は頭を抱える思いだった。

65: 2012/12/27(木) 14:45:23.66 ID:c0RIlJVf0
「本当は寝てなきゃだめなんですよ~? 悪い子はめっ、です~」
「うぅー、ごめんなさいです……」
「……でもどうしましょう~。プレゼント袋はき――先輩が持ったままですね~」
「お呼びしちゃだめなんです?」
「う~ん、ちょっとサンタさんにも事情があって…… とりあえず、ずっとここにぶら下がってるのもあれですから、中に入れて貰っても~?」
「どーぞどーぞ。あ、靴は脱ぎやがってくだせー」
「おじゃまします~。あ、窓は――」
「さみーから閉めるです」

ガラガラ、ピシャリ。
私の場所からは見えないものの、どうやらイヴは部屋の中へと入ったようだ。
しかも窓を閉められてしまい、耳を澄ませても会話を聞くことはできそうにない。

「参ったな…… ご両親の様子でも探りに行くか?」

もはや私にできることはほとんど残されていない。
せいぜいご両親が仁奈の所に、ひいてはイヴの所に行かないか見張っておく程度だろう。
私はイヴに申し訳なく思いながら、いつでも連絡が付くよう携帯電話を取り出し、また塀の上を伝って居間とおぼしき部屋の方へと回った。

66: 2012/12/27(木) 14:46:35.42 ID:c0RIlJVf0

          ※         ※         ※


「すご~い、お部屋の中、きぐるみいっぱいです~」
「仁奈にとってはお洋服のようなものです」

私が部屋の中に入ると、仁奈ちゃんはぽんとベッドに飛び乗って、その勢いでぼふぼふと跳ねながらこちらに向き直ります。
外に残してきてしまった木場さんのことも気がかりでしたが、すぐ下の階にいらっしゃるご両親がいつここにくるか分からないのも怖いです。
仁奈ちゃんが音を立てて下の階に感づかれるのを避けるべく、私はそっとベッドに座って仁奈ちゃんを横に並べるように座らせます。
これでひとまずは安心かな~?

「……さて~、サンタさんが来てしまったからには、何かプレゼントをあげたいんですが~」
「そのへんは、ここにきっちりまとめたお手紙を用意したですよ! ぜひお読みになりやがってくだせー!」
「おぉ~、それでは読みやがりますとも~」

プレゼントのことを切り出すと、仁奈ちゃんはさっと、ベッドの横につるしてあった大きな靴下を持ち出します。
そして中からは、かわいらしい動物の絵が描かれたお手紙が出てきました。
……でも、それを手にとった仁奈ちゃんは、なんだか難しい顔で、私の顔とお手紙を交互に見比べています。

「あ、でも……どうしよう……」
「どうしました~? ここで読まれたら恥ずかしいかな?」
「うー、実は、サンタさんにだけ言うつもりのことを書いたです。お仕事場のみんなには……心配かけちゃうから、あんま読んでほしくねーです……」

67: 2012/12/27(木) 14:47:25.16 ID:c0RIlJVf0
ありゃま、これは想定外でした。

仕事場のみんな、それには私も含まれているのでしょう。
仁奈ちゃんからすれば、まさか知ってるおねーさんがサンタとしてやってくるなんて夢にも思いませんから、こうなるのも不思議ではありません。

私はちょっと困りました。
仮に私が、仁奈ちゃん自身知られたくないことを読んだなら。
私は仁奈ちゃんにとってただのサンタとは違う、れっきとした同僚ですから、自分の秘密をずっと顔をつきあわせていく同僚に打ち明けることになります。
それに、仮に手紙を読んだとして、私がそこにあるプレゼントのお願いを叶えられないことも、十分ありえます。
そしたら、どうなるでしょう?

……サンタさんが自ら子どもの夢を壊すだなんて、世界中のサンタさん、私自身、それになにより木場サンタさんに誓ってできません。
私はどうするのがいいか、頑張って考えました。

68: 2012/12/27(木) 14:48:58.43 ID:c0RIlJVf0
お手紙っていうのは、ふつうのサンタさんが、どうしても子どもたちと直接お話する事ができないからあるんです~」
「そーなんです?」
「たぶんそーだと思います~。だから、運良くサンタさんに会えた子は、ちゃんと直接言いたいことを言えばいいんですよ~」

悩んだ末、私は臨機応変に、仁奈ちゃんから直接お話を聞くことにしました。
考えてみれば、ふつうはお手紙より言葉の方が、言いたいことが伝わりますよね~?

「でも、正直な良い子じゃなくちゃ、です」
「いつも会ってる私だから言えます~。誰も仁奈ちゃんを悪い子だなんて思いませんよ~」
「……仁奈、いい子でやれてるですか?」
「そうです~。いつかパパに見てもらうって言って、いつも頑張ってるじゃないですか~」
「……」

普段から事務所で会う仁奈ちゃんは、とても9歳とは思えないほどしっかりしています。
つらいお仕事にもめげずに立ち向かって、きちんとお仕事をこなして。
サンタのお仕事で途方に暮れて、木場さんに泣きついたりしてる私なんかより、よっぽど立派に“プロ”をやっています。
……ただ、今は、おかしなことに仁奈ちゃんの反応がありません。まさか、何かまずいことを言っちゃったでしょうか?

「あ、あれ?」
「……パパ、そうです! パパに見てもらいたいんです! パパに会いたいんです!」
「仁奈ちゃん……?」
「ずっとずっと、パパにアイドル仁奈を見せたくて、それで……う、うぇぇぇ……」

……パパという言葉が、ひっかかったようです。
押し込めていた感情が激するように飛び出し、仁奈ちゃんはそのまま泣き出してしまいました。
結局、お手紙の見せたくなかった部分を、私は見てしまったのではないかと……うかつな自分を責めたくなります。
――でも、私は仁奈ちゃんをそっと慰める一方で、つい先程聞いたご両親……というか、『パパ』本人の声に、一筋の希望を見出していました。

69: 2012/12/27(木) 14:53:07.82 ID:c0RIlJVf0
「パパに会いたい……です……」
「……」

私は面食らっていました。
もちろんお願いそのものが深刻で、ほとんどないケースだというのもありますが、それより。
パパ、いるじゃないですか。

「あ、うぅ……もう一年も、パパに会ってないです……だから、さみしくて……」
「そ、そんなに……」
「アイドルやって、ゆーめーになれば…… パパも、会いに来てくれるって思ったけど…… パパに会えないで、ずっとアイドルやるの、ちょっと、ちょっとだけ、つらいですよ……」

胸の内を告白していく仁奈ちゃんを、わたしはなおも慰めます。

「ぐす…… す、すみませんです。こんな、こんなどうしょもねープレゼント、もらえるはずないのに……」

何とか涙をせき止めた様子の仁奈ちゃん。
でも、またいつ爆発するか分からない感じです。
これは、早急に『プレゼント』をあげるべきかもしれません。

「……いえ~? 果たして本当にそうでしょうか~?」
「う、うぇぇぇ……え?」
「そのプレゼント、あげられるかもしれませんよ~」

私がどうこうしてはるばる海外からパパを連れてきたわけじゃないのに、プレゼントをあげるという言い方はちょっと罪悪感を感じますけど……
私は、『パパをプレゼントする』というのを思いつきました。
やることは至って簡単、廊下に出てパパを呼べば、必ず仁奈ちゃんのもとに来てくれます――

「あれ? き、先輩から、かな?」

そう言おうとした瞬間、ポケットがブルブルと震えだしたことに気づきました。
そして同時に下の階から物音が聞こえます。
焦りを感じながらも、少し失礼して携帯電話を取り出すと、木場さんからのメールでした。
文面は――

70: 2012/12/27(木) 14:55:57.18 ID:c0RIlJVf0
『ご両親が物音などを不審に思っている。まだ決心がついていないようだが、いつそちらに向かうとも分からない。』

私がこうメールを送ると、返信は1分もたたずに帰ってきた。

『私に策がありらみす。木場さんはブリッツ園をベランダ下まで連れと来てくまーさい』

相当に急いで打ったのか誤字や誤変換だらけだが、言わんとすることは分かる。
ただブリッツェンを連れてきてどうするのか、意図するところまでは分からず……まぁ、何かしらよろしくない展開になっていることは間違いないだろう。私はただブリッツェンのもとへと急ぐのみだった。

「事が終わって帰るというわけでもあるまい。できる限り急がねば……」

来たときの道を寸分違わず、自分でも驚くほどのスピードで駆け戻る。
行きに歩いたおかげで雪が退けた箇所を的確に踏み、屋根から塀へ、塀から屋根へ。
そうして全速力を出し切ること5分ほど、十字の足場に相変わらずどっしりと鎮座するソリとブリッツェンが見えてきた。

「イヴの身に何か問題が起こったようだ。行くぞ、ブリッツェン」

私の言葉を理解しているのかどうなのか、深く考えることもなくソリへと飛び乗り、そのまま手綱を握る。
するとブリッツェンも、イヴが居ないことや私の鬼気迫る様相に何か感じ取ったのか、ふわりと浮いて仁奈の家の方を向いた。
数百メートル先に見える目的地がどうなっているのか、まだ私には分かりようもない。
可能な限り迅速に、指定されたベランダ下へと向かうのみだ。

71: 2012/12/27(木) 14:57:58.68 ID:c0RIlJVf0

          ※         ※         ※

「パパーーーー!! ……こ、これでいいですか!? 本当に、少しの間でも、パパに会えるですか!?」
「来ますとも~。ずっとここに居てもらうことは出来ませんけど~…… サンタさんは、良い子のお願いなら、たとえ運命だって変えちゃうんですよ~」

仁奈ちゃんの部屋を出ると、右側には階段、左側にはベランダがありました。
あえて電気は付けずにいるので、廊下はほとんど真っ暗ですけど、慣れれば何とか見えなくもない感じです。
当然下の階にはご両親がいますが……ベランダの方では、誰にも踏まれていない雪がただ月明かりに照らされています。
来る途中にはまだ空を大きく占めていた雲でしたが、私たちがどたばたしているうちに、大部分はどこかへ行ってしまったようで、今は黒い夜空に月が浮かぶのを、はっきりと目にすることが出来ました。
そんな中、ベランダは道に面していないため、街灯をはじめとする明かりがなく、都会にも関わらずかなり暗くなっております。
つまり……手すりにでも座れば、ちょうど月明かりで逆光になるはず。廊下側から見れば顔などは分からないでしょう。

「パパーーー!!」

そして私の策とは、ご近所迷惑顧みず、ただパパを全力で呼んでもらうことです。
そうすれば、いるはずのないパパが来てくれるのです。
現に今、下の階からはどたどたという足音が聞こえます――さぁ、私もこんな風にのんびりはしていられません。
私はおもむろにベランダに向かい、足下の雪に足跡を残さないよう気をつけながら手すりの一部分の雪を払いのけました。
……足跡を残さないのは気分ですけどね。この方が風景的にすっきりするでしょう~?

外にはまだ木場さんとブリッツェンの姿は見えません。けど、すぐに来ると信じましょう。
私はしっかり心構えをしてから、廊下から直接、手すりにぴょんと腰掛けます。

「うふふ~、パパの足音が聞こえて来ますね~」
「あの音はパパでごぜーますか……って、イヴおねーさん? なんてとこに座ってるです? 暗いし、お月様の光がおじゃまして、きれーなお顔も見えやがりませんですよ」
「あぁ、よかった~。きれーなお顔が見せられないのは残念ですけど、これは見えなくていいんです~。あと、私はイヴではなく、名も無きサンタさんということで、一つよろしく~。サンタさんとの約束ですよ~」
「? わ、分かったですよ」
「……えへへ、きれいですか~。えへへ~……」

仁奈ちゃんにほめられて、ついうっとりしてしまいますが……いつまでもそんな気分ではいられません。
さぁ、話してるうちにどんどん足音が近づいてきましたよ~。
あとは木場さんが早く来てくれることと、パパが廊下の電気をすぐにはつけないことを祈るだけですね~。

72: 2012/12/27(木) 14:59:56.25 ID:c0RIlJVf0
「パパ! 本物ですか!? ほんものでいやがりますか!?」
「あぁ、仁奈が呼んでいたから、すぐ駆けつけたんだ……!」
「すげーです!! サンタさん、すげーです!!」
「サンタ……? ……!」

よかった、本当によかったです。
仁奈ちゃんはちゃんとパパを『プレゼント』として受け取ってくれました。ついでにパパも感動の再会で胸がいっぱいなのか、すぐには廊下の電気は付けませんでした。よかった~。

「今回のお仕事は骨が折れました…… もっと早くお父上に会わせてあげたかったのに、結局お連れするのが精一杯で……」
「……確かに偶然が続いたが、いや、まさか…… あ、あなた、本当にサンタなんですか!?」

仁奈ちゃんをぎゅっと抱きしめるパパでしたが、サンタという言葉を聞いてぱっと顔を上げます。
たいそう驚いた様子ですが、こちらの正体は分かっていないようで一安心です。

「いかにも。わたくしは『さんたくろぉす』、世界中の子供たちに夢を届けることを使命とする者です」

さて、できるだけ素性がばれないように、ちょっと口調を変えて喋ってみました。
別に誰かを参考にしなくてもいいんですが、髪の色や特徴的な口調、あとは雪と月に彩られた神秘的情景に合いそうな“きれー”な人をイメージした結果……同じ事務所のとあるアイドルを真似てみることにしました。似てるでしょうか~?
本当なら必要以上に喋らず、この場を去るのが一番なんですが……木場さんとブリッツェンが来てくれるまでは、なんとか場を繋がないといけません。
私はなおのこと気合いを入れて、正体がばれないよう努めました。

73: 2012/12/27(木) 15:01:12.70 ID:c0RIlJVf0
「今宵も多くの子供達にぷれぜんとを配りましたが…… これほどまでにぷれぜんとの甲斐があった家庭は、他にありませんでした」
「にわかには信じられませんが…… この再会こそがプレゼント……」
「……あなた、そんなに騒いでご近所――え? あの……あ、電気――」

わぉ、パパにつられてママもやってきてしまいました。
私の姿を見て、おそらく目をぱちくりさせていることでしょう。
が、そんなことより――電気のスイッチへ手を伸ばそうとするのはどうにか阻止しなければいけません。

「な、なりません!」

持てる限りの演技力を絞り出し、凜とした声で制止します。
すると、びくりと驚いたようで、なんとか動きを止めてくれました。心臓に悪いです~。

「……本来こうして姿をお見せすることすら許されぬ身、今はただ、仁奈の幸せのみを現実とし……わたくしのことは、ゆめまぼろしとしてお忘れになるよう――」
「――行き過ぎ!! 行き過ぎだ!! 戻れ!!」

私がどうにかこうにか間を持たせていると、びゅんと猛烈な風が背後を通り過ぎ、木場さんが必氏にブリッツェンを御する声が聞こえてきました。
そうかと思うとすぐに風が戻ってきて……とんとんと私のお尻を叩く軽い感触。やっとお迎えが来てくれました~。

「ふふっ、それでは次のお宅へ参るとしましょう……めりぃ、くりすます」

座ったままくるりと、ベランダの外へ体の向きを変えると、すぐ下には木場さんとブリッツェンがいました。
空いた座席へ、ぴょんと飛び降りると、木場さんから汗ばんだ手綱を受け取り――私たちはまた夜空へと旅立ちます。

「イ……サンタさーん!! メリークリスマスでごぜーますよー!!」
「あっ、こら仁奈……」
「ありがとうございましたー!! メリークリスマス!!」
「あなたまで……夢じゃないのかしら」

背後から聞こえてくるのはベランダの雪を踏む音、それに幸せそうな親子のメリークリスマス。
夜風に乗せて届くその声は、私の心に、大きな幸せとして染みいるのでした。

          ※         ※         ※

74: 2012/12/27(木) 15:02:26.57 ID:c0RIlJVf0
仁奈とお父さんの声が聞こえなくなったあたりで、上機嫌にニマニマしているイヴに声をかける。
私のしたことと言えば、ピンチらしい連絡を受け取ってから必氏に助けに行っただけだ。
そのため私は、何をどうしたらこのハッピーエンドにたどり着いたのか不思議でならなかった。

「……大成功じゃないか。どんなマジックを使ったんだ?」
「え? ……ふふっ、それはとっぷし~くれっと、ですよ~」

私が疑問をぶつけると……そういう気分なのか、イヴは唇にぴっと人差し指を当てて、くすりと笑う。
……面妖だ。
本人も大して似せる気はないのだろうが、普段のイヴからすればまったくもっておかしな口ぶりなのは確かだ。
私は思わず吹き出してしまう。

「ぷっ……何だそれは? 似合ってないぞ?」
「あ、ひどいです~!さっきはもっと本気でやってたんですよ~だ!」

さっき……? 仁奈の家でコレを披露する機会があったのか。
まぁ、案外コレのおかげでうまくいったのかもしれないし、功労者であるイヴをあんまりいじめるのも忍びない。

「ふふ、ごめんよ。まぁ、仁奈が幸せならそれでいいんだ」
「……もう~、そう言われたらそれ以上なにも言えないじゃないですか~」
「おや? もっと色々話してくれよ。これで話が終わったら、私がイヴをいじめただけになってしまう」
「それでもいいんですよ~? いじわるな先輩にはお話聞かせてあげません~」
「はは、悪かったよ。何があったのか、よければ聞かせてくれないか」

ごうごうと空を駆け抜けるソリの上で、私たちは軽く言い合いをしながら、仁奈の家であったことを振り返った。

75: 2012/12/27(木) 15:04:01.92 ID:c0RIlJVf0
だんだんと眼下の光景が見慣れたものへと変わっていき、ついには事務所が見えてきた。
腕時計を見ればもう4時。ここを出発してからすでに6時間近く経っていた。

「帰ってきたのか……」
「あふぁ……そうですね~、長かったです~」

出発したときと変わらない様子の屋上。
入り口から何度も往復した足跡、端の方には私がイヴに全力トライされたときの豪快な跡もそのまま残っている。
ブリッツェンはゆっくりとスピードを落として、まるで駅の終点にでもついたかのようにゆったりと、私たちを屋上に降ろしてくれた。
どことなく、お疲れさまと言ってくれているようにも思え……私は一晩世話になったブリッツェンをぎゅっと抱きしめてから、ありがとうと伝え、イヴのもとへと返した。

「あふぅ……ブリッツェン~、今日はお疲れさまでした~。また来年もがんばりましょ……ふぁ」
「イヴ、大丈夫か? 足取りがおぼつかないようだが」
「ちょ、ちょっとだけ疲れましたね~。お、お茶でも淹れてきましょうか~」
「あ、イヴ……」

ぽてぽてと歩いていったブリッツェンの背に、ぼふりと倒れ込むイヴ。
ちょっとどころではなく疲れているようで、お茶を淹れると言いながら、ブリッツェンにそのまま運ばれる形で下の階へと姿を消した。
よれよれになりながらも、イヴが扉を引っ張れば開いたので、どうやらちひろさんはちゃんと鍵を開けておいてくれたようだ。

「明日も……というか、今日も仕事があるだろうに。大丈夫かね……」

やれやれと肩をすくめて、私はイヴの後に続いた。

76: 2012/12/27(木) 15:14:22.41 ID:c0RIlJVf0
4階の休憩室から物音がするので、そちらに向かう。
部屋に入ると……テーブルに面したソファに、ぐでんと横たわるイヴを見つける。ブリッツェンも横で困ったように座っている。
ティーパックの入ったカップ二つに、電源の繋がったポットがテーブルに置かれている
が、どうやらイヴ自身はお湯が沸くまでの時間に耐えきれずそのまま寝てしまったようだ。
このまま寝かせておこうかとも思ったが、なにせ外には雪が積もっているような日、休憩室の中も冷えきっていた。

「おい、イヴ…… こんなところで寝たら風邪をひくぞ」
「むふぇ~…… だいじょぶです~…… いい夢みられれば、風邪のひとつやふたつ……」
「……夢ね。ひたすら配ってきた後だし、夢を見るほど体力の余裕もないだろう」
「ふぇぇ~……」
「だめだなこりゃ…… 私のサンタ服で毛布代わりになるか?」

とりあえずはエアコンをつけて部屋を暖めるが、それだけだとどうにも寒そうなので、来ていたサンタ服を脱いでイヴにかけてやる。
そして私が退くと、ブリッツェンがイヴの横に移動し、寄り添うようにしてその場に座る。

「……これじゃ私も寒いな。お湯が沸くまでなにかして気を紛らわすか」

ひとしきりイヴの世話をして、向かい側のソファに腰を下ろしたが、今度は私が寒い。
お湯が沸くには今しばらくかかりそうだったので、部屋を物色でもしながら暇をつぶすことにする。

77: 2012/12/27(木) 15:21:09.17 ID:c0RIlJVf0
部屋の隅にいくつか並んだ戸棚には、プロダクションのアイドルたちの様々なグッズが並んでいた。
写真集やCD、ライブで販売するうちわやサイリウム、クリアファイルなど……どれも見ていて飽きない。
そんな中に、ふとイヴのクリアファイルを見つけ、私は思わず手に取った。

「これは……ハワイで撮った写真か。水中だというのによく撮れている……ん?」

綺麗に透き通った海の中で悪戯っぽく笑うイヴの写真、それは以前に見たことがあり、美しいとは思うものの特に珍しいものではなかった。
それよりも私の目を引いたのは、裏面に書かれたイヴのプロフィールだった。

「そういえば他のアイドルのプロフィールをじっくりと見る機会はあまり無いな。どれ……年齢、身長、体重……誕生――」

何気なく見ていたプロフィールの各項目、自分と比べたりしながら流し読みしていた――だが、一度流した誕生日の欄、そこを私は思わず二度見していた。

「誕生日……12月24日、昨日じゃないか!!」

思わぬ事実を知り、愕然とその場に立ち尽くす。
イヴは自分の誕生日も省みず、ひたすらにサンタの仕事に打ち込んでいたというのか。
そんなことを気にもせず、私は一晩中イヴの横にいたというのか。
――なんてことだ。

78: 2012/12/27(木) 15:23:09.86 ID:c0RIlJVf0
幸せそうに眠るイヴの顔をまっすぐ見ることができず、私はこの一晩の事を悔いていた。
もちろん、夢を配るのは成功したし、イヴ本人は納得しているのだろうが――

「考えてみれば、自分がサンタということは、サンタからのプレゼントなども貰ったことはないわけか……?」

イヴの置かれた立場を改めて考えてみれば、クリスマスには人に与えるばかりで、自分が貰う側になることはないはずだ。
そんな中での誕生日といえば、私たちのような一般人と比べ、いっそう重い意味を持つに違いない。

「くそっ、せめてどこか道すがらで気づいていれば……今からじゃケーキの一つも作れやしないだろう……!?」

自分への怒りを押さえきれず、荒っぽく頭をかきむしる。
昨夜からの道のりを思い出しながら私は、今からでもできることを必氏で考えた。
昨晩置いていった荷物、事務所の開いた部屋、今の持ち物――ポケットの中身の隅々まで。
――持てる記憶力のすべてを総動員して、考え抜いた私は、ふと夜中に訪ねたある一軒の家を思い出す。

「――昨夜からの道のり? ……かな子! ……給湯室!!」

かな子が、状況が分からないまま何となく告白してしまったこと。
私は、そんな彼女の言ったこと、口ぶりすらありありと思い浮かべることができた。

『事務所の給湯室を私物化してお菓子キッチンにしちゃってるし、悪い子かも……』 
『冷蔵庫なんてケーキ1ホール作れるくらい材料詰め込んじゃってるし……』

料理は私の専売特許、材料があるなら、レシピがなくともケーキの一つや二つ作るのはたやすいことだ。
もはや閃きというレベルでなく、神の啓示とかお導きとか、そういった次元の衝撃が私の体に電流のように走る。
私は別段どんな神様を信じているというわけではないのだが、このときばかりは神に祈りたくなった。

79: 2012/12/27(木) 15:30:18.84 ID:c0RIlJVf0
私にもたらされた天啓はそれだけではなかった。
ポケットの中身をひっくり返した時、なにかがこぼれ落ちるのを感じる。
チャリンと、軽い響きが耳に届いた。

「……鍵? これはどこの――!」

地面に落ちたそれが何なのか。私は言い終わる前に理解した。
瞳子さんと話していた時、鍵束にうまくはまらず、まとめてポケットに突っ込んだ――あのレッスンルームの鍵だ!
あの部屋があれば、音楽関連で出来ないことはそうそうないと言っていい。録音、編集、なんでもござれだ。
この選択肢が生まれた瞬間、私は持ち前の歌を活かして、プレゼントを用意できないかと考えた。
――そして、プレゼントの候補にも、すぐに思い当たるものがあった。
あのビルの屋上でイヴが見せてくれた、あのMD。

「トラック11――『From P to Eve』……! 確かプロデューサー君は楽譜まで用意していたと……」

レッスンルームには機械を管理するためのパソコンが備え付けてあり、音楽関連の作業をそこで行うプロデューサーも多い。
私は考えるより先に、レッスンルームへと駆け出していた。

80: 2012/12/27(木) 15:37:17.10 ID:c0RIlJVf0
レッスンルームに入るなり私はパソコンを立ち上げ、プロデューサー君の作った楽譜とやらを氏にものぐるいで探す。
イヴが歌ったというファイルもだ。
そして同時に、海外にいた頃一緒に仕事をしていた盟友に、久方ぶりの電話をかける。

「やぁジニー、久しぶりだな。メリークリスマス」
『マナミか!? メリークリスマス!! どうした、そっちはまだ朝にもなってないんじゃないか!?』
「ちょっと事情があってね。今ヒマかい?」
『ヒマっていうかアレだよ、マナミにもメールしただろ? なじみのスタジオに古今東西の音楽仲間が集まってクリスマスパーティーやってるよ。ここにない楽器なんてそうはないぞ。ぶっははは!あるのかないのかっつってな!』
「それは良かった!」

陽気な声を片耳に受けながら、ハードディスクの中身をひっくり返すような勢いで調べ尽くす。
……あった。ファイル名も例の『From P to Eve』だ。イヴが歌ったデータも一緒に見つかる。

「ところで、今からとっときのクリスマスソングの楽譜をデータで送る。ちょっとこいつを演奏して、録音してみてくれないか? 音質は悪いが、ボーカルのついたサンプルもある」
『おっ、いいぞ! みんなやる曲がなくてヒマしてたんだ! ……っとこれか。あ、でもこっちにゃボーカルはいないぞ?』
「伴奏だけでいい。実をいうと、大切な人にこの曲を贈りたいんだが、こっちにはボーカルしかいなくて困ってたんだ」
『おぅマジか! そういうことならまかせとけ、こっちにゃ自称・凄腕がワラワラいるからな!』
「恩に着るよ。時間はどれくらいかかる?」
『あー、この曲だと……2時間くらいか? おおかた、朝までに出来なきゃいけないんだろ?』
「よく分かったな。いつかこの埋め合わせはするよ。他のみんなにもよろしく言っておいてくれ」
「オッケー! じゃまた2時間後にな」

……よし、これでいい。
後は私も楽譜を見て、歌うために体を暖めて、機材の準備をして――ケーキの準備もしないと、だったな。

「さぁ、血湧き肉踊るとはこのことだ……! 待ってろよ、イヴ! 私は誕生日とクリスマスを一緒にしたりはしない、両方とも完璧に用意して見せよう!」

楽譜とケーキ、どっちに手をつけるのが先か。
私は興奮のあまり、しばらくその場を行ったり来たりもして、とりあえず悩んだあげくケーキを作ってしまうことにした。
木場サンタの長い夜は、まだまだ終わりそうにない。

――――――

――――

――

81: 2012/12/27(木) 15:39:31.99 ID:c0RIlJVf0
時刻は朝8時半。
始業時刻にはまだ早いが、私はそんなことを気にする余裕もなく、収録した曲の編集に掛かりきりだった。
焼いたケーキはきっかりデコレーションまでして、保冷剤と一緒に箱に入れ、すでにイヴの寝ている休憩室のテーブルに置いてきた。
これで一日遅れながらも、誕生日プレゼントはなんとか準備できたことになる。
そして、今編集の終わったCDを焼き上げ、盤面にしっかりメッセージを書き、CDプレイヤーに突っ込んで何か間違いがないか確認し――
よし、大丈夫だ。

「よし……出来たぞ! 頼む、まだ寝ていてくれイヴ!!」

完璧に出来上がったCDを、手が震えるのもお構いなしにケースへとはめこむ。
そして私は全速力でレッスンルームの扉を開け放ち、部屋から飛び出した。

82: 2012/12/27(木) 15:46:16.09 ID:c0RIlJVf0
「ヒィッ!? き、木場さん!?」
「あぁっ、すまない幸子――え? なんで笑いながら泣いてるんだ?」

……急に開いた扉に誰かが驚いたかと思って声の主を見ると、そこにいたのは普段より特別おしゃれをした幸子だった。
最高の笑顔を浮かべながらむせび泣き、真新しいネックレスを握って離さない。
これは、成功したのか?
私は早くイヴのもとへ行きたい気持ちを抑えながら、今は目の前の幸子に意識を向ける。

「き、木場さん! プロデューサーが、プロデューサーが……!!」
「ど、どうしたんだ?」
「がんばってる幸子にプレゼントって言って、頭なでてくれてクリスマスケーキまでくれて……ボクは、ボクはもぉ……」
「……良かったじゃないか! 普段厳しいあのプロデューサーが優しさを見せるんだ。幸子がちゃんと愛されてる証拠じゃないか」
「あ、あいされ……」

顔を真っ赤にしながら、さらに笑い泣く幸子の背中をさする。

『あれー!? 冷蔵庫の中身がなーい!?』
「……今のは、かな子の声?」

――そして、私がイヴのところへ向かおうと思うと、今度は下の階からかな子らしき人の悲痛な声が。
……原因は間違いなく私にあり、実を言うなら行きたくないのだが、放っておくわけにもいくまい。
私は幸子をひとまず落ち着かせてから、下の階へと急いで向かった。

87: 2012/12/29(土) 22:15:33.57 ID:3mvhgf9F0
「あ、木場さんおはようございます!今朝誰かがここでケーキを作ってたみたいなんですけど、何か知りませんか!?」
「……サンタさんが勝手に作って食べちゃったんじゃないかな」
「は、はい!?」

階を上がっていくと、ちょうど3階の階段でかな子に出くわし、いきなり食って掛かられる。
ケーキを作れる材料と設備を事務所に置いておいたのが運のツキだ。
私の中で罪悪感が頭をもたげないでもなかったが、今は罪悪感さんには休暇を取って貰うことにした。
どきりとした様子のかな子には申し訳ないが、木場サンタさんに秘密を聞かれてしまったのだから仕方あるまい。
まぁ、イヴが起きたらケーキをお裾分けしてもらえばいいだろう。

「幸子ちゃんも泣いてたし、私も泣きそうだし、今日の事務所はなにかヘンです!」
「あぁ、私もそう思――」
「だ、誰が泣いてるって言うんですか!ボクは至っていつも通り幸せに生きてますよ!」
「――下りてきたのか」
「あ、幸子ちゃん、無理しなくても……」
「嬉し涙は泣いてるうちに入りません!こんなに幸せなら目を赤くしないほうが無理ってもんです!」
「え? 嬉し涙だったの?」

事務所がヘンというのは誰よりも強く頷ける。なにせヘンなことの原因はすべて私とイヴだ。
今幸子が幸せすぎてハイになっていることすら、間接的には私たちのせいといえる。
しかしまぁ、2階より下は静かだし、もう特にかな子の言うヘンなことは起こらないだろう。
そういうわけで、私がこれ以上ここに留まる理由も無い。
そう思ってまた上の階へと体を向けると――昨日とは違う、狼のきぐるみを着た仁奈が立っていた。

「かな子おねーさん、幸子おねーさん……二人はさっき会ったですね。真奈美おねーさん、おはようございますです」
「あぁ、おはよう」
「みなさん、4階はイヴおねーさんが寝ていやがりますから、しーっ、ですよ」
「ふむ、彼女も昨晩は仕事で忙しかっただろうしな」
「そうですそうです…… あれ、なんで真奈美おねーさんが知ってるですか?」
「……ん? サンタさんがクリスマスイヴの夜に忙しいのは当たり前じゃないか?」
「……そうでした」
「だろう」

どうやらワイルドな着ぐるみをもってして、4階まわりでうるさくしている者を注意しているようだ。
しかし私もずっと4階にいたのだが、降りてくるときに仁奈の姿など見ただろうか?
……そういえば、レッスンルームを出たとき一瞬、テラスに姿が見えたような気がする。
いつもは元気な仁奈がぽつんとテラスにいる光景を少し不思議に思いながら、私と仁奈は4階へと上がった。

88: 2012/12/29(土) 22:18:37.31 ID:3mvhgf9F0
「そういえば仁奈はずっと4階にいたのか?」
「10分ちょっと前に来ましたです。そこのテラスに用があったですよ」
「用?」

イヴの寝ている休憩室へ向かう途中、話を聞いてみるとやはり仁奈は少し前からテラスにいたらしい。
なにやら用があったというテラスを見れば、微妙に溶け出して丸くなった、数体の雪だるま……その脇に、新しい足跡が出来ている。

「あの飛行機雲、見えます? あれの向こうに、パパがいやがります。おうちからだと、飛行機よく見えねーらしいから、ここまで来ちまいました」
「……パパ、そうか」
「ちょっとの間だけだったですが、昨日はパパに会えました。サンタさんが連れてきてくれたです」

青く晴れた空に刻まれたひとすじの雲を指さして、仁奈はしみじみと話す。その様子は満足げだ。
話している間、空を見たり休憩室の方を向いたりと落ち着かない仁奈だったが……表情はしっかりとした喜びに満ちていた。

「仁奈はもう少しここで、パパの乗った飛行機のあとを眺めてるです。サンタさんにお礼を言いに行きたいですが……きっとまだお疲れです」

そう言ってもう一度、イヴの寝ている休憩室のほうをちらりと見ると、仁奈はテラスへと戻っていった。

89: 2012/12/29(土) 22:20:35.18 ID:3mvhgf9F0
「……まだ寝ているな?」

仁奈がほんの少し立ち入ったという話だが、特に休憩室には異常は無い。
イヴも相変わらずぐっすりのようだ。ブリッツェンまでもが寝入っていた。
“あの曲”のCDを、ケーキの箱の上にそっと置く。これでクリスマスプレゼントの方も、準備完了だ。
……しかし、これでサンタのお仕事も、すべて終わりだと思うと、なぜだか無性に寂しく感じる。

「木場サンタでいられるのもここまでだな……」

どうにも慣れなかったこの呼び方にも、私自身いつの間にか愛着すら覚えていた。
祭りの後の寂しさと、やることをやった達成感と……一生忘れられないであろう、一晩の思い出と。
さまざまに思いを巡らせながらも、私は音を立てないよう部屋を出て、元通りの日常へと帰っていく。
ただ――イヴが起きたなら、そんな私を追いかけて来て、もう少しだけクリスマスの非日常を満喫させてくれるかもしれない……
心の内では、少し期待していた。

「……夢のような一夜をありがとう。サンタさん」

まぁ何にせよ、今はただイヴが喜んでくれることを祈るのみだ。
充実した気持ちで、私は部屋の扉をそっと閉めた。

90: 2012/12/29(土) 22:25:20.15 ID:3mvhgf9F0

          ※         ※         ※

目覚めてみれば、朝でした。びっくり。
いえ、朝に目が覚めるのは当たり前なんですけど、そうではなく。

「……あれ~? ポットとカップが、箱とCDに変身してます~? あ、木場さんのサンタ服も~……」

お茶を入れて木場さんを待つはずが、いつの間にか毛布代わりの服までかけてもらって、ソファに横になっていました。あちゃー。
でも驚いたのはそこではありません、テーブルの上に置いてあった見覚えのない代物です。
ねぼけまなこをパッと見開き、ぐっと体を起こして見ると……
CDの盤面にはどうも見覚えのある言葉が、細いマジックではっきりと、流れるような字で書かれていました。

「『From Santa Claus to Eve』……? もしかして~!」

『From P to Eve』のMDと頭の中で重なるそのCDは、書いてあるとおり“サンタさん”からのものらしいです。
私は一瞬、ほかのサンタさんが私のところに来たのかと思いましたが、そんなはずはありません。
だって、『From P to Eve』を知っている人なんて……プロデューサーの他には、一人しかいませんから。

「間違いありません……木場さん!」

たった一晩の限定サンタさんなのに、こんな粋な演出をしてくれるのも、なんとも木場さんらしいです。
私は今すぐにでも中身を確認したいと、周りを見回すと……なんと、ありましたCDプレイヤー。
ここが休憩室であったことに感謝しながら、プレイヤーに駆け寄って、CDを入れると――

「……やっぱり~! ……あれ、ちょっと違う?」

――やがて“あの曲”のメロディーが聞こえてきました。MDのトラック11、昨日木場さんに聞いてもらった曲です。
でも、流れてきたのは私の知っている“あの曲”とは違いました。
今まで聞いていたのよりも、はるかに鮮明で、力強く、感情豊かで、まるで楽器一つ一つが声を持って歌っているようです。
そして曲調が落ち着いてゆき、やがて歌い出すその声は、なんと木場さんのもの。
芯の通った強い声、それでも優しく包み込まれて届く一つ一つの言葉。
らしくありながらも元の曲のイメージを壊さない――私と木場さんだけの、至高の歌。

私は嬉し涙を浮かべながら、最後までじっと、『From Santa Claus to Eve』を聴き続けていました。

91: 2012/12/29(土) 22:28:10.08 ID:3mvhgf9F0
「そうです、この紙の箱も……中身は~……?」

思わぬプレゼントに感涙を流しながらも、今度はテーブルの白い厚紙の箱を見据えます。
一辺約30センチ、こぶしの先から肘よりちょっと短いくらい? これはもしかすると、もしかするのでしょうか。
期待に胸を高鳴らせながら、箱の横側をそっと開くと。

「わぁ~、ケーキです~!見て見てブリッツェン~!」

嬉しいです。寝ていたブリッツェンを思わず揺さぶり起こしちゃうくらい嬉しいです。
箱の幅ギリギリでしまわれていたケーキをそっとのぞき込むと、真っ白なクリームにきれいにイチゴが乗って、手作りらしいチョコ板まで乗っていて――と、箱の中をドキドキしながら見ていると、ケーキの敷物の下にメッセージカードが挟まっているのに気づきました。
ケーキと一緒にそっと引き出して、読んでみます。
『一日遅れでバースデーなんておこがましいにも程がある……が、どうしても祝わずにはいられなかった。どうか許してくれ』ですって。

「……うふふ~、一日なんて誤差です、誤差~。木場さんがこんなにお祝いしてくれるのが、私にはとっても嬉しいんですよ~」

文面を読み終えたところで、ちらりとケーキに視線をやると、チョコにくっきり『Happy Birthday Eve!』と描かれていました。
もう部屋中くるくる走り回っちゃう勢いで、喜びの頂点へと舞い上がりますとも。
しかし、そんな私もあることに気づきました。

「でも、こんな立派なケーキ、私だけで食べるようなものじゃないですし~、なにより木場さんと一緒に~…… そういえば木場さんは~?」

周囲を気にしたのち、はたと壁掛けの時計を見れば、すでに9時を回っています。
……もうぼちぼちお仕事が始まるような時間じゃないですか!
私は思わず現実に引き戻されました。
早くお仕事の準備をしないと……いえ、それより……木場さんにまだお礼が言えてません。
というか、運が悪いと木場さんももうお仕事に行っちゃってるんじゃないでしょうか?
私は来ているサンタ服も、寝起きのブリッツェンもそのままに、部屋を飛び出て――えーっと、どうすればいいんでしょう。

「そうです! ケーキ、え~っと! ケーキさん、また後で会いましょう~!」

まずはケーキを大事かつ迅速に保護。3階給湯室の冷蔵庫まで持っていき、きれいに仕舞いました。
なぜか中身ががらんと空いてたのが幸いです。

「待っててください木場さん~!」

あとは一刻も早く木場さんのところへ。まだ事務所にいるよう心の底から祈りました。
興奮して止まない胸の内を隠しもせず、私は階段を駆け下りるのでした。

          ※         ※         ※

92: 2012/12/29(土) 22:33:11.08 ID:3mvhgf9F0
「――というわけで、木場さんはこれからテレビ局へ営業、というか挨拶ですね」
「KIBA'Sキッチンねぇ…… 短い時間とはいえ、私のレギュラー番組なんて取れてしまっていいのか?」
「クリスマス特番で他の出演者がケーキやクリームシチュー作ってるかたわら、淡々とかっこよく七面鳥を作ってみせる図が大ウケだったらしくて……向こうさんが是非とも、と」
「そうか……いや、心の底から嬉しいよ。プロデューサー君からのクリスマスプレゼントだな」
「ははっ、そう思ってくれるのはありがたいですが、木場さんの実力あってこそです。11時に着けばよし、場所も近いし車で送るので、10時くらいまではゆったりしていて大丈夫ですよ」
「了解だ」

事務室でプロデューサー君と軽い打ち合わせをしたところ、今日は時間に余裕があるらしいと分かる。
いつもならしっかり予定は確認しておくのだが、今日は局側から時間を知らせてくるということで、細かな予定は未定だった。
が、そのおかげで、ちょっとした時間の余裕ができた。

「ところで、イヴも同じ局で仕事があるので一緒に送るつもりなんですけど、どこかで見ませんでしたか?」
「イヴなら休憩室でうたたねしていた。疲れていたようだから、余裕があるならもう少し寝かせておいてもいいかもしれないな」
「じゃあそうしましょうか。ちょっと他の子の衣装合わせに行ってくるので、イヴが起きてきたらメールの一つでもください。それでは」
「あぁ、行ってらっしゃい」

プロデューサー君の後ろ姿を見送ったところで、事務室は一回り静かになる。
ここは人の姿もまばらで、もう特にやることもない。
資料室でテレビ局について予習でもするかと、事務室から廊下に出たところで――上の階から、ドタバタと階段を駆け下りる音が聞こえてきた。

93: 2012/12/29(土) 22:34:29.55 ID:3mvhgf9F0
「はぁはぁ……あ~っ! 木場さん!よかった、まだいてくれたんですね~!」

――階段を転げ落ちるような勢いでイヴが下りてくる。
私はその様子を見ると、やっと来たかと、心が躍るのが自分でもよく分かった。
たぶん今の私はいじわるな笑みを浮かべていることだろう――そう思いながら、しれっとイヴに応対する。

「うむ。今日は11時からテレビ局で営業、10時にここを出るらしい」
「分かりましたっ! でも、今はもっと大事なことがですね~!」
「……どうした? もしかして、サンタさんがプレゼントでも置いていったかな?」
「んもう~、その通りですけど~! その反応、絶対わざとですよね~!?」

口角がむずむずするのを必氏に我慢して言ったのだが、まぁ当然の如く見透かされてしまった。
イヴはそんな私をぐっと見据えてから、ぴしっとした姿勢でこちらへと向き直った。
私もそんなイヴをあんまりからかうのは申し訳ないので、遊び心をほんの少し抑えつつ、イヴへと向き直った。

94: 2012/12/29(土) 22:37:30.37 ID:3mvhgf9F0
「私、うれしくて涙が出そうです~! ありがとうございますっ!」
「おいおい……お礼は私にじゃなくて、サンタさんに言ってやれ」

長い髪が跳ね上がるのもかまわず、力強くお辞儀をするイヴ。
しかし私は、ちょっとした困惑顔を作りながら、なおもとぼけて言い返してみた。
もう木場サンタは閉業のつもりだったが……だからといってあっさりバラしてしまうのも、サンタらしくないだろう?
もっとも最初から隠す気なんて無かったけれども、サンタならこう言っておかなくては、といったところだな。

「サンタさんに? ……うふふ~、了解です~!」

目を丸くしてきょとんとするイヴだったが……やがて私の意図するところが分かったようだ。
ちょっと迷うようなそぶりの後に、こちらにもう一度向き直る。

「……じゃあ、改めて! ありがとうございますっ!木場サンタさん! ……えいやっ!」
「うわっと……やれやれ、バレてしまっては仕方ないなぁ」

ぴょんと抱きついてくるイヴをあわてて受けとめると、自然と顔がほころぶのが自分でも分かった。
目の前には、抱きしめたイヴの輝く笑顔――人に幸せを届ける、笑顔があった。

「――こんな形でクリスマスプレゼントを届けてくれるとは、やはり本業のサンタには勝てないな。ふふっ……」
「あれ~? 私、なにもプレゼントしてませんよ~?」
「……イヴのその笑顔こそが、私にとっては最高のプレゼントだよ」

まったくとぼけた顔して、気づいているのかいないのか……いないんだろうな。
こうして無意識に人を幸せにするのも、イヴの才能だろう。サンタとしてもアイドルとしても申し分ない、彼女の魅力だ。

「……おい、イヴ?」
「……はわわ~!顔が熱いです~!」
「まったく……どこまでもかわいい奴め……」

白い肌を紅潮させて慌てふためくイヴだったが、そんなことはお構いなしに、私は彼女をぎゅっと抱きしめかえす。
イヴのぬくもりをこの身に感じながら、私はまた一つ、一生忘れられないプレゼントを心に刻んだのだった――






木場真奈美「木場サンタ?」 了

95: 2012/12/29(土) 22:50:49.15 ID:3mvhgf9F0
これで終わりです。
誤字や細かいつじつま、なによりクリスマスSSなのに今終わったりと大変見苦しい出来で申し訳ないです。
読み返しながら、木場さんSR化を初夢に見られるよう祈るとします。
こんな長いSSをわざわざ読んでくださった方々、本当にありがとうございました。


追伸
13レス目の(デンマーク語)はJeg forstår. Jeg vil overlade det til seniorer.に差し替えるつもりでした。
別にたいした意味も無い言葉なんでいいっちゃいいんですが、大量のミスの中でも致命的に後悔したのでどうしても書かせてもらいました。
お目汚し失礼しました。

96: 2012/12/29(土) 23:11:20.83 ID:uX0oiDnio
おつおつ

引用元: 木場真奈美「木場サンタ?」