489:凛、誕生日おめでとう! ◆SHIBURINzgLf 2015/08/10(月) 16:07:50.71 ID:SScT0J3gO

【モバマス】渋谷凛「私は――負けたくない」【前編】

・・・・・・・・・・・・


大都会のど真ん中にあって江戸城外濠の景観を残す飯田橋は、ぎらついた太陽をほんの少しだけ和らげてくれる。

ただしそれは堀の水辺だけのプラシーボで、一本路地を入ってしまえば汗のしたたるコンクリートジャングルだ。

駅至近にはない雑居ビルまで五分も歩けば、一日の体力がほとんど持っていかれてしまう。

ただしPについては、やや当てはまらないらしい。

さっさと事務所へ上がって凛の戦略を練りたいがため、足が逸る因果で暑さをあまり感じないのだ。
THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 001 渋谷凛
490: 2015/08/10(月) 16:08:28.59 ID:SScT0J3gO
凛が事務所で泣き腫らしてから数日。

久しぶりに家族とレストランで食事をしたり、あづさやまゆみとカラオケに行ったり、
はたまたPにお薦めの映画へ連れて行ってもらったりと、短い休みだが、中身の濃い気分転換ができた。

凛が心の内を曝け出したことは、Pにも良い影響を与えている。

プロデューサーとは、アイドルと二人三脚すべき存在なのだと自覚を持つに至った。

邪魔しないようにしたりだとか、必要な時だけ指導すると云うのは違うのだと。

表舞台に出るアイドルから一歩引いていた自分とは決別しなければと、Pはあの日の夕陽に誓っていた。

491: 2015/08/10(月) 16:09:02.00 ID:SScT0J3gO

凛があのとき「悔しい」と何度も繰り返したのを見て、Pは判断を変えた。

これまでは、凛はスカウトで連れてきた存在なればこそ、一定の遠慮がなかったと云えば嘘になる。

その抑えめに設定したリミッターを取り払うようにした。

取り外しても、彼女は、きっと食らいついてくるはずだと信じて。

492: 2015/08/10(月) 16:09:31.74 ID:SScT0J3gO
レッスンでは、卯月や未央の方が未だ凛より高評価だ。

ことリズム感のみに関して云えば、凛は誰よりも正確に――Pすら凌駕して――刻めるようにはなっていたが、
全体の身体能力を見れば、まだまだ凛には二人より足りない部分が多い。

そこでPは、トレーナー陣に、多少きつくても最大の伸びが期待できるメニューへ更新するよう依頼した。

アイドルの動きとは、テレビで見ているよりも実際にはだいぶ激しいもので、持久力をつけるランニング、
筋力をつけるウェイトトレーニングなど、“表現者”としてやっていくために必要な身体を造るのは過酷だった。

493: 2015/08/10(月) 16:10:03.97 ID:SScT0J3gO
凛自身、卯月や未央に比べ、三人の中で最も劣っていることを理解している。

より高みを目指すアイドルになるなら、早急にそれを克服することが必要だ、とも。

ただし、つい数箇月前まで普通の女子高生だった彼女にとって、ペースを上げたトレーニングはとても苛烈。

シャトルランなどで身体に激しい負荷をかけると、決まって化粧室へ駆け込んで嘔吐した。

それでも音を上げないのは、生来の負けん気の強さと、一度云ったことはやり通す責任感の強さ。

みくに、そして何より卯月と未央に負けたくないと云う意地が、彼女を衝き動かしていた。

494: 2015/08/10(月) 16:10:33.16 ID:SScT0J3gO

PはPで、如何に凛を援護射撃できるか腐心していた。

担当アイドルをどうやればより高みへ昇らせることができるか。どうやれば雪辱を果たせてやれるか。

大量の書類をやっつけながら、考えを巡らせる。

Pと凛、それぞれフィールドは違えど、同じ目標を見据えて、まさに戦闘状態に入っていると云えよう。

……Pの方は、いくらか地味ではあるが。

495: 2015/08/10(月) 16:11:02.82 ID:SScT0J3gO
そんな折、サマーライブフェスの委員会から最終段階の打ち合わせが入った。

このフェスを成功させることが、とにもかくにも凛を成長させることになる。

だから入念に準備して、やりすぎることはない。

Pは張り切ってフジツボへと乗り込むが、その意気込みとは裏腹に――

「実は……穴を埋めようとしたら逆にオーバーフローしちゃいまして」

会議室で、先方の担当者が苦い顔をした。

496: 2015/08/10(月) 16:11:36.55 ID:SScT0J3gO
「えっ、それはつまり……」

「はい、CGプロさんは現在三枠ご希望されてますが、それを一枠に収めて頂きたいのです」

申し訳ない、と云いながら頭を下げる姿を、Pは複雑な感情で見た。

きっかけは補欠的な穴埋めだったとはいえ、援護の為に一肌脱いだのだ、この恩を仇で返す仕打ちはなかろう。

いくら弱小事務所の身でも、承服しがたい事態だった。

凛だけでなく卯月も未央も、フェスに挑む気満々で準備に勤しんでいる。

その中から一人しか選べないなんて。

497: 2015/08/10(月) 16:12:07.15 ID:SScT0J3gO
「いや、さすがにそれは……」

Pは腕を組んで唸った。

ただ、これまでのやりとりで先方は、救いの手を出したPらCGプロに色々と心を砕いてくれた印象がある。

察するに、上層部―うえ―からの見直し圧力に抗い切れなかったのではなかろうか。

中間管理職の哀しい現実だ。

もしこの場に伝通の先輩、大嶋がいれば、酒席へと移って共感のし合いとなるに違いない。

498: 2015/08/10(月) 16:12:36.62 ID:SScT0J3gO
「うーん、どうしましょうかね。弱りましたね」

Pが書類に目を落として考え込む。

――代替手段や、ピンチをチャンスに活かす方策を練るのが俺の役目だろ、脳味噌を捻り回せ。

自分自身に喝を入れたPは、頭の中でパズルを動かす。

「……ん?」

ふと目に入った、先日の打ち合わせでは気に留めなかった出演者リストの中に、みくの名前がある。

その瞬間、ピンと来るものを感じた。

499: 2015/08/10(月) 16:13:04.22 ID:SScT0J3gO
大きなイベントで注目度も高い。これはみくと一戦交える絶好の好機だ。

そして、みくに雪辱を果たしつつ、枠削減の要請にも応えられる妙案が浮かぶ。

「……わかりました、私どもへの割当は、一枠に減らして頂いて結構です」

「すみません、本当に助かります」

Pの言葉に、先方は感激の深礼をした。

CGプロとしても、恩を売っておいてマイナスになることはあるまい。

500: 2015/08/10(月) 16:13:32.35 ID:SScT0J3gO

「と、云うわけでさ――」

事務所へと戻ったPは、銅と鏷、そしてアイドル三人を集めて、展開の相談をしていた。

凛、卯月、未央、三人を組ませること。

これが、Pの考えた解決策だ。

今まで、各アイドルは個別に仕事やライブを行なっていたが――
サマーライブフェスではその方向性を一旦停止し、三人をひとつのグループとして見せることをPは提案した。

みな一様に驚き、特に当事者であるアイドルたちは度肝を抜かれて言葉が出ない様子だ。

501: 2015/08/10(月) 16:14:02.25 ID:SScT0J3gO
「ユニット化……って、今からやってどうにかなるのか? ピンで演るのとは勝手が全然違うだろ」

鏷がソファの背に身体を預けて問うた。

確かに、自らのことだけを考えればよい独り舞台と違い、ユニットとなると思考すべき事柄が飛躍的に増える。

鏷の疑念は尤もだ。Pも頷いて云う。

「ああ。だが、今の時期に練り直すことができて一種、幸いだったと思う」

フェスまであと三週間しかないが――逆に『三週間もある』と考えることだってできる。

この限られた時間を使って、三人の新たな次元を開拓するのだ。

502: 2015/08/10(月) 16:15:02.23 ID:SScT0J3gO
「ま、確かに……クールビューティの凛ちゃん、元気が眩しい未央ちゃん、そして笑顔なら負けない卯月……」

お互いのいい部分を引き立て合うわね、と銅が考え込んでつぶやいた。

銅の云う通り、CGプロ初期メンバーの三人は奇跡的に重複する要素がないのだ。

一人の足りない部分を、他の二人が分担して補う。

これは、まさしくユニットになるべくして集められた人材と云ってよい。

もしかしたら――社長はこの展開すら計算に入れて各々をスカウトしたのでは?

そんな人間離れした想像を許してしまうほどに、設計がかっちり嵌る三人組だった。

凛と未央は、担当外のプロデューサーからの言葉を受けて、やや照れくさそうだ。

503: 2015/08/10(月) 16:16:01.48 ID:SScT0J3gO
「さしあたって、ユニットとして先方へ登録しなきゃいけないんだが――」

「ああ、なるほど。ユニット名とか諸々を決めなきゃいけないわけね」

察しの良い銅が、先回りしてPに答えた。

「ご明察。まずリーダーについてだが、もうこれは養成所からのキャリアがあるし、卯月ちゃんで異存ないよな」

特に鏷の方へ目を遣って問うた。視線の先の人物も飄々とした様子で

「ああ、問題ねえ。っつーかこの場合むしろ卯月ちゃん以外にいねーだろ」

と肩を揺らす。

「え、ええっ!? わ、私がリーダーですか!?」

唯一、当の本人だけが不意打ちを受けたかの如く飛び上がった。

504: 2015/08/10(月) 16:16:32.15 ID:SScT0J3gO
「別に優劣をつけるわけじゃないけど、卯月ちゃんは養成所からアイドルに触れてた一日の長があるからさ」

Pが、卯月のあたふたする様子を笑いながら「君が適任だよ」と云った。

卯月が、担当プロデューサー銅、そして凛と未央を順に見てから、再び銅の様子を窺う。

「ええ、アナタがやりなさい。卯月なら、みんなを引っ張っていけるよ」

銅は腕を組んで、深く頷いた。

505: 2015/08/10(月) 16:17:02.37 ID:SScT0J3gO
「私も、卯月がいいと思うな」

「私も私も~~!」

凛が卯月に優しい視線を向け、未央は右手を大きく挙げて同意した。

「わ……判りました! がんばります!」

腹を決めたようで、小さくガッツポーズをしながら、しかし鼻息荒く卯月が意気込んだ。

506: 2015/08/10(月) 16:18:02.11 ID:SScT0J3gO
「よし、取りまとめ役はこれでOK、あとは……最も面倒そうな名前決めだ」

Pが書類に書き込みを入れてから、長丁場を覚悟するように、ソファへ深く坐り直した。

名称とは、そのユニットを的確に表わしていなければならない。

それでいて万人にとって判りやすく、憶えやすいものとする必要がある。知名度に劣る新興事務所なら尚更だ。

「一番単純に組み合わせれば『うづみおりん』とか『うづりんみお』だが」

「え……ありえないでしょ、それ……」

Pがぼそりと漏らした何も考えてなさそうな一言に、どん引きした凛からすぐさま突っ込みが入った。

「いやいやいや、あくまで便宜的であって真剣な提案じゃないからなこれは!」

慌てて釈明するが、凛だけでなくP以外の全員が懐疑的な視線を送る。

507: 2015/08/10(月) 16:18:31.78 ID:SScT0J3gO
仕切り直しを咳払いをしてから、真面目な声音に戻る。

「このプロダクションで最初の三人、つまり先駆者だから『パイオニア』ってのを思いついたんだけどな」

「……カーナビとかオーディオ機器のメーカーか?」

「それとも宇宙探査機のアレ?」

今度は鏷と銅からのダメ出しを喰らった。

「やっぱそうなるよなぁ……」

言葉とは、便利であれば便利なだけ、どこでも使われる。即ち、競合も多い。

508: 2015/08/10(月) 16:19:06.73 ID:SScT0J3gO
がっくりと意気消沈するPの傍ら、アイドルたちは

「探査機ぃ~~?」

「ロケットで飛ばして宇宙を調べるやつだよ」

「去年はやぶさで話題になったよね!」

「あぁ~~! あの還ってきたあれだね! 流れ星みたいに燃え尽きるの、綺麗で感動したよあのとき!」

などと雑談に興じている。

509: 2015/08/10(月) 16:19:34.37 ID:SScT0J3gO
「ほらほら、おめーらも考えろ。自分らのユニット名だろーが」

徐々に脱線しそうな雰囲気を察知して、鏷が笑った。

はっと気付いた卯月が、失敗失敗、と小さく舌を出す。

「そうだね、私たちも一緒に考えなきゃ」

「しっかし難しいよな。新興事務所だし目立つ名前にしてえけど、捻りすぎちゃァ判り難くなるしよ」

意気込むアイドルたちにフォローを忘れない。鏷は見た目こそ怪しいが、充分にやり手だ。

510: 2015/08/10(月) 16:20:11.60 ID:SScT0J3gO
凛が顎に手を添えて考え込んだ。

「確かにできたばかりのプロダクションだけど、社長は麗さんのプロデュースを手掛けていたんだから、
 初心者……っていうイメージでもないよね、CGプロは」

彼女の云うように、麗の実績ある社長の縁故で、新しく設立された会社の割にはスムーズな船出ができている。

「私、麗さんにはとても助けられたし、受け継げるものがあったら入れてみたいかな」

何か現役時代に使ってた名前とかないの? とPに訊ねるが、反応は芳しくない。

「残念だが『青木麗』はずっとソロだったんだよなあ。最後までこの名前のまま変わってない」

511: 2015/08/10(月) 16:20:42.61 ID:SScT0J3gO
「そっか……」

肩を落とす凛に、卯月が思案顔。

「じゃあ『受け継ぐ』って云う言葉をそのまま使ってみるのは? えーっと、英訳すればインヘリテッド……」

「しまむー、すごい。良くそんなすらすら出てくるね?」

「ち、ちょうどこないだ英語の夏期講習があったからね」

未央の望外の賞賛に、卯月はえへへ、少しだけ胸を張る。

「うーん、恰好は良さそうだけど、あまり一般的ではないわよねえ」

銅の客観的な意見に「で、ですよね~~」と、微笑みが苦笑いへと変わってしまった。

512: 2015/08/10(月) 16:21:21.18 ID:SScT0J3gO
場にいる六人全員が黙り込む。

「……あの」

卯月が真剣な面持ちで話を切り出した。

「やっぱり、私はさっきの凛ちゃんの考えが頭から離れないんです。麗さんから何かを受け継ぎたい、って」

プロデューサー陣も、それを否定せず首肯する。

「コンセプトとしちゃ俺ァ結構いいと思うぜ?」

「そうね、アナタたちはCGプロの顔、そして社長の“代表作”は青木麗。関連づけていいと思うわ」

「かと云って七光りのようになってもいかんしな。青木麗は俺たちの世代ドンピシャだから俺も頭を捻って――」

513: 2015/08/10(月) 16:22:22.56 ID:SScT0J3gO
男三人の会話を、卯月が「あの、Pさん」と遮った。

「おっとと、どうした卯月ちゃん」

「いま、Pさんの言葉でピンときました。世代、って」

卯月が真剣な顔で、胸の前で自らの右拳を握る。その言葉に未央が触発された。

「世代を超えて受け継ぐ姿、って感じ?」

「うん、そうだね未央ちゃん。私たちって、社長や麗さんの軌跡を受け継ぐ、新世代なんじゃないか、って」

卯月と未央の言葉に、凛が独り言つ。

「ニュー……ジェネレーション……?」

アイドル三人が、それぞれ顔を見詰め合った。皆、心に直撃を受けた表情だ。

514: 2015/08/10(月) 16:23:07.42 ID:SScT0J3gO
即座にプロデューサー陣が動く。

「ニュージェネレーション、芸能関係で聞いたことあるか?」

「いや、アタシはないわね」

「俺ァ日本タレント銘鑑を確認してくる」

鏷が立ち上がって資料を漁りに行き、Pと銅はちひろを呼んで商標登録がどうだのと、俄に熱を帯びた。

「Pさん、商標『ニュージェネレーション』は第31類に登録されていますが、それ以外は大丈夫みたいです!」

ちひろが自らの机でコンピュータの画面を見ながら大きな声を出す。

「よかった! 第41類で早速出願するよう進めてください!」

傍ら、銅がインターネットで検索し、めぼしいヒット事項がないかどうか確認している。

515: 2015/08/10(月) 16:23:36.84 ID:SScT0J3gO
慌ただしく動くプロデューサーらとは対照的に、凛、卯月、未央は目を瞬かせて坐ったままだ。

「なんか……こんなあっさり一気に決まっちゃっていいのかな……」

「まーいいっしょ~~! しぶりん、決まるときって案外こんなもんかもよ?」

未央がけたけたと笑った。卯月もつられて破顔する。

「ニュージェネレーション、いい響きだね! 凛ちゃん! 未央ちゃん!」

斯くして、CGプロの看板となるユニット、ニュージェネレーションが結成された。

デビューとなるフェスまで、残り三週間。

516: 2015/08/10(月) 16:24:32.35 ID:SScT0J3gO


――

ニュージェネレーションというユニットが固まって、先方事務局への連絡も済ませた。

フェスまでの期間内に、凛だけでなくユニットを徹底的に鍛え上げよう――

そう決心したPは、時折レッスンスタジオの“同じ部屋”で凛たちをじっくりしっかり視るようになった。

隣の部屋から窺うだけでなく、レッスンを実際に眺め、
気付いたところは都度指摘を入れたり、課題としてメモを取ったりする。

銅と鏷もPと同様、レッスンによく顔を出す。凛そして三人の鍛錬は、順調に進んでいる。

517: 2015/08/10(月) 16:25:01.98 ID:SScT0J3gO
ユニット化にあたって、これまで体力や身体能力に重点を置いた凛の育成方法を見直す必要があった。

歌も、踊りも、そしてビジュアルの魅せ方も、三人で改めて積み重ねなければならない。

ありがたいことに、麗の力添えによって、ベテラントレーナー青木聖の合流が叶った。

麗の妹であり明や慶の姉である、トレーナー四姉妹の次女。場数を踏んでいる、理論派の頼もしい後援だ。

これでユニット練習の際も、アイドル一人につき最低一人のトレーナーがつけられる。

現在のCGプロの事務所規模にしては異例と云える厚い態勢だった。

それだけ社長も、そして社長に手を貸してくれる麗も、期待が大きいのだろう。

518: 2015/08/10(月) 16:25:40.89 ID:SScT0J3gO

全てを満遍なくレベルの底上げができるようにレッスンを組み直してから数日。

スタジオから戻った凛が、そのまま帰らず、事務所でPに相談していた。

「あのさ、今日はボーカルの練習をしたんだけど……どうにも私、巧く合わせられないんだよ」

卯月と未央はかなり息が合ってるのに、と嘆息しながら、Pの隣の事務椅子を引っ張って坐った。

この日、Pは他の担当アイドルの関係で、凛たちのレッスンを見ることができなかった。

その代わり、鏷にチェックをお願いしたのだが――

519: 2015/08/10(月) 16:26:48.35 ID:SScT0J3gO
「あーなんつーかアレだな、細い、ってーのか? よく判らんがハモりが中々安定しない印象だったな」

と、本日の引率者は斜向かいにある自らの机から凛の印象を述べた。

「三人一緒に同じレッスンを受けるの久しぶりだけど、進歩ナシだね私。ちょっと悔しい」

最近の彼女は、こうやって比較的素直にPへ色々な感情を示すようになった。

Pとしては非常に喜ばしい傾向だ。

これに比べれば、レッスンがあまりうまくいかないことなど些細な問題だとさえ思えるほどに。

520: 2015/08/10(月) 16:27:25.19 ID:SScT0J3gO
「未央ちゃんや卯月ちゃんは、引き出し方がうまいんだ。今のところはな」

机上の書類をファイルホルダに片付けてから、Pが凛の方を向いて云った。

「お前は、目を見張るほどの才能があっても、それの引き出し方を知らないだけだよ」

「才能……か。私にあるのかな……」

「莫迦―ばか―云え、才能の塊が自らの才能に気付けなくてたまるか」

Pは眉をハの字に歪ませて苦笑し、

「いいか――」

よっこいしょと、凛の方へ椅子を引いてゆっくり語り出した。

521: 2015/08/10(月) 16:28:17.00 ID:SScT0J3gO

 いい音を出すには、楽器の奏法だけではなく、楽器の構造を知っていなければならない。

 例えばギターは、弦を弾いて、その振動をボディに共鳴させ増幅し、豊かな音を届ける楽器だ。

 弦を弾く位置を変えれば倍音成分も変わる。

 倍音成分を変えれば、共鳴の仕方も変わる。

 物理の基本だ。振動とか波長とか、習ったはずだな。

 サウンド、そしてミュージックと云うものは、物理学と密接に関わり合っている。

 どのような原理で音が出ているのか――

 その構造を知っていないと、いくら演奏の仕方を練習したところで、ポテンシャルを引き出せないんだ。

 どんなに楽器の質が良くてもな。

522: 2015/08/10(月) 16:28:54.91 ID:SScT0J3gO

 それは声も同じ。

 声帯を震わせて作る空気の振動を、咽喉や口腔で共鳴・調整して出力している。

 人体の仕組みがよくわかっていないまま、闇雲にトレーニングをしたところで意味は薄い。

 勿論、トレーナーさんたちから腹式呼吸とか、諸々のテクニックは教わっていると思う。

 最初の頃に比べれば、喉ではなく腹から声を出せるようになってきているもんな。

 ただ、それだけじゃ最大限の効果は発揮できない。

 お前にいま必要なのは、身体と音楽の構造を知ること。

 そうすれば、トレーナー陣のレクチャーも、よりスムーズかつ効果的な吸収ができるようになるはずだ――

523: 2015/08/10(月) 16:29:32.30 ID:SScT0J3gO

雄弁に語るPに対し、凛はいまいち自信がないようで、怪訝な顔つきをしている。

「本当にそうなの? いまいち信じられないんだけど」

「じゃあ例えを変えるか。お前、スマートフォンをだいぶ使いこなしてるよな?」

「まあ……そうだね」

「じゃあそのスマホを爺さんなり婆さんなりに渡して、『これで電話を掛けてみて』と云ってみたら、
 果たしてすぐに掛けられるかな?」

Pが自分の私用携帯を凛の前に置いて問うと、凛の怪訝さはより一層厳しくなる。

「急にそんなこと云ったって、おじいちゃんおばあちゃんがスマホの操作なんてすぐわかるわけないでしょ」

524: 2015/08/10(月) 16:30:26.05 ID:SScT0J3gO
「それだよ」

Pが手を叩いてから、ビシッと凛の口を指差した。その仕種はいくらか大仰だ。

「え?」

「お前だったら、電話やアドレス帳の“アイコン”を“タップ”して、難なく通話するはずだ」

口に出す操作を、Pは自らのスマホ上で再現してゆく。

各種アプリケーションや機能を切り替えるアニメーションが、端末上で踊る。

525: 2015/08/10(月) 16:31:15.29 ID:SScT0J3gO
「だが爺さんや婆さんじゃ、おそらく無理だろう。0から9までのボタンがある従来の携帯電話ならまだしもな。
 ホーム画面で何をすればいいのか判らず、固まってしまうはずさ」

画面に表示されている“飾りのような絵”に触れれば良いなんて、初めて手に持つ人間にどうして見当がつこうか。

情報を表示する画面部と、操作を受け付ける入力部は、まったく別のもの。

昔の人間にはそう云う先入観があるからだ。

526: 2015/08/10(月) 16:32:01.71 ID:SScT0J3gO
「ではこの差はなぜ起きるか? それはお前がスマホと云う新概念の構造を知っているからだよ」

スマホだって身体だって、構造を理解することが第一歩……凛は、なるほど、と思った。

「それにしたってさ――」

今日もつい数時間前まで受けていた授業を思い出しながら肩を落とす。

「物理学と生理学なんて、理科の授業は真面目に受けてたつもりだけど……わからないことばかりだよ……」

「芸術ってのはな、意外と理系なんだよ。スポーツだって今や科学の時代だ」

まあ考えすぎてもそれはそれで良くないんだがな、とPは言ちてから、机に並べられた書籍の一つを取り出した。

527: 2015/08/10(月) 16:32:32.27 ID:SScT0J3gO
「ほれ」

日に焼け、擦り切れたその本。

中のページには鉛筆でびっしりとメモ書きがされている。

「ポピュラー音楽理論……?」

「これは俺が中学の頃から読んでいる本だ。音楽を“作る”側の本だが、だからこそ曲の構造を知るのに役立つ」

528: 2015/08/10(月) 16:33:26.23 ID:SScT0J3gO
どのようにして曲は作られているのか。

どのようにして曲は組み立てられているのか。

自分の歌っているラインは、その部分の和声――つまりハモり――に於いてどのような役割を果たすのか。

どのように歌えば輝くのか。

「作家側からのアプローチを紐解くことで、それを理解する手助けになるはずだ」

529: 2015/08/10(月) 16:34:01.68 ID:SScT0J3gO
「なんかそういう音楽の理論って、楽典……って云うんだっけ? ああいうのじゃないんだ?」

凛が本をぱらぱらとめくって、不思議そうに呟いた。

「楽典なー。音大生なら誰でも持ってる『黄色い楽典』も確かにあるが、ありゃあクラシック方面だからな。
 アイドルとしてポップスを歌うなら、ひとまずはそっちの本の方が合ってるよ」

「ふーん、そっか。……すごい書き込みの量だね。でも、字、ヘタクソ」

まるでミミズやヘビでも這ったかのような筆録が、五線譜を縦断している。

年季を示すかのように、その一部は指で擦れたりしてやや滲んでいた。

530: 2015/08/10(月) 16:34:32.11 ID:SScT0J3gO
「うっさい。中学高校の野郎が書く文字なんてそんなもんだろ」

Pが口を尖らせた。しかし、

「……今は?」

凛の追い打ちに、Pは視線を逸らして苦し紛れの口笛を吹く。

「まあそんなことよりな」

「あ、誤摩化した」

「忘れろ。そんなことよりもだ、
 スマホに鍵盤を押すと音の出るアプリがあるだろうから、それを併用して、本の中身を吸収してみてくれ」

ゆくゆくは自室に簡単なキーボードを据えるとベターだ、とも。

531: 2015/08/10(月) 16:35:02.91 ID:SScT0J3gO
「わかった。これ、借りていいんだよね?」

凛がパタンと閉じて表紙を掲げ、問うた。

「勿論だ。手前味噌だが、昔の俺が書きまくったメモのおかげで、より内容を理解しやすくなってると思うぞ」

「ふふっ、そういうことにしとく」

そう笑って、通学鞄へと、ゆっくり丁寧にしまう。

CGプロにまたひとつ、“新世代”への受け継ぎが生じた瞬間だ。

532: 2015/08/10(月) 16:36:15.63 ID:SScT0J3gO


――

凛の集中力は凄まじい。

Pが本を渡してから一週間も経たずに、和声や音階の実践的な仕組みを理解しつつある。

同じドでも、ドが土台の場合、ラと組み合わせた場合、はたまたソと組み合わせた場合。

それぞれ役割が異なり、綺麗に響く音の高さも微妙に違うのだ。

実際の発声でそこまで精密な周波数の制御はできなくとも、その知識があるのとないのとでは、
少し高め・少し低めなどの意識を持てることで結果に雲泥の差が出るのだった。

533: 2015/08/10(月) 16:37:02.13 ID:SScT0J3gO
明と慶が、驚きに満ち満ちた表情でレッスンをつけている。

ニュージェネレーション用に書き下ろした曲の三声ハーモニーが、
卯月、未央、凛、それぞれの三つの音で組み上げられ、混ざり、溶け合った。

「すごいよ! しまむーとしぶりんと綺麗に混ざった! たっのし~~!!」

一曲を通して歌い終えた未央がはしゃいで跳んだ。

三和音―トライアド―、和声の中で最も単純かつ基本となるものだがそれでも美しい響きを奏でることができた。

「これが……ハーモニー……。すごいな……」

凛は、自らの出した歌声が紡いだ芸術に、ただただ感歎の息を吐く。まるで自分の声ではないかのような錯覚だ。

534: 2015/08/10(月) 16:38:09.59 ID:SScT0J3gO
「渋谷、凄いじゃないか。ここ一週間ほどで見違えたぞ」

聖が手許のバインダーに色々と書き込みながら相好を崩した。

明や慶と違ってやや厳しい彼女が、ここまで手放しで褒めるのは中々ないことだ。

「はい、じゃあ今日のレッスンはここまでです」

明がパンと手を叩き、アイドルたちは「ありがとうございました!」とお辞儀をする。

535: 2015/08/10(月) 16:38:23.65 ID:SScT0J3gO
「凛、ちょっと残ってくれ」

更衣室へと向かう背中に、Pが呼び掛けた。

「ん? どうしたの?」

「だいぶ良くなってきたから、次のステップへ上がろうと思ってな」

顔だけPの方へ向けていたのを、全身で振り返ってから首を傾げる凛。

「次のステップ?」

536: 2015/08/10(月) 16:39:32.25 ID:SScT0J3gO
「そう。技術的なことはトレーナーさんの指導があるから割愛するとして……俺からは感覚的な話をな」

凛に語りがてら、聖にスタジオをこのまま少し使ってよいか訊ねる。

「ん、ああ構わない、まだ時間的には大丈夫だ。そうか、姉から伝聞していたが、キミも指導するんだったな」

「指導……と云えるほど大層なモンじゃないですよ」

Pは、たはは……と苦笑しつつ、パタパタとスリッパの音を立ててホワイトボードの方へ歩んだ。

「腹式の基本はトレーナーさんに教わってるし省くよ。更に踏み込んで、感覚を徹底的に身体へ染み付かせよう」

ワンコーラス分を歌ってくれ、とPは音源を再生させながら云った。

537: 2015/08/10(月) 16:40:02.00 ID:SScT0J3gO
凛はきょとんとしながらも、スピーカーからの音に歌声を乗せる。

「はい、OK」

Pが間奏で一度再生を止めた。

凛を一旦休憩させてから、ホワイトボードへPが課題を箇条書きにしてゆく。

マーカーの小気味良い摩擦音が響いた。

「えーっと……『凛の課題 ・発声感覚 ・メロディ感覚』?」

538: 2015/08/10(月) 16:40:51.46 ID:SScT0J3gO
「そ。トレーナーさんたちに教わっているのは、声を出す方法。俺のは、より綺麗に声を響かせるためのものさ」

と凛の前へ出て、「まず発声はな、ヨーヨーなんだ」と、腕を上下に動かした。

「ヨーヨー? ……ねえプロデューサー、ちょっと話が飛躍し過ぎてついていけない」

「感覚的な話だって云ったろ?」

やや呆れた様子の凛に、「冗談で云ってるわけじゃないんだ」とPは肩を竦めた。

539: 2015/08/10(月) 16:41:53.23 ID:SScT0J3gO
「延髄の辺りから、前方軽く上方へ放る意識を持って声を出してみ。顔の位置と向きはそのままで」

「首の後ろから斜め上に、を意識するんだね?」

「そう、そして単に放りっぱなしにするのではなく、ポーンと投げたら手綱をクイッと引き戻すんだ」

これがヨーヨーと形容した所以だった。

「えっと、こうかな……」

凛は一度軽く息を吐いて、大きく吸い込んでから、腹部に手を添えて声を出す。

540: 2015/08/10(月) 16:42:25.21 ID:SScT0J3gO
その瞬間、聖、明、慶の表情がピクリと動いた。そして勿論、凛も。

これまでとは違う、芯の通った音が始終安定して響いたのだ。

「ん、いい感じじゃないか。これが発声感覚だ。だいぶ変わったろ」

「うん、自分でも判る。……ずっと意識してなきゃいけないのは疲れるけど」

それは最初のうちは仕方ないことだった。

541: 2015/08/10(月) 16:42:52.78 ID:SScT0J3gO
「反復練習すれば意識せず出せるようになるさ。次にメロディ感覚だが――」

Pが自らの鞄を漁って、白と黒の丸い石を取り出す。

「メロディラインってのはな、碁石なんだ」

凛は、また性懲りもなく訳の判らないことを話し始めた、とでも云いた気に、眉を寄せる。

さっきよりも強い怪訝な雰囲気に、Pは「だから冗談で云ってるわけじゃないんだっての」と肩を再び竦めた。

542: 2015/08/10(月) 16:43:40.13 ID:SScT0J3gO
「凛の歌い方ってさ、ラインが不必要に流れちゃってるんだよ。
 良く云えば『スムーズなポルタメント』になるけど、実態は『メリハリなし』ってとこだ」

碁盤に碁石を置く動きを、Pが空中で行なう。その姿は些か滑稽だったが、Pは真剣そのものだ。

「ミミズが這うように意識なく流すのではなく、
 一音一音の頭を、スチャ、スチャ、ポン、ポン、と碁石を置く様をイメージして出してみろ」

「碁石を、置くように……?」

凛が手探りするように、二度咳払いをしてからサビのメロディラインを出す。

543: 2015/08/10(月) 16:44:21.14 ID:SScT0J3gO
最初はやや暗中模索だったが、考え方を掴んだ瞬間があった。

その前後で明らかに声そのものとメロディの聞きやすさが変化したのだ。

「うわ……」

慶が、凛の出す音に嘆息した。

声の出し始めと締め方に、しっかりした土台ができた。

そしてそれぞれの音の頭が、フォーカスのかっちり合った状態で明確な安定性を発揮した。

これまで、ドップラー効果のように焦点が合うまで時間がかかっていたのに。

544: 2015/08/10(月) 16:44:52.53 ID:SScT0J3gO
ヨーヨーと碁石――

一見、歌と何の関わりもなさそうな単語が、凛のボーカルを引き締めた結果に、一同が色めき立つ。

「なんでもっと早く教えてくれなかったの!?」

興奮して問う凛に、Pが押される。

「物事には順番ってモンがあるんだよ。
 お前の場合は、まず腹から声を出せるように、声量を稼げるようにしなきゃいけなかったんだ」

声の大きさと、声の芯の強さそして安定性は、また別物なのだ。

545: 2015/08/10(月) 16:45:34.17 ID:SScT0J3gO
「それに……我流で身につけた感覚だからな、アドバイスすべきか否か、本当はさっきのさっきまで迷ってた」

頬を掻いて、ばつが悪そうに語る。

「でも、麗さんから、臆せず進むようこないだ諭されてさ。今がたぶん俺の出番なんだろうな、って腹を固めた」

差し出がましいことをして申し訳ない、とトレーナー三人に向けて頭を下げる。

殊勝なPに、聖がとんでもない、と手を振った。

「いや、これはむしろ私たちにとっても興味深い結果だ。是非とも盗ませてくれ」

不敵な笑みを湛えて、肌身離さず持ち歩くバインダーにペンを走らせている。

546: 2015/08/10(月) 16:46:02.50 ID:SScT0J3gO
「ねえプロデューサー、今日もう少し歌っていい? 喉を傷めない程度に抑えるから」

凛が、逸る気持ちを隠し切れない声音で、自ら居残りを願い出た。

おそらく、駄目だと云っても聞くまい。

それほどまでに、今の凛の表情は輝いていた。

歌うことに楽しさを見出した顔だった。

この分なら、月末のフェスは間違いなくいける――Pはそう確信した。

547: 2015/08/10(月) 16:47:01.75 ID:SScT0J3gO


――

ここはお台場、フジツボテレビの湾岸スタジオ。

建物内だけでなく、周囲や屋上にも特設ステージが設けられ、フェスの熱気が渦巻いている。

ただでさえ暑い夏、会場近くはさらに気温が高いように思えるのは、気のせいではあるまい。

ニュージェネレーションの三人は、スタジオの屋上へ仮設された控室にいた。

屋上には小規模と中規模、二つのステージがあり、その小さい方へ出演するためだ。

548: 2015/08/10(月) 16:47:32.31 ID:SScT0J3gO
なお、このフェスで最大のステージは、空調の整った建物内にある。

そちらには765プロや東豪寺プロなど、誰もが知っているアイドルしか出ていない。

各所へのアイドルの割り当ては準備委員会が決めるが、その内容は事前に知らされていたし、Pも異存はない。

もともと知名度の低いニュージェネなど、最も小さい舞台ですら上等なのだ。

ただし、一つだけ先方に注文したことがあった。

549: 2015/08/10(月) 16:48:02.05 ID:SScT0J3gO
「みーんにゃ~~! サマーライブフェスへようこそにゃ~~!」

少し離れた中規模ステージから、特徴的な喋り方で即座に判別できる、前川みくのMCが響いてきた。

――そう。これこそがPからの要求だった。

『みくの出番にぶつける形で、CGプロのタイミングを持ってくること』

三枠を一枠に縮小する見返りとして、こんなことでいいのなら幾らでも、と事務局は快諾してくれた。

フェスとは即ち――戦争である。

550: 2015/08/10(月) 16:48:32.40 ID:SScT0J3gO

まもなく、我々が誇るアイドルユニット、ニュージェネレーションの初舞台。

あと五分で開演だ。

Pが「そろそろだ」と云って控室に入ると。

そこには、三人が、統一感ある衣装で待っていた。

ロッキングスクールというテーマの、淡色のシャツに黒いチェック柄のノースリーブベストとミニスカート。

ネクタイとベルトは、それぞれ赤系、青系、黄系で差別化を図っている。

活動的であり、なおかつ清潔感や清楚感を憶える、よく出来た『戦闘服』だった。

551: 2015/08/10(月) 16:49:04.02 ID:SScT0J3gO
ニュージェネレーションはみな、興奮と緊張の混ざり合った、それでいて勇壮な笑みを浮かべている。

「プロデューサー、やってくれたね。みくにリベンジする機会をこういう形で用意してくれるなんて」

「さあて、なんのことやら?」

タイマンで負けた凛を筆頭に、直接的な勝負はしていないながらも追い付けなかった卯月と未央。

三人がひとつにまとまって、一気呵成の反撃を仕掛ける。

仮に、もし、万が一、個々の力ではみくに未だ及ばなくとも、三本の矢が集まれば、強靭な力となる。

皆、Pの意図したところを汲み取っていた。

552: 2015/08/10(月) 16:49:32.18 ID:SScT0J3gO
そして円陣を組んで、お互いを見詰め合う。

「卯月、未央。ここが歯の食いしばりどころだよ」

「うん、私たちが頑張れば、最近入った子も活動しやすくなるし、そうすれば即戦力にもなってくるよね」

「えっへへ! しぶりん、しまむー、向こうのステージからお客さんを根こそぎ奪う勢いでいこうっ!」

えいっ! と気合いを入れて、舞台へと飛び出していく。

Pの目には、彼女らの背中に、羽ばたく翼があるように見えた。

553: 2015/08/10(月) 16:50:21.05 ID:SScT0J3gO

みくは、やや離れた小規模ステージから突如として流れてきた爆音にひるんだ。

自らの持ち歌を披露しながら、しかし心の中では「一体向こうでは何が起こっているのにゃ!」と動揺している。

実はPはこのときの伴奏音源に、細部のディテールを犠牲にしてでも音圧を極めて高くしたものを用意していた。

音圧が高ければ、それだけ遠くへと届く。

CD等のパッケージでは、やってはならない悪手。

だが、みくのステージを観ている客の耳にもニュージェネの音が入っていくよう、修羅の選択をしたのだ。

戦争とは、えげつない。

554: 2015/08/10(月) 16:51:02.10 ID:SScT0J3gO
案の定、そのノリの良い楽曲に、中規模ステージの近くにいた者たちがみな興味を惹かれたようだった。

――はじめまして! 私たち、ニュージェネレーションです!

三人の息の合った掛け声が、そして歌声が、湾岸スタジオの屋上に響いた。

いま、ニュージェネレーションは一箇月弱もの特訓の成果を遺憾なく発揮している。

アップテンポの曲が聴く者の興奮を呼び覚まし、玲瓏な三人のハーモニーが聴く者の魂を揺さぶる。

一人、また一人と中規模ステージからニュージェネの歌い踊るエリアへと移ってゆく。

555: 2015/08/10(月) 16:51:59.29 ID:SScT0J3gO
ちょ、ちょっとみんな待つにゃ!

みくのそんな心の叫びは、彼女自身のプロ根性ゆえマイクには乗らない。

それが災いか、数分も経つ頃には、民族大移動が発生していた。

複数のステージを同一会場内に設置するサマーライブフェスならではの、残酷な光景。

これこそ、フェスの名に相応しい。

それでも自らに割り当てられた分の演目をこなし、みくは「ありがとにゃー!」と感謝の叫びを上げる。

無論、大移動が起きたとはいえ、みくの観客だってゼロではない。

聴いてくれた人々に感謝するのは当然のことだ。

しかし、この変則的なLIVEバトルに負けたのだと、彼女は舞台袖へ引っ込みながら認めざるを得なかった。

556: 2015/08/10(月) 16:52:35.79 ID:SScT0J3gO
「きぃ~~ッ! ムカツクにゃ!」

まるで猫が「フシャー」と威嚇するのと同じように、みくはボルテージを上げた。

「こうなったら敵情視察にゃ!」

衣装の着替えもそこそこに、カモフラージュの上着を羽織って、すぐさま小規模ステージの方へ向かう。

そのエリアは、人数を改めて確認するまでもなく、明らかにオーバーキャパシティとなっていた。

満員電車の如き様相で、ニュージェネの演舞に歓声やコールが入れられている。

連写するシャッター音や、録画開始を告げる電子音が、至る所で鳴り渡る。

557: 2015/08/10(月) 16:53:02.32 ID:SScT0J3gO
――ニュージェネレーションなんて聞いたこともないにゃ! こんな馬の骨、誰にゃ!

みくは人の波を掻き分けて、ステージを見渡せる位置へとつくことができた。

そこには、先月とは見違える姿となった、凛、卯月、未央。

「あ……あれは、渋谷凛チャン……? 他の二人も確かCGプロの……」

歌い、踊り、舞い、跳ねているのは、原宿で見かけたアイドルではなかった。

「まるで別人にゃ……」

同一人物のはずだが、到底そうは思えない変貌を遂げていたのだ。

558: 2015/08/10(月) 16:53:35.87 ID:SScT0J3gO
ステージを演り終えたニュージェネレーションに、喝采が浴びせられる。

「こんなアイドルグループ知ってたか!?」

「いや、全然知らねえ! 見たことも聞いたこともなかったけど、こりゃすげえ発見かもな!」

方々から、ダークホースの出現に驚愕、興奮する会話が聞こえてきた。

みくは、一言「負けないにゃ!」とだけ叫んで、踵を返した。

――まだにゃ、まだ明日があるモン。借りはきっと返すにゃ。

心の中は熱く、しかしそれを表には出さず、みくは場を去った。

559: 2015/08/10(月) 16:55:31.04 ID:SScT0J3gO

夜、CGプロ事務所では、フェス期間中とはいえ大人だけのささやかな祝賀会が開かれていた。

初ライブで、予想を上回る動員を記録したことは、CGプロにとって大きく明るいニュースだった。

そればかりか、色々な場所で、今日の出来事は話題になっている。

消防法の関係で一時は規制すら囁かれたほどだったのだ、芸能関係ニュースの食い付きの激しさたるや。

さらにネット上のアイドルオタクが集う場では、そのダークホースぶりも併せて、CGプロが注目の的だ。

ニュージェネステージの様子を撮影した写真――特に凛をアップで捉えたものが、物凄い勢いで拡散している。

560: 2015/08/10(月) 16:56:15.71 ID:SScT0J3gO
『この渋谷凛って子、すっげぇ可愛いんだけど!』

『まあ普通だな、ミキミキほどじゃない』

『ニュージェネレーション? 聞いたことねえな』

『どこの地下アイドルだよ全く――  …………おい……可愛いじゃねえか……』

『この子765の新人? それとも波浪プロ? え、違うの? CGプロ? 知らないぞこんな事務所』

『可愛過ぎてやべえよ……やべえよ……』

『将来が楽しみで仕方ない』

『俺は原石を見つけたんだ(確信』

想像以上の反響に、「こりゃえらいことになったな」「明日から忙しくなりそうだ」などと会話が弾む。

561: 2015/08/10(月) 16:57:00.17 ID:SScT0J3gO
急遽、明日のステージ構成は小規模から中規模の方へ移されることになった。

バミのチェック等をしなければならないから、明日の会場入りは早朝。

ゆえに凛たちは早めに帰宅させてある。祝賀会が大人たちだけで行なわれている所以だ。

もちろん凛も、卯月も、未央も、この反響は聞き及んでいる。

今頃、自宅でネット等を見ながら武者震いしていることだろう。

斯くして、熱いフェスは暑い二日目を迎える。

562: 2015/08/10(月) 16:58:03.79 ID:SScT0J3gO

昨日よりも更に気温が上がる予報の中、ここお台場の湿度は幸いにも今日の方が低く、爽やかだ。

ただし太陽は朝っぱらからぎらぎらと本気を出しており、外に半刻も立っていたら確実に紫外線の餌食となろう。

ステージを土壇場で交換することとなったため、一日目から変更のあった箇所は多岐にわたっていた。

ニュージェネレーションと引率のPは、開場までの短い間にいくつもの項目を確認して潰していく。

563: 2015/08/10(月) 16:58:40.21 ID:SScT0J3gO
銅や鏷も話題沸騰となったニュージェネの舞台を見たがっていたが、
生憎、新規に所属したアイドル、水本ゆかりや高森藍子たちの営業が重なってしまった。

「おいP! いいか、未央を重点的にビデオ撮っとけよ! アップでな! あと観客席の様子も忘れるな!」

「ちょっと、卯月も始終フレームインさせとかないと承知しないわよ!」

早朝、事務所で別れた際の各プロデューサーの無茶な要求の数々。

一日目はうまく終えられるかどうかに気を取られ、Pはスマホのカメラで簡潔な記録しか残せなかったのだ。

同じ轍は踏まないよう、今日はきちんとビデオカメラを鞄に入れてきてある。

564: 2015/08/10(月) 16:59:35.07 ID:SScT0J3gO
開場前最終チェックに合わせ、Pがカメラを弄くり回して調子を窺っていると、舞台から三人が降りてきた。

ニュージェネ三人は本番前日のゲネプロを含め、昨日まで小規模ステージでしか活動しなかった。

つまり中規模ステージで演るのはぶっつけ本番に近い状態だ。

舞台へ上がる際のバミや、各種機材のセッティング、返しのモニターの位置。

色々な部分で異なるので、凛たちは臨時リハーサルで必氏に吸収している。顔は真剣そのものだ。

そして、ニュージェネと同じ状況に置かれているアイドルがもう一人。

565: 2015/08/10(月) 17:00:08.79 ID:SScT0J3gO
「なぁーんでみくが小さい方へ追いやられなきゃならないのにゃ!」

件のアイドル、みくが事務局の配置担当者に苦言を呈しながら歩いている。

「こんな間際になって別のリハやらされても頭がパンクするにゃ! 一昨日のゲネは一体なんだったにゃ!」

ニュージェネと入れ替わる形で小規模の方へ移されたのがみくだった。

二日目も、みくとニュージェネは同じタイミングのタイムテーブルだったのだ。

昼過ぎと云う、お陽様と気温が一番元気な時間に割り当てられている。

566: 2015/08/10(月) 17:00:37.16 ID:SScT0J3gO
企画時点で力の弱かったニュージェネが損な時間帯に配置されるのは、当たり前のこと。

いくら一気に脚光を浴びたからと云って、ステージの移し替えはともかく、出演時間の変更は流石に無理だった。

持ち時間を15分だけ伸ばしてもらえたが、これすらも破格の配慮と云えよう。

強い足取りで歩くみくが、CGプロの面々を見つけ、びしっと指を向ける。

「またみくと同じタイミングでLIVEだって? 受けて立つにゃ。今度は手加減しないんだからにゃ!」

567: 2015/08/10(月) 17:01:11.12 ID:SScT0J3gO
その声にレジュメに目を通していたPたちが顔を挙げた。

「……私たちは負けないよ」

凛が眼光鋭く言い放つ。

みくとの視線が交錯し、LIVEバトルの場外戦を繰り広げた。お互い一歩も退かない。

どれくらい火花を散らしただろうか、まもなく開場する旨のアナウンスによって、各々が控室へと下がった。

決着は本戦へと舞台を移す。

568: 2015/08/10(月) 17:01:48.38 ID:SScT0J3gO

中規模ステージは屋上の北端に築かれており、トラスなど覆う構造物がない。

そのため、客席から見ると、アイドルの背にフジツボテレビ本社ビルが控える。

球体の構造物が印象的なその建物は、燃え盛る午後の太陽を反射して輝いており、さながらミラーボールのよう。

そして突き抜けた青空は、蒸し暑さを吹き飛ばすほどに爽快だ。

569: 2015/08/10(月) 17:11:40.94 ID:SScT0J3gO
まもなく、CGプロの演目が始まる。

昨日と同じく、五分前にPが「そろそろだ」と云って控室へ入ると。

昨日とは違う衣装を身につけた凛が立っていた。

初めて舞台を踏んだ時とは見違えるほど落ち着いた様子で、出番を待っている。

凛が纏う黒基調の衣装は、最初のライブで着たものを基に改良を施した、新型だ。

570: 2015/08/10(月) 17:12:17.28 ID:SScT0J3gO
改造の前と後では、醸し出す高級感に歴然とした差があった。

革のコルセットが追加され、スカートも五層構造へと大幅なボリュームアップを遂げた。

絞るように引き締めるウエストと膨れ上がるスカートの裾の対比で、凛の身体の魅力が遺憾なく発揮されている。

一輪の花が目を引く髪飾りは一回り大きくなり、長いリボンに付け替えられた。

すらりと長く伸びた脚には、黒光りするロングブーツが艶かしい。

誰が見てもアイドルだと納得できるであろう女の子の姿だ。

凛の恵まれた体型の真骨頂が、ここに在った。

571: 2015/08/10(月) 17:13:01.92 ID:SScT0J3gO
「とても綺麗だ。だけど、最終的に俺がゴーサインを出したとはいえ、熱中症には気をつけろよ」

このような黒づくめのドレスは、夏の日射しの中では非常に過酷と云える。

しかし、抜ける青空を背後にして立つと、くっきりと見せることができるのだ。

「ふふっ、大丈夫。水分はきちんと摂ってるし、熱中症を怖がってちゃアイドルなんて無理でしょ」

凛の言葉には、きつい体力トレーニングにも耐えてきた自負が顔を覘かせていた。

「でも気をつけるに越したことはないからね~~。はいしぶりん、冷たい水」

オレンジを基軸にした衣装の未央が、凛にコップを渡して云った。

傍で笑む卯月もまた、ピンクをあしらった、彼女ならではの恰好をしている。

572: 2015/08/10(月) 17:13:30.67 ID:SScT0J3gO
幸運にも昨日より長い時間を貰うことができたので、急遽ニュージェネとしてだけでなく、
凛、未央、卯月のソロでも舞台へ立つことにしたのだ。

凛は、その切り込み隊長の役割を負った。

――出番OKです!

スタッフの声が響く。

凛が、堂々とした所作でステージへ上がっていった。

573: 2015/08/10(月) 17:14:33.91 ID:SScT0J3gO

みくもまた、本番が間近に迫り、控室に待機していた。

普段は柔らかい感じの服を着ているが、彼女のアイドル衣装は、逆にシャープな印象を与える。

上下がセパレートになっていて、魅惑的な部位を惜しげもなく空気に曝しているのは目のやり場に困ってしまう。

自らの武器を、みくは完全に認識していた。

彼女は努力家だ。

実際、全て一人でセルフプロデュースしているにも拘わらず、このようなフェスの大舞台に立てるまでになった。

勿論その裏事情には、CGプロと同じく最初は補欠要員として挙がったというのもあるのだが――

経緯はどうあれ、この大きなイベントに演る側として参加できている事実は判然と存在している。

574: 2015/08/10(月) 17:15:26.82 ID:SScT0J3gO
そんな身だが、昨日は慢心が存在していたらしい。不覚をとってしまった。

今日こそ、いつも通り気張ってゆけば、問題ないはず。

シマへ乗り込んできた者に自分が負けるなんて、認めないし、あってはならないのだ、そんなことは。

肩に届くか届かないかという長さの髪を、後頭部で束ね、リボンで装飾を施す。

猫耳を装着し、腰に猫の尻尾も着け終えた瞬間から、そこにいるのは前川みくではない。

アイドル『みくにゃん』だ。

575: 2015/08/10(月) 17:16:01.97 ID:SScT0J3gO
「今度こそ負けないにゃ!」

鏡の前に立ち、ガラスの向こう側にある世界の中で立っている自分へ檄を飛ばした。

――出番OKです!

スタッフの声が響く。

みくが、猫を模した所作でステージへ上がっていった。

576: 2015/08/10(月) 17:16:39.37 ID:SScT0J3gO

ステージへ飛び出た凛の目の前には、まさに人波が横たわっていた。

背の高さ様々な人々が、ざわめきを発しながらうごめき、それは波と形容するに相応しい。

ダークホースを一目見ようとした群衆の量は、中規模ステージへ移された判断が正しかったことを示している。

観客の中には、ニュージェネレーションの写真を見たことで急遽会場へ足を運んだ者もかなり多いと聞く。

ネット上に拡散されひときわ反響を得た、クールに舞う凛を捉えた画像。

そのシンデレラの如く注目されたアイドルが、今日はユニットではなくソロで先発を務める。

577: 2015/08/10(月) 17:17:15.58 ID:SScT0J3gO
「ニュージェネレーションの、渋谷凛です!」

凛が右手を天高く振りかざすと、駆け抜ける風に黒い長髪とリボン、そしてスカートがたなびく。

碧い瞳が、髪飾りのワンポイントが、洗練された装いの中で明るく主張している。

昨日とは違う恰好で登場したアイドルに、客席から怒濤の歓声が上がった。

衣装こそ異なれど、昨日のロッキングスクールと同様に、凛々しく佇むのはクールな姿。

写真で見た通りの美少女が、写真とは違って動いている。

舞い、踊り、歌っている。

578: 2015/08/10(月) 17:18:42.50 ID:SScT0J3gO
――今、自分は、誰も知らない将来のスターを、誰よりも早く見ることができている。

ひしめく客の大半が、その感想を胸に抱いていた。

遠くない未来、きっとこのアイドルは大物になる。そんな予感とともに。

何も持っていなかった少女が、空っぽだった少女が、居場所を見つけ、人に何かを与えられる存在へ羽化した。

579: 2015/08/10(月) 17:19:16.28 ID:SScT0J3gO
ステップの踏み方、体幹の位置、振り付けの躍動、腹の底から出す声――青木姉妹から受け継いだもの。

そして、ヨーヨーを投げる意識、碁石を置く意識――Pから受け継いだもの。

非常に多くの要素を頭で考えるより先に、凛の身体が自動的に次へ次へと存在を表現していく。

日射しに噴き出る汗も、今の彼女には何ら障害にはならない。

むしろ飛び散ったそれは、光を反射して、より凛を彩らむとする舞台装置だった。

凛に続き未央、卯月、そして三人揃ってロッキングスクールでの演目を終えるまで、
観衆は減るどころか集う一方だった。

580: 2015/08/10(月) 17:20:02.43 ID:SScT0J3gO

みくは一足先にステージを終えていた。

未だ曲と歓声の流れ続ける方向をちらりと見て、勝敗を探らむとし、途中で止めた。

数えるまでもない。

黒い群衆の密度も、それが占める面積も、凛ひいてはニュージェネレーションの方が大きかったのだから。

581: 2015/08/10(月) 17:20:32.44 ID:SScT0J3gO
勿論、みくの本日のステージだって、原宿の箱で演っていた頃よりも大きな動員数を記録した。

だから、みく自身も成功していたのは間違いない。

単純に、ニュージェネレーションの方がより大きく成功しただけに過ぎないのだ。

それでも。

両者ともに成功したとはいえ、Pが仕掛けたこの戦争の白と黒は、はっきりしてしまった。

「みくの実力はこんなじゃない! きっと証明して見せるにゃぁ!」

屋上に轟く歓声の中、みくの叫びは、人知れず臨海の虚空へと溶けていった。

582: 2015/08/10(月) 17:21:06.41 ID:SScT0J3gO


――

CGプロの事務所、応接エリアに大手雑誌社のライターやカメラマンがいる姿は、どうにも慣れないものがある。

「今後目指したいもの、ですか――」

フェスから数日、一躍脚光を浴びたCGプロの面々に、複数のマスメディアから取材要請が絶えない。

思案し「今を駆け抜けることで精一杯」と受け答えをする凛の言葉に、敏腕ライターはメモを走らせていた。

それは、これまで何も持っていなかった彼女の偽らざる本心であろう。

アイドルであることが楽しい、今はそれだけでも、凛の存在意義となっているのだ。

卯月はこれまでずっとアイドルを目指していて報われつつあることを語り、未央は相変わらずお調子者な回答で周囲を湧かせる。

583: 2015/08/10(月) 17:22:06.15 ID:SScT0J3gO
新聞や雑誌、ニュースサイト――複数回に亘るアポを消化する頃には、
彼女らにはアイドルとしての強い自覚、そして風格が備わりつつある。

ランクこそ上がってはいないものの、ニュージェネレーション三人のDランク昇進は時間の問題であろう。

速報性の高いサイト、数日後には多くの読者を持つ新聞、月に一冊とペースは遅いが興味対象層が深く読む雑誌。

ニュージェネレーションの三人、そしてCGプロの名は、それらの波状効果で確実に世間へ広がっていった。

584: 2015/08/10(月) 17:22:49.43 ID:SScT0J3gO
今、受けているインタビューは、展開の核となろう雑誌のもの。

ゆえにCGプロとしても鼻息が荒い。

社長やプロデューサー陣がアイドルの展開予定等を伝え、手応えを感じつつある頃。

事務所入口を勢い良く開けるバァンという音が響く。先日修理したばかりのドア、そのネジが再び歪んだ。

何事かと全員が驚き、特に取材に臨むカメラマンは、戦慄のあまり大事な仕事道具を咄嗟に抱きかかえた。

「たのもー! にゃ!」

同時に、特徴的な喋り方がフロアにこだました。

585: 2015/08/10(月) 17:23:38.07 ID:SScT0J3gO
Pが応接エリアのパーテーションから顔だけを覗かせると、案の定、玄関で仁王立ちしているのはみくだった。

Pの顔をめざとく見つけた彼女は、戸惑うちひろの制止を無視してずんずんと歩いてくる。

肩を怒らせ、Pをびしっと指差して、「こ、こないだは全く歯が立たたなかったぞぉ!」と威勢良く叫んだ。

しかし、その場で何が行なわれていたかを理解するにつれ、やや気恥ずかしそうな素振りとなる。

まさか、今まさに取材を受けているところとは思わなかったのだろう。

やっちゃった、と云う表情をしている。

586: 2015/08/10(月) 17:24:11.62 ID:SScT0J3gO
ここまで来たらええいままよ、と開き直ったみくは、その場の全員を上目遣いで見た。

「あ……あんなことされたのっ、初めてにゃ……だから、ちゃぁ~んと責任、とってよねっ☆」

みくの爆弾発言に、未央が、喋りまくって乾いた口を潤そうとしたお茶を盛大に噴き出す。

自らのお気に入りのシャツに染みを作らされた鏷は、サングラスの下で哀しい表情を浮かべた。

「ぴ、Pさん……もしかして……裏では食べてたの? 戦争だとか云っといてさ~~」

咳き込みながら問う未央やジト目を向けてくる凛に「そんなわけあるか! 誤解だ!」と弁解するP。

587: 2015/08/10(月) 17:24:37.16 ID:SScT0J3gO
「さぁ、みくをトップアイドルに仕立て上げるのにゃ☆」

みくはそんな騒動などお構い無しに笑う。彼女の中では、移籍することは既定事項らしい。

「俺はどっちかってとクールな子の方が得意なんだよなぁ……」

「非道い! 弄んだみくを棄てるのかにゃ!」

「そうは云ってないし弄んでもいない。……銅、たぶんこの子はお前にぴったりだろ」

Pは区画の隅に立ちながらも独特のオーラを醸し出すもう一人のプロデューサーに話を向けた。

588: 2015/08/10(月) 17:25:06.52 ID:SScT0J3gO
「あら、独特なキャラが立ってるし、それでなくとも素材は充分に可愛いし、いいわねェ」

と笑ってみくの全身を見定めてから、

「いいわ、こっちで面倒みたげる」

とウインクをする。

社長はそんなドタバタ光景をニコニコしながら静かに見守っており――

その後発売された当該雑誌では、ニュージェネレーションの記事に、みく転属のニュースが追加されていた。

593: 2015/08/10(月) 19:46:57.43 ID:3+pD+bLQo



・・・・・・


大嶋から電話が入ったのは、暦上の秋とは名ばかり、残暑が厳しい九月半ばのことだった。

先輩と後輩の間柄であり、個人的な遣り取りはたまのタイミングで行なっていたが、今回はそれとは違うようだ。

個人ではなく伝通としての連絡であった。

「正式な取引関係、ですか」

594: 2015/08/10(月) 19:47:28.51 ID:3+pD+bLQo
「ああ、こないだのフェスでお前のところがクローズアップされただろ」

件のニュースは、代理店の耳にも入るほど幅広く伝搬しているらしい。

「ウチの主要取引先―フジツボ―からも好感触ぶりを、伝え聞いているんだ」

例のサマーライブフェスは、フジツボテレビが主催者に名を連ねていた。

そしてフジツボと伝通は蜜月の関係にある。

595: 2015/08/10(月) 19:48:03.58 ID:3+pD+bLQo
これまで伝通社内では、どこの馬の骨とも知れないCGプロを顧みる人間などいなかった。

そもそも知られてすらいなかったと云うべきか。

ほぼ唯一その存在を認知していた大嶋も、先日の失敗以降はCGプロの名前を出すのは控えていたそうだ。

あの件は大嶋のせいではない。全てPに責任があるのだから、大嶋の対処は何ら間違っていない。

そしてP自身、そのけじめをつけるべく、大嶋に負担をかけないよう独立独歩でやってきたわけだ。

CGプロにとって、成功こそ重ねたものの、これまでやや険しい向かい風情勢だったと云える。

それが、今回のフェスの成功で潮目が大きく変わるのは、願ってもないことだった。

596: 2015/08/10(月) 20:01:26.24 ID:3+pD+bLQo
代理店と云うものは、金の匂いがすると行動が早い。

ゆえに、がめついと後ろ指をさされたり、搾取者という烙印も押されがちで、その事実をPは否定しない。

しかし腰を上げる素早さは、CGプロに福音をもたらす。

「先輩が――伝通が間に入ってくださるなら、これほど心強いものはありませんよ」

Pが感激のあまり、声量を大きくして受話器を強く握った。

「嬉しいことを云ってくれる。どうやらざっと調査した限りでは、あの一件で大きく成長したようじゃないか」

「……あのときは本当にすみませんでした。先輩のお蔭です」

「今となっちゃ笑い話さ。フェスを成功させるほど大きな姿になっただけで充分報いてくれてる」

597: 2015/08/10(月) 20:01:57.75 ID:3+pD+bLQo
当時は氏にそうな顔をさせられたトラブルも、時間が経てば美談となるのだ。

「あのときお前が失敗したクライアント、CGプロの再採用を検討しているみたいだぞ、よかったな」

きっと、正式に伝通と顧客契約することとなれば、そのクライアントと再び仕事をする日も遠くはないだろう。

ひいては傘下の制作会社、伝通テックともパイプが太くなるはずだ。

「それからな……お前と俺の間柄だ、秘密保持契約―NDA―を前提として話すが――」

Pは、大嶋の口から発せられた情報に、身震いを禁じ得なかった。

598: 2015/08/10(月) 20:02:40.98 ID:3+pD+bLQo


――

二日後、汐留。

Pと社長は、正式な顧客契約とNDAを締結するために、伝通本社へと赴いていた。

大嶋と握手した社長は、「うちのP君が大変お世話になったそうで」とお互いに笑い合う。

伝通側も事業部長が同席しており、この場で全てを決めてしまおうという強い決意が見える。

CGプロとしても、社長自らが出張ったのはそのためだ。

世間話もそこそこに双方が書類に押捺、本題はすんなりと終わってしまった。

「なんか、驚くほどあっさり済んじゃいましたね」

Pが相好を崩すと、大嶋もつられて声を出して破顔した。

「まあ或る程度事前に話がまとまってればこんなもんさ。それでも予想以上の早さだったがな」

予定していた時間よりだいぶ余ってしまったな、と皆が笑い合った。

599: 2015/08/10(月) 20:03:41.19 ID:3+pD+bLQo
やるべきことを終わらせてから、業界話に花が咲く。

代理店が俯瞰しているアイドル業界の進む先、CGプロが描く将来像。

失われた20年に加えて大震災にも襲われ、暗く閉塞した世の中だ。

癒しの手段として、これから更にアイドルが重要となってゆくことは間違いない。

無論、企業活動ゆえ稼がなくてはならないのは前提として、
向こうもこちらも、人々を笑顔にしたいと云う想いは同じだった。

伝通といえど、現場に近い部署なら、必然的に想いも近づいてゆくものだ。

600: 2015/08/10(月) 20:04:12.04 ID:3+pD+bLQo
「ん、そろそろかな――」

大嶋が腕時計を確認してつぶやいた。

さほど時を経ずして、応接室にノックが響く。

若い女性社員に連れられて顔を出したのは、青年と中年の間ほどの背格好をした男性が二人。

片方はぱりっとしたスーツを着て、もう片方はとてもラフな服装だった。

601: 2015/08/10(月) 20:04:40.67 ID:3+pD+bLQo
「どうも、この度お世話になります」

その二人が会釈を向けてくる。皆が立ち上がって挨拶を返した。

「こないだPにも話した通り、こちらが磐梯南無粉の早川さんと――」

大嶋がスーツの人物を示した紹介を、隣のラフな者が引き継いだ。

「磐梯南無粉ディレクターの岩原です。本日はお話があって、早川に同席させて頂きます」

602: 2015/08/10(月) 20:05:25.58 ID:3+pD+bLQo
先日Pに大嶋が話したこと。

それは、伝通と磐梯南無粉が共同展開を広げるというものであった。

順調に話がまとまれば、来月半ばにでも発表されるはずだ。

その提携の詰めを行なっていく中で、磐梯側が新規アイドルに関する情報を欲しがっていることを大嶋が知った。

共同展開の内容とは直接の関わり合いはないとはいえ、仲介するのも代理店の重要な仕事だ。

伝通がアイドル業界を探る中、そこへきてCGプロのフェスでの注目度上昇である。

大嶋はタイミングを見逃さなかった。

磐梯の実動部隊である岩原と、CGプロの実動部隊であるPを引き合わせるセッティングを、今日に組んだのだ。

603: 2015/08/10(月) 20:06:14.45 ID:3+pD+bLQo
「我々はゲームコンテンツを通して、アイドルの世界を幅広い人々にお届けしたいと思っています」

岩原が、激務からか隈の酷い、しかし眼光はぎらついた目でPを見た。

「磐梯南無粉さんといえば、たしか色々なアイドルを――」

「はい、既に765さんや961さんなどと協業で、コンテンツ展開をさせて頂いています」

確認するまでもない。

現在業界の第一線をゆくAランクアイドルは、
765の天海春香や如月千早、961のジュピターなど、全て磐梯南無粉の息がかかっている。

勿論、スターダムを駆け上がるにはアイドルたち本人の実力が大いに必要だ。

しかし、磐梯南無粉の協力を得られるか否かで、アイドルとして成功できるか、その難易度は著しく変わる。

磐梯南無粉の影響力は大きかった。

604: 2015/08/10(月) 20:06:43.12 ID:3+pD+bLQo
「この度、全く新しいジャンルでコンテンツの展開を進めたいと思っています」

岩原は、Pが予想した通りの話を切り出した。

「――しかし、実現の為には、既存ではリソースが足りない」

「磐梯さんほどのコンテンツホルダでも足りないのですか?」

「はい。これまでの765さんだけではまかなえない規模です」

岩原が顎を引いて指を組む。

「そこで今、新興ながら脚光を浴びて赤丸急上昇中、幅広いアイドルのいるCGプロさんにお願いしたいのです」

605: 2015/08/10(月) 20:07:17.91 ID:3+pD+bLQo
765や961を最前面に出して展開すると、失敗した時のリスクが大きいことを、岩原は言外に示唆している。

リソースの量で云えば、ダウンバックや星屑プロモーションなど、多くのタレントを抱えた事務所は数ある。

ただしそれらはランクの高い大手だ。

吹けば飛ぶようなCGプロだからこそ、磐梯南無粉にとって冒険ができるのだ。

「今回のご提案、双方にWIN-WINだと思いますが如何でしょうか」

隣の早川が、眼光鋭い岩原の代わりに、柔らかい調子で問うてくる。

Pも、社長も、ここが分水嶺だと直感した。

セッティングしてくれた大嶋の顔を立てる必要もあるし、挑戦しなければ掴み取ることはできない。

例えリスクがあっても、だ。

606: 2015/08/10(月) 20:07:56.36 ID:3+pD+bLQo
何より、CGプロが今後成長していくために、磐梯南無粉と手を組むことは絶対に必要だ。

将来的には、ステークホルダとして対立する可能性は無きにしも非ずだが――
そんな衝突など企業間ではいくらでもある。相手が無視できない力を、こちらが持つようになれば良い。

社長とPはお互いを見合って、頷いた。

「承知しました。こちらとしても、磐梯南無粉さんとお仕事ができるのは光栄の極みです」

Pが立ち上がり、手を差し出す。岩原が、がっちりと握手した。

その手は、熱かった。

607: 2015/08/10(月) 20:08:29.97 ID:3+pD+bLQo


――

十月半ば。

磐梯南無粉が新たなアイドルコンテンツを十一月末から展開すると云うニュースが、世間を駆け巡った。

そのリリースの中に、765と並んでCGプロの名前が入っているのを、Pは感慨深気に見る。

マスメディアは、新たなアイドル業界の動きに興味津々だ。

フェス後もライブや営業等をこなし認知度を高めつつあったCGプロが一気に躍進した、と報道が過熱している。

もし上場していたら、株価はきっとストップ高になっていたことだろう。

608: 2015/08/10(月) 20:09:28.97 ID:3+pD+bLQo

磐梯南無粉との協業は、Pの予想を遥かに超えた規模の計画になっていた。

詳細なプランが煮詰まりつつあった先月のこと、出家鵺の参加が打診されたのだ。

新型メディアのトップヒッターとして頭角を現しているプラットフォームビルダー。

携帯電話ネットワークに甚大な強みを持つ企業の参画に、Pのみならずアイドルたちも怪訝顔だ。

「ねえ、プロデューサー。なんでこんなに話が大きくなってるの……?」

「……俺もわからん」

Pは磐梯南無粉の真意を測りかねていた。

609: 2015/08/10(月) 20:10:00.57 ID:3+pD+bLQo
これほど大規模になるなら、それこそ波浪プロ擁するダウンバックなり、星屑プロモーションなり、
大事務所を使った方がいいのでは。

それとも、これほど大規模に風呂敷を広げてもなお、失敗の可能性を危惧しているのか。

ふと、Pは先日テレビで見た、青函トンネルのドキュメンタリーを思い出した。

青函トンネルは、いきなり隧道本体を掘り進めて造ったわけではない。

海底トンネルと云う未知の領域の為に、まず小さな先進導坑で進む先の地質を調査し、
次いで準備の為の作業坑、それを終えてようやく本坑の工事へ移った。

自分たちは、磐梯南無粉にとって先進導坑のような存在なのだろう。

610: 2015/08/10(月) 20:10:31.78 ID:3+pD+bLQo
仮に出水事故や落盤事故を起こしても、CGプロだけ切り捨てれば被害は軽微で済む。

大手事務所を大量に使っては、そうはいくまい。

いわば使い捨ての駒のようにも思えるが、世の中にはその駒にすらなれず消えていく人々の方が多いのだ。

CGプロにとっては、この機会を逃さず、無事故で成功させればよいだけのこと。

徐々に所属者が増えてきたCGプロにとって、輝ける場所が用意されるという事実があるだけで、
所属アイドルのモチベーションはあがるものだ。

ニュージェネレーションの三人をはじめ、プロダクション全体の士気は高かった。

611: 2015/08/10(月) 20:11:08.63 ID:3+pD+bLQo

伝通と磐梯南無粉、そして出家鵺の力は凄まじい。

新規コンテンツのリリースを間近に控え、CMが全国ネットで放映されたのだ。

枠の確保は伝通に勝る者なし、希望通りの時間帯に挿入されたのは流石と云える。

そのCMはほとんど765出身者で占められていたが、CGプロからただ一人、凛が抜擢された。

Dランクアイドルが、1カットのみとはいえお茶の間に堂々と流れるのは異例中の異例だ。

765の代表曲『READY!!』をBGMに凛が登場して喋る15秒の映像を、Pは事務所でひたすらリピートしている。

その喜びぶりには、社長もちひろも苦笑いを禁じ得ない。

612: 2015/08/10(月) 20:11:36.01 ID:3+pD+bLQo
「おはようございま……」

カチャリと軽やかになったドアの開閉音とともに凛が出社して挨拶を寄越すが、

『アンタがプロデューサー?』

『アンタがプロデューサー?』

『アンタがプロデューサー?』

延々と繰り返される自らのループに、テレビの傍までダッシュし、乱暴な動作で電源を落とした。

613: 2015/08/10(月) 20:12:03.14 ID:3+pD+bLQo
「あアァッ! なんで切るんだよ!」

「なにやってるのプロデューサー! 延々同じところを繰り返して、恥ずかしいってレベルじゃないでしょ!」

不意の切断にPが叫び、凛は顔を真っ赤に染めながら呆れる。

「だって、だって、担当アイドルだぞ!? 担当アイドルが全国ネットデビューだぞ!?」

「もう、やめてよ。そりゃ喜んでくれるのは嬉しいけどさ」

614: 2015/08/10(月) 20:12:32.20 ID:3+pD+bLQo
凛自身、両親とともに初めてCMを見たときは、天にも昇る気持ちだった。

しかしそれで済めば可愛いものだったのだが、本日、クラスで散々弄られるハメになったのだ。

いくらインターネットが発達したとはいえ、お茶の間に流れるテレビは依然強い伝搬力を持っている。

知る人ぞ知る状態で、あまり波風が立っていなかったこれまでと違い――
全校の誰もが、アイドル渋谷凛の存在を認知するようになっていた。

もはや凛は、学校では気の休まる時がないと云ってよい。

615: 2015/08/10(月) 20:13:01.86 ID:3+pD+bLQo
流石にこの事態に教諭陣は眉をひそめつつある。

凛の成績は上位を維持していたので現時点でお咎めは受けていないが、もし今後さらに露出が増えれば、
仕事も比例して増え、現在のままの学業を続けるのは難しくなるだろう。

「あの二人とはその後どうだ?」

Pがあづさとまゆみの様子を訊ねた。

「ん、二人とも喜んでくれてるし、私の防波堤にもなってくれてさ。とても助かってる」

616: 2015/08/10(月) 20:13:31.52 ID:3+pD+bLQo
好奇の目に曝される凛を、それとなく護ってくれているのだ。

身近に理解者が居るというのは、とてもありがたいことだった。

「……そうか。また今度、何かお礼をしなきゃいけないな」

Pの頭の中には、関係者席への招待するプランなどが踊っていることだろう。

いづれにせよ、最近は受けたオーディションに合格したり、凛自身を指名する仕事がぽつぽつ入ってきた。

そう遠くないうちに、対策を考えなければならない日がやってきそうである。

617: 2015/08/10(月) 20:14:15.99 ID:3+pD+bLQo


――

11月28日。

いよいよ以て、磐梯南無粉と出家鵺、CGプロの渾身のコンテンツ展開が開始された。

夏のフェスで注目されてもなお、世間にはCGプロが浸透したわけではないことを思い知らされるほどに、
新興事務所を初めて知る人が続出した。

『765目当てでコンテンツ触ってみたけど、なんかこの渋谷凛って子めっちゃ良くね!?』

『おまえ黒髪ロングとかDT受けよさそうなの好き過ぎだろw 俺は本田未央、キミに決めた』

『はいはいおっOいおっOい。正統派な島村卯月ちゃん以外にないっしょ。アイドルっつったらピンクよ』

ネット上をメインとして、改めてCGプロ旋風が巻き起こっている。

618: 2015/08/10(月) 20:14:43.20 ID:3+pD+bLQo
このままファンを堅実に獲得し、ライブ等で露出を増やしていけば来年度にはCランクも夢物語でもなさそうだ。

無論これは喜ぶべきことであるが――やはり『知られていない』と云うのは『存在しない』と同義なのだと。

改めて、Pはその教えを噛み締めている。

他人に知られて初めてアイドルは意味を持つのだ。

もっともっと、世間に凛、いやそれだけでなく担当アイドル全てを知ってほしい。

「凛を筆頭に、うちにはこんな幅広く可愛いアイドルがいるんですよ」と皆に知らせてあげたい。

そんな“伝道師”としての想いが、Pの中で鎌首をもたげていた。

619: 2015/08/10(月) 20:15:10.84 ID:3+pD+bLQo
更には、経営が軌道に乗り始めたせいか、根っからのスカウトマンである社長が本気を出し始めた。

街中でアンテナに引っ掛かる人を見つけたらとにかくアタックを試みる。

大抵は断られて終わりなのだが、百回・二百回と繰り返せば、足を止めてくれる人はそれなりにいる。

そこからアイドルとしての適正云々でふるいに掛けられた『予選通過者』が、だいぶ増えてきた。

先日などは、凛の雑誌撮影案件でスタジオを共同使用したモデルのことをぽつり漏らしたら、
その翌週には当人がCGプロ事務所―うち―にいた。

620: 2015/08/10(月) 20:15:41.85 ID:3+pD+bLQo
「……社長、ちょーっと最近スカウトしすぎじゃないですかね」

人数が増えれば、それだけスタジオ待ちや仕事の時間調整で事務所に詰めるアイドルが多くなる。

そんなおしくらまんじゅう寸前状態のフロアを見ながら、Pは社長にぼそりと告げた。

後先考えずスカウトしてくる社長のせいで、現在の事務所は手狭という言葉の次元を超えてしまっている。

「はっはっは、あまりにも魅力的な子が街に多くてね! いやこれでもだいぶセーブしているのだが」

社長は豪快に笑って弁解した。

CGプロの知名度が上がったことで、以前はコンマ数パーセントだった成功率がかなり上がってきたのだそうだ。

これでは早晩、建物がパンクしてしまうだろう。

621: 2015/08/10(月) 20:16:08.22 ID:3+pD+bLQo
出家鵺との新規展開によって、更に仕事の幅やスケジュールの過密さが増えた。

十二月から一月にかけて、凛はじめニュージェネレーションの予定は、出席日数ぎりぎりの状態だ。

冬休みに入るからまだ首の皮一枚で綱渡りできていると云って過言ではない。

アイドルに関するあらゆる業務を行なうプロデューサー陣、そしてちひろの処理能力も限界に達しつつある。

社長はもちろんそれは認識しているようだ。

「そうだね、そろそろアイドル諸君だけでなく、我々自身も次のステップへ進む頃かもしれない」

半年以上世話になった飯田橋の街に別れを告げるのは、その日からそう遠くなかった。

622: 2015/08/10(月) 20:16:35.66 ID:3+pD+bLQo


――

港区は麻布十番。

四車線と六車線の大通りが交差し、ほとんど流れの静止した渋谷川を覆うように首都高速が入り組んでいる。

ここは交通量が非常に多い傍ら、細い道を入れば意外と落ち着いた雰囲気のある、不思議な街だ。

社長はどこから見つけてきたのか、この地で安く売りに出されているビルを入手し、新社屋とした。

623: 2015/08/10(月) 20:17:01.84 ID:3+pD+bLQo
――なぜ麻布十番なのか?

それは単純に『以前の拠点だった飯田橋と行き来しやすい』と云うだけの理由だった。

完全に移行が済むまでは旧事務所と新社屋それぞれに用事があるだろうし、
移行が済んでも、旧事務所は貸主との契約期間満了まで倉庫等として使う予定があったからだ。

飯田橋と麻布十番は、南北線を使って、ものの十分強で移動できてしまう位置関係にあった。

しかしきっかけはその程度のことだったとはいえ、道路幅が広く送迎等の車を出しやすい環境も、

南北線だけでなく大江戸線が利用可能で新宿や汐留に出やすい点も、

今となって考えればこの地にして正解だったと思える絶妙なチョイスだった。

624: 2015/08/10(月) 20:17:36.19 ID:3+pD+bLQo
「はえーすっごい」

未央が新社屋を見て、無思考の感想を垂れ流した。

未央だけではない。この場に来ているアイドル、そしてプロデューサー陣全員が同じ様相をしている。

目の前に鎮座するは、これまでの胡散臭い雑居ビルとは打って変わり、だいぶ清潔感ある複層階の建物だ。

全体が青みがかった白色で、壁面にガラス張りが占める割合も大きい。

小規模ながらトラックヤードがあり、各種納品物の出し入れは楽に行なえそうだ。

625: 2015/08/10(月) 20:18:01.86 ID:3+pD+bLQo
エステルーム、カフェテラス、サウナルームが完備され、トレーニングルームも順次増築すると云う。

きっと、アイドルたちは伸びやかに自らを磨くことができるだろう。

業界の巨人、961にも見劣りしない規模のプロダクション社屋だった。

さらには、地方から出てきたアイドルが増えてきたため、笹塚に女子寮までも確保した。

「なんだか、今の自分たちには豪華すぎるようにも思えますね」

Pはぽつりと呟いた。

626: 2015/08/10(月) 20:18:32.27 ID:3+pD+bLQo
このスケールの設備を揃えようとするなら、かなり大きな元手が必要だ。

取引金融機関からの借入額も相当なものだろうし、そもそもその規模の稟議を銀行が易々と通すはずがない。

80年代後半ならいざ知らず、今は景況芳しくない世界同時不況の時代なのである。

「さほど高い買物ではなかったよ、改装費を入れても億に全然届かないくらいだ」

好条件の資金も掴んだしね、と背後からゆっくり歩いてきた社長の言葉に、Pは驚いて振り返った。

「はっ?」

有り得ない破格だった。

627: 2015/08/10(月) 20:19:02.38 ID:3+pD+bLQo
この規模のビル一棟売りであれば、最低でも数億、場合によっては二桁億円は下らないはずだ。

しかも笹塚にも女子寮としてもうひとつ不動産を買っているのである。

港区の一等地よりは幾分かましであろうとは云え、それだって億を割り込むとは考え難い。

「ちひろ君が色々と調整してくれてね」

「……詳しくは聞かないことにしましょう」

まず売価を値切り、融資を引き出し……

出す額は少なく、入れる額は多く。両方の側面からどんな錬金術を使ったのか。

隣のにこやかな笑顔を崩さない緑色の事務員に、底知れぬ恐怖をPは感じた。

世の中には、触れてはいけないものがあるのだ。

628: 2015/08/10(月) 20:19:31.91 ID:3+pD+bLQo

気を取り直して、入口の自動ドアをくぐり、改装したてで塗料などの匂いが残る建物内を練り歩く。

「大きくなるから、社員を増やしてこれまでプロデューサー諸君に任せていた諸業務を分散させるようにするよ」

社長は『制作部』『興業部』と様々な立て札を指し示しながら、今後の展望を語る。

アイドルのプロデュースは制作部が一貫して面倒を看る。

ライブの企画や会場手配等に関わる事柄は興業部。ほかグッヅ販売はCS事業部、忘れてならない法務部など。

629: 2015/08/10(月) 20:20:01.65 ID:3+pD+bLQo
今はやや大き過ぎるようにも思える社屋でも、じきにちょうどよい容量となるくらい会社を成長させたい。

現在持つリソースなら建物の四階までで充分埋まるが、眠らせている上層階を稼働させられるようになりたい。

そしてそれはきっと、そう遠からず可能だろうという展望。

社長の言葉には、一種の楽観があるかもしれない。

しかし、それはニュージェネレーションを筆頭として、
現在のCGプロを彩る個性豊かなアイドルたちに、絶対の自信を持っていることの裏返しだった。

630: 2015/08/10(月) 20:20:46.30 ID:3+pD+bLQo
「プロデューサーとアイドル諸君には、このエリア――制作部に籍を置いてもらうよ」

社長はそう云って、磨りガラスでできた扉を開けた。

青いOAフロアが隅々まで敷かれた、現時点では何もない、がらんどうなだだっ広い空間が目に入る。

「部を三つの課に分けるから、それぞれP君、銅君、鏷君に割り振ろう」

今は殺風景でも、近日中に間仕切りが組み込まれて、いわゆる一般的なオフィスの様相を呈することとなろう。

「アイドル諸君も現在のプロデューサーについていく形で、各々の課に入ってもらうのがスムーズだろうね」

「なんか、すごい。本当に“会社”って感じがする……」

これまでとは全然違う――凛がそう云って感歎の息を吐くと、

「はっはっは。今のアットホームな事務所も気に入ってるんだがね」

社長はややノスタルジックな笑いで応えた。

631: 2015/08/10(月) 20:21:19.10 ID:3+pD+bLQo
その後、レッスン室や福利厚生施設を見学してテンションの上がるアイドルたちを見て、相好を崩す。

「年度明けには麗も合流してくれるし、バックアップ体制はより充実できるだろう」

何度も頷いてから、Pたちの方を振り返った。

「この分なら、アイドル諸君は頑張ってくれそうだね」

「……はい、我々としても、アイドルにもっと仕事を持ってこよう、と云う気概が湧きますね」

Pたちの視線の先には、まだ営業していないカフェテラスの椅子で笑い合うニュージェネレーション。

年相応に楽しむ女子高生の姿だった。

それを遮るようにちひろが身を乗り出して云う。

「プロデューサーさん、仮眠室も完備してありますから、忙しくなっても大丈夫ですよ♪」

Pと銅と鏷には、ちひろの笑顔が、悪魔のそれに見えた。

632: 2015/08/10(月) 20:22:00.41 ID:3+pD+bLQo


――

寒風吹き荒び、冬が本番の力を発揮している十二月中旬。

冬至の近いこの時期は、部活など少し学校に長居しただけで陽が落ちて暗くなってしまう。

まゆみとあづさは、二人ともマフラーに顔を埋めて、街道を歩いていた。

片方は部活で疲れた身体に、
もう片方は生徒会で疲れた脳味噌にチョッパチャプスで糖分を補給しつつ、凛の家である花屋へ赴くべく。

633: 2015/08/10(月) 20:22:31.29 ID:3+pD+bLQo
まゆみのプチ不良ギャル然とした恰好、そしてあづさの典型的なJK然とした恰好に於いて、
防寒具らしい装いは首許の柔らかそうな布だけだった。

特に下半身は丈の短いプリーツスカートに生足、ふくらはぎにゆるく履いた靴下のみ。

意外にも、スカートはまゆみよりもあづさの方が短く、堂々と白い大腿を冷気に曝している。

彼女たちの通う高校には制服がないから、どのような服装でも構わないのだが。

一般的な女子高生の姿を維持したいとか、
パンツルックにしたりタイツを履いたりするもんか、と云う強い意思が感じられる姿だった。

見た目優先、寒さは我慢。

冬の女子高生の逞しさには実に頭が下がる。

634: 2015/08/10(月) 20:23:02.29 ID:3+pD+bLQo
「こんばんはーっす」

「あら二人とも、いらっしゃい」

花屋の店頭へ上がったまゆみが乱暴な挨拶をすると、奥から凛の母親が出て応対した。

「はい、これ凛―アイツ―の分の答案す」

夏のフェスそして昨今の脚光を受けて、最近の凛は急速に出席状況が悪化していた。

期末考査の返却日だったこの日、凛は仕事の為に学校へは来られず、
まゆみたちが代わりに受け取って“飛脚”となったのだ。

635: 2015/08/10(月) 20:23:29.88 ID:3+pD+bLQo
部活があったから本来はあづさ一人に頼むところだが、
生憎彼女は登校日につきものの生徒会の用事が遅くまであった。

結局、どちらも下校時間に大した差はない。

ゆえに双方がやることを終えてから、星の瞬く下、一緒に凛の家まで来たわけだ。

二人が学校で答案を覗き見した際には、全学科70点以上はきちんと取っていた。

「まったく憎らしいくらいに優等生ね、あの子」とはあづさの弁である。

それでも、高校に入ったばかりの一学期中間考査では軒並み90点ほどだったことと比べると、
徐々にではあるが下降線を辿っている。

凛の日頃の努力がなければ、とっくに赤点コースだろう。

636: 2015/08/10(月) 20:24:00.18 ID:3+pD+bLQo
「いつもありがとうね、二人とも」

「いえいえ。じゃ、わたしたちはこれで」

二人の背中を見送った母親は、娘の頑張りを認めつつも「さてお父さんにどう云おうかしらね」と思案顔。

父親も凛のアイドル活動には一定の理解を持っている。

しかし学生の本分は学業である。

早晩課題となるであろうと判ってはいたが、予想よりも早い、というのが母親の正直な感想だった。

637: 2015/08/10(月) 20:25:07.25 ID:3+pD+bLQo

花屋から出たまゆみたちの横を、味気のないライトバンが通り抜け、巻き起こした風が彼女らを縮こまらせる。

店の裏手に停車したそれから降り立ったのは、誰あろう凛だった。

「あづさ? まゆみ?」

凛がドアを開けながら呼び掛け、その対象に間違いがないことを確認するとすぐに車から降りた。

「おー凛。“お早い”お帰りで」

けたけたと笑いながら軽口を叩くまゆみ。飴を頬張っている所為でその声はやや不明瞭だ。

しかし凛は全く気分を害することなく

「そうだね、今日は結構早く帰れたかな」

と小首を傾げて微笑んだ。

638: 2015/08/10(月) 20:25:35.23 ID:3+pD+bLQo
「……マジかよ」

「うん、試験休み中は帰ってくるの十時になったりしてたから。六時ならだいぶ早い方」

「人使い荒過ぎじゃないかしら、それ」

「ふふっ、でもそれなりに楽しいよ?」

凛より遅れて車を降りたPに対して呆れた表情を向けるあづさに、凛は目尻を下げた。

クラスでの会話と全く変わらない、気軽な遣り取り。

「さいですか」

やれやれ、と髪を掻き上げようとしたまゆみがポケットから手を出すと、その弾みで何かがぽろりと落ちた。

「あ」

639: 2015/08/10(月) 20:26:15.23 ID:3+pD+bLQo
カシャリと乾いた音を立てて地面を跳ね、滑るのは携帯電話。

まゆみとあづさ、そして凛の間に転がったそれを取ろうと、三人が同時にしゃがみ込み、手を伸ばした。

その様子をお互いにしばし見詰め、笑い合う。

「もう、まゆみったらガサツに座り過ぎでしょ、私からショーツ見えてるよ」

「部活するのに履いてたオーバーパンツだから恥ずかしくねーって」

凛が先に携帯を拾い上げ、まゆみに手渡した。

「で、今日はうちまで来てどうしたの?」

640: 2015/08/10(月) 20:26:44.53 ID:3+pD+bLQo
「答案返却日だったでしょ、わたしたちが代わりに持ってきたのよ」

「あー……」期末考査の存在を思い出して凛は首を竦めた。

「あたしゃ天使だからな、あまり悪くはない点数だった、とだけ教えといてやるぜ」

「……心遣いありがと」

破顔してまゆみとあづさは立ち上がり、スカートの裾をパンパンと払った。

「じゃああたしらは帰るわ。終業式くらいは学校来るだろ?」

「の、予定だけど。まあ……プロデューサー次第かな?」

ちらりと横目でPを見てから、「わざわざありがとね」と二人に手を振った。

641: 2015/08/10(月) 20:27:11.19 ID:3+pD+bLQo
彼女たちが見えなくなってから凛を玄関までエスコートしたPは不思議そうに呟く。

「あのまゆみちゃん、見た目は不良ギャルなのにいい子だよなぁ」

逆にあづさちゃんは真面目そうだけど一番キワドイ服装だったな、とも。

「何でも外見だけで判断しちゃダメって云うでしょ。中身だよ中身」

学校の先生のようなことを、高校一年生に諭されてしまうようでは世も末である。

Pは「仰る通り」とこめかみを掻いた。

642: 2015/08/10(月) 20:27:38.83 ID:3+pD+bLQo

この日が答案返却日だったのはPにとってタイミングが良かった。

凛を送迎しがてら、彼女の両親に、越堀高校芸能科への転学を検討する相談を切り出す材料になったからだ。

勿論、一気に決めてしまうわけではなく、凛の将来なりたいもの、凛を取り巻く環境、凛の仕事の見通し――
色々な要素を鑑みた上で、アイドル稼業を抑えて学業優先にするか、転校するかを考えることとなろう。

現在通う高校はせっかくのナンバースクールなのだ。移ってしまうのは惜しい。

『アイドル渋谷凛』は今せっかく流れに乗ってきているのだ。仕事量を抑えてしまうのは惜しい。

どちらも、凛だけでなく両親、そしてP、関係者たちにとって頷ける理由だから。

643: 2015/08/10(月) 20:28:04.91 ID:3+pD+bLQo
担当アイドルの住む家へ上がっての相談――

ファンからすれば垂涎の状況であっても、その席上は難しい議題だ。

凛自身、「ちょっとどうするのが正解なのかわからないな……」と考え込んでしまった。

彼女にとっては、アイドルの方が楽しいし、
学校自体に――進学等の強みがあるのは理解した上で――特段の思い入れはない。

しかし高校には、かけがえのない友人がいる。この点が、凛にとって非常に大きなポイントだった。

644: 2015/08/10(月) 20:28:32.24 ID:3+pD+bLQo
寡黙だった父親が、

「まあまだ冬休みに入って時間はある。少しずつ考えて気持ちを固めるといいだろう」

凛にそう告げ、さらに、お前の考えを尊重する、と付け加える。

「あらあら、お父さん『最近は娘が店番してくれなくて寂しい』ってお隣さんに零してたのにねえ」

母親の笑いに大きな咳払いをかぶせて誤摩化そうとするさまを、Pと凛は苦笑いして視た。

645: 2015/08/10(月) 20:29:02.42 ID:3+pD+bLQo

数日が経って、凛が終業日をきちんと出席し冬休みへ突入したばかりの昼下がり。

事態は思わぬところから背中を蹴られた。

「――Pさん! ちょっとこれを!」

新社屋のフロア構成に慣れ切っていないちひろが、Pの姿を探してバタバタと走り回る音が制作部に響いた。

まずはじめに『バンッ』と扉を開けたのが第二課―キュート―だったらしく、
「Pはアッチよ」と教える銅の声が聞こえた。

ただならぬ雰囲気を察したPが部内廊下へ顔を出し「どうしました?」と訊くと。

ちひろが、何やら丸めた用紙のようなものを持って、肩で息をしていた。

「り、凛ちゃんが――」

646: 2015/08/10(月) 20:30:34.41 ID:3+pD+bLQo
そう云って広げたのは二日後に発売予定の、ゴシップで有名な週刊誌の試し刷り。

事前照会のため出版社から送られてきた、独特の光沢ある白黒の写真ページに、でかでかとした表題が踊る。

『――人気急上昇アイドル“R”の黒い交友関係――』

そこには、笑うまゆみとあづさ、そして凛が載っていた。

あづさとまゆみには大きめの目線が入れられている。

『見るからにガラの悪い仲間と談笑するのは某アイドルか。ファンに媚びへつらう裏で、実態はこの様?』

647: 2015/08/10(月) 20:31:02.45 ID:3+pD+bLQo
タイミングとしては、落とした携帯を拾おうとしゃがみ込んでいる刻だろう。

巧い具合にトリミングして、物を拾う行為ではなく、不良同士がたむろしているような雰囲気を演出している。

しかも、まゆみとあづさの口元をわざと少しボカして、あたかも煙草を咥えているかのように見せていた。

チョッパチャプスもこのような使い方をされるとは形無しであろう。

あづさに至っては、気をつけた所作でしゃがんでいるにも拘わらず、
そのさらに上をゆくアングルで、ショーツがちらりと、しかししっかり顔を覘かせている。

648: 2015/08/10(月) 20:31:31.57 ID:3+pD+bLQo
「なんじゃあこりゃあ!!」

Pの怒りの叫び声が、社屋全体にこだました。

――パパラッチ。

一種の有名税と捉え、それは喜ぶべき一面があるのかも知れないが……

まさか凛が早くもその対象になるとは。

事実を捏造してまで煽ろうとする姿勢には、反吐が出る。

なにより腸が煮え返るのは、無関係の友人を巻き込むことに何らの躊躇いもない出版社の姿勢だ。

凛一人だけならまだしも、あづさとまゆみはただの一般人なのである。

649: 2015/08/10(月) 20:32:02.53 ID:3+pD+bLQo
「……社長室案件ですね。俺、行ってきます」

机を叩く勢いで立ち上がったPに、ちひろが告げる。

「Pさん、たぶん行っても無駄だと……思います」

「な、なんでですか!? 我々が凛を護ってやらなきゃ!」

意外なちひろの言葉に食いかかってしまうのは仕方ないが、

「……では、行くだけ行きましょう」

ちひろは、やや諦めた表情で、Pと共に制作部を出た。

650: 2015/08/10(月) 20:32:32.09 ID:3+pD+bLQo

「……そうか。ついにこの時がきたかね」

社長が自らの机で記事を読み、紙をデスクに放り投げてから、ふぅ、と溜息を一つ吐いて云った。

「いますぐ差し止めと損害賠償請求を――」

炎々と迫るPを、社長は「無理だよ」と一言で遮った。

「なんでですか!」

「P君。担当アイドルがこのような玩具にされて腹が立つのはわかる。だがまず冷静になりたまえ」

こうなることを予見していたのであろうちひろが、冷たいお茶を持ってきた。

651: 2015/08/10(月) 20:33:01.67 ID:3+pD+bLQo
社長が一口呷って、眉の尻を下げた。

「……ちひろ君は判っているようだね」

「……はい。この記事には、どこにも『CGプロ』または『渋谷凛』と書かれていません」

「その通り。しかもだ、向こうも裁判沙汰に慣れているからね、本文の中で一度も断定口調はないんだよ」

Pは、そこで初めて「しまった、そうか」と理解し、吐き捨てた。

652: 2015/08/10(月) 20:33:31.08 ID:3+pD+bLQo
一言もCGプロや渋谷凛とは書かれていないのに、疑問詞ばかりなのに、我々が拳を振り上げたらどうなるか。

内容の虚実に関係なく、“当該記事は我々に関する件です”と自ら認めることに等しい。

相手方から「別に渋谷凛のことだと名指しはしてませんよ?」と云われたら、ダメージを受けるのはこちらだけ。

「……つまり、どうするのが正解でしょうか」

「まあ、完全無視しかないだろうね」

653: 2015/08/10(月) 20:34:02.27 ID:3+pD+bLQo
残酷な判断だった。

芸能人となった凛はともかく、その友人たちはあくまで一般人なのに。

「どうしようもないのだよ。下手にこちらが行動してしまうと、動けば動くだけ不利になる」

いわば交通事故のようなものなのだ。有名になってきたことの裏返しでもある。

冬休み期間で、クラス等での騒動にはすぐには発展しないであろうと予見されるのは、不幸中の幸いだった。

Pは、怒りに身体を震わせて拳を握るしかできなかった。

654: 2015/08/10(月) 20:34:31.98 ID:3+pD+bLQo

十数分が経ち、ようやくPがクールダウンしてから。

凛にも、発売後にいきなり知らせるよりは、事前に報告しておいた方がよいとの判断で連絡がいった。

表向きは、「ふーん、そっか。私にもパパラッチがつくようになったんだね」と冷静な素振りだったが……

その実、自分のみならず、友人までこのような扱いを受けて、ショックがないわけなどなかった。

しばらく試し刷りの紙に目を落としていたが、机に置いて、はぁ、と一つ嘆息して云う。

「……なんで私なのかなぁ」

655: 2015/08/10(月) 20:35:02.19 ID:3+pD+bLQo
凛の疑問詞に、Pは真意を測りかねた。目線で続きを促す。

「……私だって、普通の人間だよ? ついこないだまで、ごく普通の女子高生だったんだよ?」

――数箇月前までの私が同じ状況になっても、きっと誰もレンズで狙ったりはしない。誰も騒ぎ立てはしない。

「道端に転がる小石や雑草と変わらない存在の、皇族に生まれたわけでもない私が、
 普通の人々と違う点ってなんなの?」

凛は、自分の置かれる環境が変質したことを頭では判ったつもりでいた。

だが、実際にこう云う風にはっきりと示されるまで、どこか他人事に思っていたのだと突きつけられた。

656: 2015/08/10(月) 20:35:36.82 ID:3+pD+bLQo
Pは、やや思案して口をゆっくり開く。

「生物として、種として人間は全て同じかも知れないが、同質ではないんだな」

難解な言葉遊びのような、または誰もが当たり前と思っているような。

「この世は不平等で理不尽で、とてつもない格差や選別の上に成り立っているわけさ」

よく使われる比喩としては、宝石がある。

例えば……炭やコークスと、ダイヤモンドは、突き詰めれば同じ“炭素原子の集合体”だ。

にも拘わらず、それらは全く別の物質として我々の目に映るし、価値にも違いが出る。

657: 2015/08/10(月) 20:36:03.11 ID:3+pD+bLQo
一般人を炭とするならば、凛はダイヤモンド。

そのダイヤの原石を磨き上げ、世に送り出すのがPやトレーナー陣の役目なわけだ。

「だが……俺は、これは必ずしも正確な喩えではないと思ってる」

凛の方へやや顔を寄せて、指を組んだ。

炭は、一定の処理をすることでダイヤモンドに作り替えることができるから。

658: 2015/08/10(月) 20:36:32.19 ID:3+pD+bLQo
「だから、正確性を期すならば、凛は『雑草繁る草地に、一株、すっと立ち生えた百合』なんだ」

花やつぼみをつけていない時期の百合は、人々にとって雑草と同じように映るだろうが、
ひとたび花を咲かせれば、その存在は、雑草から一気に可憐な美花として認識される。

ただの草と、百合。同じ植物と云う括りでも、それらは全く別物に映るし、勿論価値も違う。

この最大のポイントは。

――雑草は、どうやっても百合にはなれない。

659: 2015/08/10(月) 20:37:17.74 ID:3+pD+bLQo
根本から異なる存在。

それが、凛だ。

それが、“渋谷凛の、普通の人々とは違う点”なのだ。

そして、Pたちスタッフは、数多の雑草に埋もれる百合の株を見つけ出し、育み、花を咲かせ、綺麗に飾り、
世へ送り出し披露する。

これまでは、凛は雑草と見分けがつかなかった。

だが、どうやら百合らしいと世間の人々が判るようになってきた。だから狙われた。

「己の立ち位置について悩むのではなく、『そう云う運命の許に生まれてきた』と割り切る必要があるのかもな」

「そう云う、運命……」

660: 2015/08/10(月) 20:37:50.48 ID:3+pD+bLQo
「あーと、ここまで云っておいてナンだが、勘違いはしないようにな」

Pは手を軽く振って、凛に念を押した。

自分のことを、普遍的かつ不変の価値を持つ選ばれた民だ、と思ってはいけない。

確かに、今の凛には、一般人よりも高い価値がついているのは間違いない。

しかしそれは、より多くの人から選ばれるものが、結果的に高価値と看做されているに過ぎない。

661: 2015/08/10(月) 20:38:19.96 ID:3+pD+bLQo
例えば――通常、水は安くダイヤは高い。水は低価値でダイヤは高価値だ。

だが、それが砂漠では、安いはずの水が高価値に、高いはずのダイヤは何の役にも立たない低価値な代物となる。

環境や条件が変われば、人や物の持つ価値なんてのは容易に揺れるのである。

もしかしたら、百合よりも雑草の方が価値の高い世界があるのかも知れないのだ。

「お前が、今すべきこと。それは、ファンの皆に――いや違うな、“お前自身に価値を見出してくれる人”に、
 どんな形でも全力で応えることだ。そうすれば、巡り巡って自分に返ってくる」

環境や条件が変わっても、価値の左右されない存在となって、返ってくる。

「全力で……」

凛は自らの白黒写真から目を離さず、長い間、じっと考え込んだ。

662: 2015/08/10(月) 20:38:54.70 ID:3+pD+bLQo

二日後。

きりきりと胃が痛むPに面倒なこと――しかし当然の事象――が降り掛かる。

校内、クラス内での騒動には広がらなかったとはいえ、発売後即座に高校の生活指導室から連絡が入ったのだ。

凛の出勤風景とは真逆の方向へ、Pがモノレールの橋脚に沿って走っている。

凛そしてまゆみとあづさの通う高校の門を駆け抜け、事務所で手続きをし、指導室へ入る。

そこには既に、渦中の三人とその両親、三角眼鏡を掛けた初老の女性教諭が揃っていた。

663: 2015/08/10(月) 20:39:23.72 ID:3+pD+bLQo
「この度はご迷惑、ご心配をお掛けしまして申し訳ございません」

入室一番、Pが担当教諭に頭を下げた。

「ちょっと困るんですよねぇ。CGプロさん、でしたっけ?
 我が校の生徒をこう唆―そそのか―してもらってはねぇ」

「大変申し訳ありません」

唆すとは、風評被害・言いがかりもいいところだが、今のPは平身低頭謝ることしか道はない。

664: 2015/08/10(月) 20:39:58.00 ID:3+pD+bLQo
「確かに我が校はねぇ、自主・自立が校訓ですよ。でもそれは生徒を信頼してこそ成り立つものです」

そして週刊誌の表紙をパンパンと叩いて続ける。

「――信頼する生徒にこのような犯罪紛いのことをされては、前提が崩れるんですよ」

その厭味たらしい言葉に、まゆみとあづさ、凛は身体を硬くした。

凛には昨今の出席率低下、まゆみには日頃の受業態度について快く思っていないことの顕れだった。

あづさに対しては、生徒会員が何たる体たらくかと云う失望が込められている。

665: 2015/08/10(月) 20:40:30.46 ID:3+pD+bLQo
それら不満は、Pが全て身代わりにならなければならない。

「一点だけ弁護させてください。この写真は落とした携帯を拾った際のもので、
 決してやましいシーンではなく、彼女たちに何も落ち度は――」

「黙らっしゃい! 実態や真実がどうであろうとも、このような絵面が世に出た事実は変わらんのですよ!」

指導教諭がヒステリックに叫んだ。

ただの言いがかりに近い苦言だとしても、一部には正論も混じっているから尚のこと性質が悪い。

666: 2015/08/10(月) 20:41:00.07 ID:3+pD+bLQo
「だいたいねぇ、こんな年端も行かない高校生を、アイドルとか云う性奴隷に従事させるとは何たる了簡ですか。
 いい大人が恥を知りなさい!」

教諭の言葉はどんどんヒートアップし、一部に聞き捨てならない単語が出てきた。

これにはPも反論を禁じ得ない。

『性奴隷』などとは――ひたすら叱責に耐えようと決めてきたのを覆さなければならない。

他ならぬ凛の尊厳のために。

667: 2015/08/10(月) 20:41:32.72 ID:3+pD+bLQo
「お待ちください。アイドルは決して性奴隷ではございません。それはここにいる渋谷凛さんをはじめ、
 幾多関わる物たちを最大級に侮蔑する発言です。その言葉だけはご撤回頂かないと、承服致しかねます」

「たとえ性奴隷でなくとも欲望に塗れたくだらない産業であることに変わりないでしょう!」

Pは、その言葉はひとまず無視し、話題を元に戻した。

「この度、一般人たる、まゆみさんとあづささんを巻き込んでしまったのは、完全にこちらの落ち度です。
 その点に関しましては、お詫びしてもお詫びし切れるものではありません」

申し訳ない、とPは二人とその両親を向いて頭を下げた。

「えっ、あ、いや、いーんだけどよ……しゃーねーし、元はあたしが乱暴だったせいだし」

まゆみが面喰らって、別に個人情報抜かれたわけでもねーしな、と両手を振る。

「……こんな編集をされるとなると、いくら気をつけても防ぎようがないしね。運が悪かったとしか……」

あづさも困惑顔で頬を掻いた。

668: 2015/08/10(月) 20:42:13.26 ID:3+pD+bLQo
Pは再度教諭へ向き直って、顎を引いた。

「しかしこちらの渋谷凛さんは既に芸能人であり、いづれこうなるだろうことは予見されて然るべきでした。
 見通しの甘さは、ひとえに我々CGプロダクションの責です」

ほら見ろ、と云う色の表情をした教諭へ、さらに告げる。

「渋谷凛さんにとって今回のことは、もはや不可抗力です。彼女を責める言葉は、
 本来は出版社や低俗なカメラマンに向けられるべきです。
 彼らの巧妙な手口によって、それは不可能ですが……」

「ですから、くだらないことをしている所為でその罰が当たったのでしょう!」

Pは、視界の端に凛が顔を歪めるのを見た。今の彼女は、存在そのものが否定されているに等しい。

669: 2015/08/10(月) 20:42:44.35 ID:3+pD+bLQo
Pは凛をかばうように立ち、懐から写真を複数枚取り出して教諭に渡した。

「先生はくだらないと仰りますが、彼女は多くの人々を笑顔にしてきました」

サマーフェスでの、凛のステージとその観客を写したものだった。

どの写真にも、溢れんばかりの光り輝く無数の笑顔があった。

「昨今の暗い時代に於いて、このように、自分以外の人間をここまで幸せにできる渋谷凛さんを――
 自校生徒を『誇り』ではなく、『くだらない』と仰りますか」

「わたくしは生徒自身ではなくアイドルという訳の判らぬ業種に対してくだらないと云っています!」

670: 2015/08/10(月) 20:43:12.50 ID:3+pD+bLQo
「自らの知見の及ばない範囲を、くだらないという一言で片付けてしまうことこそ、くだらないと思いませんか。
 自らの知見の狭さを、渋谷凛という一個人に全て被せて、顔を背けているだけの状態を、
 果たして教育者として胸を張れますか」

「論点のすり替えはやめなさい! 現にそこの渋谷凛がアイドルなどと云うくだらないものとなったがために、
 我が校の生徒が今回のような事態に遭っているのです!」

「ですからその責は我々大人にあり、彼女自身は他人を笑顔にできるのだと――」

顔を真っ赤にして口角泡を飛ばす教諭に、凛を精一杯守ろうとするP。

しかし。

「もうやめて!」

671: 2015/08/10(月) 20:43:40.91 ID:3+pD+bLQo
凛の力一杯の叫びで、場は一切の静寂に包まれた。

誰も動かない。いや、動けない。

「ごめん、プロデューサー。ありがとう。嬉しかった」

どれくらい時間が経っただろうか、凛が床を見詰めながら、肩を震わせた。

「でも――もういい。私、この学校辞める。越堀へ行く」

「ちょっおま、凛、マジかよ!?」

越堀のことを初めて耳にしたまゆみが、凛の肩を掴んで訊いた。あづさは驚きのあまり口に手を当てている。

672: 2015/08/10(月) 20:44:18.80 ID:3+pD+bLQo
「……うん。元々そう云う話はぼちぼち出てたし、ほぼ自分の中では意思を固めてたんだ」

このまま私がここにいたら、まゆみやあづさに迷惑がかかっちゃうから。

凛は力なく笑って、小さく、そう呟いた。

なぜ二人がこんなことに巻き込まれなければならなかったのか?

私がアイドルになったから、まゆみもあづさも狙われる運命から逃げられなくなったのか?

変化を望んだ私がいけなかったのだろうか?

答えのない疑問が、凛の頭をぐるぐると巡る。

673: 2015/08/10(月) 20:44:44.63 ID:3+pD+bLQo
「いや……今回のことって、結局は素行のよくないあたしのせいなんだろ?」

まゆみの“所為”では決してないが、まゆみを出汁に使われたのは事実だ。

「これ、あたしが身を退いた方がいいんじゃね? その方が色々ラクなんじゃね?」

凛の友人ではなく、ただの1クラスメイト――または、完全な他人――となること。

「そんなの絶対ダメだよ!」

凛は気色ばんだ。

674: 2015/08/10(月) 20:45:11.22 ID:3+pD+bLQo
「まゆみとあづさとは長い付き合いだもん。友達でなくなるなんて、絶対厭だ」

二人を守るために。

かけがえのない友人たちを守るために、越堀へ移る。

これが、私の、全力の応え。

「離れることになるけど……アイドルとして、もっと上へ登り詰める。それこそが、二人への恩返し」

凛の決意は、固かった。

675: 2015/08/10(月) 20:45:39.22 ID:3+pD+bLQo
幸い越堀の芸能科に欠員があったので、編入試験を経れば三学期から問題なく通えるだろう。

ごたごたを収束させる決断を下し、
Pと凛そして凛の両親は、巻き込まれた二人とその両親に、迷惑を掛けたことを謝罪した。

特にまゆみの家族は、見た目からよく勘違いされる我が子と仲の良かった凛に対し、
咎めることなどなく、お互い感謝し合い、そして詫び合った。

あづさも、

「凛が考えて考えて、考えて出した結論なら、反対しない。背中を叩いて送り出してあげる」

そう云って、凛の更なる飛躍を嬉しそうに、しかしそれでいて別れを寂しがるように、小さく笑った。

何かを得るためには、何かを棄てなければならないのだろうか――

年末年始の仕事の合間を縫って、編入試験を受ける為に中野坂上の街を歩く凛の心を、出口のない問いが覆った。

676: 2015/08/10(月) 20:46:22.12 ID:3+pD+bLQo



・・・・・・・・・・・・


二月という存在は不思議なものだ。

普段より少ない日数の勤務で同じ労働対価が入手できることを喜ぶか。

次の月末報告書を出すまでの猶予が他の月より数日短いことを嘆くか。

特異的に短い月、まもなく立春。それを過ぎれば暦の上では春だ。

とはいえ実際の気候は懸け離れていて、本日もPはスーツの上にコートが欠かせない。

677: 2015/08/10(月) 20:47:28.31 ID:3+pD+bLQo
麻布十番の駅を降り、地上へ出ると、抜けるような快晴の空と肌を刺す寒風が出迎えた。

青空が広がること自体は歓迎すべきとはいえ、放射冷却で朝方の冷え込みが厳しいのは身体に凍みる。

気が早くも今年の桜開花予想が発表され、例年よりも遅咲きのようだと、朝の天気コーナーで話題になっていた。

肩を丸めて、CGプロ社屋まで歩いていると、背中にぽん、と軽く叩かれる感触があった。

「おはよ」

担当アイドル、凛である。

678: 2015/08/10(月) 20:48:21.94 ID:3+pD+bLQo
今日の彼女は、午前中に軽いインタビューを受けてから、登校する手筈だ。

冬将軍が猛威を振るう中、目の前の女子高生は若さ故か、冷えた空気に生足を惜しげもなく曝していた。

上半身には厚手のコートを羽織っているので、若干ちぐはぐな印象を禁じ得ない。

「なにをそんな縮こまって歩いてるの?」

「凛は元気だな、俺はようやくの思いで布団から這い出るのがやっとだ」

「はぁ。私だって朝の満員電車に揺られて出勤するのは億劫なんだからね」

前までの中央線よりは断然マシだけど、と笑って、Pを追い抜いていく。

679: 2015/08/10(月) 20:48:52.20 ID:3+pD+bLQo
凛は越堀への転校を機に、笹塚の女子寮へと移ることになった。

その方が中野坂上への通学にも、麻布十番への通勤にも、労力を減らせるためだ。

なによりも年末の件で、自分の意思とは無関係に周りの人を巻き込んでしまうことを知った凛は、
自ら実家から離れることを決めた。

無論、家族と云う身内なら、身体を張って巻き込まれるのも吝―やぶさ―かでなかろう。

だがパパラッチのみならず、ファンが押し掛けて花屋を営業しづらくなったりするのは、
実家にとっても、そしてファン自身にとっても良い結果にはなるまい。

卯月や未央のような一般的家庭とは、前提条件が違うのだった。

680: 2015/08/10(月) 20:49:29.77 ID:3+pD+bLQo
だから、転校や引っ越しは、彼女の納得尽くではあるのだが。

それでも、凛はPの想像以上に、朗らかな笑みを絶やさない。

齢十六の少女がこのような状況に置かれ、ホームシックになったり、旧友を懐かしまないことなど有り得ようか。

Pがぼんやり思案しながら制作部の扉を開けようとしたところで、背後からちひろが呼び止めた。

681: 2015/08/10(月) 20:50:01.63 ID:3+pD+bLQo

「CDデビュー?」

制作部のデスクに詰めたプロデューサー三人が、ちひろから渡されたFAXを覗き込んで、表題を呟いた。

CGプロが上々の発展を見せ、出家鵺の手掛けるCGプロ系コンテンツも手堅いことから、
更なるてこ入れとして、磐梯南無粉が大手レコード会社を斡旋してきたのだ。

その社名を見た途端、三人全員が、驚きのあまり言葉を失った。

『ジヤパン哥倫―コロム―』

我が国最古のレコード会社であり、その由緒は、
拗音が商業登記に使えなかった時代の名残を今なお脈々と受け継いでいることからも明らかだ。

682: 2015/08/10(月) 20:50:32.10 ID:3+pD+bLQo
磐梯南無粉は傘下にランチスと云うレコード会社を抱えているが、そこを推してこなかったのは、
CGプロをリスペクトし独自性を保つよう心掛けている、とのメッセージだろう。

いづれにせよ、磐梯南無粉が紹介したのは、ツニーミュージックやワーニャーなどと並び、
最も有名な巨大レーベルのひとつだった。

現在のCGプロには釣り合わないほどの相手だが――
これはもともと伝通や磐梯南無粉、出家鵺だってそうだったから、今や慣れっこになりつつある。

順応とは斯くも恐ろしい。

683: 2015/08/10(月) 20:51:07.51 ID:3+pD+bLQo
ただし、その力関係を示すかの如く、先方から
『この子のCDを出したい』と云う要望とともにリストが添えられている。

第一課―クール―から第三課―パッション―まで、満遍なく挙げられているのは向こうなりの配慮だろうか。

「ここから先は、折衝が必要になるだろうな。ちひろさん、先方へ連絡してください」

「ええ、すぐに」

ちひろが自部署へ戻ってから、ジヤパン哥倫の担当者である粕谷との接触まで、さほど時間はかからなかった。

と云うよりも、承諾の連絡をして間もなく、フットワークの軽い粕谷が
ひょいっと散歩でもするかのようにやってきたのだ。

ジヤパン哥倫のオフィスと麻布十番は、直線にして1キロあまりしか離れていない。

この件でも、麻布十番の立地至便をPたちは実感した。

684: 2015/08/10(月) 20:51:52.77 ID:3+pD+bLQo
「いやーこの度は早速ありがとうございます。岩原さんからの紹介でよかったです」

粕谷が社屋二階の応接室で、プロデューサー陣三人と握手を交わした。

「いえ、こちらこそジヤパン哥倫さんからソフト化のご提案を頂きまして光栄です」

代表して返礼したPに、粕谷が大きな声で笑う。

「CGプロさんは現在飛ぶ鳥を落とす勢いの注目株ですからね、
もう既に他社に出し抜かれているんじゃないかって心配していたんですよ」

調子良くおどける素振りを見せた。

685: 2015/08/10(月) 20:52:28.04 ID:3+pD+bLQo
「――とはいえ我々も既に765さんのアイドル展開をお手伝いさせてもらっていますし、
 その点に関しては他社よりノウハウがありますので、CGプロさんのお力になれると確信しています」

非常に心強い言葉だ。

765のソフトは、音楽も映像も、軒並みジヤパン哥倫が担当していた。

無論それはパッケージ化の実作業のみならず、セールスプロモーション等も含めてのトータルサポートだ。

765単体には大量のAランクアイドルと云うリソースはあるが、
モノとして世に出すにはジヤパン哥倫の力が絶対に必要だった。

つまり、それだけジヤパン哥倫には現場の対応やPRアドバイスなどの経験が豊富だし、
そしてそれを即座にCGプロにも反映できる柔軟さを持っていると云える。

CGプロにとってこれほど心強いビジネスパートナーは、そうそうあるまい。

686: 2015/08/10(月) 20:52:59.10 ID:3+pD+bLQo
「頂いた候補リストは既に拝見しました。ご存知とは思いますが、
 我々はクール・キュート・パッションと属性を三つに分けて展開しております」

「ええ、承知しています。その展開の妙や幅広さも気に入っていまして」

比較的ばらけるようにチョイスしたつもりです、と粕谷は胸を張った。

「ジヤパン哥倫としては基本的に五作品単位で展開できればと思っていまして、まずはこの子を――」

687: 2015/08/10(月) 20:53:32.62 ID:3+pD+bLQo

「CDデビュー!?」

本日の授業を終え、朝方ぶりに再度顔を合わせた凛が、Pの言葉に目を丸くした。

「そ。ひとまず切り込み隊長的にな。もちろん第二課と第三課にも話がいってる」

第一課の打ち合わせ室に、Pとクールアイドルが二人集まっている。

凛と、そして先の晩秋にスカウトされモデルから転身した高垣楓だ。

688: 2015/08/10(月) 20:54:08.43 ID:3+pD+bLQo
「つまり、第一課―うち―からは私と楓さん、ってことだよね、多分」

凛が、この場にいることの意味をすぐに察している。

高垣楓は活動を開始して三箇月ほどしか経っていないが、その独特のミステリアスさに加え
“二五歳児”と形容される茶目っ気さで、人気を徐々に上げていた。

前職の経験値を活かし、この短期間でDランクを視野に入れている豪腕である。

第一課としては、凛も納得の人選だった。

689: 2015/08/10(月) 20:54:56.62 ID:3+pD+bLQo
「ジヤパン哥倫……こんな有名なところからCDデビュー……すごいね。なんか一気に階段を上がっちゃう気分」

凛の興奮もうべなるかな。

これまでライブ会場や都内レコード店等で自身の歌を収録したCDを売ってきたが、
それはCGプロのインディーに過ぎなかった。もちろん、一般流通になど乗らない。

全国津々浦々に行き渡る、いわゆる『メジャー』からのリリースというのは、
同じ音楽媒体でも全く意味が異なることを、しっかり認識しているのだ。

「で、勿論、きちんと作曲家や作詞家を用意してもらうから、挨拶回りが予定表にねじ込まれるぞ」

ちょっとスケがきつめになるかも知れん、と手帖に目を落とすPに凛が問う。

「あ、作るのプロデューサーじゃないんだ?」

「そりゃーなぁ。こんな規模だと俺が適当に作るわけにはいかんだろ」

690: 2015/08/10(月) 20:55:28.29 ID:3+pD+bLQo
餅は餅屋。たとえ杵柄を昔取っていたとしても、現在第一線に立つ人と比べるのはおこがましいにもほどがある。

「二人分ともに、磐梯南無粉さんが便宜を図ってくれるみたいだから、俺も楽しみだ」

リッチレーサーの小久保さんかな? エースウォンバットの串西さんかな? と妄想の世界に入り込む。

「ほら、いつまでもトリップしてないで。私、今日これからイベントMCの仕事でしょ?」

思考が飛ぶPに、凛はやれやれと云った様子で「車出してよ」と突っつく。

楓はその様子をみて笑い、

「じゃあ私は、そろそろ上の階でレッスンですね。今日は聖さんの特訓があるようなので、
 今から心臓がドックンドックンいってます…………ふふふ」

ぽかんとする二人を置き去りにして、ゆっくりと第一課を出て行った。

691: 2015/08/10(月) 20:55:59.26 ID:3+pD+bLQo


――

しばらくはCD関連の用事が多く、凛は忙しかった。

作曲家への挨拶、方向性の打ち合わせと確認、プロモーション方法等々、
レギュラー業務や学校の合間に入れられたスケジュールを、慌ただしくこなす。

CGプロの勢いを逃したくないジヤパン哥倫の意向で、リリースを急ぐことも、忙しさに拍車をかけた。

作曲家から上がってきたラフの段階で音取りを始めてしまうとか、振り付けの見当をつけてしまうとか、
とにかく先へ先へ進めようと皆が奮闘している。

緊急時にとりあえず行けるところまで行かせてしまう京急みたいだな、とPは自らの部署を見て思った。

692: 2015/08/10(月) 20:57:10.39 ID:3+pD+bLQo
目まぐるしい平日を終え、土曜日。

凛はようやく腰を据えてレッスンできる環境を得た。

この日は卯月、未央と一緒に練習できる久しぶりの機会だ。

「新社屋に移ってから、あまり一緒にならなくなっちゃったね」

小休憩中に凛がスタジオで肩を竦めると、卯月も未央も「ちょっと寂しいね」と苦笑した。

全てが一フロアにまとまっていた旧事務所とは異なり、
課として三つに分けられたことで交わる機会が少なくなってしまっていた。

693: 2015/08/10(月) 20:57:41.71 ID:3+pD+bLQo
二人とも凛同様ぼちぼち軌道に乗りつつあり、平日は忙しそうにしているのも理由としてある。

ちひろとも離れてしまったし、寂しくないと云えば、それは嘘になる。

しかし忙しいことは本来喜ばしいのだ、三人はそう云って笑い合った。

十箇月前から比べれば、今の多忙ぶりには感謝しなければならない。

「私たちはニュージェネレーションなんだし、たまには課の壁を越えてお邪魔してもいいかもね」

「そうだね、卯月。これからは暇を見つけたら第二課や第三課を覗いてみようかな?」

694: 2015/08/10(月) 20:58:23.91 ID:3+pD+bLQo
「まーでも最近は特にしぶりんが忙しそうだよねー。見かけると必ずバタバタしてるし」

未央が首に掛けたタオルで頬の汗を拭いながら笑った。

「ここしばらく、作曲の人への挨拶とか、ジヤパン哥倫での打ち合わせとかがあったから――」

「ジヤパン哥倫??」

未央が鸚鵡返しに、不思議そうな顔をした。

695: 2015/08/10(月) 20:58:52.25 ID:3+pD+bLQo
「うん。……あれ? 未央は打ち合わせはジヤパン哥倫でやらなかったの? 
 忙しいとかで担当の横浜さんがこっちに来てくれたりとかしたんだ?」

「ん~~? なにが?」

「え、だって未央と卯月もCDデビューするんでしょ?」

凛が嬉しそうに問うと、二人は至極不思議そうな、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした。

「ううん? そんな話は出てないよ?」

「えっ……?」

凛は口元は笑んだまま、瞠目して固まった。

「……え? え? う、嘘……冗談でしょ?」

696: 2015/08/10(月) 20:59:24.53 ID:3+pD+bLQo
卯月がピンと来たのか、わくわくした様子で身体を寄せる。

「ジヤパン哥倫ってことは、もしかしてメジャーデビューするの!? すごいよ凛ちゃん!」

「おおお? しぶりんマジ? メジャー行きおめでとっ!」

凛のCDデビューを我がことのように喜ぶ二人に対して、当の本人である凛は、混乱していた。

てっきり、第二課から卯月、第三課から未央が選ばれるとばかり思って疑わなかったためだ。

当然だろう。

この三人はCGプロのパイオニア、ニュージェネレーションを構成するメンバーなのだから。

697: 2015/08/10(月) 20:59:58.35 ID:3+pD+bLQo
CMに1カットだけお情けで出してもらったのとは訳が違う。

今回は、CGプロのアイドルたちがそれぞれ主役となる作品群である。

ニュージェネの三人がトップバッターにならなくてどうするのだ。

だが――どうやら上層部の判断は違ったらしい。

「あ、ありがとう。……私、頑張るね」

凛はそう返すのがやっとだった。

698: 2015/08/10(月) 21:00:28.07 ID:3+pD+bLQo

大きな音を立てて、第一課のドアが開いた。

新しいからびくともしないが、もし旧事務所だったらまたネジが歪んだことだろう。

それほどの勢いで、凛がレッスン後の身体を上気させたまま入ってきた。

目線厳しく、Pを射抜く。

「プロデューサー、どういうこと?」

「……なにがだ?」

「とぼけないで。私が何を云いたいか判ってるんでしょ。CDのことだよ、みなまで云わせないで」

699: 2015/08/10(月) 21:01:11.65 ID:3+pD+bLQo
Pは予想通りになった、と息を一つ吐いて立ち上がった。

「あの時俺が詳細な名前を云わなかったのはこのためなんだが――」

「なんで!? なんで卯月と未央じゃないの!?」

凛はPの言葉を遮って声を荒げた。

凛としては、自分よりも地力のある卯月や未央が優先されて当然という認識があった。

だからこそ、自分がCDデビューするなら卯月と未央もきっとそうだろう、と疑わなかったのである。

700: 2015/08/10(月) 21:01:39.49 ID:3+pD+bLQo
「先方の条件なんだよ。要望リストの中に、今回はその二人が入ってなかった」

「なんで? 卯月なんか、あれほどアイドルになりたいって云ってて、
 私よりずっと前から養成所へ通ってて、私よりずっと巧く歌って踊れるのに、なんで……?」

「その真意は、ジヤパン哥倫にしか判らない」

だが――と一度大きく息を吸って、吐き出す。

「おそらく、凛……お前のルックスだと思う」

「はあっ!? そんな、そんなくだらないことで選んでるの!?」

いきり立つ凛を、Pは、あくまで予想だよ、と宥める。

701: 2015/08/10(月) 21:02:16.27 ID:3+pD+bLQo
「例えば、その子の人となりと云うのは話してみなければ判らないし、
 歌唱力も、ダンスのスキルも、実際に演ってみなければ伝えることが出来ないだろ?」

「それは……確かにそうだけど」

「その点、ビジュアルってのは、何もしなくても伝えられる。……いや、“伝わる”。
 何をせずとも――極端に云えば突っ立っているだけでも、勝手にな」

生まれ持った要素に左右され翻弄されるのが堪らなくむず痒くて、凛は両手を強く握って、振り下ろした。

「見掛けで判断するなって、いつも云うのは大人たちだよね! やってることが逆だよ! いっつもいっつも!」

「確かに、お前の云う通り、人を外見だけで判断してはいけない。その意見は至極真っ当で正しい。
 しかし、人に対する印象の、第一の入口もまた、外見なんだ」

哀しいことにな、とPはとても苦い顔で呻く。

凛は、その表情から、数箇月前の激写騒動を思い出した。胸を、ぎゅっと右手で押さえる。

「非道いよ、酷いよこんなのって……」

702: 2015/08/10(月) 21:02:55.00 ID:3+pD+bLQo
「最初の打ち合わせの席で、銅も鏷も、当然イの一番にリスト外の卯月と未央を推薦したんだ」

だが粕谷の反応はにべもなかった。リストの中からお願いしたい、と。

「ジヤパン哥倫で出す以上、意向は汲まなきゃならない」

これが、今のCGプロの力関係なのだ。

しばしの静寂が場を支配する。

この日、第一課のアイドルが皆仕事か帰宅済みで会社にいなかったのは、一種幸いだった。

ややあって、Pが静かに口を開いた。

「……なぁ、凛。世の中には、正攻法では動かせない強大な力と云うものがある」

象に挑む蟻のように。

「だから、別の考え方をしよう。
 今回のデビューで、凛をはじめ第一弾のメンバーがいい成績を残せたら――きっと、次回以降に弾みがつく」

703: 2015/08/10(月) 21:03:23.50 ID:3+pD+bLQo
「頑張ったところで、次回が本当にあるの? 約束されてるの?」

凛が哀しそうに問うた。

「判らん。だが、いい成績を遺せなかったら……確実に次回は遠のく」

卯月たちのために、今、凛がやるべきこと――
それは、自らのCDデビューを成功させる、この一点に尽きるのだ。

Pだけでなく銅も鏷も、リストに挙がったアイドルの中からどの布陣にすれば、
最も力を発揮し数字を残すことができるかに腐心している。

第一課はすんなり決まったが、第二課・第三課は侃々諤々と意見を煮詰めているところだ。

704: 2015/08/10(月) 21:03:51.25 ID:3+pD+bLQo
「……わかった」

凛は眼を閉じて、静かに一言だけ発した。

そして何回か深呼吸を重ねたのち、瞼を上げ、Pを力強く見据えた。

碧い瞳の奥に、猛烈な焔が燃え盛っている。

――私の役目。次の展開を引き寄せて、そして卯月たちにバトンを渡すこと。

「私、きっと成功させる。絶対に……!」

705: 2015/08/10(月) 21:04:29.63 ID:3+pD+bLQo


――

ジヤパン哥倫は、やはり会社規模ゆえだろうか、決断を下すのにやや時間のかかる組織だった。

「CDリリースを急ぎたい」と云う言葉とは裏腹に、最終決定までは半月ほどを要した。

無事に発売スケジュールを世に出すことができたのは二月も下旬に差し掛かった頃。

CGプロを初っ端からやきもきさせてくれたが、まずは一安心だ。

勿論、本決定されていない間にも作業を進めなくてはならないから、
もし鶴の一声で覆ったらどうしようか……と云う、現場の恐怖感は相当のものであっただろう。

Xデーは、2012年4月18日。

この日が、凛、そして同時発売の双葉杏、三村かな子、高垣楓、城ヶ崎莉嘉にとっての、
ひいてはCGプロ所属アイドルの、運命の分かれ道となる。

706: 2015/08/10(月) 21:04:56.75 ID:3+pD+bLQo

ジヤパン哥倫とCGプロの連名で発表されたニュースは反響は凄まじく、CGプロ社内はてんやわんやだった。

フェス等ので活躍も含め、これまでも出家鵺プラットフォームで展開などをしてきたCGプロだが――

それでも完全にメジャーなわけではなく、注目こそあれ、
まだ海のものとも山のものともつかない状態だったと云えよう。

それが、ここへきてジヤパン哥倫の出動である。

磐梯南無粉とジヤパン哥倫が使っている――

これがもたらす安心感と云うものは、どんな業種の企業にとっても重要な要素だった。

経済活動ほど保守的なものはないからだ。

707: 2015/08/10(月) 21:05:28.17 ID:3+pD+bLQo
雪崩を打ったかの如く、各ジャンルの企業からオファーが飛躍的に増えた。

出版社からは、写真集の企画や子供向け漫画雑誌のタイアップ。

放送局からは、キー局への番組出演やドキュメンタリー取材依頼。

各企業からは、伝通を経由してCMに使わせてほしいと引っ張りだこだ。

「ちょっと待ってくれ、俺の身体は一つしかねえんだ」

第一課のアイドルに舞い込む依頼案件を捌くPは、どうにもならない独り言を零しながら、
今年の正月はもっとたっぷり休んでおくべきだったと大絶賛後悔中だ。

708: 2015/08/10(月) 21:05:55.52 ID:3+pD+bLQo
書類さばきも重要だが、それよりも、二箇月後に迫ったCDリリースを成功させなければ全て水泡に帰す。

「CDに専念できりゃなあ……」

第一課を全て切り盛りしなければならないPにとって、それはまさしく夢物語。

事務机へ突っ伏し、口からエクトプラズムを吐き出していると、ドアが開いた。

授業を終えた凛がすたすたと入ってくる。

709: 2015/08/10(月) 21:06:28.53 ID:3+pD+bLQo
「おはようございま……何やってるのプロデューサー」

「やること多くて頭がパンクしそうだ……」

消し炭になっているPを見て、凛は腰に手を当て呆れ顔だ。

「もう、しっかりしてよね。プロデューサーしかいなんだから、第一課―うち―を引率するのはさ」

「判らいでか。しっかり考えてるからこんな状態になってるんだよ」

710: 2015/08/10(月) 21:07:07.80 ID:3+pD+bLQo
頭の中で大きなウェイトを占めているのは、やはりCDリリースの件。

流通等納品日から逆算すると、三月最終週の頭、26日にはマスターテープを工場へ出さなければならない。

つまり猶予はあと一箇月しかない。

第一課だけでも凛と楓、二つ分の大プロジェクトを進行管理しなければならないのにこの残時間は極めて厳しい。

それぞれの期限からどんどん逆算すれば、どれほど切迫しているかよくわかる。

五作品分を整形・ミキシング・マスタリングを施して工場へ出せるまでにかかる時間は、
レコーディング後約一週間。――つまり作業開始日は20日前後。

レコーディングには予備日含めスタジオを二日間押さえるから、
ちょうど第三週末に当たる17日と18日に割り振ることになるだろう。

711: 2015/08/10(月) 21:07:35.42 ID:3+pD+bLQo
そのレコーディングのためには、凛と楓の音取りやメロディラインの習熟にやはり一週間欲しい。

となると、全体構造を固定してゴーサインを出せる状態のオケは、最悪でも再来週、
3月10日あたりには上がっていなければならない。

各種作業にかなりの無理を強いる極道スケジュールでこうなのだ。

本当のことを云えば月末にはもうオケが欲しい。

だと云うのに、特に楓の曲の方は、オケを生録したいという不穏な要望が作家側から上がっていると聞く。

オケを生録するには、コンピュータで全てを完結させてしまう方法よりも格段に時間がかかる。

712: 2015/08/10(月) 21:08:02.30 ID:3+pD+bLQo
楓→凛の順番で、プロジェクトをこなしていければまだいけそうだが――

「まあ無理だよな」

これまでのラフを聴いた限りでは、凛のオケの方が早く上がりそうだ。

凛の頑張りに期待して、さっさと彼女の分だけでも終わらせてしまうべきか。

「……プロジェクト初っ端から始終逝っとけダイヤってのはキツイな」

この年端もゆかぬ少女に、おんぶにだっことは、情けない大人たちである。

713: 2015/08/10(月) 21:08:58.04 ID:3+pD+bLQo
凛は聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「なにそれ?」

「んー、今とにかく進められるところまで進んじまおう……って感じだな」

あまりにも場当たり的な進行方法に、凛は眉をひそめた。

「できれば事前にしっかりスケジュール決まっておいてくれた方が嬉しいんだけど……」

「そりゃごもっともだ。俺だってそうだよ。けど、こればっかりは俺だけじゃどうにもならないんだよな」

714: 2015/08/10(月) 21:09:25.92 ID:3+pD+bLQo
今までPが内製していたときとは違い、制作に色々な会社、色々な人物が絡んでいる。

調整役として、各担当者の尻を叩くのがせいぜい。

もし今後この制作方法がCGプロ内で主流になるなら……

調整の齟齬で涙を呑む事態が多発することになるかも知れない、とPは危機感を募らせている。

「まあ、そのぶん私が頑張ればいいんでしょ。そのために越堀へ移ったんだし」

「すまんな。お互いバタバタしてきてるが宜しく頼む」

「うん。なんだかスクラムを組んでるような感じがあるよね」

715: 2015/08/10(月) 21:09:59.36 ID:3+pD+bLQo
これまで凛にとって作業指示などはPから下りてくる一方通行に近いものだったが、
今回の件がきっかけで二人で一緒に走っているような――互いが互いに支え合う空気を憶えつつあった。

Pは凛に期待し、凛はPに期待する。

「……ま、悪くないかな」

凛は制作部を出て、レッスンフロアへと登る階段に足を掛けながら独り言ちた。

716: 2015/08/10(月) 21:15:17.70 ID:3+pD+bLQo



・・・・・・


春が来た。

数箇月前に予測されていた通り、桜の開花前線は例年より遅めに北上している。

だが正直に云えば、桜なんかに構ってられないのが本音だ。

厳しいスケジュールをどうにかこなして、無事に予定通りの期日にCDを発売できそうだと道筋が見える頃には、
凛は既に高校二年生となっていた。

717: 2015/08/10(月) 21:15:44.88 ID:3+pD+bLQo
日頃の学業、日頃のレッスン、日頃のお仕事。

年度が変わって、ラジオの新しいレギュラーが入ったり、テレビに映る仕事もだいぶ増えてきた。

特にラジオはニュージェネ三人での生番組で、全員慣れていない為に試行錯誤が続く日々だ。

初回なんか放送事故寸前の空白が生まれたりしてしまい、スタッフをハラハラさせた。

レッスンの方は、マスタートレーナー青木麗の合流がようやく叶い、
青木四姉妹の強力なトレーニング体制が固められた。

ちなみにこれを最も喜んだのは、麗の元プロデューサーであった社長だ。

元トップアイドルたる麗のレッスンは、厳しいながらも楽しく、とてもためになるものだった。

それら沢山のやるべきことをこなしているうち、Pも凛も、
気がついたら桜が咲いていて気がついたら散っていた、という状態だ。

718: 2015/08/10(月) 21:16:14.07 ID:3+pD+bLQo
「今年、お花見しなかったな……」

レッスンスタジオが空くのを待つ間、第一課の窓から外を見る凛が、ぽつりと呟いた。

「そうだなあ、桜自体は毎日の行き帰りで見てたが」

凛の独言を拾って、Pがキーボードを叩きながら「それじゃ花見じゃないもんな」と軽い吐息を洩らす。

麻布十番は、意外と桜の見所に事欠かない地域だ。

街路には吉野桜が多数植えられ、駅近くに花見のできる小さな公園が散見される。

少し足を伸ばせば芝公園や有栖川記念公園と云った有名なお花見スポットも。

719: 2015/08/10(月) 21:16:44.36 ID:3+pD+bLQo
又聞きながら、一部のアイドルは、スケジュールの都合をつけて近くの児童公園でささやかな花見をしたらしい。

しかし凛のみならず、制作が佳境だったCD組や、普段の仕事が忙しい卯月と未央は
そのような機会を設けることができなかった。

既にCDの収録は終えているとはいえ、各種プロモーションやライブステージ用のダンスレッスンなど、
こなすべきタスクは枚挙に暇がない。

息抜きが必要なのは誰もが判っているが、
「今はそんなことやってられない」と将来の自分から体力の前借りをしている。

今年はタイミングが悪かったと、諦めるしかあるまい。

720: 2015/08/10(月) 21:17:22.05 ID:3+pD+bLQo
「来年はお花見したいね。それとも、もっと忙しくなっててそれどころじゃない方がいいかな? ふふっ」

凛が皮算用にくつくつと肩を揺らした。

「まあどっちに転んでもいいんじゃないかね。適当に理由つけて昼間からビール呷りたいもんだ」

「うわ、ダメな大人」

他愛ない遣り取りの間に、メールの受信音が鳴った。

差出人アドレスのドメインはフジツボだ。

「お、これはこれは――」

フジツボのサマーライブフェス担当者から「今年も参加してほしい」とスケジュール確認の打診だった。

721: 2015/08/10(月) 21:17:49.66 ID:3+pD+bLQo
「プロデューサー、どうしたの?」

「サマーライブフェスからお誘いがきたぞ。今年の夏も暑くそして熱くなりそうだ」

「え? もう案内がきたの? 去年は夏に入ってからの話じゃなかったっけ」

凛の記憶の通りだ。だがそれは、枠に穴が空いたことで急遽決まったに過ぎない。

本来なら、このように数箇月前には問い合わせがくるものだ。

つまり、去年の「補欠で出してあげる」から、今年は「是非参加してくれ」に変遷したと云うこと。

722: 2015/08/10(月) 21:18:16.91 ID:3+pD+bLQo
なるほどね、と凛は満足気に笑う。

日頃の仕事内容が増えることよりも、去年経験した仕事に再度触れる際の待遇の変化こそが、
「ここまで頑張ってきたんだな」と実感しやすい。

今年は八月頭に開催とのことで、ひとまず凛のスケジュールを仮押さえした上で、メールを返信。

CD発売後に改めて詰めましょう、と云う話になった。

どこまで去年より高い場所へ昇れるか、今から折衝が楽しみだ。

723: 2015/08/10(月) 21:24:03.90 ID:3+pD+bLQo

4月18日。

いよいよ凛たちのCDが、全国津々浦々へ届けられる日がやってきた。

実際のところは、各店舗への出入荷の関係上、前日の十七日から既に市場へ出回っていたのだが、
それら『フラゲ組』の反響も含め、かなりの手応えが感じられる。

特に凛のCDに収録されているトーク冒頭の“犬のモノマネ”はファン至宝の数秒となった。

早速ネット上ではその部分のみをひたすら繰り返す『凛ちゃんのわんわんで十分間耐久』
などという訳の判らない動画が人気を博し、当人は頭を抱えている。

Pが爆笑しながら延々とその動画をリピートさせていたら、思いっきり叩かれた。

724: 2015/08/10(月) 21:25:16.36 ID:3+pD+bLQo
「権利侵害だよ著作権侵害! はい通報通報!」

「別にいいんじゃないかこれくらいは。ループしただけで何か悪意のある編集でもないし、大目に見るぞ俺は」

「私の尊厳が踏み躙られてるんだってば!」

「えー。だってこれ捏造じゃなくて実際CDに収録されてることだしなあ」

「あーもうテンパってあんなことやるんじゃなかった!」

凛はソファに顔を埋めて足をバタバタさせる。

725: 2015/08/10(月) 21:25:58.62 ID:3+pD+bLQo
いわゆる若さ故の黒歴史と云うものは誰しも持っているだろうが、
凛にとって不幸なのは、それが形として永遠に遺ることであろう。

まあきっと数年後には笑い話の種になっているはずだ。

「はぁ……まあいいや。それよりもさ、今日は、夜ヒマ?」

凛の質問に、Pは不思議そうに、しかし頷いて肯定した。

「私、レコードショップの現場を見てみたいから、連れてってよ」

726: 2015/08/10(月) 21:26:27.24 ID:3+pD+bLQo

終業後、二人は東京ミッドタウンはTATSUYA MUSIC STOREに足を運ぶ。

「あ、ほんとに置かれてる」

半ば他人事のような台詞だが――

変装して店内に入ると、アイドルコーナーの一番目立つ位置に、CGプロの五作品が特設されていた。

凛の大判ポスターが掲示され、店内BGMは凛の新曲『Never say never』のみならず、
楓の『こいかぜ』等、かなりプッシュしてくれていてありがたい。

727: 2015/08/10(月) 21:26:57.02 ID:3+pD+bLQo
他ジャンルのアルバムを探すふりをしながら遠目で様子を窺うと、
会社帰りとおぼしきスーツ姿のサラリーマンが、手に取ってレジへ持っていくのを何度となく見た。

或る人は凛だけを予め狙っていたように。

また或る人は、コーナーの前で思案して五つ全部カゴへ入れたり。

「私のCDが……売れてる……」

その光景に、凛はようやくメジャーデビューを実感した。

728: 2015/08/10(月) 21:27:27.75 ID:3+pD+bLQo
「凛」

Pが小声で呼び掛ける。

振り返った担当アイドルに、シンプルな一言。

「改めて、おめでとう」

お忍びだから表情は抑え気味でも、心の中が充分に判るほどの笑みを、凛は浮かべた。

729: 2015/08/10(月) 21:28:15.95 ID:3+pD+bLQo


――

発売翌週。

普段は腰の重いジヤパン哥倫が、珍しく俊敏に動いた。

CGプロのCD展開、その第二弾を早くも発表したのだ。

人選は順次発表してゆく、ひとまず「次も出します」と云うだけのものではあったが、
この素早い続編発表は、それだけジヤパン哥倫にとって結果が予想以上のレベルだった証左だ。

730: 2015/08/10(月) 21:28:46.87 ID:3+pD+bLQo
然もありなむ。出した五枚のシングルが、全てオリコソでトップテン内に輝いたのだから。

昨今、アイドルが注目を浴びている時代とはいえ、
シリーズを通して一気にランクインするのは前代未聞の快挙だった。

Pは賭けに勝った。凛たちの苦労が、実を結んだのだ。

凛以外の四人は既に一段階ランクが上がっているし、凛だってCランクへの上昇は当確。

次の定例ライブの動員次第だが、秒読み段階と断言して構わないだろう。

順調そうに見える凛のランクアップだが、こと765のアイドルに照らし合わせれば、
もうこの時期にはBランクになっていたと云うのだから末恐ろしい話だ。

凛は凛なりのペースで成長してくれればよい。

しかし――

731: 2015/08/10(月) 21:29:16.84 ID:3+pD+bLQo
「765とはまだまだ当たりたくないな……」

Pは、誰もいない第一課で残業しながら独り言ちる。

次のフェスに向けて詳細を詰めなければならないし、CGプロ単体で行なうライブの手配も興業部と打ち合わせる必要がある。

CDを出したら幾分か休めるかと思っていたが、そんな気配は全くなかった。

CDを出したら終わりではないのだ。

732: 2015/08/10(月) 21:29:47.22 ID:3+pD+bLQo
まもなく世間では大型連休で、法務部とか云う暦通りの連中からは浮かれた空気が漂ってくるのに。

「社内格差だ!」とでも叫びたくなる。

ただしそれを云い始めたら、P以上に暦の関係ないアイドルたちから怒られよう。

やれやれ、と坐ったままで伸びをすると、メールの着信があった。

こんな時間にジヤパン哥倫からだ。

向こうさんも、大型連休前に残業でやるべきことを片付けなければならないのだろうか。

733: 2015/08/10(月) 21:30:13.26 ID:3+pD+bLQo


――

大型連休後半、五月に入ってすぐの週末。Pと凛は午前中の便で新千歳空港へ降り立っていた。

飛行機を出た瞬間から、ひんやりと身体を包む冷気に、薄着の凛は小さく震えた。

鞄からストールを取り出し、肩に羽織って云う。

「ここ本当に五月なの? 涼しいというより……寒い」

「そりゃ北海道だからな。五月でも場合によっては最低気温が一桁まで落ちる」

「冬だよねもうそれ」

734: 2015/08/10(月) 21:30:40.94 ID:3+pD+bLQo
預けた荷物はないので返却場のターンテーブルは素通りし、札幌行きJRのホームへと向かう。

東京とはまるで違う構造の電車に、凛は驚いた。

「ドアが二重になってる……」

「そりゃ北海道だからな。扉を二つ設けないと冬は中を保温できない」

全てが雪国仕様の日常、凛はことあるごとに感銘を受けた。

「信号機が縦になってる!」「道路の端に矢印がついてる!」エトセトラ。

札幌の中心に着いてからも、大通方面へ向かって駅前通りを南下するのに
「本当に街が数字で区切られてる!」とはしゃぎっぱなしだ。

735: 2015/08/10(月) 21:31:11.69 ID:3+pD+bLQo
なぜこのような旅行紛いのことをしているのか?

札幌に二店舗あるトワーレコードで、トークイベントを開催することになったためだ。

CDが爆発的にヒットしたことで、ジヤパン哥倫から急遽、大型連休中に全国各地で発売記念トークを行なう企画を得た。

第一課は、連休前半に博多で楓が。後半はここ札幌で凛。

第二課は前半に三村かな子が大阪、後半は双葉杏が徳島へ。

そして第三課の城ヶ崎莉嘉は名古屋へ赴いている。

地方在住者にとって、中央へ出なくとも良いイベントは非常に助かるものだ。

大型連休中で外出する予定のある人も多いだろうに、
トワレコに設けられたイベントスペースは満員御礼の盛況さを誇っていた。

736: 2015/08/10(月) 21:31:37.13 ID:3+pD+bLQo

「――実は発売日にこっそり近くのお店を覗いたんだ。
 そしたら特設コーナーがあって、立ち止まってくれる人も多くて」

アイドル衣装ではないが、普段よりややお洒落をした私服で、
トークステージに腰を据える凛が、発売当時を語っている。

「やっぱり、実際に自分のCDを手に取ってレジに持って行ってくれる人を見ると嬉しくなるよね。感謝で一杯」

昨今の凛は、柔らかい笑顔が出るようになってきた。

無愛想な表情もクールではあるのだが、やはり笑顔が一番。

それが自然に出てくるならば、アイドルとして申し分ない。

ファンと質問の遣り取りをしながら小一時間ほどトークを進めてゆき、最後は勿論、締めの一曲。

サイン会も行なわれ、二店舗でのべ二百人分ほど筆を走らせた。

737: 2015/08/10(月) 21:32:06.96 ID:3+pD+bLQo

「ねえ、プロデューサー」

二箇所での仕事を終えて、帰京する時間まで札幌の街を散策するうち、凛が隣を歩くPに語り掛けた。

「大きな舞台に立つだけではなくて、こうやって小さな規模でもファンの人たちと近くで交流するのって、
 ……やっぱりいいね」

「あー、そういえば凛は最近こういうタイプの、やってなかったな」

ここ半年ほどは、ファンと直接顔を合わせるイベントは、大規模化する一方だった。

「うん。なんて云えばいいのかな……懐かしい感じがした」

大通公園でストリートパフォーマンスをする人を遠目に見ながら、凛はゆっくりと歩を進め、語った。

738: 2015/08/10(月) 21:32:33.48 ID:3+pD+bLQo
Pは正直、そこまで考えてトークイベントの企画を進めたわけではなかった。

たまたまジヤパン哥倫からの「やらない?」と云う素案を具体化し、廻しただけ。

それでも凛が、そしてファンが喜んでくれたのなら、プロデューサー冥利に尽きるというもの。

「凛さえ良ければ、この大型連休が明けてからこういう規模のイベント、いくつか企画してみるか?」

「そうだね、連休明けに――あ」

ふと、凛は自らの言葉で何かを思い出したらしい。

739: 2015/08/10(月) 21:33:02.92 ID:3+pD+bLQo
「……そっか。社長やプロデューサーにスカウトされて……もう、一年経つんだね」

流れで高校へ進学して、何の彩りもなかったときに現れた、妙なオジサン。

渋谷で当て所もなく抜け殻になっていた自分の前に現れた、妙な不審者。

740: 2015/08/10(月) 21:33:31.76 ID:3+pD+bLQo
「プロデューサーには云うまでもないだろうけどさ、私、空っぽだったんだよね――」

卯月みたいに、小さな頃からアイドルへ憧れていたわけでもない。

未央みたいに、大勢の輪の中心で笑っていたわけでもない。

「正直、私なんて、卯月と未央に比べたら……アイドルをやるきっかけって相当後ろ向きだったよね。
 何もない今よりはマシかな、って」

なのに。

「蓋を開けてみたら、のめり込んでる自分がいて笑っちゃう」

一途に走る、自らの姿に笑ってしまう。

741: 2015/08/10(月) 21:33:58.05 ID:3+pD+bLQo
「でもさ、それってプロデューサーと麗さんが教えてくれたんだよ。こんなに熱くなれるものがあるんだ、って。
 プロデューサーが私の背中を押してなかったら、ステージに立つ緊張も、スポットライトを浴びる高揚感も、
 歌う楽しさも……たくさんのことを知らないままだった」

――だから。

「――だからプロデューサー、もっともっと、次の景色を見せてよ」

今は、もっともっと、走り続けたいと思う。

742: 2015/08/10(月) 21:34:32.05 ID:3+pD+bLQo

普段はあまり自分のことを語らない凛が、珍しく饒舌だった。

それは、この一周年と云う機会を逃したら、もう伝えられないかも知れないという思いによるものか。

それとも照れ隠し故か。

Pは、口を挟むことなく、彼女の言辞に深く深く相槌を打つのみ。口へ出さなくても、凛には伝わるはずだ。

そのまま、二人はしばらく、言葉の心地良い一方通行のまま、ゆっくり歩く。

「あ」

凛が白い吹雪に気付き、ふと立ち止まると、そこには満開の桜が何株か、立っていた。

太い幹のたもとにはベンチが据えられていて、タイミングの良いことに誰もいない。

743: 2015/08/10(月) 21:34:59.51 ID:3+pD+bLQo
「……ちょっと花見でもしていくか」

ひらひらと舞う柔らかな花弁を全身に受けながら、Pは凛を振り返った。

ベンチの前に広がる大通公園は桜だけでなく様々な花が咲き誇っていて、とても彩り豊かだった。

「ゴールデンウィークに桜、って……季節感狂うね」

「そりゃ北海道だからな。こっちじゃ花見がGWの風物詩さ」

今頃、北大の構内ではお花見――をダシにした――ジンパが繰り広げられていることだろう。

Pが綿飴のように膨れる染井吉野と蝦夷山桜を見上げて笑う。

744: 2015/08/10(月) 21:35:27.86 ID:3+pD+bLQo
「ねえ、プロデューサー、もしかしてさ――」

隣に坐る凛がPの方を向いた。

言葉は続けないが、目で語り掛けてくる。

イベントを札幌の地で開催したのは、先日、花見をしなかったことを事務所で話題に出したからなんじゃ――

Pはにやりと口角を上げて「さて何のことやら」ととぼけた。答えを云っているようなものだった。

「まったく、キザったらしいことするよね。職権濫用じゃない? ふふっ」

二人はしばらく他愛ないおしゃべりをしながら、そよ風に揺れる日本人の心を、眺め続けた。

745: 2015/08/10(月) 21:37:34.25 ID:3+pD+bLQo



・・・・・・・・・・・・


2012年も、夏は暑かった。

猛暑日だの熱中症だの、テレビからは毎日同じ単語が途切れず流れている。

気温は自然の采配だし、熱中症は気をつけていても罹ってしまうものだから、仕方ないといえば仕方ないのだが。

流石にこうも連日同じ内容ばかりだと、地球の自転軸を動かして一気に冬へと気候変動させてみたくもなる。

第一課の事務スペースでそんな風にぼやくPを、凛は「また何か変なことを云い出した」と冷ややかに見ていた。

746: 2015/08/10(月) 21:38:01.98 ID:3+pD+bLQo
凛がメジャー流通にデビューして以降、無事にCD第二弾として卯月へバトンを渡すことができた。

残念ながら未央は第二弾のメンバーに入らなかったが、彼女曰く
「第三課―パッション―はみんな平均が高いからね!」と自らが所属する課の層の厚さに胸を張っていた。

ジヤパン哥倫から未だデビューせずとも、ニュージェネレーションとしての活動は
かなりの知名度を獲得することに成功しつつあるので、未央本人は至ってどっしり構えている。

彼女の剛胆さは、凛には到底真似できない、眩しいものだった。

いづれにせよ、このままいけば第三弾も出せるはずだから、その時こそ未央の力が爆発することだろう。

747: 2015/08/10(月) 21:38:31.30 ID:3+pD+bLQo
第二弾の発売が八月第二週へ迫るのと同時並行で、今年のサマーライブフェスは八月最初の週末だった。

フェスに専念できる凛と未央はともかく、二重タスクとなる卯月は相当に大変そうだった。

さほど遠くない実家から通う時間すらも惜しかったのか、本郷の第二女子寮へ入ることにしたほどだ。

CD関連の作業は一日の長がある凛が卯月をサポートし、
フェスのステージ編成に関しても、凛と未央が多めにパートを受け持つ。

「幾分か余裕のできた私が、卯月の分まで引っ張らなきゃね。駆け抜けてみせるよ」

先日、Pにそう意気込んだ凛の目線は、しっかり未来を視ていた。

748: 2015/08/10(月) 21:39:10.98 ID:3+pD+bLQo

昨年と同じく、サマーライブフェスはフジツボテレビ湾岸スタジオ内に、特設ステージを築くことで開催される。

規模や構成も、去年とほぼ変わっていなかった。大、中、小それぞれの規模でステージが設けられ、
個々のタイムスケジュールで大勢のアイドルたちが熱く盛り上げていくのだ。

いくらCGプロ所属アイドルが躍進したとはいえ、まだメインの大舞台に登る許可が得られる立場ではない。

メインステージは、やはり765や東豪寺など強大な力と高いランクを持っているところだけ。

凛とニュージェネは、去年と変わらず中規模のステージへ割り当てられた。

それでもCGプロとしては、他にもみくや楓などが別枠で出演するし、新人たちも小型ステージで披露する。

去年と比べれば、プロダクション全体の扱いは雲泥の差と云えよう。

749: 2015/08/10(月) 21:39:38.26 ID:3+pD+bLQo
本番二日前のゲネプロへ赴いたCGプロ一同が、タイミングの合った他の出演者と挨拶を交わす。

「まさかみくと隣り合って挨拶回りするようになってるとはね、一年前の私に教えたいよ」

「みくもそう思うにゃ。もし今ここに去年の自分がいたら、敵―凛チャン―と並んでるのを見て
 きっと卒倒するにゃ。人生……じゃない、猫生なにが起こるかわからないものだにゃ」

ニュージェネレーションとみくが即席の変則LIVEバトルを行なった去年のフェスは、今や業界の語り種だ。

今年はお手柔らかにお願いしますよ、とフェス事務局の担当者から苦笑いされている。

750: 2015/08/10(月) 21:40:06.69 ID:3+pD+bLQo
ふと、去年言葉を交わしたアイドルの何割かがここにいないと、凛は気付いた。

回を重ねるごとにフェスの参加アイドルは増えていて、今年は去年の倍以上が出演することとなっていたのに。

凛が引き出せる限りの記憶では、去年いたアイドルのうち、およそ五分の一ほどが、この場に姿を見せていない。

遅入りの765たちがまだ来てないのは当たり前として、ランクのあまり高くない参加者たちは早めに入るものだ。

と、云うことは。

751: 2015/08/10(月) 21:40:33.85 ID:3+pD+bLQo
「あー、あそこ解散したよ」

自身が割り当てられたステージの進行管理スタッフとは、必然的に会話が多くなり、顔も見知る。

その担当者にそれとなく訊くと、やはりと云うべきか、予想された答えが返ってきた。

中にはスケジュールの都合で参加できないグループも当然いるのだが、
アイドル業界は群雄割拠、誕生と淘汰は日常茶飯事なのだ。

毎月のように新しいアイドルまたはユニットが生まれ、また毎月のように耐え抜けなかった者が去ってゆく。

諸行無常。或いは、タイミングやつながりに見舞われなかった不幸か。

752: 2015/08/10(月) 21:41:02.28 ID:3+pD+bLQo
運も実力のうち。そう云って切り捨てるのは簡単だ。

だが――凛だって、他のCGプロアイドルだって、その立場になるかも知れなかった。

降り積もった些細な結びつきや偶然が、糸となって持続できたに過ぎない。

結局、泡沫に消えていった人々と自分は何が違ったのか。

その理由が完全に判る者など、この世にはいない。

ただ一つ判っているのは、自分はこれからもひたすら突き進むしかない、と云うことだけだ。

753: 2015/08/10(月) 21:41:31.95 ID:3+pD+bLQo

フェス初日は、雲が広がって太陽のぎらつきが抑えられた代わりに、だいぶ湿度が高かった。

やはり、できることなら快晴の空の許で演りたいと思うのはわがままではあるまい。

気温はマシかと思いきや、雲が蓋の役目をしているせいでまったく下がらない。これは自然の罠だ。

結局、温度も湿度も厳しい盛夏だった。

それでも観客の入りは上々。

いや、その表現はぬるい。去年より確実に来場者は多かった。

導線などがこなれてきた為に起こる錯覚だ。

754: 2015/08/10(月) 21:42:02.25 ID:3+pD+bLQo
「うわ~~すごい人、人、人。熱気ムンムンだねっ」

未央が控室から外の様子を窺っている。

この日の出番は午後。

現在、凛と未央が二人で自身の準備を進めているところだ。

卯月は午前にCD関係のプロモーションがあったため、後から別動で入ることになっている。

しかし、そろそろ合流しなくてはならない時間なのに、銅からの連絡がないのが気がかりだった。

755: 2015/08/10(月) 21:42:31.76 ID:3+pD+bLQo
「しまむー、大丈夫かな?」

「うーん、まだ本番まで一時間くらいあるけど、流石にそろそろ来てないとまずいかも」

「私たちができる準備はこっちで進めちゃえばいいけど、しまむーのメイクとかは私は代われないもんね~~」

「……考えたくはないけど、万一のための二人でステージに立つ場合の対処とかおさらいしておこうか」

二人が舞台の設計図面に指を滑らせ、万一の際の行動を確認していると、銅からPに連絡が入った。

「卯月ちゃんはあと三十分で来られるそうだ。かなりギリギリだから、
 俺たちが他にこなせることは全部済ませておいてしまおう」

ステージを三人構成でFIXする旨を音響担当に伝えたり、脇への待機タイミングを少し後へずらすよう要請したり。

756: 2015/08/10(月) 21:43:01.92 ID:3+pD+bLQo
じきに、卯月が大慌てで楽屋へ入ってきた。

「遅くなっちゃってごめんなさ~~い!」

肩で息をしながら、目をぎゅっと瞑って手を合わせる。

「ごめんねェ、途中で渋滞に嵌っちゃってにっちもさっちもいかないから、車を捨ててゆりかもめで来たわ!」

銅が、車を回収してくるから宜しく、とPに告げてとんぼ返りをする。

ひとまず間に合ってよかった、今は一刻も早く卯月をスタンバイへ持っていくことだ。

757: 2015/08/10(月) 21:43:29.23 ID:3+pD+bLQo
乱れた髪をセットしなおし、噴き出す汗に苦戦しながらなんとかメイクを整える。

「卯月、ダッシュでこっちへ向かってきたんだろうけど……それでステージ大丈夫?」

凛が覗き込むように問うと、未だ呼吸の落ち着かない卯月は「う、うん……がんばるね」と力なく苦笑した。

ニュージェネレーションのリーダーとしてステージ上でやるべきことも多く用意されている卯月。

CDリリースが重なって多忙を極めている卯月。

この様子ではやや心配だ。

758: 2015/08/10(月) 21:44:01.84 ID:3+pD+bLQo
Pはギリギリまで調整役として事務局と行ったり来たりしているし、
未央は転ばぬ先の備えとしてステージ脇で既に待機を済ませている。

いま、卯月の様子をチェックできるのは凛しかいない。

――私が引っ張らなきゃ。

「……卯月。ちょっといびつになるけど、こうしよう」

凛はそっと耳打ちした。

759: 2015/08/10(月) 21:44:40.89 ID:3+pD+bLQo

ニュージェネレーションと、未央、凛、卯月のソロがステージを終え、拍手と歓声が沸き起こる。

凛が卯月のサポートへ入って、ニュージェネのユニットとしての舞台はなんとかこなすことができた。

卯月にはひやりとさせられたが、失敗しなかったのは幸いだった。

しかし撤収して第一課のスペースへ戻ってきたとき、Pが凛に告げる。

「今日、あまり喝采がなかったな」

「……えっ?」

760: 2015/08/10(月) 21:45:08.72 ID:3+pD+bLQo
ステージを終えた時の歓声を、Pは聞いていなかったのだろうか?

凛がそう疑問を内心で浮かべると、Pは嘆息した。

「俺の予測値が高過ぎたと云うこともあるかも知れん。
 ……が、それを差し引いても、今回のステージで贈られた拍手は想定していたより少なかった」

今のニュージェネなら、もっと地鳴りのような大歓声が沸き上がってもおかしくない。

「それだけお客さんを満足させられなかったということだ」

「……どういう意味? 私は、私たちは精一杯のステージを見せたつもりだよ」

「あのちぐはぐな構成が精一杯なのか?」

761: 2015/08/10(月) 21:45:56.01 ID:3+pD+bLQo
ユニットの時は卯月を支えようと前面へ出て引っ張った。だが、その陰で卯月の存在感は薄れた。

逆にユニットを引っ張ろうとして、バネの瞬発力を使い切ってしまったから、凛
のソロのステージでは、いつもより少しだけ声の通りやダンスのキレが鈍かった。

その様子を収めた映像をモニタに流して、再度問う。

「――これが、精一杯のステージか?」

「……だ、だって今日は予定外の事態が」

「お前にとっては、何回、何十回、歌った曲かも知れん」

声がすぼむ凛に、Pが妙にはっきりと区切る言葉を投げた。

「でもな、お客さんの中には、今日初めてお前の歌を聴いた人がいるかも知れないんだぞ」

いつ、どこで新しいファンが増えるか判らない。偶然通り掛かって足を止めた客もいたことだろう。

762: 2015/08/10(月) 21:46:28.43 ID:3+pD+bLQo
「その人に対して、凛は胸を張れるものを出せただろうか? 俺はそうは思わない」

――お前は今日、一期一会の意識を忘れていた。

Pは、言葉を濁さずにはっきりと断言した。

凛は俯いて、どこにピントを合わせるでもなく床を眺めた。

「……だって卯月が」

やや沈黙の時間が流れ、凛がようやく声を絞り出す。

卯月がオーバーワークで大変そうだったから。

だから凛は善かれと思って卯月に助言したし、卯月をサポートしたのだ。

763: 2015/08/10(月) 21:46:58.11 ID:3+pD+bLQo
Pは軽く、もう一回嘆息した。

「それは卯月ちゃんに頼まれたか?」

「――ッ!」

「卯月ちゃんに、『無理そうだから代わってくれ』って云われたのか?」

「ち、違うけど……私はそうした方がいいって思ったから――」

凛の弁解に、Pは目を瞑って首を振った。

「つまりその判断が誤りだったってことだよな」

凛は、自らの心が、目の奥が、万力で締められるように感じた。

明日はこれまでの練習通りにな、と諭すPに、凛は何も答えず踵を返し、鞄を持って第一課を出て行った。

764: 2015/08/10(月) 21:48:26.16 ID:3+pD+bLQo

フェス二日目。

昨日の雲は太平洋高気圧に押し出され、打って変わって快晴だ。

殺人的な紫外線がお台場を襲っており、あわや猛暑日一歩手前の状態まで茹で上がっている。

そんな太陽に負けることなく、観客は逆に太陽光線で熱せられるが如く、会場は興奮が渦巻いていた。

「凛ちゃん、昨日はごめんね。私のせいでごたごたしちゃって」

控室で一足先にメイクと着替えを済ませた卯月が、凛がリップグロスを塗るのを待ってから切り出した。

765: 2015/08/10(月) 21:48:57.07 ID:3+pD+bLQo
凛が卯月を振り向く。

口を真一文字に引き、上下の唇を圧着してグロスを馴染ませている仕種は変顔となり、少しだけ面白い。

「卯月、今日はもう大丈夫そうだね」

「うん、がんばるよ!」

両手でVサインを作って掲げる。

昨日、卯月のためを思ったとはいえ、彼女の出番を潰す形になった凛に、卯月は変わらず笑顔を向けた。

766: 2015/08/10(月) 21:49:29.87 ID:3+pD+bLQo
Pに映像を見せられて、ステージで演っていた自分では気付かないほど、卯月の影が薄くなっていたと判った。

卯月だって、もっと笑顔を振りまきたかっただろうに。

凛がどう云おうか迷っている間に、ニュージェネレーションへ、ステージ脇の待機へつくよう要請が降りた。

「よーし、行こう、しまむー、しぶりん!」

昨日の分を取り戻す。言葉を呑み込んだ凛はそう気合いを入れて、スタンバイした。

767: 2015/08/10(月) 21:49:58.41 ID:3+pD+bLQo

演目を終えた凛たちに、大きな拍手と喝采が、屋上全体を揺るがすように響き渡った。

プレイバックして比べる必要がないほど、昨日とは反応が違う。

昨日も、今日も、同じくらいに熱を傾けてステージを舞ったのに。

……いや、昨日の方が情熱を注ぎ込んだと云えるかも知れない。

引っ張る為に、皆で駆け抜ける為に全力を出したのに、昨日はどうしてそれが報われなかったのか。

768: 2015/08/10(月) 21:50:30.16 ID:3+pD+bLQo
投じた熱量に比例して結果が返ってくるわけではないこの不確定さに、凛は苛ついた。

そしてその『不確定さ』とは、アイドルとしての存在そのものにも関わってくることで。

もし昨日のような“ボタンの賭け違え”がステージではなく自身に降り掛かったら。

今年見かけなかった、淘汰された側に、自分もいたのかも知れない。

そう思うと、凛は言い知れぬ不安を、底冷えする恐怖を憶えた。

769: 2015/08/10(月) 21:51:30.08 ID:3+pD+bLQo


――

夜、フェス出演者を集めて行なわれたデブリーフィングを終え、解散したのち。

明日月曜に提出しなければならない課題を、凛は営業の終了した静かなカフェテリアで独り消化していた。

『お仕事モード』の直後に『学生モード』へ切り替えなければならないのは、意外とパワーを使う。

世間は夏休みといえども、越堀高校はやや様相が異なる。

この休暇期間中に、本来授業を受けなければならなかった日を振り替えているのだ。

こうやって出席日数の辻褄を合わせるから、芸能科の雰囲気は長期休みでも普段とあまり変わりがなかった。

770: 2015/08/10(月) 21:52:07.55 ID:3+pD+bLQo
「ふぅ、数学終わり。あとは現国……」

背もたれに体重を預け、一つ嘆息した凛は、手許に転がる一口サイズの黒糖羊羹を剥いて頬張った。

『おもかげ』と書かれたそれは、黒砂糖の深い甘さと薫りが鼻へ抜け、南国のような夏の面影を思い起こさせる。

――南の島の夏。

アイドルにとって身近かと思われがちだが、実際はそうでもない。

771: 2015/08/10(月) 21:52:34.52 ID:3+pD+bLQo
アイドルとして避けられない水着姿での撮影仕事は、
既に『夏の準備特集!』などと銘打たれた複数の雑誌で経験済みだ。

だがその紙面は一般人が夏の準備をしようと云うときのために刷られるわけで、発売は当然夏本番になる前だ。

そしてその発行に間に合わせるには、撮影タイミングは晩春となる。

寒さで鳥肌が立つのを抑えるのに、相当苦労した記憶が甦る。

クーラーからそよぐ冷風で、撮影時の寒さを連想してしまい、「はっ!」と南国へ飛んでいた意識が戻った。

772: 2015/08/10(月) 21:53:00.98 ID:3+pD+bLQo
身体を起こすと、傍の廊下を、終業した社員が会釈を寄越しながら通り過ぎていくところだった。

凛も目礼を返すが、当該社員の顔に見覚えはない。

最近、社員の数がどんどん増えているので、まだ会ったことのない人が、このビルには何人もいる。

ぼーっとその姿を目で追うと、玄関へ降りるために消えていった階段から、
ふと、音楽が微かに聞こえることに気付いた。

階上のスタジオから洩れているのだろうか。

夜遅いこんな時間には、誰もレッスンを受けていないはずだ。

一体誰が。

凛は勉強道具を手早く仕舞って、リノリウムの床に靴音を響かせた。

773: 2015/08/10(月) 21:56:02.84 ID:3+pD+bLQo

階段を上ると、本来は固く閉まっているはずの重い防音扉が少し開いていた。

覗き込むと、第一ダンスレッスン室に、未だ照明が点いている。音もそこからだ。

ギターを除けば全てが電子音で構成され、拍のしっかりした、とてもグルービーなダンスミュージック。

――そんなんじゃないよ 愉しいだけ
――留まらない衝動に 従うだけ

シンセの波に、高すぎず低すぎない、すっきり芯の通った女性ボーカルが乗った。

――平坦な感動に 興味はない
――退屈な時間は 要らない

凛の知らない曲だった。こんな格好良いのに、世間を賑わせた記憶がない。

大ヒット間違いなさそうな曲だよね、と不思議に思いながらレッスン室までやってきてノブを引く。

774: 2015/08/10(月) 21:57:15.86 ID:3+pD+bLQo

Chase the Chance (1995)
https://www.youtube.com/watch?v=L88wQ8iSff0


775: 2015/08/10(月) 21:57:42.74 ID:3+pD+bLQo
「――ッ!?」

その瞬間、熱波が身体中を襲ったかのように突き抜け、飛ばされるように尻餅をついた。

腰が抜けて、動けない。

凛の見開いた視線の先では、麗が激しく踊っていた。

現代のAランクアイドルのライブでも見たことのない、キレと滑らかさ、しなやかさ、そして艶かしさ。

それは、765の星井美希ですら表現できないであろう次元の動きだった。

角度の関係で、麗は凛に気付いていない。そのまま三分ほど、自身の知らないところで凛を圧倒し続ける。

776: 2015/08/10(月) 21:58:31.16 ID:3+pD+bLQo
曲がアウトロとなり、サビのフレーズをひたすら繰り返してフェードアウトすると、ようやく疾風が止まった。

「……ふぅ」

一気に力を抜いた麗は、少し離れたところに掛けてあるタオルを取ろうと横を向く。

すぐに、入口でへたり込んでいる凛と目が合った。

「うわっ」

不意のことに驚き狼狽える麗を、凛は何もできずに見た。

777: 2015/08/10(月) 21:59:05.12 ID:3+pD+bLQo
「……あー、こほん。ひとまずだな、渋谷、ショーツが見えてるぞ」

股が開き、灰色のスカートから覘いている白いショーツを麗は指差して、自身の顔を伝う汗を拭う。

四月から正式に専属トレーナーとなり、生徒となったアイドルたちを、麗は呼び付けするようになっていた。

凛は衝撃のあまり俊敏に動けなくなった四肢をいそいそと閉じる。

その緩慢な動作に、麗は苦笑いで手を差し伸ばし、凛を引き揚げ立たせた。

778: 2015/08/10(月) 21:59:36.43 ID:3+pD+bLQo
「あ、あの……凄かったです。その……色々と」

凛は云いたいことが多過ぎて逆に収集つかず、一言しか出せなかった。

麗のレッスンはこれまで何度も受けてきたが、ここまでの動きは見たことがない。

きっと、受ける者の技量に合わせてセーブしているに過ぎなかったのだろう。

「そうか。お粗末様だったな」

「お粗末だなんて……むしろどうしてそこまでやれるのにアイドルを続けていないんですか」

現在現役で活動中のアイドル全員を、片手で捻り潰せそうな腕前なのに。

779: 2015/08/10(月) 22:00:09.87 ID:3+pD+bLQo
「私の今の役目は、後輩をしっかり育てることさ。表舞台へは、そこに相応しい者が立てばいい」

麗はそのまま水を一口飲んで、少しだけ黙り込んだ。

ややあって短く嘆息してから、やれやれと云う表情で笑みを浮かべる。

「それに、たまに身体感覚を維持する目的でしかこの動きでは踊れないよ。
 今やったレベルのパフォーマンスを四六時中保っているのは、もう無理だ」

言葉の裏に、身体の衰え――過ぎ行く時間に抗えない運命を背負っていた。

780: 2015/08/10(月) 22:00:45.24 ID:3+pD+bLQo
「それでも、凄い躍動感でした。
 今まで聞いたことのないほどクールな曲に、今まで見たことのないほどホットなダンス」

「……そうか。この曲を知らない世代が現役になったんだな……」

麗がぽつりとこぼす。凛は驚きを以て迎えた。

「えっ……今の曲って、そんなに古いものだったんですか?」

「私が中一の時に大ヒットした曲さ。95年だから、渋谷と同い年ってことだな」

781: 2015/08/10(月) 22:01:14.90 ID:3+pD+bLQo
「ウソ……17年も前の曲……? これが……?」

てっきり、最近発売されてまだ耳に入っていなかったものだと。

「たしか当時150万枚くらい売れたはずだ」

「ひゃっ、ひゃく!?」

凛が先日出したシングルとは桁が二つも違った。驚愕のあまり瞳を揺らすのを、麗は苦笑して見た。

「それだけダンスナンバーと云うものは……
 J-POPにしろアイドルソングにしろ、90年代から進化が停滞しているんだよ」

娯楽が多様化している今、魅せ方に至っては、むしろ退化しているかも知れないな――と、麗は目を細めた。

782: 2015/08/10(月) 22:01:45.94 ID:3+pD+bLQo
「さっきのダンスは当時の振り付けのまま、コピーしただけなんだ。
 私がアイドルを目指すきっかけになったやつさ」

麗はもう一口、水を飲んで、「いつか――このレベルのパフォーマンスを、現代に復活させたいね」と
やや離れた机にペットボトルを置きにいく。

それはトップアイドルの背中だった。

凛の目には、麗の向こう側に、スタジアムを埋め尽くす膨大な観客が見える。

背筋に鳥肌が立つ。

凛は、ここ数日感じている恐怖をより明確に意識した。

783: 2015/08/10(月) 22:02:16.09 ID:3+pD+bLQo
「……あの、麗さん」

「ん? どうした」

麗が振り返ると、群衆の錯覚は霧散した。

「私――怖いんです」

普段テレビとかでよく目にするトップクラスのアイドルたち。

逆に云えば、一般の人間は、それらしか知らない。

その下に、何百何千もの、アイドルを夢見、そして夢潰えた者の屍があることを、知らない。

784: 2015/08/10(月) 22:02:59.58 ID:3+pD+bLQo
「甘いことを云うようですが、業界に入って、初めて、その頂の遠さを実感しました」

自らが、さきほど錯覚に視たような、観衆によって埋め尽くされたシーンに立てるのか。

「以前は、身近に感じていたトップアイドル、それが急にとても遠くの出来事のようで……」

まるでそれは、山登り。

麓に来るまでは、頂上がどこにあるかが見える。

しかし、一度山へ踏み入れると……険しい道しか目に入らなくなる。

どこに頂上があるのか、どこまで歩けば辿り着くのか。

普通の山なら、登山道があるだけまだマシ。

アイドルと云う存在は、案内板などない、道無き道を掻き分けて、登り詰めて行かなければならないのだ。

785: 2015/08/10(月) 22:03:28.55 ID:3+pD+bLQo
「私、このままやっていけるのか……」

消え入りそうな凛とは対照的に、強くはっきり麗の声が響く。

「案ずることはないだろうさ。いつだったかも云ったように、渋谷にはP殿がいる。
 私に社長……いや、“プロデューサー”がいたようにな」

凛は、はっと顔を挙げた。

「いいか、アイドルとプロデューサーというのは、表裏一体、二人三脚、背中合わせのパートナーだ」

パートナーだからこそ背中を預けられるし、逆にパートナーだからこそ、苦言を呈したり喧嘩もする。

786: 2015/08/10(月) 22:04:02.54 ID:3+pD+bLQo
「最近、渋谷はそれをちょっと忘れ気味だったんじゃないか?」

麗が意地悪く笑って云った。

しかしその顔はすぐに慈悲深くなる。

「それに、私の頃は一人だったが、君には島村が、本田がいる。仲間がいるんだ」

「……一応判ってるつもりではいるんですが……
 仲間の為を思ったことが裏目に出てしまって、何が正解なのかよく見えないんです」

凛の自信のなさそうな答えに、麗は、ふむ、と腕を組んだ。

「やっぱり君は一人で抱え込むきらいがあるな。何かきっかけがあれば変われるのだろうが」

こればかりはレッスンでどうにかなるものではないしな――と思案顔。

787: 2015/08/10(月) 22:04:30.85 ID:3+pD+bLQo
麗の頭の中には答えがあるらしい。しかし、それを凛に伝える術がないのだ。

頭同士をケーブルでつなげられるテクノロジがあれば便利なのに。

そうすれば、頭で思ったことを自動的に文字へ起こしてくれる機械も出ることだろう。

と凛はここへ思い至って、

「あ、宿題……」

未だ現国の分を消化していない事実に気付く。

さっと顔を青くした凛に、麗は「……頑張ってくれ」と励ますしかできなかった。

788: 2015/08/10(月) 22:05:27.87 ID:3+pD+bLQo


――

「う~~川島さん、とっくりでもう一本、たっぷりくださいな」

露天風呂に浸かった楓が、お猪口を掲げて、たゆたいながら酒のおかわりを要求している。

ここはとある山間の温泉。

サマーライブフェスの成功を祝して、出演したCGプロのアイドルたちが慰安旅行に来ている。

全員のスケジュールを最小公倍数で揃えた結果、実現可能な時期が秋にずれ込んでしまった。

そこでただでは起きないCGプロである、温泉街でのオータムライブ案件をこの旅行にかぶせてきた。

ちひろの商魂逞しさには頭が下がる。

789: 2015/08/10(月) 22:06:00.04 ID:3+pD+bLQo
「この忙しい時期に温泉なんて……」と呆れていた凛も、いざ到着して浴衣に着替え、
卯月と未央と温泉街を散歩してみた途端に「まぁ悪くないかな」と云い出す現金な反応を見せた。

フェスから二箇月弱、ソロでの仕事がほとんどを占めていた凛にとって、
ニュージェネ三人でゆっくりできる機会は相当久しぶりのことだった。

湯煙ただよう中で温泉まんじゅうを味わったり、川縁へ降りて紅葉に染まる遊歩道を散策してみたり。

一応仕事で来ているとはいえ、慰安旅行としての側面も、きちんと満喫している様子だ。

790: 2015/08/10(月) 22:06:29.71 ID:3+pD+bLQo
対して、Pは心休まる暇がない。

鏷は「ちょっくら遊んでくる」と温泉街の中心部へ繰り出した上に、
銅は何故か自分磨きと称してホテルでエステを受けている。

結局、お調子者も少なからずいるCGプロのアイドル全員の面倒を、Pが一身に背負っている状態だ。

なのに給料は他の者と変わらないのである。

こんな理不尽な仕打ちを許してはならない。帰ったらちひろに直談判だ。

……と意気込むが、Pに「おつかれさまです♪」と可愛いアイドルたちが笑顔で色々差し入れを持ってくると、
そんな不満は一気に雲散霧消するのだ。

その現場を凛に見られていて、あとで「プロデューサー、なに鼻の下伸ばしてんの」と
脇腹をつねられることとなった。

791: 2015/08/10(月) 22:07:12.04 ID:3+pD+bLQo

さておき、翌日のライブまでは、慰安旅行のフェイズだから楽しまねば損である。

損なのだが、凛は生来の真面目さゆえか、陽が落ちると既にライブのことで頭が一杯になっていた。

温泉を味わって、夕食が終わって、あとは就寝するだけ――という時間になってなお、一抹の不安があった。

明日行なわれるライブ。ニュージェネとしてのステージは、フェス以来だ。

またフェスのときのような失敗をしてしまわないだろうか、と、
ここ二箇月は鳴りを潜めていた不安が、再び膨れ始めた。

792: 2015/08/10(月) 22:07:39.46 ID:3+pD+bLQo
「……駄目だ。もう一回、お風呂に行こうかな」

横になっている同室の卯月と未央を見やってから溜息を吐いて、独り、部屋を出る。

紫色の絨毯が敷かれた廊下を暖かな橙色の光が照らし、
上品に飾られた生け花と白檀のお香が高級感を演出している。

それらは心を落ち着かせてくれるが、逆に落ち着くからこそ、色々と考え出してしまう側面もあった。

『女湯』と書かれた小豆色の暖簾をくぐり、茶羽織と浴衣をするりと脱ぐと、赤みの強い凛の柔肌が露になる。

内湯で掛け湯をしてから露天風呂へと続く扉を開けると――

793: 2015/08/10(月) 22:08:06.10 ID:3+pD+bLQo
「あれ……」

いきなり目の前で大人アイドル二人が酒盛り中だった。

温泉の露天風呂で、燗酒を傾ける――これは模範的な、駄目な大人の姿だ。

とはいえその二人、川島瑞樹と高垣楓は、特に騒ぐ様子もなくしめやかに飲んでいた。

「あー……お邪魔、だったかな」

「とんでもない。ゆっくり入って、どうぞ」

瑞樹が気にしないでいいわ、と促した。

794: 2015/08/10(月) 22:08:34.41 ID:3+pD+bLQo
凛は邪魔しないよう、少し離れたところで湯浴みを味わう。

穏やかで、静かで、悪くない湯だった。

空を眺めると、満月が輝いていて、視界の端には色づく樹々も入る。

ふと、最近の自分は、これほどゆっくり景色を見たことがなかったと思い当たった。

それは勿論アイドルの仕事でいつも忙しくしているから当然なのだが、
ここまで穏やかに過ごせる機会はとんと得られていない。

795: 2015/08/10(月) 22:09:02.03 ID:3+pD+bLQo
「たぶん、プロデューサーはこれを狙って旅行を組んでくれたんだよね」

ぽつり、空を見ながら、たまにはいいよね、と独り言つ。

こうやって先回りして何かを用意してくれるのが嬉しい。

最初は「なんでこんなことを?」と思うのだが、蓋を開けてみれば「なるほど、こういうことか」となる。

「……私の進む先を照らしてくれるのは、プロデューサーにしかできないんだろうな」

これが、背中を預ける安心感、と云うものなのだろう。

796: 2015/08/10(月) 22:09:30.93 ID:3+pD+bLQo
「あ、空になっちゃいましたね。お酒がなくなるのは避けられない……ふふふ」

隣から不穏な台詞が聞こえてきた。

ここで冒頭の、楓の要求である。

「あのー川島さん、いいんですか? 楓さんだいぶ酔ってるんじゃ……明日ライブなのに」

凛が二人の方へゆっくり近づいて訊いた。

穏やかな気分になっても、やはりライブのことは忘れられないのだ。

797: 2015/08/10(月) 22:09:58.54 ID:3+pD+bLQo
対して、瑞樹はあっさりと、あっけらかんと返す。

「大丈夫よ。楓ちゃん、こう見えて締めるところはきちんと締めるもの。
 明日に影響が出るくらいまでは飲まないわ」

「……信用してるんですね」

「楓ちゃんとは飲みに行く機会多いからね」

慣れたのよ、と笑う。

798: 2015/08/10(月) 22:10:36.36 ID:3+pD+bLQo
凛は、水面―みなも―に映り込んで揺れる月を見ながら、胸にすとんと何かが落ちる感覚を憶えた。

「……そっか。私、ようやく判った」

フェスのとき、凛は、仲間のため卯月のためを思ってやったと思っていた。

勿論、その時の凛は本気でそう思っていたし、押し付けがましく考えたわけでもない。

「でも――違ったんだ。卯月を“信用してなかった”んだ」

卯月も、未央も、これだけずっと一緒に歩んできた戦友なのだ。事務所を立ち上げた際の、最初の三人なのだ。

辛い時には、本当に辛かったら、辛いと云ってこっちを頼ってくれるだろう。

799: 2015/08/10(月) 22:11:04.86 ID:3+pD+bLQo
独りで走っているつもりだったが、それは誤りだった。

きっと、皆がいるから輝けるのだ。

仲間がいるから、走れるのだ。

結局は、勝手に判断して、勝手に空回って、勝手に自滅しただけ。

そんなことを二箇月も経ってから理解できるなんて。

「バカだな……私」

凛は一度、手柄杓で顔を湿らせて、一つ、息を吐いた。

「私、ホントまだまだ子供なんだな……」

ようやく、それが判った。

800: 2015/08/10(月) 22:11:31.61 ID:3+pD+bLQo
「あ、凛ちゃん!」

ガチャリと音を立てて、内湯から露天に続く扉が開いた。

顔を出したのは卯月と未央。

「お、しぶりんやっぱりここにいたいた! 私たちもいーれーてっ!」

「二人とも、よく私がここにいるって判ったね」

「気付いたら凛ちゃんが部屋にいないから、きっとお風呂行ったんだろうな、って」

「そんなに読みやすい行動パターンなのかな、私……」

静かで穏やかだった露天風呂が、一斉に賑やかになる。

801: 2015/08/10(月) 22:12:01.99 ID:3+pD+bLQo
「ねえ、未央、卯月」

凛が不敵に笑んだ。

「明日、ぶちかますよ。私たちならできるから。きっと……絶対ね」

「おうおう、この未央ちゃんパワーを存分に発揮してしんぜよう!」

「ステージが楽しみだね、凛ちゃん、未央ちゃん!」

露天風呂を明るく照らす高校生トリオの横で、
成人済みの二人は、お猪口を盆に伏せ、眼を瞑り静かに笑い合っていた。

802: 2015/08/10(月) 22:13:58.99 ID:3+pD+bLQo

すいません
たぶんもうあと少しで終わりなんですが時間がアレなのでアイプロやってきます
23時過ぎに戻ります

805: 2015/08/10(月) 23:15:06.20 ID:3+pD+bLQo


――

つかの間の非日常を終えて、再び慌ただしい日々が戻ってきた。

だがあの非日常が幻だったのではないと、
テレビのワイドショー等で話題に上っているのを見るたびに思い出させてくれる。

温泉街でのアイドルイベントとは風変わりだったのか、事前の予想よりも注目度は高かった。

当該日の宿泊施設は軒並み満室御礼で、経済効果はかなりのものだったらしい。

芸能ニュース媒体は当たり前として、その地方の主要紙やローカル局がここぞと主力記者を派遣してきたし、
また町おこし事例として全国自治体からの照会も多数寄せられていた。

湯浴みをした翌日、自信に身を包んだニュージェネレーションが、とびきりのライブを成功させ――

和服を基にしたアイドル衣装はファッションのトレンドにまでなり、原宿では小さなブームになっているそうだ。

806: 2015/08/10(月) 23:15:34.41 ID:3+pD+bLQo
Pもあの時の内容には大層満足し、

「すごくいいライブだった」

と三人を手放しで賞賛している。

「なんか、一皮むけた感じがしたな。これまでのニュージェネとは全然違った。
 もちろん、凛単体としても。良い意味で肩の力が抜けたか」

「うん、ちょっとね、見つけたことがあったから。皆がいるから輝ける、ってさ」

そして――皆だけじゃない、プロデューサーがいるから歌えるんだ。

でも、恥ずかしいから……これはプロデューサーには云わない。

807: 2015/08/10(月) 23:16:02.15 ID:3+pD+bLQo
「よし、この分なら……大丈夫だろうな。遠藤さん」

そう云ってPは、第一課に来ていた興業部の取りまとめ役、遠藤を呼んだ。

凛が部屋に入った時から気にはなっていたが、詳しく訊くことはしなかった人物だ。

「ちょっと年度末にね、大きいの一発ぶち上げますよ」

と云って凛にライブの企画書を手渡した。

「私のソロコンサートだね? えっと、横浜アリーナ、3DAYS。……3DAYS!?」

書類に書かれた見出しをスムーズに読んでいたが、実施期間を見て二度叫んだ。

808: 2015/08/10(月) 23:16:28.87 ID:3+pD+bLQo
「ちょっと、私のソロで横アリってキャパ大きくない? しかもいきなり三日間ってどういうこと!?」

「いきなりじゃないよ。この企画は年度末までだいぶ時間があるからな。
 それまでに横アリ級のキャパで一日だけのイベントを何度かやるさ」

Pがしれっと年度末までに何度も大きなライブをすることを示唆した。

「フェスでもかなりいい成績を出してますから、社内で年明けのIUに挑戦させようかって意見もあったんですよ」

遠藤が、企画書を読んで驚く凛を満足そうに見て云った。

「えっ!? IUはさすがに私の腕じゃ……」

「そう、それなりにいいポジションまで行けるとは思うんですが、優勝となるとまず無理でしょう。
 負けると結構ダメージ大きいですからね、IUはまだちょっと保留しておこうと」

IUの代わりに、横アリ3DAYSを開催して存在感を示していく、と云う戦略らしい。

809: 2015/08/10(月) 23:16:56.47 ID:3+pD+bLQo
「このコンサートは、今後のCGプロがどこまでやれるかの試金石となる。
 CDのときと同じく、凛、お前に白羽の矢が立った」

Pに、やっぱり同じサイクルを繰り返すのか、とやや諦め顔で凛が問う。

「また選定基準って中身より外身の見た目なの? アイドルの適性だったら卯月にした方がいいんじゃない?」

「そりゃ当然ルックスもあるよ。ニュージェネの中で凛が一番ビジュアルの受けがいいのは否定しない。
 でもお前、見た目以外の大事な要素、歌も、踊りも、もう卯月と未央を僅差で追い抜いてるぞ」

Pの指摘に凛はやや固まった。

「……冗談でしょ?」

「莫迦云え。ここで戯言吹いてどうする」

ストイックな鍛錬の成果が実を結んだんだよ。Pは腕を組んで大きく顎を引いた。

一年と半年をかけて、凛は、全てがビリだった落ちこぼれから、
三人の中で最も『動いて歌える』百合の花へと成長したのだ。

810: 2015/08/10(月) 23:17:29.09 ID:3+pD+bLQo
しかし凛としては、全然そのような実感がない。

常に誰かに対して自分は劣っているという認識。

それは――身近に麗がいる、と云うことに拠るのだろう。

元トップアイドルに指導してもらえるという幸せな環境は、裏を返せば、
元トップアイドルの凄さと自分の未熟さを延々比較してしまうという不幸が常に包含されている。

811: 2015/08/10(月) 23:17:57.22 ID:3+pD+bLQo
「私、こないだ麗さんの本気のパフォーマンスを見て、自分は全然ダメだって、わかったんだ」

凛は、麗がどれだけ凄いのかを、Pへのその一言に込めた。

「そりゃあ俺はアイドル青木麗の全盛期に育ったからよく知ってるよ。
 レッスンではだいぶセーブしてるってことも、見てれば或る程度わかる」

「……さすがだね」

お見それしました、と凛は両手を挙げて白旗。

「――だからさ、私は年度末までに、麗さんから受け継げるものは徹底的に吸収したい、って思う」

「あまり根を詰めすぎると後が怖いぞ」

大丈夫だよ、と凛は笑った。

812: 2015/08/10(月) 23:18:24.32 ID:3+pD+bLQo
アリーナライブを行なうに相応しい力を手に入れるまで、諦めない。

私は――負けたくない。

卯月に、負けたくない。

未央に、負けたくない。

麗さんに、負けたくない。

なによりも。

私は、自分に、負けたくないんだ。

813: 2015/08/10(月) 23:18:55.59 ID:3+pD+bLQo
「……よしわかった。じゃあ麗さんには『凛に遠慮せずガンガンしごいてくれ』って伝えておくよ」

「望むところだよ。ふふっ」

Pの意地悪な言い種に、凛も意地悪なウインクを添えて破顔する。

Pは、その表情に、堅く頼もしさを催した。

814: 2015/08/10(月) 23:19:23.02 ID:3+pD+bLQo


――

秋のテレビジョンは、様々なジャンルの番組が活況づく。

紅葉をテーマにした行楽や、自然が恵んでくれる味覚。スポーツも、読書も、芸術も掻き入れ時だ。

旅行に明るい者、食に通じている者、幅広い層に対応できるCGプロの強みを出す絶好の機会となる。

バラエティの特番も多く、事務所内で最も露出の多い凛、卯月、未央は色々な局から引っ張りだこだ。

ただし、睡眠の秋としてニートアイドル杏をフィーチャーするだらだら番組を作った担当者は、
酒席で酔いながら企画でもしたのかと思わざるを得ない。

815: 2015/08/10(月) 23:19:51.38 ID:3+pD+bLQo
さておき、凛はこのように仕事、学業、そしてレッスンと常に切れ目なくスケジュールが組まれていて、
週あたり半日分の休息時間を除いては常に慌ただしく動き回っている。

無論、テレビだけでなくCMの収録もあれば、インストアのイベントや、
種々のアーティストが顔を揃えるアリーナライブへの参加、雑誌のグラビアに寄稿にと、
枚挙するには両手の指だけでは到底足りない。

「うおおやっべ、次の現場ブーブーエスだから時間キツいぞこれ」

フジツボテレビ湾岸スタジオでの収録を終えた凛とPは、ガラス張りで小春日和の陽が差込む廊下を走っていた。

ドタドタと音を立てるPと、ふわり音を立てず舞う凛。

凛からは、急いでいてもアイドルとして行儀の悪い走り方をしてなるものか、と云う意地が感じられる。

816: 2015/08/10(月) 23:20:20.78 ID:3+pD+bLQo
「こりゃ俺はメシ抜きだな。コンビニ寄ってお前の分だけ買うから車の中で軽く食え」

「わかった。私が現場入りしたらゆっくり食べてよ」

現在地の台場からブーブーエスのある赤坂までは、車を使っても鉄道を使ってもかなり面倒だ。

首都高でワープしようにも、浜崎橋ジャンクションは一日中渋滞しているし、
飯倉ランプを降りてからの一般道がどれくらい混雑しているか予測が難しい。

そんな面倒くさいタイミングで。

「おーこれはこれは、今最もホットなアイドルさん」

広めのエントランスでPたちに声を掛ける姿があった。

金本だ。

普段は数百メートル北の本社ビルに詰めているはずだが、今日は立ち会いでもあったのだろうか。

このクソ忙しい時に、とPは思っても、それを表には出さない。

817: 2015/08/10(月) 23:20:48.80 ID:3+pD+bLQo
「お、これは金本ディレクター、なかなかご一緒する機会がなく、ご無沙汰しております」

走る足を止めて、凛とともに会釈した。

「色々と噂は聞いてるよ。フェスでは相当お世話になったみたいだね、勿論、普段も」

「フェスはあんなに大きな舞台を用意して頂いて、こちらが感謝ですよ」

フェスはフジツボ内の企画だ、当然金本にもその情報は抜けているはずだし、
その件以降の凛の露出アップでもフジツボは“お得意様”だ。

きっと、いつぞや鼻であしらった『新人アイドル』が局内でよく名前を聞く存在となって驚いていることだろう。

818: 2015/08/10(月) 23:21:16.96 ID:3+pD+bLQo
「今度さ、俺の企画で一件、かわいい子を使いたい番組があるんだけど、渋谷凛ちゃん、是非どうかな?」

収録と放映のスケジュールを併せて伝える金本に、Pは懐から手帖を取り出した。

「あぁ、申し訳ありません、その放映タイミングだと“汐留”から電波に乗っちゃいますね」

つまり、金本が手掛ける時間帯は、テレビ日本の裏番組で既に凛がブッキングされているということ。

芸能界には、同じ放映時間帯の複数の番組に重複出演してはならない、と云う紳士協定があるのだ。

「うわーそりゃ残念、もう一件あるんだけど、こっちの曜日の昼枠はどう?」

「あー……それも申し訳ない、“渋谷”から出ちゃいますね」

この『渋谷』とは当たり前に凛のことではない。日本放送機構―NHK―を表わす隠語だ。

819: 2015/08/10(月) 23:21:46.22 ID:3+pD+bLQo
実は、Pは裏でこっそりと、金本が手掛けるほとんどの番組の裏に、凛の出演をアサインしていた。

金本へのささやかな意趣返し。

「それに、渋谷凛はまだまだ青二才です。華の金本ディレクターの看板番組には、
まだまだ到底出られるレベルでは御座いませんよ」

そう云って頭を軽く下げたPに、凛はむっとした視線を送る。

しかし、彼の丁寧な物腰の裏に込められた、痛烈な皮肉と厭味に、きちんと気付いていた。

その上での、『演技』なのだ。

820: 2015/08/10(月) 23:22:12.66 ID:3+pD+bLQo
「そうかあー、今回は残念だけど、次、都合が合えば是非とも宜しくね」

金本は、眉の尻を下げて笑ったが、屈辱によって虚勢を張った声になっているのは隠し切れていなかった。

「ではすみません、“赤坂”へ急いで行かなければなりませんので、これで」

再度会釈して、二人は駆け出す。

地下へ降りて、車のエンジンをかけながらPは「コンビニに寄る時間も取られちまったな……」と呟いた。

「いいよ、スカッと気分がいいし。このまま直でブーブーエス入りして、休憩時間中にでも社食へ行くよ」

「そうか、すまんな。でもまあ、気分がスッキリしたならいいか」

821: 2015/08/10(月) 23:22:40.26 ID:3+pD+bLQo
埋立地特有の無機質な道をすいすい転がっていく社用車の中で、凛が控えめに笑って息を吐く。

「たぶん、今年に入って一番痛快だったと思うよ。ありがとね、プロデューサー」

「そりゃあな。凛みたいな素晴らしいアイドルを虚仮にする糞野郎には容赦なんてしねえよ。
 ――こほん、虚仮にする人にはお引き取り願うさ」

「プロデューサー、今、素が出たね?」

「……お前と二人の刻だけだよ」

Pは「不味ったな」と少し顔を歪め、軽く凛を向いて弁解した。

「ふふっ、判ってる。ありがと」

結局、懸念していた浜崎橋ジャンクションの渋滞も、外苑東通りの混雑もあまり大したことはなく、
現場入りする前にブーブーエスの社員食堂で二人、軽食を口にすることができた。

822: 2015/08/10(月) 23:23:06.84 ID:3+pD+bLQo


――

それと時期を前後して、CGプロ社内スタジオでは。

凛が麗に膝を突いてお願いごとをしていた。

横では、困惑する聖、明、慶の姿と、遠巻きに、他のアイドルやアイドル候補生たち。

彼女らの視線が、全て麗に向かっている。

やれやれどうしたものか、と麗は後頭部を掻いた。

823: 2015/08/10(月) 23:23:36.46 ID:3+pD+bLQo
「渋谷、P殿からそれらしい話は耳に入れられているし、君のその心意気は認めるが……
 身体への負担を考えるとあまり賛成はできないな」

「覚悟の上です。リスクのない成長なんて、ないと思っています」

凛は、顔を挙げず地に伏せたままで答えた。

かれこれ十分ほどこの状態だ。

「フェスのあと見せてくれた――魅せてくれたあの技術、あのボーカル、あの動き……どうか教えてください」

食らいついていきますから、と凛は嘆願を緩めない。

いよいよ以て、にっちもさっちも行かなくなってきた。麗は顎を撫でて、「はぁ……」と根負けした。

「……じゃあまずは何はなくとも体力だ。裏手の暗闇坂をダッシュで駆け上がり、
 大黒坂をぐるっと回り込むように降りて、再び暗闇坂へ。これを十周、四十分以内でやってきなさい」

824: 2015/08/10(月) 23:24:04.59 ID:3+pD+bLQo
暗闇坂も大黒坂も、麻布で有名な坂道。

大黒坂はほどよい勾配で道幅も狭すぎず広すぎず、地元の人のランニングコースになっている。

対して暗闇坂はかなり急な心臓破りの坂で、道幅もだいぶ狭い。

一周およそ五百メートル、総計五キロの坂道を四十分は、あまりにも過酷な設定だった。

麗としては、根負けしたように見せかけて、この目標値なら音を上げるだろう、
もっとゆっくりとしたペースで学ぶように考え直すだろう、と判断してのこと。

しかし。

825: 2015/08/10(月) 23:24:34.34 ID:3+pD+bLQo
「わかりました」

そう云って凛はレッスンウェア姿で出てゆき、きっかり四十分後、
ボロ雑巾のように髪を乱し汗だくの状態で帰ってきた。

「……まさか本気にするとはな……」

息も絶え絶えでへばり込む凛を見て、麗はバツが悪そうだ。

対する凛は、してやったりというニュアンスを言葉に込めて、

「当然、私を止めさせる為に設定したんだとわかってます」

一語ごとに、途切れ途切れで答えた。

「ならどうして」

「それで、諦めるような、半端な覚悟じゃない、って見せたかったからです」

半ば、意地とあしらいのぶつかり合い。凛はそれを承知で意地を貫き通した。

826: 2015/08/10(月) 23:25:02.04 ID:3+pD+bLQo
「私は、誰にも負けたくない。勿論、麗さんにだって負けたくない。だからこそ、麗さんの指導が必要なんです」

荒い息に喉を鳴らしながら、「お願いします」と食らいつく。

麗は、大きく息を吐いた。

「全く予想外のことをしてくれるな、渋谷は。……ま、スポ根も嫌いではない」

そのまま凛の前へしゃがむ。

「聖の分析に従うこと。闇雲な特訓ではなく、理詰めに従って、身体を壊さないようにすること。これが条件だ」

その言葉は、ついに、麗が本当に根負けしたことを示していた。

「あ……ありがとうございます!」

827: 2015/08/10(月) 23:25:28.31 ID:3+pD+bLQo

翌日から、仕事、学業、通常のレッスンの合間に麗の特訓が挿入された。

トップアイドルの世界を知る人間ゆえか、麗は意外と精神論や根性論が嫌いではないらしい。

「声を出せ! 疲れていても声だ!」

何故か竹刀を手にした麗が、トレーニングルームで凛に厳しい声を浴びせる。

その姿は、これまでのマスタートレーナーとはまるで違っていた。

普段の温和な麗を知る者たちは、みな一様に驚いている。

828: 2015/08/10(月) 23:25:56.24 ID:3+pD+bLQo
カフェテラスで数人のアイドルと一緒になったとき、第二課の気の小さめな子が、
凛に「もしかして、いじめられてるの……?」と心配そうに訊いてきたこともあった。

「あの人は私をいじめるためにしごいてるんじゃないよ。そもそも私がお願いしたことだしね」

凛は笑って、いじめ説を否定する。

内心では、外側からはそんな激しく見えるのかと、

そして自分はそれについていってるのかと、他人事のように感心している。

「あんな激しいことを、お願いしたの……?」

「うん、あの人は、戦場で生き残るための術を私に与えてくれてるんだ」

829: 2015/08/10(月) 23:26:27.35 ID:3+pD+bLQo
日高舞と云う、とても巨大な存在と比較され続けた麗。

舞の強大な背中を常に意識させられる中で走り抜けてきた彼女の“遺伝子”を、凛は受け継がむとしていた。

「あの人が孤独で引っ張ってきた世界に比べれば、私はまだまだぬるま湯の中。もっともっと吸収しなきゃ」

もっともっとファンの期待に応えられるように。

ファンを良い意味で裏切り、期待以上のステージを作り上げるために。

凛の貪欲な探求は、CGプロの名物となりつつある。

一万人クラスのイベントへ参加するたびに、凛のレベルが上がっていくと、様々な媒体で話題となっていた。

830: 2015/08/10(月) 23:26:54.99 ID:3+pD+bLQo

麗の特訓は、体力ばかりの話ではない。

むしろ体力作りは基本中の基本だから、それは毎日やっておけと云うのが麗のスタンスだった。

彼女の真髄は、その技術の高さだ。

技術の高さとは、即ち精度の高さ。要求される精密さは、まるで次元が違った。

これまでのレッスンなら太鼓判を押されるほどの結果を出しても、門前払い。

何度も何度も叱咤が飛ぶごとに、

「麗さんの指導なら、どんなに厳しくても喰らいついていきます!」

と凛がすがりつく。

831: 2015/08/10(月) 23:27:23.25 ID:3+pD+bLQo
しかし、厳しい麗をして一目置くことがあった。

振付けを動かす上での重要なポイントを教わる際、麗の云うことを理解するために高度な専門知識を要求される。

彼女の特訓は、身体を動かすばかりではなく、座学も重要なのだ。

その講義に於いて、凛は、完璧ではないまでも、常に理解する糸口を掴むくらいの知識を確保していた。

これには日頃叱る言葉の方が多い麗も、素直に褒める。

「渋谷……よく勉強してるな。まさかこれを予備解説なしで教えることができるとは思っていなかった」

「あ、実は――」

832: 2015/08/10(月) 23:27:52.00 ID:3+pD+bLQo
凛は、以前Pから云われたことを麗に伝えた。

『構造を理解することが第一歩』である、と。

凛はあれ以来、暇を見つけては音楽理論や音響工学、人体解剖学など幅広い知識を頭に入れるよう心掛けていた。

まさか麗の特訓でそれが役立つ日がこようとは、何事もやっておくものだね、と凛は昔のPに感謝している。

「なるほどな……」

麗は「……これは、P殿に私からなにかご飯でも奢らねばならないかな?」と笑って云う。

「えっ!? 駄目ですよ、麗さんがそんなことしたら、プロデューサーきっと勘違いします。
 なんてったって、プロデューサーにとって麗さんは憧れのアイドルなんですから」

「あっはっは。もう私はただのトレーナーだよ」

麗は手をひらひら振って否定した。

833: 2015/08/10(月) 23:28:25.33 ID:3+pD+bLQo
「……しかし、P殿もおよそ十年越しに、憧れのアイドルだった人間と食事に行くとは、
 当時の彼には予想もつかないことだろうな」

麗の中で、Pを食事に誘うことはほぼ固まっているらしい。

「もう! だめです! 本気で忠告してるんです!」

凛自身、どうしてここまでムキになっているのかは判らない。

判らないが、なにかが癪なのだ。

「……ふっ。まあ、ここは頑張っている現役アイドルの助言を素直に聞いておくとしようか」

麗はもう一度肩を揺らして、計画を撤回した。

834: 2015/08/10(月) 23:28:52.05 ID:3+pD+bLQo

以降の特訓は、Pが忙しい合間を縫って可能な限り同席するようになった。

なんでも、麗がPに直接要請したらしい。

「正直、音楽関連のレクチャーは私なんかよりもP殿の方がずっと教えられるからな」

と云うことらしい。

麗がPを認めているという事実は、凛にとっても、そしてP自身にとっても驚きだった。

835: 2015/08/10(月) 23:29:20.25 ID:3+pD+bLQo
「俺なんかが麗さんの特訓で教鞭を執っていいんですかね……」

「P殿はもっと私に対しても自信を持つべきだ。渋谷の特訓のために、渋谷を導くためにP殿は必要だよ」

なにより私もP殿に教えてほしいのだ、との言葉に、Pは泣きそうになっていた。

「なんだか、報われた気がするな」

Pがぽつり洩らした言葉。

期せずして凛の耳に入ったが、凛はそっと胸に仕舞い、訊ねることはしなかった。

836: 2015/08/10(月) 23:29:48.56 ID:3+pD+bLQo
その後の特訓は、CGプロを象徴する構図だったと云える。

Pは、麗に熱狂させられた側の人間として。

麗は、そのステージを創り上げた本人として。

社長という不思議な“オジサン”の引き寄せた縁が、次世代の凛を育てている。

凛は、二人の意思を全て吸収しようと、奮闘した。

837: 2015/08/10(月) 23:30:17.90 ID:3+pD+bLQo
壁面鏡と向かい合い、自らの動きのチェックに余念がない凛を見て、麗がPに訥々と話し掛ける。

「P殿。渋谷なら、あの子なら、もしかしたら……」

腕を組んで、慈悲深い視線を、踊る偶像に送る。

「私……いや、あの舞でさえも未踏だった領域へ――」

汗だくで飛び跳ねる凛は、自らを視る二人に気付いていない。

「――輝く世界の、さらにその向こう側まで、行けるかも知れんな」

Pは、言葉に出せず、ただただ静かに、麗の呟きを聞いていた。

838: 2015/08/10(月) 23:31:03.39 ID:3+pD+bLQo



EPILOGUE
・・・・・・・・・・・・


秋が過ぎ、冬となって、街路樹の葉が全て落ちる頃。

横浜アリーナ3DAYS、CGプロの社運を賭けた大規模コンサートの
一般チケット販売が、間もなく開始されようとしている。

先立つこと一週間前には、ファンクラブ会員向け販売が既に行なわれていたのだが、

充分な枠を用意していたにも拘わらず瞬く間に捌けてしまった。

記名式のうえに本人確認もするという、出来うる限りの転売対策を施しても、である。

Pと社長は、総務部のちひろの横で今か今かと落ち着かない様子だ。

「社長、落ち着いてくださいよ、ここでそわそわしてもどうにもなりません」

「それはP君もそうじゃないかね。指先がせわしないぞ」

いい大人が二人、お互い自分を棚に上げている。

この中で一番落ち着いているのは、二人とちひろの間にちょこんと坐っている凛だった。

839: 2015/08/10(月) 23:31:30.70 ID:3+pD+bLQo
午前十時の時報が鳴る。

それは戦争開始の合図であると同時に、戦争終了の合図でもあった。

「……完売しました」

ちひろが販売各社からの報告をまとめて、伝える。

「早ッ」

Pは社長と戯れている間に売り切れてしまい、争奪戦の様相を味わう暇もなかった。

840: 2015/08/10(月) 23:32:02.95 ID:3+pD+bLQo
ネット上は阿鼻叫喚の巷と化している。

『ああああああああ取れなかったあああああああああああ!!』

『あたりめーだろ、会員の俺が先行枠すら買えなかったんだぞ』

『チケットをご用意することができませんでした』

『手数料ふんだくってんだから鯖増強しとけよちくしょおおおおお!』

『完売。 し っ て た 』

『チケットをご用意することができませんでした』

『まあ、渋谷凛ならそうだよね……納得の結果でしかない』

『これ空売りじゃねーのか?』

841: 2015/08/10(月) 23:32:29.91 ID:3+pD+bLQo
そしてごくたまに上がってくる、戦勝報告。

『凛ちゃんのコンサート、初めて取れました!』

『おめでとう! しね!(楽しんでこいよ!)』

チケット販売大手の三社に委託したのだが、そのうちの一社に至ってはサーバが落ちる事態にも発展したそうだ。

「三日も公演があるのに取れなかった人が多いみたいだな……かといって四日以上だと凛がもたないしな……」

Pが口惜しそうに拳を握る。

842: 2015/08/10(月) 23:32:57.64 ID:3+pD+bLQo
需要量と供給力のバランス――関係者を常に悩ませる問題だ。

こればかりは、今後こなれていくのを期待してもらうしかないだろう。

最終的なチケット販売数、三日間分で述べ四万枚。

世間の人気としても、数字となって現れる成績としても、
CGプロ初のBランクアイドルが登場したことを意味していた。

凛が自らのスマホで自らの公演を検索する。

チケット各社の『×(残席無し)』『0』『完売』という表示が、彼女の眼に焼き付いた。

843: 2015/08/10(月) 23:33:37.45 ID:3+pD+bLQo



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


横浜アリーナの位置する新横浜は、新幹線の効果で北口はビジネス街として発展し、

都内のそれよりも若干余裕のある都市計画によって洗練された印象を与える。

在来線でのアクセスはやや不便だが、東海道新幹線の全列車停車駅だから、遠方の人々に優しい会場と云えよう。

横アリの特色は、何はなくともその音響の良さにある。

844: 2015/08/10(月) 23:34:05.07 ID:3+pD+bLQo
大抵、音響を重視すると、会場規模は大きくても数千人に抑えられてしまう。

一万人以上の収容が可能なアリーナという箱において、

音響設計がきちんとした会場はここが唯一の選択肢と云って過言ではない。

CGプロが、初の大型主催イベントでこの会場を選んだ、という事実。

それは、とにかくキャパシティや価格ではなく、クォリティを重視していると表明したことになる。

「なによりも最高のものを届けたいから、ここを選んだのです」と。

845: 2015/08/10(月) 23:34:32.91 ID:3+pD+bLQo

凛の控室に、ノックの音が響く。

扉を開けたのは、担当プロデューサー、P。

まだ開演時間までは少々あるが、凛のスタンバイは既に完了していた。

「控室でじっとしている気分じゃなさそうだな」

「ふふっ、そうだね。早く舞台に立ちたくて、うずうずしてるよ」

笑う顔には緊張の色など微塵もなく、これまでやってきたことへの自信が顕われていた。

846: 2015/08/10(月) 23:34:59.40 ID:3+pD+bLQo
「どうせここまできたら、もうやることはないんだ。スタッフの邪魔にならない範囲で、舞台の方へ行くか」

「うん、行く行く」

頷いた凛が、すっと滑らかな仕種で立ち上がり、颯爽と扉を開ける。

バックヤードではスタッフが最終準備に奔走していて、客席へ魔法をかける時間が迫っていることが感じられた。

「早めに控室を出て良かったかも。
 スタッフさんが、こうやって私を支えてくれてるんだ、って、改めて感じることができる」

「そうだな。主役は、渋谷凛。しかし、お前一人で舞台が作られるわけじゃない」

「当たり前のことだけど、本番前に余裕を持つとしっかりわかる。感謝しなきゃ」

847: 2015/08/10(月) 23:35:28.22 ID:3+pD+bLQo
突き当たりの角を折れると、客席のざわめきがよく聞こえるようになってきた。

もう、このすぐ先は、ステージだ。

そっと舞台袖から見る客席は満杯に埋まり、気が早くもところどころで蒼いサイリウムが光っていた。

あづさとまゆみに、今日のチケットは送った。

二人が今日この会場へ来ているかは判らない。

でも、きっと見てくれているはずだ。そう信じている。

848: 2015/08/10(月) 23:35:56.96 ID:3+pD+bLQo
「……私は、ここへ立つため……社長に、プロデューサーに、スカウトされたんだね」

「俺も少し不思議な気分だ。勿論ここがゴールってわけじゃない。
 でも、この光景は、この埋め尽くす観衆は、一つのマイルストーンになる」

二人並び立って、同じ光景を目に焼き付ける。

照明が少し絞られ、モニタではCGプロ関係の宣伝映像が何種類も流れる。

ステージの開幕は近づいている。

849: 2015/08/10(月) 23:38:46.61 ID:3+pD+bLQo

凛が、一歩、二歩と進んで、Pを振り返った。

黒を基調にした、シンプルながらも可愛さと格調高さを両立したドレスの裾が、ふわり、舞う。

艶のある長い黒髪が、さらり、揺れる。

髪飾りやコルセット、そしてブーツの、紫色に光るワンポイントが上品で。

意思の強さを宿す、きりりと引き締まった碧い瞳は、この衣装だと特に映える。

これまで、様々な衣装に袖を通した。

しかし、ここぞと云うときの『勝負服』は、これなのだ。

凛の原点にして至高。黒く光るドレスが、彼女をより輝かせる。

850: 2015/08/10(月) 23:39:13.82 ID:3+pD+bLQo
「今だから云っちゃおうかな」

しばらくPの目を無愛想に見据えていた凛が、微笑んだ。

「初めて会った時は、私のためにここまでしてくれるなんて、思ってなかった」

――正直、身体目当てのナンパか、なんて疑ったりもしたよ。

凛は往時を思い出して、くつくつと笑う。

「身体目当てとは、ひどい言い種だ」

Pは肩を竦め、それでも凛につられて苦笑している。

851: 2015/08/10(月) 23:39:43.22 ID:3+pD+bLQo
凛がひとしきり思い出し笑いを終えて、ふぅ、と軽く息を吐いた。

「プロデューサー、私をここまで連れて来てくれてありがとう」

「……俺だけの力じゃないさ。凛自身の頑張りの結果だ」

「うん。でも、私の水先案内人は、プロデューサーだから。
 ずっと走り続けられるのは、プロデューサーのおかげだよ。
 ずっとそばで応援してくれて、嬉しく思ってる。本当だよ」

852: 2015/08/10(月) 23:40:12.95 ID:3+pD+bLQo
凛はやや上目遣いでPを見ている。少しだけ、云いにくそうに、息継ぎを入れた。

「だからプロデューサー、これからも、私のプロデューサーでいてよ。……いいよね?」

――こんな人生を進むことになったのはプロデューサーのせいだし、おかげだから。

凛が、これまで見せたことのない、柔らかな眼をして云った。

こんなタイミングで、凛の卑怯な言葉。Pの胸や目の奥に、込み上げるものがあった。

853: 2015/08/10(月) 23:40:39.24 ID:3+pD+bLQo
「ずるいな凛は。そんなの、イヤと云えるわけないだろ?」

だから、わざと茶化して答えた。

「ふふっ、そうだね。さ、恥ずかしい台詞はおしまい」

眼を閉じて、わざとつっけんどんに云った。凛だって、相当に恥ずかしかったのだろう。

「でも恥ずかしいのを全部出し切ったから、あとに残ってるのはクールな私だけ。
 今度は、私がプロデューサーのために、みんなのために頑張る番だよ」

854: 2015/08/10(月) 23:41:08.07 ID:3+pD+bLQo
再び瞼を開けたところには、意思の強い、碧い宝石が輝いていた。

館内の全ての照明が降りた。

ついに――ついにこの時がきたのだ。

「ぶちかましてこい、切り込み隊長」

「ふふっ、云われなくても」


855: 2015/08/10(月) 23:41:42.43 ID:3+pD+bLQo



――私は、享楽を表現する者。


麗から受け継いだもの。

Pから受け継いだもの。

それらを全て、今ここにぶつけるのだ。



856: 2015/08/10(月) 23:42:41.76 ID:3+pD+bLQo


PAからのキューで、音楽がスタート。

スピーカーが生み出す空気の振動が、アリーナを包み始めた。


857: 2015/08/10(月) 23:43:23.45 ID:3+pD+bLQo



Pが、凛に向かってゴーサインを出す。

CGプロの誇る、Pの誇るアイドルが、渾身の舞台の幕を、いま、開ける――――




~fin~



858: 2015/08/10(月) 23:44:30.29 ID:3+pD+bLQo

ようやく終えられました。
誕生日が終わらないうちに完了できてよかった。
これが、今の自分の、担当アイドルにしてやれる全力のプロデュースです。

ここから、拙作「私は――負けない」へと続く構図になっています。
もしまだそれを読んだことがない方は、お暇な時にでもご笑覧くだされば幸い。

860: 2015/08/10(月) 23:48:17.33 ID:YywDWn+bo
乙です
本当に大作ですね
素晴らしいです
次回も期待します

861: 2015/08/10(月) 23:49:33.16 ID:G0r3jS6D0
お疲れ様でした。
この作品、読めて良かった。

引用元: 渋谷凛「私は――負けたくない」