【ラブライブ】にこ「きっと青春が聞こえる」【前編】
363: ◆yZNKissmP6NG 2016/08/22(月) 22:05:06.05 ID:KsmMYZ1co

にこ「穂乃果がいなくなった?」

ことり「はい……」

海未「帰りのショートホームルームまではいたのですが……」

にこ「…………」

 絵里のレッスンが始まって三日目。それは前触れもなく訪れた。

 というか、訪れなくなったって言うのが正しいんだけど。

ことり「帰っちゃった、のかなぁ……?」

海未「まさか、いくら穂乃果といえどこんな逃げるような……」

 かばうように否定しながらも、海未は言葉尻を濁す。

 なにか思い当たる節でもあったのかもしれない。

364: 2016/08/22(月) 22:05:32.77 ID:KsmMYZ1co

凛「だけど、急に用事ができたとかかもしれないにゃ?」

海未「可能性としてなくはありませんが……」

ことり「そういう場合、ちゃんとメールなんかは入れてくれてるから……」

凛「メール……来てないにゃ?」

海未「…………」

ことり「…………」

 沈黙は、なによりもたしかな肯定だった。

花陽「と……とりあえず、準備運動だけでも始めませんか?」

花陽「絢瀬先輩が来る前に体はあっためておかないと……」

にこ「や、そういうわけにもいかないでしょ」

にこ「絵里には六人でって言われてるわけだし。放ってはおけないわ」

365: 2016/08/22(月) 22:06:00.18 ID:KsmMYZ1co

花陽「だけどそれって……ランキングに載るメンバーが六人で、ってことですよね?」

花陽「六人揃わなきゃ練習できないって言われてるわけじゃないですし……」

にこ「それは、そうだけど」

 ちょっと冷たくない? なんて、思わないでもない。

 一蓮托生……とまではまだいかないものの、一応もう同じ場所を目指す仲間なわけだし。

 その仲間が練習に来ないのに、知らんぷりするなんて――

絵里「ごめんなさい、遅れてしまったわ――あら?」

希「お疲れさまー。……ん? 絵里ちどしたん?」

にこ「あ……」

 私たちが答えを出すより早く、タイムリミットが顔を出してしまった。

366: 2016/08/22(月) 22:06:26.02 ID:KsmMYZ1co

絵里「ひとり、足りないようだけど?」

にこ「えっと、それは……」

絵里「高坂さんはどうしたの? 昨日一昨日はこの時間には集まっていたじゃない」

 ぐるりと屋上を見渡す絵里。

 一人一人と目を合わせ、その皆が皆一様に目を合わせようとしない様子を見て、彼女は察したようだった。

絵里「……来ていない、のね?」

 質問しているようで、それは答えを求めるものではなくて。

 ただ、私たちに現状を認識させるためのものだった。

絵里「……そう。なら今日の練習はなしね」

花陽「えっ……」

 驚いたのは花陽である。

絵里「言ったでしょう? 条件はあの六人。一人でも欠けることは認められないわ」

花陽「それは……あくまで、ランキングに載るメンバーが、という話だったはずです」

花陽「一人足りないから練習もできない、なんて――」

絵里「来るの?」

花陽「――え?」

367: 2016/08/22(月) 22:06:51.83 ID:KsmMYZ1co

絵里「来るの? 高坂さんは。明日から」

絵里「今日何事もないようにここにいるメンバーだけで練習して」

絵里「来れるの? 高坂さんは」

絵里「病気とか、急な用事とか。そうだったのなら構わない」

絵里「だけど、もしも「そうじゃなかった」場合――」

絵里「今日何もしないで、明日から、彼女は来るの?」

花陽「…………」

絵里「――やるからには、なあなあで済ませるつもりは、私にはないわ」

花陽「そ、それは私だって……」

絵里「…………」

花陽「……なん、ですか?」

絵里「……いいえ」

絵里「とにかく。一人でも欠けているのなら私からのレッスンは中止」

絵里「明日は全員揃っていることを願うわ」

にこ「あ、ちょ、……もう」

 有無を言わさぬうちに、絵里は屋上から姿を消した。

368: 2016/08/22(月) 22:07:30.00 ID:KsmMYZ1co

希「なんて言うか、ごめんね」

にこ「なんで希が謝んのよ?」

希「絵里ちがあそこまで頑なになっちゃった原因の半分くらいは、うちの占いのせいみたいなんよ」

にこ「それって……例の?」

希「うん、八つの光」

希「そんなにこだわらなくても、集まる人だけでやればいいんじゃないかなって、うちは思うんだけどね」

希「あ、でもにこっちとしても大事な八人なんだよね」

にこ「そう……ね」

 そう、大事。

 大事な――九人。

凛「何の話にゃ?」

にこ「あ……こっちの話、こっちの話」

凛「?」

369: 2016/08/22(月) 22:07:55.93 ID:KsmMYZ1co

にこ「なんにせよ、まずは穂乃果よ穂乃果」

にこ「あの子ったら、一体どこ行っちゃったのかしら……」

ことり「あのぅ、そのことなんですけど」

 おずおずと挙手をしたのは、ことり。

ことり「穂乃果ちゃんがどこに行ったのか、ひょっとしたらアテがあるかもしれないです」

にこ「ほんとに?」

ことり「はい、今日のお昼の時、ちらっと話題に出てたんですけど……」

海未「あ、ひょっとしてあの話ですか」

ことり「うん。なにか用事があって、とかじゃないなら、たぶんあそこじゃないかなって思うの」

にこ「どこ? それって」

ことり「はい、それは――」

――――――――

――――――

――――

370: 2016/08/22(月) 22:08:33.94 ID:KsmMYZ1co

【Side:穂乃果】

穂乃果「いただきまー……す!」

 ぱく、っと一口。すると、ふわぁってやわらかーい匂いが口いっぱいに広がる。

穂乃果「んー、うまい! やっぱりパンは焼きたてが一番だね!」

 思わず叫んでみたものの。

 ベンチに座る私の両隣には、返事してくれる人は誰もいなくて。

穂乃果「はぁ……やっちゃった……」

 自分のやったことを、今更ながらに後悔。

穂乃果「うう……だってだって、ことりちゃんがお昼に「おいしいパン屋さんが開店した」、なんて話するから――」 

 ――誰に言い訳してるんだろ、私。

 そんなの関係ないって、自分が一番わかってるはずなのにね。

371: 2016/08/22(月) 22:09:01.93 ID:KsmMYZ1co

 温度差に、耐えられなかった。

 練習についていけないとか、一人だけいつまでもへたくそなままとかそういうのは……ちょっと関係あるけど、だけど、それだけじゃなくて。

 私、なんでここにいるの? っていうか。

 そりゃあ、最初にこ先輩が誘ってくれた時は面白そうかなー、とかちょっぴり思ったけど。

 生徒会長の出した条件を聞いたら――無理だな、って思った。

 きっと私がついていける話じゃないな、って。

 だから海未ちゃんがお断りしようとしたときは、内心ラッキーなんて思ってた。

 だけど――

372: 2016/08/22(月) 22:09:32.51 ID:KsmMYZ1co

ことり『私は――やっても、いいです』

 嬉しい気持ちと、困った気持ちが、半分ずつくらいだった。

 ことりちゃんが残ってくれるんじゃないかな、っていう期待と。

 え、私もやらなくちゃダメなの? っていう不安と。

 ごちゃまぜになって――複雑。

 結局、ことりちゃんをがっかりさせたくなくて一緒に入ることになったけど。

穂乃果「その結果がこれじゃあ……」

 合わせる顔、ないよね。

373: 2016/08/22(月) 22:09:58.87 ID:KsmMYZ1co

 いっそのこと、ことりちゃんが「やーめた」って言ってくれたら――

穂乃果「……サイテー」

 そんなことを、ちらっとでも考えた自分が、大嫌い。

 自分がやりたくないだけなのに、ことりちゃんのせいにしようとしてる、私。

 ことりちゃんがどうとかじゃなくて、私自身がどうしたいか、なのに。

 ほんと――サイテーだよ。

穂乃果「はぁ……」

374: 2016/08/22(月) 22:10:36.17 ID:KsmMYZ1co

 * * * * *

穂乃果「はぁ……」

にこ「…………」

 学校からさほど離れていない公園のベンチに、穂乃果の姿はあった。

 ことりの話だと、この公園のすぐ前に焼き立てのパンが食べられるパン屋さんがオープンしたって話をお昼にしたらしく。

 穂乃果がいるとしたらそこではないかという話になり――ビンゴ。

 正直、見つけたら出会い頭に怒鳴りつけてやろうかと思ってたんだけど。

穂乃果「…………」

 あの子のしょんぼり顔を見ていたら、そんな気もなくなってしまった。

375: 2016/08/22(月) 22:11:24.73 ID:KsmMYZ1co

にこ「アイドル、つまんない?」

穂乃果「つまんない、ってわけじゃ……うぇえ!?」

にこ「なによ? 人の顔見てそのリアクションは失礼じゃない?」

穂乃果「だって、だって、なんでここに?」

にこ「部長だもの、部員がとんずらこいたらしょっぴくのは当たり前でしょ?」

穂乃果「じゃなくて、なんでここが……」

にこ「あんたの考えてることなんて、幼馴染はお見通しみたいよ?」

穂乃果「……です、よね」

にこ「…………」

376: 2016/08/22(月) 22:12:26.30 ID:KsmMYZ1co

にこ「アイドル、つまんない?」

 さっきと同じ質問を、もう一度。

穂乃果「……よく、わかんないです」

穂乃果「体動かすこと自体は嫌いじゃないけど、ぶきっちょだし」

穂乃果「みんなが一生懸命になってる横で穂乃果だけ転んで、えへへーってごまかしても誰も見向きもしなくて」

穂乃果「私、なんでこんなところにいるんだろ……って」

穂乃果「ごめんなさい、一度やるって言ったのに、中途半端な態度で……」

にこ「――ううん、あんたが謝る必要なんてないわ」

穂乃果「だって、自分勝手でわがままなのは穂乃果で、」

にこ「いいから。謝んないで」

 これ以上謝られたら――こっちがみじめになっちゃう。

377: 2016/08/22(月) 22:13:10.42 ID:KsmMYZ1co

 この子が嫌々やっているのなんて、本人から聞くまでもなく明らかだった。

 それをわかってて私は、見て見ぬふりをしてる。

 私の目指す場所――μ'sのため。

 凛なんかは自分の意志をはっきり示してたから、真っ向から向き合うことができたけど。

 本音を言いづらい子がいるのだって、当たり前なのよね。

 ――じゃあ、諦める? 9人集めるの。

にこ「…………」

 それは……無理。

 自分勝手で、わがままだって、わかってても。

 これは譲りたくない。譲れない。

 これを譲ったら、私は――

378: 2016/08/22(月) 22:16:27.72 ID:KsmMYZ1co

にこ「……もうちょっと、続けてみたら?」

穂乃果「え?」

 結果。出てきたのは、停滞の言葉。

 なんとか現状を維持しようとするだけの、なんの力もない言葉。

 そうだ。別に無理やりやらせる必要はない。

 凛の時と同じ、彼女自身に動機づけをしてあげれば――

にこ「ほら、ことりだって必氏にやってるわけだし。それが理由でもいいじゃない?」

穂乃果「ことり、ちゃん?」

にこ「そうよ。ことりがやってるから、自分も一緒にやる。海未だっているわけだし」

にこ「やってるうちに楽しさが見つかってくれれば万々歳じゃない?」

にこ「それにさ、ことりだってアイドルの楽しさに目覚めてもっと続けたいって思うかもだし」

穂乃果「…………」

379: 2016/08/22(月) 22:17:34.72 ID:KsmMYZ1co

 これで、大丈夫よね。

 ことりが海外留学するという事実は、この世界の彼女らには有効打になりうる。

 それを阻止する可能性は、十分彼女が続ける動機になるはず。

穂乃果「ことりちゃんが続けるから、私も続ける……」

穂乃果「あはは……」

にこ「……ほの、か?」

穂乃果「そうですね。ことりちゃんがやってるから、私もやります」

穂乃果「それで、いいんですよね」

穂乃果「私自身が、どうとかなんて……」

にこ「あの、ちょっ」

 私の制止も聞かず、穂乃果はふらふらと公園を立ち去ってしまう。

 その様子は、とてもじゃないけどやる気になったようには見えなくて。

にこ「…………」


 これで……大丈夫、なの?

405: 2016/09/11(日) 22:50:57.24 ID:NXOor8VQo

 なんのために歌ってるの?

 心の中で、誰かが私に問いかける。

 
花陽「凛ちゃん、今のところワンテンポ早くなってるよ!」

凛「にゃー、ごめんかよちん!」

 
 やりたい子がいて。


穂乃果「…………」

海未「もう……どうして合わないんですか!」


 やりたくない子がいて。


絵里「口ばっかりになったってしょうがないわ! もう一度やりなおしよ!」


 やらせようとする子がいて。


 大きさも形もちぐはぐな歯車が、それでも無理やり噛み合おうとして。


にこ「――――」


 ぎしぎし、きしむ。

406: 2016/09/11(日) 22:51:27.08 ID:NXOor8VQo

 μ'sを作りたかった。

 もう一度、やり直したかった。

 楽しく笑い合って。

 たまにはけんかして。

 でも、すぐに仲直りして。

 そんな9人を、作り直したかった。

 その結果が、これ?

 違う。

 違う違う違う。

 私が作りたかったのは、こんないびつなものじゃなかった。


 ねえ。


 なんのために、歌ってるの?

407: 2016/09/11(日) 22:52:08.81 ID:NXOor8VQo

【Side:ことり】

 
ことり「それで……お話ってなにかな?」

花陽「はい、えっと……」

 いつも通り、ぎくしゃくした練習が終わった後のこと。

 私を部室へ呼び出したのは、後輩の女の子二人だった。

凛「かよちん、言いづらいなら凛から言おうか?」

花陽「ううん、大丈夫。大丈夫だよ」

 言いづらいこと、なんだ。

 なら、やっぱり話したいことって――


花陽「ことり先輩たちは――部活、楽しいですか?」


 その話、だよね。

408: 2016/09/11(日) 22:52:35.95 ID:NXOor8VQo

花陽「ごめんなさい。失礼なこと、言ってると思います」

花陽「だけど、だけど……二年生の三人を見てると、やりたくてやってるようにはどうしても見えなくて」

花陽「私は……アイドルに、すごくあこがれてて」

花陽「だからこの学校にスクールアイドルをやってる部活があるって知って、とっても嬉しかった」

花陽「だから、だからこそ……中途半端に、したくないんです」

ことり「そのためには……私たちは邪魔、ってことだよね」

花陽「そういうわけじゃ!」

ことり「……ごめんね、ずるい言い方だったね」

 慌てる花陽ちゃんを見て、少し罪悪感。

 だけど、きっと彼女の言いたいことをなんのフィルターもかけずに言うなら、そういうことなんだと思う。

 私たち――特に穂乃果ちゃんは、この部活の邪魔になってる。

409: 2016/09/11(日) 22:53:03.90 ID:NXOor8VQo

 ひどくなったのは、穂乃果ちゃんが部活をさぼっちゃった日の、翌日。

 朝から明らかに落ち込んでた穂乃果ちゃんは、それでも私たちに部活をさぼったことを謝って。

 だけど、部活の取り組みは前日以上に悪くなっちゃった。

 誰が見ても、やる気がないのは明らかだった。

 でも、当たり前だよね。

 だって、穂乃果ちゃんは、やりたくてやってるわけじゃない。

 私に付き合ってくれてるから。

 私のわがままに振り回されてるから。

 楽しめるはずが――ないんだよね。

410: 2016/09/11(日) 22:53:41.96 ID:NXOor8VQo

凛「先輩たちも、にこ先輩に強引に誘われたんだよね?」

ことり「ん、……そう、なるかなぁ」

凛「やっぱり」

 苦笑いを浮かべる凛ちゃんは、凛もそうだったんだー、と照れながら話す。

凛「それでも、凛は根っこの部分ではアイドルやりたいって思ってたから。だから、今も楽しく続けられてる」

凛「だけど……先輩たちは、違うにゃ?」

ことり「…………」

 そうだよ。

 その一言は、言えなかった。

 それを認めてしまうのは、本当に、真剣にアイドルに向き合ってるこの二人を、侮辱することになっちゃうから。

 ……認めなくても、それが事実なんだけどね。

411: 2016/09/11(日) 22:54:14.83 ID:NXOor8VQo

花陽「……絢瀬先輩が言っていた条件も、正直なところ、気にする必要はないと思います」

凛「そうだにゃ! 生徒会長は自分勝手でわがままで、言うこと聞く必要ないにゃ!」

花陽「そこまでは言わないけど……理解できる部分はあるし」

凛「だけどあの人たち、よくわかんない理由で部員を集めてるんだよ? 占いがどうとか――」

ことり「あの、ね」 

 おかしな方向へ話を進める二人を呼び戻す。

ことり「二人には申し訳ないけど、私は私なりの理由で部活を続けてるの」

ことり「それこそ自分勝手でわがままだってこと、わかってる」

ことり「だけど、私にとって――私たちにとって、すごく大事なことなの」

ことり「だから……ごめん。もう少しだけ、続けさせて?」

412: 2016/09/11(日) 22:54:42.81 ID:NXOor8VQo

凛「続けさせて、って言われても……」

花陽「別に私たちが許可するような話でもないですし……」

 言いながら、顔を見合わせる二人。

 私がこんなにもアイドル研究部に執着するのを、不思議に思っているのかもしれない。

 でも、大事なんだ。

 素直になれない私たちの。

 自分勝手でわがままな私たちの、最後の悪あがき。

 これを逃したら、きっと私たちは、ずっと後悔すると思う。

ことり「――そこまで、わかってるはずなのにね」

花陽「え?」

ことり「ううん、ごめん。ひとりごと」

 そこまでわかってるはずなのに。


 どうして私たちは、あと一歩を踏み出せないんだろう。

416: 2016/09/22(木) 21:28:47.24 ID:FSwkNwzyo

【Side:花陽】

凛「ことり先輩、諦めてくれなさそうだったね……」

花陽「うん……」

 凛ちゃんと肩を落としながら歩く、夕暮れの帰り道。

 とぼとぼ歩きながら、ついさっき交わしたやり取りを思い出します。


ことり『そのためには……私たちは邪魔、ってことだよね』

 
 思わず否定しちゃったけど、だけど、その通りで。

 嫌な子だなって、自分でも思います。

 だけど。それでも。

 今の二年生の先輩たちは、正直、あんまり好きになれません。

417: 2016/09/22(木) 21:29:14.67 ID:FSwkNwzyo

 アイドル研究部は、どんどん良くない方向へ向かっています。

 お世辞にもやる気があるとは言えない、二年生の三人。

 ことり先輩は、まだ一生懸命ついて来ようとする思いが見られます。

 だけど、穂乃果先輩と海未先輩は――。

凛「なんでやってるんだろうね? あの人たち」

 歯に衣着せない凛ちゃんの言い方は、ちょっぴり辛口で。

 でも、それには私も同意見です。

 私たちにとって大事なこと。ことり先輩はそう言いました。

 私には理解できない理由が、きっとあるんだと思います。

 それでも。

 私だって、アイドルを大事にしてるんです。

418: 2016/09/22(木) 21:29:50.25 ID:FSwkNwzyo

凛「にゃー、それもこれもぜーんぶ生徒会長のせいだにゃ!」

花陽「そう、なのかな?」

凛「そうだにゃ! 生徒会長があんな条件ださなければ、今頃もっともーっと楽しく部活できてたにゃ!」

花陽「…………」

 突然出された生徒会長の条件と、そのための厳しいレッスン。

 練習が厳しいことは、苦ではありませんでした。

 自分がレベルアップしていくのが、実感できてるから。

 だけど、そのやり方は、あまりにも一方的で。

 ついていこうと、誰も思えないやり方でした。

419: 2016/09/22(木) 21:30:17.26 ID:FSwkNwzyo

凛「……なんだかね。三年生、あんまり信用できないかも」

花陽「三年生……って、にこ先輩も?」

凛「うん……」

 曖昧に答えると、凛ちゃんは少しだけ言いにくそうに口をもごもごとさせて、うつむいてしまいます。

凛「さっきもちょっと言ったけどね? 三年生って、よくわかんない理由で部員集めしてるみたい」

花陽「あ……確か、占いがどうとか」

凛「ん。詳しくはわかんないんだけど、少なくとも、アイドルをやりたい人たちを集めてるってわけじゃないみたい」

花陽「それは……」

 それは――二年生を見れば、わかることでした。

凛「もともとは、にこ先輩が始めたことだから、あんまり強く言えないけど……」

凛「だけど、これって、なんだか違うって、凛は思う」

花陽「…………」

 にこ先輩は、「あんなこと」があっても、アイドルをやめない人でした。

 だから、だからこそ、この人についていけば素敵なアイドルを目指せる。

 そう、思っていたけど。

花陽「どう、なっちゃうんだろう……」

420: 2016/09/22(木) 21:30:43.60 ID:FSwkNwzyo

凛「――かーよちん」

花陽「え?」

凛「少し、寄ってこ?」
 
花陽「寄ってこ、って……神田明神? 凛ちゃん、今からトレーニングするの?」

凛「違うにゃかよちん。神田明神は別にトレーニングするためだけの場所じゃないにゃ?」

凛「アイドル研究部の今後を、神様にお願いしに行くにゃ!」

花陽「あ、そ、そうだよね」

 ひょっとして。気を遣ってくれてる、のかな。

 私が暗い顔しちゃってたから。

 うう……反省です。

421: 2016/09/22(木) 21:31:09.05 ID:FSwkNwzyo

凛「あれ?」

花陽「どうしたの? 凛ちゃん」

 石段をぴょんぴょん駆け上る凛ちゃんが、急に足を止めます。

凛「なにか聞こえる――」

花陽「え?」

 言われて、私も耳を澄まると。

 境内の方から、確かにうっすらとメロディが聞こえてきます。

 だけど、この曲って――


りんぱな「『START:DASH!!』?」


 私たちの曲が、なんで?

 疑問の答えは、石段の先に広がっていました。

422: 2016/09/22(木) 21:32:05.46 ID:FSwkNwzyo

絵里「希! 今のとこちょっとずれてる!」

希「おっ、けー!」

絵里「――はぁ、はぁ。ここまでにしましょうか」

希「ふあぁー、疲れたー」

絵里「こらこら、こんなところで寝そべらないの。汚いわよ?」

希「そうは言っても……絵里ちこそほんとは寝そべりたいくらい疲れてるんじゃないん?」

希「部活でレッスンして、それから自分も練習だなんて」

絵里「それは、教える側が踊れなかったらしょうがないもの」

絵里「それに希だって、バイトがある日もこうして付き合ってくれるじゃない」

希「うちは部活に行っても見てるばっかりやしねぇ。少しは体動かしとかんと、いざ入部したらお荷物になってまうし」

絵里「私だって……強いるばかりで自分ばっかり楽していられないもの」

絵里「――あれだけの厳しい条件。与えてるんだから」

絵里「あれだけのわがまま、通そうとしてるんだから」

絵里「疲れてようとなんだろうと、私が誰より頑張らなくてどうするのよ?」

希「うへぇ……絵里ちには頭上がらんわぁ」

絵里「別に、バレエのレッスンに比べたらこれくらいどうってことないわ――」

423: 2016/09/22(木) 21:32:41.15 ID:FSwkNwzyo

花陽「――――」

凛「――――」

 一度、凛ちゃんと目を合わせて。

 何も言わず、私たちは回れ右しました。

 石段を下りきり、再び家路についても、どちらも言葉が出てきません。

 本気、なんだ。

 みんな、それぞれ理由があっても。それぞれベクトルが違っても。

 きっと、私と同じ。

 みんな――本気、なんだ。

花陽「…………」 

 ぎゅっ、と握ったこぶしは、決意のつもり。

 みんなで。

 みんなでアイドル活動をしたいと、今日、初めて心から思うことができました。


 だから――花陽は、そのために動き出します。

431: 2016/10/20(木) 22:57:18.08 ID:DRFjCdkxo

【Side:穂乃果】

 いつものように練習が終わって、帰り道。今日も私はひとりぼっち。

 別に海未ちゃんやことりちゃんがいじわるしてるとか、そういうことじゃなくって。ただ単純に、私が気まずくて一緒に帰れないだけ。

 最近はお昼ご飯も他の友達と食べることが多くなった。海未ちゃんたちと一緒に食べても、なんだか、会話が続かないし。

 なにやってるんだろう。私。

 きっかけは部活動。ことりちゃんが望んで始めることになったこの放課後は、確実に私たちの間に距離を作っていった。

 ――ううん。そんな言い方、ずるいよね。

 原因は私。ついていけないのがつらくて、つい部活をさぼっちゃったあの日から、私たちの間にはどうしようもない溝ができた。

 海未ちゃんはきっと怒ってる。ことりちゃんは呆れてるかな。

 怖くて聞けない。二人が、今の私をどう思ってるのか、なんて。

 今の私は――ことりちゃんのために、やりたくないこと、続けてるだけだもん。

 二人だけじゃない。きっと他のみんなだって、そんな中途半端な気持ちで参加してる私のこと、いらない子だって思ってる。

 そうだよ。

 私は、いらない子なんだ。

432: 2016/10/20(木) 22:57:57.10 ID:DRFjCdkxo

 一週間。このぎくしゃくした部活動は、あと一週間で終わるみたいだった。

 一週間後の今日、ネットにアップするための動画を撮影する。今日、生徒会長が私たちに告げたタイムリミットだった。

 やっと終わる。そんな安心感が半分。

 でも、一方で不安に感じる。誰よりもだめだめな私が、他のみんなとおんなじように歌って踊るには――きっと、足りない時間。

 本番も失敗するのかな。転んじゃうのかな。歌詞を間違えるのかな。
 
 にこ先輩、怒るかな。怒るよね。
 
 でも……いっか。

 だってにこ先輩は、きっと、私のことなんて見てないから。


にこ『ほら、ことりだって必氏にやってるわけだし。それが理由でもいいじゃない?』


 それは、全部の答えだった。

 私があそこにいる理由なんて、後付けだって構わない。

 「私」っていう個人に、意味は、きっとなくて。

 必要なのは、「部員」っていう記号だけ。

穂乃果「…………」

433: 2016/10/20(木) 22:58:28.11 ID:DRFjCdkxo

 なにやってるんだろう、私。

 おんなじ言葉がずっと頭の中でぐるぐる回る。

 ことりちゃんが日本を発つまで、もう2週間もない。

 2週間も経ったら、ことりちゃんは――

穂乃果「――――やだ」

 独り言は、夕暮れの道に溶けていく。

穂乃果「やだ――やだやだやだやだ、やだ!」

 子供みたいに駄々をこねても、聞いてる人はいない。

 ううん、違う。誰も聞いてないから、こんなこと言える。

 私は一度だって、ことりちゃんに大切な一言を言えなかった。

 怖い。

 ことりちゃんがいなくなるのが、海未ちゃんとふたりぼっちになるのが、怖い。

 だけど。

 私が、それ以上に怖いのは――

434: 2016/10/20(木) 22:59:00.68 ID:DRFjCdkxo

ことり「穂乃果ちゃん」

海未「穂乃果」

穂乃果「っ!」

 突然背中に投げかけられた言葉に、足が止まる。

ことり「よかったぁ、やっと追い付けたね」

海未「まったく、部活が終わるなり早々に姿を消すなんて、水臭いではありませんか」

穂乃果「ふたり、とも……」

 なんだろう。すっごく懐かしい感じがする。

 答えは簡単。二人と、こんなに「普通に」お話をするのなんて、すごく久しぶりだった。

 こんなに「いつも通り」な二人は――すごく、久しぶりだった。


 なんで?


 なんでそんなにすっきりした顔なの?

435: 2016/10/20(木) 22:59:34.74 ID:DRFjCdkxo

ことり「穂乃果ちゃん」

 私の疑問なんてお構いなしに、ことりちゃんは続ける。

ことり「……えっと、なにから話せばいいのか、うまくまとまらないんだけどね」

ことり「――ごめんね、穂乃果ちゃん」

穂乃果「……なにが?」

海未「私からも謝らせてください。すいませんでした」

穂乃果「だから、なんのこと? わかんないよ」

海未「身勝手だったこと、です」

穂乃果「身勝手……?」

ことり「私たち、自分のことしか考えられてなかったから」

ことり「きっとそのせいで、穂乃果ちゃんに嫌な思い、いっぱいさせたと思う」

ことり「アイドル研究部のことだって、穂乃果ちゃん、本当はやりたくなかったんだよね?」

ことり「だけど、私に付き合ってもらったせいで……」

 悲しそうなことりちゃんの言葉を聞きながら、だけど私は別な人の言葉を再び思い出す。


にこ『ほら、ことりだって必氏にやってるわけだし。それが理由でもいいじゃない?』


穂乃果「…………」


 くらいくらい気持ちが、私の顔をうつむかせた。

436: 2016/10/20(木) 23:00:04.52 ID:DRFjCdkxo

海未「穂乃果」

 優しい声だった。

 まるでお母さんみたいに、とっても、あったかい声だった。

海未「私たちは、大切なことを見失っていました」

海未「ことりに留学の話が持ち上がって」

海未「それは、決してことりにとってマイナスな話ではありません」

海未「むしろ、ことりの将来を考えるなら承諾しないなんて考えられない話です」

海未「私は、そう信じて疑いませんでした」

海未「だけどそれはことりのための言葉なんかじゃなかったんです」

海未「全て――自分のためのものでした」

穂乃果「え?」

 海未ちゃんの言葉に顔を上げる。

 海未ちゃんは――泣きそうな顔だった。

437: 2016/10/20(木) 23:00:30.91 ID:DRFjCdkxo

ことり「私もだよ」

 そう言うことりちゃんも、唇をかみしめてて。

 今にも泣きだしてしまいそうな顔だった。

ことり「お母さんが、海未ちゃんが、みんなが私に期待してくれてるんだって考えたら……」

ことり「なんにも、言えなくなっちゃった」

ことり「言わなくちゃ駄目なのに」

ことり「絶対後悔するって、わかってたのに」

ことり「私は、いろんな人を理由にして―― 一歩を踏み出せなかった」

ことり「ずるいよね。人のせいばっかりにして、私は自分の気持ちを言えなかった」

ことり「だから……もう、そういうの、終わりにしなきゃいけないんだと思う」

438: 2016/10/20(木) 23:01:04.65 ID:DRFjCdkxo

ことり「穂乃果ちゃん。私は、もうすぐ海外へ行くことになります」

ことり「それは、私にとっては将来を決める大切なことです」

ことり「だけどもしその話を受けてしまったら、私は高校を卒業するまで帰ってこれません」

ことり「穂乃果ちゃんと、海未ちゃんと、離れ離れになってしまいます」

ことり「それを踏まえたうえで。穂乃果ちゃんにも聞きたいです」

穂乃果「……やめて」

 ことりちゃんは、まっすぐ私のことを見つめている。海未ちゃんも真剣な目で私を見ていた。

 怖い。

 ことりちゃんが次に言うであろう言葉がわかってしまったから。

 それは、私が一番恐れていた言葉だから。

 だから、だから――


ことり「穂乃果ちゃんは――私に、どうしてほしい?」


穂乃果「やめて!」

439: 2016/10/20(木) 23:01:42.54 ID:DRFjCdkxo

穂乃果「やめて! やめてよ!」

穂乃果「そんなの、わかってるくせに! 答えなんて聞かなくてもわかってるくせに!」

穂乃果「言えないよ! 答えられないよ!」

穂乃果「ことりちゃんの気持ちも、海未ちゃんの気持ちも、否定したくない!」

穂乃果「ことりちゃんが心置きなく旅立てるように、海未ちゃんが頑張ってることも!」

穂乃果「そんな海未ちゃんの気持ちに応えようとしてことりちゃんが決心しようとしてることも!」

穂乃果「私がわがまま言ったら――全部、否定しちゃう!」

穂乃果「穂乃果が子供だからそんな答えになるって、わかってるよ! だから言えなかった! 言いたくなかった!」

穂乃果「――そうだよ! 離れ離れになんてなりたくない! ずっと三人でいたい!」

穂乃果「だけど、だけど!」

 気持ちが熱い雫になって、ぽろぽろとこぼれる。

 もう止められなかった。

 穂乃果のほんとうの気持ち。

 穂乃果が、ほんとうに怖かったこと。



穂乃果「穂乃果のわがままのせいで二人を悲しませるのは、もっと嫌なの!」

440: 2016/10/20(木) 23:02:08.20 ID:DRFjCdkxo

 言えなかった、大切な一言。

 それはきっと、二人の気持ちを無駄にする。

 だから穂乃果が我慢すればいいんだって、そう思ってた。

 そうすれば、二人の頑張りは無駄にならないから。

 二人の気持ちは、否定しないから。

 穂乃果が、我慢するだけだから――


海未「だから」


 それでも海未ちゃんは。

 穂乃果の気持ちを聞いた海未ちゃんは。

 まっすぐに、私を見つめたままだった。

海未「だから、そう思わせてしまったことが――私たちの罪なのです」

穂乃果「罪……?」

 どうしてそんな話になるんだろう。

 ただ穂乃果が、わがまま言ってるだけなのに。

ことり「私たちの強がりのせいで穂乃果ちゃんが苦しんでたんなら――それは、私たちの罪だよ」

 強がり?

441: 2016/10/20(木) 23:02:37.72 ID:DRFjCdkxo

海未「私たちも教えられたんです。自分たちがどれだけ愚かな意地を張っていたのか」

ことり「だからもっと素直になろうって。素直にならなきゃだめだって。気づかされたの」

穂乃果「教えてもらったって――誰に?」

 そう訊くと、二人は一度目を見合わせて。

 再び穂乃果に向けた顔は、やっぱりなにかを振り切った表情だった。



海未・ことり「大切な後輩たちに」



――――――――

――――――

――――

442: 2016/10/20(木) 23:03:03.28 ID:DRFjCdkxo





      一日前





443: 2016/10/20(木) 23:03:40.52 ID:DRFjCdkxo

【Side:ことり】

花陽「あの……何度も何度も呼び出して、すみません」

ことり「ううん、気にしないで」

 昨日に引き続き部活後に私を呼び出した花陽ちゃんは、本当に申し訳なさそうに私に言った。
 
 その謝罪に対する私の言葉に嘘はない。

 むしろ謝るのは私の方。私たちの方。

 本気でアイドルに向き合う彼女たちを侮辱してる――私たちの方。

ことり「だけど……答えは変わらないよ?」

 それでも、譲れない気持ちがあるのも事実だった。

 このつながりが途絶えてしまったら、私たちはもう。

 残りの時間を無為にすることしかできないから。

花陽「いいんです」

 だけど、私の予想とは裏腹に。

 花陽ちゃんは強いまなざしで私を見つめていた。

444: 2016/10/20(木) 23:04:06.08 ID:DRFjCdkxo

花陽「教えてほしいんです。二年生のみなさんがなんで、そんなにこの部活にこだわるのか」

ことり「――――」

 そっち、か。

 うん。当然だよね、気になるの。

 言ってもいいかな、って一瞬戸惑ったけど、だけどにこ先輩にはもうした話だし。

 もうすぐ嫌でもわかる話だし。

 それになにより。

花陽「――――」

 真剣な目の後輩の気持ちに、嘘はつきたくなかったから。

445: 2016/10/20(木) 23:04:36.98 ID:DRFjCdkxo

【Side:海未】

凛「ことり先輩が留学!?」

海未「はい」

 部活が終わり、放課後。私を呼び出した後輩は、私たちが抱える真実を聞くと、目を丸くして驚きました。

 ことりの許可も得ずに話しても良いものかと悩みましたが、いずれは知るところになる話です。

 それに同じタイミングでことりももう一人の後輩に連れていかれたところから察するに、おそらく同じ話になっていることでしょう。

 そしてなによりも。

 真摯にアイドル活動に向かう彼女には、話さなければ失礼に当たると思いましたから。

446: 2016/10/20(木) 23:05:20.21 ID:DRFjCdkxo

海未「ことりがこの部活に執着しているのは、間違いなくこの話が関係していると思います」

海未「といっても、彼女がなにを考えているのかなんてわかりようもないのですが……」

凛「そんなのわかるにゃ!」

海未「え?」

 まっすぐな瞳で断言する後輩に、つい間の抜けた返事をしてしまいます。

凛「ことり先輩、ほんとは行きたくないんだにゃ!」

凛「だってことり先輩、一生懸命だもん! 二年生の先輩たちは、正直ちょっと本気じゃないかなって思うところ、あるけど……」

凛「だけどことり先輩、一生懸命だにゃ! 衣装を作るためだけに入ってるなんて思えない!」

凛「本当は行きたくなくて! もっともっとこの場所で楽しいことをしたくて!」

凛「ちょっとでもすがりたくて!」

凛「ちょっとでもしがみつきたくて!」

凛「だから、その可能性をつなごうとしてるんでしょ!」


凛「海未先輩や穂乃果先輩と一緒にいるために!」


海未「それ、は――」

 後輩の懸命な叫びに、言葉は返せませんでした。

 だけど。

凛「海未先輩だって、本当はことり先輩に行ってほしくなんて――」


海未「違います」


 この言葉だけは、濁すことはできません。

447: 2016/10/20(木) 23:05:51.21 ID:DRFjCdkxo

凛「――――っ」

 その言葉は、私が思った以上に目の前の後輩に突き刺さったようでした。

海未「……すみません。少しきつい言い方になってしまったかもしれません」

海未「ですが、そんなことありません。私が、ことりに行ってほしくないなどと」

海未「そんな考えは、意を決したことりを侮辱することになります」

海未「決めたのです。笑顔でことりを送り出そうと」

海未「今さらそれを覆すことなど――」

凛「ほんとに?」

海未「――――」

 なぜでしょう。

 強い言葉をぶつけられたはずの彼女は。

 先ほどよりも、強い目をしていました。

凛「先輩、似てるにゃ」

海未「……誰にですか」

凛「凛に」

 そう言うと彼女は、えへへーと照れたようにはにかんで。

凛「さっきの冷たい言葉も、なにかを我慢してる顔も――」

448: 2016/10/20(木) 23:06:45.08 ID:DRFjCdkxo





凛「――自分にのろいをかけてた凛に、そっくり」





449: 2016/10/20(木) 23:07:11.43 ID:DRFjCdkxo

【Side:ことり】

花陽「先輩は――行きたいんですか?」

ことり「え?」

花陽「留学、したいんですか?」

ことり「……すっごく魅力的なお話だなって、思うよ」

ことり「お洋服を作るのって昔からの夢だったから」

ことり「今回のお話は、私にとって夢をかなえる第一歩ってことになるかな」

ことり「だから、」

 だから――なに?

花陽「――――」

 自分の言葉が上滑りしているのが、花陽ちゃんの表情からうかがえた。

 わかってる。わかってるよ。

 花陽ちゃんが聞いてるのが、そういうことじゃないってことくらい。

450: 2016/10/20(木) 23:07:45.90 ID:DRFjCdkxo

ことり「――もう、私だけの問題じゃないの」

花陽「え?」

 これは、本当に言うのをためらう言葉。

 誰にも伝えたことのない、真実のカケラ。

 それをなんで今、なんの関係もないただの部活の後輩に喋ろうとしてるんだろう、私。

 ――なんで、って。わかってるくせにね。

 この子が、この子たちが、私たちを変えてくれるんじゃないかって。

 私たちを導いてくれるんじゃないかって。

 そんな淡い希望に、すがりついているからなんて、さ。

451: 2016/10/20(木) 23:08:12.51 ID:DRFjCdkxo

ことり「私を見込んで誘ってくれた向こうの人」

ことり「私のためにコネクションをつないでくれたお母さん」

ことり「私を応援してくれてるたくさんの人」


ことり「それに――私の背中を押してくれてる、大切な友達」


ことり「もう、裏切れないの」

ことり「もう、私だけで決められる話じゃないの」

ことり「だから、だから――」

花陽「ことり先輩」

 必氏になる私を、まるで気にすることもなく。

 花陽ちゃんは、繰り返す。


花陽「先輩は。行きたいんですか?」

452: 2016/10/20(木) 23:08:44.68 ID:DRFjCdkxo

ことり「――わかってよ!」

 花陽ちゃんがしつこいからなのか。

 それとも、私のもろくてやわらかいところを何度もついばまれたからなのか。

 つい、おっきな声をだしてしまう。

ことり「言えないよ、今さら!」

ことり「海未ちゃんも苦しんでるの、わかってるから! 悩んでるのわかってるから!」

ことり「これ以上苦しめたくないの!」

ことり「私のせいで! これ以上、これ以上――」

 頭の中がぐちゃぐちゃになって。形にならない言葉をひたすらにぶつける。

 怖がらせちゃったかな。

 嫌な思いさせちゃったかな。

 そう思い、ふと見た花陽ちゃんの表情は。


花陽「――――」


 とても強くて、とても熱かった。

453: 2016/10/20(木) 23:09:30.00 ID:DRFjCdkxo

【Side:海未】

海未「のろい?」

凛「うん。のろい」

 あっけらかんと返す目の前の少女は。

 しかし瞳の奥に、深く暗いなにかを宿していました。

凛「ねえ、海未先輩」

海未「……なんでしょう」

凛「がまん、しちゃだめだにゃ」

海未「我慢? 私が?」

凛「言いたいことは言わなきゃダメだし、気持ちは隠しちゃダメ」

凛「それはいつか、きっと大きなのろいになるから」

海未「……先ほどから、何の話をしているのですか。のろいだのなんだの」

 いえ、わかってはいるのです。

 意味は理解できなくとも、彼女がなにか大切なものを伝えようとしているのは。

海未「そもそもあなたには関係のない話です。部活だって生徒会長の出した条件が済めばやめます」

海未「ここから先は、あなたに口を出される筋合いはありません」

 ぴしゃりと言い放った私に。

 それでもこの後輩は。


海未「――なにがおかしいのですか!」


 くすくすと、笑うのです。

454: 2016/10/20(木) 23:10:03.33 ID:DRFjCdkxo

凛「ううん、ごめんなさい。あんまりにもそっくりだったから」

海未「またその話ですか!」

 要領を得ない彼女に、ついに堪忍袋の緒が切れました。

海未「いいかげんにしてください! さっきからあなたは何が言いたいのですか!」

海未「我慢などしていないし、隠してなどいません!」

海未「ことりに行ってもらいたい気持ちに偽りはありません!」

海未「全て、全ては、ことりのために――!」

凛「海未先輩」

海未「なんですか!」


凛「嘘つくの――へただね」


 かぁ、っと。

 全身の血液が沸騰したかのような怒りが、私を支配しました。


海未「あなたに――なにがわかるのですか!」

455: 2016/10/20(木) 23:10:48.95 ID:DRFjCdkxo

凛「わかるよ」

 たぎる血に、冷や水を浴びせるかのように。

 彼女の言葉は、真剣なまなざしは、鋭い矢となり私を射抜きました。

凛「わかるよ。凛も同じだったから」

凛「それしかないって決めつけて」

凛「それが正しいって決めつけて」

凛「それ以上考えるのをやめて」

凛「きつくきつく、自分をしばって」

凛「いつか、自分の本当の気持ちもわからなくなっちゃうの」

凛「凛も、同じだったから」

海未「あの、」

凛「海未先輩」

海未「なん、ですか」

凛「後悔――するよ?」

海未「――――」

 彼女の強い言葉に、感情に、ついには返す言葉を見失います。

456: 2016/10/20(木) 23:11:26.85 ID:DRFjCdkxo

【Side:ことり】

花陽「……大切なら」

ことり「花陽、ちゃん?」

花陽「大切なら! それじゃダメなんです!」

ことり「っ」

 強い感情の奔流が、私に流れ込んでくる。

花陽「大切なら! 友達なら! ちゃんと言ってあげなきゃダメなんです!」

花陽「そうじゃないよって! 素直になっていいんだよって!」

花陽「ほんとの気持ち、言ってあげなきゃ!」

花陽「相手を傷つけるのを怖がって――」


花陽「自分が傷つくのを怖がって知らんぷりするんじゃ、ダメなんです!」


ことり「あ――」

花陽「じゃないと……本当に後悔しちゃいます……」

 それはひょっとしたら、花陽ちゃん自身が味わった気持ちなのかもしれない。

 それぐらいに、必氏さの詰まった言葉だった。

457: 2016/10/20(木) 23:12:06.01 ID:DRFjCdkxo

ことり「……わかんないよ」

ことり「もう、どうすればいいのか、わかんない」

ことり「どうすれば、誰も傷つかずに済むの……?」

 だから私も、必氏に言葉を紡ぐ。

 出口のない寒い冬空の迷路を、手探りで歩くように。

 答えを探すように。

花陽「簡単です――」

 そんな私に、花陽ちゃんは。

 春のようにあったかい笑顔で、言った。

458: 2016/10/20(木) 23:13:02.38 ID:DRFjCdkxo

【Side:海未】

海未「……どうすれば」

凛「え?」

海未「どうすれば、よいのですか」

 心の中で、大きくそびえたっていた壁が。

 私を強がらせていた、大きな壁が。

 崩れていく音が、聞こえました。

凛「簡単だよ――」

 そんな私に、目の前の後輩は。

 凛は。

 揺らめく純白の花のように優しく、言いました。

459: 2016/10/20(木) 23:13:42.70 ID:DRFjCdkxo





花陽「――素直に、伝えてあげればいいんです」





凛「――素直に、伝えてあげればいいんだにゃ」





460: 2016/10/20(木) 23:14:16.59 ID:DRFjCdkxo





「友達なら、きっとだいじょうぶ」





461: 2016/10/20(木) 23:15:23.68 ID:DRFjCdkxo

――――

――――――

――――――――

【Side:穂乃果】

 海未ちゃんと、ことりちゃんは。

 真っ白い花のように優しく。

 春の日差しのように暖かく。

 私に、伝える。

海未「後輩たちに諭されてから、私たちは二人で話し合いました」

ことり「お互いにどうしたいのか。本当は、どうしたかったのか」

海未「そしてわかったんです。自分たちがこだわっていたことが、どれだけ大切で、だけど、どれだけちっぽけだったのか」

ことり「それでね、決めたの。穂乃果ちゃんとも、ちゃんと話し合おうって。穂乃果ちゃんの本当の気持ち、聞いてあげようって」

海未「穂乃果――」

ことり「穂乃果ちゃん――」

462: 2016/10/20(木) 23:15:49.09 ID:DRFjCdkxo





海未「ことりにどうしてほしいですか?」





ことり「私にどうしてほしい?」





463: 2016/10/20(木) 23:16:15.82 ID:DRFjCdkxo

 もう、いいのかな。

穂乃果「海未ちゃん」

海未「はい」

 言っても、いいのかな。

穂乃果「ことりちゃん」

ことり「うん」

 言えなかった大切な一言。


 言っても――いいよね。

464: 2016/10/20(木) 23:16:42.16 ID:DRFjCdkxo





穂乃果「行かないでぇ……」





465: 2016/10/20(木) 23:17:08.58 ID:DRFjCdkxo

穂乃果「離れ離れなんて……ひっく……やだよぉ……」

穂乃果「一緒が、いいよぉ……ひぐっ」

海未「ごめん、なさい……つらい思い、させてしまいましたね……」

ことり「ごめんね……ごめんね……」


 なにも難しいことなんて、なかったのかもしれない。

 ただ、ほんのちょっとだけすれ違って。絡まっちゃって。

 お互いに、素直な気持ちが見えなくなって。

 ほどいてみたら、見えた答えは。


 すっごく、シンプルだった。

466: 2016/10/20(木) 23:17:58.39 ID:DRFjCdkxo

ことり「今日、帰ったらお母さんに伝えるね。留学のお話はお断りします、って」

 三人で一通り泣いて。

 これからのことを決めよう、ってなった。

海未「……大丈夫、なのですか?」

ことり「うん。相手の方にはがっかりさせちゃうかもだけど」

ことり「だけど――これが私の気持ち、だから」

海未「――そう、ですか」

ことり「それよりも……アイドル研究部、どうしよっか」

海未「そうですね……来週の撮影までは続けるべきでしょうが、それから先は、」

穂乃果「続けよう」

ことり「え?」

海未「穂乃果?」

 あはは。二人ともびっくりしてる。

 そうだよね。だって私が、一番続けたくないって思ってた人だもんね。

467: 2016/10/20(木) 23:18:36.95 ID:DRFjCdkxo

穂乃果「続けよう、アイドル研究部」

穂乃果「他の人たちに迷惑かけちゃうっていうのも、もちろんあるけど」

穂乃果「私自身、続けたいんだ」

穂乃果「私たち三人がつながれた、つながり続けられた、大切なきっかけだから」

穂乃果「すっごく――大切な場所になったから」

ことり「穂乃果ちゃん……」

海未「そう、ですね」

海未「アイドル活動、よいではないですか。私たちが『三人で』必氏になれる場所があっても、いいと思います」

海未「どうですか? ことり」

ことり「……うん」

ことり「私も賛成!」

468: 2016/10/20(木) 23:19:02.59 ID:DRFjCdkxo





 ――ああ、なんだかとっても久しぶり。


 三人が、ひとつになれた気がした。





469: 2016/10/20(木) 23:19:39.62 ID:DRFjCdkxo

 * * * * *

にこ「…………」

 屋上への扉が、重い。

 いや、物理的にっていうのもあるんだけど、もっと精神的な部分で。

 昨日絵里が宣告したリミットは一週間。あと一週間で、六人を仕上げなければならない。

 ――正直、無理って思う。

 一年生はともかくとして、二年生三人はきつい。

 技術的にも、モチベ的にも。

 一週間は――短すぎるでしょ。

 そんな気持ちが重さを増させる扉を、やっとのことで開いて。

 私の目に飛び込んできた光景は。


穂乃果「あっ、にこ先輩きた!」

凛「にこ先輩おっそいにゃー!」

海未「こらこら凛、私たちの気が急いただけでしょう」

ことり「にこ先輩が来た時間はいつも通りだよ?」

花陽「そんなことより、早く練習始めませんか? あんまり時間、ないですし……」


にこ「――――え?」


 信じられないものだった。

470: 2016/10/20(木) 23:20:07.98 ID:DRFjCdkxo

 強い違和感が私を襲う。

にこ「え、ちょっと……え?」

穂乃果「そうだ、にこ先輩!」

 戸惑う私をよそに、穂乃果がぐっと私に詰め寄る。

穂乃果「今まで……すいませんでした!」

にこ「え……え?」

穂乃果「私、全然練習に一生懸命になれなくて、すっごく迷惑かけてましたよね……」

穂乃果「だけど、もう大丈夫ですから!」

穂乃果「私も、それに海未ちゃんもことりちゃんも、これから一生懸命がんばります!」

穂乃果「だから……改めて、よろしくお願いします!」

 叫ぶように言いながら、地面と平行になるくらい頭を下げる穂乃果。

 待って、全然状況についていけない。

471: 2016/10/20(木) 23:20:43.92 ID:DRFjCdkxo

ことり「そうだ、私『START:DASH!!』用の衣装作ってきたんです」

凛「えっ、本当!?」

穂乃果「おぉ、凛ちゃんいい食いつきだねぇ!」

花陽「だって凛ちゃん、それがお目当てだもんね?」

凛「えへへー」

海未「へえ、凛もかわいいところがあるのですね」

凛「あー、海未ちゃん馬鹿にしてる!?」

にこ「…………」

 なんていうか。

 懸念事項は、きれいさっぱりなくなったみたい。

 私の――知らない間に。

472: 2016/10/20(木) 23:21:19.09 ID:DRFjCdkxo

にこ「あ……」

 きゃいきゃいとかしましい後輩たちの姿を見て、気づく。

 屋上に入ったときに覚えた違和感の、その正体に。

 あの感覚。

にこ「――――」



 最近毎朝教室に入った時に感じる感覚に、そっくりだったんだ。

483: 2016/12/12(月) 20:05:11.44 ID:z6qsGP5qo

【Side:絵里】
 
絵里「…………」チラ

希「…………」

絵里「…………」チラ

希「…………はぁ」

希「そろそろ、時間やんな?」

絵里「あら。もうそんな時間だったのね」

希「絵里ち。いくらなんでも白々しすぎ」

希「時計ちらちら気にしてたの、気づいてないと思った?」

絵里「……わかってるわよ」

484: 2016/12/12(月) 20:05:53.99 ID:z6qsGP5qo

希「実際のところ。どうなん? あの子らの出来栄えは」

絵里「先週の録画風景は希も見ていたでしょう?」

希「そんなこと言っても、うちダンスとか歌は専門外やし。あーうまくなったなー、くらいにしか思わへんかったよ」

希「あれでいけそうなん? ランキング100位以内」

絵里「…………」

希「……わかりやすいお返事どうも」

絵里「なにも言ってないわよ?」

希「目は口ほどに物を言う、ってね」

絵里「う……」

希「そっか。難しいんだ、やっぱり」

485: 2016/12/12(月) 20:06:26.14 ID:z6qsGP5qo

絵里「希の言う通り。うまくはなったわ。それも格段に」

絵里「二年生の三人が急にやる気になったのが大きいわね。おかげで一年生にも火がついたみたいだったし」

希「というより、見た感じ二年生の方が一年生に火ぃつけられた感じやったやんな?」

絵里「そう、かもしれないわね。もともとあの二人はアイドル活動に真剣に向き合っていたから」

絵里「だけど……やる気だけじゃまかなえないものも、あるわ」

希「まあ、やる気になってから一週間じゃねぇ……」

絵里「残念だけれど、結果は火を見ずとも明らかだわ」

希「なら、入らんの? アイドル研究部」

希「うちには絵里ちが楽しみにしてるように見えたんやけどな? アイドル活動」

絵里「――――」

486: 2016/12/12(月) 20:06:58.01 ID:z6qsGP5qo

 アイドルに全く興味がなかった、と言えば嘘になる。

 バレエの経験からダンスの心得はあったし、歌だって下手な方ではない。むしろどちらも好きなくらいだった。

 だから、それらを生かして自分が輝く舞台に再び登れるのであれば。

 かつての雪辱を、果たすことができるのであれば。

 それは願ってもないことであった。

 だけど。

絵里「アイドルはね。正直な話、どうでもよかったの」

希「ふぅん?」

 からかうような、試すような、希の相槌。

 ああ。やっぱりこの子は、底意地が悪い。

 わかっていて聞いているのであれば――お手上げである。

絵里「私が興味あったのは、矢澤さんの方」

487: 2016/12/12(月) 20:07:35.49 ID:z6qsGP5qo

希「うん。喜んでたもんね。うちの占いの結果、聞いた時」

希「『あの矢澤にこさんと一緒に活動できるの?』って」

希「おかしな話やんな? うちの占いなんて関係なく、一緒に活動したいなら「いーれて」って言えばいいだけなのに」

希「まるで誰かのお許しがなければ、それもできないみたいにさ」クスクス

絵里「もう、笑わないでよ」

 だけど、それも私が彼女に惹かれる理由。

 私はそういうところ、素直になれないから。

 「やりたいから」なんていうシンプルな理由で、一歩を踏み出すことができないから。

 それを純粋に追いかけられる彼女が――そう、とても眩しかった。

絵里「でも……」

 曇る私の表情を、希が察する。

希「うん。今のにこっちは、なんか違うね」

希「前に絵里ちが言ってた『私の知ってる矢澤にこと違う』って言葉の意味、今ならわかる」

希「今のにこっち――なんだか苦しそう」

絵里「…………」

488: 2016/12/12(月) 20:08:25.06 ID:z6qsGP5qo

 六人が作り上げた『START:DASH!!』の完成度は、お世辞にも上出来とは言えなかった。

 高坂さんが遅れ、星空さんが走り、小泉さんが息を切らせ。

 園田さんはぎこちなく、南さんは声が上擦る。練習不足は誰の目にも明らかだった。

 だけど、彼女らには他の誰にも負けない笑顔が宿っていた。

 楽しそうに。

 嬉しそうに。

 最高の瞬間を作り上げていた。

 もちろん、それは残る一人も同じだった――はずなのに。

絵里「…………」

 矢澤にこのそれは、あまりにも完璧に「作り上げられた」笑顔だった。

489: 2016/12/12(月) 20:10:57.98 ID:z6qsGP5qo

希「スマイルはゼロ円ってよく言ったもんやね。むりくり提供される笑顔が無価値だって、にこっちに思い知らされたわ」

 希の言葉になるほどと思う。

 彼女の笑顔には、ただ口角を吊り上げ目を細められた彼女の笑みには、まるで価値が見いだせなかった。

 ほかの五人との決定的な違い。

 彼女は、笑顔になっているだけであり。

 笑っているわけでは、ない。

絵里「そもそも……八つの光って、いったい何なのかしら」

希「っ」

絵里「別に希の占いをどうこう言うつもりは全くないのだけれど、だけど異様よ、あの八人は」

 そこに自分も含まれているというのは、なんだかおかしな話だけれど。

 でも、アイドルグループを結成するには、あまりにも向いている方向がばらばらな八人。

 それがなんとか形にはなってきたけれど……あくまで結果論。

絵里「矢澤さんが集めようとしていたのは、あの八人なわけよね?」

絵里「私たちは希の占いであの八人なんだってわかったけれど、矢澤さんにはなにか意味のある八人だった?」

絵里「けれど、どこかに共通点のある集まりというわけでもないし……」

希「……ね、絵里ち」

絵里「ん?」

 気づけばだんまりになっていた希が、言いにくそうに口を開く。

 それはまるで、いたずらを告白する子供のような。

希「あんな? 実はその占いのことで、絵里ちにまだ言ってないことがあって」

絵里「言ってないこと?」

希「うん。実はな、にこっちのことなんやけど、その八人に――」


 コンコン


 だけれど、希の告白は。

花陽「――失礼します」

 突然の来訪者に遮られた。

490: 2016/12/12(月) 20:11:38.29 ID:z6qsGP5qo
だいぶ空いた割に進まずに申し訳ない
続きは今書いてるからちょっと待って

495: 2016/12/20(火) 01:33:09.77 ID:YNfrPH5eo

【Side:花陽】

花陽「――失礼します」

 私が生徒会室の扉を開けると、少し目を丸くした生徒会長と目が合いました。

凛「失礼します」

 続いて凛ちゃんも。その姿を見て、生徒会長は表情を怪訝そうなものに変えます。

絵里「……いらっしゃい、アイドル研究部のお二人さん」

 氷のように冷たい視線が、私の心を見透かそうとしているのがわかりました。

 当然、だと思います。

 今日の午後五時。生徒会長たちは、その時間に私たちの部室を訪れる予定でした。

 この人たちが、アイドル研究部に入部するかどうかを決めるために。

絵里「こちらから伺う約束だったはずだけれど、私の記憶違いだったかしら」

絵里「それとも、別件で生徒会に用事?」

花陽「いいえ」

 生徒会長と向き合う私の声は。ひょっとしたら、少し震えていたかもしれません。

 これから自分がすることを考えたら、だけど、声だって震えます。

 だって。

 これはきっと、とってもずるい取引だから。



花陽「アイドル研究部に入っていただけませんか?」

496: 2016/12/20(火) 01:33:44.47 ID:YNfrPH5eo

絵里「――待って。言ってる意味がわからないわ」

花陽「なにも難しい話じゃありません。そのままの意味です」

花陽「アイドル研究部に、入ってください」

絵里「うん、うん。だからね? それを決めるためにあなたたちはランキング100位に入ろうと一生懸命――」

花陽「無理です」

絵里「――――」

 呆れながら頭を抱えた生徒会長が、そのままの姿勢でこちらに視線を送ります。

 さっきよりも。

 冷たい、視線でした。

497: 2016/12/20(火) 01:34:22.52 ID:YNfrPH5eo

絵里「――無理、というのは?」

花陽「それも、そのままの意味です」

花陽「私たちの歌で、踊りで、『START:DASH!!』で――」

花陽「ランキング100位入りは、無理です」

絵里「諦めた、ということかしら?」

花陽「いいえ。ただの事実です」

花陽「私たちは一生懸命頑張りました」

花陽「最初はどうなるのかな、って思いましたけど」

花陽「だけど、みんな少しだけ向いてる方向が違うだけで、必氏なのは変わりなかったから」

花陽「だから。だから、あの『START:DASH!!』は、今の私たちができる最高のパフォーマンスでした」

絵里「それなら――」

花陽「それでも」

 何度も生徒会長の言葉を遮るようで、少し罪悪感があったけど。

 私は、続けます。


花陽「アイドルは、甘くありませんから」

498: 2016/12/20(火) 01:35:13.44 ID:YNfrPH5eo

絵里「……そうね」

 小さくため息をつきながら、だけど生徒会長は否定をしませんでした。

 この人だってわかっているはずです。

花陽「ランキング100位に入ること、無理だって。わかってましたよね?」

絵里「別に、あなたたちの努力を否定するつもりはないのだけれどね」

絵里「だけど……そう、あなたの言う通り。あの出来栄えでランキング入りは――」

花陽「違います」

絵里「――――」

 みたび、話を遮られた生徒会長は。

 だけど、怒った風でもなく、静かに私を見つめています。

花陽「あの条件を出したときから、です」

絵里「…………」

499: 2016/12/20(火) 01:35:54.07 ID:YNfrPH5eo

花陽「ずっと不思議でした。この条件、そもそも条件として成立してないって」

花陽「だって、私たちがランキングに入ろうが入るまいが、生徒会長には関係ありません」

花陽「なんのメリットもない話です」

絵里「――だとしたら、なぜ私はあんな条件だしたのかしら?」

 それは、わからないことを尋ねる質問ではなく。

 答え合わせをするような問いかけ。

花陽「……生徒会長は、最初から答えを言っていました」

花陽「私に言った、あの言葉です」

絵里「――――」

花陽「『入るつもりがあったから』、って。生徒会長は言いました」

花陽「それから、『あなたはわかってるんじゃないの?』、とも」

花陽「生徒会長は――絵里先輩は、そもそも最初からアイドル研究部に興味があったんですよね?」

絵里「――――」

 絵里先輩は、沈黙を貫くままでした。

500: 2016/12/20(火) 01:36:44.58 ID:YNfrPH5eo

花陽「その時の態度も、私は不思議でした」

花陽「私たちを煽るような。けんかを売ってるような。あの態度」

花陽「機嫌が悪かったっていうのも、あるのかもしれませんけど。でも、それだけじゃない気がしていました」

絵里「……なら、どんな理由が?」

花陽「試してたん、ですよね?」

花陽「理由はわからないけれど、絵里先輩には二年生も含めた「あの場の六人」がアイドル研究部にいることが必要だった」

花陽「いえ、それだけじゃありません」

花陽「今後もスクールアイドルとして活動していくことが、必要だった」

花陽「だけど、二年生は誰一人自分の意志でアイドルをやろうとはしていませんでした」

花陽「あのままの意識で続けていても。中途半端な気持ちで続けていても」

花陽「あの人たちがアイドルに真剣に向き合うことはなかった」

花陽「そんな人たちがもしもレベルの高い練習を要求されたら――」

 結果は、穂乃果先輩がそのまま証明してくれました。

花陽「……きっと、いずれ辞めてしまっていたと思います」

絵里「…………」

501: 2016/12/20(火) 01:37:28.19 ID:YNfrPH5eo

花陽「だから、煽ったんです。試すために」

花陽「アイドル研究部に、アイドル活動に、真剣に取り組めるかどうか」

花陽「あの六人が――ううん、絵里先輩たちも含めて、八人が」

花陽「アイドル研究部としてやっていけるかどうか」

花陽「絵里先輩のあの態度に怒ってばらばらになるならそれまで」

花陽「それでもなお、まとまりのあるグループを作れるかどうか。絵里先輩は、試したかったんじゃないですか?」

花陽「それならあの条件も納得できます」

花陽「ランキング100位なんて、絵里先輩にはどうでもよかった」

花陽「条件の本当の意味は――「100位に入れるくらいのまとまりを作れるか」、だったんですから」

絵里「――――」

502: 2016/12/20(火) 01:38:17.46 ID:YNfrPH5eo

絵里「ハラショー」

花陽「え?」

絵里「素晴らしいわ。まるで名探偵ね」

凛「それじゃあやっぱり!」

絵里「買いかぶりすぎなところもあるけれどね。おおむね当たりよ」

花陽「買いかぶり?」

絵里「……あの時の態度。あれは、そこまで深く考えていたわけではないわ」

絵里「ただ――ただ、腹が立ってしまっていただけ」

花陽「にこ先輩に、ですよね?」

絵里「……そこまでわかるものなの?」

花陽「私たちも、おなじですから」

凛「今のにこ先輩、ちょっぴり自分勝手だにゃ」

花陽「……二年生を勧誘したのは、正直、今でも納得できていません」

花陽「なんだかんだで、穂乃果先輩と海未先輩はやってもいいかなって気持ちに傾いていましたから、まだわかります」

花陽「だけどことり先輩に関しては、わけがわかりません」

花陽「衣装作り担当として勧誘したのなら、理解できました」

花陽「だけどにこ先輩は、アイドルをやってもらうために勧誘したって言ってました」

花陽「まったくやる気のない人を、すぐに辞めるかもしれないリスクを背負ってまで勧誘する理由は――わかりません」

503: 2016/12/20(火) 01:40:22.36 ID:YNfrPH5eo

絵里「それに関しては本人に確認するしかないけれどね」

絵里「それで? それがどう最初の話につながるのかしら?」

花陽「簡単です」

 すぅ、と一度息を吸って。

花陽「絵里先輩。私たち六人は、あなたの望むレベルまでの一生懸命さを作ることができました」

花陽「二年生も、それは同じです」

花陽「絵里先輩が求めていた「本当の条件」は、達成しました」

花陽「だから――アイドル研究部に、入ってください」

絵里「……なぜ?」

花陽「え?」

絵里「なぜ、私たちにそこまでこだわるの?」

絵里「矢澤さんを自分勝手というなら、私たちだってよっぽど自分勝手よ」

絵里「それこそあなたたちにメリットがない」

凛「簡単だにゃ」

 さっきの私の言葉をマネするみたいに、凛ちゃんが言います。

凛「先輩たちも、アイドル研究部のために一生懸命だからだにゃ」

凛「先輩たちと一緒に―― 一生懸命な人たちと一緒に部活をやりたいと思うって、おかしなことじゃないと思います」

凛「だから――アイドル研究部に入ってください」

 地面と平行になるくらい、凛ちゃんが頭を下げます。

 それは、絵里先輩たちと初対面の時の態度からは考えられない姿でした。

504: 2016/12/20(火) 01:41:55.34 ID:YNfrPH5eo

絵里「――そこまで言われたら、断りづらいじゃない」

凛「それじゃあ!」

 ぱっと顔を輝かせて、凛ちゃんが頭を上げます。

 私も、その言葉から良い返事を期待しました。

 だけど。

絵里「でも……駄目よ。条件は条件」

花陽「え……」

凛「そんな……」

希「ちょっと絵里ち」

 それまで黙って成り行きを見ていた希先輩が口を開きます。

希「そこまで頑固なる必要あるん? 絵里ちとしても願ってもない申し出やん」

絵里「それとこれとは話が別だわ」

絵里「ここでその話を飲んでしまったら、筋が通らないじゃない」

絵里「それこそあそこまで仕上げてきた彼女たちを侮辱する行為だわ」

絵里「私があなたたちの……矢澤さんのお願いをきくことは、できないわ」

 思ったよりも、絵里先輩は頑なな人でした。

 せっかく、せっかく真剣にアイドルに向き合える仲間が増えると思ったのに――

絵里「だから、ね」

花陽「え?」

 自分でも気づかぬ間にうつむかせていた顔を上げると。

 そこには、ほんのちょっぴり照れた顔の絵里先輩いました。


絵里「だから――こうさせてもらうわ」

505: 2016/12/20(火) 01:43:05.18 ID:YNfrPH5eo

 * * * * *

絵里「私たちをアイドル研究部に入れてください」

希「お願いします」

にこ「…………」

 絶句。余りにも意味不明な展開に言葉が出てこなかった。

 約束の時間を少し過ぎたころ、なぜか絵里たちと一緒に花陽と凛もついてきて。

 パソコンでサイトにつないで結果を確認したら――惨敗。

 100位にはほど遠い数字が、私たちにつけられていた。

 正直、わかってた部分はあるけど。それでもショックなことには変わりなくて。

 絵里たちが入部しないって現実がじんわり体に染み渡ろうとしていたところで――その台詞。

にこ「あの、ちょっとなに言ってるか全然わかんないんだけど……」

絵里「たしかにあなたたちは私の出した条件をクリアできなかった」

絵里「だから、私たちが矢澤さんのお願いをきくことはできない」

にこ「うん、そうよね。私の認識、間違ってなかったわよね」

にこ「だったらなんで――」

絵里「だから、よ」

絵里「だから……今度は、私たちからお願い」

絵里「矢澤さんのお願いとか、私の出した条件とか、そんな話はもう一切関係ない」

絵里「自分勝手なのはわかってる。今までの態度も全部謝るわ」

絵里「だから――私と希を、アイドル研究部に入れてください」

にこ「…………」  

506: 2016/12/20(火) 01:43:53.20 ID:YNfrPH5eo

 いや、いやいやいやいや。

 たしかに最初にお願いしたのは私だし、条件をクリアできなかったのに二人が入部してくれるのは願ってもない話。

 でも、どこか私の心にはもやもやしたものが残る。

 そう――最近ずっと感じている、置いてけぼり感。

 私の知らないところで、私にかかわる致命的なものがどんどん進められていく感覚。

 それが、また、私に襲い掛かった。

海未「それではこれからも生徒会長のレッスンを受けられるということですか?」

ことり「私は大歓迎かなぁ。レッスンはたしかにちょっと大変だけど、でも自分が成長してるのが実感できるし」

穂乃果「あ、あははー……私はちょっとどころじゃなかったけどなぁ……」

海未「穂乃果が一番必要とすべきでしょう? まったく情けない」

穂乃果「だってぇ……」

 ちょっとちょっと、あんたたちも待ちなさいよ。

 まだ私、返事してないじゃない。

 なんでもう二人が入部するかのように話を進めてるわけ?

507: 2016/12/20(火) 01:44:31.92 ID:YNfrPH5eo

花陽「にこ先輩」

にこ「え?」

 戸惑う私に、花陽が正面から向き合う。

花陽「断る理由は、ないと思います」

花陽「絵里先輩たちが入れば、この部はもっともっとレベルアップできます」

花陽「だから、この話は――」

 真剣に語る花陽の言葉が、右から左へと流れていく。


 『絵里先輩』 


 あんたたち、いつの間にそんな距離になったの?

にこ「……うん、うん」

にこ「いいんじゃない?」

 気づけば私の口からは、そんな言葉が漏れていた。

凛「……! やったにゃ!」

 ねえ、凛。

 あんた絵里のこと毛嫌いしてたんじゃなかったっけ?

 なんでそんな大喜びしてるわけ?

508: 2016/12/20(火) 01:45:25.74 ID:YNfrPH5eo

絵里「それじゃあ改めて」

絵里「三年生の絢瀬絵里です。今までは偉そうにしてごめんなさい」

絵里「だけどこれからは対等な部員。一緒に高め合っていきましょう」

希「うちからも言わせてもらおうかな?」

希「同じく三年生の東條希」

希「今まではあんまり関わることもなかったけど、これからはよろしくね」

穂乃果・凛「よろしくお願いしまーす!」

 二人の元気な声を口火に、絵里たちはここに迎え入れられた。

 ははは、やったじゃない。

 ついに真姫ちゃん以外の八人が揃ったわ。

 私の望んだ通りじゃない。

 私の計画通りじゃない。

 あはは。



 





 あたま、いたいな。

517: 2017/01/02(月) 22:53:05.75 ID:yiknpVX/o

【Side:真姫】

 学校内でアイドル研究部の噂を耳にすることが増えた。

「アイドル研究部、最近頑張ってるらしいよ?」

「えっ、それって例のあの子の部活でしょ?」

「それがなんだか最近活動再開したらしくて」

「あー、それ私も知ってる。なんかおっきな大会に出るためのランキングに登録したとか」

「それそれ。踊ってる動画もあるけど結構いい感じだったよ」

 音楽室へ向かう途中。前を歩く先輩たちの会話。

 3年生の彼女らからしてみれば、アイドル研究部は触れちゃいけないタブーのようなもの。

 ――だったはずなのに、それが今、動き始めてる。

518: 2017/01/02(月) 22:53:33.90 ID:yiknpVX/o

「うちの部活の後輩の話だと、興味持ち始めた子もいるみたい」

「へー。だけど、部長ってあの子のままでしょ?」

「またひとりぼっちにならなきゃいいけどねぇ」

「あはは、言えてる。なんかネットでは既に悪口書かれてるらしいし」

「きゃー、前途たなーん」

 他人事のように茶化す彼女らの背中に続く。

 いや、たしかに他人事なんだろうけど。だけどちょっと悔しいカンジ。

真姫「…………」

 ……私にとっても、他人事じゃないの? 

519: 2017/01/02(月) 22:54:12.16 ID:yiknpVX/o

 たしかに曲を提供したのは私。

 だけど、別に入部してるわけじゃない。

 でも、その部長とはしょっちゅう会ってて――

真姫「――もう、わけわかんない」

 私にとってアイドル研究部ってなに?

 私にとって、「矢澤にこ」は――

520: 2017/01/02(月) 22:55:05.11 ID:yiknpVX/o

真姫「……で? なんでまたいるわけ?」

にこ「…………」

 もやもやしながら訪れた音楽室には、すでに先客がいた。

 一番前の席でしかめっ面してる二個上の先輩。

 アイドル研究部部長。

 自称未来人。

 矢澤にこ。

真姫「アイドル研究部、忙しいんじゃないの? あちこちで話聞くわよ?」

にこ「…………」

 返事はない。

 最近のこの人はいつもそう。

 部活をほっぽりだして私のところに来たかと思えば、つまんなそうな顔して私の曲を聴いていく。

 正直暇人? って思わないでもないけど、でも、そうじゃないことくらいわかる。

にこ「…………はぁ」

 彼女が何かを抱え込んでることくらい。

521: 2017/01/02(月) 22:55:37.41 ID:yiknpVX/o

真姫「ま、別にいいけど」

 気にしてない風を装ってグランドピアノの前に腰掛ける。

 鍵盤に置いた指がちょっとだけ震えてるの。ばれてないわよね?

 間違っても気づかれちゃいけない。気づかれたくない。

 何かに迷ってる彼女が。

 何かに惑ってる彼女が。

 唯一、私を頼ってくれてることが、嬉しいだなんて。

522: 2017/01/02(月) 22:56:26.87 ID:yiknpVX/o

真姫「――――」
  
 きっと、それが答え。

 友達を作ることを頑なに拒んだ私が、一人になることを望んだ私が、ついに崩した壁。

 一緒にいてもいいって。

 一緒に何かをしてもいいって。

 そう、思える存在。

 きっかけはこの人がつけてくれる歌詞。私の曲に、ぴったりの歌を乗せてくれる人。

 だけど、それが理由として小さくなるのに時間はかからなかった。

 時々でも構わない。

 私のために足を運んでくれるのが。私のために時間を費やしてくれるのが。

 すごく、嬉しかった。

523: 2017/01/02(月) 22:57:12.33 ID:yiknpVX/o





 私のメロディに、彼女が歌を乗せる。



 ただそれだけの時間が、ずっと、ずっと、続けばいいと思った。





534: 2017/04/12(水) 20:40:45.51 ID:JLb1uo3Bo

 この世界にきて最大の違和感を、ここ数日で嫌というほどに味わってる気がする。

 μ'sのメンバーも八人まで揃い、残すは真姫ちゃん一人となった。

 形としてはまだでも、雰囲気としてはもうかつてのμ'sと同じようなものになってたっておかしくない。

 ――はずなのに。

穂乃果「それでね、名前はなんかこう、春っぽい感じがいいと思うんだよね!」

ことり「わぁ、私も賛成! 私たちにぴったりだと思うなぁ」

穂乃果「だよね、だよね! どんなのがいいかなぁ……」

ことり「ちょっとおしゃれな感じも出したいよね……」

 さっきから聞こえるこの会話。

 私が部活に顔を出してる時は――ぶっちゃけ、最近は真姫ちゃんのところに行くことの方が多いんだけど――嫌というほど耳に入ってくる話題。

 それがなにより――私の心をざらつかせる。

 あんたたち、一体なんの話してるのよ。

535: 2017/04/12(水) 20:41:26.66 ID:JLb1uo3Bo

海未「ほら、二人とも。そろそろ練習を始めますよ」

ことり「あ、はーい」

穂乃果「えぇー、もうちょっとでいい名前が浮かびそうだったのにぃ……」

海未「つべこべ言わないでください。絵里だってさっきからあなたたちの会話をどこで遮ろうか戸惑っているのですよ」

絵里「ちょ、ちょっと海未、私のことは別にいいから……」

海未「いえ、よくありません。こういったことはきっちり区切りをつけるべきです」

海未「にこ先輩だって、今日は作曲者の方のところでなくこちらへ顔を出してくれているのですから――」

 うん、まあ、そういう建前を使わせてもらってるんだけど。

 だから、こっちに顔を出さないのは、全面的に私の責任なんだけど。


 絵里。にこ先輩。

 
 距離感が――つらい。

536: 2017/04/12(水) 20:42:09.15 ID:JLb1uo3Bo

にこ(あー、いづらい……)
 
 開いた溝が、なおのこと私の居場所を奪い。

 結果居心地のいい場所――つまり、放課後の音楽室に、足を運びたくなる。

 それが拍車をかけてることなんてわかりきってるんだけどさ。

 でも、今のこの部活は……なんだかものすごく、気味が悪い。

 自分の作った料理を食べてるはずなのに、入れた覚えのない調味料が混ざってるような、そんな感覚。

 居心地が――悪い。

海未「ところで花陽と凛はまだなのでしょうか。いつもなら真っ先にウォーミングアップを始めているのですが」

絵里「ああ、その二人なら今日は遅れるそうよ。さっきメールをもらったわ」

 なんで部長の私に送らないの? なんて疑問は、誰も持たない。

 そりゃそうよね。来るか来ないかわからない人間に送ったってしょうがないわよね。

537: 2017/04/12(水) 20:42:42.56 ID:JLb1uo3Bo

海未「ああ、そうです。フランス語なんてどうでしょう」

穂乃果「?」

海未「先ほどのあなたたちの話です。おしゃれな名前をつけたいのでしょう?」

海未「ならば春をフランス語にでも訳してみてはと思ったのです」

ことり「フランス語で春って……?」

希「あ、うち知ってるよ。たしか――」

   プランタン
希「printemps、やったっけ」


穂乃果「ぷらんたん……うん、いい感じ!」

ことり「とってもおしゃれな響きだねぇ」


穂乃果「ほんと、私たちのユニットにはぴったりな名前だね!」

538: 2017/04/12(水) 20:43:10.22 ID:JLb1uo3Bo

 ユニット。

 たまに顔を出せば、いつも耳にする話題はそれ。

 特に乗り気なのは穂乃果やことりみたいだけど、他の子たちもまんざらではない雰囲気を醸し出してる。

 いやいやいや、冗談じゃないわ。

 これからμ'sとしてやっていこうって時に、ユニット?

 九人で――まだ、八人だけど――練習する時間は、まだまだ削れる段階じゃないの。

 それを二、三人のユニットに割くだなんて、とんでもないわ。

539: 2017/04/12(水) 20:43:58.20 ID:JLb1uo3Bo

にこ「…………」

 だけど、こうして一人離れて他の子たちを眺めてると、よくわかる。

 この集まりは、μ'sとは違う。

 真姫ちゃんがいないこととか、個人個人の距離感が違うとか、細かいところもそうなんだけど、それだけじゃなくて。

 決定的な部分で、雰囲気が違う。

 ここにいる八人は、決して「八人の集まり」になってない。

 穂乃果が作ったあの九人にあったまとまりが、ここにはない。

 もちろんそれは仲が悪いとかそういうことではないし、関係にぎこちなさがあるってわけでもない。

 だけどそう――かつて感じた一体感は、少なくともまだ、ここにはない。

 ……まあ、それを率先して乱してるのが自分だっていうのは、反省しなきゃだけど。

 でも。

にこ(仮に真姫ちゃんが入部したとして――私たちは、あのμ'sになれるの?)

 頭の隅にべったりとこびりつく不安は、何度かぶりを振っても離れてくれることはなくて。

 言いようも知れない恐怖が、私の足をがっしりとつかんでいるのを感じた。

540: 2017/04/12(水) 20:44:38.73 ID:JLb1uo3Bo

にこ(ええい、やめやめ!)

 そんなことを考えてたってなにも始まらない。

 今の私が考えるべきは、あの頑固な赤毛ちゃんをいかにしてここに引っ張ってくるかで――

 と、私が考えを切り替えようとしたところで、ばーんと屋上の扉が開かれる。

花陽「た、大変です!」

 飛び込んできたのは、なんだか懐かしさを感じる花陽の叫び声。続いてその本人と、同様に息を切らせた凛が駆けてくる。

絵里「ちょ、ちょっとどうしたの花陽? 落ち着いて?」

凛「落ち着いてなんていられないにゃ! ビッグニュースだにゃ!」

穂乃果「ニュース?」

希「なにがあったん?」  

 ただならぬ様子の二人に他の部員も集まってくる。さすがにおいてけぼりを食うわけにもいかなく、私も続いて彼女らに近寄る。

 六人の視線を一手に浴びる花陽が、果たして口にした言葉は。

花陽「にゅ……入部希望者です!」

541: 2017/04/12(水) 20:45:30.56 ID:JLb1uo3Bo

にこ「――――!」

 断言できる。

 その言葉に、一番動揺したのは、私だって。

海未「入部希望者とは……花陽たちのクラスメイトが、ということですか?」

花陽「は、はい」

凛「凛たちね、放課後になってすぐに声かけられたんだ。アイドル研究部に興味があるんだけど、って」

にこ「あ、あ……」

 充実感? 満足感? 達成感?

 今の気持ちをどう表現していいのかわからない。
 
 だけど、それは間違いなく私の心を喜びに震わせていた。

 ついに。

 ついにあの子が、折れてくれた――!

絵里「それで、その子は来ていないの?」

花陽「はい、今日は用事があるから話だけ、って……」

凛「だけど興味津々だったし、絶対入ってくれるよ!」

にこ「その、その子の名前って、」

 はやる気持ちを抑えきれず、つい漏れ出た私の質問は。

 だけど、続いた凛の言葉にかき消される。

542: 2017/04/12(水) 20:45:56.98 ID:JLb1uo3Bo





凛「二人とも!」





543: 2017/04/12(水) 20:46:46.83 ID:JLb1uo3Bo

にこ「…………は?」

ことり「すごい、二人も入ってくれるの?」

穂乃果「おおー、一気ににぎやかさが増しそうだね!」

海未「にぎやかさは穂乃果だけで十分ですが……それでも人数は多いに越したことはありませんしね」

にこ「いや、ちょ、」

絵里「そうね、人数が多ければその分ユニットの組み合わせだって幅が広がるだろうし、悪いことじゃないわ」

希「――――」

にこ「ま、待って……」

 沸き立つ場の空気に、混ざれない。

 みんなが何を喜んでいるのか、私にはまったく理解できなかった。

 二人? え?

 真姫ちゃんじゃ――ないの?

544: 2017/04/12(水) 20:47:23.14 ID:JLb1uo3Bo

 私の疑問に答えるかのように、花陽が言葉を続ける。

花陽「小林さんと鈴木さんっていうんですけど、二人ともこの間の動画を見て興味を持ってくれたみたいで」

穂乃果「この間のって、『START:DASH!!』の?」

凛「うん。あれで興味を持ってくれた人、結構いるみたいなんだ」

ことり「そっかぁ……やっぱり意味があったんだね」

海未「ええ……なんだか嬉しくなってしまいますね」

絵里「よし、それじゃあその子たちをしっかり迎え入れるためにも、今日の練習を――」

にこ「――――め」

絵里「え?」

 そんなの。

 絶対に。

にこ「――――だめ!」

545: 2017/04/12(水) 20:48:07.05 ID:JLb1uo3Bo

穂乃果「にこ、先輩?」

にこ「だめ、そんなのだめ、絶対に! 認められない!」

絵里「ちょ、ちょっとにこ? どうしたのよ急に」

絵里「部員が増えるんだったら願ってもない話じゃないの?」

にこ「願ってなんかない! 願ってなんか……」

 目を白黒とさせながら、部員たちが私を見つめる。

 構わない。どれだけ奇異に映ったって、構いやしない。

 これは、これだけは譲っちゃ――

希「九人じゃ、なくなるから?」

にこ「――――っ」

 言葉を継ごうとするより早く、息をのまされる。

希「にこっちが入って欲しいって思ってる人じゃないから、だからだめなん?」

にこ「それ、は……」

 ドンピシャの答えを突き付けられ、口ごもる。

 その通りよ、希。

 私の、私たちのμ'sを。

 見知らぬ誰かに、侵されたくないの。

546: 2017/04/12(水) 20:49:10.21 ID:JLb1uo3Bo

絵里「……希。占いのことを言ってるのだったら、私は八人だと聞いていたのだけれど?」

希「うん、うちの占いではね。だけど、にこっちにとっての『それ』は、どうも九人みたいなんや」

希「せやんな? にこっち」

にこ「…………」

 見透かすような希の言葉に、返すものが見つからず。

 だというのに、希にとってそれは十分返答にあたるものだったみたいで。

希「もともとここにいる八人はね? 意味のある八人だったんや」

花陽「意味のある?」

希「うん。うちの占いでな? 八つの光がひとつに集まって、おっきなひとつの光になる、いうんがでたんよ」

希「それが――うちと絵里ちの占いの結果」

希「それが、この八人……なんだと、思ってた」

海未「……思ってた、ということは、実際は違ったのですか?」

絵里「待って希、そもそもそれは『私と希の占いの結果』なの?」

絵里「にこの占いの結果じゃ、ないの?」

希「…………」

 意味ありげな沈黙。

 ねえ、希。なんで?

 なんでそんな悲しそうな目で、私を見てるの?

547: 2017/04/12(水) 20:49:43.53 ID:JLb1uo3Bo

希「にこっちの占いの結果は――白紙だった」

にこ「――――は?」

希「うちが占ったその『八つの光』に、にこっちは――入ってなかったんよ」

希「だからきっと、あと一人、たぶんにこっちの考えてる九人目が、私たちにとっての八人目」

希「にこっちは、最初から――入って、なかった」

にこ「――――」

 もう、よくわかんない。

 この子は、なにを言ってるの?

 私が氏ぬ物狂いで集めた、このメンバーに。

 私が、入って、ない?

548: 2017/04/12(水) 20:50:17.60 ID:JLb1uo3Bo

希「ねえにこっち。うち、教えてほしいんよ」

希「教えてほしいから、わざわざこんなつらいこと突き付けることにしたの」

希「にこっちの大事な部分に触れたいから、知りたいから、嘘はつきたくなかった」

希「ごまかしたくなかったの」

希「にこっちにとってその九人って――なんなん?」

にこ「きゅうにん、きゅうにん、は……」

 そんな、そんなの、言わなくてもわかるでしょ?

 言わなくても、わかってよ。

 だってそれは、もう形ができ始めてる。生まれ始めてる。

 スタートダッシュを切ったじゃない。

 まだ、六人っていう未完成な形だったけど。

 だけど、その輪郭は、見え始めてたじゃない。

549: 2017/04/12(水) 20:50:47.54 ID:JLb1uo3Bo





にこ「……μ's、でしょ?」





550: 2017/04/12(水) 20:51:35.20 ID:JLb1uo3Bo

 私の一言は、透明な空気の中に紛れて、消えた。

 誰も、なにも答えない。

 どうして?

 六人で踊ったじゃない。歌ったじゃない。

 練習なら、八人で。私たちのパフォーマンスを、μ'sパフォーマンスを、見せたじゃない。

 なのに、なんでそんな――


穂乃果「みゅーず、って……なに? せっけん?」

 
にこ「――――」

 それは、ひょっとしたら場を和ませようとした穂乃果なりの気の利かせ方だったのかもしれない。

 だけど、今の私にとって。

 それは、決定打。

にこ「うそ、だって……」

 よろよろと、おぼつかない足取りで、屋上の隅に放られたかばんに近寄る。
 
 その中からスマホを取り出し、インターネットブラウザを起動。

 ラブライブ公式を、検索。

 ここには、あるよね?

 100位には入らなかったけど、だけど。

 μ'sの名前が、ここには――

にこ「――――あ、」

 だけど、私たちの順位を示す数字の、その隣には。


「音ノ木坂学院アイドル研究部」


 なんの温かみもない、無機質な文字の並び。

551: 2017/04/12(水) 20:52:04.37 ID:JLb1uo3Bo

にこ「は、はは……」

絵里「に、こ?」

にこ「あは、あはは、あっははははははは!」

海未「ど、どうしたのですか? 落ち着いてください!」

 そっかそっか、わかった。わかっちゃった。

 
 「これ」、μ'sじゃないんだ。


 そっかそっか、納得。

 そうよね、そうに決まってるわよね。

 じゃなきゃ、こんなことになってるはず、ないもんね。

 あはは。

 はは。

 は……

552: 2017/04/12(水) 20:52:59.21 ID:JLb1uo3Bo





 それなら。





553: 2017/04/12(水) 20:53:38.24 ID:JLb1uo3Bo

にこ「……なら」

希「にこっち?」

にこ「それなら!」

希「っ!」

 それなら。

 それならそれならそれなら!

にこ「それなら――」

554: 2017/04/12(水) 20:54:08.46 ID:JLb1uo3Bo

 私の中のきれいな心は、言っちゃダメって言ってる。

 私の中のきたない心は、言っちゃえって言ってる。

 それはどっちもおんなじくらい大きな気持ちで。

 だから、私は。

 自分の意志で、選んだ。

555: 2017/04/12(水) 20:54:34.94 ID:JLb1uo3Bo





にこ「それなら――こんな集まり、もういらない!」





556: 2017/04/12(水) 20:55:05.03 ID:JLb1uo3Bo

「――――」

 誰かが息をのんだ。

 みんな、だったのかもしれない。

 決定的に走ったヒビに、とどめを刺したのは。

花陽「――わかりました」

 意外な人物。

557: 2017/04/12(水) 20:55:42.54 ID:JLb1uo3Bo

花陽「……私、にこ先輩は、本当にアイドルが好きなんだなって思ってました」

花陽「だからこそ、ひとりぼっちになっても、アイドル活動を続けられたんだなって」

花陽「だけど……違ったみたいですね。勘違いでした。ごめんなさい」

花陽「絵里先輩。今日からアイドル研究部の部長、お願いします」

花陽「ちゃんと、一生懸命になれる人に、引っ張ってもらいたいですから」

花陽「もう――こんな思い、したくないっ!」

絵里「花陽!」

 湿った叫び声と共に、花陽は屋上を飛び出す。

 それが、皮切り。

海未「……失礼します」

穂乃果「え、っと……私も」

ことり「あ、待って……」

 ひとり、またひとりと。

絵里「……少し、頭冷やしなさい」

希「…………ごめん、にこっち」

 屋上から去って行き。

 そして、私は。

558: 2017/04/12(水) 20:56:09.17 ID:JLb1uo3Bo





にこ「あ――あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!」




 また、ひとりぼっちになった。





566: 2017/05/18(木) 23:52:31.86 ID:m7W+whrIO

 それは、真水のようなものだった。

 ぎゅっと掴んで、もう離さないと心に決めながら、それとは裏腹に指の隙間を零れ落ちていく。

 どれだけ力を込めても。どれだけ願いを込めても。

 それをあざ笑うかのように、手の中にはなにも残らない。

 
 私にとって、μ'sとはそういうものだった。

567: 2017/05/18(木) 23:52:57.82 ID:m7W+whrIO

 夕暮れに沈む教室で、ひとり窓の外を眺める。

 ガラス越しに聞こえる運動部の掛け声がいやに遠くて、どこか現実味を失わせた。

 まるで。

 この世界に、ひとりぼっちであるかのように。

にこ(……あほくさ)

 センチになっているだけだ。すべてが徒労に終わり、すべてを失って、少しだけ疲れが顔をのぞかせて。

 だから、こんなに虚しさが胸を占めている。

568: 2017/05/18(木) 23:53:24.65 ID:m7W+whrIO

 望みすぎてしまったのだろう。言い聞かせるように繰り返す。私は望みすぎてしまった。

 私たち3年生の卒業が間近に迫って、μ'sは終わりにしようって決めて。

 だけどアメリカでのライブが世間に与えた影響は、大きくて。

 一躍スターになって、そう――望みすぎてしまった。


 ああ。

 
 もっと、続けたい。

569: 2017/05/18(木) 23:53:55.80 ID:m7W+whrIO

 だからある意味、この世界は好都合だったのかもしれない。

 私にとってμ'sをやり直すチャンス。

 あの輝いていた一年間を取り戻すチャンス。

 訳が分からないなりにあがき続けられたのは、そんな希望があったからかもしれない。

 
 ――じゃあ、今は?


にこ「――――」 

 μ'sを再び築き上げる道は、絶たれた。

 それどころか、私がこの世界でスクールアイドルとして活動できる可能性は、ほぼゼロ。


 なら。


 私がこの世界にいる意味って、なに?

570: 2017/05/18(木) 23:54:26.43 ID:m7W+whrIO

 思えばμ'sの再結成はひとつの現実逃避だった。

 リアリティのない現象に遭遇して、絶望しかけた私を、すんでのところで花陽がすくい上げてくれた。

 私の頑張る理由が、生まれた。

 じゃあ、今の私が頑張る理由は?


 この世界にいる理由は?

571: 2017/05/18(木) 23:55:00.37 ID:m7W+whrIO

 そもそも。現実逃避をやめた私は考える。そもそも、この世界はなんなのだろう。

 本当に過去に戻ってきた? 

 だとしたら廃校の話がなくなっている理由がわからない。

 少なくとも私の周りに関してのみ言えば、元の世界とは別のシナリオで進んでいる。

 ただ単純に過去に戻っただけとは考えにくかった。

 じゃあ、パラレルワールド?

 たとえそうだとしても、今、このタイミングで私がこの世界に迷い込んだ理由は?

 そうだ。考えてみれば見るほど、私という存在は異質。

 私だけが元の世界の存在を知覚している。

 私だけが、この世界で非常にイレギュラーな存在なんだ。

572: 2017/05/18(木) 23:55:26.78 ID:m7W+whrIO

にこ「なんで……私ばっかり」

 みんなが幸せそうにしているなかで、私一人がつらい思いをして。

 理不尽じゃない、そんなの。

 一生懸命頑張ったじゃない。何の説明もなくこんな世界に連れてこられて、それでもμ'sを作るためにあがいて。

 なのになんなのよ。みんなみんな、私の邪魔ばっかり。

 私は、私はただ……


にこ「――アイドルになりたかった、だけなのに」


 不意にこぼれた、その言葉は。

573: 2017/05/18(木) 23:55:53.40 ID:m7W+whrIO




「うそつき」





574: 2017/05/18(木) 23:56:19.40 ID:m7W+whrIO


 ――――ピシリ、と。



 世界に、大きな音を響かせた。
  
 

580: 2017/05/22(月) 16:28:59.54 ID:/PVFQV9zO

にこ「――え?」

 声と、音が、同時。

 どちらに反応すべきか。迷うほどの時間もなく、声の主は現れた。

「こんにちは」

にこ「あんた……!」

 元アイドル研究部の、あの子。

「声をかけただけじゃない、そんな怖い顔しないでよ」

にこ「声をかけただけって……いや、そんなことどうでもいいわ」

にこ「あんたも聞いたでしょ? 今の音」

 大きな音だった。何かにひびが入るような、決定的な音。

 いつの間に現れたのかわからないけど、私に聞こえて彼女に聞こえていないとは考えにくかった。

581: 2017/05/22(月) 16:29:27.93 ID:/PVFQV9zO

「そうね」

 返ってきた言葉はそっけない。

 興味がないような……あるいは、別に不思議ともなんとも思っていないような。

にこ「……なんの音か、わかるの?」

「ええ」

 答えはひどくシンプルだった。

 そのかわりに。

「あなたには――なんの音に聞こえたの?」

 続く言葉は、私を少しだけ悩ませた。

582: 2017/05/22(月) 16:30:11.74 ID:/PVFQV9zO

にこ「……なにかが、割れるような音」

 考えた末に出た答えは、それだった。

 いや。もっと正確な言葉を、私は思い浮かべたはず。

「ひびの入った音」

にこ「――――」 

 考えを読んだかのように、彼女は私の言葉を続けた。

「そうね、その通りよ。今のはひびが入った音」

「ひな鳥がその内側から卵をわるために」

「外の世界へ歩みだすために」

「自分を守る殻を?ぐために」

「ひびを入れた、音よ」

にこ「わけ……わかんない」

「うそつき」

にこ「嘘なんかじゃ、」

 言いかけて、気づく。

 私を罵るその言葉を、つい先ほど言われたばかりだということに。

583: 2017/05/22(月) 16:30:41.99 ID:/PVFQV9zO

にこ「あんた……さっきも私のこと」

「言ったわね。うそつき、って」

 その言葉は、何に対しての?

 その直前に、私が言った言葉は?

 それは、たしか――

にこ「――嘘じゃ、ない」

「――――」

にこ「アイドルになりたいって言葉が……嘘なんかなはず、ないじゃない!」

「そう?」

 私の大事な部分に触れて、だというのに、彼女は飄々としたまま返す。

「だけどそれは、あなたにとってとても大きな意味合いを持つ言葉よ」

「だからこそ、殻は破れ始めた」

にこ「……は?」

「あなたは嘘じゃないと言った。そうかもね、その言葉自体は嘘じゃないのかもしれない」

「だけどね」

「その奥に眠ってる想いを、言葉を、語ろうとせず蓋をしたままでいるのは――うそつきと同じじゃない?」

584: 2017/05/22(月) 16:31:07.58 ID:/PVFQV9zO

にこ「……待って。ついていけない」

 入ってくる情報量の多さに目が眩む。

 彼女の意図している部分の、きっと半分も、私は理解できていないんだと思う。

 だけど、なんとなくわかったことがある。

 わかったというか、察したというか。

 あるいは、感じ取った。


にこ「あんた……この世界のこと、知ってるの?」


「ええ」 


 答えは、やっぱり、シンプルだった。


 そして、続く言葉は。

585: 2017/05/22(月) 16:31:35.11 ID:/PVFQV9zO





「だって、この世界を作ったのは私だもの」


 やっぱり、私を、悩ませた。





586: 2017/05/22(月) 16:32:35.83 ID:/PVFQV9zO

私の両手が彼女の肩へ伸びたのは、ほとんど衝動的なものだった。

にこ「教えなさい! なんなのよ、この世界は!」

にこ「なんのために作って!」

にこ「なんのために私を閉じ込めたの!」

にこ「教えなさいよ!」

「――痛いわ」

にこ「あっ、」

 がくがくと揺さぶられるままになっていた彼女は、静かにそれだけ呟いた。

にこ「ごめん、なさい……」

「いいわよ、別に」

「それよりも……この世界がなんなのか、よね」

「その前にひとつ聞きたいのだけれど」

「それを聞いてあなたはどうしたいの?」

587: 2017/05/22(月) 16:33:03.46 ID:/PVFQV9zO

にこ「え?」

「この世界はこれこれこういうものでした。おしまい」

「それで、それを聞いてあなたはなにか満足するの?」

にこ「満足、っていうか……」

にこ「この世界を出る方法が、見つかるかもしれないじゃない」

「――そう、よね。あなたはこの世界から出たいのよね」

にこ「あ、当たり前じゃない」 

「なぜ?」

にこ「なぜ、って……」

「この世界は、不都合?」

にこ「ふ、不都合よ! こんな、」

「μ'sがない世界?」

にこ「……そうよ」

 ――自分の言葉を先取りされるのは、ほんとに気持ち悪い。

588: 2017/05/22(月) 16:33:30.06 ID:/PVFQV9zO

「じゃあ、またやり直す?」

にこ「は?」

 それはまるで、ゲームをリセットする? ってぐらいに気軽な言葉で。
 
 思わず聞き流しそうになる。

「μ'sを作れなかったのが気に食わないんでしょう? なら、もう一度3月の「あの日」からやり直しましょう?」

「大丈夫よ、次はもっとうまく立ち回れるわ。今回の失敗をいかして、ね」

「そうすれば満足なんでしょう?」

にこ「そ、そんなこと……」

「可能よ」

にこ「…………や、でも、」

「今度はもっと、理想的なμ'sが作れるかもね」

にこ「…………」

 彼女の言葉が、完全に私を黙らせる。

589: 2017/05/22(月) 16:34:03.02 ID:/PVFQV9zO

「――ここで黙ってしまうから、あなたはうそつきなの」

にこ「え?」

「なんでもないわ」

「そんなことよりも。今言った通り、この世界はあなたの思うようにやり直せる」

「そもそもがそういう世界なの」

「あなたがμ'sの一年をやり直したいと願ったから、この世界は生まれた」

       ノゾミ
「あなたの希望が産んだ世界」


にこ「私の、のぞみ?」

「そう。もっとわかりやすい言葉を使った方がいいかしら?」

「意識の奥底、無意識の内側、そこに潜む自分の願望」

「眠りの中で触れる、自らの希望」

「そんな世界の名前。わかるでしょう?」

590: 2017/05/22(月) 16:34:29.96 ID:/PVFQV9zO





「ここは、あなたの見ている夢の中」





591: 2017/05/22(月) 16:35:30.84 ID:/PVFQV9zO

にこ「――――」

「3月のあの日。あなたはいつも通り眠りに落ちた」

「そしてこの夢に迷い込んだ。私が作った、この夢に」

「言うなれば、私は管理人といったところかしら」

「もちろんこの姿だって借り物」

    ア ナ タ
「私は矢澤にこ。あなたの頭の中に棲む、あなた自身」


にこ「そん……な。だって……」

「信じられなくても、受け入れるしかないわ」

「認めなさい、この世界を」

「ここはあなたが夢見た場所」

                ユメ
「あなたが手を伸ばした憧憬で」

               ユメ
「あなたが掴もうとした希望で」

               ユメ
「あなたがつくり上げた幻想で」

               ユメ 
「とてもとても甘い――悪夢よ」

592: 2017/05/22(月) 16:36:26.85 ID:/PVFQV9zO

「もう一度、改めて聞くわ」

「この世界の真実を知って。あなたは、どうしたい?」

「この夢から、醒めたい?」

にこ「私、わたし、は」

「……今決めろっていうのも、酷みたいね」

「だけどね、これだけは忘れないで。私がこの世界にあなたを招いたのには、意味がある」

「その意味をあなたが理解するまでは」

              ワ タ シ
「その上で、あなたが矢澤にこを否定できなければ」

「私は、あなたをここから逃がすつもりはない」

にこ「意味、なんて、そんなの……わかんない……」

「うそつき」

 三度目の、否定。

593: 2017/05/22(月) 16:37:17.81 ID:/PVFQV9zO

「さっきも言った通り。この世界には、ひびが入り始めた」

「少しずつ、あなたが目覚める準備が整い始めた」

「だからこそ私はこうしてあなたに真実を教えたの」

「あなたが真実を受け入れる準備が、整い始めたから」

「だけどね、それはあくまで準備でしかないの」

「あなたが自分に嘘をつき続ける限り、準備は準備のまま」

「雛が孵ることはない」

にこ「……わたし、どうしたら……」

 戸惑う私の、その胸に。

 彼女は――もうひとりの「私」は、優しく指を突いた。

       ハコ
「ここにある匣。その蓋を開けなさい」

「その中にある現実に、目を向けなさい」

「あなたがアイドルを目指している。それは本当」

「だけど。それだけじゃ、ないでしょう?」

「それを――認めなさい」

 それだけを言い残して、「私」は蜃気楼のように揺らめいて、消えた。

594: 2017/05/22(月) 16:37:44.23 ID:/PVFQV9zO

にこ「――――夢」

 思わずほおをつねろうとして、やめる。この世界で痛い思いなんて、十分してきた。

 体も。心も。

 すごく、痛い思いをしてきた。

 それが、私の望んだ世界?

 にわかには信じられない――けど。

 この世界に迷い込んだあの日。私はたしかに、望んでいた。


 ――いっそのこと、この一年間やりなおせたらなぁ


 それを……自分の頭の中で実現したってこと、なの?

595: 2017/05/22(月) 16:40:15.65 ID:/PVFQV9zO

にこ「…………」

 「私」が指さした場所を、ぎゅっと握りしめる。

 ここにある、箱。

 それがなにを指すのか。今の私にはわからない。

 うん、わからない。

 わからない。

 …………

 そっか。そういうことなんだ。


にこ「自分に嘘はつけないってこと、なのね……」


 その中から、災厄があふれ出てくることを、知りながらも。

 それでも私は、この匣を開けなきゃいけないの?

             ノゾミ
 この世界が、私の希望を叶えた世界だというなら――


にこ「誰か、教えてよ……」

600: 2017/06/21(水) 23:08:53.82 ID:EdrrS/iLO

「にこっち」

にこ「えっ」

 突然の声だった。

 振り向くと、そこにはつい先ほどまでなかった人影。

 問答なんてする余地もない。

 私のことをそう呼ぶのは、たったひとりだけ。

にこ「希……」

601: 2017/06/21(水) 23:09:22.99 ID:EdrrS/iLO

 いつの間に? という疑問を抱かなかったわけじゃない。

 むしろ、ほんの数分前のやり取りがなければ、彼女自身にそう尋ねていたはず。

 けれど、今は。

 この世界の真実に触れた今は、「ああ、そういうものなんだな」って納得してる私がいた。

 ノゾミ
 希望を叶える存在を願ったから。

ノゾミ
 希が現れた、ってことなのかしら。

にこ「……笑えない冗談よね」

希「ん?」

にこ「なんでもないわ、独り言」

602: 2017/06/21(水) 23:09:51.97 ID:EdrrS/iLO

にこ「それより、一体全体私になんの用? 練習、もうとっくに始まってるでしょ?」

 顎で時計を指し示す。希はその先に視線をやることもなく、ただ、私だけをまっすぐに見つめていた。

 吸い込まれそうな瞳だった。

 いつもはきれいだと感じるその緑色は、だけど、今はその奥に得体のしれないものを感じさせる。

 それは、この世界にきてからうっすらとこびりついていた――疑い。


 この希が、「Snow halation」ができる前の希なのだというのなら。

 
 この希は、あの「友達」を口にした希とは、違う。

603: 2017/06/21(水) 23:10:40.55 ID:EdrrS/iLO

希「ん、……にこっちに、謝らなおもって」

にこ「謝る?」

希「うん。うちが余計なこと言ったから、にこっちが……」

にこ「ああ……」

 そこまで言われてようやく話にピントが合う。

 たしかにあの状況を振り返ってみると、希が突っ込んだ話をしてきたからあの流れになった――と、言えなくもない。

 だけど、正直な話。

にこ「別に、あんたのせいだなんて思ってないわ」

にこ「あんたが話を切り出さなくたって……きっと、たいして展開は変わらなかったし」

希「そんなこと、」

にこ「あるわよ」

希「…………」

604: 2017/06/21(水) 23:11:06.93 ID:EdrrS/iLO

 突き放すような言葉を、あえて突きつける。

 悪いけど、どうでもいいのよ。

 だって、だって。


 だって――今ここにいる希は、あの希とは別人なんだから。


 ううん、それだけじゃなくて。


 私があそこで切り離した面々だって、夢の世界の住人なんでしょ?


 だったら別に、いいじゃない。


 別に――

605: 2017/06/21(水) 23:11:43.68 ID:EdrrS/iLO

希「にこっち」


にこ「――――」

 どきりとした。

 たった一言、名前を呼ばれただけなのに。

 全てを、見透かされているような錯覚に陥った。

希「にこっちは、何を抱えているの?」

にこ「抱えるって……私は別になにも抱えちゃいないわ」

にこ「自分の思った通りに部が運ばなかったから、ちょっと落ち込んでるだけよ」

 言い訳がましく言葉がうわすべりしているのを自覚しながら、それでも言葉を止められなかった。

 だけど、さ。

 大して賢くない私ですらわかってるんだから。

 目の前の聡いこの子が、わからないはずないのよね。


希「――にこっち」

606: 2017/06/21(水) 23:12:17.66 ID:EdrrS/iLO

にこ「……やめてよ!」

 耐えられなかった。

 別人であるはずなのに。

 ただの夢の中のキャラクターのはずなのに。

 希に、優しく呼ばれるだけで。

にこ「もう、やめて……」


 私のよく知る希が、胸を満たしていった。


 私の、私たちの「友達」の、希が。

607: 2017/06/21(水) 23:12:43.57 ID:EdrrS/iLO

にこ「私は、帰りたいの……」

 だからそれは、弱音じゃなくて、本音。

にこ「元の世界に……現実のμ'sに……」

希「現実?」

にこ「……ええ」


 信じてもらえるかどうかなんて、もうどうでもよかった。

 ただ、重たい荷物を半分持ってもらいたかった。

 重さを、わかちあってほしかった。

 希の優しさに、甘えたかった。

608: 2017/06/21(水) 23:13:24.17 ID:EdrrS/iLO

希「――――」

 荒唐無稽な私の話を、希は最後まで黙って聞いていた。

にこ「信じ、られないわよね。こんな話……」

希「うーん、そうやねぇ……」

にこ「ううん、いいのよ別に。最初から信じてもらえるだなんて、」

希「すとっぷ」

 ずい、と。

 希の手のひらが私の言葉を遮る。

希「信じるとか信じないとか、いったん置いとかん?」

希「たぶんそれって、今あんまり重要じゃないと思うんよ」

にこ「……なんで?」

希「んー、だってさ」

 いたってまじめな顔して、希は。


希「にこっちが真剣に話してるんだから、うちも真剣に話せばいいだけやん?」 


にこ「――――」


 奥底まで透き通った緑色の瞳で、そう言った。

609: 2017/06/21(水) 23:13:55.00 ID:EdrrS/iLO

希「それにしても、ここがにこっちの夢の中……なんともスピリチュアルな話やね」

にこ「まあ……私自身、まだ信じ切れてるわけでもないけど」

希「ほっぺたつねってみる?」

にこ「……のーせんきゅー」

希「…………」ワシワシ

にこ「その手つきはほっぺたつねろうとしてするもんじゃないでしょ!?」

希「……ちっ」

にこ「ついさっきの「真剣に話す」ってのはどこいっちゃったのよ!」

610: 2017/06/21(水) 23:15:27.01 ID:EdrrS/iLO

希「だけどにこっちとしては大変な問題だよね」

希「夢の世界から出られませーんって、じゃあ現実世界のにこっちはどうなってるん? って話やし」

にこ「それは……そういえばどうなのかしら」

 え、現実の私、眠りっぱなしなの? 何か月も?

 ……いや、夢の中の時間の進み方と現実のそれが同じとは限らないし。

 うん、そういうことにしておこう。

希「どうする? 目覚めてみたらカラッカラのミイラになってましたー、とか」

にこ「いや、そんな状態だったら夢見てる余裕ないでしょ」

 氏んでるって、それ。

希「そう、この世界は夢なのでした。にこっちがついた、長い眠りの――」

にこ「人のこと勝手に殺さないでよ! ――あーもう、しょーもない!」


 ああ、だめだ。

 ほんとくだらない、軽口の応酬なのに。


にこ「ほんと……しょーもない、わ……」


 どうしてこんなに懐かしくて。

 どうしてこんなに切なくて。

 どうしてこんなに、温かいのか。 

611: 2017/06/21(水) 23:16:07.76 ID:EdrrS/iLO

希「ね、にこっち」

 優しさのかたまりみたいな言葉が、私をふんわりと包む。

希「にこっちがこんな夢の世界を作ってまでしたかったことって、なあに?」

にこ「――――」

 アイドル活動をしたかった。

 その答えが、100点満点中50点くらいの答えだってことは、もうわかってる。

 じゃあ。

にこ「μ'sを――作り直したかった」

 あの一年間を、やり直したかった。

 これが、答え?

希「――――」

 目の前の少女は、答えない。

 まるで――それが不正解であると、知っているかのように。

612: 2017/06/21(水) 23:16:59.33 ID:EdrrS/iLO

 「私」の言葉が、不意に頭の中をよぎる。


『その奥に眠ってる想いを、言葉を、語ろうとせず蓋をしたままでいるのは――うそつきと同じじゃない?』


『ここにある匣。その蓋を開けなさい』


 意味がわからないって、思った。

 ううん。思おうとした。わからないって、自分に言い聞かせた。

 だって、胸の中に開けちゃいけない匣があることも。

 その中にどんな汚いものが詰まっているのかも。

 私は――最初から全部、知っていたから。

 だから、知らないふりをしなきゃいけなかった。

 だけどそんなの、そんなちっぽけな嘘、「私」に通じるはずなんてなかった。

 自分をだませるほど――私は、器用じゃなかった。

613: 2017/06/21(水) 23:17:51.90 ID:EdrrS/iLO

希「――にこっちは強いね」

にこ「は?」

希「だってこの世界に来て、にこっちはまたμ'sを作ろうとしたんでしょう?」

希「絶望的な状況で、それでも自分の居場所をまた作ろうって思えるのは、立派な強さだよ」

希「私には――それがなかった」

にこ「あ――」

 それは希が胸の内に秘めていた過去。

 住む場所を転々とし、人間関係を保てず、そのたびに居場所がリセットされた少女。

希「私は音ノ木坂にくるまでは、もう諦めてた。「そういうものなんだ」、って」

希「そうすれば痛くなかったから」

希「作れば壊される。壊されれば痛い」

希「なら、最初から作らなければいい――私は、そう思うことにした」

希「それは、私の弱さだった」

にこ「違う……」

 違う。違うの。

 希が弱いというのなら、私の方がよっぽど弱い。

 だって、だって―― 

614: 2017/06/21(水) 23:18:37.57 ID:EdrrS/iLO

希「なにが違うの?」

にこ「だって、私は……」

 あ、と思っても手遅れで。

 匣の蓋が、ほんの少しずつだけど、ずれ始めて。

にこ「μ'sがないとダメだったから。私にとって、μ'sは、すべてだったから」

 その隙間から、どんどん言葉が漏れだす。

 厄災が、あふれだす。

にこ「だから、作らなきゃいけなかった。μ'sがなきゃ、ダメだから……」

希「なんで?」

 もうそれは、きっと会話にすらなっていない。

 希はただ、問いかけるだけで。

 私は、ただ――吐き出すだけ。


にこ「だって、だってμ'sは――アイドルじゃ、なかったから!」

615: 2017/06/21(水) 23:19:28.82 ID:EdrrS/iLO

にこ「アイドルっていうのは孤独なの。狭い枠をたくさんの子たちで奪い合う競争社会」

にこ「それはたとえ同じグループであってもよ。総選挙なんてやって順番付けてるのがいい例でしょ」

にこ「おもてっつらでは仲良しを演じながら、でも腹の奥では蹴落とし合う。それがアイドルなの」

にこ「そうあるべきだって思ってた。だから、だから……」


 これは、そう。

 ただの、いいわけ。


にこ「私がひとりぼっちになってるのだって、当たり前だって思ってた!」

616: 2017/06/21(水) 23:20:49.90 ID:EdrrS/iLO

にこ「私のやりかたについてこれなくなって、ひとりまたひとりと部からいなくなって」

にこ「寂しかったはずなのに、悔しかったはずなのに、でも私は必氏に笑顔を取り繕ってた!」

にこ「ああ、私の方が本気なんだ!」

にこ「私の方がアイドルに向いてるんだ!」

にこ「そう思わなきゃ――耐えられなかったのよ!」

にこ「だから穂乃果たちが現れた時は、何が何でも認められなかった」

にこ「仲良しアイドル? ふざけないでよ! そんなの成立するわけないでしょ!?」

にこ「そんな中途半端なもの、アイドルだなんて認められるはずがない!」

にこ「……でもね、違ったの。あれは、私が「アイドル」と定義してるものじゃなかった」

希「――じゃあ、なあに?」

にこ「……決まってるじゃない」

 そう。最初からわかってるはずだった。

 私たちがやってるのはアイドルなんかじゃない。

 蹴落とし合う必要も、見下し合う必要もない。

 一緒に泣いて、一緒に笑って、一緒に高め合って。

 正々堂々自分たちの力で輝いて競い合う、純粋に眩しい存在。



にこ「――スクールアイドルよ」

617: 2017/06/21(水) 23:21:41.56 ID:EdrrS/iLO

にこ「μ'sに加わってからは、信じられない毎日の連続だったわ」

にこ「毎日心の底から笑い合える仲間がいて」

にこ「毎日心の底から競い合える仲間がいて」

にこ「毎日心の底から信じ合える、仲間がいた」

にこ「それは私の中の「アイドル」には決してなかった光景で」

にこ「とっても――幸せだった」

希「そう……」


 うん、そう。

 とても幸せだった。

 
 醜い想いに蓋をして、見えないふりをしながら過ごす毎日は。

618: 2017/06/21(水) 23:22:25.31 ID:EdrrS/iLO

にこ「でもね」

希「え?」

にこ「でもね、そんな毎日を過ごせば過ごすほど、匣の中身は増えていったわ」

希「……中身?」

にこ「ええ」

 その匣が、今、ゆっくりと蓋を開こうとしていた。

にこ「それは決して考えちゃいけないこと。気づいちゃいけないこと」

にこ「気づいてしまえば、認めてしまえば、それは裏切ることになるから」

希「裏切るって……誰を?」

にこ「私自身を、よ」

 もっと正確にいうならば。

 今までの、私。

619: 2017/06/21(水) 23:22:59.51 ID:EdrrS/iLO

にこ「スクールアイドルは楽しい。幸せ」


にこ「あったかいぬるま湯みたいに、心がほわぁってするの」


にこ「そう、それはね」


にこ「アイドルを目指していたときには――決して味わえなかったものなのよ」


希「――――」


にこ「μ'sで幸せを感じれば感じるほど、匣の中身は私に問いかけてきたわ」


にこ「ねえ」


にこ「あの2年間は――なんだったの? って」

620: 2017/06/21(水) 23:24:29.71 ID:EdrrS/iLO

にこ「ひとりぼっちで涙を飲んでた2年間は、なんだったの?」


にこ「必氏にアイドルを目指して、たどり着いたあの2年間は、誰が取り戻してくれるの?」


にこ「私に聞かないでよ。私が知るわけないでしょ。私は今が楽しいの。μ'sがすべてなの」


にこ「耳をふさいで、目を閉じて。匣の存在すらも、忘れようとした」


にこ「――ま、残念ながら「私」がそれを許しちゃくれないみたいだけどさ」


希「にこっち、あの、」


にこ「μ'sが終わったら」


希「っ」


にこ「μ'sが終わったら。スクールアイドルが終わったら」


にこ「私はまた、アイドルを目指す」


にこ「自分が上り詰めるために、他人を蹴落として」


にこ「きったない中身を隠すために、きれいな服で着飾って」


にこ「そんな「アイドル」に、なるの」

621: 2017/06/21(水) 23:25:06.89 ID:EdrrS/iLO

にこ「ねえ」



 さあ、もうおしまいにしましょうか。



にこ「私はいつか、きっとまた思うわ」



 長いおしゃべりは、もうおしまい。



にこ「部員が私一人だけになった、あの日のように」



 匣の蓋を――開けましょう。

622: 2017/06/21(水) 23:26:12.58 ID:EdrrS/iLO









にこ「アイドルなんて目指すんじゃなかった――って」









626: 2017/07/17(月) 23:35:27.06 ID:huycTrwqO

希「――そっか」

にこ「ん?」

希「にこっちはアイドルの楽しさ以上に、セーシュンの楽しさを知っちゃったんやね」

にこ「青春?」

希「うん」

にこ「ふふ、なによそれ――青臭い」

 だけど、そっか。希の言葉でひとつ腑に落ちる。

 私がスクールアイドルに求めている楽しさは、きっと、青春っていうんだ。

627: 2017/07/17(月) 23:35:54.89 ID:huycTrwqO

希「じゃあ、にこっちは」

希「やめるの? ――アイドル、目指すの」

にこ「…………」

希「スクールアイドルが楽しくて」

希「夢の中でやり直すのを望んでしまうくらい楽しくて」

希「だから、つらい現実からは目を背けて」

希「アイドルを、諦めるの?」

希「この世界で、夢を、あこがれを、追い続けるの?」

にこ「…………」

628: 2017/07/17(月) 23:36:47.29 ID:huycTrwqO

『今度はもっと、理想的なμ'sが作れるかもね』

 彼女の、『私』の言葉が、頭の中で再び鳴り響く。

 それも可能なのかもしれない。
 
 私がそれを望むのなら。

 この夢の中で。

 ずっと、ずっと――


にこ「――――」


 あの時、答えられなかった質問に。

 ゆるゆると、首を横に振った。

629: 2017/07/17(月) 23:37:40.02 ID:huycTrwqO

希「――どうして?」

にこ「……寝坊しすぎてミイラになっちゃったら厄介だし?」

希「――――」

にこ「……あーはいはい、答えるわよ」

にこ「って言っても、私自身明確に答えを持ってるわけじゃないんだけどさ」

 はっきり言ってしまえば、まだ頭の中はぐちゃぐちゃで。

 この甘ったるい夢の中にずぶずぶと沈み込んでいきたい欲望は、ある。

 だけど。

にこ「私の望みは、きっと、それだけじゃないから」

630: 2017/07/17(月) 23:38:08.50 ID:huycTrwqO

 * * * * *


 屋上への扉は、開くといつもびゅう、と一際強い風をもたらした。

 いつもは髪が崩れて不機嫌になる要素だったけど、今だけはその荒々しさが少しだけ心地いい。

 私の背後にべたりとはりついていた後ろ暗いものを、吹き飛ばしてくれたから。

花陽「あっ――」

 レッスンで体を動かしている途中、私の存在に真っ先に気づいたのは、私が求めている人物だった。

 その視線に気づいた他の子たちも、次々に私をその目に捉える。

 12の瞳が、一度に私を射抜いた。

631: 2017/07/17(月) 23:38:37.77 ID:huycTrwqO

花陽「……なんの用ですか?」

 険のある口調は、明らかに私を排除しようとするものだった。

 彼女なりの「アイドル活動」を阻害しようとする私を、排除するための。

 明確な、強さだった。

にこ「……あんたは、」

 なにを話すべきだろう。この段階にきて、自分の考えがまとまっていないことに気づく。
 
 あーあ、なんて間抜け。

 だけど、だからこそ、変に飾ることのない、シンプルな言葉が出てきた。

 それを彼女にぶつける直前。

 そういえば、これはそもそもかつて私に向けられたものだと気づいた。 


にこ「あんたは――なんでアイドルになりたいの?」

632: 2017/07/17(月) 23:39:03.20 ID:huycTrwqO

花陽「…………」

 突拍子もない質問に面食らった様な花陽。

 目を白黒とさせている彼女の目の前で、私はあの時の凛の質問になんと答えただろうかと思いめぐらせる。

 その言葉がすんなり思い出せたのは。

 あの時の気持ちが、今の気持ちが、本音だから、なのかな。

633: 2017/07/17(月) 23:39:29.91 ID:huycTrwqO





にこ『――やりたいから、よ』

花陽「――やりたいから、です」





634: 2017/07/17(月) 23:41:43.39 ID:huycTrwqO

 きっと、見たくないものをたくさん見ることになると思う。

 人の醜い部分とか、自分の薄汚い部分とか。

 そういうのを全部押し込めて、だけどお客さんの前ではきらきらした笑顔を振りまいて。

 自分の笑顔を削ってまで。誰かを笑顔にする。

 ――そこまでして、やりたいの?

 頭をよぎったその問いを。

花陽「――――」

 力強い瞳が、否定していた。

635: 2017/07/17(月) 23:42:16.88 ID:huycTrwqO

にこ「――『あんた』のこと、もっと大事にしてあげなきゃいけなかったのにね」

 花陽の頭をぽん、と軽くなでる。

花陽「…………?」
 
 私の態度にいい加減違和感を覚えたのか、花陽の瞳から敵意の色が抜ける。

 うん、そうよね。わけわかんないわよね。

 だけど、『あんた』はそれでいいの。

 なんにも難しいことなんて考えずに。

 「やりたい」を貫き通せば、それでいいの。

636: 2017/07/17(月) 23:42:47.39 ID:huycTrwqO

 ああ、言いたくないな。

 あの子たち、こんな言葉を叫んだんだ。すごいな。

 息を吸って、言葉にならず、吐き出して。

 そんなことを何度か繰り返していると、ついに耐えきれなくなったらしい花陽。

花陽「あの、にこ先輩」 

花陽「にこ先輩が求めてる形が何なのか、私にはわかりません」

花陽「だけど、にこ先輩のアイドルに対する情熱は、私、まだ疑いきれません」

花陽「しっかり聞きたいです、にこ先輩が望んでいること」

花陽「それで、できるなら――」

花陽「できるなら、また一緒に、スクールアイドル――やりたいです」

にこ「――――」

637: 2017/07/17(月) 23:43:16.24 ID:huycTrwqO

 ほら、もたもたしてるから言われちゃった。

 どうすんのよ。こんな魅力的な提案。

 やりたくなっちゃうじゃない。続けたくなっちゃうじゃない。

 まったく、もう。

にこ「…………ううん」

花陽「え……?」

 ごめんね、花陽。

 もう、夢から覚める時間なの。

638: 2017/07/17(月) 23:44:04.51 ID:huycTrwqO





にこ「μ'sは、もう――おしまい」





639: 2017/07/17(月) 23:44:32.10 ID:huycTrwqO





 ピシリ。

 ひびは、その大きさを広げて――





644: 2017/07/22(土) 08:44:19.84 ID:rN0RYkWfO

 * * * * *

 
 まだ、世界は続いていた。

 どれだけひびが入っても、殻を破るに至らない。

 まだなにか足りない? だとしたらなにが?

 夕暮れに沈んでいく廊下を一人歩きながら、考える。

 心当たりはあった。

 花陽が、私のアイドルになりたいという強い思いを受けて元の世界の彼女と差異が生まれたように。

 ガラスのように繊細な弱さをこの世界で見せた、赤髪の少女。

にこ「…………」
 
 たどり着いた音楽室から、音はない。

 だけど。

 
真姫「…………」


 開いたドアの先に、彼女は、いた。

645: 2017/07/22(土) 08:44:48.67 ID:rN0RYkWfO

真姫「……なによ。思い詰めた顔して」

にこ「……あんたこそ」

真姫「――――」

にこ「ねえ、真姫ちゃ、」

真姫「だめよ!」

にこ「っ!」

真姫「だめよ! 認めない!」

真姫「せっかく仲良くなれたじゃない!」

真姫「せっかく楽しくなってきたじゃない!」

真姫「なのに、なのに……」

にこ「真姫……」

646: 2017/07/22(土) 08:45:27.84 ID:rN0RYkWfO

 強い口調と裏腹に、その口から飛び出てくるのはつつけば崩れそうな脆い言葉ばかりだった。

 離れたくない。終わらせたくない。一緒に居たい。

 そんな――みっともない言葉ばかり。

真姫「なによそれ、ずるいじゃない! 人に期待させといて!」

真姫「どうせひとりぼっちだろうって、そう覚悟を決めてたのに!」

真姫「なのにあなたは現れた!」

真姫「私にとびっきりのプレゼントまで用意して!」

真姫「そうやって人の心のドア開けといて、そんな……いやよ……」

真姫「さよならなんて……いやぁ……」

 ぽろぽろと。その瞳からこぼれる雫は。

 きっと、彼女の、私の、弱さ。

647: 2017/07/22(土) 08:46:08.25 ID:rN0RYkWfO

真姫「こんな、こんなことなら……」

真姫「ずっとひとりぼっちのままだって――」

にこ「違う!」

真姫「っ」

にこ「それは――違うわ」

 それは、それだけは認めちゃいけない。

 あの日、あの時。

 アイドル研究部の部室で私を待ち構えていた7人。

 私をμ'sに加えてくれた愛すべき後輩たち。

 彼女たちが差し伸べてくれたその手は。

 間違いなく、私にとって眩しいくらいの光だったんだから。

 それは――否定しちゃ、だめ。

648: 2017/07/22(土) 08:47:44.61 ID:rN0RYkWfO

にこ「――ね、真姫」

 うつむきながらぼろぼろと泣きじゃくる少女に向かいながら。

 その実、私の言葉は、彼女に向けられたものじゃない。

にこ「楽しい時間はね、いつまでもは続かないの」

にこ「いつか必ず終わっちゃうものなのよ」

にこ「それはきっときらきら光る宝石みたいなもので」

にこ「ずっと、ずぅっと……見つめ続けていたくなるものなんだと思う」

 私が過ごした高校最後の一年間。

 思い出すだけで目がくらみそうになるくらい、まばゆい日々。

 それを、人はきっと、青春っていうんだ。

649: 2017/07/22(土) 08:48:29.21 ID:rN0RYkWfO

にこ「だけどね、だめなの」

にこ「そればっかり見つめてたって、前には進めないの」

にこ「だから、それはそっと宝石箱にしまっておくのよ」

にこ「大切に、大切に」

にこ「なくさないように」

真姫「――――」

 さっきの花陽みたいに、意味がわからず呆け顔の真姫ちゃん。

 ごめんね。これ、ただのひとりごとなのよ。

650: 2017/07/22(土) 08:49:03.76 ID:rN0RYkWfO

にこ「でもね、これから先、きっとつらいこともたくさんある」

にこ「見たくない現実だっていーっぱい出てくる」

にこ「そういうのに負けそうになった時はさ、ちょっとだけ、その宝石箱を開くの」

にこ「いっぺんに開けちゃ駄目よ? まぶしすぎて前が見えなくなっちゃうから」

にこ「そーっと――のぞき込んでみて」

にこ「そしたらね、きっと見えるから。聞こえるから」

真姫「――聞こえる?」

にこ「うん。きっと聞こえるわ」

にこ「きっと、きっと――」

651: 2017/07/22(土) 08:49:38.99 ID:rN0RYkWfO

 私たちが駆け抜けてきた一年間が。


 私たちが過ごしてきた時間が。


 私たちが、踊り、歌い続けてきた曲たちが。


 私たちの――大切な青春の日々が。 

652: 2017/07/22(土) 08:50:10.99 ID:rN0RYkWfO

 さあ、今度こそ終わりにしましょうか。


 名残惜しいけど、この世界とはもうさよなら。

 
 大丈夫。


 たしかに私は強くはないけど。


 だけど、もう――弱くもない。


 だからこれは。


 過去に別れを告げて、私が前に進むための言葉。

653: 2017/07/22(土) 08:50:39.13 ID:rN0RYkWfO






にこ「きっと青春が聞こえる」






654: 2017/07/22(土) 08:51:49.37 ID:rN0RYkWfO



 パキ――ン


 殻は、ついに破られて。


 世界は、真っ白な光に包まれた。



656: 2017/07/22(土) 09:29:16.71 ID:rN0RYkWfO

にこ「――――ん?」

「気が付いた?」

にこ「え? ……え、ここどこ?」

 あの世界に別れを告げた途端、視界がぶわーってまっしろけになって。

 次に目を開いたら、世界はまっしろいままで。

 だけど目の前には、『私』がいた。

657: 2017/07/22(土) 09:29:46.17 ID:rN0RYkWfO

「ここは夢と現のはざま」

「現実の世界と夢の世界をつなぐ通路みたいなものかしら」

「安心して。もうじきあなたは目を覚ますわ」

「長い長い夢から、ね」

にこ「…………」

 そっか。終わったんだ。

 本当に長かったように感じる。

 そりゃ体感的には数か月を過ごしてるんだから当たり前なんだけど。

 だけど、これで目が覚めたらまた――

658: 2017/07/22(土) 09:30:58.67 ID:rN0RYkWfO

「そう。あなたは3月のあの日に戻るわ」

「もちろん、あなたが高校3年生のね」

にこ「――そう」

「……名残惜しい?」

にこ「……惜しくない、っていえば、嘘になるわ」

「うん……」

「――まだ、間に合うわよ?」

にこ「え?」

「あの世界は消えてなくなったわけじゃない」

「あなたの頭の隅っこの方で、まだ残り続けてる」

「10年後まで残ってるかもしれないし、明日消えるかもしれない」

「だけど――今はまだ、ある」

「まだ、戻れるわよ?」

 そう言いながら、私の後ろを指さす『私』。

 つられて視線をやると、白い世界の中で、一際目立つようにキラキラ光る扉が見えた。

 あれをくぐったら、その先は――

659: 2017/07/22(土) 09:31:34.17 ID:rN0RYkWfO

にこ「――もう、やめてよ」

 ため息交じりに答える。

にこ「あのね、名残り惜しいのと未練がましいのは違うの」

にこ「私は決めたわ。過去とはさよならするって」

にこ「私をまた夢の世界に引きずり込もうとしたってそうはいかないんだから!」

「ふぅん、そう」
 
 ふふーんと胸を張る私とは対照的に。

 楽し気もなく。かといって気分を害した様子もなく。

 『私』は、そっけなくそう返すだけだった。

660: 2017/07/22(土) 09:32:02.53 ID:rN0RYkWfO

「じゃあ、最後のあいさつをどうぞ?」

にこ「へ? ……って、うわぁ!」

 どうぞ、と示された先に、私がいた。

 いや、『私』が、ということではなく。

 正真正銘、どこからどう見ても矢澤にこがいた。

にこ『――――』

 その私は、どこかうつろな目をしていて焦点が合っていない。

 そう、寝ぼけ眼って言葉がまさにぴったりな感じ。

661: 2017/07/22(土) 09:32:33.73 ID:rN0RYkWfO

「言ったでしょう? 夢と現の通路だって」

「3月のあの日とつながってるのだから、もちろん現実から夢の世界へ向かうあなただっているのよ」

にこ「……そういうもんなの?」

「そういうものよ」

にこ「…………」

 まあ、そういわれてしまえば「そうですか」としか答えようがない。

 しっかしまあ――目の前に自分が立ってるってのも、不気味なもんね。

662: 2017/07/22(土) 09:33:08.43 ID:rN0RYkWfO

 ――だけど、そっか。

 この子は、これからあの世界に向かうんだ。

 これから――長い長いお別れの旅に出るんだ。

にこ「――やりなおすのなんてね、結局くだらないことなのよ」

にこ「夢は夢。現実は現実」

にこ「約束してあげるわ。あんたは絶対この場所に帰ってくる」

にこ「私自身が言うんだもの、説得力あるでしょ?」

にこ「ま、大船に乗ったつもりで向かっちゃいなさいよ。ほらほら」

 自分でも不思議なくらい矢継ぎ早に、私は言う。


 ――ああ、だめだ。


 これ以上、ここにいては、だめだ。

663: 2017/07/22(土) 09:33:42.68 ID:rN0RYkWfO

にこ「……ま、まあ、そういうわけで私はとっとと現実世界に帰るから、あんたも達者でやりなさい」

にこ「それじゃ、」

 一方的に言い放ち踵を返そうとした私の裾を。

にこ『――――』

 私がぎゅっとにぎって、そして。

 この子は。まぎれもない私は。

 まぶしく輝く扉を指さして。



にこ『――あっち、いきたくないの?』


にこ「――――っ!」



 無邪気な子供のように、私の心を抉った。

664: 2017/07/22(土) 09:34:15.72 ID:rN0RYkWfO

 喉から飛び出ようとする言葉を飲み込んで。


 振り返りたくなる足を押さえつけて。


 だけど、ぼろぼろ零れ落ちる涙だけは抑えられないまま。


 精一杯の強がりだけを顔にへばりつけて。


 私は、首を横に振った。

665: 2017/07/22(土) 09:34:42.48 ID:rN0RYkWfO

 たしかに私は、もう、弱くはないけど。


 だけどやっぱり――強くも、ない。


 この気持ちは。宝石箱を開きたい、この気持ちは。

 
 きっと、いつまでも私の胸の中に、強く残り続けるんでしょうね――

667: 2017/07/22(土) 09:58:42.09 ID:rN0RYkWfO

 * * * * *

 ジリリリリリリリリ……

にこ「……っるさーい」

 カチッ

にこ「ふあぁぁぁあ」ムクッ

にこ「………」

にこ「……ねむい」

668: 2017/07/22(土) 09:59:09.38 ID:rN0RYkWfO

 まだ肌寒さを感じる、3月某日朝。

 ぬくもりが残る布団の中から、私は恨めし気に目覚まし時計を睨み付ける。

 AM7:00

 音ノ木坂を卒業した私が起きるにはまだ全然早い時間なんだけど――今日はお出かけの日。

 いや、今日も、か。

 μ'sのこれからが決まるまでは、おわらない用事。


にこ「――ううん」


 もう、おわらせなきゃいけない用事。

669: 2017/07/22(土) 09:59:42.83 ID:rN0RYkWfO

にこ「あれ……?」

 自分の行動に、自分で強い違和感を覚える。

 私、なんで今、あんなにはっきり否定できたの?

 μ'sを続けたい、アイドルを続けたいって気持ちは、まだこんなにあるのに。

 それに――ねえ、なんで?


にこ「なんで私――泣いてるの?」


 原因不明の涙を指ですくいあげながら。

 今の今まで見ていたような気がする長い夢の内容が、ぽろぽろ零れ落ちていくのを感じていた。

670: 2017/07/22(土) 10:00:20.94 ID:rN0RYkWfO

 * * * * *

にこ「おはよー……って、そっか」

 返事のないリビングを見回して、そういえばと思い出す。

 ふたごちゃんたちはお泊り保育だかで昨日から不在。

 ママは朝が早いから朝ご飯は自分で用意してーって言ってたっけ。

にこ「…………?」

 なんだか今日はやけに違和感が絶好調。

 ことあるごとに頭の中に引っ掛かりが生まれる一日みたい。

 ま、気にしててもしょうがないけど。

671: 2017/07/22(土) 10:02:17.64 ID:rN0RYkWfO

 * * * * *

 3年生が卒業し、音ノ木坂生の減った通学路を歩く。

 違和感先輩はなおも絶好調。

 自分でもわけがわからないけど、つい同じ制服を着た子の顔を覗き込んでしまう。

 そんでもって見覚えのない後輩の顔を見て安心。それの繰り返し。

 ……一体全体、私、どうしちゃったの?

 とまあ、首をひねりながら校門をくぐろうとすると。

にこ「ん」

 前方に見知った二人分の後姿。

672: 2017/07/22(土) 10:02:46.84 ID:rN0RYkWfO

にこ「あ――」

 おはよーって声かけて、軽い冗談のひとつでも飛ばしてやろうかしらと思い立ったところで。

 言葉がのどに詰まる。

 え、なにこれ?

 心臓がどくんどくん鳴って、嫌な汗が背筋を伝う。

 なんで?

 なんであの二人に声をかけるのが、怖いの?

 まるで、その先におそろしい未来が待っているかのように――

絵里「――あら?」

希「ん?」

にこ「……っ」

 二人が振り向いた。私の存在に気づいた。

 あ、いや、やめて。

 こわい、こわい――!

673: 2017/07/22(土) 10:03:32.92 ID:rN0RYkWfO


絵里「にこじゃない、おはよう……どうしたの、変な顔しちゃって」


希「どしたん? 風邪でもひいた?」



にこ「…………え? あ、いや……」

 ふたりに声をかけられた途端。恐怖心が一気にどこかへ消え去った。

にこ「あ、や、えーっと……おはよう」

絵里「え、ええ……おはよう」

希「おはようさん」

にこ「…………」

絵里「……ねえ、本当に大丈夫? 自由登校なのだから無理する必要は……」 

にこ「う、ううん、大丈夫……大丈夫だから……」

 その言葉に偽りはなく、動悸も呼吸も次第に落ち着きを取り戻した。

 だけど、なんで?

 なんで私は、この二人に――大切な友達のこの二人に、拒絶されるかも、なんて思ったのかしら。

674: 2017/07/22(土) 10:04:05.46 ID:rN0RYkWfO

にこ「あー、ごめん。ほんと大丈夫だから」

絵里「そう? ならいいのだけど……」

にこ「ありがと、心配してくれて。だけど、この程度で帰ってなんてられないわ」

にこ「大切な話があるんだから、さ」

絵里「……うん」

希「……そうやね」

にこ「……あのさ。二人にちょっと聞いてもらいたいんだけど――」

675: 2017/07/22(土) 10:04:36.32 ID:rN0RYkWfO



 そうだ。まずはこの二人に聞いてもらおう。



 大切な友達の、大切な仲間の、この二人に。



 私の中に生まれた、強く、だけどまだまだ脆い、決意の話を。



676: 2017/07/22(土) 10:34:58.91 ID:rN0RYkWfO





          【Side:真姫】





677: 2017/07/22(土) 10:35:27.66 ID:rN0RYkWfO

真姫「――――♪」

凛「真姫ちゃんまたその曲?」

真姫「う゛えぇ!? ほ、星空さん!?」

凛「じゃなくて?」

真姫「あ、え、えっと……凛?」

凛「よくできましたー!」パチパチ

真姫「……ひょっとして馬鹿にしてる?」

花陽「ご、誤解だよ真姫ちゃん!」

真姫「ああもう、わかってるわよ。それよりほら、部室行くんでしょ?」

678: 2017/07/22(土) 10:36:02.62 ID:rN0RYkWfO

 放課後音楽室に引きこもる日課は、私のスケジュール帳から消え去った。

 ううん、違うわね。

 自分で、消した。

 私が楽曲提供してるアイドル研究部の扉を、自分のこの手で叩いたから。

 正直なんでそんな暴挙に出たのか自分でもよくわからない。

 そもそも――私はなんで彼女たちに楽曲を提供していたの?

 それすらもなぜか曖昧。

 だけど、ただ。

 ひとりぼっちで諦めているだけの3年間には、したくないって思えたから。

 卒業するときに振り返ってみて、宝石みたいに輝く時間を作りたかったから。

 ――って、なに恥ずかしいこと考えてるのかしら。ばかばかしい。

679: 2017/07/22(土) 10:36:29.95 ID:rN0RYkWfO

花陽「だけど真姫ちゃん、本当にその曲好きだよね?」

凛「そうそう、しかも同じフレーズばーっかり繰り返してるにゃ」

花陽「それに自分で作った曲なんでしょ? すごいなぁ……」

真姫「……違うわ」

花陽「え?」

真姫「たしかに曲自体は自分で作ったものだけど、このフレーズは――」

真姫「このフレーズだけは、誰かからプレゼントしてもらったような……そんな気がするの」

真姫「名前も覚えていない、誰かに……」

 そこまで言って、ぽかーんとしてる二人の表情に気づく。

 いけない。つい変なこと口走っちゃった。

680: 2017/07/22(土) 10:37:25.39 ID:rN0RYkWfO

真姫「ご、ごめん、気にしないで。たぶんただの気のせい――」

凛「ううん、そんなことないよ!」

真姫「え?」

凛「凛とかよちんもね、話してたんだ」

凛「凛たちがアイドル研究部に入ったのって、なんでだろう、って」

真姫「入った、って――あなたたちが作ったんじゃないの?」

花陽「それが……よくわからないの」

花陽「たしかに今いるメンバーの最古参は私と凛ちゃんなんだけど、だけど私たちが作ったわけでもないの」

凛「じゃあ凛たちどうやって入ったんだっけ? てお話してるんだけど、全然思い出せないんだにゃ……」

真姫「…………」

 まさか、こんなに身近に私と同じような違和感を覚えてる子がいるだなんて。

 正直、驚きを隠せなかった。

681: 2017/07/22(土) 10:38:16.01 ID:rN0RYkWfO

花陽「それにね、希ちゃんが言ってたの」

花陽「私たち8人でユニット組んだでしょ? あの――」

真姫「――μ's、よね?」

花陽「うん、そう。だけどね、それって神話に出てくる女神さまの名前らしいんだけど」

花陽「その女神さまって、本当は9人いるはずなんだって」

花陽「1人足りないねって話してたら、気づいたの」

花陽「そもそもこの名前をつけたのって――誰? って」

真姫「……なによ、段々ホラーじみてきたんだけど?」

花陽「あ、そういうわけじゃ……」

真姫「考えてもしかたないんじゃない? というか、私は考えないことにしたわ」

真姫「だって思い出せないんだもの。考えたってしょうがないわ」

花陽「うーん……それはそうなんだけど……」

682: 2017/07/22(土) 10:39:13.31 ID:rN0RYkWfO

凛「――っていっけない! もう練習始まってる時間にゃ!」

花陽「え? ――あああああああ!」

凛「急がないと海未ちゃんカンカンだにゃ!」

花陽「そ、そうだね……真姫ちゃんもはやく!」

真姫「あ、ちょっと待ちなさいよ――」

 慌てて教室を飛び出ていく二人の背中を追いかけようとした、その時。

 ビュウゥゥゥ!

真姫「きゃっ!」

 窓の外から吹き込んだひときわ強い風が背中を押す。

 夏の色を感じさせるその風に、思わず振り向いて。

真姫「――――」

 なぜかしら。

 そこに、誰かの気配を感じた。

683: 2017/07/22(土) 10:39:40.31 ID:rN0RYkWfO

 だから、ってわけじゃないけど。


 誰もいないそこに向けて。


真姫「――――♪」


 私はもう一度だけ、大切な誰かからもらったそのフレーズを、口ずさんだ。

684: 2017/07/22(土) 10:40:18.02 ID:rN0RYkWfO







      昨日に手を振って ほら――前向いて







685: 2017/07/22(土) 10:41:30.22 ID:rN0RYkWfO
以上で終了です、長い間お付き合いいただきありがとうございました。
ぐだぐだした挙句ミスも多く申し訳ないです。
次はまたどこか別のスレで

686: 2017/07/22(土) 11:46:02.28 ID:lh35cy4SO
ファンタジー色が強い

687: 2017/07/22(土) 11:47:59.43 ID:51pCRKjpO
乙乙!
真姫ちゃんsideのμ'sにはいずれあのにこちゃんが加入してくれるって信じてる

引用元: にこ「きっと青春が聞こえる」