1: 2012/05/21(月) 03:34:07.40 ID:h8vZNxrR0
CLANNADのSSです。始める前にいくつか
・原作、勝平ルートのその後の設定となっています。
・某サイトで一時的に公開していた物です。
・その他、こまけぇこたぁいいんだよな精神で読んでくれるとありがたいです


2: 2012/05/21(月) 03:38:57.69 ID:h8vZNxrR0
椋「退院おめでとうございます、勝平さん」
勝平「ありがとう、椋さん」

病院でのリハビリも今日で終わり、いよいよ退院という日がやってきた。
椋さんは、そんな僕を迎えに来てくれていたのだ。

勝平「うーん、こうしてまた自分の足で歩ける日が来るなんて思ってなかったよ、本当に」
椋「私も、うれしいです」
杏「あ、いたいた。おーいっ!」

椋さんと話していると、遠くから髪の長い人が走ってきた。椋さんのお姉さんの、杏さんだ。

杏「よかったー。入れ違いにならなくて。退院おめでとう、勝平さん!はい、これ退院祝い」
勝平「ありがとう、杏さん」
椋「どうもね、お姉ちゃん」

椋さんも、お姉さんに礼を言う。

杏「なに言ってんのよ。妹の旦那さんなんだから、これくらい当然よ」

そう。今年の春に、僕と椋さんは籍をいれていた。僕が入院している間に、椋さんがあれこれと奔走してくれていたのだ。
僕と椋さんの住むアパートの手配に、婚姻届。

3: 2012/05/21(月) 03:41:26.61 ID:h8vZNxrR0
杏「今までは椋の一人暮らしだったけど、これからは勝平さんとの二人暮らしになるのよねぇ。
  まさか椋に先を越されるなんて思いもしなかったわよ」
椋「お姉ちゃんだって、すぐにいい人が見つかるよ」

病院の入り口で話していると、一台のワゴン車が僕たちに近づいてきた。停車して、中から人が一人、出てきた。

朋也「よぅ、勝平。退院おめでとう」
勝平「あ、朋也くん!」

出てきたのは、僕の友達、朋也くんだった。

朋也「今まで長い間、退屈な入院生活だっただろ?」
勝平「そんなことないよ。椋さんだって居てくれたしね」

そう言って、椋さんに視線を送る。椋さんは、天使のような笑顔で返してくれた。

朋也「藤林も、おつかれさん。よかったな。勝平、退院できて」
椋「ふふっ、岡崎君。もう『藤林』じゃありませんよ」

椋さんは、左手の薬指にはめられたリングを朋也くんに見せた。

4: 2012/05/21(月) 03:43:58.05 ID:h8vZNxrR0
朋也「あ、そうか。そういやそうだったな。じゃ、今度からは椋って呼ばせてもらうな」
椋「はい、岡崎くん」
杏「朋也、芳野さん待っているわよ。急いだほうがいいんじゃないの?」
朋也「あ、ああ、そうだった。悪いな、杏。じゃ、またな、勝平、椋!こんどまた改めて祝いに行くよ!」

そういうと朋也くんは、乗ってきたワゴン車の助手席に乗り込む。
そのワゴン車は低いエンジン音を唸らせ、走り去っていった。

杏「全くもう……あいつってば、高校のころから変わらないんだから……」

そのワゴン車を、呆れたような言葉を漏らしながら杏さんが見送っていた。

勝平「ねぇ椋さん。もしかして、さっきの言葉って……」

杏さんに聞こえないようにぼそぼそと話す。

椋「はい、そうですよ。お姉ちゃんは、岡崎くんのことが好きなんですよ」
勝平「ええーっ、そうだったんだ。全然気付かなかったよ。杏さんと朋也くんなら、うまく行きそうなのに」

5: 2012/05/21(月) 03:46:23.31 ID:h8vZNxrR0
杏「ちょっと二人とも、人の目の前でなにこそこそ話してんのよ?」

椋さんと話をしていると、杏さんがすぐ近くまで寄ってきていた。

椋「う、ううんっ。なんでもないよ、お姉ちゃん」
勝平「そ、そうそうっ。夫婦の内緒話って奴だよっ」

椋さんと二人、必氏に誤魔化そうとする。杏さんは納得行かないような顔をしながらも、引き下がってくれた。

杏「あ、そう。じゃあ椋。あたしももう幼稚園に戻らなきゃいけないから。ちゃんとしたお祝いは、さっき朋也が言ったとおりまた改めてね」
椋「うん。わざわざ勝平さんの為に来てくれてありがとね、お姉ちゃん」

軽く手を振って、杏さんと分かれる。

椋「それじゃあ、わたしたちも帰りましょう」
勝平「うん。アパートまでの道案内、よろしくね」

そうして、僕も椋さんと二人で手をつないで歩き始めた。

6: 2012/05/21(月) 03:48:41.95 ID:h8vZNxrR0
~~~

その日の夜。アパートに着いてからは荷物の整理などで忙しかったが、夕方には落ち着けることができた。
そして今はというと、僕の前にはたくさんの料理が並んでいた。

椋「勝平さんの退院祝いです。お姉ちゃんに教わった料理がほとんどだし、味もそれほどよくはないと思いますけれど、どうぞ」
勝平「うわぁ、椋さんの手料理だ!考えてみたら、初めてだよねぇ」

しみじみしてしまう。

勝平「ああ、生きてて良かったなぁ……」
椋「あ、あんまり期待しないでください……」

椋さんは顔を赤らめながら、困ったように言った。

勝平「はやく食べようよ!僕、おなか空いちゃったよ」
椋「はい。それじゃ……」
二人「「いただきます!」」

言うや否や、近くにあった煮付けをほお張る。ああ、僕って幸せものだなぁ……。

7: 2012/05/21(月) 03:52:00.12 ID:h8vZNxrR0
勝平「うん、うん……」
椋「ど、どうですか……勝平さん……」

居住まいを正して、聞いてくる。

勝平「んーーー……」

……なんと答えたものだろうか。正直な所、上手とはちょっと言えなかった。
大根はまだ硬いし、味付けも薄すぎるような気がする。

勝平「……うん。まぁ、不味くはない……かな」

それが最大限の譲歩だった。食べられなくはないけど、というようなレベルだ。

椋「そ、そうなんですかっ?」

僕の言葉が信じられない、といったような返事だった。

勝平(もしかして、自信あったのかな……)

それなら、悪いことをしてしまったかもしれない。そう思っていると、椋さんも同じように煮付けを口に入れた。

椋「……あ……」

途端、不思議そうな表情をする。

勝平「ど、どうしたの、椋さん?」
椋「た、食べられる……」
勝平「……え?」

呟いた言葉の意味がよく理解できなかった。

椋「あ、すっすみません。そうですね、不味くはないですよねっ」

照れ笑いともごまかし笑いとも取れるような笑みを浮かべながら、紛らわすようにご飯を黙々と食べ始めた。
なぜか聞いてはいけないような気がしたから、僕もおとなしくご飯を食べ続けることにした。

8: 2012/05/21(月) 03:54:34.43 ID:h8vZNxrR0
椋「……それで、勝平さん」

なんとも言えない晩御飯を食べ終えて、後片付けを終えた後。
小さなテーブルを挟んだ向かいに、椋さんは姿勢を正して座って僕に向き直っていた。

勝平「ん?なに、椋さん」
椋「お姉ちゃんのことなんですけど……」

それを聞いて、昼間のことを思い出した。

勝平「ああ、そういえば中途半端で話が終わってたね」
椋「わたしは、お姉ちゃんと岡崎くんが付き合えるようになったらいいと思うんですけれど……。勝平さんは、どう思いますか?」
勝平「昼間も言ったと思うけど、杏さんと朋也くんならうまく行きそうだと思うんだけど」
椋「わたしも、それは思っています。ですが、お姉ちゃんは多分……わたしに気を遣っているんだと思います」

言いづらそうに、声を抑えてそう言った。

勝平「え?椋さんに気を?」

その意味がわからなかった。椋さんは、僕のお嫁さんなのに、なんで気を遣う必要があるんだろう?

9: 2012/05/21(月) 03:56:31.37 ID:h8vZNxrR0
椋「勝平さんにはちょっと話しづらいことなんですけど……」
勝平「あ、ああ。そうなんだ。いや、話しづらいなら別に無理することないけど」
椋「それに、勝平さんも気を悪くすると思いますし……」
勝平「僕のことなら気にしなくてもいいけど?」

そう言うと、椋さんはゆっくりと話し始めた。

椋「実はわたし、昔……まだ勝平さんと会う前の話なんですが……。岡崎くんのことが好きだったんです。
  そのことをお姉ちゃんに話したことがあったので……」
勝平「……あー」

それで、いろいろな話もようやく納得できた。

勝平「つまり、昔の椋さんの気持ちをまだ気にしている、と。そういうことだね」
椋「はい。今のわたしには勝平さんがいるので、気を遣うことはないんですけれど……」
勝平「杏さんのほうが気にしている、と」
椋「そういうことになります」

10: 2012/05/21(月) 03:58:13.12 ID:h8vZNxrR0
勝平「それならさ、杏さんに聞いてみればいいじゃない」

ひとつの提案をする。

椋「え?……と、言いますと?」
勝平「杏さんに、確認を取ればいいんだよ。朋也くんのことが好きなんでしょって」
椋「お姉ちゃん、素直に頷くかな?」
勝平「うーん、そうだなぁ……」

確かに、あの杏さんが素直に頷くとは思えなかった。

椋「でも、直接聞いてみるのも一つの手かもしれませんね。今度、聞いてみましょうか?」
勝平「そうだね。それがいいと思うよ」

そうして、とりあえずの方針は決まった。

15: 2012/05/21(月) 12:10:52.96 ID:h8vZNxrR0
~~~

翌日の夕方。僕と椋さん、そして杏さんの三人でファミリーレストランに来ていた。僕が入院してからこの町にできた店だ。

杏「このメンバーなら、朋也も呼べばよかったのに」
椋「それじゃ、ちょっとお話はできないから……」

杏さんには、話があると言って呼び出していた。

杏「朋也が居るとできない話なの?」

杏さんはまるで見当がつかない、と言ったような表情だった。

椋「ちょっとね」
杏「ふ~ん……」
勝平「とりあえずさ、席に着こうよ」
杏「そうね」

店内に入り、店員の支持に従って席に着く。

杏「……で、その話って?」

杏さんは軽い気持ちで聞いてきた。

椋「うん。その前に……」

椋さんは一度僕とアイコンタクトを取って、杏さんに話し始めた。

椋「わたしが昔、岡崎くんが好きだって言ったこと、覚えてる?」
杏「えっ?あ、ああ。そういえばそんな話もあったわねぇ……」

話し始めると、杏さんは明らかに視線を泳がせた。

16: 2012/05/21(月) 12:12:47.77 ID:h8vZNxrR0
椋「お姉ちゃん、もしかしてまだそのことを気にしているんじゃないかと思って……」
杏「い、嫌ね。そんな昔のこと、もう気にしてるわけないじゃない。
  っていうか、なんであたしがそんなことを気にしなきゃいけないのよ」
椋「お姉ちゃん。はっきり言わせてもらうけど、お姉ちゃんは岡崎くんのこと、好きなんじゃないの?」
杏「えっ!?」

確信を突かれて、杏さんは動揺を見せた。

杏「ど、どうしてそんなことを聞くのよ?」
椋「えっと、それは……」

椋さんが言葉に詰まったから、代わりに僕が話を続ける。

勝平「椋さんはさ、椋さんなりに杏さんのことを考えていたって事だよ。僕も、椋さんと同意見」
杏「あたしは……」

何と答えたらいいのかを考えているようで、顔を少し赤らめながら視線を下に落とす。

17: 2012/05/21(月) 12:15:02.95 ID:h8vZNxrR0
杏「別に、朋也の事なんか……」
勝平「本当にそう思っている?」
杏「よ、余計なお世話よっ!」
勝平「確かに余計なお世話かもしれないけどさ。それでも、杏さんの気持ちを聞いておきたいんだ。
    そして、できるなら力になりたい。僕は朋也くんにも杏さんにもお世話になったから、今度は僕が二人の力になりたいんだ」
杏「…………」
勝平「で、どうなの?もし本当に朋也くんの事が好きじゃないって言うんなら、素直に謝るよ」
杏「別に……朋也の事なんか……」

あくまでもそう答えるつもりのようだった。

勝平「そう。ごめんね、杏さん。僕たちの勘違いだったんだね」
椋「勝平さん……」
杏「あたしはもう帰るわよ」

これ以上詮索されるのはゴメンといった様子で、杏さんは帰っていった。

18: 2012/05/21(月) 12:17:05.63 ID:h8vZNxrR0
勝平「やっぱりダメだったね、椋さん。あの様子じゃもうこの話はできないかもね」
椋「お姉ちゃん、素直じゃないんだから……」

二人してうーん、とうなる。

勝平「そういえばさ」

一つ気になったことがあった。

椋「なんですか?」
勝平「朋也くんの方はどうなのかな?結局のところ、杏さんの気持ちだけじゃダメだと思うんだけど」
椋「ああ、岡崎くんのことなら、大丈夫だと思います」

そう椋さんは言い切った。

19: 2012/05/21(月) 12:18:56.31 ID:h8vZNxrR0
勝平「……どうして?」
椋「特に根拠はないんですけど……。言うなれば、乙女のインスピレーション、です」
勝平「へ、へぇ……」

いろいろと突っ込みどころはあったが、黙っておくことにしよう……。

勝平「それならさ、朋也くんの方に杏さんの気持ちを教えてあげたらどうかな?」
椋「岡崎くん、信じるでしょうか?それに、そんなことしたらそれこそお姉ちゃん怒るんじゃ……?」

ここでも、杏さんが壁となって立ちふさがる。

勝平「あー……そうだね……確実に怒るだろうね……」

修羅と成り果てた杏さんの姿が思い浮かぶ。

勝平「それじゃあ、やっぱり?」
椋「はい。お姉ちゃんが素直にならないと、話は進まないと思います」
勝平「なら、やっぱり杏さんを説き伏せるしかないね」
椋「生半可じゃいかないと思いますけどね」
勝平「頑張るしかないよ」
椋「はい」

結局この後は、椋さんと二人でデートになった。

20: 2012/05/21(月) 12:20:43.18 ID:h8vZNxrR0
そして、二日後。朋也くんと杏さんが僕と椋さんの住んでいるアパートを訪れた。

勝平「いらっしゃい。あがってよ。そんなに広くはないけどさ」
朋也「いや、俺が一人暮らししてるアパートよりかはずっと広いよ」

そういいながら、部屋に上がりこむ。今日は、僕の退院祝いをしてくれる、といって二人とも来てくれたのだった。
ちらり、と杏さんに視線を移す。ぎろり、と睨み返された。

勝平(うわぁ……)

なにを言いたいのかは、すぐにわかる。ずばり、「この前の話題は出すな」だ。
今度は椋さんに視線を移す。あはは、と笑ってはいるが、明らかに苦笑いだった。
そしてなにも知らない朋也くんは、僕と椋さんの住む部屋を見回していた。

勝平(この状況で、一体僕にどうしろっていうのさ……!)

そう心の中で誰かに文句を言う。当然、答えは返ってこない。

21: 2012/05/21(月) 12:22:26.34 ID:h8vZNxrR0
小さなテーブルを中心に、みんなで座る。そのテーブルの上には、椋さんが中心になって作った料理が一面に並んでいた。
杏さんは明らかに嫌そうな表情を浮かべている。
朋也くんはというとなにも知らない様子で、素直に料理を楽しみにしているように見えた。
椋さんは、もう少し準備があるとの事で、まだ台所の方にいた。
と、杏さんが僕に耳打ちしてくる。

杏「ねぇ、勝平さん。もしかして、ここに並んでいる料理って、全部椋が……?」
勝平「うん、まぁ……。僕もちょっとだけ手伝ったけど、基本は椋さんが全部作ったよ」

教えてあげると、杏さんは「はぁ」、とため息をついた。

勝平(……もしかして、昔はもっと酷かったのかな……?)

昔の椋さんの料理は知らないが、今は食べられる料理にはなっている……少なくとも、この前の料理は。
だから、それほど心配する必要はないと思った。

22: 2012/05/21(月) 12:24:21.47 ID:h8vZNxrR0
椋さんの残りの準備が終わるのを待つ。意外と時間がかかるようで、なかなか台所から姿を現さなかった。
大丈夫かな?と思い、台所に足を運ぶ。

勝平「椋さん。準備はまだ……」

言葉を途中で止める。椋さんは口元に人差し指をあてがい、僕に沈黙を促していた。
その近く。テーブルの上には、最後の一品と思われるサラダが皿に盛り付けられていた。

勝平「椋さん?どうしたのさ、一体」

居間の方に聞こえないように声を潜める。

椋「私、いいこと思いついたんです」

ひそひそ声で返してくる。

勝平「いいことって?」
椋「お姉ちゃんと岡崎くんの二人をこの部屋に残して、私たちが出かければいいんですよ。
  二人きりになったら、きっといい雰囲気になると思いませんか?」

いい事というのは、この前のことだった。

23: 2012/05/21(月) 12:26:22.62 ID:h8vZNxrR0
勝平「あ、いいね、それ。でも、口実はどうするのさ?」
椋「飲み物がないから、二人で買出しに行くと言うんです。
  私と勝平さんの二人なら夫婦ですし、お姉ちゃんはともかく岡崎くんは不自然に思うことはないと思いますから」
勝平「それもそうだね。でも、実際には飲み物、あるんじゃ?」

そう聞いて、冷蔵庫を開ける。しかし、めぼしい飲み物は見当たらなかった。

椋「……えへへ……」

照れ笑いで返してくる。とどのつまりは、そういうことか。
椋さんは、素で飲み物を買うのを忘れていたらしい。

椋「……け、結果オーライ、です……」

言い訳のように言う。

勝平「……まぁ、そうだね。結果的には、いいことだよね。それじゃ、話をしてみようか?」
椋「はい」

最後の一皿を持ち、居間に戻る。

24: 2012/05/21(月) 12:28:00.09 ID:h8vZNxrR0
椋「すみません、岡崎くん、お姉ちゃん。飲み物を用意するのを忘れていたので、これから勝平さんと二人で買ってこようと思うんですけど……」

椋さんはすまなそうにそういった。演技とは思えないほど、その仕草は自然に見えた。
……単に僕が彼女バカなだけかもしれないが。

杏「あら、そう。それなら、心配することはないわよ」

杏さんはしたり顔で、鞄の中から買い物袋を取り出した。
その中には、缶の飲み物……それも、お酒類が大量に入っていた。

杏「ほら、これだけあれば大丈夫でしょ?別に買い物に行く必要なんてないわよ」
朋也「一応俺も、ここに来る途中に買ってきたんだけどな……。
    手ぶらってわけにもいかないだろ?こっちが祝う側なのにさ」
そう言って朋也くんも同じように買い物袋を取り出す。朋也くんの持ってきた物は、普通のジュースやお茶などだった。

25: 2012/05/21(月) 12:29:35.81 ID:h8vZNxrR0
椋「あ、あう……」

椋さんは自分の策が甘かったと思っているのか、言葉に詰まって僕の方に視線を送る。
杏さんは得意げな顔をしていて、朋也くんは普通にしている。

勝平(そんな簡単にいくわけ、ないか……)

心の中で、ため息を一つつく。

勝平「あー、ごめんね、二人とも。なんか気を遣わせちゃったみたいでさ」

僕はなるべく既に失敗に終わった策を朋也くんに悟られないよう、極めて普通を装った。

朋也「いや、いいって。今も言ったけど、俺と杏は祝う側なんだからさ」
杏「そうそう。こんな程度で気にすることないわよ」

朋也くんも杏さんも素敵過ぎる笑顔で返してくる。
朋也くんの方に邪心がないのはわかっているが、杏さんの笑顔に邪心が見え隠れするのは……きっと気のせいだろう。

26: 2012/05/21(月) 12:32:08.22 ID:h8vZNxrR0


お祝いといっても、ただ料理を食べながら昔話に華を咲かせるというごくごくありふれたものだった。
料理の味に関しては、特にこれといった突っ込みは来なかった。
最初に口をつけたのは朋也くんだ。なんともいえない微妙な表情をした後、

朋也「そ、そうだそうだ。せっかく杏が酒買ってきてくれたんだしさ。飲もうぜ」

お酒のほうにエスケープしたのだった。
その様子を見ていた杏さんは不思議そうな顔をした後、前の椋さんと同じように料理を恐る恐る口へと運び、そして一言。

杏「うっそ……信じらんない……」

これも、できれば聞き取りたくない一言だった。
そして箸は割とスローペースで進み、お酒もいい感じで進んだ頃。

朋也「あっはっはっは!そういや、そんなこともあったなぁ」
杏「あの時の陽平の顔が未だに頭から離れなくてさぁ!」

朋也くんと杏さんは、完全に出来上がっていた。無理もない。
朋也くんも杏さんもお酒の方はぐいぐい進み、二人合わせて500ml缶を10本以上は確実に開けていた。
ちなみに、朋也くんはビールを中心に、杏さんはチューハイを中心に飲んでいる。もはやどちらが何を何缶飲んだかわからないほどだった。

27: 2012/05/21(月) 12:34:05.37 ID:h8vZNxrR0
勝平「いやぁ……二人ともお酒は強いほうだろうとは予想してたけど……」

ちらり、と椋さんの方を見る。

勝平「……って、椋さん!?」

椋さんは顔を真っ赤にして、ゆらりゆらりとゆれていた。

勝平「いつの間に椋さんも飲んでるのさっ!?」

手元を確認すると、チューハイが一缶、握られていた。恐らく、朋也くんと杏さんに触発されたんだろう。
ちなみに僕は、病み上がりということでお酒は遠慮していて、さっきからウーロン茶を飲んでいた。

勝平「ああもう……」

もはやここは収拾がつかなくなっていた。
朋也くんと杏さんは相変わらず料理をつまみながら、ぐいぐいとお酒を飲み、あれやこれやと話している。
そして椋さんは、相変わらずゆれていた。

勝平「これって確か、僕の退院祝いだったよね……?」

ひとり呟く。しかし、当然のように返事は返ってこなかった。

28: 2012/05/21(月) 12:36:17.90 ID:h8vZNxrR0
朋也「そういや、勝平と椋は結婚式は挙げないのか?」

不意に、朋也くんが僕と椋さんに話を振ってくる。

勝平「うーん、できれば僕も椋さんのウェディングドレス姿は見てみたいんだけどねぇ……。
    ほら、今まで僕、入院していたじゃない?だから、はっきり言っちゃうと、無職なんだよね。だから、仕事を探すところから始まるからさ。
    式は、挙げるとしたら……半年後か、来年か、それくらいはかかるんじゃないかな?」
杏「あ~!椋のウェディングドレス姿、見たい~!」
朋也「綺麗なんだろうなぁ、ウェディングドレス姿の椋」

朋也くんのその一言に、ムッとする。

勝平「ちょっと、朋也くん。椋さんは僕のお嫁さんなんだからね。渡さないよ?」
朋也「心配しなくても、そんなつもりはねぇよ。でも、俺も彼女の一人くらい欲しいなぁ」

缶を片手に、そう呟く。

29: 2012/05/21(月) 12:37:26.41 ID:h8vZNxrR0
ここで、椋さんが口を開いた。当然、酔っている状態で、だ。

椋「それじゃあ、岡崎くんとお姉ちゃん、付き合えばいいんですよぉ~」

さらりと、爆弾を投げ込んだ。

杏「なっ……」

杏さんは絶句していた。対して朋也くんは、

朋也「あっはははは!それも悪くねぇかもなぁ!」

冗談として受け取ったようだった。

椋「わたしは~、岡崎くんとお姉ちゃん、お似合いだと思いますけどぉ」

椋さんが追撃をしかける。正気とは思えなかった。
……いや、お酒で酔っているから、正気ではないのだが。

杏「ば、バカ言ってんじゃないわよっ!そんなこと、ありえるわけないでしょ!?」

杏さんは動揺を隠しきれない様子で、酔いは完全にさめているようだった。

30: 2012/05/21(月) 12:39:05.23 ID:h8vZNxrR0
朋也「おいおい杏、そんなムキになることねぇだろ。ほら、酒でも飲んで落ち着けよ」

そう言って、朋也くんは手の中にあった缶を杏さんに差し出す。

杏「全くもう……」

居住まいをただし、朋也くんから受け取った缶を一気にあおる杏さん。

勝平「……って!」

ここで気付いた。その缶は、今まで朋也くんが飲んでいた缶だったのだ。つまり、間接キス、ということになる。
しかしそのことには、椋さんはもちろん、杏さんも朋也くんも気付いていないようだった。

勝平(お酒って偉大だな……)

そう思わされたのだった。

31: 2012/05/21(月) 12:41:08.23 ID:h8vZNxrR0


朋也「それじゃ、俺はもう帰るな」

お祝いがひと段落ついた頃。朋也くんは一足先に帰るといってきた。

勝平「え、帰っちゃうの?今日くらい、泊まっていけばいいのに」
朋也「いや、帰るよ。さすがに四人じゃ、狭いだろ?」

確かに、いくら広めの部屋だといっても、大の大人四人はちょっと狭そうだった。

勝平「そう。それじゃ、気をつけてね。また今度、飲もうよ。そのときは僕もお酒、飲むからさ」
朋也「おう。じゃあな」

手を上げて挨拶をして、朋也くんは帰っていった。それを玄関先で見送ったあと、居間に戻る。
椋さんは、完全に酔いつぶれてテーブルに突っ伏して寝ている。
杏さんはと言うと。

「勝平さ~ん?」

ただならぬ雰囲気を纏い、僕の方に歩み寄ってくる。

32: 2012/05/21(月) 12:42:42.55 ID:h8vZNxrR0
勝平「な、何かな……?杏さん……?」

正直、怖い。椋さん、頼むから起きてよ……!

杏「ま、座んなさいよ」

ここが僕と椋さんの家だということを知ってか知らずか、僕に座るよう命じてくる。
僕も命はまだ惜しいから、それにおとなしく従う。

杏「あたし、忠告したわよね?その話題は出すなって」
勝平「い、いやそれは……。そもそも、その話題を出したのは僕じゃなくて椋さんだし……。
    そ、それにほら!朋也くんも気付いてないみたいだったし!」

必氏に言い訳を考える。

杏「……まぁいいわ。ただし、今度その話を朋也にしたら……覚えときなさいよ?」

33: 2012/05/21(月) 12:45:19.02 ID:h8vZNxrR0
勝平「……杏さん」
杏「何?」
勝平「僕と椋さんには確かに関係ないことかもしれないけどさ。もう一度、言わせてもらうよ。
    杏さんは、朋也くんのこと、好きなんじゃないの?」

確認するように、問いただす。

杏「だから、言ったでしょ。あたしは、朋也のことなんか……」

ここで、言葉を止める。その先の言葉は、出てこなかった。

勝平「なんで、言い切らないの?」
杏「っ……別にどうも思ってないわよ!朋也の事なんか!」
勝平「本当に?」
杏「しつこいわね!」

痺れを切らしたかのように杏さんは声を荒げる。椋さんは、それでも起きなかった。

勝平「それなら、いいんだけどさ……。ひとつだけ、言わせてもらうよ」
杏「何よ?」
勝平「本当に朋也くんの事が好きなんだったら、いつまでも逃げてちゃダメだよ」

思っていたことを、素直に言葉にして杏さんに伝える。

杏「っ……。もういいわ。あたしも帰る」

そう言うなり立ち上がり、玄関に向かう。

勝平「それじゃあね、杏さん」
杏「ええ。……ありがとうね、勝平さん」

僕に一言お礼を告げて、杏さんは帰っていった。

34: 2012/05/21(月) 12:47:01.23 ID:h8vZNxrR0
~~~

勝平「……さて、どうしようかな……」

目の前の光景を見て、そう独り言を呟く。

勝平「椋さんは寝ているし……」

とりあえず、食器類から片付け始める。
ひととおり食器を流しまで持っていくと、今度は飲み散らかした缶を集め、袋にまとめる。

勝平「ふぅ……」

腕の甲で汗を拭う。意外と時間のかかる作業だった。

勝平「椋さん、この様子じゃ明日まで起きそうにないしなぁ……」

部屋の奥に行き、毛布を一枚取り出す。
それをテーブルに突っ伏している椋さんの肩にかけて、片付けを再開する。

勝平「よしっ、頑張るかっ!」

結局、その後一時間近くかけて片付けを終わらせたのだった。

35: 2012/05/21(月) 12:49:02.28 ID:h8vZNxrR0
~朋也~

夜の道を、一人歩く。

朋也「ちょっと飲みすぎたな……」

そう思う。それでも意識はまだはっきりしているからマシなほうだ。

朋也「とにかく、早く家に帰って寝るか……」

アパートまでの道のりを、早歩きで進む。

杏「おーい、朋也~!」

後ろから、聞きなれた声が俺を呼んでいた。

朋也「杏?」

俺の後を追いかけてきたのだろうか?俺の隣まで来ると、膝に手をつき息を切らしている。

朋也「なんだ、お前も今帰りか?」
杏「はぁ、はぁ……まぁ、そんなところよ」

息を整えながら、そう答えてくる。

朋也「だったら、一緒に出ればよかったじゃないか」
杏「うん……まぁ、ちょっと勝平さんに話もあったし、ね」

なにか含むような言い方をする。

36: 2012/05/21(月) 12:50:21.36 ID:h8vZNxrR0
朋也「あれ?でも、お前の家ってこっち側じゃないだろ?」
杏「違うわね。あたしの家はあっちよ」

指を差しながら、そう答える。

朋也「なんでこっちに走ってきたんだよ?」
杏「ま、いいじゃない。たまには二人で歩くのもいいでしょ?」

笑顔で聞いてくる。

朋也「確かにな。……考えてみたら、高校のときもたまにこうして一緒に歩いたよな」

ふと、昔のことを思い出した。さっきまで昔話をしていたからだろうか?

杏「そうね。……高校を卒業して、もう五年か……」

遠くを見るような目。その目は、昔を映しているのだろうか。それとも、この先のことを映しているのか。

37: 2012/05/21(月) 12:52:09.07 ID:h8vZNxrR0
杏「ねぇ、朋也」
朋也「なんだ?」
杏「あんたってさ……今は、彼女とかいるの?」

唐突な質問。

朋也「いねぇよ。そもそも、高校を卒業してからなんか女の人との出会いなんか全くなかったしな。……いや、高校のときも、か」

今も交流のある女性といったら、杏と椋くらいだった。その椋も、今は夫持ちだ。

杏「そっか。あたしもね、この歳になってまだ彼氏も居ないのよ」

笑いながら、そう話す。

朋也「お互い、浮いた話なしか。情けないな」
杏「全くよ、本当に」

でも、その話をする杏はうれしそうだった。

朋也「春原は、実家で彼女とかできたのかな?」
杏「あの陽平ができてると思う?」
朋也「いや、わかんねぇさ。意外にもああいうやつが早くに彼女作ったりするもんだろうし」
杏「そっか……。もし陽平に先を越されてたらって考えたら、なんかムカついてきたわね」

いかにも杏らしい意見だった。

38: 2012/05/21(月) 12:54:33.27 ID:h8vZNxrR0
朋也「ははは、そうだな。でも、焦る必要はないだろ。結局のところ、本当に好きなやつとじゃないと長持ちとかもしなさそうだし、な」

杏の表情が、若干曇る。

杏「そう……よね……。やっぱり、本当に好きな人とじゃないと、ダメなのよね……」
朋也「そういうことだ。自分が心から好きになった人と、一緒になる。それが一番の幸せだと思うけどな。
    ……って、何偉そうに言ってんだろうな、俺。俺自身も彼女なんていないのにさ」

ついさっきまで、勝平と椋の幸せそうな様子を見ていたからだろうか?
普段は芳野さんから出てきそうな言葉が、すらすらと出てきた。

杏「は~……やっぱり、ダメだな、あたし……」

何かに呆れたように、杏はため息を漏らしていた。

39: 2012/05/21(月) 12:55:57.33 ID:h8vZNxrR0
朋也「ところで、杏」
杏「え?なに?」
朋也「もう俺のアパート前に着いてるんだが」

言って、アパートを指差す。

杏「あ……もうそんなとこまで来てたのね」

杏は俺に言われてようやく気付いたようだった。

朋也「じゃ、またな、杏」

手を上げて挨拶をして、自分の部屋へと向かう。

杏「あ、待ってっ!朋也っ!」

呼び止められた。

朋也「ん?なんだ?まだなんか用か?」
杏「なんか用か、じゃないわよ。あんた、こんな夜道を女の子一人に歩かせる気?」
朋也「お前が俺について来ただけだろ?それともなんだ?お前の家まで送っていけってか?」

杏の家は今歩いてきた道とは正反対の方向にある。

杏「そこまでは言わないわよ」
朋也「?」

杏の言いたいことが、いまいち読めなかった。

40: 2012/05/21(月) 12:57:28.74 ID:h8vZNxrR0
杏「……あ~もうっ!本当に鈍いわねぇっ!今日はあんたんちに泊めてって言ってんのよ!それくらい察しなさいよ!」
朋也「あぁ、そういうことか。別にいいぜ。上がれよ」
杏「……やけにあっさり承諾するじゃない。ま、まさか、あたしに変なことする気じゃないでしょうね!?」
朋也「あのなぁ……」

ついつい呆れてしまう。

朋也「お前の方から言い出しといて、それはねぇだろ?」
杏「あ……そ、そうよね」
朋也「ま、どうしても襲って欲しいって言うんだったら、考えんでもないけどな」
杏「な……な……」
朋也「ああ、ちなみに冗談だからな」

杏がわなわなと震えていたから、早々に訂正する。

杏「全くもう……」

文句を言いながらも、帰るつもりはないようだった。

41: 2012/05/21(月) 12:58:59.15 ID:h8vZNxrR0
朋也「布団は一組しかねぇけど、どうする?」

部屋の隅に畳んである布団を敷きながら、杏に聞いてみる。

杏「決まってるでしょ?あんたは床」

満面の笑みを浮かべながら、そう答える。

朋也「俺は別に添い寝でもかまわねぇけど?」
杏「却下よ」

早々に却下されてしまう。さっきの一件で、からかわれているというのがわかったようだ。

朋也「はいはい、そうですか……っと。それじゃあ、俺は毛布だけもらうぞ」
杏「それくらいなら譲ってあげるわ」
朋也「……ここは一応俺の部屋なんだけどな……」
杏「なにか言った?」
朋也「いや、なんも」

布団を敷き終わり、毛布だけ取り出す。それを布団の隣に簡単に敷いて、準備は終わった。
杏は布団の中に、俺は毛布を被り、部屋の電気を消す。

42: 2012/05/21(月) 13:01:28.51 ID:h8vZNxrR0
杏「いや~、悪いわねぇ、朋也」
朋也「悪いと思うんなら、場所を変えろ」
杏「大丈夫よ、これは形だけの謝罪だから」

さらりと言い放つ。

朋也「おまえ、高校の頃から何も変わらねぇよな……」
杏「それはお互い様でしょ?」
朋也「それもそうか」

なんとなく納得する。

杏「……でも、身近なところで一番の変化はあったわよね……」

ぼそりと、杏が呟く。察しはつく。椋と、勝平のことだろう。

朋也「お前にとっては自分の半身とも言える存在だからな。そう思うのも無理はないだろ」
杏「そうね。双子って、やっぱり自分の片割れなのよね。でも、椋がずっと先に行っちゃったような気がして、ちょっとだけ寂しいかな……」

それっきり、杏は黙り込んだ。

43: 2012/05/21(月) 13:02:37.05 ID:h8vZNxrR0
朋也「……杏?泣いてんのか?」

布団が震えているのがわかる。

杏「……バカ。こっち、見ないでよ……」
朋也「そっち向いたって、暗くてなんも見えねぇよ」

体を起こす。杏も、俺の後から体を起こした。

杏「……あはは……別に悲しいことじゃないのにね……なんでだろ……?」
朋也「俺にはよくわかんねぇよ。俺、一人っ子だしさ」
杏「そうよね……。ねぇ、朋也……」
朋也「なんだ?」
杏「今日のことは、誰にも内緒だからね……?」

言うなり、杏は暗闇のなか俺に抱きついてくる。と同時に、肩を震わせて泣き始めた。

朋也「…………」

俺は、杏の背中に手を回し、ただ抱きしめ続けていた。

44: 2012/05/21(月) 13:03:35.03 ID:h8vZNxrR0


10分ほど泣いたところで、杏は俺の腕の中から出て行く。
そして、恥ずかしそうに布団を被りなおした。

杏「ご、ごめんね、朋也。こんなつもりじゃなかったんだけど……」
朋也「気にすんなよ。おやすみ、杏」
杏「うん。おやすみ、朋也……」

そうして、まどろみの中に落ちていった。

45: 2012/05/21(月) 13:05:44.50 ID:h8vZNxrR0
~~~

朝。目を覚ますと、台所からおいしそうな匂いが漂ってきた。

朋也(……?)

寝起きで回転の遅い頭を抱えながら、台所に入っていく。

朋也「……杏?」
杏「あら、おはよう、朋也。もうちょっと待ってね。もうすぐ朝ごはんできるから」

そこにいたのは、杏だった。途端に、昨日の夜のことを思い出して、顔が熱くなる。

朋也(あ~、なに考えてんだ、俺は!)

自分で頭を叩き、邪念を振り払う。

居間に戻り、布団をたたむ。

朋也(……杏は、昨日この中で寝たんだよな……。って、ダメだ、ダメだ!)

ぶんぶんと首を回しながら、なるべく意識しないようにささっと布団を片付ける。
そして、部屋の隅に立てかけておいたテーブルを置いた。

46: 2012/05/21(月) 13:07:23.08 ID:h8vZNxrR0
杏「お待たせ~。あら、布団片付けるの早かったわね。……朋也?」
朋也「え、あ、な、なんだ?杏?」

明らかに動揺しているとわかる返事をしてしまった。

杏「……いや、なんでもないわ」

俺の考えていたことを察したのか、杏も顔を赤らめた。
そして無言で、ご飯をテーブルの上に並べる。

朋也「おぉ、うまそうだな」

テーブルの上には、ご飯、豆腐とわかめの味噌汁、目玉焼きと、朝ごはんの定番のメニューが揃った。

杏「冷蔵庫の中にあるもの、適当に使わせてもらったけど、良かったわよね?」
朋也「ああ」
杏「それじゃ、食べましょ」
二人「「いただきます」」

手を合わせて、挨拶。

47: 2012/05/21(月) 13:09:34.70 ID:h8vZNxrR0
まずは味噌汁を飲んでみる。

朋也「………」
杏「どうかしら、朋也?あたしの手料理は?」
朋也「……うまい……」

率直な感想が口から漏れる。

杏「でしょ?」
朋也「お前って、料理上手なんだな……」
杏「どういう意味かしら?」

笑顔を崩さずに聞いてくる。しかし5秒前の笑顔とは確実に雰囲気が違った。

朋也「いや、こう言っちゃ藤林……じゃなくて、椋に悪いけど、あいつの料理って……上手とは言えなかっただろ?」
杏「あー……それは……否定できないわね……」

杏の笑顔が、今度は苦笑いに変わる。

杏「でも、あれでだいぶ上達したのよ?昔なんて、もっと酷かったんだから」
朋也「マジかよ……」

なんだか、勝平に同情してしまった……。

杏「そのことは椋本人や勝平さんには言わないでよ?気まずくなるのなんか目に見えてるんだから」
朋也「わかってるよ」

そうして杏と二人、朝ごはんを食べ終える。

48: 2012/05/21(月) 13:11:50.18 ID:h8vZNxrR0


いつもより少し遅い時間に家を出て、会社へと向かう。

杏「あたしも途中まで一緒に行くわ」
朋也「ああ」

杏と肩を並べて、歩く。昨日の夜もこうして歩いたが、辺りが明るいとどうも彼女を気にしてしまう。

杏「……ん?なに、朋也?」
朋也「いや、なんでもねぇよ」

気にしていることを気付かれないようにする。

朋也(なんでこんな気にしてんだ、俺。昨日の夜のことが、頭から離れてないのか……?)

考え事。ちらりと、また隣を見る。
杏の横顔は、悩みなど無さそうに見えた。

朋也(ま、いいか)

楽観的な答えに辿り着く。

49: 2012/05/21(月) 13:13:23.37 ID:h8vZNxrR0
杏「じゃ、またね、朋也」
朋也「ああ。仕事、頑張って来い」
杏「あんたもね」

手を振って、分かれ道で杏と分かれる。

朋也「…………」

杏を見送る。なんだろう……なんていったらいいかはわからないが、杏のことが気になった。

朋也(なにを考えてんだ、俺……)

頭を掻く。いや、この気持ちは間違いない。

朋也(俺、杏のこと……)

好き……とまではまだ言えないかもしれない。ただ、確実に異性としてあいつを意識しているのは間違いなかった。

朋也「あ~っ!考えるのはやめだ、やめっ!」

頭の中で渦巻いている考えを振り払うようにぶんぶんと首を振り、会社へと向かった。

50: 2012/05/21(月) 13:15:19.14 ID:h8vZNxrR0
~勝平~

椋さんが目を覚ましたのは、翌日のいつもと同じ時間だった。起きるなり、

椋「あれ、わたし、いつの間に寝ちゃったんだろう……?」

と言っていた。お酒を飲んでからの記憶がないようだった。筋金入りの弱さだ。
でも、酔いの方は完全に覚めているようで、朝の支度はてきぱきとこなしていた。
そして椋さんを病院まで送ってから、僕も自分のやるべきことをやる。

勝平「とりあえずは、仕事ガイドかな……」

ひとり呟く。なんか、切なかった。

勝平「は~……。考えてみたら、こういう風に独りになるのって久しぶりなんだよなぁ」

五年前までは一人旅と称していろいろと歩き回っていたが、入院してからはずっと独りになることはなかった。
ましてや、一年前からは椋さんが病院に入ったのだ。
自分の好きな人が身近に居たんだから、独りになると切なくなるのは当然なのかもしれない。

51: 2012/05/21(月) 13:18:12.90 ID:h8vZNxrR0
コンビニで仕事ガイドを購入した後は、簡単なリハビリがてら町の中を歩く。
すると、見覚えのあるワゴン車が一台、目に止まった。

勝平「あの車は確か……」

僕が退院したときに、朋也くんが乗ってきたワゴン車だった。

勝平(もしかして、朋也くんがこの近くで働いてるのかな?)

停車しているワゴン車に近づく。そのワゴン車の近く。電柱に登り、街灯を取り付けている作業員が二人いた。
一人は朋也くん。そしてもう一人は、知らない人だった。

勝平(朋也くんの上司、かな?)

作業の邪魔をするわけにもいかないから、二人が降りてくるのを待つ。
30分ほど経ったあと、朋也くんだけが降りてくる。もう一人の作業員は、朋也くんが取り付けた街灯のチェックをしているようだった。

勝平「朋也く~ん!」

手を振って、小走りで近づく。

52: 2012/05/21(月) 13:20:40.83 ID:h8vZNxrR0
朋也「ん?おお、勝平。どうした、こんなところで」
勝平「軽いリハビリがてら、町の中を歩いてたんだよ。病院でのリハビリだけじゃ、まだ完全に治ったとは言えないらしいからさ」

椋さんに言われたことを、そのまま反復する。

朋也「そっか。骨肉腫ってーのも大変なんだな」

朋也くんと話をしていると、もう一人の作業員が降りてくる。

芳野「ん?岡崎、誰だ、そいつ」

作業員が僕の方を見て、朋也くんにそう聞く。

朋也「ああ、こいつですよ、芳野さん。前に話した、俺の友達」
芳野「そうか、こいつか……。芳野だ、よろしく」

言って、軍手を脱いで握手を求めてくる。

勝平「柊勝平です。よろしく」

その手を握り返して、挨拶。

芳野「よし、これでここは終わりだ。次、行くぞ、岡崎」
朋也「あ、はい!芳野さん。じゃ、またな、勝平」

53: 2012/05/21(月) 13:23:48.60 ID:h8vZNxrR0
芳野「あ、そうだ。おい、柊」

芳野さんに呼び止められる。

勝平「なんですか?」
芳野「お前、確か退院したばっかだって言ってたな?」
勝平「はい、三日前に退院したばかりです」
芳野「退院後のリハビリは大変だと思うが、頑張れよ。俺の名刺、渡しておく。
    ある程度体力がついて仕事を探そうと思ったら、俺の事務所に入ることも考えておいてくれ。もしその気があるなら、俺から親方に話を通してやる」
勝平「本当ですか!?」
芳野「ああ。今はとにかく、昔の体力を取り戻すことだけを頭に入れておけ。
    リハビリってーのは、そう簡単に終わるものじゃないからな」
勝平「ありがとうございます、芳野さん!」
芳野「お大事に、な。じゃ、行くぞ」

芳野さんと朋也くんは、ワゴン車に乗り込んで、この場を去っていった。

勝平「大変そうだなあ……」

そのワゴン車を見送る。ふと、今朋也くんが取り付けた街灯を見る。
街灯は新品の輝きを持っていたが、電柱になじんでいるようにも見えた。

勝平「プロの仕事、ってやつだね……」

そう呟いた。

54: 2012/05/21(月) 13:25:58.87 ID:h8vZNxrR0


その日の夕方。病院前で椋さんが出てくるのを待つ。

椋「あ、勝平さん!」

仕事を終えて出てきた椋さんが、僕のところまで駆け寄ってくる。

勝平「お仕事お疲れ様」
椋「はい、ありがとうございます」

椋さんと二人で、帰路に着く。

椋「この前とは立場が逆でしたね」
勝平「うん、そうだね」

この前は、椋さんが病院前で僕のことを待ってくれていた。今日は、まさにその逆だった。


55: 2012/05/21(月) 13:27:06.62 ID:h8vZNxrR0
勝平「あ、そうそう。今日、町の中で朋也くんと会ったよ」
椋「本当ですか?」
勝平「うん。芳野さんって人とも会った。
    その人に、リハビリが完了して仕事を探すのなら、芳野さんと朋也くんの事務所に入ることも考えておいてくれってさ」

椋さんに、今日あったことを話す。
椋さんは、僕の話に相槌を打ちながら聞いてくれる。

椋「よかったですね、勝平さん」
勝平「うん。でも、今はとにかくリハビリをするしかないよね」
椋「頑張ってくださいね。わたしも、応援していますから」

微笑んでくれる。やさしいな、椋さんは。

56: 2012/05/21(月) 13:31:06.25 ID:h8vZNxrR0
~~~

椋さんと二人で台所に立ち、晩御飯の準備をする。その途中、電話が鳴った。

勝平「僕が出るよ」
椋「すみません、勝平さん。よろしくお願いします」

台所から離れ、電話に出る。

勝平「もしもし、柊です」
杏『あ、勝平さん。あたしよ、杏』

電話の主は杏さんだった。

勝平「杏さん?どうしたの?」
杏『うん……ちょっと、勝平さんと椋に話があって……。今からそっち、行ってもいい?』
勝平「うん、かまわないよ。それじゃ、待ってるね」
杏『ゴメンね、こんな遅くに』
勝平「ううん、いいよ。気をつけて来てね」
杏『ありがと、勝平さん。それじゃ、後でね』

受話器を戻して、台所に戻る。

椋「お姉ちゃん、ですか?」
勝平「うん。僕と椋さんに話があるから、今からこっちに来るって」
椋「……なんの話でしょうか?」
勝平「……さぁ?」

椋さんには話していないけれど、僕はなんの話かなんとなく想像できた。

57: 2012/05/21(月) 13:33:12.77 ID:h8vZNxrR0
杏さんの分の晩御飯も用意して、待つこと10分。ブザーが鳴らされる。
ドアを開ける。そこには、杏さんがいた。

杏「こんばんは、勝平さん」
勝平「いらっしゃい。さ、上がって」
杏「う、うん。お邪魔します」

遠慮がちに部屋に入ってくる。

椋「こんばんは、お姉ちゃん」
杏「や、椋」

椋さんと挨拶をして、座る。

杏「あぁ、あたしの分の晩御飯なんていらなかったのに」
椋「もしかして、食べてきたの?」
杏「いや、食べてきてないけど……」

杏さんは遠慮しているようだった。

58: 2012/05/21(月) 13:34:38.20 ID:h8vZNxrR0
椋「気にしなくていいよ」
杏「そう?それじゃ、ありがたくいただくわね」
三人「「「いただきます」」」

三人声をそろえて、晩御飯を食べる。僕も、椋さんの料理に手をつける。

勝平「あ、これおいしいね」

肉じゃがをほお張りながら、褒める。

椋「あ、ありがとうございます」

椋さんは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
その言葉を聞いて、杏さんも同じように肉じゃがを食べた。

杏「…………」

絶句していた。

杏「椋……お姉ちゃんはうれしいぞっ!」

一呼吸置いた後に、椋さんに抱きついていた。

椋「ち、ちょっとお姉ちゃん!」
杏「さすが我が妹!」

椋さんの言うことなどお構い無しで、椋さんの頭をぐりぐりと撫でている。

勝平(でも、確かにすごい進歩……だよね……)

肉じゃがをもう一口食べて、心底そう思った。

62: 2012/05/21(月) 18:41:27.66 ID:h8vZNxrR0
晩御飯を食べ終えて、食器を片付ける。杏さんは、ひとり居間に座って居た。

椋「勝平さん。片付けはわたしがやりますから、勝平さんはお姉ちゃんの話を聞いてあげてください」
勝平「そう?それじゃ、そうするよ」

流しを椋さんに任せて、居間に戻る。
テーブルを挟んで、杏さんに向き直る。

勝平「それで、話ってなに?杏さん」
杏「う、うん……」

杏さんは言いづらそうに、何度か咳払いをする。

杏「こ、この前の話なんだけどさ……」
勝平「この前の話って、朋也くんの?」

ストレートにそう聞く。途端、杏さんは顔を真っ赤に染めた。

杏「……そ、そうよ。なに、文句でもあるの?」

開き直ったような態度を取るが、明らかに開き直れていなかった。

勝平「それなら、椋さんもいたほうがいいよね」
杏「あ、あう……」

言葉につまる。

63: 2012/05/21(月) 18:43:32.51 ID:h8vZNxrR0
そのまま5分ほど待って、椋さんも居間に戻ってくる。

勝平「それじゃ、杏さん。話してよ」
杏「わ、わかったわよ……」

もう一度何度か咳払いをして、意を決したかのように話し始める。

杏「前の、朋也の話なんだけど……」
勝平「うん」
杏「……正直に言うわ。あたし、朋也のこと好きよ」

視線を逸らしながら、杏さんは本音を吐いてくれた。

杏「ごめんね、椋……。あたし……」
椋「やりましたね、勝平さん!」
杏「え?」

椋さんは心底うれしそうな笑顔を浮かべ、僕の肩を叩いて来る。

杏「ち、ちょっと椋」
椋「え?なに、お姉ちゃん?」
杏「あんた、何も思わないの?あたし、高校の頃からずっとあいつの事好きだったのよ?」
椋「うん。知ってるよ」
杏「っ……そ、それなのに、なんで笑えるの?」

疑問をぶつけてくる。

64: 2012/05/21(月) 18:44:32.83 ID:h8vZNxrR0
椋「え、何でって……」
杏「椋だって、朋也のこと好きだって言ってたじゃない?」
椋「わ、わたしの気持ちは、昔のものだから……。今は、勝平さんがいますから。ね、勝平さん?」
勝平「そうだよ、杏さん」
杏「……じゃあ、今まであたしが気にしていたのは何だったのよ……」

脱力したかのように、テーブルに突っ伏する。

勝平「もしかして、最初のときも椋さん、気にしてないって言ってたらすんなり話は通ってたんじゃないかな?」
椋「あ……それもそうかもしれないですね……」

まあ、過ぎたことを掘り返しても始まらない。大切なのは、これからだ。

65: 2012/05/21(月) 18:46:43.35 ID:h8vZNxrR0


椋「それじゃ、作戦会議を始めます……」

姿勢を正して、椋さんが仕切る。

勝平「うん」
杏「ストップ!」

が、早々に杏さんからストップがかかってしまった。

杏「なんの作戦会議よ?」
椋「えっと……題して、「お姉ちゃんと岡崎くんをくっつけちゃおう大作戦」……です」

身も蓋もない作戦名だった。

杏「そんな大作戦はいらないわ。却下よ、却下!」

却下されてしまった……。

椋「え、で、でも……」
杏「あたしはそんなことしてもらわなくても大丈夫よ、失礼ね」
勝平「本当に大丈夫、杏さん?朋也くんに自分の気持ち、伝えられるの?」
杏「な、何よ。無理だって言いたいの?告白くらい、いくらでもしてやるわよ。
  朋也の前で、好きです、って言えばいいだけでしょ?簡単じゃない」
勝平「それができなくて今に至るんじゃ……」
杏「何か言った?」

声がこわいっ。

66: 2012/05/21(月) 18:49:22.63 ID:h8vZNxrR0
杏「今までは椋に気を遣ってたから言えなかっただけよ。その心配もなくなったし、大丈夫よ、問題なし!」
勝平(本当かなぁ……)
椋「それじゃ、今から岡崎くんを呼び出す?」
杏「え!?い、今から!?」

声を裏返して聞き返してきた。

椋「うん。どうせなら、早いほうがいいでしょ?」
杏「そ、それは……」

強がりを言った手前、取り消せないようだった。

勝平「大丈夫だよ、杏さん。断られないと思うから」
杏「それが今、一番の心配なんじゃない……」

ぼそっと文句のように呟く。

杏「大体、断られないなんて根拠、どこにもないでしょ?」
勝平「そこはそれ、椋さんが」
椋「お、乙女のインスピレーションですから……」

恥ずかしそうに顔を赤らめながら、杏さんに前と同じ台詞を言っていた。

杏「乙女のインスピレーション……ねぇ……」

呆れたように繰り返している。

67: 2012/05/21(月) 18:51:23.90 ID:h8vZNxrR0
勝平「それじゃ、場所はどうしようか?」

椋「お姉ちゃん、思い出の場所とか、どこかある?」

杏「ちょっとっ!あたしをそっちのけで話を進めないでよ!」

勝平「商店街の空き地なんてどうかな?」

椋「あ、そうですね。そこ、お姉ちゃんの思い出の場所ですから」

勝平「え、そうなの?」

椋「はい。お姉ちゃんのペットのボタンとの出会いが、そこでしたから」

杏「ちょっと~……」

勝平「じゃ、朋也くんに電話だね」

杏「え、え!?本当に呼び出すの?」

朋也『もしもし、岡崎です』

勝平「あ、朋也くん。僕、勝平だけど」

朋也『勝平?どうした?』

勝平「ちょっと、今から商店街のはずれの空き地まで来てくれないかな?大事な話があるんだ」

朋也『え?ああ、別にいいけど。電話じゃダメなのか?』

勝平「直接会って話がしたいんだ。それじゃ、すぐに来てね」

朋也『ああ、わかった』

68: 2012/05/21(月) 18:53:21.44 ID:h8vZNxrR0
電話を受話器に戻す。そして振り返ると、異様なオーラを放った杏さんがそこにいた。

勝平「え?……な、なにかな、杏さん……?」
杏「勝平さ~ん?あたしそっちのけで、なんでそうすらすらと話を進めるのかしら……?」
勝平「え、いや、だって、ほら、その……」
杏「あたしだってねぇっ!心の準備くらいしたいのよ!?」
勝平「……り、椋さん……っ!」

杏さんの後ろにいる椋さんに助けを求める。

椋「お、お姉ちゃん……落ち着いて……」
杏「今からすることを考えたら、落ち着いてなんて……」

最初は勢いよく話していたが、徐々に声が小さくなる。

杏「……もうっ!わかったわよ!行くわよ!」

観念したのか、すっくと立ち上がり、ずんずんと部屋を出て行く。

勝平「……まずかったかな……?」
椋「いえ、さすがです、勝平さん。お姉ちゃんを、あそこまで混乱させるなんて。わたしには、怖くてとてもできませんから」
勝平「それ、褒めてなくない?」
椋「そ、そんなことないです……けど……」
勝平「まぁ、いいや。とにかく、杏さんを追いかけよう」
椋「はい」

杏さんに気付かれないように、そっと後を追う。

69: 2012/05/21(月) 18:54:48.81 ID:h8vZNxrR0
商店街のはずれの空き地。辺りはもう日も落ちて、暗くなりかけている。
そこに一人の、髪の長い女性が立っていた。

椋「お姉ちゃん、頑張って……!」

影に隠れながら、応援する。
僕たちが隠れているところの反対側から、人影が近づいてきた。朋也くんだ。

朋也「あ、あれ?杏?」

状況を把握できていないようだった。

杏「朋也……」
朋也「なんでおまえがここに居るんだ?」
杏「…………」

杏さんは何も答えない。

朋也「そ、そうだ。勝平、見なかったか?俺、あいつに呼び出されたんだけど」
杏「そりゃそうよ。あたしのために呼び出してくれたんだから」
朋也「え?」

その答えに、朋也くんは固まっていた。

70: 2012/05/21(月) 18:57:08.29 ID:h8vZNxrR0
椋「あ、あの、勝平さん……」
勝平「なに、椋さん?」

物陰に隠れて様子を見守りながら、ひそひそと話す。

椋「わたしたち、ここで隠れて見守っていてもいいんでしょうか?」
勝平「事の発端は僕たちだからね。大丈夫だと思うよ」

朋也「じゃ、じゃあ、俺に話があるっつーのは、お前か、杏?」
杏「うん……」

ここで二人とも沈黙してしまう。

勝平「うわぁ……あの沈黙は気まずいなぁ……」

僕だったらきっと耐えられない。

杏「……朋也」
朋也「……なんだ?」

意を決したように、杏さんが話し始める。

杏「あたし、あんたのこと……。…………」

また押し黙る。しかし。

杏「……好き、です」
朋也「…………」

小さい声だったが、はっきりとそう言った。
そこで、またも沈黙。

71: 2012/05/21(月) 18:58:59.83 ID:h8vZNxrR0
勝平「朋也くん、OKするかな?」
椋「さ、さあ……。わからないです」
勝平「あれ、乙女のインスピレーションは?」
椋「い、今は感じないです……」

……いいかげんだった。

朋也「…………」
杏「…………」

長い沈黙。朋也くんも杏さんも、お互いに口をつぐんでいた。
しかししばらく沈黙が続くと。

杏「……―――あ~もうっ!なんで答えないのよ、あんたはっ!」

杏さんがキレた!!

朋也「え!?いや、だって……」
杏「あたしがあんたのことを好きだって言ってんのよ!?あんたも、好きとか、嫌いとか、なんか言いなさいよ!」

勝平「うわぁぁ、ダメだよ、杏さん!そこでキレちゃあ!」

朋也くんは、杏さんの迫力にたじろいでいた。

72: 2012/05/21(月) 19:01:12.11 ID:h8vZNxrR0
杏「あたしと付き合う気があるのか、ないのか、はっきりしなさいよ!」

勢いでそこまで言い切ると、杏さんは黙り込んだ。

朋也「……あのなぁ……」

朋也くんは呆れたように頭を掻く。

朋也「そこはキレるところじゃないだろ?おとなしく、俺の返事を待つところだ」
杏「じゃあ、なんで早く答えないのよっ?」
朋也「なんて答えようか考えてたところだろ!?それくらいの時間くれたっていいじゃないか!」

朋也くんがそう答えると、杏さんはまた黙り込む。

杏「……もしかして、どう断ろうか考えてた、とか……?」

泣きそうな声。

勝平「……なんか、やばくない?もし断られたらさ……」
椋「わたしたちも、ただじゃすまないですね……」

椋さんは笑いながら答える。僕は、笑えなかった。

73: 2012/05/21(月) 19:03:31.34 ID:h8vZNxrR0
朋也「そんな答えは考えてない。むしろ……」

そこで朋也くんは視線を逸らした。

朋也「どうやって、俺も素直に答えようかって考えてたんだよ……」
杏「え?……どういうこと?」

杏さんは朋也くんの言わんとしていることがわからないようだった。

朋也「だから、その……」

言いづらそうに、言葉をつなげる。

朋也「俺も、お前のことが好きだ……って事を、だな……」
杏「え、それじゃあ……」

杏さんが目を丸くする。

朋也「ああ、今言ったとおりだよ……」

顔を赤くしながら、そう言葉をつなげた。その言葉を聞いた瞬間、杏さんがその場に座り込んだ。

朋也「お、おい、杏?」
杏「信じらんない……本当に?」
朋也「ああ。……俺なんかでよければ、付き合おう」

優しい笑顔を浮かべながら、杏さんに手を伸ばす。
杏さんはその手を躊躇いがちに取ると、朋也くんに引っ張られるようにして立ち上がった。

杏「………」

杏さんはまだ信じられないというような顔をしている。

74: 2012/05/21(月) 19:04:59.33 ID:h8vZNxrR0
椋「ねぇ、勝平さん。わたしたちも、もう出て行っていいんじゃ?」
勝平「あ、そうだね」

がさがさと草むらを掻き分けて、朋也くんと杏さんの居るところまで歩いていく。

朋也「あ、お前らっ!」

朋也くんは僕らの方を見て、びっくりしている。

勝平「あはは、ごめんね、朋也くん。一部始終、見させてもらってたよ」
朋也「……隠れてんなよ……」

失敗したとでも言うように頭を掻いている。

椋「お姉ちゃん、おめでとう」
杏「え、ええ。ありがとう、椋……」

夢の中からいまだ杏さんは帰って来ていない。

勝平「それじゃ、僕たちはもう帰るよ。これ以上邪魔しちゃ悪いし、さ」
椋「行きましょう、勝平さん」

椋さんと二人、手をつないでその場を離れた。

75: 2012/05/21(月) 19:07:46.85 ID:h8vZNxrR0
~朋也~

勝平と椋は、ひとしきり祝福の言葉を残すと、二人仲良く去っていった。

朋也「あいつらは……」

今の一部始終を見られたかと思うと、正直恥ずかしい。杏の方を確認する。

杏「……はぁ」

顔に手を当てて、ため息をついている。

朋也「……お互い、災難だったな」
杏「本当に、ね」

お互いに顔を見合わせ、そして笑いあう。

朋也「いや、あいつらもなかなかやるなぁ!」
杏「あはは、全くよ。あたしなんか乗せられちゃうしね!」

さっきまでの沈黙が嘘のように、お互いに笑っていた。
これが、一番俺たちらしいのかもしれない。

朋也「……さ、じゃ、俺たちも帰るか、杏」
杏「うん……」

スッと、杏は俺に手を差し出してくる。

杏「彼氏なら、手くらいつないでよ」

顔を赤くしながら、そう言ってくる。

朋也「ああ、そうだな」

その手を取って、歩き始めた。

76: 2012/05/21(月) 19:09:23.55 ID:h8vZNxrR0
~~~

杏の手を取ったまま、俺のアパートまで来る。

朋也「……杏」
杏「なに?」
朋也「今日も、俺のアパートに泊まるのか?」
杏「朋也は、いや?」
朋也「嫌なわけねえだろっ。ただ、お前の方が嫌がるかと思って、な」
杏「嫌がるわけないでしょ?あ、あたしは……高校の頃から朋也のこと、好きだったんだから……」

視線を逸らしながら言われる。

朋也「そ、そうか。じゃあ、まあ、あがれよ」

追い返す理由もないし、そのつもりもないから杏を部屋に入れる。

杏「朝のまんまね……」
朋也「そうでもねぇだろ?仕事終わって帰ってきてから飯食ったんだし」
杏「あ、そ、そうよね。なに言ってんだろ、あたし」

杏も明らかに動揺している。俺もそれほど余裕があるわけでもないので、からかうこともしなかった。
テーブルをよけて、布団を敷く。

77: 2012/05/21(月) 19:10:45.18 ID:h8vZNxrR0
朋也「……布団は一組しかねぇけど、どうする?」

昨日もした質問をする。

杏「……朋也に、任せる……」
朋也(マジか……)

断られなかった。どうしたものか……。
ここは、余裕を見せておこう。

朋也「じゃあ、添い寝な」
杏「……わかったわ」
朋也(えぇぇ……)

普通に返されてしまう。こう言われたら、俺の方から撤回するのもなんだか負けな気がする。
結局、俺が一人で寝るような布団の敷き方をしてしまった。

朋也「って、まだ寝るには早い時間だよな」

どうしたらいいかわからずに布団を敷いてしまったが、時間はまだ8時前だった。

78: 2012/05/21(月) 19:12:32.73 ID:h8vZNxrR0
杏「……べ、別にあたしはもう部屋の電気を消してもいいわよ?」
朋也「そうか……じゃ、もう消すぞ」

杏の意見に負けじと、部屋の電気を消す。
当然だが、辺りは闇に包まれた。

杏「…………」

杏は黙り込んでしまう。

朋也「ま、とりあえず座れよ。話でもしようぜ」

窓辺に座り込んで、杏にそう促す。

杏「……うん」

杏は若干とまどいながら、俺の隣に座り込んだ。

朋也(別に、いつも通りでいいんだよ……)

自分の心に、言い聞かせる。

79: 2012/05/21(月) 19:14:46.25 ID:h8vZNxrR0
月明かりの下、杏と二人で窓辺に寄り添いあって座る。手は、杏の手の上に自分の手を重ねていた。
こうして寄り添って座っていると、昨日までの関係とは違うんだなということを実感する。

杏「ね、朋也。朋也は、いつからあたしの事、好きだったの?」

杏の突然の質問。

朋也「うーん……自覚したのは、つい最近だったんだよな……」
杏「最近?」
朋也「わからないか?」
杏「わかるわけないでしょ?」

どうやら本気でわかっていないようだった。

朋也「暗闇の中、抱きついてきたのは誰だよ……」

呆れたような口調で言う。

杏「そ、それは……。っていうか、そのときに自覚したの?」
朋也「そうなるな」
杏「女の子に抱きつかれて好きになるってどうなのよ……」
朋也「別にいいだろ?それに、その時もそういう下心があったんじゃないのか?」
杏「あるわけないでしょ!?あの時は、本当になんだか泣きたくなったんだから……」
朋也「ま、とりあえずそういうことにしておいてやる」

杏と話しながら、考えていた。杏って、こんなにからかいがいのあるやつだったっけ?
やっぱり、付き合ってみないとわからないこと、なんだろうか。

80: 2012/05/21(月) 19:15:56.84 ID:h8vZNxrR0
朋也「……なぁ、杏。そういうお前は、何がきっかけで俺を好きになったんだ?」
杏「え?そうね……」

俺が質問すると、杏は口元に手を当てて、なにやら考え込んでしまった。

杏「……あれ?いつからだろう?」

力が抜けそうな答えだった。

朋也「おいおい……。高校の頃から好きだったんだろ?具体的に、思い出せないのか?」
杏「ち、ちょっと待って。今、思い出すから……」

そうして、また黙り込んだ。3分程考えた後、口を開いた。

杏「三年にあがる頃には、多分もう好きだったと思う……。そしたら、二年の頃かしら?」

それでもあやふやだった。

81: 2012/05/21(月) 19:17:18.52 ID:h8vZNxrR0
朋也「二年の頃ねぇ……。二年のときってーと、俺とお前が知り合った時じゃないのか?」
杏「そうね。一緒のクラスになって、同じ教室で一年過ごした、その時からかしら?」
朋也「ふ~ん……。じゃあ、なんでそのときに告白してこなかったんだよ?」

これは恥ずかしいから言わないが、杏からの告白なら俺は断っていなかったと思う。

杏「その辺りは朋也と同じよ。好きにはなっていたんだろうけど、自覚してなかったのよ。
  自覚したのは、そうね……三年にあがったばかりのときかな」

昔を思い出すような、遠くを見るような目をする。

朋也「クラスが分かれて、それで気付いたってか?」
杏「それだけが理由じゃないけど、ま、そんなところね」
朋也「なんだ、まだ理由があんのか?」
杏「もう、言っちゃってもいいかな。それに、あたしもたくさんやられたから、仕返ししなくちゃ」

ふふっといたずらっぽい笑みを浮かべる。

82: 2012/05/21(月) 19:19:44.26 ID:h8vZNxrR0
杏「二年の頃からね、椋にあんたのこと話していたのよ」
朋也「椋に?」
杏「そ。その日学校であったこととかをね。その話を聞いてるうちに、椋、あんたのこと好きになったみたいなのよ」
朋也「……って!あいつも、俺のことが……?」
杏「うん。それで三年にあがって、あんたと椋が同じクラスになってから数日で、あの子があたしに相談してきたのよ。
  『わたし、岡崎くんのこと、好きになっちゃった……のかも』ってね。あの時の椋の可愛さは異常だったなぁ。
  あたしも思わず椋に惚れそうになっちゃったもん」

意外だ。杏ならともかく、あの椋が、俺みたいな不良を好きになるなんて……。

朋也「……あれ?でも、そしたら……」

子供でも簡単に引っかかる疑問にぶつかる。

杏「そういうこと。椋の相談を聞いてね、あたしも自分の気持ちに気付いたのよ。
  あたしも、朋也のことが好きなんだな……ってね」

杏の語りは続いた。

83: 2012/05/21(月) 19:21:14.43 ID:h8vZNxrR0
杏「その時から、あたしは自分の気持ちを押し頃していたのよ。もしあたしも朋也のこと好きなんていっちゃったら、あの子傷ついちゃうから。
  でも、そう日も経たないうちに勝平さんと出会うでしょ?それから何日もしないうちにあの二人がくっついたって言うのは、本当に意外だったなぁ」
朋也「それにしても、そんなすぐに気持ちって切り替わるもんかな?」
杏「そうね。あの子の朋也への気持ちは、多分あこがれ、みたいなものだったんじゃないかしら。
  ほら、あんたみたいな不良って、普通の子から見たら結構カッコいいと思われるらしいじゃない」
朋也「そんなもんか?」
杏「そんなもんよ。あたしはそんなところを好きになったわけじゃないけどね」
朋也「じゃあ、お前は俺のどんなとこを好きになったんだ?」
杏「あたし?そうね、あたしはあんたと一緒のクラスで話したりしているうちに、少しずつあんたに惹かれたんだと思うわ。
  良くも悪くも、裏表のないあんたの性格にね。じゃないと、あんたみたいなやつ好きになったりしないだろうし」

何事もなく言ってのけるが、何気に結構酷いことをいわれたような気がする。

84: 2012/05/21(月) 19:22:37.11 ID:h8vZNxrR0
朋也「お前、もう少し言葉を考えろよ……」
杏「でも、朋也のことを好きって気持ちは、変わらないわ。多分高校の頃から、付き合うのはあんただけって心のどこかで決めていたんだろうな……」

俺の肩に頭を乗せてくる。

杏「昨日、あんたの言ってたこと、改めて素直に頷けるわ。本当に好きな人じゃないと、ダメってことを……」
朋也「杏……」

肩から頭を上げたかと思うと、杏は目を閉じて俺の唇に自分の唇を重ねてきた。

杏「ん……うん……」
朋也「…………」

杏の息遣いが、直に伝わってくる。
やがて、どちからともなく唇は離れる。

杏「へへぇ……。あたしのファーストキス、朋也にあげちゃった……」

いたずらっぽい笑みを浮かべて、そう言う。それからは、お互いに口を閉じていた。
ただお互いに、自分の好きな人が近くにいる、ということを感じていた。

85: 2012/05/21(月) 19:25:12.03 ID:h8vZNxrR0
杏「朋也……」

しばらくの沈黙の後。
杏の方から口を開く。

杏「あたし、今すごく幸せよ。高校の頃からの……7年越しの恋が、実ったんだもんね」
朋也「俺も幸せだ。初めてできた彼女が、俺のよく知る人でよかったと思う。
    きっと知り合ったばかりのやつとじゃ、ここまで親密にはなれないと思うからな」
杏「あら、その原理で言うと、椋もOKってことになるけど?」
朋也「バカ、からかうな。椋は……あいつは、また別だ。あいつは既に、結婚してるだろ」
杏「うん、そうね……。ねぇ、朋也」
朋也「なんだ、杏?」
杏「付き合ったばかりで早いかもだけどさ。あたしたち、結婚しよっか?
  あたし、朋也以外の人と結婚なんて、想像できない。でも、朋也となら、求められたらすぐにでも結婚するわ」
朋也「おまえ、今すっげぇ恥ずかしいこと言ってるぞ……」

思わず、顔が熱くなってくる。

杏「あたしは、あたしの思ったことをそのまま言っただけよ」
朋也「そうか。でも、そうだな。俺も、お前以外のやつと結婚する自分なんて、想像できない」

86: 2012/05/21(月) 19:26:56.09 ID:h8vZNxrR0
杏「じゃあ……」
朋也「待ってくれ、杏」

なにかを言いかけた杏を止める。

朋也「それは、また今度俺の口から言わせてくれ。そういうことを言うのは、男の役目だろ?」
杏「別に、男とか女とか気にすることないと思うけど……朋也がそういうんなら、あたしは従うわ」

杏の言葉を聞き終わり、時刻を確認する。12時を回ったところだった。

朋也「もうこんな時間か。ずいぶんと長い間話し込んでたんだな」
杏「そろそろ寝よっか?」
朋也「そうだな」

そう答えて、目の前の布団に視線を移す。
布団は、一組だけだった。

朋也「……添い寝?」

杏に確認を取る。

杏「へ、変なことしないでよ?」
朋也「しねぇよっ!」

そんなこんなで、一つの布団に、背中合わせで入り込む。

87: 2012/05/21(月) 19:28:37.08 ID:h8vZNxrR0
杏「狭いわね……」
朋也「文句言うな。もともとこの布団は一人用だ」
杏「それもそっか。なら……。朋也、こっち向いて」

杏に言われるまま、杏の寝ているほうに体を向ける。
と、杏が俺の腕の中に入り込んできた。

朋也「ちょっ……!」
杏「へへぇ……これなら狭くないわね……」

うれしそうな恥ずかしそうな笑顔で、そう言ってくる。

朋也「お前は……」

恥ずかしさを通り越して、呆れてしまう。

杏「なぁに、朋也。この体勢は嫌?」
朋也「嫌じゃねぇけど、俺、なにするかわかんねぇぞ?」
杏「大丈夫よ。変なことしてきたら顔面蹴り飛ばすから♪」

なんの躊躇いもなくそう言い放つ。

朋也「はぁ……わかったわかった。今夜は抱いててやるから」

顔を上げた杏と、一度キス。そうして、この夜はその体勢のまま寝ることになった。

88: 2012/05/21(月) 19:30:39.44 ID:h8vZNxrR0


外から聞こえてくる雨音で、目を覚ます。

朋也「ん~……もう朝か……」

起きがけすぐに、いつもとの違いに気付いた。
俺の腕の中で、杏が気持ち良さそうに寝息を立てて寝ていた。

朋也「幸せそうな顔しやがって……」

杏を起こさないように、布団から出る。

朋也「さて、と……」

昨日は杏に朝飯を作ってもらったから、今日は俺が作ってやろう。
台所に立つ。

朋也「まずは味噌汁だな」

杏に作ってもらった朝飯と同じメニューを作る。
その途中で、杏も目を覚ましたようだった。

杏「おはよ~、朋也……」
朋也「おう、おはよう。今日の朝飯は俺が作ってるからな。居間の方、布団を隅に寄せといてくれないか?」
杏「わかったわ~……」

寝ぼけたような声を背に、料理を続ける。

89: 2012/05/21(月) 19:32:25.39 ID:h8vZNxrR0
作り終わり、居間に戻る。
布団は綺麗に畳まれていて、テーブルがいつもと同じポジションに置いてあった。

朋也「丁寧に畳まなくても、隅に適当に寄せておくだけでよかったのに」
杏「あたしは中途半端は嫌いなの。その辺はわかってるでしょ?」
朋也「まぁな。それより、朝飯出来たぞ。お前の料理よりは味劣りするかもしんねぇけど、まあその辺は我慢してくれな」

テーブルの上に、二人分の朝食を並べる。

杏「へぇ、朋也も意外にちゃんと料理できるのね」
朋也「俺は一人暮らしだからな。って言っても簡単なもんしか作れねぇぞ?」
杏「男の人はそんなもんでいいんじゃないの?」
朋也「そうか?」

何気ない話をしながら、朝飯を食べ始める。

90: 2012/05/21(月) 19:34:25.75 ID:h8vZNxrR0
朝食の途中、電話が鳴った。

朋也「多分、事務所からだと思う。今日は、雨降ってるからな」

電話に出る。主は予想通り、親方からだった。
今日は雨だから仕事は休み、という内容だった。

朋也「急に暇になっちまったな」
杏「そうね~。それなら、あたしとデートする?」
朋也「え?お前、今日仕事休みか?」
杏「カレンダーくらい確認しなさい」

箸の先でカレンダーを指す。

朋也「あ、今日日曜か」

こういう仕事をしていると、曜日感覚が狂ってしまう。
日曜でも仕事が入るときがあれば、平日でも休みが入るときもあるから。

朋也「そうだな。こういう日しか昼に出かけることもないし、せっかくだから二人で出かけるか」
杏「決定ね。それじゃ、朝ごはん食べ終わったらあたしはいったん帰るから、その後商店街の入り口に集合ね。時間は、11時よ。時間厳守だからね?」

さくさくと決めていく。こういう時の杏の仕事の速さは、さすがだった。

朋也「ああ、わかった」

91: 2012/05/21(月) 19:37:47.96 ID:h8vZNxrR0


朋也「やっちまった……」

商店街の入り口で、一人呟く。腕時計で時間を確認する。
時刻は、10時を少し回った所だった。

朋也「いくらなんでも早すぎたな……」

早くも後悔していた。急にデートといわれて、何も動揺しないわけがなかった。
杏の前では極力普通を装っていたが、心の中ではあれやこれやと色々な考えがぐるぐると回っていた。

朋也「またアパートに帰るわけにもいかねぇしな……」

約一時間という時間を、待つことにした。
それから何分も待たないうちに、杏が待ち合わせ場所に現れた。

杏「え?朋……也?」
朋也「よう、早かったな」
杏「…………」

杏はぽかんとしていた。それはそうだろう。
待ち合わせ時間よりも50分近く早くについたのに、その待ち合わせ相手が既にいたのだから。

92: 2012/05/21(月) 19:38:56.25 ID:h8vZNxrR0
朋也「どうした?俺がこんなに早くに来るのが意外だったか?」
杏「そうじゃないけど……」

深いため息をついていた。

杏「恋人を待つ幸せってものを、味わってみたかったのに……」

ボソッと呟いている。

朋也「悪かったな。俺だって、こんなに早くに来るなんて予定外だったんだよ」
杏「……ぷっ」

唐突に、杏が吹いた。

杏「あはは、全く、本当に初々しいわね、あたしたち」
朋也「ま、しょうがねぇよ。お互いに初めての彼氏彼女なんだしな」
杏「ふふっ、そうね。じゃ、行きましょ」
朋也「ああ」

二人で傘を並べて、歩き始める。

93: 2012/05/21(月) 19:40:29.20 ID:h8vZNxrR0
雨天とは言っても、それなりに商店街は人が居た。辺りは、色とりどりの傘で埋め尽くされている。

杏「ねぇ、ちょっと行きたいところあるんだけど、いい?」
朋也「ああ、いいぞ。今日一日は、お前に振り回されてやる」
杏「何よ、その言い方は。そう言うからには、覚悟しなさいよ?」
朋也「わかってるよ」

杏の先導で、商店街の中を歩く。そして、杏は一軒の店に入っていった。
そこは、光物が置いている店だった。

朋也「やっぱり杏も女の子なんだな……」

当たり前のことだが、改めて実感した。

杏「この宝石、綺麗ねぇ」

窓ガラス越しに、一つの指輪を指差す。
そこには、薄い紫の宝石が埋め込まれた指輪があった。

朋也「なになに……。『アメジスト』……って読むのか、これ」

杏はこういうのが好きなのか。

朋也(一応、覚えておくか……)

この店の他にも、杏は色々な店に足を向けていた。そして店に入っては、杏が気に入ったものをひとしきり見て周る。
そのお気に入りを一つ一つ、俺は覚えていった。

94: 2012/05/21(月) 19:41:54.16 ID:h8vZNxrR0
~~~

杏「雨の日に出かけるって言うのも、またいいものね」

商店街の中の喫茶店に入り、一息つく。

朋也「お前は元気だな。まぁ、お前が楽しめているんなら、俺もいいんだけど」

コーヒーを一口飲んで、外に視線をやる。雨は、まだ降り続いていた。

杏「今までは雨って嫌いだったけど、これからは好きになるかも」
朋也「そうなのか?こんな天気に出かけるっていうから、てっきり雨が好きなのかと思っていたけど」
杏「雨が好きな人なんて、そうそういないと思うんだけど」
朋也「だから珍しいと思ったんだよ」
杏「あんた、そういう決め付けは失礼よ?」
朋也「お前なら問題ないだろ?」
杏「まぁね。これくらいで嫌いになるほど、あたしの気持ちは軽くはないから」
朋也「だから、そういう恥ずかしいことをさらりと言うなよ……」

どうやらこいつは、恥ずかしいセリフもさらりと言えるといえるようだった。
その辺は、芳野さんと気が合うかもしれない。

95: 2012/05/21(月) 19:43:34.42 ID:h8vZNxrR0
午後からも、杏に着いて商店街の中を歩き回っていた。
そして日は暮れ、夕方。

杏「それじゃ、そろそろ帰ろっか」
朋也「そろそろ、じゃねぇだろ……」

時刻は、6時を回っていた。

杏「え?なんで?」
朋也「お前、本当に元気だな……」

俺の方は、結構疲れていた。

杏「まぁまぁ、今日はあたしも自分の家に帰るから、あんたも自分の家でゆっくり休みなさいよ」

俺の肩をポンポンと叩く。

朋也「もちろんそうするけどな……」

今日仕事が休みだったから、当然のごとくそのしわ寄せは明日やってくる。
だから、今日は早めに寝ることにしよう。

杏「……そういえば、もう雨上がってるわね」

言われて、気付く。先ほどまで傘を叩いていた雨音は、今はもうしなかった。
傘を畳んで、下に向ける。

朋也「じゃあな、杏」

最後に杏にキスをひとつして、分かれる。

96: 2012/05/21(月) 19:45:03.45 ID:h8vZNxrR0
朋也「さて、と……」

杏を途中まで見送ってから、商店街に足を向ける。手には、メモ紙が一枚。
杏が気に入ったものを気付かれないように密かにメモしていたものだった。

朋也(やっぱり、一番印象に残ってるのはあの指輪かな……)

最初に入った光物の店で見た指輪を思い出す。
薄い紫色の宝石が埋め込まれた指輪。

朋也(アメジスト……だったかな?とにかく、その店に行ってみるか)

杏につれられて行った光物の店を目指して歩く。
入るのに少々躊躇いながらも、店の中に入る。

朋也「えーと……あった。確か、これだったな」

一つの指輪を視界に捉える。

朋也「値段は……」

指輪についている値札の数字を確認する。

朋也(いち……じゅう……ひゃく……せん……まん……)

途中まで数えて、停止する。信じたくない値段だった。

朋也(指輪だけでもこんなすんのか……)

97: 2012/05/21(月) 19:46:21.03 ID:h8vZNxrR0
値段は確かに張るが、今まで働いて溜め込んだ貯金をつぎ込めば買えない値段ではなかった。
実に、絶妙な値段である。

朋也(どうするか……)

ガラスケースの前で一人、うなる。

朋也(……はぁ。ま、いいだろ)

どうするかひとしきり考えたところで、銀行へと向かった。

~~~

光物の店を後にする。手には、指輪のケースが入った袋が二つ。

朋也「もう、これで後戻りはできねぇな……」

後悔しても始まらない。杏は、きっと喜んでくれるはずだ。

朋也「後は、どのタイミングで言うか、だな……」

アパートへの帰り道を歩きながら、いろいろな考えをめぐらせた。

98: 2012/05/21(月) 19:49:19.07 ID:h8vZNxrR0
~勝平~

アパートの部屋の中、一人で過ごす。
今日は朝から雨が降り続いていたから、椋さんを病院まで見送ってからはすぐに帰ってきて、暇を持て余していた。

勝平「は~……僕って無趣味なんだなぁ……」

無意味についているテレビの音を聞きながら、そんな独り言を呟く。ふと時計に視線を移した。
時刻は7時過ぎ。椋さんは今日は夜勤だから、帰ってくるのは明日の朝だろう。
それまでは、一人で過ごさなければならないのだ。

勝平「今から出かけるのもなぁ……」

朝から降り続いていた雨は、気が付いたらあがっていた。
だから暇ならリハビリがてら町を歩くのもいいのだが、夜の道を一人目的もなく歩くのはできるなら遠慮したい。
そんな葛藤じみたことを考えていると、お腹が鳴った。

勝平(そういえば、お腹空いたな……)

今日は椋さんがいないから、晩御飯も自分で用意しなければならなかった。

99: 2012/05/21(月) 19:51:29.92 ID:h8vZNxrR0
勝平(……なんか、切ないなぁ……。一人暮らしって言うのは、こういうものなのかな?)

そこまで考えが至ると、一人の人物が頭をよぎった。

勝平(そうだ!朋也くんならもう仕事終わってるんじゃないかな?)

受話器を取って、朋也くんの電話番号を押す。
数回のコール音の後、がちゃり、と相手が出てくれた。

朋也『もしもし、岡崎です』
勝平「朋也くん?僕だよ、勝平」
朋也『またお前か。最近、お前からの電話多くねぇか?』
勝平「そうかな?まぁ、いいじゃん。それよりさ、今、暇?」
朋也『今?帰ってきたばかりだけど……』
勝平「そうなんだ。ちょっと、どこかに晩御飯食べに行かない?今日、椋さん夜勤でさ、今僕一人なんだよ」
朋也『今からか……。ちょっと、今日は疲れたんだよな……』
勝平「そんなに仕事、大変だったの?」

朋也くんの声を聞いて、確かにどこか疲れているような感じがした。

朋也『いや、今日は仕事は休みだったんだ。だから、ちょっと出かけてたんだ』
勝平「へぇ、そうなんだ。う~ん……そうだな、どうしようかな……」

疲れている朋也くんを引きずりまわすのも、なんだか気が引ける。

勝平「やっぱりいいや。ゆっくり休んでよ」
朋也『悪いな、勝平。また今度、埋め合わせする』
勝平「うん。それじゃあね」

受話器を元に戻す。そして、ため息一つ。

勝平「結局ダメか~……。しょうがない」

冷蔵庫の中にあるものを適当に使って晩御飯を食べよう。

100: 2012/05/21(月) 19:52:37.89 ID:h8vZNxrR0
~~~

目覚まし時計をセットして、部屋の電気を消す。

勝平(明日の朝は、椋さんを迎えに行かなきゃ……)

布団に入って目を閉じるが、眠気はやってこなかった。上体を起こして、窓の方に視線を向ける。
カーテンで仕切られているが、月明かりで部屋の中もほのかに明るく照らされていた。

勝平(明るいなぁ……)

手を伸ばして、カーテンを片方だけ開ける。
丸い月が、夜空に浮かんでいた。

勝平「満月か……どうりで明るいわけだよ……」

結局この夜は、眠気が来るまで夜空を見上げていた。

101: 2012/05/21(月) 19:53:40.96 ID:h8vZNxrR0


目覚ましの音で、目を覚ます。

勝平「……ふわあぁぁぁ……朝か……」

目覚ましのボタンを押して上体を起こし上げ、軽く伸びをする。

勝平「さて、と。準備をして椋さんを迎えに行かなくちゃ」

朝ごはんを適当に済ませて着替えをし、アパートを後にする。

102: 2012/05/21(月) 19:55:31.64 ID:h8vZNxrR0
~~~

勝平「ちょっと早かったかな……」

病院の前に到着し、柱時計で時間を確認する。
椋さんの勤務時間終了まで、あと20分近くあった。

勝平「ベンチに座って待ってよう」

近くのベンチに腰掛けて、辺りを見渡す。
朝といっても、まっとうな人間ならもう活動を開始している時間だ。

勝平「…………」

話し相手もいないので、ひたすら無言で待つ。
……こういってはなんだが、すごい辛い。

勝平(僕も、何か趣味を持つべきかもね……)

僕の中では割と重要なことを考えながら待ち続ける。
そうこう考えているうちに、病院の出口から椋さんが出てくる。

勝平「椋さ~んっ!」

ベンチに座ったまま、椋さんに向けて手を振る。
その僕に気付いたのか、椋さんが僕の所に駆け寄ってくる。

椋「勝平さんっ!今日も迎えに来てくれたんですね」
勝平「うん、もちろんだよ。僕の大事な奥さんだからね」

もちろんそれが一番の理由としてあがるけど、もう一つ理由がある。
ここでそんなことを言うほど、無粋じゃないけど。

椋「それじゃあ、帰りましょうか」
勝平「うん」

椋さんと並んで、歩き始める。

103: 2012/05/21(月) 19:57:20.76 ID:h8vZNxrR0
椋「買い物に行きませんか、勝平さん?」

椋さんと手をつないで道を歩いていると、椋さんが提案してくる。

勝平「そうだね。冷蔵庫の中も、あんまり物なかったし」
椋「そ……そういえば、昨日の晩御飯はどうしたんですか?」
勝平「ん?冷蔵庫の中のものを適当に調理して食べたけど?」
椋「ぁ……す、すみません、勝平さんの晩御飯、用意していなかったですね」
勝平「いや、気にしなくていいよ」

帰る道を変更して、スーパーに向かう。
その道の途中、またもや見覚えのあるワゴン車が止まっていた。

椋「あれ、岡崎くんが前に乗っていたワゴン車ですよね?」
勝平「そうだね。多分、近くにいるんじゃないかな?」

ワゴン車の近くに歩み寄って、辺りを見渡す。
そこから少し離れた電柱、その上に朋也くんはいた。芳野さんも一緒だ。

椋「作業中に話しかけたら、危険ですよね?」
勝平「だろうね。降りてくるのを待っていようか」

ワゴン車の近くで、降りてくるのを待つ。

104: 2012/05/21(月) 19:59:11.10 ID:h8vZNxrR0
五分ほど待ったところで、今回は二人同時に降りてきた。

勝平「朋也くーん!」

呼びかけながら、手を振る。
朋也くんは、小走りで僕達のところに駆け寄ってきた。

朋也「よう、勝平、椋。今は、椋の仕事帰りか?」
勝平「うん、そうだよ。これからスーパーに行くところなんだ」
朋也「そっか。椋、仕事お疲れさん。俺は、まだ仕事始まったばっかだからさ」
椋「ふふ、ありがとうございます岡崎くん」
芳野「岡崎、話し込んでないで行くぞ」

芳野さんは運転席から顔を出して、朋也くんを呼んでいた。

朋也「はい、今行きます!あのな、勝平、椋。今日、仕事終わったらお前らんちに行ってもいいか?ちょっと、話があるんだ」
勝平「わかったよ、朋也くん。仕事、頑張ってきてね」

105: 2012/05/21(月) 20:00:16.32 ID:h8vZNxrR0
朋也「おう!それじゃ、後でな」

朋也くんは手を振ると、ワゴン車の助手席に乗り込んだ。
ワゴン車は朋也くんが乗ると同時に、エンジンを唸らせてその場を後にした。

椋「岡崎くん、話って何でしょうね?」
勝平「うーん……まさか、とは思うけど……」

ワゴン車を見送った後、再び椋さんと手をつないで歩き出す。

椋「勝平さん、心当たりあるんですか?」
勝平「心当たりってほどじゃないけど。杏さんのこと、じゃないかな?僕たちに話があるって言ったら、それくらいしか思いつかないし」
椋「そうですね。でも、また何か問題が発生したんでしょうか?」
勝平「それは、あんまり考えたくない事態だね……」

二人顔を見合わせて、そして笑いあう。

106: 2012/05/21(月) 20:02:09.73 ID:h8vZNxrR0
~~~

その日の晩方。
ちょうど晩御飯を食べ終えた頃、ブザーが鳴らされた。

椋「はーい」

返事をしながら、椋さんが出る。

椋「あ、岡崎くん。どうぞ、あがってください」
朋也「おう。お邪魔します」

椋さんに促され、朋也くんが中に入ってくる。

勝平「いらっしゃい、朋也くん」
朋也「よ、勝平」

小さなテーブルの向こう側に、朋也くんが座る。
椋さんは、回り込んで僕の近くに座った。

勝平「それで、話って何?」
朋也「ん?あ、ああ……」

なにやら話しにくそうに返事すると、ポケットの中から、指輪のケースを取り出した。それも、二つ。
それを、テーブルの上に置いた。

勝平「……え?これ、なに?」

思わず、指差してそう聞いてしまった。

朋也「指輪のケースだよ。見たらわかるだろ?」

朋也くんは相変わらず言いづらそうに答えてくる。

107: 2012/05/21(月) 20:03:55.52 ID:h8vZNxrR0
椋「どうしたんですか、これ?岡崎くん、買ったんですか?」
勝平「まさか、杏さんにプレゼントするの?こんなもの渡したら、勘違いされるんじゃないかな?」
朋也「あ~っ!いっぺんに質問するな!これは、俺のなけなしの貯金で買ったもんだ!」

朋也くんは大きい声を出して、僕と椋さんを押し黙らせた。

朋也「いいか?勘違いも何もないんだよ……。これを杏に渡して、ぷ、プロポーズしようと思っていたんだからな」
勝平「…………」
椋「…………」

朋也くんのその言葉を聞いて、椋さんと顔を見合わせる。そして、

二人「「えええええぇぇぇぇぇ~~~~~っ!!?」」

朋也くんにも負けない声で驚いた。

108: 2012/05/21(月) 20:05:16.33 ID:h8vZNxrR0
~~~

朋也「……落ち着いたか?」
勝平「はい、落ち着きました……」
椋「すみません、岡崎くん……」

目の前には、腕を組んだ朋也くん。対する僕と椋さんは、二人して反省していた。

朋也「なんでそんな驚くんだよ?」
勝平「いや、だって……」
椋「岡崎くんとお姉ちゃん、まだ付き合い始めて一週間も経ってないのに……」
朋也「悪いかよ……」

朋也くんは、完全に呆れ返っていた。

朋也「そんなに驚かれたら、ちょっとショックだぞ……」
勝平「いくらなんでも早いよ、それは。もう少し、考えたほうが良いんじゃないかな?」
朋也「これはもともと、杏と二人で話して決めたことだ。それに、言い出したのは杏のほうだしな」

109: 2012/05/21(月) 20:06:13.39 ID:h8vZNxrR0
椋「え、お姉ちゃんが?」
朋也「ああ。ただ、ちゃんとしたことは俺が改めて言うって言ったから、まだ保留中なんだけどな」
勝平「それじゃ、話っていうのは……」
朋也「いざとなったら、なんていって話を切り出したら良いのかわかんなくってな。だから、二人に相談しに来たんだよ」
椋「そうだったんですか」
勝平「それじゃあ、あれ、だね」
椋「はい」
朋也「なんだ、あれって?」

朋也くんにはわからないように、二人でわかるように話を進めた。

110: 2012/05/21(月) 20:08:50.49 ID:h8vZNxrR0


椋「それじゃ、作戦会議を始めます……」

姿勢を正して、椋さんが仕切る。

勝平「うん」
朋也「ストップ!」

が、早々に朋也くんからストップがかかってしまった。

朋也「なんの作戦会議だ?」
椋「えっと……題して、「岡崎くんのプロポーズ大作戦」……です」

恥ずかしい上に、ストレートな作戦名だった。

朋也「却下」

却下されてしまった……。

朋也「俺はそこまで世話になるつもりはねぇ。ただ、どうやったらそういう雰囲気に持っていけるかを相談しに来ただけだ」
勝平「ええ、でもそれじゃ……」
朋也「それよりお前ら。杏の時もこんなことやったのか?」

朋也くんに逆に質問される。

椋「お姉ちゃんの時も、却下されたんです」
朋也「まぁ、当然だろうな」

111: 2012/05/21(月) 20:10:55.98 ID:h8vZNxrR0
勝平「それじゃ、どうしようか?」

朋也「だからな……」

椋「お姉ちゃん、呼び出しましょうか?」

勝平「そうだね。こういう話をするときは、ファミレスの中とかがいいと思うよ」

朋也「おい!人の話聞いてんのか!?」

杏『もしもし、藤林です。』

椋「あ、お姉ちゃん?わたし、椋」

杏『あら、椋。どうしたのよ、こんな時間に。』

椋「うん。今から、ちょっと時間取れるかな?お話があるから、高校の近くのファミリーレストランまで来て欲しいんだけど」

杏『別に構わないけど、電話じゃ話せないことなの?』

椋「一緒に渡したいものもあるから……」

杏『うん、わかったわ』

112: 2012/05/21(月) 20:12:19.56 ID:h8vZNxrR0
椋さんが受話器を電話に戻した。ちらりと朋也くんのほうを見てみると、露骨に不機嫌そうな朋也くんがそこにいた。

椋「ど、どうしましたか、岡崎くん」
朋也「お前ら……俺の話、ガン無視しやがって……」
椋「え、えっと……勝平さん……」
勝平「まぁまぁ、朋也くん。そんなに怒んないで。ほら、急がないと、杏さん先に着いちゃうよ?」
朋也「はぁ……。もういい、お前らに相談した俺がバカだったよ……」

テーブルの上に置いていた指輪のケースをポケットにしまうと、立ち上がって無言のまま部屋を後にした。

勝平「……大丈夫かな……?」
椋「わかりませんけど……」
勝平「今回は乙女のインスピレーションは?」
椋「感じないです……」
勝平「ま、いいや。それじゃ、朋也くんの後を追いかけよう」
椋「すぐに気付かれないように、帽子を被っていきましょうか」
勝平「うん」

椋さんと二人、軽い変装をして朋也くんの後を追った。

113: 2012/05/21(月) 20:14:27.91 ID:h8vZNxrR0
朋也くんに気付かれないように、ファミレスから少し離れたところで待機する。
朋也くんは、ずっと落ち着かない様子だった。
少しの間待っていると、杏さんが向こう側からやってきた。

杏「あれ、朋也?どうしたの、こんなところで」

看板の近くに立っていた朋也くんの存在に気付いて、話しかけている。

朋也「お前を待ってたんだよ、杏」
杏「え?どういうこと?」

杏さんは事態を把握していなかった。

朋也「ま、とにかく中に入ろうぜ」

杏さんを連れ立って、中に入っていった。
それより時間を少しずらして、僕と椋さんも中に入る。

店員「いらっしゃいませー。人数はお二人ですか?」
勝平「はい、えっと、さっき入った二人組より、少し遠い席にして欲しいんだけど……」
店員「さっきの?あ、もしかして岡崎さんのお友達の方ですか?」
勝平「え?朋也くんのこと知っているの?」
店員「はい、岡崎さんとはお知り合いです。それじゃ、様子が伺える席にしておきますね」
勝平「あ、ありがとう」

朋也くんと知り合いだという店員に連れられて、席に座る。
おあつらえ向きに、気付かれにくい席で、なおかつ話し声が聞こえる席に案内された。

114: 2012/05/21(月) 20:16:07.76 ID:h8vZNxrR0
勝平「えっと、コーヒー二つよろしく」
店員「はい、かしこまりました」

適当に注文をして、二人の様子を伺う。

杏「椋からの電話だったのに、なんで朋也が待っていたの?」
朋也「まぁ、それについては聞くな。いいだろ、付き合っているんだしさ」
杏「聞いて欲しくないって言うんなら聞かないけど……。それで、話ってなに?」

勝平「いよいよだね……」
椋「はい……」
店員「あの……」

後ろから声を掛けられる。
振り向くと、そこには先ほどのウエイトレスさんがコーヒーを二つ、お盆に乗っけて立っていた。

勝平「ああ、ありがとう。テーブルに置いておいて」
店員「はい、かしこまりました。それで、あの……」
勝平「ん?なに?」

店員は続けて話しかけてきた。

115: 2012/05/21(月) 20:17:54.47 ID:h8vZNxrR0
店員「あの岡崎さんと一緒にいる方って、もしかして岡崎さんの彼女さんですか?」
勝平「うん、そうだよ。今大事なところだから、ちょっと黙っててね」
店員「わ、わたしも見てていいでしょうか?」
勝平「え?うん、いいけど……」

一体、この店員さんは何者だろう?
そうこう考えているうちに、二人の話は本題に突入したところだった。

朋也「杏……。あ、あのな……」

ポケットに手を突っ込んだまま、なかなか話し出さない。

杏「……?なによ、はっきりしないわね。話があるんでしょ?」

それに対して杏さんは話を進めるよう促している。

朋也「あ、ああ……。実は……」

一息置いた後に、ポケットから指輪のケースを取り出す。
それを、躊躇い無くテーブルの上に置いた。

朋也「これを、お前に」
杏「……え?」

テーブルに置かれたものと朋也くんの顔を交互に確認する杏さん。

朋也「……杏」

朋也くんは一度深く深呼吸をして、

朋也「俺と、結婚してくれ」

一気にそう言った。

116: 2012/05/21(月) 20:19:11.09 ID:h8vZNxrR0
杏「……え?」

店員「え……もがっ」

声を上げかけた店員さんの口を、咄嗟に椋さんが押さえた。

椋(店員さん、静かにお願いしますっ)

ひそひそ声で店員さんの耳元で囁いている。店員さんはそれに対して、こくこくと頷いた。
それを確認すると、椋さんはそっと手を離した。

朋也「そ、その。前に言ってただろ?これが、俺なりに考えて、出した答えだ」
杏「朋也……」
朋也「まぁ、返事は聞かなくてもわかるんだが……一応、な。形だけでも答えてくれたら、うれしい」

恥ずかしそうに目を背けながら、杏さんにそう告げていた。

杏「……ありがと、朋也」

そっと、指輪ケースを持ち上げる杏さん。

杏「返事はもちろん、OKよ。結婚しましょう、朋也」

その杏さんの返事を聞いて、朋也くんの肩の力が抜けたのがわかった。

117: 2012/05/21(月) 20:21:14.29 ID:h8vZNxrR0
勝平「じゃあ、朋也くんたちのところに行こうか、椋さん」
椋「はい」

席を立ち、二人に近づく。
後ろには、さっきの店員さんもついてきていた。

椋「おめでとうございます、二人とも」
杏「えっ!?椋と、勝平さん!?……に、さっきの店員さん……?」
朋也「やっぱりいたのか、お前らは……。それに、なんで古河までいるんだよ?」

朋也くんは僕たちの後ろにいる店員さんの顔を見るなり、呆れた声を上げた。

渚「わたし、ここのパートさんですから」

古河と呼ばれた店員さんは朋也くんにえへへ、と笑い返している。

朋也「まぁ、いい。とりあえず、そういうことだ」
勝平「うん、おめでとう、朋也くん、杏さん。それじゃ、僕と椋さんは帰るよ」

見届けるべきものは見届けたから、もう帰ってもいいだろう。

渚「あ、お客さん!」
勝平「え?なに?」
渚「これ、料金表です」
勝平「……あ」

そういえば、コーヒーを注文していたんだった。

118: 2012/05/21(月) 20:22:29.84 ID:h8vZNxrR0
~朋也~

勝平と椋は、古河から受け取った料金の紙を受け取ると、その場を後にした。その後に、古河も一礼して厨房に戻っていった。

杏「もしかして……」

杏が俺に確認するように聞いてくる。

朋也「ああ、今回もあいつらの差し金だ」

俺がそう答えると、杏ははぁ、とため息をついた。

杏「もしかして、あの二人ってものすごい息ぴったりなんじゃないかしら?」
朋也「俺もそう思うよ」

実際、二回もはめられたわけだし。

杏「はぁ……」

杏とため息がかぶる。もはや、ため息しか出てこなかった。

杏「……ま、それでもあの二人には感謝しなくちゃね。
  朋也とこういう関係に……まぁ、ちょっと強引な節もあったけど、それでもしてくれたんだから」
朋也「ああ、そうだな」

改めて、テーブルの上の指輪ケースに視線をやる。やっぱり買っておいてよかったな、と思う。

119: 2012/05/21(月) 20:23:57.73 ID:h8vZNxrR0
杏「それで、朋也」
朋也「うん?」
杏「あの店員さんとは、どういう関係かしら?」

杏の声色が、一オクターブ下がっていた。

朋也「……どういう関係、とは?」
杏「知り合いなんでしょ?どこで知り合ったとか、そういう話よ」
朋也「あいつとは、高校の時からの知り合いだ」
杏「それだけ?」

なぜだか妙に古河のことを気にする杏。

朋也「なんだ?古河のことが気になるのか?」
杏「別にそういうわけじゃないけど……」
朋也「……?」

杏がなにを言いたいのかわからない。

朋也「言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ?」
杏「……~~~。あ、あんたは……わ、わたしの旦那になるんだから、他の女性との関係は感心しないって、それだけよっ」

早口でそうまくし立て、そのまま視線を外に逸らした。

120: 2012/05/21(月) 20:25:56.39 ID:h8vZNxrR0
……あー、そうか。

朋也「ヤキモチやいてくれたんだな、杏」
杏「っ!ば、ばか!!なに言ってんのよ!!」
朋也「いや、心配することねぇよ。あいつとは本当にただの知り合いってだけだから」

俺がそう言ってやると、杏は少し安心したように息をついた。

杏「そ、そう?それなら、まぁ、いいんだけど……」
朋也「俺が好きなのはお前だけだよ、杏」

我ながら、恥ずかしいセリフだと思ったが、自然と口にすることができた。
杏はそんな俺の言葉を受けて、真っ赤に顔を染めた。

杏「~~~……も、もう……。そんなこと、わかってるわよ……」

小声で、ぶつぶつと文句を言っている。

121: 2012/05/21(月) 20:27:01.34 ID:h8vZNxrR0
朋也「それじゃ、杏」

改めて、杏に向き直る。

朋也「これ、付けてみてくれるか?」
杏「ええ」

指輪ケースを開けて、中を確認する杏。

杏「……これは……」

中を見た杏は、俺に視線を送ってくる。

朋也「気に入ってくれたか?」
杏「……もちろんじゃない。ありがとね、朋也。あたしの言ってたこと、覚えていてくれたのね」
朋也「まぁな」

杏はゆっくりと指輪を取ると、それを左の薬指にはめこんだ。

杏「本当に綺麗……」

その手を目線より少し上にあげて眺める。
俺はそんな杏の様子を、しばらくの間見守っていた。

杏「本当に、ありがと、朋也。これ、大事にするわ」

ようやく手をおろした杏が、穏やかな、それでいて幸せに満ち足りたような、そんな顔をしていた。

122: 2012/05/21(月) 20:28:54.96 ID:h8vZNxrR0
~エピローグ~

あれから、半年の月日が流れた。杏にプロポーズした次の日に、俺たちは籍を入れた。
杏の父親と母親は、予想以上に気さくに結婚についてOKを出してくれた。
俺の父さんにも、杏と結婚するということは話した。父さんはそれに対して、

直幸『おめでとう、朋也、杏さん。』

と一言、祝福の言葉をくれた。今まで毛嫌いしていた父さんだったが、その時は俺も穏やかな気持ちで話せた。
その後父さんは、あの家を引き払って実家に帰っていった。

杏「よかったの、朋也?」

そう、たまに杏に聞かれることがある。その返答はいつも、

朋也「よかったんだよ。もう、昔のことは気にしない」

だった。確かに昔のことを完全に許せるわけじゃない。
だけど、時が解決してくれる問題だってある。今の俺なら、父さんのことを許せる日も、来るかもしれない。
俺は、それに賭けてみたかった。

そして今日は、半年遅れての結婚式だった。
結婚式といっても、式場を借りて、などの大掛かりなものではなく、公園を借りて知り合いを集めただけの小さなものだった。
それは、俺と杏、そして他二人の総意だった。

123: 2012/05/21(月) 20:30:39.44 ID:h8vZNxrR0
勝平「おめでとう、朋也くん、杏さん」
椋「お幸せに」
朋也「ああ、ありがとう、勝平、椋」
杏「ありがと、勝平さん、椋」

二人からの祝福を受ける。俺の隣には、ウェディングドレスに身を包んだ杏がいた。

朋也「それに、俺たちからも。おめでとう、勝平、椋」
杏「幸せになんなさいよ」
勝平「うん、ありがとう、朋也くんと杏さん」
椋「ありがとうございます、朋也くん、お姉ちゃん」

今度は俺たちから二人に祝福を送った。
俺の前にいる勝平と椋も、それぞれタキシードとウェディングドレスに身を包んでいた。
そう、今日は俺と杏、そして勝平と椋のダブルデートならぬダブル結婚式だった。

124: 2012/05/21(月) 20:32:22.78 ID:h8vZNxrR0
四人並び、小さく設けられたステージにあがる。

春原「決まってるぞ、岡崎!」

ステージのすぐ下から、春原の声が聞こえてきた。その他にも、知った顔がいくつかあった。

渚「ぎれいでず、おがざぎざん、ぎょうぢゃん、がっぺいざん、りょうぢゃん……」

なぜか号泣している古河。

秋夫「おう、なかなか決まってるぜ、小僧!」

古河の父親の、おっさん。

早苗「おめでとうございます、皆さん」

ほんわかとした笑顔の早苗さん。

幸村「ほっほっほ、教え子の晴れ姿が見れる日が来るとはな……」

幸村のじいさん。

芳野「愛するものを、守って生きていけよ、岡崎」

恥ずかしいセリフを、変わらず言ってくれる芳野さん。
その隣には、芳野さんの奥さんの公子さんと、公子さんの妹の風子。
その他に、杏と椋の親夫婦もいた。

125: 2012/05/21(月) 20:33:25.47 ID:h8vZNxrR0
それに……。

直幸「…………」

たくさんの人のなか、一番後ろにいる俺の父さん。
何も言わず、ただ俺たちを見ていた。
俺の方から行こうかとも思ったのだが、やっぱりやめることにした。
あの人とは、いつか完全に分かり合える日が来るまでは、今のままの距離でいよう。

杏「朋也?」

俺の隣から、俺の最愛の人の声が聞こえてくる。

朋也「ああ、なんだ?杏」
杏「もう、ブーケ投げちゃっていいかしら?」

杏は、今にも投げたそうにしている。

126: 2012/05/21(月) 20:34:39.27 ID:h8vZNxrR0
朋也「ああ、いいだろ」
杏「それじゃ、行くわよ!椋!」
椋「あ、ちょっとお姉ちゃん!」

杏が先に放り、少し遅れて椋も放った。投げられたブーケは、

早苗「あ、私ですか!?」
秋夫「なんで俺が取っちまうんだよ、俺のアホ!」

古河の両親の手に納まっていた。

朋也「おい、杏。ちょっとは考えて投げろよ。古河とか、公子さんの妹さんに取らせるとか」
杏「そ、そんなこと言ったって……」
椋「それに、どっちにしても無理だったと思いますよ。ほら」

椋が、視線をステージの下に移す。
その視線を追うと、未だに号泣している古河と、俺たちのことなどお構いなしに料理を食べている風子の姿が視界に入った。

朋也「……それもそうだな」

127: 2012/05/21(月) 20:35:58.64 ID:h8vZNxrR0
春原「おい、岡崎!まだ、最後が済んでないぞ?」
朋也「最後?」
春原「キ・スだよ。キ・ス!」

冷やかすように春原が言う。

朋也「わかってる。杏、いいか?」
杏「うん、朋也」

そうして、杏は目を閉じる。その唇に、躊躇うことなく自分の唇を重ねた。

杏「ん……」
朋也「………」

春原「うわ……あの岡崎が、あの杏と……」

唇を離す。

杏「へへぇ、何、陽平?あたしたちがうらやましいの?」
春原「いや、いつかはこういう日が来るとは思ってたけどねぇ」

まるで前から知っていたとでもいうような口調だった。

128: 2012/05/21(月) 20:37:11.74 ID:h8vZNxrR0
そんな俺たちの隣で、椋と勝平が顔を赤らめたまま停止していた。

杏「どうしたの、椋?」
椋「や、やっぱりわたしたちもやらなきゃダメだよね……?」
杏「えっ?」
勝平「キス、だよ、杏さん……。こんな大勢の前でやるのは、恥ずかしいかな……」
朋也「何言ってんだよ。お前ら、俺たちよりもずっと前から夫婦だったんだろ?なら、恥ずかしがることないだろ」
勝平「そうだよね、朋也くん。それじゃ……行くよ、椋さん?」
椋「はっ、はいっ……」

椋は顔を更に、真っ赤に染めて、ゆっくりと目を閉じた。
しかし体は、見ている俺でもわかるくらいガチガチだった。

春原「あ、ああ、柊ちゃんが……」

春原が震えている。多分、まだ勝平が男だと完全に認めていないようだった。
そんな春原を置いて、勝平はガチガチに固まっている椋の肩に手を置いて、口付けをした。

129: 2012/05/21(月) 20:38:14.52 ID:h8vZNxrR0
朋也「……な、なんかじっと見てるのも気恥ずかしいな……」
杏「そ、そうね……」

特にこう、大勢のみんなが見ているところでは。
やがて、二人の短い口付けが終わった。

秋夫「お幸せにな、お前ら!」

ぱちぱちと、大きな拍手と共にそう言ってくれるおっさん。
それにあわせるように、他の参列者も拍手を送ってくれた。
一番後ろにいた父さんも、穏やかに拍手をしてくれた。

朋也「ありがとう、みんな!」

その拍手に、精一杯の大きい声で答えた。


終わり

130: 2012/05/21(月) 20:39:52.44 ID:h8vZNxrR0
フォルダ整理してると出て来たものなので、書いたのはもう何年も前の物になります。

最後に、ひと言。

クラナドは人生!

と言うわけで、お付き合いありがとうございました。

131: 2012/05/21(月) 20:44:39.31 ID:zLRYN4vEo

引用元: 藤林杏「七年越しの恋」