298: 2017/11/19(日) 00:58:22.14 ID:ens/y4Rdo

 仕事の打ち合わせが終わり、帰路につこうとした時、346プロ内にあるカフェで彼を見つけた。

 いつも通りのスーツ姿に、近くに寄っては見る事が出来ない頭頂部の寝癖。
 ノートパソコンを見つめる難しい顔は、見る人にとっては怖いものらしい。

 私は、彼を怖いと思った事はない。
 感覚がズレていると偶に……いや、よく言われるが、そんな事は無いと思う。
 彼の見た目、ぴにゃこら太みたいで可愛いと思うのよね。

 私と同様、仕事が恋人と公言しているだけあって、彼の仕事に対する姿勢はいつも真剣だ。
 恐らく、彼がカフェで格闘中なのも、担当するアイドル達や、事務員の千川さんに「休め」と言われての事だろう。
 けれど、彼はそれを良しとしない。
 その事を同僚として心配もするが……――同時に安心もする。

 私は、アイドルとして、階段を登っている。

 彼は、プロデューサーとして、階段を上る手助けをしている。

 彼は私を担当しているプロデューサーではないけれど、偶に見かけるその姿がとても頼もしく見える。
 無口な彼だけれど、仕事に打ち込むその背中を見ると、

 ――貴女は一人ではないです。

 こう、言っているように感じるから。
 彼を専有している訳ではないのに、まるで戦友のような関係。
 ……あら、今のは中々じゃない?

 彼は、まだこちらに気付かない。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(1) (電撃コミックスEX)
299: 2017/11/19(日) 01:10:21.95 ID:ens/y4Rdo

 思えば、偶々会った時も挨拶はいつも私からしている気がする。
 アイドルに笑顔を向けられて挨拶されているのに、彼はいつもの無表情。
 これは、とても不公平な話だと思うの。


「……ふふっ、いつ気付くかしら」


 抜き足、差し足、忍び足。
 バレないように、見つからないように。


「……」


 もしかしたら、私には忍者の才能があったのかもしれない。
 だって、彼ったら私に全く気付かないんですもの。


「……」


 彼にとって、アイドルの私の輝きは、目の前のノートパソコンの淡い光よりも弱いのか。
 確かに、今はあまり気合の入っていない私服だし?
 ああ、それならバッチリメイクをして、衣装を整えてたらもう気付いてたかもしれないわ。
 今から取りに行ったら……さすがに彼も休憩時間が終わってしまうわね。

 彼は、まだこちらに気付かない。

300: 2017/11/19(日) 01:22:35.78 ID:ens/y4Rdo

「……」


 静かに椅子を引いて正面に座ってみても、彼の目はノートパソコンに釘付けのまま。
 きっと頭の中は、彼が担当するアイドルの事でいっぱいなのだろう。
 戦友としてとても喜ばしいけれど、まるで気付かれないのはちょっぴり腹立たしい。


「……」


 けれど、彼はいつ私に気付くのかしら?
 ここまで気付かないのなら、逆に、どこまで気付かないか試したくなってきたわ。


「……ふふっ」


 っと、いけないいけない。
 気付かれないようにしようとした途端、楽しくなって笑みが零れてしまった。
 あまり大きな声は出なかったけれど、気付かれてはいないかしら?


「……」


 けれど、彼は、まだこちらに気付かない。

301: 2017/11/19(日) 01:32:20.92 ID:ens/y4Rdo

 全くもう、普段から笑顔しか言わない割に、目の前のアイドルの笑顔に気づかないなんて!
 そんなに担当アイドル達は魅力的?
 やっぱり、若い子の方が目を惹かれますか?


「……」


 なんて、貴方はそんな事は微塵も考えず、仕事の事を考えているのよね。
 趣味と実益を兼ねた、とってもお似合いの仕事ですこと。
 ……っと、ふふっ、それは私にも言えるわね。


「……」


 けれど、やっぱりちょっと疲れた顔をしてるみたい。
 いつもより……そう、目がキリッとしてるもの。
 そんなキリッとした目で見たら、気の弱い子は胃がキリキリしちゃうと思いますよ。
 ……うーん、イマイチ。


「……」


 やっぱり、彼は、まだこちらに気付かない。

303: 2017/11/19(日) 01:44:38.63 ID:ens/y4Rdo
「……」


 私が目の前に座っていると気付いたら、貴方はどんな顔をするのかしら。
 そして、どんな言葉をかけてくるのかしら。
 私からは挨拶しませんからね?
 今回は、貴方から声をかけてくる番って決めたんですから。


「……」


 ……けれど、嗚呼、こんなにゆっくりしたのは久しぶりかもしれないわ。
 何もせず、ただ目の前を見つめるだけ。
 それだけのに、こんなにも楽しくて、こんなにもワクワクしている。
 偶には、こんな時間があっても悪くない。


「……」


 けれど、もうすぐこの時間も終わり。
 気付いたら大分時間が経っていたし、そろそろ彼も事務所に戻るだろう。
 時間切れでの幕切れは、まあ、区切れとしてはありきたりよね。


「……」


 それでも、彼は、まだこちらに気付かない。

304: 2017/11/19(日) 01:53:55.69 ID:ens/y4Rdo

「……」


 残念だけど、今回の勝負は私の負けになりそう。
 だって、私から挨拶をするのはいつもの事だもの。


 ――そう思った時、ピウと、少し強く風が吹いた。


 肌寒くなってきたこの時期の風は、細身の私には少し堪える。
 もう諦めて、時間切れになる前に、私から声をかけてしまお――


「楓?」


 ――う……!?


「は、はいっ!?」


 突然彼の口から私の名前が出たので、素っ頓狂な声をあげてしまった。
 これでは、アイドル失格だ。


「っ!? た、高垣さん!?」


 ……はい?

305: 2017/11/19(日) 02:07:18.97 ID:ens/y4Rdo
「あの、い、いつからそこに!?」


 彼は非常に取り乱し、今にも椅子から転げ落ちそうになっている。
 これは、一体どういう事?
 それに、急に名前で呼んだと思ったら、次の瞬間には『高垣さん』に戻っている。
 色々と納得出来ない。


「ええと、大分前からですけど……」
「それは……申し訳ありません、まるで気付きませんでした」


 だったら、名前を呼ぶ前に取り乱して然るべきだろう。
 まさか、嘘を……つけるタイプじゃないわね。
 直接、聞いてみるしかなさそう。


「あの、どうして、突然名前で……?」
「ああ、それは……こちらが、先程の風で運ばれてきたので……」


 そう言うと、彼は大きな手の平に何かを乗せて、こちらに見せてきた。


「ふふっ、そういう事でしたか」
「……」


 彼の、右手で首筋を触るいつもの癖。

 その反対の手の上には、風で運ばれてきたという、真っ赤に染まった楓の葉が乗っていた。




おわり

306: 2017/11/19(日) 02:13:51.67 ID:ens/y4Rdo
次は下品なのを書きます
おやすみなさい

307: 2017/11/19(日) 02:16:55.35 ID:jEHn7288o
とても良い

308: 2017/11/19(日) 06:26:18.66 ID:5lWhVh1dO
素敵な武楓を見てからの次は下品なの書きます宣言
とてもすき