580: 2018/05/08(火) 22:18:26.76 ID:IuBXlhUPo

「……」


 早朝。
 いくつものビルが立ち並ぶ、見慣れたオフィス街を歩く。
 目的地は、当然、346プロダクションだ。
 カツカツと、革靴が立てる音と、時折通り過ぎていく車の排気音が耳に届く。


「……」


 今日の午前中は、オーディションがある。
 既に、そのための準備は終わらせてあるのだが、直前に、もう一度だけ確認を。
 オーディションには、アイドルを志す、夢と希望を持った少女達が集う。
 それに際し、万が一にも、不備などがあってはならない。


「……」


 東京の、都会の只中とは言え、やはり、朝の空気は気持ちいが良い。
 昨夜に降った雨のおかげか、いつもよりも空気が澄んでいる。
 地方に比べると良いとは言えないのだろうが、それでも、私にとっては素晴らしいものだ。
 オーディションに来る方達にとって、少しでもプラスになる要素足り得るのだから。


「……」


 そう、考えている内に、大きな建物が――城が見えてきた。
 あの城は、果たして、誰を受け入れる事になるのだろうか。
 頭の中に、今日オーディションを受けに来る方達のプロフィールを思い浮かべる。
 ……やはり、彼女がメンバーの第一候補だろうか。


「……」


 一人の少女の顔を思い浮かべた時――風が吹いた。
 春のものとも、夏のものとも、どちらとも言えるその風は、私を予感させた。


 ――新しい出会い。


「……異臭?」


 そして――トラブルを。


「……」


 人差し指を少し舐めて湿らせ、風向きを確認する。
 風上を向いた私の視線の先には、敷地内の外周にある、
小さな林の様になっている植え込みがあった。


「……」


 異臭の原因が、敷地外からにあるのならば、まあ、問題は無い。
 しかし、もしも、その原因が内側にあるのだとしたら、無視は出来ない。
 プロダクションに所属するアイドルの方達の中には、好奇心旺盛な方も多く、
あの異臭の原因を突き止めようとしてしまうかもしれないからだ。


「……」


 アイドルを守るのは、プロデューサーの役目。
 ……そんな使命感と、何もないだろうが一応、という、楽観的な想いを胸に、私は歩を進めた。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(12) アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場 (電撃コミックスEX)
581: 2018/05/08(火) 22:43:13.45 ID:IuBXlhUPo

「……」


 舗装されている歩道から外れ、芝生に脚を踏み入れる。
 雨水を吸っている、その、ふかふかとした感触が靴の裏側から伝わってくる。
 後で……靴の手入れをする必要がありますね。
 クライアントが最初に会うのは私なのだから、身だしなみにはきをつけろと、
常務――今は専務――に言われたのも、記憶に新しい。


「……」


 特に今日は、オーディションで、面接をする。
 足元を疎かにするような人間にプロデュースされたいと思う方が居るだろうか。
 それでも構わないと、そう、思うかもしれない。
 だが、それに甘えるのは、誠実さに欠けるというものだ。


「……」


 茂みの、水滴のついた葉に当たらないように、進んでいく。
 手入れのしやすいように、そして、年少のアイドルの方達が悪戯をしないようにと、
茂みに当たらずにどうなっているかの確認が出来るよう、計算された配置。
 尤も、悪戯をしないように、ではなく、悪戯をした場合すぐに見つけられるように、となってしまったが。
 今回も、もし異臭の原因が敷地内にあった場合……悪戯で済めば良い。


「……」


 だが、もしも第三者による悪意だとしたら――


「っ!?」


 異臭の原因を見つけた……見つけてしまった。


 そして……目が、合った。



「あっ、あのっ! これは、違……違うんですっ!」



 脳が、情報を処理しきれていない。
 想像の斜め上をいく展開に、頭がついていかない。
 だが、果たして何人の人間が、この状況に即座に対応出来るだろうか。
 残念なことに、私は口をきつく引き結ぶという、第一手を選択してしまった。


「……っ」


 口を閉じた事で、自然と、鼻でしか呼吸出来なくなる。


 そして――風が吹いた。


 春でも夏でも、正直、どうでも良い。
 彼女の方から私に向かって吹く風は、私に、届け物をした。


 異臭と……ぷりぷりという、異臭の原因が産み落とされている音を。


 草木のざわめきが、まるで、この状況を見ている悪魔の笑い声に感じられた。

583: 2018/05/08(火) 23:08:54.56 ID:IuBXlhUPo

「……」


 偶然が積み重なり、それが、やがて一つの大きな流れとなる。
 人は、それを運命と呼ぶが……私は、あまりその言葉が好きではない。
 何故ならば、彼女達が――アイドルの方達が輝いたのは、
運命などという、そのような不確かなものの結果ではないからだ。
 彼女達自身の努力、そして、友情が折り重なり、一つの物語を作り上げた。


「……」


 それは、運命などでは、無い。
 彼女達の、意思によって生まれた、輝きなのだから。


「……」


 ……しかし、私はこの状況を……あえて、運命という言葉を使おうと思います。
 無表情でいるしかない私にとっても、泣き顔とも笑い顔とも区別がつかない彼女にとっても。
 その、どちらにとっても悲劇でしかないこの状況は……運命だ、と。


 はい……運命などクソくらえ、と叫び出したい気分です。


「……貴女は――」


 そんな衝動に駆られながら、彼女に背を向け、言う。


「――オーディションに、来られた方ですね?」


 ――メンバーの第一候補として、思い浮かべていた方だったのだから。


 予め調べておいた、ジュニアモデル時代の仕事ぶり。
 年齢にしては高い、その身長。
 記憶していた数々の情報が浮かび、泡沫の夢のように、消えていく。


「は、はいっ!」


 彼女は……もう、オーディションを受けに来ないだろう。
 この様な姿を見られ、平然と会場に来られるような神経の持ち主は、居ない。


 ――また、アイドルを目指す少女の想いを駄目にしてしまった。


 そんな後悔が、胸の奥から湧き上がり、拳を震えさせる。


 ……しかし、


「私、アイドルになりたいんですっ!」



 ぷぅっ、という空砲の音と共に、


「陸上部に所属してて、ハードルが得意ですっ!」


 地獄のオーディションが、スタートした。

584: 2018/05/08(火) 23:34:28.54 ID:IuBXlhUPo

「そ、う……ですか」


 簡単な相槌を打つことしか、出来ない。
 既に走り出した彼女に、待ってください、と声をかけるのは簡単だ。
 こんな状況で、自己PRを開始するなど、前代未聞。
 まずは落ち着いて話せる環境を整えようとするのが、当然の考えだろう。


「それから……それからっ」


 ぷりぷり……ぷりぷりっ。


「……」


 彼女の、アイドルへの溢れ出るような想いに呼応し、便も出る。
 思わず右手を首筋にやり、心を落ち着かせようと、足掻く。


 笑っては、いけない。


 彼女は、必氏に走り、この困難を乗り越えようとしているのだ。
 その、前を向く姿勢を笑う事は、決して許されない。


「えっとっ、周りに勧められて、ジュニアモデルをやった経験が――」


 ぽぷぅっ!


「――すこしだけありますっ」


 ――PRの最中に、放屁を挟まないでください!


「……」


 ……とは、言えない。
 私が、今の彼女の状態を責め立てるような真似をすれば、どうなるだろう。
 真っ直ぐに走っている状態で、横から突き飛ばされる。
 ……きっと、今よりも残酷な事態に陥るに、違いありませんから。


「あ、でも、それはただ背が高いからで……」


 背後から、視線を感じる。
 プロフィールにあった身長も高かったが、私の身長も成人男性の平均よりもかなり高い。
 しゃがんでいる今の体勢からだと、余計に大きく見えるだろう。
 早くその体勢を……コトを終わらせて欲しいと、そう、思います。


「背、高いですねっ!」


 ぽぅ~っ!


「プッ――」


 ――駄目だ、笑うな!


「――プロデューサー……ですから!」


 これで、誤魔化せると良いのだが。

585: 2018/05/09(水) 00:05:18.71 ID:dpeA3lvyo

「どうして、アイドルに?」


 彼女が違和感を感じる前に、質問する。
 その試みは……成功した。


「私、自分の背の高さがずっと、苦手だったんですっ」


 今までの人生で最大の危機に位置付けられてもおかしくない、この場面。
 そんな状況に於いても、彼女はハキハキと、PRを続けている。
 身長へのコンプレックス、そして、それを乗り越えるアイドルへの憧れ。


 彼女は、諦めずに、前を向いて、夢を掴もうと走り続けている。


 ――それを支えていくのが、プロデューサーの務めだと、そう、思います。


 彼女がどう答えるかは、予想がつく。
 ……しかし、あえて、問いかけよう。


 オーディションの結果を出すに相応しいかの、最終確認として――



「アイドルは、簡単ではありませんよ?」



 ――ぷっ!



 逆に、屁を出された。




 アイドルになるのは、とても難しい。
 しかし、彼女はとても大きなハードルを乗り越えた。
 あのハードルを飛び越えた彼女なら、きっと、この先幾多の困難が待ち受けようと、
それを飛び越え、夢を掴んで見せるだろう。


「……」


 彼女のプロフィールのページを手で軽くさすり、ファイルを閉じる。
 他のメンバー達も一緒ならば、もう、二度とあんな事態には陥らないだろう。
 もしもそんな事態に陥った場合の事は考えない……考えたくは、ありません。


「……」


 ファイルをデスクの引き出しにしまい、閉じる。


「……笑顔です」


 目を閉じ、自分に言い聞かせるように、言う。
 笑顔の力――パワー・オブ・スマイルで、私も乗り越えなければならない。
 運命の悪戯を飛び越えていかなければ、彼女達を導くことは出来ない。


 そのハードルは高く、常に向かい風が吹いている気がするが。



おわり

589: 2018/05/09(水) 06:07:41.70 ID:EAEgaLf7o
乙倉君初登場でこれはあんまりすぎるやろw

引用元: 武内P「あだ名を考えてきました」