1: 2012/06/07(木) 19:02:46.13 ID:Pj3k2DuT0
 全国大会初戦前 自由行動日の前夜

― 宿泊所 ―

久「あ、福路さん。ちょうど良かったわ」

美穂子「上埜さん…私に何かご用ですか?」

久「あなたに話があってね、今時間あるかしら」

美穂子「ええ、大丈夫ですけど…どのようなお話ですか」

久「あまり大した話じゃないから、そんなに畏まらなくていいわよ」

美穂子「これが素なので…すみません」

久「そうなの? 素なら謝らなくていいわ。私が勝手に勘違いしただけだから」

美穂子「そう言っていただけると助かります。それで、お話というのは…」

久「お話っていうか、お誘い? なんだけどね」

美穂子「はい」

久「もし良かったら、明日の自由行動、私とデートしない?」

美穂子「でっ、でーと…ですか?」
第2話 勝負

3: 2012/06/07(木) 19:04:12.97 ID:Pj3k2DuT0
久「そう、デート。二人っきりでブラブラしましょうよ」

美穂子「で、でも、私は女性で、上埜さんも…」

久「私も女性ね。それがどうかした?」

美穂子「あの、初めてのデートの相手が同性というのは、その…何と言いますか」

久「ん~、それは私が初めての相手じゃ嫌ってこと?」

美穂子「そんな、嫌じゃないですっ、むしろこちらからおねが…」

久「ごめんなさい。最後がよく聞き取れなかったから、もう一度言ってもらえないかしら」

美穂子「う、上埜さんと、その…デートしても嫌じゃないです」

久「それは良かった。でも、あの娘の相手しなくてもいいの? あなたに懐いてるみたいだけど」

美穂子「あの娘…?」

4: 2012/06/07(木) 19:05:21.41 ID:Pj3k2DuT0
久「ほら、大将戦で『にゃー!』って叫んだ…あら? …誰だっけ、顔は思い浮かぶんだけど名前が思い出せない…」

美穂子「華菜のことですか?」

久「そう、その娘! 池田さん! もう、自力で思い出せないなんて嫌ねぇ、歳かしら」

美穂子「歳って成人すらまだじゃないですか…」

久「私、実は二十歳だから」

美穂子「えっ」

久「言ってなかったかしら? 私、諸事情で二年間休学してたから、高三だけど二十歳なの」

美穂子「そんな…全然気づきませんでした…私、なんて失礼なことを…」

久「…ちょっと、本気にしないでよ。冗談よ?」

7: 2012/06/07(木) 19:06:33.17 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「本当に冗談ですか…?」

久「冗談だって。よく考えてみてよ、二十歳なら規定に引っかかってインハイ出られないでしょ?」

美穂子「そう…ですね。冗談を本気にしてしまって、お恥ずかしいです…」

久「あまり面白くない冗談言った私が悪かったわ。ごめんなさい」

美穂子「いえ、私も気のきいたことを言えなくて、ごめんなさい」

久「…元の話に戻るけど、池田さんは明日一人ぼっちにならないのかしら?」

美穂子「吉留さんもいますし、二人揃って他校の方々と一緒に遊びに行くと思います」

久「ということは、明日は私が福路さんを一人占めしても何も問題はないということね。一安心だわ」

美穂子「一人占めって、別に取り合う相手はいないと思いますが」

久「そうかもしれないけど、確実に二人っきりのほうが絶対いいじゃない? 折角のデートなんだから」

美穂子「本当にデートなんですね…」

久「何か気になることでもあるの?」

美穂子「いえ、何でもないですから、お話の続きを」

8: 2012/06/07(木) 19:07:25.00 ID:Pj3k2DuT0
久「待ち合わせは、ロビーに九時半でいいかしら。朝が苦手なら、もう少し遅くしても構わないけど」

美穂子「早起きは苦手ではないので大丈夫です。ロビーに九時半、ですね?」

久「うん。楽しみに待ってるわ」

美穂子「はい、私もです」

久「それじゃ、また明日ね、福路さん」

美穂子「お誘いありがとうございました。お休みなさい、上埜さん」

久「ええ、お休み」

9: 2012/06/07(木) 19:08:43.35 ID:Pj3k2DuT0
 翌日

― ロビー ―

久「おはよう、福路さん」

美穂子「おはようございます」

久「誘った私が遅刻するわけにはいかないと思って十五分前に来たんだけど…」

美穂子「私が早く来すぎただけですから、お気になさらず」

久「でも、待たせたことには変わりないから。何かお詫びをしないといけないわね」

美穂子「約束の時間には間に合ってるんですから、何も問題はないかと…」

久「それでも、私が納得できないの。…そうだ、お詫びとしてお昼は私が奢るわ」

美穂子「いえ、上埜さんに金銭的な負担をしてもらうのは私が納得できません。何か損をしたわけではありませんし…」

久「うーん、昼食代くらいなら負担というほどでもないんだけど」

美穂子「上埜さんのお気持ちだけで、私は嬉しいんです。それ以上は逆に困ってしまいます」

久「金銭的負担以外で、私にしてほしいことってないかしら?」

美穂子「そうですね…特には…あっ」

11: 2012/06/07(木) 19:10:32.56 ID:Pj3k2DuT0
久「何かあるの?」

美穂子「いえ、これは…やっぱり、お気持ちだけで十分です」

久「遠慮しないで。何か思いついたんでしょ? 言ってみてよ」

美穂子「でも、その…無理です」

久「言うだけ言ってよ。できるかできないかは私が判断するから」

美穂子「…言っても笑いませんか?」

久「そんな失礼なことしないわよ。言ってみて、ね?」

美穂子「…名前を」

久「名前を?」

美穂子「呼んでほしいな、って…」

12: 2012/06/07(木) 19:12:18.99 ID:Pj3k2DuT0
久「名前って福路さんの?」

美穂子「はい…あの、嫌なら別の、」

久「全然嫌じゃないわ、美穂子」

美穂子「えっ…」

久「あら、名前間違ったかしら。美穂子、よね?」

美穂子「は、はいっ」

久「良かった。驚いた顔するから間違ったかと思ったわ」

美穂子「上埜さんが急に呼び方を変えたから、少しびっくりしちゃいました…」

久「上埜さん、ね。それも悪くないんだけど、わがまま言ってもいいかしら」

美穂子「何でしょうか」

13: 2012/06/07(木) 19:13:49.52 ID:Pj3k2DuT0
久「私のことも『久』って名前で呼んでよ。友達同士なのに互いの呼び方が違うとしっくりこなくて」

美穂子「友達…」

久「ごめん、馴れ馴れしいのは嫌だった?」

美穂子「嫌じゃありません…友達って言ってもらえて嬉しいんです…上埜さん」

久「だから、久だってば」

美穂子「ごめんなさい、久…さん」

久「さん付けもしないでいいから。同い年でしょ、私たち」

美穂子「はい…久」

久「うん、私のわがまま聞いてくれて、ありがとう。美穂子」

17: 2012/06/07(木) 19:15:32.74 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「何だか、気恥ずかしいです」

久「すぐ平然と呼べるようになるわよ。それくらい、今日のデートで仲を深める予定だから」

美穂子「それでも、呼び慣れるまで相当時間がかかりそうです…」

久「私を信じてよ、美穂子」

美穂子「…そうですね、久を信じます」

久「普通に言えたじゃない。それじゃ、出かけましょうか」

美穂子「はいっ」

久「あ、そうだ。言い忘れるところだった」

美穂子「まだ、何か?」

久「その私服、美穂子に良く似合ってる。とても可愛いわよ」

美穂子「…ありがとう、久」

19: 2012/06/07(木) 19:16:47.61 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「それで、どこに行くんですか?」

久「大会序盤から豪遊してたら、お金がいくらあっても足りないし、お散歩デートかな」

美穂子「久は計画的なんですね」

久「そんな立派なものじゃないわ。少ない部費でやり繰りするうちにヘンな癖になっただけよ」

美穂子「ヘンなんかじゃ…浪費癖よりはいいと思いますよ」

久「ありがと。美穂子は良い彼女ね」

美穂子「私が…ですか?」

久「ええ。歩くことがメインの貧乏デートでも嫌な顔せず付き合ってくれるでしょ? 本当に良い娘」

美穂子「お世辞でも嬉しいです…」

22: 2012/06/07(木) 19:18:10.96 ID:Pj3k2DuT0
久「美穂子は家事も料理もできて、誰よりも優しい。きっと良妻賢母になるわ。私が保証します」

美穂子「そんなにおだてて、何か企んでませんか?」

久「ん~、別に? ただ…」

美穂子「ただ、何ですか」

久「…やっぱり、言うのやめるわ」

美穂子「途中で止められると尚更気になります。最後まで言ってください」

久「だったら言うけど…」

美穂子「はい」

久「私のお嫁さんにならないかなーと思ってたりはする」

美穂子「お、お嫁さんなんて…私たちは同性ですし、その、法律とか、あの、」

久「そう? 同性なんて大した問題じゃないでしょ、美穂子…」

美穂子「ひ、久…?」

23: 2012/06/07(木) 19:19:41.68 ID:Pj3k2DuT0
久「…なんてね。冗談よ、冗談」

美穂子「うぅ…冗談でもドキッとしますから、止めてください…」

久「本気にしちゃう?」

美穂子「かもしれません…」

久「美穂子が本気になったら、私が責任とるから安心していいわよ」

美穂子「責任って…からかわないでください」

久「ごめん、ごめん。美穂子とのおしゃべりが楽しいから調子に乗っちゃったわ」

美穂子「私と話して楽しい、ですか?」

久「楽しいわよ。今まで会うことはあっても二人で話す機会は少なかったし。美穂子は?」

美穂子「私も…楽しいです」

久「楽しんでるなら良かった。私だけ盛り上がってもつまらないから。もっと色々話しましょうよ」

美穂子「はいっ」

25: 2012/06/07(木) 19:21:29.24 ID:Pj3k2DuT0
久「…結構歩いたわね。いつの間にか、お昼すぎてるし…」

美穂子「本当ですね。おしゃべりに夢中で気づきませんでした」

久「お腹空いたし、どこかでゴハンにしましょうか」

美穂子「でも、私、この辺り全然知らないんですが…どうしましょう」

久「ちょっと待ってて。近くの良いお店、ネットで探してみるから」

美穂子「お願いします。私、携帯とかパソコンに弱くて…」

久「誰にでも苦手なものはあるでしょうし、気にしないで。…近くにパスタ専門店があるみたい。そこでいいかしら」

美穂子「はい」

久「それじゃ、ランチタイムが終わる前に行きましょう。道は…こっちね」

26: 2012/06/07(木) 19:22:41.65 ID:Pj3k2DuT0
― パスタ屋 ―

店員「ご注文はお決まりでしょうか?」

久「私は、この『日替わりパスタ』を。美穂子は?」

美穂子「私もそれに…でも、こっちのカルボナーラも美味しそう…迷っちゃいます」

久「だったら、カルボナーラを頼んだら? 私の日替わりパスタと半分こすれば両方食べられるわよ」

美穂子「いいんですか?」

久「うん。私も食べ比べてみたいし」

美穂子「でしたら、私はカルボナーラにします」

店員「日替わりパスタとカルボナーラですね。ランチタイムは食後のお飲み物が一杯無料でございますが、何になさいますか?」

久「コーヒー、ブラックで」

美穂子「私は紅茶を」

店員「ブラック・コーヒーと紅茶ですね。…少々お待ち下さいませ」

久「はーい」

27: 2012/06/07(木) 19:24:10.94 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「久はオーダーで全然迷わない人なんですね。初めてのお店なのに即答だったので少し驚きました」

久「私は外食するときはその店のイチオシを頼むって決めてるのよ。迷いだすと決められなくなる質だから」

美穂子「それいいですね。次からは私もそうします」

久「いいかもしれないけど、私と一緒だと被っちゃうわよ?」

美穂子「そのときは私が久の分も時間をかけて迷って、別のにします」

久「気持ちは嬉しいけど、私の分も迷ってると日が暮れるから止めた方がいいわ」

美穂子「確かに日が暮れるまで迷うと困りますね…お店の人には迷惑でしょうし、どうしましょう?」

久「えっ、本気…なの?」

美穂子「冗談に決まってるじゃないですか」

久「そ、そうよね。冗談よね…」

美穂子「はい。日没まではかかりませんよ、数時間あれば決められます」

久「それでも十分迷惑な客だから! 私が店員だったら、お帰り願うわよ!?」

美穂子「落ち着いてください、久。冗談ですよ?」

29: 2012/06/07(木) 19:25:29.00 ID:Pj3k2DuT0
久「本当に冗談?」

美穂子「はい。冗談です」

久「はぁ…美穂子の冗談で取り乱すとは、私もまだまだね…」

美穂子「昨夜と今朝、久が言った冗談のお返しです。喜んでいただけましたか?」

久「喜びより驚きのほうが大きいわね…」

美穂子「一晩寝て忘れる私じゃないってことです」

久「今、私の中で美穂子に対する認識が変わったわ…」

美穂子「そうですか。仲が深まったみたいで何よりです」

久「…もしかして、根に持ってるの?」

美穂子「あ、パスタができたみたいですね。とても美味しそうです」

久「そして、まさかのスルー…」

美穂子「どうしました? 早く食べないと冷めてしまいますよ」

久「人は見かけによらないって言葉を痛感してるだけだから、気にしないでいいわ…」

美穂子「もう…半分こしますから、お皿借りますね」

32: 2012/06/07(木) 19:26:50.31 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「はい、どうぞ」

久「ありがと」

美穂子「いただきます」

久「いただきます」

美穂子「…美味しいですね、これ」

久「ソースが麺にしっかり絡みながらも後味はサッパリした感じで全然くどくない…価格以上の美味しさね」

美穂子「…何か言いました?」

久「いえ、何も」

美穂子「そうですか」

久「………(食べ始めると集中して周りが見えなくなるタイプなのかしら)」

33: 2012/06/07(木) 19:29:09.13 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「…ごちそうさまでした」

久「ごちそうさま。日替わりとカルボナーラ、どっちが好きだった?」

美穂子「両方美味しかったですけど、僅差で」

久「カルボナーラ、でしょ」

美穂子「…当たりです。よくわかりましたね」

久「二分の一だから大したことないわ。根拠は一応あるけど」

美穂子「根拠って…勘じゃないんですか?」

久「正確には根拠といえるか怪しいけど、食べるテンポが違ってたから」

美穂子「どういう意味でしょうか?」

久「そのままの意味よ。日替わりよりカルボナーラのほうが、口に運ぶテンポが少し速かったから気に入ったのかなと思って」

美穂子「…私、がっついてるように見えました?」

久「全然。食べる姿勢もマナーも良いし、とても行儀良く見えたわ」

34: 2012/06/07(木) 19:30:26.35 ID:Pj3k2DuT0
店員「食後のお茶をお持ちいたしました」

美穂子「はい」

久「どうも」

店員「それでは、ごゆっくりどうぞ」

久「…コーヒーも合格。まさに完璧」

美穂子「紅茶も美味しいです。良いお店見つけました」

久「また来たいわね。今度は皆で」

美穂子「そう…ですね…」

久「ん、どうしたの?」

美穂子「いえ…」

久「えっ、ちょっと…泣いてるの? 私、何か嫌なこと言った?」

美穂子「違うんです…ぐすっ」

35: 2012/06/07(木) 19:32:15.34 ID:Pj3k2DuT0
久「…落ち着いた?」

美穂子「はい…ご迷惑をおかけしました…」

久「いいわよ、謝らなくて。それ飲み終わったら出ましょうか」

美穂子「…優しいんですね」

久「三年にもなると想うことも多い…そういうことでしょう」

美穂子「よくわかりましたね…また何か根拠があるんでしょうか」

久「似たような境遇にある者の直感みたいなものよ。でも、一言いいかしら」

美穂子「はい」

久「後輩の前で泣いちゃダメよ。不安にさせるから」

美穂子「そうですね…気をつけます」

久「どうしても泣きたくなったら私を呼んで。あなたが落ち着くまで隣にいるから」

美穂子「久…うぅ…」

久「そろそろ出ないといけないけど…もう少しだけ、ゆっくりしていきましょうか」

37: 2012/06/07(木) 19:34:22.17 ID:Pj3k2DuT0
― 帰り道 ―

久「結局、一杯飲み終わるのに一時間もかけちゃったわね」

美穂子「嫌な客と思われたかもしれません…主に私のせいで」

久「この大会が終わったら皆で行きましょう。客を大勢連れて行けば感謝されるわよ」

美穂子「そうですね。今度は皆と一緒に楽しみたいです」

久「そうそう。最後だからって暗くならずに前向きに行きましょう」

美穂子「はいっ」

久「あら?」

美穂子「どうしました?」

久「あれ、猫かしら」

美穂子「猫ですね。この辺りの野良猫でしょうか」

久「行ってみましょう」

美穂子「えっ…ま、待って!」

久「早く早く。のんびりしてたら逃げられちゃうわ」

38: 2012/06/07(木) 19:36:28.68 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「急に走り出さないでください。危ないですよ」

久「猫が移動しそうだったから、つい」

美穂子「つい、じゃないです。試合前にケガしたらどうするんですか」

久「大丈夫よ。美穂子は心配性ね。…それにしても可愛いわ~」

美穂子「時間的にお昼寝中でしょうか」

久「モフモフしたいわね…撫でてあげるから近くにおいで~」

美穂子「寝てますし、野良猫に呼びかけても来るわけが…」

久「来てくれるみたいよ、ほら」

美穂子「本当ですね…でも、何だか機嫌が悪そう…」

久「すぐに私の手で気持ち良くしてあげるわよ、っと。よしよし、良いコ良い」

猫「フッ!」

久「痛っ」

美穂子「久!?」

39: 2012/06/07(木) 19:38:28.36 ID:Pj3k2DuT0
久「どうやら、私の撫で方が気に入らなかったみたいね…」

美穂子「久、指先から血が…」

久「平気よ。これくらいの傷、舐めれば治るわ」

美穂子「ちゃんと治療しないとダメですっ! 化膿したらどうするんですか!」

久「猫に引っかかれたくらいで、大げさよ」

美穂子「確か、来る途中で公園の近くを通ったような…こっちです!」

久「えっ、ちょ、美穂子!?」

美穂子「黙って私に付いて来てください!」

久「はい…」

40: 2012/06/07(木) 19:40:49.28 ID:Pj3k2DuT0
― 公園 ―

美穂子「まずは水道水で洗い流しましょう。応急処置です」

久「…んっ」

美穂子「染みますか?」

久「ちょっと…」

美穂子「指、見せてください」

久「…どう?」

美穂子「血は止まったみたいですね。傷も深くないし良かった…」

久「だから、平気って言ったじゃない」

美穂子「野良猫だったので、感染症の心配をしたんです」

久「そう…心配かけて、ごめんなさいね」

42: 2012/06/07(木) 19:42:50.67 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「いえ、私も大きな声を出してしまって」

久「あなたに叱られたのは初めてね」

美穂子「その…久が麻雀の選手なのに指先を守ろうとしていなかったので…」

久「そうね…気が緩んでた。反省しないといけないわ」

美穂子「引っかき傷が化膿して出場できないなんて冗談にもなりませんよ」

久「確かに全然面白くないわね…笑えないわ」

美穂子「それに、久が出られなくなったら清澄高校麻雀部の皆さんに申し訳が立ちません」

久「この傷は私の不注意が原因なんだから、美穂子が気に病む必要は…」

美穂子「久が――デートの相手がケガするのを黙って見ていた私に責任がないとは言えないでしょう」

久「あなたの責任を追及するような娘はウチの部には絶対にいないから、そんなに重く考えないで、ね?」

美穂子「久が手を伸ばしたときに私が止めなきゃいけなかったんです。なのに…」

久「私の自己責任まで美穂子が負わなくていいの。それ以上は私を甘やかすことになるから、もう責任とか言わないで」

43: 2012/06/07(木) 19:44:50.25 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「わかりました…今度から気をつけてくださいね」

久「はい。気を引き締めるわ」

美穂子「念のため、これで約束してください」

久「これって…指きり?」

美穂子「はい、その通りです」

久「何年ぶりかしら。懐かしすぎるわ」

美穂子「それでは、小さい頃に戻ったつもりでしましょう。小指を出してください」

久「指を絡めて…何て言ってたかしら」

美穂子「私が言いますから、後に続けてください」

久「はーい」

45: 2012/06/07(木) 19:49:12.18 ID:Pj3k2DuT0
美穂子「指切りげんまん、嘘ついたら」

久「指切りげんまん、嘘ついたら」

美穂子「牌千個呑ーます、指切った」

久「牌千個…って、牌? 針じゃなかった?」

美穂子「私たちの場合、針より牌のほうが相応しいと思ったのでアレンジしてみました」

久「確かにそうね。良いアレンジだわ」

美穂子「もう一度、最初から言い直しましょうか…せーの」

久&美穂子「指切りげんまん、嘘ついたら牌千個呑ーます、指切った」

久「それじゃ、帰りましょうか。暗くなる前に」

美穂子「また猫を見かけても触ったらダメですよ?」

久「…はい。ごめんなさい」

47: 2012/06/07(木) 19:51:07.34 ID:Pj3k2DuT0
― ロビー ―

美穂子「今日はとても楽しかったです」

久「ええ、私も。…最後に失敗しちゃったけどね」

美穂子「本当に気をつけてください、久。部の皆さんを心配させたらダメですよ」

久「わかってる。叱ってくれて、ありがとう。美穂子」

美穂子「それと…」

久「ん?」

美穂子「次のデートはいつ頃になるんでしょうか…」

久「そうね…結構先になりそうなことは確かね」

美穂子「ですよね…」

48: 2012/06/07(木) 19:52:43.10 ID:Pj3k2DuT0
久「でも、その前に」

美穂子「高校最後の大会で勝つ、ですね」

久「それ、私が言おうと思ってたのに…」

美穂子「お先に頂きました。…それでは、団体戦、ご活躍を願っています」

久「うん。美穂子も個人戦、悔いが残らないように全力でね」

美穂子「はい。次のデートで会う前に」

久「表彰式で会いましょう」


 おしまい

50: 2012/06/07(木) 19:55:29.22 ID:Pj3k2DuT0
おまけ

― 風越高校 麻雀部部室 ―

貴子「またシクったな、池田ァァッ!」

華菜「ひっ、ごめんなさいっ!」

貴子「謝って済むかッ! 何回似たようなミスしてんだ!」パァンッ

華菜「うぅ…、ごめんなさい」

貴子「それしか言えないのか、池田ァァッ!」パンッ

美穂子「もう止めてください、コーチ! それ以上はっ」

貴子「お前は黙ってろ!」

美穂子「ッ!」ビクッ

51: 2012/06/07(木) 19:56:54.85 ID:Pj3k2DuT0
貴子「日頃からたるんでるんだよ、お前は! 来い、打ち方を叩き直してやる!」グイッ

美穂子「たとえコーチでも、これ以上の制裁は許されませんよ!?」

貴子「お前らは自主打ちしていろ。言っておくが、後で牌譜を見れば手を抜いたヤツは一発でわかるからな」ガチャ

華菜「泣かないでください、キャプテン。私なら心配無用だし…」バタン

美穂子「華菜っ…」

52: 2012/06/07(木) 19:58:22.06 ID:Pj3k2DuT0
― 監督室 ―

貴子「大丈夫か、池田」

華菜「私なら平気だし」

貴子「本当か? とても大きな音がしたが…」

華菜「音が派手なだけで、コーチの叩き方が上手いから痛くはないです」

貴子「いつも済まないな。私が舐められないためのサクラをさせてしまって」

華菜「だから大丈夫ですって。気にしないでください」

貴子「指導力不足を隠し、威厳を保つためにサクラを使う。…本当に私は指導者失格だよ」

華菜「コーチ…」

貴子「だから、もう辞めることにした」

華菜「えっ…」

53: 2012/06/07(木) 19:59:19.33 ID:Pj3k2DuT0
貴子「昨夜、辞表を書いた。提出して受理されれば今季限りで解任されるだろう」

華菜「そんなッ、そんなの嘘だしっ!」

貴子「悪いが本当だ。形式上は、二年連続で全国大会出場を逃して風越の看板に泥を塗った責任を取るかたちになるがな」

華菜「全国に行けなかったのは私がミスったせいだし! コーチのせいじゃないし!」

貴子「池田は本当にバカだな、部員のミスはコーチである私が責任を取るんだよ」

華菜「意味不明だしっ、私のミスは私が責任取るんだし! 私に責任取らせ」

貴子「黙れ、池田ァァッ!」

華菜「黙んないし!」

56: 2012/06/07(木) 20:00:16.02 ID:Pj3k2DuT0
貴子「このッ!」バシッ

華菜「そんなの今の華菜ちゃんには効かないし!」

貴子「まだ言うか、池田ァァッ!」ブンッ

華菜「コーチと離れるくらいなら叩かれるほうがマシだし!」

貴子「ッ!?」

華菜「何度でも叩いていいからっ、怒ってもいいからっ、だから、だから辞めないで、コーチ…」グスッ

貴子「…わかってくれ、池田。もう無理なんだよ」

華菜「なにが…?」

貴子「私の指導力を疑問視する意見が出始めてる。校内外を問わず、特にOG連中からな」

華菜「OGが? 私に負けたくせに…」

貴子「だが、それは大した問題じゃないんだ。一番の問題は私にある」

57: 2012/06/07(木) 20:02:06.77 ID:Pj3k2DuT0
華菜「コーチに問題なんかないっ」

貴子「いいから聞け。…正直言ってな、私自身がもう限界なんだよ」

貴子「私の乏しい指導力では部員全員をカバーできない。それどころか成長を妨げるかもしれない」

貴子「特に美穂子。あいつは本物の才能を持っている。私程度が下手に関わるとマイナスにしかならないだろう」

貴子「それと、池田、お前もだ。お前はまだ伸びる余地がかなりある。私の指導を受けるより、熟練の指導者に鍛えてもらうべきだ」

貴子「だいたい、私は最初から指導者には向いていなか」パンッ

華菜「目が氏んでるぞ、久保ォォッ!」

貴子「なッ!?」

華菜「みんなコーチを信じてきたのに今さら裏切るようなこと言うなよっ」

華菜「私も、コーチに鍛えられたから決勝でも諦めなかったのにっ」

華菜「なのに、なのに、コーチが諦めんなよッ」

華菜「そんなの私の知ってるコーチじゃないんだしっ!」

58: 2012/06/07(木) 20:03:20.11 ID:Pj3k2DuT0
華菜「うるさいOGは全員倒して黙らせればいいし」

華菜「そうすれば、コーチの指導力を証明したことにもなるし」

華菜「なにより来年は私がコーチを全国に連れていく予定だし!」

華菜「だから、私を、私たちを信じて、あと一年頑張ろうよ」

華菜「コーチにはまだなにも返せてないのに、勝手にいなくならないでよ」

華菜「そんなの私が絶対に許さないんだし…」

60: 2012/06/07(木) 20:09:53.00 ID:Pj3k2DuT0
貴子「…池田なんかに叱咤されるとは本当に指導者失格だな、私は」スッ

華菜「コーチっ、どこへ…」

貴子「どこって、部室に決まってるだろうが。…牌譜見ないといけないからな」

華菜「コーチ! 続けてくれるんですね、コーチ!」

貴子「お前は先に戻ってろ。私は後から行く」

華菜「本当に来る? そのままいなくならない?」

貴子「安心しろ。ただの野暮用だ」

華菜「野暮用…?」

61: 2012/06/07(木) 20:12:36.72 ID:Pj3k2DuT0
貴子「化粧」

華菜「えっ?」

貴子「お前のビンタのせいで化粧が崩れて、みっともないから直すんだよ。その間サボったら…」

華菜「制裁だし!」

貴子「わかってるなら、早く行けッ」

華菜「御指導ありがとうございました、失礼しますっ!」ダッ

貴子「あのバカが…池田のくせに生意気だし…」グスッ


おしまい

64: 2012/06/07(木) 20:22:10.39 ID:9ANnQK0t0
乙だし!

引用元: 久「私とデートしない?」美穂子「でっ、でーと…ですか?」