353: 2018/06/03(日) 20:38:55.48 ID:mh1wZAT7o

「……お、お願い……助けて……!」


 助けを請われた。
 前髪に隠れてない左目は潤み、眉間には皺が寄り、眉も垂れ下がっている。
 先程の言葉を絞り出した後、彼女は唇を噛み締めながら、何かに耐えている。
 彼女の身長に対して大きいパーカーの左袖は、腹部に添えられている。


「っ!? 大丈夫ですか!?」


 彼女の体に、異常が起きている。
 椅子から立ち上がり、プロジェクトルームのドア――彼女の傍まで、駆け寄る。


「体調が、悪いのですか!?」


 私と彼女の身長差はかなりあるため、膝を付き、視線を合わせる。
 見れば、額には脂汗が浮いており、あまり健康的とは言えない顔色は、
病的なまでに、青白くなっている。
 ドアノブにかかっていた右の袖……いや、彼女の小さな右手が、差し出された。


「……うん……そう、なの……!」


 立場上、アイドルの方との過度なスキンシップは、するべきではない。
 だが、助けを求めて伸ばされた手を取らないという選択肢は、存在しない。
 私は、パーカーの袖から覗く、小さな……本当に小さな手を受け止めるため、左手をあげた。
 掌に、彼女の指が、躊躇いがちに、触れる。


「みんな……食中毒、みたい……で……!」


 ……まさか――集団食中毒!?


「っ……!?」


 彼女は、プロダクションの女子寮で生活している。
 女子寮には、多くのアイドルの方達が暮らしており、
シンデレラプロジェクトのメンバーの方も含まれている。
 彼女達も、食中毒に……いや、今は、目の前に居る彼女への対応が先決だ。


「……とにかく、今は、貴女の方が心配です」


 自分も体調不良だと言うのに、他の皆の異変を知らせるために、私の元へ来た。
 そんな、健気な少女を差し置いて、すべき事などありはしない。


「まず、トイレへ向かいましょう」


 この様子では恐らく、自らの足で移動する事は出来ないだろう。
 膝は震え、立っている事すら、ままならないように見える。
 緊急事態だ。
 申し訳ないが、彼女には、我慢して貰うしか無い。


「失礼します」


 彼女の右手を引き寄せ、私の左肩に添えさせる。
 戸惑っているのがわかるが、私は、彼女を抱き寄せ、抱え上げた。
 その体は、とても小さく……そして、軽かった。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(12) アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場 (電撃コミックスEX)
354: 2018/06/03(日) 20:59:56.91 ID:mh1wZAT7o
  ・  ・  ・

「みんなが……トイレ、使ってる、から……!」


 右の耳元で、苦しげな吐息と共に、吐き出される言葉。
 彼女の年齢にそぐわない、どこか、艶を感じさせる囁き。
 ビクリ、と体を震わせ、私の首に回された腕に力が込められた。
 自然、私と彼女の顔は近づき、耳に、ピアスの感触を感じる。


「……待ってください」


 だが、私には、彼女の言葉が理解出来なかった。


「あの、誰も――」


 何故なら、



「――居ませんが……?」



 此処には、私と彼女の二人しか居ないのだから。


 彼女が言うには、『みんなが食中毒』との事だった。
 そして……とても、苦しんでいると、道中に言われていたのだ。


 しかし、トイレの中には、誰も居なかった。


 緊急事態とは言え、女子トイレに入るのだ。
 当然、入る前に声をかけて確認をし、返事が無かったので、中に入った。
 中の様子を確認し、全ての個室のドアが開いているのを見て、安堵したばかりなのだ。


「う、ううんっ……んっ……使ってる、よ……!」


 私には、そうは見えない。
 だが、私の腕の中で苦しんでいる少女には、見えているのだ。


 トイレの中で、苦しんでいる‘みんな’の姿が。


「お、お供え物……腐ってた、みた……ううっ!?」


 お供え物を腐らせてしまう、信心の足りなさに怒るべきか。
 はたまた、本来ならば視えざる者にさえ優しさを向ける彼女を叱咤すべきか。
 もしくは、このようになってしまった、私自身の運命を呪うべきか。
 それは……わからない。


「……そう、ですか」


 だが、私は一刻も早く考えなければならない。


「だから……トイレ、つっ! 使え……なく、て……!」


 私の腕の中で苦しむ少女に、トイレを使わせる方法を。

357: 2018/06/03(日) 21:29:27.92 ID:mh1wZAT7o

「その……落ち着いて、聞いてください」


 説き伏せる、という形で彼女を納得させるのは難しいだろう。
 元々、私自身がコミュニケーション能力が高い方ではないし、
何より、こういった部分は、彼女のアイデンティティーに関わる話だ。
 なので、企画の方向性としては、


「ひうっ!? んっ……な、何……?」


 ――如何に、彼女の考えを尊重し、且つ、尊厳を守るか。


 ……というものに、なるだろう。
 冷静に考えれば、きっと、答えは見つかるはずだ。
 決して、諦めてはいけない。
 私が諦めてしまっては、助けを求めてきた彼女に、申し訳が立たない。



「前の方が終わったら……貴女がトイレを使用するのは、どうでしょうか?」



 人ならざる者とは言え、出すものを出したら、十分なのではないだろうか。
 恨みつらみと言った、呪いや怨嗟の声でないだけ、マシとも言える……か?


「っ……!」


 腕の中の少女は、右手をゆっくりと私の顔の前に移動させ――人指し指と中指を立てた。


 これは……ピースサイン――!


 小さな手が形作るピースサインを見て、頬の筋肉が緩む。
 その手は震えているが、私もまた、会心の企画を打ち出せた事に、身を震わせそうになった。


 が、


「待って……る、の……うううっ……!?」


 少女は、苦しみの波に襲われながら、言った。


 ……待ってる?
 指を二本立てているのは、ピースではなく、数字を示していた、と言うことでしょうか?
 ……いえ! ですが、二人待ちならば、何とか!


「……に、二十人……まっ、待ち……!」


 私の体の中を怒りが駆け巡った。


 関係者以外が、オフィスのトイレを集団占拠するとは何事だ、と。


「――わかりました」


 相手は、非常識な存在なのだろう。


「出ていって貰います」


 だが、私は、プロデューサーだ。

360: 2018/06/03(日) 21:54:43.36 ID:mh1wZAT7o

「わ、割り込、み……駄目、だっ、よっ……うぐぅ!?」


 強く、抱きしめられる。
 痛みに耐えるように、右の首筋に顔を押し付けられる。
 その強さは、彼女の優しさと引き換えに与えられた苦痛に比例しているのだろう。
 彼女の痛みが……私にも、痛いほど伝わってくるのだ。


「問題ありません」


 あくまでも、毅然とした態度で女子トイレの中を進む。


 彼女を――アイドルを苦しめるものが、自身の優しさなのだとしたら。


 その苦しみを取り除くだけの厳しさが、プロデューサーには必要だ。
 でなければ、心優しいアイドルは、いつか、擦り切れてしまう。
 そうならないためにも、今は、何者にも屈しない、強さを見せねばならない。


「失礼します」


 当然、個室のドアは開け放されている。
 だが、彼女の手前、そのまま中に入る訳にはいかない。


 開いたドア、誰も居ない個室に向かって、言う。
 便器に向かって、私は、表情を消し、勧告する。



「どいてください」



 私は何をやっているのだろうか?


 自らへの問いかけが、何度も浮かび上がるが、果たして、


「……つ、使って、い、いいいっ、て……!」


 その効果は、あったようだ。


 彼女を抱えたまま、個室に入る。
 そして、ゆっくりと、その小さな体を下ろし、即座に此処から離れるべく、体を引いた。


 ドンッ!


「っ!」


 勢いよく離れようとしたため、背中がドアに強く打ち付けられた。
 彼女を個室に入れるのに必氏で、ドアが閉まったことに気づいていなかったのか。
 急いで、外に出なければ――


 ガチャッ!


「っ!?」


 ガチャッ! ガチャガチャッ! ガチャッ!


 ドアが――開かない。

361: 2018/06/03(日) 22:32:15.48 ID:mh1wZAT7o

「っ……!?」


 何故……どうして、鍵がかかっていないのに、ドアが開かないのだろう。
 どれだけの力で押しても、引いても、ミシミシとドアが悲鳴をあげるばかり。
 これ以上力を込めれば、ドアを破壊してしまう。


「仕方がない、上から――」


 個室の、上の隙間から外に出る。
 そう考え、個室の上辺に手をかけると、次の瞬間、上着の裾を引かれた。


「も……無、理……!」


 恐る恐る振り返ると、便座に座り上半身を伏せている少女の姿があった。
 上着の裾を握る手はガクガクと震えていて、
決壊の瞬間がすぐそこまで迫っていると、嫌でも告げてくる。
 彼女も私の意図を察したようだが、それでは、間に合わないと思ったのだろう。


「……申し訳、ありません」


 伸ばされた彼女の小さな手を取り、しゃがみこんだ。
 彼女が、最初に私に助けを求めた時と同じように、視線の高さを合わせる。
 そして、握った彼女の左手を――私の、右耳に添えた。


「しっかりと、おさえていてください」


 自身の左の掌で、左耳を塞ぐ。
 右の手で、鼻をつまむ。
 両目を……閉じる。


「何も、聞こえず、嗅がず、見えません」


 右耳への、圧力が強まった。
 閉じた瞼の裏側で何が行われているのかは、理解している。
 しかし、それを思考の端に追いやり、全く、違うことを考えるよう、努力する。


『どうして?』


 何か聞こえたような気がしたが、聞こえないフリをする。
 むしろ、耳を塞いでいるのだから、何も聞こえないのが、当然の結果です。
 手が小さいので、何かの拍子に、隙間が出来てしまった可能性もあります。
 しかし、何故、ドアが開かなくなったのでしょうか?
 原因は――


『だあれ?』


 誰、と言われましても……。
 そもそも――


『オマエダ!』


 ――……はい、わかりました。
 確かに、今回の私のやり方が強引だったのは、認めます。
 ですが、この密室事件の犯人へは、今後、塩対応させていただきます。


 水に流せるとは、思わないでください。



おわり

362: 2018/06/04(月) 00:03:44.96 ID:NrL4zXjSO
役得だな

引用元: 武内P「アイドル達に慕われて困っている?」