696: 2018/07/08(日) 22:07:05.76 ID:nttc9N46o

「……聞いた事があるんです」


 背後――後部座席から、普段の彼女らしくない、神妙な声が聞こえてきた。
 しかし、落ち着きがないという訳ではなく、むしろ、言動の端々には育ちの良さが窺える。
 彼女とユニットを組んでいる方から聞いた話だが、料理も得意なようだ。
 最も、その方とじゃれるような口論を繰り返し、騒々しいイメージがついてしまっているが。


「こういう時は――」


 先程から、己の役目を放棄したかのように回らない車のタイヤ。
 労働意欲に満ち溢れているのだが、いかんせん、状況が状況。
 交通事故に加えて、大雨により、100キロ以上の渋滞。
 地方での仕事帰りの私と彼女を乗せた社用車は、それに巻き込まれていた。


「――ペットボトルにする、って」


 そして、その車内でも、事故……いや、人災が起ころうとしている。
 長時間車内で過ごした彼女は、既に限界を迎えていた。
 車内には、運転手である私と、その担当アイドルである、彼女の二人だけ。
 だが、今の言葉を聞いて、この場で解散したくなったのは、言うまでもないだろう。


「待ってください! まだ、他に方法があるはずです!」


 思わず大声が出てしまった。
 それに驚いたのか、彼女がいつも持ち歩いているギターが倒れ、
後部座席のドアに当たって音を立てる。


 ギターケース。


「……」


 恐らく、私と彼女は、ある一つの結論を導き出した。
 バックミラー越しに、後部座席に座る彼女の表情を確認する。


「……」


 己の信じる物を信じ、突き進むと決めた彼女が見せた……躊躇い。
 ギターを取り出し、そのケース内に……する。
 用が済んだら、ケースを閉じ、封印する。
 恐らくそれが、今、彼女がとれる最善の行動。


「……いや! ペットボトルで!」


 にも関わらず、彼女は頑なにペットボトルを使用しようとしている。
 詳細まではわからないが、彼女がこうまで頑なになるのは、
恐らく、彼女が目標とする人物に何か余計な事を吹き込まれたからだろう。
 基本的には正しい知識を教えて頂けているのだが、
彼女はしばしば、その素直さからか冗談を本気と捉えている事がある。


「それが、ロックのLIVEじゃ普通みたいですから!」


 ロックのLIVEでは、普通……ですか。
 ですが、考え直してください。


 ここは、車内です。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(4) (電撃コミックスEX)
698: 2018/07/08(日) 22:31:34.72 ID:nttc9N46o


「もう少し! もう少しで、SAに着きます!」


 ですから、我慢してください。
 チラリと後ろに視線を向け、言葉を続けようとした私の目に、
彼女が、本当にペットボトルにすると決めたのがひと目でわかる光景が飛び込んできた。


「んっ……んっ……!」


 飲んでいる。
 ペットボトルの中身を飲み干そうとしている。
 彼女の喉の動きから、流れ込む水の勢いがかなりのものとわかる。
 本来ならば、健康的で魅力のある姿なのだろうが、
突貫で簡易トイレを作っているのだと思うと、残念ながら、何の魅力も感じなくなってしまう。


「ぷはぁっ!」


 工事が、終わったらしい。
 いそいそと、空になったペットボトルを後部座席の足元に置き、
役目を終えた筈のそれに、緊急の用向きを。


 ――止まらない。


 彼女は、自分の信じるロックを信じているのだ。
 我が道を突き進もうとする彼女を止めるのは、容易では無い。
 だが、本当に、もう少しだけ我慢していただくだけで良いのだ。
 だから……お願いします!


「どうか! どうか、考え――」


 ぷぽうっ!


「――直して……くださ……い」


 エアー。


 だが、その音は、どこか狭い空間へ向けて放たれたような、くぐもった音。


「あ、あのっ!? 何が――」


 ぷぽうっ!


 エアー。


 二度目のその音を聞き、私は確信し……言葉を失った。
 彼女は、とんでもない事を実行しようとしている。


「きっ、聞かないでくださいよ! プロデューサー!」


 ――ペットボトルに、大をしようとしているのだ。


 恥ずかしそうに顔を赤くする彼女とは逆に、私の顔は血の気が引き真っ青になっていた。

699: 2018/07/08(日) 22:43:59.13 ID:7R7Y9tbrO
また>>1が粛々と脱糞投下してる…

700: 2018/07/08(日) 22:45:13.31 ID:7whrszIno
ビッグベンかよ……

702: 2018/07/08(日) 23:01:04.62 ID:nttc9N46o

「もっ、申し訳ありません!」


 図らずも、盛大な放屁音を聞いてしまったことを詫びる。
 抗議の視線を向けられているが、私とて、聞きたかったけではありません。
 そもそも、ペットボトルにするのは実際にある事ですが、
大までも受け入れるほど、ペットボトルとは万能な容器では無いのです!


「これ、着けててください!」


 背後から、少し乱暴に、頭にヘッドホンを被せられる。
 それは、彼女がいつも首から下げているもので、
彼女の小さな頭に合わせた幅が、その時、少し広がり音を立てた。
 聞こえてくるのは、闇を切り裂く流星のような、爽やかな、彼女のソロ曲。


「……!」


 そして、そのまま彼女は運転席のシートに身を寄せ、
私の背後から腕を突き出し、前方を指差した。
 後ろを見るな、というそのジェスチャーで、私も覚悟を決めた。


 ……もう、後戻りは出来ない。


 ならば、私も信じよう。


 自分の信じるものがロックと言った、私の担当するアイドルを――!


「……」


 ハンドルを握る手に、自然と力が入る。
 そうした所で、この渋滞が解消する事はない。
 だが、握りしめる。
 彼女の成功を祈るように。



「うわっ、わ、わわわっ!? えっ、えっ!? あっ、ああっ!」



 ヘッドホンをしているが、声が聞こえてくる。
 そもそも、彼女はかなり耳が良く、音楽を聞く時の音量は小さい。
 大声を出してしまえば、車内という密室においては、
いくらヘッドホンをしていようと、完全に聞こえなくなる事は……はい、ありません。



「全然的が定まらなっ――あっ!?……あああっ!? うそうそうそうそっ!」



 一際大きな焦る声と共に、モワリと漂ってくる異臭。
 ヘッドホンの位置を調整し、鼻に当てたらこの臭いも……いや、どう考えても現実的ではない。
 窓をすぐにでも開けたいが、万が一にでも、彼女の声を並走する車に届けるわけにはいかない。


 彼女は、アイドル。
 届けるべきは、歌声と、笑顔なのだから。


「……あははははっ! あっははははっ!」


 ……この笑い声も、聞かせられませんね。

704: 2018/07/08(日) 23:23:24.46 ID:nttc9N46o

「……大丈夫ですか?」


 恐らく彼女は、足元に置いたペットボトルに狙いを定めたのだろう。
 だが、完璧にロックオンしたつもりでも、当然、必中するはずもない。
 失敗の確率の方が遙かに高いとわかっていたので、
その事に対する心構えは、悔しいことに出来てしまっていた。


 だが、


「居ない……?」


 彼女の姿は、どこにも見えなかった。


 バックミラー越しに確認してみるも、その姿はどこにも見当たらない。
 後部座席のドアが開いた形跡も無く、逃げ出した可能性も無い。


 もしかしたら、先程までの出来事は、ただの悪夢だったのではないだろうか?


「……」


 そんな現実逃避をしてみるも、車内に充満するアンモニア臭が鼻と脳と刺激する。
 そして、後部座席のシートには、彼女の相棒であるギターが鎮座している。
 彼女は、一体どこへ消えてしまったというのだろうか。
 後を振り返り、確認してみると――


「……」


 ――居た。
 彼女は、その目に絶望をたたえながら、車の天井を見ている。
 そんな今の彼女を見て、私の脳裏には、一つの言葉が浮かんだ。


 ――大惨事。


「……」


 彼女は、その体を横たえている。
 そして、異臭だけが彼女の行動が夢では無かったと伝えてくる。
 ……そう、私の目には、彼女の出した物が一切入らないのだ。
 ならば、それは、どこにあるのか?



「このジャケット、お気に入りだったんだけどなぁ」



 ――答えは、彼女の後ろ。
 正確に言えば、シートの足元に倒れている、彼女の背中の下敷きになっている。


「……」


 的外れな解決方法で、的を外して焦った彼女は、失敗を大失敗に変えた。
 アイドルというのは、時にこちらの予想を大きく飛び越えてくる。


 ですが……この結果は、あまりにも大きく飛び過ぎだと、そう、思います。

705: 2018/07/08(日) 23:57:15.04 ID:nttc9N46o

「いけると思ったんですけどねぇ」


 彼女は、なおもシートの足元に寝転がりながら、言葉を続ける。
 左手で何かを抱えるようにしながら、右手で空をかき鳴らす。
 その弾き方は、どことなく郷愁を感じさせる。
 ……ああ……早く、帰りたい。


「ロックに対する思いが足りなかったのかな」


 そうやって巻き込むのは、ロックに対して失礼なのでは?
 そう、思いますが……はい、迂闊に声をかけたら、もっと被害が拡大する気がします。
 しかし、このまま放って置く訳にもいかない。
 何故ならば、渋滞はまだ、続いているのだから。


「いえ……そんな事は、ありません」


 前を向き、言う。
 このような状況でも、最後まで諦めず、信じた道を貫く。
 たとえ結果はどうあれ、彼女の行動は、紛れもなく――ロックだった。
 なので、貴女のロックに対する思いは、決して、足りないという事はありません。


 ロックとは、また別の話なだけです。


「ですから……」


 フォローの言葉を入れようと、バックミラーを覗き込んだ時、


「……――えっ?」


 私の目に……ある、白い物が映り込んだ。
 それを目にした私は、彼女へと話しかける気力が、一瞬にして露と消えてしまっていた。
 しかし、途中まで発した言葉だけは、最後まで言う必要がある。
 それすらも億劫に感じるのだが、仕方が無いだろう。


「笑顔で、頑張ってください」


 そう言い放ち、いつの間にかずれていたヘッドホンの位置を正し、音量を上げる。
 流れてくる歌声は、この、やるせない気持ちを少しでも流してくれる。
 ふと、フロントガラスから見上げた空は既に暗く、美しい三日月が輝いていた。
 これで、臭いさえなんとかなれば、まだマシなのだが。


「……」


 今日の事は、忘れよう。
 こんな記憶は、捨ててしまおう。


「……」


 先程視界に飛び込んだ、ペットボトルが入っていた、真っ白い――


 ――ビニール袋につめて。



おわり

706: 2018/07/09(月) 00:01:50.76 ID:3mWbo62Co
なぜ大をペットボトルに入れられると思った……それはあまりにも無法、ロックな行いと言わざるを得ない……

引用元: 武内P「今日はぁ、ハピハピするにぃ☆」