766: 2018/07/10(火) 21:16:38.80 ID:K/Ppu9o+o

「すみません」


 耳に飛び込んできたのは、低い声。
 沢山の花の匂いに包まれながら寝ていた私は、
その声を聞くまで、誰かが近くに来ていた事に気付かなかった。
 こんな事では、留守を守っているとは言えない。
 けれど、相手がこの人だったからこそ、私は眠り続けていた……なんて。


「誰か、居ませんか?」


 高い――高い位置から聞こえるその声が、私の耳をくすぐる。
 この人が、此処を訪ねてくる理由は、一つしか無い。
 それは、私にとって、とても誇らしい事。


 だから、私は私の役目を果たさなきゃいけない。



「――ワンッ」



 寝そべっていたカウンターの陰から出て、声をかける。
 なるべく驚かさないように……けれど、気づいて貰えるように、ハッキリと。
 その甲斐あってか、彼は驚くことなく、ゆっくりとしゃがみ込み、


「……」


 無言で、手の平を上に向け、差し出してきた。
 凛ちゃんが、スカウトというのを最初にされた時は、こんな感じだったのかな。
 普通の人なら、おいで、とか……何かしらの言葉を言うのに。
 だけど、私は言葉なんてなくても、その差し出された手がどんな意味を持つか、知ってる。


「クゥ~ン」


 テチテチと、足の爪がタイルに当たって音を立てる。
 掃除をしたばかりで、まだ乾ききっていない床を歩くと、ヒンヤリしていて気持ちが良い。
 けれど、足の裏が濡れたから、飛びつくのは、無し。
 だって、これからお仕事なのに……スーツを汚しちゃ、悪いから。


「……」


 差し出された手、その指先の匂いを嗅ぐ。
 色々な……本当に、色々な匂いが入り混じった、独特な香り。
 私の知っている、誰とも違う、この人だけの、匂い。


「……」


 鼻先で感じる、手の暖かさ。
 くすぐったかったのか、それとも、なんとなくかは、わからない。
 指先が動き、私の鼻を小さく撫でた。
 それがむず痒くて、お返しにその指先をペ口リと舐め、


「ワンッ!」


 急に何するの、と声をあげる。
 おかげで、勝手に振れてしまう尻尾の付け根が、ちょっと痛いから。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(4) (電撃コミックスEX)
767: 2018/07/10(火) 21:52:55.85 ID:Il6aAHeT0
ハナコ…?

768: 2018/07/10(火) 21:58:33.39 ID:K/Ppu9o+o

「……」


 私の声を聞いても、この人は、差し出した手はそのままに、しゃがみ込んでいる。
 少し驚かせようと思ったのに、どこまでも、穏やかな空気で。
 遊んで欲しい、という衝動をグッとこらえ、お淑やかに振る舞う。
 尻尾の動きは誤魔化せないけど、それ位はお手の物。


「……」


 私の頭が、スッポリ収まってしまいそうな、大きな手。
 ちょっと固い手の平に顔を預け、頬を擦り寄せる。
 その度に、擦り寄せた側――左の耳が、親指の付け根に当たってる。
 フワフワの自慢の毛並みは、凛ちゃんもお気に入り。


「……」


 人差し指が、遠慮がちに、耳の後ろを撫でてくる。
 一撫で毎に、その強さは増していって、あっ、今が丁度良い!
 うん、そう……んー……悪くないかな。
 自然と目が細まっていくのがわかるけど、しょうがないじゃない。


「……」


 続いて、親指が、目と目の間の毛を整えるように撫でてくる。
 太い指が撫でてくる場所は広くて、気持ちよさに、思わず眠くなってきてしまう。
 床はまだ濡れてるけれど、横になろうかな。
 だって、眠くなったら、寝っ転がるのが普通でしょ。


「……」


 ちょっとの間、手が離れるけれど、きっと大丈夫。
 ほら、次に撫でて欲しい所、わかるよね。
 その大きな手で、お腹を全体的に。
 前の足を曲げて、目を見ながら、アピールして――



「……プロデューサー?」



 ――たけど、その声を聞いて、私はグルリと体を回した。
 温かい手が触れるはずだった場所は、今はもう、冷たい床に接してる。
 今の格好、見られてなかったかな?
 見られてたら……ちょっと、まずいかも。


「渋谷さん」
「ごめん。ほんの少しだけ、裏に入ってて」


 凛ちゃんの指が、おいでおいでと、サインを送ってくる。
 だから私は、急いで凛ちゃんの元へと、カチカチと音を立てながら駆けつけた。
 優しく迎えて入れてくれる、大きいけど、小さな手。
 慣れた手付きで、笑いながら、頭を撫でてくる。


「ハナコ……浮気?」
「ワンッ!」


 そんなんじゃないから!

769: 2018/07/10(火) 22:31:05.42 ID:K/Ppu9o+o
  ・  ・  ・

「何、話してるんだろ」


 カウンターの椅子に座りながら、ソワソワした様子で凛ちゃんは呟いた。
 あの人が来てるのに、凛ちゃんがお店に出てるって事は、
用事があるのは、お母さんとお父さんだったんだ。
 私はてっきり、凛ちゃんに用事があるんだと思ってた。
 だって、朝からずっと、落ち着きが無かったし。


「何話してるんだろうね~ハナコ~」


 凛ちゃんは私を抱き抱え、背中を撫でながら聞いてきた。
 花と、凛ちゃんの匂いに包まれながら、考えてみるけれど、答えは当然出ない。
 だけど、私にも、わかることがある。
 今日の凛ちゃんは、いつもと違って、どこか不安そう。


「クゥ~ン」


 私が凛ちゃんのために出来る事なんて、数える程しかない。
 だから、その出来る事を精一杯、やろうと思う。


 傍に寄り添う。


 それが、望まれている事で……私も、それを望んでいるから。


「もう、ちょっと……くすぐったいって」


 私にだけ見せる、弱気な表情の凛ちゃんの顔を……ペ口リと舐める。
 そうしたのは、凛ちゃんがアイドルになってから、二回目。
 アイドルになってから、凛ちゃんは顔に何かを塗るようになったの。
 その味が苦手だからしてこなかったけど――


 ――するべきだと思ったし、したいから、する。


「……ありがと」


 ぎゅうと、抱きしめられる。
 その声は、少しだけど、いつもの凛ちゃんに戻った気がする。


 私は、凛ちゃんを撫でてあげたりも、抱き締めてあげる事も出来ない。


「……」


 でも、ちょっと強く抱き締められた時、声を上げずに我慢する事は出来る。


「……」


 凛ちゃんは、何も言わずに私を抱き締め続ける。
 これで、背中を撫でてくれれば私としては、言うこと無いんだけど。
 でも、こうやって抱っこされるだけっていうのも……まあ、悪くないかな。
 せっかくだから遊んでも欲しいけど、我慢しないとね。


「後で、ボールで遊ぼうか」


 ボール!? 本当に!?

770: 2018/07/10(火) 23:07:10.46 ID:Il6aAHeT0
飼い主に似るって本当ですね…

771: 2018/07/10(火) 23:07:18.84 ID:K/Ppu9o+o
  ・  ・  ・

「ねえ、何話してたの?」


 お散歩の途中、公園のベンチで一休み。
 後ろの木が、照りつける日差しを遮ってくれていて、少し涼しい。
 アスファルトを歩いてきた足を地面につけ、休ませる。
 私の右には、凛ちゃん。左には、プロデューサー。


「渋谷さんの、スケジュールについてのご相談を」


 タシタシと、尻尾を揺らして葉っぱを散らす。
 付け根の所に葉っぱがあると、落ち着いて寝転がれないし。
 うん、これで大丈夫。
 これなら、ゆっくり出来るかな。


「……それだけ?」


 遠くで、男の子達がボールで遊んでるのが見える。
 良いなぁ、とっても楽しそう。
 私も混ぜて欲しいんだけど、紐は、しっかり握られてるし。
 前に駆け出した事があって以来、凛ちゃんは気をつけてるみたいなの。


「はい。それだけです」


 さっきは、寝てる途中で起こされちゃったから、まだ眠い。
 此処に来るまでに、かなりはしゃいじゃったのもあるけど。
 話はまだ続きそうだから、寝てても問題無いと思う。
 フワァと、一つ、大きなアクビをする。


「でも……だって……!」


 凛ちゃんが、少し大きな声をあげたけれど、私の瞼は開かない。
 それよりも、頭の位置を決める方が、今の私には大切だ。
 あっ、顎をベターっと地面につけると、ヒンヤリして涼しい。
 ……うん、眠れそう。


「大丈夫です。何の問題もありません」


 声が、どんどん遠くなっていく。


「渋谷さん、私を信じてください」


 帰ったら、ボール遊びをして貰うんだから。


「……わかった、信じる」


 きっと、沢山遊んでくれるに違いない。


「頼りにしてるから」
「はい。私は、貴女のプロデューサーですから」


 凛ちゃん、元気になったみたいだし。

772: 2018/07/10(火) 23:57:40.76 ID:K/Ppu9o+o
  ・  ・  ・

「……ァフ」


 ふかふかの、私専用のベッドで丸まりながらアクビ。
 あれから、いっぱいボールで遊んで貰った。
 今日は、たくさん寝たけど、その分動いたから、もうヘトヘト。
 いつもよりも、グッスリ眠れそう。


「ふふっ……信じてください、か」


 凛ちゃんが、自分のベッドに寝転がりながら、呟いた。
 今日は、一日落ち着きがない日みたい。
 今もまた、ベッドの上で、コ口リと寝返りをうったのがわかる。
 だけどそれは、嬉しくて転がったみたいで、笑い声も聞こえてきた。


「何それ?……ふふっ」


 凛ちゃんは、アイドルになってから忙しくなった。
 お家に居る時間も減ったし、遊んでくれる時間も……短くなった。


 ――でも、前よりも、キラキラしてる。


 ふとした瞬間見上げる横顔は、今までに無いほど、輝いて見える。
 だからきっと、凛ちゃんはアイドルになって良かったんだと思う。


「……ァフ」


 アイドルになって、今までに無い悩みも増えたみたい。
 けれど、凛ちゃんは、いつもそれを乗り越えてる。
 プロデューサーも、凛ちゃんを助けてくれてる。
 だからきっと、何の問題も無い。


「……」


 アイドルが何なのか、私にはわからない。
 プロデューサーが、何をする人なのかも知らない。
 今日だって、何があって、あの人が此処に来たのかも、サッパリ。


 ――でも、それで良い。


「……ふふっ!」


 凛ちゃんが、幸せそうに笑っていれば、私にとってそれが一番だから。


「……ァフ」


 ……そろそろ、寝ようかな。
 そうだ……今度あの人が来た時は、ボールを持って行こう。


「プロデューサー……ふふっ!」


 凛ちゃんをこんな笑顔にさせるんだから、きっと、楽しいに違いない。



おわり

773: 2018/07/11(水) 00:42:49.69 ID:agjOLVZc0
プロデューサーって業が深いわ…色々と

774: 2018/07/11(水) 00:47:33.96 ID:4njSy8q+0
シリアスなしぶりん良い

781: 2018/07/11(水) 15:09:01.28 ID:KbOyAehnO
ハナコかわいい

引用元: 武内P「今日はぁ、ハピハピするにぃ☆」