1: 2014/07/13(日)20:27:32 ID:jLrKzJa5N
私には大嫌いな男がいる。
この世で一番嫌いな男。彼と顔を合わせる度に、虫唾が走るほどの嫌悪を抱く。
でもそれでも彼と共に行動しなくてはならない理由が、私にはある。
こうして一人静かにパソコンを弄っていると、不意に聞こえてくるあの音、そしてあの声。
「おーい。博士ー、灰原ー、邪魔すんぞ」
玄関のチャイムを鳴らすと同時に上がり込んでくる、無神経な男。
私は、彼が大嫌い。
2: 2014/07/13(日)20:27:56 ID:jLrKzJa5N
本当に邪魔ね。
解毒剤の成分の計算をしてたのに、そんなに騒がれたら集中出来ないじゃない。
「なんだ灰原、居たなら返事しろよな。博士は?」
「買い物に出かけてるわ。あなたは何の用?」
パソコンの画面を見たまま。
嫌悪を顔に出さないように問えば、脳天気なその男の返事がある。
「いやー、蘭のヤツ明後日まで部活の合宿でさ。んでおっちゃんは俺追い出して、麻雀仲間んとこ遊びに行っちまったんだよ。酷くねえ?」
「この家、ってアテがあるせいでしょ。本気で酷いと思ってるならここも追い出された振りして、彼女に電話で訴えたら?」
「いや、そりゃ本気でひでーって思ってるわけじゃねぇけど……」
4: 2014/07/13(日)20:29:56 ID:jLrKzJa5N
一切彼を見ず応答する私の様子に、彼はどうやら気づいたらしく。
私とパソコンの画面の間にいきなり小さな掌が差し出される。
それを上下させながら、彼が不思議そうに問う。
「なんか灰原、機嫌悪くねぇ?」
「気のせいじゃない? 私いつもこんな感じだけど」
「ならいいけどよ……」
ほら。そういうところが大嫌い。
気づかないくせに。
5: 2014/07/13(日)20:30:55 ID:jLrKzJa5N
私があなたのこと嫌ってるの、気づかないくせに。
今、私が不機嫌になってたことには、気づいたくせに。
どうして不機嫌になったのかは、気づかないくせに。
「それで? 夕食、まだなんでしょう?」
「あー、そうなんだよなぁ。ポアロで食おうか迷ったんだけどさ、ここで食わせてくれたら助かるかなーって」
「代金いただくわよ」
「げっ、マジかよ。いくら?」
「一億円」
「……オメーな」
6: 2014/07/13(日)20:32:24 ID:jLrKzJa5N
ああ、くだらないやり取り。
あなた、一体何歳なのよ。見た目は子供でも頭脳は成人顔負けの大人なんでしょう?
まるで見た目通りの子供みたい。
くだらない会話。
くだらない応酬。
くだらない感情と、くだらない感傷。
「博士に電話して、夕食の材料買い足してきてもらうわね」
「わりぃな助かるぜ。あー、一億は無理だけど、食費はちゃんと払うからさ」
「……」
彼の、言葉に。
私は何となく、こんな意地悪を言ってみたくなる。
「お金はいらないわ。代わりにやって欲しいことがあるんだけど」
「え?」
「明日。私の用事に一日付き合ってちょうだい」
7: 2014/07/13(日)20:34:21 ID:jLrKzJa5N
土曜の原宿は年頃の若い男女で賑わっていて、その中を小学校低学年の男女が二人だけで歩いているのは、少しだけ浮いている気がする。
でもそんな気がするのはきっと私と、そして私に付き合わされているこの男だけで、周りはまったく意に介してないに違いない。
私の連れの男は、そわそわと辺りを見回している。
「どうしたの? 田舎者みたいよ」
「悪かったな。あんま来ねーんだよ、こういうトコ」
「ふぅん。てっきりあの子とのデートでよく来てると思ってたけど」
8: 2014/07/13(日)20:36:06 ID:jLrKzJa5N
「蘭は原宿より池袋ってタイプなんだよな。ほら、サンシャインシティあるだろ? あそこの買い物とか水族館とかにやたら付き合わされてさ。あ、時々下北沢にも連れて行かれるな。センスがいい古着屋が多いんだって」
そんなことまで訊いてないわよ。ああ、本当にこの男と居るとイライラする。
なのに、なぜ今日誘ったかと言えば、それはこの男に私のイライラをわからせてやりたかったから。
知ってるわ、あなたが原宿にあまり来ないことなんて。
まして、今から私が行こうとしてる店には、まるきり興味がないことなんて。
10: 2014/07/13(日)20:39:13 ID:jLrKzJa5N
「なあ、どこ向かってんだ?」
人ごみの中、大人達の足下をすり抜けながら歩いていると、彼からの当然の問い。
無視してそのまま歩みを早めると、焦れたらしい彼の声が後方から上がる。
「なあ、灰原! どこ向かってんだよ!」
やめてよ、恥ずかしいわね。黙って付いてくればいいじゃない。
呆れて肩を竦めながらも足を止めれば、彼が慌てて追い付いてきて。
そうして、抗議の声。
「せめて行き先くらい言えよな! この人ごみだぞ、はぐれたらどーすんだよ!」
「探偵バッジは持ってるわ。それを追えばいいと思うけど」
11: 2014/07/13(日)20:39:43 ID:jLrKzJa5N
言いながら彼の眼鏡を指せば、彼は困ったように眉を下げる。
「そういう問題じゃねぇってわかってんだろ? もしはぐれた時に、ヤツらと鉢合わせしたらどうする気だ」
「彼らがあんな暑苦しい格好で、休日昼間の原宿なんかに現れるかしら」
「わかんねーぞ。あんな暑苦しい格好で、休日昼間の遊園地のジェットコースターに乗るような奴らだからな」
13: 2014/07/13(日)20:42:19 ID:jLrKzJa5N
彼の言いたいことはわかってる。
そして彼も。まだ幼児化したことは組織の彼らに気づかれてないんだから、ただ鉢合わせるだけじゃ何ともないだろうことを、きっとわかってる。
だけど万が一の可能性。
幼少期から組織にいた私の過去の姿と、今の姿を重ねられたら極めて危険だということは、お互いにわかってる。
わかってるから、こうしてるんじゃない。
あなたにイライラを味わわせる為に、わざとはぐれようとしてるんじゃない。
あなた、私を守ってくれるって、確かに約束したわよね。
15: 2014/07/13(日)20:44:46 ID:jLrKzJa5N
はぐれたくないなら、はぐれないように追ってきたら?
はぐれてしまったなら、探したら?
そんな事を考えながら彼を睨むように見つめていたら。
いきなり、手を掴まれて。
私は目を瞬かせてしまう。
「ったく。最初からこうしてりゃ良かったんだ」
「ちょっと、恥ずかしいから離してよ」
恋人同士じゃあるまいし。
そんな言葉を飲み込めば、彼はいたずらっぽく笑ってみせ。
「ガキが仲良しこよししてるようにしか見えねーって。大丈夫大丈夫」
「……」
16: 2014/07/13(日)20:46:41 ID:jLrKzJa5N
ああ、嫌い。
本当に無神経なこの男が、本当に大嫌い。
私、あなたの事が嫌いなのよ。
そうハッキリ伝えたら、この男はどんな顔をするのかしら。
17: 2014/07/13(日)20:46:58 ID:jLrKzJa5N
男性アイドルのブロマイドショップ。
そこに群がる女の子達の中に入っていこうとすると、あの眼鏡の小学生男子が、店から少し離れた位置に居る。
あら、手はいつの間に離したの?
「何してるの? 入りましょ」
「や、俺は遠慮しとくよ、うん……」
苦笑いを浮かべる彼。
私は努めて顔に出さないようにしながらも、戸惑う彼の姿に心の中でほくそ笑む。
18: 2014/07/13(日)20:49:15 ID:jLrKzJa5N
「大丈夫。こんな小さな男の子が入っていったって、誰も気にしないわ」
「周りが気にする、しないの問題じゃないっつーか……」
じゃあ何の問題なのよ。
冷ややかな視線を向けると、彼はそばのクレープ屋を親指で指す。
「あれ食いながら待ってるから」
19: 2014/07/13(日)20:51:02 ID:jLrKzJa5N
へえ。私といるより、苦手な甘い物を食べてる方がいいってわけ。
大体、組織の人間はジンやウォッカだけじゃないのよ。女性だって大勢いるのよ。
このショップの中に組織の誰かがいて、見つかって私が捕まったらその時は?
その時は、あなたは一体どんな顔をする気なの?
「じゃあここで待ってて。小学生、探偵さん」
小学生、の部分をわざと強調した時の、彼の顔。
まるで子供みたいに頬を膨らませて、バカみたい。
「中身はちげーってわかってんだろ」
「こんなところでクレープ食べて一人で待ってる子供のこと、誰が大人だと思ってくれるのかしらね」
20: 2014/07/13(日)20:52:11 ID:jLrKzJa5N
嫌味を込めてそう言えば。
彼はムッと眉をしかめつつも、つい、と振り返ってクレープ屋に行ってしまう。
店員との、子供らしいやり取り。
事情を知っている私から見たら、寒々しい、白々しいやり取り。
つまらない男。
わざとらしい男。
一体どのタイミングで、私はあなたが大嫌いだと伝えたらいいのかしら。
そんなことを考えながらも、私はブロマイドショップに戻って、フブキのメンバーのブロマイドを眺める。
その折に響いた悲鳴。
外の通りから聞こえるざわめき。
21: 2014/07/13(日)20:55:20 ID:jLrKzJa5N
人を掻き分けて外に出たら、食べ掛けのクレープを手にしたまま、口から血を吐いて倒れる女性とそれを取り巻く周りの人々が目に入る。
倒れた女性を厳しい顔で観察している、あの男。
ああ、またやらかしたのね。
あなたひょっとして、どこかの漫画よろしく氏神でも連れ歩いてるんじゃない?
こんな時くらいやめてよね。
呆れながらも彼に近寄ると、彼は周りの大人に「早く救急車と警察を呼んで!」と促している。
「……一体どうしたの?」
「俺の隣で食ってた彼女が、いきなり倒れた」
24: 2014/07/13(日)21:01:13 ID:jLrKzJa5N
「殺されたの?」
「持病とかじゃなけりゃ多分、な。こんな人ごみの中でクレープ食って自頃するって、あんまり聞かねぇし」
彼は屈み込んで口元に手をかざしながら、私にそう答えてくる。
呼吸はすでに止まっているのが、彼の動作からもわかる。
「食べてた物が明らかに怪しいんだけど」
「まあそうなんだけどさ。だとしたらクレープ屋の店員の彼女が怪しい。けどそれじゃ、あからさま過ぎるだろ」
そんな会話をしていたら、警察がやってくる。
25: 2014/07/13(日)21:01:32 ID:jLrKzJa5N
クレープ屋の店員の女性を拘束し、周囲の人間に軽い聴取。
けれどまともな証言は得られない。
皆一様に、彼女がいきなり血を吐いて倒れた、とだけ。
そこにいた刑事らしき男性は、あの擬似小学生の男の姿に気づくと、苦笑しながら会話を交わす。
彼は見たことがないからきっと原宿の所轄の刑事さん、ね。きっと。
私は会ったことはないけど彼の知り合いかしら。
そうして後からやってくる、目暮、という名の私達に取ってお馴染みの警部。
26: 2014/07/13(日)21:04:48 ID:jLrKzJa5N
眼鏡の子供の姿をしたあの男は、わざとらしく、子供らしく振る舞いながら警部達にヒントを与えていく。
バカね、本当にバカなんだからあなた。
謎を解くのに夢中になって、生き生きとした顔をして。
だから、私達の組織に関わったのよ?
だから、あの研究に巻き込まれたのよ?
だから、私と知り合う羽目になったのよ?
そんな私の想いもお構い無しに、彼は謎解きのヒントを次々と紡ぐ。
やがて。
犯人が割り出されたようで、辺りは一層色めき立つ。
27: 2014/07/13(日)21:07:37 ID:jLrKzJa5N
犯人は、まさに私が買おうとしていたブロマイドショップの店員の女。
殺された彼女と、彼氏を奪い合って負け、でも祝福する振りをして。
彼女の大好きなアイドルのブロマイドを手渡す時に、そのブロマイドに青酸カリを塗りつけたらしい。
もちろん被害者の彼女は、包装をすぐに開けてブロマイドを手に取り、中身を確認したみたい。
当然よね。私だってそうするわ、中身が違っていたら困るもの。
その後、クレープを食べて指に付いたシロップを嘗めた際に毒を摂取して氏亡。
28: 2014/07/13(日)21:09:36 ID:jLrKzJa5N
馬鹿馬鹿しい。
男女の恋愛のもつれで人を頃す、ですって。
本当に馬鹿馬鹿しい話ね。
どうせ頃すなら、男の方を殺せばいいじゃない。
あなたをその気にさせて、思わせ振りな態度を取って、だけど他の女のところに行ってしまったその男こそ、あなたが恨むべき相手だったでしょう?
それに計画も随分杜撰よね。
だからほら、ブロマイドを調べられて、すぐに分かっちゃったじゃない。
私なら。私ならもっと上手く頃すわ。
検出されないような毒を使って、もっともっと。もっと上手く。
29: 2014/07/13(日)21:11:40 ID:jLrKzJa5N
泣きながら事情を訴えて、パトカーに乗せられる彼女を眺めていたら。
あの憎々しい男が、こう呟く。
「恋愛のもつれってのは一番やっかいなんだよな……。なんでそんなことで頃しちまうんだよ、って俺には想像もつかない範疇で、人を頃すほどの憎悪を持つ。ま、想像が付く範疇でも、やっぱり人を頃す感情は理解したくねえけどな」
あなた、それだから気づかないのね。
私にこんなに嫌われてるってことに。
最低最悪の鈍感探偵を、私が頃したいほど嫌ってるって知ったら、あなた一体どんな顔をするのかしら。
30: 2014/07/13(日)21:14:31 ID:jLrKzJa5N
ブロマイドは買わなかった。
第一発見者だったけれど、子供である彼はそう聴取もされずに開放されたから、私は彼を連れてそのまま池袋に向かう。
池袋には何があったかしら。
サンシャインシティ? 東急ハンズ?
それとも、時々テレビの特集で見る、乙女ロードとか言う物?
……どれにも用事はないわ。
ただ、その場所に行ってみたかっただけ。
この男が心酔している彼女が、良く行く街に行ってみたかっただけ。
駅に降り立ち、どこに向かおうか悩んでいたら、不意に彼が手を握ってくる。
31: 2014/07/13(日)21:16:13 ID:jLrKzJa5N
「また置いてったら承知しねえからな」
無闇に、無責任に、女の手を握るのやめてくれる?
そう伝える代わりに、私はこう告げる。
「はぐれたら迷子になっちゃうものね、あなた」
「はぐれて困るのはオメーだろうが!」
そういきり立つ彼が可笑しくて、つい笑いを零して。
いいえ。本当は可笑しくも面白くもないのに。
握られた手を、払えない。
それどころか私は彼の小さな手を握り返してしまう。
32: 2014/07/13(日)21:17:28 ID:jLrKzJa5N
私のせいで、小さくなったその手。
小さくならなかったら、出会っていなかった私達。
出会っていなかったら、大嫌いになることなんて有り得なかった、この男。
私は堪え切れずに、笑顔でこう口にする。
「ねえ、知ってる工藤君? 私、あなたのこと大嫌いなのよ。こんな風に手を握り合うのも嫌なくらい」
すると彼は一瞬驚いたように目を丸くして。
それからすぐさま子供みたいな笑みを浮かべ、こんなことを口にする。
「なあ、知ってるか灰原? 嫌いってのは好きってことと同じなんだぜ。好きの本当の反対は、無関心、なんだってさ」
そう言って彼は、私の手を握り直し、今度はもっと。
きつくきつく、握ってきた。
33: 2014/07/13(日)21:18:07 ID:jLrKzJa5N
ああ、ああ、本当に嫌い、大嫌い。私は心の底からこの男が大嫌い。
お姉ちゃんを助けてくれなかった癖に、無神経に私に優しくしてくるこの男が。
嫌い、こんなに私の感情を乱す、この男が大嫌い。
覚悟しなさい。
いつかあなたにわからせるまで。
一生、いえ……きっと永遠に。
あなたの事、ずっと嫌っててあげるから。
灰原哀の、ひとりごと。
END
35: 2014/07/13(日)21:22:03 ID:SqmXE81wB
今回短かったなwww今回も面白かった
乙
乙
36: 2014/07/13(日)21:25:28 ID:uzbxXvIs9
面白かった!
引用元: 「灰原哀の、ひとりごと」
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