309: 2018/08/23(木) 23:11:57.00 ID:vJUwvbIoo

 ――彼氏居ないの?


「……はぁ」


 そう言われるのに、もう慣れてきてしまっている自分が居る。
 可愛いのに、とか、優しいのに、とか……続けてフォローが入るんだけど、
それって、実はフォローになってないのよね。
 だって、それ以上に……彼氏が出来ない理由がある、って事だもの。


「忙しいから……かぁ」


 制服から着替えながら、呟く。
 やり甲斐のあるお仕事だと思ってるし、それ自体に不満はない。
 だけど、女の子達が多い職場だから、恋愛に関する話題も多い。
 シンデレラプロジェクトのメンバーの子達は、まだ全員が十代。


「……はぁ」


 恋に恋する……とまでは言わないけれど、興味は尽きないようなのだ。
 でも、アイドルだから、恋愛の類は御法度、厳禁、許されない。
 最悪の場合は、アイドル生命が絶たれかねない。
 だから、彼女達、アイドルの恋愛話の矛先は……私に向けられてしまう。


「……」


 私は、アイドルではなく――アシスタントだから。
 アイドルである彼女達を導いていく、プロデューサーさんの補佐をするのが、お仕事。
 ファンが居るわけでもないし、恋愛をするのも自由な立場。
 それが、彼女達アイドルにとっては、絶好の話の種になってしまうのだ。


「……」


 やれ、合コンというのは、どういうものなのか、とか。
 やれ、彼氏が出来たら、長期休暇を取って旅行に行ったら良い、とか。
 他にも、色々な事を彼女達は私に尋ね、答えを求めてくる。
 時には答え、時には言葉を濁しながら、彼女達の好奇心を満たす。


「……」


 けど、のらりくらりとしていくのも、今日が限界だったようだ。
 メンバーの子の一人が、彼に――プロデューサーさんに、聞いた。
 その質問の内容は、とってもシンプルなもの。


 ――ちひろさんと付き合えるとしたら、嬉しい?


「……」


 子供故の、無邪気さ。
 その質問をした子だけじゃなく、他の子達も、全員笑っていた。
 それはきっと、当たり前のように「嬉しい」という返事が来ると思っていたから。


 ……でも、返ってきたのは――


「考えたことも無い、って……何よ、もう!」


 お世辞でも、嬉しいと言ってくれれば、こんな気分にはならなかったのに!
 ロッカーを閉める音が、更衣室に響いた。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(1) (電撃コミックスEX)
310: 2018/08/23(木) 23:52:02.53 ID:vJUwvbIoo
  ・  ・  ・

「……」


 廊下を歩きながら、考える。
 プロデューサーさんは、本当に、考えたことが無かったんだろう、って。
 だって、346プロダクションは――社内恋愛禁止だから。


「……」


 当然と言えば、当然だろう。
 恋愛を禁止されている女子の前で、仲睦まじい姿を見せるのは、あまりに酷。
 かな子ちゃんの前で、自分だけ甘いものを食べるようなものだ。
 それに、その姿に影響されて、アイドル達のタガが外れないとも言い切れない。


「……」


 プロデューサーさんは、規則に基づき、私を恋愛対象として見ていない。
 それは、仕事上のパートナーとして信頼してくれている、と言う見方も出来る。
 もう一方で、私には、規則の枠内に収まってしまう程度の魅力しか無い、とも。
 ……いくら社内恋愛禁止とは言え、少しも意識した事が無いなんて。


「……」


 プロデューサーさんの、あの言葉を聞いた時の、皆の反応。
 個性溢れるメンバーを集めただけあって、本当に、色んな反応が見られた。
 でも、誰一人、私に対して失礼だという声を上げてはくれなかった。


 ――プロデューサーさんだから、仕方ない。


「……」


 そう、私に対する気遣いよりも、彼に対する諦めが勝っていたのだ。
 それは、プロデューサーさんの方が、私よりも皆に近いからだろう。
 加えて、プロジェクト結成じよりも、皆はプロデューサーさんの心の機微に聡くなっている。
 表情が変わらないから、心情がわかりにくいようで、実情はただ真面目なだけ、と。


「……」


 エレベーターのボタンを押し、待つ。
 頭上のランプがチカチカと点灯しているのを見ながら、ため息。
 私だって、わかってはいるのだ。
 どちらかが相手を恋愛対象として意識した時に起こる、様々な問題が。


「……」


 だから、プロデューサーさんの回答は、とても正しいもの。
 この、芸能プロダクションという特殊な環境に於いては、満点と言って良いだろう。
 仮に、ポジティブな答えをしていたとしても、アイドルの子達に、しこりとなって残るかも知れない。
 だからこそ、私はあの時、笑顔で会話を終了させたのだ。


「……」


 ……考えない事が、正しい。
 でも、それに対して不満を持つこと位は、良いだろう。


「……はぁ」


 言葉に出さずに、こうやってため息をつく程度の自由は、許されて然るべきだ。

311: 2018/08/24(金) 00:30:46.45 ID:M+ZlPx8ro

「……」


 チィン、と、エレベーターの到着を告げる音が鳴った。
 もしも中に誰か居た場合、ドアが開いた瞬間、憂鬱な顔を向けられても迷惑だろう。
 私個人のやり場のない負の感情に、少しの間だけでも付き合わせる訳にはいかない。
 そう思い、姿勢を正すと、



「っ……お疲れ……様です」



 開いたドアの向こうには、大柄で、無表情の、見慣れたスーツ姿の男性が。
 シンデレラプロジェクトのプロデューサーさんが、鞄を片手に立っていた。


「はい、お疲れ様です」


 どうしてこのタイミングで……と、思わずには居られない。
 家に帰って、お風呂にゆっくり入って、ご飯を食べて、ぐっすり眠る。
 それだけで普段の私に戻れる、何てことの無い一幕だったのに。
 よりによって一番会いたくない……ううん――


 ――このタイミングでだけは、会いたくなかったのに!


「……」


 早くこの状況から開放されたい。
 その一心で、閉ボタンを押した時、


「あの、千川さん」


 背中から、声をかけられた。
 低い声は、狭いエレベーターの中を跳ね回り、私の鼓膜を震わせる。


「はい、何ですか?」


 微笑みを浮かべながら、後ろを振り返って見る。
 いつもと変わらない、無表情で、怖がられる事の多い、見慣れた顔。
 この人は、私に何を言おうとしているのだろうか。


「あれから、考えてみたのですが……」


 右手を首筋にやって、一呼吸、置いた後、



「嬉しい、と……そう、思います」



 プロデューサーさんは、そう言った。


「……」


 急いで……だけど、焦らず、ゆっくりとプロデューサーさんに背を向ける。
 初めて見る、プロデューサーさんの照れた顔を少しでも長く見るために。
 今の私の、一言では言い表せない感情が入り混じった顔を見られないように。

312: 2018/08/24(金) 01:24:44.19 ID:M+ZlPx8ro

「……へえ」


 なんて、何てことの無い様に、返事をする。
 後ろで手を組んで、可能な限り、自然体を装う。
 でも、表情は作れない。
 まるで予想していなかった言葉に、頬が嫌でも釣り上がる。


「……私と付き合えたら、嬉しいんですか?」


 いけない……声が、少し弾んじゃった。
 もう退勤したとは言え、まだ、ここは社内なんだから。


「はい」


 即答。
 その、あまりの迷いのなさに、私は惑わされそうになる。
 プロデューサーさんの人柄の様な、真っ直ぐな言葉。
 偽りでないと断言出来る、本心。


「千川さんは、素敵な女性ですから」


 だから、私は振り返らない……振り返れない。
 振り返ってしまったら、きっと、侮られてしまうから。
 好意を伝えられた訳でも無い、言うなれば、大げさな社交辞令。


「まあ、ありがとうございます♪」


 ――それで、こんなにも喜んでしまう女だ、って!


 チィン、と、目的の階に到着した事を告げる音が響いた。
 エレベーターの開ボタンを押して、プロデューサーさんが降りるのを待つ。
 それを察したプロデューサーさんが、足早に外に出た。
 私も、それを追ってエレベーターを出て、すぐ、隣に並ぶ。


「でも、今のは……皆には、内緒ですよ?」


 歩きながら、人差し指を顔の間に持っていき、横を見上げる。
 身長差があるので、プロデューサーさんと話す時は、どうしてもこうなる。
 傍から見たら、私達が並んで歩く姿は、とてもバランスが悪く見えるのだろう。


 ……でも、


「……ええ、そうですね」


 この人はプロデューサーで、


「はい、だって――」


 私は、アシスタント。



「社内恋愛は、禁止ですから♪」



 これ以上無い、絶妙なバランスなの。




おわり

313: 2018/08/24(金) 02:01:55.18 ID:GpFsdNMi0
二人とも天使だ
素晴らしい

314: 2018/08/24(金) 02:44:53.08 ID:h/KN0U6Oo
女性と認めないことがセクハラ防止になるって世知辛いなあ

315: 2018/08/24(金) 13:44:08.00 ID:herC6tpCo

社内恋愛が禁止なら一足飛びに社内結婚してしまえばいいんだ

引用元: 武内P「ムラムラ、ですか」