1: 2010/11/28(日) 12:43:40.52 ID:tnL39hoW0
こうえん!

梓「昨日って、きのうのこと?」

唯「ちがくて、2年前の話だよ。付き合い出してはじめての、私の誕生日」

梓「・・・・・あー、忘れてたかも」

唯「ええっ?! ひどいよ……あんなにいろいろあったのにさぁ」

梓「うそうそ。ちゃんと覚えてますよ……唯センパイ」くすっ

唯「……あずにゃん」にこっ

梓「なんだっけ、あの日もたしかこの公園で唯が――」


  ◆  ◆  ◆
けいおん!Shuffle 2巻 (まんがタイムKRコミックス)

8: 2010/11/28(日) 12:50:02.11 ID:eSFSIQ3iP

きんようび!

律「おーし! 演奏も決まったとこで帰ろうぜい!」

澪「はぁ……帰りの準備だけは早いな、お前」

紬「まぁまぁ。それより唯ちゃんが……」


唯「……えへへ~、うふふぅ…!」にこにこ


澪「唯、おとといからずっと心ここにあらずって感じだな…」

梓「たるんでるんですよっ、まったく」

12: 2010/11/28(日) 12:55:02.77 ID:eSFSIQ3iP

律「ええーっ、そのたるませてる張本人がそれ言うぅ?」にやにや

梓「なっ……律先輩には関係ないじゃないですか!」

紬「でも唯ちゃん、本当に楽しみにしてるみたいね……ふふ」

唯「だって明日は私の誕生日なんだよ? あずにゃんとデートなんだよ?!」ぐいっ

律「わ、わかったわかった。いいから落ち付けって」あせっ

梓「唯先輩……明日は、遅刻しないでくださいね?」

唯「分かってるよぉ…学校終わったらすぐ行くからね」にこっ

梓「はい……楽しみにしててくださいね」にこっ

律「のろけやがって、このぉ!」ぐいっ


ガチャ

憂「ひっひつれいしますっ!!」

13: 2010/11/28(日) 13:00:03.44 ID:eSFSIQ3iP

唯「う、うい…?」

憂「はぁっ…ふぅっ……」

梓「う…憂、なんかあったの?」あせっ

憂「――お姉ちゃん大変! 明日、おばあちゃんと伯父さんがうちに来るって!」

唯「……ええっ?!」

律「ま、まぁそれぐらいしょうがないじゃん」

澪「いやしょうがなくはないだろ、親戚が来るんだし……」


唯「ちょ、それまずいよおっ?!」

14: 2010/11/28(日) 13:05:04.16 ID:eSFSIQ3iP

梓「えOちょっと唯先輩、そんなに大変な事態なんですか?」

憂「うん、それに伯父さん、今年受験生だからお姉ちゃんに会いたいんだって……」

唯「ええっ?! ういぃ、どうしよお…!」うるっ

憂「お、おねえちゃん…」


澪「ええっと……結局何があったんだ?」

憂「すみません取り乱して…」

16: 2010/11/28(日) 13:10:04.96 ID:eSFSIQ3iP

――――――
――――
――

律「……なるほどなー」

紬「そうだったのね…」


梓「……誕生日は、来年もありますよ」

唯「うん……ごめんね、あずにゃん」しゅん

梓「日曜日に軽音部でお祝いパーティするんですから、楽しみにしててくださいね?」

唯「うん……ありがと。ごめんね、本当に」

梓「そんな! 私のために時間作ってくれて、付き合って初めての私の誕生日もお祝いしてくれて…」

紬「梓ちゃん……」

17: 2010/11/28(日) 13:15:05.60 ID:eSFSIQ3iP

律「まあ、しょうがないだろー今回は」

澪「残念だったな、唯も……」


憂(お姉ちゃんの笑顔がいたいたしいよぉ…)

憂(梓ちゃんも、無理して笑ってる感じだし…)

律「あーあ。……なんかもう、唯が増えればいいのにな!」

梓「そんなに増えたら憂が朝起こしきれませんよ」くすっ

唯「えへへ……めんぼくないです」

憂「ふふっ……………………あ」

律「憂ちゃん?」


憂(……一つだけ、手があるかも)

18: 2010/11/28(日) 13:20:06.50 ID:eSFSIQ3iP
【2010年11月27日 13:20:4/平沢家】

 11月27日土曜日、天気は晴れ。

 私のお姉ちゃんの18歳の誕生日です。

 オレンジ色の落ち葉が散る家の前の道を「平沢憂」が純ちゃんと出ていったのは、三十分ほど前のことでした。

 私はお姉ちゃんを見送ると、もう一度だけ鏡の前に立ちます。

 そこには――桜高三年の制服を身にまとった「平沢唯」がいました。

 ……うん、たぶん大丈夫。だよね?

 あっでも少し髪の毛とかハネさせとかなきゃ……。

 ぶつぶつつぶやきながら「平沢唯」に変装した私は伯父さんたちが来るのを待っていました。

 そうです。

 私と律さんはお姉ちゃんのデートを成功させるために、それぞれ「唯」と「憂」に変装することにしたのです。

21: 2010/11/28(日) 13:25:07.26 ID:eSFSIQ3iP

 無理がある計画なのは、思いついた時から分かっています。

 三十分前、家で私たちがそれぞれの服に着替え終わった時にも純ちゃんはあきれていました。

純「……うん。改めて聞くけどさ、正気?」

憂「…………そうだよね」

律「まっまあまあ! これ以外いい案出なかったんだし、しょうがないって」

 カチューシャをはずして私みたいに髪の毛を後ろでくくった律さんがフォローします。

唯「りっちゃん、もっと憂らしいしゃべり方してよぉ」

律「できるかーいっ!! ………お、おちゃがはいりましたよぉ?」

唯「おほっ! 似てる似てるー!」

純「あの、唯先輩喜んでる場合なんですか……」

 律先輩のものまねに、お姉ちゃんは飛び跳ねてはしゃいでいます。

 そんな場合じゃないのは分かっているんですけど、お姉ちゃんの楽しそうな顔を見るとどうしてもほっこりしてしまいます。

22: 2010/11/28(日) 13:30:07.98 ID:eSFSIQ3iP

純「でもさー、そんなに憂の伯父さんって怖い人なの?」

 何の気なしに純ちゃんが尋ねたのですが、私たちは思わず言葉を失ってしまいます。

純「……え、そんなに? あっだったら無理に説明とかしなくても――」

憂「ううん、気にしないで。純ちゃんだって協力してくれるんだし」

 伯父さんのことは私から説明しました。

 とてもまじめな人だと思うのですが……ときどき融通がきかないところがあるのです。

23: 2010/11/28(日) 13:35:08.65 ID:eSFSIQ3iP

 私たちが中学生のころ、仕事でお父さんたちが海外に出ずっぱりになり始めた時にも少しもめてしまいました。

 伯父さんは、年頃の娘を家に残すのではなく一緒に海外へ連れていくべきだと言い出したのです。

 転校するのはいやだ、日本にいたい――私とお姉ちゃんは泣いて伯父さんにすがりました。

 お父さんとお母さんも私たちを海外に連れて行くよりも慣れ親しんだ学校に通い続けてほしいと伝えてくれたそうです。

 ですが、伯父さんは「それなら保護者をやめて、生活費も出さない。このことは学校にも伝える」と主張を変えません。

 結局、日本に残される私たちのことは隣のとみさんや和ちゃんのお母さんが面倒を見ることで落ち着きました。

 けれどもしきたりや常識を重んずる伯父さんにはやっぱり今でもあまりいい印象は持っていません。

24: 2010/11/28(日) 13:40:09.38 ID:eSFSIQ3iP

律「大変だよなあ……その人、唯の担任にも『言葉遣いがなってない』とか文句言ったんだっけ」

唯「もう困っちゃうよ、あの人が来るとろくなことになんないもん」

 お姉ちゃんの顔色が曇るので、とにかく今日の計画に集中することにしました。

律「じゃあまとめると、私が憂ちゃんの振りして鈴木さんと一緒に唯のおばあちゃんと一緒に過ごす、と」

憂「はい。それで私がお姉ちゃんの振りをして伯父さんを出迎えます」

純「私は……とりあえず、律先輩のフォローでいいんだよね?」

憂「うん……ありがと、急な話なのに」

純「いいっていいって。それに、」

 純ちゃんはにこっと笑って、昨日の夜の律先輩と同じことを言いました。

 ――なんかおもしろそうじゃん、そういうのって。

25: 2010/11/28(日) 13:45:10.09 ID:eSFSIQ3iP

唯「みんな、ほんとにありがとう……それじゃあ、行ってくるね!」

律「おー! 楽しんでこいよ、梓もきっと喜ぶから!」

 お姉ちゃんはあふれんばかりの笑顔を浮かべて、普段しない化粧まで少しだけしてデート先に向かいました。

『伯父さんたちが来たら、おばあちゃんを散歩に連れていく。そこで「平沢憂」におばあちゃんを届ける』

 昨日の夜、簡単に作った台本を頭の中で何度も復唱します。

 おばあちゃんは目も耳も遠いから、なんとかごまかせるはず。

 ……考えていたら、家の外で自動車が止まる音がきこえました。

 台所のデジタル時計を見るともう13時45分になっています。

 どうやらお姉ちゃんがデート先に向かってから一時間以上経っていたみたいです。

 梓ちゃんと楽しい一日を過ごせるように……私ががんばらなくちゃ。

 私は深呼吸をひとつすると、わざとスキップしながら玄関を開けました。

27: 2010/11/28(日) 13:50:10.95 ID:eSFSIQ3iP
【2010年11月27日 13:50:9/サイゼリア 桜ヶ丘駅前店】

 デートです。私は今日、デートなのです。

 今日は私の誕生日、待ちに待ったあずにゃんとデートの日なのです!

 窓の外は11月にしてはめずらしいほどのかんかん照り、大好きな人と出かけるにはうってつけの天気です。

 昨日の夕方は少し空が曇ってて不安だったけど、どうやら心配はいらなかったみたいです。

梓「……ほら唯先輩、バニラアイス溶けそうですよ?」

唯「あっ……ごめん、あふにゃん」

 言いながらスプーンを口に含んだら冷たさに言葉をかんでしまいました。

 あわてないでくださいって言われちゃった……えへへ。

 くすくす笑うあずにゃんは今日もかわいいです。すいません、のろけました。

28: 2010/11/28(日) 13:55:11.69 ID:eSFSIQ3iP

梓「でももう、唯先輩も18歳なんですね。月日がたつのは早いなー……」

 あずにゃんが私の顔をのぞき込んで、しみじみと言います。

唯「えっ……わたし、大人になった?」

梓「どこがですか」

 むっ、笑われちゃいました。かわいいけどちょっとシンガイです。

唯「あずにゃんひどーい! 私、ちょっと今日はメイクがんばったんだよ?!」

梓「唯先輩は化粧してもあんま変わんないですね…」

 もうあずにゃん、それってコイビトに言うコトバなの?

 18歳、ちょっと大人な気分だったのにへこんでしまいそうになった時、あずにゃんがつぶやきました。

梓「……けど、きょう最初会ったとき…ちょっとどきどきしちゃいました」

唯「……えへへ」

 おもわずにやけちゃったら、顔に出やすいですねって言われました。

29: 2010/11/28(日) 14:00:12.37 ID:eSFSIQ3iP

 本当に……昨日までは、デートそのものもできないんじゃないかって不安でいっぱいだったのに。

 ちょっと幸せすぎて、なにか起きそうでこわくなります。

唯「……今日はありがとね、あずにゃん」

梓「そんな……私の方がうれしいです、こんなにうれしそうだし」

 それに、私の誕生日だって唯先輩がめいっぱいお祝いしてくれたじゃないですか。

 あずにゃんは自分でそう言ったくせに、しばらくすると顔を真っ赤にしてしまいました。

梓「……ぁ…や、まあそれは、その…いいんです、けど」

唯「そうだねぇ、あずにゃん家で抱きしめながら17歳の誕生日迎えたんだよね…」

梓「……もっもう、その話はいいじゃないですかっ!」

 あのときのあずにゃんも、肌は白くて髪の毛はつやつやですっごくかわいかったなあ……って。

 私、なんだかへんたいさんみたいだ……。

32: 2010/11/28(日) 14:05:13.01 ID:eSFSIQ3iP

梓「とっとにかく! もうそれ原型うしなってますから早く食べちゃってくださいっ」

 当てつけのようにあずにゃんが指さした私のアイスは……ありゃりゃ、こんなに溶けちゃってるし。

 そうだ、あずにゃん一緒にたべようよ! ねぇあーんして?

梓「いっいまはいいです! ちょっとサイダーくんできますねっ」

 顔を真っ赤にしたあずにゃんはドリンクバーの方へ逃げちゃいました。

 うーん、ちょっとからかいすぎちゃったかな?

 半分以上溶けたアイスを一人でほおばったら、甘くてつめたい味がべろの奥にきゅって溶けこみました。

33: 2010/11/28(日) 14:10:13.76 ID:eSFSIQ3iP
 駆けてったあずにゃんのちっちゃい後ろ姿を見つめていると、バス停の方の窓が目に入りました。

 そろそろ12月。駅前に植えられた木々から、オレンジや黄色の紅葉が空にはらはらと舞っています。

 今日はちょっと風が強いのでしょうか、なんだか葉っぱの量も多いみたいで、掃除してるおじさんも大変そうです。

 憂たち、うまくやってるかな……。

梓「お待たせしました……って、なにみてるんですか?」

 ふいに声が聞こえて、ちょっとびっくりしてしまいます。

唯「あっああおかえり。……なにそれ?」

梓「タピオカです。飲みますか?」

 そう言って自分のストローを自然と差し出したあずにゃんは、数秒後に気づいてさっとしまいました。

唯「……えっ? 私と間接キス、やなの…?」

梓「唯先輩に恥じらいってないんですか?! ……あぁ、もうっ」

 恥ずかしがるときのいつものくせで、あずにゃんはとっさに手でほっぺを隠しました。

 テーブル越しだけど、抱きしめたくなっちゃうよ……。

34: 2010/11/28(日) 14:15:14.41 ID:eSFSIQ3iP

梓「あっそうそう……さっきこれくんでくるときちょっとバス停の方が見えたんですけど」

唯「うん……それがどしたの?」

 ちょっといやな予感がしました。

 うーん……でも、大丈夫だよね?

 ここまでは、憂たちの作戦もうまくいってるんだし――


梓「バス停のほうにも唯先輩が見えたんですよ」

 えっ――ええっ?!

 やばい、憂があずにゃんに見つかっちゃったかも!

梓「他人のそら似だとは思うんですけど……まあ、勘違いですよね。じゃあそろそろここを出て――」

唯「待ってあずにゃん! 私ものど乾いてきちゃった!」

 時間稼ぎしなきゃ。あわててドリンクバーに駆け込み、目に付いたものをくんで戻りました。

 砂糖なしのカフェラテ、おいしくない……。

35: 2010/11/28(日) 14:20:15.09 ID:eSFSIQ3iP
【2010年11月27日 14:20:13/桜ヶ丘駅前】

 間一髪、どうにか梓ちゃんに見つからずに路線バスに乗り込みました。

 手すりにつかまって、切れた息とどきどき鳴ってる胸をどうにか落ち着けながら顔を伏せて席に着きます。

 幸い、昼間の下り路線バスは乗客も数えるくらいだったので、私はそばの席に腰を下ろすことができました。

 危なかった……おばあちゃんを無事律さんのところに送り届けて油断したのがいけなかったみたいです。

 駅前を少し離れた信号を曲がったところで、ようやく伏せていた顔を上げて息をなで下ろすことができました。

 知らないうちに座席のクッションが新調されていることにちょっと驚きながら、伯父さんとなにをどう話すか考えていました。

 やっぱり……お姉ちゃんの、ことなんだろうな。

36: 2010/11/28(日) 14:25:15.74 ID:eSFSIQ3iP

 昨日の夜、お姉ちゃんと律さんと三人で極秘の作戦会議をしてたときも、その話になりました。

唯「ってかさ、どうしてあの人いきなりうちに来るんだろうね」

律「え、誕生日がてら顔見せとかそんなんじゃねーの?」

憂「うーん……やっぱりなにか大事な話があるんだと思います」

 あの伯父さんはお正月とお盆と入学祝い以外で理由もなく家に来たことがないですから。

 そう考えると、ますます心配になってしまいました。

律「……なぁ、やっぱせめて梓には言っといた方がいいんじゃないのか? 澪やムギはまだしも」

 話が大きくなりそうだし。律さんは私たちにそう忠告しますが、お姉ちゃんの考えは変わりませんでした。

唯「そんなこと聞いたら、あずにゃんぜったい遠慮しちゃうよ……私、あずにゃんが楽しみにしてたの知ってるもん」

 私も誕生日が近づくにつれて梓ちゃんがうきうきしているのに気づいていました。

 最近は受験勉強でなかなか遊ぶ時間がとれなかったので、やっぱりお姉ちゃんと梓ちゃんには私も楽しんでほしいです。

37: 2010/11/28(日) 14:30:16.47 ID:eSFSIQ3iP

 バスに乗ってから15分ぐらいして家に着きました。

 家の玄関の前でいつものお姉ちゃんを思い浮かべ、深呼吸します。

 そうして念入りに“平沢唯らしさ”をイメージした上で……息をつめて玄関のドアを開けました。

憂「ただいまぁ…!」

伯父「おかえり、唯ちゃん。おふくろは憂ちゃんに会えたのか?」

憂「うん、桜ヶ丘の駅で会えたよぉ。そしたらアイス買ってもらっちゃったぁ……えへへ」

伯父「こんな寒いときにアイスなんか食べたら、身体壊すだろう。受験生なんだから自覚を持つんだぞ?」

憂「日々のアイスはがんばってる私へのごほうびなのです! ふんすっ」

 伯父さんはおふくろは唯ちゃんたちに甘すぎると愚痴をこぼします。

 ……今のところ、ばれてませんよね?

39: 2010/11/28(日) 14:35:17.15 ID:eSFSIQ3iP

憂「あっ私のギー太みせたげるね! 部活でりっちゃんたちと毎日お茶して楽しいんだぁ」

 つるつるしたフローリングでわざと転びそうになりながら、お姉ちゃんの部屋に向かいました。

 私は平沢唯。ひらさわゆい。ギー太とアイスとあずにゃんがだいすき。

 二人のためになんとかして「平沢唯」を通さなければいけません。

 けれども小さい頃からお父さんでも見分けられないほど私たちの姿形は似てたので、今のところ問題ないみたいです。

憂「……ごめんねお姉ちゃん、ちょっとだけギー太かりるね?」

 あとはこの調子でふわふわ時間でも弾いてしまえば、伯父さんは疑うこともないでしょう。

 そう、私が油断しかけたそのとき……二階の伯父さんが階段ごしに声を掛けました。


伯父「さっきおふくろに電話したんだが、憂ちゃん家に向かってるらしいぞ?」

 ……えっ?

41: 2010/11/28(日) 14:40:17.82 ID:eSFSIQ3iP
【2010年11月27日 14:40:16/ローソン駅前通り店】

 詰んだ。終わった。

 これから姉妹そろって呼び戻されるらしい。

 つーかさ、伯父さん本人からの電話とかさすがにごまかしきくわけねーだろ……気付けよ誰か作戦の穴に!

 ……いや、他にやりようなかったけど。

律「はぁ……このまま立てこもってる訳にもいかねーよなあ…」

 駅前の狭いコンビニのトイレで、切れかけの照明にいらつきながら考える。

 確かに憂ちゃんの言ってたとおり、おばあちゃんは私を憂ちゃんだと錯覚してくれた。

 小さい頃の話を合わせるのが大変だったが、事前に和からそれとなく聞き出したのと純ちゃんのフォローでどうにか切り抜けた。

 ちくしょー……途中まではマジでうまく行ってたのになー。

 ……でさ、これからどうするよ私?

 デート、やっぱ中止させるしかないのかな……はぁーあ。

42: 2010/11/28(日) 14:45:18.48 ID:eSFSIQ3iP

 容量不足の頭をぶんぶん降っても憂ちゃんじゃあるまいし、名案なんてでてきっこない。

 一分と経たずに携帯を取り出した。

 八方ふさがりの私の後始末を頼む相手なんてたかが知れてる。

澪『律? どうしたんだよ急に。なんかしたのか?』

 私の携帯の発信履歴と着歴で万年一位を居座る澪は、相変わらずツーコール以内に声を聞かせてくれる。

律「なんかしたって……いやまあしたんだけどさ」

澪『ノートは見せないからな』

律「ちげーし! ……ってかでかい声出させんなよ…」

澪『お前いまどこにいるんだよ……』

 ダメだ。澪の声聞くとついついいつものテンションでしゃべっちゃう。

 自分の気持ちをリセットする意味でも本題に入った。

43: 2010/11/28(日) 14:50:19.23 ID:eSFSIQ3iP

澪『……律、正気か?』

律「こっちだって思ったわーい!」

 親御さん騙してるわけだし叱られるかと思ったら、澪はくすくす笑いながら私の話を聞いてくれた。

澪『でも……その状況は、さすがにきついだろ』

律「担任の山中センセーに呼ばれた、とかどうよ? どうせさわちゃんならミオちゅわんの過激ショット2、3枚で――」

澪『やらないからやらないから。それに、さわ子先生まで巻き込むのはさすがにまずいだろ』

律「えー。じゃあファンクラブ会報に澪の水着の切れ端でも仕込んで売るとかは?」

澪『切るぞ』

 すいませんでした秋山さん。

澪『とりあえず、律たちは唯の家におばあちゃん送るしかない。唯が帰るまでの時間つぶしは……なんか考えるから』

 はぁ……やっぱ唯を連れ戻すしかないのか……。

 ごめんな、唯。梓。力になれなくて。

44: 2010/11/28(日) 14:55:19.91 ID:eSFSIQ3iP

 さすがに10分近くもトイレに居座ってるのもあれだし、純ちゃんと三人で帰ることにした。

 ただでトイレ借りた申し訳なさと緊張からきた喉の乾きとで、ペットボトル入り紅茶を一本買ってコンビニを出る。

 知らないアニメとタイアップしたキャンペーンやってるらしいけど、どうでもいいのでそのまま開けて飲んだ。

 ムギのお茶には遠く及ばないものの、染みいるような甘さを口の中に広げながらしばらく歩いて、交差点で唯にメールした。

 信号が青になった頃、返ってきたメールは「ありがとう、家の前に行くね」。

 甘ったるい紅茶が、少しだけ気持ち悪く感じた。

祖母「いやあ……今日はいい天気だねえ、憂ちゃん」

 おばあちゃんの手を引きながら、横断歩道をゆっくり渡る。

 11月の晴れた天気は沈んだ気持ちとあまりにかけ離れてて、太陽が少しだけ皮肉のように思えた。

律「そうだねえ……小さいころ、この辺で遊んだことを思い出すよ」

祖母「あれえ? 憂ちゃんたちはいつも向こうの公園で……」

 やべ、地雷踏んだ。

45: 2010/11/28(日) 15:00:20.57 ID:eSFSIQ3iP

純「あー、私だけ小学校違ったんでこの辺でも遊んでたんですよ。ほら、ちょうど学区の境目ですし」

 純ちゃん、ナイスフォロー!

祖母「そうかいそうかい……あのころは大変だったものねえ」

純「あのころって……どんなことでしたっけ?」

 知らない振りしてそれとなく聞いてくれる純ちゃんのおかげで話題にどうにかついていける。

 ってか、この一日でかなり純ちゃんとの距離縮まったなー。

 今度澪とか誘って一緒に遊んでみるのもいいかもなー。

 いや、勝手に決めちゃ迷惑か……。

祖母「ほらぁ、いったん海外に行くかも知れなかったじゃない」

 あー……あの話か。

 って、小学校の頃にもそんなことあったんだな。

48: 2010/11/28(日) 15:05:21.28 ID:eSFSIQ3iP

祖母「唯お姉ちゃんがねえ、勉強もがんばるし早寝早起きもするから……言ったんだよね?」

律「う……うん。そうだったね」

 唯が平沢家に着くのを待つために、バスを使わず駅前通りを歩いて帰る。

 その道すがら、唯と憂ちゃんのいろんな話を聞いた。

 実際、唯の両親は商社勤めで夫婦そろって海外を飛び回っているらしい。

 そのため隣の家やこのおばあちゃん、あるいは和の家に姉妹そろって預けられることもあったそうだ。

 聞くと、憂ちゃんが「友達と別れるのがつらい」と泣いているのを見て、唯は伯父さんや両親をどうにか説得したらしい。

純「自分のためにはろくに動かないのに人のためなら動けるところとか、二人ともそっくりですよね」

 純ちゃんはくすくす笑いながら言うと、おばあちゃんもどこかうれしそうだった。

 なんだ……唯も結構、お姉ちゃんしてんじゃん。

49: 2010/11/28(日) 15:10:21.93 ID:eSFSIQ3iP

 話し込んでたら平沢家の前に着いた。

 対向側で唯が手を振る。おばあちゃんに気づかれないように手を振り返す。

 メールで伝えておいた通り、唯は髪の毛を後ろでくくって待っていた。

 あれ、ヘアゴムどうしたんだろう?

 梓にでも借りたのかな?

純「じゃあ……私はここで」

律「おばあちゃん待っててね、いま玄関のドア開けるから」

 そう言って少し離れ、そのスキに唯を手招きする。唯が近づく。

 するとおばあちゃんはにこにこと言った。


祖母「……ありがとうね、いい運動になりました。それから……本物の憂ちゃんによろしくね」

 血の気が引いた。

50: 2010/11/28(日) 15:15:22.71 ID:eSFSIQ3iP

祖母「えっと……何さん、って呼んだらいいかしら」

律「……田井中律です、唯の軽音部の部長の」

唯「りっちゃん…」

 さすがにこの状況で「平沢憂」を貫き通すわけにはいかなかった。

 憂ちゃんがんばってくれてるのに、ほとんど力になれなかったな……。

祖母「……律さん、ありがとうね。唯ちゃんはいいお友達を持ったわねぇ、優しく手を引いて散歩してくれて、とっても楽しかったわよ」

律「あ……ありがとう、ございます」

祖母「なにがなんだかさっぱりだけれど、これからも唯ちゃんをよろしくね」

律「は……はい! えっと、こちらこそよろしくお願いしますっ」

 私は唯の新郎かい。

 けど、おばあちゃんのことは心配なさそうな気がした。

律「じゃあな、頑張れよ。……憂ちゃん」

唯「まっまかせてください!、律さんっ!」

 似てねー。大丈夫かよ唯!

51: 2010/11/28(日) 15:16:56.96 ID:eSFSIQ3iP
時間調整のため15時45分まで休止します

52: 2010/11/28(日) 15:45:04.16 ID:eSFSIQ3iP

【2010年11月27日 15:45:02/平沢家 リビング】

 私の振りをしたお姉ちゃんがおばあちゃんを連れて帰ってきました。

唯「お姉ちゃん、ただいまー!」

憂「おかえり、ういぃ」

 私によく似た人があたかも私みたいに過ごしているのを見て、ちょっとふきだしそうになりました。

 でも小さい頃にこうやって入れ替わって遊んだのを思い出して、ちょっとほっこりします。

祖母「あら……唯ちゃん、大きくなったわねえ」

憂「えへへ……おばあちゃんも元気だったぁ?」

祖母「うんうん、腰の調子もいいのよ……憂ちゃんとお散歩したからかしらねぇ」

 おばあちゃんはたぶん気づいてるはずなのに、一緒になって付き合ってくれます。

 小学校の頃にもお姉ちゃんとこうやっておばあちゃんを驚かせたりしたので、昔のように楽しんでいるのかもしれません。

53: 2010/11/28(日) 15:50:04.85 ID:eSFSIQ3iP

唯「……あれ。伯父さんは?」

憂「さっき、たばこ買いに行ったよー。ついでにアイス買ってきてって行ったら、怒られちゃった……えへへ」

 そういって頭をかいてみると、お姉ちゃんは一瞬ぎょっとしたような目で私を見ました。

 えっ、そんなに似てたかなあ?

唯「そうそう、お姉ちゃんギターひいてみせてよっ」

憂「え……ええっ?」

 急にそんなことを言われてしまうと、ちょっと困惑してしまいます。

 お姉ちゃん、ギー太持ってにやにや楽しそうだし……。

 念のため昨日のうちにふわふわとふでペンは練習しましたが、お姉ちゃんみたいにかっこよく弾ける自信はありません。

 でもおばあちゃんも楽しみにしているみたいです。

 ……ちょっとがんばってみます。

54: 2010/11/28(日) 15:55:05.37 ID:eSFSIQ3iP

憂「ど、どうかな?」

祖母「うまいもんじゃない、唯ちゃん! いーっぱい練習したのねえ!」

唯「う、うまいね……お姉ちゃん」

 おばあちゃんは腰をあげてまで拍手してくれました。

 なんだかちょっと照れてしまいそうです。

 ですが、見るとお姉ちゃんはまた目を丸くしています。

 ステージ上のお姉ちゃんの方が、断然かっこいいのに……。


 そんな風に三人で過ごしていたら、玄関のチャイムが鳴りました。

伯父『帰ったぞ。唯は戻ったのか?』

 私とお姉ちゃんは顔を見合わせてしまいます。。

 伯父さんが急に呼び捨てになるのは、なにか注意するときだけでしたから。

55: 2010/11/28(日) 16:00:06.02 ID:eSFSIQ3iP

唯「……おかえりなさい、伯父さん」

伯父「ああ、ただいま。ところで唯、ちょっとこっちに来なさい」

 伯父さんは迷うことなく妹の私を手招きしました。

 そんな伯父さんをお姉ちゃんはただ黙って見つめています。

 うん、なんとか大丈夫そうかも。

 ばれなければ、お姉ちゃんは「平沢憂」として梓ちゃんの元へ迎えますから。

憂「……な、なにかな。そんな改まってさ…」

伯父「唯の母さんから聞いたぞ。唯、女の子と付き合ってるそうだな」


 なにかが喉につまったような息苦しさを覚えました。

 お姉ちゃんは、はっと伯父さんの方に向き直りました。

56: 2010/11/28(日) 16:05:06.76 ID:eSFSIQ3iP

憂「……うん、あずにゃんっていう、とってもかわいい子なんだよ」

伯父「好きで付き合ってるわけじゃないだろう。ただ仲がよくて、いい雰囲気になって、ドラマの見すぎで勘違いでもしたんだろうな」

憂「そっそんなことないよ! あず――あずにゃんは、私の大事な子だもん!」

 お姉ちゃんはただ、表情をなくした顔で伯父さんの方を見ていました。

 突然そんなことを言われて私もどうしていいか分かりません。

 ですけど、私はお姉ちゃんの気持ちをなんとか代弁します。

 ……この場にいる平沢唯は、私一人なのだから。

憂「私はあずにゃんが好き。あずにゃんも、私のこと好きなんだよ。付き合ってなにが悪いの?」

伯父「……別に、俺がレOに偏見を持ってるわけじゃないさ」

 口ごもるように、言いよどむように伯父さんが言うのがなんだかとてもいやでした。

 その間、お姉ちゃんは唇をかんでこらえていました。

59: 2010/11/28(日) 16:10:07.48 ID:eSFSIQ3iP

伯父「佐良直美って歌手がな、70年代80年代にいたんだ」

憂「……うん」

伯父「レコード大賞取るぐらい有名な歌手だったんだが、なんとかって女のタレントと付き合ってることがバれたら、すぐ芸能界から消えてさ」

 伯父さんの言ってる意味がよくわかりません。

 ただ、うつむくお姉ちゃんの様子が心配でした。

伯父「確かにドラマとか小説じゃ綺麗に描かれるけどな、実際は世間なんて赤の他人に平気でそんな目を向ける」

憂「………だから、なんですか」

伯父「分かるだろう? そういうのは、相手の娘さんも傷つけるだけだ」

憂「……」

伯父「……だいいち、唯は受験生だろう。きついこと言うようだけど、おじさんは唯のためを思って言ってるんだ。そんな、恋愛ごっこに――」


唯「赤の他人はおじさんだよ」

62: 2010/11/28(日) 16:15:08.94 ID:eSFSIQ3iP

 何もしゃべらないようにこらえていたお姉ちゃんが、ついに言葉を発してしまいました。

憂「ちょ、ちょっとうい――」

唯「もういいよ憂。こんな人の話なんて聞いてたくない」

伯父「う、憂ちゃん、目上の人に向かってこんな人とは――」


唯「私は――平沢唯だよっ!」

 顔を真っ赤にしたお姉ちゃんの甲高い声がリビングに反響しました。

 こんなに怒ったお姉ちゃんの顔は、もうずいぶん見ていません。

63: 2010/11/28(日) 16:20:09.61 ID:eSFSIQ3iP

伯父「……二人して、大人をからかってたのか?」

憂「ごめんなさい…」

唯「っていうか、なんで見分けらんないの? そりゃ憂はうまかったけど、私の演技なんてダメダメじゃん」

伯父「そりゃ、お前たちがよく似た姉妹だから……」

 どうしていいか分からず、とにかくお姉ちゃんを止めようとしましたが、すぐ右手で制されてしまいます。

伯父「あのな、伯父さんは社会人として、保護者として――」

唯「赤の他人はおじさんの方だよ! 赤の他人なんかがあずにゃんの悪口言うな!」

 言うなり、お姉ちゃんはソファーのクッションを伯父さんの顔にぶつけます。

 よろめいた伯父さんの横をすりぬけて、足音をばたばた立ててお姉ちゃんは部屋を出ていきました。

 ……お姉ちゃんのいなくなった部屋は静まり返ります。

 私は、どうすればよかったんでしょうか?

66: 2010/11/28(日) 16:30:04.44 ID:eSFSIQ3iP

【2010年11月27日 16:30:02/第二近隣公園】

 その場にいたくなくていきおいだけで飛び出して、むちゃくちゃに走った。

 話をしたくもなかったし、そもそも声も聞きたくなかった。

 ……わかってるよ、最初っから。

 私たちが少ない方だっていうのも、それを間違ってるって言う人のことも。

 けど、息を切らせるたびに憂やあずにゃんの顔が浮かんできて、胸がいたかった。

 ごめんね。私、いろんな人に迷惑かけてばっかりだよ。

 住宅街のブロック塀とどこかを走るエンジンの音、排気ガスなんかに取り囲まれて……なぜか目にしみるほどで、窒息しそうな気がした。

 魚が息を吸うみたいに顔を思いっきり上にあげたら……うんざりするぐらい、きれいな夕陽が見えた。

67: 2010/11/28(日) 16:35:05.10 ID:eSFSIQ3iP

 夕焼け放送はとっくに鳴りやんでた。

 いつかの私たちみたいにちっちゃかった子どもたちはみんな手を取り合って、自分の家に帰ってしまった。

 11月ぐらいになると、やっぱり暗くなるのも早いみたいで、ムラサキの空に吸い込まれていきそうで少し怖くなった。

 誰もいない公園のベンチで膝ごとバッグを抱えていると、どうしてもいろいろ思い出してしまう。

 伯父さんが言ってたことは、間違ってなんかない。

 だから私は、エリちゃんや姫子ちゃんみたいなクラスの子に、あずにゃんとの関係を言えずにいた。

68: 2010/11/28(日) 16:40:05.90 ID:eSFSIQ3iP

 運命、だったんだと思う。

 あずにゃんは――私にはよく分からないけど――新歓ライブで私を見つけて一目惚れしてくれたらしい。

 私も初めて見たときから、あずにゃんがかわいくてかわいくて仕方なかったんだ。

 抱きしめたい。ぎゅってしたい。
 体温を感じたい。声を聞きたい。
 髪を、肌を、息を、声を、ぜんぶぜんぶ私のものにしちゃいたい。

 恋とか愛とか今もよくわかんないけど、あれが恋じゃなかったら私は一生恋なんてしないと思う。

 特別……なんだもん。あずにゃんだけは。

69: 2010/11/28(日) 16:45:06.62 ID:eSFSIQ3iP

 初めて生まれた気持ちをどこにどう持っていけばいいのか分からなくて、あずにゃんを避けたこともあったっけ。

 だって、どうしていいか分からなくなっちゃったから。

 触れるのが、そうして壊してしまうのが、怖かった。
 あずにゃんがもし「先輩」として私を見てるなら、この気持ちは多い隠さなきゃいけなかった。

 だって、よこしまな気持ちだとしか思えなかったから。

 ……でも、こんな内側から溶けてしまいそうな熱い気持ちをもてあましていたのは、私だけじゃなかったんだ。

 気持ちが通じあえたときの喜びは……言いあらわせっこないよ。
 だって、すごいもん。奇跡だったんだもん。

70: 2010/11/28(日) 16:50:07.15 ID:eSFSIQ3iP

 八月の終わりから付き合い始めて、お互いにこわごわ近づいていった。

 今までだって手はつないでたのに急につなぐのが怖くなって、おそるおそる伸ばした指先が触れた瞬間、はずかしくて笑ってしまう。

 けど、そうやって「はじめて」を一つずつ越えていく日々がすごくすごくいとおしかったんだっけ。


 最後の「はじめて」を二人で乗り越えた夜、あずにゃんは言ってくれた。

 いつまでも一緒にいましょう。あいしています、って。

 でも……それは、私の間違った「恋」が無理やりあずにゃんを引きずり込んでしまったんだとしたら。

 公園のベンチは急に冷え込んできて、昼の格好で取り残された私は思わず身体をふるわせてしまう。

 さむいよ。……あっためて、ほしいのに。

71: 2010/11/28(日) 16:55:07.81 ID:eSFSIQ3iP

 この公園にだって、二人でよく遊びに来た。

 小さい頃から憂や和ちゃんと一緒に遊んだ公園だって言うと、あずにゃんは目を輝かせて見て回っていた。

 なんでそんなに? って聞いたら、「唯先輩がどうやって育ってきたかを知るのもうれしいんです」って照れながら教えてくれたっけ。

 あの日、あずにゃんがなでていたすべり台に手を伸ばしてみる。

 鉄は冷たく冷えていて、赤黒くさび付いた支柱から汚れが手に着いた。

 あずにゃんの手も、汚れてしまったのかもしれない。

 私がこんなとこに連れてきたから、汚してしまったのかもしれない。

73: 2010/11/28(日) 17:00:08.51 ID:eSFSIQ3iP

唯「……あずにゃん、私、……だめ、だったのかなぁ……」

 そこにいない人に問いかけたのに、なぜか聞こえる気がした。

 それがどうしようもなくたまらなくて、こみ上げていたものがあふれだしてしまう。

 自分の泣き声と鼻をすする音と風音しか聞こえない公園で、一人で身体を抱きしめる。

唯「ううっ……あずにゃん……ごめんなさい……でも、やだよぉ…すき、すきなんだもん……」

 謝りたかった。気持ちを聞きたかった。

 でも、それより――あの声と、体温がほしかった。

 だってここは静かすぎるから。寒すぎるから。

75: 2010/11/28(日) 17:05:09.17 ID:eSFSIQ3iP


 ――なにしてるんですか、唯先輩。

 風邪、ひいちゃいますよ?


唯「……あず、にゃん?」

 振り返るよりも早く、私の身体は抱きしめられた。

 その腕はあったかくて、なによりも安心できた。

梓「もう、探したんですよ? 唯先輩」

 誰よりも安心できるその声を聞いて、涙がもう一度こみあげてきてしまった。

 そんな私の身体を、私の愛する女の子はしっかり支えてくれた。

梓「……唯先輩、ちょっとお話しましょうよ」

78: 2010/11/28(日) 17:15:11.92 ID:eSFSIQ3iP

【2010年11月27日 17:15:10/第二近隣公園】

 遠くの犬の遠吠えが響くぐらい静かな公園で、しばらく私は唯先輩を抱きしめていました。

 肌寒い季節ですが、唯先輩はいつでも陽だまりを集めたようにあったかい人でした。

 けれどもそんな唯先輩はいま、私の腕の中で泣いています。

 私の大好きな人は普段ははわほわしてつかめない人ですが、ときどきとても強く私の手を引っ張っていってくれます。

 でも、たまにこんな風にとても小さくもろく、抱きしめてあげなきゃ崩れてしまいそうなぐらい弱ってしまうこともあるのです。

 振れ幅が大きすぎるし、優柔不断だし、不安定だし、すぐ自分を責めたりする。

 唯先輩は自分でもそう言ってますけど、そんなところも含めて私はあなたのことが愛おしいんです。

79: 2010/11/28(日) 17:20:13.64 ID:eSFSIQ3iP

 高い波がさざ波に変わるようにあふれた涙のおさまってきた頃、唯先輩はぽつりとつぶやきました。

唯「よく、わかったね。憂のかっこしてたのに…」

梓「わかりますよ。私の目はごまかせません」

 だって、唯先輩の目は大きくてきらきらしてて、一目見たら分かりますから。

 あなたのすべてを分かっていたいんです。

唯「あのね……あずにゃん」

梓「……付き合ってて、ほしいです」

 えっ、と赤くなった目を見開いて、私の方へ振り返りました。

 わかりますよ。唯先輩が、どんなこと考えてたかなんて。

 だから――


梓「私の見えるとこから、逃げないでくださいよ。さみしいじゃ、ないですか」

 やった。やっと唯先輩が、その頭を私の胸にあずけてくれた。

80: 2010/11/28(日) 17:25:22.45 ID:eSFSIQ3iP

 私は左腕を唯先輩のおなかの方に回して、ぎゅっと抱きしめました。

 するとこの腕を、先輩の柔らかい指がそっとつかんでくれた。

 もう一方の手で、あずけられた頭をなでてみます。

 ふるえのおさまった頭と、指先に絡まる唯先輩の髪の毛は、どこか溶けるような心地がしました。

 青く暗く更けてゆく夜とやわらかな電灯の光の下で、私は次第にやわらぐ唯先輩の息に耳をすましていました。

梓「……はなれませんよ」

唯「うん……ありがと、すきだよ」

 私の方を向いた唯の顔から、やっとくすんだ色が晴れたように見えました。

 思わずくちびるを近づけてしまうと――やがてやわらかい感触が、重なったのです。

82: 2010/11/28(日) 17:30:23.11 ID:eSFSIQ3iP

唯「……えへへ。珍しいね、あずにゃんからなんて」

梓「……誕生日プレゼントです。うそですけど」

 唯先輩はいつもみたいに、子供のように笑ってくれました。

 なんだかありきたりな微笑みで、あまりにいつも通りの屈託のなさで、変に泣きそうになってしまいます。

唯「……あずにゃん、好きで……いて、いいんだよね?」

梓「当たり前じゃないですか。今さら遠くに行ったら――ゆるさないですから」

 こんなこと、他の人には言えませんよ。

 あなたに出会うまで、自分の中にあったなんて気づきもしなかった気持ちだったんですから。

梓「唯先輩が……みつけて、くれたんですよ? わたしのこと」

85: 2010/11/28(日) 17:36:08.01 ID:eSFSIQ3iP

 思わず口にしてしまって、自分でも意味わかんなくて、ちょっとふきだしそうになってしまいます。

梓「あは……意味、わかんないですね」

唯「んーん。私もあずにゃん、見つけた」

 そう言って、唯先輩はうれしそうに顔をうずめました。

 なんだかちょっとくすぐったかったし、それにちょっと寒くなってきました。

 ですから私は右ポケットから、さっき手に入れたとっておきのプレゼントを取り出します。

梓「……唯先輩。遅くなっちゃいましたけど、デートの続きしませんか?」

86: 2010/11/28(日) 17:41:08.66 ID:eSFSIQ3iP

唯「えっ、どこどこ?」

梓「これです」

 そう言って、私は隣町のホテルのディナーチケットと、展望台の無料券を見せました。

梓「おなかすきましたよね。一緒にごはん食べて、そしたらちょっとここ行ってみましょうよ」

唯「うん……でも、いつから持ってたの?」

梓「それは……いつか、教えてあげますよ」

 そう言って腕をそっとゆるめると、唯先輩は私の手をぎゅっと握りました。

 ――手、つないでこ?

 すっかり暗くなった電灯に、うるんだ赤い瞳といつもの笑顔が照らされました。

 その姿がいとおしくてまた抱きしめたくなっちゃったので、とりあえずハンカチを渡してごまかしました。

88: 2010/11/28(日) 17:44:45.72 ID:eSFSIQ3iP
いったん休止して俺も飯くってきます
唯たちがご飯を食べ終わる少し前ぐらいにでも再開します

101: 2010/11/28(日) 20:30:01.55 ID:eSFSIQ3iP

【2010年11月27日 20:29:59/マクドナルド 桜ヶ丘駅前店】

 先ほど、お姉ちゃんからメールが届きました。

 律さんたちから話を聞くだけでは心もとなかったですが、おいしそうなデザートの写真が届いて安心しました。

 どうやら本当に、隣の町のプリンスホテルでお食事しているみたいです。

 せっかくの誕生日がどうにかいい思い出になりそうで、私もちょっとほっとしました。

律「……シェイク、飲まないの?」

憂「あ、とけちゃいますね……でも紬さん、そんな高価なものいただいちゃってよかったんですか?」

紬「いいのよ、持ってても使わないから。それに……二人が仲良くしていると、私もうれしいの」

 そう言って紬さんはほほえみました。

103: 2010/11/28(日) 20:35:02.38 ID:eSFSIQ3iP

 先ほどお姉ちゃんが家を飛び出したときは、どうしようかと思いました。

 このまま、家に戻ってこないんじゃないかとさえ思えたからです。

 私もすぐに飛び出して辺りを見回したのですがもうお姉ちゃんはどこかに行ってしまったので、家でしばらく待っていたのです。

 けれども……メールも電話もなく、ただひたすら時間は過ぎていきました。

 不安になってお姉ちゃんを捜しに家を飛び出したところ――律さんと紬さんにばったり出くわしたのです。

108: 2010/11/28(日) 20:40:03.06 ID:eSFSIQ3iP

 どうやら紬さんは澪さんから事情を聞いていたみたいです。

 それに、たまたま梓ちゃんにも会って二人で少しお姉ちゃんのことを話したそうです。

 二枚のチケットはそのときに梓ちゃんに手渡したらしく、「頼りがないのは元気な証拠」と思っていたらしいです。

 とはいえ、あんなことがあった後なのでやっぱり不安でした。

 そんな話をしたら、律さんがちょっと話そうとこのお店に誘ってくれたのです。

 純ちゃんと同じくらい律さんには昼間に助けてもらったので、私もそのお礼がしたかったのです。

110: 2010/11/28(日) 20:45:03.80 ID:eSFSIQ3iP

 それからしばらくして、梓ちゃんからメールがきました。

 「唯先輩に会えたよ。心配しないで、二人でいるから」

 たった一言でしたが、そのメールを見たとき涙が出そうなぐらい安心しました。

 それからメールはしばらく途絶えていましたが、さっきのデザートの写真を見る限り……無事、一緒にご飯を食べられたみたいです。

 律さんが写真を見て、紬さんにチケットのあまりをねだっているのがちょっとおかしかったです。

 お姉ちゃんの無事を確かめてほっとしたあとで、私は二人に伯父さんとのことを話しました。

111: 2010/11/28(日) 20:50:04.61 ID:eSFSIQ3iP

律「なんていうかさ……勝手にすげー悪人として見てたけど、ちゃんと唯たちのこと考えてるんだよな……」

 律先輩はうつむきがちにそう言いました。

憂「私も……そう、思ってます」

 あの伯父さんはちょっと融通がきかなくて頑固なところはあるけれど、私たちのことを見守ってくれてる大事な親戚です。

律「実際さ、唯たちって周りに隠してるわけでしょ? 付き合ってること」

憂「和さんとかは知ってますけどね、さすがに」

 周りに隠さなきゃいけないのが、あずにゃんとの関係が悪いものみたいでつらい。

 ――お姉ちゃんは以前、そんな風に言ってました。


紬「でも……ダメよ。めずらしいのかもしれないけれど、唯ちゃんも梓ちゃんもお互いに好きなんだから」

 一言ももらさず真剣に聞いていた紬さんが静かに口を開きました。

113: 2010/11/28(日) 20:55:05.28 ID:eSFSIQ3iP

 セットで買った爽健美茶を一口すすると、紬さんは話します。

紬「私のお母さんね、小さい頃に病気で亡くなったのよ」

律「そっかあ、ムギも大変だったんだな……でもそれってどんな関係が?」

紬「バイセクシャル、って分かる?」

律「……あー」

 私のお母さん、ビアンでもあったの。

 わざと大したことでもないかのように、あたかも普通のことのように話そうと努力しているみたいでした。

116: 2010/11/28(日) 21:00:05.99 ID:eSFSIQ3iP

紬「私を身ごもったとき、お母さんには本当に好きな女の人がいたらしいのね」

律「そっか……それで、ムギは」

 女の子同士って、いいと思うの。

 お姉ちゃんたちが付き合い始めたと聞いて、紬さんはさほど驚きもせずそう言っていたのを思い出しました。

紬「私が生まれた頃はそれほど、そういうことに寛容じゃなかったから」

律「……ムギを、ちゃんとした父親の下で育てたかった、ってことか」

紬「ええ。……法律上はね」

 法律上、とあえて言った紬さんの声は、どこか冷たくさみしいものに聞こえます。

117: 2010/11/28(日) 21:05:06.74 ID:eSFSIQ3iP

 紬さんは、さっき梓ちゃんに会ったときもその話をしたみたいです。

紬「お母さんね、本当は……私をその女の人との間で育てたかったみたい」

律「そっかぁ……それは、しょうがない時代だったんだろうな」

紬「氏んでしまった後に日記を見つけてね、それで知ったんだけどね」

 唯ちゃんと梓ちゃんには、そんな気持ちは味わってほしくないの。

 だから――分かってもらえるように、逃げないで、ちゃんと家族と話し合うべき。

 紬さんの言葉は、胸の奥に重く残ります。

紬「でもね、チケットをあげる時に梓ちゃんは言ってたわ」

憂「なんて、ですか?」

紬「私が唯先輩にそう伝えます、いつか公に認めてもらえるように二人でがんばります、って」

憂「梓ちゃん……」

 やっぱり、お姉ちゃんの選んだことは間違ってなかった。

 梓ちゃんの強い言葉を聞いて、そう確信しました。

120: 2010/11/28(日) 21:10:07.55 ID:eSFSIQ3iP

 と、そんな話をしていたときにメールが来ました。

 お母さんからです。

 家に着いてから伯父さんに話を聞いて心配している……といった内容でした。

 すぐ帰る、お姉ちゃんは大丈夫――そんなメールを返して帰る支度を始めます。

律「あのさ……」

憂「なんですか?」

紬「私たちも、一緒に行ったほうが説明しやすいんじゃないかしら」

123: 2010/11/28(日) 21:15:08.12 ID:eSFSIQ3iP

憂「そんな……悪いですよ、お二人とも」

律「いいっていいって。今さら気にするような関係じゃないだろ?」

紬「そうよ、それに……唯ちゃんの家行くの、久しぶりだもん!」

律「いやムギ、遊びに行くんじゃないからな……」

 二人のやりとりに思わず顔がほころんでしまいました。

 本当に……お姉ちゃん、軽音部入ってよかったね。

憂「分かりました、じゃあメールでそう伝えておきますね」

紬「……おみやげとか持っていった方がいいかしら?」

律「だから遊びじゃねーっての!」

 二人と、それから澪さん、純ちゃんには本当に感謝しなくちゃいけません。

 でも……お姉ちゃんと梓ちゃんがこんなに見守られてるんだって思うと、本当にうれしかったです。

 お店を出て見上げた星空は、きらきらと私たちを照らしていました。

 さて――家に早く帰らなくちゃ。

143: 2010/11/28(日) 23:00:01.51 ID:eSFSIQ3iP

【2010年11月27日 23:00:00/村元市 スカイタワー展望台】

 上空に広がる雲一つない星空をぼんやりと眺めながら、私と唯先輩は寄り添っていました。

 いつの間にか他の観光客も一人また一人と帰ってゆき、この広い星空を眺めているのはもう十数人ぐらいです。

 デッキから見下ろせば、天の川のように流れる車のヘッドライトの群れ。

 見上げれば、ちりばめたスパンコールのようにきらめく夜空。

 別世界に来てしまったような感覚の中、私は唯先輩の手をずっと握りしめていました。

 どこかも分からなくなるぐらいに輝く星々の中で、体温だけは変わらず確かなものだったから。

147: 2010/11/28(日) 23:05:02.81 ID:eSFSIQ3iP

唯「うわあ……あずにゃん、なんか空が近いよ!」

 最上階へのエレベーターが着いたとき、つんのめるように展望テラスへと唯先輩は私の手を引いて飛び出しました。

 私も転びそうになりながら唯先輩に着いていって外に出ます。

梓「もう、子供みたいにはしゃがないでください…」

 そう言いながら唯先輩が指さした方の空を見上げると……そこにはまばゆい星空が広がっていました。

梓「……うちの近くでも、こんなきれいな星見えるんですね」

 こんなきれいなものを大好きな人と眺めているのがうれしくて、手をぎゅっと握りました。

 手の甲が外気に冷やされる分、唯先輩の手のひらはとてもあったかく感じます。

 しばらく私たちは手の体温をあわせながら、川面のようにきらきら輝く星空に見とれていました。

148: 2010/11/28(日) 23:10:03.57 ID:eSFSIQ3iP

唯「ねぇ」
梓「あの」

 話しかけたタイミングが一緒で、二人でふきだしてしまいます。

唯「あの……今日は、迷惑かけてごめんね」

梓「楽しかったですよ。唯先輩」

 少し伏せた唯先輩の目を、追いかけてのぞき込みます。

梓「唯先輩に迷惑かけられるのなんて、慣れてますから」

唯「ふふ、あずにゃんそれひどいよ…」

 むしろ、迷惑をかけてほしいです。

 一人で抱え込んだりしないでください。

149: 2010/11/28(日) 23:15:04.29 ID:eSFSIQ3iP

唯「あと……伯父さんのこと、隠しててごめんね」

梓「最初から分かってましたよ。澪先輩から、聞いちゃいましたから」

 そう言ったら、小さく声を上げて唯先輩はおどろきました。

唯「えー、いつ知ったの?」

梓「澪先輩から聞いたんです。唯先輩が、私のためにって」

 顔を少し隠して照れる唯先輩は、やっぱりかわいかったです。

梓「それに……私も、同じことで悩んでましたから」

151: 2010/11/28(日) 23:20:05.87 ID:eSFSIQ3iP

唯「……家族の、こと?」

梓「理解は、してくれると思うんですけど……やっぱりこわいですよね」

唯「言ってなかったんだ、まだ」

 すいません。

 付き合ってる人がいる、とは言いましたけど。

梓「……受け止めてくれると思いますよ。そんな気がするんです」

 お父さんの業界にも同姓愛者の方がいて、そういうことへの理解があるから――とか、そんな具体的なことじゃなくて。

 なんとなく、信じれるんです。

 いつかはみんなが、私たちのことを受け止めてくれるって。

152: 2010/11/28(日) 23:26:16.98 ID:eSFSIQ3iP

唯「……家族の、こと?」

梓「理解は、してくれると思うんですけど……やっぱりこわいですよね」

唯「言ってなかったんだ、まだ」

 すいません。

 付き合ってる人がいる、とは言いましたけど。

梓「……受け止めてくれると思いますよ。そんな気がするんです」

 お父さんの業界にも同性愛者の方がいて、そういうことへの理解があるから――とか、そんな具体的なことじゃなくて。

 なんとなく、信じれるんです。

 いつかはみんなが、私たちのことを受け止めてくれるって。

153: 2010/11/28(日) 23:27:20.51 ID:eSFSIQ3iP

 どこまでも広がる星空を眺めていたら、夏フェスの日に見たあの空を思い出しました。

梓「ずっと怖かったことがあるんです」

唯「なぁに、あずにゃん」

 言いながら唯先輩はぎゅっと私の肩を抱き留めてくれます。

梓「……唯先輩、もう18歳じゃないですか」

唯「うん」

梓「だから……どんどん変わっていってしまうんだな、って」

 夏フェスのあの空と、目の前の夜空が記憶の中で重なって見えます。

 思うことは同じでした。

 ……変わっても、私たちは変わらずにいられるのかな。

156: 2010/11/28(日) 23:30:14.17 ID:eSFSIQ3iP

 じゃあさ、って曇りそうな視界にまばゆい笑顔が飛び込んできました。

唯「私たち、いっせーのせっで変わっていけばいいよ。そしたら変わっても、変わらないでしょ?」

梓「……なんか、唯先輩って変なことばっか思いつきますね」

 まただ。

 おかしくてちょっと笑ってしまって、それが本当にうれしかったです。

 唯先輩はときどき、こんな風に突拍子もないアイデアで私たちを助けてくれたりするんです。

梓「でも……唯先輩はいつも先に行っちゃうじゃないですか?」

 今日だって、エレベーターからすぐ飛び出して行っちゃったし。
 先に年をとって、先に卒業してしまうし……。

唯「大丈夫だよ」

 そう言って、唯先輩は私の手を持ち上げて、自分の手のひらを重ねなおしました。

唯「こうやって、かさねておけば大丈夫。ずっと一緒だもん」

 昨日までだって同い年だったから、重なってたもんね。

 そう言って唯先輩は笑いました。

157: 2010/11/28(日) 23:35:14.88 ID:eSFSIQ3iP

 閉場20分前の音楽が流れ始めました。

 この展望台は0時まで開いてるらしいですが、隣の駅とはいえ終電もあります。

 どこかに泊まるのも考えてたけど、今日は家に帰った方がいいでしょう。

唯「……ねえ、」

梓「なんですか?」

 唯先輩はそれからなにも言わず、手のひらをぎゅっと握りました。

 秘密の合図のように私も重ねた手のひらを握ります。

 お互いが一緒になれなくても、離れて過ごす日があったとしても。

 こうやって、どこかを一つ重ねて歩いていけば……これからも、離れずにいられる気がした誕生日でした。

梓「唯先輩、誕生日プレゼントです」

 きょとんとしたかと思いきや、わくわくしはじめた唯先輩。

 私はけさ学校でプレゼントしたお揃いのネックレスに加えてもう一つプレゼントしました。

 手のひらだけでなく、くちびるも重ね合わせて。

160: 2010/11/28(日) 23:48:25.26 ID:eSFSIQ3iP

  ◆  ◆  ◆

梓「ねぇねぇ」

唯「なあに?」

梓「……おめでとう」

唯「うん……ありがとう」

161: 2010/11/28(日) 23:50:23.34 ID:eSFSIQ3iP

【2012年11月28日 23:50:22/平沢家 寝室】

唯「……あずさ」

 日付が変わる十分前、唯の声が聞こえた。

 布団の中で絡ませあった肌は少し前から汗ばんでいて、心地よい熱気の中で二年前の唯の誕生日を思い出していた。

梓「なあに、ゆい」

唯「もうすぐ終わっちゃうねって、私の誕生日」

梓「うん……今日は唯が二十歳になった日だもんね」

 名残惜しいなあ――はだけた布団から冷えてゆく私の背中を撫でながら、唯はつぶやく。

162: 2010/11/29(月) 00:00:21.39 ID:z0r8GAA8P

梓「あっねえ日付変わるよ。じゅう、きゅう、」

唯「待ってよあずにゃん! 心の準備が――」

 あわてる唯の身体を抱きしめ、これ以上ないぐらい肌を重ね合わせる。

 ふくらんだ胸と汗に溶けた肌を繋いで、皮膚が癒着するぐらいに抱きしめる。

 それは、私たち二人のうちどちらかが誕生日を迎えるときの恒例行事だった。

 唯が高三の時以外、いつも抱きしめてキスしながら年を重ねてきた。

 いまは「誕生日が終わるとき」だけれどね。

梓「……だいすき」

 私は唯を、昔と変わらないやり方で抱きしめた。

 ――日付が変わった。

163: 2010/11/29(月) 00:06:24.28 ID:z0r8GAA8P

 繋げた二つの舌をほどいて唇を離す。

 濡れた唇と惚けたような唯の顔は昔と変わらない。

 あごの下をちょっとなでてみると、唯は犬みたいに気持ちよさそうに目を閉じた。

梓「今のご感想は?」

 ふざけて尋ねてみる。

 唯も「うぅーん……」と少し大げさに悩んでみせたあと、思いついたように答えた。

唯「……なんか、ほんとに十九歳が終わっちゃったなって気分」

梓「終わってるじゃん、とっくに」

 からかって聞くと、唯はきゅうにまじめな顔をしてみせる。

唯「だって……大人に、ならなきゃいけないじゃん」

165: 2010/11/29(月) 00:11:34.78 ID:z0r8GAA8P

梓「でもさ、二十歳って……完ペキ大人だよ、年齢的には」

唯「年齢的にはって……でも私も自覚、まだあんまないけどさ」

 唯が私の身体を抱くやり方が、何かを確かめるようなものに変わる。

 手のひらで身体の輪郭を撫でるような、私の存在を確かめるような。

 唯がこんな風に抱きしめるのは、決まって何か不安があるときだ。

唯「昔ね、二年前かな……大人になったら、大人になれるのかなって思ったの」

梓「ふふっ、いみわかんないよそれ」

 そんなの十九歳の私だって、まだ分かってない。

唯「でもその頃もさ、大人になった自分が想像できなくて」

梓「わかる、ていうか誰だってそうじゃん」

唯「なんか、別の人間になってしまうことみたいで」

 ――変わるのって、やっぱ怖いね。

 成人して丸一日経った唯はしみじみとつぶやいた。

166: 2010/11/29(月) 00:17:30.98 ID:z0r8GAA8P

梓「……ゆいー、二年前の誕生日のこと、おぼえてる?」

唯「あはは、それ昼間に私が聞いたことじゃん」

 そう、今日は二人ともバイトが休みだったから……ちょっとだけ桜ヶ丘に帰郷してみたんだった。

 未成年を名残惜しむ唯に連れられて、私たちの思い出の場所をひとつひとつめぐって。

 昼間の一時ぐらいだったかな、あの公園に着いたのは。

唯「……なつかしいねえ」

梓「……そうだねえ。唯があんなに泣きじゃくって…」

唯「そういうとこだけ、思い出さないでよっ」

 少しむくれる。
 変わんないなぁ。

167: 2010/11/29(月) 00:24:11.63 ID:z0r8GAA8P

梓「二年前の誕生日にさ、ゆいが教えてくれたんだよ」

唯「え……なにを?」

梓「変わるのが怖くなったら、どうすればいいかって」

 おぼえてない、なんて唯はまたとぼけて見せた。

梓「いろいろ言ってくれてるじゃん、音楽を私たちの子どもってことにしようよ、とか」

唯「えーそれ絶対誕生日の話じゃないよ……」

梓「うん、それは誕生日じゃなくて、一年ぐらい前に別れそうになったとき」

唯「よく覚えてるね……」

 当たり前だよ。

 私は二年前からずっと、あなたのすべてを分かっていたいんだから。

174: 2010/11/29(月) 00:36:48.10 ID:z0r8GAA8P
唯「あのね……あずさ」

梓「……付き合ってて、ほしいかな。これからも」

 わかるよ。

 唯がいま、どんなこと考えてたかなんて。

唯「うん……来年は、あずにゃんもこっちに来てね?」

 そういって、成人を迎えた唯がほほえんだ。

 大人に……なっていってるといいな。唯も、私も。

梓「分かりました。唯先輩も手を離さないで、ちゃんと連れてきてくださいね?」


 あの日と同じ手をつないで、秘密を交わすように握りしめあう。

 背中がさすがに肌寒くなってきて、布団をかけなおそうとしたとき――窓から見えた夜空。

唯「……東京でもさ、星って意外とみえるよね」

梓「そうだね……うん」

 あの日と同じような星を見つめながら、私たちはもう一度口づけをかわした。
 明日、二人で一緒に少しでも変われていたらいいな。そんなことを、考えながら。


つづく。

176: 2010/11/29(月) 00:41:59.60 ID:z0r8GAA8P
読んでくれた人ありがとう
一日二日遅れの唯ちゃん誕生日おめでとうSSでした
ほのぼの百合にしようと書いてたらいつしかこうなった なにこの書いてる間にジャンルが変わる現象・・・・。
ムギちゃんの家庭環境についてはここで書いても蛇足なんでそのうちに 律澪もそのうち
とりあえず次は憂が紬に弟子入りするか、澪が髪の毛染めるか、純ちゃんがツイッターにはまる話にする

180: 2010/11/29(月) 01:03:37.70 ID:oMz4OsHl0

引用元: 唯「昨日のことって覚えてる?」