5: 2010/03/03(水) 08:38:16.00 ID:IQFxlQLMO
幸せだった。
騙され続けていた頃は幸せだった。
騙されているという自覚がなかったから。
真実を知ることで考える葦になるよりも、騙され続けて晩夏のアスファルトでひっそりと佇む雑草のままでいたかった。

……騙されていたあの頃。
セミ達がヒステリックな断末魔の悲鳴を上げ、太陽が地上にいる者をいたぶって楽しんでいた9月の初め。
けいおん! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
6: 2010/03/03(水) 08:49:25.80 ID:IQFxlQLMO
あの頃の唯は、学祭のライブが楽しみで毎日胸を高鳴らせていた。

クリスマスも正月も、ここまで唯の端正な顔に締まらない笑みを浮かべさせることはできなかっただろう。

夏休みの終わりの仄かな絶望感すら感じられなかった。

そしてそれは他のみんなも同じだったと思う。

お茶を飲んでだらけていても、何故か憎めないムードメーカーの律。

軽音楽部を引っ張る生真面目な澪。

お茶やお菓子を提供して部を影から支えてくれる紬。

可愛らしい後輩の梓。

……みんな笑っていた。みんな幸せに見えた。

7: 2010/03/03(水) 08:59:38.86 ID:IQFxlQLMO
「じゃ、今日はこれで解散っと」

空を藍色が支配する時間がいよいよ長くなり始めた頃。その日も唯達は学祭への特訓でいい汗をたっぷりと流してきた。

腕は疲弊してだらりと垂れていたし、肩は重労働に痛みで抗議していたが、胸は9月の残暑にそぐわない清々しさに満ち満ちていた。

「忘れ物ないかー?部室閉めるよー」

「忘れ物確かめるのはお前だ!今回は講堂使用許可証忘れてないだろうな?」

「大丈夫大丈夫~。念のため夏休み中に書いておいたんだから」

「極端な子」

9: 2010/03/03(水) 09:10:48.06 ID:IQFxlQLMO
帰り道。皆でたわいもない話で盛り上がる、無駄なようで大切な時間。

「じゃ、また明日ー」

「宿題忘れるなよー」

「家に帰ってからも練習続けてくださいね」

皆と別れるのが惜しい。律は梓の頭をクシャクシャと撫でていたし、紬は無邪気に手を降り続けていた。

唯は最後にもう一度手を振ると、儚い喪失感に胸をわずかに冷やしながら歩き始めた。このまま家に帰るのが惜しい。

13: 2010/03/03(水) 09:23:52.21 ID:IQFxlQLMO
ちょっと迷った末に、唯は国道沿いのアイスクリーム屋に行くことにする。

このまま家に帰る気にはなれなかった。だが別に妹が待つ家が嫌なわけではない。先ほどまで胸を高鳴らせていた幸福感にもう少し浸っていたいだけだ。

夕暮れの国道は車が多い。右へ左へと赤いテールライトが流れては消えてゆく。

運悪く、唯は赤信号にまともにぶつかってしまった。一度変わるとなかなか変わらない、悪名高い信号に。帽子を被った顔のない人物が、唯を嘲笑う。

14: 2010/03/03(水) 09:34:23.89 ID:IQFxlQLMO
信号はなかなか変わらない。当然のことだが、車は彼女を無視してどんどん国道という川に流されてゆく。

唯の中で、だんだんと鬱屈としたカーキ色の苛立ちが高まってきた。先ほどまで心を埋めていた清々しさや幸福感が台無しにされてしまった。

唯は機械があまり好きではない。踏み切りや駅の改札機など、人の行く手を阻む機械は特に。何だか機械に小馬鹿にされている気分がするのだ。

……小馬鹿にされる。そう考えると、唯の中で柄にもなく復讐への願望が高まる。相手のいない復讐。

17: 2010/03/03(水) 09:43:24.28 ID:IQFxlQLMO
車の流れが途切れるのを、唯はじっと待ち続ける。

唯の右手には大型の長距離輸送トラックが止まっている。ヘッドライトが、唯がこれからしようとしていることを咎める目に見えた。

……構うものか。唯はいつになく挑戦的な気分だった。どうせこのトラックも、ちょっとエンジンをかけただけで私の敵になるんだ。

車の流れが途切れた。唯は変わらない信号を無視して車道に飛び出す。

帽子の人物に仕返ししてやった気分だった。ちょっとしたアウトロー気取りだった。

……それが間違いだった。

トラックの氏角になって気づかなかったのだが、実は別の大型トラックがすでに凄まじいスピードで接近していたのだ。


唯は綺麗にはね飛ばされた。

19: 2010/03/03(水) 09:51:38.37 ID:IQFxlQLMO
「……ちゃん、お姉ちゃん!」

……誰かが呼んでいる。唯は水の中に仰向けに横たわっていた。視界がゆらゆらと揺れている。

水の中なのに、何で息ができるんだろう。唯はぼんやりと靄がたちこめる頭で、答えのない疑問と共にいた。

「……ちゃん、お姉ちゃん!」

唯はふと、憂とプールに行った日のことを思い出す。あの日、プールから上がったあとに食べたアイス、おいしかったなあ。

……そういえば私、アイス食べたっけ?

「お姉ちゃん!!!」

「!!!」

22: 2010/03/03(水) 09:59:06.14 ID:IQFxlQLMO
唯は突然目を覚ました。それはまさに、長時間沈んでいた水から浮かび上がるような目覚めだった。

起き上がろうとして、肩から胸にかけて凄まじい激痛が走った。灼熱のナイフで体の内側から切られるような痛み。

涙の滲んだ目で、唯はあたりを見回す。何もかもが白かった。寝ているベッドも、床も壁もわけのわからない機械も。……また機械か。

「お姉ちゃん!お姉ちゃん!ああ、よかった、よかったぁ……うぅっ」

「いだだだだだだだ!!」

23: 2010/03/03(水) 10:08:45.07 ID:IQFxlQLMO
憂が抱きつかれ、唯はまたナイフで刻まれるような痛みに襲われた。涙がこぼれ落ちる。

「……あ、ごめんね。でも、でもよかったよおぉ……」

涙に滲んだ目で、唯はあたりを見回す。実にたくさんの人間が彼女を見守っていた。憂、和、軽音楽部の仲間達、両親。

……あれ、何でお父さんいるんだろ。仕事で当分留守にしてるはずなのに。

「憂、ここどこ?」

「……病院だよ。お姉ちゃん、トラックにはねられたんだよ」

24: 2010/03/03(水) 10:18:16.56 ID:IQFxlQLMO
唯はすべてを思い出した。

つまりはこうだ。彼女は変に粋がったおかげでしっぺ返しをくらい、こうして何時間も何時間も眠るハメになった。肩の痛みのおまけつきで。

幸いにも演奏に差し支えのない程度の怪我ですんだらしいが、素直に喜べなかった。むしろ申し訳なさで胃が泡立つような気分だった。

(よかった、無事だった。)

(ギター、助かった)

(心配させやがって)

(ライブに間に合うだろうか)

……みんなうるさいなあ。静かにしてほしいなあ。

唯はまだ靄の晴れきらない頭でぼんやりと考えたが、口には出さない。今は申し訳なさの方が強かった。

28: 2010/03/03(水) 10:33:56.96 ID:IQFxlQLMO
数日の後、唯はぎこちない足取りで退院した。ずっと横になっているうちに、体の使い方のコツを忘れてしまったらしい。

家に戻ってからすぐ、唯は真っ先にギターの安否を確認する。

「よかった……!無事だ!」

彼女の愛用のギターは全くの無傷だった。ギターケースにアスファルトに擦られた傷がついただけで。まさに奇跡的だった。

「よかったね、お姉ちゃん!」

(ギターなんかどうでもいいのに)

(もっと他に考えることがあるでしょうに)

(自分の体のこととか、迷惑をかけた人のこととか)

「あ……ごめんね、憂。今度から気をつけるよ。そうだよね、みんなに迷惑かけたよね」

「え?私はただ、よかったねって」

32: 2010/03/03(水) 10:43:21.47 ID:IQFxlQLMO
「え?……あれ?」

憂は言った。確かに言った。唯の身勝手な振るまいを咎めるようなことを。

「お姉ちゃん、どうかした?」

(何でわかったんだろ?)

(顔に出ちゃったのかな。そんなにキツい顔してたかな)

(次から気をつけないと)

憂の動揺が、手に取るようにわかる。……唯の小さな手には多すぎるほどに。

(それより、せっかくのお姉ちゃんの退院なんだし、今夜はパァッとやろうかな)

(たまにはお寿司でもとろうかな)

「あ、憂。何にも気を使わないで。自業自得なんだし」

「……え?」

「……え?」

33: 2010/03/03(水) 10:57:36.61 ID:IQFxlQLMO
「……お姉ちゃん、何でわかったの?」

憂の顔に、はっきりと動揺と困惑が浮かんでいた。だがその表情は、憂の内部の混乱を半分も伝えきれていなかった。

(……顔になんか書いてあるのかな)

(ちょっと鏡見てこよう)

「ま、まあいいや。ちょっとトイレ行ってくるね。晩ご飯はたまにはお寿司にしよう」


部屋に取り残された唯は、憂に負けず劣らず混乱していた。

憂は何故あんなに動揺してるんだろう。ただのありふれた会話で。

別に、おかしなことを言った覚えはない。いつも通りの言葉で、いつも通りに返したつもりなのに。

……つもり。あるいはやはり私がおかしいのかもしれない。狂気に捕らわれた人間が、自分は正気だと思いこむのと同じに。

唯は絡み合ったコンセントを一本一本ほどくように、今の会話の意味を吟味する。

……やがて、一つの突飛な、だが辻褄のあいすぎる答えが浮かび上がる。

(私……他人の心が読める!?)

37: 2010/03/03(水) 11:13:19.97 ID:IQFxlQLMO
急に心臓が活発になる。胸の中で白い閃光が弾け飛ぶ。……きっと今胸に手をあてたら、心臓はシャボンの泡よりもあっけなく壊れてしまうだろう。

唯は口を半開きにして、呆然とその場に突っ立っていた。体が前に傾ぐ。平均感覚すら失われてしまったらしい。

(他人の心が読める……これ、いわゆる超能力ってやつなの?)

彼女の頭は、答えを求めてあてもなくさまよう。答えなどあるはずもないのに。

……ふいに唯は笑い出した。乾いた笑い声が抑えきれない。肩が痛みという抗議の声をあげるが、気にもとめずに全身で笑い続ける。


それは、唯が初めて獲得した勝利だった。
頭の出来も体も並みで突出した才能もない、平凡な少女が手にしたあまりにも大きすぎる勝利。

39: 2010/03/03(水) 11:27:43.67 ID:IQFxlQLMO
翌日の朝。
いつも寝ぼすけな姉が時間通りに起きてきたのを見て、憂は目を疑った。

(お姉ちゃんが早起き……だと……!?)

(お天気が変わるんじゃないだろうか?雪でも降ってきたりして)

(……お金でも降ってこないかなあ)

「おはよー。憂」

唯は憂の“言葉”を無視してにこやかに朝の挨拶をする。

昨日のうちに、唯はこの“力”の使い方を完璧にマスターしておいた。どうやら“心の声”は、通常の言葉と違いわずかに滲んで“聞こえ”るようだ。

この区別さえつければ昨日のような失敗はしないだろう。

……昨日はずっと上の空だった。憂がせっかく頼んでくれたお寿司も、久々の自宅での入浴も、何の感動を与えてくれなかった。

40: 2010/03/03(水) 11:36:46.02 ID:IQFxlQLMO
実のところ、夕べは興奮のあまりほとんど寝られなかった。布団の中であっちを向いたりこっちを向いたりして夜を無駄遣いしただけだ。

(お姉ちゃん、やけにご機嫌だなぁ)

(……まあ、退院あけだしね)

「お姉ちゃん、学校が楽?」

「うん、楽しみ!早くみんなに会いたいや」

早くこの“力”を有効活用したかった。これさえあれば面倒な人間関係に悩まされずにすむのだ。

……そう、私は誰よりも空気の読める人間になったんだ。

唯はこの“力”を公表するつもりはなかった。超能力なんて誰も信じないだろうし、主張したところで頭がおかしいと思われるだけだ。
だったら一人で楽しむに限る。

41: 2010/03/03(水) 11:41:47.67 ID:IQFxlQLMO
ミスった

×学校が楽
○学校が楽しみ

43: 2010/03/03(水) 11:54:44.06 ID:IQFxlQLMO
大急ぎで朝ご飯を詰め込み、顔を洗って家を飛び出す。

「先行くね、憂!」

「お姉ちゃん、待って!」

憂の言葉を後にして唯は晴れた空の下に飛び出す。太陽は地上にいるものを焼き焦がすことを諦め、いまは空の片隅でちんまりと縮こまっている。

どこからかキンモクセイの冷たく甘い香りが漂ってきて、唯の弾んだ心にさらに勢いをつける。

たまにいろいろな人間とすれ違う。たいていの人の“声”は日常の些末な問題について語っていた。

誰に聞かせるつもりもない声。聞く者などいないはずの声。

(給料日)

(安売り)

(メール)

(嫌な授業)

46: 2010/03/03(水) 12:04:56.62 ID:IQFxlQLMO
唯は他人の“声”を聞くことに、罪悪感がないわけではなかった。スケベ心でプライベートを覗き見するなどいけないに決まってる。

でも、と彼女は罪悪感を抱きしめ、頭を撫でて落ち着かせる。

望んで得た“能力”ではないのだ。それに“声”の方が勝手に私に飛び込んでくるのだ。いったいどうすればいいというのだ。

巣にトンボが引っかかった蜘蛛に何の責任があるというのだろう。夏の虫が飛び込んできた火に、どうすることができるだろう。

そんなことを考えていると、ふいに二種類の“声”が“聞こえて”きた。彼女がよく知る後輩の声。

「せんぱーい、唯先輩ー!」

49: 2010/03/03(水) 12:15:20.79 ID:IQFxlQLMO
ツインテールをぴょこぴょこと揺らしながら、梓が駆けてくる。もちろん“声”もばっちりと聞こえる。

(一応治ったんだ。助かったなぁ、ライブ)

(今日からみっちり練習させないと)

(……抱きつかれるのは嫌だなぁ)

唯は梓を抱きしめようとした手を引っ込める。……そっか、嫌だ嫌だって言ってたけど、本当に嫌だったんだな。もう止めないとなぁ。

少し残念だったが、仕方がない。嫌がらせは唯の好みではなかった。それより、“力”が早速役にたってくれたことに感謝しなくてはならない。

「あずにゃん、おいーす」

「おはようございます。肩はもう大丈夫なんですか?」

(ライブは出られますよね?)

「……うん、大丈夫だよ」

唯はちょっとだけ傷ついた。寄りかかっていた木がフッと消えてしまったような気分だった。

……私の体の調子よりもライブかいっ。

52: 2010/03/03(水) 12:26:59.08 ID:IQFxlQLMO
二人は並んで登校する。梓は唯に事故のことをああだこうだと咎めているが、彼女はほとんど上の空だった。

「……唯先輩は不注意なんですよ。だから……ちょっと、聞いてますか?」

「ちゃんと聞いてるよ」

……もちろん聞いている。ただ、聞く“声”の種類が違うだけだ。

「おーい、唯ー!」

顔を上げると、懐かしい顔が二つ。律と紬が手を振って待っていた。

「あー、りっちゃん!おいーす!」

(……チッ、今日もあいつの顔を見なきゃならないのか。気違いデコ女)


……え?

55: 2010/03/03(水) 12:35:50.14 ID:IQFxlQLMO
唯は今“聞いた”ことに耳を疑った……聴覚を使ったわけではないのでこの表現は誤りかもしれないが。

後輩の顔を見つめる。にこやかに笑った愛らしい顔に似合わぬ赤黒い憎悪の念が彼女から発散されていた。

(ふん、ニヤニヤと締まらない笑みを浮かべやがって)

(穀潰しの分際で先輩面しやがって)

(気色悪いレO女といちゃいちゃしてさ)

……鏡を見たら、きっと滑稽な表情をしているに違いない。唯は顔の感覚をすっかり失ってしまった。

「唯ー、今日は早いんだなぁ」

「学校に行きたくてしょうがなかったでしょう?」

(おい唯、なんでそんな害虫と一緒に仲良く歩いてんだよ)

(あなたはこっち側の人間でしょう?)

58: 2010/03/03(水) 12:46:04.68 ID:IQFxlQLMO
聴覚がズルズルと蛞蝓のように唯の耳から滑り落ちてゆく。律や紬や梓が発する言葉が耳から耳へと抜けてゆく。

唯は呆然と別の“言葉”を“聞いて”いた。律と紬から汚らしい黄色の悪意が発散されている。

(このチビ、唯に惚れてんじゃねえか?ベタベタしやがって、気持ち悪い)

(キイキイとヒステリックに叫んで、ノイローゼになりそうよ)

(何で入部させたんだろ?入部させなきゃよかった)

(さっさと出て行かないかしら)


……律が梓の頭をクシャクシャと楽しげに撫でる。梓が笑顔で手を除けようとする。紬は嬉しそうににそれを見つめている。

唯だけが笑みとは無縁の、鉛の池をさまよっていた。

63: 2010/03/03(水) 13:01:50.18 ID:IQFxlQLMO
感覚の失われた足で、いったいどうやって学校にたどり着けたのだろう?

唯は青白い凍えに取りつかれていた。まだ9月だというのに腹の底が、頭の内側が寒くて寒くてたまらなかった。

耳を塞ぎたくてたまらない。だが耳を塞いでも無駄なのだ。唯の心は悪臭を発する、汚い色をした憎悪の念で埋め立てられそうだった。

(入部しなきゃよかった。ライブで成功させたらさっさと辞めてやろうかな)

(害虫の頭触っちまった。後で手を洗わなくちゃな。消毒もすませなきゃ。オエッ)

(新人のペーペーの癖に、威張り散らして。何様のつもりかしら)

……澪ちゃん。澪ちゃんなら、大丈夫だよね。みんなのことが大好きだよね……。

「おい、律ー!」

「おぉ、澪ーっ!」

(何だよ律。またそいつと一緒かよ。さっさと退部させろよな。部長だろ?)

唯の希望はあっさりと打ち壊された。にこやかに笑う澪の手によって、あっさりと。

66: 2010/03/03(水) 13:16:02.07 ID:IQFxlQLMO
「おい律、講堂使用許可証はどうしたんだ?」

(おい、害虫の件はどうするんだよ?)

「か、書いたよ、ちゃんと!!夏休みに!」

(ちぇっ、こないだ話し合った件、しっかり覚えてるんだろうな。)

「書いても出さなきゃ意味ないだろうがっ!」

(優柔不断だなぁ、早く切り出せよ)

「し、しまった!……ぐえっ、唯、ムギ、助けてくれえ~」

(糞、なんで私が害虫駆除なんかしなきゃならないんだ。自分でやればいいじゃないか。人任せにしやがって)

澪は怒った顔をしていたが、どこか楽しそうな顔だった。

律は苦しげにしながらも苦笑を浮かべていた。

紬も梓も、呆れて笑っていた。

……なんでこのヒト達、笑っていられるんだろう。なんで楽しげにできるんだろう。

唯はこんな状況だというのに、人体の神秘に感心せざるを得なかった。

69: 2010/03/03(水) 13:28:26.73 ID:IQFxlQLMO
その日授業でどんなことを勉強したのか、唯は全く思い出せない。

集中しようにもできないのだ。何十人ものクラスメートの“声”が邪魔をするから。

(糞教師、今日も授業時間伸ばすんだろうな)

(あたしらに流し目なんか使いやがって。ペドかっつー)

(キモい)

(ウザイ)

……これでは図書館で勉強しても同じことだろう。こんな調子がいつまでも続くのなら、単位を落として留年するかもしれない。

“能力”をカンニングに利用するほど、唯は頭がよくなかった。

70: 2010/03/03(水) 13:41:40.17 ID:IQFxlQLMO
クラスメートの“声”で特によく“聞こえる”のは、やはり律と紬のそれだった。梓に対する罵詈雑言が、いやというほど“聞こえて”くる。

この二人や澪は、どうやら鬱屈とした行き場のない感情を陰で梓にぶつけることで固く結束しているようだった。……これではいじめと何にも変わらない。

しかし唯は、梓に同情する気はさらさらなかった。彼女もまた、陰で唯以外の三人の先輩を憎悪することで鬱憤を晴らしている卑屈な人間なのだから。

自分に誰も悪意を向けていないことを知っても、唯は少しも安心も満足もできなかった。むしろ軽音楽部の仲間達への失望感で潰されそうだった。


……“力”のことを知って興奮したのが、前世のことに思える。

75: 2010/03/03(水) 13:57:40.00 ID:IQFxlQLMO
昼休みになっても食欲は全くなかった。普段は四時間目には胃がキリキリ痛み出すくらい空腹に悩まされるのに。憂が作ってくれたお弁当がこれほど煩わしいのは初めてだった。

「なんだよ、唯。全然箸が進んでないじゃん」

「やっぱり体調が悪いの?」

(いいな、憂ちゃんの手作り。うちのババアのより全然うまそう)

「……りっちゃん、あげる」

唯は弁当箱ごと律に差し出す。律は目を輝かせて喜ぶ。……あの真っ暗な目をどうやって輝かせることが出来るんだろう。不思議だ。

「本当か?ならくれ、全部くれ!サンキュー、唯!」

(ありがたやありがたや……さて、害虫駆除の案でも練りますか)

82: 2010/03/03(水) 14:18:03.28 ID:IQFxlQLMO
まただ……。

唯は律の肩を強く揺すって、梓への悪意を全部吐き出させてやりたかった。こんなのりっちゃんのキャラじゃないよ……!

(どうしてやろうか。梓のお茶の中に唾でも混ぜてやろうか、ケーキのがいいかな)

(だけど唾じゃわからないよなぁ。味が変わるわけじゃないし)

(もっと強烈な物……例えばカラシとか納豆とか)

しばらく律の頭の中を、「強烈な物」のイメージが浮かんでは消えた。

(あ、そうだ。これなんか使えるんじゃないか。使用済みの生理ナプキン)

……え?

85: 2010/03/03(水) 14:30:15.49 ID:IQFxlQLMO
(うんうん、これでいこう。後は……犬の糞でも混ぜておくか?チョコケーキかエクレアにでも)

(ショートケーキには鳩の糞か?ケケ、やってみたいやってみたい)

……何を考えてるんだ、このヒト。

唯の心に、律の汚い妄想が流れ込んでくる。妄想はどんどんエスカレートして、さらに汚いものになってゆく。

……このヒトが、憂のお弁当を食べてる。憂のお弁当が汚される。やめて、返して……!

(梓、餌だよ。……澪先輩、これゲロですよね?……なんてな、ケケケ)

唯の中で何かがはじけた。もう我慢できなかった。立ち上がって拳をプルプルと震わせる。椅子が必要以上に大きな音をたてる。

「……どうした、唯」

89: 2010/03/03(水) 14:43:44.35 ID:IQFxlQLMO
「ちょっとトイレ行ってくる」

唯は精一杯普通の声……そうであればいいのだが……を出す。

「汚い奴だな、こっちは食事中だぞ」

へへ、ごめんね。麻痺した顔を無理やりに笑いの形に歪めてから、唯はトイレに向かって走り出す。

妙に足がぐにゃぐにゃする。頭が熱くてたまらない。


唯は空いていた個室に駆け込むと、便器に叩きつけるように激しく嘔吐した。

便器に跳ね返って、水とも反吐ともつかないものが顔に飛んでくる。しかしそのわけのわからない液体ですら、唯の心でのたうち回るおぞましい妄想には勝てなかった。

吐きながら唯は泣いていた。大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち、鼻水が溢れでる。

93: 2010/03/03(水) 14:56:27.70 ID:IQFxlQLMO
どのくらい時間がたっただろう。

涙と鼻水と涎で悲惨な状態になった顔をペーパーで拭い、唯はぎくしゃくした動きで個室から這い出てきた。

鏡を見る。顔が真っ青で、目がどんよりと濁っていた。川岸に打ち上げられた魚の氏骸よりも悪い。

唯はもともと勉強熱心な人間ではないが、今ほど授業に戻りたくないと思ったことはなかった。また何十人もの“声”を聞かされることになるのだから。

全部この“力”のせいだ。いや、あの時の私のせいだ。あの日、あんな事故にさえあわなければ、こんな力は……。

……ねえ、あの頃の私。私、あなたのこと、……絶対許さないから。

「あれ、唯?」

99: 2010/03/03(水) 15:09:04.59 ID:IQFxlQLMO
「の、どか、ちゃん」

唯は氏んだ舌を動かし、必氏に返事を返す。和は相当に驚いたようだ。……無理もないだろう。今の顔は誰にも見せたくなかった。

「どうしたのよ、あなたはっきり言って……相当ひどい顔してるわよ」

「……具合悪くなっちゃった。久々の学校だから」

唯は反吐の悪臭を防ぐため、口を覆って会話しなければならなかった。だが今は和と話せることが嬉しかった。少なくとも彼女の“声”は正直に唯を心配していた。

102: 2010/03/03(水) 15:17:47.30 ID:IQFxlQLMO
「具合悪いのなら、無理に授業に出続けることないのよ。保健室行こうか」

「……じゃあ、お願いしようかな」

(保健室……ベッド)

(唯をベッドに押し倒したい)

あれ?

(暴れる唯を叩きのめして泣き出したところでチュッチュッしたい)

あれ?あれ?

(唯のお舐めたい)

あれれれれ?

(唯の処O奪って号泣させたい)

「……ごめん、やっぱり一人で行くよ」

124: 2010/03/03(水) 16:42:25.33 ID:IQFxlQLMO
唯の胸が煮え立つような吐き気で泡立つ。和から発せられる欲望が、すでに律の妄想が蹂躙し尽くした心を汚す。

「無理よ。このまま放っておいたら、唯倒れちゃうわよ」

「大丈夫だって……ほら、ちゃんと一人で歩けるよ」

(……人形のくせに、生意気なのよ)

唯は思わずビクッと体を震わせる。和から発せられた、はっきりとした悪意のナイフが胸にねじ込まれる。

「とにかく……大丈夫だから!ごめんね、また今度!」

128: 2010/03/03(水) 16:59:45.41 ID:IQFxlQLMO
和の苛立ちの“言葉”から逃れるように、唯はおぼつかない足取りで歩き出す。

途中、何人かの生徒とすれ違った。彼女達の“言葉”は容赦なく疲弊しきった唯に襲いかかる。


やたらと重くなった腕を上げ、唯は保健室の戸を開ける。そのまま前につんのめるように入り込む。薄っぺらな紙にでもなった気分だ。

保健室のベッドには誰も寝ていなかった。保健の先生すらいなかった。よく眠れそうだ。もしかしたら、寝ている間にすべてが元通り……唯の思う元通りになっているかもしれない。

そう思った時、唯に“声”が飛び込んできた。

「さ、さわちゃん……」

132: 2010/03/03(水) 17:17:33.66 ID:IQFxlQLMO
(……女子高の教員なんかになるんじゃなかった)

「……さわちゃん、あのー……」

(騒がしくて糞生意気な小便臭いガキの分際で、恋愛ごっこなんかにいそしみやがって)

「さわちゃん……もしもーし、さわちゃん……」

(ベタベタ引っ付いて、みっともないったらありゃしない。私が学生の頃は……)

「……さわちゃんっ!!」

「え?……ああ、唯ちゃん。どうかした?」

「あの、ベッドを……貸して下さい。体調が悪くて……」

「あら、大変。ゆっくり休んでいきなさい」

135: 2010/03/03(水) 17:31:00.21 ID:IQFxlQLMO
唯はすぐに自分の判断を後悔した。さわ子の女子高生へ向けられた憎悪の“言葉”に何時間も悩まされるハメになったから。

……嫉妬。そうとしか言いようがない。さわ子の思考は実にシンプルな素材でできていた。唯達女子高生の若さへの僻み。

眠ろうにも、さわ子の“言葉”がうるさくて眠れない。しかも静かにしろと言って済む問題ではないのだ。

(若いくせに軽率)

(私の子供の頃は決して)

(いやらしいったらありゃしない)

……もしかしたら、私は永遠に眠ることが出来ないのではないか。唯は恐ろしい想像にとりつかれる。

139: 2010/03/03(水) 17:42:02.58 ID:IQFxlQLMO
今はまだいい。自宅に帰れば憂以外の声は聞こえないのだから。だがもし自分の“能力”が発達して、もっと広範囲の人間の“言葉”が“聞こえ”るようになったら……。

唯は“言葉”をシャットアウトしてみようと努力する。だがいくら力もうと力を抜こうと、さわ子の“言葉”はいつまでも遠いお経のように響いてくる。

……それはそうだ。閉め方もわからず、おまけにどこにあるかすらわからないドアを誰が閉めることが出来るだろう?

唯が無駄な抵抗を続けているうちに、とうとう最後の授業が終わってしまった。

141: 2010/03/03(水) 17:50:12.98 ID:IQFxlQLMO
さわ子に礼を言うと、唯は荷物を取りに教室にふらふらと歩き出す。なんだか保健室に来る前よりも体調が悪化した気がした。

……家に帰ろう。帰ってからゆっくりと一人だけの世界にこもろう。“声”が“聞こえ”ない世界に。

……一度こもってから、もう一度外の世界へ出てゆく自信はないが。

「あれ、唯。こんなとこで何してんの?」

「……澪ちゃんか。保健室で寝てたんだよ」

澪の“声”には少なくとも悪意は込められていなかった。だが唯は知っている。悪意なんてものは、紙飛行機を折るよりも簡単に作れるのだ。

142: 2010/03/03(水) 18:01:31.00 ID:IQFxlQLMO
「それより澪ちゃん。今日の部活はお休みさせてほしいんだけど」

「ええっ?もうすぐ学祭のライブなんだよ?出てもらわなきゃ困るよ」

「でも私、授業もお休みしちゃったし、なんか体の調子が……」

「黙ってりゃ大丈夫だって!だいたい、朝はあんなに元気だったじゃないか」

唯のなかに黒い怒りが灯る。その元気を奪ったのは、いったい誰だと思ってるんだ。

「とにかく、休むのは絶対にダメだ!どうしても休みたいなら明日にしてくれよ」

「……わかったよ。わかったから荷物だけ取りに行かせて」

144: 2010/03/03(水) 18:12:02.92 ID:IQFxlQLMO
澪に乱暴に手を引かれながら、唯は何か巨大なモノにじわじわと押しつぶされてゆくような気分だった。ナチのガス室に向かうユダヤ人も、こんな気分を味わったのだろうか。

あの事故の前、“能力”が備わる前まで、唯にとって部室は大好きな場所の一つだった。部室の空気を吸い、部室の香りを嗅ぐだけで心が浮き立ったものだ。

ところが今は……心を蝕むガス室でしかなかった。“言葉”というガスの充満する。

……神様。もし叶うのなら、せめて澪ちゃん達とあずにゃんを仲直りさせて下さい。

148: 2010/03/03(水) 18:27:35.70 ID:IQFxlQLMO
唯は心から願う。せめて部室にいる間だけは、醜い“声”を聞きたくなかった。

しかし、澪が部室の戸を開けるとすぐに、充満した薄汚い“声”が唯を包み込んでしまう。彼女のささやかな願いはあっさり裏切られた。

「こんにちは澪先輩、今日は遅いんですね」

(唯先輩から離れろ)

「何やってたんだよー」

(早くこの害虫を駆除しろよ)

「いや、唯が体調悪いから帰りたいっていうんだよ。それで仕方なく」

(空気読めないんだからどっか行けよ。髪結べば可愛いとでも思ってんのか)

155: 2010/03/03(水) 18:40:16.60 ID:IQFxlQLMO
「唯も年頃だからな、悩みが多くて疲れてるんだろ」

(白痴の糞チビと違ってな)

「お茶でも飲んで元気出して下さい」

(つうか、さっさと用意しろレO沢庵。手前の存在意義はそれだけだろうが)

「はいはい。みんなちょっと待っててね。」

(私をメイドか何かと勘違いしてるんだわ。己を知りなさいよ、この牝豚)

……みんな窒素しないのだろうか。あるいはみんなもうとっくに氏んでて、大切なものをどこかに置き去りにしてしまったのだろうか。生きた人間は私だけなのだろうか。

「……ムギちゃん、私も手伝うよ」

「あら、唯ちゃんは気にしないで」

159: 2010/03/03(水) 19:00:07.61 ID:IQFxlQLMO
湯気をたてるカップ、高級そうなクッキー。

いつもの唯なら迷わずに飛びつくところだが、今の彼女はとてもそんな気分になれなかった。

いまだに律の妄想が醜く崩れた古代遺跡のごとく心の地表にへばりついていたし、何よりこんな淀んだ空気の中で何かを口にできるわけがなかった。

「食べ終わったら練習しますからね、唯先輩」

「……うん、たまにはちゃんと練習しようか」

何気なく言った刹那、唯は律と澪と紬の鋭い目線に貫かれた。彼女達の内部で、何かの機械が素早く計算を始める。

「ええー、唯、裏切るのかよー。ぶーぶー」

(……なんだよ、害虫の肩をもつのか?)

「もっとおいしいお菓子あるのよ。焦らなくてもいいわ」

(唯ちゃん、向こう側に“転ぶ”可能性があるわね)

「いや、唯の言うとおりだ。偉いぞ」

(要注意だな)

164: 2010/03/03(水) 19:19:10.28 ID:IQFxlQLMO
……結局澪の鶴の一声で、ティータイムは適当に切り上げることになった。

唯は愛用のギターをケースから取り出すと、ぎゅっと抱きしめる。何も言わずに彼女と共にいてくれるのは、ギターだけなのだ。そう思うと物言わぬギターがたまらなく愛しく感じるのだった。

「何やってんだ、唯」

律が声をかける。同時に明らかに不機嫌な“声”を彼女に突き刺す。

(早くしろよな、ったく)

唯は慌ててギターを手に「仲間」達のもとに向かう。猜疑心が三つ分、彼女の肌をチリチリと焼く。

165: 2010/03/03(水) 19:26:28.70 ID:IQFxlQLMO
「じゃあいくぞ、ワン、ツー、スリー、フォー……」

唯は久々に……事故にあい、忌々しい“能力”に目覚めて以来……久々に高揚感に包まれた。彼女はギターと一体になり、ギターは彼女の忠実な腕になる。

高らかに最初のパートを奏で始めた時、ふいに周囲の演奏の音が途切れた。唯のギターの音が行き場をなくして戸惑う。

「ストップストップ。唯、初っ端からズレてる」

171: 2010/03/03(水) 20:03:15.32 ID:IQFxlQLMO
「……あ、ごめん」

「まあ、休み明けだし仕方ないよ」

(しっかりしろよな)

(頼むからさ)

“言葉”が焦りとなって唯を苛む。だがこの頃はまだメンバーにも余裕が見られた。“言葉”も半分励ます調子があった。

「じゃー、気を取り直して、ワン、ツー、スリー、フォー……」

174: 2010/03/03(水) 20:17:00.42 ID:IQFxlQLMO
だが、次も唯だけがずれた。しかもずれが前よりも酷くなっていた。

「ドンマイドンマイ、次いこ次」

(何やってんだよ、チッ)

(やる気あんのか?)

“言葉”がだんだんと刺々しさを帯びてゆく。唯の顔が急速に熱くなる。真っ赤になっているに違いない。腕もプルプルと震えていた。

(お前の言うとおりにしてやったんだぞ、誠意見せろ)

(なんとかしなさいよ)

(協調性がないんですか?)

梓までもが唯を「無言」で非難し始める。彼女は“言葉”を無視しようと必氏だった。落ち着け、私。こんな調子じゃ、ライブに間に合わなくなっちゃうよ。

……私は今でもライブに出たいのだろうか?

三度目。演奏を打ち切ったのは、またも唯だった。

今度は誰も励ましの言葉をかけてくれなかった。代わりに“言葉”が土石流のごとく唯に襲いかかってきた。

175: 2010/03/03(水) 20:22:05.27 ID:IQFxlQLMO
(やる気ないなら失せろ)

(迷惑なんだよ、存在が)

(また入院しろ)

(いっそ事故で氏ねばよかったのに)

(気持ち悪い顔しやがって)

(精神病院に行け)

(退部しろよ、届けはいらないからさ)

(ウザい)

(キモイ)

(氏ね)

180: 2010/03/03(水) 20:35:38.93 ID:IQFxlQLMO
「……じゃ、もっかいやって見ようか」

律が思い出したように言う。……何事もなかったかのように。

そう、何事もなかったのだ。会話に登らないということは、何事もないということなのだ。そうして軽音楽部は回り続ける。いつまでもいつまでも。

四度目の演奏が始まる。……唯のギターを除いた演奏が。

唯は無言で大粒の涙をボロボロとこぼしていた。彼女の小さな肩は激しい悲しみで震えていた。声は決してたてない。また容赦なく“言葉”が飛んでくるから。

枯れたはずの涙をそのままに、唯は黙ってギターをケースに戻し、カバンを肩にかける。そのままもう二度と来ないであろう部室から飛び出す。……当然、誰も何も言わなかった。


神様は唯の願いを叶えてくれた。

梓と澪達は仲直りをし、軽音楽部は固い固い結束で結ばれた。

……唯という共通の敵をもって。

189: 2010/03/03(水) 20:54:11.23 ID:IQFxlQLMO
……どのくらい歩いただろう。どのくらい時間がたっただろう。

唯は一人、夜の街をさまよい歩いていた。すでに空は闇に支配され、どこからか秋の虫の声がする。

夜の街は数え切れないほどの“声”で満ち溢れていた。仕事帰りのくたびれたサラリーマン、徘徊する薄汚い少年少女、塾帰りの少年などなど。

彼らの醜い“声”はたくさんのガラスの破片となり、容赦なく唯の心の残骸に降り注ぐ。

(うるさい上司、うるさい女房。どいつもこいつも氏んじまえ)

(あいつのせいだ。あいつさえいなけりゃ。……いっそ頃してやろうか)

(何だよ、迎えにきてねーじゃん。氏ね、クソババア)

(あずにゃんにゃん!あずにゃんにゃん!)


……止めて。静かにしてよ……。

191: 2010/03/03(水) 20:57:35.59 ID:IQFxlQLMO
……幸せだった。

騙され続けていた頃は幸せだった。

騙されているという自覚がなかったから。

真実を知ることで考える葦になるよりも、騙され続けて晩夏のアスファルトでひっそりと佇む雑草のままでいたかった。……

……。

……なら私は雑草になろう。もう一度。

騙されて騙されて騙され続けよう。

足は自然とあの場所に向かっていた。

198: 2010/03/03(水) 21:19:10.87 ID:IQFxlQLMO
……あの場所。なかなか変わらない信号機、路肩に止められた大型トラック。

何もかもがあの時と同じに見えた。ひとつ違うのは、警察が作った立て看板が増えた点だけ。危険!接触事故発生地点!

ここから全てが始まったのだ。ならここで全てを終わりにしよう。時計の針が12からスタートして12に戻るように。

目の前を車やトラックの赤いテールライトが流れてゆく。唯の後ろを、学生らしき一団が通り過ぎてゆく。

「……おい、あの子可愛くないか?」

「おお、俺の好み」

(脱がしてえ……)

(ヤリてえ……)

唯の中に、“言葉”と共に裸にされて喘いでいる自分のイメージが流れ込むが、唯は気にも止めなかった。

想像したければ、いくらでもすればいいよ。でも、ひとつ忠告しとく。こっち見ない方がいいよ。

唯はゆっくりとバッグとギターを降ろす。……ちょっと待っててね、ギー太。

唯は口に笑みらしきものを浮かべると、車の流れに勢いよく飛び込んだ。


すぐに慈悲深い大型トラックが来て、唯を綺麗に跳ね飛ばしてくれた。

201: 2010/03/03(水) 21:34:44.90 ID:IQFxlQLMO
遠くから聞こえるサイレンのヒステリックな泣き声。野次馬のざわめく声。

唯が自分が「失敗」したことを悟った。すぐ近くにいるトラックドライバーの“声”が聞こえたから。

(慰謝料)

(裁判)

(過失致氏)

……まあいい、結果は同じようなもんだ。もうじき“声”とは無縁の世界へ行くんだ。目の前はすでに真っ赤に染まっていた。

野次馬の“声”がガンガンと“鳴り響く”。

(ネタ)

(お宝画像)

(語り草)

……うるさいなあ、静かにしてよ。


“声”が唯の頭を満たし、心の残骸を踏みにじる。彼女の中で何かが音を立てて崩壊した瞬間、幸いにも意識が途切れた。



203: 2010/03/03(水) 21:35:56.86 ID:91cjgoHX0
二人目の運転手が逮捕されるのか・・・
トラックの運転ってかなり神経使ってるらしいね

204: 2010/03/03(水) 21:36:06.61 ID:T1/6sOur0
まじかよ

205: 2010/03/03(水) 21:37:16.42 ID:pzGx/tyF0
俺は欝になりましたとさ

210: 2010/03/03(水) 21:42:47.12 ID:IQFxlQLMO
つうわけで終わりです
半年ぶりにけいおんSS書けて満足です
読んでくれてありがとう

213: 2010/03/03(水) 21:45:26.94 ID:xxVF51Jv0
おいオチてないぞwww

乙w

214: 2010/03/03(水) 21:52:38.13 ID:YaAqwS2Z0
和「意識が戻るまで…いえ、せめて今晩だけでも付き添わせてください。唯はわたしの…親友なんです!」
和(植物ダルマになっちゃった唯…とっても素敵///今晩付き添いさせてもらって…犯っちゃお♪ デュフフw)


むしろこういう終わらない悪夢Finなヨカン

216: 2010/03/03(水) 21:57:50.40 ID:IQFxlQLMO
>>214
“能力”をなくそうとして飛び込んだんです
トラックに跳ねられてついた“能力”ならもう一度跳ねられれば消えるだろう、みたいな。
説明不足でごめんね。

引用元: 唯「読心」