386: 2013/07/10(水) 20:12:04.45 ID:2GAwufDw0

387: 2013/07/10(水) 20:13:47.41 ID:2GAwufDw0



11月初め。
いい知らせと悪い知らせが一つずつあった。

いい知らせの方は、伊織の後期の仮内申が出たこと。
これでついに内申が決定したわけだ。

伊織「どう?」

久々に伊織の自信に満ちた顔を見た。

P「むむむ……さすがとしか言いようがないな」

伊織「ふふん、やっぱり私は天才ね」
ぷちます!(14) (電撃コミックスEX)
388: 2013/07/10(水) 20:14:29.08 ID:2GAwufDw0

三年生後期仮内申

国語…5  技術家庭科…5
数学…5  保健体育…4
英語…5  美術…5
理科…5  音楽…5
社会…5  

計 44

ちなみに二年生の前期は

国語…5  技術家庭科…4
数学…4  保健体育…3
英語…5  美術…5
理科…4  音楽…5
社会…4  

計 39

389: 2013/07/10(水) 20:15:23.97 ID:2GAwufDw0

つまり44×2+39=127

これが伊織の最終内申だ。

伊織「ふふ、これじゃ合格は決まったようなものね」

P「調子のんな」

伊織「わかってますよーだ」

最近あまりなかったが、珍しく軽口も言う。
しかし俺も久々に気分が上がっていた。
135点満点中の127点とは恐れ入る。

まあ受験に関係する内申だから教師側で多少色を付けたというのもあるだろう。
それを考えてもやはりすごいと思う。

しかし、ここで気を引き締めさせるのが俺の役目。

390: 2013/07/10(水) 20:16:16.29 ID:2GAwufDw0

P「まあ内申に関してはよくやったな」

P「でもほんとに油断できないぞ」

P「例えば伊織より内申が低い……そうだな、117。伊織より10内申が低い子がいたとするだろ?」

伊織「うん」

P「その子が伊織を逆転するには何点分伊織より点を取ればいいと思う?」

伊織「さあ?100点ぐらい?」

P「40点だ」

伊織「40点……」

P「ああ。つまり一教科8点ずつ負けてればそれで伊織とその子は同じ点数になるってことだ」

391: 2013/07/10(水) 20:17:21.78 ID:2GAwufDw0

最近は受験の点数を重視して合格判定する高校が増えてきている。
入試の点数と内申、そして面接の考慮割合は各高校によって決まっているが、伊織の受ける小出高校の場合『入試:内申:面接=5:3:2』となっている。
ちなみに面接の割合も最近変わった受験制度のおかげで(せいで?)最低2割は考慮しなければならなくなっている。
それの影響もあり入試:内申で見ると入試の点数が内申より1.5倍程度の価値を持つようになっている。
つまり、

P「……最近の傾向として、入試での逆転劇が起こりやすいってことだ」

P「それに小出高校の去年の合格者平均の内申は124.4」

偏差値67は伊達じゃないと言ったところか。

P「伊織の内申は127だから、決して楽勝な勝負じゃないからな」

伊織「ふーん」

P「だから油断するなよ」

392: 2013/07/10(水) 20:18:08.09 ID:2GAwufDw0

伊織「アンタの知ってる伊織ちゃんは、そんなにツメの甘い子なのかしら?」

回想。

P「……確かライブ後、ステージからはけるときに大こけしたことが……」

伊織「うっさい!」

……

393: 2013/07/10(水) 20:18:49.09 ID:2GAwufDw0



内申が出てから数日後。
以前に受けた模試の結果が返却されてきた。

P「な?」

伊織「……」

P「油断大敵」

伊織の合格判定は『C』だった。前回は『B』。

まあ正直なところこの判定はそんなにあてにはならない。
内申については2年の後期の分しか判断材料に入ってないからだ。
おそらく最新の内申も考慮すれば判定は上がるだろうが、あえて言わなかった。
ある程度の危機感は持っていた方がいい。

394: 2013/07/10(水) 20:19:45.15 ID:2GAwufDw0

伊織「……前と点数はそんなに変わってないのに」

意外と冷静だった。
以前なら『なんで点数が変わってないのに判定が落ちてるの!?おかしいわよ!?』と騒いでいるだろう。

P「周りの点数が徐々に上がってきてるってことだ」

伊織「……そうね」

P「ま、伊織も活動休止中だしこれからだな」

言ってからぎくりとしたが、幸い伊織が特に何も言ってくることはなかった。
未だに俺に対してそのことでは何も言ってこない。

伊織「次の模試はいつだっけ?」

P「あー……再来週の日曜だな」

伊織「その時にリベンジしてやるんだから、見てなさい」

P「そうだな」

395: 2013/07/10(水) 20:20:41.16 ID:2GAwufDw0

伊織は毎月模試を受けている。
以前俺が仕事をしていた塾の外部生として模試だけ受けているのだ。

この時期の受験生は毎月のように模試がある。
それに塾に通っている生徒は、土日は文字通り朝から晩まで勉強漬けだ。
夏ごろから行っている全学年の総復習も大体ひと段落し、今の時期は難易度の高い単元の再復習と、入試形式の総合問題をがりがり解いている時期だ。
この段階でまた心が折れる生徒も出てくる。

ちなみに伊織はまだ1、2年生の復習を行っている段階だ。
平日は学校が終わり次第事務所に来て俺が帰るまで勉強。
これはもうほとんど習慣化した。
帰りの車の中での一問一答が追加されたくらいだ。
土日も朝から事務所で勉強。
俺も仕事の合間を縫って問題を解説したり、プリントを作ったりしているがほとんどは一人で勉強している。

396: 2013/07/10(水) 20:21:51.38 ID:2GAwufDw0

ちなみに、以前事務所に帰ってくると同時に音無さんが泣きついてきたことがあった。

小鳥『ぷ、ぷろでゅーさーさ~ん……』

P『は?な、どうしたんですか?』

小鳥『わ、わたし社会人失格かもしれません~』

伊織『こ、小鳥、私が悪かったから……』

小鳥『謝らないで~!』

どうやらどうしても納得いかないことがあって、俺が戻るまで待てなかったらしい。
それで、事務所にいた音無さんに質問したら

P『お、おれだって専門教科以外は答えられないですし……』

小鳥『……しくしく』

答えられなかったらしい。

397: 2013/07/10(水) 20:22:32.17 ID:2GAwufDw0

他にも

雪歩「伊織ちゃん、お茶どうぞ」

真「伊織ー、見て見て!うカルビーってのかあったから買ってきたよ!……な、なんだよその顔!」

響「いっおりー!脳の活動にはブドウ糖がいいって聞いたから買ってきたぞー!」

貴音「受験生応援らーめんと言うのがあったので買ってきました」

そんなこともありつつ、新しいリズムで伊織の勉強生活は進んでいた。

P「とりあえず近いところの目標は次の模試。それと11月中には全範囲復習終わらせるぞ」

伊織「わかった」

……

398: 2013/07/10(水) 20:23:04.78 ID:2GAwufDw0

P「じゃあな」

伊織「ええ」

P「……伊織」

伊織「『ちゃんと休め』でしょ?わかってるわよ」

P「……ならいい。今日も夕方ぐらいからぶっ続けでやってたんだからな」

伊織「大丈夫よ。すぐに休むから」

伊織「おつかれさま」

P「……ああ。おやすみ」

――――

399: 2013/07/10(水) 20:23:49.41 ID:2GAwufDw0



―水瀬邸

伊織「今日も合間に少し寝ちゃったわ」

新堂「……そうでございますか」

伊織「だからいつものやつ、お願いね」

新堂「かしこまりました」

新堂「……」

新堂「……お嬢様、差し出がましいとは思いますが」

伊織「このやり取りも定番になってきたわね」

400: 2013/07/10(水) 20:24:23.11 ID:2GAwufDw0

新堂「それでもあえて言わせていただきます……どうかご自愛ください」

伊織「ありがとう。でも、大丈夫よ」

新堂「……左様でございますか」

伊織「ええ。自分の体のことくらい、わかってるから」

新堂「……かしこまりました。それではお夜食の方はすぐお持ちいたしますので」



つづく

404: 2013/07/12(金) 20:19:26.08 ID:CES/Yeij0



AD「はーいオッケーでーす!」

雪歩「ありがとうございましたぁ」

都内スタジオ。雪歩のイメージ写真撮影が終わった。

P「お疲れさん。立派にポーズ取れるようになったな」

雪歩「えへへ、慣れてきました!あ、ちょ、ちょっとはですけど……」

関係者にあいさつを済ませたあと、次の現場に移動するため地下駐車場に向かう。
雪歩とともに車に乗り込み、スタジオを出た。

405: 2013/07/12(金) 20:20:55.05 ID:CES/Yeij0

P「やっぱり冬っていうと雪歩って感じがするな」

雪歩「そうですか?」

P「ああ、イメージ的に」

P「それに『秋は夜を目一杯乗り越え 冬は雪歩目一杯抱きしめ』って……」

雪歩「はい?」

P「……いやなんでもない」

雪歩「もうすぐ今年も終わっちゃいますねぇ」

P「そうだな。雪歩は今年アイドルランクが2つも上がったし、もうトップが見えてきたな」

雪歩「わ、私なんかまだまだですよ……」

406: 2013/07/12(金) 20:21:31.72 ID:CES/Yeij0

P「ははは、謙遜しなくてもいいだろ。今年はがんばったからなあ」

雪歩「ありがとうございます。でも、今年は本当に時間が過ぎるのが早かったです。この前お正月だったのにまたお正月が来ちゃうみたいな……」

P「はは、そうか。でもお正月の前に……っと」

雪歩「?」

P「……年末まで仕事があるからなあ。大変だけど頑張ろうな」

危ない危ない。
危うくクリスマスのことを話題に出すところだった。

クリスマスは雪歩の誕生日。
それに向けて事務所のみんなはクリスマスパーティといいつつ、雪歩のサプライズ誕生会を計画中だ。
なのでなるべくそのことを話題に出さないように、というお達しが出ていた。

407: 2013/07/12(金) 20:22:06.66 ID:CES/Yeij0

雪歩「でも、みんな去年と比べると本当に忙しくなりましたよね」

P「……そうだな」

クリスマスはみんな集まれるんだろうか。
律子と俺である程度は調整しているが、全員と言うのは厳しいかもしれない。

それに――

アイツはどうするんだろうか。

雪歩「プ、プロデューサー?」

P「ん?」

雪歩「な、何か考え事ですか?お顔が怖いですぅ……」

408: 2013/07/12(金) 20:23:03.46 ID:CES/Yeij0

P「はは、この顔は生まれつきなんだ……なんてな」

軽口を叩いたつもりだったが、雪歩はぎこちなく笑っただけだった。
……担当アイドルに気を使わせるなんて、プロデューサー失格だな。

季節は12月の中旬。
まだ雪は振っていないが冷え込みはだいぶ厳しくなり、コートが手放せない。
年末に向けてアイドルたちの仕事も忙しくなり、俺も仕事に追われる日々が続いていた。
より気を張って仕事をしなければならない時期だが、俺はいまいち調子が悪い。

伊織の顔を思い浮かべる。
伊織が事務所に来なくなって数日が経っていた。

409: 2013/07/12(金) 20:24:03.00 ID:CES/Yeij0



12月の初め、11月の模試結果が届いたあたりから少しずつ何かがずれ始めた。

P「ここはこのあいだやった問題の応用だろう?気づかなかったか?」

伊織「……」

P「まあ気づかなかったならしょうがないが……でもこっちの規則性のところなんかはせめて一つは解けたはずだ。ただ地道に数えていけばな」

俺と伊織は模試の見直しをしていた。
11月の模試の判定は『C』。
前回と変わらず、合格率は40~60%となっていた。

410: 2013/07/12(金) 20:24:39.45 ID:CES/Yeij0

11月の模試は内申が決定してから初めての模試だったので、俺も伊織も判定が上がることを期待していた。
伊織の三年生後期の仮内申はなかなかのもので、そのおかげで小出高校の合格者の平均内申は上回っている。
内申が出ているため今回は純粋に点数勝負、点数が良ければいい判定が出る。
判定の信頼度が高くなってきている時期の模試だったのだ。

それで出た判定が『C』。
俺も意外だった。

伊織も気落ちしているだろうとは思ったが、早急に原因を調べなければならない。
いつもであれば伊織が自分で解き直しをやり、俺がその解説をしつつ模試の状況について話す。
ただ今回に関しては返却されてきた解答を持ってきてもらい、すぐに俺も交えて見直しをした。

411: 2013/07/12(金) 20:25:29.99 ID:CES/Yeij0

その結果わかったことは――

P「……ここもだな。単純なケアレスミスだ」

らしくないケアレスミスが今回点数が伸びなかった原因だった。

伊織「……」

伊織は椅子の上で自分の解答を凝視している。

単純な計算ミス、問題の意味の取り違え、理科や社会での漢字ミスなんてものもあった。

俺も解答を眺めつつ思案する。

この時期の生徒対応は非常に難しい。
勉強をしていないから点数が伸びない、という単純な構図ではないからだ。
点数が伸びないなら原因は何なのか、原因がわかったらなぜそうなってしまったのか、しっかり大元に対してアドバイスをしなければいけない。
生徒自身、勉強に多くの時間を割いているのに点数が上がらないと悩んでいるケース。
実は見えないところでは勉強をしていないケース。
もうとっくに心が折れてしまっているケースなど、枚挙に暇がない。

412: 2013/07/12(金) 20:26:15.77 ID:CES/Yeij0

また、原因がわかったとしても対応をどうするか?
発破をかけるのか、あえて突き放すのか、励ますのか、褒めるのか。
対応を一手間違えると、取り返しがつかなくなるなんてこともある。

悩んだ。大いに悩んだ。

そして、今回に関しては理論的に諭すのがいいという結論に達した。

点数に関して言えば今回の失点の多くはケアレスミスだし、ミスが減れば自然と点数も伸びる。そこまではいい。
問題は、今回なぜミスが異常に多いのかだ。それの原因をしっかり把握し、次への対策を考える。
その心当たりについては伊織に直接聞くしかない。

そういえば、今日は解答を持ってきた時から伊織の口数がやけに少ない。
というか最近ずっとこんな感じである。
ストレスか、はたまた違う原因か。

413: 2013/07/12(金) 20:26:46.22 ID:CES/Yeij0

P「伊織さ……」

返事はない。

答案用紙から顔を上げる。

P「伊織?」

伊織は顔を俯けている。先ほどまで見ていた解答用紙も今は手に持たれているだけで、だらりと膝のあたりに下げられていた。
左手で口元を押さえている。

……泣いてるのか?

よく見ると、わずかにだが肩が震えている。
手を伸ばしかけて、止まる。

414: 2013/07/12(金) 20:27:35.56 ID:CES/Yeij0

伊織の呼吸が荒い。
震えも大きくなってきている。
伊織の手から用紙が落ちる。
ぐらりと体が横に傾いだ。

P「……伊織!」

伊織が倒れる前に何とか体を抱きとめる。
伊織は、はあっ、はあっと大きく呼吸し、自らの体を守るように抱きしめていた。
顔が苦しさにゆがみ、額に汗をかいている。

P「――過呼吸か」

小鳥「プロデューサーさ……伊織ちゃん!」

会議室のドアから音無さんが入ってきた。先ほどの声を聴きつけたのだろう。

415: 2013/07/12(金) 20:29:41.41 ID:CES/Yeij0

P「すいません音無さん、何か紙袋、なければビニール袋でも構いませんから小さめのものを持ってきてもらえませんか?」

小鳥「ふ、ふくろですか!?ちょっと待っててください!」

音無さんが会議室を出て行く。

腕の中の伊織に目をやる。
熱い。
体が熱を持っている。

P「伊織。聞こえるか?伊織!」

呼びかけてみるが返事はない。瞳は苦しさからかぎゅっと閉じられたままだ。

P「大丈夫だから心配するな。聞こえてるか?」

416: 2013/07/12(金) 20:30:14.97 ID:CES/Yeij0

小鳥「プロデューサーさん!こ、これでいいですか!?」

P「ありがとうございます」

音無さんが持ってきてくれたのはちょうどハンバーガーが入ってくるくらいの紙袋だった。
それを伊織の口元にあてる。

P「伊織聞こえてるか?きついかもしれんが呼吸を落ち着けるんだ」

うっすらとだが瞳が開けられた。荒い呼吸を繰り返してはいるが、声は聞こえているらしい。

P「いいか?俺の声に合わせて呼吸をしろ。大変だとは思うが、がんばれ」

P「はい、吸ってー……吐いてー……吸ってー……吐いてー……」

普通に呼吸をするよりもかなりゆっくり呼吸のリズムを作る。
伊織は苦しそうにしながら呼吸を合わせようとしている。

417: 2013/07/12(金) 20:41:51.67 ID:CES/Yeij0

P「がんばれ。吸ってー……吐いてー……吸ってー……吐いてー……」

何回か繰り返していると、徐々に呼吸が落ち着いてくる。
荒く大きい呼吸から、ゆったりとしたリズムの深呼吸に近くなる。

P「吸ってー……吐くー……大丈夫か?そのままゆっくり呼吸しろ」

顔からも苦痛の色がだいぶ消えてきた。

小鳥「あ、あの、伊織ちゃんは……?」

P「過呼吸です。……もともとそんな傾向があるとか知りませんよね?」

小鳥「は、はい。伊織ちゃんについてそういう話は聞いたことは……」

P「ですよね……伊織、自分で袋を支えれるか?もうしばらく口元にあててるんだ」

だいぶ落ち着いてきたのでそのまま伊織を抱えてソファまで連れて行く。
ソファに体を横たえる。
今はすぅすぅとした浅い呼吸になっていた。
体は汗ばんで熱を残していたが、苦しそうな状態ではないのでひとまず大丈夫だろう。

418: 2013/07/12(金) 20:42:44.87 ID:CES/Yeij0

P「ふう……」

小鳥「……おつかれさまです。大丈夫ですか?」

P「ひとまずは。あ、なんか濡らしてもいいタオルかなんかありましたっけ?」

小鳥「あ、持ってきます」

音無さんから受け取った濡れタオルで伊織の額を拭ってやる。
そのままおでこにのせた。

小鳥「びっくりしましたね……何かあったんですか?」

P「いえ、普通に模試の話をしていたら急に」

小鳥「過呼吸?って言ってましたっけ。私言葉くらいしか聞いたことないですけど……」

P「そうですね。たまになる人もいるらしいですけど」

今回のことは何か原因があったのだろうか?

P「……ひとまず落ち着いたと思いますが、できれば病院に連れて行きたいんですが」

小鳥「大事を取ってそうしたいですね。あ、でも……プロデューサーさんはこの後仕事ですよね?」

P「そうですね……なんとか調整かけられれば……」

419: 2013/07/12(金) 20:43:41.42 ID:CES/Yeij0

伊織「……だ、いじょうぶ……」

伊織が力ない声をだす。気が付くと目も開いていた。

小鳥「……伊織ちゃん、だいじょうぶ?具合は悪くない?」

伊織「……うん。体はだるいし、ちょっと気持ち悪い……」

伊織「でも、だいじょうぶ、だから……」

P「……全然声が大丈夫じゃないだろ。いいから横になってろ。音無さん、伊織の家に連絡してもらっていいですか?」

P「親御さんがいらっしゃったら病院に連れて行ってもらいます。新堂さんしかいらっしゃらなかった場合、こちらで病院に連れて行ってもいいか聞いてください」

小鳥「わかりました」

音無さんがデスクに戻り、受話器を取り上げる。
それを見ていると、下から小さな声が聞こえてきた。

伊織「……だいじょうぶだって、いってるじゃない」

P「寝てろ」

420: 2013/07/12(金) 20:44:23.86 ID:CES/Yeij0



病院の駐車場で電話をかける。

律子『……もしもし?プロデューサー殿?』

P「ああ。今ひとまず診察が終わったよ。悪かったな」

律子『何言ってるんですか。それより伊織はどうでした?』

P「あーっと……とりあえず心配はいらない。詳細は事務所で話してもいいか?とりあえず伊織を送って休ませたいんだ」

律子『大事がないならよかったです。それで構いません』


421: 2013/07/12(金) 20:45:13.70 ID:CES/Yeij0

P「すまんな。そっちは大丈夫だったか?」

律子『ええ。一人でこなしてくれた子たちも多かったですし』

P「そうか。助かったよ」

律子『それじゃあ、事務所で待ってますね。伊織のことよろしくお願いします』

P「ああ」

電話を切って、車に乗り込む。
後部座席には伊織が横になっている。

P「車出すぞ。気分が悪かったらすぐ言ってくれよ」

返事はなかった。

俺は普段よりなるべくゆっくりとアクセルを踏み、車を発進させた。

……

422: 2013/07/12(金) 20:46:13.68 ID:CES/Yeij0



伊織の家に着くと、伊織は頼りない足取りながら自分で歩いて玄関に入っていった。
もちろんその両サイドには御付きの人間がいたが。

新堂「――この度は真にありがとうございます。お手数をおかけしました」

P「いえ。こちらこそ伊織さんの体調に関して気配りが足りなかったようです。申し訳ございません」

新堂「いえ」

新堂「それで、重ね重ね申し訳ございませんが、旦那様と奥様へ今回の出来事について御報告しなければなりませんので、少しだけお話しを聞かせていただいてよろしいでしょうか?」

P「もちろんです――私も少し伺いたいことがございましたので」



つづく

427: 2013/07/15(月) 01:16:20.13 ID:TAypXHCZ0



事務所に戻ってきたころには時刻は10時を過ぎていた。

律子「お帰りなさい」

小鳥「お帰りなさい、大変でしたね」

軽く返事をして、どっかりと椅子に腰を下ろす。
座った瞬間に腰を中心にじんわりとした疲労が全身に広がっていく感覚がした。
どうやらだいぶ疲れているらしい。精神的なものもあるだろうが。

小鳥「お疲れ様でした。どうぞ」

音無さんがお茶を持ってきてくれる。
一口飲んだ後、軽く肩の周りや腕、首を回す。

428: 2013/07/15(月) 01:16:48.70 ID:TAypXHCZ0

律子「それで……話を聞いてもいいですか?」

ああ、と返事をし今日の話を大雑把に、時系列順に話す。

伊織と模試の見直しをしていたこと。
伊織が急に過呼吸になったこと。
俺自身は原因について思い当たる節がないこと。
伊織の両親が不在だったため許可を得て病院に連れて行ったこと。

P「『過呼吸だと思うんですが』って言ったらとりあえず呼吸器内科に回されてな」

P「状況を話したらおそらくそうだって言われたよ」

律子「原因については?」

P「……心因性のものだろうと」

429: 2013/07/15(月) 01:17:24.39 ID:TAypXHCZ0

身体的な要因だと激しい運動の後に過呼吸になることがあるが、今回は関係ない。
そうすると考えられるのは精神的なものしかないだろう。

小鳥「やっぱりストレスが溜まってたってことですかね?」

P「まあそう考えるのが普通ですが……」

律子「何か?」

P「……伊織のやつが何も話さなくてな」

律子「何も話さない?」

体調はある程度回復していたはずだが、伊織は医者の問いかけに対して何も答えなかった。
俺が話を促しても口を開かず、結局そのまま診察は終わりになった。

P「まあショックもあるだろうからって先生は言ってたがな……」

律子「そうですか……」

430: 2013/07/15(月) 01:18:10.40 ID:TAypXHCZ0

P「ただ、本人の話を聞けなかったのはちょっとな。伊織の体のことは伊織しかわからないし」

P「場合によっては軽度のパニック障害の可能性もあるらしいからな」

小鳥「パニック障害……?」

医者から聞いた話を話す。

パニック障害、PDは強い、又は慢性的なストレスによって発症することが多い精神疾患の一つである。
その症状は動悸、めまい、頭痛、異常な発汗などに始まり、強い恐怖感、閉塞感などを感じる。
その症状の一つに過呼吸が含まれることもある。

P「一応本人の話とかも聞かないと判断できないだろ?けど伊織が話さなかったからはっきりとは先生も判断できないらしい」

律子の顔がこわばる。

律子「じゃあ、もしかしたら……」

P「……ただ、パニック障害は人の多いところや公共の場なんかで症状が出ることが多いらしいから、今回はおそらくただの過呼吸だろうということだ。断定はできないがおそらく大丈夫だろうって言ってたぞ」

律子「……そうですか」

律子はあからさまにほっとした表情を浮かべる。

431: 2013/07/15(月) 01:18:45.14 ID:TAypXHCZ0

小鳥「びっくりしました……でも、やっぱりショックだったんでしょうね」

律子「……」

会話が一度途切れる。
ただ、俺には話しておかなければならないことがもう一つあった。
気乗りしないまま口を開く。

P「……病院の診察とは別に報告がある」

律子「……あまりいい報告じゃなさそうですね」

P「どうもアイツ、家に帰ってから相当遅くまで起きてるらしい」

律子「……勉強してるってことですか?」

P「ああ。たぶんな」

これは伊織を送った後、新堂さんから聞いたことだ。
少し話しにくそうにしていたが、特に伊織から口止めされているというわけでもないらしく教えてくれた。

432: 2013/07/15(月) 01:19:22.94 ID:TAypXHCZ0

小鳥「それは……あまりよろしくない?」

P「ただでさえアイツここで10時過ぎまで勉強してますからね」

P「休日なんか8時か9時くらいに来て、10時過ぎまでやってるってなると」

律子「……その時点で10時間以上は勉強してますね。ご飯や休憩を抜いたとしても」

小鳥「じゅ、10時間……」

律子「……確かにちょっと」

P「それに……」

律子「それに?」

P「ああ、いや……」

新堂さんから聞いた話を思い出す。

新堂『どうやらお薬を服用されているようで……』

433: 2013/07/15(月) 01:21:40.39 ID:TAypXHCZ0

何の薬かまではわからないらしいが、使用人などが薬を手に入れるよう頼まれた事実はないらしいのでおそらく頭痛薬か何かだろうと言っていた。
……遅くまで起きているのに睡眠薬ということはないだろう。
とにかく、伊織はそこまで体を騙しながら勉強時間を作っていたということだ。
一瞬話の流れで口を突きかけたが、おそらく話してもどうなるものでもないだろうと思い、余計な心配をかけないため口をつぐんだ。

……ただ、あとで本人には確認をしておく必要はある。
話すとしても事実がはっきりしてからでいいだろう。

P「……実は勉強の時間自体はそんなに問題視してないんですよ」

小鳥「え?そ、そうなんですか?」

P「はい。この時期になると時間的には珍しくないというか……」

小鳥「……私絶対無理です」

P「いやまあ大変なのはそうなんですよ?ただ時間よりも気になるのは」

P「……追い詰められたように勉強してるのがちょっと」

律子「……」

434: 2013/07/15(月) 01:22:18.44 ID:TAypXHCZ0

P「アイツ、根は真面目なやつですから」

律子「……確かにそうですね。最近は声をかけるのもためらわれるというか」

以前までは事務所のみんなも激励の声をかけたり、伊織もそれに答えたりしていたが、最近はそんな光景もあまり見なくなった。
伊織は事務所に来ても自習用のデスクに張り付いて黙々と勉強している。
そんな鬼気迫る様子に他の子たちも気軽には声をかけれないようだった。

P「もちろん質問に来たりはするんですがね。思い返すとそれ以外は最近まともな会話もしてないような」

P「模試の思ったような結果が出なかったりして……」

律子「……焦ってるというか……それこそ追い詰められてるって印象ですね」

P「ああ。それだけが引っかかる。今回のこともそういう精神的なものの積み重ねじゃないかと思ってな」

小鳥「……」

場が再び沈黙する。

435: 2013/07/15(月) 01:22:55.90 ID:TAypXHCZ0

P「……明日はとりあえず1日休むように新堂さんに言付けてきました」

P「あとは俺が何とかします」

小鳥「何か対策があるんですか?」

P「……」

律子「……プロデューサー殿?」

P「……考える」

律子「考えるって……」

P「どうすれば最善か、少し考えてみる」

P「……俺の責任だしな」

小鳥「プロデューサーさん……」

436: 2013/07/15(月) 01:23:31.15 ID:TAypXHCZ0

律子「……はあ」

律子がため息をつく。心配しているのだろう。
担当アイドルを預かっている身として申し訳なく思う。
今は活動休止中とはいえ、今後の伊織の活動についてはこの受験が運命を握っていると言っても過言ではないのだ。

律子「プロデューサー殿」

P「ん?」

律子「……ちょっといいですか?」

P「……?」

――――

437: 2013/07/15(月) 01:24:05.69 ID:TAypXHCZ0



12月24日。

(……きたよ!きたきた!)

雪歩「はぅぅ、も、もどり……」

一同『雪歩、誕生日おめでとー!!』

盛大にクラッカーが鳴らされ、拍手の音が重なった。

雪歩「……」

春香「ゆーきほ!ささ、主役はこっち……に?」

ぱたりこ

真「わぁぁぁぁぁあ!?ゆ、雪歩!?」

真美「うーむ、やはり20連発はやりすぎでしたかなぁ?」

P「……ま、お約束だな」


――――

438: 2013/07/15(月) 01:24:48.25 ID:TAypXHCZ0


P「おめでとう、雪歩」

雪歩「あ、ぷ、プロデューサー……ありがとうございます」

P「回復したか?」

雪歩「は、はい……うぅ、私ってば相変わらずで……」

P「まあ気にすることないさ。それより今日は主役なんだから肉食べろ、肉」

雪歩「あ、は、はい、いただきます」


――――

439: 2013/07/15(月) 01:25:34.66 ID:TAypXHCZ0


亜美「さーて、それでは決勝戦は兄ちゃん対……まこちーん!!」

真「よろしくお願いします、プロデューサー!」

P「ふ……男として負けるわけにはいかないな」

真美「解説の律子さん、この勝負はどう見ますか!?」

律子「まあ、普通に考えたらプロデューサー殿でしょうね……というか腕相撲で真が勝ったらアカンでしょう」

真美「なるほど、極めて普通の解説ありがとうございます!」

響「まことー!自分に勝ったんだから優勝しなきゃ許さないぞー!」

美希「うー、ハニーに勝ってほしいけど、真くんにも負けてほしくないの!」

春香「両者力を抜いてー……レディー……」

春香「GO!……と言ったら始めてくださいね!」

「……」

のヮの「あれ!?」


――――

440: 2013/07/15(月) 01:26:06.25 ID:TAypXHCZ0


P「……」

あずさ「ぷろでゅーさーさん?」

P「あ、あずささん。食べてますか?」

あずさ「はい~、頂いてますよ~。プロデューサーさんこそ食べてますか?」

P「ええ」

あずさ「ふふ~、額に皺を寄せてるからなにか考え事でもしてるのかと思って~」

あずさ「……伊織ちゃんのことですか?」

P「……眉間ですよね?」

あずさ「あら?そうとも言いますね~」

あずさ「うふふ、でもきっとこのパーティーの後に……」

P「……はい?」

あずさ「いえいえ~、ささ、飲んでください~」

P「はあ……」

P「……って、あずささん飲んでるんですか!?」


――――

441: 2013/07/15(月) 01:26:32.49 ID:TAypXHCZ0


真美「うへ~い……」

律子「ちょっと亜美真美~、ちゃんと働きなさいよ」

亜美「燃え尽きちまったぜ……真っ白にな……」

P「お前らな……片付けの時はいっつも氏んでるよな」

真美「真美たちの辞書に片付けの文字はないからね~」

亜美「一瞬でもいい!一瞬でも輝けたら……俺たちは満足なのさ……」

P「さっさと動け」


――――

442: 2013/07/15(月) 01:27:17.86 ID:TAypXHCZ0



そして、片付けも大方済んだ頃。

律子「はいはい、じゃみんなちょっと注目~!」

律子が手を叩きながら話し出す。

律子「みんなが集まってるいい機会だし、ちょっと相談があるの」


――――


443: 2013/07/15(月) 01:27:46.95 ID:TAypXHCZ0



――水瀬邸

12月24日。クリスマスイブ。

去年の今頃は何をしていただろう。
確かクリスマスイベントをこなした後、ミニライブをやって、その後事務所に戻って。
事務所ではパーティの準備がされていて――

パーティ、か。

444: 2013/07/15(月) 01:28:22.93 ID:TAypXHCZ0

事務所に行かなくなって2週間ぐらい。
みんなの顔を見ていなかった。
でもしょうがない。
これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
……アイツにも。

何度か携帯の留守電にはメッセージが入っていた。
パーティの誘いだった。
結局、行くのはやめた。
こんな辛気臭い顔を見せるわけにはいかない。
それに、みんな気を遣っちゃうでしょう?
私は受験生なんだから、クリスマスもお正月もないの。
一人で孤独に勉強してるのがお似合いってもんね。

目の前のテキストを見る。
事務所に行かずに勉強をした方が気を使わせることもなく、集中できると自分に言い聞かせたが、気持ち的には全く乗らない。
今日は特に。

445: 2013/07/15(月) 01:28:58.45 ID:TAypXHCZ0

なんだか糸が切れてしまったよう。

何のために勉強しているんだっけ?

何のために試験を受けるんだっけ?

何のために――

コンコン

ノックの音が意識を現実に引き戻す。

誰何すると、ゆっくりと扉が開き新堂が一礼して話し始める。

新堂「お嬢様、お勉強中に失礼致します」

新堂「――ご友人がお見えになられておりますが」

伊織「――は?」

思わず間の抜けた声が出てしまった。

446: 2013/07/15(月) 01:29:57.79 ID:TAypXHCZ0

「いっおり~!」

「伊織ちゃ~ん!うわぁ、なんか久しぶりだねぇ!」

「伊織ー!元気だった!?」

「こんばんは」

伊織「――はぁ!?」

思わず間の抜けた声が出てしまった。たぶん、さっきよりも。



つづく

451: 2013/07/19(金) 21:43:08.32 ID:1+dgx88A0



始まりは私が欠席したクリスマスパーティの日、24日。
春香と真、雪歩が泊まりに来た。

伊織『今日はパーティだったんじゃないの?』

春香『そうだよー。はいケーキ!』

伊織『ありがと……じゃなくて!』

伊織『どうしてウチに来るわけ!?』

雪歩『う……よ、用事がないと来ちゃいけないかなぁ?』

伊織『そ、そんなことないけど……』

……

452: 2013/07/19(金) 21:44:10.54 ID:1+dgx88A0



伊織『あんたたち、もう11時よ?』

真『大丈夫、今日は泊まってくから』

伊織『はあ!?何言ってんのよ!』

雪歩『まあまあ』

伊織『まあまあの意味が分からないわ……』

千早『迷惑かしら?』

伊織『……その質問は卑怯だと思うわ』

伊織『そもそもなんでよ?』

春香『私、終電なくなっちゃったー』

雪歩『た、誕生日だしー……』

真『うーん、なんとなく』

千早『特に理由はないけれど』

伊織『まともな理由があるの、春香だけじゃない……』

……

453: 2013/07/19(金) 21:44:36.67 ID:1+dgx88A0



雪歩『真ちゃん惜しかったんだよねー』

真『うーん、でもなんかまだ余裕そうだったからなぁ』

伊織『っていうか、17歳の仮にも女の子が成人男性に腕相撲で勝っちゃダメでしょ』

真『仮にもってなんだよ!?』

春香『まあまあ』

……

454: 2013/07/19(金) 21:45:11.24 ID:1+dgx88A0



伊織『なんでここで寝るのよ!?』

雪歩『まあまあ』

伊織『ちゃんと来客用の寝室があるからそっちで……』

真『まあまあ』

伊織『……アンタたちね』

のヮの『まあまあ』

……

455: 2013/07/19(金) 21:45:41.85 ID:1+dgx88A0



真『……伊織、もう寝た?』

伊織『……起きてるわよ』

雪歩『伊織ちゃん、早く寝ないとだめだよ?』

伊織『そうね』

千早『……今日以外の日もね』

伊織『……え?』

千早『ううん、なんでも……』

456: 2013/07/19(金) 21:46:26.87 ID:1+dgx88A0

春香『……試験、がんばってね』

伊織『……』

雪歩『応援してるよ』

真『ボクも』

伊織『……ありがと』

……


457: 2013/07/19(金) 21:46:55.45 ID:1+dgx88A0



次の日。

やよい『伊織ちゃん!』

亜美『めりー!』

真美『くりすまーす!!』

あずさ『まーす。ふふふ、来ちゃった~』

伊織『……』

……

458: 2013/07/19(金) 21:47:27.47 ID:1+dgx88A0



真美『ほいいおりん、ケーキだよー!』

伊織『……昨日も食べたわよ』

亜美『なにぃ!?亜美たちのケーキが食えないだとぅ!?』

伊織『昨日春香たちが来たからその時に食べたわ』

真美『ふーむ、それは初耳ですなぁ』

亜美『駆け落ちってやつですなぁ』

伊織『……抜け駆け?』

亜美『そうそれ!』

……

459: 2013/07/19(金) 21:47:59.75 ID:1+dgx88A0



伊織『アンタたちも泊まってくわけ?』

真美『もち!』

亜美『ろん!』

あずさ『めいわくかしら~?』

伊織『……予想はついてたから』

伊織『でもやよいは家の方は大丈夫なの?』

やよい『うん!今日は長介にちゃんと頼んできたから!』

……

460: 2013/07/19(金) 21:48:43.00 ID:1+dgx88A0



あずさ『うふふ、伊織ちゃん一緒に寝る?』

伊織『なに言って……』

亜美『寝る~!』

真美『真美も~!』

あずさ『あらあら~』

伊織『アンタたちね……』

やよい『私も一緒にいいですかー?』

あずさ『もちろんよ~』

伊織『やよいまで……』

461: 2013/07/19(金) 21:49:09.08 ID:1+dgx88A0

亜美『いおり~ん、あずさお姉ちゃんすっごくやわらかいよ~』

真美『それにすっごくいい匂いがするよ~』

伊織『……』

真美『むう……亜美隊員、敵はなかなか粘り強いぞ!』

亜美『作戦の変更が必要であります、真美隊長!』

真美『んっふっふ~』

亜美『とつげきぃ!』

伊織『きゃあ!?』

……

462: 2013/07/19(金) 21:49:58.61 ID:1+dgx88A0



伊織『……なんで五人で一つのベッドで寝なきゃならないのよ』

あずさ『うふふ~、たまにはいいじゃない』

亜美真美『zzz』

やよい『…………ウッウー……』

あずさ『ねえ伊織ちゃん?』

伊織『なに?』

あずさ『……私たち、伊織ちゃんのことが大好きよ』

伊織『……なによ、急に』

あずさ『ふふ、なんとなく言いたくなったの』

伊織『……』

あずさ『がんばってね、伊織ちゃん』

伊織『……うん』

……

463: 2013/07/19(金) 21:50:31.14 ID:1+dgx88A0



さらに次の日。

美希『家出したから泊めてなの』

響『迷子になったから泊めてほしいぞ!』

貴音『今日は満月なので泊めていただきたいのですが』

伊織『……もうなんでもいいわ』

……

464: 2013/07/19(金) 21:50:58.28 ID:1+dgx88A0



響『そういえば美希は受験はいいのか?』

美希『うん、適当なトコに行くの。パパとママは私立でもいいって言ってたし』

伊織『気楽でいいわね』

美希『でも、でこちゃんと一緒に勉強してみるのも良かったかも』

伊織『え?』

美希『うーん、ミキ勉強は嫌いだけどでこちゃんと一緒ならちょっとは頑張れたかもしれないなって』

伊織『……意味が分かんないわよ』

美希『ミキもよくわかんないけどね。あはっ』

貴音『ふふ』

……

465: 2013/07/19(金) 21:51:46.02 ID:1+dgx88A0



美希『……ナノ……』

響『……zzz』

伊織『……』

貴音『……これは寝言ですが』

伊織『……』

貴音『……忘れないでください。あなたには事務所のみんながついていることを』

伊織『……』

伊織『……わかってるわ』

貴音『ふふ、そうですね。貴女は頭がいいですから』

伊織『……ありがとう』

貴音『どういたしまして』

……

466: 2013/07/19(金) 21:53:36.73 ID:1+dgx88A0


そして12月27日。

新堂から話を聞いて玄関に行くと――

伊織「……律子も来るのね」

律子「久しぶり」

律子が立っていた。
仕事終わりらしくスーツ姿。

伊織「昨日が最終日かと思ってたわ。それで、今日の理由はなにかしら?」

律子「いやー、終電逃しちゃってねー、私としたことが」

伊織「……まあ、どうぞ」

律子「お邪魔します」

467: 2013/07/19(金) 21:54:13.82 ID:1+dgx88A0

伊織「てっきり昨日が最終日かと思ってたわ」

律子「なんのことかしら?私は『偶然』終電逃しちゃっただけだけど」

伊織「……まあいいわ」

律子「そ。今日は何時ぐらいに寝るの?」

伊織「……12時くらいかしら」

律子「わかった」

伊織「律子も私の部屋で寝るわけ?」

律子「当然」

伊織「ま、いいけどね」

……

468: 2013/07/19(金) 21:54:48.07 ID:1+dgx88A0



伊織「じゃあ電気消すわよ」

律子「ええ」

律子「おやすみ伊織」

伊織「おやすみ」

パチン

律子「……」

伊織「……」

伊織「……ねえ」

律子「うん?」

伊織「……アンタたちの差し金?」

律子「差し金ってひどいわね。それにアンタたちって?」

伊織「律子と……アイツよ」

469: 2013/07/19(金) 21:55:16.91 ID:1+dgx88A0

律子「さあどうかしら?」

伊織「……」

律子「……気になるなら本人に聞いてみたら?」

伊織「だから聞いてるんでしょ」

律子「もう片方よ。それとも連絡できない理由でもあるわけ?」

伊織「……」

伊織「……こんな遅い時間に連絡したら迷惑でしょ」

律子「プロデューサー殿がこの時間に寝てるかどうかなんて」

律子「伊織が一番わかってるでしょ?」

伊織「……」

……

470: 2013/07/19(金) 21:56:15.56 ID:1+dgx88A0



<カガヤイターステージニタテバー

P「ん……」

家に持ち帰った仕事を処理していると電話が鳴った。
気づくともう日付が変わっている。

こんな遅い時間に連絡してくるのは――

P「もしもし」

『……久しぶりね』

P「……ああ、そうだな」

伊織だった。
今日は律子が泊まりに行っているはずだからな。
なんとなく予想はしていた。

471: 2013/07/19(金) 21:56:44.46 ID:1+dgx88A0

P「元気か?」

伊織『ええ』

P「そうか」

伊織『……』

P「……」

伊織『……あの』

P「ん?」

伊織『……』

P「どうした?」

伊織『……今日律子が泊まりに来てる』

P「ああ」

472: 2013/07/19(金) 21:57:10.68 ID:1+dgx88A0

伊織『それと、クリスマスの日からかわるがわるみんなが泊まりに来てるんだけど』

P「そうみたいだな」

伊織『そうみたいだなって……』

P「言っとくが俺が言いだしっぺじゃないぞ」

伊織『……そう』

話し方から嘘は言ってないとわかったのだろう。
……長い付き合いになるのも考え物だな。

P「それだけか」

伊織『……うん』

P「そうか」

473: 2013/07/19(金) 21:57:39.79 ID:1+dgx88A0

P「じゃあ俺の方も言いたいことがあるんだが」

伊織『……』

P「お前、嘘ついてたな?」

P「いつも送った後、俺はちゃんと休めって言ってたよな?」

伊織『……』

P「でも、お前は遅くまで起きて勉強していたらしいな。体調にも影響が出るほど」

伊織『……ごめんなさい』

P「……今回のことは俺が言ったんじゃない。律子の話を聞いてみんなが自主的に考えて行動したことだ」

P「律子の、伊織が心配だって話を聞いてな」

伊織『……』

474: 2013/07/19(金) 21:58:08.71 ID:1+dgx88A0

P「……みんなも心配してた」

伊織『……』

P「俺からはそれだけだ」

伊織『……』

P「……」

伊織『……ごめんなさい』

P「いいさ。俺のほうも反省点はいっぱいある」

P「ただ今はそんなことを言ってても始まらない」

P「……受験まであと少しだ」

P「この一年間の……努力が試される受験までな」

伊織『……うん』

475: 2013/07/19(金) 21:58:55.05 ID:1+dgx88A0

P「だからあとちょっとだけがんばろう」

P「そして、受験が終わったら『ほんとにきつかった、いろんなことがあった』って話そう」

P「……もちろん笑ってな」

伊織『……うん』

P「……おし、じゃあもう休め」

伊織『……うん』

P「なんだ、返事してばっかだな。大丈夫か?」

伊織『……大丈夫よ』

P「伊織ちゃんなんだから?」

伊織『……馬鹿ね』

P「はは、それでいい」

476: 2013/07/19(金) 22:01:13.48 ID:1+dgx88A0

P「じゃあ、切るぞ」

伊織『……うん、おやすみ』

P「ああ、おやすみ」

電話を切る。

最後の方は少しは元気になったかな。

……結局、俺が頭の中でぐちゃぐちゃ考えていてもいい考えは浮かばなかった。

伊織が過呼吸で倒れた。
伊織がだいぶ無理をしていたことがわかった。
話し合おうにも、それ以前に伊織が事務所に来なくなった。

その後一人で考えてみたが、どうするのが一番なのかわからなかった。

俺が何とかするべきだと思っていた。

それが責任だと思っていた。

477: 2013/07/19(金) 22:01:40.07 ID:1+dgx88A0


その結果。

……律子に説教された。

……

478: 2013/07/19(金) 22:04:21.54 ID:1+dgx88A0



伊織が倒れた日。

律子『プロデューサー殿』

P『ん?』

律子『……ちょっといいですか?』

P『……ああ』

律子『正座』

P『……は?』

律子『正座!』

P『は、はい!』

479: 2013/07/19(金) 22:05:01.98 ID:1+dgx88A0

律子『……言いたいことは二つ』

律子『まず一つ目』

律子『なんでも一人でやろうとするなんて、あなたは完璧超人ですか? ってことです』

P『……り、律子さん?』

律子『なんですか?俺の責任って』

律子『アイドルに対しての責任は会社全体のものでしょう?』

律子『プロデューサー殿まで倒れたりしたらどうするんです?』

P『いやそ……』

律子『そうならないようにする、ってのは却下』

480: 2013/07/19(金) 22:05:29.13 ID:1+dgx88A0

律子『社長が以前言ってたでしょう?ストレスとは気が付かないうちに溜まってるものだ、って』

律子『それともパーフェクト超人のプロデューサー殿は、俺だけは大丈夫とか言い出すつもりですか?』

P『……』

律子『二つ目は……』

律子『……私たちだって伊織のことを心配してるんですよ?』

P『……律子』

律子『亜美やあずささんはもちろん、事務所のみんな、音無さん、社長……』

P『……』

律子『……私もです』

律子『なにか協力できることがあるなら喜んでやります』

481: 2013/07/19(金) 22:08:09.22 ID:1+dgx88A0

律子『だから……もっと相談してくださいよ』

律子『仲間の二人が大変な思いをしているのに』

律子『何もできないっていうのが一番……つらいです』

P『律子……』

P『……そうだな。悪かった』

律子『わかればよろしい』

P『……はは、一応俺の方が先輩のはずなんだけどな』

律子『そうですね。でも』

P『ん?』

律子『プロデューサー殿とは違う立場だからこそ、わかることもあると思います』

P『……伊織のことで、なにか心当たりが?』

律子『……まあ、あくまでこれは私の考えですけど』

律子『きっとあの子は――』

……

482: 2013/07/19(金) 22:08:47.44 ID:1+dgx88A0



律子「――かっこよく見せたい人が変わったのね」

伊織「……」

暗闇の中、律子の声だけが聞こえる。
カーテンの隙間からわずかな光が差し込んでいるので天井がぼんやりと見える。
見慣れた天井を見ながら律子の声を聴いていた。

律子「以前の伊織はお父さんやお兄さんに認めてもらおうと、『スーパーアイドル』な伊織ちゃんを見せてたけどね」

律子「その分、事務所ではわがまま言い放題だったけど」

伊織「……そんなでも……なかったでしょ?」

律子「さあ?それを知ってるのはプロデューサー殿だけだから」

483: 2013/07/19(金) 22:09:46.68 ID:1+dgx88A0

律子「でも人気が出てきて、知名度が出てきて、トップと呼ばれるようになって……」

律子「かっこよく見せたい人が、変わったんじゃない?」

かっこよく見せたい人。

律子「事務所のみんなにはトップとして輝いている姿を」

律子「亜美やあずささんにはリーダーとして強くなきゃいけない」

律子「そしてあの人には……」

律子「……」

律子「……まあそれはいいとして」

律子「そういうプレッシャーも、感じちゃったんじゃない?」

伊織「……」

伊織「そんなこと……」

律子「ふう……ほんとに、意地っ張りなんだから」

484: 2013/07/19(金) 22:10:14.19 ID:1+dgx88A0

律子「こっちきなさい」

伊織「え?」

律子「プロデューサー命令」

伊織「……なんか、一緒に寝るの流行ってるの?」

ベッドを出て、律子の布団に近づく。
薄暗いので変なところを踏まないように気を付ける。

律子「えい」

伊織「……苦しい」

律子「いいじゃない、たまには」

伊織「……」

485: 2013/07/19(金) 22:11:08.15 ID:1+dgx88A0

律子に抱きしめられていた。
頭上からと、体を通して2方向から声が聞こえる。

律子「……いいのよ、大変な時は大変って言えば」

律子「いつもいつも、強くいられるわけじゃないんだから」

伊織「……」

伊織「ちょっと……話してもいい?」

律子「もちろん」

伊織「……最初は、なんてことないと思ったの」

伊織「もともと勉強はできる方だったし、アイドルも二年目で大体要領もつかめてきたし」

4月。元々はお父様が来たのがきっかけだった。
……アイツから『ほんとに大変だぞ』って何回も念を押されたっけ。

486: 2013/07/19(金) 22:11:38.35 ID:1+dgx88A0

律子「……うん」

伊織「でも、思ったように成績は変化しなかった」

伊織「ただ勉強をするんじゃなくて、いろんなテストに向けての対策なんかもしなきゃなかったし」

伊織「それに、昔の復習なんかもしなきゃなかったし……まあ3年間の内容が全部出るんだから当たり前なんだけど」

律子「そうね」

伊織「それでも、なんとかなると思ってた」

伊織「テスト勉強もあいつが教えてくれたし、テストを失敗してもあいつが励ましてくれたし」

花火、キレイだった。

487: 2013/07/19(金) 22:12:37.70 ID:1+dgx88A0

伊織「模試に連れてってくれたり、質問に答えてくれたり……」

律子「……」

伊織「それに……みんなも」

伊織「私が勉強してるとがんばれって励ましてくれたり、差し入れをしてくれたり……」

伊織「……律子にも、スケジュールを調整してもらったり」

律子「……そんなこともあったわね」

社長に話を通した上で、律子にスケジュールを調整してもらった。
ただし、条件が一つ。

『プロデューサーがスケジュールについて相談してきたら、活動を停止する』

アイツが判断して、スケジュールを減らすべきと判断したらそれに従うため。
自分の意見がすんなり通ったことにプロデューサーは不思議がっていたようだった。
ちゃんと考えてくれていたことはうれしかった。

488: 2013/07/19(金) 22:14:10.65 ID:1+dgx88A0

うれしかったけど――

伊織「けど……だんだん」

伊織「……こわく、なっ、てきて」

律子「……」

声が詰まる。
目元がじんわりと熱くなる。

伊織「みんなに……っ」

伊織「助けてもらって……るのに」

アイツに。

一杯迷惑をかけてるのに。

伊織「そ……れに……」

伊織「ファ、ンの……みんな……にも……めいわ、くっ……!」

自分の都合で活動を休止してしまった。
今までさんざん支えてきてもらったのに。

そんなにいろいろな人に迷惑をかけて。

489: 2013/07/19(金) 22:15:04.59 ID:1+dgx88A0

伊織「……ひっ…………もし……」

伊織「……だめ、だったら、って、考えると……」

堪えてきた。
一人で堪えてきたつもりだった。
私はできると思い続けた。

けど。

顔を合わせることはできなかった。
できなくなっていった。

伊織「……ごめ……ちょ、っと……」

律子にしがみつく。
律子はそっと抱きしめてくれた。

律子「……」

伊織「……ひっ……ぅう……」

律子「……だいじょうぶ、だいじょうぶよ」

490: 2013/07/19(金) 22:15:51.67 ID:1+dgx88A0

あたたかい。
なんだかとても安心する。

ずっとこうしてもらいたかったのかもしれない。
ああ、私は――

律子「――よくがんばったね」

認めてもらいたかったんだ――

……

491: 2013/07/19(金) 22:16:20.41 ID:1+dgx88A0



伊織「……」

律子「……」

伊織「……ごめんね」

律子「……いいのよ。プロデューサーなんだし」

伊織「ふふ」

伊織「あーあ。それにしても、私もまだまだお子様みたい」

律子「どうしたのよ、急に」

492: 2013/07/19(金) 22:16:52.48 ID:1+dgx88A0

伊織「律子に『がんばったね』って言われたとき、うれしかったもの」

伊織「……まだ目的も達成してないのに、褒められることを望んでたみたい」

伊織「まだまだね」

律子「ふふ、それが普通なのよ」

律子「人間には承認に対する欲求ってのがあってねえ……」

伊織「あー、はいはい。もういいわ」

律子「説明してあげようと思ったのに」

伊織「……でも、ほんとありがとね」

律子「……協力してくれたみんなにも、あとで言っときなさい」

伊織「……わかってる」

493: 2013/07/19(金) 22:17:28.44 ID:1+dgx88A0

伊織「……あのね」

律子「うん?」

伊織「さっきはその……ちょっと、泣い……ちゃったけど」

伊織「実はだいぶ気持ち的には楽になってるの」

律子「……うん」

伊織「みんなの顔を見て……話してるうちに……」

伊織「……」

伊織「うまく言えない。とにかく、今はそんなにつらくないってこと」

律子「……ふふ、みんなのおかげ?」

伊織「……たぶんね」

494: 2013/07/19(金) 22:18:16.14 ID:1+dgx88A0

伊織「ほんと、お人好しばっかりよ。うちの事務所は」

律子「お人好しだから困ってる人を見ると助けたくなるのよ、みんなね」

伊織「……うん」

律子「……ただ一つ、お説教」

伊織「う……な、なに?」

律子「みんな迷惑だなんて思ってない」

伊織「……それは」

律子「思ってない」

伊織「……わかった。ごめん」

律子「謝罪もいらない」

伊織「……」

伊織「……ありがと、律子」

495: 2013/07/19(金) 22:29:40.11 ID:1+dgx88A0

目の前で、律子が笑っている。

薄暗くてわからないけど。

絶対に、いつもの笑顔で笑ってるに決まってる。

今日だけはいいよねと自分に言い訳しつつ、私は律子の胸に顔をうずめた。



――――

496: 2013/07/19(金) 22:30:19.11 ID:1+dgx88A0



律子が伊織の状況を話すと、みんなは即決で伊織に会いに行くということを選択した。

実際に伊織に会って。

伊織と話して。

心配していること、無理をしないでほしい、ということを直接伝えて。

――大丈夫、と伝えることで。

さっきの電話の様子からすると、もう心配はいらないと思う。

きっと今頃は律子が上手くやってくれているだろう。

497: 2013/07/19(金) 22:30:49.85 ID:1+dgx88A0

結局俺はほとんど何もできなかった。

正直、「俺が」解決したいという気持ちがあったのだと思う。

まったく、独りよがりな考えだ。

俺が何とかしてやりたかった。

プロデューサーなのだから、と。

結果、今の俺にできることは受験が終わるまでプロデューサー兼先生という役割をきっちり演じることぐらいだ。

ただすべてが終わったら。

その時は、今回のことをきっちり謝ろう。

498: 2013/07/19(金) 22:32:41.39 ID:1+dgx88A0

思いっきり褒めて、思いっきりねぎらって、思いっきり謝ろう。

その後伊織にお礼を言って。

……文句を言われても甘んじて受けよう。

そして。

思いっきり二人で笑うんだ。



つづく

505: 2013/07/21(日) 23:06:38.98 ID:ShRRr6oP0



伊織「……」

P「……」

伊織「……ふぅ」

P「……」

伊織「……」

P「……」

伊織「……長い」

P「……年を取ると願い事も多くなるんだよ」

伊織「あらそう。大変ね」

506: 2013/07/21(日) 23:07:52.09 ID:ShRRr6oP0

合わせていた手を離し、後ろの参拝者に列を譲る。

俺と伊織は初詣に来ていた。
もちろん合格祈願のためだ。

伊織「たこやき食べたい」

P「……」

ちょっとした仲直りの意味もあったりする。

……いや別に喧嘩してないけどな?

P「すいません、二皿」

<アイヨッ

伊織「ちょっと……」

伊織にくいくいとコートを引かれる。

伊織「一皿でいいわよ。ちょっと食べたいだけだし」

P「……」

507: 2013/07/21(日) 23:09:27.45 ID:ShRRr6oP0

P「すいません、やっぱ十皿ください」

伊織「!?」

おっさん「おー!あんちゃん気前がいいねぇ!まいど!」

伊織「……馬鹿?」

P「事務所へのお土産だ」

たこやきを受け取って少し外れに移動する。

P「おっと」

ポケットからハンカチを取り出して平らな縁石の上に敷いた。

P「どうぞ、お嬢様」

伊織「あらありがとう、あなた様」

P「貴音の真似か?」

伊織「なに言ってんのよ。アンタこそ少しはわかってきたわね」

P「立派な晴れ着が汚れたらいけないからな」

――

508: 2013/07/21(日) 23:10:09.82 ID:ShRRr6oP0



P「絵馬書くか」

伊織「……えま?」

P「うん……え?」

P「知らない?」

伊織「……たぶん」

P「……」

……セツメイチュウ……

伊織「裏?」

P「ああ。絵が描いてある方が表だから、無地の方に願い事を書く」

509: 2013/07/21(日) 23:11:00.58 ID:ShRRr6oP0

伊織「ふーん。なんか決まりごとはあるの?」

P「あー……一般的なのは『小出高校合格!』とか書いて、あとは適当に飾り付けすりゃいいんじゃないか?」

P「後は名前か……」

P「まあ名前はばれるとまずいから書かなくてもいいだろ」

伊織「イニシャルくらいならいい?」

P「ん?ああ、それくらいならいい」

P「あ、そうそうあとは『合格しますように』じゃなくて『合格します』みたいな言い切るように書いた方がいいらしいぞ」

――

510: 2013/07/21(日) 23:11:52.75 ID:ShRRr6oP0



伊織「完成!」

P「……」

たっぷり20分は待たされた。

伊織「ほんとは金箔でも張り付けてやろうと思ったんだけど」

P「おいおい……」

伊織「冗談よ。で、これはどうするの?」

P「ああ、あそこに掛けるんだ」

拝殿と手水舎の間くらいに、すでにたくさんの絵馬が掛けられている絵馬掛けがある。

511: 2013/07/21(日) 23:12:24.05 ID:ShRRr6oP0

P「でも、持って帰ってもいいぞ」

伊織「そうなの?」

P「ああ、たぶん」

伊織「たぶんって……」

P「そんなにはっきり決まってるものでもないんだよ。持って帰ってお守りにして、願いが成就したら御礼として持ってきて掛けるってのもいいだろう」

P「ま、好きにしていいぞ」

伊織「……」

伊織「……じゃあ持って帰る」

伊織「神様に頼むのもいいけど、今は勉強してきた自分の力を信じたいしね」

P「そうかい」

512: 2013/07/21(日) 23:13:55.36 ID:ShRRr6oP0

伊織「あ、アンタここにはんこ押してよ」

P「はんこ?」

伊織「そう」

P「……はは」

思わず少し笑ってしまった。

伊織「な、なによ!?」

P「なんでもない。事務所に行ったらな」

伊織「……ふん!」

笑ったのは別に伊織が言ったことが変だったからではない。
昔講師のバイトをしていた時も教え子に頼まれたことがあったからだ。

いつの時代も受験生の考えは似てくるものかもしれない。

――

513: 2013/07/21(日) 23:15:39.79 ID:ShRRr6oP0



P「ほれ」

伊織「……ありがと」

伊織にお守りを渡す。
お守りには『合格祈願』と書かれている。
絵馬があるからいいと言っていたが、勝手に買って渡した。

伊織「強引なんだから」

P「まあまあ」

伊織「……っていうか他にも買ったの?」

P「ああ、神社なんてめったに来ないからな」

P「事務所に商売繁盛と……アイドルのみんなには健康祈願……」

P「……小鳥さんには迷ったんだけど」

伊織「……恋愛成就?」

P「いや縁結び」

伊織「……ノーコメント」

――

514: 2013/07/21(日) 23:17:33.77 ID:ShRRr6oP0



P「じゃあ、一回戻るんだよな?」

伊織「ええ。さすがに晴着のままで勉強なんてできないわよ」

P「ああー、伊織の晴れ着がもう見れないなんて!神はいないのか!」

伊織「……ばかじゃないの?」

P「褒め言葉だな。ありがとう」

P「もう連絡したのか?」

伊織「ええ。すぐ来ると思う」

P「そうか」

伊織「……」

伊織「そういえば、アンタにもまだちゃんとお礼言ってなかったわね」

P「あ?なんだ急に」

515: 2013/07/21(日) 23:18:19.90 ID:ShRRr6oP0

伊織「言うつもりもないけど」

P「だから別にいいって。今さら……って」

P「なにぃ!?」

伊織「あら、言わなくてもいいんでしょ?」

P「ぬぐぐ……確かにそうだが」

P「面と向かって言われるとなんか腹立つ」

伊織「ふん、嘘ついた罰よ」

P「……うそ?」

伊織「……みんなが私のうちに泊まりに来たことだけど」

P「ああ、それが?」

伊織「アンタは関わってないって言ってたわよね」

P「……ああ」

516: 2013/07/21(日) 23:19:15.80 ID:ShRRr6oP0

伊織「……じゃあ律子だけはプロデューサーから頼まれた、ってのは律子の嘘かしら?」

P「……」

P「……律子の嘘だな」

伊織「この嘘つき大人!」

P「いて、殴るな!」

伊織「晴れ着なんだから蹴れないの!しょうがないでしょ!」

P「暴力行為をやめろと言ってるんだ!」

伊織「ふん、ほんとかっこつけたい年頃なんだから」

P「ぐ……」

517: 2013/07/21(日) 23:21:33.59 ID:ShRRr6oP0

P「い、いやせっかくだから律子も行ったらどうだってちょっと言っただけだぞ?」

伊織「ふーん……」

P「ほんとだぞ?」

伊織「……」

P「……それに何もしてないというか、何もできなかった、の方が正しい」

伊織「……」

伊織「私は……あ」

見慣れたリムジンが近づいてくる。
神社の前の細い道、プラス人混みなのにもかかわらず滑るように近づいてくる。

伊織「じゃああとで事務所に行くから」

P「ああ。俺はたぶんいないがな」

目の前にリムジンが止まり、運転席から新堂さんが降りてくる。

新堂「プロデューサー殿、ありがとうございました。お嬢様、お待たせ致しました」

恭しく頭を下げた後、後部ドアが伊織のために開けられる。
伊織は軽く新堂さんに声をかけると車内に乗り込んだ。
新堂さんがもう一度こちらに向かって頭を下げた後、運転席へ戻る。

518: 2013/07/21(日) 23:22:44.63 ID:ShRRr6oP0

新堂さんの後ろ姿を目で追っていると、後部ドアの窓が開けられた。

伊織「一つ、宣言しとくわ」

P「宣言?」

伊織「私、残りの受験までの勉強を楽しんでやることに決めたの」

P「……楽しむ?」

伊織「ええ」

伊織「っていうか最初からそれに気づいてればよかった」

伊織「いつも通りやれば、伊織ちゃんが合格しないわけないもの」

P「……急に伊織になったな」

伊織「……どういう意味かしら?」

P「なんでもない」

伊織「ふん……」

519: 2013/07/21(日) 23:24:45.94 ID:ShRRr6oP0

伊織「いつも通り……事務所に行って」

伊織「春香のドジを見て、真をからかって、亜美たちにからかわれて、美希を起こして、みんなに突っ込んで……」

P(突っ込み役は自覚してるのか?)

伊織「……みんなとがんばればいい。それだけのことだった」

伊織「それで……」

伊織「にひひっ、それで絶対に合格してやるんだから!」

伊織「……アンタにお礼を言うのは、合格した時の一回で十分よ!」

P「……そうかい」

そこまで話したところで、車のエンジンがかかった。

伊織は窓を開けたまま手を振っている。
俺も軽く手を挙げて応えておいた。

やがてリムジンがゆっくりと走り出す。

520: 2013/07/21(日) 23:32:18.36 ID:ShRRr6oP0

窓から見えていた伊織が見えなくなった頃――

『アンタにはいろいろしてもらってるわよ!何もできなかったなんて言うな、馬鹿!』

姿は見えなかったが、声だけが聞こえた。

リムジンはさらに遠ざかる。

声だけしか聞こえなくとも、俺には伊織の顔がはっきりと浮かんできた。

いつもの、不機嫌そうな顔で『ふん!』と言っているのだ。

P「ったく」

P「……いつもの伊織、だな」

そう、普通の人が見たら不機嫌そうな顔で。

けど俺は知っている。その表情は本当の伊織の気持ちとは関係のないことを。

521: 2013/07/21(日) 23:33:25.09 ID:ShRRr6oP0

受験まで残り1か月と少し。

いよいよ勝負も大詰めとなってきた、一年の始まりの日のことだった。



つづく

528: 2013/07/25(木) 22:01:00.87 ID:oyZOVrv+0



――1月中旬

P「これは……」

本日分の全仕事を終えて事務所に戻ると、昨日までなかったものがホワイトボードに飾られていた。
絵馬を模した五角形の型紙に『いおりん高校受験本番まであと「30」日!!』と書かれてある。
日付の部分は付け替えできるようになっており、一日一日カウントダウンされていくらしい。

律子「それ、真美と亜美が作ったんです」

P「へぇ……いい出来じゃないか」

律子「ただ、ちょっと心配してました」

律子「『これ、いおりんプレッシャーに感じないかなぁ?』って」

P「……今のアイツなら大丈夫だろ。喜ぶと思うぞ」

――――

529: 2013/07/25(木) 22:04:25.11 ID:oyZOVrv+0



伊織「わかった。ありがと」

P「おし」

美希「あ、でこちゃん!調子はどうなのなの?」

伊織「『なの』が多くない?調子はいいわよ」

美希「それはよかったの」

P「っていうか美希は大丈夫なのか?」

美希「なにが?」

P「あれ……」

『高校受験本番まであと「20」日!!』

美希「……」

美希「あはっ☆」

伊織・P「いやいや『あはっ』じゃなくて」

――――

530: 2013/07/25(木) 22:05:01.52 ID:oyZOVrv+0



『いおりん高校受験本番まであと「10」日!!』

伊織「……」

小鳥「ごめんね、勉強中」

伊織「ん……小鳥?」

小鳥「うん、ちょっと軽食をね」

小鳥「コーヒーと、ドーナツ。どう?」

伊織「あ、ありがと」

小鳥「どういたしまして」

伊織「……おいしい」

小鳥「そう?春香ちゃんが作ったのよ」

小鳥「春香ちゃんにも言ってあげてね」

伊織「うん」

531: 2013/07/25(木) 22:05:33.11 ID:oyZOVrv+0

小鳥「そういえばこの間、みんな伊織ちゃんの家に行ったのよね?」

伊織「うん」

小鳥「あーあ。私も行きたかったなぁ」

伊織「……いつでも来ていいわよ。別に」

小鳥「そう? ふふ、じゃあ今度お邪魔しちゃおうかしら?」

伊織「構わないわ」

小鳥「……がんばってね」

伊織「……ありがと」

――――

532: 2013/07/25(木) 22:06:11.46 ID:oyZOVrv+0



P「さて……」

『いおりん高校受験本番まであと「1」日!!』

とうとう伊織の入試前日。

小鳥「プロデューサーさん?」

P「はい」

小鳥「そろそろ時間ですよ」

P「……そうですね」

時計を見ると時刻は夜8時。
今日はいつもより早く帰り、明日に備えることになっていた。

533: 2013/07/25(木) 22:07:10.27 ID:oyZOVrv+0

P「さて、じゃあ声をかけてきますか」

会議室へ向かう。
伊織は普段事務所の一画、パーテーションで区切られた専用の自習机で勉強しているが、今日は適当な理由をつけて会議室で勉強してもらっていた。

年が開けてひと月と半、伊織は再び事務所に来て勉強していた。

以前は事務所に来ても必要最低限のことしか話さなかった伊織。
ほとんどの時間を机に向かっていて声をかけにくい雰囲気だった伊織。
しかしこの1か月半はそんなことはなくなっていた。

休憩を定期的にはさみ、その時間は事務所にいるメンバーと雑談をしたり。
差し入れをもらった次の日にはお返しのものを持って来たり。
誰かに頼んでテキストから問題を出してもらったり。

いい意味で肩の荷が下りたようだった。

会議室の扉をノックする。

伊織「時間?」

P「ああ」

言いながら会議室のドアを開ける。

534: 2013/07/25(木) 22:07:42.27 ID:oyZOVrv+0

伊織は座ったまま首だけを回して俺を見た。

伊織「あと2、3分だけいい?あとちょっとで見直し終わるから」

P「ああ。じゃあ終わったら来てくれ。電気も消してな」

伊織「わかった」

会議室のドアを閉め、伊織を残して俺だけ戻った。

「どうでした?」

「バレてる?」

P「いや大丈夫だろ。それよりすぐ来ると思うぞ」

――――

535: 2013/07/25(木) 22:28:43.42 ID:oyZOVrv+0



伊織「お待たせ……って」

伊織「……何やってんの?」

真「お疲れさまー!伊織!」

響「おつかれー!」

伊織「みんなが揃ってるなんてどうしたのよ?こんな時間に」

真美「ぐーぜんだよ、ぐーぜん!」

伊織「偶然、ねぇ……」

P「なぜ俺を見る」

伊織「別に」

律子「まあまあ」

536: 2013/07/25(木) 22:29:24.28 ID:oyZOVrv+0

律子「明日が本番でしょ?だからみんな伊織に一声掛けたいって戻ってきたのよ」

美希「でこちゃん泣いちゃう?泣いちゃうの?」

伊織「はぁ……泣くわけないでしょ」

伊織「第一明日が本番なのに」

P「さて、それじゃ時間もないし始めるか」

P「まずはこれ」

ゴンッ

伊織「……」

伊織「……なにこれ?」

P「願掛けだ」

537: 2013/07/25(木) 22:30:38.98 ID:oyZOVrv+0

小鳥「プ、プロデューサーさん、いつの間に?」

P「今日買ってきました」

春香「これどうするんですか?」

雪歩「あ、もしかして選挙とかでやってる……」

P「そう、まず願掛けとして左目を入れて、願いが叶ったら右目を入れるんだ」

伊織「私がやるの?」

P「当たり前だろ」

538: 2013/07/25(木) 22:31:09.96 ID:oyZOVrv+0

高木「墨と筆も用意しているよ」

伊織「しゃ、社長まで?」

高木「はっはっは、もちろんだよ。さ、これを使いたまえ」

高木「この筆は由緒あるものでね、昔私がプロ 伊織「どっちに描けばいいの?」

P「左目だから、伊織から見て右側だ」

亜美「いおりん失敗しないでね~」

伊織「……当たり前じゃない」

グリグリ……

539: 2013/07/25(木) 22:31:52.34 ID:oyZOVrv+0


no title

540: 2013/07/25(木) 22:32:27.42 ID:oyZOVrv+0



伊織「……」

一同『……』

P「……ぶふぅ!」

伊織「!?」

亜美「ぷっ!」

真美「あはははははは!!」

伊織「な、なによ!」

千早「くくく……」

P「お、お前……ぷぷ……目ん玉全部塗ったな……くく」

伊織「ち、違うの?」

541: 2013/07/25(木) 22:33:07.20 ID:oyZOVrv+0

律子「……全部塗りつぶしちゃね……くっ」

小鳥「ま、まあ味があっていいんじゃ……ぷ……ないですか?」

伊織「……!」

P「はは」

伊織「……いいじゃない、独特で」

P「はー……そうだな」

P「おし、んじゃこれは神棚に置いて……と」

P「じゃ、みんなお祈りするぞ」

伊織「みんなでするわけね」

P「ああ」

パンパン!!

542: 2013/07/25(木) 22:34:31.72 ID:oyZOVrv+0

P「……」

伊織「……」

P「ふぅ……おし」

P「あとは、合格したらもう片方入れるからな」

伊織「はいはい」

P「あとは……」

伊織「なに?」

春香「伊織!」

伊織「は、春香? どうし……」

春香「えへへ……はい!これ」

伊織「はいこれって……」

543: 2013/07/25(木) 22:36:06.43 ID:oyZOVrv+0

伊織「……リボン?」

春香「うん!応援してるよ!伊織!」

伊織「ちょ、ちょっとこれ……!」

貴音「……水瀬伊織」

伊織「た、貴音?これってなんなの?」

貴音「……これを」

伊織「……」

貴音「このへあばんどを、わたくしだと思ってください」

貴音「……応援していますよ、伊織」

伊織「……」

伊織「……ありがとう」

544: 2013/07/25(木) 22:37:09.88 ID:oyZOVrv+0

美希「でこちゃん!」

伊織「美希」

美希「ミキはこれなの!はい!」

美希「美希の一番のお気に入りのイヤリングだよ!」

伊織「一番のお気に入りって……いいの?」

美希「うん!でも、ちゃんと合格して返してね!」

伊織「……わかった。借りとくわ」

伊織「ありがとね。あとでこちゃんはダメ」

美希「うん!がんばってねでこちゃん!」

伊織「……」

545: 2013/07/25(木) 22:39:59.29 ID:oyZOVrv+0

真「伊織!ボクはこれ!」

伊織「リストバンドね……ふふ」

真「あー!な、なんで笑うのさ!」

伊織「いや、真らしいなって」

伊織「ありがと」

真「がんばってね、伊織!」

響「伊織!」

伊織「響」

響「自分はこのいつもつけてるヘアゴムさー!」

伊織「ありがと。でもこれ借りてていいの?その長い髪まとめらんなくなっちゃうわよ?」

響「うん!それよりいつもつけてるやつだからこそ、伊織に持っててほしいんだ!」

伊織「……ありがと、響」

響「へへ、がんばってね!応援してるぞー!」

546: 2013/07/25(木) 22:41:05.28 ID:oyZOVrv+0

雪歩「伊織ちゃん」

伊織「雪歩……ゆきほ?」

雪歩「わ、私はスコップにしようとしたらプロデューサーに止められて……」

伊織「……」

雪歩「だから、はい、これ」

伊織「……ブレスレット?」

雪歩「これ……私が初めてライブに出た時のアクセサリーなの」

雪歩「記念に大事に取っておいたやつなんだけど……」

伊織「……いいの?」

雪歩「うん、もちろん!がんばってね!」

伊織「ありがとう……雪歩」


547: 2013/07/25(木) 22:41:41.72 ID:oyZOVrv+0

千早「伊織」

伊織「千早」

千早「私はこれ」

伊織「腕時計?」

千早「ええ。初めてのお給料で買ったものなんだけど」

伊織「いいの?」

千早「ええ。試験の時に腕時計が必要だって聞いたから」

伊織「……ありがと。がんばるわ」

千早「……がんばって」

548: 2013/07/25(木) 22:45:19.85 ID:oyZOVrv+0

やよい「伊織ちゃん!」

伊織「やよい」

やよい「えへへー、はい、これ!」

伊織「ありがと。でも片方だけになっちゃうわよ?ちゃんと代えのゴム持ってるの?」

やよい「持ってないよ!」

伊織「も、持ってないって……」

やよい「いいの!伊織ちゃんに持っててもらいたいの!」

伊織「……わかった。借りとくわ」

やよい「うん!応援してるからね!ハイ!」

『た~っち!いぇい!』パシン!

やよい「えへへ、がんばって!きっと大丈夫だよ!!」

伊織「……ありがとう、やよい」

549: 2013/07/25(木) 22:46:17.07 ID:oyZOVrv+0

真美「い~おりん!」

伊織「真美……」

真美「ほい!伝説のヘアゴムだよ!」

伊織「伝説って……いつもつけてるやつじゃない」

真美「だから力が込められてるんじゃん!もうこれで合格間違いナシだね!」

伊織「ふふ、そうね。ありがと」

真美「がんばってね!セ~ンパイ!」

550: 2013/07/25(木) 22:47:39.92 ID:oyZOVrv+0

あずさ「……伊織ちゃん」

伊織「あずさ」

亜美「おーっと!今回は亜美も一緒だぜ!」

あずさ「私たちからは、これ」

伊織「これって……?」

亜美「新曲の、新衣装のイヤリングだよ!!」

伊織「……!」

あずさ「……仕事再開は新曲発表からって、律子さんが」

伊織「……」

亜美「……がんばってね、いおりん」

伊織「……あり、がと……」

あずさ「待ってるね、伊織ちゃん」

伊織「……うん」

551: 2013/07/25(木) 22:48:37.44 ID:oyZOVrv+0

律子「さーて、じゃあ私からはこれ」

伊織「……律子がいつもつけてる」

律子「そ。髪留め」

律子「がんばってね、伊織」

伊織「……あ、あの!」

律子「……」

伊織「その……」

律子「……」

律子「……だいじょうぶ」

伊織「……」

律子「話ならあとでいっぱい聞いたげるから、今は明日のことに集中しなさい」

552: 2013/07/25(木) 22:50:02.22 ID:oyZOVrv+0

伊織「……」

伊織「……ふふ」

律子「なに?」

伊織「やっぱり私の、竜宮のプロデューサーね。律子」

律子「当たり前じゃない」

伊織「ありがと……私、がんばるから」

律子「……信じてるからね」

小鳥「伊織ちゃん」

伊織「こ、小鳥もなの?」

小鳥「もちろん!私はこの胸のリボン!」

伊織「ひよこ色のやつね」

小鳥「がんばってね、伊織ちゃん」

伊織「ありがと、小鳥。……それと、いつもお茶、ありがとね」

小鳥「……ふふ、どういたしまして」

553: 2013/07/25(木) 22:51:26.66 ID:oyZOVrv+0

P「さて、それじゃ……」

P「最後に、社長からお願いします」

高木「うむ」

亜美(……ピヨちゃん、社長とか大丈夫なの?)

小鳥(だ、大丈夫よ……たぶん)

高木「うほん!あー……水瀬君」

伊織「はい」

高木「4月からここまで、よくがんばったね」

伊織「……」

真美(まじめだ)

亜美(マジメだね、めずらしく)

律子(……あんたたちね)

554: 2013/07/25(木) 22:52:10.32 ID:oyZOVrv+0

高木「はは、もちろんここがゴールじゃない。明日が本番なのはわかっているよ」

高木「それでも、今はねぎらいの言葉をかけたいと思う」

伊織「ありがとうございます」

高木「そして、明日に向けて本当は激励の言葉を掛けるべきなのだろうが……」

P「……」

小鳥「社長……?」

高木「……ただねぇ」

高木「私には、どうしても君が負ける姿が想像できないんだよ」

伊織「……」

555: 2013/07/25(木) 22:52:58.06 ID:oyZOVrv+0

高木「どう思うね?」

伊織「……」

伊織「……そうですね」

伊織「私は合格しますから」

高木「……ふふ、素晴らしい。ならば私から言うことは特になさそうだね」

高木「では、いつも通りやってきてくれたまえ」

伊織「はい」

高木「ただ」

高木「……君には、みんながついている。そのことは忘れないでくれたまえ」

――――

556: 2013/07/25(木) 23:15:57.68 ID:oyZOVrv+0



P「じゃあ、な」

伊織「ええ、ありがとう」

簡単な激励会の後、俺は伊織を送って帰った。
今日は車の中でいつもの一問一答ではなく、明日の諸注意などを軽く話した。

P「確認」

伊織「持ち物は今日中にそろえておくこと、朝ごはんをちゃんと食べること、早めに家を出ること……えーと」

P「明日の試験中」

伊織「あ、試験中も見られているという意識を持つこと」

問題を解いている最中も試験管に見られている。
だから机に肘をついたり、問題を解き終わったからといって気を抜いたりしてはいけない。

557: 2013/07/25(木) 23:16:31.91 ID:oyZOVrv+0

伊織「あとは」

伊織「……早めに寝ること」

P「ん、オッケーだな。ちゃんと実践しろよ」

伊織「わかってる」

会話が途切れる。

P「……」

伊織「……」

伊織「……じゃあ」

P「ああ」

伊織が助手席から降りる。

コンコン。

窓をノックされたので、助手席の窓を開けた。

558: 2013/07/25(木) 23:17:25.53 ID:oyZOVrv+0

P「なんだ?」

伊織「……なんだか話したいことがあった気がするんだけど」

P「……」

伊織「よくわかんない」

伊織「……いっぱいありすぎるのかしら?」

そう言ってこちらを見つめてくる。
伊織の顔をはっきり見るのは久しぶりな気がした。

少し前に事務所に来なかった時期があったからではない。
だいぶ前からだ。

伊織との仲が深まるにつれて、距離が縮まるにつれて。
なんとなくそうなっていた。
お互い話しているときはどこかあさっての方向を見ていることが多かった。
視線を合わせなくても伊織がどんな顔をしているかわかるようになったこともある。
それに。
なんだか気恥ずかしかったのも、あったかもしれない。

559: 2013/07/25(木) 23:18:15.61 ID:oyZOVrv+0

伊織の顔をじっと見る。
視線を合わせる。

不思議と今は気恥ずかしさは感じなかった。

暗さのせいだろうか。夜の空気のせいだろうか。

ともかく――

P「……試験が終わったら、いっぱい話そうな」

そんなことを言っていた。

伊織「……うん」

伊織も素直に返事をする。
伊織も俺と同じことを考えているのだろうか。
俺と同じことを普段も感じているのだろうか。

560: 2013/07/25(木) 23:19:09.62 ID:oyZOVrv+0

伊織「ありがとう……私、がんばってくるから」

P「……ああ。がんばってこい」

俺はあんまりがんばれという言葉は好きではない。

がんばってることなんて、知ってるからだ。

毎日毎日半端ではない時間を勉強に費やして。

睡眠時間を削って勉強し。

挙句の果てには薬まで飲んで、体調を崩すまで。

これ以上、何をがんばれというのか。

しかし、それしか言えない。

送り出す側としてはいつもそうなのだ。

取材の時も、レコーディングの時も、ライブの時も。

そして、今回も。

伊織がこちらを見ている。

561: 2013/07/25(木) 23:19:41.65 ID:oyZOVrv+0



P「……信じてるぞ」

伊織「……ありがとう」



やっぱり、俺にはそんなことしか言えなかった。



つづく

573: 2013/07/29(月) 21:12:25.65 ID:h+R4HGXn0



――自然と、意識が覚醒する。
室内は暗かった。
最初はまだ目がはっきり開いていないからだと思ったが、そういうことでもないようだ。
枕元の時計を見る。
まだ目覚まし時計が鳴る前だった。

ゆっくりと体を起こす。
今日は仕事がなくなった目覚まし時計を止めた。

軽く体を伸ばす。
起き抜けでも意識ははっきりしていた。
昨日は早く寝たからだろうか。

ベッドから降りてカーテンを開けると、外もまだ薄暗かった。

574: 2013/07/29(月) 21:13:11.50 ID:h+R4HGXn0

「――おはようございます、お嬢様」

室内の気配を察知してか、新堂がノックをしてからゆっくりとドアを開く。
私もあいさつを返した。

新堂「しっかりお休みになられましたでしょうか?」

いつもは目覚ましにお世話になっているので(もちろん新堂に起こしてもらうことも少なくない)、自然に起きたことを気にしているのかもしれない。

ぐっすり寝たと言っておいた。
事実だ。

シャワーを浴びて、朝食をとる。
いつも通り朝食は一人だった。

575: 2013/07/29(月) 21:15:59.28 ID:h+R4HGXn0

部屋に戻り制服に着替える。
バッグの中身は昨日のうちに準備してあったが、一応もう一度確認した。
筆記用具、テキスト、ポケットティッシュなどなど。
そして受験票。
新堂に頼んだおいた昼食について聞くと、

新堂「こちらでございます」

普段とは違う包みを渡された。
普段は昼食を頼むと料亭や高級仕出屋の弁当が用意されているはずだが。

私の顔から疑問を読み取ったのか、新堂が口を開いた。

新堂「昨日、奥様が遅くに戻られまして」

驚いた。

なんでも昨日家に(珍しく)戻ってきて、お弁当を作り、再び出て行ったらしい。
昨日は早く寝てしまったのでまったく気づかなかった。

576: 2013/07/29(月) 21:17:07.39 ID:h+R4HGXn0

新堂「それと、こちらは旦那様からです」

一通の封筒を手渡される。
中には手紙が入っていた。

ちなみに今まで父親から手紙をもらったことはない。

読んでみると「思えば私が勉強に対して口を出したことがきっかけだった」から始まり、ほとんどが一年間のあらすじみたいな内容が書かれていた。
ただ最後に、

「精一杯頑張ってきなさい」

と書いてあった。

読み終わった手紙は封筒に戻し、そのままバッグに入れた。

時間になり、新堂の運転で受験会場となる小出高校に向かう。
着くまでは申し訳程度にテキストを開いてざっと目を通した。

577: 2013/07/29(月) 21:18:18.95 ID:h+R4HGXn0

20分ほどで目的地に到着したことが告げられる。
事前に言っておいたので校門からは少し離れたところで車は止まっていた。

車から出る際、

新堂「……差し出がましいとは思いますが」

新堂「成功をお祈りさせていただきます、お嬢様」

伊織「ありがとう」

伊織「……いつも、ありがとうね、新堂」

新堂「もったいないお言葉でございます。いってらっしゃいませ」

校門へ向かう。
学校の敷地に沿って歩き、一つ目の角を左に曲がると数人の人が集まっている場所が見えた。

578: 2013/07/29(月) 21:20:08.11 ID:h+R4HGXn0

さらに近づくと、どうやら校門の前にいる人は学校の関係者ではなく塾の講師らしいということがわかった。
あいさつをされたのでこちらもあいさつを返す。

胸に名札をつけ、腕に塾の名前が入った腕章をしていた。
登校してきた生徒の何人かはその講師たちの元に集まって話をしている。

アイツもこんなことをしてたのかしら、と考えた。
少し立ち止まってその光景を眺めていると、

並んでいる大人たちの一番端に、見慣れた姿があった。
その人影はこちらに気づくと軽く手を挙げた。

近づく。

P「おう、ちゃんと早く来たな」

何してるの? と問いただした。

579: 2013/07/29(月) 21:20:43.09 ID:h+R4HGXn0

P「早朝激励、ってやつだ。ほら、他の塾の先生も来てるだろ?」

別にアンタは塾の先生じゃないでしょ、とか、こんな朝早くに来なくても良かったのに、とか思ったが黙っておいた。

P「調子はどうだ?ちゃんと寝たか?」

大丈夫、と答える。
実際ちゃんと寝たし、体調も良かった。
現段階ではあまり緊張もしていない。

P「そうか。ほんとに大丈夫そうだな」

P「……ま、来といてなんだがあんま話すこともないんだよな。昨日激励会やったし」

何よそれ、と笑う。

580: 2013/07/29(月) 21:22:03.29 ID:h+R4HGXn0

でも、プロデューサーの顔を見て安心したのは確かだ。
別に気を張っていた訳ではないと思うが、顔を見た瞬間なんだかふっと体が軽くなった気がした。

ほんと、お人好しね、コイツ。
といった半分呆れたような、やっぱりね、というような気持ちが近いかもしれない。

P「ほら」

プロデューサーが手を差し出してくる。

なに?と聞く。

P「握手だ。……まぁ、儀礼的なものというかなんというか」

左手で自分の頬を撫でながら、右手は突き出したまま。視線は横を向いていた。

はいはい、と言いながら応じる。
触れる直前に、プロデューサーと握手するなんてどのくらいぶりかしら?とふと思った。

手を握る。大きな手だった。

581: 2013/07/29(月) 21:22:36.05 ID:h+R4HGXn0

P「……信じてるからな。お前も信じろ」

もちろん。

ぎゅっとプロデューサーの手に力が込められる。
私も強く握り返す。
車から降りたばかりの私の暖かい手とは逆に、プロデューサーの手は冷たかった。

どのくらいここで待っていたのか。
具体的に何時ごろ向かう、といった話はしていなかった気がする。
きっとずっと待っていたのだろう。

伊織「……ありがとう」

今日はなんだか『ありがとう』とばかり言っている気がする。

ふとあることを思いつき口に出す。
そういえば。

P「ん?」

582: 2013/07/29(月) 21:23:07.11 ID:h+R4HGXn0

プロデューサーだけ、激励会の時何も渡してくれなかったわね。

P「え?お、俺もか?」

別に、と言う。
別にいいけど。

P「うーん……って言ってもなあ。今は何も持ってないぞ?」

じゃあ、ペン。

P「ペン?」

そう、シャーペンもついてる多機能ペン。いつも使ってるじゃない。
あれ貸して。

P「あ、ああ……そんなもんでいいなら」

プロデューサーはコートの胸元から手を入れて、いつも使っているペンを取り出す。

P「ほら」

ありがとう、と礼を言ってペンを受け取る。

583: 2013/07/29(月) 21:23:39.95 ID:h+R4HGXn0

P「……さ、そろそろ行かないとな」

うん、行ってくる。
プロデューサーの元を離れ、受験生入口と書かれた昇降口に向かう。

途中で一度だけ振り返ると、プロデューサーはまだこちらを見ていた。
私に気が付くと、軽く手を振って応えてくれた。

ああ、そうだ――

初めてのライブの時がこんな感じだった。
私は緊張してないって言ってるのにプロデューサーが落ち着かせようとしてくれて。
私は呆れつつやっぱり体が軽くなって。
握手をして、ステージに行く前に一度振り返ると。

やっぱりプロデューサーは手を挙げながら笑っていた。



――――

584: 2013/07/29(月) 21:24:17.05 ID:h+R4HGXn0



P「……はは」

P「きっと、ヘアバンド以外もつけてるんだろうな」

P「……」

P「がんばれ、伊織」



――――

585: 2013/07/29(月) 21:26:41.00 ID:h+R4HGXn0



案内の通りに教室に入り、試験までの時間をテキストを見ながら待つ。

時間を確認した後、試験前にとお手洗いに行き鏡で身なりをチェックした。

目を閉じ、深呼吸を二回。

大丈夫――大丈夫。

目を開けると、いつもとは違うヘアバンドが目に入った。

伊織「……がんばるからね、貴音」


――――

586: 2013/07/29(月) 21:28:56.17 ID:h+R4HGXn0


四条貴音は事務所へ向かっていた。

今日の仕事は午前中のみ。

けれど貴音は、仕事が終わった後事務所に戻り、夕方まで残るつもりだった。

時計を確認すると午前九時近く。

貴音「……きっと大丈夫ですよ、水瀬伊織」


――――

587: 2013/07/29(月) 21:29:50.25 ID:h+R4HGXn0


教室内の机がすべて埋まる。

室内には30人近くの生徒がいるのに、教室内は静かだった。
暖房の音と、時々聞こえる咳払い。後はテキストをめくる音だけが聞こえた。

時間になり試験管が教室に入ってくる。
二人だった。

軽く注意を受けた後、問題用紙と解答用紙が一人一人配られる。

伊織は腕時計を外し、机の左端に置いた。

ありがとう、千早。

間もなく英語の試験が開始された。


――――

588: 2013/07/29(月) 21:30:29.70 ID:h+R4HGXn0


如月千早は電車で移動していた。

今日は自宅から直接スタジオへ。

事務所には夕方近くに帰ることになっていた。

彼女が戻るまでに、私は事務所に戻ることができるだろうか。

体を少しひねって窓の外を見る。

冬独特のきれいな空気のおかげか、ところどころに雲が浮かんでいる青空がいつもより高く見えた。

……がんばって、伊織。


――――

589: 2013/07/29(月) 21:32:22.99 ID:h+R4HGXn0


一時間目の英語が終わった。

英語は得意なので、ほぼ確信に近い状態で解答することができた。

ミスさえなければ満点だって狙えるはずだ。

気持ちを切り替え、次の数学に向けてテキストを用意する。

ついでに左のポケットを探り、入っていたものを取り出す。
しばらくそれらを眺めていた。

伊織「……ありがと、真、雪歩」

リストバンドとブレスレットをポケットに戻し、数学に向けてテキストを読んだ。


――――

590: 2013/07/29(月) 21:33:33.18 ID:h+R4HGXn0


雪歩「も、もう一時間目とか終わったころかなあ?」

真「そうだね。二教科目に入るころかもね」

雪歩「そっか、そうだよね……」

真「……」

真「ねえ雪歩」

雪歩「うん?」

真「社長が言ってたけどさ、ボクも伊織が失敗するところって想像できないんだ」

真「いつも生意気だけど、その分努力して結果をちゃんと出す、ってのが」

真「……ボクらの知ってる伊織だろ?」

雪歩「……うん」

591: 2013/07/29(月) 21:35:53.95 ID:h+R4HGXn0

真「……大丈夫だよ、伊織は」

真「きっといつものように『受かって当然ね!』って帰ってくるに決まってるさ」

雪歩「……」

雪歩「……そっか、そうだよね!」

がんばれ、伊織!

がんばってね、伊織ちゃん。


――――

592: 2013/07/29(月) 21:37:27.97 ID:h+R4HGXn0


平成二十二年度 小出高校入試問題 数学


問1、(-2)-3×(-5)^2 を計算しなさい。

問2、あるプロダクションの今年の人数は、去年より男性が25%増え、全体で10人増えたが、女性は1人減り、男性が   女性より7人多くなった。今年の男性の人数を答えなさい。

問3、1つの内角の大きさが140°である正多角形は何角形か、答えなさい。

問4、2次関数 y=2x^2 のxの変域を -2≦x≦4 としたとき、yの変域を答えなさい。

問5、あるxy座標平面上に3点 A(2,2)、B(4,1)、C(5,4)がある。
   いま点Pは原点Oを出発点として、さいころの目の出方によって、次のように移動する。
   ・1か2の目が出れば、x軸の正の方向に1
   ・3か4の目が出れば、x軸の正の方向に2
   ・5か6の目が出れば、y軸の正の方向に1
   さいころを4回投げたとき、点Pが△ABCの内部または周上にある確率を答えなさい。


――――

593: 2013/07/29(月) 21:40:58.14 ID:h+R4HGXn0



試験管「それでは、休憩に入ってください」

ふっと教室の空気が弛緩する。けれど誰かが口を開くことはない。

二教科目の数学と三教科目の国語が終わり、50分間の休憩時間になった。
教室内は席を立つものと、座ってお弁当を広げるものに分かれる。
普段の学校のように座席を移動して、友達同士でグループになる生徒もいない。

伊織も一人で弁当を食べた。
食べながら作ってくれた母親のことを考え、食べ終わると弁当箱をバッグにしまった。

時間がまだあったのでお手洗いに行っておく。

席に戻る。

試験管は教室にはいなかったが、ちょっと身を隠しながら制服の袖をまくり上げた。

右腕には様々な色のヘアゴムやリボンがついている。

みんなきれいだね、とてもきれいだね――か。

ありがと、春香、響、真美、やよい、小鳥。
今のところうまくいってるわ。
だから、大丈夫――


――――

594: 2013/07/29(月) 21:41:38.92 ID:h+R4HGXn0


P「……」

小鳥「今頃お昼食べてる頃ですか?」

P「そうですね」

小鳥「今日は落ち着いてますねー、プロデューサーさんは」

P「まあ」

P「落ち着いてないのは……」

響「うぅ、なんだかじっとしてられないぞ……」

やよい「お、お掃除でもしようかなー……でももうトイレも給湯室も階段もやっちゃったし……」

真美「うあー、また氏んじゃったよー!ゲームに集中できないー!」

春香「ちょ、ちょっと真美、声大きいよー」

P「……」

小鳥「ふふ、気になるんですねー」

P「まあしょうがないですけどね」

595: 2013/07/29(月) 21:42:15.85 ID:h+R4HGXn0

響「ああー!もう!」

真美「うわ!急にどうしたのひびきん?」

春香「だ、だから二人とも声が……」

やよい「プロデューサーに怒られちゃいますー」

P「……」

響「だってじっとしてられないぞ!」

真美「まー、わかるけどさー……」

P「響」

響「う……な、なに?」

P「じっとしてられなかったら屋上行って叫んで来い」

596: 2013/07/29(月) 21:42:46.37 ID:h+R4HGXn0

春香「プ、プロデューサーさん?」

P「午後の仕事に差し支えるからな。一言叫ぶくらいなら苦情も来ないだろ」

P「……たぶん」

響「ホント!?よーし、自分行ってくるぞー!」

真美「あ、真美も真美もー!!」

春香「ちょ……!ほんとにいいんですかプロデューサーさん?」

P「……いいさ。じっとしてらんない気持ちは俺も良くわかるからな」

やよい「……わ、私も!行ってきますー!」

春香「や、やよいまで!?ま、待ってよー!私も行……わぁ!?」

597: 2013/07/29(月) 21:43:52.63 ID:h+R4HGXn0

P「ふぅ……元気な奴らだ」

小鳥「今日は甘々ですね、プロデューサーさん?」

P「……返す言葉もないです」

P「小鳥さんは行かなくてもいいんですか?」

小鳥「私は、ここでいいです」

小鳥「……がんばって、伊織ちゃん」

『がんばるさー!いっおりー!!』

P「お?」

『いおりん!ぜったい合格だよー!!』

『いおりちゃーん!がんばってねー!!』

P「……はは」

『がんばれー!いおりー!!絶対!大丈夫だよー!!』


――――

598: 2013/07/29(月) 21:45:39.32 ID:h+R4HGXn0


平成二十二年度 小出高校入試問題 理科


問1、植物細胞にあり、動物細胞にないつくりを3つ答えなさい。

問2、主に火山の活動などでできる火成岩は数種類の鉱物でできている。その中でも色が無色、または白色の鉱物を無色鉱物というが、無色鉱物を2つ答えなさい。

問3、ある物質を水に限界まで溶かしてできた水溶液を何というか、答えなさい。

問4、日本で冬至の日に太陽が南中したときの南中高度は約何度か、次の中から選びなさい。ただし、日本の緯度は北緯37度とする。
   ①29.6度 ② 45.6度 ③53.0度 66.6度

問5、最近会社や建物の近くに小規模な発電装置を造り、電気を作り出すだけでなく発電時に発生する熱エネルギーも利用するシステムが注目されている。このシステムのことを何というか、答えなさい。


――――

599: 2013/07/29(月) 21:46:44.73 ID:h+R4HGXn0


四教科目、理科が終了した。

ご飯の後は眠くなるかも、と言われていたがあまり眠気は感じなかった。

次で、最後――

右のポケットに手を入れ、中に入っているものを取り出す。

銀色のキラキラしたイヤリング。

ピンク、黄色、紫のひし形を連結したような形のイヤリング。

緑のイヤリング。

伊織「……ありがとう、美希、亜美、あずさ」

伊織「……律子、ありがとう」

バレッタをぎゅっと握る。

あと一教科。
あと50分で試験は終わる。


――――

600: 2013/07/29(月) 21:47:28.04 ID:h+R4HGXn0


律子「うん!だいぶ良くなったんじゃない?」

亜美「へへ……やーりぃ!」

美希「あ!真クンの真似なの!」

あずさ「あらあら~……ふぅ」

律子「じゃあ、3分休憩後、また頭から確認ね!」

亜美「うぇ~ぃ……」

美希「……聞いてはいたけど、やっぱり鬼軍曹なの」

律子「聞こえてます」

美希「うっ……」

律子「協力してくれるって言ったでしょ?」

601: 2013/07/29(月) 21:48:06.19 ID:h+R4HGXn0

亜美「あーあ。ミキミキ、こりゃ雪歩穴を掘るってやつですなー」

律子「……」

美希「……」

あずさ「え~と……もしかして、墓穴を掘る?」

亜美「そう!」

律子「……絶対わかんないわ」

美希「……」

美希「ティンときたの!」

律子「な、なに?どうしたの急に?」

602: 2013/07/29(月) 21:50:28.33 ID:h+R4HGXn0

美希「ちょっとあずさ、亜美……」

亜美「……ほうほう」

あずさ「あら~、いい考えじゃないかしら?」

亜美「のった!」

律子「あ、あなたたちね、いったい何を……」

美希「あのね!?」

……

律子「無理無理無理無理!!」

美希「その方が楽しいの!」

603: 2013/07/29(月) 21:51:34.10 ID:h+R4HGXn0

律子「楽しいとかはいいから!まずあなたたちが……!」

亜美「……いおりん、喜ぶと思うよ?」

律子「うっ……」

あずさ「それに、『まずは』と言うことは、私たちが完璧になれば律子さんも考えるということですよね~?」

律子「あ、あずささんまで……」

美希「決まりなの!」

律子「ちょ、ちょっと待ちなさい!大体……!」

ギャーギャー!!

あずさ「ふふ」

あずさ「がんばってね、伊織ちゃん……待ってるから」


――――

604: 2013/07/29(月) 21:52:15.92 ID:h+R4HGXn0



P「……」

一旦仕事の手を止めて時計を見ると、時刻は5時半を回っていた。

小鳥「……ちょっと遅いですね」

P「まあ順番によってはこのくらい普通だと思いますが」

学力検査自体は3時前には終わっているはずだったが、その後に面接がある。
受験番号だけでは順番はわからないので伊織が何時ごろ戻るかはわからない。
夕方ぐらいまでは何回も「まだですかね?」と確認に来ていたアイドルも今は静かになってしまった。

P「……6時ごろになっても来なかったら、一応迎えに行ってみます」

俺自身、それ以上遅くなると他の仕事場のアイドルを迎えに行かなければならない。
ちなみに今事務所にいるのは雪歩、真、貴音の三人だけだ。
みんなそれぞれの仕事が終わった後に事務所に戻ってきて、そのまま残っているのだった。

と、その瞬間ドアが開く。

605: 2013/07/29(月) 21:52:50.04 ID:h+R4HGXn0

真「い、いお……!」

千早「……戻りました」

P「おう、お疲れさん」

雪歩「……ほ」

貴音「……」

小鳥「お疲れ様、千早ちゃん」

千早は中に入ると周囲をきょろきょろと見回した。

真や雪歩の様子を見て、

千早「……伊織は、まだ戻ってないんですね」

そう言った。

606: 2013/07/29(月) 21:53:23.48 ID:h+R4HGXn0

P「ああ。面接の順番が遅いみたいでな」

千早「そうですか……」

伊織「ただいまー」

P「……」

小鳥「……」

千早「……伊織!」

真「伊織!」

雪歩「伊織ちゃーん!」

伊織「ふぅ……疲れたわ」

607: 2013/07/29(月) 21:54:13.54 ID:h+R4HGXn0

戻ってきた伊織は俺の椅子に座ると、肩にかけていたバッグを下ろした。

P「……お疲れさん」

小鳥「お疲れ様、伊織ちゃん」

伊織「……疲れたわよー、小鳥ー」

そんなことを言って、笑った。

真「……」

雪歩「……」

千早「……伊織」

貴音「……首尾は、いかがでしたか?」

伊織「……」

雪歩や真が聞いていいものか迷っているうちに、千早、そして貴音が声をかけた。

伊織「……」

伊織はすぐには答えなかった。
が。

608: 2013/07/29(月) 21:55:32.03 ID:h+R4HGXn0

伊織「……完璧」

机に体をだらしなく預けながらも、Vサインを作って言った。

雪歩「……うわぁ!」

真「へへっ!やーりぃ!」

千早「……お疲れ様」

ようやく場の雰囲気が明るいものとなる。

伊織「ありがと……それと」

左腕を上げ、袖をまくる。

伊織「……これもね」

貴音が微笑む。

伊織の左腕には、リストバンドにブレスレット、そして腕時計が着いていた。


――――

609: 2013/07/29(月) 21:56:27.98 ID:h+R4HGXn0



P「みんなを安心させるためにそう言ったかと思ってな」

伊織「……まあそれも少しはあったけどね。でも大きなミスもなかったと思うし、自分の力は出せたと思うわ」

P「……なら完璧で合ってるか」

伊織「ええ」

事務所に戻ってきた後、だいぶ疲れているようだったので伊織はすぐに返すことにした。
みんなはまだ話を聞きたいようだったが、伊織のことを考えたのか一通り労をねぎらった後それぞれ帰途についた。

ちなみに事務所のホワイトボードには、

『無事終了!みんな、ありがとね!!』

と、これから事務所に戻ってくるみんなに向けて伊織直筆のメッセージが残されている。

610: 2013/07/29(月) 22:00:30.97 ID:h+R4HGXn0

P「……」

伊織「……」

車内は静かだった。
疲れてるだろうしゆっくりさせてやりたいとも思うが、もう少し話も聞きたい。
俺は一人でそんな葛藤をしていたが、結局口は開かなかった。

その代わりではないが、今後のことをすこし考える。

昔講師をしていたころは試験終了後に自己採点をし合否のめどを立てるのが普通だったが、今回に関しては自己採点はするつもりはなかった。
というか、自己採点をしたとしても他の受験生の点数などのデータがないのでいかんせん正確性に欠ける。
せいぜい去年までのデータと比較する程度だ。
なので今回は自己採点はなし、合格発表の日ですべてが決まる。

まあ、事務所に帰って来た時の様子を見ると出来がよかったのは本当だろう。

611: 2013/07/29(月) 22:06:13.40 ID:h+R4HGXn0

ふと伊織を見ると、小さな寝息を立てながら目を閉じていた。

精神的なものもあるのだろう。やはりだいぶ疲れていたようだ。

P「……よくがんばったな」

まだ合格発表も済んでいないけれど。

それでも。

伊織の寝顔を見ていると、不覚にも少し目の前が滲んだ。

ここまで、来たんだ。

もちろんすべてが順調な一本道じゃなかった。

俺自身大変なこともたくさんあったが、伊織の比にはならない。

つらいことや、折れそうになったこともあったはずだ。

それでも、一年間俺についてきてくれて。

今日も、一人で戦ってきたんだ。

P「……ほんっと」

P「……すごいやつだよ、お前は」

612: 2013/07/29(月) 22:06:46.70 ID:h+R4HGXn0

長かった受験も、勉強自体に関してはこれにて一段落。

あとは約2週間後。

運命の合格発表を残すのみとなった。



つづく

629: 2013/08/01(木) 18:13:35.30 ID:IMmyU4ts0



受験から2週間と2日。
合格発表の日は晴れていた。

発表の時間は午前11時なので、朝は比較的ゆっくりでいい。

のんびりと8時過ぎに起き、朝食をとった。
準備をしながら、芸能活動をしていたころは考えられないわね、と思った。

その後制服に着替え、9時過ぎに家を出た。
高校まではプロデューサーと行くことになっていたので、10時に事務所で待ち合わせをしている。

いつもの送迎用の車に揺られながら外を見る。
月が替わり三月になっても気温はまだまだ低い。
今日は雲が少なく青空が広がっていた。
そんな青空を見ていたらふとあることを思いつき、新堂に行先の変更を告げた。


――――

630: 2013/08/01(木) 18:14:46.51 ID:IMmyU4ts0



車が止まり、外からドアが開けられる。

新堂「お待たせいたしました」

礼を言って降りる。
やっぱり気温は低い。
晴れている分、より肌寒く感じた。

伊織「もう戻って良いわよ。どうせすぐそこなんだから」

かしこまりました、と頭を下げ新堂は運転席に戻っていった。
エンジンがかかり車が去っていく。

こういう時、新堂は私の心が読めるんじゃないかしら、と思う。
新堂は余計なことは言わないし、聞かない。
それでも、私の気分が落ち込んでいるときは一言断りを入れて話しかけてきてくれる。
学校や芸能活動のことを差し支えない範囲で聞いて来たり、家であったことを簡単に話してくれたり。
新堂になんでもないことを話しかけられて『私、もしかして気分が沈んでる?』と考えることさえあるほどだ。
そして、よく考えてみると大抵は思い当たる節があったりする。

今回だって何も言わず、すぐに一人にしてくれた。

車が見えなくなるまでそんなことを考えた後、公園に入ってベンチに座る。

631: 2013/08/01(木) 18:16:38.76 ID:IMmyU4ts0

公園に来たのに何か理由があったわけではない。
以前本当に売れてなかった頃、プロデューサーと来たことを思い出したからなんとなく来てみただけだ。

今日が合格発表だからと言って特に気負っているつもりもない。
いつも通りだ。
ただ、急にこんなことを思いつくなんてやっぱりいつもとは何かが違うんだろうか。

ブランコや滑り台、ジャングルジムなどの遊具がある。
あの時のようにハトもいた。

『ねえ、ここらで私もアンタもやめちゃうってのも一つの手かしら?』

『だって~、続けたって打ちのめされるばっかりじゃない……』

『そうだ、もしそうなったら家でアンタ雇ってあげる!なんでも好きな仕事やらせてあげるわよ?』

『……そう。じゃあ、もしここでやめちゃったらアンタとはジ・エンドって訳ね』

『せっかく組んだのに、結果ゼロっていうのも……やっぱりもう少し頑張ってみようかしら』

『い、言っとくけど別にアンタと離れたくないから続けるんじゃないわよ!カン違いしないでよね!!』

思わず口元が緩んでしまい、慌てて口元を隠す。
なぜこう昔のことを思い出すと笑ってしまうのだろう。

自分があまりに子供だったからなのか。
それとも。

632: 2013/08/01(木) 18:17:33.48 ID:IMmyU4ts0

「……なーに感傷に浸ってるんだ?お嬢様」

背後から声をかけられる。
バッと振り返る。

伊織「あ、あんた……!」

P「何してんだ?こんなところで」

まったく、なんでこいつはこうもタイミングが悪いのか。
それともタイミングがいいのか。

伊織「別に……アンタこそどうしたのよ」

P「別に」

むかっ。

なにか言い返してやろうとして、やめた。

私は大人になったのだ。

633: 2013/08/01(木) 18:19:31.84 ID:IMmyU4ts0

プロデューサーが横に座る。

P「どっこいしょ」

伊織「……おっさん」

P「うるせー」

体を伸ばしている。
……やっぱりまだ子供かもしれない。
さっきのお返しにこんなことを言ってみる。


伊織「ねえ、ここらで私もあんたもやめちゃうってのも一つの手かしら?」

P「あ?」

不審な顔をしている。
が、すぐに気付いたようだ。

P「何を言うんだよ、まだ始めたばっかりじゃないか」

伊織「だって~、続けたって打ちのめされるばっかりじゃない」

もちろん、あの時のような悲観的な口調ではない。

634: 2013/08/01(木) 18:20:12.51 ID:IMmyU4ts0

伊織「そうだ、もしそうなったら家であんた雇ってあげる!なんでも好きな仕事やらせてあげるわよ?」

P「世話にはなれないなあ、残念ながら」

伊織「そう。じゃあ、もしここでやめちゃったらあんたとはジ・エンドって訳ね」

P「そうだなあ、残念だなあ」

伊織「せっかく組んだのに、結果ゼロっていうのも……やっぱりもう少し頑張ってみようかしら」

伊織「言っとくけど別にあんたと離れたくないから続けるんじゃないわよ!カン違いしないでよね!!」

P「……」

P「……なつかしいな。もう2年前くらいか」

そこで会話が途切れた。
ややあってからプロデューサーが聞いてくる。

635: 2013/08/01(木) 18:20:39.44 ID:IMmyU4ts0

P「……不安か?」

伊織「全然」

本心だ。少なくとも自分自身が把握できる範囲では。

P「そうか」

伊織「私は、アンタが信じてくれた私自身を信じてるもの」

プロデューサーが面食らった顔をこちらに向ける。

伊織「……なんてね。にひひっ」



――――

636: 2013/08/01(木) 18:22:52.25 ID:IMmyU4ts0



事務所には小鳥しかいなかった。他のみんなは仕事で出ているらしい。
まあかえって気を使わせなくてよかったかもしれない。

いってらっしゃい、といつも通り見送られてプロデューサーの運転で事務所を出る。

P「今日はこの後は何か予定はあるのか?」

伊織「ない。お父様たちはいつも通り仕事だしね」

伊織「なに?デートのお誘いかしら?」

P「そうだとしたら付き合ってくれるのか?」

伊織「冗談」

637: 2013/08/01(木) 18:24:20.13 ID:IMmyU4ts0

ちなみに芸能活動の再開については今回の結果次第なので正式には発表されていないが、受験が終わった直後からレッスンは再開していた。
ただし案の定体はなまっていて、初日から徐々にレッスンの時間を増やしていくというリハビリに近いものだったが。
合格していれば近いうちに復帰ライブなりイベントなどを考えているらしい。
不合格であれば……あまり考えたくはない。

そんなことを考えているうちに小出高校に着いた。

一旦校門の前を通ったが、すでに生徒が集まり始め、校門前には保護者の姿も見られた。

近くのパーキングに車を止め、プロデューサーと並んで歩く。

伊織「こうしてると親子に見えるのかしら?」

P「……俺はそんな年か?」

伊織「だって普通は保護者じゃない」

P「せめて親戚のお兄さんとか」

伊織「まあなんでもいいわ」

P「じゃあ言うなよ……さて」

今度は歩いて校門前に着いた。

638: 2013/08/01(木) 18:24:59.92 ID:IMmyU4ts0

P「こっからは一人だな。案内板が出てるはずだから、それに従って行けばいいはずだ」

P「ちなみに合格発表は一斉に張り出されるわけじゃないからな」

伊織「え、そうなの?」

てっきり昔のドラマやニュースなどのような光景を想像していたので少し驚いた。

P「ああ、最近個人情報とかがうるさいからな。一人一人封筒で手渡しされる」

P「受験票は持ってきてるよな」

伊織「ええ」

P「じゃあ受験票を見せるか、番号を聞かれるから用意しとけよ」

P「封筒を受け取ったら開けると……まあ結果が書いてあるはずだ」

結果。

二文字か三文字かが書いてあるというわけだ。

639: 2013/08/01(木) 18:26:31.16 ID:IMmyU4ts0

P「なにか質問は?」

伊織「それ受け取ったら戻ってきていいの?」

P「……たしか。その他の手続きとかに必要な書類は同封されているはずだし」

伊織「わかった」

P「……じゃ、行ってこい」

伊織「ええ」

プロデューサーを残し、校門をくぐる。
今日は一度も振り返らなかった。

周りには制服を着た集団がいくつか歩いていた。
どうやら各中学校ごとに生徒だけで来るほうが多いようだ。
私のように一人で来ている生徒は少なかった。

とりあえず人の流れについて昇降口の方へ行くと、『平成二十二年度入学者選抜試験結果案内→』と書かれた看板があった。
矢印の方を見ると、少し離れたところに人の列が見えた。

そちらに向かうと、学校の職員だろうか、最後尾の案内をしているスーツ姿の男性がいた。
案内に従い列の最後尾に並ぶ。


640: 2013/08/01(木) 18:27:00.81 ID:IMmyU4ts0

腕時計を見ると時間は10時50分。
生徒の数はすでにかなり多かった。

あと10分で結果発表が始まる。

大丈夫、大丈夫と気持ちを落ち着ける。

他の生徒たちは同じ中学の友達としゃべったり、落ち着かなく身なりを整えたりしている。
雰囲気のせいか緊張を押し隠そうとしているように見えた。
みな小声で話しているが、人数が人数なのでそれでも大きなざわめきとなっていた。

待つ。

ポケットに手を入れる。

触れるのは滑らかな木の感触。
五角形の木片の周囲を指でなぞったあと、ぎゅっと握りしめた。

大丈夫。

やがて、列が進み始めた。


――――

641: 2013/08/01(木) 18:27:52.45 ID:IMmyU4ts0



時計を見る。

11時を1分回っていた。

もう発表が始まっているはずだ。

伊織は何番目くらいに並んでいるのだろうか。
ここからは生徒たちは見えない。

周りは何人かの保護者、主に母親だろう、が同じく手持無沙汰に待っている。

年配の男性が目の前を横切る。生徒の父親だろうか。
煙草の匂いがした。

――俺も煙草でも吸おうか。

642: 2013/08/01(木) 18:28:20.97 ID:IMmyU4ts0

大学を卒業してから禁煙していたが、久々に吸いたくなった。
いや、正確には吸いたくなったわけではない。
何もすることがない状況が堪えがたいだけだと思う。

俺が緊張したところでどうなるものでもないが、緊張するものはしょうがない。

しかしこの場を離れるのもなんとなく気が引けるため、結局そのまま待つことにする。

携帯をいじったり、時計を確認しながら待つこと5分程度。

校門から生徒が出てくる。

最初に出てきた女生徒の二人組は、赤い目をしていた。


――――

643: 2013/08/01(木) 18:29:06.38 ID:IMmyU4ts0



ようやく列の先頭が見える位置まで来た。

事務窓口のようなところで封筒を渡されているのが見える。
封筒を受け取った生徒は列を外れ、少し離れたところで封筒を開封している。

その後に上がる歓声。
合格していたのだろうか。

先ほどから封筒を受け取って帰る生徒と何度もすれ違った。

三人とも喜んで、よかったね、と言い合いながら帰る生徒もいれば、一人沈んでいる生徒を慰めながら帰る集団もいた。
はっきりと明暗が分かれている。
今日は受験をしてきた生徒たちにとって黒か白しかない。
合格か――不合格か。

また列が進む。

大丈夫、大丈夫。
ぎゅっと絵馬を握る。

644: 2013/08/01(木) 18:29:33.72 ID:IMmyU4ts0

後ろで話している男子たちの会話が耳に入る。

「……そういや、渡された瞬間に合格か不合格かだいたいわかるらしいぜ」

「ああ、なんか封筒の厚さが違うってやつだろ?」

「そうそう、合格者はいろんな書類が入ってるから封筒が厚いらしい」

「うわぁ、俺薄かったらどうしよう」

そうなのか。
いやただの噂かもしれない。

薄かったらどうしよう、か。

列が進む。

大丈夫、大丈夫。

心臓の鼓動が早くなっているのがはっきりとわかる。
ドクン、ドクンと体中に血液が流れている。

645: 2013/08/01(木) 18:30:29.62 ID:IMmyU4ts0

絵馬をぎゅっと握る。

不安になってるんじゃない、緊張しているだけ、と言い聞かせる。
そもそもこんな緊張感はいつだって乗り越えてきた。
ステージの前、収録の前、レコーディングの前。
失敗してはいけないとき、どうしても失敗したら、というイメージが浮かぶ。
今までだってそれを乗り越えてきたのだ。

列が進む。

泣いている一人の女生徒が横を通る。
一人で来ているのか、いたたまれなくなり集団から抜けてきたのか。

絵馬をぎゅっと握る。
列が進む。
もう前にいるのはあと4,5人になっていた。

心臓が早鐘のようになっている。
今までだって乗り越えてきたが、これはちょっと次元が違う。

一年――
そう、一年間だ。
今までの一年間が今日の結果にかかっている。

何を今さら。
わかっていたことじゃない。

646: 2013/08/01(木) 18:31:09.22 ID:IMmyU4ts0

列が進む。

窓口は二つあるので、もう次か、その次には私の番だ。

絵馬をぎゅっと握る。

そう、今までだって乗り越えてきた。
乗り越えてきたが。

いつも横にはプロデューサーがいた。
不安なときは手を握ってくれたし、なんでもない話で緊張をほぐしてくれたりした。

馬鹿って言ったり、わがままだって言われたりした。
でもそのおかげで落ち着くことができた。

プロデューサー。
今、すごく手を握りたい。
ぎゅっと握るから、ぎゅっと握り返してほしい。
それだけで、私は。

647: 2013/08/01(木) 18:32:03.31 ID:IMmyU4ts0

すぐ前の一人が窓口に行く。

もし。
もし、ダメだったら。

きっとプロデューサーは励ましてくれる。
見放されることは絶対にない。
みんなだって、よくがんばったねって言ってくれるはずだ。

けど。
みんなが笑顔になることはない。

右の窓口から人がいなくなる。

私は。
私はアイドル。

みんなを笑顔にしなきゃいけないんだ。
だってそれが――

「次の方、どうぞ」

アイドル水瀬伊織ちゃんであることの証明なんだから。

648: 2013/08/01(木) 18:33:00.45 ID:IMmyU4ts0

「受験票をお願いします」

受験票を渡す。
窓口の奥に大量の封筒が用意されているのが見えた。
その中から一つの封筒が選ばれる。
右上にマジックで3487と書いてある。

「はい、3487番ですね。お疲れ様でした」

受験票と一緒に封筒を受け取る。
ありがとうございました、と言って窓口を離れる。

あっさり終わった。
拍子抜けするほど。
心臓はまだバクバクいっているが。

手には封筒。
茶色の、A4の書類が入る大きいものだ。
下には学校名が印刷されていて、右上には受験番号。

649: 2013/08/01(木) 18:34:11.42 ID:IMmyU4ts0

ふと思い出して厚さを確認する。
が、厚いのか薄いのかは判断できなかった。

一息ついて、封筒をつかみ直す。
これを開ければ、結果が書いてあるはずだ。

合格か。

不合格か。

一年間の努力が実るのか。
それとも。

手が震える。

ああ、みんなすごいわね。

いくらアイドル伊織ちゃんでも、これは結構しんどいわよ。

深呼吸を2回した後、意を決して震える手に力を込めた。



――――

650: 2013/08/01(木) 21:38:23.24 ID:IMmyU4ts0



待ち始めて約40分。
永遠にも等しい時間だった。

何人もの泣いている生徒が通り、何人もの喜んでいる生徒が通り。
再び用もない携帯を取り出しかけたとき、やっと伊織の姿を確認できた。

表情はいつも通り。
笑っているわけでも泣いているわけでもない。
足取りも普通だ。
結果については全く分からない。

651: 2013/08/01(木) 21:38:50.19 ID:IMmyU4ts0

喉が渇いていることに今更ながら気づく。

伊織が近づいてくる。
手には封筒を持っている。

歩いてきた伊織が、目の前で止まった。

伊織「……」

P「……」

P「……ど」

どうだった? と聞く前に目の前に封筒が突きつけられる。

P「お……」

伊織「まだ開けてない」

P「……は?」

652: 2013/08/01(木) 21:39:18.76 ID:IMmyU4ts0

伊織「はさみがなかったから。持ってない?」

封筒の封は確かに切られていなかった。

P「お前な……」

伊織「はさみ、持ってない?カッターでもいいけど」

P「持ってるわけないだろ」

伊織「そう。じゃあしょうがないわね」

あっさり引き下がり、伊織は封筒に手をかけた。

本当は手続き関係のことを考えればすぐに開封しなかったことを注意するべきだったかもしれない。
けど、結局入学することにはならないだろうと思いやめておいた。
それに、勝手な考えかもしれないが。
一人で結果を見ることが怖かったのかもしれない。

伊織はその考えを否定するかのようにためらいなく封筒を開けた。

653: 2013/08/01(木) 21:39:53.94 ID:IMmyU4ts0

伊織「……」

中に入っていた書類を、まとめて封筒から引き出す。
数枚の紙と冊子。

伊織は一番上に入っていた紙を見つめたまま動かない。

――どっちだ。

合格か。

それとも。

ふと周囲の音が消こえなくなっていることに気が付く。
が、周りを見渡してみる余裕も俺にはなかった。

目の前の伊織は静止画のように動かない。

どのくらい時間が経ったか。

たった数秒だったかもしれない。
それとも1分以上はかかったのかもしれない。

そして。

654: 2013/08/01(木) 21:40:20.08 ID:IMmyU4ts0

伊織「……」

一枚を反転させてこちらに向けた。

白い紙。

はやる気持ちに目が追い付かない。

本文に目を通す。

あなたは、先に行われました平成二十二年度小出高校入学者選抜試験に――

655: 2013/08/01(木) 21:40:48.44 ID:IMmyU4ts0



伊織「これ……合格ってこと?」



合 格 
致しましたのでここに通知いたします。




656: 2013/08/01(木) 21:41:17.29 ID:IMmyU4ts0

P「……」

伊織「……」

しばらく無言の時が過ぎる。

伊織はもう一度自分に向けて書類を確認した後、こちらに差し出した。

合 格

何度確認してもその二文字の前に余計な一文字はついていない。
ちゃんと二文字で終わっている。

というか本文以前に、上にでかでかと『合格通知書』と書いてあった。


657: 2013/08/01(木) 21:42:51.35 ID:IMmyU4ts0



                          『合格通知書』



あなたは、先に行われました平成二十二年度小出高校入学者選抜試験に 合 格 致しましたのでここに通知いたします。



                 <受験番号>             3487番


                  <学科>              普通科


                  <氏名>              水瀬伊織



658: 2013/08/01(木) 21:43:26.80 ID:IMmyU4ts0


P「……」

伊織「……え?」

2度、読み返した。
合格、と書いてある。

伊織「……何とか言いなさいよ」

書類から伊織の顔に目を移すと、不機嫌そうな顔をしていた。

もう一度書類に目を戻す。

合格、と書いてある。

次の瞬間には体が動いていた。

659: 2013/08/01(木) 21:44:24.59 ID:IMmyU4ts0

伊織「わ……!」

伊織はなにか言いかけたが物理的に言葉を発することができなくなる。
それくらい強く抱きしめた。

何秒か経った後。

伊織「……くるしい」

呻くような声が腕の中から聞こえてくる。

そこでようやく腕の力を緩める。
伊織が胸の前に持っていた封筒が少しくしゃくしゃになっていた。

伊織「……アンタね」

我に返るが言葉は何も出てこない。

P「あー……」

P「すまん」

660: 2013/08/01(木) 21:44:53.36 ID:IMmyU4ts0

伊織「通報されるわよ」

P「すまん」

伊織「これ、合格で間違いないのよね」

P「ああ」

伊織「合格……」

手に持っていた合格通知書を返す。
伊織はもう一度目を通した後、封筒の中にしまった。

そして。

伊織「……はぁぁぁぁぁぁぁ」

でかいため息をついた。


661: 2013/08/01(木) 21:45:19.12 ID:IMmyU4ts0

P「はは、どうした?」

伊織「緊張した……」

ようやく、笑顔になった。

満面の笑みでも、いつもの自信満々の笑顔でもない。

困ったような、泣き笑いのような。

俺でも初めて見る笑顔だった。


――――

662: 2013/08/01(木) 21:45:49.12 ID:IMmyU4ts0



結局軽く書類を確認した後、早々に車まで引き上げた。

伊織「みんなにメールしとこうかしら?」

P「直接伝えたらどうだ?」

伊織「でも、仕事が終わるまで心配しちゃわない?」

P「いいニュースなんだから大丈夫だろ」

伊織「そう……あ、でも、新堂には連絡しておくわ」

そう言いつつ携帯を操作する。

663: 2013/08/01(木) 21:46:23.52 ID:IMmyU4ts0

P「お父さんはいいのか?」

伊織「お父様はどうせ仕事ででないわよ……あ、新堂?」

伊織「うん、合格だった……ありがと」

伊織「ま、当然……え?」

伊織「……もしもし」

伊織「はい、合格でした……はい」

伊織「ありがとうございます」

伊織「はい……はい、失礼します」

電話を切った。

伊織「……お父様がいたわ」

P「ほう」

664: 2013/08/01(木) 21:46:58.53 ID:IMmyU4ts0

伊織「なんでいるのかしら」

P「伊織のことが気になったからじゃないのか?」

伊織「……そうなのかしら?」

P「なんか言われたか?」

伊織「『よくがんばった』って……」

P「……」

P「……よかったな」

伊織「……うん」

P「なあ、この後ちょっと付き合ってもらってもいいか?」

伊織「なに?」

P「まあ……どうだ?」

665: 2013/08/01(木) 21:47:35.07 ID:IMmyU4ts0

伊織「……まあいいけど。どうせみんなが帰ってくるまで事務所にいるつもりだったし」

伊織「でも、アンタ仕事は?」

P「もちろんあるが……まあ仕事みたいなもんだ」

伊織「……?」

P「気にするな」

目的地に着くまで、伊織は何度も鞄から合格通知書を出して確認していた。
もちろん幾度となくどこに行くの、と聞かれたがそのたびにまあまあ、と言ってごまかしておいた。

20分ほど車を走らせたところで、目的地に着いた。


――――

666: 2013/08/01(木) 21:48:02.88 ID:IMmyU4ts0



プロデューサーに連れてこられた場所は、

伊織「……スタジオ?」

ライブスタジオだった。

P「そ」

伊織「なんで?……って、待ちなさいよ」

P「ほら行くぞ」

プロデューサーはずんずん中へ入っていく。
最近は入ることのない小さなスタジオだった。
デビュー当時は前座でも来たことがあるし、初めてのライブもこのくらいの小さなハコだった気がする。

667: 2013/08/01(木) 21:48:35.32 ID:IMmyU4ts0

伊織「なんでライブ会場なの?」

P「んー、って言うか明日ライブがあるんだよ」

伊織「誰の?」

P「お前の」

足が止まった。
その間もプロデューサーは先に進み、階段を下りていく。

伊織「は、はあ!?聞いてないわよ」

P「言ってないからな」

どんどん離されていくので小走りで追いかける。

伊織「ちょっと!ちゃんと説明しなさいよ!」

P「まあまあ。あとで説明してやるから」

668: 2013/08/01(木) 21:49:06.15 ID:IMmyU4ts0

階段を下りた先にある扉をプロデューサーが開く。

P「さあ、入れ」

厚い防音扉をくぐる。

伊織「……」

小さな室内は、扉とは逆側に腰くらいの高さのステージがあり照明によって照らし出されている。
ホールにはマイクスタンドが数本端に置かれていて、壁にはいくつかのステッカー。
ステージとは対照的に薄暗い。

懐かしい光景だった。

P「ま、好きなとこに座ればいい」

言いながらプロデューサーはいくつか無造作に置かれているパイプ椅子に腰かけた。
私もとりあえず隣の椅子に座る。


669: 2013/08/01(木) 21:49:35.67 ID:IMmyU4ts0

伊織「……で、説明は?」

P「ああ、ちょっと待ってろ。すぐにわかる」

伊織「はあ……アンタはいつもそうよね」

P「何が?」

伊織「ときどき強引になるってこと。余計なことはぺらぺらしゃべるくせに肝心なことは……」

そこまで言ったところで急に照明が落とされた。
唯一の光源がなくなったせいで、ホールは真っ暗になった。

伊織「……」

数秒後、

『……本日は、765プロダクションシークレットライブにお越しいただき、誠にありがとうございます』

670: 2013/08/01(木) 21:50:01.69 ID:IMmyU4ts0

スピーカーから、増幅された声が聞こえる。

伊織「……小鳥?」

『本日のお客様は二人だけですので、どうぞゆっくりとお楽しみください』

『それと』

『……合格おめでとう、伊織ちゃん』

伊織「……」

『ちょ、ちょっと、小鳥さん!』

『抜け駆けはずるいぞ!!』

複数の声が割り込んでくる。春香と……響だろうか?

伊織「……アンタたち、仕事じゃないの?」

聞こえるわけはないだろうが、独り言が漏れる。
隣でプロデューサーが笑ったような気がした。

671: 2013/08/01(木) 21:50:54.71 ID:IMmyU4ts0

『ちょ、ちょっと!マイクマイク!』

スイッチが切れるような音とともに静寂が戻る。
いや、どこか遠くから言い争うような声は聞こえてきていたが。

伊織「まったく……」

ほんとうに、この事務所は。

しばらくして、音楽が流れ始める。


『それでは改めまして!聞いてください!!』

『765プロオールスターズで、「The world is all one!!」』


伊織「……」


『空見上げ 手を繋ごう この空は輝いてる 世界中の手を取り』

『The world is all one !! Unity mind♪』


袖からみんなが出てくる。

伊織「……ガチンコじゃない」

全員ステージ衣装だった。

672: 2013/08/01(木) 21:51:57.81 ID:IMmyU4ts0


『ねえ、この世界で ねえいくつの出会い どれだけの人が笑っているの?』


春香、千早、雪歩、真。


『ねえ、泣くも一生 ねえ、笑うも一生 ならば笑って生きようよ 一緒に』


やよい、貴音、響。


『顔を上げて みんな笑顔 力合わせて 光めざし 世界には友達 一緒に進む友達がいることを忘れないで!!』


竜宮のみんなはいなかった。きっと仕事が忙しいのだろう。
真美や美希の姿も見えなかった。

673: 2013/08/01(木) 21:52:27.68 ID:IMmyU4ts0


『ひとりでは出来ないこと 仲間となら出来ること 乗り越えられるのは Unity is strength』


この曲は皆で歌うことが多かった。
今日は7人。
それでも振り付けは完璧だった。
こんなことは練習なしにはきっとできない。


『空見上げ 手を繋ごう この空はつながってる 世界中の手を取り――』


伊織「……」


『空見上げ 手を繋ごう この空は輝いてる 世界中の手を取り』

『The world is all one !! The world is all one !!Unity mind♪』


――――

674: 2013/08/01(木) 21:53:01.51 ID:IMmyU4ts0


その後もいくつか曲が続いた。

雪歩、春香、真の『alright』や貴音、響の『オーバーマスター』。
やよいと千早の『キラメキラリ』にはちょっと笑ってしまった。

一通り楽曲が終わった後。

やよい『それじゃあ改めましてー!』

千早『合格、おめでとう。伊織』

伊織「……ありがとう」

ステージにいた二人の元へ袖から出てきたみんなが集まる。

675: 2013/08/01(木) 21:53:32.43 ID:IMmyU4ts0

春香『へへー、びっくりした?』

伊織「まあね。黒幕はこいつ?」

隣にいるプロデューサーを指差す。

雪歩『ううーん、発案者はそうですけど……』

真『ボクたちもすぐそれに乗っかっちゃったからね!へへ』

伊織「……ありがとう。きっと忙しい中練習したのよね?」

響『へへ、まあちょっとはしたけどね!』

貴音『……あなたの努力を考えたらきっと比べ物になりませんよ、水瀬伊織』

伊織「……ありがとう」

真『へっへー、実はこれで終わりじゃないんだよ?』

響『そうそう!伊織を祝いたいって人はまだまだいるんだからな!』

そう言うとみんなはステージから降り、観客席のパイプ椅子に座った。

676: 2013/08/01(木) 21:53:58.67 ID:IMmyU4ts0

『……!』

伊織「……?」

なんだかマイクを通してぼそぼそと話している声が聞こえる。

春香「あー……ごねてるねー」

千早「……まあ、いきなりだったものね」

『……それでは、次の曲をお楽しみくださいなの!』

伊織「え?」

いまのは美希の声だった。
どうやら袖にはいたらしい。
いたならどうしてさっきは、と思っていると。

677: 2013/08/01(木) 21:54:24.60 ID:IMmyU4ts0

小鳥『……はーい、音無小鳥でーす……』

どう見ても元気のなさそうな小鳥が出てきた。
服もステージ衣装ではなくいつもの制服のまま。
……そういえば、小鳥の私服姿を見たことがない気がする。

響「ぴよ子ー!元気がないぞー!!」

観客席からも発破がかかる。

小鳥『うう……なんで私だけソロで……それもこんなに急に……』

やよい「きゅ、急とか言わないでくださいー!」

真「そうですよー!ばれちゃいますから!」

雪歩「わわ……真ちゃん、その発言もまずいよぅ……」

P「あいつら……」

伊織「……いい意味でグダグダじゃない。いつも通りでほっとするわよ」

678: 2013/08/01(木) 21:54:53.07 ID:IMmyU4ts0

伊織「……いい意味でグダグダじゃない。いつも通りでほっとするわよ」

小鳥『……まあいいわ!開き直った事務員の力を見せてあげる!!』

真「ヒューヒュー!」

雪歩「い、いいぞー!ですぅ!!」

小鳥『音無小鳥で「空」、聞いてください!』


――――


679: 2013/08/01(木) 21:55:36.48 ID:IMmyU4ts0


『――続くレインボー♪』

小鳥が歌い終わる。
相変わらず上手かった。
本気でなぜ事務員をやっているのか疑うレベルだ。

小鳥『……改めて、合格おめでとう、伊織ちゃん』

伊織「……ありがとう」

歓声が沸く。

小鳥『それに、私が恥を忍んで歌ったかいもあったみたいね』

小鳥『……それじゃ、あとはお任せするわ』

そういって小鳥もステージを降りる。
観客席の方に来て椅子に座った。

あとは……美希かしら。

照明が再び消える。

『元気な君が好き 今は遠くで見てるよ ほら笑顔が ううん 君にはやっぱり似合ってる――』

……この曲は。

680: 2013/08/01(木) 21:56:59.02 ID:IMmyU4ts0

ステージが明転した。その上には。

伊織「亜美……真美……」


『どんな場所にいても君だとわかる 明るい声が ああ 聞こえる 話しかけてみよう 勇気を出して 君の隣に座ってさ』


来てたんだ。
てっきり竜宮のみんなは来てないと思っていた。


『夕日の校庭振り向く横顔 僕の宝物に 一瞬が永遠になる』


そういえばさっき小鳥が急遽ステージに立ったようなことを言っていた。
もしかすると、時間調整だったのかもしれない。
……竜宮のみんなが、仕事から来るまでの。


『元気な君が好き 赤いリボンもキリッと ああ奇跡を起こしそうな 不思議なチカラだね』


聞いたことのない曲だった。
新曲かもしれない。
きっと、これも練習したのだろう。

681: 2013/08/01(木) 21:57:28.72 ID:IMmyU4ts0


ふと、声がぶれていることに気づく。
真美じゃない。

伊織「亜美……」


『元気な君が好き 今は遠くで見てるよ――』


亜美が、泣いていた。
ほぼ泣きながら叫んでいるに近い。

伊織「……」

そういえば、亜美が泣いているところは記憶になかった。
一番年下でありながら、つらいレッスンでも、仕事がうまくいかなかったときも泣いたことはなかった気がする。

その亜美が。


『ほら 笑顔が ううん 君には やっぱり似合ってる――』


――――

682: 2013/08/01(木) 21:57:56.39 ID:IMmyU4ts0


曲が終わった。
拍手が起こる。

真美『いおりん、合格おめでとう!』

伊織「ありがとう、真美」

真美『ほら、亜美も……』

亜美『……ぅう……ひぅ……』

亜美はまだ泣き止んでいなかった。
もう最後の方はあまり歌詞も聞き取れなかったが、真美が何とかカバーしていた。

伊織「亜美……」

と。

亜美『うぁああああああああん!!』

亜美がステージから飛び降りて、そのまま飛びついてきた。

683: 2013/08/01(木) 21:58:38.04 ID:IMmyU4ts0

亜美「よかったよぉ……いおり~ん……」

抱き留めて、頭を撫でる。
正直、私もちょっとまずい。
目の奥の方に、じわっと何かが込み上げてくる。
のどがつまったようで声が出にくい。

伊織「……ありがとう、亜美。もう大丈夫」

なんとかそれだけ言うことができた。

亜美「うぐっ……たいへんだったよぉ……いおりん、が、いなくて……」

伊織「ごめんね……もう大丈夫だから……」

意外だった。
亜美がこんなふうになるなんて。
いつも通り素直に喜んでくれると思っていた。

『ほんと、大変だったわよ~』

気が付くと、ステージ上にはあずさと律子がいた。

伊織「……あずさ……律子」

684: 2013/08/01(木) 21:59:21.65 ID:IMmyU4ts0

あずさ『やっぱり、リーダーがいると「竜宮小町」って感じがするわね~』

律子『……改めて、合格おめでとう伊織』

伊織「……ありがとう」

伊織「……ところで、その恰好は?」

あずさはともかく、律子もステージ衣装を着ていた。
後ろ髪を三つ編みにしていて、完全に以前の「アイドル秋月律子」だ。

律子『まあ……成り行きで』

亜美「……へへ、りっちゃんもお祝いしたいんだって」

腕の中の亜美が言う。
まだ目元は濡れているが、新しい涙は出ていないようだった。

律子『まあ……ね』

あずさ『うふふ~、律子さんも素直じゃないからね~』

あずさ『じゃあ、私たちからはこの曲をお祝いとして歌わせてもらうわ~』

律子『……「Best Friend」』

685: 2013/08/01(木) 22:00:55.45 ID:IMmyU4ts0

曲が流れ始める。
この曲も聞いたことがない曲だ。


『もう大丈夫心配ないと 泣きそうな私の側で いつも変わらない笑顔で ささやいてくれた』


伊織「……」


『まだ まだ まだ やれるよ だっていつでも輝いてる――』


伊織「ねえ……亜美」

亜美「……なに?」


『時には急ぎすぎて 見失う事もあるよ 仕方ない』


伊織「迷惑……かけちゃったね」

亜美「……」


『ずっと見守っているからって笑顔で いつものように抱きしめた』


亜美「……ほんとだよ」

伊織「……ごめん」


686: 2013/08/01(木) 22:01:30.44 ID:IMmyU4ts0


『あなたの笑顔に 何度助けられただろう ありがとう ありがとう――』


亜美「……でもね」

伊織「……」

亜美「ちょっと、うれしかったかも」


『Best Friend――』


伊織「……うれしい?」

亜美「……いおりんががんばってるの、知ってたし」


『こんなにたくさんの幸せ 感じる時間は瞬間で』


亜美「それに……いつもリーダーとして亜美たちを助けてくれたでしょ?」

伊織「……」


『ここにいるすべての仲間から 最高のプレゼント――』


亜美「だから……少しでも大変ないおりんに、恩返しできたかなぁ、って」

伊織「……」


687: 2013/08/01(木) 22:02:04.54 ID:IMmyU4ts0


『時には急ぎすぎて 見失う事もあるよ 仕方ない』


亜美「……」

伊織「……もちろん……ううん」


『ずっと見守っているからって笑顔で いつものように抱きしめた』


伊織「いつも、助けられてるのは……私の方よ」


『あなたの笑顔に 何度助けられただろう ありがとう ありがとう Best Friend』

『ずっと ずっと ずっと Best Friend――』


――――

688: 2013/08/01(木) 22:02:50.21 ID:IMmyU4ts0


曲が終わり、律子とあずさはそのまま袖に引いて行った。

P「……さて、じゃあ亜美」

亜美「うん!」

伊織「?」

亜美「行こっ、いおりん!」

伊織「え?」


――――

689: 2013/08/01(木) 22:04:46.85 ID:IMmyU4ts0


亜美に手を引かれ舞台袖の控室に入ると、律子、あずさ、そして美希がいた。

美希「でこちゃん!おめでとーなの!」

私の姿を認めた瞬間、美希が抱き着いてくる。

伊織「ありがと」

美希「へへー、やっぱりでこちゃんはすごいの!さすがミキが認めてるだけのことはあるって思うな!」

伊織「まったく口が減らないわね」

美希の肩越しに笑っているあずさと律子が見える。

あずさ「……」

律子「……よく、がんばったね」

伊織「……うん」

ああ、まずいまずい。
また泣きそうになってしまうから、そんな顔でそんなことを言わないでほしい。


690: 2013/08/01(木) 22:05:16.37 ID:IMmyU4ts0

美希「でこちゃん、今日はミキも一緒に踊るからね!」

落ち着けと自分に言い聞かせていると、美希がそんなことを言う。

伊織「……どういうこと?」

律子「こういうことよ」

律子が、後ろにあったダンボールからビニールに包まれたものを取り出した。
それをこちらに差し出してくる。
白をメインに襟から首元にかけてピンクを基調とした極彩色で彩られている。
真ん中には七色のひし形が縦に並んでいた。

伊織「これ……」

律子「新曲の、衣装」

伊織「……」

691: 2013/08/01(木) 22:05:43.88 ID:IMmyU4ts0

律子の手から衣装を受け取る。
後ろから亜美が声をかけてきた。

亜美「いおりんと一緒に着るってがまんしてたんだからね!」

あずさ「うふふ、そうそう」

伊織「今度の……新曲ね」

律子「そう。今日は明日のリハーサルも兼ねてるからね」

伊織「あ、そう言えばプロデューサーが明日はライブだって言ってたけど、どういうこと?」

律子「ええ。伊織の復帰ミニライブを計画したのよ」

律子「……プロデューサーがね」

伊織「……やっぱりアイツなのね」


692: 2013/08/01(木) 22:06:45.74 ID:IMmyU4ts0

律子「まあね。ほんとは伊織の活動再開は新曲リリースからってことになってたんだけど」

律子「ほら、伊織が『絶対合格するから大丈夫』ってもうレッスン始めてたでしょ?」

確かに、受験が終わってから合格発表の今日までレッスンを再開していた。
……正直レッスンを入れたりして時間を埋めないと不安だった、という理由もある。
余計なことばかり考えてしまいそうで。

律子「……私には、その勇気はなかったんだけどね」

伊織「え?」

律子「だって、ライブってことは事前に告知もしなきゃないしチケットももう販売してるのよ?伊織は気づかなかったかもしれないけど」

律子「もちろん伊織のことは信じてたけど……万が一ってことがあったら取り返しがつかないじゃない」

確かに。それが普通だろう。

律子「それを『責任は俺が取る』って自分で進めちゃったんだから」

あずさ「……『伊織も、きっと早く復帰したがってるだろうから』ってね~」

693: 2013/08/01(木) 22:07:16.33 ID:IMmyU4ts0

亜美「まったく妬けちゃいますな~」

伊織「な……!なに言って……!」

亜美「まあ亜美にはりっちゃんがいるからいいんだけどね~」

まったく。
亜美もすっかりいつも通りだ。

いつも通り――

伊織「……ふふ」

思わず顔がほころぶ。

そう、いつもの場所だ。

私のいるべき場所。


――――

694: 2013/08/01(木) 22:07:51.37 ID:IMmyU4ts0


衣装に着替えながら、話の続きを聞いた。

伊織「……ふーん、ってことは明日もみんなでやるってことね」

律子「そ。さすがに伊織だって新曲の練習しかしてないし、今から他の曲の立ち練習なんてやってる時間ないしね。竜宮でやるのは『SMOKY THRILL』と新曲だけ」

伊織「で、律子もアイドル復帰って訳ね」

律子「ちがっ……!」

伊織「冗談よ」

律子も衣装に着替えていた。
どうやら今日は一緒に歌ってくれるらしい。

伊織「どうせならこのまま復帰しちゃえばいいのに」

律子「冗談。今回用の軽めのレッスンだけでへとへとになっちゃったんだから」

美希「そうそう。律子……さんよりミキの方が覚えが早かったの」

律子「……否定できないのが悔しいわね」

695: 2013/08/01(木) 22:08:20.46 ID:IMmyU4ts0

ちなみに今回は美希が入ってクインテットになっていた。
四人より五人の方が立ち位置の調整や振り付けなど、ベースがある分簡単だからだ。
美希は『でこちゃんを驚かすためなら喜んでやるの!』と快く受けてくれたらしい。

亜美「そうだ、いおりんイヤリング持ってきてくれた?」

伊織「イヤリング?」

言われて気が付く。

そう言われると確かに色合いがぴったりだった。

亜美「そう。あれがないと亜美もあずさお姉ちゃんもバランスがおかしくなっちゃうよ」

脱いだ制服のポケットから借りていたイヤリングを取り出す。
それを渡そうとして。

伊織「……」

借りていたものを、自分の耳に着ける。
その代わり、私用にケースに入っていたイヤリングを二人に渡した。

696: 2013/08/01(木) 22:08:55.35 ID:IMmyU4ts0

ついでなので、律子にあることを頼む。

律子「これでいい?」

鏡を見る。
けっこう似合ってると思う。

伊織「うん、ありがとう」

律子「さて……それじゃ行きますか」

おさげ髪の竜宮小町のプロデューサーが言う。

あずさ「うふふ~、新曲初披露ね~」

私のイヤリングを右耳に着けたあずさ。

亜美「んっふっふ~、竜宮小町、完全復活!」

私のイヤリングを左耳に着けた亜美。

美希「ミキが加入してるから、パワーアップしてるって言ってほしいな!……あと律子、さんも」

律子「アンタね……」

今回のためだけの衣装に身を包んだ美希。
今回のためだけに復帰してくれる律子。

697: 2013/08/01(木) 22:09:25.26 ID:IMmyU4ts0

伊織「……」

深呼吸をする。
大丈夫。

私は、アイドル。

亜美「いおりん!」

あずさ「伊織ちゃん」

律子「……伊織」

美希「でこちゃん!」

伊織「……ええ」

伊織「竜宮小町、行くわよ!」


――――

698: 2013/08/01(木) 22:10:13.33 ID:IMmyU4ts0



真「あ、来た来た」

P「……」

新曲の衣装は、文字通り七彩だった。

真美「くぅ~、やっぱり新しい衣装はいいですなあ!」

雪歩「うわー、なんだかどきどきしてきちゃった……」

同じ衣装に身を包んだ五人が配置につく。

律子「……それでは、本日の主役から一言」

中央の伊織が、一歩前に出た。
スタジオは沈黙している。
普段は騒音を出すのが仕事のはずの機材までもが耳を澄ませているようだった。

699: 2013/08/01(木) 22:10:42.24 ID:IMmyU4ts0

伊織「……みんな」

声が反響する。

伊織「今日は、ありがとう」

伊織「……ううん、今日だけじゃない」

伊織「今日まで……そして、いつも」

伊織「……ありがとう」

伊織が五指を広げた右腕を上げる。
その右腕には。

700: 2013/08/01(木) 22:11:34.38 ID:IMmyU4ts0

伊織「みんながいたから……」

色とりどりのヘアゴムやリボンが巻かれていた。
他にも腕時計やブレスレット、リストバンドも見える。

伊織「みんなのおかげで……今日があるの」

ヘアバンドも伊織のものじゃない。
髪型も、普段の律子のように後ろ髪をまとめてアップにしてあった。

伊織「みんながいたから、この歌を、ここで歌うことができる」

伊織「だからその感謝の気持ちを……この歌に込める」

伊織「だって私は……ううん、私たちは」

伊織「……アイドルだから!」

歓声が上がる。

誰よりも、伊織の言葉の意味が分かるから。

701: 2013/08/01(木) 22:12:18.15 ID:IMmyU4ts0


伊織「聞いてください、竜宮小町で」

伊織「……七彩ボタン!」



『君がくれたから七彩ボタン すべてを恋で染めたよ』

『どんな出来事も 越えて行ける強さ――』




『――君が僕にくれた』



――――

702: 2013/08/01(木) 22:12:47.01 ID:IMmyU4ts0



伊織「……お待たせ」

P「お待たせって……着替えてないじゃないか」

シークレットライブを終えた後、俺は伊織を待っていた。
他のアイドルたちは最後の曲が終わると慌ただしく仕事に向かってしまった。
……現実はこんなものである。
まあ、なんとかスケジュールを調整して数時間だけでも全員に空き時間を作ることだけでも相当大変だったのだが。

伊織「いいじゃない。どうせアンタもこの後は空いてるんでしょ?」

P「夜まではな」

律子がいらん気を回して俺にも空き時間ができていた。

703: 2013/08/01(木) 22:13:16.04 ID:IMmyU4ts0

P「……まったく、律子さまさまだな」

本音だ。
正直、律子やほかのアイドルたちの協力がなければ合格の二文字を勝ち取れていたかわからない。
みんなが仕事の移動を自分たちでしてくれたり、律子や音無さんが事務仕事の大半を担ったりしてくれたおかげで俺も多くの時間を伊織の勉強に裂くことができたのだ。

それは伊織も良くわかっているのだろう。

伊織「……ほんとにね」

伊織は俺の横まで来ると、隣のパイプ椅子にすとんと座った。

P「ほら」

伊織「……」

オレンジジュースを差し出す。
待っている間に自販機で買ってきたものだ。

伊織「……気が利くじゃない」

P「光栄だ」

704: 2013/08/01(木) 22:13:44.63 ID:IMmyU4ts0

ステージを見る。

先ほどの竜宮小町のステージを思い出した。
正直2週間で伊織の勘が戻るか心配ではあったが、なかなかどうして立派なものだった。
これなら明日のライブも大丈夫だろう。
小規模のものとはいえ、お客さんに中途半端なものを見せるわけにはいかないのだ。

ふいに隣から笑い声が聞こえる。

P「なんだ?」

伊織「ううん」

伊織「……アンタからオレンジジュースをもらうと、一緒に活動してた頃を思い出すな、って」

P「……そうだな」

P「しかし……いつまでたっても落ち着かないなあ」

705: 2013/08/01(木) 22:14:35.47 ID:IMmyU4ts0

去年……いや、もう去年ではないか。
一昨年にデビューして、お互いにぶつかり、蛇行しながらトップへの道をなんとか頂上付近まで上ることができた。

もう俺の手を離れても大丈夫と、別々に活動し始めた直後に竜宮小町結成。
その時も一悶着あった。

そして今回である。

伊織「……まったくね」

伊織「でもいいじゃない。山も谷もない人生なんてつまらないでしょ」

P「……お前はすごいよ」

伊織「ふん、当然よ」

伊織「……」

伊織「でもまあ今回は……」

P「ん?」

706: 2013/08/01(木) 22:15:02.75 ID:IMmyU4ts0

そう言ったきり続きの言葉は出てこなかった。

そう短い付き合いじゃない。
特に言葉を促すこともせず、何も言わずに待った。

椅子がぎしっと音を立てる。

隣を見ると伊織が立ち上がっていた。

伊織「……ねえ」

P「なんだ?」

伊織「実は、もう一曲練習したい曲があるんだけど」


――――

707: 2013/08/01(木) 22:15:30.02 ID:IMmyU4ts0


伊織「じゃあ、いいわって言ったら曲かけてちょうだい」

そう言って伊織はマイクを持って音響室を出て行った。

ライブハウスの専門の機械など使ったことはなかったので、音無さんに電話をかけた。
指示を聞きおそるおそるスイッチをいじって、なんとか曲をかけることに成功した。
これで俺のスキルがまた一つ増えたわけだが、それよりもこういう機械の扱いまで心得ている音無さんには全く驚かされる。
音無さんも過去が全く読めないからなあ、などと考えていると

『聞こえてるー?プロデューサー?』

室内の天井、角に設置してあるスピーカーから伊織の声が聞こえた。

P「聞こえてるよ!!」

ドアを開けステージ方向に大声を出す。
ここから見るとステージはだいぶ遠く見えた。

スイッチに手をかけ、伊織の合図を待つ。

708: 2013/08/01(木) 22:15:57.74 ID:IMmyU4ts0

伊織『……』

スピーカーからはマイクが拾った雑音、そしてかすかに伊織の息遣いが聞こえる。

伊織『……ねえ、プロデューサー?』

なんだ、と言いかけてここからじゃ声が届かないことを思い出す。
扉の方へ移動しようとしたところ、スピーカーからの伊織の声に押しとどめられた。

伊織『そのまま聞いて』

伊織『……』

伊織『今日は、本当にうれしかった。みんなが来てくれて』

P「……」

伊織『正直、本当にきつかったわ、この一年間』

伊織『プロデューサーの言っていた通りだったわね』

ガラス越しにステージ上の伊織が見える。
位置的に見えるのは横顔、どこを見ているのか、まっすぐ観客席を見つめたまま話している。

709: 2013/08/01(木) 22:16:28.34 ID:IMmyU4ts0

伊織『ほんと、いつ心が折れてもおかしくなかったと思う』

伊織『でも、なんとか耐えて頑張ることができたのは……』

伊織『きっと、みんながいたからだと思う』

伊織『いつも気を使ってくれたし、励ましてくれたし……』

伊織『みんなのためにも頑張らなきゃって、そう思った』

伊織『……』

伊織『うん……そう思ったの』

伊織の声が途切れる。
ステージ上の伊織は、うつむいて言葉を探しているように見えた。

どうせ声を出しても聞こえない。
俺は黙って次の言葉を待った。

伊織『……あは、やっぱり何が言いたいかうまくまとめらんないわ』

伊織『普段のインタビューとかだったら、すらすら話せるのに……』

伊織『……伝えるって難しいわね』

P「……ほんとにな」

聞こえるはずもないのだが思わず相槌が出た。

710: 2013/08/01(木) 22:17:01.83 ID:IMmyU4ts0

思いは言葉にしなければ伝わらない。
しかし、言葉にしたからと言って思いが全部伝わることなどありえない。
そのせいで今回だっていろいろと大変な目にもあった。

……伊織も、今同じことを思っているのだろうか。

伊織『……けど』

伊織『けどね』

伊織『……たった一言で、すごく救われたこともある』

こちらを見る。

伊織『ふふ、きっとアンタにはわからないでしょうね』

伊織『なんか思いつく言葉があるなら言ってみてくれないかしら?』

P「……?」

711: 2013/08/01(木) 22:17:37.05 ID:IMmyU4ts0

何だろうか?
特定の言葉など、正直思いつかない。

伊織『……はい時間切れ』

遠目にだが伊織の口元がわずかに微笑んだのが見えた。

伊織『はあーあ、しょうがないわねー』

伊織『そんな鈍感なプロデューサーにはこの歌を用意しといて正解だったわ』

伊織『準備はいい?』

準備。
慌てて再生スイッチに手を伸ばす。

伊織『それじゃ、聞いてください。水瀬伊織で――』



伊織『――ホウキ雲』

712: 2013/08/01(木) 22:18:05.62 ID:IMmyU4ts0



『どこか遠くで 耳を 澄ましている人がいる あらゆる場所で 空を見上げているひとがいる』



伊織『昔経験してるって、なに?』

伊織『アンタが昔教えた生徒に、私がいたわけ!?』

伊織『私は今回初めて試験を受けるの!それなのにどうして無理だなんて決めつけるわけ!?アンタはなに?神様!?』

伊織『……馬鹿!』



P(……どうなることかと思ったな、最初は)


713: 2013/08/01(木) 22:18:35.15 ID:IMmyU4ts0



『夜空の下で 口笛ふいてる僕たちは 言葉もないまま 指でただ星座をなぞってる』



伊織『……ごめんね』

伊織『……テスト』

伊織『いい結果出せなかったでしょ?』

伊織『せっかく教えてもらったのに……』



伊織(中間テスト、あれは落ち込んだわね)

714: 2013/08/01(木) 22:19:11.10 ID:IMmyU4ts0



『寒がりやの夢 冷たい君の手 あたためる魔法は 1つの道を信じること』



伊織『ぷ、あははははは!』

伊織『なにあほ面して固まってんのよ!』

P『く……!』

伊織『冗談よ、冗談!たまにはこんなパターンもいいでしょ?にひひっ』

P『ぐぬぬ……』



P(……あの時気づいておけば、って後々後悔したっけな)

715: 2013/08/01(木) 22:19:57.70 ID:IMmyU4ts0



『彗雲の向コウに見つけた 一粒の星は 輝く星でも かすかな星でも 君だけの光』



伊織『……ごめんなさい』

P『いいさ。俺のほうも反省点はいっぱいある』

P『ただ今はそんなことを言ってても始まらない』

P『だからあとちょっとだけがんばろう』

P『そして、受験が終わったら『ほんとにきつかった、いろんなことがあった』って話そう』

P『……もちろん笑ってな』



伊織(クリスマス……本当にありがたかった。仲間がいることがこんなに頼もしく思えたことはなかったわ)

716: 2013/08/01(木) 22:21:18.53 ID:IMmyU4ts0



『胸の雲の向コウに見えないままの道しるべ さぁ この手をひらいて今 何を信じますか?』



伊織「私、残りの受験までの勉強を楽しんでやることに決めたの」

伊織「いつも通り……事務所に行って」

伊織「春香のドジを見て、真をからかって、亜美たちにからかわれて、美希を起こして、みんなに突っ込んで……」

伊織「……みんなとがんばればいい。それだけのことだった」

伊織「にひひっ、それで絶対に合格してやるんだから!」



P(……ああ、やっぱりこいつすごいな、って素直に思ったな)


717: 2013/08/01(木) 22:21:51.90 ID:IMmyU4ts0



『ほんの少しの風が吹きました 最後の魔法は――』



P「……信じてるぞ」



伊織(きっと……あなたは説明してもわからないわね)



『――弱い心も信じること』



伊織(あの言葉に、どれだけ救われたか)




718: 2013/08/01(木) 22:22:29.61 ID:IMmyU4ts0



『彗雲の向コウに見つけた 一粒の星は 輝く星でも かすかな星でも 君だけの光』



伊織(実際に試験を受けてるときも)



『胸の雲の向コウに見えないままの道しるべ さぁ この手をひらいて 今 何を信じますか?』



伊織(今日の……発表の時だって)



『目をとじて 目をあけて 今 何が聞こえるの? 何が見えてるの? 君だけの光』



伊織(……いつだって、怖かった。もう駄目かもって思った。けど)



『青い屋根に登って 生まれた夜空 見下ろした 叶わないことなんてない――』



伊織(プロデューサーが……あなたが、いたから)



伊織『――ひらくのは その君の手――』



719: 2013/08/01(木) 22:23:03.67 ID:IMmyU4ts0



伊織『……』

P「……」

伊織『……』

伊織『……ありがとう。今なら言えるわ』

P「……」

伊織『……みんなが、プロデューサーがいたから』

伊織『今日、この日、この場所にいられるの』

伊織『本当に』

伊織『……ありがとう』

P「……こちらこそ」

ステージにいる伊織の頬を、涙が一粒だけ流れた。

720: 2013/08/01(木) 22:31:51.37 ID:IMmyU4ts0

伊織はまだ前を、観客席の方を見つめている。

俺には横顔しか見えない。

ふと、先ほどの七彩ボタンの歌詞を思い出した。

『ほらね 気づいたら 同じ 目の高さ――』

……身長が、少し伸びたな。

あたりまえか。

もう伊織と出会ってから2年以上経つのだ。

以前はまだ子供だった伊織。

わがままお嬢様だった伊織。

ただ、今ここから見える横顔は――


721: 2013/08/01(木) 22:32:25.73 ID:IMmyU4ts0

伊織『ところで』

伊織がこちらを見ていた。

泣きながら、笑っている。

P「……なんだ?」

聞こえるはずはない。

が、伊織には聞こえているのではないか。

伊織『……』

伊織『……あんなに強く抱きしめられたこと、パパにもないんだからね』

P「……」

伊織『それに、あの時はもういろんなことが頭の中をぐるぐる回ってて何もわからなかった』

伊織『……』

伊織『……それだけ』


722: 2013/08/01(木) 22:32:51.51 ID:IMmyU4ts0

機材のスイッチを切った。
当然マイクのスイッチも切れたため、伊織の声も聞こえなくなる。

問題はなかった。

俺には、伊織の言いたいことがわかっていたから。

それに。

アイツが――伊織が、素直に言葉にするはずがないということも。

音響室を出て、伊織に近づく。

伊織が口元からマイクを下げた。

うるんだ瞳で、笑っている。

きれいだ、と思った。

そして。

723: 2013/08/01(木) 22:33:44.98 ID:IMmyU4ts0

伊織「……今私が何をしてほしいかわかる?」

P「ん……なんだろうな」

いつものやり取り。
ちょっとだけずれてる、言葉のやり取り。

伊織「はぁ……まったく、プロデューサー失格ね」

P「……まあ一個だけ、これかな? ってやつはあるがな」

それにしても照れくさい。
でもしょうがないのだ。

伊織「……なに?」

P「合ってるかどうかわからんが、やってみてもいいか?」

P「……伊織がしてほしいこと」

女王様が、それをご所望なんだから。

724: 2013/08/01(木) 22:34:26.66 ID:IMmyU4ts0

笑いながら、いたずらな表情で、伊織は言った。



伊織「違ったら――」



伊織「――にひひっ、違ったらおしおきなんだからね!!」





おわり

725: 2013/08/01(木) 22:38:11.97 ID:IMmyU4ts0

ということで以上となります。もしここまで読んで下さった方いましたら、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。


万が一質問や意見などありましたらどうぞ。とりあえず明日あたりにHTML依頼出そうかと思いますので、それまでに書き込みくだされば基本何でも答えます。

気が向いたら短い後日談でも書こうかと思いますが、いったんはこれで終了です。では

726: 2013/08/01(木) 22:43:42.62 ID:mD1oa7hwo
>>1お疲れ様でした!
懐かしいものもあって伊織愛が伝わってきました
それと合格発表の時にじらすなんて意地悪だわ
ずーっとドキドキして悶え苦しんでたwwww
よければ後日談もみたいです!

とにかくお疲れ様でした!

737: 2013/08/02(金) 21:00:42.95 ID:GFpBVIqD0
>>1です。

>>736
最近だと

律子「モンスターファーム?」

http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1371923722/

P「もう夏が来た……」

http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1373365109/

とか書いてました。
少し前で、今回みたいなストーリー仕立てだと

真「アゲハ蝶とあいのうた」

やよい「わたしとハクサイ」

律子「悪くないですね」

雪歩「LOST」

雪歩「ドジな子ほどかわいい?」

とかですかね思いつくのは。
嫌なレスって、こういうこと聞かれて気にする人もいるんでしょうか?自分はふつうにうれしいですけどね



それといろいろと感想下さった方、ありがとうございます。
少し長い話になりましたが、読んでくれている方がいて感謝感謝です。続編は未定です。
あと、もしこういうのが読みたい!ってのがあれば教えてください。
書けるかどうかはわかりませんが……

それでは感謝をこめて後日談を載せて終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。







738: 2013/08/02(金) 21:02:58.39 ID:GFpBVIqD0

おまけ 

P「受験のあと」




P「……」

少しブレーキを離してはまた踏むといった作業を続けて30分ほど経っていた。

P「……はあ。こりゃまた電話がかかってくるのも時間の問題だな」

ため息をつきながらハンドルを指でトントンと叩く。
前を見ていてもブレーキランプが赤く連なっている、さっきからまるで変化しない風景が見えるだけなので、車内に目を移した。

739: 2013/08/02(金) 21:04:36.55 ID:GFpBVIqD0

『――当日の気持ちはどうでしたか?』

『ええ、本当に不安でした。もし……万が一ダメだったら……ファンのみんなに会えなくなるって……』

P「……よく言うよ」

普段は地図を映しているモニターには、10分ほど前にお怒りの電話をかけてきた張本人が映っていた。


――――

740: 2013/08/02(金) 21:06:03.32 ID:GFpBVIqD0



あの後、伊織の合格が決まってから芸能活動に復帰するまではそう時間はかからなかった。

とりあえず発表日の翌日のシークレットライブを無事成功させ、その時点で俺はお役御免となった。
その後は律子により新曲リリースの宣伝、曲のPR、ライブの企画と続き、三月末には新曲がリリースされた。
去年伊織の受験から活動休止と、何かと話題になったこともあってか新曲の売り上げは好調だ。
上手くいくと過去最高売り上げを更新するかも、とのことらしい。

伊織の親父さんに関しては有言実行を文字通り体現したため、特にトラブルになることはなかった。
ただがんばって合格を決めた小出高校にはやはり入学せず、事前に話に出ていた通り、通っていた中学の高等部にそのまま進学した。

以前、入学してから高校の制服を見せに学校からそのまま事務所に来たことがあった。

伊織『小出高校の制服を見せてあげれればよかったんだけどね』

741: 2013/08/02(金) 21:06:38.48 ID:GFpBVIqD0

ちなみに時間を見つけて達磨の目を入れ、絵馬も納めに行ってきた。
絵馬の奉納は伊織が言い出してきたことだ。
別にそのまま持っててもいいと思っていたし、手放すのも気乗りしないのではないかと思っていたのだが。

伊織『別に……それに、私には他にもお守りがあるからいいの』

と言っていた。
みんなから激励会で預かったもののことだろうか?
結局そのまま今でも預かってるって言ってたしな。

美希『預けてるだけだからね!そのうち帰してもらうの……いつになるかわかんないけどね。あはっ☆』

742: 2013/08/02(金) 21:08:02.68 ID:GFpBVIqD0



そんなこんなで現在は四月。
俺も以前の生活に戻り、プロデュースを続けていた。

また竜宮として活動し始めたので、現在の活動は詳しく把握していない。
ただやはり受験勉強をしていた去年一年間が肉体的にも精神的にもだいぶ厳しかったらしく、今は仕事だけに集中していられる分精力的に活動を行っているようだ。

今日は珍しく俺が伊織の迎えに行くことになっていた。

単独の雑誌取材で、律子も他の仕事に出ているためだ。

なのに。

P「……」

そんな日に限って渋滞に巻き込まれていた。

『なるほどね。だいぶ大変だったみたいですねぇ』

『ええ……でも、それよりも活動を休止してしまったことの方がファンのみんなに対して申し訳なくて』


743: 2013/08/02(金) 21:09:07.19 ID:GFpBVIqD0

画面にはトーク番組が映されている。
司会者と、テレビ用の妙にしおらしい伊織がツーショットで映っていた。

これが10分ほど前に怒りの電話をかけてきた少女の、皮をかぶった状態だ。

伊織『アンタねえ!何やってのよ!?この伊織ちゃんを待たせるなんて何様!?』

皮をかぶらないとこうなる。

あと5分以内に絶対来なさいと叩き切られたが、それからもうすでに10分以上経過している。
きっともうすぐ……

Prrrrrrrr……

ほいきた。

画面の表示を見る。

744: 2013/08/02(金) 21:09:56.57 ID:GFpBVIqD0

『伊織』

やはり。
イヤホンマイクをつけ、ふうと一息ついて電話に出る。

P「もしもし?」

伊織「……アンタ、ぶっ飛ばされたいの?」

P「そんな趣味はない」

P「渋滞なんだからしょうがないだろ」

伊織「……そこまで見越して行動するのがプロってもんじゃないの?」

P「無茶いうな。今日は週末でも五十日でもないのに、こんなに混んでることの方がおかしい」

伊織「よりによってなんでこの伊織ちゃんの迎えに来る時に限って渋滞に巻き込まれるわけ!?」

P「俺が知るか」

745: 2013/08/02(金) 21:11:41.68 ID:GFpBVIqD0

……まったく、すっかり元の伊織様になりやがって。

テレビを見る。
このくらいしおらしければ、もっと扱いやすいのに。
ファンのみんなはこの本性を知らないから「伊織様」というが、本性を知っていれば「伊織様」という言葉もきっと違う意味を込めて口にされることになるだろう。



『……うん、でも無事合格できてよかったねえ』

『ありがとうございます。ファンのみんなの応援があったからです』



伊織「ちょっと聞いてるの!?」

P「聞いてるよ」

伊織「……って言うか、誰か乗ってる?」

P「ん?」

伊織「話声がする」

P「テレビだろ。お前映ってるぞ」

ボリュームを上げてみる。

P「聞こえるか?」

伊織「……」

746: 2013/08/02(金) 21:12:51.79 ID:GFpBVIqD0

伊織「……!!」

伊織「消して!」

P「うるさ……!」

耳元で急に大声を出されて、思わず耳に手を当てる。

伊織「うるさいって何よ!それはいいからすぐ消しなさい!っていうかなんでそんなもん見てるのよ!?」

速射砲のように次々と言葉がくる。

P「偶然だ。ニュース見てたらそのままかかっただけだ」



『まあ、ファンのみんなにも支えられただろうけど、他にももっと助けられたんじゃない?』

『……そうですね』

『うんうん、例えば?』

『例えば……』



伊織「いいから消しなさいよ!すぐ消して!!」

P「……」

返事はせずにボリュームを下げた。
もちろんイヤホンマイクのだ。
これでようやくイヤホンとテレビの音が大体同じくらいに聞こえるようになった。

747: 2013/08/02(金) 21:13:26.86 ID:GFpBVIqD0

テレビの中の伊織は、少し沈黙した後話し始めた。
なにかを言うべきか迷っていたが、決意したような表情。
これは演技か。それとも。



『……事務所のみんなには、本当に助けられました』

『去年1年間を乗り越えることができたのは、仲間のおかげです』



P「いいこと言ってるじゃん」

伊織「3秒以内に消しなさい!さもないとアンタを消すわよ!?」



『それと……お守りに、助けられましたね』



P「消せって言われて素直に消すはずないだろ。あきらめろ」

P「それよりお守りってなんだ?絵馬は神社に持ってったし」

伊織「……!き、聞いたら○すわよ!?」



『お守り?』

『はい……実は今も持ってるんですけど』

748: 2013/08/02(金) 21:15:30.92 ID:GFpBVIqD0



P「アイドルがそんな言葉を使うものじゃありませんよ?」

伊織「アンタ……!覚えてなさいよ……!」

耳元からは怒りに震える伊織の声が聞こえる。
画面上の伊織はそんなことはお構いなしにあるものを取り出した。



『……ペン?』

『はい』

『いつも……いつも、一緒でした』

『受験勉強をしているとき、いつもそばにいたんです』

『つらいときも、うれしいときも』

『これが……支えてくれたから。きっと合格できたんです』

『そう。きっと大切なものなんだろうね』

『……はい』

『大切な、大切なお守りです。だから――』

『つらいとき、大変な時は、これと……そして、仲間と一緒なら』

『きっと、乗り越えていけると思います』




749: 2013/08/02(金) 21:16:08.41 ID:GFpBVIqD0


P「……」

気づくと、耳元の怒声は聞こえなくなっていた。

P「……」

何も聞こえない。
テレビはCMに入っていた。
切られたか?と思ったところで

伊織「……聞いた?」

蚊の鳴くような声が聞こえた。
ボリュームは下げてあるけれど、それでも。

P「あー……」

伊織「……」

P「……光栄、だな」

伊織「……!」

伊織「う、うるさいばか!」

750: 2013/08/02(金) 21:16:35.12 ID:GFpBVIqD0

P「ったく、同一人物とは思えんな」

伊織「ばかばか!ばーか!」

P「……小学生か」

伊織「うっさいうっさい!アンタの顔なんか見たくない!!」

P「どうやって帰るつもりだよ」

P「あともう少しで着くからおとなしく待ってろ」

伊織「~!来たら復讐してやる!!だから……」

伊織「……早く来い!ばか!!」

ぷつりと電話が切れた。

やれやれと思いながらイヤホンを外す。

751: 2013/08/02(金) 21:20:46.87 ID:GFpBVIqD0

目の前にはしばらく先まで続くテールランプ。

もう少しとは言ったが、まだ道のりは長そうだ。

本音を言えば、早く伊織に会いたかった。

ただ、よくよく考えるとこの渋滞も悪くない気がした。

理由は2つ。

去年1年間の伊織との思い出を、ゆっくりと思い出すことができるから。

それと。

楽しみなことを後に控えているときのわくわくした時間は、けっして嫌いじゃない。

俺はスタジオに着いた時の伊織の反応を思い浮かべながら、ハンドルを握り直したのだった。




おわり

763: 2013/08/03(土) 19:38:59.78 ID:3E1vPncOo

引用元: P「受験か」伊織「そうよ」