1: 2018/05/04(金) 20:53:16.66 ID:AZDT1Nlu0
「いちばんっ、三船美優っ……歌います!」
「かれこれ四人目の一番ね」
「何でみんな一番槍を掲げようとするんスかね?」
「それはやっぱり、アイドルですし?」
案の定と言っておくべきだろうか。
喧騒の中心は年長組の集団で、ごくごくと、それはもう楽しげに飲酒を決めている。
そこかしこで学生組や年少組がごくごく節度を持って楽しんでいる。
『ごくごく』の含意を再定義するべき時期かもしれない。
「楽しんでいらっしゃいますか?」
隣から涼やかな声が聞こえた。
見慣れた笑みを浮かべながら、肇が両手の紙コップを揺らす。
軽く頷き、一つを受け取る。
ジンジャーエールが乾いた喉に染み渡った。
「もちろん」
何の気なしにそう返してみたが、肇は少し困ったように笑うばかりだった。
2: 2018/05/04(金) 20:58:26.23 ID:AZDT1Nlu0
「……もう少し、気を緩めてもいいと思うのですが」
「まぁ、何人かはこういう役も必要だ。昔から慣れてる」
遠巻きにこちらを眺めていた皆様を一瞥する。
目を合わせようとして、合わなかった。
いや、大半は善良なファンの方だというのは重々承知してはいる。
ただその中に妙な輩が紛れ込んでいる可能性を考えなきゃならないだけだ。
内心じゃあ平謝りだ。
「それにしても、こんな端っこで……少しは輪に加わったって」
「気にしなくていい。肇こそ楽しんでこい、折角の花見なんだ」
正確な言葉でどう言うのかは知らないが、盛りは少し過ぎてしまったらしい。
幹に背を預け、仰ぎ見る。
春風に揺られる度、何枚もの花びらが舞い落ちてくる。
一つがジンジャーエールに浮いて、小さな波紋を立てた。
「……」
肇が少しだけ逡巡し、それからゆっくりと腰を上げた。
そして輪の中心部へ歩み寄っていく。
細い背中を見送りながら紙コップを空にしてやった。
自分の顔面を好ましく思ったことなど一度だってない。
だが、この面がたまには役立つと言うなら……まぁ、悪くない。
さて、『番犬』の続きと洒落込もう。
4: 2018/05/04(金) 21:08:23.23 ID:AZDT1Nlu0
― = ― ≡ ― = ―
潰れた三船さんが担当の奴に押し付けられたり。
佐久間さんが担当の奴に自分を押し付けたり。
高森さんがアディショナルタイムへ突入したり。
文字通りの乱痴気騒ぎも気付けばお開きの時間だった。
若干根を張りつつあった尻を上げ、軽く払う。
用意しておいたゴミ袋を広げ、辺りを見回した。
さて、どこから手を付けてやったもんか。
頭を掻こうとして、ひときわ真面目な横顔を見つけてしまった。
「真面目」
「肇ですよ」
俺を見つけ、肇が笑った。
「その割には真面目に返すんだな」
「おじいちゃんから貰った、自慢の名前ですから」
軽口を交わしながらも、手際良く後始末をこなす手は止まらない。
そういう所が真面目と言うか、何と言うか。
6: 2018/05/04(金) 21:16:05.35 ID:AZDT1Nlu0
「楽しめたか?」
「ええ。皆さんと居ると退屈している暇がありません」
全くその通りだ。事件の起きない日は無い。
「楽しいお花見でした」
「そうか」
肇と二人、辺りを片付けて回る。
褒めてくれる人もいれば、手伝ってくれる人もいる。
ちょっかいを出してきて速水さんに叱られる塩見さんもいた。
「……」
そっと肇の横顔を盗み見る。
団子の空パックを袋へ詰め込む表情は、いつも通りの生真面目な色をしていた。
辺りの様子を伺い、肇の隣へ歩み寄る。
「肇」
「どうかしましたか?」
「たまには、悪いことをしてみないか?」
淀みない手つきが止まった。
俺の目を見ながら、口も目も丸く、ぽかり。
「花見をしよう、肇」
7: 2018/05/04(金) 22:15:53.28 ID:AZDT1Nlu0
― = ― ≡ ― = ―
こつ、こつ。
控えめなノックが窓を叩く。
それからドアが開かれ、助手席に変装モードの肇が乗り込んできた。
甘い匂いがした。
……何か、付けたな。
「お待たせしました」
「いや。少し分かり辛かっただろう」
「はい。何だか……ドキドキしますね」
いつもなら女子寮の前に社用車を停めておくが、そこはそれだ。
今夜は悪いことをする訳で。
女子寮から通りを二本挟んで停めておいたこれは自家用車。
まさか馬車で迎えに来る訳にもいかないしな。
「行こうか」
「お願いします」
8: 2018/05/04(金) 22:28:11.88 ID:AZDT1Nlu0
ラジオを掛けようかとも思ったが、あまりそういう気分でもない。
隣の肇はどこかぼんやりとした表情で夜の街明かりを眺めていた。
「今更だが」
「ええ」
「どうやって抜け出してきたんだ? 女子寮のドアはもう施錠されてるだろう」
確か0時前には閉まる筈だ。
良い子のシンデレラはお休みする時間、と言っていたのは誰だったか。
悪いことをしに行くので、で開けてくれるほど、寮監はお人好しじゃない。
「寮は1階にも幾つか部屋がありまして」
「ああ」
「みくさん達に頼んで、窓からこう、しゅっと」
「しゅっと」
「あやめさんのように、鮮やかにとはいきませんでしたけれど」
浜口さんと比べるのは色々と厳しいだろう。
いったい何者なんだろうか、あの娘は。
「前川さん達に何か言われなかったのか?」
9: 2018/05/04(金) 22:45:25.44 ID:AZDT1Nlu0
夜中に窓から抜け出すなど不審以外の何物でもない。
当然ながら誰何は受けた筈だ。
首を傾げて水を向ければ、肇は薄く笑みを浮かべた。
「もちろん、言われましたよ」
「何て答えたんだ?」
「正直に。あなたとお花見して来ます、と」
「……それで?」
「『頑張ってにゃ』、と」
……頭が痛くなってきた。
いや、誘い出した張本人が言うのもおかしな話ではあるけれども。
もう少しスマートにエスケープを決めるものだとばかり思っていた。
まさかの正面突破だった。
「なので、今夜は頑張ろうと思います」
「……無理に頑張らなくていい」
「そうですか?」
肇の笑顔を見て数年になる。
ここ最近の笑みは、明らかに隙がなくなってきていた。
10: 2018/05/04(金) 23:12:51.69 ID:AZDT1Nlu0
このままでは飲まれそうな予感しかしなかった。
話の矛先を変えるため、彼女の帽子を指差す。
「そうだ。帽子は外しておいた方がいい」
「変装していた方がいいと思いますが」
「昼間はそうでも、夜の帽子は少し目立つ」
「……そういえば。今は夜でしたね」
言われた通りにキャスケット帽を脱ぎ、眼鏡の位置を直す。
軽く髪を流すと、また甘い香りが漂った。
ハンドルを握り直した。
「代わりに髪型を変えておいた方がいいな」
「分かりました」
赤信号の間、肇は暗い中で小器用に髪を纏め始めた。
くる、くるりと何度か後頭部で巻くと、鞄の中を漁り出す。
ぱち。
「出来ましたよ、Pさん」
「そのバレッタ……」
「愛用しています」
11: 2018/05/04(金) 23:54:34.54 ID:AZDT1Nlu0
対向車のハイビームが一瞬だけ車内を照らした。
濡羽色の髪の中に、一輪の藤が咲いていた。
「あなたに頂いた、大切なものですから」
「……流石に自分でも安直過ぎると思ったやつだけどな」
「お気に入りなので、大丈夫ですよ」
「どういう理論なんだ」
しなやかな指先がバレッタを撫でる。
「似合いますか?」
「ああ。似合ってる」
「こちらを向いて言ってくださらないと」
「運転中だ」
「では、着くまでおとなしくしていましょう」
肇はそれきり口を閉ざした。
本当におとなしくなってしまうと、それはそれで毒気を抜かれてしまうが。
窓の外を眺める表情は、先ほどよりも少しご機嫌に見えた。
24: 2018/05/05(土) 19:14:15.11 ID:6HNBSVHX0
あと今回で季節の肇ちゃんシリーズは完結となります
4年弱に渡りお付き合い頂き本当にありがとうございました
■季節の肇ちゃんシリーズ
藤原肇「彦星に願いを」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1405601439/
藤原肇「大事なのは、焦らない事です」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1422349310/
藤原肇「しんしんと、あたたかい夜に」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1461923524/
藤原肇「ただ静かに、あなたのそばで」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1525434796/
これからも藤原肇ちゃんをどうぞよろしくお願いします
3: 2018/05/04(金) 20:59:05.76 ID:AZDT1Nlu0
引用元: 藤原肇「ただ静かに、あなたのそばで」
コメントは節度を持った内容でお願いします、 荒らし行為や過度な暴言、NG避けを行った場合はBAN 悪質な場合はIPホストの開示、さらにプロバイダに通報する事もあります