1: 2011/03/07(月) 19:12:58.02 ID:/pwNr4Li0
!attention!
・けいおん!×型月のクロスSSです
・型月からは設定だけでキャラクターの出演はないです



梓「私を頃した責任――とってもらいますから。」


たったら投下

2: 2011/03/07(月) 19:14:19.70 ID:/pwNr4Li0
■■



 夜空に浮かぶそれには、静謐という表現がよく似合う。
 真円を描く姿はただあるだけで神秘的だし、何よりも一番に“遠い”ことが好ましい。
 今にも崩れ落ちそうなセカイの中で 純粋に美しいと感じられるのはそれだけだ。

 空はいつでも優しかった。

 揺籠にゆれるように、変わらない景色を眺めることが愛しい。
 例えそれが、遠過ぎて気付けないだけだとしても、
 “視えない”、ということは、とても幸せだと思うのだ。



■■
けいおん! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

3: 2011/03/07(月) 19:15:12.69 ID:/pwNr4Li0


0/現在(2008年・2月11日)


唯「―――うぇっくしゅ!! …………う゛ぅ、ざびゅい」


 冬の風に当てられ、口に出してみたところで肌を刺す冷気が緩むことはない。
 厚手のコートにマフラー、手袋までつけているというのに、本当にそれが機能しているか疑いそうになる。

 ―――――寒いのは苦手だ。
 寂しいのは、と言い換えても良いかもしれない。
 孤独に身を震わせていると泣きたくなるし、ぬるま湯のような人の温もりに触れていたいと思う。

 ………矛盾している。
 ならば、何故わざわざ防寒に気を使ってまで外を出歩いているのだろう。

 
 ――――街頭の少ない河川敷は薄暗く、とても静かだ。
 聞こえてくるのは葉擦れの音と、川のせせらぎ。それから、どこか遠くで打たれたクラクションくらい。
 区画整理されていない、打ちっぱなしのコンクリートの歩道をなぞり、夜を渡っていく。

4: 2011/03/07(月) 19:15:53.62 ID:/pwNr4Li0
 そうしてぼんやりとした心持ちのままふらふらと歩いていると、
何度目かの振動が上着のポケットを震わせた。

 ―――――心配性だなぁ。

 確認するまでもなく、それは世話焼きの妹からのものだろう。
 黙って出てきたのは少し悪いかな、と思うけれど、そういうお節介を面倒に感じるときもある。
 特にこういった月の綺麗な夜には、大嫌いな孤独に身を埋めてしまいたくなるから―――


唯「……………」


 建築途中の高層ビルの屋上で、クレーンが満月を吊り上げているのが見える。
 空は町明かりに照らされて、勿体振るみたいに星の光をその向こうへと仕舞いこんでいた。
 鼻をくすぐる水と土の匂い。
 微弱な月明かりだけが光源になり――それさえ消えれば、すべてが闇へ溶けてしまいそうな

5: 2011/03/07(月) 19:16:30.78 ID:/pwNr4Li0
 

 あぁほんとうに いい――――よる――――


 目元が弓なりにしなるのと同時に、
しぃんと脳髄の深くにある信管が震えて、冴えた痛みがアタマを疾った。


 視界が軋む。


唯「――――――――っ」


 右手をこめかみに添えて、親指でぐりぐりと押し込んだ。
 気休めにしかならないけれど、やらないよりはマシだろう。
 瞼を閉じると、瞳が、疼いた。



  ―――時間切れ、かぁ。


6: 2011/03/07(月) 19:17:15.42 ID:/pwNr4Li0
 
 もう慣れてしまった感覚だけれど、相変わらず喉の奥が痛みそうなほど気色が悪い。

 なんとなく、今夜はそんな気がしていた。
 度々現れる世界の変貌を、また目にすることになるのだろう、と。

 瞼を押し上げると――――“視え”始めてくる。
 浮かび上がる“点”。溢れ出す“線”。視界に入る全てのモノに描かれる綻び。


唯「ああ―――なんて■し易そうな、」



       氏に満ちた世界――――


 あるいは、これを地獄と呼ぶのだろうか。


7: 2011/03/07(月) 19:18:10.26 ID:/pwNr4Li0
 



 ―――私がそれを初めて視たのは、もう十年近く前のことになる。


 小学校に上がる前、秋も終わりかけの頃。
 正確に言うのなら十一月二十七日。
 はっきりと覚えているのは、その日が私の誕生日だったからに他ならない。
 これを誕生日プレゼントだと言うのなら、随分と意地の悪い神様もいたものだ。


唯「あれ? おとーさん? なんで、かおにらくがきしてるの?」


 その時の私は、パーティーの準備にしては珍妙極まりないな、なんてことを呑気に考えていたのだ。
 しかしよく見渡してみれば、そのラクガキは父親の顔に限ったものではなく。
 母親にも、妹の憂にも、顔だけでなく全身に、走り書きのように描かれていた。

 ふと思い立って手元のコップへと目をやれば、
家族のそれほどはっきりしたものではないけれど、やっぱりひび割れのようなラクガキが。

8: 2011/03/07(月) 19:18:58.52 ID:/pwNr4Li0
 

 軽くなぞれば砕けてしまいそうな―――――


そう考えた時には指が“線”に沈み込み、ごとり、と音を立ててその破片が転がっていた。


唯母「唯? どうしたの?」

唯「………こわれちゃった」


 それほど強い力を込めた訳ではない。
 不思議な感覚。
 まるでそうなる事が自然であったように、ガラスのコップは両断されていた。


 ―――ああ、これはきっと、よくないものに違いない―――


 当時の私にそんな事を考えられるほどの理解力があったのかどうか。
 記憶は曖昧だけれど、なんだか唐突に怖くなったのを覚えている。

9: 2011/03/07(月) 19:20:01.72 ID:/pwNr4Li0
 

唯「――――――――い、た」


 それと同時に、割れるような激痛が走った。
 ずきずきと、きりきりと、がりがりと。


唯「いた、いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい――――!」


 身体の中心から、全身が引きつるような痛み。
 今になって考えてみればそれは強烈な頭痛であったのだけれど、
幼かった私にはどこから来る痛みなのかも理解できなかった。

 慌てて駆け寄る母親の顔。

 その隣で困惑する父親の顔。

 何が起こったのか理解できず、それでも心配そうにこちらを見つめる、妹の顔。


 その全てに奔る、ひびのような、真っ黒い、“線”。


10: 2011/03/07(月) 19:20:59.52 ID:/pwNr4Li0
 

唯「ひ―――」


 それが酷く恐ろしくて、逃げるように蹲ってしまう。


 知らなかった。だって誰も教えてくれなかった。こんなにも、セカイは―――――


 …………私がはっきりと覚えているのはそこまでだ。
 何度も病院に通ったけれど、結局のところ原因はわからなかった。
 それに、その“線”はずっと視えていた訳でもない。

 時々思い出したように浮き上がっては、崩れ落ちそうな恐怖と鈍い痛みを残していくのだ。
 いっそ狂ってしまえば楽なのではないかと思うこともあったけれど、
優しい家族や友人に囲まれていたおかげで、私はなんとか“平沢唯”として日常をやりくりしていた。

 ああ、ひとつだけ、物事を深く考えない、というのが、
後遺症のような悪癖として残ったのは痛いかも知れない。
 ……元々能天気な気質であったことの否定はしないけどね。

12: 2011/03/07(月) 19:23:55.26 ID:/pwNr4Li0
 
唯(もうけっこー前になるかなぁ……。
 違和感と不安がいっしょになって、これだ、っていうのに変わったのはさ――)


◆◆


1/三年前(2005年・10月4日)


 ようやく体から夏休み惚けが抜け切った、十月のある日。
 秋涼爽快を体現するかのような――――
風が雲の塊をずっと上の方でちぎって、青が暖かい空気とじゃれあってるみたいな空の朝。
 いつもの通学路を、妹と一緒に辿っていた。
 まだ朝の7時過ぎということもあってか、住宅街の人通りは疎らだ。


憂「――お姉ちゃん、ほんとに、大丈夫なの……?」


 私の左隣を歩く憂は、玄関からずっとこんな調子だった。
 もっと詳しく言うのであれば、朝の食卓の時。憂の前で“発症”してしまってから、か。
 トレードマークのポニーテールも、心なしか元気なさそうに揺れている。
 緑色のセーラー服と赤色のリボン。憂と同じ制服に身を包みながら、私は首肯する。

13: 2011/03/07(月) 19:25:30.99 ID:/pwNr4Li0
 
唯「へーきだよぉ。そりゃあ……アタマ、痛いけど。
 美術の授業、今日で仕上げなんだぁ。憂と一緒に探し回ったコレ、使わなきゃ」

 手にもったプラスチックケースを振ると、コォン、と耳障りの良い音が聴こえて来る。
 中身は、数本の彫刻刀。


憂「“憂殿! 拙者の刀の所在は何処ぞ!” なんて、私の部屋に飛び込んでくるなり
 いきなり言い出すんだもん。何のことかと思ったよ」クスクス

唯「だってぇ……いくら探しても見つからないんだもん。
 憂ならしってるかな~って思ってしゃぁ」

憂「洋服ダンスの奥からそれが出てきた時は吃驚したなぁ……」


 普段から自分で生理整頓しなきゃだめだよ?
付言して、妹が人差し指を私の鼻元まで持ってくる。
 行き成りの動作に目を丸くしたのは一瞬で、それから直ぐに頬が緩んだ。
 革靴の底が、まだ寝ぼけ眼の街に覚醒を促すかのように
小気味良い音を立ててアスファルトを撥ねる。

14: 2011/03/07(月) 19:26:10.59 ID:/pwNr4Li0
 
唯「おおう。憂の“めっ”、久々だねっ」

憂「……お姉ちゃ~ん?」

唯「でへへ。面目ないです……」

 だらしなく笑いながら頭を掻くと、脳髄の信管が震えた。
 歩みは止まり眉間には深い皴が寄り、しぃん、と耳鳴が響く。


 刹那、痛烈な眩暈。


 ――うん。苦手だ。お日様の下は苦手。
 だって――お空にまで、線が視える――


唯「っ……」


 窒息してしまいそうになる。
 息苦しい。なんて、“生き苦しい”――――!

15: 2011/03/07(月) 19:26:56.15 ID:/pwNr4Li0
 
 重く透明な水が私を飲み込んで、肺に残っている空気を全て吐き出せと言う。
 次第に音という概念が私から遠のいていく。
 朝の喧騒が、信号機のとおりゃんせが、鳥の鳴き声が、
人の足音が、風が、一秒、一刻、一刹那毎に切り離されていく。

 膝から下が――否、立っている地面から喪失したかのような浮翌遊感と不快感。

 それでもよろめくことを赦さなかったのは、
ただ、横断歩道の途中で突然歩みを止めた私を伺う、憂の心配そうな顔が支えになったから。


憂「お姉ちゃん――?」


 憂が私の肩に触れようと手を伸ばす。
 いけない。不調を察せられたらおしまいだ。
きっと憂は、家に帰ろうと言い出すよ。それからそこまで連れ添って、私の看病を買って出るんだ。


 ――それは決して、憂が背負う荷物じゃないのに。

16: 2011/03/07(月) 19:27:34.41 ID:/pwNr4Li0


唯「だっ、だいじょーぶだいじょーぶっ! 今日も一日張り切って」


 行くよ、と笑いかけようとした顔は、作り掛けの不細工なまま固まった。
 足元から首筋まで針で突き刺されたような痛みが全身を奔り、上書きのように重い風が弄ってくる。
 
 左。
 一台の乗用車が、減速もなく向ってきている。
 信号はまだ青。
 直線状にいるのは、私の可愛い、掛け替えのない、たった一人の大切な妹。
 
 確かに、この時間帯は人通りこそ少ないけれど


 それにしたって、不用心すぎる――――!


 けたたましいブレーキノイズが、閑静な住宅街のいつも通りを裂いた。
 でも遅い。文字通りの、致命的なまでのタイムロス。
 向って来る鉄の塊は、その抑止力を物ともせずに憂の命を奪うだろう。

17: 2011/03/07(月) 19:28:13.06 ID:/pwNr4Li0
  

唯「―― ういぃっ!」


 取り落とした彫刻刀ケース。
 プラスチックの乾いた音が辺りに響くより前に、私の足は動いていた。






 脳髄が、白熱する。






18: 2011/03/07(月) 19:29:00.96 ID:/pwNr4Li0
 
 躍り出る。
 対峙する。
 事態を把握した憂が、お姉ちゃん、と叫ぶ。


 笑みが漏れた。


 そっか
 そっか
 そうだ


 そうだ ったんだぁ


 目に映る無数の“点”と“線”。

 それが一体何なのか、今なら解る。

 長い間抱えていた不安の正体も根源も、今なら全て理解出来る――――!

19: 2011/03/07(月) 19:29:31.51 ID:/pwNr4Li0
  

 手中に在るは一本の彫刻刀。

 柄を離さないように握り締める。

 堅くざらついた木の感触。これは私の脊髄。

 構えなんて知るものかと真っ直ぐに拳を突き出した。

 逆手に持った彫刻刀の先に突き出る、鈍い色の刃。これが私の魂。


唯「……………………あはっ」


 仮令どんなに無様だろうが、上手にやれる自信があった。
 否、自信なんてものじゃない。これは、確信だ。

 だって、


20: 2011/03/07(月) 19:29:58.54 ID:/pwNr4Li0
唯「黒い線をなぞるだけならさぁ――幼稚園から出来たもん」


 風が頬を撫でる
 車が肉薄し、


唯「教えてあげる」


 腕を



唯「これが、物を[ピーーー]ってことだよ」



 振った。


◆◆

21: 2011/03/07(月) 19:30:58.34 ID:/pwNr4Li0
えっ。下げって入れたのにぴーってなってるどういうこと

22: 2011/03/07(月) 19:31:31.61 ID:/pwNr4Li0
2/三ヶ月前(2007年・11月12日)

がっこうのしょくどう!

ガヤガヤガヤガヤ キョウナニニスルー? ガヤガヤ 
スパゲッティー カレーニシナサイ エッ ガヤガヤ
ガヤガヤ Aテイショクデ ガヤガヤ


和「結局……この高校生活、唯は何もしなかったわね」

唯「うっ……まだあと一年もあるよ、和ちゃん」モグモグ

和「もう二年経ったの。今から部活でもするの?」

唯「んぐっ……それ言われると弱いなぁ……」モグモグ

和「けいおん部、入ればよかったのに。随分熱心に勧誘してくれてたんでしょ?」モグ

唯「同好会だよね。けいおん同好会。
 うーん……そうだけど、私じゃ多分、勤まらないから」ジー

和「…………」モグモグ

23: 2011/03/07(月) 19:32:22.12 ID:/pwNr4Li0
 
唯「和ちゃん、私、怖いんだ――。
 何かを持ったり、誰かを触ったり。そういうのがさ。
 物はあんなにも壊れやすくて、人はあんなにも脆くて、世界はこの腕を振るうだけで、
 簡単に壊せるんだっていうことを、知っちゃったから」スッ……

和「唯、アンタ――」

唯「……ねっ、和ちゃん! それよりさ、生徒会って楽しいの?」

和「え……ええ、楽しいわ。やりがいがあって、尊敬できる先輩もいるし」モグモグ

唯「ふぅん……。この頃忙しそうにしてるよねぇ。
 しどいわあなたっ私とお仕事どっちが大切なのーー!」

和「」

唯「うっわそんな目で見ないでよぅ!
 ……でもさ、どうして和ちゃんはそんなに頑張れるの?」ジィッ

24: 2011/03/07(月) 19:33:08.07 ID:/pwNr4Li0
 

和「――そうねぇ……。自分の力がどこまで通用するか見てみたい、って言うのが一つかもね」


唯「?」


和「だって、能力を持っている以上、それを使わないのはエゴだもの。心の贅肉だわ。
 ねぇ、唯。唯のその眼だって、発揮しようと思えば何かに使えるはずでしょう?
 それをせずに日常を食いつぶすのは――甘えてるか――逃げてるだけなんじゃないの?」カチャッ


唯「…………和ちゃん」

和「…………ごめんなさい、過分だった。だから唯、そんな悲しい顔をしないで」

唯「――――和ちゃんには、わかんないよ」ボソッ

和「唯……」

唯「それに、この眼はそんなに良い物じゃないんだよ?
 出来るのは――ただ斬って、壊して、[ピーーー]だけだもん。使い道なんて、ないよ」

25: 2011/03/07(月) 19:33:51.67 ID:/pwNr4Li0
 
和「鉄や野菜を切ったりするのは?」

唯「ふはっ!? あ、あはははっ……」バタン

和「?」

唯「斬りたい場所に線がなかったら、切れないのと一緒だよぉ~」アハハ

和「……マーボー定食、食べる?」

唯「――それ、ずっと気になってたんだけど美味いの!?
 ラー油と唐辛子を百年間ぐらい煮込んで合体事故のあげく
ワタシ外道マーボー今後トモヨロシクみたいな料理が本当に美味いの!?
っていうか私が辛いの駄目だって知ってるはずだよね和ちゃん!」

和「食べる――?」

唯「食べるかァ――!」

/

26: 2011/03/07(月) 19:35:17.25 ID:/pwNr4Li0

同日(2007年・11月12日)

きょうしつ!

数学教師「次のページいくでー」

《和“だって、能力を持っている以上、それを使わないのはエゴだもの。心の贅肉だわ”》

唯「…………」

数学教師「せやから、違う2つの数がおるとするやろ」


《和“ねぇ、唯。唯のその眼だって、発揮しようと思えば何かに使えるはずでしょう?”》


数学教師「自分を除いた約数の和が、お互いの数と等しくなるような数。それがこれや。
 不思議やろう? まるで、お互いがお互いに補完しおうとるみたいで。人間と一緒やな」

27: 2011/03/07(月) 19:36:32.58 ID:/pwNr4Li0
 

《和“それをせずに日常を食いつぶすのは――”》


唯「……」


《和“甘えてるか――逃げてるだけなんじゃないの?”》


数学教師「完全数とこれの説明せよちゅうんはテストに出すからなぁ。
 ちなみに、一番小さい数はなんやと思う? えー……平沢。答えてみ」

唯「わかんないよ、そんなの……」ボソッ

数学教師「ほぉ……? オレの授業はそんなに解りにくいかぁ?」

唯「ほ、ほぇ!? ええええええええええええ!!?」

風子「おおーい、何してんの、平沢さーん」

\ドッ/

◆◆◆

29: 2011/03/07(月) 19:37:06.20 ID:/pwNr4Li0
 

3/三日前(2008年・2月9日)


 ――――そして、そこには何も無かった。


 私が観測したそれは、全てが欠落してしまったような、「無い」ということすら無い、虚無の海の中。
 ああ、とうとう、私は氏んでしまったのだ――――初めはそう考えた。
 けれど、これが氏であるとするなら、私は間違いなく生きている。
 なにがなんだかわからない。
 いや、どうしようもなく理解はしているけれど、その「理解」は私の外側にある。
 それを、夢と呼ぶ事に差し支えはないだろう。
 目覚めればいつものように病院のベッドの上で、氏に瀕している私という救いようのない現実があるのだ。

 まだ幼い子供の頃、私は病に倒れた。
 具体的には悪性新生物の類であると聞かされたが、詳しいことは未だに理解していない。
 聞いた限りで私に分かったのは、確実に氏に繋がるもので、治癒が難しいということくらい。
 通院を繰り返したものの一向に回復せず、とうとう長期入院を余儀なくされた。
 候補にはいくつか有名な病院があって――オリバー、だか、ガリバー、だか
 ともかく、遠い県外のものもあったけれど、住み慣れた地元が一番だろうということで、桜ヶ丘市立病院に搬入された。

30: 2011/03/07(月) 19:37:58.89 ID:/pwNr4Li0
>>28
うっわマジだ……。
態々ご教授くださったのに申し訳ないです……。
気を取り直して投下続けます。
本当に申し訳ない……。

31: 2011/03/07(月) 19:38:40.51 ID:/pwNr4Li0

 眠りに――否、正しくは昏迷と呼ぶべき意識の中で、私はいつだって何もない夢を見た。

 眼を閉じれば、次はいつ目覚めるとも解らない。

 その事実に、私は周囲の人たちほど危機感を感じなかった。


 なぜだろう。


 そこにはなにもないのに、一人ではないと感じるのだ。
 天使様でもいらっしゃるのだろうかと、少女じみた考え方に笑ってしまいそうになる。
 実際のところ、私は少女と呼んで間違いないし、そんなときは笑えるほどの身体の自由も利かないのだけれど。

 怖い、という感情は、とうの昔に麻痺していた。
 氏に触れすぎた私は、おかしくなってしまったのかもしれない。
 これが運命というのであれば受け入れよう。
 私個人の生き氏になど、世界という大きな尺度から見れば所詮は瑣末事なのだ。

32: 2011/03/07(月) 19:39:24.16 ID:/pwNr4Li0
 
 ……ただ、一つだけ残念な事がある。

 数年前に、両親に買ってもらったギター、フェンダー・ムスタングを満足に弾けていないことだ。
 調子の良いときには暇さえあれば練習していたけれど、もう随分と触っていない。
 どうせ氏んでしまうのなら、思いっきり演奏してからにしたい、というのが私の望むささやかな願い。
 まあ、無理だろうと諦めてもいる。
 もう満足に指も動かせないし、元々、人というものは少なからず未練を残して氏んでゆくのだ――――


/

同日 (2008年・2月9日)


 ――――ふと、目覚めた。

 ややあって、肩を揺すられている、と感じる。
 どこか遠くの方で平沢さん、と、声がする。気遣うような優しいアルト。
 瞼を押し上げて、大きな欠伸を掻く。
 腕枕を解いて上体を起こすと、背骨が乾いた音を上げながら小さく鳴いた。

33: 2011/03/07(月) 19:40:28.31 ID:/pwNr4Li0
 
?「は、ははは……」

 笑いというよりはむしろ呆れの色が強い声が右隣から聞こえる。
 最初に眼に入ったのは、夕焼けのオレンジ色だった。
 窓の方見ると、夕日は完全に沈みきっていた。

 でも、まだ夜じゃない。夕方が、空に中指の第一関節だけで捕まってぶらさがっている。
 拍手を打って、もう一回打つために広げた手のひらの間の空間みたいな時間。
 境界線のように、オレンジと水色が空に敷かれている。

 ――――水槽の底に、街が沈んだみたい。

 雲が水草で建物がオブジェなら、私たちは差し詰め魚だろうか。

?「おーい?」

 放課後の息遣いが聴こえる。
 運動部の掛け声と、吹奏楽部のトランペットと、
 演劇部の発声練習と、誰かの笑い声と、あわただしい足音と、
 上から響く椅子を引き摺る音が全部仲良く一緒になっていて。

34: 2011/03/07(月) 19:42:27.43 ID:/pwNr4Li0
 

 ――――寝起きということもあるだろうけれど、放心状態だ。

 呼び戻すかのようにトン、と、気安く肩を叩かれたのはすぐ後。

唯「ほぇ……?」
律「やっと気が付いた」

 くしゃり、と笑う、溌剌そうな女の子がいる。
 眼の焦点が、まだ合わない。
 かろうじて確認できたカチューシャとおデコで、誰かを察する。
 彼女は、クラスメイトの――


唯「あ……田井中さん、おはようございます……」

律「おはよう!? もう放課後だっつーの!」


 やっぱり平沢さんってどっか抜けてるよなぁ、と明朗な笑い声が聴こえてくる。
 笑われた。けれど、悪い気はしない。彼女の人徳のお陰だろうか。

35: 2011/03/07(月) 19:43:07.37 ID:/pwNr4Li0
 
 両手をぐっと天井に伸ばしてから、机の隅に置いていた眼鏡を取り、掛ける。
 眉唾物の話だけれど――遠い異国の地の魔術師が
「ちょっと癖のあるエメラルド」で作ったのだと両親から聞かされている。

 お守り――みたいなものだ。
 これをかけていると、何故だかとても安心できるから。

 あ。そういえば、これを掛けている最中に、あの頭痛が来たことって、ないなぁ――――

律「ん……平沢さんって、目、悪いの?」

唯「……そうだね。そうともいえるし、そうでないともいえる、かなぁ」

律「どういうこっちゃ……」

唯「あー。細かいことは気にしない気にしないっ。
 それよりも、起してくれてありがとうございました、田井中さん」

律「氏んだように寝てたからな……少し心配になったんだよ」

36: 2011/03/07(月) 19:43:47.69 ID:/pwNr4Li0
 
唯「これから同好会?」

律「いや、もう終わったとこ。忘れ物取りに来たんだ」ヒョイ

唯「そっかぁ。……来年こそ、部になれるといいですね」

律「っ、私はまだ諦めてないからな! 平沢さんの入部も、新入生もぉ!
 なんか、何よりも、そう、私は“会長”よりも“部長”が相応しい気がする!」

唯「普通に考えて、会長のほうが立場的に上だと思うけど……」

律「うっ……」

唯「田井中さんも、どこか抜けてますね」クスクス

律「うるさいやい」

唯「そういえば、忘れ物って言うのは?」

37: 2011/03/07(月) 19:44:39.98 ID:/pwNr4Li0

律「ん? ああ、倫理の教科書だよ。明後日小テストだろ?
 流石にやっとかなきゃ不味いかなーって思ってさ」

唯「ああ……そういえばそんなことが。
 ………………ね、田井中さん」

律「んー?」

唯「どうにもならない運命って、あるのかなぁ」

律「またそりゃあ哲学的な。んー……漫画で見たんだけどさ。
『“この世の出来事は全部運命と意志の相互作用”で成り立っている、
 ならば意志の力は、運命を変えるもの足り得るのだ』。ってさ」

唯「…………」

律「運命を切り開く意志の力、って、なんだかカッコいいとおもわねー?
 だから私は――どうにもならない運命、だなんて。
 そんなもん、ないんだって、思いたいね」

38: 2011/03/07(月) 19:46:26.45 ID:/pwNr4Li0
 
唯「……わぁ。なんだか、すっごくかっこいいなぁ」

律「ふっふっふっ、オレに惚れたら火傷すっぜー」

唯「でも――うん」

律「ん?」


唯「斬るのなら――得意、かな」


律「……?」

39: 2011/03/07(月) 19:48:07.13 ID:/pwNr4Li0

■■


 かみさまは何の意味もなく力を分けない。
 君の未来にはその力が必要となるときがあるからこそ、その直氏の目があるとも言える。
 だから、君の全てを否定するわけにはいかない。

 でもね、だからこそ忘れないで。
 君はとてもまっすぐな心をしている。
 今の君があるかぎり、その目は決して間違った結果は生まないでしょう。
 聖人になれ、なんて事は言わない。
 君は君が正しいと思う大人になればいい。

 でも、よく考えて力を行使しなさい。
 その力自体は決して悪いものじゃない。
 結果をいいものにするか悪いものにするかは、

 あくまで、君の判断しだいなんだから。

            ――――ある まほうつかいのことば

■■

40: 2011/03/07(月) 19:52:35.76 ID:/pwNr4Li0
 
4/現在(2008年・2月11日)


唯「……やんなっちゃうなぁ、もぉ」


 眠りに就いたような深夜の町並みは、“線”を際立たせる月明かりに照らされている。
 相変わらず恐ろしいのは変わりないけれど、無理に意識を向けなければ、生物のそれほど強烈な不快感は感じない。
 最近はこの光景について観察する余裕も生まれてきた。
 ………どうやらこのひびのように走る“線”は、渦巻くような“点”を起点に描かれているらしい。
 “点”は、多分、氏そのもので。
 試した事は無いけれど、その“点”に強く触れれば、それはきっと氏んでしまうのだ。

 …………何故、こんなものが私にだけ視えるのだろう。
 疑問は尽きないけれど、それを教えてくれる人はいない。


唯「――――――――ほぇ?」


 ふと、気付く。
 “線”が、少しずつ濃くなっているのだ。

41: 2011/03/07(月) 19:56:49.54 ID:/pwNr4Li0

 ―――振り返って、来た道を眺めてみる。

 なんだろう。
 そういえば先程から、あてもなくふらふらと歩いていたと思ったけれど、
 よく考えてみれば、何かに誘い込まれるように自宅から一直線に、道を歩いてこなかったか―?
 この先の桜ヶ丘にある建物は、たった一つ。


 このまま歩いていると、本当に地獄のようなモノに呑みこまれてしまうのではないか――


 そんな想像に、背筋が寒くなる。


唯「―――でも。なんでだろ」


 私は、この向こうへ行かなければならない。
 そんな、義務感のような、焦燥感のような衝動。
 それが何であるのかも理解できないまま、私は夜の街へと踏み出した。

42: 2011/03/07(月) 19:57:43.30 ID:/pwNr4Li0



 “線”の濃い、闇へ。アリアドネの糸に縋るように。



/

同日 (2008年・2月11日)


 ――――その女の子の姿は、まるで氏そのものだった。


 小柄な躯は痩せ細り、その悉くが病魔に侵されている。
 氏に難い部分を見つけられないくらいの、女の子。
 “点”はまるで穴のように大きく、“線”が隙間なく埋め尽くしている。


 熱に浮かされたような気分で、その子の側に立った。


 私は今、白い墓標のようだと常々思っていた場所にいる。
 正確にはその内部の奥深く、寝静まった病棟の一室に。

43: 2011/03/07(月) 19:59:42.32 ID:/pwNr4Li0



――ああ、そういえば、一度だけ、診察で訪れた時に此処でアレが発症したことがある――


 溺れそうになるほどの“点”と“線”の濃度に、脳髄を絞るかのような激痛に絶叫しながら気を失ったのは苦い思い出だ。
 病院、という土地柄が――そこに集う空気が、人が、それを形作っているのだと思ったけれど。
 違った。それは、違ったのだ。


 この女の子の――私の氏に、近づいたから!


 口の端が、釣りあがる。
 熱っぽいため息が出る。
 海の上をゆらゆら漂う波が光を浴びたかのように波打ち、目に眩しいくらい白いシーツ。
 全身が心臓になったみたいだった。耳鳴りをかき消すかのような心臓の鼓動。
 うるさい。音が固まって、床に積もっているかのように静かなんだから。
 邪魔しないで。私とこの子だけにさせてよ。
――コレが恋と囁かれれば、私は何の迷いもなく納得するだろう。


 湧き上がる感情は望郷にも似た――探し求めた片割を見つけたような、慕情。

44: 2011/03/07(月) 20:00:16.56 ID:/pwNr4Li0

梓「―――――――…………」

 とても自然に、強く意識して、私はその氏を視る。


《和「だって、能力を持っている以上、それを使わないのはエゴだもの。心の贅肉だわ。
 ねぇ、唯。唯のその眼だって、発揮しようと思えば何かに使えるはずでしょう?
 それをせずに日常を食いつぶすのは――甘えてるか――逃げてるだけなんじゃないの?」》


        そうして、やっと理解した。


《律「運命を切り開く意志の力、って、なんだかカッコいいとおもわねー?
 だから私は――どうにもならない運命、だなんて。そんなもん、ないんだって、思いたいね」》



梓「――――――――天使、さま――――――――?」




    私の眼は、これを頃すためにあったのだと―――――

45: 2011/03/07(月) 20:01:36.09 ID:/pwNr4Li0
5/  (2008年・2月12日)


憂「――――お姉ちゃん! なにやってたの、こんな時間まで!」

唯「……ぉおう!? ふぇ? えぇ、と」


 家に帰り着くと、憂に烈火の如き勢いで叱られた。
 玄関のドアを開けた所は確かに覚えていて、でもどうやって帰りついたのかは覚えておらず、


 あれ、そもそも私は何をしていたんだっけ――?


 玄関先で、泣きながら怒るという器用な真似をする妹の顔をマジマジと見つめながら、
私は散歩から帰宅までの記憶が、脳味噌からごっそり抜け落ちていることを認識する。


憂「…………お姉ちゃん?」

 心配そうに覗き込む妹の姿に、いつものふにゃりとした笑顔で答える。

46: 2011/03/07(月) 20:02:42.70 ID:/pwNr4Li0
 
唯「―――ううん、なんでもないよぉ」

憂「……何か、あったの?」

 憂が眉をハの字にしながら、伺うような声色で訊ねて来る。
 手に握り締めていたお守り代わりの眼鏡を差し出されて、
私はそれ両手で受け取ると玄関の靴置き場に置いた。

 さっきまでのことは何も覚えていない。
 ――覚えていないけれど、これだけは識っている。


 このお守りは、もう必要ない。

 
 靴を脱いで、玄関に上がる。
 追いすがるような憂の視線が私のそれと絡まって、見詰め合う。
 憂の瞳に写る私の笑顔はしまりがなく、だらしないけれど。どこか晴れ晴れとしていて。

 何かに感づいたらしい憂が、お姉ちゃん、と言葉を重ねる前に、私はその髪の毛に触れた。
 指先に細く、指通りの良い滑らかな感触が乗る。


 久方ぶりの――――否。それどころの話じゃない。
 きっと、十年ぶりになるスキンシップ。

47: 2011/03/07(月) 20:03:34.91 ID:/pwNr4Li0

 憂の頬が真っ赤に染まっていく。
 その微笑ましさに、つい、笑みが深くなって。



唯「そうだねぇ。きっと、いいコトだよ。」



 ――――――――――しばらく後、私は、覚えていない誰かと再会する事になるのだけれど。

 とりあえず、この物語はここでおしまい。
 あとは、新しい季節が新しい物語を紡いでくれるだろう。

 今はただ――――――――――――――

 運命の糸の色は赤じゃなくて黒だったんだよ、って真面目な顔で言う私を

 何馬鹿なこと言ってるんですかって言って、可愛らしく怒ってくれる君のことを待ってる。


      おしまい!

48: 2011/03/07(月) 20:09:48.44 ID:/pwNr4Li0
以上です。お疲れ様で御座いました。
このSSは、5日にニュース速報VIPで立った『唯「直氏の魔眼……?」』から発祥しました。

発表する前に元スレが落ちてしまったので、この度製速にて発表した運びでございます。
(一瞬だけニュース速報vipにも立ちましたが、色々あって落ちました。
この件についてご迷惑をお掛けした皆様方には深く謝罪致します)
概ね、やりたかったことがやれたので満足です。
菌糸類の地の文をなんとかしてパクれないものかと大事故が起きました。

クロスSSがもっと増えればなぁという言葉を、あとがきに変えまして。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

ご質問、ご意見など御座いましたら遠慮なくなんなりとお申し付けください。

49: 2011/03/07(月) 20:23:00.17 ID:JXu5oreSo
えっ、終わり?

50: 2011/03/07(月) 20:53:41.83 ID:/pwNr4Li0
>>49
はい、終わりです。
バトルもなんにもないですね。

51: 2011/03/07(月) 23:22:02.09 ID:JXu5oreSo
ネロとかロアや先輩はどうなるのかwwktkしてたのに・・・

乙でした

引用元: 唯「直死の魔眼――?」