1: 23/07/22(土) 00:03:45 ID:YqkY
佐藤心ことしゅがーはぁとさんのお話です。

2: 23/07/22(土) 00:04:07 ID:YqkY
「あー……だっる……。仕事辞めたい……」

 長時間パソコンと向き合っていて腰が痛くなってきたので、適当な言い訳を残して隠れてサボっていると、つい口からそんな言葉が漏れ出てきた。仕事をしていると常々考えることだ。『仕事辞めたいな』って。

 でも仕事を辞めたからと言って何か食べていけるアテがあるわけでもなく。この歳で実家になんて帰ろうものなら、やれ結婚はとかお見合いだどうとか言われるに決まっている。

 そりゃもう26歳にもなるのだから、結婚していてもおかしくないのかもしれないけども、毎日毎日仕事に追われ、日々をなんとなく生きてるだけの私に彼氏が居ようはずもない。

 地元に居た頃は彼氏くらい普通に居たけど、就職で上京して遠距離恋愛になったら自然消滅してしまった。

 人との縁なんて脆いものだ。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(9) (電撃コミックスEX)
3: 23/07/22(土) 00:05:48 ID:YqkY
「そういえば同窓会あるんだっけ」

 何日か前に同窓会のお知らせのハガキが届いていたのをふと思い出した。仕事中はこういう関係ない事を考えるのが捗るのは何故なのだろうか。いや学生の頃もテスト前の掃除とか捗ったから成長していないだけかもしれない。

 地元を離れて早数年。お盆とお正月は実家に帰ってはいるけど地元の友達とはもう何年も会っていない。

「同窓会……行ってみようかな」

 私がなんとなくそんなことを考えていると、頭の片隅を友達の姿が通り過ぎて行った気がした。

「変な子だったな、あの子」

 その友達は自分の事を『しゅがーはぁと』と名乗るイタい奴だった。



4: 23/07/22(土) 00:08:59 ID:YqkY


 高校生活が半分を過ぎたころ、教師に進路を決めるようにと急かされた日の事。いつものグループで駄弁りながら昼食を取っている時だった。

「進路かー。どうしろって言われても正直なとこ何を決めればいいかわからんよね」

「とりあえずは大学かなぁ? 進学するんでしょ?」

「まぁ、そのつもりだけど。働きたくないし」

「わかる~!」

 そんな女子高生の他愛のない会話。きっとみんな真剣に考えてはなくとも、なんとなくの道筋は決まっている。とりあえず大学に行って、とりあえずどっかに就職して、なんとなく結婚してみたいな。とりあえず普通の人生を歩めればそれで良いっていう至極単純な考え。

「心は? どうすんの?」

「ん? どうって何が?」

「進路。話聞いてた?」

「あー、ごめんごめん☆ ちょっと調べものしてて☆」

 さっきから会話にも入らずにスマホをポチポチしていたので何してるんだろうと思ったが、どうやら調べものに熱心だったらしい。

5: 23/07/22(土) 00:10:18 ID:YqkY
「調べものって大学? どこ受けるの?」

「私も心ちゃんと同じとこ受けようかなー」

「心は服飾とかじゃね?」

「あー。そっかぁ。心ちゃん、服作り得意だもんねぇ」

「アイドルになるよ」

「「え?」」

 思わず二人そろって聞き返してしまった。なんか心の口から思いもよらないっていうか、冗談としか思えない言葉が出てきたからだ。

「あのいつもの『しゅがーはぁと』ってやつ? ネタでしょ? それ」

「ネタじゃねーし☆ はぁとは本気でアイドル目指してるんだっつーの!」

 心は高校入った時からずっとアイドルになるって言い続けてはいた。ううん。心から聞いた話だともっと前から、それこそ子供の頃からずっと言い続けていたらしい。

 なんかオーディション受けに行ったりとかしてるみたいな事も聞いたことはあったのだが、興味がなくて聞き流していたし。まさか高校卒業してまでもそのバカみたいな夢を追いかけるつもりだとは思っていなかったし。

6: 23/07/22(土) 00:11:43 ID:YqkY
「でも心もいつまでもしゅがーはぁととか言ってられないでしょ? ちょっとは真剣に──」

 私がそこまで言ってしまった後にこれは失言だったんだと気づいた。

 心の顔が、目がとても真剣だったから。いつものどこか憎たらしいけど魅力的な笑顔ではなく、普段私たちと居る時にはほとんど見せたことのない表情と瞳をした心がそこに居た。

「はぁと、真剣だよ。マジだから。マジでアイドルやるの。そんでもって全人類にしゅがーはぁとを認めさせてやるんだから」

 そうきっぱりと言い切った心の声は友達になってから一度も聞いたことのないくらい冷たくて怖いものだった。

「ご、ごめ……」

 私が若干の恐怖を感じながら震える声で謝りかけると心はいつもの調子に戻ってケロっとしながら「なんちゃって☆」と言ってペロっと舌を出して笑ってくれたけど。

 一緒に居た友達はそんな心の態度にすっかり安心したらしく、なぁんだもぅ~とか言っていたけど、私は心の目の奥が笑っていなかったことに気付いていた。

 その後は私と心の間にどこかぎくしゃくした空気が漂ったまま一緒に昼食を食べたのだが、その日以来なんとなく心と顔を合わせ辛くて私が距離を置いてしまいそれからほとんど会話をすることなく卒業を迎えてしまった。

 あの日以来、私は今日に至るまで佐藤心とは会っていない。



7: 23/07/22(土) 00:12:51 ID:YqkY


 あの後、仕事をサボっているところを無事に見つかり、軽いお小言を頂戴した私は普段よりもちょっと真剣に仕事に打ち込んでいた。

 熱心にキーボードを叩いていると、ふと耳に聞き覚えがあるような単語が入ってきた気がした『しゅがは』って聞こえた気がするけどなんだろうか。

 同僚の雑談にちょっとだけ意識を集中してみると、どうやら同僚の『推し』らしい。何かのキャラクターだろうか。『しゅがは』なんてキャラクターが流行っているのだろうか。

 何故だかその『しゅがは』とやらが気になって仕方のない私は上司の目を盗んでインターネットで検索をかけてみるこことにした。

 どうやらキャラクターじゃなくてアイドルらしい。なんでも『しゅがーはぁと』って言うアイドルが……。

「えっ!?」

 思わず大声をあげてしまった。

8: 23/07/22(土) 00:14:44 ID:YqkY
 私がいきなり大声をあげるものだから、同僚たちが一斉に私の方を見てどうしたと目で訴えてきている。

「す、すみません……! なんでもないです!」

 動揺を必氏に押し隠し、なんでないと言ってみたものの、心臓がバクバク言っているし額から汗が流れていくのがわかった。あとでメイク直さないと。

「アイドル、しゅがーはぁと……。本名……佐藤心……」

 私の動揺の原因が目の前のパソコンに表示されている。

 そこに居たのは高校の頃より年齢を重ねはしたものの、私のよく見知った同級生の姿だった。



9: 23/07/22(土) 00:16:50 ID:YqkY
 呆気にとられたまましばらく情報収取していると、割と近い日付で心が出演するイベントがあることが分かった。それも私の勤める会社のすぐ近く。

「……ダメ元で申し込んでみようかな」

 イベントの参加申し込みの締め切りはなんの因果か今日まで、それもあと2時間足らず。

 久しぶりに会ってみたい気持ちと、今更どんな顔して会えばいいのかって気持ちと、会っても向こうはわからないんじゃっていういろいろな感情がぐるぐるぐるぐる頭の中を駆け巡っている。それに申し込んでも本当に行けるかはわからないし。

「……悩んでも仕方ない! 女は度胸!」

 なんか違った気もするけど、まぁいいだろう。こういうのは勢いが大事だし。

 意を決して参加申し込みをしたのは締め切りのわずか3分前のことだった。



10: 23/07/22(土) 00:18:06 ID:YqkY


 心の出るイベントに参加申し込みしてからというもの、普段から身の入っていない仕事がより疎かになってしまい怒られること多数。

 そんな決して行いが良いとは言えない私ではあったけど、なんとかイベントに当選して参加できることになった。当落発表のメールが来る日はあまりにも挙動不審すぎたのか同僚も上司も何も言ってくることはなかった。



11: 23/07/22(土) 00:20:19 ID:YqkY


 それまでアイドルのイベントとかに行ったことのない私は当日までに何を準備すればいいのかわからずに右往左往していた。

 同僚に聞けば詳しく教えてくれたのかもしれないが、挨拶はするくらいでそこまで親しい仲ではないので聞くのは躊躇われた。なのでネットで情報収集をしてみたのだが……。

 法被やらタオルやらライブグッズやら痛バッグ(?)とかすぐには到底用意できそうにないものばかりが羅列されていたので私にはどうすることもできず。

 唯一入手できたサイリウムだけを持ってイベント当日を迎えたわけである。

(……緊張する。だって会うの何年振りって話よ。下手したら10年近く会ってないのに。あんな無神経なこと言っちゃってそれっきりだったし)

 今更どんな顔して会えばいいのかなんて今になってもわからない。でももうここまで来てしまったんだから後には引けない。

 なんとなくぐるりと周囲を見渡してみると、どうも私と同じく心のイベントに行くんだろうなって人たちで溢れかえっていた。

12: 23/07/22(土) 00:22:07 ID:YqkY
 缶バッチがたくさん付いたカバンを持ってる人や、しゅがーはぁとって書かれたタオルやうちわを持っている人、他にもたくさんの種類のグッズで彩られている。

「なるほど……あれが痛バッグ……」

 普段と変わらない服装で何も持っていない私がイベントに参加するのはどこか場違いな気がして、なんとなく萎縮してしまう。

 それに周囲のみんなの目はすごくキラキラと輝いているし、こんな氏んだ目をした女はお呼びではない気がする。気がするのだが……。

「でもここで帰るわけにはいかないし」

 会ってどうするってわけでもない。あの日の事は……謝れるなら謝った方がいいかもしれないけど、向こうは覚えていないかもしれないし、そもそも私の事すら覚えていないだろう。

「……よしっ! 行くか」

 私が小声で気合を入れなおすと、イベントのスタッフさんの誘導に従い会場へと足を踏み入れた。



13: 23/07/22(土) 00:23:16 ID:YqkY


「……」

 イベントが終わる頃には私はすっかり放心してしまっていた。周囲の熱気というか熱量に当てられたのもあるかもしれない。

 でも私の心を一番奪っていったのはステージの上に居たアイドルだった。

 ステージの上にはやはり私が知っている佐藤心が居たはずだったのだが、いざイベントが終わってみるとあれは本当に私が知っている佐藤心だったのかすら疑問に思えてしまう。

 それくらいにキラキラした、何よりも輝く存在だった。幼い頃にテレビ越しに見た芸能人のオーラと言うか、存在感がすごかった。

「お客さん、大丈夫ですか?」

「え。あ、はい。大丈夫です」

 私がぼーっとしたまま動かなかったからだろう。会場スタッフさんが心配してくれたのか声をかけてくれた。ただ先ほどまでのアイドルのステージに心を奪われていただけなのに。

14: 23/07/22(土) 00:25:08 ID:YqkY
「もしも気分が優れないようでしたら……」

「い、いえ! 全然そういうわけではないので! 大丈夫です!」

 その時、ふとちょっとした無茶苦茶な考えが頭の中をよぎった。

「あの」

「はい? やはり気分が優れませんか?」

「いえ、気分は良いんですけど……。あの……心に……佐藤心に会えたりしませんか?」

 我ながら無茶苦茶なことを言っている。先ほどまで心配してくれていたスタッフさんの表情が怪訝なものに変わっているし。

「えっと、実は心の同級生なんです。高校の頃の友達……で」

 自分の口から友達なんて言葉が出てきたのが白々しすぎると頭の中のどこかで冷静な私が苦笑いしている。

「アポとかはありますか?」

「ないです。でもお願いします。心に取り次いでもらないでしょうか」

 きっと無駄だろうとは思いながらもスタッフさんに頭を下げる。このスタッフさんからすれば私と心が同級生かどうかなんて確認のしようもないし、もしかしたら頭のおかしいファンが同級生を騙っているだけかもしれない。というか今の状況は後者だろう。

 心は私の事を覚えていないだろうし。

15: 23/07/22(土) 00:26:41 ID:YqkY
「えーっと……ちょっとお待ちください。念のため事務所の人に確認してみますので」

「ありがとうございます!」

 スタッフさんは私の名前を聞いた後に、インカムでどこかに確認してくれた。

 きっと、駄目だろうな。状況的にはただの不審者だし。

「え? はい。はい。了解です。はい。じゃあ楽屋までご案内しますね。はい。オッケーです」

 俯きながら自分のつま先を所在なさげに眺めていると頭の上でそんなやり取りが聞こえてきて思わず顔を上げてしまった。

「えーっと、なんかオッケーらしいんで楽屋までご案内します。着いてきてください」

「え、あ、はい!」

 まさか本当に会えるなんて思いもしなかった。



16: 23/07/22(土) 00:29:17 ID:YqkY


 スタッフさんに案内された場所は『佐藤心様』と書かれた紙が貼られた部屋だった。きっと控室とか楽屋ってやつなのだろう。

 私は扉の前で一度大きく深呼吸をしてから若干震える手をぎゅっと握りしめて扉を三度ノックした。すると『どうぞ』と扉の中から私の記憶の中にあるのと同じ声が聞こえた。

「失礼します……」

 恐る恐る扉を開けると鏡の前に、あの頃とほぼ変わらないままの、でもほんの少し大人になった佐藤心が居た。

「……久しぶり。心は変わらないね。ちょっと老けたけど」

 会いにきておいてだけど、何を言えばいいかわからずやっとの思いでひねり出したのはそんな言葉だった。

「大人になったって言え☆ 老けたとか言うな☆」

 あの頃の笑顔と口調のままの心に思わず笑みがこぼれてしまう。緩んでしまう口元をバレないように必氏に隠しているつもりだけど、きっと心にはお見通しだろうな。

17: 23/07/22(土) 00:30:54 ID:YqkY
「私の事、覚えてたんだ?」

「当然だろ☆ はぁとは友達の事は忘れないぞ♪」

 友達。その言葉を聞いて何かこみあげてくるものがあった。あんな風に心の夢をバカにしてしまった私の事を今でも友達と思ってくれていたんだ。

「でも急にどしたん? もしかして今までもはぁとの事見に来てくれてた?」

 私が感動でちょっと泣きそうになっているのを堪えていると心が問いかけてきた。確かに急だったしね。

「ううん。今日が初めて。っていうか心が本当にアイドルになってるなんて知らなかったくらい」

「アイドルになるって高校の時から言ってただろ☆」

「うん。それは覚えてる」

 こうして喋っているとあの頃と何も変わらない。バカ話して一緒にご飯食べたり遊んだりしてたあの頃と。私も心も何も変わらない。

「……夢、叶えたんだね」

「おうよ☆ スウィーティーなアイドルしゅがーはぁとだぞ♪」

 そう言って心は……ううん。しゅがーはぁとはとびきりの笑顔で決めポーズをしてくれた。こんなに間近でしゅがーはぁとのファンサービスを受けられるなんて贅沢かも。

18: 23/07/22(土) 00:32:14 ID:YqkY
「っと! せっかく会いに来てくれてごめんだけど、はぁと次の予定あるんだ。本っ当にごめん!」

「ううん。私こそ急にごめん。でも会えてよかった」

「はぁともだぞ☆ あ、そうだ。これあげる」

「CD? なにこれ?」

 心が手渡してきたのは『しゅがーはぁと☆レボリューション』と書かれたCDだった。

「はぁと自慢のソロ曲☆ ありがたく聞け☆ 聞いてね☆」

「あはは。ありがと。さっき歌ってたやつね。帰りに買おうと思ってたからうれしい」

「帰りにも買えよ☆ せっかくだからこっちにはサインしたげるぞ♪」

 心が私の手からCDを取り上げると慣れた手つきでサインを書いてくれた。『心』が笑っているサインを。

「はいっ♪ これでこのCDは宝物になりました☆」

「うん。大事にするよ」

 再度手渡されたサイン入りのCD。きっとこれを欲しがる人は山のように居るのだろう。何せ売れっ子アイドルしゅがーはぁとのサインだし。そんなものひょいと手に入れられるなんて友達の特権かな?

19: 23/07/22(土) 09:06:24 ID:YqkY
「じゃあありがとね、心。忙しいみたいだし、私は帰るよ」

「せっかく来てくれたのに本当にごめんね? また今度時間作るから勘弁して☆」

「気にしてないから大丈夫だって。あ、同窓会ってくる?」

「あー……あれかぁ……。スケジュール厳しくてさぁ……」

「いやー。さすが売れっ子は違うね」

「いやいや☆ はぁとなんてまだまだですよ。何せ友達すらはぁとの事知らなかったんだし?」

「ごめんて。今日からちゃんとファンになったから」

 久々に会えた友達との会話がこんなに楽しいなんて思いもしなかった。こんな事ならもっと積極的に連絡を取っておけばよかったかもしれない。

「心さーん。そろそろ行かないとまずいですー!」

「あー! ごめん! プロデューサー! 今行くー!」

 軽く扉がノックされた後にちょっとだけ顔を出した男性に向かって心が答える。

20: 23/07/22(土) 09:08:57 ID:YqkY
「って事だからマジでタイムアップ! プロデューサー呼んでるしごめん!」

「良いって。気にしないで。お仕事頑張って」

「ありがと☆ そっちもね」

「……うん!」

 心が小走りで先ほどの男性と共に控室から去っていくのを見送るとさっきまでの出来事がまるで夢だったようにも思えてしまう。

「夢、じゃないんだよね」

 しゅがーはぁとのサインの入ったCDを傷がつかないようにタオルに包んでカバンに仕舞う。

「さて。心と約束したし、CD買って帰ろっと」

 バカみたいな夢を追い続けて叶えた彼女を見て、私ももっと頑張ろうって思えた。

 この宝物をお守りにして。しゅがーはぁと☆レボリューションを応援歌にして。

「スウィーティー☆ なんてね」

End

21: 23/07/22(土) 09:10:39 ID:YqkY
以上です。
久々に投下しにきたせいで規制食らいました。たまには来ないとだめですね。

というわけで、本日7月22日は佐藤心ことしゅがーはぁとさんのお誕生日です。
毎年心さんを祝う人が増えているのがうれしいです。
是非皆様も心さんにおめでとうと言ってあげてください。

では、お読みいただければ幸いです。

引用元: 佐藤心「推しを見つける話」