1: 2010/12/29(水) 20:18:27.12 ID:7kUiP05e0

「改造っていうと、腕にドリルとか付けちゃったりするのか?」

 という僕の問いかけに対して、発案者は、

「そんなことはしないよ」と、呆れたように吐き捨てた。

「改造するのは、僕の……そうだね、キャラクターと言ったほうがいいかな」

 つまり、僕のキャラクターが弱いから、と。

「どこを直すべきか、鬼のお兄ちゃんに相談したいんだ――僕はキメ顔でそう言った」

 うざったらしい口癖とは対照的に、幼い容貌に浮かんだ表情は相変わらず希薄だった。

「なんだよ。僕に相談したいことって、そんなことなのか?」

「そんなこととは酷い言い草だね、鬼のお兄ちゃん。僕は真剣に悩んでいるんだよ――僕はキメ顔でそう言った」

 中学デビューを目論む小学生のような相談事を持ちかけてきたのは、斧乃木余接(おののぎ・よつぎ)。

 ほんの数日前、とあるターゲットを退治するため、この町を訪れたツーマンセルの片割れであり、ランドセルが似合うような体躯からは想像できない程の怪力を備えた少女――いや、怪異である。
化物語(22) (週刊少年マガジンコミックス)
5: 2010/12/29(水) 20:20:51.98 ID:7kUiP05e0

「それで、斧乃木ちゃんは『キャラクターが弱い』ってことを僕に相談したいみたいなんだけれどさ」

 口に出してしまうと、内容の馬鹿馬鹿しさが際立って感じられるのだけれど、ここでめげてしまっては話が進まない。

「そのキャラクターってのは、性格とか特徴ってことでいいんだよな?」

 念のため、というには少しばかりくどい質問であるような気がしないでもないけれど、前提が間違っていては無駄骨もいいところだ。

 キャラクターをキャタピラーと間違える(この場合ボケると言った方が正確かもしれない)初期の八九寺とまではいかないだろうが、

 斧乃木余接という字面が弱い(キャラクター=文字)だとか、忍に敗北する自分が弱い(キャラクター=登場人物)だとか、

 なけなしの気力を根こそぎ奪われてしまうような、下らない相談事を持ち掛けようとしている可能性だって否定できない。

 これが八九寺からの相談であれば、いくらでも付き合ってやりたいという気持ちにもなるのだけれど、今回の相手は斧乃木ちゃんである。

 少し前まで敵だった存在に対して、そこまでフランクになれるほど、僕はお人好しじゃないのだ。

 僕の質問に対して否定的な回答がなされれば、適当な理由でもつけて帰ろうかと思っていたのだが、

「その通りだよ、鬼のお兄ちゃん――僕はキメ顔でそう言った」

 僕の目論みはあっさりと頓挫してしまったようである。

12: 2010/12/29(水) 20:25:28.56 ID:7kUiP05e0

 ここまでのモノローグで充分すぎるほど伝わってしまっていることだとは思うけれど、正直なところ僕はあまり乗り気ではない。

 斧乃木ちゃん本人を前にしてこのようなことを考えるのは、実に失礼なことなのだが、本来であれば勉強に費やすはずの時間が削られていく今の状況は、受験生の一人として焦燥が先立ってしまう。

 世間的には天王山とも呼ばれる高校三年の夏休みを無為に過ごせる程、僕に学力的マージンがあるわけではないのだから。

 僕には、戦場ヶ原と同じ大学に合格するいう目標がある。

 そのためには、一秒でも長く受験勉強に時間を費やさねばならない。

 それがわかっていながら、ここ最近の僕は月火ちゃんを中心とした騒動に首を突っ込んだり(他ならぬ妹のためなのだから望むところである)、

 千石とプールに行ったり(これは完全にレジャーだった)と、二人の家庭教師に見放されても仕方ないような放蕩を重ねていた。

 自業自得もいいところである。

 戦場ヶ原は父方の実家に帰省中であるために、問題の発露は先延ばしになっているのだけれど、果たしてあいつが帰ってきたときにどのような反応を返すのか、戦々恐々としている次第である。

 だからこそ、何というかこの微妙な相談事など早々に切り上げてしまいたいというのが、僕の嘘偽らざる本音なのだ。

17: 2010/12/29(水) 20:30:56.32 ID:7kUiP05e0

「だったら弱いってことはないと思うよ」

 キャラクター性で言えば、斧乃木ちゃんの個性は(僕の知りうる範囲でも)かなり強い部類だと思う。

 あり体に言えば、アクが強い。

 少女でありながら、一人称が僕であったり。

 生意気と言うには度の過ぎた感のある、倣岸不遜な態度であったり。

 何より、語尾に付随する、あの無表情で語られる『キメ顔』であったり。

 斧乃木ちゃんを知らない人が居たとしても、彼女と二言三言会話すれば、かなりの長期間に亘って斧乃木余接という存在を忘れないだろう。

 そのくらいエッジの利いた(つまり『痛い』)性格をしているのだから、僕としてはどうして『キャラクターが弱い』などという悩みを抱くのか不思議なくらいなのだ。

 火憐ちゃん風に言えばSFである。少し不思議。

23: 2010/12/29(水) 20:36:01.65 ID:7kUiP05e0

「なあ、斧乃木ちゃん。どうしてキャラクターを変えたいなんて思ったんだい?」

「えっと、それは……、あれだよ……」

 おや、無表情な斧乃木ちゃんにしては珍しく戸惑っている。何か言いにくい理由でもあるのだろうか。

「蛇のお姉ちゃんみたいな視聴者受けするキャラになって、偽物語のコメンタリー担当を勝ち取るためなんだ――僕はキメ顔でそう言った」

 ……いやらしい動機だった。

 しかもキャラコメかよ。

 斧乃木ちゃんのキャラコメはそれなりに面白そうではあるのだけれど、少なくとも三十分に亘って『キメ顔』を聞かされる事態を考慮すると、実現はかなり難しそうだった。

 まあ、そういう意味でいろいろ直したいってことなのかな。

26: 2010/12/29(水) 20:39:55.98 ID:7kUiP05e0

 それに、偽物語のアニメ化が実現した場合、キャラコメの候補筆頭は、僕の妹であるファイヤーシスターズとなるだろう。

 しかし、当のファイヤーシスターズと言えば、ヤンデレ指数が連日ストップ高の月火ちゃんと、知能指数が連日ストップ安の火憐ちゃんなのである。

 兄として心配せずにはいられない気持ちを、僅かばかりでも共感してもらえただろうか。

 ヴァルハラコンビ以上の(以下と表現すべきかもしれない)結果に終わる気がしてならないこの不安を――

 ――そうだ。

 こんな時に僕が立ち上がらなくて、どうするというのだ。

 僕は兄として、妹達の尊厳を守らなくてはならない。

 そのためには、ライバルである斧乃木ちゃんを応援しなくてはならないのだ!

 これはあくまで、妹の将来を慮っての行動であって、決して二人に対する裏切りじゃないんだ!

27: 2010/12/29(水) 20:45:04.22 ID:7kUiP05e0

「斧乃木ちゃん!」

「なっ、何かな……、鬼のお兄ちゃん――僕はキメ顔で……」

「僕に全て任せるんだ! 必ず、きみをコメンタリー担当に相応しいキャラクターにしてみせる!」

 と。

 気勢にビビる斧乃木ちゃんに向かって――僕はキメ顔でそう言った。



 この判断は間違っていた――僕は認めなければならないだろう。

 こんな他愛もないやり取りが、あれ程の騒動を引き起こしてしまったのだから。

 怪異を理解する事などできない。

 怪異に慣れる事などできない。

 そんなブラック羽川の忠告を未だに理解できていない僕への自戒のため、この下らなくも忘れがたい夏の一日を語ろうと思う。

28: 2010/12/29(水) 20:49:41.64 ID:7kUiP05e0

「まず現状を整理してみようか」

 問題の解決を図るには、まず何が原因となっているのかを把握することから始まる。

 推理小説だって、探偵と助手が現状把握するシーンが大きな転換期となるのだ。

 まあ、殺人どころか謎解きさえも存在しない雑談に、この例えは少し大げさすぎるけれど。

「斧乃木ちゃんは、今のキャラクター付けが問題だと思ってるんだろ? 具体的にはどの部分を変えたいんだ?」

「そうだね、『僕はキメ顔でそう言った』という口癖かな――僕はキメ顔でそう言った」

 言っちゃった!

 こいつ、僕が一番突っ込みたかったことを真っ先に言っちゃったよ!

「そ、そうなんだ……」

 斧乃木ちゃんによる捨て身のボケに、突っ込みの一つさえできていない僕を、どうか責めないでもらいたい。

 正直に言ってしまうと、僕は斧乃木ちゃんの熱意に驚いてしまったのである。

 斧乃木余接というキャラクターを最も示している特徴と言っても過言ではない口癖を、自ら変更しようというのだから、斧乃木ちゃんの意気込みたるや相当なものなのだろう。

 っていうか、なんでそんなに真剣になれるんだよ。

29: 2010/12/29(水) 20:54:11.88 ID:7kUiP05e0

「……じゃあ、その口癖やめちゃっていいんじゃないかな」

「やめちゃっていいのかな――僕はキメ顔でそう言った」

 キメ顔というにはずいぶんと覇気のない表情を鑑みるに、斧乃木ちゃんはためらっているようだ。

 まあ、そんな逡巡も少しは理解できる気がしないでもない。

 『僕はキメ顔でそう言った』という口癖は、気に障るほど長く、決して広く一般に受け入れられるような特徴ではない。

 でも、斧乃木ちゃんというキャラクターにおける一番のアイデンティティーといっても差し支えない特徴なのだから、彼女自身が問題であると認識していても、きっぱりと決別することは難しいのだろう。

 それに僕だって、この口癖に慣れ始めてきたところなのだ。

 斧乃木ちゃんがいきなり普通の口調になってしまったら、肩透かしのような寂寥感を覚えてしまうかもしれない。

 ……となれば、こっちの案の方が良さそうかな。

「いきなりやめるのが難しいなら、その口癖に変化をつけてみたらどうかな? 例えば『僕は笑顔でそう言った』とかさ」

「鬼のお兄ちゃん、それは難しいよ」

 おや、芳しくない反応である。僕としてはいい案だと思ったんだけれどな。

「だって、そんなことをしてしまったら、『とある魔術の禁書目録』に登場するミサカシスターズとまる被りになるからね――僕はキメ顔でそう言った」

「キメ顔でメタ発言するんじゃねえ!」

 何というか、いろいろな意味で台無しな台詞だった。

30: 2010/12/29(水) 20:59:50.27 ID:7kUiP05e0

「鬼のお兄ちゃんは考えが硬いよ。二次創作なのだから発想は自由にするべきだね――僕はしたり顔でそう言った」

 難しいとか言っておきながら、微妙に口癖を変化させてんじゃねえよ。

 それに、余計なことまで言っちゃってるし……。

 なんていうか、二次創作だからこそメタ発言を控えるべきだって考えてたのに、斧乃木ちゃんはそう思わないようである。

 安易なパロディで世界観を壊すってのは、原作者の先生に申し訳ないって思うんだけれどなあ……。

「鬼のお兄ちゃん、どうして難しい顔をしているんだい?――と余接は不思議そうにあなたを見つめます」

「とうとうパクっちゃった!」

「僕の口癖がこんな風に変わったら、お姉ちゃんも僕に合わせてくれるのかな――と余接はお姉様とのコンビ芸に思いを馳せます」

「やめろ! 今度会った時に、影縫さんが電撃飛ばしてくるかもしれないだろ!」

 シスターズのお姉様って言ったら、あの『超電磁砲(レールガン)』の人だよな……。

 近接特化型の影縫さんが、まかり間違ってレールガンなんか習得しちゃった日には、あの忍でも苦戦するんじゃないか?

「それよりも、お姉ちゃんがわかりやすいツンデレになる方が怖いかな――と余接はお姉様の今後を案じます」

「怖すぎる!」

32: 2010/12/29(水) 21:06:08.59 ID:7kUiP05e0

 戦場ヶ原の性格矯正により空席となったツンデレ枠に、あの影縫さんが居座るとでもいうのか。

 もしそうなってしまった場合、照れ隠しのツンで軽く氏ねる。

 いや、それよりも何よりも――赤面しながらツンデレる(想像上の)影縫さんは、普通に怖かった……。

「まあ、あれだ。口癖に変化つけるのが難しいなら、やっぱりやめてみるのがいいと思うよ」

 結局これに落ち着くのだったら、妙な提案なんかしなければ良かったと思いたくもなるけれど。

 それでも、斧乃木ちゃんと交わす言葉に、回り道があってもいいかな、なんて気分にもなってしまう。

 ――八九寺とまではいかないまでも、彼女との会話を楽しんでいる自分に気付いてしまったのだから。

「うん、そうしてみるよ――僕は……。ううん、僕もそう思うからね」

 アイデンティティともいえる口癖から開放された斧乃木ちゃんは、何となく普通の女の子であるかのように見えてしまった。

34: 2010/12/29(水) 21:10:56.03 ID:7kUiP05e0

「それで、鬼のお兄ちゃん。他に直した方がいいところってあるかな?」

 斧乃木ちゃんはまだまだキャラクター変更にご執心のようである。

 やる気があるのはいいことなのだが、こんなにさくさくキャラ変更していいものなんだろうか。

 怪異にとって、キャラクターってのは重要な要素じゃなかったっけ?

 ……引っかかるところがないわけでもないのだけれど、斧乃木ちゃんが望んでるんだから、僕が気にすることでもないのかな。

「うーん……」

 しかし、直した方がいいところって言われても返答に困るよな。

 真剣に悩んでいるからこそ、きちんとした回答をしなければと思うのだけれど、それがあまりに正鵠を射てしまえば、斧乃木ちゃんの気持ちを傷つけてしまうだろう。

 さっきの口癖だって、本人が言ったからこそセーフだっただけであって、僕からの提案であったなら、斧乃木ちゃんの心に決して小さくない傷を負わせてしまったことだと思う。

 怪異にはデリカシーなんて必要ないだなんて、僕は絶対に思わない。

 怪異は人間から生み出されたものなのだ。人間と同様のメンタリティーがあって然るべきである。

 あの忍だって、斧乃木ちゃんからの心無い一言で、マジ切れ寸前までいってしまったのだからさ。

 まあ、モノローグはさておき、無難なところでお茶を濁すしかないか。

36: 2010/12/29(水) 21:14:30.33 ID:7kUiP05e0

「それじゃ、僕の呼び方を変えてくれないかな。『鬼のお兄ちゃん』ってなんとなくイメージ悪いだろ?」

 斧乃木ちゃんが、僕のことを『鬼のお兄ちゃん』なんて呼んでいるのは、僕が鬼畜だからというわけではもちろんなく、身体に残る吸血鬼の残滓を指しているらしい。

 けれど、そんなキャラ設定を知らない人が聞けば、あらぬ勘違いをされる危険性もあるのだ。

 斧乃木ちゃんの挑戦的な態度も相まって、僕が悪役みたいな立ち位置であるかのように思われてしまいかねない。

 世は全て幼女の味方なのである。だからこそ、世は全てこともなし。

 いい世の中に生まれたもんだ。

 幼女の敵は、僕の敵でもあるんだからな!

「僕の中では鬼のお兄ちゃんは、『鬼のお兄ちゃん』なんだけどね」

 八九寺か忍だったら、ここですぱーんと気持ちのいい突っ込みが来るのになー。

 まあ、仕方ないかー。

37: 2010/12/29(水) 21:17:09.25 ID:7kUiP05e0

「斧乃木ちゃんの気持ちもわからないでもないよ。一度決めちゃった呼称を変えるってのは意外と踏ん切りがつかないものだし」

 理解のある人間を装っているわけではない。

 かく言う僕もそうなのだ。

 僕は、恋人である戦場ヶ原ひたぎを未だに『戦場ヶ原』と呼んでいる。

 それについては、改善しなければなんて思っているのだが、やはり思春期特有の気恥ずかしさというものが先立ってしまい、『ヶ原(がはら)さん』なんて渾名に逃げる始末だ。

 だからこそ、強く言える立場にないのだけれど、呼び方を変えるだけでも、印象ってかなり変わるものだし。

「でもさ、一度試してみるくらいの気軽さで、変えてみるのもいいんじゃないかな」

「うん、わかったよ。やってみるね」

 それでも斧乃木ちゃんは緊張してしまうらしく、ふうーっと大きな深呼吸をした。

 ラジオ体操をしているかのように、ちょっと大げさな仕草が可愛らしい。

 そして、意を決したかのように、

「……お兄ちゃん」

 と、耳まで赤くなった顔で、振り絞るように呟いた。

40: 2010/12/29(水) 21:23:28.59 ID:7kUiP05e0
「…………」

「どうだった? 何かおかしなところはなかったかな? ――もう、返事してよ、お兄ちゃん」

 僕が明確な反応を示さないことに不安を覚えたのか、斧乃木ちゃんは少し慌てているようだった。

 いや、言いだしっぺの僕がノーリアクションなんて、許される行為ではないと重々承知している。

 でも、僕のことをお兄ちゃんと呼ぶ斧乃木ちゃんを前に、うまく言葉を継げなかった。

 ――なんていうか、斧乃木ちゃんってけっこう可愛くね?

 八九寺と同年代のような年恰好ではあるものの、口リまっしぐらなあいつと違って、変化に富んでいる。

 例えが雑で申し訳ないのだが、八九寺がフォーシームのストレートだとするならば、斧乃木ちゃんは内角に食い込むようなシュートボールのようである。

 今まではアクが強すぎて、バッターを病院送りにするような軌道になっていたけれど、ちょっと修正するだけでとんでもない威力を発揮するんじゃないか?

 だってだって、ダウナー系無表情なのに、服装は甘口リファッションだし、何より斧乃木ちゃんはレア属性である僕っ子なのだ。

 僕ってば、アニメの世界から飛び出してきたような女の子に『お兄ちゃん』なんて呼ばれてるんだぜ?

 何というか、今ではダイヤの原石を掘り当ててしまったような気分さえしているくらいなのだ。

41: 2010/12/29(水) 21:27:26.09 ID:7kUiP05e0

「斧乃木ちゃん!」

「えっ!? な、何かな、お兄ちゃん……」

「いい! すごくいいよ!」

 今更ながら振り返ってみると、この時の僕は相当に悪乗りしていたと思う。

「じゃあさ、次は一人称をボクに変えてみようか」

「そうだね。文章で起こしているから、一人称が被っていたらどちらの発言か判断がつかなくなるかもしれないし」

「あ、ああ。そうだね……」

 八九寺といい、斧乃木ちゃんといい、どうしてこうメタ発言をするのだろうか。

 いやまあ、今回に限っては、僕のネタ振りが悪因となっていることを認めなければならないけれど。

 納得の仕方には少々問題があるような気がしないでもないが、僕の提案に従ってくれるのだから文句は言うまい。

「ボク、お兄ちゃんの言うとおりにしてみたよ。どうかな? お兄ちゃん」

「いいね! 僕のイメージ通りだ!」

 やっぱボクっ子って言ったら、カタカナだよなー。

42: 2010/12/29(水) 21:31:02.29 ID:7kUiP05e0

「でもさ、お兄ちゃん。ここまでするなら、一般的なボクっ子に合わせた方が良くないかな」

「それは駄目だ」

「いやにキッパリ言い切ったね……」

 これから話すことは僕の好みになってしまうから、反対する人だって少なからず居るだろう。でも、僕は勇気を持って説明しようと思う。

 キャラクターという単語には、記号という意味も含まれる。

 それは文字という意味から派生したものだろうけれど、キャラクターの記号化という潮流を暗喩しているように思えてならない。

 そして僕は、キャラクターの記号化という風潮にあえて逆らいたいのだ。

44: 2010/12/29(水) 21:36:28.79 ID:7kUiP05e0

 例えばツンデレって言葉から、どんな容姿を想像するだろうか。

 金髪だったり、ツインテイルだったり、吊り目がちな瞳を連想した人も少なくないと思う。

 そういったイメージは、これまでの偉大なる先人が積み上げてきたものだから、否定するつもりなど毛頭ない。

 寧ろ、その枠組みのおかげで金髪ツインテイルの女の子が、どのような人となりであるか、受け手の理解を手助けしている側面があるのだと思っているくらいなのだ。

 けれど、作られた枠組みに嵌め込まれてしまっては、新たに生み出されたキャラクターの個性を奪いかねないという危険性も孕んでいる。

 特に僕の周囲では、ツンデレというには少しばかり度の過ぎたリアクションを返す高校生がいるし、委員長キャラだって委員長然とし過ぎていて、そういった枠組みから飛び出してしまっているのだ。

 だからこそ、斧乃木ちゃんにもボクっ子という一般的なイメージに嵌って欲しくない。

 『ボクっ子』ではなく、『斧乃木余接』というキャラクターとして生きてもらいたいのだ。

「斧乃木ちゃんは斧乃木ちゃんのままでいいと思うよ」

 いや、違うか。

「斧乃木ちゃんは斧乃木ちゃんのままがいいんだ」

「……ボクにそんなことを言うのはお兄ちゃんくらいだよ」

 突き放した言葉とは裏腹に、斧乃木ちゃんの頬は薄桃色に染まっていた。

45: 2010/12/29(水) 21:41:04.26 ID:7kUiP05e0

「お兄ちゃんのおかげで、何だかボク、生まれ変わった気がするよ」

 ありがとう、と。

 斧乃木ちゃんは本当に生まれ変わってしまったかのように、ふんわりとした笑顔で感謝の言葉を述べてくれた。

 あの傲岸不遜な態度でさえも、鳴りを潜めているようにさえ感じられてしまう程に、女の子らしい所作だった。

「それでなんだけど……お兄ちゃん」

「ん? まだ変えたいところがあるのか?」

「ううん、そうじゃなくて……」

 どうしたというのだろうか。

 わずかに身を揺らす素振りから、恥ずかしがっているようにも見える。

「ボク、お兄ちゃんにお礼しなきゃって」

「お礼だなんて、別にいいよ」

 今時の小学生にしては、律儀な性格だと思う(本当は小学生ではないのだが)。

 けれど、僕はお礼を目当てに、斧乃木ちゃんの相談に乗ったわけではない。

 斧乃木ちゃんがお礼したいという気持ちになってくれた――つまり、それだけ僕が役に立ったということなのだから、その言葉だけで充分だよ。

 と、こんな意味合いの言葉をかけようと、口を開いたその時。

48: 2010/12/29(水) 21:45:35.14 ID:7kUiP05e0

「だから、お兄ちゃん。ボクの胸――触っていいよ?」

「……え?」

「?」

 首を傾げられてしまった。

 不思議系キャラの不思議そうな顔って可愛いな。

 って、そうじゃなくて! いきなり何てこと言い出すんだよ!

「だって、お兄ちゃんって、小学生の胸にしか興味ないんでしょ?」

「斧乃木ちゃん、きみは大きな勘違いをしている」

 確かに僕は、八九寺の胸に並々ならぬ興味がある。

 だからといって、中学生以上の胸に興味がないと言えば、それは間違いなのだ。

 いつだって、それこそ勉強中だって、羽川の着痩せするボディラインに目を奪われているし。

 春休みの忍には、最大限の敬意を払いたかった(忍曰く、胸を撫でることであるらしい)と、今でも後悔しているし。

 中学生である、僕の妹達の胸なんか、書店のポップにされるくらい触りまくっているのだから。

50: 2010/12/29(水) 21:49:31.47 ID:7kUiP05e0

「ごめん、ボク勘違いしてたよ」

 いや、理解してもらえれば、それでいいんだ。

 この説明のために、多くのものを失ってしまった気がするのだけれど……。

「お兄ちゃんは、中学生以下の胸にしか興味ないんだね」

「だから違うって!」

「? お兄ちゃんは結局、同級生の胸に触らなかったし、旧ハートアンダーブレードの胸だって撫でなかったんでしょ?」

 いや、確かに触ってないけど……。

「じゃあ、やっぱりボクの言ってることが正しいんじゃないかな」

 誤解を解くには、事情が複雑すぎる。

 羽川の胸を揉まなかったのは、あいつが友達だからであり、決してあいつの胸に興味がないわけではないのだ。

 それに、八九寺は人間ではないから、火憐ちゃんと月火ちゃんは僕の妹だから、過度のスキンシップが(本人の意思は別として)許されているのである。

 これも、自分で設定したラインなのだから、斧乃木ちゃんに理解してもらえるか、甚だ不明なのだが……。

 お礼を受け取ることもまた優しさなのかなあ……(ちなみに、斧乃木ちゃんは怪異なのでセーフ)。

51: 2010/12/29(水) 21:52:42.10 ID:7kUiP05e0

 と、心に迷いが生じたタイミングを見計らったように、

「いいよ」と。

 幼い容貌には不釣合いな妖艶さを纏った斧乃木ちゃんが。

「お兄ちゃん……」

 着用するにはかなり手間のかかるであろう、口リータファッションをわずかに着崩して。

「ボクの胸を、触って……」

 ゆっくりと、僕の眼前に、歩み寄った。

52: 2010/12/29(水) 21:57:34.02 ID:7kUiP05e0

 斧乃木ちゃんの相談事を終え(幸いにも魂が穢れるような行為はなかった)、家路に着いた僕を、聞き慣れた声が呼び止めた。

「あ。阿良阿良さん」

「僕の名前を、困った子をたしなめるように言い間違えるな。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼。噛みました」

「違う、わざとだ……」

「あらあら、『猫物語 白』で語り部役を降ろされた阿良々木さんが暢気なものですね」

「やめろ! 僕だって気にしてるんだ!」

 こいつはメタ発言に躊躇いがないな。

 この辺り、さすが八九寺といったところである。

「時に阿良々木さん、こんな昼日中に徘徊するなんて度胸がありますね」

「なんだよそれ、僕が吸血鬼属性だからって心配してくれてるのか? お前も知ってると思うけれど、普段の僕は――」

「いえ、受験生というのに遊び呆けている阿良々木さんへの苦言です」

「普通すぎて心が痛くなる突っ込みだな! 八九寺!」

 くそっ。僕だって遊び呆けているって自覚があるからこそ、無理矢理軌道修正しようとしていたのに、あんまりじゃないか。

 にべもない。

53: 2010/12/29(水) 22:01:50.67 ID:7kUiP05e0

「老婆心からではあるのですが、ほんの数日前に貴重な勉強時間をまる一日潰した阿良々木さんが、ふらふらと出歩いていていいのですか?」

「良くねえよ。でも、今日は用事があったんだ」

「おや、用事とは阿良々木さんも隅に置けないですね。またハーレムメンバーの発掘に精を出していたのでしょうか?」

「普通に失礼だぞ」

「ゆくゆくはハーレムメンバーを『AKH48』としてデビューさせ、甘い汁を吸おうという魂胆なのですね」

 なんで僕が芸能界のプロデューサーにならなきゃいけないんだ。プロデューサーなら八九寺Pだけで十分だっての。

 それにAKHってなんだよ。

 AKは僕の名前である阿良々木(A)暦(K)から取ったんだろうと想像できるけれど、Hはわからないな。

 ハーレムのHあたりか?

「いえ、Araragi Koyomi with Hachikujiの略ですよ」

「お前も甘い汁吸う気まんまんじゃねえか!」

 アニメのプロデュースだけでは飽き足らず、芸能界にまで手を伸ばす気なのか?

 ぱねえぞ、八九寺P……。

54: 2010/12/29(水) 22:05:46.33 ID:7kUiP05e0

「まあ、メインプロデューサーの私から言わせてもらえれば」

 いつからメインPになったんだよ――という無粋な突っ込みはしないでおこう。

 こいつとの楽しい雑談は、僕の生きがいと言っても過言ではないのだ。

「デビューシングルのセンターは千石さんで決まりですね。彼女を前面に押し出せば、コアなファンがつくこと間違いなしですよ」

「千石がセンターなのか」

 正直意外である。

 てっきり、戦場ヶ原か羽川あたりだと思っていたのにな。当てが外れてしまった。

 でも、千石だって相当にかわいいし、あいつにならたくさんのファンが付いてもおかしくない。

 暦お兄ちゃんなんて、はにかみながら呼ばれた日には、翌朝まで胸の奥底がむず痒くなるくらいの破壊力を秘めているのだ。

 何でもないようなお願い事をするときでも、こちらが申し訳なくなってしまうくらい下手に出るし、

 そして、その願いが叶えられた時には、あのふんわりとした優しい笑顔で、嬉しさを最大限に示してくれるのである。

 これは妹である火憐ちゃんや月火ちゃんにはできない特殊能力と言って良いくらいだ。

 そういった肉親間には存在し得ないいじらしさが、暦お兄ちゃんとしては堪らなく心地いいのである。

55: 2010/12/29(水) 22:09:09.32 ID:7kUiP05e0

「いじらしいというよりは、いじましいと感じてしまいますね」

 やけに辛辣な八九寺だった。

「恋する少女は無敵、などと、どの時代でも言われておりますが、そういった意味で千石さんはまさにラスボスですよ」

「えっ……?」

 おいおい、ちょっと待ってくれ八九寺。さらっと重大発言してんじゃねえよ。

「千石が、恋してるって言うのか……?」

 あれ? 何だかショック大きいぞ……。

 あいつも年頃の女の子なんだし、それは仕方ないと思うけれどさ。

 でも、やっぱり、正直言って寂しいな。

57: 2010/12/29(水) 22:13:16.02 ID:7kUiP05e0

「そうか、あいつにも好きな男の子が居るのか……」

 動揺する僕を前に、八九寺は、

「真実を知った阿良々木さんがどのようなリアクションを取るか、目に見えるようですよ」

 まあ、そういった意味でメドゥーサなのかも知れませんが、と呟いた。

「? どういうことだ?」

 訳がわからないぞ、八九寺。

「この件に関して、私が直接申し上げることは何もありません」

 しかし、と八九寺は溜めを作って、
 
「一つ忠告差し上げるなら、阿良々木さんは自身を映す鏡を用意しておくことですね。これまでどのような行動を取ってきたか映るくらいぴかぴかに磨き上げたものです」

 などと、忠告なのか、ただの嫌味なのか、判断のつきかねる発言をしてきやがった。

58: 2010/12/29(水) 22:18:38.52 ID:7kUiP05e0

 どんな鏡だよ。ドラえもんのひみつ道具レベルじゃねえか。

 まあ、八九寺の言わんとしていることも、何となくだが見えてきた。

「メドゥーサに鏡っていうと、僕はペルセウスになるのか?」

 八九寺は、ギリシャ神話を引き合いにしているのだろう。

 メドゥーサを退治する任務に就いたペルセウスは、戦の女神アテナからイージスと名付けられた盾を貸与され、その盾にメドゥーサを映すことで、石化を免れたのだ。

「そして阿良々木さんは、千石さんの生首を盾に貼りつけてイージスを完成させるのですね」

「ただの猟奇殺人事件じゃねえか!」

 神話に則った流れだけど!

 しかし、そんな盾があったら、例えメドゥーサの生首じゃなくても、見た人全てを石化させるだろうな……。ビジュアル的に。

「まったく。そんな武装をして、阿良々木さんはどんな敵に立ち向かうというのですか」

 千石をそんな風に扱えば、僕の前に立ちはだかる敵は間違いなく視聴者になるだろう。

 勝ち目がなさすぎるぞ。

59: 2010/12/29(水) 22:22:03.94 ID:7kUiP05e0

「デビューシングルの、って但し書きを入れるってことは、第二弾以降のセンターは変えるのか?」

「もちろんです。AKH48は、本家以上の実力主義制度を採用する予定なのですからね」

 章立てしてないから、会話のリセットが楽だ。

 千石に関連した話題が、全て投げっぱなしになってしまったけれど。

 間違っても、千石をそんな風にしませんよー。安心してくださいねー。

「第二弾シングルのセンターは、アニメ化物語Blu-ray or DVDの売り上げ枚数トップの方が務めます」

「売り上げか。まあ妥当といえば妥当かもしれないな」

 じゃんけん大会なんてルールだったら、一部メンバーからものすごいクレームが来るだろう。

 あいつ、こういう野心はありそうだからな。

 とは言え、売り上げ枚数か。

61: 2010/12/29(水) 22:27:01.63 ID:7kUiP05e0

「でもさ、そのルールだったら羽川が有利じゃないか?」

 誤解のないように説明しておくと、羽川がセンターになることについて文句があるわけではない。

 寧ろ羽川がセンターになることについて、諸手を揚げて賛成したいくらいである。

 容姿は言うに及ばず、今やアイドルに必要不可欠とされるトーク力だって、Blu-ray or DVDのキャラコメで如何なく発揮されている。

 特に、まよいマイマイのキャラコメでは、あの八九寺を相手に一時間半もの長丁場を乗り切ったのだから、アドリブ能力だって相当なものだ。

「有利であるどころか、既定事項ですね。しかし、こういった大義名分がなければ、あの羽川さんのことですから、センターポジションを辞退しかねないのですよ」

 なるほどな、八九寺のいうことにも一理ある。

「あいつって、センターどころか、AKHのリーダーになるような器なのにな」

「寧ろ、リーダーは羽川さん以外に務まらないと言うべきでしょうね。仮に、AKHが冠番組を持った場合、やはりあの方が司会進行役となるでしょうし」

「まあそうなるよな。バラエティーの司会に据えるなら、くりぃむしちゅーの上田晋也か、直江津高校の羽川翼かって評価を受けてるくらいだし」

64: 2010/12/29(水) 22:31:58.39 ID:7kUiP05e0

「羽川さん程の学識があれば、『世界一受けたい授業』の司会に留まらず、あらゆるジャンルの講師をこなせそうですね」

「そして生徒役は僕だけなんだ」

 羽川が講師を務める授業を、マンツーマンで受けられるなんて、夢のようじゃないか。

「それでは、普段の家庭教師風景と変わらないじゃないですか」

「そうだった!」

 何てことだ。

 僕は世界一受けたい授業を、日常的に受講していたというのか。

 これでは僕が世界一幸せな生徒であると、自慢しているようではないか。

「阿良々木さんが世界一おめでたい生徒であることは、まず間違いないでしょうね」

「何だよ八九寺、そんなに嫉妬されると照れるって」

65: 2010/12/29(水) 22:36:57.91 ID:7kUiP05e0

「それで、阿呆々木さん」

「お前それ絶対馬鹿にしてるだろ!」

 しかも、何て読むんだよ。『アホホギ』か?

「失礼。噛みました」

「あ、普通に流すんだ……。えっと――違う、わざとだ……」

「噛みま氏ね」

「それは戦場ヶ原のネタだ!」

 いつになく攻撃的な八九寺である。

 仕事の話になると、途端に真面目になるタイプなのか?

 とんだキャリアウーマンじゃないか。口リの癖に。

66: 2010/12/29(水) 22:41:27.62 ID:7kUiP05e0

「それで、肝心の歌唱力はどうなのですか?」

「おやおや、八九寺Pらしからぬ発言じゃないか。あいつの歌ってた『suger sweet nightmare』を聞いてないのか?」

「いえ、まあ、そうなりますね。あのオープニング映像が非常に刺激的で、まともに聞けてないのですよ。正視に堪えないと言いますか……」

「ああ、あのアニメーションはちょっとショッキングだったな」

「? 実写版の方ですよ?」

「そ、そうだよな! あのお姉さんのあられもない姿が魅力的過ぎて、気恥ずかしくなっちゃうよな!」

 一体、僕は何を焦っているのだろうか。

 八九寺は疚しいことなど何一つとして言っていないはずなのに……。 

「まあ、羽川の歌唱力だったら折り紙付きだよ」

 この折り紙は、何も僕一人からのものではない。

 カラオケにはつきものであるらしい、客観性の権化である採点マシーンからも贈られているのだ。

 初めて訪れたカラオケで百点連発するような人間は、日本全国――いや世界全体を探しても羽川くらいなものだろう。

 あいつは――羽川は、点数のつけられるものならば、全て百点を取ってしまうような奴なのだ。

 それが果たして幸福であるか、僕が判断することではないのだけれど、AKHのセンターポジションで活用されるならば、少なくとも不幸にはならないと思う。

 だからこそ、その場に同席させてもらった唯一の人間として、羽川を推挙したい。

67: 2010/12/29(水) 22:47:09.29 ID:7kUiP05e0

 しかし、もう二ヶ月近くも前の出来事になるのか。

 目を閉じれば、あの時の情景がこんなにも鮮明に蘇るのに。

 マイクを握る羽川の立ち姿。氏者さえ蘇らせるような天使の美声。二対の無骨なハサミ――

「おや、どうされたのですか? 今の阿良々木さんは、苦瓜を噛み潰したような顔をしてらっしゃいますよ」

「苦虫な」

 どうして僕が沖縄で言うところのゴーヤを咀嚼しなければならないのだ。ビタミンCたっぷりじゃないか。

 いや、考え様によっては、受験生の僕が風邪を引かないようにと、暗にビタミンCの摂取を薦めているのかもしれない。

 何のかんの言っていても、やっぱり八九寺は優しいな。

 俺もお前のことが大好きだぜ、こんちくしょう!

「まあ、阿良々木さんの仰りたいこともわからないわけではありません」

 何とまあ、八九寺の奴、僕の気持ちに気付いてくれたというのだろうか。

 忍以上の以心伝心っぷりじゃないか。

 ラブラブすぎてちょっと恥ずかしくなっちまうぞ八九寺!

68: 2010/12/29(水) 22:51:30.28 ID:7kUiP05e0

「羽川さんのメイン回で二巻リリースされていますし、何より下巻は日本アニメ史上に名を残す程の売り上げを記録されたのですからね」

「ですよね」

 ああ、わかってたさ。こんな展開になるなんてことは。だからちっとも悲しくなんてないんだ。

「ですが、アニメ化物語に対する羽川さんのご尽力は、センターポジションを務めて頂いて尚、余りあるものがありますよ」

 落胆した僕に気を留めることもなく、淡々と話を進める八九寺であった。

 やっぱりちょっと悲しい。

「特にキャラクターコメンタリーでのホスト役には、目を見張るものがありましたね。羽川さんがいらっしゃらなければ、ことごとく凄惨な結果になっていたかもしれませんよ」

「お前が言うな」

 誰よりも羽川に助けられたのは、お前だろうが。

「具体的には○○○○○○○○第三話キャラコメのような結果に――」

「それはいろいろとマズいから!」

 どうして敵を作るような発言をするんだ。

 それに、僕はあのアニメすっげえ好きなんだぞ。本編最終回で泣いちゃったくらいだし。

 いくら八九寺とはいえ、そういう否定的な発言は許さないからな。

69: 2010/12/29(水) 22:56:26.39 ID:7kUiP05e0

「あら、音無くんじゃない。ねえねえ、ガルデモの新曲どうだった?」

「違う作品のキャラクターを演じるな!」

 中の人は一緒だけれど!

 もう一つ言わせてもらえば、伏字にする気遣いがあるなら、中身が判る発言をするんじゃない。

 お前のキャラクターが主犯だってバレるだろ。

 あー、天使ちゃんマジ天使。天使ちゃんマジ天使。黒猫ちゃんマジ堕天聖。

「阿良々木さんのフォローに見せかけた誤魔化しが、一番のヒントになっている気がするのですが……」

 まあ、いいでしょう、と八九寺。

 ようやく脱線から復帰してくれるようである。

 危機は去った。

「ですから、エンジェルビーツ第三話キャラコメのような結果に――」

「去ってねえし!」

 危機的状況まっしぐらな二人だった。

70: 2010/12/29(水) 23:01:28.00 ID:7kUiP05e0

「はっ!」

「どうした!? 八九寺!」

「どうしたことでしょうか、阿良々木さん。私ってば、ここ数分程の記憶がすっぱりと抜け落ちてしまっています!」

「本当か、八九寺! 実を言うと、僕もここ数分程の記憶がすっぱりと抜け落ちてしまっているんだ!」

「奇遇ですね! 阿良々木さん!」

「奇遇だな! 八九寺さん!」

 奇遇と言うよりは、奇跡と呼ぶべきなのかもしれないけれど。

 この助かった感は何なのだろうか……。

「何か宇宙意思のようなものに操られ、心にもない発言をさせられていた気がしてなりません!」

「そうか! 大変だったな!」

「具体的に申し上げますと――」

「言うな」

「はい」

 素直な八九寺である。

72: 2010/12/29(水) 23:05:53.72 ID:7kUiP05e0

「その羽川さんは、ずいぶんと変わられてしまいましたね」

 これはあくまでもプロデューサーとしての観点になりますが、と八九寺は前置きして、

「羽川さんが語り部を務めた『猫物語 白』における扱いには、不満を抱いていしまいましたよ」

 文中における時間経過では、羽川翼を巡る三度目の怪異譚はまだ始まってもいないのだけれど……。

 まあ、いいか。

「あいつも大変だったよな。家が火事になったり、野宿させられたり――」

「いえ、そういうことではないのですよ。阿良々木さん」

「? どういうことだ?」

「あの物語で、羽川さんは普通の女の子になってしまいました。常人離れしたキャラクターが失われるのは、プロデューサーとして惜しまれるのですよ」

 そういうこと言うもんじゃないぜ。

 羽川はやっと普通になれたんだ――あいつが願って止まなかった普通の女の子に。

「もちろん、羽川さんの友人として、喜ぶべき変化だと歓迎していますよ」

 あの方がどうしてあのようになってしまったのか、私だって存じておりますし、と、八九寺は申し訳なさそうな表情で呟いた。

 まあ、この辺りについては、僕と同じような感想を共有してくれているらしい。

75: 2010/12/29(水) 23:09:57.54 ID:7kUiP05e0

「ですが、特徴から解放されることによって、キャラクターが氏んでしまうのではないかという危険性について、私は憂慮しているのです」

「そうかなあ……」

 あの羽川がキャラクター的に氏ぬか? 普通という土俵に上がったことで、キャラクターに更なる磨きがかかりそうな気がするのだけれど。

 メンタリティーが普通になったからといって、羽川の異能が影を潜めるはずもないのだから。

「現に、更正してしまった戦場ヶ原さんなどは、阿良々木さんとの絡みもなく、女の子といちゃいちゃするばかりではないですか」

 そういやあいつ、羽川と同衾してたんだよな……。

 いや、そうじゃなくて。

「まったく。私が憂慮した通り、名ばかりカップルになってしまいましたね」

「名ばかりって言うな! 原作には書かれてないだけで、ちゃんと絡んでるから!」

 一緒に勉強してるから! デートにだって行ってるから!

「…………」

「あれ? 八九寺?」

「いえ……、恋人同士で絡んでいるなどと、小学生の私には刺激が強すぎたもので……」

「人の揚げ足取ってんじゃねえ!」

 そういう連想をする時点で、お前は小学生キャラ失格だよ!

78: 2010/12/29(水) 23:14:37.37 ID:7kUiP05e0

「それにしても、羽川さんの変貌には目を見張るものがありますね。委員長キャラのトレードマークであった三つ編みも眼鏡も、今はありませんし」

 お前だって、トレードマークのツインテイル解いて、僕のベッドで眠りこけてたじゃねえか。

 あまつさえ、あの馬鹿でかいリュックサックまで忘れやがって。

「私は、阿良々木さんを惑わす妖艶な口リキャラとしてブレてませんからね。無防備に眠っていたのだって、同衾を期待してのことだったのですよ?」

「誘い受けだったと言うのか!?」

「ヘタレ攻めの阿良々木さんには難しい局面でしたね」

「う……ぐっ……」

 でも布団に入り込んだら、すっげえ怒られたんだろうなー。

 ヘタレ阿良々木さんだからこそ、こいつだっていろいろとネタ振りしてくれるんだろうし。

「まあ、私はこれでも怪異の端くれですからね。本質を変えるわけにもいかないのですよ」

 と、八九寺は、言葉の意味はよくわからないが、とにかくすごい自信に満ちた言葉で締めくくったのだった。

82: 2010/12/29(水) 23:22:47.51 ID:7kUiP05e0

「それで、第三弾シングルのセンターは戦場ヶ原になるのか? 一応、あいつはメインヒロインなんだし」

 まだ続けるのかよ、という意見は、どうかもう少しだけ胸の内に仕舞ってもらいたい。

 恋人として、戦場ヶ原の処遇について確認しておきたいのだ。

「いえ、戦場ヶ原さんには致命的な欠点があるために、センターにできないのですよ」

「致命的な欠点?」

 何だよ、気になるじゃないか。

「簡単なことですよ。戦場ヶ原さんには、阿良々木さんという恋人がいらっしゃいます。これはアイドルとして致命的ですね」

 営業戦略にはとことんシビアな八九寺Pだった。

 とんだ辣腕プロデューサーである。

「まあ、戦場ヶ原さんも魅力的な方であることに変わりありません。AKHのセンターは無理でも、派生ユニットでセンターデビューという手がありますよ」

 そういう売り方もあるか。

 派生ユニットは、本家でも盛んらしいし。

84: 2010/12/29(水) 23:27:07.55 ID:7kUiP05e0

「それで、そのユニットはどんな名前になるんだ?」

「渡り廊下飛び降り隊」

「人の彼女に、物騒なユニット名つけてんじゃねえよ!」

 渡り廊下から飛び降りたら大怪我するじゃねえか。下手したら氏ぬぞ。

 自殺騒ぎで学校中騒然とさせるようなユニット名なんかつけやがって……サブメンバーは忍なのか?

「戦場ヶ原さんの運命に変化が訪れた、記念すべき瞬間をユニット名にしたのですが、阿良々木さんはお気に召さなかったようですね」

「運命が変わった瞬間ってことは、否定する気もないよ。でもさ、『飛び降り隊』なんて名前だったら、あいつが望んで転げ落ちたみたいに思われるだろ」

 それに、戦場ヶ原が転げ落ちたのは渡り廊下じゃなくて階段だ。

「阿良々木さんは、何もわかっていませんね」

 やれやれといった表情で首を振る八九寺であった。ちなみに両手は支配者のポーズである。

86: 2010/12/29(水) 23:33:41.95 ID:7kUiP05e0

「受け手に対してあからさまな突っ込みどころを用意することで、ユニットへの興味を持たせるという高等戦術なのですよ」

「そうなのか……?」

 高等と呼ぶにはずいぶんと愚劣な戦術のように思えるんだが、僕の思い過ごしだろうか。

「あれですよ、『モーニング娘。』の『。』と一緒です」

「そうなの!?」

 あれ? そう言われると、説得力があるような、ないような――やっぱりないような……。

「ちなみに、デビューシングルは『駅で踊るな!』です」

「…………」

 確かにそれは戦場ヶ原の台詞なのだけれど……。

 それに、元ネタであろう『廊下は走るな』って、確かアルバムのタイトルじゃなかったか?

 突っ込みどころがありすぎて、どこから指摘していいのかわからないぞ……。

 あー、すっげえもやもやする!

87: 2010/12/29(水) 23:37:37.64 ID:7kUiP05e0

「あとは、火憐さんと月火さんの姉妹ユニットなんかいいですね。美人姉妹ということで話題性があります」

 どう突っ込むべきだろうかと、僕が迷っている間にも、どんどん話を進める八九寺であった。

 腹案ありすぎだろ! どんだけ温めてたネタなんだよ!

 ……というより、ここは兄として、妹がハーレムメンバーに挙げられていることを突っ込むべきなんだろうか。

 でも、僕ってば妹のファーストキスを奪っちゃってるからなあ……。しかも両方の。

「ユニット名はやっぱり『ファイヤーシスターズ』なのか?」

 結局、流した僕だった。

 はいはい、チキンですよ!

「いえ、『プッチ暦』です」

 元ネタは『プッチモニ』になるのか……?

 確かにアイドルグループからの派生ユニットだけれど、AKBから時代がズレちゃってるだろ。

88: 2010/12/29(水) 23:41:33.13 ID:7kUiP05e0

「おや、芳しくない反応ですね。では代替案として『ミニヨミ。』なんてどうですか?」

「いや、ミニじゃない奴がいるし、名前に無理があるだろ」

 月火ちゃんだって身長150cm以上あるんだしさ。

「じゃあ『デカヨミ。』で」

「発言が適当になってますよ! 八九寺P!」

 じゃあってなんだよ。じゃあって。

 そんな軽い気持ちで、ユニット名を決められたって聞いたら泣くぞ。

 しかし、八九寺のネーミングセンスにも首を傾げたくなってしまう。

 どうして暦縛りなんだろうか――ミニヨミのヨミだって暦のヨミなんだろ?

「八九寺、どうしてユニット名に暦を入れるんだ? 僕の妹だからなのか?」

「それもありますが、阿良々木さんご兄妹って、火憐さんも含めて『暦』に関連したお名前でいらっしゃるんですよね」

「ああ、よくわかったな」

89: 2010/12/29(水) 23:45:21.47 ID:7kUiP05e0

 僕や月火ちゃんならば、そういった連想をするのはよくわかる。

 僕の名前である暦はそのものであるし、月火ちゃんの名前をワープロソフトで変換すれば、第一候補が月日なのだから。

 しかし、火憐ちゃんの名前まで時間と関連付ける人はなかなか居ない――というか居なかった。

 火憐ちゃんの名前から連想するのは、やはり純情可憐の方だろう。

 僕や月火ちゃんという存在を知らなければ、火憐ちゃんの名前を『カレンダー』と結びつけることなどまずない。

 まあ、火憐ちゃんの名前だって、カレンダーから取ったというわけでなく、偶然の一致なのだろうけれど。

「うらやましいですね」

 と、不意打ちのように。

「私は一人っ子ですので、兄弟という存在についてよく理解できていないと思いますが」

 一人っ子の八九寺は、

「それでも、お名前で繋がっている阿良々木さんご兄妹をうらやましく思いますよ」

 僕の胸をほんの少し疼かせるような言葉と共に、柔らかな微笑を浮かべていた。

91: 2010/12/29(水) 23:49:21.85 ID:7kUiP05e0

「八九寺」

「何でしょうか?」

「僕の妹にならないか」

「なっ! ぜ、絶対に無理です! そ、それに、人生に大きく関わるような重大発言を、さらっと言わないでください!」

「いや、お前の名前って暦シスターズにぴったりじゃないか。時間に関連してるし」

「そういう問題ではありません!」

「そうか……、そうだよな。妹になったら僕と結婚できなくなっちゃうし」

「私の発言を、自分勝手に曲解しないでください!」

「そんな、僕は八九寺と結婚できないのか……?」

「阿良々木さん!」

 と、顔を紅潮させた八九寺が、堪りかねたように大声を出した。

「あなたには戦場ヶ原さんという恋人がいらっしゃるのですから、冗談でもそんなことを言うものではありませんよ!」

「あ、ごめん……」

 小学生に怒られてしまった。

 冗談じゃなかったのにな(爆弾発言)。

92: 2010/12/29(水) 23:51:58.72 ID:7kUiP05e0

「そろそろAKHの話はやめにしようぜ」

 これ以上この話を続けていては、いろいろと申し訳ない気持ちになってくる。

 何に対して、ということさえ明言できないほどに……。

「そうですか、残念です。これから、ご当地アイドルを経て、東京進出までの営業戦略をプレゼンしようと思っていたのですが」

 本当に腹案がありそうで怖い。

 底が知れねえぞ、八九寺P。

93: 2010/12/29(水) 23:54:34.20 ID:7kUiP05e0

「時に、アララト山」

「僕をノアの箱舟が流れ着いたとされる霊峰みたいに呼ぶんじゃない。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼。噛みました」

「違う、わざとだ……」

「阿良々木さんのご指摘の通り、わざとでした。ごめんなさい」

「素直に認めちゃった!?」

 あれ? こういうネタって認めちゃいけないもんじゃねえの?

 何ていうか、ネタの腰を折るような展開って、八九寺が一番敬遠しそうな流れなのだけれど……。

「いえ、私にも不安があったものですから。果たして、阿良々木さんの力量で新しいパターンへの切り替えしができるのかと」

「いや、そんな心配されても――」

「先ほど話題に上っていたAKHのやり取りでも、阿良々木さんは満足な突っ込みができていませんでしたからね」

 プロデューサーからの強烈な駄目出しだった。

95: 2010/12/29(水) 23:57:19.51 ID:7kUiP05e0

「お前、笑いに対してとことんシビアだよな!」

 これじゃプロデューサーっていうより、お笑いの師匠じゃねえか。

 僕はあとどれだけ試されれば、八九寺に認めてもらえるというのだ。

「そうですね。阿良々木さんが満足のいく突っ込みをするようになったら、八九寺の亭号を分けてあげてもいいです」

「お前って、落語家だったの!?」

 いわゆる落語家さんの苗字に当たる部分を『亭号』(あるいは屋号)と呼ぶのだ。

 三遊亭や林家あたりが有名だろう。

 意外なところでは、明石家なんてのもそれに当たるらしい。

 亭号の多くは、家屋に関連した語句で締められているのだけれど、八九寺も亭号だったのか……。

「えー、毎度捗々(はかばか)しいお話を――と言った感じで、ワンマンライブしていました」

「それを言うなら馬鹿馬鹿しいだ」

 進捗の話をしてどうする。

 AKHプロジェクトの進捗報告会でもしていたのだろうか。さすがメインPである。

96: 2010/12/30(木) 00:00:46.65 ID:t2jvEQ1j0

「真打就任パーティーには、かの三平師匠と正蔵師匠もご列席されたのですよ」

「へえ、すごいじゃないか。何年か前に、正蔵を襲名した人だろ?」

「いえ、『どーもすいません』の方と、そのお父上です」

「あー、そっちね……」

 どっちも故人じゃん。

 こいつの設定からすれば、そっちの方が適任なのだろうけれど。

「ちなみに、得意な演目は『反魂香』です」

「笑えねえよ!」

 幽霊が出てくる話じゃねえか。

 ネタに身体を張りすぎだぞ、八九寺。

97: 2010/12/30(木) 00:04:16.60 ID:t2jvEQ1j0

「そういえばの話で恐縮なのですが、今日の阿良々木さんは、私の口リハリボディに興味を示さないのですね」

「あれ? そうだっけ?」

「そうですよ。前回は、阿良々木さんの自爆によって未遂でしたから、いつもより警戒レベルを引き上げていたのですが」

 これでは肩透かしもいところです――と、八九寺は頬を膨らませていた。

「ああ、そうだったのか」

 八九寺が妙にそわそわしていると思ったら、そんな理由があったのか。

 だったらやるべきことは一つだよな。

「ぎゃーっ!」

「いってええええええ!」

 念のため、状況説明しておこうと思う。

 最初の叫び声は、胸を揉まれた八九寺から発せられたもので、続く大声は、その手を噛まれた僕からのものだ。

「何すんだ!」

「それは私の台詞です!」

 その通りだった。

98: 2010/12/30(木) 00:08:31.45 ID:t2jvEQ1j0

「何も噛むことはないじゃないか。八九寺の胸は僕に揉まれるために存在してるんだろ?」

「さも当然といった表情で、恐ろしいことを言わないで下さい……」

 まあ、いつもと比べて淡白だったことが不幸中の幸いでしたが、と胸を押さえる八九寺。

 淡白って酷い感想だな。

 ワンタッチで済まされたことに、八九寺は不満でもあるのだろうか。

「いや、小学生の胸ならさっき済ませてきたからさ」

「なにやら犯罪じみた――というか犯罪そのものを告白された気分です……」

「確かにお前や斧乃木ちゃんの可愛さは犯罪的だよ。でもさ、『告白された』なんて面と向かって言われると、さすがに恥ずかしいかな」

「私は、阿良々木さんが犯罪者だと指摘しているのです! 『お前の胸は僕にもまれるためにある』だなんて愛の告白、私は絶対に認めませんからね!」

「そうかなあ。草食系だなんて揶揄されるような世の中なんだし、このくらい勢いのある方が心に響くんじゃないか?」

「阿良々木さんは、草食系というより好色系です……」

 呆れられつつも、巧いこと言われてしまった。

 さすが落語家である。

99: 2010/12/30(木) 00:13:55.53 ID:t2jvEQ1j0

「まったく。阿良々木さんの目に映る世界というものを、私も一度拝見してみたいものですよ」

「お前の認識している世界と変わらないと思うぞ」

「そうでしょうか。阿良々木さんはティアードスカートと聞いて、引き裂かれた(tear-ed)スカートを想像するのでしょうね」

 さすがにそんな勘違いはしねえよ。

 ティアードスカートって斧乃木ちゃんが穿いてた奴だろ? それならお前と一緒に見てたじゃねえか。

 ああ、あと八九寺。引き裂くって意味の"tear"は、"teared"なんて活用しないからな。正しくは"torn"だ。

「おや、ここで受験勉強してますよアピールですか。二重の意味でいやらしいですね、阿良々木さんは」 

 いつになく手厳しい八九寺だった。

 好色系のツケなのだろうか。

 八九寺の胸を揉むためなら、このくらい余裕で耐えるけれど。

102: 2010/12/30(木) 00:19:14.90 ID:t2jvEQ1j0

「それで、阿良々木さんは、一生に一度しか訪れない高校三年の夏休みをどのように過ごしていらしたのですのか?」

「確かに、高校三年の夏休みは一生に一度だけれど、そこまで大げさに言うものでもないだろ」

「それで、阿良々木さんは、人生最後の夏休みをどのように過ごしていらしたのですのか?」

「重すぎる!」

 いや、大学生にだって、社会人にだって、夏休みはあるからな。

 僕が大学生にも社会人にもなれないと、遠回しに言っているのだろうか。そうだとしたら悲しいぞ。

「阿良々木さんには、高校三年の夏休みが二度ある可能性をネタにした方が良かったですかね」

「普通に泣くわ!」

 こいつには、僕が留年するかもしれないって危険性を話しちゃってるんだよな。

 まあ、戦場ヶ原や羽川のおかげで、その危機から遠ざかってることも知ってるから、ネタにしてくれたのかもしれないけれど。

 気遣いのできる八九寺Pなのである。

103: 2010/12/30(木) 00:23:35.61 ID:t2jvEQ1j0

「斧乃木余接ちゃんに会ってたんだよ」

「ああ、あの不思議系口リ少女さんですか」

 酷い認識のされ方だった。

「あの方達のお名前って、三角関数から取られているのですよね」

「お前は何でも知ってるな」

「何でもは知らないですよ。知ってることだけです」

「八九寺が言うと、本当に何も知らないように聞こえるな」

「し、失礼ですよ!」

 失礼なのは人のネタをパクった八九寺だから、謝る気なんてさらさらないけれど。

 それにしても、顔を真っ赤にして怒る八九寺も可愛いな。フィギュアにならねえかな。

「羽川さんの決め台詞を、ネタ呼ばわりする阿良々木さんの方が、よほど失礼だと思うのですが……」

「まあいいじゃん」

「この人、軽く流しましたーっ!」 

 適当に流さないと、話が進まないんだよ。いやマジで。

104: 2010/12/30(木) 00:28:08.47 ID:t2jvEQ1j0

「それで……話を戻しますが――」

 そもそもの元凶は、羽川ネタを振った僕にあると言ってもいいのだけれど、それに拘泥することもなく、話を戻す八九寺である。

 めげないし、良い子だよなあ。あー、お持ち帰りしてえ。

「あの方達のお名前って、三角関数から取られているのですよね」

「ああ、そうだろうな」

 さて、そろそろ僕も、脱線から復帰しないとな。

 八九寺がめげない良い子であっても、度が過ぎれば嫌われてしまうのである。

 それにしても、『あの方達』か。

 八九寺がそう呼んでるってことは、影縫さんも含まれているのだろう。

 こいつは影縫さんに会ってないはずなのだけれど。

 まあ、プロデューサーたるもの、登場人物の情報は逐一把握しているということなのか。

 仕事熱心な八九寺Pである。

106: 2010/12/30(木) 00:32:22.53 ID:t2jvEQ1j0

「影縫さんは余弦(よづる)で、斧乃木ちゃんは余接(よつぎ)という読みだけれど」と、八九寺に注釈。

「それぞれコサインの余弦(よげん)と、コタンジェントの余接(よせつ)から取られてるんじゃないかな」

 僕だって受験生なのだから、余弦という字面から余弦定理くらいの連想はするのだ。

 余接というコタンジェントの和名については、羽川からの受け売りなのだけれど。

「数学マニアの阿良々木さんが薀蓄を垂れやすいようにという、八九寺Pからの粋な計らいです」

 イヤな計らいだった。

 当の八九寺Pと言えば、薄い胸を得意気に反らしてるし……。

 まさか、八九寺がめげることなく、このネタを続けた理由はここにあったというのか!?

107: 2010/12/30(木) 00:36:47.54 ID:t2jvEQ1j0

「それにしてもコサインとコタンジェントですか。普通にサインとコサインでいいのでは、と素人目には見てしまいますね」

 まあ、コタンジェント(ちなみにコタンジェントはタンジェントの逆数だ)なんて数学用語は、理系専攻でないとお目にかからないような言葉だしな。

 少なくとも一般的ではないだろう。

「ここはわかりやすく、正弦さんと余弦さんに改名してはどうでしょうか」

「正弦(しづる)と、余弦(よづる)か。まあ、悪くはないかもな」

「そして、二人のユニット名は『タンジェントシスターズ』です!」

「まだそのネタ引っ張るのかよ!」

「合言葉は『サイン、コサイン、タンジェントー!』」

「勢いで全てを押し通そうとするな!」

 しかも普通にしょぼいぞ、そのユニット名は。

「個々の名前について、他人が意見するものじゃないけれど」と、一応前置き。チキン阿良々木さん全開である。

「余弦とか余接に使われてる『余』って文字には、互いを補うって意味もあるんだぜ」

108: 2010/12/30(木) 00:41:27.15 ID:t2jvEQ1j0

 余角なんて数学用語も、それに当たるだろう。二つの角の合計が90°になるとき、その二つの角を余角と呼ぶのだ。

 余弦に余接――互いを補い合うツーマンセルにはぴったりの名前だと思う。

「なるほど、余り者同士を別ユニットで有効活用という営業戦略なのですね」

「だから普通に失礼だから!」

 八九寺の言動があまりにも失礼だから、『だから』って言葉を重ねちゃったじゃねえか。

「まあいいじゃないですか」

「こいつ、軽く流しやがったーっ!」

 やったらやりかえす。因果応報ペアが誕生した瞬間だった。

 まあ、本当の報いを下すのは、僕達が失礼を働いた相手なのだろうけれど……。

110: 2010/12/30(木) 00:46:20.27 ID:t2jvEQ1j0

「それで、チキン木さん」

「元の語句から離れすぎていて、果たして突っ込んでいいのか判断のつきかねる事態ではあるのだけれど、あえてそうするならば、それは鶏肉の英名、若しくは人間性を揶揄する言葉であって、僕の名前は阿良々木だ」

「ザン木さん」

「からっと揚げるな!」

 脱落者続出であろう八九寺ネタをフォローしておくと、下味の付いた鶏の唐揚げのことを、北海道では『ザンギ』と呼ぶらしい。決してロシア出身のレスラーではない。

 しかも、ご当地ネタのロケーションが変わってるじゃねえか。

 お前の推しメンは、名古屋から北海道に変わったのか? ドアラ木さんとか言ってたくせに。

「それで、阿良々木さん。その斧乃木さんと、どの様なお話をされていたのですか?」

 うーん、言っていいのかな。

 まあ、八九寺の交友関係は、とある事情によってかなり限定的になってるから、包み隠さず言ってしまっても広まることもないとは思うのだけれど、斧乃木ちゃんのプライバシーに関わることだしな。

 八九寺Pには悪いが、ここは口を噤むべきだろう。

「残念だが、お前に言う必要はない」

「おや、阿良々木さんにしては反抗的な態度ですね。それでは私にも考えがあります」

「なんだよ。小学生如きの浅薄な脅しに屈するほど、僕は弱腰じゃないぞ」

112: 2010/12/30(木) 00:51:09.68 ID:t2jvEQ1j0

「戦場ヶ原さんの留守を見計らって、他の女性と逢瀬していたことを言いつけますよ」

「お前は戦場ヶ原と面識がないだろ」

「いえ、チクるのは羽川さんにです」

「八九寺さんマジすいませんでした!」

 チキン全開な僕だった。

 はいはい、チキン木さんですよ!

「私にだって、阿良々木さんを心配する権利くらいあると思います」

「あ……」

 そうか、こいつは俺を心配してくれていたのか。

 そりゃそうだよな。つい最近、その斧乃木ちゃんたちと氏線を交えたばかりなのだ。

 日を置かず、その相手と逢っているなんて言われたら、人のいい八九寺のことだ、僕を心配するに決まってる。

 今回ばかりは全面的に僕が悪い。

 斧乃木ちゃんには悪いけれど、他ならぬ八九寺を安心させるためにも、包み隠さず白状するべきだろう。

114: 2010/12/30(木) 00:55:24.13 ID:t2jvEQ1j0

「斧乃木ちゃんがキャラ変更したいっていうから、その相談に乗ってたんだよ」

「おや、クール&スパイシーなお話ですね。して、斧乃木さんは、どのようなキャラなりをされたのですか?」

「いや、しゅごキャラもしゅごたまも居ないから……」

 変なところに食いつく奴だな……。

 さては、あむちゃんファンか!?

「斧乃木ちゃんが広く愛されるキャラになりたいって言うから、口癖とか性格とか、あいつの変なところを片っ端から直したんだよ」

「えっ……?」

 あれ? 八九寺のリアクションが妙だな。

「八九寺、どうかしたのか?」

「いえ……その……、阿良々木さんは、斧乃木さんの特徴というべき部分を取り去ってしまったのですか?」

「ああ、そうしてたな」

「あの……、私もこういったことに詳しくないのですが、それって――」



 ――と、ここで。

 何の前触れもなく、僕のすぐ横にあったポストから竜巻が発生した。

116: 2010/12/30(木) 00:59:36.39 ID:t2jvEQ1j0

 いや、この表現は正確ではない。これではポストが竜巻を生み出したようではないか。

 正確には、『ポストに着地した衝撃によって、竜巻が発生した』と言うべきだろう。

 驚く僕を尻目に、ストームコーザーが口を開いた。

「鬼畜なお兄やんやないか。ええとこにおったわ」

 何がいいところなのか理解できなかったけれど、その発言者が誰であるか、僕はどうしようもなくわかってしまった。

 斧乃木余接ちゃんのパートナーであり、自称日本初の武闘派陰陽師――影縫余弦さんである。

「どうかしたんですか?」

「どうしたもこうしたもあるかい。余接がおらんようになってしもうたんや」

「えっ?」

 どういうことだろうか。斧乃木ちゃんならば、先程まで僕と一緒に居たはずなのに。

 それを影縫さんが探すなんて、二人の間になにかあったのだろうか。

117: 2010/12/30(木) 01:04:37.90 ID:t2jvEQ1j0

「斧乃木ちゃんなら、ついさっきまで僕と居ましたよ」

「その『ついさっき』っちゅうんは、どれくらい前なん?」

「えっと……」

 八九寺と雑談していたから、斧乃木ちゃんと別れたのは三十分ほど前になる。

 しかし、影縫さんの様子がおかしい。

 以前出会った時のような泰然自若とした雰囲気が観られず、どこか焦燥に駆られている気配さえ感じられるのだ。

 ――果たして、その予感は的中した。

「はよ答えや!」

 叱責することを、雷に例えることもあるが、影縫さんの大声は、まさにそれだった。

 発声によってもたらされた空気の震えを、鼓膜ではなく、表皮で感じ取ってしまったのだから。

「……すまん、少し気が立っててな。堪忍や」

 影縫さんの沈痛な表情を鑑みるに、威嚇というわけでなく、本当に気が立っていただけなのだろう。

119: 2010/12/30(木) 01:09:03.48 ID:t2jvEQ1j0

「三十分くらい、前です……」

「余接と逢うてた場所はどこや?」

「この先の公園です」

「すまんが、案内してくれるか? 時間ないねん」

 元よりそのつもりだった。

 場所を伝えたとしても、土地勘のない影縫さんでは到着まで時間がかかるだろう。

 時間にすれば、僅か数分程度の差であるだろうけれど、そのタイムラグが命取りになりかねない。

 そんな緊迫感が、影縫さんの体から溢れていたのだ。

「わかりました」

 僕は自転車を百八十度旋回させて、ペダルを強く踏み込んだ。

 八九寺の姿はいつの間にか消えていた。

120: 2010/12/30(木) 01:13:34.36 ID:t2jvEQ1j0

 公園へと向かう道中、僕はずっと立ち漕ぎで全速力だったのだけれど、影縫さんは当然のようにすぐ横を併走していた。

 やはりガードレールだとか家塀の上だとかいった場所を選んで走っているにもかかわらず、である。

 そして、公園に到着した影縫さんは息一つ乱すことなく、当事者たる僕へと矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきたのだ。

「鬼畜なお兄やん、ここで余接と何しとったんや」

「相談を受けていました」

「相談? どういうこっちゃ?」

「斧乃木ちゃんが、自分の性格を直したいと、僕に相談を持ちかけてきたんです」

「性格? あんなかわいい子に直すようなとこあるかいな」

「本人は気にするところがあったようで、なので、口癖とか女の子らしい所作とか、いろいろと――」

 ここまで話したところで、僕は言葉に詰まってしまった。

 影縫さんのただならぬ気配に、萎縮させられてしまったのだ。

122: 2010/12/30(木) 01:19:56.18 ID:t2jvEQ1j0

「おどれ……、それがどないな意味を持っとるか知っとったんか?」

 影縫さんの言わんとしていることがわからない僕は、ただ混乱するだけだった。

 どうして影縫さんはこんなに殺気立っているのだろうか。

「……そうか、やっぱりわかっとらんようやな」

 どうして僕はこれほどまでの怒気を向けられなければならないのだろうか。

「それでええ。そうやなかったら、おどれを殺さなあかんかったところや」

 どうして僕が殺されなければならないのだろうか。

「とまあ、そういうこっちゃ。このボケに説明したってな」

 ――と、影縫さんは僕を……いや、僕の後方を見てそう言った。

「うちはもう行かなあかん。あとは頼むで、旧ハートアンダーブレード」



 僕の後ろに長く伸びた影には、いつの間に出てきたのだろうか、忍の姿があった。

124: 2010/12/30(木) 01:28:06.59 ID:t2jvEQ1j0

「お前様よ」

 日も傾いてきたとはいえ、吸血鬼である忍にとっては酸の海に浸かっているような状況だろう。

「あの陰陽師の態度が解せぬと思うが、今は儂の話を聞くのじゃ」

 その危険性を押してまで、この場に出てきてくれたのだ。

「お前様も、怪異がどのような存在であるか、これまでの経験でなんとなく想像できるじゃろう」

 僕は太陽に背を向けるように座り、忍の小さな身体を抱えるようにして影をつくった。

「怪異とは、恐れられ忌まれ疎まれ崇められて初めて存在できるものなのじゃということは、お前様も知っておろう」

 忍の淡雪のような白い肌が、赤く染まっている。ふわふわとした金髪も、ところどころが縮れてしまっている。

「ハチクジも気づいておったようが、怪異にとってキャラクターというものは、人のそれよりも重いものなのじゃ」

 どうしてこんなになってまで、僕の前に出てきてくれたのだろうか。
 
「人の想像から生み出された怪異は、時代時代を口伝によって受け継がれ、そのキャラクターを固めていったのじゃからな。存在と同義と言っても過言ではないじゃろ」

 そんなことはわかっている。いや、わかってしまったのだ。

125: 2010/12/30(木) 01:30:25.58 ID:t2jvEQ1j0

「そのキャラクターを失えば、怪異としての個性が奪われる。個性が奪われればば、怪異としての存在が危うくなる」

 冷静沈着な影縫さんがあれほど取り乱し、自らの存在を危険に晒してまでも僕の前に登場した忍によって、僕はようやく気付いたのだ。

 僕が斧乃木ちゃんに一体どんな仕打ちをしてしまったのか、ということに――

「お前様は、あの小娘の特徴をことごとく奪った。結果として、あやつの存在を消し去ろうとしておったのじゃ」

 ――僕は、斧乃木余接という怪異を、殺そうとしていたのだ。

143: 2010/12/30(木) 12:06:37.02 ID:t2jvEQ1j0

 キャラ崩壊という言葉がある。

 物語の登場人物が、ある時を境に、これまでとまったく違った言動をする――そんな意味の言葉だったように思う。

 僕の膝に座る忍は、そのキャラ崩壊を二度も経験した。



 一度目のキャラ崩壊は、春休みの僕が原因だった。

 迂闊にも、怪異の王を巡る騒動に首を突っ込んでしまったことによって、かつての名前ごとそのキャラクターを頃してしまった。

 命を奪ったのではなく、先刻の忍が説明したように、あいつの特徴をことごとく奪ったのだ。

 人を喰う――彼女にとって生きるために必要な行為を奪うべく。

 氏に場所を探している――彼女にとって唯一の願いを奪うべく。

 僕は、彼女のありとあらゆるものを奪ったのだ。

 そして、かつての忍は、……キスショットは崩壊した。

 僕が、頃したのだ。

144: 2010/12/30(木) 12:07:15.88 ID:t2jvEQ1j0

 二度目のキャラ崩壊は、数ヶ月という彼女にとっても短くない期間を懊悩に費やしたうえで、忍が決断したのだ。

 無口無表情無行動という消極の……いや、消去の塊だった中期キャラを、生きることをとことん拒絶したようなキャラクターを、

 彼女自身の手で崩壊させることによって、彼女なりに生きることを受け入れたのだ。

 僕自身、嬉しさを飛び越えて戸惑いさえ感じてしまった二度目のキャラ崩壊を、忍はどのような気持ちで選択したのだろうか。

 数ヶ月にも及ぶ無言の葛藤は、彼女にどんな変化をもたらしたのだろうか。

 僕はそれを知るべきだと感じているし、正直なところ、知りたいとも思っている。

 けれど僕は、そのことを訊けるような立場にない。

 懊悩の原因となる災禍をもたらした僕が、どうして彼女に訊けるというのだろうか。

 今は忍が話してくれる時を待つべきなのだろう。

 そしていつの日か、忍自身が語りだしてくれる時が訪れたのならば――僕は何を捨て置いても、その話に耳を傾けたい。

 あの忍が、生きるという選択肢を手にしたことは、僕にはとても嬉しいことだったのだから。

145: 2010/12/30(木) 12:08:59.73 ID:t2jvEQ1j0

「ありがとうな、忍」

 僕は忍に助けられてばかりだ。

 いつだって、今日だって。

 くるくると蔦草のように縮れていた金髪も、自己修復能力によって元に戻っている。

 頭頂から美しく零れ落ちるプラチナブロンドの髪は、黄金に輝く滝のようだ。

 その姿がどうしようもなく愛しくて、僕は金色に顔を埋めた。

 忍の髪は細く柔らかく、ふわふわとした弾力を僕の頬に返してくる。

 金色の水流によって、僕の心に淀んでいた黒いものが洗い流されるような、清々しい心地よさがあった。

「お前様よ、相談があるのじゃが」

「何だよ、言ってみろ」

 キャラクターのこと以外ならなんでも乗ってやるぞ。

「AKHという名が、かつての名を思い起こさせるのじゃ」

 かつて忍野忍に冠せられていた名前を思い出す。

 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード――イニシャルにすればK.A.Hか。

 並び順こそ違うけれど、AKHの元ネタになっていてもおかしくないくらいの類似性だな。

146: 2010/12/30(木) 12:10:16.44 ID:t2jvEQ1j0
「そこでじゃ。お前様よ――」

 ここで仰々しく咳払いをひとつ。

 忍は、至極真面目な風を装って、

「AKH48とやらのセンターポジションが儂になるよう、ひとつ取り計らってくれんかの」

 と、僕に訴えかけた。

「何を言い出すのかと思ったらそんなことかよ」

 忍の表情と、会話の内容のギャップに、思わず笑ってしまった。

 それに、その答えなら決まってる。

「駄目だ」

「なんじゃと!?」

「AKH48のメンバーにだって入れてやらない」

「鬼じゃ! お前様は本物の鬼じゃな!」

 アイドル活動には野外コンサートだってあるんだぜ。

 西日に晒されたくらいでひどく消耗するような奴に、アイドルなんかさせられるかよ。

 それよりも、何よりも――

147: 2010/12/30(木) 12:12:45.21 ID:t2jvEQ1j0

 こんな姿になってしまった忍を、僕は僕以外の目に触れさせたくない。

 僕は――阿良々木暦というかつて人間だった存在は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードという存在を、設定的に徹底的に決定的に壊してしまった。

 それなのに、鉄血にして熱血にして冷血だった吸血鬼の王が、残り滓ともいえる姿に身を窶しても、僕という存在と共に生きてくれているのだ。

 それがどれほど彼女のプライドを傷つけているのか。僕は1パーセントも理解してやれないのだろう。

 理解する資格もないのだろう。

 だからこそ、忍が生き続ける限り、僕は変わり果ててしまった彼女と共に行くのだ。

 だからこそ、忍が生涯に幕を下ろす時も、僕は変わり果ててしまった彼女と共に逝くのだ。

 お前は知らないかもしれないけれどさ。僕は、お前のことに関してどこまでも真剣なんだぜ。

 だから、AKHの話題を持ち出したってギャグパートに戻してやらない。

 鬼と呼ばれようが、悪魔と罵られようが、AKHには入れてやらない。

 こんな姿になったお前を衆目に晒すなんて、僕は絶対に許さない。

「忍――」

 春休みの出来事を再び思い起こさせるような事態に、僕の情緒は少しばかり不安定になってしまったのかもしれない。

 相手を助けようとして、それとは真逆の結果をもたらそうとしているところなど、本当にそっくりではないか。

 斧乃木ちゃんはまだ助けられるかもしれない。けれど――

148: 2010/12/30(木) 12:14:03.47 ID:t2jvEQ1j0

 けれど、腕の中にうずくまる忍は、最早どうしようもなく、僕が辱めてしまったのだ。

 忍をこんな姿にしてしまったのは、まぎれもなく僕の過ちだ。

 それでも、忍はこの姿で生きようとしてくれている。

 僕は忍に対して、文字通り一生を懸けて償いをしなければならないのだけれど、忍が生きることを受け入れてくれたことは嬉しい――すごくすごく嬉しい。

 僕の命は忍のものだ。

 お前が明日氏ぬならば、僕の命は明日まででいい。

 お前が明日を生きるならば、幾億の明日を迎えよう。

 僕の命は、お前のものだ。

 だから。

 だから、お前は――

「――お前は、僕だけのものだ」

 僕は忍へと回した腕に力を込めた。

 そして、忍は、僕の手に小さな手を重ね、

「ふん、勝手にせい」

 と、柔らかく呟くのだった。

149: 2010/12/30(木) 12:15:37.85 ID:t2jvEQ1j0

「あるじ様よ。そのような命令をするならば、従ってやらんでもない」

 今の儂は、お前様の従僕なのじゃからな、と。

「じゃが、その対価として、儂にすることがあろう」

 忍は、手を重ねたままで、傲然と言い放った。

 なるほど、対価ね。

 僕達の関係は、今でこそ僕が主で忍が従なのだけれど、始まった当初はまったくの逆だった。

 その影響は、今でも色濃く残っていて、互いが互いの主であり従であるという、ややこしくも対等な関係なのだ。

 つまり、忍は『お前の言うことには従うが、お前も同じように従え』と言っているのである。

 そのために、僕はこいつの頭を撫で、服従の意志を示す――つもりなのだけれど……。

「なんじゃ、はよせぬか」

 そうしたいのはやまやまなのだけれど、もう少しこの金色の海に溺れていたい。

 忍の首筋から立ち昇る、甘い熱気を感じていたい。

 うーん、どうにかしてこの体勢のまま、忍に服従を示せないものかな……。

 と、ここで、僕の頭にナイスアイデアが閃いた。

 撫でることによって服従を示せる箇所が、頭以外にもあったのだ。

150: 2010/12/30(木) 12:16:58.76 ID:t2jvEQ1j0

「……お前様よ」

「どうした?」

「なぜ、儂の胸を触っておる」

 なぜって言われてもな。

 お前が自分で言ってたじゃないか、胸を撫でれば頭にする以上に忠誠を示せるって。

「たわけ。それを本気にする奴がどこにおる」

「本気じゃなかったのか!?」

 嘘だったりしたら正直ショックだ。

 大人ヴァージョンの忍に最大限の誠意を見せるのが、僕のひそかな目標だったのに……。

「ええい、うるさいの! もうよいわ! お前様が口リコンじゃったことを失念しておった儂が悪いのじゃ!」

 ? まあいいか。僕は口リコンじゃないのだけれど。

151: 2010/12/30(木) 12:17:59.91 ID:t2jvEQ1j0

 改めて、忍の胸に手をあてる。

 八九寺や斧乃木ちゃんなんかは膨らみかけって感じで、薄いながらも脂肪の層が感じられるのだけれど、今の忍にはそれすらもまったくない。

 あるのは、皮膚と薄い筋肉とあばら骨の感触くらいだ。

 何もかもが薄くて小さくて、少し力を加えただけで壊れてしまいそうな程に頼りない体。

 けれど、それだからこそ――

 心臓の奏でる鼓動が、僕の手のひらに伝わってくる。

 忍が生きているということを実感できる。

「忍、ありがとな」

 僕の所に戻ってくれて、ありがとう。

 再びしゃべってくれて、ありがとう。

 ――生きていてくれて、ありがとう。

 忍、お前が今日を生きてくれるから、僕も今を生きていけるのだ。

 今日も僕を生かしてくれて、ありがとう。

152: 2010/12/30(木) 12:24:45.44 ID:t2jvEQ1j0

「のう、あるじ様よ。儂は飢えておる」

「何だ、腹が減ったのか?」

「儂は飢えておると言っておるのじゃ」

 だから腹が減ったんだろ?

 だったら、そう言えばいいのに。

 どうして『飢える』なんて言葉に、拘泥してるのだろうか。

「そっか、それじゃ急いでミスドにでも……」

「お前様よ。確かにゴールデンチョコレートは儂の大好物じゃが、それで飢えは治まらぬ」

 ああ、そうだったな。とんだボケをかましちまったもんだ。

 忍にとって、ドーナツとは食べ物ではなく嗜好品なのだ。

 好んで口にするものの、それ自体がエネルギーとなるわけではない。

 人間で例えるならば、アルコールだとかタバコに近い存在と言えば、わかりやすいだろうか。

153: 2010/12/30(木) 12:26:05.50 ID:t2jvEQ1j0

「儂の飢えを満たすのは、お前様だけなのじゃ」 

「わかってるよ」

 小さな忍の体を持ち上げ、こちら側に向ける。

 対面でだっこをしているような体勢だ。

 ベンチに腰掛けているので、忍とは一分の隙もなく密着できる体勢でもある。

「お前様のせいで、ずいぶんと気分が昂まってしもうた。うっかり飲み干してしまっても恨むでないぞ」

 別に、そうしてしまっても構わない――そんな気持ちにさえなってしまう。

 忍が本当に望むならば、僕はその運命さえ受け入れてしまうかもしれない。

 でも、今の僕にはやらなくてはならないことが残されている。

「できれば斧乃木ちゃんのことが終わってからにしてくれると嬉しいかな」

「ふん、冗談の通じぬ奴じゃな。これでは興が醒めてしまうわ」

 これからじゃというに、儂以外の女の名を出すでない――そう言って、忍は口を尖らせる。

154: 2010/12/30(木) 12:27:13.33 ID:t2jvEQ1j0

 さっきの発言のどこに忍を怒らせる要因があったのか、僕にはわかならかったけれど、今はこちらが折れる番だろう。

「悪かったよ。それじゃ……」

 ――忍、僕の体を好きにしてくれ。

「今、この僕はお前のものだ」

「合格じゃ。我があるじ様よ」

 そう言って、忍はいつものように、凄惨な笑みを浮かべた。

 これから始まる享楽に満ちた饗宴を想起させるように。

155: 2010/12/30(木) 12:29:53.33 ID:t2jvEQ1j0

 あまりにも今更な説明ではあるけれど、今の時期というものは小学生から大学生までの年齢層にとって、夏休みという長期休暇の真っ最中なのである。

 にも拘らず、浪白公園には子供どころか野良猫の影さえ見当たらなかった。

 子供なら外で遊べ、などと懐古主義的な皮肉を言うつもりではない。

 晩夏の夕暮れを臨む公園に、一切の人影がなかったことに対して、僕は純粋に感謝していたのだから。

 それはなぜか――端的に答えてしまうならば、僕は半裸だったから、と言わなくてはならないだろう。

 付け加えるならば、キャミソール風のワンピースのみを纏った金髪金眼の外国人風美幼女に抱きしめられながら、なのだ。

 ビジュアル的にギリギリである。

 アウトの方だけれど。

 まあ、自分から脱いだわけでもないのだから、そこまで卑屈になることもないのかもしれない――服を脱がせたのは、忍なのだから。

 この日の僕はTシャツにジップアップの半袖パーカーを羽織っていて、脱がせるには少し面倒な服装をしていたのだが、忍はそんな手間さえ省みず、よじよじと不器用に僕の服を取り去っていった。

 どうしてこんなことをする必要があったのか、今ひとつ図りかねる行動なのだけれど、これから吸血するのだから、衣服に血が付かないようにという忍なりの配慮なのかもしれない。

159: 2010/12/30(木) 12:59:15.00 ID:t2jvEQ1j0

 露になった僕の肌に、忍がぴったりと寄り添う。

 忍の身体は、僕と比べて少し体温が低いのか、触れた瞬間はひんやりとしとしていて。

 けれど、次の刹那には、柔らかな温もりを僕に与えてくれていた。

 生を紡ぐその体温が、心にまで染み渡るようにさえ感じられる。

「お前様よ、ぼんやりとするでない。始めるぞ」

 突き放したような物言いではあるのだが、忍の声は柔らかく響いていて、叱責の色合いは見られなかった。

 忍もまた、この状況を快く思っているのかもしれない。

 僕の体温で、同じような心地よさを感じてくれればいいのだけれど。

160: 2010/12/30(木) 13:00:54.93 ID:t2jvEQ1j0

 皮膚が裂け、電流のような鋭い痺れが首筋に走る。

 そして、真皮を突き破った先端は、その奥に隠された線維に到達した。

 その動きは緩慢で、彼女の小さな牙が僕の肉を割り、奥深くへと埋没していく様子を、全ての神経に対して仔細に知らしめるかのように感じられた。

 ぶちりぶちりと筋繊維の断ち切られる音が、鼓膜の内側から響いてくる。

 忍の唇が招くくすりのような快楽と、忍の牙が齎す鋭利な痛みが、ぐちゃぐちゃに混ざり合い、僕の意識を混濁させる。

 ペアリングによって、忍にもこの感覚は伝わっているはずなのだけれど、僕の胸に埋もれる小さな吸血鬼は、それさえも愉しんでいるかのようだった。

「くぅっ……」 

「あるじ様よ。まるで、おぼこのような反応ではないか。この儂を萌えさせるでない」

 そして、燃えさせるでない――と、僕の耳元で囁き、再び牙を突き立てる。

「ぐあぁ……っ!」

 忍はいつもよりも時間をかけ、ゆっくりと先端を押し進めているような気配を感じた。

 動きの鈍さ故に、僕の神経線維は苛烈な痛みによって、絶えず焼かれるのだ。

 そして、その痛みは、首筋に浴びせられる熱い吐息に甘く溶かされる。

 その奔流は、どろどろとうねり、集まり、渦を巻き、へその下あたりに熱い疼きを蝟集させているようだった。

161: 2010/12/30(木) 13:06:49.60 ID:t2jvEQ1j0

 その牙が半分ほどまで埋もれたところで、忍はあっさりと口を離してしまった。

「ふむ、まずはこんなものかの」

 と、言って。

 忍は、傷口から溢れ出す血液を、鮮やかな唇で啜り上げた。

 ぢゅるぢゅると淫猥な音を立てながら。ぴちゃぴちゃと舌で舐りながら。

 そうして忍は、僕から溢れ出した体液を口の中で転がし、ゆっくりと味わってから飲み下す。

 くちゅくちゅという水音が、こくりと嚥下する白い喉が、胸から漏れ出す熱い溜息が、耳孔に張られた薄い膜を通して全身くまなく響き渡る。

 そして、鎖骨まで流れ落ちた体液を、忍は紅く染まった舌で丁寧に舐め取るのだ――ゆっくりと執拗に。

 紅く染まった舌を首に強く押し付け、筋繊維の一条一条を確認するように僕の樹幹を舐め上げる。
 
 ぬめぬめと這い回る肉塊が、背筋に電流を走らせ、僕の神経を焼き尽くすことで、忍の愉悦を充足させているかのようだった。

162: 2010/12/30(木) 13:08:39.91 ID:t2jvEQ1j0

「忍……、忍っ!」

 未だかつて感じたこともないような刺激に、意識が朦朧としてくる。

 忍の小さな体を支えにしなければ、崩れ落ちてしまいそうなほどに。

 忍によってもたらされる様々な刺激へと対抗すべく、僕は忍の小さな矮躯を力の限り抱きしめてしまった。

 寧ろ、それ以外に僕の取りうる選択肢はなかったと言っていいだろう。

 身を捩らせようとも、胴体に回された忍の両脚が、それすらも拒むのだから。

「ふふ、お前様も気分が乗ってきたようじゃな。愛い奴よ」

 今までと違う食事風景に、僕は戸惑いを感じていた。

 いつもであれば、もっと深くに牙を突きたて、溢れ出す血液をごくごくと飲み干すだけなのに。

 今日の忍は、まるで僕をいたぶることを目的としているようにさえ感じられるのだ。

 こんな行為にどんな意味があるというのだろうか。

 こんな食事とも言えない吸血行為に、どんな意味が……

「あるじ様よ、何も考えるな。儂に身を委ねよ。儂に身を任せよ。儂に身を捧げよ」

 ――そして、その身で儂を感じるのじゃ。

 直後、ごりっという鈍い音が僕の内側に反響した。

163: 2010/12/30(木) 13:11:05.53 ID:t2jvEQ1j0

 忍の牙が、その根元まで僕の内側に突き立てられたのだ。

 痛みが、熱が、快楽が、波涛のように襲い掛かる。

 もう忍しか感じられない。もう忍しか考えられない。もう忍しか存在しない。

 僕は狂ったように忍の名を叫び、小さな矮躯に縋りついた――もう僕にはそれ以外することができなかったのだ。

 僕の体液が忍の血肉となることに、倒錯した歓びを感じてしまう。

 忍が血を啜るたびに、背筋がぞくぞくと震える。

 体の内側全てが液体になったようにどろどろとうねる。

 忍の小さな舌が、僕の全てをぐちゃぐちゃに攪拌しているかのようにさえ感じてしまう。

 僕の身体は、忍によって蹂躙され陵辱され破壊され、ばらばらになった細胞全てに、忍の烙印を押されているようだった。

 僕の身体が忍のものであるという、明確な証を。

164: 2010/12/30(木) 13:24:59.56 ID:t2jvEQ1j0

「あるじ様よ、すまぬことをした」

「別にいいよ。お前は僕の血を吸わないと生きていけないんだ」

 忍の飢えを癒すためとはいえ、あんな行為に付き合わされた僕の身体は、ぐったりとしていたのだけれど。

 そういう風に、僕がしてしまったのだから。

「いや、そうでなくての。儂がもっと早くに出ておれば、このような事態に発展することもなかったやもしれぬと」

 ――そう言っておる。

 忍は申し訳なさそうに、小さなため息をこぼした。

「斧乃木の小娘の前に出ることはできなんだ」

 そんな言葉を呟く忍を見て、彼女が何を言いたいのか、ようやく理解することができた。

「あやつは儂に負けたことを気にしておる。それが事の発端でもあったのじゃろう。このような姿形であっても、儂が目の前に現れれば冷静では居れなかったじゃろうな」

 つまり、儂が元凶なのじゃ――と、忍は力なく笑う。

 自虐的に、自戒を込めて。

165: 2010/12/30(木) 13:27:06.88 ID:t2jvEQ1j0

「お前様が、ハチクジと漫談しておった時には、影縫の気配があった。怪異であればなんでもという気勢で、あちこちを飛び回っておったのじゃ」

 あやつがお前様の前に現れたのも偶然ではない。ハチクジの気配を感じて辿り着いたのじゃろう、と。

「まあ、結局は影縫に見つけられてしまったのじゃ。あの陰陽師を呼び寄せることを承知で、お前様に説明をしておくべきだったのじゃろうな」

「おい、待てよ」

 待て。待ってくれ。

 お前の話にはおかしなところがある。

「どうして影縫さんは、斧乃木ちゃんだけを探し当てられなかったんだ?」

 影縫さんは斧乃木ちゃんのパートナーなんだろ? 誰よりも斧乃木ちゃんの気配を感じてきた人なんだろ?

 その影縫さんが、斧乃木ちゃんを探していながら、八九寺なんかに行き当たるっておかしいじゃないか。

 怪異としての存在感であれば、呪縛から解き放たれた浮遊霊の八九寺なんかよりも、斧乃木ちゃんの方がずっと大きいはずだ。 

 彼女には目的があり、任務がある。そのことが彼女を強く存在させるはずじゃないか。

 当て所もなくふらふらと話し相手を探しているような八九寺なんかよりも、ずっと強い気配を放っているはずじゃないか。

168: 2010/12/30(木) 13:49:37.68 ID:t2jvEQ1j0

「なんじゃ、そんなことか」

 忍は何でもないことのように、

「簡単なことじゃ。八九寺なんぞよりも、ずっとずっと斧乃木の存在が薄れておる。それだけのことじゃ」

 とんでもないことを言ってのけた。

「あやつの根幹をことごとく頃したのじゃ。それだけ斧乃木の生命が弱まっておるということじゃな」

「忍! 僕の身体にしっかり捕まってろ!」

 そう叫ぶのが早いか、僕は自転車に飛び乗った。

「お、お前様よ。まさかとは思うのじゃが、このままの格好で行くというのか?」

「当たり前だ!」

「はあ、また我があるじ様の口リコン設定が強化されてしまうの……」

 だから僕は口リコンじゃないっての。

169: 2010/12/30(木) 13:51:29.66 ID:t2jvEQ1j0

 相談を終え、僕と別れる時も、斧乃木ちゃんは生きていた。

 普通に歩いていたし、辛そうな素振りも見られなかった。

 だから、僕は、斧乃木ちゃんの生命に関わるようなことではないと高を括っていたのだ。

 結果的に、斧乃木ちゃんを頃すような行為をしていたけれど、そこまで事態が深刻化しているなんて思わなかったのだ。

 くそっ! どうして僕は、見通しが甘いのだ。

 忍とべたべたしてる場合じゃ――

「あるじ様よ。せっかくのやる気に、水を注すようで悪いのじゃが、斧乃木の小娘は今日明日中にどうなるということもないぞ」

「……どういうことだ?」

 ついさっき、お前自身が言っていたことと、矛盾してないか?

 斧乃木ちゃんの存在は、消えかけてるんだろ?

「消えてしまいそうなほどには弱まっておる、じゃが消えぬ」

「どうして消えずにすむんだよ」

「お前様、さっき自分で言うとったじゃろ。『斧乃木ちゃんは斧乃木ちゃんのままがいいんだ』じゃとか」

 その言葉で、かの小娘は繋がれておるのじゃ。お前様の言葉が、かの小娘の命を繋ぎ止めておるのじゃ――と、忍は半分呆れながらも説明してくれた。

170: 2010/12/30(木) 13:52:21.52 ID:t2jvEQ1j0

「あるじ様よ。確かにお前様は、知らぬこととはいえ、小娘の存在をほとんど削り取ってしもうた。しかし――」

 忍は、僕を諭すように、

「しかし、お前様の言葉があったからこそ、あの小娘は消えずに済んでおる。氏なずに済んでおる」

 ――じゃから気に病むでない。

 そう言ってくれた。

「お前様は、小娘の命を救ったとも言えるのじゃ。酔狂な我があるじ様でなくば、斧乃木の本質を認めるような言葉など出なかったじゃろうしの」

「そっか……」

 僕は、春休みの過ちを繰り返さずに済んだのか。

「ありがとな、忍」

「なに、礼には及ばぬよ」

 忍は凄惨に笑って。

 僕もそれにつられて、笑ってしまった。

171: 2010/12/30(木) 13:56:23.94 ID:t2jvEQ1j0

「なあ、忍」

「なんじゃい」

 笑い合ったついでというわけではないのだけれど、さっきから気に掛かっていた疑問を口にした。

「お前に血を吸われたってのに、ちっとも力が出ないんだが」

「どきっ!」

 えらく古風なリアクションだな。

 心情描写を口で言うな。せめて地の文でやれ。

 まあ、そんなリアクションをするってことは、やっぱり何かあるってことなのだろうけれど。

「そ、それはの……」

 口ごもる忍は、ふにっふにの頬っぺたを、トマトみたいに赤くさせていた。

 耳まで赤くしているところを見ると、恥ずかしがってるのか?

「何だよ、後ろ暗い行為だったのか?」

「そ、そんなことありんせん!」

 何で花魁言葉になってんだよ。キャラ変わってるぞ。

「じゃあ、何だったんだ? あれって」

172: 2010/12/30(木) 13:57:39.78 ID:t2jvEQ1j0

「あれじゃよ……その……、お前様。あ、あれは、食事ではなかった……と、いうことじゃ……」

「あ、そうなんだ」

「リアクション薄っ!」

 僕のリアクションには、本気でびっくりしたようで、なぜか目の端に涙まで浮かべていた。

 忍がショックを受けてる理由はわからないけれど、こいつも食事以外の目的で、血を吸うこともあるんだな。

 僕はもう吸血鬼になっているのだから、種族を増やすためってわけでもないし――

 ――あれ? じゃあ忍はどうして僕の血を吸ったんだ?

 忍だって幼女姿のままだから、僕を頃して力を取り戻そうとしたってわけでもないんだよな。

 だったら、どうしてあんなことをしたのだろうか?

 と、そんな疑問もぶつけてみたかったのだけれど、そうすることはできなかった。

 忍は僕の胸に、深く顔を埋めながら、

「阿呆、阿呆」と、繰り返すばかりで、

 仕舞いには、

「……弩助平」

 などと、消え入るような声で呟くのだった。

174: 2010/12/30(木) 14:22:50.62 ID:t2jvEQ1j0

 信号待ちをしていたときのことである。

 僕の胸で大人しくなっていた忍が、不意に口を開いた。

「あるじ様よ。お前様がいくら人間と睦み合おうとも、儂は構わぬ」

 僕を正面にじっと見据えて、言葉を繰る。

「しかし、儂という存在を切り離さぬ限り、お前様は必ず儂の下に帰らねばならんのじゃ――そのことをゆめゆめ忘れるでないぞ」

「……わかってるよ」

 僕と忍は、運命共同体なのだから。

「僕は戦場ヶ原のことが好きだ。でも、僕の都合で忍を切り離すなんてことは絶対しない」

「そういう意味ではないのじゃ。あるじ様よ」

 疑問を抱く僕に構うことなく、忍は言葉を続ける。

「儂は観光がしたい。まだ富士山とやらにも登っておらぬし――そうじゃ、京都にも行ってみたいの。寺社仏閣巡りじゃ」

 どういうことだろう。忍は遊びに行きたいのだろうか。

「あるじ様と満天の夜空を見上げるのもいいのう」

 そう言って、忍は一番星の見え始めた薄暮の空を見上げた。

「夏の星座はあのツンデレ娘にくれてやる。なれば、儂は冬の星座じゃ」

175: 2010/12/30(木) 14:24:25.40 ID:t2jvEQ1j0

 アセロラオリオン。

 ふと、かつて彼女が冠していたミドルネームを思い出してしまった。

 オリオン座と言えば、多くの人がその姿を認めるほど有名な星座だ。

 そして、そのオリオン座には鮮紅色に輝く星がある。

 α星ベテルギウス――シリウス、プロキオンと共に冬の大三角形を成す赤色超巨星だ。

 こいつに星座の造詣があるのかわからないけれど、今度夜空を見上げる機会があったら教えてあげよう。

「いい提案だな。受験が順調に終われば、冬の星座もまだ見られるかもしれない。そうすれば――」

「そういうことではない」

 そして、混乱する僕に、ようやく回答が示された。

「儂は、あのツンデレ女が氏んだあと、お前様とどう過ごすかを言っておるのじゃ」

 ざくり、と。

「あるじ様よ。儂を殺さぬ限り、お前様は人として氏ねぬ。それどころか老いることすら叶わぬであろう。――理解せよ、儂と共に在るとはそういうことなのじゃ」

 忍の言葉が、胸の奥深くに突き刺さった気がした。

176: 2010/12/30(木) 14:28:19.56 ID:t2jvEQ1j0

「僕は老いることもできなくなってるのか?」

「そうじゃな……」

 忍は躊躇いがちに、言葉を続ける。

「お前様には、吸血鬼の特性が少なからず残っておる。……達者であったはずの水泳ができんようになっておることがいい証拠じゃな」

 つい先日、プールに行った時のことだ。

 カナヅチを克服したいという千石のコーチ役を引き受けた僕は、郊外のプールへと出かけたのだが、そこで大恥をかくこととなった。

 ――僕は、泳げなくなっていたのだ。

 あの妹達に自慢できる数少ない特技であっただけに、忍に諭されるまで、いくらもがいても沈みゆく我が身が信じられなかった。

 吸血鬼は泳げないのじゃ、と。

 そう諭されて、僕はようやく理解した。

「今の時点で確実なことは言えぬが、そうなっておる可能性は高いじゃろう」

「そっか」

 鏡には映る。影もできる。けれど――

 泳ぐことはできない。そして、老いることもできない、か。

177: 2010/12/30(木) 14:30:12.42 ID:t2jvEQ1j0

「しかしの、あるじ様よ。お前様の吸血鬼性は、変えられるじゃろ。治癒能力も、太陽への耐性も、儂との血の交換によって程度が変わろう」

 つまり、と。

 忍は、何でもないことのように、平静を装って、

「儂の力を真の限界まで吸ってしまえば、あるいは人として老いることも可能やも知れぬ。それこそ儂が昏倒するほど、徹底的にじゃ」

 けれど、僕の予感通り、平静では居られないことを言ってのけたのだ。

「待ってくれ、そんな事をしてお前は大丈夫なのか?」

 ――お前は、氏んでしまわないのか……?

 そんなこと、僕は望んじゃいないんだ。

 お前が生きていてくれるから、僕は辛うじて生に縋りつくことができるんだ。

「安心せい。眠りに就くというだけじゃ。氏にはせぬよ」

「でも……」

「あるじ様は心配性じゃな。これでもお前様の気持ちくらい理解しておるつもりじゃよ」

 そう言って、忍は僕の頭を撫でてくれた。

 小さくされてしまった手で、狼狽した僕を落ち着かせるように。

 こんな僕を、慈しむかのように。

178: 2010/12/30(木) 14:31:57.15 ID:t2jvEQ1j0

「忍、僕の気持ちを聞いて欲しい」

 今こそ、僕の偽らざる気持ちを告白するべきなのだろう。

「僕は戦場ヶ原のことが好きだ」

 誤解を恐れず。拒絶を怖れず。

「あいつと一緒に生きて、あいつと一緒に年老いて、そして――あいつの最期を看取ってやりたい」

 ありのままの気持ちを、忍に伝えなければならない。

「それが僕の、人間としての夢なんだ」

 いつか羽川の言っていた言葉を思い出す。

「この夢が叶ったら、人間としての僕に未練なんかなくなるさ」

 一人より二人、三人より二人。

「そして僕は、忍と生き続けるよ。それが僕の――怪異としての夢だ」

 お前が明日を生きるというのなら、僕は幾億の明日を迎えるさ。

 忍と一緒ならば、永遠だって生きていけると――僕には確信があるから。

179: 2010/12/30(木) 14:33:01.92 ID:t2jvEQ1j0

「どれだけ先のことになるのかなんてわからない。待っていてくれなんて言えるような時間じゃない。だから、お前が嫌だというのなら諦める」

 どうしようもなく自分勝手な我侭だなんてことは重々承知している。

 だから、忍に拒絶されて当然だとさえ思っている。

 でも。

 それでも。

 僕は忍に伝えなければならない。

 だってこれが、人間であり怪異でもある僕の――

「阿良々木暦の夢なんだ」

181: 2010/12/30(木) 14:39:32.66 ID:t2jvEQ1j0

「…………たわけ」

 それが忍の第一声だった。

「お前様は阿呆じゃ。救いようのない阿呆じゃ」

「そうだよな。ごめん、謝るよ」

「あるじ様よ、儂は今や従僕なのじゃ。お前様の意見に反対などできようはずもない」

「いや、そうじゃなくて、僕はお前の意思を――」

「儂は眠りに就くのじゃ。例え何十年かかろうとも、儂にとっては一瞬じゃよ」

 ――じゃから、お前様の好きにするがよい。

 そう言って、忍は僕の胸に顔を埋めた。

 ぐりぐりと金髪を押し付け、駄々っ子がむずかるように。

182: 2010/12/30(木) 14:40:54.01 ID:t2jvEQ1j0

「やれやれ、いつの時代も女は港よの。まったく、損な役回りじゃよ」

 うなだれる忍がどうしようもなく愛しくて、

「忍、ちょっとこっちを向いてくれないか」

「何じゃ、藪から棒に……」

 僕はその唇に口付けてしまった。

 忍の唇はやはり薄くて小さくて――けれど、どこまでも沈んでしまいそうなほど柔らかかった。このまま溺れてしまいそうなほどに。

「なっ! 何するんじゃ!」

 忍の透き通るような白い肌が、赤く赤く染まっている。

 それはきっと、地上へと沈みゆく太陽が放つ、夏の残照によるものではないのだろう。

「初ちゅーが! 夜空を見上げながら捧げるはずじゃた儂の初ちゅーが!」

 あはは、火憐ちゃんや月火ちゃんみたいなリアクションしてやがる――って、ちょっと待て!

「えっ、お前キスしたことなかったの?」

「当たり前じゃ! 儂の初めてをこんなにも軽々しく奪うなど、お前様はやはり鬼じゃ!」

 涙目になってるところを見ると、本当にファーストキスだったようだ。

183: 2010/12/30(木) 14:42:47.77 ID:t2jvEQ1j0

 いや、五百年も生きてきて、キスしたことないっておかしくね?

 忍って口リキャラっぽい見た目の癖に、樹木だったら県の天然記念物に指定されるレベルで生きてきたんだぜ。

 っていうか、こいつの生まれたヨーロッパじゃ、キスって挨拶みたいなもんなんだろ?

「儂は最早キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードではない。忍野忍として、新たな生を受け入れたのじゃ」

 きゅっ――と、締め付けられるような錯覚と、それに随伴する心地よい痛みが、胸の奥底から湧き出でてくる。

「我があるじ様よ。お前様が儂のあらゆる初めてを奪うことになるのじゃ」

 その甘い痛みは、正月に飲んだお屠蘇のように、するすると全身に行き渡り、そして、僕の身体を熱く燃え上がらせた。

「じゃから、もう少しムードというものを――んむぅ……っ!」

 忍の熱い吐息が、胸の奥深くまで染み渡る。

 この気持ちは恋ではないと思う。

 けれど、忍がこんなにも僕という存在を受け入れてくれるのならば、僕は誠意をもって迎えるべきだろう。

 胸の内から生まれる、忍野忍への愛情をもって――

 忍、ありがとう。

 こんな僕と共に生きることを選んでくれて、本当にありがとう。

184: 2010/12/30(木) 15:02:41.31 ID:t2jvEQ1j0

 それからは、僕の出番などなかった。

 斧乃木ちゃんは、あの叡光塾にいて。

 そして、斧乃木ちゃんの傍には、当然のように影縫さんが寄り添っていて。

 人間と怪異の姉妹によって、この騒動は解決されたのだから。

「余接、なんでこないなことしたんや?」

「ボクは変わらなきゃいけなかったんだ」

 大口を叩いておきながら、あの吸血鬼に完敗しちゃったから、と。 

 お姉ちゃんの足手まといになんかなりたくなかったから、と。

 だから、ボクは変わらなきゃいけなかったんだ、と。

 斧乃木ちゃんなりに、悩んだうえでの行動だったのだと、包み隠さず話していた。

185: 2010/12/30(木) 15:03:37.59 ID:t2jvEQ1j0

「妹っちゅうんはな、お姉ちゃんに迷惑かけてなんぼなんやで」

「でも……」

「それにな。余接が一人立ちしてもうたら、お姉ちゃん寂しいわ」

「お姉ちゃん、ごめんなさい……」

「かまへんよ。余接はええ子やな」

 そう。

 僕の出る幕など、まったくなかったのだ。

186: 2010/12/30(木) 15:04:59.58 ID:t2jvEQ1j0

 後日談というか、今回のオチ。

 斧乃木ちゃんは元通りの絡みづらいキャラクターに戻った。

「鬼のお兄ちゃん、いろいろと迷惑をかけたね」

 少しばかり照れくさそうにしている辺り、申し訳ないという気持ちもあるのだろう。

 けれど、自分のキャラクターについて、もう迷いはないようである。

「鬼のお兄ちゃんとはまた逢う気がするよ。それも近いうちに。だから、その日まで――」

 斧乃木ちゃんは

「またね――僕はキメ顔でそう言った」

187: 2010/12/30(木) 15:07:56.60 ID:t2jvEQ1j0

 一方の影縫さんは、相変わらず辛辣だった。

「余接が持ち込んだことやさかい、今回の件は不問にしたるわ。けどな、おどれが唆しとったら氏刑やったで」

 命拾いしたな――と、影縫さん。

 氏刑て。

「余接はああ言っとるけど、鬼畜なお兄やん、おどれとはもう二度と逢いとうないわ」

 それはこっちの台詞ですよ。

 ――と言いたい所だったのだけれど、関西弁キャラであるにもかかわらず、冗談の通じそうにない影縫さんに、そんな命知らずな発言などできるはずもなく、僕は「ご迷惑をおかけしました」と誠意のない謝罪を述べるに留まった。

「そないな訳で、うちからの挨拶はこうや」

 さようなら――二度目となる別れの言葉と共に、影縫さんは妹と手を繋いで家路に着いた。

188: 2010/12/30(木) 15:09:27.29 ID:t2jvEQ1j0

 影縫さんの後姿を眺めながら、彼女のキャラクターについて、ふと思うことがあった。

 地面に足を着けないという影縫さんの、まるで小学生のような縛りも、深い意義が存在しているのだろう、と。

 某週刊漫画誌の看板漫画(現在休載中の奴である)で例えるならば、自らに制限を課すことで能力を高めている――とか。

 仮にそうなのだとしたら、影縫さんが地に足を着けた時、絶命してしまうのではないだろうか。

 彼女の常人離れした身体能力を考えれば、あながち的外れでもないような予感さえしてしまう。

 もしも、再び影縫さんと対峙するようなことになれば、広い空き地にでも駆け込もう。

 そんな事態に陥るだなんて、想像したくもないのだけれど。



 こうして今回の騒動は終焉を迎えることとなった――かのツーマンセルに限っては。

189: 2010/12/30(木) 15:11:18.61 ID:t2jvEQ1j0

 この騒動を通じて、最も変化の現れたキャラクターを挙げるならば、忍であるだろう。

 以前と比べ、食事の回数が極端に減ってしまった。

 僕の影に移り住んでからというもの、エナジードレインが働いているため、元々食事の機会だって頻繁ではなかったのだけれど。

 その代わり、というわけでもないのだろうが、件の食事ではない吸血が増えてしまった――それも、大幅に……。

「あるじ様よ、儂は飢えておる」

 そう言って、毎晩のように僕の体を蹂躙するのだ。

 それが就寝前のベッドであるのならばまだいい(本当は良くないのだが)。

 風呂場で求められた時には、本当に困ってしまった。

190: 2010/12/30(木) 15:12:39.67 ID:t2jvEQ1j0

 見た目八歳ほどの口リ忍に対して、特別意識するはずもないのだけれど(くどいようだが僕は口リコンではない)、

 お互い一糸纏わぬ身体であるにもかかわらず、ぴったりと密着してくる忍には、さすがに動揺を隠せなかった。

 忍は、狭い浴槽の中で正面から抱きつき、あまつさえその両脚を絡ませるのだ。

 しかも、そんな体勢で、

「あるじ様よ。儂が今ここで、本来の姿を取り戻したら、お前様はどんな反応を見せてくれるのじゃろうな」

 くふふ――と、凄惨に笑いながら、絡ませた脚を締め付けてきやがる。

 氏ぬ。

 そんな事態に発展したら、僕の理性は間違いなく氏ぬ。

 もしくは殺されるだろう。

 忍の色香に、などという甘い夢想ですらなく、文字通りの意味で――戦場ヶ原あたりの手にかけられて。

191: 2010/12/30(木) 15:15:13.57 ID:t2jvEQ1j0

「んっ……、もう朝か……」

 最近いつもこんな目覚めである。

 毎晩気を失うようにして眠りに就き、ふと気がつくと朝になっている。

 まるでタイムリープしているような感覚だ。

「はあ……」

 体の芯にどんよりと鈍く垂れ込める疲労感によって、昨晩の饗宴が如何に苛烈であったか思い知らされているようだった。

 気分の方は妙にすっきりしてるだけに、普段より重く感じる体が恨めしい。

 忍の食事が日に三度となった場合、果たして僕はキャラクターを保っていられるのだろうか。

 などと、詮無いことを考えながら、ぼんやりとした意識のままに、視線を彷徨わせる。

 すると、ドアの隙間から、こちらを伺う人影と目が合ってしまった。

 僕の大きいほうの妹――火憐ちゃんである。

192: 2010/12/30(木) 15:17:00.93 ID:t2jvEQ1j0

「どうしたんだよ、火憐ちゃん。そんなところに居るなら、起こしてくれても良かったじゃないか」

「えっと……、兄ちゃん一人だけなのか?」

「? 何言ってんだ。この部屋に僕以外の人間がいるわけないだろ」

「でも……」

 何だよ、歯切れが悪いな。

「そんなに心配なら調べてみりゃいいじゃないか。突っ立ってないで入ってこいよ」

「いいの?」

「入ってこいと命じながら、やっぱり駄目だなんて言えるはずないだろ」

「いやさ、兄ちゃんにも時間が必要かなって」

「そんな必要なんてない。早く入ってこい」

「そいやっさ!」

「朝から元気だな! お前ってば!」

 正直うらやましいぞ。

193: 2010/12/30(木) 15:19:12.69 ID:t2jvEQ1j0

「火憐ちゃん。どうして普通に起こしてくれなかったんだ?」

「あたしもそうしたかったさ。でも、ここ最近兄ちゃんの部屋から変な声が聞こえてくるから……」

「変な声?」

 まさかとは思うが、忍の声でも響いてしまっているのだろうか。

 影に居るならまだしも、実体化してる時はそこら辺の幼女と変わらないからな。

「なんかこう、苦しんでるっていうか、悶えてるっていうか」

「ずいぶん曖昧な物言いだな。もっとはっきり言ったらどうだ?」

「兄ちゃんのエOチな声が聞こえるんだ!」

 はっきり言いすぎである。

「えっと、その……、兄ちゃんって彼女いるんだろ? だから、その……」

「え? え?」
 
「兄ちゃんってば、毎晩彼女さんと、その、……してるんじゃないかって」

 だから、兄ちゃんを起こせなかったんだ、と。

 火憐ちゃんは、本当に火が出るのではないかと心配になるほどに、赤くなった顔でそう言った。

 火憐ちゃんが言葉を濁した部分について問い質せる程、僕は純情ではなかった。

195: 2010/12/30(木) 15:20:41.50 ID:t2jvEQ1j0

「あたしなんか兄ちゃんの声でムラムラしちゃって寝不足なんだぜ?」

 寝不足なんだぜ?――とか言われても困る。

 それに実の兄の声でムラムラするんじゃねえよ。普通に気持ち悪いぞ。

 いや、それよりも何よりも、もう一人の妹が姿を見せないとはどうしたことだろうか。

 火憐ちゃんが気付いている以上、あの月火ちゃんが感知していないはずがない。

「なあ火憐ちゃん、月火ちゃんはいないのか?」

「月火ちゃんならコンビニに行ったよ」

「まさか千枚通しを買いに行ったのか!?」

「いや、違うけど」

 ああ、良かった。刃傷沙汰には発展しないみたいだな。

 せいぜい粘着テープで雁字搦めにされて監禁コースか。気道さえ確保できれば氏ぬこともなさそうだ。

「電動ノコギリを買うんだって飛び出して行ったぜ」

 ……拷問致氏コースだった。

197: 2010/12/30(木) 15:23:03.54 ID:t2jvEQ1j0

「なんで止めなかったんだよ!」

「あたしだって止めたさ。こんな夜中に女の子が出歩くもんじゃないよって」

「そこじゃねえだろ!」

 相変わらず馬鹿な妹であった。将来が不安になる。

 ていうか、月火ちゃんは夜中に飛び出していったのかよ。我が妹ながらぱねえ……。

「さすがにコンビニじゃ売ってないだろうし、今頃お店が開くのを待ってるんじゃないかなあ」

 世間広しといえども、徹夜組で電動ノコギリを買い求める女子中学生など月火ちゃんくらいであろう。

 せめてモンハンくらいに留めて欲しいものだ。

 ぼんやりと、月火ちゃんの将来について、考えをめぐらせていた隙に(と言っても数十秒程度である)、仇敵の接近を許してしまった。

「えへへっ」という可愛らしい笑みと共に、いつの間にか火憐ちゃんがにじり寄ってきていたのである。

 接近を許したこと自体も怖かったが、火憐ちゃんの女の子らしい笑顔というものが何より怖かった。

 いや、ちょっと違うか。

 火憐ちゃんの笑顔を可愛いと思ってしまっている自分が怖かった。

 口リコンだけでは飽き足らず、シスコン属性まで付与されようとしているのか。

 僕のキャラクターは、どこまで転落すれば落ち着くというのだ……。

198: 2010/12/30(木) 15:27:00.66 ID:t2jvEQ1j0

「兄ちゃん、月火ちゃんが帰ってくるまで暇だろ? あたしといいことしようぜ!」

 いいことってなんだよ……。おっさんくさい言い回しだな。

「あたしとエOチなことしようぜ!」

「ごめんなさい! おっさんくさい言い回しのままでお願いします!」

 いや、こんな些事よりも、僕にはもっと突っ込まなくてはならないことがある……。

「待て、火憐ちゃん! お前だって月火ちゃんの怖さは良く知ってるだろ?」

「そりゃもちろんさ。あたしは月火ちゃんのパートナーなんだぜ?」

「だったら僕を逃がすって選択肢はないのか」

「兄ちゃん、そりゃダメだ」

「なんでだよ!」

「兄ちゃんを逃がさないようにって、月火ちゃんから言われてるし」

 ああ、それでドアの隙間からこっちを見張っていたのか――って、そうじゃなくて!

199: 2010/12/30(木) 15:28:49.52 ID:t2jvEQ1j0

「それに、月火ちゃんが帰ってくるまで、兄ちゃんに何してもいいってお許しをもらったんだぜ!」

 いや、そこは喜ぶところじゃねえだろ。

 なんで妹からお許しもらって嬉しそうにしてんだよ。

 しかし、そんな僕の突っ込みなどお構いなしとばかりに、火憐ちゃんは臨戦態勢へと移行していた。

「ふっふーん。兄ちゃん、本気のあたしから逃げられると思うなよ」

 という言葉と共に、火憐ちゃんは腰を低く落とす。

 レスリングでいうところのスピアタックルの体勢である。

 初手からガチかよ。

 僕が生き永らえるには、火憐ちゃんの魔手から逃れ、月火ちゃんの怒りを解くより他に道は残されていないというのに――

 コンボイの謎もびっくりの無理ゲーじゃねえか。

「行くぜ兄ちゃん! 観念しろ!」

 キャラ崩壊によって生命の危機に窮するのは、何も怪異に限ったことではないようである。



                                         <しのぶアライブ おわり> 

204: 2010/12/30(木) 15:48:26.70 ID:t2jvEQ1j0
お疲れ様でした。

100レス超にも及ぶ拙文に、お目通し頂きました皆様には、この場をお借りして謝辞を述べたいと思います。
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

なるべく原作に準拠した文章になるよう努めてまいりましたが、
斧乃木ちゃんの黒歴史を始め、様々な不備がありましたことをお詫び申し上げます。

次回は未定ではありますが、お気づきの際には、またお付き合い頂けますと幸いです。
その時には、本作以上の文章となるよう、努力する所存です。

末筆ではございますが、長時間に亘りご支援頂きました皆様へ
拙作を最後まで投下できたのも、皆様のご協力によるものです。
本当にありがとうございました。

205: 2010/12/30(木) 15:49:39.23 ID:MDLO5EQ20
よかったよ
乙乙乙!!

215: 2010/12/30(木) 19:20:03.33 ID:F0h9upRH0


面白かったー

引用元: 阿良々木「斧乃木余接改造計画?」