558: 2011/09/17(土) 21:43:52.43 ID:PrE/G5mJ0

律「終末の過ごし方」【前編】
律「終末の過ごし方」【中編】



「胸に残る音楽をお前らに。本当の意味でも、ある意味でも、とにかく名曲をお前らに。
今日もラジオ『DEATH DEVIL』の時間がやって来た。
この番組も、今回入れて残り二回。
日曜休みだから、土曜が最後の放送って事になるわね。
勿論、お付き合いするのは、いつもの通り、このアタシ、クリスティーナ。
終末まではお前らと一緒!
後二回、ラストまで突っ走ってくから、お前らも最後までお付き合いヨロシク!

……いやあ、にしても、思えば遠くに来たもんだ。
飽きたら早々に打ち切ってもらおうと思ってたのは内緒の話だけど、
これまたやってみると中々コクがあって、濃厚なのに、不思議と飽きが来なかった。
って、料理番組の感想みたいだけど、でも本当にそんな感じ。
一ヵ月半って短い間だったけど、この番組もリスナーのお前らもアタシの宝物。
残り二回の放送が心底名残惜しいわよ。

でも、勘違いしないでよね、お前ら。
終わるのはラジオ『DEATH DEVIL』の終末記念企画だからさ。
来週からはラジオ『DEATH DEVIL』の終末後記念企画が始まる予定なのよ。
超絶パワーアップ予定でさ。
そんなわけで、来週月曜から新装開店なんで、引き続き本番組をヨロシク。

あ、ディレクターがそんなの聞いてないって顔してる。
そりゃそうよね、言ったの今が初めてだもん。
いいじゃんか、ディレクター。
言ったもん勝ちだし、まだこの番組続けたいじゃん?
リスナーの皆も望んでると思うし、誰も損しない素敵企画だと思うけど?

……お。
苦笑いしてるけど、ディレクターからオーケーサインが出たわよ、お前ら。
おっし、これで本決まり。
ラジオ『DEATH DEVIL』破界篇は次回で終了。
来週からラジオ『DEATH DEVIL』再世篇にパワーアップして再開予定って事で。
ちなみに破界篇の『かい』は世界の『界』で、
再世篇の『せい』は世界の『世』って書くからお前らもよく覚えといてね。
何でかって?
いや、あんのよ、そういうゲームが。
深い意味は無いから、それ以上はお前らも気にしないで。
けいおん!highschool (まんがタイムKRコミックス)

559: 2011/09/17(土) 21:44:42.79 ID:PrE/G5mJ0
分かってるって。
別に終末の事を忘れてるわけじゃないよ。
日曜日の陽が落ちる前には、終末が……、世界の終わりがやって来る。
誰も望んじゃいないけど、とにかく足音響かせて、まっしぐらに終わりがやって来る。
でもさ、未来の事は誰にも分かんないじゃない?
九分九厘世界が終わるらしいけど、それは確定した未来じゃない。
『未来』ってのは、『今』になるまで永久に『未来』なんだから、
それがどうなるか不安に推論してたって無意味でしょ?
日曜日に世界がどうなるかは、結局は日曜になってみるまで分からない。
だったら、別に来週の事を予定してても、悪くないんじゃない?
馬鹿みたいだって自分でも分かっちゃいるけどさ。

え?
どしたの、ディレクター?
九分九厘じゃ全然決まってないも同然だって?
九分九厘……、あ、ホントだ。
九分九厘じゃ一割にもなってないじゃん。
こりゃ失礼。
いや、アタシの友達がさ、99%の事を九分九厘って言うのよ。
ついその口癖が感染しちゃったみたいね。
馬鹿みたいと言うか、ホントに馬鹿で申し訳ない。
正確には九割九分九厘終末がやって来るって話だけど、
それにしたって確定してないのは確かなんだし、確率の話をしててもしょうがないわよ。
……確率を思いっ切り間違えてたアタシが言うのもなんだけどさ。
あははっ、まあ、勘弁してちょうだい。

話はちょっと変わるけど、お前らパンドラの箱の話って知ってる?
有名な話だから知らない人は少ないと思うけど、
その箱を開けたら、世界にあらゆる災厄が飛び出して来たって話ね。
箱を開けたら、艱難辛苦、病別離苦、そんな感じの四苦八苦が世界に蔓延しちゃった。
四苦八苦は仏教用語だけど、それは今は置いといて。
それだけ災厄が一気に飛び出たけど、
一つだけパンドラの箱の中に残ってた物があったらしいのよ。
それは『希望』……、なーんて言い古された話をしたいわけじゃない。
箱の中に残ってた物が何なのか色んな説があるみたいだけど、
一説によると残ってた物は『予知能力』なんだって説もあるらしいのよね。

確かに人が『予知能力』なんて手に入れちゃったら、最高の災厄だと思わない?
先の事が分かんないから、人生ってやつは面白いし、人は生きていけるんでしょ?
馬鹿みたいって言うか馬鹿だけど、
アタシ達は先の事が分かんないから、どうにかながらでも生きて来られた。
終末が近付いてても、馬鹿話どころか来ないはずの来週の話までできる。
未来の事が分からないから……、そういう事ができるのよね。
人間って、そういう馬鹿な生き物でいいんじゃないかって、アタシは思うのよ。
だから、思う存分、未来の話をしようじゃない?
例え存在しない未来でも、『現在』を生きられるならそれもアリでしょ?

……しまった。
やけに真面目な話になってしまった。
ひょうきんクリスティーナと呼ばれるくらい、
ひょうきんに定評のあるアタシとした事が……。
ま、アタシはそう思うってだけの個人的な意見よ。
お前らはお前らの思うように生きてくれれば、それでオーケー。
自由を求めて、自由に生きてくのがロックってやつだしね。

さってと、そろそろ今日の一曲目といきますか。
今日の一曲目も終末っぽいって言ったら、終末っぽいのか?
歌詞を見る限り、内容が全然理解できないけど、
もしかしたら終末の曲なのかもしれない……と思わなくもない曲。
そんな変わり種の今日の一曲目、愛知県のジャガー・ニャンピョウのリクエストで、
サイキックラバーの『いつも手の中に』――」

560: 2011/09/17(土) 21:45:59.77 ID:PrE/G5mJ0






「りっちゃんが着たがってたあの高校の制服、お友達から借りられたのー」

それなりの楽器の練習の後、お茶の準備をしながら、
いつもと変わらないほんわかとした柔らかい表情でムギが微笑んだ。

「えっ? マジで? ホントに?」

少し大袈裟に私はムギに尋ねてみる。
勿論、疑ってるわけじゃない。
確かあの高校の制服の話をしたのは、確か『終末宣言』前の約一ヵ月半前の事だ。
言い出しっぺの私ですら半分忘れ掛けてたのに、
ムギがその約束をずっと覚えてくれれたって事に私は驚いていた。
それもただの一ヵ月半じゃない。
世界の終わりまで残り少ない時間の中で、
ムギは私との約束を果たそうとしてくれてたんだ。

「ありがとな、ムギ!」

申し訳ないんだか、嬉しいんだか、
何とも言えない気持ちになって、私はお茶の準備をするムギに後ろから軽く抱き着いた。

「ちょっと……、危ないよ、りっちゃん」

叱るような口振りだったけど、口の端を笑顔にしながらムギが言った。
お盆にお茶を乗せたムギに抱き着くのが危ないのは分かってる。
でも、抱き着きたかったんだ。
それくらい私の胸は色んな気持ちでいっぱいだった。
ムギはいい子だな、本当に……。

「おい律……、危ないぞ?」

「わーってるって、み……」

その言葉に返事しようと顔を向けた私は、一瞬言葉を失った。
そこには嫉妬に燃えてるってほどじゃないけど、若干不機嫌そうな顔の澪が居たからだ。
昨日友達以上恋人未満になっておいて、
よりにもよってそいつの前で他の子に抱き着くのは、確かにあんまり褒められた事じゃないよな……。
別の意味でも危なかったか……。

「ごめんごめん、ちょっと危なかったな」

「気を付けろよ、律」

「ああ、分かってるって」

言いながら私がムギから離れた直後くらいに、
澪が不機嫌そうな顔から軽い苦笑に表情を変えていた。
少しは嫌だったんだろうけど、不機嫌な表情は半分演技だったらしい。
ムギ相手にやった事だし、澪自身もそんなに心が狭い奴ってわけじゃない。
軽い警告の意味で不機嫌そうな演技をしたんだろう。
澪自身が嫌だからと言うより、
将来的に深い仲になる誰かの前でそういう事をするなって事を、私に教えてくれたみたいだ。
やれやれ。
澪は私の母さんかよ……。
そう思わなくもないけど、私を心配してやってくれた事だし、悪い気はしなかった。
まあ、将来的にそんな深い仲になる予定があるのは、今は澪しかいないんだけどな。

「でも、あの高校の制服が着られるのは嬉しいよな。
ありがとう、ムギ」

澪がムギに軽く微笑み掛ける。
「いえいえ」とお盆に置いたお茶をそれぞれの机に置きながら、ムギが会釈した。
その二人の様子はとても仲の良い友達そのもので、
澪がムギに対して嫉妬してるって事もやっぱりなさそうだ。
心なしかムギが私達を見る目も、いつもより生温かく見える。
ひょっとして……、私と澪の関係、気付かれてる……?
いや、別に隠す事じゃないんだけどさ……。

561: 2011/09/17(土) 21:47:39.84 ID:PrE/G5mJ0
「遂に私達があの高校の制服に袖を通す時が来たか……」

「何を大袈裟に言ってるんですか、唯先輩」

「えー……。
あずにゃんはあの高校の制服を着るの楽しみじゃないの?」

「楽しみですけど、そんな大袈裟に言うほどじゃないです」

「もー。あずにゃんのいけずぅ」

「何がいけずですか……」

不意に顔を向けると、唯と梓がこれまた仲が良さそうに会話していた。
先輩と後輩としては少しどうかと思うが、
それでも久しぶりにそんな唯と梓の姿を見るのは純粋に嬉しかった。
私がボケて、澪が注意して、ムギが皆を思いやって、唯と梓が子供みたいにじゃれ合う。
そんな時間を取り戻せた事が、今は本当に嬉しい。

「ところで、その制服は何処にあるんだ?
明日持って来てくれるのか?」

笑顔になりながら、私は目の前のムギに訊ねてみる。
お茶の準備を終えたムギも軽く微笑みながら返す。

「ううん、あの高校の制服はもう持って来てあるの。
さわ子先生の衣装と一緒に、ハンガーで掛けてあるんだ。
本当は制服を着るのは明日がいいかなとは思ってたんだけど、
今日の方がいいかもって思い直したんだ。
多分、明日はさわ子先生の衣装をたくさん着る事になると思うし……」

「だろうなー……」

少し呆れながら、私は小さく呟いた。
昨日、土曜日にライブを開催する事を皆に伝えると、
即座に部員全員が手を上げて快くライブへの参加を決めてくれた。
皆ならそうしてくれるだろうと思ってはいたけど、やっぱり嬉しかった。
その時、少し泣き出しそうになってたのは、誰にも内緒だ。
ついでに言えば、昨日家に帰った後、
広辞苑で『役不足』の意味を調べた時の私の表情も誰にも内緒だ。

とにかく、ライブに部員が全員参加する事が決まった後、
私達は信代やいちご、聡や憂ちゃんとか、そんな思う限りの知人に連絡を取った。
観に来てはくれなくてもいい。
ただ私達が最後にライブを開催する事だけは、皆に知っておいてほしかったから。
でも、全員とは言わないけど、
多くのクラスメイトや友達が私達のライブを観に来てくれると言ってくれた。
こんな時期なのに、私達の最後のライブを観てくれる……、そんな皆に心から感謝したい。

勿論、さわちゃんも私達のライブを観に来てくれると言っていた。
「最後のライブに相応しい、素敵な衣装を持ってくわよ!」と余計な言葉まで添えて。
いや、余計な言葉って言ったら、すごく失礼だとは思うんだけど……。
思いはするだけど……さ。
それでも、澪と梓が珍しくそのさわちゃんの衣装を着る事を反対しなかった。
むしろ自分から進んでその衣装を着たいって言い出したくらいだ。
当然、そのさわちゃんの衣装を心から着たいわけじゃなくて、
その衣装を着る事で、これまでさわちゃんにお世話になった感謝の気持ちを示したいからだ。
その気持ちは私だって同じだった。
澪と梓が反対しないんなら、
私だって最後の……高校最後のライブくらいは、さわちゃんの好きにさせてあげたいんだ。

そんなわけで、ムギの言葉は本当に正しい。
確かに今日の内に着ておかないと、
明日あの高校の制服を着るどころか、目にできるかどうかすら危うい。
早めに、今すぐにでも着ておかないと、
折角のムギの努力を全部水の泡にしちゃう事になる。

「じゃあ、お茶飲んだらすぐにあの高校の制服に着替えようぜ、皆。
練習もあの高校の制服でやろう。
急がないと、衣装合わせとか言って、さわちゃんが来るかもしれないしな」

少し焦って私が言うと、皆が非常に神妙そうな表情で頷いた。
私達の心は今こうして一つになった。
一つになり方が、非常に微妙だが。

565: 2011/09/19(月) 14:36:50.84 ID:i61ag9xK0





さわちゃんの衣装の中に埋もれて、
あの高校の制服はさりげなくハンガーに掛けられていた。
実はムギが言うには、一週間前には既に友達から借りていたらしい。
でも、私達のそれぞれが悩みを抱えている事に気付いていたムギは、
皆の悩みが少しでも解決するまで、制服の事は誰にも言わないでおこうと思ったんだそうだ。
あの学校の制服を着るなら、皆揃って、笑顔で着られる方がいい。
「変な我儘で皆に秘密にしてて、ごめんね」と苦笑しながらムギが言ったけど、
そのムギの変な我儘を悪く思う部員なんていなかった。
大体、それは変な我儘じゃなくて、ムギの思いやりなんだから。

私達はムギの思いやりに感謝しながら、部室の中であの高校の制服に着替え始める。
一緒に大浴場にだって入ってる仲だ。
変な照れもなく、皆手早く着替えを終えていった。
特に部室で水着に着替える事も躊躇わない唯とムギの着替えは、そりゃ早かった。
物凄い早着替えだった。
唯なんか上下の下着丸出しになってから、誰の視線も気にせずそのまま着替えてた。
決して悪い事じゃないんだけど、妙に複雑な気分になるのは何故だろう。
唯よ……、今更だけど、女子高とは言え、
女子は人前では普通ブラジャーとパンツを丸出しにせず、上下片方ずつ着替えるもんなんだぞ……。
唯らしいっちゃ、唯らしいんだけど……。

でも、唯がそんな見事な着替えっぷり(脱ぎっぷり?)を見せてくれたおかげで、
残る私達も初めて着るあの高校の制服を戸惑わずに着替える事ができた。
初めて着る服って、どんな服でも少しは戸惑うもんなんだけど、流石は唯だ。
伊達にメイド服ですら、即座に着方を覚える女じゃない。
その能力と情熱をもっと他で生かせればいいんだけど、それでこそ唯でもある。

「りっちゃん、カックイー!」

制服に着替え終わった私の姿を見て、唯が珍しく私に対する称賛の声を上げた。
普段が普段だから、またからかわれてるのかと思ったけど、
私の姿を褒める唯の輝いた瞳には嘘が無いように見えた。
どうやら純粋に褒めてくれてるらしい。
まあ、私自身ってより、制服自体が格好いいからってのもあるんだろうけど。
それでも、褒められるのに悪い気はしない。
私は少し照れ臭い気分になりながら、目の前の制服姿の唯に言ってやる。

「ありがと、唯。唯も似合ってるぜ」

「でっへへー、そっかなあ。
私、そんなに似合ってる?」

「そうですね、似合ってますよ、唯先輩。
何だかすごく優等生みたいに見えます」

私の言葉に乗っかる形で、これまた制服に着替え終わった梓が言った。
梓のその言葉に、唯がまた頭を掻いて照れ始めたけど、唯は気付いてるのだろうか。
優等生みたいに見えるって事は、普段は全く優等生に見えてないって事に……。
事実だから、しょうがなくもあるが……。

「律先輩も似合ってますよね。
すごくまともな女子高生に見えますよ」

悪気の無い顔で、梓が無邪気な声色で続ける。
唯が普段優等生に見えてないってだけならまだしも、
私の方はまともな女子高生にすら見えてなかったのかよ!
いや、確かに普段は制服を着崩してるけどさあ……、
そんなに言うほどまともな女子高生に見えてなかったのか……。
突っ込む気になるより先に、すごく落ち込むぞ。
着崩すだけなら、あの生徒会長の和も結構やってるのに……。
これが人望の差か……。

初めて着る服だし、私としては珍しく制服の上着のボタンまで締めてたけど、
どうにも悔しいので全部外して、スカートの中に入れてたシャツも出してやった。
タイ……と言うか、
制服のネクタイも緩めて、会社帰りのサラリーマンみたいにしてやる。

566: 2011/09/19(月) 14:48:49.57 ID:i61ag9xK0
「あー、折角まともな女子高生みたいだったのにー……」

今度は梓じゃなくて、唯が残念そうに呟いた。
ブルータス、おまえもか。
……ブルータスってのが誰かはよく知らないけど。
しかし、そんなに私がまともな女子高生に見えてなかったとは……。
だが、構わん。
これが私のスタイルだ。
残り少ない高校生活、世界の終わりが来ようが来まいが、最後まで貫き通してやるぞ。
唯と梓は精々真面目に制服を着こなすがいいさ。

「つーん」

わざわざ声に出しながら、腕を組んで唯達から視線を逸らしてやる。
別に怒ってるわけじゃないけど、このくらいの自己主張はしておかなきゃな。

「悪口言ったわけじゃないんだよー。
ごめんよー、りっちゃ……」

唯が謝りながら私に駆け寄って来ようとして、その声が途中で止まった。
どうしたんだろう、と私が唯に視線を戻すと、
唯は少し驚いた顔で私の後ろの方に視線をやっていた。
唯の隣に居る梓も、意外そうな表情でその方向を見つめている。
その視線を辿るみたいに振り返ってみると、
その唯達の視線の先には、私と同じようにあの高校の制服を着崩したムギが居た。
上着のボタンを外し、ネクタイも緩めていて、どうにもムギっぽくないその姿。

「どうしたんだよ、ムギ?
そんなに制服を着崩したりして……」

つい不安になって、私はムギに訊ねてしまう。
いくら何でも、ムギっぽくないにも程がある。
何かの心境の変化か?
恋する乙女は好きな男のタイプによって印象を変えるらしいが、そういう事なのか?
その私達の不安そうな視線に気付いたムギは、困ったように苦笑して言った。

「ご……、ごめんね、皆。
前からりっちゃんの制服の着方、してみたいなって憧れてたんだ……。
でも、授業中にやったら、叱られちゃうじゃない?
それで今までりっちゃんの真似ができなくて……。
だから、折角の機会だし、りっちゃんみたいに制服を着てみようと思ったの。
……でも、ごめんね。私には似合わなったよね……。
やっぱりこの着方はりっちゃんがやってこそだよね……。
すぐに着替え直すから、ちょっと待っててくれる……?」

本当に残念そうなムギの声色。
かなり落ち込んでるみたいに見える。
似合わないなんてそんな事ない。
私がそれを伝えようと口を開くと、それより先に唯と梓がムギに駆け寄っていた。
真剣な表情で唯と梓がムギに伝える。

「そんな事ないよ、ムギちゃん!
変な顔しちゃって、私達の方こそごめん!
ムギちゃんのそんなカッコ見るの初めてだから、ちょっと驚いちゃっただけなんだよ。
すっごく似合ってるから、そのままのカッコでいよ?
いいでしょ、ムギちゃん?」

「そうですよ、ムギ先輩!
その格好のムギ先輩の姿も、意外性があって素敵です!」

567: 2011/09/19(月) 14:49:31.74 ID:i61ag9xK0
……私に対する態度とは天と地ほどの差があった。
でも、別にそれが嫌ってわけじゃない。
私も唯達と同じ気持ちだ。
いつもムギに助けられてる私達だ。
ムギがしたい事なら、何でも手助けしてあげたい。
制服を着崩したムギの姿が似合ってるってのも確かだしな。
お嬢様っぽいムギの見せる(実際にお嬢様なんだけど)少し背伸びをしたその姿。
意外性があって驚くけど、とても可愛らしくて、素敵だと思う。

「……本当?」

自信なさげにムギが呟く。
そのムギの手を取って、唯が優しく微笑んだ。

「ホントだよ、ムギちゃん。
すっごく可愛いもん。着替え直すのは勿体無いよ。
私の方からもお願い。そのままのカッコでいてよ、ムギちゃん」

「……りっちゃんは、私がりっちゃんの真似して、嫌じゃない?」

唯に手を取られながら、ムギが意を決した表情になって言った。
私に断られたらどうしようかと思ってるんだろう。
まったく……。
いつも頼りになるくせに、こんな時だけ気弱になるんだからな、ムギは。
ムギは多分、自分の外見とか、家柄とか、色んな事が周りの皆と違ってる事を気にしてる。
皆の仲間になりたくて、皆と同じ事をしてみたいと思ってる。
だからこそ、皆と同じ事をして、
それでも自分の姿が浮いていたらと思うと、不安で仕方が無いんだろうと思う。
人と違う事は強味になる事もあるけど、ほとんどの場合不安に繋がっちゃうものなんだ。
だから、私はムギに言ってあげるんだ。

「嫌なわけないだろ?
ムギが私の格好に憧れてたって言ってくれるのも嬉しいよ。
どんどん真似してくれよ、ムギ。
何ならカチューシャだって貸してやるぞ?」

「……うん。ありがと、りっちゃん。
ごめんね。ありがとう、皆……」

それでようやく、ムギはまた笑顔になってくれた。
私達が大好きな、ムギの柔らかくていつまでも見てたい笑顔に。

悩み事は人それぞれ。
世界の終わりを間近にしても、悩みの形はそれこそ千差万別。
失くしたキーホルダーの事や、成功させたいライブの事や、
人と違う自分の事や、そして、恋の事なんかをそれぞれ悩んで……。
馬鹿みたいだけど、それが私達が私達のままでいるって事なんだろう。

「……で?」

私は部屋の隅の方で、
私達の様子をうかがってた黒髪ロングに視線をやってみる。
黒髪ロングは居心地の悪そうに壁際に身を寄せ、目を逸らす。

568: 2011/09/19(月) 14:50:19.33 ID:i61ag9xK0
「おまえの方は何でそんな恰好をしてんだよ、澪」

「いや、その……、あの……」

歯切れ悪く澪が呟く。
そんな恰好と言うのは、あの高校の制服に着替えた澪の姿の事だった。
澪も私やムギと同じように制服を着崩し、
濃紺の上着のボタンを外して、シャツを出した上にネクタイを緩めている。
それだけなら、まあ、いいとして、
何故か澪はその上から更にフード付きのパーカーを重ねていた。
フードまで被って、明らかに場違い感丸出しだ。

いや、それも別にいい。
重要なのは、その薄紫っぽいパーカーは澪の私物って事だ。
それは何度か澪の部屋で見掛けた事があるけど、
澪自身が着ているのを目にした事が無いパーカーだった。
いつの間にか、さわちゃんの衣装と一緒にハンガーに掛けていたらしい。

「照れてるのか?
別に制服くらいなら恥ずかしくないじゃんか?
恥ずかしいにしても、上からパーカーなんか着ちゃったら、
制服借りて来てくれたムギにも悪いだろ?」

「いや、そうじゃなくて……」

私達の会話が耳に入ったらしい。
ムギは私達の方に近寄ると、優しい声色で澪に囁いた。

「いいんだよ、澪ちゃん。
恥ずかしいなら、そのままでも。
フードを被ってる澪ちゃんも新鮮で素敵だもん」

「ち、違うんだよ、ムギ。
恥ずかしいとか、そんなんじゃなくて、私は、ただ……」

恥ずかしい事からは逃げがちな澪としては、珍しく食い下がっていた。
この調子だと、本当に恥ずかしいからパーカーを着てるわけじゃないらしい。
でも、そうなると、澪がこんなにしてまでパーカーを着てる理由が分からない。
一体、どういう事なんだ……?
私が不審そうな視線を向けると、遂に観念したようで、澪がぼそぼそと呟き始めた。

569: 2011/09/19(月) 14:50:50.07 ID:i61ag9xK0
「……たんだ」

「え? 何? どした?」

「あの雑誌でMAKOちゃんが、この制服の上からパーカーを着てたのが可愛かったんだ……」

沈黙。
天使が通ったかのような沈黙が音楽室を包む。
澪が顔を真っ赤にして、フードを更に深く被って縮こまった。

MAKOちゃん……。
確か澪が読んでるファッション誌の読者モデルの名前だったはずだ。
何度か澪の部屋で読んだ事があるけど、
確かそのMAKOちゃんが今の澪みたいな恰好をしてた時があった気もする。
だから、澪はこの制服を着るのに乗り気だったんだな。
制服を買うのは無理としても、パーカーだけは自前で用意して……。

「澪ちゃんって、結構ミーハーだよね」

悪気の無い表情で、唯が楽しそうに口にする。
実際悪気は無いんだろうけど、その唯の言葉は澪にとどめを刺すのに十分だった。
パーカーに手を掛け、急に暴れるみたいにして立ち上がる。

「いいよ! 似合わない事して悪かったよ!
脱ぐよ! 今すぐ脱ぐから待っててよ!」

「いやいや、そこまでせんでも……」

私は暴れる澪の腕を取って、どうにか動きを止めようと力を入れる。
でも、体格のいい澪を小柄な私の力で抑えるのは少し無理があって、
澪のパーカーがもう少しで脱げそうになった瞬間……。

「あーっ!」

唯が不意に大声を出した。
あまりに突然の事に、私も澪も、ムギや梓ですらも驚いて動きを止める。

「ど……、どうしたんだよ、唯……」

私はおずおずと唯に訊ねてみる。
奇行には事欠かない唯だけど、少なくともこんな風に突然大声を上げる事はそうはない。
つまり、よっぽどの事があったって事だ。

「見てよ、りっちゃん! 凄いよ!」

唯が人差し指を窓の方向に向けて、また大きな声を上げる。
私も窓の方に視線を向ける。
窓の外の光景を見た瞬間、唯が大声を上げるのももっともだと私は思った。
澪達も呆然として、窓の外の光景を見ていた。

「うわ……」

つい私の口からそんな声が漏れ出していた。
それくらい、印象的な光景だった。

「空が……」

私に続くみたいに、澪が呟く。
空は変わらず青かった。
だけど、その青い空に流れるたくさんの雲は、
これまで見た事が無い速度で流れていて……。
例えるなら、テレビで観るVTRの早回しの空模様。
そんな早回しの雲が、
現実の時間で、
青い空を流れていた。
まるで、
世界の終わりを告げるみたいに。

570: 2011/09/19(月) 14:51:25.08 ID:i61ag9xK0





異常な空模様に惹かれ、私達五人はグラウンドにやって来ていた。
風は強かったけど、台風って呼べるほどの風速でもなかった。
ムギや梓の髪がそこそこ靡く……、その程度の風速。
つまり、異常な速度の風が吹いてるのは上空だけなんだろう。
世界レベルで考えればあり得ないって事は無いんだろうけど、
日本ではまずあり得ない速さで多くの雲が流れていた。

世界の終わりを告げる前兆……ってか?
そうとしか思えない雲の動きに、私はとても複雑な気分になる。
不謹慎だけれど、私はその雲の動きをすごく綺麗だと思っちゃったから。
終わる前の美しさなのに、それは残酷なくらい綺麗だったんだ。
多分、皆もそう感じてるんだろうと思う。

私はしゃがみ込んで。
梓はただ静かに顔を上げて。
ムギは少しだけ首を傾げて。
唯は右手を飛行機に見立ててみたいに掲げ。
澪は結局フードを被ったままで。

五人とも、静かに空を見上げている。
皆の顔に悲しみや諦めの表情は浮かんでないし、
多分、私もそんな顔はしていない。
誰もが静かに、空を流れる雲を見上げている。
世界の終わり……、終末の予兆を実感している。
世界は本当に終わるんだな……って、頭じゃなくて心で理解する。
恐くないと言ったら嘘になる。
でも、今は恐さより、残念な気持ちの方が大きかった。
折角皆と仲良くなれたのに、
かけがえの無い仲間達ができたのに、
その関係は終わる。もうすぐ終わる。
それが残念でしょうがない。

私は立ち上がり、皆と肩を並べる。
右から、ムギ、梓、澪、唯、私って順番で並ぶ。
空模様が気にはなるけど、もう空を進んで見上げはしない。
終末の予兆については、未来の私達については、十分に実感できた。
だから。
今から私達が見るのは、今生きる私達と今生きる私達のしたい事だ。

575: 2011/09/21(水) 21:23:52.21 ID:IdvxXT/q0
「終わっちゃうんだね、私達の世界……」

正面を向いたまま、唯が呟く。
終わる世界を名残惜しいと思ってる……、
そんな感じの表情で唯は淡々と呟いていた。

「そうだな……」

唯の言葉に私が答える。
日曜日に世界が終わる。それはもうほとんど確定事項なんだ。
それまでに私達がやらなきゃいけない事は、まだたくさん残されてる。
だったら、前に進まなきゃな。
その先にあるのが、世界の終わりでも。

「そっかー……。それは残念だなあ……」

気が付けば、唯が呟きながら私の手を握っていた。
私も握り返す。強く。
もう私達の絆を見失わないために。
視線を向けると、澪達もそれぞれ隣のメンバーと手を繋いでいた。
軽音部一同、放課後ティータイム一同、強く手を握り合う。

全員が手を繋いだのを見届けると、唯が軽く笑った。
自嘲でも諦めでもない、純粋で幸せそうな笑顔で。
そんな笑顔で、皆の顔を見回しながら自信ありげに言った。

「でも、大丈夫だよ。私達は放課後ティータイムだもん」

「おいおい……。根拠になってないぞ、唯……」

澪が少し呆れたみたいに唯の顔に視線を向ける。
だけど、唯は自信に満ちた表情を崩さなかった。
澪の顔に自分の顔を近付けて、唯が不敵に続ける。

「甘いよ、澪ちゃん。
根拠ならちゃんとあるのです」

「えっ……、本当に根拠なんてあるんですか?」

梓が意外そうに声を上げた。
梓も唯の発言はいつもの無根拠な自信からのものだと考えてたみたいだ。
いや、かく言う私も、唯のその発言に根拠があるとは考えてなかった。
こんな時期だから意味の無い自信でも持てる唯は心強いし、
それでいいと思ってたんだけど、どうやらそういうわけじゃなかったらしい。

「何々? 教えて教えて」

ムギが好奇心に満ちた顔で唯の顔を覗き込む。
否定から入らず、まず好奇心から物事に臨むそのムギの態度は、
世界の終わりを目前にしてもいつものままで、私にはそれがとても嬉しかった。

「ふっふっふ……、だったら皆に教えてあげましょう」

自信満々な態度を崩さず、嬉しそうに唯が笑う。
少しだけ澪から手を離し、ピースサインで空に手を掲げると、すぐに掌を開いた。
いつの間に書いていたのか、
掌には我等が放課後ティータイムのマークがマジックで書かれていた。

576: 2011/09/21(水) 21:25:07.35 ID:IdvxXT/q0
「何故ならば!
放課後ティータイムはいつまでも放課後だからなのです!」

「意味が分かりません……」

梓が呆れた顔で突っ込むと、澪も困った顔で苦笑した。
その二人の反応には不満があったらしく、唯が眉を軽く吊り上げて補足説明を始める。

「もーっ、あずにゃんも澪ちゃんも分かってないんだから……。
だからね、いつまでも放課後って事は、言い換えたら永遠に放課後って事でしょ?
つまり、放課後こそ、放課後ティータイムの真骨頂の時間って事なんだよ」

それだけで全てを説明したつもりらしく、
「ふんすっ!」と唯は自信満々のままに謎の鼻息を鳴らした。
鼻息……か?
とにかく久しぶりにその得意の鼻息を鳴らすくらい、唯には自信のある説明だったらしい。
どちらかと言うと唯側に近い私は、唯の言おうとしてる事は何となく分かる。
でも、真面目なタイプの澪と梓は唯の言う事が分かってないみたいで、首を傾げていた。
どうにか澪達に唯の発言の真意を説明してやりたいが、
感性に満ちた唯の発言を噛み砕いて説明できるほど、私も感性的じゃないからなあ……。
どうしたものかと悩んでいると、意外な所から助け舟がやって来た。

「世界の放課後……?」

確かめるみたいなその小さな声は、ムギが呟いたものだった。
唯が嬉しそうにムギの方に顔を向けて微笑む。

「そうそう! さっすがムギちゃん!
私が言いたいのはね、そういう事なんだよ!
おしまいの日に世界が終わっちゃうって事は、
つまり世界中の授業が全部終わっちゃうって事でもあるよね?
だったら、世界が終わっちゃった後に始まるのは……」

「世界の放課後……か」

唯の言葉を継いで、私は呟いてみる。
これまた唯らしい言い回しだなと、感心しながら思う。
そういや、前に漫画で読んだ事があるけど、
終末の予言の日の事をラグナロク……、神々の黄昏って言うんだっけ。
神々の黄昏と世界の放課後……。
言い方の違いはあるけど、言ってる事は大して変わらない。
そうなると、確かに私達が世界の終わりを恐がってるわけにはいかないな。
他の誰が世界の終わりを恐がってても、私達だけはその世界の放課後を恐がっちゃいけないんだ。
だって……。

「私達は放課後ティータイム……、だもんな。
放課後ティータイムの活動は、唯の言うように放課後が真骨頂だ。
その放課後を恐がるなんて、放課後ティータイムの名が廃るってやつだな」

私が言うと、唯が満面の笑顔で私に抱き着いてきた。
自分の言葉を理解してもらえたのが、心の底から嬉しかったらしい。

「ありがとう、りっちゃん!
分かってもらえて、すっごく嬉しいよ!」

「どういたしまして、唯。
そんなに喜んでもらえるとは思わなかったけどな……」

「放課後が真骨頂って、五時から男ですか……」

呆れ顔の梓が、わざわざ古い言葉を使って突っ込んでくる。
五時から男っておまえな……。
いや、梓の言ってる事は、全面的に正しくもあるけどさ。

「でも、確かにそれだな」

話の成り行きを見守ってた澪が、不意にとても楽しそうに言った。
私達の中で世界の終わりを一番恐がってるのは澪のはずだけど、
唯の言葉はその澪の不安を簡単に振り払ってしまったらしい。
それが唯の人柄で魅力なんだろうな。
澪の悩みを完全には解決してやれなかった私としては、ちょっと悔しいけどさ。

「よっしゃ」

577: 2011/09/21(水) 21:25:48.63 ID:IdvxXT/q0
抱き着いてきた唯の身体から少し離れて、私は気合を入れるみたいに呟いた。
部員に引っ張られてるだけじゃ、示しが付かないってもんだ。
一応、私はこれでも部長なんだからな。
両手を上げて、宣言するように言ってみせる。

「放課後ティータイムとしちゃ、
世界の放課後を気にしてるわけにはいかないぞ、皆。
明日のライブのために精一杯やるぞーっ!」

「おーっ!」

私の言葉に続き、皆が腕を掲げる。
世界の終わりへの不安を吹き飛ばしていく。

「私達の最後のライブ!」

「おーっ!」

ムギが続ける。
私達はここに居る。世界が終わろうと、それだけは否定させない。

「最高のライブを!」

「おーっ!」

梓も力強く宣言する。
放課後は私達の真骨頂。誰の記憶にも残らなくても、私達が氏ぬまで私達を憶えている。

「絶対、歴史に残すライブ!」

「おーっ!」

少し赤くなりながら、澪も腕を掲げる。
いや、氏んでも記憶に残してやる。
どんな形になっても、私達が生きた証として私達の曲を残してやるんだ。

「終わったらケーキ!」

「おーっ!」

こんな状況になっても、唯が予想通りの宣言をかましてくれる。
この前の学園祭の時は戸惑わされたけど、残念ながら二度目は無い。
唯がそう宣言するのを分かってた私達は、これまでで一番大きい声で掛け声を合わせてやる。
おやつに釣られてるみたいだけど、結局はそれが私達の本質だ。
馬鹿馬鹿しいとは思うけど、その本質だけは世界が終わっても変えてやらない。

578: 2011/09/21(水) 21:28:07.83 ID:IdvxXT/q0
気合を入れ終わった私達は、皆で顔を合わせて笑い合う。
世界の終わり……、終末……、世界の放課後……、何でもいい。
もうそんな物に私達を止めさせない。
人はいつか氏ぬ。
そんな事は分かってたつもりだったけど、その実は何も分かってなかった。
氏ぬのを間近にして、私は気付く。
命は誰にとっても限りあるものだ。

いや、いつか氏ぬ……どころの話じゃない。
下手したら一秒後には氏んでる可能性もある。
それこそ一秒後に頭に隕石が直撃してる可能性だってあるんだ。
こう言うのも変なんだけど、きっと私達はまだ幸せなんだろうと思う。
自分の氏ぬ時期が分かり、それに向けて準備ができるなんて、できそうでできる事じゃない。
不慮の事故で氏ぬ事より、戦争や病気で氏ぬ事より、それはきっと幸福な事なんだ。
だからこそ、もう迷わない。
思い出に浸りもしないし、約束に心奪われる事もしない。
思い出も約束も人生に必要な物ではあるけど、それは今を生きるために必要な物ってだけだ。
今を生きるための材料なのに、それに縛られてちゃ、何の意味も無い。
だから、私達は今を生きようと思う。

もう一度、私達は手を繋ぎ合う。
私達が今生きているって事をお互いの肌で感じ合うために。
生きてるんだって感じ合えるために。
と。

「あっ、唯ーっ!」

手を繋ぎ合う私達に、誰かが声を掛ける。
手を繋いだまま、私は声のした方向に顔を向けてみる。
声がした場所では、和が風に髪を靡かせながら立っていた。
隣には和と仲がいいらしい高橋さんも居る。

「どうしたの、和ちゃん?」

まだ私の体温を感じていたかったんだろう。
珍しく駆け寄らず、私と手を繋いだままで唯が和に訊ねた。
軽く微笑みながら、和が応じる。

「生徒会の仕事が一段落したから、さっき音楽室に唯達の様子を見に行ったのよ。
でも、誰も居ないじゃない?
どうしたのかと思ってたら、窓からグラウンドに唯達が居るのを見つけたの。
こんな所で皆で手を繋いで、一体、何をしてるの?」

「ちょっと邪神復活の儀式をしてたんだよ」

部員の皆の絆と温もりを確かめ合っていたとは、流石に恥ずかし過ぎて言えない。
ふと思い付いたボケを私が口にすると、軽く微笑んだままで和が返した。

「そうなんだ。じゃあ私、生徒会室に戻るわね。
邪神が降臨したら呼んでくれるかしら」

「突っ込めよ!」

「……冗談よ、律」

「和の冗談は冗談なのか本気なのか分かりにくいんだよ……」

「それに終末が近いからって邪神を復活させるより、
ムスペルを率いたスルトと交渉をした方がいいんじゃないかな?」

ぼやくみたいに私が呟くと、
和の隣に立っている高橋さんがよく分からない事を言い始めた。

579: 2011/09/21(水) 21:32:27.67 ID:IdvxXT/q0
「スル……、え? 何?」

「スルト。北欧神話に登場する巨人の事。
邪神復活って事は、ヘルヘイムのヘルを復活させようとしてたんでしょ?
終末……、つまり、ラグナロクを止めるのなら、ヘルよりもスルトを止める方がいいと思うの。
ヘルヘイムも脅威的な軍勢を率いてるけど、ムスペルは世界を燃やし尽くすレベルだもの」

「あの……、えっと……、その……、
何て言うか……、ごめん……?」

高橋さんが何の話をしているのか、全然分からない。
ひょっとして私が邪神復活とか適当な事を言ったのが悪かったんだろうか。
何が何だか分からないまま、私はとりあえず高橋さんに頭を下げる。
スルト……、じゃない、
すると、高橋さんが風に揺れる眼鏡を掛け直しながら微笑んだ。

「冗談よ。ごめんね、りっちゃん」

スーパーウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐分かりづれええええっ!
和と仲がいいだけに優等生コンビだな、とは思ってたんだけど、
ここまで高度で知的なボケを駆使する子だとは知らなかった。
そうして私が呆けた顔をしてるのが面白いのか、高橋さんは笑顔を崩さず続ける。

「終末に邪神とか言ってるから、そういう話なのかと思っちゃって、つい……。
本当にごめんね、りっちゃん」

「風子って本当に北欧神話が好きよね。
でも、風子がそれを言うなら、
私としては終末はキリスト教圏の方を支持したいわね。
天使が七つのラッパを吹く事で訪れる黙示の日。
そっちの方がこれから訪れる終末には相応しいと思うのよ。
大体、これから訪れる終末がラグナロクの方だとしたら、
もう既に巨人族の侵攻が起こってる時期でしょ?」

高橋さんのボケ(?)に更に和が難しい会話を被せ始めた。
やめてくれ……、日本語で喋ってくれ……。
隣に目をやると、唯も私と同じように頭を抱えて唸ってるみたいだ。
頭がいい人と自分が一対一で話すのならともかく、
頭がいい人同士が話すのを傍から見せられる事ほど、どうしようもない事は無いよな、マジで。
特に和は頭のいい天然ボケだ。下手すれば唯の数倍は強敵となるだろう。

これはどうにか空気を変えねばなるまい。
大丈夫。私は居るだけで空気を変えられる事で定評のあるりっちゃんだ。
相手が和達という強敵ではあるけど、違う話くらいは振れるはずだ。

「そ……それよりさ、和。
和が生徒会の仕事をしてたってのは分かるけど、どうして高橋さんと一緒に居るんだ?
高橋さんは別に生徒会ってわけじゃなかったよな?」

私が言うと、唯が和に見えないように私の後ろで親指を立てた。
グッジョブって意味なんだろう。
幼馴染みとは言っても、唯も和の知的過ぎる一面は苦手としてるみたいだ。
私もたまに暴走する澪は苦手だからなあ……。

私の言葉を聞いて、流石の和も自分が高橋さんと話し過ぎてたと実感したらしい。
一つ咳払いをしてから、風に揺らされる眼鏡を掛け直した。

「今日はね、風子には生徒会の仕事を手伝ってもらってたのよ。
風子とは一緒に音楽室に顔を出す予定だったから、それまでの時間、ちょっとね……。
おかげで溜まってた仕事は全部片付いたわ」

「音楽室に顔を出す予定……?」

澪が首を傾げて和に訊ねると、それには高橋さんが応じた。

「うん、そうなの。
昨日ね、唯ちゃんから土曜日にライブをやるってメールを貰ってから、
居ても立っても居られなくなっちゃって……。
土曜日に会える事は分かってたんだけど、それまでに軽音部の皆の顔を見ておきたかったんだ」

「そうなんだ。嬉しいな。ありがとね、風子ちゃん」

唯が笑顔で近付いて、高橋さんの手を取る。
すると、唯に釣られるみたいに、高橋さんも満面の笑顔になった。

580: 2011/09/21(水) 21:33:45.04 ID:IdvxXT/q0
「ううん、私の方こそお礼を言わせてほしいくらいだよ、唯ちゃん。
私ってこんな性格でしょ?
終末が近付いてるからって何ができるわけもなくて、図書室でずっと本ばっかり読んでたの。
本を読んでる時だけは、終末に対する不安も見ずにいられたから……。
でも、この前ね、図書室でたまたま会った若王子さんから聞いたの。
こんな時だけど、軽音部がずっと練習してるよって。
多分、最後にライブをしようとしてるんだろうねって。
私……、嬉しかったなあ……。
こんな時でも頑張ってるクラスメイトが居るって思うと、すごく心強くもなったの。
だから、唯ちゃんからメールを貰った時、
私もそのライブを見ていいんだって思うとすっごく嬉しかった。
ありがとう、皆……」

その高橋さんの言葉に、唯は少しだけ呆けていた。
高橋さんが何を言ってくれているか、ちょっと理解し切れていないらしい。
私は唯の近くまで駆け寄って、耳元で「褒められてんだよ」と教えてやった。
少し赤くなって、唯がまた幸せそうな笑顔を浮かべる。
鈍感な奴だが、それも仕方ないかな。
こんなに褒められる事なんて、ライブやった時もそうは無かったからなあ……。
ふと振り返ると、澪達も頬を染めてるように見えた。
褒められ慣れてないから、照れ臭いんだろう。
背中がむず痒くなってる私も、人の事は言えないんだけどさ。

「それにね……」

私達の顔を見ながら、高橋さんが続ける。

「嬉しかったのは私だけじゃないよ。
皆の顔が見たいって子は、他にも居るんだよ」

言うと、高橋さんがグラウンドの端の方に生えてる樹の陰に視線を向ける。
これまで気付かなかったけど、その木陰には見覚えのある人影があった。
小柄で、後ろに髪を束ねている、眼鏡のクラスメイト……。

「宮本さん?」

澪がその人影に向けて声を掛ける。
小さくなりながらだけど、
その人影……、宮本さんはゆっくりと私達の方に歩み寄って来た。
すごく仲がいいわけじゃないけど、宮本さんが照れ屋で赤面症なのは私も知ってる。
それで宮本さんは遠くから私達を見てたんだろう。

「アキヨちゃんもライブを観て来てくれるの?」

唯が嬉しそうな声色で、近寄って来た宮本さんに訊ねる。
宮本さんは赤面しながらも、唯の瞳を見つめながら軽く頷いた。

「宮本さんはね……」

宮本さんが何を言うより先に、和が嬉しそうに微笑みながら言った。
人より先に話し始めるなんて和らしくないけど、
多分、それだけその話を伝えたくて仕方が無かったんだろう。

581: 2011/09/21(水) 21:34:33.56 ID:IdvxXT/q0
「宮本さんとはさっき音楽室に顔を出した時に出会ったんだけど、
宮本さんはずっと音楽室の中の様子を気にしてたみたいだったわよ。
人の気配がしないから、本当にライブをするのかって不安になってたんじゃないかしら。
だから、私は宮本さんと一緒に貴方達を捜す事にしたのよ。
練習はあんまりしない部だけど、今はたまたま音楽室に居ないだけで、
ちゃんとライブに向けての準備はする部だって知ってもらいたかったしね」

「普段から練習くらいしとるわい!」

私が口を尖らせて言うと、「そうかしら?」と和が苦笑する。
高橋さんがそんな私達を楽しそうに見つめ、宮本さんも軽くだけど表情が緩んだ。
小さな声だけど、はっきりと宮本さんが言葉を出し始める。

「皆……、最後のライブ、頑張ってね……。
私、応援してるから……。
ずっと皆で、終末なんか関係なく、音楽続けてね?
私、軽音部の音楽、好きだから……。
軽音部のライブ、すっごく面白かったから……!」

こんなに宮本さんの声を聞いたのは初めてかもしれない。
口数が少ない子だし、照れ屋な子だしな。
それでもこんなに話してくれるって事は、
私達の音楽を本当に好きでいてくれてるって事なんだろう。
面白かったって感想は複雑だけど、好きでいてくれてるんならそれでもいいよな。

頑張らなきゃな、と私はまた思った。
和も高橋さんも宮本さんも、
勿論、それ以外の皆も私達のライブを楽しみにしてくれてる。
これはもう私達だけのライブじゃないって感じる。
これは私達放課後ティータイムに関わってくれた皆が、
世界の終わりに見せ付けてやる一大的なロックイベントなんだ。
見せてやろうじゃないか。
神なんだか何なんだか、世界を終わらせようとしてる誰かさんに。
私達は生きているんだって。

「ねえねえ、和ちゃん」

そうやって決心を固める私を置いて、
唯がまた場にそぐわないマイペースな事を言い始めた。

「どうしたのよ、唯?」

「予備の眼鏡とか持ってない?」

「何よ、いきなり」

「だって、皆が眼鏡掛けてるから、私も掛けたくなったんだもん」

「何を言い出すんですか、いきなり……」

呆れた表情で梓がこぼす。
確かにまたいきなり何を言い出すんだ、唯は……。
まあ、唯の言う事も分からないでもない。
今ここに居る軽音部以外のメンバー全員が、見事なまでに眼鏡を掛けてるからなあ……。
妙な所で流行に敏感な唯が眼鏡を掛けたくなったとしても、不思議じゃなくはある。

だけど、残念ながら、和が呆れた表情で唯に返した。

582: 2011/09/21(水) 21:35:11.14 ID:IdvxXT/q0
「悪いけど予備の眼鏡は、今日は持って来てないわ。
私の眼鏡をちょっとだけ貸してあげるから、それで満足しときなさい」

「えー……。
皆で眼鏡を掛けて、記念撮影とかしたかったのにー……」

「おいおい。何個眼鏡が必要になると思ってん……」

「ならばその願い、私が叶えてあげましょう!」

私が唯に突っ込み終わるより先に、
その言葉はよく聞き慣れたあの人の声に潰されてしまった。
そう。
その人こそこれまた眼鏡を掛けたファッションパイオニア……、さわちゃんだった。
またいつの間に来たんだ、この人は。やっぱり瞬間移動の使い手なのか?
和と高橋さんは何となくさわちゃんの本性を知ってるみたいだから特に驚いてなかったけど、
無垢で儚げな印象の宮本さんは、さわちゃんのそんな本性に思いも寄ってなかったみたいだった。
若干怯えてる感じで私の方に走り寄って、私の背中の後ろに隠れる。

「また神出鬼没だな、アンタ!」

宮本さんを庇いながら言っってみたけど、
さわちゃんは私の突っ込みを華麗にスルーし、ひどく心外そうな表情で唯に言った。

「もう……、駄目でしょう、平沢さん。
着たい服がある時とか、ファッションに関しての悩みがある時とか、
そういう時はいつでも先生に相談してっていつも言ってるじゃないの」

「あー、そっか。さわちゃんに相談すればよかったんだよね。
忘れててごめんね、さわちゃん」

「次からは気を付けるのよ、平沢さん」

「はーい」

ボケなんだか何なんだか、
和と高橋さんとは違った意味で高次元の会話を交わす唯とさわちゃん。
これはもう私達に踏み入れる領域じゃないな……。

「って、先生。
願いを叶えるって、もしかして……」

澪が不安そうにさわちゃんに訊ねる。
さわちゃんは心底うれしそうに、その澪の言葉に答えた。

「そうよ。貴方達、眼鏡を掛けたいんでしょ?
安心しなさい。被服室に二十個くらい眼鏡を置いてるから、貸してあげるわ。
秋山さん達も遠慮なく掛けたらいいわよ」

どうしてそんなに眼鏡を置いてるんだ、とは誰も訊ねなかった。
さわちゃんはそういう人なんであって、それに対して疑問を持つのは、
何で酸素と水素が結合すると水になるのか、って考えるのと同じくらい無意味だった。
さわちゃんの謎は、そういう自然の摂理みたいなもんなんだ。
それでいいいのだ。

そんなわけで。
筋道を立てて話すのも面倒臭いけど、
何故だか私達はこれから皆で眼鏡を掛ける事になった。

587: 2011/09/23(金) 21:32:10.10 ID:rKkuuigL0





被服室に行ったさわちゃんを見送り、
皆でぞろぞろと音楽室に戻ると、一人の人影が私達を待っていた。
もうさわちゃんが眼鏡を取って来たのかと一瞬思ったけど、そうじゃなかった。
私達を待っていたのは、大きな弁当のバスケットを持った憂ちゃんだった。
私達にお弁当の差し入れを持って来てくれたらしい。
そういえば、もう昼時だ。
気配りのできる子の憂ちゃんに、私達は感心する。
でも、予想外に人数が増えちゃったから、弁当足りるかな。
私達だけで食べるのも、和達に悪いし。
さわちゃんは間違いなく、つまみ食いしてくるだろうし。
……とか思っていたら、
憂ちゃんの持って来てくれたバスケットには、明らかに十人分を超える量の弁当が入っていた。
憂ちゃんが言うには、軽音部のお客様が居ると思って、
念を入れて多めにお弁当を作って来たんだそうだった。
すげー。エスパーか?
本当に準備のいい子の憂ちゃんに、私達は心底感心する。

量的に問題が無くなった事だし、
私達は和達と一緒に一足早めの弁当を頂く事にした。
床にシートを敷いて、憂ちゃんの弁当を広げる。
一応私達が個人で持って来ていた弁当も一緒に並べると、
異常なくらい豪勢な食卓がシートの上にできあがってしまった。
こう言うのも何だけど、最後の晩餐……って感じか?
不謹慎な上に不吉ではあるけど、本当にそんな気がしてくる。
……って、駄目だ駄目だ。
何だかんだと、あの空の光景に少し圧倒されちゃってるのかもしれない。
負けないよう、しっかりしなきゃな。
頭の中に浮かんだ後ろ向きな考えを振り払い、私はどんとシートの上に腰を下ろす。
あぐらを組んだ事を澪に注意されたけど、それは気にしない事にした。
これから訪れる世界の終わりに真正面から向き合うには、
正座で縮こまるより、あぐらで大きく構えてた方がいいと思ったからだ。
勿論、あぐらの方が楽だからってのもあるけどな。

そうして皆で弁当を食べていると、
何故か少し疲れた感じでさわちゃんが音楽室に入って来た。
どうしたのか訊ねると、被服室の眼鏡はすぐに見つけたんだけど、
走って音楽室に来ようとしているところを、古文の掘込先生に見つかったらしい。
それで「終末が近いのに変わらんな」とか、
「そもそも高校生の頃から何も変わってないぞ」とか説教されたんだそうだ。
道理でさわちゃんにしては音楽室に来るのが遅かったわけだ。
普段のさわちゃんなら、下手すりゃ私達より先に音楽室に来ててもおかしくないもんな。

疲れた様子のさわちゃんを尻目に、
唯が興味津々な表情でさわちゃんの持って来た袋の中に手を入れる。
私も唯の腕の隙間から袋の中に目をやると、中には大量の眼鏡ケースが入っていた。

588: 2011/09/23(金) 21:32:43.48 ID:rKkuuigL0
「おーっ……」

唯は興奮した声を上げながら適当な眼鏡ケースを手に持つと、
即座にケースの中から眼鏡を取り出して、赤いアンダーリムの眼鏡を装着した。
装着した……って言い方も変だけど、
唯の眼鏡の掛け方は、掛けたって言うより、装着したって言い方の方が絶対に正しいと思う。
蔓も持たず掌を広げてレンズごと掌を顔に密着させるとか、装着以外の何物でもないだろ……。
と言うか、その掛け方だと絶対にレンズが指紋で汚れるし……。

「何だよ、その掛け方は……」

若干呆れながら突っ込んでやると、
流石に自分でも変な掛け方だって事は分かってみたいで、唯が軽く舌を出して笑った。

「でへへ。皆でお揃いで眼鏡を掛けられると思うと嬉しくってつい……」

「ま、いいけどな。それさわちゃんの眼鏡だしさ」

「ちょっと、唯ちゃん、りっちゃん。
その眼鏡、まだ新品同然なんだから、あんまり粗末に扱わないでよー」

疲れた様子のさわちゃんが、弁当を食べながら軽く唯に注意する。
服を少し着崩してるし、私が言うのも何だけど、
あぐらを組んでだらけてるそのさわちゃんの姿は非常にだらしない。
それに加えて、担任モードの口調から言葉が崩れて来てる。
まあ、和と高橋さんに自分の本性が知られてるのは分かってるみたいだし、
残る宮本さん一人相手に猫を被ってても仕方が無いって思ったんだろう。
疲れたから、猫を被ってる余裕が無いってのもあるんだろうしな。

ちょっと視線をやると、宮本さんが驚いた表情でさわちゃんを見つめていた。
私は苦笑しながら立ち上がり、宮本さんに近寄って耳元で訊ねてみる。

「驚いた?」

私の方を向いて、宮本さんが小さく頷く。
実を言うと、うちのクラスの大体はさわちゃんの本性を何となくは知っているみたいだ。
上手く演じてはいるけど、意外と粗があるもんなあ、さわちゃんの猫被り。
ただ、知ってはいても、
さわちゃんの本性を直接目にした事があるクラスメイトは少ないようで、
宮本さんもさわちゃんの素の姿を目にするのは初めてみたいだった。
特に宮本さんは気弱な印象があるから、
初めて見るさわちゃんの本性に怯えたりしてるんじゃないだろうか。
宮本さんのためにも、さわちゃんの名誉のためにも、私は少しだけフォローする事にした。

「大丈夫だよ、宮本さん。
今のさわちゃんの姿は、その……色々と変ではあるけど……、
でも、生徒思いである事は間違いない……はずだし、
宮本さんに気を許してるからこそ、あんな姿を見せてるんだと思うよ?」

589: 2011/09/23(金) 21:33:12.60 ID:rKkuuigL0
私の言葉に安心してくれたのか、宮本さんは軽く表情を緩める。
何だか少しだけ笑ってるようにも見える。
ちょっと分かりづらいけど、これが宮本さんの笑顔なのかもしれない。
その表情のまま、宮本さんはさわちゃんの姿を見ながら呟いた。

「ありがとう、田井中さん。
うん……、私……、大丈夫だよ?
山中先生のこんな姿を見るのは初めてだし、ちょっと驚いちゃったけど……。
でも……、何だかすごく面白いと思うから」

おお、意外とタフだ。
強がりかとも少し思ったけど、
宮本さんの表情から考えると、その言葉は本音なんだろうな。
宮本さんの言葉じゃないけど、その宮本さんの様子は私としても面白かった。
本好きで気が弱そうなクラスメイトってだけの印象だったけど、実はそういうわけでもなかったらしい。
クラスメイトの意外な一面を見られて、気が付けば私は笑っていた。
何だか、とても嬉しい。
もうほとんど宮本さんと関われる時間は無いだろうけど、
その短い時間でもっと宮本さんと仲良くなれたらいいな、って私は思った。

「ねえねえ、アキヨちゃん」

眼鏡を強調するポーズを取りながら、
唯が軽く宮本さんの顔を覗き込んで声を掛ける。
宮本さんとそんなに関わりがあるわけじゃないだろうに、
いきなり名前で呼んでる上に途轍もなく馴れ馴れしい奴だ。
でも、それが唯って奴なんだし、私はそんな唯が嫌いじゃない。
いいや、大好き……なのかな。多分だけど。
宮本さんもそんな唯が嫌じゃないらしく、穏やかな表情で首を傾げた。

「どうしたの、平沢さん?」

「唯でいいよ、アキヨちゃん。
私ももうアキヨちゃんの事、アキヨちゃんって呼んでるし」

「えっと……、あの……」

唯はともかく、宮本さんは人をいきなり名前で呼ぶ事には慣れてないんだろう。
戸惑ってる様子で、宮本さんが少し顔を赤く染める。
ちょっと残念だけど、私は苦笑しながら唯を諌める。

「おいおい、遠慮しろよ、唯。
宮本さん困ってるだろ?」

「えー……。
私、変な事言ってるかなあ……」

「変じゃないけど、そういう呼び方になるには時間が掛かる人も居るんだって。
ごめんね、宮本さん。
唯も悪気があって言ってるわけじゃないんだよ」

私が軽く頭を下げると、困ったように宮本さんが首を振った。
ただ、困ってるのは唯の遠慮の無い行動じゃなくて、私が頭を下げた事らしかった。

590: 2011/09/23(金) 21:33:40.77 ID:rKkuuigL0
「ううん、ごめんね、二人とも……。
田井中さんも頭なんて下げないで。
ごめんなさい。
私、そういうの慣れてなくって……。
でも……、ねえ、平沢さん……、
ううん、唯ちゃんって呼んでいいんなら、私……、唯ちゃんって呼んでいいかな?」

「うん、勿論だよ、アキヨちゃん!
アキヨちゃんが唯って呼んでくれて、私すっごく嬉しいな!」

「ありがとう、唯ちゃん……」

宮本さんが言うと唯が満面の笑顔を浮かべ、
それに釣られるようにして、ぎこちないながら宮本さんも嬉しそうに頬を緩めた。
これまでクラスメイトって接点しかなかったのに、一瞬にしてもう仲の良い友達って感じだ。
まったく……。
唯は本当に誰とでもすぐに仲良くなれるんだな……。
ライブハウスに出た時も、ナマハ・ゲやデスバンバンジーの皆とすぐ仲良くなってたしな。
考えながら、不意に気付く。
そういえば、唯は私と最短記録で親友になれた奴じゃないだろうか。
出会った時期こそ違うけど、澪よりも遥かに短い時間で、唯は私と親友になっていた。
天真爛漫で、楽しくて面白くて、誰にでも優しい唯。
皆、そんな唯の笑顔に助けられてるんだろう。
勿論、私も含めて。

ただ、それだけにうちが女子高でよかったって思わなくもない。
これが共学だったら、多分、唯の奴、男子を勘違いさせまくりだぞ。
うちが共学だったとしても澪のファンクラブは設立されるかもしれないけど、
高嶺の花みたいな雰囲気になっちゃって、澪に声を掛ける男子はほとんどいないだろう。
その点、唯は親しみやすくて誰にでも優しいから、そりゃもうとんでもない事になるな。
しかも、唯の事だから、告白して来た男子全員と付き合ったりなんかして……。
恐るべし、唯。
流石にそれは無いと思いたいが、唯の場合は洒落にならんな……。

「そうそう、アキヨちゃん」

私の心配なんて想像もしてないんだろう無邪気な笑顔で、唯が続ける。

「私だけじゃなくて、りっちゃんの事もりっちゃんでいいよ。
りっちゃんもアキヨちゃんの事、名前で呼ぶから」

「おいおい……。
私の意思を無視して話を進めるなよ……」

「駄目なの、りっちゃん?
ねえ、知ってる?
名前で呼ぶとね、すぐに皆と仲良くなれるんだよ?」

それが簡単にできるのはおまえだけだよ。
そう言いたくもあったけど、私はそれを言葉にするのをやめた。
きっとそれは唯に伝えなくてもいい事だから。
唯はそのまま自分を特別と思わずに、ありのままの唯でいてほしい。
苦笑して、宮本さんと視線を合わせる。
宮本さんは照れながら、少し嬉しそうにしながら、小さく言った。

591: 2011/09/23(金) 21:34:08.72 ID:rKkuuigL0
「……じゃあ、りっちゃん……って呼ぶね?
いいかな……?」

「了解だ。これからもよろしくな、アキヨ」

そうして、私と宮本さん……アキヨは軽く握手を交わした。
残り少ない時間でも、人間関係は変えていける。
当たり前の事だけど、唯は無意識にそれを私達に教えてくれたみたいだった。

「そういえば、唯ちゃん……?」

宮本さんが遠慮がちに訊ねる。
名前で呼び合う仲になったと言っても、距離が完全に縮まったわけじゃない。
でも、だからこそ、これからも縮めていきたくなるんだよな。

「何、アキヨちゃん?」

「さっき私に話し掛けて来てくれたけど……、どうかしたの?
私に何か訊きたい事があったの?」

アキヨに言われ、何かを思い出したって表情で唯は自分の手を叩いた。
それから、さっきと同じように、眼鏡を強調したポーズを取る。

「そうそう。そうなんだよ、アキヨちゃん。
眼鏡のスペシャリストのアキヨちゃんに、私に眼鏡が似合ってるか訊きたかったんだ。
どうかな? 頭がよく見える?」

眼鏡のスペシャリストって何だよ……。
それを私が突っ込むより先に、アキヨが軽く微笑みながら言う。

「うん。よく似合ってると思うよ」

何のお世辞も無いまっすぐな口調だった。
アキヨの言うとおり、確かによく似合ってる。
頭がよく見えるかどうかはさておき、ファッションとしては完璧だ。

「そうだよ、お姉ちゃん!
眼鏡を掛けたお姉ちゃんも、すっごく素敵だよ!」

アキヨの言葉に力強く続いたのは、勿論憂ちゃんだ。
何だか頬を赤く染めてる様にも見える。
滅多に見ない姉の眼鏡姿を新鮮に思ってるんだろうな。
唯のくせに目立っちゃって、ちょっと悔しい。

「ありがと、憂。
憂も眼鏡、すっごく似合ってるよ」

唯が言い、眼鏡を掛けた姉妹が顔を合わせて笑う。
気が付けば、いつの間にか私以外の皆も眼鏡を掛けていた。
その横で、さわちゃんが皆の眼鏡姿を嬉しそうに見つめている。
……さわちゃんは置いといて。
出遅れた形になってしまった私も、袋の中から眼鏡ケースを取り出した。
一人だけ掛けてないのは、空気的にも悪いしな。
そのまま眼鏡を掛けようとして……、私の手が止まる。

592: 2011/09/23(金) 21:34:35.93 ID:rKkuuigL0
何故だろう。
すごく嫌な予感がする。
こういう時って、大体が最後に掛けた奴がオチ担当になったりしないか?
皆が似合うってお互いを褒め合ってる中、
最後に勿体ぶったナルシスト的なキャラが登場した瞬間、
皆に「似合わねー!」と笑われたりするそんなシーン……。
漫画でよく使われる黄金パターンじゃないかよ……。

掛けたくねー……。
眼鏡を掛ける事自体はいいんだけど、からかわれたくねー……。

でも、この空気の中で、一人だけ眼鏡を掛けないわけにもいかなかった。
何となく視線を戻すと、唯と憂ちゃん、
アキヨが悪意の無い表情で私が眼鏡を掛けるのを待っていた。
この三人の事だ。本当に悪気無く、私が眼鏡を掛けるのを待ってるんだろう。
仕方が無い。
私の心は決まった。
笑いたければ笑えばいい。
皆の笑顔のために、この田井中律、あえてピ工口になってやろうじゃないか。

蔓を手に持ち、鼻先に眼鏡を乗せる。
立ち上がって、「どうよ」と言わんばかりに親指で自分の顔を指してやる。
さあ、御照覧あれ。
これがりっちゃんの眼鏡姿だ!

すぐに音楽室が笑い声で包まれるかと思ってたけど、そうはならなかった。
しばらく音楽室を沈黙が支配する。
突然立ち上がった私を、黙り込んだ皆が静かに見守っていた。
くっ……、何だよ……。
放置プレイって手法かよ……。
そんなに私の眼鏡姿を笑いたいのかよ……。
分かってるよ、似合わないのは分かってんだよ……。
もう耐えられない。
私は愚痴る様に皆から視線を逸らしながら呟く。

「いいよ。笑いたきゃ笑ってくれ。
自分でも分かってるよ。
私に眼鏡なんておかしーし……」

情けない。自分で言ってて情けない……。
でも、容姿に関してだけは、私だって自信が無いんだよ……。
だけど、その私の情けない愚痴には、意外な所から意外な返答があった。

「いや、似合ってるよ、律……」

言ったのは澪だった。
澪の事だ。私を慰めるために気休めの言葉を言ってくれたんだろう。
まったく、優しい幼馴染みだよ。

「やめてくれよ、澪……。
こんなのおかしーって自分でも分かってんだからさ……」

「いやいや、普通に似合ってるんだよ、律」

驚いて私が皆に視線をやると、誰もが真顔のままで頷いていた。
笑いを堪えてるわけじゃなく、気休めの表情をしてるわけじゃなく、
ただ感心した様子で私の顔を見ていた。

「意外よね。律にこんなに眼鏡が似合うなんて」

「真面目な委員長に見えるよ、りっちゃん」

「うんうん、漫画に出てくるおでこ委員長って感じだよ」

「あ、確かにそうですね、唯先輩。
何処かで見た事がある気がしてたんですけど、
言われてみれば確かによく見る委員長キャラです」

「りっちゃんには眼鏡が似合いそうだと思ってた私の目に狂いは無かったわね」

「自信持ってください、律さん」

593: 2011/09/23(金) 21:35:39.27 ID:rKkuuigL0
皆が口々に私を褒めて(?)くれる。
……意外に好評だったとは。
よく見る委員長キャラって評判は喜んでいいのかどうか分からないけど、
からかわれて笑われたりするよりはよっぽどマシだった。
でも、そうなると、愚痴ってた自分の事が途端に恥ずかしくなってくる。
勝手に被害妄想抱いちゃって本当に恥ずかしいし、皆に申し訳ない。
私は素直に皆に頭を下げる。

「ごめん、皆。
眼鏡掛ける事なんて滅多に無いから、
皆にからかわれるんじゃないかって思っちゃってさ……。
変な事言い出しちゃってごめんな……」

「律先輩ってば、変な所で繊細ですよね。
自信を持って下さいよ。
意外とですけど、似合ってるんですから」

「意外と、ってのは余計だけど、ありがとな、梓。
梓も眼鏡似合って……」

言い掛けて、思わず言葉が止まる。
何だろう。この何とも言えない違和感は。
梓の言葉に嘘は無いし、皆の言葉や態度にも嘘は無い。
でも、皆、私じゃなくて、違う誰かに対して違和感を抱いてる雰囲気がある。
勿論、私も皆と同じ深い違和感を抱いてる。
その違和感の正体はすぐに分かった。
分かった……んだけど、それを言葉にするのは躊躇った。

だって、その違和感の正体は私を気遣ってくれた梓本人だったんだから。
正確に言えば、眼鏡を掛けた梓の姿が違和感に満ちていたんだ。
梓に眼鏡は似合ってる。
小さな後輩の眼鏡姿は本当に可愛らしい。
のだが。
黒髪のツインテールと眼鏡という組み合わせが違和感バリバリだった。
何て言えばいいんだろう。
言葉は悪いけど、すげーインチキ臭いんだよな……。
前にテレビでメイド喫茶を見た事があるんだけど、
そのメイド喫茶の中に眼鏡でツインテールのメイドを見つけた時にもそう感じた。
可愛い要素を無理矢理二つ組み合わせた違和感って言うのかな。
可愛い事は間違いないのに、とにかくすごく無理矢理でインチキっぽいんだ。
特に襟足ならともかく、梓の場合、
頭の上の方で結んでるツインテールだから、インチキ臭さは更に倍を超える。

「どうしたんですか、律先輩?」

急に言葉を止めた私を不審に思ったのか、梓が首を傾げながら訊ねてくる。
その様子を見る限り、梓は自分のインチキ臭さに気付いてないんだろう。
ど……、どうしよう……。

597: 2011/09/25(日) 18:08:59.56 ID:KBG5C+uw0
私は救いを求めて周囲の皆を見渡してみる。
誰か……、誰かこの状況を打開できる奴は居ないのか……?
そうだ。
どんな服装でも自在にコーディネートするさわちゃんならどうだろう?
さわちゃんなら、この梓のインチキ臭さを緩和する融和策を考え……、いや、駄目だ。
「このインチキ臭さがいいんじゃない」とか言いながら、
猫耳やメイド服やリボンやフリルなんかを更に付加させて、
何処を目指してるのか分からない、痛々しくて新しい梓を誕生させちゃいそうな気がする。
そう考えながら、私は疑念に満ちた目でさわちゃんに視線を移してみる。
やっぱりと言うべきか、さわちゃんはインチキ臭い梓をうっとりした目で見ていた。
この人……、本気で眼鏡梓をコーディネートする気だ……!

こうなると、やっぱり私が梓の眼鏡姿のインチキ臭さを直接伝えるしかないのか。
それが優しさなんだろうし、場の空気を和ませるのが部長の役割ってやつだ。
軽い感じに言えば、少しは頬を膨らませるだろうけど、
梓も私の言葉を素直に受け止めてくれるはずだ。
さあ、梓に伝えよう。
眼鏡姿を恥ずかしがってた私が言うのも何だけど、
ツインテールの髪型をした梓の眼鏡姿は途轍もなくインチキ臭いんだって。
深呼吸をしてから、私はゆっくりと皆の顔を見回す。
唯と澪が梓の眼鏡姿に私がどんな反応をするのか、期待を込めた表情で私を見ている。
憂ちゃん、和、高橋さん、アキヨもじっと私の言葉を待ってるみたいだ。
梓を含めた十人……、眼鏡の奥の二十の瞳が私を見つめていた。

十人……?
一人多くないか?
確か音楽室で弁当を食べていたのは、私を含めて十人だったはずだ。
何と……!
十一人いる…だと…!?
少し動揺して、私はもう一度皆の顔を見回してみる。
えっと……、音楽室に居るのは……、
私、唯、憂ちゃん、ムギ、澪、さわちゃん、いちご、梓、アキヨ、高橋さん、和だろ……。
ん?
もう一度、落ち着いて数えてみよう。
私、唯、憂ちゃん、ムギ、澪、さわちゃん、いち…

「おまえか、若王子いちごーっ!」

気が付けば、つい叫んでしまっていた。
私があんまり突然に叫んじゃったもんだから、
アキヨと澪が驚いて身体を硬直させてたけど、驚いたのは私だって同じだった。
唐突な上に馴染み過ぎだろ、いちご……。
勿論、その驚きは唯達も同じだったみたいだ。
いつの間にか眼鏡を掛けて弁当を食べているいちごの姿を見つけると、
私と同じくいちごの姿に気付いてなかった何人かが驚きの声を上げ、澪に至っては半分気絶していた。

「おまえは何でいきなりこんな所に居るんだよ……」

半分気絶した澪の肩を抱えながら、私はおずおずといちごに訊ねてみる。
いちごは私の言葉に反応せず、憂ちゃんの弁当のおむすびを淡々と食べ続ける。
女の子座りな上に両手でおむすびを頬張るそのいちごの姿は、悔しいくらい絵になっていた。
って、そんな事は今はどうでもよかった。
私は意を決して、もう一度いちごに訊ねようと口を開く。

598: 2011/09/25(日) 18:10:43.77 ID:KBG5C+uw0
「だから、何でおまえは……」

その言葉はいちごが急に私の方に掌を向ける事で制された。
しばらく黙ってて、という意味らしい。
釈然としなかったけど、こういう時のいちごには何を言っても無駄だろう。
私は小さく溜息を吐いて、
とりあえず手の中の澪の肩を揺さぶりながら待つ事にした。
澪の意識がはっきりし始めたのと同じ頃、
いちごは手に持っていたおむすびを完全に食べ終わっていた。
軽く私に視線を向け、淡々とした口調でいちごが喋り始める。

「食べてる時に話し掛けないで。行儀が悪いでしょ」

お利口さんか、おまえは!
そう言いたいのを私はぐっと堪える。
まずは疑問をいちごにぶつける方が先決だと思ったからだ。

「それでおまえはどうしてここに居るんだよ」

「居たら駄目?」

「いや、そういうわけじゃなくて、ここに居る理由をだな……」

やきもきしながら私が言うと、
いちごが表情を変えずに自分の隣に座っている人物に視線を向けた。
その人物とは、いちごの存在に驚いてなかった内の一人……、さわちゃんだった。
一斉に私達の視線をさわちゃんに集中させると、
さわちゃんは「てへっ」と可愛らしい感じに舌を出しておどけた。

「実はね、さっきお弁当を頂いてる時に、音楽室の外に人の気配を感じたのよ。
誰かと思って見に行ってみれば、若王子さんじゃない。
折角だから音楽室の中に誘って、一緒にお弁当を食べてもらう事にしたのよ。
いいじゃない。クラスメイトじゃないの」

「それは教師として正しい行動だと思いますが、それを皆に伝える事を忘れないで下さい。
報告、連絡、相談のホウレンソウを欠かさないで下さい」

わざわざ敬語まで使って、私はさわちゃんに伝えてやる。
悪びれた風でも無く、さわちゃんは楽しそうに笑う事でそれに応じた。

「いやー、若王子さんの眼鏡姿に見入っちゃってて……」

「うんうん。それは分かるよ、さわちゃん!」

急にさわちゃんに賛同したのは目を輝かせた唯だった。
身を乗り出しながら、少しだけ興奮した様子で唯が続ける。

「前からお姫様みたいに可愛いって思ってたけど、
いちごちゃんにこんなに眼鏡が似合うなんて思ってなかったよ!
お姫様なのには違いないんだけど、
それに知的な感じが加わったって言うか……、とにかくすっごく可愛いよ!」

「流石は唯ちゃん。
分かってるじゃない。可愛い物を見極める目はやっぱり確かね」

可愛い物を愛するという点では似通った二人が、
初めて目にするいちごの眼鏡姿を見ながら、だらしなくにやける。
何をやってるんだ、と思わなくもないけど、その点については私も同意見だった。
眼鏡を掛けたいちごの姿は、こう言うのも悔しいけど、はっとするくらい可愛かった。
言うならば、まさしくモエモエキュン……ってか?
いちごも一応ツインテールではあるんだけど、
梓とは違っていちごのツインテールだと眼鏡も似合うから不思議だ。
可愛い子は何をやってても可愛いから得だよなあ……。
別に梓が可愛くないってわけじゃないけど、いちごはどうにも別格なんだよな。

いやいや、いちごの可愛さに見惚れてる場合じゃない。
私は意識がはっきりした澪をその場に置き、いちごの近くにまで歩いていく。
梓にいちごの隣を空けてもらい、私はいちごの隣にそのまま腰を下ろす。
いちごが軽く私に視線を向けた。

599: 2011/09/25(日) 18:11:28.81 ID:KBG5C+uw0
「何か用?」

「結局、いちごが何しに来たのかと思ってさ」

「様子を見に」

「様子……って軽音部の?」

「うん」

「それならそう言ってくれりゃいいじゃんか。
こんな驚かすような事しなくても、
普通に訪ねてくれればいちご姫をもてなしてたのに……」

「驚かすつもりなんてない」

少しだけいちごの声が変わった。
声色はほんの少し低く、声の速度もゆっくりになっている。
表情も無表情には違いなかったけど、何処か強張ってるみたいにも見える。

「律が気付かなかったんでしょ」

いちごが続け、私から視線を逸らす。
そこでようやく、いちごが不機嫌になってるんだって事に私は気付いた。
言われてみれば、さわちゃんの様子を見る限りは、
さわちゃんもいちごも、別に私達を驚かそうとして隠れてたわけじゃないみたいだ。
いや、そもそもいちごは隠れてたわけじゃない。
自分の存在こそ主張しなかったけど、普通に音楽室の中で座ってただけなんだ。
憂ちゃんや和を含む何人かはいちごに気付いてたみたいだし、
単にアキヨや唯と話すのに夢中になってた私が、いちごの姿に気付かなかっただけらしい。
これはいちごに悪い事をしてしまったかもしれない。

私は私から目を逸らすいちごの背中を軽く擦った。
この前、いちごが私にしてくれた事だった。
そうしたのは、こうすればいちごが私の方を向いてくれるはずだと思ったのもあるけど、
何より私がいちごの存在や優しさを忘れたわけじゃないって事を伝えたかったからだ。

「ごめんな、いちご。怒らないでくれよ。
まさかいちごが部活の様子まで見に来てくれるなんて思ってなかったんだよ。
気が回らなくてごめんな。それ以上に、ありがとな。
私達の事を気に掛けてくれるなんて嬉しいよ」

「別に、怒ってない」

またいちごが私に軽く視線を向ける。
無表情なままではあるけど、声色は柔らかくなってる気がした。
少しは私の事を許してくれたんだろうか。
いちごの顔を覗き込んでから、私は微笑む。
気難しいクラスメイトだけど、私達の事を気に掛けてくれてる。
私を助けてもくれた、優しい子なんだよな。
その事がとても嬉しかった。

「律は」

不意にまたいちごが呟くみたいに言った。
いちごの背中に手を置きながら、私はいちごの瞳を覗き込んで見る。
何故だか、眼鏡の奥の瞳が少し潤んでるように見えた。

「律は大丈夫なんだね」

火曜日の事を言ってるんだろう。
確かに火曜日の私の様子は酷かったよな。
吐いた上に青白い顔もしてたみたいだし、精神的にも最悪だった。
いちごが私のその後を気にするのも無理は無いだろう。
これはいちごに前向き元気なりっちゃんを見せてやらないとな。
だから、私は何かを言うよりも、歯を見せるくらいただ大きく笑った。
私の心からの笑顔を見せたかった。
恐怖と絶望に負けそうだった私を最初に引き戻してくれたのは、誰あろういちごなんだ。
今、私が皆と笑えてる最初のきっかけをくれたのは、いちごだったんだ。
ありがとう、いちご。
その想いを込めて、私にできる最高の笑顔をいちごに向けていたい。

600: 2011/09/25(日) 18:11:58.45 ID:KBG5C+uw0
しばらくその顔を向けていると、いちごがとても意外な表情を見せた。
口の端を上げて、目尻を柔らかく下げて、
軽くとだけど、それは確かに……、初めて見るいちごの笑顔だった。

「よかった」

いちごがそう言って、すぐにまたいつもの無表情に戻った。
でも、笑ってくれていたのは確かなはずだ。
その瞬間、私はとても自意識過剰な考えを抱いていた。
ひょっとすると、いちごは軽音部じゃなくて、私の様子を見に来てくれたのかもしれない。
他の誰よりも私の事を気にしていてくれたのかもしれない。
だから、私がいちごの姿をすぐに見つけられなかった事に、不機嫌になってたのかもしれない。
恥ずかしくなるくらい自意識過剰だけど、私にはそう思えてならなかった。
何だかすごく照れ臭い気分になりながら、私はまたいちごの背中を擦る。

「ありがとな。本当にありがとう、いちご」

「いいよ。律が元気なら。
元気じゃない律は、律じゃないから」

「何だよ、それ」

言って私が笑うと、いちごは少し目尻を細めた。
すごく温かい雰囲気。
胸がいっぱいになりそうだ。

不意に。
恐ろしいほど多くの視線を感じた。
私は恐る恐る周囲を見回してみる。
気が付けば、私達を様々な感情が宿った視線が包んでいた。

まず和と高橋さんが苦笑して、
ムギはうっとりとして、
アキヨは照れた様子でチラチラと、
憂ちゃんは顔を少し赤く染め、
さわちゃんと唯は若干楽しそうにしていて、
梓が心配そうに澪と私の顔を交互に見ている。
そして、澪は……、えっと……、その……、何だ……。
嫉妬に狂った顔とかならまだよかったんだけど、
よりにもよって今にも泣き出しそうな表情で私達に視線を向けていた。

気まずい……。
別にいちごと私がそんな関係ってわけじゃないし、
いちごだってクラスメイトとして私を心配してくれただけなのに、何だかすごく気まずい。
澪には後で二人きりになった時にフォローしておく事にするとして、
私はどうにか話を誤魔化すようにいちごに話を振ってみた。

「そういやさ、いちご。
前も聞いた話だけど、いちごは何しに毎日学校に来てるんだ?
バトン部の活動もしてるみたいだけど、毎日じゃないみたいだしさ。
でも、いちごは毎日登校して来てるだろ?
よかったらでいいんだけど、それがどうしてなのか教えてくれないか?」

「あ、それは私も気になるな」

私の言葉に続いたのは高橋さんだった。
そういえば、高橋さんも図書室でたまたまいちごに会ったって言ってたよな。

601: 2011/09/25(日) 18:12:27.66 ID:KBG5C+uw0
「そうね。もしよければ、私にも教えてもらえるかしら?
若王子さん、先週くらい生徒会室に見学に来たじゃない?
若王子さんが生徒会室に来るなんて意外だったから、驚いたわ。
何か込み入った事情があるのなら、話を聞くのは諦めるけど……」

そう言ったのは和だ。
和の言葉通りなら、いちごは図書室だけじゃなく、生徒会室にも出没してたらしいな。
そういや、そもそも何でいちごは火曜日に音楽室の近くに居たんだ……?

「いちごちゃん、毎日、何してたの?」

「教えてくれると嬉しいな」

「図書室や生徒会室に若王子さんって組み合わせも意外よね」

質問がいちごに集中する。
普段から謎の多いいちごなだけに、
皆いちごの真意が気になって仕方が無いみたいだった。
勿論、私もそうだけど、私が振った話題なだけに、
それを無理矢理いちごに答えさせる形になるのは、言い出しっぺとしていちごに悪い気がする。
両腕を左右に広げ、「ストップ、皆」と言おうとした瞬間、いちごが口を開いた。

「じゃあ、律にだけ教えてあげる」

「へっ? 私っ?」

思わず私は間抜けな声を出してしまっていた。
まさかいちごがそんな事を言い出すとは思わなかった。
まあ、全員に知られるよりは、誰か一人にだけ話す方が気が楽なんだろう。
いや、いちごってそういう事を考えるタイプだっけ?
もう一度覗き込んでみたいちごの表情からは何も掴めない。

「いいなー、りっちゃん。
いちごちゃんは私の心の友なのに、りっちゃんだけずるいなー」

羨ましそうに唯が呟く。
いつからいちごとおまえが心の友になったんだ。
もしかしたら、唯にとってはクラスメイト全員が心の友なのかもしれないけどさ。

「悪いな、唯。
おまえはいちごの心の友かもしれんが、私はいちごの心の故郷だからな」

冗談のつもりだったけど、
その言葉を聞いた澪がまた泣き出しそうな表情になった。
おいおい、またかよ……。
でも、澪の気持ちも分からなくはないか。
今までの関係ならともかく、
友達以上恋人未満っていう複雑な関係の今じゃ、細かい事が気になっちゃうんだろうな。
それは私も同じで、私もムギと澪の関係を気にしちゃったりもしてたからな。
そんな事があるはずないと分かってても、どうしても不安になっちゃうんだ。
それだけ澪が私にとって特別な存在になってきてるって事なんだろう。
勿論、それはまだ口に出して澪には言えないけど……。

602: 2011/09/25(日) 18:14:21.18 ID:KBG5C+uw0
「そうね。もしよければ、私にも教えてもらえるかしら?
若王子さん、先週くらい生徒会室に見学に来たじゃない?
若王子さんが生徒会室に来るなんて意外だったから、驚いたわ。
何か込み入った事情があるのなら、話を聞くのは諦めるけど……」

そう言ったのは和だ。
和の言葉通りなら、いちごは図書室だけじゃなく、生徒会室にも出没してたらしいな。
そういや、そもそも何でいちごは火曜日に音楽室の近くに居たんだ……?

「いちごちゃん、毎日、何してたの?」

「教えてくれると嬉しいな」

「図書室や生徒会室に若王子さんって組み合わせも意外よね」

質問がいちごに集中する。
普段から謎の多いいちごなだけに、
皆いちごの真意が気になって仕方が無いみたいだった。
勿論、私もそうだけど、私が振った話題なだけに、
それを無理矢理いちごに答えさせる形になるのは、言い出しっぺとしていちごに悪い気がする。
両腕を左右に広げ、「ストップ、皆」と言おうとした瞬間、いちごが口を開いた。

「じゃあ、律にだけ教えてあげる」

「へっ? 私っ?」

思わず私は間抜けな声を出してしまっていた。
まさかいちごがそんな事を言い出すとは思わなかった。
まあ、全員に知られるよりは、誰か一人にだけ話す方が気が楽なんだろう。
いや、いちごってそういう事を考えるタイプだっけ?
もう一度覗き込んでみたいちごの表情からは何も掴めない。

「いいなー、りっちゃん。
いちごちゃんは私の心の友なのに、りっちゃんだけずるいなー」

羨ましそうに唯が呟く。
いつからいちごとおまえが心の友になったんだ。
もしかしたら、唯にとってはクラスメイト全員が心の友なのかもしれないけどさ。

「悪いな、唯。
おまえはいちごの心の友かもしれんが、私はいちごの心の故郷だからな」

冗談のつもりだったけど、
その言葉を聞いた澪がまた泣き出しそうな表情になった。
おいおい、またかよ……。
でも、澪の気持ちも分からなくはないか。
今までの関係ならともかく、
友達以上恋人未満っていう複雑な関係の今じゃ、細かい事が気になっちゃうんだろうな。
それは私も同じで、私もムギと澪の関係を気にしちゃったりもしてたからな。
そんな事があるはずないと分かってても、どうしても不安になっちゃうんだ。
それだけ澪が私にとって特別な存在になってきてるって事なんだろう。
勿論、それはまだ口に出して澪には言えないけど……。

603: 2011/09/25(日) 18:16:33.43 ID:KBG5C+uw0
とりあえずこれ以上澪を不安にさせないように、
まずは早くいちごの話を聞かせてもらう事が先決かな。
私はいちごと一緒に立ち上がって、音楽室の隅の方まで移動する。
私の耳元に口を寄せると、いちごが囁いた。

「誰にも言わないでよ、律。
笑われたくないから」

「……笑われるような理由なのかよ?」

「違うけど」

そう囁いたいちごの頬は少し赤くなっていた。
どうも恥ずかしがっているらしい。
いちごが恥ずかしがるなんて、一体どんな理由で登校してたってんだ……?
何だか不安になりつつも、私は真剣な顔で囁き返す。

「誰にも言わないよ。笑いもしない……と思う。
聞いてみなきゃ分かんないけど、
少なくともいちごが私を信じて話してくれる事なんだ。
馬鹿にして笑ったりなんかしないよ」

「約束」

「うん、約束だ」

「じゃあ、話す。私が学校に来てた理由は……」

そうして、いちごが私の耳元でその理由を囁いた。
世界の終わりを目前にして、
クールでお姫様みたいないちごが登校してた理由は……。

「……あはっ」

思わず私は声に出して笑っていた。
笑っちゃいけないって事は分かってるのに、湧き出る笑いを止められない。

「あはははっ!
そっか……! そっかあ……!」

笑いを止められない私を、
唯が不思議そうに見つめて訊ねてくる。

「どしたの、りっちゃん?
そんなに面白い理由だったの?」

「いや、そういうわけじゃなくてだな……。
ははっ、あはははっ!」

途端、無表情なまま、いちごが笑いを止めない私を何度も叩き始めた。
叩いたって言っても、あまり勢いは乗せず軽くって感じだ。
いや、バトン部で鍛えたスナップの効いたそのチョップは結構痛かったが。
しかも、無表情ではあったけど、そのいちごの顔面は真っ赤だった。
よっぽど恥ずかしいんだろう。
真っ赤な顔をして、いちごは私をチョップするのを止めなかった。
冗談みたいな理由だったけど、いちごの反応からすると本当に本音だったみたいだ。

604: 2011/09/25(日) 18:17:08.28 ID:KBG5C+uw0
「馬鹿にしないって言ったのに。
笑わないって言ったのに。
律なら分かってくれると思ったのに。
律に話した私が馬鹿だった」

淡々とした口調だったけど、かなり恨み節がこもっていた。
こんなに心を揺らしてるいちごを見るのは初めてで、
それはとても新鮮だったけど、これ以上勘違いさせ続けるのも可哀想だった。
私は少しだけ笑いを堪えて、
でも、笑顔のままでいちごの手首を軽く掴んだ。

「悪かったよ、いちご。
つい笑っちゃったけど、馬鹿にしたわけじゃないんだよ。
誰にも話さないし、いちごが登校してた理由はずっと私の心の中にしまっとくからさ。
それに、いちごの気持ちは分かるよ。
全部じゃないけど、私もきっと同じ理由で学校に来てたんだと思う。
それが嬉しかったし、
いちごと私の理由が一緒ってのが意外でさ、それで笑っちゃったんだよな」

私の言葉を分かってくれたらしく、
いちごは私を叩くのをやめてくれたけど、
赤く染まったその顔はしばらく元に戻らなかった。
かなりの一大決心で私に話してくれたんだろうと思う。
そんないちごの様子を見ていると、また私の顔が緩んでいった。
悪いとは思うけど、でも、これだけは勘弁してもらいたい。
いつもクールないちごがこんな理由で学校に来てたなんて、
それで毎日学校を歩き回ってたなんて、嬉しくなってくるじゃないか。
嬉しくて、幸せになっちゃうじゃないか。
だって、そうじゃん?
世界の終わりを間近にして、いちごが毎日登校してた理由が……。
『学校が好きだから』なんてさ。

610: 2011/09/27(火) 19:05:25.22 ID:buxu7BEn0





皆で弁当を食べ終わった後、
「練習を邪魔するのも悪いから」と和達は音楽室から出て行った。
高橋さんとアキヨは本好き同士、
いつの間にか気があったらしく、これから図書室に向かうらしい。
和はもう少しだけ生徒会の仕事をまとめるとの事だ。
憂ちゃんは次は純ちゃんのいるジャズ研に差し入れに行くそうで、
音楽の先生として純ちゃんの練習を見に行ったのか、
それともまだ憂ちゃんの弁当を食べ足らないのか、
さわちゃんも大量の眼鏡を抱えてジャズ研に向かった。
いちごは楽器に興味を持ったらしく、
キーボードやドラムを無表情ながら興味深そうに見ていた。
私が「いちごも何か楽器を演奏できるのか?」と聞いてみると、
「マラカスなら」とこれまた冗談なのか本気なのか、よく分からない返答があった。
マラカスねえ……。
マラカスもバトンみたいなもんだと思えば、いちごに似合う……のかな?

それから少しだけ滞在した後、いちごもふらりと音楽室から出て行った。
『学校が好きだから』という理由で学校に来てたいちごだ。
ふらりとクラスメイトの誰かを探しに行くんだろう。
清水さんや春子なら何度か見掛けた事があるし、
もしかしたらその辺の子達に会いに行くのかもしれないな。
清水さんはともかく、春子といちごがどんな話をするのか想像も付かんが。
まあ、意外と気が合ってたりしてな。

それにしても、いちごに本当にマラカスが演奏できるんだったら、
折角だし最後のライブにゲストで一曲くらい参加してもらうのも面白いかもしれない。
マラカスを組み込めそうな曲か……。
ふわふわ時間(タイム)なんかだと、結構合うかも。

音楽室に五人残された私達は、
ムギの用意してくれたFTGFOP(よし、もう憶えた)を飲んだ後、練習に取り掛かった。
練習自体はかなり上手くいったと思う。
新曲の演奏自体はほとんど完成してたんだし、
私の知らない所で猛練習してたんだろう澪の歌声も、完璧に新曲の旋律に乗った。
これなら多分、皆に完成した新曲を届けられそうだ。
私達のこれまでの曲とは雰囲気の違う新曲に、アキヨ辺りが驚く顔が目に浮かぶ。

ただ演奏中に困ったのは、梓のインチキ臭い眼鏡姿を何度も思い出しちゃった事だ。
いちごとのやりとりのおかげでうやむやにできたけど、
不意に頭の中にその姿が浮かんで笑いを堪えるのが正直辛かった。
梓に伝えなきゃって緊張感が切れたせいもあるんだろうな。
何かツボに入っちゃってる。
これだけは本番までにどうにか克服しとかなきゃな。

でも、それ以外の点で練習に問題は無かった。
それは、あの世界の終わりを告げるみたいな空を見たからかもしれない。
あの空模様には圧倒された。
音楽室から出て行く時、アキヨや高橋さんだけじゃなく、
和やさわちゃんですらも何度も目にしたはずの空模様を見て、複雑な表情を浮かべていた。
勿論、それは私達も同じだ。
窓の外の空模様が目に入る度、否応なしに世界の終わりを実感させられて、胸が鼓動する。
恐いのかどうかは自分でも分からない。
ただ、終わりに近付いてる世界を、心の奥底から分からされる。
もう逃げようがないんだって事を。

611: 2011/09/27(火) 19:05:59.06 ID:buxu7BEn0
だから、逆に覚悟が決まった。
世界が終わるのは逃げようがない現実なんだし、逃げたところで同じく世界が終わるだけだ。
世界は、
終わる。
どうしたって、
終わるんだ。
だったら、私達は私達のしたい事を、最後まで精一杯やってみせるだけだ。
それに、世界の終わりを目の前にしても、したい事がある私達は幸せだと思う。
目標に向かって進んでいける。
私達は進める。
だからこそ、生きていける。

唯がギターのギー太を奏でる。
マイペースな唯とはいえ、流石に世界の終わりの事を実感してないわけじゃないだろう。
本当は世界の終わりが悲しくて仕方が無いはずだ。
でも、いつもと変わらず、楽しそうに、幸せそうに唯は音楽を紡いでいく。

ムギがキーボードで私達を導く。
初めて会った時とは随分と違う印象になったムギ。
だけど、その本質は変わってないんだと思う。
楽しい事が好きで、全てを楽しもうという姿勢を崩さないでいて、
私達と音楽を楽しんでくれてる。

梓が楽しむ唯をフォローするみたいに、むったんを演奏する。
自由奔放な私達を真面目の型に嵌めるんじゃなく、
自由奔放なままだからこそ演奏できる曲を模索してくれるようになった梓。
それが自由な私達の中でのアクセントになって、
私や唯も新しい可能性を見つけていけるようになった。

澪……。
誰よりも臆病で、誰よりも世界の終わりを恐がってるはずの澪。
今でも逃げ出したいと心の底では思ってるのかもしれない。
だけど、澪は逃げない。
逃げずに立ち向かい、私達をベースという土台で支える。
臆病だからこそ、誰よりも多くの勇気を振り絞って、
そんな眩しい勇気の力を私達に見せてくれて、私達はその勇気に支えられている。

私……はどうだろう?
結局、私は皆を支えられたんだろうか?
唯やムギは強い子で私を支えてくれて、
梓が立ち直れたのも強い想いを持てる子だったからで、
澪に至っては私の我儘をぶつけてしまうだけだった。
大した事は何もできなかった。
そんなので部長として部を支えられたなんて、逆立ちしたって言えないけど……。
ひょっとしたら、それでもいいのかもしれない。
私は私のままで生きていけばいい。
皆、そんな私でいいって言ってくれてる。
間違えた道を行こうとしたら、澪が拳骨で引き戻してくれるだろうしな。
だから、自分がこの部に必要だったかなんて、そんな事を考えるのはもうやめよう。
誰の役に立ててなかったとしても、私は最高の仲間達に囲まれて幸せなんだ。
その想いをライブにぶつけようと思う。
それで少しでも、私の幸せを誰かに分けてあげられたら、
誰かが笑顔になってくれるなら、それだけで私は世界の終わりまで笑ってられるはずだ。

612: 2011/09/27(火) 19:06:26.13 ID:buxu7BEn0





――土曜日


今日で実質的に世界は終わる。
日曜日、いつ頃に世界が終わるかは分かってないからだ。
陽の落ちる前に世界の終わりは来るらしいけど、そんな事を気にしているわけにもいかない。
結局の話、何事も無く終われるはずの最後の日が今日って事だ。

純ちゃんのライブを観終わった後、私達は徹夜で練習をしていた。
不安だったわけじゃないけど、できる限りの事はしておきたかったんだ。
形式的なものだけど和に宿泊届を出して、さわちゃんにも寝袋を借りた。
ある程度の練習を終えた後、私達は寝間着に着換える事にして、気付いた。
そういえば、パジャマもジャージも持って来てなかった事に。
でも、まあいいか、と皆で頷く。
パジャマは無いけど、服なら軽音部の負の遺産がたくさん残ってるんだ。
唯と澪が浴衣、ムギがチャイナ服、梓と私がゴス口リに着替えた。

そんなバラバラの服装で、
私達は夕方に観たジャズ研のライブを口々に語り合う。
いいライブだった。心の底からそう思う。
ジャズを観る機会自体そうは無かったんだけど、
ほとんど初めて見ると言っていいジャズバンドの本格的な演奏はカッコよかった。
当然、ジャズだからカッコいいってだけじゃなく、
純ちゃんの演奏も様になっていて、思わず舌を巻いちゃうくらいだ。
もしかしたら、澪に匹敵する実力なんじゃないか?
普段おどけてる純ちゃんの姿からは想像もできないその見事な実力。
これなら来年の軽音部も安泰だ。
ひょっとすると、今の軽音部よりよっぽどすごい部になるかも……。
それはそれで複雑な気分だけど、梓が一人軽音部に残る事にならないってのは純粋に嬉しい。

寝なきゃいけない事は分かってた。
それでも、いつまでも話し足らなくて、誰からも言葉が途切れる事が無かった。
話し終えたら、眠らなきゃいけなくなるから。
眠ったら、残り少ない朝を迎えてしまう事になるから。
朝が来なきゃいいのに……。
別れの日の朝が……。
勿論、ライブに響くし、眠らずにいていいはずがなかった。

三時を回ったくらいに、私は意を決して皆に「もう寝よう」と伝えた。
唯あたりが嫌がるかと思ってたけど、
意外にも泣きそうな顔でそれを嫌がったのは梓だった。
普段見せない梓の我儘な姿に唯達が困惑した姿を見せる。
梓もこの時間を終わらせたくないと思ってる事は嬉しかったし、
それくらい私達との時間を大切にしてくれてるんだろう。
ちょっとやそっとじゃ、梓も眠りたくない事を譲りそうになかった。

私も同じ気持ちだけど、ここを譲るわけにはいかない。
私はわざと儚そうな雰囲気を装ってから、梓に向けて言った。

「朝までずっとお休みを言い続けたいの。
だって夜が明けて欲しくないんですもの。別れの朝なんて来なければいいのに……」

少し間があったけど、しばらくして梓が「似合いませんよ」と笑ってくれた。
「中野ー!」と言いながら、私は梓の後ろに回ってチョークスリーパーを仕掛けてやる。
似合わないのは分かってるよ。
大体、これ学園祭でやったジュリエットの台詞だしな。
私の雰囲気に似合わないこの台詞を言えば、梓の頭も少しは冷えるかと思ったんだ。
結果はとりあえずは成功だったみたいだ。
梓も自分が我儘を言ってる事は気付いていたみたいで、
頭を私達に下げてから、もう寝る事を承知してくれた。
「お休みを言い続けるなんて、律先輩には似合いませんしね」と照れ隠しに笑いながら。
こうして、私達は最後の徹夜を終え、眠りに就く事になった。

それからしばらくの間、
似合わない私の台詞に対する唯の笑いが止まらなかったけどな。
まったく……、失礼な奴だ。

613: 2011/09/27(火) 19:19:25.35 ID:buxu7BEn0


今回はここまでです。
遂に土曜日ですね。

あ、超今更ですが、
このSSの舞台設定はけいおん!!の番外編1の直後くらいが冒頭という設定です。
いや、書いてなかったなと思いまして。

616: 2011/09/29(木) 20:47:46.84 ID:aNxPLZtc0





夢を見た。
唯とムギと澪と私の四人で同じ大学に通う夢。
澪とムギが危なげなく、私と唯も奇跡的に大学に合格して、
四人で高校生の時と変わり映えのしない生活を送るっていう他愛の無い……、
幸福で、悲しい夢だった。

夢から覚めた時、私はしばらく呆然としていた。
幸せそうな未来の私達の姿に引きずり込まれそうだった。
夢の中の方が現実なら、どんなによかった事だろう。
もうすぐ終わる現実から目を逸らして、
いつまでもその夢の中に浸っていたかったのも、私の正直な本音だ。
でも、そういうわけにはいかないよな。
夢は、夢なんだ。
もしかしたら、辿り着けていたかもしれない未来。
もう辿り着く事のできない未来。
そんな未来に思いを馳せるのも、
決して悪い事じゃないんだろうけど……、
私はまだ生きてる。終わりを迎えようとしている現実に生きてる。
だったら、残る時間を私のしたいように生きていかなきゃな。
少なくとも、夢の事ばかり考えて世界の終わりを迎えるのは、
絶対に後悔しそうだし、どうにもつまんなさそうだからな。

小さく溜息を吐き、寝袋から身体を出してみる。
どれくらい眠ってたんだろう。
何だかすごく長い夢を見てた気がするし、
もしかしたら結構長い時間、眠っちゃってたのかもしれない。
皆はもう起きてるんだろうか?
そう思いながら周りを見渡してみて、途端、背筋が凍った。

部室の中には誰も居なかった。
私一人だけ残して、部室には人の気配が一切存在しなかった。
それどころか、皆で使ったはずの寝袋も見当たらなかった。
私達は確かに五人で寝袋の中で眠っていたはずだ。
ジャズ研のライブの話をしたり、ロミジュリの話をしたり、
皆で寝る前に色んな話をした事を、今でも鮮明に覚えてる。
当然だ。まだ何時間も経ってない過去の話なんだ。忘れててたまるか。

だけど、今の部室内には……、
音楽室の中には、私の大切な仲間達の姿が一つも無くて……。

不意に恐ろしい想像が私の頭の中に浮かんで来る。
駄目だと分かっているのに、その想像を止める事はできなかった。
もしかして……、世界の終わりがもう来てしまったのか?
生き物だけが氏を迎えるらしい終末。
世界はその終末を迎え、私から私の大切な仲間……、
ムギや唯や梓、澪を奪い去っていって……、
何の因果か終末から私だけ取り残されてしまって……。
私一人だけ置いていかれて……。

いいや、そんなはずがあるもんか。
私一人だけ生き残るなんて、そんなご都合主義があるもんか。
それこそ梓が私達の卒業を悲しんだせいで、
終末が訪れる事になったって考えるくらい荒唐無稽だ。
私はそんな特別な人間じゃない。
凡人で、平凡で、特に取り柄の無い普通の女子高生なんだ。
漫画でたまに見るけど、
主人公だけが都合よく世界の終わりを免れるなんて、
そんなご都合主義な展開が私の身に起こってたまるか。
それに……、そんなの、嬉しくない。
全然嬉しくない!
私だけ運良く生き残れてたって、嬉しいはずがあるか!
そんなの自分一人が氏ぬ事よりも、よっぽど恐いじゃないかよ!

立ち上がって、私は駆け出す。
音楽室の扉に手を掛けて、鍵を空ける。
何処でもいい。
生きている人の姿を目にしたかった。
唯やムギや梓、聡、父さんや母さん……、そして、澪が。
澪がまだ生きてるんだって事を、この目で確かめたかった。
終末が一足先に訪れただなんて、そんな事があってたまるか!

勢いよく扉を開く。
一歩、音楽室から足を踏み出す。
皆の顔が……、澪の顔が今すぐ見たいんだ!

617: 2011/09/29(木) 20:48:19.41 ID:aNxPLZtc0
「うわっ!」

そうして、階段を走り降りようとした瞬間、小さな悲鳴が廊下に響いた。
聞き覚えのある……、一番聞きたかったあいつの声だ。

「どうしたんだよ、律。
そんなに走って何処に行くつもりなんだ?」

私の目の前には、階段を登り終えようとしている澪が居た。
いつの間に着替えたのか制服姿で、胸の前にスーパーのレジ袋を抱えて。
普段と変わらない姿の澪が不思議そうに立っていた。

思わず私はその場に崩れ落ちる。
足に力が入らない。
腰が抜けちゃったみたいな感覚だ。
澪の顔を見て安心できたせいか、どうにも立っていられなかった。

「だ……、大丈夫か、律?
そんな急に座り込んじゃって……、何かあったのか?
お腹でも痛いのか?」

澪が心配そうに私の顔を覗き込む。
私が一番見たかった顔が間近に迫る。

「だいじょ……」

大丈夫だよ、と言おうとしたけど、言葉が続かなかった。
声を出そうとすると、泣き出しそうになってしまって、何も言えなくなる。
よかった。
澪が居てくれて。
生きていてくれて。
私一人が取り残されたわけじゃなくて、本当によかった……。

澪に肩を貸され、私達はとりあえず音楽室に戻る。
私を長椅子に座らせてくれると、レジ袋を足下に置いて澪も私の隣に座った。
二人で肩を並べる。
心配そうな表情を崩さないまま、不意に澪が私のお腹に自分の手を当ててくれた。

「本当に大丈夫か、律?
ジャージを忘れたからって、ゴス口リをパジャマにするのは無理があったかな……。
熱は無さそうか? 風邪っぽいなら、さわ子先生を呼んで来るよ。
さわ子先生、多分、昨日は被服室に泊まったはずなんだけど……」

心の底から私を心配してくれてる澪の顔。
いつも私を見守ってくれてた澪の表情だ。
私は軽く首を横に振り、私のお腹に当ててくれてる澪の手に自分の手を重ねた。

「律……?」

少し照れたような声を澪が上げる。
深呼吸して、もう一度私は声を出そうとしてみる。

「あのさ、澪……」

うん。今度は大丈夫。少しは落ち着けたみたいだ。
これならどうにか澪に私の言葉を届けられる。

「大丈夫だよ。熱は無いし、腹痛があるわけでもない。
座り込んじゃったのは……、そうだな……。
ちょっと疲れちゃってたからだと思うよ」

誤魔化したわけじゃない。
疲れてたのは確かだ。肉体的にじゃない。精神的にだ。
楽しくて悲しい夢を見ちゃったせいで、想像以上に心を擦り減らしてたんだと思う。
じゃなきゃ、あんな無茶な想像はしなかっただろうし……。

「そうか……? だったらいいけど、無理だけはするなよな?
今日の夕方にはライブがあるんだし、律は大事な座長なんだからな。
座長として、役目はちゃんと果たしてもらわないとな」

澪がまだ心配そうにしながらも、軽く微笑んだ。
座長って……。
私達がやるのは別に演劇でもミュージカルでもないんだが……。
でも、言われてみると、そうかもしれないな。
言い出しっぺこそ唯だけど、
何だかんだと今回のライブを準備したのは私なんだ。
これは確かに私が座長って事になるのかもしれない。

618: 2011/09/29(木) 20:48:47.54 ID:aNxPLZtc0
「私が座長だってんなら、粉骨砕身で頑張らないといけないザマスね。
澪さん、あーたもしっかりと私に付いてくるザマスよ」

「何だよ、そのおまえの座長に対するイメージは……」

私がわざとおどけて言ってみせると、呆れたように澪が呟いた。
それから澪は私のお腹に置いた手をどけようとしたけど、
私はその澪の手を自分の手で包んで放さなかった。放したくなかった。
澪の体温をもう少し感じていたかったんだ。

「ちょっと、律……」

嫌がった様子じゃなかったけど、上擦った声で澪が呟く。
頬を赤く染めてるのを見ると、どうやら照れてるみたいだった。
そんな反応をされると、私の方も何だか恥ずかしくなってくる。
私も多分顔を赤くしながら、それでも澪の手を放さずに囁いた。

「心配してくれて、ありがとな」

「あ……、当たり前だろ。幼馴染みなんだから」

「違うだろ、澪?
私達は友達以上恋人未満……だろ?」

「えっと、それは……、その……、そうなんだけど……」

顔を真っ赤にして、澪が俯く。
ちょっと恥ずかしい事を言い過ぎたかもしれない。
私は小さく微笑むと、少しだけ話題を変える事にした。

「そういや、澪は何処に行ってたんだ?
他の皆も姿が見当たらないしさ、
置いてけぼりにされたかと思って焦っちゃったじゃんかよ」

「私はスーパーに朝ごはんを買いに行ってたんだよ。
いや、もうお昼ごはんになるのかな……。
まあ、とにかく、買い出しに行ってたんだ」

「えっ、嘘っ?
もうそんな時間なのかよ?」

私が大きめの声を上げると、
澪が苦笑しながら自分の携帯電話をポケットから取り出した。
液晶画面を私の顔の前に向ける。
画面には11:47と表示されていた。
私は小さく肩を落としてから呟く。

「マジかよ……。そんなに寝ちゃってたのか、私……。
徹夜明けとは言え、いくら何でも寝過ぎだろ……。
澪も起こしてくれりゃいいのに……」

「私だって起きたのは一時間くらい前なんだよ。
それに律もよく寝てたから、起こせなかったんだ。
疲れも溜まってるみたいだったし、ゆっくり休んでてほしかったんだよ」

「確かに疲れは溜まってたけどさ……」

「律にゆっくり休んでてほしいってのは、別に私の独断じゃないぞ。
唯も梓もムギも、律に休んでてほしがってたからな。
皆、最近、律が誰よりも頑張ってた事を知ってるから。
誰よりも軽音部の事を考えて行動してくれてた事を知ってるから。
だから、皆、今だけは律に休んでてほしかったんだよ」

頑張れた……のかな?
私は皆のために何かできたのかな?
私がそれを口に出すより先に、澪が大きく頷いた。
言葉は必要なかった。
澪の表情が皆の気持ちを代弁してくれてるみたいだった。
私は皆の手助けをできたんだって。
それはとても嬉しいけれど……、やっぱり少し照れ臭い。
私は澪から目を逸らして、窓の外を見ながら訊ねてみる。

「そういや、唯達はどうしたんだ?
一緒じゃないのか?」

「唯達は寝袋を片付けた後で、唯の家に行ったよ。
唯が何か忘れ物をしたみたいでさ、ムギと梓が付き添ってった。
私も付き添ってもよかったんだけど、律を一人にするわけにもいかなかったしな。
いや、買い出しには行ったけど、これでも急いで帰って来たんだぞ?
鍵もちゃんと掛けてたから、安全面でも問題は無かったと思うけど……」

619: 2011/09/29(木) 20:49:16.47 ID:aNxPLZtc0
瞬間、私は自分の迂闊さを恥ずかしく思った。
そういや音楽室には鍵が掛かってたじゃないか。
鍵が掛かってたって事は、誰かが寝袋を片付けた後で鍵を掛けたって事なんだ。
世界の終わりが私以外に一足先に訪れたなんて、
そんな荒唐無稽に支離滅裂を二乗したみたいな現象が起こるわけないじゃんか……。
何を心配してたんだよ、私は……。

でも、その間抜けな考えは同時に、
それだけ私が冷静でいられなかったって意味でもある。
目が覚めた時、私は部員の姿が見えない事に……、
特に澪の姿が見えない事に、どうしようもない不安を感じた。
冷静でいられるはずもないくらい、心の奥底から全身で動揺した。
それくらい、恐かったんだ。
澪を失う事こそが。

今なら実感できる。
一番を決めるなんて馬鹿らしい。
好きな物、好きな人を好きな順番で並べる事に意味は無いし、その価値なんてほとんど無い。
それぞれに良さがあるのに、順位付けるなんて馬鹿げてる。
でも、思った。
私の中で一番大切な人は他の誰でもなく澪なんだって。

だから、私は言葉にした。
何処まで上手く伝えられるかは分からない。
友達以上恋人未満の関係なのに、一番大切な人だなんて順序的にも変な話だ。
けど、それが私の正直な気持ちだったから……、伝えなきゃいけないと思ったんだ。

「なあ、澪……?
私はさ、一人で音楽室に残されて恐かったんだ」

「悪かったって。
スーパーで美味しそうなごはん買ってきたから、それで許してくれよ。
ほら、律の好きなおにぎりを選んでくれていいからさ」

「いや、怒ってるわけじゃないんだよ、澪。
変な話をするみたいだけど、聞いてくれないか?
私が音楽室に残されて恐かった理由なんだけどさ……」

私は澪の手を握りながら話した。
自分の見た夢の事、音楽室に誰も居なかった事で頭に浮かんだ酷い想像の事を。
二つとも自分の弱さを象徴してるみたいで恥ずかしかったけど、
私の想いを正確に伝えるには、話しておいた方がいい事のはずだった。

「私も何度も見た事があるよ」

私の話を聞き終わった後、
顔を上げた澪が窓の外に視線を向けながら言った。

「『終末宣言』以来、律が見たみたいな夢、私も何回も見てた。
皆で大学に合格して、一緒に通って、
折角の大学生活だから一人暮らしを始めようとしたけど、
いきなりは不安だから律とルームシェアしたりしてみたりとかさ。
楽しい夢を見てて、夢の中じゃ幸せだったな。

でも、目が覚めた後に気付くんだ。
それは本当は悪夢だったんだって。
悲しい夢の方がずっとマシなくらい、心を抉り取るような悪い夢だったんだって。
こう言うのも恥ずかしい……んだけど、
私、そんな夢を見た後はしばらく一人で泣いてたよ……」

澪も見てたんだな、と私は思う。
逆に見ない方が変なのかもしれない。
普段はもう来ない未来の事を考えないようにして、
私達に訪れない大学生活なんかを考えないようにしてる。
曖昧な未来くらいなら考えられるけど、具体的な未来を頭に描くのはどうしても気が滅入る。
未来の事を具体的に考えるとなると、否応なしに世界が終わる事を実感させられるから……。
そんな無理をしてるから、眠った後の夢の中なんかで、
どうにか抑えてた未来への想像が溢れ出しちゃったりするのかもしれない。

だけど、今は夢よりも、現実で考えてしまった想像の方が重要だった。
悪い夢とは言っても、夢は夢なんだ。
深層心理や抱えた不安なんかが夢の中で溢れるのは、ある意味当然だ。
そんなのを深く考えても意味は無い。
他人の寝言と会話しちゃいけないって話も、何処かで聞いた事があるしな。
だからこそ、目が覚めた後の現実で考えた悪い想像の事こそを、考えなきゃいけなかった。

620: 2011/09/29(木) 20:50:17.40 ID:aNxPLZtc0
私がその話を伝えようとすると、澪がそれより先にまた口を開いた。
私の言おうとしてる事を、澪は既に分かってるんだろう。

「自分一人が取り残されちゃう……。
私だってそんな想像をした事があるよ。何度も、何度もさ。
文芸部に入ろうと思ってた私に言えた事じゃないけど、
軽音部の仲間が私の前から居なくなっちゃったらって、
私だけが一人ぼっちなっちゃったらどうしようって恐かったよ。
実際、二年の時に律と違うクラスになって、
知ってる子が誰も居ないと思った時に、すごく恐かったから。
結果的に和が居たおかげで一人ぼっちにはならなかったけど、
それでも、恐かった。本当に恐かったんだよ……」

その時の事を思い出したのか、澪の手が少し震え始める。
二年の時、澪は私と離れて、そんなに恐がってたのか……。
気付いてあげられなかった自分を責めたくなったけど、そんな事をしても意味は無かった。
今、私がするべき事は、震える澪の手を握って、
気付いてあげられなかった分まで強く安心させてあげる事だろう。
私は澪の体温を感じて、澪も私の体温を感じて、
私達はお互いに傍に居るんだって事を感じ合う。

「ごめんな、澪」

澪の手を強く握って、澪の横顔に視線を向ける。
二年の時の事だけじゃなく、悪い想像を口にしてしまった事を謝るために。
私の本当の気持ちを伝えるためとは言っても、
こんな時に不安にさせるような事を伝えるべきじゃなかったのかもしれない。

「私もやっぱり恐がってんのかな……。
皆が、澪が居なくなる事を考えちゃうとさ、すごく不安なんだ。
音楽室の中に一人で居たのはほんの少しの時間だったけど、
それでも、いても立ってもいられないくらい恐かった。
もし私の馬鹿な想像みたいが本当になって、
私以外に世界の終わりが訪れて、私だけが取り残されるって考えるとさ……。
恐いんだよ……。
それこそ、氏んじゃう事なんかより、よっぽど恐かったし、寂しかったんだよ……」

最後には弱音になってしまっていた。
まったく情けない……。本当に情けない私だ……。
でも、どうしてなんだろう。
私は澪以外の前では強がれるのに、弱い自分を何とか隠せられるのに、
どうして澪の前では弱い自分を曝け出しちゃうんだろう。

また私の手に体温を感じる。
気が付けば私の手が澪に握り返されていた。
今度は澪が私の手を強く握ってくれる番だった。

「律はさ……、私が居なくなる事が恐いって言ってくれたよな?」

「ああ、そうだな……。
恐いよ。澪が氏んじゃうのが、澪が居なくなっちゃうのがさ……。
今更、こんな事を言い出すのも、澪には迷惑かもしれないけど……」

「本当、今更だよな」

長い髪を掻き上げてから、澪が言う。
言葉の内容自体とは違って、その澪の表情は優しかった。

「一つ聞いておきたいんだけど、
律がそんな一人ぼっちになっちゃうって想像をし始めたのって、
勿論、『終末宣言』より後だよな?」

「そりゃまあ……、そうだけど……」

「私は違うんだよ、律」

「違う……って?」

「律は『終末宣言』をきっかけに、
私が居なくなるのを恐がるようになってくれたみたいだけど、
私の方は『終末宣言』なんか関係なく、
そんなのよりずっと前から、律が居なくなるのが恐かったんだよ?」

すぐには何も言えなかった。
澪が何を言おうとしてるのか、まだ分からない。
今の私には、ただ澪の言葉を聞く事しかできない。
澪が多分戸惑った表情をしてるはずの私に顔を向けて、口を開ける。
その時の澪の表情は、意外にも普段の優しい笑顔だった。

621: 2011/09/29(木) 20:51:08.45 ID:aNxPLZtc0
「私はね?
中学生……、ううん、多分小学生の頃から、
律が私の傍から離れていくのが恐かったんだ。
私って内気な方だし、律は活発で友達も多いからさ……。
それこそ律がいつ私の傍から消えてもおかしくないって思ってたよ。
高校に入ってからもその考えは消えなかったな。
律は唯と波長がすごい合ってるみたいだし、
私なしで唯と行動する事も増えてきて……、
私の前からいつ律が居なくなるのか不安で仕方なかったんだよ」

「私は……、澪から離れようなんて思った事なんて、一度も無かったんだぜ……」

澪の言葉に、私はどうにかそれだけ口にする。
澪が私の事をそんな風に考えてたなんて知らなかった。
嫌われてはいないはずだとは思ってたけど、
そんなに不安に思われるほどに私が大きな存在だったなんて……。
澪がまた軽く笑う。照れ笑い……になるのかな。
少し重そうな会話の内容とは違って、そんな表情で澪が話を続けた。

「分かってるよ、律。
いや、ようやく分かった……のかな?
こんな突然に終末が来る事になったせいでもあるけど、
まさか私が律と世界の終わりまで一緒に居る事になるなんて、思ってなかった。
最期まで律が一緒に居てくれるなんて、何だか夢みたいだよ。
馬鹿みたいだけど、こんな時期になって、私にはそれがようやく実感できたんだ。
律はずっと私の傍に居てくれるんだって。
こう言うのもおかしいけど、私はそれがすごく嬉しいんだよ。
律が傍に居てくれるなんて、それも友達以上の関係で傍に居てくれるなんてさ」

私は澪から握っていた手を放す。
瞬間、澪が少し不安そうな顔をしたけど、
すぐ後に私は自分の手を澪の頭の上に乗せた。
ニヤリと微笑んで、おどけて言ってみせる。

「まったく……。
重い女だな、澪は……。
何だっけ? そういうの何て言うんだっけ? ヤンデレだっけ?
ちょっとそんな感じだぞ、澪」

「私はヤンキーじゃないぞ」

「ヤンキーデレの略じゃねえよ!」

「分かってるよ、律。
でも、そっ……かな……。私……、重い女かな……」

「ああ、最近ムギのお菓子を食べ過ぎなんじゃないか?
二の腕や太腿なんかぷにぷにしてる感じに見えるぞ」

「体重の話っ?」

「いやいや、嘘だって。さっきの冗談のお返しだ。
それにさ、私は別に澪が重い女でも全然構わないぞ?
それくらい背負ってやるし、澪の気持ちを重いなんて考えるわけないだろ?
今更だけど、私だって澪と同じ気持ちなんだ。
澪と離れたくないし、ずっと傍に居たい。
例え残り少ない時間でも、お前の傍に居られたらいいなって思うんだ。
そうそう。日曜日は澪んちでゴロゴロするんだから、準備よろしくな」

622: 2011/09/29(木) 20:51:39.40 ID:aNxPLZtc0
「え? そんな予定あったっけ?」

「いや、今決めた!」

「自慢げに言うな!」

言いながら澪が私の頭を叩く。
叩かれた頭を擦りながら私が笑うと、澪も優しい笑顔を浮かべて続けた。

「まあ……、仕方ないな。
じゃあ、予定も他にないし、明日は私の部屋でゆっくりしようか、律。
そうだな……。お茶でも飲みながら、ライブの反省会とかをするぞ」

「反省会かよー……」

「今日のライブが大成功だったら、反省会は短めにするよ。
だから、頑張ろうよ、律。今日のライブを。
何処までやれるかは分からないけど、最高のライブを目指そう?
絶対、歴史に残すライブにしたいしさ」

「当たり前田のクラッカーよ!」

「古いな!
でも、それにさ、律……。
一人ぼっちになる心配の先輩の私から言わせてもらうけど、律は大丈夫だよ。
終末までは私が傍に居る。終末から先は保証できないけど、終末までは絶対傍に居る。
嫌だって言っても傍に居るから。絶対絶対、傍に居るから!」

「……私もだ、澪。
一生、まとわりついてやるから覚悟しろよ!
離れてやらないんだからな!」

澪の肩に手を回して、私の方に引き寄せる。
離れるもんか。
澪の肩を抱きながら、頭の中で何度も呟く。
離れるもんか。絶対、離れてやるもんか。
世界の終わりにだって、私達の想いを壊させたりなんかしない。

628: 2011/10/02(日) 18:57:31.33 ID:TKPU1wp60





二人で肩を並べ、頭を寄せ合って、もう離れない事を決心した後。
私はゴス口リから自前の制服に着替え、澪と静かに昼食を食べた。
世界の終わりの前日でもまだ開いてるスーパーで、澪が厳選したごはんは美味しかった。
これで多分、私達が昼食を食べるのは明日の残り一回。
そう思うと、スーパーの惣菜でも、食べ終わるのが何だか名残惜しい。
苦手なおかずもあったけど、残らず綺麗に平らげてから、
澪の買って来てくれた歯ブラシや洗面具で身だしなみを整えていく。
邪魔にならないよう頭の上の方で結んでた髪を解き、
少しはねた髪を自前の櫛で梳かそうとすると、澪が私の椅子を用意して手招いた。
準備をしてくれたのに、遠慮をするのも失礼だ。
私は椅子に座り、櫛を澪に手渡した。

「んじゃ、頼むよ、澪」

「……うん」

頷いて、澪が私の髪に櫛を通していく。
小さい頃は結構やってもらってた事だけど、
そういえば高校生になってから、澪に私の髪を梳かしてもらった事はほとんど無かったな。
逆に澪の髪を結ばせてもらって、色んな髪型にして遊んでた事は何度もあったが。
それを私が口にすると、澪が私の頭を掴んでから溜息交じりに言った。

「高校生にもなって、お互いの髪を梳かし合うなんて変じゃないか。
それに……、えっと……」

「何だよ?」

「律に枝毛とか見つけられたくなかったし……。
律に髪を弄られてる時、本当は冷や冷やしてたんだぞ。
律に私の枝毛を見つけられたらどうしようって……」

それだけ長い髪なんだから、枝毛くらいあるだろう。
そうは思ったけど、口にはしなかった。
澪にとっては重要な事なんだろうし、そんな事を気にする澪が可愛らしく思えたからだ。
まあ、私も澪の事は言えた義理じゃないけどな。
前にムギに髪を梳かしてもらった時、
ムギは私の髪質を褒めてくれたけど、それでも何か恥ずかしかったもんな。

それに、やっぱり私に前髪を下ろした髪型は似合わない、って自分でも思う。
私が前髪を下ろすと一気に幼くなっちゃうって言うか、
無理に可愛らしさをアピールしようとしてるみたいって言うか……、
何かもう、とにかく恥ずかしいんだよな、これが。
前髪を下ろした姿を見せられるのなんて、家族か軽音部の皆くらいだよ、本当に。

はねてた髪が直ったかなって、自分でも分かり始めた頃、
机の上に置いてた私の黄色のカチューシャを澪が私の髪に当てていく。
流石は幼馴染み。
私がいつも着けてるのと全く同じ場所にカチューシャを着けてくれた。
それだけ澪が私の事を見ていてくれてたって事でもあるんだろう。
照れ臭い気分になりながら、後ろ手に澪の手を握る。

「ありがとさん、澪。
カチューシャ着ければ、今日もそれいけりっちゃんは元気百倍だ。
唯達が戻ったら、最後の音合わせに掛かろうぜ。
って言っても、後はチューニングの確認くらいだけどさ」

私のその言葉に澪は答えなかった。
聞こえなかったってわけでもないだろう。
何かあったのかと思って、様子を確認しようと振り返ろうとすると、澪が急に私の手を強く握った。

「……なあ、律。
一つ、我儘を言わせてほしいんだけど、いいかな……?」

神妙な声色だった。
それくらい澪の中では深い決心が必要な言葉だったんだろう。
私は振り返るのをやめて、正面を向いたまま頷いてから言った。

「いいよ。いつもは私が澪に我儘を聞いてもらってる立場だもんな。
あんまり無茶な我儘だと無理だけど、できる限りの我儘は聞くよ。
どんな我儘でも、とりあえずどんと来い!」

629: 2011/10/02(日) 18:58:18.89 ID:TKPU1wp60
その私の言葉に、澪は少し安心したみたいだった。
ちょっと声色を柔らかくしてから、澪は澪の言う我儘を続けた。

「じゃあ……、言うね?
正直、ほとんど無い可能性だと思う。
万が一……、億が一……、ううん、兆どころか一京分の一くらいの確率かもしれない。
でも……、でもね……。
終末の後、もしも律が一人でも生き残ってたら、精一杯生きてほしいんだ」

澪は? とは聞かなかった。
澪が言いたい事は、つまりそういう事なんだって思った。
ほとんどあり得ない可能性だけど、無いとは言い切れない。
何かの間違いで、神様の悪戯かなんかで、
もしも私だけがこの世界に生き残っていたら……。
澪の居ない世界に。
私一人が。
考えただけで、身体が震えてくる。
それこそ、さっき私が澪と話した嫌な想像そのものだ。
私一人だけが取り残される、生き物全てが全滅するよりも残酷な未来だ。
それでも、澪は言ったんだ。
私に生きてほしいんだって。

「澪、それは……」

すぐには答えられない。
澪の居ない世界で私が生きていけるなんて、到底思えない。
澪が居ない世界に取り残されるくらいなら、私は澪と一緒に世界の終わりを迎えたい。

「生きてほしいんだよ……」

絞り出すみたいに澪が呟いた。
もしかしたら、泣きそうな顔をしてるのかもしれない。
そりゃ私だって生きてたいけど、それは誰かと生きてたいって意味だ。
澪と生きてたいって意味なんだ。
澪にも生きててほしいんだ。
それが無理なら、私が氏ぬのはともかく、せめて澪にだけは……。

考えていて、気付いた。
私も澪と同じ事を考えてるって事に。
自分よりも生きててほしい人が居るって事に。
本当に我儘だよな、私……。
ごめん、澪。おまえを悪者にさせちゃったな……。
おまえは考えなきゃいけない最悪の未来を考えてくれてただけなのに……。

私は頷いた。
澪の決心を踏みにじらないために。
澪に謝るみたいに。

「……ああ、分かったよ、澪。
私……、生きるよ。生きる。おまえが傍に居なくても。
だから、おまえも……」

最後まで言う前に、澪が私の肩に手を回して顔を寄せた。
私の耳元で、若干震えた声で澪が囁く。

「……うん。私も生きる。
恐いけど……、すっごく恐いけど……、律と離れたくないから……。
律の傍に居たいから……、律の居ない世界でも、生きていくよ」

630: 2011/10/02(日) 18:58:48.31 ID:TKPU1wp60
傍に居る事を誓い合った矢先に変な話だけど、
これも私達が傍に居るって事なんだろうな、とも思った。

傍に居られる時は、傍に居続ける。
でも、傍に居られなくなった時、どちらかを失ってしまった時、
せめて心の中でだけは傍に居られるように、お互いの願いを叶えられるように……。
私達は一人でも生きていく事を決心し合った。
恐いけど……、悲しいけど……、
私は私が氏んでも澪に生きていてほしいから。
澪も澪が氏んでも私に生きていてほしがってるから。
私達はお互いの我儘を叶え続けるんだ。

勿論、どちらかが生き残る可能性なんてほとんど無いのは、二人とも分かってるけどな。
まあ、最悪の状況を想像するのは、澪の悪い所で、いい所でもある。
澪は私の肩から身体を放すと、恥ずかしそうに長椅子に歩いて行った。
自分でも無茶な想像をし過ぎたと思ってるんだろう。
顔を俯かせて、小さく呟き始めた。

「ごめん……。変な我儘、言っちゃったよな……」

「いいよ。たまには澪にも我儘を言ってもらわなきゃな。
それに何か嬉しいんだよ。
澪の我儘は私の事を思ってくれての我儘だから、本当に嬉しいんだよ。
今も自分勝手な我儘を聞いてもらってる身としてはさ」

椅子から立ち上がりながら、私は軽く微笑む。
そのまま歩いて、澪の傍まで近付いて行く。
澪は不思議そうな表情をしていたけど、
何を言われるよりも先に私は腕を回して真正面から澪に抱き着いた。
いや、抱き着いたたんじゃないな。
抱き締めたんだ、私の友達以上恋人未満の澪を。

「ちょっ……! えっ……? えーっ……?」

何が起こったのか分からないって表情で、澪が私の腕の中でじたばた暴れる。
自分から抱き着く事は多いくせに、誰かに抱き着かれる事は慣れてないらしい。
そういや、私も唯とはふざけて抱き合う事は多かったけど、
澪とは自分からこんな風に密着する事はあんまりなかった気がする。
冷静になって考えると恥ずかしくなってくるけど、もう今更だ。
私は多分顔を真っ赤にしながら、澪に囁いた。

「澪が我儘を言ってくれたお礼に、私の精一杯を見せてやる」

「せ……、精一杯……?」

「友達以上恋人未満って言っても、色々……、あるじゃん?
もうほとんど恋人みたいな関係とか、友達よりちょっと親しいだけの関係とか、
相手を都合よく使うために、友達以上恋人未満って事にしてるだけの関係とか……。
友達にも色々な関係があるみたいに、友達以上恋人未満にも色々あるよな……?
まだ私は澪の事を恋愛対象として見れてないし、
将来的に恋人になれるかどうかも分かんないけどさ……。
こうして抱き締めたいくらいには、澪の事が好きなんだ。
だから……、これが今の私にできる精一杯なんだよ」

631: 2011/10/02(日) 18:59:15.92 ID:TKPU1wp60
言ってて更に恥ずかしくなってきた。
私の我儘のせいで曖昧な関係になってしまってる私と澪。
だから、分かりやすい形で澪に私の気持ちを示したかったんだけど、
やっちゃった後で、今更これで正しかったのかって不安になってきた。
澪が愛おしくて、澪が大好きで、澪を抱き締めたかったのは確かだ。
これが今の私の澪への正直な気持ちの全てで、
今の私が澪にできる精一杯の行為なのには間違いが無いんだけど……。
何だかすごく不安になってくる。
私の想いや行動が本当に正しかったのか恐くて堪らない。
人に自分の想いを伝える事がこんなに不安になる事だなんてな……。

不意に、澪が苦笑した。
私の精一杯が一杯一杯なのがばれちゃったんだろう。
軽い感じで、澪が苦笑したまま呟く。

「精一杯って言われてもな……。
律ってば、唯ともよく抱き合ってるから、こんな事されてもよく分かんないな」

うっ……。
やっぱり澪さんはよく見てらっしゃる……。

「いや、それは親愛の情と言いますか、友達として……」

「だったら、私もまだ単なる友達って事だよな、律?」

「いやいや、そうじゃなくてだな……。
澪は友達と言うか、恋人に限りなく近いと言うか……」

「それに律は若王子さんともかなり仲がいいみたいだし、
やっぱりああいうお姫様みたいな子の方が好きなんじゃないのか?」

「だから……、そうじゃなくて、あー、もう!
そんな事言うなら、分かったよ! 変な事しちゃったよ!
もう離れるぞ、み……」

私が澪から身体を放そうした瞬間、
澪が私の脇の下から腕を通して私の胸の中に顔を静めた。
さっきまでの表情とは打って変わって、その時の澪は顔を真っ赤にしていた。

「ごめん、律……。
ちょっと意地悪しちゃったな……。
律の精一杯……、本当に嬉しいし、これで十分だよ。
簡単に私と恋人になるわけじゃなくって、
友達以上恋人未満って関係を選んでくれたのが、今は本当に嬉しい。
私の事を……、こんな普通じゃないお幼馴染みの私の事を、
律が本気で考えてくれてるって分かるからさ……」

意地悪された事について言いたい事も色々あったけど、
私の胸の中に居る澪の表情を見ていると、そんな事はどうでもよくなった。
不器用なやり方しかできなかった私だけど、
そんな不器用な私の想いを澪が受け取ってくれたんだ。
こんなに嬉しい事は無いよ。
腕に力を込めて澪を更に強く抱き締めながら、私はまた澪に囁いた。

「私も嬉しいよ、澪。
こんな時期に答えを出せない、優柔不断な私を受け入れてくれてさ……。
だから、考える。ずっと考え続けるよ。
澪と恋人になれるのか、澪の恋人になりたいのか、週二でデートしながら考えるよ」

「うん、楽しみにしてる」

「ただし、澪。
おまえにもちゃんと考えてもらうぞ?
おまえが本当に私の恋人になりたいのか?
私の恋人になって、本当に幸せになれるのか?
デートしながら、おまえにもそういう事を考えてもらうからな?」

632: 2011/10/02(日) 18:59:45.47 ID:TKPU1wp60
澪の気持ちを疑ってるわけじゃない。
でも、澪にも後悔の無いように考えてほしかった。
今更だけど、澪や私の中に生まれたこの想いは、
吊り橋効果みたいなやつから生まれた物かもしれない。
それに、女同士の恋愛関係も色々と大変だろうしな。
だから、考えるべきなんだと思う。
世界が終わろうと、世界が終わるまいと、
自分の想いが本当に正しいのかを自分に問い続けるのは、必要な事のはずだ。
私のその気持ちを分かってくれてたみたいで、澪も私の胸の中で静かに頷いてくれた。
考え続けようと思う。
世界の終わりまで、澪の傍で。

……って言っても、
実を言うと私の中に澪との恋愛に対する不安はほとんど無い。
よく漫画である、世界全てを敵に回しても澪を好きでいられるか……、
って想像をしようかとも思ったんだけど、その想像自体が現実的じゃなかったんだよな。
大抵、こういう恋愛関係の場合、
周りや家族が猛反対して、世界全体から自分達の関係が拒絶される……、
みたいなのがありがちな展開なんだろうけど、
何か私達にそういう展開は当てはまらない気がするんだよな。

だって、もしも私が澪と付き合う事になったって伝えても、
うちの両親なら一言で「いいよ」とか言いそうなんだよ。いや、マジな話。
どんだけ放任主義なんだよ……。
あと軽音部のメンバーも平然と認めてくれちゃいそうだ。
唯なんか「え? まだ付き合ってなかったの?」とか言うんじゃないだろうか。
勿論、全員が全員、認めてくれるわけじゃないんだろうけど、
私の大切な人達が認めてくれるんなら、それでいいかって気になってくる。
そんなわけで、女同士の恋愛に対する不安はほとんど無いんだ。
呆れたから漏れたのか、安心できたから漏れたのか、
どっちでもあり、どっちでもないような苦笑が私の口からこぼれる。

「どうしたんだ、律?」

その苦笑に気付いた澪が、私の胸の中で小さく訊ねてくる。
「何でもないよ」と首を横に振って、澪を抱き締める腕の力をもう少しだけ強くした。
私に不安は無い。澪と傍に居る事が恐くなるなんて事は無い。
だから、後は考えるだけだ。
傍に居過ぎて空気みたいな存在になっちゃった澪を、恋愛対象として見れるかって事を。
それはとてもとても長い時間が掛かる事だと思う。
残り少ない時間で答えが出る事じゃないし、無理に答えを出していい事でもないはずだ。
こう言うのも変だけど、のんびりマイペースな放課後ティータイムとして、
私達の関係のその後をじっくりと考えていきたい。
勿論、それまで私がするべき事は、澪の傍から離れない事が最優先だけどな。

633: 2011/10/02(日) 19:00:14.36 ID:TKPU1wp60
不意に。
音楽室の中に小さな音が立った。
何だろうと思って、澪を胸の中に抱き締めたまま周りを見回すと……。

「ギャー!!」

思わず大声を上げながら、私は澪から自分の身体を放した。
私から身体を放された澪は一瞬不安そうな顔になったけど、
私の大声の原因を音楽室の入口付近に見つけると、

「ギャーッ!!」

私と同じ様な叫び声を上げて、顔面を真っ赤に染めた。
それもそのはず。
唯とムギと梓がトーテムポールみたいに身体を重ねて、
音楽室の入口から私達の様子を嬉しそうにうかがっていたからだ。

「あー、気付かれちゃった……」

「唯先輩が物音立てるからですよ!」

「だって、二人の様子をもっと近くで見たかったんだもん……」

隠れるのをやめた唯達が肩を並べて部室に入ってくる。
本当は覗き見されてた事を怒るべきなんだろうけど、
唯達のその様子は楽しそうな上に嬉しそうで、とても怒れるような雰囲気じゃなかった。
三人で私と澪を見守っててくれたんだろうな、って私は思う。
いや、覗き見されてた事自体は相当恥ずかしいが……。

「りっちゃん、おいっす」

気に入ったのかムギの借りてくれた制服をまだ着てる唯が微笑む。

「お……、おいっす……」

声が上擦りそうになりながらも、
それをどうにか抑え、平然を装って唯に返す。
その私の様子をムギが心底嬉しそうな表情で生温かく見つめてる。

「ねえねえ、りっちゃん。澪ちゃんと何してたのー?」

無邪気な表情で唯が続ける。
こいつ……、とぼけやがって……。
私は唯から視線を逸らしながら、こっちもとぼけてやる事にした。

「ほら……、アレだ。
そう! 『ロミオとジュリエット』の劇の復習だよ!
澪と話してたら懐かしくなってきちゃってさ、
それで今抱き合うシーンをやってたところだったんだよ!
なあ、そうだよな、澪!」

私が澪に言うと、張子の虎みたいに澪がコクコクと何度も首を振った。
顔を真っ赤にしながらで説得力は全然無かったけど、何もしないよりはマシだ。
しかし、唯はまた無邪気な顔を崩さずに楽しそうに言ってくれた。

「えー……?
ロミジュリじゃ、りっちゃんがジュリエットだったじゃん。
ジュリエットは抱き締められる方なのに、
今回はりっちゃんが澪ちゃんを抱き締めてるように見えたよ?
ロミジュリなら、ロミオがジュリエットを抱き締めないと駄目だよー?」

634: 2011/10/02(日) 19:00:40.16 ID:TKPU1wp60
……よく見てんじゃねーか。
私は溜息を吐きながら、視線を梓の方に向けてみる。
梓は顔を少し赤くさせながら、私と澪の顔を交互に見つめていた。
そういや、梓の奴、前に学園祭のライブで澪のパンチラ(パンモロ?)見て興奮してたな。
唯に何度抱き着かれても抵抗しないし、やっぱりこいつ……。
いやいや、梓の嗜好は今は関係ない。

別に唯達に私と澪の関係がばれるのが嫌なわけじゃない。
いつかは皆に伝えなきゃいけない事だとも思う。
でも、今は……、何だ……、は……恥ずかしい……。
ほとんど気付かれてはいるんだろうけど、
自分達の口から伝えるのは、二人の関係がもっとはっきりしてからにしたいし……。
少なくとも、今日のライブが終わるまではまだ内緒にしていたい。

「そ……、それよりさ、唯?
忘れ物を取りに帰ったらしいけど、一体何を忘れたんだよ?
今日のライブの道具でも忘れたのか?」

誤魔化すように私が話を逸らすと、
「そうだった」と言いながら唯がポンと手を叩いた。
音楽室の入口の方まで走って行って、
廊下に置いていたらしい大きめの紙袋を手に取ると、楽しそうに私の目の前に差し出した。

「じゃじゃーん!
忘れ物はこれだったのです!
折角用意してたのに、昨日持って来るの忘れちゃってたんだ。
ちなみにライブの道具は大丈夫だよ。一週間前からちゃんと準備してたもん。
憂が!」

「それは安心だな」

言いながら、私は唯の差し出した紙袋を受け取る。
お、結構重い……。
何が入ってるんだ?
紙袋の中を覗いてみる。
中に入っていたのは、写真や紙切れや金属の箱やその他色々……?
何だこれ。

「おい唯、何だよこれ」

「え? 分かんないの、りっちゃん?」

「うむ。全く」

635: 2011/10/02(日) 19:01:09.38 ID:TKPU1wp60
首を傾げて唯に訊ねると、ムギと梓が軽く苦笑したみたいだった。
私を馬鹿にしてるわけじゃなくて、分からなくて当然、って言いたげな苦笑だった。
二人は唯から聞いて袋の中身の正体を知ってるんだろうけど、
逆に言えば聞かなきゃ絶対に分からないって事なんだろうな。
特に唯のやる事だ。
相当、奇想天外な正体なんだろう。
気が付けば、赤面がまだ治まり切ってない澪も紙袋の中身を覗きに来ていた。
やっぱり澪も紙袋の中身の意味が分からないみたいで、私と視線を合わせてから肩をすくめた。

「もー。りっちゃんも澪ちゃんも鈍いなあ……。
長い付き合いなのにー……」

頬を膨らませて、心外そうに唯が呟く。
鈍いって、そういう問題なのか、これ?
だって、写真はともかく、この紙切れなんかサイズや内容に一貫性が無いしなあ……。
……って、よく見たらこの紙切れ、私が授業中に唯に回した手紙か?
ちょっと探ってみたら、楽譜や猫耳なんかも入ってるみたいだな。
写真も一貫性は無いけど、一応、全部私達が写ってる写真ではある。
共通点って言ったら、当然ではあるけど私達に関係ある物って事くらいか。
それに加えて、紙袋の中に不自然に入ってる金属の箱……。
という事は、ひょっとすると……。

「唯、もしかして、これ……。アレか?」

私が呟くと、今度は急に私に抱き着いて、
「流石はりっちゃん!」と嬉しそうに唯が笑う。
どうやら私の考えが当たっていたらしい事が分かり、つい微笑んでしまう。
唯らしい天然で奇想天外な発想だけど、悪くない考えだと思ったからだ。
ふと振り返ってみると、一人だけ状況を掴めていない澪が寂しそうに首を傾げていた。
まあ、澪じゃ想像も付かない事かもしれないなあ……。
流石に唯も澪がこの紙袋の正体に辿り着くのは無理だと気付いたらしい。
私が澪にその正体を説明しようとするより先に、唯が幸せそうな笑顔を崩さずに言った。

「これはね、澪ちゃん……。
私達からの未来の人達へのプレゼント……。
タイムカプセルなのです!」

640: 2011/10/04(火) 20:48:04.38 ID:tfOQQ7Jq0





先にさわちゃんに差し入れに行った梓を見送った後、
私達はタイムカプセルとスコップを持って校庭の大きな桜の樹の下に集まっていた。
枯葉もかなり散り終わった桜の樹を見上げながら、
そういや、この桜の樹に伝えられる伝説を誰かから聞いた事があったな、と何となく思い出す。
確かこの樹の下で女の子から告白して結ばれたカップルは、
呪われた輪廻に囚われて、別れたいと思っても永遠に別れられないとか何とか。
ありがちな伝説のはずなのに、そう言われると何か恐い。
何事も物は言い様だな……。
と言うか、うちは女子高なんだが……。
まあ、伝説ってのは、古くから伝えられてるもののはずなのに、
詳しく調べてみると、その実は十年前に創作されたものだった事もよくあるらしい。
この桜の樹にまつわる伝説も、多分、誰かが適当に創作したものなんだろうな。
そうして、特に興味の無い桜の樹の伝説について考えていると……、

「すみません、お待たせしました」

さわちゃんに差し入れを終えたらしい梓が、桜の樹の下の私達に駆け寄って来た。
その梓の腕には学生鞄が抱えられている。
キーホルダーを失くしてしまった梓の学生鞄だ。
水曜日までの梓ならその学生鞄を決して私達に見せなかっただろうけど、
完全ではないながらキーホルダーの事を吹っ切れた今の梓なら大丈夫だった。
まだ少し後悔や悲しさはあるんだろうし、その顔は複雑そうな表情に見える。
でも、梓は精一杯の笑顔を私達に向けてくれた。
私も梓に笑顔を向け、何事も無いような普段通りの口調で梓に訊ねる。

「どうしたんだ、梓?
鞄なんか持っちゃって……、中に何か入れて来たのか?」

「はい、律先輩。
実は先生に差し入れに行った後で、
タイムカプセルに入れられそうな物を、部室や教室で探してみたんです。
これといった物はあんまり見つからなかったんですけど、とりあえず鞄の中に詰め込んで来ました」

「あずにゃんもタイムカプセル埋めるの楽しみなんだねー」

唯が嬉しそうに梓に言ったけど、
梓は唯から視線を逸らして、私によくやるみたいに頬を膨らませてみせた。

「別にそんな事は無いです。
唯先輩がどんな理由でタイムカプセルを埋めようって言い出したのかは分かりません。
でも、私はやるからには徹底的にやっておきたいんです。
よく分かりませんけど、このタイムカプセルは未来の人達へのプレゼントなんですよね?
だったら、適当な物なんか入れられないじゃないですか」

「もう。楽しみなくせに、あずにゃんも素直じゃないんだからー……」

梓の生意気な発言も意に介さず、唯は嬉しそうな表情を崩さない。
梓がタイムカプセルを楽しみにしてる事は間違いない、って思ってるんだろう。
普段の唯の判断は何の根拠も無い事が多いけど、
今回ばかりは唯が間違ってないと私も強く感じた。物凄く感じた。
何故なら、梓の学生鞄が何をそんなに詰め込んだんだって思えるくらい、パンパンに膨らんでいたからだ。
間違いなくとりあえずってレベルじゃない。
自分の思い出の品を片っ端から詰め込んで来たってレベルの量だぞ、これ。
前に小さく潰された梓の鞄を見ていただけに、余計にそう感じる。
あれだけ小さく潰す事ができる鞄を、ここまで膨らませる事ができるのか……。
呆れを超えて、逆に感心させられる。

視線をやってみると、澪もムギも苦笑に似た表情を浮かべていた。
勿論、そんな梓を嫌がってるわけじゃない。
生意気で素直じゃなくて、可愛らしい後輩を微笑ましく思ってるって、そんな感じの表情だった。
多分、今の私も澪達と似た表情を浮かべてるはずだ。
私達の表情に気付いたのか、
鞄を限界まで膨らませておいての自分の発言に説得力が無いと思ったのか、
梓はその場に鞄を置くと、顔を少しだけ赤く染めながら早口で誤魔化すように言った。

641: 2011/10/04(火) 20:54:32.77 ID:tfOQQ7Jq0
「そ……、そんな事より早く穴を掘らないといけませんよね。
先輩達に力仕事をさせるのも申し訳ないんで、私が穴を掘りますね。
ムギ先輩、スコップを貸して頂けますか?」

歩き寄りながら、ムギからスコップを借りようと梓が手を差し出す。
ムギは柔らかい笑顔を浮かべ、スコップを持ったままで軽く首を横に振った。

「ううん、大丈夫よ、梓ちゃん。もう穴は掘らなくてもいいの」

「え? どうしてですか?
タイムカプセルを埋めるなら、少しでも深い穴を掘っておいた方が……。
あ、心配しないで下さい、ムギ先輩。
ムギ先輩ほどじゃありませんけど、私、力は強い方なんですよ?」

ムギに心配させないようにしてるんだろう。
力強く微笑みながら、梓がもう一度ムギに向けて手を差し出した。
だけど、ムギはまたスコップを梓に渡そうとはしなかった。
不安そうな表情を浮かべる梓に、ムギが優しい声色で言葉を掛ける。

「穴はもういいんだよ、梓ちゃん。
だって、ほら……」

梓を手招きながら、ムギが桜の樹の私達が立っている側の裏に歩いて行く。
梓が首を傾げながらムギの後に付いて行き、私達もその後に続いた。
桜の樹の裏側に完全に回った後、
ちょっと照れた表情を浮かべながら、ムギが自分の足下を指差した。
ムギの指の先に視線を向けた直後、梓が悲鳴みたいな甲高い声を上げた。

「早っ!! 深っ!! 凄っ!!」

何かの技の名前みたいだが、当然ながらそんな事は無い。
敬語を使うのも忘れて、梓がそんな我を忘れた声を上げるのも当然だ。
それもそのはず。
ムギの指差した先には、半径五十㎝近い大きな穴が掘られていた。
勿論、この穴は私が掘った物でも、唯や澪が掘った物でもなかった。
梓もそれくらいは分かってるんだろう。
軽い化物でも見るような視線をおずおずとムギに向ける。
梓に視線を向けられたムギは、困ったような微笑みを浮かべながら、恥ずかしそうに続けた。

「私、皆でタイムカプセルを埋めるのが夢だったの……。
タイムカプセルを埋めるのなんて初めてだから、
嬉しくて、張り切り過ぎちゃって……、つい穴を深く掘り過ぎちゃったの……」

「そ……、そうなんですか……。
すみません、ムギ先輩……。
何だか私、出しゃばった真似をしちゃったみたいで……」

「ううん。私の方こそ、梓ちゃんの申し出を無駄にしてごめんね……」

「い……、いいえ、謝らないで下さい、ムギ先輩。
あの……、えっと……、お疲れ様でした……」

642: 2011/10/04(火) 20:55:35.69 ID:tfOQQ7Jq0
その言葉の後、梓とムギの言葉は止まった。
無理も無い。
傍から見てた私達ですらびっくりしてるんだ。
事態を全く知らなかった梓の驚きは、私達よりも遥かに大きいはずだ。
何しろさわちゃんに差し入れを持って行った梓と別れてから、合流するまで二十分も経ってないんだ。
まさかその間にこんなに深い穴をムギが一人で掘るなんて、梓も夢にも思わなかっただろうな。

いつもあれだけ重いキーボードを平然と持ち運んでるんだ。
ムギが力持ちだって事はよく知ってたけど、まさかここまでとは思ってなかった。
「穴は私が掘りたい」というムギに、体育館倉庫で見つけたスコップを手渡して約七分。
たったそれだけの時間で半径五十㎝近い穴を掘るなんて、驚異的と言わずに何て言えばいいんだろう。
かなり固いはずの地面をプリンみたいに掘ってくんだもんなあ……。
ムギは絶対怒らせないようにしよう……。
そんな事を考えた、ムギと出会って三年目の冬。

少しだけの沈黙。
私も澪も梓もムギも、何を言うべきなのか迷ってしまってる。
放課後ティータイムの仲間達は言葉を失う。
約一名を除いて。

「穴掘るの、ムギちゃん一人に任せてごめんね。
でも、ありがとう。これでタイムカプセルを埋められるよ!」

その約一名とは言うまでもなく唯だった。
何事にもって程じゃないけど、ほとんどの事には動じない性格の唯が何だか羨ましくなる。
唯の言葉に心が落ち着いたようで、ムギが軽い微笑みを浮かべた。

「ううん、気にしないで、唯ちゃん。
穴を掘るのは、私がやりたくてやった事だもん。
私の方こそありがとう、唯ちゃん。
タイムカプセルを埋めるって夢を叶えさせてくれて」

「いえいえ、こちらこそー」

ムギのまっすぐな言葉に、唯が照れ笑いを浮かべる。
いつもなら突っ込みを入れてたところだけど、今回は別にいいかと思った。
唯のやる事はいつも突然で、いつも無茶苦茶で、
でも、それがいつも面白くて、いつも楽しくて、いつも嬉しい。
多分笑顔になりながら、私は腕を上げて宣言する。

「よっしゃ。
穴はムギが掘ってくれた事だし、タイムカプセルを埋める事にしようぜ。
と言うか、まずはタイムカプセルに入れる物の選別から始めなきゃいけないんだけどな。
梓の鞄の中に入ってる物全部を入れるのは無理だもんな」

目配せをしてみると、流石に鞄の大きさを自覚している梓が小さく縮こまった。
梓も変な所で一生懸命になるよなあ……。
でも、タイムカプセルに心を躍らせてるのは、私も同じだった。
やってる事が小学生レベルではあるけど、子供の頃に戻れたみたいで何か楽しい。
気が付けば、梓の置いていた鞄をムギが軽々と持って来ていた。
そのままムギが鞄を開き、私も鞄の中身を覗き込んでみる。

643: 2011/10/04(火) 20:56:07.41 ID:tfOQQ7Jq0
「色々持って来たよなあ……」

思わず呟いてしまっていた。
梓の鞄の中には部室に置いていた私達の写真や、
余ってたピックや五線譜、学祭でさわちゃんが用意してくれたHTTのTシャツなんかが入っていた。
あの短い間で、よく掻き集めて来たもんだ。

「おっ、これは……」

面白い物を見つけた私は、呟きながら鞄の中からそれを取り出してみる。
中身の入ったCDケース……、我が軽音部思い出のディスクとはつまり……。

「うわあっ!」

妙な声が上がったかと思うと、
そのCDケースがいきなり私の手からひったくられた。
ひったくったのは、勿論澪だ。
横目に様子をうかがってみると、
澪は顔を真っ赤にしてそのCDケースを胸の中に抱いていた。
私は若干呆れて、澪の肩を叩いて軽く声を掛けてみる。

「おいおい……。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃんか……」

「やだ! タイムカプセルでも、これを残すのだけは絶対に嫌!」

「将来的には、きっと笑える一品になってるって」

「やだやだ! 本気で嫌だからね!」

「み……」

「いーやーだーっ!」

取り付く島も無かった。
まだこんなに心の傷が残っていたのか……。
まあ、一度封印が解かれたとは言え、再封印されたブツだ。
澪にとっては、本気で誰の目にも触れさせたくない代物なんだろう。
そう。そのCDケースの中のディスクの正体は、
梓が入部するより前に制作した新入生歓迎ビデオだった。
何故か澪にナースのコスプレをさせて撮影されたいわくつきの一品だ。
そういや、本当にあれ何でナース服だったんだろう……。
当時、さわちゃんの中でブームでも来てたんだろうか。
どうでもいいけど。

644: 2011/10/04(火) 20:57:38.44 ID:tfOQQ7Jq0
「澪ちゃん、落ち着いて」

心配そうにムギが澪の肩に手を置く。
泣きそうな顔で、澪がムギの方向に振り返って言った。

「こんなの残したくないよ、ムギ……。
梓もどうしてこんなの持って来たんだよ……。
こんなのずっと封印しててよかったじゃないか……」

澪が責めるような視線を梓に向ける。
梓も澪に責められる事は分かってたみたいで、
申し訳なさそうな顔を浮かべながら、大きく頭を下げた。

「すみません、澪先輩。
でも、私、軽音部の思い出はできる限り残しておきたくて……。
特にそのディスクは私達の数少ない映像ですから、絶対に残しておきたいんです」

「梓の言う事も分かるけど、だからって……」

「心配しないで下さい、澪先輩。
澪先輩だけに恥ずかしい思いはさせません。私も封印を解きます」

言って、梓がポケットの中から、また中身の入ったCDケースを取り出した。
澪が胸の中に抱くCDケースと同じく封印されしもう一枚……。

「あ、それちょっと前に作ったビデオ?」

唯が嬉しそうにそのCDケースを指差すと、真剣な表情で梓が頷いた。
私も胸の前で腕を組んで、梓に向けて神妙な声色で呟いてみる。

「軽音部にようこそにゃん……のやつだな」

「今はそこには触れないで下さい、律先輩」

「はい、すみません、梓後輩」

悪い事は言ってなかったはずだが、怒られてしまった。
釈然とはしないが、今は黙っておく事にしよう。
梓は視線を澪の方に戻すと、静かな声色で続けた。

「澪先輩がそのディスクを残すのが恥ずかしいなら、
私も私の恥ずかしいディスクを残します。恥ずかしいけど、残したいんです。
私達が軽音部で活動した記録ですから、
未来の私達じゃなくても、誰かに観てもらいたいって思うんです。
これは私の我儘ですから心苦しいんですけど、
でも、どうかそのディスクをタイムカプセルに入れさせてもらえませんか?」

真剣な表情と、真摯な態度だった。
一度大切な物を失くしてしまった梓なんだ。
残された思い出の品を大切にしたいという気持ちが、誰よりも強いんだろう。
私は軽く微笑み、ムギの隣で澪の肩に手を置いた。

「観念するしかないな、澪。
後輩がここまで言ってくれてるんだ。
願いを聞き届けてやらなきゃ、女が廃るってもんだ」

「それは……、私もそうしてあげたいけど、でも……」

「分かったよ、澪。
おまえの気持ちも分かる。
それじゃ、梓には悪いけど、その代わりに一年の頃の学祭のビデオを……」

「わーっ!
分かったよ! もう我儘言わないよ!
一年の学祭のビデオ入れるくらいなら、こっちのディスクを入れてくれよ!」

澪が真っ赤になりながら、胸に抱いてたディスクを私に手渡す。
勝った……!
脅したみたいで居心地が悪いけど、
澪に早く決心させるためにはこれが一番いい方法のはずだった。
澪としても梓の願いを叶えてやりたかったんだろうけど、
一度嫌がった手前、自分から引き下がりにくかったみたいだしな。

645: 2011/10/04(火) 21:00:42.02 ID:tfOQQ7Jq0
梓が申し訳なさそうに私と澪の顔を交互に見てたけど、
気にするなって意味も込めて、軽く梓にそのディスクを手渡してやった。
梓の言ってる事は確かに我儘ではあるけど、間違ってないんだ。
こういうのは、後輩が言っていい我儘なんだと私は思う。
私は軽音部で後輩になった事が無いから、
模範的な先輩ってやつが分からないけど、
私自身はそういう後輩の我儘を笑顔で聞き届けてやれる先輩でいたい。

「そういえば……」

ムギに支えられて立ち上がりながら、澪が不意に小さく呟く。

「さっき唯はこのタイムカプセルを、
未来の人達へのプレゼントって言ってたよな?
どういう事なんだ?」

それは私も気になってる事だった。
タイムカプセルってのは、当たり前だけど未来の自分達に残すための物だ。
百歩譲って自分達じゃない未来の誰かに残すのはいいとしても、
その人達へのプレゼントってのがよく分からない。
澪に合わせて私も首を傾げると、唯が急に真剣な表情を浮かべて言った。
相も変わらず、馬鹿みたいな速度で雲が流れる空を見上げながら。

「うん、実はね……。
ほら、明日がおしまいの日だよね?
世界から皆が消えて居なくなっちゃう日なんだよね?
私も、りっちゃんも、澪ちゃんも、ムギちゃんも、あずにゃんも、
憂も、和ちゃんも、純ちゃんも、さわちゃんも、皆……、皆……。
って事は、タイムカプセルを残しても、もう私達にこのタイムカプセルは開けないよね……。
誰も開けられなくなっちゃうよね……。
それってすっごく悲しくて寂しい事だよね……?

でも、私、思ったんだ。
世界から皆が居なくなって、生き物全部居なくなっちゃって、
しばらくこの世界から生き物が居なくなっちゃっても……。
いつかは新しい生き物が生まれて来るはずだよね?
理科の授業でやったけど、この地球も最初は生き物が一種類も居なかったんだよね?
それでも、よく分かんないけど、生き物は何処かから生まれて、
私達みたいにお茶を飲んだり、音楽を演奏できるくらいに進化したんでしょ?

だったら……、だったらね?
きっといつかは私達みたいにタイムカプセルを残そうって思う、
今の人間みたいな生き物も生まれてくるって思うんだよね。
だから、このタイムカプセルは、そんな人達へのプレゼント。
ずっと昔、こんな人達が居たんだって、想像して楽しんでもらうためのプレゼントなんだ。
……勿論、私達のタイムカプセルを、
未来の私達じゃなくても、誰かに受け取ってもらいたいって気持ちもあるけどね」

646: 2011/10/04(火) 21:03:34.56 ID:tfOQQ7Jq0
皆、静かに唯の言葉を聞いていた。
唯がそこまで未来について考えてたとは思ってなかったんだ。勿論、私も含めて。
少し強い風に吹かれるその唯の表情は、とても力強く、頼もしく見えた。

「すげーな、唯……」

私が感心して言うと、唯が頭を掻きながら表情を崩した。

「いやー……、
実は今言った事のほとんどが、オカルト研の子達からの受け売りだけどねー」

「私の言ったすげーを返せ!!」

一瞬にして全身から力が抜ける。
澪達も困った感じで苦笑してるみたいだ。
唯も黙っときゃいい話で終われたのに……。
まあ、そういう事を黙ってられないのが、唯って奴なんだけど。
でも、言われてみると、
確かにさっきの唯の言葉はオカルト研の子達が言いそうだった。
世界の終わりの後に生まれる新しい人類なんて、いかにもオカルト的だ。
別に悪いわけじゃない。
そう考えると楽しくなってくるし、
それを真面目に考えてタイムカプセルを残そうと思い付いたのは、確実に唯の発想だろうしな。

「でも、そうだな……」

私は空を見上げながら誰にでもなく、自分に向けて呟いてみる。

「未来の私達じゃなくても、
未来に生きてる誰かがこのタイムカプセルを受け取ってくれたら、嬉しいよな……。
私達が生きた証拠が残るって事だもんな……」

「人は……、二回氏ぬ……か」

答えを期待したわけじゃなかったけど、私の呟きに続く言葉があった。
その言葉は澪が呟いたものだった。
澪に視線を向けて、私は小さく訊ねる。

「何だ、それ?」

「いや、唯の話を聞いてて、何となく思い出したんだよ。
聞いた事ないか、律?
人は二回氏を迎える。
一回目は肉体的に氏を迎えた時。
二回目は誰からも忘れ去られた時……って、よく聞く言葉だよ。

もしもだけどさ……。
もしも本当に新しい人類が生まれて、
このタイムカプセルを見つけてくれたら、その人達は確実に私達の事を考えるよな?
私達の事を考えて、心の中に残してくれるはずだよ。
だったら……、それはつまり……」

「私達の二回目の氏は無くなる……って事か?
私達の事を考えてくれる人が居る……か。
肉体的に氏ぬ事には違いないけど……、ちょっと嬉しいな」

唯がそこまで考えていたのかは分からない。
未来の人に残す物=タイムカプセルって単純に連想しただけかもしれない。
勿論、それでもよかった。
その単純さが唯の強さで、
そんな唯が私達の仲間でいてくれる事が私達の幸せだったんだと思う。

651: 2011/10/06(木) 19:42:07.81 ID:Vhb6Zuoq0
「素敵な考えだね」

嬉しそうな感じで、微笑みながらムギが言う。
ムギも何度も世界の終わりの事を考えて泣いたと言っていた。
まだ心の中にしこりは残っているんだろうけど、
ムギは世界の終わりを前にして歩みを止めてしまうより、
私達との最後のライブを目指す事を選んでくれた。
泣く事をやめ、取り戻せたそのムギの笑顔は眩しい。

「でも、大丈夫かな……?」

不意にムギの笑顔が曇る。
でも、それは世界の終わりに悲しみを感じてるからじゃなかった。
もしかしたら唯よりも天然かもしれない、
ムギらしい心配をしただけだって事はそのすぐ後のムギの言葉で分かった。

「ここにタイムカプセルが埋まってるって、未来の人達は気付いてくれるかな?
何か目印みたいな物があった方がいいんじゃないのかな?」

私はそんなムギの天然な心配を苦笑しながら、ムギの肩を軽く叩いた。
天然ではあるけど、もっともな心配ではあるよな。

「そういやそうだよな、ムギ。
世界の終わりの後にどれくらい残るかは分かんないけど、
せめて目印になる物くらいは置いておいた方がいいかもな。
できるだけ頑丈で、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない目印がいいよな。
何かちょうどいい物あったっけか?」

「ふっふっふ……」

私が呟くと、いきなり唯が不敵に笑い始めた。
腰に手を当てて、完全に悪役の笑い方だ。

「何だよ、唯。
気持ちわりーな……」

「気持ち悪いとは失礼な。
でも、許してしんぜよう、りっちゃん隊員。
何故ならば、ふっふっふ……。
目印になりそうな物は既に私が用意しているからなのです!
ふっふっふ……。ふっふっふ……」

「ふっふっふ……はもういい。しつこい」

「えー……。
カッコいい笑い方なのにー……」

「おまえにはそれがカッコいいのかよ。
それはそれで別にいいけど、目印って何なんだよ?
何を用意してるんだ?」

652: 2011/10/06(木) 19:42:41.56 ID:Vhb6Zuoq0
私が訊ねると、いきなり唯が申し訳なさそうな顔になって、ムギを手招いた。
自分を指で指しながら、ムギが首を傾げる。

「え? 私?」

「ごめんね、ムギちゃん。
その目印、結構重いから、運ぶの手伝ってくれる?
皆をびっくりさせようと思って、ちょっと遠い所に置いてるんだ」

「そうなんだ。分かったわ、唯ちゃん。
じゃあ、りっちゃん、澪ちゃん、梓ちゃん。
唯ちゃんと一緒にちょっと行ってくるね」

「大丈夫か、ムギ?
私も手伝おうか?」

澪が心配そうに申し出たけど、軽く笑顔を浮かべてムギが首を横に振った。
まあ、結構重いって言っても、唯基準での結構な重さなんだろう。
唯がムギ一人だけを指名した事から考えても、二人で十分持ち運べる目印に違いない。
ムギもそれを分かっているからこそ、澪の申し出を断ったんだろうな。
唯とムギが二人で駆け出していく。

取り残された私達は、とりあえずタイムカプセルに入れる物を選別する事にした。
梓の学生鞄の中から、唯が持って来た物と被ってない物を探し出していく。
ある程度選別した後、紙袋の中から金属の箱を取り出してみる。
唯が持って来たタイムカプセル用の金属の箱……、
って、よく見りゃこれ箱っつーかクッキーの缶じゃねーか。
こんなので下手すれば億単位の年月を経てまで、
缶の中身を風化させずに護れるもんなのか……?

あ、でも、唯も唯で一応それは考えてたみたいだな。
箱というか缶を開いてみると、
中にはそれより小さい缶が、四重くらいに重ねられてしまわれていた。
缶一つじゃ不安だけど、四つくらい重ねれば何とか保つかなって思ったんだろう。
単純と言うか、何と言うか……。
一缶だけよりはそりゃマシだろうけど、
億単位の年月相手じゃ付け焼き刃もいい所って感じだ。

澪達もそれは気付いてたみたいで、缶を見ながら肩をすくめている。
でも、その表情に呆れはない。私も呆れてなんかない。
まったく唯の奴は……、って思わなくもないけど、
缶の中身を守れるかどうかは、私達には別に重要じゃないんだ。
実際問題、新しい人類ってやつが生まれる可能性がどれくらいなのか、私には分からない。
残念だけど、その可能性は途轍もなく低いんだろうなって思う。
宇宙は広くて、地球に似た環境の星も多いみたいだけど、
まだ宇宙人が見つかってない事から考えても、
人間みたいな生き物がこの宇宙に生まれる確率は本当に低いんだろう。
そんなに低い可能性なのに、
地球に人間みたいな生き物が二回続けて生まれるなんて奇蹟に等しいよな。

だけど、それでもいいんだ。
届かないタイムカプセルだとしても、無駄になる想いだとしても、
少なくとも私達の生きた証はこの世界に残る。残せるんだ。
残す事と、残そうって思う事にこそ、意味があるんだと思う。
それが誰の手に届かなくても、目に触れなくても私は構わない。
もしも本当に新しい人類なんかが生まれて、
私達のタイムカプセルを見つけてくれれば、それだけで御の字ってやつだ。
そんでもって。
その新しい人類がタイムカプセルの中身を調べながら、
「この時代の技術でこんな物が残せるはずが無い!」とか言ってくれると嬉しいんだけどな。
人差し指を立てながら私がそれを言ってみると、澪から呆れた声色の返答があった。

「どういうオーパーツだよ……。
と言うか、全部この時代の技術で作られてるものだし……」

何の面白味もない返答をありがとう、澪。
でも、澪の口からオーパーツって言葉が出てくるとはな。
キャトルミューティレーションやチュパカブラも知ってるし、
こいつって結構オカルトの事を勉強してんだよなあ……。
そういや、こいつ前に言ってたな。
恐いのを見るのは嫌だけど、恐い物の正体を知らない方がもっと恐いって。
律義と言うか、難儀な性格をしてる奴だよな、澪も。
確かに人間は分からない物を恐れる生き物だとはよく聞くけどさ……。

653: 2011/10/06(木) 19:47:00.02 ID:Vhb6Zuoq0
「でも、もしかしたら世界のオーパーツって、そういう物かもしれませんよね」

珍しく私をフォローするように梓が言った。
梓の口からオーパーツって言葉が出るのは別に意外じゃなかった。
何となく梓は色んな事にマニアックな印象がある。
いや、私の勝手な印象で悪いけど、何故だかものすごくそんな気がする。
私の考えを知らず、マニアック(仮)な梓が続ける。

「知ってます?
今の技術の機械を使えばすぐに作れる物なんですけど、
機械が無い当時の技術で、人力で作ったら五十年くらい掛かるオーパーツがあるらしいんですよ。
そのオーパーツを見つけた人達は、
「この時代の技術でこんな物を残せるはずが無い!」って頭を悩ませたんですけど、
後々詳しく調べてみると、本当に五十年掛けて作ってただけだったらしいんですよね。
何とも拍子抜けな話ですけど、何事もそんな物なのかもしれませんね。
もしかしたら、律先輩みたいな人が後世の人を驚かせるためだけに、
そんな風に五十年掛けて趣味で作ったオーパーツも多いのかもしれないなって思います」

「おまえは私を何だと思ってるんだ……」

「え? 律先輩ってそういう人だと思ってましたけど……」

「中野ー……、いや、否定はできんな……」

「否定しろ!」

顎に手を当てて首を捻ると、澪が私の後頭部を叩いて突っ込んだ。
そんな私達の様子を梓が楽しそうに見つめる。
明日世界の終わりが来るってのに、何とものんびりしてるよな、私達も。
まあ、それが放課後ティータイムだ。
放課後こそが私達の真骨頂。
世界の終わりだって、いつもみたいに穏やかに迎えてみせる。

「お待たせ、皆ーっ!」

不意に校庭に私達の中で一番マイペースな奴の声が響いた。
声の方向に視線を向けると、唯とムギがかなり大きな何かを持って歩いていた。
私は大きく手を振って、唯達に声を掛けてみる。

「お疲れ様ー。
目印って何だー……って、それ見覚えあるな」

「ふっふっふ……。皆さんももうお分かりですね。
何を隠そうこれこそ……、えーっと……」

首を捻りながら、唯が私達の立つ桜の樹の下にまで歩き寄って来る。
どうやらそれの正式名称を忘れたらしい。
突っ込もうかとも思ったけど、
それをわざわざ運んで来てくれた唯にそんな扱いをするのも申し訳なかった。
私は口を閉じて、唯がそれの正式名称を思い出すのをじっと待つ事にした。
実を言うと、私もそれの名前をよく憶えてないしな。

「えーっと……、何だっけ……?
何かの石で……、えっとー、何とかストーンって名前で……。
何ストーンだったっけ……?」

そうこうしている内に、唯達は穴の横まで辿り着いてしまっていた。
唯はムギと腰を下ろしてそれを地面に置くと、
何故かピースサインをしながら不敵に笑ってそれを指差して言った。

「そう!
これこそ私達のタイムカプセルの目印……、
ジュリエットのお墓(仮)なのです!」

あ、こいつ諦めた。
これの名前、思い出すの諦めやがった。

「ジュリエットのお墓(仮)って……」

梓が呆れ顔で呟く。
まあ、唯の言う事も間違ってはいないんだが……、
いや、やっぱり間違っていた。
唯の持って来たタイムカプセルの目印は、
前に私達がロミジュリの劇を演じた時にオカルト研から借りた何かの模型だった。
あの時、ジュリエットのお墓の代わりに使ったから、
確かにその模型はジュリエットのお墓(仮)と言えるんだが、
せめて正式名称くらい憶えてないと、いまいち締まらないぞ、唯よ……。
私がそれを指摘すると、不機嫌そうに唯が頬を膨らませた。

654: 2011/10/06(木) 19:47:26.95 ID:Vhb6Zuoq0
「何さー……。
じゃあ、りっちゃんはこの石の名前、憶えてるのー?」

それを私に振るのかよ。
一度聞いた気はするけど、
私もあの時はジュリエットを演じるので精一杯だったからなあ……。
首を捻り、どうにか頭の中に浮かんだ名前を言ってみる。

「ロ……、ローゼンストーン……?」

「ロゼッタストーンだろ、律」

一瞬にして突っ込んだのは澪だった。
ロミオを演じてたのに意外と余裕があったのか、
それともオカルトに詳しいからこの石の名前を知ってたのか……。
どっちでもよかったけど、多分後者なんだろう。
澪に突っ込まれた私を指差して、唯が実に嬉しそうに笑った。

「りっちゃんだって憶えてないじゃん。
それでこそりっちゃんだよ!」

「ロゼッタのロの字も出て来なかったおまえに言えた事か!」

言いながら、私は唯の頬を軽く引っ張ってやる。
それでも、唯は笑うのをやめずに、嬉しそうににやけていた。
唯の奴は前々から私の事ばかり馬鹿にしてかかるが、
真面目な優等生が多い我が軽音部の中で、自分サイドの仲間が居る事が嬉しいんだろうな。
まあ、私も同じ様に唯に救われてる所は結構あるけどさ。
とは言え、馬鹿にばかりさせるのも腑に落ちない。
もう機会も無いかもしれないし、思う存分唯の頬を引っ張っておく事にしよう。

ある程度唯の頬を引っ張った後、私が唯の頬から手を放すと、
若干呆れた表情を浮かべてた澪が少し神妙な顔になって言った。

「でも、よかったのか?
そんな高そうな物、オカルト研から借りて来ちゃって。
迷惑だったんじゃないか?」

それは確かに澪の言うとおりだった。
結構な大きさだし、本格的な造形だから、相当高価な物に違いない。
私が少し不安に思いながら唯の顔を覗き込んだけど、
唯は幸せそうに微笑んでから指でピースサインを形作った。

「大丈夫だよ、澪ちゃん。
オカルト研の子達、「新人類へのメッセージのためなら喜んで」って笑って貸してくれたもん」

あのオカルト研の子達が笑って……?
全然想像できないけど、嘘を言う必要も無いし、その唯の言葉は本当なんだろう。
学祭以来、唯はオカルト研の子達とかなり交流があったみたいだし、
無表情に見えるあの子達の笑顔を引き出せるくらい仲良くなってたんだろうな。
流石は唯だよな。
笑顔のまま、幸せそうに唯が続ける。

「このジュリエットのお墓(仮)を貸す代わりに、
タイムカプセルにオカルト研の研究レポートも入れてほしいって頼まれたけど、
別にいいよね、皆?」

「まあ、お世話になってる立場だし、
それくらいこっちも喜んで入れてあげようぜ、唯。
でも、『終末宣言』以来、会う機会が無かったけど、あの子達も元気そうでよかったよ」

私が返すと、珍しく唯が苦笑した。
苦笑される方ならともかく、唯が苦笑するなんて、何かすごい事があったんだろう。

655: 2011/10/06(木) 19:51:41.88 ID:Vhb6Zuoq0
「うん。元気だったよ、オカルト研の子達。
おしまいの日の後に生まれるはずの新人類の研究が忙しいって楽しそうにしてたし。
何だったかなあ……?
終末をちょ……ちょうえつ? したエク何とかって新人類が生まれるって言ってたよ」

「エク何とか……?
よく分からんが、それはすげーな……」

「エクシードですか?
超越と書いてエクシードって読む」

私の言葉に続いたのは、マニアック(仮)な梓だった。
何でここでおまえが答えるんだ……。
私だけじゃなく、梓の事なら基本的に全肯定する唯も複雑そうな表情を浮かべた。

「す……、すごいね、あずにゃん!
確かそういう名前だったと思うけど、まさかあずにゃんが知ってるなんて……」

「前に本で読んだ事があったんですよ」

何の本だよ!
そう突っ込もうかと思ったが、
何だか藪蛇になりそうだったからやめておいた。
それでも、私にはただ一つ思う事があります……。
多分その超越(エクシード)ってのは、
オカルト用語じゃなくて、少年漫画的な用語に違いないという事です……。
いや、深くは突っ込まないけどさ。
とりあえず、これから先は梓の枕詞のマニアック(仮)から、(仮)を取る事にしよう。

「それじゃあ、タイムカプセルの中身を入れちゃわない?」

タイムカプセルを埋めるのを一番楽しみにしてるはずのムギが、楽しそうに声を上げる。
私達の会話に割って入るなんてムギらしくないけど、早く埋めたくてうずうずしてるんだろう。
いつまでも雑談してるわけにもいかないし、私もそのムギの提案に異論は無かった。
見渡してみると、唯達にも異論は無さそうで、それぞれに頷いていた。
思い思いに色々な物を詰め込んでいく。

唯が預かったオカルト研のレポート。
放課後ティータイムのマークを描いたピック。
さわちゃんの作ったHTTのTシャツ。
新曲を含めた私達の全曲分の楽譜。
新入生歓迎ビデオのディスクの新旧二枚。
猫耳に虎耳にウサミミに犬耳に象耳。
予備で持って来てた私の白いカチューシャ。
ライブハウスで演奏した時以来、
皆の楽器のケースに貼っていたバックステージパス。
私が授業中に唯と回し合ってた手紙。
唯が憂ちゃんと制作した、一年の頃の私達と梓との合成写真。
『終末宣言』後、試しに何曲か演奏を録音してみたカセットテープ。
そして、その一番上には……。

「えっ……?」

梓が小さく声を上げる。
まさかこれをタイムカプセルの中に入れるとは思ってなかったんだろう。
半分泣きそうな表情になって、それを入れようとする私の右腕の袖を掴んだ。

656: 2011/10/06(木) 19:52:11.80 ID:Vhb6Zuoq0
「そんな……。それを入れちゃ駄目ですよ、律先輩……。
だって……、それを入れちゃったら……、先輩達の思い出が……。
私……、私のせいで……」

その声色は掠れてきていた。
泣きそうになっているのを、ぐっと堪えているんだろう。
私は私の右の袖を掴む梓の手を左手で優しく包んで伝える。
そうじゃないんだって。
梓のせいなんかじゃないんだって。

「違うぞ、梓。
これをタイムカプセルに入れようって思ったのは、梓のせいじゃない。
梓のおかげなんだぜ?」

「梓がさわ子先生に差し入れに行ってる間に、皆で話し合ったんだ。
こうするのが一番いいんだってさ」

私の言葉に続き、澪が梓の頭を軽く撫でながら言う。
私の包む梓の手が強く震え始める。
恐怖から震えてるわけじゃない。
いよいよ涙を堪えられなくなってきてるんだろう。
勿論、梓を泣かしたいわけじゃないけど、
私達のこの言葉だけは大切な後輩に伝えなきゃいけなかった。

「梓ちゃんが教えてくれたのよ?
私達は物に頼らなくても、絆を信じられるんだって」

母親みたいな優しい顔を浮かべながら、ムギがタイムカプセルにそれを入れる。
『い』という文字のキーホルダー……、
梓が居ない間に学生鞄から外しておいたキーホルダーを。

「そうだよ、あずにゃん?
私達は大丈夫。思い出のお土産が無くたって、心はいつまでも一緒だもんね」

『ん』のキーホルダーをタイムカプセルに入れ、
唯は涙をこぼし始めていた梓を後ろから強く抱き締める。
また梓の手が大きく震えるのを感じる。

「大切なのは物じゃなくて、物に込められた気持ちだからな。
梓がそれを信じてくれてるのに、
先輩の私達が信じないわけにはいかないだろ……?」

澪が『お』のキーホルダーを置く。
妹を見守るみたいに、置いた手を動かして梓の頭を撫でる。

「でも……、それはやっぱり……。
うっ……、ううっ……、私が……、
私がキーホルダーを失くしちゃった……、せいで……。
そんな私の……、ひっく……、馬鹿みたいな失敗に……、
先輩を付き合わせてしまうなんて……、私の……せいで……」

泣き声を混じらせながら、梓が声を絞り出す。
梓は責任感の強い子だ。皆への優しさから、責任を背負い込む子だ。
自分一人が耐える事よりも、周りの人達を巻き込む方を辛く感じる子なんだ。
だから、どうにか乗り越えた気でいたキーホルダーの事で、
また私達に迷惑を掛けてしまってる気になっているんだろう。
でも、私達には決してそれが迷惑じゃなかった。
それを示してやりたいと私は思った。

657: 2011/10/06(木) 19:52:42.62 ID:Vhb6Zuoq0
「前も言っただろ、梓?
私はおまえのおかげで私自身や軽音部の事を、深く考えられたんだよ。
私だけじゃない。
唯も澪もムギも、おまえの思い悩む姿を見て、色んな事を考えられた。
おまえが教えてくれたんだ。
私達がどれだけ軽音部の事が大切だったのかってさ。
だから……、大丈夫だ」

言って、私は『け』のキーホルダーをタイムカプセルの中に入れた。
『け』『い』『お』『ん』の配置で、キーホルダーがタイムカプセルの中に並ぶ。
そこに『ぶ』のキーホルダーが無い事は少し寂しかったし、
梓もそれを申し訳なく思ってるんだろうけど……、
その『ぶ』のキーホルダーの事を皆が忘れなければ、それでいいんだと思う。
澪の話じゃないけど、私達がキーホルダーの事を忘れなければ、
キーホルダーは私達の手元から無くなった事にならないんだ。

「私達はキーホルダーの事を憶えてる。絶対に忘れないよ、梓。
キーホルダーが無くても平気だし、何の心配もしてない。
梓が心苦しく思う必要は何も無いんだ。
でも、一つだけ心に残しておいてくれ。
私達はキーホルダーとおまえの事を憶えてる。忘れてやるもんか。
だから、おまえも憶えておいてほしい。
失くしたキーホルダーと私達の事を。
私達はおまえの事を憶えていて、おまえは私達の事を憶えていてくれる。
結局の所、それが私達の絆に繋がるんだって思うからさ。
その絆があったって事実だけは、世界が終わったって変わらないんだよ。
それだけは頼むぜ、梓」

「は……い……!」

「声が小さいぞ、中野!」

「はい……っ!」

涙を流しながら、梓が力強く宣言してくれる。
唯が梓を支えながら、その場に立たせてやる。
涙こそ流れていたけど、梓の瞳には強い光が宿っていた。
もう大丈夫だ。梓も、私達も。

穴の中に置いてから、皆でタイムカプセルを埋めていく。
土を完全に戻し終わった後、その上にロゼッタストーンを配置する。
未来の人達に届くかどうかは分からないけど、
少なくともこれで私達の生きた証は残せたと思う。
それだけで勇気が湧いて来る。
後は私達が今生きてるんだって、世界に向けて見せ付けてやるだけだ。

誰が言うでもなく、一人一人が音楽室に向けて駆け出していく。
世界最後の……、いや、高校最後のライブに向かって、突っ走っていく。
世界の終わりなんか関係なく、このライブだけは最高のライブにしてみせる。
絶対、歴史に残してやるんだ。

走っている途中、
ふと目に入った校舎の時計は、午後二時三十分を回っていた。
ライブの開演時刻は午後六時三十分。
ライブまで、残り四時間。

664: 2011/10/08(土) 21:33:01.42 ID:YRwqUe4v0





タイムカプセルを埋めて音楽室に戻ると、
私達は五人揃って、静かに自分の楽器のメンテナンスを始める。
唯達、弦楽パートは弦を変え、念入りにチューニングをしている。
キーボードのムギは特にメンテナンスする事も無かったみたいだけど、
私達の曲で使う音色だけじゃなく、普段は使わない音色まで名残惜しそうに何度も鳴らしていた。
多分、それぞれがそれぞれに、自分の相棒との最後の会話を交わしているんだと思う。

勿論、それは私も同じだ。
中学の頃、やっと中古で手に入れた私の相棒のドラム。
買ってから叩かなかった日は一日も無い……とまではいかないけど、
心の中では毎日こいつを叩き続けてた。どんな風に叩いてやろうかって考えるのが楽しかった。
唯みたいに名前を付けたりはしてないけど、こいつだって私の一番の相棒なんだ。
最後まで頼むぜ、相棒。
心の中で呟きながら、私も最後のメンテナンスに取り掛かる。

そういえば、世界の終わり……、
終末は生き物だけが氏を迎えるっていう世にも奇妙な現象らしい。
その原理や理屈はともかくとして、
もし本当にそうだとしたら、こいつらはこの世界に生き残るって事なのかな。
こいつらがこの世界に残るのは嬉しいけど、私は同時に寂しくもなった。
例えこいつらがこの世界に残れたとしても、誰も演奏する人が居ないまま、
音を奏でる事もできず、ただ埃を被って風化していくって事になるんだろうか。
その想像は私の心をとても寂しくさせた。

だから、せめて……と思う。
もし新しい人類が生まれるとするなら、せめてできるだけ早く生まれてほしい。
その人類が取り残されたこいつらに興味を持って、
その場に居ない私達の代わりに演奏してやってほしい。
何だったら終末を迎えた地球に興味を持った何処かの宇宙人なんかでもいい。
その宇宙人がこいつらを演奏してやってくれてもいい。
誰でも構わないんだ。
私達の相棒を演奏してくれるなら……。
途方もなく馬鹿馬鹿しい想像だったけど、私は心の底からそれを願う。

皆のメンテナンスが完全に終わった後、
音楽室での最後の練習を手早く終わらせると、私達は講堂の舞台袖に相棒達を運び込む事にした。
ライブまでまだ時間はあったけど、準備は完了させておかないといけない。
特にライブ直前にドラムを運び込んで即座に演奏するなんて、流石の私でも体力的に自信が無いしな。
本当はもう少し練習しておきたくもあったけど、
どうせいくら練習しても練習し足りたと思える事はないだろう。
不安はある。緊張もしている。
でも、それはどんなライブでも同じ事だ。
これは私達がこれまで何度も感じて来た緊張と不安だ。
だから、私達は普段通りその緊張に向き合えばいい。
いつもと同じく、これまで練習して来た自分達の成果を信じればいいだけだ。

舞台袖では和と憂ちゃんが待っていた。
私達を待っていたのかと思ったけど、そうじゃなかった。
和は今日の講堂のイベントを裏方で取り仕切る仕事があるらしく、
憂ちゃんはその仕事を手伝ってるんだそうだった。
何で憂ちゃんが和を、って一瞬思ったけど、すぐに思い直した。
この前、二人で私の家に来た事だし、和と憂ちゃんって実はかなり仲がいいんだよな。
そりゃそうか。
唯が和の幼馴染みって事は、憂ちゃんも和の幼馴染みって事なんだから。
私の知らない所で、二人の間に色んな絡みがあるんだろう。

ふと気になって、私の幼馴染みに視線を向けてみる。
秋山澪……、私の幼馴染みで友達以上恋人未満。
流石に憂ちゃんと和が私達みたいな特殊な関係とは言わないけど、
やっぱり幼馴染みってのは、誰にとっても特別な存在なんだと思う。
憂ちゃんもそうなのかは知らないけど、
唯はたまに私達には決して向けない表情を和に向ける事がある。
安心しているのか、信頼し切っているのか、
私達には立ち入れない関係性を感じさせる温かい笑顔を……。
ひょっとすると、私も澪に向けてそんな表情を向ける事があるんだろうか?
自分では分からないけど、そう考えると少し照れ臭い。

665: 2011/10/08(土) 21:34:04.59 ID:YRwqUe4v0
楽器を配置し終わってから、舞台袖の和達と別れて音楽室に戻ると、
妙に嬉しそうな表情を浮かべているさわちゃんが長椅子の上で眠っていた。
しかも、ただ眠ってるわけじゃない。
美容室でシャンプーしてもらう時みたいな体勢で、
長椅子の手すりに首の付け根を乗せて、ガクンと頭だけ床の方に垂らしていびきを掻いていた。
よくこんな体勢で眠れるな。
と言うか、絶対これ首痛めるぞ……。
私のそんな思いをよそに大きな寝息を立てるさわちゃんは、手に大きめの紙袋を持っていた。
氏後硬直みたいに固く握られたさわちゃんの手から、無理矢理紙袋を奪い取ってみる。
予想通り、紙袋の中には五人分の洋服が入っていた。
多分、さわちゃんは徹夜で私達の衣装を縫い終えて音楽室まで来てくれたんだけど、
楽器を運んでて居ない私達を長椅子に座って待ってる内に、力尽きて寝ちゃったんだろうな。
私達のためにこんなに頑張ってくれたんだ……。
そりゃ自分の作った衣装を私達に着せたいっていう下心もあるんだけど、
今は私達のライブのために頑張ってくれた顧問の先生が純粋に誇らしかった。

ありがとう、さわちゃん。
面と向かって言った事は無かったはずだけど、本当にありがとう。
さわちゃんが顧問になってくれたおかげで、私達は三年間本当に楽しかったよ……。
私達、これからこの衣装を着て最高の演奏をするから、
さわちゃんへの感謝も込めて、精一杯演奏するからさ……。
だから、見守ってて下さい、先生。

皆もそういう事を考えてたんだと思う。
私が目配せをすると、皆が静かながら強く頷いて、さわちゃんの衣装を手に取り始める。
遅れないように、私も紙袋の中から自分の衣装を探し始める。
これから着替えるんだ。私達の最後の勝負服に。

正直な話、さわちゃんの用意したその衣装は意外だった。
世界が終わらなくても、ライブはこれが最後の機会になるわけだし、
さわちゃんがどんな衣装を用意してても、私達はそれに着替えてみせるつもりだった。
スク水だろうと、ナース服だろうと、チャイナ服だろうと、ボンテージだろうと、
露出の多い服装を好むさわちゃんの求める衣装に着替えようと思ってた。
そういう服に一番抵抗がありそうな澪でさえ、私達のその考えに反対しなかった。
澪だってさわちゃんに感謝の気持ちを示したいのは同じなんだ。
それこそ、私達はV字フロント水着だろうと着……、
いや、流石にV字フロント水着は嫌だけど、ある程度の露出までは気にしないつもりだったんだ。
だからこそ、さわちゃんの用意した最後の衣装は意外だった。
露出が完全に無いとは言わないけど、精々夏服やキャミソールレベルの露出の衣装。
下手すりゃ、私の持ってる夏服の方が露出してるくらいだ。
この衣装でいいのかなって、少し不安になる。

でも、この衣装を持って音楽室に来てくれてる以上、
この衣装こそさわちゃんが私達に最後のライブで着てほしい衣装のはずだ。
なら、私達も迷わない事にしよう。
最後のライブの最後の衣装はこれで決まりだ。

666: 2011/10/08(土) 21:34:49.34 ID:YRwqUe4v0
今回の衣装は全員がお揃いの服じゃなかったから、
どれが誰の服かは分かりにくかったけど、
だったら、さわちゃんが何を考えて私達の衣装作ったのか考えればいいだけだ。
まあ、そんなに悩まなくても大丈夫。
私達のスリーサイズまで何故か知ってるさわちゃんの事だ。
これまでもそうだったんだし、それぞれの体格に合った衣装を作ってくれてるに違いない。
それに私の場合はもっと簡単だ。
さわちゃんとは何回も私の好きな色の話をした事がある。
私が好きな色は、普段、私が着用してるカチューシャの色……、
私がそうありたいと思う明るい光の色……、黄色だ。
だから、私には黄色の衣装を用意してくれてるはずだ。
黄色のズボン……、黄色い下着の方じゃないパンツはすぐに見つかった。
これだと見立てて履いてみると、サイズもぴったりだった。
続けて私の体格に合った衣装を探し出し、袖に腕を通していく。

皆が着替えるまで、時間はそんなに掛からなかった。
梓は一番小さな服を着ればいいだけだし、
何か悔しいけど澪は胸元がゆったりした衣装を探せばいいだけだったからな。
着替え終わると、次はその衣装に合う髪型を皆で話し合っていく。
髪が短めな唯と私は普段通りでいいとしても、
澪、ムギ、梓の長髪メンバーはそういうわけにもいかない。
髪が長いと、衣装に合わない髪型が余計に目立っちゃうんだ。
実は私、それが面倒で髪をあんまり伸ばしてなかったりするし。
勿論、今の髪型が気に入ってるからでもあるけど。

話し合った結果、澪は特に髪を結ばず、梓とムギがポニーテールでいく事になった。
梓とムギのポニーテール姿はあんまり見た事が無かったけど、
よく似合ってたし、二人の衣装にぴったりな髪型だと思った。
唯なんか「ポニーテールのあずにゃんも可愛い」って梓に抱き着いたくらいだ。
とにかく、これで全員の着替えは終わった。
後はさわちゃんを起こしてこの姿を見せて……。
そう思った瞬間だった。

突然、何の前触れもなく、私の前髪が私の目を隠すように下りてきた。
何で急に前髪が下りてくるんだ?
そんなの簡単だ。誰かが私のカチューシャを外したからだ。
いや、今はそんな事は重要じゃない。
心の準備ができてる時ならまだしも、
私のこんなおかしな髪型を急に皆に見せるなんて恥ずかし過ぎる。
唯のおでこ禁止らしいが、私は前髪禁止なんだ。
ものすごく嫌ってわけじゃないけど、人にはあんまり見せたくない。
俯いて、両手で顔を隠して、誰かに外されてしまったカチューシャを探す。

カチューシャはすぐに見つかった。
犯人はさわちゃんだった。
涼しい表情をして、何事も無いかのように手に私のカチューシャを持っている。
いつの間にか目を覚ましていて、私の背後からこっそりカチューシャを外したらしい。

私は「返せよ、さわちゃん」と責めるみたいに要求してみたけど、
さわちゃんは何故だかすごく優しい顔を浮かべてから、私に頭を下げた。
「このライブ、前髪を下ろしたりっちゃんの姿を見せてほしいのよ」って、懇願するみたいに。
これまで、衣装の事について、さわちゃんとは何回も話した事がある。
唯やムギは大体どんな衣装でも着るだろうし、
澪は逆にほとんどの衣装を着たがらないだろうから、
いつの間にか私がさわちゃんと衣装の打ち合わせをするようになっていた。
とは言っても、私も別に衣装にこだわりがある方じゃないから、
二つだけ釘を刺しておいて、後の事はほとんどさわちゃんに丸投げしてたんだけどな。

667: 2011/10/08(土) 21:35:15.58 ID:YRwqUe4v0
釘を刺した事の一つ目は、単純にあんまり露出の多い衣装は作らない事。
いや、正確には別に作ってもいいけど、私達に着させないようにする事だった。
そんな衣装作られても澪は絶対着ないし、私だって着たくないもんな。
二つ目は、お願いにも似たすごく個人的な約束だ。
こっちの方も単純。
私の衣装は私がカチューシャを着ける事を前提として製作してほしいって約束だった。
どんな衣装でも大体は着るけど、それだけは譲れなかった。
前髪を下ろした私なんておかしいしさ。
少し不満そうにしながらも、これまでさわちゃんは私との約束を破らなかった。
ちょっと露出が多めの事もあったけど、
私の衣装だけはカチューシャに似合いそうな衣装にしてくれていた。
さわちゃんも分かってくれてるんだと思ってた。
私が前髪を下ろしたくないんだって。

いや、違うか。
今もさわちゃんは私が前髪を下ろしたくない事を分かってるはずだ。
分かってるけど、私に前髪を下ろした姿でライブをしてほしいんだろう。
迷いながらさわちゃんの顔を見ていると、さわちゃんは、
「私だけじゃないのよ。クラスの皆も、カチューシャを外したりっちゃんを見たがってるの」って続けた。
そう言われると、ライブを観に来てもらう立場としては弱い。
クラスの皆だって、私が前髪を下ろすのは苦手だって事は知ってるはずだ。
だけど、見てみたいんだと思う。前髪を下ろした本当の私の姿を。
それが誤魔化しの無い私の姿を皆にぶつける事に繋がるんだろうし。
あ、いや、本当の私の姿は、カチューシャを着けてる方なんだけどな。
前髪を下ろしてる方は仮の姿だ。私の中では。

でも、皆がそれを望んでるなら、叶えてあげるのがプロってやつだ。
……プロじゃないけど。
話をさわちゃんにもう少しだけ詳しく聞いてみると、
クラスの皆の中でも、特にいちごが私に前髪を下ろしてもらいたがってるんだそうだった。
いちごかよ……。
それならそうと、私に直接言ってくれりゃいいのにさ。
まあ、いちごも面と向かっては人に言いにくい事があるのかもしれないな。
私は溜息を吐いてから、苦笑する。
心は決まった。
今回くらい、特別出血大サービスだ。
カチューシャを外して、前髪を下ろした姿で演奏してやろうじゃないか。

……つっても、やっぱりちょっと恥ずかしい。
幸い、私の衣装の上着はパーカーだったから、
フードを被る事だけはさわちゃんに許してもらった。
「フードを被らないのが日本の風土なのにー」
って、駄洒落を言いながらだったけど、さわちゃんのその視線はすごく優しかった。
もしかしたら、こうなるのを見越して私の衣装をパーカーにしてくれたのかもしれない。

何はともあれ、こうして全員の衣装合わせが完了した。
皆で肩を並べて整列してみる。
若干コミックバンドっぽかった今までとは違って、
今回は今時の女の子のラフな服装って感じで、何だか本当にガールズバンドみたいだ。
いや、実際にもガールズバンドなんだけど、今までが今までだったからなあ……。
満足そうに私達の衣装を観賞した後、
さわちゃんが最後に手作りらしいバッジを私達に手渡した。
バッジには『Sweets』って書いてある。
折角ガールズバンドみたいな感じになったのに、
どれだけお菓子ばかり食べてるお菓子系だと思われてるんだ、私達は。
……あれ?
お菓子系ってそういう意味じゃなかったっけ?
まあいいや。
お菓子ばかり食べてるってのも、我等が放課後ティータイムの正しい姿だ。
苦笑しながら皆でバッジを着け合って、今度こそ最後の勝負服に着替え終わった。

携帯電話で確認してみると、遂に時間は午後五時を回っていた。
円陣を組んで皆で気合を入れ合おうと思って部室内を見回すと、
いつの間にかムギがお茶の用意をして、さわちゃんが一足先にケーキを食べていた。
本当にマイペースな方々ですね!
肩を落として、澪に視線を向けてみる。
澪も呆れた顔を少し浮かべてたけど、すぐに「仕方ないな」と呟いて自分の椅子に座った。
確かに仕方ないか、と私も思い直す。
これも私達にとっては、バンド活動の一環なんだ。
私も席に付いて、最後になるかもしれないムギのお茶を待つ事にした。

668: 2011/10/08(土) 21:39:19.81 ID:YRwqUe4v0





しばらくムギの出した美味しいお茶を皆で飲んでいたけど、
不意に思い出して、私は部室に置いてあるCDラジカセの電源を入れた。
今日の夜は練習してたから聴き逃したけど、今ならまだ間に合うはずだ。
実はあの番組の放送時間はかなり変則的だ。
前半は午前零時から午前六時まで。
後半は午後零時から午後六時まで。
そんな変則的なスケジュールらしい。
後半の方を聴いた事はないから確かな事は言えないけど、
放送の中で、ハードスケジュールだよって、紀美さんが呟いたから間違いないと思う。

憶えてる周波数を合わせてみる。
古いラジカセだから多少ノイズがあったけど、聞き取れない程じゃない。
聞き慣れた声と共に、軽快な音楽が流れる。

673: 2011/10/10(月) 18:23:47.17 ID:qm1eWKx10
「そういえば、お前らはこんな話を知ってる?
道を歩いてると、向かいから頭に赤い洗面器を載せた男が歩いて来たらしいのよ。
その男は洗面器の中に水を張って、こぼれさせないようにそっと歩いてた。
それで、気になって、その男に訊ねてみたわけよ。
「失礼ですが、どうして洗面器を頭に載せてるんですか」って。
すると、男は……。

おっとと……、そろそろ最後の曲の時間みたいね。
短いようで長かったけど、次の曲で終わりかと思うと名残惜しいわね。
この一ヵ月半……、休憩は取りながらだけど、
半日喋りっ放しで、アタシやお前らの好きな曲をひたすら流しまくって、
馬鹿みたいに大変だったけど、すっごく楽しかったわよ。
明らかに労働基準法を違反してるけど、それでもいいかって思えるくらいにさ。
……って言っても、ひっどいブラック企業よね、うちの局も。
来週からは労働時間の見直しを要求したいわよ、本気で。

来週……、来週か……。
明後日、月曜日……、政府や研究者の皆さんはそんな日は来ないって言ってる。
正確にはずっと地球は回るから月曜日自体はやって来るけど、
この世界から消えちゃうアタシ達には関係ない事だって言って下さってる。
そんなのつい三日くらい前までは、アタシも半信半疑だった。
だって、終末よ?
これまで地球上にどんだけ長い間生物が繁栄してたってのよ。
その中で今のアタシ達だけが終末を迎えるなんて、逆に貴重な体験じゃないの。
大体、今まで終末の予言がどれだけされてんだっつの。
世界滅ぶ滅ぶ詐欺はアタシが生きてきた二十数年の中でも、三回くらいはあったわね。
短いようで長い人類の歴史の中じゃ、
それこそ百や二百じゃ足りないくらい、終末の予言があったんだろうなって思うわ。

そもそも終末の予言ってのは、逃げたい側の人間の口上って事が多かったみたいだしね。
昔から人類は衰退してるって説が囁かれてて、
だから、もうすぐ終末を迎えるって、何千年も言われちゃってるみたいね。
どうして終末を迎えるのかって理由も単純で、
富める者だけ富んでる世界は異常だから、正しい世界になるために世界は終末を迎える。
それで終末後には正しく生きてる選ばれし者だけが、
働く必要の無い楽園みたいな世界に至れるんだってのよ。
当時の人達はそうとでも思わなきゃやってらんなかったんだろうなってのも分かるし、
今回の『終末宣言』もそういう類の現実逃避なのかなって思ってたんだけどさ……。

674: 2011/10/10(月) 18:24:31.58 ID:qm1eWKx10
ううん、そう思いたかったのかな。
世界は平等じゃないし、生きるのに大変で凄惨な場所だけど、
それでも氏ぬよりはマシだと思ってたし、
氏んだ後に天国みたいな世界が待ってるなんて思ってなかったから、そう思おうとしてたんだと思うわ。
実は天国なんて存在しないって思ってるけど、地獄の存在は信じてるタイプなのよ、アタシ。
いやいや、思春期の女の子かよ、って思わないでよ。
アタシってキャラ的に地獄を信じてなきゃいけないじゃない?
ほら、アタシってロックな『DEATH DEVIL』だし?
それだけかって聞かれても、本当にそれだけって答えるしかないんだけど。

とにかく、そんなわけで、終末なんて信じてなかったわけ。
『終末宣言』も政府の研究の間違いで、来週の月曜日は何事も無くやって来るはずって思ってた。
でも、さ……。
一昨日からの映画みたいな空模様を見たりとか、
肌で最近の世界の空気とかを感じたりしてると……、
知識じゃなくて本能で分かっちゃうのよね、世界は本当に終わりそうだなって。
それはアタシだけじゃないと思う。
お前らも何となく気付いてるんじゃない?
もうすぐアタシ達は終末を迎えて、
これまでアタシ達が積み上げてた物も全て失われちゃうんだろうってさ。

明日、世界は終わりを迎えて、アタシ達は氏を迎える。
何もかも消えて無くなる。
この世界から存在しなくなる。
アタシも、アタシの仲間も、お前らも、永遠に。
きっとそれは辛くて苦しい事なんだろうね。
アタシだって恐い。
今だって内心怯えながら放送してんのよ?
え? 似合わないって?
ほっといて。

だけど、思ったより恐くないのも確かなのよね。
身辺整理って言うか、覚悟って言うか、
そういうのができちゃってるのよ、アタシ。
多分、それはお前らのおかげ。
ひょんな事からこのラジオを担当するようになって、夢みたいに楽しい時間を過ごせた。
これから先に世界が消えちゃうとしても、アタシはアタシの生きてる証を残せたって思う。
お前らの中にアタシの声やアタシの紹介した曲とかが残ったなら、それがアタシの生きた証。
それにさ、ほとんど無い可能性ではあるんだろうけど、
ひょっとしたら何かの間違いで、お前らの中に生き残りが出るかもしれないじゃない?
生き残ったお前らの中の誰かが、
たまにアタシの事を思い出して笑ってくれたら、
それだけでアタシと終末のタイマン勝負はアタシの勝ちだよ。
勿論、アタシだってただで氏んでやるつもりはないね。
どんな形の終末が来るのかは分からないけど、やれる限りの抵抗はしてやるわよ。

675: 2011/10/10(月) 18:25:05.05 ID:qm1eWKx10
それでもし生き残れたら、アタシはまたここに座ってお前らに呼び掛ける。
明日は放送は休みだけど、
月曜からはラジオ『DEATH DEVIL』再世篇の始まりだからね。
ううん、アタシが氏んだって、
ウチのスタッフが一人でも生きてたら、そいつがお前らに電波を届ける。
特にウチのヅラのディレクター……、略してヅラクターなんかは平然と生き残りそうだしね。
もしもアタシが居なくても、ウチのヅラクターの美声をお届けできれば何よりだよ。
何はともあれ。
月曜日からは更にパワーアップした放送をお前らにお届けする予定だから、
これからも当番組とヅラクターをどうぞヨロシク!
終末まではお前らと一緒!
いや、終末からもお前らと一緒だ!
ここまで突っ走って来れたのは、
ヅラクターやウチのスタッフやアタシの仲間達、
それに勿論、お前らのおかげだ。
本当にありがとう!
またお前らと会えるのを楽しみにしてる!

さってと、そろそろ本気で最後の曲だ。
最後に一曲お送りしなきゃ、番組としてもちょっと締まらないしね。
この曲をお送りしながら、今回の放送はお別れとさせてもらうわ。
最後の曲はクリスティーナこと、この私、河口紀美からのリクエスト……、
って、え?
いやいや、やらせじゃないわよ。
ちゃんと私から私へのリクエストって言ってるじゃん?
ラジなに教えてもらった曲なんだけど、最終回はこの曲で締めようって思ってたのよ。
最終回なんだし、それくらいはパーソナリティー特権って事で勘弁して。

じゃあ、繰り返しになるけどもう一度……。
最後の曲はクリスティーナこと、この私、河口紀美からのリクエストで、
ROCKY CHACKの『リトルグッバイ』――」

679: 2011/10/12(水) 21:33:53.71 ID:j4mvqDH10





ラジオ『DEATH DEVIL』の今週の放送が終わった。
最後の曲が終わった後、ラジカセから聞こえてくるのはノイズだけだった。
探せば他にも放送してる番組はあるんだろうけど、
この周波数で発信されるラジオ放送はこれで終わりなんだろう。
いよいよ後には退けない時間帯になってきたってわけだな。
当然、退くつもりなんてない。
私がここに居るのは私の意思からだけど、ここに居られるのは皆のおかげだ。
皆に支えられたから、助けられたから、私はここに居られる。
だから、私は前に進むんだ。その先が世界の終わりでも。
憂ちゃんに格好いい唯の姿を見せるって約束もしたしな。

「……行くか!」

ラジカセの電源を切ってから、両腕を掲げて言ってみせる。
皆の視線が私に集まった。
強い決心が感じられる真剣な梓の視線。
私達を見守ってくれるようなムギの視線。
ライブを楽しみにしてる興奮した感じの唯の視線。
穏やかに私を見つめてくれる澪の視線。
目尻を濡らしながらも、涙をこぼさず強く私を見つめるさわちゃんの視線。
たくさんの視線がたくさんの想いを宿してたけど、
その根本にはこれから行われるライブを成功させたいって気持ちがある。
多分、私もそういう視線を皆に向けてるんだろうと思う。

「そうですね、行きましょう!」

この一週間で何度も私に泣き顔を見せた梓が立ち上がる。
もう泣いていない。
真剣な表情を浮かべつつも、少しだけ笑ってる。
私達が誰一人欠けずに最後のライブに参加できる事を喜んでるんだ。

「最高のライブをやるんだもんね!」

ムギがポニーテールを揺らす。
これまで私達をずっと見守ってくれてたムギ。
これからもずっとずっと私達を見守り続けてくれるんだろう。
たまに危なっかしいムギの行動を、
私もこれからも見守ってあげられたらいいなと思う。

「終わったらケーキだよ! 皆、忘れてないよね?」

マイペースを崩さず、真面目な顔した唯が右腕を掲げる。
真面目な顔の理由は、ライブの後のケーキが楽しみだからなんだろう。
いや、勿論これからのライブを楽しみにしてもいるんだろうけどさ。
何処までも変わらない奴だけど、こいつはこのままでいいんだ。
私達は変わらない唯に引っ張られて、変わらずに三年間を過ごせたんだから。
世界の終わりまで、変わらずにいられたんだから。

「おいおい……。まだ食べる気なのか?」

苦笑しながら、澪が唯に突っ込みを入れる。
気弱で臆病なくせに、
こんな状況でも自分のポジションを忘れない澪も相当マイペースだ。
澪だって放課後ティータイムの一員だもんな。
こいつも知らず知らずのうちにマイペース大王になってたみたいだ。

ううん、考えてみりゃ、私達皆マイペースなのかな。
世界の終わりの前日の夕方にライブを開催する事自体もそうだけど、
さわちゃんは変わらず恋が上手くいってなかったし、
梓は落とし物の事で悩んでたし、澪は恋愛面で頭を抱えてたし、唯はずっと楽しそうだったし……。
特にムギなんか、もしかしたら自分が生き残れるかもしれない計画を蹴って、
家族で一緒に居る事よりも、何よりも、私達とライブを開催する事を選んでくれた。
私も澪との関係の答えをすぐに出さない事を選んじゃってるもんな。
皆、どうしようもないくらいマイペースだ。
でも、思う。
他の誰かにとってはともかく、
私達にとってはそれこそが生きるって事なんだって。

680: 2011/10/12(水) 21:34:33.46 ID:j4mvqDH10
「じゃあ、貴方達……」

瞳を濡らしてはいるけど、微笑みながらさわちゃんが言った。
マイペースを崩さない私達に呆れながら、同時に嬉しくも思ってくれてるんだろう。
瞳を濡らしてるのは世界の終わりが近いからじゃなくて、
多分、紀美さんのラジオが最高に胸に響いたからだろう。
流石に紀美さんのラジオの全部を聴いたわけじゃない。
でも、私の知ってるラジオ『DEATH DEVIL』では、紀美さんは一度も弱音を吐かなかった。
まあ、放送時間の長さくらいは愚痴ってたけど、
世界の終わりについての弱音を吐く事は一度も無かった。
何処までもまっすぐに前だけを見つめていて、その姿には私も何度も勇気付けられた。
紀美さんがどんな気持ちでラジオを続けてたのかは分からない。
本当は恐怖に負けそうになりながら、どうにか続けてたのかもしれない。
だけど、私の知ってる紀美さんは、
強くて格好よくて、皆に勇気を与えてくれる素敵な人だった。
その裏にある心がどんなものであったとしても、それはとても立派な事だと思う。

紀美さんのバンドメンバーだったさわちゃんだって立派な人だ。
私が無理矢理軽音部の顧問にさせちゃったさわちゃん……。
掛け持ちで顧問をするのは本当は大変だっただろうけど、
軽音部に居るさわちゃんはいつも楽しそうで、
たまに見せる顔は格好よくて、大人の女の人って感じだった。
ふざけながら、からかい合いながらも、さわちゃんは私達の事を支えてくれてたんだ。

「いってらっしゃい。私も後から追いかけるわ」

さわちゃんがそう続けた瞬間、
気付けば私はさわちゃんの後ろに回って、背中から抱き着いていた。
これまでの事に感謝の気持ちを示したかったけど、胸がいっぱいになって、
でも、特に思い付かなくて、こうする事しかできなかった。

「ちょっと……。どうしたの、りっちゃん?」

嫌がってる様子じゃなく、嬉しそうにさわちゃんが囁いてくれる。
上手くできなかったと思うけど、
少しでも私の気持ちがさわちゃんに伝わってたらいいな。

「さわちゃん、今までありがとう」

その後、私の口から出たのは、すごく単純な言葉だった。
結局、頭の中に浮かんだ言葉はそれだけだ。
だけど、単純なだけに、それが多分、嘘の無い心からの本音だった。

「いいわよ、私も楽しかったしね」

後ろ手にさわちゃんが私の頭を撫でる。
照れ臭かったけど、何だか嬉しい。
……のはよかったんだが。
不意に周囲を見回すと、またも私に多くの視線が集まっていた。
特に気になった視線は、澪と梓の視線だった。
二人とも、嫉妬と言うか、寂しそうと言うか、とにかく複雑そうな眼差しを私に向けている。
澪はともかくとして、何で梓もそんな眼差しを向けてるんだ……。
ひょっとして梓はさわちゃんの事が好きなのか……?
さわちゃんは各方面で人気らしいし、それもそれで不思議じゃないけど……。

まあ、いいか。
さわちゃんに感謝の気持ちを示したかっただけで、私に他に意図は無いわけだし。
私はさわちゃんから身体を離すと、苦笑しながら澪と梓の手を取って引いた。

681: 2011/10/12(水) 21:35:02.38 ID:j4mvqDH10
「何変な顔してんだよ、二人とも。
ほら、そろそろ本当に講堂に行くぞ。お客さん達を待たせたら失礼だろ?」

「わ……、分かってるって」

流石に自分でも変な顔をしてるって分かってたらしい。
澪がちょっと頬を赤く染めながら、小さく頷いた。

「もう……、誰のせいでこんな顔してると思って……」

「何だよ、梓?」

「何でもないです!」

梓は妙に不機嫌そうだったけど、
完全に怒ってるようでもなくて、怒り交じりの苦笑みたいな表情を浮かべていた。
よく分からないが、何かを悩んでるってわけでもないみたいだし、よしとするか。
さわちゃんの事が好きなのかどうかは、ライブの後に訊いてみる事にしよう。
ん?
随分前に同じ事をムギにも訊いた気がするな……。
モテモテだな、さわちゃん。
私はちょっとだけ笑ってから、すぐに口元を引き締めて強めに言った。

「そんじゃ、ムギも唯も行くぞ!
私達の高校ラストライブだ!」

「あいよー、りっちゃん!」

「うんっ!」

ムギと唯が音楽室の入口まで駆け出していく。
私も澪と梓の手を引いて唯達の後を追う。

「相変わらず慌ただしいわねー、あんた達」

そんな私達の姿を見て、さわちゃんが微笑ましそうに呟いた。
と。
瞬間、私達は足を止めて、さわちゃんの方に一斉に振り向く。
多分、予想もしてなかったんだろう。
私達の突然の行動に、さわちゃんは面食らった表情を浮かべた。

「な、何……? 忘れ物か何か……?」

「いえいえ、そういえば忘れてた事があったなー、と思いまして……」

唯が揉み手をしながら、悪戯っぽく微笑む。
そういや、唯ってさわちゃん相手にはこんな顔を向ける事が多いよな。
でも、もしかしたら、
私もさわちゃんに唯と同じ様な顔を向けてるのかもしれない。
別に馬鹿にしてるわけじゃない。
頼りになって、支えになってくれて、
でも、からかい甲斐があって、友達みたいなさわちゃんの事が好きだから。
大好きだから、私達は五人揃って頭を下げて言うんだ。

「今までありがとうございます!
いってきます、先生!」

私達の声が重なる。重なった声が音楽室に響き渡る。
さわちゃんは少しだけ黙って、
無言で私達の姿を見守ってくれていたけど……、

「ええ……。
唯ちゃん、澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃん、梓ちゃん……。
皆……、いってらっしゃい……!
皆の最高のライブを私達に見せてね……!」

嬉しそうな優しい声色で、私達を送り出してくれた。

687: 2011/10/17(月) 21:01:43.26 ID:kMGjv5NB0





私達は講堂の裏口から舞台袖に入り、降りた緞帳の裏で楽器の用意をしていた。
皆、緞帳から客席は覗かず、静かに作業を行う。
何人来てくれているのかを確認するのは失礼な気がしたからだ。
何人来てくれていても構わない。
何人も来てくれていなくても構わない。
特に今日は世界の終わりの前の日だ。
来てくれる予定だった人でも、急な用が入って来れなくなる事も少なくないと思う。
勿論、それは残念な事だけど、
そちらの用事の方が大事なら、遠慮なく優先してくれればいいと思う。
このライブは私の……、私達の最後の我儘から開催したライブだからな。
私達が好きで勝手に開催してるライブでしかない。
参加する義務なんて誰にも無い。
皆、思い思いに過ごすのが一番大切な事だし、私もそうするし、皆もそうしてほしい。

とは言っても、アーティストのエゴって言うのかな。
何人くらい来てくれているのか気になるのも、確かなんだよな。
いやはや、こんな時なのにお恥ずかしい。
まあ、ちょっと考えちゃうくらいは許してほしいところだ。
観客の数は、多分、三十人くらいかなと思う。
皆の家族に和と和の家族、さわちゃん、純ちゃん、
いちご、アキヨ、高橋さんにオカルト研の二人……。
それと時間に余裕があれば、信代くらいかな。

月曜日に会って以来、信代からの連絡はないし、私も信代に連絡をしていない。
忙しいだろうと思ってたし、少しでも信代の夢に向かって進んでほしかったってのもある。
あれから信代は日本一の酒屋に少しでも近付けたんだろうか。
信代の満足いく形で前に進めているんなら、私も嬉しい。
他の酒屋を深く知ってるわけじゃないけど、
少なくとも私の中では信代は日本一の酒屋だと思う。
いや、勿論、信代の店のお酒を飲んだ事はないけど、
前に疲れている時に信代が差し入れしてくれたジュースはものすごく美味しかった。
ジュース自体は市販されてる物だ。
でも、それを必要としてる人に、必要としてる時間に提供できるって事がすごいんだ。
それができる信代は、今も日本一の酒屋に向けて進めてるはずだろう。

これは私のちょっとした我儘と言うか贅沢だけど、
信代の彼氏……、旦那も連れて来てくれると楽しいな。
皆、信代の旦那には興味津々だし、誰よりもさわちゃんが信代の旦那を見たがってた。
勿論、私だって信代の旦那を一度見てみたい。
筋肉質で逞しい感じの旦那なんだろうなって私は想像してるけど、
ひょっとしたら全然違うタイプかもしれないし、連れて来てくれていると本当に楽しい。
楽しいってのも、何か失礼な話かもしれないけど。

でも、三十人か……って、そう考えると私は嬉しくなってくる。
身内ばかりだけど、こんな時期に三十人も集まってくれるなんて、すごい事じゃないだろうか。
何より、バンドのメンバーが一人も欠けなかったって事が嬉しい。
世界の終わりの前日の今日、
テレビやラジオで聞く限りでは、様々なバンドがラストライブを開催するらしい。
武道館でもあのバンドの盛大なライブが開催されるんだとか。
最後に何かを形にしたいってのは、誰もが考える事なんだろうな。
でも、フルメンバーで最後のライブを開催するバンドは多くなかった。
まだ二人組ならともかく、三人以上……、
特に五人以上のバンドがフルメンバーで、最後のライブを行えるのは珍しいみたいだ。
バンドメンバーとは言え、最後にやっておきたい事はそれぞれ違うんだからそれは仕方ない。
その点、私達は誰一人欠けずに最後のライブに臨めてる。
そもそも開催できるなんて思ってなかったライブだけど、こんなに嬉しい事はない。
唯の思い付きに感謝だな。
まあ、武道館でライブを開催できるようなバンドと比較する事じゃないけどさ。

688: 2011/10/17(月) 21:02:20.04 ID:kMGjv5NB0
「楽しそうだな、律。
どうしたんだ?」

よっぽど嬉しそうな顔をしてたんだろう。
ベースとマイクの準備が終わった澪が、小さく私に声を掛けた。
私は頭の上にスティックを掲げながら、声は静かに応じる。

「何人くらいお客さんが入ってくれてるのかって考えてたんだよ。
多分、三十人くらいだと思うけど、そんなに来てくれるなんて嬉しいよな」

「う……、三十人か……」

「百人以上の観客の前で歌った事のある澪さんが何を緊張してんだ。
そもそもファンクラブのメンバーだけで三十人近くはいただろ、確か」

「実数の問題じゃないんだよ……。
人がいっぱい居るって事に緊張するんだ……。
特に今回はこれまでの私達のイメージとは違う新曲もあるしさ……。
どうしよう……。引かれたらどうしよう……」

「別に引きゃしないって。観客の皆も身内ばかりだと思うしさ。
でも、これまでの私達のイメージとは違うってのは確かだよな。
曲調も歌詞もこれまでの澪とは違う感じだよ。
どうしたんだ? 音楽性の違いからの心境の変化ってやつか?」

「あっ……、それは……、えっと……」

澪が一瞬、視線を俯かせる。
その様子は照れてると言うより、何かを不安に思ってるって感じだった。

「どうした、澪?
私、変な事言っちゃったか?」

「いや……、そうじゃなくてさ……。
あの……さ……。
今回の新曲、律は嫌いじゃないのかなって……。
何だか新曲を演奏し終わる度に……、律が溜息を吐いてた気がするんだ。
だから……」

成程、澪は私の様子を不安に思ってたのか。
澪の言うとおり、私は新曲を演奏する度に大きな溜息を吐いてた。
でも、その溜息の理由は澪の考えてるものとは全然違ってる。
私は軽く微笑み、立ち上がって澪の近くにまで歩いてから澪の肩を叩く。

「馬鹿だな、澪は。
私、この新曲、好きだぜ?
溜息を吐いてたのは単に新曲が激しい曲だから結構疲れるからで、深呼吸みたいなもんだ。
それと……、毎回、いい演奏ができるからさ……、
嬉しくて感嘆の溜息……って言うのか? そういう感じで息が漏れてただけだよ」

「そうなんだ……。よかった……。
実はさ、律……。この曲は律の事を考えてムギと作ったんだ」

「えっ?
私……の事……?」

「あ、いやいや、律のために捧げる歌とか、そういう意味じゃなくて……」

「そりゃそうだ。
そんな事されたら、恥ずかしくて叫び声を上げるわ」

『冬の日』が自分に宛てられたラブレターかと勘違いした時も、
私らしくなく、毎日ドキドキしちゃって、気が気でなかったしな。
いや、これは誰にも内緒だけど。
澪が少しだけ頬を赤く染めて、恥ずかしそうに続ける。

689: 2011/10/17(月) 21:03:05.18 ID:kMGjv5NB0
「律はさ……、本当は激しいハードロックをやりたかったんだよな……?
好きなドラマーもそんな感じの人が多いしさ……。
でも、今だから言うけど、放課後ティータイムじゃ、
なし崩し的に私の歌詞に合った甘いポップ系が多くなっちゃって、それが気になってんだよ。
律は私に付き合って好みとは違う曲を演奏してくれてるんじゃないかって……、
そう思って、今回は激しい曲にしてみたんだ。
今回の新曲はそういう意味で律の事を考えて作った曲なんだよ」

「確かに私は激しい曲の方が好みだし、
放課後ティータイムの曲は好みとは言えない曲が多いな。
今回の新曲の方が私の性には合ってる。
でも……、放課後ティータイムの曲は全部好きだよ。
好みじゃないけど好きなんだ。好きになっちゃう魅力があるんだ。
唯の歌声、ムギの作曲、梓のギター、勿論、澪の作詞に……」

照れ臭い言葉だったけど、それは全部私の本音だ。
じゃなきゃ、こんなに長い間、皆とバンドなんて組めてない。
外バンなんて考えられない。
好みじゃなくても、放課後ティータイムは私の居場所なんだから。
私の想いが伝わったんだろうと思う。澪も私と同じ様に照れ臭そうに頷いた。

「ありがとう、律。
律が私の曲を好きでいてくれたなんて、
面と向かって聞いた事なかったから本当に嬉しいよ」

「言っとくけど、好みなわけじゃないからな。
好みじゃないけど好きなだけだからな」

「分かってるよ、律。好きでいてくれるだけで嬉しい。
じゃあさ、次の曲は『きりんりんりん』を新曲に加え……」

「その曲は却下」

呆れた顔で私が却下すると、
流石の澪もその曲は採用されるとは思ってなかったみたいで、悪戯っぽく笑った。
どうやら冗談だったらしい。
冗談を言えるくらいなら、かなり緊張も解れたって事なんだろう。
私は苦笑して澪の肩を軽く叩くと、ドラムまで戻って体勢を整えた。

見回してみると、既に唯達の準備も終わってるみたいだった。
舞台袖で私達を待ってくれていた和に視線を向ける。
私と澪のやりとりをずっと見てたらしく、ちょっと苦笑した表情の和が頷く。
隣に居た眼鏡の子(確か生徒会の会計)に指示を出すと、マイクを自分の口元に運んだ。
私は和から視線を正面の緞帳に戻し、深呼吸をして皆に視線を向ける。

唯が楽しそうに微笑んで私を見ている。
ムギも珍しく真剣な表情で私に視線を向ける。
澪は緊張を忘れようと少し強張った顔で、
梓は私を見る他の三人の表情と私の顔を交互に見つめている。

690: 2011/10/17(月) 21:03:36.26 ID:kMGjv5NB0
「やるぞ!」

緞帳の先までは聞こえないくらいの声量で皆に宣言する。
そのまま私がスティックを掲げると、皆も効き手を頭上に掲げた。
会計の子が操作してくれたんだろう。それに釣られるみたいに緞帳が上がっていく。
少しずつ上がっていく緞帳に合わせるくらいの速さで、和の声が講堂中に響く。

「さて、皆さんお待ちかね。
絶対、歴史に残すライブイベント、放課後ティータイムのライブの開催です!
皆さん、高校生活最後の彼女達のライブを、思う存分お楽しみ下さい!」

またハードル上げてくれるな、和……。
と言うか、和も結構『絶対、歴史に残すライブ』ってフレーズが好きだったんだな……。
少し微笑ましい気持ちになりながら、
私は緞帳が上がり切るのを待ってから客席に視線を向けた。
信代が旦那を連れて来てくれてるといいなって、そんな軽い事を考えながら。
だけど……。

「えっ……?」

私だけじゃない。
放課後ティータイムのメンバーの全員が戸惑いの声を上げていた。
圧倒された。
圧倒されるしかなかった。
私は観客の数は三十人くらいだろうと思っていた。
贔屓目に考えて、多めに見積もって三十人だ。
唯は五十人くらい来てくれるはずと言っていたが、
夏フェスの参加人数を三億人とか言ってた奴だから、誰も当てにしてなかった。
でも……、でも、これは……、そんな……。

客席から歓声が上がる。
想像以上の歓声……、予想すらしていなかった大量の……。
私は息を呑んだ。

少し見回しただけで、講堂の中には二百人を下らない数の観客が入っているのが分かる。
私達の家族、アキヨ、いちご、オカルト研の二人、信代、信代の旦那らしい背の高いカッコいい人、
さわちゃん以外にも先生が何人か、マキちゃんにラブクライシスのメンバー……、
清水さんに春子達といった私のクラスメイト、澪ファンクラブのメンバーの半数近く、曽我部さん、
多分、私達に制服を貸してくれたムギの中学時代の友達……。
それだけじゃない。
見掛けた事はあるけど名前も知らないうちの学校の生徒に、
誰かの友達らしい全然知らない子達も大勢客席に座っていた。

世界の終わりの間近にこんな人数が……、私達のライブに……。
こんな時なのに……。
瞬間、私は涙を流していた。
私だけじゃない。澪もムギも唯でさえも、その場に崩れ落ちるみたいに大粒の涙を流してた。
何の前触れも無かった。
心の動きを感じるより先に涙が流れてた。
遅れて、胸の痛みを感じ始める。嘘みたいだけど、感情より先に涙腺が反応していた。
声を出そうとしても嗚咽となって声にならない。
悲しいわけじゃない。絶望してるわけでもない。
でも、ただ涙が止まらない。

止まらない涙を流しながら、思う。
集まってくれた観客の皆の気持ちを考える。
私達のライブを見たいのは間違いないだろうけど、
多分、皆、私達と一緒に終わる世界に向けて叫びたいんだろうと思う。
言ってやりたいんだって思う。
私達は生きてるんだって。
明日消えて無くなる命でも、今を烈しく生きてるんだって。
強く生きてやるんだって。
皆は私達にそれを代表させてくれてるんだ。
生きるって事の意味を終わる世界で叫ぶ代表を。

694: 2011/10/19(水) 21:17:35.61 ID:oNEfTHUU0
だから、私は何かを言わなきゃいけない。
軽音部の部長として、このライブの座長として、私から皆に宣言しなきゃいけない。
ライブの始まりを私の口から宣言しなきゃならない。
最高で最後のライブを開催するために。

でも。
口を開いても、言葉が出ない。
呼吸をする事すら精一杯だ。
堰き止められてたダムが決壊したみたいに、私の涙が流れ続ける。
涙が私の言葉を止める。
瞼を開いてるのも辛いくらいの涙が私の邪魔をする。
涙が止められないのは私だけじゃなかった。

唯が膝から崩れ落ち、ギー太を胸に抱いて大声で泣いている。
普段から涙脆い奴ではあるけど、今回の唯の涙は尋常じゃなかった。
世界が終わるって知ってからも変わらず楽しそうに振る舞ってた唯だけど、
やっぱり心の奥底では辛かったんだろうし、悲しかったんだろう。
同時に自分に寄せられる皆の期待に戸惑ってしまっているんだろうと思う。
軽い気持ちで、何となく開催する事になった最後のライブ。
内輪で開催するだけなら単なるお遊びみたいなもんだった。
だけど、こんなにも多くの人が世界の終わりの前日に来てくれるなんて、
それだけの価値が自分達にあるのかって今更ながらに恐がっちゃってるんだ。
そんな唯の気持ちが分かる。
勿論、私もそうだからだ。

ムギが腰から崩れそうになりながら、キーボードに手を付いて大粒の涙を流してる。
キーボードで倒れそうな自分の身体をどうにか支えてる。
泣く事をやめられたムギでも、この事態には泣かざるを得ないみたいだった。
皆が集まってくれた事への感謝で胸が一杯なんだろう。
胸が一杯だから、多分、欲が出ちゃったんだ。
この素敵な時間をずっと続けてたいって。
明日も明後日もずっと続けてたいって。
明後日はもう無い事も分かってるのに……、
なのに、欲が出ちゃって、そんな浅ましい自分の欲が愛おしくなっちゃって……。
終わらせたくない。
終わりたくないって思っちゃって……。
だから、ムギの涙も止まらないんだ。

澪が声も上げずに舞台に突っ伏して震えている。
澪が考えてるのはライブの事だけじゃないだろう。
ライブは成功させたいし、どうにか歌いたいと思ってくれてるはずだ。
でも、多分、そこに私っていう重荷が圧し掛かっちゃってる。
本当は私の恋人になりたかったはずだ。
友達以上恋人未満じゃなく、今すぐにでも深い関係の恋人になりたかったはずだ。
私もそうしたかったけど、そうするわけにはいかなかった。
私の想いも固まっていないのに、恋人になるなんてそんな失礼な事は出来なかった。
でも、澪の姿を見てると、その考えが揺らぎそうになる。
私は間違っていたのか?
澪の恋人になって、抱き合って、世界の最後まで一緒に居るべきだったのか?
世界の恋人達は本当は皆そうしてるものだったんじゃないか?
自分の気持ちがはっきりしてなくても、
お互いを慰め合うために傍に居るものだったんじゃないか?
それが恋人って関係の真実だったんじゃ……?
考え出すと不安が溢れだして止まらない。
もう取り戻す事のできない残り少ない時間を考えてしまって、焦りが止まらない。

泣いているのは舞台上の私達だけに留まらなかった。
客席の所々から泣き声が上がり始める。
皆、とめどない涙を流してる。
悲しみや不安や怒りや苦しみや……、
世界の終わりに対する色んな感情を宿した涙を流し続ける。
涙脆いと噂の春子が大声で泣いてる。
父さんと母さん、聡が肩を寄せ合って震えてる。
純ちゃんと憂ちゃんが眼に涙を浮かべ、手を握り合ってる。
アキヨが本に顔を寄せて震え、高橋さんがその肩を包み込むみたいにして支える。
ラブクライシスの皆の表情も辛そうで、下級生の子達からも大きな泣き声が上がる。
そして、いちごまで……。
いちごまでいつもの無表情ではあるけど、私の方を見ながら一筋の涙を流してた。
毅然とした表情だったけど、その涙を止める事はできなかったみたいだった。

695: 2011/10/19(水) 21:18:13.34 ID:oNEfTHUU0
伝染させてしまったと思った。
私達が……、いや、私が泣いてしまったからだ。
誰も泣きたくて私達のライブに来てくれたわけじゃないのに、
悲しむために私達のライブに来たわけじゃないのに、私が涙を流せる空気を作ってしまった。
泣いて、皆で慰め合うみたいな空気を作ってしまった。
未来に絶望して、過去に縋り付いてもいいんだって、そんな空気にしてしまった。
皆で肩を寄せ合って悲しみを共有しようっていうライブにしてしまったんだ。
最初に私が泣いてしまったせいで……。

私が望んでたライブはこういうライブだったのか?
私は悲しみながら終わる世界、終わるライブで満足なのか?
いいや、違う!
私がやりたかったのは、こんなライブじゃない!
これから私達がやるライブは、思い出に浸るためのライブじゃない。
皆で最後まで慰め合うって約束をするためのライブじゃない。
私がやりたいのは、私がやるべきなのは、今を生きてる自分達のためのライブだ!
私達は此処に居るって事を叫んでやるためのライブなんだ!

「……な、……いで。
これから……、ライ……、ライブを……」

立てられたマイクにどうにか声を届けようとする。
涙を流す皆にどうにか言葉を届けようとする。
でも、そんな私自身の声が出ない。言葉が出ない。
涙に邪魔されて、私のやりたいライブを開催する事ができない。
悔しかった。
部長を名乗っておきながら、皆を支えようとしておきながらこの様だ。
こんなんじゃ、ライブに来てくれた皆の時間を無駄にしてしまうだけだ。
観客の皆に申し訳ない。
軽音部の皆にも向ける顔が無い。
自分で自分自身が赦せなくなる。
唇を噛み締めて、拳を握り締める。
何もできていない自分を殴り付けてやりたくなる。
私はどうにか立ち上がり、マイクを握ろうとする。
もう一度、届けられるかどうか分からない掠れた声を出そうとした瞬間……、

「皆さん、こんばんは。
放課後ティータイムです」

講堂にあいつの声が響いた。
この一週間、私達の前で何度も涙を見せたあいつが、
『終末宣言』のずっと前から別れを悲しんでいたあいつが、言葉を皆に届けてくれた。
涙を流さずに。
優しい微笑みまで浮かべて。
真面目で、内気で、寂しがり屋で、小さな後輩が……。
私達の想いを継いでくれた。

696: 2011/10/19(水) 21:18:40.55 ID:oNEfTHUU0
「ギターの中野梓です。
今晩は私達放課後ティータイムのライブに来て頂き、ありがとうございます。
ライブ開催の告知が一昨日っていう突然さにも関わらず、
こんなに多くの方々に集まって頂けるなんて、本当に嬉しいです。
重ね重ね、ありがとうございます」

MCなんてろくにやった事も無いくせに、堂に入っていた。
少なくとも私よりは遥かによくできてる。
いつの間に練習してたんだろうか。
ひょっとして、こうなるのを承知で隠れて練習してたのか?
いや、違うか。
多分、ずっと前から……、
一年生の新入部員が居ないと分かった時から、
来年、自分が部長として軽音部を引っ張る事を自覚して、梓はMCを練習してたんだ。
私達の跡を継いでくれるために。軽音部を続けていくために。

それにきっと、このライブは梓にとってこそ無駄にできないライブなんだと思う。
世界の終わりが来なきゃ、開催するはずもなかったこの最後のライブ。
世界の終わりを迎える不運な私達が、幸運にも開催できる事になったライブだから……。
来年一人で取り残されるのを覚悟してた梓だからこそ、その大切さを誰よりも分かってるんだ。
だからこそ、泣いてる場合じゃない。
最高のライブに……、
『絶対、歴史に残すライブ』にしなきゃいけないんだって分かってるんだ。

梓は泣き声の止まらない客席に、温かく優しい言葉を届け続ける。
泣き顔だらけの講堂の中、眩いくらいの笑顔で。

「実は私、こう言うのも何ですけど、
このライブ、皆さんにはご迷惑だったかなって思ってます。
だって、開催告知が二日前なんですよ?
急過ぎるにも程がありますよね。
何と軽音部の皆も、部長以外今日ライブやるって事を知らなかったくらいなんです。
やるやるって言ってましたから準備はしてましたけど、
それにしたってもう少し前に言ってくれてもいいじゃないですか。
まったく……、うちの部長っていつもそうなんですよ……。
ドラムのリズムキープもバラバラだし、走り気味な所もありますし……。
しっかりしてほしいですよ、本当に」

「部長いじめか、中野ーっ!」

つい立ち上がって叫んで、気付いた。
私、泣いてない……。
涙が止まっていて、声も出せてる……。
ふと見回してみれば、澪達の涙も止まっていたし、客席から笑い声が漏れ始めていた。
そうか……。
梓が皆の涙を止めたんだ。
梓が皆の悲しみを吹き飛ばしたんだ……。
そうか……!

「梓、おまえ……」

立派な後輩……、
ううん、私達には勿体無いくらいの最高の後輩だよ、おまえは……。
その言葉を届けるより先に、梓が惚れちゃいそうになるくらい優しい笑顔を私に向けた。
その梓の笑顔が本当は何を意味していたのかは分からない。
でも、その梓の笑顔は、私にも頼って下さいよ、と言ってるように見えた。
私は皆を支える事ばかり考えてた。
支えられてる事を申し訳なくも思ってた。
でも、そういう考え方をしなくてよかったのかもしれない。
私は皆を支えたい。同じ様に皆も私を支えたいと思ってるんだろう。
支えるとか支えられるとかじゃなくて、支え合うんだ。
そうだよ……。
今更だけど、私達は五人で放課後ティータイムなんだ……!

697: 2011/10/19(水) 21:19:10.30 ID:oNEfTHUU0
梓が客席に視線を戻す。
後ろ手に私の方を指し示しながら、言葉を続ける。

「皆さんご存じだと思いますけど、
今立ち上がったのが、私達軽音部の部長、田井中律先輩です。
あんまり練習しないし、遊んでばかりで変な事ばかり思い付くし、
リズムキープもバラバラで走り気味な人なんですけど……、
私、律先輩のドラムが大好きなんです。
実は律先輩と合わせると、同じ曲が毎回全然違った曲になっちゃうんですよね。
聴いてる方には堪ったものじゃないかもしれませんけど、それってすっごく楽しいんです。

私、親がジャズバンドをやっていたので、
その影響でギターを始めたんですけど、皆さん、ジャズって知ってます?
人によるとも思いますけど、ジャズって演奏中に即興で新しい曲を作っちゃう事があるんですよ。
同じ曲を演奏していても、毎回新しい進化した曲になるんです。
方向性は違いますけど、律先輩ってそんなジャズみたいな人だなって思うんです。

勿論、酷い曲になる事も多いんですけど、
たまに想像していた以上のすごい曲になって、
自分でも感動するくらいの曲を演奏できる事があるんですよ。
本当にたまに……ですけどね。
でも、その感動を知っちゃったら、もう律先輩とのセッションを忘れられません。
何度失敗しても、何度も一緒にセッションしたくなっちゃうんです。
律先輩も罪な人ですよね」

褒められてるんだか馬鹿にされてるんだか分からなかったけど、
今はただ梓のMCを聞いているのが面白くて、楽しくて、嬉しかった。
そんな風に考えてくれてたんだな、梓……。
そう考えながら私が目を細めて梓の後ろ姿を見つめていると、急に梓が続けた。

「それでは、もう一度ご紹介します!
ドラム担当で軽音部部長、田井中律先輩です!
律先輩、一言どうぞ!」

一言と来たか。
いいだろう。
皆に感動的な言葉を届けてやろうじゃないか……、
とマイクに口を寄せた瞬間、マイクも使ってないくせに講堂中に大きな声が響いた。

「その前髪下ろした人、誰ー?」

「今、紹介されただろ!
りっちゃんだよ! 部長でドラムの田井中のりっちゃんだよ!
カチューシャしてないから分からなかったか、コンチクショーッ!」

スティックを振り回して、大声の発生源に文句を言ってやる。
大声の発生源の正体は探さなくても声で分かる。
信代だ。この声色でこの声量で叫べるのは信代しかいない。
誰かに突っ込まれるだろうとは思ってたが、やっぱり一番に信代が突っ込みやがったか……。

700: 2011/10/21(金) 19:43:06.60 ID:sT9PuPCN0
睨むみたいに視線を向けてみると、
多分旦那なんだろう男の人の背中を何故か叩きながら、信代が続けた。

「冗談だよ、律!
カチューシャしてないのも可愛いじゃん!
欲を言えばパーカーのフードを脱いでくれると嬉しいんだけどさ!」

「りっちゃん、可愛いー!」

「結婚してーっ!」

信代の言葉に続いて、エリや春子なんかが歓声を上げる。
こいつら、本当にろくでもないクラスメイト達だな……!

「うっせ!
フードだけは絶対脱がないからな!」

吐き捨てるみたいに言ってやってから、私は少しだけ深くフードを被り直す。
やめてくれよな……。
ただでさえ恥ずかしいのに、『可愛い』だなんて言いやがって……。
何だか顔が熱くなっちゃうじゃんか……。
そうやって縮こまってる私の姿を見てから、梓が苦笑交じりの声で言った。

「もう、律先輩は仕方ないですね……。
それでは、メンバー紹介を続けますね。
次にご紹介するのは、キーボード担当の琴吹紬先輩です」

「わ、私……?」

いきなり自分の話題になるとは思ってなかったんだろう。
ムギが驚いた様子で梓に視線を向ける。
そのムギの目尻は涙で濡れてはいたけど、それ以上涙が溢れ出す事も無かった。
「ムギー!」という歓声が客席のあちこちから上がる。
客席の様子を満足そうに見つめてから、梓がムギの方向に向き直す。

「琴吹紬先輩……、ムギ先輩は美人で、優しくて、大人っぽい素敵な先輩です。
それに放課後ティータイムの曲の作曲もほとんどムギ先輩がやってるんですよ。
作曲なんてそう簡単にできる事じゃないのに、何曲も制作してくれて本当に助かってます。
部室に居る時はいつも私達に美味しいお菓子を用意してくれるし、お世話になってばかりです。
あ、お世話になってるのは、私だけじゃなくて律先輩達もなんですけどね」

言ってから、梓が悪戯っぽい笑顔を私に向ける。
反論しようかとも思ったんだけど、よく考えたら全然反論できない。
考えてみれば、ムギにはお世話になりっ放しだ。
ライブが終わったら、せめてお茶の準備くらいは手伝おうかな。
そう思って何となく視線を向けてみると、軽くムギの頬が赤く染まっていた。
いつも穏やかなムギとは言え、人前で後輩に褒められるのは照れ臭いものらしい。
「実はですね……」と何処か楽しそうにさえ聞こえる声色で梓が続ける。

701: 2011/10/21(金) 19:43:47.74 ID:sT9PuPCN0
「ムギ先輩ってそんな非の打ち所の無い先輩だから、
私が入部した当初は近寄りがたい雰囲気があったんです。
いいえ、そうじゃありませんね。
ムギ先輩はいつでも優しい先輩なのに、私の方が勝手に縮こまっちゃってたんです。
私にはムギ先輩みたいなお嬢様っぽい知り合いが居なかったので、
何を話し掛けたらいいのかって、結構悩んだりしてたんですよね。

でも、軽音部でお世話になってる内に、
ムギ先輩も私達と同じ様な事を考える女の子なんだなって思うようになりました。
楽しい事があったら笑いますし、悲しい事があったら泣きますし、
当然の事なんですけど、ムギ先輩も私達と同じ普通の音楽好きの人なんだなって……。
そうそう。
意外かもしれませんけど、ムギ先輩ったら、お茶の時間におやつの摘み食いなんかもしてるんですよ」

「あーっ! 梓ちゃん、それ内緒の話なのにー!」

ムギがまた顔を赤く染めて、私達の顔色をうかがう。
内緒にしてた事が私達にばれたと思って、恥ずかしくて仕方が無いに違いない。
まあ、ムギがたまに摘み食いしてるのは、
軽音部なら皆が知ってる話なんだけど、
ムギとしては私達に内緒にしているつもりだったんだろうな。
恥ずかしそうに、ムギが視線を落として呟く。

「だって、美味しそうなんだもん……」

滅多に見せないそのムギの照れた様子はとても可愛らしかった。
客席の皆もそう思っていたみたいで、
微笑ましそうに「いいなー、私も食べてみたいなー」という感じの声があちこちから上がっていた。

「あ、そうだ」

不意に何かを思い出したみたいに、
ムギがキーボードの前に置かれていたマイクを手に取って言った。

「皆さん、今日は私達のライブにお越し頂き、ありがとうございます。
キーボード担当の琴吹紬です。
また皆さんにライブでお会いできて、私、嬉しいです。
すっごく楽しくて、すっごくすっごく嬉しいです!
皆さんの大切な時間を私達に頂けて、本当に感謝してます!
皆さんの心に残るライブになるよう精一杯演奏するのは勿論ですけど、
実は今日、皆さんへの感謝の気持ちを込めてたくさんのケーキを用意してるんです。
ライブが終わっても、そのまま客席で待ってて下さい。
皆さんにケーキをお配りしますね」

客席から嬉しそうな歓声が上がる。
その感性を尻目にムギが私達の方に視線を向けると、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。

「ごめんね。皆の分のケーキが減っちゃうけど……」

「別にいいよ。美味しい物は皆で味わった方がいいしさ」

首を横に振って言った後、私はふと気が付いた。
私達のケーキが減るのは構わないけど、
客席の皆の分のケーキが準備できてるのかって思ったからだ。
ムギの様子を見る限りじゃ、
まさか二百人ものお客さんが集まってくれるとは思ってなかったみたいだ。
私達が考えていたのと同じく、ムギもお客さんは三十人くらいだと予測していたはずだ。
だとすると、圧倒的にケーキの数が足りないはずなんだけど……。
それを訊ねると、ムギは小さく苦笑した。

702: 2011/10/21(金) 19:44:26.10 ID:sT9PuPCN0
「大丈夫。
今日は一人一ホールのつもりでケーキを用意してたの。
切り分ければ、皆の分のケーキを用意できると思うよ」

「一ホールかよ!」

思わず突っ込んだ。
いくら何でも一人一ホールは多過ぎだ。
唯なら食べ切るかもしれないけど、
少なくとも私を含めた常人の皆さんじゃ間違いなく食べ切れない。
でも、今回はムギのその天然が幸いしたかな。
皆にムギの美味しいケーキを味わってもらえるなら、それで結果オーライだ。

「流石はムギ先輩……」

梓が困ったように呟いていたが、その表情は笑顔だった。
少しずつ分かってはきたけど、
まだまだ謎の多いムギの姿を楽しくも嬉しくも思ってるんだろう。

「ケーキ、楽しみだねー」

涎でも垂らしそうな表情をしながら、唯が呟く。
こいつの頭の中はいつも甘い物と可愛い物の事ばかりだった。
それが今は心強い。
流していた涙も梓のおかげで拭い去れてるみたいだ。
それなら大丈夫。普段はともかく、唯は本番に強い女だ。
梓が少し口元を引き締め直し、唯を手の先で示す。

「それでは、次のメンバー紹介です。
ギターの平沢唯先輩です!」

「皆、今日は来てくれてありがとーっ!」

言い様、唯がギー太を目にも留らぬ超技巧で奏で始めた。
おー、ミュージシャンっぽい。
これはふわふわのギターアレンジだな。
妙にミュージシャンっぽい姿にこだわる唯にとって、一度はライブでやってみたかった事なんだろう。
ライブなんかでよく見る光景だしな。
それにしても、高校一年生になるまでギターに触れた事も無かったとは思えない見事なテクニックだ。
こういうのを天才って言うんだろうな。
悔しくて羨ましくもあるけど、今はただただ頼もしい。
天才と出会え、その天才と組めた偶然に感謝したい。
私は天才じゃないけど、天才と組めたって点では天から愛されてるのかもな。
天才の唯。本番に強い唯。天然ボケの唯。
そんな唯なら、今からの演奏と歌声で皆を笑顔にする事ができるはずだ。
……とか思ってたら、急に間の抜けた不協和音が講堂を包んだ。

「あ、間違っちゃった」

頭を掻いて、唯が苦笑いを浮かべる。
超技巧に挑戦し過ぎて、一番難しい所で指が動き損ねてしまったらしい。
おいおい、大丈夫か……。
梓とムギが苦笑する。
澪……も、被ったフードの奥の目尻の涙を拭いながら笑ってる。
客席の皆からも大きな笑い声が上がる。
狙ってやったのかどうなのか、とにかく唯は本当に皆を笑顔にしてしまった。
ミュージシャンとしてはどうかと思うが、これが一つの唯の音楽なのかもしれないな。

703: 2011/10/21(金) 19:44:58.37 ID:sT9PuPCN0
「えーっと……」

梓が苦笑を浮かべたままで続ける。

「今見た通りの人が唯先輩です。
それでは、次の人の紹介に……」

「私の紹介それだけっ?
あずにゃんのいけずぅ……。
もっとりっちゃんやムギちゃんみたいに紹介してよー……!」

「自分で自己紹介して下さい」

「ひどいよ、あずにゃん……」

「そんな泣きそうな声を出さないで下さいよ……。
私がいじめてるみたいじゃないですか」

「じゃあ、ちゃんと紹介してくれる……?」

「もう……、仕方ないですね……。
では、改めてご紹介しますね。ギターの平沢唯先輩です。
見ての通り、唯先輩はだらしないし、楽譜もろくに読めないし、
律先輩以上に遊び回ってるし、お菓子の事しか考えてないし、
すぐに抱き着いて来るし、変なあだ名付けてくるし、すごく困った先輩です」

また客席から笑い声が上がる。
よく見ると憂ちゃんがハラハラした様子で梓の言葉を見守っていた。
大好きなお姉ちゃんについての紹介がどうなるか心配でしょうがないんだろうな。
唯も何処まで自分の悪い印象を語られるのか、別の意味でハラハラしてるようだった。
私も少し不安を感じなくはなかったけど、当事者ほどハラハラしてはいなかった。
梓が苦笑を穏やかな笑顔に変えて、唯の傍に近寄って行っていたからだ。
そうして、唯の傍で梓が小さく口を開いた。

「でも、唯先輩の演奏はすごいんですよ。
毎回ギターが上手くなってて、私の演奏を引っ張る技術も持ってて……。
どんどん進化する唯先輩の姿に、いつも驚かされます。
それに……、私、唯先輩の困った行動……、嫌いじゃないですよ」

最後には少し照れた様子になっていた。
そうだ。言葉こそ厳しいけど、梓が唯を悪く思っていない事を私はよく知ってる。
傍から見ていると、よく分かる。
唯が梓の事を大好きなように、梓だって唯の事が大好きなんだって。
感極まったんだろう。
唯が梓に抱き付こうと飛び掛かろうとして、でも、何とか自制した。
流石の唯もギー太を肩に掛けたまま、
むったんを肩に掛けている梓に抱き着くほど馬鹿じゃない。
感激した様子で、唯が梓に顔だけどうにか寄せる。

「ありがとう、あずにゃんー!」

「嫌いじゃないってだけですよ!
それにこれからの演奏、さっきみたいに失敗したらケーキ抜きにしますからね!」

「うう……、あずにゃん厳しい」

そう言いながらも、唯の顔は笑っていた。
梓も笑顔だった。
何だか夫婦漫才を見せられた感覚だ。
いや、私と澪のやりとりもよく夫婦漫才と言われるが、それは置いとくとして。

「それでは、最後のメンバー紹介になります。
ベース担当の秋山澪先輩です!」

704: 2011/10/21(金) 19:46:41.65 ID:sT9PuPCN0
寄せてくる唯の顔を手で押し退けながら、梓が大きな声を出す。
大きな声を出したのは、少し緊張し始めたからだろう。
最後のメンバー紹介……。
この澪のが終わると、ついに私達のライブが本当の始まりを告げる事になる。
終わりの始まりが訪れようとしているんだ。
私も自分の鼓動が激しくなってくるのを感じていた。
もう迷いはない。
泣くつもりもない。
後はできる限りの精一杯の演奏を講堂に響かせればいいだけだ。
でも、不安はある。
皆を満足させるに足る演奏が私にできるのかって思う。
特に軽音部の中で一番皆の足を引っ張りそうなのは私だ。
もしも演奏を失敗してしまったら……、
そう思うと今更だって分かってるけど不安になってくる。

「澪先輩はですね。
放課後ティータイムでベースを担当してるんですけど……」

澪の紹介が続く。
紹介されている澪の表情は分からない。
ドラムからは距離があったし、フードを被ってるから横顔が少し見える程度だ。
もう少し澪の表情が見てみたいな……。
私がそう考えた瞬間だった。
澪がメンバー紹介を続ける梓を手で制した。
自己紹介は自分でするって事なんだろう。
梓は素直に引き下がり、じっと澪の次の言葉を待つ。
私も固唾を飲んで、澪の次の言葉を静かに待っていた。

と。
澪が被っていたフードを脱いで、一瞬、私の方に視線を向けた。
それの澪の視線はライブで不安がってる視線じゃなくて、
病気や怪我なんかで弱ってる時の私を見守ってくれる視線だった。
それだけで私の不安は何処かに吹き飛んでいた。
そうだったな。
私のドラムはあんまり上手くないけど、
澪のベースと一緒なら、安心して土台を組めるんだったな……。

すぐに客席に視線を向ける澪。
でも、十分だ。
私には一瞬の澪の視線だけで勇気が湧いてくる。
それはきっと、澪も同じ。
客席の方を向いた澪が大きく口を開く。
大勢の客の前で緊張しているだろうに、勇気を出して、逃げずに、力強く。

「皆さん、今日はありがとうございます。
放課後ティータイムのベースの秋山澪です。
こんな時なのに、こんなにたくさんの人達に集まってもらえるなんて、嬉しいです。
あの、私……、これから新曲を演奏する前に、皆さんに話しておきたい事があるんです。
すみませんけど、少しだけ私の話を聞いて下さい。

明日……、終末が訪れますよね。
明日、私達の積み上げてきた物も、未来も、何もかも失われてしまうんでしょう。
正直、恐いです。
これまでも何度も逃げ出しそうになりました。
ライブを投げ出そうと思った事も、一度や二度じゃありません。
考えてみれば『終末宣言』以来、
ずっと終末の恐怖から逃げる事ばかり考えていたように思います。

705: 2011/10/21(金) 19:47:26.19 ID:sT9PuPCN0
でも、私の仲間達は、私を逃げさせてくれませんでした。
実を言うと、皆が居なければ私は終末よりも先に自頃していたかもしれません。
それくらい恐かったんです。
こんなに恐い思いをしてまで、生きていたくないとも思っていました。
だから、逃げさせてくれない仲間……、律を恨んだ事もあります。
律は氏ぬ事だけじゃなくて、違う逃避も許してくれませんでした。
誰かの温かさに甘えて、誰かと傷を舐め合って生きていく事さえも……。
どれだけ律は私に意地悪をすれば気が済むんだろうって、
りっちゃんはそんなに私の事が嫌いなの? って、子供の頃みたいに考えたりもするくらいに。

今は感謝しています。
律や放課後ティータイムの皆は勿論、多分、終末にも……。
変な話ですけど、終末には少しだけ感謝してるんです。
だって、突然には来なかったじゃないですか。
幸か不幸か、『終末宣言』から終末まで一ヶ月半の猶予がありました。
その猶予が嫌で自頃しようとしてた私が言うのもおかしいかもしれませんが、
今考えると何の前触れもなく終末を迎えるよりはよっぽど幸せな気がします。

この一ヵ月半……、私は律達のおかげで何度も自分を見つめ直せました。
当然だと思ってた日常を失われる事になって、
本当に大切な物や好きな人を見つける事ができました。
覚悟のようなものもできたように思います。
いえ、覚悟というほどではないかもしれないですけど、すごく当たり前の事に気付けたんです。
結局、遅かれ早かれ私達は氏ぬんだって事に。
例え明日に終末を迎えなくても、私達はいつかは必ず氏ぬ事になります。
分かってたつもりで、分かってませんでした。
分かっていなかったから、思い出に逃げ込んだり、約束を信じたりしてたように思います。
勿論、思い出や約束は大切な物です。
それらがあるから、私達は生きていけます。
でも……、もっと大切な物があるんだって律に教えてもらいました。
律は過去や未来にこだわらないタイプの人でした。
『終末宣言』より前はそんな律の姿に呆れる事もありましたが、今は違います。
律は『現在』を大切にしてる人なんだって、今の私は思います。

明日……、いいえ、
多分、『終末宣言』が宣言された瞬間、私達は過去も未来も失ったんだと思います。
積み上げてきた物が消え去って、未来は永久に訪れない事を知りました。
だけど、私達にはまだ残ってる物があります。
『今』、私達が生きてるって事。
『現在』、私達が感じてる事。
それだけはまだ奪われてませんし、奪わせたくありません。
それに気付けただけでも、私達は幸福だったんだと今は思えます。

だから、終末には少しだけ感謝しています。
当然、完全に感謝できてるわけじゃありませんけど。
嬉しいけど、嬉しくない。
ありがたくないけど、ありがとう。
何はともあれ、私達は今を生きていく。
そんな気持ちも込めた新曲を、これから皆さんにお送りしたいと思います」

言って、澪が左手を身体の右側から左側に振りしきる。
新曲演奏の合図だ。
五人で視線を合わせ終わった後、大きく頷き合う。
始める。
私達が『現在』生きている証をこの世界に刻み込んでやる演奏を。
澪がマイクに口元を寄せ、大きく口を開く。

「聴いて下さい。
私達、放課後ティータイムの新曲……、
『No, Thank You!』」

710: 2011/10/24(月) 21:29:40.68 ID:Ie10TeSW0





静かで穏やかな曲調から私達の新曲……、
『No, Thank You!』の演奏は始まる。
新曲も普段の私達の曲とあんまり変わらないと、観客の皆も一瞬感じるだろう。
だけど、すぐに転調する。
力強く、激しく、荒々しく。
私達の想いを身体中で相棒達にぶつけていく。

思う。
明日、世界は終わる。
多分……、じゃない。きっと確実に世界は終わる。
私達は終末を迎え、一人残らずこの世界から消え去ってしまう。
氏んでしまうんだろう、間違いなく。
私は……、私達は、ずっとそれが恐かった。
いや、終末なんて関係なく、
いつか自分がこの世界から消え去ってしまうって現実が恐かったんだろうと思う。
何かを残せるなら氏ぬ事も恐くない……、
って考えもするけど、本当に何かを残せる人は数少ない。
夢は武道館なんて話はしてたけど、それがどれだけ大変な事か私は知ってる。
武道館を夢見るミュージシャン志望の子は数多いし、
実際に武道館で演奏できるバンドなんてその中のほんの一握りなんだ。
きっと私は何も残せない。
人は二度氏ぬって澪が言ってたけど、
何も残せない私の二度目の氏はかなり早く来そうだなって思わなくもない。

澪の歌が始まる。
恋に憧れる女の子の甘い想いを歌っていた澪の『現在』の歌。
今を生きる私達の願いや叫びを込めた歌。
過去や未来じゃなくて、
『現在』を生きてる……、
『現在』以外生きられない私達の精一杯の想いの歌だ。
今、私達は此処に生きてるんだ。
今、私達は強く皆の事を想ってるんだ。
今、お互いに想い合ってるんだって……。
澪は歌う。
喉を震わせて、想いを叫ぶ。
作詞した澪の想いだけじゃない。
私達放課後ティータイムの想いだけでもない。
講堂中の皆の想いを代弁し、それを澪が歌として終わる世界に響かせていく。
世界が終わる事自体はどうしようもない。
過去や未来を奪い去っていくのも気にしない。
でも、私達の『今』だけは絶対に奪わせない。
過去に逃避せず、未来に絶望せず、私達は最期まで笑顔で生き抜いてみせる!

思う。
私は何も残せない。
もしも終末が来なくたって、私の二度目の氏は多分早い。
世界の皆はすぐに私の事なんて忘れちゃうんだろう。
私が居なくても、世界は何事もなく廻っていくんだろう。
だけど、構わない。
私は今を生きた。生きられたんだから。
傍目には何の価値も無い人生だったとしても、
少なくとも私の仲間達は……、澪は私の事を憶えていてくれるだろう。
私だって、澪の事は私が氏ぬまで心のど真ん中に居てもらい続ける。
何をしてても、何をしてなくても、あいつの事を忘れる事は絶対に無い。
忘れてやるもんか。
私にはそれで十分だ。
偶然に過ぎないんだろうけど、私は澪と出会えて、音楽にも出会えた。
放課後ティータイムを組めて、本当に楽しくて仕方が無い高校生活を送る事もできた。
今だって、終末の前日だってのに、
こんな多くの観客の前でライブをやれてるし、
明日氏ぬってのに、笑顔でドラムを叩けてるんだぜ?
すっげー嬉しい……。すっげー嬉しいよ!

711: 2011/10/24(月) 21:30:23.34 ID:Ie10TeSW0
唯が何度もミスをした難所を楽しそうに弾き終わる。
梓が何百回も練習したんだろう技巧で確実な演奏に徹する。
ムギが私好みに組あ上げてくれた曲を笑顔で弾いてくれる。
私が皆のリズムを支える。
今回ばかりは皆のために確実なリズムを叩いてみせる。
特に澪はベースと歌の両方を同時にこなさなきゃならないんだからな。
澪の腕前なら問題ないと思うけど、
少しでも澪の負担を減らしてやりたいし、一つ個人的な我儘を通したかった。
澪の歌声をもっと綺麗な音色にしたい。
澪には私のドラムのフォローに回る事を考えず、より完全な形でこの新曲を歌ってほしい。
その見事な歌声をもっと響かせてほしいから。
もっと聴いていたいから。
だから、私はできる限りの精一杯のリズムをドラムで刻むんだ。

私達の演奏は融合し、一つの大きな旋律になる。
その旋律に澪が聴き惚れるような歌声を、想いを、魂を乗せていく。
演奏中、一瞬だけ澪が私の方に視線を向けた。
いつも必氏な形相で歌うくせに、その時の澪の表情は満足気な笑顔だった。
多分、私も笑顔を浮かべてると思う。
こんな最高の演奏は初めてだった。
いや、ライブでの演奏はいつも最高の演奏だけど、
今回の最高はこれまでの最高の何倍も最高の演奏だった。
観客の皆も私達の新曲に聴き入ってくれているみたいだ。
「あんまり上手くないですね」と唯に言われた私達の演奏が此処まで来れるなんてな……。
勿論、それは練習を続けてたからってのもあるんだろうけど、
それよりも私達の絆が深まったから私達は此処まで辿り着けたんだって私は思いたい。
この演奏は私達の絆の形なんだって。

そうして、演奏が終わる。
メンバーの誰もが自分に奏でられる精一杯の音楽を響かせた。
私自身も含めて、それぞれに自分達の想いを世界に刻み付けられたはずだ。
私達の絆を見せ付けてやれたはずだ。
沈黙が講堂を包み、私は少し不安になった。
この新曲は求められていた物と違ってたんだろうか?
今の演奏は私達の自己満足だったんだろうか?
観客の皆に私達の想いを届ける事まではできなかったんだろうか?

不意に。
澪が少しだけ私の方に顔を向けながら、左目を閉じて小さく舌を出した。
アッカンベーってやつだ。
それは私に向けられたものじゃない。
唯にも、ムギにも、梓にも、観客の皆にも向けられたものじゃない。
それはきっと終末に向けてのアッカンベーだ。
結局、私達は終末には勝てなかった。
だけど、きっと負けもしていない。
色んな間違いや失敗はあったけれど、
最終的に私達は絶望には囚われなかったし、恐怖から逃避する事もしなかった。
こんなに多くの観客の皆の前でライブだって開催できてる。
だから、「どうだ!」って、澪は言ってるんだ。
勝てない戦いにしても、
この勝負は引き分けだって終末に言ってやってるんだろう。

澪の予想外の行動に観客の皆は呆気に取られてたみたいだったけど、
その数秒後には、歓声を上げて、講堂を包むような大きな拍手を始めていた。
終末や絶望を吹き飛ばしそうなくらいの大きな歓声と拍手だ。
その歓声と拍手は長い間続き、私達に新しい勇気とやる気を与えてくれていた。
もう一曲、皆に曲を届けたい。
ううん、一曲と言わず、十曲でも二十曲でも演奏し続けたい。
何度だって響かせてやるんだ。
私達の旋律と。
私達の想いを。

712: 2011/10/24(月) 21:30:50.78 ID:Ie10TeSW0





放課後ティータイムの曲を全て演奏し終わり、
大歓声と大きな拍手に包まれた頃には、午後の十時を過ぎていた。
歴史に残るようなライブにできたかどうかは分からない。
それは観客の皆がそれぞれに胸の中で感じてくれる事で、
私達が勝手に決められる事じゃないんだと思う。
開催した側が歴史に残るライブを自称するなんて変な話だ。

だけど、少なくとも私達軽音部にとっては、
自分の歴史に残る最高のライブだったのは間違いないと思う。
完璧な演奏だったわけじゃない。
観客の皆には分からなかったかもしれないけど、
いくつか細かいミスもあったし、演奏する曲の順番やMCも少し失敗があったと思う。
決して完璧にはなれない私達の最後のライブ。
でも、それが今の私達の精一杯の姿で、ありのままのライブだった。
私達が私達のままで開催できたライブなんだ。
終末が近付いても変わりたくなかった私達の姿が、
いつまでも変わらない五人で居たかった私達の姿が観客の皆の心に少しでも残れば、
それだけでこのライブを開催した意味もあるって感じられる。

最後の曲のふわふわを演奏し終わった後、
私達はムギの持って来てくれていたケーキを切り分けて、観客の皆に配る事にした。
私達のライブに参加してくれたせめてものお礼として、
最後の私達の我儘に付き合ってくれた感謝の想いを込めて、一人ずつに丁寧に配る。
五人に分かれて、ケーキを配布していく。
私が担当した箇所は信代やいちごが座ってる客席がある方だった。
ケーキを配った後、私は信代とハイタッチを交わし、
そのまま勢いで信代の旦那とも軽くハイタッチを交わす。
それを見ていた周囲の皆が次々と手を上げていく。
皆、私とハイタッチがしたいらしい。
つい嬉しくなって、私は一人ずつと手を重ねていく。
ありがとう。
皆、これまでも、これからも、ずっとありがとう……!
胸が震え、涙が出そうになったけど、
決して泣かずに笑顔でハイタッチを交わしていく。

ほとんどのケーキを配り終わった後、
私が担当する最後の席にはいちごがマラカスを手に持って無表情に待っていた。
本当に持って来てたんだよなあ、いちごの奴……。
舞台上から見つけた時には驚いたけど、
いちごの隣の席の人も迷惑には思ってないみたいだったし、
逆に私達の演奏のアクセントになるようなマラカス捌きを見せてたから、それでいいかと思った。
勿論、舞台上までいちごのマラカスの音が聞こえてたわけじゃないけど、私だってドラムの端くれだ。
いちごの身体の動きを見れば、私達の演奏と合わせたマラカス捌きだったって事くらいは分かる。
一度も合わせた事も無いのに、そんなにも私達の曲と合わせられるなんて、
よっぽど私達の曲を好きでいてくれたんだろうなって思う。

私は軽く微笑んで、いちごと視線を合わせる。
視線が合った一瞬後、いちごは足下にマラカスを置くと、私の胸の中に飛び込んできた。
予想外ないちごの行動だったけど、
私はすぐにいちごの身体を受け止めてから強く抱き締めた。
不思議だな。私も丁度いちごに抱き着きたい気分だったんだ。
いちごは私の背中に手を回す。
私はいちごの耳元で「ありがとう」と囁く。
私の胸の中でいちごも「律も」と震える声で呟いた。

抱き合っていた時間は、十秒にも満たなかった。
いちごが私から身体を離すと、
私の用意してたケーキを受け取り、席に座って食べ始めた。
それからいちごは私から目を逸らして無表情な顔をしてたけど、
その頬は少しだけ赤く染まっていて、その肩は少しだけ震えていた。
小さく息を吐いてから、私はいちごの肩に手を置いて、「またな」と言った。
多分、涙の別れは私といちごには似合わない。
ケーキを食べながら、いちごは無表情に頷いた。

713: 2011/10/24(月) 21:31:19.31 ID:Ie10TeSW0
ケーキを客席の全員に配り終わると、軽音部の皆は舞台上に集まった。
結構切り分けたはずだったけど、
ムギの持って来たケーキは二ホール余っていた。
一ホールは私達の分にするとして、
残りの一ホールをどうしようかと考えていると、急に唯が名乗り出た。
「一ホール全部を食べてみたい」というのが唯の主張だった。
本気で食べる気なのか……。
でも、別に断る理由も無いから、
「やれるもんならやってもらおうか」と言って、
私は残ったケーキの一ホールを唯に提供してやった。
流石の唯とは言え、途中で諦めるだろうと思っていたら、
見る見る内に本当に一ホールを一人で平らげやがった。
すげーよ、こいつ……。
一種の化物みたいなもんだな……。

だけど、一ホール食べ終わった唯は、しばらく舞台上から動けなくなってしまった。
そりゃそうだ。一人で一ホールも平らげやがったんだからな。
私達は舞台上に転がる唯を憂ちゃんに任せて、
ケーキを食べた人から各自解散してくれていい事を客席の皆に伝えた。
もう予定は入ってないみたいだけど、講堂をこのまま占拠しておくわけにもいかないからな。
そのすぐ後、皆はケーキを食べ終えたみたいだったけど、誰一人として講堂から出ようとしなかった。
このライブを終えてしまったら、いよいよ日曜日。
……終末なんだ。
楽しい時間を終えて、残酷な現実に目を向けたくないのは私も一緒だった。
でも、そんなわけにもいかない。
どうにか解散してもらおうと私がマイクを持つと、
私が何を言うよりも先に、一人の観客がマラカスを鳴らしながら講堂から出ていった。
あえて目立つように「じゃあ、またね」と大きな声を出して、すぐにその場から居なくなった。
勿論、そうしたのはいちごだった。
皆が帰りやすい雰囲気を作ってくれたんだろう。

でも、このままいちごを一人で帰らせるのは危険だ。
私が走っていちごを追い掛けようとすると、
「またな、律! 私もいちごと一緒に帰るよ!」と春子がいちごを追い掛けて行った。
いちごの行動が春子の躊躇いを消してくれたんだ。
春子だけじゃない。講堂に居る観客の皆の躊躇いや苦しみまで……。
客席の皆が、一人ずつ意を決したように席から立ち始める。
「またね」、「じゃあね」、「ありがとう」、
そんな言葉が上がりながら、講堂から人が居なくなっていく。
私は……、私達はお辞儀をして、そのまま頭を下げ続ける。
いちごに……。皆に、最大限の感謝を込めて。
私に続いて澪と梓、ムギも頭を下げて観客の皆を見送る。
唯も慌てて澪達に続き、憂ちゃんと一緒に観客の皆に頭を下げた。

皆、最高のライブをありがとう。
私達はこの日の事を氏ぬまで心に刻むから。
氏んだって、憶え続けてやるから……。
だから、本当にありがとう……!
またな、皆……!

こうして、最後のライブは本当に終了した。

717: 2011/10/26(水) 20:56:40.90 ID:2qeuKkVP0





講堂の後片付けがそれなりに終わった後、
今日はもう遅いし、明日講堂が使われる予定も無いから、
講堂の後片付けはある程度で大丈夫だって和が言ってくれた。
それに残った講堂の後片付けは、
私達のライブを見に来てくれた先生達が明日やってくれるそうだ。

そんなのは先生達に悪いって私達は言ったけど、
和は微笑んで「先生達も好きでやりたい事らしいから」と返した。
申し訳ない気は勿論する。
でも、先生達の言ってる事も理解できる気はした。
私達はこの学校に三年間在籍しただけだけど、
当然ながら愛着もあるし、卒業する事に寂しさも感じてた。
だから、私達より遥かに長い間この学校に勤めてる先生達の愛着は、
私達の愛着なんか比べ物にならないくらいなんだろうな、って思う。
世界の最後の日も過ごす場所に選びたいくらいに……。
それでも私は何かを言おうと思ったけど、
和はもう一つだけ私達に先生達の言葉を代弁して贈ってくれた。

「若いんだから、思うように生きなさい。
後片付けくらいは先生達に任せてくれていい。
いいライブを見せてもらえたお礼だ」

そう言われちゃ、私も引き下がらないわけにはいかなかった。
そうして、私は和に今は居ない先生達へのお礼を頼んで、
澪と一緒に皆の荷物を音楽室に取りに行く事にしたわけだ。
唯達はもう少しだけ講堂を片付けるらしい。
主にムギの持って来たケーキの箱の後片付けだけどな。
先生達が明日片付けてくれるとは言っても、
流石に自分達の持って来た物くらいは片付けておかないとな。
唯達とはその後で校門で合流する事になってる。

私は澪と手を繋ぎ、無言で音楽室に向かって行く。
二人の間に言葉は必要無かった……わけじゃないけど、
多くの想いが胸の中に生まれては消えてて、上手く言葉にできそうになかった。
ライブ中、澪とセッションしながら、私は気付いていた。
今更過ぎるけど、私は澪の事が本気で好きなんだって。
傍に居たいし、抱き締めたいとも感じてる。誰よりも大切にしたいとも。
これは恋愛感情……なんだろうか?
またそこが分からない。
根本的な問題になっちゃうけど、友達と恋人の境界線は何処にあるんだろう?
傍に居る事や抱き締める事や誰よりも大切するって事は、
別に恋人じゃなくても友達って立場のままで十分にできる事だと思う。
だったら、友達と恋人の境界線って何だ?
やっぱり、アレなのかな……?
キス……とか、オカルト研の中に居た二人みたいに裸で、とか……。
そういう事をしてこその恋人なのかな……?

変な事に思い至ってしまって、私は自分でも分かるくらい顔を赤くしてしまう。
でも、これも澪と友達以上恋人未満の私としては、考えなきゃいけない事だよなあ……。
こればかりは私一人で答えを出せる事でもなさそうだ。
明日、勇気を出して、澪の家でその話をしてみようと思う。
「恥ずかしい事を聞くな!」と五回くらい殴られるかもしれないけど、覚悟を決めて話し合おう。
それこそ私が明日やらなきゃいけない事だ。
にしても、五回か……。
あいつ腕力結構あるから、五回殴られるのは辛いな……。
だけど、澪に殴られるんならあんまり嫌じゃないかな……、って私ゃМか!
……一人でボケて、一人で突っ込んでしまった。
誰が見てるわけでもないのに、何だか気恥ずかしい。
恋愛初心者の中学生みたいだな、ってつい苦笑してしまう。
もうすぐ世界の終わりなのに、こんな事で思い悩めるなんて、すごい幸せな事なのかも。

718: 2011/10/26(水) 20:57:44.73 ID:2qeuKkVP0
しかし、関係無いけど、
火曜日にオカルト研の部室に居た女二人のカップルは結局誰だったんだ?
オカルト研の部室に居たって事は、オカルト研の子達の関係者なのか?
それとも学校に侵入した単なる不審者か?
何か不審者だと嫌だから、オカルト研の子達の関係者だって事にしておこう。

そんな事を考えてる内に、私達は音楽室の入口の前に辿り着いていた。
澪がポケットから音楽室の鍵を取り出し、鍵を開けて音楽室の扉を開く。
電気を点けると、音楽室に異変が起こってる事にすぐに気付いた。
私達がライブに向かう前とは、音楽室の中の様子がかなり変わってしまってたんだ。
席の配置が若干変わってるし、
片付けていたはずの音楽室の備品が何個か無造作に転がってる。
私達より後に出たのはさわちゃんだから、
さわちゃんがやったんだと考えられなくもなかったけど、それは違うはずだと私は感じていた。
ああ見えてさわちゃんはしっかりした音楽の先生だ。
意味も無く音楽室を散らかすような事は絶対にしない。

だとしたら、不審者……?
その考えに至った私は身構え、澪を庇うように自分の身体を前に出した。
明日氏んでしまうとしても、澪に危害を与える事は絶対に赦せない。
誰が相手でも、どんな不審者が襲い掛かって来ても、
澪だけはこの身に代えても護ってやるんだ……!
息を呑んで、音楽室の中を見回す。
誰か潜んでないか?
音楽室の中に他に異変は無いか?
私達の荷物は無事なのか?
慎重に、用心深く音楽室の様子を丹念に探っていく。
瞬間……、

「あっ……!」

不意に澪が驚いた声を上げる。
口元に手を当てて、異変を見つけたらしい箇所を指し示す。
私は更に身構え、澪が指し示したホワイトボードに視線を向け……、
って、ホワイトボード……?
ホワイトボードを目にした私は一瞬にして力が抜けてしまい、その場に軽く倒れ込んでしまった。
どう反応したらいいのか分からなかったからだ。
ホワイトボードには大きな文字で、
『DEATH DEVIL参上!! by.クリスティーナ』と書いてあった。

何をやってるんだ、あの人は……。
考えてみれば、音楽室を出た後、さわちゃんは扉に鍵を掛けたはずだ。
こんな御時勢だし、鍵を掛け忘れるなんて事はないと思う。
という事は、音楽室に侵入できるのは鍵を持ってる人間だけになる。
本来なら部外者のクリスティーナ……、紀美さんだけど、あの人も元軽音部なんだ。
何となく記念でスペアキーを作ってるなんて事は……、あり得る。
超ありそう。何と言ってもあの人も『DEATH DEVIL』なんだからな……。
でも、そう考えれば、音楽室がちょっとだけ散らかってるのも納得できる。
きっと懐かしくなって、昔の軽音部の思い出の品なんかを探したりしてたんだろうな。

719: 2011/10/26(水) 20:58:23.90 ID:2qeuKkVP0
私は小さく苦笑しながら探ってみたけど、
どうやら紀美さんも含めて、音楽室の中には私達以外に誰も居ないみたいだった。
紀美さん、もう居ないのか……。
挨拶したかったなとは思う。
でも、紀美さんが学校に来てくれてたって事は嬉しかった。
多分だけど、紀美さんはラジオが終わった後で、私達のライブを観に来てくれてたんだろう。
私達のライブがある事を、さわちゃんが紀美さんに伝えてくれてたんじゃないかな。
勿論、単に懐かしくなって音楽室に顔を出してみただけかもしれないけど、
本当に私達のライブを少しでも観てくれていたら嬉しい。

何となく、もう一度ホワイトボードに目を向けてみる。
よく見ると『DEATH DEVIL参上!!』以外にも色々細かく書いてあるみたいだ。
『ラジオもヨロシク!!』とか、『ヅラクター給料上げて!!』とか、
私達に言えた事じゃないけど、かなりフリーダムな落書きだな……。
だけど、そんな中にも紀美さんの気遣いが見て取れた。
その落書きは私達の落書きとは重ならないように書かれてたからだ。
私達の落書きにも何かの想いが込められてるかもしれないって思ってくれたんだろう。
今は単に取り留めの無い唯の落書きがあるくらいだったけど、
そんな事にも気の回る紀美さんの優しさが何だかとても温かい。

「これ……、いいな……」

ホワイトボードの上に何か気になる言葉を見つけたらしい。
すごく嬉しそうな顔で澪が呟いた。
澪の視線の先には紀美さんらしい洒落の効いた言葉が記されていた。
私も思わず笑顔になって、後ろから澪の背中に抱き着いた。
しばらくそのまま二人でくっ付いて笑顔を浮かべ合った。

720: 2011/10/26(水) 20:58:49.31 ID:2qeuKkVP0





着替えを終わらせて校門に向かうと、
衣装の上に上着を羽織った皆が私達を待っていた。

「りっちゃん、澪ちゃん、おそーい!」

唯が腕を頭上に掲げながら頬を膨らませる。
そんなに遅くなったつもりはなかったけど、
紀美さんの事を考えたりなんかしてたから、思ったより時間が掛かってたのかもしれない。
そういう意味で唯は私達の事を遅いって言ったんだろうな。

「悪い悪い」と言いながら、私は唯達に荷物を手渡そうとする。
数秒、唯の時間が止まった。
そう見えるくらい、唯は私から自分の荷物を受け取ろうとしなかった。
受け取ってしまったら、遂に私達の別れの時間が始まる。
それを分かってるから、唯は自分の荷物を手に取りたくなかったんだろう。
私は唯に何も言わなかった。
唯の気持ちは痛いくらい分かるし、唯なら大丈夫だろうと信じてたからだ。

もう少しだけ、時間が流れる。
時間は止まらない。
何をしていても、時間を止めようとしても、別れの時間は刻一刻と迫って来るだけだ。
唯もそれは分かってたんだろう。
躊躇いがちにだけど、力強く私から自分の荷物を受け取って笑った。

「ありがと、りっちゃん。
……カチューシャ着けたんだね」

急に話題を変えられてちょっと焦ったけど、私も唯に合わせて軽く笑った。

「まあな。カチューシャは私のトレードマークだからさ。
やっぱりカチューシャ無しじゃ私らしくないじゃん?
前髪が邪魔ってのもあるけどさ」

「そうかなー?
前髪を下ろしたりっちゃんも可愛いと思うんだけど……」

「あんがとさん。
じゃあ、逆におまえがカチューシャ着けてみるってのはどうだ?
予備はまだあるから、いくらでも貸してやるぞ」

「ごめんなさい!
おでこ丸出しだけは勘弁して……!」

唯が自分のおでこを隠すみたいに両手で押さえる。
きっぱり出せ、きっぱり!
と言いたいところだったけど、
私が前髪を下ろすのを恥ずかしいと感じるように、
唯もおでこを出す事に何らかの恥ずかしさを感じてるんだろう。
切り過ぎた髪を誤魔化すためのカチューシャすら断ったくらいだからな。
よっぽど自分のおでこ丸出しに自信が無いんだろう。
だから、私はそれ以上、唯にカチューシャを強要しなかった。
困った時はお互い様ってやつだ。
……何か違う気もするが。

「でも、本当にりっちゃんの前髪下ろした姿って素敵だよ」

そう言ったのはムギだった。
しまった。
ムギはどんな髪型でも恥ずかしがらないから、今唯に使った誤魔化しが通用しない……!
私はムギから目を逸らして、全く違う話題を梓に振った。

721: 2011/10/26(水) 20:59:25.13 ID:2qeuKkVP0
「そうそう。
私達の髪型の事なんかより、純ちゃん達はどうしたんだ?
もう帰っちゃったのか?」

梓は私の考えに気付いてたらしく苦笑してたけど、
「そうですね、純は……」と私の振った話題に乗ってくれた。
恩に着るぞ、後輩よ……。

「純は憂と和先輩と一緒に帰りました。
何か今日のライブに触発されたみたいで、
明日、私の家で『No, Thank You!』の楽譜を見せてほしい、って言ってましたよ。
あ、そうだ。
そんなわけなんで、純に楽譜を見せてもいいですか、ムギ先輩?
作曲者はムギ先輩だから、一応許可を取っておきたいんですけど……」

「勿論よ、梓ちゃん。
私達の曲を好きになってくれて、
演奏しようと思ってくれるなんて、こんなに嬉しい事はないもの。
作曲者冥利に尽きるって、こういう事なんだって思うな」

幸せそうにムギが笑う。
私が髪型の話題とは違う話題に変えた事は、全然気にしてないみたいだった。
それは勿論嬉しいんだけど、
純ちゃんが『No, Thank You!』を好きになってくれた事はもっと嬉しかった。
純ちゃんだけじゃなく、今日ライブに来てくれた皆の心に私達の曲が少しでも残ってるといいよな。
明日世界は終わるけど、これから一瞬でも私達の曲を思い出してくれたら嬉しい。

実は前触れがあるものなのかどうかは分からないけど、
もし明日来る終末に何らかの前触れがあったなら、
その瞬間から私は澪と一緒に『No, Thank You!』を口ずさみたいと思ってる。
結局、照れ臭いのもあって、
放課後ティータイムの曲に私がメインで歌う曲は作らなかったけど、実は全曲口ずさめるんだよな。
誰も知らないだろうし、誰にも教えてないけどさ。
だから、最期まで歌ってやろうと思う。
多分下手だろうと思うけど、隣に澪が居るなら安心だ。
澪の綺麗な歌声を見本にしながら、終末相手に歌ってやれるだろう。

「さわ子先生は?」

荷物を手渡しながら、澪がムギに訊ねる。
そう言えば、ライブ後に一番に私達に駆け寄って来そうなさわちゃんの姿を見てない。
「私の衣装の見立てはやっぱり完璧だったでしょ!」
とか嬉しそうに言って来るのが、いつものライブ後なんだけどな……。
ムギは寂しそうに笑ってから、澪の質問に応じる。

「さわ子先生は今から誰かと会う予定があるみたい。
私達が講堂を片付けてる途中に、
「いいライブだったわよ」って言って、講堂から出て行っちゃったの。
これから飲み明かすとも言ってたから、
お友達と会うんじゃないかって思うんだけど……」

相手は紀美さんかな?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。
さわちゃんに会えなかったのは残念だったけど、そんなに悔しいわけでもない。
私達とさわちゃんのお別れは、ライブ前にもう終わらせてるんだ。
だから、ムギも寂しそうではあったけど、その表情に悲しさや後悔はないみたいだった。

それにしても、ライブ後に五人だけで集まれるなんて実は思ってなかった。
さわちゃんか憂ちゃんくらい、
私達と一緒に帰宅する事になるんじゃないかと思ってた。
多分、憂ちゃんもさわちゃんも、
純ちゃんや和も私達と一緒に帰りたいと思ってはいたはずだ。
でも、そうはしなかった。
私達を五人だけにさせてあげたいって、
五人だけで話をさせてあげたいって、そう思ってくれたんだろう。
気を遣わせちゃって申し訳ないけど、その好意を無駄にするのはもっと申し訳なかった。
私は心の中で四人にお礼を言ってから、梓に荷物を手渡して校門を後にする。
意を決した表情で、澪達も私に続いて校門を後にした。

722: 2011/10/26(水) 20:59:52.07 ID:2qeuKkVP0
帰り道。
私達は今日のライブの反省点や梓の見事だったMC、
音楽室にあった紀美さんの落書きや、
美味しかったムギのケーキの事なんかを話しながらゆっくりと歩いていた。
残り少ない短い通学路を、少しでも長く歩けるように本当にゆっくりと歩いた。
でも、短いと思ってた通学路は、
予想以上に遥かに短くて……、
あっという間に私達がいつも解散する場所……、
いつもの横断歩道まで辿り着いてしまっていた。

胸が激しく鼓動を始める。
澪とは明日も一緒に過ごすけど、
唯、ムギ、梓とは一緒に過ごすわけじゃない。
時間があれば会いに行く事もあるかもしれないけど、
そんな時間があるかどうかも、いつ訪れるか分からない終末のせいではっきりしない。
いっそのこと、このまま五人で誰かの家に居続けるってのはどうだろう?
多分ものすごく広いんだろうムギの家で、セッションし続けるってのは……?
何度も考えてた私達の週末の……、終末の過ごし方が浮かんでは消える。
本当にそうできたら、どんなに楽になれるだろう。

でも、そうするわけにはいかなかったんだ。
一瞬は楽にはなれるだろうけど、すぐに後悔しちゃう事は分かり切ってる。
それは私達が一番したくなかった逃避に身を任せるって事だし、
終末当日にもそれぞれがやらなきゃいけない事が残ってる。
私は澪を大切にする。誰よりも大切にする。
澪は私の想いを信じて傍に居る。答えを二人で探し合うために。
梓は純ちゃんと『No, THank You!』の練習を行う。
私達の想いを少しでも広げるために。
まだ直接聞いてはいないけど、唯は一番大切な妹の傍に居るんだろうと思う。
自分と一緒に居たいのを我慢してくれた憂ちゃんの傍で、
最後の日こそは二人きりで終末を迎えようとしてるんだろう。
ムギも口にこそ出さないけど、最後の日は家族と過ごそうと思ってるはずだ。
終末まで私達と一緒に居たいって言ってくれたムギだけど、
家族をないがしろにできないのもムギって子のはずだった。
少なくとも私の中ではムギはそんな子だ。
だから、もう十分だ。
私達の中で一番自由が取れない立場なのに、ムギはずっと私達の傍に居てくれた。
ムギの家族も長い間待っててくれた。
放課後ティータイムを大切にしてくれるのは嬉しいけど、
ムギはもう自分を大切にしてくれてる家族に目を向けてもいいんだ。

横断歩道の前で動きを止める皆を、私は思い切り腕を広げて抱き寄せる。
小さな私の身体だけど、皆を強く抱き寄せるくらいの事はしてみせる。

「りっ……ちゃん……?」

泣きそうな声で唯が呟く。
怯えてるみたいに震えている。
唯だけじゃない。澪も、ムギも、梓も、多分、私も。
だけど、私は言った。
最後まで笑って終末を迎えてやるのは、私だけじゃなく、全員の決心なんだから。

723: 2011/10/26(水) 21:00:17.80 ID:2qeuKkVP0
「唯。お菓子に釣られてかもしれないけど、軽音部に入部してくれてありがとう。
おまえのおかげで廃部を免れたし、おまえの笑顔を見てるのは楽しかったぜ?
私もおまえのおかげで辛い時も笑顔になれてたと思う。
だから、笑ってくれ、唯。私はおまえの笑顔が大好きだ。
私だけじゃない。皆、唯の事が大好きだよ」

「え……、えへへ……。
そっ……だね。そっ……だよね。
楽しかった……もんね。
この三年間、ずっと楽しかったもんね。
笑ってなきゃだよね。
明日の事は恐いけど、でも、何か私、気付いちゃった。
りっちゃんのおかげで気付けちゃった。
これからの事を恐い気持ちの大きさと、
今まで感じた嬉しい気持ちの大きさを比べたら、
嬉しい気持ちの方がずっとずっとずーっと大きいよ! 何かすごいよね!
それが分かっちゃったら、笑ってない方が勿体無いよ!」

「もう……。
唯先輩も律先輩も何を言ってるんですか……」

呆れた声色で梓が呟く。
梓はもう、震えてなかった。

「そんなの当然じゃないですか。
笑ってる方が楽しいんだって、
幸せな気持ちでいた方が素敵なんだって、
それを教えてくれたのは先輩達じゃないですか。
だから、先輩達は責任を取って笑ってて下さい。
私なんか、先輩達のせいでよく「梓、変わったよね」って言われるようになったんですからね。
無理矢理影響を与えた責任を取って下さいよ!」

「あずにゃん、横暴だー……」

「横暴じゃありません!」

梓が言うと、唯の震えも止まり、
唯と梓は私の腕の中で顔を合わせて笑った。
釣られて、ムギも笑い始める。

「嬉しいな。
こんなに大切なお友達ができるなんて、とっても嬉しいな……。
私ね、皆には言ってなかったけど、本当は不安だったの。
桜が丘に入学したのは自分の意思だったんだけど、
知り合いなんてほとんど居ないし、お友達ができるかのかなって不安だったの。
でもね、すぐにりっちゃんと澪ちゃんが軽音部に誘ってくれたでしょ?
最初は単に面白そうだなって思ってただけだったんだけど、
りっちゃん達は楽しくて優しくて……、それがすっごく嬉しかった。
それを思い出すと、明日なんて恐くないよ。
これからも何度も恐くなるかもしれないけど、
皆が傍に居た、皆が傍に居るって思うと大丈夫。
私達はずっと一緒だもんね。皆のキーホルダーみたいに。
私にも見えるよ。今は此処に無い皆の鞄のキーホルダーが。
勿論、梓ちゃんのキーホルダーもね」

最後に澪が力強く腕を広げ、
皆の背中に手を回すと一言だけ言った。
もう多くを語りはしない。

「私達はいつまでも仲間だよ」

当然だ、と言う代わりに私はまた皆を強く抱き寄せた。
皆の体温を皆で感じ合う。
私達は生きた。私達は生きてる。
この生きた証を……、皆の体温を最後の時間まで絶対に忘れない。
少し名残惜しかったけど、私は皆から腕を離す。
別の道を歩いても、離れていても、仲間なんだ。

724: 2011/10/26(水) 21:02:12.06 ID:2qeuKkVP0
皆の顔を見回しながら、私は不意に思った。
私と澪は一つだけ皆に隠し事をしている。
皆、気付いてるかもしれないけど、
それを伝えないのは皆の信頼を裏切る事になるのかもしれない。
終末とは違った意味で緊張してくる。
でも、こんな緊張なら悪くない。
私は苦笑して、頭を掻きながら口を開いた。

「あの……さ……。
私と澪の事なんだけど、実は私達は……」

瞬間、唯がわざとらしい欠伸を上げた。
疲れているのは確かなんだろうけど、その欠伸は間違いなく演技だった。
欠伸を続けながら、唯が言う。

「りっちゃんと澪ちゃんが大切な幼馴染みだって事は知ってるよ?
今更それをまた主張するなんて妬けますな、田井中殿。
その続きは二人の仲がもっと進んでから教えてほしいなー。
今日の私に人の惚気話を聞く体力は残されていないのです!」

うんうん、と唯の言葉に同意するみたいにムギと梓が頷く。
何だか拍子抜けだけど、やっぱり唯達も分かってるんだろうな。
私と澪が自分達の関係を模索してて、今は友達以上恋人未満の関係なんだって事を。
抱き合ってる場面も見られたんだ。そりゃ気付くよな……。
自分の口から伝えるべきだと思ってたけど、
それをはもしかしたらお互いに野暮ってものなのかもな。
とりあえず伝えておこうと思ったのは、
隠し事を告白して安心したいっていう自己満足だったのかもしれない。
その私の気持ちを察したみたいに、珍しく唯がすごく優しい表情を浮かべた。

「確かりっちゃんは明日は澪ちゃんと一緒に過ごす予定なんだよね?
明日、りっちゃんと澪ちゃんに何かあったら、月曜日に教えてくれると嬉しいな。
楽しみにしてるね」

月曜日……、来週か。
そうだな……。
明日、澪と二人で何かの答えが出せて、
もしもまた月曜日を迎える事ができたなら、一番に皆に伝えよう。
どんな答えを出せたとしても、包み隠さずに全てを伝えたい。
私が澪に視線を向けると、澪も軽く頷いた。
早く澪と色んな事を話し合いたいな……。
拳骨五発を覚悟しとかなきゃいけないのは、ちょっと気が重いけどさ。

唯達が私と澪に背を向けて横断歩道を渡っていく。
私と澪は静かに皆の背中を見送る。
別れの胸の痛みも今なら耐えられそうだ。
不意に唯が私達の方に振り返って言った。

725: 2011/10/26(水) 21:02:55.91 ID:2qeuKkVP0
「じゃあね、りっちゃん、澪ちゃん!
また来週!」

唯に続いて、梓が大きく手を振って叫ぶ。

「明日は律先輩も澪先輩も元気に過ごして下さいね!
また学校で会いましょう!」

「しーゆーねくすとうぃーく!」

「何故英語っ?」

ムギが何故か英語で言って、澪が突っ込んでから穏やかに笑う。
と。
私はホワイトボードに書かれていた紀美さんの言葉を思い出した。
お気楽でお間抜けで世界の最後まで笑う予定の私達が、今言うに相応しい言葉だと思えたからだ。
私は身体中で大きく手を振った。
唯に。ムギに。梓に。澪に。
明日私達は世界と自分達の終わりを迎える。
辛いんだろう。苦しいんだろう。悲しいんだろう。
その恐怖を忘れる事は決してできないだろう。
でも、笑う。笑って終わりを迎える。
それが私達が私達なんだって事だから……。
だから、私は大きく手を振って、声の限りに叫んだ。
この世界と、この世界の全ての人達に向けて。
精一杯に。

「またな、皆!
日曜だからって気を抜いて風邪ひいたりすんなよ!
月曜からはまた皆で遊ぼうぜ!
だから……、だからさ……、皆――」




――よい終末を!










               おしまい

726: 2011/10/26(水) 21:07:08.42 ID:2qeuKkVP0


今回で最終回です。
冗長な面もありましたが、自分にしては場面ごとに中々いい展開に出来たと思います。
読んで下さった皆さんのおかげです。
友達が読む予定なんで、一週間ほど置いてからHTML化の依頼をしようと思ってます。
その間、何か分からなかった点や質問などありましたら、何でも聞いてください。
出来る限り、お答えしようと思います。
それでは、半年もの間、本当にありがとうございました。

727: 2011/10/26(水) 21:37:50.33 ID:ZVqm+7+IO
乙でした!

最高?

よい、終末を。

728: 2011/10/26(水) 22:26:33.55 ID:UwRhjNKSO
終末に向けて皆が一つにまとまっていく所とかすごい良かった

730: 2011/10/26(水) 23:37:47.51 ID:DhXIF6VGo
半年間お疲れさまでした。毎回更新楽しみにしてました
また最初から読み返そうと思います

: 律「終末の過ごし方」