364: 2023/08/21(月) 08:14:17.82 ID:JmRJ65LF.net

善子「――九つ墓村?」【前編】


黒澤家の門を出た海未は、絵里に声をかけられた。

絵里「よかったら、乗っていく?」

海未「ええ、お願いします」

警察のジープに同乗し、海沿いまで送ってもらうことにした。

車中、無言の海未に絵里が話しかける。

絵里「……海未」

海未「なんでしょう?」

絵里「なんだか、村の雰囲気が良くないわね」

海未「気づきましたか」

走るジープの車窓から村の様子を見ていた絵里がいう。

先日まで道端で遊んでいた子供たちはパタリといなくなり、畑にいる大人たちはジープを怪訝な顔で見つめていた。

それは犯人を特定でないままついに五人目の犠牲者出し、ひとりの失踪者を見つけられない警察への抗議の目であることは明らかだった。

氏んだ花丸が村中に触れ回っていた、九つの氏人が出るミュウズの祟りが妄言から予言になりつつある今、村には不穏な空気と緊張が漂い始めていた。

海未「――花丸の事件でボロを出した犯人は焦っています。この数日で一気に計画を遂行してくるでしょう」

絵里「また殺人が起きるっていうの!」

後部座席に顔を向けた絵里にうなずく。

海未「例の紙片とあの洞窟、そして逃げた人影。それを解明しなければ……」

帽子を目深にかぶった海未を見た後、絵里が正面を向いたとき。

絵里「あ、あれは何なのよ……!」

目の前に広がる異様な光景に驚きの声をあげた。

367: 2023/08/22(火) 06:46:53.00 ID:2CDLhW8t.net
村の集落にある、唯一の駐在所に人だかりができていた。すぐに絵里はジープを止めさせ、海未と共に駆け付ける。

その数は十人ほどの村人の集団で、ときおり怒号があたりに響いていた。

「もうすぐ千歌の初七日だってのに!警察はなにやってんだよ!」

その中で、男より迫力ある大声を張り上げる女がいた。その怒号を浴びつつ、駐在警官と刑事たちが懸命に彼女をなだめていた。

その集団の中心にいるその人物の正体を確かめに、絵里と海未は駐在所のまえにたかる村人をかき分けて中に入る。

海未「おや、あなたは……」

そこには海未の見慣れた顔の人物がいた。

宿にしている十千万旅館を営む高海家の次女、高海美渡だった。彼女は女将の妹であり、第三の殺人の犠牲者の姉である。

高海家三姉妹で最も勝気な性格で短気。この辺の男で彼女に勝てるものはいないとの噂であった。

絵里「一体、この騒ぎは何なのよ?」

村人たちの冷たい視線を浴びながら現れた絵里に、ツカツカと美渡が近づいてきた。

険しい顔つきで尋ねる。

美渡「いつになったらあの善子を逮捕するんだよ!」

美渡「うちの千歌も殺されて、校長先生と大食いの尼も殺された!もう五人目じゃないか!」

美渡「あと何人殺されるまでこっちは我慢しなきゃいけねぇんだ!」

大声を浴びた絵里は怪訝な顔で受け流す。村人たちから美渡に賛同の声がワッと沸き上がった。

368: 2023/08/22(火) 06:49:55.42 ID:2CDLhW8t.net
やまない殺人と村に根を下ろす祟り伝説。

おぞましい事の連続で不安と恐怖に駆り立てられた一部の村人たちは、漠然とした怒りを抱えていきり立っていた。

そこで溜まった不満をぶつける先として、警察とくに捜査を指揮する絵里たちがやり玉にあげられ、こうして駐在所に集団で押しかけてきたのだ。

そのリーダーとして先頭に立つのは、妹を亡くした千歌の姉である美渡だった。

絵里「これは警察の仕事よ。もうすぐ逮捕できるから――」

美渡「もうすぐもうすぐ、っていつなんだよ」

絵里「だから……もうすぐ、よ」

いまにも掴みかかろうとする勢いである。さすがの絵里もその剣幕を前にタジタジであった。

美渡「女将……志満姉は千歌が亡くなって、夜な夜な泣いてるんだ。早く善子を縛り上げろ!ミュウズ様の御神木に吊るせ!」

絵里「落ち着きなさい!なんで善子が犯人だなんて……」

声を絞りだすと、決まってるだろ、と吐き捨てるようにこういった。

369: 2023/08/22(火) 07:44:44.70 ID:2CDLhW8t.net
美渡「三十六人頃しの輝石の血を引いた、あの女が来てから村に氏人が出始めてたんだ!それまでは村に人頃しなんて一切なかったのに!」

美渡「二十四年前みたいに、あいつが千歌を惨い方法で頃したんだよ!」

そうだそうだ、俺の妻はあのとき殺された、娘は息子はまだ子供だったのに。などと村人たちの恨み言が美渡の背後から、石つぶてのごとく絵里たちに降り注いだ。

さらに美渡はいう。

美渡「曜――下屋のお嬢様だって、あの善子を疑ってるんだ!」

海未「それ、詳しく聞かせてください」

美渡は詳細を話す。

むつの事件以降、曜は屋敷に引きこもって唯一外出するのは毎日、線香をあげに十千万へ行くのみらしい。

昨日、美渡が善子のことについて話をすると。

曜「……ッ!千歌ちゃんの前であのひとの話はしないでほしい」

と、大変怯えた様子で拒絶したらしい。

むつのとき同行した曜が恐れるのは、きっと何か見たに違いないと美渡はにらんだのだった。

美渡「大食いの尼だって前からあの女が災いの元だって。いま、ここで断ち切らないと祟りが本当に起こってしまうじゃないか!」

絵里「そんな迷信……」

その言葉に対し、村人たちから一気に怒号や抗議の声が飛んできた。

370: 2023/08/22(火) 07:47:19.34 ID:2CDLhW8t.net
怒りと迷信に支配された者たちに、理屈を説いても無駄である。海未も村人の熱気に圧倒されるだけだった。

押しかけて村の若者たちは、殺気立った目を向ける。

美渡「……警察がやらないなら、私たちがやるぞ」

美渡「みんなでミュウズ様の怒りを鎮めるんだ!」

その掛け声に、おう、という気勢が一斉にあがった。あわてて絵里が収拾する。

絵里「ま、待ちなさい!明日、県警からの応援も来て大規模な山狩りをするつもりよ!そこで犯人が見つかるわ。目撃情報もあるの」

必氏に美渡たち村人へ説明した。鞠莉が犯人であること、その影と思われるものを昨日の夜、山で発見したことを全て話す。

絵里「……だから、今日のところは解散しなさい。じきに、事件は解決するから!」

その言葉でようやく美渡ら村の者たちは、不満げながらもバラバラと散っていった。

371: 2023/08/22(火) 07:49:48.08 ID:2CDLhW8t.net
ようやく絵里たちは張りつめていた緊張をほぐすことができた。

海未「どうなるかと思いましたよ……」

絵里「……まずいわね。このままだと暴動に発展しかねないわ」

もはや若い村人たちは暴発寸前である。深刻な顔で腕組みしたあと、刑事を呼びつけて指示した。

絵里「県警本部に応援の増員を要請してちょうだい、なるべく早くと言いなさい」

絵里「……昔のよしみで警視庁予備隊を動員できるか、掛け合ってみるわ」

そういうと、電話機のダイヤルを回した。

絵里「もしもし私よ。ええ、本部長につないでちょうだい」

海未「――絵里、私は下屋と村はずれの寺の住職に行きます!」

ふと思い出したかのように、海未は急いで駐在所を飛び出していった。

絵里「あっ、海未!まったく……」


こうして九つ墓村に、どす黒い不穏な空気が徐々に漂ってきたのだった。

375: 2023/08/23(水) 06:33:50.30 ID:yoNPZaZv.net
今日一日、善子は気だるかった。

昨晩、遅くまで洞窟探検をしていたこともあって、絵里と海未が帰ったあと離れにすぐ戻り、横になってただただ時間を潰していると。

昼前にルビィがやってきたので、起き上がった。

ルビィ「善子ちゃん。朝、警察の人が来てたよね?」

善子「ええ。昨日の夜、大食いの尼が――」

海未たちから聞いたことを全て話すと、ルビィは驚いてガタガタ震えていた。

ルビィ「じゃあ……あの影が花丸ちゃんを……?」

善子「そうみたいね。でも、私たちのことは内緒にしたわ」

善子「……変な疑いをかけられたくないし」

ルビィ「うん……」

善子「ねえルビィ、あの影の人間に見覚えは?復員軍人が被るような帽子を村でいつも被っている人は誰かいる?」

ルビィ「被ってるとしたら……あ、嘘、信じられないよぉ……」

善子「教えて、誰なの?」

ルビィ「――聖良さんだよ。外で会うときいつも被ってるから」

すっかり怯えた様子でいう。善子の脳裏に、あの鬼の口で出会った聖良の恰好がくっきりと浮かび上がってきた。

376: 2023/08/23(水) 06:38:47.75 ID:yoNPZaZv.net
懐中電灯を片手に、ツルハシを持った復員服の聖良。頭には、影の人物と同じ帽子を被っていた。

あの場面を思い出しつつ、一連の出来事を善子は推理してみる。

聖良はいつも人目を避けて夜の村をうろついていた――彼女なら村の洞窟を知っていてもおかしくない。昨日、海未と絵里が洞窟で見た人物は聖良ではないか。

なにか犯人と分かる証拠を尼に目撃され、首に巻いていた手ぬぐいで絞殺。復員服は布が丈夫だから、爪で引っかかれても腕に傷はつかないはず。

聖良はちょうど下屋の近くに落ちていた、自分のブレスレットを拾っていて、罪をなすりつけるために握らせた――

善子「……明かりを消したのは発見を遅らせるため。だけど、大食いの尼は電気をつけっぱなしで寝る生活だから、ルビィに怪しまれたのね……」

ルビィ「善子ちゃん、どうしたの……?」

善子「あ、いや……なんでもないわ!」

独り言をつぶやく姿に困惑していたルビィに気づき、ごまかした。

ルビィ「でも、聖良さんが犯人だなんて考えられないよぉ……」

377: 2023/08/23(水) 06:42:53.23 ID:yoNPZaZv.net
善子「どうしてよ?」

ルビィ「あのひとは真面目で負けず嫌いな性格なんだぁ。今の立場に落ちても、お姉ちゃんや果南様に頭を下げず、なんとか生活を立て直そうとしていたの」

ルビィ「いつか、函館の親戚に預けている妹の理亞ちゃんを引き取って、一緒に過ごすんだって頑張っているんだぁ」

ルビィ「犯人は聖良さんじゃないとルビィは思うな」

そんな純粋な姉に、善子は少し意地悪なことをいった。

善子「でも、この家の財産は魅力的よ。そんな人間でも魔が差す、なんてこともありえるわ」

ルビィ「……もうっ、善子ちゃんの意地悪!」

ルビィ「犯人は行方不明の鞠莉さんかもしれないじゃない……」

善子「どうしてそう思うの?」

姉の推理に興味が湧いてきて、身を乗り出す。ルビィは、これは内緒だよぉ、と断りを入れてから語りだした。

378: 2023/08/23(水) 07:00:36.21 ID:yoNPZaZv.net
ルビィ「一か月前に、鞠莉さんがお姉ちゃんに県議会議員選挙の資金提供をお願いしたんだけど、断られたの」

ルビィ「あとね、選挙協力を頼んだ校長先生と十千万の女将さんにも断られたの。もちろん、お姉ちゃぁが手を回したんだけどね……」

善子「なるほどね」

鞠莉が手帳にあの奇妙なことを書いた理由がなんとなく理解できた。拒絶した黒澤家と周囲に対する当てつけだったのだ。

――その紙に書いた通りに殺人を行ったとしたら、つじつまが合うわね。

善子は納得した。

善子「動機は逆恨み。ミュウズの祟りに見せかけて私を犯人に仕立て上げる気だったのね……」

あごに手をやって思案にくれていると、ルビィがパンと手を叩いた。

ルビィ「はい、探偵ごっこはおしまい。そういうのは警察に任せて。鞠莉さんが見つかればわかることだし」

善子「でも――」

ルビィ「――そろそろお昼ご飯だよ、食べに行こう」

時刻はもう正午。何をしていなくても腹は減るものだ。

善子「そうね」

立ち上がったふたりは母屋へ向かった。

384: 2023/08/24(木) 07:05:24.15 ID:8/U/hRXm.net
その後、善子は日中なにもせず過ごした。

活発な性格なら、こういう状態は退屈で仕方ないだろう。だが、もともと家で過ごすことが多い善子にとって何の苦にもならなかった。

そもそも、外に出たところで村人に何されるかわかったもんじゃないし……。

畳の上で寝そべり、本のページをめくる善子はそう思った。

善子「今日はなんかだるいし、洞窟に入るのは明日にしよう……」

夕食から離れに戻ってそうつぶやいた善子は、座卓で天使大辞典を開いたとき。

よしみ「……善子様、果南様がお呼びです」

障子越しに声をかけられた。きっと、あれだ――

善子「わかった。いまいくわ」

返事して立ち上がる。一度経験したとはいえ、あの異様な威圧感を放つ果南の前に座るのは神経をつかう。

相手は黒澤家のために毒殺もいとわない、光と影を使いこなす老獪さを持つ女傑。

高鳴る心臓の鼓動を抑えつつ、よしみの案内で母屋の奥、果南の部屋へ。

よしみ「……果南様、善子様をお連れしました」

果南「んっ、入っていいよ」

385: 2023/08/24(木) 07:07:29.40 ID:8/U/hRXm.net
いつものように果南は座敷で、わかめの酢の物をつまみに酒を飲んでいた。

果南「おっ、善子、ここに座って」

善子「はい……」

ピンと背を伸ばして正座する。

果南「……最近、悪い事ばかり続いて眠れてないのかなん?」

善子「えっ……?」

その問いかけにどきりとする。まさか、昨日の夜のことを知っているのか。

そのすべてを見通しているかのような紫の瞳を向けられ、思わず目線をそらした。

果南「ま、無理もないか。この村に来てあんなことばかり続くもんだから……」

善子「はぁ……それで、ご用はなんでしょう……?」

果南「今日は善子がぐっすり眠れるように、酒をごちそうしようと思ってね」

果南「……ほら、飲んで」

よしみに用意させた道具をつかい、果南は例のわかめ酒をつくって善子の前に出した。

――なるほど。今夜は離れの抜け穴から、蓮華座にある輝石にお参りするのね。

前回とは違って、意図を察した善子。果南の不気味な意図がわかっていれば、少しは気を確かにもつことができる。

善子「いただきます……」

一気にわかめ酒を飲み干す。相変わらず、この奇妙な味には慣れることができない。

果南「さ、善子。もう休み」

善子「……失礼しました」

こうして、ほろ酔い気味に果南のもとを去った善子は、離れの床についた。

386: 2023/08/24(木) 07:10:33.18 ID:8/U/hRXm.net
「善子様!善子様……!」

何時間、寝ていたのだろう。わかめ酒の効能により、ぐっすり深い眠りに落ちていた善子は突然、何者かに激しく揺さぶられた。

善子「んあっ……よしみさんか。もう朝なの――」

よしみ「善子様!大変なんです……!」

寝ぼけまなこをこすりながら上体を起こす。

そこには、恐ろしいものを見たかのように顔を青ざめたよしみが枕元にペタリと座っていた。

すっかり唇は真っ青で、肩はガタガタと小刻みに震えている。

善子「……なにか、あったの?」

そのただならぬ様子に、すっかり眠気も吹き飛んでしまった。

一瞬、よしみは目を伏せたが、すぐに善子をまっすぐ見つめ、声を絞りだす。

よしみ「か、果南様が、果南様が……!」

善子「……どうしたの、ねえ!」

いよいよ震えが止まらず、言葉に詰まるよしみ。善子はその両肩に手をやってゆさぶる。

ようやく正気を取り戻したよしみは、大声でこう叫んだ。


よしみ「――甲冑を着た輝石様にさらわれたんですッ!」

善子「ええっ……!」

387: 2023/08/24(木) 07:16:12.26 ID:8/U/hRXm.net
善子「まさか、そんな――」

蓮華座に鎮座する鎧武者と化した黒澤輝石は氏んでいるはずだ。それはルビィと一緒にこの目で見たのだから間違いない。

よしみ「ほ、ほ、本当なんです!き、輝石様がうごご……!」

善子「落ち着いて!まず何がどうなっているか説明してよ」

興奮のあまり過呼吸ぎみで途切れ途切れに言葉をつむぐよしみ。

それに対し、布団から出て座敷の明かりつけた善子。目を向けた壁掛け時計の針は午前三時すぎをさしていた。

とにかく冷静に話すよう、よしみに求めた。

よしみ「少し前です、善子様が床についたとき――」

よしみの話はこうだ。

わかめ酒によりぐっすり寝落ちした善子を確認した果南とよしみは、納戸から洞窟に。いつもの蓮華座にある鎧武者への参拝に向かった。

ミュウズの祟りを連想する奇怪な連続殺人が続いているため、災いを鎮めるよう果南が線香をあげて祈りを捧げていると。

いきなり鎧武者が動き出し、蓮華座から下の果南へ飛びかかってきたらしい。突然のことに動けなかった果南は、倒れてきた鎧武者に覆いかぶさられ、頭を強打。

果南がうめき声をあげるなか、よしみは恐ろしさのあまりその場を逃げ出した。

そして離れの善子へ助けを求めようと必氏に納戸へ戻って――今に至る、とのこと。

388: 2023/08/24(木) 07:19:55.00 ID:8/U/hRXm.net
善子「……そんなことが。有り得ないわ」

よしみ「本当です!どうか、どうか果南様をお助けください……!」

安心感と恐怖が同時にこみ上げてきているのか、よしみは泣きながら善子に懇願する。

この奇怪な出来事に恐ろしさを感じたが、果南を見過ごすことはできない。謎の勇気が身体の奥底からわいてきた。

善子「わかったわ、蓮華座ね。早くルビィを呼んできてちょうだい」

指示を出すと、すぐに着替えを始めた。

シャツに袖を通して、懐中電灯の確認をしていると、離れの奥からドタドタとあわただしい足音がしたかと思うと。

ルビィ「善子ちゃん!」

寝間着姿のルビィが座敷に飛び込んできた。善子が手短に事情を話すと、同行を申し出た。

ルビィ「ル、ルビィも行く……!」

善子「何言ってるの、危ないわよ!遊びじゃないの!」

ルビィ「ぅゅ……でも、果南様が危ないなら行く!絶対行くよ!」

この小さな体と幼い顔のどこから、こんな勇気と覚悟が出てくるのかしら……。

善子「……わかった。危なくなったら、すぐ逃げるのよ」

善子は感心して根負けせざるを得なかった。

こうして、ルビィと善子は果南捜索のため、納戸の抜け穴から洞窟へ入ったのだった。

395: 2023/08/25(金) 07:02:17.10 ID:J6Mnh2uD.net
善子「果南様!」

ルビィ「大伯母様ー!」

ふたりは声をかけて歩いていく。

途中の白い洞窟でその声が何度も何度も反響して奥へ届いたが、果南の返事はまったくなかった。

善子「とにかく、蓮華座にいかなきゃ」

ルビィ「うん」

懐中電灯を照らしながら足早に進む。

ルビィ「そういえば――」

善子「ん?」

ルビィ「よしみさん、驚いていたね」

善子「まあね」

善子は小さくうなずく。

先ほど、準備を済ませて納戸の抜け穴に向かうとき、よしみが地下道の案内を申し出たが。

善子が、もう知ってるから休んでいて、というと面食らった顔をしていた。

善子「果南様が見つかったら、あとでどう言い訳したらいいのか……」

ルビィ「そのときは善子ちゃんと一緒に怒られるから、安心してね」

しばらく歩いていくと、問題の場所に到着した。

399: 2023/08/26(土) 05:07:32.70 ID:JbYrXm7V.net
ふたりが蓮華座をライトで照らす。地底世界の静寂のなか、鍾乳石から垂れる水の音しかしない闇の空間だった。当然、果南の姿はどこにもない。

ルビィ「あれ?この匂い……」

善子「線香ね」

前回訪れたときと違うのは、線香の香りで空間が満ちていること。

ここは空気の流れがないため、立ち上った煙や香りは長い間、漂っているみたいだ。

きっと果南がつけた線香に違いない。

善子「あの石の台座から匂ってくるわね」

ルビィ「き、気を付けてね……」

勇気を振り絞って奥の鎧武者が安置されていた場所へ進む。気休めの用心として慎重に身構えて進んでいった。

あのときのように懐中電灯で奥の方を照らし続けるが、鎧武者は蓮華座から姿を消していた。

善子「嘘でしょ……」

ルビィ「ピギギ……」

まさか本当に動き出したのか。よしみの言葉を信用していなかった善子は驚く。

ルビィもすっかりおびえ、善子の背中にまわって隠れていた。

400: 2023/08/26(土) 05:11:44.21 ID:JbYrXm7V.net
蓮華座の真下に近づき、周囲を詳しく調べてみる。

善子「線香の煙がまだ立ち上っている……そんなに時間がたってないってことね」

ルビィ「みて善子ちゃん、あれ……!」

震える指で指し示す方向に目をやると、そこには。

あお向けで倒れている鎧武者がいた。あたりを注意深く見回しても、それに覆いかぶせられたはずの果南の姿はない。

突然起き上がってくるのではないか、と用心しつつ甲冑に近づく善子とルビィ。

中身の正体をつきとめようと顔を覗き込む。

善子「……これ、父よ」

ルビィ「ほんとだ……」

そこには、洞窟の真上を虚ろな目で見つめる黒澤輝石がいた。当然、生きている様子はない。

ルビィ「やっぱり氏んでるよぉ……」

善子「中身が何かと入れ替わったというわけじゃないのね」

ルビィ「じゃあ、なんで動き出したんだろう……?」

善子「……いまは考えている暇はないわ。ここにいないなら、果南様は奥の洞窟よ」

善子「さあ、行こう」

ルビィ「……うん」

蓮華座のさらに奥へ進む。

401: 2023/08/26(土) 05:20:47.13 ID:JbYrXm7V.net
果南を呼ぶ声をあげながら進み、途中に点在する大きな石筍の影もくまなく捜す。やはり、果南は見つからなかった。

ルビィ「どこにいるんだろう」

善子「この先は針千本ね……」

細長い洞窟を出たふたりは次の空間にたどり着く。

そこは善子の立つ位置より深い谷になっていて、その先にある白玉の池まで谷の縁に沿って歩いていくようになっていた。

善子「足もとに気を付けてね」

ルビィ「うん……」

うっかり足を滑らせて落下すると、谷底から無数に生えている石筍たちに串刺しにされてしまう。

その恐怖と隣り合わせで善子たちは周囲を照らしながら、歩いていく。

善子「なにか落ちてるわね……」

すると、ルビィが声をあげた。

ルビィ「……これ、果南様の下駄だよぉ!」

善子が持つ懐中電灯が照らす先に、果南が履いていたであろう下駄の片方が落ちていた。

そのすぐ横は真っ暗な谷底が口を開けている。

――嫌な予感がする。

善子は背筋がぞくりとした。

402: 2023/08/26(土) 05:27:36.09 ID:JbYrXm7V.net
ごくり、と生つばを飲む。

善子「ルビィ……この谷底を一緒に照らしてみよう」

ルビィ「えっ、うん……」

下駄が落ちていた谷のふちに立ち、一斉に底へ光を降り注ぐと。

善子「……ヒィッ!か、果南様……!」

ルビィ「ピギャアアアア!」

目の前に果南がいた。

まるで糸が切れて無造作に置かれた操り人形のように、手足があらぬ方角へ向いた、ねじれた無残な姿で。

谷底に身体が張りつき、その太ももや腹、首まわりなど身体のやわらかい部分を鋭利な石筍が貫き、その先端を深紅に濡らしている。

確実に生きていないと、医者でもない善子でさえ分かる状態だった。

善子「果南様をさらって、ここから投げ落としたのね――」

善子「――なんでこんな恐ろしいことを……!」

ルビィ「あ……あぁ……あ……」

大伯母のおぞましい氏に様を目の当たりにし、ルビィは身体の震えがとまらなかった。

このまま気を失いそうなほどショックを受けていたが、場所が場所だけに精神力だけでなんとか立ち続けていた。

さすがの善子も言葉を失って、ガクガク膝を震わせていた。

403: 2023/08/26(土) 06:09:36.77 ID:JbYrXm7V.net
ルビィ「グスッ、ヒグッ……果南様……どうしてこんな姿に……」

善子「と、とにかく、警察を呼ばないと」

善子「ルビィ、歩ける?離れに戻ろう」

泣きながら震える姉の体を支え、善子は離れに戻る道を進む。

善子「もう私たちでどうにかなる状況じゃないわ……抜け穴のこと、全部教えないと……」

こんな状態のルビィと共に、このまま犯人を追跡するのは危険と判断。もはや絵里と海未の力を借りないといけない事態になっていた。

ルビィ「怖い、怖いよぉ……」

善子「大丈夫、大丈夫だから」

ほんの気休め程度の言葉をかけ続けた。

きっと一連の事件を起こした犯人の仕業に違いない。しかも、この地底世界に潜んでいる。

この洞窟を駆使し、村のあらゆる場所に現れて、あの紙の通りに人を頃していく。

果南をさらい、針千本の谷へ投げ落とす容赦のなさ。

――鞠莉にせよ、聖良にせよ、冷酷非道で尋常じゃない精神の持ち主よ。

介抱しながら善子は恐ろしくなって背筋が凍る思いがした。

離れに戻って、ルビィを寝かせると駐在所に電話をかけて到着を待った。

408: 2023/08/27(日) 19:39:03.17 ID:Qfyat1S9.net
離れに戻って一時間後、東の空から日が昇ってきたころ。黒澤家に絵里と海未、そして複数の刑事たちがやってきた。

絵里「海未の言った通りね……」

海未「ええ」

頭に手をやる。想定より早い動きで裏をかいてくる犯人に戸惑いの表情に浮かべていた。

他の警官たちには、絵里の指示で鬼の口とミュウズの祠の穴を固めさせた。

目撃情報もない鞠莉が洞窟にいるとにらみ、本格的に洞窟の捜索をするつもりである。

玄関を上がり、離れへの長い廊下を歩きながら会話する。

絵里「頼んだ警視庁予備隊、三日後の朝に県警の応援と東條隊長以下二十名が到着予定よ」

海未「それはよかった。これでなんとかなるかもしれません……」

安心した海未。そこで絵里が、それにしても、と続けた。

絵里「まさか、この屋敷に抜け穴があったなんて……初耳よ」

海未「……まずは確かめてみましょう」

なぜ教えなかったのだ、という不満顔の絵里と共に離れに入った。

409: 2023/08/27(日) 19:40:44.12 ID:Qfyat1S9.net
絵里たちが障子を開けると、座敷に善子だけがいた。ルビィはショックのあまり疲れ果てて、母屋で休ませていた。

絵里「抜け穴のこと、詳しく説明してもらえるかしら?」

善子「わかったわ。まず、見た方がいいと思うから……」

こっちに来て、と立ち上がると絵里たちを一緒に納戸へ向かう。

全員が見守るなか、善子が収納箱を動かす。

善子「ここから、洞窟へつながっているの」

海未「ほう……これが……」

四角く真っ暗い地底世界への入り口が現れたとき、海未が驚嘆の声をあげた。

そして、憮然とした表情を善子に向けていった。

海未「……私はこういったはずです。重大な情報があったらお伝えください、と」

海未「あなたはいま、疑惑の中心として非常に不利な立場になっていますよ」

善子はなにも言うことができなかった。まさか、ここまで事態が悪化するとは。

絵里「とにかく、入るわよ」

絵里「案内、してくれるわね?」

善子「はい……」

果南の遺体収容と、潜伏しているであろう鞠莉の捜索隊が結成。

ロープや懐中電灯など装備を充実させて、善子たちは洞窟へ入っていった。

411: 2023/08/28(月) 09:05:23.11 ID:wyfIMU58.net
善子を先頭に、一行は洞窟を進んでいく。

善子「ここが蓮華座。この先にある谷で果南様が氏んでいたの」

昨晩の出来事を全て話す。

絵里「あれが動いたという噂の甲冑ね……」

光を当てて、海未と共に近寄る。中に入っている人間を見て、思わず声をあげた。

絵里「ヒッ……!」

海未「これは……」

善子「黒澤輝石よ、三十六人頃しの」

父がどうしてこの姿になっているか、いきさつを二人に話す。もう隠す必要はない。

絵里「なんてこと……」

海未「これが屍蝋化ですか」

絵里「氏体が動き出すなんで、ありえないわ」

海未「確かに。そう見えるように仕組んだのでしょう」

絵里「一体誰が……?」

その問いに答えず海未は注意深くあたりを観察し、蓮華座と鎧武者を交互に見た。

そのあと海未は蓮華座によじ登り、台座の周囲を調べていた。しばらくして、突然大きな声をあげた。

海未「わかりました!この鎧武者がなぜ動き出したか!」

まるで演説するかのように、真上の蓮華座に立って推理を披露した。

412: 2023/08/28(月) 09:07:39.41 ID:wyfIMU58.net
海未「きっと犯人はこの抜け穴の存在を知り、離れに侵入して善子を狙うつもりだったのでしょう」

海未「当然、その通り道であるこの場所も知っていた」

海未「昨晩、犯人はここを通りがかかった。そこで偶然にも果南たちがお参りにやってきたんです」

海未「犯人はあわてて、鎧武者の背後に隠れた。それを知らない果南はこの真下で祈り始めた」

海未「それを好機とみて、犯人は標的を果南に変え、この位置から鎧武者を落とした。このように――」

そういうと、勢いよく蓮華座から飛び降りた。

海未「同行者のよしみから見て、飛びかかってきたように見えたのはこのためです。果南は落下してきた鎧武者の下敷きになった」

海未「恐怖でよしみが逃げ出したあと、犯人は降りて負傷した果南を担いで連れ去った。落とした鎧武者が仰向けなのは犯人がひっくり返した証拠――つまり第三者の存在を示しています」

絵里「なるほどね」

鎧武者が動き出した謎を解いた一行は、問題の針千本へ向かった。

413: 2023/08/28(月) 10:18:02.29 ID:wyfIMU58.net
針千本へ向かう途中、善子は気が気でなかった。

海未の推理が正しいとすると、昨日殺される運命だったのは果南ではなく自分だったのだ。

この屋敷が村で唯一安全な場所だと思っていたのに……。

恐ろしさのあまり、血の気が引いた。

幸い、この表情は誰にも見られることなく針千本の谷に到着する。

善子「この谷の下よ。慎重にね……」

一同がライトを向けて果南の変わり果てた姿を目視で確認した。

絵里「あなたたち、頼むわね」

頼もしい男手の刑事たちに指示を出し、遺体収容を任せた。

ロープをつたって降りていく彼らを見送って、善子たちは鞠莉の捜索に移った。この事件で最も犯人の候補としてあげられ、同時に善子の立場を保証する人物である。

地下道をくまなく捜索しながら進み、一行は白玉の池に到着した。

414: 2023/08/28(月) 15:54:23.99 ID:wyfIMU58.net
絵里「ここにつながっていたのね……」

池の周囲を見渡したあと、怪訝な表情で善子を見た。とっさに目を反らす善子。

こうして絵里たちは、湖岸と周囲の探索を始めた。

前回の調査では人影を見て追跡したため、中途半端に終わっていた。

絵里「湖の向こう岸の穴……こんなに探しても痕跡がないなら、あそこが怪しいわ」

海未「池が深い以上、湖岸に沿って行くしかなさそうですね」

奥の洞窟に最も近い湖岸に立って調べると、何かを見つけた。

絵里「ちょっと海未、来て、来て」

海未「どうしました」

絵里「これみて……湖岸の岩に杭が……」

指をさした先に、赤さびた鉄製の杭が均等な間隔で打ち込まれている。これを足場にして湖岸の向こうへ行けるみたいだ。

海未「だいぶ古いようですね。念のためにロープを湖岸の鍾乳石に巻いて、行きましょう」

絵里「そうね……私が先頭で行くわ、ロープを巻いていくからそれをつかみながら渡ってちょうだい」

海未「お気をつけて」

絵里を先頭に湖岸の杭に足をのせ、海未と善子はロープを命綱にしつつ、慎重に渡り始めた。

415: 2023/08/28(月) 18:54:11.70 ID:wyfIMU58.net
善子はなるべく下の湖面を見ず、恐る恐る海未の背後を追う。

どうか抜けませんように……。

錆びた杭に足をかけながら、祈るように心の中で何度もそう念じた。

これは、二十年以上前に洞窟の調査をしていた校長がつけたものかもしれない。きっと、白衣観音やウトウヤスタカへ繋がる大事な話のひとつとして伝えたかったのではないか。

複雑な思いをかかえつつ、ようやく善子は向こう岸にたどり着くことができた。

そこは平たい湖岸だった。背後に目をやると、突き出た岬のように洞窟の岩壁がせり出している。三人はその岩壁をつたってきたのだ。

せり出した岩壁のおかげで、向こう岸からこちらを見ることはできない。なるほど、潜伏するにはうってつけの場所である。

周囲を懐中電灯の光で照らして捜索する。海未がここの湖岸を中心に捜していると、透明度の高い池の底に何かを見つけた。

それ、が何かを理解した瞬間。白目をひん剥いて口を大きく開けた。

海未「ああああっー!」

叫ぶと同時に腰を抜かし、その場にへたり込む。取り落とした懐中電灯が地に落ち、あらぬ方向を照らす。

絵里「どうしたの海未!」

善子「ちょっと、ねえ!」

海未「あ、あれを……あの池の、中です……!」

駆け寄ってきたふたりに震える指で示す。すぐにふたりも追うように、懐中電灯を片手に池を覗き込んだ。

416: 2023/08/28(月) 20:27:54.64 ID:wyfIMU58.net
絵里「これは……小原鞠莉ね」

水の中に小原鞠莉がいた。生気のない目を見開き、苦悶の表情で。皮膚が水を吸いはじめたのか、白い肌がさらに白くなってきていた。

まるでこちらを見上げているような上目遣いで、水底に足を向けて垂直に沈んでいる。

水面越しにその水氏体と、思わず目を合わせた善子は吐き気がこみ上げてきた。

善子「ウウッ……!」

弾かれるようにその岸辺から離れた。

絵里「氏因は水氏?罪の重さに耐えかねて自頃したのかしら……?」

鞠莉から目を離し、海未へ尋ねた。すでに平静を取り戻していた海未は周囲を探索しつつ、答える。

海未「いいえ。きっと、犯人に殺されたんでしょう……」

ちょっと見てください、とふたりを手招きした。

424: 2023/08/29(火) 19:23:10.11 ID:pXjrE5k1.net
そこには編み細工のランチボックスと毛布があった。そのすぐそばには。

海未「……飲みかけのコーヒーカップと、食いかけのサンドイッチがありますね」

海未「これはおそらく、犯人が鞠莉に食事を提供していたのでしょう。彼女は料理が苦手だというのは、周囲の証言で明らかです」

海未「失踪時に用意する余裕はなかったでしょうからね」

海未「犯人は、コーヒーに毒物を入れた。コーヒーは彼女の好物らしいですから、何の疑問も抱かずに飲んだのでしょう……」

海未「そして殺害し、ここに沈めた。罪の重さに耐えきれず、水氏したように見せかけた」

遺留物を見て推理した。

海未「あとで魔法瓶とカップの中のコーヒーを調べさせれば、わかることでしょう」

善子「ひどい……」

思わずつぶやいた。

犯人として疑われた鞠莉は、ここで隠れている中、きっと心細かったに違いない。

唯一の楽しみは、ある人物が定期的に提供するこの食事だったはず。

まさか毒が入っていて、その人物こそが彼女を追い詰めた存在だったとは知らないまま、苦しみ悶えながら氏んだのだ。

犯人は、嬉々として毒入りコーヒーを飲む鞠莉を平気な顔で眺めていられる精神力を持っている。

善子は身震いした。

425: 2023/08/29(火) 19:24:05.00 ID:pXjrE5k1.net
絵里「ん……?」

その物たちを注意深く見つめていた絵里が小さな紙片が落ちていることに気づく。

絵里「ねえ、ちょっと、見てちょうだい」

ふたりの前に見せた。それは破り取った小さな紙で、そこには。

学校長むつ、医師小原鞠莉、と書かれていた。さらに両方とも名前の上に赤い塗料で一本線が引かれていた。

海未「これは……あの紙から破りとられた部分ですね。きっと犯人が置いたのでしょう」

絵里「待って、犯人は誰なの?有力な被疑者は水の中よ」

困惑した顔を向ける絵里に対し、海未は頭に手をやって。

海未「……わかりません」

絵里「ええっ!わからない……?」

海未「はい。ただ犯人は鞠莉が書いたこの紙片を利用し、犯人に仕立て上げ、本人を失踪まで追い込んだことだけは明白になりました」

海未「しかしなぜ、鞠莉はこんなものを書いたのでしょう……?それがわからないんですよ」

再び頭に手をやって悩む海未。そこに善子が声をかけた。

善子「もしかしたら、その理由に心当たりがあるわ」

一斉にふたりの注目を浴びた。

428: 2023/08/30(水) 22:05:05.77 ID:Iff0MOio.net
善子はルビィから聞いた、県議会議員選挙にまつわる話を伝えた。話し終えたあと、海未が感嘆の声をあげた。

海未「なるほど、なるほど!これで紙片の謎が解けました!」

ありがとうございます、と興奮気味に善子に礼をいった。

絵里「お取込み中、悪いんだけど……とにかく戻りましょう。外の警官を呼ばないとね」

絵里の一声で我に返った海未は、善子と共に杭をつたって再び池の向こう岸に移動した。

その後、絵里が出入り口の穴を固めていた警官に指示を出し、遺体収容に協力してもらった。

木で組んだ即席のイカダをつくらせて洞窟に入れ、池から引きあげた鞠莉を乗せて岸へ。すぐその場で検氏を行い、溺氏ではなく毒殺だと判明。

そして魔法瓶やカップからも青酸カリの反応が見られた。

絵里「氏亡時刻は――」

鑑識官から受け取った報告を読み上げていく。どうやら果南が殺害される数時間前だったらしい。

海未「おそらく鞠莉を始末して、屋敷への侵入を試みたときに果南と遭遇したみたいですね」

絵里「まったく、いつもヤツは上を行くわね……」

恨みがましい声を絞り出し、布をかけられて担架で運び出される鞠莉を見つめた。

429: 2023/08/30(水) 22:06:40.92 ID:Iff0MOio.net
突然、海未が思い出したように声をあげた。

海未「絵里、ちょっと外に出ます!」

絵里「えっ……ちょっと待ちなさいよ!」

海未「大至急、東京の花陽に連絡を入れないといけない用事ができましたので」

海未「あと、しばらく村を離れます!明日には帰りますから!」

何かに急かされているように、急ぎ足で池から最も近い出口へ駆けていった。

海未の唐突な行動にあっけにとられたまま、取り残された善子と絵里。

絵里「まったく、いつも通りね……」

善子「こんな調子なの?」

絵里「いつも何考えてるかわからないのが、園田海未なのよ。ココのつくりが違うからね」

苦笑して、おでこを指で指し示す。

こうして捜索を終えた。鎧武者こと、輝石については絵里が秘密にするよう厳命し、蓮華座に倒れたまま放置された。

結局、今日一日で二人の氏人が村から出てしまった。

そして最も犯人と目されていた鞠莉の氏により善子の立場は、村の中でいよいよ厳しくなっていた。

430: 2023/08/30(水) 22:10:22.32 ID:Iff0MOio.net
二日後、果南の葬儀が黒澤家にてしめやかに執り行われた。

ほぼ密葬同然で、ダイヤの本葬と比べ、参列者は善子やルビィなど近い親族のみ。

あまりにも寂しく、わびしい葬儀だった。

また喪主の善子にとっても、ショックを受けた出来事があった。

それは、曜の態度がいつもの親しげな様子から一変し、どこかよそよそしく素っ気なくなっていたことだ。

善子「あ、曜」

曜「……ご、ごめんなさい!このあと千歌ちゃんの初七日だから、またの機会に」

善子「あっ……」

東京にいる渡辺家当主の代理として参列した彼女に、善子が話しかけようとしたが、そそくさと逃げるように屋敷を出て行ってしまった。

それを悲しい目で見送っていた善子。ちょうど近くにいた奉公人たちが、逃げる曜を見てヒソヒソとうわさ話をしているのを耳にする。

聞き耳を立てて得た要点を以下にまとめるとこうだ。

どうやら、ミュウズの祟りを恐れているらしかった。善子が村に来てから短期間のうちに、七人も氏者が出ていることに怯え、下屋に引きこもっている。

今回の葬儀に渡辺家当主が来なかったのは、祟りを恐れて参列しないように曜が働きかけたのではないか。

そういった噂をしていた。

善子「……」

曜に突き放され、自分はついに村で決定的に孤立していることを表しているようで、なんだか心が辛くなってきた。

いたたまれない思いをしながら、善子はすぐに奥へ引っ込んだ。

431: 2023/08/30(水) 22:14:32.32 ID:Iff0MOio.net
「善子さん」

善子が葬儀を行っていた広間に戻ると、声をかけてきた人物がいた。振り向くと、復員服を着た鹿角聖良だった。

聖良「この度は、心よりお悔やみ申し上げます」

善子「どうも……」

聖良より頭を小さく下げた。善子の胸中において、最も犯人として疑わしい人物だった。

早く彼女から離れたい、そう思ったものの、聖良は今まで見たことのない饒舌ぶりを見せた。

聖良「今後は大変なことが起きたら、ぜひ相談してください」

聖良「こんな身の上ですが、力になれるよう手助けさせていただきますので」

善子「あっ、ありがとうございます……」

戸惑いを隠しつつ作り笑いで応じた。終始丁寧な彼女の言動に、おごりや嫌味は感じられない。

それがかえって、彼女を不気味な存在に押し上げた。

こんなに話しかけてくるのは、自分を毛嫌いするダイヤや果南が氏んで、彼女らの目を気にせず黒澤家の敷居をまたげるようになったからだろう。

もう本家には自分に一定の理解を示すルビィと、東京育ちの余所者の善子しか残っておらず、聖良にとって居心地がよくなったのは事実だ。

ダイヤと果南の氏で一番得をしているのは、聖良ね……。

従姉妹と軽く会話を済ませた善子は、心の中でそう思った。

432: 2023/08/30(水) 22:16:40.86 ID:Iff0MOio.net
葬儀の片付けを終え、ガランとなった母屋に背を向け、離れに戻った善子。

顔色が良くないルビィもすぐに奥へ引っ込んでしまったので、再び一人で東京から持ってきた西洋式占術の本を開いて、日中の時間を座敷で潰していると。

よしみ「善子様……園田様と絢瀬警部が至急、お会いしたいと」

呼び出しを受けた。

まさか、あの警部が再び自分を犯人扱いしてくるのではないか。

そう思って廊下を歩きながら、ため息をついていたが、ふたりを待たせている座敷に入ってみると雰囲気が少し変わっていた。

いつもにらんでくる絵里は、海未と一緒に深刻そうな顔で善子を迎えた。

絵里「……今日は大事な話で来たの」

善子「で、いったいなによ?」

ぶっきらぼうに尋ねる善子の前に、絵里はスーツの胸ポケットから茶封筒を出して、置いた。

絵里「今朝、静岡の県警本部にこれが郵便で届けられたの」

絵里「消印は九つ墓村の郵便局。そして内容は……まず、自分で確認してちょうだい」

促された善子は封筒を手に取り、中の紙を取り出して広げてみる。

433: 2023/08/30(水) 22:20:29.62 ID:Iff0MOio.net
そこには、白い紙に新聞の印字を切り貼りした、大小さまざまな文体による奇怪な文章があった。

――内容を要約すると、こうである。

なぜ黒澤善子を逮捕しないのか!

輝石の血を引くあの者が来てから、殺人が始まったのだ。

ミュウズ様の怒りに触れた村は一気に血で染め上がる。

厄災の根を絶ち、祟りを鎮めよ!

さもなくば二十四年前よりも多くの氏が満ちあふれるだろう。

――以上だった。


善子「……これ……本当?」

黙読した善子は、ワナワナと両手を震わせた。それが紙に伝わり、ユサユサと揺れる。

激しい心の動揺が身体に現れていた。

絵里「――何者かの投書よ。どちらかというと、告発状かしら」

しっかり正面を見据えたまま、答えた。

海未「それだけではありません」

続けて海未が話す。

434: 2023/08/30(水) 22:23:20.58 ID:Iff0MOio.net
海未「あなたを糾弾するこの文書、郵送は県警本部のみでしたが――」

海未「――村では、役場と集会所のいずれも玄関に貼り付けられていたそうです」

善子「村にも……」

絵里「ええ。恐らく昨日の夜中に何者かが貼り付けたと思うわ。」

絵里「こんなもの、本来は下らないイタズラとして扱うけど……状況が状況よ」

こちらをしっかり見すえて、こういった。

絵里「――あなたは数日間、この屋敷に足止めをしてもらうわ。外には一切出ないこと」

善子「もとよりそのつもりよ」

海未「なら安心です」

くれぐれも戸締りなどご用心を、と念を押された。

この怪文書のことと、注意喚起をしただけで海未と絵里は帰っていった。

いつものように犯人扱いしてくる絵里がそういうことをしないってことは、ついに犯人の手がかりをつかんだのね……。

ここ数日、気の休まらない出来事ばかりだった善子は、ようやく安心することができた。

だが、そのあとに起きた大事件が善子を一気に追い詰め、身も凍る恐怖と悲哀に満ちた体験の始まりだとは思いもよらなかった。

438: 2023/08/31(木) 08:11:31.39 ID:sctym1o6.net
――その事件は、時計の針が深夜零時を過ぎたときだった。

突如、寝静まった黒澤家の周囲で雄たけびに似た、大きな気勢が四方から上がってきた。

それは、おーう、という戦国時代の武士がこれから戦をするときに出す、ときの声に似ていた。

善子「にゃぁっ……んなっ、何よ……!」

思わず飛び起きた。離れにいる善子でも十分に聞こえるほど、それは大きかった。

屋敷の外で大声があがった直後、パラパラと屋根瓦を打つ音が聞こえてくる。

それが、何者かの投石だとわかったのは、どこかで窓ガラスが割れる音と、庭石や灯篭にあたってコロコロという固い音を立てたときだった。

一体だれがこんな事を……。

急いで寝間着から動きやすい服装に着替えているときに、急ぎ足でやってきたルビィが障子をあけ放って。

ルビィ「善子ちゃん!逃げて、早く逃げてッ!」

肩で息をしつつ、恐怖に顔を歪めながらルビィが叫んだ。

善子「いったいどうし――」

ルビィ「――村の人達が、善子ちゃんを捕まえに、大勢で家に押しかけてきたの!」

善子「ええっ……!」

驚愕のあまり絶句した。

440: 2023/08/31(木) 22:20:26.30 ID:sctym1o6.net
善子「なんで、なんで私を捕まえるのよ……!」

ルビィ「ミュウズ様の怒りを鎮めるために、善子ちゃんを捕まえて……祠のそばの御神木に吊るすって息巻いているの!」

御神木に吊るす、ということはすでに生きていない状態にして、神への供物として捧げて許しを請う気なのだ。

ルビィ「とにかく逃げて!正門は頑丈だけど長くは持たないの、早く納戸から洞窟へ……」

――常軌を逸している。

一連の殺人事件は冷酷な人間の仕業だ。それをミュウズ様の祟りとして思い込んだ挙句、よそから来た自分を元凶として排除しようとする村人の身勝手さに、善子の身体から怒りの感情がふつふつと湧いてきた。

善子「いやよ、絶対、絶対に逃げないわ!ひとりで来れないからって、集団でくるような意気地なしどもに逃げるなんて嫌よ!」

善子「相手のリーダーは誰なの?そいつと話をつけて――」

ルビィ「――だめっ!だめぇ!みんな二十四年前を思い出して、怒りと恐怖に支配されて興奮しているの!」

ルビィ「いまはどんな正論や理屈だって、長年染みついた祟りへの恐怖には勝てないんだよぉ!」

ルビィ「お願い、おねぇちゃぁの言うことを聞いて……!」

鼻息を荒くした善子を、ルビィは懸命に引きとめた。

441: 2023/08/31(木) 22:23:46.49 ID:sctym1o6.net
善子「わかった……でも、ルビィはどうなるの?」

姉のことを心配する目を向けると、ルビィは小さく笑って。

ルビィ「大丈夫、村人たちが狙っているのは善子ちゃんだけなの。逃がしたあとは、ルビィがみんなを説得してみるよぉ」

ルビィ「みんなが冷静になって、ほとぼりが冷めたころにお弁当つくって持っていくから……それまでは洞窟の安全な場所で隠れていてね」

ルビィ「ミュウズ様が最初に住んだ場所として、村の人は恐れているから入ってこないはずだよぉ」

そういって、善子に靴と着替えの服、寒さしのぎのコートを手渡していく。懐中電灯ふたつと一緒に御守り袋も持って万全の準備をした。

善子「……ありがとう」

申し訳なさそうにいったそのとき。床から伝わる小さな地響きと、屋根や雨戸に降り注ぐ投石の音が増えてきた。

ルビィ「……もうすぐ門が破られるみたい。できるだけ離れに来ないよう時間を稼ぐから、善子ちゃんは早く洞窟に行って!」

善子「わかったわ。それと……気を付けてね!」

後ろ髪をひかれる思いで、善子は納戸へ駆け込んだ。

442: 2023/08/31(木) 22:27:21.97 ID:sctym1o6.net
ルビィ「がんばルビィ……!」

納戸へ入った善子を見送ったルビィは小声でそうつぶやくと、長い廊下を進み母屋へ向かう。

姉として、この上屋を預かる者として、果たすべき務めを果たしに。

母屋に入ったルビィに、切羽詰まった表情のよしみが駆け寄る。

よしみ「ルビィ様、間もなく門が破られます……!」

ルビィ「ぅゅ……みんなを連れて長屋に逃げて鍵かけて。無理やりこじ開けてきたときは、抵抗しないで好きなだけ探させて」

よしみ「はい……では、善子様はもう……?」

ルビィ「大丈夫だよぉ」

それを聞いたよしみは安堵の表情を浮かべた。

よしみたち女中を屋敷の別宅へ避難させたあと、ルビィは広間にある書院の板框を外し、中の空洞から布に包まれた棒状の物を取り出す。

ルビィ「やっぱり重い……でも、時間稼ぎにはなるよね……」

布をめくって現れたのは、水平二連式の散弾銃。かつて乱暴な父を恐れて、母がここに隠していたのを覚えていた。当然、弾は無い。

しかし、撃たずに使うだけなら効果はあると踏んだルビィは持ち出した。

ちょうど離れをつなぐ廊下に立ったそのとき。

激しい音と共に門が破られ、怒号や罵声をけたたましく発しながら村人たちが玄関から母屋へなだれ込んできた。

443: 2023/08/31(木) 22:32:51.84 ID:sctym1o6.net
村人たちは松明を持ち、土足で母屋にあがり込み、周囲を照らしながら障子やふすまを乱暴に開け放って、標的ただひとりを探していく。

男も女も、老いも若きも、皆一様に祟りへの恐怖を原動力にして団結している。

なかには棍棒や漁網、銛や手斧で武装した村人も確認できた。

時代が時代なら、まさに百姓一揆といってもいいくらいだ。

美渡「善子を探せ!探し出して、ミュウズ様の前に引きずり出すんだ!」

この暴徒たちの中心に高海美渡がいた。鞠莉の氏亡後、千歌の初七日ののちに決起すると心に決めていた。

しかも、集会所に貼りだされていた善子を糾弾する怪文書のおかげで決起の参加者は倍に膨れ上がり、ついに今夜、実行したのだった。

美渡「何も盗るなよ……これは災いを取り除くための禊なんだからな!」

棍棒片手に説いて回る。彼女の鉢巻きをした頭には、両端にふたつのL型懐中電灯をはさんで照明灯としていた。

まるで角の生えた鬼のような姿である。実際、彼女は千歌を殺された復讐に燃えていた。

美渡「善子は、善子はまだ見つからねぇのか!えっ、何――」

美渡「――離れが通れないだと?」

ほかの村人から報告を聞き、すぐに母屋と離れをつなぐ廊下へ向かった。

444: 2023/09/01(金) 08:22:31.23 ID:0SLvfmKy.net
ルビィ「みんな、もうやめて!どうしてこんなことするの!」

廊下ではルビィが仁王立ちで、銃を腰だめに抱えて村人たちに説得を試みていた。

どこの誰なのか顔を見たらすぐわかる狭い村。ルビィは目の前にいる村人たちを一人ひとり名をあげて冷静になるよう求めていた。

ルビィ「……善子ちゃんは優しいひとだよぉ!こんな恐ろしいことができる人間じゃない!」

暴徒の集団にただひとりで立ち向かうルビィの覚悟に、村人たちは手をこまねいていた。

そこに美渡がやってくる。

美渡「ルビィ様、なら犯人は誰なんですか!」

美渡「うちの千歌は、善子の前で氏んだんだ!大好物のミカンを食べて……!」

ルビィ「それは……でも、善子ちゃんは犯人じゃない!警察が犯人を――」

美渡「――警察は信用できない!二十四年前だって、輝石を捕まえられなかった!もうあんなことはたくさんなんだ、志満姉を悲しませたくない!」

美渡「みんなで祟りを終わらせるんだ……」

ルビィ「ぅゅ……」

向こうにも言い分がある。二十四年前の惨劇を今も背負うルビィには、気持ちが痛いほどわかった。

445: 2023/09/01(金) 08:25:55.69 ID:0SLvfmKy.net
美渡「……いつも臆病なルビィ様があそこまでやるんだ。善子のヤツはここにはいない、きっと時間稼ぎしているんだ」

美渡「確か、この屋敷は山の洞窟とつながっているって噂があったよな?」

村人たちに問うと、皆がうなずく。その様子にルビィがハッと顔をあげた。

ルビィ「やめて!」

美渡「……やっぱり善子は洞窟にいるみたいね」

銃を持つ手が大きく震えるルビィの慌てようをみて、確信する。

美渡「洞窟は危険だ……入るより、出口を固めたほうがいいな。よし、兵糧攻めだ!」

美渡「ここに数名残して、村中の洞窟の出口に向かえ!出てきたところで縛り上げてやる!」

村人たちに指示を出した。暴徒たちはきびすを返して一斉に屋敷を出ていく。

ルビィ「だめ、だめ!善子ちゃんに乱暴しないでぇ……!」

ルビィの必氏に叫ぶ声だけが屋敷に残された。

459: 2023/09/01(金) 22:21:03.51 ID:0SLvfmKy.net
地上で大勢が騒動を起こしているなか、地底世界では善子ただひとり静寂の中、先へ進んでいた。

ときおり後ろを振り返るが、迫る影や明かりといった人の気配はない。

ルビィの足止めが成功しているのか、納戸の抜け穴を見つけられていないのか。おかげで善子は余裕をもって隠れ場所へ向かう事ができた。

目指すは白玉の池、その向こう岸の鞠莉が潜伏していたあたりである。

そこなら、もしも村人たちが突入してきても発見されにくい、と考えたからだ。

あとは騒動が収まり、ルビィが食事と地上の情報を持ってくるまで待つだけ。ちょっと心細いが、ほんの少しなら耐えられる。

善子「ルビィは本当に大丈夫かなぁ……」

暗闇のなか、案じるのは自分より姉だった。幼い顔をしているが、しっかりした度胸と覚悟を持っている。

無茶なことをしなければいいけど……。

天涯孤独だった自分に初めて出来た姉。ほんの数週間の付き合いなのに、多くの安らぎを彼女から得ていた。

善子「……いつか落ち着いたら、東京に連れていってあげよう。銀座でスイートポテトおごる約束したし」

足もとを懐中電灯で照らしつつ、どんどん先へ進む善子。夜中の草原で語った東京の話に目を輝かせるルビィの顔を思い浮かべていた。

460: 2023/09/01(金) 22:22:46.08 ID:0SLvfmKy.net
こうして善子は何の妨害や追手もなく、白玉の池にたどり着いた。

善子「あれ、使えるわね……」

池のほとりに立った善子は、岸のすぐそばに浮いているものを見つける。

それは、池に沈められていた鞠莉を引き上げるときに、警官たちが組み上げたイカダであった。ちょうど、水底に突っ込んで前に押し出せる竹ざおも見つけた。

見つけたもののほかにもう一組あった。

善子「やった。壁の杭より早く渡れるじゃない」

地底世界へ追い詰められた不幸中の幸い、安全に向こう岸へ渡る手段、存分に利用させてもらう。

イカダに乗り、透き通った湖面を進んでいく。水面を覗き見ると、無数の白い玉が敷き詰められていた。

そのまま進み、向こう岸へ渡る。

461: 2023/09/01(金) 22:24:43.19 ID:0SLvfmKy.net
善子「あの先が白衣観音……」

向こう岸に降り立った善子は、奥を照らす。そこには岩壁をパックリと裂いたような割れ目があった。

御守り袋から地図を取り出し、その先を見てみる。

割れ目に入ったその先には、つる草が絡み合うように幾多の分かれ道があって、目的へ続く道を見つけるには一苦労するようだ。

ふと、あくびが出た。

善子「……あまり寝てなかったっけ。ちょっと休んでから、行ってみよう」

鞠莉が潜伏していた、鍾乳石もなく乾いた平たい場所に座る。腰から下にコートをかけ、岩壁を背にして仮眠をとることにした。

465: 2023/09/02(土) 23:04:49.07 ID:lyUyyxy1.net
目が覚めた。

どれくらい寝てたのだろうか。また腕時計を忘れてしまったので、時間の感覚がわからない。

少なくとも、外はもう朝になっているだろう。

自分にとって救いの手となるルビィはまだ来ていないようだった。

善子「警察は何してるのよ……」

小さく悪態をつく。そのあと村人の暴動にあたふたしている絵里の顔を思い浮かべ、ちょっとほくそ笑んだ。

さてと、そう気合を入れてコートをそばにどけて、善子は立ち上がる。

善子「どうせ暇だし、奥の迷路を探検してみますか、っと……」

懐中電灯で照らした割れ目を見つめた。この先に、母が遺した最後の場所と最大の謎がある。

周囲を探すと、絵里たちと探索したときに使ったロープの残りが放置されていたので、それを活用することにした。

割れ目の中に入り、ロープ片手に迷路攻略に乗り出す。

466: 2023/09/03(日) 07:05:32.11 ID:GbhCQTGo.net
地図を広げながら、ロープを流していく。こうすれば迷わないし、二度目の探索では移動が楽になる。

分かれ道があるたび、総当たりで進む。行き止まりや通行不可な道にぶつかるたびに、前に戻って次の道へと――それを繰り返す。

善子はかなりの時間を割いて地道な作業を機械的にこなし、ようやく入り組んだ地下迷路を脱出できた。

善子「はぁ……つかれたぁ……」

岩壁に手をついてぼやく。ひたすら立ちっぱなしの作業で、善子の足はパンパンにふくれていた。

慣れない運動なんてするもんじゃないわね……。

そう思ったとき、腹が鳴った。

善子「うう……何も食べてないんだった……」

エネルギー切れ寸前だった。これ以上進む気力がどうしても湧いてこない。

この先は、なにか食べてから行こう。

そろそろ弁当を持ったルビィが来てくれるだろう、善子は期待して池のほうへ戻ることにした。

地底世界で善子が閉じ込められている間――地上では、大きく事態が動きだしていた。

467: 2023/09/03(日) 07:08:05.44 ID:GbhCQTGo.net
村人たちの一部がミュウズの祟りを恐れて暴徒化。この非常時に絵里たち警察はもちろん何もしていないわけではなかった。

冷静になるよう呼びかけ、解散や武装解除を命じ続けたものの、数で圧倒され多勢に無勢だった。

しかも若い村人たちは二十四年前の惨劇を連想し、災いを振りまく善子を捕らえるんだと血気盛んで手が付けられない状態である。

朝になって、暴徒は黒澤家を制圧。山の洞窟入り口周辺に集まり、善子捕獲に動いていた。

彼らを強硬的に排除するには、あまりにこちらの数が少なすぎる。

いまの絵里たちは、鬼の口に集まる美渡たちを近くで見守ることしかできなかった。

海未「参りました……ここまで大きく早く起こるとは……」

絵里「排除は無理ね。その代わり……洞窟の入り口すべてに警官を配置させたわ」

絵里「善子が出てきた場合、すぐに身柄確保する。村人に一切、手出しさせるわけにはいかないから」

海未「頼みます……今の状態は犯人にとって、計画遂行の最終段階。きっと犯人は洞窟へ向かうはずですから」

海未「――もしかしたら、もう入っているかも」

ちょっと確認してきます、と唐突に言い出すと絵里の元を飛び出していった。

絵里「ちょっと、ねえ!まったく……」

この手をこまねいていた状況は、ようやく昼頃になってこちらに有利な展開になった。

468: 2023/09/03(日) 07:11:38.70 ID:GbhCQTGo.net
沼津から県警の応援と、絵里が要請した警視庁予備隊が村に到着。

暴徒鎮圧に特化したこの黒ヘルメットに黒い制服の特殊部隊は、素早く黒澤家に展開して村人の制圧に成功した。

村の安全を確保したのち、山に続々と集まってきた。

絵里「おっ、来た!こっち、こっちよ……!」

ふもとに集まる白いジープから、続々と降りてくる隊員を先導する絵里。形勢逆転に顔がほころんでいた。

絵里と予備隊は鬼の口、県警の増援はミュウズの祠近くと、花丸の尼寺の洞窟を囲む村人たちの排除へ向かう。

しかし、ミュウズ様の祟りによる厄災を鎮めようと団結する村人の抵抗は激しかった。

とくに美渡がいる鬼の口では、絵里や予備隊と激しいにらみ合いが続いた。

絵里「犯人逮捕は警察の仕事よ!ただちに解散しなさい!」

美渡「うるさい!ミュウズ様の祟りを鎮める邪魔をするな、バカエリ!」

絵里「バッ……なんですってぇ……!」

村人は洞窟の入り口を占拠し、人の壁をつくって罵声を浴びせ続けていた。

一触即発のそのとき、ふたつの方角から海未と村人が慌てた様子でやってきた。

469: 2023/09/03(日) 07:13:57.65 ID:GbhCQTGo.net
山道からやってきた村人は美渡へ、ふもとからやってきた海未は絵里のほうへ駆け寄った。

海未「大変です、大変ですッ!やはり家にいませんでした!聞けば、昨日の夜から帰ってないそうです……!」

絵里「なんですって……!」

一方、村人から知らせを聞いた美渡は目を見開いて驚く。

美渡「なに……鹿角聖良が囲みを突破して洞窟に入っただって……!」

大声を張り上げた。その声を耳にした海未は頭に手をやる。

海未「しまった……!」

絵里「なんてこと……」

さらに無線機を背負った警官が、黒澤家の動向を絵里に報告。受け取った絵里は、顔が真っ青になっていた。

絵里「……黒澤ルビィがいなくなったわ」

海未「ええっ、まずいですよ!それはまずい――」

海未「――犯人もそこにいるんですよ!」

絵里と海未は強く歯噛みして、うらめしそうに鬼の口の先、洞窟を見つめた。

471: 2023/09/03(日) 21:26:45.38 ID:GbhCQTGo.net
善子「うう……お腹すいたわ……」

地上の騒動をよそに、善子は白玉の池のほとりに腰かけ、空腹と戦っていた。

食事どころか水も飲んでいない。思わず目の前の池の水を口にしようとしたが、鞠莉が浸かっていたのを思い出し、やめた。

善子「……心細い」

ボソッといいかけたそのとき、暗闇の奥から聞きなれた声。ルビィだった。

ルビィ「善子ちゃーん!」

耳をそばだてると、洞窟のだいぶ遠い場所からこちらへ呼びかけている。

石灰成分で覆われた地下道で叫んでいるからか、やまびこのように何度も反響していた。

やっと来てくれた。嬉しさを爆発させた表情で、善子はすぐに立ち上がった。

善子「ルビィ……!いまいくから!」

光の届かないこんな場所では、お互いの位置関係を把握するには声を掛け合うしかない。

善子「いま池よ……すぐそっちいくわ!」

ルビィの呼びかけに答えつつ、池に浮かぶイカダに飛び乗り、岸へこいでいった。

善子が向こう岸についたとき、異変が起きた。

472: 2023/09/03(日) 21:29:19.24 ID:GbhCQTGo.net
ルビィ「ピギャッ……!たす、助けて!善子ちゃん助けて……!」

善子「ルビィ、ルビィ!どうしたの!」

突如ルビィが悲鳴をあげ、必氏に助けを求めてきた。こっちへ反響してくる声の緊迫した状況に、善子も気が気でなくなった。

一気に恐れと不安が身体を支配する。

なにも考えず、善子は懐中電灯を片手に声の方へ走り出していた。

ルビィ「だ、誰かに追われてる……助けて……!」

善子「いまいく!だから逃げて、逃げて……!」

善子「いまどこにいるの!」

ルビィ「れ、蓮華座のとこ……は、早くきてぇ……!」

善子「いまいく!いまいくから!」

足場の悪い洞窟の中を全速力で走る、走る。

断続的に聞こえるルビィの声に応じながら、急いで針千本を走り抜け、蓮華座へ続く地下道を通った。

ルビィ「いやぁっ……!やぁ……!」

聞こえてくる、もがいているような声。きっと捕まったに違いない。

善子「もうすぐよ!もうすぐ……!」

善子は息を切らしながら、先を急いだそのとき。

「あああああ!」

大きな甲高い悲鳴が善子のもとに届いてきた。

473: 2023/09/03(日) 21:33:18.70 ID:GbhCQTGo.net
善子「ルビィ!ルビィ!」

地下道を駆け抜け、静寂に包まれる蓮華座に飛び出した善子は、懐中電灯であたりを照らし、ルビィを探す。

善子「どこなの……どこなの……!」

光の環をあわただしく左右に振り、懸命にルビィの姿を求める。

しばらく進んだとき、光の端がピンク色のワンピースを捉えた。すぐに、全体を見ようと照らしたその先には。

善子「ルビィ……!」

目の前に広がる光景に、目を見開いて叫ぶ。そして駆け寄った。

そこには、仰向けに倒れている黒澤ルビィがいた。

善子「ルビィ、ルビィ……!しっかりして!」

懐中電灯を置き、身をかがめてルビィの上体を抱き起こしてやる。

そのとき、脇腹に触れた手が深紅に染まる。よく見ると、脇腹のあたりが出血してワンピースを血染めにしていた。

傷は深いようで、まったく出血が止まらない。ハンカチでおさえても、焼け石に水だった。

誰かに刺されたんだ……。そいつはきっと、この事件の犯人。

そう確信していると、呼びかけに応じたルビィが、青白い顔をあげてゆっくりまぶたを開いた。

476: 2023/09/04(月) 07:50:56.88 ID:EvHD3FAJ.net
光と生気を失いかけている翡翠の瞳が、動揺する善子の顔を映し出す。その弱弱しさに、善子はたまらなくなる。

ルビィ「あ……善子ちゃん……」

善子「しゃべらないで……すぐに手当てを……」

ルビィ「ううん、もうだめだよぉ……ごめんね、東京に行けないや」

善子「何言ってるのよ……」

善子「ねえ、誰に襲われたの?」

いまにも消えてなくなりそうな姉を強く抱きすくめる。ルビィはゆっくり善子の手を握りしめた。

ルビィ「わからないよぉ……お弁当、届けようと歩いていたら……後ろから追いかけてきたの」

ルビィ「ここまで逃げてきたんだけど、つかまっちゃって……」

もっと自分が足が速ければルビィを助けられたかもしれない。激しく後悔の念が押し寄せてきた。

ルビィ「でもね、仕返し、してやったんだぁ」

善子「仕返し……?」

オウム返しに尋ねると、ルビィは小さくうなずいた。

477: 2023/09/04(月) 07:53:27.71 ID:EvHD3FAJ.net
ルビィ「――後ろから口を押さえられたとき、左手の小指に思いっきり噛みついたの。そして、食いちぎったんだぁ」

ルビィ「すごい悲鳴をあげてたでしょ?あれは犯人の声だよぉ……」

顔を見てみると、口元から一筋の血が流れている。これはルビィのではなく、犯人の血だったのか。

ルビィ「だからね……左手の小指に大けがをしている人間が、犯人だよ」

歯を見せて小さく笑う。姉が命と引き換えに、絶対消せない目印を犯人につけてやったのだ。

この信念と強さ、本当に心から尊敬する。

目頭に熱いものがこみ上げてきた。

善子「……わかった、左手の小指ね。ちゃんと警察に知らせるわ」

だからもう無理に話さないで。そう呼びかけたものの、ルビィはうわごとのように話を続けた。

ルビィ「あのね、善子ちゃん……いまだから、恥ずかしいこといっぱい言うね」

ルビィ「だってルビィはもう氏んじゃうんだから……」

善子「なにバカなこといってるの!」

ルビィ「いいんだぁ……こうやって最後に会えたんだもん……」

手を握って、最愛の妹の存在を手触りで確認していた。

480: 2023/09/04(月) 22:35:06.18 ID:EvHD3FAJ.net
荒く息を吐きながら苦しそうな顔を浮かべつつ。

ルビィ「お願い。ルビィが氏ぬまでこうして抱いてほしい……善子ちゃんに抱かれていたいの……」

善子「ルビィ、氏ぬとか言わないで……」

懸命に呼びかけるも、ルビィは意識が遠のき始めていた。

さらに一世一代の吐露は続く。

ルビィ「善子ちゃん、あのね。ルビィは善子ちゃんが好きなの……妹じゃなくて、善子ちゃんとして。初めて会ったときから、ずっと……」

善子「ルビィ……」

ルビィ「こんなこと、今まで言えなかったけど……いいよね?」

善子のシャツのそでにしがみつく。その必氏さを儚く感じた。

ルビィ「……聞いて、善子ちゃん。いま伝えないといけないことがあるの……」

善子「なに?」


ルビィ「――善子ちゃんはね、本当はお父様の子じゃない、の」

481: 2023/09/04(月) 22:37:06.25 ID:EvHD3FAJ.net
善子「んなっ、何を言い出すのよ……?」

ルビィ「ルビィはすぐ気づいたよぉ……初めて門の前で会ったとき、お父様の面影が全然なかったんだもん……」

ルビィ「善子ちゃんも、気づいていたんでしょう?」

善子「……!」

善子はハッとなった。この数週間、黒澤の者として過ごした中で抱いた、ごく小さな違和感をルビィは察していたのだ。

ダイヤも果南も、二十四年ぶりに顔を合わせたときに言ったのは、母の容姿に似ているということだけ。

父といわれている輝石のことについては一切、触れなかった。

父系の血縁関係を重視するこの家で、この違和感はずっと善子の胸中でモヤモヤとして残っていた。

その違和感をルビィが確信に変えた。

善子「それ、ダイヤは知っていたの……?」

その問いに、ルビィは苦しそうに顔を歪めながらもうなずく。

482: 2023/09/04(月) 22:39:51.49 ID:EvHD3FAJ.net
ルビィ「……知っていたよ。果南様も知ったうえで、受け入れたの……」

善子「どうして……?」

ルビィ「……黒澤の財産を親戚の誰にも渡したくないのと、この呪われた家系を終わらせるためなの」

ルビィ「石蔵から続く血を絶ち、新たな血で本家を作り直す――おねぇちゃぁ、よく言ってたんだぁ……」

ああ、どうりで初めてダイヤと対面したとき、あの意味深な微笑を浮かべていたのね。

善子は納得した。自分は、その策に利用されていたのだ。

善子「なら……私の本当の父親は誰なの?いったい、誰なの……?」

すると、小さく首を振る。

ルビィ「……それは、わからない。でも、その手がかりが離れの床の間……そこの杉框の中に、あるはずだよ」

ルビィ「それでルビィもお姉ちゃんも、善子ちゃんがお父様の子ではないってわかったんだぁ……」

ルビィ「たぶん、校長先生が誰か知っていたんだと思う。善子ちゃんのお母さんの知り合いだったから、きっと」

善子「……だから内密の話がしたいから、明日来るようにっていったのね」

善子の言葉にルビィは何度もうなずいた。そして、それを二度と聞き出せないことに後悔した。

485: 2023/09/04(月) 22:41:45.39 ID:EvHD3FAJ.net
善子「……!」

善子「ルビィ!寝ちゃだめよ……しっかりして!」

青白い顔で、いよいよ弱っていくルビィを抱きすくめる。すると、ルビィは目を開けて。

ルビィ「善子ちゃん……抱きしめてほしいの。もう感覚がなくなってきちゃったから、もっと感じていたい……」

善子「わかった……これでいい?」

肩に手を回して、優しく包み込むように抱く。すると、ルビィは青白い頬をほんの一瞬だけ赤く染めた。

ルビィ「あったかい……嬉しいなぁ……」

ルビィ「こうしても、いいんだよね?だって、本当の姉妹じゃないんだから……」

善子「……うん」

ルビィ「お願い、氏ぬまでどこにも行かないで……ルビィが氏んだら、かわいそうだと思ってときどき思い出してほしいなぁ……」

善子「うん、うん……」

涙ぐみながら小さくうなずくと、ルビィは微笑で返した。そして、ゆっくりとひと呼吸すると、徐々に翡翠の瞳から輝きが失われていった。

善子「ルビィ……?ルビィ……!」

こうして、ルビィは善子の胸に抱かれて息を引き取った。

その最期の顔は、少女のように安らかだった。

491: 2023/09/05(火) 18:30:20.99 ID:EfJG0b7s.net
善子「ごめんね、ルビィ。しばらく冷たい場所に寝かせるけど、我慢してね……」

手でルビィのまぶたを閉じ、彼女の手をへその上に組ませ、その場でゆっくり寝かせてやった。

そのとき、ルビィの手元に風呂敷包みと水筒を見つけた。

包みを広げると。

握り飯と漬物があった。自分のために用意してくれたルビィの姿を思い浮かべ、こみ上げてきた善子は熱い涙を落とす。

善子「うっ……ううぅ……」

小さい身体に大きな慈愛の心をもった姉。善子は何度も涙をぬぐいながら、風呂敷包みを持ち、水筒を肩にかけた。

生きなければ。ルビィのために生きて、犯人の手掛かりを伝えなければ。

いつまでもこうしてはいられない。

ルビィの無念を晴らすためにも。善子の身体の底から気力が湧いてきた。

そのとき。


「そこにいるのは、善子さんですか?」


目の前に光が差し、誰かが声をかけてきた。

496: 2023/09/06(水) 22:29:53.35 ID:99lPtRh0.net
突然のことに驚いた善子。

片手を顔の前にかざし、指の隙間から相手をうかがう。

「ようやく見つけました……外は大変なことになっています」

目線の先には、復員服を着た聖良が懐中電灯を片手に立っていた。

聖良「村人が洞窟の出口を固めていますが、村はずれの出口なら出られるはずです」

聖良「いきましょう、早い方がいい……」

聖良「どうしました?」

ここから動くことを促すが、沈黙したままの善子を不思議に思い、あたりを照らす聖良。

善子の足もとで仰向けに寝ているルビィを見つけたとき、少し驚いた声をあげた。

聖良「これは……ルビィさん……?」 

聖良「善子さん、これは一体……?」

うろたえる聖良に対し、善子は身構えた。疑惑に満ちた目つきで聖良を見すえる。

――なぜ、鹿角聖良がこんなところにいるんだ。

相続の邪魔になる自分が村人に追い詰められた今、自分を助ける筋合いはない。むしろ、本家相続の好機だとして動かないはずだ。

ここにいる行動原理が善子は理解できなかった。

となると、彼女が洞窟にいる理由はただひとつ……。

善子「……ルビィと私を頃しに来たのね」

怒気を含んだ低い声で、聖良をにらみつけた。

497: 2023/09/06(水) 22:33:38.86 ID:99lPtRh0.net
思いもよらぬ物言いに驚き、心外だといわんばかりに聖良は語気を強めた。

聖良「なっ、なにを言い出すのです!私は頼まれてここに来たんですよ……!」

聖良「あなたが大変だから手を貸してほしいと――」

善子「――嘘ね!アンタがそんなことで助けに来るわけない!ルビィの次は私を頃すのね!」

聖良「なんて失礼な……!それより、どうしてルビィさんが倒れているんですか!」

この期に及んで卑怯な。善子は怒りにうち震えた。

とにかく、聖良から逃げないと自分も殺される……!

善子の心臓は高鳴り、冷静さを欠いてすっかり気が動転していた。

聖良「……誰がこんな恐ろしいことを……」

懐中電灯を善子の足もとに向け、ルビィを心配するようなそぶりを見せている聖良の注意がそれていることを見計らい、行動に出た。

その場から弾かれるように、一気に駆け出す。

聖良「あっ……待ってください!」

すぐに気づいて追いかけてきた。善子は池の方へ向かって洞窟に消えた。

聖良「なんで逃げるんですか……!」

あくまでも保護を理由に善子の後を追う。

498: 2023/09/06(水) 22:35:58.94 ID:99lPtRh0.net
ありったけの力を振り絞り、全速力で針千本を駆け抜けた。

ときおり背後を振り返ってみると、聖良は声をあげながら追いかけていた。揺れる懐中電灯の明かりで影が岩壁に映り込んでいる。

このままだと追いつかれる。追いつかれれば、殺される……。走りながら善子は必氏に考えを巡らせた。

この先の小さな空間に、ふたつに分かれた地下道があった。

一方は池のほうへ、もう一方は長いトンネルで池とは別方向につながっていた。この道はルビィと探検済みで、善子は覚えていた。

聖良がどこへ行くか、見極めよう。

そう思った善子は、周囲を見回す。そこで、この空間の岩壁に人ひとりが隠れられるくぼみを発見した。

善子「……よし」

懐中電灯の明かりを消し、すばやい動作でくぼみに身体をいれて隠れた。わずかな音を立てぬよう、息を頃してジッと身をひそめる。

それからわずか数秒後、入ってきた聖良によって空間が明るくなった。

499: 2023/09/06(水) 22:43:24.80 ID:99lPtRh0.net
聖良は足をとめ、ふたつに分かれた地下道を懐中電灯で交互に照らす。

聖良「どこにいったんでしょう……?」

息をきらしながら、困った様子だった。岩壁に潜んでいる善子は、静かに見守る。

聖良「……右に行きましょう。村人より早く見つけなくては」

聖良「善子さんでなければ、一体、誰がルビィさんを……?」

そうつぶやいて、池とは別方向の道を選んだ。

聖良が入っていった地下道で、明かりがどんどん闇に吸い込まれていくのを確認した善子は、岩壁から出た。

なんとかやりすごして、ひと安心。

善子「――池のほうへ行くしかないわね。あの場所で、救助を待つしかなさそうね」

怒り狂った村人が出口をふさぎ、ルビィを頃した犯人がうろついている今、最も安全な場所は白玉の池の向こう岸だけだった。

あの杭は注意して探さないと見つからない。しかも、岸から見ると岩壁づたいに渡ってくる様子が手に取るようにわかるから安心だ。

聖良を避け、左の地下道に入る。

善子「……うう、空腹でどうにかなりそう」

腹が背中につくほど空腹で力が出なくなった善子は、気力でなんとか池の方へ向かう。

イカダで向こう岸へつくや否や、その場に座り込み、持っていた風呂敷包みを開く。

目の前に三つの握り飯が姿を現す。

善子「……ルビィ……ありがとう」

涙ぐんでつぶやくと、勢いよく手で鷲掴みして、かぶりついた。

500: 2023/09/06(水) 22:45:03.70 ID:99lPtRh0.net
善子「……ごちそうさま」

誰もいない静寂の池のほとりに腰かける善子はつぶやく。

水筒を満たす清潔な水を一気に飲み干し、風呂敷包みを折りたたんで片づけると、立ち上がる。

――絵里でも海未でもいい、とにかく救助が来るまでこの場所で大人しく待つしかない。

そう決めて冷たい岩壁に移動し、背にもたれるように腰かけた善子は、隣にあったコートを膝にかけて仮眠をとることにした。

きっと、地上では警官たちが村人を排除するために頑張っているはずだ。

善子「もうすぐ、もうすぐよ……」

うわごとのようにつぶやきながら、まどろむ。

光の届かない暗く、冷たい、ジメジメとした空間にいるのがいい加減、嫌になり始めてきた。

これ以上長くいると、気が変になりそうだ。

とにかく、休むことに集中した善子はすぐに寝落ちした。

501: 2023/09/06(水) 22:47:56.05 ID:99lPtRh0.net
「善子ちゃーん!善子ちゃーん!」

どれくらい寝ていたのか、わからないまま時間が経ったとき。洞窟のどこかで誰かが自分の名前を呼んでいるのに気づいた。

善子「んあっ……誰?」

寝ぼけまなこをこすり、何度も聞こえてくる声に耳をそばだてる。

善子「その声は……曜?」

聞きなれた、親しみのある元気な声。間違いない、彼女の声だ。

きっと自分を心配して、助けに来たんだ……!

やはり祟りを恐れていたのはただ噂にすぎず、最後はいつもの彼女らしい行動を自分にとってくれたんだ。

そう思った善子は飛び起き、イカダに乗って対岸へ向かう。

ようやく閉ざされた地底世界とおさらばだ、安堵と喜びの表情で竹竿を握りしめ、声のほうへ歩いて行く。

善子「――曜!私よ!いまそこに行くから……!」

508: 2023/09/07(木) 22:53:23.01 ID:h8ZXCtPT.net
懐中電灯を片手に曜の声がするほうへ歩いていく。

これで外に出られる、そう思うと歩くペースも早く軽やかになった。

善子「曜!どこにいるの!」

曜「あっ、善子ちゃん……!こっちだよ!」

一寸先は闇のなか、声を掛け合って合流を図る。

再会できたのは、池から右の洞窟を通ってしばらく進んだ先の空間だった。

曜「善子ちゃん!」

善子「曜!」

ようやく対面を果たす。

オリーブ色のトレンチコートを着て、右手に懐中電灯をもつ曜は、笑顔で歩み寄る。

いつも軽装の彼女が、めずらしい。善子は意外に思った。

曜「やっとみつけたよ!探したんだから……」

曜「洞窟の出口は美渡ねぇたちが見張ってるから、奥の方の出口に……」

曜「さあ、行こう!」

そういって左手を伸ばし、善子の手を掴む。

善子「わかったわ、行きま――」

うなずいた善子は手元に視線を向けた瞬間。

善子「……ッ!」

背筋に戦慄が走る。目を大きく見開き、後頭部を殴られたような衝撃を受けた。

反射的に曜の手を振り払う。

509: 2023/09/07(木) 22:56:00.58 ID:h8ZXCtPT.net
曜「えっ、どうしたの……?」

きょとんとした目を善子に向けた。宙に浮いた左手を持て余している。

善子「……ねえ、曜……」

ブルブルと震える唇を無理に開け、のどに詰まっていた言葉を一気に吐き出す。


善子「その左手の小指――」

曜をキッとにらみつけた。その顔は今までの仇敵を見つけたような、恐怖と怒りに満ちた表情だった。


善子「――どうしたの?」

善子は彼女の左手を指さし、問いただす。

曜に掴まれて、ふと目を向けたとき、左手の小指の末端がなにか強い力でちぎり取られており、その赤黒い傷口から骨が露出しているのを見つけた。

ルビィが最期に遺した言葉を思い出し、とっさに曜の手を振り払ったのである。


曜「……」

対する曜は何も言わず、自分の顔面に左手を持ってくる。青い瞳で、まじまじと痛々しいその傷口を確認した。

そして、ハァと深いため息を漏らして左手を下ろすと。


曜「あーあ、ルビィ様がしゃべっちゃったかぁー」

微笑を浮かべ、少し悔やむような軽い調子でいった。

まるでいたずらが見つかって、ばつが悪そうな顔を浮かべる無邪気な子供のような曜に、善子は戦慄した。

514: 2023/09/08(金) 07:03:09.33 ID:9Zf5whAI.net
曜「驚いたよ!あんな小さい臆病なルビィ様がさ。刺したとき、叫ばれないように口をふさいだのがいけなかったねー」

曜「指が無くなって、すっごく痛かったであります!」

七人を頃し、それを見抜かれたのに相変わらずの調子のままでいる彼女に、善子は身震いした。

こいつ、尋常じゃないわ。脳裏で激しく警鐘が鳴る。

曜「善子ちゃんがいけないんだよ。もうちょっと来るの遅くしてほしかったなー」

曜「あの弁当に、毒を入れられたのにさ」


善子「……は?」


曜「そうしたら、食べちゃって氏ぬでしょ?そのあと聖良さんを頃して、任務完了!」

曜「……だったのに」

曜「痛かったよー、それどころじゃなかったよー」

ハァ、と長いため息をついて残念がる。

これでもかと目をカッと見開き、微笑みを浮かべていた。

――悪魔だ、悪魔よ……!

生まれて初めてみた本物の悪魔を前に、背筋が凍てついた善子は後ずさりする。

521: 2023/09/08(金) 23:14:47.38 ID:9Zf5whAI.net
曜「驚いたよ!あんな小さい臆病なルビィ様がさ。刺したとき、叫ばれないように口をふさいだのがいけなかったねー」

曜「指が無くなって、すっごく痛かったであります!」

八人を頃し、それを見抜かれたのに相変わらずの調子のままでいる彼女に、善子は身震いした。

こいつ、尋常じゃないわ。脳裏で激しく警鐘が鳴る。

曜「善子ちゃんがいけないんだよ。もうちょっと来るの遅くしてほしかったなー」

曜「あの弁当に、毒を入れられたのにさ」


善子「……は?」


曜「そうしたら、食べちゃって氏ぬでしょ?そのあと聖良さんを頃して、任務完了!」

曜「……だったのに」

曜「痛かったよー、それどころじゃなかったよー」

ハァ、と長いため息をついて残念がる。

これでもかと目をカッと見開き、微笑みを浮かべていた。

――悪魔だ、悪魔よ……!

生まれて初めてみた本物の悪魔を前に、背筋が凍てついた善子は後ずさりする。

515: 2023/09/08(金) 07:06:16.37 ID:9Zf5whAI.net
善子が身じろぎしたのを確認した曜は、サッと真顔に戻る。


曜「ま、いっか……」


懐中電灯を左手に持ち替えると、右手を背後に回し。


曜「……ここで殺せばいいんだもんね」


右手に取り出した何かを握りしめ、構える。

それはナイフより刃渡りが少し長い、小銃の先端に取り付けて刺突する刃物――銃剣だった。

これでルビィの脇腹を刺したのか、凶器の出現に善子は額に汗を浮かべ、身構えた。


曜「千歌ちゃんがね、言うの……」

曜「よーちゃん、寂しいって。だからさぁ――」

曜「――話し相手になってあげてよ」


地面を蹴って一気に駆け出し、善子との間合いを詰め、銃剣を持つ手で刺突を繰り出した。

522: 2023/09/08(金) 23:19:51.51 ID:9Zf5whAI.net
善子「わっ……!」

善子は横跳びでかわす。足場の悪い地面で、曜が直前に少し速度を落としたことが功を奏した。

平地ならおそらく、いや確実に銃剣が腹に突き立てられてただろう。

自らの悪運の強さをありがたいと思った。

仕損じた曜は、くるりと振り向き。

曜「なーんで、よけちゃうかなぁー?」

曜「千歌ちゃんがかわいそうだと思わないのッ!ねえ!」

こめかみに青筋を走らせ、目を見開いて叫ぶ。

何かが取りついたような豹変ぶりに、善子は戦慄した。

善子「し、知らないわよ!そんなこと!」

弾かれるようにその場から逃げ出した。

一刻も早く、この悪魔から逃げなければ、殺される……!

全速力で地下道を駆け抜ける。

曜「あははっ!鬼ごっこでありますか?」

曜「待つでありまぁーす!」

狂気じみた笑い声をあげ、銃剣を片手に曜が追いかけてきた。

523: 2023/09/08(金) 23:22:57.14 ID:9Zf5whAI.net
安全な場所を求め暗黒の地底世界を走って、走って、走る。

善子は決氏の逃避を試みていた。

しまった、きた道を戻っている……!

気付いたときにはすでに遅く、白玉の池のほとりに出ていた。

背後を振り返ると、地下道の奥からゆらゆらと揺れる明かりと、激しい足音。そして曜の笑い声がここへ近づいてきている。

ただ逃げているだけでは、必ず追いつかれる。

善子「だったら……」

浮いているイカダに目をやり、すぐに飛び乗った。

対岸の先には、迷路のように入り組んだ洞窟たちがある。そこで曜を手間取らせて、その先にある白衣観音へ逃げるつもりだ。

母が遺した地図には、白衣観音の先に細い地下道が通っており、外へ出られるようになっている。

その出口は名称がない――きっと村人も知らない場所に違いない。

善子「いちかばちかよ……!」

追い詰められても活路をなんとか見出そうと、善子はあがき続ける。

524: 2023/09/08(金) 23:27:15.54 ID:9Zf5whAI.net
ちょうど池の真ん中を越えたころ、さっきいた岸から曜の声がした。罵倒と咆哮が入り混じっており、何を言っているか善子にはさっぱりだった。

善子「フッ……そこで大人しくしてなさいっての!」

捨て台詞を吐く。悪魔の手から逃れ、ようやく余裕の笑みを見せた。

が、それはつかの間の安息であった。

曜「敵艦見ゆ!前方に揮発性の高い都会娘!」

曜「全速前進!ヨーソロー!」

振り返ると、もうひとつのイカダに曜が乗り、凄まじい水音を立てて追いかけてきていた。

善子「う、うそでしょ……!」

執念の追跡に驚いた善子は、全力で何度も竹竿で水底を押し出して速力をあげる。

追いつかれる前になんとか対岸に飛び移り、岩の割れ目へ飛び込む。

善子「ハァ、ハァ……!」

息を切らしながら、逃避を続ける。その先に広がる入り組んだ迷路を、垂らしたロープを頼りに進んでいく。

遠い背後から曜の激しい息遣いを耳にしつつ、出口となる一本道の地下道に到達した。

――その先は白衣観音。未知の場所だ。

長きにわたった洞窟探検の最後が、こんな命がけの切羽詰まったものだなんて。

なんて皮肉な、と思いながら善子は白衣観音へ続く地下道を奥へ奥へと駆けていった。

531: 2023/09/09(土) 23:58:35.30 ID:7+pAmm9a.net
善子は気づいた。

この地下道の奥から、ゴウッと空気の流れる音が聞こえてくるのだ。

善子「近いわね……!」

ようやく悪魔からの逃避行が終わろうとしている。希望を見いだせてきた。

しばらく地下道を進むと、大きな空間に出た。

耳をすませば、曜の声や足音は聞こえてこない。きっと、あの入り組んだ地下道で迷っているのだろう。

息を整えたあと、懐中電灯であたりを照らす。あの空気の音はここからきているようだった。

どんな場所か、余裕をもって探索してみる。

そこは二階建て家屋より高い天井で、そこに無数の尖った鍾乳石がぶら下がっていた。地面にはところどころに白玉の池の底にあったような丸い石が転がっている。

しかも一部が沈下しているようで、空間の端に底知れぬ大きな穴もあった。

どうやらここは大昔、水を満杯にたたえた地底湖だったようだ。それが地殻変動で水がどこかへ流出し、この巨大な空洞を形成したのだろう。

その中央にある、ひときわ大きく目立つ、大自然が生み出した構造物に目を奪われた。

善子「これが……白衣観音……」

懐中電灯の明かりで浮かび上がる、神々しい姿に息を飲む。

532: 2023/09/10(日) 00:00:14.71 ID:3jfu/Eii.net
それは天井の鍾乳石から落ちた水が悠久の年月を経て形成した、頭と胴体にも見えるヒトの体形をした石筍だった。

そこに落下してくる石灰成分の水滴や、水位低下の影響があったようで。その石筍は、包み込むかのように乳白色の堆積物をまとっている。

――まさに白い衣をまとった仏像、観音様のような姿ね。

この自然のイタズラが成したものに、善子は関心した。

善子「ここが、母の遺した最後の場所……」

なにか手掛かりは、と観音像の足もとを調べると。

ドロドロになった無数の蝋燭の燃えカスが山のようにあった。そして、そばに厚手の毛布も発見。それらは、かなり昔に放置されたようでだいぶ風化していた。

善子「この場所に来たのは私だけじゃないみたいね……」

きっと母か校長先生に違いない。しかも、ここで寝泊まりをしたみたいだ。

慈悲深い観音様の足もとで一晩を過ごすなんて、ご利益がありそうね……。

ここを訪れた母へ思いをはせていると。

曜「よーしこー!よーしこー!」

追手の甲高い呼び声が入り口から聞こえてきた。

善子「……急がないと」

探索を切り上げ、空気の流れる音を頼りに観音像の裏手の岩壁に向かう。

地図には脱出路があった。そこから、一気に地底世界の外へ。

そのはずだった。

539: 2023/09/10(日) 20:52:47.22 ID:3jfu/Eii.net
善子「嘘……!」

希望の洞窟は崩れて通れなかった。地図にある以上、昔は通れたが地震かなにかで崩落した岩石によってふさがったのだろう。

ゴウッという空気の音は、そのふさがった岩の隙間から吹いていた。

善子の表情は絶望の一色に染まった。

目の前は埋まった洞窟。背後には殺人計画達成を目指して執念で追い回す曜。

まもなくここに現れるだろう。

再び追い詰められた善子。

善子「どうしよう……」

こみ上げてくる焦燥をなんとかおさえつつ、落ち着いて考える。

そして思いついた。

この巨大な観音像に身を隠し、曜がここを探し回っている間に背後へまわり、こっそりと池へ続く道に戻る作戦を立てる。

さっそく作戦通りに隠れようと懐中電灯を消した瞬間、一気に明るくなった。

曜「あはははっ!みぃーつけたぁー!」

追いついた曜が善子の顔に光を浴びせていた。その顔は歓喜に満ちている。

540: 2023/09/10(日) 20:54:12.77 ID:3jfu/Eii.net
曜「さあ、いこっか。千歌ちゃんが待っているよ……」

銃剣を構え、ツカツカと確実に善子の前に歩み寄る。

最後のあがきとばかり、曜と対峙した。

善子「千歌、千歌って……あんたが頃したんでしょうが!」

曜「うるさい!勝手に参列するのがいけないんだッ!」

曜「千歌ちゃんはミカンのシロップ漬けが食べたくて志満姉の代わりに来ただけの、食いしん坊なの!そこが可愛いんだよッ!大好きなんだよッ!」

曜「それなのに、それなのに……グスッ……ひどい、ひどすぎるよぉ……」

曜「あー!なんでそうなるかな!最悪だよ、さいあくぅー!」

見開いた目から大粒の涙を流し、口角から泡を吹いて激情のままに叫ぶ。ブンブンと腕を振って地団駄を踏んでいた。

やはり、尋常ではない精神状態だ。

曜「……ま、いっか。あとでサクッと聖良さん頃してサクッと終わらせるから」

一気に熱が冷めたように、サッと真顔になると再び銃剣を構えた。

腰を落とし、膝を曲げて勢いよく駆け出してからの刺突を繰り出そうとする。

ああ、万事休すね……。狂気じみた曜と正面から乱闘しても勝てるわけがない。

完全に追い詰められた善子。観音像を背に諦めの境地に入っていた。

542: 2023/09/10(日) 20:56:46.54 ID:3jfu/Eii.net
善子が二十七年の生涯を振り返った――そのときだった。

突然の轟音と共に、この空間が激しく横に揺れる。それは善子と曜の体勢をぐらつかせるほど強かった。

善子「んなっ……地震?」

片手を地面についた善子の頭上にパラパラと小石や粉塵が降り注いでくる。

そして、先ほどからゴウッと鳴っていた空気の音が大きくなったかと思うと、目の前に円錐形の大きな鍾乳石が地面に落ちてきた。

激しい落下音と共に、鍾乳石が砕け散る。

それだけにとどまらず、天井から何度も降り注いできた。

善子「ヒイッ……!」

叫び声をあげて後ずさりする、その勢いで大きく尻もちをついた。

――落盤だ。

恐怖のあまり善子は両手を頭の上にのせ、身動きできずにうずくまるしかなかった。

実はこの落盤、地上で起きたひと騒動が原因だった。

555: 2023/09/11(月) 08:19:41.13 ID:XZRR9N9P.net
時間は落盤発生より少し前に戻る。

地下で善子が曜に追い詰められているとき、地上の鬼の口では依然としてにらみ合いが続いていた。

リーダーである美渡の執念が、村人たちを団結させて一歩も譲らない様子だった。

夕暮れ時が近づき、日も斜めに傾き始めてきた。

――このままでは夜になってしまう。

絵里と海未は焦った。

夜になれば、犯人特定はおろか善子らの生命も危険にさらされる。

刻一刻と期限が迫っていた。

行動を起こしたのは、絵里。

絵里「……このままではラチが明かないわ」

絵里「制圧行動よ、制圧してちょうだい!」

予備隊長に要請した。すぐに隊長がホイッスルをくわえると、一気に吹いた。

それを合図に、警棒より長い警杖を持った予備隊員が村人の集団に突入。

洞窟の前で、入り混じっての大乱闘を繰り広げていった。

さすが暴徒鎮圧に特化した部隊。みるみるうちに村人たちを制圧していく。

しかし、彼女はあきらめなかった。

美渡「いってぇ!この……!」

美渡「こんな洞窟……人頃しと一緒に潰れればいいんだ!」

激しい抵抗でふたりの予備隊員を力づくで押し出し、間合いを確保した美渡が最後の切り札を用意した。

556: 2023/09/11(月) 08:21:32.70 ID:XZRR9N9P.net
後ろに回した手を前に掲げる。その右手には、数本の筒状のものをまとめて束にした物が握られていた。

それが何か気づいた海未が、絵里に大声で伝える。

海未「絵里!あれはダイナマイトですよ……!」

絵里「なっ……!それを渡しなさいッ!」

もみあう村人と予備隊員のあいだをぬって、絵里が美渡へ駆け寄る。

そう、美渡の手にはダイナマイトが握られていた。

かつて発破漁の道具として使われていたが、法令により禁止されたのち、漁師が秘密裏に所持していたものを美渡が譲り受けていた。

まったく善子が出てこない、もしくは警察による鎮圧行動が始まった時に出す切り札として。

美渡「くっ……放せッ……!」

絵里「早く渡し……なさい……!」

激しい奪い合いは、絵里に軍配があがった。

バレエで鍛えたしなやかな柔軟性を活かした逮捕術で美渡の腕関節を固め、その痛みで落としたダイナマイトをすぐに拾い上げる。

絵里「こっ、こんなものどこから――」

海未「――絵里!火が、火がついてますッ!」

大声で叫び、震える指でダイナマイトの先端を指し示す。

557: 2023/09/11(月) 08:24:10.76 ID:XZRR9N9P.net
絵里「えっ……ああああ!」

導火線に火が付いたダイナマイトを持ち、あたふたする。

それに気づいた村人や予備隊員が一斉に絵里の周りから逃げ出した。

持っているうちに導火線がますます短くなる。さらに結束していた導火線が分かれたため、引きちぎるという最終手段もとれなくなった。

絵里「なんで逃げるのよ!」

涙目で叫ぶ、急いで周囲を見回し。

絵里「……みんな伏せなさい!」

鬼の口めがけ、ダイナマイトを投げ込む。そして、急いでその場を離れたそのとき。

大きな炸裂音と共に、粉塵と石ころを鬼の口が吐き出した。

この爆発が白衣観音の落盤を引き起こしたのだった。

559: 2023/09/11(月) 22:57:50.27 ID:XZRR9N9P.net
爆発で鬼の口や頑丈な石灰岩で形成された洞窟は大きく崩落しなかったが、元地底湖で水による風化が激しかった白衣観音では大きな影響を及ぼした。

もろくなった天井が崩れ落ち、足元には大きな亀裂が縦横無尽に入ってきた。

曜「氏ねえッ!」

激しい揺れのなか、動かなくなった善子を好機とみた曜は、銃剣を構えて走りだす。

善子「……ッ!」

なんとか身体を起こした善子の目に映るのは、怪しく光る刃を握りしめて狂気の笑みを浮かべて全速力で駆ける曜の姿。

抵抗らしい抵抗もできない善子は、頭を抱えて悲鳴をあげるしかなかった。

そのとき、曜の行く手をふさぐように多くの鍾乳石が落ちてきた。地面に突き刺さるように落ち、破片をまき散らす。

曜「くっ……」

その衝撃と断続的な揺れで体勢を崩した曜は、歩みを止めた。

――なぜ邪魔をするんだ!

この洞窟とミュウズへ怨念を込めて、うらめしく天井を見上げると。

巨大な鍾乳石が鋭利な先端をこちらに向けて落ちてくるのが見えた。

曜「……あ」

これが連続殺人犯の最期の言葉だった。

560: 2023/09/11(月) 22:59:21.25 ID:XZRR9N9P.net
そのまま鍾乳石は地面に落下。粉塵と大きな音を立てて曜を巻き込んだ。

善子「あれ……?」

揺れがおさまって、顔をあげてみると。

そこに曜の姿はなく、根元が折れた巨大な鍾乳石がそびえ立つのみだった。

善子「やったの……?」

しばらく身構えたが、曜が現れてこないのをみると、落下で行動不能になったのは確実なようだ。

安心感から来るプツンと切れた緊張の糸の影響で、善子はその場にへたり込む。

善子「……墓標にしては大きすぎるわね」

なんともいえない気持ちで石を眺めていたそのとき。

バリバリと大きな音を立てて地面に亀裂が入り、足元の地面が崩れ落ちた。そして現れた漆黒の穴が善子を吸い込もうと大口を開ける。

善子「んなっ……!」

危機一髪だった。

落ちていく寸前に右手を伸ばし、穴のへりに手をかけてなんとか命拾いした。

561: 2023/09/11(月) 23:01:02.16 ID:XZRR9N9P.net
宙ぶらりんの状態になった善子。

善子「くうっ……」

なんとか左手もへりにかけてよじ登ろうと腕を伸ばす。そのとき右手に力をかけすぎたのがまずかった。

もろくなっていた周囲の岩がひび割れて、砕けてしまった。

あわてて右手を動かすも、むなしく宙を掴むだけである。

善子「……あっ」

右手を伸ばしたまま、闇に吸い込まれていく善子。

ああ、もうダメね……。

頭上を見上げ、生きることを諦めきったそのとき。

カーキ色の長袖を通した白い手が地上から伸び、善子の右手首を力強く掴んだ。


聖良「善子さん……今度は逃がしませんよ……!」


鹿角聖良が息を切らしながら、穴から顔をのぞかせた。

567: 2023/09/12(火) 23:27:45.38 ID:d2McLYRH.net
聖良「さあ、しっかり掴んでください……!」

その声に応じて、差し出された手を善子はがっちりと掴む。

聖良「足をかけられる場所はありますか?あるなら、引き上げられそうですが……」

善子「あったわ……!」

宙吊りの状態から、なんとか足を崖に伸ばして、かけられる足場を見つけた。

聖良「……いいですか、せーの!」

息をつめて引っ張る力を込める聖良にあわせて、善子は足場を蹴って登る。その勢いのままに引き上げてもらった。

こうして善子は奈落の底から生還した。

善子「あ……ありがとう……」

その場でへたり込む善子は、まず聖良に礼を述べる。なぜ自分を助けに洞窟に入ったのか、疑問の眼差しを向けた。

善子「どうしてこんなところまで来てくれたの……?」

すると、その問いに答えるように聖良が口を開く。

聖良「――頼まれたのです。村人があなたを狙って洞窟へ追い詰めたから、脱出のために力を貸してほしいと」

善子「一体、誰が……?」

聖良「渡辺曜、です」

善子「えっ……!」

驚いて目を丸くした。だが、他に知りたいこともあったので、さらに尋ねる。

568: 2023/09/12(火) 23:30:52.97 ID:d2McLYRH.net
善子「……でも、村人が恐れる洞窟に飛び込むなんて、勇気がありますね」

そういうと聖良は少し口ごもったあと、答える。

聖良「実は、夜中に洞窟を何度も探検したことがあって慣れていますから……力になれると思ったのです」

聖良「そこで洞窟に入ると、いきなりルビィさんが倒れていますし、あなたからいきなり殺人犯扱いされて、逃げられるし……大変、困りましたよ」

善子「……すみません」

聖良「いえ、お気になさらず。そちらも大変だったでしょうから……」

聖良「そして逃げられたあと、さまよっていたら。白玉の池の先――この場所は行ったことがなかったのですが、あなたの声が聞こえたので岸辺の杭をつたって駆けつけたのです」

聖良「目印もあったので助かりましたよ」

聖良がここまで来れたことに納得すると同時に、善子は背筋がぞくりとした。

曜は自分を追い詰めた洞窟に聖良もおびき寄せ、一気に葬る気だったのか。

果南の葬儀のとき、聖良は協力を申し出ていた。善子はお世辞として真に受けていなかったが、彼女は本気だったのだ。

そんな正直な聖良までも利用した曜の冷酷さに、身震いする善子だった。

569: 2023/09/12(火) 23:32:11.09 ID:d2McLYRH.net
善子「そう、だったのね……」

聖良「ところで、曜さんを見ませんでしたか?彼女は別の入り口から入ったはずですが、いませんね……」

言葉に詰まる。

曜が八人を頃した犯人で、たった今、鍾乳石の下敷きになったと言えなかった。

聖良「……とにかく、ここを出ましょう。立てますか?」

善子「え?ええ……」

聖良「けがはありませんか」

善子「ないわ。ありがとう……」

ばつが悪そうな様子で答える。ついさっきまで、彼女を冷酷非道な犯人だと思い込んでいたことを後悔していた。

そうとは知らず。それは良かった、と安堵の表情を浮かべていた聖良。

さらに申し訳ない気分になった。

こうしてふたりは脱出路を探し始めた。

571: 2023/09/13(水) 08:20:20.46 ID:Cgvsz8Ba.net
とりあえずふたりで来た道へ戻ってようと、懐中電灯で洞窟を照らすと。

崩落した岩石でぴったりふさがっていた。手で掘れるような状態でもない。

聖良「ふさがってしまっていますね」

善子「……最悪ね。閉じ込められたじゃない」

聖良「いえ、そうでもないですよ」

見てください、と上を指さす。

一部、天井が崩落して外の光が地面に差し込んでいる。大きさはちょうど人ひとりが通れるような洞穴になっていた。

聖良「登れるか確かめてみます。善子さん、休んでいて大丈夫ですよ」

そういって天井の穴のほうへ歩いていく。

その背中を見送り、手持ち無沙汰になった善子は岩壁のそばに寄り、落ちていた大きな平たい石に腰かけた。

善子「ここを出られたら、ようやく終わるのね……」

あんな恐ろしい思いはもうたくさんだ、と、この残酷で不運な夏を振り返り心を落ち着かせていると。

ふと、真横で散らばる黄色いものを見つけた。

善子「なにこれ……」

気になって腰を上げ、懐中電灯を当ててみる。それが何か分かったとき思わず大声を出した。

善子「うわっ、これ……金じゃない……!」

そこには、光の環いっぱいに輝く黄金の延べ板があふれんばかりに輝いていた。

572: 2023/09/13(水) 18:59:30.53 ID:Cgvsz8Ba.net
>>571
すみません。脱字と描写を訂正しました。


とりあえずふたりで来た道へ戻ってみようと、懐中電灯で洞窟を照らしてみたが。

崩落した岩石でぴったりふさがっていた。到底、手で掘れるような状態でもない。

聖良「ふさがってしまっていますね」

善子「……最悪ね。閉じ込められたじゃない」

聖良「いえ、そうでもないですよ」

見てください、と上を指さす。それにつられて善子も見上げた。

そこには、天井が崩落して出来上がった小さな洞穴があり、そこから外の光が地面に差し込んでいた。その大きさは、ちょうど人ひとりが通れるようだった。

聖良「登れるか確かめてみます。善子さん、休んでいて大丈夫ですよ」

そういって天井の穴のほうへ歩いていく。

その背中を見送って、手持ち無沙汰になった善子は岩壁のそばに寄り、偶然見つけた大きな平たい石に腰かけた。

善子「ここを出られたら、ようやく終わるのね……」

あんな恐ろしい思いはもうたくさんだ、と、驚きと不運が連続した数週間を振り返って心を落ち着かせていたとき。

ふと、真横で散らばる黄色いものを見つけた。

善子「なにこれ……」

気になって腰を上げ、その前に立って懐中電灯を当ててみる。

それが何か分かったとき、思わず大声を出した。

善子「うわっ、これ、金じゃない……!」

そこには、光の環いっぱいに輝く黄金の延べ板が小さく積みあがっていた。

573: 2023/09/13(水) 20:43:27.09 ID:Cgvsz8Ba.net
善子は身をかがめ、その山から一枚拾い上げてみた。

延べ板はズシリと重く、表には三つ鱗の刻印が押されている。時がたっても色褪せないその鈍い輝きこそ、メッキ細工とは違う本物の金であることが素人目にもわかる。

この延べ板たちの正体を推測した。

善子「もしかして、これが北条家の黄金なの……?」

手首をきかせて延べ板を裏返したり、振ってみながらつぶやく。

曜から聞いた、ミュウズ様の原形となった九人が小田原城から持ち出した黄金――それが三百六十年のときを経て、ようやく姿を現した。

善子「……本当にあったんだ」

卑劣で残酷な方法で九人を殺害した村人が血眼になって探し回っても、最後まで見つからなかったものが今、善子の手に握られている。

しかも、この延べ板は小判に鋳造する前のほぼ純金の状態。きっと一枚で数十万はする代物。

自分の収入で換算すると……もはや考えるだけ無駄だ。

背中がゾクゾクし、興奮のあまりブルブルと震えてきた。

善子「この一枚で、イタリアに旅行できそう……」

手に持ったものをうっとり眺めていると、目の前で延べ板が数枚、上から降ってきた。

善子が見上げると、そこには。

574: 2023/09/13(水) 21:25:47.66 ID:Cgvsz8Ba.net
善子の頭上およそ一メートルほど上に、船のへさきのように丸く前に突き出た奇妙な形の石筍があった。さっきの崩落の影響で崩れたのか、先端がもぎ取られるようになくなっている。

その割れた部分から、黄金の延べ板の一部がちらりと飛び出していた。

懐中電灯の光をあててみる。

岩の中は空洞になっていて、その中で木製の箱を見つけた。その箱は長い年月で風化しており、半分が崩れて中身が漏れ出ていた。

その中身こそ、足元に落ちている延べ板たちだ。

善子「きっと、隠したときはあの岩まで湖だったのかもね」

こう想像してみた。

ミュウズの九人は、黄金の延べ板を詰め込んだ箱を地底湖だった白衣観音に運び込んだ。洞窟の奥深くで足場も危険な道筋にある湖のほとりに隠せば、きっと誰にも見つからないと思ったのだろう。

そして彼女たちは全員殺された。黄金のありかを吐かせようという理性さえなくなった、報奨金と独占欲にまみれた村人たちによって。

こうして誰も知らぬまま、祟り伝説によって禁足地となったこの場所で、三百年かけて石灰成分を含んだ水や地殻変動にさらされて埋もれてしまったのだ、と。

576: 2023/09/13(水) 22:18:56.02 ID:Cgvsz8Ba.net
――そして水位低下によって頭上に置かれたまま誰の目に触れず、こうして隠されたのである。

こう黄金に思いをはせていた善子だったが、ハッと我に返った。さっそく、助けてもらった同行者のもとへ駆け寄る。

善子「ねえ、ちょっと来て!」

天井の穴を調べていた聖良の足元に立った。

聖良「なんとか出られそうですね……善子さん、どうしました?」

大変興奮した様子の善子を見て、少し戸惑い気味な表情で見下ろす。

聖良「なにか良い収穫でも――」

善子「――あったわ、とにかく来て!」

下りてきた聖良にあの黄金を見せた。すると、彼女は目を見開いて大変驚いたあと。

聖良「……こんなところにあったのですか……」

と、意味深なつぶやきを残す。それに気付いた善子が聖良に目を向けた。

……なるほど、前から抱いていた聖良への疑惑と謎がこれでわかったわ。

村人の目を忍んで真夜中にツルハシ片手に鬼の口にいたこと、洞窟の中を探索した経験があるというさっきの発言が、ある答えを善子に導かせる。

善子「ねえ……もしかして夜出歩いていた噂があったのは、この黄金を探し回っていたからなの?」

聖良「……はい」

その問いに、聖良は少し顔を赤らめて恥ずかしそうにうなずいた。

聖良「妹の……理亞のためだったんです……」

そして、善子にその訳を話し始めた。

578: 2023/09/14(木) 22:30:41.98 ID:yJQ0D5Zo.net
聖良「私たち姉妹は両親を早くに亡くし、新天地を求めて函館から樺太へ移り住んだのです」

聖良「そこで白玉団子の店をやっていたのですが……終戦ですべて失って、本土に帰ってきました」

聖良「……このままでは乞食かパンパンで生きる道しかありませんでした。そこで私は、まだ未成年だった理亞を函館の親戚に預けて、生活を立て直したら必ず迎えにくると約束したのです」

聖良「そして親戚の黒澤本家を頼り、支援のもと再起を図ろうとしたのですが――」

善子「――待っていたのは、生かさず殺さずの飼い頃しだったのね」

聖良「ええ、ほとんど農作業をばかりしてました……でも、借金をするのは嫌でしたので」

小さくうなずく聖良。負けず嫌いな彼女にとって、こんな扱いはとても辛かったはずだ。

村人からは余所者として見られ、一族からは頭ひとつ下げない厄介な居候として見られ。

まるで小作人のように畑仕事や果樹園の手伝いをしながら過ごす鬱屈とした日々のなかで、きっと心の支えは妹との約束だったのだろう。善子は同情した。

聖良「幸いなことに、ルビィさんがときどき支援をしてくれました。おかげで私はやりくりしながら年に一度だけ東京で理亞に会うことができたのです」

善子「……だから外出できたのね」

聖良が東京にいた理由もこれで判明した。そもそも怪文書とは関係なかったのだ。

そして、ルビィだけが聖良を理解してプライドを傷つけないように、こっそり生活を助けていたということもわかった。

579: 2023/09/14(木) 22:32:25.73 ID:yJQ0D5Zo.net
伏し目がちの聖良は話を続ける。

聖良「この生活では永遠に理亞を迎えに行くことすら叶いません……。そのとき、村の財宝伝説を聞いたのです」

聖良「豊臣秀吉に略奪されなかった北条家の黄金――時価数百万の金を落ち武者が隠した、と」

聖良「……自分でも馬鹿げているとは思っていました。ですが、溺れる者は藁をも……です。今の生活から抜け出せる唯一の手段だと言い聞かせて、探すことにしました」

聖良「きっと洞窟とその周囲に金が隠されていると思って、ずっと真夜中に探し回っていたのです」

聖良「なかなか見つからず諦めかけていましたが、本当にあったのですね……」

足元に転がる延べ板を拾い上げ、じっくりと眺めていた。

善子「とりあえず、地上に戻ってからあとで取りに行かない?黄金と心中なんてごめんよ」

聖良「そうですね。でしたら……」

このあとに続く提案を受け入れた善子は、一緒に脇にあった大きめの岩石たちを被せていった。

聖良「……これでいいでしょう。他の誰にも見つからないように」

善子と顔を見合わせ、うなずき合う。

善子「さ、行きましょう」

そして、ふたりは天井に空いた穴へ続く岩をよじ登って脱出を図った。

580: 2023/09/14(木) 22:34:31.99 ID:yJQ0D5Zo.net
先に体力のある聖良が地上へ出た。途中、大きな尻が引っかかって慌てた様子で足をばたつかせていたが、善子に押し出してもらった。

聖良「さあ、善子さん……」

彼女の手を借りて、ようやく善子は暗く淀んだ空気の地底世界から脱出する。

――外の光がまぶしい。思わず両手で顔を覆い、目が慣れるまで時間を要した。

やっと目が慣れて、手を下ろす。いま立っている場所はどこか、見回してみる。

時刻はすっかり夕暮れどきで、あたりは山吹色の夕焼けに包まれていた。

善子「……ここは、神社?なんか小屋と九つの石があるわね?」

この場所がどこかわかった途端、ギョッと目を丸くした。

山頂近くの平たい草原に、小さな祠と九つの石柱が建っていた。祠のほうは最近、建て替えたのか真新しい見た目である。

一方、九つの石柱たちは建立してかなり時間が経っていて、だいぶ風化していた。その手前には香炉があって、祭祀が行れている痕跡もあった。

さらに奥で九つの鳥居と、山のふもとへ下りられる石段も見つけた。

善子「もしかして、ここってミュウズの祠……?」

聖良「そのようですね。祠の横にある大きな岩の隙間から出たみたいです」

指をさした方向を目で追うと、人ひとりが通れる割れ目から出てきたことがわかった。

581: 2023/09/14(木) 22:40:23.72 ID:yJQ0D5Zo.net
ミュウズの祠と九つの石柱、もとい墓標の真下に白衣観音があったのね……。

洞窟の最奥がこの真下で、黒澤家の直系を含めた八人を頃した曜を襲った落盤や、誰にも見つからなかった黄金を発見したことは――はたして偶然なのだろうか。

そう思ったその瞬間、夕暮れの山から吹き込んだ冷たい風が善子の背中をなでた。

善子「……ひっ!」

汗ばんだ背中がゾクッと凍えた。真正面にある九つの墓標から、誰かに見られているかのような視線を感じた。

善子「考えない方がいいわね……」

思わず目をそらす。

そこに聖良が歩み寄ってきた。

聖良「ふもとまで歩けますか?歩けないなら助けを呼びますが……」

善子「……ありがとう。大丈夫、歩けるわ」

従姉妹の気遣いに礼を述べ、善子は聖良と共に石段へ向かう。

石段を下りて、ふもとまで続く山道を歩いていたとき、巡回中の警官たちに遭遇し、保護された。

出会ったのが村人ではなかったことに安堵した善子は、緊張状態を解いた勢いと、疲労の蓄積による身体の限界が同時にきて、その場に倒れ込んでしまった。

驚いて心配する聖良に抱かれながら、善子の意識は飛んだ。

――こうして、長い一日は終わりを告げた。

587: 2023/09/15(金) 08:00:02.07 ID:bA00zpkS.net
善子が気づいたとき、診療所のベッドの上にいた。疲れと淀んだ空間に長くいたせいか、倒れた日から高熱を出して三日三晩、寝込んでいたそうだ。

小原診療所に担ぎ込まれたあと、隣村の疎開医の西木野がやってきて治療を施してくれたらしい。

やたらツンケンした態度だったが、腕は確かで献身的な女医だった。

意識を取り戻したあと、話を聞くと。

善子が寝込んでいた間に、九つ墓村の事件はだいたい解決したらしい。

暴徒たちは鎮静化し、美渡は志満にこっぴどく叱られたそうだ。その様子は般若が現れたと、村人は恐れたとのことだった。

ルビィの葬儀はすでに終わっていた。従姉妹の聖良が仕切ってくれたらしい。

――こうして、村は平穏を取り戻した。

善子「なんだかあっという間に終わってしまったわね……」

上体を起こして、窓の外に目をやって独り言をつぶやいていると。

扉のノックがしたあとに、海未が顔を出した。

海未「調子はいかがです?」

善子「だいぶ良くなったわ、明日の朝には退院していいんだって」

元気よく答えると海未はそうですか良かった、良かった、と笑顔でいった。

588: 2023/09/15(金) 08:00:55.31 ID:bA00zpkS.net
和やかな空気だったが、それを破ってまで一番知りたいことを海未に尋ねた。

善子「ねえ、海未」

海未「なんでしょう?」

善子「本当に、曜が犯人だったのよね……」

海未「……はい。彼女が犯人です」

海未「あるときから、曜ではないかと思っていたのですが……対峙する直前で、彼女の動きが早すぎて後手にまわってしまい――」

海未「――あなたや聖良を危険にさらしてしまいました」

申し訳ありませんでした、と海未は深く頭を下げて謝罪した。

気に病まないで、と善子は気遣う。海未のおかげで救われた場面が多く、むしろ責めるどころか感謝の気持ちが大きかったからだ。

しばらくお互い沈黙したあと、恐る恐る善子が口を開いた。

善子「どうして、どうして曜はあんな恐ろしいことを……?」

海未「そのことについてですが、みなさんと集まって事件の総括をしたいと思っています」

海未「良かったら、離れを貸していただけませんか?」

その提案をふたつ返事で快諾した。

590: 2023/09/15(金) 21:20:35.49 ID:bA00zpkS.net
ああ、そういえば、と海未が思い出したようにいう。

海未「……これ、離れから見つかりました」

懐から紙束を取り出して、手渡す。受け取った善子が見てみると、誰かが書いた手紙の束と小さな封筒一枚があった。

善子「手紙……?いったいどこで?」

海未「――離れの杉框です。あなたの言った通り、調べると床の間に細工が施されていました。取り外すと空洞になっていて、この読み終わった手紙の束が出たのです」

善子「ちょっと待って……!」

善子「いつ海未にそのことを言ったの?」

これは自分に託したルビィの遺言のはず。本当の父親の正体を明かす、大事な手掛かりをなぜ海未が知っているのか。

無意識に怪訝そうな顔で善子が見ていることに気づいた海未は、苦笑すると頭に手をやって。

海未「あなたがここで高熱にうなされている間、うわごとのように発していたのです――離れの杉框、と」

善子「んなっ……」

思わず顔を赤らめた。

593: 2023/09/15(金) 22:57:44.30 ID:bA00zpkS.net
海未「どうやらこの手紙、あなたのお母様が書かれたもののようです。郵送はせず、直接相手に渡して読んでもらったみたいですね」

海未「内容はその……」

また頭に手をやって口ごもったが、意を決して顔をあげると。

海未「恋文、でした……」

善子「……読んだの?」

海未「ええ、もちろんです。一連の事件を解明するために」

善子「本当かしら……」

いぶかしげな目つきで海未をみると、ぷいと顔を反らした。

善子は病室のベッドの真っ白なシーツの上に、母の手紙を広げて整理する。そして、手に取って読んでみた。

亡き母の想いが文字に込められたもの、期待に胸を躍らせる。

善子「……」

だが、内容は美しいペン字とは裏腹に、当時の母の不幸と悲痛な思いが詰まっていた。

594: 2023/09/16(土) 15:45:15.12 ID:gWvrGr4I.net
その中でも。

――拉致され、激しく殴打されたあと辱しめられた。

とか、

――裸にされ、一晩中ねっとりと愛撫された。嫌がると、髪を掴んで引きずり回される。

母が涙を落としながら書いていると思うといたたまれなくなり、さらに。

――可愛がるといい、砂糖水をかけられたあと体中を舐めまわされ、気味が悪い。

――挟ませ、貪り食う。おぞましい。

とても風変わりで変質な愛情を輝石は母に注いでいたこともわかった。

拉致された当初の手紙たちはとても読めたものではなく、善子はその気色悪い愛情表現と激しい暴力を想像して吐きそうになるのをこらえていた。

しかし、ある手紙にこうつづられているのを発見した。

――思い起こすは、観音様のほとりにて熱き情を交わしたときのこと。

――暗い洞穴にて声を掛けあって、捜す楽しみ。そんな戯れをまたやりたい。

――貴方と私をつなげてくれる善知鳥。この一文字を賜って、名付ける所存にて。

少女のような母の熱い恋心を、この文字から感じ取った。

きっと相手は心から愛している男性で、村の洞窟で逢引を繰り返し、白衣観音で体を重ね合い、契りを結んだのだろう。

善子「これって……」

視線を手紙から海未に移す。すると海未はゆっくりうなずく。

海未「あなたは、黒澤輝石の子ではありません――この手紙が証拠です」

静かにしっかり断言した。

595: 2023/09/16(土) 15:47:54.65 ID:gWvrGr4I.net
海未「そしてこれです。きっと横暴な黒澤輝石になぶられてもお母様が発狂せず耐えられたのは、この方と淡い思い出があったからでしょう」

指で小さな封筒を指し示す。善子がそれを手に取って、開けてみると一枚の写真が入っていた。

写っているのはひとりの人物で、男性だった。

きれいに整った七三分けの髪型、つり目で鼻筋の通った凛々しい顔立ち。二十代後半くらいの年齢。

写真を裏返すと、小学校にて――先生と署名があった。

善子「このひと……学校の先生なの?」

海未「はい。調べると、お母様と同じ学校の先生でした。そして――」

海未「――むつの家を調べて、アルバムから見つけました。この写真を見てください」

懐から取り出して、善子の前に見せた。

善子「これって、鬼の口……?」

海未「そのようです」

海未「横浜からここに赴任してきた彼は、むつと同じ地質学が専攻だったそうです。教員になったばかりのお母様も誘って実地調査をしていたみたいですね」

見せた写真は、鬼の口の前で撮った三人の集合写真。

さっきの男性を中心に母と若いむつが笑顔で並んでいる。三人とも探検隊のような帽子を被り、動きやすい服装を着ていた。

善子「この人が……母の恋人……」

ふたつの写真を交互に見比べていた。

600: 2023/09/16(土) 20:24:18.38 ID:gWvrGr4I.net
写真を見つめたまま動かない善子に、海未が続ける。

海未「寺の住職からすべて聞きました。おかげで私もふたりの関係を知ることができたのです」

海未「お寺にはお母様とその方がよく訪ねてきて、この村にある洞窟の古地図を写しに来たそうです。とても仲睦まじい様子だった、と住職がおっしゃっていましたよ」

善子「じゃあ、あれは……」

ベッドの横にあるキャビネットの上に置かれていた、肌身離さず持っていた御守り袋に目をやる。

大事にするように自分にいっていた意味が今わかった。

――その人との思い出の形見、だから。

そして、むつが言っていた自分以外に住職が知っている事実――母の恋人のことだったのだ。

母が遺した謎がどんどん解けていく。

海未が口を開いた。

海未「御守り袋にあった地図、寺にあったものと同じでした」

善子「そう、だったのね……」

視線を膝元に置かれている手紙に移す。これでわかったことは。

602: 2023/09/16(土) 20:39:55.40 ID:gWvrGr4I.net
母は黒澤輝石に拉致される前から、その男性と恋仲だった。そのとき母には、すでに新しい命がお腹に宿っていたのだ。

最奥の白衣観音にあった毛布や蝋の燃えカスがその証拠。

拉致されたあとも、上屋の離れを抜け出して納戸の抜け穴をつかって逃げ出し、洞窟で何度も逢引を重ねていた。

それが、輝石の子でないという噂の出所となり、怒った輝石が自分の背中に傷をつけ、母に逃げられて発狂。

――三十六人頃しの惨劇が始まった。

これでようやく自分の出生にまつわる謎が解け、事実を知ることができた。

決して祟りや呪いでもない、全ては愛に狂った者が引き起こした事件だったのである。

善子「本当に……本当に、私は黒澤の子じゃなかったのね……」

海未「そうです」

善子「そっかぁ……」

狂暴な恐ろしい血が流れていないということに安心すると同時に、母はどれだけ辛かったろうか……そう思うと熱いものがこみ上げてくる。

心から愛した男性との間に宿った生命――つまり自分を守るために輝石の狂気じみた愛に耐えて、母は必氏に正気を保っていたのだ。

そして、無事に産んでくれた。自分のために命がけで村を脱出し、理解ある義父と出会い、慎ましい生活ながらも東京で育ててくれた。

ぼんやりとだが脳裏に幼い自分を抱く母の笑顔や温もりが、一気に思い起こされてくる。

善子「お母さん……」

震える声でつぶやいた。

606: 2023/09/16(土) 22:44:53.24 ID:gWvrGr4I.net

海未「きっと、むつはあなたに伝えたかった」

海未「花丸や村人のひどい風評や中傷に傷つく善子を見ていられなかったのです。三十六人頃しの狂暴な血を決して引いてない――という今まで胸の中に隠していた事実を」

海未「それは、芯の強いお母様が心から愛し、恋焦がれたその人との子である、と」

善子「……」

沈黙する善子を気にせず淡々と調べた事実を伝える。

海未「もうひとつ、最後に残された謎――」

海未「――ウトウヤスカタ」

善子「それ……!」

ハッと顔をあげて海未を見つめた。形見の地図でも、白衣観音にもなかったもの。

写真の裏にあった本当の父の名前でもなかった、人名のような謎めいた単語。

でも、母は忘れないでといって遺したものだった。賢くない自分にはさっぱり分からない。

善子「いったい、なんなの?誰なの?」

勢いよく身を乗り出し、食い気味に尋ねる。驚いた海未は落ち着くよう促した。

海未「結構、時間がかかりました……いやあ、ヒトの先入観というものは恐ろしいものですね……」

海未「――これは、合言葉だったんですよ」

607: 2023/09/16(土) 22:47:22.45 ID:gWvrGr4I.net
善子「合言葉?あの、山といえば川の……?」

海未「そうです。これは、ある鳥の親子同士の鳴き声からとった合言葉なのです」

海未「この鳥はウトウといって、東北の海辺に住む鳥のことでして……」

海未「かの有名な歌人、藤原定家も歌で詠んでいるんです――」

海未「――みちのくの外ヶ浜なる、呼子鳥、鳴くなる声はうとうやすかた」

ちなみにウトウを漢字で書くと、といって手帳を取り出し、ペンを走らせる。

そして、善子に見せた。

海未「――善知鳥、と書きます。これ、お母様の手紙にありますよね?」

善子「ええ、あったわ」

海未「この善知鳥。親鳥がウトウと鳴いて呼び出し、子供がヤスカタと鳴いて応え、巣から出てくるという伝説が残っているんです」

海未「こうしてお互い声を掛け合い、親子が出会うらしいのです。ただ、あくまでも伝説のなかの鳴き声なので本物は存じませんが……」

海未「とにかく、これをお母様と相手の男性は密会の合言葉に使った。暗く広い洞窟で位置を知る手段としても活用するために」

海未「また、輝石の屋敷を抜け出し、脱出が成功した知らせも兼ねていたでしょう。深い闇の中、僅かな明かりを頼りにお互いに声を掛け合い、出会いを果たす――」

海未「――なんとも劇的で、ロマンチックですね。悲恋のなかの美しさ、を感じました」

うっとりとした目でいった。

608: 2023/09/16(土) 22:50:34.34 ID:gWvrGr4I.net
善子「もしかして……」

ハッと気づき、再び膝元の手紙に目をやる。

――貴方と私をつなげてくれる善知鳥。この一文字を賜って、名付ける所存にて。

この一文に注目した。

善子「……私の名前……ここからとったんだ……」

ぽつりとつぶやく。そして、母へ思いをはせる。

――どんな不幸や困難のなかでも、愛し合ったふたりにできた尊い子。どんなときも想いは繋がりつづけ、この子の未来が善いことに恵まれますように。

亡き母の無限の慈愛を文字から感じ取り、ついに感情があふれた。

ポタポタと目から落ちた熱い涙が手紙を濡らしていく。

善子「ううっ……お母さん、お母さん……!」

嗚咽を漏らしながら手紙たちをかき集め、胸元で強く抱きしめる。

海未「……」

探偵は黙って小さく会釈をすると、さめざめと泣く善子を置いて静かに病室を去っていった。

611: 2023/09/17(日) 20:40:26.43 ID:pLKtOmRB.net
上屋の離れにて、事件の真相を語る会合が開かれたのは、ルビィの初七日法要を終えた翌日の夜だった。

参加者は海未をはじめとして、絵里、聖良、海未に呼ばれて東京からきた花陽、そして快復した善子の五名。

座敷では心ばかりの酒と料理が振る舞われ、善子にとって村に来て初めて経験した終始和やかな雰囲気の会合だった。

しばらく歓談したあと絵里に促され、海未が口を開いた。

海未「今度の事件は、大変難解かつ手こずった事件でした」

海未「あえて皆さんに告白しますが、私にとって良いところが一切なかった。犯人は機転に優れ、大変な行動力を持った人物で一枚上手のやり手。とくに動機を隠すことに優れていました」

海未「今思えば、私がいなくても事件は自然に終息し、犯人も自然と報いを受けていたことでしょうね……」

一同は黙って聞いていた。静かにただジッと海未を見ている。

海未「――まず、最初から事件をおさらいしていきます」

海未「すべては、ミュウズの祠に落雷があったことが発端でした」

612: 2023/09/17(日) 20:42:00.86 ID:pLKtOmRB.net
海未「この落雷を目撃した花丸は、ミュウズの祟りが起きると村中で吹聴してまわりました。もちろん、これはただの妄言です……が、ある人物は違った」

海未「小原鞠莉です。彼女は黒澤家から県議会議員選挙の資金協力を拒まれ、本家を恨んでいました」

海未「そこで花丸の妄言からヒントを得て、ミュウズの祟りを利用した本家の人間を殺害していく計画を立てて、手帳に書き込んだのです。わざと無関係な分家の人間もリストに入れた、あの殺人計画メモはこうして生まれました――」

海未「――もちろん、これはただの憂さ晴らしで、落書きのつもりだった。わざと自分の名前を入れるおふざけもあって、実行する気は鞠莉には毛頭ありませんでした」

海未「しかし……そのくだらない、机上の空論を見てしまった人物がいました――渡辺曜です。診療所を訪ねたとき、鞠莉は診察中で手が離せず、家の中で待っているときに偶然にも、曜は手帳を目にしてしまった……」

海未「例のメモを見て、きっと驚いたことでしょう。なぜなら、自分の父親も入っているから。曜は鞠莉と違って機転が利き、行動力があります。瞬時に内容を理解し、この計画は使えると判断して早速、鞠莉の手帳からこのページを破り取ったのです」

海未「そして、書かれたメモと祟り伝説を利用した殺人を行いました」

613: 2023/09/17(日) 20:44:33.64 ID:pLKtOmRB.net
海未「まず最初の事件です。曜は桜内梨子と個人的に親しく、梨子は女遊びをする前に精力剤を服用することを知っていた。氏因となった毒は鞠莉の診療所で混入されたもので、曜は鞠莉の診療所や直結する家屋に客としてよく出入りしていたため、毒を入れる機会はいつでもありました」

海未「さらに鞠莉は薬を一か月ごとに作り置きしていましたから、処方薬に毒を混ぜることができた。田舎で無施錠、管理も甘い薬剤室です……混入は簡単だったでしょう」

海未「第二のダイヤの事件も同じ方法です。偶然にもふたりは善子の前で中毒氏したことで、疑惑の目が善子と鞠莉に向けられ、犯人は影に隠れることができました」

海未「このふたつの事件、かなり難解でした……通常、連続殺人において一貫した動機を考えるのは当然です。ふたりに共通しているのは、同じ黒澤家と関わりを持っているという点。しかし、梨子は今年東京から沼津に移住したばかりの新参者です。かたやダイヤは長年、九つ墓村を牛耳る旧家の当主――労使の関係以外、目立った接点がない」

海未「しかも、多くの薬のなかにひとつだけの毒を入れることで、一か月のうちにいつ氏んでも構わない状況をつくり、犯人の特定を難しくさせました」

海未「犯人にとって、ダイヤが先でも梨子が先でもどっちでもいい状況をつくり――正気じゃない無差別毒殺犯の影をちらつかせた」

海未「しかし、私の中に疑念がありました。犯人はあまりにも鮮やかで巧妙すぎていて、衝動的な気違いの犯行とは到底思えない、と。そう考えていた私へ、犯人がたたみかけるように起こした――」

海未「――第三の事件によって、大きく判断を狂わせられたのです」

618: 2023/09/18(月) 10:49:20.73 ID:XOXwu/Y8.net
海未「犯人はダイヤの初七日で人の出入りが激しい台所に難なく入り込み、会席膳の手伝いを行った。もともと器用な彼女です、ルビィや女中たちは作業を彼女に任せて他のほうに集中していました」

海未「そこで生じた氏角を最大限に利用し、善子とルビィが運ぶ、ふたつの会席膳のうちひとつに毒を入れたのです」

海未「狂人が起こした無差別殺人であることを私や警察に強く見せつけるため――標的を決めず誰でも良い無意味な殺人をひとつ起こした」

海未「そしてルビィの頼みで善子を呼びに行き、偶然にも玄関でむつと遭遇。そこで例の計画メモをから第四の殺人の標的と決めたのでしょう」

海未「会席膳をあとで届けさせると、善子を使ってそのように仕向け、作り置きを用意させて善子と別れ、広間のほうへ向かった――」

海未「――そのとき、少し驚く展開があったのです」

そこで言葉を切った。それを見計らい、絵里がコップにビールを注いでやって、海未に話しかけた。

絵里「十千万旅館の女将の高海志満の代理として、高海千歌が参列していたのね?」

海未「んくっ……そうです、そうです。彼女はいくらか動揺したでしょう……善子かルビィのいずれかが運んでくる毒入り会席膳が千歌にいきわたる危険がありましたから」

一気に飲み干したあと、そういった。

海未「して、結果は――善子が会席膳を千歌の前に置きました。恐らく、犯人は激しく葛藤して苦しんだでしょう、毒を入れたのは黒澤家名物ミカンのシロップ漬けでしたから」

海未「千歌はこれ目当てに志満の代理になることを頼み込んだらしく、彼女に対して毒が入っているかもしれないから食べるなとは決して言えなかった。言ってしまうと、一連の事件の犯人だと自ら白状するのと同じです」

海未「もしかしたら毒はルビィが運んだ膳かもしれない……きっと見た目は平静を装いながら悶え苦しんだことでしょう」

海未「しかし、曜は恐ろしい殺人を止める最後の機会を捨てました」

623: 2023/09/19(火) 22:52:08.29 ID:aFaD9W6E.net
海未「ついに、お酌をしに来た善子の前で千歌は毒で苦しみ出した。そのとき、聖良が水を持ってくるといい、広間を出ました。動揺した犯人は医者である鞠莉と共に千歌に駆け寄り、介抱をします。常に鞠莉のそばにいるように心がけつつ……」

海未「医者である鞠莉は、とっさに一番近い曜に医療器具が入ったカバンを持ってくるように言いました。すぐに必氏な様子で広間を飛び出した彼女は、カバンを取る前に誰もいない台所へ走って向かい、むつに届ける会席膳に毒を入れた――」

海未「――これで第四の殺人の仕掛けは完了です」

海未「すぐさま台所を出るとカバンを取って、広間に戻ります。そして千歌の臨終を見届けたあと、ひどく泣き崩れました――これは決して演技ではありません。自らが引き起こした心から悔い、もはや後戻りできないと腹をくくった瞬間でした」

海未「今思えば……彼女は、幼馴染を亡くして悲しみにくれる自分と、第四の殺人のために絶好の機会をうかがう冷酷な殺人犯を無意識に切り替えられる才能の持ち主でした」

海未「すっかり騙されました。とても恐ろしい才能ですよ……」

その場にいた全員から唸り声がもれた。

625: 2023/09/19(火) 22:59:32.11 ID:aFaD9W6E.net
海未「……実をいうと、私は前から曜を犯人ではないかと疑っていたのです」

ぽつりと海未が皆にいう。一気に驚愕の視線を浴びた。

海未「彼女は黒澤家顧問弁護士の梨子と個人的に親しく、黒澤家当主のダイヤとは分家の間柄、被害者二名と繋がりがありましたから。そして同じ処方薬をつくる鞠莉の診療所に客として入って、いつでも毒を入れる機会を持っていたこともすでに知っていました」

海未「ですが、そこが難しいところです。機会があったから、で曜を警察へ告発することはできません。なぜなら、人間は機会だけで人間を殺せるものではない。そこには必ず動機があるからです」

海未「では、曜にどのような動機が考えられるか?梨子やダイヤを殺害しても曜自身に何の得にもならないのに。しかし、事件を解明した今では、ダイヤの殺害に大きな意味があったのですが、このときは分かりませんでした」

海未「――ダイヤが殺されただけでは、分からなかったのです」

すると、ブンブンと首を振って。

海未「いえ、間違っていました……あのとき、もしダイヤのみが殺害されていたら、犯人の計画の第一歩を見抜くことができたかもしれませんでした」

海未「しかし、先に殺されたのは梨子です。一貫した動機を考えると、黒澤家に関わりを持つものを恨む人物の犯行と思っていたときに、偶発的に無関係な十千万の千歌が同じ毒で殺された」

海未「……黒澤家顧問弁護士の梨子、黒澤家当主のダイヤ、十千万旅館女中の千歌。これが同一犯だとすると、通り魔的な気違いの犯行としか思えず、何が何だかわからない、ぷわぷわーお、な状態になってしまったのです」

海未「千歌からむつに続くにしたがって、それはさらに強調されました」

627: 2023/09/19(火) 23:03:20.91 ID:aFaD9W6E.net
>>623
ごめんなさい!脱字がありましたので修正をあげます

以下、修正しました

海未「すぐさま台所を出るとカバンを取って、広間に戻ります。そして千歌の臨終を見届けたあと、ひどく泣き崩れました――これは決して演技ではありません。自らが引き起こした罪を心から悔い、もはや後戻りできないと腹をくくった瞬間でした」

よろしくお願いいたします。

628: 2023/09/19(火) 23:04:55.36 ID:aFaD9W6E.net
海未「このように動機を巧妙に隠して行う殺人は、最後のひとりが殺されるまで全容がわからないということに難しさがあったのです」

海未「――動機無き殺人。この影に隠れて、犯人は自由に動くことができました」 

海未「ですから、あのとき――むつが殺されたとき、彼女のそばに例の紙片が落ちていなければ、犯人の動機隠しは完璧だったでしょう」

海未「あのとき、むつのそばに紙片を置いたことで、動機隠しに才能がある曜は初めてミスを犯したのです」

海未「――それも二重の意味で」

海未「……では、その第四の事件をおさらいすることにしましょう」

ひとつ咳払いをして、話を続けた。

633: 2023/09/20(水) 22:55:44.95 ID:wM/QJTdr.net
海未「法要の翌日、むつから話があると招かれた善子は下屋の裏を通って、海沿いの家に向かいました。そのとき遭遇した花丸と口論となり、村人に囲まれているときに、助ける体を装って曜が善子の前に現れました。その理由は――」

海未「――むつの家に行って、例の紙片を置くためです。千歌の氏で紙片との因果関係が強くなったため、これを活用しようと考えたのでしょう」

海未「このときすでに、むつは昨日の騒ぎに紛れて、曜が会席膳に入れた毒によって氏んでいます。本来なら、むつの家に近づく必要はなかったのですが、例の紙片で現場を混乱させるため、わざわざ持っていく必要があった」

海未「とても賢い犯人です。すでに殺人が起きている家へ、夜中に置きに行くというような真似はしません。一番良い時期を見計らっていました」

海未「――それは善子とふたりでむつの家を訪ね、善子が氏体を発見するときだったのです」

海未「発見者の悲鳴を聞き、駆け付けた曜は、善子に駐在に行って警官を呼ぶように言いました。急いで善子が家を飛び出したあと、曜は素早く氏体のそばに紙片を置いたのです」

海未「きっと善子はこの紙片の有無に気づく暇がなかったでしょう。二日連続で氏体を見て激しく動揺していましたらね」

海未「しかし、これこそ犯人が起こしたミスのひとつなのです」

詳しく話しましょう、と皆の前で解説した。

634: 2023/09/20(水) 22:57:50.66 ID:wM/QJTdr.net
海未「この紙片を見たとき、私はこう思いました――」

海未「――犯人が初めて動機らしい動機をみせてくれた、と」

海未「今まで動機無き殺人を繰り返す殺人鬼としか思えなかった犯人像が、この紙で明確な姿を現してきたからです」

海未「ミュウズの祠に落雷が起きた事から、何らかの予言を受けた何者かが、厄災を鎮めるためにミュウズ様に捧げる九つの生贄として、黒澤家と関わりがある村の者をメモの通り殺害していく――狂信者的な動機が見えてきました」

海未「これはいかにも九つ墓村で起こっている連続殺人事件らしい動機です。二十四年前には三十六人頃しの凄惨な事件が発生しており、犯人は行方不明。村人は今でも祟りの再来を恐れていますからね、もっともらしいですね」

635: 2023/09/20(水) 22:59:08.55 ID:wM/QJTdr.net
海未「しかし、もっともらしいが非現実的すぎます。なぜなら、一連の鮮やかな手口と提示された動機が私の中でかみ合わなかったんですよ、どうにも……」

海未「こういうオカルトじみた狂信者の犯罪というのは、だいたい衝動的で激しい感情に身を任せた場当たり的なものです。今度の事件のような、影に隠れて巧妙に粛々と人を頃していく事件というのは稀です」

海未「ともあれ、今まで影に隠れていた犯人が紙片で動機を示した。しかし、同時に私のなかである疑問が大きくなってきたのです」

海未「ひょっとして、本当の動機を隠すために今、この場で示しておきたかったのでは……と。こう考えてくると、いろいろ見えてきたのですよ」

海未「――動機なき殺人どころか、才能と頭脳に恵まれた犯人が起こした高度な計画的犯行だと」

海未「つまり犯人は見せなくても良いものを見せてしまいました、これがひとつのミスです」

海未「もうひとつは――」


善子「――ちょっといい?」


話をさえぎることを申し訳ないと思いつつ、気になった善子が尋ねた。

636: 2023/09/20(水) 23:00:37.14 ID:wM/QJTdr.net
皆の注目を浴びる善子。

海未「はい、なんでしょう?」

善子「あの鞠莉が書いたメモ、十千万の女将と書かれていたんだけど……」

善子「もしも私が、毒入り会席膳を千歌に置かないでメモ以外の人物に置いたとき、曜はあのメモで動機を示すことが出来なくならない?」

その質問に同意したのか、隣の聖良も小さくうなずく。海未も深くうなずき、そして答えた。

海未「確かにその場合も考えられますね。そのときはきっと、虫食いのように十千万の項目を破り取ったでしょう。その代わり、むつの項目を残して赤線を引いたはずです」

海未「犯人は臨機応変に対応することに大変優れています、こういう細工をすぐ施したでしょう」

海未「その根拠は、紙片をそのまま置かずに、下のむつと鞠莉の項目を破り取ったことです。私や絵里に標的を想像させ、より強く紙片の存在を印象付けるためにやりました」

海未「むつの項目がないが、殺されているということは……破り取った紙片に確実に名前があるということに、考えが誘導されます」

海未「なので、もし仮に第三の犠牲者が鞠莉が書いていない人物だとしても、私たちはそこにあるだろう、と確信するでしょう」

海未「そこまで読んでいたんですよ、彼女は。自らの犯罪計画で幼馴染を亡くし、人の心を失いつつも計画遂行のために己の心血全てを捧げていますからね」

皆からうなり声がもれた。なんて末恐ろしい才能なのか、生まれた時代が違えばきっと別のほうで大きく輝けたろう、と善子は少し哀れんだ。

639: 2023/09/21(木) 08:14:06.55 ID:j+iLZxgF.net
海未「では、話を続けます」

質問の答えに、皆が納得したのを確認した海未は話を再開した。

海未「もうひとつのミスは、大食いの尼の侵入に気付かなかったことです」

海未「犯人は紙片を置く時期が今が一番良いと思って、即座に実行しました。しかし、その直前に大食いの尼が食料を盗むため、家に入り込んでいたのです。むつの氏体のまわりを歩き回った足跡を見落としたのは大きなミスでした」

海未「我々を呼んだあと、駐在から大食いの尼の存在を知ったとき、曜はかなり驚いたでしょうね」

海未「もし、大食いの尼が、氏体のまわりにそんな紙切れなんて無かった、と証言してしまえば大変です。ただ、日ごろの素行や盗みのせいで我々が絶対に信用したかは別ですが……」

海未「して、花丸は証言しなかった。自分の予言通りに殺人を行う者を利用しようとたくらんだのかもしれません。しかし――」

海未「――犯人は違った。危険な存在は先手を打って素早く排除する、とても恐ろしいですが、最善の方法ですからね。計画遂行のため、もはや迷いは一切ありませんでした」

海未「花丸が釈放された夜。復員服に戦闘帽子を被った男装をして尼寺に忍び込むと、花丸を絞め頃したのです」

善子「じゃあ、あの影は……!」

ハッと驚いた善子はつぶやき、ルビィと一緒に尼寺の障子に映った男の影を思い出した。

641: 2023/09/21(木) 23:03:14.28 ID:j+iLZxgF.net
海未「どうかしましたか?」

善子「ええ――あの夜。洞窟を抜けて、尼寺と集落が見下ろせる場所で休んでいたとき、ルビィと障子に映った男の影を見たの。てっきりいつも夜に出歩く聖良がいたのかと思ってたわ」

その場にいた全員が善子のほうへ視線を向けた。

絵里「あなた……」

眉を寄せ、不機嫌になった表情でこちらを見つめる。その目つきには、なぜ早く通報しなかったのか、という非難が込められていた。

すると、仲裁するように海未が入ってきた。

海未「まあまあ、絵里もそれくらいで。たしかにそのことを知らせなかったのは、関心しませんね。とにかく、曜が男装して犯行に及んだ物的証拠も、事件後に下屋で見つかるまでわかりませんでしたから」

海未「ですが我々のほうにも落ち度があります。まさか、犯人があれほどの実行力があるとは思っていませんでしたよ」

海未「こうして曜はミスを修正するため、花丸を絞め頃すという――想定外の殺人をしなければならなくなったのです」

海未「以上が、犯人が重ねたふたつのミスです。このおかげで、私の脳内で犯人がむつの家に行った善子と曜に絞られたのです。花丸が握っていた善子のブレスレットを使った小細工も、直接善子に確認をとって犯人ではないと見破りました。そして、落としたブレスレットが善子の物であると確信できる曜を疑惑の中心に置きましたが――」

海未「――困ったことに、そこで鞠莉が一気に犯人候補になってしまったのです。あの紙片を書き残して失踪した事実が、曜よりも疑惑を大きくしてしまった」

海未「……かわいそうな鞠莉。彼女はとにかく哀れでした」

同情のこもった遠い目をした。

644: 2023/09/22(金) 18:33:40.08 ID:N5WZ06Sy.net
海未「鞠莉は千歌の事件あと大変、動揺したはずです。自分が編み出した単なる本家への逆恨みの、実行する気のない殺人計画を誰かが実行している……なんのためにやっているのかわからなくて恐ろしくなった」

海未「家に戻り、急いで手帳を開いたとき――ページが破り取られていたことに気づいた」

海未「きっと驚いたでしょう。こういう逆恨みの憂さ晴らしは脳内で済ませておけばよかったのに、鞠莉は手帳に書き残してしまったために」

海未「そして翌日のむつの事件で、鞠莉は絶望のドン底に落ちました。私と絵里が紙片の存在に気づき、いよいよ追い込まれます。その場ですぐ否定はしましたが、いずれ手帳の特定や筆跡鑑定で自分が書いたことが判明するでしょう。すぐに身に覚えがない連続殺人の容疑者として逮捕は秒読みです」

海未「……誰にも相談できず。今さら、あれは本家妬ましさにふざけて書いて自分を慰めてました、と弁解するなんて到底耐えられないことでしょう」

海未「結局、彼女は逃げ出した。そこを犯人に騙されて、洞窟に身を隠したあとで、提供された食事に毒を盛られ、殺されたのです」

海未「曜がどんな言葉で鞠莉を洞窟へ連れ込んだのかわかりません。おそらく……村を出るより、誰にも見られない洞窟で身を隠せば、いずれ捜査で真犯人が見つかるはずと、そそのかしたのでしょう」

海未「なにしろ、同じ分家同士、鞠莉もつい気を許したのでしょうね……」

653: 2023/09/23(土) 21:03:10.45 ID:cxoVO8Of.net
善子「じゃあ、曜は洞窟の中を詳しく知っていたのね?」

そこで口をはさんだ。

海未「そうでしょうね。あれほど活発な人です、財宝伝説に興味を示さないとは思いません。前から洞窟を探検していたのでしょう……軍用懐中電灯や探検用の靴が家宅捜索で見つかっていますので」

善子「だからあの場に……」

つい数日前の恐怖の追いかけっこを思い出し、身が震えた。

海未「……話を続けます。鞠莉を毒頃したあと水に沈めたのは、氏体発見を遅らせるためともうひとつ。それは、すべての罪を押し付け、最後に毒をあおって池に入水自頃したと私たちに見せつけるためだったのです」

海未「氏してなお利用され続ける鞠莉……なんとかわいそうなことでしょう……」

ぽつりとつぶやいた。

海未「こうして鞠莉を始末したあと、犯人は蓮華座に向かいました。そこで偶然、氏蝋化して鎧を着た輝石を参拝しに果南とよしみがやってきたのです」

海未「すぐに蓮華座によじ登って鎧の背後に隠れたあと、果南が真下でお参りを始めた。そこで標的を果南に決め、頃合いを見計らって……鎧を落としました」

海未「鎧武者が動き出して飛びかかってきたと錯覚したよしみが、恐怖のあまり洞窟を逃げ出したあと。下敷きとなって重症の果南を運び、とどめを刺すのと怪奇さを演出する目的で、蓮華座の奥にある針千本の谷に投げ落としたのです」

海未「――こうして鞠莉の影に隠れた曜は、一気に標的の殺害を計画し、仕上げに取り掛かりました」

654: 2023/09/23(土) 21:05:08.98 ID:cxoVO8Of.net
海未「しかし、ミュウズへの生贄は九人です。鞠莉の犯行に見せかけたい犯人は、あの紙片にいない人物を頃してしまい、また殺さなければいけません」

海未「大食いの尼こと、花丸……そして、善子、あなたです」

海未「きっと、東京で私たちと初めて会う前から、いずれ排除しなければいけないと思っていたのでしょう。奇妙な脅迫状を善子のアパートに投げ入れたのは、彼女です」

海未「そうしておいて迎えに行っているのですから、善子が疑うわけがありません。私もこのときは迷信深い田舎者の仕業だと、思っていましたよ」

善子「……!」

また身震いした。あんな親しげな様子で自分に近づきながら、内心では邪悪な殺意を秘めていたのだ。

海未「さて、私と絵里そして善子は本格的に洞窟で果南の捜索を行い、遺体を収容して池に沈んでいる鞠莉を発見しました。犯人は思ったより早く鞠莉が発見されたので、すぐに手段を切り替えました」

海未「それは――ミュウズの祟りと二十四年前の惨劇に怯えている村人を扇動することだった。ミュウズに捧げる生贄の九人から余る善子を殺させるために、です」

655: 2023/09/23(土) 21:06:22.53 ID:cxoVO8Of.net
海未「……彼女はうまく立ち回りました。気性が荒い村人や美渡たちの前では、善子が怪しいとは決して言わず、立ち振る舞いだけでそう思わせた」

海未「くすぶり始めた暴動の引き金は、千歌の初七日にあわせて役場や集会所に貼りだされた告発状です。これで美渡を中心に、一気に燃え上がった」

海未「思惑通り、暴徒と化した村人は上屋を襲撃。追い立てられるように善子は離れの抜け穴を通って、なんとか捕まらず脱出できました」

海未「これを知って、再び手段を変えた――誰の目にも触れない洞窟のなかで善子、聖良、ルビィを自ら始末することにしたのです」

海未「……聖良には、善子が危ないから助けてほしいと頼んで洞窟に入らせました。彼女が黄金探索のために周辺の地理を把握していたことを知っていたのです」

海未「こうして犯人は標的を洞窟に集め、自分は村はずれの入り口から入りました。あとで私が調べてみたら、とても小さなほら穴で村人たちも知らなかったと……本当によく見つけたものです」

海未「地上で私たちが事態の収拾に追われている間、地下では恐ろしい殺人が行われました……」

海未は言葉を切る。そして、うつむいている善子の顔を見たあと、意を決して口を開いたのだった。

656: 2023/09/23(土) 21:07:59.12 ID:cxoVO8Of.net
海未「ろくに食べていない善子を思いやったルビィは、弁当と水を持って離れの抜け穴を使い上屋を脱出。暗い洞窟のなか、声をかけて善子を探しました」

海未「声をかけながら歩いているので、犯人にはすぐ位置がわかったでしょう。待ち伏せて襲い掛かかり、背後からルビィを刺した」

海未「このとき口をふさごうと左手を顔面にやったのがまずかった――最後の力を振り絞ったルビィが左手の小指に噛みつき、食いちぎったのです」

海未「曜は痛みのあまり悲鳴をあげ、のたうち回った。計画では、このあとルビィが持ってきた弁当に毒を盛り、食べた善子を殺害するつもりでした」

海未「その筋書はこうです――村人に追い込まれた善子が、洞窟でルビィと聖良を殺害。最後に毒で自頃した、と……」

海未「しかし、予期せぬ抵抗とまもなく駆け寄ってくる善子の存在に気づき、断念して身を隠しました。そして善子の前に救助に来た体を装って、現れたのです」

海未「あとは皆さんがお察しの通り……善子に見破られ、追跡の果てに、落盤によって落ちてきた鍾乳石の下敷きとなって氏亡しました」

海未「……こうして、一連の殺人事件は終わったのです」

そういうとしばらく沈黙し、顔をあげると重苦しそうな表情で続けた。

657: 2023/09/23(土) 21:09:33.14 ID:cxoVO8Of.net
海未「絵里たちと共に遺体収容のため洞窟に入りましたが……曜の氏に様は無残なものでした……。巨石によって顔面が潰れており、身元は指紋と血液型、ルビィが噛み千切った指との照合で確認がとれました――」

海未「――これが、才能あふれ、美しく、冷酷で、哀れな犯人の最期の姿です」

こうして合計九人の氏者を出した、恐ろしい連続殺人事件の顛末を話し終えた。

真相を知った充足感と、あとに残った虚しさを抱えて皆が沈黙するなか、口を開いた者がいた――聖良である。

聖良「事件の真相はわかりました……ですが……」

聖良「……どうして、どうして曜さんは、あんな恐ろしいことをしてしまったのですか?」

聖良「まさか、本家の財産狙いだったのですか……?」

声を震わせながら最も知りたいことを尋ねる。善子たちも答えを一刻も早く知りたくて、海未に視線を注ぐ。

海未は正面を見すえ、言い放つ。

海未「はい、そうです」

ただ一言。そして座敷にどよめきが走った。

662: 2023/09/24(日) 10:00:55.99 ID:kwuhZZTz.net
すかさず疑問の声が飛んでくる。

聖良「待ってください。彼女には資産三億円すべての相続権がないはずですよ?」

善子「そうよ、曜にいったい何の得があるの……?」

ふたりとも体を前のめりにして、海未に問う。まったく信じられないという驚愕の色が表情に現れていた。

一方、海未は終始落ち着いた様子でいった。

海未「まあまあ、そのことについて今から話をします」

海未「まるでバラバラだった犠牲者の接点が、例の紙片を残して失踪した鞠莉から果南に移るにしたがって、ようやく私は隠された動機が見えてきたのです――上屋の一族全員を皆頃しにすることが目的だと」

海未「それ以外の事件は、全てこの動機を偽装するために行われたのです」

海未「では犯人こと、曜とこの動機を繋げてみましょう」

海未「上屋の一族全員が氏んだら、曜に何の利益があるのでしょう?上屋の一族と曜、直接には彼女に利益はありません」

海未「しかし、渡辺家当主を間に挟めば、重大な意味をもたらします。黒澤家の莫大な財産を自分の父親に継がせようと、この恐ろしい計画を立てたのです」

すると一番奥で酒をつまみに山盛り白米をモリモリ食べている花陽に目をやって、皆にいった。

海未「動機につながるものは、東京にありました」

668: 2023/09/25(月) 00:05:49.08 ID:YGYiK9I+.net
海未「鞠莉の遺体発見後、すぐに花陽に連絡を取って資産調査を依頼しました――対象は、渡辺家が東京で経営する海運会社です」

海未「結果は……債務超過に陥っていました」

海未「朝鮮戦争の特需で業績が伸びた結果、さらなる事業拡大を狙った過剰投資の影響が大きかったようです。さらに今年、相模湾で所有する貨物船が戦時中の残留機雷と接触。船と積荷を失う爆発事故を起こしています」

海未「事故の補償と投資につかった債務の利息返済期限が一気に来て、資金繰りが悪化。利息返済額の借り換えを銀行団に提案しましたが、拒否されてしまった……」

海未「そこで、大株主であり最大出資者の黒澤家を頼みの綱として、曜を中心に返済額の借り換えを交渉していたそうですが――」

海未「――拒否され、身売りするようにと。当主ダイヤが渡辺家へこう突き付けたそうです」

海未「こうして鞠莉のように曜もまた、本家へ恨みを募らせていきました。敬愛する父親が設立し、心血注いで大きくした海運会社を、簡単に売り渡せという血も涙もない親族に」

海未「追い詰められた曜は、そのさなかに鞠莉のふざけた殺人計画メモを見てしまった……」

669: 2023/09/25(月) 00:07:48.09 ID:YGYiK9I+.net
海未「きっと、稲妻が走るようなひらめきを得たでしょう。おとぎ話だと思って見下していたミュウズの祟りが、使い勝手の良い動機として活かせるのですから」

海未「しかも、自分の父親も標的に入っていた――本家と小原、鹿角家を断絶させて最後に残った父親に相続させて、その莫大な資産を担保に会社も守ってやれる、という本当の目的をうまく隠せることに気づいたのです。こうして、曜は鞠莉の計画を乗っ取りました」

海未「突然、降って湧いた存在の善子に対しても、好意的に振る舞って疑惑の外に自分を置いて、常に誰かの影に隠れて粛々と殺人計画を進めたのです――」

海未「――いや、鞠莉がメモを書き残さなくても、追い詰められていた曜はきっと、別の方法で殺人計画を立てて実行したでしょう。実際、事件のきっかけというものは、どこに転がっているかわからないものですから」

海未「……すべては父親への愛と、彼が命がけで築き上げた会社を守るための、歪んだ親孝行だったのです……」

憐れむような目で最後に、全てをこう締めくくった。

海未「恐ろしい女です、かわいそうな娘です……そして天才的殺人鬼でした」

座敷の一同は、何だかやるせない虚しさを感じて、大きなため息を漏らす。そして、沈黙したまま思い思いに考えにふけった。

善子「……」

なんとも微妙な気持ちを抱えたまま、事件の総括を語る会合はこのままお開きとなったのである。


それから数日後。


――園田海未が村を去る日がきた。

670: 2023/09/25(月) 00:08:46.20 ID:YGYiK9I+.net
この日、海未はトランクケース片手に、海沿いにある村唯一のバス停に立っていた。これから数十分後に来る、沼津行きのバスに乗るために待っている。

県警本部に戻る絵里とは前日のうちに別れの挨拶を交わし、すでに絵里は村を去っていた。

時刻は昼前で若干、汗ばむほどの陽気だが、海から吹きつける夏の薫風が心地良い。

九つ墓村はすっかり平穏を取り戻し、雑木林から蝉の声、海沿いからは白い砂浜に寄せては来る潮騒の音のみが聞こえる、どこにでもあるのどかな村になっていた。

海未「おっと……」

海風にさらわれないよう帽子をおさえつつ、トランクを置いて海を眺める。美しい水平線と蒼空、そしてうっすら奥に見える富士山はまるで絵画のような美しさだった。

この絶景を目に焼き付けていると、向こうから声がした。

善子「海未、海未!」

近くの道に停車した黒い車から、後部ドアを開けて降りた善子が見送りにやってきた。青空にとても映える白いワンピース姿だった。

善子「……もう、帰るのね?」

海未「はい。そろそろ東京に帰って、花陽に報告書を渡さないと費用を請求できなくなってしまいますからね」

海未「いつもそういうのには厳しいんです……ははは」

善子「そう、なんだ……」

名残惜しそうな様子でいう。たった数週間だったが、とても長く世話になった人のように善子は感じていた。

671: 2023/09/25(月) 00:12:43.48 ID:YGYiK9I+.net
海未「善子はこれからどうするのですか?」 

善子「わたし?私は……ルビィの四十九日まで村に滞在して、そのあと東京に帰るわ」

海未「帰るんですか……?」 

善子の顔を見た。せっかく黒澤家の跡取りになったはずなのに、と驚きの表情で見ていると、その顔がおかしくて善子はふふっ、と小さく笑い。

善子「――黒澤家の相続は、辞退したわ。聖良に譲ったの」

海未「ええっ……!」 

善子「最初は断っていたけど、父の写真を見せて、ちゃんと納得してもらったわ」

善子「それに……」

海未「それに?」

海未の問いに、青空のような晴れやかな表情を見せたあと、左手首につけたブレスレットを見せて。


善子「――私は、津島善子だから」 


満面の笑みで高らかに宣言した。

海未「はははっ、そうですね、そうでした……!」

善子につられて笑った。

672: 2023/09/25(月) 00:16:33.03 ID:YGYiK9I+.net
しばらく笑いあったあと、善子が口を開く。

善子「海未、本当にありがとう……」

海未「いえ、そんな……私は何も……」

善子「ううん、海未のおかげで犯人にされず、無事にこうしていられるんだもの。それに本当の父親が誰かもわかったし、感謝しかないわ」

海未「……恐縮です」

照れ隠しに帽子を脱いで、小さく頭を下げた。

善子「あっ、そうだ……これ、受け取って」

ポケットから青いハンカチにくるまれた何かを海未に手渡す。受け取ったとき、ずしりと重たい手触りに驚いた海未は、すぐ善子の顔を見上げた。

善子「はやく中を見てみてよ」

いたずらっ子のように微笑んでいるなか、ハンカチをめくってみると、中からは。

海未「これ、黄金じゃないですか……!」

出てきたのは、三つ鱗の刻印がされた黄金の延べ板が三枚あった。再び驚いて善子の顔と交互に見比べたあと、探偵は全てを察した。

海未「本当にあったのですね……九人が隠した黄金……いいんですか?」

善子「いいわよ、受け取って。やたら義理堅い聖良が、本家相続と引き換えに黄金を全部譲ってくれたのよ。母が黒澤家から受けた仕打ちへの償いも込めて、とも言ってくれたわ」

善子「……ねぇ、それで和菓子屋のツケも完済できるんじゃない?」

すると頭に手をやって。

海未「いえ、これを担保にまたツケにしてもらえますよ」

善子「ふふっ……なにそれ、意味わかんない」

あまりにも酔狂な発想に、笑みを浮かべた。

673: 2023/09/25(月) 00:20:02.97 ID:YGYiK9I+.net
海未「東京に帰ったら、どうするのですか?」

善子「そうね……家を建てて、道具をそろえたら、占いを始めてみるわ!とにかく、好きなことをして生きてみたいの!」

ずっと夢だった、と少女のように目を輝かす。そのまぶしい姿に、海未は羨ましく思えた。

善子「そして、いつか心の整理がついたら……この体験を本にしてみようと思うの」

海未「それはいいですね。私もその立場なら、きっと書き残したでしょう」

善子「ペンネームも決めたのよ、その名も――」

善子「――二階堂夜羽、よ」

ギランと擬音語を口から発し、片手でピースサインをつくって顔に持っていく変なポーズをとった。

海未「……なんだかすごく仰々しいですが。まあ……いいんじゃないでしょうか」

善子「ちょっと……!」

いまいちな反応に、頬を膨らませていると。

ディーゼルエンジン音を響かせ、ボンネットバスが地平線から姿を現すとこちらへやってきた。

674: 2023/09/25(月) 00:23:04.29 ID:YGYiK9I+.net
ついに別れの時が近づいて来たのをふたりは察した。

善子「……もう、お別れなのね」

海未「はい、お元気で……」

善子「海未もね」


トランクを手に取って、立ち上がった海未。ちょうどバスが停まり、昇降口のドアを開けた。

海未「そうだ、忘れていました……!落ち着いたころにと思ってましたが」

思い出したように懐に片手を入れると、小さな紙片を取り出して善子に手渡す。

海未「――実は、あなたのお父様の消息について、調べていたのですよ」

675: 2023/09/25(月) 00:25:55.97 ID:YGYiK9I+.net
善子「え?」

戸惑う善子を置いて、バスに乗り遅れないよう早口で話し出す。

海未「二十四年前のあの日、お父様は寺に泊まり込んで洞窟にまつわる古文書を調査していたので、輝石に殺されずに助かった。そのあと全ての元凶である自分が生き残ってしまったせいで村にいられなくなり、沼津へ移住したそうです」

海未「憶測になりますが。きっと、お母様のことを忘れられず最も近いところで住むことにしたのでしょう……」

海未「お母様のように教員であり続け、大きな学園の創設者になった――その名も、静真学園」

海未「この紙片には、彼の自宅住所が書いてあります。ちなみに、彼は老いてなお独身を貫いているそうで、周囲に生き別れの娘がいると言っている噂もありますが、未確定ですので悪しからず……」

海未「あっー!遅れてしまう!それでは、お元気で!」

善子「ちょっと、ねえ……!」

何かいう暇もなく、善子を置き去りにして海未はバスに向かって駆け出し、急いで乗り込んでしまった。



善子「ありがと……海未」

自分と父をつないでくれる、この紙片を大事に握りしめた善子。



そして排気ガスと砂ぼこりをあげ、離れていくバスに向かって、見えなくなるまで手を振り続けていた。




――終――

676: 2023/09/25(月) 00:34:37.37 ID:LS/eg1pw
よかった
最後まで続けてくれてありがとう

679: 2023/09/25(月) 00:39:11.56 ID:YGYiK9I+.net
二か月以上にわたり保守、応援や感想のレス、ありがとうございました。
初めての長編SSでしたが、楽しく更新させてもらいました。

善子ちゃん黒澤サファイア説のネタスレまとめを見て、
横溝作品を思い浮かべ、つい作ってしまいました。

誤字脱字、表現ミスなどが多かったので、今後の改善点とさせていただきます。

いつか朝香果林さんを大道寺智子にした女王蜂か、別シリーズ別作品あたりで……
ご希望があれば、頑張って挑戦してみたいと思います

ありがとうございました

688: 2023/09/25(月) 02:04:24.54 ID:DJAFNxDq

滅茶苦茶良かった

引用: 善子「――九つ墓村?」