1: 2012/05/18(金) 22:49:09.63 ID:qcz3Gm3S0

魔王「ついに、魔王にまで登りつめてしまった」

側近「おー、おめでとう。王座に腰掛けるその姿、中々様になってるぜ」

魔王「ふん。全く喜ばしくないな」

側近「しかし、結局お前は氏ねなかったわけだ」

魔王「ああ。誰も俺の息の根を止めてくれはしなかった。心の臓を潰してくれなかった。魔物といえども、俺にとっては蟻と大差ない奴等ばかりだ」

側近「蟻は侮れないけどな。特に群れた時は」

魔王「そうかもな」



2: 2012/05/18(金) 22:52:11.97 ID:qcz3Gm3S0
側近「これからどうする? お前は魔王としての職務を果たすつもりなんてないだろ? 色々と面倒そうだぜ。それぞれの魔族の最高統治者として、魔族間の摩擦を減らしたり、封建的な制度を廃止したり、魔族たちにより良い生活を提供したりしなきゃいけない。軍も解体だな。お前がいれば必要ないし」

魔王「多忙だな」

側近「他人事みたいに言いやがって。魔族どうしの遺恨は相当根深いし、社会制度も全くなってない。こいつら、法はもちろん、貨幣の概念すらないんだぜ。骨が折れる仕事になる」

魔王「面倒事は全てお前に任せる。そのためにお前がいるんだからな」

側近「わーってるよ。時間はめちゃくちゃかかるだろうが、中々楽しそうな暇潰しにはなるだろうよ。そんじゃ、俺は早速働いて来るよ。自由にやらせてもらうかんな」

魔王「好きにしろ」

3: 2012/05/18(金) 22:54:06.17 ID:qcz3Gm3S0
魔王「暇だな」

暇を持て余した彼は、腰掛けたまま視線を部屋中に移す。前王の間をそのまま譲渡された為、己の私物などは一切なかった。

豪奢ではあるが陰鬱な空気を漂わす部屋。魔獣の毛皮をなめしたカーペットに、幾多もの獣骨を加工して作られた重厚な王座。見事な逸品ばかりであるが、どれも彼の趣味ではなかった。

魔王(俺を殺せる者は、この世に誰もいない。……俺はこのまま、悠久の時を虚ろに過ごすのか)

魔王は溜息を吐く。

魔王(人間の国に攻め込むか? 魔族は瘴気がない土地では長くは生きられないから俺と側近の二人でだ。個は弱いが、集団になればそれなりの実力を持つ。それに人間は多い)

そこまで思考して、魔王は再び溜息を零して中断した。

魔王(人間ではいくら群れようが広範型の魔法一つで殲滅できてしまう。蟻を踏み潰すのはあまりに容易い。そしてくだらない)

立ち上がり、窓を開け放つ。窓枠は勿論、はめ込まれた硝子一枚一枚にも、壮麗な細工がなされていた。

4: 2012/05/18(金) 22:55:33.81 ID:qcz3Gm3S0
辺り一面が灰色に霞がかっている。

瘴気だ。

人間には猛毒。体内を蝕み、細胞を壊氏させて絶命に至らせる。

しかし、魔物にとっては生命の源だ。魔物の肉体が、人間と比較して極めて優れているのは、瘴気を分解してエネルギーを取り出す器官があるからだ。人間にもごく稀に同じ器官を持つ者がいるのだが。

「俺は、人間でも魔物でも神でもない。……あまりに不安定だ」

魔王はもう終焉を迎えたかった。

この世には彼を満たしてくれるものなど無かった。全てを屈服できるような圧倒的な力を持っていながら、彼の望みは何一つ叶わないままだった。そんな彼にはもはや、生きる意味も活力もなかった。

魔王(俺と同じ程度の強さを持つ者。そんなもの、俺自身しかいない。……俺自身?)

そこでふと、一条の光とも言える案が、魔王の脳裏に浮かぶ。それはあまりに禍々しい光だった。

5: 2012/05/18(金) 22:57:10.05 ID:qcz3Gm3S0
側近「それで。どうして俺を呼び戻したんだ? 今は、全魔族の族長を招集して、討論してたってのに。鬼人のオッサンなんてお前が呼びに来た時、射頃すようにガンくれてたぞ」

魔王「奴の弟を頃してしまったからな。まあ、あれは副族長が降参しないのが悪いんだが」

側近「で、何の用だよ。早く戻らなきゃいけねぇんだが」

魔王「名案が浮かんだ。俺を頃すためのな」

側近「……へぇ。詳しく聞こうか」

魔王「俺を殺せる者がこの世に一人いる」

側近「誰だ?」

魔王「俺自身だ」

側近「お前、そんなことを言うために呼び戻したのかよ」

魔王「ああ。つまり、俺を増やせば良いんだ。幸い、人間としての生殖機能も残存してるしな」

側近「……ああ! なるほどな。つまり、子供を作るのか」

魔王「ああ。俺と同等の……いや、俺を超える俺ーー『勇者』をな」

6: 2012/05/18(金) 22:58:18.73 ID:qcz3Gm3S0
側近「でっかい目標だな。でも、結構時間がかかるんじゃないか?」

魔王「たかが数十年。長くても百年程度。はした時間だ」

側近「自分を頃すために子供を育てる。変態的だな。いや、世の中の親という生き物は皆そうなのかもな」

魔王「無駄口を叩かずに、さっさと俺の子を残すのに相応しい者を考えろ」

側近「それくらい自分でやれよ。全く。ーーそうだな、鬼人なんてどうだ? 片腕で、巨山を持ち上げ、大河を叩き割るような怪力の持ち主だぞ。雌自体はそこまではいかないけどな。それに人型だし、美人が結構いる。巨Oだしな!」

魔王「ふむ。しかし、族長が許可を出すとは思えないな。今は魔族たちと諍いを起こしたくない。あれは後々使えそうだからな」

側近「あー、確かに。鬼人族は同族の目上の者をめちゃくちゃ敬うからな。族長が反対したら絶対に無理だろ」

7: 2012/05/18(金) 22:59:34.98 ID:qcz3Gm3S0
魔王「他に候補は?」

側近「サキュバスとか? やはり工口いしな! 巨Oだし! 美人だし! 超絶ビXチだけど! 族長もすげービXチ臭いこと。美人だけど」

魔王「あれは実力が人間と大差ない。それに奴等は同族のインキュバスとの性行為でしか受精しないだろ」

側近「あー、そうだったけな」

魔王「他は?」

側近「んー、ヴァンパイア? 美人が多いし、それなりに強い。まあ、特定の攻撃には滅法弱いけどな。でも巨O! しかし族長はダンディーなオッサンだった」

魔王「微妙だな。正直素質はあまりないだろ」

8: 2012/05/18(金) 23:01:09.58 ID:qcz3Gm3S0
魔王「他は?」

側近「後の魔族はそんなに美人……てか人型が少ないんだよな。人魚ちゃんたちは弱すぎるし。ぶっちゃけ人間以下だし。……あ!」

魔王「何だ?」

側近「巨Oに囚われ過ぎて忘れてた。いるじゃん、最適な種族が。魔物ではないけどな」

魔王「ふむ」

側近「でも、めちゃくちゃ美人ではあるけど貧Oだぞ?」

魔王「そんな些末なことに気を病んでるのはお前ぐらいだ」

側近「何だと! 巨Oは大事な要素だろうが! 巨Oが世界を包み込んでるんだろうが!」

魔王「意味不明なことを言ってないで、さっさと核心を口にしろ」

側近「エルフ」

9: 2012/05/18(金) 23:03:59.38 ID:qcz3Gm3S0
魔王「エルフ。なるほどな」

側近「身体能力は人間よりも幾分優れてるだけだが、お前と同じように魔法を使える。世界で魔法を使えるのは俺とお前とエルフくらいなもんだ」

魔王「よし、エルフにするか。何処に居を構えているんだ?」

側近「魔の国寄りの、人魔国の境界線付近だ。鬱蒼とした森の中にひっそりと暮らしてるらしい」

魔王「魔物でないのに、瘴気を吸って大丈夫なのか?」

側近「人間よりは耐性があるらしい。何より、あいつらが崇める『力の塊』が、瘴気に対する絶対的な障壁になってるんだろうよ。あいつらは『力の塊』を神とでも呼んでるんだろうな。」

魔王「……ふん」

10: 2012/05/18(金) 23:06:14.76 ID:qcz3Gm3S0
側近「エルフのいる森の詳しい場所は知らん。あいつらは森の中で閉鎖的に生きてるからな」

魔王「それくらいは自分で見つける。じゃあな」

側近「おう、がんば……もういねぇし。相変わらず瞬間転移は便利そうだな」

ーーーーーー
ーーーー
ーー

側近と別れて数時間経ち、魔王は険しい森の中を探索していた。辺りは城の周囲に比べて、霞が薄い。この辺りが人間の国に近い証だ。

魔王は立ち止まる。奇妙な土地を発見したからだ。

魔王(瘴気が局地的に晴れている。しかも、他の生物を拒むようなこの感覚。ここだな)

11: 2012/05/18(金) 23:07:49.20 ID:qcz3Gm3S0
魔王は、霞の晴れた明瞭な地に踏み入って行く。

ある地点で、彼の身体が『何か』に、拒絶されるように強く弾かれた。吹き飛び、後方にあった巨大な樹木の幹に激しく衝突する。

魔王「油断したか」

起き上がり前方を見遣るが、眼前には特に奇異なものはなかった。

魔王は吹き飛ばされた地点の僅か前に立って手を差し出す。炸裂音が響き、彼の手が白い火花を散らす。

魔王「『拒絶の呪』か。高度な術にも関わらず、この威力。そして力の伝導具合から鑑みる規模範囲。逸材といえる魔法の使い手だな。ーー気に入った! もし女ならば俺の子を産ませてやろう!」

尊大にそう告げて、彼は腕を前方に押し込む。火花は激しさを増し、ほとんど閃光となっていた。

脚を踏み込む。彼の身体はまるで恒星のように煌く。

雄叫びを上げながら、彼は更に突き進む。

やがて、煌めきは消えた。

12: 2012/05/18(金) 23:09:32.48 ID:qcz3Gm3S0
魔王「久しぶりに楽しめたぞ」

魔王は肩で荒く息をしながらも、心底愉快そうな顔をする。

エルフA「動くな」

エルフB「貴様、何者だ? 外見は人間のようだが、あの『拒絶の呪』を打ち破ったその力。人間では到底あるまい」

突如、二人のエルフが現れた。一人は巨木の影に、もう一人は別の緑葉生い茂る樹の枝に。双方とも弓に矢をつがえ、魔王に狙いを定めていた。

魔王(こいつら、『隠滅の呪』を使ってたのか。道理で気付けないわけだ)

魔王「俺が何者であろうとお前らには関係ないだろう。最も、お前らの内、どちらかがこの結界を張ったのなら話は別だが」

エルフA「私たちをあんなバケモノと一緒にするな」

エルフB「喋り過ぎだ。とにかく、貴様には氏んでもらう」

エルフの言葉を聞いて、魔王は噴き出した。

13: 2012/05/18(金) 23:11:12.99 ID:qcz3Gm3S0
魔王「俺を頃すだと? できるものならやってみろ。ほら、眉間を撃ち抜いてみろ。首でも、心の臓でも良いぞ。俺は一歩も動かない」

エルフA「な……」

魔王「そもそも最初から頃す算段なら予告なしで来い。エルフというのも存外愚鈍な種のようだな。貴様らがバケモノと呼ぶ奴はもう少し骨があるのか?」

空を切る音がして。

魔王の全身を数多の矢が貫いていた。

待ち構えていたエルフは二人だけではなく、およそ三十。三十もの矢が一斉に魔王を攻撃した。眼球、鼻、口、耳、喉、心の臓、四肢。彼を形作るあらゆる器官が一瞬にして穿たれる。

矢には、魔法が込められて、通常の数倍もの殺傷力を持っているらしかった。

14: 2012/05/18(金) 23:12:46.30 ID:qcz3Gm3S0
エルフA「何だったんだこいつは? バケモノに興味があったようだが」

エルフB「何でも良いさ。始末したんだ」

エルフC「立ったまま絶命してるわ。中々に滑稽ね」

エルフD「しかし、どうして『拒絶の呪』を抜けてこられたんだ?」

エルフE「どうせバケモノがサボったんでしょ」

魔王「それは違うな」

16: 2012/05/18(金) 23:14:35.80 ID:qcz3Gm3S0
魔王の全身を突き刺していた矢が爆散する。穿たれた穴が、急速に埋められていく。

数秒後には、普段通りの魔王が威厳をたたえて立っていた。

魔王「張られた結界は、少なくともお前たちの矢よりも俺を苦しめた」

エルフA「バ、バケモノ……!」

魔王「褒め言葉だ。ありがとう。散れ」

禍々しい闇がエルフたちを包み、次の瞬間に閃光となった。

多大な衝撃が森を揺らす。まるで断末魔の悲鳴を上げているようだった。

17: 2012/05/18(金) 23:17:26.23 ID:qcz3Gm3S0
舞い上がった粉塵が晴れた頃、魔王の眼前は焦土と化していた。

瞬間的に身を保護するための魔法でも使ったのか、四肢のみが炭化している氏体や、頭部と思われる肉片が残っている。しかし生者は彼一人だけだった。

魔王「雑魚が」

無機質にそう告げて、更に奥へと歩を進める。

そして、虐殺が始まった。

18: 2012/05/18(金) 23:19:22.16 ID:qcz3Gm3S0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

エルフが住まう森の中央に彼らが神木と崇める、雲を纏うほどの巨木が鎮座していた。

神木以外の土地は、全て魔王の暴力によって荒廃しきっていた。

頭蓋がひしゃげて、脳漿を周辺に散らす少女の氏体。下半身は焼失して、上半身は燻っている少年だった物。持ち主不明の、血が脈打っていたころは陶器のように美しかったであろう右腕。倒壊した建造物。

積み重ねられた瓦礫はまるで彼らを弔う墓標のようであった。

19: 2012/05/18(金) 23:20:27.19 ID:qcz3Gm3S0
魔王「ここか」

神木の洞を見つけ、中に入って行く。

魔王「っ! ……ほう」

前触れもなく彼の脇腹が大きく抉られた。肉片は何処にも見当たらず、消失していた。傷口は瞬時には塞がらず、滴る鮮血は彼の衣服を汚していく。

魔王(物理的損傷だけではなく、霊的損傷を兼ねてるのか。修復に時間がかかるな)

更に全身が削がれる。しかし、血に塗れながらも彼は愉快そうに喉を鳴らす。

魔王「無駄だ。魔法だけでは俺を倒せん。『防壁の呪』も発動したしな」

彼の身体がそれ以上傷つくことはなかった。同時に急速な治癒も始まる。

20: 2012/05/18(金) 23:21:52.37 ID:qcz3Gm3S0
エルフ「ゆるせない」

魔王「……おやおや。随分と可愛らしいバケモノだな」

洞の中には、頭の先から爪先まで純白の、幼いエルフがいた。頭髪、柔肌、纏う装束。全てが白かった。唯一の異色である大粒の宝石を思わせる碧眼は、彼を静かに睨みつけていた。

エルフ「なにゆえ、われらをおそう?」

魔王「強い女を見つけだすためだ。俺の子を産むのに相応しいな」

彼の言葉を聞いて、エルフは憤怒する。

エルフ「そのようなくだらない理由で、みなをころしたのか!!」

魔王は目に付く者を端から『除去』していった。邪魔な青草を刈り取る農夫のように。

21: 2012/05/18(金) 23:23:11.41 ID:qcz3Gm3S0
魔王「俺にとっては、とても重大な事柄だ」

素っ気なく答えてから、彼は首をかしげた。

魔王「何故お前が激怒するのだ? お前は他のエルフに、神とやらの生贄にされたのだろう?」

エルフ「そんなものではない! わたしは『神の器』! 民をまもり、みちびくそんざいだ!」

魔王は失笑する。

殺戮の途中、命乞いをするエルフの一人から、眼前のエルフに関する情報を聞き出していた。エルフは誇り高い種族だが、氏の恐怖を超越できるような戦闘種族ではなかった。結局、聞き出した後に全身を腐敗させて処理したが。

22: 2012/05/18(金) 23:25:13.73 ID:qcz3Gm3S0
魔王「『神の器』。エルフたちが神と崇める『力の塊』を統制するために、『力の塊』の断片を身に注ぎ、強大な魔法士となってエルフ全員を救う者」

エルフ「なにゆえ、知っている?」

魔王「善良なここの民に聞いたのだ。今は大地の肥やしになっているがな」

エルフが火球を放つ。魔王の身体よりも大きな直径をした蒼白の火だ。

魔王は微動だにせず、彼女の怒りを具象化したような火焔の球を被った。

23: 2012/05/18(金) 23:27:05.65 ID:qcz3Gm3S0
魔王「無駄だ。まあ、そんなことは良い。お前の質問に答えたんだ。俺の質問にも答えてもらおう」

顔色一つ変えずに彼はそう告げる。

その姿にエルフは慄く。

エルフ「……バケモノ」

魔王「そう、バケモノだ。お前と同じな」

その言葉にエルフは顔をしかめた。

エルフ「……きさまといっしょにするな。……わたしは民をまもり、みちびくそんざい」

魔王「滑稽だな。そのような甘言に唆されて、このように人柱をしているのか。聞いた話によると、生まれ持った魔法の素質が強大過ぎて、周囲からバケモノ扱いされていたんだろう?」

エルフ「だからなんだと言うんだ? わたしはひつようとされていたんだ」

魔王「……そうか。なるほどな」

魔王はエルフの態度を見て、納得したように頷いた。

24: 2012/05/18(金) 23:28:45.08 ID:qcz3Gm3S0
魔王「お前は、居場所が欲しかったのだろう? バケモノ扱いされ、疎まれるのが苦しくて、誰かの必要となる存在になりたかったのだろう? 見た目と同じくらい可愛らしい精神の持ち主だな」

エルフ「き、きさまになにが分かる!!」

魔王「何も分からんさ。俺は魔王だからな。他人の感情になんて興味ない」

エルフ「魔王……だと?」

大粒の瞳を更に大きくして、エルフは驚愕する。

25: 2012/05/18(金) 23:30:05.38 ID:qcz3Gm3S0
魔王「ああ。まあ、お見合いはこの程度にしよう」

告げて、魔王はエルフに近寄る。

エルフ「く、くるな! い、いや……」

魔王「少し眠っていろ。『昏倒の呪』」

魔王は少女の頭に優しく触れ、意識を刈り取った。

目を瞑り、少女は完全な純白と化した。

魔王「ほとんど効いてないようだな。まあ、良い。帰るか」

26: 2012/05/18(金) 23:31:22.70 ID:qcz3Gm3S0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

側近「……いや、エルフは貧Oだが、美人だから問題ない。でもな、見た目年齢十歳以下の幼女を嫁にする魔王ってどうなのよ?」

魔王「どうなんだろうな?」

側近「変態だよ! お前が口リコンだったなんて!」

魔王「小児性愛なんて持ち合わせてない。純粋にこの娘の才能と実力が気に入った。成長するのを待つさ」

側近「この年齢のエルフが子供を産めるようになるまでおよそ五十年。子宮が成熟しきるまで大体百年はかかるぞ」

魔王「待つさ。百年も三日も変わらん」

側近「いや、大分変わるから。まあ、めちゃくちゃ美幼女だし、将来が楽しみではあるな」

27: 2012/05/18(金) 23:33:19.06 ID:qcz3Gm3S0
側近「問題は自頃したりしないか、だな。エルフを皆頃しにしてきたんだろ? 今は絶望の淵にいるんだろうな」

魔王「それは問題ない。『抑制の呪』で自分の身に危険が及ぶような行為はしないようにしている」

側近「相変わらず強力な魔法は便利だな。ついでに『蠱惑の呪』でベタ惚れにしておいたら? 『お兄ちゃん!』とか呼ばせたりさ」

魔王「お前の方が明らかに変態だろう。今のところは素のままで対応しておこうと考えている」

側近「へえー、他人に興味を持つなんて珍しいな」

魔王「何、ちょっと思うところがあってな。それに、何でも魔法ですませたら、つまらないだろう? 過程を楽しむことにこそ意味がある」

側近「ふうん。そういえば瘴気は大丈夫なのか?」

魔王「あいつは『力の塊』を身に宿している。それを駆使して無意識的に浄化してるんだろう」

側近「なるほどな。ま、頑張って。俺は法の草案を練ってくるよ」

28: 2012/05/18(金) 23:34:55.75 ID:qcz3Gm3S0
魔王「目覚めたか」

城内の端麗な部屋。純白のシーツの上に純白の少女。

エルフ「どうして、きさまはわたしを生かしてるんだ?」

か細い声で少女は問う。

魔王「お前を妻にするためだ。さっきも言ったと思ったんだが」

エルフ「きさま、『ろりこん』というやつなのか?」

魔王「違う。意外に耳年増な娘だな」

エルフ「きさまにむすめと言われる年ではない」

魔王「俺からみたら、外見も年齢もまだまだ幼い」

29: 2012/05/18(金) 23:36:09.41 ID:qcz3Gm3S0
エルフ「そのようなおさないものと、け、けっこんしようとするきさまはヘンタイだな」

魔王「どうとでも言え。ところで腹は減ってないか?」

エルフ「ふん。このような所でごはんを食べるくらいなら、しんだ方がましだ。そもそもわたしたちは木の実や、野草しか食べない」

魔王「さきほど調べてきたが、エルフは小食らしいな。しかし、あまり意地を張るなよ。餓氏は氏の中でも一番苦しいからな。肉体も精神も」

エルフ「ふん」

魔王「まあ、いい。専属の使用人をつけるか?」

エルフ「いらない。失せろ」

魔王「……そうか。分かった」

30: 2012/05/18(金) 23:37:11.16 ID:qcz3Gm3S0
魔王(思ったより打ちひしがれてないな。まだ実感が湧いてないのか?)

側近「今日の労働はもうやめだ。あー、疲れた」

魔王「ご苦労」

側近「あん? エルフちゃんとこにいなくていいんか?」

魔王「そうだな。もう一度行ってみるか」

側近「城の案内とかもしてやったら?」

魔王「ああ、忘れてた」

側近「おいおい。奥さんは大事にしろよな」

魔王「うるさいな」

31: 2012/05/18(金) 23:38:15.84 ID:qcz3Gm3S0
魔王「入るぞ」

部屋のドアをノックしてそう確認する。

エルフ「っ! ま、まて。今はだめだ」

魔王「……泣いてるのか?」

声に混じる震えから、彼はそう推測した。

エルフ「な、ないてない」

魔王「……入るぞ」

少女は制止の声をあげるが、それを聞き流して彼は扉を開く。

エルフ「……」

魔王「美しい泣き顔だな」

32: 2012/05/18(金) 23:39:47.33 ID:qcz3Gm3S0
エルフ「っ! きさまをころす!」

激昂して、少女は叫ぶ。

魔王「そうか。やってみろ」

少女は魔法も使わず、魔王に駆け寄っていく。

彼は一瞬目を見開くが、すぐに元の表情に戻る。突進してくる少女が怪我をしないように優しく包みながら、後ろに倒れた。結果的に、馬乗りされる形になる。

エルフ「わたしの手で! きさまをころす!」

魔王「殺せるなら殺せ」

少女は小さな拳を振りあげて、彼の顔面に叩きつけようとするが、振り下ろす途中で腕を掴まれる。

魔王「拳を握るのはやめておけ。拳を痛めてしまう。下手をすれば骨を折る。平手にしておけ」

エルフ「……っ!」

甲高い音が部屋に響く。一度だけでなく何度も。少女の荒い息遣いと共に。

33: 2012/05/18(金) 23:42:17.64 ID:qcz3Gm3S0
やがて、皮膚を叩く音は鳴り止み、少女の嗚咽の声のみが響く。

魔王は何も言わず、少女の柔和な髪を撫でる。

エルフ「なんなのだ? きさまは、ほんとうになんなのだ? わたしをこんなにくるしめて、なにがしたいのだ?」

魔王「何なのだろうな。俺は」

彼は曖昧な過去を逡巡する。

人間だったときの記憶。
奴隷の記憶。
魔物に近しい存在になったときの記憶。迫害の記憶。
『力の塊』に侵されたときの記憶。
恍惚、そして虚ろな記憶。

魔王「俺は何なのだろうな。お前は知らないか?」

少女に問う。ーー返事はなかった。

エルフ「……」

魔王「眠ったのか」

呟き、静かに抱きかかえて、ベットに運ぶ。

魔王「良い眠りを」

呟いて、彼は部屋を後にした。

34: 2012/05/18(金) 23:43:45.93 ID:qcz3Gm3S0
側近「あーたらしーいあさがきたー!」

魔王「随分と元気だな」

側近「そうか? 俺はいつもこんな感じだろ。それより、エルフちゃんを起こさなく良いのか? 仲良くなるには触れ合いが大事だぜ」

魔王「あまり付き纏っても鬱陶しいと思うが。まあ、行ってくる」

側近「いってらー。さて、俺も仕事すっかな」

35: 2012/05/18(金) 23:46:29.83 ID:qcz3Gm3S0
魔王「入るぞ」

エルフ「きゃ……!」

ノックをせずに入ると、少女が魔王が用意した衣服に着替えているところだった。下着姿で、上半身は何も身につけていなかった。

魔王「着替えの途中だったか。下着も用意してあったと思うが、その胸ではまだ必要ないのではないか?」

エルフ「でてけ!」

魔王「恥ずかしがる必要などないのだがな。分かった」

暫く間を空けて、改めて部屋に入り直す。

魔王「ほう。そのドレス、似合ってるな。お前も気に入ったようだし」

エルフ「べ、べつに気に入ってなんかいない。神衣しか、きたことがないから気になっただけだ」

魔王「そうか。朝餉の準備ができている」

エルフ「きのうの言葉をわすれたのか?」

魔王「やはり食べないか。一応確認するために来ただけだ。それでは城内を案内しよう。ついてこい」

エルフは憎しみの目を向けつつも、彼に従う。

36: 2012/05/18(金) 23:47:40.51 ID:qcz3Gm3S0
城内を歩き回りながら、少女に簡単な説明をする。少女はつまらなそうな顔で彼を睨んでいたが、書斎を目にした途端に嬉々とした顔色になる。

エルフ「すごい本のりょう!」

魔王「暇なら本を読んでいてもいい。持ち出しても良いが、ちゃんと戻せよ」

エルフ「すごい。こんなにたくさんの本があるなんて。これ、おもしろそう。これも、これも……」

魔王「聞いてるのか? ……まあ、良い。ーー笑った顔が一番良いな」

呟きは、少女の耳には届かなかったようだ。

魔王(一人で戻れるな)

そう考えて、彼は書斎を後にする。

37: 2012/05/18(金) 23:50:29.65 ID:qcz3Gm3S0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

エルフ「あれ? あいつがいない」

満足の行くまで本に浸った後、少女は魔王の姿が書斎に見当たらないことに気づく。

陽は沈みかけ、大きな陰を至る所に落としている時刻だった。

エルフ「……どこ?」

不安に駆られ、広い書斎を忙しなく動きながら彼の姿を探す。しかし、どこにも見当たらず、彼女の不安は増長していく。

この広大な城内で少女が知る者は唯一、彼のみであった。いや、今や世界で彼だけであった。それほどにまで彼は残虐な行いをして。それほどにまで少女の知る世界は狭かった。

エルフ「……っ」

意を決して、少女は書斎を出る。

彼女にとってそれは多大な気力を必要とした。

「何だ? この稚児は?」

38: 2012/05/18(金) 23:52:53.44 ID:qcz3Gm3S0
部屋を出た途端、男に遭遇した。

少女の四倍は優にある背丈に、獰猛に肉を引きちぎるであろう筋肉を兼ね備えた偉丈夫であった。

鬼人族長「……エルフか? どうしてこの城にいる?」

エルフ「あ……」

驚きと恐怖で咄嗟に言葉が出なかった。

鬼人族長「忍び込んだのか? ならば排除するだけだが」

彼の殺気に、彼女は魔法を使うことも忘れて竦む。

「そのエルフは俺の妻となる者だ」

39: 2012/05/18(金) 23:54:05.49 ID:qcz3Gm3S0
鬼人族長「……これは新王殿」

全身が泥に塗れた魔王が、回廊の曲がり角から現れた。

鬼人族長「おやおや。砂遊びでもなさっていたのですか?」

大男は嘲りの笑みを浮かべる。

魔王「当たらずも遠からずというところだ。ーーおいエルフ、行くぞ」

呼ばれ、少女は彼の元に小走りで駆け寄り、後ろに隠れる。

鬼人族長「小児趣味だったのですね」

魔王「好きに言え」

適当にあしらわれたのが気に食わなかったのか、魔人の男は鼻を鳴らして去って行く。

40: 2012/05/18(金) 23:55:10.90 ID:qcz3Gm3S0
エルフ「どこに行ってたんだ? どろだらけだ」

翠玉の瞳で彼を睨みつけながら、少女は問う。

魔王「野暮用だ。お前があまりに熱中していたから暇でな」

エルフ「……ふ、ふん。それより手下のきょーいくがなってない。あやまってもらってない」

魔王「確かにな。奴はとりわけ俺のことを憎んでいるだろうしな。頃したいほどに」

エルフ「……どうしてだ?」

魔王「奴の弟を頃したからだ」

エルフ「……あくま」

魔王「魔王だ」

41: 2012/05/18(金) 23:57:06.16 ID:qcz3Gm3S0
魔王「そろそろ夕餉の刻限だ。行くぞ」

エルフ「きさまと同じごはんなど食べない」

魔王「いいから来い」

エルフ「っ!」

彼は少女の手を掴もうとする。しかし、触れることはなかった。

伸ばされた彼の右手が手首から切断されたからだ。夥しい血液が、彼の泥だらけの服と、滑らかなカーペットを紅く染めていく。

エルフ「あ……」

魔王「相変わらず凄まじい魔法だ。修復に時間がかかる」

エルフ「い、いたくないのか?」

魔王「痛いさ。しかし響かない。緊急信号がな。生命を失う恐怖を感じないのだ」

42: 2012/05/18(金) 23:58:22.39 ID:qcz3Gm3S0
少女の顔色は蒼白だった。無意識的に他者を傷付けたことが恐ろしかったらしい。たとえ、傷付けたのが一族を皆頃しにした男だとしても。

魔王「気に病むな。しかし、あまり血を流させないでくれ。洗濯と清掃をする使用人が大変だろう?」

エルフ「……くるってる」

魔王「そうだな。ほら、食堂に行くぞ。それが嫌ならお前の部屋に食事を運ぶが」

エルフ「……」

魔王「……取り敢えずお前は部屋に戻れ」

少女は頷きもしなかったが、自身の部屋の方へと歩き始める。

切断された右手を魔法で小鳥に変えてから、魔王は食堂に向かった。右手は出血が止まり、復元し始めていた。

43: 2012/05/18(金) 23:59:16.96 ID:qcz3Gm3S0
側近「うがー、疲れた。うわ、何でそんなに泥だらけなんだ?」

魔王「ちょっとな。随分とやつれてるな」

側近「鬼人族のオッサンが怒鳴り込みに来たんだよ。昨日仕上げた法の草案を各族長に送付したんだが、気に入らなかったらしい。その対応と法の改定をしてたんだ」

魔王「ああ、さっき会ったぞ」

側近「お、もしかして闘いに発展して、頃したりしちゃった?」

魔王「軽く言葉を交わしただけだ」

側近「なんだ」

44: 2012/05/19(土) 00:00:26.68 ID:p8Va+TrY0
側近「ところでエルフちゃんは?」

魔王「自室にいる。今から食事を届けるところだ」

側近「ん、それ? ……ははあ、結構エルフちゃんに入れ込んでるんだな」

魔王「そう、かもしれないな」

側近「ま、頑張れ」

魔王「言われるまでもないさ」

45: 2012/05/19(土) 00:01:50.55 ID:p8Va+TrY0
少女は整えられたベッドの上で膝を抱えて丸くなっていた。シワ一つなく伸ばされた純白のシーツに指先を這わせる。

魔王「入るぞ」

ドアが開き、魔王が部屋に入ってくる。手にはーー

エルフ「……どうして木の実が?」

魔王「今日、採取してきた。野草も数種類あるぞ」

エルフ「やぼよう、って」

魔王「まあ、これも一つだ。ほら食べろ」

エルフ「……いらない」

少女は彼から視線を外し、宵闇と霞で不明瞭な窓の外を眺める。

46: 2012/05/19(土) 00:03:05.62 ID:p8Va+TrY0
魔王「そうか。なら俺が食そう。ふむ、淡白な味だな」

木の実の一つを口にして、彼はそう評価づける。

魔王「これは仄かに甘いな。これは少し酸味が効いている。それに若干苦い。これは中々に濃厚だ。植物性タンパクに富んでいそうだな」

次々と、木の実を口にしながら感想を述べる。

エルフ「……わ、わたしにもよこせ」

窓に目を向けたまま少女は言う。

魔王「お前に食べてもらうために採取してきたのだ。好きにしろ」

少女は木の実を手に取り、小さくて端正な口に運ぶ。

魔王「久しぶりの食事だろう? 美味いか?」

47: 2012/05/19(土) 00:04:42.47 ID:p8Va+TrY0
少女は何も言わない。ただ、澄んだ翠の瞳から雫を一粒零した。

エルフ「……どうして? かなしんでいるのに、こんなにもさびしいのに、おなかがすくんだ?」

ポロポロと。大粒の涙が零れる。一族を頃した者から施された食物を食べて生き永らえる自分への羞恥から零れる涙だった。

魔王「生きてるからだ。そして、お前が生命を尊重できるからだ。『己』という、主観上最も大切な生命をな」

エルフ「わたしは……」

少女は途中で口をつぐみ、膝に顔を埋める。

魔王「どうした?」

エルフ「一人にして。話したくない」

魔王「……そうか」

魔王は部屋を後にする。

ドアが閉まってからも、少女は膝に顔を埋めたままだった。

51: 2012/05/19(土) 13:25:01.72 ID:p8Va+TrY0
少女を城に連れ込んでから十日ほど過ぎた。

相変わらず、少女は魔王を拒絶する素振りを見せるが、会話を交わす機会は大分増えていた。その口調も柔和なものになりつつあった。

少女は書斎で読書をしていた。彼女は一日のほとんどを読書に費やしている。

魔王は少し離れたところから、頬杖をつきながら彼女の読書する姿を眺めていた。近頃の彼の日課だった。

基本的に、少女は一度活字を読み始めると、魔王の存在など忘れてしまうようであった。

彼女は今、挿絵付きの、魔物の生態や特徴などを記した図鑑を読んでいる。

エルフ「『まもの』とはそもそもなに?」

珍しいことに、読書中の少女が魔王に話しかける。

52: 2012/05/19(土) 13:28:32.55 ID:p8Va+TrY0
魔王「瘴気を分解してエネルギーを摂取する器官を持つ者が『魔物』だ。更に、理性を兼ね備える者を『魔族』、持たない者を『魔獣』と区分する。植物は『魔草木』と呼ぶ。もっとも、人間にも魔物と同じ器官を持つ者が僅かばかりいるが」

エルフ「じゃあ『しょーき』は、なに?」

魔王「瘴気の詳細は分かっていない。魔の国の中心部に、この城からそう遠くないところに、大地の亀裂がいくつかあって、そこから絶えず噴出している。世界のおよそ半分まで瘴気は散在していて、魔物の住まう土地となっているな」

エルフ「きれつ」

魔王「興味があるなら行ってみるか? この城の近くに、巨大なものがあるが」

エルフ「うん」

53: 2012/05/19(土) 13:40:19.09 ID:p8Va+TrY0
魔王「じゃあ行くぞ」

魔王は少女に触れる。目的の場所まで瞬間的に転移するためだ。

エルフ「『転移の呪』をつかうの?」

魔王「ああ」

エルフ「わたしにおしえて」

魔王「今は無理だ。あちこちへと、勝手に出歩かれると困るからな。世の中は危険に満ちてるからな」

エルフ「きさまいじょうの、きけんなんてない」

魔王「かもな。しかし少なくとも俺はお前に危害を加えるような真似はしない。そして、他の魔物も人間も、エルフを食糧にしたり奴隷にしたりするだろう」

エルフ「……」

54: 2012/05/19(土) 13:47:40.24 ID:p8Va+TrY0
魔王「俺のしたことを許せなんて言わない。一生恨め。発作的に苦しくなったら好きなだけ傷つけろ。だが、俺はお前の味方だ。この言葉だけは信じてくれ」

しばらく静寂が続き、やがて、それを破って少女は訥々と語り始めた。

エルフ「……わたしは、物心ついたときからバケモノとよばれていた」

自身の過去。思い出すのも忌まわしい記憶。それを憎むべき者に向かって吐き出す。

エルフ「……おさないとき、お母さんを、ころしてしまった。まほうが、ぼうはつ、した」

少女は僅か一桁の年で人を、実の母を頃した。あまりに多大な素質で。

他のエルフ達は少女をバケモノ扱いした。父親でさえも彼女を忌み嫌った。

エルフ「だから、わたしは『神の器』になることをのぞんだ。わたしの力は、そしてわたしは、みなの役に立てると知ってほしかったから。みなに、わたしをひつようとしてほしかったから」

エルフは神を崇め、神に仕える種族だ。神の力によって魔法を使い、身を護り、敵を殲滅する。

少女は『神の器』と呼称される存在だった。言葉通り、その身に神を内包し、森とエルフを守護する存在。

それは人柱だった。

55: 2012/05/19(土) 13:54:00.90 ID:p8Va+TrY0
エルフ「……わたしは、こわい。自分が。ーーきさまを、心からは、にくんでいないんだ。なかまをころされたのに。うらまなければいけないはずなのに」

少女の華奢な体が震える。

罪悪感。それが彼女を苛んでいた。

魔王は彼女を腕の中に優しく包み込んだ。抵抗はなかった。ただ、彼女は小動物のように身体を強張らせた。

魔王「当たり前だ。俺が頃したのはお前の仲間などではないからな。ただの矮小で傲慢な生物だ」

優しい声音と彼の体温に、彼女は安心したように硬直を解いたが、すぐに彼の体を突き放す。

エルフ「でも、きさまの行いは正しくない」

魔王「……その通りだ」

魔王は小さく首肯して、魔法で瞬間転移した。

56: 2012/05/19(土) 14:00:47.90 ID:p8Va+TrY0
大地が、両端が視認できないほど大きく裂け、黒煙を勢いよく吐き出していた。
瘴気の発生場所としては最大規模のものであった。

魔物の生命の根源。人間にとっての猛毒。

エルフ「すごい」

魔王「だろう? 一秒も絶えることなく噴き出している。瘴気が途絶えれば、魔物は氏滅するからな。文字通りの『生命線』だ。いや、線と呼ぶにしては幅が広いか」

エルフ「きさまも、しぬの?」

魔王「瘴気が無くなったくらいでは氏なんさ。そもそも俺は魔物に分類されるかも怪しい。ーーそうだな。お前の身の上を聞かせてもらったのだし、俺の昔話でも話そう」

黒煙に目を向けたまま、魔王は自身の過去を静かに切り出す。


57: 2012/05/19(土) 14:02:21.23 ID:p8Va+TrY0
魔王「この世に生を受けた時は、人間だった。豪農の奴隷夫婦の間に産まれて、物心ついた時には働かされていた」

黒煙を無心に見つめる彼の顔には、如何な表情も読み取れなかった。

魔王「十代の半ばほどだったか、過酷な労働で体を壊した。使い物にならなくなった俺は境界付近の森に棄てられ、生涯を閉じるはずだった」

少女はひたすら沈黙し、彼の言葉に耳を傾けている。

「しかし、瘴気に満ちた土地でも俺は氏ななかった。むしろ俺の弱り切った体は健康になっていった」

エルフ「……まものとおなじ『器官』を持つニンゲン」

魔王「その通りだ。その後、俺は魔物として生きた。現在住んでいる城を造るのにも携わった。しかし結局、奴隷と同じ扱いだった。人間であった故に迫害もされた」

58: 2012/05/19(土) 14:06:42.46 ID:p8Va+TrY0
彼は数歩、裂け目に近づく。目と鼻の先に高濃度の瘴気があった。
上空まで舞い上がった瘴気は拡散して、世界の半分を埋め尽くす。

魔王「極度の疲労と猛烈な飢餓に耐えられなくて氏ぬことを決めた。そしてある時、この穴に落ちてみた。最低な生涯を終えるには、『最低』であろう場所が相応だと思ったからだ」

そう口にしてから、魔王は裂け目を指差しながら問う。

魔王「この底には何があったと思う?」

少女は熟考してから躊躇いがちに答える。

エルフ「『しょーき』をはきだす大きな『まもの』」

魔王「ふむ。当たらずも遠からずだな。ーーこの下には、『力の塊』があった」



エルフ「ちからのかたまり?」

魔王「お前たちエルフが神と崇めていたものだ。『それ』は形などなく、意思もなく、ただ悠然と存在していた。瘴気は『それ』から生まれていた」

少女は懐疑的な視線を向けてから、強くかぶりを振った。少女の身体に宿っている『神の力』は清浄なものであったからだ。

魔王「信じられないのも無理はない。しかし、おかしいと思わないのか? お前の体に押し込まれた『神』とやらは、あまりにも清浄すぎるだろう? 吐き出しているのだ。瘴気を。不浄を」

そこまで述べて、魔王は苦笑した。

59: 2012/05/19(土) 14:08:51.57 ID:p8Va+TrY0
魔王「話が逸れたな。その後、一度意識が途切れた。次に覚醒した時、今と同じような力を手に入れていた」

エルフ「……かみのちから、なの?」

魔王「そうとも言えるな。初めは楽しんださ。人間も含め、今まで俺を苦しめてた者たちをみんな惨頃してやった。色々な物を破壊してやった。ーーでもすぐに虚しくなった」

魔王は裂け目から、少女の下に戻る。

少女は碧眼を彼に向ける。その瞳がどのような感情を湛えているのか、彼には予想できなかった。ただ、肯定的なものではないことだけは分かっていた。

60: 2012/05/19(土) 14:10:31.33 ID:p8Va+TrY0
魔王「それで、氏ぬために魔王になろうとしたんだ。魔王になるには、前王を倒さなければいけない。しかも前王に挑む前に、魔獣の首を千個捧げ、全魔族の副族長と同時に戦って勝利し、側近を倒す必要があった。ーーどいつも弱かった。前王すらもな」

エルフ「そして、まおーになったの?」

魔王「ああ。誰も頃してくれなかったことに悲嘆した俺は、自分を頃してくれる『自分』を欲した。つまり、自分の子に息の根を止めてもらおうと考えたんだ」

エルフ「そのために、わたしを?」

魔王「ああ。これで、俺の話は終わりだ」

61: 2012/05/19(土) 14:12:05.37 ID:p8Va+TrY0
エルフ「……かえる」

魔王「そうか。行くぞ」

二人は再び城へと転移する。

エルフ「きさまは、わたしを見てはいないんだな」

魔王「ん?」

エルフ「……なんでもない。わたしは本をよむ。じゃまをするな」

そう言い捨て、少女は書斎へと駆け出す。小さな後姿は、彼を拒絶しているようだった。

62: 2012/05/19(土) 14:16:19.68 ID:p8Va+TrY0
側近「だっからさー! 封建制度は撤廃しなきゃいけないの! 中央集権にして、他は平等! 鬼人族だけに、特権はないわけ! それに軍なんて魔王様には必要ないの!お分かり!?」

鬼人族長「ふざけるな! 我々は代々魔王殿に仕えてきたのだぞ! その我々から領土と民を奪うのから! 貴様では話にならん! 新王殿を呼べ!」

側近「この件は俺に一任されてるの! 魔王様の眷族なら俺の言うことを聞かなきゃいけないの! それに他の種族は概ねこの案に賛成しているんですぅ!」

魔王「騒がしいな」

鬼人族長「……ふん、私は貴様を王などと認めんぞ」

そう吐き捨て、族長は退室する。

64: 2012/05/19(土) 14:17:48.24 ID:p8Va+TrY0
側近「はあ、疲れた」

魔王「ずいぶん熱くなってたな」

側近「だってあのオッチャン、何回説明しても納得しねーんだもん。他の族長たちはなんやかんやで納得してくれたのにな」

魔王「他の曲者どもを説得できるだけ流石だろう」

側近「そりゃ敏腕ですもの。しかし、あのオッチャン、反旗を翻したりするかもな。元々お前に対して怨恨を持ってるし」

魔王「そうかもな」

側近「その場合はサクッとやっちまって。もう我慢の限界だぜ」

魔王「ああ。まあ、貴様に全てを任せているしな。それくらいはやるさ」

65: 2012/05/19(土) 14:20:13.13 ID:p8Va+TrY0
側近「二十年の間に社会インフラを整えて、ここを人間の国を超える国家にしてやる。五十年後には、『魔の国』ではなく『まほろば』と呼ばれる国だ」

魔王「ずいぶんと入れ込んでるな」

側近「お前がエルフちゃんに熱心なのと同じだよ」

魔王「ふむ。そういえば先ほど、あいつに『私のことを見ていない』と言われたんだが」

側近「あん? 前後を教えてもらわんと何も分からん」

魔王「確か、俺の計画を話して、それに対して『そのために私を連れてきたのか?』と訊かれたから、それを肯定した。そうしたら、さっきの台詞を口にした後、機嫌を悪くした」

側近「あー、あれだな」

魔王「どれだ?」

側近「お前、アホ」

67: 2012/05/19(土) 14:21:40.00 ID:p8Va+TrY0
側近「そこは違うと言っておけよ。お前だけを見てるって」

魔王「そんなものか?」

側近「そんなもんだ。世の中ってのはシンプルだからな」

魔王「……分かった。今から言ってくる」

側近「いやいや、何も分かってないだろ。今から言っても遅いから」

魔王「じゃあどうすれば良い?」

側近「それぐらい分かれよな。ま、自分で考えんしゃい。ベターもベストも推測できるかもしれんが、正解は当人しか分からないもんだ」

魔王「……分かった」

68: 2012/05/19(土) 14:23:27.63 ID:p8Va+TrY0
少女はいまだに書斎で読書をしていた。小さな身体に不釣り合いなサイズの本を熱心に見つめていた。

その本の文字は少女の知る言語では無いはずだが、様子から察するに魔法を使って解読しているようだった。

魔王「その本は俺が書いたものか? よく見つけたな」

いきなり声をかけられ、少女は驚いた顔を彼に向けるが、すぐに不機嫌な表情になって本に視線を戻す。

魔王「『転移の呪』の項を見ているのか。それはひどく複雑で、修得するのは難しいぞ」

エルフ「みっかもあれば、できるようになる」

彼の方を見向きもしないまま、少女は答える。

魔王「それは凄まじいな。お前の才能には驚かされてばかりだ」

69: 2012/05/19(土) 14:26:06.64 ID:p8Va+TrY0
エルフ「……やめさせないの?」

魔王「気が変わった。好きなだけ好きなことをしろ」

少女は一層不機嫌な顔になる。

エルフ「やはり、きさまはわたしことなど、どうでもいいんだな」

魔王「そんなことはない。お前に子を産んでもらうのは百年ほど先だ。故に、今最も大切なのはお前だ」

エルフ「けっきょく、きさまはわたしのチカラがほしいのだろう? わたしではなく」

魔王「そうだな。……でも、お前といるのは楽しいさ。『生きてる』と実感できる。自分が何者かは分からないが、『生き物』だとは再認識した」

エルフ「……」

魔王「今更、遅いのだろうがな。正常を取り戻すには手を汚し過ぎた。壊し過ぎた。頃し過ぎた」

70: 2012/05/19(土) 14:27:38.57 ID:p8Va+TrY0
エルフ「……これからきさまは、だれもころすな。ケモノいっぴきーームシ一匹もだ」

魔王「……なに?」

エルフ「生きてると、じっかんしてるんだろう?」

魔王「あ、ああ」

エルフ「なら、いのちの大切さをおもいだしただろう?」

魔王は、今から少女を殺せるかシミュレートしてみる。純白な肌を紅く染め、翠玉の如き瞳を握り潰す。腹を一文字に裂き、滑った小腸を引きずり出すーー

ーーできる訳がなかった。

代わりはいるはずなのに。少女を喪うのが、途轍もなく恐ろしかった。

魔王「……ああ」

彼の心情を表すように、指先が震える。

エルフ「きょうは一人でごはんをたべる」

少女は両腕で本を抱きしめながら、書斎を後にした。

孤独な書斎に、魔王は一人佇む。

71: 2012/05/19(土) 14:29:23.05 ID:p8Va+TrY0
魔王(生命の重さ。そうか)

魔王は慄く。

魔王(あのエルフを殺せない。大切だから)

そのことに気づいたからこそ、彼は震えていた。心底恐怖したように。

エルフたち、鬼人副族長、その他多くの顔が浮かぶ。彼が屠ってきた者たちだ。

魔王(俺は、頃したんだ。誰かが大切に思っていた誰かを)

ーー彼は、自分の罪を初めて痛感した。

72: 2012/05/19(土) 14:32:19.88 ID:p8Va+TrY0
二日が経った。

鬼人族長は、城門の近くにいた。

氏ぬ覚悟はできていた。今日のことについて、一族の誰にも何一つ話さなかった。妻と息子にさえも。

目的はーー魔王は眼前にいた。

魔王「来たか。しかし、果たし状を送り付けてくるとは随分と楽天家だな。頃すのなら、不意をつけば良いものを」

昨日、鬼の長は、王に決闘を申し込む書状を送り付けていた。新王の政策が、彼等の権威と誇りをあまりに蔑ろにするものだからだ。

そして。

実弟の仇をとるため、彼は魔王に命を賭して挑む。

鬼人族長「誇り高き我々が、そのような姑息な手法を使うわけがなかろう」

魔王「ふむ。流石は魔族最強の一族を束ねる者。しかし、素手で俺に挑む気か?」

鬼人族長「身体自体が洗練された武器だ。主こそ、手ぶらではないか」

魔王「俺に武器など必要ない」

73: 2012/05/19(土) 14:33:49.94 ID:p8Va+TrY0
鬼人族長「甘くみたことを後悔するなよ」

魔王「甘くなど見ていないさ」

鬼人族長「ふん。ーーいくぞ!」

先手を打ったのは鬼人だった。巨体に纏う、あまりに獰猛な筋肉をもって殴りかかる。無駄な所作はなく、最速で魔王の顎を穿つ。

魔王「……っ」

それで終わらず、宙に浮かびかけた彼の首根を掴み、強烈な頭突きを食らわせる。

打撃音と、頭蓋のひしゃげる音が響く。

最後に彼の首根を離し、無防備な鳩尾へと、右足を軸にした凄烈な後ろ回し蹴りを放った。

74: 2012/05/19(土) 14:35:49.46 ID:p8Va+TrY0
水を切る石のように、魔王の身体は幾度も跳ね、やがて静止した。

鮮やかな連撃を決めつつも、鬼人の顔は晴れない。

魔王はゆっくりと起き上がり、巨漢の下に向かって緩慢に歩み出す。身体のどこにも傷はなかった。俯いているため、表情は見えない。

鬼人族長「バケモノが!」

叫び、馬乗りになりながら再び殴りかかる。

幾多もの猛打を浴びせ、顔面を、肉を、骨を、幾度も壊すが、瞬時に修復される。

圧倒的な暴力を振るいつつ、漢は怯えていた。暴力を振るわれている男に。

鬼人族長「何故だ……! 何故なのだ!」

75: 2012/05/19(土) 14:43:44.03 ID:p8Va+TrY0
暴力を振るい続けたまま、戦慄する。彼の再生能力にではない。そのことについては以前に彼の戦闘を観て、知っていた。故に、彼は勝つ見込みなど万一もないことを理解していた。それでも誇りのために闘うことを決めたのだ。

彼が慄いたのは、

鬼人族長「どうして反撃しない!? どうして……そんなに穏やかな顔をしている?」

魔王の表情だった。グチャグチャに歪んだ『それ』を、表情と形容するのは難しいが。

魔王「痛いからだ。お前の怒りが、憎しみが、堪らなく痛い」

鬼人族の長は、手を止めた。

魔王「どうして手を止める? 貴様は暴力を振るい続けろ。貴様の怒りは、憎しみは、その程度のものなのか?」

鬼人族長「……っ!!」

怒声を上げ、殴る。殴る。殴る。

血塗れになりながら、それでも魔王は穏やかに微笑む。全てを受容するように。

76: 2012/05/19(土) 14:45:43.01 ID:p8Va+TrY0
やがて、拳が止まった。

鬼人族長「……私の負けだ」

そう告げて、彼は立ち上がる。

魔王「俺は貴様の大事な存在を頃したのだぞ。この程度で憎しみが消えたのか?」

鬼人族長「消えんさ。だが、もう良いのだ。憎悪や怒りよりも、哀しみと、虚しさが心を埋めるのだ。その時点で、私は負けたのだ」

魔王「……ならば、俺に従ってもらうぞ」

鬼人族長「一族が服従するかは、残った者たちが決めるだろう。だが、私はここで命を絶つ。敗者に生など有り得ない」

鬼人は心臓を突くために、刃よりも鋭い手を自分の胸に刺そうとする。

77: 2012/05/19(土) 14:50:30.31 ID:p8Va+TrY0
しかし、彼の身体に己の刃が刺さることは無かった。

魔王が彼を抱きしめるような形で庇ったからだ。

鬼人族長「……何故、邪魔をする? 何故、私の誇りを傷つける!? 何故だ!?」

胸を貫かれ、吐血しながらも、彼は柔和な表情で言う。

魔王「愛おしい者と約束したのだ。『もう誰も殺さない』とな。見頃しにすれば、俺はお前を頃したことと変わらないからな」

大男の逞しい腕を身体から引き抜く。抜けると同時、傷の修復が始まった。

魔王「それに、お前の誇りなど知らぬ。俺は魔王だぞ。そして勝者だ。お前を支配する者だ。今ではお前の生命すら俺の物だ。勝手に氏ぬことなど許さん!」

鬼人族長「……なんと高慢な」

魔王「好きに言え」

78: 2012/05/19(土) 14:52:34.58 ID:p8Va+TrY0
魔王「確かにお前の一族は今までの栄華を失う。他の一族を含め、辛酸を舐めさせてしまうこともあるだろう。ーーだが、約束しよう。俺は国を、民を豊かにする。幸せにする。もちろんお前たちもだ。王として、一人の魔物として、お前に誓う」

その眼に宿る確固たる自信と圧倒的な威厳に、鬼人族長はしばらく閉口していたが、数歩下がり傅く。

鬼人族長「王。この身。貴殿のために尽くさせていただく!」

魔王「ああ。頼むぞ」

79: 2012/05/19(土) 14:53:54.38 ID:p8Va+TrY0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

側近「すげーな。鬼人族の反乱は避けられないもんだと思ってたんだが、万事がうまくいったぜ」

魔王「見事に丸く収まったな。これからはお前だけでなく俺も政に関わろう。今まで任せっ放しですまなかった」

側近「気にすんな。しかし、王としての自覚が出てきたんだな。氏ぬために魔王になったくせに」

魔王「まあな」

80: 2012/05/19(土) 14:58:10.70 ID:p8Va+TrY0
側近「今でも氏にたいか? エルフちゃんとの子どもに、殺されたいか?」

魔王「……いや。今は生きていることが嬉しいさ」

側近「はは、情が完全に移っちまってるな。お前の価値観が変わったのもエルフちゃんのおかげなんだろ?」

魔王「そうかもな」

側近「変わろうとすりゃ、変われるもんだな。俺個人として言わせてもらえば、今のお前の方が素敵だぜ」

魔王「そうか。それじゃ、これからも政の主軸部分は頼んだぞ」

側近「おう。一緒に頑張ろうぜ。ご主人様よ」

81: 2012/05/19(土) 14:59:59.90 ID:p8Va+TrY0
少女は、いつもと同じように書斎で読書をしていた。魔王の姿に気づき、顔を上げる。彼の顔を合わせるのは二日振りのことだった。

魔王「『転移の呪』は修得できたか?」

少女「もうすこし。ーーさっきのたたかい、どうしてころさなかったの?」

魔王「見てたのか?」

少女は首肯する。

魔王「お前と約束したからだ。誰も殺さないとな。それに、生命の大切さをやっと知ったからな」

少女「……そう」

魔王「お前のおかげだ。……ありがとう」

照れ臭そうに彼は礼を述べる。

少女も白い頬を上気させ、それを隠すように本に目を戻した。

82: 2012/05/19(土) 15:01:31.09 ID:p8Va+TrY0
魔王「これから多忙になる。こうやって顔を合わせる数も減るだろう」

エルフ「……そう」

魔王「時間があれば会うようにはするが」

エルフ「べつに、あわなくてもいい」

魔王「む。……今、少し嘘を吐いた。少しでも時間があればお前に会いたいのだ。こうやって話をしたいのだ」

エルフ「……どうして? わたしは、あなたにつめたくしてるのに」

魔王「『あなた』と呼んでくれたのは始めてだな」

彼は微笑みながら言う。

エルフ「そ、それはミス」

慌てて訂正して、少女は本を抱え、書斎を後にしようとする。

83: 2012/05/19(土) 15:02:47.37 ID:p8Va+TrY0
魔王「今日は共に食事しよう」

エルフ「……べつにいいけど」

魔王「しかし、木の実ばかりでは飽きるのだが」

エルフ「なら、たべなくていい」

魔王「いや、食べるが。あまり冷たくしないでくれ。傷つくぞ」

彼の言葉にエルフは目を細めた。

エルフ「いがいにメンタルよわいね」

魔王「ああ。シャボン玉くらい脆いぞ」

エルフ「シャボンだま?」

魔王「知らないのか? 泡みたいなものだ。今、魔法でーーいや、今度一緒にやろう。その方が楽しいだろう」

エルフ「よくわからないけど、たのしみにしてる」

84: 2012/05/19(土) 15:04:38.33 ID:p8Va+TrY0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

翌日。

少女は自室にいた。朝食をすまし、現在は転移魔法の確認をしていた。

魔王は、側近と鬼人族の長を交えて、政策について話し合っていた。

エルフ「……すごいふくざつ。まおーは、どうしてかんたんそうにできてたんだろ?」

眉根を寄せながら、少女は呟く。

何度も試行錯誤を繰り返し、ようやく完全に理解し、完璧に修得できた。

「……かくごをきめなきゃ。『あそこ』にいかなきゃ、自分の心がわからないまま」

少女は様々な葛藤と不安を抱えていた。それを解決するためーー悪化する危険性も覚悟したうえでーーある場所に向かおうとしていた。

何度も深呼吸をしてから、詠唱を唱える。

詠唱終了と共に、少女の身体は虚空に消えた。

85: 2012/05/19(土) 15:07:27.38 ID:p8Va+TrY0
エルフ「……どういうこと?」

少女は眼前に広がる光景に小首をかしげる。

少女が訪れたのは、生地である森。

エルフ「わたしがいなかったのに、『しょーき』がない」

少女の魔法によって守護されていない今、森は瘴気に満ちて退廃しているはずだった。美しい木々は枯れ、魔草木に養分を吸い取られる侵略の図が展開しているはずだった。

しかし、森の大気は清浄なままで、エルフの一族が存命していた時と変わっていなかった。

「おいおい。どちらさんですか?」

上空より声が聞こえ、少女は上を見上げる。

小鳥がいた。今まで森に獣などは一切いなかった。

86: 2012/05/19(土) 15:10:23.38 ID:p8Va+TrY0
魔鳥「あん? もしかしてエルフの嬢ちゃんか?」

小鳥が、近くに生えている樹木の枝に止まり、そう声をかけてきた。

魔鳥「俺は敵じゃねーぞ。ここを護ってんだ。森の守護者ってな。イカすだろ」

エルフ「まもってる?」

魔鳥「おう。ご主人様の命令でな。ま、深く気にすんな。入りたいなら入りゃ良い。元々、あんたらの森だしな」

それだけ言って小鳥は再び飛び立つ。

エルフ「……なんなんだろ?」

しばらく、上空を気ままに飛び回る小鳥を観察していたが、気を取り直して奥へと歩みを進めた。

87: 2012/05/19(土) 15:12:57.99 ID:p8Va+TrY0
エルフ「『浄化の呪』がはつどうしてる。だれが?」

不可解な事態に混乱しながらも、森の中央部まで、突き進む。

神木がある開けた場所まで来て、少女の足が止まった。

エルフ「……おはか?」

神木の周囲に等間隔で並んだ墓石。瓦礫などもなく、全壊したはずの森は整然としている。

このようなことをする者を、少女は一人しか知らなかった。

「ここにいたのか。探したぞ。本当に三日で『転移の呪』を修得するとは」

後ろから、声をかけられた。

88: 2012/05/19(土) 15:20:14.78 ID:p8Va+TrY0
エルフ「まおー。これはあなたがしたの?」

魔王「ああ。お前を連れ去った翌日にな」

エルフ「だから、どろまみれだったんだ」

魔王「そういうことだ。あの鳥にここを見張らせてたのも俺だ。ここに、『浄化の呪』をかけていたのもな」

あの小鳥は、少女が切断した魔王の右手が変容した存在だったが、少女は知る由も無い。

魔王「しかし、どうして俺の分身はあんなに饒舌な奴らばかりなんだ? 俺があまり喋らないからか?」

エルフ「……どうして?」

魔王「ん?」

エルフ「どうしてそこまでするの? あなたには、かんけいないのに」

魔王「……俺にも分からん。気まぐれだ。ただ、今ならそれで良かったのだと思える。ーーああ、そうだ。ほら」

魔王は手にもっていた物を少女に差し出す。

89: 2012/05/19(土) 15:27:39.36 ID:p8Va+TrY0
彼の手に握られていたのは、小さな容器と筒状の短小な棒。

魔王「シャボン玉を飛ばそう」

エルフ「シャボンだま?」

魔王「ああ」

エルフ「どうやるの?」

彼は棒の先端を容器に入れる。容器の中には、粘性のある液体が詰められていた。

口に棒を咥え、息を吹く。大小様々の透明な球が、虹色の光を纏いながら宙に舞う。

エルフ「……きれい」

少女はシャボン玉に見惚れながら、反射的といった様子でそう呟く。

魔王「やってみると良い」

彼は、棒と容器を少女に手渡す。少女は躊躇いがちに、彼の真似をする。

シャボン玉ができたのを見て、嬉しそうな顔になり、更にシャボン玉を作る。

90: 2012/05/19(土) 15:31:47.61 ID:p8Va+TrY0
エルフ「『たましい』はこんな形なのかな?」

魔王「見たことがないから分からないが、そうかもな」

エルフ「だったら、『たましい』のあつまるところは、とてもきれいだね」

少女は思い巡らす。魂が集う処。数多ののシャボン玉に包まれた世界。自分の知る者もそこにいる。母もいるかもしれない。

エルフ「でも、いきたくない」

そのような幻想的な世界は、少女には必要ない。魅了もしない。

魔王「俺は行ってみたいな。そこに行きたくても行けないから」

エルフ「えー」

91: 2012/05/19(土) 15:33:21.00 ID:p8Va+TrY0
エルフ「ーーここにきて、よかった」

シャボン玉をたくさん作りながら、彼女は告げる。

魔王「何故だ?」

エルフ「ここにきたのは、自分のきもちが分かるようになるため」

魔王「分かったのか?」

少女は小さく肯く。

エルフ「わたしはやはり、いちぞくがほろんでも、くるしくない。まおーをにくんでもない」

魔王「……そうか」

92: 2012/05/19(土) 15:37:07.59 ID:p8Va+TrY0
エルフ「でもやっぱり、かなしい。だから、まおーはだれもころさないで。かなしい人をふやさないで」

魔王「ああ、誰も殺さないさ。神には誓わんが、お前に誓おう」

エルフ「それと。ここを、きれいなままにしてて。やっぱり、大切なところだから」

シャボン玉が割れる。魂が違う世界に導かれるようだった。

魔王「任せろ。お前が望むなら永劫にここを護る」

エルフ「ありがとう」

少女は柔和に微笑む。それから晴天を仰ぎ、ポツリと呟く。

93: 2012/05/19(土) 15:38:27.00 ID:p8Va+TrY0
エルフ「すきなんだとおもう。まおーのことが」

それはおそらく恋愛感情とは別の愛。

魔王「俺も好きだ」

そして、彼の思いもまた、恋愛感情とは言い難かった。

エルフ「おそろいだね」

そう言って、あどけなく笑う少女にはーー二人にはまだ必要無かった。

それでもいつかは結ばれるだろう。愛の契りを結ぶだろう。身を重ねるだろう。

その時まで。
彼らは互いの時間を重ねてゆく。そして心を交わしてゆく。

94: 2012/05/19(土) 15:40:43.52 ID:p8Va+TrY0


エルフ「かえろう。少しあるいて」

魔王「分かった」

エルフ「木の実じゃないごはんも食べてみる」

魔王「そうか。俺は木の実と野草はもう飽きたからな。嬉しい限りだ」

二人は穏やかな陽光に包まれた森の中を並んで歩いていく。
時間は緩やかに流れ、心地良い一陣の風が吹く。

魔王「暇だな」

エルフ「すばらしいことだよ。きっと」

96: 2012/05/19(土) 15:41:40.43 ID:p8Va+TrY0
エルフ「かえろう。少しあるいて」

魔王「分かった」

エルフ「木の実じゃないごはんも食べてみる」

魔王「そうか。俺は木の実と野草はもう飽きたからな。嬉しい限りだ」

二人は穏やかな陽光に包まれた森の中を並んで歩いていく。
時間は緩やかに流れ、心地良い一陣の風が吹く。

魔王「暇だな」

エルフ「すばらしいことだよ。きっと」

106: 2012/05/26(土) 22:07:46.12 ID:tjWF1hsr0
時は過ぎる。
止まりもせず、急ぎもせず、ただ正確に。

世界は周り続け、変化し続ける。

人が、赤児から大人になるほどの時間が流れた。

魔の国においても大小の変化。栄華。衰退。

108: 2012/05/26(土) 22:12:19.57 ID:tjWF1hsr0
そして城はーー

魔王「エルフ! それは俺の分のケーキだぞ!」

エルフ「貴方の物は私の物だよ」

側近「なははは! 魔王でも妻には支配されてんのな!」

鬼人族長「王殿。私のケーキを差し出しましょう」

使用人「ボクがいただくよ。魔王様は一切食べなくても平気なんでしょ?」

賑やかさを増していた。

109: 2012/05/26(土) 22:14:15.89 ID:tjWF1hsr0
鬼人族長「卑しいタヌキめ。私は王殿に献上しようとしたんだ」

鬼人族の長は相変わらず剛健で、その筋肉は全く衰えていない。外見の変化は若干白髪が増えた程度であろうか。

しかし、内面は大分変わっていた。魔王への忠誠心は高く、魔王の腹心の部下として日々活動している。

使用人「タヌキじゃなくて、キツネだってば。この立派な耳を見てそんなことも分からないなんて耄碌してるんじゃないの?」

数年前からこの城で働いてる使用人が、小馬鹿にしたような態度で言う。

少女と女性の中間と言った外見年齢で、長くて尖った橙色の耳と、柔らかそうな質感の四本の尾が特徴的だ。

鬼人族長「使用人如きが調子に乗るなよ。そもそも貴様のような、魔王様のご命を狙っていた者をこうして登用するのも私は反対だったんだ」

110: 2012/05/26(土) 22:16:05.22 ID:tjWF1hsr0
側近「あー、やめろやめろ。オッチャン、それそのまんま自分に返ってくる言葉だからね。キツネちゃんもオッチャンをそんなに馬鹿にしないの。せっかく美味しいケーキを食べてるんだから」

使用人「側近がボクにケーキをくれたら考えてあげる」

側近「あー、好きなだけ罵倒すれば良いと思うよ? 俺の知ったこっちゃない」

側近は全く変わっていない。

魔王「変わり身が早いな」

エルフ「キツネちゃん、私の半分個しよ。一人じゃ食べ切れないから」

エルフも成長した。未だに少女のままだったが、出会った当初よりも背が伸び、顔立ちの幼さも幾分減った。
多くの書物を読み耽り、今では魔王よりも博識だ。

使用人「わー、エルフちゃんありがとう!」

魔王「いや、それ俺のケーキ……まあ、良いか」

魔王も特に変わっていなかった。毒気を抜かれたぐらいだろうか。

111: 2012/05/26(土) 22:17:26.75 ID:tjWF1hsr0
鬼人族長「王殿。一国の主たる者、妥協はいけませんぞ」

魔王「妥協は必要だろう。意地で道理を引っ込めてはダメだ」

側近「尻に敷かれてる魔王が何言っても全く響かないな」

魔王「うるさいな。そろそろ休憩時間を終わりにしよう」

使用人「また、掃除かー。メンドいなー」

鬼人族長「口じゃなくて手を動かせ」

使用人「分かってますよー」

溜息を吐きながら、使用人は部屋を後にする。

エルフ「お仕事、頑張ってね」

魔王「ああ」

魔王に小さく手を振って、少女も立ち去る。おそらく書斎に向かうのだろう。

112: 2012/05/26(土) 22:19:58.66 ID:tjWF1hsr0
三人になり、会議を再開する。

鬼人族長「逆賊どもの話だったか」

側近「逆賊というよりも抵抗軍だな。ご存知の通り、現在魔の国は封建制を廃止して、魔王一人のみを支配者においた絶対王制だ。これは今の人間たちと同じだな」

魔王「それで」

側近「ただ俺たちは、人間たちと違って奴隷制を廃止した。魔王たっての希望でな。まぁ、俺も賛成だが」

鬼人族長「私もだ。ゴブリン、ハルピュイア、コボルト。力が弱いとはいえ、同じ魔族を道具のように扱うなど許せる所業ではない。強者は弱者の上に立つが、それは弱者を虐げるためではなく、導くためだ」

側近「その通りだ。でも残念なことに皆がオッチャンと同意見ではないんだよな。その同意見でない奴等ーー奴隷を使役して甘い汁を啜ってた牛人族や馬人族が抵抗軍の主要メンバーだ。残りはラミアとかサラマンダーとかケットシーとか様々だ」

魔王「抵抗軍の所在は分かっているから、不穏な動きを見せたら無力化できるぞ」

113: 2012/05/26(土) 22:24:38.86 ID:tjWF1hsr0
魔王は監視のため、世界中に自分の分身を散在させている。それは鼠であったり、鳥であったり、樹木であったりする。

その一つが、抵抗軍の所在を見つけ、監視を続けている。

分身自体もそれなりの戦闘力を持っているが、今回の抵抗軍のような大規模な力を相手取る時は、彼自身が戦った方が確実だ。

側近「まあ、任せるさ。出さなくて良い犠牲を出したりするなよ」

魔王「分かってるさ」

側近「次にインフラの案件だな。やはり科学にしろ、産業にしろ、発展させるのに必要なのは優秀な人材だ。そして、優秀な人材を育成するためには教育が必要だ」

鬼人族長「教育のためには学校が必要だな」

側近「その通りだ。この二十年の間に、学校は人間の国よりは増やすことができた。けど、目標は国民全員に教育を施すこと。まだまだ圧倒的に足りてない」

魔王「なら増やすまでだろ」

側近「そうなんですよ。しかし、唯一にして最大の難関が一つ」

鬼人族長「なんだ?」

側近「お金が足りません」

114: 2012/05/26(土) 22:26:20.81 ID:tjWF1hsr0
この二十年の間に、魔族の間では共通の紙幣が流通している。貨幣の概念が無かった魔の国に貨幣が用いられるようになったのは、ひとえに側近の奮励の賜物であった。

鬼人族長「増やせば良いではないか。造幣の権限を持っているのも我々だろう?」

側近「限界まで造ってるんだわ。これ以上はハイパーインフレが起こっちゃう。大混乱だよ、大混乱」

魔王「なら、俺が魔法で建てるか」

側近「それは純粋に有り難いんだけどな。個人のみ、しかも短時間で大規模な校舎を建てるなんて人間なんかにはできない芸当だし」

鬼人族長「流石は王殿。我々一族もお力添え致します」

側近「でもね、校舎を造るだけじゃダメなんだよ。維持費。教員の雇用費。老朽化した校舎の修繕費。もうね、やばいね。教師も不足してるし。しかも、学校だけじゃダメだからね。医療機関、道路、橋。他にも整えなきゃいけないインフラは一杯あるから」

魔王「土木関係は俺が身を粉にすれば、まあ、何とかなるかもしれないが、医療機関はな」

鬼人族長「私も土木関係なら力になれそうですが、医療は……。治すより壊す方が得意ですので」

115: 2012/05/26(土) 22:28:22.25 ID:tjWF1hsr0
魔王「そんなに金がないのか?」

側近「財政を管理する俺が言うんだから、残念なことに間違いない。てか、多忙過ぎだろ、俺。過労で氏ぬんじゃないの?」

鬼人族長「具体的にどれくらい困窮しているのだ?」

側近「あシカトですか。あー、王座あったよな? 最近使ってなかったあの豪華な奴」

魔王「ああ」

鬼人族長「前王殿が大切にしていらしたあの王座か」

側近「うん。あれ、売却した」

二人は絶句した。

ーーーーーー
ーーーー
ーー

116: 2012/05/26(土) 22:31:11.57 ID:tjWF1hsr0
深夜。

魔王はひどく疲弊した表情で廊下を歩く。彼は自室に向かっていた。

会議の後、鬼人の一族と共に、彼は道路を建設していた。

資産を増やすためには国民全体が一層豊かになる必要がある。その為には経済の発展、その土台である交通の発展が不可欠だからだ。

鬼人族の剛力と魔王の魔法により、魔草木の群体がはこびる土地や、不毛な荒地を均し、固める。魔法により路面をコーティングする。その作業を延々と繰り返していた。

更に彼は、空き時間を見つけては、人通りの多いと予測できる箇所の河川に橋を数本架けた。

いくら彼といえど、あまりに魔法を酷使すれば力が不足する。

それだけでなく、労働のために自身の分身を限界まで増やした。これはかなりの危険を擁する。

本体が分身よりも弱体化してはいけない。逆に取り込まれてしまうからだ。

一番強力な分身は己の三割ほどの力を持つ。そして、今の彼はそれより僅かに強いだけだ。

魔王(今、エルフと戦ったら殺されるな)

そう自嘲しながら、彼は自室に入る。

117: 2012/05/26(土) 22:32:53.09 ID:tjWF1hsr0
エルフ「お帰りなさい。随分遅かったんだね」

彼のベッドにエルフが寝転がっていた。毛布に包まって遊んでいたのか、細く柔らかい髪の毛が乱れていた。

魔王「……どうして、いるんだ?」

エルフ「奥さんが旦那さんの部屋にいちゃダメなの?」

魔王「そんなことは無いが」

彼はベッドに腰掛ける。

エルフ「だったら良いじゃない。忙しいのは知ってるけど、たまには構ってくれないと寂しい。寂し過ぎて、貴方の脇腹を抉っちゃうかも」

魔王は恐怖する。今そんなことをすれば、致命傷になりうる可能性もあった。

エルフ「そんなに怖がらないで。そんなことしないから。でも寂しいのは本当。意地悪したくもなる」

少女は魔王に抱きつく。彼も抱き締め返し、乱れた髪を手で慈しむように梳く。

魔王「寂しい思いをさせてすまない」

118: 2012/05/26(土) 22:35:01.58 ID:tjWF1hsr0
エルフ「大丈夫。キツネちゃんもいるし。本もあるし。でもやっぱり魔王は別だから」

少女が彼に抱いている感情は複雑だ。それは恋愛感情と家族愛の中間。

少女はそのことに気付いていない。

いや、無自覚的に気付いてはいるのだろう。しかし、直視はしていない。

エルフ「今日はね、魔物の説話集を読んだんだ。人魚と人間の恋物語は基本的に悲劇で終わるんだよ。愛する心は種族を越えられるはずなのに」

魔王「そう、だな」

魔王は猛烈な眠気に思考能力を奪われ、少女の言葉が理解できなくなりつつあった。

エルフ「きっと人間は、愛することに対して臆病になりやすいんだね。……眠っちゃった?」

魔王は安らかな寝息を立てて、眠りに堕ちていた。眠りながらも、少女を抱き締めたままだ。

119: 2012/05/26(土) 22:37:16.39 ID:tjWF1hsr0
エルフ「最近、ずっと疲れてるなぁ」

心配そうに彼女は呟く。

彼の胸に耳を当てる。心臓が脈打つのが聞き取れた。

エルフ「力、また弱くなってるみたい。今じゃ私よりも弱いかもしれない」

彼女の魔法士としての実力は年々飛躍的に伸び、魔王の魔力を遠くでも感知できるようになっていた。

故に、彼女は魔王が魔法を酷使していたのを知って、彼の身を懸念していた。

エルフ「無理しないでね」

呟き、魔法により照明を落とし、毛布を操作して自分たちの身にかける。

エルフ「おやすみなさい。良い眠りを」

こうして、夜は過ぎていく。

120: 2012/05/26(土) 22:39:07.78 ID:tjWF1hsr0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

一週間経っても、道路建設は続いている。現在の進行状況では、魔の国全域に道路を敷くのは、十年以上かかると推測できた。

今作業しているのは魔王と族長の二人だけだ。他の鬼人族はそれぞれの本業に従事している。また、魔王の分身は他の土木仕事に勤しんでいる。

人間では比較にならないほどの速度で、人間達よりも遥かに優良な路を作っていく。

しかし、終わりの見えない作業に二人の顔色は優れない。

側近は側近で、過酷なデスクワークに取り組んでいる。彼に自由時間など一切無かった。彼自身はそれに不満は無いのだが。

121: 2012/05/26(土) 22:40:17.10 ID:tjWF1hsr0


『それ』は、二人が休憩している時に訪れた。

122: 2012/05/26(土) 22:42:18.77 ID:tjWF1hsr0
鬼人族長「……な、何だ!?」

魔王「……夜に、なった?」

二人は戸惑う。今は正午をやや過ぎた時間だ。魔の国は、霞に包まれて普段から薄暗い。

しかし、今辺りを覆っているのは漆黒。

暴風が吹き荒ぶ。雷鳴が鳴り響く。

鬼人族長「何が起きているんだ!?」

魔王「……まさか」


123: 2012/05/26(土) 22:44:05.98 ID:tjWF1hsr0
側近「やっばいねー。これは冗談抜きでやばい。魔の国終わっちゃう? いや、世界終わっちゃう?」

側近は窓の外を眺めながらそう口にする。その表情には口調ほどの余裕はなかった。

使用人「ねー! 向こうの『あれ』何なの!?」

使用人が慌てた様子で、執務室に駆け込んできた。

エルフ「側近! 『あれ』ってもしかして伝説の……!」

使用人より僅差で遅れて、慌ただしく少女が入室してくる。険しい表情をしていた。

側近「多分エルフちゃんの予想通りだね。実在するとは思ってなかったけど」

使用人「勿体ぶらないで教えてよー。 ボクだけ仲間外れなんてヒドイよ」

側近「あー、あれね、多分ーー」

124: 2012/05/26(土) 22:46:19.41 ID:tjWF1hsr0
『それ』は魔の国の三分の一を覆っていた。

全ての魔物は空を見上げ、『それ』の真下にいる者は急に闇に包まれたことに戸惑い、『それ』を離れたところから見る者は、戦慄した。

『それ』は物であった。更に具体的に言えば生物であった。とぐろを巻いて、地表を見下ろしていた。

突如として発生した雷、暴風、竜巻。
それらは、『それ』が大気中を猛烈な速度で移動したことによって生じた気流の乱れが原因の異常気象だ。

神に等しい存在。世界を俯瞰する存在。世界最古にして最強の存在。

125: 2012/05/26(土) 22:48:03.73 ID:tjWF1hsr0
魔王「……こいつ、龍か!?」

鬼人族長「龍!?」

両腕で暴風から顔を保護しながら、彼らは声を荒げて会話する。

「ふむ。君が国の統治者だね」

闇が忽然と霧消して、再び陽の光が差し始める。

「ああ、空の状態なら私が整えておいたよ。迷惑だろうからね。私は他生物のことも慮れる性質なのさ」

魔王達の眼前には女性が立っていた。ひどく妖艶な雰囲気を漂わせ、同時に全てを屈服させるような威厳も纏っていた。

魔王は、二つのみを残して分身の力を自身に戻す。

眼前に佇む女性の実力は圧倒的に、先ほどまでの彼よりも格上だったからだ。そして、約七割の力でも、少なくとも勝つことはできないだろうと分析した。

126: 2012/05/26(土) 22:49:16.43 ID:tjWF1hsr0
魔王「何者だ?」

「何てことは無い。変わり映えしないただの龍さ」

そう言って、彼女はーー人型となった龍は愉快そうに喉を鳴らす。

鬼人族長「先程まで上空にいたのも貴様か?」

龍「その通り。ーーさて、行こうか」

魔王「……何処にだ?」

龍「何処って、決まってるじゃないか」

彼女はキョトンとした顔になる。

龍「君たちのお城だよ。お茶くらいご馳走してくれるだろう?」

127: 2012/05/26(土) 22:51:18.35 ID:tjWF1hsr0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

龍は人跡未踏の地ーー世界の端と言える場所で暮らしていた。

個体数は一。彼女のみである。

魔物が誕生する以前より生きている。

世界を見渡す力により、この世界を終始覗き見るのが趣味だ。また不老でもある。

起きている時間よりも寝ている時間の方が長い。

そして、人型にもなれる。

128: 2012/05/26(土) 22:54:47.07 ID:tjWF1hsr0
龍「私のことについてはもう満足したかい?」

そう締め括って、彼女は優雅に茶を啜る。

客間には、彼女の他に五人いた。

側近「他にも訊きたいことは色々あるけどな」

鬼人族長「我々が最も訊きたいのは貴様の目的だ」

側近「さすがオッチャン、よく分かってる」

龍「目的ね」

彼女はしばらく目を瞑る。

龍「魔王の伴侶になることかな」

やがて目を開き、微笑みを浮かべながら告げた。

129: 2012/05/26(土) 22:56:21.00 ID:tjWF1hsr0
魔王「……はあ?」

龍「支配者の妻。中々に愉快な肩書きじゃないかい? それに、君には興味があるしね」

エルフ「残念だけど、それは無理だよ。魔王には私がいるもの」

少し、不愉快そうな顔で少女は言う。

使用人「龍さん、残念だね。魔王様は中古でした」

魔王「その言い方はやめろ」

龍「ふむ。しかし、寝取るのも一興じゃないかい。……いや、冗談さ。睨むのはやめてくれ。整った顔が台無しだ」

エルフ「原因は貴女」

龍「困ったね」

130: 2012/05/26(土) 22:58:56.01 ID:tjWF1hsr0
側近「まあ、悪ふざけは置いといて。本当の目的は何だ? あ、ちなみに俺はどう?」

龍「本当の目的ね。そんな物は無いのだが。君とは良い友達にはなれそうだ」

側近「わーい! 脈無し宣言いただきましたー! ちくしょう!」

鬼人族長「ふざけてるではないか。それではどうして魔の国に来たのだ?」

龍「ふむ。暇だからかな」

側近「暇だからか。暇だから遊びに来て、俺たちは甚大な損失を被ったと。龍ちゃんが起こした異常気象で、農作物がダメになったところが一杯有るんだぜ?」

龍「ふむ。それは悪いことをしてしまったな。久々の遠出だから少し調子に乗ってしまった」

側近「軽い! 謝罪が軽すぎるよ! 龍ちゃんがちょっと調子に乗っちゃったら、俺の仕事がメチャクチャ増えちゃったんだよ! 頃す気か!」

龍「む。……すまない」

魔王「それくらいにしておけ。俺も手伝おう」

131: 2012/05/26(土) 23:01:22.54 ID:tjWF1hsr0
側近「あー、そっすねー。頑張りますよ。お仕事しよー。いえーい」

使用人「いつにも増して側近が壊れてるね」

鬼人族長「しかし実際問題として、人手が足りませんな。これ以上は側近でも手が回らないのでは?」

魔王「しかし、政治手腕に長けた者で、俺に忠誠を誓っている魔族など少数だからな」

龍「ふむ。人手が足りないのかい? ならば手伝おう」

側近「えー。役に立つの? もうね、物をぶっ壊すことしかできなそうな気がしてね」

龍「失敬だね。いや、実際にどれくらい有能か見せてあげよう。そうすれば納得するだろう?」

魔王「そう言うのなら道路でも建設してきてくれ」

呆れたような口調で魔王はそう口にする。
期待は微塵もしていなかった。

龍「君達のやり方で良いんだね? それくらいなら数時間で終わるさ」

龍は客間から出て行く。

側近「これ以上の被害だけは生まないでくれ」

132: 2012/05/26(土) 23:03:05.22 ID:tjWF1hsr0
数時間後。

五人は、建設された道路を見て閉口した。

側近「……何だこれ?」

魔王「俺たちが一週間かけて建設した道路は一体……」

鬼人族長「なんという……」

エルフ「すごい」

使用人「ピッカピカだねー」

幅広の道は、同じ大地とは思えないほど滑らかで、窪みや突起が一つもなかった。

他の魔物たちも、突如として出来上がった道路にざわめいている。

龍「コーティングしてあるから千年は劣化しないままだよ。交通の主要になると思われる処には全て敷いて来た。ついでに橋も架けておいた。そちらも千年はそのまま使えるだろう」

133: 2012/05/26(土) 23:06:37.74 ID:tjWF1hsr0
側近「き、規格外すぎる……」

魔王「……うむ」

龍「伊達に長生きしてないさ。さて、私の有用性は証明できたかな?」

側近「お、おう。……い、いや! 確かに凄いが、これが国中に巡らされているかは怪しい。魔王、分身とコンタクトを取ってくれ」

その言葉に魔王は目を剥き、それから顔をしかめた。

魔王「しまった。今、分身は二つを除いて全部自身に戻してしまった」

エルフ「ああ、なるほど。だから、また力が大きくなってるんだ」

鬼人族長「……む? ということは?」

魔王「ああ。……抵抗軍から目を離してしまった」

苦々しい表情で彼は告げた。

134: 2012/05/26(土) 23:08:09.78 ID:tjWF1hsr0
龍が訪れて、一週間が経った。

魔王は再び監視を散らしたが、抵抗軍は所在を変えていた。どうやら監視していたことを気取られていたらしい。至る所を探したが、見つけられないままだ。

龍はあの後、魔の国の発展に協力している。協力期間は彼女の提案で一ヶ月。それ以上は不可能らしい。

しかし、彼女の力により本来なら、数年はかかる成長をたった一週間で果たしてしまった。

彼女は、現行技術とは思えないほどのテクノロジーの知識を有している。

その一つが促成交配だ。
異種同士の魔獣や魔草木を掛け合わせて、より都合の良い種を作る交配。

それに瘴気から抽出できる『魔晶水』を養分として使用することで、従来の数十倍の速度で成長を促し、基本的に他者にとって都合の良い性質を備えている劣性遺伝子を発現しやすくなる。これが促成交配だ。

魔晶水の存在も、その抽出方法も彼女が伝えた。

135: 2012/05/26(土) 23:10:07.10 ID:tjWF1hsr0
魔王は少女と共に、書斎で読書をしていた。

正確には彼は読書をしているのでは無い。少女に背もたれ付きの椅子のように身を預けられ、必然的に活字が目に入ってくる状況にあるのだ。

龍が来てから、少し時間に暇ができた彼は少女と過ごす時間が増えていた。

彼女は、彼に密着する頻度が増えた。やはり今まで寂しい思いをさせていたことを痛感して、彼の胸は苦しくなる。

少女を抱き締める。少しタイトに。

エルフ「どうしたの?」

少女は本から目を離し、振り向いて訊ねる。

魔王「いや、もうすぐ業務に戻らなければならないからな。側近だけを働かせるわけにもいかないしな」

エルフ「それで、寂しくなったの?」

少女は笑いながら問いかける。

魔王「まあ、当たらずも遠からずだ」

それ以上は何も言わずに、少女が苦しまない程度に、更に腕力を強めた。

136: 2012/05/26(土) 23:12:27.72 ID:tjWF1hsr0
魔王「……そろそろ時間だな」

少女に回していた腕を外し、彼は立ち上がる。

エルフ「頑張ってね」

魔王「ああ」

返事して、ドアを開く。

龍「やあ」

ドアの先に龍が立っていた。

魔王「何の用だ?」

龍「いや、ちょっと調べたい文献があってね。私といえど物忘れをすることはあるから」

魔王「そうか」

頷いて、首をひねる。

少女は二人を見つめていた。その碧玉の瞳に宿る感情がどのようなものか、彼には分からなかった。分からない方が良い気がした。

魔王「まあ、仲良くな」

137: 2012/05/26(土) 23:14:02.16 ID:tjWF1hsr0
龍「何を言ってるんだい? 私たちは仲良しさ」

彼女はキョトンとした表情で言う。嘘を吐いてる顔では無く、心からそう思っているようだ。

魔王「……なら、良いんだがな」

龍「ああ、それと」

魔王「何だ?」

龍「君も非道だね。側近君なんて可哀想な存在を造っちゃってさ」

魔王「……そうかもな」

それだけ言って彼は立ち去った。

138: 2012/05/26(土) 23:15:17.19 ID:tjWF1hsr0
龍「やあ、エルフちゃん」

エルフ「どうも」

龍「彼と仲が睦まじいんだね。しばらく前から扉の前に立っていたんだが、入り辛くてしょうがなかったよ」

エルフ「ごめんなさい」

龍「いや、良いんだよ。しかし、深い恋仲ほど壊しがいは有ると思わないかい?」

エルフ「歪んでる」

龍「そうかもね。ーーでも君の愛も相当歪んでいるんじゃないかい?」

その言葉に、少女は嫌悪を露わにする。

エルフ「そんなことない」

龍「あるさ。君が彼に向ける愛は性愛かい? それとも親子愛?」

139: 2012/05/26(土) 23:20:43.26 ID:tjWF1hsr0
エルフ「……」

龍「考えたこともなかったかい? だから歪んでるんだよ」

龍の全身を覆うように大量の剣が現出し、空中で静止した。

龍「やれやれ。そこらの原子を組み替えて刃物にしたのかい? しかも強力な魔力を付加してあるから霊的な損傷も与えられると。君も大概規格外だね。でも無駄だよ」

龍を囲っていた剣が全て崩れ、消失した。

エルフ「そんな……!?」

龍「すぐに武力を行使するのは頂けないね。力の行き付く先なんて破滅だけさ」

龍は紙とペンを手に取る。

龍「先ほどは文献を調査すると言ったが、あれは嘘でね。私の知り得る知識を少し書き残そうと思ってここに来たんだ。ほら、年を取ると後世に何かを伝えておきたくなるだろう?」

歌うように言って、彼女は椅子に腰掛け文字を書き始める。

エルフ「……貴女の目的は何?」

龍「そんなもの無いと前も言った覚えがあるけどね」

それから小さい声で呟く。

龍「目的を見つけることこそが目的さ」

140: 2012/05/26(土) 23:22:41.55 ID:tjWF1hsr0
執務室では側近と使用人が言い争っていた。というよりも戯れていた。

使用人「給与をあげろよー」

側近「そんな余裕はありません。大体充分に払ってるだろうが」

使用人「ボクは働き詰めの側近の分まで遊んでやろうと思ってだね」

側近「そんな心遣いは微塵も嬉しくないわ! そもそも心遣いなのかそれは!?」

魔王「どうして自分のセリフにツッコんでいるのだお前は」

使用人「あ、魔王様。魔王様からもボクの賃金の値上げを訴えてくださいよー」

魔王「側近がノーと言うならノーだ。この国の財政管理者だからな」

使用人「うう……!」

側近「今度ケーキ奢ってやるからそれで良いだろ」

使用人「ほんとうに!? やりー!」

嬉しさを表現するように、使用人は四本の尾をしきりに動かす。

使用人「言ってみるもんだね。それじゃ、ボクは仕事に戻るよ」

141: 2012/05/26(土) 23:24:22.15 ID:tjWF1hsr0
使用人が部屋を後にしてから、側近は机に伏す。

側近「あー、キツネちゃんの相手するのも疲れるわー。美少女と話ができるのはこの上なく幸せだけど、最近は今までよりも忙しいからな」

魔王「少し休暇をとっても良いんじゃないか?」

側近「いや。龍ちゃんが手伝ってくれる一ヶ月はメチャクチャ貴重だからな。今は本当に寝る間も惜しんで働く時期だ」

魔王「……ふむ」

側近「どうした?」

魔王「いや、龍がお前のことを可哀想な存在と言ってたからな」

側近「それはあれか? 彼女や嫁候補がいないからか? 独り身で可哀想ってか?」

魔王「お前の存在自体がだろ」

側近「は? 俺が可哀想? え、俺が? 俺って可哀想なの?」

魔王「俺に訊きれても困る。お前がそう思ってないなら良いんじゃないか?」

側近「ん、そうだな。可哀想ねー」

142: 2012/05/26(土) 23:25:41.80 ID:tjWF1hsr0
側近「そういやオッチャンは?」

魔王「今日は鬼人族の長としての業務を行うと言っていたな」

側近「俺聞いてないんだけど。まあ、良いや。しかし、オッチャンといい、キツネちゃんといい、丸くなったな」

魔王「まあ、そうだな」

側近「キツネちゃんとエルフちゃん、更には龍ちゃん。随分と華々しくなったな。絵面的にむさいオッチャンはいらねーな」

魔王「あいつもしっかりと業務に貢献しているだろう」

側近「まあ、そうなんだけどよ。ーーそれで、抵抗軍の話だが」

魔王「未だに見つからん。見事に監視の目を潜り抜けられている」

側近「どうして、監視がばれるんだ?」

魔王「よほど探査に長けた者がいるのだろう」

143: 2012/05/26(土) 23:27:58.27 ID:tjWF1hsr0
側近「探査に優れた魔族……ああ、ケットシーか?」

魔王「おそらくな。しかも相当な実力者。今までは監視に気付きつつも、素知らぬふりをしていたのだろう」

側近「そして、龍ちゃんが現れた混乱に乗じて隠れ家を変えたと」

魔王「ああ。だが、おそらく城の近くに潜んでいるだろうな」

魔王の言葉に側近は肯く。

側近「だな。奴等に一番必要なのは機動力だ。好機を逃すわけにはいかないからな。そのためには近くに潜り込む必要があると」

魔王「その通り。監視の目を城下の街にも送っている。中々に根性がある奴等のようだからな。早期に無力化した方が良い」

側近「ま、そっちは任せるから頑張ってくれい」

144: 2012/05/26(土) 23:29:20.47 ID:tjWF1hsr0
使用人は買い出しの帰りだった。

必要物資の他に、側近の許可を得てケーキを買った。少女と自身と龍の分だ。

彼女は上機嫌で道を往く。四本の尻尾が大きく振られ、彼女の感情を表していた。

「久し振りだな。キツネ」

声を掛けられ、彼女は止まる。

眼前に、巨漢がいた。鬼人と同等の背丈に、丸々と肥えた肉。頭には双角が生えている。馴染みの有る顔であった。しかし、旧友などと言えるような間柄ではなかった。

使用人「……久し振り。相変わらず、無駄にデカイね」

ミノタウロス「ふふ、アンタは少し弱体化したんじゃないか? 飼い猫状態が長いみたいだからな。いや、飼い狐か?」

使用人「……そうかもね」

145: 2012/05/26(土) 23:33:18.06 ID:tjWF1hsr0
使用人「それで何の用? 今日の晩御飯のオカズにしてくれって?」

ミノタウロス「そんなに厭うなよ。俺が魔王討伐の軍を組織してるのは知ってるだろう? 俺たちは長い間監視の目に晒されていたのだから」

使用人「らしいね。龍さんが来た時に消息を見失ったって騒いでたよ」

ミノタウロス「そして、わざわざ危険を侵してまでアンタにコンタクトを取ったのは、アンタの情報と力が必要だからだ。我等が義勇軍にな。もちろん報酬は出すぞ」

使用人は吹き出しそうになる。発足理由から目的、戦闘体制まで自己保身の塊でできているであろう組織を、『義勇軍』などと名付ける彼らの神経に。

使用人「悪いけど、今の仕事は城の使用人なんだ。『戯遊軍』なんて興味ないかな。奴隷解放令を出されて窮地に立たされたからって、生命を安売りするのは良く無いんじゃない?」

ミノタウロス「……」

使用人「昔のよしみで、君たちのことは黙っていてあげるよ。まあ、どうせ失敗したところで殺されはしないことを知ってるから安心して行動してるんだろうけど。それじゃあボクは帰るよ」

ミノタウロス「……協力しなかったことを後悔するなよ」

使用人「しないよ。ま、頑張って戯遊を楽しんでおいで」

彼女は牛漢の横をすり抜けて行く。

使用人「ああ、それと。最近、魔王様は弱体化が甚だしいよ。もはや無敵ではないね」

使用人(と、言っても、龍さんという規格外が現れただけで、魔王様本人が弱くなったわけではないけど)



146: 2012/05/26(土) 23:34:36.54 ID:tjWF1hsr0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

魔王「何をしているんだ?」

夜が更けた頃合い。
魔王は回廊の窓から空を見上げる龍を見つけた。

龍「なに。星を見てるのさ。瘴気のせいで、ほとんど見えないけどね」

外に目を向けたまま、彼女は答える。

龍「良いのかい? 私と話しているとお姫様の顰蹙を買うことになるが」

魔王「そのことだが。要らぬことを吹き込んだようだな」

先ほど彼は、昼間の出来事を少女に告げられた。

龍「それで、君の大事なお姫様は何て言ったんだい?」

魔王「……一人の女性として愛してる、だそうだ。そのような結論を出すにはまだ早すぎるだろうに」

頬を指で掻きながら、彼は言う。

龍「早すぎるのは良いさ。遅すぎるよりは。最適な機会を掴めば最も幸運だが。それで、君はなんて答えたんだい? 有耶無耶にしたりするのは良くないよ」

147: 2012/05/26(土) 23:35:42.61 ID:tjWF1hsr0
魔王「……お前に言う必要も無いだろ」

龍「ふふ、その通りだよ。私は世界を隈なく俯瞰できる。君たちのいじらしいやり取りもな。言う必要も有るまい」

魔王「……食えん奴だな」

龍「褒め言葉として受け取っておこう」

魔王「何故、こんなことをしているのだ?」

龍「こんなこと?」

魔王「俺たちへの協力だ」

ああ、と彼女は頷いて、

龍「何故だろう?」

彼の方を向いて微笑んだ。

148: 2012/05/26(土) 23:38:34.19 ID:tjWF1hsr0
龍「この世界が例えば大きな動物たちによって支えられているとする。まあ、あり得ないが」

魔王「それで」

龍「その時、君は何か不都合が生じるかい? 大地の奥底に眠る『力の塊』の正体が、古代の生き物だとした場合、君は不都合が生じるかい?」

魔王「いや」

龍「それと一緒さ。私に目的なんか無くても君には関係無いのだよ。君たちといるのは楽しいけれどね」

魔王「そうか?」

龍「そうさ」

彼女は窓とは反対の向きに歩き始める。自室に戻るらしい。

龍「それじゃあ、おやすみ」

魔王「ああ」


149: 2012/05/26(土) 23:40:13.13 ID:tjWF1hsr0
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龍との契約も残り二週間になっていた。

魔の国は、異常ともいえる発展を遂げるだけの技術と土台を創りつつあった。後は時間のみが必要であった。

側近と鬼人族長は、龍に滞在期間を延長するように懇願したが、彼女は頑なだった。

あの後、龍は少女とも和解して、よく談笑していた。というよりも、龍が少女に色々な昔話を聞かせていた。そこに使用人も混じってガールズトークを展開したりしていた。

抵抗軍は未だに見つからない。かなりの人数を抱えているにも関わらずだ。

150: 2012/05/26(土) 23:42:49.08 ID:tjWF1hsr0
鬼人族長「龍殿に言い付けられた品を仕入れておきました。リストに種類と数を記載しています」

龍「うん。これだけあれば充分。薬の調合を教えるよ。後で本にも記しておくけど」

側近「おー、頼むぜ。医療も大事だからな。教育の基礎理論も確立できたし、大分目標に近づいてきたな。ーーしかし、この計画表にある『電気』っていうのを普及できれば工業も生活水準も飛躍的に発展しそうだな。これも瘴気を活用するのが効率的なのか」

龍「瘴気は世界最高の資源だからね。おそらく魔物は人間よりも得してるよ」

使用人「お茶いれたよー。あれ? 魔王様は」

側近「ここら一帯の水源確保の為に、スライム族のとこに行った。試験的に上下水道を整えるんだ。そのうち、わざわざ水を汲みに行く手間も無くなるぞ」

使用人「おー、それはすごい。一杯楽ができるね。でも、魔王様がする仕事ではないよね」

側近「人手が足りないからしょうがないんだよ。スライムたちとの交渉は有る意味骨が折れるからな」

鬼人族長「タヌキめ。若いうちから怠けることばかり考えるんじゃない」

使用人「キツネだって。オッチャンの口煩さには本当に参るね」

鬼人族長「なんだと?」

側近「すぐケンカするんじゃないの」

151: 2012/05/26(土) 23:44:26.81 ID:tjWF1hsr0
魔王「邪魔するぞ」

スライム族長「こ、これはま、魔王様! ど、ど、どうしてこのようなところに!? も、もしや、我々をこ、こ、こ、こりょすために!?」

スライム’s「ひいいいぃいぃ!!」

魔王「いや、そのような野蛮を働くために訪れたわけではない」

スライム族長「も、もしや、婚約者を探しをなさっているのですか!?」

スライム’s「な、なんだってー!?」

魔王「どこからそんな話が出てきたんだ。そもそもお前らとでは子どもが作れんだろうに」

スライム族長「と、と言うことはや、やはり、た、食べられてしまうのか!?」

スライム’s「いやああぁぁ!!」

魔王「……お前ら賑やかだなぁ」

彼は溜息を吐いた。

152: 2012/05/26(土) 23:46:11.82 ID:tjWF1hsr0
使用人は城下に広がる街のカフェテリアにいた。待ち合わせをしていたのだ。

浮かない表情で、アイスティーに口を付ける。

ミノタウロス「来てくれたか」

巨漢が入店し、彼女の向かいに腰掛ける。彼の体重に耐えきれず、椅子の脚が歪んだが、当の本人は気にしていないようだった。

使用人「ボクの部屋に手紙を置いといてよくそんなことが言えるね。どうやって城内に忍び込んだんだか」

ミノタウロス「ヴァンパイアだよ。あいつらは影から影に移動できるからな。まあ、勘付かれないように必氏だったらしいが」

使用人「うわー、お風呂とか覗いてたら殺そう」

ミノタウロス「そんなことよりだ。良い加減行動を起こそうと思ってさ。それにはやっぱりアンタの協力が必要なんだよ。戦力としては勿論、情報もな」

使用人「だから、依頼はお断りだって。今は城の使用人なの」

ミノタウロス「誰が依頼なんて言った?」

153: 2012/05/26(土) 23:48:54.69 ID:tjWF1hsr0
使用人「……は?」

ミノタウロス「いやー、苦労したんだぜ。アンタの妹を探し出すの。辺鄙な処に匿いやがって」

使用人の顔に僅かに、そして確かに焦りが浮かぶ。彼女は以前、魔王の暗殺を試みた。それが失敗した時のために、実妹をとある場所に託していた。

使用人「そんな……。見つかるわけがない」

ミノタウロス「そりゃ、人魚族の村にいるとは思わなかったよ。昔に、妖狐族には水中でも呼吸ができる秘術があるとアンタが言っていたのを思い出すまでわな」

使用人「っ!」

ミノタウロス「良い娘だな。人魚を一匹頃したら、自分から俺たちについて来たぜ」

勝ち誇った顔で、牛面の漢は指を一本立てる。

ミノタウロス「アンタに選択肢なんて無いんだ。尤も、妹が氏んでも良いなら別だが」

彼女は怒りにわななく。大男はその様子を見て、下卑た笑いを顔に浮かべた。

使用人「……話を聞かせろ」

154: 2012/05/26(土) 23:50:21.62 ID:tjWF1hsr0
使用人は城内部の詳細、魔王たちの戦力、彼等のスケジュールをできるだけ事細かに伝えた。

牛漢はそれを聞いて魔王城襲撃の案を練った。

使用人「……随分とボク頼みの計画だな。そんなので上手くいくと思ってるのか?」

彼の計画を聞いて、彼女は苦言を呈す。

ミノタウロス「いくさ。アンタが気取られなければ」

使用人「お前らは魔王さ……魔王を舐めてる」

ミノタウロス「そんなことないさ。俺たちはバケモノの強さを把握してるし、氏ぬ覚悟だってできてる」

そう口にして、彼は紅茶を飲み干す。ティーカップは彼の手に有ると、非常に小さく見えた。

155: 2012/05/26(土) 23:52:22.00 ID:tjWF1hsr0
ミノタウロス「アンタの情報が確かなら、決行は一週間後だ。少しでも、情報に差異があったら妹を頃す。先ずは可愛らしいお耳だな。刃物でゆっくり削ぎ取ってやる。次は尻尾。尻の肉ごと引き抜いてやる。それから爪を一枚一枚剥がして、最後には×××に熱した鉄の棒をぶち込んでやる。いや、そんなことすれば淫乱な妖狐族は悦んじまうか?」

使用人「……やめてくれ。誤りなんて無い」

ミノタウロス「そうかよ。ああ、そうだ。俺たちに勝利を導く救世主を見せてやる」

彼がそう言い終えると同時に二足歩行する小さな獣人がいた。猫に似た生物だった。

使用人「……ケットシー?」

使用人は怪訝な表情になる。ケットシーは高い探査能力を持っているが、それ以外に特筆すべき点がないからだ。

ケットシー?「ガギ、アガガギュ……」

獣人は虚ろな瞳を周囲に向けながら、しきりに奇声を発する。

ミノタウロス「このケットシーは宿主だ」

使用人「宿主?」

ミノタウロス「『混沌』のだよ」

156: 2012/05/26(土) 23:56:56.60 ID:tjWF1hsr0
彼女は絶句する。

ミノタウロス「発見できたのは本当に奇跡だ。運は俺たちに味方してるようだな」

混沌。

生物に分類できるかも怪しい存在。繁殖方法は不明。

魔物に寄生して、肉体の主導権を奪い、その遺伝子を読み取り次第、現在の宿主を頃して、次の宿主へと移る。それを繰り返して進化を繰り返す異端のバケモノ。

ミノタウロス「混沌は無限に強くなれる。前王も混沌だったしな。不意をついてこいつを使えば魔王も倒せるだろう」

ケットシー?「フギャギャギャ、グギギギ」

混沌が、けたたましく笑う。

これからの未来を混沌に導くように。

161: 2012/05/27(日) 13:43:28.17 ID:LhaeC4/M0
魔王「疲れた」

エルフ「お疲れ様」

側近「何だ? 随分とお疲れちゃんだな?」

魔王「なに。言葉が通じるのに意思が通じない壁にぶつかったのだ」

側近「はは、スライムは面倒な奴らばかりだろ。良い奴らなんだろうけどな」

魔王「とにかく、水源は確保して来たぞ」

側近「ナイスナイス。さっそく龍ちゃんとオッチャンが大工数人を連れて局建設に行ったぞ。ちなみに俺は技術士たちと電気についての打ち合わせをしてた」

エルフ「私だけ役に立ててない」

側近「エルフちゃんはキツネちゃんの手伝いとかしてるから良いんだよ」

162: 2012/05/27(日) 13:44:11.31 ID:LhaeC4/M0
側近「あれ、そういえばキツネちゃんは?」

エルフ「昼に出掛けてったよ」

側近「仕事サボってんのかい。給料下げちゃうぜ、全く」

エルフ「でも出掛ける時はあまり楽しそうじゃなかったけど」

側近「ふーん。まあ何にせよ、お仕事はしてもらわんと困る」

163: 2012/05/27(日) 13:47:10.75 ID:LhaeC4/M0
使用人「いやっほー! ただいまー!」

使用人が、えらく上機嫌な様子で執務室に駆け込んできた。

使用人「いやー、楽しんで来ちゃったよ! みんなは働いてたのにゴメンね!」

側近「どこ行ってたんだ?」

使用人「色々だよー!」

エルフ「……キツネちゃんどうしたの?」

側近「何かあったのか?」

二人は怪訝な面持ちで訊ねる。

使用人「な、何にもないですよー? あ、ボクはまだお仕事のこってるから行くね!」

そう言い残して、彼女はすぐに立ち去った。

164: 2012/05/27(日) 13:49:09.49 ID:LhaeC4/M0
エルフ「……どうしたんだろ?」

魔王「そんなに様子が変だったか?」

エルフと側近は確信に満ちた顔で同時に肯く。

エルフ「大事な友達だから」

キッパリと、彼女は言った。

側近「俺は、まあ、敏腕ですから」

少し歯切れ悪く、彼は言った。

165: 2012/05/27(日) 13:50:17.52 ID:LhaeC4/M0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

書斎にて龍は書き物をしていた。自分の知り得る知識の内、魔族に必要であろう知識を遺すためだ。

魔王「精が出るな」

唐突に声を掛けられ、彼女は手を止める。

龍「やあ。どうして真夜中にも関わらず書斎へ来たんだい?」

魔王「何。お前に訊きたいことが有ってだな」

龍「なんだい?」

魔王「お前の正体だ」

彼女の顔から表情が消えた。

龍「そんなことより、君にはもっと気にしなければいけないことが有るんじゃないのかい?」

魔王「そうかもしれない」

166: 2012/05/27(日) 13:52:23.22 ID:LhaeC4/M0
魔王「しかし、気になるのだ。お前の正体が。その答えは俺が何者で有るかも示してくれるかもしれない」

龍「自分が何者なのか分かる者なんていないさ。しかし、正体と言われても私は龍だ。それしか言えないよ」

魔王「そうか。ならば、俺の奇天烈な妄想を聞いてくれないか?」

龍「妄想は脳内で垂れ流すのが一番だと思うけどね。取り敢えず聞いてあげるよ」

魔王「この世界には、古代に栄えた文明があった」

龍「ロマンチックだね」

魔王「優れた文明は優れた技術を生みだした」

龍「失伝技術のことかな。それもロマンチックだね」

魔王「例えば促成交配」

龍「……」

167: 2012/05/27(日) 13:54:54.80 ID:LhaeC4/M0
魔王「それに必要な魔晶水。それどころか、瘴気、ひいては『力の塊』すらもその技術かもしれない」

龍「なるほどね」

魔王「龍。お前は、古代人なのか?」

彼女はしばらく何も言わなかった。

長い間を空けて、

龍「……ぷっ」

彼女は噴き出した。

龍「いやー、面白い。魔王君、君は人を笑わせる天才だね」

魔王「そんなに面白かったか?」

龍「ああ、最高さ」

168: 2012/05/27(日) 13:55:48.62 ID:LhaeC4/M0
龍「ボクは生まれた時から龍さ。人型にはなれるけど人であったことはないよ」

魔王「そうか。いや変なことを言ってすまない」

龍「むしろ楽しませてもらったけどね」

魔王「話はそれだけだ。お前も早めに寝ろよ。おやすみ」

龍「心配ありがとう。おやすみ」

彼は書斎のドアを閉める。

龍「君たちの安穏は長くないかもしれないね。私の安穏も長くないけれど」

彼女は肩を竦めながら呟いた。

169: 2012/05/27(日) 13:59:32.71 ID:LhaeC4/M0
使用人は以前、よく名の知られた頃し屋だった。膨大な依頼を受け、数多の者を暗頃してきた。

そのきっかけは、前王の時代。一族の里が他部族に攻め込まれ潰滅したことによる。

妹とともに生き残った彼女は、依頼を受け、報酬の代わりに標的を頃す。それを繰り返して生計を立てていた。それが最も手っ取り早かった。抵抗軍を統べる牛男はそんな彼女の顧客の一人だった。

数年前、魔王と対立していた一族から多大な報酬と引き換えに彼の暗殺を依頼された。

彼女は殺害に失敗し、捕縛された。本来は処刑されて然るべきだったが、魔王の厚意でこうして城の使用人として働いている。

使用人(ボクはバカだ。城のみんなが危害を加えないと、とっくの昔に知っていたのに、妹を迎えにいかなかった)

簡素なベッドでうつ伏せになりながら、彼女は後悔と共に、自己の中で撞着を繰り返す。

裏切る。血に汚れた自分を受け容れてくれた魔王たちを。
見捨てる。唯一の肉親である妹を。
いっそ全てを放棄する。考えることも行動することも。
様々な感情が錯綜して彼女を苦しめていた。

彼女の部屋のドアがノックされた。音源の位置が低いことと、ノック音の小ささから、扉を叩いたのは少女だと判断した。

170: 2012/05/27(日) 14:01:02.06 ID:LhaeC4/M0
使用人「……どうぞー」

ベッドから起き上がり、笑顔を作って待ち構える。案の定、ドアを開けて室内に入ってきたのは少女だった。

エルフ「遅くにごめんね」

使用人「起きてたから大丈夫だよ。どうしたの?」

努めて平静を装い、用件を促す。

エルフ「今日のキツネちゃん、様子がおかしかったから。街で何か有ったの?」

使用人「別に。ちょっと調子が悪いだけだよ」

彼女は笑って誤魔化すが、少女はかぶりを振った。

エルフ「嘘だよ。キツネちゃんは嘘を吐く時、耳がピコピコ動くんだから」

彼女は思わず己の耳に手を当てる。

171: 2012/05/27(日) 14:02:08.29 ID:LhaeC4/M0
エルフ「ごめん。カマかけたんだ。でも、やっぱり嘘を吐いてるんだね」

彼女は驚き、それからムッとした顔になる。

使用人「そーいうのは良く無いよ」

エルフ「ご、ごめんなさい」

少女はひどく焦った様子で謝罪する。その狼狽ぶりは、使用人の方が申し訳なるほどだった。

エルフ「で、でも、キツネちゃんが凄く辛そうな顔をしていたから、力になりたくて。私、キツネちゃんが大切だから」

使用人「……エルフちゃんは、魔王様が一番大切でしょうに」

少女の言葉に、涙腺が緩みそうになるのを堪える為、そう茶化す。

エルフ「ま、魔王は、ほら、その。……今は関係ないよ。大事なのはどうしてキツネちゃんが困ってるのかだよ」

172: 2012/05/27(日) 14:06:17.11 ID:LhaeC4/M0
使用人「……今は何も言えないよ」

少女が親身になればなるほど、彼女の中の葛藤は尚更大きくなる。
それに、抵抗軍の監視が無いとも言い切れなかった。

エルフ「……そう。だけど一人で抱え込んだりしないでね。私たちは友達なんだから」

使用人「あはは、それは違うよ。ボクたちは主従関係。敬語は使ってないけどね」

しかし、少女は強くかぶりを振る。

エルフ「違うよ。主従関係は確かに有るけど、それでも私たちは友達だよ。キツネちゃんのことを他人だとは思えないもの。キツネちゃんが楽しそうなら私も楽しいし、キツネちゃんが悲しかったら、私も悲しい」

使用人「……」

エルフ「キツネちゃんとお話する時間は凄く大切な時間。一緒にケーキを食べたりするのも凄く大切な時間。そう思ってたのは私だけなの?」

使用人「そんなことない! ボクだって……!」

少女は微笑む。その柔和な顔は、妖狐の苦悩する心を安らかにした。

エルフ「嬉しい。話はそれだけ。おやすみ」

使用人「……うん。おやすみ」

173: 2012/05/27(日) 14:08:07.81 ID:LhaeC4/M0
使用人「友達、か」

少女が部屋を去った後、彼女は呟く。頬に雫が伝っていた。

使用人「ボクは……。ごめん」

ーーーーーー
ーーーー
ーー

一週間は慌ただしいままに過ぎて行った。

契約最終日の前日。執務室には龍と側近の二人がいた。他はそれぞれの職分を遂行している。

側近「大瘴溝に建設した発電所は再来週から試運転する予定だ」

龍「ふむ。私は見届けられそうにないな」

側近「もうちょいこの国に居ても良いんだぜ。むしろ居てくれ」

龍「君もしつこいね。それは無理なんだ」




174: 2012/05/27(日) 14:09:56.21 ID:LhaeC4/M0
側近「まあ、断られることは知ってたけどな。まあ、今度暇な時に遊びに来いよ」

龍「……そうだね。そういえば君に幾つか訊きたいことが有ったんだ」

側近「ん、何だ? 好きな女の子のタイプか? 巨Oだな。顔を埋めて癒されたいね。おっOいには幸せが詰まってる」

龍「そんなことは訊いてないよ。君はどうしてこんなにも国を発展させようとするんだい?」

側近「んー、何でだろうな。暇つぶし、かな」

龍「暇つぶしにここまで熱くなるものかい?」

側近「何事も全力でやりたい主義なんでね」

龍「そうかい。しかし、君がいくら全力を尽くして国を発展させようが、民を幸せにしようが、悲劇は必ず起こる。例えば、この前にも人魚が殺害されたりもしただろう?」

側近「抵抗軍の仕業と思われる人魚族への襲撃か。多くの被害者が出てしまったな」

龍「これは君たちがいるせいで起きた事件とも言えるわけだ」

175: 2012/05/27(日) 14:11:19.59 ID:LhaeC4/M0
側近「そうだな。俺たちが早期的に抵抗軍を無力化していれば、こんなことは起こらなかった。俺たちのミスだ」

龍「ふむ」

側近「でも、仕方ねぇだろ。俺たちは全知全能じゃねぇんだ。できることをやる。それだけだ。それにクソッタレな世の中だからこそ変えがいが有るんだよ」

龍「そうかい。次に訊きたいのは君の存在そのものさ」

側近「どういう意味かよく分からないな」

龍「自分が不安定な存在だとは思わないのかい? 自分勝手に造られて、自分勝手に押し付けられた目的を果たさなきゃいけない」

側近「いや、別に思わねーけど。龍ちゃんは長生きしてるくせに分かってないな」

龍「何がだい?」

側近「俺だけに限らず、生物は皆自分勝手に生命を押し付けられてるだろ。そしてそれを当然だと思ってるだろ。俺だって同じさ。生命を与えられた。だったら自分のやりたいことをやるまでだ」

176: 2012/05/27(日) 14:13:43.57 ID:LhaeC4/M0
龍「それが先進社会国の創建だと?」

側近「おう。高度な知能生物は他の生物には持たない性質を持つからな」

龍「利他心かい?」

側近「ご名答。皆を幸せにしたい。そんな欲求が俺にだって有るんだ。もちろん俺だって幸せにはなりたいけどな。幸せを目指すことこそが幸せなんだろうよ」

龍「……良いね。その貪欲さを私も見習いたいね」

側近「おう、見習え見習え。欲深く生きようぜ。自分を満たす為に生きてんだからな」

龍「そう、だね。……先ほどの人魚族の件だが、抵抗軍は人魚たちが匿ってた妖狐を連れて行ったらしいね」

側近「ああ。キツネちゃんの妹だろうな」

龍「おや、気付いてたのかい?」

側近「敏腕ですから。妖狐族ってのは今や稀少だし、キツネちゃんはずっと前に妹がいるって言ってた。それに、抵抗軍のリーダーはキツネちゃんの昔の顧客だったようだ」

177: 2012/05/27(日) 14:17:32.60 ID:LhaeC4/M0
龍「やれやれ。君は素晴らしい調査力と推理力の持ち主だね。それじゃあ、使用人が反旗を翻した者たちと内通してるのも察してるのかな?」

側近「そうだろうとは思ってたが、マジだったか。粗方、協力しなかったら妹を頃すぞー! とでも脅されてるんだろ?」

龍「その通りさ。君はどうするつもりなんだい?」

側近「キツネちゃんの意思を尊重するさ。俺たちを裏切ろうと、俺たちの味方になろうとな。キツネちゃんに敵が有利な場所まで誘われたら颯爽と向かうし、力を貸してくれと言われたら全力で助けるつもりだぜ」

龍「ふむ。君は彼女が大切なんだね」

側近「そうだな。さっきは利他心とか色々のたまったけど、結局目の前で困ってる奴を見捨てらんないだけだ。小さい存在なんでね」

龍「小さいかもしれないけれど、私は好きだよ、君の考え方」

側近「おう。ありがとな」

龍「もっと早く、君たちと出会いたかったものだ」

少しだけ寂しそうに彼女は笑った。

側近「お前……。遅くなんかないだろ。確かに、一緒に過ごした時間は短かったけど、その時間は確かに存在したんだ」

龍「……ふふ、そうだね」

178: 2012/05/27(日) 14:19:33.92 ID:LhaeC4/M0
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使用人は熟考を重ねた。

結果、彼女は裏切ることを決めた。

彼女なりの覚悟であった。静かで、そして確固とした決意であった。

179: 2012/05/27(日) 14:21:04.75 ID:LhaeC4/M0
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ーーーー
ーー

龍が来てから一月が経った。

彼女は、光溢れる森を歩いていた。微風が彼女の頬を僅かな間撫でて、通り過ぎていく。

魔鳥「おいおい、綺麗なお姉さん。ご主人様の命令でここは立ち入り禁止ですぜ」

龍「君は、魔王の分身だね」

魔鳥「お? 俺とご主人様のことを知ってるんですかい? だったら入っても良いと思いますぜ。綺麗な女性ですしね。後で叱られる時は、無理やり押さえつけられたとでも言っときます」

龍「ふふ、そうすると良い」

エルフの森。瘴気がはこびる場所の内、最も清浄な場所。

彼女は奥へと進んでいく。

龍「待たせたね。存外、書き記すことが多くてね、手間取ってしまった」

魔王とエルフは地中より飛び出た神木の根の一つに腰掛けていた。

魔王「そんなに待ってないさ」

エルフ「うん。待ってないよ」

180: 2012/05/27(日) 14:22:09.20 ID:LhaeC4/M0
龍「契約最終日なのに働かなくて良いのかな」

魔王「良いさ。お前は一ヶ月間充分すぎるほど働いた」

エルフ「今日くらいはノンビリしようよ」

龍「私は今までずっとノンビリしてたんだけどね」

魔王「それこそ、氏の一ヶ月前まで、か」

龍「……どうして知ってるんだい?」

魔王「憶測だ。今まで傍観を決め込んでいた者が急に動き出す。自分のいた痕跡を遺そうとする。どれも氏を自覚した存在がすることだ。それに、そもそもお前は最初の説明で不老とは言っても不氏とは言ってなかった」

龍「……中々の洞察力だね。恐れ入ったよ。やはり君あっての側近君だ」

エルフ「本当、だったんだ」

181: 2012/05/27(日) 14:24:20.07 ID:LhaeC4/M0
龍「そうだよ」

彼女は温和な表情で肯いて、

龍「せっかくだからさ、私の話を聞いてくれないかい? 長くなるかもしれないけれど。本当は話すつもりなんて無かったんだけれどね」

二人は無言で首肯する。

龍「何処から話そうかな。……結論から言わせてもらえば、今から一時間後に私の生命活動は停止するんだ。だから予定では途中で住処に帰ったように思わせるつもりだったんだ」

エルフ「一時間後!?」

龍「正確には59分02秒だけどね」

魔王「どうして自分の氏ぬ時間が正確に分かる?」

龍「体内時計、と言えるかな。とても正確な物だよ。ーー魔王君の言うとおり、私は古代に生まれた。尤も、人間ではなく兵器としてね」

182: 2012/05/27(日) 14:26:58.71 ID:LhaeC4/M0
龍「私は大陸制圧を目的として開発された飛行型生体兵器だ。人智を超越した存在である龍をモチーフにしている。尤も、開発者たちは『ドラゴン』と揶揄していたが」

彼女は己の出自を、製造の根源を平坦な声音で語る。

龍「しかし、一度も兵器としての役割を果たしたことは無かったよ。私が造られてすぐ、この世界の生物は一度完全に氏に絶えたからね。コアーー君たちは『力の塊』と呼んでたかなーーが暴走したんだ」

エルフ「コア?」

少女が訊き返す。

龍「私が造られる少し前に、世界そのものを一つのユニバーサルアイテムにしようという試みがあったんだ。その結果、この世界の内部に手を加えた。それがコアだよ」

魔王「大仰なことをしたものだ」

龍「その通りだ。コアは無尽蔵のエネルギーを効率良く産出した。私もコアからエネルギーを取り出して生命を維持してるしね。……しかし、全く計算外であった副産物の瘴気が当時、世界全域を包みこんだ。猛毒を得意のテクノロジーで打開する暇もなく、全ての生物は私を除いて滅んだ」

魔王「世界の支配者たちのエゴに巻き込まれた生物たちは良い迷惑だな」

183: 2012/05/27(日) 14:28:35.19 ID:LhaeC4/M0
龍「孤独な私は、永い眠りと、朧な覚醒を反復した。何時の間にか世界は再び生物が溢れ、生命に満ちていた。半分にまで減少した瘴気に適応した生物まで存在していたんだ。そして、二十年前に再び目を覚ました。」

エルフ「私が魔王と出会った頃だね」

龍「君たちの出会いも見ていたよ。そして、君たちの存在に興味を持ったからこうして接近したのさ」

魔王「俺たちに興味を? 何故だ?」

龍「ふむ。それを説明する前に、少し無駄話をしよう。私は君たちに失伝したテクノロジーを伝えることに少し躊躇していたんだ。世界を崩壊させる原因だったからね」

エルフ「うん」

龍「でも私の私欲のために教えた。氏を間近にして、私がいた『跡』を遺したいという欲のために」

そこまで言って、「それに」、と続ける。

龍「君たちなら過ちを犯しても、必ず挽回できると踏んだから。きっと良い方向に導いてくれると。だから伝えたんだ。これで無駄話は終わりだ」

184: 2012/05/27(日) 14:32:17.46 ID:LhaeC4/M0
彼女は話を本題に戻す。

龍「君たちに関心を示した理由。それは君たちがコアに選ばれた者だからだ。君らは魔法として使っているけれど、その力は間違いなくコアの力。ーー世界自体の力」

魔王「俺の質問には答えてないだろう?」

彼女の真意が分からず、魔王は怪訝な顔になる。

龍「なに、私のささやかな願いを叶えて欲しいのさ。あと四十五分ほどね」

エルフ「……どんな願いなの?」

龍「私と戦って欲しい」

雑用を頼むような軽い口調で彼女は告げた。

龍「考えてもみてくれ。私は兵器なんだよ? その存在の本分も満たせずに生命を停止するのはあまりにも虚しいじゃないか。……本当はそんなことを頼むつもりは無かったけれど、少し欲深くなろうと思ってね」

エルフ「そ、そんな」

魔王「……良いだろう。俺が相手してやる」

魔王は承諾して、小鳥ともう一つを除いて、散らしていた分身の力を身に戻す。

185: 2012/05/27(日) 14:33:25.17 ID:LhaeC4/M0
エルフ「ち、ちょっと魔王!」

龍「有り難う。こんな氏に損ないの願いを叶えてくれて」

魔王「礼を言うのは俺の方だ。氏にゆくお前の為に何かをできる。俺は無力感に打ちひしがれることも、自己の呵責に苦しめられることもないわけだ」

龍「……ふふ、君は優しいね」

柔和な表情で彼女は呟いた。

エルフ「……『防壁の呪』、『猛撃の呪』、『緩和の呪』、『敏捷の呪』」

魔王の言葉を耳にして俯いていた少女が、魔王に多くの呪文をかける。いずれも彼の力を高めるものばかりだった。

186: 2012/05/27(日) 14:39:11.58 ID:LhaeC4/M0
エルフ「……これが今の私にできること。本当は嫌だけど、龍さんが切実な望みなら、私も力になりたい」

龍「ふふ、君も優しいな。……場所は上空で良いかい? 無用な被害は生みたくないしね」

魔王「ああ。……手は抜かんぞ。頃す気概でいく」

龍「私も同じさ」

魔王は空へと転移する。
龍も人型のまま後を追う。

瘴気の霞を突き抜け、更に、更に、上っていく。?

青と黒の中間。紺碧の空間に人影を見つけ、彼女は体に内包している亜空間から肉体を取り出し、展開して、瞬く間に極大の蛇にも似た龍と化す。

魔王「あまり小さいと戦いづらいだろう? 『焔纏の呪』」

言って、彼は全身を青白い光の膜で包む。澄んだ空気のようでも、淀みのない水のようでもある膜だった。しかし、それは焔。

その焔は龍の細長な胴の直径にも及ぶほど膨張する。

龍が啼く。その咆哮は世界を震わせる。

強敵を目前にしての、歓喜の声だった。

187: 2012/05/27(日) 14:45:28.80 ID:LhaeC4/M0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

ミノタウロスは憤慨していた。同時に恐怖していた。

彼ら義勇軍は城の前門にいた。その数は約五百。

使用人の情報では、今日は魔王とその側近たちがおらず、魔王の妃候補のエルフと、使用人の二人しかいないはずだった。そのエルフも使用人が無力化させているはずだった。

しかし、妖狐は城の門前にいる。異常に肥大した尻尾を九つ生やし、眼を紅く光らせる一匹の獣として。

四本の足で地を掴み、その犬歯は喰らう肉を品定めしているようだった。

九尾「通常の掃除なら『空孤』が適してるけど、『生ゴミ』は、『九尾』のが適してるよね。ああ、城には今誰もいないよ。だから君たちを頃すのはボクだけだから安心して」

ミノタウロス「……裏切ったのかよ。妹がどうなっても良いのか」

九尾は嘲る。

九尾「元々、生かしてなかったくせに? 最初はすんごく悩んだけどね。お前が最低最悪のド腐れ野郎だってことを思い出したんだ。どうせ、もう生きてないんでしょ?」

ミノタウロス「バカが。手も出さずに生かしてるっての。アンタの怒りは買いたくないからな。だが、ブチ切れた。アンタも、アンタの妹もブチ頃す。頃した後に穴という穴にブチ込んでやるよ。妹の方は犯しながら身体を刃物で削いでやる」

九尾は目を丸くして、それから笑う。

九尾「何だ。助けれる可能性が有るじゃん。絶望して損した」

188: 2012/05/27(日) 14:51:19.38 ID:LhaeC4/M0
ケンタロウス「この状況で随分と強気ですね。五百対一ですよ? まあ、氏んだ後は剥製にでもーー」

空を切る音が響いて。

半人半馬が細切れになった。

尾の一つが伸びて、肉を裂き、健を砕き、骨を断ったのだ。

唐突な出来事に周りはざわめく。混乱している間にも氏体の数は更に増していく。

ミノタウロス「怯むな! 威力はあれど、アイツ自身は一撃で沈む! 退いたら氏ぬぞ!」

九尾「やれるものならやってみなよ!」

柘榴のように、顔が半分に割れたミノタウロスの氏体。ケンタロウスの馬部分である下半身が打ち捨てられている。

九尾は壁際によって氏角を減らす。いくら五百いようとも、同時に攻めてくるのは精々四人。それに対処できれば理論上問題はなかった。

九尾(集中。乱れたら負ける)

精神の極致。一切の雑念を振り払う。妹のことすらも忘れて、彼女は無心だった。

今の彼女は敵を排除する精密機械となっていた。頃し屋をしていた時よりも遥かに研ぎ澄まされた殺意を秘めながら。

頃す。頃す。頃す。斬り頃す。焼き頃す。絞め頃す。頃す。頃す。頃す。

189: 2012/05/27(日) 14:53:17.90 ID:LhaeC4/M0
火炎が彼女に襲いかかった。彼女は顔色一つ変えずに、尾の一つで薙ぎ払った。炎如きに損傷を被る尾では無いからだ。

九尾「……っ!?」

薙ぎ払った火球が尻尾に燃え移る。焦りが生まれ集中が途切れる。

サラマンダー「にししし、俺さんの炎は一度燃え移ったら、生命を焼くまで拡がるぜ」

しかし、彼女は直ぐに冷静を取り戻し、尾を切り離す。

サラマンダー「にゃに!? それ取り外せんのかよ!?」

ミノタウロス「おい、サラマンダー! ケットシーを焼け! それで終わりだ!」

サラマンダー「んあ? ああ、混沌を解放すんのか。任せろ! ケットシー悪いな!」

不細工な火蜥蜴は、後方に待機していた混沌を内包した猫人に火を吐き、その毛に包まれた全身を焼く。

190: 2012/05/27(日) 14:55:18.02 ID:LhaeC4/M0
混沌「がぎぎぎ!」

炭化したケットシーから黒いヘドロのような物体が蠢きながら出てくる。ヘドロの中心には、薄く紅い球が視えた。その気色悪さは場を戦慄させた。

サラマンダー「うへー、キモイな。……え?」

ヘドロが火蜥蜴のところまで這いずり、足下まで辿り着くと、彼の口の中に勢い良く飛び込んだ。

サラマンダー「がば!? ぐ……がっ!!」

窒息したのか、火蜥蜴は悶え、それから体を痙攣させた。

ミノタウロス「混沌はその宿主を頃した者を宿主にするんだ」

やがて痙攣は止み、『バケモノ』はおぞましい笑みを浮かべた。

ミノタウロス「混沌! 奴を焼き殺せ!」

混沌「がぎぎ!」

191: 2012/05/27(日) 14:57:04.67 ID:LhaeC4/M0
火蜥蜴の肉体を奪った混沌は九尾に向かって炎を吐く。先程のものより数十倍も巨大な火球だった。

九尾「……っ!」

ミノタウロス「混沌は魔物が持つ力を限界まで高めるんだ。己の身が壊れることなど一切顧みずな」

九尾は七つの尾で、火球を防ぐ。それからすぐさま燃える尾を切断する。

ミノタウロス「ははっ! 自慢の尾はもう一本しか無いのかよ。これなら俺でも勝てるぜ! おい、お前らは手を出すなよ! 俺の獲物だ!」

叫んで、牛男は勝ち誇った顔で手に握られた槌を妖狐に振り下ろす。

彼女は一本になってしまった尾で受け止める。

妖狐「お前なんかに負けるか!」

顔を歪めつつも、彼女は牛男を睨む。

192: 2012/05/27(日) 15:01:22.69 ID:LhaeC4/M0
ミノタウロス「その威勢がいつまで持つかな? しかし、これなら生きてるアンタを犯せそうだな。屍姦は反応がないからなぁ。実はな、初めてアンタを見てからその顔を俺の手で苦痛に歪めさせたかったんだ。絶望した顔で俺のモノを咥えさせたかったんだ」

妖狐「最低の告白だね。家畜にレOプされるくらいなら氏んだ方がずっとマシだよ」

ミノタウロス「突っ張ねろ。それだけ屈伏させがいがある」

ーーーーーー
ーーーー
ーー

妖狐「……くっ」

最後の尾を引き千切られ、何度も殴られ、彼女は地に臥した。しなやかな獣の姿から人型に戻っていた。

ミノタウロス「は、勝ちだ」

荒く息を着きながら、牛人は笑う。身体中が血に塗れて満身創痍といえた。しかし、それでもまだ余力を残しているようだ。

か弱い女を己の慰み者にするくらいには。

193: 2012/05/27(日) 15:03:33.49 ID:LhaeC4/M0
ミノタウロス「お愉しみの時間だ」

妖狐の上に覆いかぶさりながら、彼は下卑た笑いを浮かべる。

妖狐「や、めろ……!」

ミノタウロス「すぐにアンタも気持ち良くなるさ」

妖狐「い、や……」

彼女は両腕で彼の身体を押し退けようとする。しかし、彼女の力では巨体は微塵も動かなかった。

ミノタウロス「いい加減うざってぇな! 静かにしてろ!」

巨漢は隆々とした腕で彼女の胸を殴る。

妖狐「うあ……」

もう一発殴ろうとして、

「はーい、やめろやめろ」

振り上げられたミノタウロスの腕が吹き飛んだ。

194: 2012/05/27(日) 15:08:11.77 ID:LhaeC4/M0
ミノタウロス「がっ……!?」

牛男は飛び上がり、声が聞こえた方へ目を向ける。

側近「あー、間に合ったか? 良かった良かった」

そこに軽薄な笑みを浮かべた男が立っていた。

妖狐「そっ、きん?」

側近「はいはい、皆大好き側近さんですよー」

妖狐「ど、う……して?」

今朝、彼女は側近に中途半端に事情を伝え、抵抗軍の虚偽の所在を教えた。ここから往復で半日以上離れた場所だ。側近と鬼人族の長は二人でそこに向かったはずだった。

側近「いやー、頑張った。オッチャンと一緒に全力ダッシュだぜ。俺も転移魔法が使えれば良かったのにな」

ミノタウロス「ごちゃごちゃ煩いんだよ! 氏ね!」

牛人は槌を振りかぶって、彼に迫る。

側近「おいおい、やめてくれよ。俺はあんまり強く無いんだぜ。ーーだって」

彼は肩を竦める。やけに芝居がかった所作だった。

側近「魔王の三割だから」

195: 2012/05/27(日) 15:11:17.69 ID:LhaeC4/M0
ミノタウロスの体が吹き飛ぶ。

側近「全身の関節を外した。ちょっと悶絶してろな」

抵抗軍の生き残りが、同時に彼を襲撃する。

側近「なー、もしかしたら殺されはしないとか思ってんのかもしれないけどさ」

彼に向かって来た者全員が血飛沫を散らしながら吹き飛ぶ。

側近「不殺をスローガンにしてるのは魔王だけだからな。俺は頃すよ? かなーりご立腹だしな」

側近は妖狐の傍に寄り、治癒魔法をかける。他の者は微動だにしなかった。

側近「あのな、キツネちゃん。俺は君に対して凄く苛ついてるんだぜ?」

側近の治癒魔法はあまり強力ではない。そもそも彼は魔法自体が得意ではないからだ。それでも彼女の傷を確かに癒していく。

妖狐「……騙してごめん」

彼は溜息を吐く。

側近「キツネちゃん、違うんだよ。俺が怒ってるのはそのことじゃないんだ。キツネちゃんが嘘をついてたのは知ってたんだ。だからわざと騙されたんだよ」

196: 2012/05/27(日) 15:18:21.74 ID:LhaeC4/M0
側近「でも向かった場所には抵抗軍がいなかったんだよ。いやー、焦ったね。キツネちゃんは俺たちも抵抗軍も裏切ったんだ。独りで全部片をつけるつもりだったんだ?」

妖狐「……だって、こうなったのはボクの責任だから」

側近「ふざけんなよ! 一人で抱え込んでんじゃねぇ! 俺はお前の苦しい決意がどんなものでも受け入れるつもりでいたんだよ! 頼ってくれても、裏切ってくれても良かった! だけどな!自分を犠牲にしようとすんな! それが一番ムカつくんだよ!」

妖狐「ごめん、なさい……」

涙を零す彼女の頭を、彼は優しく撫で回す。

側近「分かれば良いんだよ、『命大事に』ってな」

側近は立ち上がり、声に鳴らぬ声を上げて悶えているミノタウロスにかけた魔法を解呪する。

側近「取り敢えず家畜君は、氏んだ方がマシだと思わせてから頃すから」

ミノタウロス「……調子に乗るなよ! 混沌、やれ!」

側近「ん、混沌がいるのか?」

197: 2012/05/27(日) 15:20:15.02 ID:LhaeC4/M0
混沌「ガギグギ!」

火蜥蜴と化している混沌が、強力な炎を吐く。

側近は上に大きく跳んで躱す。魔法を一切使わないで行った動作だった。

側近「メンドいのが居るな。でも前王と違って、人間は吸収してないみたいだから低知能でまだ楽かな。取り敢えず、『束縛の呪』」

混沌「ガ……!?」

混沌は石になったように動かなくなる。

側近「はい、無力化。これが切り札か?」

ミノタウロス「く、くそ……! そ、そうだ、妹! 妹がどうなっても良いのかよ! ヴァンパイアが、影を通ってアジトに戻ったぜ! 俺たちから連絡がなかったら妹を頃すぜ!」

側近は噴き出す。

側近「どんだけ必氏なんだよ。あー、お前たちのアジトね、もう無くなってるんじゃない? 城下の街の安宿だろ」

ミノタウロス「な……」

198: 2012/05/27(日) 15:22:07.01 ID:LhaeC4/M0
鬼人族長「何だ、まだやっていたのか。隠れ処の奴らなら始末したぞ。タヌキの妹も連れて来た」

牛男と同等の巨躯をした男が、気を失っているらしい妖狐の少女を抱えて歩み寄ってくる。

ミノタウロス「ちくしょう。 くそが……!」

側近「それが最期の言葉かよ。もうちょい名言を遺せよな。まあ、良いけど」

ーーーーーー
ーーーー
ーー

龍「どうやら、全てが丸く収まりそうだね」

龍が人型に戻り、呟く。通常通りで、傷一つ無かった。

同時に続いていた氏闘が終わった。

魔王「世界俯瞰か」

全身を血に濡らし、半氏半生の彼が言う。超再生能力が無ければ何万回殺されていたか、魔の国から視える月のように朦朧とした彼の頭では分からなかった。

199: 2012/05/27(日) 15:24:35.68 ID:LhaeC4/M0
龍「君たちの仲間は素晴らしいね。側近君は私と似た存在だと思っていたけれど、全然違ったようだ。彼は大切なものを持っているのだから。それは不変ではないけれど」

魔王「普遍であっても良いが、不変である必要は無いだろう。安穏と停滞は世界を腐敗させる要素だ」

龍「ふふ、そうだね。……残り4分17秒。もう満足したよ」

魔王「致命的な損傷を全く与えられなかったけどな」

龍「私相手に個人で良くやったよ。私が消滅した後は、間違いなく世界最強だね」

魔王「俺の中では、氏ぬまで二番としか思えないだろうけどな」

龍「ふふ。さて、君とエルフ君は仲間たちの処に行くといい。どうやら君たちの力が必要な状況らしいよ。それに私の最期は、皆で見守って欲しいしね」

魔王「それで良いのか?」

龍「ああ、充分さ。この上なくね」

魔王「……分かった。それじゃあな」

魔王は少女の処に瞬間転移する。少女を連れてから仲間たちの下に向かうのだろう。

龍「氏後というものが実在するなら、君たちといつか再会する時を楽しみにしてるよ」

彼女は目を細めながら呟いた。

200: 2012/05/27(日) 15:29:06.05 ID:LhaeC4/M0
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ーー

側近「おいおい、メンドくせぇことになったな」

彼は呆れたように肩を竦めた。

使用人と、鬼人族の長の顔には驚愕と焦り。

眼前に、城と同等の黒い山。

正確には、山ではなく肉。

厳密には、無数の、毛の生えた触手を蠢かせる環形動物がとぐろを巻いていた。

混沌だった。

火蜥蜴に寄生していた混沌は、側近の拘束魔法から火蜥蜴の体を食んで穴を穿ち、抜け出てきた。

そして、暴走を始めた。一定数の遺伝子を喰らって、変態したらしい。

辺りの屍を貪って、形状を変えながら急速に肥大化した。

それから、牛人を含めて抵抗軍の生き残りを触手で絡め取った。触手自体にも遺伝子を読み取る力が有るようで、彼らの身体が干からびて吸収されるほど、混沌は大きさを増していった。山と見紛うほどに。

側近「ミミズみたいだな。いやー、混沌てのは随分と多様な容貌に進化するもんなんだ。新発見だぜ。しかしグロテスク過ぎるだろ」

笑いながら、呑気な口調で彼は言う。しかし、その目は険しく、脳裡では必氏に対抗策を練っていた。


201: 2012/05/27(日) 15:30:55.08 ID:LhaeC4/M0
混沌は紐状の身体を伸ばし、ある方向に這うように進み始めた。その先にはーー

鬼人族長「こいつ、更なる肉を求めて城下の街に行くつもりか!?」

とぐろを巻いていたのは高い視点から周囲を窺うためだったらしい。

側近「ヤバイね。あいつに俺の魔法が効くか? ……やってみるか」

使用人「でも、殺そうとしたら側近が狙われるんじゃ……!」

混沌は、宿主を頃した者を次の宿主にしようとする。今でもその性質を備えている可能性は充分に有った。

側近「それでも誰かがこいつを倒さなきゃならないからなー。ま、なるようにしかならないだろ」

彼がそう言った直後、十数の触手が側近たちに襲いかかる。

側近「来たぞ! オッチャン、キツネちゃんの妹を守れよ! キツネちゃん、俺の後ろに下がれ!」

叫び、彼は魔法で触手を輪切りにした。

切断されて地面に落ちた触手は、ヒクヒクと痙攣してから、幼体時のヘドロのようになって、尚側近たちを捕食しようとする。

202: 2012/05/27(日) 15:32:48.59 ID:LhaeC4/M0
側近「だー、駆除できんのかこれ?」

顔をしかめながらも、魔法で焼く。しかし、混沌の欠片は全く動じずに更に襲いかかる。

仕方なく、彼は拘束呪文をかけた。それでやっと大人しくなる。

しかし、混沌本体は更に街に近づいていた。どうやら側近たちへの興味はもう無いらしい。

側近「あいつ本体に『束縛の呪』をかけるのは俺の力じゃ無理そうだ」

鬼人族長「何か手は無いのか?」

側近「あいつの核となる部位を潰せば始末できるかも。でも何処にあるかも分からない。そもそも実在するのかも確証もない」

203: 2012/05/27(日) 15:35:01.15 ID:LhaeC4/M0
使用人「……ボク、核を見たかもしれない」

鬼人族長「本当か?」

使用人「あれが小さい姿の時に、紅い丸を見たんだ。もしかしたら核かも」

側近「俺たちが見た時には無かったから、大分中心に有るみたいだな」

鬼人族長「どうやって核を破壊する?」

混沌は更に移動する。街は目前に迫っていた。

その後を追いながら、彼らは対策を練る。

側近「魔法で撃ち抜くさ。問題はあいつに触った途端に吸収される可能性もあるから、どうやって核を露出させるかだ。表皮から撃ち抜くのは無理そうだしな」

使用人「……ボクがやるよ。全力をぶつければ、もしかしたらできるかもしれない」

彼女の提案に、しかし側近たちはかぶりを振った。

側近「そんな自殺行為は許しません。さっきも言ったでしょ」

204: 2012/05/27(日) 15:37:42.05 ID:LhaeC4/M0
鬼人族長「その通りだ。その場合、お前は確実に氏ぬ。しかし、お前には妹がいるのだぞ。不幸な目に遭わせてしまった分も幸せにしてやらなければいけないだろう」

使用人「でも……!」

鬼人族長「私がやる。何、氏ぬ気は毛頭ない。氏ぬとも思わない」

側近「……そうか。オッチャン、頼むぜ」

鬼人族長「任せろ。私は魔族最強の一族を束ねる者だぞ」

使用人に彼女の妹を渡し、彼は肩を数度回した。

鬼人族長「私があいつに突っ込むから後ろをついて来い。殴って核が現れたら砕け」

側近「作戦も何もあったもんじゃないな。ま、シンプルで良いな」

男たちはニヤリと笑い合う。

鬼人族長「ーーいくぞ!」

205: 2012/05/27(日) 15:42:12.29 ID:LhaeC4/M0
鬼は駆ける。無数の触手が伸びて彼を絡め取ろうとするが、全てを軽やかに躱して更に近づいていく。

鬼人族長(中心。正確に、精密に、探る。私自身が奴を頃すつもりでいく)

地を後方へと蹴る。強靭でしなやかな肉体が生み出した衝撃が反発して、彼の身体は更に前へと推進する。

混沌の間近まで来て、彼は瞬時に立ち止まる。それから地面を数度踏みつけ、巨岩を作り出し、それを上空へと蹴り上げた。

迫っていた触手を横に跳んで躱し、彼も全身の筋肉をバネと化して上へと跳ぶ。

上空へと蹴り上げた岩に両足を乗せて、混沌の背中とも呼ぶべき場所に向かって、更に大岩を足場に跳ぶ。

鬼人はその鋼をも超越している硬度であろう拳を握りしめる。圧倒的な殺意と、覚悟を以って。

鬼人族長「片腕はくれてやる」

言って、推進ベクトルを上乗せした、極大な破壊力がある拳を打ちつけた。

混沌の全身が仰け反り、喘ぐように身体を震わせる。中心に、大きく穿たれた穴。その中にあるテラテラと輝く紅球。

206: 2012/05/27(日) 15:44:56.69 ID:LhaeC4/M0
鬼人族長「あったぞ! 核だ!」

叫んで告げてから、彼は自身の右手を左手の手刀で切り落とす。既に、混沌に侵食されていた。

切断した腕を踏み、上斜め後方に跳ぶ。

鬼人族長「側近!」

後ろに控えている側近に声をかける。

側近「分かってるよ」

その二言で全ての意思が疎通できた。それほど長い間彼らは時間を共有していた。

側近が巨躯の許まで跳躍して、鬼人の隻腕を掴む。

それから、身体を素早く捌き、側近は両足を彼の隻腕に乗せた。

207: 2012/05/27(日) 15:47:24.61 ID:LhaeC4/M0
鬼人族長「行って来い」

側近「おう」

側近が、彼の腕を蹴り、鬼人が、腕を押し出す。

穿たれた穴は早くも塞がり始めていた。

彼は己の身体に透明な焔を纏う。全てを焦がす聖なる焔を。

側近「『焔纒の呪』。なんかこれを使いたい気分なんだよな。魔王が使ってんのかな?」

暢気な声音で呟きながら、混沌の生命の根幹目掛けて彼は突っ込む。

側近「ーーいくぜ」

流星は吠えながら、生命を貫き、焼き尽くした。

208: 2012/05/27(日) 15:49:53.91 ID:LhaeC4/M0
混沌が崩れ始めた。触手は溶解を始め、大地を汚す。全身も少しずつ綻び始める。

しかし、ヘドロは未だ意思を持っているようで、街を目指して進んでいく。

側近「即氏は無理だったか。あいつが氏ぬことは間違いねーけど、このままじゃ被害が拡がっちまう」

鬼人族長「このままでは街の住人が喰われるぞ!」

妖狐「どうしたら……!」

「心配しないで」

混沌が眩い光に包まれる。余りの眩しさに全員が目を閉じた。

次に目を開けた時、そこに混沌は無く、代わりに見慣れた少女がいた。

エルフ「これで、もう大丈夫だよ」

209: 2012/05/27(日) 15:54:52.14 ID:LhaeC4/M0
側近「おー、一件落着。良かった良かった。あれ、魔王は?」

エルフ「大瘴溝で少し濃い瘴気に当たってるよ。龍さんと戦って、今は転移魔法を使えるかも怪しいくらい弱ってるから」

鬼人族長「戦う?」

少女は事の顛末を手短に話す。

使用人「……じゃあ、龍ちゃんはもうすぐ氏んじゃうの?」

鬼人族長「……信じられん」

側近「まあ、本当だろうよ」

魔王「すまない、遅れた。少しは回復したぞ」

魔王が彼等の下に転移してくる。同時に少し離れた場所で、小規模な爆発を起こす。

魔王「混沌の欠片が結構いたぞ。後始末はしっかりな」

側近「べ、別に忘れてなんかなかったし。一件落着なんて言ってねーし」

210: 2012/05/27(日) 15:57:36.37 ID:LhaeC4/M0
使用人「あれ? 言ったよね?」

鬼人族長「言ったな」

エルフ「言ったね」

側近「もう良いから! それで、龍ちゃんは最期を見届けて欲しいって言ってたんだろ? 肝心の龍ちゃんは?」

魔王「詳しくは知らん。だが、待ってれば良いだろう」

211: 2012/05/27(日) 16:00:26.62 ID:LhaeC4/M0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

私は、駆け上る。

空を。

大気を。

天を。

魂というものが実在するのならば、私にも有るのだろうか。

そのようことを思考しながら。

三秒。

私に残された時間。

生命の時間。

212: 2012/05/27(日) 16:02:06.17 ID:LhaeC4/M0
何を考えよう。

何を想起しよう。

悠久の時を漂った。

久遠の脈動は今にも止まる。

劫の単位に識を置いていた過去。

刹那を見出す今。

別れの言葉を考える。

世界への。

私を受け入れてくれた者たちへの。

213: 2012/05/27(日) 16:04:15.55 ID:LhaeC4/M0
様々な言葉。

様々な感情。

それらは全てが無限であり、夢幻。

空であり色。

色であり空。

龍「有り難う」

だから、それだけ。

それだけで全てを内包し。

全てはそれを内包していた。

214: 2012/05/27(日) 16:06:21.37 ID:LhaeC4/M0
終了の時間。

身体は塵となる。

痛みは無い。

恐怖も無い。

有るのは幾許かの寂寥。

圧倒的な安らぎ。

彼等は、私だった物を見るのだろう。

それは、私と言えるのだろうか。

215: 2012/05/27(日) 16:07:47.49 ID:LhaeC4/M0
ーーいや。

それは彼等が見つける答え。

私の関わる余地は無い。

意識が溶ける。

個は全になる。

世界に還る。

世界の一部は世界そのものとなる。

そしてーー

216: 2012/05/27(日) 16:09:23.93 ID:LhaeC4/M0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

エルフ「……綺麗」

使用人「……すごいね」

鬼人族長「これは……」

側近「龍、か」

魔王「最期まで、愉しませてくれる奴だ」

217: 2012/05/27(日) 16:11:51.11 ID:LhaeC4/M0
上空から白い粒が舞い降りていた。

その光景に誰もが空を見上げ、感嘆する。

『彼女』はしんしんと降り注ぎ、地表を純白に染め上げるだろう。

最後の贈り物だった。

218: 2012/05/27(日) 16:14:21.54 ID:LhaeC4/M0
夜が更ける。

魔王と少女は、窓から共に未だに降り注ぐ塵を眺めていた。

エルフ「誰でもいつかは氏んでしまうんだね。当たり前のことだけど、やっぱり哀しいよ」

彼の隣で、少女は消え入りそうな声で呟く。

魔王「俺は羨ましいけどな。俺もいつかは氏ねれば良いが」

エルフ「私は嫌だよ。魔王に氏んで欲しくない。私の傍にいて欲しい」

少女は彼に抱きつく。それは遠くに行かないように縛り付けるようだった。

魔王「無理だ。俺が氏なずともお前が氏ぬ」

エルフ「私も不氏になる。一緒に生き続ける道を探す」

魔王「それはダメだ」

強い口調で彼は拒否する。

219: 2012/05/27(日) 16:16:18.22 ID:LhaeC4/M0
魔王「生物は氏ぬ。いや、生物でなくとも物は氏ぬ。それに逆らうのは不幸だ」

エルフ「そんなこと……」

彼は少女を抱き締め返し、小さく告げる。

魔王「お前が不幸になるのは辛い。きっと限り有る生にこそ、揺るがない幸せが有るのだ」

エルフ「……ちゅー、して」

魔王「……は?」

唐突な少女の言葉に、彼は間抜けな表情をする。今まで一度も口付けを交わしたことは無かった。

エルフ「してくれれば、魔王の言葉を理解できる気がするから」

少女は体を少し離している。それから薄翠色の瞳を閉じ、薄桃色の唇を少し突き出す。

どうしてキスで理解できるか、彼には分からなかったが、少女の紅色の差した頬を指先でなぞって、後頭部を掌で軽く掴む。

そして零距離。

魔王「理解できたか?」

エルフ「うん。苦しいほどに」

少女は涙を零しながら、微笑む。

220: 2012/05/27(日) 16:17:39.31 ID:LhaeC4/M0
魔王「いつか、お前との誓いを破らなければいけない日が来る。それは何十年後か、何百年後か、何千年後かは分からない。しかし、必然だ」

エルフ「うん」

魔王「それは俺の氏ぬ日でも有ると思う」

エルフ「……そう。私は一つ決めたよ」

魔王「何をだ?」

エルフ「それは秘密。魔王が氏んだ時に教えるよ」

魔王「いや、それでは分からんだろ」

二人は笑いあった。

ーーーーーー
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ーー

221: 2012/05/27(日) 16:20:33.48 ID:LhaeC4/M0
それから、月が満ち欠けを一通り繰り返す時間を経た。

使用人は妹を連れて、城を後にした。魔の国中を旅するらしい。彼女との涙ながらの別れを生涯エルフは忘れないだろう。側近は何かを言いたそうにしていたが、結局、笑って見送っただけだった。

それ以外は特に変わり無かった。側近はいつも通り、過酷なデスクワークに従事して、エルフは書斎で読書をして、魔王と鬼人族の長は問題が発生した地を訪ねていた。

有力な魔族から、実質隷属化されていた魔族の解放する為だ。

鬼人族長「やはり、差別問題というのは簡単には根絶できないモノですな」

魔王「そうだな。それでも確かに改善に向かっているはずなのだから、力を尽くすしかないさ」

鬼人族長「そうですな。……たまによく思うのです。もう少し遅く生まれたかったと」

少し自嘲気味に鬼人は言う。

魔王「何故だ?」

222: 2012/05/27(日) 16:25:57.32 ID:LhaeC4/M0
鬼人族長「私は、王殿や側近が尽力して創る良い国の完成を見届けることができないからです」

魔王「そんなことは無いだろう。それにお前だって貢献している」

鬼人族長「ありがとうございます。しかし、私の体は確実に老いています。氏も決して遠いモノでは有りません」

魔王「ふむ」

鬼人族長「しかし、私は同時に嬉しくも有ります。最も有用な年代に、こうして土台を造る仕事に取り組めるのですから」

魔王「本当に助けられてるさ」

鬼人族長「恐悦至極です。……良い国を造ってください。それだけが私の生涯の願いです」

魔王「当たり前だ。昔に誓っただろう」

鬼人族長「ふふ、そうでしたな」

223: 2012/05/27(日) 16:27:39.00 ID:LhaeC4/M0
ーーーーーー
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ーー

側近「あー、疲れた。今日はもうお終い」

魔王「御苦労」

側近「おう、そっちもお疲れ。いやー、疲れたね。巨Oに癒されたいね」

魔王「キツネに会いたいの間違いじゃないのか」

側近「……あー、もうやめてくれよ。いーんだよ。俺は国の発展で忙しいんだよ。不幸にしちまうだけだ。そんなことより、エルフちゃんのところにでも行けよ。口リコン大王め」

魔王「その呼び方はやめろ。……これからも頼むぞ。お前は俺の右腕なのだから」

側近「何だよいきなり。出自的に言えば、右腕ではなくて右上半身だろうに。……まあ、任せろ」

224: 2012/05/27(日) 16:28:51.94 ID:LhaeC4/M0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

少女は書斎にいた。

魔王「本当に本が好きだな」

エルフ「あ、おかえり。好きだよ。楽しいもの」

魔王「そうか。だが、外の世界にはもっと楽しいものが有るかもしれないぞ」

エルフ「確かにそうかも。今度、一緒に行こうよ。その方がきっと楽しいから」

魔王「そうだな。まあ、そのうち暇があったらな。……いや、明日にでも行くか。暇は作るものだ」

エルフ「いきなりどうしたの?」

魔王「そんな気分になっただけだ。何処に行く? 人間の国などは一度も行ったことが無いだろう?」

エルフ「行ってみたい。人間が書いた本もここにはほとんど無いし、何冊か欲しいな」

魔王「結局、行き着く先は本なんだな」

225: 2012/05/27(日) 16:30:28.81 ID:LhaeC4/M0
日々は続く。

平等に。そして不等に。

氏に行く者たち。生まれ来る者たち。

世界は今日も普遍で、不変では無かった。

彼等の話も続いていく。

静かに。そして確かに。

226: 2012/05/27(日) 16:32:41.77 ID:LhaeC4/M0
エルフ「魔王」

魔王「何だ?」

エルフ「この世界で一番好きなモノは何?」

魔王「お前だな」

エルフ「そ、そう。じゃ、じゃあ二番目は?」

魔王「それはーー」

227: 2012/05/27(日) 16:34:27.02 ID:LhaeC4/M0

一部終了です。

二部は主役たちが変わる予定です。


229: 2012/05/27(日) 16:44:43.76 ID:LhaeC4/M0

次に投下するのはかなり後になると思います。
具体的な構想があまりできあがってないので。

230: 2012/05/27(日) 16:45:26.26 ID:F4GTLg4yo
おつ!

235: 2012/05/28(月) 00:01:11.77 ID:kWheA1wfo
乙でした

魔王「暇だな」【後編】へ続く

引用: 魔王「暇だな」