238: 2012/06/02(土) 21:26:00.97 ID:AVNjZYXv0

一部ラストの魔王のセリフは、タイトルに回帰します。

魔王「暇だな」【前編】はこちら

239: 2012/06/02(土) 21:27:09.54 ID:AVNjZYXv0
吐き気を催す異臭がした。

血の臭いだった。

幾つかの塊があった。

肉だった。

血と肉は父と母だった。

父と母を形成していた物だった。

壁には夥しい血痕と、細切れになった肉がらあった。

殺されていた。

喰われていた。

始まりだった。

ーーーーーー
ーーーー
ーー

240: 2012/06/02(土) 21:27:48.32 ID:AVNjZYXv0
城の一室に、ベッドの軋む音と女の嬌声が響く。

彼女は廊下に立って、ドア一枚を隔ててそれらを耳にしていた。

獣の交わる声。

快楽を求め、肉を貪る雄と雌。

最初こそ戸惑ったものの、今では慣れてしまった。それでも不快を感じずにはいられなかったが。

彼女は奴隷だ。今は獣と化している男の。そのことは不本意であったが、本意であった。

彼女は、己の頸部に手を遣る。熱のある肌ではなく、冷たくて硬質な物が手に触れた。

彼女の尊厳を蹂躙するもの。

首輪だった。

241: 2012/06/02(土) 21:29:12.93 ID:AVNjZYXv0
しばらくして、音が失せたかと思えば、女が部屋から出てきた。

獣臭い香りを漂わせながら、女は入室する時と同じように彼女を冷やかに一瞥してから立ち去る。

「おう、奴隷。盗み聴きとは良い趣味してるな」

女に続き、部屋から二十歳ほどの青年が半裸のまま出てくる。細いながらも逞しい、鍛えられた肉体は汗ばんでいた。顔には軽薄な笑みが浮かんでいる。

ハーフ「そんなことしていない」

唐突に、青年は彼女の腹を殴る。

彼女は噎せながら、腹を抱えて屈む。更に追撃として、屈んだことで仰向いた後頭部に拳が叩き込まれる。

あまりの衝撃に、彼女は床に崩れ落ちた。

「おいおい。立場を弁えろよ奴隷。愚図でも理解できるだろ? その首輪の意味がよ」

彼女の頭を踏みつけながら、青年は言う。顔には嗜虐心など無く、憐れみもなく、ただ無表情。声音は平坦であった。

彼女はくぐもった声を漏らす。顔は苦痛に歪んでいた。

「勇者殿、それくらいにしておけ」

242: 2012/06/02(土) 21:30:15.52 ID:AVNjZYXv0
後方よりかけられた声に、青年はーー勇者は足を退かす。

勇者「これは、将校様。本日も見目麗しい」

彼は後ろを振り向き、再び軽薄な笑みを浮かべた。

彼の眼前に、正装した王国軍少尉と、その従者の青年が佇んでいた。

少尉「もうすぐ陛下との拝謁の時間だ。貴方もすぐに着替えよ」

勇者「はいはい、分かってますよ」

少尉「それと。女遊びも大概にしておけ。貴方は勅命を授かった者。あまり粗相を働くな」

勇者「あー、はいはい。まあ、俺としては将校さんとも濃密な時間を過ごしてみたいものですがね」

243: 2012/06/02(土) 21:31:18.19 ID:AVNjZYXv0
その言葉に、少尉の後ろに控えていた従者が、少尉の前に出る。腰に差した剣に手をかけ、いつでも臨戦体制に入れる姿勢を取る。その眼には剣よりも鋭い殺意が宿っていた。

少尉「やめろ。下がれ」

彼女の言葉におずおずと従者は下がる。

勇者「……いい部下をお持ちで。俺の所有する木偶と交換して欲しいくらいだ」

少尉「そこの女性はハーフエルフだろう? エルフの血は半分とはいえ、稀少な存在では無いか」

勇者「まあ、魔法を使えるのは助かるんですけどね。色々と手のかかる奴隷ですよ。それじゃあ、俺は着替えてくるんで後ほど」

勇者は部屋の中に戻り、ドアを閉める。

少尉は膝をついている彼女に歩み寄る。

少尉「大丈夫か?」

ハーフ「いつものことだ」

従者「……あいつは最低ですが、貴女も横柄な話し方を直した方が良いのでは無いですか?」

ハーフ「……お前が関わることではない」

244: 2012/06/02(土) 21:34:26.70 ID:AVNjZYXv0
彼女の言葉に従者は顔を曇らせたが、それ以上何も言わなかった。

少尉「私たちが勇者に同行するのだから、これからは、虐げられないだろう。安心すると良い」

ハーフ「……人間の言葉など信じられるか」

そう言って、彼女は身震いする。それは己の体に流れる人間の血を忌む行為だった。彼女は人間としてではなく、エルフとして生きることを己に固く誓っているのだ。

従者「信じてください。少なくとも僕たちのことは。共闘するのですから」

ハーフ「……ふん」

彼の言葉に、ハーフエルフは視線を床に逸らす。これ以上の意思疎通を拒む素振りだった。

少尉「それでは失礼する」

拒絶を汲み取った少尉がそう声をかけて離れて行く。従者もそれに続いた。

二人が場を後にしても、彼女は俯いたままだった。

245: 2012/06/02(土) 21:36:07.97 ID:AVNjZYXv0
ハーフエルフの姿見えなくなったところで少尉は立ち止まり、従者に声をかける。

少尉「あまり好戦的になるな。勇者殿はこれからの戦友だぞ」

従者「申し訳ありません。……しかし、少尉様に不届きを働く者を許すことなどできません」

少尉「気持ちは有難いが、私はお前に対してそのようなことは望んでいない。そもそも私は軍人だ。お前が出張る謂れもない」

従者「……はい。申し訳ありませんでした」

少尉「分かれば良い。行くぞ」

二人は再び歩き出す。

少尉「昨日も言ったが、お前も陛下と拝謁することなっている。粗相の無いようにな」

廊下を歩いたまま、彼女は念を押すように言った。

従者「存じております」

246: 2012/06/02(土) 21:38:27.18 ID:AVNjZYXv0

ーーーーーー
ーーーー
ーー

勇者とハーフエルフ、少尉と従者は荘厳な一室にて傅いていた。弓形の大窓からは陽光が注ぎ、床を照らしていた。

彼らの前には、豪奢な衣装に身を包んだ初老の男。国を統べる王が座していた。

王「久しぶりだな、勇者よ。会うのは数年振りだな。大きくなった」

勇者「有難うございます」

王は勇者の故郷ついて色々と尋ねたりした。礼儀として訊いているような気のない口調で。

王「ーーさて。其方たちを呼び出した理由は既に承知でいよう?」

区切りが良いところで、王は本題に入る。

王「勇者よ。其方の偉力を民の為、人間の為に寄与して欲しいのだ。人類最大の任に当たるという形で」

勇者「はっ。 光栄の極みでございます。尽力を以て、任に当たらせていただきます」

恭しく彼は告げる。

王「うむ。お前は天がお召しになった神の子だからな。必ずや任を果たしてくれると信じている」

王は満足気にうなずき、視線を少尉へと向ける。

247: 2012/06/02(土) 21:40:46.01 ID:AVNjZYXv0
王「少尉。其方の勇名はかねがね耳にしている。女がてらに戦場の最前線を駆け、自身の背丈の数倍もある大剣を振るって、銃や大砲を遙かに凌駕する戦果を残しているとな」

少尉「恐縮でこざいます。しかし、それは些か大仰でございます」

王「そうなのか? しかし、ふむ。話を聞く限りは男にも勝る厳めしい巨躯の持ち主だと思っていたが、随分と可憐で美しいな」

少尉「有難うございます」

王の言葉に仏頂面のまま、彼女は頭を垂れる。

王「其方たち従者も、二人の支援に尽力せよ」

従者「はっ」

ハーフ「……」

王「おや? どうしたのだ?」

勇者「彼女は亞者でありまして。しかし実力は素晴らしいので御安心ください」

無言でいたハーフエルフを訝しんだ王に、勇者はそう説明する。王は合点がいった顔でうなずいた。

王「そうか。ーーそれでは恃んだぞ。災厄の主をーー魔王を討伐するのだ」

ーーーーーー
ーーーー
ーー

248: 2012/06/02(土) 21:41:39.57 ID:AVNjZYXv0
勇者「何黙ってたんだよ。返事するくらい犬でもできるぞ。一々言い訳を考える俺の身にもなれよ」

用意された城の部屋にて、勇者はハーフエルフを足蹴にしながら淡々と語る。

ハーフ「あ、あんな奴に従ってたまるか……」

彼女は床に伏しながら、呻くように言う。更に強く蹴られるかと思ったが、意外にも彼の足が止まった。

勇者「それは同意だな。あんなジジイ、傅くのだって屈辱だ。地位と保身しか考えてねーからな。ま、周りには多くの軍事国。国内にも反乱因子。王朝もそのうち瓦解するんだろうな」

つまらなそうな口調でそう言って。

彼はハーフエルフの腹部に強く蹴りを入れる。

勇者「それと、敬語忘れんな。畜生以下が」

彼女は呻き、胃液を大量に吐き出す。透明な液体だけで、固形物は一切無かった。二日ほど何も口にしていないためだ。

勇者「汚いな。ちゃんと、舐めて掃除しろよ」

彼女の頬を、胃液が散乱した床に押し付けながら、仏頂面で彼は言う。

249: 2012/06/02(土) 21:42:40.56 ID:AVNjZYXv0
勇者「しかし、魔王か。やっぱり強いのかね」

彼女の頬を床にねじ込むように押し付けながら、彼はぼんやりと呟く。

人間は魔物の詳細を把握していない。解っているのは、人間にとって猛毒である瘴気が、魔物には必須であることと、魔物は人間よりも強靭で長命な種が多いことぐらいだ。最近は魔草木に、普通の植物には見られない器官があるのを発見されたりもしたが、未だ謎のままで研究が進められている。

しかし、魔王については幾つかの伝承があった。

かなり昔、魔王と名乗る人型の魔物が、瘴気の境界付近で隆盛していた豪農を一瞬にして虐頃したらしい。真偽は定かで無いが、身に被った損傷が瞬時に治り、一撃で広大な田畑を消し飛ばしたらしい。

伝承の魔物が本物の魔王かは分からないが、相当な実力者ではあるようだ。

勇者「まあでも、極論を言えば、例え世界一強い奴だろうが、魔物なら俺には勝てないんだよ」

ハーフ「だろうな。……でしょうね」

勇者「お、良い子になったな。最初のは見逃してあげるぜ」

勇者は彼女の顔から足を退ける。

勇者「にしても、お前の魔王に対する憎悪には感服するぜ。これだけの暴力を振るわれても、未だ俺に尻尾を振ってるんだから」

ハーフ「奴を頃すまでは氏ねない」

起き上がり、眼を炯炯と光らせて力強くそう口にする。

勇者「ふうん。殊勝だな。お前自身が直接危害を被ったわけでもないのに」

彼はそう褒めて、もう一度彼女の腹を蹴る。

勇者「でも、取り敢えず敬語使おうぜ。それとも、実は暴力振るって欲しくてやってんの?」

250: 2012/06/02(土) 21:44:21.36 ID:AVNjZYXv0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

深夜。

少尉に用意された部屋のドアがノックされた。

規則的な律動で二つ。柔らかくて耳につかない程度の音量だった。

従者「僕です。御時間よろしいでしょうか?」

少尉「ああ。入って良いぞ」

従者「失礼します」

彼は室内に足を踏み入れ、一礼してから彼女の許まで足を運ぶ。

少尉「何の用だ?」

従者「私事なんですが……」

歯切れ悪く用件を切り出す。彼にしては珍しいことだった。

少尉「……何だ?」

平時とは異なった彼の様子に彼女は怪訝な顔で問う。

従者「その、一度外を歩きませんか?」

少尉「別に構わないが」

251: 2012/06/02(土) 21:46:12.58 ID:AVNjZYXv0
手入れの行き届いた庭園には多くの一年草が植えられ、黄、橙、暗赤などで鮮やかに彩られていた。

上空には上弦の月。

今日は輝度が高く、辺り一面の輪郭が細部まで視認できた。

少尉「風がだいぶ冷たいな」

彼女は空を仰ぎながら呟く。

彼女の白い肌と、艶やかな金色の髪にも月光が注ぎ、彼女を透明にする。

透き通るほどの美しさに、従者は目を細めて彼女を見つめていた。

従者「寒いのなら上着を『出し』ましょうか?」

彼の配慮に、彼女は軽くかぶりを振って答える。

少尉「これくらいなら必要ない。それより、どうして外に?」

従者「えーと、……少し歩きましょうか」

少尉「本当にどうしたんだ?」

二人は庭園を歩き始める。いつもは彼女よりも数歩後ろを歩く彼が、今日は彼女と並んでいた。

252: 2012/06/02(土) 21:49:10.40 ID:AVNjZYXv0
従者「少尉様に出会って、もう八年ですね」

少尉「そんなに経ったか。懐かしいな。当時はまだ新兵で、将校にまで昇りつめるとは思いもしなかった」

彼女の母は、彼女が物心もつかない内に亡くなり、傭兵であった父も、彼女が十の齢の時に戦氏した。

生きる為に、貴族の奉公で雑用などを務めて、兵士となり、己の実力一つで、男女の差、貴賎の差を乗り越えて昇進してきた。そして、ある時に従者と出会った。あまり良い出会い方ではなかった。

従者「僕にとって、少尉様は人生の恩人です。生命を救ってくれただけでなく、身寄りを無くした僕を引き取ってくれたのですから。感謝してもしきれません」

少尉「……そうか」

唐突な言葉に、彼女は不機嫌そうな顔をする。戸惑った時に見せる癖だった。

少尉「それで。そんなことを言う為に外に誘ったのか?」

従者「……違います」

呟くように答えて、彼は立ち止まり、空を見上げる。

253: 2012/06/02(土) 21:51:34.76 ID:AVNjZYXv0
従者「月が綺麗ですね」

彼女も同じように再び空を仰ぐ。

少尉「ああ。見事な半円だな」

暫くの間、二人して上弦の月を眺めていた。

やがて、従者が顔を彼女に向ける。目には強い決意があった。

従者「魔王を倒したら、僕と結婚してください」

少尉は、半分の月から彼に視線を移す。

少尉「くだらない冗談を口にするな」

従者「本気です。身分が違うのは知っています。年齢だって五つ違います。それでも、貴女のことを切実に愛しています」

その顔は真剣で、冗談などを口にしていないことを告げていた。

254: 2012/06/02(土) 21:55:40.36 ID:AVNjZYXv0
少尉「……悪いが応えられない。応える資格がない」

従者「そんなこと……」

少尉「有るさ。ーーとにかく、今は魔王討伐のことだけを考えろ。雑念は氏をもたらすぞ」

従者「……分かっています」

少尉「なら良い。私は部屋に戻る。早朝には出発なのだから、早く寝るようにな」

従者「はい。……一つだけ訊かせてください」

立ち去ろうとする彼女に、彼は声をかける。

少尉「何だ?」

立ち止まり、振り返りもせずに彼女は促す。

従者「魔王を討伐した後、もう一度プロポーズしてもよろしいですか?」

長い間を明けて、

少尉「勝手にすればいい」

それだけ言った。

260: 2012/06/07(木) 21:09:03.93 ID:Ev5SG+vp0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

四人は馬車に揺られていた。
二人用の座席が向かい合った型の馬車で、勇者と従者、少尉とハーフエルフが組になって座っている。

勇者「楽しい遠足になりそうだな。日帰りで充分だけど」

愉快そうに彼は言う。

少尉「この任務がいつまで続くかは定かでは無いが、少なくとも日帰りとはいかないだろうな」

勇者「それはどうでしょうね。しかし、魔王の所在はおろか、魔の国の大まかな地図もない。幾ら何でも無謀が過ぎるな」

従者「それでも、魔王を倒さなければいけません。」

勇者「ーーなんで?」

真顔で彼は訊く。従者が驚いて目を剥いた。

従者「……それは人間に害を及ぼす魔物を滅ぼす為、瘴気を地上から消除する為です」

勇者「魔物の被害なんて戦争犠牲者の何千分の一だろ。それに、当然のように皆信じてるけど、魔王を殺せば本当に瘴気は止むのか??都合が良いようにそう思い込んでるだけじゃないのか?」

従者「そ、それはそうですが」

261: 2012/06/07(木) 21:10:41.34 ID:Ev5SG+vp0
少尉「私が答えよう。それが任務だからだ。それ以外にはどのような意義も理由も必要ない」

勇者「おー、カッコいい。流石は軍人様」

茶化す彼を無視して、彼女は続ける。

少尉「それに、貴方は世界で唯一の『破魔』の力を持つ者。魔王を倒すのが貴方の運命のはずだ」

勇者「……運命論はあまり好きじゃないね。そもそも運命って言葉が好きじゃない。そんなもの自分の行いに無責任な奴が吐く言葉だ」

少尉「……」

彼は軽薄な笑みを浮かべたまま続ける。

勇者「それに宗教や神なんて物も気に食わないね。あんなもん、弱者の拠り所に過ぎない」

従者「人間は等しく弱いものでしょう」

勇者「はは、そうだな」

262: 2012/06/07(木) 21:12:18.14 ID:Ev5SG+vp0
馬車が止まる。

少尉「着いたのか」

馬車の扉が開けられる。一面髭面の男が現れる。馬車の運転手だ。

運転手「これ以上は瘴気が濃すぎて、あっしも、馬もダメでさぁ」

彼は疲弊し切った声音で告げる。確かに顔色も優れなかった。

勇者「おいおい、こっちは命を賭して任務に当たってんだぜ? お前も命かけて仕事に取り組めよ」

運転手「な……」

少尉「勇者殿」

少尉は彼の名を呼んで諌める。

勇者は肩を竦めた。

263: 2012/06/07(木) 21:14:20.18 ID:Ev5SG+vp0
勇者「冗談ですよ。お疲れさん」

勇者を先導に、四人は馬車から降りる。

辺り一面、草一つ生えずに荒廃としている。普通植物には瘴気が濃すぎ、魔草木には瘴気が薄すぎるのだ。

運転手「へ、へぇ。あっしはこれで失礼します。御武運の長久を祈ってまさぁ」

勇者「運命は好きじゃないっての。失せろ」

不快な顔を浮かべながらも運転手は一礼する。それから馬を駆って逃げるように去って行った。

勇者「ーーさて」

彼は咳払いして、三人の視線を集める。それから八歩ほど前に歩き、三人の方を振り向いた。

勇者「私から、重大なお知らせがあります。落ち着いて聞いてください」

ひどく芝居がかっていて、三人とも顔をしかめた。

少尉「何だ?」

ハーフ「……?」

264: 2012/06/07(木) 21:15:14.31 ID:Ev5SG+vp0



勇者「俺、魔王倒す気ないから」

265: 2012/06/07(木) 21:18:01.18 ID:Ev5SG+vp0
従者「……は?」

勇者「魔王とか興味ないんだよ。任務を果たすつもりなんて毛頭ないね。大体三人と一匹だけでこんな任務おかしいだろ。氏ねと言われてんのと変わんねーよ」

少尉「……」

勇者「ジジイには反逆者として追われるだろうが、どうせ数年もしない内に内乱が起きて有耶無耶になるさ。ならなければ国外逃亡してもいいしな。あんな耄碌ジジイの戯言で時間の無駄遣いなんてしたくないね。」

ハーフ「ふ、ふざけるな! 何の為に今まで貴様の言い成りになってたと思っている!?」

ハーフエルフは激昂する。しかし、彼は涼しい顔をしたままだった。

勇者「だから契約はお終い。君は俺の奴隷じゃなくなりました。そちらの将校様と一緒に魔王を殺せば良いんじゃない? 将校様は強いと思うぜ」

ハーフ「な……!?」

目を剥く彼女を顧みず、彼は続ける。

勇者「まあ、俺に着いてきたいなら来い。勿論奴隷待遇だけどな。今度は首輪じゃなくて、焼き鏝で『勇者の家畜』とでも烙印を入れるか?」

266: 2012/06/07(木) 21:21:34.69 ID:Ev5SG+vp0
少尉「ーー任を降りるというのは本気か?」

目を瞑りながら、彼女は平坦な口調で問う。

勇者「おう。将校さまも来るか? できれば二人で甘い時を過ごしーー」

彼が言い終わるよりも先に、少尉は動く いた。

人間離れした速度で走りつつも、帯刀していた刃渡り六十程の片手剣を抜き出して、構える。

それを見た勇者も、帯刀していた小剣を抜く。手慣れた動作だったが、彼女の凄まじい速さには及ばず、辛うじて彼女の剣を受け止める体制しか取れない。

鋼と鋼が衝突し、けたたましい金属音が周囲に響く。

勇者は激突の瞬間、後方に大きく跳んだが、彼の小剣は原型を留めないほどにまで砕かれた。

彼の身体は吹き飛び、砂埃を舞い上げながら、やがて止まる。砂塵によって彼の姿は視認できなかったが氏んではいないだろう。

267: 2012/06/07(木) 21:24:22.38 ID:Ev5SG+vp0
少尉「従者、過大剣を『出せ』。裏切り者には断首が似合う」

片手剣を収納しながら、彼女は命令する。

従者「了解しました」

従者は宙に手を伸ばした。

ハーフ「……え?」

ハーフエルフは怪訝な表情で、従者を凝視した。

彼の手首が虚空で消失したからだ。

従者「どうぞ」

彼が腕を引くと、虚空から再び手首が現る。その手には非常に肉厚で、人間の背丈の三倍はあるであろう余りにも大き過ぎる武骨な剣が握られていた。

どんな屈強な男でも到底扱え無いであろうが、彼は平然とした様子で過大剣を片手で持ち、それを少尉に手渡す。

彼女もまた、片手で剣の柄を掴み、構える。

砂塵は上がったままだった。

268: 2012/06/07(木) 21:27:07.96 ID:Ev5SG+vp0
勇者「いってぇな。どうやら、瘴気をエネルギーにできるみたいだな。名付けるなら魔物人間。略して魔人ってな。人間じゃ勝ち目がねーな」

やがて舞い上がった砂埃が晴れ、勇者の姿が見えた。

勇者「だが、だからこそ俺に勝てない。どんな鋼の塊を振り回そうとな」

勇者の背後、肩甲骨と脊椎の中間辺りから、双の不透明な光柱が溢れ出ていた。

正確には、天を穿つような鈍い白色の顆粒の集合体。

例えるならば、光の翼。

少尉「それが、破魔の力か」

勇者「そうそう。それじゃ、食らってみ」

乳白色の翼の一方が、異常に伸長する。伸びながらも大樹の枝の如く別れ、彼女に迫る。

彼女は横に大きく移動して、回避した。

しかし、すぐにもう一方が襲い来る。

269: 2012/06/07(木) 21:28:47.48 ID:Ev5SG+vp0
少尉「く……速いな」

彼女は上に跳ぶ。次の回避方法を無くす悪手であったが、それ以外に方法が無かった。

横から、一陣目の翼が再び彼女を襲う。

少尉「く……」

窮策として、過大剣の腹を盾にする。

勇者「残念だったな」


翼は、過大剣を透過した。


少尉「……っ!?」

透過した翼は彼女の腹を何箇所も貫く。彼女は口から血を零す。

勇者「破魔の力は魔物以外の物質を透過するんだよ。つまり、あんたはやっぱり人間から生まれた魔物ってことだな」

言葉と同時に翼が霧散する。

従者「少尉様!」

勇者「破魔翼を食らったら魔物は即氏すんだよ。何しようと手遅れだ」

270: 2012/06/07(木) 21:31:42.52 ID:Ev5SG+vp0
従者は彼の言葉に一切耳を傾けず、少尉の許に駆け寄って、脈拍と呼吸を確認する。

脈はある。
呼吸も不規則ながらしている。

勇者「あ、生きてんのか。やっぱり完全な魔物ってわけではないんだな」

従者は宙に手を伸ばし、特異空間から、応急処置に使えるものを探す。

勇者「……何だその力?」

ハーフ「……魔法? どうして人間が使える?」

答えず、彼は水筒と消毒液を取り出す。更に清潔なガーゼと包帯を取り出す。

勇者「ふうん。便利な力だ。人間補給庫ってところか。お前は使えないのか?」

ハーフ「無理だ。あんな魔法は初めて見た」

従者「手伝ってください! 手が足りないんです!」

271: 2012/06/07(木) 21:33:35.54 ID:Ev5SG+vp0
衣服に傷は無かったが、腹部に五箇所の刺創があった。白い肌を紅に染める夥しい血のせいで、内部の損傷程度が判断できないが、貫通しているものは無かった。内臓に達しているかは分からない。

従者「圧迫するのに手が足りません! この人を助ける手伝いをしてください!」

勇者「俺がやったのに俺が助けるわけないじゃん。いっそお前も頃してあげようか? 将校様と同じ魔人みたいだしな」

従者「氏ぬつもりなどない! この人も氏なせない!」

ハーフエルフが彼等に近づく。倒れている彼女の許に辿り着くと、呪文を詠唱した。

淡く青白い光が彼女を包む。

ハーフ「内部の傷を治癒させた。後はお前と彼女次第だ」

相変わらず出血していたが、確かにその量は減少していた。

従者「あ、有難うございます!」

再びガーゼを当てて刺創を圧迫する。周辺の肌の色も思慮に入れながら、圧迫する為の包帯を巻く。

272: 2012/06/07(木) 21:35:33.70 ID:Ev5SG+vp0
勇者「……くだらねーな。必氏こいて生に食らいついてろ」
?
そう吐き捨てて、彼は立ち去ろうとする。

ハーフ「待て。私も行く」

彼女は立ち上がり、彼の後を追う。

従者「な……!?」

勇者「ふーん。なら奴隷契約再開な」

ハーフ「ああ」

勇者は彼女の細く柔らかい髪の毛を鷲掴みにして、彼女の顔を己の顔へと近づける。

勇者「敬語」

ハーフ「う……はい」

満足した顔になり、彼は髪の毛を放す。

従者「どうして!?」

ハーフ「私は絶対に魔王を頃す。その為ならどんな苦痛も耐えてやる」

彼女の目には確固たる信念が宿っていた。執念の方が適切だろうか。

それを感じ取った従者は、それ以上何も言えなかった。

勇者「まあ、現時点では倒すつもりなんて全然ないけどな。取り敢えず帰るか」

273: 2012/06/07(木) 21:36:49.40 ID:Ev5SG+vp0


「ダメだよ」



274: 2012/06/07(木) 21:39:08.43 ID:Ev5SG+vp0
勇者の眼前に、突如として何者かが現れた。

勇者「……」

何も言わず、彼は破魔翼を発現して臨戦体制に入る。

突如現れた者は黒いローブに身を包み、フードを深く被っている為、外見は一切分からない。

ただ、その大きさと輪郭の細さは人間の女性に酷似していた。声も女性的な高音だった。

黒ローブ「……貴方の力は魔王に届き得る唯一の刃。だから帰らせるわけにはいかない」

勇者「……よく分からないな。何者だ?」

黒ローブ「何だって良い。どうだって良い。だけど帰らせない」

黒ローブのそれは一歩彼に近づく。

瞬間。

枝分かれした破魔翼が降り注ぐ。

275: 2012/06/07(木) 21:42:36.22 ID:Ev5SG+vp0
しかし、そこに彼女はいなかった。

黒ローブ「後ろいただき」

彼女は勇者の背後に転移して、彼に触れる。

黒ローブ「『転移の呪』。……発動しない?」

勇者「選択的に魔法を無効化できるんだよ」

そう言って、振り返り様に殴ろうとするが、その前に彼女は再び瞬間転移した。

黒ローブ「破魔の力ーー『コア』への強力な抑止力。でも、対処は簡単」

呟きと同時に、手を地面に着ける。すると、彼の周囲の大地が割れた。

勇者「あ?」

黒ローブ「『転移の呪』」

勇者の姿が消える。彼が踏みしめていた大地ごと。後に残ったのは巨大な正方形の穴だけだ。

黒ローブ「土台ごと飛ばせば関係ないよ」

276: 2012/06/07(木) 21:44:06.71 ID:Ev5SG+vp0
ハーフ「……転移魔法。実在したのか」

茫然として呟く。黒ローブが何者かという疑問も忘れて、ただ彼女に見入る。

黒ローブ「そうだよ」

それだけ言って、今度は彼女の背後に瞬間移動して、彼女に触れる。

黒ローブ「貴女は……いや、何でもないよ」

それ以上は何も言わず、彼女のことも飛ばす。

277: 2012/06/07(木) 21:45:52.98 ID:Ev5SG+vp0
従者は、少尉の刺創を圧迫しながら途方に暮れていた。

この状況では勝算は皆無だった。

黒ローブを被った誰かは、立ち止まって二人を凝視するようにしていた。

黒ローブ「……まあ、今は良いか」

そう言い残して、彼女は姿を消した。

従者「……どうすれば良いんだ」

後に残された従者は茫然とした顔で呟いた。

278: 2012/06/07(木) 21:46:50.29 ID:Ev5SG+vp0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

女は黒ローブのフードを外した。

その素顔は大層美しい女性。透き通るような銀髪に、水を弾くであろう瑞々しく白い柔肌。翡翠色の瞳は、他のどのような宝石さえ霞むほどに美しい。

エルフ「ただいま」

魔王「おかえり」

エルフ「『あの子』に会って来たよ」

魔王「……そうか」

彼は神妙な顔で呟く。

魔王「俺が氏ぬ日も近いな」

エルフ「悲しいことを言わないで」

魔王「……すまない。そんなつもりは無かったんだが」

279: 2012/06/07(木) 21:48:26.54 ID:Ev5SG+vp0
魔王は彼女を抱き寄せる。

美しいこの女性を抱けるのは世界で彼だけだ。

口付けを交わす。

彼女の口から甘い吐息が漏れた。

エルフ「ふふ。初めてキスしてくれた時に誓ったことを想い出したよ」

魔王「教えてくれなかった奴か?」

エルフ「うん。とっても大事な誓い」

微笑み、今度は彼女から口付けした。


ーーーーーー
ーーーー
ーー

286: 2012/06/09(土) 20:05:20.21 ID:rliOxREA0
勇者「何処だよここ?」

彼は辺りを見渡す。一面木々に囲まれている場所だった。

見知った針葉樹とは比べ物にならないほど太い幹に、血を連想させる色合いの葉をつけた大木が密集していた。魔草木の一種だ。

彼は正方形の土塊の上に胡座をかいていた。

霞が濃い。瘴気が充満している証拠だ。

彼自身は瘴気を浄化するだけで、瘴気をエネルギーとしては取り出せない。故に人間の枠を超えた運動能力は具有していない。

今いる森そのものが一つの生命であるかのように、熱が立ち込めている。蠢いている。

彼は溜息を吐いた。

瘴気の濃度から推し量るに、現在地は人間の居住地から大分遠いだろう。

287: 2012/06/09(土) 20:06:27.43 ID:rliOxREA0
彼の脳裡には様々な憂慮が浮かんでいた。

生命の危険。

食事。

水。

安全地帯。

病。

そして、何よりーー

勇者「女が抱けねぇ」

彼はもう一度溜息を吐いた。

288: 2012/06/09(土) 20:08:41.51 ID:rliOxREA0
暫くの間、土塊の上に座ったままだったが、やがて立ち上がり、下に降りる。

勇者「どうすっかな」

呑気な口調で彼は言う。

勇者「奴隷もいねーし、意外にヤバイな。暇潰しもできないし。ーーおっと」

彼の眼前に魔物が現れた。

黒い毛に、八本の強靭な脚。鎌状の鋏角に、八個の赤い複眼。彼の二倍はありそうな大蜘蛛だった。

徘徊性の種らしく、移動速度は勇者よりも早い。

勇者「蜘蛛の魔物。食えんのか?」

己を捕食しようとしている魔虫を、しかし彼は食糧としか見ていなかった。

大蜘蛛は彼に接近する。

噛み付き、麻痺毒を注入して身動きを取れなくする。それから消化液で溶かし、体液を貪る。それが大蜘蛛の定まった捕食方法だ。

その為の初動作であった。

289: 2012/06/09(土) 20:12:17.88 ID:rliOxREA0
しかし、それ以降の動作は果たされなかった。

煌めく顆粒の集合体にその身体を八つ裂きにされたからだ。

勇者「んー、問題はどうやって調理するかだな」

破魔翼を消散させて、彼は首をかしげる。

勇者「蜘蛛か。食うのいつ振りかな」

彼は蜘蛛の内臓の一つをを取り出して一口食べる。黄色で人間の足の裏ほどの大きさの内臓だ。

口に含んだ途端、言いようのない生臭さと味蕾を痺れされるような酸味が広がり、顔をしかめた。

勇者「生はやっぱしキツイか。でも火起こすのもメンドいしな」

暫く思考して、結局生で食べることを決めた。

290: 2012/06/09(土) 20:15:21.04 ID:rliOxREA0
彼がハーフエルフと合流したのはそれから、一時間あまり経ってからだった。

ハーフ「……それを食べたのか?」

残骸から彼が蜘蛛を食べたことを推測した彼女は、青褪めた顔で訊く。

勇者「凄え腹減ってたからな。てか、もっと早く来いよ。焼いて食った方が幾分マシだったろうに」

彼女は顔をしかめながら、かぶりを振った。

ハーフ「……いかれてる」

勇者「なんで? 動物が動物を喰う。肉が肉を喰う。生命が生命を喰う。当然のことだろ」

ハーフ「……」

勇者「あと、お前奴隷に戻ったろ? だから敬語使えよ。今は気分が悪いから見逃してやるけど」

そう言って、彼は伸びをした。

勇者「取り敢えず暗いから火点けろ」

291: 2012/06/09(土) 20:21:34.93 ID:rliOxREA0
ハーフエルフの魔力を燃料に火を焚く。薪になりそうな枯れ葉や枯れ枝が無かったからだ。

彼女は勇者と合流する前に、野草を口にしたが、それだけで三日も絶食状態の彼女が満たされるわけが無かった。その上、魔力を継続的に消費している為、彼女は酷く疲弊していた。

勇者「氏にたいか?」

炎を隔たりとして、彼女の向かいにある大木にもたれた勇者が問う。その顔は炎の揺らめきで陰影が色濃く浮かんでいた。

頼りない炎で、一層深さを増した闇。遠くから聞こえる魔物の咆哮。森独特の粘つくような青臭さ。

知的生物の支配力など微塵も無かった。

完全なる自然。絶対的な掟が敷かれた場所。

彼女は首を横に振った。

292: 2012/06/09(土) 20:24:18.12 ID:rliOxREA0
勇者「なら肉を食え。草食動物のエルフは草しか食べないなんて言ってる場合じゃねぇ。特にお前はエルフと獣姦する変態人間の血を受け継いでるグロテスクな雑種だ。動物タンパク質も必要だろうが」

ハーフ「……」

勇者「……ちっ。しょうがねーから暫くはタメ口を赦してやる。だから命令だ。絶対に氏ぬな。不本意だが、魔の国から抜け出すのにお前の力が必要な時なんだよ」

ハーフ「……魔王を頃すまでは氏なない」

勇者「だったら糞を食ってでも生きるつもりでいろ」

ハーフ「貴様は魔の国から脱出するつもりなのだろう?」

勇者「当たり前だろ。ここには女がいねぇ」

ハーフ「ならば無理だ。どうせ魔王を頃すつもりなんて皆無なのだろう?」

勇者「……それでも俺以外には魔王を倒せないだろ」

ハーフ「ーー本当か?」

293: 2012/06/09(土) 20:28:54.10 ID:rliOxREA0
勇者「あ?」

ハーフ「正直、私は貴様に失望した。もしも転移魔法で飛ばされたのが遥か上空だとしたら、今頃貴様の飛び散った内臓や肉は魔物に貪られていただろうな」

更に彼女は続ける。

ハーフ「あの黒いローブに身を包んだ者が魔王だとしたら、貴様に勝ち目があったようには見えなかった。それほどの完敗だった。もはや、貴様の力が絶対的だとは思えない」

彼女は締め括りの言葉として、

ハーフ「貴様の奴隷は止めだ」

そう口にして、首輪を魔法で風化させた。

砂となった首輪は大気に霧散して消えていった。

勇者はゆっくりと立ち上がり、焚火を迂回して彼女の前に立つ。陰でその表情は見えなかった。

それから、彼女の細い首へと手を回し、強く締める。

294: 2012/06/09(土) 20:30:31.98 ID:rliOxREA0
勇者「調子にのるんじゃねーぞ。俺はいつでもお前を殺せるんだ。こんな風にな」

平坦な声音で彼は言う。しかし、締める力は殺意を帯びていた。

呻き声をあげながら、彼女は勇者の腕を掴む。しかし、華奢な彼女の腕では一分たりとも動かせなかった。

勇者は唐突に、彼女の首から手を放す。

辺りには闇が満ちていた。彼女の魔法が生み出していた炎が消えたのだ。

勇者「さっさと点け直せよ」

暫くの間、ハーフエルフは激しく咳き込んでいたが、やがて再び火を起こす。彼の為では無く、自分の為だ。

暫くの間、二人は無言だった。

295: 2012/06/09(土) 20:34:06.63 ID:rliOxREA0
勇者「ーー頃してやるよ」

やがて勇者が言った。伏しがちな瞳には妖しい光が浮かんでいた。それが、炎の揺らめきなのか、それとも彼の感情の具現なのか彼女には判断がつかなかった。

ハーフ「……なに?」

勇者「頃してやるよ。魔王を」

彼は告げる。静かだが、確固とした意思を帯びた声音だった。

勇者「木偶に嘲笑されて流せるほど、俺は寛容じゃない。それに、元々いつかは魔王を頃すつもりでいたんだ。まだ先の予定だったが気が変わった」

彼は本能主体で生きている。故に彼の行動目的は単純だ。欲求を満たす。つまりは彼女に傷つけられた自尊心を満たす。

それだけだ。

勇者「奴隷契約は止めで良い。今からは協力関係だ。魔王を討伐する為のな」

296: 2012/06/09(土) 20:36:16.34 ID:rliOxREA0
彼女は暫く黙考し、

ハーフ「……良いだろう」

小さな声で答えた。

ハーフ「結局、貴様以外に当ては無いんだ」

勇者「……ふん、契約成立だな。俺が主導者で良いだろ」

ハーフ「ああ」

彼女は肯き、

ハーフ「しかし、私には貴様という人間が良く分からない」

不可解な面持ちで呟く。

勇者「そりゃ、お前が木偶だからだ。操り人形には人間様の高次な思想と感情を理解できないだろ」

297: 2012/06/09(土) 20:41:35.81 ID:rliOxREA0
ハーフ「木偶か。確かにエルフは神の操り人形だ。だが、人間も神の操り人形に過ぎないだろう」

神の力を世に現出する為の媒介。それがエルフの存在意義だ。エルフが使用する魔法も神の力を具現化したものの一つに過ぎない。それ故に勇者はエルフを木偶と呼ぶ。

しかし、人間は神が与えた生という運命に弄ばれる操り人形だと、彼女は言う。

勇者「神なんていねーよ。生物の弱さが創り出した物だからな。宗教と同じだ。あれには違う意義もあるが。……待てよ。その意見からいくと、お前はエルフという木偶と人間という木偶から産まれた『木偶の中の木偶』か。すげーな」

ハーフ「ほざいてろ。大体、貴様だって人間よりも上位の存在のように振る舞って、他人を見下して軽蔑してるだろう」

彼女の言葉に勇者の顔から笑みが消える。

勇者「……意外に良く見てるな。やっぱ、端麗な容姿は獣すらも惹きつけるんだな」

ハーフ「阿呆が」

勇者「畜生に言われたくないな。……そもそも、俺の『人間』の定義は種族が人間で、その中でも優秀で、美人な女だけだ。後は畜生だ」

298: 2012/06/09(土) 20:43:10.98 ID:rliOxREA0
ハーフ「偏見と無意味な誇り。貴様は正に人間だな」

彼女は冷淡に言った。しかし、勇者は再び小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

勇者「エルフもそうだったかもしれないだろ。大体、お前が知ってるエルフなんて親ぐらいのくせに。しかも片親だ」

ハーフ「それが何だというんだ」

勇者「知らない物を想像で語ってんじゃねーよ。それこそ人間じゃねーか。お前には人間の血が流れてる。これは紛うことのない事実だ。それを認めないのも人間の血の遺伝じゃねーのか?」

ハーフエルフは彼を睨みつける。しかし、暴力を振るおうとはしなかった。長い間の迫害で、無意識レベルで彼に屈伏しているのだ。

勇者「お前が魔王を殺そうとするのは、自分が被ったわけでもない憎悪の為だろ」

彼女は無言だ。そして、それは肯定だった。

勇者「本来、お前が憎むのは魔王以上に俺で無ければいけねーんだよ。それも分からないからお前は愚図なんだ。先祖が何だってんだ。今を生きてるのはお前だろうが」

彼は若干苛ついたように言った。それから、いつになく喋り過ぎた自分に気付き、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

299: 2012/06/09(土) 20:45:11.10 ID:rliOxREA0
勇者「……俺は寝る。今日はお前が一晩中起きて火を焚いてろ。明日は俺が夜番をする」

ハーフ「……隔日交代か」

勇者「ああ。くれぐれも寝るなよ」

そう念を押して彼は目を閉じる。



ハーフ「こいつは、大層な変わり者だな」

暫くして、眠りに落ちた彼の顔を見て彼女は呟いた。

ハーフ「……どうして魔王がここまで憎いのか、私にも分からない。だが、頭の中から聞こえてくるんだ。『魔王を憎め。殺せ』とな」

300: 2012/06/09(土) 20:48:23.58 ID:rliOxREA0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

「たすけて」

泣きながら少年は懇願する。

十歳くらいの少年だった。

悲鳴が、怒号が、銃声が、嗤いが、響いている。

不協和音。

街中が火に包まれていた。

隣接している小国との戦争。

小国で第二の発展地であるこの街を陥落すれば、殆ど小国を制圧したようなものだった。

敵の兵士は全滅状態。私たちの勝利だ。

301: 2012/06/09(土) 20:51:18.52 ID:rliOxREA0
今行っているのは殆ど略奪行為、及び虐殺。奴隷の収集に、強姦。

無法の地。人間が知恵のある貪欲な獣となる地。集団殺人を許可された地。

それが戦場だ。

「たすけて」

少年の額に穴が空いた。血と脳漿が垂れ流される。

振り向けば、傭兵が笑っていた。

手には最近発明された銃という兵器。王は大仰な信頼を得寄せているらしいが、扱いが難解で、実戦では弩や弓の方が功績をあげている。

「バケモノのくせに躊躇うなよ。やっぱり女に戦場は向いてないぜ」

彼はそう言って笑う。口調は別とした他の者に比べれば、穏やかで紳士的な言い回しだった。

すぐに彼は行ってしまう。未だ頃し足りないらしい。

302: 2012/06/09(土) 20:52:53.27 ID:rliOxREA0
少年から目が離せなかった。

少年だった肉から目が離せなかった。

氏体など飽きるほど見たのに。多くの人間を頃したのに。

従者と始めて出会った時、彼はこの少年と同じくらいの年頃だった。

今回、彼は後衛で待機している。

今の私を見られずにすんで良かった。

今の私はひどい顔をしているだろうから。


事切れている少年の眼窩から、雫が零れた。

ーー何故、この子は殺された?

ーー従者と、この少年の生氏は何処で区別された?

それを皮切りに様々な生氏に対する疑問が沸き起こる。戦場には邪魔なモノだ。

ーー何故、人は人を頃す?

運命だからだ。それ以上は考える必要も無い。

ーー何故、私は人を頃す?

運命だからだ。雑念は消えろ。

ーー何故、人を頃してまで私は生きる?

消えろ。

303: 2012/06/09(土) 20:54:11.10 ID:rliOxREA0
ーー何故、人は生きる?

ーー何故、人は氏ぬ?

ーー何故、私は生きている?

ーー何故、私は氏を躊躇う?

何故??

何故??

何故?

何故?

何故?

知りたくもない。

304: 2012/06/09(土) 20:58:26.34 ID:rliOxREA0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

少尉は目を覚ました。

「目覚めたみたいじゃの」

嗄れた男の声が彼女の鼓膜を揺らす。

彼女は小屋の中にいた。床、壁紙、天井全てが白で統一された清潔感溢れる小屋だ。その清潔感は殺風景ともいえた。

身体を起こそうとすると、激痛が彼女の身体を襲った。整った顔を顰めながら、呻き声を漏らす。

「無理は良くないの。氏んでも可笑しくない状態だったんじゃ。まあ、この小屋は絶対に安全じゃからの。安心して休みなさい」

少尉「貴方は?」

再び横になり、顔を僅かに傾けて彼女は問う。

ドワーフ「ドワーフって種族を知っとるかの? そいつの老いぼれじゃ」

彼女はその種族の名を耳にしたことがあった。

エルフと同じく、魔物でも人間でもない亜人。

長命で、高度な冶金技術や金属加工技術を持っているらしいが、人間の領土では姿を確認されたことがない。伝聞が残っているだけだ。

305: 2012/06/09(土) 21:01:09.40 ID:rliOxREA0
老人は非常に小柄で、彼女の背丈の半分もない。

白髭をたくわえていて、肌には大木の年輪ほどの深い皺が刻まれている。つぶらな青玉のような瞳は彼女を見つめていた。

土に塗れた擦り切れた服を身に着けているが、頭には新品同然の、可愛いらしい花柄を刺繍された白のハットを被っていた。

ドワーフ「うん? この帽子かね? 昔にお姫様から貰ったんじゃ。ハゲ隠しにな」

そう言って老人は愉快げに顔の皺を増やした。

少尉「どうして、人間の言語を? ……いえ、それよりも従者はどこにおられますか?」

ドワーフ「ワシの話は流してしまうんか。あの若造なら、ワシとの交換条件を果たしにいったぞ」

少尉「交換条件?」

彼女はそのまま繰り返す。

ドワーフ「若造が戻って来たら話すわい。しかし、好青年じゃのう。それに余程アンタを好いとるようじゃ」

少尉「……」

306: 2012/06/09(土) 21:02:51.97 ID:rliOxREA0
やがて従者が戻って来た。ひどく疲弊している。擦過傷や咬傷もあった。

従者「戻りました」

ドワーフ「お疲れさん。頼んだモノは?」

彼は特異空間に手を入れて、氏んだ魔物を取り出す。金色の体毛に、凶暴な双角を生やした獅子に似た魔物だ。

ドワーフ「ほほう。本当に仕留めるとはな。まあ、閉まっておけ。それとアンタの主人が目を覚ましたぞ」

従者「え!? 少尉様が!」

彼は疲れも忘れたように、彼女の許に駆け寄る。

従者「良かった! 本当に良かった……!」

彼は涙ぐむ。

少尉「な、泣くな」

久しぶりに見た彼の涙に、彼女は戸惑う。

従者「す、すいません。でも、嬉しくて! あ、お食事の用意をしますね。二日も絶食だったんですから」

少尉「あ、ああ」

307: 2012/06/09(土) 21:05:30.75 ID:rliOxREA0
従者が自在に扱える特異空間は非常に有用だ。

収納できる量は無限に等しい上、彼が片手で持てるモノなら何でも収納できる。

何よりも、異空間内には時間という概念が存在しない。つまり、収納してる間は、物質は時間から開放される。

故に、彼等は数年前にできた料理を新鮮なまま食すことができる。

ドワーフ「人間の食べ物も中々旨いのう」

少尉「お前のその能力は本当に不思議だな。大変助かってるが」

空間から取り出された温かいスープを口にしながら彼女は言う。起き上がることができない為、従者に食べさせて貰っている。最初こそ恥ずかしがっていたが、もう慣れたらしい。

従者「恐縮です。おかわりはたくさん有るので遠慮しないでください。二人なら二年分近くの食糧が有りますし」

少尉「二年、か。多過ぎるな。それよりも私が倒れた後の話を聞かせてくれ」

従者「分かりました」

308: 2012/06/09(土) 21:08:03.41 ID:rliOxREA0
勇者たちと別れてから、一週間が経っていた。最初の五日間、従者は彼女を特異空間に収納して独りで魔の国の樹海を彷徨っていた。

五日目の夜にドワーフの老人と出会い、交換条件の許、色々と協力して貰っている。

彼女達のいる小屋は老人の所有しているもので、携帯できるサイズにまで圧縮できるという人智を超えた技術品だ。

老人が提示した交換条件は、老人が指定した魔族を数体、従者が狩ってくるというものだった。

少尉の記憶が曖昧な為、勇者の能力の概要も話す。それから、突如現れた黒ローブの女のことも。

彼が全て話し終えるまで、彼女は一言も口を挟まずに耳を傾けていた。

309: 2012/06/09(土) 21:10:09.32 ID:rliOxREA0
少尉「黒ローブは何者だ? もしや、魔王本人か?」

従者「いえ、こちらの御尊老が仰るには、魔王は人間の男性に酷似してるらしいです。それが本当なら違うのではないでしょうか」

少尉は小柄な老人に目を遣る。

少尉「魔王をご存知なのですか?」

ドワーフ「まあの。黒ローブの女性についても心当たりはある」

少尉「詳しくお聞かせください」

ドワーフ「断る。アンタらにその資格が有るようには見えんからのう。若造には金獅子を狩ってきて貰ったが、それは安全地帯を提供するという交換条件の許じゃ。教える謂れはないの」

従者「僕も訊ねてみましたが、ずっとこのような状態です」

310: 2012/06/09(土) 21:13:00.83 ID:rliOxREA0
ドワーフ「アンタら、魔王を討とうとしているんじゃって? 止めといた方がええの」

老人は神妙な顔付きで言った。

少尉「氏ぬ覚悟はできております」

一切動じずに彼女は告げる。しかし、老人は呆れたような顔で、肩を竦めただけだった。

ドワーフ「分かっとらんのう。魔王本人には殺されんよ。彼奴は不殺を主義に置いとるからな」

従者「その口振り、魔王と親しいのですか?」

ドワーフ「一時、魔の国と対立してな、戦争寸前までいったんじゃよ。いや、戦争は確かに起きた」

彼は少しだけ昔話を語る。

311: 2012/06/09(土) 21:14:37.30 ID:rliOxREA0
半世紀ほど前に、矮人族と魔族の間で戦争の火種が生まれた。

魔族が、ドワーフが住処としている天を貫く高山の鉱物資源を欲したのだ。

その山では瘴気及び不思議な力を多分に含んだ鉱石が採掘できる。魔族は技術産業発展の為にそれらを必要とした。

しかしドワーフにとって、その山は生活の場であり、神聖な場であった。

利が違えば、対立する。対立すれば、戦争が起きる。

平和的な解決方法を経験したことが無い矮人族にとっては当たり前の流れだった。

しかし魔族は、魔王は違った。

312: 2012/06/09(土) 21:17:51.06 ID:rliOxREA0
戦争に向けて態勢を整えていたドワーフ達の砦に、彼は独りで赴いた。

矮人達は愕然として慄いたが、一斉に彼に襲い掛かった。肉を裂き、突き刺し、骨を砕く。修羅と化していた。

しかし、彼は一切抵抗しなかった。

少しだけ苦痛に顔を歪め、後は全てを受け容れるような穏やかな顔をしていた。

数日も続き、皆が疲弊しはじめた時に彼は言った。

「俺はこの通りのバケモノだ。しかし、だからこそ『暴力を振るわないという暴力』を用いるんだ。ドワーフ達よ。この戦争、俺の勝ちで良いか」

再び、彼に暴力が振るわれた。

313: 2012/06/09(土) 21:23:22.61 ID:rliOxREA0
一ヶ月近く経ち、遂に誰もが武器を降ろした。

矮人達は負けを認めた。無抵抗の者を傷つけることに彼らの心は耐えきれなかったのだ。

しかし、魔族達は矮人領を併合こそしたものの、迫害や不平等な条約を結んだりはしなかった。

様々な分野で提携して、互いに発展し合うことができた。

魔族の産業技術は躍進し、ドワーフの教育や医療も高度化した。

魔族が人間の言葉を公用語として使用する。その言語教育をそのまま流用したから、ドワーフは人間の言語を使うのだ。

今も魔族とドワーフは友好関係にある。

矮人たちは、この出来事を『美しい戦争』と呼んで語り継いでいる。

ドワーフ「ワシは彼奴以上の王を知らん。そして、彼奴を殺そうなどと画策しても徒労に終わるじゃろう」

314: 2012/06/09(土) 21:24:35.13 ID:rliOxREA0
従者「その話が本当なら、聖人ですね」

少尉「どんな人格者であれ、頃すさ。任務だからな」

ドワーフ「ふむ、余程の愛国者じゃな」

少尉「ふん、国や王はどうでも良い。私はーー」

口にして、失言だと思ったのか閉口する。

従者「少尉様……」

沈痛な面持ちで、彼は呟く。彼女は呼び掛けに答えなかった。

315: 2012/06/09(土) 21:34:45.74 ID:rliOxREA0
少尉「しかし、魔物と協力関係なら狩ったりして良いのですか?」

従者「あ! た、確かに」

ドワーフ「ああ、それなら心配要らん」

彼は魔物の概要と、魔族と魔獣などの違いを簡単に説明する。

それから、瘴気のことについても。

従者「魔王を倒しても瘴気は無くならないのですか」

彼は勇者と交わした会話で、その可能性も考えてはいたが、やはり任務に対する気勢は削がれた。

一方、少尉は眉一つ動かさなかった。

316: 2012/06/09(土) 21:36:24.46 ID:rliOxREA0
ドワーフ「アンタらは今後どうするつもりかの? 傷が治るまでは此処に滞在してよいが、その後ワシは帰るぞ」

少尉「魔王の討伐に決まってるだろう。それが任務であることには変わりない」

ドワーフ「所在を知っているのか?」

少尉「それは……」

従者「ーー貴方にお供させてください」

少尉「何勝手なことを……っ!」

身体を起こそうとした少尉が、激痛に苦悶の表情を浮かべる。

従者「無茶をなさらないでください。体に響きますよ」

317: 2012/06/09(土) 21:38:32.54 ID:rliOxREA0
少尉「お前が勝手なことを言うからだ」

顔をしかめた彼女に、従者は穏やかな声音で諭す。

従者「遠回りにはなってしまいますが、先ずは情報収集をするべきです」

少尉「……別に、ドワーフ殿の後を追従することに反対しているわけではない。お前が独断で判断したことについて憤ってるのだ」

従者「……申し訳有りません」

彼は頭を下げる。

少尉「……いや、謝る必要はない。実は八つ当たりに近い。あまり好ましくない夢を見てな」

歯切れ悪く彼女は打ち明ける。

318: 2012/06/09(土) 21:40:13.94 ID:rliOxREA0
ドワーフ「まあ、ついてきてもええぞ。アンタらは相当な手練のようだしのう」

少尉「有難うございます。出発は明日でよろしいです」

従者「もっと養生なさってからの方がよろしいのではないですか?」

少尉「明日には殆ど全快するさ。お前の作った料理も口にしたしな。やはり毎日食べたいくらい美味いな」

そう言って、彼女は笑う。

従者「べ、別に、構いませんが……」

彼は頬を紅くして、はにかんだ。

ドワーフ「普通は逆だと思うんじゃがなぁ」

老人は肩を竦めて呟いた。

ーーーーーー
ーーーー
ーー

319: 2012/06/09(土) 21:42:52.02 ID:rliOxREA0
勇者とハーフエルフは森の中を突き進んでいた。

昨日から森の性質や形態が一変した。

それまでは魔物らしい動植物が多かったが、現在彷徨っている森は彼等が見知っている草木に似た植物で構成されていた。更に動物の数は減り、瘴気も薄くなっていた。

木漏れ日の中、勇者はこの上なく微妙な面持ちで歩みを進めている。

彼はハーフエルフを先導していた。

また、現在彼の肩からは破魔翼が現出している。

そして、その破魔翼を後方にいるハーフエルフに突き刺していた。

彼の善意であった。

320: 2012/06/09(土) 21:45:21.02 ID:rliOxREA0
勇者(これ、人間の国に向かってるよなぁ)

太陽と体内時計で方角を割り出しながら、何となく彼の好きな南へと進んで二週間が経ったが、どうやら魔の国の中心どころか、人間の国に向かってるようだった。

勇者(いや、俺悪くねーよ! だって全く分からないところに飛ばされたんだもん! しょうがねーだろ!)

自身に言い訳しながら、彼は更に前へと進む。

しかし、悪いことばかりでは決して無かった。寧ろ、今の状況ではかなり望ましいとも言えた。

勇者は歩みを進めたまま、後ろを振り向く。

ハーフ「はあ……はあ……」

酷く疲れた顔で息を切らし、若干おぼつかない足取りながらも、ハーフエルフは彼の後に続いている。

勇者(顔色、少しは良くなったか)

勇者は幾分安堵した面持ちになる。

321: 2012/06/09(土) 21:48:01.96 ID:rliOxREA0
ハーフエルフが倒れたのは三日前だった。

確かに魔の国に来てから、彼女の顔色は悪かった。しかし、そのことに気付いてからも勇者は彼女を顧みることなど微塵もなく、ずっと進み続けて来た。

倒れた時も、そこまで心配していなかった。殴って無理やり進ませようとも思った。

しかし、致氏量ともいえる喀血をした時は流石に青褪めた。

すぐに理由に思い至った。

彼女は瘴気を浄化できないのだ。

今までは、人間よりも僅かばかり高い耐性で、しのいできたのだ。

しかし、その限界が訪れた。

勇者は彼女の体内に溜まった瘴気を浄化した。そして、今も常に浄化している。破魔翼を彼女に刺しているのはこの為だ。

しかし、瘴気によって一度破壊された体は直ぐには治らない。彼女の身体は壊れかけていた。

322: 2012/06/09(土) 21:52:46.77 ID:rliOxREA0
勇者(俺もまだまだ未熟だな)

彼は痛切に自身の力量不足を実感していた。

魔物に対するジョーカーでありながら、彼女が瘴気に苦しんでいることに気付かなかったこと。


そしてーー


勇者(こいつ、自分からエルフ族の木偶になっているわけじゃなかった)

彼女には『或る魔法』がかけられていた。『呪縛』の方が適切かもしれない。

おそらくは彼女の親が刻んだのであろう恒常魔法。

魔王に対して、常に憎しみを、殺意を抱くような呪いをかけられていた。本人の人格を蔑ろにするほど強力なものだった。

そのことにも、勇者は破魔翼を彼女に使うまで気付かなかった。

勇者(人形を操っていたのは神じゃなくて親。赤児の頃から脳にかけられちゃ、自分ではどうしようもないわな)

323: 2012/06/09(土) 21:57:54.20 ID:rliOxREA0
ハーフエルフが倒れた。

勇者「おい、大丈夫か?」

顔色からして、極度の疲労の為らしい。血を吐いておらず、少しだけ彼は安心する。しかし、予断を許さぬ状況には変わりなかった。

ここまで来れたのも奇跡みたいなものだった。

勇者「……ちっ」

彼女を背負い、彼は進む。

彼自身も既に満身創痍だった。破魔翼を恒常的に現出するのは相当の負担だ。

よろめきながら、それでも前を目指し続ける。

勇者「……何でこんなに頑張ってんだ? 見捨てりゃいいのに」

しみじみと呟く。

呟いただけだった。

二人は昨日から食糧を口にしていない。破魔翼を戦闘に使えず、追い払うので精一杯だったからだ。

空腹と疲労で半氏半生だった。

324: 2012/06/09(土) 22:00:46.25 ID:rliOxREA0
彼は生に対してはどこまでも実直だ。

泥を啜っても、虫を口にしてでも彼は生きようとする。実際、両親が氏んで、王に破魔の力を見せるまではそうやって生きてきた。

しかし、そんな彼が己に多大な負担をかけているハーフエルフを棄てずに背負っている。余りにも不遇な彼女への同情だけでは無いのかもしれない。

やがて、口を動かすどころか、思考することも止めた。動かしている足は本当に進んでいるのかも分からなくなっていた。

それでも、彼女を背負ったまま、彼は感覚が無くなった足を前に出す。

既に陽は落ち、辺りは暗い。発光する彼の純白の翼のみが明るい。

足は言うまでも無く、手の感覚も腰の感覚も無くなっていた。

それでも彼女を離さなかった。

325: 2012/06/09(土) 22:02:11.51 ID:rliOxREA0
ふと。

瘴気が完全に絶えた。

辿り着いたのは人間の土地よりも遥かに清浄な地。

彼は暫く茫然とした後、彼女を草の上にできるだけ静かに落とし、自分も土に倒れ込む。

ひどく眠かった。

このまま寝たら、永遠に起きれないだろうと自覚しつつも、その誘惑に抗うのは至難だった。

目を瞑る。

しかし、眠らなかった。

眠ることができなかった。

「おーい、ここは立ち入り禁止だぜ」

騒がしい声が上空より聞こえたからだ。

326: 2012/06/09(土) 22:03:51.91 ID:rliOxREA0
彼は何とか体を起こし、声の出処に目を向ける。

青空を、灰色の小鳥が気持ち良さげに飛んでいた。

魔鳥「ここはエルフの森だぜ。さっさと立ち去れ。じゃねーと鳥の巣にするぜ」

勇者「……エルフの森。……なら、こいつは入る資格があるだろ。……エルフの血が流れてるんだからな」

掠れた声で何とか呟く。

魔鳥「ん? その綺麗なねーちゃんは混血なのか? ふむむ。嘘かもしれんけど、綺麗なねーちゃんだから許可してやんよ。特別だぞ特別」

勇者「……鳥が、木偶に、欲情、すんの、かよ」

魔鳥「あん? ムカつくなこんにゃろー。瀕氏のくせに喋りやがって」

しかし、彼は答えずにもう一度体を地に放る。

327: 2012/06/09(土) 22:09:53.69 ID:rliOxREA0
魔鳥「ここで氏なれても困るんだがな」

魔鳥は彼の頭の上に止まる。しかし、彼は気を失っているようで全く反応しない。

魔鳥「……こいつが噂の勇者か。コアへの抵抗力。言うなれば『神のカルマ』とでも呼ぶべき存在かな。今なら簡単に息の根を止めれんな」

ハーフ「……やめて」

魔鳥「お、綺麗なねーちゃん。起きたのかよ」

ハーフ「……その人を殺さないで」

息も絶え絶えに彼女は懇願する。

魔鳥「綺麗なねーちゃんの願いでもそれは無理だな。こいつを生かすと俺の身も危ういんだ」

ハーフ「……お願い。その人を殺さないで」

悲痛な面持ちで彼女は哀願する。

魔鳥「ぐぬぬ。い、いや、無理だ。俺だって氏にたくねーもん」

ハーフ「……お願い」

彼女は涙を零す。

魔鳥「ぐああああ! 分かったよ! 分かっちゃったよ!! 分かってしまったから泣くな! 泣き顔も素敵だけど、多分笑顔の方が万倍も素敵だろ! だから泣くな!」

ハーフ「……ありがとう」

そう涙を目尻に溜めたまま、
彼女は微笑む。それから、また目を瞑った。

魔鳥「泣き笑いなんて反則だろ……」

328: 2012/06/09(土) 22:11:52.65 ID:rliOxREA0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

目醒めた時、勇者の目に映ったのは、彼の顔を覗き込むハーフエルフの顔だった。

薄暗い空間に彼等は居た。

勇者「……ああ、生きてたのか」

ハーフ「貴様こそ」

勇者「俺に氏ぬ要素なんてないだろ。木偶じゃあるまいし」

ハーフ「ふん、それだけ言えれば元気だな」

彼女が平常であることに内心安堵して、彼は更に罵倒する。

勇者「大体、途中で気を失ってんじゃねーぞ愚図。本当にダメな雑種だな」

魔鳥「ゴッドバーーーード!!」

小鳥が、凄まじい速度で彼の額に頭突きを食らわせた。

勇者「ぐあああ!」

彼は余りの痛みに悶絶する。

魔鳥「啄まれなかっただけ感謝しやがれ。綺麗なねーちゃんに向かって、よくそんなことが言えるな。お前が倒れて何日経ったと思う?」

小鳥が激昂しながら捲し立てる。

329: 2012/06/09(土) 22:16:05.45 ID:rliOxREA0
魔鳥「三日だよ、三日! その間、ねーちゃんはお前の看病してたんだぞ。魔法で体を癒したり、体を拭いてやったり、お前の手を祈ったりしてたんだぞ。羨ましい」

ハーフ「お、おい! 言うな!」

彼女は顔を紅くして声を荒げる。

勇者「……はあ?」

勇者は驚く。それと同時に苛立ちを覚えた。

勇者「お前、やっぱ馬鹿だな」

魔鳥「馬鹿って言う奴が馬鹿なんだよ! この馬鹿! デコに穴開けるぞ!」

勇者「うるせーよ。……ちっ」

苛立たしげに立ち上がり、光が射し込む入り口を出る。

久方の太陽光が目に沁みた。振り返れば、余りにも巨大な大樹。今までは瘴気で見えていなかったが、雲を纏っていそうなほどに高い。

今まで寝ていたところは大樹の洞だった。

330: 2012/06/09(土) 22:18:06.20 ID:rliOxREA0
この森には人間の領土よりも圧倒的に清浄な空気が満ちている。

余りにも穏やかで、動きが全くない。

時が止まったようで、世界に独りしかいないようだった。

全ての動物が氏に絶えた後に広がるのはこのような景色なのだろうか。

そんなことを思考しながら、彼は伸びをした。

穏やかな日差しと、爽やかな風が、彼の苛立ちや、その他の感情を消していく。

ハーフエルフが洞から出てきた。

続いて魔鳥も飛び出て、離れた場所まで飛んで行った。森の見廻りに行ったのかもしれない。もしくは餌探しか。

331: 2012/06/09(土) 22:19:29.44 ID:rliOxREA0
勇者「ーーこれからどうするつもりだ?」

彼は碧空を仰ぎながら訊く。

勇者「魔王を倒すつもりはあるのか?」

『頃す』という言葉は穏やかなこの場所には相応しくないように思えて、彼は別の言葉を使った。

ハーフ「……分からない。今まで魔王のことだけを考えていた。魔王への憎しみだけで生きていた」

彼女は途方に暮れた様子で呟く。

ハーフ「でも、今は無いんだ。憎まなければいけないと思っても、微塵も憎悪が湧き上がらない」

勇者「……心変わりしやすい奴だな。『確固とした自分』ってのを持った方が良いんじゃねーの?」

332: 2012/06/09(土) 22:25:21.42 ID:rliOxREA0
ハーフ「ーーならば貴様についていく」

彼女の言葉に勇者は目を剥いた。

勇者「どうしてそうなるんだよ。マジで阿保だな」

ハーフ「貴様の言う通り、私は自分というものがよく分からなくなった。だから、確固たる己を持った貴様の近くにいたいのだ」

それに、と彼女は続ける。

ハーフ「倒れた時、夢を見たのだ。純白の翼が、私の憎悪を薙ぎ払う夢を。温かくて大きな背中に背負われた夢を」

勇者「……ちっ。勝手にしやがれ。どうせ暫くは此処に滞在するつもりだ」

吐き捨てるように呟いて、彼はもう一度洞に戻った。

洞に入る前に立ち止まり、振り返らずに訊く。

勇者「お前は人間なのか? それともエルフなのか?」

彼女は質問の意味が直ぐには理解できなかったのか、目を瞬かせた。それから、微笑みながら断言した。

ハーフ「両方だ」

ーーーーーー
ーーーー
ーー

340: 2012/06/10(日) 19:20:25.14 ID:dSFgh2ey0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

母が私を睨んでいた。

私は母の顔を殆ど憶えてない。

しかし、目の前で笑っている女性は確かに母親だった。

母親は父親に変わった。

酒を呑むと、赤くなって大笑いしていたことを鮮明に憶えている。

しかし、今は修羅の顔で私に怒鳴っていた。

修羅は少年に変わった。

私の目の前で頭に風穴を開けて息絶えた少年だった。

とても哀しい顔で私を見つめてくる。

341: 2012/06/10(日) 19:23:27.26 ID:dSFgh2ey0
少年は拡散して様々な情景となる。

頭の無い氏体。私が斬り落としたものだ。

焼け爛れた肉。臭いまで甦りそうだ。

破壊された街。かつての繁栄は完全に蹂躙されていた。

342: 2012/06/10(日) 19:25:03.22 ID:dSFgh2ey0
女を凌辱する同軍の兵士。

虚ろな目をした捕虜。

瀕氏状態にある自国の兵士。

過大剣を寄贈してくれた鍛冶屋。

凱旋に熱狂した民衆。

共に鍛錬した兵士。

奉公した貴族。

王。

343: 2012/06/10(日) 19:25:41.48 ID:dSFgh2ey0
勇者とハーフエルフ。

全員が私を睨んでいた。

蔑んでいた。

344: 2012/06/10(日) 19:26:40.54 ID:dSFgh2ey0
「殺人鬼」

「バケモノ」

「お前は許されない」

「魔物よりも魔物だな」

「その血塗れの手で他者に触れるのか?」

「お前に幸福なんて有り得ない」

345: 2012/06/10(日) 19:27:19.07 ID:dSFgh2ey0



「たすけて」



346: 2012/06/10(日) 19:28:08.93 ID:dSFgh2ey0
呪詛を聴かなくても知ってるさ。

生きる価値なんてない。

生きる目的なんてない。

頃すことしかできない。

誰も幸せにできない。

幸せになんてなれない。

どうせ、幾許も無い生命だ。

他人よりも少し早く気づいただけ。

いつかは皆が気づくこと。

347: 2012/06/10(日) 19:30:30.61 ID:dSFgh2ey0
「僕と結婚してください」

彼の言葉が浮かび上がる。最近のことにも関わらず、遥か大昔のことに思えた。それに連なって次々と思い出していく。

上限の月。精一杯色を灯した一年草。冷たい風。そして、真剣な彼の瞳。

初めて出逢った時、怯え切っていた瞳は、強い意思を宿すようになっていた。

背丈も随分前に抜かれた。剣の腕ではまだ私の方が上だが、生きている間に越えられるかもしれない。

プロポーズに応える資格は無い。

光満ち溢れる路を往く資格などない。

彼は私の罪そのものだから。

私は彼が最も憎むべき存在だから。

それも運命だ。

348: 2012/06/10(日) 19:35:24.47 ID:dSFgh2ey0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

少尉は目を覚ます。

ドワーフの老人が携帯する小屋の中にいた。

現在は真夜中のようで、辺りは暗闇と森の獣が蠢く気配に包まれている。

隣では従者が安らかな寝息を立てていた。普段は凛とした佇まいだが、今は幼い子供のようだ。

少尉「……っ」

今の彼女にはその顔を見つめることができなかった。

彼女は小屋の扉を開けて外に出る。外の冷たさを帯びた空気を吸いたかった。

霞の果てに、上弦の月が朧に浮かんでいた。

出発から一ヶ月が経っていた。

未だ魔王の所在を掴むことはできずにいる。老人の話によれば、この樹海以外は相当な発展を遂げているらしいが、今のところ彼女たちは広大な樹海以外の場所を見ていない。

349: 2012/06/10(日) 19:48:00.82 ID:dSFgh2ey0
ドワーフの老人が小屋の近くにある大樹の切株に腰掛けて、月見酒をしていた。彼は少尉の存在に気付き、酒の詰まった瓶を投げ渡した。

ドワーフ「イケる口じゃろ。一杯付き合え」

少尉は無言で彼と同じ切株に腰掛け、受け取った酒を飲んだ。

強烈な苦味が口に広がり、彼女は顔をしかめて噎せる。

ドワーフ「ドワーフ族伝統の酒じゃ。初めて飲む者は皆同じような反応をするのう」

老人は愉快そうにうなずく。それから、別の酒瓶を彼女に渡した。

ドワーフ「魔の国で作られとる酒じゃ。これならアンタでも飲めるだろう」

彼女は猜疑の瞳を向けるが、彼は飄々とした態度で再び酒を呷る。

仕方なく彼女は手渡された酒に口をつけた。

程良い苦味と清爽とした後味。初めて口にするような美酒だった。

少尉「美味い」

350: 2012/06/10(日) 19:49:57.94 ID:dSFgh2ey0
ドワーフ「ふふ、ワシの故友もその酒が好きじゃったな。隻腕の偉丈夫じゃった。こうやって、よく酒を酌み交わしたものじゃ」

昔の情景を想い出すように、彼は目を細め、それから自嘲気味な溜息を吐いた。

ドワーフ「いかんな。歳を取ると、昔のことばかり考えてしまう。若い頃は、説教臭い老人と、過去に妄執する老人にだけはなりとうないと思ってたんじゃが」

少尉「そういうものですか」

ドワーフ「ああ。まあ、老い先短い命。少しくらいは許されるじゃろう」

少尉「……」

彼女は無言で酒を口にした。

351: 2012/06/10(日) 19:54:16.73 ID:dSFgh2ey0
老いた矮人は月を仰いだまま彼女に声をかける。

ドワーフ「ーー腹を割って話をしよう。アンタはどうしていつも悲愴な面持ちをしとる? 何がアンタを苦しめとるんじゃ?」

少尉「……浮かない顔をしていましたか?」

老人は半分の月に目に向けながら肯いた。

少尉は暫く沈黙していたが、やがて口を開く。

少尉「……私は軍人です。敵を、人を頃すのが仕事です。実際多くの者を頃してきたし、多くの者が氏ぬのを目にしました」

ドワーフ「人間の世界は物騒じゃのう」

少尉「ええ。多くの者が様々な理由で人を頃します。
国の為、地位の為、愛する者を守る為、金の為、破壊欲動を満たす為。
私も様々な建前で人を頃しました」

そう言ってから、彼女は顔を歪めた。

少尉「しかし、心の底では何一つ理由が無かった。
大義は元より、身近な理由すら私には無かった。
殺さなければ生きられないなら、自分が氏んでも良かった。
そして、どうして私は今も生きているのか、分からないのです」

彼女は声に嘲りを交えながら続ける。

少尉「だが、それも終わりです。私の命はあと一年も経たぬ内に終焉を迎えるでしょう」

352: 2012/06/10(日) 19:56:21.96 ID:dSFgh2ey0
彼女の母親は二十五歳ほどで亡くなった。

母の家系は今でこそ没落したが、昔はそれなりに栄華した貴族の家柄だった。そして瘴気への耐性を持った者が非常に多かった。

瘴気に耐性を持った者は、常軌を逸した戦闘能力を備えている。しかし、その殆どが齢二十五程で亡くなってしまったらしい。

結局、人間は魔物と同じような身体にはなれないようだ。

その話は自身の父親から聞いた。父は結婚前に母から打ち明けられたらしい。それでも母と結婚したらしいが。正直、父親は生まれてくる子のことも考えるべきだった。

彼女もまた瘴気に耐え得る者。
類稀な運動能力を持つ者。
非常に短命であろう者。

少尉「運命です。私に殺された者はそうなる運命だった。私がもうすぐ氏ぬのも運命なのです」

彼女はそう締め括った。

353: 2012/06/10(日) 19:57:19.35 ID:dSFgh2ey0
ドワーフ「……あんた、バカじゃなぁ」

老人は目を細めてしみじみと呟いた。子の愚行を愛おしむ親のような顔だった。

ドワーフ「アンタは本当に人を頃すしか能がないと思っとるのか?」

少尉「ええ」

ドワーフ「ならば、アンタに従っとる若造はそんなアンタを慕っとるのか?」

彼女は一瞬顔を歪めるが、すぐさま平然とした顔に戻る。

少尉「……あいつに私のことなんて分からないでしょう。私のことを盲目的に慕っているだけだ。何一つ理解してない」

ドワーフ「そうかのう」

354: 2012/06/10(日) 20:00:24.05 ID:dSFgh2ey0
ドワーフ「魔王を頃しにいくのは何故じゃ? 魔王を頃したところで瘴気は止まぬことはこの前に話したじゃろ」

少尉「ええ。しかし魔王には昔から関心がありました。いつか会ってみたいと思っていたのです。もしかしたら運命なのかもしれません」

ドワーフ「何でも運命で片付けようとするのはよろしくないのう。まるで恋する乙女じゃ」

少尉「まあ、ある意味ではそうなのかもしれませんね」

そう二人で笑い合った。

上弦の月は二人を照らしていた。

ーーーーーー
ーーーー
ーー

355: 2012/06/10(日) 20:03:32.82 ID:dSFgh2ey0
翌日の夕刻。

従者と老人は野草を摘んでいた。食料のストックが多いに越したことは無いと考えたからだ。

老いた矮人の話では、ドワーフの住まう高山まで間近な処まで迫っているらしい。

少尉は小屋で待機している。剣の手入れでもしているだろう。

ドワーフ「どうしてアンタは食用にできる野草や木の実が分かるんじゃ?」

従者「生まれつきの才能です。異空間を操れるのも生まれつきですが。瘴気を力に変えられるからでしょうか」

ドワーフ「凄いのう。ワシらも瘴気に耐性は有るが、魔物と違ってエネルギーには変換できんからの」

感心したようにうなずいてから、老人は問いかけた。

356: 2012/06/10(日) 20:07:38.76 ID:dSFgh2ey0
ドワーフ「もしもアンタが一年もしない内に氏ぬとしたら、どうする?」

従者「いきなりどうしたんですか?」

ドワーフ「ワシはいつ氏ぬか分からんからな。やりたいことをやっとこうと思ったんじゃ。その参考にしようと思ってのう」

従者「もっと長生きなさりそうですけどね。うーん、やはり少尉様にお仕えしたいですね。参考にはならないでしょうけれど」

ドワーフ「本当に愛してるんじゃのう」

従者「ええ。素敵な方ですから。ーーそれに、あの人はあまりに誠実で優しいですから」

ドワーフ「ほう。詳しく聴きたいのう」

従者「少尉様は運命という言葉を頻繁に使うんですよ。でも、心の中ではその言葉を用いて逃げている自分を自覚しているんです」

野草を摘みながら彼は言う。

従者「そして、そんな自分が許せないんだと思います。故に、自分は幸せになってはいけないと考えているんでしょう」

ドワーフ「……よく分かるのう」

357: 2012/06/10(日) 20:10:17.92 ID:dSFgh2ey0
従者「全部憶測ですよ。好きな人のことは嫌でも考えてしまいますから」

そう言って、彼は照れ臭そうに笑う。

ドワーフ「……彼女を導いてやれよ。アンタが思っとる以上にあの娘は脆いぞ。見守るだけが正しいと思うな」

従者「そう、ですかね」

ドワーフ「それに、彼女が抱えとる苦しみはアンタの推測以上に深い気がするのう。それを掬ってやれるのも、救ってやれるのもアンタだけじゃ」

従者「僕が……」

ドワーフ「ああ。ーーところで、結構集めたんじゃが、これらは食えるかの?」

老人は野草を詰めた袋を従者に見せる。

従者「……ほとんど有毒です」

358: 2012/06/10(日) 20:12:42.23 ID:dSFgh2ey0
今日は終了です。
途中に間隔が空いたのは食事の為です。サーセン。
構想はほぼできあがってるので、これからは投下頻度を上げていきたいです。

371: 2012/06/11(月) 22:02:37.10 ID:0QpdU7Wn0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

魔鳥「元気になったんだから、屑男は出てけよ。ここはエルフの森だぞ」

勇者「うるせーよ。別に良いだろうが。お前だってエルフじゃねーだろ。てか、お前の正体は何だよ?」

魔鳥「黙秘権を行使する」

勇者「畜生にそんな権利有るわけないだろ」

魔鳥「何だと、この下種! ハーフちゃんに今までお前がしてきたことを聞いたぞ。屑の所業だこの鬼畜!」

勇者「奴隷に暴力を振るって何が悪いんだよ。奴隷てのは主人の所有物だぞ」

彼は肩を竦めてそう口にする。

勇者は半年ほど前、奴隷貿易で繁栄している都市を訪れた際に、奴隷商人から彼女を買った。

美しい女であったが、凶暴で調教できない上、それどころかいつ逆襲されるかも分からず、扱いに困っていたらしい。
その結果、破格の値段で買い取った。それでも人間の奴隷の三倍はしたが。

魔鳥「阿保か。人道的に許されるわけないだろ。魔の国じゃとっくの昔に廃止されたわ」

勇者「畜生が倫理を語ってんじゃねーよ。どうせ廃止されたと言っても、名前を変えた奴隷制が蔓延ってるんだろ」

ハーフ「……香草を摘んでくる」

彼女は彼等の口喧嘩に呆れたようで、溜息を吐いて洞から出て行った。若しくは自分のことを話題にされて不快だったのかもしれない。

372: 2012/06/11(月) 22:10:17.00 ID:0QpdU7Wn0
魔鳥は彼女が洞から遠ざかったのを確認して、何故か畏まった。その目は獲物を狙う猛禽類に類するものへと変貌していた。

魔鳥「お前はハーフちゃんに欲情しないのか?」

勇者「いきなり何を言うかと思ったら。欲情するわけねーだろ」

魔鳥「マジかよ。お前、女癖が悪いらしいじゃねーか。どうしてハーフちゃんには手を出さないんだよ。あんな美人を抱くために人間たちは大金を積むと聞いたぞ」

勇者「それは正しい情報だけどな。だが、俺は全うな人間だ。異種族に発情するかよ」

魔鳥「エルフと人間に差異はあまり無いだろ。それにハーフちゃんは半分人間だぞ」

勇者「……それは、そうだが」

勇者は煮え切らない返事をする。彼としては今更彼女を人間と呼ぶのには抵抗があった。

勇者「……外出てくる。」

鳥と顔を合わせているのが気まずくなり、彼は立ち上がり洞を出る。

魔鳥「自慰行為なら森の外でしろよ。汚れるから」

勇者「阿保か」

373: 2012/06/11(月) 22:13:47.18 ID:0QpdU7Wn0
曇り空だった。

勇者の胸中も鉛色だった。

勇者(ハーフエルフ、か)

彼女のことを考える。

どちらでも有るということは、どちらでも無いともいえる。曖昧な存在。

勇者(大体の人間もそうだな)

何処に属しているのか、何を為すのか、誰と分かり合うのか、何故生きるのか、どうして生を受けたのか。

それを把握している人間など皆無だ。理解できていると思っているのはただの勘違いだ。そして、それで良いのだ。

勇者(思考が脱線したな。……あれ? あいつの何を考えてたんだ?)

彼は首を傾げた。

半分は人間で、半分はエルフ。そのことに葛藤するのは彼女だけで充分のはずだ。
彼が熟考する事柄では無かった。

しかし、憂いを帯びた瞳が、風に靡く亜麻色の細い髪が、僅かに人間より大きい耳が、貌の良い唇が、通った鼻筋が、滑らかな顎の輪郭が、透き通るような肌が、華奢な線が、堪らなく彼の裡を埋め尽くす。
彼女以外何も考えられなくする。

彼の足が止まった。

勇者「そうか」

唐突に勇者は気付く。

374: 2012/06/11(月) 22:14:40.74 ID:0QpdU7Wn0



勇者「俺はあいつを抱きたいんだ」




375: 2012/06/11(月) 22:18:26.65 ID:0QpdU7Wn0
口にして、彼は頭を軽く掻き毟りながら嗤う。

勇者「あー、本能完全是認主義を掲げている俺がどうして自分の欲求に気付かなかったんだよ」

今まで、彼はハーフエルフを家畜同然にしか見ていなかった。

彼女は己が人間であることを否定し、純粋な妖人であるかのように振る舞っていたからだ。

それが気に入らなかったし、嘲笑もしていた。

しかし、彼女が人間でも有ろうとするなら話は変わる。

勇者「……気付きたくないって欲求もあったんだな」

意識的に気付かないようにはしていた。しかし、生理的な本能を自覚してしまった今、彼は途方も無く苦しい。

勇者(……考えなけりゃ良かった)

陰鬱な面持ちで吐息を漏らす。それから、憂さ晴らしと食料調達の為に、彼は瘴気に満ちた土地へと向かった。

376: 2012/06/11(月) 22:22:55.69 ID:0QpdU7Wn0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

勇者「持ち帰るのが一番大変だよなぁ」

人間ほどの体長をした怪鳥を引き摺りながら、彼は呟く。欲求は少し解消されたようで、先刻よりは幾分晴れやかな表情だ。

エルフの森に再び戻ると、香草を摘んでいたハーフエルフが彼に気付いて視線を向ける。

ハーフ「……その鳥、未だ生きてるのか」

勇者「おう、気絶させただけだ」

勇者が怪鳥を殺さずにいた。理由は至極単純だった。

勇者「血抜きとか、熟成をしないと味が悪いからな。どうせなら美味い肉が喰いたいだろ」

ハーフエルフは複雑な表情で閉口する。

勇者「お前も手伝え。頃した後に、腐敗しないように冷やせばそれで良い。他のことは俺がやる」

魔鳥「はい、ストップ! お前はエルフの森に魔物を持ち込んだ上、血で汚すつもりなのか!」

小鳥が喧しい声をあげながら、彼らの近くにあった木の枝に降り立つ。

377: 2012/06/11(月) 22:26:19.13 ID:0QpdU7Wn0
勇者「別に良いだろ。俺は勿論、ハーフエルフにも動物タンパク質は必要なんだ」

魔鳥「だとしても、この森を汚すわけにはいかねーんだよ。此処の清浄と秩序を保つのが俺の存在理由だからな」

ハーフ「ーー血は、汚いのか?」

彼女がポツリと呟いた。

魔鳥「え?」

ハーフ「血は大地に還り、植物の糧となる。この森の木々がこうして繁っているのも、血と肉が大地に還ったからだ。それなのに、血は汚いのか?」

詰る口調では無く、素朴に疑問を訊く口振りだった。純粋に答えを求める声音だった。

故に小さな鳥は困惑する。

魔鳥「いや、ほら、その、還るまでが汚いっていうかさ。えっと、その、あー」

彼は返答に窮して、

魔鳥「いいよ、もう。その代わり、ちゃんと埋めろよ」

結局、妥協した。

378: 2012/06/11(月) 22:32:57.03 ID:0QpdU7Wn0
陽が暮れて、二人は大樹の前で火を囲んでいた。

満月の夜であった。

魔鳥はいなかった。この辺りは夜行性の魔物の方が多い為、小さな鳥は夜になるといつも森の見張りに行く。今日も例外ではなかった。

魔鳥を彼女が言い負かした後、勇者は吊るした怪鳥の首にある動脈を破魔翼で裂いて血を抜き、羽を毟った。ハーフエルフは魔法で肉が傷まないように冷やした。

そして、その肉の熟成を待っている内に夜が訪れてしまった。

時間をかけて仕込んだ肉は、勇者が破魔翼で解体した。そしてハーフエルフが採った香草に包んで、串に刺して焼いている。串は木の枝をそのまま用いた。

勇者「そろそろ食えるな」

彼は地に挿していた串を抜いて、一口食べる。

肉の旨味と迸る肉汁に、ハーブの辛味と苦味がアクセントになる。空腹の身体に悦びが伝播していくようだった。

勇者「やっぱ、蜘蛛より美味いな」

ハーフ「それは比較対象がおかしいだろう」

彼女も香草焼きを口にする。少しだけその口許が綻んだ。

379: 2012/06/11(月) 22:43:18.74 ID:0QpdU7Wn0
食事を終えた後骨と内臓を土に埋めてから、勇者は森に流れる小川で水を浴びた。ハーフエルフは彼よりも先に入って洞に戻っていた。

その小川は飲料水としても利用できた。ハーフエルフの魔法で一度殺菌するという手間はかかるのだが。

洗髪には香草から抽出したものを使った。清涼な香りが鼻腔を刺激する。

ーーいつまでここに居れば良い?

髪を洗いながら彼は呟く。

ハーフエルフは彼についていくと言った。だが、彼女の身体が長期間瘴気晒されて保つわけがない。

そして、何よりも『確固たる自分』なんて彼には無かった。

獣として扱い、虐げてきた彼女に対して劣情を抱くような自分に、そんなものが有るようには思えなかった。

自己破壊の欲動に駆られて、勇者は小川のせせらぎの中に身を投げ打つ。感覚器官に冷水が侵入した。このまま、水と同化してしまいたいと彼は考えた。

五分ほど経って、勇者は荒い呼吸をしながら水から首をもたげた。

それから、嗤う。

なんだ、生存欲だけはあるじゃないか、と。

380: 2012/06/11(月) 22:46:13.77 ID:0QpdU7Wn0
ハーフ「遅かったな」

洞に戻ると、漆黒の闇から声をかけられた。目を凝らせば女性の輪郭が朧に浮かんでいた。

彼女はもう眠っていると決めつけていた勇者は目を丸くした。濃い闇の為に表情を見られることがないからか、彼にしてはいつもより大袈裟な反応だった。

勇者「起きてたのか」

ハーフ「考え事をしていた」

曖昧な返事をして、勇者は入口付近に腰を下ろす。

ハーフ「……眠らないのか?」

暫しの沈黙の後、彼女が声をかけた。

勇者「寝るさ。睡眠は重要だ」

しかし、彼は上体を起こしたままで横になろうとはしなかった。

381: 2012/06/11(月) 23:00:05.17 ID:0QpdU7Wn0
再び沈黙が訪れる。静か過ぎて耳が痛い程だった。

やがて、

勇者「俺は魔王を倒す」

彼はポツリと呟いた。

闇の中で彼女の息を呑む音が聞こえた。

ハーフ「……前も言っていたが何故だ? 軍人には倒すつもりがないと言っていただろう」

抑揚のない声で彼女は問う。

勇者「『今は』が入るんだよ。驚かせる為に付けなかったけどな」

ハーフ「半分しか答えてないぞ。何故、魔王を倒すのだ?」

勇者「それが運命だからだ。いや、宿命と言った方が適切か」

彼は破魔翼を現出する。顆粒状の発光体が、月よりも明るく、そして鈍く輝いていた。

洞に満ちた光で彼女の姿が視認できた。昼の雲は何時の間にか彼の心の蟠りと同じように流れていた。

彼女は上体を起こし、彼を見つめていた。その顔はやはり疑問に曇ったままだ。

ハーフ「貴様は運命という言葉は嫌いだと言ってただろう」

勇者「『嫌い』と、『信じない』は違うんだよ。俺は嫌というほど運命を認知してる。そして、俺に宿る運命は『魔を祓うこと』。この翼が何よりの証明だ」

勇者は己の裡から生える翼の末端に触れようとする。しかし、その指先は透過した。

382: 2012/06/11(月) 23:03:23.09 ID:0QpdU7Wn0
ハーフ「私も付いていく」

勇者「それは駄目だ」

勇者は断言する。一切の抗弁を断ち切るように。

勇者「瘴気に耐性もない奴を連れて行っても、足手まといなんだよ」

突き放すように彼は続けた。

ハーフ「……私たちは協力関係だろう」

勇者「それも今日を入れて三日で終わりだ。三日後には旅立つ。道は分からねーが、この俺なら何とかなるだろ」

彼女は立ち上がり、勇者に詰め寄り襟首を掴む。
しかし彼女の激昂に、彼は面倒そうな顔をしただけだった。

ハーフ「どうして、貴様は私を裏切る?」

勇者「さあな。人間の高度な思考を理解できるようになったらもう一度訊きに来れば良い」

彼女が一際大きな音を立てて息を吸う。殴られることを覚悟して、彼は目を瞑った。

しかし、痛みも衝撃も訪れなかった。

383: 2012/06/11(月) 23:04:35.43 ID:0QpdU7Wn0
代わりに、柔らかな温もりとハーブの香気。勇者が使用した洗髪剤と同じ匂いだった。

彼女は勇者に抱きついていた。

ハーフ「私を独りにしないで。貴方が救ってくれたんだから、貴方の側にいさせてよ」

涙声で彼女は懇願する。

勇者「俺、は……」

彼の裡で様々な激情が渦巻いていた。
この弱い女を支配したい。
この脆い女を蹂躙したい。
この美しい女を穢したい。

何よりも、彼女が堪らなく愛おしかった。

384: 2012/06/11(月) 23:10:47.96 ID:0QpdU7Wn0
勇者「ーーお前は此処が一番似合うんだよ。此処で笑ってる姿がな」

切実な言葉だった。
切実な想いだった。

ハーフ「……でも、独りじゃ笑えないよ。貴方が居てくれなきゃ、笑えないよ」

彼女の震えが彼の体に伝わった。
涙声が彼の鼓膜と心を揺さぶった。

彼は慈しむように両腕で彼女を包み込む。

そのまま、優しく押し倒した。

抵抗せずに、彼女は濡れた瞳で勇者を見つめる。

彼女の細く、白い首筋に口付けをする。

彼女は身体を強張らせた。驚きと緊張の為か、呼吸が少し荒くなっていた。

落ち着かせるように、彼女の頭を慰撫する。亜麻色の細い髪は触っているだけで満たされそうなほどに心地良い手触りをしていた。

破魔翼は現出したままで、彼女の肢体と貌に光を射す。

385: 2012/06/11(月) 23:17:46.55 ID:0QpdU7Wn0
やがて身体の強張りが解けた。
彼女は今、頬を紅色に染めて、大きな瞳を固く閉じていた。

髪にも口付けをする。

勇者(正しいのだろうか?)

彼女を抱くことに躊躇い覚える。しかし、その思考はすぐに融解して消失していく。

彼女の全てを知りたかった。
全てを貪りたかった。

勇者(これは、肉欲か?)

確かに、彼女は美しい。実際、彼は欲情しているし、彼の身体はそれを示していた。

だが、彼女が他の男ーー例えば少尉の従者に抱かれていたら、彼は怒り狂うだろう。楽しげに会話するだけでも少なくとも面白い気持ちにはならないだろう。

本当に性愛だけなのだろうか。

勇者(俺はーー)

激情に身を任せて、彼女をタイトに抱き締めた。離れてしまわないように。個になるように。

呼吸ができないくらいに胸が苦しかった。
数多くの女を抱きながら、初めてのことだった。

ハーフ「んっ……」

彼女は少し苦しそうな、されど甘い声を漏らす。

398: 2012/06/17(日) 11:05:27.38 ID:Kbcw7dg80
私が軍人になったばかりのことだった。

私を含めた小隊は或る民家を訪れた。
国土の外れーー魔の国に近しい土地にある寒村の民家だ。

尤も訪問などという穏便なものでは全く無かった。

隊員たちは使命感に高揚としていた。
私も少なからず逆上せていた。

陛下直々の命令の為だった。
それは簡単な任務だった。
そして最低な業務だった。

先ず、その家の主人を手早く捕縛した。服装は質素だったが、何処か気品を感じさせる男だった。

そして、男を人質に妻を頃した。

女は異常な存在だったらしい。
掌から炎を出したり、鉄を腐食させたりできたらしい。

今なら、その面妖な力は魔法だと分かる。
彼女がエルフ、若しくはハーフエルフに類する存在だったことも。

399: 2012/06/17(日) 11:07:59.72 ID:Kbcw7dg80
しかし、夫を人質に取られた彼女は何の抵抗もできなかった。

彼女は美しかった。
その透き通るような美貌は女の私から見ても心惹かれた。

上官を含めた隊員たちはその女を輪姦した。
信じられない事にそれも任務の内容だった。
女を犯し、それを夫に見せつける。
そんな任務だった。

陛下は彼女、若しくはその夫に相当な恨みを抱いていたらしい。

私は夫が暴れないように押さえつけていた。

「頃す。頃してやる」

男は喉が潰れそうなほどに叫んでいた。
修羅の顔だった。

私は正直、見ているものが現実とは思えなかった。

心の大部分は夢見心地だったが、僅かに機能した冷徹の部分で、男を押さえつけるという任務を遂行していた。

400: 2012/06/17(日) 11:09:00.67 ID:Kbcw7dg80
ーーああ、そうか。

夢に出てきた『母』は『彼女』だった。

夢に出てきた『父』の表情は『彼』だった。

今気付いた。

……いや、私の話だ。

お前には関係ない。

関係ないんだ。

401: 2012/06/17(日) 11:11:42.38 ID:Kbcw7dg80
女は虐殺された。
犯されながら、ナイフで解体された。手足をもがれ、割かれた腹から内臓を取り出されていた。

彼女は、その断末魔すら底知れず美しかった。

どの段階で彼女が生き絶えたかは分からないが、最終的に子宮を摘出されていた。

人間というのは、大義と正義の為ならどこまでも凶悪になれるらしい。

悪魔たちーーいや、その残忍性も含めて人間かもしれないーーは、子宮が自分たちの白濁液で穢されている事に歓声をあげていた。

その時は穢された子宮すらも神々しく見えた。

夫は私が頃した。
頸動脈を断った。
一思いに頃してやるのが唯一の救いだと思ったからだ。

その時、私は初めて人間を頃した。
思いの外、呆気ないものだった。

「何故だ。何故なのだ」

彼は慟哭しながら呪詛の言葉を呟いた。
そして事切れた。

402: 2012/06/17(日) 11:16:32.06 ID:Kbcw7dg80
それで終わるはずだった。
私たちは再び軍人としての日常に戻るはずだった。

しかし、民家を後にしようとする私たちの前に魔物が現れた。

この寒村は時折魔物に襲撃されることがあるとは一応は聞いていた。
しかし、そんな微塵の可能性に誰も対魔物用の装備を整えようとはしなかった。

魔物は、狼に似た巨大な獣だった。
ひどく空腹のようで、牙を剥き出しにして私たちを睨んでいた。

あまりの恐ろしさに、私は他の者を残して独りだけ逃げてしまった。

無我夢中で走った。
そして、途中で少年とぶつかった。

女と、私が頃した男に似た顔立ちの少年だ。
それまで私を駆り立てていた恐怖とはまた別の恐怖が私を襲った。

少年は、丁寧に謝罪の言葉を述べていたようだったが、私の耳には入らなかった。

それから少年は血に塗れているであろう民家に向かった。

403: 2012/06/17(日) 11:18:05.44 ID:Kbcw7dg80
暫くの間茫然としていたが、やがて道を引き返した。

少年は玄関の前で尻餅をついていた。扉は開け放れている。

餓狼は肉を貪っていた。
部屋中が血に染まっていた。
『どれ』が『誰』だったのかもう分からなくなっていた。
肉の数が圧倒的に足りなかった。
どうやら狼の糧となったようだ。

壁などにこびりついた肉は少年の両親か、それとも私の仲間か判断がつかなかった。

「たすけて」

少年は誰にとも無く哀願した。

我を忘れて餓狼を斬り伏せた。
恐怖を忘れていた。

呆気ないことに、獣は一撃で絶命した。

404: 2012/06/17(日) 11:19:43.52 ID:Kbcw7dg80
私は少年を引き取った。
任務の対象は二人だけで、その子供には及んで無かった。
尤もあの夫婦に子供がいたと、陛下が存じていなかっただけなのだろうが。

それは贖いであった。
誤魔化しでもあった。
そして慰めであった。

いずれにせよ、決して少年を想ってでは無かった。



……本来は話すつもりなど無かった。

しかし、告げて良かったのかもしれない。

私が氏んだ後に知れば、お前は憎悪の矛先を誰に向ければ良いのか分からず、煩悶することになるからな。

405: 2012/06/17(日) 11:22:12.28 ID:Kbcw7dg80
ーーーーーー
ーーーー
ーー

少尉と従者は矮人が一週間前から住まう集落にいた。

天高く聳える大山の麓に群集していて、背丈の小さい者たちの村だけ有って、建物は精巧だが人間が過ごすには些か小さい住居が殆どだ。

二人は、来訪してきた魔族の為に建てられた宿舎に泊まっていた。大型の種族でも快適なように天井が高く、間取りが広い。

共に行動していた老人は矮人族の長だったらしく、二人は甚く歓迎された。

手厚くもてなされ、最も良い部屋を二つ用意された。
しかし、建物の外には常に見張りが居る。

実質、軟禁状態だった。

そして、二人は今、少尉に充てがわれた部屋にいる。

少尉は人間が座るには大きい椅子に腰掛けていた。

従者は彼女の前に立っていた。

大きな半円筒形の窓から夕陽が射し込んでいる。

彼の顔からは表情が消えていた。
頬には雫が流れている。

406: 2012/06/17(日) 11:27:17.22 ID:Kbcw7dg80
少尉「どうした? お前が聞いたがっていた私の深淵だぞ」

彼女は微笑む。

彼は荒い呼吸をしながら、彼女を睨みつける。身体がわななき、今にも発狂しそうだった。

少尉「お前の母親は魔物に殺されたんじゃない。陵辱の果て、私たちに殺された。父親は私が手にかけた」

彼女は歌うように言った。
呪いのような歌で、彼の心を揺さぶった。

少尉「……お前は悪魔に恋してたんだ」

従者「っ!!」

その言葉に、彼は背を向けて部屋から出て行った。
扉が大音を立てて閉じられる。

少尉「……どうして、そんなにもお前は優しいんだ。お前には私を頃すだけの権利があるのに」

彼女は消え入りそうな声で呟いた。
窓の外は活気に満ちていたが、彼女のいる部屋はどこまでも静謐で冷たかった。

407: 2012/06/17(日) 11:29:35.17 ID:Kbcw7dg80
それから、血を吐いた。

少尉(……私も長くないな。今から此処を出ても、魔王に辿り着くよりも早く氏んでしまうだろう)

冷静に思考しながら、血を腕で拭い、激しい咳を数度した。

勇者の破魔翼で身体を貫かれて以来、体調が優れなかった。

しかし、喀血するようになったのはこの土地に来てからだ。
おそらく平穏な処に来て安心してしまったからだろう。

従者に全てを話したのは、自分の氏期が近いことを悟ったからだ。

少尉「これも、運命か。ーー結局、私は運命に逆らえないのだな」

彼女は自嘲するように呟いた。

「いやー、人間はひっどいことするな」

408: 2012/06/17(日) 11:32:04.11 ID:Kbcw7dg80
少尉「……誰だ?」

部屋の外、扉の前から妙に明るい男の声が聞こえた。

「あー、入って良いすか?」

少尉が沈黙していると、やがて扉が開いた。

「沈黙の肯定ってことで、失礼しまーす。いやー、どうもどうも。皆の大好きな魔王の側近です」

その言葉を受けて、少尉は腰に差した片手剣を抜き、構える。

側近「おー、ストップ。今は戦わねーよ」

側近は両手をあげて、無抵抗を示す。
尚も剣をしまわない彼女に、側近は溜息を吐き、手を上げたまま床に腰を下ろした。

どうやら彼女が血を吐いたことには気付いてないようだ。


409: 2012/06/17(日) 11:36:32.23 ID:Kbcw7dg80
側近「早速本題に入るけど、お前が告げた話、俺たちはとっくに知ってたんだぜ」

彼の言葉に彼女は眉をひそめた。

少尉「どういうことだ」

側近「お前たちが頃したのは、我等がお姫様ーー魔王の娘なんだよ。全く。酷い事するぜ」

彼は大袈裟に肩を竦め、呑気な口調で告げる。

彼女は目を剥いた。

側近「あん? 知らなかったのかよ? 俺たちは憎しみの対象も完全に把握してたってのに」

彼は手を下ろし、呆れた顔で言う。

しかし、彼女は彼が手を下ろしたことにも気付かないほど、茫然自失としていた。

少尉「……何故」

側近「あん?」

少尉の掠れた声に、彼は首を傾げた。

410: 2012/06/17(日) 11:38:18.40 ID:Kbcw7dg80
少尉「何故、娘を殺されて、魔王は人間に復讐をしなかったのだ。 娘を愛していなかったのか」

側近「まさか。魔王もエルフちゃんも娘を深く愛してたぜ。
知ってるか? エルフってのは同族以外の子を産むと、もう子宮が本来の機能を果たさなくなるんだ。
つまり、彼女は大事な一人娘だった訳だ」

笑顔にも関わらず薄ら寒い雰囲気を纏う彼に、彼女は肌が粟立つのを自覚した。

側近は陽気な口調で続ける。

側近「それに俺だって、鬼のオッチャンだって、俺の奥さんだって、ドワーフのジッチャンだって慈しんでたさ。
ジッチャンなんて、未だに貰った花柄の帽子を着けてるんだぜ。似合って無くて笑えるよな。
俺もブレスレットを貰ったんだが、娘にあげた」

少尉「……ならば何故」

側近「そりゃ」

彼は苦笑しながら言った。

側近「復讐は更なる哀しみしか生まないからだろ」

411: 2012/06/17(日) 11:46:05.48 ID:Kbcw7dg80
少尉「……本気で言ってるのか?」

わななきながら、確認する。

側近「魔王がそう言ったんだよ」

少尉「……ふざけるな! そんなの詭弁だ!?綺麗事だ!」

彼女は激昂した。
奥底に抑え込んでいたものが表出したのだ。

少尉「憎悪を! 悲哀を! 絶望を! 感情を理屈で割り切れるわけ無いだろう!」

自分がそのような言葉を叫ぶ権利が無い事は重々承知していた。
見ていたのだ。自分も頃したようなものなのだ。

魔王の英雄譚は何度も老人から聞いた。
故に彼が人格者であることも知っていた。


だからこそーー

少尉「無抵抗が正しいのか! 諦念することが正しいのか! そんな訳無いだろう!?
人間を恨め! 私を恨め! 同じ様に殺せ!」

彼女は慟哭する。

あまりにも優しい者たちの為に。



片手剣を投げ捨て、膝を着いた。

美しい顔は、涙で濡れていた。

412: 2012/06/17(日) 11:49:57.03 ID:Kbcw7dg80
側近は初めて不機嫌な表情を見せた。

側近「……何だよ。お前、やっぱり優しい奴じゃん。嬲り頃してやるつもりだったのに、気勢が削がれちまった」

彼は立ち上がり、膝を着いた少尉を見据える。

側近「ーー集落の外に来い。
心持ちがどうであれ、俺はお前と戦わなければいけない。
そして、お前も罪を感じているなら全力で頃しに来い。
じゃないと意味が無いんだ」

言って、彼は踵を返して立ち去る。

扉が閉まっても、彼女は膝を着いたままだった。

もう一度夥しい血を吐いた。カーペットが変色する。

彼女の負の心を全て吐き出したような黒い血だった。

ーーーーーー
ーーーー
ーー

413: 2012/06/17(日) 11:55:05.78 ID:Kbcw7dg80
「は、初めまして従兄さん。……あれ? もしかして私が伯母なのかな? ……ま、まあ、従兄さんで良いですよね!」

陽が殆ど沈んだ頃、宿舎の裏口の階段に腰掛けて俯いていた青年に、少女が声をかけた。

青年「……何の話をしているのかよく分からないよ」

彼は面を上げて、自分に声をかけた少女に目を向ける。

利発そうな十歳ほどの少女が立っていた。

初対面の少女だった。

可愛らしい人間に似た姿をしていたが、丸みを帯びた尾と獣の耳が生えている。
腕には花柄のブレスレットを着けていた。

魔物であったが、不思議と彼はあまり驚かなかったし、嫌悪感も抱かなかった。
むしろ少女に対して親しい気持ちすらした。

半狐「え、えっと、半狐と言います」

そう名乗って、彼女はおずおずと頭を下げる。

青年「……こんにちは。迷子かな?」

半狐「ち、違います。これでも私は十七歳ですよ」

彼は眉をひそめた。
彼女の見た目は明らかに二次性徴前の人間の少女だったからだ。

青年(発育障害?)

半狐「に、人間と一緒にしないでください! 私は半分しか妖狐の血が流れてませんけど、それでも千年は悠に生きるんですから! 発育障害じゃ有りません!」

少女はやや吊り上がった目を更に吊り上げて憤慨する。

考えていたことを咎められて、彼は困惑するばかりだ。

414: 2012/06/17(日) 11:57:15.78 ID:Kbcw7dg80
少女はハッとした顔になり、沈黙する。
それからばつが悪そうに告げた。

半狐「……えーと、私は読心術が使えるんです。いつもは使わないんですけど、従兄さんのことが知りたくて使っちゃいました。ご、ごめんなさい」

彼は驚いたが、少女が魔物であることを思い出し、納得して肯いた。
それから自嘲的な微笑みを浮かべる。

415: 2012/06/17(日) 12:00:45.98 ID:Kbcw7dg80
青年「……僕の心を読んだの? はは、なら憂鬱な気持ちにさせちゃったね、こっちこそゴメン」

半狐「そんなことないですよ!」

少女は声を大きくしてかぶりを振った。

半狐「全てを把握してる訳では有りませんが、従兄さんが凄く苦しんでるのは分かりました。そして、それが他人の為で有ることも」

彼女は目を潤ませる。

半狐「ずっと会ってみたかった従兄さんが、とても優しい人で良かったです」

深い色をした瞳から大粒の涙を流す彼女に、悩める青年は目を細めた。

他人の心を読める力を持つということは、他人の薄汚い欲望や本音を知ると機会が激増するということだ。

それにも関わらず、こんな素直に泣けるのは優しい者たちに囲まれて育ったということだ。

それだけで自分を『従兄さん』と呼ぶ謎めいた少女に好感が持てた。

愛おしさすら感じた。



そして、この少女なら正解を教えてくれる気がした。

416: 2012/06/17(日) 12:06:28.88 ID:Kbcw7dg80
青年「……僕は、何が正しいのか分からなくなった。自分さえも」

彼はポツリと呟いた。
少尉の話を聞いてから彼はずっとそのことを考えて途方に暮れていた。

青年「僕に答えを教えて欲しい」

半狐は暫く沈黙した後、瞳に強い光を浮かべて言った。

半狐「正解、不正解なんて有りませんよ。大切なのは、正しいと信じることです」

彼は暫く惚けた顔をしていたが、やがて勇ましい顔立ちになる。

青年「信じる。……そうか。そうだよね。そうしないと何も始まらないよね。何を悩んでたんだろう」

彼は立ち上がる。

青年「有り難う。僕は訊かなきゃいけないし、言わなきゃいけないんだ。やっと思い出せたよ」

彼は笑顔で礼を言って、宿舎の中へと駆けた。

半狐「……私も信じるよ。従兄さんも、お父さんも」

その場に取り残された少女は呟いた。

417: 2012/06/17(日) 12:09:05.70 ID:Kbcw7dg80
ーーーーーー
ーーーー
ーー

側近「現王が就任してから百六十年以上経った」

側近と少尉は集落から少し離れた荒野で対峙していた。
宿舎の見張りはいなくなっていた。
側近が追い払ったらしい。

彼らの周囲では篝火が紅く燃えていた。

側近「つまり俺が側近になってから百六十年が経ったわけだ」

彼は自身の両腕を肉厚の刃に変える。
『斬手の呪』と命名された、彼が創作した魔法だ。

側近「様々な奴らと様々な政策を行って、国の発展に全力を尽くしてきた。
特に龍ちゃんの協力はでかかったな。いやー、楽しかった」

少尉も片手剣を抜く。
従者がいない今、彼女の得物は刃渡り六十ほどの片手剣のみであった。

側近「そして、極めて高い文明水準を獲得できた魔の国が最後にめざしたことは何だと思う?」

側近が駆ける。
そして、凄まじい速度で彼女に斬りかかった。

少尉は剣先で弾く。彼の片手を弾いた後、生じた隙を見逃さずに剣を打ち込む。

側近「俺や魔王が権力を手放すことさ。
絶対強者がいつまでも居座ってたら、いなくなった時一気に瓦解しちまうからな」

418: 2012/06/17(日) 12:11:13.21 ID:Kbcw7dg80
金属音が幾度も鳴り響く。

身体能力は魔法で増強しているらしい側近の方が上。
剣術は研鑽を研鑽している少尉の方が上だった。

側近「ようやく権力の分立が終わって、俺も暇ができた。今は奥さんと娘もいて、幸せな日々だ。完全に仕事が無くなった訳じゃないけどな」

彼の両腕と彼女の片手剣が鍔迫り合いになる。

少尉は歯を食いしばっていたが、側近は至って涼しい顔をしていた。

側近「今回、ドワーフの集落を訪れたのはあくまでも私用だ。お前らに会いたくてな。……あいつは良い子に育ったな。流石魔王とエルフちゃんの孫だ」

側近は足を蹴り上げる。

少尉「っ!?」

彼女は横に跳んでそれを避けた。
蹴り上げた足も刃となっていた。

419: 2012/06/17(日) 12:18:54.52 ID:Kbcw7dg80
側近「お、よく躱したな」

彼は足にかけた魔法を解除して、再び斬りかかる。

側近「あーあ。結局、『まほろば』にはできなかったけどな。戦争に比べたら小規模ながらも悲しい事件は無くならないし。まあ、誰もが幸せな世の中なんて誰も幸せじゃないか」

彼は怒涛の連撃を振るう。
型など無い素人の戦い方だったが、圧倒的な身体能力で彼女の剣術を凌駕する。

少尉は完全に圧倒されていた。

側近「しかし、氏ねないってのも可哀想だよな。良い加減頃してやるのも優しさだと思うだろ?」

少尉「ーーっ」

やがて、側近の腕が彼女の胸を貫く。

彼女のたおやかな指先から剣が落ち、乾いた音を立てた。

420: 2012/06/17(日) 12:20:15.69 ID:Kbcw7dg80
側近「何だ、終わりかよ」

つまらなそうに彼は呟いた。

そして、手を引き抜こうとしてーー

側近「……」

抜けなかった。

彼女が傷口で腕を抑え付けているのだ。

彼女は更に一歩前へと踏み出した。
刃が尚更深く刺さっても、彼女は怯まなかった。

少尉「これも、運命だ」

そしてーー

側近「ーーーーっ!!」



彼の心臓を手で抉り出した。

421: 2012/06/17(日) 12:21:59.81 ID:Kbcw7dg80
魔法が解け、正常に戻った彼の手が抜けて、支えを失った少尉は後ろ向きに倒れこむ。

側近「……お見事。これで俺の役割はお終いだな」

大量に汗をかきながらも、彼は口角を上げる。胸は血で紅くなっていた。

青年「少尉様!」

半狐「……お父さん」

二人が駆け寄ってきた。

青年「辛うじて生きてる! でもどうすれば……!」

側近「特異空間にでも突っ込んどけ。魔王、若しくはエルフちゃんなら充分治せるさ」

側近は胸から夥しい血を流しながら言う。

422: 2012/06/17(日) 12:24:37.67 ID:Kbcw7dg80
彼は慌ただしく少尉を『収納』した。

側近「いやぁ半狐、ゴメンな。父さん氏んじゃうから、後の説明よろしくな」

笑いながら、極めて明るい口調で彼は言った。
半氏半生にも関わらず穏やかなのは、痛みを魔法で消している為らしい。

半狐「……お父さん」

彼に歩み寄り、少女は号泣する。

彼は微笑みを浮かべたまま、娘の涙を親指で優しく拭った。

側近「はいはい、お前の大好きなお父さんですよ。……キツネちゃんに、伝えてくれ。『愛してる』ってな。あと、お前はお母さんの分まで巨Oになれよ」

半狐「……バカ」

側近「知ってるよ……」

笑顔のまま、血だまりに彼は倒れる。


423: 2012/06/17(日) 12:25:09.83 ID:Kbcw7dg80



そして、そのまま起き上がることは無かった。



424: 2012/06/17(日) 12:28:44.65 ID:Kbcw7dg80
長い時間が経った。
いや、彼らがそう感じただけで、実際は一分も経ってないのかもしれない。

ドワーフ「……何ということじゃ。まさか、側近が亡くなるとはのう」

気付けば、矮人の族長が彼等の背後に佇んでいた。いつも通り花柄のハットを身に着けている。
その手には武器。
その顔には憎悪。

ドワーフ「アンタらは此処で飼い頃しにする予定だったんじゃが」

族長の老人は自身の背丈ほどの長剣を握っていた。
不思議な形状の剣だった。
炎の揺らめきをそのまま写し取って刃にしたような形だ。

青年は生唾を飲み込んだ。
その武器は鋭さよりも歪な傷口を作ることに特化した武器だった。
つまり、即氏よりも衰弱氏を、氏よりも痛みを与えることを目的としているのだ。

ドワーフ「森の中で貴様を見付けたとき、何か懐かしいものを感じた。しかし、見捨ててしまえば良かったんじゃ。人間なぞ災厄を運ぶ、魔獣よりも下卑た獣じゃ」

老人は一歩彼に近付く。

ドワーフ「人間にお姫様は殺されたんじゃ。あんな純粋に笑う娘を、辱めながら頃すなんて許せん」

彼は波形剣を構える。
目の前で途方に暮れる青年が人間の罪の塊であるかのように。

ドワーフ「人間の背負う業は余りに重い。ワシが少しだけ払ってやろう」

425: 2012/06/17(日) 12:33:40.04 ID:Kbcw7dg80
老人は消えない憎悪と憤怒の熱に浮かされたような覚束ない足取りで、青年に飛び掛かる。

しかし、その剣が振り落とされることは無かった。

ドワーフ「……何故じゃ? 何故庇う!? 此奴はお前の父を頃した人間の仲間じゃぞ!!」

老人は吼える。

青年と老人の間に少女が立ちはだかっていた。
憎しみで振られた剣を阻んでいた。

半狐「私の話を聴いてください」

凛とした声音で言った。

半狐「父の想いを聴いてください」

435: 2012/06/17(日) 19:41:02.49 ID:Kbcw7dg80
ーーーーーー
ーーーー
ーー

勇者は険しい顔つきをしていた。

エルフの森に程近い、瘴気に満ちた森がざわめいていた。
怯えていたのだ。
獣が、樹が、森そのものが。

この森だけで無く、魔の国全域がそうなのであろう。

三日前から強大な力が魔の国に現れた。
おそらく魔王だろう。

国全体がその純粋な力の大きさに怯えているのだ。

しかし、勇者が険しい顔つきをしていたのはその為ではなかった。


彼は破魔の翼を顕現していた。

眼前には獣。

彼が初めて目にする魔物だった。

細長の胴に、蹄のあるしなやかな脚。毛並みは美しい漆黒。
馬によく似ていた。

しかし、突き出た猛々しい角と背に生えた翼が、人間の国に住む生物との一線を画する隔たりだった。

436: 2012/06/17(日) 19:42:55.80 ID:Kbcw7dg80
一角獣?「ガギギ! グギャギャギャ!」

獣がけたたましく啼いた。

勇者「見た目に反してキモい啼き声だな」

言って、彼は翼を振るう。

しかし獣に避けられ、翼は周囲の瘴気を浄化しただけだった。

勇者「ちょこまかと。ウザってー奴だな」

もう一方の翼を振るう。

それも飛んで躱される。

そしてまた一方をーー

437: 2012/06/17(日) 19:46:22.95 ID:Kbcw7dg80
暫くそれを繰り返して、勇者は翼を自身に寄せた。
無闇に振るっても無駄だと悟ったからだ。

そもそも、彼の目的は食料調達である為、奇妙な一角獣に固執する必要もなかった。


勇者は未だエルフの森に滞在していた。

魔王の力が増して以来、自身の中で抑え難いほどに魔王打倒の渇望が昂ぶるのを感じていた。
しかし、ハーフエルフ共にいたいという本能と、理性で何とかそれを組み伏せている。
耐え難い本能を無理やり抑えるのは彼にとって非常に珍しいことだった。

間違い無く勇者は彼女を愛していた。
宿命も、主義もかなぐり捨てる程にまで。
彼は決して認めようとはしないが。

一角獣?「ガギギ!」

攻撃してこない勇者に痺れを切らしたのか、一角獣が突進してきた。
肉体の限界を超えたような凄まじい速度だった。

勇者「っ!」

辛うじて翼を振るう。

その一撃は一角獣の頭を削ぎ落とした。

獣の体が硬直し、痙攣する。

更に翼を叩きつけ、胴を両断した。

438: 2012/06/17(日) 19:49:18.54 ID:Kbcw7dg80
一角獣は動かなくなった。
絶命したらしい。

勇者(何だったんだ、こいつは?)

疑問に思い、勇者は首を捻る。

この獣の行動目的が全く理解できなかった。

本能というのは単純で明快だ。
本能で生きる獣も単純明快だ。

しかし、この獣からは捕食するつもりも敵意も見られなかった。

ただ現れて彼を挑発し、攻撃を避けていただけだ。しかも、肉体の限界を凌駕するような回避方法で。

まるで彼を観察するように。
品定めするように。

勇者(どうでも良いか)

彼は大きく息を吐いて、破魔翼を消した。

瞬間ーー

439: 2012/06/17(日) 19:50:06.38 ID:Kbcw7dg80



混沌「ガギギ!」




440: 2012/06/17(日) 19:52:20.28 ID:Kbcw7dg80
屍体から黒いヘドロのような生物が飛び出した。

それは勇者の口に素早く侵入した。

勇者「がっ!?」

慌てて彼は口の中に手を突っ込むが、既に泥状の生物は喉の奥だった。

破魔の力を顕現するよりも先に、彼は気を失った。


やがて、
倒れた彼の身体は再び起き上がった。

441: 2012/06/17(日) 19:53:18.68 ID:Kbcw7dg80
ーーーーーー
ーーーー
ーー

ハーフエルフは駆けていた。

浄化された森から不浄の森へと。

瘴気への対抗手段も持たないままに。

顔色は蒼白としていた。
しかし、それは瘴気の為ではなかった。

眼には焦燥。そして戦慄。

息を荒げながら走る。

彼の許へ。

442: 2012/06/17(日) 19:54:28.50 ID:Kbcw7dg80
巨大な翼が振るわれていた。
エルフの森からでも見える程に巨大な翼が。

白い翼では無かった。
彼女のよく知る乳白色では無かった。

漆黒の翼だった。
破壊と混沌をもたらす絶対的な黒だった。

辿り着く。

瘴気は浄化されているようだ。

そして、森も破壊されていた。

「ガギ……グギ」

翼の発端はうずくまっていた。
その背中からは黒が止め処無く溢れていた。

ハーフ「……勇者!」

彼女は叫んだ。

443: 2012/06/17(日) 19:59:17.03 ID:Kbcw7dg80
彼の反応は無かった。

ただ、翼が彼女に襲い掛かった。

彼女は大きく横に跳んで何とか回避する。

黒翼は深く地面を穿った。

ハーフ「……魔物にしか効かないんじゃないのか」

自身の足を見ながら呟く。
翼によって大きな傷ができていた。
血が溢れ出す。

彼女は這いずるようにして彼に近付く。

「ガギギ、グギ」

彼の口から悍ましい音が漏れた。

それでも這う。

444: 2012/06/17(日) 20:00:59.71 ID:Kbcw7dg80
再び、翼が襲いかかる。

黒翼は彼女の片腕を無慈悲に破断した。

痛みに絶叫するが、それでも進む。





彼に辿り着いた時、彼女の体は半分以上無くなっていた。

辛うじて胴と腕が一本繋がっているだけだ。
絶命まで数秒も無い。

ハーフ「ゆ……しゃ……」

そして、彼に触れた。

445: 2012/06/17(日) 20:04:11.68 ID:Kbcw7dg80
ーーーーーー
ーーーー
ーー

『オレ』が喰われていた。

喰っているのは『オレ』に似た何か。

そしてそれを『俺』が眺めていた。

喰われているのは肥え太った『オレ』だ。
虚ろな眼差しで喰われていた。

喰っているのは『オレ』に似た姿をした奴だ。
ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべていた。

眺めているのは『俺』だ。
少年の姿。
みすぼらしい服装からまだ泥を啜って生きていた頃だってことは分かった。

「お前も喰われようぜ」

『オレ』は言った。
肥え太った肉は忽ち貪られ、骨が見えていた。
その顔は恍惚としていた。

奴はひたすら喰い続けていた。
もう少し上品に喰えないのだろうか。
咀嚼音が耳に障る。

俺は破魔の力を出そうとするが、出ない。
生来、俺と共にあった翼は失われた。
傍観することしかできない。

446: 2012/06/17(日) 20:05:13.44 ID:Kbcw7dg80
やがて、『オレ』は完全に喰われた。

奴はまだ喰い足りないらしい。

俺に目を付けた。

どうしようもない。

俺は破魔の力が無ければ何もできない。

破魔の力があったからこそ、戦争で孤児になっていた俺は王に拾われた。
俺は今まで魔物を虐殺できた。

しかし、生身ではどうしようもない。

喰われてしまうか。

肥えた『オレ』も気持ち良さそうな顔をしていたし。

まるで交わっている時の女の顔だった。

447: 2012/06/17(日) 20:06:16.35 ID:Kbcw7dg80
ーー女?

飛び掛ってきた俺の姿をした怪物を避けて、考える。

女。

大切な者?

……いや、俺に限って違うか。

愛なんて無いさ。

ーー『愛してる』

448: 2012/06/17(日) 20:07:38.71 ID:Kbcw7dg80
そんなこと、言っただろうか。

もしかしたら行為の途中に成り行きで言ったかもしれない。

しかし、俺は誰も愛したことなんてないはずだ。

結局、自分でさえも甘やかすだけで愛せなかった。

ーー『両方だ』

……誰の言葉だ?

結構、いや、とても大切な意味を持つ言葉だった気がするんだが。

……おかしい。

そんな奴はいないはずだ。

449: 2012/06/17(日) 20:12:32.06 ID:Kbcw7dg80
奴が再び、飛び掛かってくる。
次は躱せなかった。

馬乗りされる。
騎乗位は見下されてるようで好きじゃない。
しかも、野郎だしな。

いや、そんなことよりも大切なことを思い出せ。

暴力。

吐瀉物。

首輪。

奴隷。


首筋を喰われた。
痛みは無かった。

思考再開。

満月。

火。

蜘蛛。


疑問の顔。

綻んだ顔。

香草の匂い。

柔らかな感触。


450: 2012/06/17(日) 20:14:15.35 ID:Kbcw7dg80
ーー独りにしないで。

あ、思い出した。

邪魔だな。
どけよ。

『オレ』も返せ。
あれだって『俺』だろ。

おい、どけって。
喰うなよ。

待ってる奴がいるんだよ。
おい。
おいってば。

451: 2012/06/17(日) 20:15:01.80 ID:Kbcw7dg80
「勇者」

あん?

何でお前が此処にいるんだ?

あ、どけるの手伝ってくれ。
こいつ、重いんだ。

「分かった」

おお、すげー力だな。

「まさに全力だから」

……どういう意味だ?

「そのままの意味」

?おい、また起き上がってきたぞ。

452: 2012/06/17(日) 20:16:15.57 ID:Kbcw7dg80
「何度でも倒せばいい」

何か強気だな。

「失うものは何もないから」

……お前。

「そう、氏んだよ。肉体は。魔力と意識だけ持ってきた。意識も直ぐに無くなるだろうけど」

……俺のせいか?

「私が望んだこと。気にしないで」

……まあ、お前がそう言うなら気にしねーよ。

「また来たよ」

そうだな。
さて、と。
お、出た出た。

「……やはり、翼は白い方が似合う」

453: 2012/06/17(日) 20:17:23.46 ID:Kbcw7dg80
他に何色が有るんだよ。

「黒とか」

それも良いな。

「私の身体は黒翼で消されたけど」

よく分からないが悪かった。
さて、クレイジー野郎は消えろ。

「消えないね」

あー、まあ吸収してやるか。

「そんなことできるのか?」

多分できる。
……ほら、できた。

「凄い」

だろ?

454: 2012/06/17(日) 20:18:19.90 ID:Kbcw7dg80
……あ、意識が遠のいてきた。

「帰る時だね」

お前は?

「此処にいるよ」

……そうか。

「独りじゃないから大丈夫」

むしろ、一つになっちまったけどな。

「貴方となら嬉しいよ」

……あー、はいはい。

ああ、一応言っとくわ。

「何?」

愛してる。

「……私もだよ」

455: 2012/06/17(日) 20:21:15.26 ID:Kbcw7dg80
ーーーーーー
ーーーー
ーー

勇者は眼が覚めた。

体に活力が満ちていた。

起き上がり、周囲を見渡す。
森は原型を留めていなかった。
生物もいなかった。
あらゆるものが破壊され、綯い交ぜにされ、混沌だけが満ちていた。

ハーフエルフの亡骸はどこにも見当たらなかった。

彼は左の翼を展開する。
漆黒の翼だった。

続いて右の翼も。
鈍く光る白の翼だった。

彼は双翼が圧倒的な力を保持していることを自覚した。

彼は己の使命を把握していた。

「待てよ」

456: 2012/06/17(日) 20:24:05.58 ID:Kbcw7dg80
エルフの森を守護している小鳥が彼の許に飛んできた。

魔鳥「……お前は悪い奴じゃねー。でも、俺にはお前を頃す宿命がある」

勇者「見逃してやる。失せろ」

魔鳥「ナメるな。俺だって魔王の分身だ」

勇者「……ふうん。森を保護してたのは魔王だったのか」

魔鳥「お前には関係ない。行くぜ、神のカルマよ」

魔鳥は彼に突撃する。

彼は少しだけ悲しそうな顔をして、白の翼を振るった。

小さな鳥を屠るにはそれで充分だった。

魔鳥「それで良いんだ。……あばよ」

穏やかな声音で呟いて、小鳥は塵になった。

457: 2012/06/17(日) 20:27:22.58 ID:Kbcw7dg80
彼は上空に跳躍する。
およそ陸上生物とは思えない高さまで浮上した後、両翼を無造作に振るった。

それは『羽ばたく』というには余りに稚拙だったが、それでも彼の身体を急激に推進させた。

凄まじい風圧を全身に受けながらも、彼は平然とした顔のまま進んで行く。

空腹も疲労も全く感じていない。
彼の身体からそういった生物的要素が乖離してしまったようだった。

勇者「魔王」

彼は呟く。

己の宿命を。

自分の向かうべき道を。

463: 2012/06/18(月) 20:44:43.36 ID:YeGX2Yi30
ーーーーーー
ーーーー
ーー

青年と半狐は魔獣が牽引する車に揺られていた。
一週間前に、矮人族の長が貸したものだ。

牽引してるのは、品種改良によって従順で穏やかな性質を備えるようになった牛に似た獣だった。
しかし、その毛色は白銀色で、筋骨は大きく隆起していて、角は無い。
非常に力強く、速かった。

矮人族の若者が獣に跨り、手綱を握っている。

魔王の力が、日増しに強まっていくのを青年は感じていた。

半狐「今日の夕方には魔王様のお城に到着すると思います。あと一時間くらいでしょうか」

ポツリと告げた少女に、青年は目を向ける。

人間には無い尾と、人間とは異なった耳があった。
それ以外は彼のよく知る人間と遜色無い。
敢えて挙げるならば、その瞳だろうか。

彼女の瞳は深い色をしている。
それは暗喩だったが、事実かもしれなかった。

464: 2012/06/18(月) 20:47:29.05 ID:YeGX2Yi30
同時に彼女が語った事実、及びそれに関連する事柄が脳裡に浮かんだ。

青年は魔王の孫で有ったこと。

少尉は魔王の娘を頃すのに関わった人間の一人で有ったこと。

少女の父親である側近は魔王の分身であること。
そして、魔王が完全体に戻る為に、彼は心の中で氏を望んでいたこと。
そして、魔王の娘を頃した者との戦いに氏に場所を決めていたこと。

少女がドワーフの集落まで、父親に連れてこられたのは、元々彼の氏後に様々な説明をさせる為だったらしい。

魔王とその妃が、青年に会いたがっていること。

彼女が全てを語り終えた時、矮人族の長は武器を降ろした。
側近の想いと、青年が魔王の孫であることを知ったからだった。

そして、獣車を貸してその日の内に彼らを送り出した。

465: 2012/06/18(月) 20:50:55.08 ID:YeGX2Yi30
共に揺られながら、彼は半狐からたくさんの話を聴いた。

彼女は心が読めるからか、喋るのが非常に巧みだった。

別に読まなくても、対話している相手が望む話題が分かるらしい。

そのおかげで、青年は直ぐに自身が知らなかった境遇を把握できた。
そして、自身が為すべきことについて思考を巡らせた。

他愛のない話もした。

魔の国の珍しい観光地や、珍しい種族。人間にとって未知の科学技術などについてだ。

青年が人間の国のことについて話したりもした。

彼女は興味深そうに聴いていた。

相槌を打つのも上手だった。
彼が望む処で望む反応を返してくれた。

彼女が他者に好感を与えるのが上手いのは当たり前といえば当たり前だった。

だが、同時に物足りなさも感じた。
余りに会話が予定調和過ぎるのだ。
順調に進み過ぎると物事はつまらなく感じるものだ。

彼は、彼女がそのような能力を持つことを不憫に思った。
そして、直後にその思考が彼女にも伝わったことを察して罪悪も感じた。

しかし、彼女は何でもないように振舞った。
きっとそう思われるのも慣れてるのだろう。

466: 2012/06/18(月) 20:52:30.08 ID:YeGX2Yi30
青年「魔王はお年寄りなの?」

半狐「全然。何千年と生きているらしいですけれど、若々しいですよ」

青年「じゃあ、その奥さんは?」

半狐「凄く綺麗なお方ですよ。昔から母と仲が良いそうです」

そのことが自分の栄誉であるかのように、彼女は誇らしげに言う。

その様子に彼は笑みを零してしまう。

半狐「え? わ、私、何か粗相を働きました?」

青年「いや、可愛らしいと思って」

その言葉に彼女は頬を紅くするが、不機嫌そうに少し眉を吊り上げた。

半狐「こ、子供扱いはやめてくださいよ。一つしか違わないんですから」

467: 2012/06/18(月) 20:56:00.00 ID:YeGX2Yi30
青年「ごめん。……しかし、魔王は少尉様を助けてくれるだろうか」

少女に訊くというよりは、消し様がない不安の呟きだった。

半狐「……それは分かりません。おそらく一筋縄では行かないでしょう」

青年「そうだよね」

青年は大きく吐息を漏らした。

青年「しかし、魔王か。先入観で極悪な奴だと決め込んでいたけど、そんなことは無いみたいだね。むしろ聖王と名乗った方が良いかもしれない」

半狐「でも、エルフさんと出会う前は暴虐の限りを尽くしていたようですけどね」

青年「そうなの? 奥さんとの出逢いが大きかったんだ?」

半狐「素敵な方ですからね。冷徹だった魔王様の心を揺さぶったんですよ、きっと」

青年は自身の祖母に当たる人物について想像を巡らす。
しかし母の顔しか思い浮かばなかった。

468: 2012/06/18(月) 20:58:44.73 ID:YeGX2Yi30
半狐「魔王様はエルフさんをまだ私くらいの外見の時から妻にしようとしていたらしいです」

その言葉に彼は眉を吊り上げた。

青年「少女趣味持ちなの? どんな人格者でもそれはちょっと……」

半狐「いえ、エルフさん以外を愛したことは無いらしいですよ。そ、その、む、結ばれたのも大人になってからだそうですし」

少女は後半、少し歯切れ悪く言う。

青年「純愛だね。でも、僕の祖父と祖母の話だとすると余り感動できないね」

半狐「そういうものですか?」

青年「そういうものだよ」

彼は苦笑しながら肯いた。

469: 2012/06/18(月) 20:59:44.83 ID:YeGX2Yi30
半狐「やっぱり従兄さんも巨Oの方が好みですか?」

青年「え? いきなり何?」

半狐「お父さんがよく言っていたんです。『巨Oが嫌いな男なんていない』って」

青年「そ、そう」

半狐「やっぱり従兄さんもですか?」

青年「え、えーと」

470: 2012/06/18(月) 21:02:10.73 ID:YeGX2Yi30
青年「あれ? 読心できるなら質問する必要もないんじゃない?」

半狐「余り使いたくはないんです。心は隔たりがあるからこそ、貴いですから」

彼は感心したように肯いた。

半狐「それでも、つい頼ってしまいがちになるんですけどね」

彼女は恥ずかしそうに頭をかく。
それから神妙な表情で言った。

半狐「しかし、人間とは面妖に生き物ですね」

青年は眉を上げ、怪訝そうな瞳を向けた。

半狐「人間は私たち魔物に比べて短命らしいですね」

青年「そうだね」

半狐「お父さんはよく言ってました。人間と魔族は分かち合えないと。価値観と欲望の深さが絶対的な差異があると。魔王様の『美しい戦争』は人間には通用しないと」

青年「……そうだね」

魔王の用いる『暴力を振るわないという暴力』を人間に行使したところで、勝利できない。
人間は博愛主義者と無抵抗の者は貪ることしかできない。
仮に感化できたとしても、別の者が暴力を振るうだけだ。

471: 2012/06/18(月) 21:08:39.19 ID:YeGX2Yi30
半狐「人間なんて滅んでしまった方が良いとも言ってました。仮に、人間と魔族が同じ地に住んでいたら、どちらかを消さなくてはいかなかったとも」

青年「……人間は弱いよ。しかも、弱いことに開き直って、強くなることを怠けやすいしね」

彼は哀しそうな顔で言った。

車窓からは街が見えた。
青年の住まう国とは比べ物にならないほど、美しい住居が並ぶ街だ。
そして広大だった。

此処に至るまでにも幾つかの街を目にしたが、この規模のものは初見だった。

相当高い山巓からでないと、この街は一望できないだろう。

青年「凄いね。こんな街は初めて見た」

半狐「私が生まれた街です。この街の中央に丘があって、そこに魔王様のお城が有ります」

幅広で、美しく敷かれた道路には絶え間なく獣車が行き交っている。
ちらほらと金属の塊も走行していた。

472: 2012/06/18(月) 21:10:45.35 ID:YeGX2Yi30
歩行者も多い。

トロール。
オーク。
ニンフ。
アラクネ。
デュラハン。
グール。

様々な種族が独りで、若しくは同種族、異種族同士で談話しながら歩いていた。

青年「……幸せそうだね」

半狐「今日は休日ですから。家族で穏やかに過ごしたり、友人や恋人と楽しい時を過ごしたりするのでしょう」

青年「平和だね」

半狐「従兄さんもこの国で暮らしませんか?」

彼女は真剣な顔でそう提案した。

暫く車窓の外の賑やかな風景を眺めながら、しかし彼はかぶりを振った。

青年「今はそんな気にはなれないかな。
魔王の血が流れようと、エルフの血が流れようと、やっぱり僕は人間だ。そして、人間以外の生き方を簡単には選べない」

半狐「そうですか……。しかし、人間は心変わりしやすいものと聞いています。思い直すことがあったら、遠慮せずに来てくださいね」

青年「そうさせてもらうよ」

473: 2012/06/18(月) 21:15:47.37 ID:YeGX2Yi30
半狐「……すいません」

唐突に彼女は頭を下げる。

半狐「一つだけ、魔王様について内緒にしていることが有るんです」

青年「何?」

半狐「言えません。重大なことでは無いような気もしますが、お父さんとの約束ですから。でも、秘密にしてることくらいは言っておこうと思って」

彼女は申し訳なさそうな顔で、もう一度頭を下げた。

半狐「むしろ困惑させちゃいましたよね。ごめんなさい」

青年「良いよ。僕からしたら半狐ちゃんは優し過ぎるよ」

半狐「……有難うございます。でも従兄さんも優しいですよ」

そう言って、やはり彼女は頭を下げた。

彼は気まずさを感じて車窓に再び目を向けた。


474: 2012/06/18(月) 21:19:26.09 ID:YeGX2Yi30
ーーーー空を何かが横切った。

青年「……え?」

青年は空を仰ぎながら素っ頓狂な声を出した。

瞬きした次の瞬間にはもう跡形も無くなっている。

しかし、彼はそれを僅かの時間視認できた。

それは黒い翼と白い翼を生やしていた。


答えを求めるように、視線を少女に向ける。

しかし、少女もまた放心したように空を見ていた。

街の住民たちも一様に空を見上げていた。

青年「今のは……」

半孤「……分かりません」

青年「……行けば分かるか」

彼らは進んで行く。


終わりは近かった。

475: 2012/06/18(月) 21:24:59.06 ID:YeGX2Yi30
ーーーーーー
ーーーー
ーー

勇者は地に降り立った。

大地を踏みしめるのは四日ぶりだった。

「今宵は上弦の月だな。今は夕陽を楽しむ時間だが」

魔王の住まう城の前だった。

「ふむ、混沌は再びこの地に来たか。しかも、今回は破魔の者同伴で」

男は独りで青々と茂った芝生の上に佇んでいた。

若い優男だった。
しかし、彼の纏う雰囲気は尋常では無かった。
自身が魔王だと、万人に気付かせるほどに。


勇者「魔王よ、初めまして」

彼は恭しく頭を下げる。

魔王「礼儀正しいな。勇者よ」

魔を統べる男は微笑んだ。

476: 2012/06/18(月) 21:28:09.54 ID:YeGX2Yi30
勇者「王は城の中にいるのが普通では?」

魔王「大切な者が城にいるのだ。城内で戦うわけにはいかない」

勇者「ほう? 興味深い」

魔王「気にするな。お前が倒さなければいけないのはあくまでも『魔王』のはずだ」

勇者「……まあ、良いさ。俺だってこんなに立派な城を壊すのは心苦しいしな」

魔王「ふふ。ーーしかし、長いこと離れていたせいか、俺の力なのに中々体に馴染まない。お陰で、多くの者を恐怖させてしまっている」

勇者「あの、クソうるさい鳥公か」

魔王「ああ、奴もだ。さて、無駄話は終わりにしようか」

勇者「話が早くて助かる」

477: 2012/06/18(月) 21:30:49.95 ID:YeGX2Yi30
勇者は左方の黒翼で彼のいる地点を薙いだ。
芝生が消し飛び、褐色の土が剥き出しになる。

魔王の姿は無かった。

魔王「魔鳥はお前の存在を知った時に、お前を『神のカルマ』と呼んだ。しかし、それは誤りだろう。明らかに業を背負っているのは俺だ」

魔王は最初の地点の僅か上空にいた。

魔王「俺が業。そうすると、お前はそれを払う経だな」

魔王は紫電を放つ。
雷の線は幾重にも重なり、収束して、無慈悲の槍となる。

勇者「そんなこと、どうでもいいだろ」

雷槍を、勇者は容易く純白の翼で払った。

その間に、魔王は再び元の位置に転移する。

魔王「それもそうだ」

勇者は黒翼を地を伝うようにして、魔王へと向かわせる。

478: 2012/06/18(月) 21:33:47.65 ID:YeGX2Yi30
魔王「なあ、勇者よ。お前はどうして戦う」

魔王は自身の脚力で横に動き、躱す。
魔法で異常なまでに肉体を強化しているらしく、およそ生物とは思えない速度だった。

勇者「宿命だよ。生きることに疑問を持つ奴はいないだろ。持ったところで結局は生きるんだ。それと同じだよ」

腱が断裂する音が響いた。
魔王の体は魔法での肉体増強で多大な過負荷がかかっているらしい。
尤も、千切れた先から修復されているが。

魔王は地面より無数の土の杭を生み出し、勇者の身体を穿とうとする。

勇者「逆に訊くが、それだけの力が有ってどうして世界の半分で満足している? お前も瘴気無いところでは生きられない、若しくは弱体化するのか」

右方の白翼を盾にして土杭を防ぐ。
両の翼はどのような形状にもなるらしい。
杭は只の土に戻る。

魔王「そんなことは無いさ。人間を狙わないのは彼奴らを統治したら、業務に忙殺されるからだ。暇は大切だからな」

479: 2012/06/18(月) 21:36:17.38 ID:YeGX2Yi30
魔王は勇者のいる地点に小規模の爆発を起こす。
更に、巨大な火球を放った。

勇者「暇も必要だが、刺激がないのはつまんねーだろ」

勇者はやはり翼で防ぐ。
体には塵一つ付着していなかった。

勇者は反撃として、両翼を打ち込んだ。
幾多にも細かく枝分かれした白と黒は、魔王へと一直線に伸びる。

魔王「大昔は俺もそう考えていた。しかし、不老不氏だと価値観が変わるんだ。
刹那の享楽など要らなくなる。人間はそれを求めるあまりに、他の全てを蔑ろにする嫌いがあるな」

しかし、魔王は勇者の背後に転移した。
手を伸ばせば届く距離まで。

魔王「終わりか。勇者も呆気ないものだな」

勇者「終わるのはお前だ」

魔王「っ!?」

480: 2012/06/18(月) 21:38:17.37 ID:YeGX2Yi30
魔王は大きく後方に跳ぶ。
肩口から出血していた。

勇者は新たに白黒二対の翼を顕現させた。
翼は上下と左右で色が違い合っている。

小さな四枚の翼は瞬く間に巨大化し、最初の一対と同等のサイズにまで肥大した。

勇者「人間は刹那に価値を見出すから進化を続けるんだ」

魔王の肩口の傷は修復されない。
血は何とか凝固したが、傷口は開いたままだった。

魔王「……霊的損傷の極致。やはりお前は、俺の命に届き得る唯一の刃だ」

勇者は四枚の翼を振るう。
更に残りの二枚は迎撃態勢に入っていた。

魔王は紙一重で回避し続ける。
魔法で感覚を研ぎ澄ましていたが、それでも反撃の機会を見出せずにいた。

481: 2012/06/18(月) 21:41:02.56 ID:YeGX2Yi30
勇者「なあ、魔の王様。
俺は愛なんて存在しないと思ってたけどさ。
そんなことは無かったよ。
今じゃ生きる上でこれほど大切なものは無いとすら思える」

勇者の翼が、魔王の頬を掠めた。
流れ出た血は直ぐに止まるが、傷は修復されない。

しかし、魔王は涼しい顔をしていた。

魔王「そうだな。全く持って同意だ」

魔王は勇者へと駆け出す。
迫った翼爪を掴み、捻じ曲げた。

勇者「な!?」

魔王「損傷を受けて、ようやく身体が危機感を示したらしい。力も馴染んだ。もう小手先の攻撃は効かん」

魔王は更に突き進む。

勇者は一瞬逡巡して、自身も前へと足を踏み出す。

482: 2012/06/18(月) 21:42:47.37 ID:YeGX2Yi30
激突する。

閃光が走り、直後に翼が粉砕した。

双方の体が吹き飛ぶ。

丘が割れていた。

街と城に被害が無かったのは奇蹟だ。

483: 2012/06/18(月) 21:44:24.82 ID:YeGX2Yi30
起き上がったのは魔王だった。
翼による損傷以外は修復されていて、新しい傷は脇腹が多少抉られた程度だった。

勇者は倒れたままだった。
混沌を内包することで肉体も強靭になっていたが、今の激突に耐え得る強度には達していなかった。

魔王「勝ち、か。七割のままでは負けていたな」

脇腹の傷を見て呟く。
その傷に何処か懐かしさを覚えた。

魔王「やはり、人間は蟻と変わらんか」



勇者「舐めん、なよ……」

484: 2012/06/18(月) 21:46:48.33 ID:YeGX2Yi30
六枚の翼が再び現れた。

魔王「ーー未だ戦えるか。今の発言は撤回しよう。お前は俺と同等だ」

勇者「そりゃ……どうも……」

勇者は翼を天高く振り上げる。

柱のような翼は散って、夥しい羽へと変貌した。

空が光の羽で埋まっていた。

勇者「氏力……だ。民が、大事なら、逃げるな……」

白と黒は雪のように降り落ちてくる。

街に降れば、全ての平穏が虚無に還るのが分かった。

魔王「逃げんさ。勇者、お前の全力を受けてやる」

翼が、魔王の肩に落ちる。


瞬間。


炸裂した。

夥しい羽から幾多もの樹状突起が飛び出す。
それらは互いに繋がり、連なり、一つになった。

485: 2012/06/18(月) 21:47:53.60 ID:YeGX2Yi30
それは華だった。

それは樹だった。

それは光だった。

それは螺旋だった。

それは柱だった。

それは月だった。

それは蛇だった。

それは生命だった。

それは世界だった。


そして、それは『彼』であった。

そして、『彼女』でもあった。

486: 2012/06/18(月) 21:49:12.40 ID:YeGX2Yi30

全ての羽が同時に姿を消した時、
勇者の体は細かな粒子になり、
世界へと還元されていた。




487: 2012/06/18(月) 21:49:48.03 ID:YeGX2Yi30



そして、『魔王』も消えた。



496: 2012/06/19(火) 17:15:37.72 ID:DQQZc2Un0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

王城近辺に謎の翼が現れ、城下の街は急遽として厳戒態勢を敷かれた。

その結果、誰独りとして城を向かう者はいなかった。

彼等を除けば。


青年と半狐は薄闇の路を走っていた。
駆けているのは、弧を描いた細路地だった。

白と黒の翼が振るわれ始めてから、獣車を降り、こうして走っている。

途中に老舗のケーキ屋や喫茶店などがあったが、二人は目もくれなかった。

青年は不審と焦燥の気持ちに駆られていた。
あれ程に自己顕示していた魔王の力が消失したのだ。

半狐「この通りを抜ければ、魔王様の城へと続く丘に着きます!」

少女は若干息を上げながら叫んだ。
彼女の顔にもやはり焦燥が滲んでいた。

497: 2012/06/19(火) 17:18:08.97 ID:DQQZc2Un0
路地を抜けて、眺望が開けた時、広がっているのは荒土だった。

「ーー来たか」

そこに男は佇んでいた。
上弦の月を眺めていたらしい。

青年「……貴方が魔王か?」

「違う、と言っておきたい。『魔王』は氏んだ。神ーー『コア』が生み出した世界の『魔王』は消え失せた。『俺』は只の残滓に過ぎない」

青年「……訳が分からない」

「分からなくて良い。分からない方が良い。
ーーそうだな。名乗るならば何と名乗ろうか」

彼は暫く考えるように、顎に手を当て、視線を上に向けた。

やがて、手を下ろし、視線を彼に戻した。

男「お前の祖父だ。……些か安直過ぎたか?」

498: 2012/06/19(火) 17:19:47.65 ID:DQQZc2Un0
青年「……貴方が何者であろうと関係有りません。僕は少尉様を治癒して欲しくて此処まで来たのです」

男「つれんな。生憎、俺はもう魔法は使えない。エルフなら治せるだろうが」

青年「なら、その方に会わせてください」

男「ああ、良いさ。城内にいるぞ」

青年「そうですか。有難うございます」

一礼して、青年は祖父である男の横をすり抜けようと一歩前に進む。

しかし、男は片手を上げてそれを阻んだ。

男「待て。先に進んで良いと誰が言った」

青年「……え?」

499: 2012/06/19(火) 17:21:00.55 ID:DQQZc2Un0
男「俺を倒してから行け。何もせずに、何かを得られると思うな」

男は不敵に笑いながら、言う。

青年「貴方と戦え、と?」

男は肯いた。

青年「貴方は僕の祖父なのでしょう?」

男は肯いた。

青年「それでもですか?」

男は肯いた。

500: 2012/06/19(火) 17:22:01.59 ID:DQQZc2Un0
青年は腰に差していた短剣を抜いた。
そして構える。

男「俺にも剣を貸してくれ。
生憎と持ち合わせていないんだ」

青年は目を丸くして、それから呆れ顔になる。

青年「訳が分からない。何故、敵に武器を与えなければいけないんですか」

501: 2012/06/19(火) 17:25:32.64 ID:DQQZc2Un0
男「別に良いだろう」

青年「良くないですよ」

彼は困惑するが、構わずに斬りかかろうと前方に重心を移動させる。


半狐「……貸して、あげてください」

半狐は大粒の涙を大量に零していた。
あどけない顔は涙で濡れていた。

青年の困惑が増した。

半狐「……魔王様に、剣を貸して、全力で、戦ってください……」

涙声で彼女は懇願する。

502: 2012/06/19(火) 17:28:22.92 ID:DQQZc2Un0
男「お前は優しい子に育ったな。俺の心を読んで、俺の為に泣いてくれてるのだろう」

半狐「……」


青年「……分かりましたよ」

彼は特異空間から短剣を出して、男に放った。

男「有難う。しかし、並外れた魔法だな。
常に全魔力を消費し続けることで恒常的に異空間を創り出す。
お前にしかできない芸当だ。
魔法名は『空操の呪』でどうだ?」

青年「この力が魔法かどうかなんて大した問題じゃないです」

構え直しながら、青年は言った。

男「そうか」

男も剣を構える。

男「俺は素人だ。お手柔らかに頼むぞ」

青年「あー、調子狂うなぁ」

503: 2012/06/19(火) 17:32:51.12 ID:DQQZc2Un0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

二人の戦いを見て、半狐は心が張り裂けそうだった。
悲しみ。
そして、それ以上の愛おしさで。


男「おお、怖い! これが氏の恐怖か。懐かしいなぁ」

青年「変な人ですね!」

鋼を打ち合いながら、二人は会話を交わす。

男は笑顔だった。
心の底から笑っていた。

彼の心を読んで、半狐は再び涙腺が緩むのを自覚した。


男「瘴気に耐性が有るなら、魔の国に住んでも良いんじゃないか? 俺の頃と違って迫害されることは無いだろうし」

青年「考えておきますよ!」

男「それに新王が側近に登用してくれるかもしれないぞ」

青年「新王がいるんですか!?」

男「ああ。半狐の母親だ」

青年「それは、驚きです!」

男「敬語なんか使うな。それに『お祖父ちゃん』と呼んでも良いぞ。お前が幼い頃、一度会ったことがあるんだ。その時はそう呼んでくれたものだが」

明らかに男が押されている。
いつ斬り殺されてもおかしくなかった。
それでも彼は笑っていた。

青年「そんな記憶は有りません! 祖父だろうと、少尉様を救う為なら容赦しませんよ!」

504: 2012/06/19(火) 17:34:40.67 ID:DQQZc2Un0
二人は確かに頃し合っている。
半狐には、二人の戦いが仲良く戯れているようにしか見えなかった。

男は勿論、青年すらも何処か楽しそうに見えた。

故に彼女はまた涙を流す。
この戦いの終わりを想って。


男「愛してるのだな」

青年「そうですよ!」

男「そうか。幸せになれよ」

青年「一度振られたんです! だからもう一度告白するんです!」

男「そうか。なに、お前なら大丈夫だ」

青年「そうですか! 有難うございます!」

505: 2012/06/19(火) 17:35:51.22 ID:DQQZc2Un0
やがて、青年の短剣が男の胸を貫いた。

男の手から剣が落ち、同時に彼の身体も崩れ落ちる。

男「やっと、逝けるか……」

穏やかな声で彼は呟いた。

青年「……氏にたかったのですか?」

男「ああ……」

青年「半狐ちゃんの言っていた『内緒』って……」

少女は泣いたまま、黙って肯いた。

青年「……どうして氏ぬつもりだったのですか?」

魔王「はん、こ……」

絞り出すようにそれだけ口にした。

506: 2012/06/19(火) 17:38:56.01 ID:DQQZc2Un0
半狐「……あまりに長く生きたからだ。それに俺は昔から己の子に頃して欲しかったからだ」

氏に瀕している彼の心を読んだ少女が代弁する。

半狐「……全員に感謝の気持ちを抱きながら、逝けることを誇らしく想う」

少女は震える声で続ける。

半狐「願わくは、アイツの誓いを知りたかった。
だから、お前が代わりに聞いてくれ」

青年「……」

半狐「強く生きろよ」

彼女はそう締め括った。

そして。


魔王だった男は、事切れた。

507: 2012/06/19(火) 17:39:40.82 ID:DQQZc2Un0
二人は暫く彼の亡骸の前に佇んでいたが、やがて城へと歩み始めた。

半狐「エルフさんの居場所はおそらく分かります」

青年「進むしかないよね」

自身を叱咤するように呟く。

青年「有難う。お祖父ちゃん」

ーーーーーー
ーーーー
ーー

508: 2012/06/19(火) 17:40:49.59 ID:DQQZc2Un0
「ボクが新王で良いのかなぁ」

「キツネちゃん以上に適任はいないよ。魔王も側近もそう言ってたじゃない」

「んー、荷が重いよ。元は使用人に過ぎなかったのにさ」

「関係無いよ」

「そうかなぁ。まあ、気を張らずに頑張るよ」

「うん。……そろそろあの子が来るみたい」

「そう。じゃあ、ボクはこれで。……さようなら」

「うん。さようなら」

509: 2012/06/19(火) 17:43:46.87 ID:DQQZc2Un0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

広い部屋だった。
一面に本棚が有り、膨大な書物が閲覧できるようになっていた。

並んだ五つの大きな机一つ一つに、椅子が十個割り当てられている。

少し離れた場所には大人数で座れるソファーもあった。

城の前で亡くなったはずの男はそのソファーに横たわっていた。
血塗れだったはずの服は清潔になっている。

彼は膝枕をされていた。
膝枕しているのは美しい女性だった。

青年「……母さん?」

記憶にある母の貌に酷似していたことから、思わず彼はそう声をかける。

「もう生きてないとしても。
魂の無い抜け殻だとしても。
やっぱり魔王は魔王で、私の愛する人には変わらないよ」

彼女は静かにそう言って、二度と目覚めない男の頬をたおやかな指で撫でた。

蠱惑的で、美しい動作だった。
神聖さすら感じさせた。

伏せられていた面が上がる。
男の顔を見つめていた翠の瞳が、青年を捉える。

510: 2012/06/19(火) 17:46:14.02 ID:DQQZc2Un0
エルフ「大きくなったね」

青年「ーー」

彼は何と答えれば良いか分からなかった。
暫く逡巡した後、さっさと要件を切り出すことにした。

青年「助けて貰いたい方がいます」

エルフ「分かってる。私たちの子を、貴方のお母さんを頃した人でしょう」

その言葉に、青年は苦い顔をしながら肯いた。

エルフ「意地悪な言い方をしてごめんね。少し放心気味だから」

青年「いえ。事実ですから」

エルフは魔法で椅子を宙に浮かべ、自身の座るソファーの前に置いた。

エルフ「取り敢えず座って」

511: 2012/06/19(火) 17:54:27.81 ID:DQQZc2Un0
彼は椅子に腰掛ける。


半狐は書斎の外で待っている。
彼女が待機することを申し出たのだ。

エルフ「少し話をしても良い?」

青年「どうぞ」

エルフは魔法で一冊の本を取り寄せる。
黄ばんだ白色の固表紙で装丁されている分厚い本だった。

エルフ「この本は魔族の説話集なの」

彼女は本を開く。
青年の知る言語では無かった。

エルフ「昔、貴方のお母さんに読み聞かせてあげてたんだ。あの娘は特に人魚と人間の恋愛の話が好きだった」

青年は自身の母親を想い出す。
眼前の女性に似て美人だった。

エルフ「人魚と人間の物語は、決まって悲しい結末に終わるの。『どうして?』って訊かれた時、『人間は愛することに対して臆病だから』って私は答えた」

青年「……」

512: 2012/06/19(火) 17:56:47.04 ID:DQQZc2Un0
エルフ「大人になった彼女は人間の国へと出て行った。ハッピーエンドを自分で作ってみせる、人間との愛が成り立つことを証明してやると言い残してね」

青年「母さんが、そんなことを」

エルフ「私はあの娘が家を出てから一度しか会ってないけれど、少なくとも幸せに見えた。貴方から見ても幸せに見えた?」

青年は父と母を思い出す。
二人とも、笑顔だった。

青年「幸せでした。少なくとも亡くなる前日まで、父さんと母さんは笑っていました」

彼は確信に満ちた声音で告げた。

彼女は少しだけ顔を綻ばせて肯いた。

513: 2012/06/19(火) 18:05:25.10 ID:DQQZc2Un0

エルフ「魔王と戦ってくれて有難う」

青年「はあ……」

彼は彼女の膝で眠るように横たわっている男の顔を見た。
頃したにも関わらず、礼を言われる謂れが分からなかった。

エルフ「魔王は氏にたがりだから。私を妻にしたのも、元々は自分を頃してくれる子を産ませる為だったんだしね」

青年「非道いですね」

エルフ「でも愛してくれたから。
幸せにしてくれたし。娘も溺愛してたよ」

勿論、貴方のことも、と彼女は言った。

彼は閉口する。
自分がその男を頃したのだ。
何も言えるわけが無かった。

514: 2012/06/19(火) 18:11:56.07 ID:DQQZc2Un0
エルフ「話したいことは幾らでも有るけど、これだけでもう充分だよ。治してあげる」

青年「……! あ、有難うございます!」

彼は勢い良く立ち上がり、頭を深々と下げる。
それから、特異空間より、瀕氏の彼女を取り出した。

ひどく衰弱していて、意識がない。
時間が止まっているとはいえ、長い間この状態で放置していたことに、彼は罪悪感を覚えた。

エルフは彼女に手を翳す。

急速に傷が癒える。
更に数秒後には、傷は完全に塞がった。

苦悶に満ちた表情が安らかになる。

青年「良かった……!」

青年は歓喜しながら、彼女をエルフたちとは別のソファーにそっと横たえた。

しかし、エルフの表情は晴れない。

エルフ「彼女、どっちにしろ長くないよ」

静かに告げた。

515: 2012/06/19(火) 18:14:58.69 ID:DQQZc2Un0
エルフ「先天的な体質みたい。
凄く不完全に瘴気を取り込んでる」

青年「……どうにかならないのですか? 魔法で治せませんか?」

彼は上ずった声で訊く。

エルフ「彼女の体の構造を魔法で組み替えたとしても、一時的な解決手段にしかならない。気休めに過ぎないよ」

そう口にして、彼女は掌に収まる程度の小さな円環を彼に放った。

エルフ「魔鉱石で作った魔具だよ。二回分の『転移の呪』が籠ってる」

それは銀に似た光沢を放っていた。
表面には縄文が刻まれていた。

エルフ「手段が無いわけじゃないよ。
或る方法を使えば、人間の一生程度なら生きられるようにできると思う」

青年「それで充分です。その方法とは?」

エルフ「貴方の『空想の呪』と同じ方法だよ」

516: 2012/06/19(火) 18:21:23.19 ID:DQQZc2Un0
エルフ「私の全生命力を用いた恒常魔法を施すの」

青年「……?」

エルフ「私の生命を犠牲に彼女を救うってことだよ」

青年は絶句した。


エルフは動かない男の体を腕で起こして、ソファーにもたれさせる。
痩身の彼女には、中々の労働だった。

それから白紙と、羽根ペンを魔法で引き寄せる。

青年「それ以外に、方法は無いのですか……?」

エルフ「探せば有るかもしれないね」

彼女は紙に図形と記号を書き込んでいく。
どうやら魔法陣を作図しているらしい。

青年「だったら……」

エルフ「でも、良いの。昔、誓ったから」

青年「誓い? ……彼が知りたがっていたものですか?」

エルフ「うん」

517: 2012/06/19(火) 18:22:28.09 ID:DQQZc2Un0



エルフ「私は魔王の為に生きた。
だから、私の為に魔王と氏ぬの」




518: 2012/06/19(火) 18:26:56.71 ID:DQQZc2Un0
彼女は微笑みながら告げた。
それはおよそ百四十年も前に、自身に課した誓いだった。

エルフ「だから、貴方たちが帰る為の分と、非常用の分の『転移の呪』を詰めた魔具を先に渡したの」

青年「……魔王は、お祖父ちゃんは貴女に生きて欲しいと思っていたはずです」

ソファーにもたれている亡骸に目を向けながら、彼は言う。

エルフ「良いの。私も充分生きたもの。我儘なのは承知してるよ」

青年「でも! でも……」

エルフ「貴方は正しいよ。でも、正しいことが全てじゃないから。」

やがて、彼女は筆を置いた。
魔法陣が完成したらしい。

エルフ「貴方は正しさを貫いてね」

519: 2012/06/19(火) 18:30:11.72 ID:DQQZc2Un0
彼女は呪文を詠唱する。

長い詠唱だった。

彼女が結びの言霊を唱えた時、魔法陣の文字が少尉の体に入っていった。



終わった時、彼女は魔王の肩に、そっともたれかかっていた。

二人とも穏やかな顔をしていた。

二人で仲睦まじく眠っていた。

ひどく静かに、時が流れていた。

もしかしたらこの場所だけ、時間が止まっているのかもしれなかった。



彼は泣いていた。

自分が何故泣いているのか分からなかった。

ただ、悲しみだけの涙では無い気がした。

536: 2012/06/20(水) 20:06:44.27 ID:DjBfDR0A0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

夜が更けた。

青年「それじゃあ、少尉様を頼むね」

城の一室のベッドに少尉を寝かし、彼は半狐に言う。
彼女は、もう暫くは昏倒しているだろう。

部屋の使用については新しい魔王の許可を得ていた。

半狐「はい。……あの、本当に行くんですか?」

彼は静かに肯いた。

半狐「彼女が目覚めてからでもよろしいんじゃ無いですか?」

青年「その方が良いんだろうけどね。でと、独りで行った方が良い気がするから」

彼は一旦従属している国に帰還しようとしていた。

エルフに貰った円環の使用法は何故か知っている。
最初から自分の中に存在していたのかもしれない。

537: 2012/06/20(水) 20:09:31.82 ID:DjBfDR0A0
半狐「ちゃんと、戻ってきてくださいね」

彼女は深い色の瞳を向けながら、そう念を押した。
それから、ベッドで眠り続ける女性の顔を見下ろした。

半狐「……悔しいです」

青年「うん?」

半狐「貴方の心には彼女しかいないことがです。これでは想いを告げる前に振られたようなものじゃないですか」

怒りと自嘲、そして悲しみを綯い交ぜにした表情だった。

彼は何を言って良いか分からず、困惑する。

青年「気持ちは凄く嬉しいよ。有難う」

やがてそれだけ口にした。

538: 2012/06/20(水) 20:11:18.29 ID:DjBfDR0A0
半狐「ふふ、やっぱり従兄さんは優しいですね。ーー行ってらっしゃい」

青年「うん、行ってきます」

彼は『転移の呪』を発動させる。
そして、その姿は虚空に消えた。

半狐「……でも、簡単には諦めませんからね」

少女は決然とした声音で呟いた。

ーーーーーー
ーーーー
ーー

539: 2012/06/20(水) 20:15:33.34 ID:DjBfDR0A0
青年は城の地下牢を目指していた。

多くの兵士が横たわっている。
皆、彼が一撃で気絶させた者たちだ。
その数はおよそ二十。

尋常の警備数では無かった。

青年(逃亡する時は『転移の呪』を使えば大丈夫かな。帰る頃には少尉様は起きているだろうか)

そう顧慮しながら、暗闇をできるだけ忍び足で駆けていく。

目標は近かった。


やがて、最深にある牢獄に到着した。

そこに至るまでにも更に十以上の見張りの兵を昏倒させた。

目的の監獄前には兵士が二人いる。
屈強な男だ。

しかし、青年は人間離れした速度で一人を闇討ちして、もう一人も一撃で眠らせた。

増援は無い。
誰独りとして声をあげる間も無く気絶させられたからだ。


「……助けに来たのか?」

牢内の人物が言った。

青年「いいえ、違います。ーー陛下」

540: 2012/06/20(水) 20:18:10.06 ID:DjBfDR0A0
国では革命が起きていた。

元々、食糧危機、重税、一部身分の特権など、様々な問題を抱えていたのだ。
また、諸外国でも啓蒙思想が広まりつつあった。

王制崩壊の因子は確かに内に潜んでいた。
或る事を発端にそれが表出化しただけのこと。
起こるべくして起こった革命だった。

しかし、彼にとってそれは大きな問題では無かった。


青年「魔王を倒しました。僕自身の手で」

王「……ああ、お前は少尉の従者か。それでは世界から瘴気が消え失せたのか」

彼はかぶりを振った。

青年「いえ。魔王と瘴気には直接的繋がりは有りませんでした。瘴気は未だ世界に存在しています」

王「そうか……。魔王討伐は無駄だったということか。ふふ、私の行うことは無駄に終わってばかりだ」

彼は自嘲する。
どうやら牢に入ってから自嘲癖がついたらしかった。

青年は冷ややかな顔で、惨めな王を見つめていた。

541: 2012/06/20(水) 20:23:01.53 ID:DjBfDR0A0
青年「三日後に処刑されるそうですね」

彼は牢に侵入する前に、知人から革命関連の情報を聞いた。
知人は熱っぽく語っていたが、彼はあまり耳を傾けていなかった。

王都全体が熱に浮かれて、最早魔王討伐など誰の耳にも留まる内容では無かった。


王「ああ。断頭台でな」

彼は、やはり嘲りの笑みを浮かべながら、自身の首を指先で軽く叩いた。
ここを切断されることを示したかったらしい。

王「それで、貴様はどうして此処に来たのだ? 私はもう褒賞を与えられんぞ」

青年「そんなものは要りません。
僕は貴方に訊きたいことが一つだけ有るのです
その為に来ました」

王は怪訝そうに彼を見た。

王「それだけの為に、厳重に警備された此処まで来たのか?」

彼は肯いた。

王「よほど酔狂な男なのか、よほど大事な事らしいな。話してみよ」

彼は微笑みながら、尊大な口調で言った。
牢獄でも、粗末な服を着ていても、王としての威厳は誇示するらしい。

542: 2012/06/20(水) 20:25:26.23 ID:DjBfDR0A0
青年「八年前に或る夫婦を頃すよう、兵に命じたそうですね」

王の顔から表情が消えた。

王「もしやお前は……」

彼は掠れた声を出した。

青年「ええ。僕はその夫婦の子です」

王「……確かに似ている。
何故気付かなかったのだろう。
そうかお前が。そうか……」

王はやはり自嘲的に微笑む。


暫く沈黙が続いた。


やがて、王がそれを破った。

青年を驚愕させる一言で。

543: 2012/06/20(水) 20:26:28.45 ID:DjBfDR0A0



王「お前は私の甥だ」




544: 2012/06/20(水) 20:28:35.99 ID:DjBfDR0A0
青年「……なに?」

王「貴様の親父は私の弟だ」


王は語る。

青年の知らない昔話を。

少尉も知らなかったであろう過去を。

魔王もエルフも語らなかった人間について。

545: 2012/06/20(水) 20:31:12.68 ID:DjBfDR0A0
長男と次男は十の年齢差があった。

次男は優秀だった。
とても聡明で、配慮ができる少年だった。
カリスマ性もあった。

次男を知る者は皆、次男の生まれの悪さを嘆いていた。
王としての素質に満ち溢れながら王位を継承できない彼の不幸を、長男の非難と共に語っていた。

長男は十も歳が離れている弟に劣等心を抱いていた。

次第に、それは醜悪な嫉妬へと形を変えていった。



転機が訪れたのは、次男が十八の時だった。

長男の戴冠式が執り行われている最中だった。

王「驚愕。困惑。恐怖。怒り。
そして何よりも、女の美しさに目を奪われた」

突如として一人の女性が姿を現した。
まるで、最初からその場にいたかのように、次男の隣へと出現したのだ。

それが、二人の馴れ初めだった。

546: 2012/06/20(水) 20:35:00.64 ID:DjBfDR0A0
以来、女と次男は逢瀬を重ねた。

彼女は神出鬼没だった。
何時の間にか次男の部屋にいたと思えば、次の瞬間には姿を消していた。

城の者たちは彼女を魔物の一種と恐れていた。
そして、次男に注意を促した。
危険だから会わないようにも進言した。

しかし、彼もまた彼女に惹かれていた。

二人は恋仲にあった。


或る時、彼は城から姿を消した。

皆、彼女と駆け落ちしたのだと覚った。

国中を捜索したが、結局見つからなかった。

このことは国の一部の者だけが知る秘密となった。

547: 2012/06/20(水) 20:38:30.69 ID:DjBfDR0A0
王「私も、彼女に心惹かれていたのだ。
彼女の艶かしい姿態に心奪われていたのだ。
あどけない笑みに心焦がしていたのだ」

正体の知れぬ女への狂おしい愛は、いつからか不細工な憎しみと化した。

次男への劣等感も増していた。

そして、修羅が生まれた。


王「見つけ出すのに八年かかった。
それからは、お前も知っているだろう」

こうして彼の語りは終わった。



青年は泣いていた。

青年「どうして、人間はこんなにも弱い??
どうして、正しく生きられないんだ?」

涙声で呟く。
それから、祖父母の最期の言葉を想い出し、涙を拭った。

548: 2012/06/20(水) 20:48:16.44 ID:DjBfDR0A0
青年「僕の母は、魔王の娘です」

その言葉に王は目を見開き、それから大笑いをした。
彼は笑いながら地を転げ回る。

およそ王とは思えない行いだった。


王「滑稽だな! お前は両親を頃すよう仕向けた叔父に命じられ、自分の祖父を頃したのだ! しかも、八年間も頃した張本人に従っていたときた! お前は運命に弄ばれて、滑稽に踊る道化だ! あっはははは!!」

彼はこの上無く愉快そうにゲラゲラと笑う。

青年「……」

王が笑っている間、彼は沈黙していた。



やがて、王は笑うのをやめた。
疲れたらしく、呼吸が若干乱れている。

王「……殺せ。復讐を終え、この戯曲は終焉を迎えるだろう」


暫く間を開けて、青年は特異空間より抜き身の短剣を出す。

青年「『空操の呪』と、お祖父ちゃんが名付けてくれました。
貴方には関係有りませんが」

青年は短剣を強く握る。

549: 2012/06/20(水) 20:51:43.42 ID:DjBfDR0A0



それから、それを牢内の床に放った。



550: 2012/06/20(水) 20:57:23.99 ID:DjBfDR0A0
王「……何のつもりだ」

青年「餞別です。
貴方の言葉を借りるなら、運命に弄ばれた道化から、激情に弄ばれた道化への。処刑は屈辱でしょうから」

喧しい声が響く。
上の兵士が、侵入者がいることにようやく気付いたらしい。

青年「僕はそろそろ行きます」

青年は特異空間より、転移する為の円環を取り出す。


青年「ああ、そうだ。最後に言いましょう。
僕たちは道化なんかでは有りません。
僕たちは戯曲を織りなしてなどいません。
僕は、僕の人生を行きます
僕は、強く正しく生きます」


そう言い残して、彼は姿を消した。



残された王は短剣を手に取る。


それから、牢の外に放った。

王「……私も、逃げないことにしよう。
さらばだ、優しい青年よ」

551: 2012/06/20(水) 21:00:22.71 ID:DjBfDR0A0
投下終了です。
次でエピローグです。

557: 2012/06/20(水) 22:26:27.79 ID:W50js82IO

565: 2012/06/21(木) 13:44:04.58 ID:KPXjKDBI0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

「何故、私が生き残ったのだ」

全てを聴き終えた時、彼女は平坦な声音でそう問うた。

室内には二人しかいなかった。

彼女は窓から上弦の月を見上げていた。

黄金の糸が如き艶やかな髪に、月光が注ぐ。

「私よりも生きるべき者たちがいたはずだ」

青年は彼女の後姿を、沈黙しながら見つめていた。

566: 2012/06/21(木) 13:45:51.12 ID:KPXjKDBI0
「運命、なんて嘘だ。それは逃げ道に過ぎない。とっくの昔に自覚していた」

彼女の声音は張り詰められた糸のように直線で、今にも切れそうな危うさを帯びていた。

「氏を確信した時、やっと逃げられると思った。
なのに、今もこうして息をしている。霞んだ半円を眺めている」

568: 2012/06/21(木) 13:48:16.39 ID:KPXjKDBI0
魔王討伐の任に着いてから二ヶ月が経っていた。

「私が生き残ったのは、償いの為だろうか。それとも、苦しむ為なのだろうか」

そして、彼が彼女にプロポーズしてから二ヶ月が経っていた。

「教えてくれ」

「僕が知る由も有りません」

彼女の静かな問いに、彼も静かな声音で答えた。
静かながら苛立ちが含まれていた。

「……私はお前の両親を頃した。母親に至っては強姦しながら頃した。憎んでいないのか」

「憎いですよ。貴女は家族の幸せを壊した。
そして哀しいです。貴女は僕の信頼を裏切った」

彼は本音を告げる。

「……それでも、お前は私を愛しているのか」

「ええ」

それも本心だった。

569: 2012/06/21(木) 13:51:02.87 ID:KPXjKDBI0
「……狂ってる」

彼女は振り返り、青年へ顔を向ける。

月の逆光でその顔はよく見えない。

「そうでしょうか」

「矛盾してるじゃないか」

「それは確かですね。僕自身も苦しいです。
破壊行為、若しくは自傷行為に及びたいところです」

淡々と告げるが、彼の心は酷く揺れ動いている。

彼女も、それを悟っていた。

「なら、私を殺せば良い」

「それも吝かでは有りませんね。でも、やめておきます」

「何故だ」

「正しく無いと思うからです」

570: 2012/06/21(木) 13:54:04.35 ID:KPXjKDBI0
「……もういい。なら、お前にこの身を捧げよう。
慰みに使っても良いし、暴力を振るっても良い。
母親と同じように頃しても良い。その時は解体の順番も教えるさ。
私はそれが正しいと思う。」

声音の糸は張り詰められたままだ
緊張度は増している。

「なるほど。因みに、本心から仰ってますか?」

「……ああ。私に生きる価値なんて無いからな。
だから、お前の好きなように使って欲しい」

「素敵な提案ですね。もう一つ質問してもよろしいですか」

「私に拒否権なんて無いさ。口調は許してくれ。腹立たしいかも知れないがすぐには矯正できそうにない」

「八年ですからね。僕は八年間も貴女と共に有った。
人生の五割弱ですよ」

「……私を好くのも、当然の成り行きかもしれないが、私の他にも女は腐る程いる。八年なんか抹消してしまう女もな」

「……あまり、苛々することを仰って欲しくないですね。
これでも必氏に抑えてるんですよ」

「抑えなくて良い。殴ろうが蹴ろうが、斬ろうが勝手にしろ」

「ああもう、腹立つな。……まあ、良いです。
質問に答えてください」

571: 2012/06/21(木) 13:58:19.24 ID:KPXjKDBI0
「なんだ」

「八年の間に、罪や咎、罰を抜きにして『僕』を見てくれたことが有りましたか。
一人の人間として『僕』を見てくれたことが有りましたか」

「……不可解な質問だな」

「良いから正直に答えてください。
僕にとっては非常に重要なんですよ、これ」

「……有るに決まっているだろう。
お前の成長は嬉しいし、剣術で負ける日が来ないか不安に思ったことも有る。立派に育ったとも思う」

彼女の言葉に、彼は微笑みながらうなずいた。


「そうですか」

572: 2012/06/21(木) 14:05:48.28 ID:KPXjKDBI0
「だったら僕はやはり貴女を愛します。やはり望みが微塵も無ければ不安になりますからね」

彼女は悲痛な面持ちになる。

「……私は許されないんだ。幸せになってはいけないんだ……」

糸は切れた。
消え入りそうな声。
涙声。

「やっと、弱音を見せてくれましたね」

呟き、静かな声音で続けて言う。

「ーー少し、汚い言葉を使ったり大声を出します。
お許しください」

彼は最初に頭を下げて、彼女の細く白い手首を掴む。

それから大きく息を吸った。

そしてーー



573: 2012/06/21(木) 14:07:06.19 ID:KPXjKDBI0




青年「馬ッッッ鹿じゃねぇの!!!!!」





574: 2012/06/21(木) 14:11:30.09 ID:KPXjKDBI0
青年「いい加減にしろよ! 生きる意味を教えろだと!? そんなもん知るかよ! こっちが訊きてぇよ!」

青年「僕だって強く生きる方法なんて分かんねぇよ!?
正しい生き方なんてもっと分かんねぇよ!?
でも、生きるしかないだろうが!?
臆病を強がりで誤魔化して!?
自分が正しいことを信じて!?
生き続けるしかないだろうが!!」

「っ」

彼は尚も、喉が張り裂けんばかりに叫び続ける。

青年「許されなくて当たり前だろうが!
不幸を噛みしめるのも当たり前だろうが!
好きなだけ、生き残った悲しみを咽べよ!
好きなだけ、生き残った苦しみに悶えろよ!
でも、いつまでも立ち止まってんじゃねぇよ! 」

青年「罪を背負えよ! 重苦に潰されろ!
運命に弄ばれろ! 滑稽なワルツを踊れ!
でも、進むんだよ!進んで! 進んで!
いつか終わりが来るまで進み続けるんだよ!
僕たちにはそれしかできねぇだろうが!!」


彼女の手を引き、彼女を抱き締める。


青年「こんなことしか、僕には言えません」

575: 2012/06/21(木) 14:14:20.40 ID:KPXjKDBI0
青年が叫び終えた後には、世界の終焉が訪れたかの如き静寂。


彼女は涙で濡れた顔を上げた。

彼の顔は優しく彼女を見ていた。

もう助けを求めていた少年はいなかった。

「ひどい言葉遣いだ」

彼の胸に顔を埋めながら呟く。

青年「すいません」

「お前の言葉で、私の罪が消えたわけでも、お前の憎しみが消えたわけでもない」

青年「全くその通りです。何も変わっていないです」

「そうだ。……でも、有難う」

彼女は抱き締め返した。


青年「貴女の為なら当然です。
貴女を愛することが正しいと、僕は信じてますから」

576: 2012/06/21(木) 14:18:51.45 ID:KPXjKDBI0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

魔王「いやぁ、昨日は魂の叫びを聞いちゃったよ」

執務室の中には四人がいた。
新しい魔王は机で書類を処理している。

半狐「ちょ、ちょっとお母さん」

青年「うわ、恥ずかしい……」

半狐「そんなことないですよ。かっこ良かったです」

魔王「旦那のことを思い出しちゃったよ。ボクも説教されたことあったからねー」

そう言って、新任の王は思い出したようにうなずいた。

魔王「そうそう。君たち二人には魔の国で働いてもらうから。魔王様と旦那を殺されたせいで、こっちは凄く忙しいんだから。鬼の手も借りたいくらいだよ」

彼女は明るい口調で言った。

半狐は自身の母親の心を読んで、一瞬悲しそうな顔をするが、直ぐに取り繕った。

577: 2012/06/21(木) 14:21:34.23 ID:KPXjKDBI0
魔王「旦那を頃してくれちゃった女の人には、側近……いや臣になってもらおうかな。かなり多忙だよ。生きる意味なんて考える時間も無くなるくらいに」

臣「……分かりました」

彼女は恭しく頭を下げた。

魔王「魔王様の孫は書斎の司書ね。一般に公開されてるから忙しいよ」

司書「頑張ります」

魔王「あ。あと娘を貰って。この娘、君のことが大好きだから」

半狐「ちょっとお母さん!?」

魔王「良い子だよ。家事はボクが仕込んだし、気配りは完璧過ぎて不安になるくらい。未だ幼児体型だけど、将来性は有るよ」

半狐「ホントに止めて!」

司書「素晴らしい娘さんであることは存じてます。しかし、僕には愛する人が既にいるので」

魔王「それが一人だけなんて決まってないでしょ」

578: 2012/06/21(木) 14:27:24.81 ID:KPXjKDBI0
司書「重婚は犯罪ですから」

魔王「此処ではそんなこと無かったりするけど」

司書「いや、でも」

臣「別に、もう一人くらいなら私は構わないぞ」

司書・半狐「「えっ」」

魔王「おお、金髪ちゃんは話が分かるね。
半狐は他に女がいたら駄目?」

半狐「えと、ちゃんと大切にしてくれるなら……」

司書「えっ」

魔王「やったね司書くん。両手に花だよ」

臣「これからよろしくな」

半狐「ふ、不束者ですが、末長くお願いします」

魔王「じゃあ、魔王が婚姻を認める。
はい、これで君たちは夫婦だね」

司書「ちょっと待ってください! 本当にですか!?
ちょっと待とうよ! いやホントに!」

579: 2012/06/21(木) 14:31:18.51 ID:KPXjKDBI0
慌てふためく彼を見て、魔王は満足気に四本の尻尾を振る。

魔王「さて、と。旦那の骨壷を持って来なきゃいけないし、魔王様とエルフちゃんの墓も造らないと。でも。今日中に仕上げなきゃいかない書類も有るし。
……忙しいなぁ。魔王やめたい」

彼女は机に伏せる。

半狐「弱音を吐くのが早すぎるよお母さん」

魔王「働きたくないよぉ。半狐、魔王継がない?」

半狐「無理だよぉ。もう少しだけ頑張ろ! ねっ? お母さんならできるから」

臣「私もできることから、お手伝いします」



司書「これで良いのか。いや、駄目だろ。いや、でも悪い気はしない。いや、でも……」

魔王「うるさいよー」

司書「あ、すいません。……まあ、良いか」


こうして、日々は続いて行く。


580: 2012/06/21(木) 14:34:39.28 ID:KPXjKDBI0
ーーーーーー
ーーーー
ーー

光の泡が浮かんでいた。
無数の泡は天への道を形作っていた。

エルフと魔王はその道を登っていた。

エルフ「シャボン玉みたいだね」

光の泡を見て、彼女は言った。
その姿は少女の頃に戻っていた。

魔王「そうだな。しかし、この道は何処に通じてるんだろうか」

エルフ「多分、天国じゃない?」

魔王「まあ、そうだろうな。しかし、魔を統べた俺が天国行きとはな」

肩を竦めながら呟いて、後ろを振り返る。

地上は遥か下だった。

彼等の他にも何人も光の道を歩いていた。

魔王「勇者もいるな」

エルフ「本当だ。共に行動していた人と一緒みたいだね。あ、魔鳥もいる」

魔王「随分と仲が良さそうだな。まあ、良いか」

彼等は再び前を向く。

581: 2012/06/21(木) 14:37:57.64 ID:KPXjKDBI0
やがて、光の中へと辿り着いた。

龍「やあ、久し振りだね」

鬼人族長「お迎えに参りました」

エルフ「わあ、久し振り!」

魔王「お前等……!」

思わぬ再開に二人は声を上げる。

龍は生前の姿のままだった。

鬼の長は出会った当時の壮年の姿で、隻腕だった。

龍「さて、行こうか。愉快な仲間が首を長くして待ってるよ」

側近「おっす。待ってるのが退屈だったから来ちゃったぜ」

エルフ「愉快な仲間も来たみたいだね」

魔王「失せろ」

側近「やだ、酷い」

582: 2012/06/21(木) 14:40:49.95 ID:KPXjKDBI0
彼等は光の奔流に身を任せる。
辿り着いたのは、地上によく似た世界だ。
空は明るいが太陽は無い。

娘「お父さんもお母さんも久し振り!」

夫「久方振りです」

魔王とエルフの娘に、その夫もいた。
楽しそうに駆け寄ってくる。


エルフA「私、足の中指だけ動かせるぞ」

ミノタウロス「えっ、凄くね。あ、知ってる奴が来た」

エルフB「私たちを頃した奴か。久し振りだな」

彼が屠った者も、敵対していた者もいた。
皆が穏和な顔をしている。
憎しみはとっくの昔に風化したようだ。


側近「天国が『まほろば』なら、やっぱり地上には無い方が良いよな。永遠なんて、ちょっとの期間で充分だ」

側近は独り納得したようにうなずいていた。

583: 2012/06/21(木) 14:42:25.56 ID:KPXjKDBI0
魔王は溜息を吐く。

魔王「これは生き急ぐ必要も無かったな。まさか、氏後もこうして存在するとは」

エルフ「そうだね。私は魔王といられて嬉しいけれど」

魔王「……まあ、俺もだが」

答えて、彼は大きく伸びをする。

それから大袈裟に肩を下ろして、ぼんやりと呟いた。


魔王「暇だな」

584: 2012/06/21(木) 14:44:06.58 ID:KPXjKDBI0




終わりは、果てしない。




585: 2012/06/21(木) 14:47:28.69 ID:KPXjKDBI0
おしまいです。
完結できて良かった。
批判・質問があれば気軽に書いてください。

586: 2012/06/21(木) 14:48:43.81 ID:PyWJtHoAo


最後はリアルタイムで見れて良かった。

引用: 魔王「暇だな」