1: 2012/02/01(水) 18:05:12 ID:KuXWgJcw0

梓(これは、確かに未来予知なんだ……!)

 今日、私は未来予知者になりました。
 その原因やきっかけはわかりませんが、本当に突然未来予知者になったのです。
 私自身にその能力がついたのか、それとも未来の内容を予知しているこの携帯に能力がついたのか、そのどちらなのかはハッキリしてい

ません。
 いずれにせよ、私は未来を予知する手段を得たのです。

梓(今日これを見ながら行動したけど、書いてある通りの内容が起きていた。
 本当にこの携帯が、未来予知をしているんだ……)

 当然、未来予知をいきなり信じるほど、私の頭の中はお花畑ではありません。
 しかし実際にそれを実際に信じることのできる根拠―――つまりは実体験―――を目の当たりにした場合、私はその考え方を改めなおす

他ないのです。
 お花畑バンザイとかじゃなくて、未来予知バンザイっていう意味ですよ。
けいおん!Shuffle 3巻 (まんがタイムKRコミックス)

1: 2012/02/01(水) 18:05:12 ID:KuXWgJcw0

梓(これは、確かに未来予知なんだ……!)

 今日、私は未来予知者になりました。
 その原因やきっかけはわかりませんが、本当に突然未来予知者になったのです。
 私自身にその能力がついたのか、それとも未来の内容を予知しているこの携帯に能力がついたのか、そのどちらなのかはハッキリしてい

ません。
 いずれにせよ、私は未来を予知する手段を得たのです。

梓(今日これを見ながら行動したけど、書いてある通りの内容が起きていた。
 本当にこの携帯が、未来予知をしているんだ……)

 当然、未来予知をいきなり信じるほど、私の頭の中はお花畑ではありません。
 しかし実際にそれを実際に信じることのできる根拠―――つまりは実体験―――を目の当たりにした場合、私はその考え方を改めなおす

他ないのです。
 お花畑バンザイとかじゃなくて、未来予知バンザイっていう意味ですよ。

2: 2012/02/01(水) 18:06:50 ID:KuXWgJcw0

―――
――――――
―――――――――

 時は一昨日の夜に遡ります。
 その頃、私はベッドに寝転がりながら
 一人考え事をしていました。

 その内容は今後の放課後ティータイムのこと。
 練習をまともにしない先輩二人を、どのようにして練習させるか。
 来年、先輩達が卒業した後、どのように部活宣伝をしていくべきか。
 様々な問題が、私の中で山積みになっていました。

 特に来年も部活を存続させるためには、最低でも四人の部員が必要です。
 ですが、来年残っているのは私一人。
 友人の鈴木純が「一人だったら入ってあげる」と言ってくれていたのですが、それでも二人。
 まだ目指す人数の半分でしかありません。

 さて、どうしたものか……。
 ここは憂を何とかして勧誘しようか。
 彼女なら、姉の後を追ってくれるのではないだろうか。
 キーボードも弾けるはずだし、すんげえ万能……失礼、多彩な彼女なら勧誘してデメリットになることは無いはずだ。
 そもそも私と彼女と純の三人はいつもから仲が良いし、これは案外名案なのではないだろうか?

 しかしそんな先のこと、今から考えたところで何か起きるわけでもありません。
 仮に何か起きるとすれば、明日。
 明日、憂にこの提案をするだけでしょう。
 時計の音で何となく聞いていた私は、無駄な時間の経過に感付きました。
 考えることを止め、今日のところは寝ることにします。

梓(まあ、今くよくよしてても仕方ないし……あの律先輩でも出来たんだ。
 私に出来ないわけが無いよね)

 いつの間にか一人の先輩に失礼なこと言ったような気がするのは、気のせいってやつです。

3: 2012/02/01(水) 18:07:51 ID:KuXWgJcw0

 どれほどの時間が経っていたか気になった私は携帯を取り出し、時刻を確認します。
 23時55分。
 既に0時を過ぎたと思っていた私からすれば、意外な時間でした。
 特に何をするでもなく、時計をじっと見詰め続けます。
 部屋の時計と違い、携帯に示された時計は音もなく時刻を刻み続けていました。

 23時59分。そろそろ今日が終わりを迎えます。
 いつも通りの日常が、また始まってまた終わるわけです。
 今日のお菓子美味しかったなあとか、練習あんまり出来なかったなあとか、色々思うところはありますが、まあ楽しい一日でした。
 そして、そんな楽しい一日がまた始まる……はずだったんです。


―――これが最後の日常になるなんて。


 0時00分。

 ピーガガガガッ!

 突然携帯からノイズが走り、私は驚いて携帯を床へ落としてしまいます。
 壊れてしまったのか?
 そう思い、携帯を拾い上げて画面を見てみると、不可解な文字が並べられていました。

#==========

7:12 寝ている最中、ぶつぶつと寝言を言っていたらしい。
   恥ずかしい。

7:59 星座占いで1位だった。

8:45 数学。抜き打ちテストが始まる。

9:30 先程の抜き打ちテストの答えは、
    (1) 0 (2) 1 (3) x=2,4
   だったそうだ。





#==========

 打った覚えの無い文字たち。
 一見、未来予知のようにも見えますが、これはどういうことでしょうか。
 たちの悪い悪戯なのでしょうか?
 悪戯にせよ、どうやってこの文字を出現させたんでしょう。

 どれだけ考えても答えは出そうにもなく、私は寝ることにしました。

4: 2012/02/01(水) 18:08:21 ID:KuXWgJcw0

 朝。あの携帯の不思議な文字たちが出現してから、初めての朝。
 朝起きてから、親と朝の挨拶を交わします。
 すると親が突然、私が寝言を言っていたことを指摘されました。
 その時刻、7時12分。

梓(ぐ、偶然だよね?)

 朝食を終え、学校に行く前にテレビで星座占いを何気なく確認します。
 蠍座が1位でした。時刻は7時59分。

 学校では抜き打ちテストが行われました。
 1時間目、数学の時間のことです。時刻は8時45分。

 授業終了後、完答できたという友人にテストの答えを聞きました。
 ある程度の予想は出来ていたのですが、やはり携帯に現れた文字と同じ答えでした。

 放課後にも、その検証は続きました。

#==========





16:12 唯先輩にあずにゃんと呼ばれる。
   部室に入った瞬間にこれだ。

16:15 ムギ先輩が今日は欠席しているよう。

16:21 お菓子が無いと元気が出ない、と唯先輩と律先輩が嘆く。

16:22 澪先輩の怒り声が響く。





#==========

 結果だけを言ってしまえば、全てその通りでした。
 一日中、それこそ寸分の狂いも無く、この携帯に書かれたとおりのことが起きたのです。
 そして私は、これが本物の未来予知であると確信しました。

5: 2012/02/01(水) 18:10:02 ID:KuXWgJcw0

―――
――――――
―――――――――

 時は戻り、現在。

梓「何でこんなことになったのかは、わからないけど……。
 これ勝組確定じゃない!?」

 私は、調子乗っていました。
 正真正銘の、完璧な未来予知が手に入った私は、夢や妄想を頭の中で繰り広げます。
 その頭の中は、もはやお花畑でした。

梓「高校生のうちは、まだ有効利用出来ないかもしれないけど……。
 社会に出た時、これは武器になる!」

梓「あ、でもテストで使うのはやめよう。
 流石にズルイからね」

 私の妄想はどこまでも広がっていきましたが、どこか正義感を捨てられずにいられました。
 こういう便利なアイテムを持った場合、調子に乗った人が最後に痛い目に遭うのがお約束だからです。
 つまり、こうしていれば私は確実に勝組になれるということです。
 あ、調子乗っちゃった。

?「ほう、楽しんでいるようだな」

梓「はい、それはもう……って、誰ですか!?」

 私一人しかいないはずの部屋の中、私の知らない声が響きます。
 ついに私の妄想が、とんでもない怪物を見せてしまったのでしょうか。
 この世界の生き物とは思えぬ風貌をした巨大な怪物が、目の前に現れたのです。
 気づけば、私は自分の部屋にいませんでした。
 ただし自分の寝転がっているベッドだけは、そこにありましたが。
 そこは中心で巨大な怪物が、これまた巨大な椅子に座っています。
 その顔は人とは全く似つかず、白い骨のようなものを被っているようにも見えます。
 ポケモンで例えるならば、カラカラみたいな……。
 しかし、その怪物はその骨みたいなもの自体が顔なので、この例えとは違うかもしれません。

6: 2012/02/01(水) 18:10:53 ID:KuXWgJcw0

デウス「私は時間の神、デウス・エクス・マキナ」

梓「は、はあ……」

 まだ、私の中には「時間の神」という概念が生きていたことに驚きです。
 とりあえず寝転がるのを止め、私はベッドに腰をおろしました。
 それにしても、こんな部屋が私の頭の中でだけ想像できたとは思えません。
 まさか本当に、ここは私の知る世界とは全くの別世界で、妄想とか想像とかではなく、現実なのでしょうか。

?「まだ信じられないようじゃな」

 次に、ちっちゃい少女が現れました。
 その見た目は私より、うんと幼いように見えます。
 私自身が幼く見られることが多いにも関わらず、このように思えてしまうぐらい彼女は幼く見えてしまうのです。
 しかし、その口調は年相応とは言えず、むしろ私よりずっと歳を重ねた人物のように聞こえます。
 ホントに小さいな。
 後、ベッドの上でトウモロコシを食べないでほしい。

デウス「ムルムル、お前、事前に説明もせずに日記を渡したのか?」

ムル「まあ喜んでいるようじゃし、よいであろう。
 説明など、これからすればよいのじゃ」

梓(一体、何のことを言っているんだろう……?)

 何もわからない様子の私を見た、そのムルムルとか呼ばれていた少女が説明を始めました。
 この未来予知携帯は、「未来日記」と呼ばれるものなのだそうです。
 私が以前から使用していた携帯に、未来予知能力をつけただけのようですが、その能力は確かなもののよう。

ムル「そして、日記所有者同士はサバイバルゲームをしてもらうのじゃ!」

 私も合わせ、日記所有者は全部で7人いるらしく、その7人でサバイバルゲーム……いわば、「所有者として生き残るための戦い」をして

もらうらしい。
 ルールは非常に簡単で、所有者の日記を破壊すればいいだけ。
 もしくは所有者の命を奪えばいいそうなのですが、それに関しては触れないでおきます。
 最後まで生き残った者は、「時間の神になる」か「未来日記の永久所有」の権利を得ることが出来るということでした。

7: 2012/02/01(水) 18:11:29 ID:KuXWgJcw0

 私は、それに参加せずに永久所有する方法も考えましたが、恐らくそれは叶わないでしょう。
 仮に所有者のうちに一人でも「時間の神」になりたい者がいれば、確実に私の日記を破壊してくるはず。
 つまりこの日記を確実に、安全に、永久に所有するには、生き残るしかないのです。

梓「生き残った場合はわかりました。
 逆に日記を破壊された場合は、どうなるんですか?」

ムル「未来日記は持ち主の未来そのもの。
 それを破壊されることは、未来を失うということと同じなのじゃ」

梓「えっと、それどういう意味ですか?
 ま、まさか氏ぬとか……!?」

ムル「そういうことじゃ」

 これを失ったら、氏ぬ。
 突然の告白に目眩を覚えました。

ムル「まあ、ルールはこんなところじゃ。
 あらゆる方法を尽くし、生き残るのじゃぞ7th!」

梓「7th?」

ムル「おお、忘れるところじゃった。
 このゲームの参加者にはそれぞれ番号が振ってあるのじゃ!」

 こうした不思議な空間―――この空間とはまた別の―――で、全日記所有者が集合することがあるそう。
 そうした時、個人名が特定されないようにする配慮なのだとか。
 私は7th。7人中7番目の7thでした。

ムル「では、改めて……頑張るのじゃぞー!」

8: 2012/02/01(水) 18:12:05 ID:KuXWgJcw0

―――
――――――
―――――――――

 次に気が付いた時、私は自分の部屋にいました。
 携帯を取り出し、時刻を確認してみると既に1時を回っています。

梓(未来予知が本物だから、さっきのことも本物……だよね?)

 さっきのことが夢のように思えますが、携帯に表示された「今日の予知」を見た私は、その考えを捨てる他ないのです。

梓(今日の学校、どうしよう)

 日記を失った時のことを考えると、不安で仕方がありません。
 今日だけではありません。
 明日も明後日も、一週間や一ヶ月、下手すれば一年と続く不安。
 冷や汗がじわりと流れるのがわかります。
 心臓が萎むような、そんな感覚もしてきました。

梓(誰かに相談出来たら……)

梓(でも、仮に相談相手が日記所有者だったとしたら、取り返しのつかないことにならないかな?)

梓(先輩方の中に所有者がいれば、私が狙われる。何よりも、私の大切な日常が……大好きな先輩達との時間が壊れるかもしれない)

 不安は留まることを知らず、考えれば考える程に沸き上がります。
 こんなことではダメだ、そう思った私はさっさとベッドに寝転がります。
 疲れていたのか、思ったより早く、私は深い眠りにつきました。

9: 2012/02/01(水) 18:12:36 ID:KuXWgJcw0

―――
――――――
―――――――――

 あの日から一週間が経ちました。
 軽音部はいつも通りの平常運転でした……私以外は。
 周りの世界が変わっていないのですから、自分が変わったのでしょう。
 つまり私は、いつ所有者に襲われるかとか、そういった恐怖心と常にいたわけです。
 想像したのとは別のアプローチで、私の中の日常だけは壊れていきます。

 しかし、先輩達を心配させるわけにはいきません。
 変に心配をかけて、私の様子がおかしい理由を聞かれれば、それに私は答えられないから。
 そんな表向きの訳もありますが、本心は別にあります。

 先輩達の中に所有者がいたら?

 すなわち、私は先輩達を疑っているということです。
 最低の発想と思われても仕方の無いものでしたが、私に振りかかった事態は、そんな形振り構っていられない事態でありました。

 さて、私は普段通りを演じる必要が出てきました。
 そこで私の未来日記「伝聞日記」の出番です。
 私が今日一日、他人から聞くであろう情報を記録した日記。
 私は一日の始めに、この日記に書かれた内容を把握します。
 そして、それに対する私の返答等を予め用意しておくのです。

 私がいくら恐怖心に支配され、疑心暗鬼に悩んでいたとしても、返答さえ体裁を整えておけば、普段の私を装えるのではないか。
 そんな考えが私を動かし、今に至るのです。

10: 2012/02/01(水) 18:13:02 ID:KuXWgJcw0

 今日もいつも通りの放課後が終わりました。
 途中、唯先輩がお腹の調子を崩したとか言って、部室を出て行ってしまい、かなり練習時間が削られてしまったのが残念でした。
 何故残念なのかというと、あの律先輩が珍しく練習をしようと言いはじめたからなのです。

 あの律先輩がですよ。
 日記で予知していたとはいえ、それを実際に目の当たりにした私は衝撃を隠せませんでした。

澪「律、熱でも出したのか!?」

 と驚く、澪先輩。
 まあ平熱ですけど。

紬「太陽が、沈む……」

 と呟く、ムギ先輩。
 まあ夕方ですから。

唯「そんなのりっちゃんじゃないよー!」

 と泣き崩れる、唯先輩。
 あ、流石に泣き崩れたってのは言い過ぎですね。

 まあ律先輩が妙なやる気を出していたので、私も張り切ってしまいました。
 尤も、この後練習できないことは把握していたのですが。

 唯先輩の不調です。
 タイミング悪いですよ、唯先輩。
 アイスでも食べ過ぎたんじゃないですか。

 この部活は練習を出来ない呪いでもかかっているのでしょうか。
 何はともあれ、悪い意味で平常運転だった放課後が終わったのです。

 帰り道は途中まで唯先輩と一緒です。
 先輩後輩の間柄でありながらも、遠慮の無い会話が出来る軽音部の先輩達。
 そんな中でも特別遠慮なく話せるのが、唯先輩です。
 まあ、先輩の方から色々遠慮の無いことをしてくるのが、一番の原因なんだけど。

11: 2012/02/01(水) 18:15:28 ID:KuXWgJcw0

唯「今日はゴメンね、私のせいで練習殆ど出来なかったし……」

梓「気にしないでください、練習しないのはいつものことです」

唯「え~、それってどうなの~?」

梓「そうしてる元凶が、何言ってるんですか!」

唯「う……鋭いね、あずにゃん……!」

 本当に、この人との会話は楽しいし飽きない。
 例えるなら、常に猜疑心に支配された私を唯一癒してくれる、オアシスです。

 先輩と別れる道まで後少しというところで、唯先輩が気になる一言を零します。
 私だけに聞かせる、私以外に聞かれてはならない、そんな声で唯先輩は喋るのです。

―――誰かに付けられてるよ。

12: 2012/02/01(水) 18:15:58 ID:KuXWgJcw0

 私の心臓にこれまでに無い衝撃が走り、それが体中を不安で一杯にします。
 それから、体のあらゆる場所から冷や汗が染みでては、私の焦りを駆り立てて……次には、唯先輩の服をぎゅっと握っていました。

唯「怖がらせちゃったね……よしよし」

 唯先輩は私の背中を優しく撫でます。
 きっと唯先輩は、そのストーカーに対する恐怖心を和らげようとしているのでしょう。
 しかし私の恐怖心はそれよりも、もっと別の所にありました。

梓(まさか所有者が……?)

 バレてしまったのか?一体いつ、どこで。
 そもそもストーカーの正体は?所有者なのか。

 こんなこと、日記に書かれていなかった。

 私の悩みを知るわけもない唯先輩は、ただ震える私の体を抱いていてくれました。

唯「今日は、私の家においで?」

 その優しい声に、行為に、私は甘えることにしました。
 その時の私は、今までにない程、私ではありませんでした。

梓(私から、こんなにべったりなんて……)

 信じられない。
 しかし、こうでもしない限り、私の精神は壊れてしまうほどボロボロだったことを、自分自身に断っておきました。
 いつもの分かれ道に差し掛かりましたが、私は迷わず唯先輩の家に続く道を進みます。

13: 2012/02/01(水) 18:16:36 ID:KuXWgJcw0

唯「まだついて来てる……でも、大丈夫だよ。私が守ってあげる」

 妙に頼もしく思えてきた唯先輩の顔は、いつも異常にきりっとしていて、私を安心させてくれます。
 いつもの顔がアレだから、相対的にそう見えただけなのかもしれませんが。

 ストーカーから特に何をされるわけでもなく、私は無事に唯先輩の家にあがれました。
 家の中から、先輩の妹である憂の声が聞こえます。

憂「おかえり、お姉ちゃん。あれ、梓ちゃんも一緒なんだ?」

梓「あ、お邪魔します」

唯「あのね、憂……」

 唯先輩は憂にそっと寄ると、耳打ちで何かを伝え始めました。
 大方、先程のストーカーのことなのでしょうが、何故それを耳打ちする必要があるのでしょう?
 それともまた別のことを、憂に伝えているのでしょうか。

憂「うん、わかった。そういうことなら梓ちゃん、今日は泊まっていきなよ」

梓「え、いいの……?」

憂「うん!」

 平沢姉妹は、本当に優しく、私の不安を一生懸命消そうとしてくれました。
 お風呂から、もてなされた料理から、何気ない会話から、その温かさがにじみ出ています。
 気づけば時刻は23時半を過ぎています。
 平沢家の就寝時間を知っているわけではありませんが、そろそろ寝る準備をしてもいい頃なのではないでしょうか。

15: 2012/02/01(水) 18:17:54 ID:KuXWgJcw0

 私は憂の部屋に布団を敷き、寝ることにしました。
 唯先輩がしきりに「一緒に寝ようよ~」とか言っていましたが、ハッキリと断らせていただきました。
 何故かって、快眠のためです。
 あの人と寝たら、一晩中抱き枕代わりにされるに違いありませんからね。

 憂の部屋に一緒に入ると、憂だけが唯先輩に呼び出されました。
 まさか、憂の部屋に唯先輩が寝に来るという流れなのでしょうか。
 しかし部屋に戻ってきたのは憂だけだったので、それは杞憂だったようです。

 布団を敷き終え、憂が部屋の電気を消します。
 さっきまでハッキリと見えていた友人の部屋は、夜の外の暗闇と同じになります。

憂「おやすみ、梓ちゃん」

梓「うん、おやすみ憂」

 憂はどっかのぐうたら姉のおかげで、早起きをすることが日課となっています。
 そのせいなのでしょうか、少しの会話を交わしただけで、簡単に眠りについていました。

 さて、今日のことを少し整理しましょう。

17: 2012/02/01(水) 18:19:40 ID:KuXWgJcw0

―――――――――
――――――
―――

 唯先輩によって発見された、ストーカー。
 これは日記所有者か否か。
 ……答えは、所有者で確定。

 理由は簡単で、この日記にストーカーのことが記されていなかったからである。
 どうやらこの日記の内容と別の行動をすると、内容が書き換えられ、未来が変わるのだそう。
 一般人はこの日記の通りにしか行動出来ないから、この日記の内容を書き換えたのは、
 所有者―――即ちストーカー―――ということになる。

 少し捻くれた考えをするとすれば、所有者は唯先輩だったというパターン。

 私の日記の性質上、事実とはかけ離れていたとしても、聞いた話ならば記録してしまう。
 つまり唯先輩が所有者で、虚偽の発言をしたとするならば、それも書き換えに繋がるのだ。
 ……しかし、ストーカーの気配は私も確かに感じた。

 ストーカーがいたという事実は揺るがず、結局のところストーカー自身が所有者ということになる。
 結論が、出た。

―――
――――――
―――――――――

18: 2012/02/01(水) 18:20:23 ID:KuXWgJcw0

 こんな具合で考えを終えた私は、どっと疲れていました。
 なんにせよ、私が所有者であることが気づかれてしまったから。
 ふと、書き換わった内容を見たくなって、日記の内容をスクロールさせながら見ていきます。

 その内容は大分変わっていました……というか、まるで別物でした。
 何かとの戦闘中のような、そんな情報ばかりが目に映ります。
 そして、その不気味な内容の最後に、更に不気味な言葉が書かれているのです。

#==========





1:02 相手はやはり、私を狙っている様子。
   確実に、私に近づいてきているようだ。

1:10 後ろをとられた。

1:11 私を追う、くだらない理由を聞かされた。

1:13 -DEAD END-

#==========

梓「“DEAD END”って、何だろう……?」

 思わず呟いてしまいます。
 そういえば、あの不思議な空間に二度目の来訪をしたことがありました。
 その時の記憶を辿れば、確か「DEAD END」はゲームの敗北を意味するはずです。

梓「って、デッドエンド!?」

19: 2012/02/01(水) 18:21:05 ID:KuXWgJcw0

 下手な考えをする私に、とんでもない現実が突きつけられたのです。
 つまり今から約一時間後に、私は氏ぬ。
 いつかはそういう時が来るという覚悟はありましたが、実際に遭った私は、
 その覚悟がちっぽけなものだったと思い知るのです。

梓(マズイマズイマズイ……!
 このままだと私、確実に氏ぬ!
 それに、ここは平沢家……ここで氏んでしまったら、二人に迷惑がかかってしまう……!)

 私は恐らくここでじっと寝ていたら、いつの間にか殺されていたことでしょう。
 でもご安心を、私にはこの未来日記がある……きっと、この日記の内容を回避する行動をとれば、
 デッドエンドを回避することは出来るはずです。
 歯を食いしばりながら恐怖を何とか噛み砕き、布団から起き上がります。
 そして、聞こえていないでしょうが憂に少しのお礼を呟くと、私は部屋から出るためにドアノブに手をかけます。

20: 2012/02/01(水) 18:21:53 ID:KuXWgJcw0


 「どこ行くの」


 心臓が破裂してしまいそうなほど、私は驚きました。
 この声は、確かにベッドで寝ていた少女のソレでした。
 彼女は、起きていたのです。


 「ねえ、どこ行くの」


 ベッドから彼女が起き上がった音が聞こえました。
 じわりじわりと、彼女が近づいてきていることを背中が感じ取れます。
 彼女が一体どんな顔をしているのかわかりませんが、振り返って確認しようにも、その部屋の空気がそれを許しません。
 一言でそれを言い表すなら、狂気。


 「質問に答えてよ」


 私の背後に立った彼女は、私の耳元でそう囁きます。
 先程まで優しさを纏った彼女の天使のような声は、私の耳を通して狂人の言葉に変換されます。
 実際に狂人の言葉だったのかもしれませんが、私にそれを確認する術は無く……。
 その場で私はストンと座り込んでしまうのです。


 「じゃあ質問変えるね」


 彼女は姿勢を低くし、座り込んでしまった私の耳の位置に顔を持ってきます。
 そしてまた、同じように囁くのです。
 この恐怖はあの所有者と思われるストーカーとは比べ物にならないもので、私の中にある光を次々と蝕んでいくのです。

21: 2012/02/01(水) 18:22:28 ID:KuXWgJcw0


 「氏にたくない?」


 時が止まったような、そんな感覚に襲われます。
 ……確信しました、背後の彼女もまた、日記所有者なのです。
 同時に私は、氏の恐怖でどうにかなりそうでした。
 ここから叫べば、唯先輩が私を助けてくれるのではないか。
 さっきまで迷惑をかけないことを考えていた私から、とんでもない考えが浮かび上がってくるのです。


 「大丈夫だよ、梓ちゃん。こっち向いてくれる?」


 不意に彼女は、私の後ろから抱きついてきました。
 もし、ここで私が振り返って、後悔したとしたら……それはそれでいいのかもしれません。
 いずれにせよ、私は氏んでしまうのですから。
 それに彼女は「大丈夫」と言ってくれましたから、大丈夫なのです。
 きっと痛い思いをせずに、私を楽にしてくれるはずなのです。

梓「う、憂……?」

 ゆっくりと振り返ると、そこには……






 いつもの友人の顔がありました。
 私を心配するような顔で、じっと見詰めてくるのです。
 それは先程感じた狂気を微塵も感じさせない、そんな表情でした。

22: 2012/02/01(水) 18:22:59 ID:KuXWgJcw0

憂「うんうん、怖いよね。でも、大丈夫だからね」

 0時30分。
 私が氏ぬまであと40分程だというのに、私は不思議と安心感に浸っていられました。

憂「きっと梓ちゃんは、今のままだと氏ぬ。
 だから、このデッドエンドフラグを、書き換えなくちゃ」

 ああ、やっぱり。
 彼女は日記所有者だったのでした。

梓「……いつ、私を所有者だと、気づいたの……?」

 この疑問がやはり出てきてしまいます。
 そう、ストーカーに何故バレたのか、そういう疑問よりも前に、目の前にある疑問を解決しておきたかったのです。
 ……さっきデッドエンドとか言っていたのを、聞かれてしまったのか?

憂「一つは、私の日記“お姉ちゃん日記”のおかげかな。
 この日記は、お姉ちゃんの行動が逐一記録されるものなんだ」

 姉想いの、憂らしい日記だな。
 ちょっとピンポイントすぎる気がする、っていうか自分の未来はわからんのかい。

憂「で、さっきお姉ちゃんが帰ってくる少し前に、内容が書き換えられたんだ。
 “通常通り帰宅”するはずが、“梓ちゃんを連れて帰宅”にね。
 これでお姉ちゃん、もしくは梓ちゃんが日記所有者に関係したことになる」

 うん、それはストーカーが所有者だから。
 ストーカーに付けられた私、そして私と一緒にいた唯先輩の未来が変わったということだ。

23: 2012/02/01(水) 18:23:35 ID:KuXWgJcw0

梓「うん、それはわかるよ。
 でもまだ、私を所有者と断定するには早いんじゃないかな?」

憂「そこで、二つ目の理由。
 これも断定出来る証拠と呼ぶには、程遠いものなんだけど……梓ちゃんの様子かな」

梓「様子……?」

憂「だって梓ちゃん、まるで自分がストーキングされているような様子だったんだもん。
 お姉ちゃんが対象である可能性だって、十分にあるんだよ?」

 そうでした。
 その可能性を考慮するのを、私は異常な焦りからすっかり忘れていました。
 確かにあの時の態度、まるで私一人がストーカーに狙われているように見えたのかもしれません。
 唯先輩が狙われていた可能性も、十分にあったというのに。
 自虐になるかもしれませんが、私より魅力があると思うのです、唯先輩には。

 つまり日記所有者―――今回はストーカー―――と接触した際、露骨に焦っていた私を見た憂が、
 私自身も日記所有者であることに気づいたのでした。
 単純で見事で、私自身が非常に浅はかでした。

憂「だから梓ちゃんは、日記所有者なんだよ」

梓「すごいね憂……全部正解だよ」

 褒められた憂はえへへと少し笑った後、真剣な表情になって私の顔をじっと見てきました。
 今まで一度も目にしたことのない友人の顔に、私は思わずたじろいでしまいます。
 友人の命が関わっている者が見せる顔、というものなのでしょうか。

30: 2012/02/02(木) 01:00:16 ID:jhHwj.Y60

憂「まずはこの家を出なくちゃ」

梓「でも、外には私を狙った所有者がいるんだよ?」

憂「行動を起こさなくちゃ、デッドエンドは回避できない。
 未来を変えることって、思ったより難しいんだよ?」

 憂は私なんかよりもずっと大人で、このサバイバルゲームで生き残る方法を熟知していました。
 今は、憂に頼っていれば生き残れる気がします。
 とりあえず憂に言われた通り、家を出ることにしました。

 外に出ると、空には光り輝く星たちは無く、雲に覆われていました。
 ぼうっとした月明かりが、雲の薄い部分から覗けるぐらい。
 昼間の熱気がまだ残った夜は、非常に過ごしにくいものでした。

31: 2012/02/02(木) 01:00:51 ID:jhHwj.Y60

憂「そうだ梓ちゃん。梓ちゃんの日記はどんなものなの?」

梓「私のは“伝聞日記”といって、人から聞く話を記録していく日記なんだ。
 ……まあ、その情報の中には当然デマも含まれているわけなんだけど……」

憂「成る程ねー。ちょっと見せてくれる?」

梓「うん、いいよ」

 憂は私の日記に書かれた内容は端から端まで読んでいました。
 大切な情報を何一つ取りこぼさないよう、慎重に。
 大方終わると、なるほどね、とだけ言って、私に携帯を返却しました。

憂「とりあえず日記から分かることは、そのストーカーさんは梓ちゃんを狙う何らかの理由があるということ。
 そして、その理由がくだらないということ」

憂「つまりストーカーさんは梓ちゃん、或いは軽音部の関係者だと思うよ」

 軽音部というワードについピクリと体が反応してしまいます。
 私がここまで頑張ってきたのは、何よりも軽音部で過ごす日常を大切にしたいからなのです。
 ですから、その関係者ともなると、少しでもその日常に影響を与えてしまうのは確実。
 恐れていた事態が起きてしまった私は、とっさに話題を変えます。

32: 2012/02/02(木) 01:01:25 ID:jhHwj.Y60

梓「ねえ、憂。これから何処へ行くの?」

憂「とりあえず、こっちに行こう。
 反対側に行くと、隠れ場所に困っちゃうから……」

 成る程、とりあえず身を隠す場所を探すわけでした。
 憂は元々何でも出来る子で、こういう時でも冷静な判断が出来るいい子でした。
 どっかの先輩も、たまにそういう一面を見せてくれます。

 憂と共に道を進もうとした時、私の未来日記にノイズが走りました。
 これは、未来が書き換わった音。
 憂の未来日記も、同じ音が鳴っています。

憂「どう、デッドエンドは回避された?」

梓「……ダメだ、時間が先延ばしになったぐらいだよ」

憂「……そっか……。
 ゴメンね梓ちゃん、今晩はまともに寝ることも出来ないかもしれない」

梓「憂が謝る必要なんて無い、大丈夫だよ。
 私は、私の氏を回避させようと頑張ってくれる憂に感謝してるんだよ?」

憂「……ありがとう、梓ちゃん!」

 口では感謝の気持ちで一杯だと言いましたが、実際には違いました。
 私の中にあったのは感謝の気持ちと、それを大きく上回る氏への恐怖です。
 どうにかして、何としてもこのデッドエンドを回避しなくては。
 そう思うと、私はまるでデッドエンドから逃げ出すように、その道を走り始めました。

33: 2012/02/02(木) 01:02:14 ID:jhHwj.Y60

 走っている最中にも、日記にはノイズが走りつづけていました。
 何回も憂と共に書き換わった未来を見るのですが、そこあるのは「-DEAD END-」。

 数十分ぐらい走った頃でしょうか。
 丁度隠れるのにぴったりの廃ビルを発見し、そこへ逃げ込むことにしました。
 その廃ビルは3階建てで、中は少しの電気もついていないために真っ暗でした。
 私達は自身の携帯の明りを頼りに、頂上まで登っていきます。
 途中、またノイズが走りますが、結局氏の時間が先延ばしになったのみ。
 デッドエンドの回避は、予想以上に骨の折れる作業だったようです。

 ついに頂上まで登りました。
 ここまで逃げれば、相手が簡単に近づくことは出来るとは思えません。
 ここから下に下りる手段は二つあるので、その片方からストーカーが追ってきたとしても、もう片方から逃げればいい話。
 非常に単純ですが、時間の稼ぎ方としてはかなり合理的でした。

 ついに安心しきった私ですが、憂にその様子は見えません。
 むしろ、さっきより焦っているような、そんな気さえするのです。

34: 2012/02/02(木) 01:03:01 ID:jhHwj.Y60

梓「どうしたの、憂?」

憂「……さっきから梓ちゃんの日記は、書き換えられてばっかりだったよね?」

梓「そうだけど?」

憂「ちょっと日記をまた見せてくれる?」

梓「どうぞ」

 何を心配しているのでしょうか。
 私は携帯を憂に手渡します。

憂「……頻繁に書き換わる未来、走った距離に対応している……?
 いや、このデッドエンドの時間までの間隔が、どんどん狭まってる……?
 ……そんな、まさか……!」

 日記をじっくり見ていた憂の額から、汗が滴るのがわかります。
 一体、何をそんなに恐れているのでしょうか。

35: 2012/02/02(木) 01:03:28 ID:jhHwj.Y60

憂「梓ちゃん、落ち着いて聞いてね。
 この日記が頻繁に書き換えられていたのはわかるよね?」

 突然、憂はまたあの真剣な表情をし始め、私に確認を取ります。
 私はとりあえず頷いておきました。

憂「それは異常なんだよ。
 私達はずっと走り続けていたんだから、その未来がしょっちゅう変わることなんて有り得ない」

 つまり、私達が立ち止まるでもしない限り、通常は未来が変化しないはずだった。
 それは走り続けている私達ではなく、ストーカーの日記所有者が未来を変えていたということになる。

憂「そして、もう一つ。
 さっきから現在時刻とデッドエンドまでの時間間隔が狭まり続けてる」

 初め、私が殺されるまで40分の猶予がありました。
 それが今は……残り15分。
 確かに先延ばしになっていたデッドエンドでしたが、進む時間よりも先延ばしになった時間が短かった。
 これに気づくことが出来なかった、それが私達の最大のミスでした。

憂「つまりね、梓ちゃん。

 そのストーカーさんは、常に私達を後ろから追っていた……今現在もね」

36: 2012/02/02(木) 01:03:59 ID:jhHwj.Y60

 後ろから徐々に近づきながら、ストーカーは私達を追っていた……今現在も。
 私はその事実を突きつけられ、息が止まるような思いをしました。
 つまり、それは、この廃ビルにストーカーがいるということなのですから。

 突然、非常階段のある方から扉を閉めた音が聞こえました。
 恐らく階段の地上階、つまり外に出ることの出来る扉を閉め、その外側に何かの障害物を置いたのでしょう。
 外に出るための扉は外に開くように出来ているので、外側に障害物があれば開けることは出来ません。
 逃げ道の片方が塞がれました。
 日記から未来が書き換えられた音が聞こえます。

 終わりました。
 私は、逃げることに必氏になっていたから、周りに注意を払うことが出来なかったのです。
 もう片方の逃げ道から、足音がコツコツと聞こえてきました。
 私は、逃げることに必氏になっていたから、大切な友人を巻き込むことになってしまいました。
 その友人は、私を守ろうと頑張ってくれたのに。

 私は、へなへなとその場に座り込んでしまいました。
 そして憂にゴメン、ゴメンと言いながら、腕を目にあてて泣きながら謝るのです。
 こんなことで罪滅ぼしになるとは思っていません、しかしそれが私の精一杯の謝罪でした。





 その時。
 私の口に、優しい感触の何かが、当たりました。

 それは、すごく温かい。
 すぐに、その感触は離れましたが。





 驚いて何も口に出せない私でしたが、目にあてていた腕を一旦下ろし、憂の顔を見ることにしました。
 憂は……笑っていました。

37: 2012/02/02(木) 01:05:23 ID:jhHwj.Y60

憂「梓ちゃん、まだ終わってないよ。
 私が絶対に守ってあげるからね」

 そう言って正面に立った憂は、その腕を私の背中に回して、そっと抱き締めてくれました。
 星も見えなければ、月明かりも殆ど降り注がない暗闇の中なのに、憂の腕の中にいると不思議な安心感が生まれてきます。

梓「うん、もう大丈夫。ありがと」

憂「そっか……じゃあ、次の作戦を考えなくちゃね」

 私と憂はとりあえず暗闇を利用し、ここなら発見されないだろうという場所に身を潜めました。
 そこで私は、これからどうするのかを熟考し始めました。

38: 2012/02/02(木) 01:06:15 ID:jhHwj.Y60

―――――――――
――――――
―――

 今、二つある逃げ道の一つは塞がれた。
 もう一つの逃げ道からは、私を狙った所有者が屋上に上がってくる。
 選択肢はもう無くって……つまり、返り討ちにするしかない。

 日記の内容が気になり、覗くが「DEAD END」は覆っていない。
 その時刻が刻々と近づくだけだった。

 こつこつこつ。
 階段を上がる音が、徐々に近づいていく。

 ここで憂はあることに気づいた。
 階段を上る音が、聞こえては途切れ、聞こえては途切れるのだ。
 つまりこれは、各階を調べているということになる。
 日記があるにも関わらず、何故各階を調べる必要があるのか。

 簡単だ。

 相手の日記も、情報が限られている。
 私の日記は情報量こそ多いが、耳にしなければ意味が無いために、情報の範囲が狭い。
 何よりデマだって記録されてしまう。
 憂の日記は説明不要の超ピンポイント日記。
 はっきり言って、武器になり得ないものだった……のに、憂は頭がいいから何だかんだで戦えてそう。
 まあ、まとめると、全ての日記には「弱点」がある。

 ここで、その弱点を考えたい。
 相手の日記の情報は、一体何に絞られているのか。
 私を追っていたとき、そのコースを見失うことは無かった。
 つまりその時点では、日記は「有効」だった。
 いつ、どの時点で日記が「無効」になったのか。

 この廃ビルに訪れてから?

 いや、それでは正確ではない、そんな気がする。
 よく思い出すんだ、今までで見落とした情報は無かったか?

 そういえば、私達は二つあった逃げ道の一つを塞がれてしまった。
 つまり私達には逃げ道が二つあることを、相手は把握していた。
 日記の力だろう。
 そこまでは完璧に私達のことを付けていた。

 そこでストーカーは確実に私達を仕留めようと、片方の鍵を締めた。
 ここでノイズが走った―――未来が変わった―――わけだ。

 ……結論が、出た。
 ストーカーの持つ日記が効果を持たなくなったのは、逃げ道の一つを塞ぎ、もう一つの逃げ道から私を追おうとしたときから。
 ここで変化したのはストーカーではなく、私達自身だ。

 ストーカーの日記は、いかにもストーカーらしく、「未来、自身から逃げる者を記録する」のでは無いだろうか。
 つまりストーカーはあのまま私達を追っていれば、まだ日記の恩恵を受けることが出来たはず。
 しかし逃げ道の片方をストーカーが塞いだことで、私達は逃げるという選択肢を捨てた。
 ここで、私達の動向を予知することが出来なくなる。
 恐らくそのストーカーの日記には、私達を頃すことは記録されていない。
 あくまでも私達は対抗しようとしているのだから。

 目を離した隙に、私達がもしかしたら違う階に移動しているのかもしれない。
 予知ができなくなったストーカーは、全ての階を確認しながら、階段を上がらなくてはいけない。

 ……全てに合致した。
 恐らく、いや絶対そうだろう。

―――
――――――
―――――――――

39: 2012/02/02(木) 01:06:59 ID:jhHwj.Y60

憂「そこまで推理出来るなんて……梓ちゃん、すごいよ!」

梓「えへへ……でも、まだ確実にソレとは限らないからね。
 注意を怠ったら、ダメなんだから」

 そう、まだ確実にそうだとは決まっていないのです。
 ですが、相手が私達を見失っているのも、また事実。
 これを利用せずに、いられるでしょうか。

 私達は作戦を立てました。
 狙うのは、相手の日記の破壊。
 物陰に隠れ、相手の視界に入らないように注意しつつ、相手が日記を取り出したところを二人で狙う。
 そういう単純な作戦でしたが、これしかありませんでした。

 日記を破壊する方法ですが、私はただ奪ってへし折るものかと思っていました。
 憂が、果物ナイフを取り出すまでは。
 念のために持ってきておいたんだ、と憂は言いますが、薄っすらと夜を照らす月明かりに反射して光る刃が正直怖いです。
 まあ、よほどの急所でない限り、果物ナイフで簡単に人の命が奪えるとも思えないので、その点は触れないことにします。

40: 2012/02/02(木) 01:07:32 ID:jhHwj.Y60

 コツコツとストーカーが階段を上がる音から、もうすぐ来るということがわかりました。
 憂とは別の物陰で待機します。
 そして、その足音は、ついに屋上にたどり着きました。

 暗闇でその姿を完全に捉えることは出来ませんでしたが、見たところ暗視ゴーグルをつけているようです。
 服装は通常……これは、女性のものでしょうか?
 胸の膨らみを確認します。
 ありました、ストーカーは女性です。

 ストーカーの彼女はきっと、日記に何も書かれてなくて、焦っているはず。
 不意に内容が追加されるのでは無いだろうか、そう思って日記を取り出す、その時を狙う。

 ぐっと息を頃し、彼女を観察しつづけます。
 そういえば、憂はどこに隠れたのでしょうか?
 せめて隠れた位置だけでも把握しておかなければ、いざという時に連携を取りにくいのでは?

 しかし、そんなの杞憂だった、そう思わせてしまう物音が聞こえます。

 がたん。

 ……え、物音?

41: 2012/02/02(木) 01:08:05 ID:jhHwj.Y60

梓(憂、見つかっちゃうんじゃ……!?)

 その物音をストーカーは聞き逃さず、その音を頼りに暗闇の中へ消えていきました。
 きっと、その方向に憂がいるのです。

梓(マズイ……いや、違う?
 これは、憂がわざと日記を取り出させようとしている作戦……?)

 そうだとすれば、私がするべき行動はただ一つ。
 ストーカーの日記を……破壊する!

 そう決めた私は、一目散に音のした方向へ走りだしました。
 覚悟を決め、そのストーカーの後を追います。


 ドサッ。
 何かが倒れた音がしました。


 目の前には、赤くて、鉄臭い水溜りが出来ていました。
 その鉄臭い水溜りの中心にいたのは、倒れているストーカーと、呆然と立ち尽くした憂でした。
 憂の持っている果物ナイフは、水溜りと同じ色で染められていました。
 何が起きたのか、一目瞭然でした。

42: 2012/02/02(木) 01:09:25 ID:jhHwj.Y60

憂「あ、ずさ……ちゃ……ん……?」

 しかし憂は、何が起きたのかわからない……そんな様子だったのです。
 私はそんな憂に近づき、手にもった果物ナイフを捨てさせました。
 そして、思いがけない事態を受け止めきれない憂を、私は抱き締めてやりました。

憂「わ、私……こんな、つもりじゃ……!」

梓「わかってる、わかってるよ!」

 憂が言うことには、あのストーカーが憂の所へ近づいてきた所で、日記を取り出したようです。
 それを見て咄嗟に、その日記にナイフを当ててやろうとしたのですが、相手は驚きで後ずさりしてしまい、
 狙いがずれて、相手の動脈を切ってしまった。
 後は見ての通り、この様です。

 粗方の説明を終えた憂は、泣き崩れ、自分を咎め続けました。
 もっと慎重にやっていれば、もっと丁寧に狙っていれば。
 しかし起きたことは、もう変えられない……未来予知能力者でも、それは無理な話なのです。

43: 2012/02/02(木) 01:09:58 ID:jhHwj.Y60

 私は倒れているストーカーの女性に目をやります。
 どこかで見たことのあるような、その女性の携帯を探し……落ちているソレを、拾い上げました。
 そして、それをへし折ります。


 パキッ!


 彼女の携帯は無残な姿に成り果てると、ストーカーの顔が歪み始めました。
 それだけではありません、体が歪み、ぐるぐると渦巻き、そしてそこからいなくなってしまいました。
 このゲームの敗北とは、あまりに呆気なく、無残な終わり方をすることでした。

憂「……あの人、確か前生徒会長さんだよ……」

 そうか、道理でどこかで見たことのある顔だと思ったわけでした。
 そんな人がストーカーをやっているのは、どうかと思いますが。

梓「元とは言えど、桜高の人を、頃しちゃったんだね」

憂「……ううっ……」

梓「大丈夫だよ、憂。
 私達が罪を被る必要は一切無い、最初に襲ってきたのは彼女なんだから」

 この言葉を放った瞬間、私の中で何かが崩れ去る音が聞こえました。
 そして、急に体が軽くなり、途端に楽な気持ちになれたのです。
 何が崩れ去ったのか、それは明白でした。

梓(私の中の正義感が、壊れ始めた……)

44: 2012/02/02(木) 01:10:27 ID:jhHwj.Y60

 腕の中で泣き続ける憂を慰めると、私達はゆっくりとその場を後にしました。
 空は、まだ暗いように思えました。
 でも何故でしょう、今はこの暗闇が心地よいのです。
 それはやはり、捨てきれない正義感に苛む私と、人の命を計らずとも奪ってしまいそうになった憂を、
 世間の目から隠してくれるからでしょうか。
 私と憂の歩くその道には、もとより他の誰もいなかったのですが。

45: 2012/02/02(木) 01:11:13 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 憂と共に家に戻ると、時刻は既に3時過ぎ。
 今から寝るとしたら4時間しか寝れません。
 とはいえ、朝には学校へ行くので、私は早めに寝ることにしました。
 憂は自分についた血を洗い落とすために、お風呂へ入っていきました。

 憂はお風呂へ向かう際にも涙目になり、自分が鉄臭い、鉄臭いとボロボロになりながら嘆いていました。

 そんな憂を見届けて、私は先に憂の部屋に行きます。
 出て行った時と、何の変化もない部屋。
 唯一変わったものは、この部屋にいる私自身。
 そこに敷かれた布団に寝転がり、目を瞑ります。

梓(……もう、ね……)

 頭の中でちょっとの考え事をすると、私はすぐに眠りの世界へ誘われました。
 ぐっすりです、疲れていたのでしょう。
 おやすみなさい。





―――その時は、気づくことが出来ませんでした。





 憂が、ドアの隙間から、私を見ていたことに。





第一話
「みらいよち!」
-完-

47: 2012/02/02(木) 01:15:58 ID:jhHwj.Y60

 -第二話-

 あの騒動があった次の日。
 私が目を覚ますと、見えるのは見慣れない天井。
 見慣れないというのは当然で、ここがただ単に友人の部屋というだけでした。

 あの一晩だけで、私の中の何かが変わってしまいました。
 自分自身が変わるだけで、世界もまるで別の物に見えてきます。
 今見えている世界は、あくまで自分自身というフィルターを通して見ているものであるということを聞いたことがありますが、
 それは本当のようでした。

 さて、ベッドの上で寝ていた友人は既に起きているようです。
 現在時刻6時55分。
 これでも結構な早起きだと思うのだけれど。
 憂、早起きすぎ。

 自分の寝ていた布団をたたみ、部屋の隅にやると、急に意識が遠のいていきました。
 この感覚は、依然あの不思議な空間に行ったときのものと似ています。
 デウスが、呼んでいるのでしょうか。

48: 2012/02/02(木) 01:17:02 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 案の定、私はあの不思議な空間にいました。
 しかし今までの空間とは違い、自分が立っていたのは円形で、金属っぽいものの上。
 周りには壁が無く、これまでの空間を部屋と呼ぶことが出来たことに比べ、これはただ空を飛ぶ巨大な浮遊物。
 よく見ると、私の立っている円形のソレと同じものが、規則正しく7つ、円状に並んでいるようです。
 その上にも、一つを除き、それぞれ人が立っています。
 姿こそ確認できませんが、確かに人です。

 円形に並べられたソレの中心に、どこかで見たことのあるような椅子が。
 これは確か、デウスが座っていたものと同じ。
 ていうか、デウスがいた。

デウス「ふむ、集まったか」

 デウスが人を一人一人確認し、話し始めます。

デウス「選ばれた所有者たちよ、よくぞ来た。
 各々が、明日を生き残るために戦っているのだろうが、ここで一つ報告をしよう」

デウス「つい昨晩、3rdが敗北した」

49: 2012/02/02(木) 01:17:53 ID:jhHwj.Y60

 集まった所有者たちはざわめきます。
 恐らく、私達が昨晩返り討ちにしたストーカーのことでしょう。

デウス「トドメを差した7thは、デッドエンドフラグが立っていた。
 それにも関わらず、日記を破壊し、返り討ちにしたのだ」

 私がトドメをさした、という言葉は非常に性格でした。
 何故なら、あくまでも携帯をへし折ったのは私なのですから。
 尤も、一番の貢献者は憂なのですが。

?「デウス、それは非常に珍しいことなのか?」

 所有者の一人が質問します。
 どうやらそういう質問や提案は、自由のようです。

デウス「当然だ。これはあらゆる偶然が重なり起きた、いわば奇跡というもの」

 それをやってのけたのは、他でもなく憂なのです。
 私が褒められる筋合いはありません。

デウス「7thは、この戦いでキーマンとなる存在だろう」

 何を、言っているの、でしょう。
 そんなこと言えば、私が狙われるんじゃないか?

?「成る程……7thは早めに倒しておくべきのようだな」

 何てこった。

梓「ちょ、勝手なこと言わないでください、デウス!」

 さっきまで喋っていた所有者とは別の所有者が喋ります。

?「……ふ、7th……必ず、あなたの正体を突き止めてみせましょう」

 本当に、マズイ展開になってきました。
 どうしよう、どうしよう、どうしましょう。

50: 2012/02/02(木) 01:18:18 ID:jhHwj.Y60

 するとまた違う所有者が、デウスに語り掛けました。

?「デウス。この集まりは、所有者の誰かが敗北する度にあるのですか?」

デウス「そのつもりだが……?」

?「それは非常に面倒なことだと、私は思います。
 よって、これからは所有者の敗北を何らかの形、例えばメールのようなもので伝えることは出来ないでしょうか?」

 何の意図を持って、その提案をしたのかはわかりませんでした。
 しかし、集まるだけで私が注目されているこの現状を考えれば、それは非常に有り難いものでした。

デウス「ほう……よかろう」

?「ありがとうございます」

 その所有者の提案は特に問題なく通りました。
 これで所有者の誰かが敗北した際、それが全員にメールで伝わることになります。

 結局、私が注目されただけで、その集まりは終わりを告げました。
 本当に私が一方的に損をしただけです。
 まあ、まだ正体が掴まれていないなら、問題ないんですけど。

51: 2012/02/02(木) 01:19:04 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 意識が戻ると、私は憂の部屋に突っ立っていました。
 下の階から朝ご飯を作っている音が聞こえるので、憂も戻ったのでしょう。
 私はキッチンにいるであろう憂と、話がしたくなりました。

 キッチンでは案の定、憂が料理を作っていました。
 昨日、人を頃してしまったのにも関わらず平常心を保っていられるのは、憂に図太い精神があるからなのでしょうか。
 それとも、痩せ我慢?

梓「おはよ、憂」

憂「あ、おはよー梓ちゃん!」

 梓ちゃんってご飯派?パン派?と、割とどっちでもいい質問をしてきたので安心しました。
 憂は極めて平常でした。

梓「そんなことよりも、さっきの集まりなんだけど……。
 あの提案したの、憂?」

憂「……うん」

梓「私を、助けるため?」

憂「そう。だって、梓ちゃんが狙われたら私、悲しいもん」

 こんな戦いの中で、憂は他人のことまで気遣えるんだな。
 思わず感心してしまいます。

52: 2012/02/02(木) 01:19:57 ID:jhHwj.Y60

 それから唯先輩を叩き起こし、三人で賑やかな朝食を迎えます。
 私は一人っ子だったため、こうして姉妹の賑やかな朝食は初めてで、どこか新鮮なものもありました。
 楽しい時間が終わり、ついに学校へ行く時間です。

 いつの間にか洗濯されていた私のワイシャツを着て、出発します。
 因みに今日は日記の内容を把握していません。
 私が所有者であると気づかれたのは、きっと私が日記の内容を把握していたから。
 完璧すぎる対応が、逆に不自然だったのでしょう。
 狙ってやっていたことが、かえって裏目に出ることもあるものです。

 学校では、まあ何も変わらない時間を過ごすことになりました。
 まだ誰にも発見されていないのでしょうか、あのストーカー―――即ち前生徒会長―――は。

53: 2012/02/02(木) 01:20:38 ID:jhHwj.Y60

 昼休みになりました。
 私と憂と純、いつもの三人組でお弁当を食べます。
 トイレに行こうとした私に、憂が「私も」と言って、ついて来ます。

 トイレを済まし、手を洗っている時、周りに私達以外誰もいないことに気づきました。
 ということなので、私は昨日聞きそびれたことを聞こうと思い、憂に話し掛けます。

梓「ねえ、憂。昨日のことなんだけどさ」

憂「うん?」

梓「その……何で、私を守ろうと、してくれたの?
 友達だからってのはわかるよ、でもそれ以上に、憂から真剣さが伝わってくるというか……」

 憂が少し黙り込んでしまいました。
 聞いてはいけないことだったのでしょうか、私は咄嗟に話題を変えようとします。

梓「あ、ゴメン。それでさ」

憂「簡単だよ、お姉ちゃんのためだよ」

 呆気なく答えられてしまいました。
 ん、唯先輩のため?

梓「どういうこと?」

憂「……この“お姉ちゃん日記”に、書いてあったんだ。
 梓ちゃんが氏んで、お姉ちゃんが悲しむって。」

 昨日、私が日記の通りに氏んでいた場合の未来でしょうか。

憂「でも、私はお姉ちゃんに笑っていて欲しい。
 だからお姉ちゃんの大切な人を、絶対に氏なせたりしない。
 だから、あれだけ頑張れた」

54: 2012/02/02(木) 01:21:12 ID:jhHwj.Y60

 本当に、姉想いの妹なんだな。
 改めてそう思ってしまいました。

憂「だから、お姉ちゃんを悲しませようとするやつは、誰であろうと……返り討ちにする。
 梓ちゃんを狙うやつも同様に、ね」

 怖いよ、憂。
 まさかこれが噂に聞く、ヤンデレというものなのでしょうか。

梓「は、ハハ……ありがと、憂。
 理由は何であっても守ってくれたんだしね、本当に助かったよ」

憂「でもね、この理由がなくても、梓ちゃんは大切な友達だから守ってあげてるよ」

 優しいな、憂。
 憂はヤンデレじゃないよ。
 さっきまでの自分を心の中で殴っておきました。

 教室に待たせていた純のことを思い出した私達は、急いで教室に戻ります。
 純は、頬を膨らませて怒っていましたが、まあ問題はないでしょう。
 扱いが酷いのはいつものことなので、本当に問題ないです。

55: 2012/02/02(木) 01:22:12 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 放課後がやってきました。
 私は教室の友達と話を少しした後、部室に駆けて行きました。
 日記を見ていない私は、今日練習するのかしないのか、それがわからなく、それが楽しみだったのです。
 何となく、日記を見なくてよかったと思います。

 部室につくと、まだ全員が集まったわけではなさそうでした。
 そこにいたのは、律先輩と澪先輩、それに和先輩でした。
 和先輩がいたということは、律先輩が何らかの書類を出し忘れたに違いありません。
 叱ってやりましょう!

梓「律先輩!また書類出し忘れたんですか!」

律「ち、ちげえよ!
 今回の和は、澪に用があるんだってば!」

和「まるで私は毎回、律に用があるような言い方ね……。
 ほぼ間違いではないんだけど」

律「どうも、すんません」

 何ということでしょう。
 私の勘違いだったようです、本当にゴメンなさい律先輩。
 日記を見ていないだけで、このミス。
 とはいえ、何となく見てて楽しかったので、よしとします。

56: 2012/02/02(木) 01:22:55 ID:jhHwj.Y60

律「で、梓。お前は私を疑ったわけだが……?」

 律先輩が、いつの間にか私の背後に!
 しまった、あの例の技が来る!


 チョーキングじゃないよ、チョークスリーパーだよ?


 あ、お花畑だ。


 律先輩からの制裁も終わり、話を戻します。
 あの時見えたお花畑は、氏後の世界なのでしょうか。
 すげえ体験しちゃいました、私。

 ああ違う、今はそのことじゃない。

57: 2012/02/02(木) 01:23:36 ID:jhHwj.Y60

梓「それで、澪先輩に用っていうのは?」

和「澪のファンクラブの子のメールアドレスが欲しいのよ。
 これから集まりがあったとき、連絡が楽じゃない?」

梓「ああ、なるほど、そういうことでしたか」

和「今になってファンクラブ会長ぶるのもアレだけど、やっぱり前生徒会長から任されたことだしね。
 やれるだけのことは、やっておきたいのよ」

律「和は真面目だなー。
 もっと気楽にやっても、いいんじゃねえの?」

澪「お前はもっと真面目にしろ。
 後、和には悪いんだけど、私は会員のメルアドを全部知ってるわけじゃないんだ」

和「まあ、それもそうね。
 仕方ないから自分で何とかするわ、ありがと」

 そういうと和先輩は部室を出て行きました。
 本当に真面目な人なんだな、唯先輩の面倒を見てきただけあって。

58: 2012/02/02(木) 01:24:15 ID:jhHwj.Y60

 少しするとムギ先輩と唯先輩が部室に来たので、やっとのことでティータイムが始まりました。
 練習を始めたかったな……。
 ティータイムもそれなりに楽しいけど。

梓「って、これじゃダメです!
 そろそろ練習しましょう!」

澪「そうだな、いい加減だらけすぎだ」

律「私、パスいち!」

唯「じゃあ私は、パスに!」

紬「唯ちゃん、りっちゃん……そろそろ練習しないと、文化祭に間に合わないよ?」

 そうです、すっかり忘れていました。
 私達、文化祭があるじゃないですか!

 夏休みが終わって間もない今日、ここで練習しないでいつ練習するのでしょうか。
 文化祭を終えてしまうと、三年生の先輩達がこうして集まることも難しくなるはずです。

梓「さあ二人とも、文化祭に向けて練習しますよ!」

 文化祭という言葉に反応したのでしょうか、渋々ですが二人が立ち上がりました。
 やっとのことで、軽音部の活動が始まりました。
 ここ、軽音部なんですがね。

59: 2012/02/02(木) 01:25:07 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 部活を終え、ついに下校時間がやってきました。
 久々の練習だったせいか、思ったより出来が悪かったように思えます。
 特に、唯先輩が。

 帰り道、三人の先輩と別れ、唯先輩と二人きりになります。
 唯先輩は昨日のことで、私を心配してくれたので、私は大丈夫ですとだけ伝えた。
 実際ストーカーは、もうこの世にいないのですから。

唯「どうする、今日も家に泊まっていく?」

梓「でもストーカーはいないようですし……」

唯「まだどこかに隠れているだけかもしれないよ!?
 私、あずにゃんが誰かに連れ去られちゃわないか心配だよ~!」

 自分自身が連れ去られないかは、心配じゃないのでしょうか。
 先日も言いましたが、この人ははっきり言って私より魅力がありますし。
 ええと、その、胸の辺りのボリュームも、私のよりは全然、その。

梓「って、何言わせてんですか!」

唯「えぇ!?」

60: 2012/02/02(木) 01:27:36 ID:jhHwj.Y60

 心の中でしか言っていないことなのに、勝手にキレてしまいました。
 あ、これは唯先輩をますます心配させてしまったな。

唯「何かおかしいよ、あずにゃん……。
 絶対私の家に来たほうがいいって!」

梓「でも二日連続なんて悪いですし、そもそも何の準備もしてませんし」

唯「大丈夫、憂に頼んで、あずにゃんの分の着替えとかも家にあるから!」

 ああ、それなら安心……って、何しやがってんですか。
 どうやら憂は昨日のことを私の親に伝えたらしく、私を平沢家でしばらく見るという提案をしたのだそう。
 今日から家を空けることになっていた親にとっても、それは良案で。
 親は適当な荷物を纏め、憂に預けたのだそうです。

 私、何も聞かされてないんですけど。

梓「まあそういうことなら、仕方ありませんね……行きましょう、唯先輩」

唯「あずにゃんとお泊りだ~!」

梓「仕方なく、ですよ」

 早くも諦めのついた私は、平沢家にお世話になることになりました。
 こうするつもりは無かったとはいえ、憂とは日記関連の話し合いをしておきたいのもありますし、
 唯先輩とのお泊りっていうのも普通に楽しそうです。
 これは私にとっても良案だったのかもしれません。

61: 2012/02/02(木) 01:29:00 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 平沢家に着いた私を待っていたのは、全ての計画者である憂でした。
 どうやらここの家の両親もお仕事で海外にいるんだとか。
 何だか私の家と似た感じがします。
 ただ、私は一人なんですけど。

唯「今日からあずにゃんは私達の妹なんだよ!」

梓「へえ、そうなんですか」

唯「反応が薄い!」

 馬鹿らしいことは適当にあしらっておくのが一番。
 私の対・唯先輩スキルも相当磨かれたと思います。

憂「え~、でも私もお姉ちゃんやってみたいかも」

梓「えっ?」

 しまった、対・憂スキルなんて持ち合わせていない。
 このままでは平沢姉妹の「中野梓、妹化計画」が成功してしまうではないか。
 私は、必氏に抗議します。
 私は、そんなことには屈しない!
 例えそこに、友人と、先輩の、ダブル上目遣いがあったとしても……!

62: 2012/02/02(木) 01:30:08 ID:jhHwj.Y60


 あっさりやられちゃいました。


梓「二人がかりでの上目遣いが、あれほどの威力を持っているとは……!」

 これが平沢姉妹というものです。
 まずいです、このままでは私は全ての提案を受け入れてしまうことになります。

唯「というわけで、あずにゃんはこれから、平沢梓となるのでした!」

憂「やったね、お姉ちゃん!」

梓「は、ははは……」

 それから私は平沢梓として、この家で時間を過ごすことになりました。
 慣れてみるとこれは過しやすいもので、すぐに平沢家の一員となることが出来ました。
 何と、あったかあったかな姉妹なんだ。

 流石に唯先輩の「お風呂一緒に入ろ?」という提案は断っておきましたが。
 いくらあったか姉妹の一員といえど、それは許されざることなのです。
 あと、やっぱり大きさで中身は判断できないと思います。
 深い意味はないんですよ?
 ただ、大きさを比べられて、とやかく言われても仕方がないっていうか、その……。
 つまりそういうことなんです。

63: 2012/02/02(木) 01:30:54 ID:jhHwj.Y60

 さて、就寝時間が近づいてまいりました。
 昨晩はあんなことがあったため、今晩にも何かあるのか、そう思ってしまいます。

梓(そういえば、昨日……憂に、キスされなかったっけ?)

 何故このタイミングでこれを思い出したのか、それはわかりません。
 しかし、どうしても聞かずにはいられませんでした。
 ただ慰めるだけにしても、それはちょっと重過ぎるような気がするんです。

梓(今日も憂の部屋で寝よう。
 そして、聞けなかったことを、全部聞こう)

 そう決心する私、頑張れ。

唯「というわけで、今日は私の部屋で寝よう!」

憂「そうだね、昨日は私の部屋だったし」

梓「へ?」

 早くも計画倒れした私、頑張れ。

64: 2012/02/02(木) 01:31:36 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 私が唯先輩の部屋で、自分が寝るための布団を敷こうとしていると、

唯「いやいや、そこはベッドで一緒に寝ようよ!」

 とか言っちゃいましたので、仕方なく一緒に寝ることになったのでした。
 一応断ろうかと思いましたが、せっかくなので。
 いや、他意はありませんし、邪な気持ちもありませんよ?

 私はベッドに入れば抱き枕にされるんだろうなとか警戒していたのですが、それは意外にも違くて。
 唯先輩曰く、ここで抱きついたら一緒に寝てくれないでしょ?とのこと。
 別にどっちにしろ一緒に寝ていた、ということは言わないでおきます。

 唯先輩と私は、ベッドで横になりながら色々な話をただ重ねていました。
 当然軽音部の話題、例えばお菓子の話題とか。
 そんなことで大丈夫なんでしょうかね。
 しかしそんな唯先輩でも、来年のことを聞いてきたことは驚きでした。
 ああ、こう見えて心配してくれるんですね。

 私は一人でも、絶対に部員を集める!
 そういう自信があるんだということを伝えると、唯先輩は安心しきった表情に切り替わっていました。
 ふと、唯先輩が、相談があるんだと言います。
 一体何の相談なのでしょうか?
 唯先輩が不安げな顔をしながら、私に話し掛けます。

65: 2012/02/02(木) 01:32:14 ID:jhHwj.Y60

唯「私ね、実は怖い夢見てるんだ。
 七人でサバイバルゲームとか、未来が見える日記とか言うんだけど、本当に怖くて……」

 私はどんな相談であっても、唯先輩に笑顔になってもらおうとする予定でした。
 しかし先に笑顔を失ったのは、私だったようです。
 それは、相談というより、カミングアウトというべきなのでしょうか。

 唯先輩、あなたも日記所有者だったんですね。

 どうやらその相談をしたのは、私が始めてのようです。
 憂より先に相談してくれたのがちょっと嬉しかったのですが、それはそれとして。

 この人のことですから、ルールとかを聞いてもサッパリだったのでしょう。
 だからそれら全てを、夢だと思っていた。

 私は全てを説明することにしました。
 未来日記というのはどういうものなのか、サバイバルゲームとは何か、勝敗の決定、とにかく分かりやすく。
 全てを理解するのに少し時間が掛かってしまいましたが、唯先輩なりに何とか理解したようです。
 そして、全てを理解したと同時に、唯先輩はいきなり泣き出してしまいました。

梓「ゆ、唯先輩?」

唯「あずにゃん……私、怖いよう……」

66: 2012/02/02(木) 01:33:16 ID:jhHwj.Y60

 無理もありませんでした。
 敗北したら、未来を失うんですから。

 私は唯先輩の頭をそっと擦ってあげます。
 少し驚いていましたが、唯先輩はすぐに私に甘えてきました。
 私らしくもない行動に戸惑ったのでしょう、でもすぐに自分を慰めてくれているのだと理解したのでしょう。

梓「大丈夫ですよ、唯先輩」

唯「ほんとう?」

 私に甘えながら泣き続ける、唯先輩。
 その柔らかい髪を擦ってあげる度に身を寄せてくる、唯先輩。
 ついには抱き着き、更に甘えてくる、唯先輩。





 あれ、唯先輩って、こんなに可愛かったっけ。
 そっかー、可愛いんだ、この人は。





 私、あなたに、ときめいちゃいましたよ。





梓(可愛いな……本当、唯先輩って可愛い)

 守って、あげようかな。

 そうだ。
 憂と一緒に、この人を、守ればいいんだ。

 私の中の正義感や価値観は既に変化を遂げていました。
 今の私なら、きっと唯先輩を守りきることができるでしょう。
 ……どんな手を、使ってでも。

67: 2012/02/02(木) 01:33:53 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 朝が訪れました。
 昨晩は、ずっと泣きつづけた挙句、疲れて寝てしまった唯先輩をそっと抱き締めてあげながら寝ていました。
 目が覚めると、目の前には私の胸に顔を埋める唯先輩。
 埋めるほどの胸がないとか、そういうことは触れないのがマナーってものです。

 私はそっと、ベッドから起き上がります。
 そして唯先輩の部屋を出て、朝ご飯を作っている憂のもとへ。

 昨日、唯先輩には許可を得ました。
 何の許可かというと、憂に唯先輩が所有者だと伝える、ということ。
 やはり憂は信用できるし、何より頼りがいがある。
 唯先輩を守るために、絶対に憂には伝えておくべきなのです。

 憂は、キッチンにいました。
 三人分の弁当と朝ご飯を作っているようです。
 申し訳ない気持ちになったので、明日は私も早起きしようと決心。

梓「憂、おはよ!」

憂「梓ちゃん、おはようー!
 今お弁当と、朝ご飯作ってるところだから、ちょっと待っててね」

梓「何か悪いね、ホント……」

憂「ううん、私がやりたくてやってるだけだから」

 素晴らしすぎるよ、この子。
 さて、本題だ。

68: 2012/02/02(木) 01:34:22 ID:jhHwj.Y60

梓「あのね、憂。驚かないで聞いてほしいんだけど」

憂「うん」

 憂が包丁を持っていないことを、念のために確認。
 驚いたはずみで包丁が吹っ飛んで、ゲームに敗北なんて笑い事になりませんからね。

梓「唯先輩……所有者みたいなんだ」

憂「え……やっぱり?」

 やっぱりって。
 さっきまでの私の苦労は。

 どうやら憂は、ご自慢の「お姉ちゃん日記」で姉の様子がおかしいことに、とっくに気づいていたのだそう。
 だからもしかしたら、と思っていたらしいのです。
 流石の妹、姉のちょっとした違いも見逃しません。

 ところで、私にはもう一つ憂に伝えなくてはいけないことがありました。
 昨晩の、私の感情についてです。

69: 2012/02/02(木) 01:34:50 ID:jhHwj.Y60

梓「それと、憂。私にもね、唯先輩を守らせてほしいの。
 二人で唯先輩のことを守っていこう?」

憂「梓ちゃん……それ、本当に?」

 もしかしたら憂は、隙あらば姉の日記を壊そうとするんじゃないか、そういう疑いを持っているのかもしれません。
 しかし私にはそういう企みは一切なく、本当に唯先輩を守ろうとしていました。
 あの可愛い先輩を、誰にも傷つけさせたくない、そんな感情が私を動かしています。

梓「本当だよ」

憂「……そっか。じゃあ、お願いしちゃおうかな」

 こうして私達は、唯先輩という共通の宝を持ってして、協力関係を結ぶことにしました。
 当の本人は何も知らないのですが。

 協力関係を結んだ私達は、綿密にこれからの行動を決めていきました。
 その中でも最も重要なのが「日記の隠蔽」。
 憂が言うことには、私がストーカーに所有者だと気づかれたのは、私が日記を使いすぎたことを原因としているのだとか。
 このことには元々気づいていました、だからこそ日記の使用は必要最低限にする。
 一方的に所有していることに気づかれると、非常に分が悪いのです。

 最後に私達はあることを決めました。
 何があっても、唯先輩の望んだことに従う、ということ。
 そのためであれば、この命も惜しくない、そう思うこと。

 こうして私達の、一見異常に思える作戦会議は終わりを迎えたのです。

70: 2012/02/02(木) 01:35:21 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 今日も、いつも通り学校へ。
 ただし今日は金曜日です。
 明日からは土曜日で、もしかしたら部活があるかもしれないぐらいでした。
 私にとっては、家でも学校でも唯先輩を守っていられる、そういう日になるはずなのです。
 これは最大級の幸福でした。

梓(そのためにも、今日は何もありませんように!)

 心の中で手を合わせ、祈ります。
 時間の神様にでも祈っておけば、この願いを叶えてくれるのでしょうか?
 ああ、デウスには無理か。

 授業が始まります。
 私は今朝の会議の通り、普段の私でいることにしました。
 だから無駄に周りへの警戒をしないこと、それがとにかく重要でした。
 無駄な警戒は、かえって命取りとなるのです。

71: 2012/02/02(木) 01:36:11 ID:jhHwj.Y60

 昼休みになりました。
 また今日も、いつもの三人でお弁当の時間です。

純「あれ、二人とも同じお弁当じゃない?」

憂「あ、気づいた?
 実は梓ちゃんね、家に泊まっていったんだ」

純「え~、いいな~!
 私も憂の家に泊まって、憂のお弁当食べたい~!」

梓「贅沢言わないの」

 まあ純が所有者である可能性もあるわけだし、誘ってあげないけど。
 いや、純なら所有者でも全然大丈夫か、たいしたことなさそうだし。

憂「じゃあ純ちゃん、これあげるよ!」

 憂は自分の弁当箱から卵焼きを一つ、純の弁当箱に入れてやります。

純「うおお、ありがとう!」

 本気のお礼を憂にした純が、ちらちらとこちらを見てきます。
 さり気ない催促のつもりなのでしょうか、正直どストレートです。

梓「まあ憂が作ってくれたものだし、はい」

純「やった、ありがと……って、これブロッコリーじゃん!」

 別に何が欲しいとか言ってないし、問題ないよね?
 憂が心を込めて、詰め込んでくれたブロッコリーなんだから味わって食べなさいよね。

純「梓がケチだよ~!」

憂「純ちゃん、よしよし……」

 甘える純を、憂は慰めてやります。
 これがいつもの私達の風景。
 やりました、普段の私を演じることが出来ているようです。

 こんな感じの昼休みが終わり、5時限目の授業が始まりました。
 それから流れるように6時限目の授業も終わり、ついに部活の時間です。
 今日こそ、練習するぞ。

72: 2012/02/02(木) 01:36:38 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 部室に入った私を待っていたのは、澪先輩でした。
 部室中を見渡しますが、澪先輩一人しかいないようです。
 あ、トンちゃんもいました。

梓「澪先輩、皆さんはまだなんですか?」

澪「ああ、今日の部活は休みだよ。
 私はちょっと忘れ物を取りに来たんだ」

 連絡ぐらいしてくれてもいいものを。
 そう思ってると、どうせ私が部室によるんだし、私から伝えるよって律には言っておいたんだ、と澪先輩が言います。
 無駄な手間をかけさせてしまったなあ。

梓「そういえば、澪先輩の忘れ物って、なんだったんですか?」

澪「ああ、それはこれだよ」

 手に持っているのは、一冊のノート。
 表紙には「歌詞ノート」と書かれています、なるほどそういうことでしたか。
 きっと、あのノートの中にある澪先輩ワールドの甘美な香りは、私の背中を痒くするのでしょう。
 最近はふわふわもいいかもしれない、と思ってきた自分に言えるのかわかりませんが。
 まさか、私はその甘さに溺れているというのでしょうか。

 私が自分自身の変わりように落胆していると、澪先輩が話し掛けてきました。

澪「梓、今日は暇か?」

梓「この後の予定はありませんから、暇ですね」

澪「それならちょっと買い物に付き合ってくれないか?
 一人で行くより、二人で行った方が楽しいと思うんだ」

 甘ったるい歌詞を書くこの人の性格は、見た目以上に可愛いものです。
 そして見た目以上に、怖がり。
 特に断る理由も見つからなかった私は、それを快く承諾しました。

73: 2012/02/02(木) 01:37:11 ID:jhHwj.Y60

 かくして澪先輩と一緒に買い物に出掛けることになった私は、澪先輩に促され、今後の部活のことを話しながら昇降口に向かいます。
 廊下を歩いていると、鞄の中に入れた携帯が揺れました。
 メールでしょうか?

 澪先輩に断り、メールを確認します。

#==========
From:平沢 憂
Sub:ゴメンね

 卵が無いみたい。
 買ってきてくれる?

#==========

 私は今朝の会議で、暗号を作ったのを思い出しました。
 もし仮に、片方の日記が奪われても、もう片方の所有者が割られないように。
 その暗号の使用を示すのが「件名の有無」。
 今回はその件名「ゴメンね」があるので、暗号の使用を言っていることになります。

 そして、暗号。
 「卵」とは、未来のことを意味します。
 その未来が無い、ということは。

74: 2012/02/02(木) 01:37:50 ID:jhHwj.Y60

梓(まさか……!?)

 先程の携帯の揺れは、ただメールが来ただけではなかった、ということです。
 そう、ノイズが走った―――つまり、未来が変わった――――ということなのです。

 私は澪先輩に見られないように、日記の内容を確認します。
 朝からロクに確認していませんから、内容が変わったかどうかなんて、よくわかりませんでした。

#==========





16:59 商店街の周りは殆ど包囲されているらしい。

17:05 今日は服が安いらしい。
   今の私には非常にどうでもいい。

17:13 敵が集まってきているようだ。
   徐々に私の行動範囲を狭めているのだとか。

17:25 見つけられた。
   抵抗しなければ、痛い思いをさせないようだ。

17:28 澪先輩の目的を聞く。

17:30 -DEAD END-

#==========

75: 2012/02/02(木) 01:38:17 ID:jhHwj.Y60

梓(これ、澪先輩が所有者ってことだよね……!?)

 背筋に寒気が走り、前進が震えます。

梓(……嫌だ、まだ私は負けたくない……。
 例え、相手が澪先輩だろうと、私の未来を奪われたく、ない……!)

 私の中の悪魔が囁きます。
 「さあ、あの時のように返り討ちにしてしまえ」
 しかし、私の中の天使が反論します。
 「まだ、澪先輩は何もやってきていないじゃない」

 ですが、このまま澪先輩に連れられ商店街に行った場合、確実に負けるのではないか。
 この日記の内容からはそう取れます。
 つまり私が敗北を避けるためには、最低限商店街へ行かないことが条件となります。

梓(断らなくちゃ、このメールで、用事が出来たんだって言わなくちゃ)

 そう言おう、そう決めて振り返り、澪先輩の顔を窺います。
 ノイズが走りました。

76: 2012/02/02(木) 01:39:03 ID:jhHwj.Y60

 澪先輩のさっきまでの綺麗で端正な顔は、陰を帯びていました。
 その左手には、携帯が握られています。
 携帯に付けられたウサギのストラップが、私に不気味に微笑んでいるように見えてしまいました。
 空気がどっと重苦しいものに変わりました。

澪「断ろうと、したんだろ?」

 重苦しい空気を物ともせずに、澪先輩は喋りだします。
 その言葉は空気を振動させながら、私の耳に届きます。
 私の身は、既に動くことが出来なくなっていました。
 先日の憂の放っていた空気が「狂気」だとすれば、これは「威圧」に例えられます。

 狂気に触れた私は、行動した後の氏を思って行動できませんでした。
 しかし今回の威圧には、そもそもの行動を許さない、そういう効果があるようです。
 結局動けないというのは、何も変わっていないのですが。

 ただの学校の廊下、いつも私はここを普通に歩いています。
 今日だってそうでした。
 しかし、この廊下はつい一時間前のソレとは全くの別物、或いは別空間とも言っておきましょうか。
 そんなものになっていました。

 澪先輩が徐々に近づいてきます。
 いつも若干ツリ目気味の澪先輩でしたが、今の澪先輩はそれが際立っていました。
 澪先輩でもこんな顔が出来るのかと、どこかで感心している私がいます。

 今は、そんな事態じゃ、ないでしょ。

 さしずめ今の澪先輩は、私の未来を奪いに来た悪魔でしょうか。
 一歩一歩確実に、私の未来に近づいてきます。
 その大きな手で、私の未来を握りつぶすつもりなのでしょう。

77: 2012/02/02(木) 01:39:31 ID:jhHwj.Y60

 ついに目の前まで澪先輩が着てしまいました。
 それでも私は、まだ動けずにいるのです。
 まるで律先輩に怖いものを見せられた、澪先輩のように。
 ここであえて澪先輩を出したのは、自分への皮肉です。

 しかしここで私は、思いがけない幸福に出会うのです。
 目の前の澪先輩を悪魔とするならば、それは天使、そう大天使の光臨でした。
 大天使が、私の未来を書き換えるのです。

78: 2012/02/02(木) 01:39:56 ID:jhHwj.Y60

?「あずにゃ~ん!」

 この広い世界、どこを探しても、私をそうやって呼ぶ人は一人しかいません。
 そう、唯先輩―――即ち天使!―――がやってきたのです!

梓「唯先輩!」

 動かなかった私の足にかかった呪いを、唯先輩の光がいとも簡単に解いてくれました。
 私は唯先輩のもとへ駆け寄ります。

唯「憂がね、お迎えに行ってって、言ってたの。
 だから一緒に帰ろう?」

梓「はい、そうしましょう」

 憂はこうなることを読んでいたのでしょうか、流石です。
 私は憂に、間接的とはいえど、またしても助けられることになったのです。

79: 2012/02/02(木) 01:40:34 ID:jhHwj.Y60

唯「あれ、澪ちゃんどうしたの?」

 明らかに雰囲気の変わった澪先輩に、唯先輩が話し掛けます。
 しまった、唯先輩も所有者だった、ここで接触させたのはよくないんじゃないか。

澪「いや、別に何でもないよ。
 ただ梓と一緒に買い物に行こうと思ってただけだ」

唯「そっか。じゃあ、いつか私と買い物に行こう!」

 そんな必要は無い、というかそうはさせませんけどね。

唯「じゃあね、澪ちゃん!」

澪「ああ」

 軽い返事をした澪先輩が、昇降口に向かう私達をじっと見ていたのは、背を向けていても感じられました。
 本当にあの澪先輩なのでしょうか、まるで別人です。

81: 2012/02/02(木) 01:41:13 ID:jhHwj.Y60

 もしかしたら澪先輩は極限状態なのかもしれません。
 人は、極限状態に陥ったとき、思いにもしない力を開花させるといいます。
 今のこの状況は、私や憂にとっては極限状態と呼ぶに足りないことです。
 しかし、極度の怖がりの澪先輩なら、話は別でした。

梓(大丈夫かな澪先輩……ちょっと心配だ)

 私はこんな状況でも澪先輩のことを気にしていました。
 それは、ただ単に部活の先輩だったから、ということです。
 あくまで私が欲しいのは、日常にありふれた楽しいこと、それだけなのですから。
 軽音部の活動も、それに当然入っているのです。

梓(でも、日記所有者が軽音部の中にいた。
 そして私の日記を狙っていた。
 最悪の事態が、起きてしまってんだ)

 私が恐れていた最悪の事態、軽音部の分裂が今まさに起きてしまっている。
 私が思っていたほど、このゲームは甘くなかったのです。

83: 2012/02/02(木) 01:42:06 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 唯先輩と一緒に帰宅し、家にいた憂に今日あったことを話しました。
 憂はその事実を受け止めた上で、この家も危ないかもしれないと危惧していました。

 それもそうでした。
 相手は、あの澪先輩。
 当然私達の家は完全に把握しているし、今日の行動からわかったように、私を日記所有者なのだと知っています。
 そして唯先輩の登場から、唯先輩或いはその周りの何者かが日記所有者なのだと、頭のいい澪先輩なら気づいたはずです。

 つまり唯先輩、及び私の家にいるのは非常に危険であるということになります。
 今日はもう遅いので大丈夫だとしても、明日、つまり一日中家にいる土曜日は非常に危険です。
 誰かの家を借りるという方法も考えましたが、それで全く無関係だった人に迷惑がかかったとすれば、
 それは非常に申し訳のないこと。

 憂との話し合いの結果、明日はとりあえず遠くに出掛けることにしました。
 念のために防犯グッズや、自分の身を守れるもの―――例えばスタンガン―――のようなものを、
 各自携帯するということを決めました。

84: 2012/02/02(木) 01:43:42 ID:jhHwj.Y60

 唯先輩にも今日あったことを包み隠さず言うと、ちょっと信じられないというような顔をしました。
 やはり友達のことを信じる気持ちが強い唯先輩に、この事実は受け止め難いことなのかもしれません。

唯「あの、澪ちゃんが……?」

憂「そうなんだよお姉ちゃん。
 澪さんが、梓ちゃんを狙ったんだよ」

 この時の唯先輩の頭の中には、あの時の澪先輩の顔が思い出されていたことでしょう。
 あの悪魔のように、卑劣で狡猾そうな顔を。
 かつて尊敬していた先輩は、もうそこにはいませんでした。

唯「……わかったよ、憂。
 あずにゃんも、大変だったね」

梓「大丈夫です、唯先輩こそ気をつけてくださいね」

唯「うん……」

 唯先輩の顔から、自責の念が読み取れます。
 差し詰め、自分の決定に背きたい自分がいる、ということなのでしょう。
 しかしそれは叶わない、叶えてはいけないことなのです。

 その後は、本当に普通の日常がありました。
 唯先輩がゴロゴロし、それを私が注意し、憂がいつの間にか家事を終えている。
 恐ろしいほどいつも通りの日常が、そこにはあったのです。

85: 2012/02/02(木) 01:44:20 ID:jhHwj.Y60

 その夜、私は唯先輩の部屋で寝ることにしました。
 案の定、私の布団は敷かれることなく、代わりに私の体はベッドの上にありました。

唯「あずにゃ~ん!」

梓「ちょ、ちょっと、いきなり抱きつくのは無しって、ずっと言ってるじゃないですか!」

唯「いいじゃん別に、私達以外誰もいないんだし~!」

梓「そういう問題じゃないです!」

 そういう問題じゃないんです。
 ちょっと私の性格上、一度は断っておかないといけないみたいなのです。
 ああ、素直な性格でありたい。
 今の私ってば、本当に幸せなのに。

 唯先輩の抱きつき攻撃が終わり、何とかベッドで横になります。
 すると布団の中で、唯先輩が私の手を握ってきました。
 ぎゅっと、唯先輩が手を握ると、その温もりが体全体に行き渡るようです。

唯「あったかいね、あずにゃん」

梓「は、はい……」

 やっば、恥ずかしい……。
 今、多分私の顔は真っ赤なんだろうな。

唯「ねえ、あずにゃん。
 澪ちゃんのこと、どう思う?」

梓「今までは、大切な先輩の一人でした。
 今は、もう、私の敵でしかありません……本当に悲しいことですが」

 これは、本心です。
 私の中ではまだ、いつもの軽音部を諦めきれていないのです。

唯「そっか……。でもあずにゃんは、いつまでも私と一緒にいてくれるよね?」

 唯先輩の中にも、軽音部が壊れていくような、そんな未来の情景が出来てしまったのかもしれません。
 きっと唯先輩はその軽音部に、たった一人でいるのでしょう。
 しかし、そうはさせません。
 私が唯先輩を一人にすることは、絶対にあり得ないのですから。

86: 2012/02/02(木) 01:45:07 ID:jhHwj.Y60

梓「大丈夫ですよ、唯先輩。
 私はいつまでも、唯先輩とバンドやってますから」

唯「ありがとう、あずにゃん……本当に、ありがとうね」

 最後にあずにゃん大好き!と言って、唯先輩は眠りにつきました。
 私はそっと、私もですよ、そう唯先輩には聞こえないであろう声で返事をしました。

 明日はきっと長い。
 そんな明日に備えて、私も寝ることにしました。

87: 2012/02/02(木) 01:45:40 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 土曜日の朝がきました。
 今日は私も早起きし、憂と一緒に朝ご飯を作ります。
 お昼は外で食べるので、小さなお弁当も作っておきます。
 どこかお店で昼ご飯を食べる予定なのですが、何があってもお姉ちゃんのお腹が満たされるように、だそうです。
 本当に、姉想いの妹ですね。

 今日は朝から未来日記の内容を把握します。
 私は日記の隠蔽に必氏になりすぎて、あまりにも自分の危険を把握していないことに昨日気づかされました。
 だから今日から少し、日記を見る頻度を増やしたいと思います。
 外では極力使わないようにしたいものですが。

 日記には今の所、私達が敗北するような内容はありませんでした。
 ただし澪先輩には追われるようです。

 澪先輩の行動で、未来は変わることでしょう。
 私達は日記に書かれた行き先とは、別の場所に行くことにしました。
 こちらから変えようとすることで何らかの変化があるかもしれない、そう思ったのです。

88: 2012/02/02(木) 01:46:44 ID:jhHwj.Y60

 ついに出発の時間がやってきました。
 本来ならバスを利用し、ちょっとした都会の方へ出掛ける予定でした。
 ですが予定を変更、電車を利用し大都会に出掛けてみることに。
 何気に私は楽しみでしたが、同時に警戒心も高まってしまいました。

 日記にノイズが走るのがわかりました。
 澪先輩から追われる未来は、そこにはありませんでした。
 よし、作戦は成功した。

 最寄の駅に向かい、私達は足早に電車に乗り込みました。
 澪先輩の追っ手がないとわかっただけで、私は油断し、ただ楽しもうとしていました。
 しかしそんな思いは、儚くも散ってしまったのです。

 ビーガガガガッ!

 ノイズが走ります。
 各々が日記を見てみます。

#==========





16:24 -DEAD END-

#==========

89: 2012/02/02(木) 01:47:18 ID:jhHwj.Y60

 私の日記にかかれていたのは、紛れもない敗北の証。

 電車に乗る前は、何も無かったのに、何故電車に乗った瞬間……?
 この電車に澪先輩が乗っているのでしょうか。
 しかし、それでは澪先輩と出会わない未来はまず成立しません。
 乗った瞬間、澪先輩と繋がりのある何者かが、私達と接触したというのが妥当でしょう。

 三人の間に、これまでに無い緊張感が漂っていました。
 それもそうです、電車は閉鎖された空間。
 どこへ逃げ出すことも出来ない、いわば動く牢獄。

 憂は周りの様子を見ます。
 周りにいるのは、ただのお客さんだけのように見えますが、憂はある人物を発見したのです。

 それを周りの誰にも聞こえさせないよう、静かな声で私たちに伝えます。

憂「お姉ちゃん、梓ちゃん、あの人だよ。
 私、あの人を学校で見たことがあるよ」

 見たことのある、というのは、ただそれだけだから。
 本当にすれ違ったとか、ただそれだけなのです。
 しかし憂の記憶力は相当なもので、その顔を見ただけで桜高の生徒だと判別してしまうのでした。

90: 2012/02/02(木) 01:47:43 ID:jhHwj.Y60

 繋がっているとすれば、彼女。
 しかし彼女のことを唯先輩が知らないとなると、恐らく三年生ではありません。
 そして私達も知らないために、二年生でもない。
 つまり彼女は、一年生。

 一年生の彼女が、一体どこで澪先輩とコンタクトを取ったのでしょう。
 彼女と澪先輩が繋がっていることは明白でしたが、それがわかりません。

 接点は?
 協力する動機は?
 彼女自身は何者なのか?

 ここで昨日の日記の内容を思い出してみます。

91: 2012/02/02(木) 01:48:16 ID:jhHwj.Y60

―――――――――
――――――
―――

 あの時、この日記にはこのように書かれていた。

#==========





16:59 商店街の周りは殆ど包囲されているらしい。

17:05 今日は服が安いらしい。
   今の私には非常にどうでもいい。

17:13 敵が集まってきているようだ。
   徐々に私の行動範囲を狭めているのだとか。

17:25 見つけられた。
   抵抗しなければ、痛い思いをさせないようだ。

17:28 澪先輩の目的を聞く。

17:30 -DEAD END-

#==========

 ここから引き出せる情報がある。
 例えば、「包囲」という言葉から、相手は複数いるということが窺える。

 つまり澪先輩には複数の仲間がいるということ。
 それも商店街を包囲できるほどの人数がいる。

 しかし考えてほしい。
 澪先輩に、そんな多くの仲間を作れるスキルがあったか?
 私から言わせれば、臆病で怖がりの彼女に、そんなスキルがあったとは思えない。

 彼女にあるのは、魅力だ。
 性格は勿論のことだが、その容姿が何よりも人を惹きつける。
 
 ここでもう一つのワードを思い出したい。
 そんな澪先輩に惹かれた人たちが集まる、そんなグループがあったはずだ。
 繋ぐんだ、今までの全ての情報と。

 そういえば以前、和先輩が部室を訪ねていた。
 その時何か、今の私にとって重要なワードを言っていなかっただろうか。

 書類の出し忘れ?
 これは私の勘違いだった。

 メルアド教えて?
 これは断片的すぎる情報だ。

 会員のメルアド知ってる?
 そうだ、これだ。

 彼女に惹かれた人が集まるグループ、それは「澪ファンクラブ」だ。
 つまりこの電車に同乗している一年生の彼女は、その会員。
 あの会員が何らかの手段で、澪先輩に私達の所在を教えたのだ。

 しかし彼女、澪先輩のメルアドを知っているのだろうか?
 それ以前に、本当に直接メールで伝えたのだろうか?
 実は、別の手段で伝えたのではないだろうか?

 私は、一つの推測を立ててみることにする。
 それが本当なのかは定かではないが、可能性は十分にある。

 「澪先輩の日記は、澪ファンクラブ会員が見たことを記録する」日記である。

 こうすれば、あらゆることの辻褄が合う。
 あくまでも推測ではあるが、これ以外の考えは浮かんでこなかった。

―――
――――――
―――――――――

92: 2012/02/02(木) 01:49:02 ID:jhHwj.Y60

 ここまでの考えを、二人に伝えました。
 すると二人は私の考えに賛同し、それを念頭に置いて行動しようとまで言ってくれました。
 この二人に言われると、これが事実のように聞こえてしまうのが怖いです。

 しかし依然として、私達の状況が不利なことには変わりありませんでした。
 会員の一人が、確実に私達をマークしているのですから。
 恐らく他の会員達にも連絡が行き渡り、先回りしている会員もいるのではないでしょうか。
 今や、私達は監視され続ける身となっているのです。

梓(相手は全ファンクラブ会員ってわけだね)

 澪先輩はきっと、悠々と私達の目の前に現れます。
 現れるのはきっと、最後の最後。
 自分でこんなことをせずに会員任せにしているのは、やはり怖がりな澪先輩らしいのかなと思ってしまいます。

 憂とアイコンタクトで、これからの行動を決めます。
 ……了解だよ、憂。

唯「あ、そろそろ駅に着くよ!」

 電車は小さな駅に止まりました。
 私達は電車の扉が開いた瞬間に、電車を駆け降りました。
 とりあえず、この電車という閉鎖された空間から逃げ出したかったのです。
 そしてそのまま走り、私達は最寄りの町へ向かいます。

 何とも意外でした。
 私達が行き着いた町とは、一番最初に目的地に設定した「ちょっとした都会」だったのです。
 まさか目的地まで行く途中の駅から、初めの目的地に行ってしまうとは思いもしませんでした。

93: 2012/02/02(木) 01:49:46 ID:jhHwj.Y60

 町に着いた私達は、まず人ごみの中に紛れ込みました。
 私達は人ごみに紛れることが出来れば、発見能力の高い澪先輩の日記相手でも十分戦えると踏んだのです。
 その町はあまり大きくはありませんが、ビルやデパートが並び、近くには大きな駅もあるため人通りの激しい町でした。
 オシャレな外観の店も多くあり、ただ遊びに来ただけなら、非常に楽しめそうな場所です。

 しかしそんな呑気なことは言っていられません。
 私達は人ごみの中で潰されそうになりながらも、移動をし続けました。
 そんな中で、唯先輩が「暑い、暑い」と言い始めました。
 確かに夏も終わり、秋に向かっているはずなのに今日は暑く、この人ごみがその暑さを何倍にもしているような気がします。
 人ごみの波に飲まれながらも、私達はどこか涼しい建物の中に入ろうと、冷房の効いた施設を探します。
 その際、私達はお互いが離れないよう、手を繋いでいました。
 そして見つけた喫茶店に、仲良さげな三人姉妹のごとく入っていったのです。

94: 2012/02/02(木) 01:50:20 ID:jhHwj.Y60


―――しかし、その時の私達はまだ気づいていませんでした。


 三人で手を繋ぐことが、どれだけ目立つことなのか。
 そして澪先輩のファンクラブ会員の忠誠心が、どれほど高いものなのか、ということを。


 ファンクラブの魔の手は、すぐそこまで迫っていたのです。


第ニ話
「まもりたい!」
-完-

95: 2012/02/02(木) 01:51:29 ID:jhHwj.Y60
今日はここで終わります。
ありがとうございました。

おやすみなさい。

97: 2012/02/02(木) 12:14:15 ID:jhHwj.Y60

 -第三話-

 澪先輩のファンクラブ会員から逃げるために、この町にやって来た私達は現在、喫茶店で呑気に紅茶を飲んでいます。
 あのまま暑さで唯先輩が倒れられても困るので、そういう場合で無いとわかっていても、私達はここに寄るしかなかったのでした。
 あえて喫茶店を選んだのは、私の中にまだ「ティータイム」を続けたいという意志があったからなのでしょう。
 しかし澪先輩が所有者だとわかった時点で、それは叶わぬ夢となりました。
 仮にこの先、ティータイムがまだ続いているのだとすれば、澪先輩抜きのものとなるでしょう。

憂「こんなことしてて大丈夫なのかな?」

唯「大丈夫!」

梓「何で言い切れるんですか」

 特に大丈夫な理由も見つかりませんし、私達の気分が沈まないように気遣ってくれたのかもしれません。
 しかし澪先輩の追っ手が、この町に集まってきているのは確実です。
 電車の中にいた桜高一年生―――恐らく会員―――が、私達の降りた駅を、既に澪先輩に伝えている可能性が高いからです。
 いや、日記の能力で先回りされているかもしれません。

梓(これが日記所有者同士の戦い、か)

 どこまで予知され、どこまで先回りするか。
 相手の裏をかき、いかに相手の隙を見つけるか。
 これが本来の日記所有者同士の戦いでした。
 先のストーカーとの戦いはあまりにストレートなもので、所有者同士の戦いと呼ぶには程遠いものだったようです。

 その時、未来が書き換わった音が日記から聞こえてきました。

 私達は各々で日記の内容を確認します。
 そこには、全員の敗北をしめす文字「DEAD END」が最後に書かれていました。

98: 2012/02/02(木) 12:14:51 ID:jhHwj.Y60

憂「この店にも、会員がいるのかも」

梓「だとしたら大変だね。早いとこ、店を出よう」

 私達は足早に店を出ようとします、が。
 出口へ繋がる道を、三人組の女子が塞いできました。

唯「二人とも、こっちから出るよ!」

 咄嗟に三人から出ていた敵意を感じ取った唯先輩は私達二人の腕を引っ張り、「STAFF ONLY」と書かれた通路を走り抜けていきます。
 あまりに突然の出来事だったために、普段は熟考してから行動を始める憂は、混乱している様子です。
 私もこの現状を少ししか理解できていませんでした。
 こういう直感的な行動は、私や憂よりも唯先輩の方が優れていました。

 唯先輩は走り抜けていく最中に、時間稼ぎのために積まれた段ボール等を倒していました。
 時間稼ぎのつもりなのでしょうが、正直店の人が可哀想でした。
 でしたが、今の私はそれを黙認しなくてはならない状況にあったのです。

 いつの間にか引っ張られたまま、従業員専用の出入り口までたどり着いてしまいました。
 店内は騒がしく、恐らく先程の三人組が必氏の形相で私達を追っているのでしょう。
 ここで憂がやっとのことで、現状を理解しました。

99: 2012/02/02(木) 12:15:26 ID:jhHwj.Y60

 唯先輩はこの店を出る前に、一つの約束をして欲しいと頼みました。
 何があっても、最終的には平沢家に帰ること。
 例え途中でバラバラになってしまっても、どんなに困難な状況になっても。
 私と憂は、それを了解しました。

 従業員専用の出入り口から、勢いよく外へ出ます。
 ついでにそこにあった箱で、扉の外を塞いでおきました。
 少しぐらい時間稼ぎになってくれることでしょう。
 私達は急いで人ごみの中に紛れ込んでいきました。

 しかしそこは、先程逃れたばかりの熱気で包まれていました。
 これから正午にさしかかる時間帯、まだ気温は上がりつづけることでしょう。
 憂は唯先輩の様子を心配そうに確認しています。

梓「そっか、唯先輩は暑いのにも寒いのにも極端に弱いんだっけ」

憂「そうなんだよね……。
 お姉ちゃん、水飲む?」

唯「おお……ありがとうね、憂~」

 先程、勇気ある行動をした人物と同一人物だとは思えない弱りっぷりの唯先輩。
 いざという時は、本当に頼りになる人なんだけど。
 まあ、こういう時には私と憂が唯先輩を守ってあげればいいんだ。
 安心してくださいね、唯先輩。

100: 2012/02/02(木) 12:16:12 ID:jhHwj.Y60

憂「人ごみの中に紛れれば大丈夫かと思ったんだけど、ダメだね……」

梓「逆に人のいない場所だと目立つけどね」

憂「澪さんを先に探すっていうのは、どうかな?」

 なるほど、何も隠れるだけが私達の策じゃないんだ。
 こっち側から攻撃を仕掛けることだって、選択肢の一つだ。

梓「そうだね、会員の多さは厄介でも、澪先輩自身は怖がりだから、本人と対決したら何とかなるかも」

憂「決まりだね。じゃあ日記を確認してみよう」

 唯先輩も日記を確認しようとしましたが、それを憂は止めました。
 憂の日記を見れば、唯先輩がどうなるかは完璧に把握できるから、と憂は言います。
 唯先輩はそれに納得すると、一緒に憂の日記を覗き込みました。

 私も自分の日記を確認します。

#==========





15:10 洋服屋での安売りは二日連続で、今日が最終日のようだ。

15:11 本屋の中から怒号が聞こえた。

15:16 会員の見つけた、という声が聞こえた。

15:19 会員に、澪先輩の下へ連れていかれるそうだ。

15:20 他の二人も捕まってしまったらしい。

15:22 -DEAD END-

#==========

101: 2012/02/02(木) 12:16:45 ID:jhHwj.Y60

 はは、私は本当によく敗北する運命にあるみたい。
 二人の顔色から察するに、どちらも同じく「DEAD END」なんだろう。

 ここで憂の日記を見せてもらうことにしました。

#==========





15:15 危機的状況だね、と私に語りかけるお姉ちゃん。
   こんな時でも私の心配をしてくれるなんて、感激だよお姉ちゃん。

15:18 お姉ちゃんが泣き出しちゃった。
   梓ちゃんが捕まったからかな、泣き止んでお姉ちゃん。

15:20 お姉ちゃんが捕まっちゃった。

15:23 お姉ちゃんが会員に引っ張られてる。
   大変だよ、連れていかれちゃう。

15:25 お姉ちゃんの日記が破壊されちゃった。

15:27 -DEAD END-

#==========

梓(……うわぁ)

 見事に憂の日記は唯先輩のことでびっしりでした。
 私の日記よりも主観的な情報も多く記録されており、本当に憂らしいというか、何というか。

憂「な、何だか恥ずかしいな」

 流石の憂でも、これを見られるのは恥ずかしいそうです。
 自分の心の内を知られてしまったような感覚になるから、だとか言っています。
 日記を見る前から、憂の姉に対する感情は見え見えなんですが。

102: 2012/02/02(木) 12:17:26 ID:jhHwj.Y60

唯「うーん、このままだと全滅みたいだねえ」

梓「ところでこの日記によると、私だけが単独行動をしているようですね」

唯「あ、本当だ!じゃあ、あずにゃんの単独行動を避けるようにすれば、何とかなるのかも!」

 多分、澪先輩の追っ手が無理矢理私を単独行動にさせたんだと思いますですけどね。
 だからそれを避けるように意識しても、簡単には避けられそうもありません。

憂「それにしても、私達が捕まる場所って何処なんだろ?」

梓「多分、私が昨日連れて行かれたであろう商店街だと思うよ。
 この洋服屋の安売りって、昨日日記に書かれていたから」

憂「でもそれって、ここから距離あるんじゃない?」

梓「つまり私達は追い詰められて、ここに誘い込まれるってわけだよ」

 澪先輩のファンクラブ会員、恐るべし。
 どこからその忠誠心がくるのか、まるでわかりません。
 そもそも自分達は何をやっているか、そういうのがちゃんとわかっている人たちなんでしょうか。
 人の未来を奪うゲームに手を貸すなんて、正気の沙汰とは思えません。
 とかいう私も、澪先輩の未来を奪おうとしているのですがね。

103: 2012/02/02(木) 12:18:07 ID:jhHwj.Y60

梓「さてと、そろそろ会員達に見つかっちゃうみたいだよ」

 私は先程、日記の内容を一通り把握しました。
 それによると、会員がもう近くにいて、私達を発見するのだそうです。

憂「なら早くこの場から離れなきゃ。
 でも、私達が違う行動をしたことは澪さんの日記でも分かっちゃうし、完璧に逃げるのはシビアだね」

唯「でも澪ちゃんが会員さんたちに指令を出すのって、メールか電話ででしょ?
 それって、ちょっとだけだけど時間かかっちゃうよね~」

梓「いい点に気づきましたね、唯先輩。
 私達が逃げる隙を作るには、そのタイムラグを利用するしかありません」

 そう、圧倒的な情報収集力を持つ澪先輩の日記に勝つには、澪先輩から会員への指令の際に起きる
 タイムラグを利用するしかないのです。
 つまり私達は盛んに行動を起こし、未来を頻繁に変えます。
 その度に未来は変わる―――つまり澪先輩の日記の内容も変わる―――ので、澪先輩はより多くの指令を
 会員達にしなくてはなりません。
 その数が多くなれば多くなるほど、タイムラグは増え、いずれ会員達も混乱しだすはずです。

104: 2012/02/02(木) 12:18:40 ID:jhHwj.Y60

 手始めに、先程言った会員からの発見を避けてみることにしました。
 物陰に隠れ、さっき私達がいたその場所を眺めていると、桜高の生徒らしき人が姿を見せました。
 会員です。

 その時、ノイズと共に日記の内容に変化がありました。

 するとそこにいた会員が携帯を取り出し、何かを見ているようです。
 これは澪先輩からのメールを見ているのでは?
 ……間違いありません。
 澪先輩の日記は「会員が見た情報」を記録するもの。
 そして澪先輩から会員達への連絡手段はメールで確定です。
 私達の作戦は実行されることになりました。

 日記を使い、極力未来を変更するように意識しながら移動します。
 時には二手に分かれ、時にはあえて会員に見つかり、時には人混みに紛れて澪先輩を惑わします。
 今、澪先輩は日記の内容が度々変わることに苛立っていることでしょう。
 会員達への連絡も滞り、恐らく機能していないはず。

105: 2012/02/02(木) 12:20:21 ID:jhHwj.Y60

 それを幾度も繰り返していると、いつの間にか私達の日記から「DEAD END」の表記は消えていました。

唯「やったね憂、あずにゃん!
 ついに澪ちゃんから逃げ切ったよ!」

憂「よかったね、お姉ちゃん!」

梓「それにしても時間掛かりましたね」

 そうです、現在時刻は20時47分。
 会員達の粘り強さは相当なもので、こんな時間になるまで慣れない町を駆け回らないと、撒くことが出来ないほどでした。
 流石にここまで遅くなってしまったことが原因したのか、会員達は次々と姿を消していきましたが。
 その会員達の原動力となっているのは、やはり澪先輩の魅力なのでしょう。

 因みに私と憂の原動力が唯先輩なのは、言うまでもありません。
 言わせないでよ、恥ずかしい。

 私達三人は安堵と疲労の表情を浮かべ、互いの顔を見合います。
 唯先輩が私達二人ににこりと笑顔を見せると、それに釣られた私達の顔も綻びます。
 唯先輩の笑顔に、私達デッドエンド。

106: 2012/02/02(木) 12:20:57 ID:jhHwj.Y60

 別に勝ってはいないのですが、私達は不思議な充足感に浸っていました。
 作戦が成功したことが余程嬉しかったのでしょう、私達は警戒心をどこかへ置いていました。
 私の日記を三人で確かめ、無事に帰れることを確認します。

 なお、行きは電車でしたが、電車でここへ来るのは想定外の事態でしたので、帰りは電車より利便性に優れたバスを使いました。

 私達は意気揚々と帰りのバスに乗ります。
 そして。





 バスに乗った私達は戦慄しました。
 そこにいたのは紛れもない、澪先輩だったのです。





 咄嗟に降りようとしますが、後ろからは会員と思われる女子たちが乗り込んできます。
 出口を塞がれた私達は、澪先輩の乗るバスに同乗するしかありませんでした。

梓「な、何でここに……!?」

澪「三人組と聞いてたけど、残り一人は憂ちゃんだったのか」

梓「何故ここにいるのかと聞いています、質問に答えてください!」

澪「そう騒ぐなよ、梓。
 周りに迷惑がかかるだろ?」

107: 2012/02/02(木) 12:22:04 ID:jhHwj.Y60

 この期に及んで、まだそんなことを言いますか澪先輩。

 まるで愚者を見下すような、汚らわしい目。
 策に嵌まった私達をほくそ笑む、醜い口元。

 そんな澪先輩を見た私は、かつて抱いていた憧れを捨て去っていました。
 それどころか、目の前の悪魔を、私の日常から廃除しようという考えも芽生え始めます。
 私のティータイムに、あなたはもういないんですよ、澪先輩。

澪「いつの間に、そんな怖い顔を私に見せるようになったんだ、梓?
 そんな顔じゃ、唯に嫌われちゃうぞ?」

梓「っ!?」

 澪先輩は今の私が、唯先輩を守ることを生き甲斐として生きていること、唯先輩を支えにしていることを知っていました。
 だからなのでしょう、澪先輩は私に唯先輩絡みの揺さ振りをかけてきます。

唯「あずにゃんを嫌いになるなんて、有り得ないよ澪ちゃん!」

 そんな澪先輩に得意げに反論する唯先輩。
 ああ、私は唯先輩に守られてもいたそうです。

108: 2012/02/02(木) 12:22:33 ID:jhHwj.Y60

澪「そうか……だけど甘いぞ唯。
 私の歌詞よりな」

 自覚あったんですか。

澪「お前達の日記を見てみるといい。
 そこには確かに書いてあるはずだ、救いようのない未来がな」

 傍から見たら痛い人同士のやり取りに見えたのでしょう、さっきまでバスに乗っていた人たちが次々と降りていきます。
 私達以外の殆どの乗客が降りたところで、バスが発進しました。
 運転手さんには申し訳ないことをしている気はしますが、緊急なので気にしません。

梓「ここで安易に日記を取り出すほど、私達は馬鹿ではありませんよ」

梓「そんなことよりも!
 どうして、澪先輩がここにいるんですか!」

澪「お前達がこの町に来ていたことは、わかっていた。
 後は帰りに使うであろう公共交通機関の全てに、ファンクラブ会員と私を潜ませるだけだ」

梓「夜遅くなったから会員はいなくなったのではなく、待伏せをしていたということですか!?
 でも、日記には、そのような記述は……!」

 くすり、と笑う澪先輩。
 私が何もわかっていないことを、嘲笑っているようでした。

109: 2012/02/02(木) 12:23:06 ID:jhHwj.Y60

澪「梓の日記の特性は“聴覚的情報”の記録だからな。
 私は会員全員に、発見しても声をかけるなと伝えてある」

 何故か私の日記の能力が、相手側に漏れている。
 一瞬何故そのような事態が起きたのか、当事者の私ですらわかりませんでした。
 そんな私を見てもなお、澪先輩は話を続けます。

澪「私だって声はかけないつもりだったさ。
 まあ、私自身が日記の未来に背いた行動をしたんだけどな」

 確かに聴覚的情報のみを記録する私の日記は、相手から話し掛けられない限り、その相手の存在を掴むことは出来ません。
 しかし、私側には所有者が三人もいる。
 私の日記の情報が例えあちらに漏れていたとしても、他の二人の日記が使用されれば、
 このような状況に出くわすことはありえないのではないでしょうか。

梓(しまった……私達は浮かれているばかりで、憂や唯先輩の日記の確認を怠っていた!)

 唯先輩の日記はわかりませんが、憂の日記は非常に限られた情報のみが記録されるために、
 私達はいつの間にか私の日記を確認するだけで、行動を決めていたのです。
 つまり、他の二人の日記を確認することは無かったのです。
 それを澪先輩はどうやって知りえたのでしょう。

澪「私の日記によれば、お前達が同じバスに乗り込んでから、私の存在に気づくまで時間が掛かっている。
 つまり梓達は、警戒心が薄れ、この状況をバスに乗る前に読むことが出来なかった」

 仮に唯先輩か憂の日記で澪先輩の存在を知っていれば、このような状況にはならなかったでしょう。
 バスにすら乗っていないのですから。

澪「それだけの情報でも、ここまでの流れは予測出来て当然だろ?」

110: 2012/02/02(木) 12:23:37 ID:jhHwj.Y60

 日記の内容から、私達の警戒心が薄れていることを察し、ここまでの流れを作ったというのです。
 澪先輩の頭の良さには舌を巻かれます。

 しかし。
 まだ、もう一つ気になることがありました。

梓「私の日記の特性を、どこで知ったんですか?」

澪「梓は、まさか自分達だけが所有者同士の同盟を作っているとでも、思っていたのか?」

 その瞬間、私は察してしまいました。
 いつからかわかりませんが、私は自分達が特殊なものだと思っていました。
 サバイバルゲーム、全員が敵という状況の中での「仲間」が、私達だけのものであると。

澪「まあ、お前達みたいな仲間と呼べるものじゃないんだけどな。
 ただ情報の共有をしているだけだよ」

澪「7th、梓が頃したとされる3rd曽我部先輩とな」

梓「あのストーカーと繋がっていたんですか」

 私を恐怖のどん底に貶めた割に最後は呆気なかった3rdが、まさか澪先輩と繋がっていたなんて、誰が思ったでしょう。

澪「あの人は以前、ファンクラブの会長をしていたんだ。
 まあ、その縁でな」

111: 2012/02/02(木) 12:24:08 ID:jhHwj.Y60

澪「あの人の“ストーキング日記”は、自分自身が行動しないと得られる情報は無いが、
 その対価として得られる情報の正確さ、多さは随一なんだ。
 これを利用せずに、何を利用するんだ?」

 何とストレートな名前。

 いや、そんなことより、私はいつからストーキングされていて、いつから情報収集されていたのでしょう。
 前生徒会長は驚愕のストーカースキルを持っているようです。

梓「ここまでの話はわかりました。
 しかし、そこまでわかっていて、何故他の公共交通機関にファンクラブを待ち伏せさせていたんですか」

澪「どれだけ高い確率で未来が決まっていようとも、お前達は未来を変える可能性があるからな。
 唯の直感、閃き、無秩序な行動は私にとっても脅威なんだ」

 思わぬところで、唯先輩は驚異的存在となっていたようです。
 そういえばさっきから唯先輩と憂が、何も発言していません。
 この緊迫した状況に押し潰され、発言することもままならないというのでしょうか。

 そう思っていたところで、唯先輩が口を開きました。

112: 2012/02/02(木) 12:25:05 ID:jhHwj.Y60

唯「そっかあ、澪ちゃんは私が怖いんだ~」

澪「まあな。お前の突拍子の無さは、日記でも予知出来ないからな」

唯「ふふ、照れちゃうよ澪ちゃん。
 何も出来ないと思っていた私が、実は大活躍だったなんて」

 何故でしょう、唯先輩からは余裕が感じられます。
 しかしこのバスには澪先輩と会員八人が乗っています。
 力ずくで脱出を試みようとしても、九人相手では分が悪すぎるのです。
 日記を使い、相手の動き方を読みながら行動するという手もありますが、
 果たして日記を片手に持ったままで戦うことが出来るでしょうか。
 私には出来ないと思っています。

唯「でも忘れないで欲しいな」

澪「何をだ?」

唯「私は、一人じゃない。
 ……平沢唯は一人じゃないんだよ!!」

113: 2012/02/02(木) 12:25:47 ID:jhHwj.Y60

 次の瞬間、動きを止めていた憂が、携帯していた防犯グッズ―――あれはスタンガン―――で、一番近くにいた会員を撃退しました。
 バチバチという音と共に、痛みながら倒れる会員。
 あまりに突然のことなので、憂と唯先輩以外動くことが出来ません。

 いや、スタンガンって。
 携帯したら法律違反なんですよ、それ。

唯「憂、右から一人来るよ!」

 次の瞬間、憂の右手にいた会員が憂に向けて鈍器を振り上げます。
 が、それを予知していた唯先輩が憂に指示を出し、それを受け取った憂は素早く相手の懐に入り、スタンガンのスイッチを入れます。

唯「あずにゃんも、後方から!」

 今度は私!?
 私は後ろから降りかかってきた鈍器を素早く避け、低姿勢のまま相手の脛を思い切り蹴ります。
 クリーンヒット。
 私に襲い掛かろうとした会員はその場に倒れ、私に蹴られた場所を手で抑えながら、バスの床でのた打ち回っています。
 澪先輩は顔を真っ青にし、動くこともままならない状態でした。

 それからは唯先輩の指示に従って憂が会員達を倒していくだけでした。
 その様子は非常に鮮やかなもので、憂の身体能力の高さが垣間見えます。
 唯先輩の指示も非常に的確で、流石姉妹といった具合の連携プレイでした。
 無傷とまではいきませんでしたが、日記を駆使した戦いはこちらが優勢でした。

114: 2012/02/02(木) 12:26:18 ID:jhHwj.Y60

 そうしてバスに乗り込んだ会員全員がやられ、私達の他は澪先輩一人となりました。
 澪先輩はまだ動けず、ついに立つことも出来なくなってしまいました。
 ドアの壁に寄り掛かるようにして座り込んでしまいます。

澪「な、な、な、何で……!?」

唯「言ったでしょ、私が脅威になるんだって」

澪「意味が、わからない……!
 あの数をどうして、どうやって!?」

唯「別に澪ちゃんも知ってるでしょ、日記の力だよ」

澪「だけど、唯の日記は……」

 ここまで言ったところで、憂が澪先輩の首元にスタンガンを当ててやりました。
 130万ボルトの恐怖が、澪先輩に当てられています。

憂「黙ってくださいね、澪さん」

澪「……くっ……!」

唯「澪ちゃん、私が使ったのは憂の日記なんだよ」

澪「なんだって!?」

115: 2012/02/02(木) 12:26:48 ID:jhHwj.Y60

 ここで私が先程諦めた策を思い出します。
 八人の会員を相手にする唯一の方法。
 つまり日記を利用しながらの直接戦闘。
 私が不可能だと言ったのは、片手に日記を持ちながら、それを確認しながらの戦闘行動。

 しかし、可能だった。

 憂の日記「お姉ちゃん日記」は、自身のこととは別のこと―――つまり姉のこと―――しか書かれていない。
 一見ピンポイントすぎて使えない日記は、意外なポイントで役に立ってしまったのです。
 しかし唯先輩が戦いに行くのは、あまりにリスクが大きい。
 というか戦え無さそう。

 というわけで日記を唯先輩に預け、憂が戦いに出たのです。
 唯先輩は周りのこと、特に自分が大切に思っている人や物に対しては鋭く、敏感に反応することが出来ます。
 つまり唯先輩が見ること思うことが書かれるということは、私達のことが書かれることと同意だったのです。

 気づきませんでした。
 さっき唯先輩と憂がやけに静かだったのは、二人でこの相談をしていたからだったのです。

116: 2012/02/02(木) 12:27:14 ID:jhHwj.Y60

唯「日記を見て、他の人に指令を出すっていうスタイルは澪ちゃんから学んだんだけどね。
 だけどね、澪ちゃんと私達には決定的な違いがあったんだよ」

澪「伝達時間の違いだろ!?
 そんなこと、言わずともわかっている!」

憂「ハイ、煩くしないでくださいねー。
 スタンガンのスイッチ入れちゃいますよー?」

澪「ひっ!?」

 いつの間にか澪先輩の性格も、以前のものに戻っていますね。
 さっきの会員全滅事件で、ようやく本来の自分を取り戻したのでしょう。
 ある意味ここまでの澪先輩は、澪先輩らしくありませんでしたから。

唯「そうだね、それも決定的な違いだよ。
 でもね、それ以上に違うことがあるの」

澪「……絆、とかか……?」

唯「相性だよ、澪ちゃん」

 私達はお互い、とっても相性が良くて、お互いを良く知っている。
 そしてお互いのことが好きなんだよ。
 ね、憂とあずにゃん。

 その唯先輩の言葉に早くもノックアウトされそうなんですけど、唯先輩。
 ああ、スタンガン片手の憂も顔真っ赤にして照れてる。
 手を滑らせてスイッチオンなんて、そんな物騒なことにならないといいけど。

 いや、既に物騒なことにはなってるんだけど。
 これ運転手さんに通報されないんだろうか。

117: 2012/02/02(木) 12:27:44 ID:jhHwj.Y60

澪「そうか……私と唯もきっと、相性が良かったんだろうけどな」

唯「そうだね。りっちゃんともムギちゃんとも、あずにゃんとも。
 私達は軽音部だったから」

 だったから、ですか。
 もうかつての軽音部には、戻ることが出来ないのですね。
 たった一人でも欠けてしまえば、放課後ティータイムは成り立たなくなってしまいますから。

澪「……あ、今、私、後悔しているよ。
 あの日記を手に入れて、変なプレッシャーを感じたのがいけなかったのかな。

 周りの人が皆信じられなくなったことがダメだったのかも。
 自分を守るためなら手段を選ばないなんて、そう思ったからこうなったのかもしれない。

 最後に軽音部で演奏できなかったから、私は負けたんだろうな」

 全てに絶望しきった顔で、澪先輩はぽつりぽつりと言葉を出していきます。
 その様子から、今までこの人はずっと苦しみ続けていたことが察せます。

唯「……澪ちゃん、日記を出して。
 私が終わらせてあげるから」

 唯先輩はそっと、澪先輩の前に手を差し伸べました。
 あの手の上に日記を置け、そうすれば楽になる、ということなのでしょう。
 澪先輩は日記を開き、画面を見始めました。

澪「ここまで本当に長かったような気がするよ」

唯「私も」

118: 2012/02/02(木) 12:28:13 ID:jhHwj.Y60

 澪先輩の覚悟の出来たような表情。
 まったくの無表情にも見えますが。
 日記に書かれた自分の未来を受け止めることにしたのでしょう。

澪「唯、ここで泣いちゃダメだぞ?」

唯「ないで……泣いでな゛んがいない゛もん゛……!」

 唯先輩の目には、一杯の涙が溜められていました。
 私達の未来を奪おうとはしたものの、それはかつての仲間。
 そんな仲間を捨てきれずにいる唯先輩は、泣くことを堪えずにはいられなかったのです。

梓「唯先輩……」

唯「だいじょぶ……だがらあ゛ぁ……!」

憂「……」

澪「泣くなって、唯!だって、もう……










 だってもう、お前は負けるんだから」





唯「!?」
梓「!?」

119: 2012/02/02(木) 12:28:44 ID:jhHwj.Y60

憂「お姉ちゃん、梓ちゃん、バスの周りに沢山の人が!」

 スタンガンを澪先輩の首元から離した憂が、窓の外を指差します。

 それは非常におぞましい光景でした。
 バスの周りを、まるで「かごめかごめ」のように手を繋いだ人たちが取り囲んでいたのです。
 それは当然、ファンクラブの会員達が作った囲いでした。

唯「澪ちゃん、この期に及んで、まだ……!」

澪「私はなぁ、まだ負けるわけにはいかないんだよぉ!」

 急に立ちあがった澪先輩が、狂ったように叫び始めます。
 その様子に、私達三人は思わずたじろいでしまいました。

澪「ハアハア……助けて、律ぅ……!」

唯「何で、りっちゃんの名前を?」

澪「もう嫌なんだ、こんな誰に殺されるか分からない世界が……。
 日記を手にした日から、周りの全ての人が敵に見えた。
 クラスの皆、学校の先生方、軽音部ですらな」

澪「だけど律だけは、心から信頼をおけたんだ。
 その時気付けたよ、幼馴染としてずっと一緒にいてくれた律の大切さがな」

澪「だから私は大切な律と、ずっとずっと一緒にいるんだって決めたんだ。
 そのためにもまずは、不穏分子を取り除かなくちゃ」

120: 2012/02/02(木) 12:29:28 ID:jhHwj.Y60

 日記を手にして以降、全ての人を信じることが出来なくなったが、律先輩だけは信じることができた。
 ついに澪先輩は周りの全ての人間が、自分の敵はおろか、律先輩の敵とも思いこむようになったのです。
 そして律先輩とずっと一緒にいることを望んだ澪先輩がとる行動は、不穏分子―――即ち私達ゲーム参加者―――の殲滅でした。

 何で?
 ちょっと相談してくれれば、私はあなたの味方になっていたのに。
 私だって、平穏な日常を願っていたんですよ。
 何で、私を信じてくれなかったんですか。





 そんなに私って、信用されてなかったんですか。





澪「逃げることは出来ない。
 そろそろ扉を破り、私の信者達がお前達に遅いかかるだろうな。
 降伏するなら今だぞ、あ・ず・さ?」

梓「……秋山ァァァ!!」

121: 2012/02/02(木) 12:29:57 ID:jhHwj.Y60

 怒り、憎しみ、そして裏切りの感情から発せられた私の言葉は、私の人生の中で最も汚らしい言葉でした。
 しかしそれは、今の自分の中に煮えたぎる感情と同じであると考えるならば、しょうがないことだったのでしょう。

 かつて大切に思っていた後輩にそんな言葉を発せられた彼女は、平然としていました。
 かえって私のことを、その卑屈で汚らしい目で見やがるのです。

澪「叫ぶか、嘆くか、そうだそれぐらいしか出来ないだろうな。
 非常に悲しい別れだったよ、うん……んッ!?」

 突然バス全体が大きく揺れました。
 澪先輩……いえ、秋山澪が最後まで喋り終えたと同時に、何とバスが動きだしたのです。
 揺れに対応できなかった彼女は、その場で転んでしまいました。

 周りを囲んでいた会員も、流石にバスに轢かれたくないのか、前方を開けてくれました。
 どんな彼女の狂信者でも命は惜しいようです。
 しかし運転手はアクセルを踏む気など無かったようでしたが、一体何故このタイミングで発進してしまったのでしょう。
 運転席を見てみます。


 運転席には、憂がいました。
 あ、気絶したバス運転手さんもいる。


 どうやら唯先輩の狂信者は、他人の犠牲など知ったこっちゃないようです。

122: 2012/02/02(木) 12:31:06 ID:jhHwj.Y60

 操縦方法もわからないので、憂はバスを少し前進させただけで運転席を降りました。
 しかし、バスの周りに会員達はいません。
 逃げるなら今しかありませんでした。

 バスの扉を開けると、私達は一目散に恐怖のバスから脱出します。
 バスの中には気絶した運転手さん、会員達、そしてぽつんと秋山澪だけが残っていました。

 もはや日記の未来なんか最初から無かったものみたいに扱い、因果律をぐっちゃぐちゃにした平沢姉妹と共に、
 私は近くの商店街へ逃げ込みました。
 そこは平沢家から2~30分ほど歩くと到着する地点でした。

憂「ここからなら家まで徒歩で行けるよ。
 一回、家に帰る?」

梓「じゃあ、そうしよっか」

憂「……ここって、予知通りの商店街なんだよね。
 時間帯はだいぶ変わってるけど」

 そうです、私達が氏ぬはずだった商店街は、今まさに私達が立っている場所でした。
 未来を引っ切り無しに変えていたと思っていましたが、運命とは恐ろしいものです。

123: 2012/02/02(木) 12:31:43 ID:jhHwj.Y60

 これから平沢家に逃げ込もうかと思った矢先、後ろから多数の会員達が追ってきました。
 しつこいやつらです。
 もし、あの時の予知通りに事が進めば、私達は捕まってしまうことでしょう。

 私と憂は今日の昼頃のように、日記を利用しながら会員達をうまく撒いていきました。
 しかし、こうして逃げている間に私達はある不自然な点に気付くのです。

憂「ねえ梓ちゃん、おかしいよね」

梓「そうだね、様子がおかしい」

 あの町で逃げたとき、確かに私達の未来は変わりつづけました。
 そして未来が変わる度に秋山澪からの指令が会員達に伝わり、それを頼りに会員達が私達を探す。
 その一連の流れは、ここでも同様に繰り広げられるものかと思っていました。

 しかし、会員達には一向に指令が来ていないようなのです。
 確かさっき一度だけメールを確認しているような動作を見せましたが、それっきりです。
 秋山澪は一体何をしているというのでしょうか。

124: 2012/02/02(木) 12:32:22 ID:jhHwj.Y60

唯「まさか澪ちゃんの身に何かあったんじゃない?」

梓「このタイミングで第三勢力が現れてしまうんですか!?」

憂「でも敗北を知らせるメールは、まだ届いていない……。
 だからまだ澪さんは敗北していない、ということなんだよね」

 そう、前に憂の提案で「ゲームの敗北者はメールで知らされる」という新ルールが追加されたのです。
 しかしそれが届いていないとなると、まだ秋山澪は日記を利用できるはずですし、
 会員達に指令が行き届いてもおかしくないはずなのです。

 まあこれほど都合のいい話はありません。
 私達はさっさとその場を離れ、自分の家に向かって走り始めました。
 その時。

澪「ま、待て!」

 後ろから追いかけてきたのは何と、秋山澪自身でした。
 会員達がその更に後ろから付いてきていました。

125: 2012/02/02(木) 12:33:07 ID:jhHwj.Y60

梓「ご自慢の会員達は利用しないんですか?」

 私達は一度立ち止り、秋山澪の方へと振り向きます。
 その顔を確認。
 やはり何かがおかしい、何か焦っている?

澪「た、たまにはいいだろ?」

梓「そうですか、じゃあ私達逃げますね」

 再び振り返り、今度は全力でダッシュ。
 途中小さな路地に身を潜め、秋山澪の様子を窺います。

 私達を見失った彼女は後ろから付いてきていた会員達を散開させ、私達を探すように指示します。
 しかしおかしい。
 何故、日記を取りださないのでしょう。
 日記を取り出せば、それほど散開させる必要はありませんし。

梓(これは先回りしているのかもしれない)

 そっとその場を離れ、私達は日記を使いながら安全な道を通って行きます。

126: 2012/02/02(木) 12:33:51 ID:jhHwj.Y60

 20分ほど歩き、無事に私達は平沢家に到着しました。
 ここに来る間、全くと言っていいほど会員達の姿を確認できませんでした。
 途中からは日記を使うまでもないほどに。

 すると突然、携帯が揺れ始めました。
 メールかな?

#==========
From:デウス・エクス・マキナ[時空王]
Sub:5th敗北のお知らせ

 5th、4thの手によって敗北。
 「-DEAD END-」

#==========

 私達は互いの顔を見合いました。
 そして一応、お互いのメールの内容を確認しました。

梓(……え……?)

 一体、何が起きたというのでしょう。
 必ず5thが秋山澪であるという根拠はありませんが、きっと秋山澪は5th。
 会員達がいなくなったことを踏まえると、そうとしか考えられませんでした。

 私達が必氏に逃げ、戦った相手は、全く別の敵によってトドメをさされてしまいました。
 しかしあれだけの会員達を味方につけていた秋山澪を倒した所有者というのは、なかなか恐ろしいものです。
 かなりの戦闘経験者なのでしょうか。
 軍人?

 そんなこんなで、私達の秋山澪との戦いは、思ってもいなかった形で終わりを告げたのです。

127: 2012/02/02(木) 12:34:35 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 その後、またメールが来ました。
 しかしそれは純の「メアド変えました~」という緊張感も何もない、空気も読めない、
 最低で論外なメールだったのですが、流石に登録しないのは不便ですので、登録だけはしました。

 話は先程の5th氏亡メールに移ります。

梓「5thって、やっぱり澪先輩だよね……?」

 私達はテーブルを囲み、今日あったことを纏めていました。
 唯先輩はただ疲れたという様子でぐったりしていますし、憂はスタンガンなんて慣れないものを使用したからか、
 肉体的というよりは精神的な疲労が見えます。
 この時の憂を見て、私は「何でも完璧な憂」というイメージが空想のモノだったということを知らされました。
 当の私はというと、肉体的にも精神的にもイーブンの疲労が乗っかっていました。

 因みに心の声以外では私はあの人を「澪先輩」と呼ぶことにしています。
 私の中の「澪先輩」はいなくなりましたが、事情を知らない人の中にはまだ「澪先輩」がいるはずですから。

憂「そうだと思う。
 まあ明後日に学校へ行けばわかると思うけど」

憂「私は5thが澪さんかどうかということより、4thの正体が気になるな」

 そう言うと、憂は先程届いたデウスからのメールを開け、三人でそのメールが見れるようにテーブルの上に携帯を乗せました。

128: 2012/02/02(木) 12:35:14 ID:jhHwj.Y60

#==========
From:デウス・エクス・マキナ[時空王]
Sub:5th敗北のお知らせ

 5th、4thの手によって敗北。
 「-DEAD END-」

#==========

 人が氏んだというのに、あまりに事務的で感情のこもっていないメールです。
 私が敗北しても、二人にこのようなメールしか届かないと思うと、悲しい気持ちになります。

憂「多くの会員達が4thには立ちはだかったはずなのに、倒れたのは澪さん。
 相手は戦闘経験豊富で容赦のない残虐な性格の持ち主かもしれない」

 怖いこと言わないでよ、憂。

憂「まあ相手が女子高生だから案外何とかなったのかもしれないけど」

 正直、会員達が私達と同じ女子高生とは思いたくないです。
 あれは本当に怖い。

憂「ん、どうしたの梓ちゃん?
 会員達の行動力に驚いて、同じ女子高生とは思えないって顔してるけど」

 的確すぎて憂が怖い。
 察しが良すぎです、この点は姉妹揃って。

129: 2012/02/02(木) 12:35:47 ID:jhHwj.Y60

唯「二人とも、そんなぐったりした顔しないでさ。
 家にいる間ぐらい笑っていようよ~」

梓「いつでもぐったりな唯先輩に言われたくはありません」

唯「いつでもぐったりです!」

憂「お姉ちゃん、そこは自慢するところじゃないよ……」

 こんな状況でも唯先輩は変わらないな。
 でも、バスの時の唯先輩、いつも見せる顔とは全然違って、カッコよかったな。

 私達は「5thは秋山澪」と仮定し、更に「4thに対しては今後警戒を怠らない」ということを決め、各自の日常に戻ることにしました。
 各自の日常というのは勿論、唯先輩はだらだらして、私がそれを注意して、憂がその間に家事を終わらせ、
 いつの間にか唯先輩が私に抱きついていると。
 って、え?

梓「唯先輩、離してください」

 私、唯先輩に抱きつかれてます。
 こうしてるといつも私は、心が落ち着いてぽわぽわと宙を浮いているような気分になってしまいます。
 それだけ温かくて幸せってことですよ。

 憂がキッチンでの作業を一段落完了させたのか、リビングに戻ってきて、抱きつかれている私をじっと見てきます。
 憂の少し羨ましそうな視線が、私の背中をチクチクさせて何か痒いです。
 でも大丈夫だよ、唯先輩なら憂にも抱きついてくれるよ。

130: 2012/02/02(木) 12:36:13 ID:jhHwj.Y60

唯「だって今日、全然抱きつけなかったんだもん……」

梓「まあ事態が事態でしたから」

唯「だから今日一日分、抱きつかせてね!」

梓「何でそうなるのかとか、一日分って何なのかとか、色々な疑問があるんですが唯先輩」

 それはねえ、と説明をしようとした時、唯先輩が憂に気付きました。
 そして憂に手招きをして、こう言うのです。

唯「おいで、憂」

 憂は大歓喜し、その勢いのまま飛びかかってきました。
 ちょっと憂さん、飛びかかるっていう動作がどれだけ周りに影響を与えるか、あなたご存じなんですか?

 答えはNoでしょうね。

 憂の飛びかかりを正面から全力で受け止めた唯先輩は勢いに負けて、背中から倒れてしまいました。
 その際、唯先輩に抱きつかれていた私は、憂と唯先輩に挟まれ、押し潰されていました。

梓「ちょ、憂、苦しっ……!」

憂「あれえ、お姉ちゃんもだけど、梓ちゃんって温かいんだねえ」

唯「お、気付いた憂?
 これがあずにゃんに抱きつきたくなる理由、その一なんだよ!」

憂「なるほどね、流石お姉ちゃん!」

 この場合、褒められるのは私ではないでしょうか。
 別に褒められてもアレだけど。

梓「だ、か、ら……苦じいっ……!」

131: 2012/02/02(木) 12:36:51 ID:jhHwj.Y60

 前方には唯先輩。
 後方には憂。
 この姉妹は非常に似ているようで、違う点も結構あるものだと、この時気付きました。
 大きさとか。
 あ、これの詳細を言うと、私がまるでそのことを気にしているように聞こえてしまうので、これ以上は言いません。

 とりあえず二人の温もりはとても似ていて、間に挟まっていた私を溶かしてしまいそうなほどでした。
 私、このまま溶けて無くなってしまうのではないでしょうか。
 挟まれたせいで息が出来なくて、そのまま氏ぬという意味ではありませんよ。

憂「そろそろ家事に戻らなきゃだから、私キッチンに戻るね?」

唯「ん、わかった!いつもありがとうね、憂!」

 そう言うと唯先輩は憂の背中に回していた手を離し、憂を解放しました。
 すっと、私の背中の温もりが消えていきます。
 扇風機の風が妙に涼しく私の背中を通り抜けて行きました。

 代わりに唯先輩の手が、私の背中に回ります。
 人一人の温もりに敵うものではありませんが、それでも暖かいものでした。

梓「たまには憂を手伝ったりしないんですか?」

唯「失敬な!私だって自主的に手伝おうかと憂に言ったことはあるんだよ!」

 ただ、と唯先輩は続けます。

唯「憂は心配性だから、ね」

 そりゃそうでしょう、私だって唯先輩に包丁を持たせるのは怖いと思っています。
 しかし合宿では普通に包丁を扱えていましたし、杞憂なんでしょうけどね。
 何かこう、唯先輩のイメージがそうさせているんです。

 きっと憂も、唯先輩が包丁を扱えるごとぐらいわかっていて、でもその雰囲気が心配にさせているんだと思います。

梓「ところで唯先輩、私のことは解放しないんですか?」

唯「一日分はね、まだまだこんなもんじゃないんだよ」

梓「はあ、そうですか」

 口では呆れ気味に言っていますが、心の中では喜び踊り狂っている私がいます。
 収まれ、心の中の私。

132: 2012/02/02(木) 12:37:23 ID:jhHwj.Y60

 それから晩御飯やお風呂の時以外はずっと唯先輩に抱かれながら過ごしていました。
 この分だと、寝る時も唯先輩に抱かれっぱなしなんだろうなあ。
 想像しただけで、おっと涎が。

 さあ就寝時間がやってきました。
 案の定、私は唯先輩の部屋にいます。
 ただしです、私にとって想定外の光景がそこにあったのです。

憂「梓ちゃんは、真ん中がいいかな?」

 なんと同じベッドに三人で寝る羽目になったのです。
 憂曰く、私も梓ちゃんにハマっちゃったかも、だそうです。

 どんとこいです。

133: 2012/02/02(木) 12:38:09 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 結局私を真ん中に置き、両側から憂と唯先輩が抱きつくというスタイルで寝ることになりました。
 両側の二人は本当にぐっすり寝ているのですが、抱きつかれている私はなかなか寝つけることが出来ません。
 理由など簡単です。
 暑いんです、ただ暑いだけなんです。

 今が冬ならどれだけ幸せだったのでしょう、暖房も要りません。
 しかし今は夏休みが終わり、これから秋になっていくという段階で、結局まだ夏の暑さが残っているのです。

梓「どうしよう」

 両手は二人に抱えられ簡単に動かすことが出来ませんし、無理に動かそうとして二人を起こすのも悪いです。
 しかし両手を使わなくては、この状況をどうすることも出来ないのです。
 せめてクーラーがあれば、と思いましたが、私の左側にいる先輩はクーラーが苦手なのでした。
 下の階にある扇風機を持ってきたいところです。

梓(どっちか片方の手が自由に出来れば、もう片方の手を慎重に解放出来そうなんだけどな)

 裏を返せばそれは、片方の手は無理やり動かさないといけない、ということでした。
 つまり片方のお方を起こす羽目になる。
 でも自業自得ですよね、そうですよね。

134: 2012/02/02(木) 12:38:43 ID:jhHwj.Y60

 というわけで迷わず唯先輩に抱きかかえられていた腕を、唯先輩の腕から思いっきり引きぬきます。
 その際に柔らかい膨らみに触れてしまったことは、私の一生の宝として頭の中に残ることでしょう。

唯「んん~……」

 私の読みは的確でした、唯先輩はこの程度で起きない。
 きっとさっきの膨らみをもうちょっと念入りに触っても起きないと思いますが、それは流石に犯罪なので自粛。
 もう片方の憂に抱えられた腕を慎重に解放します。
 あ、やっぱりこっちの方が大きい。

 何とかなりました。
 私は無事に両手を解放され、下の階の扇風機を取りに下へ降ります。

 扇風機をやっとの思いで唯先輩の部屋まで運び、コンセントの場所を携帯の光を頼りに探します。
 光で部屋中を照らしながら探していると、ベッドのすぐ近くに空いているコンセントを見つけました。
 扇風機のプラグを持ち、そこに繋げようと近づきます。

 姿勢を低くし、コンセントの位置に手をやります。
 すると突然、その手に何かが触れてきました。

梓「うわっ!?」

 いきなりのことだったので思わず声を上げて驚いてしまいます。
 暗闇の中、私一人が起きているという状況で、何者かが私に触れたのです。
 驚かない方がおかしいかもしれません。

135: 2012/02/02(木) 12:39:22 ID:jhHwj.Y60

 そっと携帯の明りを、その触れられた地点に当ててやります。
 そしてそこからすっと、明りを上に持っていくと、そこにいたのは

梓「起きてたんですか、唯先輩」

 唯先輩でした。
 ある程度予想できましたが。

唯「だってあずにゃん、無理矢理私を離さすんだもん」

梓「仕方ありませんよ、暑かったんですから」

唯「私は温かかったのに暑かったんだ?
 まさかあずにゃん、二人に抱かれて照れてる~?」

梓「そういうわけじゃないです!
 誰だって二人に両側から抱かれたら暑いんです!」

 唯先輩は依然、疑いの目で私を見ています。
 というかあの人は楽しんでいます、私で遊んでいます。
 確か入部して間もない頃、ケーキを使って私で遊んでいました。
 この人は意外とSの気質があるのかもしれません。

 いや、そんなことはどうでもいいんです。
 今はとりあえず、寝ることを先決しましょう。
 人の快眠を妨げるなんて、言語道断なんですよ!

憂「……二人とも煩いよー!」

 ごめんなさい。

 私達が色々と言い合っている声で起きてしまった憂に二人で謝罪し、とりあえず私達は大人しく寝ることにしました。
 唯先輩と憂には、抱きつかずに、寄り添うぐらいにしてくれと頼み、三人で同じ順番に寝ました。
 二人とも約束は守ってくれ、今度はちゃんと寝れそうです。
 扇風機の風は心地よく、両側に寝る二人の寝顔は私の心を癒し、気持ちの良い夢へと誘っていくのでした。

136: 2012/02/02(木) 12:39:51 ID:jhHwj.Y60

―――
――――――
―――――――――

 激動の土曜日が終わり、日曜日の朝がやってきました。
 この朝は、昨晩憂に迷惑をかけてしまったことの償いとして、私が早起きして朝ご飯を作りました。
 途中から起きてきた唯先輩にも手伝ってもらい、憂に及ぶかはわかりませんが、結構美味しそうな朝ご飯を作りました。
 途中とはいえ唯先輩が自主的に起きてくることは意外でしたが、憂のためならこれしき、と言っていたので安心です。
 もし何か別の理由で起きてきたとしたならば、それは唯先輩に異常があるということなのですから。

 ということを唯先輩に言ってあげたら、口を3の字のようにして拗ねてしまいました。
 朝から可愛いものを見れたのでよしとします。

唯「あ、憂を起こしてくるね!」

 さっさとその3の口をやめた唯先輩は、上の階でまだ寝ている憂を起こしに階段を駆け上がっていました。
 すぐに怒って、すぐに機嫌を直して、すぐに笑ってしまう。
 そんな具合に感情がコロコロ変わる様子を見ているだけで、一緒にいたいな、と思ってしまいます。

 階段で唯先輩に手を引っ張られながら降りてきた憂は、どこか幸せそうでした。
 昨晩無理に起こされたのにも関わらず、むしろ姉が朝食を作ったことに感謝しています。
 私達は謝罪の意味をこめて作ったのですが、もうその必要は無さそうです。

137: 2012/02/02(木) 12:40:20 ID:jhHwj.Y60

 唯先輩と一緒に作った料理は、とても出来のいいものでした。
 しかし憂は毎日これ以上のものを唯先輩に作っていると思うと、唯先輩が非常に羨ましく、
 そして愛されているんだなと再認識してしまうのです。

 私は今日、特に何もせずにゆっくりと平沢姉妹との時間を過ごせたらな、そう思っていました。
 念のために、私は日記の内容を確認してみます。
 日記には所有者との出会いらしき記述は無く、一先ずは安心でした。
 しかし私達、といっても唯先輩と私は出掛けるようですが。
 その出掛ける理由なのですが、後少しでわかると思います。

 プルルルル……。

 唯先輩の携帯が鳴ります。
 相手は律先輩でした。
 電話に出ます。

138: 2012/02/02(木) 12:42:02 ID:jhHwj.Y60

唯「どうしたのりっちゃん?」

律『唯、澪がどこいったか知らないか?』

唯「え、澪ちゃんがいなくなっちゃったの?」

 先程まで漂っていた空気が凍りつきました。
 無理もありません、その人と私達は昨日戦ったばかりだったのです。
 やはり、昨日4thの手によって殺されたとされる5thは、秋山澪でした。

 律先輩はあの人の幼なじみです、きっと秋山澪の母から話を聞いたのでしょう。
 そして今日の朝も帰ってきていない、心配するのは当然です。

憂「ねえ梓ちゃん……」

梓「分かってる。でも唯先輩は出来る人、きっと気づかれないように対応してくれる」

 そう、やる時は、とんでもない実力を発揮できるのが唯先輩。
 私はあなたのそんな姿に惹かれ、軽音部に入ったんです。
 信用していますよ、唯先輩。

 唯先輩はそんな私達の様子に気づいたのか、携帯を丁度三人の真中に置き、ハンズフリーで通話を始めました。
 私と憂に向けて「しぃー」と静かに言いながら、人差し指を立てて自分の口に当てて、サインを送ります。
 それに私達が頷くと、会話を再開させます。

139: 2012/02/02(木) 12:42:53 ID:jhHwj.Y60

唯「それは大変だね……」

律『だろ?だからさ、今日皆で探さねえか?』

唯「え?」

律『ムギと梓も誘って、澪を探すんだ。
 そして今日中に見つけ出して、あいつを家に帰す!』

唯「そっか……うん、わかった。
 私も協力するよ」

 この時の憂の信じられない、とも言わんばかりの表情は、私の頭に深く刻み込まれました。
 憂は姉の保身を第一に考えていますから、そんなリスクを冒すことは許さなかったのでしょう。

 そんな憂にお構いなしに、唯先輩は話を進めます。

唯「あずにゃんには私が伝えるから、りっちゃんはムギちゃんに電話お願いね」

律「ん、わかった。
 じゃあ12時に校門前に集合な」

 ぶつ。
 電話は切れる音が部屋に響きます。
 その音を境に、この部屋の中には沈黙が訪れていました。
 いつも明るい律先輩が、どことなく寂しそうだったことに対する申し訳なさからの沈黙か。
 唯先輩の勝手な対応に怒る憂が引き起こす沈黙か。
 その正体はハッキリとはわかりません。

140: 2012/02/02(木) 12:43:23 ID:jhHwj.Y60

 憂が、そっと口を開きました。

憂「ねえお姉ちゃん、何で今の提案を飲んだの?」

唯「当たり前だよ、元とはいえ私の仲間がいなくなった。
 それに対して冷たい対応をするのは、普段の私とはいえないからね」

憂「ダメだよお姉ちゃん。
 他の所有者に見つかるリスクが高すぎて、行かせられない」

唯「だから、普段の私を演じることが、最も疑われない方法なんだってば」

憂「行くのを止めて、お姉ちゃん。
 そんな疑われるなんて問題じゃないんだよ、もう。
 殺されちゃうかもしれないんだよ?」

唯「行くの、私は絶対にね。
 ここで不自然な行動を見せれば、何が起きるかわかったもんじゃないよ」

 二人の言い合いは平行線を辿っていました。
 片方が自分の意見を言えば、もう片方も自分の意見を言うばかり。
 このままでは和解することは絶対に出来ないでしょう。

 日記を見た私が言っているのです、これは確実です。

141: 2012/02/02(木) 12:44:19 ID:jhHwj.Y60

唯「憂のわからずや!」

憂「お姉ちゃんだって、私の気持ちも知らないで……!
 もう知らない、早く行っちゃえばいいんじゃない!!」

 憂は声を荒げると、自分の部屋がある階へ上っていってしまいました。
 扉を閉められた音は大音量で、この部屋まで聞こえてきました。
 すごい勢いで部屋の扉を閉めてしまったようです。

梓「憂にも同じことが言えますが、唯先輩も少しは言い寄ればよかったんじゃないですか?」

唯「いいんだよ、これで。
 早く行こう、あずにゃん」

 唯先輩は出掛ける準備をするといって、階段を上っていきました。
 あんなことを言ってはいましたが、きっと心の中では後悔しているはずです。
 きっと自分の身支度はついでで、本当は憂に謝っておきたかったのでしょう。

 少しすると、唯先輩が階段を下りてきました。

唯「さあ行こうか、あずにゃん」

 唯先輩に後悔の様子は見られません。
 きっと仲直りできたのでしょう、私は古傷を再び抉らないよう、そのことに触れずに家を出ました。





 後々、私は思い知ることになるのです。
 大切な人一人を、置いていくということが、どれだけ愚かなことなのか。





―――私達は憂を一人家に残し、家を出たのです。





第三話
「しょうとつ!」
-完-

145: 2012/02/03(金) 15:53:50 ID:e4eWQKx20

 -第四話-

 憂を家に一人残し、私達は律先輩との集合場所に向かっていました。
 しかし現在時刻は10時45分。
 まだまだ時間はあり、家で待っていてもいい時間帯ではありました。
 しかしあのようなことがあっては、家に居にくいのも事実。
 結局私達は、外のファーストフード店で早めの昼食を取りながら、時間が過ぎるのを待つことにしました。

 ファーストフード店に入ると、まず空いている席を探します。
 辺りを見渡していると、見覚えのあるオデコが見えました。
 輝いています。

梓「あれ、律先輩じゃないですか?」

唯「ん?本当だ、りっちゃーん!」

 律先輩もこちらに気づき、手を振ります。
 私達二人は律先輩の向かい側の席に座りました。

 この時、律先輩の顔にはいつもの明るさが残りつつも、どこか陰を帯びていたようにも見えました。

146: 2012/02/03(金) 15:54:22 ID:e4eWQKx20

唯「何でこんな早くに、ここにいるの?」

律「まあ……。
 澪がいなくなったことが、自分の中で思った以上に大きかった、てことかな」

 家の中でじっとしていられなかったんだ、と律先輩は続けました。
 彼女が唯一信頼できた人間もまた、彼女を大切に思っていた。
 相思相愛、友情は美しく、この二人の間で輝いていたのだと、律先輩を見ればはっきりとわかります。

 それは当然、以前までは軽音部と彼女の間にもあるものだとばかり思っていました。
 が、彼女はそう思っていなかった。
 その結果が、彼女を見ることが出来ない今という未来でした。

梓「澪先輩、どこいっちゃったんでしょうね……」

 白々しくも、こんなことを言ってしまう自分。
 通常、このような人間は心が痛むとか、そういった症状に苦しむものです。
 しかし私の中にかつてあった正義感は壊れ、既に違う価値観が構成されていたので、こういうことは平気にやっていけました。

唯「大丈夫だよ、りっちゃん!
 必ず私達で見つけ出そうね!」

 唯先輩も、それは同様だったのかもしれません。
 バスの中で涙を見せはしましたが、やはり裏切られた怒りや憎しみは、それを上書きしてしまうものだったのだと、そう思います。
 そんな唯先輩を見て、私は同じ秘密を共有できているみたいでいい心地でいました。

147: 2012/02/03(金) 15:54:50 ID:e4eWQKx20

律「二人とも……マジでありがとう!」

 しかし律先輩は、そんな私にも頭を下げてくるのです。
 私はすぐにその頭を上げてください、と律先輩を促しました。
 唯先輩もそれに続き、そんなこと当然なんだから、りっちゃんは顔をあげて、と言いました。

律「ああ、本当にいい友達を持ったよ、私は。
 ありがとう……!」

 その「ありがとう」の言葉が、今の私に突き刺さります。
 心が痛むどころか、その言葉を言われる度に命が磨り減りそうな感覚にも陥りました。
 私が感謝される筋合いは無いはずです。
 当然、律先輩は事情を知らないからこそ、そんなことがいえるのでしょう。
 しかし私の心の中を覗けば、そんな言葉をすぐに撤回してくれるはずです。
 対称的に唯先輩は、けろっとしていて、やはり一筋縄ではいかない人なのだなと思いました。

唯「ねえ、ムギちゃんは?」

律「ムギは時間通りに来るだろ、私達が異常なだけだっての」

唯「そっか~!」

 私達が異常、その言葉がそういう意味で言っていないにしろ、私を更に苦しめてきました。
 そうです、私は異常なんです。
 かつて先輩として慕っていた方を蔑み、私の中から消したぐらいですから。

148: 2012/02/03(金) 15:55:21 ID:e4eWQKx20

 それからは私達は他愛の無い話を交わし、時間が過ぎるのを待っていました。
 お互い、出来るだけ秋山澪関連の話を避けながら話しているようで、所々キリの悪いところで話が終わってしまいます。
 律先輩を気遣う目的でそのようなことをしているのですが、それは私にとっても都合のいいものでした。
 私は秋山澪そのものに痛みを感じているわけではありません。
 秋山澪関連のことで律先輩が悲しみ、私達を頼ることに痛みを感じているのです。

 律先輩は何の罪も無いのに、悲しんでしまっている。
 私達も秋山澪を実際に頃したわけではないのに、何故私はそんな律先輩を見ていると悲しくなるのでしょう。
 心が痛むのでしょう。

―――わからないや、もう。

 私の中の価値観は急変し、かつての形を失っていました。
 その変化に、体や精神がそれに追いつけていなくて、そのどうしても埋められない部分を悲しみで埋めているのだと、
 自己解釈をしました。
 それが正しいとは限りませんし、あくまで自分で納得するための考え方です。

 突然唯先輩が立ち上がりました。
 トイレ、と一言だけ言って、唯先輩はトイレの方へ歩いていってしまいました。
 唯先輩の姿が見えなくなったと同時に一通のメールが届きました。

#==========
From:平沢 唯
Sub:さりげなくだよ

 さりげなくこっちに来てくれる?

#==========

梓(どういうことだろう……?)

149: 2012/02/03(金) 15:55:54 ID:e4eWQKx20

 私は意味もわからないまま、律先輩に自分もトイレに行くと伝え、唯先輩の下へ急ぎました。
 トイレに続く通路の途中、唯先輩が携帯の画面を見ながら、壁に寄りかかっていました。
 ただ私と話がしたかったために、トイレに行くと嘘を言ったのだと察しました。

 私の到着に気づいた唯先輩は、そっと近づき、私のことを抱き締めてきました。

梓「えっ、あの、ちょっと……?」

 いつもと違う、その感覚。
 唯先輩の雰囲気が少し違うのかな。

唯「……あずにゃんは、変わっちゃダメなんだよ」

梓「っ!?」

 いつもと違うのは、私?

梓「べ、別に私は変わってなんか……!」

唯「あずにゃん、これを見てくれる?」

 それは唯先輩の日記でした。
 そういえば初めて見ます。

150: 2012/02/03(金) 15:56:23 ID:e4eWQKx20

唯「これは私の未来日記“幸福日記”。
 些細なことでも、私が幸福を感じたこと全てが記録される」

 すごく唯先輩らしい日記です。
 本当、日記に書くには取るに足らないような幸せが書いてあることでしょう。
 案の定、そこに書かれていたのは、すごく普通のことばかりでした。

#==========





11:10 りっちゃんとお話。
   いつもいつも、りっちゃんの冗談は面白い。

11:12 ムギちゃんが来てくれた。
   軽音部で居てくれてありがとう、ムギちゃん。

11:15 りっちゃんとお話。
   りっちゃんのノリの良さ、私は大好きだよ。

11:18 ムギちゃんに頭を撫でられる。
   ムギちゃんは優しくて、お母さんみたいだなあ。

11:21 りっちゃんと隊員ごっこ。
   特に意味は無いけど、楽しいよ!





#==========

 本当に、些細なことしか書いてません。

 あれ、何でだろう。
 些細なことしか書かれていないのに、すごく悔しい。

 私にはその理由がハッキリとわかります。
 日記によると、唯先輩は、私に関して幸せと感じることが一つもないのです。

151: 2012/02/03(金) 15:56:57 ID:e4eWQKx20

唯「何であずにゃんのことが書かれていないのかって?」

 唯先輩は私の気にかかっていたことに、鋭く切り込んできました。
 初めから、その話をするつもりだったのでしょう。

梓「はい……何で、ですか?」

唯「私はね、あずにゃんのことが大好き。
 だからあずにゃんが苦しんでいるところを見て、幸せを感じることなんて出来ないんだよ」

 私が苦しんでいることを、唯先輩はわかっていたというのです。
 しかし私自身、その苦しみに気づくことはできても、原因がわかりませんでした。

唯「あずにゃんはきっと、あんな澪ちゃんを見てしまって、見限ったんだと思う。
 それは人として当然する考え方の一つでもあるから、人として間違ってるとは言い切れない」

 唯先輩は私の、彼女への見方の変化を敏感に察知していました。
 誰にも話していない、ましてや「秋山澪」なんて呼び方は、心の中でしかしていないというのに。

唯「でも、仲間としては間違ってるよ」

 先程一度、私のことを擁護しつつも、その考え方を唯先輩は否定してきました。

唯「今更何を言っても遅いって、それはわかってるけど」

 こう前置きをした上で、唯先輩が語り始めました。

152: 2012/02/03(金) 15:57:38 ID:e4eWQKx20

唯「澪ちゃんはきっと一人ぼっちだと勘違いしていたんだよ。
 だから仲間である私達がするべきは、その勘違いを直すことだった」

唯「その誤った考えに溺れている澪ちゃんを、無理矢理にでも引き戻す。
 これが仲間として正しい行動で、私の理想だった」

 つまり私が間違っていたのは「澪先輩」を私の中から消すことではなく、
 「澪先輩」が私の中にいた時点でそういった行動を取らなかったこと、ということでした。

唯「本当に、今となっては、ただの理想にすぎなくなっちゃったけど……。
 でも、あずにゃんの中に、澪ちゃんを仲間だと思わないなんて考えがあるなら、それは間違ってる」

唯「あずにゃんはいい子だから、その間違いを認めたくない自分がどこかにいるんじゃない?
 だからそんなに、悲しい顔をして苦しんでるんじゃない?」

 唯先輩には、私の全てが筒抜けのようでした。
 いつもはダラダラしているだけの、ダメダメな先輩ですけど、救って欲しい時はキチンと救ってくれる、それが唯先輩です。
 そんな唯先輩だから大好きになったし、ダメダメな時には守ってあげたくなってしまうんです。

梓(私が苦しませているのは、私の中の良心。
 以前からずっと慕ってきた先輩を、あの一件で捨ててしまってよかったのか。
 そういう感情が、私の中にあった、ということ)

 私の中で、何かが壊れた音がしました。
 そして何かが修復されているような感じもあります。
 壊れたのは私の中の「秋山澪」で、修復されたのは私の中の「澪先輩」。

153: 2012/02/03(金) 15:58:16 ID:e4eWQKx20

梓「もう、大丈夫です、唯先輩。
 ありがとうございます」

 そしてごめんなさい、澪先輩。
 短い間だけでも、あなたのことを「秋山澪」なんて無機質な呼び方をして。
 あの時私が叫んだ汚い言葉も、撤回したいぐらいです。

 今更いくら悔いても遅いのは承知ですが、あの時救えなかったのは私達の責任です。
 私達は事情を良く分かっていたはずなのですから。

唯「じゃああずにゃん、笑ってみて?」

梓「そ、そんな言われて笑うなんて、無理です!
 笑いなんていうものは、自然と出るものなんです!」

唯「ならば……ぎゅううううう!」

 出ました、唯先輩の抱き付き攻撃です。
 これを食らったら最後、私は確実に骨抜きにされてしまいます。
 ああ、このぽわぽわと体が宙に浮くような感覚、やってきました。

 にへぇ。

 私の頬の筋肉が緩み、にやけてしまっているのがよくわかります。
 唯先輩も、やっと笑ってくれたね、と言ってくれるし幸せです。
 この幸せを、今、そこでジロジロ見てる律先輩にも分け……て……?

154: 2012/02/03(金) 15:58:55 ID:e4eWQKx20

梓「何で律先輩、ここにいるんですかっ!?」

律「居たら悪いか」

梓「も、もう少しで幸せメーター振り切れるところだったんですよ!」

律「……お前変わったな」

梓「はっ!?」

 こんなこと、今までは口に出さなかったのに。
 ていうか幸せメーターって何だよ。

唯「いつからそこにいたの?」

律「今来たところだよ、今。
 ムギが来たから、やけに遅いお前らを呼ぼうと思ったら、これだもんな」

梓「うう、すみませんでした」

律「ほら、早く行くぞ。
 ムギを待たせちゃ悪いだろ」

 律先輩がさっき来たばかりという言葉を聞いて安心しました。
 仮に私達の話が聞かれていれば、律先輩は澪先輩のことで私達を質問攻めにしたことでしょう。

 私達がいた席に戻ると、そこには綺麗なウェーブのかかった金髪の髪と特徴的な眉毛をもつ先輩がいました。

梓「ムギ先輩、すみません待たせて」

紬「別に謝らなくてもいいのよ?
 私は今来たばっかりだから、むしろ私が待たせてしまったようなものだもの」

梓「いえいえ、私達が早く着きすぎただけですし!」

紬「じゃあ、この件は誰のせいでもない、でいいかしら?」

梓「……そうですね!」

 ムギ先輩の優しさに触れ、私は軽音部の絆を改めて実感しました。
 そしてこれからする行動も、私達軽音部の絆を改めて実感することになるものでしょう。

 しかしそれは、いないものを探すという事情を知っている者からすれば、非常に酷なものなのですが。

155: 2012/02/03(金) 15:59:26 ID:e4eWQKx20

律「よーし、じゃあ早速、澪探しを始めるとしますか!」

唯「私、一番に見つけるんだからね!」

律「おうおう、たいした自信だ」

 恐らく、あんなことを言っていたものですから、澪先輩を探すという行為は唯先輩も心苦しいことだと思います。
 私は澪先輩を救うという発想は最初からありませんでしたが、唯先輩にはそれがありました。
 きっと今も心の奥底から後悔し、自責の念に悩まされているのでしょう。
 それを吹き飛ばすべく唯先輩が取った行動こそ、あの明るい、いつもの自分を表現することでした。

梓(私も、悲しんでばかりじゃいけないんだ。
 澪先輩を亡くしてしまった責任は大きい、だから残った律先輩やムギ先輩を救えることなら、救おう)

 この先輩を救うということは、いわば澪先輩探しを手伝うこと。
 軽音部という絆は確かなものであると、二人にしっかりと示すこと。
 それが残った私達が出来る唯一の、残った軽音部に出来る唯一の罪滅ぼしなのでした。

156: 2012/02/03(金) 15:59:57 ID:e4eWQKx20

―――
――――――
―――――――――

 あれから捜索は約7時間続きました。
 まずは学校の周辺、町全体、と探し、次にムギ先輩の家の車を使って、隣町まで探しました。
 ただ探すというだけではなく、聞き込みも積極的に行ったのですが、有用な情報は何一つ無し。
 あのバスの一件があった町とは別の場所での聞き込みだったので、当然の結果といえばそれまでなのですが。

 時間が進むにつれて、私達の中に焦燥感が漂ってきます。
 しかし私達はそんな空気を互いに消し、そして支え、何の情報が得られなくとも冷静に捜索をし続けたのです。
 そんな姿を見て、私は軽音部が更に団結できた気がしました。

 ですが、いないものが見つかるわけもなく、いい加減帰宅するべき時間が訪れます。
 それでもまだ、律先輩はまだ探す気でいました。
 しかし唯先輩とムギ先輩に促され、渋々ながら帰宅することにしたようです。
 私達は隣町からムギ先輩の家の車に乗り、私達の学校の前まで送ってもらいました。

紬「明日の放課後、また探しましょ、りっちゃん?」

律「……そうだな、私達が本領を発揮するのは、放課後だもんな」

 あの律先輩も、流石に疲労の色が見えます。
 無理して明るく振舞っていたのでしょう。

157: 2012/02/03(金) 16:00:35 ID:e4eWQKx20

律「みんな、本当にありがとう。
 あの澪のために、ここまでやってくれて」

唯「だから朝も言ったよりっちゃん、当たり前だって」

梓「そうです、私達は五人揃って放課後ティータイム、なんですから」

 今は心の底から、この言葉を言うことが出来ます。
 朝の私は演じる私でしかありませんでしたが、今の私は本当の私です。

律「そうか……そうだよな。
 じゃあ各自、明日までちゃんと休養を取るように!
 解散!」

 律先輩のいつもの元気で明るい声に全員が応え、各自帰宅していきました。
 律先輩は少し寄るところがある、といって私達とは別の方向へと行ってしまいました。
 ムギ先輩は車で帰るということなので、一緒に帰るのは私と唯先輩二人だけでした。

唯「じゃあ、帰ろうか」

梓「はい」

 昨日ほどではありませんが、すっかり辺りは暗くなってしまいました。
 今日は嫌というほど太陽が私達を照らしてくれていた分、夜には雲ひとつ無い空を見ることが出来ました。
 まだ暑さが残るのですが、空に輝く星たちを私の大切な人と見ながら帰る、ということだけで暑さはどこかへ消えてしまうのでした。

158: 2012/02/03(金) 16:01:08 ID:e4eWQKx20

梓「明日、私は自宅に戻りますね」

唯「そっかあ、今日までなんだねえ」

 今日の夜が、平沢家でお世話になる最後の日。
 明日の昼頃に親が帰ってきますし、お世話になる理由も無いのです。
 本当はいつまでも、あの温かい姉妹に囲まれて生きていきたいのですが。

唯「いつでもおいでよ、あずにゃん。
 私も憂も、あずにゃんのことが大好きだから」

梓「はい、そういう気分になったら行きます。
 でも次行くときは、ギターの練習しますからね?」

唯「はう……梓先輩、厳しいっす……」

 私は軽音部だ。
 今日はこれを再認識させられただけでも、大きな成果と言えるでしょう。
 今のギターの練習という言葉は、それを更に再確認しただけ。
 本当は練習なんてしなくても、いつでも、毎日でも行きたいです。

 だって私も、二人のことが大好きですから。
 憂は友人として、あの家に行ったときは、姉として好き。
 いつの間にか私はあの家の三女として扱われていますが、それに関しては特に文句が無い、
 というか気に入っているので、問題はありません。
 唯先輩は先輩として、姉として、一人の人として好き。
 最後の「一人の人として好き」というのは、説明するのが恥ずかしい類の好き。
 口にするとしたら、顔から火が出るほどのものです。

159: 2012/02/03(金) 16:01:36 ID:e4eWQKx20

 憂も唯先輩も、私のことを好きといってくれます。
 私と憂の好きは恐らく完全に一致しているので、私は大満足しています。
 しかし私と唯先輩の好きは、前二つを一致しているのみで、最後の一つは一致しているのか怪しいです。
 まあ傍から見れば、その感情は勘違いとか、思い過ごしとか、下手すれば気持ち悪いと言われるものですから。

梓(でも好きになった自分を、裏切りたくないもんね)

 ですから、唯先輩を好きになった自分を否定するようなことは絶対にしません。
 この気持ちが唯先輩に届かないとしても、それは何の問題もないこと。
 一生片思いでも、いつの間にかその想いが消えていても、私はあなたに恋をしたことを後悔しません。

 二人で顔を上に向け、星を見ながら帰っていたので、私達の首はとっくに悲鳴をあげていました。
 唯先輩、いくらなんでも無茶をしすぎです、私もですけど。
 顔を何とか正面に向けると、平沢家と、その家の前に止まる車が見えました。

 隣を歩いていた唯先輩は、まだ顔を上に向け、星を見ていました。

160: 2012/02/03(金) 16:03:14 ID:e4eWQKx20

梓「あの、唯先輩、車が家の前に止まってるんですけど?」

 私にそう言われると、唯先輩は顔をやっと正面に向け、私の言ったソレを見ます。

梓「あれって唯先輩の家の車ですか?」

 私は最初、その車が平沢家のもので、親族の方が帰ってきたものかと思っていました。
 しかし私は大切なこと―――今、私が置かれている状況を―――を見落としていたのです。
 私達はまだ、サバイバルゲームの参加者でした。



 ソレを見た唯先輩の顔は、暗闇でよく見えませんでした。
 感じられるのは、血の気が引いていく様子。
 顔面蒼白、という言葉が似合うのでしょうか。
 冷や汗が伝っているのかもしれません。
 これらのことは、現場にいた私の想像でありますが、全てが事実でした。
 その理由は、唯先輩を見れば一目瞭然というものです。
 体は震え、足はその場から動かなくなり、その空気からは生気を感じられなかったのですから。

161: 2012/02/03(金) 16:04:00 ID:e4eWQKx20



唯「あっ……ああ……!」



 声を必氏に出そうとしても、ロクな声は出ません。



 すると家の前の車が発進し始めました。
 私はその車から、何か嫌な予感を感じ取りました。
 暗闇で、その車がどんな色で、どんな形なのか、ハッキリと見ることは出来ませんでしたが、あれは……。



 その車が街灯に照らされ、その姿を現した瞬間、隣で立ち尽くしていた唯先輩がやっとの思いで声を出しました。
 この声は車に届いたかどうか、それはわかりません。
 しかし彼女が声を出した瞬間、私は喪失感に襲われ、隣にいた彼女はその車を追いはじめました。
 私はその声に、一人取り残されてしまいました。
 確か、彼女はこう言ったはずです。





唯「お姉ちゃああああん!!」





 は……?
 私は自分の耳を疑いましたが、その声は確かに「お姉ちゃん」という言葉を発していました。
 何が起きたのか、私にはわかりませんでした。

162: 2012/02/03(金) 16:04:26 ID:e4eWQKx20





 私が一人、喪失感の中で取り残されながら家の前に立っていると、彼女は足をふら付かせ、帰ってきました。
 転んだのでしょう、服についた土汚れがひどいです。
 ヘアピンを外し、それを手に握り、歯を食いしばりながらボロボロと泣き、彼女は私の前で膝を地につけました。
 そのまま彼女は正座の体制になり、次の瞬間には手と頭を地につけていました。
 いわゆるそれは、土下座です。

梓「……憂……だった、の……?」

憂「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 彼女はまるで、ごめんなさい、という言葉しか喋れない機械の如く、私の前で謝りはじめました。
 静かな暗闇の中、その言葉だけがお経のように辺りに響きます。
 私はこの状況をまるで飲み込めませんでした。

梓「ねえ、憂、顔を上げて。
 説明してよ」

憂「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 ……!」

163: 2012/02/03(金) 16:04:51 ID:e4eWQKx20

 憂が、唯先輩と入れ替わっていた?
 いつから?
 家を出るとき、それしかありえない。
 じゃあ今の車にはまさか、唯先輩が乗っているの?
 連れ去られちゃったの?

 悪い冗談はやめてよ、憂。
 ねえ、実は憂に化けてる唯先輩なんじゃないの?
 本当に止めて、一日唯先輩になっていた、その姿でさ、そういうのやめてよ。
 私を騙して、唯先輩になりきってたくせにさ、

梓「……その格好で、謝るなァァァ!!」

 唯先輩の格好で、謝らないで。

 私の剣幕に怯んだ憂は、途端に黙ってしまいました。
 さっきまで唱えられていた呪文のような言葉は止まり、辺りの暗闇にまた沈黙が訪れました。

梓「謝らなくて、いい。
 何でそんなことしたのか、説明だけして」

 何となく私の中には、憂がそうした理由の予想がついていました。
 しかし聞かずにはいられない自分がいたのも事実で、私は弱りきっている憂に追い討ちをかけるのです。

憂「お、お姉ちゃん゛を……守りたがっだ……!
 私、お姉ぢゃんに゛、危険な゛目にあっで欲しぐながった……!
 だがら……だから、入れ替わっだ……!」

 ハッキリ言ってしまいましょう、予想通りでした。
 憂のすることは全て姉のためであることなど、友人の私にはわかりきっていたのです。

164: 2012/02/03(金) 16:05:20 ID:e4eWQKx20

梓「……それで、入れ替わって、唯先輩を身代わりにしたんだ?」

憂「……え……?」

 違う、そんなわけがないじゃない。

梓「唯先輩を身代わりにして、自分が助かったのは、事実でしょ?」

憂「わ、私……そんな、つもり、無かった……!」

 わかってる、憂がそんな酷い人間じゃないって。
 でもどうしてだろう、この口が止まらない。

梓「もしかして、憂さ……こうなること、わかってたんじゃない?」

憂「そんな……っ!?」

 あーあ、私、そんなこと言っちゃダメでしょ。
 そんなわけないのに、違うのに、そんなこと言うなんて酷いなあ、私。

梓「先輩の携帯、持ってるしさ……唯先輩は未来がわからなかったよね。
 でも憂には、憂の未来日記があるから、唯先輩がああなるって、わかるもんね」

憂「違うよ!あんな予知なんて、私の日記には書かれていなかった!
 これは日記所有者の仕業、だから未来が変わったの……!」

 知ってるよ、今、憂―――正体は唯先輩だけど―――を攫うのは所有者ぐらいだもんね。
 うん、言わないでもいいよ、憂。
 私、全部わかってるから、憂は悪くないって、わかってるから。

165: 2012/02/03(金) 16:05:52 ID:e4eWQKx20

梓「何がしたいの、憂?
 まさかここで唯先輩を裏切って、サバイバルゲームの勝者になるつもり?」

 やめろ、止めろ、憂を傷つけることを止めろ。

憂「違う、違う、違う!!」

 知ってる、だから私、止めろ。

梓「そっか……憂は、敵なんだ……。
 じゃあ、もう私、一緒にいることは出来ないな」

憂「そんな……信じてよ、梓ちゃん!
 ……私を、私を信じてよ、お願いだから!!」

 信じてるよ、今でも今までも、これからも。
 だからね、止めろよ、私。

 何で止まんないんだよ、私。

梓「唯先輩と私を裏切った代償は大きいよ。
 まあ、私は一人で唯先輩を探し出して、私の所に連れ戻すけどね」

憂「……私も、行く……。
 私も、お姉ちゃんを、助ける」

 これ以上、口を開けるな、私。

 止めろ、止めろ、止めろ、止めろよ!!

 頼むから、止めて……!

憂「私も連れてって、くれるよね、梓ちゃん……?」



梓「……知るか……!」



 言っちゃった。
 もう、ダメだ、私。

166: 2012/02/03(金) 16:06:31 ID:e4eWQKx20



 その夜は、自分の家に帰りました。
 最後に見た憂の表情は氏人のもの、といっても大差ないものでした。
 憂は、氏んでしまったのです。

 計らずとも自分の大切な人を、二人とも失ったのですから。

 自分の家に着いてから、自分の制服があの家にあることを思い出します。
 しかし今更取りに戻るのも、どこか許せません。
 明日は学校を休んで、唯先輩を朝から探すことにしよう。
 そう決め、私はベッドの中で目を瞑りました。

 後悔、でしょうか。
 私は体の内から湧き上がる感情で、涙を堪えられずにはいられませんでした。
 結局寝る頃には、目を覆っていた私の寝巻の腕の部分は、びしょびしょに濡れていました。

167: 2012/02/03(金) 16:07:00 ID:e4eWQKx20

―――
――――――
―――――――――

 こうして朝を自分の部屋で迎えるのが、懐かしく思えます。
 そんな朝がやってきました。

 昨日のことがあって、私はまだ頭の中がぼうっとしていました。
 まだ整理できていないことが、沢山あったのです。

梓(唯先輩だと思って一日一緒に過ごしたのは憂で、
 憂は唯先輩を危険な目にあわせたくなくて入れ替わって、
 そしたら家にいた唯先輩が攫われちゃって、
 私は憂のせいじゃなってわかってるのに、怒っちゃって)

梓(私が怒った理由は多分、自分が何で一日一緒にいて唯先輩じゃないって気づけなかったのか、という自分への怒り。
 唯先輩への申し訳なさ。
 唯先輩を憂と一緒に守ってみせると決意したのに、私は何も出来なかったことへの虚しさ。
 そして何よりも、昨日心動かされたのは唯先輩の言葉でなく、憂の言葉だったという裏切りへの復讐。
 ……全部、八つ当たりじゃん)

 そう、全部全部、八つ当たりだったのです。
 憂は唯先輩のためにやったことだというのに、それをわかっていたといのに、私は憂のことを追及し続けてしまいました。
 唯先輩のように振舞って、私の心を動かしたのは憂の優しさ。
 見方によっては許されないことかもしれませんが、あれは確実に私を救ったのですから、正しいことだったのです。
 憂は唯先輩だけでなく、私も守ろうとしてくれたのです。

168: 2012/02/03(金) 16:07:52 ID:e4eWQKx20

 そのことに、私は気づいていました。
 しかし、私に募る想い―――怒り、後悔、虚無感、復讐心―――が、私の許容範囲を超え、
 それを発散するために、私は憂を利用してしまったのです。
 憂は何度もごめんなさい、という言葉を重ねていましたが、私はその何十倍も謝らなくてはいけませんでした。

 私は携帯を開き、憂に謝るために電話をしようとしました。
 が、どうせ謝るのなら直接の方がいい、そんな私のつまらないプライドが邪魔をしたのです。
 こんな事態なのですから、一刻も早く謝った方がいいに決まっているはずなのに。

 私はアドレス帳をスクロールさせ、別の名前を選択、その人に電話を掛けました。
 何回か呼び出し音が鳴ると、その電話の相手が出てきました。

純『はいはい?』

梓「あ、純。おはよう」

純『ん、おはよう。どしたの、こんな時間に?』

梓「あのさ、今日学校休むから」

純『具合でも悪いの?』

梓「そんなところ。
 あとさ、憂に私が謝ろうとしてたって、伝えてくれる?」

純『え、喧嘩でもしたの?』

梓「昨日ちょっとね……」

純『直接憂に電話掛けて、謝ればいいじゃん』

梓「そりゃそうだけどさ、直接会って、謝りたいっていうか」

純『変なプライド』

梓「うるさい、純のくせに」

純『私のくせにってなんだー!
 ……まあ、伝えておくよ』

梓「ありがと」

純『でも、早めに謝っておきなよ。
 その変なプライドに邪魔されてさ、謝るに謝れなくなって。
 時間だけが過ぎていって、結局どうしようもないことになったら、あんたのせいなんだからね』

梓「……うん……」

純『……まあ、私は二人の親友だから、そんなことがあっても無理矢理繋ぎとめるけど。
 何かあったら、また電話しなよ?』

梓「本当に、ありがとう、純」

純『ん。じゃあね梓、お大事に』

 プツッ。

 純は人の家で漫画を読み荒らすような遠慮を知らない人ですが、それは人の問題に関しても同じことのようです。
 しかしその図々しさが、逆に今の私を勇気付けてくれているのです。
 そして何より、あいつは私と憂の親友であると、自分の口から言ってくれたのです。
 そう思っているのは私も同じですが、私にはそんな真似、到底できません。

梓「……純のくせに……」

 無駄にカッコいいことしないでよ、今の私にはそれが一段と染みるのに。

169: 2012/02/03(金) 16:08:28 ID:e4eWQKx20

―――
――――――
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 今の私にはすることが二つあります。
 一つ目は、唯先輩を探すこと。
 二つ目は、憂に謝ること。
 今から急いで平沢家に行けば、憂に謝ることが出来ます。
 そのまま一緒に唯先輩を探すことだって、可能でしょう。

 こんな寂しい朝ご飯は、しないで済むことでしょう。

 とはいえ今日の昼頃に両親が帰ってきますので、寂しい朝ご飯というのは今日限りの話なのですが。
 それでもやはり、あの姉妹と一緒に食べるご飯は他の何よりも充実していて、温かくて、幸せにしてくれるのです。

梓(……謝ろう、今から憂の家に行って)

 朝ご飯を終えた頃、私の携帯に電話が掛かってきました。
 発信者は律先輩でした。
 あ、今日朝連あったんだった。
 純より先に電話するべきでしたね、純なんかより先に。
 うん、純の扱い方はこれで正しいので、問題ありません。

170: 2012/02/03(金) 16:09:09 ID:e4eWQKx20

梓「はい、どうしましたか律先輩」

律『梓、お前大切なこと忘れてないか?』

梓「ええと、律先輩みたいな人と大切な約束が出来るほど、私は浅はかではありませんよ」

律『朝から容赦ねえな、お前……』

梓「それで、用件は何ですか?
 私も色々と忙しいので、手短にお願いします」

律『わざと言ってんだよな?
 これで素で言ってるなんて言ったら、りっちゃん泣いちゃうぞ』

梓「すみません、調子に乗ってしまいました、相手が律先輩だから。
 あ、口が滑ってしまいました」

律『てめえ……学校にいますぐ来い、いますぐにだ』

梓「生憎、私は体調を崩しているので、学校を休むことにしました。
 ということですので、朝連には行けません」

律『それを先に言えって、それを。
 しかし、折角私が早く来たってのに、私以外誰も来てないのかよ……』

梓「えっ?」

律『澪は……仕方ないとして、唯もいつも通り。
 ムギと梓なら時間通り来てくれると思って来てみれば、これだもんな』

梓「唯先輩はともかく、ムギ先輩も来てないんですか!?」

律『お、おう。どうした、いきなり声を上げて?』

梓「すみません、ちょっと病んでいるものですから」

律『そうか、身体を大切にしろよ』

梓「はい、ありがとうございます、律先輩。
 二人には電話したんですか?」

律『したよ。ムギも体調が優れないっていうから休んで、唯は電話にもでない。
 唯に関しては憂ちゃんが出てくれると思って、家に電話かけたんだけど、誰も出ないんだよな……』

梓「……え……?」

律『こりゃ、二人とも風邪で寝込んでるのか?
 ちょっと心配だ……って梓、大丈夫か?』

梓「あ、いえ、その……熱が上がって、部活に迷惑かけたらいけませんし、そろそろ寝ます」

律『そっか、わかった。
 じゃあ早く治して、部活来いよ!』

梓「はいです」

 ブツッ。

 電話を切った私は、すぐに外出する準備を始めました。
 携帯、財布、あの時からずっと携帯している防犯グッズ達、全てを鞄に詰め込みます。
 急いで、それはもう、急いで。

171: 2012/02/03(金) 16:09:45 ID:e4eWQKx20

 私は焦っていました。
 朝、頭が働かなかったせいで、私はもう一つ大きなことを忘れていたのです。
 昨日見た、家の前の車のことです。

 あれは紛れもなく、





 私達が乗っていた車でした。
 つまり、あの車にはムギ先輩が乗っていた、ということになります。

 そのムギ先輩が今日は休みだと、あの電話では言っていました。
 唯先輩にも電話は繋がらない様子です。
 つまり二人はまだ一緒にいる、ということになります。

 そして平沢家にかけた電話に誰も出なかった、ということは憂も外出していることになります。
 外出の理由は当然、唯先輩を探しにいったのでしょう。
 憂も昨日の車を見たので、ムギ先輩の家を目指しているに違いありません。

 先に謝ろうとした矢先にこれです。
 仕方がありませんから、私はムギ先輩の家を目指すことにしました。
 しかし、ここで気づいたのです。
 私は、ムギ先輩の家の場所を知らなかったのです。

 電車を使うことはわかりますが、一体ムギ先輩が何処から来ているのか、どんな家に住んでいるのか、まるでわからないのです。
 きっと豪邸であることに間違いないと思うのですが。
 しかし、候補を絞ることは出来ます。

172: 2012/02/03(金) 16:10:15 ID:e4eWQKx20

 私はパソコンを立ち上げ、とあるサービスを利用します。
 それは地球全体の航空写真を見れるというもので、拡大すれば細かい道も見える優れものです。
 これを使い、まずは付近にある豪邸を探し、その中で更にムギ先輩の家を見つけるという作戦です。

梓(ここと、ここも怪しいな……)

 付近で怪しい豪邸は四軒、うち三軒はあの電車一本で行ける位置にありました。
 この三軒の中からムギ先輩の家を見つけ出すことは、一日を使うのなら、非常に簡単なことです。
 しかし私には時間が無く、一日を使うことは許されません。
 何とかして、この三軒からムギ先輩の家を見つけなくてはいけませんでした。

梓(日記を使うしか、無い)

 今のところ、私にはそれ以外の手段が無いように思えます。
 私は豪邸が三軒中、一軒だけが電車で違う方向にあることに着目します。
 仮にこの方向の電車に乗ったとすれば、私の日記にはその一軒に立ち寄った未来が書かれるはずです。
 それを見て、私は引き返すか、直行すればよいだけ。
 もし引き返す羽目になっても、一駅で逆方向の電車に乗り換えればいいだけですし、二軒に絞り込むことも出来ます。

梓(私は日記所有者、日記を最大限に利用すれば目的地に到着することも容易い。
 ……ムギ先輩は、当然その未来を予知するから、どうなるかわからないけど)

 最悪、豪邸に入れず仕舞で終わる、或いは琴吹家のSPか何かに連れ去られる、ということもあるでしょう。
 いやSPとか見たこと無いけど、想像なんだけど。
 しかし捕まっているのは唯先輩、そして憂も行動を起こし、危険な目にあうことだって考えられます。
 私が行動せずに、誰が行動するというのでしょう。

 私は豪邸の住所をメモし、航空写真をプリントアウトしたものと一緒に鞄にしまいました。
 そして駆け足で私は家を飛び出し、ムギ先輩が登下校にいつも使う駅に向かいました。

173: 2012/02/03(金) 16:10:58 ID:e4eWQKx20

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 私は学校の関係者と出会わないよう、細心の注意を払いながら駅に走ります。
 駅に到着した私は、家で計画したように、まずは電車で一軒の豪邸がある方向へ向かいます。
 電車に乗り込み、扉が閉まってから、私は日記を確認します。

梓(日記によると……この方向は、間違いだ)

 私は次の駅で、逆方向の電車に乗り換えます。
 残りは二軒、うち一軒が恐らくムギ先輩の家のはずです。

梓(ムギ先輩の日記の能力がわからない以上、派手な動きは出来ない……。
 澪先輩の時は早い段階でわかったから、対策が立てやすかったけど……)

 公共交通機関を使う上で最も厄介な能力が、澪先輩の広範囲に渡る情報収集力でした。
 私はムギ先輩の日記に同じような能力が無いことを祈りながら、電車に揺られていました。

梓(車で連れ去ったということは、家にいるのが唯先輩一人だけということを、わかっていたはず。
 きっと日記でその未来を予知したんだろう……。
 ていうか車まで用意したってことは、琴吹グループ全面協力なんじゃ……)

 つまり私が今から向かうところは、完全アウェイの敵地ということになります。
 アウェイと言う分にはまだいいですが、ハッキリ言えば、私はそこで氏んでもおかしくありません。
 一応、日記を確認しますが、今のところデッドエンドフラグは立っていないようです。
 それに無事、ムギ先輩の家のなかに侵入できているようです。

174: 2012/02/03(金) 16:11:41 ID:e4eWQKx20

 そしてムギ先輩と話をしている未来、そして捕まる未来が予知されていました。

梓(氏にはしないけど、捕まるってわけね。
 でもムギ先輩のところまで行けるなら、行く価値はある)

 ここで、私は一つのことが気に掛かっていました。
 ムギ先輩は、連れ去った人物が憂ではなく唯先輩であることに気づいているのかどうか、ということです。

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 憂は唯先輩と入れ替わったと言っていた。
 現にいつものヘアピンは憂が持っていたし、完璧に入れ替わろうとしたのだろう。
 ここで憂は恐らく、唯先輩が二人いないようにと、唯先輩を憂のような格好にさせた可能性がある。
 或いは、唯先輩が自主的に憂のようになろうとした可能性も。

 昨日の澪先輩探しの時、ムギ先輩は憂に気づいている様子は一切無かった。
 もし日記で「唯先輩を連れ去る」未来が予知されていたとすれば、ここにいるのは唯先輩でないと気づくはず。
 その様子が無いということは、ムギ先輩は「憂を連れ去る」未来を予知していた、ということ。
 更に言うならばそれは、ムギ先輩の日記があくまでも主観による未来予知であるという証。

 よほど演技が上手いのなら、別の話だろう。
 しかし私の「伝聞日記」を見る限り、ムギ先輩は憂を連れ去ったかのような発言をしているのがわかる。
 果たして私がムギ先輩の家まで出向いた時点で、演技を続ける理由があるだろうか。
 そもそもムギ先輩が憂を攫った理由は、私と唯先輩を誘い込むためなのはず。
 ここで憂が唯先輩だとわかっても、私と憂を誘い込める。
 故に、どちらも結果が変わらない。

 演技をする理由が、無いのだ。

 ムギ先輩は、自分が連れ去ったのが唯先輩だと気づいていない。
 では今度は、唯先輩が憂に成り切る動機を考えてみよう。

 唯先輩は恐らく、私達二人を誘い込むために、自分が捕まえられたとわかっているはず。
 ここで唯先輩は思いついた。
 私が憂になれば、少なくとも憂だけは助けられる。
 二人を誘い込めなくて、いざ強行手段に出たとしても、憂はここにいる。
 だから外に居る本当の憂には被害が及ばない。
 そう考えた。

 唯先輩は、自らを犠牲にして、憂を守ろうとしている。

 もう一つ、気になることがあった。
 現在の憂の状態だ。
 憂もいずれ、ムギ先輩の家に辿り着く。
 その未来をムギ先輩が予知しないわけがない。
 ここでムギ先輩は気づくはずだ、憂が二人いることに。

 しかし私の日記に、そのような記述は無い。
 更に先程述べたように、ムギ先輩に演技を続ける理由は無い。

 では、何故ムギ先輩は二人いる憂に気づかないのか。
 簡単な話だ。

 憂はまた、唯先輩に化けている。

 何のために?
 唯先輩を守るために?
 それはわからないが、憂には憂なりの考えがあるのだろう。
 昨日は唯先輩を守るために唯先輩に成り切ったのだから、今日も何かを守るために成り切っているはず。

 まとめると、ムギ先輩は憂を連れ去ったと思い込んでいる。
 連れ去られた唯先輩は憂に成り切っている。
 今、どこかにいる憂は、唯先輩に成り切っている。
 ということになる。

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175: 2012/02/03(金) 16:12:08 ID:e4eWQKx20

 電車の揺れが止まったところで、私の思考も同時に止まりました。
 電車を降り、小さな駅を出て、ムギ先輩の住んでいるであろう町に到着しました。

梓(この近くに、ムギ先輩の家がある)

 私は鞄の中にあるメモと、航空写真を取り出しました。
 それを見ながらムギ先輩の家を目指し、歩き始めます。

 ちょっと歩いていると、ついにムギ先輩の家かと思われる豪邸の門の前に着きました。
 表札には確かに「琴吹」と書かれています。

梓(ここにムギ先輩と唯先輩が……。
 私が来るのは想定内だろうから、すぐに通してくれると思うけど……)

 私は門の前についていたインターホンを鳴らします。
 これだけ大きい豪邸だと、多分執事さんみたいな人が出るのでしょう。
 黒いスーツに身を包んだ、初老の男性という勝手なイメージが私の中に出来始めました。

 しかし、しばらく経っても返事はありません。
 もしかして壊れてるのでしょうか。
 まさか琴吹グループのインターホンが壊れるなんてこと、あるわけがありません。
 いやいや、インターホンは開発してないよ、琴吹グループは。

176: 2012/02/03(金) 16:12:33 ID:e4eWQKx20

 変な妄想を繰り広げていると、インターホンから声が聞こえる前に門が開き始めました。
 その門が開いた先には、丁度私より一つか二つぐらい下と思われる女の人が、メイド服を着て立っていました。
 いわゆる使用人というのでしょうか、その女の人はムギ先輩よりも金髪で、目は青く綺麗な宝石のように輝いていました。
 一見、外国の方のようにも見えるのですが、なにやら日本語を話しているので日本人なのでしょう。

 そういえばムギ先輩って、両親のどちらかは外国の方なのだろうか。

?「えーと、お嬢様からお話は伺っております。
 どうぞ中へお入りください、私がご案内致します」

 一応、お客様として私は丁寧にもてなされ、ムギ先輩の家を案内されます。
 案内されるほどこの家の庭が広いというのは、言わずともわかってもらいたいところです。
 どっかのプロの庭師が整えたと思われる草木は、統一された形で一つの芸術を完成させています。
 彩りや配置を計算され尽くされた花たちは、それぞれの小さな花が集まって、大輪の美しい花を咲かせているようです。

 案内されている間、私があまりにも無口だったせいか、使用人のほうから話し掛けられてしまいました。
 沈黙が嫌いなのかな、この人。

菫「ええと……私、斎藤 菫と申します。
 紬お嬢様とは長い付き合いでして……」

 お嬢様、か。
 学校ではそんな風に気取らないムギ先輩しか見ていませんから、そう言われているのを聞くのは新鮮でした。
 まあ、ケーキやティーセットでお嬢様であることを匂わせていましたが。

177: 2012/02/03(金) 16:13:02 ID:e4eWQKx20

 私は少しだけ菫さんと話をし、ついに館の中に入りました。
 その内装は私の知る言葉だけで表現できるものではなく、ただ一つ言えることは、あの別荘よりも凄いということでした。
 二階、三階と上がり、一つの部屋の前で菫さんは立ち止まりました。
 そしてこちらの方へと振り向き、扉をそっと開けたのです。

菫「こちらでお嬢様がお待ちです。
 どうぞお入りください」

 そう言われた私は、ゆっくりとその扉の中へ入っていきます。
 完全に部屋に入りきったことを確認した菫さんは、その扉をまたゆっくりと閉めました。

 私が部屋を見渡すと、手招きをしているムギ先輩が目に入りました。
 ムギ先輩は窓の側の椅子に座り、その近くのテーブルにはティーセットが置いてありました。
 空いている椅子は、二つでした。

 私は誘われるまま、その空いている椅子に座りました。
 ムギ先輩はニコニコしながらこちらを見つづけていますが、私の顔は恐らく引きつっていたことでしょう。
 部屋を更に見渡しますが、何かの仕掛けがあるようには思えませんでした。
 あるのは洋箪笥と、まるでお姫様が寝るようなベッド、そのベッドを囲うカーテンのようなものぐらい。
 カーテンで囲ってあるにも関わらず、それがベッドであると判断した理由ですが、
 ここがムギ先輩の部屋であると仮定した場合、それ以外にベッドに当たるものがなかったからです。

178: 2012/02/03(金) 16:13:52 ID:e4eWQKx20

紬「いらっしゃい、梓ちゃん。
 紅茶を淹れてみたの、部室のものと同じよ」

 私はそのティーカップを手にする前に、自分の鞄を漁りました。
 当然その目的は、

紬「大丈夫よ、毒なんて入ってないわ」

 ……ムギ先輩にはお見通しのようでした。
 私は鞄の中に日記をしまったままにし、紅茶を一口飲みました。
 その味は、部室で飲んだものと同じでした。

紬「それで、何か用があって来たんでしょう?」

 聞かずとも、ムギ先輩は知っているはずです。
 しかしそれでも、ムギ先輩は私の口から聞きたいようでした。

梓「憂はどこですか?」

 私はムギ先輩に少しの嘘をつきつつ、その行動を見張りました。

紬「大丈夫よ、憂ちゃんに危害は加えてないわ」

梓「直接、この目で見ないと安心できません」

 無事なのは、重々承知でした。
 しかし、それでも不安なのが私でした。
 予知の内容を知っておきながら、実際に見聞きしないと安心できない点では、先程のムギ先輩と同じということに気づきます。

179: 2012/02/03(金) 16:14:31 ID:e4eWQKx20

紬「そうね……私も、そういうのは実際に見ないと安心できないもの。
 梓ちゃんがそう言うと思って、もうここに連れてきてあるの」

 ムギ先輩のその言葉を皮切りに、先程までベッドを囲っていたと思われていたカーテンが開かれ、その姿を現しました。
 それはベッドの上に鉄格子で出来た檻を被せた、簡単なものでした。
 中には勿論、憂―――正体は唯先輩―――がいました。
 見たところ、ぐっすりと寝ているようです。

梓「憂!」

紬「今は眠っているわ、どれだけ呼びかけても無駄よ」

梓「何が目的なんですか!?」

紬「梓ちゃんなら、わかるんじゃないかしら?」

 先程したばかりの考えが正しいとするならば、あれが答えでした。

梓「私、そして唯先輩を誘いこむため、ですか」

紬「ぴんぽーん!」

梓「ふざけないでください!!」

180: 2012/02/03(金) 16:15:20 ID:e4eWQKx20

 ムギ先輩は相変わらずのぽわぽわとした空気で、私のことを逆撫でしてきました。
 人の命が関わるゲームで、何故この人は変わらないでいられるのでしょう。

 いや、変わっていることに気づいていないだけでした。
 私が次の言葉を聞くときには、この考えを改めなおしていました。





紬「私、こういうダークヒーローみたいなことやるの、夢だったの」





 いつものその台詞の語尾は、私の緊張感を高めました。
 いつもなら、そのぽわぽわとした空気に似合う喋り方で、ゆっくり語尾を伸ばすはず。
 それが無い。
 その喋り方は、ムギ先輩がいつもと違うことを示していました。

 この感情は、恐らく怒り。
 そして悲しみ。

 しかし、私にはダークヒーローという言葉が引っ掛かりました。
 視点を変えればムギ先輩はヒーロー、ということでしょうか?

 しかしその考えに答えを出す前に、私にはもう一つ考えることが増えてしまったのです。
 ある種、私はそれを待っていたともいえるのですが、不安でもありました。
 ノイズが走る二つの携帯には、恐らく同じような内容が書かれていたのでしょう。





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11:10 憂が来たようだ。





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第四話
「すれちがい!」
-完-

181: 2012/02/03(金) 16:15:48 ID:e4eWQKx20
今日はこれで終わりです。
ありがとうございました。

183: 2012/02/03(金) 22:43:30 ID:jLv8moh20