3: ◆ywLV/X/JUI 2012/02/11(土) 17:23:11 ID:vn0/SPxo0

紬「対立両立LittHolic」

テスト

4: 2012/02/11(土) 17:26:23 ID:vn0/SPxo0
 次で何度目になるだろうか。もう、紬は数えていなかった。
ただ、決めていた。
次に律が澪の話をするのならば、遮ろうと。
「確かに、あの映画はホラーっていうより、コメディだけどさ。
でもあの映画で恐怖を感じる人も居る訳で。
例えば澪なんかは」
「はい、ストップ」
 紬は予め決めていた通り、律の発言を遮った。
そして訝しげな眼差しを投げ掛ける律に対し、人差し指を立てて宣する。
「駄目よ、他の子の話なんてしたら。
りっちゃんは今、私と二人っきりで遊んでるのよ?
だから、今は私だけに集中して?」
「んー、澪の話でも駄目なの?」
「澪ちゃんの話”だから”駄目なの」
 鈍感、と心の中で叫びつつ、紬は答える。
”だから”という語に、強いアクセントを込めて。
 実際に律は、澪の話ばかりしていた。
今この場に居ないその存在を、恋しがるかのように。
「えっ?澪の事、嫌いなの?」
 律が驚いたような声を上げる。
本当に鈍感だと、紬は重ねて思った。
「いいえ、嫌ってなんかいないわ。
ただ、りっちゃんと特別に仲がいい人でしょう?
だから、最も避けて欲しい話題なの。
嫌いな訳じゃなく、嫉妬心、が一番近いのかな」
「ふーん、まぁ嫌ってないなら良かった。
ムギの言う通り、澪の話題は避けるよ。名前出すのも、控えるよ。
でも何か、ムギったらデートみたいなノリだよね。
他の子の、しかも特別に仲の良い子の話しないで欲しいとかさ」
 律は笑いながら承諾したが、紬としては胸中愉快では無い。
これがデートだという思いが、二人の間で共有されていない事が浮き彫りとなったからだ。
 以前、夏休みに律と二人きりで遊んだ事がある。
その時はまだ、恋と言うよりも仲良くしたいという思いが強かった。
だが今や、はっきりとした恋愛感情を律へと向けるに至っている。
今日こそは告白しようとも、決意していた。
だからこそ、律のみを遊びに誘った経緯があった。
「ノリとかじゃなくて、私、デートだと思ってたけど」
 紬は頬を膨らませて言った。
律は驚いたように一瞬だけ目を見開いたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「そうだよな、デートだよな。
やっぱり友達とデートするのも、ムギの夢だったりするの?」
 律はデートだと肯定したが、紬は満足しなかった。
デートを擬した遊び、という律の思いが見て取れたからだ。
友達、という言葉も不満の要素だった。
「りっちゃん、私は本気よ。
友達として、デートごっこがしたい訳じゃないの」
 紬の真摯な姿勢が伝わったのか、律が息を呑む音が聞こえた。
そして、訪れる数秒の沈黙。
その後に、律は躊躇いがちに言葉を放ってきた。
「ムギは、その、私の事が好きなの?
それも、友達としてじゃなく、所謂、恋愛の対象として?」
 律の声は緊張を帯びて震えていた。
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5: 2012/02/11(土) 17:28:27 ID:vn0/SPxo0
「ええ、恋愛感情を向けているわ。
私、そういう意味で、りっちゃんの事が好き」
 紬の声も緊張で震えた。
そして再び、二人の間に沈黙が訪れる。
今度の沈黙は先程と違い、数秒では終わらず1分は続いた。
「あはっ、私、今まで、ムギの事そういう目で見て無かったからさ。
ちょっと混乱してる。少し、頭の整理させて」
 耳まで赤く染めた律はそう言うと、幾度も深呼吸を繰り返した。
それは思考する際の仕草には見えない。
迷いを口にする際の仕草に、紬には映った。
頭の整理と言いつつも、既に律は結論を出しているのだろう。
後はそれを口にする心の準備が必要なだけだ。
 暫く続いた律の深呼吸がいよいよ終わった時、紬の胸の鼓動はいや増した。
息苦しくなる程、心臓のピストン運動が激しく胸部に響いている。
早く答えを聞きたかった。聞いて、胸で暴れる鼓動を鎮めたかった。
胸が壊れそうだった。心が壊れそうだった。
 深呼吸を終えてから数秒経った後、律がゆっくりと口を開いた。
そして一語一語、噛み締めるように区切って言う。
「私も、ムギの事、好きみたい。
その、友達としてじゃなく、恋愛感情として。
言われて気付いたけど、私もムギの事好きだったみたいで。
いや、好きだって言われたから、私もムギの事が好きになったのかな?
とにかく、今はムギの事、好きだよ。
好きだって言ってくれたムギに、全力で応えたいんだ」
 律の言葉が終わると同時に、彼女の細い体を抱き締めていた。
迸る歓喜の感情に駆られた衝動が、そうさせていた。
「嬉しいっ、私、本当に嬉しいっ」
 律の身体を抱きながら、紬は小さく叫ぶように言う。
「私も嬉しいよ、喜んでくれて」
 強く強く抱き締めているのに、律は痛みを口にしなかった。
代わりに喜びの共有を口にして、頭を撫でてくれた。
 ずっと、そのままで居たかった。
だが紬は至福を少しの間味わった後、律を解放した。
どうしても、訊かなければならない事があった。
それは律に恋した瞬間から、ずっと紬の脳裏に燻っている事だった。
恋愛が成就しない懸念として紬を焦がし、
また成就したとしても懸念として残り続けるだろうと思っていた事だった。
「ねぇ、りっちゃん。一つ教えて?
私、今、とっても嬉しいわ。それでもね、気になってる事があるの。
澪ちゃんの事は、いいの?」
 澪は律にとって、特別な存在であるはずだ。
同様に、律は澪にとって特別な存在だろう。
そして紬から見た澪は、恋敵であるとともに大切な友人でもある。
だからこそ、紬は訊かなければならなかった。
律の意思を確認する為に。
そして、澪へと律の心を向ける事で、
抜け駆けめいた告白の贖罪に充てる為に。

6: 2012/02/11(土) 17:30:49 ID:vn0/SPxo0
「皆誤解してるけどさ、澪とはそういうのとは違うからさ。
大切な友達ではあるけど、それでも親友ってだけだよ。
それに、今の私の恋人はムギじゃん?
澪じゃなくって、ムギが恋人なんだよ?」
 律はそう言うが、本当に澪とは友人でしか無かったのだろうか。
紬には、そうは思えなかった。
今の恋人である紬を傷つけない為に、過去や本心を隠しているのかもしれない。
 また、少なくとも澪は、律をただの友達とは思っていないだろう。
そう思えるだけの根拠は、かつて律と二人きりで遊んだ時に求める事ができる。
あの後で律は、澪から自分も誘えと激怒されたらしい。
ただ実際には、律は紬を誘う前に澪を誘って断られている。
その自家撞着を律に指摘された澪は、状況の変化を理由に挙げていた。
即ち、紬も呼ぶなら改めて自分も誘うべきだ、という論理だった。
紬とは遊んでみたかった、という思いが澪にはあったらしい。
それらは律から聞いただけでは無く、澪本人の口から語られた事でもある。
 だが、紬は”一度も”澪から遊びに誘われた事が無い。
もし、澪が紬と遊びたいという思いを持っているならば、誘えばそれで済む話である。
それ故澪は、律が自分以外の人と二人きりで遊んだ、
という点に怒っている事が明白だった。
それは恋愛感情を想起させる、強い独占欲や嫉妬心である。
紬は指摘せずにはいられなかった。
「でもっ、澪ちゃんは」
「はいっ、ストップ」
 紬の声は、律によって遮られた。
言い掛けた言葉を飲みこんで、紬は訝しげな視線を律へと注ぐ。
対して、律が紬に向ける眼差しは優しく、続けて放たれた声も穏やかだった。
「あのさ、澪の話を控えるよう要求したの、ムギだろ?
なら、ムギも控えないと。
少なくとも、辛い思いしてまで、拘泥するような話題じゃないよ。
それにその名前はもう、ムギは気にしなくていい。
そっちの始末は、私で付けるから。ムギの恋人としての、ケジメだから」
 律の言葉が終わると同時に、紬は身体に暖かな支えを感じた。
今度は律の方から、紬を抱き寄せてくれたのだ。
「ありがとう、ありがとう、りっちゃん」
 紬の胸から懸念が消えた訳では無い。
やはり不安が渦を巻き、澪に対する罪悪感も犇めいている。
それでも、抱かれている今は、感情の負担は和らいでいた。
「明日、部活でさ、私達が交際してるって事、皆に言おう。
勿論、私から言うよ」
 澪の眼前で律が紬との交際を明かすという事、その心遣いが深く心に染み入った。
それは、澪に未練が無い事を紬に示してくれる、という事だ。
律は澪との関係をどういう目で見られているか、充分に承知しているのだろう。
だからこそ、紬の懸念を一つ消そうとしてくれている。
紬は心底から、律に惚れて良かったと思った。
「りっちゃん、本当にありがとう。
私、私、良かった、りっちゃんと付き合えて、本当に良かった」
 気付けば、声が掠れていた。視界も霞んでいた。
「私も、ムギと付き合えて、本当に良かったよ」
 律はそう言うと、紬の目元を拭ってくれた。
明瞭さを取り戻した紬の視界に映る律は、本当に綺麗だった。

7: 2012/02/11(土) 17:32:39 ID:vn0/SPxo0

*

 部活において、紅茶を注ぐ役割は紬が担っていた。
今日もいつもと同じく、ティータイムの紅茶は紬が注いだ。
そして紅茶が全員に配られたタイミングを見計らって、律が立ち上がる。
示し合わせた訳では無いが、昨日の約束が今果たされるのだと紬は悟った。
だから紬はそっと、律の傍に寄り添ってその時を待つ。
「ちょっと話があるんだけど、聞いてくれる?」
 その言葉で部員の視線を集めた後、律は続けた。
「実はさ、昨日からなんだけど、私とムギ、付き合う事になったんだ」
 紬と律以外の部員、即ち、唯、梓、澪といった面々に驚きが広がった。
誰も言葉を返せぬうちに、紬も律の言葉を反復する形で言う。
「りっちゃんの言う通り、私達、交際する事になったの」
 同じ内容が重ねられた為か、
驚いていた面々も状況が理解できるようになったらしい。
まずは梓が、遠慮がちに訊ねてきた。
「えっと、付き合うとか交際とかって、恋愛的な意味でですか?
その、お二人は所謂恋人同士、っていう事ですか?」
「うん、そうだよ」
 律の答えは簡潔だったが、紬は補足する必要を感じなかった。
肯定すれば足りる、それだけの問いだ。
代わりに、そっと澪を窺った。
未だ表情に驚愕の余韻が残っているものの、取り乱した様子は一切無い。
食って掛かられる事さえ覚悟していた紬は、安堵しつつも拍子抜けする思いだった。
「えーと、冗談とかじゃなく、本気で言ってるんだよね?」
 梓に続いて、唯も問いを放ってきた。
紬が意識を澪から唯へと切り替える間に、今度も律が答えていた。
「ああ、冗談でこんな事は言わないよ。
本気で、私とムギは付き合ってる。
いきなりで信じられないかもしれないけど、本当の事なんだ」
「いや、信じられないとかじゃなくてね。
いきなりで驚いた、ってだけの事なんだよ。
りっちゃん、冗談言ってるように見えなかったし。だから確認の為、かな」
 普段から律と冗談を言い合っている唯なら、
本当だという雰囲気は察せられただろう。
そういった関係を紬は、羨ましいと思った事さえある。
律と付き合う前の、即ち昨日以前の話だ。
 ただ、紬の意識は、唯から再び澪へと移っていた。
律が「本気」という言葉を発した時、視界の端で澪が冷笑を浮かべたような気がしたのだ。
紬が咄嗟に焦点を向けた澪は真顔だった為、本当に冷笑を浮かべていたか確証は持てない。
錯覚に過ぎなかったのかもしれない。
それでも、紬は澪から意識を逸らせなかった。

8: 2012/02/11(土) 17:34:46 ID:vn0/SPxo0
「まぁ、唐突だったよな。驚かせてごめんな、唯」
 少なくとも律は、澪から冷笑の仕草を感じ取っていないらしい。
澪には注意を払う事無く、唯へと言葉を返している。
「あ、いや。謝る事じゃないよ、りっちゃん。
驚いたけど、それはおめでたい事なんだし。
あ、そうだ。驚いてて言い忘れていたよ、こういう時、友達が言うべき言葉を」
 唯はそこで言葉を区切ると、満面の笑みを浮かべて言う。
「おめでとうっ、りっちゃん、ムギちゃん。
お似合いの二人だと思うよ」
 すかさず梓も続いた。
「おめでとうございます、律先輩、ムギ先輩。
さっきまで驚いてましたけど、今は何故か納得できます。
本当に似合ってる、って。
でも恋人ばかりに掛かりきりにならず、私達とも変わらず仲良くして下さいね」
「ありがとな、唯、梓。
私がムギに釣り合うか不安だったけど、自信が持てたよ。
あ、勿論お前たちも、大切な友達のままだからな。」
 律は気恥ずかしさに頬を染めつつ、素直に礼を述べていた。
「有難う、唯ちゃん、梓ちゃん。
りっちゃんとは恋人だけど、だからといって皆と疎遠になる事は無いわ。
私達の方こそ、これからも仲良くしてねって、お願いしたいくらい」
 紬も笑みを零しながら応じるが、やはり意識は澪に向いていた。
どうしても、脳裏に刻まれた冷笑の映像が消えない。
「それは安心だねー。私だって、りっちゃんとふざけてたいし、
ムギちゃんとも仲良くしたいからねー。
うんうん、これからもよろしくね」
 唯は笑みを浮かべたまま言った。
梓が後に続いて口を開いた事も、先程と同じだった。
「ええ、私も皆さんと変わらずやっていきたいですから。
その点、お二人なら大丈夫でしょうね。
だからこそ、心の底から祝福できます。
それは軽音部全員に共通していると思い」
 梓は言い掛けた言葉をそこで止めると、訝しげな視線を紬へと向けてきた。
表情に警戒を漲らせた紬に、怪訝の念を覚えたのだろう。
更に梓は同様の視線を律へも送った。
律もまた、紬と似たような表情をしているらしい。
尤も、それは梓の仕草に頼らずとも想像できる事だった。
 梓だけでは無く、唯も訝しげな表情を浮かべた。
そして梓と唯は顔を見合わせると、紬の視線の先へと瞳を向けた。
恐らく律も、同じ対象を見ているに違いない。
 途端、梓と唯の表情にも警戒が走った。
そこには、ゆっくりと腰を浮かせている澪の姿があった。
否、梓達が視線を向けた時には、既に澪は立ち上がっている。
椅子から離れた澪は机を迂回して、律の席に向かって歩き始めた。
 唯と梓も、澪と律を特別な関係として捉えていたのだろう。
だからこそ、反応を見せた澪に警戒を示している。

9: 2012/02/11(土) 17:37:01 ID:vn0/SPxo0
 周囲の警戒にも構わず、澪は律の眼前まで進んだ。
そして張りつめた緊張の中で、穏やかに口を開いた。
「そうだな、梓の言う通り、祝福は部員全員に共通する思いだ。
勿論、私だって。
唯と梓に先を越されたけど、言わせてくれ。
律、ムギ、おめでとう」
 途端、律の表情から緊張が抜けた。
唯と梓の表情からも、警戒が消えて安堵が浮かんでいる。
紬とて、漸く一息吐けた思いだった。
周囲が恐れていたような悶着を、澪は起こさなかった。
その事で、部室の空気が和らいでいる。
「ありがとな、澪。祝ってくれて、本当に嬉しいよ」
 律の声は緊張が解けた反動からか、弛緩していた。
「ええ、本当に有難う、澪ちゃん。嬉しいわ」
 律に倣い、紬も礼を返した。
やはり紬の声も、緊張からの反動で緩んでいる。
「いいか、律。ムギにあまり迷惑掛けるなよ?
ムギは繊細だからな、傷付けないよう細心の注意も払えよ?
責任取れないような事も、するんじゃないぞ。
デートも割り勘を心がけろよ?
いや、勿論付き合うのは二人なんだから、
私の言う事なんて何の拘束力も持たないけどさ。
ムギの幸せを願う為とはいえ、ちょっとお節介だったかもな」
 保護者のように律へと言い聞かせた後、澪は苦笑を浮かべた。
紬への配慮を律に説くその姿から、一切の嫉妬は感じられない。
紬は先程見た澪の冷笑が、錯覚だったのではないかと思い直した。
 それ以前に、間違った認識で澪の律に対する感情を捉えていたのかもしれない。
紬はその可能性にさえ思い至った。
そもそも澪は律に恋愛感情を向けてはおらず、
勝手に紬や周囲の人間が思い込んでいただけなのかもしれない、と。
実際に澪は、律と紬の交際を聞いても取り乱す事は無かった。
逆に、二人を祝福し、親切心に富んだ言葉まで送ってくれた。
 澪を恋敵だと思っていた事に対して、紬は胸中で自分を恥じた。
澪は唯や梓と同じく、大切な友人なのだ。
祝福を送ってくれる友人に返す感情は、感謝であって敵意では無い。
紬は改めて澪に礼を言おうと、口を開きかけた。
 だが、紬が口を開く前に、澪の言葉の続きが放たれていた。
「でも、これだけは拘束力のある事。
分かってると思うけど、ちゃんと私の所に帰って来いよ?
渡り鳥もいい経験になると思うけど、律の帰る巣は一つだ」
 澪は律にそう言った後、哀れみと優越の交じった瞳で紬を一瞥してきた。
それは、勝利の確定した者が、敗北の確定した者に対して送る視線だった。
破産する賽の目にベッドしたプレーヤーへ手向ける、ディーラーの眼差しだった。

10: 2012/02/11(土) 17:38:37 ID:vn0/SPxo0
 澪の放った言葉と併せて、その仕草は紬の感情を一瞬で沸騰へと導いた。
澪に対して芽生えかけていた好意的な思いも、瞬時にして消し飛んだ。
紬は改めて思った、澪は依然として恋敵だと。
反面、澪に対する大切な友人という認識は正した。
恋情と友情の両立など、灼熱の想いを滾らせた紬にとって夢物語でしかない。
 だが澪は、紬を恋敵として捉えてさえいないだろう。
だからこそ、澪は律と紬の交際を聞いても、冷静に構えていられたのだ。
そして、紬に配慮するよう、律に言い聞かせる余裕も持てたのだ。
その事も、紬の激情を駆り立てている。
自分という存在を、そして自分の恋心を、軽んじられた思いだった。
 澪の言葉に戸惑いを隠せない唯と梓、そして律。
その中で澪は、悠然とした態度で背を翻して自席へと戻った。
眦を決して睥睨する紬になど、気付いてさえいないかのように。
それでも紬は、澪から幾つもの言葉を浴びせられた思いだった。
先程、澪から向けられた瞳に、無言の言葉を感じ取っている。

『今だけ、律との交際を許してあげる』

『私の律を貸してあげる』

『ほら、お祝いもしたよ?』

『ムギをなるだけ傷つけないよう、律にも指示したよ?』

『でも、可哀想に、律は最後には私のもとに戻ってくるんだ』

『叶わぬ恋に囚われた友達を見るのは辛いね』

『だから、せめてムギの幸せを願ってあげる』

 そして、律の「本気」という言葉に、澪の冷笑が向けられていた事を確信した。
──本気で、私とムギは付き合ってる──
『ムギには浮気だろ?本気で好きなのは、私だろ?』
声が聞こえてきそうな程の明瞭さで、澪の冷笑が脳裏に蘇る。

 屈辱の中で紬は、律への想いを更に激しく滾らせた。
──負けない、渡さない。りっちゃんは、私の恋人なのよっ
己に言い聞かせ、人目も憚らず律を抱き寄せた。
律が頬を染め、唯と梓も息を呑んで見詰めてくる。
一人、澪だけが、落ち着いた様子を見せていた。
正室の余裕を示すように。

77: 2012/02/12(日) 01:49:58 ID:TngNmgpw0

*

 紬と律が付き合い始めて、一週間近く日が経った。
その間に、二人の関係はより恋人らしく深化した。
それは自然の成り行きでは無かった。
澪から受けた屈辱が紬の恋心と愛欲を加速させ、
二人の関係の発展を遂げさせたのだ。
 澪の態度は、紬の独占欲を強烈に刺激していた。
余裕に満ちた澪から律を完全に奪い去り、自惚れを糾してやりたかった。
紬が律に恋人として伝えた幾つかの願望が、その思いを示している。
澪にあまり会わないで欲しい、澪と二人きりにならないで欲しい。
そういった願望に対して、律も応えてくれた。
それは律が澪を避けるようになった、という事では無い。
依然として二人は仲が良いが、律は友人としての範疇を氏守し続けている。
二人きりにならぬよう、あまり親密になり過ぎぬよう、
律は澪と適度な距離を保って関わっている。
 紬は律の姿勢が有り難い反面、申し訳無く思ってもいた。
友人との関わり方にまで口を出す事は、過干渉だという自覚もあった。
「ごめんね、りっちゃん」
 思わず、紬は詫びていた。
恋人となったとはいえ、お互いの呼称は変わっていない。
「ん?何が?」
 律は首を傾げて、紬へと丸い瞳を向けてきた。
前後の脈絡も無く唐突に謝罪を受けた疑問が、その顔に表れている。
「ごめんね、いきなり。
私、りっちゃんと澪ちゃんの関わり方で、無理な注文をしちゃったでしょ?
その事が、恋人の範疇を超えたお願いだったんじゃないかって、ずっと気になってたの」
 今日の学校でも、律は澪と二人きりで過ごす事を避けていた。
澪よりも紬との会話が多くなるよう、調整までしてくれた。
学校が終わった今でさえも、紬を部屋に招いて二人の時間を作ってくれている。
 そういった律の気配りが、自分の願望を基にしているように紬には見えた。
ならばそれに伴う律の負担も、紬の願望が原因という事になる。
その事が律に対する謝意として、紬の脳裏に付き纏い続けていた。
「いーや、恋人として当たり前の要求だと思うよ。
特にさ、澪があんな事、言い出したんだから。
それでムギが澪を恋敵として意識するのは、私が好きだからでしょ?
だから私、澪との関係に要求受けて、少し嬉しかったり」
 律はそう言い、紬の要求に理解を示した。
それでも、律に対する後ろめたい思いは消えない。
本当は澪と親密なままで居たかったのではないか、
その疑問が紬の脳裏を巡っている。
 律が今言った言葉を、額面通りに受け取れなかった。
”あんな事”と形容しつつも、結局律は澪を咎めていないのだ。
それどころか、否定さえしなかった。
「ねぇ、りっちゃん。一つ、訊いていいかしら。
澪ちゃんに対して、未練は無いの?」
「無いよっ。絶対に」
 律は強い調子で即答してきた。
それでも紬は、律から答えを得た気分にはなれなかった。
律の言葉は自分自身に言い聞かせているように、紬には感じられたからだ。
「そうよね、ごめんなさいね、変な事聞いちゃって。
りっちゃんの事、信じてるから。
でも、私のお願いに沿う事が辛くなったら、遠慮無く言ってね。
りっちゃんの負担には、なりたくないから」
 それでも紬は追及しなかった。
律がそう言うのであれば、信じるしかない。
下手に探りを入れて、律との仲に亀裂を生じさせたくなかった。
代わりに要求の緩和を示す事で、せめてもの気遣いを律に伝える。
それが精々だった。
「うん、信じて。それと、別に負担だなんて感じないよ。
私は大丈夫、大丈夫だから」
 律は首を縦に振りながら、力強い声で返してきた。
それは自分に言い聞かせるというよりも、最早自分に押し付けているようにさえ見えた。

78: 2012/02/12(日) 01:51:48 ID:TngNmgpw0

*

 律と付き合い始めて日が経つと、
紬は相手の今まで知らなかった面も多く知るようになった。
改めて数えてみると、既に一週間を過ぎている。
律も同様に、紬の新たな一面に気付いている事だろう。
それはお互いに、相手を発見し合う日々でもあった。
また、付き合う事で生まれた面も多々あるのだろう。
 最近になって見るようになった律の症状は、
果たしてどちらにカテゴライズされるのだろうか。
紬が気付いていなかった律の一面なのか、
或いは紬と付き合う事で新たに生まれた一面なのか。
ここ数日で顕在化した律の症状を、紬は改めて思い起こした。
 紬が懸念する律の症状は、三日程前から認識するようになった。
ふと気付くと、律が身体を小刻みに震わせていたのだ。
紬が驚いて声を掛けると、律は寒さを訴えた。
室温を調整しても毛布を与えても、律の震えは止まらなかった。
体温調節機能を破壊されたかのように、律は寒さに震え続けていた。
時間が経つと漸く震えは収まりを見せたが、律の体調は優れないようだった。
一昨日も昨日も似たような症状が表れ、時には逆に暑さを訴える事もあった。
到底暑いと言えるような気温では無いが、
額に浮かんだ汗を見れば冗談には見えない。
それでも全体としては、寒さを訴える事の方が多かった。
その際に立つ鳥肌を見れば、やはり遊びの類では無いと判断できる。
それは紬に幾年か前のクリスマスで見た、冷めた七面鳥の丸焼きを連想させる肌だった。
 その他にも、塞ぎ込む事が多くなり、稀に身体中の関節の激痛を訴える事もあった。
そうして今日に至り、紬の度重なる懇願を受けた律は漸く病院へと向かった。
紬は今、その律の報告を待っている。
 夕方を迎えた頃、律が紬の部屋を訪れた。
「どうだった?」
 紬は不安を押し留めて、律を迎えた。
今は律の症状も収まりを見せている。
「今のトコ、原因も病名も不明。一応、検査結果は出てないけどさ。
検査って言っても、尿検査と血液検査だけだけど」
「尿検査?」
 紬は律の言葉を訝しげに反復した。
律の症状と尿検査に、必然的な繋がりが見えない。

79: 2012/02/12(日) 01:53:27 ID:TngNmgpw0
「ああ。他は色々と問診を受けたよ。寧ろそっちのがメイン。
依存しているものは有るか、だの、何らかのハーブは使っているか、だの。
特に薬物の使用歴には、しつこく聞かれたよ」
 律は心外そうに吐き捨てた。
「何らかの薬の副作用だと、お医者さんは推測しているのね?」
「いや。私に対しては、恐らく心因性だろう、っていう説明だった。
それでも、検査担当者に話してる声が聞こえちゃったけどね。
日本で手に入るとは思えないがヘロの離脱症状に酷似している、
詳しく調べてくれ、ってね」
 律の心外そうな表情は、違法薬物の使用を疑われた点にあるらしい。
紬とて、律が違法薬物に手を出したとは思っていない。
だが、離脱症状と心因性という二つの言葉に、思い当たる節ならあった。
ましてや律の症状は、最近になって出てきたものだ。
即ち、紬と付き合うようになってから。
より正鵠を射るならば、澪と離れるようになってから。
「りっちゃん、それで、今後の診察スケジュールは?」
「ん、尿検査や血液検査でも原因が分からなければ、
レントゲンで骨格とかも調べられるらしい。
それでも分からなければ、心療内科とかに回されるんだろうね」
 律の言う通りの流れになるだろうと、紬は思った。
「そう。ねぇ、りっちゃん。教えて欲しい事があるの。
その、澪ちゃんと会えなくて辛いとか、寂しいとか、思ったりしてない?」
 紬は原因に思い当たってから、それを口にすべきか躊躇っていた。
だが、律の身体や精神が蝕まれている以上、看過する事はできない。
「別に。それにほら、今だって澪とは会ってるだろ?
寂しいとか思う間も無いくらい、ほぼ毎日学校で話とかしてるだろ?」
「そうじゃなくって、ね。もっと密着して話したい、とか。
二人きりでも話したい、とか。
そういう欲求が満たされないで、辛いとか思ってない?」
 紬は遠慮がちに前言を正した。
本当は、更に踏み込んだ事を訊きたかった。
澪とは、深い繋がりを示す行為にまで及んでいたのでは無いか。
そして律の今の症状は、その行為から遠のいているが故の離脱症状では無いのか。
結局それらの疑問は、紬の胸中に留まっている。
「思ってないよ。私の恋人は、ムギだけだ。ムギだけなんだ。
だから澪に対して、そんな感情は抱いてない。
そもそも、抱いちゃいけないんだ」
 やはり自分自身に押し付けるように、律は言った。
紬はそれ以上、何も言えなかった。

80: 2012/02/12(日) 01:55:32 ID:TngNmgpw0

*

 日が経つにつれ、律の症状はより顕著に表れるようになった。
寒さと暑さを数分おきに繰り返す事さえあり、紬の不安はいや増してゆく。
病院で行った検査では、結局症状は分からないままだった。
そのまま心療内科の紹介を受けた律だが、もう通院していない。
恐らく、通うまでもなく、律自身が原因に気付いているのだろう。
紬も既に、律の症状の原因に付いてほぼ確信を得るに至っている。
時期の符合や状況から勘案すれば、容易にその答えに辿り着けた。
認めたく無かっただけだ。
澪に対する離脱症状である、と。
 紬は律の症状に付いて、ネットで検索を掛けた事がある。
医師の言う通り、ヘロインの離脱症状に酷似していた。
律にとって澪は、強力なくすり並みの依存対象だったのだ。
また、俗称ながらも、律の症状の名前も知った。
Cold Turkey、冷たい七面鳥と邦訳される症状だった。
それは薬物やギャンブル、買い物といった依存対象からの離脱症状を広く意味している。
律は澪に対する中毒を断つ為に、その症状に掛かってしまったのだ。
そしてコールド・ターキーの語源は、ヘロインを断つ際の離脱症状に求められる。
寒気を訴える鳥肌が、冷めた七面鳥に似ている為に付けられた。
 澪と一緒に居る間とその直後は、律の症状も軽やかになる事が多い。
一方で、澪を飢えた瞳で眺める事も時折あった。
そのような時、決まって澪は紬へと視線を向けてくる。
それは交際を発表した日に見た、哀れみと優越を込めた瞳に似ていた。
澪は分かっていたのだろう、律の依存対象が自分であると。
律が自分から離れられない確信があるからこそ、澪は余裕に満ちた態度を取れたのだ。
 その澪の余裕に対して、紬は以前ほどの敵愾心を抱けなくなっていた。
苦しむ律を救う為なら、澪との関係を大目に見るべきなのかもしれない。
離脱症状に襲われる律を見る度に、その思いが大きくなってきている。
 そのような折、澪の口から更に紬を揺さぶる言葉が放たれた。
その言葉は部活におけるティータイムの今、律に向けられている。
「なぁ、律。部活が終わった後、新曲の詩、見てくれないか?」
 律の症状が露わになる前ならば、紬は不機嫌になった事だろう。
だが今は、律と澪を二人きりにさせる好機とすら思える。
律の症状を和らげてやりたかった。
「てか今見せてよ。今なら、私以外の感想も貰えるじゃん?」
 紬に対する遠慮からか、律は澪の申し出を断っていた。
無理をするその姿は、紬から見てさえ痛ましく映る。
「いや、それはちょっと恥ずかしいな。
今の段階じゃ、律だからこそ見せられるんだ」
 律と二人になる口実でしか無いと、容易に察せられた。
それが分かっていながらも、律の背を押してやりたい。
その思いに駆られ、紬は言葉を割り込ませた。
「りっちゃん、偶にはいいんじゃない?
歌詞、見てあげれば?」
 律が大きく目を見開き、紬に問い返してくる。
「いいの?」
「いいわ。だって、りっちゃんと澪ちゃんは友達なんだから、
歌詞作りに協力するのも普通の話でしょう?」
 紬は”友達”という言葉を強調した。
友人としての範疇は越えるな、という言外の意が込められている。
律と澪の接近を認めるにしても、浮気まで許すものでは無い。
あくまでも、律の離脱症状の緩和が目的なのだ。

81: 2012/02/12(日) 01:57:31 ID:TngNmgpw0
「ムギがそう言うなら。分かった、見るよ、澪」
 律は少し迷った末、澪の申し出を受けていた。
「それは有り難いな。ムギもありがとな」
「いえ、お礼なんて貰う立場に無いわ。
さ、唯ちゃん、梓ちゃん。そういう訳だから、今日は早めに帰りましょう?
完成した歌詞、早く見たいでしょう?」
 紬は席を立ちながら、唯と梓を促した。
唯と梓は顔を見合わせた後、二人とも立ち上がった。
「そうですね。新曲、そろそろ欲しいと思ってましたし。それでは、失礼します」
「うんっ、りっちゃん、澪ちゃん。楽しみにしてるからね」
 まずは梓が帰りの挨拶を放ってドアへと向かい、その後に唯も続いた。
「ええ、私も楽しみにしてるわ。それじゃ、ごゆっくり」
 紬も二人に倣い、挨拶とともにドアへと向かう。
「あまりプレッシャー掛けないでくれよ」
 苦笑交じりの澪の声が背に届いたが、紬は振り返らずに部室から出た。
そしてドアの外で待っていた唯達とともに、昇降口へと向かう。
「あの、本当に良かったんですか?
あの二人を一緒にして」
 その道すがら、梓が声を掛けてきた。
「構わないわ。
二人は友達なんだし、澪ちゃんがりっちゃんを頼りにするのは今まで通りでしょ?
それに、友人関係にまで口出しして拘束するなんて、私のスタイルじゃ無いの」
 紬は嘘を答えた。
実際には、口を出している。それが原因で、律はコールド・ターキーを発症したのだ。
また、澪が律を頼りにしているのでは無く、現状は逆だろう。
律が澪を求めているのだ。
「ふーん。りっちゃんが澪ちゃんに心移りしないか、不安になったりしないの?」
 今度は唯が訊ねてきた。
梓とは違い、遠慮の無い質問だった。
「ええ。りっちゃんの事、信じてるから」
 今度は本当の事を答えた。
だが、不安が無い訳では無い。
だから紬は、唯達とは昇降口で別れを告げる。
「ごめんなさい、私、職員室に用があるから」
 勿論、用など無い。
律達の観察に赴く為の方便だった。
 唯達を見送った紬は、背を翻して部室へと急いだ。
律を信じているものの、やはり足は急いている。
それでも部室へ通じる階段を上がる際には、歩調を緩やかに転じた。
気配を悟られる訳にはいかないのだ。
 そうしてドアにまで辿り着いた紬は、そっと中の様子をガラス越しに窺った。
途端、衝撃が紬を見舞う。
口から溢れそうになる声と、踏み込みたくなる衝動を必氏に抑えた。

82: 2012/02/12(日) 01:59:13 ID:TngNmgpw0
 部室の中で展開されている情景は、それ程衝撃的だった。
紬の瞳には、澪の腋に顔を埋めた律が映っている。
「ふふっ、久し振りだからって、貪欲になり過ぎだぞ」
「ごめん、澪。もうちょっと、もうちょっと補給させて。
また暫く、こういう事できないから」
 聞こえてくる二人の声に、紬は耳を澄ませて聞き入る。
「できない?私はいつでも歓迎するけど?」
「いや、ムギとの約束があるから。
澪とはあまり会わないって、約束してあるんだよ。
特に二人きりとかでは、ね」
「約束だって?どうだか。
どうせムギに押し付けられたってだけだろ?」
 紬としては、あくまでも要求の心算だった。
拘束する心算も強制する心算も無い。
だが律も澪も、紬の意図通りには解していないらしい。
「押し付けられたって訳じゃないよ。
私だって納得してるんだから」
「納得してる割には貪欲だよね?
ムギじゃ律を満足させられないのかな。
そろそろ私の所、帰ってくるか?」
 紬は息を詰めた。
律の返答など分かりきっている、律を信じているから。
それでも、心は不安に震えた。
「だーめっ。てゆーか、帰らないよ。
ムギの事好きだし、ムギと付き合ってるし」
「いい返事だね。問題はいつまで持つか、だけど。
可哀想に、私の事をこんなに求めてるのにね。
まぁ、今はまだいいか。
でも暫く私と二人きりになれないなら、
もっとダイレクトな方法で私を求めておいた方がよくないか?
久し振りに、一緒に寝よ?可愛がってあげるよ。今晩、家においで」
 律は激しく頭を振った。
「駄目っ、それだけは駄目っ。
ムギを裏切る事になっちゃうよ。澪と寝るなんて、金輪際しないよ」
 律と澪の話から、既に二人は褥をともにした仲だと知った。
律は澪の事を『親友ってだけだよ』と言っていたが、それは嘘だったのだ。
その嘘も自分に対する配慮の結果だと、紬は必氏に自身へと言い聞かせる。
それでも、悲しみは湧き上がって来ていた。
「そっか、偉いね、律は。
じゃあ、裏切らない程度に、浮気にならない程度に、私を求めなよ。
舐めたり噛んだり掻き回したりはアウトでも、
嗅いだり触ったり程度はセーフラインだろ?」
 そう言うと澪はスカートをたくし上げて、濃紺のレースの下着を披露した。
律の視線がその下着へと向き、表情が切なげなものへと変わる。
澪は悪戯っぽく笑むと、下着さえ下ろして陰部を晒した。
黒々とした陰毛の隙間から、生々しい赤色が覗いている。

83: 2012/02/12(日) 02:00:58 ID:TngNmgpw0
「みっ、みぃおっ」
 律は愛しそうな声で短く叫んだ。
律の瞳は蕩けて、晒された陰部を凝視している。
「ほら、欲しいだろ?
暫くこういう事できないなら、今のうちに、浮気にならない程度に求めておきなよ」
 澪の発する声が、甘さを帯びて響いた。
律は抗えないかのように、膝を折りながら言う。
「そうだね……嗅いだり触ったりする程度なら、浮気にならないよね。
一線さえ守れば、ムギを裏切った事にはならないよね」
 紬は目を見開いた。
律の言った言葉が、信じられなかった。
それは浮気だと、声を大にして言いたかった。
室内に踏み込んで、澪の性器から律の目を逸らさせたかった。
そして、澪の頬を張ってやりたかった。
紬がそれらの衝動を抑える事は、もう限界に近い。
それでも必氏に、決氏の思いで、自制心を働かせて耐えた。
「おいで、律」
「みぃお」
 律が途中で踏み止まってくれる事を期待したが、それは裏切られた。
跪いた律は澪の性器に顔を埋め、呼吸音を響かせた。
そして、陶酔しきった声を漏らす。
「んはぁ、凄い、強烈。意識持ってかれそ……」
「止めてっ、りっちゃんっ」
 紬は思わず、叫んでいた。
紬の精神に、いよいよ限界が訪れたのだ。
だが限界は、激しい衝動の発露としては表れなかった。
逆に、紬の身体から力を奪う形で表れた。
最早立っていられなくなり、紬は臀部から床へと頽れた。
臀部が床を打った衝撃音が、鈍く響き渡る。
途端、室内から声が途絶えた。
代わりに、澪が下着を上げているのだろう、衣擦れの音が聞こえてくる。
その直後には、こちらへと向かって来る足音が聞こえてきた。
だが今の紬には、立ち上がって去ろうとする気力が湧いてこなかった。
「ムギ、唯達と帰ったんじゃなかったのか?」
 ドアが開き、澪が端正な顔を覗かせて言う。
そしてその後方の室内では、律が戸惑った表情で紬を見つめていた。
「ごめんなさい、覗き見する心算、無かったんだけど。
気になっちゃって」
 律の眼前で、無様な姿を晒したくは無い。
紬は無きに等しい気力を振り絞り、何とか立ち上がる。
そして無理矢理に笑顔を作り、言葉を続けた。
「でも、杞憂だったわね。
やっぱり、りっちゃんは私を裏切らなかったわ。
だって、今行われていた事は、浮気じゃなかったもの。
性交にはならないし、キスさえしてないんだもの。
だから、だから、何の問題も無いわ」
 そう言いつつも、紬の視界は霞んでゆく。
無理矢理に繕った笑顔も崩れてゆく。
これ以上この場に留まっていては、情けない表情を律に晒す事になる。
だから帰ろう、そう思った。
それでも紬は、律に痛罵を浴びせなかった。
糾す事も咎める事もしなかった。
それらの衝動は、どうにか抑え込めた。

84: 2012/02/12(日) 02:02:10 ID:TngNmgpw0
 けれども、抑え切れなかった衝動もある。
紬は近くに立っていた澪の頬を、力任せに平手で張った。
大きな音が響き、澪の頭部が右に振れて姿勢も崩れた。
澪は打たれた頬を抑えると、紬を無言で見返してきた。
「ごめんなさいっ」
 紬は咄嗟に謝ると、背を翻して駆けた。
「ムギっ」
 律の声が背に届くが、振り向く事はしなかった。
寧ろ、その声からさえ逃れるように、走る速度を上げた。
校内で走る事を注意する教師の声さえ、紬は無視した。
 学外へ出ると、漸く紬は速度を緩めて歩き出す。
急に走った事で息が上がっているが、立ち止まって休もうとは思えなかった。
今は少しずつでも、学校から遠ざかりたかった。
 紬はふと、右手を見つめた。
右手は未だ熱を帯びて、疼痛の形で頬を打った衝撃が残り続けている。
澪の頬を張った事に対して、何らの爽快感も湧いてこなかった。
寧ろ、手に残る熱や疼痛が不快だった。
 分かっていたはずだ。
歌詞作りの協力など、口実でしか無かったと。
部室では澪と律の逢瀬が繰り広げられると、承知していたはずだった。
確かに、改めて見た二人の逢瀬は、紬の想像を超えて親密だった。
それでも、律を救うという目的を達する為には耐えるべきだったと、
紬は今更ながらに思う。
それが難しい事だったと自覚していても、思わざるを得ない。
 律と別れるべきなのかもしれないと、紬の脳裏にその選択が過ぎった。
いっそ澪に帰してしまえば、律も自分も楽になれる。
それが分かっていながらも、別れると考えただけで視界は霞んだ。
「ムギっ」
 その時、後ろから強い声で呼び掛ける声が聞こえてきた。
聞き慣れた、律の声だった。
先程とは違い、聞こえないよう装う事は無理がある。
紬は迷った末、袖で目元を拭ってから振り向いた。
「なぁに、りっちゃん」
「聞いてくれ、ムギ。全部、話すよ。
それで、もう澪とは、金輪際あんな事しないから。お願いだから、許してくれ」
 律は息を切らせながら、声を絞り出していた。
「許すも何も。私は別に怒ってないわ。
だって、りっちゃんは咎められるような事はしていないもの」
 そう言いつつも、視界が再び霞んでゆく。
溢れてきそうな涙を、止める事ができない。
目元をもう一度拭おうとした時、紬は律に抱き寄せられた。
「ごめんな、本当にごめんな。
全部、全部話すから。ムギの部屋、行っていいか?
私の部屋でもいい。とにかく、聞いてくれ」
 耳元に響く律の真摯な声に、紬は首肯で応えた。

87: 2012/02/12(日) 10:29:24 ID:wNbtikbw0

*

 紬の部屋で紅茶の注がれたティーカップが二つ、湯気を立てている。
その湯気の向こうに座った律は、紅茶を一口飲んでから語り始めた。
「まず一つ、謝っておく事があるんだ。
付き合い始める時に、澪とは特別な関係じゃないみたいな事言ったけど。
あれ、嘘なんだ。一応、澪と恋人関係になってた事は無いよ?
ただそれも、どちらからも告白が無かったっていうだけの話で。
実態は、恋人みたいなものだったんだろうな。
肌を重ね合わせた事も、結構あったし。
ごめんな、嘘吐いてて」
「構わないわ。だって、私を気遣ったからでしょ?」
 律は首を振った。
「それもあるけどね。
澪との事話して、ムギが告白を撤回するんじゃないかって怖かった。
で、澪との肉体的な関係は随分と昔からになるけど、
その激しさが増したのが前の夏休みを迎えた辺りから。
もっと具体的に言うと、私とムギが二人きりで初めて遊んだ直後辺りから」
 紬はその事情を察した。
嫉妬に駆られた澪が、律を更に求めるようになったのだろう。
「そう」
「うん。それで、その、澪から激しく求められる事、私も嬉しかったんだ。
私も澪の身体、嫌いじゃ無かったし。
こういう事、ムギの前で言うのは憚られるけど……。
実は結構ね、えOち、重ねたりしたんだ。
そうやって私は、どんどん澪に依存していった。
中毒って怖いね。僅かな間なのに、ずぶずぶ依存の度合いが深まっていっちゃう。
それで気付けば、澪無しじゃ生きられない身体になってた」
 紬にとって、快い話では無かった。
だが逆に考えれば、それだけ今の律が正直だと言う事だ。
それに、紬と付き合う前の話である。
「気にしないで。私と付き合う前の話なんだから」
 紬がそう言うと、律は安心したように息を吐いた。
「ありがと。で、私はこのままじゃ駄目だって思った。
澪は確かにいい奴だよ?私自身、友人として好きだ。
それにあの豊満な身体は、安心感があって気に入ってた。
でも、恋愛感情までは抱けなかったんだ。
澪の方はどうだか知らないけど、ずっと友達だったから、
私は澪をどうしても恋愛の対象として見れなかった。
恋人じゃない対象に中毒しちゃうのは、不健全だって感じてた。
まるで身体目当ての遊びみたいだ、って。
そんな時、ムギが遊びに誘ってくれたんだ。
それで告白されて、私は付き合う事にした」
 今でも律に告白した日の事は、鮮明に思い出す事ができる。
大して日数が経った訳では無いが、懐かしかった。

88: 2012/02/12(日) 10:30:58 ID:wNbtikbw0
 紬が懐かしさに浸っていると、律が慌てたように言葉を継いできた。
「一応言っておくけど、私はムギの事、本当に好きだからね?
澪に対する中毒を断つ為に、利用してる訳じゃないよ?」
「分かってるわ。
そもそも、私が澪ちゃんと距離を置くようお願いしたものね。
それに、あの時のりっちゃん、真っ赤だった。
声震えてたし、何回も深呼吸してた。
人を利用しようと目論んでる冷静さは、微塵も感じられなかった。
あの時の事を思い出してて、相槌入れるのも忘れちゃったの」
 律も思い出したのか、頬を少し綻ばせた。
「あはっ、あの時は頭が白くなったよ。
でも告白されて嬉しかったし、その前にムギと遊んだ時も楽しかったし。
それでムギとなら、楽しい恋愛になると思ったんだ。
でも」
 律の表情が、再び陰を帯びた。
「澪ちゃんに対する離脱症状が出ちゃったのね?」
 紬が先んじて言うと、律は頷いた。
「うん。それも、凄く激しかった。
澪から離れる事で何らかの離脱症状が出るかもとは思ってたけど、
想像を超えて苛烈だったよ。
それで、今日。澪と二人きりになる事を、ムギが許してくれたんだ。
最初は本当に歌詞を見る心算だったけど、抗えなかった。
それも、澪の魅力に抗えなかったんじゃない。
苦しみから解放される事に、抗えなかったんだ」
 律の口から、依存の恐ろしさが語られた。
依存が深刻になると快楽を得る為だけでは無く、
離脱症状を鎮める為に依存対象を求めるようになる。
そうなると、依存を断つ事は最早難しい。
最悪のスパイラルが形成されるからだ。
「そう……。負の循環って感じね」
 紬は諦念を込めて呟く。
自分では最早律を救えない、そう思わざるを得なかった。
「うん、それに嵌ってる。
それで私は、せめて浮気にならないよう、澪の腋をスニッフさせてもらった。
インパクトのある刺激が鼻を衝いて、私は幾分か楽になったよ。
それで離脱症状に暫く苦しめられないよう、更に嗅ぎ続けた。
そしたら、エスカレートしちゃってね。
澪の生の性器も、スニッフする事になったんだ。
あれだけ強烈なら、一時的とはいえ私の症状も飛ぶだろうから。
嗅ぐだけなら浮気じゃないって、自分に言い聞かせて」
「私もその場面は見ていたわ。
さっきはショックだったけど、でも今になっては仕方が無いと思う。
だって、りっちゃん、本当に辛そうだもの。
だから、いいわ。澪ちゃんを好きなだけ求めていいわ。
それを私は、浮気だなんて咎めないから。
ごめんね、りっちゃん。今まで無理なお願いしてて」
 別れた方が早いと思いつつも、切り出せなかった。
代わりに嘗ての要求を撤回する事で、律の負担軽減を図った。

89: 2012/02/12(日) 10:32:16 ID:wNbtikbw0
 だが、律は首を激しく横に振っていた。
「いや、今なら分かる。あれは浮気なんだって。
もう絶対にしない。いや、できないよ。ムギのあんなに悲しそうな顔見たら。
さっき、部室のドア越しに見たムギの顔、本当に悲痛に満ちてた。
あんな顔させたのなら、それはもう浮気だ」
 繕いきれなかった笑顔が、却って悲痛さを際立たせてしまったのだろう。
「いや、さっきは少し、驚いたから。
でも今は大丈夫。事情を詳しく知ったから、納得してるわ」
 先程繕いきれなかった分を挽回しようと、紬は言った。
「いや。今もムギ、悲しそうな顔してるよ。
そんな顔、恋人に絶対にさせたくない」
 律の言葉に、紬は衝撃を受けた。
紬としては、今度こそ表情を保っている心算だったのだ。
それでも律には、見抜かれていた。
「ふふっ、りっちゃんには、私の稚拙な演技は通用しないみたいね。
でもね、辛そうなりっちゃんを見ている事だって、十分辛いわ。
んーん、澪ちゃんと特別な関係を続けられる事より、更に辛い事なの。
だから、澪ちゃんを好きなだけ求めていいのよ?
いや、りっちゃんが望むなら、いっそ私と別れて澪ちゃんと付き合っても」
 紬は今度こそ本音を明かした。
それでも、律は首を縦に振らなかった。
「いや、それじゃ駄目なんだ。
さっきも言った通り、澪の事、恋愛対象とは思ってない。
それに、澪を求めて私が離脱症状を鎮めたところで、そんなものは所詮、対症療法なんだよ。
何の解決にもなってない。だから、私、ムギの傍に居るね」
 そう言って律は、紬に寄り添って頭を預けてきた。
紬には分かっていた。自分から一方的に別れを切り出せば、それで済む問題であると。
だが、できない。できる訳も無かった。
「そう。でも耐えられなくなったら、いつでも言ってね」
 紬はそっと、律の身体に腕を回して受け入れた。

90: 2012/02/12(日) 10:34:49 ID:wNbtikbw0

*

 部室で澪を求めた日の直後は、律の離脱症状は落ち着きを見せていた。
それは決して中毒から脱した訳では無く、律が言った通り対症療法の結果でしかない。
そう日を置かず再び離脱症状に律が蝕まれる事は、紬にも分かっていた。
 そして紬の危惧した通り、律の離脱症状は再び表れるようになった。
律は時折、暑さに脂汗を流し、関節に走る激痛に身を軋ませた。
尤も、それらの症状に襲われる頻度は、そう多くは無かった。
高い頻度で表れて最も律を苦しめる症状は、やはり寒気だった。
 更に日が経つと、離脱症状は最早学校でも容赦なく律を襲った。
寒そうに身体を震わせる律を、多くの生徒が心配した。
澪もその一人だった。
律に離脱症状が表れると、澪は決まって紬を睨み付けてくる。
『私に返せ』と言っているように感じたが、紬は気付かぬよう装った。
 それにしても、と紬は考える。
今までは、澪が居る場所では発症しない事が多かった。
依存対象への欲求を満たせずとも、発作を起こさない程度の効果はあったのだろう。
だが最早、律の澪に対する欲求不足は、
傍に居るだけでは効果が無い域へと達しているのかもしれない。
律の症状は、やはり悪化の一途を辿っているのだ。
 症状の悪化に合わせて、律は日に日に弱っていった。
離脱症状の苦しみは、小さな律の身体から容赦なく体力を奪っていったのだ。
「りっちゃん、大丈夫?」
 そんな律に対して、紬は心配そうに声を掛ける事しかできない。
「んー、大丈夫。あまり心配しないで」
 律は穏やかな声でそう言い、紬の手を握ってくれた。
一般に、依存対象を断っている間、人は苛立たしくなり易い。
だが今の律は、穏やかな態度を紬に見せている。
勿論、苛立ちが無い訳では無いだろう。
紬を不快にさせまいと、必氏に自制心を働かせているに違いなかった。
 そんな日々が続いたある日、紬は澪に呼び出された。
頬を張った日以来、部活以外では疎遠になっている相手だ。
部活では唯や梓の手前、何事も無かったかのように澪と接している。
今回は、その唯や梓が居ない。
それでも紬は指定された場所へと、指定された通りに一人で赴いた。

91: 2012/02/12(日) 10:36:37 ID:wNbtikbw0
 指定された屋上には、澪の他には誰も居なかった。
部活の終わった時間帯に、事情も無く屋上に立ち入る者は少ないのだろう。
「お待たせ。まず、この前の事、謝っておくわ。
ほっぺた叩いたりして、ごめんなさい」
 紬はまず謝罪から入り、頭を下げた。
実際に、澪の頬を張った事に罪悪感はあった。
「別にいいよ、私の事なんて」
 澪は吐き捨てると、近くに来るよう紬を手招きした。
紬は応じて、澪との距離を詰めながら言う。
「そう。じゃあ、やっぱり、りっちゃんの話?」
「分かってて来たんだろ?
単刀直入に訊くけど、律の事、不味いと思わないのか?」
 澪の問いに答える前に、紬は立ち止まった。
澪との距離は、二メートルも無くなっている。
「思ってる。
でも……りっちゃんは、それでも私と一緒に居たいって、望んでくれてる」
 今度は澪が距離を詰めて来た。
そうして紬の目前まで寄り、漸く立ち止まった。
「ムギに律を預けた事は失敗だったよ。
律があんなになるまで、ムギは何もできなかった。
だからもう、いい加減に律と別れて、私に返せ。
これ以上律を苦しませないでくれ」
 確かに澪の言う通りだと、紬は感じた。
結局自分は何もできない、と。
だが同時に、反発も湧き上がってきていた。
「ええ、確かに私は力不足よ。でも、澪ちゃんに責められる筋合いだけは無いわ。
りっちゃんがこうなった原因、分かってるでしょ?
分かってるからこそ、必ず自分の下に帰ってくるって余裕を持てたんでしょ?
一応、言ってあげる。りっちゃんは、澪ちゃんに中毒してるのよ?
そしてその原因を作ったのは、澪ちゃんなの。
そこに故意が無かったとは言わせないわ。
だって、私への嫉妬心から、りっちゃんを自分に依存させたんでしょ?」
 紬は話していくうちに興奮し、最終的には捲くし立てていた。
一方の澪は、冷静だった。
「ああ、ムギの言う通りだよ。
どうせ律が他の子と二人きりで遊ぶのは、止められそうも無かった。
そもそも私にはその権利が無かった。私は律の恋人には、なれなかったから。
でも、私無しでは生きられなくなるなら?
そうすれば律が他の子の所へ行っても、最終的には私の下に帰ってくる。
そう思ってた。
でも、まさかあんなに強度の依存を発症するとは、予想していなかったよ」
「予想していなかったと言えば、免責されるとでも思ってるの?」
 紬は苛立たしげに糾した。
確かに澪は律の離脱症状がここまで過激になるとは、予想していなかっただろう。
そこまで精妙に、他者の依存形成をコントロールできるはずも無い。
だがそれでも、この結果を招いた事は許せなかった。

92: 2012/02/12(日) 10:38:04 ID:wNbtikbw0
「思ってないよ。
それに、強度の依存を形成した事は、私にとって悪い事じゃない。
律がそれだけ、私を求めるようになったって事だから。
問題なのは、ムギが律を返そうとしない事だ。
それが悪い結果を生んでる」
「りっちゃんの意思は無視なのっ?
私が返さないんじゃない、りっちゃんが私を選んでくれたのっ」
 紬は叫んだが、澪の冷静さは崩れなかった。
「どうかな?律は単に、ムギへの義理立てから離れないだけかもな。
逆に、もし本当に律がムギの事を好きなら。
あんな苦しみに耐えてまで私の下に来ない程、律を惚れさせたムギに責任は無いの?
ここまで惚れられるとは予想してませんでした、じゃあ、免責されないんだろ?」
「それは、あるわ。でも、澪ちゃんにだって、勿論責任はあるわ。
大体、原因を作った澪ちゃんに、りっちゃんを渡していいのか不安ね。
澪ちゃんの事、信用できない」
 自分の発言を引用された為、責任があると認めざるを得なかった。
付け加えた澪に対する批判など、反論できない苦し紛れでしかない。
「不安ならまだいい。確定していないからな。
でもこのままムギに預けていたら、確実に律は苦しみ続ける。
それに、私が原因を作ったからこそ、その責任を私自身が取らなきゃいけない。
ずっと律の傍に居て、律の中毒に応え続けるよ。
依存を断つ苦しみから、律を守り続けるよ。
だから私の責任を咎めるなら、律を私に返せ。
そうすれば、私は責任を取る事ができる」
 澪は毅然とした調子で言った。
「でも……りっちゃんは、それを望んでいないわ。
私と一緒に居る事を、望んでる」
 紬に残された唯一の反論など、律の意思でしかない。
「それが単なる義理立てに過ぎない場合、ムギから別れを切り出せば解決だ。
逆に、本心からムギと一緒に居る事を望んでいるのなら、
今度はムギが責任を果たす番になる。分かるな?
そこまでお前に惚れさせた事が、お前の責任なんだ。
ならその取り方は、分かるな?どっちにしろ、ムギのできる事に変わりは無いんだよ」
 律を惚れさせた事に責任があるのだから、別れて恋を醒ます事がその取り方だと。
澪がそう言っている事は、痛切に分かった。
律の意思がどうあれ、紬から別れを切り出す結論に変わりは無いのだ。
 紬は何も言い返せず、黙りこくった。
紬が反論できない事を悟ったのか、澪は続けて言う。
「話は以上だ。でも、これだけは考えておいてくれ。
私は律さえ帰ってくれば、自分の責任を果たす事ができる。
でも、もしムギが律を返さないなら。
そしてその結果、律に重篤な結果が齎されたら。お前はその責任、取れるのか?
ムギにできる責任の取り方なんて、一つしかないんだよ」
 澪はそれだけ言うと歩き出し、紬の脇を通り過ぎて行った。
それは校内へ通じるドアのある方向だった。
 紬は暫く背を翻せず、その場に立ち竦んでいた。
責任という言葉は、未だ高校生の紬には不似合いな程に重い。
それでも、押し潰される訳にも逃げる訳にもいかないのだ。
紬は律を澪に返すと決意した。

95: 2012/02/12(日) 11:43:39 ID:wNbtikbw0

*

 律を前にして、紬から別れを切り出せる訳も無かった。
それ程までに律の愛しさは、紬を捉えている。
ただ、律を澪に渡すという決意は固い。
そして別れを告げずとも、律を返す機会ならあるのだ。
 律は最近、離脱症状による体力の消耗が激しいのか、眠りが深くなった。
特に紬の部屋に泊まり込むと、昏睡と見紛う程に深く眠る。
そうなると、大抵の事では起きない。
その間に、律を澪の下に届ける心算であった。
別れの言葉は、澪から伝えてもらえばいい。
 今日は土曜日という事もあり、律が紬の部屋へと泊まり込みで遊びに来ていた。
一昨日の決意を実行に移すには、絶好の機会だった。
今日も律は深く深く眠るのだろう。
紬の部屋では安心して眠れると、律は言っていた。
家では家族の手前、あまり眠り過ぎて不審を買う事はできない。
自分の症状を、家族には知られたくないらしい。
自分の家族は依存や同性愛に無理解だろうからと、律はその理由を説明した。
依存を意思の弱さや甘えだと断ずる社会的風潮の一端が、そこには垣間見えていた。
性的マイノリティに対する社会の冷たさも、敏感に感じ取れた。
「りっちゃん、まだ早いけど、もう眠ろっか」
 律が目を擦った機に、紬は言った。
時刻はまだ夕方だが、律にとっては辛い時間だろう。
平日は律が必要とする程の睡眠を賄えない為、その疲労は蓄積されて週末に回されている。
「ん、そうだね。折角今は、症状も落ち着いてるし」
 律は発作の最中、体力の消耗に耐え切れず眠る事があった。
だが、症状が落ちつている時の方が、快適に睡眠へと入れる。
「ええ。今のうちに、ね」
「もっとムギと遊びたいけど、どうせ明日も遊べるからね」
「そうね。明日もいっぱい遊びましょ」
 紬は嘘を答えた。
明日はもう、律と遊ぶ事は無い。明日には、律は澪の腕の中だ。
「ね、ムギ」
 ベッドに身を横たえた律は、紬を呼んだ。
紬も応えて、脇へと身を寄せる。
「なぁに、りっちゃん」
「私、ムギの事、好きで良かった。ムギとずっと一緒に居たいよ。
例え私が氏んでも、ムギの事、ずっと愛してるから」
 何かの不安を感じ取っているのだろうか。
律は頻りに、紬への愛を訴えている。
「もう、縁起でも無い事、言わないの。でも、気持ちは有り難いわ」
「うん、ムギ……ずっと、ずっと一緒に居よう……ね」
 律は言い終えると、力尽きたかのように目を閉じた。
紬はそっと、その寝顔と肢体を窺った。
この小さな体に、地獄のような苦しみが襲っているのだ。
これでは、耐えきれるはずも無い。やがては、命の保証さえできなくなるだろう。
『お前はその責任、取れるのか?』
澪の言葉が蘇る。
「取れないからこそ、私は、私にできる一つしかない責任の取り方を選ぶの」
 紬は呟いて己を鼓舞すると、律の背と膝の後ろへと手を回した。
そのまま、身体を抱え上げる。
やはり眠りは深く、その穏やかな寝顔に変化は訪れなかった。
名残惜しそうに、そして愛しげに寝顔を一瞥してから、紬は歩き出した。
澪の家へと向かって。

96: 2012/02/12(日) 11:44:39 ID:wNbtikbw0
 道中、律を抱える紬は、時折好奇の視線を受けた。
だが、この姿勢を変える心算は無かった。
最後の律との触れ合いなのだから、大切にしたかった。
 電車の中では、律の頭を腿に載せて過ごした。
車内は空いており、二人に注がれる視線も少なかった。
紬がふと沈みゆく夕日へ目を向けた時、律が呼ぶ声が耳朶に届く。
「んんー、むぎぃ、何処行くのぉ?」
 紬は驚いて律を見遣る。
律は相変わらず、深い眠りに意識を支配されていた。
寝言だったのだろう。
「暖かい所よ。もう、寒い思いなんてしなくていいからね」
 紬はそっと語りかけるように、律の寝言へと答えた。
律の寝顔が、心なしか微笑んだような気がした。
 澪の家の最寄駅へと着くと、既に辺りは薄暗くなり始めていた。
紬はベンチに律を横たえて、携帯電話を取り出す。
澪の家を訪れた際に、できれば澪本人に真っ先に応対して欲しかった。
 発信してすぐ、通話に応じた澪の声が届く。
「律の事か?」
 澪は出るや否や、そう言葉を放ってきた。
紬からの連絡という時点で、律に関する話だと察しは付いたのだろう。
「ええ。りっちゃんを、澪ちゃんに返すわ。
それで今、澪ちゃんの家の最寄駅に居るの。りっちゃんも一緒よ。
澪ちゃんが家に居るなら、真っ先に私達を迎えられるよう控えててくれない?
澪ちゃんの家族には、話せない事情でしょう?」
 もし澪が旅行か何かで不在ならば、律の家へと届ける心算だった。
後は澪にフォローを頼めば、上手く律と一緒に居てくれる事だろう。
「居るよ、そして構わない。でも、ムギも来るのか?
ムギが律に交際の終了を告げた時点で、終わる話だろう?
後は律が一人で、私の所へ来れるだろ?
それとも、私に返すというよりは、律を交えて三人で何か話すのか?」
 澪は不審そうに、幾つもの疑問を並べてきた。
ただ、紬が最も知りたかった内容は、一番最初に答えてくれた。
それで十分だった。
「いえ、本当にりっちゃんを返すわ。
三人で話す事なんて無いし、交渉も駆け引きも無いわ。
私も一緒に行く詳しい事情とかは、後で話す。
今は一刻も早く、澪ちゃんにりっちゃんを届けたいから」
 屋外であまり律を眠らせたままにしたくは無かった。
「分かった。その時に詳しい事情は聞く。
律が帰ってくると分かったなら、今はそれで十分だ」
 澪もこの場で問い質す事はせず、今は納得してくれた。
紬は簡潔に礼を述べて、通話を終了する。
「もう少しの辛抱だからね」
 ベンチで眠る律に呟いて、再びその身を抱き上げる。
後は澪に届けて事情を話して、それで終わりだ。
それで、自分の恋は終わりだ。
そう思うと、改めて切なさが込み上げてくる。
紬はその感傷的な思いを頭から追い払って、歩き出した。
両手が塞いでいる今、視界を霞ませる訳にはいかないのだ。

97: 2012/02/12(日) 11:46:09 ID:wNbtikbw0

*

 澪は約束通り、最初に出迎えてくれた。
澪に会う為に、不自由な腕でインターホンを押すまでも無かった。
玄関の前に、澪は立っていたのだ。
「眠っているのか?」
 紬の抱える律に目を留め、真っ先にそう訊ねてきた。
「ええ。これも、話そうと思ってた事情の一つ。実はね」
 紬の言葉を、澪は手を上げて制した。
「いや、部屋で聞くよ。
部屋まで私が運ぶから、玄関とドアを開けてくれ」
「分かったわ」
 紬は答えると、律を澪へと渡した。
手放す事で両腕に訪れた軽い感覚が、紬に喪失感を齎す。
これが律を失う事なのだと、改めて実感した。
 軽くなった腕で、玄関を開いた。
律を抱えた澪が屋内へと入り、紬も後に続いた。
 澪の部屋に着くと、律はベッドに横たえられた。
澪のベッドで眠る律というこの構図も、別れる事の象徴として紬を抉る。
「ぐっすり寝てるな。全く起きる気配を見せない。
やっぱり、日々の体力の消耗が激しいんだろうな」
 律の髪を撫でながら、憐れむ調子で澪が言った。
「それも、今日までよ。もう、離脱症状とは無縁になるから」
 紬は声で澪に応じつつ、その為に別れたのだと胸中で自分に言い聞かせた。
「そうだな。
と言いたい所だけど、さっきの電話の口振りじゃ、色々と事情があるみたいだな?」
「いえ、大した事じゃ無いわ。ただ、澪ちゃんに最後のお願いはあるんだけどね」
「お願い?」
「ええ。電話じゃ伝えてない事情と絡めて、今から話すわ」
 紬は話して聞かせた。
律にはまだ別れを告げていない事、それ故、眠っているうちに連れて来た事。
そして、澪から別れを代弁して欲しいという願いを。
 聞き終わった澪は、顎に指を当てて深刻そうに呟いた。
「なるほど、そういう事情があったのか。それが今日のムギの来訪に繋がるのか。
不味いな。そうなると……まだだ、まだ問題は片付いていない」
「えっ?片付いたでしょう?
だって私、りっちゃんを澪ちゃんに渡したんだし」
 紬は訝しげな声で応じた。
「渡しただけだ。返した事には、なっていない。
律はムギに惚れ続けるままだよ。ムギから、別れを告げられていないんだからな」
「だから、その代弁を澪ちゃんにお願いしたの。
私からじゃ、どうにも言い出せなくて」
「それで律が信じると思うか?信じたとして、納得すると思うか?
やっぱり、ムギから伝える必要がある。言葉が駄目なら、手紙でもメールでもいい。
ただ、こうなった以上、強烈な方法で別れを伝える必要があるよ」
「強烈な方法?」
「ああ、律を痛罵する文面とともに、別れを切り出せよ」

98: 2012/02/12(日) 11:47:46 ID:wNbtikbw0
 紬は絶句した。
澪の論理の飛躍に付いていけなかった。
その事に気付いたのか、澪は続けて言う。
「律が認識していない間に話が進んだ以上、普通に別れると伝えても駄目だ。
律は不審に思い、お前から切り出された別れを真意とは思わないだろう。
そうなると、意味が無い。
けれど、その伝え方がムギに対して幻滅する程、強烈だったなら?
信頼関係さえ壊れてしまえば、否応なく律は別れを選ぶ」
 漸く、澪の言っている事が理解できた。
律は知らぬ間に澪の部屋に居て、そこで紬からの別れの文面を受け取る事になる。
その状況下では、律の不審を買う事は避けられない。
律に隠して話を進めた事が、裏目に出たのだ。
 ただ、理解はできても受容までできる訳では無い。
「そんな……そんな事、できないわ」
 紬は激しく頭を振った。
まだ律に口頭で直接別れを伝える方が、心理的な抵抗は少ない。
ただ、もう後戻りできない事も、分かっていた。
「なら、どうする心算なんだ?
眠ったままの律を担いで、再び家に帰る?
それで改めて明日にでも、口頭で別れを切り出すの?
言っておくけど、この時間に再び外気に寝たままの律を晒す事は、
断固として反対だからな」
 澪に指摘されるまでも無かった。
「なら、りっちゃんが起きるまでこの部屋で待って、
それで口頭で別れを切り出せば」
「律が眠ってる間に私の部屋に来た以上、口頭か文章かは問題じゃない。
信頼関係を破壊して幻滅させる、という方法は取らざるを得ないんだ。
状況に対して律が不審を感じる以上、嫌われるというプロセスが必要なんだよ」
 言われるまでも無く分かっていた。
それでも、律に嫌われる事だけは避けたい。
その思いが逡巡となって、紬の口を衝いているのだ。
「でも……」
「でも、じゃない。律を愛しているなら、できるはずだ。
寧ろ、この方が良かったのかもな。
こうなる前にムギが普通に別れを切り出しても、律は別れを受け入れても未練が残っただろう。
でも幻滅してしまえば、未練なんて残らない。
何より、律をあまり傷付けずに済む。
好きな相手と別れる事は心を抉るけど、嫌いになった相手なら傷付かない。
律にとって最上の結果だ。律が好きなら、ムギも喜んで最後の務めを果たせよ」
 そう言われてしまえば、もう拒む事などできない。
それに、澪の言う事にも一理あるのだ。
少なくとも紬から別れを切り出されれば、律は悲しむだろう。
その事も、律に別れを告げられなかった一因としてある。
悲しみを和らげてやる事が、恋人として律にしてやれる最後の事なのだろう。
紬は痛みに軋む心を叱咤して、遂に決断した。

99: 2012/02/12(日) 11:50:06 ID:wNbtikbw0
「分かった。手紙で、その方法を取らせてもらうわ。
紙とペン、借りていいかしら」
「ああ、構わない。机と椅子も使っていいよ。
ありがとな、これで律を救う事ができる」
 澪は机の中から、花柄の便箋とボールペンを取り出した。
書き慣れている文具だけに、律は筆跡で紬が書いたと判別付くだろう。
躊躇いはあるが、それでも下した決断を覆す心算は無い。
紬は澪からボールペンと便箋を受け取ると、机を借りていよいよ書き始めた。
 書いている最中、何度もペンを放り投げたい衝動に駆られた。
一文字書き進めるだけでも、胸が締め付けられるように痛んだ。
紬の想いは、律に冷淡な言葉を並べる文面とは対極にあるのだ。
それでも、律を救う為という強靭な意志で、ペンを進めてどうにか書き上げた。
苦難に耐え切ったというのに、達成感は微塵も無い。
ただただ、悲しいだけだった。
「終わった?」
 紬の手が止まった機を見計らい、澪が声を掛けてきた。
「ええ。今、渡すわ」
 紬は文面を一度見直してから、澪に手渡した。
受け取った澪は、早速便箋に目を走らせている。
疲労困憊の紬は目を閉じ、書いた内容を脳裏で反復した。
暗唱さえできる程、書いた文字は脳に深く刻まれている。
『唐突だけれど、さようなら。そして有難う。
私、友達と恋人ごっこをするのが夢だったの。
それが、りっちゃんとの恋愛ごっこだった。
ガサツなりっちゃんなら、疑われる事も無く手玉に取れると思ったから。
もう、それも終わり。恋人ごっこは思ってた程、楽しく無かったし。
何より、りっちゃんに魅力が欠けてた。
だから私は、りっちゃんが眠ってる隙に、澪ちゃんに返す事にしたの。
この手紙を読んだ瞬間から、もう二人はただの友達。
さようなら、澪ちゃんとお幸せにね。』
 これで十分、律から嫌われただろう。
真剣だった律に対して遊びだったと言えば、十二分に幻滅されるだろう。
律から誤解を受ける悲しみはあったが、紬はこれでいいのだと思った。
これで、いいのだと。
「駄目だな」
 不意を衝く澪の冷たい声に、紬は目を見開いた。
「えっ?」
「これじゃ駄目だ、ムギ。確実に嫌われるには不十分なレベルだよ。
まだまだ甘さが残ってる。本当は嫌われたくない、その思いが文面に滲んでるよ。
大体、所々に律への気遣いがある。有難うとか、お幸せにとかね。
不審の念が湧く余地すら無い程、憎まれて恨まれて嫌われるような文面が必要なんだ」
「そんなっ。これで精々よっ。これ以上、どうしろって言うのよ……」
 始め昂ぶっていた声は、徐々に小さくなっていった。
反発から絶望へと瞬間的に変化した、紬の精神を表すかのように。
確かに律は以前、紬の演技を見破っている。
生半可では騙せない、その思いが擡げてきたのだ。

100: 2012/02/12(日) 11:52:39 ID:wNbtikbw0
「まずはムギが、律を嫌いになったと仮定しろよ。文面で律を怒れよ。
律の欠点やコンプレックス、普通じゃない点を抉れよ。
そうして終始一貫して徹底的に突き放せよ。
あと、この部屋に律が居る理由は、ムギから説明しなくていい。
寝てる隙にムギが押し付けてきたと、私の方から説明しておくから。
余計な事は書かず、嫌う事、嫌われる事に徹しろよ」
 澪の言葉を聞き終わった時、紬の心底から震えが湧き上がってきた。
確実に律から嫌われる文面の発想を、澪の言葉から得てしまったのだ。
それは形式だけで考えるなら、単純な方法だった。
律に対する怒りを書き連ね、別れの責を相手に押し付けるというものだ。
紬が震えた発想は、その怒りの対象にこそある。
律を苛む離脱症状、即ち彼女の苦しみこそが怒りを向ける標的だった。
 律が離脱症状に伴う苦しみを耐えてきた動機は、紬への恋情にある。
にも関わらず当の紬から、その苦しみに怒りを向けられれば。
律も何の為に自分は苦しみに耐えたのかと怒り、紬を確実に嫌うだろう。
律の離脱症状に嫌気が差したと書いてやれば、終わる。
律の苦しむ姿や声が鬱陶しいと伝えてやれば、終わる。
 勿論紬は、律に怒りなど抱いていない。また、別れる責が律にあるとも思っていない。
だが、真意など伴う必要は無いのだ。
発想を得た以上、後は律から嫌われる覚悟だけが必要なのだ。

101: 2012/02/12(日) 11:53:52 ID:wNbtikbw0
 紬はベッドで眠る律を見遣った。
あの寝顔に伝えたはずだ、温かい所に連れて行くと。
もう寒い思いはしなくていい、と。
紬は崩れそうな心を無理矢理に支えて、澪に言う。
「分かったわ。もう一枚、便箋貰えるかしら」
「ああ。今度こそ頼むよ」
 紬は頷くと、澪から便箋を受け取った。
そして机に向かい、再びペンを手に取る。
『いい加減ウンザリなのよ、りっちゃんの病気に振り回されるのは。
いきなり寒がったり暑がったり痛がったり、気味が悪いわ。』
 導入部分を書いただけで、紬の胃は吐き気を伴って痛んだ。
『ねぇ、知ってた?私、度々澪ちゃんの下に帰るよう、りっちゃんに促したでしょう?
それって、りっちゃんの身体を慮ったんじゃない。
嫌気が差してたから、いい加減に澪ちゃんに引き取って貰いたかったのよ。』
 辛辣な言葉を連ねる度に、視界は霞み涙が溢れそうになる。
紬は必氏に落涙の衝動を抑えて、筆を進める。
便箋に涙の跡を付ける訳にはいかない。
『それなのに、りっちゃんは勘違いして。
私の迷惑省みず、家に何度も押し掛けて来た。しつこく、付き纏ってきた。
私はもうとっくに、冷めてたのよ。
澪ちゃんと仲良くするよう方針を変えた段階で、気付いて欲しかった。』
 書き進めていくうちに、律と過ごした日々が脳裏に蘇る。
律に対する心配はあったが、迷惑だと感じた事は一度も無かった。
それでも紬は、真意を微塵も文に出さない。
大切な思い出を嘘で穢してまでも、律を救いたかった。
それ程までに、律を愛している。
その愛が翻って、紬に今の地獄を強いているとしても。
『それでも告白したのは私の方だから、今まで我慢してきたけど。
その義理立ても、もう限界。言わせてもらうわ。』
 深く愛した相手から、蛇蝎の如く嫌われると言う事。
その途方も無い喪失感に指が震え、字体が歪みそうになる。
それでも、後少しだと言い聞かせ、紬は指に力を込めた。
後、一文。後、一文だと。
『もう私に付き纏わないで。』
 書ききった紬は澪に便箋を渡すと、机に突っ伏した。
身体中が脱力し、姿勢を支えている事さえ困難だった。
「うん、いいんじゃないか?
これなら律も、ムギを嫌って別れてくれるだろう」
 読み終わった澪の言葉が、成功を担保してくれた。
だがやはり、達成感も喜びも湧いてはこない。
逆に、改めて悲しみが身を劈き、心を深く深く抉る。
「そう。じゃあ、後はよろしくね」
 紬はそれだけ言うと、無理矢理に身体を立たせた。
深刻な精神の動揺に嬲られた今の身体では、家に帰れるかどうかさえ危うい。
それでも紬は歩き出す。帰れずとも構わなかった。
律の傍から離れられれば、道中で尽き果てても構わなかった。
「大丈夫か?」
 余程、今の紬が弱って見えるのだろう。
澪が心配そうに声を掛けてきた。
「別にいいわ、私の事なんて」
 律の事だけ気に掛けていればいい。
その意を伝えて、紬は澪の部屋を出た。

133: 2012/02/12(日) 21:03:46 ID:7rP7Erak0

*

 満身創痍ながらも、どうにか紬は自宅に帰り着いた。
食事を拒否して自室に入ると、ベッドに手を当てる。
つい数時間前まで律が寝ていたはずなのに、その温もりは既に消えていた。
その事を確認した途端、抑えていた感情が溢れ出してきた。
「えぐっえうぅ」
 室内に嗚咽が響き、堪えていた涙がベッドを濡らした。
幾ら泣いても、悲しみは癒えなかった。
それでも涙は、紬が力尽きて眠りに落ちるまで止まる事は無かった。
その日見た夢の中では、未だ律と付き合っていた。
覚めなければいいと、何処か朧な意識で紬は願った。
 無情にも夢は覚める。紬は起床後 日曜日も激しい悲しみの底で過ごした。
そして月曜日の朝になると、悲しみに恐怖が加わって紬を苦しめた。
学校では、律と顔を合わせなければならないのだ。
律から嫌悪を注がれる事など、想像しただけで耐え難く恐ろしい。
更に恐ろしい事に、紬は学校でも律を避けて過ごさねばならない。
手紙に説得力を持たせる為には、必要な事だった
愛する律を眼前に置いて、手を伸ばす事すら許されない。
その辛さを、これから幾日も味わっていくのだ。
 学校では、紬は律と極力視線を合わせないよう努めた。
どのような視線で遇されるのか、怖かった。
律が近付いてくる度、紬は自然を装って離れた。
 しかし、律との接近が、意外な形で実現する事になる。
「ムギ、話があるんだ。ちょっと来てくれ」
 放課後、不意に澪に呼び掛けられた。
もう既に、律の問題は解決したはずだった。
それとも、まだ何か解決すべき懸案が残っているのだろうか。
紬は不安に苛まれながら、澪に従う。
「ええ、分かったわ」
「律っ。律もちょっといいか?話があるんだ」
 続いて澪は、律も呼び寄せていた。
紬が驚いて声も発せぬ間に、律が寄ってくる。
「話?いいよ、ムギも居るなら。付き合うよ」
「ああ。じゃ、場所を移そうか」
 澪はそう言うと、二人を先導して歩き出した。
律も交えて、澪は何を話す心算なのだろうか。
また、律の「ムギも居るなら」という言葉も引っ掛かっている。
律はもう、紬に気を使う必要など無いはずである。
それどころか、軽蔑の対象ですらあるはずだ。
紬は不安と疑問を胸中に浮かべながら、黙して続く。

134: 2012/02/12(日) 21:05:15 ID:7rP7Erak0
 辿り着いた先は、軽音部の部室だった。
澪は二人に隣り合う椅子を勧めた後、正面の椅子に座って話を切り出す。
「まず、律。お前の中毒を治す為に提案があるんだ。
絶対に受けてもらわなければならない提案だ」
 紬は耳を疑った。
澪がずっと側に居るのだから、もう依存を治す必要など無いはずだ。
それとも自分が見ていない間に、事態が思わぬ方向へと進んだのだろうか。
律が起きた後にどういうやり取りがあったのか、紬は気になった。
「提案?内容によっては受けるよ。
私だって、このままでいいとは思ってないし」
「簡単だ。まずは3日から5日置きくらいに、私を求めろよ。
そのスパンでも、どうにか離脱症状は抑え込めるな?」
 律は眉根を潜めた。
「駄目だよ。ムギを裏切れないよ。
私はもう決めたんだ。ムギを悲しませないって。
それにそんな対症療法じゃ、意味が無いよ」
 この律の態度にも、紬は疑問を抱いている。
律は手紙の内容を信じなかったのだろうか。
「まぁ、話を最後まで聞け。対症療法なんかじゃ無い。
私を求める間隔を、徐々に伸ばしていくんだ。
やがて私を求めずとも発作が起きなくなった時、律の中毒は治ったって事だ。
勿論、長い時が必要だろう。
治ったと思っても、フラッシュバックに襲われる事があるかもしれない。
それでも、根気強く治癒していこう」
「だから、駄目だって。
間隔の問題じゃ無く、求める事自体がアウトなんだよ。
また前みたいに、ムギが悲しんじゃうから。
私は意地と根性で治すよ」
「ムギが悲しむと言うけれど、苦しむ律を見る事の方が、もっとムギは悲しむよ。
意地と根性で我慢する間、お前はどれだけの苦痛を負うんだ?
その苦痛に律の身体が耐え切れず、重篤な事態になるかもしれないんだぞ?
そうなった時こそ、ムギの悲しみは最も大きくなる」
 澪の言う通りだった。
ただ紬とて、その事は既に律へと話して聞かせている。
その時、律は首を縦に振らなかった。
今回の澪の説得も無駄に終わるだろうと、紬は諦念に駆られて二人を見つめる。
「悲しみの大小だけが問題じゃない。次元が違うんだよ。
私の浮気じみた行為でムギを悲しませる事と、
ムギを愛するが故に貞節を守って結果悲しませてしまう事。
恋人としてどちらが正しいか、一目瞭然じゃん?
それ以前にさ、ムギはやっぱり、治療目的とはいえ私が澪を求めた方が悲しむと思うよ。
あの時に見たムギの表情以上に、悲しい表情があるとは思えない」
 紬の予想通り、律は澪の提案を拒んでいた。
予想はしていても、落胆が改めて紬を見舞った。
紬としては、確かに律から未だ好かれている事は嬉しく思っている。
だがそれとて、律の安全が確保された上での話だ。
離脱症状に苦しむ姿など、澪に懐く以上に辛く映る。

135: 2012/02/12(日) 21:06:41 ID:7rP7Erak0
 そして何より、律が未だ苦しむ選択をするならば、
一体自分は何のために断腸の思いで手紙を書いたのか。
紬は抑える事のできない怒りを覚え、澪を睨み付けた。
澪は紬に手紙を書かせる事で、解決を担保したはずだ。
それなのに解決に至っていない事が、腹立たしかった。
 だが澪は紬の視線に動じた様子を見せなかった。
それどころか、律の返答に諦めた様子さえ見せていない。
まだ律を翻せる策でも持っているかのように、落ち着いて振る舞っている。
その澪はポケットに手を入れると、再び口を開いた。
「そうか。できればこれを使わずに、律に承諾して欲しかったんだけど。
まぁ、そう上手くはいかないか。これ、読んでみろよ」
 澪はポケットから封筒を取り出し、律に手渡した。
受け取った律は開封し、中から花柄の便箋を取り出す。
途端、紬は声を上げそうになった。
一昨日、紬が律に宛てて書いた便箋だった。
律が便箋を開くと同時に、澪の解説を入れる声が響く。
「それ、私が土曜日に、ムギに書かせた手紙なんだけどね。
律には土曜日の事、ムギが心配して届けてくれた、としか説明してなかったな。
実際にはそれだけじゃなく、別れの手紙を書くよう指示もしてたんだ。
律に嫌われるような内容を書けってね。
それを律に渡して、嫌ってもらうからって。
そうすれば律がムギから離れて私に懐き、離脱症状を抑え込めるって言ったんだ。
そうしたら、ムギ、書いてくれたよ」
 律は便箋から目を上げると、震える声で澪を糾す。
「何でこんなもの、書くように指示したんだよ……」
「ムギの思いを律が知るべきだと思ったから。
それ書いてる時のムギ、どういう思いで書いていたか分かる?
私の目から見てさえ、血を吐きそうな表情で書いてたよ。
そんな思いしてまで、お前を救いたかったんだよ。
律は悲しみの大小の問題じゃないと言ってたけど、
悲しみが大きいってつまり、ああいう姿を言うんだ。
お前が見た時以上の悲しい表情、確かにあるんだよ。
悲しい事のハイエンドがどういうものか、ちゃんと考えてなかったろ?
そして律から嫌われてまでも、律を救いたかった。
この意味が分かるか?
律と別れる事よりも、律の苦しむ姿を見る方が辛いって事なんだ。
それでも、自分も苦しんで紬も苦しめる道を選ぶのか?」
 律は視線を彷徨わせた。
具体例を突き付けられ、心が揺れ動いているのだろう。
それでも律は、尚も逡巡を口にした。
「でも……。それで、私はいいかもしれない。
ムギも、より大きな不幸は避けられるかもしれない。
でも、澪はいいの?私、ぶっちゃけて言っちゃうけど、澪に恋心は抱いてないんだよ?
専ら、身体依存的なものだから。
何か、澪を身体目当てで利用してるみたいで悪いよ」
 紬もかつて、律の口からその罪悪感を聞いた事がある。
律の苦しむ姿を見ている方が辛いと、澪を求めるよう勧めた時の事だ。
澪の提案を容易に受け入れない理由には、やはり彼女に対する罪悪感もあるらしい。

136: 2012/02/12(日) 21:08:17 ID:7rP7Erak0
「そもそも、律を依存させたのは私だからな。
律の中毒を治す義務があるんだよ。責任を取る、っていうだけの事さ。
それに、ムギにここまでやらせておいて、私だけ負担を免れると言うのなら。
それだと私は悪魔だよ。
私は律の為に鬼になったけど、悪魔にまではさせないでくれ」
 澪の言葉を受けて、遂に律は首を縦に振った。
「分かったよ、澪。私だって、ムギを苦しめたくない。
それに、澪の立つ瀬も奪いたくない。
だから、ムギ。ごめんな。私、澪をまた求める事になる。
勿論、性的な事は一切しないよ。スニッフ程度に留めるから。許して、くれるか?」
 話を振られた紬は、笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、勿論。
りっちゃんが苦しまず、そして私はりっちゃんと付き合い続けられるんだから。
望外の結果よ。謝る必要さえ無いわ」
 確かに望外の結果だと、紬は改めて思う。
律を苦しませずに交際を続けられる、その事実が素直に嬉しい。
また、これから先、律が澪を求めても妬む事は無いだろう。
一旦は律から嫌われる決心をした紬にとって、その程度些事としか感じない。
そしてそれは、澪が齎した成果でもある。
だから紬は澪に向けても、礼を言う。
「有難う、澪ちゃん。
澪ちゃんのおかげで、最も良い結果が得られたわ。
でも澪ちゃんは、良かったの?
澪ちゃんが何も事情を明かさずに手紙を渡していたのなら、
澪ちゃんはりっちゃんを独占できた。
なのにどうして、りっちゃんを手放す気になったの?」
 澪の冷笑や自信に満ちた態度が、脳裏に蘇る。
あの態度から推測するに、澪は律を自分のものとして扱っていたはずだ。
更に澪は、律を返せ、という言葉すら放っていた。
なのに澪はどうして、律を手放す気になったのか。
その疑問も、紬は礼と併せて口にした。

137: 2012/02/12(日) 21:09:41 ID:7rP7Erak0
「ああ、今も好きだよ。だから、律の事を救いたい。
律の恋を不自由無く成就させてやりたい。
律をこんなにした責任も感じてるしね。
まぁムギと律が付き合い始めた最初のうちは、そうは思ってなかった。
律は私の物だと思っていたし、ムギとの交際さえ長続きしないと思ってた。
でも律が見舞われた離脱症状は、私の想像を超えて過酷だった。
いや、離脱症状さえ発症しないと思っていたんだ。
私に対する恋慕から、戻ってくるって、そう思ってた。
恋慕なんて、所詮私からの一方通行だったのにね」
 寂しそうに笑う澪から、紬と同じく律を深く愛している事が伝わってきた。
澪もまた、紬と同じく律を手放す決断を経ているのだ。
嘗ては恋敵と見ていた澪が、今となっては最も親近感の湧く存在となっている。
「それで、この計画を思い付いたのね。
流石よ、見事に私やりっちゃんの性格を読み切って、
りっちゃんを救う道を実現させたわ」
 紬は感嘆を込めて言うが、澪は手を振っていた。
「いや、過大評価だよ。別に読んでた訳じゃ無いし、計画というには杜撰だ。
私にとって、これは賭けだった。
律はともかく、ムギを試す事に付いては特にね。
律を救う為なら律と別れる事さえ辞さない、
その覚悟をムギから見せてもらいたかったんだ。
その確信が無いと、間隔を空けて律が私を求めるという治療法に、
ムギが協力や理解をしてくれると信じられなかったから。
律を救う為なら、律が他の女の身体を求めてもいい。
その心理にムギが到達しなければ、治療と二人の恋の両立は難しかっただろう。
でもムギは、その選択をしてくれた。有難う」
 紬に礼を述べる澪の表情には、笑みが浮かんでいる。
だがその笑みの裏側にある悲しみを、紬は敏感に見取っていた。
律と別れる決心を一度はした紬だからこそ、澪の悲しみは痛い程に理解できる。
澪は賭けの一言で片付けているが、
その賭けを実行に移すまでには計り知れない葛藤があっただろう。
律を他の女に渡す事になるのだから。
紬が味わったものと同じ地獄を、澪も経ているのだ。
 澪を憐れんだ紬の口から、自然と謝罪と問い掛けが漏れ出ていた。
「澪ちゃん、本当にごめんね。
やっぱり、少しは私の事、恨んでたりする?」
 途端、澪の表情から笑みが消え、険しい視線が紬を捉える。
次の瞬間には肌を打擲する音が響き、紬は頬の痛みとともに姿勢を崩した。

138: 2012/02/12(日) 21:10:53 ID:7rP7Erak0
「み、澪っ?」
 律が叫ぶ中、紬は澪へと視線を向けた。
右に振り抜かれた左手の位置から、紬は頬を張られた事を悟る。
「いきなりで悪いな。そういえば、前にムギから頬を叩かれた事があったから。
そのお返しだよ」
 澪は悪びれずそう言うと、表情を緩めて続けた。
「だから、これでチャラだ」
 紬は澪の言葉に込められた意図を、敏感に悟った。
単純に頬を張った相殺だけでは無く、
感情の遺恨さえ無くなったと澪は言っているのだ。
二人はもう恋敵同士では無く、友人同士だった。
「ふふっ、そうね、ふふっ。これからも、よろしくね」
 紬は思わず笑みを漏らしていた。
かつて律と初めて二人きりで遊んだ時の事を思い出したのだ。
あの時、紬は律から叩かれてみようと試みた。
律と遊んだ後の日には、澪から叩かれてみようと試みた。
紬は本気で叩ける間柄の二人に、強い友情の絆を感じて羨ましく思っていたのだ。
だから紬は「友達に叩かれる事が夢だったのー」とまで形容し、打擲を二人に乞うた。
それでもあの時は、二人とも本気で紬を叩きはしなかった。
 だが今、澪から本気で頬を張られて、その夢が叶った思いだった。
紬は澪との間に生まれた友情を、確かに感じている。
「わっ、ムギっ、どうしたんだよ。急に笑い出したりして」
 訝しげに問う律に向けて、紬は答える。
「いえ、嬉しくって。恋と友情の両立なんて、本当にあるんだなって。
夢物語だと、思ってた」
 愛する対象が同じだからこそ、成り立った友情だった。
お互いが愛する者への責任を果たす事で、二人の友情は続いてゆく。
澪は律の依存を治すという責任を。
そして紬は──
「りっちゃん、惚れてくれて有難う。
その責任、ずっとそばに居る事で果たしていくわ」
 改めて律に伝える。
「うん、ありがと、ムギ」
 律は頬を赤く染め、小さく頷いた。
「改めて、おめでとう」
 そして澪は笑顔を浮かべて、拍手で祝福してくれた。
それは友人らしい祝い方だった。
その姿に、律の依存が治っても澪と友人であり続けようと、紬は次の夢を芽生えさせた。

<FIN>

139: 2012/02/12(日) 21:13:39 ID:7rP7Erak0
紬「対立両立LittHolic」
>>4-10 >>77-84 >>87-92 >>95-101 >>133-138
以上で完結です。
お付き合い頂き、有難うございました。

140: 2012/02/12(日) 21:43:12 ID:1KzNPT7k0
お疲れ様でした!

引用: 紬「みんなの夢が知りたいな」