230: ◆DVsVmzoNGk 2012/02/15(水) 00:58:27 ID:tox8TJKQ0
遅くなりましたが投下させていただきます。
タイトル: 唯「あずにゃん、そんなの夢に決まってるよ」
タイトル: 唯「あずにゃん、そんなの夢に決まってるよ」
231: 2012/02/15(水) 00:59:32 ID:tox8TJKQ0
私は空を飛ぶことができます。
そう言ったら、驚きますか?
でも、本当のことです。日本人形みたいだね、そんな風によく言われる私の髪。二つに結んだそれが、髪止めを軸に高速で回転すると、私は空を飛ぶことができるんです。
232: 2012/02/15(水) 01:00:56 ID:tox8TJKQ0
そのことに初めて気づいたのは小学校六年生の五月のある夜でした。
その日、私は酷く疲れていました。
もう何が原因だったのかは覚えていませんが、学校で何かあったか、学校で何もなかったかのどちらかのような気がします。
学校が終わってまっすぐ家にはたどり着いたものの、玄関の鍵を開けて入るともう限界でした。
普段であれば、家に帰ると私服に着替え、すぐにギターの練習をするのですが、着替えはもちろん、頭の横で二つに結んでいた髪をほどくことすら面倒で、すぐさま自分のベッドに倒れ込んで眠ってしまいました。
私の家での生活がどんなものだったかは、何度か話したことはあるから知っていると思います。それでも、こんな風に他に何もできないほど疲れきっている時に、ご飯やお風呂といった余計なものを押しつけてくる人間が家の中にいないというのは、幸せの一つとして数えても問題ないと私は考えています。
233: 2012/02/15(水) 01:03:53 ID:tox8TJKQ0
目が覚めると辺りは真っ暗でした。
私はふと自分の中から『何か』が消えていることに気づきました。
その感覚は言葉では上手く説明できないようなたぐいのものなので、こうやって文章にするのはすごく大変です。こんな風な言い訳を書いてしまうのも情けない話ですが、私に文才は無いみたいです。
分かりにくい例えになってしまうかもしれませんが、できるだけ正確に書いてみます。それは、私の身体という本棚の中にぴったり収められた、私について書かれている本の中から、一冊だけすっと抜き取られたような感覚でした。
誰もがそうであるように、私だって自分のことを全て知っている訳ではありません。
だから、消えてしまったその本に何が書かれていたかはわかりません。
そもそも私の中にあったその本に価値や意味があるかどうかなんて私にはわからないんです。大事なことが書いてあったのかもしれないし、そうでないかもしれません。
あるいは、これから何かが書きこまれるはずだった白紙の本なのかもしれません。
ひょっとすると、絶対に誰にも知られてはならないような悪いことが書いてあったり、無い方が良いものだったからこそ抜け落ちたのかもしれません。
ともかく、自分の中から本が一冊消えたことについて、喜ぶべきなのか、悲しむべきことなのかすら私にはわかりませんでした。
ただ、身体の中の本棚に意識を向け、背表紙を指で端からそっと順繰りに撫でてみたときに、明らかに抜けている箇所がある。
何度くりかえしてみても、指はその本と本の隙間を感じる。
確かにそこから消えたものがあるということを感じる。
そういった感覚です。
その概念的な消失とは別に、私の身体はもっと実際的なものを感じていました。
つまり、私が身体を横たえていたはずのベッドの感触と私を支えていたベッドのスプリングの感触の消失です。
私は何の過程もないままに、うつぶせの姿勢で宙に浮かんでいました。
234: 2012/02/15(水) 01:04:50 ID:tox8TJKQ0
何か特別な行動をしたつもりはないので、宙に浮くことができるようになった決定的な原因は今もわかりません。
いや、原因は消えてしまった『何か』にあるのでしょうが、その消えてしまった原因もわからないのです。
私はひどく怯えました。
そして、ぼろぼろと涙を流して泣きました。
もう消えてしまった『何か』が戻らないことは分かっていたのです。
ずっと宙に浮かんだまま生活しなくてはいけないのかと絶望したのです。
何度となくそんな夜は経験していたにもかかわらず、泣いている時に助けを求める人がそばにいないというのは、やっぱりとても辛いことでした。
235: 2012/02/15(水) 01:05:40 ID:tox8TJKQ0
その時です。
私の髪は動き始めたのです。
なめらかな腕のように髪止めを関節にして、小さな子猫をなでる手のひらのように、ゆっくりと涙で濡れた頬にふれ、ずっと昔にしてもらった時と同じように、そっと抱き締めてくれました。
そして、あまりの驚きに呆然とする私をしり目に、人力飛行機のプロペラのようにゆっくり回り、寝室のベランダから、煌々と月が照る夜空へと飛びたったのです。
(この時、どうして窓が開いていたのかはわかりません。帰ったあと、窓を開けていたかは全く覚えていないんです)
高度は二階と同じくらい、距離は町内を一周する程度だったけれど、確かに私はふわふわと飛びました。
236: 2012/02/15(水) 01:06:44 ID:tox8TJKQ0
それから、私の髪はひと月に数回ほどひとりでに動き、私の身体を連れて夜空の散歩に出かけます。
最初は本当にすごく驚いたのですが、すぐに慣れてしまいました。
自分の髪が世界に二つとない、空を飛べる特別な髪であるということがとても嬉しかったのです。
だから、子供の頃からずっと髪の毛を伸ばし続けています。
もちろん、ある程度の長さを超えそうになったら切ってしまいますが、二の腕にかからないほど短くは切りません。
それは、空を飛ぶためにはある程度の長さが必要だと思ったし、もしも切ってしまって飛べなくなってしまうのは怖かったからです。
長ければ長いほど、私のプロペラは揚力を得て、高く、速く飛びました。
私はそんな自分の髪が大好きでした。
237: 2012/02/15(水) 01:08:11 ID:tox8TJKQ0
このことは誰にも話していません。
初めて飛んだとき、この秘密の散歩がいつか出会う『誰か』以外に知られてしまったり、私からその『誰か』以外の人に話してしまったら二度と飛べなくなってしまうことを自然と悟ったからです。
この秘密を守るため、私は空を飛ぶ時はできるだけ黒い格好をするように心がけました。
でも、いくら明るい夜や町の上、海辺の灯台など色々なところを飛んでも、不思議と誰にも気づかれませんでした。
それに、空を飛んでいる間、私は飛行機どころか鳥さえも出くわすことはなかったのです。
空の上は寒いから、誰に会うこともなく一人で飛ぶことが少しだけつらい時もありました。
でも、それ以上に自由に飛ぶ空は素晴らしいものでした。
冬の夜、耳が痛くなるくらいの静寂の中を一人で飛びながら、私は考えます。
私が飛べるくらいなのですから、ひょっとしたら他の人たちも空を飛べるのかもしれない、と。広い広い大空で、ただすれ違っているだけなのかもしれないのだ、と。
なんとなく、空を飛んでいるのが私だけではないことがわかるのです。
そして、私がいつかこの秘密を話す『誰か』も、きっと空を飛べる人なんだろう、と確信するのです。
そんな風に感じることができるのは、なんだか嬉しいことでした。
238: 2012/02/15(水) 01:09:03 ID:tox8TJKQ0
今、腰の辺りまでのびた私の髪は、二つに結んで眠ることを合図に、深夜空高く舞い上がります。
私は手袋をし、マフラーを巻き、ダウンジャケットを着て、インターネットの通販で買ったフライトゴーグルをかけてベッドの中でそれを待ちます。
胸にソフトケースに入れたギターを――ムッたんをしっかりと抱いて。
239: 2012/02/15(水) 01:10:11 ID:tox8TJKQ0
私の弾くギターを「いつも上手いね」ってみんなは褒めてくれます。
ただ、私は上手く弾くことはできても、ちゃんと細やかな表情までをしっかり乗せて、誰かの心に届くように弾くことはできません。物事のうわべをなぞることはできても、何かを掬いとり、表現することができないのです。
もし、私の中に『独創性』というものがあるとすれば、空を飛ぶことこそがその源泉のような気がします。
それは余りにも世界が違うものだし、私は器用ではあっても、そういったものを掬いとれるほどの技術も無ければセンスも無かったのでしょう。
でも、空を飛んだ次の日にギターを弾くと、いつもより少しだけちゃんと弾ける気がしました。
きっとムッたんと私が吐き出す息のなかに、空の上の空気が混じっていたのでしょう。
そう、例えるなら海外に暮らした経験がある人が話す一部の単語の発音がネイティブのものと同じだったり、長く暮らしていた人ほど、その国の空気みたいなものをまとっているようなものです。
240: 2012/02/15(水) 01:11:00 ID:tox8TJKQ0
私はムッたんを弾いて、空を飛ぶことの喜びや楽しさを皆に伝えようと努力しました。
それでも私が空を飛んでいる時の気持ちを込めていることを誰も気づきはしませんでした。
ただ一人、唯先輩を除いて。
――先輩。
先輩が「今日はすごくいいね」って言ってくれたのは、全部前の日に空を飛んだ日だったんですよ?
241: 2012/02/15(水) 01:11:59 ID:tox8TJKQ0
私は最近、空を飛びながらよく考えるんです。
この秘密を唯先輩が知ったらどう思うだろうか、って。
まあ、間違いなくびっくりするでしょう。先輩の髪は短いから、信じてもらえないかもしれないですよね。
でも、先輩ならちゃんと受け入れてくれるという予感もするんです。
もしそうだったら、私すっごく嬉しいです。
ひょっとしたら、先輩一人では飛べなくても、抱きしめあって寝ていたら一緒に飛べるかもしれません。
いえ、きっと飛べます。
空を飛んでいるとそんな風に感じられるんです。
そうなったら、二人で夜空をデートしましょう。
街を通りすぎ、山を、海を越えて、ずっとずっと遠い場所に行きましょう。
ギー太も一緒に連れていって、どこか知らない国の電波塔の上で一休みして、セッションをしましょう。
ムッたんもきっと喜びます。
あぁ、なんて素敵なんだろう。
いつかそんな日が来ればいいなあ。
242: 2012/02/15(水) 01:12:59 ID:tox8TJKQ0
ねえ、唯先輩はどう思いますか?
243: 2012/02/15(水) 01:14:14 ID:tox8TJKQ0
あずさからそんな手紙が来たのは、私の二十二歳の誕生日だった。
彼女はもうとっくの昔に空から落ちていて氏んでいたにも関わらず、どういった経緯によるかは分からないが、私の実家を経由して、手紙は私のもとに届いた。
中には日記帳のようなものから破りとったページが数枚。
その表面に鼻を近づけると、懐かしいあずさの香りがした気がした。
現代文学の講義で取り上げられた小説のように、便箋の頭からお尻までしっかりと三回読んでから、封筒を裏返す。
そこには、私の髪が今よりも短かったあの頃にあげた小さなシールが貼られていた。
私はそのシールと同じくらい小さく笑い、私の中の本棚の消えてしまった本の隙間にその封筒をさしてみた。
しかし、たかが一通の薄い封筒で、その隙間は埋まろうはずがなかった。
確かに隙間は空いているのに、あの頃よりずっと髪は伸びているのに、私の身体は浮かず、髪は動こうとはしないのだ。
――いつかの夜と同じように。
244: 2012/02/15(水) 01:15:02 ID:tox8TJKQ0
私は引き出しに手紙をそっとしまい、久しぶりにあの頃の呼び方で彼女に話しかけた。
「ねえ、」
245: 2012/02/15(水) 01:16:57 ID:tox8TJKQ0
終わりです。
246: 2012/02/15(水) 01:20:36 ID:m7D1wDpc0
お疲れ様でした!
引用: 紬「みんなの夢が知りたいな」
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