415: 2010/06/20(日) 18:22:35.45 ID:YYTg9vM0

前回:ホロ「たまには甘ったるいぶどう酒を

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ホロ「ぬしよ」

ロレンス「う……」

ホロ「ぬし!」

ロレンス「どうした…朝……か……?」

ホロ「どこじゃ、ここは」

目を覚ますと、そこには見たこともない風景が広がっていた。
狼と香辛料 (電撃文庫)

416: 2010/06/20(日) 18:23:45.36 ID:YYTg9vM0
ロレンス「なんだ、ここは…」

その部屋はかなり高級な作りだった。

見たこともない絵画が壁にかけられていて、付近には見たこともない箱のようなものがいくつも置かれている。

ホロ「わからぬ。わっちも今目が覚めたところじゃ。少なくとも、ぬしの身銭で泊まれるような場所じゃなさそうじゃの。寝ていた場所も、このような高そうなベッドではありんせん」

ここで皮肉れるのは称賛に値する。

ロレンス「夢、じゃないのか」

ホロ「試してみるかや?」

牙をむき出しにするホロを見て、苦笑してしまった。
が、同時にとんでもないことに気づいた。

417: 2010/06/20(日) 18:24:40.03 ID:YYTg9vM0
ロレンス「お、お前」

ホロ「何かや?」

ロレンス「耳が」

ホロ「耳?耳がどうかしたのかや?……あっっ!!」

頭を抑えてホロが叫ぶ。
そう、ヨイツの賢狼の証である、獣の耳がなくなっていたのだ。

ホロ「わ、わ、わっちの耳……。ま、まさか…」

そう言って今度は手をおそるおそる身体の後ろにまわしている。

ロレンス「どうなんだ」

声をかけても、ホロは呆然と宙を見つめているだけだ。
どうやらしっぽもなくなっているらしい。

418: 2010/06/20(日) 18:25:51.06 ID:YYTg9vM0
ロレンス「夢じゃない、となると、酔っているのか。いや、どう考えてもこんな場所で眠っていた記憶はない。現金、はあるか。ならば寝ている間に誰かにつれてこられた?…そんな馬鹿な。ホロ、この状況どう思う」

返事はない。

ロレンス「おい」

ホロ「尻尾……わっちの尻尾……」

よっぽどショックだったらしい。
何せ毎日手入れを欠かさないくらいだ、ホロはしきりに口をパクパクさせている。

ロレンス「ホロ、それより今は現状を把握することが大事だ」

ホロ「…それより、じゃと?」

しまった。

419: 2010/06/20(日) 18:28:32.29 ID:YYTg9vM0
ロレンス「いや、そういう意味じゃなくてだな…」

ホロ「わっちのこの尻尾は賢狼の証!ぬしにも散々言っておったであろう!わっちにとっては二つとない、わっちがわっちである由縁じゃ!寒いときはぬしを暖めてやったりもした!それを…それを…」

ロレンス「わかってる、悪かった。だが今のこの状況を理解した先に、手がかりがあるかもしれないだろう。思考を鈍らしては駄目だ、辛いかもしれないが」

ホロ「……わっちの尻尾…」

バタッと倒れるホロに思わず手をそえてしまった。

ロレンス「ホロ」

ホロ「ぬ、ぬしよ…どうしよう…。わ、わっちは…わっちでなくなってしまいんす…」

大げさでもなんでもない、本気の眼だった。琥珀色の瞳に涙がたまっている。

420: 2010/06/20(日) 18:33:05.61 ID:YYTg9vM0
ロレンス「お、俺は」

言葉を慎重に選んで、ホロに投げかける。

ロレンス「たしかにお前の立派な尻尾や耳を見られないのは残念、だが、その、なんだ、それがあるからといってお前と一緒にいるわけじゃない。尻尾がなくてもあっても、お前は、お前で…だな」

上目遣いで俺を見つめるホロの表情は、それだけで胸に訴えかけるものがあった。
今回は計算じゃないと分かっているだけに。

ロレンス「もちろん尻尾や耳も魅力的だが、俺が投資したのはそれらを含めた全体であって…」

ホロ「…よい」

ロレンス「え?」

ホロ「…よいのじゃ。有難う」

諦めたような、弱弱しい声が聞こえた。

421: 2010/06/20(日) 18:38:56.37 ID:YYTg9vM0
ホロ「ぬしに気を遣われているようではわっちもまだまだじゃな」

ロレンス「誰だって考えたこともない境地に立たされたら、不安になるものだ」

ホロ「今まさにわっちらも、その境地に立たされておるわけじゃが」

調子を取り戻したようだ。

ロレンス「しかしすごい造りの部屋だな。こんな豪華な部屋、泊まったことがない。貴族ですら泊まれるかどうか…。見たことがないものも多い。金持ちの趣味か何かかもな」

ホロ「で、どうするんじゃ」

ロレンス「まずは外に出て…」

そのときだった。
部屋のドアが開き、外から男が一人入ってきた。
俺たちを見るなり目を丸くしている。

422: 2010/06/20(日) 18:41:57.28 ID:YYTg9vM0
男「あっ!きゃ、きゃんゆーすぴーく…じゃ、じゃぱにーず?」

何を言っているのかわからない。
異国人か?

ロレンス「まいったな、言葉が通じないとなると」

ホロに話しかけたつもりだったのだが、男は俺の声に反応する。

男「あ、日本語、しゃべれるんですか?」

ロレンス「ニホンゴ?」

男「てっきり、が、外国人の人かと。いや、でも外国人さんですよね?」

ホロと思わず顔を見合わせてしまう。

423: 2010/06/20(日) 18:50:07.76 ID:YYTg9vM0
ロレンス「君はここの主人か?」

男「主人?ええと、今ここに住んでるのは僕だけです。両親は長い間、ここを留守にしていて…。あっ、警察とか呼ばないんで、安心してください」

ロレンス「ケーサツ?」

男「ぽ、ぽりす?」

なんのことだかからっきしだ。

男「とにかく、おなか空いてませんか?居間で話しましょう」

男のペースに巻き込まれるような形で、俺とホロは部屋を後にした。


-狼と胡蝶の夢-

424: 2010/06/20(日) 18:59:13.93 ID:YYTg9vM0
ホロ「うまい!」

ホロは男が出してきた料理を食べながら言った。
さっきは尻尾がないだけで泣きそうになっていたのに、えらい違いだ。

ホロ「これは何という料理かや?」

男「天ぷらですよ。デリバリーですけど。食べたことないんですか?」

ホロ「でり、ばりー?ぬしさまはやはり貴族か何かかや?」

男「貴族だなんて」

冗談かと思ったのか、笑いながら男が言う。

425: 2010/06/20(日) 19:02:06.99 ID:YYTg9vM0
ロレンス「しかし、そうじゃなくても相当儲かっているみたいだな。両親は何をしているんだ」

男「一応会社を経営しています」

ロレンス「カイシャ?」

経営というなら、商会のようなものだろうか。

男「あの」

ロレンス「ん?」

男「二人はどこから来たんですか?」

もっともな質問だ。
俺は丁寧に、これまでの経緯を説明してあげた。
もちろんホロのことは黙っておいたが。

426: 2010/06/20(日) 19:07:48.70 ID:YYTg9vM0
ロレンス「というわけだ。俺は行商人のクラフト・ロレンス。こっちはつれのホロ」

ホロ「よろしくの」

『てんぷら』にがっつきながらホロが言った。

男「ええと…。なんていうか、本気で言ってます?」

ロレンス「本気、とは?」

男「つまりその、本当のことなのかどうか信じられないというか」

ロレンス「両親がカイシャを経営しているといっていたな。身分の高い君には分からない世界かもしれないが」

男「いや、そういう意味じゃなくて…」

頭をかきながら男が言った。

427: 2010/06/20(日) 19:11:24.97 ID:YYTg9vM0
男「今は西暦2010年。ロレンスさんがしたような話は、おそらく中世の中ごろの話だと思うのですが」

ロレンス「中世?」

男「話に出てきた教会っていうのも、多分キリスト教に近いものですよね?」

ロレンス「??」

男「まいったな…」

ホロ「ぬしさまよ、これはなんじゃ?」

気づけばホロは、部屋の隅にある薄い置物のような、四角い物体を指差している。
耳と尻尾がないのも、遠慮をしなくていいという意味ではある意味便利だ。

428: 2010/06/20(日) 19:14:44.82 ID:YYTg9vM0
男「それはテレビですよ」

ホロ「てれび?」

そう言うと、男は小さな筒のようなものをいじりだした。
途端、

ホロ「なんじゃ!人がおる!」

ホロは『てれび』を叩き出した。

男「絵に描いたような反応しますね…」

先が思いやられる、といった風に男が頭を抱えていた。

429: 2010/06/20(日) 19:20:10.89 ID:YYTg9vM0

男「ちょっとこっちに来てください」

部屋の隅に俺たちを呼び、男は座った。

ロレンス「これは?」

男「これはパソコン、というものです。簡単にいうと、辞典と手紙、情報収集、娯楽のための機械ですね。操作ひとつで世界のありとあらゆる情報を得ることができて、今の時代、ほぼ一世帯に一個はこれがあります」

ロレンス「どういう仕組みなんだ、こんな小さな箱に…」

男「それを教えていると時間がいくらあっても足りないので、割愛させてください。もし調べたければ、後で貸しますよ」

430: 2010/06/20(日) 19:26:43.24 ID:YYTg9vM0
男が箱を叩くと、文字が羅列されたページが表示された。
が、見たこともない文字がそこには並んでいて、読むことができない。

男「会話はできるのに文字は読めないのか…。文字に対する認識が違うのかな」

男はぶつぶつと何かをつぶやいている。

男「あった。教会の権力が強くなったのは11世紀中盤以降。歴史に沿っていればロレンスさんたちはそこから来たんだと思います。今から数えると、1000年くらい前ですね」

ロレンス「すごいな、1000年も前の情報があるのか」

旅の途中で出会った年代記作家たちの顔が一瞬浮かんだ。

439: 2010/06/21(月) 18:54:18.67 ID:LOn01i20

男「ロレンスさんたちの時代から見るこの世界は、少し窮屈かもしれませんね」

ホロ「こんなにうまい飯があるのに?」

ロレンス「……」

男「ものが溢れているから豊か、と思えるほど人は賢くありません」

ロレンス「往々にして、豊かな暮らしがもたらすものは、貧困とは何かを決める基準だ。この暮らしはこの世界では普通なんだろう、なら人が次に何を考えるかは知れたことだな。上を向いて歩ける人間は、いつの時代も限られている」

男「さすが、地に足をつけた商売をしている人は言うことが違いますね」

ロレンス「俺は行商人だからな。足がなくては商売にならない」

お互いに暗黙の笑みを浮かべた。
なかなか面白いやつだ。

440: 2010/06/21(月) 18:55:11.88 ID:LOn01i20
ロレンス「しかし君は、こんな俺たちを見ても少しも驚かないな」

男「いきなり寝室に現れたときはもちろんびっくりしましたよ。でも、それを言うならロレンスさんたちもそうじゃないですか?」

ロレンス「まあ、そうだが…」

隣で『ぱそこん』をまじまじと見つめる賢狼と出会ってから、大抵のことには驚かなくなってしまった。

ロレンス「いつだって商売には驚きがつき物だろう?」

男「もちろん。私もそんな感じです。そして、驚いたその次に考えるのは、いかにして儲けるか、ですよね?」

経営者の息子だけに、なかなか頭が回る男だった。

441: 2010/06/21(月) 18:56:40.67 ID:LOn01i20
ロレンス「それに、俺はこの状況がいまだに夢かもしれないと踏んでいる。夢から覚めた俺たちは多くのことを忘れてしまうかもしれないが、何かしらの儲け話なら、持って帰れるかもしれない。そうでなくとも、今ここにある儲け話に乗らない手はない」

男「胡蝶の夢」

ロレンス「?」

男「隣の国の言葉です。ロレンスさんが夢を見てこの時代に来たのか、それとももといた時代がこの時代にいるロレンスさんの夢なのか、判断する基準はありません。頬をつねっても、痛いと感じるのは頭の問題ですから。大切なのはその場その場で自分にできる限りの現実を享受すること。どちらの場合にも己を肯定して、あるがままを受け入れる以外にない」

よくいったものだ。
そして、これに興味を示したのは隣の賢狼。

ホロ「なかなか聡い文言じゃの。ま、差し当たりわっちはうまいものが食えればそれでよい。夢かどうかなど二の次じゃ」

しっぽの話と、故郷の話を出さないのは、ホロなりの気配りだと思った。

442: 2010/06/21(月) 19:03:56.17 ID:LOn01i20
ホロ「というわけでぬし様たちよ、わっちは腹が減った」

ロレンス「今食ったばかりだろう」

男「別腹ってやつですか」

ホロ「くふ、ぬし様は物分りがいいのう。腹が満たされたらそれでいいというわけではありんせん。まったく、どっかの行商人とは大違いじゃ。つれにするならこっちかの?」

この時代の料理は、ホロにあらぬ期待を抱かせてしまったようだ。

ロレンス「頭にくることをいちいち言わなくていい」

男「たしかに、二人にこの世界を知ってもらうには、外に出てもらうのが一番いいかもしれませんね。説明もてっとり早い」

ホロの性格について、ある程度は理解してもらえたようだ。

443: 2010/06/21(月) 19:09:48.68 ID:LOn01i20
男「ええと、ただ一点問題がありまして」

言いにくいことをいうときに頭をかくのは、この男のくせらしい。

男「その服装、なんですが」

ホロ「なんじゃ、ちっとばかし派手かや?わっちは気にいっておるんじゃがの」

ロレンス「うーん、町娘にしては多少豪勢かもしれないが…。それなりに仕立てられていて、みすぼらしくは見えないと思うが…」

男「えっと、とりあえずその格好で町に出たら、いろいろと問題がありまして。ただでさえお二人は異国の人です。やはりこの時代、この国に合った服装がいいかと」

ホロ「買ってくれるのかや?」

横目で俺をちらちら見ながら、男にもの言う狼が憎たらしい。
何を期待しているのやら。

444: 2010/06/21(月) 19:18:38.00 ID:LOn01i20
男「とりあえずロレンスさんは僕の服を貸します。ちょっと小さいかもしれませんが」

ロレンス「身につけられるならなんでもいい。ただ商談に差し支えないやつがいいな」

男「商談、ですか…。わかりました、なんとかします。で、ホロさんは…」

ホロ「わっちこれがいい!」

そう言ってホロが指さすのは、『てれび』に移る女性が身にまとっている服だ。
動きやすそうな服装で、襟元にはスカーフのようなものが巻かれている。下は紺色の布が巻かれていて、裾はかなり短い。

445: 2010/06/21(月) 19:20:34.08 ID:LOn01i20
男「え…」

ロレンス「少しばかり軽装すぎないか。裾も短い。安い女みたいだぞ」

次にはわき腹を殴られていた。
最後のは余計だったようだ。

ホロ「何をいうておる、あれくらいのがこの時代の流行なんじゃきっと。可憐なあの様子、わっちにぴったりではないか。ほれ、あっちもこっちも、わっちくらいの見た目の娘は同じ服装をしておる」

ロレンス「まあ…たしかにそうだな」

服の流行というのはどの時代も同じようなものなのかもしれない。

ロレンス「すまないが、あれを調達してくれないか。金貨ならこの時代でもそれなりの価値はあるだろう?」

男「えっと、ですね…」

男はなぜか顔を赤くしている。

446: 2010/06/21(月) 19:24:57.74 ID:LOn01i20
ロレンス「どうした?もしかしてかなり高級なものか?」

男「…ある意味では」

それにしたって顔を赤くするようなことなのだろうか。

ホロ「ううむ、見れば見るほどわっちの趣味にぴったりじゃのう。この時代の娘は、みんなああいう格好をしておるのかや?」

男「なんていうか、その、ホロさんくらいの年齢の人が着る、一種の正装のようなものでして」

ホロ「ほう?修道女の服のようなものかや?」

男「一般的には学生が着るんですが、その、なんていうか…」

ロレンス「手に入りにくいものなのか」

男「……」

黙ってしまった。

447: 2010/06/21(月) 19:32:22.21 ID:LOn01i20
ホロ「ぬし様よ、わっちはこれでいて中々にして服装にこだわりがありんす。今着ているこの服も、無理を言ってつれに買ってもらったが、やはり自分の気に入ったものを身に着けている間は、気分がよい。わっちらは時代を越えてこの場に来たわけじゃから、ぬしさまにとっては無理を言っておるかもしれぬ。じゃが、纏う服は品格を表すとも言うじゃろ?時代になじめば、ぬし様の力になれるやもしれんのじゃ。だから……買ってくりゃれ?」

こんな言い方をされたら、たいていの男は黙っていられないだろう。
俺にできることといえば、黙って男を哀れむだけだ。

男「わかりました……恥を恥としていたら…商売は勤まりませんしね…」

男はあきらめたように『ぱそこん』の前に座る。
時代を越えても、女と酒に酔わない男はいないようだった。

448: 2010/06/21(月) 19:41:20.74 ID:LOn01i20
ロレンス「まさか、買い物もそれでできるのか?」

男「ええ。手紙の機能があるということは、取引も行えるということです。将来は世にある商談も、これの前で行うことになるかもしれませんね」

夢のような話に舌を巻いてしまう。

ロレンス「すごい技術だな。これを発明したやつは大儲けだろう?」

男「もちろん。大儲けしすぎて、一生のうちに使い切れないみたいですよ。そして、この技術をさらに洗練したものを商売にしようとして、数々の商人が生まれました。この国、日本でもそれは生まれましたが、多くは淘汰されたみたいですね。……はい、ホロさんどれがいいですか?」

ホロ「くふ、どれにしようかの」

苦労はいざ知らず、ホロは満足そうな表情で品定めを始めた。

449: 2010/06/21(月) 19:49:48.69 ID:LOn01i20

結局ホロが服を決めるまでに、日が落ちてしまった。
我侭なつれに肝を冷やしたのは、どうやら俺だけではないらしい。

男「やはり、行商人は苦労されてますね」

ロレンス「わかってくれるか」

ホロ「なんじゃ、ぬしらも商人なら商品の手入れを怠るでない」

なぜこの狼が一番えらそうなのかは大いに疑問だったが、どうにか服選びはことなきを得た。

男「一番早い便で頼んだので、明日には届くと思います」

ロレンス「そうか」

男「それと、お金の話なんですが」

言葉と共に商人のそれに頭を切り替える。
目を覚ましたら金が元に戻っている、とも限らない。

450: 2010/06/21(月) 20:19:19.97 ID:LOn01i20
男「お聞きした話で推測するに、ロレンスさんたちのこの銀貨、ええと、トレニー銀貨って言ってましたね。これの価値は、今の時代でいうとこの紙幣一枚とだいたい一緒くらいだと思います」

ロレンス「これは…紙、だな」

男「そうです。ただ、この国の信用において、現在この紙が最も高い価値を持っています」

ホロ「こんな紙きれがかや?」

男「一万円札、といいます。取引に有用なように改良された結果ですね。とにかく、この国で取引をする際にはこのお金を使ってください。国が価値を保障しているので、とりあえず国内で使う分にはこれで十分です。外貨を使う機会は、消費の面でならめったにありません」

ロレンス「…よっぽど豊かなんだな、この国は」

外貨に頼らなくていいのは、物が国内でそろっているからだ。

男「もっとも商売をする上でなら、必要になってくるかもしれません。僕も小遣い稼ぎ程度になら、外貨で儲けたりもしますよ。波を読むのはあんまり得意じゃないんで、ほどほどにしてますが」

451: 2010/06/21(月) 20:28:12.95 ID:LOn01i20
ロレンス「それで、その紙を、俺の持っている金貨と交換するのか?」

男「……」

この取引は明らかに俺に不利だ。

理由は、俺たちの時代でのリュミオーネ金貨を、円に両替したときの相場がわからない。
おそらく純粋に金としての価値で見積もられるだろう。

この紙切れが紙幣として価値があるのは、信用が上乗せされているからであり、同じ理屈で、信用のないリュミオーネ金貨は、ただの金(純粋な金ではない)だ。それだけでは価値がなく、相対的に損をする可能性が高い。上乗せされた信用の価値が、まるごとなくなってしまうからだ。

この時代で金自体の価値が高まっていれば話は別だが、信用を越えられるほどの価値があるかどうか、厳密には測定できないだろう。

ロレンス「かといってそれ以外に俺たちに他に手があるかといえば、ないんだがな」

452: 2010/06/21(月) 20:38:11.88 ID:LOn01i20
男「いえ、当面のお金はいりません」

男の雰囲気が変わった気がした。

ロレンス「……?」

男「その代わり、僕と組みませんか?時間はたっぷりある、と思います。地に足をつけて生きてきた行商人なら、愚直さと狡猾さを兼ね備えた優秀な人材のはず。――――名乗らせてください。僕の名前はユウと申します。この国の言葉で、勇ましいという字を書いて、ユウ」

まるで演説でもするかのようだった。

ユウ「男に生まれたからには成し遂げたい夢がある。さてさて、得てして機会はふとしたときに現れるものです。めぐり合わせもまたしかり。ロレンスさん、夢か現か、せっかくお越しになったこの時代で、どうせ見るなら華麗な夢がいいでしょう?…今日はゆっくり休んでください。明日から、少しずつお話しますよ」

正直な話、胸の奥でうずく衝動を感じずにはいられなかった。

466: 2010/06/22(火) 18:26:12.30 ID:CLkJW9Y0
ホロ「どうじゃ、似合うかや?」

翌日届いた服を着て、くるりと一回転するホロ。
なかなか様になっていた。

ロレンス「…やっぱりちょっと、短いんじゃないか」

どうも裾の長さが気になってしまう。

ホロ「他の雄に見られるのが心配かや?くふ、これでぬしらの視線を釘付けじゃ」

ロレンス「できればお前の口を釘で打ってやりたいよ」

ホロ「ぬしがその気ならいくらでも打ちつけてよいが……やさしくしてくりゃれ?」

減らない口をつまんでやった。

467: 2010/06/22(火) 18:27:03.04 ID:CLkJW9Y0
ユウ「サイズが心配だったんですが、なんとかなりましたね。ツテを辿った甲斐がありました。ロレンスさんも似合ってますよ」

ホロ「うむ、馬子にも衣装とはこのことじゃ」

ユウから貸してもらった服は、紺色の服だった。
『ねくたい』をつけて着る、『すーつ』という品らしい。

ロレンス「少し動き辛いな。首も苦しい」

ユウ「たいてい商談のときはそれを着ます。こっちも思ったよりぴったりでしたね」

満足そうなユウの顔を見て、どうも調子を崩されてしまう。
昨日の表情は確かに商売人のそれだった。
警戒しておいて損はないと思っていたのだが…

468: 2010/06/22(火) 18:30:01.27 ID:CLkJW9Y0
ホロ「しかし、うーむ…」

ロレンス「どうした?」

ホロ「どうも、落ち着かぬ。下がスースーしんす」

ユウ「っ!」

ホロ「ぬし様よ、この時代の娘は」

ユウ「後で買いますよ!それまで我慢してください!」

ホロ「?」

俺たちはそろって家を後にした。

471: 2010/06/22(火) 18:41:14.39 ID:CLkJW9Y0


ホロ「すごいのう!!」

外に出てみると、確かにここが未来の世界だと実感させられた。

ロレンス「何階建てなんだ?あっちもこっちも…。崩れたりしないのか」

ユウ「ロレンスさんたちの時代みたいに、土地が余っていないんですよ」

ロレンス「ずいぶんと道が狭いな。というより舗装されている。どれだけの金がこの町に落とされてるんだ」

ユウ「……」

ユウは何やら難しい顔をしていた。

472: 2010/06/22(火) 18:47:10.79 ID:CLkJW9Y0

ユウ「ロレンスさんたちの時代も、権力機構はえてして腐りやすいものでしたか」

ロレンス「唐突だな」

ユウ「いえ…」

ホロ「ふん、いつの時代も賢人は隠居するもんじゃ。賢者は黙り、愚者は語る。そんなとこじゃろ?」

ユウ「さすがですね」

ユウが何を考えているかは手にとるようにわかる。

ロレンス「俺たちの時代には教会や貴族、国王が大きな力を持っていた。だが、この時代は民衆が力を持っているんだろう?変えようと思えば変えられるんじゃないか」

ホロ「それは早計じゃの」

473: 2010/06/22(火) 18:53:02.23 ID:CLkJW9Y0
ホロ「国を変えようと思うのは生活が逼迫しておるからじゃ。命がかかわるくらいにの。そうでもなかったら大抵は無関心じゃろ。彼奴らの目に映るのは自分の周りの世界だけ、いかにして生活の水準を下げないか。権利を主張するばかりで義務にたいしては後ろ向き、まあ、よくある光景じゃ」

ロレンス「…そういう、ものなのか…」

ユウ「民主制は最高の打ち手ではなく、他に代わりがない暫定的な制度だといわれています。ここに住んでいると、それがよくわかりますよ」

ロレンス「俺たちの時代からは考えられないことだ。人の欲というのは、なんというか、扱い辛いものだな」


ユウの住む家を下りながら、そんな会話を交わした。

474: 2010/06/22(火) 18:59:01.30 ID:CLkJW9Y0

ホロ「わっちらはどこに向かっておるんじゃ?」

道を歩きながらホロが言う。

ユウ「ここは我が国の首都にあたる町です。昨日、パソコンについて話しましたが、その中でも特に情報関係の企業が多い町がここ、渋谷です。僕の父もその一人でして」

ロレンス「人でごった返していて仕事どころじゃなさそうだが」

ホロ「あれをみよ!犬の像がありんす!…いや、もしかして狼かや?あれはこの町を救った英雄かや?」

ロレンス「聖像か。この国は無宗教と聞いたが、確かに人だかりができているな。さぞ有り難味がある像なんだろう」

ユウ「いや、あれはハチ公っていいまして」

そんな感じで町を転々としていた。

475: 2010/06/22(火) 19:07:53.41 ID:CLkJW9Y0
ロレンス「ひゃっかてん?」

ユウ「ええ。物流を仕切る企業が経営する、まあ言ってみれば大型の雑貨屋と思ってください」

しばらく歩いた後、たどり着いたのは大型の建物だった。
中をのぞくと、品揃えに圧巻する。

ロレンス「…二つほど、気になることがあるんだが」

ユウ「なんです?」

ロレンス「まずひとつは、パソコンで世界中の物の流れが把握できてしまうなら、大商会が買い付けに走った品物はほとんど独占されてしまうんじゃないか?市場に新規商会を立ち上げることは困難だろう?」

ユウ「一理ありますが、そこは法律で水準が設けられています。独占禁止法といって、企業間の競争を推進する法案です。もちろん、水準に違反しない程度にはどこの企業も独占を狙ってきますが」

ロレンス「ほう」

476: 2010/06/22(火) 19:14:00.63 ID:CLkJW9Y0
ロレンス「もうひとつは、この国の関税はどうなってるんだ?あれだけのもの、国内ですべて生産しているわけではないだろう?それなのに、この値段だ」

値札を指して言った。

ユウ「うーん…。それは話すと長くなりますね」

ロレンス「?」

ユウ「関税は、一応存在しますが、国同士の協定によって厳しく定められてます。世界としては、自由貿易に向かう方向にあり、基本的に保護政策は弾圧されますね。もちろん、支障がない程度に政策を取ることもありますが…」

ロレンス「よく国内産業から批判が出ないな」

ユウ「もちろん出たこともありますよ」

ロレンス「ううむ」

ユウ「ちなみにこれについて詳しく知りたい人は、国際経済法って本を読んでください」

ホロ「誰に対していってるのじゃ」

ユウ「さてさて」

488: 2010/06/24(木) 23:10:29.54 ID:3nNq4NU0


ユウ「それで…僕はちょっと用事があるので、その、ホロさん」

ユウとホロがなにやら話している。
ホロが横目で俺の方を見ながら、かすかに笑っていたのは気のせいだろうか。

ホロ「というわけじゃ、ぬしよ」

ロレンス「何がだ」

ホロ「ぬしはわっちと買い物じゃ」

ロレンス「買い物?ユウはどうするんだ」

ユウ「すいません、ちょっと予定が。ホロさんにカードを渡しておいたので、適当に使ってください」

ロレンス「かーど?」

ユウ「証書みたいなものです。あと、これ」

渡されたのは小さな筒のようなもの。
それが携帯電話だとわかるくらいには、この世界の話は聞いていた。

489: 2010/06/24(木) 23:13:01.76 ID:3nNq4NU0

ホロ「ほれ、早く」

ロレンス「お、おい」

俺はなされるがままにホロに手をひかれる格好になった。

ユウ「家に帰るのが遅くなるようでしたら、連絡してください」

どうにも胡散臭い。
ホロの表情は読み取れないが、過去の経験が何やらよからぬものを感じている。

ロレンス「ホロ、何を吹き込まれたんだ?」

ホロ「黙ってついてくればよい」

口を割る気はないようだ。

490: 2010/06/24(木) 23:19:57.98 ID:3nNq4NU0
百貨店の中は大勢の人数でにぎわっていた。
心なしか、ホロくらいの娘が多い。

ロレンス「あいつは俺たちに、買い物をさせるために連れてきたのか?」

ホロ「なに、言葉は通じるんじゃ、わからぬことがあれば人に聞けばよかろう?」

ロレンス「どうにも腑に落ちない。ユウは経営者の卵だ。おそらく指折りの。俺たちを使って何を企んでいるかわからないが、これだけの振る舞いをする以上は何かしらの利益を見込んでいるに違いない。最初はお前をダシに何かやるつもりなのかと思ったが…」

ホロ「くふ、わっちらはこの時代では赤子も同然じゃからの。可愛いわっちくらいしか、商品として価値がないと判断するのも頷ける」

ロレンス「お前はこの世界ではただの娘みたいだ。俺たちをだました結果、どこかに売り飛ばされる危険もあるかと考えたが、ここは力を持った国家みたいだからな。話では奴隷商も犯罪行為だと聞く」

491: 2010/06/24(木) 23:22:59.04 ID:3nNq4NU0
ホロ「ならば何を望んでおるんじゃろうな」

つかつかと道を歩くホロ。

ロレンス「わからない。やはり現状に対して俺たちはあまりにも無知だ。そう考えるとこのカードもおちおち使ってはいられなくなる。借りは返さなければならないからな」

瞬間、ホロがぴたりととまった。

ホロ「くふ、わっちの身体に頼ることがないようにの?」

ロレンス「…勘弁してくれ」

反応を伺って言葉を投げるのはやめてほしい。

493: 2010/06/25(金) 00:10:42.23 ID:GANF94I0

ロレンス「ところで、だな」

動く階段を歩きながら声をかける。

ホロ「なんじゃ?」

ロレンス「お前はこうして俺の話を聞けている」

ホロ「?」

何を言いたいのかわからないといった表情だ。

ロレンス「それでも、お前の耳はなくなったままだ。一体どうやって…」

ホロ「ぬしよ」

その瞬間のホロの目は、なんともいえない冷たさを宿していた。

494: 2010/06/25(金) 00:16:24.61 ID:GANF94I0
ホロ「世の中には決して開けてはならぬ箱がある、という話を聞いたことがあるかや?」

ロレンス「あ、ああ」

ホロ「ぬしらの言葉を借りるなら、確か、この世のあらゆる悪意がそこには封じられていたが、最後に希望が残った、とかいう話だったと記憶しておる」

ロレンス「ず…いぶんと大仰な物言いだな」

口を指で押さえられた。

ホロ「よもやないとは思うが、ぬしがもしもこの髪の下を覗こうとしたものなら、そこに希望は残らぬ、と思うがよい。開けてはならぬものは、やはり開けてはならぬ。いくらぬしでもな」

ロレンス「わ、わかった…よ」

ホロ「聞こえているものは聞こえておるんじゃ。それでよい」

次の瞬間には元の表情に戻っていた。

495: 2010/06/25(金) 00:24:05.21 ID:GANF94I0

ホロ「ぬし、ここじゃ」

ロレンス「…ここは」

店員「いらっしゃいませ」

ホロ「ぬしさまよ、ここは何の店かや?」

わざとらしくホロが口を開く。
俺だって馬鹿じゃない。
たとえ俺たちの時代にないものでも、なんとなくその場所がどういう場所で、そこに行く者は周りからどういう目で見られて、くらいはわかる。

はめられた、と直感した。
周りを見ると、ホロと同年代くらいの娘が、俺を見て何やら話している。

店員「え?は、はい。下着売り場でございますが…」

頭を抱えてしまう。

496: 2010/06/25(金) 00:28:10.36 ID:GANF94I0
ロレンス「さっきここの場所をユウに聞いていたのか…」

ホロ「くふ、どうしたんじゃ?一緒に見て回りんす?」

隣には意地の悪い笑顔をもらす狼がいた。

ロレンス「…あいつには後でいろいろと、話すことがありそうだ」

その狼はこともなげに、くつくつと笑っていた。

ホロ「うーむ、しかしこういった趣向は好きじゃ。やはり時代に合った感覚は必要じゃの。それに、真に高貴なものは、人から見えぬところまで高貴であるべきじゃ。そうじゃろ?」

ロレンス「……」

ホロ「くふ、どうされた?ぬし様?」

どこに目をやっていいかわからない。
だいたい、俺以外の男はこの空間に存在しないのだ。
どういう表情をしていればいいかもわからない。

497: 2010/06/25(金) 00:34:48.74 ID:GANF94I0
ロレンス「お、俺は他の店を見てくる」

瞬間、がちっとホロに手をにぎられる。

ホロ「何を言うておる。わっちだけで選べというのかや?」

ロレンス「俺がここにいる必要はないだろう!」

店員「お客様、どうかされましたか?」

思わず大声を出してしまい、先ほどの店員が近くに寄ってきた。

ロレンス「い、いえ、特には」

ホロ「ごほん、どうせぬしさまも夜な夜な見ることになりんす。一緒に選んでおいたほうがよかろう?それとも、その時まで伏せておく方が好みかや?」

あえて店員に聞こえるようにその言葉を発し、続いて店員が苦笑して俺を見る。おそらくあらぬ想像を巡らせているんだろう。問題なのはそれもホロの計算のうちという点だ。

まったく、どこまで頭が回るんだ。

498: 2010/06/25(金) 00:40:19.92 ID:GANF94I0
ロレンス「誤解されるようなことを言うな」

ホロ「淡い色が合っておるかの?うーむ、しかし地味じゃ。高貴なわっちにはやはりそれに備わった色がよい。ぬしさまよ、琥珀色のものはないかや?」

店員「それでしたらこちらに…」

俺を無視してホロはぺらぺらとしゃべる。
次々と下着を手に取っては、ときおり横目でこちらの様子を伺っている。
お手上げだ。

ホロ「…柄が趣味でないのう。ここはあえて黒なんてのはどうじゃろう?くふ、ぬしには悪魔などといわれたこともあったからのう。…ぬし、どれがよい?」

ロレンス「どれでもいいだろ」

ホロ「どこを向いておる。ほれ、しっかり見てくりゃしゃんせ?」

ロレンス「……」

499: 2010/06/25(金) 00:46:33.66 ID:GANF94I0

どうにもこうにも周りの視線が気になって集中できない。

ロレンス「お、お前が好きな色でいいじゃないか、俺の好みは関係…」

ホロ「ぬしに見てほしいんじゃ…」

上目遣いの使い方に関しては、この賢狼に勝る者はそういないだろう。
もしかしたら本当に一人もいないかもしれない。

ロレンス「……く、黒、とか」

ホロ「……くふ、やはり黒はよくないかや?では黒以外のものを」

そう言ってホロはすまし顔で、俺の意見以外の下着を店員に渡した。
完敗だ。いろんな意味で。

ホロ「ぬし、どうされた?何を残念そうな顔をしておる?」

にやにやと笑う様が腹立たしい。

ロレンス「そんなに俺をいじめて楽しいか」

ホロ「単純にからかってるだけじゃ」

500: 2010/06/25(金) 01:01:50.29 ID:GANF94I0
ホロ「あっという間の一日じゃったの」

帰り道、『わんぴーす』を着ながらホロが言った。
下着売り場に行ったあと、いろいろ見て回っているうちに陽が暮れてしまった。

制服だけでは、という話になっていくらか服も購入したのだ。

ロレンス「いろいろ見て回ったからな。ユウに何て言われるか。結構な金額になってるはずだ」

そうは言うものの、ホロの性格くらいユウも見抜いていることだろう。
それでいてカードを貸してくれたんだから、あまり気にする必要はないように思えた。

ホロ「しゃしん、と言ったかや?あれは面白かったのう。あの小さな箱の中に絵描きが住んでおるかと思った」

ロレンス「正確にはぷり…なんとかというらしい。この時代の娘に人気の機械だとか」

俺には何がいいのかはわからなかったが、ホロは大切そうにその紙を眺めていた。

501: 2010/06/25(金) 01:08:02.28 ID:GANF94I0


ロレンス「それで、相談なんだが」

ホロ「…謀(はかりごと)かや?」

こちらを見ずにホロが言う。
頭を切り替えるにはちょうどいい。
頃合だ。

ロレンス「すでに謀られているかもしれない。なら、俺にできるのはここぞという場所でその立場をひっくり返す算段を練ること」

ホロ「ぬしは本当に頭から足の先まで商人じゃのう。たまにはのんびりできんのかや」

ロレンス「俺が駄目になっていくところを見たいか?」

ホロ「そうは言っておらぬ」

どこか不機嫌そうな物言いだ。

ホロ「…わっちにだって、浸っていたいときがありんす」

ロレンス「ん?」

ホロ「ぬしは鈍いの」

よくわからない。

502: 2010/06/25(金) 01:13:05.30 ID:GANF94I0
ホロ「わっちの意見を言っていいかや」

ロレンス「差し支えないならぜひ」

ホロ「彼奴は謀っておらぬと思う」

ロレンス「根拠は?」

ホロ「ない。が、おそらくわっちらを捕らえてどうこうとか、騙してどうこうという面はしておらんかった」

ロレンス「お前が他人に対してする評価としては珍しいな。そんなにあいつが気に入ったか」

ホロ「嫉妬かや?」

ロレンス「商人としての、な」

ホロ「雄としては?」

ロレンス「負けてないと思うがな」

ホロ「ほう、かぶいたの?くふ、せいぜい頑張ってもらおうかや」

気づいたときには腕を組まれていた。

503: 2010/06/25(金) 01:24:42.84 ID:GANF94I0
ロレンス「お前の勘は確かに頼りになる。だが、商人としてはどうしても裏が取れないと信用に足りない」

ホロ「わかっておる」

ロレンス「あいつからは経営者としての才を感じた。仮にあいつが何か新しい商売を始める気でいるとして、俺たちに損はないとしても、有益な何かを引き出そうとしていることはわかるんだが」

ホロ「わっちらにはそれに見合う相応の対価がない、ゆえに不安になる」

ロレンス「身体の隅にまで染み込んでるんだよ。俺たち商人にとって、得と損とは表裏一体でしかるべき、とな」

ホロ「難儀な生き物じゃ」

ロレンス「それがわかるまでは安心できない。まぁ、とはいっても今のところ流されるしかないんだが、他のことにかまけていたことが理由で転びたくはないからな」

ホロ「わっちはこの世界ではただのか弱い小娘じゃ。狼になってぬしを救うこともできぬ。それくらいの用心は必要じゃろう」

ロレンス「ああ。いざとなったらお前を守るのは俺だからな」

ホロ「ならば今回はぬしが狼になってくれるのを期待しておこうかの。じゃが、化けるのは夜にしてくりゃれ?あと、優しく…の?」

できないのがわかっていてこういうことを言うのだから、まったく手に負えない。

帰路には夕暮れの風が吹いていた。

515: 2010/07/03(土) 00:37:34.23 ID:1sP3Uco0



(ロレンスさん)

しばらく経ったある日。

夜中に声がした。

隣ではホロがだらしない格好をして寝ている。

声の主はわかっていたので、毛布をかけて扉を開いた。

_______________________


ロレンス「連れが眠るのを待っていたな」

居間に通されて座る。

ユウ「多勢に無勢、という訳ではありませんが」

その言葉が示すのは商談開始の合図。

どの時代でも言い回しはそうそう変わらぬものらしい。

ロレンス「あれでいてよく口が回るからな」

ユウ「ええ、口が回れば頭も回る。そして僕たちは」

ロレンス「無論、金を回す、だろう?」

久々の壇上で、お互いのナイフを研ぐようなこの雰囲気が俺は好きだった。

どうやら相手もそうらしい。

516: 2010/07/03(土) 00:47:50.95 ID:1sP3Uco0

ユウ「さて、どうですか、この世界は」

ロレンス「いささか切り口がいびつすぎやしないか?」

ユウ「これは単純な感想を聞いてるだけですよ」

商談になるととたんにこの雰囲気だ。

もしかしたら普段のおどけているこいつは演技なのかもしれない。

試されている、と俺の中の商人の頭が揺れる。

ロレンス「正直、俺が商売するには向いていないと感じた。あまりにも産業が成熟しすぎている。お前の金で何回か周らせてもらったが、常に発見の毎日だ。つれは喜んでいたが」

ロレンス「どの商品も、基本的には需要の前に供給が来る。あとはいかに買わせ、消費させるか。シャンプー、と言ったか?髪を洗う道具であれだけの種類、俺たちからしたら正気の沙汰じゃないな」

ユウ「仰る通りだと思います」

517: 2010/07/03(土) 01:06:56.32 ID:1sP3Uco0
ロレンス「俺は行商人だったからな。基本的には、自分で仕入れて自分で売る。そのための知識はもちろん頭に入れてあるが、これだけ市場が拡大されていると、そうもいかない。とても一人で抱えきれる量じゃない」

ユウ「そして一定以上の儲けを出すための資本とノウハウは、大手商会が抱えています。この国の就業制度については話しましたよね?」

ロレンス「ああ」

一瞬旅の途中で出会った、賢い小僧のことを思い出した。
弟子にしようか迷ったほどのあれが、この時代に生まれていたらどうなっていたんだろう。

ユウ「そう。僕は別に制度それ自体については疑問を持ちません。彼らは資本と頭脳を投じて利益を得る。そこにはもちろんたゆまぬ努力が必要であり、評価されてしかるべきだ。ロレンスさんが行商人として独り立ちしたように」

ロレンス「皮肉に聞こえるのは気のせいかな」

ユウ「……」

519: 2010/07/03(土) 01:15:54.33 ID:1sP3Uco0
ロレンス「そうして育った大商会なら、利益はそれこそ根こそぎだろう。残りにできることは、せいぜいゴミっかすでその場しのぎの利益を得ること」

ユウ「そうだとしても、おそらくロレンスさんたちの時代よりは、この日本のほうが豊かな国のはず。しかし、人はそれでも納得しない。少なくともこの国の人は。なぜだと思いますか?」

先日、ホロが言っていた言葉を思い出した。

ロレンス「自分が、持たざる者だと思ってしまうから」

ユウ「ご名答です。たとえ1000年前と比べて豊かであってとしても、いや、同じ時代の中で富んでいる存在であったとしても、彼らは嘆く」

ロレンス「上を向いて歩ける人間はいつの時代も僅か、か」

ユウ「ええ」

520: 2010/07/03(土) 01:26:22.95 ID:1sP3Uco0
ユウ「ではもっと根本的な質問をします」

どうにも演説ぶった言い方だった。

商談になると口調が変わる商人は珍しくないが、ここまであからさまなのは初めて見る。

ユウ「彼らはなぜ、下を向いて歩くのでしょう」

ロレンス「…俺は神学者じゃない」

説法じみた物言いについつい反論してしまった。

ユウ「神学?…それはそれで言い得て妙ですね。古来神学は哲学と同一視されることもあった。もちろん、方法論としての話ですが」

ロレンス「ユウ、この国の人々は無神論者じゃなかったのか?説法なら俺たちの時代でしてきたほうが儲かると思うがな」



ユウ「…………ロレンスさん、もう言葉はそろってると思いませんか?」





ロレンス「何を言っている?



……………いや、まさか」



口を手で押さえてしまうのは思いついたときの癖だった。

521: 2010/07/03(土) 01:33:46.49 ID:1sP3Uco0
ロレンス・ユウ「「できるはずがない」」

はっとして見上げた先には、恐ろしいほど真剣な顔をしたユウがいた。

俺の言葉を読んでしてやったりといわんばかりの表情で。。

ユウ「ロレンスさんがそう思うのも無理はありません…………でした。

ふふ、過去形なのは、1000年前から来たあなたならわかるでしょう?『できるはずがない』、がいかに無力な言葉かを」

ロレンス「………」

この時代には俺たちの時代からは創造もできなかった商売やモノがあふれている。

それはこの数日、目の前にいるユウの金を使って、散々学んだことだ。

俺たちの子孫は、できるはずがない、を何回も乗り越えて、この世界を作り出してきたのだ。

ロレンス「……だから俺たちを泳がせた」

ユウ「無知は罪でしょう?」

522: 2010/07/03(土) 01:46:22.73 ID:1sP3Uco0

ロレンス「『それ』の目的は何だ」

ユウ「僕はこう見えても善人なんです。自慢に聞こえても構わないですが、これ以上豊かな生活は必要ない」

ロレンス「……」

ユウ「本当ですよ。商人は金を墓には持っていけません。なら僕は、墓に刻む名は名誉あるそれがいい。だから、そうですね、名がほしいんだと思います。人が金の次に欲しがるのはいつだってそれでしょう?」

ロレンス「それは持てる者の言い分だ」

ユウ「いいですよ、それでも。ただロレンスさん、信じてください。人なら誰だって英雄にあこがれる。それ自体にはならなくとも、国の人たちの標を作れるなら、それはそれで幸せなことだ」

その言葉を放つユウの目は、確かに澄んでいて、幼い少年のようだった。

ロレンス「………最初から商売目的ではなかった」

ユウ「ええ。人が上を向いて歩けるように」







ユウ「この国に神を造る」





変わらない澄んだ瞳で、無神論者の少年はそう言い放った。

523: 2010/07/03(土) 01:55:20.57 ID:1sP3Uco0
ユウ「ちなみに、ロレンスさんは神を信じますか?」

ユウが冷蔵庫からぶどう酒を取り出しながらその質問がされる時には、部屋で寝ている狼が気になっていた。

ロレンス「何を持って神とするかは別として、なら。似たような類の存在に出会ったことはある」

俺の言葉はほとんど聞いていないようなそぶりで、ユウはぶどう酒を注ぐ。

ユウ「僕は信じていないんですよ。小さいころから一度も信じたことがない」

差し出されたぶどう酒はそれこそ血のようだった。

525: 2010/07/03(土) 02:07:11.90 ID:1sP3Uco0

ユウ「最初は神を信じている人は弱い人だと思っていた。

何かにすがらなければ生きていけない人たちの集まりだと思っていたんです。

でもそうじゃない。人は等しく弱い存在だった。

強い人などいない。傷が見えるか見えないかの差です。

挫折したり、裏切られたり、傷つけられたり、誰しも自分一人では解決できない。

かといって、誰かが解決してくれるわけでもない。

しかし、問いかけたそのとき、答えてくれる存在がいたら?

彼らと唯一違うのは、絶対的に信じられるものがあるかないか。

宗教戦争の話をしましたね?すがるべきもの、信じるものがある人はそうやって答えまでたどり着く。

僕はこの国の自殺者が多いのは、無宗教だからだと本気で思っています」

ロレンス「だがそれで、誰しもが納得できる結果になるほど世界はうまくできていない」


その言葉と共に、ユウはこれ以上ないほどの笑みを浮かべた。


ユウ「ロレンスさん、世界は僕たちの中に作るんですよ。最初に会ったときに言ったでしょう?」

ロレンス「っ!」




胡蝶の夢。

大切なのはその場その場で自分にできる限りの現実を享受すること。

どちらの場合にも己を肯定して、あるがままを受け入れる以外にない。


ユウ「ならば不幸な人々が、あるがままを受け入れ、幸せになるために最もよい方法はおのずと分かるはず」

ロレンス「………」

526: 2010/07/03(土) 02:26:45.65 ID:1sP3Uco0
ユウ「信じる者は救われる、とはよく言ったものです。残念ながら、僕はそれに肖れませんが」

ユウ「さて、ここからが資本主義、民主主義のいいところです。




この国では、神を金で買うことができる」



トレニー銀貨をはじきながらユウは続ける。

ロレンス「……権利を買い付けるつもりか」

ユウ「それはそんなに驚くことじゃないでしょう。古い神の多くは守銭奴だった、正確にはそれに仕える者たちが、ですが。ならば神としても、民に調和をもたらすことをご所望では?

ロレンスさん、物質や資本に支配される時代は過ぎ行こうとしています。これからは心に投資する時代。僕にできることといえば、この世の中に小さな蝶を羽ばたかせることくらい、ですが」

527: 2010/07/03(土) 02:27:37.36 ID:1sP3Uco0
ロレンス「その絵空事の中で羽ばたく蝶は、どうやって仕入れるつもりだ?よもや、お前が舞うなどとは言わないだろうな?悪趣味にも程がある」





ユウ「なあに、仕入れた繭は立派に孵化してくれましたよ。可憐に舞っているところを何度も見ましたからね」





心臓が張り裂けるような感覚に襲われた。

頭痛がひどい。

とっさに寝室を振り返ってしまった。

ユウ「さしずめ、ロレンスさんは甘い蜜になってもらいましょう」

ロレンス「馬鹿な」

ホロが寝ていてくれることをこのときより願ったことはない。

528: 2010/07/03(土) 02:35:22.23 ID:1sP3Uco0
ユウ「彼女、反対すると思いますか?」

ロレンス「当たり前だ!」

ユウ「なぜ?」

ロレンス「それは……っ」

言い返せなかった。

かつて神として崇められていた賢狼も、この世界ではただの娘。

証明する手立てなどない。

ロレンス「あいつは……そういう、存在じゃない」

それが精一杯だった。

529: 2010/07/03(土) 02:43:10.92 ID:1sP3Uco0
ユウ「……」

それでも、ホロが神だった頃に味わった想いを、今ここでもう一度させるわけにはいかない。

損得ではなく、そのために俺はあいつと旅をしてきたんじゃなかったのか。

ロレンス「崇められる者の気持ちがわかるか?対等に話すべき者もいない、気を利かせれば気まぐれ、そんな扱いをされるやつの気持ちがわかるか!?…いや、お前でも少し頭を回せばわかるはずだ!孤独は氏に至る病、お前ほどに経営を学んだ者なら…」

ユウ「これは商売じゃない。それに」

少し語気を強めた口調。そして、

ユウ「あなたがいるじゃないですか」

ロレンス「…っ…それでも!」

続ける言葉は持ち合わせていなかった。

530: 2010/07/03(土) 02:48:22.58 ID:1sP3Uco0
ユウ「……ふう、ちょっと疲れましたね」

気づけばユウのぶどう酒はすっかり空になっていた。

ユウ「今日はもう遅い。僕のナイフは全部投げきりました。後は二人でしばらく話し合ってください」

そして、口調も以前のそれに戻っていた。

会ったときと同じ、無垢な口調。

ユウ「もともとこの話に強制力はないですからね。少年の夢を語ったまでです」

ニコリと笑うその様。

俺はこのとき、この世で最も恐ろしい種類の生き物を理解した。

その澄んだ瞳には一点の迷いも、狡猾さも、騙しもない。

気づけば、俺のナイフはもうすっかりその瞳に飲み込まれていた。

531: 2010/07/03(土) 02:53:51.51 ID:1sP3Uco0
そしてその生き物は、

ユウ「ロレンスさん」

寝室の扉のしまり際、こともなげにこんな台詞を吐いた。







ユウ「いい夢を」






扉が閉まる音。

重くて暗い、幸ある夢が、産声をあげる瞬間だった。

540: 2010/07/04(日) 07:29:09.38 ID:nfhzqLE0
小奇麗なベッドに座る。

こんなときにも高級感を出す寝具が、とびっきりの皮肉を浴びせているような気がした。

ロレンス「神を造る」

笑わせるなともいえない。おそらく、できるんだろう。

だとしても、俺が知っているかつての造られた神は、才はあっても万能ではなかった。

それを知っている自分が、どんな理由があって加担できよう。

「神はいつの世も大盛況じゃな」

そして、起きてほしくないことは、やはりすんなりと起きる。

541: 2010/07/04(日) 07:29:36.29 ID:nfhzqLE0
気づけばホロが真後ろに座っていた。

この時代は寝巻きを着て寝るのは貴族だけではないらしい。

小さな狼が描かれた、上下同じ柄の服を着ていた。

ロレンス「お前」

ホロ「言わぬでよい。ぬしが何を考えてるか、わっちでなくともわかりんす。ぬしらといっしょじゃ、聞きたくない、聞かなくてよい、そういうことほど耳は尖る」

ロレンス「耳はなくなっても、やっぱり聞こえるんだな」

ホロ「たわけ」

こつんと頭をぶつけられる。

ホロ「守ると甘やかすのとは違いんす。嬉しいかと聞かれれば嬉しいが、わっちもぬしと頭を並べさせてくりゃれ?孤独は氏に至る病、じゃ」

ヨイツの賢狼はいつだって聡明だ。

齢を重ねれば、俺もこんな風になれるのだろうか。

542: 2010/07/04(日) 07:30:12.27 ID:nfhzqLE0
ホロ「しかし、わっちを蝶とな?くふ、まったく、たわけた小僧じゃ」

自嘲気味にホロが言う。

ホロなりにユウの才覚は認めているらしい。

曲がった言い方とはいえ、蝶といわれることに抵抗はないらしい。

尻尾があったら揺れているだろう。

ロレンス「何せ、お前は蜜には目がないからな」

ホロ「ふん、じゃがぬしが蜜ではのう。たしかに甘いが、甘すぎて飽いてしまいそうじゃ」

ロレンス「俺だってお前に吸われるためにいたわけじゃない。そっちが飛んできて、荷馬車に紛れ込んでいたんだろう?」

ホロ「うまそうじゃったからの。しまいにはそっちから蜜を運んできてくれるようになった」

重い雰囲気のときほど会話は軽快に、は二人の間の決まりだった。

543: 2010/07/04(日) 07:30:57.22 ID:nfhzqLE0
ホロ「わっちらの知っている神も、時代のどこかで氏んだんじゃな」

しばらく雑談して、不意に、うつむきがちにホロが言った。

氏んだ、という表現は刺すように的を射た表現だと思った。

ロレンス「この国にいた神は、俺たちの知っているそれじゃない。それに、まだどこかの国では生きている」

ホロ「そうではない」

ホロ「確かに、神は氏んだんじゃ。人が技術と知恵を身につけて、静かに朽ちた」

つぶやくようにそう言った。

544: 2010/07/04(日) 07:31:35.81 ID:nfhzqLE0
ホロ「いるかもしれないが、いないかもしれぬ。そんな曖昧な存在に身を預けられる時間はとうに過ぎたんじゃ。彼奴らは自分で生きていけるようになった。だから捨てた」

ロレンス「ホロ」

ホロ「取り乱してはおらぬ。大丈夫じゃ」

ロレンス「……」

ホロ「わっちはな、確かに忘れられていたことに寂しさを覚えていたし、怒りもあった。じゃが、一方で独り立ちできた彼奴らを見守りたいという想いもあったんじゃ。もう、いなくても平気じゃと。だから旅にも出られた。後ろ髪をひかれることはないと分かっていたからの。実際、目の前でしっかりと決別を告げられたしのう」

自嘲気味にそう言った。

545: 2010/07/04(日) 07:32:05.60 ID:nfhzqLE0
ホロ「長い時間を生きていて、求められる経験は幾つかあったが、最近思うんじゃ。例え捨てられたとしても、それはわっちがいたからかもしれぬ。わっちがいたことで、何かしら与えられたものはあったのやもしれぬと」

ホロ「神になりたいなどとは思わぬ。断じて思わぬが、与えたいとは思うんじゃ。わっちも、生きているから。それはおかしいことかの?」

賢狼が相談をすることはめったにない。

いや、初めてのことのように感じた。

ロレンス「それは、思わない」

次には口が勝手に動いていた。

ホロ「くふ、不思議じゃの、耳と尻尾が取れて思うのは、わっちもまだまだ小娘だと思ってしまいんす。まったく、ぬしらと変わらぬ」

ロレンス「……」

546: 2010/07/04(日) 07:32:33.11 ID:nfhzqLE0
ロレンス「だがそれは本当にお前がしたいことなのか。犠牲にした上での選択じゃないのか。かつてお前は俺に言った、孤独は氏に至る病だと。俺だっていつまでも……」

失言であったことに気づいたのと、手が口にあてられていることに気づいたのはほぼ同時だった。

ホロ「誰かがいなくなって後悔するのも、誰かに必要とされなくなって後悔するのも、後悔するまでが充実していたからだと思わぬかや?」

ロレンス「……与えることが、本当に幸せなのか?」

ホロ「わかりんせん。わっちは神として崇められていたがよ、神ではない。神と呼ばれる存在も、少なくともわっちが生きていたなかで出会うことはなかった。たぶんこれからも。そしてわっちも神にはなれぬじゃろう。しかし、標を翳すことはできるやもしれぬ。誰かを生かすことはできるかもしれぬ」

547: 2010/07/04(日) 07:33:05.48 ID:nfhzqLE0
ホロ「わっちは、欲張りかの」

さっきからこちらを見ていないのは、本当に迷っているからだろう。

ロレンス「…やっぱり駄目だ。仮にこのままこの世界にいるとしても、俺とお前でなら、時間をかければこの国でも暮らせるようになるだろう?二人で、ここで暮らせばいいじゃないか。その幸せは無価値なのか」

嘆くような物言いになってしまった。

ホロ「ほう、こんなところで告白されるとはの」

ロレンス「ホロ、俺はまじめに言っているんだ」

ホロ「…あの小僧はぬしも思ったように、憎たらしいほど純粋じゃ。信じてみたくなった、というのが本心じゃ。寂しくは、ならない………ぬしは、隣にいてくれるじゃろ?」

ロレンス「当たり前だ」

ロレンス「それでも俺は」

ロレンス「俺はお前が傷つくところはもう見たくない。誰かに傷つけられてからじゃ遅い」

548: 2010/07/04(日) 07:34:01.23 ID:nfhzqLE0
ホロ「………今宵のぬしは珍しく男前じゃの」

ロレンス「ホロ」

ホロ「くふ、臭いなどとは言わぬ。素直に、嬉しい」

目を見ては言ってくれなかった。照れ隠しなのか、落ち着かない様子だ。

ホロ「そういう言葉は取っておくもんじゃ、たわけ」

裾を引っ張られる。さすがに演技ではないだろう。

549: 2010/07/04(日) 07:35:13.84 ID:nfhzqLE0
ホロ「………こほん、さて、わっちはあの小僧がいうように、口も回れば頭もまわりんす」

ロレンス「?」

急に話題が変わったような気がした。

ホロ「どうやら、わっちの口と頭はくっついておるみたいじゃ。どちらかが回ると、もう一方も回らずにはいられぬ」

ロレンス「あ、ああ」

ホロはつかんだ裾を離さない。

ホロ「じゃから……口が回ってしまうと、考え事についても頭から離れなんだ」

ロレンス「俺も経験がある。悩み事があるとき、人に話していると楽にはなるが、一方で悩みが頭から離れなくなったりする」

ホロ「……そういう話でない………たわけ」

ロレンス「え?」

550: 2010/07/04(日) 07:36:30.82 ID:nfhzqLE0
ホロ「そういうときはどうするんじゃ」

ロレンス「……黙っていれば、考えなくて済む?」

ホロ「たわけ」

ロレンス「さ、酒を飲む」

ホロ「たわけ!」

そんなに引っ張られたらシャツがちぎれてしまう。

明らかに何かを期待している。

551: 2010/07/04(日) 07:37:14.04 ID:nfhzqLE0
ロレンス「よ、要するに、口を回さないようにするんだろ?こうやってふさげば…」

差し出した手をはじかれる。

ホロ「……」





ロレンス「痛っ、……どうしろっていうんだよ!

まったく、いきなり子供みたいに…………………………………っ!」





次の瞬間には、確かにホロの言葉通り、口をふさがれた者の思考は止まるんだなと実感していた。

ホロ「……勘違いするでない、今のはぬしに手ほどきを教えただけじゃ」

ロレンス「め、面目、ない…」

552: 2010/07/04(日) 07:38:18.43 ID:nfhzqLE0
ホロ「それで?」

ロレンス「え?」

まだ何かあるっていうのか。

ホロ「このわっちに恥をかかせたからには誠意を見せてくりゃれ」

ロレンス「……最初からストレートに言えばいいだろう」

ホロ「誠意を見せてくりゃれ!」

ロレンス「わ、わかったよ…。しかしこんなので、本当に嬉しいものか?」

雰囲気も何もあったものではない。もちろん、自分のせいなのだが。

ホロ「それも勘違いするでない。さっきのはさっき、これはこれじゃ」

ロレンス「?」

553: 2010/07/04(日) 07:38:56.78 ID:nfhzqLE0
ホロ「つまりじゃの、先ほど言ったように、まだわからぬが、これからわっちらはあの小僧に加担する可能性がありんす。そうなったときにじゃの、その、ぬしがわっちの側でわっちを守る騎士であるべきじゃと、このヨイツの賢狼は思う」

ロレンス「あ、ああ」

ホロ「いわば騎士と皇女のような関係じゃ。と、くれば何か?契約じゃ。そして、契約とくればなんじゃ」

ロレンス「……………」

要するに、何か理由が欲しいだけなのだ。

まったくそこらの皇女よりよっぽど気難しい。

554: 2010/07/04(日) 07:40:44.75 ID:nfhzqLE0
ロレンス「……わかった、契約するから」

ホロ「うむ」

満足げだった。

ロレンス「目をつぶってくれ」

ホロ「……む?」

ロレンス「さすがに開けたままするほど無粋じゃない」

ホロ「う、うむ、そ、そうじゃな……」

ホロの手をつかんで体を引き寄せると、静かにホロは目を閉じた。

555: 2010/07/04(日) 07:47:32.44 ID:nfhzqLE0
ホロ「こ、これは思ったより堪えるの。待ちんす、ぬしよ、あまり驚かさないように…………



…………え」




ロレンス「どうした?終わったぞ」

ホロ「………ぬし」

ロレンス「契約は手の甲にするものだろう?騎士には皇女の唇は奪えない。身分が違うからな」

ホロ「…………………体を引き寄せたのは」

ロレンス「雄の余裕ってやつだ。この時代ではお前は小娘…………お、おい」

ホロ「ぬしよ、わっちは今信じられぬほど頭が回っておる」

ロレンス「……は、はい?」

ホロ「それで分かったんじゃがの、今のは立場が逆じゃ。……やはり目を閉じるべきなのはぬしの方じゃった。今度はわっちがぬしの目を塞ぐ」

ロレンス「ま、待て、わかった、少し冗談が過ぎた、お前が素直じゃないから」

次の言葉はとうとう発せられなかった。

それからの応酬は、想像にお任せするとして、夢ならばせめて痛みも取り除いてほしいと感じた。

593: 2010/07/10(土) 22:34:27.55 ID:Oi/WqGU0



それからの日々は淡々と過ぎていった。

ユウは言葉通り催促する様子もなく、ホロはホロでこの生活にかなり浸っているように見えた。

最も、胸中で考えていることはひとつだっただろうが。

俺はというと、さすがに居候を続けるわけにはいかず、
ユウの父親が経営しているという商会の手伝いに勤しんでいた。

ユウ「ロレンスさんならすぐに慣れますよ。それに、この世界のこと、商人としても知りたいでしょう?」

確かにその言葉通り、雑務ではあったが、得る知識は書物に書いてあることや、ネットに書いてあるそれとは比較にならなかった。

ホロ「ぬしよ、このままあやつの元で働いてはどうかや?それこそか弱い羊のようにの」

寝るときに恨み節とも取れるような言葉をかける狼。

594: 2010/07/10(土) 22:35:05.63 ID:Oi/WqGU0
おそらくきっかけがなかったんだろう。

神を生み出すという試み。
現状では俺らもユウも次の一手を出し惜しんでいる。

かといって期限があるわけでもない。この点においては、情勢は拮抗していると言えた。

ロレンス「そもそも商売ではない、か」

神を営むにも金はいるが、常識とは少しずれた範囲でのことだ。

ホロに関しても、いまだ結論は出せずにいる。

595: 2010/07/10(土) 22:36:35.87 ID:Oi/WqGU0

ある日、仕事も落ち着いた俺は町の探索に出かけることにした。

ホロ「んむ、では気をつけての」

布団から出てくる様子はない。

前日にはユウの紹介でとある酒場で朝まで過ごしていたから、その名残だろう。

ロレンス「また二日酔いか。この状況で最も堕落しているのは誰だ?毎日毎日、飲んでは遊びの繰り返しだろう?少しは脳みそを使ってみたらどうなんだ」

ホロ「ふん、じゃからわっちだって頭を痛めておる。実に悩ましい。ゆえに頭が痛い。かようにの」

ロレンス「楽な商売だよ、まったく」

596: 2010/07/10(土) 22:37:23.98 ID:Oi/WqGU0
とはいえ、たいていのことは身についている。

時代は変われど、人の関心はなかなか変わらぬらしい。

一通り街を回った俺は、ゲームセンターに足を運んでいた。

以前ユウに教えてもらった、麻雀とかいうゲームである。

これが中々にして奥が深く、商売の駆け引きと似ている面もあり、ユウやホロと一緒に朝まで興じたこともあった。

ロレンス「まったく、何をしてるんだかな……」

頭では件の話について、考えなくてはならないことは分かっているのだが、どうにも考えがまとまらない。

ホロは神にはなれないが、標は示したいと言う。

ユウはユウで、金儲けではなく、下を向いてしか歩けぬ人間に、上を向かせたいと言った。

では俺は?ここでいつも詰まってしまう。

597: 2010/07/10(土) 22:37:59.17 ID:Oi/WqGU0
声「リーチ」

ロレンス「え……」

突然後ろから話しかけられて、声が上ずった。

ぼーっとしていたのでつい牌を切りそうになっていた。

声「聞こえないのか? リーチ」

ロレンス「あ」

声「安くて堅い手だな。まるでサラリーマンだ」

礼を言おうと振り向いたその瞬間、言葉を失った。

声「?」

ロレンス「…!」

598: 2010/07/10(土) 22:39:02.77 ID:Oi/WqGU0
その人物は、見覚えがあるという表現ではぬぐいきれない、説得力のある存在感を放っていた。

かつての傷はもうふさがっていたが、それでいても顔がうずく。

旅の途中で出会い、時には敵、時には同士だった、とある狐目の没落貴族にあまりにも似ていたから。

狐目「失礼、どこかで?」

ロレンス「い、いや…」

おそらく女性。無愛想だが、反面おしゃべり。
守銭奴な一方で品があり、それでいて狡猾な、俺が知るもう一匹の狼。

狐目「ずいぶん警戒した目つきだな。ここ最近でそれをオレに向けてきたやつは少ない」

ロレンス「……どうしてここに」

狐目「? 大丈夫か、あんた?」

599: 2010/07/10(土) 22:40:12.35 ID:Oi/WqGU0
ロレンス「…これも夢にしては趣味が悪すぎる」

狐目「おいおい、外人がゲーセンで麻雀なんざ珍しいと思って声をかけてみたら、ただの電波野郎か?だったら、オレは話しかける相手を間違えたみたいだ」

あきれたような視線。ため息をつきながら隣のテーブルに座る。

しかしよくよく見てみれば、記憶にある没落貴族とは違い、瞳の色はこの国の住民と同じ黒色で、金色の髪は染め上げられたもののようだった。

服装は俺と同じスーツで、色は漆黒。

ロレンス「し、失礼」

狐目「ふ、日本語うまいな。何してる人だ?」

ロレンス「……何も」

狐目「なんだ、プータローか。その割には立派なスーツ着てるじゃねえか」

600: 2010/07/10(土) 22:41:00.13 ID:Oi/WqGU0
ロレンス「あなたは?」

狐目「オレか? …そうだな、あんたと似たようなもんだが、一応仕事はある」

そういって頬杖をつきながら、煙草を取り出す。

狐目「吸うか?」

ロレンス「いや、結構です」

狐目「すすめられたもんはとりあえず受け取っておくんもんだぜ。後悔するのは損をしてからでいい」

その物言いと芝居がかった立ち振る舞いも、まさに生き写しのようだ。

601: 2010/07/10(土) 22:42:01.37 ID:Oi/WqGU0
ロレンス「すいません、女性からすすめられることは滅多にないので、慣れてないんです」

狐目「……」

雰囲気が変わる。

狐目「どこで気づいた? オレがそう言ったか?…そんな言葉、男物のスーツを着ているのが馬鹿みたいじゃないか」

ロレンス「昔、似たようなやり取りをしたことがありまして」

狐目「へえ、慧眼だな。ここ最近は男で通っていた、女扱いされるのは嫌いでね」

煙草が妙に似合う。この頃には頭が落ち着きを取り戻していた。

ロレンス「そして、容姿を褒められるのも好きではない?」

狐目「……何者だ、あんた」

602: 2010/07/10(土) 22:44:43.91 ID:Oi/WqGU0
ロレンス「さもないかまかけですよ」

狐目「だとしたら妙に的をしぼったそれだ。いよいよ話しかける相手を間違えたか」

ロレンス「それを言うなら、私に話しかけたあなたも、相当のかまかけだと思いますが?」

狐目「別に大した理由なんてない。下手な打ち方してそうだったから声をかけたんだよ。だが同時に、ものの数分で縁を感じるのも久しぶりだ。オレの勘も鈍っちゃあいない」

これは直感で嘘だとわかる。そして、嘘がばれることを理解した上での発言だということも。

ロレンス「名前を伺っても?」

狐目「マリエ。とはいっても、商売上は別の名を名乗る。こういう身分だ、マリエなんて格好つかないだろう? あんたは…」

ロレンス「クラフト・ロレンスです」

603: 2010/07/10(土) 22:45:28.48 ID:Oi/WqGU0
記憶にある光景と違わず、差し出した手はしっかりと握られた。

マリエ「名前は向こうのなんだな。どこから来た?」

ロレンス「遠いところですよ」

マリエ「は、なかなか胡散臭い。オレも人のことは言えないが。長いのか」

ロレンス「いえ、ついこの間からです。つれと一緒にこの国に放り出されましてね。今は養われの身ですよ」

マリエ「ありがちな与太話、というわけではなさそうだ」

マリエは足を組み、煙草をくゆらせて横目で俺を見る。
品定めするような目つきだった。

マリエ「退屈なんだ。付き合ってくれるか、異邦人ロレンス」

ロレンス「…多少なら」

マリエ「そう警戒するなよ。ビジネスじゃあ、ない」

604: 2010/07/10(土) 22:47:53.10 ID:Oi/WqGU0
ロレンス「私がかつて出会った商人も同じ台詞を吐きましたよ」

マリエ「へえ、儲かったのか」

ロレンス「いえ、だまされました。顔に一発、きついのを食らった上でね」

瓜二つの人物の前で言うには、少々勇気がいった。

マリエ「ふふ、で? 今度もだまされそうか?」

ロレンス「どうでしょう。少なくとも、警戒しておいて損はない。あなたによく似ている人物でしたから」

マリエ「逆に言えば、十分に警戒しているなら、話を聞くぶんには何の危険もない」

ロレンス「仰る通りです」

マリエ「ここは身の上話をするには騒がしすぎるな。来いよ、上等な酒がある。夜が更けるまでなら、やぶさかじゃないぜ」

ロレンス「……」

マリエ「どのみち、この街に住んでいるならオレとは話をすることになる」

これはホロの耳がなくても、嘘ではないように聞こえた。

そして何より、マリエの発言にはかつての女商人のように、不思議な説得力があった。

605: 2010/07/10(土) 22:49:03.18 ID:Oi/WqGU0
マリエ「オレの店だ。適当に飲んでくれ」

ロレンス「ありがとうございます」

通された酒場。

客は俺たち以外にはほとんど誰もいない。

その割りに店の設備は整っていて、金の巡りもよさそうだった。

マリエ「『思ったよりマトモな店だ。こいつは何を思って俺を連れてきた。そもそも出会ってからここに来るまでが唐突すぎる。何か裏があるんじゃないか』」

ロレンス「……」

マリエ「あんたも立派な仮面を持っているみたいだが、そいつを外してやるのがオレらの商売だ。見くびってもらっちゃ困るな。…水割りでいいか」

ロレンス「ええ。大分儲かってらっしゃるみたいですね。これだけの設備、整えているだけでも立派だ」

マリエ「……」

ロレンス「何か?」

マリエ「いや。国には、…マフィアとか、そういうのはいなかったのか」

ロレンス「マフィア?」

マリエ「…ふ、いいさ。話し相手はオレと対等でいてくれなきゃ困る」

606: 2010/07/10(土) 22:49:54.93 ID:Oi/WqGU0
マリエ「オレの商売は一言でいうならなんでも屋だ。金が手に入るなら大抵の場合、手段は問わない。ヤクザ、暴力団、任侠……上の連中は肩書きにこだわるが、まあオレにとっちゃあそんなものどうでもいい。

親父がそこの幹部でな。物心つく頃には店を任されていた。

商売をする上でのルールはあるが、ルールを守る限り、どんな方法でもオレたちは儲けを出すことができる」

ロレンス「後半部分については、おおむね同感ですね」

出された水割りで軽く乾杯をした。

マリエ「は、普通こういう場所に来たら少しは下手に出るもんだぜ。
どれくらいの修羅場をくぐってきたらあんたみたいなのが生まれるんだ」

ロレンス「私がいた国では修羅場をくぐらずに生きていく方が難しかったんですよ」

607: 2010/07/10(土) 22:50:32.74 ID:Oi/WqGU0
マリエ「どうしてあんたに声をかけたか、だが」

ロレンス「やっぱりかまかけ、でしたか?」

マリエ「いや違う。そもそもカタギに声をかけるなんざ、よっぽどのことでもないとしない。…あんた、養ってもらってると言ったな」

ロレンス「ええ」

マリエ「街で最近、よく見かけていてな。あんたが企業の御曹司と一緒に歩くところを」

ロレンス「……」

マリエ「ま、大方察しはつくと思うが」

ロレンス「…安い台詞ですね。仮に商談だとしてももう少しやり方がある」

俺の言葉と同時に、突然隣のテーブルに座っていた男たちが俺の周りを囲んだ。

威圧感のある視線を俺に向けてくる。

608: 2010/07/10(土) 22:51:48.62 ID:Oi/WqGU0
マリエ「誰が集まれと言った」

かと思えば次の瞬間、マリエは無言で酒瓶を持つと、その中の一人の顔面にたたきつけた。

騒音とともに男の顔はたちまち血まみれになり、その場に倒れた。

たちまち従業員らしき男たちに運ばれていく。

周りをかこんでいた男たちの顔からは反対に血の気がひいていくのが分かった。

マリエ「手間かけさせるな」

男たちはやはり無言で店の奥に消えていった。

ロレンス「…なるほど、こういうやり方もあるんですね」

マリエ「ほう」

ロレンス「あらかじめ配置しておいた部下を客にあてがって、その上でその部下を圧倒する暴力を見せつけ、自身は平然を装う。これなら確かに、私が取れる方法はあなたの話を紳士的に聞くほかない」

マリエ「そこまで考えちゃいないさ。が、あんたに話を聞いてほしいってのは本当だ。まあ悪く思うな。『オレらの国』の慣わしみたいなもんだ」

609: 2010/07/10(土) 22:52:37.12 ID:Oi/WqGU0
マリエ「それとな、あんたの身の上も色々聞きたい」

ロレンス「なんとも」

マリエ「ロレンスさん、そりゃ隠せないぜ。手荒なことをするつもりはないし、『今日は』本当に退屈しのぎだ。たまたま、あんたが関わっていることと、オレが関わっていることが重なっただけ。まだあんたから利益を引き出せるかも、オレが差し出せるかもわかってない、だろう?」

ロレンス「商売なんてものは、退屈しのぎのようなものだと、師匠から教わったことがありましてね」

マリエ「それを言ったら人生だって似たようなもんだ。安心しろよ、悪いようにはしないさ」

マリエはそう言うと、持っていたグラスを鳴らす。

長い夜の始まりの合図だった。

621: 2010/07/14(水) 21:18:41.43 ID:WfTBaLg0
誤爆どんまいです

_____________________

マリエ「神を造る?」

ロレンス「ええ」

マリエは気のぬけたような返事をしていた。

酒も大方廻る時間帯。

今頃ホロは何をしているのだろう。

近頃は読書にも勤しんでいるようで、あれ以来親身に話したことはない。

ロレンス「世に蔓延る有象無象の宗教ではなく、
この国の人間にもう一度天を仰がせるためのそれを。
ただし仰がせることが目的ではなく」

マリエ「待った。それ以上は結構だ。
まったく、宗教屋はどいつも同じような台詞を吐く」

ロレンス「……」

622: 2010/07/14(水) 21:19:14.35 ID:WfTBaLg0
マリエ「オレのとこにもたまに来るんだ。
中古品の神様を売りつけに来る輩は後をたたなくてな。
…なんのことはない、ただの金持ちの享楽か。
これだから向上心のないやつはわからねえ。
真に上を向くべきはそいつらの方だとオレは思うぜ」

ロレンス「…私も、迷ってはいます」

マリエ「まあ金が余ったら慈善運動ってのは、
俗物が往々にして通る道なんだろうな。
金の次は名誉だ。偽善者くさくて反吐が出るが、
益を被る側からしたら偽善も善。あの家の名はうなぎ上りだろうぜ」

ロレンス「果たしてそうでしょうか」

マリエ「ん」

623: 2010/07/14(水) 21:19:58.13 ID:WfTBaLg0
ロレンス「私は商人ですから、信仰とはその商いの範疇になく、
単に利用するための考え、道具です。
しかし、聞けばこの国は過去の神とはすでに決別した国。
一度壊れた信仰を取り戻すには、いささか遅すぎる気がしています」

マリエ「まあ半分は当たりだ」

グラスに注ぐのは燃えるぶどう酒、ブランデーに変わっていた。

マリエ「ちょっと前にあんたたちみたいな輩が沸いて出た時期があってな、
かなりでかくなった組織もあったみたいだが、
どこかでブレーキをかけられなくなって自滅した。
何百年もの歳月、万人に通じる真理を説けるやつなんざ、
そう簡単に生まれちゃこない。そしてその真理もな。
だが、歴史の中でそこにたどり着いた輩もいた。
神は言った、はじめに言葉ありき、だったか?
なるほどたしかに、言葉ありきだ。
言葉によって人は魅了され、金を払い、しまいには命まで差し出す。
最初にあれを考えたやつは歓喜しただろうぜ。
それこそ世紀の大作家だと思わないか?
印税だけで人生30回は遊んで暮らせる」

うまいことを言うなと感心してしまう。

624: 2010/07/14(水) 21:21:04.99 ID:WfTBaLg0
マリエ「科学が発展したから淘汰された、
なんてほざく連中もいるが、俺はそうは思わない。
そもそも科学的に考えるとはそうでないものも含め、
この世界の中からそのエッセンスを抽出することだ。
それは同時に、そうでないものを選別する作業でもある。
科学が人を魅了するのと同じく、
いつだって人は、『そうではないもの』にも惹かれるのさ。
それは何も神や奇跡だけじゃない。
愛だの情だの、現にあんただってそうだろう?
もちろんオレだってそうさ。
…なぜだかわかるか?」

ロレンス「存じかねます」






マリエ「期待しているからだ」







ロレンス「!」

マリエ「オレたちは期待しているんだよ。
誰だって世界は美しくあってほしい。
何に美しさを求めるかどうかは違えど、
この世界は少しでも『善く』あってほしい。
科学には善も悪もないがゆえに、な」

625: 2010/07/14(水) 21:22:29.14 ID:WfTBaLg0
ロレンス「…昔」

マリエ「ん」

ロレンス「どこかで聞いた台詞です」

マリエ「あんたの知り合いか?」

ロレンス「ええ」

マリエ「はは、ならばそいつも相当なロマンチストだ。
詩人にでもなればいい」

自嘲気味に、冗談っぽく言うマリエ。

ロレンス「……彼女はリアリストでした。ですがおそらく、
それゆえに『期待していた』」

マリエ「……」

626: 2010/07/14(水) 21:23:52.48 ID:WfTBaLg0
マリエ「話がそれたが、要するにだ。
確かにこの国の連中は宗教アレルギー持ちの輩が多い。
だが、何かを信じて生きるなんてのは、誰しも無意識にやってることだ。
そういうやつらが次に何を求めるか、わかるだろ」

ロレンス「自分を肯定してくれる根拠」

マリエ「ま、その時点で自己矛盾なんだがな。
そしてカリスマってやつは名前と時代を選ばない。
『そうでないもの』に足る言葉を投げれば、
神じゃなくても魚は釣れるんだよ。
長続きするかは知らないし、よっぽどの傑物でないと無理だろうが。
その意味では不可能ではない、が、難しい商売だ」

果たして賢狼は、マリエが言う傑物に足る存在だろうか。

ロレンス「しかしマリエさんは博識ですね。
商談相手としては強敵だ」

マリエ「謙遜もそこまでいくと厭味だな。
このくらいならあんたでも引き出しから出せるんじゃないか。
『人』にモノ『言』う『者』と書いて、儲ける。
商人は口が廻らねえとな」

ロレンス「ごもっともです」

627: 2010/07/14(水) 21:24:49.27 ID:WfTBaLg0
ロレンス「で? 儲けられそうですか?」

マリエ「どうだかな」

頬杖をつくのが癖のようだ。

マリエ「正直、いまのところは分が悪い」

ロレンス「ほう」

マリエ「あの御曹司の企業はちょっとしたライバルなんだ。
なに、こんなチンケな酒場の話じゃない。
ネタが手に入れば蹴落としてやろうかと思っていたが…」

ロレンス「…?」

マリエ「…あんたを抱えているなら、少々てこずりそうだ」

ロレンス「私はただの居候ですよ」

マリエ「そうか? さっきの話が儲け話につながらないか、
10回は考えてそうな顔してるぜ」

ロレンス「………」

628: 2010/07/14(水) 21:26:12.32 ID:WfTBaLg0
マリエ「はは、気を悪くするなよ。これは商売じゃないんだったな。
だが、商人なら呼吸のようにしてしかるべき行為だ。
どうせオレの商売のことも知ってたんだろう?
聞かせてくれ、あんたの国じゃオレたちみたいなやつのこと、
なんていうんだ?」

ロレンス「……さすがですね」

マリエ「じゃないとオレに情報提供する必要がない。
ヤクザ相手に駆け引きなんざ、恐れいったぜ。
さっきの話は別として、カタギに借りたもんはきっちり返す。
このネタは胸にしまっておく」

ロレンス「ありがとうござい…」

マリエ「だが」

瞬間、その視線はナイフのような切れ味を見せた。

マリエ「それでチャラだ。それ以上もそれ以下もない。
…それとこれは単純に善意で言うんだがな」

マリエ「あんたとはもう会わないことを祈ってる」

無言の圧殺だった。

629: 2010/07/14(水) 21:32:49.86 ID:WfTBaLg0
マリエは実に合理的な商人だった。

それは言葉通り、ルールは存在するが、ルール内ならば自由ということ。

そして、それが鉄則であるがゆえに迷いがない。

俺に対して向けたナイフは、店を出る頃にはすっかり懐にしまいこんでいた。

マリエ「そうだ」

ロレンス「え?」

マリエ「店にだったら、いつでも来てくれ。歓迎する」

ロレンス「あいにく、そこまで太い肝は持ち合わせてませんので」

マリエ「なら、次はたっぷり肝を食わせてやるよ。
食ったことないだろう?」

ロレンス「かないませんね」

630: 2010/07/14(水) 21:36:00.91 ID:WfTBaLg0
マリエ「あんたなら雇ってもいいくらいだぜ、異邦人ロレンス」

ロレンス「その呼び名はよしてください。…『違法』人マリエさん」

マリエ「…やっぱりあんた、太いやつだよ。またな」

ロレンス「………」

狡猾な狼は、これから起きるすべてのことを見通したような目を流した後、

自己矛盾ともとれる発言を残し、扉の奥へと消えていった。

631: 2010/07/14(水) 21:39:11.76 ID:WfTBaLg0
ユウ「遅かったですね」

一日働いていたのか、それとも情報収集か。

ユウの表情はどこか疲れている。

ロレンス「旧友に会ってな。…いや、悪友か」

ユウ「ほう」

ロレンス「お前こそ珍しく遅いじゃないか」

ユウ「二束の草鞋を履くっていうのは、思いのほか骨が折れそうです。
もっともそれくらいのやりがいは感じられないと、火がつきませんが」

ロレンス「……」

632: 2010/07/14(水) 21:53:43.95 ID:WfTBaLg0
ユウ「旧友とは何を話したんですか?」

ロレンス「さもないことだ。おかげで肝が太くなったが」

ユウ「……」

ロレンス「ホロは寝てるのか?」

ユウ「本を読みたいというので、さっきまで文字を教えていました。
ですが、途中からは酒を飲みたいとご所望で」

ロレンス「お前が祭ろうとする神は随分と気まぐれだからな。
集まる奴らの苦悩が伺えるよ」

ユウ「神の試練、とでも言いましょう」

ロレンス「乗り越えても何もなさそうだが」

寝室のドアを開ける。

633: 2010/07/14(水) 21:57:47.65 ID:WfTBaLg0
ホロ「誰が気まぐれじゃ」

随分出来上がっているようだ。

ふくれっつらで酒瓶を持っている。

寝具はまた新しい装いのようだった。

ロレンス「また買ったのか」

ホロ「くふ、つるつるで着心地がよい。
この酒はういすきーと言うそうじゃ。
麦を蒸留したものらしくての、うむ、わっちの口にはよく合う」

634: 2010/07/14(水) 22:07:59.17 ID:WfTBaLg0
ホロ「ほれ、ふりふりじゃふりふり。
小僧が買ってくれての。
やはりよき雄とは色を知っておる。
モノを贈る、これ即ち雄の嗜みじゃな。
わっちゃあかような心遣いに弱いと、いまさら気づいた」

仕切りにベッドの上で動く。

なんというか、苛苛する。

ロレンス「なんて体たらくだ。近いうち、俺からユウには厳しく言っておくからな」

ホロ「ふん、わっちは女神になるかもしれぬのじゃ、これくらい…」

ロレンス「おい」

少し言い方がきつくなってしまった。

ロレンス「冗談でも、そういう言い方はよせ。笑うと思うか?」

ホロ「……なんじゃ、ぬしだって」

ロレンス「え?」

ホロ「ぬしよ!」

ぎくりと嫌な予感が音をたてる。

635: 2010/07/14(水) 22:10:42.06 ID:WfTBaLg0
ホロ「わっちの前で包み隠さず、今日自分がしてきたことをいえるかや?」

ロレンス「は? た、探索だよ」

ホロ「耳と尻尾は失ってもわっちは賢狼じゃ!ヨイツの賢狼ホロじゃ!」

なんだかよくない酔い方をしているような気もする。

だが俺としてもやましいことはしていない。

やましく思ってしまうのは、ホロがやましいと思うだろうと俺が感じるからで…あれ?

ロレンス「…特に、責められるいわれはない」

ホロ「ほう? それはなんでじゃ」

ロレンス「なんでって…。単純に、情報を探っているうちに人に出会った。話の流れで、酒を奢ってもらっただけだ。
お前に対してどうということはないだろう」

ホロ「ならわっちもじゃ」

ロレンス「え?」

636: 2010/07/14(水) 22:16:02.89 ID:WfTBaLg0
ホロ「本を読もうとしておったら、たまたま小僧に会った。
話の流れで酒と服を奢ってもらっただけじゃ」

ロレンス「……お前な。子供じゃないんだから…」

ホロ「ふん」

マリエがいう、『そうでないもの』とは、こんなやり取りも含まれているのだろうか。

確かにこれは、おいそれと淘汰されてほしくはない。

ロレンス「……決心はついたのか」

ホロ「……」

無言で首を振る。

637: 2010/07/14(水) 22:21:50.11 ID:WfTBaLg0
ロレンス「本当に、お前らしくないといえばらしくないな。
さしもの賢狼も、こればかりは頭を抱える難題か?」

ホロ「ふん、知ったようなことを言うでない」

そういいつつも、気づけば賢狼はベッドを一人分あけている。

そばに来いってことだろうか。

こんなことをするのは、もしかして、尻尾がないから?

ロレンス「不便だな」

ホロ「たわけ」

638: 2010/07/14(水) 22:26:17.53 ID:WfTBaLg0
ロレンス「俺がいるじゃないか」

気づけば、口走っていた。

ホロ「ぬしは頼りにならぬ」

ロレンス「なぜ?」

ホロ「…肩くらい抱けんのかや」

ロレンス「お前、自分で雰囲気壊してる節ないか」

ホロ「ぬしがつけあがるからの」

大分酔っているようで、寄せた肩にうずくまるように頭を貸してくる。

639: 2010/07/14(水) 22:30:13.59 ID:WfTBaLg0
ホロ「それに他の雌の匂いを消しておかねばの」

ロレンス「……耳と尻尾は失っても、か。適わないよ」

ホロ「良き雌じゃったかや?」

ロレンス「どうだろうな。何をもって良いと……」

ふと、長い間考えていたことが固まる気配がした。

ロレンス「なあ、ホロ」

ホロ「うん?」

ロレンス「その……この国に神を造るということは、正しいことなのか」

ホロ「………」

640: 2010/07/14(水) 22:45:51.90 ID:WfTBaLg0
ロレンス「お前は標になってもいいかもしれないと説く。
ユウはユウで、上を向かせて歩かせたいと説いた。
ならば俺は?ここでいつも考えが止まっていた」

ホロ「……」

ロレンス「そうこうするうち、俺が出会った商人はこう説いた。
人は世界に、『美しく』あってほしい。それを期待していると。
……これが商売でないなら、いや、そうだとしても根底にあるのは倫理、だろう?」

ホロ「…そうじゃな」

ロレンス「お前ほどの英知があれば、彼らの期待にこたえられるかもしれない。
だが、自前のものさしを使ってそこに入り込むというなら、
その倫理は、真に正しき倫理といえるのか?
お前自身が、お前に対して、それが真理だと言い切れるのか?
俺は、この行為が間違っているとはいえない。
だが、正しいともきっと言えない」

ホロ「ぬしは」

ロレンス「うん?」

ホロ「変なところで優しいから、困るんじゃ」

641: 2010/07/14(水) 22:58:41.04 ID:WfTBaLg0
ロレンス「……」

ホロ「なぜならぬしは、わっちが、いや、
おそらく神ですらその問いに答えられぬことを知っておる」

ホロはヨイツの賢狼だ。

ホロ「理屈というのは便利なもんじゃ。
世界の有様を正しく語る術、理屈で世界はここまで栄えた」

おそらく俺などでは及ばないくらいの期間、

自問自答を繰り返してきたんだろう。

ホロ「ときとしてこの世のすべてを理屈で語ろうとする輩もおる。
方便というのは正しき道に導くためのものじゃが、
ならばその正しき道とはなんじゃ?
うん、これは立場によって変わる。それも世界の有様じゃ」

642: 2010/07/14(水) 23:09:42.16 ID:WfTBaLg0
ホロ「しかし崇められたわっちは立場を変えたりはできぬ。
わっちは常に正しいことを示す義務があるんじゃ。
そして、そうなったそれは世界の有様ではない。
虚構じゃ。幻想じゃ。まやかしじゃ」


ホロ「わっちらは世界について、
そこにあることならば確かにあるということができる。
しかしわっちらがそこにないことについて語ったとき、
いや、語ろうとしたとき、これはなんじゃ?
わっちは、暴力じゃと思う。
何に対してかは分からぬし、それはこれから生まれるのかもしれぬ。
が、これは暴力じゃ。

…まあ、ぬしが考えるように確かに自責に駆られるやもしれんの」

ロレンス「だが、お前がいう、『そこにないもの』について語る暴力、
はことごとく無意味ではない。
俺とお前の間にもそれはきっとある」

ホロ「………」

643: 2010/07/14(水) 23:32:29.31 ID:WfTBaLg0
ロレンス「少なくとも、
俺はそういった試みを否定できる立場にいない。
お前もだろう?」

ホロの頭をなでようとして、ぎょっとした。

ホロは泣いていた。

ホロ「…馬鹿になど決してせぬ。
きっとそれは美しいんじゃろう。
人が見たこともないくらい、輝いておるんじゃろう。
そう思わずにはいられぬ。
そうして今のわっちは、そんな暴力にこれ以上ないほど感化されておる。
なぜかや? それは過去が邪魔をするからじゃ。
ぬしがいれば怖くはないというのに、
過去がわっちに語り、語らせるんじゃ。
やり直せるなら、と、毎晩語るんじゃ。
同時に、パスロエ村の奴らが、
わっちを指差して笑う。
阿呆じゃと。学びもせず、間抜けな狼じゃと。
わっちは馬鹿じゃ。愚かな狼じゃ…」

酒が入って感極まったのか、最後の方は聞き取れない。

孤独が怖いなんてのは、方便だった。

ホロも十分に俺のことを信用してくれている。

その先に見たのは、賢狼の誇りが、簡単に崩れる様。

心優しい狼は、かつての麦の村に、砂をかけて出て行ったつもりが、今でもその傷は癒えていなかった。

…いや、癒えたはずのものがまた現れた。

ロレンス「もうよせ」

644: 2010/07/14(水) 23:50:04.41 ID:WfTBaLg0
同時に、俺は自分の言葉がホロにとって、

どれだけ軽率に投げつけられたものかを理解し、深く後悔した。

何も言わずに、引き止めればよかった。

最初から答えなどないことは分かっていたのだ。

言葉にしたから。

このときほど俺たちの時代の神を皮肉に感じたことはない。

ホロ「……すまぬ」

ロレンス「いや、いいんだ」

胸に顔をあてるホロの表情はわからない。

645: 2010/07/14(水) 23:51:31.34 ID:WfTBaLg0
ホロ「………ぬしよ」

ロレンス「ん?」

ホロ「ぐす、わっちゃぁ愚かな狼じゃから……」

ロレンス「………しってるよ」

ホロ「……しばし、忘れてしまいたい」

ロレンス「…………ああ」

言葉と同時に、麦の神の手元から離れたウイスキーは床に落ち、

その晩、二度と拾われることはなかった。

655: 2010/07/23(金) 21:16:36.83 ID:UOy6l1s0


ロレンス「なあ」

ホロ「んぅ…なんじゃ、まだ足りぬかや?」

眠りかけていたのか、目は閉じたまま狼は言った。

ロレンス「っ、本当に口の減らない…っ」

ホロ「ぬしが照れてどうするんじゃ」

言いながら、体はしっかりと寄せられていた。

ホロ「雄は先行してこそじゃろうが」

ロレンス「こういうのは専門外だからな」

ホロ「ぬしも商人ならば、何事においても門外漢にはならぬようにの。
   ま、その割には盛っておったが、くふ」

とたんに顔が赤くなるのを自分でも感じた。

656: 2010/07/23(金) 21:20:10.55 ID:UOy6l1s0
ホロ「本当にぬしはかわいい男の子じゃの。
   それこそ食べてしまいたいくらいに、の」

ロレンス「耳と尻尾はないんだ、この夢の中じゃそんな無茶はできないだろ」

ホロ「たしかにのう。もっとも、食べられたのはわっちの方かや?」

ロレンス「ぐ……」

ホロ「しかし、それなりによかった」

ロレンス「え?」

ホロ「よかったといっておる」

ロレンス「……?」

ホロ「……却下じゃ。まったく無粋な男で苦労しんす」

ロレンス「…………?」

657: 2010/07/23(金) 21:22:10.59 ID:UOy6l1s0
ロレンス「お前のほうこそ、その、手馴れてたじゃないか」

ホロ「…気になる?」

ふぅっ、と吐息が音をたてる。

ロレンス「ならないといえば嘘になる」

ホロ「ほう、手馴れてるとわかるほどの手練かや?ぬしが?」

今度ははっきりと目を開いた。

ホロ「ならば言ってもらおうかの?『誰と比べて』じゃ?例の女の館とやらかや?どうなんじゃ?」

ロレンス「誰と比べるとかじゃない、直感だ」

ホロ「ふん、わっちが何年生きておると思っておる。ぬしのような雄」

ロレンス「?」

ホロ「いかようでも狩れる、と言ったじゃろ?」

いたずらっぽい笑みは変わらずだった。

658: 2010/07/23(金) 21:42:55.70 ID:UOy6l1s0

ロレンス「狼の、だな」

ホロ「うん?」

ロレンス「なんというか、その」

ホロ「くふ、いちいち照れずともよい。わっちらもぬしらと一緒じゃ」

ロレンス「そうなのか?」

ホロ「うん。そうじゃの、しかしやはり夜伽といえば冬じゃ。温まるしの」

ロレンス「う、む」

風情も理解しているだろうが、どうも狼の会話は直接的になる節がある。

ホロ「じゃが、こうしておるのも心地よい。
わっちらは体を合わせて意志を通わすからの」

ロレンス「……」

661: 2010/07/23(金) 22:49:33.51 ID:UOy6l1s0
ホロ「ぬし」

ロレンス「ん」

ホロ「それなりに、特別じゃからな」

ロレンス「わかってるよ」

ホロ「じゃが、うむ、調子にのるでないぞ」

ロレンス「さっきまでのお前で言える言葉か」

ホロ「たわけ」

662: 2010/07/23(金) 22:56:25.55 ID:UOy6l1s0
考えるにユウが動き出したのはその翌日だった。

朝起きるとホロはすでに寝屋から抜けていて、

なんとも形容しがたい俺の身体がそこに残っていた。

ユウが部屋に入るなり俺を見て目を丸くしていたのと、

ホロがそれを横目で見ながら薄笑いしていた光景はほぼ同時に記憶に残っている。

ホロ「小僧、我が主様はときと場合で羊と狼と使い分ける」

ユウ「は、はい…」

ホロ「主様はかような醜態、さらすまいな?
   くふ、雄はいつだって間抜けじゃ、捕まえたら満足しんす」

賢狼の脳みそはいまだ健在だ。

667: 2010/07/24(土) 22:46:08.49 ID:wDX7VuI0


ホロ「それで、じゃの」

着替えを俺に投げてから、ホロはゆっくりと口を開いた。

ホロ「例の話、わっちは引き受けることにした」

ユウ「ほう」

ロレンス「ホロ…?」

ホロ「少々、思うことがあった。その結果じゃ」

横目で俺を見る。

何を思って、なのだろう。

しかし止めようにも、俺が出すべき言葉は昨日投げつくしてしまっていた。

668: 2010/07/24(土) 22:47:04.96 ID:wDX7VuI0
ロレンス「本当に、いいのか」

かろうじて出てきたセリフがこれだ。

ホロ「構わぬ」

ロレンス「………」

ホロ「この時代の書物もそれなりに読んだ。色々と文化も分かったしの。
   わっちにできることなら、なんでもしんす」

ユウ「うれしい限りです。こちらの方でも準備は整っています。
   あとは……うん、あなたが壇上に上がっていただければ」

相変わらずの純粋な笑顔だ。

ロレンス「買い付けは終わったのか?」

ユウ「ええ。資金面でも苦労しましたが、あとはどうやって人を集めるかです。
   しかし、これが中々難しい」

669: 2010/07/24(土) 22:48:09.12 ID:wDX7VuI0
ロレンス「宗教に対してのイメージか」

ユウ「もちろん人によります。マスコミの話をしましたね?」

ロレンス「大きな情報屋みたいなものだろ」

ユウ「そう言い方を変えると妙な響きがありますね。
   ですが、ええ、確かにそうです。
   一度広がった悪い情報を中和するのは容易なことではありません」

ロレンス「それはいつの時代も同じなんだな」

ユウ「そう。流布された悪評は一人歩きする。これをどう打開するか。
   知恵を貸してもらえますか?」

ロレンス「………」

それまで考えていたことをとっさに頭の中でまとめる。

670: 2010/07/24(土) 22:50:50.52 ID:wDX7VuI0

ロレンス「宗教、とは」

ユウ「?」

ロレンス「語りえないものについての挑戦であり、暴力だ。暴力とは即ち、
     強制力を伴ったそれを言い、人はその力には抗えない」

ユウ「ほう」

ロレンス「だがそこに挑戦してしまうのも、俺たち人間の性なんだろうな。
     いくつかのルールを守るならば、協力しよう。
     ホロの意志もある。俺だって強制はできない。
     ――まず、他の宗教を否定するようなことはしないこと。
     営利目的に走らないこと。人格は尊重すること」

ユウ「文言が抽象的、それでいて曖昧かつ多面的に読めますね。立法の基本ですが」

ロレンス「言葉それ自体が毒にでもナイフにでもなりうるんだ。甘いくらいだろう。
     それに暴力は嫌でも敵を生み出す可能性がある。
     網は広げて敷いておいて損はない」

ユウ「わかりました。いいですよ、それで。もともと慈善運動です。
   それによって人が上を向けるならば、安い」

671: 2010/07/24(土) 22:51:35.38 ID:wDX7VuI0
ロレンス「安い高いは別の話だ。これは商売じゃない。―――ある種の革命だろう」

ユウ「いよいよ大きく進んできましたね。そうなってくれると嬉しい」

ロレンス「皮算用は商人の十八番だからな。
     だが、俺は謀る程度につれの能力を信頼している」

ユウ「同じですよ、ロレンスさん。大いに舞ってもらいましょう」

ホロ「ぬしらよ」

話を静観していた狼は、つぶやくように言った。

ホロ「もうひとつ、追加してほしいことがありんす」

ユウ「何ですか」

672: 2010/07/24(土) 22:52:45.32 ID:wDX7VuI0
ホロ「わっちを神にしようが、意志の代弁者にしようが、それは自由じゃ。
   じゃが、わっちはわっちが正しいと思ったことしか説かぬ。
   それでもよいかや」

ユウ「無論構いません。もともと神という言葉を使うつもりはない。
   言葉は便利で、むなしいものです。僕があなたにしてもらいたいのは、
   標を示すこと。ちゃちなアイドルやコメンテーターにできないことを、
   あなたにしてもらいたいだけです」

ホロ「……うん」

決心がついたのは嘘ではないと思う。

だが、どこかでまだ揺れている、そんなようにも見えた。

673: 2010/07/24(土) 22:56:04.06 ID:wDX7VuI0
ロレンス「さて、ではどうやってこの蝶に羽をつけるか、だな」

ユウ「……あの…」

ロレンス「場所と客層だけ絞れば、案外と火はすぐにつきそうなものだが」

ホロ「くふ」

ユウ「………」

ロレンス「どうした、何か変なことを言っているか?」

ホロ「主様、とりあえず服を着てはいかがかや?」

はっと気づいて思考を止めた。

さすがに格好がつかない。

それにしてもホロの含み笑いはいつだって攻撃的だ。

洒落ができるくらいには落ち着いているんだろうが。

674: 2010/07/24(土) 23:28:22.81 ID:wDX7VuI0
数分後。

ユウ「さて、つまるところどうやってこの蝶に羽をつけるか、ですが」

ロレンス「布教活動ってやつだな」

ホロ「むう、そういわれると何か歯がゆいの」

ユウ「公然と布教していても誰も振り向いてはくれませんよ。
   ただでさえ忙しいんです、客引きですら人を捕まえるのに苦労する。
   大抵の人には無視されるでしょうね」

ホロ「そういえば、そんな感じじゃったな、確かに」

ユウ「ではここでクイズです。
   新規に市場開拓するとしてを打つとき、考えられるセオリーとは?」

ここで頭を回した。

ロレンス「客層を定め、その生活観、欲求を洗って需要を調べる。
     あとは心に訴える言葉、光景を提示して、それが必要だと思わせる」

ユウ「さすがですね。この時代ではそれをマーケット戦略といいます」

675: 2010/07/24(土) 23:35:52.10 ID:wDX7VuI0
ロレンス「知ってるさ。それ専門の商会もあるんだろう?」

ユウ「ありますよ。ここで大事なのは需要は本来的には内在しているが、
   顕在化はしていないことが多い。
   とは、その必要性を説くという行為です」

ロレンス「ふむ」

ユウ「言い方を変えると、必要かどうかわからないものを、必要だと思わせること。
   生活する上で絶対的になくてはならないものは、
   相対的に見て、ですが、するメリットが少ない。
   コストと天秤にかけたら、まあ当たり前のことですが。
   逆に人生において付加価値的なものについては、なしでは世に広まりません。
   テレビなんかを見ててもそうでしょう?」

ロレンス「たしかに、それは感じたな」

ユウ「宗教もそれと同じです。ま、どうしても方便的な言い方になりますが」

676: 2010/07/24(土) 23:48:24.40 ID:wDX7VuI0
ユウ「さて、これを踏まえて考えると、先ほどロレンスさんが言っていたことはまさに言いえて妙。
   場所と客層、つまりターゲットです。これを絞って、ここぞというタイミングで旗をあげる。
   われわれの考えに共感するか、心酔するような人間について」

ホロ「言うのは簡単じゃが、果たしてそんな都合よく存在するものかの、かような人間。
   忙しいと言っておったじゃろう?」

ユウ「忙しいということが人生の満足度に比例していないことは、この国の自殺率を見ればわかります。
   ゆえに余暇をどう楽しむかも変わってくる。市場はそこにできあがり、独自の文化を形成する。
   多くは人生に足りていないものを補うべく集まります。つまりターゲットにする人間は」

ロレンス「余暇の使い方に没頭している人間」

ユウ「まさしく。さて、そろそろ出かけましょうか。
   ロレンスさん、今この国で一大産業となりつつある分野、ご存知ですか?」

677: 2010/07/24(土) 23:49:41.00 ID:wDX7VuI0
ロレンス「……?」

ユウ「少し電車に揺られましょう。ホロさん、制服ではなく、以前着ていた服装に着替えてください」

どうも話が見えてこない。

ホロ「ぬしよ、一体どこに向かいんす?」

ユウは立ち上がると、見慣れぬ雑誌を取り出した。

ユウ「娯楽はついに必要に勝りました。
   これは歴史的なことです。おそらく、僕の考えが正しければ日本でしか成功しえないことだった」

パラパラとめくった雑誌をたたみ、俺に渡してきた。





ユウ「向かう先はもちろん、秋葉原です」

679: 2010/07/25(日) 00:08:41.58 ID:7ZZqmg20
ロレンス「なるほどな」

ついたその先で確信した。

娯楽、といっていたのはこのことか。

ロレンス「いつ思いついたんだ?」

ユウ「ホロさんを最初に見たときにイメージはありました。
   ここ最近はそれを具体化するための手段として、色々調べまわっていたんです」

ホロ「しかしすごい光景じゃの」

ユウ「文化自体は一般的に認知されてはいましたが、排斥されがちでして。
   ここ最近はわりとイメージが変わってきていますね」

ホロ「それで?わっちはここで何をすればいいんじゃ?」

ユウ「何も」

ホロ「は?」

680: 2010/07/25(日) 00:12:33.70 ID:7ZZqmg20
ユウ「ホロさんはまだ何もしなくていいです。
   とりあえずは人を集めるにはイベントが必要ですよね。
   僕がスポンサーになって、ちょっとした宴会をここで毎週開きます。
   そのときに、中心にいて、座っていてくれるだけでいい」

ホロ「……?そんなので、その、人は上を向けるようになるのかや?」

ユウ「ホロさんは自分の容姿について謙遜してらっしゃる?」

むっとした顔をするところを見ていると、これから先が思いやられる。

宗教の代表などと、笑ってしまう。

ホロ「馬鹿にするでない」

ユウ「いえ、褒めてるんですよ。つまりですね」

681: 2010/07/25(日) 00:18:12.73 ID:7ZZqmg20
ユウ「ホロさんほどの容姿と見識があれば、機会さえ設ければ人は集まります。
   合わさってその服装。他とないここ秋葉原なら、おそらく」

ロレンス「最初は客寄せ、からか」

ユウ「ええ。逸材と需要、文化を認知していればプロモーションは粉一振りで十分です。
   ホロさんの人気が時期を経て過熱したところで、本でも出しましょう」

ロレンス「なんだか、ずいぶん計画がラフな気がするぞ」

ユウ「大雑把に言っただけです。細かい活動については追々すすめます。
   さらにこの土地に住む人々は往々にして、インターネットとの親和性が高い。
   僕の専門はIT事業です。やり方はいくらでもある」

ホロ「うーむ、しかしなんというか、拍子抜けしてしまいんす」

682: 2010/07/25(日) 00:21:12.50 ID:7ZZqmg20
ユウ「ロレンスさんには足を使ってもらいますよ。行商人、ですからね」

意地悪く笑うが、その笑顔に悪意はない。

ユウの特許だ。

ロレンス「構わないが、果たしてうまくいくものか」

ユウ「それは信頼してもらいましょう」

ユウはどこか遠くを見つめる。

どうにも計画性に乏しく思えるが、ふと気づくと周りにはすでにちょっとした人だかりができていた。

皆一様にしてホロを見ている。

服装と、容姿、ねえ。

683: 2010/07/25(日) 00:27:30.84 ID:7ZZqmg20
ユウ「銀貨2000枚でしたっけ?」

ロレンス「ん」

ユウ「以前、ホロさんにつけられた値段」

ロレンス「ああ……」

ユウ「現在の価格にして約2000万。
   おそらくやり方によってはさらに跳ね上がる。
   価値を左右するのは需要である限り、プロモーションは商業の要」

ホロ「まるで商品じゃな」

ユウ「市場価値に換算しただけです。売りはしませんよ。決してね」

ロレンス「……」

684: 2010/07/25(日) 00:48:06.85 ID:7ZZqmg20
それから三月ほど経った。
軌道にのるまでが難しい、とは商売人の弁。
しかし乗ってしまったものからは中々降りられないともいう。
ユウは俺が知る限り、有能な経営者の一人だった。
もちろん、資本に裏打ちされてはいたが、それでもどこの馬の骨かも分からない俺やホロを巻き込み、
それでいてしっかりとホロをプロモーションできている。

ロレンス「しかし、早かったな」

ユウ「思ったよりは、ですね」

宴会を開いて十数回、いまやホロはかの土地で確固たる地位を築いていた。

ロレンス「やはり逸材だと思うか?」

ユウ「間違いなく。芸能界でも通用したと思いますよ。
   たいていのタレントなんていうのは、中身のない商品です。
   ホロさんは才色兼備、知恵も有り余っている。
   だが、ここで終わってしまってはただのアイドルです。
   これからじっくりと時間をかけて信仰を広めていく」

685: 2010/07/25(日) 00:53:41.33 ID:7ZZqmg20
ロレンス「それも並大抵のやり方ではいかないと思うが」

ユウ「大事なのはタイミングです。そしてこれから必要になるのは、
   商売にたとえるなら競合との差別化、ですね」

ロレンス「その手腕を持っていて、神を造り出すとはなんとも商売人泣かせなことだ」

ユウ「いずれはこちらを本業にします。もっとも、営利目的にはせず、ですが。
   事業で成功したお金をつかえば、僕の人生はとっくにゴールまでたどりつけている。
   親はなかなか納得してくれませんけどね」

ロレンス「俺たち商人はゴールを目指すことそのものに価値を見出す節があるからな。
     その先に」

ユウ「……?」

ロレンス「期待、してな」

マリエの顔が頭に浮かんだ。

686: 2010/07/25(日) 00:57:07.34 ID:7ZZqmg20
ロレンス「さて、俺は酒を買っていく。家に待つ神様がご所望だからな」

ユウ「貢物はいつの時代も、宗教とは切り離せません」

軽く笑いながら言った。

ロレンス「お前はどうするんだ?」

ユウ「先に戻ってますよ。これからの計画を今日中にまとめたいですし」

ロレンス「ホロに何かせがまれても、甘やかさないでくれよ」

ユウ「それはどうでしょうね」

苦笑はお互いだった。

687: 2010/07/25(日) 01:58:30.24 ID:7ZZqmg20
俺はというと、頭に浮かぶのはやはりこれからのことだった。
ホロはあのとき、確かに何かを思い立っていたんだろう。
耳と尻尾はなくとも、賢狼は賢狼。
深い思慮に基づいて出された言葉のはずだ。
狼の大好物のぶどう酒を選びながら、それでも頭の葛藤が絶えることはない。

そうなると自然と俺の行動もどうするべきが正しいのか、わからなくなる。

ロレンス「寝かせておくべきか、飲むべきか」

「こういうこともある」

後ろで声がしたのとほぼ同時、迷っていた二つの酒は、
差し出された手によって掠め取られた。

ロレンス「……ひさしぶりですね」

振り向かずに言った。

マリエ「上等な酒ならうちで出してやると言ったはずだが」

688: 2010/07/25(日) 02:02:12.17 ID:7ZZqmg20
ロレンス「買出しですか?」

マリエ「町であんたを見かけてな。丁度話がしたかった」

ロレンス「もう会わないことを願ってらしたのでは?」

マリエ「会っちまったんだから仕方ない。オレに声をかけられるのは嫌かい」

ロレンス「そうでなくとも警戒してしまいますね」

マリエ「ならば正解だ」

手にとったぶどう酒を俺に渡す。

689: 2010/07/25(日) 02:19:28.29 ID:7ZZqmg20
ロレンス「………?」

マリエ「鈍いんだな」

言うほどに呆けてはいないつもりだった。
でき得る最大限の回転を頭に強いる。


そして刹那に弾かれた答え。
目の前の光景が、鈍く、歪んでいく。

ロレンス「まさか」

マリエ「動くな」

ぶどう酒を渡したのとは別の手に、黒い筒。
それが何かは聞かずともわかった。

マリエ「理解力はさすがだな、異邦人ロレンス。だが何を悔いても後の祭りだぜ。
    なんていったって、俺たちは出会っちまったからな」

くく、という声が今にも漏れそうな物言いだった。

690: 2010/07/25(日) 02:30:05.95 ID:7ZZqmg20
マリエ「住まいの方ははもう手遅れだ。うちの奴らがだいぶ前に向かった。
    あんたのつれの女、上等じゃないか。
    あれはこちらで抑えている。御曹司の間抜け面が目に浮かぶようだ」

ロレンス「何が目的です?営利目的でやってることではない。
     あなたとユウがライバル企業だとしても、抑える利はないでしょう」

マリエ「素人考えじゃあそうだろうけどな。任侠ってのは金になればなんでもいい。
    前に言わなかったか?」

ロレンス「人質にとって強請る気ですか。いざとなれば我々を切れるというのに?」

マリエ「それも素人考えだな。…まあ、後の話は車でしよう」

微妙な距離を保ったまま店を抜ける。

691: 2010/07/25(日) 02:41:20.28 ID:7ZZqmg20
マリエ「出せ」

いかにもといった雰囲気の車にのせられる。
不思議と心は落ち着いていた。

横腹には拳銃が当てられたまま、話す。

マリエ「相変わらず太い奴だ。やはり一度や二度ではなさそうだな」

ロレンス「荒野を歩いていますとね、騎士や傭兵、狼、熊なんてのはざらに出会います」

マリエ「その中でたとえるなら、この状況は何だ?」

ロレンス「いませんね。道を歩いていたら、たまたま同業者に出会った。それだけです」

マリエ「は、なるほどな。だが商人ならば分かるだろう?
    商人がこの世で一番怖いのは、同業者に他ならない」

ロレンス「戦う相手くらいは選ばせてもらいたいものです」

マリエ「そりゃあ聞けねぇな」

692: 2010/07/25(日) 03:25:52.37 ID:7ZZqmg20
マリエ「あんたらはあれを慈善活動だといってるみたいだが、それだと余計に困るやつらもいるんだよ」

ロレンス「営利活動でないと困る、ということですか」

マリエ「いや、それはそれで困る。まったく世知辛いけどな」

ロレンス「どういうことです?」

マリエ「あんたらみたいに金をばら撒いて慈善活動なんざやられたら、
    それ以外の産業はどうなる?あの町の奴らはこう思うだろう、やっかいな競合が生まれた。
    金じゃあ動かない上に、流行はお前らにもっていかれちまう。
    金を使わない分他に流れるってわけじゃなくてな、どういうわけか人間ってやつの関心は絞られる。
    新規参入よりもたちが悪い。商人のセオリーが通用しないからな」

ロレンス「ユウはスポンサー出資をすべて断ってましたからね」

693: 2010/07/25(日) 03:56:57.12 ID:7ZZqmg20
マリエ「にしても、ケツ持ちの相手が個人とはな。普段ならこんなことしないが、
    今回はオレにとっても利害が一致していた。
    あんたと知り合いだと言ったら、たんまり弾んでくれたぜ。
    もっとも、営利目的ならば別の形でこうしていたかもな」

ロレンス「どちらにせよ、また出会っていた」

マリエ「忠告はしただろ?」

くすくすと余裕を見せている。

ロレンス「それで、我々を拘束したのは?始末するだけならこんなこと必要ないでしょう」

マリエ「利害が一致したと言っただろ。
    最初は脅すだけにしようかと思っていたが、これでも商売人だ。
    妙に頭が巡ってな。あんたらをダシにしてもう少し儲けたい。
    御曹司の企業に出すカードとしては絶好の機会だ」

真偽については、さすがに傑物、わからない。

694: 2010/07/25(日) 04:40:45.39 ID:7ZZqmg20
ロレンス「カード?やはり人質、……いやちがう」

マリエ「オレたちのやり方はルールさえ守ってれば、それこそなんでもする。
    地味で、根暗で、じっくりと目的を遂行する。
    ちくちく、ちくちく、逆らった後の人生はストレスたまるだろうな。
    理解してもらったなら、ここからは交渉だ」

ロレンス「交渉?」

マリエ「御曹司の企業の情報を定期的にこっちにあげてくれ。
    見たところあのつれはあんたに靡いてるんだろ?
    あんたなら、あの企業に取り入ったまま、つれを説得できるはずだ。
    慈善活動は中止、これからは専業するってな」

ロレンス「その前に、あなたはあの店のオーナーだ。
     部下ではなくあなた本人がここに出てきたなら、告発できる」

マリエ「やってみたらどうだ?
それが長期的に見てメリットにならないことはすぐわかると思うぜ。
    俺らは組織の一部でしかない」

ロレンス「………」

695: 2010/07/25(日) 04:51:51.12 ID:7ZZqmg20
マリエ「慈善活動ならば巻き込まれない、とタカをくくっていたのか。
    そして今になって頭をひねらせてるな?あんたは商人失格だな。
    諦めろ、打開する策なんてないさ。
    オレがあの店であんたに出会ったときから、決まっていたことだ」

すべてを見透かしたその瞳は深く、底が見えない。

ロレンス「連れは、無事なんでしょうね」

マリエ「あんた次第だ。今すぐ頃してもオレは金をもらえる。商人ならば周りの人間も欺いてみせろよ。
    だが騙す相手を間違えると大変だ。オレたちはカタギだろうがなんだろうが、
    裏切った輩に対しては簡単にこいつをぶっ放せる生き物だ」

ロレンス「……ホロを説得し、あの活動を中止した上で、続けて企業に取り入り、情報提供者としてあなたに加担すること。
     条件はこれですべてですか」

マリエ「そうだ」

696: 2010/07/25(日) 04:58:05.95 ID:7ZZqmg20
ロレンス「会ったときに言っていた、カタギには手を出さない、っていうのも方便ですか」

マリエ「もちろん出さないさ。だが、メンツは保たねえとな。
    ヤクザが交渉を足蹴にされたら、報復しなきゃいけない。詭弁だと思うか?」

ロレンス「ええ」

マリエ「筋ってのは理屈がつながってりゃなんでもいいんだ。
    商売と一緒さ」

ロレンス「あなたに会ったときに気づくべきでした。
     やっぱりあなたは守銭奴だ。私の知人にそっくりです」

マリエ「そいつは傑物か?」

ロレンス「リスクのとり方を除けば」

マリエ「はは、あんたが言うくらいならよっぽどだろう。
    スパイが終わればうちに来てもらってもいい。
    ……安心しろよ、お連れのお姫様にはあとで会わせてやる」

高笑いしながら、マリエとオレを乗せた車はスピードを上げていった。

713: 2010/08/03(火) 02:57:31.72 ID:oKHZZF20
ホテルの一室にホロは捕らえられていた。
部屋に通されてまず聞いた発言は、

ホロ「見たことある顔じゃの」

マリエは目をつぶって不適な笑いを残すと、
手を振りながらどこかへ行ってしまった。

部屋には俺とホロだけが残される。
逃げ場はない、ということだろう。

ロレンス「それを言うならこの状況もだろう?」

ホロ「…ほう、その言葉の意味することはすなわち、
   ぬしはまた騎士になってくれるのかや?」

さすが賢狼だけあって、少しも取り乱した様子はない。

ロレンス「今度は本当の意味でならなきゃいけないかもな」

ホロ「いつもわっちにたよっておるからじゃ、たわけ」

言いつつも、体は俺に寄せられている。

714: 2010/08/03(火) 02:59:45.66 ID:oKHZZF20
ロレンス「……無事でよかった」

ホロ「それも聞いた台詞じゃが、あえて返させてもらおうかの。
   ………ぬしがその麦を持っている限り、わっちは消えはせぬ」

ロレンス「だが、この時代じゃわからないだろう?」

ホロ「ふむ、ならばこれは夢じゃ。胡蝶の夢。
   わっちは蝶、さしずめぬしはその羽かや?
   もちろんこれから、派手に空を舞う手筈は整っておるんじゃろうな?」

ロレンス「たまにはお前にいいところを見せないと、捨てられてしまうからな」

ホロ「くふ、わっちの連れはこうでなくては困りんす」

腕の中で目を閉じる狼。

ホロ「……で?作戦は?」

ロレンス「少しばかり面倒だし、多少の犠牲は必要になるが……」

ホロ「なあに、ぬしにとって、
   わっちの機嫌より優先するべきものなど、ほかに何があると言うんじゃ?」

一人だと震えそうな謀でも、この連れとなら笑い話にできる。

改めて思い直した。

719: 2010/08/03(火) 17:05:35.94 ID:TcHLF2g0
マリエ「で、答えは?」

別室に待機していたマリエの周囲には、黒服の男たち。
一見しただけで、その物腰が穏やかでないことがわかる。

マリエ「気にするな。ことがことなんでね、少しばかり急いている」

ロレンス「その割りに落ち着いていますね」

マリエ「物事は冷静さを欠いたらおしまいだが、熱を失えばいいというものでもない。
    大切なのは中庸というやつだ。オレの口癖でな、いうなれば『冷静と情熱の間』。
    ちょうどいまの状況がそれにあたる。心地よい緊張感だろ?」

ロレンス「商談はいつだって緊張の連続です。
     熱を持った皮算用というやつは、一日置いて冷やさないと、
     とても食べられたものじゃない」

マリエ「あんたとこうして話しているのも悪くないんだがな。
    何にせよ出会った場所が悪かった。……時代も、立場も。
    そろそろ決めてもらうぜ」

マリエが右手をあげると、一人の黒服がこちらに筒を向けた。

マリエ「リーチ」

自慢げに、出会ったときのセリフを吐く。

721: 2010/08/03(火) 17:19:26.29 ID:TcHLF2g0

ロレンス「貴方は我々のことをカード、といいましたね?」

マリエ「何?」

ロレンス「我々の時代ではまだ貴族の嗜みだそうですが、
     この時代においては広く大衆に流通していると聞く」

マリエ「………」

ロレンス「もち札は違えど、順番は平等に回ってくるものです」


マリエは動かず、ただ目を細めるだけだった。







ロレンス「さて、では商談をはじめましょうか」






俺の言葉とともに、あきれたように両手をあげる。

722: 2010/08/03(火) 17:25:41.09 ID:TcHLF2g0
マリエ「馬鹿なことを。は、これが商談だと?残念ながら違うな。
    オレの言い方はわかりにくかったか?
    ならば言い換えてやろう、『オレたちの言う通りにしろ。さもなくば…』」

ロレンス「ビジネスになるならば?」

空気が止まった。

ロレンス「貴方は確かに私に言った。『金のためならば何でもする』。
     言い換えれば、あれが利益を生むならば、そこに私怨は絡まないはず。
     大金の前では、人の気持ちはこれ以上ないほど価値を失う。そうですね?」

頭の中ではこの先の相手の出すカード、自分の手持ちのカードを整理する作業に必氏だ。

マリエ「まさか、売りつけるつもりか?オレたちに?」

ロレンス「そのまさかです」

黒服がとっさに動こうとしたが、マリエが右手でとめる方が一瞬早かった。


ホロ「くふ、これは心地よい緊張感じゃの?」


今この部屋で笑う余裕があるのは隣の狼だけだ。

723: 2010/08/03(火) 17:40:16.15 ID:TcHLF2g0
マリエ「……ふん、馬鹿馬鹿しい。ヤクザ相手に宗教を売りつけるだと?
    冗談もほどほどにしておけよ、異邦人。
    どこの世界に宗教をやるヤクザがいるというんだ。
    それに企業からもらった金、
    あの御曹司をつぶしてこっちに流れる利益はいくらになると思ってる?
    とても釣り合わない、却下だ」

ロレンス「第一に、営利化した場合の利益は保証しましょう。
     これでも連れは天下一品の才色兼備、頭も回れば口もまわる。
     第二に、ヤクザ相手がどうのこうのという話ですが、
     今言った器量の良さはお墨つきです。
     ………あなたがたの、同業者のね」

マリエ「!!」

ロレンス「もう入ってきていいんじゃないか?」

扉が、ゆっくりと開く音。黒服たちはとっさにおのおのが持っている筒を取り出したが、
その姿を見た瞬間、それを懐に戻した。

マリエ「…………いつから気づいていた?」

ロレンス「最初からですよ。あなたが彼に固執するのがひっかかりましてね。
     それに居候先は金めぐりがよすぎました。
     芸能界や娯楽、ITに関しての知識、プロモーションの技術。
     決定的だったのはあなたが襲撃してから連絡がなかったこと。
     さすがに親元を同じとする相手に手は出せなかったようですね」

ぎり、と歯ぎしりの音がこちらまで聞こえてきそうだ。

724: 2010/08/03(火) 17:56:34.67 ID:TcHLF2g0
ロレンス「ユウ、お前が俺たちに最初に言った言葉を覚えているか。
     『両親は会社を経営している』。
     お前が言う親ってのは、血のつながりがない親、だろう?」

そちらの世界の呼び名なら、ある程度は知識として得ていた。

ユウ「……ロレンスさんにはバレても仕方ないと思っていました。
   しかし、こんな形で……。これだから、神が、必要だというのに」

対するマリエはわなわなと震えている。

マリエ「何が商談だ、ふざけやがって……」

ロレンス「時間稼ぎが必要でした。彼がここに来るまでの、ね」

ユウがその道の人間だと推理した瞬間、俺はとっさに連絡をした。
予測通り、どうやら二人は元兄弟分だったようだ。
ヤクザ同士の仲違い、ユウの葛藤、マリエの謀反、想像できることは色々あったが、
大事なのは切り札としての役割。

親元を同じとする相手にその存在を知られては、行動するにできない。
俺をスパイにしようとしていたのは、正体がバレぬようにユウを貶めるため。
俺たちを頃してしまっては意味がない。目的はユウを貶めることなのだから。

御曹司、という呼び方もひっかかった。マリエはすでに大金を得ている立場。
そこまでして相手にこだわる理由はひとつしかない。

ユウ「あとはこちらでやります。ロレンスさん、先に戻っていてください」

ぞろぞろと黒服が部屋に入ってくる。
俺とホロは一息つく間もなく、部屋から飛び出していた。




ホロ「で、筒を向けられた気分はどうだったかや?」

ロレンス「まるで勇敢な騎士になった気分だったよ」

隣の狼は、くつくつと、これ以上ないくらい愉快そうに笑っていた。

725: 2010/08/03(火) 18:06:49.36 ID:TcHLF2g0
それから、結局あの事業は誰に譲渡するでもなく、
中古で買われた神様はまたその身をどこかに隠してしまった。
ユウ曰く、カタギを危険にさらした『ケジメ』らしい。
そういうところはそっくりだ。

マリエの件はどうやらそちらの世界の流儀でカタがついたらしい。
いったいどんなカタのつけ方なのかと聞いてみたが、
荒っぽいそれではなく、やはりそこも金で解決したとのこと。

ユウ「マリエは以前、僕と同じ屋号を背負って経営をしていました。
   ご存知の通り、我々の事業は金が入れば何をしてもいい。
   あいつはああいう性格です、僕とは馬が合うはずもないでしょう?
   すぐに袖を分かちましたよ。親父は僕の方を気に入ってましてね。
   あれが僕のことを御曹司と呼んでいたのはそういうわけです。
   それからですよ、私があの慈善活動に興味を持つようになったのは…」

本当に生まれと育ちというものはわからない。

裏家業に手を染めていたかと思えば、
屈託のない笑顔で人を救いたいなどと言い出すヤクザ。

人は見かけで判断するな、とはまさに言い得て妙だ。

726: 2010/08/03(火) 18:19:01.85 ID:TcHLF2g0
俺はその後、ユウの企業の手伝いを本格的にするようになった。
もっとも、真っ当な分野の仕事に限るのだが。

ホロはホロで、たまに例の場所に赴き、人々と交流したりしている。
時間が経つのは早いもので、この時代に迷い込んでから季節は二度変わった。

ロレンス「結局、マリエも金だけでは動いていなかったというわけか。
     つまるところあれは私怨ゆえの行動だった」

ホロ「世の中理屈だけで生きられたらもっとうまくいくのかもしれぬが、
   そうもいかぬのもまた摂理。ゆえに今回のような、
   標を示す何かを人は求めるということじゃ。
   ……ぬしがわっちにとっての、騎士になりたいと思ったようにの?」


ベッドで寝そべりながら、ホロはからかうように言った。
苦笑いをするしかない。

727: 2010/08/03(火) 18:24:28.86 ID:TcHLF2g0
ホロ「わっちがなぜ小僧に協力したかわかるかや?」

ロレンス「……残念ながら」

ホロ「これだからぬしは駄目じゃ」

ロレンス「はいはい、ではよろしければ伺ってもよろしいでしょうか、お姫様?」

ホロ「わっちが標を示してやりたかったのはあの小僧じゃ。
   自身は無宗教と言い張るやつじゃったが、あれが求めていたのは、
   『言葉にできない何か』に他ならぬ。
   人が上を向いて歩ける世界、なんてものはその最たる例じゃろ?
   実際にはあやつ自身が宗教に救いを求めていたんじゃろうな。
   
   ……思うんじゃがの」
 
一息ついて、言葉を吐く。

ホロ「この時代の神は氏んだのではない。
   人が、自分の足で立つ道を選んだんじゃ。
   
   かつての神はおそらく、その道を選んだ人の後姿に、
   黙って手を振っていたに違いありんせん。
   彼奴らは自分らを高め、強くなろうとしたんじゃ、
   止める道理はありんせん、とな」

語る神の像に、どこか自分を重ねているような、そんな物言いだった。

728: 2010/08/03(火) 18:37:01.66 ID:TcHLF2g0
ホロ「ぬしにいたってはまだまだ、わっちがいないと駄目みたいじゃがの?」

ロレンス「俺はお姫様の騎士、だからな?お前を守る義務があるんだ。
     お前の標にならなくてはな、うむ」

ホロ「標……?くふ、強がるのはよいが、ほう。
   なるほどなるほど」

ロレンス「?」

嫌な予感がすると感じたときには遅かった。

ホロ「ならばぬしは『語れぬものを語って』くれるのじゃな?
   ……それこそ毎夜のように、のう?」

とたんに顔が赤くなるのを感じた。
しまった。

ホロ「くふ、愛の囁きは何度聞いても心地よい。標となるならなおさらじゃ。
   ならば今宵わっちは上を向かぬ。
  
   わっちが上を向いてぬしに近づけるように、
   ほれ、早くわっちに説いてくりゃれ?
   
   
   ぬしの愛の説法をのう?」


この悪どい狼が上を向いて歩けるようにするために、
俺はこの先何度説法を説かねばならないのだろう。
考えるのもうんざりしたが、次の瞬間には抱きしめていた。


語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。

だってそうだろう、俺たちにできるのはいつだって行動だけだ。
この狼とすごす日々は、たぶんこれからも続いていくんだろう。




それこそ標を持たない、人が歩む道のように。

729: 2010/08/03(火) 18:38:59.35 ID:TcHLF2g0
おしまい。

結構長くなってしまいましたが、狼と香辛料についてはこれでおしまいです。
立てたときからお付き合いしてくれた方、
途中から見てくれた方、ありがとうございました!

たぶんあっしはその辺にいるので、見かけたら声をかけてくれると光栄です。


それでは、また。





あでぃおーす!

730: 2010/08/03(火) 18:41:24.81 ID:Dj5mueYo
ブラボーおおブラボー…
何回か読み返した後
現人神の情報を集める事にしよう

731: 2010/08/03(火) 18:44:20.36 ID:7/A6B.AO

向こうもリアルタイムで見てて思ったんだけど、神ってのは>>1のことだと思うんだ
しかしこれだけテイストの違う文章をかけるのも珍しいな…
次回作も期待してます!

733: 2010/08/04(水) 00:39:58.53 ID:YwDwhbEo
当初から読んでたがほんとによかったぜ
狼と香辛料の外伝を普通に一話読んだような気分

浮気は見逃してやる、乙!

734: 2010/08/04(水) 01:11:48.01 ID:8mkGSng0
浮気先も見てたが、まさかあなただったとはwww
乙です!!


ところでロレンスたちは元の世界に戻れなかったのか・・・?
ハッピーエンドのようでバッドエンドでもある…
微妙な気分だ

引用: ホロ「ぬしよ」