1: 2016/07/22(金) 20:12:18.65 ID:3lJLdVKO0.net
帰ってきたキス魔にこにー

文章の感じが変わったのはご愛嬌にこ

最初 ~ まきりんぱな編・前編

まきりんぱな編・後編


2: 2016/07/22(金) 20:13:34.39 ID:3lJLdVKO0.net


「はぁ……暇ね……」

凛のせいで遅刻してしまった授業も終わり、休み時間がやってきた。

本来なら休み時間になる度に絵里に抱っこされる運命(さだめ)を背負っていた私だったけど、今日のそれは絵里の自粛によってなくなった。

気楽になったといえば気楽なんだけど、やることがなくなって暇になったともいえる。

「希んとこ行こうかなー」

机にべたーっと寝そべりながら、ぼそっと呟く。

別に絵里の『お願い』がなくったって、休み時間にあいつらのところにいってもいいはずだ。

3: 2016/07/22(金) 20:14:33.84 ID:3lJLdVKO0.net
(ただ……行ったとしても、絵里がまだ面倒くさい感じかもしれないのよね。あー、どうしよっかなぁ)

教室でだらーっとしてるのも、悪くないっちゃ悪くない。

放課後に始まる『お願い』たちとの戦いに向けて、心に休養を与えてあげなくちゃ、っていうのもなくはない。

(これで、周囲から突き刺さる視線さえなければ……)

実は先程から突き刺さっているクラスメイトたちからの視線。

絵里のところへ行こうとしない私を不思議そうにチラチラと窺っている。

(この視線が、私の人気から来るものならともかく……絵里の人気なのがね……)

7: 2016/07/22(金) 20:16:59.43 ID:3lJLdVKO0.net
絵里は女性人気が高い。

同じ学校に所属する同学年の彼女たちからだって、同じこと。何事にも絵里に絡むとなれば、注目度が途端にアップする。

しかも、その憧れの絢瀬絵里が誰かを膝抱っこするともなれば動向が気になってしまうのも当然のこと。

直接問いただしてくるようなクラスメイトがいないのは、私がクラスで浮き気味だからでしょうね。あはは……。

(だめだめ、自分でいってて憂鬱になるわ)

クラスに置ける自分の立ち位置に思いを馳せるのはやめましょう。ネカティブになるだけだ。

それくらいなら、面倒くさい絵里と一緒にいたほうがマシだ。希と一緒にイジって楽しんでやろう。

「んー、しょっと」

立ち上がり、丸めていた背中を伸ばす。肺に溜まった空気を押し出しながら周囲を見渡す。

サッと逸らされる視線に苦笑を漏らす。そうよ、ポジティブに考えればいい。これは人気者の宿命ってやつなのだ。

「さて、行きますか」

あいつらが何処かに行っていないことを願いながら、隣の教室への一歩を踏み出した。

9: 2016/07/22(金) 20:18:46.06 ID:3lJLdVKO0.net


そして時は経過し、放課後。

いつものように部室へ向かっていた私の目の前に、亜麻色の髪の乙女が笑顔で駆け寄ってきた。

「あ!」

「げっ」

その乙女は私の発した『げっ』を毛ほども気にせず、ほわほわとした笑みを浮かべたまま更に近づいてくる。

「にこちゃん、みつけたぁ」

南ことり、17歳。理事長の娘。μ'sの衣装担当。穂乃果と海未の幼なじみ。

大人しそうに見えて、意外と頑固で芯が強い。甘いものが好きで、特にチーズケーキが好き。あと、いつも笑顔のせいか真顔になると怖い。

プロフィールをつらつらと脳内で思い出しているのは、これから起こることに対する心の準備運動なのかもしれない。

10: 2016/07/22(金) 20:20:31.36 ID:3lJLdVKO0.net
「……どうしたのよ、こんなところで」

「にこちゃんと一緒に部室にいこうと思って。別にいいよね?」

二年生の教室と三年生の教室は、校舎でいえば部室を挟んで反対側にある。

だから、わざわざこっち側にいるってことは、まあそういう理由だろうなって見当はついていた。

「わざわざご苦労なことで。……好きにしなさい」

多少の戸惑いのせいか、なかなか素っ気ない返事をしてしまった。嫌味ったらしくなかったか心配になってくる。

「ふふ、良かったぁ。それじゃ、失礼しますっ」

しかしことりは私の返事を全く気にする様子もなく、それどころか、隣に並ぶと同時に自然に腕を絡めてきた。

驚きはしたが、この一週間で似たような行為は散々繰り返されていたから慌てはしない。

11: 2016/07/22(金) 20:21:04.55 ID:3lJLdVKO0.net
「……人が来たら離れてよね」

「わかってるよー」

―――慌てはしない、とはいえ。それは慣れているというわけではない。

「えへへ~」

ベッタリと体を寄せてきて、そんな嬉しそうな表情を向けられると……その、あれよ。

私の心の中は、少しだけ―――本当に少しだけ、ドキドキと高鳴ってしまうのだ。

(くっつきすぎだっつの!)

12: 2016/07/22(金) 20:22:05.14 ID:3lJLdVKO0.net



「ほらほら、いつまでもお喋りしない。そろそろ練習はじめるわよ!まずは柔軟から―――」

μ’sの練習は絵里の合図で始まる。いつも思うけど、この仕切り力は見習いたいところだ。流石は元生徒会長といったところね。

うーん、でも、現生徒会長の穂乃果は普段はボケっとしてるし、やっぱり個人の資質なのかもしれない。

「にこちゃん、こっちだよ~」

「はいはい」

そんなしょーもないことを考えながら、ことりのほうに歩み寄る。

まず最初に行われる柔軟は、いつもなら真姫ちゃんあたりと組むことが多いけど、今はことりと組んでいる。なぜか。

(って、そんなの理由はひとつしかないわよねー)

放課後から、練習が終わるまで。それがことりとの『お願い』の時間。

まとまった時間がないかわりに、練習中でも隙を見てかなえてもらってもいい―――というのが、私を除くみんなで決められたことらしい。

13: 2016/07/22(金) 20:23:03.76 ID:3lJLdVKO0.net
(仲良く時間の配分してるなら、それはそれでいいけど。……別に、いいんだけど!)

今更ながらに、時間配分に私の意思がまったく反映されてないことに多少の不満を覚えつつ。

とにかく今は、柔軟をキッチリしましょう。おろそかにすれば、怪我の原因になってしまう。

ことりに背を向けるようにして、地面に座る。

「それじゃ、先に背中押してくれる?」

「はーい、かしこまりました♪」

ことりって、素の状態でもメイドっぽいわよねぇ……などと暢気に思いながら、手足を左右に広げて伸ばす。

何度かその動作を繰り返して、準備は完了。さあことり、いつでも来なさい。

14: 2016/07/22(金) 20:23:42.63 ID:3lJLdVKO0.net
「じゃあいくね~。……えーいっ」

背中にあてられたことりの両手に力がこもる。ぐい、ぐい、ぐいー。

なかなかどうして、ちょうどいい感じ。苦しくない程度に痛気持ちいい。

「あ~、気持ちいいわぁ……」

「お客さん、こってますねー?」

「ふふ、なによそのノリ」

ことりは空気を柔らかくするのが非常に上手い。くだらないやりとりでも、なんだか癒やされてしまう。

だからこそ、だろうか。私は完全に忘れてしまっていた。ことりの『お願い』は、決して油断してはいけないものだということを。

15: 2016/07/22(金) 20:25:07.95 ID:3lJLdVKO0.net
ことりは空気を柔らかくするのが非常に上手い。くだらないやりとりでも、なんだか癒やされてしまう。

だからこそ、かしら。私は完全に忘れてしまっていた。ことりの『お願い』は、決して油断してはいけないものだということを。

「ねぇ、にこちゃん……」

「んー?」

「―――隙ありっ♪」

気付けば両脇の下に、ことりの腕が伸びている。ぞわぞわっと背筋が凍りついた。

これから何をされるのか、瞬時に予想がついたから。今からでもガードすれば―――いや、間に合わない!

「それ、わしわし~!」

「ふひゃあっ!」

突如行われた容赦なしのわしわし。痛いような、こそばゆいような、体をよじりたくなるような、色んな刺激が襲ってくる。

反射的に体をそらそうとしてみても、体勢が悪いのか、ことりの両手が執拗に絡みついてきて離れることができない。

16: 2016/07/22(金) 20:26:10.26 ID:3lJLdVKO0.net
「ちょっと、ことりっ!や~め~な~さ~い~っ」

「えっへっへ~、良いではないか~」

「よかないわよっ!はなれろー!」

じたばたと必氏にもがいても、心底楽しんでる笑い声が聞こえてくるばかり。

まったく、なんてやつなの。ほのぼのとした優しい雰囲気を壊してまで、セクハラをしてくるなんて。

「ふふふ、ごめんね。もうやめるから、怒らないで。ね?」

やっと離れたことりをガルルルと威嚇してみるも、効いちゃあいない。

何事もなかったかのように柔和な笑みを浮かべて、のほほんとしている。

17: 2016/07/22(金) 20:26:57.91 ID:3lJLdVKO0.net
「……別に、怒ってないし!」

「本当かなぁ。ことりには怒ってるように見えるけど……」

「ふん。そういう『お願い』でしょ。怒ってないわよ」

「そっかぁ~」

思わず釣り上がりそうになるまなじりを必氏に抑える。そう、あくまでも私は怒ってなどいない。

ことりの『何をしても怒らない』という『お願い』があるから。

どれだけ怒ってるように見えたとしても、私が怒っているわけがないのだ。うん。

「ことり。柔軟、交替しましょ」

「あ、うん。お願いするね?」

いつだったか、この子を女神みたいだなんて思ったことがあったけれど、とんだ間違いだった。

ことりは、にこにも匹敵する―――ううん、にこ以上の小悪魔だ。素直に負けを認めようじゃないの。

柔軟の準備がすんだ様子のことりの背中に優しく手をかける。

「いた、いたたっ!にこちゃん強く押しすぎだよ~!やっぱり、怒ってるよね!?」

20: 2016/07/22(金) 20:29:36.26 ID:3lJLdVKO0.net



「十五分、休憩です。ちゃんと水分補給しておいてくださいね」

「ぜえっ、ぜえっ……はぁー……ふぅ……。あ゛ー、疲れた……」

休憩の号令がくだされて、すぐさま人気のない日陰のほうにいって壁によりかかった。

他の面々はいえば、元気にお日さまの下で楽しそうにお喋りしているけれど、こちとら海未教官の鬼指導によって体はクタクタになっている。

もともと体力がないほうとはいえ、その差に泣きそうになる。……とにかく、ほんの少しでも体力を回復しましょう。

(あ、そういえば、水分補給しないといけないんだった……)

そんなことを思っていた時、ちょうどことりが私のもとへとやってきた。

「にこちゃん、水筒もってきたよ?はい、どうぞ」

「ん……ありがと」

助かった。取りに行くの面倒くさいなぁと思っていたところだ。

水筒―――中身は何の変哲もない麦茶―――を受け取って、こくこくと喉を潤す。うーん、生き返る。

21: 2016/07/22(金) 20:30:58.16 ID:3lJLdVKO0.net
「ハァー……五臓六腑に染み渡るわぁ~……」

「あはは、にこちゃんおじさんくさいよー」

この可愛い可愛いにこにーを捕まえて、おじさんですって……!?せめておばちゃんでしょ。いやそれもイヤだけど。

まあ、水筒持ってきてくれた恩があるから、聞かなかったことにしてあげるけどね。

「で、ことり。わざわざこっちにきたのは、何かしにきたんでしょ」

もちろん今も『お願い』の時間なので、ちょっかいをかけにきたことに問題はない。あるけど。

「うん♪」

「一体、何しに―――」

質問を制するように、ことりは私の真ん前に座り込む。

とりあえずその動きを眺めていた私に向かって、にぱっと笑ったかと思ったら、手を広げてこう言った。

23: 2016/07/22(金) 20:32:28.84 ID:3lJLdVKO0.net
「にこちゃんを甘やかしてあげようと思って♪」

「……はぁ?」

「疲れてるでしょ?ほらほら、こっちにおいで~おいで~」

ぱたぱたと手を振りながら私を呼び寄せている。

いや、いきなりそんなこといわれても行かないからね?私にも年上のプライドっていうものがあるんだけど……?

無言でことりを見つめていると、不思議そうな表情で頭をひねっている。私のほうが不思議だっての。

「どうしたの?甘えてもいいんだよ?」

「いやいや……、甘えないわよ。意味わかんないし……」

「えぇ~?」

「こっちが、えぇ~?よ。急になんなのよ……」

「えっとぉ……」

ことりの目が泳いで―――ではなく、屋上のどこかを窺っていた。視線の先を追う。

そこには、凛と真姫とお喋りに興じている花陽がいた。しばらく二人でみつめていると、こちらの視線に気がついたようだ。

しかしなぜだろう、すぐに視線を逸らされてしまった。ことりは私に向き直って、衝撃の事実を教えてくれた。

24: 2016/07/22(金) 20:33:49.54 ID:3lJLdVKO0.net
「あのね、にこちゃんの甘える姿がとっても可愛かったよ!って花陽ちゃんが教えてくれたの!」

(ちょっと花陽ぉー!何いってくれてるのよっ!)

どうやら昼休みの体験を赤裸々に語ってくれていたらしい。

ぐああ、あれが知られているなんて恥ずかしい。ただでさえ思い出したくない醜態なのに。

「それでね、ことりもそんなにこちゃんを見てみたいなぁって思って。……ダメかな?」

さっき胸を執拗に揉んできたやつと同一人物だとは思えない殊勝な態度。

しかし、あんなみっともない姿を人には―――特に下級生には見せたくないってのが本音だ。

私はいつだって、この娘たちの前では頼れる先輩でいたいのだ。……実際にどう思われているかは、ともかくとして。

25: 2016/07/22(金) 20:35:13.22 ID:3lJLdVKO0.net
「にこちゃぁ~ん……」

押し黙ったまま悩んでいると、ことりは拒否されたと思ったのか、うるうるとした目を私に向けている。

見ているだけで罪悪感に埋め尽くされそうになる表情だ。海未ならこれだけで何でもいうことを聞いてしまうことだろう。

でも、騙されてはいけない。ていっという掛け声と共にことりの額にチョップを落とす。ぽこっと、小気味いい音が響いた。

「なにするのぉ……?」

「だまんなさい。どうせ嘘泣きなんでしょ。いい?はっきり言っとくけどね、『お願い』以外は聞かないからね」

「うぅ~、にこちゃん酷い。今のって、怒ってるようなものだよ~」

悲しそうな雰囲気どこへやらと消え去って、今度は恨みがましい表情で私を睨んでいる。まあ、ことりがやってもまったく迫力はない。

「怒ってないし。教育的指導だし。そんな顔しても、ダメなものはダメ」

「むぅ~」

ことりはほっぺたをぷうっと膨らませて不機嫌アピールをしている。

この娘に限っては、天然なのか計算なのかわからない。

26: 2016/07/22(金) 20:36:28.57 ID:3lJLdVKO0.net
「あざといっていうか、ベタっていうか……はぁ、もう……」

どちらにしろ、せっかくの可愛い顔が台無しだ。

そう思って、ほっぺたの空気を吐き出させようと手を伸ばす。しかし、手は空を切った。

「ちょっと……」

すかっ。またもや空振り。

「くぉのっ……!ふぬっ……!」

すかっ。すかっ。ことりは無駄に敏捷性を発揮して、するすると避け続ける。

しかも、私の手が届くか届かないかの位置をキープしながら。器用なやつめ。

それにしても、普段はなんだかんだいっても、わがままを言うほうじゃないのに、どうしたのよ……。

27: 2016/07/22(金) 20:37:27.44 ID:3lJLdVKO0.net
「もー、なにがそんなに不満なのよ」

ことりは尖らせていた口を開いて、不満です!という表情のまま話し始める。

「だって……ずるいもん」

「はぁ?」

「花陽ちゃんだけ、ずるい!ことりも特別なにこちゃんが見たいもん!」

いうだけいって、またもや頬を膨らませ黙り込む。

甘えんぼにこにーを見たのは花陽だけじゃないという事実は置いといて。ああ、そういうことねと納得した。

つまり、花陽が羨ましくて拗ねていると。

28: 2016/07/22(金) 20:39:50.16 ID:3lJLdVKO0.net
(可愛いところあるわね~)

そういう事を―――幼馴染の二人だけでなく―――私にも思ってくれるのだと思うと、妙に胸がくすぐったい。

しかも、わがままで聞き分けの悪いことり、だなんて。幼馴染でも滅多に見れない特別なものといっていいと思う。

(そんなの見せられちゃったら、私だけ見せないわけにはいかないじゃない)

でも、甘えることは絶対にしたくない。

だから代わりに、別の宥める方法を考える。何かないかしら、何か……。

(そうだ、ついでに胸をわしわしされた復讐もしてやろっと。となると―――うん、あれがいいわね)

これはセクハラの恨みを晴らすチャンスでもある。そう考えるとやる気がみなぎってきた。

さっきみたいに頬を抑えようとしても逃げられるのがオチなので、抱きしめる形で捕まえることにした。

疲れきっている体にムチを打ち、ことりに突撃する。

29: 2016/07/22(金) 20:40:55.59 ID:3lJLdVKO0.net
「どりゃあっ!」

「ひゃあっ」

実にアイドルらしくない雄叫びをあげながら、ことりにしがみつく。動けないようにガッチリと体を固める。

「にこちゃん、」

「つーかまえたっ」

言葉を遮って、ことりの頭を強引に引き寄せた。一瞬だけびくっと震えたけれど、抵抗するでもなく私に身を任せている。

そして十数秒ほど経過した頃、まだちょっと不機嫌な様子のことりが口を開いた。

「……にこちゃん。私、今、汗臭いよ」

「そんなの私もよ。嫌なら離れるわよ?」

返事はない。嫌ではないってことよね。ちょっぴり安心したところで、髪をすくように撫ではじめる。

30: 2016/07/22(金) 20:41:57.06 ID:3lJLdVKO0.net
「仕方ないから、あんたにも特別なことしてあげる」

「ほんとう……?」

「本当。でも、甘える、じゃなくて、こういうことだけど―――」

ニヤリとほくそ笑む。ことりは完全に油断している。これが、この時が、私が狙っていた瞬間だ。

隙だらけの体に、わしわしの恨みとありったけの愛情をのせて首筋を狙う。

ぺろり。

「っ……!」

最高のタイミングで舐めたつもりだったけど、声を上げさせることは出来なかった。

ことりの恥ずかしい声をみんなに聞かせてあげようかと思ったのに、残念ね。

「ふぅ……っ、にこちゃ……ん……やめっ……てっ……」

「やだ」

肌を這い動く私の舌に、ついには声が漏れ始めて、拒絶が聞こえた。

しかしその言葉は、むしろ私を燃え上がらせるだけ。……でも本気で抵抗されたらやめようとだけ決めて、ことりの肌を味わい続ける。

31: 2016/07/22(金) 20:43:12.11 ID:3lJLdVKO0.net
「だ、め、だって、ばぁ……」

口とは正反対に体の力は抜けていっている。

舐める部分を下へ、下へと移動していく。首筋から肩へ、肩から鎖骨へ。反応は徐々に大きくなっていく。

「んっ……ぁ……」

おまけとばかりに鎖骨に唇を落として、軽く吸い付く。ちゅーっ。

「ふぁ……!」

それが決定打になったのか、ことりはふらふらとへたり込んだ。

ふふ。予定通り、お風呂で背中に水滴が落ちてきて、ひゃん、となる感じを味あわせる―――という目的は達成できた。

「ちょっと、大丈夫?」

呼びかけてみる。力が入らないのか、顔だけをこちらに向けた。どこか熱っぽい表情で私を見つめている。

なんとなく気恥かしさを覚えてしまって、誤魔化すために舌をんべーっとしながら、からかうように話しかけた。

「しょっぱかったけど、結構好きな味だったわ」

ことりの肌は汗でしょっぱかったけれど、甘いものを舐めた不思議な気分だ。

これって、ある意味では甘えていたのかもしれないわね―――っていうのは、変態チックすぎるかしら。

32: 2016/07/22(金) 20:44:43.37 ID:3lJLdVKO0.net
「……ちゃ……、…っち」

ことりはただでさえ赤かった顔をさらに赤くして、かすれるような声で何かをいった。

今なんていったの?聞こえなかった、と尋ねながら耳を近づける。今度は、ことりが声を大きくしたのもあってはっきりと聞こえた。

「にこちゃんの、えOち」

睫毛をうっすらと涙に濡れさせて、上目づかいに、甘ったるい声で、恨めし気に。

私を責めるその姿に、ぶつん、と理性の糸が切れる音が聞こえた気がした。

気がつけば、先ほどとは逆の首筋にかぶりついていた。

「ひぁ……!にこちゃん、だから、舐めちゃだめだってばぁっ!」

既に声は聞こえない。夢中になって、ことりを弄ぶ。舌の動きに反応して、体をくねらせているのが愛おしく仕方ない。

奥深くまで、執拗に。ことりがより反応をみせる場所を、もっと可愛い姿が見せる場所を探して。

「全部、あんたが悪いのよ?」

最初に望んだのは、あんただもの。責任はとってもらわなきゃ。

そして、結局、この卑猥で特別な行為は―――

休憩の終わりを告げにきた海未の、破廉恥ですビンタによって終焉を迎えるまで、続くことになった。

33: 2016/07/22(金) 20:46:29.01 ID:3lJLdVKO0.net



ぶっすー、という音が聞こえてきそうになるほど不機嫌な表情で、ことりが不貞腐れている。

ここまでぶぅたれている姿を見るのは初めてだから、正直面白くてしょうがない。だけど、一応尋ねておこう。

「今ならまだ追いつくかもしれないわよ?」

他のみんなは着替え終えて下校してしまったけれど、そんなに時間はたっていないから十分追いつけるはず。

とある都合により部室に居残っている私に付き合って、ことりも残らなくてもいいのよ?という意味を含ませて、優しく語りかけた。

「……」

ことりは何も答えない。じとーっと責めるように見つめてくるばかり。

「別に居たいなら、いいんだけど」

はじめは、せっかくの空いた時間だから、サービスで『お願い』を延長してあげようと思っていた。

でも、肝心のことりが、あのぺろぺろ攻撃が終わってから、ずっとこんな感じだ。

(やっぱり、ちょっと居心地悪いにこ……)

こうなっている原因は私にあるから、いいたいことがあるならいいなさい!と怒ることも出来ない。

36: 2016/07/22(金) 20:52:31.80 ID:3lJLdVKO0.net
「暇ねー……」

ことりから視線を外して、目を閉じる。肩の力をだらんと抜いて首をぐるりと回す。あーうー。体が疲れている。

『お願い』から解放されるまで、あと二人。長いんだか短いんだか。海未はともかく、穂乃果がね……と考えながら、目を開く。

目と鼻の先に、身を乗り出したことりが迫っていた。

38: 2016/07/22(金) 20:58:57.28 ID:3lJLdVKO0.net
「うわわっ!?」

がたがた!驚きで飛び上がり、バランスを戻せないところまでイスを傾かせてしまう。やばい、倒れる―――!

しかしその瞬間。どこからか伸びてきた腕が、私を引き寄せて元の位置に戻してくれた。まあ、どこからもなにも、ことりしかいないんだけど。

「危ないよ、にこちゃん。気をつけないとっ」

「あ、ありがと、気をつけるわ―――って、ぬぁんでよ!あんたのせいなんですけど!あー、びっくりした……」

39: 2016/07/22(金) 21:07:38.49 ID:3lJLdVKO0.net
ことりは、めっ、というポーズをとって注意をしてきた。

私が目を瞑っている間に心境の変化があったらしい。その表情には決意のようなものが見て取れた。

「そうなの?ごめんね。にこちゃんに聞きたいことがあったんだけど、寝ちゃったのかと思って……」

憂いを秘めたような顔で、そんなことを言うので、怒りが静まってしまった。

とりあえず、聞きたいこと、とやらの続きを促す。

40: 2016/07/22(金) 21:08:26.57 ID:3lJLdVKO0.net
「なに?どんなこと?答えるかは保証しないけど、いってみなさい」

一応、予防線を張っておく。変な質問ならノーコメントで切り抜けるつもり。

しかし、投下された質問は、思ってもみなかったものだった。

「……にこちゃんは、みんなの中で誰が一番好きなの?」

「はっ?」

予想外の質問に、間抜けな声が出てしまった。

誰が一番好き?なんて順位をつけるようなことを、仲良しこよしが大好きなことりがいうなんて、驚いた。

41: 2016/07/22(金) 21:09:12.65 ID:3lJLdVKO0.net
「……あんたでもそーいうの気にすんのね」

「ことりだって気にするよ。穂乃果ちゃんの一番は誰なのか。海未ちゃんの一番は誰なのか。……にこちゃんの一番は誰なのか」

「ふーん……」

幼馴染の名前が出てくるあたり、三人で仲良しという中にも色んな葛藤があったのかなー、と思いながらも。

これは少なくとも、ただの世間話というわけではないことを理解した。なので、正直に思ったままを答えることにする。

42: 2016/07/22(金) 21:10:12.46 ID:3lJLdVKO0.net
「にこが好きなのはね」

真剣な表情で耳を傾けてる。せっかくなのでもったいぶろう。少し間を置いてから、大仰に宣言する。

「私が好きなのは―――当然!この!にこ自身よ!」

ででーん。立ち上がり、ない胸を精一杯張りながら、にっこにっこにーを決める。

これ以上の答えはないっていうくらいの、会心のにっこにっこにーだった。

45: 2016/07/22(金) 21:10:58.32 ID:3lJLdVKO0.net
「にこちゃん、ふざけないで答えて」

しかし、ことりには通じなかったみたいで、真顔でこちらをみている。

別にふざけてないんだけど。というかその顔苦手だからやめてほしい。

「ふざけてない。私が一番好きなのは、私。最高に可愛い私が大好きで、そんな私だからこそ、みんなを笑顔にできるって思ってるんだし~?」

「私は、そういう話をしてるんじゃなくて……!」

「にこにとっては、そういう話なの」

46: 2016/07/22(金) 21:12:00.67 ID:3lJLdVKO0.net
続いた抗議の言葉を、ぴしゃりと撥ねのける。ことりは押し黙った。

「ほら、しけた顔してないで。あ、そうだ。私もことりに聞きたいことあるのよ」

重苦しい雰囲気は嫌いだ。場の空気を変えるため、逆に私のほうから質問してみる。

「……なぁに?」

「あんたの『お願い』って、なんで『何をしても怒らない』なの?」

内容は『お願い』のこと。他のメンバーは何かしらの行動を要求するものばかりだったけど、ことりだけが違った。

あくまでことりの行動に対して、私が怒らないという、一風変わったものだったから気になっていた。

47: 2016/07/22(金) 21:12:38.63 ID:3lJLdVKO0.net
「それは秘密ってことじゃあ……だめ?」

暗い顔を一転させて、ことりは焦りはじめる。

この反応は何かある。逃げ出してしまう前に追い詰める。

「私は答えたんだから答えなさいよ」

「えぅ」

答えにくそうにしているけれど、そんなの知らない。さあ、キリキリ吐きなさい。

48: 2016/07/22(金) 21:14:17.00 ID:3lJLdVKO0.net
「うー……あのね……そのね……」

指をもじもじさせながら言葉を探している。視線もあっちこっちにさまよっている。

早くいいなさいよと念じながら睨みつけていると、ようやく観念したらしい。すぅ、はぁと深呼吸して、口を開いた。

「穂乃果ちゃんとか、凛ちゃんみたいに抱きついたり、希ちゃんみたいに悪戯したり……そういうの、私もやってみたかったんだ」

「はぁ?……あー、まあ、そういうこと色々されたっけ」

49: 2016/07/22(金) 21:15:12.40 ID:3lJLdVKO0.net
くっついたり、悪戯されたり、くっついたり、悪戯されたり、くっついたり、悪戯されたり。

この一週間の思い出が駆け巡る。これまでになく、ベタベタされた。

「だから、そういう『お願い』だったら、私にも許してくれるかなって思って、そうしたの」

ことりは、全てを語り終えたとばかりに目を閉じた。

いやいや、なんだか清々しい感じになってるけど。にこは全く理解できてないからね。

50: 2016/07/22(金) 21:16:43.72 ID:3lJLdVKO0.net
「そんなこと『お願い』関係なく、やってくればいいのに」

思ったままを口にすると、ことりは驚いたかのように目を見開いて、私をまじまじと見つめだした。

その様子に不安になってくる。私、何か変なこといった?

「……いきなり、にこちゃんを抱きしめてもいいの?」

「時と場所さえ選んでくれたら、別にいいけど……?」

51: 2016/07/22(金) 21:18:08.25 ID:3lJLdVKO0.net
「希ちゃんみたいな悪戯は?」

「笑って許せる悪戯なら、まぁ……ちょっとは怒るかもだけど。わしわしにはキレるわ」

「私でも、そういうことして……いいの?」

「なに?遠慮してんの?同じμ'sの仲間でしょ、っていうか―――」

52: 2016/07/22(金) 21:19:01.67 ID:3lJLdVKO0.net
あの日の光景を思い浮かべる。

私の頬に何度も親愛の証を落としていった、ことりの照れる表情。そして、たった一度だけ交わった唇と唇。

「―――私達、キスまでした仲でしょ?」

ほんっとーうに、今更すぎる。私とあんたは、あんなことまでした関係なのに、どうして抱擁や悪戯程度でためらうのよ。

そんなことで悩んでいたなんてバカなんじゃない?といいそうになった。

55: 2016/07/22(金) 21:20:21.19 ID:3lJLdVKO0.net
「そっかぁ、そうだったんだ……あはは……」

ことりは安堵の言葉を零している。緊張の糸が切れたのか、いつものほわほわ笑顔が戻ってきた。

(とにかく、これで一件落着―――じゃ、ないわね)

ことりの話を聞いて、私の方に問題が発生したというか。やり残したことがあるのを思いだした。

56: 2016/07/22(金) 21:22:18.97 ID:3lJLdVKO0.net
「はぁ……、まさか、実はことりが心を開いてくれてなかったなんて……とっても悲しいにこ……」

よよよ、としなを作りながら、悲しそうな表情で呟く。
狙い通り、復活してきたほわほわ笑顔は、その言葉で硬直した。ことりは慌てて弁解し始める。

「あの、にこちゃんっ、別にわたしね、心をひらいてなかったとかじゃなくてね、自分に自信がもてなかっただけで―――」

「いっぱいほっぺにキスしてくれたのは嘘だったのかしら……はぁ……」

「だから、ちがうの!話きいてよぉ~!」

57: 2016/07/22(金) 21:23:32.04 ID:3lJLdVKO0.net
これまでの一週間、ことりは心の底で一歩引いていたらしい。
この事実に私はちょっと怒っている。そしてそれ以上に、自分が情けなくて仕方ない。

「やっぱりあれねー。足りなかったかな。それとも、我慢させすぎちゃった?」

「ほぇ? えっと、なんのはなしをしてるの……?」

それまでの私とことりはベタベタするような関係じゃなかったんだから、配慮すべきだった。
急に距離を近づけたのに、安心させてあげるようなこともいってなかった。

58: 2016/07/22(金) 21:24:22.14 ID:3lJLdVKO0.net
「これの話よ、これの」

決まってるでしょ?という態度で、ことりに指を突きつける。指し示している場所は、もちろんことりの唇だ。
しばらくして意味を理解したみたい。顔を赤らめて、視線が泳いでいる。見るからに挙動不審。

「あの日の約束、覚えてる?」

期待させるようなことをいって、そのままだった例のこと。
交わした約束は、未だ果たされていない。

59: 2016/07/22(金) 21:29:22.32 ID:3lJLdVKO0.net
「うん。覚えてるよ。続きは今度……だよね?」

これから何が起きるのかを想像しているのか、ことりの顔は既に紅潮しきっている。耳たぶも真っ赤だ。
あまりの気の早さにくすりと笑みを漏らす。まあいいや。きっと、その通りになるんだもの。

「こっちおいで」

手を広げて呼びかける。ことりは何もいわずに席を立ち、フラフラとあやうい足取りで歩み寄ってくる。
そして、ぽふ、と軽い音をたてて腕の中に収まった。

60: 2016/07/22(金) 21:30:28.73 ID:3lJLdVKO0.net
「にこちゃん……」

熱に浮かされたように見上げる瞳。浅く繰り返され、私の肌を焦がす吐息。互いの熱で、滴り落ちる汗。
その全てがキラキラと輝いて、ことりの可愛さをより引き立てる。そして、甘えるような声で、ことりは囁いた。

「……続き、して?」

ふと、壁にかけられている時計をみる。
二人で居られる残り時間は、長くもなく、短くもない。
そんな中途半端な時間だったけれど―――。

私とことりの、少しだけ開いていた距離をゼロにするのには、十分すぎる時間だった。

61: 2016/07/22(金) 21:30:59.14 ID:3lJLdVKO0.net
ことり編 終わり

63: 2016/07/22(金) 21:35:03.26 ID:3lJLdVKO0.net
次回、海未ちゃん編
明後日に投下するにこー

84: 2016/07/24(日) 22:05:38.23 ID:Yf4unqnT0.net
23時投下予定にこ

87: 2016/07/24(日) 23:01:46.03 ID:Yf4unqnT0.net



待ち人、未だ来ず。

「まだかしら……」

あの子のことだから、それ相応の理由はあるんでしょう。でも、だからといって待つのが辛くなくなるわけじゃない。
何度目かわからない溜め息をつきながら、彼女のことに思いを馳せる。

(顧問との話って、なんだろ……)

背後を振り向く。そこには、寂れた学校には似つかわしくない立派な弓道場が鎮座していた。

本当は中に入って待っていてもいいんだけど、どうにも雰囲気が苦手だった。

板張りの床。壁にかけられた弓。賑わっていた過去を思わせる書状と、錆びたトロフィー。

張り詰めるような、独特で、静かな空気。そういうのが肌に合わないんだと思う。

88: 2016/07/24(日) 23:02:36.17 ID:Yf4unqnT0.net
(どうせ次の大会の話でもしているんでしょうけど)

近く、そういうことがあると本人から聞いた覚えがある。

こんな遅い時間に話をしているのは、アイドル研究部のほうを優先してくれているからだ。

ありがたいことだけど、兼部は大変ね。

(帰ってからも習い事、あるのよね……。どんな体力してるのかしら)

89: 2016/07/24(日) 23:03:33.48 ID:Yf4unqnT0.net
本人によれば『ふふ、慣れですよ、慣れ』ということらしい。

その時の私は、よっぽど納得出来ない顔をしていたのか、『にこも、妹さんたちのお世話をだいぶしているのでしょう?同じことですよ』ともいわれた。

とりあえず納得している振りをしてはいるが、やっぱりどうなの?大丈夫?と思うことがある。

(ま、気にしすぎても仕方ないんだけど……)

大丈夫じゃなくなったら幼馴染あたりがどうにかするはずだし。
私はアイドル研究部の部長として見守るだけでいい。もやもやする気持ちを胸の奥底に仕舞いこんで、そう結論付けた。

「とにかく、早く来なさいよね……ばかうみ」

91: 2016/07/24(日) 23:04:50.45 ID:Yf4unqnT0.net



「―――にこ!お待たせしてしまって申し訳ありません!」

海未のつむじは、左巻き。最初に思ったことはそれだった。

というのも、弓道場の扉が開く音に反応して振り向き終える頃には、深々と下げられた頭しか見えなかったからだ。

そして、今もなお、すみませんすみませんと繰り返し下げられる海未の頭しか見えていない。

「顔あげなさいよ……。そんな必氏に謝ってるのを誰かに見られたら、私が怖い先輩だと思われちゃうでしょ?」

大抵の部活動がすでに終わっているとはいえ、構内にはまばらには人影があった。

こうしているところを誤解されて噂にでもなって、"衝撃スクープ!μ’s矢澤にこ、後輩イジメか!?"とでも新聞部に書かれてしまっては、色々とまずい。

……あれ?音ノ木坂って新聞部あったっけ?まあいいや。とにかく困ることには変わりない。

92: 2016/07/24(日) 23:05:27.03 ID:Yf4unqnT0.net
「しかし、かなりお待たせしてしまったので……」

控えめにそういって、ようやく見せた顔の眉尻は随分と下がっていた。

「そんな顔しないでよ。私、別に怒ってないし」

海未のいうとおり、結構な時間を弓道場の前で過ごしはした。でも、私は本当に怒ってなんていなかった。

どうせ顧問の話が長引いたとか、止むに止まれぬ事情があったのだろうし。遅刻を責めるつもりはない。

93: 2016/07/24(日) 23:06:32.51 ID:Yf4unqnT0.net
「ですが……」

「だーかーらー、いいっていってるのっ。しつこい謝罪は逆効果よ?」

「……そうですね。わかりました」

しゅん。少し語気を強めてしまったせいか、まさに意気消沈という具合にうなだれてしまった。

これから一緒に帰るというのに、そんな顔しないでほしい。ううーむ、ここはにこが慰めてあげるべきなのだろうか。

(……別に、説教じみたこといったのを、後悔してるわけじゃないからね)

誰に聞かれるでもない言い訳を内心に呟きながら、おもむろに海未の頭に手をのせる。

私の急な行動に目を白黒させている海未のことは気にせず、よしよしと撫ではじめる。

94: 2016/07/24(日) 23:07:32.57 ID:Yf4unqnT0.net
「に、にこっ、なにを……!」

「なにって……。よしよし?もしくは、いいこいいこ?」

「そういうことでなくてっ」

「え、嫌だった?じゃあやめるけど」

本当に嫌だったら、すぐさま振り払われていたでしょうけど……と思いながら、手を離す。

その瞬間、海未が、あっ、と寂しそうな表情をしたのには思わず吹き出しそうになった。

こういうところは実にわかりやすい。

95: 2016/07/24(日) 23:08:20.86 ID:Yf4unqnT0.net
「いやではない、です……」

「そ。じゃあ続けるわね」

もう一度、頭の上に手をのせる。真っ赤な顔で、海未はそれを受け入れる。

よしよし、よしよし。しばらく、髪型を乱さないように優しく撫でていると、次第に気持ちよくなってきたらしい。

目を細めて、とろんと眠そうになっている。

96: 2016/07/24(日) 23:09:23.84 ID:Yf4unqnT0.net
(こころたちも、こんな感じでよく寝かしつけたっけ)

ママが仕事でいない時は、それが自分の役目だった。

今だって、幼いこたろうを寝かしつけることはある。

でも、こころやここあが代わりにしてくれることも増えて、私の出番はなくなりつつある。

成長を嬉しく感じながらも、寂しいと思う気持ちもあったりして、海未を撫でていると、その気持ちがより鮮明に感じられる。

それに、そういえば―――海未にも、お姉さんがいると聞いたことがある。

姉と妹という立場は反対だけど、海未も似たように、寂しいと思っていたりするのかもしれない。

97: 2016/07/24(日) 23:10:13.25 ID:Yf4unqnT0.net
「ねえ、海未。あんたってお姉さんいるのよね?」

「……あ、はい。ひとり、歳の離れた姉が」

「ちっちゃい頃とか、よくこうされたりした?」

「そうですね……。姉は家をでるのが早かったので、あまり記憶は多くないのですが―――ふふっ」

海未は急に吹き出した。何事だろうと思う私に、海未は慌てて弁明する。

98: 2016/07/24(日) 23:11:13.17 ID:Yf4unqnT0.net
「いえ、あの……姉は、物事にはキッチリしている几帳面な人だったのですが。私を褒めるときは、ぐしゃぐしゃと頭をかき回す人でして」

「ふぅん?」

「それなのに、にこは逆に荒っぽそうに見えて、優しく細やかに撫でてくれる―――というギャップが面白く感じてしまって……ふふ、すみません」

「……それって、私は怒るところ?喜ぶところ?」

「どうでしょう、ね?」

荒っぽいという言葉には微妙に納得がいかないと思いつつ。

嬉しそうに、そして悪戯っぽく微笑む海未の前には、どうでもいいことだった。

99: 2016/07/24(日) 23:13:01.72 ID:Yf4unqnT0.net



『お願い』が『二人きりで下校すること』だと告げられた時、私はとても戸惑った。

そんなことで許してくれるのかとか。逆に、許すつもりがないからこそ、その程度のことなのかとか。

襲いかかった中では一番酷くしてしまったという思いもあって、不安に思っていた。

「にこ。あそこに、ねこさんがいます。可愛いですね」

「ん、ほんとね。可愛いっていうか、ブサかわだけど」

100: 2016/07/24(日) 23:15:09.29 ID:Yf4unqnT0.net
でも、それは全くの杞憂だった。海未は以前と変わることなく―――それ以上に良く接してくれている。

時折、あの日のことを思い出すのか、私を見て赤面していることがあったりするが、それ以外では平常通りなようにみえた。

「私は普通に可愛いと思いますが……。ほら、鼻がぺちゃっとなっているところか、可愛いじゃないですか」

「まぁ、可愛いっちゃ可愛いわよ」

加えて、二人で下校するようになって気がついたこともある。それは、海未が意外にお喋りだということ。

沈黙を苦痛に思うタイプとも思えないのに、間をおかずによく喋る。

もしかしたら、普段二年生組やリリホワに引っ張り回されているから、その分溜まっているのかもしれないけれど。

どちらにしろ、海未と会話するのは楽しいから全然いいんだけど。

101: 2016/07/24(日) 23:16:37.35 ID:Yf4unqnT0.net
「それにしても、あんたってねこさんって呼ぶのね。……くふふ」

ほらね。今だって、「ねこ」に「さん」を付けるという、海未の知らなかった一面を知ることが出来た。

「―――なんですか。いけませんか?」

思わずこぼしてしまった笑みを、馬鹿にされたと思ったみたいだ。ツンとむくれている。

「違う違う、そうじゃなくて。海未らしくて、可愛いなって思ったのよ」

「本当ですか?」

「あんたに嘘ついてどうすんのよ」

104: 2016/07/24(日) 23:17:36.58 ID:Yf4unqnT0.net
じろり、と探るように視線をぶつけてくる海未に、負けじと力強く見つめ返す。

立ち止まり、二秒、三秒と続くにらみ合い。十秒が経過する頃、海未は顔を赤らませながら背けた。

(ふふ、勝負を制したのは私のようね……!)

何の勝負かはさておいて。こういうのは目を逸らしたほうが負けだと大昔から決まっているのだ。

「……わかりました。にこを信じましょう」

「そりゃどーも。ありがたいわ」

仕方ありませんね、といった様子の海未を仕方ないわねーと思いながら下校を再開する。

少し歩いたところで、海未が何かを思い出したかのように周囲を見回してから、私の方へと振り向いた。

「ねこさん、いなくなってます……」

その時のしょんぼりとした顔は、幼い感じがして、とても印象的だった。

105: 2016/07/24(日) 23:19:05.69 ID:Yf4unqnT0.net



こつ、こつ、こつ―――。

花を咲かせていたお喋りも、いつしか鳴りを潜めている。

いま私達の間に横たわっているのは、重苦しい沈黙とアスファルトに響く足音だけ。

(もうちょっとで、終わりね)

二人きりの時間が終わることに寂しさを覚えている。

別れ道に近づくにつれて交わす言葉は少なくなっていった。たぶん、海未も同じ気持ちなのだと思う。

106: 2016/07/24(日) 23:19:46.72 ID:Yf4unqnT0.net
(一緒に帰ってるってだけなのに、妙に寂しい)

これからだって、機会がないわけじゃない。

私が誘ってもいいし、海未から誘われることがあるかもしれない。

だけど、そうなってしまうと意味が違ってくるんだと思う。

今日までは、特別なあの日からの延長戦。明日からは、日常の延長線。その違いだ。

107: 2016/07/24(日) 23:20:26.33 ID:Yf4unqnT0.net
「はぁ……」

漏れだした溜め息からは、自分でも笑えるくらいにそれを感じ取ることが出来た。

「どうかしましたか?」

「……なんでもない。ちょっとぼけっとしちゃって」

余計な心配させまいと、表情を取り繕いながら質問に答える。海未に聞かれてしまった。迂闊。

しかし幸運な事に、海未は特に疑問に思うでもなく、そうですかと納得してくれた。

108: 2016/07/24(日) 23:21:50.12 ID:Yf4unqnT0.net
こつ、こつ、こつ―――。

再度、広がる沈黙。足音だけが支配する世界。

静かなのが嫌いなわけじゃないけれど、ついさっきまでの海未がお喋りだったこととの落差に、大きな違和感がつきまとう。

(海未も黙ってないで、何か話してくれたらいいのに)

他人任せな思考をしながら、横目に様子をうかがう。なぜか、不自然なほどに前を向いている。

どうしたというのだろう。首を傾げながら観察していると、もう一つ不自然な点を見つけた。

私から見える手―――海未の左手だ―――が、変に力が入っていてガチガチだ。

109: 2016/07/24(日) 23:22:34.74 ID:Yf4unqnT0.net
(むむう……?)

そして、海未の左手が恐る恐るといった様子で、私の右手に近づいたり離れたりを繰り返している。

「ぷふっ」

この動作が意味するところは一つしかない。私と手を繋ぎたいけど、恥ずかしくて踏み切れないのだ。

微笑ましさに、笑いが漏れでてしまって―――それがいけなかった。

即座に声に反応した海未は、体をびくっと跳ねさせて完全に手を引っ込めてしまった。

110: 2016/07/24(日) 23:23:42.55 ID:Yf4unqnT0.net
(海未が静かだったのって、これが原因だったのかしら……)

私が感じていたような寂しさでもなんでもなく、単に私の手に意識を集中させていて緊張していたから、とかだったら……。

愛おしさに吊り上がってゆく口の端をなんとか抑えこみながら、こほんと喉を整える。

こういう場面でこそ、先輩が後輩を導いてあげなくてはいけない。

「ねえ、海未」

「なんですか?」

素知らぬ顔で応じる海未。だが、語尾が微かに震えていた。笑いがこみ上げそうになる。

111: 2016/07/24(日) 23:24:40.55 ID:Yf4unqnT0.net
「もう少し、こっちに寄ったら?」

言外に、そうしたほうが手を繋ぎやすいでしょうと示しながら、軽い調子で勧めてみる。

これだけお膳立てしてあげればシャイな海未でもイケるでしょうと思いきや。

思惑とは逆に、海未はするすると離れていってしまった。

「って、ぬぁんで離れるのよっ!」

「その……、恥ずかしいですし……」

112: 2016/07/24(日) 23:25:24.12 ID:Yf4unqnT0.net
海未は顔を赤らめて、そんなことをのたまった。ガッカリするやら、それでこそ海未だというべきか。

しかも、私を意識してしまったのか元の距離にすら戻ろうとしない。

(ったく、じれったい!)

こうなった海未に四の五のいっていても始まらないし、待ってもいられない。

こちらから行動を起こすことにする。にこにー先輩は短気なのだ。

113: 2016/07/24(日) 23:26:25.76 ID:Yf4unqnT0.net
「私から近づくことにするわ。それならいいでしょ」

口を挟ませる前にずかずかと近づいて、ぐいぐいと肩を寄せる。

何もせずとも手と手が触れ合う至近距離に、海未は茹だったタコのように赤くなった。

「近すぎです、にこっ」

「いいでしょ、別に。誰かさんが私のお誘いを蹴ったりしなかったら、こんなことしなかったんだけど」

「うぅ……にこはいじわるです……」

羞恥で消え入りそうな抗議の声も、私にはどこ吹く風。原因は海未にあるから手加減なしだ。

とはいえ、私は意地悪をしたくてこうしてるわけじゃないので、ちゃんと救いの手もさしのべる。

114: 2016/07/24(日) 23:27:44.91 ID:Yf4unqnT0.net
「二度と逃げないって約束してくれるなら、そうね……少しだけ離れてあげる」

「別に私は、逃げたわけでは……」

「約束するの?しないの?」

「……します」

言質はとった。海未のことだから自分の言葉は違えないでしょう。信用してるわよ、海未。

「じゃ、指きりげんまんね」

「はい……」

115: 2016/07/24(日) 23:28:39.06 ID:Yf4unqnT0.net
少しだけ肩を離しながら、自然な流れで腕をするりと滑りこませて小指同士を絡め合わせる。

歩いたまま、しかも横手に繋いだ変則的な指切りに、海未は不思議そうな顔。ま、普通は向かい合ってするものよね。

でも、私はあえて言及せずに歌いはじめた。

「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本、飲ーますっ」

歌に合わせて、腕を軽く弾ませる。残るは『指切った』のみ。

海未は当然のように最後に向けて弾みを大きくした。思わずニヤリと笑ってしまう。

「指切―――っらない!」

「えっ?」

驚いている海未には構わずに、外れそうになった海未の小指をムギュッと強く繋ぎ止める。

海未が呆然としている間にも、他の指と指を絡めていく。外れないように、しっかりと。

116: 2016/07/24(日) 23:29:26.08 ID:Yf4unqnT0.net
「あの、にこ、これは―――」

「このまま帰りましょ?」

言葉を遮って、それだけを伝える。説明不足も甚だしい。だけど、その一言で海未には伝わるはずだ。

なんせ、さっき自分がやろうとしたことだから。思った通り、言葉を飲み込んだ海未は、赤い顔で控えめに頷いた。

繋いだ手のひらには、外れないようにとぎゅっと力が込められた。

「……」

三度、静寂。お互いに何もいわずに歩き出す。広がっているのは心地良い沈黙。

海未が静かな理由。喜んでいるか、照れているか。たぶん、その両方。

そして、私が静かな理由も―――喜んでいて、照れていたからだった。

120: 2016/07/24(日) 23:50:36.22 ID:Yf4unqnT0.net



何の変哲もない住宅地の一角、古めかしい街灯の下で、私達は足を止めた。

時間帯のせいなのか、場所のせいかはわからないが人影は少ない。けれど空を見上げれば、いまだ陽は世界を明るく照らしている。

「着いちゃったわね」

この場所は、私と海未の帰路の分岐点。つまり、私達に交わされた『お願い』の最終地点ということだ。

ここで終わる。手を繋ぐのも、一緒に帰るのも、特別な時間も、すべてが終わる。

121: 2016/07/24(日) 23:51:36.85 ID:Yf4unqnT0.net
「にこ」

声。隣を見る。海未が微笑を浮かべて私を見つめている。

次の瞬間には、別れの言葉。名残惜しい。無理にでも止めてしまおうかと馬鹿なことを考える。

「一週間、ありがとうございました。とても楽しかったです」

「本来はお礼をいわれる立場じゃないんだけど……、喜んでくれてなによりだわ」

海未の笑顔からは、心底、楽しかったという気持ちが伝わってくる。

122: 2016/07/24(日) 23:52:21.28 ID:Yf4unqnT0.net
「本来?……ああ、そういえばそうでしたね。ふふ、忘れていました」

面白い事実を再発見したかのように笑う海未。私は呆然とする。

あれだけのことを忘れていたと、あっけらかんといわれるなんて思っていなかった。

「きっと、にこと帰ることが楽しすぎたからですね」

晴れ晴れとした表情で、そんなことをいう。

「本当にそう思ってる?」

「私がにこに嘘をついて、どうするんですか」

ねじくれたことを聞いていると自覚はあった。海未が嘘をつく子ではないこともわかっているし。

でも、どうしても聞いておきたかった。ただ楽しいだけの時間ではなくて、特別な時間であったことを確認したかった。

123: 2016/07/24(日) 23:53:09.66 ID:Yf4unqnT0.net
「一緒に帰ってただけじゃない」

「私の話をいっぱい聞いてくれました。にこの話もいっぱい聞けました」

「それだけ?」

「本当はもっとあるんですが……これだけでも十分でしょう?」

「気になるじゃない。全部いいなさいよ」

「にこは褒めすぎると調子に乗るので」

からかうように笑う。はぐらかすような、見透かすような物言いに私は少しムッとしてしまう。

さらに問い詰めようとしようとした時―――繋いだ手を海未に引っ張られた。

バランスを崩した私の体は、流れるように海未の腕の中にスッポリと収まった。

124: 2016/07/24(日) 23:53:55.40 ID:Yf4unqnT0.net
「ちょっと、なにすんのっ!」

「なかなか信じてくれないようなので、実力行使です」

「なんでそうなんのよっ!」

「にこならそうするじゃないですか」

ぐぅ、反論できない。

「それにしたって、こんな人目があるところで―――!」

少ないといえど人はいる。しかも周囲にいるのは全く関係のない赤の他人だ。

通行人から向けられる奇異の視線に、顔から火が吹き出そうになる。

力づくで引き剥がそうにも、海未の腕力に勝てるわけもない。

125: 2016/07/24(日) 23:54:36.21 ID:Yf4unqnT0.net
「私だって恥ずかしいんですから。一刻も早く私を信じてほしいです」

体は押さえつけられていて、海未の顔を見ることは出来ない。

ただ、赤く染まりきった耳が見えている。

「信じる、信じるから!私が悪かったから!」

「……良かった。嬉しいです」

ぼそりと呟いて、ようやく解放される。尻餅をつきそうになったけれど、足腰にムチをうって何とか耐えきる。

文句の一つでもいってやろうと、目を前に向けると海未がいない。かわりに、視界の隅のほうに見覚えのあるつむじがあった。

126: 2016/07/24(日) 23:55:20.72 ID:Yf4unqnT0.net
「なんでアンタがへたり込んでんのよっ」

視線を下げれば、腰を抜かしている海未の姿が。なにやら悶えている。

手を差しのべて立ちあがらせながら、呆れてしまう。

「うぅ、恥ずかしい……。公衆の面前で、私はなんということを……あああっ」

「あのね……。そんな風になるならやらなきゃ良かったのに」

さっきまでの海未は何だったんだと思いながら、ジトッと見つめる。

すると、顔が赤いままながらも、打って変わって真剣な表情になった海未に見つめ返された。

127: 2016/07/24(日) 23:55:52.53 ID:Yf4unqnT0.net
「大好きなにこに信じてもらえないのは、恥ずかしいことよりつらかったんです」

「……そ、そうなの」

大好きなにこ、なんて恥ずかしい台詞を面と向かっていわれるなんて。しかも凛々しい表情で。

心臓は早鐘を打つように高鳴りはじめて、耐え切れず、ふいっと顔をそらす。

(なによ……。恥ずかしいのはアンタのほうじゃない……)

パタパタと手で顔を仰ぎ、顔の火照りをなんとか冷ます。

それから、オホン、とわざとらしく咳き込んでから海未に向き直る。仕切りなおしだ。

128: 2016/07/24(日) 23:56:51.58 ID:Yf4unqnT0.net
「海未の気持ち、疑ってごめん。私だってすごく楽しかったって思ってたのに」

「本当です。酷いです」

わざとらしく膨れながら、ジト目で見つめてくる。

仕草がいちいち可愛いんだからと思いながら、話を続ける。

「だからごめんってば。……とにかく、私のほうこそ一週間ありがとね」

「ええ。ちなみに私、もう怒っていませんからね」

「知ってる。あんたの顔に書いてるもの」

「そうでしたか」

くすくすと微笑む海未に、やれやれと笑顔で呆れる私。

129: 2016/07/24(日) 23:57:49.17 ID:Yf4unqnT0.net
「さて……。いつまでも、こうしてるわけにはいかないし。そろそろ、行くわね」

「そうしてください。穂乃果も待ちくたびれているでしょうし」

本当は、もっとこうしていたいけど。

もしも、それを提案したとしても、海未は断るでしょうね。

「今頃ふて寝してるんじゃないかしら。……それじゃあね、海未」

「ふふ、ありそうですね。……それでは、にこ」

引かれる後ろ髪を断ち切るように、お互いの道へと歩き出す。

あえて海未のほうは見ない。理由はもちろん、寂しくなってしまうから。

130: 2016/07/25(月) 00:00:35.28 ID:d37CIyPW0.net
「明日から、元通り、かな……って、そんなわけないか」

独り言をぼやきながら、海未を筆頭に、『お願い』を叶え終えたメンバーたちの顔を思い浮かべる。

どう考えてみても、私との関係性は変化してしまっている。

(でもま、海未とは仲良くなれたし。結果オーライよね)

あれだけのことをしてしまった割に、誰とも険悪にならなかったのは僥倖だった。

やっぱり、μ'sの魅力はメンバーの仲の良さもあるんだし。それを崩壊させる可能性があることは慎まなければ。

特に海未にキスしてしまうようなことは、金輪際ないようにしよう。

131: 2016/07/25(月) 00:03:36.94 ID:d37CIyPW0.net
「にこ」

―――えっ?

聞き覚えのある、というより先程まで聞いていた声が間近から聞こえて、振り向く。

「渡すものがあったのですが、なかなか踏ん切りがつかなくて」

どうしたの?―――質問する前に、腕が引かれる。

意識はその動きについていけない。海未の意思のまま、抱き込まれ、背中に手を回される。

そして、私の唇は海未の唇へと吸い寄せられて―――ぎゅっと時間は圧縮されて、世界は無音になった。

132: 2016/07/25(月) 00:04:54.83 ID:d37CIyPW0.net
「にこは、ずっと気にしていたようなので。これで、お互い様ということにしてください」

衝撃から抜け出せない私には、わけもわからないまま頷き返すのが精一杯だった。

ただ、頷いた私を見て海未は安心したようだった。

「良かったです。これからも、甘えさせてくださいね、にこ。……それでは、失礼します」

ぼんやりとした頭のままで、スカートを翻して、髪を乱しながら物凄い勢いで走り去る海未の姿を眺める。

次第に意識がハッキリしてくる。最初に考えたのは、誰にも見られていないだろうかということ。

あたりを見回せば、偶然か、それとも海未が狙っていたのか。その時だけは、周囲には人影がまったくなかったのだった。

(あ、そういえば……)

先ほどの続き。

キスしないようにと考えていたけれど―――海未のほうからキスしてきた場合は、セーフよね?

133: 2016/07/25(月) 00:06:17.12 ID:d37CIyPW0.net
海未編、終わりにこ

138: 2016/07/25(月) 00:16:11.31 ID:d37CIyPW0.net
海未ちゃん「このあと滅茶苦茶お布団でごろごろしました」

それはそうとラストはほの誕に投下予定にこー

194: 2016/08/03(水) 23:27:27.21 ID:utXa0I+U0.net



静かなようでいて、それなりに人通りのある通い慣れた道筋。

次の角を曲がれば、穂乃果の家はすぐ近くだ。

(遅刻してきたことに怒ってるだろうなあー。本当にふて寝してるかも……)

穂乃果の現在の様子を想像して、気が重くなる。

あいつの機嫌が悪くなるということは、同時に私の被害が大きくなるということであった。

とはいえ、私には穂乃果の元へ行くという選択肢しか残されていないのだから、気を揉んでいても意味がない。

諦めて歩みをすすめる。角に差し掛かる頃、それが見えた。

195: 2016/08/03(水) 23:28:34.49 ID:utXa0I+U0.net
(うわっ)

玄関前に穂乃果が仁王立ちしている。気づかれる前に、物陰に身を隠す。

一瞬だけ見えた表情は、怒っているというより無表情で、それがより怒っていることを表していた。

(やば……すごい怒ってる……)

隠れていても仕方ないとはいえ、やはりためらってしまう。

こうなったら多少なりとも機嫌を直すため、穂乃果の好物のイチゴでも買っていこうかと考え始める。

196: 2016/08/03(水) 23:29:10.40 ID:utXa0I+U0.net
(でも、イチゴって高いし……ここはイチゴ味のお菓子でどうにかならないかしら……)

しかし寂しいお財布事情との折り合いは中々つかない。頭をひねる。うーん、どうしましょう。

そうして、お金のことに集中していたせいだろう。後ろから近づいてくる足音にはさっぱり気が付かなかった。

「……あれ、にこさん?そんなところで何してるんですか?」

「ふぇっ?」

振り返れば、すっかり顔馴染みとなった雪穂ちゃんの姿。

物陰にしゃがみこんでいる私を不思議そうに覗き込んでいる。

197: 2016/08/03(水) 23:29:47.39 ID:utXa0I+U0.net
「しーっ、しーっ!」

「?……はい」

いつもならコスメ談義やファッション談義に花を咲かせるんだけど、今はまずい。

穂乃果に隠れていたということが知られてしまったら、イチゴどうこうですまなくなる。

必氏に大きな声を出さないようにお願いしながら、玄関のほうを指差す。

「あー……お姉ちゃん、すごく怒ってますね……」

「そうなのよ、来るのが遅くなっちゃって……。穂乃果ってどうすれば機嫌なおるの?」

198: 2016/08/03(水) 23:30:47.25 ID:utXa0I+U0.net
雪穂ちゃんは『お願い』の簡単な事情を知っている。

といっても、私が罰ゲームでメンバーのお願いを聞いていて、その順番の最後が穂乃果であるというくらいのものだけど。

私がキス魔と化した事件のことは全く知らないし、穂乃果も教えていないだろう。

「あそこまで行っちゃうと、難しいですねー。ほら、お姉ちゃんって無駄に頑固だから」

「えぇ……、どうにかならない?」

この世で最も穂乃果と喧嘩と仲直りをしてきたであろう雪穂ちゃんなら、きっとあるはず。

「うーん、なくもないですけど……」

「ほんとっ?」

「怒りの矛先をそらせばいいんですよ。お姉ちゃん、単純な頭してるので。そっちに食らいつけば大分マシになるはずです」

199: 2016/08/03(水) 23:31:23.69 ID:utXa0I+U0.net
なかなか酷いいわれようだけど、ふむ、と納得するだけの説得力はあった。実に穂乃果っぽい感じがする。

しかし解決法がわかったとしても、今度はどうやって怒りをそらすかという問題が出てきてしまう。

「矛先ねぇ……」

「そこで、私にいい考えがあるんです!……聞きたいですか?」

ピンとたてた人差し指をくるくるまわしながら、ふっふーんと誇らしげな顔で語る雪穂ちゃん。

ここまできたら聞かざるをえないでしょうね。無言で頷いて、続きを促す。

「まず、私とにこさんが腕を組んでイチャイチャしながらお姉ちゃんのところへ行きます」

「―――ちょっと待って。頭痛くなってきた」

初っ端からぶっ飛び過ぎでしょう。やはり、あの姉あっての妹か。

200: 2016/08/03(水) 23:33:39.13 ID:utXa0I+U0.net
「いやいや、にこさん。これにはちゃんとした理由があるんですよ」

「どんな理由よ……」

「ほら、私とお姉ちゃんって二つしか歳違わないじゃないですか。
だから―――なのかはわからないですけど、物をよく取り合ったりしてたんですよ」

雪穂ちゃんの語るところによれば。

幼き頃の高坂姉妹の物の取り合い―――おもちゃやお菓子などをめぐるバトルは、それはもう激しかったらしい。

流石に今では夕食のおかずや食後のデザートでぐらいしか争わないらしいが。

うちの妹達も物を撮り合って喧嘩していることがあるので、そういうのはわからないでもない。

201: 2016/08/03(水) 23:34:36.72 ID:utXa0I+U0.net
「で、今回はそれをにこさんで争うことにして、怒りの矛先をずらしちゃえ、というわけです」

「うん、まぁ、一応納得はしたけど―――それって、穂乃果が私を取ろうとしてくれないと意味なくない?」

両者に自分のものにしようという意志がなければ、取り合いは発生しない。

そのあたりのことがスッポリと抜け落ちているのではないだろうか。

「それは大丈夫だと思いますよ。にこさんにこだわってるからこそ、あんなに怒ってるんでしょうし」

ちょっと照れる。……こら、雪穂ちゃん。そのニヤニヤした顔をやめなさい。

とりあえず、その考えをお願いする方向に決めた。だけど、一つだけ聞いておかなければいけないことがある。

202: 2016/08/03(水) 23:35:58.22 ID:utXa0I+U0.net
「雪穂ちゃんはいいの?穂乃果と喧嘩になるかもしれないけど……」

狙い通りにいったとすると、最低でも少しの間、穂乃果は雪穂ちゃんに対して不機嫌になるはずだ。

私個人のことにそこまで巻き込んでしまっていいのかという思いがあった。

しかし雪穂ちゃんは、そういう話をされることが想定済みだったのか、考える素振りすらせずにいった。

「条件として、今度一緒にお買い物に行くってことで、どうです?」

「……そんなことでいいの?」

「いいんです!私も、にこさんともっと仲良くなりたいなーって思ってるんで!」

203: 2016/08/03(水) 23:36:44.73 ID:utXa0I+U0.net
穂乃果そっくりな笑顔を輝かせながら、そういう雪穂ちゃん。

性格が違うように見えて、やはり姉妹なのだとしみじみ思った。

「それじゃ、お願いしようかな」

「任せて下さいっ!それでは早速、お姉ちゃんのところに突撃しましょう!」

返事と共に、ためらいなしに腕を組まれ、強制的に物陰から連れだされる。

打ち合わせとか何にもしないのかと、止める間もなく、気がつけば―――

「にこちゃん。雪穂。一体、二人でなにしてるの?」

―――私の姿は、穂乃果の前へと引きずり出されていた。

211: 2016/08/03(水) 23:38:59.77 ID:utXa0I+U0.net



「偶然、にこさんと帰り道の途中であってさ。今日もうちにくるっていうから、一緒に帰ってきたんだ」

先行、雪穂ちゃん。無表情な穂乃果にも平然と対応している。

「へぇ……、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

後攻、穂乃果。予想していなかったことに戸惑っているのか、まずは探りを入れているといったところか。

私と雪穂ちゃんの仲睦まじく組まれた腕を見ながら、冷静に話を聞こうとしている。

「まあまあお姉ちゃん。玄関先で話もなんだし、中には入ろうよ。にこさん、どうぞっどうぞっ」

「え、ええ……穂乃果、お邪魔するわよ」

212: 2016/08/03(水) 23:39:53.77 ID:utXa0I+U0.net
質問にとりあわず、いかにも「にこさんは私のもの」だというかのように穂乃果を押しのける雪穂ちゃん。

瞬間、あきらかに顔をムッとさせたけれど、なんとか我慢したようだ。

「あ、そうだ。にこさん、私の部屋に来てみません?いっつもお姉ちゃんのところで、もう飽きたでしょう?」

雪穂ちゃんは玄関を入ったところで、軽い口調ではあるものの、煽るようなことを言い始めた。

それだけでも穂乃果は我慢できなかったらしい。不機嫌丸出しの声で雪穂ちゃんを非難する。

「ちょっと雪穂!にこちゃんは、私と遊ぶために来たんだよ?」

「えー、でも、私のほうが話合いそうだし……」

余り否定出来ないことだからか、穂乃果は言葉に詰まっている。

確かに趣味という点でいえば雪穂ちゃんのほうが近い。

218: 2016/08/03(水) 23:40:57.62 ID:utXa0I+U0.net
「……そんなことないもんっ!」

「じゃあ、にこさんに聞いてみようよ。にこさん、どっちの部屋に来ますか?」

「にこちゃんっ!わかってるよね!ね!」

ねっ!ねっ!と必氏に私にアピールしてくる穂乃果。

もともと『お願い』で来てるんだから、雪穂ちゃんのところに行くわけないのに……私のことで必氏になってくれているのは嬉しいけど。

それに引き換え、隣の雪穂ちゃんはといえば。余裕の表情で、私にウインクしている。ここで穂乃果を選べということでしょうね。

「……穂乃果で」

「―――!ふっふーん!残念だね雪穂。にこちゃんは私がいいってさっ♪」

224: 2016/08/03(水) 23:42:39.94 ID:utXa0I+U0.net
穂乃果は物凄いドヤ顔で勝ち誇っている。

これで本当は妹の手のひらの上で転がされているのだと知ったら、どんな表情になるのかしらね。

想像して、変な声がでそうになる。あぶないあぶない。

「あーあ、振られちゃったか~。……にこさん、今度私と遊びましょうね!」

「ええ。楽しみにしとくわ」

「はい!では、ゆっくりしていってくださいね!―――あ、そうだお姉ちゃん、これから店番の時間ってこと忘れてるんだろうけど、代わってあげるから」

「えっ、あ……うん、ありがとう……雪穂」

それだけいって、雪穂ちゃんはあっさりとお店のほうへと歩いて行った。

見事な引き際だ。しかも最後に姉へのフォローまでしていった。これだと後で喧嘩になることもなさそうね。

「雪穂ちゃんって、いい子ね」

「……うん、自慢の妹だよ」

穂乃果は微笑んで、階段のほうへと向かっていく。

私もそれに続きながら、見えないところで含み笑い。目論見通りに誤魔化せたわ。雪穂ちゃん、ほんとにグッジョブ!

230: 2016/08/03(水) 23:43:59.03 ID:utXa0I+U0.net



「二個目食ーべよっと」

なにがそんなに楽しいのか、にへらとした顔で穂乃果はそう宣言して、二つ目となるお饅頭を手にとって食べはじめた。

雪穂ちゃん情報によれば「あんこ飽きたー!」としょっちゅう漏らしているらしいが、今の姿からだとそうは思えない。

(それだけ、穂むらのお饅頭がおいしいってことかしら)

あと、家庭の味だから安心できるというのもありそうだ。考えを巡らしながら穂乃果が淹れてくれた煎茶を啜る。

(ずずーっ、はぁ……。おいしい。やっぱり、お饅頭には熱いお茶ねー……)

お茶の渋味が甘みに溺れた口内を中和して、次の一口も最高の状態で甘味を味わえるという寸法だ。

236: 2016/08/03(水) 23:45:18.26 ID:utXa0I+U0.net
「二個目、頂くわね」

「うん、どうぞどうぞ~。足りなかったらいってね?お店のほうに行けば何個でもあるから!」

「……売り物をそんな気軽に持ってきたらダメでしょ」

目の前のお饅頭は余り物だと聞いているから、気兼ねせずに食べているというのに、まったく。

呆れながらもお饅頭を手に取り、一口。うん、おいし。そして、お茶を一啜り。ふぅ、落ち着くわぁ……。

さてと、もう一口いきますか。ぱくっ―――

「ああ~~~っ!」

びくっ。突然の叫びに体が跳び上がる。声の発生源である穂乃果をみてみると、合点がいったという表情をしていた。

241: 2016/08/03(水) 23:46:19.99 ID:utXa0I+U0.net
「思い出した!―――穂乃果、怒ってるんだから!」

勢いのままに穂乃果は立ち上がり、私に向かってビシっと指をつけつけた。

あー、思い出しちゃったか。最後まで忘れてたら良かったのに―――そう思いながら、口の中のお饅頭をモグモグと咀嚼する。

まあでも、雪穂ちゃんのおかげか怒髪天を衝く!というほど怒ってはいないみたいのが救いかな。

「にこちゃん、聞いてるのー!?」

プンスカ喚いている穂乃果にも慌てず、お饅頭を味わって飲み込んでからお茶を一口。

「聞いてるけど……。その話、これ食べてからじゃダメ?」

243: 2016/08/03(水) 23:47:45.78 ID:utXa0I+U0.net
『これ』とは、もちろんお饅頭のこと。そして、穂乃果の手に握られている物のことでもある。

穂乃果は自分のお饅頭を見つめながら、悩み始めた。

「むむっ」

眉根を寄せて、頭をひねらせている。

あの顔は、怒ったあとに食べる気にはならないし、かといって食べたあとだと怒る気にもなれなさそう。そんなことを考えている顔だ。

私としては、食べるほうを選ばせたいところだ。

「まあまあ、とりあえず座りましょうよ。特別に、にこにーがお茶いれてあげるから」

「むー……」

「ほら、湯呑みだして。ねっ?」

満面のにこにースマイルを発揮しながら、急須を手にご機嫌伺い。

穂乃果はうなりながらも、元通りに座る。お饅頭を置いてから、渋々と湯呑みを差し出した。

251: 2016/08/03(水) 23:49:06.50 ID:utXa0I+U0.net
「こんなのじゃ許さないからね」

「わかってるわよ」

返事をしながら、微笑む。今の言葉は、逆にいえば許す気がありますといっているようなものだ。

湯呑みにとくとくとお茶が注がれる様子を眺めている穂乃果の表情は、既に少し不機嫌かなというくらいに落ち着いていた。

「それくらいでいい。ありがと」

「どういたしまして~」

ちょっとブスっとした言い方だけど、お礼はかかさないあたり穂乃果は優しくて出来た子なのだ。

惜しむらくは表情が未だ固いことだけど、そこはにこの腕の見せどころ。私だって、穂乃果の扱いかたは多少は心得ている。

256: 2016/08/03(水) 23:50:13.17 ID:utXa0I+U0.net
「穂乃果」

「……なに?」

「かわいい」

「なっ」

もそもそとお饅頭とお茶を交互に口に運んでいたところに、唐突な褒め言葉。

当然というべきか、穂乃果は驚きで言葉を失っている。頬には赤みがさしている。

258: 2016/08/03(水) 23:50:53.01 ID:utXa0I+U0.net
ニヤニヤしながら机に頬杖をついて、穂乃果の顔を眺める。

膨れっ面が褒められてニヤケ顔になったり、そんなことじゃ誤魔化されないぞと真剣な顔になったりと百面相が面白い。

そのあとも、穂乃果の反応に逐一可愛い可愛いといっていたら、ついには顔を真っ赤にして爆発した。

「もー、なに!からかってるの!?」

「本当に可愛いんだからしょーがないでしょ」

真面目なトーンで言葉を返す。

穂乃果は一瞬言葉に詰まったけれど、すぐさま勢いを取り戻して言い返してきた。

265: 2016/08/03(水) 23:51:54.52 ID:utXa0I+U0.net
「今まで、そんなに可愛いなんていわなかったじゃん!」

「思ってたけど言わなかっただけよ」

「ふんだ、ご機嫌取りでいってるだけでしょ。余計に許す気はなくなったよ」

そういって穂乃果は顔を逸らした。確かに、機嫌を取ろうとしていることはその通り。

でもそれで可愛いという言葉が嘘になるわけじゃないでしょう。

「本心を伝えてるだけなのにぃ。ちょっとショックだわ……」

うるうる。アイドル力で瞳を潤ませながら上目遣い。ふ、これは決まったかしら。

褒め頃しと罪悪感を煽るという二段構えだもの、これだけやれば穂乃果も折れてくれるはず……!

271: 2016/08/03(水) 23:53:14.43 ID:utXa0I+U0.net
「……にこちゃん、どうせみんなに可愛い可愛いっていってるんでしょ」

ちらっとだけ私を見て淡々と言い放ち、ぷいっと顔を背けた。

(ぐぬぬ……。否定出来ない……)

立場の弱い私に、みんながこれ幸いとばかりに甘えてくる状況だったんだもの。

そんなの、可愛がっちゃうに決まっているでしょう?

「どうしたら許してくれるの?」

「自分で考えればっ」

にべもない。こうなったら、自棄だ。

奥の手を出すしかないわね。『可愛い』がダメなら、更にその上の言葉よ。

279: 2016/08/03(水) 23:56:05.36 ID:utXa0I+U0.net
「穂乃果、好きよ。だから許して」

「へっ!?」

あんたが好きだから私を許せ、なんて無茶苦茶な言い分が通用するかはわからない。

けど、私がいいたいのは結局そういうことだったし、それに好きな相手にこそ許してもらいたいものだと思う。

「な、何言ってるの、そんなので許すわけ―――」

「あんた、前に『優しいにこちゃんはもっとすき』っていったわよね。私も優しい穂乃果のことが大好きなの。だから、許しなさい!」

どうだとばかりに、わがままを貫き通す。

生徒会室での一幕を思い出しながら、今回はビンタされないといいなと思いながら―――数秒待っても、衝撃は来ない。

少しずつ視界を広げれば、そこには微笑みがあった。

288: 2016/08/03(水) 23:57:52.80 ID:utXa0I+U0.net
「はぁ……。ずるいよ、にこちゃん。そんなこといわれたら、誰だって許さないといけなくなっちゃうよ」

穂乃果は「しょーがないなぁ、にこちゃんは……」という表情で、私に優しく語りかける。

「今回だけだからね。……ほら、お饅頭食べようよ」

そうして浮かべた聖母のような優しい笑顔に、調子に乗った私は思わずバカなことをいってしまった。

「穂乃果って本当にいい子ね。可愛いし、お嫁さんにしたいくらいだわ」

ぱちくりと目を瞬かせ穂乃果は、言葉の意味を理解したと同時にボッと火がついたように赤くなる。

あ、まずい。こんなこといったら、今度こそビンタが飛んで来るのではと身構える。

「調子いいんだから、もうっ。穂乃果は構わないけど、誰かれ構わずそんなこといっちゃダメだからね?」

「……え。うん、そうよね。気をつけます」

何も飛んでこないことに安心しながら、反省の言葉を返したものの。

はにかんでいるだけの穂乃果に、どこか釈然としないものを感じる私だった。

297: 2016/08/03(水) 23:59:11.22 ID:utXa0I+U0.net
続きは明日か明後日にこー

325: 2016/08/05(金) 23:09:13.61 ID:hdAABIe50.net
投下にこ

326: 2016/08/05(金) 23:09:48.84 ID:hdAABIe50.net
「今日も『お願い』の時間がやってきたねっ!」

すっかり元気と機嫌を取り戻した穂乃果が口にするのはもちろん、『お願い』のこと。

るんるんしながら自分のベッドを綺麗に片付けている。

「さっ!にこちゃん、どうぞ!」

目を輝かせながら、はーやーくー、はーやーくー、と急かしている。

ぐぐ、仕方ない……今日も、この地獄に体を投じてやろうじゃないの。

327: 2016/08/05(金) 23:10:23.25 ID:hdAABIe50.net
(矢澤にこ、18歳。スクールアイドル。今日も枕営業を始めます)

覚悟を決めてベッドに転がる。間髪入れずに、穂乃果が飛び込んできて、私に覆いかぶさった。

スピリングがぎしぎしと軋むのも、ベッドシーツが乱れるのもお構いなし。

「ぎゅーっ!」

そして、叫びながら私を抱きしめる。体が密着して蒸し暑くなってくるけれど、抵抗はしない。

なぜなら、穂乃果の枕になりきることこそが穂乃果の『お願い』だからだ。

328: 2016/08/05(金) 23:11:26.91 ID:hdAABIe50.net
「……あつい」

「穂乃果はちょうどいい温度だよっ」

「あっそ」

どうせ何をいっても離れないのが経験的にわかっていたので、それ以上に口は出さない。

「ん~、にこちゃんって本当に良い枕だよね。柔らかいし、抱きしめやすいし。やっぱり、凹凸が少ないからかな?」

「ぬぁんですって!」

「あ、痛い痛い!ちょっとにこちゃん、枕は攻撃してこないよっ!?」

穂乃果の背中に手を回してつねる攻撃。体型を馬鹿にした罰だ、バカモノ。

329: 2016/08/05(金) 23:12:30.34 ID:hdAABIe50.net
「うるさい。……それにこうでもしてないと、あんた寝ちゃうでしょ。ちょうどいいじゃない」

「そうだけどさぁ~」

「いっつも寝ちゃったたびに起こすの面倒なのよ。今日はずっと起きてなさいよ」

「ええ~、そんなぁ……」

私だって抱きしめられてたら眠くなってくるのに、こいつときたら気にもしない。

帰りの時間のことを考えて、必氏に起きている私に少しくらいは気を遣え。

330: 2016/08/05(金) 23:13:30.07 ID:hdAABIe50.net
「じゃあさじゃあさ、眠らないように何かお話してよ」

「何かって。また漠然としてるわね……」

「え、そう?んー、じゃあね―――穂乃果の可愛いとことか、どうかなっ」

その話蒸し返すの?と穂乃果をみれば自分でいって照れているらしく、顔を私の胸に埋めて足をバタバタさせている。

やっぱり、あほのかね。そう思いながらも、愛おしいと思う自分がいたりする。

「あんたがそれがいいってんなら、別にいいけど。ちゃんと聞いておきなさいよ」

そして私は、自分が感じている穂乃果の魅力を語り始めた。

実例と聞いた話を織り交ぜて、例えばこういう時のあんたは可愛いとか、意外に繊細なところがあるとか、乙女なところも可愛いとか。

気がつけば、穂乃果は耳からは湯気が出ているんじゃないかと思えるくらいに赤くなっていた。

331: 2016/08/05(金) 23:14:18.07 ID:hdAABIe50.net
「にこちゃん、もういいよ……」

「え、なに?遠慮してるの?」

「遠慮じゃないよっ。……思ってたより恥ずかしかったから、もういいの!」

ばかね。恥ずかしかったからやめて欲しいなんて、もっとやってくれといっているようなものじゃない。

わるーい顔でニヤニヤしながら、ささやく。

「え~、でも、穂乃果の可愛いところ、まだまだあるんだけどな~」

「……にこちゃんのいじわる」

抗議のつもりか、ぐりぐり頭を押し付けてくる。ちょっと痛い。

332: 2016/08/05(金) 23:15:30.78 ID:hdAABIe50.net
「仕方ないでしょー。可愛い子には意地悪したくなるっていうし。あれ?好きな子には、だっけ?」

「……もぉ!すぐそういうこというし!」

今度は背中をぽかぽかと叩いてくる。こういうところも可愛い。

「はぁ、もう……、にこちゃんの相手は疲れるよ」

「あんたがそれいう?」

「いうもん」

333: 2016/08/05(金) 23:16:23.93 ID:hdAABIe50.net
軽く膨れながら、穂乃果は私に向き直る。

「あ、そうだ」

ジトーっと私を見つめていたかと思ったら、急に何かを思いついたらしい。

私を抱きしめるのをやめて、ベッドから降りた。ああ、嫌な予感。

「そろそろ枕変える!にこちゃん、あれになって!」

「あれって……例のあれ?やよ、あれやるの私恥ずかしいし……」

「いいからほらっ、ベッド降りてっ」

334: 2016/08/05(金) 23:18:56.84 ID:hdAABIe50.net
軽く拒否するものの、強制的にベッドを降ろされる。

『例のあれ』はベッドでは広さが足りないので、床でやることになっている。渋々とカーペットにうつむきになって寝そべる。

その様子を満足気に眺めていた穂乃果は、ちょうどいい位置を探して頭を降ろした。

「あー、ぷよんぷよんだよぉー。にこちゃんのお尻枕、最高!」

「屈辱だわ……」

尻枕。それこそが、私に課された第二の試練だった。なんといっても恥ずかしいのがつらい。

眠くならないので楽ちんではあるのだけど、乙女として大切な何かを失っている気がする。

335: 2016/08/05(金) 23:20:02.30 ID:hdAABIe50.net
「ぷにぷに~」

「こら、つまむな」

しかも穂乃果は穂乃果で、適当に手を伸ばしてきては、お尻をつまんだりお腹をつまんだりしていく。

地味に鬱陶しい上に、こそばゆい。シッシッと振り払っても懲りずにやってくる。

「だって、にこちゃんの反応が楽しいんだもん」

「だもん、じゃないわよ。セクハラまで許した覚えは―――」

「えいっ♪」

「―――うひゃあ!……あんたねぇ~!」

336: 2016/08/05(金) 23:20:58.82 ID:hdAABIe50.net
いってるそばから太ももをつまんできやがった。もう怒ったんだから。

すっと立ち上がって、お尻から頭を転げ落とす。

「あたっ!」

寝転がりながら痛がっている穂乃果を気にもかけず、むしろこれ幸いとばかりにお腹にまたがる。

いわゆるマウントポジションだ。さあ、復讐の時間だ。

「ふっふっふ……穂乃果。覚悟しなさい」

「だ、だめだよ!枕はそんなことしないんだから!」

「……知らないの?にこにー枕には反撃機能がついてるのよ」

337: 2016/08/05(金) 23:21:46.64 ID:hdAABIe50.net
ワキワキと両手を動かして、ニヤリと笑う。穂乃果の顔が、さぁーっと青くなる。

迫り来る運命から逃れようと、必氏にジタバタしはじめた。でも、もう遅い。

「とりゃあっ、わしわしわし~!!」

「ひああっー!」

ぐにょんぐにょんという感触に軽く苛立ちを感じつつ胸を揉みしだく。

穂乃果は掴んでいる手を必氏に剥がそうと抵抗しているが、その体勢では力は入るまい。

342: 2016/08/05(金) 23:23:16.74 ID:hdAABIe50.net
「ふひゃっ!にこ、ちゃん、だめ!離してっ、よぉっ!ひゃあんっ」

「もうちょっと楽しんだらね」

「も~!だめ、だって……!んんっ、いってる、のにぃ~~!」

青くなった顔も、荒い呼吸のせいか今では上気している。

ふふ、愉快愉快。もうちょっとなんていったけど、まだまだ楽しめそうだ。

「いいざまね。悔しかったら、どうにか止めてみなさいよ、うひひひ―――ひ!?」

ぐるん、と回転する世界。同時に背中に衝撃。

床にぶつかった―――でも、どうして。頭は混乱の一色に染まる。

350: 2016/08/05(金) 23:24:39.84 ID:hdAABIe50.net
「……立場、逆転だね?」

「な、なあっ!?」

気がつけば、お腹の上で穂乃果が笑っている。

しかも、またがられている。私の時と違って、両腕を巻き込んだ形で。これだと、何をされても何もできない。

「簡単な護身術だけど、海未ちゃんに仕込まれてるからね。これくらいなら、頑張れば返せるよ」

「あは、あはは、そうなの……、道理で……」

「教わっておいて、本当に良かった」

ギ口リ。体が蛇に睨まれた蛙のように動かない。

背中には冷や汗をどばどばとかいている。もがいてみるものの、びくともしない。どうしよう、逃げ場所がない。

356: 2016/08/05(金) 23:26:41.34 ID:hdAABIe50.net
「さぁ~てと。それじゃあ、どう料理してあげようかなぁ~?」

「ひぃぃ!」

「そんなに怖がらなくても……。あ、でも、『自分の』枕なら何してもいいよね」

完全に目を据わらせて、穂乃果は私の頬をつねりだした。ぐねぐねと引っ張って遊んでいる。

「ひょのひゃ!ひゃひひゅるのひょ~!」

「あはは、何いってるのかわかんないや」

笑いながらも穂乃果はどこか不満気にしている。少しして、つねる指が離された。

362: 2016/08/05(金) 23:27:50.99 ID:hdAABIe50.net
「はぁ……、はぁ……」

「う~ん、やっぱり汗で滑っちゃうなぁ……、そうだ!中にいれたらいいんだ!」

「えっ。ちょっと、嘘でしょ―――!?」

休む間もなく、穂乃果の指がズボッと勢い良く口内に侵入してくる。

「お邪魔しま~す。……わぁ~、にこちゃんの口の中、暖かいね!」

穂乃果の指が四方八方に動きまわり、にゅるにゅるとした感触が口内を刺激している。

腰が浮きそうになるのを必氏に我慢して、洒落になってないから中止するように叫ぶ。

364: 2016/08/05(金) 23:28:43.37 ID:hdAABIe50.net
「あがが、あがががっ」

「あはははっ、にこちゃんやめてよ~!舌があたってくすぐったいよ!」

あんたがやめろ!と伝わらない絶望。こうしている間にも数々の刺激が私を襲う。

口の中の形を探るようにくまなく触ってくるのが余計に苦しい。こいつわざとやっているんじゃないか。

「あがが~!」

「もー、わかったよ、仕方ないなぁ」

やっと解放される―――と思いきや、今度は私の口を広げて、しげしげと口内観察をはじめた。

371: 2016/08/05(金) 23:29:38.02 ID:hdAABIe50.net
「わぁ、すっごくぬらぬらしてる。なんだかえOちだね~」

「ひょら!ひょのひゃ!」

「ごめんごめん、うそうそ」

ぬるん、という感触を残して指が引き抜かれる。

ああもう、口周りがヨダレでべとべとしてて、最悪。早く拭きたい。

「もう満足したでしょ……、どきなさいよ……」

「じゃあ、次ので最後にするね」

「なによ……、まだ何かする気なの……」

―――ちゅっ

色んな意味で疲れ果てていたから、反応が遅れた。

穂乃果が覆いかぶさってきたと思ったら、次の瞬間には立ち上がって、離れていった。

379: 2016/08/05(金) 23:30:50.69 ID:hdAABIe50.net
「……穂乃果?」

唇に残った感触だけが、何をされたのかを物語っている。

見れば、頬を染めた穂乃果が、もじもじしながら私の反応を伺っていた。

「これまでご褒美っていうか、一週間お疲れ様っていうか。イヤだった、かな……?」

そんな顔で見られたら、私まで照れるでしょうが!

否応なしに熱くなっていく顔を、必氏にクールダウンさせる。

「ううん、ありがと。嬉しい」

「……だよねっ!へへ、どういたしまして!」

穂乃果は初々しい様子から一転、眩しいほどの笑顔を見せた。

383: 2016/08/05(金) 23:31:30.88 ID:hdAABIe50.net
(あーもう、可愛いわね!)

穂乃果は可愛さに骨抜きにされてしまいそうなのを抑えこむ。

私こそが宇宙ナンバーワンアイドルなのだから、誰かに骨抜きにされてはいけないのだ。

「穂乃果。とりあえず、手、洗ってきたら?ベトベトでしょ」

「え。ああー……」

私のヨダレでベトベトの指を眺めている穂乃果。

そのままじゃ何も触れないだろうし、引き戸くらいは私があけてあげよう。しかし、穂乃果は動く気配をみせない。

「穂乃果?」

「んぅー?」

どうしたのかしら、と様子を窺うと―――そこには、自分の人差し指を咥えている穂乃果がいた。

396: 2016/08/05(金) 23:34:14.11 ID:hdAABIe50.net
「……なにしてんの?」

一瞬、見惚れていた。呼吸が止まりそうになったことには気付かれなかっただろうか。

ぷはぁ、と指を咥えるのをやめた穂乃果が、にこっと笑って答える。

「どんな味するのかなぁって思って。にこちゃんって、甘いんだね!」

本当は聞かなくても答えはわかっていた。

万が一ということもあるからって聞かなきゃよかった。無自覚バカは恐ろしい。

「……ばーか。お饅頭食べてたからでしょ、あほのか。さっさと洗いに行ってきなさい!」

「はぁい」

階下に降りていこうとする、穂乃果の後ろ姿を見ながら。

宇宙のてっぺんまで届くような大きな声で。

うるさいほど鳴り響く鼓動をねじ伏せるように、私は私に宣言した。

―――絶対に、骨抜きになんてされてやらないんだから!

405: 2016/08/05(金) 23:35:42.57 ID:hdAABIe50.net
ほのほの編 終わりにこ

あとエピローグで終わりにこ
近日中に投下できたらいいなぁと思ってるにこ

423: 2016/08/05(金) 23:57:13.99 ID:hdAABIe50.net
にっこにっこにー

516: 2016/08/25(木) 22:18:27.20 ID:0gXKCz760.net



ピピピピッ―――かちゃ。

「ふわぁ。朝ね……。起きなくちゃ……」

目覚まし時計へと伸ばしていた手を引っ込めて、もぞもぞと体を丸めて暖を取る。

しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。

少しだけためらってから布団をはねのける。

517: 2016/08/25(木) 22:19:04.12 ID:0gXKCz760.net
(うぅ、さむ……)

冷気に晒され、ぶるりと震える肉体を抑え込みながらベッドから起き上がる。

ふつふつと沸き起こる二度寝したい気持ちに蓋をして、なんとなく時計を見てみれば、現在時刻は昨日と同じ。

『お願い』用に調整した、早めの設定時刻のままだった。

(あぁ、戻すの忘れてた……)

521: 2016/08/25(木) 22:19:49.57 ID:0gXKCz760.net
どうしたものかと思案してみるものの、目は既に冴えている。二度寝しようにも出来ない状態だ。

時間を無駄にしたような気がしたけれど、早起きに越したことはない。

気を取り直して、朝食の準備に取り掛かることに決めた。

「……よし。朝ごはん作るわよっ」

ぱしん、と頬を軽く叩いて気合をいれる。今日も、一日がんばろう。

お仕事で疲れてるママのため。最高に可愛い妹達のため。今日もおいしいご飯を作るのだ。

523: 2016/08/25(木) 22:21:09.01 ID:0gXKCz760.net



「にこ、時間大丈夫なの?」

ママは壁掛け時計に目を遣りながら心配そうに尋ねる。

そういえば、早出をするのは昨日までだということを伝えていなかった。

「今日からはいつも通りなの」

「あぁ、そうだったの」

答えに納得したのか、話を掘り下げることなく食後のコーヒーに口をつける。

ママには、早出したり、お弁当を作ったり、ちょっと遅く帰ってきたり―――といった私の行動を『友達との約束』としか話していない。

あまり気にする様子がないのは、信用されているからだろうか。

526: 2016/08/25(木) 22:21:59.78 ID:0gXKCz760.net
「……あれ?でも、にこ……」

なあんてぼんやり思っていると、ママは新聞を読む手を止めて、思案するような表情で台所のほうを見ている。

目線の先を追いながら、一体なんだろうと言葉を待つ。

「お弁当、三個作ってるけど……。お弁当はいつも通りじゃないの?」

「―――あっ」

ママの分。私の分。妹たちは給食なのでお弁当はなし。

残る一個は、誰の分か。答えは一つだった。

530: 2016/08/25(木) 22:23:06.17 ID:0gXKCz760.net
(……凛の分だ)

やってしまったと頭を抱える。一週間も続けていたせいで、体が勝手に動いていた。

(どうして凛のお弁当箱、まだ持ってるのよ……)

返していないとおかしいはずなのに。昨日のお昼休み、凛とのやりとりを思い出してみる。

『ごちそうさまにゃ~。今日もとってもおいしかったよ!』

『はいはい、どーも。ま、にこが作ったんだから当たり前よね』

『とかいいつつ、すっごく嬉しそうだよね。にこちゃんの顔、にやけてるにゃ!』

『あー、うっさいうっさい。そーゆーのいいから、さっさとお弁当箱渡しなさいよっ』

『え?』

『はーやーく!』

『あ、うん……わかったにゃ』

はい。お弁当を褒められたことにニヤけて、箱を受け取るというか、むしろぶん取っていた。

あの時、どうにも凛が変な顔をしているなと思っていたんだけど、今やっとその理由がわかった。私はアホか。

532: 2016/08/25(木) 22:24:20.09 ID:0gXKCz760.net
「お弁当、間違って作っちゃったみたい。ママ、お弁当二つ食べたり……はしないよね」

「そうねえ。にこの作るお弁当はすっごくおいしいけど、さすがに二つはね」

「だよね……」

私も二つ食べるのは無理。夕方まで置いておくのも、だし。箱だって早く返したほうがいいだろうし。

……となると、手段は一つだ。

「今日もお友達に食べてもらったらいいんじゃない?」

「うん、そうするね」

539: 2016/08/25(木) 22:26:09.04 ID:0gXKCz760.net
ママと意見の一致をみたところで、持ち主である凛に食べて貰うことに決定。

もしも凛が違う箱でお弁当を持ってきたとしたら、その時はみんなで分けて食べてもらえばいいしね。

「じゃあわたし、部屋に戻るから。何かあったら呼んでね」

「ええ。いつもありがとうね、にこ」

「うんっ!」

凛のお弁当を作ってしまうというアクシデントはあったものの、私の日常はいつも通りに元通り。

朝のお仕事が終わったので、自室に戻って久しぶりのお楽しみ。朝のプライベートアイドルタイムの始まりよ!

544: 2016/08/25(木) 22:26:44.47 ID:0gXKCz760.net



集中できない。

目の前のモニターには、大好きなアイドルのライブ映像が流れている。

なのに、私の意識はそわそわと浮き足立っている。

(う゛ー)

なんとなくしっくりこないという感覚。足に何かがまとわりつくような小さな不快感。

苛立ちの貧乏揺すりが、余計に苛立ちに拍車をかける悪循環。

545: 2016/08/25(木) 22:27:52.04 ID:0gXKCz760.net
(理由はわかってるのよ……)

理由その1。気がつけば、アイドルが映るモニターから時計に目移りしてしまっている。

理由その2。気がつけば、あいつの家の冷蔵庫の中身を思い出して今朝の献立を考えている。

理由その3。気がつけば、朝っぱらからベタベタしてくるバカの顔が浮かんでくる。

要するに先ほどから、希のことが気になって気になってしょーがないのだ。

「あ゛あー!もやもやするー!」

がしがしと頭をかき乱す。たった一週間、通っていだけでこうなるものなの?

朝は一人で起きられるのかとか、きっちり朝ご飯は食べているのかとか、そういう心配が頭から離れない。

555: 2016/08/25(木) 22:30:18.64 ID:0gXKCz760.net
(もともと希は一人でちゃんとやってたんだから、気にするこたぁーないのよ)

あいつは表ではしっかり者で通っているわけだし。そこまで心配するのは余計なお世話というもの。

一旦どうにか、希のことを忘れなければ。

垂れ流されたままのライブ映像に集中しないと、モニターの中で精一杯輝いているアイドルにも失礼だしね。

(気晴らしにサイリウムでも振りましょーかね)

朝からは汗をかくのは嫌だから基本的にはやらないけれど、気分が乗らない時には使うべきだろう。

クローゼットに仕舞ってあるサイリウムを取りに行こうと、イスから立ち上がったところで太ももに固いものがあたる感触があった。

556: 2016/08/25(木) 22:32:46.53 ID:0gXKCz760.net
(……ん?なんだろ、ブレザー?)

背もたれにかけていたブレザーに足があたって、ポケットに入っている固い何かにぶつかったようだ。

反射的に中を探って、謎の物体を取り出す。現れたのは、見慣れた銀色の鍵だった。

「希の家の、鍵……」

まじまじと見つめるながら、手のひらの上で鈍く光らせる。

お手製にこにー人形がキーホルダー替わりに装着されたそれは、知らない人が見れば私のものだと思うだろう。

557: 2016/08/25(木) 22:33:29.64 ID:0gXKCz760.net
「あれもこれも忘れすぎでしょ、私」

無駄に早起きした上に、凛のお弁当を無意識で作り、希の家の鍵は持ったままときた。

最終日だなんだといって、喜んでいた昨日はなんだったのだろう。まったく切り替えられていない。

(一番しょーがないやつなのは、自分だったってことね)

つい忘れていたという偶然も、これだけ重なれば必然だ。

己の本当の気持ちに嫌でも気がつく。これっぽっちも終わるつもりなんてなかったのだ。

558: 2016/08/25(木) 22:34:27.97 ID:0gXKCz760.net
「くくく……。やんなっちゃうわね」

言葉とは裏腹に心は決まった。即座に頭のなかで、これからの予定を組み立てていく。

まずは学校へ行く準備を終わらせよう。カバンの中の確認、お弁当を二つ持って、ブレザーに袖を通す。

それからママに早出することを話す。いよいよ何か聞かれるかもしれないけれど、それは何とかして家を出発する。

そして、あいつの驚く顔を見物しに行く。

どうせ放っておいたら、朝ご飯にロクなものを食べないし、とても嬉しそうにしていた二人の食卓を今更一人に戻すのは酷い気がした。

だからこうして気にかけているのは、本当に仕方のないことなのだ。

「―――待ってなさいよね、希」

ひとりごちてから、ふと思う。

きっと私はこれからずっと、こういう風に、みんなのことを気にしてしまうのだろうけれど。

それって結構、幸せなことなのだろうな、と。

559: 2016/08/25(木) 22:35:05.99 ID:0gXKCz760.net



「……と、こんなもんでいいかな」

お気に入りのA-RISEファングッズボールペンを置いて、背伸びをする。

ノートに手記としてまとめたのは、私のキスから始まり、終わった物語。

今となっては、キスをしなくても、『お願い』がなくても、お互いを信じ合うことが出来る仲間たちとの、特別な日々の話。

560: 2016/08/25(木) 22:36:00.75 ID:0gXKCz760.net
「今でもキスしてるし、『お願い』みたいなこともしてるけどね~」

誰にいうでもなく、それはそれ、これはこれ……と、ぼやきながら笑みを深める。

まあ、キスを安売りするつもりはないので毎日しているわけじゃない。

週に一度くらいの、相手が油断した頃に不意を打って反応を楽しんでいる。『お願い』も頻度を減らしている。

(あいつらも嬉しそうだし、これでいいのよね……?)

みんなを満点笑顔にできているのだから、たぶん問題はないはず。

たまに本当にいいのかなあ、と思わないでもないけれど。

私は、キスや『お願い』をする時に感じる胸のドキドキが、どうしても忘れられなくて、やめられない。

我のことながら欲望に弱いなぁと思うけれど、そういう性質のおかげで今があるわけだし、人生どう転がるかわからないしね。

567: 2016/08/25(木) 22:38:05.50 ID:0gXKCz760.net
「あ、そうだ」

そんなことを考えていたら、なんとなく思いついた言葉を追記したくなった。

悪戯っ子のような笑顔でペンを取り、ノートにさらさらと筆を走らせる。

「―――うん、これでよし!」

綴られた手記の最後のページ。

文章の終わり部分の、少し下。

小さめの文字で書かれた控えめな一文を、インクの乾燥を見計らって小指でなぞる。
 
 
『キス魔にこにー、今日も元気に活動中。』
 
 
 
 
#キス魔にこにー おわり

573: 2016/08/25(木) 22:40:24.59 ID:0gXKCz760.net
終わったにこー

578: 2016/08/25(木) 23:07:04.43 ID:cZene37W0.net
おつ
前のヤツも気になってログあさって読んでしまったぜ

579: 2016/08/25(木) 23:15:22.94 ID:0gXKCz760.net
感想ありがとうにこー

元々予定していなかった『お願い』を追加したのでボリュームが増えて、手に負えなくなった感があるにこ
これは反省にこ

584: 2016/08/25(木) 23:45:39.30 ID:0gXKCz760.net
感想ありがとにこ
でもこれ以上の続きは精神的に氏ぬにこー
 
 
そいじゃひっそりと過去作の宣伝して寝るにこ
【SS】 ことりチャレンジ!【ことにこ】

【SS】にこぱな活動日誌


585: 2016/08/25(木) 23:53:03.22 ID:pzpzN2HI0.net
>>584
両方とも読んでたにこ
どちらも名作だったにこ
とにかくお疲れ様にこ

590: 2016/08/26(金) 19:29:58.52 ID:1xtRI8Yfd.net
乙にこー

引用: 【SS】キス魔にこにー