1: 2015/06/13(土) 20:28:13.23 ID:YUY/Ua/DO

5: 2015/06/13(土) 23:13:23.49 ID:YUY/Ua/DO
「はぁ……はぁ……っ」


走っていた。


夕暮れに染まる都会。人の目を避けながら、ひたすら走っていた。何かに追われている。確証は無かったが、確かに何かから逃げているのだ。


喉が痛い。呼吸の仕方が分からない。それでも足は止まらない。酸素が足りていないにも関わらず、頭の一部は冷静で、どこを行けばいいのか明確に伝えてくる。


自分の体の調子も理解していた。怪我は擦り傷が三つと軽い打撲が少々。いずれも無視出来る。内臓機能も今のところ問題は無かった。


しかし、脱水症状と栄養失調は大きな問題だ。この調子で走り続ければ、恐らくは半日で動けなくなるだろう。



それでも足は止まらない。行く宛も無いのに走り続ける。心臓の鼓動は早まるばかりで、肺も悲鳴をあげている。喉からは血の匂いが上ってきていた。



「────」



何処からか、人の笑い声がした。何人もの笑い声だ。今まで人のいない場所を選んで移動していたのに、何故だか足はそちらに向いた。まるで、灯りにまとわりつく羽虫のように。


五メートルはあるだろう高い外壁をよじ登る。これにはそれほど苦労しなかった。しかし途中で体の自由が効かなくなり、どこかの施設内に転がり落ちた。


必氏で息を頃す。体から酸素を欲しがる声が聞こえるも、それは無視した。



6: 2015/06/13(土) 23:29:49.64 ID:YUY/Ua/DO
「────」

「────」



二人分の話し声。とっさに身を隠す。敷地内は景観を重視しているのか、木々が豊富だった。話し声が近づいてくる。


木の影から辺りの様子を窺う。一組の男女が近づいてくるのが見えた。どちらもこちらに気がついている様子は無い。


一人は黒い髪に黒い服を着た、端正な容姿の少年だった。もう一人はウェーブの掛かった長い金髪に、クリーム色の服を着た美しい女性だ。見た感じ、女性の方が年上に思えた。


二人は談笑しながら廊下を歩いてくる。女性の方が少年をからかい、少年は肩を竦めながら皮肉を返す。二人の間には特有の気安さがあり、親しい関係である事が窺えた。


目を細める。



(……どうしてだろう)



不思議に思った。彼らは単に取り留めの会話をしているだけなのに、それがどうしようも無く眩しい。


気がつけば、右足が前に出ていた。落ちていた小枝を踏んでしまい、折れる音が静かな中庭に響いた。



「──誰だっ!?」



少年は一瞬にして表情を険しく変え、こちらを威嚇してくる。女性の方は突然の事に驚いたようで、形の良い目を丸くしていた。


それを見て、何かが切れたかのように意識が遠のいていく。一気に疲労が込み上げて、気がつけば地面が目前に迫っていた。



7: 2015/06/13(土) 23:42:49.45 ID:YUY/Ua/DO
「はぁ……はぁ……っ」



ルルーシュ・ランペルージは肩で息をしていた。たった今、重労働を終えたばかりの彼は、ベッドに寝かせた不審者を恨めしそうに睨む。



「お着替えは終わったー?」



扉が開き、金髪の女性が入ってくる。厄介者を引き入れ、厄介事を押し付けてきた張本人である彼女は、疲労困憊のルルーシュを見て、



「……もしかして、興奮したの?」



と軽蔑するような視線を向けてきた。キレそうになるが、ルルーシュは理性を総動員して笑顔を作った。



「これは会長。言われた通り、身元不明の不審者を運んでおきましたよ。では、俺はこれで……」



まともに相手などしていられない。こういう場合は適当にあしらい、離脱するに限る。時間とは常に有限であり、それを無駄に浪費するというのは不毛極まりない。


しかし、女性はルルーシュの腕を取り、言った。



「あ、もう皆呼んであるから」


「そうですか。では、俺はこれで」



細い指が腕にめり込む。信じられない力だった。それを振り払えない自分の腕力は、もっと信じられなかった。



8: 2015/06/13(土) 23:56:03.93 ID:YUY/Ua/DO
「ここに居てもらわなきゃ困るわよ。生徒会での重大発表だもの。会長と副会長がいなきゃ」


「……念のため、その重大発表とやらの内容を聞かせてもらいましょうか」


「とりあえず、ここの彼。うちで面倒見る事にしたから」


「……は?」



予想外の答えに思考がフリーズする。再起動までに三秒を要した。彼女は強敵だ。説き伏せるには入念な準備がいる。まず、理論を組み立てなければならない。そして、相手の反論を予測・封頃し、こちらの思い通りの展開に──



「簡単なメディカルチェックは済ませたし、お祖父様の伝手で身元も確認したけど該当は無し。このままじゃ、どうせ施設送りだろうから……ね?」



駄目だあちらの方が早い。ルルーシュは驚愕したが、持ち前の負けず嫌いが発動して再び頭を回転させた。先手を取られたのは痛いが、次はこちらのターンだ。絶対に論破してみせる。



「……正気ですか?」


「もちろん?」


「危険です。目が覚めた途端、襲いかかってくるかもしれないでしょう」


「こんなに衰弱してるのに?」


「……俺は将来的な事を言っています。学園の生徒に危険が及んでからでは遅い。速やかに警察へ引き渡すべきです」




10: 2015/06/14(日) 00:15:03.20 ID:QEdX3JPDO
「んー。でも……」


「でも、なんです?」


「ルルーシュも見たでしょう? 気を失う前の、彼の表情」


「……それは」


「すっごく辛そうな顔してた。それは肉体的な疲労なんかじゃなくて、もっと深いものだと思う」


「…………」



たった今までおちゃらけた表情だった女性は、急に神妙な空気を放ち始めた。こうなると厄介だ。彼女本来の知的な口調に、ルルーシュはとても弱い。



「まあ、確かに……」



倒れる直前、彼の表情を見たルルーシュは渋々ながらここまで彼を運んでしまった。いつもなら問答無用で叩き出す筈なのに、だ。


この男が特殊な訓練を受けた暗殺者という可能性も考えられた。ルルーシュとその周囲には、そういった類いの者に狙われる理由が山ほどあった。


それは、この女性が一番理解してくれている筈なのだが。



「……はぁ」


結局、ルルーシュの口から出たのは抗議の言葉ではなく、ため息だった。こうなったら、これからやってくる他のメンバーに賭けるしかない。流石に身元不明の不審者を意味も無く保護しようなどという奇特な人間は多くないだろう。そんな風に考えていた。


十五分後、部屋に集まった七人のメンバーによる多数決の結果、四対三で保護派が勝利する事となるとは、この時は思いもしなかった。


これが彼とルルーシュとの、最初の出会いであった。



11: 2015/06/14(日) 00:17:58.86 ID:QEdX3JPDO
今回はこの辺で。とりあえずこんな感じで進めていきます。


ゲーム本編では殆ど主人公視点だったため、他キャラ視点での話も多くなるかと。


設定の矛盾等、多数あるかと思いますが暇つぶしにでも見て貰えたら幸いです。

13: 2015/06/14(日) 09:06:19.20 ID:QEdX3JPDO
「ライ、ね……」


「覚えているのはそれだけか?」


保護してきた少年はライと名乗った。彼の周囲にはルルーシュの友人であるリヴァル・カルデモントとシャーリー・フェネットがいる。どちらも善良な人間だ。身元不明者だというライの事が物珍しいのだろう。



「……はい」


ライと名乗る少年はどこか虚ろな表情で答えた。一日中寝たきりで、目を覚ました直後に質問責めに遭ったにも関わらず、驚いた様子も見せない。ルルーシュは彼に対する警戒を強めた。



「困ったわねぇ。じゃあやっぱり、自分の事はほとんど分からないのか……」


「……すみません」



ライは目を伏せる。演技には見えなかったが、それだけでは判断出来ない。今は彼を観察し、少しでも情報を集めなくては。


「……ルルーシュ。君が彼を連れて来たんだろう?」


後ろから声を掛けられる。枢木スザクだった。彼もまた、最近このアッシュフォード学園に転入してきたばかりの生徒だ。複雑な身の上もあり、厳しい立場というのはライと同じだった。何より、どうしようも無い程の世話焼きでもある。


彼の言いたい事は分かる。適切な検査の後、然るべき機関に預けるべきだと──



「この学園で預かるんだよね。彼の部屋はどこになるのかな?」


「……!?」



14: 2015/06/14(日) 09:19:30.24 ID:QEdX3JPDO
「そうじゃないだろう!? 常識的に考えてみろ、身元不明者をそのまま預かる事がどれほど危険か……」


「でも、会長がああ言ってるんだし……」


「しかしだな……」


「君も僕も会長にお世話になっているんだから、意見は尊重するべきだと思う」



スザクは人懐っこそうな目を緩めて言った。ルルーシュはまるで論破されたかのような気分になり、小声ながら必氏に訴えた。



「クラブハウスにはナナリーもいるんだ」


「……それは」


「危険はなるべく少ない方が良い。そうだろう?」


「…………」



ルルーシュがここまで頑なにライの入居を危険視するのは、これが理由だった。性善説を信じていそうなスザクも、流石に考える。


彼の入居賛成派は会長と、それに釣られたリヴァル。根っからのお人好しであるシャーリーとスザクの四人だった。


反対派はルルーシュと、人見知りの激しいニーナ・アインシュタイン、後は正直どちらでも良いといった様子のカレン・シュタットフェルトの三人だ。


ルルーシュ以外の反対派二人は喧騒から離れた場所で事態を見守っている。カレンの方は早く帰りたいのだろう、少し苛ついているようだった。



15: 2015/06/14(日) 09:34:57.92 ID:QEdX3JPDO
スザクを引き込めば、反対派が四人となり逆転する。ルルーシュはそこを狙っていた。



「僕は信じても良いと思う。彼のこと」


「スザク……!」


「君の考えももちろん分かる。でも、僕には彼が危険な考えを持っているようには見えない」


「…………」


「万が一、彼が問題を起こすようなら僕たちで止めれば良い」


「……くっ。お前に聞いた俺が馬鹿だった」


「ふふ」



毒づくルルーシュに、何故かスザクは微笑んだ。



「……で、あそこにいる仲の良い二人がルルーシュ・ランペルージと枢木スザク君ね。ルルーシュの方はもう会ってるわよね?」


「僕をここに運んでくれた……」


「そう。一応、ここの副会長もやっているから。……サボり魔だけどね」


「……面倒を掛けてすまなかった」



ライはそう言って頭を下げた。他意は感じられない。その素直な謝罪と感謝を向けられたルルーシュに、周囲の視線が集まった。




16: 2015/06/14(日) 09:57:02.30 ID:QEdX3JPDO
ルルーシュはにっこりと笑う。万人が好感を抱くような笑顔だった。



「なに、大した事はしてないさ。君はだいぶ疲労しているようだし、ここでゆっくりしていくと良い」



嘘偽りしかないその言葉に、周囲からの視線が冷たいものに変わったが、全て無視した。



「……いや」



ライはそう言って、ベッドから起き上がった。体調はいくらか回復したようで、動きに淀みは無いように見えた。



「こんな状態で、これ以上世話になるわけにはいかない」



その言葉には、拒絶に似た強い意志が感じられた。学園指定の体操着のシャツとズボンを着せられた状態のライは、床に素足を置いて立ち上がる。


その姿に、ルルーシュは反抗心に似た強い苛立ちを覚えた。しかし、彼より先に会長が口を開いた。



「んー。でも、行くところも無いんでしょ?」


「…………」


「あなたの部屋の手配とか、仮入学の手続きとか、もうしちゃったんだけど」


「……は?」



ライは呆気に取られたように、虚ろだった目を見開いた。


ルルーシュは一歩前に出て、会長に続いた。



17: 2015/06/14(日) 12:25:17.80 ID:QEdX3JPDO
「会長もこう言っているんだし、善意は受けとっておく事だ。それが恩返しにもなる」


「…………」


「良かった、じゃあ決まりだね!」



スザクも喜んでいる。シャーリーやリヴァルもだ。ニーナでさえ、控えめながら会釈をしていた。ただ一人、カレンだけは穏やかな空気を纏っていながら、どこか他人事の様だった。


ルルーシュでさえそれに気づいたのだ。このアッシュフォード学園生徒会のボスが気づかない筈がなかった。



「じゃあ、お世話係を任命しまーす!」






カレン・シュタットフェルトはうんざりしていた。学校の授業が終わり、少し勉強をしてから下校しようと思っていた。家に帰りたく無いが故にとった苦肉の策だった。


そこで会長から連絡があった。至急、生徒会室に集まれという内容だったが、行くかどうかは迷っていた。出席すれば面倒な事に巻き込まれるだろうし、しなければ家に帰らなければならない。


リスクを考えれば、後者の方が良いか……そう思って玄関に向かったところ、シャーリー・フェネットに捕まったのが運の尽きだった。


生徒会室に連行されてみれば、ベッドに横たわる変な少年といつになく楽しそうな会長、いつになく不機嫌そうな副会長の姿があった。




18: 2015/06/14(日) 12:43:59.88 ID:QEdX3JPDO
会長は彼を学園で世話しようと考えているらしい。ルルーシュは必氏で抗弁している。それから生徒会が全員集まり、彼の保護に賛成か反対か多数決が取られ、反対派のカレンは敗北する事となった。


この時点で嫌な予感がしていたのだ。確実に厄介事が音を立てて近づいてきている。


肝心の人物が眠っているのもあって、その日のうちはそれでお開きとなった。


そして今日。少年が目を覚ましたという事で、再び生徒会室に集まった。


反対派筆頭のルルーシュ副会長による突然の手のひら返しにより、反対派の敗北は決定的なものになったが、やはりカレンには大した関心はなかった。適当に息を潜めていれば、この騒動も収まるだろうと思っていたからだ。



「じゃあ、お世話係を任命しまーす!」



会長が言った。早く決めてくれと思った。きっとルルーシュとスザクが兼任するだろう。それが一番合理的だ。


しかし会長は何故か、こちらを指差し、



「栄えあるお世話係第一号は、さっきから壁の花と化しているカレン・シュタットフェルトさんに決定!」


「は……?」



しまった素が出た。瞬時に切り替え、



「そんな……。困ります」



そう言って目を伏せた。


20: 2015/06/14(日) 13:02:49.66 ID:QEdX3JPDO
「でも、もう決めちゃったしなぁ……」


「会長、理由を聞かせてもらえますか」



すかさずルルーシュが突っ込む。



「ルルーシュとリヴァルは変な事教えそうだし、スザク君は租界に来たばかりでしょ。シャーリーは水泳部があってニーナは怖がってるし……ねえ?」


「わ、私もそこまでカバー出来ませんよ」


「ダーメ。租界と学園内に詳しくて、なにより最近、出席率が一番低いから決定」


「そんな……」



これは本当に良くない事だった。ただでさえカレンは学園に近づきたくなかったのに、こんな厄介事に巻き込まれては"本業"の方に差し障る。


今は忙しい時期なのだ。記憶喪失の身元不明者の世話係など、やっている時ではない。



「すまないが……」



今まで黙っていたライが口を開いた。不思議と通る声だ。全員の視線が彼へと向く。



「これ以上、誰にも迷惑はかけたくない。自分の事は自分で何とかする」


「…………」



「最初から当てにしていない」と言われているように思え、カレンはむっとした。


今度はライとカレンを除く全員の視線がこちらへ集まった。



「だってさ。どうする?」


「……やります。やれば良いんでしょう」


「じゃあ、決まり!」


ミレイ・アッシュフォード会長の思惑通り、カレンは世話係に任命された。


21: 2015/06/14(日) 13:25:46.51 ID:QEdX3JPDO
夜のトウキョウ租界。高層ビルが乱立した街道を、ライと二人で歩く。世話係の最初の仕事は、租界の案内だった。


良く整備された夜の街を異性と並んで歩くというのは、普通の女子ならそわそわするシチュエーションだ。


今のライはアッシュフォード学園の制服を着せられている。多分、見た目ならそこらの王族にも負けないだろう。かなりの美形だ。


しかし、カレンの対応はひたすら事務的だった。色気などかけらも無い。問題はこの、無表情で無気力な同行者にある。



「……ここが公園ね。そこの道を右折すれば、病院へ行けるから」


「分かった」



租界は広い。放課後に徒歩で回っても、行けるところなど限られている。街の案内など簡単だと思ったが、これでは何日掛かるか分からないと辟易していた。


おまけにこの同行者だ。こちらが何を言っても空返事ばかり返してくる。常に三メートルほど離れている距離も、なんだか無性に苛ついた。警戒されているように思ったからだ。


こんな調子では成果など出るわけが無い。カレンは早々に見切りをつけ、学園周辺の主要な施設を適当に紹介した。これだけ知っていれば生活には困らないだろう。本当に分かっていればだが。


既に遅い時間だ。今日はこんな所で良いと思い、振り返った。気になるのは、開いた三メートルの距離。いや、最初よりもっと開いている。


それはあまりに失礼ではないのか。カレンはしとやかな令嬢の仮面を一瞬だけ外し、語気を強めた。



「……私の案内、つまらなかった?」



22: 2015/06/14(日) 13:42:06.77 ID:QEdX3JPDO
「……すまない」



彼は言葉通り、本当にすまなそうに俯いた。それはカレンの今の言葉にではなく、もっと根本的な事への謝罪に思えた。



「え……」


「だって、迷惑だろう。こんな役割を押し付けられて」


「…………」



そういうことか。と得心がいった。彼はつまらなかったわけでもなく、不真面目だったわけでもなかった。ただ、申し訳なかったのだ。


自分が他者にとって迷惑な存在だと認識していて、それを押し付けられたカレンに対して、いつ謝ろうかと悩んでいたのだ。


その時カレンは、距離をとっていたのはライではなく、自分だったのだと気付いた。数時間に渡る案内の道中、何回こうして振り返っただろう? もしかして、今が初めてではないのか?


失礼なのはどちらだったのだろう。右も左も分からないライを適当に連れ回し、彼の意見など聞こうともしなかった。



「あ……」



目眩がした。謝るべきなのは彼ではない。こちらだ。恥ずかしさが込み上げ、申し訳なさが体を満たした。



「今日はありがとう。君のおかげで大体わかった。後は自分で何とか出来る」



そう言って、ライは学園へ続く道へ向かおうとする。あんな案内でも、きちんと理解していたようだ。彼が真剣だった証拠である。



23: 2015/06/14(日) 14:08:43.55 ID:QEdX3JPDO
「ま、待って」


何か考える前に、そう言っていた。ライが振り向く。その表情からは感情が窺えなかった。


「どうした?」


「あの……」


月の光が彼を照らしていた。珍しい銀色の髪が光を反射し、その姿をとても儚げなものに思わせる。


「迷惑……なんかじゃないから」


「……そうか」


「明日も、同じ時間に案内するから」


それを言うには結構な勇気が必要だった。もう良いと言われれば、この関係は終わりになる。カレンにとって、お世話係という役職は決して重要ではなかったが、そんな事はどうでも良かった。


「……いいのか?」


「もちろん。お世話係だもの」

なんとか余裕を持って微笑む事が出来た。そうすると彼は、


「わかった」


素直に頷いてくれた。


「じゃあ、また明日、ね」


「ああ。また明日」


ライは去っていった。その背中を見送り、カレンは空を見上げた。月が夜闇を照らしている。人を落ち着かせるような、優しい光だ。こうして眺めるのは何年振りだろうか。


世話係を本格的に行うとなれば、きっと忙しくなるだろう。今までより遥かに。


「……まあ、いっか」


なんとかなるだろう。そんな風に思える。どこか晴れ晴れとした気持ちだった。嫌悪している自宅へ足を向ける。いつもより足取りは軽かった。


なんとなく、明日の学園が楽しみになったのが原因かもしれない。



27: 2015/06/14(日) 22:00:39.59 ID:QEdX3JPDO
夜。クラブハウスの廊下で、ルルーシュはある部屋の前に立っていた。既にスザクを交えた三人での夕食を終えて、妹のナナリーを寝かせた後だ。


時刻は夜九時を過ぎた頃。綺麗な月が夜の租界を照らしている。ルルーシュが立っているのは新しく用意されたライの部屋だ。


控えめにノックする。応答は無い。声を掛けてみるが、これまた応答はなかった。出掛けているらしい。カレンの案内がまだ続いているのだろうか。



「……少し待つか」



時間には余裕があった。ルルーシュの部屋は目が届くほど近くにあるため、緊急時はすぐに駆けつけることが出来る。


この後やる事と言えば、シャワーを浴びて"彼ら"への定時連絡を済ませる事くらいだろう。一時間もあれば終わる。


壁に背を預け、目を閉じる。そうして十分ほど待った頃、階段の方から足音が聞こえた。規則正しい旋律で、こちらへ向かってくる。



「……君は」


「夜分遅くすまない。昼間伝え忘れた事があってな」


「それはすまない。待たせてしまったか」


銀髪の少年は気遣いが出来るようだった。まずは長所を一つ見つけた。


「いや、気にしないでくれ。こちらの用事だ」


「……?」


ライは部屋の中へ案内する素振りを見せたが、ルルーシュは遠慮した。この時間は流石に失礼かと思ったのだ。



28: 2015/06/14(日) 22:27:52.68 ID:QEdX3JPDO
「で、話というのは……」


「俺がお前の保護に反対していた理由を話しておこうと思ってな」


「…………」


「俺には妹が一人いる。ナナリーという子だ。ここで一緒に暮らしているんだが……」



妹という単語にライがピクリと反応したが、ルルーシュはそれに気づかなかった。



「生まれつき、眼と足が不自由でな。物音とかに敏感なんだ。……出来れば気を使ってもらいたい」



無表情なために彼が何を考えているかは分からなかったが、ライはこくりと頷いた。


「……その話ならミレイさんから聞いている。約束しよう。君達兄妹の邪魔はしない」


「そ、そうか。すまないな。こんな事を頼んでしまって」


「いや、唯一の肉親の事だ。当然だと思う」



相変わらずの無表情だったが、真摯な返答だと思えた。ひねくれ者だと自負しているルルーシュでも、すんなりと信じられるくらいに。



「話はそれだけだ。協力に感謝する」


「ああ」


「お前の入寮を歓迎するよ。ルルーシュ・ランペルージだ。改めてよろしく」


「……ライだ。よろしく頼む」


簡潔な挨拶を交わして、二人は別れた。ルルーシュは自室に入る直前、ライの部屋の方をちらりと窺った。鍵を開けるのに何故か悪戦苦闘している。


変な奴だと思った。



29: 2015/06/14(日) 22:51:36.86 ID:QEdX3JPDO
二日目の朝。ライは自室で目を覚ました。時刻はきっかり六時。あくび一つ無く起き上がり、自室の状況を確認。今日はアッシュフォード学園での授業体験の予定があった。


備え付けのクローゼットを開け、生徒会長から渡された学園指定の制服に袖を通す。新品特有の固さに違和感を抱いたが、すぐに慣れるだろう。慣れるまでここに居られるかは分からないが。


学生鞄を開き、昨日のうちに用意していた教材を丁寧に納めた。そして時計を見る。六時十分。登校時間まで二時間近くあった。



(やることが無くなった……)



ベッドに腰掛け、俯く。どうしたらいいか分からなかった。


知人は何人か出来たが、頼るのは気が引ける。記憶喪失の身元不明者という立場上、誰かしらに迷惑をかけざるを得ないのだが、それは必要最低限であるべきだと考えていた。


今の自分に出来るのはそれくらいなのだ。


「…………」


外は晴天だが、どうしてか空が濁って見えた。美しいと思えない。気分が落ち込んでいるからなのか。それさえも分からなかった。


とりあえず、こうしていても始まらない。早く記憶を取り戻さなくては。


立ち上がり、外へと向かう。まずは昨日、カレンから案内してもらった道筋を辿り、周辺の地形を理解しよう。


どうにも体に力が入らなかったが、ライはクラブハウスを後にした。



30: 2015/06/14(日) 23:14:41.58 ID:QEdX3JPDO
「うーん……」


昼休み。昼食を終えた枢木スザクは生徒会室で唸っていた。机の上には数学の課題が広げられていた。今日の授業で習ったばかりのところだ。


授業中に説明を聞いた時から嫌な予感はしていたが、全く理解出来ない。完全にお手上げだった。



(ルルーシュに聞こうかな。でも、こういうのはやっぱり自分でやらなきゃ……)



すぐに誰かを頼ろうとするのは甘えに繋がるのだ。スザクは頭を振り、分かるはずの無い難問に取り組む。


その時、生徒会室の扉が開いた。入ってきたのは今日仮入学してきたばかりの少年だった。



「あ、ライじゃないか」


「枢木……スザクだったか」



ライは朝のホームルームで仮入学生という事で紹介された後、生徒達──特に女子から包囲されて質問責めに遭っていた。あのルルーシュが珍しく朝から登校し、彼のフォローを進んで行っていたのが印象に残っている。



「君も課題かい?」


「いや……。教室は疲れるんだ」


「はは。囲まれていたもんね」


「……課題か」



ライの視線がスザクのノートにとまる。真っ白なそれを隠して、誤魔化すように笑った。




32: 2015/06/14(日) 23:36:08.95 ID:QEdX3JPDO
「はかどっては……いないようだな」


「はは……」


「この公式は中等部で習った物を組み合わせて使用していると授業で言っていた。そちらの教材は無いのか」


「う、うん……。君は分かるのかい?」


「ああ。他の生徒が解いているのを見たからな。大方理解出来たと思う」


「じゃあ……これも分かる?」



なんとなくスザクが見せた問題を、ライはすらすらと解いて見せた。



「凄いな……」


「幾つかの要点を抑えれば答えは自動で出る。……こことここだな」



図らずも、課題を手伝ってもらう形になった。教え方はとても丁寧で、二日かけて終わらせようと思っていた課題は三十分で終わった。


気づけば昼休みが残り僅かとなっている。



「ご、ごめん! 手伝ってもらっちゃって……」


「……? いや、役に立てたなら嬉しい」


ルルーシュのように偉ぶる様子も無く、ライは窓の外へ視線を移した。そこで、スザクは先ほどから気になっていた事を尋ねた。



38: 2015/06/16(火) 10:20:55.58 ID:f3NIeJHDO
「……君は僕に普通に接してくれるんだね」


「どういう意味だ?」


「僕は……名誉ブリタニア人だから」


アッシュフォード学園はエリア11と呼ばれるブリタニアの植民地にある。ここは昔、日本と呼ばれていた国だったが、数年前の戦争で日本が敗れた事により神聖ブリタニア王国の統治下となった。


それ以来、日本人はイレヴンと呼ばれ、迫害されている。エリア11から取られた俗称だったが、今ではすっかり定着してしまった。


「そういえば……ここでは差別があるんだったな」



常識的な知識はあるのか、ライは思い出したように言った。


名誉ブリタニア人とは、特定の手続きを経ることでブリタニアの国籍を取得した被植民地国の人間の事である。簡潔に言えば、自分達の国を奪った相手に頭(こうべ)を垂れ、隷属した者を指す言葉だ。


ゲットーと呼ばれる廃虚となった街から、清潔な租界での暮らしが約束される代わりに、ブリタニア人からはゴミのように扱われ、母国の人間からは売国奴と罵られる。


本来ならば、名誉ブリタニア人のスザクはアッシュフォード学園に入学することなど許されない。それが、様々な幸運が重なったことにより、こうして勉強が出来る。


とても感謝はしているが、それでも差別は日常茶飯事だった。スザク自身、慣れてはいたが、普通に接してくれるミレイやリヴァル達、そしてライのような人間は珍しい。




39: 2015/06/16(火) 10:39:13.40 ID:f3NIeJHDO
差別をするからといって嫌いになるわけでもないが、理由は気になっていた。ルルーシュやナナリーとは以前から親しかったが、他の生徒会メンバーは生粋のブリタニア人だ。恐らくはライも。



「僕には記憶が無いんだ。差別なんてしようがないだろう」


「そうか。……そうだね」


「……だが、ここの人達が善良だという事くらいは分かる。君も含めてな」


「…………」


「そういえば、僕も聞きたい事がある」


ライが立ち上がりながら言った。


「なんだい?」


「……男子生徒達から、妙な視線を感じる。朝からだ。理由を知りたい」


「ああ……」



それはスザクも気づいていた。男子生徒何人かが常にライの周囲をうろつき、監視しているのだ。差別的なものではなかったが、不自然だった。早朝の時点ではライが転入生だという事は知られていなかったはずなのに。


物珍しさからくる好奇心というのなら分かるが、彼らのは明らかな警戒心だ。何か、神聖な領域に侵入しようとする者に対する視線のように思えた。



「彼らを刺激するような事を、何かしたんだろうか」


「うーん……」



40: 2015/06/16(火) 11:03:30.17 ID:f3NIeJHDO
「リヴァルから、"お前も大変だな"と言われた」


だとしたら、ライの過去に関する事柄ではないだろう。



「昨日、カレンと街に行った後は何をしてた?」


「クラブハウスでルルーシュと話した後、すぐに寝た。今日は学園に来るまで租界にいたから、妙な二人組以外は見ていない」


「妙な二人組……?」


「ああ。大型トレーラーの近くで眼鏡をかけた研究者風の男性と、どこかの制服を着た女性が問答していたんだ。もしかしたら、彼らに関係があるのかもしれない」


「そ、その二人組はきっと関係ないよ」


その二人組はスザクの知り合いだったが、それは言えなかった。



「まあ、時間が経てば彼らも離れていくだろう」


そこで授業開始五分前を告げるチャイムが鳴った。急いで教室に戻らなくてはならない。



「ごめん……力になれなくて。僕も調べてみるよ」


「……すまない」


「何か困った事があったら何でも言って。僕で良ければ力になるから」


そう言うと、ライはスザクが抱えている教材を見て、


「それは、お互い様だな」


「はは。そうだね」


二人は駆け足で教室まで向かった。



41: 2015/06/16(火) 11:18:23.86 ID:f3NIeJHDO
放課後の生徒会室。ライはスザクとリヴァルに生徒会の仕事を教わっていた。最近は不参加者が多く、だいぶ溜まっているようだった。


「あ、そういえば」


書類の量は多いものの、中身はそう難しくはない。ライが内容を大方理解した頃、リヴァルが思い出したように口を開いた。



「今日もカレンに租界を案内してもらうんだろ?」


「ああ。彼女の予定が済み次第、出発する予定だ」


「そっか。こりゃ、しばらくは監視が消えないな」


「あ、ライにつきまとっている男子生徒達の事だね」



リヴァルは頷いた。彼はルルーシュやスザクと同じクラスの男子生徒だ。そしてアッシュフォード学園生徒会のメンバーでもあった。


情報通なようで、学園生活に役立つ事を色々と教えてもらっている。彼の言葉に、ライとスザクは自然と耳を傾けていた。



「あれはカレンの親衛隊だよ」


「親衛隊?」


「ああ。カレンは体が弱くてさ。学校もちょくちょく休むんだよ」


「そうなのか……」



ライは俯いた。昨日、体の弱い彼女に租界を案内してもらっていたのだ。かなりの長時間、歩かせてしまった。体に良いわけがない。



42: 2015/06/16(火) 11:38:02.90 ID:f3NIeJHDO
(だから機嫌が悪かったのか……)


肩の辺りがどんよりと重くなる。突然、記憶喪失の不審者を押し付けられた病弱なカレン。どれだけ不満だっただろう。


ミレイ会長の人選にも問題はあるが、それはカレンの体調をまったく気にかけなかった理由にはならないだろう。


案内された道を覚え、何か記憶に関係ないかを考える事に必氏だったせいだ。内側にしか意識が向いていなかった。



「今日、カレンは午後からの登校だったな……」



午前の授業は欠席していた。昨日別れた後、体調を崩したのかもしれない。教室に入ってきた後、普通に挨拶をしてくれたが……。



「ライ、大丈夫かい?」


「……あ、ああ。だが、彼女の体調が優れないというのであれば、世話係は断るしかない」


「そうだね。それは確かに」



スザクも頷く。


カレンが体調を崩して倒れた場合、租界の地理に疎いライでは対処が遅れる事も充分に考えられた。最悪の事態も想定できる。そうなれば、任命したミレイ会長の責任問題にも発展するだろう。


生徒会が解散に追い込まれる可能性もある。それだけは許容出来ない。絶対に。



「おいおい、そこまで深刻に考えなくても……」


思い詰めた表情のライに、リヴァルが声を掛ける。しかし、ライは首を振った。


「いや、彼女の善意に甘えていたのは事実だ。だからこそ、迷惑はかけたくない」



43: 2015/06/16(火) 12:00:05.17 ID:f3NIeJHDO
「そうだね。僕で良ければ、お世話係も交代しても……」


「ちょ、ちょっと待てって……!」



何故かリヴァルが必氏になっているが、ライには理由を考えている余裕もなかった。


その時、生徒会室の扉が開く。ルルーシュが入ってきた。彼は部屋を見渡し、混乱している様子の三人とは少し離れた自身の指定席に座った。


「なにかあったのか?」


「ルルーシュ、お前からも何か言ってやってくれよ!」



リヴァルが慌てながら事情を説明する。ルルーシュは所々、落ち着くように促しながら静かに聞いていた。


「世話係の交代か……。昨日、任命されたばかりだろう」


「そうだが、彼女の体調については知らなかった。このままというわけにはいかない」


ライの言葉に、スザクも頷く。しかしリヴァルは立ち上がり、反論した。



「でも、昨日は何もなかったんだろ? なら、俺達でフォローしていけばいいじゃんか」


「ふむ……」


両者の意見を聞いた黒髪の生徒会副会長は、しばし黙考していった。


「ライ。昨日の案内でお前に不満はあったか」


「無い。彼女の説明は丁寧で的確だった」




44: 2015/06/16(火) 12:25:29.15 ID:f3NIeJHDO
断言する。これはライのカレンの案内に対する感謝の言葉でもあった。ルルーシュは少し笑みを浮かべて、


「ならば、いま必要なのはカレンの意見だな。自分の体調を一番理解しているのは、カレン自身だ」


「だが……。彼女が気をつかって嘘を言う事も考えられる」


「意外に強情だな……。どちらにしろ、世話係の件は生徒会長の権限で決定したものだ。それが私情しかないものだったとはいえ、この場で勝手にどうこう出来るものではない」


「…………」



ライは押し黙った。ルルーシュの意見が正論だという事は理解していたが、どうしても素直に納得出来ない。昨日の夜。月明かりの下で微笑んでくれた彼女に、出来る限り迷惑を掛けたくなかった。



「さっき、カレンがこちらに向かってくるのが見えた。気になるなら、直々に……」



ルルーシュが言うと同時に、扉がノックされた。カレンが顔を覗かせる。部屋にいる四人の視線が一斉に注がれ、彼女は怪訝な顔をした。



「な、なに……?」



長机に並ぶ男四人が視線を交錯させ、それがルルーシュに集まる。彼は仕方ないと言うようにため息をつき、立ち上がった。


「カレン、いま君について話していたところだ。世話係の件についてな」



ルルーシュは見事な話術で今回の議題を説明する。カレンは黙って聞いたが、説明が終わるとライに向かって静かに言った。


「ライ、ちょっと来て」



50: 2015/06/17(水) 01:25:20.05 ID:jrxZ+tTDO
ごく普通の呼びかけだった。ライは何も言わずに席を立ち、生徒会室から出て行った。残された男子三人の内の一人、リヴァルは酷く恐ろしいといった様子で呟いた。



「……ブチ切れてたな」


「ん、そうか?」


「え、そう?」



他の二人は気づかなかったようだ。恐らくは、のこのこついて行ったライも同じだろう。



(ヤバいな……)



リヴァルが世話係の件で必氏になったのは理由があった。自分の不用意な一言で世話係の話が立ち消えとなったら、ミレイから何と言われるか分からない。とても不純な理由で、リヴァルはライの無事を祈った。






その日のカレンは珍しく、とても上機嫌だった。登校するまでに幾らかの問題はあったものの、それを片付けた後はすぐに学園へ向かった。


"仲間達"は嫌っていた学園に行きたがるカレンの姿を驚いたように見ていたが、気にするに値しない。午後の授業が始まる直前に登校。


今日から仮入学する事となったライは女子生徒に群がられていた。普通にしていれば美少年なので当然だろう。そんな事を考えながら放課後の廊下を歩く。


昨日約束した手前、世話係の仕事はきっちりこなすつもりだった。"本業"との両立は簡単ではないが、なんとかして見せると意気込んでいた。



51: 2015/06/17(水) 01:47:56.70 ID:jrxZ+tTDO
優雅な手つきで生徒会室をノックし、中の様子を窺った。リヴァルとライはともかく、ルルーシュとスザクが揃っているのは珍しかった。


男子四人の中に一人で行くのは気が引けたが、それ以上に彼らの様子がおかしかった。妙な緊張感がある。不審に思ったが、気づいていない風を装って中に足を踏み入れた。


妙な空気がカレンからルルーシュの方へ向かった。彼は嫌々といった様子で立ち上がり、努めて丁寧に言った。


病弱なカレンでは何かあった時に困るので、世話係の変更を検討しているという内容だった。そしてそれを言い出したのは無表情でこちらを見ているライとの事だ。


とりあえず、二人で話し合ってくれという事でルルーシュの話は終わった。



「ライ、ちょっと来て」



そう言って廊下に呼び出した。ライは席を立ち、カレンの後をついてきた。扉を締め、周囲に人がいない事を確認。相手の方に向き直り、冷静に尋ねた。



「どういうこと? お世話係を変更したいなんて」


「ルルーシュの言った通りだ。君が病弱だという事を知った以上、昨日の様には頼めない。何かあってからでは遅いだろう」


「……あなたは私の体調なんて気にしなくていいの」


「そういうわけにはいかない」


「どうして?」



52: 2015/06/17(水) 02:12:02.50 ID:jrxZ+tTDO
「それは……」



ライの言い分はカレンが倒れた際に、自分では対処出来ないだの、それが回り回って生徒会の崩壊に繋がるだのといった、明らかに心配し過ぎというものだった。


反論しようとして、カレンは言葉を選ぶ。


実のところ、病弱なお嬢様というカレンの人物像はまるっきり嘘だった。その嘘は"病弱"と"お嬢様"の二つに分けられる。


まず、カレンはすこぶる健康であり、病弱ではない。必要ならば学園にいる女子生徒の誰よりも速く走れる自信があった。病弱というのは学校をサボるための口実に過ぎない。


お嬢様というのも、真っ赤な嘘であった。もちろん、名門貴族であるシュタットフェルト家の一人娘なのは本当だが、カレンにはもう一つ、本当の顔がある。


本来の性格は貞淑なお嬢様などとは無縁で、学園内で求められるキャラクターを演じているだけだった。それは生徒会の中でも同じである。



『本当は元気でもしかしたらあなたよりも体力があるかもしれない。だからそんな心配は無用だ』



これを、今までのイメージを壊さないように伝えるというのは、なかなかに難しい。下手をすれば二年近い苦労が無駄になる。



「まず、私はあなたが思っているほど体は弱くないわ」


「だが、午前中は欠席していただろう」


「それは……」




53: 2015/06/17(水) 02:33:47.46 ID:jrxZ+tTDO
まずい。今日の午前中を欠席した理由が、昨日の租界散策にあると考えているらしい。



「ちょっと用事があっただけ。体調を崩してなんかいないから」


「だが……」


尚も食い下がるライの態度に、カレンは苛立った。いや、明確に言えば彼に対してというより、自身が演じている面倒なキャラクターへの苛立ちだ。



「あのね、私だって子供じゃないの。本当に体調が悪ければ自分で何とか出来ます」


「…………」


「それに、今のあなたは私より自分の事を心配するべきでしょう?」


「……そうだな」



諭すように言うと、ライは頷いた。彼の自己評価が低いという事は昨日の時点で分かっていたので、最もらしい事を言えば納得してくれる。


真剣にカレンの身を案じてくれる彼を謀るのは申し訳なかったが、本当の事を言えない以上、仕方のない事だ。



「でも、心配してくれてありがとう。もしもの時になったら、頼りにさせてもらうから」


「わかった」


「じゃあ、行きましょうか」



悪いと思いながら、カレンはライを伴って歩き出した。昨日の内に決めていた今日の目的地は繁華街だった。



59: 2015/06/17(水) 09:48:21.64 ID:jrxZ+tTDO
学園で保護されて一週間ほど経ったある日の朝、ライは日課となった生徒会の書類仕事をこなしていた。得意分野は会計である。支出を計算し、今現在の予算に間違いがないか確認をしている最中だった。



(……今年度の分はクリア。時間もあるし、去年の会計報告書類にも目を通しておこうか)



会計の仕事をすれば、アッシュフォード学園の行事などがいつ行われるか分かるし、その時の予算を見て規模を推し量る事も出来る。ひいては生徒会メンバーの助けになれるだろう。


面倒を見てもらうだけというのは忍びない。なにより、頭の中で数字を回していれば、記憶の事などを一時的に忘れられる。一種の逃避行為でもあった。


前年度の資料を探そうとライが立ち上がり、棚へ向かう。その時、後頭部に軽い衝撃が走った。


「会長チョ~ップ!」


「…………」


振り向くと、デジタルカメラを片手に持ったミレイ会長が満面の笑みを浮かべたまま、手刀をライの頭に乗せていた。


どうやら、今の衝撃はこの人が原因だったらしい。


「…………」


「……あら」


意図が分からず、ライがジーッと見つめていると、ミレイの頬を汗が伝った。


「……どうしました」


「……怒った?」


「いや……」


「びっくりすると思ったんだけどなぁ」



60: 2015/06/17(水) 10:01:51.94 ID:jrxZ+tTDO
「びっくりしましたよ」


「えぇー。全然、無表情じゃない」


「……?」



手刀と無表情に何の因果関係があるのか分からず、ライは首を傾げた。時折、この生徒会長の論理が飛躍することは知っていたが、それでもなかなか慣れなかった。



「最近ようやく、ルルーシュやリヴァル、スザク君とかと打ち解けてきたみたいだからね」


「……はい。彼らには良くしてもらっています。……あ」


そこまで言ったところで、リヴァルから念押しされていた事を思い出した。



「特に、リヴァルからは良くしてもらっています」


「んー? なんでリヴァルだけ?」


「それは……」


ライは以前、リヴァルから生徒会女子メンバーの情報を教えてもらった事がある。その時から事ある毎に、『俺が協力してるって事、会長に猛プッシュしといてくれよな!』と言われていた。


「リヴァルが何を教えてくれたの?」


「それはもちろん、生徒会女子メンバーの情報についてです」


特に隠す事でも無いと思い、正直に話した。会長が一層ニッコリと笑みを深めた事を、彼女が喜んでいるとライは解釈した。これでリヴァルの評価も上がった事だろう。彼はミレイに気があるらしい。



62: 2015/06/17(水) 10:14:54.63 ID:jrxZ+tTDO
「まあ、その事はいいわ。話を戻しましょう」


「…………」



ミレイはビシッとライの顔を指差し、



「いい加減、無表情以外の顔も見たいという意見が挙がっているの。学園の各所からね」


「は、はあ……」


「特に生徒会の女子とは、ライはあまり関わっていないでしょう? カレンくらいかなー」


「それは、仕方の無い事だと思いますが……」


「仕方なくなーいっ!!」



一喝された。思わずのけぞる。ライは学園生活において、生徒会の男子メンバーとよく行動していた。放課後はさっさとカレンと共に租界へ行ってしまうので、水泳部のシャーリーや人見知りの激しいニーナとは接点が持てない状態だった。



「ライ、あなたは何でこの学園にいるか分かっているの?」


「それはもちろん、記憶を取り戻すため……」


「違ーうっ!!」


また一喝された。


「学園生活とは、青春を謳歌するために存在するの。わかる?」


「いえ……」


「何のしがらみも無く同年代の男女が同じ空間で過ごせる時間は限られているの。それをあなたは、毎日毎日、男連中とばかり……」




63: 2015/06/17(水) 10:27:17.24 ID:jrxZ+tTDO
ミレイは自分で世話係に任命しておきながら、カレンの存在を完全に無視していた。これでは彼女も浮かばれないだろう。



「良い? 同じ人とばかりの付き合いだけなら楽かもしれない。でも、より多くの人と関われば、記憶の手掛かりだって掴めるかもしれないでしょう?」


「それは、確かに」



突然の正論にライは頷いた。何だか完全にイニシアチブを奪われた気もするが、ミレイの言うことは間違っていない。



「分かりました。でも、どうすれば?」


「まずは笑顔! 君は中々の男前なんだから、笑顔になるだけで印象は変わるわ」


「笑顔、ですか」


「はい、じゃあまずは練習!」


「…………」



無理やり、笑顔を作ってみた。口角を上げ、精一杯印象を良くする表情を……!



「あー……」


しかし、ミレイからの評価は芳しくなかった。顔中の筋肉を痙攣させているライに対して、恐怖しているようでもある。


「まあ、これは今後の課題ということで」


「はい……」




64: 2015/06/17(水) 10:55:19.52 ID:jrxZ+tTDO
「とりあえず、あなたは色々な人と交流すること。いいわね?」


「はい」


「それともう一つ。これはスザク君にも言ってあるんだけど、ルルーシュが生徒会をサボろうとしたら捕獲すること。ある程度なら手荒な手段でも構わないから。いいわね?」


「分かりました」



承諾すると、素直でよろしいとミレイは笑顔になった。こうして喜んでもらえると、ライも気が楽になる。


ちょうど、ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。


「はい。じゃあ、今日の講義はここまで!」


「……ありがとうございました」


「頑張んなさいよ。応援してるからね」



最後にそう言い残し、ミレイは生徒会室を出て行った。彼女のああいった気遣いは何よりの励みになる。こうして学園に居られるのも彼女のおかげなのだから、感謝はしてもし足りない。


(……僕は恵まれているんだろうな)


ライは机に散らばっていた資料を手早く片付けると、急いで教室へ向かった。



65: 2015/06/17(水) 10:56:28.16 ID:jrxZ+tTDO
午前の部は終了です。ちょっと休憩します。

69: 2015/06/17(水) 22:37:01.70 ID:jrxZ+tTDO
生徒会室を出て、教室へ向かう。移動するのに必要な時間は計っていたので、間に合う筈だ。良く磨かれた廊下を歩き、高等部二年生の教室へ入る。自分の席に座って鞄を置いた。


ルルーシュとスザク、そしてカレンの姿は無い。出席率が低い定番のメンバーだったので、ライは驚かなかった。せいぜい、スザクのためにノートを取っておこうと思った程度だった。


朝のホームルームが終わり、一限目まで十分間の休憩が挟まれる。生徒達の大半は友人との世間話や、出されていた課題の確認、来るべき試験への不安に嘆いたりと忙しそうだった。



今日はカレンがいないため、彼女の親衛隊連中からの監視も……無いわけではなかったが、いつもと比べれば緩かった。



「…………」


平和な風景をぼんやり眺めていると、どうしても自分に対する違和感が膨れ上がってくる。記憶も無く、ミレイに言われたように無表情で無感動、無愛想なライの存在は、はっきり言って浮いている。


毎日のように、ここにいてはいけないという危機感に襲われる。今もそうだ。直接的な手段があるわけでもなかったが、この平和な風景を壊す自分を想像してしまう。


席を立ち、教室を出たくなる。駄目だ。ノートを取らなくてはならないし、用事も無いのにミレイの善意を裏切るわけにはいかない。


──より多くの人と関われば、記憶の手掛かりだって掴めるかもしれないでしょう?


ミレイの言葉が蘇る。聞いた時はなるほどと納得したが、今となっては実行は不可能とすら思えた。



70: 2015/06/17(水) 22:55:59.62 ID:jrxZ+tTDO
「よ。なに考えてんだ?」


不意に、横から声を掛けられた。リヴァルだった。


「いや……。特に何も」


教室にいるのが苦しい。他人と関わりたくない。そんなことを、この親切なクラスメイトに言えるはずがなかった。咄嗟に誤魔化す。こういう時ばかりは、この無表情が役に立った。


リヴァルは少し不審に思ったようだが、すぐに笑顔になる。この切り替えの早さは彼の長所だと思った。



「今日の朝は何してたんだ? また租界の散策か?」


「いや、生徒会室で会計の書類を纏めていた」


「ほー。あんなのよくやる気になるな。普段はルルーシュに任せっきりだぜ?」


「生徒会の活動を知るための良い勉強になる。ミレイさんもいたし、有意義な時間だった」


「えぇっ!? 会長もいたのかよ! 俺も行けば良かったな……」


「自宅通いの君には難しいだろうな」



この学園に通う生徒の大半は寮で生活している。その理由はもちろん、ここが統治領であるエリア11だからだ。大抵は本国の実家から身一つで留学してきている。その中でも、リヴァルやカレンは珍しい自宅通学の生徒だった。




71: 2015/06/17(水) 23:14:27.13 ID:jrxZ+tTDO
「君からの協力も会長に伝えておいた」


そう言うと、リヴァルの表情はパッと明るくなった。


「お、ホントか!? 会長、何て言ってた」


「特に何も。ずっと笑顔だった」


今度は疑惑の眼差しに変わる。こういった表情の変化は見習うべき点だと、ライは場違いな感想を持った。


「……お前、何て伝えたんだよ」


「君から教えてもらった事をそのまま報告した。生徒会女子メンバーの事だ」


「…………」



何故か、"生徒会女子メンバー"の単語に教室中の男子生徒の意識が集中したが、一瞬にしてそれも霧散する。不思議に思いながら、ライは言葉を失って立ち尽くしているリヴァルに視線を戻した。


「お、お前……」


「どうした」


「言い方ってものがあるだろっ。会長、明らかに怒ってんじゃんか!」


「いや……だが、笑顔だったぞ」


「それ、一番怒ってる時の顔!」


「…………」



笑顔なのに怒っている? 怒っているのに笑顔? 難しい問題だ。まるで理解できない。



72: 2015/06/17(水) 23:31:16.37 ID:jrxZ+tTDO
「……リヴァルはミレイさんをよく見ているんだな」


表情や感情の複雑な変化を読み取るというのは中々できることではない。そう思ったライの素直な感想だった。


「いや……あのな」


「まーた変な話してるでしょ」


リヴァルは顔を赤くしている。その肩越しに、一人の少女が顔を出した。生徒会メンバーのシャーリー・フェネットだ。


水泳部で鍛えられた健康的でしなやかな体。亜麻色の長い髪がさらりとなびいた。快活そうな瞳が日光を反射してキラキラと輝いている、可愛らしい少女だった。


ライとはあまり面識がなかったが、彼女の優しい人柄は理解していた。記憶喪失の自分や、名誉ブリタニア人であるスザクにも分け隔てなく接してくれる。


「ライ、ちょっといいかな」


「……僕か?」


「うん。ルル、見てない? 一緒のクラブハウスに住んでるのよね?」


「ルル……ルルーシュか。そういえば、今日は見てないな」



同じ建物に住んでいると言っても、常に一緒に行動しているわけではない。リヴァルを見ると、彼は笑顔を向けてくれた。任せておけということだろうか。


「ルルーシュなら、屋上で寝てたぜ。昨日は徹夜したとか言って」



73: 2015/06/18(木) 00:23:13.49 ID:0bD55o1DO
「えぇーっ! また!?」


シャーリーは頬を膨らませ、非難の視線をリヴァルに向けた。


「最近、生徒会の仕事もサボりがちだし……リヴァルからも言っといてよね!」


「いや、なんで俺が」


怒られるべきはルルーシュの筈なのに、叱責はリヴァルに行っていた。完全な貧乏くじだが、もしかしたらこれが彼の持ち味なのかもしれない。


なるほど、と内心で頷いているライをシャーリーは見て、


「記憶の方はどう? 何か思い出した?」


「いや……」


「……そっか。私でも力になれる事があったら、何でも言ってね」


彼女の言葉は暖かく、誠実さに満ちていた。少しそっけない印象のあるカレンとは、また違った優しさを感じる。


「……ありがとう」


カタコトすれすれの不器用な言葉だったが、シャーリーは笑ってくれた。


「もう少しで先生来るし、私は戻るね」


「ああ……」


「うん。じゃ、応援してるからね」


シャーリーは自分の席へ戻って行った。ルルーシュの事をリヴァルではなく、ライに聞いてきたのは、彼女なりの気遣いだったのだろう。


「それじゃ、俺も戻るかな」


「すまなかった」


「良いんだよ。会長が言うのとは別に、俺も好きでお前を手伝ってるんだからな」


そう言って照れたように笑い、リヴァルも戻って行った。その言葉には確かな優しさがあり、親しみがこもっていた。


(そうだな……)


こんなに暖かい人達が周りにいて、手を貸してくれる。他人と接するのはまだ慣れないが、生徒会メンバーになら最初の一歩を踏み出せる気がした。

頑張ろう。


そう思い、教科書を開いた。


74: 2015/06/18(木) 00:25:40.29 ID:0bD55o1DO
今回はこの辺で。更新は今日のように午前と午後に分けて進めていこうかと思います。


では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。

77: 2015/06/18(木) 08:03:50.28 ID:0bD55o1DO
アーチボルト・クレメンス少尉はあらゆる点で余念の無い男だった。勉学や騎士道学、馬術や剣術、恋愛を含めた対人関係にこれまで全力を注いできた。


おかげで、名門貴族の出身ではないものの高等学校まで成績は首位をキープし、軍学校でも常に上位。そうしてブリタニア軍に准尉として配属された後も結果を出し、一年経たずに少尉へ昇進することが出来た。


同期は皆、信頼出来る連中だったし、上官にも恵まれた。付き合って半年になる恋人もおり、全てが順風満帆だった。


このエリア11に配属されるまでは。


穴だらけのビルに破砕された道路。汚れた水に濁った空。繁栄していた都会を強大な力で押しつぶすとこうなるのだろう。一時は技術大国と呼ばれ、潤沢な鉱山資源に恵まれていた土地が、今は見るも無残な姿だった。


戦場は初めてではなかったが、ここは酷いものだ。七年前まで日本と呼ばれていたエリア11のゲットーと呼ばれる廃墟には、イレヴンという七年前まで日本人と呼ばれていた人間が住み着いている。


イレヴン達の多くは敗戦して尚、母国を侵略したブリタニアに対して反抗している。おかげ軍の人間は年中大忙しだ。今日も貴重な休日を潰されている。


(許さん……)


クレメンスは激怒していた。苦労して本国から取り寄せたアニメ作品を拝見しながら、アーチボルト家特製のティーをゆっくり楽しもうと思っていたのに。



78: 2015/06/18(木) 08:32:53.29 ID:0bD55o1DO
『……ネズミを捉えた。対応していた小隊は全機やられたそうだ』


『はっ。情けない。たかが<グラスゴー>一機に』


上官であるチェンバレン中尉からの言葉に、後輩のコベット准尉が鼻を鳴らした。チェンバレンは三十代前半の男性で、十年近く現場で慣らしたベテランのパイロットだ。酒と煙草が嫌いで妻子持ちの癖に、勤務後や休日は良くキャバレー・クラブへ出向いていた。女好きなのだ。


職場では厳しい上司だったが、その人柄や指揮能力、ユーモアを理解してくれる点もあって、部下からは好かれていた。エリア11での初任務の後、彼が奢ってくれた五ポンドのステーキの味は忘れられない。ほとんど食べられなかったが。


「<グラスゴー>ではなく、<無頼>という機体だ」


『……旧式なのは変わりませんよ。どっちにしろ、<サザーランド>の敵じゃない』



コベット准尉は四カ月前に軍学校を卒業後、エリア11に配属された新人で、クレメンスの初めての部下だった。卓越した射撃の技量を持ち、部隊では後衛を担当している。


初めての配属地が激戦区のエリア11という事に愚痴ばかり垂れる困った後輩だが、それでも仕事はきっちりこなす長所を持っていた。


通信課の女性と最近、懇意にしており、その関係に苛立ちを隠せない上司二人が流した「コベットはゲイ」という噂が彼の悩みだろう。




80: 2015/06/18(木) 09:14:47.13 ID:0bD55o1DO
紫を基調とした全高五メートル程の機械で出来た巨人が三体、ゲットーのガレキを蹴散らしながら疾走する。クレメンス達の小隊はKMF(ナイトメアフレーム)と呼ばれるブリタニア軍の主力兵器を使用していた。


搭乗しているのは最新鋭の第五世代型KMF<サザーランド>である。第四世代型KMF<グラスゴー>で得られたデータを基に開発された機体で、基本的な兵装はそのままに、イジェクションシートによるパイロットの生存率向上やコックピット内の居住性を重視している。


<グラスゴー>と比べて単純にパワーや電子機器も強化されており、パイロットに合わせたカスタマイズを行える拡張性も有していた。



『距離五〇〇。クレメンスは前に出ろ。そろそろ始める』


「了解」


クレメンスは部隊では前衛を担当していた。彼の<サザーランド>は大型のランスとシールドで武装した近接特化仕様だった。重い武器を振り回すために四肢には追加のパワーユニットを装備している。活動時間は短くなるが、それは無視できた。


今回の相手が一機だったからだ。


紅く塗装された<無頼>はテログループとパトロール中の警備隊の戦闘に介入し、テログループの機体を壊滅させた後、パイロット部隊の<グラスゴー>も破壊した。


その後は応援として<サザーランド>一機と<グラスゴー>三機の非常対応班も全滅させ、今はゲットーの奥地に向かって逃走している。クレメンス達の小隊はその紅い<無頼>を仕留めるためだけに召集されたのだ。




81: 2015/06/18(木) 09:56:52.15 ID:0bD55o1DO
盾を構えた<サザーランド>を前に出す。チェンバレン機はKMF用30㎜アサルトライフルとスタントンファという柔軟な対応が出来る標準的な装備だ。


コベット機は左肩部に弾道予測機を取り付け、頭部を強化型ファクトスフィアに交換している。装備は対KMF用48㎜狙撃ライフルと、完全に後衛向けの調整になっている。


いつ敵が現れてもおかしくない。戦闘直前に流れる、緊張感で作られた独特の空気。新米の時は苦手だったが、今では慣れたものだった。


ゲットーでの戦闘は不意打ちから始まる。相手のテ口リストからしたら、ゲリラ戦でしか勝ち目を見いだせないのだから仕方がない。


気をつけろ。そう言おうと口を開いた瞬間だった。背後で爆発音が響く。爆竹に似た軽い音だった。聞き覚えがある。あれはナイトメア用の吸着式爆弾だ。投げた先に張り付き、爆発させる。


種類は色々あり、煙幕を発生させる物や塗料を撒き散らす物、強烈な電磁パルスを放って機体の機能を麻痺させる物など、多種に上る。


今回、相手が使ってきたのは煙幕弾だった。後方が濃密な煙に包まれる。旧市街地ということもあり、なかなか晴れないだろう。


しかし、前衛であるクレメンスの<サザーランド>は後方の異常に構わず、前方の警戒を解かなかった。前からの攻撃を防ぐのがポイントマン(前衛)の役目だからだ。後ろは残りの二人に任せている。


読み通り、前方から紅い<無頼>がアサルトライフルを乱射しながら突進してきた。煙幕は囮だったのだ。


82: 2015/06/18(木) 11:09:24.00 ID:0bD55o1DO
後ろの二機を守るように盾を構え、前に出る。小隊は既に混乱から立ち直り、各々のポジションにつこうとしていた。


『発砲を許可するが、民間人への被害は極力抑えろ。例えイレヴンでもな』


『了解』


「了解。一撃で決めます」


隊長からの命令に応答する時には既に、敵機は目前まで迫っていた。大型シールドは相手の30㎜砲弾をことごとく弾いていたが、変わりに持ち主の視界を塞いでいた。


クレメンスは敵機のランドスピナーが地面を削る音を頼りに、距離を測る。


ここだ。


微塵の躊躇いもなく右腕に持ったランスを突き出した。



「なにっ!?」


タイミングは完璧だったが、そこに相手の姿は無かった。跳躍し、空中へ逃れたのだと気づくまでに一瞬遅れた。前衛機を飛び越した相手は空中で発砲。狙撃ライフルを持ったコベット機を蜂の巣にした。


イジェクションシートが作動し、コックピット・ブロックが射出される。機体は失ったがパイロットは無事だ。残された二機は仲間がやられた事に意識は向けず、反撃の構えを取る。


空中の敵を狙うべく、ライフルを向けるチェンバレン機。クレメンスの<サザーランド>もランスを引き戻し、体勢を低くした。ナイトメア同士の起動戦において、着地の瞬間を狙うのはセオリー中のセオリーだった。一番、ナイトメアが無防備になる時だからだ。


しかしチェンバレン機が砲弾を放つ直前、敵機のスラッシュハーケンによってライフルを吹き飛ばされた。


83: 2015/06/18(木) 11:38:16.34 ID:0bD55o1DO
それでも、やる事に変わりはない。<サザーランド>は前傾姿勢のまま、突撃する準備をした。


「ちっ……」


舌打ちする。相手の機体はもう一方のスラッシュハーケンを地面に打ち込み、着地点を巧妙にずらした。あれを追って突撃すれば、隊長機を串刺しにしてしまう。


ライフルを破壊されても、チェンバレン機は臆さなかった。スタントンファを展開し、格闘戦を挑むべく躍り掛かる。相手も同様にスタントンファを起動させた。二機が交錯。


胴体部に超高圧の電力を流し込まれた隊長機が、小さな爆発と共に沈黙した。敵機が踏み込むのが僅かに早かったのだ。


最後の一人となったクレメンスだが、何もかもを置き去りにして突進した。野太い銀色のランスが、その穂先を敵機の紅い胴体に沈み込ませ──


直前、相手は驚異的な反射神経でもって、突撃槍の一撃を弾いてみせた。通り過ぎる<サザーランド>と流石に体勢を崩す紅い<無頼>。一瞬だが、両者の間合いが開いた。


まだだ。息つく暇すら与えず、<サザーランド>は三度(みたび)突きを繰り出した。相手がライフルを持っている以上、間合いを詰めなければ不利になる。


格闘戦は操縦者の技量と機体の性能がモロに出る。近接特化仕様の<サザーランド>で負けるわけが無かった。それでも、相手の<無頼>は獣のような俊敏性と凄まじい反射神経でランスの連撃を凌いだ。


攻撃の合間、スタントンファの一撃を盾で防ぐ。精密機器にとって致命的な高圧電流を、この盾は完全にシャットアウトしていた。元々、対KMF用の装備だ。電流対策は当然ながらされている。



84: 2015/06/18(木) 11:57:05.23 ID:0bD55o1DO
この盾がある限り、相手はこちらに有効打を与えられない。この槍を防ぐ手段を、相手は有していない。戦局は確実に、クレメンスの方へ傾いていた。


<無頼>が放ってきた二基のスラッシュハーケンを、こちらのハーケンで撃墜。さらにたたみかける。スタントンファを盾で弾き、そのままシールドバッシュをかけた。盾に突き飛ばされた相手が再度、体勢を崩す。



「取った……!」



ランスを突き出す瞬間、違和感に気づいた。アラートが鳴っている。本能的に持っていた盾を放り投げた。


爆発。


先ほどの吸着式爆弾を、まだ隠し持っていたのだ。今の格闘戦の最中、スタントンファで攻撃するフリをして気付かれないように盾へ取り付けたらしい。つくづく恐ろしいパイロットだと舌を巻く。



しかし盾を破壊したにも関わらず、相手の<無頼>はこちらに背を向けた。スモークディスチャージャーから濃い煙幕が張られる。すかさず腰部のハードポイントから牽制用の16㎜ハンドガンを抜き、発砲。


放たれた六発の砲弾はいずれも空を切る。当たらなかった。



「逃したか……」



状況を報告すると、オペレーターは帰投の命令を出した。しかし、それは聞けない。あそこまでの技量を持つ相手のパイロットが何故、あのタイミングで撤退したのか。


その理由は明らかだった。敵機は度重なる戦闘で疲労し、弾薬も尽きかけているのだ。ナイトメアを十機近く倒したのだから当たり前だが、だからこそ好機だと思った。あの紅い<無頼>は野放しには出来ない。


幸い、<サザーランド>に異常は無い。脚部のランドスピナーが不調を訴えていたが、無視出来る程度の物だった。


行くしかない。行くべきだ。


そう考え、<サザーランド>はシンジュク・ゲットーの奥地に進んでいった。


89: 2015/06/18(木) 18:45:48.82 ID:0bD55o1DO
夜のゲットーには、サーチライトのような便利な物は無かった。仕方なく、<サザーランド>のライトを使い、ランドスピナーで移動する。


オペレーターからあの後、撃破された部隊の仲間は二人とも、無事に回収されたとの報告があった。喜ばしい事ではあったが、彼らの後を追うわけにはいかない。


そして報告はもう一つあった。あの紅い<無頼>がどうやら"黒の騎士団"に属する機体だというものだ。



「どこだ……」


ファクトスフィアを使って索敵するか、そう思って足を止める。


瞬間、ビルの合間から紅いKMFが飛び出して来た。四時の方向。咄嗟にランスで打ち払う。敵機はやはり、異常な反射神経を持っていた。屈んでかわされる。懐に入られた。


電流を帯びたスタントンファが青く光った。これを食らえば<サザーランド>と言えども無事では済まない。ランスから左腕を外し、無理やり敵機の右腕を掴んだ。


機動戦は終わり、単純な力比べが始まる。しかし、強化された<サザーランド>と<無頼>では勝負にならない。猛烈なパワーが敵機の腕を締め上げ、そのまま破壊しようと唸りをあげた。


流石に相手もそれは許さない。こちらの手を懸命に振りほどいた。それでいい。腕を外された<サザーランド>は既に、脚部に装備された二基のランドスピナーを巧みに操り、急旋回を開始していた。


大型のランスを、その重さに任せて横に薙ぐ。回転時の遠心力も合わさり、ナイトメアを一撃でバラバラにする威力を伴って、相手の<無頼>に襲いかかった。



90: 2015/06/18(木) 19:08:20.51 ID:0bD55o1DO
氏角からの一撃。しかし、それにさえ紅の<無頼>は反応して見せた。後ろに跳びずさって、辛くも回避。<サザーランド>のランスは空を切る。


「読んでいたぞ……!」


クレメンスは既に、相手のKMFパイロットの技量をある程度まで"信用"していた。今回の攻撃すらも、避けると思っていたのだ。


だから、次の手を用意していた。ランスから離した事で空いている左腕部。ハンドガンが抜かれていた。未だに遠心力を持ったランスを破棄。急制動。時計回りに回転を続ける機体を無理やり止めた。


狙いを付け、発砲。一発、二発、三発。二発目までは回避され、三発目がようやく相手の左肩部を掠めた。


そして四発目。かわせないと思ったのか。相手はアサルトライフルを盾にする。小規模な爆発が起きたが、敵機はまだ動いていた。


さらに五発、六発目を撃ち込む。相手は左の脚部から火花を散らしながら、無理やり回避。ゲットーの穴だらけな道路の上を盗塁したベースボールプレイヤーのように滑った。


ハンドガンは弾切れになる。元々、使い切りの武装なので仕方無い。冷静に装備をセレクト。最後に残った武器であるスラッシュハーケンが起動。同時に敵機へのロックオンが完了した。


手こずらせてくれたが、これで最後だ。


そう思い、トリガーを引く。万が一、回避される事も考慮し、二基同時ではなく一基ずつ発射した。左胸部から放たれる鋼鉄の楔。


何とそれを、<無頼>は地面を転がって回避した。本当にしつこい。潔さとは無縁の、無様な回避起動。本国の騎士達が見たら見苦しいと嘆くだろう。



もう一基のハーケンを飛ばす。


91: 2015/06/18(木) 20:05:43.56 ID:0bD55o1DO
目標へ向かって真っ直ぐ飛んでいく。かわせるはずが一撃。


「……!?」


弾かれた。敵機は無茶苦茶な姿勢からスタントンファを振るい、スラッシュハーケンを叩き落とす。


今度はこちらが無防備になる番だった。紅い<無頼>は尻餅をついたままの姿勢でこちらを向き、スラッシュハーケンの照準を合わせている。反対にこちらは地面に突き刺さった二基のハーケンを巻き戻すために、身動きが取れなかった。


二本のケーブルを引き連れて、射出される二基のハーケン。やけにゆっくり見える。


衝撃。敵機の攻撃は<サザーランド>の頭部に直撃した。モニターが暗転。センサー類が全滅し、火気管制系が完全に氏んだ。KMFに取って、頭部の破損は致命的だった。戦闘に必要な機能の殆どを失うからだ。



膝を屈し、沈黙する<サザーランド>。


『機を棄てて投降しろ』


外部スピーカーから相手パイロットの声が聞こえた。男口調だが、驚いたことに若い女の声だった。おそらくは、成人前の。


『聞こえなかったか? おとなしく──』


聞き終わる前に、トリガーを引いていた。巻き戻されたスラッシュハーケンが再び放たれる。同時に、機体を突進させた。生き残っていた両腕で掴みかかる。


どうやら、彼女の往生際の悪さが伝播していたらしい。


重い衝撃が、機体を襲った。



92: 2015/06/18(木) 22:21:29.90 ID:0bD55o1DO
月の綺麗な夜だった。少女はレジスタンス時代からの愛機である紅い<無頼>を駆り、ゲットーの闇の中を突き進んでいた。


パトロール隊に意味も無い奇襲をかけたテログループの鎮圧。それが表向きの任務内容だったが、実際は仲間が他の区域で行う作戦の陽動である。


ゲットーに住むイレヴン──日本人を巻き込み始まった戦闘。住処となっていた廃墟はことごとく破壊され、身を寄せ合う事でなんとか生きていた住民達は、血と肉の染みに変わった。老若男女関係なく、等しく一方的に降り注ぐ氏の雨。


怒り狂った少女の<無頼>は挨拶代わりに30㎜砲弾をテログループの<グラスゴー>に叩き込む。


日本人の面汚しめ。やって良い事と悪い事の区別もつかないのか。そう思いながら、コックピットを狙い撃ちにした。パイロットは氏んだだろう。生きている筈がなかった。


パトロール隊の白い<グラスゴー>も同じように全滅させた。貴様らも同罪だ。トリガーを引く指に迷いは無く、敵を見る瞳には、怒りと憎悪しかなかった。


近隣住民を避難させたところで、敵の増援が到着した。最新鋭機の<サザーランド>一機と<グラスゴー>が三機。地形を利用して、まずは厄介な<サザーランド>を撃破した。


ブリタニア軍のパイロットは専門の訓練を受けているだけあって、練度が高い。しかしながら、裕福で何不自由ない暮らしをしていたためか、突発的な事態に弱い節があった。


奇襲の動揺から立ち直れないまま、二機の<グラスゴー>は蜂の巣にされ、命乞いをしてきた最後の一機もスタントンファでトドメを刺された。脱出装置が働いていたので、氏人は出ていないだろう。



93: 2015/06/18(木) 22:56:01.32 ID:0bD55o1DO
そして、最後に出てきたのは三機の<サザーランド>で構成された一個小隊だった。それぞれの役割に応じた専用の調整を見る限り、今までの部隊とは一味違う連中なのだろう。


戦う事自体は構わないのだが、機体の消耗は無視出来なかった。エナジーの残量は四割を切っていたし、アサルトライフルは今の弾倉が最後で弾切れが近い。逃げる事は出来る。敵機もそれを望んでいるだろう。


しかし……。


少女はしばし考えた。今回の任務は彼女に一任されている。ここで引き上げる事も出来るし、引き続き戦果を挙げる事も出来た。


(……戦おう)


背は向けない。随分前に、そう決めた。


彼女が所属する"黒の騎士団"は新進気鋭の反政府組織だった。エリア11におけるブリタニアへの反抗組織として最も有名かつ有力なのは"日本解放戦線"だが、黒騎士団はそういった組織とは少し趣が違う。


掲げる理想は"強者に脅かされる弱者全ての救済"。そこには日本人もブリタニア人も関係ない。今回の場合、ゲットーに住む日本人という弱者を守るためにテログループやブリタニア軍という強者を討伐したことになる。


指導者の名前はゼロ。黒い仮面とマントで姿を隠す胡散臭い人物だが、今までに数え切れない奇跡を起こしていた。ブリタニア軍からも要注意人物として強いマークを受けている。


少女はゼロに心酔していた。彼の起こす奇跡が心地よかったのだ。



94: 2015/06/18(木) 23:19:29.03 ID:0bD55o1DO
少女には夢があった。


日本の解放。


つい最近まで不可能だと思っていた。しかし、それをゼロが変えたのだ。彼の活躍は、少女に夢を現実の物とする希望を与えた。


だから負けられない。だから逃げたくなかった。


国を奪った連中に復讐を。

兄を奪った奴らに報いを。


なまじ力を手に入れたばかりに、体を渦巻く憎しみの火は弱まる事を知らなかった。


きっと、この火は消えないだろう。少女が氏んでも、目的を果たすその日までは。弱まってはいけないのだ。目的を果たすその日までは。そうでなければ、氏んでいった仲間に申し訳が立たない。頃した人達の命が無駄になる。


「機を棄てて投降しろ」


最後に残った接近戦仕様の<サザーランド>。投降を呼びかけたが無視された。そうだろう。自分だってそうする。


最後の足掻きをわけなく捌いて、その脇腹にスタントンファを叩きつけた。耐えられるはずもなく、イジェクションシートが射出される。


これで今夜も、彼女は勝者となった。


しばし、思考が沈む。自分の手を見た。白く、細い指。しかし血にまみれているように見える。十時間後にはアッシュフォード学園の制服に身を包み、何食わぬ顔で登校しているだろう。


そして、何も知らない彼の腕を取るのだ。この血に濡れた手で。



96: 2015/06/18(木) 23:39:36.44 ID:0bD55o1DO
復讐を。報いを。


贖罪を。支配者気取りの連中に思い知らせろ。


弱めるな。躊躇するな。今さら引き返せるわけが無い。


最近、彼が現れた事でアッシュフォード学園の生徒会に顔を出す機会が増えた。おそらく、劇的に。


許すな。


必然的に、他の生徒を顔を合わせる機会も増える。ミレイにシャーリー、ニーナやナナリー。ルルーシュやスザク、リヴァル。そして彼。


本来、自分が関わってはいけないはずの人々。お互いのためにはならない。なのに、どうしてか最近は、あの生徒会室に足が向いてしまう。


報いを。


きっと、悪くはないと思っているのだ。あの場所にいる事を。心地が良いと思い始めているのだ。彼の隣が。


報いを。報いを。


時折、考える。自分にとって、どちらが大切なのかを。考えるまでも無い。こちらだ。私は日本人だ。当たり前だ。


しかし、あの平穏は──


報いを。報いを。報いを。


怨嗟の声は止まらない。それは多分、この声が自分に対して向いているからだろう。このままの生活を続ければ、いつか必ず無理が来る事は明らかだった。


明日もまた、学園に行って彼に会う。お嬢様の仮面を被ったまま。


いつか報いを受けるだろう。そんな事は分かっていた。だが──


コックピットのモニター越しに空を見上げる。思わずため息が出た。それくらいに、月の綺麗な夜だった。



102: 2015/06/19(金) 07:11:21.37 ID:978zBMZDO
夜の繁華街。人混みの中を宛てもなく歩く。食品、衣料品、ホビー、雑貨。様々な店が立ち並んでいた。しかし、そのいずれも見覚えが無い。


店の名前や扱う商品から手掛かりが掴めるかとも思ったが、そう上手くはいかないようだった。


「……まいったな」


ふと、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。この租界に来て一週間が過ぎた。にも関わらず、何一つとして進展が無い。もはや記憶を取り戻す可能性は極めて低いと思われた。


このままではいけない。


ずっとそう思っている。今のままの生活を、長く続けてはいられない。焦燥感は日を追うごとに大きくなっている。罪悪感もだ。これだけは現状はっきりしている数少ないものである。


記憶が戻らないならば、せめて、何か手に職をつけないと。今のままアッシュフォード家に寄生してはいられないのだ。自分の足で立てるようにならなければ。


どうしたものか。


視界の端に映ったベンチに近寄り、腰掛ける。この位置からだと、道行く人の姿がよく見えた。立ち並ぶ店の灯りが、夜の街を彩っている。名前も知らない人達が、その光の中で躍っている。


「…………」


彼ら一人ひとりに帰る場所があり、やるべき事がある。なにより、自分だけの記憶がある。違うのは一人だけ。このベンチに座っている男、ただ一人だ。



103: 2015/06/19(金) 07:38:13.89 ID:978zBMZDO
「……?」


いや、もう一人いた。街を歩く人の中に、明らかな異物があった。少女のようだった。すらりと長い手足に落ち着いた服装。被った帽子からは、長い緑色の髪が見えていた。その驚くほど端正な顔には、ライと同じ無表情が貼り付けられている。


彼女だけが、他の世界と隔絶されているようだった。彼女の周りだけ、時間の流れが違うようだった。


「…………」


しばし、目を奪われる。見とれてしまっていた。周囲の音が遠ざかっていく。彼女以外、目に入らない。他の感覚は揃って仕事を放棄していた。


思わず腰が浮く。自分が立ち上がっているのに気付いたのは、少女の姿が路地の曲がり角に消えてからだった。


追わなくては。話をしなければならない。彼女はきっと、記憶に関する事を知っている。そんな確信があった。


走り出す。何人かの人にぶつかった。女性が短い悲鳴をあげた。会社帰りのサラリーマンに怒鳴られた。さぞ迷惑な存在だっただろう。足は止まらない。目はあの曲がり角に向いていた。


後にして思えば、少年はこのときに初めて、必氏という言葉を知ったのかもしれない。


大丈夫、間に合う。相手は徒歩だがこちらは全力疾走だ。相対速度を計算。間違いなく追いつける。


この曲がり角を過ぎれば──


「く……っ」


いない。少女の姿は消えていた。同時に、周囲の音が戻ってくる。思考が冷静さを取り戻す。一瞬の事だった。こういう感覚を、夢から覚めたようだと言うのだろう。


幻影だったのだ。そう思わざるを得なかった。それくらいに、現実離れした感覚だった。


104: 2015/06/19(金) 09:27:37.16 ID:978zBMZDO
落胆は無かった。心はいつも通り、波一つ無い水面に戻る。


いや、しいて言えば、不思議な事に安堵していた。あのまま彼女に接触していたら、何かが変わっていただろうと思う。きっと、後戻り出来ないくらいに。


(馬鹿な)


変化を望んでいたのではないのか? いざとなったらこれか?


情けない。何かしなくてはいけないのに。立ち止まってなどいられないのに。


「…………」


ショーウィンドウに映る自分の姿が酷く滑稽に思えた。


「……ライ?」


後ろから知った声が掛けられた。


「……スザク」


先ほど座っていたベンチの近くに、枢木スザクが立っていた。アッシュフォード学園の物とは違う、オリーブ色の制服を着ている。


「どうした」


「それはこっちの台詞だよ。急に走り出して。何かあった?」


「いや、何でもないんだ。……君こそ、その服装は何だ」


「服? ……ああ、これは」



105: 2015/06/19(金) 11:30:24.63 ID:978zBMZDO
スザクは自分の服をしげしげと見てから、


「そういえば言ってなかったね。僕はブリタニア軍に所属しているんだ」


「軍か。だが、君は……」


「そう、名誉ブリタニア人だ。おかしいよね」


イレヴン……名誉ブリタニア人と言えば、軍からは歓迎されない存在のはずだった。租界を歩いていると、名誉ブリタニア人がブリタニア人から難癖をつけられている所を度々見かける。それを見た周囲の人間は気にかけるどころか、積極的に迫害しているようだった。


こういう場所なのだろう。ライはカレンから、名誉ブリタニア人になるという事は理不尽を受け入れる事だと聞いた。


たとえクラスメイトや同僚から罵詈雑言を浴びせられ、暴力を受けても、黙って耐えるのが名誉ブリタニア人だと。


普段は表に出さないだけで、スザクもきっと、軍の中で冷遇されているのだろう。


「大変だな」


そうとしか言えなかった。


「おかげで学校にもなかなか顔を出せないんだけどね」


「僕に出来る事があったら、何でも言ってくれ」


「それなら、もう充分に協力してくれて……あ」


「どうした」


「ちょっとついて来て」



スザクは歩いて行ってしまった。理由を確かめるため、後を追う。



106: 2015/06/19(金) 11:53:38.74 ID:978zBMZDO
連れてこられたのはクレープを販売している出店だった。店主の男性はどう見てもブリタニア人では無い。イレヴンだろう。

スザクが注文をすると店主は手早く生地を焼き上げていく。見事な手際だった。


「職人技っていうのは、こういう事を言うんだろうね」


「……そうだな」


クレープ自体は複雑な料理では無い。小麦粉と牛乳、バターなどを混ぜた生地を鉄板の上で焼き、その中に生クリームなどを入れて完成させる。


しかし、店主の手付きには淀みが一切無い。簡単な工程を何百、何千回と繰り返してきた者の技術。そこには歴史があった。とても真似出来ないと、ライは思った。


適度な焼き目がついた生地を取り出して、中に生クリームとチョコレート・ソース、ベリー系の果実を加え、折りたたむ。それを紙で包み、店主はスザクへ二人分のクレープを渡した。


丁寧にお礼を告げ、こちらへ戻ってくるスザク。だが途中で、何かに気付いたような表情になった。


「あ! そういえば君の好みを聞いてなかった!」


「……?」


「あ、甘いのは好きかい?」


「ああ。問題はないが……」


「良かった。じゃあ、これ」


スザクは右手に持っていたクレープを差し出してくる。


「……僕にか」


「ノートのお礼。食べてみて」

受け取り、恐る恐る口にする。生クリームの甘さとチョコレートの香り、果物の酸味が程よく広がる。美味だった。適当に混ぜただけではこうも上手くいかない。材料の配置、配分までこだわった一品だ。



107: 2015/06/19(金) 12:06:34.81 ID:978zBMZDO
「美味いな」


「良かった」


スザクは嬉しそうに微笑み、自らもクレープをパクついた。頬にクリームがついているが、気付いていないようだった。


もう一口、クレープをかじる。相変わらず美味かった。


彼も、あのクレープ屋の店主も自分に出来る事を精一杯やっているのだ。だから蔑まれようとも、胸を張って生きていける。そういう生き様を、少し羨ましいと思った。


「凄いな、スザクは」


「え、急にどうしたの」


「僕なんかよりずっと大変なのに、こうしてしっかりやっているだろう。真似出来ないと思った」


「ライ……」


少しの沈黙が訪れる。ライはクレープを食べながら、モニターに流れるニュース番組を見ていた。


「それは違うよ」


「…………」


「僕も最初からこう出来ていたわけじゃない。ミレイさんやルルーシュ、生徒会の皆……大勢の人達が手を貸してくれたんだ。今だって、それは変わらない」


「そうだな」


それはライも同じだ。スザクを含めて、大勢の人達に支えられている。きっと、幸せ者なのだろう。


「だから、今度は僕が皆を助けたい。皆が、僕にそうしてくれたようにね」



108: 2015/06/19(金) 12:30:07.32 ID:978zBMZDO
「恩返し、か」


「そうだね。だからライも、もっと僕を頼ってくれると嬉しい。それが恩返しにもなるんだから」


「……そうだな」


「うん」


クレープを食べ終えた二人は、どちらともなく立ち上がった。


「だが、どうしてクレープを?」


「ミレイさんが怒ってたんだよ。君が全然、食事をまともにとらないって」


「いや、しかしな……」


「駄目だよ。しっかり食事はしなくちゃ。ルルーシュじゃないんだから」


「…………」


地雷を踏んでしまったらしい。スザクからの説教が始まろうとしていた。これは以前、生徒会室でルルーシュが食らっているのを見た。かなり長かった覚えがある。


説教をたっぷり十分近く受け、


「分かったかい?」


「善処する」


すっかり物分かりが良くなったライは頷いた。


「じゃあ、僕はこれで」


「あ、送っていくよ」


「大丈夫だ。君は帰って、明日に備えた方がいい」


「……そうかい?」


「ああ。今日は有意義な話を聞けた。感謝している」


「分かった。じゃあ、また学校でね」


手を振り、スザクは去っていった。そういえば、と気になる。彼は今日、放課後に用事が出来たといって学校を飛び出して行ったのだ。


ライはもう一度、大型モニターを見た。映っているのは黒の騎士団が今日もゲットーで活躍したというニュースだった。あれと関係しているのかもしれない。


(危険な事はしていないと良いが……)


優しい少年の後ろ姿を思い出す。クレープを口元につけたまま去っていくぐらいだから余裕はあるのかもしれないが、それでも心配だった。


空を見上げる。大きな月が顔を出していた。


112: 2015/06/19(金) 20:08:06.31 ID:978zBMZDO
相変わらず、アッシュフォード学園の風景は見事な物だった。よく整備された芝生が、柔らかい風を受けて波打つ。真上に昇った太陽を反射する建造物は神々しい雰囲気を醸し出していた。


昼休み。


外の空気が吸いたくなったライは、学園の敷地内をぶらぶらしていた。スザクやミレイ、カレンからしっかり食事を取れと言われているにも関わらず、食堂には近寄っていなかった。自分の体調くらいは把握している。あと二日と半日は何も食べなくても大丈夫だと考えていた。


それは普通の人らしい生活をしろという意味だったのだが、ライには分からない事だった。


校舎から離れ、クラブハウス付近のバルコニーに立ち寄った。敷地内はかなり広い。無謀な探索を試みた結果、遭難しかけた事が何回かあった。今でも未踏破地域に足を踏み入れるには勇気がいる。


しかし、こういった見通しの良い区域なら迷う危険性も低い。ライにとってみれば、アッシュフォード学園とは海のような存在だった。何もかも包み込むような懐の深さを持っているが、反対に得体の知らない部分も持っている。


一歩間違えれば遭難するところなど、まさに大海原といっても良いだろう。


(……大丈夫。もう少し進める)


度々姿を消すライに痺れを切らしつつあるミレイ会長は電話端末の強制携帯を検討している。ここでミスをするわけにはいかない。


自分を探しに来るのがスザクやリヴァル、シャーリーなら笑い話で済ませてくれるのだが、ルルーシュやカレンだと話は違ってくる。


スザクと一緒に遭難した時に見つけてくれたルルーシュは可哀想な物に対する視線を送って来たし、カレンからは「どうして迷うの?」と率直な疑問が寄せられた。あれは中々、心に来る。


ただの散歩が決氏の大航海のような気分だった。因みにここは、ライが住んでいるクラブハウスのすぐ近くである。



113: 2015/06/19(金) 20:32:18.16 ID:978zBMZDO
誰もいないバルコニー。凝った意匠の柱が、ガラス張りの屋根を支えている。周囲には色鮮やかな花々が生い茂り、楽園のような印象を与えていた。美しい色の数々。ここには確かに、安らぎがあった。


──理想郷。


そんな言葉が心の中に浮かび、また埋没していった。何だったのだろう。そう考える暇も無く、後ろから来る気配に振り返った。カラカラと回る一対の車輪。車椅子の音だった。


中等部の制服を着ている事からも分かる通り、ライより年下の少女だった。美しい曲線を描く、ブロンドの髪。両目は閉じられているが、その表情を向けられたらどんな人間でも心を開いてしまいそうだ。


少女の事は知っていた。ルルーシュの妹である。名を、ナナリー・ランペルージという。


彼女の車椅子を押しているメイド服の女性は、篠崎咲世子。名誉ブリタニア人だ。アッシュフォード家に雇われている侍女らしい。


「…………」


ナナリーとも咲世子とも、初対面ではなかった。挨拶くらいしようと口を開いたが、言葉は出なかった。二人の……違うナナリーだ。彼女を見た瞬間、頭の奥で火花が散った。


「……お兄様?」


ナナリーの小さな口から、疑問の言葉がかけられた。お兄様──どういう事だろう。僕はルルーシュじゃない。頭の中で飛び回っていた火花が止み、ようやく言葉を発する事が出来た。


「あ……」


零れ出た言葉は、なんとも間抜けだった。



114: 2015/06/19(金) 23:12:59.91 ID:978zBMZDO
「あ、ごめんなさい!」


視力を補うために発達したのだろう、ナナリーの耳は良いようだった。ライの発した声とも言えない音で人違いだと気づき、その白い頬を赤く染めた。


「いや……」


「あまりにも、兄と似ていたもので……」


「ルルーシュと?」


ここに住み始めて十日近く経つが、ライはナナリーと殆ど話した事がなかった。それは彼女の兄、ルルーシュが不自由な妹と身元の分からないライとの接触を嫌がると思ったからだ。


生徒会メンバーの話によると、ルルーシュはナナリーを溺愛しているらしい。唯一の肉親なのだから当然だ。自分がルルーシュの立場なら、同じようにするだろう。間違いなく。


だから、ライはこの場から離れようと思った。ナナリーは何か用があってこの場に来たのだろう。何の用も無い自分がいては邪魔になる。


「は、はい……」


「……ルルーシュと待ち合わせ?」


彼女はこくりと頷いた。確かにここは、兄妹が静かな時間を過ごすにはうってつけだろう。なおさら、ここにはいられないと思った。


「なら、見かけたら急ぐよう伝えるよ」


「あ……」


苦しい言い訳を残してバルコニーを去ろうとする。少し強引だっただろうか。もしかしたらナナリーを傷つけてしまったかもしれない。



115: 2015/06/19(金) 23:40:10.23 ID:978zBMZDO
「あ、あの……!」


しかし、関係を拒絶した背中にナナリーの声が掛かる。足を止めるしかなかった。その声が、見知らぬ相手のために勇気を振り絞ったものだと分かったからだ。


「……なんだい?」


「よ、良ければ、あの、兄が来るまで話し相手になってくれると……その」


断れ。申し訳ないが、他に用がある、と言え。時間を置くな。今すぐに──


「……僕でよければ」


頭では、もう一人の自分がやめろと叫んでいた。この善良な少女を傷つけるに決まっている。そうなれば、ルルーシュはライを許さないだろう。そして必ず、それ以上に自分を許せなくなる。


分かっていた。そんな事は誰よりも。


しかし、口から出たのは正反対の言葉だ。今さら、安堵しているナナリーに向かって「やっぱり止めた」などと言えるはずが無い。


そんな考えとは裏腹に、ライはナナリーに促されるまま席に座っていた。すかさず咲世子が自前のティーセットでお茶をいれる。


もう逃げられない。ライは観念した。対面に座っている少女の幸せそうな顔を見たら、そう思うしかなかった。



116: 2015/06/20(土) 00:29:45.11 ID:SeLyu7oDO
「すみません。先ほどは……」


「ルルーシュと間違えたこと? だったら、気にしなくて良いよ」


ナナリーはまた赤くなった。


「普段はあんなこと、無いんですけど……」


「そんなに似ていたかな……」


ライは自分とルルーシュの類似点について考えてみた。まず、見た目が全然違う。ルルーシュが艶のある黒髪なのに対して、ライはくすんだ銀色だ。体型は似ているかもしれない。身長もそれほど変わらないはずだ。


(……いや、見た目は関係ないのか)


ナナリーに限り、外見は考慮されないはずだ。だとしたら、他に何があるのだろう。匂いとか、音……声か、そのくらいの情報しかなかったはずだ。


しかし、ナナリーの答えはそのどれとも違っていた。



「空気……でしょうか」


「空気。雰囲気とか?」


「はい。上手く説明は出来ないんですけど」


「そうか……」


お茶を口に運ぶ。適切な温度と爽やかなハーブの香り。ルルーシュが妹を任せているだけあって、このメイドもただ者ではないようだった。



117: 2015/06/20(土) 00:32:30.54 ID:SeLyu7oDO
中途半端ですが、時間的余裕が無いため今回はこの辺で失礼します。


まだまだ各キャラとの関係を構築中という事もあり、動きが無くて退屈かもしれませんが読んで頂けると嬉しいです。



122: 2015/06/20(土) 15:09:45.83 ID:SeLyu7oDO
「ライさん、ですよね?」


ナナリーとは学園で保護されたすぐ後、生徒会室で自己紹介しただけの面識しかなかった。


「ああ。お兄さんには、いつも世話になっている」


そう言うと、ナナリーは嬉しそうに微笑んだ。


「記憶の方はどうですか? 何か、思い出せましたか?」


「いや、まだ何も」


「そうですか……。ご不便なことがあったら、私やお兄様にも遠慮なく何でも言ってください」


「……これ以上、迷惑は掛けられないさ」


住む所を与えられ、衣服を貰い、食事も好きに行える。学園に行けば、親切な生徒会メンバーが気遣ってくれる。今、ナナリーがこう言ってくれているように、無償の善意をくれるのだ。


不便などある筈が無い。不満などある筈が無かった。


だから、どうしても苦しくなる。彼らに何も返せない自分に、どうしようもなく苛ついた。


「そんなふうに言わないで下さい」


「え……」


ナナリーは膝の上に置いていた手で、足を撫でる。その表情は悲しそうだった。


「私も、一人では何も出来ません。こうして出歩くのにも、誰かの手を借りなければなりません」



123: 2015/06/20(土) 15:27:22.40 ID:SeLyu7oDO
でも、とナナリーは続けた。


「私が元気にしていれば、喜んでくれる人達がいます。きっと……それが私に出来る一番の恩返しなんです」


「…………」


何も言えなかった。歩けず、目も見えない少女。普通なら自分の体を嘆くだろう。どうして他の人と同じ事が出来ないのか、どうして自分の体だけ言うことを聞いてくれないのか。


そして、ここは学校だ。若く、健康的な同年代の少年少女は、数え切れないほどいる。そんな世界の中で、ナナリーは生きているのだ。


どれだけ辛いのか、ライには想像もつかない。だから、言葉が出なかった。ナナリーは自分などより遥かに、多くの事を考えている。無数のハンデを抱えている。自分には、彼女の生き方を肯定も否定もする資格が無いのだ。


「……強いな、ナナリーは」



それしか言えなかった。


ただ眩しいと、尊いと感じた。


「だから、ライさんも私を頼ってくれると嬉しいです。それが……」


「皆への恩返しになる、だろう」


スザクの言葉を思い出す。


「はい!」


頬を染めたナナリーが今日一番の笑顔で頷く。それが、何かと重なって見えた。


きっと僕は、この笑顔を忘れないだろう。


ライは思った。心に刻むとは、こういう事だ。

124: 2015/06/20(土) 15:53:06.21 ID:SeLyu7oDO
何故か嬉しくなった。頬が緩んだ。


心のどこかで、何かが動いた気がした。


「ルルーシュは良い妹さんを持ったな」


「そんな……」


ルルーシュが大事にするのも分かる気がした。彼にとってナナリーはただの肉親、庇護対象というわけではないのだろう。おそらくだが、救われているはずだ。この笑顔に、在り方に。


「ナナリーのおかげで、僕も力が出たよ」


「本当ですか!」


「ずっと思っていたんだ。記憶が無い自分には、何も出来ないって。でも……それは多分、ただの甘えだった」


何も出来ないのではなく、何もしようとしていなかっただけだ。目的も無く街を巡り、生徒会の仕事を手伝い、善意から逃げていた。それで何かをしている気になって、一人で満足していたのかもしれない。


情けないと思った。足を一歩前に出す事を恐れていたのだ。


それが自分に手を貸してくれる人達に対する、何よりの裏切りだと気付かないまま。



「ナナリー。僕は……」


そこまで言いかけて、こちらへ近づいてくる足音に気付いた。黒髪に端正な顔。長い手足。その動作の隅々にまで、気品が漂っている。よく知っている男子生徒だった。


ルルーシュ・ランペルージ。ナナリーの兄である。



125: 2015/06/20(土) 16:10:57.21 ID:SeLyu7oDO
初めて見た笑顔だった。


その日の昼休み、ルルーシュ・ランペルージは学園の廊下を急いでいた。妹との約束があったのだ。最近、家を空ける事の多くなってきた彼にとって、この約束は何よりも優先すべき事だった。


待ち合わせ場所は庭園内のバルコニー。静かで花の香りに満ちた、ナナリーのお気に入りの場所である。


柄にもなく息を乱す。目的地に近付くにつれ、移動する速度を緩めた。こんな姿を妹に見せるわけにはいかない。


もとより開けた場所だ。ナナリーと家政婦の咲世子。そしてもう一人の先客を見つけるのは容易い事だった。


珍しい。そうルルーシュは思った。ナナリーと話をしているのはライ。この学園に来て一週間ほどになる身元不明の記憶喪失者だった。


(なぜ、あいつが……)


ライという男の動向には常に注意していた。なにせ身元や人種、思想や受けた教育、何もかも不明なのだ。彼一人のせいで、この学園が崩壊することも十分に考えられた。


アッシュフォード学園はルルーシュとナナリーにとっても重要な場所だ。ある理由で身よりを失った二人を、イレヴンである枢木スザクを、ここは受け入れてくれた。


この暖かい場所を壊させるわけにはいかなかった。絶対に。



126: 2015/06/20(土) 16:29:36.17 ID:SeLyu7oDO
アッシュフォード学園の生徒達は善良な人間が多いが、危機感や警戒心が足りていない。ここが植民地の中でもとりわけ危険なエリア11という事を失念しているように思えた。


だから、ルルーシュが用心する必要があったのだ。


しかし怪しいからといって、ライを無理やり追い出す事はしなかった。それはフェアではないと思ったし、情報を集めて有害だと判明してからでいい。


カレン・シュタットフェルトが世話役になった時は、内心喜んだものだ。彼女とルルーシュには一方的な情報のルートがある。必要となれば、ライの動向を聞き出すなど容易な事だった。


そして、ルルーシュが彼を監視し始めて一週間。分かった事がある。


まずは記憶喪失について。嘘という可能性も考えてはいたが、確証は無いものの、どうやら本当のようだ。話を聞く中で、幾つか引っかけ的な質問をしてみたが、どれにもかからなかった。


次は彼の生活習慣だ。ライは知らないだろうが、生徒会メンバーによる極秘の会議がたまに行われており、普段の暮らしぶりについて情報が集められている。


食事をほとんどしないだとか、勉学についての知識はそれなりにあるらしいだとか、そういった話はそこから広められているのだ。


その中で分かったのは、ライがとても無気力だという事だった。何事にも関心を示さず、表情も崩さない。これはそこまで不自然ではないと思った。記憶が無いのだから、普通の感性が氏んでいてもおかしくはない。




127: 2015/06/20(土) 20:52:03.20 ID:SeLyu7oDO
何よりライという男は、とても冷静で口数が少ない。ほとんどの会話を「すまない」「分かった」「ありがとう」で済まそうとする。


記憶喪失という事に対する動揺もほとんど無い。自分の現状をわりとすんなり受け入れているようだった。自分が何も無い、空っぽの存在だと理解しているから、彼は誰かに助けを求めない。同情も必要ないと言わんばかりだ。


そういった、ある種の潔さ、孤高さはルルーシュを苛立たせた。本当は戸惑っているくせに。本当は怖がっているくせに。ライは何も口しない。


一人で何とかしようとしている事など、見ていれば分かるのだ。


警戒心から始まった監視だった。充分な効果が挙がったと言える。ライという男に現状、危険性は見られない。それは確かだった。


そして、今日。


ナナリーとライが一緒にいるところを目撃してしまった。楽しそうに喋っている。今までは接点が殆ど無かったはずの、あの二人が。


邪魔しようとは思わなかった。ルルーシュが以前に釘を刺してから、ライは律儀にナナリーとの接触を避けていた。あの時はまだ彼の事を警戒していたのだが……。


しかし今は咲世子もいる。何よりナナリーが楽しそうだった。花が咲いたような笑顔。スザクが編入してきたと聞いた時以来の、飛びきりの物だった。


ナナリーは誰にでも優しく、また聡い子だ。誰にでも分け隔てなく接するが、その実、相手の本性を感じ取る事に長けている。ほとんど初対面で、あんな表情を見せる事は極めて稀だった。もしかしたら最短記録かもしれない。



128: 2015/06/20(土) 21:55:47.68 ID:SeLyu7oDO
(ナナリーが、あんなに早く心を開くとは……)


そしてライもまた、ナナリーへ笑顔を向けていた。銀の髪が風に揺れる。盲目の少女と記憶を失った少年。二人は確かに今、心を通わせている。周囲の風景と相まって、とても幻想的な光景だった。


「…………」


目が離せなかった。どうしてか、たまらなく美しいと思ってしまった。それほどまでに幸せな表情だったのだ。


ナナリーは目が見えない。咲世子も離れた場所にいる。あの笑顔を見たのは、おそらくルルーシュ一人だけだ。


(まったく……)


不思議な奴だと思った。あの表情を表に出せれば、もっと上手く立ち回れるだろうに。いや、心からの笑顔だからこそ美しいのか。まるで鏡を見ている気分だ。ナナリーと接している時の自分もきっと、ああいう顔になっているのだ。


呆れたような息を吐き出して、ルルーシュはバルコニーに向かった。


「あ、お兄様!」


「……ルルーシュ」


足音だけで分かるのだろう。ナナリーがこちらに笑顔を向けてくれる。ライはいつも通りの仏頂面に戻った。


「悪いな、ライ。ナナリーの面倒を見てもらって」


「……いや。面倒を見てもらったのはこちらの方だ」


「そうか」


「じゃあ、ルルーシュも来た事だし、僕はこれで」


ライは立ち上がった。ナナリーが寂しそうな顔になる。ルルーシュがいつもさせている顔だ。理不尽だと自覚はしているが、他人がさせたとなると、怒りが湧いてくる。



129: 2015/06/20(土) 22:13:04.25 ID:SeLyu7oDO
「気を遣わなくて良い。その方がナナリーも喜ぶ」


「流石に兄妹の時間を邪魔するわけにはいかない。それくらいの分別はある。それに……」


ライはナナリーをもう一度見た。その横顔からは、以前のような硬質さが無くなった……とまではいかないが、だいぶ和らいだように見えた。


「色々と気付いた事もあるから」


そう言われては、何も言い返せなかった。


「……そうか」


自然と、ルルーシュも笑みを浮かべていた。しかし次の瞬間、ライの一言でその表情が凍った。


「そういえば、ルルーシュ。最近はピザを良く頼むのか」


「……なに?」


「配達員の人が僕の部屋を訪ねて来ることが度々あって……。ランペルージさんへと言われるから」


「あ、ああ……。ほら、生徒会で頼むんだよ。お前はまだ知らないかもしれないがな。これも副会長の仕事だ」


「そうか」


疑う素振りも見せず、ライは素直に頷いた。その彼に、ナナリーがおずおずと声をかける。


「あの……ライさん?」


「ん……?」


「良ければ……またこうして、お話して頂けますか?」


そう言われたライはこちらの方を見た。保護者の了解を得なければならないと思ったのだろう。ルルーシュは肩をすくめた。


「そうだな。俺からも頼む」


「……分かった。ナナリーがそう言うなら、喜んで」


「はい!」


満面の笑み。また風が吹いて、周囲の木々がざわめいた。花びらが舞う中、ルルーシュはライを見て思った。


変な奴だ、と。


137: 2015/06/22(月) 07:20:22.09 ID:77iltqVDO
緑の髪の少女を探し、再び租界の街を歩く。今のところ、彼女だけが記憶への手掛かりだ。午前中いっぱいを捜索に費やしたライは、休憩を兼ねてベンチに座り、張り込みをしていた。


闇雲に探すだけでは効果は薄い。あの少女が何のために街を歩いていたのか、そういった点から埋めていく必要もあった。


(馬鹿か、僕は……)


あの少女が記憶に関係している確証は無いのだ。むしろ、彼女が普通の一般人で、ただ買い物をしていただけという可能性の方が、遥かに高いだろう。


こんな所で同年代の少女を求めて張り込んで、まるで不審者ではないか。見苦しい。ライは右手で自らの額を押さえた。


あの少女と出会った時の感覚は既に体から消えようとしている。今では、あの時の確信が見る影もなく薄いものになっていた。


この行為に、意味はあるのか。


そう真剣に考えていた時だ。抱えていた頭の上から、


「あ、ライじゃない!」


元気に満ちた声が降ってきた。顔を上げると大きな瞳がライを覗き込んでいる。結構、距離が近い。生徒会メンバーの一人、シャーリー・フェネットだった。



「……シャーリーか。今日はどうした」


尋ねると、どうしてか彼女は唇を尖らせた。


「それはこっちの台詞。頭なんか抱えちゃって、どうしたの?」


「いや……。この辺りは人が多いから、少し疲れてしまって」


「そっか……そうだよね。知らない人ばっかりだもんね」



138: 2015/06/22(月) 07:41:38.37 ID:77iltqVDO
シャーリーは心配してくれているのか、悲しそうに目を伏せた。深い同情が分かる。決して表面的なものではない。それくらいは、ライでも簡単に理解出来た。


「で、シャーリーはどうしたんだ。買い物か」


彼女に要らぬ心労を与えたくない。ライは苦し紛れに話題を振った。


「うん。日記帳を使い切っちゃって」


「……日記帳」


使い切るほど思い出があるのかと、少し複雑な気持ちになる。もしかしたら、羨ましいと感じたのかもしれない。


しかし、日々の記憶を大切に出来るのはシャーリーが普段から一生懸命だからだろう。そう思うと、ライは目の前の少女がとても大きな存在に見えた。


「君は、今日も記憶探し?」


「いや、そうじゃない」


なぜ否定したのか。この瞬間、ライは深く後悔した。"日記帳"という単語への対抗心が芽生えてしまったのかもしれない。


記憶探しばかりしているわけではないと言い張りたかった。ライにしては珍しい、突発的な発言だった。


「じゃあ、何をしてたの?」


「…………」


街で見かけた少女を追っている。そんな事を言うわけにはいかない。しかし、他に何か誤魔化せる話題があるだろうか。いや、無い。


ここにきて、日頃から指摘されていた積極性の無さが露わになっていた。



139: 2015/06/22(月) 07:58:02.50 ID:77iltqVDO
「あ、分かった。カレンとデート?」


「外れだ」


シャーリーは強い興味を持っているようだった。理解できない。今の問いに頷くべきだったか。しかし、カレンは今日、用事があると言っていた。彼女を休日まで拘束するわけにはいかない。


どうする、何かないか。ライは無表情のまま、辺りを見渡した。いつになく焦っていた。


駄目だ。無い。視線を落とす。


あった。これしかない。



「靴を……」


「え?」


「靴を、買い替えようと思っていた」


シャーリーの目がライの靴に向いた。少し前までは新品だったアッシュフォード学園指定の靴が、今ではかなり痛んでいる。毎日のようにトウキョウ租界を歩いていたからだ。


「あ、ホントだ。凄い痛んでる。どれだけ歩いたの? まだ二週間も経ってないのに……」


シャーリーは感心しているようだ。普通、学生の靴は一年毎に履き替えるものだと聞く。金銭的に余裕がある人間が集まるアッシュフォード学園なら、もっと頻繁に交換するのかもしれない。


「でも、靴なら会長に言えば取り寄せてくれるでしょ?」


痛いところを突かれた。


「確かにそうだ。だが、租界を歩くなら動き易い物の方が良いだろう。スニーカーなら、値段も手頃だ」


「なるほどね」


140: 2015/06/22(月) 08:15:22.19 ID:77iltqVDO
シャーリーは納得してくれたようだ。これで危機は脱した。無表情は崩れないが、内心ではほっと胸をなで下ろしていた。


「じゃあさ、提案なんだけど……」


「……?」


「日記帳選ぶの、手伝って欲しいんだ。駄目かな?」


「いや……」


そういうのはルルーシュに頼んだ方が良いのではないか。


リヴァルからの情報で、シャーリーがルルーシュを憎からず思っている事は知っている。記憶喪失のライより、幅広い知識を持つ彼に選んでもらうのが、得策だと考えた。


そこで、ふと考え直す。


なぜ彼女が自分に頼んで来たのか。効率的ではない事など、百も承知だろうに。その理由とは何か。


きっと優しさに違いない。シャーリーは関係の希薄なライに対して、手を差し伸べようとしてくれているのだ。それくらいは理解出来る。


「……僕で良ければ」


口から出たのはどうしようもなく淡白な言葉だった。しかし、シャーリーは笑顔で頷く。


「じゃあ、行こっか!」


軽やかな足取り。彼女の背中が、無機質だった繁華街の風景に色を与えてくれた。


(色……か)


ライは立ち上がり、彼女の後に続いた。ありふれた単語だが、どうしても頭の片隅に引っかかった。


141: 2015/06/22(月) 08:31:04.65 ID:77iltqVDO
「これなんかどう?」


「装飾過多だな。長く使うものだ。デザインはシンプルな方が良いだろう」


「そっか……確かに」



シャーリーはゴテゴテの装飾品にまみれた日記帳を置いた。次に取ったのは、シックなデザインのいかにも高級そうな物だった。金装飾が入っている。


「これなんか……」


「値段が予算の三倍以上なんだが」


「げっ!? た、高過ぎ……!」


それを慎重に棚へ戻す。どうして日記帳一つにここまで執心するのか分からないが、きっと彼女にとって大事な事なのだろう。


「あ、これ可愛い」


「だが、値段が……」


「む……」


また商品を棚に戻してから、シャーリーはこちらを向いた。


「君、値段の事ばっかり気にするのね」


「……そうだな」


値段の事くらいしか話題が無いのだ。話術というのは知識と常識とユーモアによって構成される。ライにはそのどれもが無かった。


再び日記帳の選定に戻ったシャーリーに、何か言葉を掛けなくてはと焦る。これでは彼女が一人で選んでいるのと同じだ。




142: 2015/06/22(月) 09:00:40.04 ID:77iltqVDO
「日記帳には、何を書いているんだ」


「…………」


頭に浮かんだ素朴な疑問。書く内容を知れば、何かしらの手助けになると思ったのだが、シャーリーの手はピタリと止まった。


「どうした」


ギ口リと睨まれる。彼女の顔は赤く染まっていた。


「普通、聞く? 女の子にそんなこと……」


「……?」


「まったく……」


意味が分からず、ライは首を傾げた。シャーリーは赤くなった頬を冷ますように首を振る。


「君の事も、ちゃんと書いてるからね。今日も仏頂面でしたーとか、また迷子になりましたーとか」


悪戯っ子のような表情になったシャーリーが言ってくる。それが彼女なりの意地悪だという事に、ライは気づかなかった。


「そうか。良く見てくれているんだな」


出たのは感謝の言葉。決して友好的ではない自分を、彼女は善意から気にかけてくれている。有り難いことだと思った。


しかし、


「き、君ねぇ……」


見れば、シャーリーは耳まで赤くなっていた。理由は判然としなかったが、彼女には珍しい、敵意のようなものが見え隠れしている。



145: 2015/06/22(月) 11:15:06.18 ID:77iltqVDO
訳が分からない。ライが戸惑っていると、シャーリーは駄目だこりゃとばかりに息を吐いた。


「君って変わってるよね。冷静で頭良さそうなのに、たまにポーンと変なこと言うでしょ」


「そうだろうか」


「そうだよ。ルルやスザク君はともかく、カレンとか苦労してるだろうねー」


「そ、そうだろうか……」


「ふふ……そうそう」


ライが困ったように言うと、シャーリーは楽しそうに笑った。まったく理解できない。先ほどまで恨めしそうに睨んでいたのに、今はしてやったりといった表情。


人間関係に疎いライでも、男性と女性では喜ぶ点や嫌がる点が異なるという事は知っていた。例えば、可愛いと言われれば女子生徒の多くは喜ぶらしい。が、男子生徒は違う。


(難しいな……)


男女の感性の違い。深遠な命題だった。今の経験値では、とても手を出せそうにない。


「……ん」


ふと、視界の端に赤い日記帳が見えた。シンプルなデザインだが、布製のカバーはしっかりとした作りだ。中を開き、白紙のページを捲る。持ち運び易いサイズも悪くない。


なんとなく、シャーリーに似合っているような気がした。


「……これなんかどうだ」


「え、どれどれ……」




146: 2015/06/22(月) 11:51:18.26 ID:77iltqVDO
ライから差し出された日記帳を見て、シャーリーの口からわあ、と感嘆したような息が漏れた。


「うん、決めた。これにする!」


「そうか。それは良かった」


ライは外に出た。少しして、レジで会計を済ませたシャーリーが店から出てくる。日記帳が入った紙袋を、大事そうに抱えていた。


「ありがとう。今日は良い買い物が出来たわ」


「こちらこそ、良い経験になった」


シャーリーは紙袋を掲げて、


「最初の一ページ目も決まったしね」


「……?」


「今日、君に買い物に付き合ってもらった事をね」


「……そうか」


彼女の日記帳に自分の名前が載る。そう思うと、不思議と胸が暖かくなった気がした。


「シャーリーは、どうして日記を書いているんだ」


「え……。それは」


突然の質問に明るい少女は少し驚いた顔をした。



147: 2015/06/22(月) 12:28:22.40 ID:77iltqVDO
「思い出すため、かな」


「思い出す……?」


うん、とシャーリーは頷いた。


「生活してると、良い事も悪い事も起こるでしょ。でも、それって全部、大事な事だと思ったんだ」


「……嫌な思い出も書くのか」


シャーリーは胸を張って、自信満々に答えた。


「もちろん。嫌な事でも、後で振り返れば違う風に思えたりするから」


「…………」


「だから……君もね。記憶を取り戻したいっていう気持ちも分かるけど、もっと思い出も大切にして欲しいなって思う」


「思い出……」


どういうことだろう。記憶と思い出は同じ意味の言葉では無いのか。


記憶喪失者に思い出など──



(いや……あるのか)


記憶も存在価値も、何もかも無くした自分にある唯一確かな物。


それは、アッシュフォード学園で出会った人々との思い出だ。シャーリーは、それを大切にして欲しいと言っているのだろう。


その通りだと思った。



148: 2015/06/22(月) 13:23:49.68 ID:77iltqVDO
「そうか。……そうだな」


「うん。思い出、たくさん作ろうね!」


そう、シャーリーは言ってくれた。彼女の笑顔には、人を元気にする力があるのかもしれない。


再び日記帳を見る。あれにはこれからも、シャーリーの思い出が書き込まれていくのだろう。日々の、大切な記憶が。


保護された当初は空虚だった心に、少しずつ積み重なっている物がある。それは確かだった。こういった人々と一緒にいられたら、いつの日か自分を認められる時が来るのかもしれない。


「よーし! じゃあ、次は君の靴を探しに行こっか。今度は私が選んであげるから!」


「そ、そうか……」



そういえば、そんなことを言ってしまっていた。意気込んでいるシャーリーに、いまさら出任せだったなどとは言えない。


「あっちに、男の子用の靴屋さんがあるから」


行ってしまった。ライは呆気に取られつつも、彼女の後に続く。これもまた、良い思い出になるだろう。



154: 2015/06/23(火) 07:10:58.42 ID:PahCcs/DO
最近、ライは生徒会のメンバーと交流を深めているようだった。


ルルーシュと読書やチェスをしているところを良く見かける。スザクとはノートを貸したり、租界で共に買い食いをしているらしい。教室でリヴァルと異性について話し合っていて、変な知識を植え付けられているようだ。


そして、女子メンバーとの会話も増えてきた。


生徒会の仕事を手伝う事でミレイの助けになっているし、彼女の良き遊び道具になっているようだ。シャーリーとは、つい最近、一緒に買い物をしたらしい。それからは親しげに話しているところを頻繁に目撃する。


唯一、ニーナとはまだ疎遠だった。ライが不用意に話しかけ、読書中だった彼女が驚いて悲鳴をあげるという事件があってから、お互いに距離を測っているようだ。二人とも人見知りなので、仕方ないだろう。後は時間が解決してくれる。


「けっこう慣れてきたんじゃない?」


近頃、お世話係主任に昇進したカレンは、後ろをとことことついて来る少年に言った。


「何にだ?」


「学園での生活よ。最近、生徒会のメンバーと良く一緒にいるから」


「ああ……」


「色々な人達と関わるのは良い事だと思う。そろそろ、何か記憶の手掛かりも見つかりそうなものだと思うのだけど」


「すまない……」



155: 2015/06/23(火) 07:37:39.55 ID:PahCcs/DO
申し訳ないと思っているのだろう。ライはいつものように謝ってくる。時間の流れとは早いもので、カレンは二週間近く租界での散策付き合っているのだ。最近では日課になりつつある。


「だから、気にしなくて良いって言ってるでしょ」


「だが、君の体の事もある」


病弱(という設定)なカレンを付き合わせている事に、ライは強い罪悪感を抱いている。その過保護具合といったら、何度か本当の事を言おうかと思ったほどだ。


「まったく……。あなたは、自分の事だけ気にしてればいいの」


こんなセリフも、最近では口癖になりつつあった。渋々分かったと言うライを尻目に、再び歩き出す。既にアッシュフォード学園を中心として、徒歩で行けるところは殆ど回っていた。


後は租界全体に通っているモノレールで行くぐらいだろう。カレンの頭の中では、そちらのプランも整いつつあった。


「前々から思っていたが、カレンは体力があるんだな」


「そ、そう?」


突然、ライがそんなことを言った。ギクリとした。


「ああ。筋肉の付き方で分かる。運動は得意だろう」


立ち止まったカレンの体を、ライはつま先から感慨深そうに眺めてくる。まるで観察されているようで、彼女は身をよじった。


「ち、ちょっと……」


「カレンはスタイルが良いと、シャーリーも言っていた」



156: 2015/06/23(火) 07:56:07.61 ID:PahCcs/DO
普段、そんな事を話しているのか。


「…………」


「どうした」


顔を赤くしたカレンを見て、ライは眉をよせた。怪訝に思ったのだろう。彼はこういう小さな変化に良く気づく。


「な、なんでもないから」


「そうか。体調が悪くなったなら……」


「分かってるって、もう」


これでは、どちらが保護者か分からない。カレンは状況を仕切り直すべく、足を早めた。そうして、話題を切り替える。


「租界の方は一通り見て回ったでしょう。だから、今度はあなたの見てみたい場所に行ってみようと思うんだけど、どうかしら?」


「……僕の見てみたい場所か」


「うん。何かない? 見て回った中で気になった場所とか、どこかで聞いて何か手掛かりになりそうと思った場所とか」


「…………」


ライはしばし考え、


「日本という名前には、不思議な響きを感じた」


「え……」


呆気に取られる。ライは何気なく言ったのだろうが、カレンにとっては、これ以上ないくらいに重要な単語だったのだ。



157: 2015/06/23(火) 08:14:16.44 ID:PahCcs/DO
歩きだしたばかりだったが、また立ち止まる。


そうして、彼の顔を注意深く観察した。カレンのもう一つの顔について、何らかの探りを入れてきた可能性もあるのだ。もし、あれに気づかれたのだとしたら、ライとカレンの関係は終わりを迎える事になる。


「どういうこと?」


知らず知らずのうちに、カレンの口調は刺々しいものになっていた。目つきは鋭くなり、纏う空気は剣呑なものに変わる。明らかな警戒心。今の彼女を見たら、学園の男子生徒達は大層驚くだろう。


しかし、ライはいつもと変わらぬ様子で答えた。カレンの変化に気づかない筈がないのに、特に言及しようとは思わなかったようだ。


「深い意味は無いんだ。ただ、エリア11やゲットー、イレヴン……そういった言葉に、何か違和感のようなものを覚える」


「……そう」


探ってくる筈が無い。少し考えれば分かることだ。この二週間、ライと一緒にいた時間が一番長いのはカレンだ。たまに変な事を言うものの、この少年が誰かを陥れるなど、考えられない。


それくらいには信用していた。


しかし。


カレンの表情はまだ晴れない。ライの言った言葉が、彼女を落胆させていた。


「……あなたも、イレヴンって言うのね」


158: 2015/06/23(火) 08:50:49.31 ID:PahCcs/DO
それは失望だった。


イレヴン。カレンの一番嫌いな言葉だった。


記憶の無い彼ですら、日本と日本人に対して無自覚に差別用語を使っている。カレンはライとの間に、深い溝が出来るのを感じた。


いくらライがスザクのようなイレヴン──名誉ブリタニア人と親しくしていても、根底にある意識は変わらない。ルルーシュもそうだった。


どんなに善良な人間でも、自分とは育ってきた環境が違うのだ。カレンは生徒会のメンバーはみな好ましい人間だと思っていたが、同時にある程度の距離を保っていた。それは自分の行っている活動に対する、双方の安全面を考慮しての行動だった。


「…………」


「…………」


二人の間に、深い沈黙が降りた。彼の瞳を見ても、考えは読み取れなかった。変な奴と思っているのだろうか。きっとそうだろう。

学園の生徒と距離を取ったのはきっと、こういう気分になるのが嫌だったのだと思う。本当の相互理解など結べないと分かっていたのだ。


目を伏せた。眉を寄せた。唇を噛んだ。親しいと思っていた人間に裏切られるのは何よりも嫌だった。それを相手に伝えられない事も、嫌で嫌で仕方なかった。


カレンの脳裏に、一人の侍女の姿がよぎる。


結局、これだ。


彼に対して溝を作っているのは自分自身だと理解していたが、それでも口からはライを拒絶するような言葉が出る。




159: 2015/06/23(火) 11:22:54.84 ID:PahCcs/DO
「イレヴンの事よ」


「…………」


彼は答えない。


「ここは本当は『日本』という国で、彼らもイレヴンではなく日本人で、また、そう呼ばれるはずの人々で」


エリア11は『日本』という国だった。ナイトメアなどの動力に使われる希少鉱石"サクラダイト"の輸出国として、戦乱の世でも突出して平和な国だったのだ。


しかし七年前、そのサクラダイトを狙ったブリタニアは当時、それなりの友好国であった日本へ侵攻。蹂躙し、全てを奪っていった。残されたのは瓦礫の山と、ドブネズミのように生きるしかなくなった日本人。そして消えない憎しみ。


何もかもおかしかった。平和に暮らしていた人の幸せを奪っておきながら、ブリタニアは今も繁栄を続けている。


許せなかった。


何もかも、全て。この租界の街並みも、笑顔で暮らす人々も。男に媚びた母親も、この身に流れる血の半分も。何度も壊してしまいたくなった。


黙っていたライが口を開く。なんと言われるのか、あらかた想像はついていた。カレンの中にあったのは虚ろな諦念のみだった。


「僕にも、その気持ちは理解出来る」


小さいが、はっきりとした言葉。


「え……」


「上手く言葉に出来ないが、分かるんだ。日本の事も、日本人の事も」


「…………」


160: 2015/06/23(火) 11:40:47.70 ID:PahCcs/DO
その必氏とも言える様子は、いつもの彼らしくなかった。嘘を言っているようには見えないし、カレンの機嫌をとるための言葉とも思えない。


なにより、その言葉には真摯な響きがあった。


「……僕の失った記憶の中に、そういった物があったのかもしれない」


「そう……」


ライの過去に日本が関係しているかもしれない。そんな可能性は考えたこともなかった。


「なら……もしかして、あなたは日本人?」


そんな事は無いだろう。彼の髪は銀色だし、顔立ちもブリタニア人だ。


「それが、ブリタニアの文化にも似たような感覚があるんだ」


やはり、ライの口からも否定の意見が出た。


「日本人でも、ブリタニア人でもない……」


「もしくは、日本人でもあり、ブリタニア人でもある」


「日本人でもあり、ブリタニア人でもある……か」


その言葉を反復すると、心が揺れた。ライは無意識に言ったのだろうが、カレンにとってはとても重要なものだった。


もしかしたらこの時、新たな願いが生まれたのかもしれない。そうであったら嬉しいというくらいの、ささやかな希望が。


知らないうちに、笑顔になっていた。


161: 2015/06/23(火) 12:11:46.77 ID:PahCcs/DO
「だったら、こうして歩くのも無駄じゃないかもね」


「そうだな。その……」


ここでも珍しく、ライは口ごもった。なんだか逡巡している。いつもの冷静な彼らしく無い。普段なら割とはっきり思った事を言うからだ。それで困らせられた経験は多い。


「……これからも、お願いしたいんだが」


なんで不安そうなのか。先ほどの一件で嫌われたとでも勘違いしたのかもしれない。こちらが勝手に怒っただけで、彼は何一つとして悪くないのに。


「もちろん。お世話係主任ですもの」


カレンは笑顔で、生まれた溝を飛び越えた。俄然、彼の記憶に興味が湧いたのもある。しかし、きっと一番の理由は──


「……そうか。良かった」


トウキョウ租界で見つけた小さな居場所。そこに、もう少し居たかったからだろう。


「ところで、いつの間に出世したんだ」


「お世話係主任のこと? この間の生徒会だけど」


「僕に何の告知も無かったんだが」


「だって、もう生徒会全員がお世話係みたいなものだし……」


「いや……まず、その世話係という名称に不服がある」


これまた珍しい。彼が不満を言うとは。


「? どうして?」


「生徒会室にアーサーという猫がいるだろう」


「いるわね」


たまにカレンも餌をあげている黒猫だ。スザクが連れてきて、そのまま住み着いてしまった。


「アーサーの世話係主任はスザクらしいじゃないか」


「……ああ。なるほどね」


合点がいった。猫と同等の扱いを受けている事が不満だったのだろう。


「私は良いと思うけど」


カレンは笑った。空は蒼く澄み切っている。そういえば、彼といる時はいつも晴天だ。


それが、なんとなく嬉しいと思った。


169: 2015/06/24(水) 00:31:08.03 ID:qakwqRWDO
男女逆転祭。


男子生徒は女装し、女子生徒は男装をする。そして、その期間中はそれぞれの服装に応じた振る舞いをしなくてはならない。簡単に言えば、男は女性として、女は男性として生活するという事だ。


「っていうのを考えたんだけど……」


珍しくメンバーが集結した生徒会室。生徒会長であり、学園における実質的な最高権力者であるミレイ・アッシュフォードが言った。


「生徒会副会長として拒否します」


その言葉が部屋に響くより早く、ルルーシュ・ランペルージは否定の意思を表明する。これは仕方のないことだった。与党に対する野党のように、常に反対意見を出すのが副会長の仕事だからであり、なにより、一番の被害者が常にルルーシュ自身であるからだ


「まあまあ、それは皆の意見を聞いてからにしましょうね。……ライ、例の物を」


会長の言葉を受け、スザクの隣に座っていた銀髪の少年が立ち上がる。学生鞄の口を開き、中から書類を取り出した。それを全員に配る。


(……なるほど)


企画書としては申し分のない出来だった。丁寧に生徒会長発案と書いてある。これによって賛成不賛成の意見を取り、過半数の意見が採用される決まりだ。たまに無視される事もあるが。


これが全校生徒に配布された場合、恐らくは可決となってしまうだろう。そうなれば終わりだ。止める手立ては無い。



170: 2015/06/24(水) 00:49:09.88 ID:qakwqRWDO
ルルーシュは生徒会室を見渡した。人数は八人と一匹。男女はそれぞれ四人ずつ。こういったイベントの場合、性別によって意見が割れると考えられた。


男装するのに抵抗がある女子と、女装に抵抗がある男子では、後者が圧倒的に数で勝る。元々ブリタニアには男装する麗人の文化があったし、女子生徒にとってリスクなど無いも同然であった。



生徒会で可決されれば、そのまま学園に出回ってしまう。アッシュフォード学園の男女比はほぼ1:1だが、このイベントは以前にも行われおり、好評を得ていた。下心を持った男子生徒の一部が賛成側に回ることも十分に予想出来る。


(ここで食い止める……!)


以前は酷い目にあった。もう、あんな悲劇を繰り返すわけにはいかない。もう、男子生徒からラブレターが届くのはごめんだ。


「じゃあ、多数決を取りましょう」


既に勝利を確信した様子のミレイが告げた。ルルーシュは冷静に戦力を分析する。


女子メンバーの内、イベント事が嫌いなカレンは反対派に回るだろう。やりようによっては、シャーリーもこちらにつくかもしれない。そうなれば、かなり有利になる。


男子メンバーの内、会長のイエスマンとしてリヴァルがあちらに行くのは当然として、良識のあるスザクは反対派の筈だ。


不確定要素を除けば、これで一対一。


(問題は……)


他人事のような顔をしている、あそこの記憶喪失者だ。あいつが曲者だった。



171: 2015/06/24(水) 01:06:27.42 ID:qakwqRWDO
あの男、普段はぼんやりしている癖に、やる事は非常にスマートだった。今もこうして、ルルーシュの監視をすり抜けて書類を用意している。決して甘く見るべきではない。


「読み終わったかしら? じゃあ、多数決を取りまーす」


呑気な声。ルルーシュは目を細めた。決戦の時は、すぐそこまで近づいてきている。


「まずは賛成の人ー」


「良いと思いまーす!」


「……はい」


リヴァル、ニーナが手を上げた。ミレイも含めれば、これで三人。半分以下である。シャーリーは何だかモジモジしているが、彼女は反対派に回ってくれたらしい。とても有り難かった。


(……勝ったな)


ルルーシュはほくそ笑んだ。前回は抜き打ちで行われたために対処出来なかったが、今回は違う。


会長、あなたの敗因は"思いつき"という自らの利を捨てた事だ。俺をからかいたかったようだが──


「賛成派は四人ね。じゃあ、次は反対派の人ー」


「……な!?」


馬鹿な。賛成派は三人だったはず。ルルーシュの余裕は一瞬にして吹き飛び、彼は弾かれたように席を立った。今すぐに裏切り者を見つけ出さなくてはならない。


「さ、賛成派の人はもう一度、手を挙げてくれないか」




172: 2015/06/24(水) 01:36:32.76 ID:qakwqRWDO
ミレイ、リヴァル、ニーナが手を挙げる。


あと一人。誰だ。


「僕だけど」


最後の一人は爽やかな笑みを浮かべる少年。枢木スザクであった。


「す、スザク……!? 何故だ、どうして」


「だって、楽しそうじゃないか。学園の生徒が全員、変装するなんて」


「あ、あれは変装なんてもんじゃないっ。もっと悪質で本格的な……」


「はい。じゃあ、反対派の人ー」


ルルーシュの言葉は無情にも遮られ、多数決が再開した。仕方なく、手を挙げる。


「く……っ」


カレンとシャーリーが挙手。あと一人。こうなったら、せめて引き分けに持ち込まなくては……!


「……?」


最後の一人、ライだけが不思議がっている。


「ライ、お前はどちらだ……?」


反対派じゃないのか。早く手を挙げろ。



173: 2015/06/24(水) 01:53:20.69 ID:qakwqRWDO
全員の視線が集中する。そこでようやく、彼は自分の意見が待たれていると理解したらしい。やっと口を開いた。


「……どうして反対派の数を確認する必要があるんだ。過半数は既に超えただろう」


「は……?」


全員がポカンとする。何を言っているんだこいつは。そんな声が聞こえてきそうだった。


「お前の意見を聞いているんだが」


「僕に選挙権なんてあるはずが無い。よって、四対三で賛成に決まりだ」


当然だろうと言わんばかりの態度。ミレイがため息を吐いた。


「……まったく。重症ね、これは」


「……?」


「あなたも参加するんだから、意見を聞くのは当たり前じゃない」


「そうなんですか」


ライは頷く。彼は全員の顔色を窺うように視線を走らせた。ルルーシュと目が合う。精一杯、全力で念を送った。反対派に投票しろ。そうすれば、後はスザクかニーナを懐柔して勝利する事が出来るのだ。


任せてくれと、ライはルルーシュに頷いた。言葉は無くとも、気持ちは届くのだ。久しぶりに他人に対して感謝した。


ライはミレイに向き直り、言った。


「じゃあ、賛成で」




174: 2015/06/24(水) 02:36:38.44 ID:qakwqRWDO
「なんでそうなるんだっ!」


どうして頷いたのだ。どうして希望を持たせたのか。怒り狂ったルルーシュはライを問い詰める。


「ルルーシュ。とりあえず落ち着いた方が良い。それでは冷静な議論が出来ない」


「く……!」


この冷静な物言いが、今は酷く癇に障った。なんとかしたかったが、混乱から立ち直れておらず、良い案は思い浮かばなかった。せいぜい、"左目の力"を使おうかと思ったくらいだが、すぐに思い直す。


「はい、決定!」


こうなったら、生徒会室のイントラに入っている書類の元データを削除し、誰も近寄らないように監視を強化するしかない。それが出来ないのなら、投票結果を改ざんする。


この日、ルルーシュの新たな戦いが始まった。道のりは険しいが、やるしかなかった。


「じゃあ、書類の配布と統計はライに任せるわ。ルルーシュが邪魔するだろうから……スザク君、手伝ってあげてね」


「はい」


「分かりました」


裏切り者二人が承諾する。


ルルーシュは無知な転入生共を睨んだ。覚えていろ。絶対に許さない。全力で邪魔してやる。


そう、心に強く誓った。



179: 2015/06/25(木) 17:03:33.15 ID:bQXV5DuDO
「あ! ライ、見~っけ!」


「……?」


クラブハウスから出たところを、ミレイ会長に捕まった。必要以上の笑顔を浮かべる彼女の手には一枚の紙。熟練の生徒会メンバーなら、このシチュエーションで全てを察することが出来るだろう。


「これから出かけるんでしょ?」


「……はい。すみません」


健全な生徒なら、今は登校の時間だ。しかし、ライの手には学生用の鞄は無い。今日は授業には出ず、租界へ向かおうかと思っていたのだ。


「あなたは仮入学の生徒だから、授業は強制じゃないけどね。ちゃんと勉強しないと、将来困るわよ?」


「はい」


確かにミレイの言う通りだと、ライは頷いた。高等部での成績や評価は将来に大きく影響してくる。とても大事な時期なのである。


「でも……」


他の生徒とは違い、ライはいま困っているのだ。このままの状態で、将来の事など考えられるわけがない。記憶探し以外にも意識を向けようと思ってはいるものの、なかなかそうはいかなかった。


あの、緑髪の少女の姿が頭から離れない。


彼女の事をはっきりさせない限り、自分は前には進めない。そんな確信があった。



180: 2015/06/25(木) 17:22:58.46 ID:bQXV5DuDO
「でも、なによ?」


歯切れの悪いライに、ミレイは怪訝そうな表情を向けてくる。普段は傍若無人で人使いの荒い女性だが、本質は誰よりも気遣いの出来る人だ。だから、あの個性が強い生徒会メンバーを纏めていられるのだろう。


だが、だからこそ口を閉ざすしかなかった。自分を保護してくれ、さらには衣食住の面倒を全面的に見てくれている彼女に、学園生活より大切なものがあるとは言えなかった。


「ある程度サボっても、授業にはついていける事が分かったので」


誤魔化すべく口から出た言葉は、ミレイを大いに不快にさせたらしい。彼女は笑顔のまま、目尻をひくつかせた。


「……へぇ。ウチって、結構な進学校だと思ってたんだけどな……」


「いや、決してアッシュフォード学園の学力を軽視しているわけではないんです」


「ま、あなたの気持ちも分かるけどね。でも……一時は落ち着いてたでしょ、記憶探し。どうしてまた熱をあげてんの?」


「…………」


街中で見かけてから、気になる少女がいる。彼女が記憶の手掛かりになる可能性は高い。手掛かりにはならなくても、せめてはっきりさせたいのだ。特に隠す必要は無いように思える。


(言うべきだな。ミレイさんには報告しておくのが筋だろう)


「街中で、気になる子でも見つけたとか?」



181: 2015/06/25(木) 17:37:27.73 ID:bQXV5DuDO
ミレイは冗談のつもりで言ったのだろうが、頭の中にあった言葉をちょうど言い当てられる形になった。


「はい。実は」


「え……?」


「以前にショッピングモールで見かけた女性が、頭から離れないんです」


「…………」


「どうかしました?」


ミレイは笑顔のままフリーズしている。これは非常に珍しい光景だった。少なくとも、今まで見たことが無い。


「そ、それって……女の子、よね?」


「はい。おそらく同年代だと思います」


「見た目は? 可愛かった?」


少女の姿を思い出す。絹糸のような長い髪に、白い肌。流麗な瞳。目を奪われるような美しさだった。


「美しいとは思いましたけど……」


「そ、そう……」


ミレイは変に挙動不審だった。小さな声で「私の予想が外れるなんてね……」などと呟いているが、意味はよく分からない。


「そう言うんなら、仕方ないわね。応援するわ」


「ありがとうございます」


「その代わり、ちゃんと経過報告をすること。それと……これね」


ミレイは持っていた紙を差し出してきた。


182: 2015/06/25(木) 18:30:30.12 ID:bQXV5DuDO
渡された紙に目を通す。珍妙な単語の羅列。横には店の名前だろうものと金額が書かれていた。


「……買い出しですか」


「正解。 働かざるもの、食うべからず! よろしくお願いね」


そう言われては断れなかった。なにせ、学生でもなければ就業者でもないライは、端から見れば完全なニートだからだ。


迷惑をかけている。やはり、早いところ記憶の手掛かりを見つけなければならない。


「だから、あなたはもっと食堂に来なさい」


「……?」


「生徒会の仕事も頑張ってくれてるし、スザク君の勉強の手伝いもしてくれてるでしょ」


「それは……当然ですよ。世話になっているんですから」


そう言うと、何故かミレイは怒った顔になった。


「ちゃんとやる事やってるんだから、気なんか遣わなくていいの。十年早いわよ、ほんと」


「……ありがとうございます」


「ま、恩だと思ってるなら、出世払いでお願いね。あなたもルルーシュもスザク君も、有望株だと期待してるんだから」



今度はニッコリ笑ってくれる。やはり、この人にはかなわないと思った。



183: 2015/06/25(木) 23:12:45.28 ID:bQXV5DuDO
「では、行ってきます」


「いってらっしゃい。放課後の生徒会までには帰ってくるのよ」


こくりと頷き、ライはクラブハウスを後にした。向かうのはショッピングモール。当初の予定と変わりはない。そう難しいものではないだろう。


そんな風に思っていた。


「12連ネコミミマガジン……? 第四世代ハイパーハンマー?」


マガジンとは、小銃などに使われる弾倉の事だ。12連ということは12個のマガジンが連なっているに違いない。だが、そうなると"ネコミミ"の言葉が不協和音として目立ってくる。


第四世代ハイパーハンマーとはその名前の通り、第四世代のハイパーハンマーの事だろう。おそらくは第一~第三世代のハイパーハンマーを凌駕した性能を有していると見て、間違いない筈だ。


この二つに共通する事と言えば、両者が武器に関する名前を持っている事。


しかし、ショッピングモールに武器や火器を扱う店などあるのか。ただでさえ、最近は"黒の騎士団"の活躍で治安が悪化しているというのに。


(いや、治安が悪化しているからこそ、なのか)


誰でも武器を携帯していなければならない時代という事だ。護身具の必要性など、考えなくても理解出来る。


ミレイ・アッシュフォードは聡明な女性だ。生徒会とは全校生徒の代表なのだから、率先して武器の扱いに慣れておくべきと考えているのかもしれない。


思っていたより遥かに、重要な仕事を任されてしまった。




184: 2015/06/25(木) 23:29:47.00 ID:bQXV5DuDO
繁華街には何度も来た。にも関わらず、店の名前に覚えはなかった。


こういう事なら、ルルーシュやスザクに付き合ってもらえば良かったと、ライは途方に暮れた。お使いさえまともに出来ないとなると、今後の立場にも影響してくるだろう。手ぶらで帰るわけにはいかない。


どうしたものか。


いつぞやのベンチに座り、息を吐いた。学園を出た時には晴れていた空は、だんだんと曇ってきていた。一雨くるかもしれない。


(誰かを頼ろうにも……)


今は平日の昼前だ。生徒会のメンバーは(出席しているかは別として)授業中である。呼び出すわけにもいかない。となれば、街を歩いている人に尋ねる他ないだろう。


ライは立ち上がり、なんとなく前を通り過ぎようとしていた女性に話しかけた。


「……すみません。少しよろしいでしょうか」


「なんだ。ナンパなら他を当たれ。ん? その制服……」


相手の女性は男のような口調で、その声からは硬質な印象を受けた。しかし、アッシュフォードの制服を知っているらしい。僥倖だと思った。


「いえ、店を探しているんですが、見つからなくて」


「店……? 私もあまり詳しくはないのだがな」


ライは目を落としていたメモ切れを相手に渡した。それを受け取った女性はふむ、と唸る。



185: 2015/06/25(木) 23:45:48.85 ID:bQXV5DuDO
「ああ、この店か。良かったな、知っているぞ」


美しい少女だった。スラリとした、スレンダーな体型。珍しい緑の髪を隠すように被った帽子。


探していた少女だった。


その彼女が今、目の前にいる。状況を理解するまで、しばらくの間、ライの思考は完全にフリーズしていた。


「き、君は……」


「ん……」


少女もこちらの顔を見て、何か思うところがあったようだ。その切れ長の瞳が、僅かに揺れた。


「……ああ、なるほど」


口元に笑みが浮かんだ。恐ろしくなるほど、酷薄な表情。心臓が締め付けられるように痛い。左目もだ。痛みは視神経を通じて、脳に達していた。


「お前も、"力"を持つ者だったな」


少女の言葉が刃となり、そのまま突き刺さってくる。


痛い。熱い。


頭の中にバーナーを突っ込まれているようだった。悲鳴すら出ず、左目を抑えたまま、ベンチに倒れ込む。


少女がこちらにしゃがみ込むのを、右目が僅かに捉えた。やられる。とどめを刺される。そう思った。体は動かない。自分の物では無いようだった。前と同じだ。



188: 2015/06/26(金) 00:06:14.85 ID:AcBC3WIDO
「ほら、見せてみろ」


少女の細い指が伸びてくる。払いのけたかったが、それすらも出来なかった。いま触れられたら、きっとこの体は砕け散る。そんな恐怖が、混乱の渦を加速させた。


左目を抑えていた手があっさりと退けられた。まぶたを押し上げられ、眼球が露出する。映るのは少女の顔。少女の瞳。その奥にある、力の渦。


「……あ」


間抜けな声が出た。痛みは治まっていく。まるで波が引いていくかのように。拍子抜けするほどあっさりと。


どっと汗が噴き出してきた。呼吸もだ。痛みをこらえるべく、押さえつけていたものが堰を切って押し寄せてくる。



「妙な奴だ。人の顔を見るなり、いきなり倒れ込むとは」


「……君は、何者だ」


氏にかけの、老人のような声だった。


「それはこちらの台詞だろう」


少女は地に伏す虫けらを見るような目をこちらへ向けていた。


「──お前こそ、誰だ?」


「………!」


小さな呟きだった。その一言で視界が、意識が揺らぐ。ひどく不安定だ。自分という存在が消え去りそうだと思える。こんな、簡単な問いかけ一つで。


「僕は……」


だが、明確な答えを用意出来るはずもなく。



「僕は……誰だ」


そう問い返すことしか出来なかった。


189: 2015/06/26(金) 00:12:01.80 ID:AcBC3WIDO
今回はこの辺で。

最後の方、ミスがあったので修正しました。申し訳ないです。

では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。



192: 2015/06/26(金) 09:34:15.29 ID:AcBC3WIDO
「今は動くな」


そう言われた。従うしかない。息は絶え絶えで、思考もはっきりしない。膝にも力が入らなかった。動けと言われても動けない状態である。


「……君は何者なんだ」


「見れば分かるだろう。どこにでもいる、年頃の乙女だ」


「そうか。……怖がらないんだな、僕の事を」


彼女からしてみれば、いきなり話しかけてきた男が突如として倒れ込み、意味不明な言葉を吐いているように見える筈だ。



「なぜ怖がる必要がある?」


「気味が悪いだろう。……こんな奴は」


ライの言葉に少女は笑みを浮かべた。先ほどのものとは違い、恐怖は無い。それどころか、慈愛のようなものを感じる。


「気にしなくていいぞ。見ている分には楽しいからな」


「…………」


もし、この少女がライの内心を理解した上で言ったのだとしたら、悪辣という言葉がぴったりだと思った。


「お前はアッシュフォードの生徒だろう。何故この時間に出歩いている?」


「……買い出しだ。それに、僕は正式な生徒じゃない」


「ふむ……」


「なんだ」




193: 2015/06/26(金) 09:45:57.53 ID:AcBC3WIDO
「立て。そろそろ動ける筈だ」


「…………」


確かに、体が動く。まだ麻痺したかのような感覚が残滓として漂っているが、随分ましになった。


立ち上がる。近くで見た少女は小柄だった。外見からして同年代だろう、ミレイやシャーリー、カレンと比べると顕著だ。ニーナと同じくらいに思える。


「なんだ?」


「いや……」


心なしか不満そうな声。読心術でも使えるのか。めったな事は考えない方がいいのかもしれない。


そんな心中も読まれたのか、少女はこちらに背を向けた。


「ついてこい」


「どこにだ」


「たわけ。買い出しを頼まれているのだろう。案内してやると言っているんだ」


「……そうか。すまないな」



存外、少女は親切だった。小さな背中に連れられ、街を歩く。


「…………」


やはり、と思った。この少女は異質な存在としか思えない。纏う空気、超然とした態度、そして先ほど垣間見た力。どれも常識という言葉からかけ離れている。


だが、何故だろう。


ひどく安心する。



194: 2015/06/26(金) 09:59:26.60 ID:AcBC3WIDO
ライは俯いた。すれ違う街の人間、笑い声、音楽、映像。そういった周囲の万物が、今はどうしようもなく空虚に感じられる。そしてなにより、そう思う自身の心が一番虚ろで空っぽなのだと、理解させられた。


この少女も、そう思っているのではないか。


「君は何を知っているんだ」


「何……というと?」


「さっき僕に言っただろう。力を持つ者だと」


以前よりライを知っているかのような口振り。あれだけは何があっても聞き逃せ無かった。


「…………」


「教えてくれ。頼む」


懇願だった。


自分が何者なのか、どうしても知らなくてはならない。でなければ、きっと僕は壊れてしまう。


「今はやめておけ」


「何故だ……!」


「今はとても不安定だ。閉じているものを無理やり開けば、自滅する。それはお前自身が一番理解している筈だがな」


「関係ない」


本当だった。どうなっても良かった。知って壊れるなら、そっちの方が良いとさえ思えた。




195: 2015/06/26(金) 10:14:23.67 ID:AcBC3WIDO
「お前の力は全てを壊す。それは私にとって不都合だ」


「……力? その力というのは、一体なんだ」


「"王の力"だ。その力は、お前を孤独にする」


孤独。孤独だと。馬鹿馬鹿しい。笑みが浮かんだ。


「だったら何だ。とっくに孤独だ」


「……お前は」


少女が立ち止まり、こちらに瞳を向けた。哀れむような顔。


「まだ何も見えていないのだな」


「なんだと……」


「まあ、いいさ。お前が力を目覚めさせたいというのなら、止めはしない。だが、それはまた今度だ」


「……出来るのか」


「造作もない」


少女は再び笑みを浮かべた。


「だが、今の状態では危険だ。落ち着いてから、また会いにこい」


「分かった」


「本当に……」


「……?」


「本当に、取り戻したいのか。力を、記憶を」


「当たり前だ」



196: 2015/06/26(金) 19:19:23.86 ID:AcBC3WIDO
この状態から抜けだせるのなら、何にでも縋ろう。それが藁でも悪魔の手でも、関係なく握るだろう。


もう、誰かに迷惑を掛けるのは嫌だ。


胸を張りたい。自信を持ちたい。せめて、一人でも生きていけるようになりたい。でないと、あの優しい人達の中にいるのは辛過ぎる。


「まどろみの中を漂っていられるなら、その方が良いと思うがな」


「何も知らない、分からないままでなんて、いられるか」


吐き捨てるように言った。少女は聞き分けのない子供を扱うように呟く。


「……仕方のない奴だな」


少女が背を向ける。その途端、周囲の雑音が帰ってきた。ここが街中だという事を忘れていた。


「C.C.だ」


「……? なんだそれは」


「失礼な奴だな。私の名前だ。覚えておけ」


「分かった」


「それと……これも覚えておけ」


まだ何か言うことがあるのか。C.C.は背を向けたまま言った。


「"ギアス"の力を取り戻せば、お前の時間は動き出す」


「ギアス……」


その単語を口にした瞬間、頭の奥がぴりついた。


「自分が何をしたいか、考えておくことだ」



197: 2015/06/26(金) 19:36:32.28 ID:AcBC3WIDO
自分が何をしたいのか。分からない。記憶探し以外のことを、なるべく考えないようにしていたからだ。そしてそれは、これからも変わらないだろう。


記憶を取り戻せば、きっと分かる。そう思うしかない。そのためなら、ギアスだろうが何だろうが、利用してやる。


不意に、C.C.が指を指した。その先には目当ての店があった。知らず知らずの内に接近していたらしい。もう一度、少女の方に目を移す。


既に、その姿は無かった。


次に会った時に、ギアスの力を目覚めさせてくれるらしいが、何時、どこにいけばいいか決められていない。これでは会えないのではないだろうか。


(いや……)


すぐに思い直す。彼女とは、きっとまた会うことになる。そんな確証の無い自信があった。


その時が、一つのターニング・ポイントとなるだろう。今はそれを待つしかない。不安が無いと言えば嘘になる。恐れが無いと言えば嘘になる。


それでも、前に進まなくてはならない。精神の深奥で何かが「やめろ」と叫んでいたが、ライはそれを無視した。


「…………」


空を見上げる。


黒い雨雲が切れ、僅かに晴れ間が覗いていた。



198: 2015/06/26(金) 19:55:08.07 ID:AcBC3WIDO
買い出しを終え(結局、何に使うか分からない玩具だった)、ライは帰路についていた。買い物袋はそれなりに重かったので休憩するべく公園に向かった。


C.C.のおかげで時間に余裕が出来たのもある。公園では名誉ブリタニア人の姿も多くあった。赤子を抱く女性、出店を開いて客を呼び込む男性。そして、友達とはしゃぐ子供達。


差別が苛烈なトウキョウ租界の中でも、ここだけは平和だった。


「…………」


疲弊し、過敏になっていた精神が安らぐ。空が晴れてきたことも相まって、開放的な気分になった。


「貴様っ! 何をしている!」


その平和を敵意に満ちた怒声が引き裂いた。見れば、ブリタニア軍の制服を着た男性が四人、屋台の店主に絡んでいる。


「貴様のせいで汚らしいショウユソースが私の靴にかかったではないか!」


「す、すみません! すぐにお拭きしますので……」


「いらん!」


靴を拭くべく跪いた男性の顎を、軍人の男は蹴り上げた。仲間の軍人達は無様に転がる名誉ブリタニア人を指差し、笑っている。


周囲を見た。他の屋台の男性達は一様に目をそらし、女性は泣き出した赤子を宥めながら離れていく。子供達も騒ぐのを止め、不安そうに事態の推移を見つめていた。


嫌な光景だった。一方的な悪意や暴力を無抵抗で受け入れなければならない不条理。悪意や憎悪、無理解と諦念が公園の明るかった空気を汚していた。



199: 2015/06/26(金) 20:11:12.57 ID:AcBC3WIDO
「…………」


どうしたものかと考えこむ。


見ていて気分の良い光景でないことは確かだったが、さりとてブリタニア軍人を相手に揉め事を起こすわけにもいかない。もし補導されでもしたら、身体検査は免れないだろう。身元不明者という事がバレてしまう。


そうなれば、アッシュフォード家に多大な迷惑をかけるのは間違いなかった。なにせ、ブリタニア軍に対して反逆心を抱く、身元不明の男をかくまっていたという事になるのだ。


「…………」


諦観するしかない。あの、屋台の男性達と同じように。無力なのは彼らだけではない。ライも同じだった。


「すみません、すみません!」


「土下座をしてみろ! イレヴンお得意の土下座をなぁ!」


暴行はまだ続いている。絡まれた男性は砂利にまみれながら、必氏で謝っていた。ブリタニア軍人達は興がのったのか、笑顔で男性を蹴り回していた。


最悪の光景だった。仮にあの男性がこのまま殺されたとしても、あの軍人達は罪に問われたりしないだろう。反逆行為を働いただとか適当な誤魔化しをすれば、それが通ってしまうのがエリア11という地域だった。



「ち……」


見ていられない。ライはコンクリート製のベンチから立ち上がった。今の自分に出来る事は、明日の朝刊に名誉ブリタニア人氏亡のニュースが載らない事を祈るくらいだった。



200: 2015/06/26(金) 20:24:27.30 ID:AcBC3WIDO
買い物袋を両手に持って、公園の出入り口に向かった。この場に背を向ける事に抵抗はあったが、飲み込むしかない。カレンが聞いたら、きっと激怒するだろう。彼女はブリタニア人なのに、日本人の肩を持つからだ。


なんとなく後ろめたい気分のまま歩くライの横を、一陣の風が吹き抜けた。


目で追うと、一人の若い日本人男性が、騒ぎの中心へ突撃していくのが見えた。


「おーらよっ!」


勢いのまま飛び蹴りを食らわす。全くの無防備だったブリタニア軍人達はもんどり打って地面に転がった。ピカピカの軍服が泥にまみれ、見る影もなくなる。


なんだか、少しスカッとした。


「き、貴様ぁ! 何をする!」


「へっ! バーカ! 下らない事してる暇があったら仕事しろってんだ、このブリキ野郎!」



日本人男性はひとしきり罵声を浴びせると、脱兎の如く逃げ出した。もの凄い逃げ足だった。倒れていたブリタニアの軍人達も立ち上がり、後を追う。


「待てぃ!」


「待つわけねーだろ!」


再び男性がライの横を通り過ぎていく。顎髭を生やした、見るからにチンピラっぽい外見。その顔は悪戯を成功させた子供のように輝いていた。




201: 2015/06/26(金) 20:46:05.92 ID:AcBC3WIDO
日本人男性は公園を出て右に曲がって行った。一瞬にして、その姿は見えなくなる。


遅れて、泥だらけになったブリタニア軍人がやってきた。彼らは見るからに激怒していた。当たり前だろう。踏みつけ、足蹴にしていた名誉ブリタニア人──日本人の前で恥をかかされたのだから。


「おい、そこの学生!」


「……はい」


「いまイレヴンが走ってきた筈だ! どっちへ向かった!?」

「ああ、それなら……」


ライは特に迷いもせず、左を指差した。男性が行ったのとはまったく逆の方向だ。


返答もせず、ブリタニア軍人達は走り去って行った。目標に追いつく事はない。面目は丸つぶれだ。もう、この公園に現れることもないだろう。


振り返ると、暴行を受けていた男性は仲間に助け起こされながら、自らを助けてくれた日本人が逃げて行った方向に頭を下げている。不安そうだった子供達も笑っていた。


「……悪くないな」


あの日本人男性がとった行動は決して褒められたものではなかったが、それでも人の心を救うものであった。


ああいうのも、悪くないと思う。


ライは買い物袋を持ち直し、アッシュフォード学園へ向かった。今の一件を見たためか、足が軽い。我ながら簡単な奴だと思った。


いつしか雲は吹き飛び、青空が広がっている。


もう一度振り返り、公園を見渡した。迫害に近い扱いを受ける日本人の、懸命に生きる姿があった。


(……帰ろう)


ライは再び、歩き出した。



202: 2015/06/26(金) 21:08:02.37 ID:AcBC3WIDO
夕暮れ時。雲一つ無い空は真っ赤に染まっている。ライは買い物袋と領収書を生徒会室に置いてから、午後の授業を受けていた。


放課後は生徒会があったはずだ。帰りのホームルームが終わった後もリヴァルと雑談をしていたせいで、遅刻の危険性がある。まずいと思いながら、中庭の付近を走っていた。


「ん……?」


中庭をまたぐ廊下を、一人の少女が歩いているのが見えた。赤い髪に、穏やかな美貌。お嬢様らしくビシッと着こなした制服はとても似合っていた。最近、親衛隊が増え続けているその美少女は、ライの世話係主任でもある。


カレン・シュタットフェルトだ。


両手には大量の書類を持っている。恐らくは生徒会で必要なものだろう。あれではまともに前も見えないに違いない。


カレンは病弱だ。授業を良く休むし、通院もしているらしい。そんな彼女に、無理はさせられない。


ライが彼女に駆け寄ろうとした、その時だった。


突風が吹く。カレンの持っていた書類が風によって飛ばされた。咄嗟に抑えたが、何枚かは流されて行ってしまう。


「はぁっ!」


鋭い声だった。声の主は手近な壁を蹴り、宙に舞う。そして一際高いところにあった紙を取り──着地。持っていた大量の書類を全く零さない、見事な三角飛びだった。


「…………」


「…………」


繰り返すが、この中庭にはライと、病弱なお嬢様であるカレンの二人しかいない。これは間違いなかった。そしてライは、見事なまでに傍観者だった。



203: 2015/06/26(金) 21:19:29.06 ID:AcBC3WIDO
割と近い距離で、ライと三角飛びをした人物は見つめ合っていた。


ひらひらと最後の一枚が落ちてくる。それを掴もうとしていたのだろう、手を伸ばした姿勢で声の主──カレン・シュタットフェルトは硬直していた。驚きに目を見開いている。


「…………」


「…………」


パシッと最後の一枚を取ったライは、それを彼女に差し出した。いつもと変わらない無表情だった。


「あ、その書類は僕が持とう」


書類を受け取るべく、手を伸ばす。しかし、カレンは驚くほど素早い動きで後ずさった。


「え……あ、ちょっ!?」


「……?」


その顔は真っ赤に染まっている。いつも穏やかな彼女らしくない反応だった。


「どうした」


「……み、見た?」


恐る恐る、といった様子だった。まるで長年の努力が水泡にきしたかのような強いショックを受けているようだ。


「何を」


「い、今の……」


「ああ……」


なるほど、そういうことか。合点がいったとばかりに、ライは頷いた。


「良い着地だったな」


「そうじゃなくて!」



204: 2015/06/26(金) 21:41:40.74 ID:AcBC3WIDO
「なんだ……?」


彼女の意図が分からず、首を傾げた。


「だ、だって、今のはその……ほら、学園でのイメージとかがあるから」


「…………」


「誰にも言わないで欲しいんだけど」


「君が素晴らしい跳躍をしたという事をか」


「う……」


そう言うと、カレンの顔がカァッと赤くなった。羞恥と怒りと戸惑いが混じった表情で、それでも頷く。


「構わないぞ」


「……本当?」


少し非難がましい視線。信用していないらしい。


「ああ。人には言えない秘密くらい、誰にでもある」


「…………」


「君の不利益になる事はしない。約束する」


「……あ、ありがとう」


カレンは目を逸らした。三度、赤面している。ライはその意味が分からないまま彼女の持っている書類、その大半を受け取った。


「半分持つ」


「うん……。ごめん」


ライは何事もなかったかのように歩きだした。その三歩後ろをカレンが続く。静かな中庭には二人以外の姿は無い。穏やかな夕焼けと、放課後特有の空気。ライは背後から視線を感じたが、気にしなかった。


そういえば、と考える。


(僕が前を歩くのは、初めてかな)


いつもは彼女の後ろをついて行ったいるだけだった。わけもなく、誇らしい気分になる。


その後、生徒会室に着いた二人は一緒に現れた事をからかわれ、カレンは四度目の赤面をする事になった。


211: 2015/06/28(日) 18:01:00.50 ID:fPL13rnDO
トウキョウ租界を一通り見回ったライは、図書室を訪れていた。ギアスという手がかりを掴んだ以上、今は落ち着いて現在持っている知識を整理するべきだと思ったからだ。


(だいぶ偏っているからな……)


ライは生まれてから現在に至るまでの記憶がそのまま欠落している。しかしながら、普通に生活している分には不自由を感じたりしていない。


言葉が通じないだとか、食器の使い方が分からないだとか、機械類を動かせないだとか、そういった事はまったくないのだ。


授業の内容も理解出来るし、文化についての知識もある。分からないのは自分の事だけだ。


周りの事は分かる。分からないのは自分の事だけ。強い違和感があった。記憶というのは、こんなにも都合よく失われるものなのか?


考えていても始まらない。ライは図書室内の階段を登り、数冊の本を無造作に取り出した。いずれもブリタニアの歴史を記した物。建国から現在までの歴史学に目を通せば、何か引っかかるものが見つかるかもしれない。


人のいないテーブルに本を置き、高級そうな木椅子を引く。腰を下ろして一冊目を開いた。


地球最強の超大国、神聖ブリタニア帝国の始まりは、チューダー朝期のイングランド王国にある。


皇歴1770年代にあった"ワシントンの乱"の勃発と、"ヨークタウンの戦い"での反乱の首謀者"ジョージ・ワシントン"の戦氏。この後、アメリカを植民地としたイングランド王国は絶対君主制でもって、その力を拡大させていった。


しかし勝利ばかりではない。"トラファルガーの海戦"でナポレオンに敗北したのを期に、制海権を握られてしまう。



212: 2015/06/28(日) 18:42:57.17 ID:fPL13rnDO
12万もの軍が首都ロンドンへ侵攻。皇歴1807年、親ナポレオン派の革命勢力に捕縛され、王政廃止を迫られたエリザベス3世はブリタニア公リカルドとその親友"ナイトオブワン"であるリシャールの助けを得て、植民地アメリカへ逃れる事となる。


しかし新大陸東部に首都を移したものの、世継ぎが生まれず、エリザベス3世の氏によってチューダー朝の血筋は途絶えた。


ブリタニア公リカルドは国を引き継ぎ、国号を神聖ブリタニア帝国に変更。自身もリカルド・ヴァン・ブリタニア1世として皇帝に即位。彼の親友だったリシャール・エクトル卿は引き続きナイトオブワンとして国に尽力したそうだ。


こうしてブリタニアは生まれた。


ブリタニアという名前自体はグレート・ブリテン島などに築いた属州を指すが、国土の大半はアメリカ大陸に位置している。


現在のブリタニアはKMF(ナイトメア・フレーム)を持つ軍事国家として、世界の三分の一を手中に収めているが、その始まりは敗北だった。


「…………」


ライは読んでいた「ブリタニア年代記」を閉じる。全て知っている事ばかりだ。再び席を立ち、本を元の場所に戻す。


歴史学からは引っかかるものを感じなかった。国の変化や戦いの推移に僅かな興奮はあったものの、大した動きではない。


(待てよ……?)


もう少し以前の歴史書ならどうだろう。そう思い、「ブリタニア年代記」以前の歴史が記された「ブリタニア列王記」を手に取る。


まだ、ブリタニアがグレート・ブリテン島にあった頃の時代。様々な王が現れては消えた、激動の乱世。その中で活躍した英雄の逸話は、今でも高い人気を誇る。ブリタニアの文化にも強い影響を与えるほどに。



213: 2015/06/28(日) 20:05:48.49 ID:fPL13rnDO
「……ライ?」


後ろからの声。いつもなら何ということもないが、本に気を取られていたせいで注意が逸れていた。驚くより先に体が動く。間合いをとって、相手を──


「あ……」


「……スザク」


枢木スザクが驚いた顔でこちらを見ていた。二人の間、本棚の半ばまで引き出された本が傾き落下。


「おっと……」


スザクが姿勢を低くし、落ちてきた本を難なくキャッチした。鋭い反射と滑らかな脚捌き。


「どうしたんだい? 急に飛びずさって」


「いや……すまない」


こちらの反応は明らかに警戒心が過ぎたものだ。いつも良くしてくれる相手への態度としては、極めて無礼だと思い、ライは謝った。


「君らしくないな。いつもなら、もっと早く気付くはずなのに」


「…………」


無意識のうちに気が立っていたのかもしれない。本を読んだせいか。相変わらず、自身の事については判然としない。


「君はどうした。図書室で勉強か」


話題を切り替えるべく、質問に質問で返した。スザクの持っていた勉強道具一式が視界に入ったから出た、咄嗟の言葉だったのだが、何故か彼は赤面した。


「いや……あの、出席日数が足りなくて、補習を受けなくちゃならないんだ。だから、資料を集めにね」


「……そうか」


スザクは模範的な優等生だ。授業態度は真面目そのものだし、向上心もある。その彼の出席日数が足りなくなる理由。


216: 2015/06/28(日) 20:20:28.00 ID:fPL13rnDO
「軍の仕事があるんだったな」


スザクは頷いた。


以前、夜の街で出会った時の事を思い出す。スザクはブリタニア軍に所属しており、たびたび学園を休む。来ても午前の途中でいなくなる事もしょっちゅうだった。


「手伝おう」


「え……」


「どうせ一教科だけじゃないんだろう。必要になる資料の数も多いと考えるのが普通だ」


「……ありがとう」


何故か、スザクは安心したように笑った。彼はメモ帳を取り出すと、さらさらと走り書きしてから一枚を切り取る。


「これだけ持って来て欲しいんだけど……」


「分かった」


予想通り、かなりの量だ。スザクが自分で持ってくる分も含めると、今日一日では終わらないだろう。


「見つけたら、またここで落ち合おう」


ライは頷いて、資料を探しに掛かった。


十分後。探し終えた本を抱えて待ち合わせ場所に戻ると、既にスザクが勉強を始めていた。


「これでいいか」


「うん。ありがとう!」




219: 2015/06/29(月) 15:30:00.96 ID:4iXaYZSDO
大した事をしたわけじゃないのに深々と感謝され、ライは目を逸らした。こういう純真無垢な瞳を向けられるのは得意ではない。


「さっきは何を探してたんだい? 歴史学の方を見てたみたいだけど……」


「……少し、情報の整理をしていた。ブリタニアの成り立ちについて、一からな」


「情報の、整理?」


「ああ。僕の記憶については、色々とあやふやな部分がある。日常生活は普通に送れるのに、自分の事はまったく分からない。これは不自然だ」


「それで、ブリタニアの歴史を?」


日本人のスザクからは、ブリタニアという国はどう映るのだろう。ふと、そんな事を思った。しかし、そんな事を訊けば、彼の勉強の妨げになってしまう。



「何か手掛かりがあると思ったんだが、なかなか上手くいかない」


「そうか……。色々やってるんだね」


「おかげで、僕は読者が嫌いじゃないという事が分かった」



ライはスザクに頼まれていた物とは別の本を机に置いた。ブリタニア以外の主要国であるEU、中華連邦を始めとした、他国の情報が写真付きで載っている。その中には属領になる前のエリア11──日本のデータもあった。


アッシュフォード家は昔から親日家だったらしく、こういった書籍も置いてくれている。ブリタニアと同じか、それ以上に気になる国の事を記した本は限られているので、ありがたかった。



220: 2015/06/29(月) 15:48:55.23 ID:4iXaYZSDO
日本。その言葉には、不思議な感触があった。ブリタニア以外の他の国と違い、頭の奥に情景のようなものが湧き上がってくるのだ。記憶を無くす前は、縁(ゆかり)のある土地だったのだろうか。


「…………」


「でも、読書ならルルーシュやニーナと一緒の時にしてるじゃないか」


沈んでいた思考が、スザクの声で引き戻される。


「そう……だな。ルルーシュが貸してくれる本は面白いし、ニーナが好きなウランの分裂と濃縮は興味深いと思う」


と、言ったところで気付く。スザクの手が止まっているのだ。これでは邪魔しているのと同じだ。


「勉強を邪魔してしまったようだな。他の所で読むよ」


そう告げ、空いている席がないか見渡す。そこでスザクが、少し慌てた様子で言った。


「大丈夫だよ。いつもはもっと多いし」


それが何の弁解になるのか。


「いや、そういう問題じゃないと思うが」


「大丈夫だって。それに、君がそこに座っててくれた方が僕も助かる。分からない所が聞けるしね」


大丈夫、大丈夫と連呼されると返って不安になるが、スザクがそういうならと、ライは彼の対面に座った。何故か嬉しそうなスザクが再びペンを進め始める。それを見ると、なんだかこちらも安心してしまった。




221: 2015/06/29(月) 16:16:51.29 ID:4iXaYZSDO
暫し、静かな時間が続いた。ペンが走る音と、ページを捲る際のこすれる音が一定のリズムで図書室に響く。大丈夫という宣言通り、スザクの方ははかどっているようだった。


中等部で受けるはずの教育を丸々飛ばして高等部の授業を受けている彼だ。軍の仕事や、アッシュフォード学園自体のレベルが高いのもあって、なかなか授業についていけてない。ライがノートを貸す事も度々あった。最近ではむしろ、そのためにノートをとっているといっても過言ではない。


(元々、勉強が不得意というわけではないのか)


一度理解したら忘れないし、引っ掛け問題にも強い。生徒会での書類仕事もそつなくこなしているのだから、決してスザクの頭が悪いわけではないのだ。基礎知識さえ補えれば、成績も飛躍的に上がるだろう。


相方の方が思いのほか順調なようなので、ライも読書に集中する。EUと中華連邦、そしてブリタニアを加えた三極と呼ばれる三つの大国とその関係。こちらは面白くなかったので、読み飛ばした。どうせ知識の中を探ればあるのだから、時間の無駄だ。


本の中頃から、各国の名所や名産品の特集が始まる。こちらは面白い。ページを捲る手が早くなる。やがて、その手は日本の所で止まった。


主な輸出品はサクラダイト。世界中で機械の動力源などに使われる希少金属だ。日本はサクラダイトの輸出国として繁栄していた。


富士山と呼ばれていた山はサクラダイトの大鉱脈があるとされ、戦前はその美しさで有名だったらしい。今は大規模な採掘施設が纏わりつくように建設され、その風貌は様変わりしてしまっているが。



222: 2015/06/29(月) 16:52:56.70 ID:4iXaYZSDO
ページを捲る。大きな写真が一面を占拠していた。


一本の大木。淡い桃色の花弁。桜という木だった。


「…………」


まただ。頭の奥を、何かがよぎる。なんだこれは。記憶と呼べるほど確かなものではない。イメージの断片、過去の残りかす、そんな言葉が似合う感覚だった。


心の中に、乾いた風が吹く。見渡す限りの荒野。砂埃が酷く、前は見えない。


虚しいだけの──


「…………」


視線を感じた。前の席からだ。枢木スザクがこちらを、ライの手元の本を、悲しげな瞳で見つめていた。


「あ……すまない。不謹慎だったな」


慌てて本を閉じる。戦前の日本が彼にとってどういう意味を持つのか。複雑に決まっている。自分のように気楽な考えで見ていられるものではないと思い、ライは謝った。


「いや……いいんだ。気を遣わせてごめん」


「…………」


スザクはまたノートに目を落としながら、尋ねてきた。


「君は……エリア11の事、どう思ってる?」


「どういう意味だ」


「あ、ごめん。深い意味は無いんだ。ただ……さっきのページを見ているとき、複雑そうな表情をしていたから」


223: 2015/06/29(月) 17:19:51.75 ID:4iXaYZSDO
「日本の風景は嫌いじゃないようだ」


「記憶が戻った……っていうわけじゃないみたいだね」


「ああ。ただ、桜や富士山は美しいと思った」


「そうか……うん。そう言ってくれると、僕も嬉しい」


「…………」


微笑んだスザクを見て、ライも読書に戻った。また静かな時間が戻ってくる。


そうして、三冊目の本を読み終わった頃。スザクの方も終わったらしく、資料を片付けに掛かり始める。予想以上に早い。後半は恐ろしい集中力だった。


「帰るか」


「うん。こっちは何とか終わったよ」


「片付け、手伝うよ」


返答を待たずに資料を回収し、元あった場所に向かう。本同士の隙間に借りていた物を差し込んでいく。手早く戻して、図書室の入り口に戻ってきた。今度はライの勝ちだった。


「あ、お待たせ」


「いや……」


二人並んで廊下を歩く。既に夕方だ。窓からは赤い光が差し込んできていた。外からは運動部が練習する声、吹奏楽部の奏でる音楽が聞こえてくる。


平和な放課後だった。



224: 2015/06/29(月) 17:35:53.35 ID:4iXaYZSDO
「今日は、これから仕事か」


窓の外を眺めながら、なんとなしに聞いてみた。


「うん。学園の入り口で待ってるって言われてる」


「……気をつけろよ」


軍の仕事……それも日本人のスザクがやる仕事となれば、真っ当な部類のものではない可能性もある。


「ありがとう。でも、技術職だから危険はないよ」


「そうか」


万が一、危険な仕事だとしても、スザクはその事を言わないだろう。周囲に対しては過度の心配性の癖に、自身にはまったく向かないのだ。心配させたくないだとか思っていそうである。

玄関を出る。入り口の向こうには物々しい外見の大型トレーラーが停車していた。白衣を着た白髪で長身の男性と、軍服を着た女性がこちらを見ている。

ブリタニア軍。その単語にライは確かな拒否感を抱いた。足が止まる。


「どうしたの?」


「……図書室に忘れ物をした。ここで失礼する」


「分かった。今日はありがとう」


「いや、こちらこそ。じゃあ、また学園で」


そう言って背を向ける。


「あ、そうだ!」


「……?」


「もしかしたら君は昔、格闘技か何かをしていたのかもしれないね」


「格闘技……」


「うん。さっき話しかけた時、凄い勢いで間合いをとっていたから」


「…………」


「それだけ伝えたかったんだ。じゃあね」


スザクは走っていく。その背中の向こうでは、白衣の男性が値踏みをするような目でこちらを見ていた。



229: 2015/06/29(月) 23:26:23.45 ID:4iXaYZSDO
『そういえば彼、何者なの?』


モニターに映る白髪の男性が訊いてきた。微笑んでいるようにも見える、何を考えているか分からない表情。未だに慣れない。


「彼、というと?」


何だか嫌な予感がして、スザクは聞き返した。現在の彼は狭く暗い室内で一人、固いシートに座っている。肌にぴったりと張りつく、白い奇妙な服を着ていた。


『学園で君と一緒にいた彼だよ。ほら、銀髪の』


白髪の男──ロイド・アスプルンドは無邪気な笑みを浮かべた。完全な好奇心から来るものだろう。スザクよりだいぶ年上のはずだが、こういう子供じみた部分のある人物だった。


「……転入生ですよ」


聞き返したのは失策だったと、スザクは自身の選択を後悔した。かなりの距離があったはずだが、ロイドはライに興味を持ってしまったらしい。


『ふ~ん……』


『ロイドさん。今は待機中ですよ』


内部のスピーカーに、もう一つ声が増えた。若い女性のものだった。


『僕たちにお呼びなんて掛からないでしょ。これならシミュレータでもやってた方が……』


『命令があった以上、従うのが私たちの仕事です。出撃前のパイロットの集中力を乱すなんて、言語道断でしょう?』


モニター内に声の主のが入ってきた。年齢は二十代半ばといったところで、柔らかな目元が彼女の性格を表している。


彼女はセシル・クルーミー。ロイドと同じ、スザクの上官である。



230: 2015/06/29(月) 23:43:13.43 ID:4iXaYZSDO
『ごめんなさいね、スザクくん』


「いえ……。状況はどうなってます?」


硬い声色で尋ねると、セシルの表情が曇る。


『良くないわ。今日は他の地域でも戦闘が行われているから、軍のカバーも行き届いていないみたい』


『あらら~? もしかして、出番ある?』


反対にロイドの顔が輝いた。予期せぬ幸運に喜んでいるらしい。不謹慎だと、スザクは眉を寄せた。


三人を乗せた軍用トレーラーの外からは、散発的な銃声と爆発音が聞こえていた。付近で戦闘が行われているのだ。そして、スザク達は軍人。やることは一つだった。


『今の戦況をモニタに出すわね』


「……これは」


別のモニタに周囲の地図が表示された。半径二キロメートルを表す電子地図の中では、敵を示す赤いマークが続々と集結しつつある。対して味方を表す青いマークの動きは悪い。数が違い過ぎるのだ。


セシルの言うとおり、良くない戦況に陥っている。


『ナイトメアが一〇騎に、装甲車が一八台。こっちの部隊だけじゃ、対応できないだろうね。あ、また三騎増えた』


『コーネリア殿下が視察に出られた途端、こんなことになるなんて……』




231: 2015/06/30(火) 00:04:31.98 ID:oqH+Nm+DO
「こちらは<サザーランド>が六騎……数が違い過ぎる」


『そうだね。こんな状況だし、準備だけはしておいて』


「はい」


ロイドの言葉を受けて、スザクはモニター下部に刺さっている金と白のキーを回した。座っているシートから地響きのような重い揺れが伝わってくる。


『ま、ここまで来ても命令が無きゃ動けないんだけどね。セシルくん、もう一度催促してきてくれる? こっちはいつでも出れますって』


『……分かりました』


肩をすくめてセシルが去っていった。彼女は決して好戦的な女性ではないが、状況がそれを許さなかった。スザク自身も、胸の内に焦燥感と危機感が立ち込めつつある。


現在、スザク達ブリタニア軍が戦闘しているのは日本解放戦線からはぐれた下部組織だった。中華連邦から持ち込まれた特殊な薬物を所持しているらしい。敗北し、包囲された腹いせに、自棄を起こした彼らは浄水場の一部を占拠した。


自分たちの全滅と引き換えに、その薬物を浄水場から流そうという考えだ。一滴で人を頃す薬物を二〇〇〇リットル放流すれば、トウキョウ租界は壊滅する。


『あんな事しても、意味なんかないのにね』


そうだ。


いくら浄水場を占拠し、そこから劇薬を水道水に混ぜたとしても、その水が流れる供給ラインを停止させれば租界に毒は回ってこない。


困るのは面倒な復旧作業を強いられる水道局と、事態の解決にあたるブリタニア軍だけだ。



232: 2015/06/30(火) 00:26:50.84 ID:oqH+Nm+DO
それが分からないわけでもないだろうに。抑えきれない苛立ち。歯を強く噛み締める。暗い室内にギリッという嫌な音が響いた。


「供給ラインの方は止まりました?」


『占拠と同時にね。後は施設を取り返すだけなんだけど……』


タイミングが悪かった。ちょうど、トウキョウ租界を束ねるコーネリア・リ・ブリタニア総督が、日本解放戦線の本拠地があると目されるナリタ連山方面へ視察に出ていたのだ。


防衛機能の低下したところを、敵は正確に狙ってきた。おそらくは偶然だったのだろうが、現実は相手に有利な方へ動いている。ブリタニア軍の抵抗力が低下していると知った周囲の反抗勢力が、続々と集結してしまった。


『あーあ。こっちの<サザーランド>はあと四騎。駄目だね、こりゃ』


他人事のようなロイドの口振りが、スザクを苛つかせる。彼からしてみれば、他の部隊などさっさと撤退してもらいたいくらいなのだろう。


「…………」


苛つく理由はもう一つあった。劇薬が流されれば、水道水はトウキョウ租界へ向かっていく。しかし、ラインは既にカットされている。ブリタニア人が危険に晒されることはない。


だが、その周囲に住んでいるイレヴン──日本人は違う。ゲットーでの生活用水は、租界へ行くはずの物を拝借して賄われているのだ。何もしらない人々は劇薬入りの水を飲む事になる。


日本人がブリタニア人に向けて放った矢は、日本人に突き刺さる。


「…………」


焦燥感が膨れる。危機感が大きくなる。




233: 2015/06/30(火) 00:53:20.97 ID:oqH+Nm+DO
『お、ブリタニア軍が撤退し始めたね。これはもしかして──』


ロイドの言葉が途中で切れる。扉が開き、慌ただしく迫る足音。セシルが戻ってきたらしい。


『出撃許可、出ました!』


『──だってさ』


「分かってます」


『出撃シークエンス開始します。デヴァイサーZ─01エントリーを確認。個体識別情報承認。マン・マシン・インターフェイスの確立を確認』


セシルが手早くシークエンスを進めていく。同時にスザクもキーボードを叩いていた。


『ユグドラシル共鳴確認。拒絶反応微弱。デヴァイサーストレス許容値。ダイアグノーシス終了。ステータス・オールグリーン』


モニタを切り替え。トレーラーのブリフィーング・ルームから、スザクのいる格納庫へ。ハッチが解放。真っ暗だった闇の中に、赤い炎の灯りが差し込んできた。


ふと、六時間前に歩いた学園の廊下を思い出した。夕焼けの光と違って、爆炎などでは心は晴れなかったが。


『スラッシュハーケン、イグナイダー起動。ランドスピナー、アイドリング良好。システム・オールグリーン。外部火器インターフェイス、オンライン』


スザクは暗い室内──コックピット内で今一度、精神を統一した。目を閉じ、息を吸う。それに応えるかのように、格納庫内で白い巨人が覚醒した。




234: 2015/06/30(火) 01:45:05.02 ID:oqH+Nm+DO
緑のツインアイが輝く。白と金の美しいボディ。


角張ったデザインの<サザーランド>や<グロースター>と違い、鍛え上げられた肉体のようにしなやかで流線型なシルエット。


巨人は脚部を大きく広げ、右腕を地面につけた。短距離選手を思わせる、特徴的な前傾姿勢。くるぶし付近に装備された車輪──ランドスピナーが甲高い音を立てた。


『嚮導兵器Zー01<ランスロット>……出撃!』


「<ランスロット>発進!」


電源ケーブルが排出されたのを確認。ペダルを踏み込む。<ランスロット>が白い弾丸になって飛び出していった。


「くっ……」


スザクの体がシートにめり込む。発進後、一秒で時速二五〇キロまで加速。特殊な耐Gスーツを着ていても、内臓が思い切り押し込まれた。


正面のモニターには高い外壁に囲まれた浄水場が映し出されている。胸部に二基設置されているファクトスフィアを展開。周囲の情報が一瞬にして集積、統合、処理され、敵の位置がサブ・モニターに表示された。


よし、近い。


スザクは再びペダルを踏み込んだ。<ランスロット>が跳躍。二〇メートル近い外壁を軽々と飛び越えた。


四肢を振り、空中で姿勢制御。眼下には四騎の<無頼>。こちらに気づかないまま、周囲を警戒している。



235: 2015/06/30(火) 02:07:47.11 ID:oqH+Nm+DO
<ランスロット>の腰部には専用の火砲が装備されているが、それを使う気はなかった。


四基の強化型スラッシュハーケンを起動。最新式の照準システムは落下中という難しい状態にも関わらず、タイムラグをほとんど感じさせずに四騎を同時にロックオンした。


敵がこちらに気づく。向き直る頃には腕部と腰部から二基ずつ、計四基のスラッシュハーケンが射出されていた。


直撃。四騎の<無頼>はいずれも頭部や胸部に被弾し、そのイジェクション・シートを起動させた。<ランスロット>の姿をまともに視認することも出来ないまま、破壊されたのだ。


着地。


地面を縫うように動き回りながら、敵陣深くへ切り込んでいく。味方がやられたことに気づいた二騎の<無頼>がアサルト・ライフルを向けてきた。


敵が発砲すると同時に操縦桿を動かす。過敏とも言える反応を示した<ランスロット>は砲弾の雨をくぐり抜けた。


そして、


「ふっ!」



両腕のスラッシュハーケンがせり出し、手刀になった。二騎の間を通り抜ける。背後で爆発。すれ違いざまに切り裂かれた敵が沈黙した。


これで六騎。


出撃後、一切減速をしないまま<ランスロット>は動き続けている。前方からは続々と現れる<無頼>の群れ。


「敵のリーダーはどこだ……」


一〇騎近い敵を前にしても、スザクの意識は違う所へ向いていた。これは戦争ではない。あくまで鎮圧なのだ。


さらにフットペダルを踏み込む。白き巨人はさらに加速した。



237: 2015/06/30(火) 10:24:43.07 ID:oqH+Nm+DO
「敵ナイトメア、残り四騎。撤退を開始しました」


ブリタニア軍特別派遣嚮導技術部……略して"特派"が所有するトレーラーの中。モニターにリアルタイムで表示される戦力図を眺めながら、セシルが言った。


「普通は慌てるよね。つい三分前までは勝利に浮かれていたんだろうから」


モニターに映る<ランスロット>のマークは凄まじいスピードで移動し、敵ナイトメアを蹂躙していく。二〇騎近い<無頼>と装甲車は既に大半が破壊されていた。


放たれた砲弾は優に一〇〇〇発を超えるだろう。その全てがことごとくかわされ、今も<ランスロット>は無傷のままだ。


次元が違う。


ロイドは椅子の背もたれをきしませ、情報収集用のモニターに目を移した。バイタルデータに異常は無い。枢木スザクはこの極めて不利な状況にも関わらず、強いストレスを感じていないようだった。


「<ランスロット>、目標ポイントへ到達しました」


ロイドは持っていた懐中時計を見た。


「……四分三二秒か。ま、こんなもんかな」


ブリタニア軍の正規部隊が二時間掛けても落とせなかった難所を、あの白いナイトメアは五分足らずで陥落させたのだ。これでは方々から嫌われるのも無理はない。


<ランスロット>はロイド率いる特派が建造した試作型KMFだ。コアルミナス──動力や機体各所に大量のサクラダイトを惜しみなく使い、既存のナイトメアを凌駕する大出力を得た。



238: 2015/06/30(火) 10:53:22.68 ID:oqH+Nm+DO
ユグドラシルドライブが生み出す圧倒的なパワーの恩恵はそのまま機動性に現れており、片腕だけで機体を支えたり、単純跳躍で五〇メートル以上を叩き出したり、第五世代以前のナイトメアとは比べものにならない。


武装も最新の物を採用している。両腕部と腰部に計四基あるスラッシュハーケンは硬度と鋭さを増して推進器まで内蔵している。


後ろ腰に装備しているのは可変弾薬反発衝撃砲──ヴァリス。弾薬の反動を制御することによって、その威力を自在に変える事が出来る火砲だ。最大出力のバースト・モードで使用すれば、敵を部隊単位で吹き飛ばす、ナイトメアの常識を覆す兵器だった。


背部に二本装備されているMVS(メーザー・バイブレーション・ソード)は刀身部分を高周波振動させることによって、破格の切断力を発揮するショートソード型の近接兵器だ。地球上のあらゆる物質に対して、ほとんど抵抗を受けずに分断することが出来る。


機体剛性も非常に高い。装甲防御力はヴァリスの直撃を耐えるよう設計されているし、両腕部にはブレイズルミナスという防御装置まで備えている。


整備性、量産性、生産性を全て捨てる事で攻防走、近中遠、全てにおいて最強を目指したKMF。それが<ランスロット>だった。


ブリタニア軍主力機の<サザーランド>や最強の量産機と呼ばれる<グロースター>が第五世代とされているのに対して、<ランスロット>は"第七世代"。二世代分の格差がある。



239: 2015/06/30(火) 11:15:31.09 ID:oqH+Nm+DO
『内部の制圧完了しました。歩兵部隊をお願いします』


<ランスロット>のデヴァイサー(特派内でのパイロット)である枢木スザク准尉が報告してきた。彼は名誉ブリタニア人──イレヴンのため、本来はナイトメアの搭乗資格を持たないのだが、特派の中だけの特例ということで許可されていた。<ランスロット>を操れる人間がごく限られているせいだ。


「もうしてるよ」


モニタリングしていたため、既にセシルが動いている。間もなく事態は収拾されるだろう。



「お疲れ様ぁ~。怪我は無い?」


『はい、ありません。ありがとうございます』


「違う違う。君じゃなくて<ランスロット>のだよ」


『……損傷は無しです』


そんな事は分かっている。この程度の仕事で機体を傷つけるような人間に<ランスロット>は任せない。今のは武装をほとんど使用しなかったスザクに対する、ロイドのちょっとした意地悪だった。


「ロイドさん?」


後ろからセシルが現れ、右肩に手を置いた。ゆったりとした手付きだが、骨が軋むほどの恐ろしい握力だった。


「あ、ごめんなさいごめんなさい。言葉が過ぎました」


「まったく……。歩兵部隊が到着したら、スザク君も帰投してね。お夜食作ってあるから」


『り、了解しました』


通信が切れる。長くなりそうだった夜は呆気ない終わりを迎えた。



240: 2015/06/30(火) 12:20:56.12 ID:oqH+Nm+DO
カーテンの隙間から漏れる光を感じて、ライは目を開けた。少し遅れて、目覚ましのアラームが鳴った。驚きもせずに止めて、ベッドから起き上がった。


体調を確認。血圧、骨格、筋肉、動悸、全て正常。若干の頭痛がある他は異常なし。いや、記憶はまだ戻っていなかった。異常ありだ。


空腹も問題なかった。昨晩、塩分と糖分、水分は摂取したためしばらくは動けるだろう。カ口リーや各種ビタミンは二日以内を目処に取っておこう。


そんな事を考えながら、寝巻きとして使っているシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、下着を脱ぐ。シャワールームの中、湯の張ってないバスタブに入り、シャワーの冷水を頭から被った。


「…………」


冷水が体温を奪っていくのを感じる。排水口に流れていく水道水を、たっぷり五分間眺めた。蛇口を捻り、水を止める。凍えた体を温めもせず、無造作にタオルで拭いて浴室を出た。


清潔な衣服に着替え、その上からアッシュフォードの制服を着込む。学生鞄を開け、持ち物を確認。これも問題なし。所持金も、一週間近く前から変わっていなかった。


登校時間までまだ余裕があるものの、早めに出発しておこうと靴を履いた。こういう場合は生徒会室に行って、他のメンバーが嫌がる書類仕事を済ませておくのが最近の日課だった。


自室の鍵を持って部屋を出る。扉を閉めてから鍵をかけ、施錠確認。戸締まりは念入りを心がけていた。


「……?」


自室を出たライは、すぐ近く──ランペルージ兄妹が暮らしている部屋を見た。僅かに扉が開いている。妙に思って、近づいた。



241: 2015/06/30(火) 12:37:39.94 ID:oqH+Nm+DO
近くに人の気配は無し。まだ早朝だ。大半の人は寝ている時間帯である。


(ルルーシュにしては珍しいな……)


盲目で歩けないナナリーがいるというのに。用心深い男だと思っていたのだが、何かあったのだろうか。


開いているドアの傍らに立ち、三回ノックする。反応無し。まさか、中で事件があったというのか。少し心配になり、もう一度呼び掛ける。


「……朝早く申し訳ない。誰かいないか」


「あ……ライさん。どうしましたか、こんな朝早くに」


車椅子を動かして、ナナリー・ランペルージが現れた。既に寝巻きではなく、制服を着ている。規則正しい生活をしている彼女らしい。


「いや、扉が開きっぱなしだったから心配になって。朝早くからすまないな」


そうでしたか、とナナリーは申し訳なさそうな表情になった。


「わざわざありがとうございます」


「ルルーシュはいないのか?」


「お兄様は……。昨晩から留守にしています」


ナナリーの表情は曇ったままだ。身の回りの世話をしてくれる咲世子が帰ったら、一人になってしまうのだ。心細さは計り知れないだろう。


ライは目を細めた。



242: 2015/06/30(火) 12:55:16.34 ID:oqH+Nm+DO
この扉、ナナリーが開けたとは考えにくい。咲世子でもないだろう。そんなミスをするならば、彼女は今まで使用人を続けてこれなかったはずだ。


そしてルルーシュは昨晩から不在。となれば、第三者がこの部屋を出入りしているのか。


(……いや、あまり詮索するべきではないな)


そう思い直し、ライはナナリーを見た。そこで気づく。彼女の膝の上に、折りかけの紙切れが置かれているのだ。


「……折り紙か」


「あ……はい。最近、咲世子さんから教えて頂いたんです」


折り紙。なんとなく、ナナリーのイメージに合っている気がした。


「あの……」


ナナリーが口を開く。申し訳なさそうな表情のままだ。しまったと思う。まだこんな時間帯である。迷惑を考えていなかった。


「朝早く訪ねて悪かった。僕はもう行くから」


「あ、いえ……あの。そうではなくて」


「……?」


「いま、お時間があるようでしたら、これを」


折り紙が掲げられる。過程から推測するに、おそらくは折り鶴か。


「もし、よろしければ、ご一緒して頂けませんか?」


ナナリーは不安そうな顔を赤らめている。ライは床に片膝をつき、彼女に目線を合わせた。


「いいのかい?」


「は、はい! お願いします!」


ぱあっと輝く。やはり、ナナリーのこの表情は好きだ。ライは彼女に連れられ、部屋に入った。


246: 2015/06/30(火) 21:46:59.49 ID:oqH+Nm+DO
「どうして折り鶴を?」


尋ねると、ナナリーは手元の紙切れを大事そうに撫でた。


「折り鶴が千羽集まれば、願い事が叶うとされているそうです」


「願い事……」


「はい。生徒会の皆さんが、私の体が早く良くなるようにと折ってくれたんです」


ライは壁に下げられている、大量の折り鶴を見つけた。なるほど、と思う。


「じゃあ、その手伝いを?」


いえ、とナナリーは首を振った。


「これは、私から皆さんへのお返しです。皆さんが笑ってくだされば、私も幸せですから」


「…………」


こういう少女だからこそ、周囲の人間は幸せを願わずにはいられないのだろう。そして、それはライも例外ではなかった。


「僕も、折ってもいいかな?」


許可を得ると、やはりナナリーは嬉しそうに笑って、


「はい!」


頷いてくれた。ライは彼女から差し出された折り紙を一枚取って、淀みのない手付きで折っていく。


瞬く間に、綺麗な折り鶴が完成した。



247: 2015/06/30(火) 22:12:34.41 ID:oqH+Nm+DO
「お上手なんですね」


「分かるかい?」


「はい。音で大体のことは分かります」


ライは自身が折った鶴を見た。割と難易度の高い物のはずだが、いとも容易く作れてしまった。記憶を失う前は頻繁に作っていたのかもしれない。


「良かったら、どんどん折って下さい」


「じゃあ……お言葉に甘えて」


同じ色の紙を数枚選び、また折っていく。今度は何かを作ろうという明確な目的は無い。体が覚えている動作をそのまま紙に投影した。


「…………」


出来たのは、何かの花弁を模した物。数枚の紙を組み合わせて作った一品だった。ナナリーに差し出すと、彼女はそれの縁をなぞりながら首を傾げた。


「これはなんという作品ですか? 花のようですけど……」


「なんだろうな。僕にもよく分からないんだが」


昨日の図書室で読んだ本にあった植物に似ている。そう、あれは確か……。


「桜……だと思う。たぶん」


どうにも歯切れの悪い返しだった。しかし確信はなかったが、その単語がしっくりきた。


「桜、ですか」


ナナリーにとっても何か思い入れがあるのかもしれない。彼女は桜(のような物)を大事そうに愛でている。


「…………」


こうしていると、どうしようもなく懐かしい気持ちになる。記憶があった頃は、年下の少女と二人、穏やかな時間を過ごすのを楽しみにしていたのだろうか。



248: 2015/06/30(火) 22:36:14.23 ID:oqH+Nm+DO
その時、玄関の方で鍵の開く音がした。咲世子が来る時間にしては早い。ルルーシュが帰ってきたようだ。


「まずいな」


こんな朝早い時間に妹と二人きりでいる男を、ルルーシュは良く思わないだろう。ただでさえ最近は男女逆転祭のせいでピリピリしているというのに。


しかし、ここで隠れたり逃走したりするのも得策ではないと思えた。堂々としているしかない。


リビングの扉が開く。


「おかえりなさいませ、お兄様」


「ああ、ただいま。遅くなってすまなかった、ナナ……リー」


ルルーシュは徹夜でもしていたのか、眠そうに目頭を抑えながら入室してきた。そのため、ライに気づくのが遅れたようだった。


「おはよう、ルルーシュ。お邪魔させてもらっている」


「……あ、ああ。おはようライ。どうしたんだ、こんな朝早くから」


明らかな動揺があった。寝不足で鈍った頭脳が回転を始めているのが分かる。彼がいらない心配をする前に、不安の芽は摘んでおこうとライは考えた。


「今朝、僕が外に出たら君の部屋のドアが開いていたんだ。一応の安全確認をと思って呼びかけたら、ナナリーが一人で……」


「折り紙をしていたというわけか」


結局、先回りされてしまった。ルルーシュは何かに苛ついたように頭を掻く。



249: 2015/06/30(火) 22:53:10.82 ID:oqH+Nm+DO
「まったく……」


「すまない。この時間帯の訪問は、いささか非常識だった」


どのような理由があれ、体の不自由な少女の部屋に、用も無い赤の他人が居座るのは良くないことだ。ライは席を立って、謝罪した。


頭を下げると、ルルーシュは珍しく驚いた表情になって、


「いや、違うんだ。今回の件は俺に非がある。謝るのも礼を言うのも、こちらの方だ」


「そう言ってもらえると助かる。君は……どうしたんだ。昨日の夜から出かけていたようだが」


「ん……その、用事があったんだ」


ナナリーを一人にするくらいだ。外せない用事だったのだろう。徹夜もしていたようだし、少し無理をしている風に見えた。


「もし、部屋を空けるのなら……僕に言ってくれれば、戸締まりくらいは見ておくぞ」


老婆心からそう言うと、ルルーシュは笑みを浮かべた。


「お前に心配されるようでは、俺もまだまだだな」


「お兄様! そんな言い方は失礼ですよ」


すかさず挙がるナナリーからの非難の声。


「気持ちは有り難く受け取っておくが、部屋の戸締まりくらいは何とか出来る」


「……そうか」


250: 2015/06/30(火) 23:16:40.12 ID:oqH+Nm+DO
ルルーシュは欠伸をかみ頃す。隠しきれないくらいには眠いようだ。


「その様子じゃ、午前中の授業は無理だな。学園の方には僕から伝えておく」


「いや出るよ。これ以上サボると単位を落とすからな」


また居眠りをするつもりなのか。ルルーシュは授業の大半を睡眠に当てている。これで成績を落とさないのだから大したものだ。


「分かった。それじゃ、僕は失礼するよ」


「ああ。すまなかったな、今日は迷惑をかけた」


「ありがとうございました、ライさん。またいつでも来て下さいね、お待ちしてますから」


「いや、僕も有意義な時間を過ごせた。ありがとう、ナナリー」


あっさりと挨拶を済ませ、ライはランペルージ兄妹の部屋を後にした。ナナリーの名残惜しそうな顔が気掛かりだったが、それはまた会いに来ればいいだけの話だ。


(そういえば……)


そこで、ある事を不審に思う。ナナリーの格好だ。ルルーシュも咲世子もいない状況で、彼女はどうやって寝巻きに着替えたのか。


他に使用人がいるのだろうか。そんな話は聞かないし、姿を見たこともない。


「…………」


振り返り、もう一度部屋の扉を見る。


リビングに残っていたチーズの香りが、今になって蘇ってきた。



251: 2015/06/30(火) 23:30:48.80 ID:oqH+Nm+DO
一限目が終わり、二限目との合間の休憩時間が始まる。結局、ルルーシュはまだ姿を現していない。出席日数に余裕のある教科はサボろうという魂胆なのだろう。


ライが教科書やノートの整理をしていると、前で誰かが立ち止まる。視線を上げると、一人の少女が不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしていた。


クラスメイトのシャーリー・フェネットだ。


いつも元気な彼女が不機嫌な理由。一つしか考えられない。


「ルルーシュなら、午前中には来ると言っていたぞ」


「む……」


シャーリーの頬が僅かに赤くなったが、それでも不満そうな顔は崩れなかった。珍しい。いつもなら慌てる筈なのだが。


「どうした」


「……カレンもいないんだけど」


「スザクもいないな」


なぜシャーリーがカレンの事を気にするのか、その理由にも心当たりがあった。以前、学園の中庭で親しげに話すルルーシュとカレンの姿を、シャーリーは廊下から見ていたのだ。


それ以来、複雑な感情を抱いているのだろう。


「最近、気づいたんだけど……」


「…………」


「ルルとカレンって、休む日が被ってない?」


確かにそうかもしれない。



252: 2015/06/30(火) 23:44:34.57 ID:oqH+Nm+DO
「休むことが多い二人だ。重なるのは不自然ではないと思うが」


安心させたくて言ったのだが、シャーリーは頬を膨らませた。こちらが何を言っても不機嫌になるようだ。


「むー。やっぱり冷静だね、君って」


「そうだろうか」


「そうだよ。心配じゃないの?」


「心配。何がだ」


「だって……ルルにカレンが取られちゃうかもしれないんだよ?」


取られる……?


意味が分からず、ライは考え込んだ。取られるというのは、所有物を奪われるという意味だろうか。


「意味がよく分からないんだが」


「カレンのこと、好きじゃないの」


「……どういうことだ」


いい加減、辟易してきた。話題の切り替わりにまったく追随出来ていないのが分かる。


ルルーシュとカレンが仲良くする事によって、シャーリーが複雑な感情を抱くのは理解できる……ような気がするが、そこになぜ自分が関わってくるのかが分からなかった。


「君、いっつもカレンと一緒にいるでしょ」


「それは君の思い違いだな」



255: 2015/07/01(水) 00:05:21.66 ID:s2LAp1eDO
カレンはライの世話係主任だが、別に四六時中一緒にいるわけではない。シャーリーからはどう見えているか分からないが、色気のある関係とは程遠いように思えた。


「だって、あんなに可愛いんだよ? スタイルも良いし、優しいし……」


「君は、僕とカレンのどういう関係を期待しているんだ」


単刀直入に聞いた。このまま問答を続けても埒があかないと判断したからだ。


「え……いや、だからほら」


シャーリーはまた赤面した。


「その……付き合ったりとかは」


「無い。そういった予定も無い」


これはきっぱりと告げた。


情報を整理。


まず、シャーリーは好意を抱いているルルーシュとカレンの関係を疑っている。これは確かだ。それでカレンと一緒にいる時間が長いライに、彼女との関係を確認したかったのだろう。


その理由とは何か。


自分とカレンをくっつける事によって、ルルーシュの周囲をフリーにしたい……というのが、ライの立てた仮説だ。


(……だが、確かにルルーシュとカレンならお似合いかもしれないな)


お互いに異性から人気の高い者同士だ。生徒会という共通点もある。恋愛関係に至るのも自然な流れだろう。


だが、それはシャーリーも同じだ。ベクトルが違うだけで、カレンと比べても劣っているようには見えない。



256: 2015/07/01(水) 00:31:45.58 ID:s2LAp1eDO
「カレンが僕に好意を抱く理由が無いんだから、そういった関係はありえない」


恋という物の実態は分からないが、おそらくは相手の人格や財産、将来性などを鑑みて構築される関係のはずだ。そのいずれも持ちえないライに対して、異性が好意を抱くというのはありえない話だった。


だが、ルルーシュは違う。彼は一見冷淡なように見えて、実は面倒見が良いし、立ち振る舞いから知性や品性が窺える。学園中の女生徒から人気を集めるのも納得のいく話だ。


「……心配じゃないの?」



まだ疑っているらしい。


今のライが心配している事といえば、シャーリーの声が割と大きかったためにカレンの親衛隊連中の視線が自分に集中していることくらいだ。もっと言えば、その視線に多量の殺意と憎悪が込められていることくらいである。


「……あの二人の関係を疑っているんであれば、君自身が動くことだな」


シャーリーに対して脈が無いのなら、ルルーシュは自分の事を愛称で呼ばせたりしないだろうし、ミレイ会長も応援したりはしないはずだ。


「……むー。そうかな」


「そうだ」


珍しく、ライが他人を諭すような形となった。


恋愛というのも悪くはない。きっと楽しいのだろう。


(……僕にも、いつかはそういう相手が出来るんだろうか)


自信はなかった。


「ごめんね。変なこと聞いて」


やっと納得してくれたのか、シャーリーは自分の席へ戻ろうとする。少しは気分も晴れたようだ。


「そういえば……」


ライが思い出したように口を開いた。大した事を言うような口調ではなかった。


「ルルーシュは今日、朝帰りしていたな」


シャーリーの笑顔が凍った。



257: 2015/07/01(水) 00:33:13.29 ID:s2LAp1eDO
「カレンが僕に好意を抱く理由が無いんだ。そういった関係はありえない」


恋という物の実態は分からないが、おそらくは相手の人格や財産、将来性などを鑑みて構築される関係のはずだ。そのいずれも持ちえないライに対して、異性が好意を抱くというのはありえない話だった。


だが、ルルーシュは違う。彼は一見冷淡なように見えて、実は面倒見が良いし、立ち振る舞いから知性や品性が窺える。学園中の女生徒から人気を集めるのも納得のいく話だ。


「……心配じゃないの?」



まだ疑っているらしい。


今のライが心配している事といえば、シャーリーの声が割と大きかったためにカレンの親衛隊連中の視線が自分に集中していることくらいだ。もっと言えば、その視線に多量の殺意と憎悪が込められていることくらいである。


「……あの二人の関係を疑っているんであれば、君自身が動くことだな」


シャーリーに対して脈が無いのなら、ルルーシュは自分の事を愛称で呼ばせたりしないだろうし、ミレイ会長も応援したりはしないはずだ。


「……むー。そうかな」


「そうだ」


珍しく、ライが他人を諭すような形となった。


恋愛というのも悪くはない。きっと楽しいのだろう。


(……僕にも、いつかはそういう相手が出来るんだろうか)


自信はなかった。


「ごめんね。変なこと聞いて」


納得してくれたのか、シャーリーは自分の席へ戻ろうとする。


「そういえば……」


ライが思い出したように口を開いた。大した事を言うような口調ではなかったので、シャーリーは無防備な笑顔で振り返る。


「ルルーシュは今日、朝帰りしていたな」


シャーリーの笑顔が凍った。



264: 2015/07/02(木) 11:38:52.09 ID:9ivMzcXDO
夜の租界。日が落ちると同時に、街は様々な灯りに彩られる。高層ビルの窓、繁華街のあちこちから顔を看板、信号機、そこら中に設置された大型モニター。目が眩むような、光の数々。


道を歩く人も同様だ。昼間にはほとんど見かけないサラリーマン達、その仕事帰りの連中を呼び込むアルバイトの若者、これから夕食に向かうのだろう男女のカップル。


皆それぞれ、自分だけの人生を持っている。自分だけの記憶を、持っている。


それが少し、羨ましいと思った。


「…………」


咲世子にクラブハウスで使う日用品の買い出しを頼まれたライは、いつものベンチでぼんやりと大型モニターを見ていた。流れているニュース番組では、若い司会の男とコメンテーターの中年男性が問答を交わしている。


話題は昨日の夜にあったテログループの反政府活動について。コーネリア総督の留守を狙ったのか、大規模な戦闘が一度に六箇所で発生し、ブリタニア軍は浄水場を占拠されるという大失態を演じた。


租界の中心部にある総督府では、今ごろ熾烈な責任追求が行われているはずだ。お偉方の首も塵芥の如く飛ぶのではないだろうか。


ブリタニア軍にとって頭の痛い問題はもう一つある。むしろ巷ではこちらの注目度の方が高かった。


昨日の六箇所の襲撃のうち、半分の三箇所は"黒の騎士団"によって鎮圧されているのだ。その動きはブリタニア軍よりも迅速かつ的確で、戦力は僅かながら正規軍を上回る活躍をしたらしい。


しかも黒の騎士団の首領である"ゼロ"から、事前に総督府へ情報の提供があったという噂もある。これが本当なら、大問題だ。



265: 2015/07/02(木) 11:55:45.32 ID:9ivMzcXDO
足を止め、モニターに関心を示す人間も多い。そういえば、学園でもこの話題は頻繁に飛び交っていたような気がする。


(まあ、どうでもいいか)


黒の騎士団とやらがどれだけ活躍しようが、どれだけ有名になろうが、ライには関係の無い話だった。新進気鋭の反政府組織が自身の記憶にまつわる情報を持っていれば話は別だが、そんな可能性はゼロに近い。


買い出しの品を扱う店に向かうべく、立ち上がる。その時、ふと気配を感じた。背後。すぐそば。他の人間とは違う、異質な空気。そして香ばしい匂い。


そういった情報を整理する前に体が動いた。反転し、相手を正面に見据える。


「…………」


「……また君か」


ライは呆れたような口調で言った。軍服姿の枢木スザクが、右手を前に出したまま驚いた表情をこちらに向けている。何故か左手には紙袋を持っていた。


「びっくりしたよ。本当は僕が驚かせようとしたのに」


「……まったく。僕を驚かせて何の得があるんだ」


「いや、ごめん」


スザクは悪戯が失敗したせいかばつがわるそうに苦笑した。


「何をしてたんだい? こんな時間に」


「買い出しだ。咲世子さんが洗濯用の洗剤と、料理に使う砂糖が切れたと嘆いていたからな」



266: 2015/07/02(木) 12:12:28.51 ID:9ivMzcXDO
咲世子は優秀な侍女だが、買い物をまとめてやろうとする癖がある。クラブハウスには大勢の寮生が住んでいるのだ。気づいた時には、買い出しリストが膨大な量になっている事もザラだった。


「君は……仕事の帰りか」


チラリと大型モニターを横目で見てから、ライは尋ねた。丸一日以上かかるとは。昨日の一件が関係しているに違いない。


「うん。やっと終わったんで、夜食でも買って帰ろうと思ったんだけどね。この間と同じベンチに、また君の姿を見つけたから」


「そうか。おつかれ」


スザクと二人、ベンチに腰掛ける。


「はいこれ」


持っていた二つの紙袋のうち、一つを差し出された。中にはホットドッグが二個とコールスロー・サラダ、ドリンクが入っている。


「いや、これは受け取れない」


スザクが働いて稼いだ金だ。何もしていない自分が受け取るわけにはいかないと、ライは断った。


「じゃあ、いつ食べたの?」


「なにがだ」


「食事だよ。最後に食べたのはどれくらい前?」


「……一八時間ほど前かな」


本当は三八時間前だったが、ライは誤魔化した。一八時間前ならセーフだろう。そう思ったのだ。


「君は本当に……」


セーフではなかったらしい。

267: 2015/07/02(木) 12:26:22.00 ID:9ivMzcXDO
「自分の健康状態は把握している。問題はない」


「なら、ミレイさんにこの事を報告するけど」


「……待ってくれ。話せばわかる」


一瞬で敗北した。形勢は完全に不利だった。怒った顔のスザクから紙袋を受け取る。他に手段はない。


「……いただきます」


「ふふ、どうぞ」


アイスティーを取り出し、ストローを差し込む。紙の容器越しに、冷たさが手の平に伝わってきた。


見れば、スザクの方も紙袋からホットドッグを取り出していた。包みを開き、かぶりつく。同じようにライもホットドッグを口にした。


熱々のソーセージがパリッと音を立て、その中から肉汁が溢れ出してくる。上にかかっている甘めのケチャップとマスタードが混ざり合い、えもいわれぬ味を醸し出した。


ジャンクフードだという認識だったが、中々に奥が深い。ライはホットドッグの断面を見ながら唸った。


「美味しい?」


「ああ。美味いな、これは」


「それは良かった」


スザクがにっこりと笑う。口元に大量のケチャップとマスタードが付着していたが、あえて指摘しなかった。ああいう食べ方もあるのだろう。



268: 2015/07/02(木) 12:42:30.43 ID:9ivMzcXDO
それから少しの間、ライとスザクは租界の喧騒を眺めながら黙々と食事に耽った。年頃の少年二人だ。これくらいの量ならすぐに食べきってしまう。


「ご馳走さま」


「うん、お粗末様でした」


一緒に入っていた紙で口元を拭いてから、袋に空になった容器を入れる。スザクの分も受け取った。


「あそこにゴミ箱があるから捨ててくる」


「あ……いや、僕も行くよ」


立ち上がろうとするスザクを制するように、ライは紙を渡した。


「君は口を拭け。これくらいは僕がやる」


「え、口? うわ……もっと早く言ってくれても」


今更ながら気づいたのか、慌てるスザクを置いてライはゴミ箱に向かった。ほんの五〇メートルほどの距離だ。歩行者を避けながらでも、数分で往復できた。


ベンチに戻ってくると、神妙な表情でモニターを見ているスザクの姿があった。未だに昨日の報道をしている。そういえば食事中も、ずっと意識はあちらに向かっているように思えた。


「君は……」


モニターの方へ視線を向けながら、スザクが言った。薄暗い中、その黒い瞳は画面に映る黒衣の魔人──ゼロを射抜いている。


「君は、どう思う?」


「…………」


その視線をなぞるように、ライもまた大型モニターを見た。



269: 2015/07/02(木) 12:59:01.35 ID:9ivMzcXDO
「僕は間違っていると思う」


ライが答えるより先に、スザクが言った。軍人の彼からしたらそうだろう。不自然な事ではない。彼が普通の軍人であるならば。


「君が言うと、ややこしくなるな」


スザクは名誉ブリタニア人──日本人だ。その彼が、一応は日本解放のために戦っている黒の騎士団を批判するとなると、問題はいっそう複雑になる。


「……気に入らないか」


そう尋ねると、スザクは間髪入れずに頷いた。


「間違った方法で得た結果なんて、何の意味もない。間違っているなら、正当な方法で正さなくちゃいけないんだ……!」


「…………」


「あんな格好で正体を隠して、市民を煽って、それで戦って。あんなのは間違ってる」


「……確かにな」


黒の騎士団──というかゼロはかなり胡散臭い。『全ての弱者の救済』などというお題目を掲げ、それを忠実に実行している。そのおかげで日本人のみならずブリタニア人からも高い支持を得ているが、逆にそれが胡散臭さを助長させていた。


なぜそういった思想を持つに至ったかの経緯が全く不明で、行動原理に裏付けが無い。そんな人物が行う奉仕活動じみた戦闘を、疑うことなく賞賛する人間がいたとしたら、それは間違いなく阿呆だろう。


「だが、結果は出ている」


これもまた、事実だった。



270: 2015/07/02(木) 13:32:43.76 ID:9ivMzcXDO
「それは……そうだけど」


「昨日の戦闘……あまり報道されていないが、ブリタニア軍だけでは手に余っていたと見える。なら、ゼロは市民の危機を救った事になるんだろう」


「…………」


スザクが押し黙る。今の言葉は彼にとって大分応える物だったはずだ。お前ら軍人よりも、ゼロの方が頼りになる。そう言われたも同然だからだ。


「だが、君の言いたい事も理解できる。確かに、あの組織は信用出来ない部分が目立つ。……僕の個人的な感想だが、戦場という環境をパフォーマンスに使うというのは好きじゃない」


今回の件、気になる事がいくつかあった。


「なぜ、バラバラだった反政府組織が突然結託したんだろうな」


「え? それは、コーネリア総督が留守にしていたから……」


「なら、その情報はどこから漏れた」


今の不安定な情勢。総督の不在は厳重に隠すのが普通だろう。市民や報道機関が全く知らなかったその情報を、近辺のテログループが一様に持っているのはいささか不自然ではないだろうか。


そして、総督府への垂れ込み。無関係にしては、都合が良すぎる。



「まさか……黒の騎士団が」


スザクも察したらしい。その表情が違った険しさを帯びる。



271: 2015/07/02(木) 13:51:02.29 ID:9ivMzcXDO
黒の騎士団は多大な戦果を挙げているが、未だに弱小の部類に入る。規模がどうしても小さいのだ。まずは、それを拡大するのが急務のはずだった。


しかし、日本侵攻から七年が経った今、各地の反抗勢力は既に地盤を固めている。大規模な入団希望者は決して多くない。


ならばどうするか?


黒の騎士団にとって、大した力も持たない他の反政府組織は邪魔なはずだ。役にもたたず、いたずらに騒ぎを起こして市民からの悪感情を向けられる。


それならいっそ、ブリタニア軍に叩き潰して貰ってから、残存兵力を吸収した方が効率も良いだろう。


「じゃあ、総督府に情報を入れたのも、反政府組織に情報を流したのも……」


「……今回の騒ぎ自体、ゼロの自作自演かもしれないな」


馬鹿な連中を手の平で転がしながら、自分達はいいとこ取りをする。正義の味方らしい動きだと思った。


「というのはまあ、冗談だ」



重くなった空気をはらうようにライは言った。今の仮説には不自然な部分が多いし、物事はそこまでゼロの都合の良いようには進まないだろう。


彼が超常の力でも別だが。


「冗談?」


「さっきニュースで言っていたんだよ。今のはただの受け売りだ」


「…………」



272: 2015/07/02(木) 14:24:06.55 ID:9ivMzcXDO
「黒の騎士団についての答えだが、僕はどうでもいいと思ってる。賛同も反対もしていない」


「そう、だね。確かに、記憶の無い君からしたら、遠い話のように感じるのが当然だと思う」


「ああ。今の僕には、他に優先しなくちゃならない事がある。思想について語るなら、その後だろう」


そう言うと、スザクは頷いて、やっと笑顔を見せた。


「ごめん。変な事を聞いて」


「いや、君の立場も分かるよ。色々と複雑だということぐらいは」


「……そう言ってもらえるとありがたいな」


「だから、ナナリーに会いに行ってやってくれ」


「え……」


「最近、会ってないんだろう。寂しがっていたぞ」


別に責めているわけではなかったが、スザクはそうだね、と言って目を伏せた。軍の仕事が忙しかったのだろう。


「最近、ナナリーに折り紙を教えているんだ」


「折り紙……かい? 君が?」


「……ああ。だから、君も付き合え。ナナリーに申し訳ないと思うならな」


「うん。分かった」


「じゃあ、僕は行くぞ。早く行かないと店が閉まる」


「なら、手伝うよ」


「いい。君は帰って寝ろ。疲れているんだろう」


「大丈夫だって」


「まったく……」


ライはため息を吐く。お人好しが過ぎると思った。だが、スザクとのこういうやり取りは嫌いではない。


仕方なく、ライはスザクと二人で目的の店に向かった。


278: 2015/07/03(金) 00:48:22.85 ID:XSwai4zDO
トウキョウ租界の昼下がり。ライは自身の世話係主任であるカレンと共に、何度目か分からない散策に来ていた。


最近は彼女の方が忙しいという事もあり、出かけるのは実に四日ぶりとなる。


天気は、今日も快晴だった。


「良い天気ね」


カレンが言った。せっかくの休日だ。ライにとってはあまり関係ないが、彼女はこうして休みを潰してまで付き合ってくれている。ありがたいことだと思った。


「そういえば、君といる時はいつも晴れだな。もしかして君は、いわゆる晴れ女?」


「そう? あなたが晴れ男かも」


「もしくは雨男と雨女で……」


「相殺?」


「かもしれないな」


ライにしては珍しい軽口だった。カレンはしっとりとした笑みを浮かべる。いつぞやの三角飛びを見せた姿とは、まるで別人だ。


「あら。それだったら私たち、なるべく一緒に出かけた方が皆のためね」


こういった何気ない会話にも、彼女からの親しみを感じられる。出会った時とは比べるべくもない。


(そういえば、最初の夜もカレンと一緒だったな)


アッシュフォード学園で保護されてから、初めて租界を案内された時の事を思い出す。あの時に開いていた距離は、今ではだいぶ縮んでいた。



279: 2015/07/03(金) 01:09:39.37 ID:XSwai4zDO
あの夜は、大きな満月が輝いていた。見知らぬ街と、会って間もない少女。そして、何も無い自分。何も知らない世界。


「また」


「え……」


「また考え事をしてたでしょ」


カレンはライの、こうした変化に良く気づく。いつのまにか上の空になっていたようだ。


「あの日の事を考えていた」


「あの日?」


「君と初めて租界を歩いた時の事だ」


「ああ……」


別に隠す事でもないと思い、正直に告げる。カレンは言葉を濁して、こちらに向けていた目を逸らした。無理もない。ライにとっては大切な思い出でも、彼女にとっては数ある厄介事の一つに過ぎないのだろうから。


「最初の日と比べると、だいぶましになった」


思い出すのは月下の歩道。離れた距離。彼女の背中。


あの時は嫌われたと思ったものだ。この距離は埋められないと、どうしようもない無力感を抱いていた。


それがどうしてか、未だにカレンは世話係を続けてくれている。未だに手を引いてくれている。あんなに遠くを歩いていたのに、気づけばこうして隣を歩いてくれている。


ありがたい事だと思った。


「……そうね」


ライの感傷をよそに、カレンは素っ気なく歩き出す。その背中に、意を決して言った。


「行きたい場所があるんだ」


280: 2015/07/03(金) 01:33:17.23 ID:XSwai4zDO
カレンは呆気に取られたような表情で振り向く。


「珍しいわね、あなたから提案なんて。初めてじゃないかしら」


「そうだな。君が何か考えてくれていたなら悪いが……」


「いいわよ。自分から行きたいなんて、何か思い出せるかも」


カレンはこちらの提案を尊重してくれるようだ。彼女に代わり、今度はライが前を歩く。こうした散策では初めてのことだった。


近くの駅からモノレールに乗り(結局カレンに教えてもらった)、一五分ほど乗車してから租界の外縁部付近で下りる。


この辺りは租界でも珍しく、建物や道路が整備されていない。聞くところによると、数年前に放置された開発地帯のようだ。


人気の無いひびだらけの歩道を歩き、寂れた公園に入る。


「ここ?」


「ここから見える」


この位置からは、租界の外側が一望出来た。


倒壊したビル群、穴だらけの道路、瓦礫の海。それらを覆い、空まで暗くするのはとても濃い塵。所々でうごめく小さな影は、きっと人間のものだろう。


二〇分前までいた明るく華やかな都市部と比べ、眼下の光景はあまりに暗く、凄惨だった。


「……ゲットーね」


「この光景はなんだ」


「え?」


図書室で読んだ本を思い出す。脳裏によぎるのは美しい光景、清潔な空。そして桜の木。



281: 2015/07/03(金) 01:44:43.31 ID:XSwai4zDO
「どうしてこんなに違うんだ……」


こうして眺めてみると、複雑な感情が渦を巻く。テレビの画面越しに抱いていたものが、どんどんと形を成していった。


違和感。


そう、これはまさしく違和感だ。イメージの中の日本と、目の前のゲットー。その違いが余りに激しく、虚しい。


「それは、ブリタニアが……」


「ブリタニアに敗れた日本は名前を奪われ、ブリタニアの属領『エリア11』となった。それは分かるが……」


またフラッシュバックする。


砂塵の霧。生気の無い人々。

戦い。

略奪。

勝利。

敗北。


見渡す限りの、廃墟。


氏んだ街。


これではまるで──


ゲットーの光景が何かと重なる。目眩がした。頭痛もだ。耳なりが一瞬、強くなる。


「これが、支配されるということなのよ」


ライを引き戻したのは、カレンの声だ。聞いたこともないくらいに、乾燥した声だった。



282: 2015/07/03(金) 02:05:18.01 ID:XSwai4zDO
「ブリタニアは日本を力でねじ伏せ、エリア11と名付け、自治も許さず、戦禍復興の機会すら与えなかった」


カレンの体に力がこもる。暗く激しい感情。憎悪だ。途方も無いほどの。


「…………」


「そして自分達の住む場所だけを、支配者の城として築き上げたわ。それがこの租界よ!」


キッとゲットーを睨む。彼女の瞳は燃えていた。握られた拳はほとばしる感情で震えている。


「太陽パネルの潤沢なエネルギー、清潔な上下水、世界中から海を越えて集まる物質。すべてはブリタニア人のため……日本を統治するブリタニアのためだけに、すべて費やされるのよ!」


堰を切ったかのように溢れる言葉は止まらない。怒りと憎しみを前面に押し出す表情は、普段のカレンからは想像も出来ないものだった。おかしな話だ。カレン・シュタットフェルトは紛れもないブリタニア人のはずなのに。


しかし、どうしてだろう。ライはカレンの言葉を聞きながら、不思議に思っていた。


「すべてはサクラダイトのためよ。富士山……は知っているわよね。あの山が、今はどんな姿なのかも」


フジサン。昔は日本を代表する山だったらしい。頂上付近を雪で彩られた、威厳に満ちた姿。本で見た。


今は採掘場として、その半身を機械に覆われている。無惨なものだ。


「世界屈指のサクラダイト鉱脈。そのための侵攻。そのための占領。そのための支配。そのほかのことはどうでもいいのよ。イレヴンが氏のうが生きようが、ね」


イレヴン。カレンは嫌いな筈の言葉をあえて使った。


283: 2015/07/03(金) 02:23:20.51 ID:XSwai4zDO
「力を与えず、ただ生かしておく。容易に支配し、統治できる程度に」


ライはもう一度、ゲットーの方を見た。うごめく霧の中にいる人々。決して少なくはない。だがやはり、生気の欠片も感じなかった。まるで亡者のようだ。


「知ってる? ライ。イレヴンは役所に申請すれば、名誉ブリタニア人になれるのよ。……名誉ブリタニア人、おかしな話よね」


ことさら、カレンの声に怒気が含まれた。ここにはいない、遠い誰かの事を投影しているようにも見える。


怒りが、膨らんでいくのが分かった。


「ここではブリタニア人であるかどうかが、その人の明暗を分けるの。生きる権利があるか……をね」


「……カレン」


「いったい何が違うの? 何が違う! あそこに暮らす人々と、この租界の住人と! イレヴン……いいえ、『日本人』と『ブリタニア人』。どうして支配し、支配されないといけないの!?」


目が眩むような、激しい感情の発露だった。今まで見せてきたものとは180度違う、苛烈な姿。何もかも呑み込んでしまうような怒りと憎悪。


だが、どうしてか。カレンの変貌ぶりに、ライは大して驚いていなかった。それどころか、彼女の言葉が理解出来る。彼女の怒りが、理解出来た。


「カレン」


「……あ」


ようやく終わりが見えた頃、ライはもう一度、彼女の名を呼んだ。頭が冷えたのか、カレンは我に返り──そして慌て始める。



284: 2015/07/03(金) 02:52:46.42 ID:XSwai4zDO
「わ、私……。ごめんなさい。かっこ悪いとこ、見せちゃったわ」


今の私を見ないでくれとばかりに、カレンは背を向ける。


「格好悪いなんてことはない」


自分でも分かるくらい感情の薄いライからしてみれば、こういった顔を持っている事は羨ましいとすら思える。例えそれが、怒りや憎しみだとしても変わらない。


なぜならそれは、紛れもないカレン自身の心の色だからだ。彼女には確かな歴史があって、それから繋がる今がある。どうしてそれを貶めることができようか。


「君が普段、苛ついている理由が少し分かった」


「苛ついてる? 私が?」


この二週間余り、彼女を見続けて分かった事がある。カレンが日頃、他人──ブリタニア人と距離を置いているのは、きっといま言っていた事と無関係ではないのだろう。


「学園を歩くとき、街を歩くとき、人とすれ違うとき、たまに眉間にしわを寄せていたから」


「…………」


カレンは背を向けたまま、自身の顔を触った。確認しているのだろうか。


「租界の華やかさも、ゲットーの有り様も……君からしてみれば心を痛めるものなんだろう」


ライはゲットーを眺めながら言った。乾いた風が頬を撫でる。


カレンはおそらく、トウキョウ租界の事を好ましく思っていないはずだ。にも関わらず、いつも自分を案内してくれていた。



285: 2015/07/03(金) 03:14:39.97 ID:XSwai4zDO
「だいたい、格好悪いだなんて言ったら、いつも君の後ろを歩いている僕の方がよっぽど格好悪いだろう」


少し茶化すように言う。なにぶん経験が無いことなので上手く出来たかは自信が無かったが。


それでもこれは本心だった。


「だから、心配しなくていい」


「……ありがとう」


振り向くと、カレンもこちらを向いていた。どうやら大分落ち着いたらしい。


「あ……。さっき言ったことは生徒会や学園のみんなには……」


「内緒だな」


「ありがと……」


カレンがやっと笑った。とても久しいと思える。


「甘いものでも食べて帰ろうか」


スザクから勧められたクレープ屋なら、今からでもいけるはずだ。尻のポケットに入っている財布を確認する。


「うん」


カレンを先導するように歩き出す。いつもの彼女に戻ったようなので、ふと思った事を口にした。


「この間の三角飛びといい、君は内緒事が多いな」


何気なく言った事だったが、カレンの肩がピクリと揺れた。


「……内緒事なら、あなただって多いんじゃない?」


「内緒事。僕のか」


「最近、シャーリーと買い物によく出かけてるみたいね」


「ああ。水泳部の買い出しだな」


「ナナリーと折り紙してるとか、本の読み聞かせしてるとか」


「今日の朝もやったぞ」


「……ほら」


カレンの言葉には棘がある。意味が分からず首を傾げた。別に隠しているつもりはなかったのだが。

赤毛の少女は歩くスピードを上げ、ライを追い越した。けっこう足が速い。


「どうした急に」


「……モノレールに乗り遅れるわよ」


時間にはまだ余裕がある筈だったが、それを指摘するのはやめておいた。走り出しそうな雰囲気だ。慌てて追いかける。


彼女の前を歩くのは、もう少し時間がかかるらしい事を、ライは認識した。


291: 2015/07/05(日) 23:39:50.15 ID:Rn1iS1tDO
夕方。


ライは生徒会室で一人、外を眺めていた。ルルーシュとリヴァルはサボり……おそらく賭けチェスだろう、シャーリーは水泳部、ニーナは科学室、カレンは病欠。


スザクは先ほどまでいたが、軍からの呼び出しがあって行ってしまった。それから全員分の仕事をやり終え、することもないので窓を眺めている。


「…………」


生徒会室の窓からは校内を広く見渡せた。


夕焼けに照らされる中庭には、カップルと思わしき男女が仲良く語らっている。グラウンドの方からは運動部の掛け声が聞こえてくる。笑い声。若者達が生み出す活気が、風に乗ってきた。


この学園の生徒は皆、楽しそうだと思う。それぞれやりたい事があって、好きな人がいて、好きな場所にいる。そしてそれを、この自由な学園が包み込んでくれるのだ。


優しい場所。なんだか眩しくて、ライは目を細めた。


「…………」


「ごめんねー。遅くなっちゃって……ライ?」


扉が開き、ミレイ会長が現れる。


「……どうしました」


「なんか黄昏てたから。仕事はもう……終わってるわね」


片付けた書類の山を見て、ミレイは眉を寄せた。喜んでくれると思っていたが、どうやら違うらしい。



292: 2015/07/06(月) 00:14:37.36 ID:DIPBHoXDO
「まったくもう……。別に、あなた一人でやらなくたっていいんだからね」


「しかし、こういった仕事が累積するのは良くないです」


叱られるような形になったので、ライも反論する。


ただでさえ集まりの悪い生徒会メンバーだ。人がいる時にやればいい、などと言っていると大変な事になる。


「そんなことないわよ。私が言えば、みんな喜んでやってくれるもんね~」


「あの壮絶な押し付け合いが、喜んでいる……?」


とても信じられなかった。


「そうよ。嫌よ嫌よも好きの内って言うんだから」


「……なるほど」


ミレイ会長が言うならそうなのだろう。ライは納得した。


「…………」


書類の山を見て、ミレイの表情が少し曇る。その僅かな変化を、ライは見逃さなかった。


「どうしました」


「……むー」


尋ねると、今度はいじけたように唇を尖らせる。彼女はどかっと椅子に座り、


「仕事速すぎじゃない? あなた」


「そうでしょうか」


「そうよ。この短期間でこれだけ覚えられると、なんだかわたし達が普段から駄目みたいな風に思えてね」


「…………」


「朝もやってるでしょ。昼休みにもやってる事あるし」


ミレイは長い指で書類の端を弄びながら言う。



293: 2015/07/06(月) 00:21:56.99 ID:DIPBHoXDO
「授業だってちゃんと受けてますよ」


別に、生徒会の仕事だけをしているわけではない。そう思って言ったのだが、会長の機嫌は直らない。


「……スザク君のノートのためでしょ」


生徒会長はどんどんとふて腐れていく。机に上半身を預け、自身の腕に頭を乗せる。長い金色の髪が、さらりと背中から流れた。


「たまに思うのよね。あなたって、あんまりこの学園のこと好きじゃないのかなぁって」


「……どうしてですか」


「だって、全然笑わないし、食堂にも来ないし、チョップしても驚かないし……未だに迷子になるし」


「…………」


おかしなものも混ざっていたが、それを言われると反論出来なかった。だがしかし、ミレイの懸念は杞憂である。ライがアッシュフォード学園を嫌うなど有り得ない事だ。


「嫌いなんて事は無いですよ。とても良い所だと思っています。その証拠に……」


ライは書類の山から一枚の紙を引っ張り出した。


「来年度の入学希望者が例年より増えているのが、その証拠です」


取り出したのは学校見学者へのパンフレットだった。この時期ともなれば、ブリタニア本国の学生が進路に向けて動き出す。中等部からのエスカレーター組を抜いたとしても、一〇〇〇人を優に超えるだろう。


それが示す通り、私立アッシュフォード学園は本国でも人気がある。卒業後の進学率も高いし、設備も整っている。それでいて全寮制となれば、新しい世界を経験したい若者の目には魅力的に映るらしい。



294: 2015/07/06(月) 00:25:24.48 ID:DIPBHoXDO
そうした、アッシュフォード学園の魅力を客観的な事実に基づいてライが説明する。我ながらナイスなプレゼンテーションだと思ったが、ミレイは不満顔のままだった。


五分後、室内プールの衛生面と安全性を話し終えてから、図書室の蔵書数とそのジャンルの幅広さについて話が切り替わる時だった。自身の学園のプレゼンを延々と聞かされていた生徒会長が勢い良く立ち上がる。


「ちっがーう!!」


広い生徒会室が揺れるほどの大声だった。勢いが良すぎて吹っ飛んでいった椅子を哀れんでから、ライは視線を戻す。


「そうじゃないでしょ!? わたしが聞きたいのは三年間の学費がどれくらいだとか、食事メニューのレパートリーだとか、寮の個室の広さだとか、そういうんじゃないの! 知ってるし!」


「はあ……」


「あなたが学園をどう思ってるか! どうなの!?」


ミレイがぐいっと近づいてきて、ライの胸を指で小突いた。その勢いに気圧されながら、あくまでも冷静に答える。


「ですから、学園についての知識を披露することによって、僕がどれだけ嫌っていないかを……」


「じゃあ、なんで未だに迷子になるのよ」


「それは……。学園の敷地面積がそれだけ広大ということです」


そう言うと、ミレイはにっこりと笑った。一般の男子生徒だったならば見惚れるところだろうが、生徒会に関わる者にとっては、これから自身に災難が降りかかることを表す笑みだった。


まずい、とライは思った。ここで自分がリヴァルやシャーリーのように慌てふためいたり、ニーナのように怯えたり出来れば事態は好転するかもしれないのだが。


「…………」


相変わらずの無表情だと、自分でも分かった。




295: 2015/07/06(月) 00:27:07.70 ID:DIPBHoXDO
「……分かったわ」


ミレイは静かに言った。腕を組み、こちらを見下ろす。


「このミレイさんが、直々に学園内を案内してあげよう!」


「……わかりました」


生徒会で──いや、もしかしたら学園でトップの発言力に逆らえるはずもなく、ライは立ち上がった。


ミレイに続く形で、ライは生徒会室を後にする。


「学園内は広いからねぇ。ちょくちょく歩いといた方がいいわよ。何かあったときに、一人でぽつーんと置いていかれたら困るでしょ」


「そうですね」


廊下を歩きながら答える。


「……それにしても、あなたの記憶、全然戻らないのよね」


「……すみません」


ミレイは何も言わないが、学費も食費も宿泊費も払えないライの存在はアッシュフォード家にとって決してプラスではないはずだ。


アルバイトなどをしようにも、このご時世だ。身元の不確かな者を雇い入れる店など殆どなかった。あったとしても、そういう店は名誉ブリタニア人を使うのだ。


貰ってばかり。


なにも返せない。


この包容力豊かな女性といると、いかに自分が駄目な男であるか認識させられてしまう。




296: 2015/07/06(月) 00:30:02.05 ID:DIPBHoXDO
「ほーらっ。気を落とさない。学園で楽しそうにしてる女の子達でも見たら、きっと元気出るわよ」


「……そうですね」


空返事だったが、ミレイは嬉しそうに頷いてくれた。


「キミもやっぱり男の子だねー。それじゃ、行きましょ」


他愛ない言葉を交わしながら中庭に出る。


「迷子になるって事は、自分で色々と歩いてみたんでしょ」


「そうですね。一応は」


「じゃあ、なんで迷子になるの」


二回目の質問だった。しっかりとした答えを返さなければならない。


「それはですね──」


一人で歩いていると、考え事をしていて意識が埋没することが良くある。街中だと適当にベンチでも見つけるのだが、どうしてか学園内だとそのまま歩いてしまう。


結果として、迷子となるわけだ。


ライが懇切丁寧に説明すると、ミレイは困ったように笑った。


「──というわけです」


「変ね。あなたって」


「……良く言われます」


ミレイから言われたことで、生徒会メンバー全員から変人の評価を頂くことが出来た。とても嬉しくなかった。


「なーんか、どっかズレてるのよね。それなのに冷静だから、おかしくって。ふふ」


なにが面白いのか、ミレイは笑いをこらえきれていない。



297: 2015/07/06(月) 00:32:21.97 ID:DIPBHoXDO
ミレイにひとしきり笑われた後、学園案内が再開された。すれ違う生徒(特に男子)から嫉妬のこもった視線が送られてくる。慣れていたので無視した。


そして敷地内をぐるりと周った後、校内に入る。さすがに内部は問題ないと思ったのだが、


「ここが食堂よ。しょ・く・ど・う。はい、リピート!」


「……食堂ですね。知ってますよ」


腰に手を当てて言われても困る。


「じゃあ、なんで来ないの? 舌が合わないとか?」


「いえ、とても美味しいと思いますよ」


これは本心だ。アッシュフォード学園の食事は租界や本国のレストランと比べても遜色ない味と評判である。しかもそれが学食の値段で食べられるとなれば、人気になるのは当然だった。


だが、ライはこの食堂に数えるほどしか来たことがない。それも、ミレイなどの生徒会メンバーに連れて行かれる場合が殆どだ。


何度も指摘されているが、どうしても足が向かなかった。


「なら、どうして? お金は……手を付けてないんじゃない」


「…………」


金はある。ミレイから貰った金。服も部屋も、仮入学生という身分も、全て彼女から貰ったものだ。


だから必要最低限の食事しかしない。しようと思わない。


そういうことだ。簡単な理屈だった。


だが、この女性にそれを告げるわけにはいかなかった。




298: 2015/07/06(月) 00:34:33.42 ID:DIPBHoXDO
ライが押し黙っていると、ため息を吐かれた。


「強情ねー。言うこと聞けないなら、また会長権限が発動するわよ?」


「……なんですか」


「あなたの食事係よ。当番制にして、みんなでチェックするの。スザク君やシャーリー辺りは喜ぶでしょ」


「……それは、アーサーと同じ扱いになるという──」


飼い猫扱い。ただでさえ近い扱いを受けているのに。世話係という役職名すら不満なのに。


ご飯の時間よー、などと言われるのか。最近、シャーリーやカレンから呼ばれる際に「ライ、おいでー」とか言われてきているのに。


(ダメだ。……絶対に)


絶望的な未来のビジョン。ライは恐る恐る、といった様子で尋ねるが、彼の飼い主である生徒会長はあっけらかんと答えた。


「当たり前じゃない。だって、そうしないとキミ、氏んじゃうかもしれないし」


「ま、待ってください。時間を、チャンスをください」


珍しく狼狽したライを、ミレイは面白そうにからかう。


「えー?」


「善処します。善処しますから」


「……じゃあ、保留ということで。ちゃんと直すこと」


「はい」


「じゃあ行くわよー」


ミレイの後をついていく。ダメ男としての格が上がっていっているような気がするも、それは強固な意志でもって無視した。



299: 2015/07/06(月) 00:36:05.01 ID:DIPBHoXDO
今回はこの辺で。


ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。



304: 2015/07/07(火) 23:22:40.56 ID:pJv3maSDO
再び中庭にやってくる。


先ほど通った場所と違い、楽しそうな話し声が飛び交っていた。いくつかの資材も運び込まれている。


「学園祭が近いからねー。今の学園はちょっといつもと違うかな」


「学園祭……」


そういえば、生徒会にイベントの企画書が来ていた。早いクラスなら、準備を始める頃か。


「そう。ここから先、学校行事が立て込んでくるからね。生徒会も大忙しよ」


「でしょうね」


その言葉を裏付けるかのように、生徒会で扱う書類も増えてきていた。準備が本格的に始まれば、今よりもさらに忙しくなるのだろう。学園全体が多忙を極めるはずだ。


ライの中には、そんな他人事のような考えしかなかった。


「……頼りにしてるんだからね」


ミレイの呟きが、風に流れていった。


思考を見透かされたのかと思い、彼女の背中を注意深く観察するが、なにも分からない。


「…………」


応とも否とも言えない。こちらに向けた言葉だったのかさえ、分からなかった。



305: 2015/07/07(火) 23:23:38.30 ID:pJv3maSDO
「ちょっとー。その板もう少し上に持ち上げて」


「おう」


設計図だろう紙を持った女子生徒が、工具を振るう男子に指示を出す。作っているのは屋台のようだ。まだ骨組みの状態だが。


「ははぁ、やってるわね~」


それを見て、ミレイはにっこりと笑った。冷やかすようなものではない。純粋な喜びから来るもののように思える。


ライは頷いて賛同した。


「みんな楽しそうだ」


木材を組み立てるだけで、どうしてあんなに楽しめるのかは分からないが、笑顔があるに越した事はない。


ミレイは先ほど学園の姿がいつもとは違うと言っていたが、笑いに満ちているのは普段と変わらないはずだ。


「もちろんよ。年に一度の学園祭、楽しまなきゃ嘘でしょ」


「活気があるのは良いことだ」


生徒会長の後ろを歩きながら、感想を述べる。やはり他人行儀なものだったが、ライはそのことを自覚していなかった。


今の状態でアッシュフォード学園に長居するのは双方のためにならない。施しを受けるだけの一方的な関係など、早急に解消するべきなのだ。


そんな風に考えていると、前を歩いているミレイが言う。


「ねえ。ここにしばらくいるのなら、行事や部活動に参加してみるのもいいんじゃないかしら」


「…………」


やはり、この女性は読心術を使えるのではないだろうか。本気でそう思った。


「…………」


彼女の提案に、答えることは出来なかった。


答えられない自分が、また嫌いになった。

306: 2015/07/07(火) 23:25:09.20 ID:pJv3maSDO
そのまま歩いた二人は、礼拝堂に到着した。


何列にも並べられた長椅子と、ステンドグラスから差し込む光。石造りの床の、なんとも不思議な感触。


静かな場所だった。


「学園祭の出し物の中にね、こういうのがあるの。ここでやる企画なんだけど……」


壇上に一人で上がり、ミレイは言った。


「出し物、ですか」


「そうよ。男女のグループが壇上でトークを繰り広げ、最後にそれぞれ気になる人を選び、両思いならカップル成立! そんな青い恋のときめきがそのままのイベントをやっちゃおうかと思っているの」


「…………」


礼拝堂とは神に祈りを捧げる場所だ。そんな空間で恋愛パーティーなどやっていいのだろうか。そう思ったが、それがくだらない考えだということにライは気づいた。


「ねえ、こういうのって"運命的な出会い"って感じですごく良いと思わない?」


彼女が乗り気なのだから、許されるに決まっている。常識的、宗教的な問題など意味を成さないのだ。


「どうだろう……」


人と人が出会い、恋に至るまでのプロセスが、ライには想像出来ない。きっと複雑怪奇な手順を踏む必要があるはずだ。今度、カレンやシャーリーに尋ねてみようと思う。


彼女らなら、答えを知っているかもしれない。



307: 2015/07/07(火) 23:27:10.65 ID:pJv3maSDO
「そうですね。そんな相手が出来るのは良いことだと思います」


「そうでしょそうでしょ」


ミレイは満足そうに頷く。


「出会いが欲しいと思っている人も多いだろうし、この企画は盛り上がるわよ~!」


間違いなく一番盛り上がっているだろう女性が言った。ニコニコしていた彼女は、しかし一転して目を伏せる。


「……私ね、家の都合でお見合いばっかりさせられているの。だから、普通の恋なんて夢のまた夢」


「お見合い……」


そういえば、アッシュフォード家が経済的に上手くいっていないと聞いたことがある。一人娘のミレイがその重荷を背負わなくてはならないのだろう。


名家だからこそ、どうしようもない事情だ。家が取り潰しになんてことになったら、アッシュフォード学園の生徒も無事では済まない。彼女の肩には、とてつもない人間の人生が掛かっているのだ。


「もちろん、今のところは全部破談にしちゃってるんだけどね」


ミレイの口調はあくまでも冷静だった。自分の未来を受け止めている者の表情だ。


「いずれは結婚しなくちゃいけないとしても、学園にいるうちから結婚の話を決めるのなんて……嫌だもの」


これも、彼女の本心。決意の裏にちらつくのは、確かな諦念だ。誰よりも普通の恋愛に憧れているだろうに、他人の手助けばかりしているのには理由があるのかもしれない。


少し気になって、ライは尋ねた。


308: 2015/07/07(火) 23:28:53.18 ID:pJv3maSDO
「どうして……ミレイさんは他人の幸せに、そこまでこだわるんですか」


「え……」


珍しく、ミレイが驚いた。形の良い瞳が大きく見開かれる。


これは以前から──この学園に来た当初から抱いていた疑問だった。


恋愛事だけではない。身元不明の記憶喪失者であるライを保護するなど、彼女のお人好しは度が過ぎているのではないのだろうか。


「……変、かな」


「だと思います」


ミレイは笑った。だが、その表情にはいつもの覇気がなかった。


「他人に手を貸してばかりで、ミレイさん自身が幸せじゃない。学園生活を謳歌したいなら、もっと利己的に生きるべきだ」


彼女は頭が良いし人望もある。その気になれば──時間や労力を自分のために使えば、もっと楽に、もっと幸せになれるはずなのに。


今だってそうだ。こんなところで貴重な時間を、こんなつまらない人間のために使って、何の得があるのか。


理解出来ない。


「私が……幸せじゃない? どうして?」


ライの吐き捨てるような言葉を受けて、ミレイはまた驚いたような表情をしていた。


「それは……」


頭の中にあるものを、上手く言葉に出来なかった。それがまた無性に苛ついた。人差し指と親指をこすりあわせる。



309: 2015/07/07(火) 23:30:08.79 ID:pJv3maSDO
「私、幸せよ? 今だってそう」


「そんなことはないでしょう」


「あるの」


笑顔でミレイは言った。


「私ね、この学園が好きなの。教室で受ける授業も、みんなでする食事も、屋上から見える風景も……全部好き」


「…………」


「だから、この学園で過ごした人全員に、その思い出を大切にして欲しいって思ってる」


こうして学園を案内してくれている理由が理解出来た。そして今の言葉が、彼女の本心だという事が痛いほど分かった。


他人に優しくするのは優越感に浸りたいからではない。憐れんでいるからでもない。誰かが幸せなら、彼女も幸せなのだ。


凄い人だと思う。この先、自身が記憶を取り戻したとしても、このようにはなれない。ライにはそんな確信があった。


いつも他人との距離を気にしている自分が、どこまでも矮小で卑しく思えた。


「だいたい、人のため誰かのためって動いてるのは、あなたも同じでしょう?」


「え……」


なんていうかな、とミレイは呟いた。頭の中で、言葉を整理しているように見える。


「スザク君のためにノート取るのも、生徒会室でいない人の分の仕事をしてるのも、記憶を探してるのも……全部。なんだか、義務感で動いているように見えるから」


「それは……」


口ごもる。反論出来なかった。


「私は、あんまりそういうのって良くないと思うな」



310: 2015/07/07(火) 23:31:34.24 ID:pJv3maSDO
その通りだ。ライを動かしているのは、紛れもない義務感だった。


"記憶を取り戻したい"のではなく、"記憶を取り戻さなくてはならない"と思っている。ずっとそうだ。この学園で目を覚ました時から、ずっと。


考えてみれば、すとんと腑に落ちた。極めて簡単な事だった。


「駄目……でしょうか」


そう訊くと、ミレイは首を振った。


「駄目、ではないと思う。でもね……不謹慎だけど、あなたには記憶の事より、この学園での思い出を大切にしてほしいの」


「…………」


「やっぱり難しいわよね」


ミレイはこう言ってくれているが、やはり甘えるわけにはいかない。彼女が良い人であればあるほど、その決意は強固なものとなる。


「でも……」


「?」


「記憶を取り戻したら、普通の生徒として、この学園の一員になりたいと思っています。……これは、本当に」


都合の良い話だと思ったが、それでもミレイは笑ってくれた。


「なら、良し。今日のところはね」


「……ありがとうございます」


ステンドグラスを通過した光が七色に変わる。その柔らかい光を背に、ミレイ会長は笑みを浮かべていた。


この人は、幸せになるべき人だ。


そう、ライは強く思った。



311: 2015/07/07(火) 23:32:42.26 ID:pJv3maSDO
早朝。


起床後、ライはいつも通りクラブハウスを出て、ミレイから案内してもらった道順を辿っていた。生徒会の仕事は昨日のうちに終わらせてしまったので、他にやることも無い。


外周をぐるりと周り、校門付近を通る。そこで、あるものを見つける。


「……あれは」


道路を挟んで向かい側、アッシュフォード学園の対面には、それなりに大きい大学がある。その大学の前に、軍用の大型トレーラーが停車していた。


確か、スザクの上司が利用している物のはずだった。


「…………」


紛れもなく、ブリタニア軍の物だ。車種や識別番号、製造年月日、作ったであろう工場の位置。全て頭の引き出しから取り出すことが出来る。


奇妙な感覚だった。


普通の人間なら知らないような事を知っているのだ。しかも軍用車両の情報など、マニアック過ぎるもの。埋め込まれたかのような違和感のある知識。


ライがブリタニア軍を苦手としているのは、こういった事が理由だった。


離れよう。そう思って背を向ける。ここにいても、良いことはない。


「あ、ちょっと。きみきみ」


少し遅かったらしい。振り向くと、白衣を着た長身の男性が立っていた。


「……なにか」


「んー。ちょっと話を聞きたくってね」


男性は子供のように無邪気な笑顔を浮かべている。何が楽しいのだろうか。


312: 2015/07/07(火) 23:33:43.82 ID:pJv3maSDO
まだ早朝だ。校門は開いていない。三メートル近い門を挟んで、ライと男性は会話していた。


「あなたは……」


「あ、僕は怪しい者じゃないよ。そこの大学で研究とかしてる、ロイドっていうんだけど」


「……スザクの関係者でしょ。以前、見かけましたから」


ロイドと名乗った男性は笑顔を崩さない。ライの中で、むくむくと警戒心が膨れ上がっていく。


「……それで、話というのは」


手早く切り上げたかった。ここから離れたくて仕方がない。


「もちろん、君の事だよ」


「僕の……」


「そうそう。スザク君から聞いてるよ。なんだか、複雑な事情を抱えているようだねぇ」


「…………」


どこまで知っているのだろうか。記憶喪失の事か、身元不明の事か。前者はともかく、後者はまずい。身元不明者をかくまっていると軍の人間に知れたら、ミレイ会長に迷惑がかかる。


「……スザクは何て言ってました」


「んー。スザク君に聞いても、なーんにも答えてくれないんだよねぇ。それで気になって調べてみたら、学園のデータベースに君の名前、無いし」


んふふ~、と特徴的な笑い声をあげる。


「それで、僕に何か」


「キミ、ナイトメア・フレームって知ってる?」


こちらの質問には答えず、ロイドは質問をしてきた。


ナイトメア・フレーム。


また、頭の引き出しが開く。


313: 2015/07/07(火) 23:37:18.94 ID:pJv3maSDO
「ブリタニア軍の主力兵器ですよね」


ライが知っているのはそれだけでは無い。ナイトメア──例えば現行の主力機である<サザーランド>について、そこらの専門家より雄弁に語れる自信があった。


全高や重量、主な火器といった比較的ポピュラーな情報から、センサーの範囲や生産数、稼働時間……抱えている構造的な問題とその数。操作の習熟に掛かる時間。それらが明確に分かるのだ。


だが、そんなことをロイドに言えるわけがなかった。普通の無知な学生を装うしかない。


「キミ、ナイトメアに乗った事があるでしょ?」


「は……」


ロイドが何を言っているのか分からず、ライは言葉を失った。ナイトメア・フレームといえば、専門の訓練を受けたブリタニアの騎士にのみ搭乗資格が与えられる、特殊な兵器だ。学生が乗れる代物ではない。


「どうしてですか」


「ナイトメアの搭乗者は肉体的な特徴があるんだよね~。しかも、キミの場合はかなり凄い。一〇や二〇の搭乗時間じゃ、こうはならないから」


「…………」


こういう時、無表情は役に立つ。


「で、どうなの?」


ロイドは未だに笑みを絶やさない。決定的な証拠を突きつけ、勝利したつもりなのか。


「……なら、スザクもナイトメアに乗っているんですか」


今度はこちらが、質問に質問で返してやった。ロイドは笑みをやめ、ようやく目を合わせてくる。今までのおどけた姿からは想像も出来ない、背筋が凍るような、全てを見通す瞳だ。


「…………」


「……では、僕はこれで」


今度こそライは校舎に向かって歩き出した。


背後から視線を感じたが、ロイドは、何も言ってこなかった。


314: 2015/07/07(火) 23:40:39.05 ID:pJv3maSDO
今回はこの辺で。最近は忙しく、モチベーションに時間が追いついていない状況です。本当なら毎日投下したいんですが。


では、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。


──ロスカラはミレイさんに惚れるところから始まる。私はそう考えています。

315: 2015/07/07(火) 23:44:42.11 ID:C654XJPRo
ミレイさんいいよね
乙です

316: 2015/07/07(火) 23:45:19.06 ID:JCAVAAwIO
乙です

317: 2015/07/08(水) 00:42:31.24 ID:339vOetco

引用: コードギアス 【ロスカラ】