【ロスカラ】コードギアス 【前編】
319: 2015/07/12(日) 23:53:14.45 ID:MWeDbjUDO
昼休み、ルルーシュは屋上へ続く階段を登っていた。


徹夜明けで午前の授業を終えた体は、即時の休眠を要求している。腹は減っていたが、まずは睡眠だろう。なにせ四時間後には"仮面"を被り、完璧な指導者として振る舞わなくてはならないのだ。


(まったく……)


授業中はシャーリーの妨害を受けたために、ほとんど眠れなかった。説き伏せようとしても、彼女はまったく聞き入れてくれない。最近、生徒会に顔を出していないのもあり、ひどく不機嫌なのだ。


(理解出来ないな……)



考えても、なぜシャーリーが不機嫌になるのか、ルルーシュには分からなかった。以前は生徒会の仕事が滞るなどと言っていたが、今はとても優秀な新入りがいる。やる気があって、物覚えも良い。しかも時間に余裕がある人物だ。


正直、助かっている。


「……ん?」


ようやく寝床にたどり着き、扉を開く。電子錠が掛かっていたが、学園中のパスワードを知り尽くしているルルーシュにとっては取るに足らない事だった。


屋上に入ったところで人影を見つけ、ルルーシュは訝しく思った。俺の聖地を侵す者は誰だ、と身勝手に憤る。相手に感づかれないように、様子を窺った。


青空の下に佇む細い背中。スラリと伸びた手足。風に揺れるアッシュブロンドの髪。怜悧な美貌。最近、学園の生徒から注目を集めている人物だ。男子からは憎悪と羨望、女子からは好意と憧憬。


本人は気付いていないようだが、学園名物としての地位を確立してきている。


ライだった。


彼は演奏中のピアニストのように目を閉じ、耳を澄ましている。その姿は幻想的で、どこか儚さを漂わせていた。
コードギアス 反逆のルルーシュ LOST COLORS

320: 2015/07/13(月) 00:11:38.94 ID:LDywV5nDO
歩み寄る。距離は三〇メートルほど。六時の方向から接近。完全に背後をとった。


「ルルーシュか」


すぐに気づかれた。


「……驚いたな」


言葉とは裏腹に、ルルーシュは動揺した素振りを見せなかった。代わりに苦笑を浮かべて


「気づかれないと思ったんだがな」


「足音で人を判別出来るというのは、どうやら本当のようだ」


ナナリーの入れ知恵か。近頃、ライはルルーシュの最愛の妹と頻繁に会っている。兄としては複雑な気分だった。


「屋上には良く来るのか」


手すりに肘を預けて尋ねる。穏やかな風が、ルルーシュの黒い髪を揺らした。


「いや、ここに来たのは単なる気まぐれだ。君の睡眠を邪魔したくないし、戻るよ」


気まぐれとは珍しい事を言う。ライは理詰めで動く人間で動くと思っていた。そして、ルルーシュは自嘲の笑みを浮かべ、


「あのな。俺だって、いつも睡眠欲に駆られているわけじゃない」


真っ赤な嘘だった。ルルーシュはここへ昼寝しに来たのである。ただ、ここで本当の事を告げれば、それがナナリーの耳に入ってしまう。ライはナナリーに甘い。ねだられたら、口座の暗証番号ですらあっさりと言うだろう。それくらいに甘い。




321: 2015/07/13(月) 00:27:59.54 ID:LDywV5nDO
「良ければ、少し話をしないか」


「……ああ」


ライは静かな眼差しでルルーシュを見つめた後、それを学園の外に向けた。学園の正面入口より先、向かいの大学。軍用の大型トレーラーが停車している。


「良い景色だろう。ナナリーも、ここを気に入っている」


ルルーシュが妹の名前を口にすると、ライは何かを慈しむように目を細めた。


この表情だ。


他の人間には決して見せない、穏やかな横顔。ライはナナリーと接している時に、こういった顔をする。


「ナナリー、か」


「…………」


注意深く観察する。この少年がナナリーに対して邪な感情を抱いていないという事は知っていた。普段からは想像も出来ない包容力。その接し方はまるで──そう、兄のようなのだ。



「ここにナナリーが来やすくなるよう、ミレイさんに頼んでみたらどうだ」


この屋上へ上がる手段は階段のみだ。エレベーターや身障者用のリフトは設置されていない。つまり、ナナリーが来るにはどうしても他者の協力が必要になるということだ。


「そうはいかないさ。クラブハウスに住まわせてもらっている身としてはな」


「そうか。……だが、必要な時に言ってくれれば、僕がナナリーを運ぶぞ」


これだ。この積極性。



322: 2015/07/13(月) 01:04:36.54 ID:LDywV5nDO
「……それは、お前がナナリーを抱きかかえるという事になるんだが」


「そうなるな」


「許すと思うか?」


尋ねると、ライは右手を口元にやって思案した。たっぷり五秒費やし、


「……問題ないと思うんだが」


「大ありだ……!」


珍しく声を荒げた。ナナリーを男子生徒が抱き上げるなど、断じて許されない。だが、何よりルルーシュを苛立たせたのは、その光景を容易に想像出来たことだった。


ライが提案すれば、ナナリーは照れながらも承諾するだろう。間違いない。だが、許さない。



「何故だルルーシュ。失礼だが、君は体力面で問題を抱えている。同年代男子の一般水準を大きく下回っているはずだ。ナナリーの安全を考慮すれば、僕が協力した方が合理的だと思うぞ」



いつになく饒舌だった。加えて、まったくの正論だった。部下に欲しいぐらいだと、ルルーシュは思った。


こういう時、力任せに反論するのは愚かだ。体力面で問題を抱えているのは事実だし、ライが協力した方が良いのもまた事実だろう。しかしながら、それを認めるわけにはいかない。


ルルーシュはにっこり笑って言った。


「お前の気持ちはありがたく受け取っておくよ。だが、これは兄である俺の役目だ。他の奴には譲れない。たとえ、お前やスザクにもな」


既に、ライの弱点は把握していた。こう言えば彼が反論してこない、してこれないということも熟知した上での発言だった。

323: 2015/07/13(月) 01:05:53.81 ID:LDywV5nDO
「そうか……そうだな。すまない。出過ぎた発言だった」


「いや、いいんだ。お前の気持ちが嬉しいのは、俺もナナリーも同じだからな」


これも本心だ。ルルーシュはライに対して、好感を抱いている。落ち着いた物腰に、行き届いた気配り。チェスの腕も良いし、本の趣味も合う。なにより議論をしていて楽しかった。


シャーリーやリヴァルのような友人とは違う関係だ。信用と信頼の違いとでも言おうか。有事の際、ルルーシュはライを頼るかもしれない。ナナリーを任せるかもしれない。そういった人物は租界全体で見ても、五人といないだろう。


学園の中で言えば、スザクやミレイと並ぶかもしれない。どうしても他人を採点方式で評価したがる彼にとって、珍しいくらいに高評価だ。


「…………」


ルルーシュは横に立つ少年を見定める。彼がここに来て、三週間になろうとしている。本人はどう考えているかは分からないが、今ではすっかり学園や生徒会に馴染んでいるように思えた。


変な奴だった。


他人の懐に入るのが不思議なくらいに上手い。複雑な事情を抱えている人物が、揃って心を許してしまっている。スザクやカレン、ミレイにナナリー。そしてそれは、ルルーシュ自身も例外ではなかった。



324: 2015/07/13(月) 01:06:28.88 ID:LDywV5nDO
だからこそ気になる。どうしても引っ掛かる。


「なあ、ライ。聞いていいか」


「……僕にわかることなら」


ルルーシュは頷き、一秒だけ時間を置いた。その一秒で考えを纏める。


「お前は、何を見ているんだ」


「……?」


「お前はナナリーといる時、何か遠い物を見るような目をする事がある。それも頻繁にな」


ルルーシュが聞きたい事はこれだった。


「……良く見ているんだな」


「まあな」


ライは空を見上げた。蒼く、高い空。上空では風が強いのか、雲が千切れては流れていく。


「お前の目は、ナナリーを見ているのか? それとも……」


遠い遠い記憶の彼方にいる、別の誰かか。


「……さすがはルルーシュだな。隠し事は出来そうにない」


核心部分を突いたというのに、ライには動揺した様子は見られなかった。何か探っているわけでもない。取り繕おうとしている風にも見えない。


「……ナナリーを見ていると、思いだせそうなんだ。僕にも妹がいたんじゃないかって」


「そうか。だからお前はナナリーに、兄のように振る舞っていたんだな」


ライの答えは、ルルーシュの予想通りだった。



325: 2015/07/13(月) 01:07:16.94 ID:LDywV5nDO
「……すまない」


ライは俯き、謝罪する。これもまた、予想通りの展開だった。


「勘違いするな。別に迷惑と言っているわけじゃない」


「…………」


「その逆だ。少しは感謝しているんだ。お前が来るようになってから、ナナリーはよく笑うようになった……まあ、兄としては複雑な気分だがな」


ルルーシュが家を留守にするようになってから、ナナリーは寂しがっていた。それを埋めた──いや、それどころか以前より笑うようになったナナリーを見ては、文句など言いようがない。兄としての心情も含めて、全て本心だった。


「君の言う通り、僕はナナリーに誰かを投影している。だが、だからといって彼女を疎かに扱っているわけではないんだ」


ライの声に、珍しく必氏な色が混ざった。自身の擁護ではなく、あくまでも他人の名誉を守ろうとする。ルルーシュは笑って、


「分かっているさ。でなければ、俺もこんな話はしないからな」


もう一度空を見上げた。


背を伸ばし、深呼吸する。


「ナナリーが言うには、ここは空気が違うそうだ」


「……そうなのか」


ルルーシュは、ゆっくりと言葉を紡いだ。取り留めのない、ただの雑談。何気ない日々の記憶。ナナリーの事、スザクの事、ミレイの事、生徒会での思い出。色々だ。


ライは黙って聞いていた。どうしてか、この少年には色々と喋ってしまう。


やはり変な奴だと、ルルーシュは思った。



332: 2015/07/18(土) 10:14:05.16 ID:oFzwPuzDO
放課後の生徒会室。今日は珍しく、ルルーシュもカレンも出席していた。スザクも補習が終わり次第、こちらにやってくる。久しぶりの全員集合だ。ミレイ会長はここぞとばかりに強権を振るい、仕事を割り振っていた。


「…………」


多くの人間が忙殺されているなか、ライだけは一人、持参した文庫本を読んでいる。彼はいつもの調子で早朝と昼休みに生徒会室に来て仕事を終わらせていた。


しかし、この積極性に満ちた自己活動がミレイ会長は酷く気に入らなかったらしく、「不公平だから自主練禁止!」との裁定が下されてしまった。そして生徒会の最高権力者から「勉強ならこっちにしなさい」と渡されたのがこの本だ。


(……わけが分からない)


一定のリズムを刻みながらページを捲る。読むスピードには自信があった。しかし今までの本と違って、まったく理解が出来ない。


ルルーシュから貸してもらった政治や思想、金融や投資を扱った書籍や、ニーナの持っている複雑で難解な科学、テクノロジーの本と比べれば、ライの手元にある一冊はとても小さく、薄い物だった。


どこへでも持ち運べるサイズで、二五〇ページくらい。文字数も少なく、読破するには三〇分も掛からなかった。


だが、


(理解出来る気がしない……)


本を読んでここまで絶望的な気分に陥るのは初めての経験だ。渡された時は取るに足らないと思っていた文庫本が、今では世界のあらゆる文学より煩雑で、強大に思える。



333: 2015/07/18(土) 10:45:55.10 ID:oFzwPuzDO
「なにを読んでいるの?」


隣に座っていたカレンが横から覗き込んでくる。ごく自然な動作。彼女の赤い髪が肩に触れそうなほど近い距離まで迫ってきて、シャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐった。


普段の、他人に興味を抱かず、物理的にも精神的にも距離を置いているカレンからは想像出来ないくらいに近く、気やすい。あの寂れた公園での一件以来、彼女の表情や仕草が目に見えて明るくなった。理由は分からないが、心を許してくれたのかもしれない。


しかし、ライの意識は未だに文庫本の方へと向いていた。学園でも一番人気の美少女が傍らにいるというのに、その態度に変化はなかった。


「珍しいわね。恋愛小説なんて」


「……こんなに難解な書籍は初めてだ」


「まあ、そうでしょうね」


苦々しく言うと、カレンはくすりと笑った。上品で一分の隙も無い。あの時に見せた苛烈な言動が嘘のようだった。


「君は恋愛事に詳しいのか」


「え? ど、どういう意味よ」

「僕には理解出来る兆しすら無いが、君は違うだろう」


なにせ、学園に親衛隊が創設されるほどの人気だ。彼女なら交際相手など選び放題だろう。そう思って尋ねたのだが、不思議な事にカレンは顔を赤くした。


「詳しいわけないでしょう」


「なぜだ」


「な、なぜって言われても。男の人と付き合ったことないし……」


「交際経験がないのか」


「そ、そうよ。悪いかしら」


カレンの紅潮は顔全体に及んでいた。突然の質問責めに羞恥心を刺激されたのか、彼女はギ口リと睨んでくる。



334: 2015/07/18(土) 11:14:02.54 ID:oFzwPuzDO
カレンが語気を強める。向かいの席でなぜかシャーリーが嬉しそうにしていたが、二人はまったく気づかなかった。


「異性に恋愛感情を抱いた事もか」


「無いわよ」


「なら、僕と同じだな」


少し得意気な様子で、ライは文庫本に視線を戻す。学園屈指の朴念仁と同列に扱われたことで、カレンの怒りは最高潮に達した。


「そんな簡単な恋愛小説も分からないあなたと、同じなわけがないでしょ」


ふふんと、カレンは鼻で笑うように言った。病弱でおしとやか、優しいお嬢様の面影は既に霧散していた。


「君には分かるのか」


「分かります。あなたと違って、ね」


カレンは柄にもなく挑発的な口調だったが、ライはその意図に気づかないまま頷き、冷静に言った。


「興味、あるんだな」


「な、無いわよっ……!」


見事なカウンターだったらしく、彼女は大きくたじろいだ。それを尻目に、ライは首を捻りながら読書を続ける。


平凡な男と優秀な女スパイとのロマンスを描いた作品だった。ひょんな事から厄介事に首を突っ込むことになった男と、彼を巻き込み、逃走劇を繰り広げる女。


当初は身分の偽装の役に立つという理由だけで彼を利用していた女が段々と心を開き、恋に落ちるまでの様子を描いている。


物語は佳境に入り、女の方が男に好意を伝えるという場面。なぜか女は「私の共犯者になって」などと意味不明な言葉を連ね、男は承諾。そのままハッピーエンドへ直行だ。



335: 2015/07/18(土) 11:37:48.38 ID:oFzwPuzDO
「さっぱり分からない……」


普通に好きだと告げれば良いではないか。なぜ、平和な世界で生きていた男を危険な裏社会に引き込もうとするのか。途中の銃撃戦で男に射撃の才能があるかのような描写はあったが、それだけではとても納得できない。


男の方の心情も理解出来なかった。女は敵組織の混乱を誘うため、男もろとも幹部を爆頃しようとしている。明らかに危険な人物だ。男が彼女に対して劣情を催しているという事はしつこく描写されていたが、リスクとリターンが噛み合っていない。馬鹿な奴だと思った。


「ちょっと貸して」


カレンに文庫本を渡す。途端に、彼女も眉間に皺を寄せた。


「分かるか」


「わ、分かるわよ。もちろん。映画で見たことあるし……」


映画化までされているのか。カレンがそういった娯楽を嗜んでいるところが想像出来なかったが、それは口にしなかった。


「そうか。なら……」


疑問に思っていた点を尋ねる。やはり、「あれよあれ」だとか「考えなくても分かる」だとか「この人たち馬鹿なんじゃないの」だとか要領を得ない答えばかり返ってきた。


しかし一点だけ──女が男に正体を明かすシーンだ──カレンが明確な解説をした。


「これはちょっと分かるかな」


「なんだ」


「自分の事を知ってもらいたかったんでしょ。誰にも話せず戦うって、辛いことだから」


「……そうなのか」


「そうなの」



336: 2015/07/18(土) 11:53:14.60 ID:oFzwPuzDO
「やはり分からないな」


正直、ライの興味はわけのわからないロマンスより女の所属している諜報機関やその規模、装備などの方に向いていた。組織的な活動をしているにも関わらず、なぜ重要な任務を個人に任せるのだろう?


「向いてないのね。きっと」


お前には無理だ、と間接的に告げたカレンは再び書類仕事に戻る。話していたせいで他のメンバーより進行が遅れていたようだ。


ライは文庫本を閉じて、傍らに置く。向いてないらしいので、このまま読んでいても仕方がない。


「手伝おう」


「大丈夫よ。一人で出来るもの」


書類に伸ばした手をぺしっと弾かれる。いつにも増して素っ気ない。敵意すら感じる。


「なんだ、怒ってるのか」


「怒ってない」


「最近の君はよく怒る」


「それはあなたのせいでしょ……!」


「だが、それは君にも問題があるだろう。いい加減、僕とアーサーを同列にあつか……」


ライがそこまで言ったところで、いつからか喋らなくなっていたミレイ会長が立ち上がった。凄い勢いだった。またも椅子が吹っ飛んでいく。


カレンとライをビシリと指差し、


「そこ、いつまでイチャイチャしてるの! 今は仕事中よ!?」


他の生徒会メンバーの視線がミレイに向いてから、二人に移る。


イチャイチャとはどういう意味なのだろう。ライは首を傾げた。



337: 2015/07/18(土) 11:55:00.52 ID:oFzwPuzDO
ちょっと休憩

340: 2015/07/18(土) 22:12:09.05 ID:oFzwPuzDO
「い、イチャイチャって……。別に私達は」


「してるでしょ、さっきから。この私がからかえないだなんて! って、ちょっとした敗北感を抱くくらいにはしてた。……ね?」


どうやらミレイの怒りは仕事が滞る事に対するものではなく、純粋にその敗北感からきたものらしい。彼女はシャーリーやニーナ、リヴァルに同意を得るべく目配せをする。


「確かに。カレンって、ライにだけは遠慮なく怒ったり叱ったりするし」


シャーリーが言った。怒ると叱るというのは似たような意味なのではないかと思ったが、ライは黙っていた。イチャイチャとはどういった意味なのかと推測するのに忙しかったからだ。


「……仲、良いです」


「気を付けろよライ。最近、カレン親衛隊の人数が三〇〇人を超えたらしいからな」


「……三〇〇だと」


高等部男子生徒のおよそ七割だ。そしてこれは、ライに対して敵意及び殺意を抱く人間の数が三〇〇人を超えた事を意味する。


「な、なぜだ。一週間前まではその三分の一だったはずだ」


リヴァルは親衛隊の情報を度々リークしてくれる。そのおかげで何度も命を救われていた。感謝してもしきれない。


「お前という突発的かつ強大な敵が現れた事で、今まで隠れファンだった連中が加わったんだろう」


ライの右隣に座っていたルルーシュが解説してくれた。



341: 2015/07/18(土) 22:29:43.50 ID:oFzwPuzDO
「なんとか出来ないのか。異常な数だぞ」


「無理だな。連中、ついに正式なクラブとして申請までしてきた。組織的にお前を抹頃するつもりだ」


「…………」


もはや予断を許す状況ではなくなってきている。こうなったら最後の手段である「カレンとルルーシュは交際している」という情報を流すしかない。


リヴァルと共に以前から準備していたおかげで、実行自体はごく簡単に済むだろう。幾つかの証拠を捏造する用意も、既に整っていた。


「……すまないな、ルルーシュ」


「? なんで謝るんだ」


きっと大丈夫だろう。ライと違ってルルーシュには社会的な地位があるし、なによりナナリーという守り神がついている。不埒な輩も手が出せないはずだ。


ライがルルーシュと話している間にも、真っ赤になったカレンが女子メンバーから集中砲火を浴びていた。


「意外よね~。箱入り娘のカレンが一抜けするなんて」


「違います。わ、私はお世話係として、彼を案内していただけですから」


「真面目ねー? 最初はあんなに嫌がってたのに?」


「そんな……嫌だったわけじゃないですけど」


「今じゃ楽しみなんだ?」


「いや、だから、それは……」


「赤くなっちゃって~。いいわねぇ、青春よね~」


「……ミレイちゃん、年寄りっぽい」


342: 2015/07/18(土) 22:35:09.18 ID:oFzwPuzDO
「カレン、可愛い」


「シャーリーまで……。やめてよ、本当に違うから」


「ふふーん?」


「な、なによ、もう……」


「ところで、イチャイチャとはどういう意味なんだ」


「お願いだから、あなたは黙ってて……!」


凄まれ、ライは口をつぐんだ。他のメンバーと態度が違い過ぎるのではないだろうか。


「追求はまた後で。今は仕事仕事! 残すと誰かさんが勝手にやっちゃうからねー」


これ以上からかうと本気でカレンが怒ることは分かっているのだろう。生徒会長は引き際も見事だった。発言権を奪われたライは黙って文庫本を開く。余白の目立つページを捲りながら、再び思考の渦に身を委ねた。


ミレイの仕切りの下、再び皆が仕事に専念する。しばしの間、生徒会室に響くのはペンが紙の上を移動する音と、事務的なやり取りのみ。


何度かカレンの方に目を向けるも、


「…………」


そっぽを向かれてしまった。どうやら怒らせたらしい。理由が分からず、ライは内心で首を傾げた。


そんな状態のまま二〇分ほど経過し、書類仕事が概ね完了した。この後は定例報告とイベント準備の進捗状況を確認して、今日の生徒会は終わる予定だった。


「生徒会企画に関する予備アンケートってどうなってる?」


「リヴァルが今日までに配布を済ませているはずなんですけどー」



343: 2015/07/18(土) 22:36:15.43 ID:oFzwPuzDO
「寮の方はもう終わってるよ。あとは自宅通学者の分だけなんで、いましばらくのご猶予を!」


リヴァルはあっけらかんと言ってのけたが、ミレイ会長は眉を寄せ、唇を尖らせた。


「ガッツ出しなさいよぉ! 回収もあなたの責任で達成するのよ。そのためのバイクでしょーが!」


「か、会長ー、ここでの俺の存在価値はバイクだけっすかぁー!」


「ん? そんなことないわよ。ほかにも員数合わせだって、立派な存在価値のひとつだし」


「う、しどい! 俺泣いちゃう!」


ミレイのあんまりな発言にリヴァルが大げさなリアクションをとり、笑いが起きる。和気あいあいとはこういう事を言うのだろう。


ここに来た当初からライを悩ませていた異物感は、今ではだいぶ薄まっている。


楽しいと感じているのだろうか。


「…………」


きっとそうなのだろう。


(ん……?)


ふと、右隣のルルーシュから視線を感じ、そちらに目を向ける。思った通り、アメジストのような瞳がライを見据えていた。


「…………」


そこには何かを哀れむような色があった。何かと思ったが、彼は肩をすくめて視線を外す。


「あーっ! なんでルルとライが見つめ合ってるの!?」



344: 2015/07/18(土) 22:37:30.42 ID:oFzwPuzDO
シャーリーから非難の声が挙がる。どうしてルルーシュと目が合っただけで彼女が怒るのかが理解出来なかった。ニーナが顔を赤くしている理由も分からない。


「はい、妬かない妬かない。それでカレン、学園祭の資材に関してなんだけど」


ミレイがシャーリーを宥めながら、こちらに話を振ってくる。学園祭の屋台に使う資材や備品を新しく購入する際、専門の業者に注文するのが普通だ。カレンに割り振られた役割は、注文する品の数と種類を調査することだった。


「一応は終わりましたけど、この時期はどこのクラスも適当ですから。注文書通りにはなかなか……」


「そうよねぇ。適当に注文して、足りない分は後から言えばいいと思ってるんだろうし」


「また生徒会が大騒ぎする事になっちゃいますね」


カレンからの報告を受けたミレイが呆れたように息を吐き、シャーリーが暗澹たる未来に辟易する。


大部分の注文は業者がそのまま納品してくれるが、細かい注文は生徒会が対応することになっている。学園祭の日程が近づくにつれ追加注文が多くなり、この部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図となるのだ。


「まあ、先の事にうだうだ言っても仕方ないか……。それで、注文する業者についてはどう?」


ミレイがこちらを見てくる。発注する業者の選定はライに一任されていた。カレンの調査結果を基に、納入のスピードや値段を踏まえて、一番良いところを選ばなければならない仕事だ。



345: 2015/07/18(土) 22:38:35.08 ID:oFzwPuzDO
「…………」


だが、無言。


「……ライ? なんで黙ってんのよ?」


ミレイが怪訝な顔をする。


「まさか、やってないとか?」


「そんな、リヴァルじゃあるまいし……」


リヴァルとシャーリーからも疑問と戸惑いの眼差しを向けてくる。それでもライは無言を貫いていた。


「なんで突然黙り込むのよ。……あ」


ミレイが何かに気づいたらしい。カレンの方を見る。他のメンバーの視線もそれに続き、今度はカレンが戸惑うことになった。


少しして彼女も気づいたらしく、


「……いいわよ。喋っても」


ライにだけ聞こえるようにぼそっと言った。ようやく発言の許可が下りたので口を開く。


「その件については、既に見積もりを出しているはずですが」


「値段が高いのよ。コストオーバーすれすれじゃない」


「あれは最悪の場合を想定した数値です。発注が遅れ、選択肢が狭まり、小回りしか取り柄の無い業者に複数回注文した際の……」


学園祭をやる時期というのはどこも似通っている。従って、利益が欲しい業者の方もそれを見越して値段の上げ下げを行うのだ。


346: 2015/07/18(土) 22:40:28.16 ID:oFzwPuzDO
なるべく早い時期に要望をまとめて一度の発注で済ませれば、それだけ予算は浮く。反対に、それらを手こずった場合は業者の方が忙しくなり受注してもらえなくなって、割高なところへ頼むしかなくなってしまう。


要は早い者勝ちという事だ。


ライは鞄から分厚い書類の束を取り出した。A4サイズの紙が無造作にクリップで止められたそれをテーブルに置く。先ほどの恋愛小説のページ数を上回る枚数であった。


「過去のデータから出し物に使う資材は予測出来ました。それに基づいて作った受注業者のリストがこれです」


「そ、それ全部……?」


シャーリーの若干引き気味の質問に頷く。


「僕にはこういった知識が無いので、とりあえず何らかの形で利用出来そうな物は全て入れました」


例えば屋台で出す飲み物。そのメーカーに頼めば業務用の物を安く仕入れる事が出来るが、代わりにレパートリーが狭くなる。近所のショッピングモールなら値段は高くなるものの、品揃えは比べものにならないくらい豊富だ。


飲食関係だけでこれなのだ。着ぐるみなどを貸し出すイベント会社、ホームセンターやスーパー、雑貨屋に害虫駆除、ディスカウントストア。果てはランジェリーショップまで入れれば、書類がここまで肥大化するのも当然のことだった。


「一応、その時々で理想的な条件に当てはまる所にはマーカーで目印を付けています。参考までにどうぞ」


「ふーん。どれくらい安くなりそう?」


「都合良く運べば例年の四割ですね。そのぶん仕事がかさみますが」


「発注はいつくらい?」


「許可さえ頂ければ今すぐにでも」


「ならば良しっ!」


書類に目を通しもせず、ミレイ会長は太鼓判を押してくれた。

353: 2015/07/23(木) 19:01:08.99 ID:jVTaH5bDO
生徒会のメンバーからも感嘆の息が漏れるが、ただ一人、隣の世話係主任だけは不機嫌な様子でツーンとしていた。理由はまったく分からない。今では手元の小説とカレンの気性が、同じくらい難しいと思える。


会議が再開されて少しした頃、生徒会室の扉が開いた。


「遅れてすいません」


「おっそーい!」


補習を終えたスザクだった。会長からの執拗なバッシングを笑顔でかわしながらルルーシュの隣の席へ向かう。


「やあ」


「ああ」


スザクと短い挨拶を交わす。今日は気分が良いので、彼の書類仕事も手伝おうか……などと思っていると、


「最近、調子良いみたいだね」


笑顔でそう言われた。


「そう見えるか」


調子が良い。体調の事を言っているのだろうか。リヴァルが含んだ笑顔をこちらに向ける。


「見える見えるぅ。なんつーか、態度がハツラツとしてきたよな」


「あー、それ分かるなー」


「ですよねー」


ミレイとシャーリーが続く。二人共、リヴァルと同じ含み笑いだった。妙な連帯感がある。



354: 2015/07/23(木) 19:21:02.45 ID:jVTaH5bDO
「理由は、やはりあれですか」


「あれだわね」


「あれでしょうねー」


「あれ、ですか……」


リヴァル、ミレイ、シャーリーに今度はニーナが加わる。連帯感が強まったようだ。四人はうんうんと頷きながら、何かを確認し合っているらしい。


スザクは不思議に思ったようで、隣の親友に尋ねた。


「あれって? なんのことかな、ルルーシュ?」


「ん? ……さあ?」


あの結託の意味が分からなかったらしいスザクとルルーシュがこちらを向く。二人に分からないものがライに分かるはずが無い。返答代わりに首を傾げた。


「えー? 分からないのー?」


戸惑う三人にシャーリーから非難めいた視線と言葉が贈られた。


「朴念仁ズはほっときなさいな。ってことで、どうなのカレン?」


ミレイから声をかけられた事で、今まで沈黙を保っていたカレンの肩がピクリと揺れる。


「なっ、なにが?」


「とぼけちゃって、このーっ!」


また始まってしまった。ミレイのテンションが上がっていくのが分かる。この第二波を予期していたからこそ、カレンは息を潜めていたのかもしれない。


身を乗り出して目を輝かせる生徒会長を見て、ライは思った。

355: 2015/07/23(木) 19:40:26.70 ID:jVTaH5bDO
「彼が随分打ち解けてきたのも、あなたの影響なんじゃないのぉ?」


「確かに。カレンも生徒会に良く顔出すようになったし!」


「あれだけ一緒にいれば、そりゃーもう、ね?」


ミレイ、シャーリー、リヴァルの見事な波状攻撃にさらされ、カレンがまたもたじろぐ。助け舟を出そうかとも思ったが、また状況を悪化させる事は明白だったので黙っていた。


「そうそう、二人の時間が彼の力に。なーんて、きゃーっ!」


「ふ、二人の時間って……! なにを言っているのよっ。わ、私は生徒会の仕事として……」


顔を赤くしてはしゃぐシャーリーに、カレンがいつになく必氏に反論する。ミレイとリヴァルはにやにやしているし、ニーナも控えめな笑みを浮かべていた。


対して、取り残された朴念仁ズは完全に沈黙している。ルルーシュは静かに読書し、スザクは何が楽しいのかニコニコと笑っていた。ライはいつも通りの無表情を貫いているしかなかった。


「…………」


"いつも通り"。


確かに、打ち解けてきたのかもしれない。ゆっくりと流れる穏やかな時間。賑やかな人達。平和な場所。


きっと、この環境を尊いと感じているのだろう。失いたくないと思い始めている。来たばかりの頃は居心地の悪さが大半を占めていたというのに。


今では楽しいと思っているのかもしれない。


「…………」


これは変化だ。成長と言っても良いかもしれない。こうしていれば、やがては普通の人間になれるのではないだろうか。


もう一度、周りの人々を見やる。


やっぱり眩しくて、ライは顔を伏せた。



356: 2015/07/23(木) 19:58:46.17 ID:jVTaH5bDO
未だに世話係主任への追求は続いている。


皆はカレンのおかげだと言っているが、それは違う。彼女だけの尽力ではない。


ここに来て三週間近く。決して友好的、積極的ではない自分を大勢の人が支えてくれた。自らの足で歩こうともしない自分の手を、大勢の人が引いてくれた。声をかけ、接してくれた。


感謝してもしきれない。


ライは意味も無く、膝の上に置いた左手を握った。そこでまた、隣から妙な視線を感じた。


「…………」


やはりルルーシュだ。


なんだ? と目で問いかけるも。


「……フン」


「……?」


何が気に入らないのか、鼻を鳴らして目を逸らされてしまった。相変わらず気難しい。


「それで、二人で歩いているのよねー。い・つ・も」


「そ、それは、だから……」


シャーリーはここぞとばかりに真っ赤になったカレンにじゃれついている。ミレイは満足そうに頷いて言った。


「照れない照れない」


「そ、そもそも世話係主任に任命したのは会長じゃないですか!」


「怒らない怒らない」


満足そうな会長はカレンからの抗議もどこ吹く風だった。それに続くように、リヴァルも頷いて、


357: 2015/07/23(木) 20:24:53.93 ID:jVTaH5bDO
「まんざらでもない、まんざらでもない」


「え……まんざらでもないんですか」


ニーナまで顔を赤くして同調し始めた。


「ちょっともう……! あなたもなんとか言ってよ」


黙っていろと言ったり喋れと言ったり、なかなか注文が多い。しかしなんと言っていいか分からず、ライは呻いた。


おそらく、カレンは現状の打開をしたいのだろう。今までの言動から考えて、からかわれるのを嫌がっていると推測できる。その上で、自分に要求される役割、意見とは何か?


(誤解を生まず、茶化されない言葉か……)


難しい。ミレイ達がライとカレンの仲を疑っているらしいのは何となく分かる。そして、それをカレンは嫌がっているわけだ。下手に取り繕うのは下策だろう。


ありのままの事を話した方が矛盾も生まれず、結果的には良い方へ向かうのではないかと思った。


「……正直に?」


万が一のために、確認を取る。カレンは敵陣を睨みつけながら頷いた。


「そうよ。ビシッと言ってあげて」


許可が下りたことに安堵したライはこくりと頷いてから、起立した。全員の意識はこちらを向いている。全員が、次の一言に耳を傾けている。


失敗は許されない。静寂の中で決意する。


そして息を吸って──静かに、場に染み込ませるように、それでいて毅然とした態度で告げた。



「まんざらでもない」

359: 2015/07/23(木) 21:05:03.93 ID:jVTaH5bDO
「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


生徒会室はしばしの間、沈黙に支配された。ルルーシュとスザクとライ、朴念仁ズ以外のメンバーは一様に呆気にとられている。


この状況を作り出した本人は満足したように着席した。達成感のような物があった。期待に応えられたと自負していた。


だが、隣のルルーシュは眉間を押さえる。頭痛でもするのだろうか。


「……どうしてその結論に至ったんだ」


「……?」


わけが分からない。この不穏な空気。つい先ほどまであった達成感は露と消え、不安が音を立ててやってくる。


またやったか。


恐る恐るカレンの方を見た。空色の瞳が驚きに見開かれている。そして、目が合った。


「……な」


彼女の顔が、見る見る赤くなっていく。これは、ライの(自信を持って行った)発言が失敗した事を意味していた。


「な、なに言うのよ!?」


「いや、正直に……」


何が悪かったのかと本気で考えた。彼女が赤くなるのは怒る時だ。今までさんざん体験してきた。



360: 2015/07/23(木) 21:22:28.70 ID:jVTaH5bDO
「ひゃあ……」


「これはこれは」


「大胆、です……」


生徒会女子メンバーは揃って赤面していた。あろうことか、あのミレイまで真っ赤になっている。初めて見た。これは、今回の発言が過去最大の失言だったという事を表している。


「お前のそういうところ、素で羨ましいよ」


リヴァルの呟きは呪詛のようだった。


「もう、あなたの記憶探しなんだからね。あ、遊びじゃないんだから!」


カレンは必氏の様子で言ってきた。耳まで真っ赤になっている。


「分かってる。これからも頼みたいんだ」


謝るのも違うかと思い、補足の言葉を付け足す。


「わ、分かってるなら、いいけど……」


とりあえず、会議はそのまま終了した。誤解を生み、茶化されながらもスザクの仕事を全員で終える。


そして、カレンと二人で玄関を出て校門へと歩く。この時間になると人影もまばらで、付近に敵性生命体の気配も感じなかった。


「ほんとにもう、みんないい気なものね」


前を歩きながら、彼女は疲れたように言った。あれだけ冷やかされれば、こうもなるだろう。



361: 2015/07/23(木) 21:45:58.72 ID:jVTaH5bDO
「そうだな。困ったものだ」


頷くが、彼女は気に入らなかったらしい。半目でじろりと睨まれる。


「……あなたが一番、私を困らせているのだけど」


「……すまない」


「でも、冗談抜きにあと少しで思い出しそうな雰囲気はあるんじゃない?」


その言葉には妙に力がこもっていた。


「そうだろうか」


「この前、あなた自分からゲットーを見てみたいって言ってたでしょう? あれも記憶に関係あるんじゃないかしら」


「……確かに」


「次は、眺めるだけでなくて、実際に歩いてみる? シンジュクゲットーとか」


シンジュクゲットーはトウキョウ租界から出てほど近い場所にある。つい最近、レジスタンス組織とブリタニア軍が衝突し、その戦闘で皇族のクロヴィス前総督が戦氏したため大きな話題を呼んだ。


そしてそこは"黒の騎士団"の総帥である"ゼロ"が、初めて姿を現した場所でもある。


「いや、駄目だ。危険過ぎる。確かにゲットーは記憶と関係があるかもしれないが、君を連れていくことは出来ない」


ゲットーでは抵抗勢力とブリタニア軍による戦闘が頻繁に発生している。治安も悪いし、衛生的にも決して良くはない土地だ。


そんなところに、カレンを同行させるなど許されない。怪我や病気どころか、下手をすれば命を落とすかもしれないのだ。


「…………」


「…………」


ライがカレンの提案を突っぱねるのは珍しい。初めてと言っても良かった。だが、彼女は驚きもせずにこちらを見据えてくる。


おしとやかなお嬢様の物でもなく、あの公園で見せた苛烈な物でもない。彼女の瞳が何を映しているのか、何を表しているのか、ライには想像も出来なかった。


沈黙。夕焼けの光が二人を包み込む。カラスの鳴き声が、遠い空に溶けていった。



362: 2015/07/23(木) 21:47:53.60 ID:jVTaH5bDO
「……そう、分かったわ」


どのくらい、そうしていただろうか。カレンがやっと口を開いた。その口調や表情からも、やはり考えを窺い知ることはかなわなかった。


「すまない」


気分を害してしまっただろうか。提案への断り方も分からないせいで、こんなことすら心配になる。


「あなたがそう言うなら、私は一人で行くから」


「ん……ちょっと待ってくれ」


意味が分からない。ライの記憶を探すためなのにも関わらず、本人不在でも構わないとは。


「駄目だ。危険だと言っているだろう」


聞こえないとばかりにカレンはこちらに背を向けた。後ろ腰に手を組み、三歩前に歩く。


「あなたと一緒にゲットーを見た時、私も興味が湧いたのよ。だから、記憶探しっていうのは……ただの口実」


「だが……」


確かにあの時、カレンからは日本寄りの発言が噴出していた。ゲットーを、日本人を直に見てみたいと思うのは、不自然なことではないだろう。


しかし──


「私自身が行きたいんだもの。それを、あなたは止められる?」


「……無理だな。僕に君を束縛する権利なんか無い」


彼女を止める理由はなかった。本当に行きたいのなら、カレンは一人でゲットーに向かうのだろう。


「……わかった。僕も行くよ」


弾よけくらいにはなるだろう。そう思ったが、口には出さなかった。



363: 2015/07/23(木) 21:49:18.68 ID:jVTaH5bDO
「じゃあ、決まりね」


カレンは微笑んだ。


しかし、その直後──横顔に暗い影がよぎった。一瞬だった。距離が遠いのもあり、夕日で眩しかったのもある。よくは見えなかったのだが。


深い悔恨と苦悩の色。そして、なによりの疲労。いま言った事に対するものだろうか。


カレンは、ふとした瞬間にこういう表情をする時がある。租界を歩いている時、軽口を交わしている時、共に食事をしている時。


まるで、自分がここにいる事が間違いであり、それがとても罪深いと思っているような、そんな表情だ。


ごまかしようの無い異物感。


以前から気付いてはいた。だが口にはしなかった。それは彼女の根幹に関わる事だろうし、なにより、その横顔が好きだったのかもしれない。


(……いや、違うな)


きっと共感していたのだ。ライ自身、場違いな所にいると思っている。だから時たま零れるあの横顔に、居心地の良さを感じていたのだ。


「…………」


生徒会での時間を楽しいと思っているのは確かだ。許されるなら、記憶の事など忘れてあのメンバーに加わりたい。だが、それは許されない。甘い幻想を強い意志が打ち砕く。


許さない。誰が?


きっと、自分自身だ。


ならば──


「前に進むしかない、か」


誰に向けたとも分からない呟きは、紅い空へ昇っていく。ぼんやりと見上げていると、


「ほーら、置いてくわよ」


いつの間にか遠くにいたカレンから呼ばれてしまった。慌てて追いかける。


この時のライには知る由もないことだが────


シンジュクゲットー。


魔神が生まれた場所で、またも世界は大きく変わることとなる。


まどろみの終わりは、もうすぐそこまで迫っていた。


375: 2015/07/29(水) 19:12:03.74 ID:RvzOFB6DO
夢を見ている。


(カレン、遅刻するわよ。ほら、ナオトも)


いつものように寝坊して、母の声で起こされる。仕掛けていたはずの目覚まし時計は、いつの間にか床に転がっていた。この時計が奏でるけたたましい音より、下の階から聞こえる母の呼びかけの方が、よほど効果があるようだった。


なんとか布団から這い出して、廊下に出る。焼いた塩鮭と味噌汁の匂い。起きたばかりなのに、どうしようもない空腹感が襲ってきた。


隣の部屋からは既に身支度を整えた兄が出てきて、こちらを見た。くすりと笑われる。仕方がないなと近づいてきて、


(また寝癖ついているぞ)


そう言って、頭を撫でてくれた。それがたまらなく嬉しくて、抱きついた。兄の首に両腕をかけ、体を預ける。居間まで運べという合図だ。


そのまま下の階に降りて、母に朝の挨拶をする。


(階段くらい自分で降りなさい。ナオトも、あまり甘やかさないの)


はーい、と空返事をする。既に意識は食事に向いていた。隣の席では兄が困ったように頬を掻いている。


(いただきまーす)


(はい、どうぞ)


家族三人が揃って、ようやく朝食が開始された。鋭敏な嗅覚が嗅ぎつけた通り、炊きたての白米と香ばしい焼き鮭、わかめと豆腐の味噌汁が湯気を立てている。簡単なサラダも合ったが、眼中になかった。


まずは味噌汁を一口。おいしい。出汁の取り方が神がかっている。暖かい液体が喉を通った事で、やっと頭が動き出した。




376: 2015/07/29(水) 19:13:30.14 ID:RvzOFB6DO
焼き鮭に箸を差し込む。パリッという軽快な音と共に脂が溢れてきた。口に運ぶと、魚特有の甘味が広がる。絶妙な焼き加減と塩加減。おいしい。完璧だった。


そうして、炊きたてのコシヒカリをかき込む。新潟県の雪国で育てられた艶のある白い粒。芳醇な香り。おいしい。最高だった。


時間は限られている。少しでも多く、この食事を腹に詰め込まなくてはならない。そんな使命感があった。


茶碗を差し出す。おかわりの合図だ。母はそれを受け取って、ため息を吐いた。


(遅刻するわよ、もう)


良いの。


(いや、良くないだろ)


隣の兄も呆れ顔だった。こちらは優雅な仕草で食事を続けている。カッコつけてるつもりなのだろうか。


(じゃあ、俺もおかわり)


(……遅刻するわよ、二人共)


(良いよ。推薦決まったし、特待生だし)


(良くないでしょ。まったく、もう……)


そう良いながらも、母は二人分のご飯をよそってくれた。


しかし時間とは無情なもので、タイムリミットは否応なしに迫っていた。二杯目は急いでかき込んで、味噌汁で流し込む。


(もう少し女の子らしくしたらどうだ?)


良いの。


(いや、良くないだろ……。学校でもそんなことしてるのか)


377: 2015/07/29(水) 19:14:44.89 ID:RvzOFB6DO
こんなことするはずがない。学校の給食もおいしいが、自制心を失うほどではなかった。なにより周りの目もある。


素早く食べ終え、食器を片付ける。そのまま部屋に戻り、ランドセルに教科書とノートを詰め込んだ。道徳と理科の教科書が見つからなくて焦る。


(急がなくていいぞ、今日も乗せてってやるから)


扉の向こうから兄の声。やった。計画通り。ちょろいとさえ思った。


なんとか見つけた理科の教科書を真っ赤な鞄に叩き込み、兄の待つ玄関に向かった。道徳の教科書は──諦めよう。物を無くした事はないので、部屋のどこかにあるはずだ。


階段を駆け下り、靴を履く。


(……いってらっしゃい)


後ろから穏やかな声。母が呆れたように笑っている。


いってきますと返し、玄関を飛び出す。眩しい朝日の下、自転車に乗った兄が腕時計を見ていた。後部座席に跨がり、出発を急かす。


(……まったく。少しは兄の世話にならないように、とか思ったりしないのか)


しない。甘えれば甘えるほど甘やかすそちらにも問題があるだろうと思った。


──お兄ちゃんは、彼女とかいないの?


尋ねると、困ったように笑われた。兄は頭が良い。学校ではいつも主席だし、特待生として推薦入学も決まっている。運動も得意で見た目も良かった。なにより優しい。バレンタインなど山のようにチョコレートを貰ってくる。



378: 2015/07/29(水) 19:16:57.41 ID:RvzOFB6DO
(ま、妹がこんなにべったりじゃな)


言葉とは裏腹に、兄はいつもこうやって自転車で送ってくれる。風に乗って、大好きな匂いが流れてきた。腰に手を回して背中に抱きつく。確かな温もりに顔をうずめた。


(そろそろ兄離れしてもらわないとな……。ご近所さんの視線が痛い)


そんな提案を「やだ」の一言で切り捨てる。ひときわ強く抱きしめた。ぐりぐりと大好きな背中に額を押し当てる。兄の運転する自転車はゆっくりと動いていく。


──いつもの日常だ。


幸福な時間はたった五分ほどで終わった。通っている小学校付近でおろしてもらい、兄にしばしの別れを告げる。名残惜しいのは気のせいではないだろう。


下駄箱で内履きに履き替え、教室へ急いだ。すれ違う先生から走らないでと注意を受けて、駆け足から早歩きへの変更を余儀なくされた。


三年生の教室へ到着すると同時に、チャイムが鳴る。仲の良い友達に挨拶しながら席についた。


そうして授業を受けて、友達とお喋りをして、給食を食べて、男子に混じって昼休みにバスケットボールをして、また授業を受けて、一日が終わった。あっという間だった。


下校の時間になり、机の中を漁っていると──結局、道徳の教科書はこの中にあった──友達の女子から声をかけられた。


(そういえば、あの話ってどうなったの?)


あの話? と首を傾げる。




379: 2015/07/29(水) 19:19:07.16 ID:RvzOFB6DO
三人固まった女子達はキャピキャピと騒ぎながら、顔を突き合わせて何かの会議をしている。声が大きいせいで会話はだだ漏れだった。おかげで理解する。


小学三年生ともなれば、女子は色気づいてくる頃だ。好みの男子を言い合い、お互いに牽制し、そこに駆け引きが生まれる。


告白されたのだ。運動会が終わった後、体育館の裏で。


仲の良い男子生徒だった。彼は運動が得意で、体育ではいつも活躍していた。勉強もそれなりに出来て、見た目も悪くない。女子からも高い人気を誇っていた。


だが、振ってしまった。躊躇いもなく、他人から指摘されるまでそれが告白だったという事にすら気づかなかった。


それっきり、その男子生徒とは疎遠になった。昼休みのバスケットボールにも姿を見せなかったし、彼の友達からも妙な目で見られる。


正直、苛ついた。小さい奴だと思った。振られたくらいで敵意を向けるなど、そんなのは本当の恋ではない。


男子はいつもそうだ。ブリタニア人と日本人のハーフだからという理由で、からかわれた事も山ほどあった。赤い髪と空色の目を馬鹿にされたことも数え切れない。そういう男子の軽率さも、顔も知らない父親も、疎ましくて仕方がなかった。


もう半分の血が日本人の物だったのなら、黒い髪と瞳が手に入ったのに。変なコンプレックスを抱えなくて済んだのに。


だから、良識の欠片もない同年代の男子に恋をするなどありえない事だった。兄くらい文武両道で優しい人が理想だが、まあいないだろう。嘆かわしいことだ。



380: 2015/07/29(水) 19:21:23.89 ID:RvzOFB6DO
同級生で人気があるのはスポーツが出来る男子だ。足が速かったり、ドッジボールなどで活躍したり。そういう男子は得てして勉強も出来る。


だが、そういった所に魅力を感じない。理由は明らかだった。自分の方が優秀だと思っているから、そこを長所だと認められないのだ。


(好きではないが)勉強は得意だし、運動に関しては上級生にも負けた事がない。喧嘩をして男子を泣かせたこともあった。


自分が文武両道なのもあるが、理想的な兄を見て育っているのが一番の理由だろう。男子に対して特別な感情を抱けない。恋へのハードルは依然として高そうだった。


女子達はまだ楽しそうにしている。もしかしたら、この中にあの男子を好きな子がいるのかもしれない。笑顔の中には、好奇心の他に仄暗い感情が窺える。


思わずため息が出た。付き合いきれない。さっさと別れの挨拶をしてから教室を出た。早く家に帰りたかった。


下駄箱で外履きに履き替え、玄関を飛び出す。茜色の空と、涼やかな風。放課後特有の開放感。下級生が騒ぎながら農道を駆けていく。遠くからカレーの匂いが漂ってきて、お腹がくぅと鳴いた。


来る時、兄に送って貰った道を辿る。田畑を眺め、踏切を越え、商店街にさしかかった。この辺りまで来ると、家へ帰りたいという本能から自然と足が早くなる。


そこで見知った人影を見つけた。一人は片手に買い物袋を持って、値札とにらめっこしている。もう一人はその姿を静かに観察している。傍らには自転車が停めてあった。


母と兄だ。一緒に買い物をしている。とても楽しそうだった。髪の色も同じ二人だ。赤毛なのは自分だけ。なんだか仲間外れにされたような気分になって、二人に気づかないふりをして歩きだした。


早足で歩く。後ろから誰かがついて来る。見当はついたが無視した。さらに足を早める。


だが悲しいかな、あまりにも歩幅が違い過ぎた。




381: 2015/07/29(水) 19:22:53.30 ID:RvzOFB6DO
(ずいぶん急ぐな)


兄だった。ギ口リと睨んでから、無視して歩く。


(なんだ、怒ってんのか)


別に。


(母さんを置いてったら可哀想だろ)


お兄ちゃんがいるじゃん。


(まったく……。俺だけじゃ意味ないだろ。三人一緒じゃなきゃ)


そう言われて、足を止める。いくら瞬足でも、所詮は小学生。母がいる場所からほとんど移動していない。


憮然とした表情で、母と、兄が放置した自転車がある八百屋の前まで戻ってくる。


(あら、おかえり)


置いて帰ろうとしたのに、母は微笑んでくれる。こくりと頷いて、視線は地面に注いだ。罪悪感が酷い。


(今日はハンバーグだからね)


母はそう言って、買い物袋を掲げてみせた。中には人参と玉ねぎがある。このまま道中の肉屋で粗挽き肉を買えば、大の好物が完成するだろう。


一瞬で機嫌が直る。母のそばに駆け寄り、その腰に抱きついた。


(……簡単な奴)


肩をすくめて呆れる兄を睨み付ける。



382: 2015/07/29(水) 19:25:51.12 ID:RvzOFB6DO
親子三人が並んで歩く。左手に買い物袋を持って、右手は母の手を握っていた。


途中、クレープの出店があった。母の足が止まる。手が離れる。


(はい、これ)


何故か焼きたてのクレープを渡される。どうしてか分からず、首を傾げていると、


(この間、100点取ったご褒美。ナオトもいる?)


(いいよ。食いたかったら自分で買うし。……どうした?)


右手にクレープを、左手に買い物袋を持ったまま母の手をじーっと見ていると、兄がそれに気づいたらしい。自転車のカゴに入っていた学生鞄を背負うと、妹の持っていた買い物袋を奪ってその中に入れた。


(これで母さんと手、繋げるだろ)


やっぱり最高の兄だと思った。クレープを差し出す。一口くらいならあげても良い。続いて、母にも一口。女性らしく、髪を手で押さえて食べる仕草はどこまでも優雅に見えて憧れた。最後に自分で頬張る。うん、美味しい。きっと、この味は一生忘れないだろう。


(あんまり食べ過ぎると晩御飯、食べられなくなるぞ)


これくらい平気。


(……将来、お前と付き合う奴は大変だろうな。ワガママだし、人の言うこと聞かないし、頑固だし)


良いの。


(……いや、だから良くないって)


左側を歩く兄とじゃれあい。右手で母の手を握る。暖かくて、柔らかい指。大好きだった。


夕日に照らされた町。行き交う人々。家族三人で並んで歩く。いつもの日常。ずっと続くと思っていた。


夢を見ている。


叶わない夢を。



388: 2015/07/31(金) 18:03:33.75 ID:TYp+eNeDO
目を覚ました。


カーテンの隙間から覗く暖かい日差し。無駄に大きいベッドの上で、少女は身じろぎした。体を起こし、右膝を立てた状態で頭を抑える。頭痛がした。


ぼんやりとしながらも、辺りを見回す。


広い部屋だった。机も椅子も、テレビも、クローゼットも、何もかもが"あの家"の家具より大きくて機能的だった。生活環境としては最上の部類に入るだろう。


頭が痛い。


素足のまま床に降りる。柔らかい絨毯の感触が心地よかった。この上で眠れそうだと思った。むかし使っていた布団よりも、少し汚れればすぐに破棄されるこの絨毯の方がよほど上等だった。


頭が痛い。苛々する。


少女の出で立ちは薄手の黒いタンクトップと同色のショートパンツだけというシンプルな物だ。ブラジャーは着けていない。寝苦しいし、すぐにサイズが合わなくなるから嫌いだった。


「……最悪」


老婆のような声で呟く。あの夢のことだ。しばらく忘れていたのに、最近また良く見るようになった。平穏な日常。大好きな家族。夕焼け空と帰り道。兄の背中。


未練があるのだろうか。決意が、覚悟が弱くなっている。憎悪と怒りの灯が風に揺らめいているのが分かった。


頭が痛い。胸が苦しい。苛々する。


クローゼットを開く。中にはアッシュフォード学園の制服一式が納められていた。今日は休日だが、これを着なければならない。



389: 2015/07/31(金) 18:05:37.27 ID:TYp+eNeDO
制服の掛かっているハンガーを取ろうとして、手を止める。なんだか気が進まなかった。これを着たら、自分は貞淑で体の弱いお嬢様になってしまう。この服をこれ以上着ていたら、もう戻れなくなってしまうような恐怖感が胸中で渦を巻いた。


あの人達のせいだ。賑やかな生徒会室。初めは面倒事だと思っていたが、段々とほだされていっているのが分かった。だから意図的に避けていたのに、あの少年が現れてからは、目に見えて足を運ぶ回数は増えていた。


良くない傾向だ。考えが甘くなっている。牙が鈍っている。これでは敵が倒せない。兄の仇を討つことが出来ない。


頭が痛い。酷い頭痛だ。体の奥底から響く怨嗟の声が、日に日に大きくなっていく。


やめろ。戻れない。どうせ無理だ。お兄ちゃん。復讐しろ。甘えるな。化け物。思い出せ。弱虫。許すな。


容赦なく責め立てる怨嗟の声。止む気配はない。この状態を改善しない限り、永遠に続くのは明白だった。ならばどうするのか?


もう答えは出ている。


昨日、なぜ彼をあんな場所──シンジュク・ゲットーなどに誘ったのか。不衛生で危険な場所。氏ぬ可能性だってあるのに。


"あの人"と出会った場所だからだ。黒い仮面とマント。あの人が現れて、導かれて、全てが上手く行き始めている。


そこに、"彼"を連れて行く。銀の髪、蒼い瞳。彼と出会って、手を引いて、何かが上手く行かなくなってきている。


この行為に、どういった意味があるのか分からない。思いついて、口に出した時には決意は固まっていた。これで良いのだと思っている。



390: 2015/07/31(金) 18:06:53.36 ID:TYp+eNeDO
「……最っ低」


再び呟く。今度は自分に向けた言葉だった。何も知らない彼を連れまわして、間違いだと分かっているのに、この手を離せない。血に濡れた、汚れた手を。


だから、あの場所に行こうと思った。このままではいけないのは分かっている。シンジュク・ゲットーならば、何かが変わる気がした。少女自身の運命を劇的に変えた場所だ。また、何かが変わるかもしれない。それも良い方向に。


口元に自嘲の笑みが浮かんだ。どこまでも自分勝手な、都合の良い考えだ。反吐が出る。


自己嫌悪は終わらない。何もかもが煩わしかった。開いたクローゼットはそのままに、部屋の一角──大きな姿見の前までやってくる。鏡には白を貴重とした、清潔感と高級感の同居する広い一室が映し出されていた。


その中に、汚点が一つ。自分の姿だ。ほっそりとした肩。そこから伸びる細く引き締まった腕。飾り気の無い黒いタンクトップの下からは、押さえつけられていない豊かなバストが存在を主張している。


くびれた腰。理想的な造形のヒップと、その形を忠実に再現するショートパンツ。すらりと長い足。まだあどけなさが残っている顔。


どこからどう見ても、立派なブリタニア人だ。


外見は。


赤い髪、白い肌、空色の瞳。どれもこれも、望んだ色ではない。


"一緒"が良かった。そうすれば、こんな部屋にいなくても住んだのに。こんな悩みとも無縁でいられたのに。



391: 2015/07/31(金) 18:08:48.31 ID:TYp+eNeDO
不意に、部屋のドアがノックされた。


「おはようございます、お嬢様。お目覚めでしょうか」


侍女の声が扉越しに聞こえた。この豪邸には何人もの家事手伝いが住み込みで働いている。その中で、いま部屋の前にいる女は唯一の名誉ブリタニア人だった。


部屋主の気分を損ねない、完璧な声掛け。朝の日差しのような穏やかさ。


違う。こんなのが欲しいのではない。


鏡に映った自分の顔が、醜く歪む。


「前にも言ったでしょう。一人で起きられるから、こういう事をされると迷惑なの。もうやめて」


口から出た言葉はひたすら攻撃的で、陰湿だった。


「かしこまりました。朝食の準備が出来ておりますので、いつでもお申し付けくだ──」


なのに、気分を害した様子もない。いつもと変わらない、他人行儀なお節介が続く。


限界だった。


「わかったから、あっちへ行ってっ! もう、構わないで……!」


「…………」


沈黙。相手がどんな顔をしているか分からない。笑顔でない事は確かだったが、他は何も分からなかった。


分からないのだ。何も。


「申し訳ありません。出過ぎた真似でした」


そう言って、気配が遠のいていく。もううんざりだった。



392: 2015/07/31(金) 18:13:04.92 ID:TYp+eNeDO
何もかも違う。間違っている。こんなのは望んでいない。


もう戻らない。兄は氏んだ。母は変わった。何もかも滅茶苦茶だ。元通りになど出来るはずがない。


涙は枯れた。学校では作り物の笑みを貼り付けている。いつからか仮面の被り方が上手くなった。


そうなってから、もう随分経った。もう涙を流す事は無いだろう。兄が氏んで、大切な何かが壊れた。


扉は閉ざされた。もう開くことはない。


平穏な日常。大好きな家族。夕焼け空と帰り道。兄の背中。あれは夢だ。あの夢は叶わない幻想だった。幻想は砕けて、その破片が今の自分を苦しめる。


それが許せなかった。奪われた物は、壊された物はもう戻らない。だから、壊さなくてはならない。そのためには、なんでもやってやろう。


姿見に映る自身の顔を隠すように、そっと右手を置いた。指の隙間からは燃え盛る怒りと、吹き荒れる嵐のような憎悪に満ちた瞳がこちらを見返している。


強くなったのだ。


もう、誰かに守られるほど弱くはない。


強くなるしかなかった。でなければ、きっと壊れてしまっていただろう。もしかしたら、もう壊れているのかもしれない。


どちらにしろ、大きな変化ではない。この手は母の手ではなく、武器を握るようになった。それだけの事だ。


それだけの事なのだ。







カレン・シュタットフェルトは身支度を手早く整え、部屋を後にした。同年代の女の子なら全身全霊をかけて行う化粧も、いつもと同じく適当だった。


既に並べられていた朝食は無視して家を出る。あれを誰が作ったのか、口に運ぶ者のいない食材がどうなるのかは考えないようにしていた。広い庭を突っ切り、門まで直行する。


手入れの行き届いた花壇の前を通って、そのままシュタットフェルト家の敷地内を出た。何人かの侍女とすれ違ったが、いずれもカレンを無視するか、心のこもっていない挨拶をしてくるだけだった。



393: 2015/07/31(金) 18:15:17.56 ID:TYp+eNeDO
どこまでも居心地の悪い家だ。


逃げるように外へ出るのも無理からぬことである。カレンにとって、この家の価値といえば良質なシャワーと清潔なベッドがあることくらいだった。


出来ることなら近づきたくない。


門の近くには壮年の男性が立っていた。家付きの運転手だ。アッシュフォード学園に通う時は、彼の運転する車を使う。この家では珍しく、カレンに対して普通に接してくれる人物だった。


「おはようございます、お嬢様。今日は休日ですが、どこへお行きに?」


優雅な動作で頭を下げ、微笑みをもって尋ねてくる。口元に蓄えた髭と丸眼鏡には不思議な愛嬌があった。


「ちょっと学園まで、ね。学園祭の準備があるから」


カレンは学園の制服を着ている。行き先としては不自然ではないだろう。


「なるほど。車の用意は出来ておりますので、少々お待ちください」


「いえ、大丈夫。今日は寄っていきたい所があるの」


「でしたらお送りします。……いや、失礼。お嬢様もそういう年頃でしたな」


運転手は申し訳ないと謝罪し、道を譲ってくれた。彼の変な詮索やお節介をしない所は好感が持てる。ビジネスライクというか、自身の領分をきちんと把握している人間は、この屋敷では数少ない。


カレンは付近のバス停まで歩いて行って、そこで乗車した。モノレールのターミナル行きのバス。アッシュフォード学園とは真逆の方向だ。



394: 2015/07/31(金) 18:17:22.73 ID:TYp+eNeDO
バスの中は閑散としていた。この近辺は高級住宅街だ。住む人間は大抵、運転手付きの送迎車を持っている。公共の交通機関を使う必要がないのだ。


しかし駅に近づくにつれ、人が多くなってくる。時を置かずして満員になるだろう。すし詰めになるのはごめん被りたかったので、さっさと降りた。部活動でもあるのか、学生連中が雪崩れ込んでくる。間一髪だった。


待ち合わせの時間まで余裕がある。朝食を抜いたため空腹だった。駅前近くのカフェに立ち寄り、二階の窓際席に陣取る。モーニングセットを注文して、待つこと数分。まずはオレンジジュースがやってきた。


ストローに口を付け、窓の外を見る。休日の朝方という事もあって、スーツや制服を着ている人の姿は少ない。ほとんどが私服を着て、今日という日を楽しむべく歩いている。


(何やってんだろ、私……)


変な夢を見て苛ついて、反抗心から朝食をボイコットして。そうして、ここでくだを巻いている。たった一人で。


同年代の女の子だったら、精一杯のおしゃれをして、遊園地や映画館へ遊びに行って。傍らには友達や恋人が居て。


そう、今まさに歩いてくるあの二人組のように────


「ん……?」


外を眺めていたカレンは目を細めた。視線の先には一組の男女がいる。


女性の方は後ろ姿しか見えない。ウェーブの掛かったピンクの髪。カーディガンとロングスカートが育ちの良さを表している。通行人から注目を浴びているところから察するに、おそらくは美人なのだろう。後ろ姿で分かる。


だが、そちらはどうでも良かった。問題はもう一人──男の方だ。アッシュフォード学園の制服を着ている。銀色の髪に、蒼い瞳。白い肌にすらりとした体躯。


カレンの待ち人と外見的特徴がマッチしている。

395: 2015/07/31(金) 18:19:15.35 ID:TYp+eNeDO
ライだ。間違いない。


彼は困った様子で相手の少女に何かを案内している。無口、無愛想、無表情の三重苦を抱えている人物にしては珍しい。


ピンクと銀の髪の毛は非常に目立つ。なにより美男美女の組み合わせだ。ライは普通にしていればどこぞの国の王子様のように見える。学園の中等部、高等部、そして向かいの大学では"幻の美形"などと呼ばれているくらいには人気が高いのだ。


頻繁に顔を合わせているせいか、それとも異性の外見にあまり興味がないのか、なにより彼の普段の行いのせいか……いずれにしても、カレンはライをそういった目で見たことがないので分からなかった。しかし、ああして雑踏の中に立っていると、確かに目立つ。


二階から観察していると、そう時間も経たないうちに少女の方はライに手を振って去っていく。察するに、今まで道案内か何かをしていたのだろう。


「な……!?」


別れ際。そこで、信じられない事が起きた。


笑ったのだ。ライが。走り去っていく少女の背に向けて、僅かに微笑んでいる。


信じられない。目眩がする。後頭部を何かで強打されたような衝撃が襲ってきた。


なんだあれは。


今まで生徒会メンバーが総力を挙げてライを笑わせようとしたのにも関わらず、彼は笑わなかった。その過程で色々と恥ずかしい思いもしたのに。怪我人も出たのに。結果的に得られたのは可哀想なものを見る目だけだった。


少女が人混みに消えていくのを見送ったライは一仕事終えたように頷き、歩き始める。なんだかとても面白くなくて、カレンはストローを噛みながら唐変木を睨み付けた。


敵意を感じ取ったのか、朴念仁がこちらを見た。目が合う。



396: 2015/07/31(金) 18:24:02.35 ID:TYp+eNeDO
彼は不思議そうに首を傾げてから、再び歩き出そうとした。待ち合わせまで時間があるとはいえ、なんだか非常に面白くない。


今度は明確な怒りを込めて睨み付けた。ライはビクッと体を震わせ、こちらに再度顔を向ける。恐る恐るといった様子だ。失礼な反応だが、ちょっと可愛いと思った。


窓越しにおいでおいでと手招きすると彼は素直に寄ってきた。下の階で「いらっしゃいませー」という形式的な挨拶の後、ライが階段を登ってくる。


「おはよう」


「……ああ。おはよう。早かったな」


少しばかり疲れた表情のライと朝の挨拶を交わす。そして対面の席に彼を座らせ、テーブルを見ると、先ほど頼んでいたモーニングセットが置かれていた。外を凝視している間に来ていたらしい。


つまり、店員にあの姿を見られてしまったという事だ。窓ガラスに張り付き、外のカップル(に見える)を睨みつけ、ストローをがじがじしている姿を。


もう、この店には来れないだろう。


やり場の無い怒りを込めてライを見る。


「また怒っているのか」


「……別に、怒ってはいないけど」


彼から目を離し、手元の皿を見た。サンドイッチにみずみずしいサラダ、トロッとしたスクランブルドエッグ、焼いたソーセージとベーコン。コンソメスープもある。



397: 2015/07/31(金) 18:25:31.07 ID:TYp+eNeDO
自分だけ食事しているのも妙だと思い、


「朝ご飯は食べた?」


彼に尋ねる。


「ああ。もちろん」


返ってきたのは得意げな声。視線は窓の外に向いている。落ち着いた普通の仕草だ。他の人間なら納得して次の話題に移るところだろう。しかし、カレンは違った。だてに世話係主任を拝命していない。


「なにを食べたの?」


少し突っ込んだ質問をすると、彼は途端に沈黙した。


「…………」


「どうしたの?」


「……食べたという表現は間違っていた。訂正する。摂取はしたんだ」


「ふぅん……?」


で? という言外の圧力を掛ける。摂取というと、どうせまたビタミン剤か何かだろう。そう思っていた。


「コップ一杯の……」


「一杯の? なに?」


「水を、だな」


「水? 水をどうしたの?」


「飲んだ」


ちょっとばかり時間が掛かってしまったが、結論として出た答えがこれだ。


朝食はコップ一杯の水道水。


カレンは両手に持っていたフォークとナイフを置いて、口元を拭いた。どこまでも上品な仕草だった。



398: 2015/07/31(金) 18:26:59.27 ID:TYp+eNeDO
カレンはメニュー表を開いて、ライに渡した。


「はい、これ」


「なんだこれは」


「朝ご飯。ここで食べていきなさい」


「いや、僕は……」


なぜ渋るのか分からない。レタスをフォークで突き刺し、それを口に運びながら、カレンは言った。


「あなたが食事しないせいで、私が会長に怒られてるんだからね」


「それは……すまない」


と言いつつも、ライが見ているのはサラダやスープが載ったページだ。やはり、なにも分かっていないと見える。仕方ないので、カレンはテーブルの上の呼び鈴を鳴らした。すぐさま店員が飛んでくる。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


おそらくはバイトなのだろう。若い女性店員はハンディを片手に受注の姿勢に入った。なんだかチラチラとライを見ている。


「はい。シーザーサラダとオニオンスープをお願いします」


存外に滑らかな口調だった。ライは重度のコミュニケーション障害を患っていると思っていただけに、少し驚く。反省の色が見られない注文内容にはもっと驚いた。


「ご注文は以上……でしょうか?」


店員はカレンの方にも伺ってきた。高校生の男子がサラダとスープだけというのも些か不可解なのだろう。ライの方をじろりと睨んでから、


「チーズハンバーグセットを一つ。以上でいいかしら?」


確認の意味も込めて対面の席を見た。

399: 2015/07/31(金) 18:28:08.90 ID:TYp+eNeDO
「驚いたな。まだ食べるのか」


カレンの手元にある食器を見て、ライは言った。どうやら自分ではなくカレン自身の追加注文と受け取ったらしい。二人の傍らに立つ女性店員もまた、目を丸くしていた。


かあっと顔が熱くなる。これではまるで、私が大食漢のようではないか。


「あ、あなたの分でしょ……!」


椅子から腰を浮かせ、ライを睨みつける。そのまま店員に視線をスライドさせると、彼女は恐怖のあまり短い悲鳴をあげた。ちょっと傷つく。


「注文は以上で」


「は、はひっ。かしこまりました!」


店員はぺこりと頭を下げて逃げていく。注文内容の復唱もしなかったところを見ると、かなり慌てていたらしい。


「まったくもう……」


いらぬ恥をかいてしまった。少しの憂鬱と疲れを伴って、カレンは椅子に座り直した。ライと一緒にいると、こういった事は日常茶飯事だった。今のように外ならまだ良いのだが、学園内だと困る。病弱なお嬢様という"仮面"がいつの間にか剥がれ落ちてしまうのだ。


二年近い期間、必氏で作り上げた物が訳もなく崩れ、隠している素顔が露わになる感覚。焦燥に駆られ、ひどく不安になるが、不思議と嫌いではなかった。


これも全て、ライの持つ独特な空気、キャラクターのせいなのかもしれない。良く分からないが、とりあえず彼のせいにしておこう。


運ばれてくるサラダとスープを眺めながら、カレンはそう思った。



406: 2015/08/04(火) 23:58:26.76 ID:cpl1ZqNDO
「……で、何してたの」


「何、とは」


カレンが尋ねると、ライはスープの入ったカップを置いた。テーブルにはサラダとスープが二つずつある。ライが注文した物とは別に、カレンが(勝手に)注文したハンバーグセットに同様の物が含まれていたからだ。


ライは熱い物が苦手らしく、スープに四苦八苦している。口に運ぶどころか、容器を持つことさえ難しいようだ。


やがて諦め、サラダに手を伸ばす。


「まだ待ち合わせの時間まで余裕があったでしょ。また租界巡りでもしていたの?」


「そんなところだな。他にすることもないし……」


ライの生活には一定の法則がある。朝五時に起床。二時間ほど租界を歩いて学園に戻り、七時から八時半まで生徒会の仕事をする。それから午前の授業を受け、昼休みはまた生徒会室で仕事。


午後の授業が終われば、生徒会室で仕事をして、それから再度、租界へ繰り出す。


ずっとこんな調子だ。変化といえば昼休みに図書室へ行ったり、放課後の租界散策に誰かが同行するくらいのものだろう。


ほとんど娯楽とは無縁の生活である。機械的と言ってもいい。これは生徒会でも重大な懸案事項とされていた。


記憶探しも大事だが、もっと日常を楽しんでも良いのではないだろうか。というのが生徒会メンバーの総意だ。もちろん、カレンもそう思っている。


ライが授業に出るのはスザクのためだ。仕事で忙しく、また名誉ブリタニア人という立場上、他の生徒からの手助けを受けられない彼のために、ノートを取ったり課題を手伝ったりしている。


生徒会では、いない人間の分まで仕事をやっている。休みがちなルルーシュやスザク、そしてカレンの分を率先して片付けているのだ。


407: 2015/08/04(火) 23:59:31.70 ID:cpl1ZqNDO
誰かがやれと言ったわけではない。いつの間にかそうなっていた。自然と今の立ち位置になっていた。おかげで生徒会の仕事は滞りなく進んでいる。それどころか、以前よりずっと順調だった。


ミレイから仕事を振られ、それをメンバー内で押し付け合う事は無くなったし、全員で暗くなるまで居残りすることも無くなった。会議は滑らかに進み、雑談の時間が前よりも多くなった。


笑い声が、前よりも多くなった。


これは明確な変化だ。


だが、何かが間違っていると思う。言葉には出来ないが、このままではよくないのだ。


「…………」


サラダを無表情で食べているライを見つめる。


この少年は何を思っているのだろう。現状に不満は無いのだろうか。他人の考えなど分からない、分かろうとしたこともないカレンにとって、目の前の人物は謎に満ちた存在だった。


突然現れた、記憶喪失の少年。今ではやけに馴染んでいるが、考えれば考えるほど嘘のような存在だ。周囲の人間がやたらと構いたがるのは、ふとした拍子に彼が消えてしまうような不安があるからなのかもしれない。


(……馬鹿な考えね)


人との出会い方など千差万別だ。学校や会社といった組織内で出会う事もあれば、街中でばったりと出くわすことがきっかけになったりする。


同じように、人との別れ方も千差万別だ。そちらの方がカレンは良く知っている。喧嘩だったり、進路だったり──氏別だったり。もっとひどい別れ方もある。



408: 2015/08/05(水) 00:00:34.29 ID:h3ZjdUpDO
「ところでさっきの娘って誰?」


嫌な考えを振り払うように尋ね、無理やり気持ちを切り替える。


「さっきの……。ああ、彼女か」


彼は食事の手を止め、思案する。何かを隠している風ではない。少女との関係を説明する適切な言葉が見つからないようだった。


「名前は知らないんだ。公園で特殊な出会い方をして、その後は度々顔を見かける程度で……」


そこまで言って、ライは眉を寄せた。嫌な出会い方だったのだろうか。それにしては別れ際に微笑んでいたようだが。


「どんな出会い方?」


「…………」


ライは黙りこくった。むすっとした表情でバター焼きされた人参を口に運んでいる。


「言えないの?」


「……言ったら、君は笑うだろう。だから言わない」


「あら、そんなの言ってみないと分からないでしょ」


「…………」


「……私には、話せない?」


「む……」


落ち込んだような声音で言うと、彼はあっさりと陥落した。ちょろい。ライは少しのあいだ逡巡していたようだが、やがて口を開いた。


「あの公園に野良猫が生息しているのは知ってるか」


「野良猫? そういえば、良く見かけるかも」


409: 2015/08/05(水) 00:05:31.66 ID:h3ZjdUpDO
「……その日、僕は夕方の公園でベンチに座っていた。三時間近く街を歩いた後の、ささやかな休息だった」


その光景は容易に想像出来る。夕焼け空を眺めながらぼんやりしていたのだろう。暇な時、ライは良く空を見上げている。


「しばらくして、近くから女の子の声がした。ニャニャーとか何とか……。野良猫に話しかけているんだと思っていたし、それは外れていなかった」


彼の語り口はどこまでも落ち着いていた。淡々としているが、自然と耳を傾けてしまう独特の響きがある。


思えば、この少年がここまでの長台詞を喋るのも珍しい。


「数分ほどその声は続いていたんだが、そこで僕は気づいた」


「……?」


ライはそこでひとまず言葉を切った。


カレンはなんとなく、ソーサーの上からコーヒーの入っているカップを取って口元に運んだ。シロップもミルクも入れていない中身はすっかり温くなっていたが、気にならなかった。


「声がこちらに向いていたんだ。見てみると、さっきの子がいた。やはり、僕に話しかけていたみたいで、目が合った」


そこで目を伏せる。少女はライに向かって「ニャー?」「ニャニャー!」と話しかけてきたらしい。不思議に思って見ていると、彼女ははっと気づいたような表情になり、こう言った。


『あら? ごめんなさい、間違えてしまいました』




410: 2015/08/05(水) 00:06:36.31 ID:h3ZjdUpDO
「ふっ……!」


思わず笑いが吹き出す。カレンの脳内では、その光景が鮮明に再現されていた。小首を傾げ、不思議そうにする少女と、呆気に取られるライの姿。


笑ったら、きっと彼は怒るだろう。こらえようとして、失敗する。呼吸が不規則になったせいで、口に含んだコーヒーが気道に入った。けほけほと咳き込む。結局、こらえきれなかった。


あらゆる手は尽くしたが、駄目だった。机に突っ伏して、肩を震わせる。貞淑なお嬢様の仮面は、いつの間にか外れていた。


「……やはり笑ったな。だから話したくなかったんだ」


「だ、だって……」


見ず知らずの、初対面の人にまでそんな扱いをされているとは思わなかった。ライの目がこちらに向けられているのが分かる。きっと、とても嫌そうな表情をしているのだろう。


「そ、それで、その娘とは良く会っているの?」


目元に浮かんだ涙を拭いながら、話題そらしに尋ねる。案の定、ライは顔をふいっと背けてしまっていた。


「いや、会ったのは今日で三回目だ。彼女は最近租界に来たようで、土地勘が無いらしい。だから政庁の方まで案内していた」


なるほど、とカレンは思った。駅前にはバス停が密集している。政庁方面に行きたいのなら、バスに乗ればすぐに着く。




411: 2015/08/05(水) 00:08:07.09 ID:h3ZjdUpDO
「…………」


「なに、怒ってるの?」


喋らなくなったライに尋ねる。表情からは窺えないが、もしかしたら機嫌を損ねてしまったかもしれない。


「いや……」


ライはそう言って、鉄板に乗っているハンバーグにナイフを差し込んだ。いまだに熱を放ち、ジュウジュウと音を立てているハンバーグを丁寧に切り分ける手際は見事なものだった。


ナイフやフォークの扱いは問題ないらしい。


しかし、一口サイズにカットされたハンバーグはフォークに刺さったままにされている。口元に運ばれる気配はない。


「食べないの?」


「……熱いのはちょっとな」


熱いのは苦手らしい。スープの容器すら持てなかったところを見るに、高温を保ったままのハンバーグは恐怖の対象なのだろう。


「熱いのが美味しいんでしょう。冷めないうちに食べなさい」


「む……」


困ったように唸る。時間稼ぎのつもりなのか、ライはハンバーグを再び切り分け始めた。なるほど、ああして体積を減らしておけば、熱が逃げるのも早くなる。息を吹きかけて冷ますよりはよほど行儀が良い。相変わらず変なところで頭の回る男だと思った。


(……ハンバーグ、か)


朝見た夢の事を思い出してしまう。


412: 2015/08/05(水) 00:09:18.72 ID:h3ZjdUpDO
母や兄にわがままを言って、食べさせてもらっていたっけ。切り分けられるハンバーグを眺めながら、そんなことを思う。


焼けた鉄板の上に置かれたハンバーグは、ナイフを入れるとその肉汁を溢れ出させる。オーブンでしっかりと焼かれた証拠だ。そしてトロトロになったチーズが、肉汁の混ざったソースと絡み合う。


そういえば、ハンバーグは長いこと食べていない。どうしてメニュー表を見たとき、たいして悩みもせずに注文してしまったのだろう?


フォークに刺さった一切れのハンバーグがこちらにやってくるのを眺めながら、カレンは疑問に思った。


「ん……」


ぱくりと食べる。適度な熱さ。肉汁とソースとチーズが混ざり合い、えもいわれぬ幸福感が口の中で生まれた。


(あ、美味し……)


懐かしい。この味とシチュエーション。無くした日々を思い出す。


「あれ……?」


存分に堪能し、ごくりと飲み込んでから疑問がやってきた。何かがおかしい。いや、何もかもおかしい。


見れば、身を乗り出してフォークをこちらに向けるライの姿があった。フォークの先には何も刺さっていない。当たり前だ。たった今、それを食べたのだから。


この私が。


「な……!?」


何をされたのか、何をしたのか理解した。カレンの顔が真っ赤になる。火が出そうなくらい熱かった。

413: 2015/08/05(水) 00:10:06.41 ID:h3ZjdUpDO
「あ、あなた、なにをやっているのよっ……!?」


混乱しながらもライを問い詰める。彼はいつもの無表情で、


「いやなに、物欲しそうに見ていたからな」


そう言った。惚けていたところを見られたあげく、『あーん』までされてしまったということだ。屈辱だった。氏にたくなる。これでは、どちらが世話係か分からない。


「物欲しそうって……私はそんなに卑しくありません。食べたかったら、普通に注文するから」


お嬢様モードに切り替え、素っ気なく言い放つ。世話係として振る舞うなら、このお嬢様モードは役に立つのだ。


「そうか」


言うやいなや、ライはナイフを置いた。無造作に伸ばされた右腕が呼び鈴を鳴らす。その意図が分からず、カレンはぽかんとした表情で見つめているしかなかった。


すかさず、先ほどのアルバイトがやってくる。


「はい。ご注文でしょうか」


「これと同じ……チーズハンバーグセット? をもう一つ」


ライが伺うようにカレンの方をちらりと見る。それに釣られて、アルバイトの娘もこちらを見た。


「……以上で」


「チーズハンバーグセットを一つ、ですね。かしこまりました。出来上がるまでに少々お時間頂いてしまうんですが……」


「……いいか?」


なぜかこちらに訊いてくる。


「良いと思う……けど」



414: 2015/08/05(水) 00:11:00.74 ID:h3ZjdUpDO
「では、お願いします」


あっさりと注文を終え、アルバイトが去っていく。どことなく満足そうな様子のライは、静かに食事を再開した。


またも状況から取り残されていたカレンはじろりとライを睨んだ。


「……なに、今の」


「なに、とは」


「なんで私に確認したの」


「君が言ったんだろう。食べたいから普通に注文する、と」


「…………」


つまり、今の注文はカレンのための物だったということだ。既にモーニングセットを平らげている、カレンのための。とんだ大食いである。あのアルバイトの曰くありげな視線の意味も分かってしまった。


「……もう、この店には来れないわね」


「どうしてだ」


「あなたのせいよ」


「……?」


首を傾げるライを尻目に、カレンはむすっとした表情で外を睨む。今のオーダーをキャンセルすることは容易いが、なぜだかそんな気分にはならなかった。たまにはハンバーグもいいだろう。そう思える。


問題なのは時間だ。カレンとライはこれから、シンジュクゲットーへ向かう予定だった。モノレールの時刻表は暗記している。このまま食事を続けていたら、直近の電車に間に合わなくなるのは明白だった。


その問題も、乗車時間を一つずらせば簡単に解決してしまう。ゲットーには今日中に行ければ良いのだ。余裕はある。


(……こういうのも悪くないかな)


眼下には普通の日常を楽しむ人々の姿があった。今日ぐらい自分もあの中に混じるのも悪くはないと思ってしまう。


普通の女子高生らしく。口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。


しかし、これから二時間半後、カレンはこの選択を後悔することになる。



420: 2015/08/10(月) 09:49:44.30 ID:dDnsREuDO
懸垂式のモノレールを二つほど乗り継ぎ、歩くこと一五分。カレンとライはシンジュクゲットーに到着した。


入る直前、ライは一言だけ『本当にいいのか』と訊いてきた。最後の確認である。それにカレンは頷きを返すだけだった。


ここは租界に近い区域ということもあり、瓦礫などの障害物は少ない。銃やナイトメアで武装したテ口リストもいなければ、それに対抗するための警察や警備会社、軍の姿も見えない。


だが、それだけだ。


トウキョウ租界から離れれば離れるほど、ゲットーの危険性は上がり、治安と衛生面は下がる。ここはまだマシな方だ。


乱立したビル群、光の無い信号機、半ばから折れた電信柱。生気の無い人々が虚ろな瞳を揺らしながら歩いている。


世界から取り残された街。目覚ましい発展を続ける租界と、ただ朽ちて忘れられていくだけのゲットー。見事な対比だった。ブリタニア人と日本人の格差を表すのに、これほど適した対比物は他にないだろう。


「…………」


「…………」


そんな中を、二人で歩く。


最初の方はカレンが先導していたが、今はライが前を歩いていた。彼にゲットーの街並みを見せるのに、視界の端でアッシュフォードの制服がちらつくのは良くない事だったし、なによりライの一挙手一投足を観察したかったからだ。


「…………」


ライは無言で歩いていく。周囲をきょろきょろと見渡したり、氏人のような住人を嘲ったり哀れんだりもしない。ただ、目の前の現実を際限なく受け入れている。


いつもと変わらない様子だった。



421: 2015/08/10(月) 09:51:09.53 ID:dDnsREuDO
「どこまでなら行ける」


歩きながらライが尋ねてきた。危険な区域には入れないため、行動可能な範囲を知りたいのだろう。


「徒歩で行ける距離なら安全よ。租界の近くでは派手な戦闘行為も出来ないから」


カレンの口からは具体的な説明が当たり前のように出てきた。まるで頻繁にゲットーへ足を運んでいるような口ぶりだった。


「……詳しいんだな」


品行方正なお嬢様が喋る内容としては違和感があったのだろう。ライが尋ねてくる。予想はしていたので、あらかじめ用意していた文言を披露した。


「もちろん。私の提案だもの、情報収集くらいするわ」


「そうか」


元から興味もなかったのか、ライはあっさりと納得した。再び沈黙が降りてくる。


二人とも黙ったまま二ブロックほど奥へ進み、そこでライが立ち止まる。開けた場所だ。シンジュクゲットーの大部分が良く見える。


乾いた風が頬を撫でる。眼下には濁った街並み。うごめく人々。先ほどカフェから見た光景と重ねると、やはり怒りと憎悪がやってきた。


──間違っている。何もかも。


眉間にしわが寄る。呼吸が荒くなって、ぎりっと歯が鳴った。また頭痛がやってくる。



422: 2015/08/10(月) 09:52:34.46 ID:dDnsREuDO
そんな自分を彼から遠ざけるように、カレンは一歩後ずさった。良くない傾向だ。


租界の中では"病弱なお嬢様"のスイッチを入れやすいのと同様に、このゲットーではもう一つの顔──本性の方が出てきやすい。傍らにいるのがライというのも、それに拍車をかけていた。


仄暗い激情が出てくる前に目を閉じ、静かに深く息を吸う。思考を切り替え、今日の目的を再確認。息を吐き、目を開けた時には冷静さを取り戻していた。


「…………」


ライはこちらの様子に関心がないのか、静かに街を見下ろしている。その背中はいつも通り、空虚でどこか頼りない。今にも消えてしまいそうだった。


いや、いつもと違う部分がある。彼ではなく、その周辺だ。


違和感が無いのだ。租界にいる時につきまとう、妙な異物感が無い。寂れた廃墟が、命を失った街の風景が、彼という存在を受け入れている。


まるで"初めからここにいた"ようだと思った。それほど自然な光景だった。


銀色の髪に蒼い瞳、白い肌。いずれも日本人の特徴ではない。だが、この感覚は確かなものに思えた。自信さえ湧き出てくるほどに。


考えれば、その理由を説明することは容易かった。ライもゲットーも、大切な物を失っているという点では同じなのだ。


空っぽの街に、空っぽの背中。溶け合うのはとても自然で、当たり前の事のように思える。


気づけば、カレンは口を開いていた。



423: 2015/08/10(月) 09:53:45.41 ID:dDnsREuDO
「……どう?」


ライの考えを聞きたかった。この街を見てどう思ったのか、何を感じたのか。


「ひどいな……」


返ってきたのは、カレンの望んだ答えではなかった。僅かに落胆しながら、言葉を紡ぐ。


「でしょう。これが、ブリタニアのやり方……」


「…………」


「勝者が敗者から奪う。奪うだけでなく、踏みつけにして、当たり前のように苦しみを与え続ける。ひどすぎるわ……」


「……そうだな」


そこでまたもや沈黙が訪れた。またやってしまったと、カレンは思った。ゲットーを前にしてライと話すと、どうしても"本性"が出てきてしまう。


無理やりゲットーに連れてきた挙げ句、反ブリタニア的な思想を口走れば、租界で暮らしている人間から避けられるのは当然のことだ。


曇天を見上げる。そういえば、ライと一緒にいる時はいつも晴れていた。しかし今日は違う。それが暗澹たる未来を暗示しているようで、カレンはひどい不安に襲われた。


縋るように前へ出る。彼の斜め後ろ、その横顔が窺える位置へ。


「……ここは」


ライが言った。とても久しい事のように思えた。


「どうしたの?」


「なんだか、前にも似たような場所に……」


予想外の言葉だった。理解するより速く、どくんと心臓が脈打つ。



424: 2015/08/10(月) 09:56:50.89 ID:dDnsREuDO
「見覚えがあるの?」


声音はあくまでも慎重に。この場所で本性を晒すのはまずい。いつも被っている仮面が、今だけはとても重苦しく思えた。


「わからない。はっきりしないけど……。懐かしいというか」


ライは戸惑うように目を細めた。強い既視感を覚えているように見える。演技ではないだろう。また鼓動が早くなる。


「懐かしい? ほんとに?」


ライはこくりと頷いた。


「ああ。なんとなく、だが」


「ここか、それとも他のゲットーかも知れないけど、居たことがあるのかも」


それは推測ではなかった。ただの願望だ。ライに初めて日本と日本人について話した時から、ずっと抱いていた願望。


──ブリタニア人でもあり、日本人でもある──


「だとしたら、僕はイレヴン……日本人なのか」


「可能性はあると思うわ」


「日本人……か」


ライの横顔に、その可能性を嫌がる様子はなかった。それがまた、この願望を強くする。


もし、そうであったなら、それはどんなに素敵な事だろう。


「…………」


なんだか安心してしまう。ついさっきまであった不安は嘘のようだった。自然と口元が綻ぶ。


425: 2015/08/10(月) 09:58:21.06 ID:dDnsREuDO
「どうした」


気づけば、ライがこちらを見ていた。


「え? なにが?」


慌てて居住まいを正す。いけない。ライの鈍感さは手遅れの域に達しているが、それでも妙に鋭いところがある。油断はいけない。


「いまなにか、嬉しそうだった」


ほら、こんな調子だ。


「そ、そう?」


蒼い瞳に見据えられ、なぜだか落ち着かない気分になる。何もかも見透かされているようだった。


「…………」


ライは無言で見つめてくる。何故か、ここで持ち前の負けん気が顔を出した。


「な、なによ」


言葉に攻撃的な色を込める。それ以上突っ込むなという合図だった。


「僕が日本人だと嬉しいか」


この合図は、ライに効いた試しが無い。


「え……!?」


その一言でカレンの顔に火が灯る。図星をさされた事の、なによりの証しだった。


「別にそんなことは……」


やはり油断ならない男だと、カレンは思った。



426: 2015/08/10(月) 09:59:40.67 ID:dDnsREuDO
「それはほら、あなたが何か思い出しそうだから。私だってその為にここまで付き合ってきたようなものでしょ?」


「そうか」


「そうよ」


「それは……ありがとう」


ライが安心したように言うので、カレンもまた笑顔になる。


「どういたしまして」


「……そろそろ戻るか。日が暮れると危ない」


「うん」


ライの意見に異論は無かった。気づけばかなり離れた所まで来てしまっている。太陽はまだ高い所にあるが、安全性を考慮した方が良い事に変わりはない。今日の目的は果たした。収穫は上々だ。軽い足取りで来た道を戻る。


「…………」


数分ほど歩いた所でライが足を止めた。彼の前を歩いていたカレンは怪訝そうな表情で振り向く。


「どうしたの?」


「嫌な予感がする」


「予感って……珍しいわね。あなたがそういうこと言うのって」


「そうだろうか」


「あなたって、いつも理屈っぽいから」


「……急ごう」


それっきり、ライは難しい表情で黙り込む。怒らせてしまっただろうかと、カレンが気を揉んでいると──


「きゃ!?」


衝撃。


爆音が響き渡り、地面が揺れた。いくつか向こうの通りで煙があがる。



427: 2015/08/10(月) 10:05:20.51 ID:dDnsREuDO
前半はこんな感じで。ところで投下時間って何時頃が良いんでしょうか。迷う。

432: 2015/08/10(月) 21:44:13.22 ID:dDnsREuDO
「爆発……。こんな租界の近くで?」


「まずいな。あの周辺には民間人が多くいたはずだ」


空高く立ち上る黒煙を眺めながら、ライが言った。ここに来るまでの間に、しっかりと観察していたのだろう。


「まさか、戦闘……」


「…………」


爆音だけだったら、何かの事故という可能性もある。だが、希望的観測というのは外れるものだ。離れたところから中年男の汚い声が響いてきた。


『我々は<黒の騎士団>である!』


「な……!」


その声を聞いた瞬間、カレンは爆音の発生源まで走り出していた。危険の坩堝に。


「カレ……」


呼び止めようと言うのだろう。後ろからライの声が聞こえた。しかしそれも、先ほどの声によってかき消された。


『これは、ブリタニアに対する抵抗の炎だ! 我々は拳を振り上げる』


待て。やめろ。それ以上言うな。


全力で走りながら、カレンは願った。風を切るような、恐ろしいほどの瞬足だった。陸上部の男子など目じゃなかった。お嬢様の仮面は既に外れている。


『この拳がブリタニアの血で染まり、真っ赤な日の丸となるその日まで!』


息を切らしながら立ち止まる。爆音の、声の発信地に到着した。遅れてライも足を止めた。こちらは汗一つかいていない。


「これは……」


五〇〇メートルほど先には、道路を駆ける数機の巨人の姿があった。全高は五メートルぐらいで、角張った黒い体躯。<グラスゴー>をコピー、改良した第四世代型KMF<無頼>という機種だった。



433: 2015/08/10(月) 21:45:19.24 ID:dDnsREuDO
「ナイトメア・フレーム……」


どこか呆けたような、ライの声。しかし、カレンは気に留めなかった。あの<黒の騎士団>を名乗る連中の動向を凝視していたからだ。


テ口リスト共はナイトメアの外部スピーカーから好き勝手な言葉を振り撒きながら、警察仕様の白い<グラスゴー>との戦闘を開始していた。民間人に扮した歩兵の姿もある。統率されていない動き。まるで素人のようだった。


程度は低くても、ナイトメア同士の戦闘だ。腹の底に響くような火砲の雄叫びと、駆動系の唸り声。あちこちで爆発が起きて、その度にゲットーが破壊されていく。


「なにをやっているの……」


戦火は広がっていく。薄暗い廃墟で懸命に生きていた人々は突然の事に混乱し、逃げ惑っていた。なんの罪も無い人達が、だ。


握られた拳を震わせながら、カレンは無責任な戦場を睨みつけた。


『立ち上がれ日本人よ! 犠牲を恐れるな!』


犠牲とはなんだ。必氏に生きている、そこの人達の事か。ふざけるな。何様のつもりだ。


日本人の面汚しめ……!


『<黒の騎士団>と共に支配者を討て!』


やめろ。汚い口でその名を呼ぶな。


『ブリタニア人を殺せ!』


爆炎が舞い上がり、建物が倒壊する。崩れたビルの破片が人々を押しつぶし、鉄骨が突き刺さる。広がる赤い染み。女の悲鳴、男の断末魔、泣き叫ぶ子供の声。


まさに地獄絵図だった。



434: 2015/08/10(月) 21:46:16.32 ID:dDnsREuDO
「く……っ!」


助けてと伸ばされた小さな手。その先には潰された小さな体。助けられなかった。巻き込んでしまった。そういえば、あの時もここと同じ、シンジュクゲットーだった。


カレンの脳裏によぎるのは、無力だった時の記憶。


歯を噛み締める。だった、ではない。今も無力だ。あの時と何も変わっていない。


何もかも同じだ。"あの人"と出会ったあの時と。


「あんなの、<黒の騎士団>じゃない! <黒の騎士団>は弱い者の味方だ!」


気がつけば叫んでいた。同行者の存在など脳内から消し飛んでいた。


「ブリタニア人でも日本人でも、無差別に巻き込んだりはしない! 絶対にしないっ!」


肩を震わせながら、地面に言葉を叩きつける。


「そうなのか」


背中越しに聞こえるのはいつもと変わらぬ彼の声。


「そうよ! 大方、<黒の騎士団>の活躍と名声に便乗したはぐれ者の小組織でしょうね」


「ふむ……」


「自分達じゃろくな成果も挙げられなかったような連中よ。単なるテ口リストだわ!」


「なるほど」


あ。


カレンは振り向いた。後ろでは、顎に手を当てて戦場を眺める無表情の少年の姿。


その蒼い瞳がこちらを見る。




435: 2015/08/10(月) 21:48:02.76 ID:dDnsREuDO
「詳しいんだな。随分と」


疑うような言葉……というわけではなかった。あくまでも感想。やはり他人事のようだ。おかげで、熱くなっていた頭が冷えていく。


「ま、まあね。色々ニュースで言ってるし、学校の噂話程度でも聞きかじっていると結構詳しくなるものよ」


「そうか」


目の前で知人が豹変したというのに、ライはどこまでも冷静だった。刻々と近づいてくる戦闘にもまるで動じた様子がない。


「……話している余裕も無さそうだ。僕達も退避しないと」


言いながら、ライは後方を見た。紫色の巨人が迫ってくる。


ブリタニア軍正式採用機の第五世代型KMF<サザーランド>。<グラスゴー>の戦闘データを基に、出力、装甲、機動性、殆ど全ての性能を向上させた最新鋭の機体だ。しかも生産性や整備性まで高いときている。ブリタニアの騎士達から愛される傑作機だった。


センサーや各種電子兵装も最新の物を搭載しているため通常、<無頼>では太刀打ち出来ない相手だ。


その証拠に<サザーランド>が現れた途端、テ口リスト達のナイトメア部隊は一方的に撃破されていた。同じ武装を使用していても、その威力には大きな差が出る。


最新のレーダーやアクティブ・センサー、FCSを搭載している<サザーランド>はより遠い所から正確な射撃が出来る。これは大きなアドバンテージだ。


<無頼>の射程範囲内で戦っても結果は変わらない。


電子兵装のパワーが違うのだ。現代兵器の戦いはまず、相手の妨害から始まる。敵の照準を狂わせ、被弾のリスクを極力下げる。撃ち合いはその後だ。


つまり、<サザーランド>と<無頼>が同じ火砲を撃ち合ったとしても、破壊されるのは<無頼>だけ。<サザーランド>に向けた砲弾は虚空へ飛んでいくことになる。


これが"性能差"というものだ。


436: 2015/08/10(月) 21:49:53.62 ID:dDnsREuDO
その<サザーランド>の数がどんどんと増えていっている。呆れた量産性だと思った。


「ここは危ない」


「そうね。避難しましょう」


そう言うが、戦火は既にカレン達のすぐそばまで迫ってきていた。ブリタニア軍の放った三〇ミリ砲弾が、近くのビルに突き刺さる。


猛烈な衝撃。鼓膜が破れかねないほどの轟音。


「きゃあ!」


「……こっちだ」


至近距離の着弾に思わず身を竦ませたカレンの手を取り、ライが走り出す。そうしている間にもブリタニア軍の包囲網は狭まり、テ口リスト達を追い詰めていく。


「ここはもう、キルゾーンの中だな」


ライが言った。キルゾーンとは、その名の通り殺戮地帯の事だ。訓練された戦闘集団はいたずらに戦闘区域を広げたりしない。作戦前にキルゾーンを定め、その中の敵に対して徹底的に火力を注ぎ込む。こういった殲滅戦ではそれが顕著だ。


「白い<グラスゴー>は足止めに専念していた。それを見たテ口リストは自分達が圧倒していると勘違いし、増長する」


「ライ……?」


「気づいた時には包囲網が完成していて、テ口リスト連中は執拗な十字砲火にさらされる。足止め、包囲、殲滅。馬鹿にしか通じないが、有効な戦術だ」


二人は手近なビルの影に隠れ、逃げ道を探す。


逃げ場など、もうなかった。




437: 2015/08/10(月) 21:52:20.53 ID:dDnsREuDO
『各ユニットへ通達』


<サザーランド>の外部スピーカーからブリタニア兵の声が響く。嫌々ながらゴミ掃除をする時のような、やる気の無い声だった。


『テ口リストは、ゲットー住民に紛れ込む公算大』


「え……?」


カレンは耳を疑った。


確かに、テ口リスト達の見分けは他の住民と区別がつかない。もとから紛れ込む魂胆だったのだろう。そして百戦錬磨のブリタニア軍は、そういった姑息な手段への対抗策を熟知していた。


『包囲内のイレヴンは一人も逃すな。繰り返す。一人たりとも逃すな。一匹残らず──』


<サザーランド>の頭部がぱっくりと開いた。内部のファクトスフィアが展開し、周囲の状況を瞬時にスキャンする。


そして、まがまがしく光るアサルト・ライフルの砲口を、胸部の対人機銃を、日本人達へと向けた。


『──皆頃しにしろ』


「やめ──」


発砲。大口径の砲弾がゲットー住民へ降り注ぐ。人の形をしていた物が、血飛沫となって破裂していく。赤いシャボン玉が弾けるように、次々と。


「ぎゃああっ!」


<サザーランド>が投げた手榴弾が炸裂。無数の針が雨となって住民達を包み込んだ。


「キャアッ!」


「うああっ!?」


「あ、足が……足がぁああ!」


最悪の光景だった。ビルの隙間から飛び出しそうになるカレンを、ライが引き戻し、押さえつける。




438: 2015/08/10(月) 21:53:46.65 ID:dDnsREuDO
断末魔は終わらない。全ての命を刈り取るまで、この悪夢は終わらないのだ。


戦場の支配者はテ口リストからブリタニア軍に代わった。後は彼らの思うがままだ。止める者などいなかった。


無造作に、作業的に殺されていく人達。ただ生きていただけなのに、悪いことなど何もしていないのに、ただそこにいたというだけで殺される。存在を否定される。


「そんな、なんで!? ひどい……!」


悲鳴のような声だった。カレンは首を振り、目を背けた。あまりに惨すぎる。見ていられない。


すぐそばに立っているライも、陰鬱な顔で虐殺を眺めている。彼は目を逸らさなかった。こんなことすら受け入れられるのかと、カレンはやりようのない怒りを抱いた。


「ここから離れよう。巻き込まれる」


「でも……」


もう逃げ道なんかない。包囲網は完成し、着実に狭まってきている。どこに行っても、三〇ミリ砲弾の餌食になるか、瓦礫に押しつぶされるか、だ。カレンとライはアッシュフォード学園の制服を着ているため、もしかしたら助かるかもしれないが、その可能性はあまりに儚いと思えた。


氏ぬ。


こんなところで。


何も出来ないまま。


兄の仇も討てないまま。


くだらない連中の起こしたくだらない戦いに巻き込まれ、くだらない奴らに殺される。悔しかった。


我慢出来なかった。



439: 2015/08/10(月) 21:55:20.65 ID:dDnsREuDO
「残念だが、身を隠すしかない。君をこれ以上、危険な目には……」


ライの手を振りほどく。いつもは心地よいはずの声が、冷静な瞳が、今ではとても疎ましく思えた。


「あなたはどうして──」


そんなに冷静なの? なにも感じないの? どうして、いつも通りなの?


そんな疑問を投げかけようとした。だが、言えなかった。


ライの視線がカレンの背後へ向く。一機の<無頼>が強引に包囲網を突破しようと突っ込んできていた。


そんな単調な行動を、ブリタニア軍が許すはずがなかった。<無頼>は頭部に被弾し、バランスを崩す。向かってきた先は、カレンとライが隠れているビルだった。


激突。


地面が揺れる。両脇のビルから絶望的な音が響いた。建物の隙間にいたおかげでナイトメアに潰されることはなかったが、幾つもの破片が、飛礫(つぶて)となって殺到する。


大小さまざまなコンクリートの弾丸。両脇は障害物。逃げ道はやはりない。


──避けられない。


悟ってしまった。どんなに優れた反射神経を持っていても、どんなに高い運動能力を持っていても、この氏の雨からは逃れられない。


数瞬後には全身を打たれ、致命傷を負うことになるだろう。


思わず目を閉じ、体を強ばらせる。悲鳴は出なかった。泣き声もだ。


謝りたいと思ったが、その相手はまだ諦めていなかったようだ。カレンの手を引き、押し倒す。そして自らを盾に、覆い被さった。


地面を叩く猛烈な音。衝撃が彼の体越しに伝わる。


無事だった。生きている。



440: 2015/08/10(月) 21:56:34.43 ID:dDnsREuDO
「く……」


「……あ」


苦しげな声。当たり前だ。固く、重い岩塊に全身を打たれたのだから。身を挺してカレンを守ったライは、力尽きたように倒れ込む。


「大丈夫!?」


とっさに助け起こす。幸い、軽い打撲だけのようだった。意識もある。頭などに破片を貰っていたら、取り返しのつかないことになっていただろう。


「う……っ」


「ねえ平気!? なんともない!?」


呼びかけると、ライは衝撃で朦朧としていた頭を振った。


「……ああ」


「あなた、どうして……」


「……君は無事か」


あくまでもライはカレンを心配していた。こんなところに連れてきたのも、足を引っ張ったのもこちらなのに、それでもまだ必氏に助けようとしてくれる。


見れば、大きな破片や尖った物は全て外れていた。偶然だとは思えない。彼は冷静だった。冷静に回避コースを選択して、それでも避けられない物は自らを盾にすることで防いだ。


ライは諦めていなかったのだ。


カレンは俯いた。自分が情けなかった。


「もう、無茶して……」


震えた声しか出ない。


「あのナイトメア……」


「え……?」


ライの視線の先には、戦闘不能になり、転倒した<無頼>が横たわっていた。背部のコックピットが開く。中から操縦者だったのだろう、中年男性が転がり出てきた。


男は悲鳴をあげながら逃げようとして──血煙になった。ブリタニア軍の容赦ない銃撃だ。


二人の前には、命を失った巨人が倒れている。カレンはライを見た。息を呑む。例えようの無い巨大な力が、乱気流となって彼の周囲を渦巻いていた。世界が塗り替えられていくような、強烈な存在感。


蒼い瞳に、何かが宿った。




446: 2015/08/15(土) 17:15:49.21 ID:96BNk38DO
周囲の様子を窺う。<無頼>を倒した<サザーランド>が去っていくのを確認してから、カレンは放棄された機体へ駆け寄った。


円を描くように<無頼>の様子を確認する。頭部が破損している他に、大きな損傷はない。右手に持っている三〇ミリライフルも充分動きそうだった。熟練した身のこなしで各部を点検した後、操縦席を覗き込む。


「……キーが差しっぱなし」


ナイトメアを起動させるには専用のキーを差し込み、数桁のパスコードを打ち込む必要がある。この<無頼>は起動状態にあり、キーもあるため、今すぐにでも動かせるということだ。エンジンが掛かっている車と同じようなものだった。


必要なのは、運転手だけ。


「動かせるのか」


いつの間にかカレンの肩越しに操縦席を見ていたライが言う。


動かせる。


カレンはナイトメアの操縦法を知っている。それどころかこの戦場にいる誰よりも、その性能を引き出せる自信があった。ブリタニアの騎士連中にだって遅れは取らないだろう。


「え……? あ、えっと、出来ない、わよ。出来るはずないじゃない。ナイトメアの操縦なんて」


言ったそばから発言を後悔した。この期に及んでまだ我が身が可愛いのか。まだ偽るのか。


眉間に皺が寄る。手の平に爪が食い込む。気づけば俯いていた。


「そうか」


ライはカレンの様子など気にも留めず、操縦席に滑り込む。




447: 2015/08/15(土) 17:17:10.40 ID:96BNk38DO
その手付きはどこまでも自然だった。キーボードを引っ張り出してから、モニターに機体の情報を表示。


不必要な部分への電力供給はカット。バランサーを調整し、アクチュエーターの出力も根本から変更する。調子の悪い冷却システムも、無理やり言うことを聞くようにしたようだ。


彼の指が動く度に、<無頼>はその姿を変えていく。


「ら、ライ?」


当たり前のように<無頼>のシステムを書き換え始めた彼の後ろから、カレンは戸惑いながら呼び掛けた。


「なんだ」


「なにを……する気なの?」


操縦システムをいじっていたライは手を止め、こちらを見た。いつもの無表情。顔はカレンに向いているのに、両手は作業を続けている。まるで機械のようだった。


「この状況だ。徒歩での脱出は困難だろう。だがナイトメアの機動力なら、まだ可能性はある」


そう言って、ライは再びモニターに視線を戻した。


オートパイロットやモーション・サポート・システムを軒並み休眠状態に。カレンは目を疑った。この男はこの状況で、ナイトメアを完全な手動操縦で動かそうとしているのだ。


ありえない。KMFは精密機器だ。機体からのサポート無しに動かす事は不可能に近い。


「逃げるならこのまま動かせば良いでしょう? どうして、操縦システムを切り替える必要があるのよ」


「包囲網が完成している状況だ。戦闘は覚悟する必要がある」


説明になっていない。戦闘を行うつもりなら、なおのことシステム的なサポートは必要なはずなのに。



448: 2015/08/15(土) 17:18:40.87 ID:96BNk38DO
見れば、火器管制システムにも手を加えている。もうこの<無頼>は滅茶苦茶だ。まともな行動など何一つとして取れない。カレンは泣き喚いて逃げ出したい気分になった。


しかし、この少年は冷静に言うのだ。操縦席の背もたれに乗せていたカレンの手を取り、


「行くぞ」


「行くぞって……。あっ……!」


強引に引きずり込んだ。


狭く暗いコックピットの中。カレンはライの膝の上に乗っかるような体勢になった。密着している。彼の吐息を、体温を感じた。絶望的な状況なのにも関わらず、頬が熱くなる。


「ハッチが閉まらない。このまま目視操縦で行く。しっかり掴まっていろ」


「う、うん……」


いつもと違う命令口調に思わずどきりとする。カレンはおずおずと操縦席の手すりを掴み、体を固定した。これではどうしても、ライに抱きつくような姿勢になる。文句を言いたかったが、それが許されるような状況ではなかった。


「立ち上がるぞ」


ライが警告する。出力レベルを慎重に引き上げ、左腕部の手のひらを地面に密着。そのまま両脚部に力を込めると、<無頼>はゆっくり立ち上がった。


「これからどうするの?」


「租界に向かうには戦闘区域を横断する必要がある」


「敵が出てくるわ」


「そうだな」


<無頼>が右足を踏み出す。じれったくなるような、ゆっくりとした動作。外から見たら、ひどく無様な動きに見えるだろう。



449: 2015/08/15(土) 17:20:41.36 ID:96BNk38DO
それでもカレンは驚いていた。


完全な手動操縦にも関わらず、初めて乗った機体を動かすというのはとんでもないことだ。充分な訓練を積んだブリタニアの騎士でも、同じ条件なら為すすべもなく転倒するのは間違いない。


「前方に<サザーランド>!」


「…………」


だが、それで現在の状況を打開出来るわけもなかった。ナイトメアを歩かせた程度で、戦いに勝てるわけがないのだ。


前方のT字路から<サザーランド>が姿を見せる。動いている<無頼>を見過ごすはずもなく、こちらに気づいた。


「逃げましょう。勝てないわ」


「無理だ。背中を見せたら蜂の巣にされる」


背中を見せようが見せまいが蜂の巣にされることに変わりはないように思えたが、それでもライの声は落ち着いていた。


「本当に戦う気……?」


少しでもナイトメアについて知識がある者なら、この状況がどれほど絶望的か分かってしまう。


開発当初から兵器として設計されている第四世代及び第五世代型KMFは、その部位ごとに機能を集中させている。機能性と生産性を重視した結果だ。


腕部なら武器を振るうためのパワーと、それを扱うための精密性。脚部なら機体を支え、過酷な悪路を走破するための安定性と剛性。胴体部には重要な機器とパイロットを守り抜くための耐弾性と、最も重要な動力機関が収められている。


そして頭部。各種センサ、レーダーにコンピューター、FCSや電子兵装。戦闘において必要不可欠な機能をまとめて搭載している部位だ。


その頭部が、破損している。



450: 2015/08/15(土) 17:22:13.83 ID:96BNk38DO
照準システムが氏んでいるせいでろくに狙いも付けられない。パッシブ・センサーが破壊されているため、敵から狙われていても気づけない。お粗末な電子兵装では敵の照準をずらすことも出来ない。


驚いた。まったくの無防備だ。


加えてこの鈍重さだ。ナイトメアの命である機動性を、操縦者が自ら頃してしまった。KMFは最強の陸戦兵器だが、これではただの棺桶と変わらない。


<無頼>は尚も移動を続けている。脚部のランドスピナーによる高速走行ではなく、あくまでも徒歩だった。股関節の駆動系がおかしいのか、歩くたびにギシキシだのがしゃがしゃだの間抜けな音を立てる。


敵の<サザーランド>はゆっくりと近づいてきた。滑らかな動き。こちらとは雲泥の差だ。倒したはずの<無頼>が動いていることを疑問に思いながらも、しっかりとどめを刺す気のようだった。


こんな状況にも関わらず、ライはコンソールを叩いていた。右腕部の肩関節、肘関節、さらに手首をロック。まだ機体の機能を制限する気らしい。カレンはその様子をぼんやりと眺めていることしか出来なかった。


<サザーランド>は両腕でしっかりとアサルト・ライフルを構え、こちらに狙いを付ける。黒い砲身が鈍い輝きを放った。


本当ならここで警報が鳴り、ロックオンされた事を知らせてくれるのだが、それは無かった。頭部が損傷しているためだ。相手の照準を狂わせてくれる電子兵装も息をしていない。


「…………」


カレンはモニターに映る空を見上げた。雲は切れ、僅かに青空が覗いている。


私はこれから氏ぬのだ、と確信していた。夢半ばで力尽きることの無念さがあった。あそこでハンバーグをキャンセルしておけば、という後悔もあった。


だが一番強い感情がライを巻き込んでしまう事に対する申し訳なさだったことに、カレンは不思議な安心感を覚えていた。




451: 2015/08/15(土) 17:24:46.49 ID:96BNk38DO
<無頼>は足を止めた。右腕のアサルト・ライフルは使用できるようだが、火器管制系が壊れているため、残弾数すら分からない。


よしんば撃てたとしても、モニターにレティクルすら表示されていない状態では狙いなど付けられるはずが無かった。センサーと照準システムを利用したロックオンなど夢のまた夢だ。


<サザーランド>は一撃で仕留めるつもりのようだった。当然だろう。一度仕損じているのだ。二度目以降の攻撃は恥の上塗りとなる。まともに動くことすら出来ない格下機が相手なら尚のことだ。


「ライ……」


ごめんね。そう言おうとしたが叶わなかった。相手がトリガーを引くのが分かる。殺意が膨れ上がり、それが砲弾となってこの<無頼>を打ち砕く。避けられない未来。悪夢から覚めないまま、この地獄で氏ぬことになるのだ。


本能的な恐怖から、カレンはぎゅっと目を瞑った。


直後、彼女の体を衝撃が揺らした。操縦席がガクンと落下し、僅かな浮遊感が訪れる。続いて発砲の衝撃。ハッチが閉まっていないせいで、砲声がそのまま飛び込んできた。落雷のような、全身が強張る凄まじい音だ。鼓膜が破れたかと思った。


続いて、三〇ミリ弾を受けた<無頼>が破壊される音。ぞっとするような金属の悲鳴を上げながら、操縦席はおびただしい数の破片によってズタズタにされる。肉片になった二人の体を、爆炎が焼き尽くした。


(え……?)


来ない。衝撃も、音も、破片も。何秒経っても襲ってこなかった。恐る恐る瞼を開く。目を開けたら悪夢が再開するのではないかという恐怖があった。


ライの肩口にうずめていた顔を上げ、状況を確認する。


ひびの入ったメインモニターには、頭部を吹き飛ばされ、天を仰いで崩れ落ちる<サザーランド>の姿が映し出されていた。



452: 2015/08/15(土) 17:26:29.50 ID:96BNk38DO
対して、<無頼>はまったくの無傷だ。


なにがおきたのだ。何も分からない。カレンは酷い混乱に陥った。


なぜ、この場における絶対強者だった<サザーランド>が撃破され、刈り取られるだけの存在だった<無頼>が無傷なのか。


辺りをきょろきょろと見渡していると、ある変化に気付いた。開きっ放しのハッチからは背後の様子が良く見える。<無頼>の後ろにそびえるビルの壁面には、たったいま砲弾を受けたような大穴が空いていた。


敵が発砲したのは間違いない。外れたのか。


いや違う。躱したのだ。あの距離、あの状況、この機体で。


そういえば、先ほどの衝撃と同時に、ライの足が動いたのを感じた。上に座っているカレンからはよく分かる。フットペダルを操作し、脚部を動かしたのだろう。


着弾の位置から考えて、敵がこちらの胸部ないし頭部を狙ってきたのは明らかだった。ライは発砲の直前に左の膝関節を僅かに折り曲げた。そして直撃するはずだった砲弾は左に傾いた<無頼>の右側頭部を掠めて背後のビルを貫いたのだ。


そして、こちらの放った三〇ミリ弾は敵の頭部を正確に捉え、一撃で戦闘不能に陥らせた。事前に右腕部を固定していたのは既に狙いをつけていたのもあるし、片腕で撃つ際のブレを抑制する意味合いがあったのだろう。


こうして、外れるはずのない弾が外れ、当たるはずのない弾が当たった。まるで魔法のようだった。


相手がどこを、どのタイミングで狙ってくるか。敵の考えを予測し、その上を往く。マニュアル射撃ならば敵の防御装置も働かない。ナイトメアについての専門的な知識を持っていなければ出来ない芸当だった。




453: 2015/08/15(土) 17:28:13.42 ID:96BNk38DO
離れ業どころではない。神業の域だ。それを、この少年は平然とやってのけた。


「あ、あなた一体……」


何者なの。そこまで言えなかった。カレンの声には怯えの色があった。良く知っていると、深く理解していると思っていた相手がまったく別の存在だと知ったとき特有の、恐怖と戸惑いが混じった色。


いつもは無口で無表情で無愛想なライが、易々とKMFを動かし、当たり前のように敵を倒した。普段はどこか頼りない横顔が、今では謎の存在感に満ちている。


「弾が出て良かった」


カレンの問いには答えず、ライは各部のロックを解除すると、いくつかの補助機能を呼び戻した。


「耳を塞いでいろ。思ったより砲声が大きい」


抗えるはずもなく、カレンは両耳を抑えた。ライは何事もなかったかのように<無頼>を動かすと、T字路の曲がり角付近にあるビルの屋上にアサルト・ライフルを向ける。


フルオートで発砲。


反動軽減装置も働いていないのか、機体が猛烈な揺れに襲われた。舌を噛まないよう、口を固く結ぶ。


吐き出された六発の砲弾は屋上に設置されていた貯水タンクのすぐ下に直撃した。空っぽになったアサルト・ライフルを腰部のハードポイントに収めると、ライは再び瞑目する。


「……進まないの? 今なら逃げられそうだけど」


いまカレン達がいる地点から租界に行くには、この戦場を横断しなくてはならない。敵を倒したのなら、空いた穴を抜けるのが普通だろう。


「……少し待ってくれ」


しかし、ライは動かなかった。



454: 2015/08/15(土) 17:30:13.56 ID:96BNk38DO
「…………」


五秒ほど待って、ライは目を開けた。


「前進する。整備不良が原因だと思うが、バランサーとスタビライザーの調子が悪い。かなり揺れるから注意しろ」


そう言って、脚部に装備されている一対の車輪──ランドスピナーを展開する。ライの声からは感情が窺えず、ナイトメアが喋っているように思えた。


「わ、分かった」


やはり怖い。カレンはライから目を背け、モニターに視線を注いだ。<無頼>は先ほどより遥かに早く進んでいく。揺れは強かったが、気にしないように注意した。


倒した<サザーランド>の横を抜ける。撃破と同時に脱出機構が作動したため、コックピットブロックが丸々無くなっていた。


もう少し進んだ所で、ライはまたも<無頼>を止めた。T字路の突き当たり、左右の曲がり角から二体の<サザーランド>が現れた。あのまま進んでいたら挟み撃ちにあっていたかもしれない。


「また敵……!?」


しかも二体。勝てるはずがない。<無頼>の主兵装であるアサルト・ライフルは弾切れだし、固定武装のスラッシュ・ハーケンはそもそも動かない。完全に丸腰の状態で<サザーランド>を二機も相手にするのは不可能だった。


「駄目、なの……?」


去ったと思っていた絶望感が再びやってくる。


ライを見る。彼に諦めた様子はなかった。先ほどの存在感は消えていない。むしろ、強くなっていた。


(どうして……?)


分からない。なにも分からなかった。彼が何者なのか、何を考えているのか。味方なのか敵なのかさえ、分からなくなっていた。


カレンの知らない表情をしていたからだ。



455: 2015/08/15(土) 17:32:12.92 ID:96BNk38DO
戦う人間を間近で見た事がある。


怒りや憎しみ、敵意や殺意。義務や責任感。過去のトラウマ。または果てない野望を叶えるために戦う人達を知っている。カレンもその一人だ。


しかし、この少年は違う。


敵を罵ったり、嘲ったりもしなければ、自身の能力を誇示したりもしない。恐怖や動揺、混乱もない。何も表現しないのだ。


理解出来ない。


「蹴散らす。掴まっていろ」


当然の事のようにライは言った。驕りも油断も無い、事実だけを伝えるように。


敵の<サザーランド>は二機。向かって左側の機体はアサルト・ライフルを装備しており、右側の機体は大型の電磁ランスを構えている。味方が倒された事を知らされているのだろう。隙など微塵もなかった。


相対距離は一五〇メートルほど。ライフルで狙うには絶好の位置だ。敵の射撃を躱すつもりなのかもしれないが、どうしても動きは制限される。そうしたらあのランスの餌食だ。


ライは敵機を静かな瞳で見据えている。


その目が、やや上を見た。異変が起こる。


先ほど弾を注ぎ込んだビルの屋上。そこに設置されている球体型の貯水タンクが傾いた。射撃で支えを失っていたのだ。重々しく転がり──容易く落下する。その下にはライフルを構えた<サザーランド>の姿があった。


<無頼>が疾走する。


敵が異変に気付いた。慌てて回避機動をとるが、既に遅い。貯水タンクの下敷きにはならずに済んだようだが、中に入っていた水が衝撃でぶちまけられる。数年もの間、放置されて腐りきった茶色の液体が津波のように押し寄せ、二体の<サザーランド>を飲み込んだ。




456: 2015/08/15(土) 17:35:10.63 ID:96BNk38DO
ランス装備の機体は辛くも凌いだようだが、ライフルを持った方はまともに食らってしまった。流された勢いでビルに叩きつけられ、武器を取り落とす。右半身はそのまま建物にめり込んでしまった。


混乱している敵に<無頼>が迫る。汚れた津波を驚異的なバランスで乗り切り、減速しつつもランス装備の<サザーランド>に狙いを定めた。


相手は冷静に対応してきた。コンパクトに機体を操り、ランスを突き出してくる。それを<無頼>が迎え撃った。


体勢を低くしながら急速回転。逆時計回りに。左腕で迫る矛先を受け流し、懐に潜り込む。ライは操縦桿から左手を離し、遠心力で浮きそうになるカレンの腰に回した。


充分に勢いを乗せた右腕のナックルガードが、敵機の脇腹──構造上、どうしても脆くなる部分にめり込む。衝撃と小さな爆発。幾つかの重要なユニットを破壊された<サザーランド>からコックピットブロックが射出された。


一機撃破。勝利してしまった。


ライは倒した敵機に目もくれず、半身をビルに埋められてもがいている<サザーランド>に歩み寄った。風化した建造物はだいぶ脆くなっているらしく、足掻けば足掻くほど崩れて動きを阻害する。まるで蟻地獄のようだった。


敵機の腰部から新品のマガジンを奪うと、それを空っぽのアサルト・ライフルにねじ込んだ。通常、ナイトメアの扱う火器は敵に奪われないよう強力な暗号化が施されているが、弾倉はその限りではない。ライはそんなことまで知っているようだった。


給弾の済んだライフルを動けない<サザーランド>に向ける。ようやく抜け出した敵機は苦し紛れにスラッシュ・ハーケンを打ち出してくるが、どうということはなかった。あっさりすり抜け、胸部に砲口を押し付ける。発砲。五トン近い巨体が衝撃で持ち上がり、アスファルトに叩きつけられた。


またも飛び出すコックピットブロックを見つめ、ようやくライは短い息を吐いた。


二機目も撃破。会敵から僅か二〇秒余りの戦闘が終了した。



457: 2015/08/15(土) 17:36:52.94 ID:96BNk38DO
「倒したの?」


未だに信じられず、カレンが呟く。


「なんとかな。運が良かった」


嘘ばっかり、とカレンは思った。何から何まで計算尽くの戦い方を見れば分かる。危なっかしさなど微塵も無い、完璧な戦闘機動。先ほどまであった恐れは妙な高揚感と安心感に姿を変えていた。


ライの横顔を覗き見る。やはり、カレンが今までに見たことのない顔だった。笑顔ではない。怒りでも恐怖でもなく、愉悦や慢心でもない。


戦闘中、彼が発したのはカレンを気遣う言葉だけだった。怒声や罵声などは一切ない。笑い声もだ。ライが戦いを楽しんでいるわけではないのは明らかだった。


薄暗いコックピット。モニターのバックライトに照らされた横顔を見つめる。その中に輝くものがある事に気付いた。


瞳だ。


蒼い瞳。いつもは感情を映さない瞳に、今は何かが宿っている。それは確かな輝きを放っていた。燦然と瞬く意志の光。その光の中に、彼の正体に関する答えがあるような気がした。


穢れが無く、淀みも無い。どこまでも澄んだ、それでいて強い輝き。果てしなく長い年月を掛けて鍛えられ、研ぎ澄まされた光の剣だ。そこに彼の歴史がある。しかし残念なことに、形容する言葉が見つからなかった。おそらく、この光を言葉に出来る者はいないのだろう。


その光を覗き込んだとき、たまらなく美しいと思ってしまった。心を奪われるとは、こういうことを言うのかもしれない。


「…………」


ほう、と熱い吐息が漏れる。わけもなく胸の奥が締め付けられた。初めての経験だった。



458: 2015/08/15(土) 17:38:42.50 ID:96BNk38DO
この光が悪夢を祓ってくれた。地獄から救ってくれた。得体の知れない、けれど途方もない力。それは奇しくも、以前に遭遇したシンジュク・ゲットーでの出来事と酷似していた。


"あの人"と出会った時と同じだ。


「一角が空いた。ここから脱出する」


ライの声で意識が呼び戻される。そうだ。惚けている場合ではない。ここはまだ戦場なのだ。<無頼>は再び前進を開始する。カレンによる道案内のもと、痛んだ道路を駆け抜け、租界に向かった。


しかし、ブリタニア軍は諦めてくれない。三機もの<サザーランド>が一瞬にして撃破された事を受け、こちらに戦力を集め始めている。


ライは無線を開いて、まだ残っているテ口リストへ呼び掛けた。なにやら連中に『戦力を集中させる』という旨の指示を出している。多大な戦果を挙げた人間の意見に反対する者はいない。誰もが正直に従い始めていた。


あちこちで戦闘が激化する。ライは集めたテ口リストの機体を囮に使い、ここから脱出するつもりのようだった。


勢いを緩めず、全速力をもって移動する。戦場の中心、一番の激戦区を抜けようとしたところで、曲がり角から突然<サザーランド>が飛び出してきた。


ライは大して驚きもせず、寂れた道路標識を引っこ抜くと、それを棍棒よろしく敵機に叩きつけた。頭部を横薙ぎに払われ、紫色の巨人が地面を転がる。とどめを刺している時間は無い。そのまま走り抜けようとするが──


カレンの腰に再びライの手が回される。<無頼>が横に飛び退いた。今までいた空間に複数の徹甲弾が突き刺さる。見れば一機の<サザーランド>がこちらにライフルを向けていた。


敵の増援だ。<無頼>は空中で体勢を整えながら応射する。完全なマニュアル射撃。当たらない。だが、もともと着地の隙を潰すための攻撃だったため、これで充分だった。



459: 2015/08/15(土) 17:40:25.46 ID:96BNk38DO
撃ち合いでは分が悪い。当たり前だ。こちらは射撃に必要な機能を殆ど失っている。むしろ撃ち合いまで持ち込んでいるライの技量が何よりも異常だった。


「ライ、後ろ!」


「わかってる」


先ほど殴り飛ばした<サザーランド>がこちらに砲口を向けていた。<無頼>は軽く右に動いてから、左に倒れ込む。際どいところで砲弾は空を切った。


<無頼>は身を捻り、地面に右肩をこすりながら、いま撃ってきた<サザーランド>へ発砲。当たりはしたがいずれも浅く、致命傷には至らない。だが武器は破壊した。


まずい。もう一機の<サザーランド>にやられる。カレンは慣れた手つきでコンソールを操作し、後方の状況を映し出した。モニターには破壊された<サザーランド>の姿がある。


妙だ。<無頼>は攻撃などしていないのに。


先ほどの射撃を<無頼>が横に飛んで回避した時、獲物を失った徹甲弾はどこの誰に直撃したのか。位置関係を思い出す。確か、二機の<サザーランド>が<無頼>を挟み込むような状況だったはずだ。


まさか──


「同士討ち……?」


カレンは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。狙ってやったのだとしたら恐ろしいことだ。未来が見えていなければ出来ない芸当。そしてライはこの短時間で、そう思わせるだけの事を山ほど行っている。


戦場の支配者はテ口リストからブリタニア軍に替わった。だが今は違う。現在、戦場という空間を掌握しているのは間違いなく、このくたびれたロートル機と、記憶喪失の少年だった。




466: 2015/08/18(火) 23:25:26.65 ID:2OP6sQVDO
「荒い機動をしてしまった。怪我はないか」


ライは<無頼>の出力系を弄りながら訊いてきた。心配しているというより、どこか訝るような口調だ。当然だろう。


戦闘機動を行うナイトメアのコックピットは酷いGに襲われる。カレンはその中で体をろくに固定していないにも関わらず、いまだに怪我一つ負っていないのだ。


いくらライが気を遣ったところで、普通の人間だったら頭を強かに打ち付けているところだろう。少なくとも流血は免れない。こんな状況でもパニックを起こさず、急激なGにも対応してみせる女子高生というのはあまりにおかしい。


「……平気よ。ありがとう」


彼が疑うのも無理はない。しかしこう答えるしかなかった。


「そうか。ところで……」


ライは言いにくそうに言葉を濁した。


「カレン、少し近いんだが」


「え? あ……ごめん」


いつの間にか抱きついていた。戦闘中だったのだから仕方ないが、それでもいそいそと体を離す。また顔が赤くなった。


「あ、あなただってさっき、私の腰とか触ったでしょ」


「仕方がなかった。あのままだったら君の体は宙に浮いて、コックピットのどこかにぶつかっていただろう。これ以上、機体を壊すわけにはいかない」


「ちょっと。なにそれ、どういう意味よ……!」


それっきり、ライは何も尋ねてこなかった。辺りの戦闘は収束しつつあるようだ。ブリタニア軍が出張ってきてから随分経っている。テ口リストのナイトメア部隊も大半が破壊されてしまったようだ。


「……もう抜かれたのか」


蜂の巣にされた<無頼>を見てライが呟いた。先ほどの<サザーランド>に敗れたのだろう。無惨なものだった。


テ口リストの機体は減り、ブリタニア軍の機体は増えている。


「どうするの?」


「蹴散らす」


またも<サザーランド>が姿を現す。今度は三機。まだ増えるだろう。このまま助かるかどうかはライの技量に掛かっている。


密着している体越しに、彼の中で力が膨れ上がるのが分かった。言葉通り本当に蹴散らすつもりらしい。



467: 2015/08/18(火) 23:26:18.65 ID:2OP6sQVDO
爆発。


<サザーランド>が火を噴いて倒れる。交戦する直前に異変が起きた。


攻撃したのはライではない。火線を辿ると、ライフルを構えた数機の<無頼>が見えた。テ口リストや他の反抗組織とは違う、黒とダークグレーを基調としたカラーリング。よく知っている色だった。


新たに現れたナイトメア部隊は統率された動きでブリタニア軍の機体を破壊していく。間違いない。あれは──


「<黒の騎士団>!」


喜びに弾むカレンの声。


「彼らは偽物じゃない! 本物の<黒の騎士団>だわ!」


「…………」


瞬く間に戦場を席巻する黒い嵐。外部スピーカーからは知った声が住民へと呼び掛けている。<黒の騎士団>はゲットーの人間を安全な場所に逃がすべく現れたのだ。


まさに正義の味方。安心感と誇らしさからカレンの表情も綻ぶ。だが、事はそう簡単に終わってはくれなかった。


数機の黒い<無頼>がこちらに砲口を向ける。彼らから見たらこの機体もテ口リストの一味に見えるのだから当たり前のことだ。


またもライの体から力がほとばしる。


「た、戦う気!? 本物の<黒の騎士団>よ?」


「関係ない。殲滅する」


本気のようだった。その証拠に彼は先ほどから作っていた戦闘用のプログラムを作動させている。




468: 2015/08/18(火) 23:27:34.93 ID:2OP6sQVDO
第五世代の<サザーランド>を倒しているライからしてみれば、第四世代のコピー機である<無頼>は大した脅威ではないのだろう。再び戦場が混乱している今の状況を好機と思っているのかもしれない。


彼は先ほど見せた力を振るって、<黒の騎士団>を蹂躙する。間違いない。いくら統率されていても、相手はこちらをただのテ口リストだと捉えている。付け入る隙はいくらでもあった。


先刻の戦いを見る限り、ライにパイロットを頃す気は無いようだが、どちらにしても<無頼>が破壊されるのはまずい。いまだ弱小組織である<黒の騎士団>にとって、ナイトメアは貴重な戦力なのだ。


「だ、駄目だって! 戦っちゃ駄目!」


「正気か君は。あちらに戦意がある以上、応戦するしかないだろう」


「とにかく待って! なんとかするから!」


狭いコックピットの中、操縦席の上で二人は激しく揉み合う。今までおとなしかったカレンの豹変に流石のライも戸惑いを隠せない様子だった。


カレンはライの上から降りて、コックピットの天蓋部に手をかけた。<グラスゴー>及び<無頼>には、周囲を見渡すためのキューボラがある。戦車と似たような物だ。そこを開いて、顔を出した。


「カレン……?」


ライは呆れているが、無理に引き戻そうとはしなかった。いま操縦桿から手を離すわけにはいかないのだろう。


カレンの顔を見るなり、<黒の騎士団>のナイトメア達はそそくさと道を開けた。胸をなで下ろしながら、コックピットの中に戻る。


「私達が敵じゃないって分かってくれたみたいね」


「…………」


阻む者のいなくなった<無頼>はそのまま戦場を通過し、租界付近まで辿り着く。




469: 2015/08/18(火) 23:31:39.51 ID:2OP6sQVDO
ライは一言も発しなかった。到着するなり席を立ち、開きっぱなしのハッチから外の様子を窺っている。


「…………」


カレンはごく自然な動作でパネルを操作すると、機体のデータバンクに保存されていた幾つかの情報を外部フォルダに移し替えてから、メモリーチップを抜き取った。この中に今回の顛末が収められている。ライが何をしたのかも、全てだ。


しばし見つめてから、それをスカートのポケットに突っ込んだ。言い知れぬ後ろめたさがあった。


「早く出るぞ」


後ろからライが近づいてきて、カレンの手を引いた。


「う、うん。……きゃっ」


ハッチの近くまで来るとライは手を離し、少女の肩と足に腕を回す。お姫様抱っこの体勢だった。抱えられたカレンは突然の事態にされるがままになっていた。


三メートルほどの高さから飛び降りる。浮遊感が通り過ぎ、着地。僅かな衝撃の後、カレンを降ろす。


「人が集まってきた。早く離れよう」


「う、うん……」


野次馬が数を増やしている。役目を終えた<無頼>を乗り捨て、二人は帰路についた。


租界に入り、モノレールに乗る。それからバスを使ってアッシュフォード学園へ。道中の車内では二人とも無言だった。非日常から一転して日常に戻ってきたのだ。やはり違和感は拭えなかった。


いつの間にか晴れていた空は、既に赤くなっている。



470: 2015/08/18(火) 23:32:59.98 ID:2OP6sQVDO
「どうしてついて来るんだ」


校門の前まで来て、ライが三〇分ぶりに口を開いた。途中、カレンの家の方に乗り継ぐバスもあったのに、学園まで来た事を疑問に思ったのだろう。


「あなた怪我してるでしょ。手当てしないと」


「一人で出来る。君はもう休んだ方が良い」


「そういうわけにはいかないわ。ほら、その……私のせいで怪我したんだし」


「…………」


「だ、大体! あなたって怪我とか放っときそうだから。お世話係主任として当然の事よ」


「…………」


「な、なによ。なにか文句あるの?」


ライは諦めたように息を吐いた。


「……近頃の君は我が儘だな」


そう呟くライの顔は数十分前に見せた顔ではなかった。今までカレンが見てきた、無表情で色の無い、しかし不思議な愛嬌を漂わせる顔だ。


夕日に照らされたその横顔を見ると、氏地から生還したという実感がようやく訪れた。


「どうした。急に黙り込んで」


いつの間にか立ち止まってぼんやりとしていたカレンの顔を、ライが覗き込んでいた。


「……なんでもないわ。早く行きましょう」


「……?」



471: 2015/08/18(火) 23:34:48.82 ID:2OP6sQVDO
「じゃあ、服を脱いで」


休日の保健室には誰もいなかった。消毒液の匂いと、真っ白なベッド。夕日を反射する清潔な床。


ライを椅子に座らせ、瓦礫の直撃を受けた上半身の服を脱がせる。制服を脱ぎ、シャツを脱ぐ。パサリという音を立てて籠に入れられる衣服と、露わになった少年の肉体。


ガリガリの痩せ型だと思っていたが違う。しっかりとした骨格に無駄の無い筋肉を纏った体からは、シャープで力強い印象を受けた。


「…………」


触り心地の良さそうなアッシュブロンドの髪。白い首筋に、思ったより大きい背中。なんだか気恥ずかしくなり、思わず視線を逸らした先には無人のベッドがあった。


「…………!!」


いま何を思った。何を想像した。カレンは真っ赤になった顔をぶんぶん振った。


「……どうした」


「み、見ちゃ駄目!」


「思ったより傷が酷いのか」


「そういうわけじゃないけど……。とにかく、あなたはリラックスしてなさい。すぐ済むから」


「君はリラックスしていないようだが」


「静かに。手元が狂うかもしれないでしょ」


「何をする気なんだ……」




472: 2015/08/18(火) 23:36:19.20 ID:2OP6sQVDO
怪我自体は重いものではなかった。軽い打撲だけで、裂傷や出血などは確認できない。カレンは消毒をしてから、患部をアイスノンで冷やす。


「慣れてるな」


「そう? 普通はこれくらい出来ると思うけど。……痛む?」


「それなりに。だが、正常な痛みだ。骨や内臓に影響はないようだから、二日三日で完治するだろう」


彼は他人事のように言った。充分に冷やした後、湿布を貼って包帯を巻く。処置が終わっても、カレンはライの近くから離れなかった。その背中にそっと触れる。


確かな体温。確かな鼓動。確かな距離。とても安心する。


「……ライ」


彼に言わなくてはならない事がある。しかし、その言葉を口にするには結構な勇気を必要とした。


「どうした」


「……ごめんね。巻き込んじゃって」


「気にしなくていい。君について行ったのは僕の意志だ」


いつも通りの様子に、思わず笑みが零れる。救われたような気がした。


「そ、そっか。……それと、その」


「ん……?」


「守ってくれて……ありがと」


先ほどよりも勇気を込めて言った。ライの肩が僅かに揺れる。もしかしたら、笑ったのかもしれない。


「いや。……君が無事で良かった」


幾分か柔らかくなった言葉が風に乗り、赤く染まった保健室のカーテンを揺らした。




480: 2015/08/23(日) 20:03:37.48 ID:3Q5voUDDO
カレンと別れたライは、アッシュフォード学園の廊下を歩いていた。シミ一つ無いリノリウムの床を眺めながら、今日の一件を思い起こす。


初めて歩くはずのゲットーの中で感じたデジャヴ。どうしても拭えない滅びのイメージ。何故か動かせたナイトメア・フレーム。なんの疑問もなく行えた戦闘。ベテランの軍人を当たり前のように倒してしまった力。


恐ろしい事だ。


今までとは比べ物にならないほど様々な事が分かったが、そのどれもが望んだものではなかった。


集めた情報から導き出されるのは──記憶を無くす前の自分が、まともな人間では無かったという結論だ。どれだけ好意的に解釈しても、この結論は揺るがなかった。


つい昨日までは、この学園にいれば、いずれは普通の人間として生きていけるかもしれない、そうなれたら嬉しいなどと思っていたのに、結局はこれだ。


分かっていたのだ。そんな甘い答えが待っていないことなど。記憶が無いのはまだ良い。記憶喪失という病名がある以上、そうなる可能性は用意されているのだから。



481: 2015/08/23(日) 20:04:18.21 ID:3Q5voUDDO
だが、身元が分からない。そして関係者が一切現れないというのは、いくらなんでもありえない。


極めつけは"ギアス"という得体の知れない力だ。未だ目覚めてはいないが、確かにこの身に宿っている。あのC.C.という少女に出会った時から──いや、保護された時からこうなる事は予想出来ていた筈だった。


この学園で平穏無事に暮らすなど、始めからありえない事だったのに、ずっと目を逸らしていた。


息を吐いた。意味もなく壁に背中を預け、窓の外を見る。日が沈み、色を失っていく空と、あてもなく流れる雲は自身の未来を暗示しているようで、ライはどうしようもなく暗い気分に陥った。


どうすればいいのだろう?


決まっている。このままで良い訳が無い。ミレイ・アッシュフォードに全てを打ち明けるのだ。ゲットーに行った事、戦闘に巻き込まれた事、ナイトメアに乗ってブリタニア軍を倒してしまった事。


全てを話さなければ、保護してくれた彼女への裏切りとなる。それだけは出来ない。それだけは許されない。




482: 2015/08/23(日) 20:05:42.60 ID:3Q5voUDDO
そうと決まれば、すぐに行動に移さなくては。ゲットーでの戦闘は既に大きな騒ぎとなっているだろう。ニュースでも長期間取り上げられるほどの事件のはずだ。報告が遅れればアッシュフォード学園に迷惑が掛かる可能性が高くなる。カレンにもだ。


ライは静かに決意し、まずは生徒会室に向かった。




「いない……」


今日に限って、ミレイの姿が見当たらない。目立つ人だ。行く先々で騒ぎを起こすため、いつもなら探すまでもなく見つかるのだが。


参った。どうしたらいいか分からない。学園内にいる教師に話そうかとも思ったが、彼らの手に負える案件ではないだろう。


ライは元々、アッシュフォード学園の正式な生徒ではない。加えてとても微妙な立場だ。記憶喪失や身元不明者だという事も生徒会メンバーを始めとしたごく一部の人間しか知らないのである。従って、相談できる者は限られていた。


(どうしようか……)


暗がりの中、学園の校舎から門まで並ぶアーチを見る。途方に暮れていた。


しばらく立ち尽くしていると見知った人影が二つ、立ち並ぶアーチの下を歩いてくる。


ルルーシュ・ランペルージと枢木スザクだった。


483: 2015/08/23(日) 20:06:55.24 ID:3Q5voUDDO
「あれ? ライ?」


「ん? ちょうど良かった。……どうした、そんな顔をして」


スザクが気づき、遅れてルルーシュもこちらに目を向ける。


「……ミレイ会長を探しているんだが、行方を知らないか」


挨拶もしないままライは言った。スザクはきょとんとしているが、ルルーシュは何かを感じ取ったらしく、その秀麗な目を細めた。


「会長なら、今日は家の用事があるそうだ。本国まで行くらしいから、いつ帰ってくるかは分からない」


「……そうか」


ルルーシュの答えに安堵してしまった自分が嫌で仕方なかった。ライが俯くと、スザクが歩み寄ってきて、


「なにかあったのかい?」


穏やかな声で訊いてきた。顔を上げる。


ミレイがいないのなら、この二人に報告するのが筋だろう。ルルーシュは生徒会の副会長だし、スザクはブリタニアの軍人だ。


「君達に話さないといけない事がある。今日の……出来事についてだ」


その言葉を告げるのには苦労した。いつの間にか、口の中がひどく渇いていた。



484: 2015/08/23(日) 20:08:17.05 ID:3Q5voUDDO
「じゃあ……君はナイトメア・フレームを動かしたってこと? 本当に?」


夜の屋上。スザクが呆然とした表情で言った。瞬く星の下で、ライは二人に全てを告白した。特にブリタニア軍との戦闘については何一つ隠さず、漏れが無いように注意した。誤解が生まれないように。


「そうだ。それで、ブリタニア軍の機体を破壊した。<サザーランド>を五機。使用したのはテ口リストの<無頼>だった」


「……本当にお前が、動かしたのか」


いつもは冷静沈着なルルーシュも、流石に驚きを隠せないようだった。ライは頷き、


「大罪人だな。ブリタニア軍に損害を与えてしまったんだ」


「だが、信じられないな。お前が乗ったナイトメアは損傷していたんだろう。それで五機も撃破したというのは……」


ルルーシュはスザクをちらりと見た。旧式の<無頼>で最新鋭の<サザーランド>を五機も倒すというのが可能なのかどうか、現役の軍人から意見を聞きたいようだった。


「……使用した武器は?」


「エルド・ウィンチェスター製の三〇ミリライフルだ。ブリタニア軍が七年前に採用していた物を使った」



485: 2015/08/23(日) 20:09:11.48 ID:3Q5voUDDO
ウィンチェスターはブリタニア帝国最大手の銃器メーカーだ。現在の第98代目皇帝シャルル・ジ・ブリタニアに娘を嫁がせる事に成功した名門貴族でもある。従って軍部との癒着も深い。


ウィンチェスター製のライフルはブリタニア軍で正式採用されている。ナイトメア用の火砲について世界で最も発達した技術を持っている企業だ。


ライの<無頼>が持っていたのはブリタニア軍が現在使用している物より旧式の火器だった。七年前の日本侵攻の折に使われていた物が払い下げられ、反抗勢力に横流しされているのだ。


そして、そんな旧式の武器でも<サザーランド>を倒すには申し分ない威力を有している。


「なら、倒せないことはないけど……。やっぱり信じられないな。戦力差がありすぎる」


スザクはナイトメアに乗った事があるのだろうか。神妙な面持ちだった。以前、学園の校門付近で会った白衣の男を思い出す。


「少し前、ロイドという人に言われたんだ。『君、ナイトメアに乗ったことあるでしょ』とな」


「え、ロイドさんが……?」


「ああ。君の上司だろう。あの時は気に留めていなかったんだが」


いや、違う。気にしないようにしていただけだ。逃げていただけだった。この三週間近く、ヒントは山ほどあった。そしてそれを無視していた。結局、意味がなかったのだ。


どんなに避けても、どこまで逃げても、こうして過去に追いつかれる。分かっていた事だった。



486: 2015/08/23(日) 20:16:15.80 ID:3Q5voUDDO
「この場合、お前がナイトメアを何機倒したかは問題じゃない」


ルルーシュが言った。確かに、<サザーランド>を倒したという証拠が無い以上、挙げた戦果に意味は無い。ライは頷いた。


「そうだな。なんの躊躇いもなくナイトメアに乗り込み、それを動かして戦えた。それが一番の問題だ」


「……何か思い出せなかったのか」


ルルーシュの問いにライは首を振った。


「何も。他の知識と一緒だ。視界に入れば使い方が分かる。シャワーやエアコンと同じように扱えた。"見れば分かる"んだ」


これこそが一番の異常だ。ナイトメアの動かし方だけではない。戦場にいる時もそうだった。相手が一歩足を動かすと次の行動が分かってしまう。周囲に何があったのか記憶して、それがどのように動くのかが手に取るように分かってしまうのだ。


そして、その感覚に違和感を覚えない事もまた、紛れもない異常だ。記憶を失う前から日常的に使用していた技能だという事は考えるまでもなく分かった。


「……大勢氏んだんだ。目の前で」


「…………」


「…………」


搾り出すようなライの声に、二人は息を呑む。



487: 2015/08/23(日) 20:18:10.72 ID:3Q5voUDDO
「女子供も関係ない。誰もがなすすべも無く氏んでいった」


拳に力がこもる。血と肉が飛び交う光景。悲鳴と怒声。響き渡る断末魔。なんの罪も無い住民達は、人の形を奪われて肉塊になり果てた。普通の人間だったら間違いなく心的障害を負うだろう地獄絵図。


その中で、自分は何を考えていたのか。


「……なのに、僕は何も感じなかった。あまつさえ、彼らを囮にして助かろうと考えていた。七三人。それだけの日本人が目の前で氏んでいるのにも関わらず、だ」


あの時、ライはあっさりと彼らを見捨てた。<無頼>を手に入れた後も、カレンを無事に帰すことを何よりも優先していた。ひたすら冷徹で、ひたすら合理的。


助からないと判断したものは破棄して、助かるものだけを守護するというわけでもない。絶対に守らなくてはならないもののために、助かるかもしれないものもあっさり切り捨てる。そしてそれを悔やみもしなかった。機械的ですらない、独善的でおぞましい思考だ。


だから思う。そんな思考の持ち主は、もうこの学園にはいられないのだと。



488: 2015/08/23(日) 20:23:33.94 ID:3Q5voUDDO
「……なぜ話した」


ルルーシュが暗い表情で言った。艶やかな黒髪が、星の光を反射する。女性と見紛うくらい白く細い手は、何かの感情を握り締めて震えていた。


「言い方があったはずだ。別に、俺達にナイトメアのくだりを話す必要は無かった。ただゲットーに行って、そこで戦闘に巻き込まれたと……命からがら逃げてきたと、そう言えば良かったんじゃないのか」


「ルルーシュ……」


スザクが呆然と親友の名を呟く。彼にもライにも、ルルーシュの横顔から覗く深い苦悩の意味を察する事が出来なかった。


「なぜ嘘を言わない。どうしてお前は、いつも辛い方にばかり行こうとするんだ」


「辛い方にばかり……」


ライが反復すると、ルルーシュの瞳が射抜くような鋭さを持った。彼がどうして怒っているのか、何に憤っているのか、ライには分からなかった。


「そうだろう。お前はいつも苦しんでいる。クラブハウスにいる時も、教室にいる時も、生徒会室にいる時も……。俺はそれが気に入らない」


「……そうか」


そういえば最近、ルルーシュから哀れむような目で見られる事が多くなっている。これが理由なのだろう。


返す言葉を用意出来ず、ライは黙り込むしかなかった。


「お前はそんなに……ここが嫌いか」



489: 2015/08/23(日) 20:28:35.66 ID:3Q5voUDDO
この学園を嫌っているのか。つい最近、ミレイにも言われた事だった。あの時は違うと答えたが、今は分からなくなっている。


「僕は……」


そこで、言葉は止まる。答えなどなかった。この三週間を、思い出を表す言葉をまったく口に出せない。そのことに、ライは絶望した。


そこに切り込む声一つ。


「違うんだよ、ライ」


スザクが言った。どこまでも穏やかな表情。その声には少しの呆れと、大きな優しさがこもっていた。同情や憐憫など微塵もなかった。


「ルルーシュが言いたいのはそういうことじゃなくて……なんていうかな」


スザクはルルーシュとライを交互に見た。空のどこかで、星が瞬く。


「もっと僕達を好きになってもらいたいんだよ。きっと」


「……他に言い方はなかったのか」


にっこりと笑うスザクに、げんなりするルルーシュ。それでも、二人の心情はおぼろげながら理解出来る。三週間前の自分には出来なかったことだ。



490: 2015/08/23(日) 20:29:45.21 ID:3Q5voUDDO
「だが、僕は……」


自分を受け入れてくれた、美しくて尊いこの学園が、嫌いなはすがない。世界中探しても、こんな場所は他にないだろう。


だから怖いのだ。恐ろしくて仕方がない。この奇跡のような環境を、人々を、他ならぬ自身の手で破壊してしまう未来。それだけは許さない。絶対に許せない。


ならばどうすればいいのか。簡単だ。自分が消えればいい。それがなにより確実で、一番手っ取り早い。


しかしそんな考えを、ルルーシュは気に入らないと言う。ではどうしたらいいのか。分からない。なにも分からなかった。


「もう、ここにはいられない」


そうだ。そのために二人に打ち明けたのだ。スザクに協力してもらえればアッシュフォード家に迷惑をかけずに去る事が出来るかもしれない。ルルーシュならば、いなくなった理由も無理なくでっち上げてくれるだろう。


他者の力に頼りきった、甘えた考え。大嫌いだった。


「どうして?」


スザクが訊いてきた。ブリタニア軍人の彼がだ。



491: 2015/08/23(日) 20:31:52.84 ID:3Q5voUDDO
「僕はナイトメアを動かした」


「それだけじゃ、罪にならないよ」


ライの言葉にスザクが答える。


「……戦闘を行った」


「それを証明できる物が無い」


今度はルルーシュが答えた。


「確かに一般人が許可無くナイトメアに乗って戦闘行為を行うのは罪になる。だが、所詮は刑法だ。証拠が無ければ立件出来ない」


ルルーシュは何でもない事のように言う。軍人の隣で『所詮は刑法』と言える神経が羨ましかった。


だが、ライが気にしている点はナイトメアに乗っただとか、戦闘をしただとか、そういった部分ではない。


あの地獄の中で平然としていた精神、あの悪夢の中に居心地の良さを感じた異常性こそが、最も危険なのだ。他の要素は去るための理由付けに過ぎない。


「分かってるよ。君は、疑問も無く戦えた自分を恐れている。戦場で行われた事を疑問に思わない考えにも」


スザクが学園の中庭を見下ろしながら言った。頭の中を覗かれている気分だった。




492: 2015/08/23(日) 20:34:24.23 ID:3Q5voUDDO
「なら分かるだろう。僕は危険な人間だ。拘束して、軍に引き渡せ。君が協力してくれれば、学園に迷惑もかからない」


どうせ身元不明者だ。それだけで拘束する理由になる。足りないなら、そこら辺の憲兵──前に公園で日本人にリンチを加えていたような連中だ──を殴ってもいい。


今までそうしなかったのはアッシュフォード家に迷惑が掛かるという理由があったからだ。


「それは出来ない」


返ってきたのは確かな否定。ライは珍しく声を荒げた。


「何故だ……!」


「それは、ただの逃避だから。君はやっぱり、間違ってるよ」



493: 2015/08/23(日) 20:36:01.88 ID:3Q5voUDDO
「──君はその力で、カレンを守った。これも確かな事実だ」


「……それは」


結果的に言えばそうかもしれないが、カレンだって自分がいなければゲットーに興味を抱いたりしなかったはずだ。


スザクの言葉を否定する材料はいくつもある。しかし、それが口から出てくることは無かった。


瞑目していたルルーシュが言う。


「"シンジュク事変"は知っているだろう。俺もスザクも、あれに巻き込まれた。今日のお前のようにな」


「なに……」


シンジュク事変とは、ブリタニア軍の科学兵器──毒ガスの類いだと言われている──をレジスタンスが襲撃して、ゲットー住民に多大な被害をもたらした事件の事だ。


当時エリア11を統括していたクロヴィス・ラ・ブリタニア総督が殺害され、その犯人として黒衣の魔人"ゼロ"が現れた事で有名だった。




500: 2015/08/28(金) 18:10:17.77 ID:BCVIJtYDO
「俺もスザクも、あの時は何も出来なかった。だが、お前には何かを成せる力があったんだ。力を振るう事は罪かもしれないが……何も守れない事もまた、罪だ」


ルルーシュの顔には痛ましい過去の記憶が貼りついている。昔、大切な人を無くしたのだろうか。


「…………」


「俺達だって馬鹿じゃない。信じて良い奴と、そうでない奴くらい見極められるさ」


暗い表情から一転してルルーシュは笑った。何かを信じている笑み。初めて見る類いの表情だった。


「そうだね。ルルーシュがそう言うなら間違いない」


「……む」


ライが唸ると、スザクは親友の方に顔を向けた。彼の目にもまた、強い信頼で彩られた光がある。


「君が学園に来たばかりの頃、多数決がとられたんだ。保護するかしないかの」


「…………」



501: 2015/08/28(金) 18:11:04.63 ID:BCVIJtYDO
「反対派は三人だった。カレンとニーナ、それとルルーシュ」


その時の事はおぼろげながら覚えている。ナナリーを守ろうと、ルルーシュが警戒心を露わにしていたことも。


彼らの考えは間違いではなかった。現に、自分は危険な人間だったのだから。


「でも、今は一人もいない」


「……!」


スザクは笑った。どうして、そんなに嬉しそうなのか。


「本当はあの時、ルルーシュと僕とで話していたんだ。もし君が危険な人間だったなら、二人で止めようって。……そして君は、その僕達に今、こうして警告している」


「変な話だな」


ルルーシュが肩をすくめた。そうして、こちらを真っ直ぐに見据えてくる。いつもの気分屋で、皮肉屋な少年の仮面は脱ぎ捨てられていた。


「お前が来て三週間。たった三週間だが……確かに築いたものがあるはずだ」



502: 2015/08/28(金) 18:11:45.39 ID:BCVIJtYDO
「築いたもの……」


あるのだろうか。


自信が無い。この三週間、自分は迷惑と苦労しか掛けていないはずだ。それなりに足掻いてはいたが、それでも彼らの善意に報いていたとは言い難い。


三週間──たった五〇〇時間だ。出会ってから、悩んでから、それだけしか経っていない。


こんな短い時間で楽観的な結論など出せるはずが無い。これだけ言葉を重ねられても、ライは未だに迷いの中にいた。


「だから、逃げるな」


だからこそ、ルルーシュの一言が効いた。命令口調で尊大な、けれども優しい声。彼らしいと思える言葉。


("らしい"か……)


もしかしたら。


もしかしたら、今の言葉に安心感を覚えられたという事こそが、何かの証明なのかもしれない。



503: 2015/08/28(金) 18:12:25.66 ID:BCVIJtYDO
「僕は……どうしたらいい」


今までの問答で分かった事がいくつかある。


自分は恐らく、この学園が好きだということ。生徒会のメンバーが好きだということ。ここで築いた思い出が好きだということ。それらを無くしたくないと思っていること。


しかし自分は危険な存在であり、容易くこの楽園を破壊してしまえるということ。記憶を取り戻したとしても、その事実は変わらないであろうということ。


それなのに、この二人はどうしてか自分を信用してくれているらしいということ。


混乱していた。


欲しい言葉があった。


たった一言。それさえあれば、それだけで良いと思えた。


「それは自分で考えろ」


ルルーシュが言った。欲しい言葉ではなかった。


「答えは、常に自分の中にある。もう分かっているはずだ」


けれど、一番必要な言葉だった。



505: 2015/08/28(金) 18:13:23.99 ID:BCVIJtYDO
「……そうだな」


逃げるのはいつでも出来る。


これから先、自分が害を成す存在になったとしても、ルルーシュとスザクが止めてくれるだろう。この三週間で、それぐらいの事は理解していた。


後はミレイに同様の事を伝えるだけだ。彼女はなんと言うのだろうか。この学園を愛していると言った彼女は、なんと答えるのだろう。


少し、胸がざわついた。


「会長が戻り次第、報告するんだろう。俺も同席してやるから、そう怯えるな」


考えていると、ルルーシュが茶化すように言ってきた。


「別に怯えてなんかいないぞ」


「そうだな。そういうことにしておこう」


黒髪の少年は鼻で笑った。馬鹿にされている。ライは確信した。


「スザク、それと……」


言えば、日本人の少年は頷いてくれた。


「分かってるよ。事情はどうあれ、君が戦えた事は事実だ。放っておくのは何より、君のためにならない」



506: 2015/08/28(金) 18:14:25.03 ID:BCVIJtYDO
「ああ。多分……君の力を借りる事になると思う。その時は……その、頼む」


もう殆どカタコトだった。誰かに何かを頼むのは苦手だ。


「君が言った僕の上司……ロイドさんに話してみるよ。軍部に突き出されたりはしないと思うから、安心して」


「……すまないな」


やはり、この二人に打ち明けてよかった。そう思えることが、とても嬉しかった。自然と口から感謝の言葉が出る。


「俺の時とはずいぶん態度が違うな」


「……それは君に問題がある」


憮然とした表情でライが言うと、スザクがくすりと笑った。


「そうだね、確かに」


「どういうことだ?」


「……分からないならいい」


別に、さっきの感謝はスザクだけに向けたものではなかったのだが、わざわざ話すものでもないだろう。鈍感という言葉の意味が分かったような気がした。


これでは、シャーリーやカレンといったルルーシュに好意を抱いている人達も大変だと思う。それが、彼の良いところでもあるのだろうが。



507: 2015/08/28(金) 18:15:07.49 ID:BCVIJtYDO
「話はこれで終わりだな」


空気を切り替えるように、ルルーシュが言った。


「すまないな。時間を取らせてしまった」


「いや、嬉しかったよ。こういう話は多分……必要だったと思うから」


スザクにそう言ってもらえると気が楽になる。ライはいつになく晴れ晴れとした気分で夜空を見上げた。


暗い空間には無数の光と、大きな満月が輝いている。ああやって光が真っ暗闇を照らしているのを見ると、自分の未来にも希望があるのではないか……そんな淡い期待が生まれてきた。


心の中で、何かの感情が渦を巻いている。この三週間、ずっとライを苦しめていた物だ。


夢というには不格好で、願いというには汚らしい。欲望というのが適切だろう。


利己的で、どこまでもおぞましい感情。他には何も持っていないくせに、こんなものばかりぶら下げているのだと思うと、どうしても自分という存在が醜悪に感じて仕方がなかった。




508: 2015/08/28(金) 18:16:45.93 ID:BCVIJtYDO
だから、必氏に隠していた。


持っているには苦しくて、誰かに見せるにはグロテスク過ぎる。


ならば、と思う。


この感情を、あの月に飾ることくらいは許されるのではないだろうか。夜に見上げて、想うことくらいは許されるのではないだろうかと。


そんな風に考えていると、後ろから声が掛かった。


「おい、いつまでそうしている。置いていくぞ」


少し離れた場所からルルーシュが睨んでいる。


「……どういうことだ。話は終わったんだろう」


そう言うと、呆れられてしまった。失言だったらしい。


「これからルルーシュの部屋で夕食をご馳走になろうと思っていたんだ」


引き返してきたスザクが言った。だから二人で学園に戻ってきたのだろう。納得がいった。



509: 2015/08/28(金) 18:18:01.59 ID:BCVIJtYDO
「そうか。僕はもう少しここにいるから──」


「スザク、そこの馬鹿を連れてこい」


楽しんできてくれ。そう続けようとしたのだが、遮られた。呆れたようにスザクが笑う。


「はいはい」


「なんだ……?」


「元々、君を誘う予定だったんだ。ほら、行こう。ナナリーを待たせちゃ悪い」


ルルーシュの部屋で夕食。ということは、ナナリーを含めて三人で行われるのだろう。その団欒を壊すのは気が引けるし、何よりそこに入っていく勇気はなかった。


「む……」


困ってルルーシュの方を見ると、早く来いとばかりにこちらへ鋭い視線を向けている。スザクからも促され、仕方なく出入り口に向かって歩き始める。


「だが、ナナリーに悪い」


「安心しろ。ナナリーの提案だ」



510: 2015/08/28(金) 18:19:42.27 ID:BCVIJtYDO
予想されていたのだろう。苦し紛れの反論はルルーシュに一刀両断されてしまった。ライは閉口し、スザクの方を見る。


「ナナリーも喜ぶし、君の栄養管理にもなるから、一石二鳥だね」


「お前らはいつもクレープだのたこ焼きだの、ジャンクフードばかり食べているからな。今のうちに矯正しておく必要がある」


ライとスザクの買い食いを揶揄し、副会長は得意気な様子で言った。どうやら料理の腕には自信があるらしい。


「ルルーシュはマナーとかにうるさいからね。気をつけた方がいい」


「そうなのか。確かに、ルルーシュは神経質そうだ」


「……必要な知識を持っているだけだ。最も、お前のように水とビタミン剤しか摂取しないようじゃ、マナーも何も無いだろうがな」


「失礼だな。ちゃんと食事もしている。……三日に一回くらいは」


「……やはり、餌係を定めた方がいいようだな」


「そうだね。今度の生徒会の時にでも……」


「待ってくれ」



511: 2015/08/28(金) 18:20:56.59 ID:BCVIJtYDO
食事係から餌係にランクダウンしてしまっている。ライは絶望的な気分になった。


「違うんだ。ちゃんと考えている。自分の体調くらい把握しているから。しっかりと」


「していないから言っているんだ……!」


「……誰にだって疎かにしている部分はある。ルルーシュ、君だって授業中は居眠りしているじゃないか。ミレイさんとナナリーに言うぞ」


「なに……。お前、俺を脅すつもりか? いつからそんな風になった」


「残念だったな。この三週間、僕が何もしていないと思っていたのなら、それは君の迂闊だ」


「くそっ。スザク、お前からも言ってやれ。こいつは自己の管理が出来ていないにも関わらず、この俺を陥れようとしている。副会長である、この俺をだ」


「……スザク。どちらが優先すべき問題か、君なら分かるだろう」


低レベルな口論を交わした後、二人はスザクに結論を求めた。今まで困ったような笑顔を浮かべていた彼は、


「どっちも僕から報告しておくよ」


この中で、一番冷静だった。



512: 2015/08/28(金) 18:27:08.65 ID:BCVIJtYDO
「裏切るのか。スザク……」


親友の発言が信じられないのか、ルルーシュは目を見開いて、それから睨みつけた。


「……君は酷い奴だな」


ライも無表情ながら失望の言葉を口にした。両者とも、自らの非を認めない姿勢は一致している。


「君達は本当に……」


呆れ果てたとばかりに、スザクは首を振ってため息を吐いた。


「ふん、まあいい。お前との決着はまた今度だ、ライ」


「……共倒れの未来しか見えないんだが」


いつの間にか立ち止まっていた三人は、誰ともなく空を見上げた。瞬く無数の星々と、光輝く満月。


満たされていた。二人に話す前は悲壮な覚悟を決めていたのに。今では何とかなるだろうと、そう思える。


逃げたくなったらこの空を、月を見上げよう。そうすれば大切な事を思い出せる。そうすれば、また向き合える。


まだ終わりじゃない。これからなのだ。まだ自分は、なにも返せていないのだから。



513: 2015/08/28(金) 18:28:26.79 ID:BCVIJtYDO
「……ありがとう。これで僕は頑張れる」


口から出たのは感謝と決意の言葉だった。相変わらずたどたどしかったが、不思議なくらい熱が籠もっていた。


横から二つ、笑う声が聞こえる。


「やっと笑ってくれたね」


心底嬉しそうに、スザクが言った。大切な何かが伝わったらしい。ライは自分の顔を触った。少しは人間らしくなれたのだろうかと、嬉しくなる。


「……まあ、頑張れ。俺は先に行っているぞ」


ルルーシュはぶっきらぼうに告げると、ライの右肩をぽんと叩いて屋上を去っていった。


「さあ、行こう。待たせるとうるさいからね」


左肩を叩いてから、スザクも続く。開け放たれたままの扉から目を離し、ライは三度、空を見上げた。


力が湧いてくるのを感じる。今までなかった感覚だ。数秒ほど月を睨みつけてから、


「……よし!」


その力を、声に込めて吐き出した。


立ち止まるのはもうやめだ。歩きだすのだ。確かなものを得たのだから。自分が誰なのか、何をしたいのか、どこにいるべきなのか。まだ何も分かっていないが、ここなら、彼らとなら見つけられる気がする。


だから、今なら踏み出せる。


扉の向こう側を目指そう。



521: 2015/09/02(水) 16:46:38.40 ID:zMZDMcHDO
朝方、ルルーシュと共にクラブハウスを出たライは、ミレイ会長の待つ生徒会室へ向かっていた。


「もう帰ってきているのか」


尋ねると、隣を歩いているルルーシュは欠伸を噛み頃してから、


「ああ。昨日の内に連絡しておいた。お前の事で急ぎの相談があると言ったら、すぐに連れてこいと即答された。随分と愛されているようだな」


からかうように言ってきた。


「……やめてくれ。一時間後にはホームレスになっているかもしれないんだ」


実際、そちらの可能性の方が高いだろう。ライはそう思っていた。


ルルーシュとスザクはああ言ってくれたが、ミレイは事情が違い過ぎる。彼女はアッシュフォード家と学園の生徒全員の未来を背負っているのだ。安易な選択は出来ないし、させたくなかった。


「まあ、お前が思っているような事にはならないと思うがな」


「…………」


昨日の一件以来、随分と柔らかくなった声音でルルーシュは言うが、ライには沈黙を返す事しか出来なかった。



522: 2015/09/02(水) 16:48:25.11 ID:zMZDMcHDO
「昨日、ナナリーにも言われただろう。まずはその悲観的な所を直せ」


「ナナリーか……」


昨日の夜、ライは初めてナナリーから怒られた。それも生半可なものではない、激怒といっても差し支えない迫力のものだった。


彼女が怒ったのはライが戦闘を行った事に対してではなく、記憶探しのためにカレンを巻き込んだことでもない。


ルルーシュとスザクに介錯を委ねた事、二人以外の人間には何も告げず、この学園から姿を消そうとした事。そういった諸々の判断に対して、ナナリーは強い怒りを覚えたらしい。手が付けられなかった。


その怒りは一時間以上にも及び、ライ達三人の謝罪も一時間以上に及んだ。結果として、屋上での一件でもともと遅れていた夕食会が終わったのは夜の一二時過ぎ。深夜である。


その後、ライはルルーシュと二時間ほどチェスに興じ、眠ったのは午前三時。起床はいつも通りの午前五時。睡眠時間としては少々足りていないというのが現状だった。



523: 2015/09/02(水) 16:49:42.54 ID:zMZDMcHDO
「人だかりが出来ているな」


ルルーシュが校門の方を見て言った。二人の位置からから五〇メートルほど先、そびえ立つ門の近くに生徒が集中している。おそらくは二〇〇人以上いるだろう。恐ろしい数だ。


彼らが沸き立つ。無数の視線の先に、黒塗りの高級車が止まった。あれが騒ぎの原因らしい。ドアが開く。中から現れた人物に、集まった生徒達は口々に声をかけた。


「カレンさん、昨日は大丈夫でしたか?」


「お体は平気ですか? お怪我は……」


「あ、荷物をお持ちしますよ」


「おい、抜け駆けかよ!」


「ところで、あの転入生とはどういった……」


男子生徒達から我先にと群がられ、その人物は困惑した表情を浮かべている。ライとルルーシュのクラスメートであり、生徒会のメンバーでもある少女。


カレン・シュタットフェルトだった。



524: 2015/09/02(水) 16:51:29.14 ID:zMZDMcHDO
良くすかれた赤い髪に、ほっそりとした肩。学園指定のブレザーや、長い足に清楚さを与える白いニーソックスにはしわの一つもなく、同年代の女子生徒と比べて起伏のある肢体を包んでいた。


カレンはどこか節目がちに辺りを見回し、微かに困ったような顔を覗かせた。朝から大勢の生徒に囲まれては仕方のない事だろうと、ライは思った。


「昨日の件が広まっているようだな」


「ああ」


一応、ニュースなどを見た限りではライの乗った<無頼>について報道はされていないようだった。軍も特別な動きは起こしていないと、スザクからも聞いている。


しかし、あの一件が噂になっていることを鑑みるに、租界付近でナイトメアから降りるところを見つかったのかもしれない。だとしたらまずい。


幸い、そういった発言をしている生徒の姿は見受けられないが──


「会長の所へ急ごう」


これ以上騒ぎが大きくなる前にミレイと話した方が良いと思い、ライは言った。



525: 2015/09/02(水) 16:52:31.95 ID:zMZDMcHDO
「あっちを助けなくていいのか」


ルルーシュの言うあっちとはカレンの事だろう。人だかりは減るどころか増え続け、野次馬も集まり始めて大騒ぎになっていた。祭り好きという、アッシュフォード学園の生徒の性質が災いしてしまったようだ。


「やめておこう。昨日の件が原因なのだとしたら、ここで僕が近づくと騒ぎが大きくなる危険性がある。それはカレンのためにならない」


そう答えると、ルルーシュは笑った。何かに評価を下すような笑み。どこか嬉しそうだ。


「冷静な判断力だな。……だが、あちらは違うらしいぞ」


「……?」


もう一度、騒ぎの中心に目を戻す。辟易した様子のカレンがこちらに気づき、近づこうとするも──人垣によって阻まれた。病弱で清楚なお嬢様がそれをかき分けられるはずもなく、その足は止められてしまう。


彼女の空色の瞳に、僅かな苛立ちの炎が揺らめいた。



526: 2015/09/02(水) 16:53:57.12 ID:zMZDMcHDO
カレンがこちらを見据えてくる。助けを求めるような目だ。彼女の様子に感づいた付近の生徒がその視線を追い、やがては集団全体がライとルルーシュを見る。


三〇〇人近い人間から凝視され、ルルーシュが思わず怯む。凄まじい濃度の敵意や嫉妬が嵐のように渦を巻いて、二人に向かって叩き付けられていた。


ライは同行者を見る。カレンの視線の先にいるのはこの黒髪の少年だと思ったからだ。


「……お前は、いつもこんな目に遭っているのか」


彼の言葉には、呆れたような響きがあった。


「そうだ。だが、後任が見つかったからな。後は引き継ぐだけだ」


ライは微笑むと、歩き出した。言われた方の少年は首を傾げていたが、追求はしないようだ。


カレンを取り囲んでいた男子生徒達も、彼女の友人の女子生徒や駆けつけた教師陣によって追い払われている。騒ぎは収束に向かっていた。



527: 2015/09/02(水) 16:57:33.18 ID:zMZDMcHDO
校舎に入った二人は廊下を歩いていた。すれ違う男子生徒からは睨まれ、女子生徒からはひそひそ囁かれながら奇妙な視線を向けられる。


男子の方はともかく、女子の方は今までにないものだった。顔を向けると、一つの女子グループと目が合った。


「…………」


彼女らは一様に顔を赤くすると、身をよじって黄色い歓声を挙げた。


「なんだあれは」


「気にしなくて良い。どうせ、お前には分からない事だ」


「そうか」


ルルーシュは慣れた様子で歩いている。彼がそう言うならそうなのだろうと、ライは納得した。


「あ、いたいた! そこの二人っ!」


教室の近くで友達と話していた一人の女子生徒がこちらに気づき、走り寄ってくる。亜麻色のロングヘアーが朝の日差しを受けて輝いた。活発そうな大きな瞳が、今は不機嫌そうに細められている。


シャーリー・フェネットだった。


528: 2015/09/02(水) 16:58:33.18 ID:zMZDMcHDO
「おはよう、シャーリー」


「……おはよう」


「あ、おはよ。……じゃなくて! 昨日の件、噂になってるよ。ライとカレンがゲットーでテロに巻き込まれたって」


ルルーシュとライの挨拶に一瞬だけ気を良くした様子のシャーリーだったが、すぐに非難の視線を向けてくる。


「そうなのか」


「そうなのか、じゃないでしょ。一歩間違えれば二人とも……」


言葉は段々とか細くなっていき、その目も下を向いていく。彼女に大変な心配をかけたらしいことは、ライにも容易く察せられた。


自分にとって生徒会が大切な場所であるのと同じように、彼女にとってもまた、あそこはかけがえの無い空間なのだろう。危うく、それを奪うところだった。


カレンにもしもの事があれば、生徒会が瓦解してしまう原因になる事など、学園に来た当初から分かっていたはずなのに。非難を浴びるのは至極当然だ。ライが黙っていると、シャーリーは上目がちに睨みながら、


「……怪我、無かった?」



529: 2015/09/02(水) 17:00:08.20 ID:zMZDMcHDO
「え……」


「怪我は無かったかって訊いてるの」


てっきり責められるとばかり思っていたライは、わずかに驚いた表情で、


「あ、ああ。カレンに怪我は無い。今日は普通に登校していたようだし……」


そう答えたのだが、彼女はお気に召さなかったらしい。またも瞳が怒りの色を帯びた。


「もう、そうじゃないでしょ。カレンだけじゃなくて、キミの事も訊いてるの! どうして、そういう風な考え方ばっかりするの。バカ」


結局、怒られてしまった。ルルーシュに援護を求めるべく目を向けるが、彼は肩をすくめるだけだった。多少の叱責くらい、甘んじて受けろということらしい。


「そうだな。……その、すまなかった。心配をかけた」


「……まあ、許したげる。次からは気をつけること。わかった?」


手を腰にあてて言うシャーリーに、ライは頷きで返した。彼女が日記帳を涙で濡らさずに済んで、本当に良かったと思う。




530: 2015/09/02(水) 17:01:37.24 ID:zMZDMcHDO
「そういえば、リヴァルが探してたよ。すごい走り回って」


「リヴァルが?」


「うん。なんか、会長の件がどうのって……あ、来た来た」


シャーリーの視線を追うと、一人の男子生徒がこちらにやって来るのが見えた。随分疲労しているようで、肩で息をしている。


生徒会メンバーの一人、リヴァル・カルデモントは呼吸を整えてから、


「……やっと見つけた。探したぜ、二人とも」


最後に大きく息を吐いて言った。


「朝からどうした? 自宅通学のお前が、こんな時間に……」


「どうしたもこうしたも、朝っぱらに会長から電話が来たんだよ。用事が出来て帰れなくなったから、ルルーシュ達に伝えて欲しいって」


「用事? 終わったんじゃないのか」


「あっちの都合だろ? 急にパーティー組まれたらしいぜ」



531: 2015/09/02(水) 17:02:48.49 ID:zMZDMcHDO
「用事……。見合いか」


ライは呟いた。アッシュフォード家は財政難が続いており、没落が危ぶまれているような状態だった。そのため、一人娘のミレイには多大な責任と期待がかけられているのである。


今回も休日を利用して、本人はまったく望んでいないであろう見合いの席が設けられたようだ。


この学園では強権を振るえるミレイだが、権力と金と欲が渦巻く大人の社会の前では何の力も無い一人の小娘でしかないのだ。だから、若くて美しい自分の体と将来を捧げなくては、その土俵に上がらせてもらえない。


「…………」


そしてミレイが苦しんでいる間、ライは何をしていたのかというと、ゲットーに行ってテロに巻き込まれていた。挙げ句、彼女の不利益にしかならない事情を引っさげて、ここで帰りを待っている。


恥知らずとはこの事だろう。ライの中で罪悪感と焦燥感が激しく燃え上がる。早くなんとかしなくてはならない。


知らず知らずの内に、拳が強く握られていた。



532: 2015/09/02(水) 17:04:07.50 ID:zMZDMcHDO
「…………」


他のメンバーも一様に暗い表情を浮かべていた。いつも明るく、誰かを陥れたり振り回したりする事に余念のないミレイだが、同時に大勢の人間を照らしているのも事実だ。この学園が活気に満ちているのは、生徒会長が輝いているからだろう。


誰もが彼女に感謝している。力になりたいと思っている。


しかしながらミレイの抱える悩みは複雑で、まだ学生である自分達にはどうしようもない事を嫌というほど思い知らされていた。周囲の喧騒が遠のいていくような錯覚を覚える。


「そういうことなら、ここで悩んでいても仕方がない」


沈黙を破ったのは生徒会副会長だった。


「しかし、そういう連絡にリヴァルを使うとは意外だな」


「おい、どういう意味だよルルーシュ。お前らが電話に出ないって言うから、俺が呼ばれたんだぜ」


少しは感謝しろよ、とばかりにリヴァルが口を尖らせる。それを見ていると、ライの制服の袖を誰かがくいくいと引っ張られた。見ると、シャーリーの顔がすぐ近くにあった。


「……なにかあったの?」



533: 2015/09/02(水) 17:05:29.92 ID:zMZDMcHDO
「昨日の件をミレイさんに報告するべきだろうと考えていたんだ。もう噂になっているみたいだが……」


「なるほどね。それでルルと一緒に来たんだ。珍しいね。眠たがりのルルがこんなに早く登校するなんて」


「ああ。昨晩は彼に手料理を振る舞ってもらった。プロ並みなんだな」


「え……。ど、どういうこと? ふ、二人っきり?」


「君が何を危惧しているかは分からないが、ちゃんとスザクもナナリーもいたぞ」


ざわめく周囲の生徒達を尻目に、二人は顔を寄せ合う。非常に近い。風に混じってシャーリーから柑橘系の良い香りがしたが、ライの意識は他の方へ向いていた。


「お礼くらい言えよな。人がせっかく、玄関で待っててやったのに」


「その割には俺達に気づかなかったようだな。どうせ、カレンの取り巻きにでも混じっていたんだろう。その野次馬根性は直した方がいい」


「ううっ! なぜバレて……おや?」


「ん……?」


軽口を交わしていたルルーシュとリヴァルがこちらを見る。一人は不機嫌そうに形の良い目を細め、もう一人はニヤリと楽しそうに笑った。



534: 2015/09/02(水) 17:06:40.88 ID:zMZDMcHDO
どうして二人がそんな顔をするか分からず、ライは傍らのシャーリーを見た。距離は相変わらず近い。


「そ、それで。ルルの部屋で何を食べ……て?」


彼女も異変に気づいたらしい。きょとんとした表情でなに? と無言の疑問を投げかけてくる。ライも無言で分からないと返す。


「なるほどなるほど~。ライ、お前もなかなかやるな。カレンの次はシャーリーとは」


「どういうことだ」


「だってさ、そんな接近戦を見せつけられちゃ……ねぇ?」


からかうような表情。この間の生徒会で見せたのと同様のものだ。シャーリーがバッと離れ、その顔を赤くする。


「そういえば、良く一緒に買い物とか行ってるみたいだし。いつの間にそんな仲良く……」


「ち、違うって! そういうんじゃないからっ」


両手をぶんぶん振りながら、シャーリーはカレンと似たような事を言う。



535: 2015/09/02(水) 17:07:38.36 ID:zMZDMcHDO
「…………」


「なんだルルーシュ。なぜ睨む」


「……節操が無い奴は嫌いだな」


「……?」


また取り残される。機嫌の悪いルルーシュはリヴァルを伴って自分の教室へ向かって行ってしまった。ミレイが来れなくなったため、生徒会室へ行く必要が無くなったせいだ。


(……まだ時間があるな)


時計は七時半を示している。今からなら、生徒会室でいくつかの仕事を片付ける事も出来るだろう。


「…………」


そんな事を考えていると、いまだに残っているシャーリーと目が合った。何故かこちらを睨んでいる。


「どうした」


「……キミのせいだからねっ」

拗ねたような口調。背中をぺしっと叩いてから、シャーリーはルルーシュ達の後を追った。


「…………?」


やはり、同年代の少年少女の思考が分からない。あまりにも複雑怪奇過ぎる。


ライはため息を吐くと、生徒会室へ向かった。



541: 2015/09/07(月) 21:12:51.52 ID:8dKBAj+DO
昼休みも使って一日分の仕事を終えたライは、疲れた様子で学園の門へと歩いていた。


ひどい一日だった。ルルーシュとシャーリーはギクシャクしているし、リヴァルはことある毎にライをからかうし、どうしてかカレンは朝から口をきいてくれないしで、完全に四面楚歌の状態だ。


こういう時、スザクがいてくれると非常に助かるのだが、あいにくと彼は仕事中だ。やはりシンジュクゲットーの一件は根の深い物だったらしい。


そして、そのスザクにライはこれから会いに行くことになっていた。向かっているのは彼の仕事場だ。


「……気が重い」


スザクは別として、ライは軍に対して強い拒否感を持っている。ゲットーで難なく戦えたのも、そういった部分に起因するのかもしれない。


正直、嫌だった。近づきたくない。帰りたい。なにか適当な理由をつけて断ることは出来ないだろうか。真剣にそう思う。


(……駄目だ)


スザクは貴重な時間を割いて待ってくれている。身元不明者を自身の職場に連れ込むのだ。百害あって一利なしとはこのことだろう。



542: 2015/09/07(月) 21:13:36.09 ID:8dKBAj+DO
だから逃げるわけにはいかない。屋上でああ言った手前、中途半端な事などしていい筈がなかった。


校門を抜けると、車道を挟んだ向こう側に、そびえ立つ大学が見えた。その前に軍用の大型トレーラーが停車している。あれを見るだけで、ライは気分が夕陽のように沈んでいくのを感じた。


歩いていく。もしかしたら留守ではないかという、淡い期待を胸にして。


「あ、ライ。来てくれたんだね!」


軍服姿のスザクが近づいてくる。


「見つかってしまったか……」


少し肩が落ちた。それを見て、スザクが笑う。


「隠れてたのかい?」


「……そういうわけじゃないんだが」


「そう? 何はともあれ、来てくれて嬉しいよ。さあ行こう。ロイドさんが一日中うるさいんだよ。早く君に会わせろって」


「そ、そうか……」


スザクの口振りからすると、おそらく上司から訪問者を連れてこいと言われたのだろう。可哀想に。気の毒だった。



543: 2015/09/07(月) 21:14:29.67 ID:8dKBAj+DO
申し訳なく思いながらも、二人はトレーラーに向かう。


そこで、


「……!」


「…………」


まったく同時に二人は振り向いた。学園の出入り口。校門付近。殺気にも似た、ただならぬ気配。凝視されていたような感覚があった。


「……学園の生徒かな」


「それにしては剣呑な気配だった」


「確かに……」


「調べるか。いまなら取り押さえられる」


「え……」


当たり前のようにそう告げたライを、スザクが驚いた表情で見つめている。意味がわからず、言った本人は首を傾げた。


「どうした」


「いや……。らしくないなって」


「そうか。……そうだな」


ライは僅かに目を伏せた。またもシンジュクゲットーで目覚めた力が動き出そうとしている。そしてそれは、なんの疑問もなく敵と見なした者に振るわれるのだ。


危険極まりない。はやく正体を掴まなくては。



544: 2015/09/07(月) 21:16:00.11 ID:8dKBAj+DO
「……急ごう。君の上司を待たせている」


先ほどまでとは打って変わって強い意志が表に出る。スザクは頷いてくれたが、その横顔はどこか悲しげだった。


トレーラーに到着すると、軍服姿の少年はパスワードを入力し始めた。見るべきではないと思い、ライは目を逸らした。厚い金属製のドアが開く。電車のそれと同じような、空気が抜けるのに似た音がした。


「失礼します。枢木准尉、例の人物を任意の下、連行しました。入室の許可を──」


「あーそういうのいいって! 早く連れてきてよ! こっちは待ちくたびれてるんだから」


奥の方から成人男性の子供じみた声が響いてきた。さらに女性がそれを咎めるような声もする。続いて短い悲鳴があって、それから男性の声はしなくなった。


僅かな恐怖を感じながらスザクに続く。扉一つを隔てた先に、一組の男女の姿があった。一人は白衣を着た男性。こちらは知っている。ライを見てにこにこと笑っているのはロイドという研究者だ。前に学園の前で話した事がある。


もう一人、女性の方とも面識があった。包容力のある柔和な顔立ち、青みがかった黒い髪。女性士官が着るオリーブ色の軍服は良く似合っていた。



545: 2015/09/07(月) 21:19:33.56 ID:8dKBAj+DO
「あなたがライ君ね。こうして話すのは二度目になるのかしら」


女性は少し驚いた様子だったが、すぐに柔らかい微笑みを浮かべた。彼女とは以前、ショッピングモールの食料品売り場で会っている。白米とジャムという奇怪な組み合わせの料理を作ろうとするセシルに、食材の位置を教えた事があったのだ。


彼女は予期せぬ再会に喜んでいる様子だが、ライは無表情で会釈を返すだけだった。


スザクが何かを言おうと口を開くが、白衣の男性ががばっと立ち上がり、喜びに頬を染めて、


「待ってたよ~。いや、僕が言った通りだったでしょ。やっぱり君はナイトメアを動かせるって!」


んふふ、と笑う。彼が何を喜んでいるのか、ライには分からなかった。自分の予想が当たったから、という単純な理由ではないようだった。


「ロイドさん! まったくもう……。驚かせてごめんなさいね。私はセシル・クルーミー。それでこちらはロイド・アスプルンド伯爵。一応、ここの責任者よ」


「伯爵……凄い方だったんですね」


「そんな事どうでもいいでしょ。ほら、こっちこっち」


ロイドは手招きしながら奥に行ってしまった。困ったライは、スザクとセシルの方を向く。ここは一応、軍の施設なのだ。責任者にも関わらず言動が一々軽い人間の好奇心だけを頼りに、足を踏み入れていいものか迷っていた。



546: 2015/09/07(月) 21:20:51.19 ID:8dKBAj+DO
「責任者がああ言ってるみたいだし、行きましょうか」


告げて、妙齢の女性は微笑んだ。


「あ、あの……」


そんな彼女に、ライは躊躇いがちに話しかけた。


「? なにかしら?」


「よろしくお願いします」


ライは頭を下げる。自分の都合で彼らの時間を奪い、機材を使わせてもらうのだから当然だ。


「こっちの都合もあるから気にしなくていいのに。でも……スザク君が気に入るのも分かるわね」


「……?」


「生真面目っていうか……。なんだかそういう所、似ているから」


「せ、セシルさん……!」


どうしてかスザクが慌てている。それを見て、セシルは楽しそうに笑った。愛嬌のある魅力的な笑みだった。


「さあ、急ぎましょう。これからなにをするか知っているかしら?」


「なにかしらの機材を使うんですよね」


前日の夜、ルルーシュの部屋から退室する時にスザクから機材の準備が終わり次第、検査を行えると言われただけだ。日時の強制もなければ、詳細な内容も知らされていなかった。



547: 2015/09/07(月) 21:21:46.38 ID:8dKBAj+DO
「とりあえずは血液検査をして、それから指紋と網膜から本国のデータベースに登録が無いか調べてみようかと思っていたんだけど……ごめんなさい。ロイドさんがうるさいから、あちらの用件を終わらせてからになるわね」


「分かりました。アスプルンド伯爵は、その準備をされてるんですか」


「ええ。本当は隣の大学の設備を使わせてもらおうかとしたんだけど、どうしてもそれじゃ満足出来ない! って言う人がいてね」


セシルはロイドが去って行った方を見た。おそらくはナイトメア関係の物だろう。このサイズのトレーラーなら、大抵の設備は積み込める。KMFそのものでさえ、搭載可能だ。


扉の向こうから急かす声が聞こえる。本当に子供のような人だと思った。


彼の部下である二人は恥ずかしいのか苦笑している。セシルに至っては、こめかみをひくひくと痙攣させていた。


「い、行こうかライ」


スザクが焦ったように促してくる。彼はここでも苦労しているらしい。可哀想に。気の毒だった。



548: 2015/09/07(月) 22:47:19.73 ID:8dKBAj+DO
「シミュレーター、ですか」


トレーラーの奥に鎮座している箱型のユニットを見て、ライは言った。何本ものコードが幾つものモニターに繋がっている。


その近くに立っていたロイドは眩しいくらいの笑みを浮かべて近寄って来る。大の大人がスキップをしている光景は余りにも異様だった。とうとうセシルが喋らなくなる。


「確認するけど、君は昨日、ゲットーの戦闘に巻き込まれてナイトメアに乗った。間違いないね?」


「はい」


「乗った機体はテ口リストの使用していた<無頼>で、倒した機体は新品の<サザーランド>五機」


「……紆余曲折はありましたが、そうです」


「んふふ~。なるほどなるほど」


ロイドはうんうんと頷いてから、シミュレーターに視線を向けた。


「あれはブリタニア軍で使われているシミュレーター。君にはあれに乗ってもらいます」


「分かりました」


「驚かないんだ?」


「…………」



549: 2015/09/07(月) 22:53:22.89 ID:8dKBAj+DO
無言を返すと、ロイドは何が楽しいのか笑みを深めた。以前、校門前で会った時から、この人物はナイトメア関連の事柄について強い興味を示していた事を思い出す。


こんな性格だ。知的欲求から身元不明の人間を軍用シミュレーターに乗せる事も充分に予想できる。本当にやってくるとは思っていなかったが。


「じゃあ、もう一つ確認。君は自分がどうしてナイトメアを動かせたか分からない。けど、それが記憶に繋がると考えている」


「……はい」


よろしい、とばかりにロイドは頷く。そして、今まで浮かべていた笑みが消えた。代わりに浮かび上がってくる表情は驚くほどに酷薄で、冷徹だった。


「──最後の確認」


刃のように細められた銀色の瞳。吐いた言葉は氷のように冷たく、鋭い。最新設備のひしめく室内にいるというのに、まるで吹雪の真っ只中に取り残されている気分になる。


「──きっと、後悔するよ」


あの校門の前で見せた表情だ。このロイドという男は決して好奇心だけで動いているわけではない。それが行動原理の大部分を占めていることは確かだが、その内部には比類なき知性と、何もかも見通す洞察力を兼ね備えている。


たった二度の対面。交わした言葉は数えるほどしかない。にも関わらず、ロイドはライの内面を容易く看破してきた。この人物に嘘もごまかしも通用しないことは明白だった。



550: 2015/09/07(月) 22:57:20.33 ID:8dKBAj+DO
だから、本心を話す。もとより嘘をいうつもりも誤魔化す気も無い。


「信じてくれた人がいます」


ライはちらりと、スザクの方を見やった。背中を押してくれた少年は心配そうな面持ちを崩さない。事の行く末を憂いているのだろう。


脳裏に浮かぶのは夜の屋上と、瞬く星々。両の肩には二つの感触が蘇る。


記憶の中身は望んだものではないのだろう。近い将来、苦しむ事は分かっている。それでも、この決心に揺らぎは無い。


「分かることがあるのなら、知らなくてはならない。悩むのも恐れるのも、その後でいいと……そう考えています」


「…………」


「だから、僕をアレに乗せてください」


そう言うと、ロイドは硬質だった表情から一転して、先ほどまでの少年じみた道化の仮面を被り直す。これが彼なりの処世術なのだろうと、ライは思った。


「じゃあ、ついて来て」


ライは頷き、ロイドの後に続く。シミュレーターに近づくと、そのハッチが開いた。内部から操縦席がせり出してくる。


「始めるよ」


背後から響く声は、どこまでも愉しそうだった。



551: 2015/09/07(月) 23:02:34.56 ID:8dKBAj+DO



ライの座った操縦席がシミュレーターに吸い込まれていく。その様子を見ていたスザクは、不安が胸の内を焦がすのを感じていた。


彼をここに連れて来て、本当に良かったのだろうか。他にやりようがあったのではないか。そんな考えがスザクの表情に陰を落とす。


「友達が心配?」


すぐ横から声がした。上司のセシル・クルーミー中尉のものだということに気づくまで、少しの時間が掛かった。


「はい。これが本当に、正しかったのかって……」


「当然ね。調べるのはあのロイドさんだもの」


ふふ、と冗談めかしてセシルは笑う。


「彼が本当に、言っていた通りの技能を持っているのだとしたら……」


どうするのだろう。ライが自分の現状に強い不満を抱いているのは良く知っている。衣食住の全てを与えられるだけの存在に終始するとは思えない。


ならばこそ、判明した力を何かに使う可能性は否定出来なかった。ライが言った事が本当なら、その力は軍事組織であればどこでも通用するだろう。ナイトメアの専門的な知識と、それを縦横無尽に操れる類い希な操縦技能を両立している者は、ブリタニア軍全体で見てもごくわずかだ。


そんな力の持ち主を放っておくほど、今の世界は優しくない。現にライは戦闘に巻き込まれ、眠っていた力を目覚めさせてしまった。



552: 2015/09/07(月) 23:05:05.46 ID:8dKBAj+DO
シンジュク事変を思い出す。


あの混乱の最中、スザクは七年振りにルルーシュと再会し、ロイドとセシルに導かれ──そして、最強の白いナイトメアと出会った。


似ている。スザクの運命を変えた場所で、ライもまた混乱に巻き込まれた。同じようにナイトメアに乗り込み、同じように敵を倒した。


違いがあるとすれば、スザクが倒したのはテ口リストのナイトメアで、ライが倒したのはブリタニア軍のナイトメアだったというところか。しかしその差違がまた、言いようの無い不安を掻き立てる。


「そうね。彼が本当に、ブリタニアの騎士を容易く倒せるほどの力を持っているのだとしたら、このままにしておく事は出来ないでしょうね」


「……拘束するんですか?」


馬鹿な。スザクは驚きに目を見開いた。それを見たセシルは微笑んで、


「そうじゃないわ。彼、責任感が強くて心配性みたいだから……。誰かさんと同じでね」


「……?」


「こんなシミュレーターで悩みが解決するとは限らないけど、何かの指針にはなると思うわ。何も知らない事より、きっかけだけあって前に進めない事の方がきっと……ずっと辛いもの」


553: 2015/09/07(月) 23:06:53.75 ID:8dKBAj+DO
「そう、ですね」


シミュレーターの稼働音が大きくなっていく。それと連動するように、スザクの不安も大きくなっていった。


「テストは簡単なものなんですよね」


「ええ。あくまでも体験用のビギナーコースを使うはずなんだけど……」


戦闘用ナイトメアの搭乗資格を得られるのは基本的に軍に所属する騎士だけだが、例外も存在する。警察機関のナイトポリスや作業機械としてのナイトメアがそれにあたる。


戦闘用の装備を持たない、マシンとしてのナイトメアは比較的身近に存在しているのだ。アッシュフォード学園も<ガニメデ>という機種を保有している。


ライが今回行うのは、そういった一般人向けのシミュレーターのはずだった。まずはシステムの立ち上げや直立といった基本動作から始めて、歩行、低跳躍、物体の保持へと進めていく。


ロイドは戦闘シミュレーターをやらせたがっていたが、それはある程度のデータが出揃ってからという事になっていた。


戦闘を行ったというライの証言を疑っているわけではないが、まるっきり鵜呑みにするわけにもいかない。検査としては当然の措置だった。



554: 2015/09/07(月) 23:09:19.63 ID:8dKBAj+DO
「やけに時間がかかってませんか?」


「そうね……」


ロイドが端末の前から動かない。時折、シミュレーターの中にいるライと何かを話しているようだったが、稼働音やら何やらで聞き取れなかった。


おかしい、とスザクは思った。体験用シミュレーションはどの機材の中にも予め入力されているはずだ。何かを準備する必要は無い。説明さえ要らないはずだ。なにせ、シミュレーションの中に初心者向けの音声ガイダンスが入っているのだから。


「嫌な予感がするわね」


セシルが言った。ロイドは以前、軍学校のシミュレーターの中に最新型ナイトメアのデータを入れ、それを何も知らない練習生達にやらせた前科がある。結果として半氏人の山が出来上がり、コックピットの中は嘔吐物まみれになった。


またそれをやろうとしているのかもしれない。


……やろうとしているのだろう。


「はじめま~す!」


ロイドの表情は見たことがないほどに輝いている。スザクの疑念は確信へと変わった。


暗転していた大型モニターに光が灯り、起動時に表示される文字列がブラックボード並みに大きい画面を埋め尽くしていく。


555: 2015/09/07(月) 23:13:56.13 ID:8dKBAj+DO
その文字列を見たセシルがロイドに詰め寄っていく。


「ロイドさん!? これはビギナーシミュレーターのコードじゃないですよね。まさか、彼に……」


もう遅い。実機と同じ姿勢制御プログラム、火器管制システム、冷却システム、オート・バランサーとモーション・サポート・システムが起動。続いて動力系、駆動系、電子系が連なって動き出した。ブリタニア製の高性能コンピューターが凄まじい速さで処理を進めていく。


間違いない。これは<サザーランド>の起動シークエンスそのものだ。練習機でもなければ作業機体のものでもない。最先端の技術を集めて作られた、最強の陸戦兵器──ナイトメア・フレーム。


一部の騎士にしか与えられない、与えてはいけない情報が満載されたシミュレーターに一般人が乗っている。セシルが食ってかかるのも無理はなかった。


普段は滅多に声を荒げない女性士官は無理やりにでも上司の暴挙を止めようと細腕を伸ばすが──それは途中で止まる。彼女もスザクも、モニターの中の異変に目が釘付けになっていた。


「なっ……!?」


大型モニターにはライフルを構えた<サザーランド>の姿が映っている。



561: 2015/09/14(月) 21:30:47.01 ID:abxhPIPDO
あのモニターの映像はシミュレーター内のメインモニターに映っているものだ。つまり、ライが見ている映像ということである。


ライの<サザーランド>は起動直後であり、無防備極まりない状態だ。それを、敵の<サザーランド>が射撃姿勢で待ち構えている。眠りから覚め、眼を開けたら銃を突きつけられているのと同じだ。しかも事前情報など一切ない状況である。これでは対処のしようがない。


加えて<サザーランド>同士の戦闘だ。通常、ナイトメアの訓練過程で第五世代型KMFとの戦闘は想定されていない。戦車や装甲車、攻撃ヘリといった通常兵器か、反政府組織へ横流しされている第四世代型KMFのみに絞られているはずだ。


従って、このシミュレーターは一般人向けどころか、訓練生用のものですらない。いや、この異常な開始状況からすると正規部隊のものでもないのだろう。


こんなものをロイドは用意したのかと考えると、スザクは目眩がした。上官は確かに子供っぽいところがあり、悪戯好きだが、こんな浅慮な真似をするとは思っていなかった。


最低だ。間違っている。スザクはいつの間にか開いていた口を閉め──また開けた。


モニター内で異変が起こる。



562: 2015/09/14(月) 21:31:31.80 ID:abxhPIPDO
敵<サザーランド>の構えていたライフルが光る。発砲の際に生じるマズルフラッシュだ。相対距離は僅か三〇メートル。これでライの機体は破壊され、シミュレーションは終わりを迎える。なんとも呆気ない幕切れだった。


しかし、終わらない。


シミュレーションは未だに続行している。


攻撃したはずの<サザーランド>がひとりでに爆発したからだ。頭部と胸部への正確な射撃を受け、大穴を穿たれて沈黙する。


ライの<サザーランド>も被弾していた。脇腹の装甲を僅かに削られただけの、損傷とは程遠いものだったが。


ロイドに掴みかかろうとしていたセシルも驚愕した様子でモニターを見ている。ただ一人、この状況を作り出した張本人だけは胸倉をねじり上げられて喘いでいた。


思い出したようにまばたきする。友人の駆るナイトメアが勝利したのだと理解するまでに、数秒を要した。今日は驚いてばかりだと、スザクの中の冷静な部分がぼやいていた。



563: 2015/09/14(月) 21:33:26.33 ID:abxhPIPDO
眼前には二体の<無頼>。双方とも旧式のウィンチェスター・ライフルを構え、三〇ミリ弾を乱射してくる。


ランドスピナーを展開したライの<サザーランド>は弾幕の中をくぐり抜け、回避機動を行いながら発砲した。FCSに頼らない、完全なマニュアル射撃。敵KMFの行動を司るAIはなすすべなく直撃を受け入れる。


人間が操縦しているなら話も変わっていただろうが、訓練用コンピューターにはああいった攻撃に対する防御思考そのものが無い。


一瞬で二体ものナイトメアを破壊した<サザーランド>は、何事も無かったかのように直進する。これまでに倒した敵機体は<サザーランド>が一騎に<無頼>が三騎。使用した砲弾はたった五発。最初の交戦で二発使用した後は、全ての敵を一撃で仕留めているということだ。


「……凄いわね」


ロイドへの折檻を中断されたセシルが呆れたように呟いた。


「そうですね……」


これにはスザクも同意するしかなかった。ライの技量はまさしく異常の一言に尽きる。牽制射撃や索敵も行わず、ゴールとなる目標地点へまっすぐ突き進んで行く様に、僅かな恐怖を覚えるくらいだ。



564: 2015/09/14(月) 21:34:22.10 ID:abxhPIPDO
「…………」


三人の内、なぜかロイドだけはつまらなそうにモニターを見ている。いや、つまらないというより、もどかしいと言ったほうが適切か。どちらにしても不機嫌な事には変わりない。


「ご不満ですか?」


セシルが尋ねた。


シミュレーションは最初の悪質な不意打ち以降、至って普通の物だった。訓練生に対して行われる、軍学校の卒業試験と殆ど同じ内容である。これも一般人にやらせていいものではないのだが、もう咎める者はいなかった。


機を逃したというのもあるし、何よりシミュレーターに乗っている人物が明らかに一般人では無いことが最大の理由だ。このままだと卒業試験プログラムのレコードホルダーが誕生してしまう。


「こんなシミュレーションじゃ駄目。彼にとって、データの集合体はそこらの子供より脆弱な存在みたいだし……」


「どういうことですか?」


セシルに代わり、スザクが訊いた。



565: 2015/09/14(月) 21:35:52.01 ID:abxhPIPDO
「シミュレーションに出てくるのは当然、既に組まれているプログラム。そこに不確定性は存在しない……つまり、相手の行動に対して決まった動きしか返せないわけ」


「それは……そうでしょうけど、それが今の状況に何の関係が?」


ライの<サザーランド>はスラッシュ・ハーケンとランドスピナーを巧みに操り、古びた高層ビルの頂上へ駆け上る。


「予測能力……ですね」


セシルがモニターを見ながら言った。信じられないものを前にした時の表情をしている。


「そう。彼にはこのシミュレーションの始まりから終わりまでが見えているみたいだね。だから撃った弾は必ず当たるし、撃たれた弾は絶対に外れる」


ロイドの口調はどこか苦々しげだ。


「こんなのは出来レースだよ。被験者が欠片の脅威も抱かないシミュレーションなんて、なんの価値もない」


半径五キロメートルほどある仮想空間の中に、新たな敵機体が現れる。三体の<無頼>がフィールドの隅に三角の隊形を作って進んでいた。


戦闘区域に入った直後、一番前の機体が突如として爆炎に包まれる。そのまま後続の一騎が巻き込まれ、転倒。残された最後の一騎はプログラム通りの機動をとって──こちらも爆散した。


異変の直前、ビルの屋上に佇む<サザーランド>のライフルには、確かに発砲信号が送られていた。


「そ、狙撃……」


セシルが呟き、ロイドがため息を吐く。それと同時に三度目の発砲。一五〇〇メートルの彼方から放たれた八発目の砲弾が、立ち上がろうとする<無頼>を一撃で破壊した。



566: 2015/09/14(月) 21:37:52.44 ID:abxhPIPDO
コックピットが開き、ライが降りてくる。汗一つかいていない。疲労など微塵もないようだった。


「つまらなかったでしょ?」


ロイドに言われ、少年は僅かに眉を寄せる。


「……楽しもうと思っていたわけではないですよ。最初から」


むしろ、つまらなかったのはあなたの方でしょう。言外にそう言いそうな雰囲気があった。


「まあ、良いでしょ。セシル君、残っている彼の検査をお願いね」


「分かりました」


いじけた様子でロイドはデータを整理し始める。今回のような結果を受けて、彼がああいった表情になることは珍しい。普段なら、予想以上の能力を見せたライに対して飛び上がって喜びそうなものだが。


「付いて来て」


「分かりました。あ、その前に……」


ライは持っていた学生鞄から数枚の書類を取り出す。それを手に、ふてくされた様子のロイドのところまで歩いて行った。書類を受け取った上司は今までの表情から一転、きゃっきゃっとはしゃぎ出す。その変化たるや、まるで魔法のようだった。




567: 2015/09/14(月) 21:40:18.78 ID:abxhPIPDO
「お待たせしました」


礼を告げながらライが戻ってくる。


「何を渡したの?」


「シンジュクゲットーでの一件を纏めた報告書だ。必要かと思って作成してきた。あんなに喜ばれるとは思っていなかったが」


「なるほど。やっぱり几帳面だね。君は」


「……検査を受けさせてもらう身だからな。少しでも誠意を見せる必要がある」


当たり前の事だとでも言いそうなライを見ていると、自然と笑みがこぼれる。先ほどの戦い振りには驚いたが、やはりこの少年は自分が知っている通りの人間だ。変に真面目で、どこか抜けている。信頼できる友人だ。人の心に聡いナナリーや、偏屈なルルーシュに気に入られるのも分かる。


「君もああいうシミュレーションをやっているのか」


何気ないライの質問に、スザクの表情は凍りつく。そうだった。彼には妙に鋭いところがあるのを失念していた。




568: 2015/09/14(月) 21:49:47.18 ID:abxhPIPDO
「あ……いや」


気づかれるのは当たり前だった。ロイドはナイトメアの研究を精力的に行っていて、セシルはその助手だ。ならば、この環境におけるスザクの役割とは何か?


デヴァイサー……つまりはテストパイロットだ。唯一無二の第七世代型KMF<ランスロット>。世界最強の機体を動かせる人材として、ロイドが外人部隊から引っ張ってきたのがスザクである。当然、必要になれば戦場に駆り出され、戦う事もあった。


しかし学園の人間には、それどころか幼なじみのルルーシュやナナリーにさえ、その事は明かしていない。


「……?」


スザクだけではなく、セシルも神妙な面持ちになる。何か思惑があったわけでもないらしいライは訝しげな表情を浮かべた。


ロイドとセシルはナイトメアについて極めて優秀な科学者だ。それは彼らの立ち振る舞いや、ここにある先進的な設備を見れば分かることである。ライに他意は無いだろうが、彼の頭脳なら答えなど容易く導き出す。


彼は詮索とは無縁の男だ。相手に踏み込まず、反対に全てを受け入れる不思議な深さを持っている。



569: 2015/09/14(月) 21:51:46.32 ID:abxhPIPDO
「スザク君にはここでテストパイロットをやってもらっているの」


「じゃあ、シミュレーターは……」


「そう、普段使っているのはスザク君ね」


なるほど、とライは頷いた。スザクが実戦に参加している事には気づかれなかったようだ。考えてみれば当たり前である。名誉ブリタニア人には通常、KMFの騎乗資格など与えられないのだから。


セシルの言葉に嘘は無かった。スザクはシミュレーターを頻繁に使用しているのは事実だ。逆に、実戦に参加していないとは言っていない。彼女のフォロー力にはいつも驚かされている。


「学園祭の企画書にもあった通り、<ガニメデ>も動かす予定だよ」


「あのピザを焼くというやつか」


相槌を打ちながら、なんとか話題を変えられた事に安堵する。ライが異常な技能を見せたことで、無駄に過敏になっていたようだ。


「それにしても、あそこまでナイトメアを動かせるなんて凄いわね」


「そうでしょうか。普通の範疇だと思いますが」


「あれが普通だとすると、軍の教練過程を根本から見直す必要があるわね……」



570: 2015/09/14(月) 22:11:21.21 ID:abxhPIPDO
セシルとライは話しながら医務室に向かう。採血などの身体検査を行うためだ。


暗い室内に照明が灯り、椅子を進められたライが着席する。女性士官は張り切っていたが、注射器などがどこにあるか分からないらしく、にわかに慌て始めた。被験者はそれを静かに見ている。


なんだかその光景がおかしくて、スザクの口元には笑みが浮かんでいた。





「ご、ごめんなさい……」


「いえ……」


ライの腕から注射器の針が抜かれる。狙いを外したせいで、採血が上手くいかない。機材の捜索に手間取って、それから準備にも時間をかけたために、検査が始まったのは医務室に到着した三〇分後だった。


そしてさらに一〇分経過し、いまだ血液検査は終わっていない。三回の失敗を経て、ライの腕には三つの注射痕が生まれている。セシル・クルーミー中尉は涙目で謝りながら、四度目の挑戦に入ろうとしていた。


震える針を命中させようと懸命な上司と、それを宥める友人。両者共に痛々しい。



571: 2015/09/14(月) 22:12:37.69 ID:abxhPIPDO
あえなく四度目も失敗し、自分がやろうかとスザクが言い出そうか考えていると、ライは静かに左手で自分の右腕を指差し、


「……静脈はここです」


そう言った。このままだと血液検査のためだけに一時間浪費すると思ったのだろう。今まで言わなかったのはセシルのプライドを守るために違いない。


スザクはとても申し訳ない気持ちになった。上司は顔を真っ赤にし、しきりに謝っている。


「ご、ごめんなさいっ。こういうの、あんまりやったことなくて……」


「いえ……。僕は大丈夫ですから、どうか落ち着いて」


気遣ったための言葉だったらしいが、セシルは赤い顔で恨めしげに睨む。


「……ライ君は意地悪ね」


五度目にしてようやく成功し、医務室内にセシルのやったあ、という小さな歓声が響く。その頃にはスザクもライもかつてないほどに疲れ果てていた。


その後のCTを始めとする検査は滞りなく進み、全ての項目が終わったのは午後八時を回った頃だった。



572: 2015/09/14(月) 22:13:53.68 ID:abxhPIPDO
「結構、時間かかったね」


「そうだな。手間をかけさせてしまった」


ライを送るように言われたスザクは、彼とクラブハウスまでの道を歩いていた。もともと学園の向かいにある大学の前だったので、大した距離でもない。往復一五分といったところだろうか。


「この後はどうするつもり?」


「就寝時間が迫っている。シャワーを浴びて寝るだけだ」


食事の予定は無いらしい。後でルルーシュに連絡しておこうと考えながら、


「そうじゃなくて、君の身の振り方だよ。検査の結果が出るまで時間が掛かるらしいから」


今日の検査で分かった事は、ライのナイトメア操縦の技術が不自然なまでに高いこと。それが分かった上で、上司二人には彼を拘束するつもりがまったく無いこと。そして、セシルが意外に不器用だったということくらいだ。


「とりあえずはミレイさんを待つよ。他については今まで通りで良いと思っているが……どうだ?」


スザクは頷いた。



573: 2015/09/14(月) 22:15:11.37 ID:abxhPIPDO
「うん。良いと思う。それと、もう一つ話があるんだけど」


「なんだ」


既にクラブハウスの入り口に到着してしまっていた。電灯の光を背に、ライが振り返る。スザクは言いにくそうに口をもごもごさせてから、諦めたように嘆息した。


「ロイドさんが、君にまた来て欲しいって」


「そうか」


「……驚かないんだね」


「短い時間だったが、彼らの人となりは理解したつもりだ。良い職場に恵まれたな、スザクは」


そう言って、安心したようにライは微笑んだ。


スザクは日本人──名誉ブリタニア人だ。軍という組織の中では、まともな待遇など期待出来ない身である。差別、冷遇など当たり前。毒ガスが蔓延しているかもしれない戦場に、警棒一つで出撃させられたこともあった。


そんな環境に身を置いていることを、この少年は心配してくれていたのだろう。



574: 2015/09/14(月) 22:17:29.47 ID:abxhPIPDO
「そうだね。僕は恵まれている」


だから、スザクも笑みを浮かべた。ルルーシュやナナリーにも隠している自らの懐にライを向かい入れる事に、僅かな危機感と大きな躊躇があった。


目の前の少年と同じように、スザクにとって、アッシュフォード学園というのは特別な場所だ。特に、あの生徒会室は何ものにも代え難い。


日本侵攻からの七年間。苦痛と研鑽の日々だった。同じ日本人からは裏切り者となじられ、石を投げられる。命は紙屑のように消費されるもので、そこに尊厳などは微塵もない。どこまでも暗い時間。それらを全て自身への罰だと、過去への贖罪だと思ってきた。


だが、今は違う。ロイド達から戦う力を与えられ、光輝く少女に居場所を貰い、そしてまたルルーシュとナナリーに再会出来た。同じ学校に通い、同じ時を過ごす事が出来る。身に余る幸福だ。絶対に失いたくないと思うのは当然の事だろう。


だからこそ、ライの悩みをスザクは理解出来る。どうにもならない無力感、どこまでもついてくる異物感、決して消えない疎外感。全て分かる。共感出来る。力になりたいと思うのだ。


分かるからこそ、彼には平和に過ごして貰いたい。



575: 2015/09/14(月) 22:18:47.53 ID:abxhPIPDO
スザクはこの三週間で、過去のライが戦場に身を置いていただろう事を看破していた。


洗練された身のこなし、記憶の底より奥──神経に刻み込まれた重心移動。時おり見せる異常な危機察知能力。シミュレーターの件は駄目押しだった。


「僕は……断るべきだと思ってる」


「…………」


ライは答えない。それでも、スザクは続けた。


「君は軍なんかに関わる必要はない。普通に暮らせるんだ。そのままが一番良いに決まってる」


「……そうだな。そうだろうな」


ライがスザクの部隊──特派に入れば、めきめきと頭角を現していくことだろう。コーネリア総督の親衛隊でさえ、充分以上に通用する腕前。また戦場に引き込まれるのは明白だ。ライ自身、おそらくそれを拒まない。


576: 2015/09/14(月) 22:20:08.17 ID:abxhPIPDO
「だが、君も分かるだろう。過去の僕が平穏な生活なんて送っていなかったことぐらい。引き寄せられているのが分かる。結局は……」


逃げられないと、ライはそう言った。理不尽を受け入れ、大切な物を手放すことすら許容している表情。それが酷く癇に障った。


「違うよ。それは違う」


断固として否定した。脳裏には幸せそうに過ごす兄妹の姿がよぎる。


「…………」


スザクが頑なに拒否する理由が分からないのだろう。ライは眉を寄せている。認識に隔たりがあることを、ようやく思い出した。


彼はスザクが技術関係の、およそ危険とは無縁の部署にいると思っている。シミュレーターを使うことはあっても、実機に騎乗することは無いと。


嘘をついているのはこちらだ。悪いのは自分。しかし、真実を言うわけにもいかない。


「……ごめん。でも、過去がどうあれ、今の君は戦わなくて良い環境にいるんだ。それを手放す必要なんか、無い」



577: 2015/09/14(月) 22:32:24.51 ID:abxhPIPDO
「……僕に技術的な知識があるのもまた事実だ。ロイド伯爵も言っていたが、これ一つで生計を立てられるくらいのものらしい」


「それは……そうだけど」


ライは今の境遇に不満を抱いている。衣食住の全てをミレイの善意で与えられ、それに対して何も返せないことに強い罪悪感を持っているのだ。


その気持ちは良く分かる。同じ立場だったらスザクも必ずそう考えるだろう。


その点から見れば、ライが自身の技能を使って金銭を得たいと考えるのは当然のことだ。ブリタニア軍人なら社会的にも申し分ない立場を得られるし、能力を示せば報酬も跳ね上がる。


自立さえ出来れば、ライは何の気負いもなくアッシュフォード学園の正式な生徒になれるだろう。ロイドなら彼の身分をでっち上げることくらい造作もない。


ブリタニア軍に入れば、彼の抱えている問題の大半は解決する。義務感から記憶探しに執着する必要は無くなり、胸を張って生きていけるのだ。


だが、事がそう上手く運ばないことを、スザクは知っている。


578: 2015/09/14(月) 22:33:51.94 ID:abxhPIPDO
「ロイドさんなら、君の市民IDを作れるかもしれない。でも、そうしたら君は立派なブリタニア人だ。戦場に駆り出される可能性だってある」


ロイドは間違いなくライを戦場に出そうとするだろう。<黒の騎士団>の台頭でエリア11は荒れている。


治安の悪化に伴い、人手がどんどん足りなくなっていく事は想像に難くない。そうなったら、ライは必ず目立つ存在になる。ブリタニア軍はそんな彼を絶対に見逃さない。ずるずると戦場の奥地に連れて行かれ、結局はアッシュフォード学園にいられなくなる。


「…………」


そして、この聡明な友人はそんな未来を予測してなお、暗い未来に飛び込もうとしている。スザクにはそれがどうしても看過出来なかった。


苛立ちが募る。ライに対してではなく、彼に最良の道を示せない自分に、なにより苛立った。


「スザクはどうしてブリタニア軍に入ったんだ」


「え、僕は……」


決まっている。間違いを正すためだ。スザクとて、現在の日本の姿が正しいとは思っていない。変えたいと、変えなくてはならないと考えている。


だが、<黒の騎士団>や他の反政府組織のような、ただただ理不尽な暴力を振りかざすやり方とは違う、ブリタニアのルールに則った方法。



579: 2015/09/14(月) 22:36:16.86 ID:abxhPIPDO
「僕は"ナイトオブラウンズ"になりたいと思っている」

遥か昔、ブリタニアがまだブリテン島にあった頃の時代。伝説の王が率いた最強の騎士団があった。伝説は今なお受け継がれ、その逸話はブリタニアの文化に深い影響を与えている。


<ナイトオブラウンズ>はその最も顕著な例だ。皇帝に選ばれし、十二の騎士。彼らは例外なく超絶的な力を誇り、個人で戦乱を鎮めるとまで言われている。ブリタニア軍の頂点、騎士の頂点だ。


そして、<ナイトオブラウンズ>のトップ──ナイトオブワンには、ブリタニアが有する植民地の一つを自身の領地とする事が出来る。


スザクの目的はブリタニア軍の頂点に登り詰め、その権限でもってエリア11を救済する事だ。そのために、スザクはいま戦っている。


「ナイトオブ……ラウンズ。円卓の騎士団か」


ライは感傷でもあったのか、その言葉を口の中で転がすように反復する。


「君はまだ士官だろう。随分と長い道のりだ」


「そうだね。それでも僕の姿を見て、後に続いてくれる人が出てくれるなら、それで良いと思ってる」



580: 2015/09/14(月) 22:38:02.54 ID:abxhPIPDO
「外側から壊すのではなく、内側から変えていく。それが君のやり方か」


「うん」


「理想論だな」


「……そうだね」


予想していた反応だった。名誉ブリタニア人のスザクが軍のトップを目指すなど、荒唐無稽が過ぎて笑い話にもなりはしない。


「だが、僕は良いと思うぞ」


「え……」


スザクはきょとんとした。相手にされないか、呆れられるかのどちらかだと思っていただけに、しばし硬直する。


「酔狂で言っているわけではない事くらい、普段の君を見ていればわかる」


「……意外だな。てっきり否定されるかと思っていたのに」


「出来るわけないだろう。僕に他人の理想を否定する資格なんかない。それが過去から続く強い意志によるものなら、尚更だ」


「ライ……」



581: 2015/09/14(月) 22:38:49.35 ID:abxhPIPDO
「君は恩人だ。応援するよ」


彼はやめろとも頑張れとも言わなかった。そんな言葉でさえ、自分には言う資格が無いと思っているのだ。


だからこそ、今の言葉には不思議な重みがあった。体の奥底から力が湧いてくる感覚。誰かから応援してもらえるという、ただそれだけの事で、こんなにも目の前が明るくなる。


「ありがとう」


視界が開けた事で、ようやく気づいたものもあった。スザクがライを軍に引き込みたくなかった理由だ。


氏んでしまうかもしれないという心配があった。ようやく平穏を手に入れた彼から、それを奪いたくないという気持ちがあった。彼が記憶に近づく事で今の関係が壊れてしまうかもしれないという恐れがあった。


だが、それらより大きな理由があった。


七年ぶりに再会したスザクの何より大切な、たった二人の幼なじみ。いつ氏ぬとも分からぬ自分の代わりに、ライにあの兄妹の傍にいて欲しかったのだ。



582: 2015/09/14(月) 22:40:12.95 ID:abxhPIPDO
気付かぬうちに、ライが見せた力をあてにしてしまっていた。この友人なら二人を守ってくれると、彼の意志を汲まないままにそう望んでいた。押し付けてしまっていた。


そんな自分を、スザクは強く恥じた。


彼はこちらの意志や理想を受け入れ、応援してくれているというのに、自分はこの体たらく。情けなかった。


「君は軍に──特派に入るのかい?」


「それは……まだ分からない。どちらにせよ、ミレイさんに話をしてからだな。決めるのはその後で良い」


ライの言葉を聞いて、スザクは頷いた。


「特派に入れば、たぶん君は戦場に出る事になる」


「ああ。それはロイド伯爵に聞いた」


「……だから、後悔しないようにしっかり考えて。入るにしても、入らないにしても、僕は君を応援する。君がそうしてくれたようにね」


「もし入ることになったら、その時はよろしく頼む。……君には頼んでばかりだな」


「そうだね」


二人で軽く笑う。その時、スザクの懐に入っていた通信機が鳴った。




583: 2015/09/14(月) 22:41:26.41 ID:abxhPIPDO
「呼び出しだ」


「随分と話し込んでしまったからな」


着信音からメールだというのは分かっていたので、通信機の液晶画面に文面を表示する。頬が引きつった。


「どうした。叱られたのか」


「いや……ロイドさんから君に宛てた物なんだけど」


「そうか。どういった内容だ」


「また君にシミュレーターをやって欲しいみたいなんだ。だから、もう一度来てもらいたいって。出来れば明日にでも」


「わかった」


「いいのかい?」


ロイドはなし崩し的にライを加入させるつもりだろう。ナイトメアについて、操縦技能と工学的知識を高い次元で両立させているパイロットはブリタニア軍でも滅多にいない。


慢性的な人材不足に喘いでいる特派からしてみれば、喉から手が出るほど欲しい存在なのは明らかだった。


「問題ないだろう。こちらの弱みは既に晒したからな。ロイド伯爵の動向も見ておきたい」


「わかった。待ってるよ」


手をあげ、スザクは背を向けた。暗い夜道を一人で帰る。


「……今日はありがとう。有意義な時間だった」


後ろから友人の声がした。振り向き、


「こっちこそありがとう。……おやすみ。夕食はしっかり食べること」


「……ああ、わかった。おやすみ」


微笑みを交わした。


その後、戻ったスザクを待っていたのは暴行を受けた形跡のあるロイドと、いつになくニコニコしているセシルだった。



591: 2015/09/19(土) 23:31:09.39 ID:ZbQul+2DO
雲が流れていく。まるで濁流のような速さだ。にも関わらず、曇天は一向に切れ間を見せない。太陽は無く、重苦しい厚い雲が地平線の彼方まで続いていた。


見渡す限りの荒野。草木の一本も無い、枯れた大地。険しい地面は足に突き刺さるような硬度を有している。


乾いた風はさながら刃のようで、撫でられるだけで頬を切ってしまいそうだ。砂と埃だけを含んだだけで、他には何も無い。


色の無い、苦痛だらけの世界。


一際強い風が吹く。舞い上がる砂塵の向こうで変化が起きた。


飛び交うのは怒号と悲鳴、そして断末魔。絶え間なく打ち鳴らされる金属の雄叫び。剣が、槍が、弓が、数え切れない武器が乱舞する。その真価を発揮すべく、使い手と共に駆けていく。


そこは戦場だった。


見れば、自分も右手に剣を持っている。眩しいほどに輝き、万物を斬り裂く光の剣。


正面から一人、砂塵を巻き上げて突進してくる男がいた。敵なのだろう。放つ敵意と纏う殺気が、なによりの証明だった。



592: 2015/09/20(日) 00:23:26.83 ID:a5KsSFBDO
相当な豪傑のようだが、特に驚きもしない。混乱も無かった。


三度の突きをくぐり抜け、横薙ぎに払われた槍を跳んでかわす。既にこちらの間合いだった。


無造作に剣を振るうと、相手の槍は穂先から真っ二つになった。返す刃でその首を落とす。敵は驚愕の表情を浮かべたまま、絶命した。一瞬だった。


地面に落ちようとする首をさらに蹴り上げる。氏してなお利用された生首は後方から飛来した矢を受け止め、戦場の誰かを救った。


剣を振るうごとに氏体が増える。一歩進むごとに勝利が近づく。乾いた大地は流れ出る血の川を美味そうに吸い込んだ。何の感慨も無く、ひたすら前進する。苦痛も葛藤も無いのだから、これは単なる作業に過ぎない。視界の端に転がるのは過程で生じた世界の廃棄物なのだ。


遥か後方。馬に乗ったままの敵指揮官が逃走を図ろうとしている。下らない男だ。退却の機会を何度も与えてやったというのに、戦力の立て直しをするべきこのタイミングで逃げ出すとは。


あいつはいらない。


そう思い、地面に落ちていた弓を拾う。矢は──あれで良い。生首に刺さっていた物を強引に引き抜く。頭の内容物も一緒に引きずり出されたが、特に気にするものでもなかった。


矢をつがえ、弓を引く。



593: 2015/09/20(日) 00:25:12.44 ID:a5KsSFBDO
距離は五〇〇メートルほど。目標はとっくに射程の外だったが、それは一般人から見た場合の話だ。自らには適用されない事を知っている。


弓がしなり、弦が軋む。風は強いが、いかほどの事でもない。吹くなら吹くで、利用するだけの話だ。


限界まで引き絞り──放つ。赤い軌跡を伴って、矢は濁った空に吸い込まれていった。結末を見る必要は無い。勝利は既に決まっているものであり、故にあの矢は当たるに決まっている。


地面に突き刺したままの剣を引き抜き、鞘に収めた。一〇〇人近い人間を斬り頃しても、その輝きは微塵も衰えず、その切れ味は永遠だった。納刀は戦いの終わりを告げる合図に他ならない。周囲の兵は逃げ惑う敵を掃討しようと、勢いを増した。


戦いが終わる。頃した人間の数は覚えていても、勝利の回数は覚えていない。


つまらない戦だった。終始、脅威を感じることも無く、終わった後の達成感も無い。当たり前のように戦って、当たり前のように頃して、当たり前のように勝利した。困難はあった。気候も良くは無かった。だがいずれも、取るに足らない事だった。


空を見上げる。


相変わらず、太陽は見えなかった。




594: 2015/09/20(日) 00:27:13.04 ID:a5KsSFBDO
「────!」


ライは目を覚ますと同時に飛び起きた。覚醒した瞬間には夢だという事に気づいていたので、驚きはなかった。ただ、体中が汗でびっしょりだった。


「なんだったんだ……」


強烈な内容だったのは確かだ。手には人を切り裂く感触が残っている。鼻には氏臭が、耳には断末魔が、それぞれ染み付いて離れなかった。


だが、それだけだ。今し方みたばかりなのに、夢の内容を思い出せない。起きた時には残っていたイメージも、何か強烈な力によって塗りつぶされようとしている。後はいつも通り、残滓に苦しめられるだけだ。


ライは頭を抑える。シンジュクゲットーでの一件から一日経過した朝の三時。悪夢によって起こされたらしい。


なんだったのか。決まっている。あれは過去に関するものだろう。蔓延する敵意と悪意と殺意。這い寄ってくる氏の感触。どれもシンジュクゲットーで接したものと同じだ。


スザクの職場で使用したシミュレーターは高性能だったが、絶対に再現出来ないものがある。あの地獄の空気だけは、再現出来るはずがないのだ。



595: 2015/09/20(日) 00:29:39.30 ID:a5KsSFBDO
ひどく喉が渇いていた。頭も痛い。動悸もいつになく激しい。鳥肌が治まらない。神経が過敏になっているせいか、どうしようもなく暴れ出したくなる。


水を飲もう。そうすれば落ち着くはずだ。


そう考え、立ち上がった瞬間だった。その声が聞こえたのは。


(──お前だったのか)


頭の中に直接響く、聞き覚えのある声。誰だっただろうか。ショッピングモールを一緒に歩いた……


(躍動を感じるぞ。静かな夜には似つかわしく無いな。良く育っている)


だが、思い起こすことすら許してくれない。妖艶さすら漂わせる声の主が面白そうに言葉を連ねる度に思考が氾濫し、左目の奥が激痛に襲われた。


(苦しいだろう。もう押さえ込んではいられないようだ)


「君は……あの時の……っ」


(ほう、話せるか。だが止めておけ。また壊れるぞ)


「くそ……!」


お前のせいだろうと言ってやりたかったが、全身を蝕む苦痛の波が、そんな考えさえ押し流していく。



596: 2015/09/20(日) 00:31:32.57 ID:a5KsSFBDO
(満月の夜、公園で待っている)


「っ! おい──」


声が遠くなっていく。波が引いていく。


知らぬ間に床に這いつくばっていた体を慎重に点検してから起き上がらせる。また汗まみれになっていた。


声の主はC.C.という少女だろう。間違いない。彼女と会ったのは割と最近だったはずだが、遠い昔の事のように感じた。


「満月の夜……公園か」


窓の近くまで行ってカーテンを開けた。雲の合間から覗くのは絵に描いたような三日月だ。満月まではしばらく掛かる。


日の出まで時間があった。とりあえず、シャワーを浴びよう。そう思って、ライはクローゼットから着替えを取り出すべく歩き出した。





あれから結局眠れなかったライは朝の五時まで時間を潰してから、また租界の散策に繰り出した。公園に行ってもみたが、少女の姿は当然ながら無かった。


いつも通り収穫は得られず、適度な運動を終えてクラブハウスに戻ってくる。時刻は六時半。掛かる時間がだんだんと短くなってきているということは、この散策もまた、作業的な意味合いが強くなってきているのだろう。他の理由もあったが、それは今日一日限りの事だ。



597: 2015/09/20(日) 00:33:40.89 ID:a5KsSFBDO
自室に戻り、てきぱきと準備をする。今日使うであろう教材と筆記用具を総点検。異常無し。丁寧に鞄へ入れてから再度洗顔をして、窓などの戸締まりを終えて部屋を出る。施錠も念入りにチェックした。


朝食は──いいだろう。食べなくとも、どうせバレないに決まっている。それよりも放課後に<特派>へ行くとなれば、スザクの分の授業を受け、生徒会の仕事もこなしておかなければならない。体調管理は二の次だ。


効率的な仕事運びをシミュレートしながらクラブハウスを出ると、丸い支柱の近くに人影を発見した。


赤い髪の女生徒は知人に一人しかいない。


「カレン、おは──」


挨拶の途中、すれ違い様に右腕を取られる。そのまま引っ張られ、背中を円柱に押し付けられる形になった。すぐ下には見慣れたお世話係主任の顔がある。その目はいつか見た時と同じ、怒りの色に満ちていた。


「どうした急に」


動きを封じられている。右腕は掴まれ、左腕は背中と柱に挟まれていた。どちらの腕も自由にするには苦労する。両足も同様。理にかなった拘束だった。護身術の類いではない。


胸を押さえるカレンの膂力は女子高生のそれを遥かに凌駕していた。とても病弱でおしとやかな名家のご令嬢とは思えない。そういえば、華麗な三角飛びを披露した事もあったなと思い出す。



598: 2015/09/20(日) 00:36:18.82 ID:a5KsSFBDO
しかし、結局は男と女。性別という絶対的な違いがある。体格差は歴然で、力任せに振りほどくのは容易い。必要となれば幾つかの関節も外せるだろう。そうすれば、逆襲することも出来る。


(……どうするかな)


だが、そんな行為にどれほどの価値があるだろう。ライが考えていると、ようやく襲撃者が口を開いた。


「どうして昨日、軍服姿のスザクと一緒にいたの?」


カレンの声は底冷えのするほどに鋭かった。脳内の情報からその理由を探る。


彼女は以前から日本寄りの意見を持っていた。それは反ブリタニア寄りの意見ということでもある。


従って、ブリタニア軍のスザクと自分が共に行動する様子は、彼女の目から見れば背信行為に映る可能性がある。


加えて、シンジュクゲットーの一件で妙な能力を見せたのはライだけではなかった。カレンにも不審なところは幾つもあったのだから、それをバラされるかもしれないと彼女が危機感を抱くのも理解出来る。


「決まっているだろう。シンジュクゲットーでの事を話したからだ」


「よりによって、軍人のスザクに?」


「ルルーシュにも話した」


「どうして」


「きちんと処理する必要がある事件だった。君にも分かるだろう」


「あなたって人は……っ」


「心配しなくても、君の事は話していない。あくまでも僕個人のものとして報告した。君はただの被害者だ」



599: 2015/09/20(日) 00:38:20.13 ID:a5KsSFBDO
ロイドに渡した報告書にはカレンの事も記載していた。だが彼女はあくまでボランティア活動の一環でゲットーを訪れていただけであり、そこで顔見知りの自分と偶然行動を共にして事件に巻き込まれたとだけ書いていた。


世話係主任の仕事は彼女の善意によって行われているのだから、ボランティア云々についてはあながち嘘とも言い切れない。


そもそもカレンは名門シュタットフェルト家の令嬢なのだから多少の不自然は容易く握り潰せるし、軍も追及したがらないだろう。この先、彼女に火の粉が降りかかる事は考え難い。


ライの考えを察したのか、制服の胸元を掴むカレンの手に、いっそう力が込められる。俯いているため、彼女の表情は分からなかった。


「そういうことを言っているんじゃない! 少し間違えればあなた、学園から追放されていたかもしれないのよ」


「そうなるんであれば、そちらの方が良かった」


突き放すように言った。カレンは驚いた顔でライを見た後、その手を離す。それから二歩ほど下がった。


「だって……そうなったら、私のせいじゃない」


「それは違う。ついて行ったのは僕の意志だ」



600: 2015/09/20(日) 00:39:28.82 ID:a5KsSFBDO
「結果は……どうなったの? あなたがここにいるって事は、少なくとも即拘束ってわけじゃないのよね?」


「ああ。なにせ証拠が無いからな。罪に問われる可能性は低いそうだ」


「でも、あなた市民IDが……」


「その事についても放置してくれるらしい」


ライの身柄はアッシュフォード家が正式な手続きのもとに管理してくれているため、租界で生活する分には問題ないという、昨日ロイドとセシルから受けた説明をそのまま伝えた。


「そう……なら良かった」


心情は言葉の通りでは無いのだろう。カレンの顔は晴れない。ライもまた、疑問に思った。彼女の不安は取り払ったはずなのに、どうして未だに暗い表情のままなのだろう?


「まだ何か心配事があるのか」


単刀直入に尋ねると、カレンはこちらをちらりと見て──また目を逸らした。何か逡巡している様子だ。


「少しくらい、私に相談してくれても良かったんじゃない? なんでもあなた一人で決めて……」


「…………」


「私、信用無いよね」



601: 2015/09/20(日) 00:41:18.87 ID:a5KsSFBDO
「相談しようとしたぞ」


「嘘。昨日一日、私と一言も話さなかったじゃない」


「僕は何度も話しかけただろう。それを無視したのは君だ」


「む……」


カレンは押し黙った。昨日は朝に校門で見かけて以来、カレンはずっと機嫌が悪かった。


授業が終わればさっさと姿を眩ましてしまうし、彼女の親衛隊のガードもいつにもまして堅固だった。


昼休みにようやく捕まえたライが話しかけても、目さえ合わせてくれなかったのだ。カレンが怒る理由も皆目見当がつかなかったので、生理か何かだろうと勝手に最低な予想をしていた。


生徒会メンバーに仲介役を頼もうとしてもシャーリーからは断られたし、ルルーシュも機嫌が悪いし、リヴァルは状況を悪化させそうだしで、まったく援護が受けられなかった。


結局、ライはカレンへの相談を後回しにして、スザクの方へと向かったというわけだ。


だが、世話係主任はそれでも不服らしい。この件に関しては一方的にコミュニケーションを断った彼女にも非があるような気がするが、明言はしなかった。



602: 2015/09/20(日) 00:44:48.98 ID:a5KsSFBDO
「だって、それはあなたが……」


「……? 僕がなんだ。何かしていたなら謝る」


知らず知らずの内に不快感を与えていたのかもしれない。しれないのだが、そういった機微を察するというのは難しかった。


「……分からないなら良い」


「言ってもらえないと分からないぞ」


「言っても分からないでしょ」


拗ねたような口調で言うカレンに、ライは首を傾げた。


「早朝からつけ回した上に暴力を振るい、その理由さえも話さないというのはどうかと思うぞ」


少なくとも、ライは自分の行為に非があったとは思っていなかった。カレンに被害が及ばないように細心の注意を払ったし、相談なくルルーシュ達に報告した事も言おうとした。


それを感情的な理由からコミュニケーションの一切を拒否され、尾行や暴力といった扱いを受けるのであれば、カレンとの関係を根本から見直す必要がある。


不満があるのなら言うべきだ。人間の感情に疎いライでは、察するにも限界がある。カレンが不快感を抱いているのだとしたら、内容をはっきり口にして貰った方が誤解も無くて手っ取り早い。



「そ、それはごめんなさい。……って、気づいてたの? 私が後をつけてたこと」


「ああ。……いや、君だという確信はなかったが」



603: 2015/09/20(日) 00:46:02.40 ID:a5KsSFBDO
今朝、租界を歩いている時に行われていた尾行は早い段階で察知していた。シンジュクゲットーでの件があったばかりだし、スザクと歩いている時に感じた視線の事もある。


何より、あの悪夢のせいで神経がいつもより遥かに過敏になっていた。


(もしかしたら……)


昨日の突き刺さるような視線はカレンのものだったのだろうか。スザクと一緒にいたところを見ていたような口ぶりからして、その可能性もありえるだろうと思った。


「どうしてこんな事をした?」


「それは……」


またもカレンが口ごもる。悪戯が見つかった子供のように、ばつが悪そうな表情だ。とても珍しい。


「あなた、ブリタニア軍と戦ったでしょう。それで軍服姿のスザクと一緒にいたら、連行されたのかと思って」


「……それで何故、尾行する必要がある」




604: 2015/09/20(日) 01:16:36.88 ID:a5KsSFBDO
「う……」


シンジュクゲットーでの騒ぎから、カレンの様子がどんどんとおかしくなっているとライは感じていた。いつも纏っていた清楚なお嬢様ではなく、もっと別の顔が頻繁に出てきている。


以前からおかしい所は沢山あった。反ブリタニア的な発言を良くしていた上に、高い身体能力を垣間見せてもいた。そして極めつけはナイトメアの知識だ。


戦闘機動中のナイトメアが生む急激なGに難なく対応し、砲弾が飛び交う戦場でも冷静だった。<無頼>の点検やモニターの操作にも慣れているようだ。とても一般の女子高生とは思えない。


そして、今のこの状況。


カレンが何かを隠しているのは間違いない。そしてそれは知られたらまずいような事なのだろう。彼女の行動には何か深い理由が根本にある。


ライは世話係主任を見た。表情から害意などは感じられない。もどかしさと焦燥感と後悔が入り混じった、複雑な顔をしている。


それだけで追及する気がどんどんと失せていった。彼女に事情がある事など、とうの昔に気づいていた。誰にでも他人に言えない事くらいあると思って座視していたのはライ自身だ。それを今さら変えようとは思わない。



619: 2015/09/26(土) 22:19:16.50 ID:rpLvuEADO
「シミュレーターだ」


「え……」


「僕がスザクと一緒にいた理由だよ。彼の職場に行って、そこの設備を貸して貰っていた」


「記憶のため?」


ライは頷いた。穏やかな風が吹いて、木々がざわめいた。枝葉の隙間から数羽の小鳥が飛び出し、朝の空へと消えていく。


「あれだけ動かせたんだ。記憶を失う前は、何らかの形でナイトメアに携わっていたんだと思う」


「……そうね。それはあるかも」


「手掛かりになるなら、手を伸ばすべきだ。……僕の正体が何であれ、ナイトメアを動かしていれば近づけるかもしれない」


「…………」


カレンは無言で見つめてくる。彼女の目にはどう映ったのだろう? 突然ナイトメアに乗り込み、ブリタニア軍を撃破する記憶喪失の男。ひどく奇怪だったに違いない。


そう考えれば、今までの行動にも納得できる。学園で避けられていたのは、偏(ひとえ)にライを怖がっていただけ。尾行もそれに連なる理由だとすれば、説明はつく。



620: 2015/09/26(土) 22:20:27.76 ID:rpLvuEADO
やはり、この関係は終焉に近づいているような気がしてならなかった。ライはぼんやりとした面持ちで朝練に励む運動部の声に耳を傾けていた。


朝の日差しを受けて輝くひび一つ無い石造りの地面。上には、だんだんと青くなっていく空と、白い雲。地平線の向こうから昇った太陽がその高度を上げていく。


自然の活力に満ちた風景は、心の中に滲んでくるそれとは全く違うものだった。この場所はもっと色づいていて、どこまでも平和だ。それなのに、朝からこんなところで陰鬱な話をしている自分とカレンがどこか異質な存在に思えた。


「ナイトメアに乗りたいの?」


「え……」


思考が引き戻される。意識が薄れていたために、カレンがすぐ近くにいることを失念していた。


目を向けると、カレンの端正な顔がまた近づいていた。注意深く、警戒の色さえ含んだ彼女の瞳がライを捉えている。


「……分からない」


ナイトメアに乗る必要があるとは思う。ようやく見つけた記憶の手掛かりなのだ。結果が出るまで究めた方が良いだろう。


だが、乗りたいかと言われると首を傾げてしまう。ライ自身、特にそういった願望は無いのだ。元より欲求の類に疎いのもある。



621: 2015/09/26(土) 22:22:14.01 ID:rpLvuEADO
「そう……。普通なら乗りたくは無いわよね」


忘れて、とカレンは続けた。


そこでライは思い当たる。あのテロで自分と一緒にいたのはカレンだけだ。何らかの変化が起きていた場合、気づけたのも彼女だけだろう。


「<無頼>に乗っていた時、僕はどんな感じだった」


「どんな感じって……」


「様子がおかしくなかったか。いつもと違う言動をしていたとか、癖みたいなものでも良い。何かなかったか」


カレンは人差し指を顎先にあて、考える仕草をする。


「そう、ね。普段とあまり変わらなかったと思う。変わらなすぎて、逆におかしかったくらい」


「……そうか」


「普通ならもっと取り乱すはずでしょ? とても素人には見えなかったわ。それに……」


突然言われて戸惑っているのだろう。カレンはあの時の状況を記憶の奥から引き出しているようだった。やや上を向いていた視線のまま、はっとした表情になり、それから顔を赤くする。



622: 2015/09/26(土) 22:24:40.45 ID:rpLvuEADO
「どうした」


「な、なんでもないわ。気にしないで」


目をそらし、動揺する様はライに不安を与えた。懸念が当たっているかもしれないという不安だ。


「……? 思ったことがあったなら言ってくれ。君の感想が何かのヒントになるかもしれない」


カレンはどんどん後退していく。先ほどまでは近すぎるくらいだったのに、この変化。意味が分からないライが無言で見ていると、彼女は視線を外してから慎重な口調で言った。


「その、ほら。すごくリラックスしていたって言うか。いつもより存在感があったかな」


「……いつもの僕は影が薄いということか」


「そうじゃなくって……なんていうか、安心感? みたいなのがあった……かも」


そう言って、またカレンは赤面してしまった。そんな彼女の様子には気づかず、ライは貴重な意見だと思って思考を巡らせる。


安心感。リラックスしていた。どういうことだろうか?


確かに、思い当たる節はある。戦場で感じた既視感。皮膚の中、肉と骨の奥──神経の深くにまで刻まれた感覚は、<特派>のシミュレーターで行う戦闘に不満を漏らしていた。


今朝、起きた時の事を思い出す。こびりつくようなあの感触。以前の自分は戦いを生業にしていたのだろう。ライはまたも気分が沈んでいくのを感じた。



623: 2015/09/26(土) 22:27:36.40 ID:rpLvuEADO
「……怖がらせてしまったな」


あんな姿を見せてしまったら、怖がられて当然である。やむを得ない状況で尚且つ、必氏の形相で戦ったというのならまだしも、いつもと変わらぬ様子だったのだ。


カレンが警戒し、距離を取りたがるのは普通の反応だ。


うろたえ、動揺し、怯える……そういった部分を晒されることで、人は他者に親近感を抱く。逆に、その手の感情を持ち得ない人間は機械的で不気味だ。


そんなライの考えを見透かしたように、カレンの口調が叱る時のものになった。


「またそんな風に考えて。私があなたを怖がるわけないでしょう」


「……何故だ」


気を遣わせているのだと思ったライの口調がやや硬いものに変わる。無理をしなくてもいいのに。そう思った。


そんな彼の心境をよそに、カレンはまたも細い顎に人差し指をあてて思案していた。自信ありげな様子だった割に、特に考えは無かったらしい。


「何故って……お世話係だから?」


「意味が分からないな」


どうして疑問形なのか。


そう言うと、カレンから睨まれる。ライは目を逸らし、ついでに時計を見た。彼女が自分をどう思っているか、あの時に本当はどういった感想を抱いたか、深く詮索する勇気は無かった。


「そろそろ生徒会室に向かわないと、仕事をする時間が無くなる」


留守にしているミレイと仕事中のスザクの分があるのだ。そこにルルーシュのサボリやカレンの病欠などが重なる可能性を考慮すると、時間的余裕は常に確保しておく必要がある。


「……また放課後にスザクのところへ行くの?」


「ああ。そうなるな」


「……そう」


カレンは浮かない顔で答えると、それきり黙ってしまった。ライは疑問に思ったが、その心中を察することは出来なかった。


624: 2015/09/26(土) 22:29:13.46 ID:rpLvuEADO
なんとなく彼女にそんな顔をさせるのが嫌で、ライは校舎の方へと歩きながら続ける。


「……もう一つの理由を訊いていなかったな」


「理由? なにかしら」


「昨日は一日中、怒っていただろう。あれはどうしてだ」


口を利いてくれないどころか、顔さえ合わせてくれなかった。怯えられたからだと思ったのだが、違うらしい。すると理由がまたも分からなくなる。


だから尋ねたのだが、その瞬間、カレンの足がピタリと止まった。


何か思い出したのか、その横顔がどんどん険しくなっていく。それだけでライは言いようの無い不安に襲われた。また怒られるのかと、覚悟を決める。


「……別に」


しかし、予想していた叱責は来なかった。呟きを残し、カレンは再び歩き始める。速度はかなり速い。置き去りにされかねないスピードだった。


無理をして追い掛ける必要も無いかと思い、ライは立ち止まったままその背中をただ見ていた。



625: 2015/09/26(土) 22:30:26.91 ID:rpLvuEADO
「……来ないの?」


一〇メートルほど進んだ所でカレンはまたも立ち止まり、再度振り向いた。不機嫌度の上昇はとどまることを知らず、自身の行動選択がことごとく間違っている事をライは思い知った。


近寄り難い空気を全周囲に向けて放出しながら、来ないのかと言われても困る。


はっきり言って怖い。


制御不能になった<無頼>が突撃してきた時よりも遥かに恐ろしい。ライの足は地面に接着でもされたかのように動かない。どうしたらいいのか。


「僕はこれから生徒会室へ行くんだが」


「知ってるわよ」


だから? とでも言うようにカレンは目を細めた。


今の今まで彼女は行き先について何一つ明言していない。無理に付いて行っても不興を買うかもしれないと、そのための確認だったのだが、また失敗してしまったらしい。


「君も行くのか」


カレンは普段、こんな早い時間に登校してこない。昨日の様に運転手付きの送迎車で現れ、友人の女子生徒や親衛隊の男子生徒から熱烈なアプローチを受けながら教室へ向かう。


だから今日も、教室で適当に時間を潰すのだろうと思っていた。


「嫌なの?」


どうやら違うらしい。なんと言えば、どう動けば正解なのか皆目見当が付かない。


ライにとってはブリタニア軍の包囲を突破する事より、目の前の少女の機嫌を取る事の方が遥かに難しかった。



626: 2015/09/26(土) 22:32:36.48 ID:rpLvuEADO
「い、いや……」


完全に萎縮してしまったライはカレンの三歩後ろを歩く。若干の間合いを取っていないと、もしもの時に無防備でやられかねないからだ。先ほど彼女が見せた暴力性は無視できない。油断は禁物だった。


ミレイとスザクが留守の状態で、この時間帯に生徒会室へ来るメンバーはいないだろう。リヴァルは自宅通学のために遅いし、シャーリーは部活の朝練がある。ニーナは自習室か図書室か研究室のどこかだろう。ルルーシュが一人で来て仕事をしていたら天変地異を疑ってしまう。


救援は無い。このままだとカレンと二人きりになる。


いつもなら特に珍しいことでもないのだが、今のこの状態で臨むのはよろしくない。かといってカレンの行動を阻むわけにも、自分の行動を断念するわけにもいかなかった。


(仕方ない……)


なるべく刺激せずに不機嫌の原因を究明し、それを取り除く。外科手術の如く繊細で失敗の許されない行為だが、他に手段は無い。


意を決してライは口を開いた。


「カレンはどうしてそんなに機嫌が悪いんだ」



627: 2015/09/26(土) 22:34:50.24 ID:rpLvuEADO
ライの質問はカレンを大いに刺激し、不機嫌にさせた。ついに彼女の瞳からは感情が失われ、無表情のまま見つめられる。


「別に怒ってないけど」


「嘘だな。僕にだってそれくらい分かるぞ」


「…………」


「……保健室での件か」


「え……は!?」


そう言うと、一瞬でカレンの頬が朱に染まる。


偽<黒の騎士団>事件の後、保健室で彼女に手当てをしてもらったのだが、いつもの如くライは失言をかまし、それに怒ったカレンは早足で帰ってしまっていた。


「ち、違うわよ」


「なら、どれだ」


「どれだけ心当たりがあるの……?」


「君が言わないなら、思いつく限り挙げていくぞ」


ライは自身の失言、失態の歴史を振り返る。枚挙に暇がない。星の数ほどとはこの事だろう。


628: 2015/09/26(土) 22:36:56.00 ID:rpLvuEADO
「いくぞ。まずは──」


「や、やめて」


「──生徒会室で君たちが着替えていた時に僕が突撃し……」


少し前、ニーナを除く女子メンバーが生徒会室で着替えをしていた際に、ライとルルーシュが突撃してしまうという事件があった。ミレイやシャーリー、そしてカレンの下着姿より、隣にいたルルーシュが赤面していた事の方が印象に残っている。


その後、非常に強い糾弾を受けたが、予告なく生徒会室を使用していた事や、鍵を開けていた事を指摘。なにより性的な興奮等が無かった事などからライは正当性を主張した。結果として、さらに強い糾弾を受けることになった。


「違うわよ。やめなさい」


「……なら、君やシャーリーから強いニンニクの匂いがすると言った時の事か」


「だ、だからそれは会長に餃子の食べ放題に無理やり連れて行かれたからで……って違うわよっ」


「すると、過去のアルバムを見た際に珍妙な格好をした君たちがあられもない……」


「やめなさいって言ってるでしょ!」


一喝され、そこで追求をやめる。これ以上ないほどに羞恥心を刺激されたカレンは顔を真っ赤にして震えていた。


「なら、大人しく話してくれ。こちらはまだまだ蓄えがあるぞ」


圧倒的な優越感のもと、ライは言った。自身の失言や失態を交渉材料に使うという斬新な脅迫だった。先ほどまでの力関係は完全に逆転し、イニシアチブはこちらの手中にある。




629: 2015/09/26(土) 22:39:17.93 ID:rpLvuEADO
カレンはしばしの間、ライへ恨めしげな視線を送っていたが、やがて諦めたように息を吐き出し、生徒会室の方へ足を向ける。


見れば、無数の生徒が二人のいる中庭を見下ろしていた。なかなかの大声を(カレンが)発していたので、注目を集めてしまったようだ。


彼らから逃れるように校舎へ入り、人目を避けながら移動する。


「……昨日の朝は楽しそうだったわね」


階段を上がっていたカレンが呟いた。


「昨日の朝……」


何かあっただろうかと、ライは思い返す。ルルーシュと共に登校して、シャーリーに怒られ、リヴァルからミレイの用事が延長されることを伝えられた。


その過程でルルーシュから睨まれ、リヴァルにからかわれ、シャーリーから暴行を受けたが、カレンが怒る理由にはならないはずだ。


「朝からあんなに肩を寄せて。ちょっと不健全じゃない?」


「肩……。ああ、シャーリーのことか」


ようやく得心がいった。ライが頷くと、カレンは横目でチラリと見やる。その瞳はもう怒っておらず、どこか寂しげだった。


630: 2015/09/26(土) 22:40:37.40 ID:rpLvuEADO
「あなたもやっぱり、シャーリーみたいな明るい娘が良い?」


「明るい……そうだな。彼女の笑顔は周囲に力を与えてくれる。そういった意味では好きなんだろうな」


以前、シャーリーの買い物に付き合った時の事を思い出す。がむしゃらにC.C.を探すも見つからず、暗い気分でいたライに彼女は話し掛けてくれた。それだけで世界は明るくなり、活力が湧いてきたのだ。


当時はほとんど会話をした事もなく、友好的とも言えない関係だったにも関わらず、彼女は一緒に日記帳を探そうと言ってくれた。


だからだろうか、あの時のシャーリーの笑顔と、購入した赤い日記帳の事はとても印象深く心に残っている。


「ナイト様が聞いて呆れるわね」


「ん……?」


「……私の事はあっさり見捨てたくせに」


ぼそりと拗ねたように呟き、カレンは生徒会室に入っていく。思い出を振り返っていたライは取り残される形になった。


バタンとドアが閉じられる。


カァカァと窓の外からカラスの鳴き声が聞こえる。なんとなく惨めな気分だった。立ち尽くしているわけにもいかず、生徒会室に入る。中ではカレンが窓を解放し、室内に朝の空気を取り入れていた。



631: 2015/09/26(土) 22:41:37.52 ID:rpLvuEADO
「見捨てた……とはどういう意味だ」

ライは棚から書類を取り出し、それを机の上に並べながら尋ねた。


「昨日の朝。私が困っていたのに助けてくれなかったでしょ」


カレンはアーサーの餌と水を取り替えている。小さな黒猫は彼女に良く懐いているようで、その手に擦りよっていた。


カレンはアーサーを抱きかかえ、備え付けのソファーに座る。愛玩動物と戯れたために幾分か機嫌が直ったらしい。ライはその様子を黙って見ていた。


「困っていた……。ああ、あの時か」


登校してきた時の事を言っているのだろう。カレンは車から降りるやいなや、大人数の男子生徒達から囲まれていた。確かに困っているようにも見えた──かもしれない。


「む……」


事情を話そうとしてライは唸る。あの時は急いでいたのだ。ミレイが生徒会室で待っていると思っていたし、カレンの方にもさしたる緊急性を感じなかった。



632: 2015/09/26(土) 22:42:52.80 ID:rpLvuEADO
男子生徒達が信仰対象に危害を加える可能性は低いだろう。それに、カレンの友人や教師連中が騒動を鎮圧させようとしていたのもある。


「あの場面で僕が介入していれば、状況はよりややこしくなっただろう」


ライも鈍感ではない。


頻繁に行動を共にしているだけあって、周囲が自分とカレンの関係を恋愛か──またはそれに近しいものだと誤解しているらしいことは知っていた。生徒会でも良く冷やかされるし、親衛隊からは四六時中、殺意を込めた視線を向けられる。


だが、茶化される度に否定しているカレンを見れば、そういった誤解に対して不快感を抱いている事は明白だ。他に好意を向けている男性がいるのだから当然だろう。


にも関わらず、ライが無理に接触しようとすれば、その誤解はより深いものになってしまう。それは良くない。


あの局面での最適解はルルーシュがカレンを助けるというものなのだろうが、あいにく体力的な問題がある。


結局は、虚弱なルルーシュが悪いということだ。



633: 2015/09/26(土) 22:45:04.73 ID:rpLvuEADO
(なんだ、簡単じゃないか)


見事な結論が出たことに安堵したライは仕事に専念した。はかどって仕方がない。カレンが怒っている理由は何一つ判明せず、また解決もされていなかったが、それらは一時的に置いておこうと思った。


束になっている会計報告書を紐解き、収入と支出に間違いがないか確認する。一枚一枚を逐一計算していると膨大な時間が掛かるため、幾つかのものを選んで、脳内で平行処理していく。


頭で数字遊びをしながら、手元で議事録の内容を整理。分かりやすくジャンル毎にまとめる。


そして、たったいま確認し終えた数字を書類に記入していくと、やはり一つの間違いもなく完成した。乱雑なピースが独りでにはまっていくような感覚。自分が正しいという確信。こういう時、ライは強い充足感を覚える。


また勝ってしまった。勝利の余韻に浸っていると、カットしていた聴覚が音を拾う。


「アーサーは良い子ね。誰かさんと違って」


カレンの声だった。


「…………」


誰かさんとは誰のことだろう? 少し気になって耳を傾ける。



634: 2015/09/26(土) 22:46:01.87 ID:rpLvuEADO
「言うことも聞くし、ちゃんとご飯も食べるし、変なこと言わないし……あと黒いし」


撫でられているアーサーは彼女の膝の上で丸くなりながらごろごろと喉を鳴らしている。カレンの方も笑みを浮かべて瞑目していた。お互いに上機嫌のようだ。


開け放たれた窓から入ってきた風が、彼女の赤い髪を揺らす。日差しを背に柔らかく微笑む姿はなんだか大人びて見えて、ライはカレンを無意識に見つめてしまっていた。


とても穏やかな光景だ。いつまでも見ていたくなる。


(記憶を失う前も、こういう日常があったんだろうか)


そんな考えがよぎった。過去の自分にも日常があったはずで、生きていた時間があったはずだ。誰かと一緒にいたはずだ。友人や恋人は──自信が無いが、少なくとも家族はいただろう。


(僕は──)


「ライ? どうしたの?」


意識が呼び戻される。カレンが心配そうにこちらを見ていた。


635: 2015/09/26(土) 22:47:22.91 ID:rpLvuEADO
「ん……どうした」


「それは私が聞いてるの。急に呆けちゃって……何かあった?」


「……いや」


視線を外しても、カレンは疑惑の目を緩めない。観念して、ライは言った。


「少し考えてしまった。記憶を失う前にも、こういう風に過ごしていたのかな、と」


「こういう風に?」


「うん。なんていうか……なんて言えばいいんだろうな」


いまいちしっくりくる言葉が出てきてくれない。


「今みたいに、穏やかな朝を過ごしていたのか……とか」


「…………」


「いや、らしくない事を言った。忘れてくれ」


言葉通り、らしくないと思ったライは強引に話を打ち切った。だが、カレンは黙ってこちらを数秒ほど見つめ、それから膝の上のアーサーに目を落とした。丸くなっている黒猫は撫でられると、ぐりんと身をよじる。



636: 2015/09/26(土) 22:48:36.23 ID:rpLvuEADO
「そうね。こういう時間って貴重かも」


言うと、アーサーをソファーに寝かせ、カレンがやってくる。椅子に腰掛けてから、彼女が担当している書類を広げた。


「僕に付き合う必要は無いぞ」


「……そういうわけじゃないけど。自分の仕事くらいやらないとね。私も今日の放課後に用事があるから」


「そうか。なら手伝おう」


既に八割方終えているライは書類の片付けに取りかかる。


「いいわよ、別に。一人で出来ます」


カレンの返答は素っ気ない。助力を申し出るといつもこれだった。意地っ張りなのは知っているので、ライもいつも通り受け流す。


「遠慮しなくていい。いつもやっていることだ」


言いながら書類を手元に寄せる。ルルーシュ、スザク、カレンの三人は欠席が多いので、いない時はライが肩代わりしていた。


特に、副会長のルルーシュや風紀委員のスザクには彼らにしか任せられない業務もあるが、カレンの場合は違う。肩代わりしても何ら問題は無いし、そのことは彼女も把握しているはずだった。



637: 2015/09/26(土) 22:49:50.51 ID:rpLvuEADO
「いつもあなたに任せているんだから、こういう時はちゃんとやります。たまには自分の仕事だけでいいじゃない……ていうか、それ嫌味?」


「だが、もうほとんど片付けてしまった」


まとめた書類をファイルに綴じると、それでライの仕事はひとまずの終わりを迎えた。


生徒会の業務といっても、所詮は学生がやるものだ。大きな責任は伴わないし、複雑な物も少ない。今はイベントが立て込んでいるために量は多いが、こまめに切り崩しているので溜まったりもしていなかった。


中途半端に余ってしまった時間を潰すためにも、カレンの仕事を手伝うのはやぶさかでない。


それに──


ライは書類に必要事項を記入しているカレンを見た。姿勢は正しく、衣服には一分の乱れも無い。仕草は洗練されていて、学園中の男子生徒が虜になる理由も分かる気がする。


病弱でおしとやか。その名の通り、可憐なお嬢様。


本当にそうなのだろうか?


他の部分は置いておくにしても、"病弱"。この一点だけは間違いなく嘘だと気づいていた。



638: 2015/09/26(土) 22:51:00.40 ID:rpLvuEADO
運動能力が高い事は参考にならない。体を動かせる事と体が強い事は別だからだ。


理由は他にある。ライが過ごした三週間、カレンは何度か学園を早退していた。だが、直前の体温や脈拍、呼吸のリズムから判断して、急に──それも何度も体調を崩す事は考えづらい。


本人は貧血だと言っていたが、それも嘘の可能性が高い。なぜなら彼女は血の気が多いからだ。


仮病。


おそらくはそうなのだろう。そして、それを理由に学園を抜け出しているという事は、他にやりたい事があるという事でもある。


カレンは有名人だ。人気がある上に名門シュタットフェルト家の一人娘である。学園をサボり、繁華街やショッピングモールといった租界の内部で遊んでいれば、即座に見つかるに決まっている。いくら隠れても二年以上もの間、なんらかの噂すらたたないのはおかしい。


となれば、租界の外にそのやりたい事があり、そこで活動していると考えるのが自然だ。もしかしたらゲットーの地理やナイトメアについて異様に詳しい理由も関係してくるかもしれない。



639: 2015/09/26(土) 22:51:54.63 ID:rpLvuEADO
「…………」


そこまで考えて、ライは奪った書類の処理を開始した。


カレンが学園の外で何をしていようが関係ない。推測はしても詮索をする気は毛頭無かった。


彼女は恩人だ。他にやりたい事があるにも関わらず、自分の世話係を投げ出さずにやってくれている。これは間違いなく彼女の優しさから来る行動だろう。


だから、こうして手伝える事があるなら力になりたい。自分が代わりに仕事をこなせば、その分だけ自由な時間は増える。カレンの時間を奪い続けているライに出来る、数少ない恩返しだ。


(そろそろかな)


三週間。充分過ぎる時間だ。


もうじき、この関係は終わりとなる。租界で案内が必要な場所はほとんどなくなった。普通の日常生活を送る分には問題無いと思っている。



640: 2015/09/26(土) 22:55:02.15 ID:rpLvuEADO
カレンを拘束しないで良くなる。そうなれば、彼女は自身の目的に専念出来るし、<特派>に加入させて貰えればライの生活も安定する。良いこと尽くめだ。


「そういえば……」


まだ彼女に言っていないことがあった。


「どうしたの」


こちらに視線を向けるカレンからは、ネガティブな感情は窺えない。言っても問題ないだろうと判断する。


「スザクの上司から、軍に入らないかと誘われた」


そう切り出し、必要な事を淡々と並べていく。勝手に決めてまた怒られても困るので、早々に話す事にした。


まだ決定したわけではないということを前置きした上で、ブリタニア人としての身分を得られること。充分な給与が支払われること。理想的な職場環境だということを話した。


カレンは終始表情をくずさなかったが、最後に、


「……あなたは、入りたいの? ブリタニア軍に」


そう尋ねてきた。


「それは……分からない。だが自立出来るというのは魅力的だ。とりあえず、ミレイさんに話してから決めようと思う」


「そう……」


それっきり、カレンは話さなくなってしまった。



649: 2015/10/01(木) 23:34:01.49 ID:5rFYbDODO
放課後、ライは夕焼けに照らされた学園を背に、向かいにある大学へ向かっていた。そこの一角に<特派>の研究室があるらしく、今日はそこで検査の結果を教えてもらうことになっている。


大学の入り口に見知った人物が立っていた。カーキ色の軍服に身を包んだ妙齢の女性。行き交う学生達に挨拶をしている姿は教師のようだ。


「セシル中尉」


声をかけ、近づいていく。


「あら、ライ君。待ち合わせの時間より早かったのね」


「はい。どちらかと言うと、僕が待つつもりだったんですけど」


「そう? それはごめんなさい」


微笑む姿はとても穏やかで、荒事を担うはずの軍人とは思えない。


「スザクはいないんですか?」


待っているのは彼だとばかり思っていただけに、少し気になる。ライは歩きながら尋ねた。


「ええ。今日はロイドさんと出かけているわ」


だから入り口付近にトレーラーが無かったのか。スザクがいないとなると、緊張感が膨れ上がってくる。


650: 2015/10/01(木) 23:35:00.38 ID:5rFYbDODO
「スザク君がいないと寂しい?」


そんなライの心中を察したのか、セシルが悪戯っぽく訊いてくる。ロイドと同じく、その表情や仕草はどこか子供のようだった。


「そうみたいですね」


今の状態を見る限りそうなのだろう。彼がいないと分かった途端に胃がキリキリと痛み出したのだから。


いつの間にか、あの笑顔に頼っていたのかもしれない。


「素直ね。スザク君に直接言ってあげたら喜ぶんじゃないかしら。ほら、彼って人からの感情に鈍いから」


「ああ……確かに。学園では朴念仁ズなんて呼ばれてますよ」


「ふふ。やっぱり」


口元に手を当てて微笑む仕草はとても上品だった。あの右腕で昨日、ロイドにボクサー顔負けのストレートを見舞っていた事が嘘のようだ。


大学の内部は目新しいものばかりだった。学生達の大半は制服ではなく私服を着ている。指定の制服というものが存在しないのだろう。


中には少数だが、白衣を纏った学生達もいた。彼らは皆、セシルを見かけると挨拶をしたり、遠くから手を振ったりしている。



651: 2015/10/01(木) 23:36:13.42 ID:5rFYbDODO
「凄い人気ですね」


「え? そ、そうかしら」


手を振り、笑みを返していたセシルが戸惑った表情になる。


「なんだか本当の教師みたいだ」


「……もう。大人をからかうんじゃありません」


頬を染めたセシルに連れられ、ライは研究棟に足を踏み入れた。厳重なセキュリティチェックをパスし、立哨中のガードマンに睨まれながら、中へと進んでいく。


案内されたのは研究室だった。隅々まで整頓され、先進的な設備が連なる様はここが軍関係の施設だという事を再認識させてくる。


丸椅子を勧められ、着席すると、対面にノート端末と書類の束を携えたセシルが座った。デスクには高性能の多機能モニターが備え付けられており、その電源が入れられる。


「昨日の検査なんだけど……」


前置きは無かった。セシルの顔が暗いところを見ると、余り良い結果ではない。


まるで患者に重い事実を告げる医者のようだ。



652: 2015/10/01(木) 23:42:22.20 ID:5rFYbDODO
「指紋と網膜を始めとして、いくつか検索をしてみたのだけど……本国のデータベースにあなたの情報は無かったわ。色々と権力や特権なんかも使ったのに、手掛かりは無し」


「なら、これ以上さがしても無駄ですね」


申し訳なさそうに告げるセシルへライは驚きもせずに返した。既にミレイが調べてくれていた事だからだ。身元不明という事実に変わりはない。


「記憶喪失に伴う、脳の異常は見られなかったわ。少なくとも外傷性というわけではないみたいね」


CTでスキャンした脳が3D映像で表示される。確かに損傷は見られない。記憶喪失の原因は事故などによる怪我ではなく、もっと他の物だということだ。


「つまり、薬物か何かという事ですか」


「え……。あ、そ、その話も今からしようと思ったんだけど」


セシルが驚いた顔を誤魔化すようにモニターを見る。手元のタブレット端末から無線操作出来るようで、彼女の指が動くたびに情報が流れていった。


映し出された映像を見て、ライは言う。


「これは……筋繊維の断層図ですか」


「そう。先に言っておくけれど、あなたの体は良好よ。ちょっと信じられないくらいに」


「……?」


「薬物反応が検出されたの。それと、人為的に筋繊維を破壊して、修復した跡もあるわね」



653: 2015/10/01(木) 23:44:15.96 ID:5rFYbDODO
人の筋繊維は一度断たれると、治った時により強靭となる。これは超回復といって、学校の教科書にも載っているような初歩的な医学知識だ。


普通の場合は運動などによって負荷をかけ、長い時間をかけて筋肉を成長させていく。筋肉痛は筋繊維が成長する合図だ。


だが、ライはそれを極めて短期間で、なおかつ科学的に行ったらしい。


「そこで薬物が関係してくるんですか」


体を強化する薬物は多い。短絡的なものであれば一般人にだって容易く入手出来る。


「いえ、この薬物は神経系に作用するものね」


今度は全身図が表示された。脳から広がる赤い線は主要な神経を表しているようだ。


「あなたの神経の伝達速度は約〇・一秒。異常なスピードね。だけど、まだ一般的な科学の域を出ていないわ。問題は……その太さといったところかしら」


「太さ……」


「水を通すパイプなんかを想像して貰えれば分かり易いかもしれないわね。薬物はパイプに流す水の速度を速めるものではなくて、流す量を増やすためのもの」


神経に乗る情報量が多くなったということだろうか。



654: 2015/10/01(木) 23:46:15.14 ID:5rFYbDODO
「でも、それって何の意味があるんでしょうか」


脳から送られる電気信号に異常は見あたらなかった。いくらパイプを太くしたところで、流れる水の量が変わらないのなら意味が無いだろう。


「そうね。手足が倍の数あるとかならまだしも、普通の生活を送る上では、確かに意味は薄いわ」


「…………」


「筋繊維の形状から、いくつか分かったことがあるのだけど……。もしかしたらライ君は、長期間に渡って入院していたのかもしれないわね」


セシルが持っていた書類を渡してくる。


「リハビリ患者の物と形状が酷似しているでしょう?」


「はい」


「あなたは入院か何かの事情で非常に長い期間、動けない状態にあった。そこを、科学的な方法で強化されたんじゃないかしら」


「…………」


動けなかった人間を無理やり動けるようにしたという事か。


だが、そこに何の意味があるか分からない。神経系と肉体の強化で方向性が違い過ぎるのだ。そのせいで、余計に不明瞭となっている。



655: 2015/10/01(木) 23:47:22.98 ID:5rFYbDODO
謎は深まるばかりだ。


「この薬物には依存性や後遺症などは無いと思うから、その点は安心して貰っていいわ。でも、体に異常があったらすぐに言うこと」


「あ……はい」


「今のままなら普通の人と大差無いんだから、そう不安にならないで」


諭すようにセシルが笑ってくれる。


普通。


ライがずっと求めてきた言葉だ。過去に何かあったとはいえ、これからは普通の人間として生活していけるのなら、それは悪くないことなのかもしれない。


「あと、これはもう知っているかもしれない事なんだけど……」


さらに書類を渡される。血液検査の結果が記載されていた。植え付けられたトラウマと右腕の注射痕が疼く。


「アッシュフォード家の方でもやってもらっているみたいだから、こっちはロイドさんの伝手で専門の研究機関に調べてもらうことにしたわ。時間はかかるだろうけど、何も分からないなんて事は無いから安心して」


「あ、ありがとうございます」


656: 2015/10/01(木) 23:49:13.09 ID:5rFYbDODO
「あと、もう一つ。ライ君が使っている言葉なんだけど」


「言葉? 言語の事……ですよね」


セシルは頷く。ライはブリタニアの公用語である英語を使っている。


「脳には言語を司る領域があるんだけど……そこを見る限り、あなたは随分前からその言葉を使っているみたいなの。口や舌の筋肉も、同じように発達しているわ」


「僕はブリタニア人の可能性が高いということですか」


「といっても、ブリタニア語はEUの方でも使われていたりするんだけどね。でも、あなたの場合はブリタニア人特有の訛りの様なものがあったから。少なくとも、ブリタニアの土地で育ったのは間違いないんじゃないかしら」


「そう……ですか」


検査結果はライがブリタニア人である事を示している。血液検査の結果も、追って知らされるだろう。


「お役に立てたかしら」


「はい。ありがとうございました」


ライは頭を下げた。セシル達も忙しい身だろうに、手間をかけさせてしまった。


657: 2015/10/01(木) 23:51:30.29 ID:5rFYbDODO
「ナイトメアの方は良いんですか」


昨日、スザクからロイドが自分をシミュレーターに乗せたがっていると聞いていたライは、気になって尋ねた。


セシルは難しい顔になってため息を吐いて、こめかみを指で押さえた。


「……そうね。ロイドさんから念を押されてるんだった」


じゃあ行きましょうかとセシルに促され、ライは研究棟の一階部分へ移動した。





シミュレーターに乗り込んだライは、セシルのオペレートを受けながら起動シークエンスを進めていく。


『昨日もらった報告書を基に作成したシミュレーションよ。場所はシンジュクゲットーのE36ブロック。騎乗してもらうナイトメアは<無頼>。頭部の損傷率は中破相当に設定してあるわ』


「当時の状況を再現すれば良いわけですね」


「ええ。出来る限りでいいわ」


「分かりました」


一時的に愛機となった<無頼>の事を思い出す。



658: 2015/10/01(木) 23:52:43.00 ID:5rFYbDODO
大方の設定はセシルがやってくれたのだろう。機体の状態は既に報告書の内容に極めて近いものになっていた。


だが、伝聞だけでは再現出来ないものもある。整備不良による動作不全、頭部被弾箇所からの二次被害、バランサーやスタビライザーの細かい不調などは当事者でなければ絶対に分からないことだ。


ハードウェア面だけではなくソフトウェア面でも手を加える。現地で改修したらしい粗悪なバックアップシステムを記憶を基に作り上げ、既存のFCSを片っ端から破壊、破棄していく。


丹念に作成された芸術品に泥を塗るとこんな気分になるのだろう。セシルの作ったシステムを書き換えるのには、ひどい罪悪感を伴った。


『練習はしないの?』


「はい。再現度を高めるためにはそちらの方が良いでしょう」


当然だとでも言うような口調に、セシルが目を丸くする。左腕部の電気系統を調整していたライはそれに気づかなかった。


「出来ました。いつでも始められます」


『了解。では、<無頼>起動直後の状況を再現します。シミュレーション開始』


その声を合図に、四つあるモニターの全てが暗転した。



659: 2015/10/01(木) 23:54:44.71 ID:5rFYbDODO
再現シミュレーターが終わった後は機体データを<サザーランド>に変更し、基本的な機動テストを行った。ロイドと違って非常に丁寧な運行は、テスト一つでも人間性が現れるものなのだとライに思わせた。


一時間ほど<サザーランド>を動かした後、二度目の休憩が告げられた。


「素~晴らしい!」


シミュレーター・マシンから降りると、特徴的な声が出迎えた。白衣を着た白髪の男性が、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。ロイドだった。


今日は留守にしているとの事だったが、帰ってきてしまったらしい。


「うんうん。いいねぇ。こっちは射撃時のやつ? セシル君。これ、この間の狙撃データと照合しておいて」


「ろ、ロイドさん……」


セシルが凄く嫌そうな顔をしている。挨拶する間もなくまくし立てられたライは、困り者の上司と苦労人の部下のやり取りをぼんやりと見ているしかなかった。


「あ、ライ君。いらっしゃい」


「……どうも」


今ごろ挨拶されたライは、マイペースぶりに圧倒されながらも返事をする。セシルはぷりぷりと怒りながらも手早くデータを纏めてシミュレーター室を出て行った。



660: 2015/10/01(木) 23:56:03.64 ID:5rFYbDODO
「ゲットーのシミュレーターをやったみたいだね。出来れば僕がいる時にやって欲しかったんだけど」


「また余計な事をするからと、セシルさんが」


作業の最中、セシルから名前の後ろに階級は付けなくて良いと言われていた。<特派>では爵位や階級は重視されないらしい。


「ふむ。まあいいでしょ。ところでどうだった? <無頼>と<サザーランド>で乗り心地に違いがあったとか」


「最新鋭だけあって、<サザーランド>は良い機体ですね。第四世代で培った技術が反映されているのが分かります」


七年前の日本侵攻戦で初めて実戦投入された第四世代型KMF<グラスゴー>は高い戦果を叩き出した。その後も世界各地で勝利に貢献し続け、KMFという兵器カテゴリを決定的なものにすると同時に、神聖ブリタニア帝国を最強の軍事国家として確立させることになった。


だが、当たり前な事に不満も生まれていた。初期型の<グラスゴー>は排熱システムに問題を抱えており、長時間の稼働ともなるとコックピット内が高温に満たされる。



661: 2015/10/01(木) 23:57:36.22 ID:5rFYbDODO
FCSも完全な手探りだった。五メートル近い人型機械が扱うとなれば、当時使用されていた戦車や航空機のものは流用できず、新規に作り上げるしかなかったのだ。


戦車や装甲車といった既存の兵器に対しては有効でも、同じナイトメアを相手取る場合はどうしても遅れが出てくる。古いソフトウェアは弱点を知り尽くされており、これもエリア11各地の反抗勢力が目立った戦果を挙げられない理由の一つだ。


そういった中で、対KMFを想定して建造された<サザーランド>という機種は高い完成度を誇っていた。


培ったノウハウを無駄にせず、諸外国や反抗勢力が持ち出すであろう第四世代型KMFの対策を徹底的に行っている。高い基本性能を維持したまま、汎用性と量産性を両立をさせていて、生産ラインを整えるのも早かった。


これに専門の教育を受けさせたパイロットを乗せることで、ナイトメアという兵器システムは完成する。質と量。どちらも高次元で持ち得るのが強みであり、真髄なのだ。


神聖ブリタニア帝国という世界最強の大国は、決して力自慢の単細胞ではない。むしろ、そう思って近づいてくる敵を手玉に取る、獅子の如き狡猾さを兼ね備えている。


662: 2015/10/01(木) 23:59:00.87 ID:5rFYbDODO
短所をことごとく潰し、長所をさらに伸ばす。現場で使う人間の意見を取り入れ、反映する。<サザーランド>がブリタニアの騎士から愛される傑作機だというのも納得できる話だ。


以上の点から、ライは<サザーランド>というナイトメアに対して好意的な意見を持っていた。<無頼>も悪い機体ではないが、所詮は<グラスゴー>のコピー。独自性や発展性に欠けている。


「でも満足していないんじゃない? 一般的なナイトメアだと、君の操縦について来れないでしょ」


何か含むところでもあるのか、ロイドの瞳がギラリと光る。だが、ライは至って冷静に答えた。


「それは大きな問題では無いですよ。<サザーランド>の性能を十全に引き出せれば、危機的な状況に陥ることは考え難いと思います」


いつでも、どこでも、誰にでも一定のパフォーマンスを約束するのが兵器であり、特定の個人にしか扱えないような物は前提からして間違っている。それに頼るような戦術もだ。



663: 2015/10/02(金) 00:00:09.70 ID:nnCi0cqDO
しかし、技術検証機が極まった性能を持たせられるのはよくある話なので、ロイドが言っているのはそちらなのだろう。ライの返事には、そういった物に興味は無いという意味も含まれていた。


考えたくない事だが、このロイドという人物は好奇心でナイトメアを用意し、あまつさえ乗せそうなイメージがある。曖昧な返事は危険だと思った。


懸念は当たっていたらしく、ロイドは途端につまらなそうな表情になる。


「おかしいね。君くらいの歳なら唯一性を誇示したがるものだとばかり思っていたけど。英雄願望なんかは無いの?」


「ありませんよ」


やめてくれとばかりにライは後ずさった。記憶が無いくせにそんな恥ずかしい妄想をしている自分の姿は酷く無様だ。考えたくない。


「若い騎士なんかには、そういった考えを持っている人間も多いかもしれないですけど」


騎士の憧れである<ナイトオブラウンズ>には、それぞれに合わせた専用機が与えられる。採算や整備性を度外視した代物だ。専用のナイトメアを操り、戦場を縦横無尽に駆けるというのは確かに華々しい。


「君は違うんだ?」


「普通のナイトメアでも充分に戦えますよ。第五世代機にはそれだけのポテンシャルがあります」



664: 2015/10/02(金) 00:02:12.45 ID:nnCi0cqDO
「ふむ。説得力があるね、君が言うと」


ロイドの言葉はライが第四世代相当の<無頼>で次世代機の<サザーランド>五機を撃破した事を指しているようだった。嫌味に聞こえたかもしれない。


「まあ、今日は良いデータが取れたことだし。検査結果も聞いてるだろうから、あがってもらっていいよ」


白衣を翻し、またお願いね、と言い残してロイドは去っていく。その背中にライは尋ねた。


「スザクはどうしたんですか」


「スザク君? 彼はねぇ、デート中だよ」


「デート……」


スザクがデート。簡単には想像出来ない光景だ。


「そうそう。あ、詮索は厳禁だよ。お相手はさる偉い方だからね」


「はあ……」


あのスザクでさえ恋愛感情を持っているのかと、ライは強い衝撃を受けた。裏切られたような気分だ。朴念仁ズから離反者が出たことに衝撃を受けたということもある。



665: 2015/10/02(金) 00:03:27.41 ID:nnCi0cqDO
スザクはデート。ルルーシュはそこら中で引く手あまた。彼らが青春を謳歌するのは喜ばしいことだが、ここまで人間的な魅力の差を見せつけられると、ライとしてはどうしようもない気分になる。


「あれで彼もまだ十七歳だからね。異性との積極的な交流は心身の成長に大きな影響を与えるし、良い事でしょ」


「そうですね」


「ただ……」


「……?」


「時間は等しく有限。学校とこことの両立で、どうしてもそれは足りなくなる」


「……なるほど」


"代わり"がいれば、スザクもプライベートを大切にすることが出来る。ロイドはそう言っているのだ。


ライが<特派>に加入すれば、努力次第でスザクの負担を減らせるかもしれない。そうすれば意中の相手と逢瀬を重ねられ、生徒会の方にも頻繁に出席することも可能になってくる。


寂しがっていたナナリーも笑ってくれる。それに従い、ルルーシュも笑顔になるだろう。悪くない連鎖反応だ。



666: 2015/10/02(金) 00:04:31.03 ID:nnCi0cqDO
朝に考えていたカレンの事もある。自分が動くだけで様々な問題が解決すると思うと、なんとも不思議な感覚になった。


恩返しにもなり、自立することも出来る。胸を張れる。


<特派>に加入するメリットは計り知れない。もちろん、事はそう簡単に運ばないだろうが、ミレイの許可さえ貰えたらすぐに返事をしても良いくらいだ。


「ロイドさん」


「ん? なーに?」


こちらの聞きたい事など分かっているだろうに。ロイドはいつもの笑顔を向けてきた。


「僕はお役にたてますか」


「テスト・パイロットに必要とされる要素で君の右に出る者はいないでしょ。それは保証するよ」


「……そうですか」


ロイドが言うなら間違いないのだろう。得体の知れない力だが、磨けば光る。それは悪くない事のように思えた。


「ありがとうございました。失礼します」


「ん。またよろしくね」


頭を下げる。無意識に握っていた右手を解いて、ライは<特派>を後にした。


道を決める時が近づいている。


(ミレイさん、まだかな……)


夜空に浮かぶ月はだんだんと満ちていく。それを見上げ、ライは待ち人を想った。



667: 2015/10/02(金) 00:10:19.29 ID:nnCi0cqDO
今回はこんなところで。


漫画の方ではノネットさんがランスロット・クラブに乗っているみたいですね。この調子でロスカラが勢いを増してくれたら嬉しいです。増せや。


では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。



669: 2015/10/02(金) 00:20:25.16 ID:yX6LDoxd0
初めてリアルタイムで読んだよ、乙。
オズは最初の方しか読んでないけど、ノネットさんが銀髪の男を探してるって描写があるらしいね。
オズはギアスの正史扱い?らしいから、ライが何らかの公式の形で登場する可能性があるのかな。

670: 2015/10/02(金) 00:25:53.64 ID:dIeioEtyO

引用: コードギアス 【ロスカラ】