【ロスカラ】コードギアス 【中編】
675: 2015/10/06(火) 20:17:38.35 ID:h2uoLNaDO
「例の男……ですが、見ての通りナイトメアを器用に扱えます」


『ふむ……』


暗い室内に声が響く。まだ若い少女のものだったが、その声に年相応のあどけなさは感じられない。硬質で、無機質。しかしながら、やむを得ず誰かの秘密をさらす時のような、仄暗い後ろめたさを漂わせている。


室内は広く、テーブルを中心に三つのソファーが並べられていた。天井から吊り下げられたスクリーンには、ナイトメアのものと思われる戦闘の映像が投影されていた。


「……これが、シンジュクでの一幕か」


「凄い……んだろうが、良く分からないな」


室内には数人の男女がいた。数は八人。一人を除き、いずれも黒い制服を身に付け、額には赤いバンダナを巻いている。少女もまた、同様の服装だった。


彼らの風貌は<黒の騎士団>構成員の特徴と一致していた。


「で、これを俺たちに見せてどうしたいんだ?」


一人の男が言った。大柄で、頭髪はリーゼントのように整えている。扇という男だ。剣呑な空気が支配する室内において、場違いなほど穏やかな声だった。

コードギアス 反逆のルルーシュ LOST COLORS

676: 2015/10/06(火) 20:23:33.18 ID:h2uoLNaDO
「まさか、その彼を仲間に加えたい……とか言うわけじゃないわよね?」


今度は女の声だった。長い黒髪が特徴の、井上という女性だ。理知的な瞳が『冗談でしょ?』と言いたげに少女を見ている。


「それは……」


「俺は反対だね!」


少女の声を遮り、別の男が言った。短髪に無精髭。粗野な光を放つ瞳は野良犬のようだった。


まだ情報は出揃っておらず、誰も意見を求めていないのに独りでに熱くなり、席を立つ。これだけの行動が、この玉城という人物の性格を表していた。


「静かにして。まだプレゼンの最中なんだから」


井上に言われ、他のメンバーからも無言の圧力をかけられた玉城が渋々着席する。へっと鼻を鳴らすのも忘れない。


「事件の際、私は彼が操縦する<無頼>に同乗しており、その技量を間近で確認しました」


今まで流されていた映像はその時のものだ。


神聖ブリタニア帝国が誇る最新鋭のKMF<サザーランド>を五機、瞬く間に撃破した技量。


677: 2015/10/06(火) 20:26:20.73 ID:h2uoLNaDO
「今の我々には、必要な力だと思います」


少女の瞳も、声も、ただ一人に向けられていた。扇でもなければ井上でもない。ましてや玉城でもなかった。


ソファーではなく、個人用の椅子に腰掛けた人物。黒い仮面に黒衣を纏った、彼らの指導者。


<黒の騎士団>の総帥"ゼロ"だ。


『……彼は確か、記憶喪失だそうだな。突然ナイトメアを動かしたのか』


感情はおろか、性別すら隠す機械音声。しかしゼロが話せば、部屋の誰もが口を閉ざして意識を彼のみに向ける。上下関係ではなく、主従関係。この組織におけるそれを端的に表していた。


「はい。頭部を損傷した<無頼>で、いまご覧頂いた通りの戦果を挙げました」


『だとすれば、感嘆すべき力だ。必要だという君の意見も理解できるな、カレン』


「なら……!」


自分の意見が尊敬する人物に認められ、少女──カレン・シュタットフェルトの表情が明るくなる。彼女は今、自身が三週間ほど行動を共にした少年について、組織の仲間達に──心酔している指導者に話していた。


シンジュクゲットーでの事件の折、使用した<無頼>より抜き取ったデータチップ。その中に保存されていた記録映像から、あの時にライが何をしたのか分かる。


仲間達は一様に感嘆していた。なにより"彼"がゼロに認められた事が嬉しかった。


『しかし、出所も思想も判然としない者を無闇に引き入れるわけにはいかない。騎士団はもちろん、学園での君の立場に影響してくるのだから』



678: 2015/10/06(火) 20:28:09.35 ID:h2uoLNaDO
「それは……そうですが」


『ただ強い、というだけでは認可出来ない。強大な力というのは理由があるものだ。得るためには代償が必要な場合もある……』


少女は以前からゼロに"彼"の話をしていた。自身が所属する<黒の騎士団>での活動にも差し障る事だったし、シンジュクゲットーでの一件の事もある。


『最終的な判断は私が下すが、他の者の意見も聞きたい。何かあるか』


騎士団の活動方針はゼロが決定することが常だ。しかし人事ともなれば話は変わってくる。人と人が関わる以上、最高位の立場では見えない事象も多いからだ。


「俺は反対だぜ! わけの分かんねぇ奴に背中を預けられるかよ!」


「確かにな。正義の味方なんて言われているが、俺たちはあくまでも反抗組織だ。信用出来ない者を闇雲に引き込む事はしたくない」


玉城と扇は反対のようだ。無理もない。


<黒の騎士団>がいくら破竹の快進撃を続けていると言っても、相手は超大国ブリタニアだ。誰か一人の軽率な行動が、組織を壊滅に追い込む事も考えられる。


「だけど、これくらい強い奴がいてくれたらありがたいだろ」


「ああ。見た通りなら、ナイトメア関連の知識も持っているみたいだし、人手不足を補えるかもしれない」


好意的な意見を述べたのは杉山と南だった。



679: 2015/10/06(火) 20:32:24.12 ID:h2uoLNaDO
頭部という戦闘における最重要箇所を損傷した状態で、敵機を五体も破壊したのだ。


それも、整備不良の<無頼>で万全の<サザーランド>を倒している。


ナイトメアについての知識を欠片程度でも持っていたら、その技量の凄まじさを否応なしに理解させられる。慢性的な人手不足に喘ぐ<黒の騎士団>としては、喉から手が出るほど欲しい人材だった。


「そうだな。本当に味方になってくれるなら頼もしいんだが……。その彼はどうなんだ?」


扇が言った。ここにいる人間がどう言おうが、結局はライ自身の意見が必要になる。入る意思の無い人間を無理やり入れても意味は無い。


「三週間、行動を共にした限りでは、日本や日本人に対する偏見は確認出来ません」


「でも、ブリタニアへの敵愾心も無いんでしょ? 要は、どっちつかず……」


「私が頼めば……」


「入ってくれるの?」


井上に言われ、カレンは俯いた。


「話を聞いた限りじゃ、上手く出来過ぎてるってのが私の感想」


井上の意見は辛辣で、現実的だった。


「あんたが通っている学校に突然現れて、生徒会の会長……だっけ? の気まぐれで世話係になって、たまたまシンジュクでの事件に巻き込まれて、なぜか彼はとんでもないナイトメアの操縦技術を持ってる。日本人への偏見も無い。頼めば仲間になってくれるかもしれない……こんな都合の良い事ってある?」



680: 2015/10/06(火) 20:34:56.60 ID:h2uoLNaDO
「…………」


「私はね、カレン。こういう人生を送ってきたから、不運は信じても幸運は信じない事にしてるの」


カレンは反論出来なかった。


指摘された通りだ。彼が現れたのはまったくの偶然で、世話係になったのも同じく偶然。


シンジュクゲットーでテロに巻き込まれたのも偶然。ライが卓越した操縦技術を持っていたのも、偶然。そして、その彼は記憶喪失のために主体性がなく、カレンが頼めば<黒の騎士団>に加入してくれるかもしれない存在だ。


あまりにも都合が良い。客観的な立場の人間からすれば、不気味に思えるのも当然だろう。


実際、逆の立場ならカレンも同じ意見を持っていたに違いない。


『ライ……といったか。彼は今、ブリタニア軍からもアプローチを受けているんだろう?』


「……はい」


カレンが突然ライを推薦しようとした理由はそれだった。彼がブリタニア軍に入ってしまえば、今の関係は終わりとなってしまう。



681: 2015/10/06(火) 20:47:12.66 ID:h2uoLNaDO
「こんな奴が敵に回るかもしれないってか。それは考えたくないな」


だからこそ、カレンは映像を<黒の騎士団>の幹部達に見せた。あの力が敵として現れるとなれば、それに危機感を抱く者も出てくると考えたからだ。


しかしそれが逆に推薦の妨げにもなっていた。ブリタニア軍と関わりのある人物に接触することは危険極まりない。


「やはり、彼本人の意思が無ければ厳しいな」


「そうね。……別に付き合ってるわけでもないんでしょ」


扇の意見に賛同した井上が、カレンに尋ねてくる。


「そ、そうですけど……」


「いっそ誘惑しちゃえば? 『私を守って』とか言って」


「嫌ですよ。馬鹿らしい」


カレンがはねのけると、井上はあっさり引き下がり、


「じゃあ駄目ね。望み薄だし」


そう結論づけた。こちらの性格を利用した誘導尋問だったことに、カレンはようやく気づく。仮に誘惑を仕掛けたとしても、あの男には効かないだろう。陥落するどころか心配されるのがオチだ。


『だが、貴重な人材であることも確かだ。私の方でも彼について調査しておこう。カレン、君も引き続き注視していてくれ』



682: 2015/10/06(火) 20:49:01.89 ID:h2uoLNaDO
そう言い残し、ゼロが部屋から出て行く。幹部達も玉城を筆頭に次々と退室して行き、残ったのはカレンと扇、井上の三人のみとなる。


「あー。まあ、気を落とすな。まだ時間はあるさ」


扇が取りなすように言ってくる。苦労人の彼らしい意見だ。彼らしい保守的な意見でもあるが。


(時間なんて……)


ミレイが帰ってくれば、ライはすぐにでもブリタニア軍に入ってしまうだろう。タイムリミットはそこまでだ。幾ばくの猶予も無い。


それまでの間にゼロを始めとする幹部達を説得し、そしてライを引き入れなければならない。難しい。ひどく難しい。絶望的な状況だ。


救いがあるとすれば、ゼロがライに対してやけに好意的だったことくらいだろうか。素性の知れない記憶喪失の男など、どのような理由があれレジスタンスの長は避けるのが当たり前だ。普通なら提案自体が通らなかった可能性もある。


「でも、驚いたわ。急に例の彼を引き入れたいだなんて」


「……すいません」


カレンが学園で記憶喪失の少年の世話をしている事は以前から騎士団の仲間に話していた。周囲からは道楽の類いだと思われていたのも知っている。


実際、今まではそうだった。


683: 2015/10/06(火) 20:51:49.61 ID:h2uoLNaDO
カレンがライと接していた理由はなんでもない、ただの思いつきや他愛のない気まぐれだった。


病弱でおしとやかなご令嬢などという、本来の性格とは一八〇度違うキャラクターを演じる息苦しい学園生活の中で、同じく生き辛そうにしているあの少年に同情したからだ。そこに他意は無い。


善意や好意すらもありはしないと思っていた。あくまでも、レジスタンス活動の合間の、ほんの息抜きだった。


ただ、思いのほか彼の近くが心地良かったのだ。


あのぼんやりとした少年が相手なら警戒する必要は無かったし、実際に何度も正体が露見しそうになった時も彼が気にした様子は無かった。


そんな彼をシンジュクゲットーに連れて行った理由は、未だに判然としない。思いつきだったのかもしれない。何かが変わると思ったのもある。


実際に現状は激変しつつあった。カレンの望まぬ方向に、だが。


ライがブリタニア軍に加入する。敵対勢力に。戦わなくてならない相手に、殺さなくてはならない敵になってしまう。


それは───無理だ。


考えたくない。そしてきっと、耐えられない。



684: 2015/10/06(火) 20:56:49.80 ID:h2uoLNaDO
「謝らなくていいわよ。せっかく租界の中で仲良くなったんでしょ。戦いたくないって気持ちも分かるし」


「同年代の友達……だもんな」


「…………」


周囲の人間に迷惑をかけているのは分かっている。何の準備もなく、入る意思の無い同級生を引き入れたいなどと。


<黒の騎士団>は学校の部活動ではない。遊び半分でやっていると思われれば、カレンの今後の立場にも関わってくる。


ライにしてもそうだ。入れば社会的地位を約束されるブリタニア軍と、逆に地位を捨てなければならなくなる<黒の騎士団>。メリットなど比較するまでもない。


わがままを言ったところで、悪あがきをしたところで、得をする人間などいないのだ。


「だが、ブリタニアの軍人になったところで、戦場に出てくると決まるわけじゃないだろう? 騎士じゃなければ、ナイトメアにも乗れないんだ」


「そういう事を言ってるんじゃないでしょ。立場の話よ、立場の」


扇が井上に咎められているのを聞き流しながら、明かりの見えない思考に耽っていると、声を掛けられた。井上からだった。


685: 2015/10/06(火) 21:00:25.35 ID:h2uoLNaDO
「あんまりこういう事は言いたくないんだけど……しといた方がいいと思うわよ」


「何をですか?」


「覚悟。どっちに転がっても、きっと簡単にはいかないから」


真面目な声音で告げてから、井上は視線を逸らしたカレンの肩を叩いて去っていった。





朝の生徒会室。ライが扉を開けると、先客がいた。赤い髪の少女が、静かに本を読んでいる。


カレンだ。昨日に続き、今日も早い時間に登校していたらしい。妙だと思ったが、それを言葉にはしなかった。いつも通りに挨拶を交わし、書類仕事を始める。


「…………」


断続的な視線。部屋には二人しかいない。読書をしているはずの相手が、こちらをちらちらと見やっているのだ。


「…………」


「……どうした」


ページをめくる音も無い。カレンの傍らには、既に片付けられた書類がある。ライが現れるかなり前から、この部屋にいたという事だ。



686: 2015/10/06(火) 21:01:40.11 ID:h2uoLNaDO
「え……。なにが?」


やはり様子が変だ。この時間に登校し、既に仕事を終えている。それだけなら単なる気まぐれで済むかもしれないが、昨日の変貌ぶりと合わせて考えると、おかしな部分も目立ってくる。


「疲れている……ように見える。寝ていないんじゃないのか」


「そうかしら?」


「普段と比べて覇気がない」


「平気よ」


「否定はしないんだな」


「…………」


カレンはむっつりと押し黙ってしまった。実際、まともに眠っていないのだろう。目が僅かに充血しているし、髪の毛にも艶がない。


なにか悩みでもあるのだろうか。


(……訊いてみるか)


そう思い、ライが口を開きかけた時、カレンが先回りするように言った。



687: 2015/10/06(火) 21:02:53.89 ID:h2uoLNaDO
「少し考えてみたんだけど」


「ん……なんだ」


出鼻を挫かれ、とりあえず先を促す。目論見通りにはいかなかったものの、彼女の悩みに関係あることが知れるかもしれない。


「あなた、ナイトメアを動かしたでしょう? それも、あれだけ巧みに」


「ああ」


「動かしたのは<無頼>。日本の手が入った機体よね? あなたはもしかしたら、どこかの反抗組織にいたのかもしれない……って」


「それは……どうだろう」


ライは言葉を濁した。


カレンの言う通り、<無頼>は日本製と呼ばれる事もある機体だ。しかし、実態は第四世代型KMF<グラスゴー>をコピーしただけのナイトメアであり、色合いや腕部のナックルガードといった差違はあるものの、大元はほとんど変わらない。


それはOSなども同様で──元々、七年前から今の日本勢力にナイトメアの制御システムなど作れるはずがない──要は<無頼>と<グラスゴー>にこれといった違いはないのだ。


つまり、<無頼>を動かせるからといって、日本側の人間だという理由にはなりえない。



688: 2015/10/06(火) 21:04:18.62 ID:h2uoLNaDO
否定するのは簡単だったが、ライはカレンの意図を知るために明言は避けた。


「ゲットーを懐かしいと言っていたでしょ? それとなにか関係があるんじゃないかと思ったんだけど……」


「……ああ。そう、だな」


確かに、ゲットーの廃墟に囲まれた時、ライは強い既視感に襲われた。それと合わせると、カレンの見解にも納得がいく。


日本。日本人。


「あなたは<無頼>に乗った時、何か思い出さなかったの?」


カレンの声にはいつになく切迫感があった。あの時の話を、学園の中心たる生徒会室でするくらいなのだから相当だ。


周囲に人の気配が無いことを確認しつつ、ライは記憶を辿る。

「……違和感はあった」


「違和感? どんな?」


「ナイトメアの動かし方は知っていた。でも、乗り慣れていなかった……というか」


「……あれだけ動かせたのに?」



689: 2015/10/06(火) 21:07:07.59 ID:h2uoLNaDO
「機体制動時に発生するGを制御しきれなかった。あれは僕が実機に慣れていなかったためだと思う」


戦闘中、何度かカレンの体が浮き上がる事があった。あれはライがナイトメアを扱いきれていなかった証だ。頭の中では彼女の安全を確保していたのに、現実はそうならなかった。


ナイトメアの扱いについて、知識と慣れに乱れがある。


手足のように動かせても、ライ自身の体が慣性や遠心力に戸惑っているような、そんな違和感。ロイドには正直に報告したし、彼は一目で見抜いていた。


「逆に、ブリタニアの騎士だった可能性もある」


<無頼>を動かせたのだから日本側の人間である可能性が高い、とカレンは言った。しかしそれは違う。


<グラスゴー>やそれを基にした<無頼>といった第四世代型と、<サザーランド>のような第五世代型では、操縦系にほとんど違いがない。


<無頼>を動かせれば<サザーランド>も動かせる。機種転換訓練の必要性が薄いのも第五世代の長所だ。


実際、"シンジュク事変"ではテ口リストが現地で強奪した<サザーランド>をそのまま使用している。



690: 2015/10/06(火) 21:09:12.44 ID:h2uoLNaDO
「どうかしら。あなたはブリタニア軍を撃破することにためらいが無いように見えたけど」


「…………」


それを言うならば、ライは日本側の勢力であるテ口リスト連中も躊躇いなく囮に使っていたのだが、カレンはそういった部分を考慮していないようだ。


どうも、最近の彼女は都合の悪い事から目を逸らすような言動が散見される。


それがどこか、危険な気がした。


「君は僕が日本側の反政府組織にいたと考えているのか」


「え……」


「だとしたら、この学園にいるには余りに危険な人間だな」


カレンの言う通り、自分が反ブリタニア勢力だったら、とライは考える。もしそうであるならば、ここから姿を消さなくてはならない。


ルルーシュやスザク、ナナリーからは制止され、怒られたが、これ以上問題が積み重なればいよいよ歯止めが効かなくなる。なんの恩も返せぬまま、ただ迷惑だけをかけて学園を去るのだ。


情けなさすぎる。


691: 2015/10/06(火) 21:11:06.03 ID:h2uoLNaDO
「可能性の話よ」


カレンは笑って言ったが、その笑みは無理をして作っているように見えた。


「…………」


「…………」


それきり二人とも黙り込む。ライは元から無口だし、カレンも口数が多い方ではない。二人でいる時は沈黙も珍しくはなかったが、どうしてか今はことさら息苦しかった。


だんだんと関係が崩壊していくのが分かる。あのゲットーでの一件から、加速度的に終わりが近づいて来ている。


どうするべきなのか。ライとカレン。記憶喪失の身元不明者と、その世話係。主導権はいつだって彼女の方にあった。


どこへ行くにも、何をするにも、ライはカレンに手を引かれていた。その背中を追っていた。自分で何かを決めた事などあっただろうか。


何も言わず、ただ付いていく。


それで良いと思っていたのだ。だが、今はもう上手くいかなくなりつつある。


692: 2015/10/06(火) 21:13:01.56 ID:h2uoLNaDO
その結果としてカレンが苦しんでいるのなら、責任はやはり、ライに帰結するのだろう。


いい加減、彼女を解放するべきだ。


ただ迷惑ばかりかける今の関係が健全なはずがない。このまま行けば遠くない未来、カレンとの間に決定的な破滅が待っている気がしてならなかった。


(だが……)


どうすればいいのだろう?


カレンが強いストレスを抱えていることは分かる。それがライ自身と、彼女自身のプライベートに関係していることも、理解できる。分からないのはその先だ。


先に進むには、カレンのプライベートに足を踏み入れる必要がある。彼女はそれを許さないだろう。


学園にいる、おそらく全ての人間に秘匿している事だ。出会ってたかだか一カ月程度の男に打ち明けるとは思えない。ましてや、その男は記憶を失っており、敵か味方かも判然としないのだ。


では、どうしたらいいのだろう?


ライには難しすぎる問題だった。この一カ月足らずの間、人間関係において消極的だったツケが回ってきている。



693: 2015/10/06(火) 21:14:24.38 ID:h2uoLNaDO
自分の手には負えない。そうライは思った。


周囲の人間に甘えてきたばかりに、いざ問題に直面すると何も出来なくなる。


その相手のカレンが、今まで最も世話になってきた者の一人であるというのが、なんとも皮肉な話だ。


「君は……僕がブリタニア軍に入ることが嫌なのか?」


直接的な物言いしか、ライには許されていなかった。他に手札などなく、従って切れるカードもない。


出来るだけ真摯に、欠片の嘘も含ませず、そして何より慎重に。


そうする事しか出来ない。


カレンは目を合わせてくれなかった。空色の瞳は、進むことのないページだけを見つめている。


「あなたも見たでしょう? あのゲットーで、ブリタニア軍が何をしたか。ただそこにいたというだけで、大勢の日本人が殺された」


「……そうだな」


真新しい断末魔が耳に蘇る。舞い散る血飛沫に、潰れた肉の破片。家族だったものの傍らで、その名を叫ぶ子供達。



694: 2015/10/06(火) 21:15:51.99 ID:h2uoLNaDO
あれを作り出したのは他でもない。ブリタニア軍の兵士だ。カレンが嫌悪感を抱くのも分かる。敵意を向けるのも分かる。


「ブリタニア軍が悪辣だというのは分かる。なら、反政府組織に入ればいいのか。違うだろう」


ブリタニアが間違っているからといって、あの騒動を巻き起こしたテ口リストが正しくなるわけがない。


<黒の騎士団>の名をかたった挙げ句に、住民達を盾にする事を前提にした作戦を強行。結果としてその行為に意味はなく、まとめてブリタニア軍に殲滅されてしまった。


氏者は一五〇人にも及び、今ではニュースでとりわけ大きく扱われる話題だ。


氏んだ兵士やゲットー住民の事より、事態を収拾した<黒の騎士団>の華々しい活躍が前面に押し出されている。なんとも偏向した報道である。


「それは……そうね。ブリタニア軍とテ口リスト。どちらも間違っていた。でも、正義を為した者もいたでしょう?」


「<黒の騎士団>か」


カレンは頷いた。


「住民達を逃がし、ブリタニア軍を蹴散らした。あなたも間近で見たから分かるはずよ」



695: 2015/10/06(火) 21:17:17.12 ID:h2uoLNaDO
「…………」


反論できない。ブリタニア軍とテ口リストとの戦闘は終わりつつあったが、あの後に予定されていた殲滅戦という名の虐殺を食い止めたのは紛れもない<黒の騎士団>だ。


彼らが来なければライとカレンは氏んでいた可能性もある。


無関係な住民を逃がし、虐殺をおこなったブリタニア軍に鉄槌を下したのだ。確かにそれは、正義と呼ばれる行為かもしれない。


「……スザクがいるからブリタニア軍に入るの?」


「そういうわけではないけど。新しい環境だ、知り合いがいるのはそれだけで心強い。だが……」


「……?」


「居場所が欲しいんだ。ずっと前からそう思っていた」


「居場所って……。学園じゃ駄目なの?」


ライは頷く。


「ここはとても居心地が良い。皆が良くしてくれる。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる人もいるしな。感謝してもしきれない」


「え。あ……そう」


カレンの方を見ると、彼女は頬を赤くしていた。



696: 2015/10/06(火) 21:19:18.18 ID:h2uoLNaDO
「でも、それだけじゃ駄目だ。結局、僕は誰かの善意が無くては生きていられない存在で……とても弱々しい。そんな今の状態が、どうしても嫌だ」


ライは手元の書類を見た。こんな物をどれだけ片付けたところで、恩返しになどなりはしない。どうすれば恩を返せるのか。金銭を用意すれば解決するような簡単な話でもなかった。


「君たちは正式な手順を踏んでこの学園にいる。でも僕は違う。いてもいなくても変わらない」


本当はいる筈の無い人間。だからこその疎外感であり、異物感であるそれらが付きまとうのは当然だった。


「そんなことないでしょ」


カレンは否定してくれたが、ライに自分の考えを曲げるつもりはなかった。


「スザクのいる職場では、僕の知識が生かせる。必要とされるのは、ただそれだけでありがたい」


「そうなの……?」


「どこでもいい。居ていい意味が欲しいんだ」


<特派>からの誘いは、一本の釣り針に等しい。今の状況から脱却できるのなら、考えなしに釣り針を飲み込んでも良いとさえ思える。


釣り上げられた先に何があったとしても良い。釣り上げた相手が誰であっても良い。


697: 2015/10/06(火) 21:37:30.16 ID:h2uoLNaDO
今回はこの辺で。

ロスカラを知らない人が目を通してくれているのは非常に嬉しいです。こんなSSでも原作の知名度に貢献できたらと思います。

では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。

703: 2015/10/11(日) 23:29:26.66 ID:LTu7tWvDO
「周囲の人間が善良であればあるほど、今の立場は辛い。だから、変化を求めているんだろうな」


この一カ月近く、ライはまともに行動してこなかった。ミレイから勧められていた部活動の話もそのままだったし、他生徒との交流にも進展は無し。記憶探しはしていたが、それを理由にして逃げていた節もある。


結局のところ、この学園にまったく適応できていないのだ。


「そうよね。わかる気がする。明るい場所が、必ずしも居心地の良い場所ってわけじゃないもの」


同意するカレンの声には様々な感情が含まれていた。苦悩や後悔、羨望と諦念。ライにはそれらを把握することは出来なかったが、それでも強い共感を抱いた。


その共感が、ライの中から言葉を引き出した。


「さっき言っていただろう。戦っている時、僕がリラックスしていたって」


「う、うん」


「実はそうなんだ」



704: 2015/10/11(日) 23:31:00.05 ID:LTu7tWvDO
カレンと共にゲットーでテロに巻き込まれた時のことを思い出す。自分達がいる場所が、どんどんと戦場に塗り替えられていく中、ライは恐怖でも混乱でもなく、強い充足感を覚えていた。


周りで人が氏んでいてもショックは無かった。空を叩くような砲声の音で安心していた。そこら中で爆発が起き、粉塵が舞い上がる最中が、生きているということを実感させてくれた。


なにより───


「この生徒会室より、あの戦場の方がずっと……ずっと居心地が良かった。最初からここにいたのかと思うくらいに」


笑顔や歓声に満たされた楽園より、暴力と断末魔が支配する地獄の方が良かった。鉄火が舞い、殺意が渦巻く環境こそ、自分がいるべき所だと思った。


<特派>のシミューレーターに物足りなさを感じるのは当然だ。


「危険な人間なんだ。だからルルーシュとスザクに頼んで、ここから去ろうとした。ミレイさんや学園に迷惑がかかるなんてのは、ただの建て前だ」


本当はただ逃げ出したかっただけだ。この学園はあまりにも綺麗過ぎて、自分がどれだけ汚れた人間なのかを常に突きつけられているように感じる。


それが耐えられなかった。<特派>に入る理由の一つは、間違いなく学園からの逃避なのだ。


705: 2015/10/11(日) 23:32:58.06 ID:LTu7tWvDO
惨めだ。情けなくて、どこまでも無様。戦場で容易く敵を蹴散らす事が出来ても、内面はこんなちっぽけなものでしかない。


それを正直に話したのはカレンに、自分という人間を正確に捉えて欲しかったからだ。上手く伝えられた自信は無いが。


「僕はどうしたらいいんだろうな」


おまけにこれだ。分からないから、不安だから誰かに意見を求めようとする。


「……あなたはどうしたいの?」


「それが分からないんだ。だから困っている」


「…………」


自分でもどう言っていいか分からず、ライは取り繕うように作業を再開した。整理もしていない内心を打ち明けたのは間違いだったのかもしれない。


「…………」


カレンは黙り込み、ようやく本のページをめくった。





昼休み。カレンに連れられ、食堂にやってきたライは疲労困憊といった様子で辺りを見回す。


「混んでるわね」


隣の少女はあっけらかんと言うが、ライは強い危機感にさらされていた。食堂にごった返す人々。その視線の多くが、自分達に注がれているからだ。



706: 2015/10/11(日) 23:59:31.94 ID:LTu7tWvDO
生徒会室で話して以降、今日のカレンはやたらとライに話しかけてきた。『朝食は食べたか』だの『昨日の夕食は何を食べたか』だの『ジャンクフードばかり食べるな』だの、しつこいくらいだ。


そしてなぜか、ほとんどが食べ物関連だった。


そういった話題自体は珍しくない。世話係主任という役割上、ライの健康管理なども職務に含まれるらしく、カレンから日頃の食生活について指摘される事は確かにあった。


問題はその頻度と、なにより場所だ。


普段なら教室での会話は極力避けるくせに、今日はやたらと積極的だった。当然、周囲の生徒は不審がり、彼女の親衛隊はその殺意をさらに強固なものとした。


それだけではない。


授業中も朝からあった断続的な視線はやまず、むしろ多くなった。授業が終われば近づいてきて、あれこれと尋ねてくる。それを阻もうとする者が現れれば、いつになく強気な口調で『ごめんなさい。後にしてくれるかしら』と告げてはねのける。


親衛隊連中はカレン本人を止められないと悟るやいなや、その殺意をライに集中させ、物理的に排除する隙を窺う始末。


午前中いっぱい、他者からの視線を一身に受け続けたライは、既に体力の限界に来ていた。



707: 2015/10/12(月) 00:00:34.48 ID:+/5T+82DO
そして、今に至る。


視線の数は減るどころか、さらに増えていた。そろそろ質量を持ちそうなくらいだ。教室と食堂では収容人数の桁が違うのだから当たり前だが、ライにとっては致命的以外のなにものでもなかった。


「どうしたの?」


「いや……」


カレンの目線を避けるようにライは顔を逸らした。なぜだか、今日の彼女は周囲の視線を全くといっていいほど気にしない。


いつもなら過剰なくらい気にかけるはずなのに──


「体調が悪いの?」


「違う。すこぶる良好だ。ただ、周囲の視線がどうもな……」


「視線? 普通だと思うけど」

こんな調子だった。明らかにおかしい。そして心なしか、距離も近かった。


(なにが目的なんだ……?)


カレンの豹変にライは戦慄していた。友好的なカレンほど恐ろしいものは無い。この後に続く悲劇の前兆なのではないかと身構える。とても失礼な思考だった。



708: 2015/10/12(月) 00:02:53.19 ID:+/5T+82DO
「じゃあ、私が持ってくるから。あなたはおとなしく待っててね」


静かだが、有無を言わせぬ口調。ライには頷くことしか許されていなかった。すごすごと着席し、なんとなく窓の外を眺める。まるで主人の帰りを待つペットのような気分だ。


なんだろうか。とても情けない。


一番混み合う昼休みの開始直後を避けたというのに、周囲の人間は一向に少なくならない。しかも、これだけの数が集まっているにもかかわらず、やけに静かだ。皆が皆、息を頃しているようで、ひどく居心地が悪い。


普段なら食堂はもっと賑やかだ。果てしなく騒がしい。どうせするなら静かな場所で食事を楽しみたいライとしては、理想的な環境とは言えない場所なのだ。いつもの食堂は。


だが、今日はいつにも増して状況が悪い。最悪と言ってもいい。当然、食欲など湧くはずもなく───


キリキリと痛み始めた腹をさすっていると、肩を指で叩かれた。シャーリーが怪訝そうな顔で立っている。


「どしたの?」


「……なにがだ」


彼女が疑問がなんなのか、ライには分かっていたが、あえて分からぬ振りをした。


709: 2015/10/12(月) 00:04:08.44 ID:+/5T+82DO
「今日のカレン、ちょっと変じゃない?」


この話題の事だと思ったからだ。


「そうだな。だいぶ変だな」


「今度はなにしたの?」


「……あのな」


理由など分かるはずがない。


むしろ知りたいくらいだった。カレンの様子がおかしい理由も、その原因がライにあると最初から決めつけている理由も知りたくて仕方がない。


「昨日と一昨日は怒ってて口も利かなかったのに、今日はべったりだし。ああいうの、カレンのキャラじゃないでしょ? しかも相手がキミとなると……」


「…………」


「やっぱり、なにかしたんでしょ。仲直りの仕方に問題があったとか」


「彼女が怒っていた理由は未だに分からないし、解決も恐らくしていない。それに……」


ライは周囲の様子を確認してから、シャーリーの耳元に顔を寄せた。他人に聞かれるとまずい。カレンに聞かれるともっとまずい。


「……機嫌が良いように見えるか、あれが」


710: 2015/10/12(月) 00:05:21.89 ID:+/5T+82DO
「……うーん。確かに」


シャーリーは困ったように唸ってから、列に並んでいるカレンの方を見た。


「そうだよね。どっちかって言うと、切羽詰まってるって感じだもんね。周りが見えていないような……」


「助けてくれ」


懇願だった。


「ええー……。無理だよ。なんか怖いし、二人の問題だし」


シャーリーからは休み時間にも話しかけられていた。だが、カレンからの静かな視線に怯えた彼女は、逃げるように去ってしまったのだ。


「それにほら。これはカレンの愛なんだから、ちゃんと受け止めてあげないと」


「シャーリー……!」


珍しく声を荒げる。不用意な発言は控えて欲しかった。『カレンの愛』。その単語だけで周囲からの圧力がさらに強まった。このままだとライは深海に沈んだ船のように、ぺしゃんこになってしまう。


「僕の命に関わるんだぞ」



711: 2015/10/12(月) 00:07:32.84 ID:+/5T+82DO
「本望でしょ」


「理由くらいは知らないと、氏にきれないだろう」


流石のライでも、自身が氏ぬ理由くらいは知りたかった。刺殺や銃殺、撲殺といった氏因ではなく、その動機を。


「だいたい、あれが恋愛感情から来るものじゃないことくらい、僕にだって分かる」


「んー。そうね」


「意中の相手に向ける視線というのは……あれだろう。君がルルーシュに向けているような、ああいう感じのものだ」


「なるほどね。キミもなかなか……うぇ!?」


突然、シャーリーが奇声を発した。彼女は口をぱくぱくさせてから、顔を真っ赤に染める。分かりやすく、鮮やかな変化だった。


「な、なに言ってんの!?」


「事実を言った。……話を戻すが、君の言った通りカレンのあれはなんというか……」


真っ赤なシャーリーから睨まれつつ、ライは思考を重ねた。カレンの視線には恋愛やら何やらに含まれるだろう柔らかく初々しいものはなく、変わりにもっと硬質で歪なものが混ざっているように感じた。


シャーリーの視線が穏やかで暖かい春風だとしたら、カレンのは硬質で荒々しい砂嵐に似ている。


そしてこの息苦しさ。


まるで、監視されているようだった。


712: 2015/10/12(月) 00:09:37.72 ID:+/5T+82DO
四六時中、監視されるとは。まるで囚人の気分だ。このままではまずい。

いま学園にいる人間でなんとか出来る者がいるとしたら、それはシャーリー以外にいない。


気弱なニーナを危険な目にあわせるわけにはいかない。リヴァルは面白がっている。ルルーシュは高みの見物を決め込んでいる。


スザクは昼前に現れたが、まだこの状況に気づいていない。これから気づくことも恐らく無いだろう。


一番の適任者はミレイだが、彼女は不在だ。近日中に帰ってくるそうだが、その頃にはきっとストレスによる内臓の機能不全か、シンプルに他殺か──いずれにせよ、ライは氏んでいる。


「君は以前からカレンとの接触を望んでいたじゃないか。チャンスだぞ。助けてくれ」


言葉の通り、シャーリーは前からカレンと仲良くしたいと言っていた。出会ってすぐに親しくなったライが羨ましいとも。


同じ学年で同じクラス。加えて同じ生徒会メンバーだ。親密になりたいというシャーリーの意見も理解できる。


しかしながら、活発なシャーリーと大人しいカレンでは、クラス内でも所属しているグループが違う。カレンが人付き合いに消極的なのもあって、なかなか距離を縮められない。


ライとの関係の事をシャーリーがからかいたがるのは好奇心もあるのだろうが、実際はカレンとの話題を欲しがっているだけのようにも見える。


713: 2015/10/12(月) 00:10:59.25 ID:+/5T+82DO
助けてほしいというのはライの本心であり、切実な望みだが、シャーリーの背中を押したい気持ちも確かにあった。


カレンに必要なのは記憶喪失の不審者ではなく、心を開ける友人だ。それは間違いない。問題があるとすれば、二人が好意を寄せている相手が同じだということくらいだ。


それはルルーシュの甲斐性に期待するしかない。


「そ、それはそうだけど……」


シャーリーは照れた様子でなんとなしにカレンの方を見て──ピシリと固まった。ライもその視線を辿り、同じく硬直する。


凝視されていた。


赤い髪の看守が、こちらを見ている。


彼女はまばたき一つせず、その感情の無い瞳で二人を捉えて離さない。隣からシャーリーの『ひゃっ……』という小さな声が聞こえた。


恐ろしいと思った。


ライはそそくさとシャーリーの陰に隠れる。彼女の長い髪からは良い香りがして、とても落ち着いた。


「ら、ライのばかっ。わたしまで睨まれてるじゃん……って何で隠れてるの」


「助けてくれ。君が動かなければ、明日のランチに僕が並ぶかもしれないんだぞ」


「カレンの事をなんだと思ってるの……?」



714: 2015/10/12(月) 00:12:35.34 ID:+/5T+82DO
シャーリーは呆れた様子だが、ライにはそう言うだけの根拠があった。


以前、学園の中庭でポーチを拾った事がある。色はピンク。可愛らしい外観で、化粧品などを入れるための物だ。カレンの持ち物だと知っていたので、彼女へ届けようと思った。


だが、手に取った瞬間、中から刃が飛び出してきたのだ。裁縫や身なりの手入れに使うような、小型の物ではない。遥かに分厚く、頑丈な刀身。人間を易々と解体できそうな、コンバット・ナイフだ。


カレンは護身用だと言っていたし、刃には使用した形跡も見られなかったので当時は気にしなかった。


だが、今は違う。


(殺される……)


普段は想像力に乏しいライの脳裏には、あのナイフを嬉々として振るうカレンの姿が克明に映し出されていた。


本当に怖い。


ナイトメア用の三〇ミリライフルの砲口より、あの視線を向けられることの方が遥かに脅威に感じた。


715: 2015/10/12(月) 00:14:05.40 ID:+/5T+82DO
食器を乗せたトレーを二人分、両手に持ち、カレンが向かってくる。


「き、来てる来てるっ。私は戻るからね!」


「待ってくれ。困っていることがあれば力になると言っていたじゃないか。あれは嘘だったのか」


「なんでそんなことばっかり覚えてるの……。ルルとかスザク君に頼めばいいでしょ」


「あの二人にこういった問題を解決する能力はない。君が適任なんだ」


「……キミって結構ヒドいよね」


などと問答していると、


「珍しいわね。シャーリーと二人きりなんて」


不気味なくらい穏やかな声。至近距離で言い合っていたライとシャーリーは突き合わせていた顔を、同じ方向へ向けた。


「か、カレン……」


「はい、これ」


怯える二人をよそに、テーブルに食器の乗ったトレーが置かれた。


「どうしたの?」


716: 2015/10/12(月) 00:15:42.09 ID:+/5T+82DO
「え? いや、あの……」


カレンに怒った様子は無い。いつもと変わらぬ静かな物腰。口調は丁寧で、当たり障りなど微塵もなかった。それだけに、先ほど見せた異様な視線が気になった。


「近頃、ライと何かあったのかなーって」


シャーリーに言われたカレンは少しばかり視線を下げた。困ったような口調で、


「いい加減、ライは食生活を見直すべきだと思うの。水とビタミン剤だけで過ごすなんて、とても健康的とは言えないから」


「む……」


ライは唸る。朝からの質問責めで、一週間近く前からの食生活を洗いざらい吐かされていた。


「お世話係主任として今の状況は看過できないわ。だからこうして仕方なく、ライを食堂に連れてきたのよ。……そうよね?」


「あ、ああ……」


やはり圧力がある。ライは渋々ながら肯定の言葉を返した。



717: 2015/10/12(月) 00:17:07.82 ID:+/5T+82DO
「そっか、そうだよね」


シャーリーは納得したのか、両手を胸の前でぽんと合わせた。安心したとばかりに頷き、笑顔になる。


「うんうん。良かった良かった。心配して損した」


「またライが何か言ったの?」


「酷いんだよ。ライってば、カレンにランチにされる~なんて言って」


「そう……」


シャーリーによる突然の暴露によって、ライは絶望の淵に叩き落とされた。カレンの顔がこちらを向く。柔和な微笑みを浮かべてはいるが、瞳は笑っていなかった。


手に持っているフォークがカチカチと食器に当たる。手が震えているのだとようやく気づいた。


「またそんなことを言っていたのね」


「可能性を述べたまでだ」


ライは誤魔化すということが出来なかった。


「もう、駄目だよライ。カレンがせっかく心配してくれてるのに、なんでそういう風に言うの?」


「ん……そうだな。すまなかった」


718: 2015/10/12(月) 00:18:28.09 ID:+/5T+82DO
いくら恐怖を覚えたとしても、あまりに直接的な物言いは良くない。シャーリーに叱られたライは素直に謝る。


「…………」


だが、カレンはぷいと顔をそむけた。またへそを曲げてしまったようだ。


こうなると手ごわい。この三週間余りで作り上げてきたカレン対策マニュアルによれば、彼女の機嫌を直すのには様々な手順を踏む必要があり、大変な労力を伴う。かなりの危険もだ。


「いっつもそういうこと言ってカレンを困らせてるんでしょ」


否定できない。


「ちゃんと仲直りすること。わかった?」


めっ、という感じで叱られ、ライは頷いた。そして時計を見る。昼休みの終わりが近づいていた。


「あ、もうこんな時間。私も戻らなくちゃ」


じゃあね、と言い残し、シャーリーは自らのグループへ戻っていく。またも二人きりの時間がやってきた。


「……食べないの?」


そう言ったカレンは既に食事を始めており、静かにナイフとフォークを動かしている。


719: 2015/10/12(月) 00:20:02.37 ID:+/5T+82DO
「あ、ああ……」


着席し、持ってきてもらった食事を見る。三日間熟成させたショート・リブをメインに、ジャーマンポテトとサラダ、トマトと海老のスープが顔を揃えていた。


ブリタニアの料理は大抵、肉をメインとする。国の基礎となった土地は天候に恵まれず、穀物などが育ち難かったためだ。


人々は富裕層から貧困層まで豚を飼い、それを育てて食べていた。豚は一年足らずで大きくなる。生活には欠かせない存在だった。


従って主食は肉。魚や穀物などは主役になりえない。パンなどは底辺層の食べ物だ。


……というのはナイフもフォークも無かった一〇〇〇年以上前の食文化だが、それでも根深いものがある。他国の文化を取り入れ、今では多様化も進んでいるものの、ブリタニア料理の起源は肉なのだ。


「…………」


だが、ここはエリア11。元は日本という国だった。そこにブリタニア人が住み、ブリタニアの文化を広げ、ブリタニアの料理を食べている。日本文化の面影などほとんど無い。


妙な話だと思った。


720: 2015/10/12(月) 00:21:23.17 ID:+/5T+82DO
目の前の少女を見る。ブリタニアという国に対して、決して良い感情を持っていないだろう彼女は、いったいどんな気持ちで食事をしているのだろうか。


こうして自分を食堂に連行し、ブリタニア料理を食べさせているのはなんらかのメッセージなのではないのか……ライはそんな考えを巡らせながら、ナイフとフォークを動かしていた。


(最近は懸案事項が多いな……)


相変わらず熱くて持てないスープの器を睨んでから、ライはカレンに目を移した。正確には彼女の手元だ。


白くてか細い指は装飾付きのフォークをしっかりと握っている。香草焼きされたチキンを切り分け、それを可愛らしい口元へ運ぶ。一切の音を立てない美しい所作。非の打ち所など一つもなかった。


知らず知らずのうちに、その手を──ナイフを目で追っていた。どうしてもポーチから飛び出た極太の刃を思い出してしまう。自分もあのチキンのようにされてしまうのだろうか……などと考えてしまう。



721: 2015/10/12(月) 00:22:33.89 ID:+/5T+82DO
いつの間にかカレンを凝視してしまっていた。


ライからの熱い視線に彼女が気づかないわけもなく、気まずそうに身じろぎし、チキンを運んでいた手を止める。


「あの……」


「どうした」


「……そんなに見られてると食べづらいんだけど」


カレンが少し頬を赤くする。彼女からの圧力は消えたが、逆に周囲からの圧力が強くなった。食事を終えたにも関わらず居座る男子生徒達が、血走った目でライを射殺そうとしている。


(なるほど……)


尋常ではない居心地の悪さだが、それでも分かったことがある。重要なことだ。


カレン一人から向けられる偏執的な視線より、顔や名前も知らない生徒達数百人から放たれる殺気の方が、遥かに脅威度が低いと感じる。


体が震えないし、慢性的な危機感も無い。誰かを盾にし、陰に隠れようと思わない。


(これは使える……)


ライの中でいくつかの策が練り上がってきた。有効な策だ。成功すればカレンを含めた敵対勢力を一掃できる可能性がある。だが、まだ情報が足りない。確証もまた無かった。


729: 2015/10/17(土) 23:10:06.62 ID:i6p6vwuDO
「だ、だから……」


「ああ、すまない。つい、な」


「……ついってなによ」


またもカレンを凝視してしまっていた。他の所を見ると男子生徒と目が合ってしまうのだから仕方がない。


咎めるような彼女の視線をかわして、ライも食事を再開する。せっかくカレンが用意してくれた物だ。無碍には出来ない。貴重なカ口リー源でもある。


「よう、お二人さん」


また声をかけられた。笑顔のリヴァルと呆れ顔のルルーシュがいた。


「お二人さんって……。そういうのは止めてって、前にも」


「なにをおっしゃる、お二人さん。すでにちゃーんと、しっかり耳に入ってますよぉ!」


「何のことかしら?」


リヴァルとカレンが言い合うのを横目に、ライはルルーシュを見た。


「今から食事か」


「ああ。生徒会の仕事があったからな」

730: 2015/10/17(土) 23:13:49.91 ID:i6p6vwuDO
「早いな。かなり溜まっていたはずだが」


「大した量じゃない」


俺にかかればな、とはルルーシュは言わなかった。ライは日常的に彼の分の仕事を肩代わりしていたが、副会長がやるべき物は触っていない。


「それに、お前にやってもらっていた分もある」


「……ミスが無いと良いんだが」


「無かったよ。お前がミスする所なんて、俺には想像出来ない」


ルルーシュはカレンの方を見た。


「……人付き合い以外は、な」


「…………」


返す言葉も無かった。


ルルーシュもリヴァルも、今日のカレンの異常を知っている。午前中の彼女は、リヴァルでさえ近寄れないほどの剣幕だった。


いまリヴァルが野次馬としての本領を発揮できているのは、カレンが落ち着いてきた証だ。それくらいはライにも分かった。


「でも、ライに助けられたのは事実なんだろ? 学園中で噂になってるぜ。あのカレンお嬢様にナイトが現れたって」

731: 2015/10/17(土) 23:15:28.72 ID:i6p6vwuDO
「……それは」


シンジュクゲットーでの騒ぎが広まってきている。事件から三日が経った今くらいの時期が、一番危険だ。


KMFに乗っていた事が露見するのはまずい。ライはルルーシュの方を見た。


「安心しろ。バレてはいない」


「……手間をかける」


ルルーシュとリヴァルが働きかけてくれたらしい。噂は力尽くでかき消すより、誘導することの方がずっと容易い。人々の関心が集まる部分をピックアップし、それ以外の所をうやむやにする。


これは情報戦の基本だ。


今回の場合、有名人であるカレン・シュタットフェルトと、それを助けた不審人物に焦点を当てることにより、危険な部分──ゲットーにいた理由や戦闘を行ったことなど──への注意を逸らした。


もしかしたら他にも色々とやってくれているのかもしれないが、そこまでは分からない。


732: 2015/10/17(土) 23:18:40.75 ID:i6p6vwuDO


「記憶を失った男と、その失われた記憶のために危険なゲットーまで共に足を運ぶけなげなカレンお嬢様!」


リヴァルはだんだんとヒートアップしていく。彼の声が大きいせいで周囲からの視線もどんどんヒートアップしていく。


「そこへ現れるイレヴンのテロ組織! 鎮圧に出動したブリタニア軍との戦闘に巻き込まれ、絶対絶命の二人!」


ルルーシュがこめかみを押さえ始めた。ライは食事を三度、再開した。


「男は女を守るために身体を張った!『カレンは俺が守る!』二人は炎の中を駆け抜けたぁっ!」


「…………」


「…………」


カレンとルルーシュは閉口している。ライは適温になりつつあるスープに舌鼓を打っていた。リヴァルの言っていることは(登場人物の心理を除けば)それほど間違っていない。


「って、話になってるけど?」


「大げさね……。噂話は尾ひれが付くものよ」


「でもさ、助けたのは事実なんだろ? カレンのような、か弱い女の子が無事に逃げ出せたのがその証拠だし」


(か弱い……?)


733: 2015/10/17(土) 23:20:20.14 ID:i6p6vwuDO
どうしても疑問符が取れない。そういえば、カレンは病弱でおしとやかと周囲から認識されていたのを思い出す。


「それは……そう、だけど」


「大切なクラスメイトを助けてくれた。そのことにはお礼を言わなくちゃな。ありがとう」


「ルルーシュ……」


言いよどむカレンをルルーシュが鮮やかにフォローする。ライには出来ない芸当だ。


同時に納得出来ないとも思った。どうして、今のルルーシュの言葉にカレンの親衛隊は反応しないのか。


(やはり、僕が悪者なのか……)


認めざるを得ない。


「学園内、この話で持ちきりなんだぜ。カレンお嬢様と、その素敵なナイト様ってね!」


「またもう……そんな話で喜んで……」


「カレンを狙ってた男子も結構多いんだぜ? でも、愛しのナイト様の登場で、ガッカリさんションボリ君続出だよ」


「もう……やめてよ……」


734: 2015/10/17(土) 23:21:40.67 ID:i6p6vwuDO
「で、ホントの所はどうなのよ? どうやって戦闘の中をくぐり抜けることが出来たわけ?」


ルルーシュがうんざりしたように頭を振った。彼の頭痛の原因は、このおしゃべりな友人なのだろう。


さりとて、真実を話すわけにはいかない。KMFを駆り、ブリタニア軍と戦った事実は様々な所に影響を与える。


「なあ、聞かせてくれよ。どうやったんだ? よっぽど機転を利かせたのか、火事場で思わぬ力が出たとか、あるでしょ? そりゃもう、報道クラブあたりが飛びつきそうな美味しいネタが!」


「…………」


ライが困っていると、カレンが口を開いた。


「もういいでしょ。確かに私は彼に助けてもらったわ。その事実だけで充分じゃない?」


僅かに怒気を孕んだ声。だが、これは本当の怒りではなく、そう思われるように装ったものだ。幾度となく彼女を怒らせているライには手に取るようにわかる。


「あれ、ご機嫌ななめ?」


「興味本位で騒がれるのは好きじゃないし、彼だって周囲からいろいろ言われても困る立場でしょう?」


生徒会メンバーならそれくらい分かるだろう、と彼女の瞳が言っていた。


「えー。どうなんだよ、ライ」

735: 2015/10/17(土) 23:23:15.23 ID:i6p6vwuDO
「カレンを救ったのは<黒の騎士団>だ。僕じゃない」


事実だった。あそこで<無頼>になど乗らなくても、あの組織がブリタニア軍を撃退していただろう。つまり、ライはただ暴れただけだ。意味などなかった。


「結果論だな」


ルルーシュにはそう言われたが、ライは返答しなかった。ここで彼とあの時の行動について議論するつもりはない。


余計なことをして、色々なところに迷惑を掛けているのだ。軽はずみな考えは慎ましなくてはならない。


「気になるよなぁ、ルルーシュ」


「あまり詮索するものでもないさ。俺たちも腹に何か詰めないと」


「えー」


つまらなそうなリヴァルを伴って、ルルーシュが去っていく。


「……今日は賑やかね」


カレンが素っ気なく言う。その言葉だけでは、彼女の考えは読み取れなかった。

736: 2015/10/17(土) 23:29:04.67 ID:i6p6vwuDO
「ねえ」


食堂を出て中庭を歩いていると、隣のカレンが言った。


「……?」


「これだけ騒がれてるなら、誰かあなたを見知った人が現れても良さそうなものじゃないかしら」


「……そうだな」


「ただし、租界の中にそういった人がいればだけど」


「…………」


「そうじゃないのなら、あなたは租界の外から来た……日本人、なのかも」


「君はそう思うのか」


「……可能性の話よ」


言うだけ言って、カレンは歩いて行ってしまった。彼女はライが日本人だと思っているらしい。廊下の窓ガラスに映る自分の姿を見る。


限りなく銀に近いアッシュブロンドの髪。蒼い瞳。白い肌。いずれもブリタニア人の特徴だ。東洋人のものとはかけ離れている。それはカレンも同じだ。


だが、彼女は日本人を強く意識している。複雑な事情があり、それをライに投影しているような──なんとも言えない感情を向けられている。


カレンはどうして欲しいのだろうか。


昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。その音はどこか、物悲しかった。

737: 2015/10/17(土) 23:31:07.42 ID:i6p6vwuDO
「疲れてるみたいだね」


放課後の生徒会室。ライはスザクと二人で談笑していた。カレンを含む他のメンバーはまだ来ていない。それぞれの用事があるのだろう。


スザクの手元には開いた状態のノートがある。ここ最近おこなわれた授業の内容を彼に説明しているところだ。


「そう見えるか……」


一度は好調の兆しを見せたものの、カレンの態度はまた元に戻ってしまった。スザクと積極的に話し始めた辺りからだ。午前中より酷くなったかもしれない。


「カレンとは上手くいってる?」


「……なに」


スザクですら彼女の様子に気づくのか、とライは思った。実のところ、カレンはライよりスザクに対して異様な視線を向けている。しかし傍から見ている限りでは、彼に感づいた素振りはなかったのだ。


「いろいろ噂になっているみたいだし。ほら……ね」


スザクはなぜか頬を赤くする。駄目だった。気づいていなかった。

738: 2015/10/18(日) 00:56:46.63 ID:4iQ49ZfDO
「君まで邪推するのか」


「そうじゃないよ。でも、君だって年頃なんだから、浮いた話くらいあったって良いんじゃないかと思って」


「なるほどな。そういえば君も……」


そう言いかけて、ライは口をつぐんだ。ロイドから聞いた話を思い出したのだ。スザクには交際している相手がいて、そしてその事について言及してはならないと。


「僕? 僕がどうしたの?」


「……いや、なんでもない。忘れてくれ」


フェアじゃないような気がする。


自分は各所から誤解され、冷やされるばかりか、敵意や殺意を向けられている。なによりカレン本人からもまともな扱いをしてもらっていない。なのに、スザクばかりが順風満帆な交際をしている。周りから応援してもらっている。


それは彼が今まで努力して勝ち取ったものだ。与えられて当然の権利であり、幸福だろう。


だが、この少年と比べて自分を取り巻く人間関係の、なんと歪なことか。


(いったい僕が、なにをしたというんだ……)


ライにはカレンを狙う気持ちなど微塵もない。


彼女に対して好印象を持ってはいるが、それは生徒会メンバー全員に対して向けられているものだ。それを恋愛感情と言うならば、ルルーシュやスザク、リヴァルもその対象として見ていることになる。


ありえない。

739: 2015/10/18(日) 00:59:13.94 ID:4iQ49ZfDO
「スザク、恋愛感情とはなんだ。どんな気分になる」


「え? ……ええっ!?」


珍しく、スザクは素っ頓狂な声を出した。


「な、なんで急に」


「知らなくてはならないことだ。……命に関わってきているからな」


ライとて馬鹿ではない。


ミレイから"宿題"と称して押し付けられた大量の恋愛小説を読んでいるため、以前ほどそういった問題に関して不得手ではなくなってきている。


恋愛感情が人としての営みに密接に関係している事くらいは理解できる。


「人間は生殖行為をしなくては種を存続させることが出来ない。だから恋愛という文化を作り出し、それを推奨しているんだろう」


それくらいは分かる。馬鹿にしないで欲しい。


「だが、その恋愛というメカニズムがどういったものか、恋愛感情によってどういった症状が引き起こされるのか、それが分からない」


「……なるほどね」


大真面目に語るライの言葉を、スザクもまた大真面目に聞いていた。

740: 2015/10/18(日) 01:00:24.66 ID:4iQ49ZfDO
その時、生徒会室の扉が開かれる。ルルーシュとシャーリー、そしてリヴァルが入ってきた。


「……また変な話してたでしょ」


シャーリーが呆れた様子で言った。ルルーシュは鞄を置いてから、スザクの方を見て──それからライに言った。


「相手を選べ」


失礼極まりない発言だった。


「そ、そんな。酷いよルルーシュ」


「そうだ。失礼だぞ」


「お前達だけで話したところで、答えなど出るはずがない。まず根本的な知識から足りていないんだ」


本当に失礼だった。スザクとライは反論したが、どうにも勝ち目は薄いようだ。ルルーシュの言葉が正論に聞こえて仕方がない。


「で、何のはなし? 恋愛がどうのって言ってたよね」


シャーリーが目を輝かせている。リヴァルもだ。盗み聞きしていたらしい。


「カレン? カレンでしょ? カレンだよね?」


しかも完全に決めつけられていた。


「違う……いや、違わないのか」


「おおっ! ついにライも朴念仁ズ脱却か!?」


身を乗り出したリヴァルからは昼休みの一件を反省した様子が窺えなかった。


「もうシャーリーには相談したんだが、カレンのことだ」


そう切り出し、ライは話を進めていった。隣の席でなにやらルルーシュが身を固くしていたが、ライは気づかなかった。

741: 2015/10/18(日) 01:04:29.55 ID:4iQ49ZfDO
「なるほどな。まあ、確かにちょっとおかしいよな」


ライが相談したい事とは、カレンの様子がおかしい、というのと、彼女の親衛隊をそろそろ鎮圧すべきだというものだ。


「でも、別にいいんじゃないの? カレンがやりたくてやってることだろ。親衛隊の連中だって、それをとやかく言えないんじゃないのか」


「そうだな。だが……彼女は無理をしている。だから君達も、様子がおかしいと認識した」


ライの意見に反論はなかった。彼女がどのような行動をしようが問題ない。だが、それがカレンの負担になっているのなら正すべきだろう。


「つまり、カレンを冷静にしたいということか」


ルルーシュの言葉にライは頷いた。


「ライからはなんか言ってみたの?」


「言った。『どうした』とか『落ち着け』とか」


「で?」


「『なにが?』とか『落ち着いているけど』と返された」


「それで終わり? 諦めるの早いよ」


シャーリーの言葉は辛辣だった。カレンの事となると、途端に辛口になる。


742: 2015/10/18(日) 01:08:17.16 ID:4iQ49ZfDO
「そうは言うが、カレンはあれで怖いんだぞ。怒った時もそうだが、怒った後が怖い。あの圧力が一番堪える。しかもその状態で接触してくるんだ。助けてくれ」


カレンは怒ると刺々しくなる。丸まったハリネズミと同じだ。近づくなという合図であり、触れば怪我をする。しかし、今日の彼女はその丸まった状態でライに接触してくるのだ。大変な事になっている。


「またそういう風に言って……カレン、かわいそ」


「……この場合、可哀想なのは僕だと思うんだが」


「キミは自業自得でしょ」


本当に辛辣である。


「なにか良い案はないか。僕では手に負えない」


見渡すが、誰も答えてはくれなかった。


「そうだな……」


いや、いた。ルルーシュだ。彼は細く長い指を口元にやり、思案している。


「俺とリヴァルが昼休みに声をかけただろう」


「ああ」


「あの時だけ、カレンの雰囲気は普通だった。そこに状況を打開する鍵があるんじゃないか」


「鍵、か……」


「思い出せ。お前が助かるには、その可能性に賭けるしかない」


「ルル……あのね」


シャーリーがルルーシュを睨んでいるが、それをよそにライは思い出す。

743: 2015/10/18(日) 01:11:41.68 ID:4iQ49ZfDO
「あの時は……そうだ。確か」


「なんだ」


「特別な事をしたわけじゃない」


カレンが食事しているところをじっくりと観察していただけだ。すると彼女は赤面し、昼休みが終わるまで覆っていたハリネズミ・バリアが解けた。


「それだな」


ルルーシュの声には確信めいたものがあった。


「どういうことだ」


「今までのお前は守勢に回っていた。だから良いようにやられていたんだ」


「あ、分かった。引いて駄目なら押してみろってやつ?」


シャーリーの言葉にルルーシュは頷いた。


「つまり攻勢に回ればいいわけか。なるほど……」


カレンに質問責めを繰り出した時の事を思い出す。確かに、一定の効果は挙がっていた。


「だが──」


そこでライの聴覚が反応した。先ほどルルーシュ達の接近には気づかなかったが、今度は相手が警戒対象だったので拾うことに成功した。


「どうした?」


「カレンが来た」


言うと同時に、生徒会室の扉がノックされる。室内の空気がキンと張り詰めた。誰かが喉を鳴らした。


744: 2015/10/18(日) 01:18:03.74 ID:4iQ49ZfDO
扉が開かれ、赤い髪の美少女が入室してくる。ライには一連の映像が、やたらとスローに見えた。


「……? どうしたの?」


妙な空気を感じ取ったらしいカレンは戸惑った顔をする。それを見て、前にもこんなことがあったな、とライは懐かしい気持ちになった。懐かしむという情緒は新鮮でもある。


「な、なんでもないよっ」


シャーリーの誤魔化し方は信じられないほどに下手だったが、彼女に促されたカレンはすんなりと隣の席に腰を下ろした。


ライの真向かいである。


ルルーシュとリヴァルは頬をひくつかせた。


残念なことに、シャーリーは問題の主旨を理解していない可能性がある。もしくは愉快犯か、天然でやったのか。いずれにせよ、致命的な状況を招いた事に変わりはない。


「うう……っ」


胃が殴られたように痙攣している。昼に入れた物が腹から出てこようとしている。

745: 2015/10/18(日) 01:22:45.18 ID:4iQ49ZfDO
「どうした。どこへ行く」


突然話しかけられ、虚を突かれたカレンの肩がぴくりと揺れる。


「べ、別にどこでもいいでしょ」


「言えない所か」


「…………」


カレンとシャーリーから睨まれる。なぜ自分に敵意を向ける人間が増えているのか、ライには分からなかった。


隣のスザクが顔を寄せてきて、


「駄目だよ、ライ。女性がああする時は、お手洗いに行くって合図なんだ」


「なるほど。暗黙の了解、というやつか。勉強になった」


やはり恋愛経験者は違う。ライは尊敬の眼差しをスザクに向けた。


「大勢の前で公言しては何の意味もないがな」


ルルーシュがなにかを諦めたようにいった。女子メンバーの敵意ある視線はスザクにも向けられている。


ライに一般常識を説くための教材として扱われたカレンは顔を赤くして歩みを再開した。


逃がすまいと、起立したライがその背中に再び問い掛ける。


「待ってくれカレン」


「今度はなに」


少し苛立ちの混じった声。


746: 2015/10/18(日) 02:30:20.84 ID:4iQ49ZfDO
「大か、小か」


その一言で、生徒会室は静寂に包まれた。


誰もが動きを止めていた。呼吸すら許されないような静けさの中、ライはカレンだけを見ていた。


すっとシャーリーが立ち上がり、手元にあった交通安全のポスターを持って、こちらに早足で近づいてくる。


「馬鹿っ!」


丸めたポスターが振るわれた。ぱこんと小気味良い音が広い室内に響いた。


「な、なんだ……?」


突然の暴力にライは動揺していた。折れ曲がったポスターを持つシャーリーはいつになく怒りを込めた瞳をこちらに向けている。


「サイテーだよっ! 信じらんない!」


優しい彼女がここまで怒るのだ。ライは自分の先ほどの言動が社会的に間違っているものだということに気づいた。


「す、すまない……」


「謝るのは私じゃないでしょ」


そうだった。ライはカレンの方へと向き直り、


「カレン、すまなかった。さっきの言葉は忘れてくれ。こちらの事は気にせず、ゆっくりしてくるとい──」


またも隣で怒気が膨れ上がる。見れば、シャーリーが再びポスターを振り上げていた。

753: 2015/10/23(金) 23:40:01.83 ID:IFnugpJDO
「まったくもう。反省しなきゃ駄目だよ。ほんとに」


カレンが去った後、シャーリーから再び叱られた。ライはこくこくと頷いてから唸った。


「むぅ……」


やはり、女性が怒る話題については不可解な部分が多い。男性と感性が違うというのはなんとなく分かるのだが、どうしても先ほどのような"事故"は避けられない。


「普段からさっきみたいなこと言ってるんでしょ。いつか本当に嫌われちゃうよ」


「……既に嫌われている可能性も否定出来ないぞ」


そう言うと、目の前の少女はふふんと笑った。


「まだ大丈夫。カレンは優しいから」


シャーリーの見立てでは問題は深刻化していないらしい。それは何よりだが、根本的な解決はいまだに遠い。


「お前のそれは一種の才能だな」


ルルーシュからは露骨に馬鹿にされた。どこか楽しんでいるようでもあった。許せない。


「チャンスは今しかない」


カレンが席を外した今が好機なのだ。先ほどは勢い余って惨事を引き起こしてしまったようだが、彼女が戻ってくるまでに現実的な対策を考える必要がある。時間はあまりない。

754: 2015/10/23(金) 23:41:47.32 ID:IFnugpJDO
さっきはルルーシュから攻勢に回った方が良いという案が出たところで打ち切られてしまった。


「そんなの簡単じゃん」


シャーリーがあっけらかんと言った。悪巧みをするように笑っているのが微笑ましい。


「今日、カレンからされた事をそのまま返せばいいんだよ」


「……? 嫌がらせを仕返すということか」


「い、嫌がらせって……」


「言い方を考えろ」


スザクは戦慄し、ルルーシュからは咎められた。


「む……。だが、返すと言っても、何をすればいい。一日中、偏執的な視線を向けたり、その人物が現れるだろう場所に待ち伏せたり、日常生活の内容について根ほり葉ほり訊いたりすればいいのか」


言っていて、ライは自身の体調がどんどんと悪化していくのが分かった。これらをカレンに対して行えば、社会的に自分がどういった扱いを受けるのか……それぐらいは予想出来る。


「……そんなことをされていたのか」


どうしてか、ルルーシュが痛ましい表情をしている。彼には責任など無いのに。


「そこまでやったら捕まるよ」


スザクにもそう言われた。

755: 2015/10/23(金) 23:43:07.81 ID:IFnugpJDO
時に性別の違いが法的措置に影響を与えるらしいことを、ライは学びつつあった。


女性が男性の身体に触れても大きな問題には発展しづらいが、性別を逆にした場合、危険性は跳ね上がる。電車で『この人、痴漢です!』と言われれば、それが冤罪だろうと社会的に抹殺されるのと同じだ。


社会的地位の差もある。ファンクラブや親衛隊が存在するカレンに対してストーキングじみた行動を取れば、何の後ろ盾もないライはあっという間に謀殺されてしまうことだろう。


爆発物の解体作業と同じだ。非常にデリケートで、危険性が高い。報復行為には細心の注意を払わなくてはならない。


「難しいな……」


法に触れずにカレンを無力化する。衆人監視の中で。ほとんど不可能に近い。


「そんなことないよ」


シャーリーが自信満々に言った。


「任せて。なんとかしてあげるから」


「そうか。すまないが、よろしく頼む」


どうして彼女はこんなに燃えているのだろう、とライは思ったが、それは言わなかった。同じ女性であるシャーリーの意見はこれ以上ないほど参考になる。


その後すぐ、カレンが戻ってきたことで対策会議は終了した。帰り際、シャーリーと目が合うと、ぱちっとウインクされた。

756: 2015/10/23(金) 23:44:29.58 ID:IFnugpJDO
「駄目ですよ、ライさん」


ルルーシュに連行され、彼の部屋で行われた夕食会の最中、ナナリーからも叱られた。


「カレンさんの好意を嫌がらせだなんて……言語道断です。カレンさんが可哀想です」


「いや……だから、可哀想なのは僕の方じゃ」


「…………」


どうしてこう、自分の擁護派は少ないのだろう。優しさの化身であるナナリーからも全否定されるとは。ライの動揺はかつてないものだった。ショックで頭の中が真っ白になる。


「だがな、ナナリー。カレンの様子も変なんだ。彼女の人気は知っているだろう。ライはあらゆる場所で厳重な監視下に置かれている。その心労を……」


「お兄様」


「な、なんだ。ナナリー」


妹の咎めるような口調に、兄が思い切りたじろぐ。今のやり取りがこの部屋における力関係を表していた。

757: 2015/10/23(金) 23:47:42.96 ID:IFnugpJDO
「私もカレンさんから、ライさんの生活態度には問題があるとお話を聞いたことがあります」


「そ、そうか……」


言いふらされている。しかも、ナナリーにまで密告するとは、なんとも効果的な手段ではないか。お世話係主任の鮮やかな手際に、ライは舌を巻いた。


「着々と外堀を埋められているな」


「どうしてこうなるんだ。僕の私生活を管理する必要なんて、どこにも無いだろう」


「それだけ気にかけられているということさ。喜んでも良いんじゃないのか。なあ、ナナリー?」


「そうですね。ミレイさんがお帰りになる前に、ライさんを改心させちゃいましょう」


両手を合わせて無邪気に言うナナリーは愛くるしい事この上ないが、ライは冷や汗をかいた。まるで悪人のような言われようである。


「改心云々は置いておこう。いま問題なのはカレンと、その親衛隊だ」


「そうだな。これ以上長引けば、"騎士研"がそろそろ動きだすかもしれない」

758: 2015/10/23(金) 23:50:15.16 ID:IFnugpJDO
「騎士研。なんだそれは」


「騎士道研究会の略だ。古代ブリタニアについての歴史的な研究や、剣術、馬術の専門的な鍛錬を行っている。クラブの中でも割と人気のあるところだな」


「聞いたことがないな。剣術や馬術を扱うクラブは既にあったはずだ」


その二つはブリタニアでは大衆的な文化である。中流家庭以上の女子がピアノやバレエを習うのと似たようなものだ。


同様に、歴史学を学ぶ研究部もあった。運動部や文化部の予算関係をまとめた書類に目を通していたから知っている。


「それらが統合された。予算の都合という名目だったが……本意は違うだろうな。真の目的がある」


「……?」


ルルーシュはライを指差した。どこか楽しそうな表情だ。


「お前の打倒だよ。既に中等部高等部問わず、男子生徒全体が結束しつつある」


「仮入学生相手に無駄な団結力を……」


そういえば以前、カレン親衛隊が一つのクラブとして申請してきているという話があった。そして何より、部活動の発足には生徒会を通さなくてはならないはずだ。


「まさか、受理したのか」


裏切ったな、とばかりにライはルルーシュを見た。


「俺じゃない。やったのは会長だ。出かけていく前にサインをしていったようだな」

759: 2015/10/23(金) 23:51:31.23 ID:IFnugpJDO
「冗談だろう。まさか決闘を申し込まれるわけでもあるまいし」


「用心しておけ。そのまさかが起きる可能性もある」


「……それが本当だとしたら、僕には理解できない心理で動いているようだ」


本当に理解できなかった。思春期の高校生達だ。好きな娘くらいいるのが普通だろう。病弱で可憐なお嬢様が魅力的なのも分かる。


だが、直接的なアプローチをせずに付近の男を監視、排除しようという思考は理解に苦しむ。それが見当違いから来ているものなのだから尚更だ。


その上、決闘などと。


(いや……利用出来るかもしれない)


集団心理は力尽くでは止められない。だが、ベクトルを正してやることは出来る。


ライはルルーシュの方を見る。


「……なんだ?」


「いや、気にしないでくれ。料理が出来る男はモテると聞いた」


「……?」

761: 2015/10/24(土) 06:12:40.96 ID:QEKfXJJDO
「しかし、カレンの人気は異様だな。まるでアイドルのようだ」


話題を変えるべく、ライは以前から気になっていた事を口にした。


数百名の男子生徒によって形成される親衛隊。本人からは明らかに迷惑がられているが、彼らは気づいていないようだ。


「以前、生徒会主導のアンケートをおこなったことがあったんだ」


「アンケート。なんのだ」


「色々だよ。その中で、高等部男子生徒をターゲットにした項目があった。『守りたくなるお嬢様』という質問だ」


「……なるほどな」


ミレイのことだ。面白がって大々的に公表したのだろう。その結果、学園のアイドルが誕生した。


「一位に輝いたのはカレンさんだったんですよ。すごいです!」


『守りたくなるお嬢様』ランキング中等部一位のナナリーが言った。


守りたくなるお嬢様。その近くにいる自分。噂で聞いたナイトという呼び名。


色々と繋がってきた。全てに意味がある。


ニコニコと笑うナナリーの陰で、ライはひっそりとうなだれた。

762: 2015/10/24(土) 06:13:52.41 ID:QEKfXJJDO
「災難だな」


ナナリーを寝室に送り届けた後、ライはルルーシュの部屋に訪れていた。食事も含めて、最近はこういった事も増えている。


勧められた椅子に座ると、ルルーシュがお茶を入れてくれた。深紅の液体が湯気を立てている。良い香りだ。すぐに口を付けたいところだったが、体質がそれを許さない。


「そうだな。だが、シャーリーの言う通り自業自得かもしれない」


紅茶に手が付けられないので、ライはテーブルへと腕を伸ばした。正方形の盤に、白と黒の駒が三二個載っている。


ルルーシュの趣味であり、財源でもある世界的にも歴史的にも有名なボードゲーム──チェスだ。目の前の少年が言うには、この盤上遊戯は人間性が強く出るという哲学的な側面も含んでいるらしい。


単純に楽しい遊びであったし、ルルーシュから心理学者めいた意見が聞けることもあって、彼の部屋に訪れるたびにライもこの古い遊びに興じていた。


「いつも通りでいい」


「わかった」

763: 2015/10/24(土) 06:15:37.15 ID:QEKfXJJDO
ライは自陣に白い駒を一六個並べてから、ルルーシュの陣地にも同様に黒い駒を並べていく。だが、黒い駒は一〇個しかない。八個のポーンと、キングとクイーンが一つずつ。ナイトとビショップ、ルークの駒を抜かれた状態だ。


ルルーシュが初心者であるライとやる際は、いつもこの変則ルールを採用する。一〇対一六──しかも主要な駒を抜いた状態では優勢など明らかだ。


「ふむ……」


ルルーシュは自分の駒を自陣の好きな位置に動かす。流石に初期配置のままで駒だけ抜いたらどうしようもなくなるからだ。


対戦相手が駒の位置を熟考している間、ライはチェス用の本に目を通す。定石とされる打ち方や、過去の名プレイヤーが得意とした戦術は参考になる。


ライだけではなく、ルルーシュにとっても何らかの練習的な意図があるらしい。互いに勝ち負け以外の目的を含むいびつな対局だが、少なくともライは楽しんでいた。


「よし、やろうか」


準備を終えたルルーシュの言葉を受けて、ライは本を閉じた。テレビから流れるニュースキャスターの声を聞きながら、まず白いポーンを動かした。


さて、最初はどの手からいこうか。

764: 2015/10/24(土) 06:17:27.04 ID:QEKfXJJDO
三局ほど終えて、二人は一息ついた。勝負はやはり三回ともライの勝利で終わっている。


それだけ見れば圧倒しているようだが、盤面の駒数にはほとんど差が見られない。最初は六個もの優位があったのに、それが消失しているのだ。対等な条件で勝負した場合、どちらが勝つのか──それは恐らく、黒い駒の主にしかわからない。


「なかなか勝たせてもらえないな」


「当然だろう。クイーンを取ってしまえば、後に残るのは足の遅いキングと前進しか出来ないポーンだけだ」


ライの陣営に大きな被害を与えるのは決まってクイーンの駒だ。だがそれさえ、ポーンを三つ程度差し出せば取れてしまう。


後はポーンが他の駒に変化するプロモーションや、幾つかの奇策に注意すれば勝利することは難しくない。チェスは高い戦略性を持つゲームだが、それを支える駒という要素を取り払ってしまっては、打てる手は限られる。


どれだけ優秀なプレイヤーでも、動かす駒が無ければ絶対に勝てない。


「そうか? だが、お前は異様なほど筋が良い。本当に初心者か疑ってしまうほどにな」


「チェスのルールは知らなかったよ。勝ちを拾えているのは教師が良かったからだろう」

765: 2015/10/24(土) 06:18:47.67 ID:QEKfXJJDO
「可愛げのない生徒だ。この状態で打っても、リヴァルには完勝出来るんだが」


「それは彼自身の問題だな。僕が強い証明にはならない」


そう言うと、ルルーシュは笑みを浮かべた。


「少し休憩しようか」


「ああ」


ルルーシュは席を立ち、再び紅茶を淹れてくれた。過ぎた時間はまだ三〇分ほど。一回の対局が短いせいだ。


静かな時間が過ぎる。目は自然とテレビの画面に向いていた。最近になって購入したらしい大きく、真新しい液晶モニター。


先ほどから流れているニュースではいつもと同じく<黒の騎士団>についての報道と、専門家気取りの中年男性が数名、議論を交わしていた。


議題もいつもと変わらない。ゼロの正体と、その目的だ。


「お前はどう思う」


ライの前にカップを置きながらルルーシュが尋ねた。テーブルと接触しても、白い食器類は一切の音をたてない。


「あれのことか」


テレビを見ながら聞き返す。


「そうだ。お前も、もう無関係じゃないからな」

766: 2015/10/24(土) 06:23:14.79 ID:QEKfXJJDO
シンジュクゲットーでの事を言っているのだろう。それを踏まえて、ライは間髪入れずに答えた。


「嫌いだな」


「……理由は?」


「ニュースを独占し過ぎだ。これは報道機関の責任でもあるが」


「…………」


「以前、ナナリーと一緒に夕方の報道番組を見ていた時のことだ」


少し前の思い出を語る。学校が終わり、クラブハウスに戻ったライは、咲世子からナナリーを見ていてくれと頼まれた。彼女には買い出しという大切な使命があったためだ。


もちろん快諾し、ライはナナリーと二人で穏やかな時間を過ごしていた。外の天気はあいにくと雨だったが、おかげで運動部連中の汗にまみれた声をナナリーの可愛らしい耳に入れなくて済んだ。


お茶を飲みながら童話を読み、リクエストされた折り紙を折る。ニュースでは小型犬や産まれて間もない猫についての特集を放送していた。目が見えないナナリーでも、その鳴き声だけで楽しめる。とてもとても穏やかな時間だったのだ。


それを。


「突然画面が切り替わった。<黒の騎士団>が現れたという速報のせいだ」


画面は愛らしい犬猫から、汚泥のような顔をした有力貴族へ移り変わる。汚職をしていたらしいその貴族は、<黒の騎士団>によって輝かしい人生に幕を引かれたのだ。

767: 2015/10/24(土) 06:26:54.99 ID:QEKfXJJDO
既に彼の自宅はゼロから情報提供を受けていたらしい報道陣によって包囲されており、貴族は何人かのボディーガードと共にマシンガンのように降り注ぐシャッターの光で灼かれていた。


色々な意味で、目に悪い光景だった。


可愛らしい愛玩動物の鳴き声から、汚らしい中年男の泣き声に変わったのだ。聴覚の発達したナナリーには地獄のような責め苦だっただろう。許せなかった。


「……<黒の騎士団>は悪くないじゃないか」


「いいや、悪い」


ライは断固として言った。彼にしては珍しい、憤りのような感情が含まれていた。


「連中はいつもそうだ。記憶の手掛かりになると思ってニュースを見ていても、彼らの話題で独占されている。配慮が足りていないんじゃないか」


「…………」


ルルーシュは呆気に取られていたが、こめかみに手を当てた。頭痛でもするのだろうか。


「いや、そうじゃなくてな。彼らの主張や行動、世間からの評価。そういったものに対して、お前がどう感じているか知りたい」


「なぜだ」


「個人的な興味だよ。お前は特定の思想を持たず、また特定の組織にも入っていない。そんな人間から<黒の騎士団>はどういうふうにみえるのか……」

768: 2015/10/24(土) 06:28:52.56 ID:QEKfXJJDO
言葉通りの興味本位……というわけではないようだった。ルルーシュという男は警戒心が強く、また思慮深い。


その彼が自分と、あの反政府組織を結びつけたがる理由。それを推察する。


(テロ屋だと思われているのか)


<無頼>を操縦したことはルルーシュにも話してある。カレンと同じように、日本製KMFを扱ったライを日本側の人間と勘ぐってもおかしくはない。


ルルーシュにはナナリーがいるのだ。何に代えても守らなくてはならない、ただ一人の妹が。ならば、どう答えるべきか。考えなくても分かる。


「救われた事には感謝しているよ」


ライは正直に話した。


「彼らが来なかったら危ないところだった。だが、それだけだ。僕個人としては、あの組織に思うところは無い」


「賛同も反対もしない……と?」


「同じ質問をスザクにもされたことがある。しかし記憶の無い僕には、真にブリタニア人と日本人の立場を理解することは出来ないだろう」


「だが、お前は今の言葉の中で日本人という名称を使った。イレヴンではなく」

769: 2015/10/24(土) 06:30:22.53 ID:QEKfXJJDO
「…………」


以前、カレンから指摘されてから変えたのだ。日本人のスザクもいるのだし、特に問題は無いと思っていた。


「質問を変えよう」


ルルーシュが言った。艶めかしい黒髪の向こうで、アメジストのような瞳が輝く。


「お前はこのエリア11についてどう思っている?」


「……質問の意図が分からない」


「そのままの意味さ。一か月近く過ごしてきて、色々と見てきたものがあるはずだ。その受け取り方から、お前の正体について分かることもあるかもしれない」


「……そうだな」


やけに食い込んだ質問だと思いながら、ライはエリア11について振り返ってみた。


直前の文脈から考えて、ルルーシュが知りたいのはブリタニア人と日本人の立場に対する感想だろう。


「歪だとは思う」


今日の食堂で思ったことだ。日本という土地に、ブリタニアの文化が植え付けられている。それどころか、今まで築き上げてきた物は排斥され、ことごとく破壊される。


まるで存在そのものを否定するかのように。

770: 2015/10/24(土) 06:31:40.00 ID:QEKfXJJDO
「歪……間違っているということか?」


「違う。七年前の戦争で勝ったのはブリタニアだ。主導権を握るのは当然だろう。好きにしたらいい」


「ならば、今のエリア11の姿は間違ってはいない?」


「まあ、なるべくしてなったんじゃないのか」


気に入らない答えだったらしい。ルルーシュの目が僅かに細められた。


「負けた方が悪い。日本が弱かったからブリタニアに負けた。だからこうなっている」


負ければ蹂躙される。簡単な理屈だ。そうさせないための武力であり、外交だ。植民地にされた日本はそれらの努力を欠いたことになる。


「弱肉強食ということか。ブリタニア的な考えだな」


「そうかもしれない。……侵攻は鉱山資源を狙ったものだったらしいな」


「ああ。日本は世界最大のサクラダイト産出国だった」


「しかも地理的には中華連邦の目の前だ。それで一方的に敗北したということは、外交的な見通しが甘かった……そういうことだ。少なくとも未来の人間はそう判断する」


言葉の最中からむくむくと違和感が膨れ上がってくる。なんだろうか、頭が痛い。左目が熱を放ち、疼き出す。

771: 2015/10/24(土) 06:34:05.39 ID:QEKfXJJDO
「……正論だな。だが、それだけでは納得できない連中もいるだろう。だから各地では反政府活動が毎日のように繰り返されている」


「それはブリタニアが弱いからだ」


視界が霞む。耳鳴りもだ。何か強烈な──波のような意識が、自分を塗り替えようとしている。


はっきりしているのは思考だけだった。


「ブリタニアが弱い? 珍しい意見だな。最強の超大国だぞ」


「ナイトメアの設計思想やそれを用いた戦略は見事だった。だが、その後が良くない」


ライはすっかり温くなった紅茶を飲んだ。ひどく喉が渇いていた。


「壊すだけ壊して、道楽で痛みを与え続ける。ゲットーとそこに住む人間に、どれくらいの生産性があるのか無視している。指をさして笑い、足蹴にして笑う。そこになんの意味があるのか考えていない」


弱い。弱いのだ。


ゲットーで<サザーランド>と戦ったライには良くわかる。慢心があった敵兵は手負いの<無頼>に敗北した。


その前もだ。仕事もせず、公園で日本人を暴行しているブリタニア軍人がいた。


あれがブリタニアの"弱さ"だ。国は強大でも、末端がぬるま湯に浸かっている。国を守っているという自覚が無い。


弱い兵士はいらない。弱いのは駄目だ。弱いと負けてしまう。全てを奪われてしまう。

772: 2015/10/24(土) 06:35:39.81 ID:QEKfXJJDO
ライは頭を振った。脳がひどい熱で満たされているような気がする。思考はこんなにもはっきりしているのに。


「反抗を許しているというのはそれだけで甘い。ゲットーに住む日本人の人口はどれくらいだ?」


「確か……四〇〇〇万人前後だ。正しい数字は分かっていない」


「四〇〇〇万人。それだけの労働力を無駄にしている。気候に恵まれた土地もだ。そればかりか中途半端な統治のせいで、兵士や市民に無駄な被害が出ている……これは歪だろう」


植民地の使い方がなっていない。廃墟のまま放置されたゲットーと、取り残された人々。土地と人はこの上ない資源だ。それを捨て置くのはありえない。


突然の侵攻。ずさんな統治。サクラダイト以外の目的でもあったのだろうか。それにしては七年もの月日を無為に流しているのは妙だ。


「つまり……ブリタニアは膨れ上がった力に慢心していて、それがお前の言う歪みを生み出している。そういうことか」


ライは頷いた。そして驚く。ルルーシュと話しているという事実が、いつの間にかとても小さいものになっていることに。話の途中で彼の存在をほとんど忘れていた。


今までの言葉は質問への答えのはずだったが、その実、彼に向けてのものではなかった。


どっと疲れが押し寄せてくる。俯きながら、ライは言った。

773: 2015/10/24(土) 06:37:29.93 ID:QEKfXJJDO
「盛者必衰という言葉がある。ブリタニアが痛い目を見るのは、そう遠くない日かもしれない」


「歴史が動く、か。となると<黒の騎士団>の台頭は何かの合図にも思える」


「ブリタニア人からも支持を得ているのなら、その可能性は考えられる」


だいぶ落ち着いてきた。熱も疼きも去っていく。安堵と共に深い息を吐いた。


「"ゼロ"にその力はあると思うか。世界を変えられるだけの力が」


「さあな。会った事も無い僕には分からない。テレビの画面に映っている事があてになるはずもないんだ」


彼について深く考えた事がない。テレビに映った時もブレイク中の芸能人を見ている気分になるだけだ。娯楽の一環として見る分には、あの芝居がかった言動や悪趣味な外見は悪くないと思う。


だが、ルルーシュの視線が外れない。


「なんだ、いやに興味津々だな」


「いやなに、巷で話題を独占している人物のことだ。リヴァルではないが、俺も気になっているだけさ……なんだ、そんなに不思議か?」


「……君は周囲の意見をあてにしない人間だと思っていた」


そう言うと、ルルーシュは自嘲するように笑った。自分でも、らしくないと思っているのだろう。

774: 2015/10/24(土) 06:38:44.75 ID:QEKfXJJDO
「お前が思っているほど偏屈じゃない。意見を求める相手による」


「僕の意見なんか必要じゃないだろう」


「そうでもないさ。面白いと思っている」


面白がられているのか。ライはげんなりとした気分になった。


「で、どうなんだ」


「ゼロや<黒の騎士団>には関わりが無いが、恩はある」


「ゲットーの騒ぎか」


「それも勿論だが、ホテルジャックの件だ」


ライが学園に現れる直前、エリア11最大の反抗勢力である<日本解放戦線>の一部将校が独断でホテルジャックを敢行する騒ぎがあった。


その時の人質にエリア11副総督のユーフェミア・リ・ブリタニアが含まれていた事で有名な事件だ。そしてゼロ率いる<黒の騎士団>が初めて名乗りを挙げた事件でもある。


人質はユーフェミアだけではなかった。たまたま居合わせたミレイ、シャーリー、ニーナなどの生徒会メンバーもテロに巻き込まれたのだ。


彼女らを<黒の騎士団>は救出した。つまり、ライの恩人の恩人ということになる。

775: 2015/10/24(土) 06:39:52.85 ID:QEKfXJJDO
たとえゼロの目的が、発足した<黒の騎士団>のPRと、赴任してきたばかりのコーネリア・リ・ブリタニア総督の顔に泥を塗ることだとしても、民間人を救助した事実は変わらない。


そういった意味では、ライはあの組織に好意的な意見を持っている。


「お前は老成しているな」


「どうした急に」


「考え方に淀みが無い。成功と失敗、成長と挫折を積み重ねた者の思考だ。自分に出来る事と出来ない事を明確に理解している」


「何事にも無関心なだけだろう。冷淡な人間だ」


「そうではないさ。本当にそれだけの人間ならナナリーは懐かないし、俺もこうして部屋に招いたりはしない」


「…………」


「だから気になる。お前の正体が」


「ろくな奴じゃなかったことは確かだ」


ライは自らの右手を眺めた。薬物と機械によって人為的に強化されたという肉体。ルルーシュのような一般──とは言い難いが──の学生とこんなふうに話していていい存在ではない。

776: 2015/10/24(土) 06:42:49.26 ID:QEKfXJJDO
「お前は記憶が無いのに、考え方はしっかりしているんだな」


「そうだろうか」


「盤を挟めば分かることもある。チェスはそういうゲームだ。筋道を立てた思考。徹底したリスク管理。相手の動きを読み取る洞察力。そして何より判断力。それらが無くては勝つことは出来ない」


ライは居心地が悪そうに身じろぎした。先の対局で勝利出来たのはルルーシュが手を抜いていたからに過ぎない。それなのにこうしてほめちぎられると、彼の普段のキャラクターと相まって、非常に気味が悪かった。


カレンもそうだが、目の前の少年も、いつもとは様子が違うような気がしてならない。何かを選定し、評価を下す時のような静かな傲慢さが見え隠れしている。


「らしくない話をしたな。時間にはまだ余裕がある」


時刻はまだ二三時前だ。ルルーシュは整然と並べられた駒の一つ──黒のキングを手に取った。


「僕は構わないが、君はまた居眠りをする気だろう。シャーリーに怒られるぞ」


先攻のライは白いナイトを動かしてから言った。よく磨き上げられた木製の駒が、プラスチック製の盤にコツリと置かれる。


「バレないようにすれば良い。お前にも今度、秘訣を教えてやろう」


「真っ当な努力をするつもりはないんだな」


ルルーシュは答えず、返答の代わりにキングの駒を置いてきた。


ライは頭を振った。

786: 2015/10/29(木) 23:21:23.66 ID:dA8mO3kDO
朝の生徒会室。ライが入ると、やはりカレンの姿があった。膝にアーサーを乗せ、ソファーの上でくつろいでいる。


「おはようカレン」


「……おはよう」


ライは鞄を机の上に置くと、まっすぐカレンの方へ向かった。いつもなら長机の傍に座り、そのまま仕事か読書を始めるはずなのに。


当然、お世話係主任も異常に気づく。訝しげな視線を真っ向から受けつつ、ライは口を開いた。


「カレンは猫が好きなのか」


「え……?」


テーブルを挟み、彼女の対面のソファーに腰掛け、さらに続ける。


「アーサーをよく構っているだろう。だから猫が好みなのかと思って」


「……嫌いじゃないけど」


カレンの態度はそっけない。警戒されているのだろう。普段は無口なライが突然いつもとは違う行動を取り、仕事を放り投げて雑談に興じようとしている。


「…………」


「なんなの?」


しばし見つめていると、カレンは露骨に威嚇してくる。若干の恐怖を感じながらも、ライは彼女との接触を続けた。

787: 2015/10/29(木) 23:23:06.91 ID:dA8mO3kDO
「最近、学校はどうだ」


「…………」


反応が薄い。気味悪がられているのがわかる。カレンは膝の上のアーサーを抱きながら、


「普通よ」


「普通。普通とはなんだ」


「だから、いつもと変わらないってこと」


責めるような目つきで言う。


(駄目だ……気難しすぎる)


口の中が乾く。ライは作戦の失敗が近づいてくるのを感じた。右手の中には折り畳まれたルーズリーフのメモ切れが握られている。


水泳部の朝練が始まる前、シャーリーから受け取ったものだ。ページ一枚分の紙片には、可愛らしい丸っこい字でカレンに対しておこなう尋問の方法とその内容が記載されている。


好きな食べ物や服、音楽のジャンルやミュージシャン、本や映画、使っている化粧品や香水。休日の過ごし方。そして一際大きい字で『好きな男の子のタイプ!』。


これらを訊いて訊いて訊きまくれ、というのがシャーリーから提案された対カレン用の策だった。


効果は今のところ挙がっていない。

788: 2015/10/29(木) 23:24:41.50 ID:dA8mO3kDO
「体調はどうだ。近頃はフルタイムで学園にいるが」


「最近は良いわ。あと、まるで私がパートタイマーで学園にいるような言い方はやめて」


「気にしないでくれ。では次の質問だが」


「…………」


カレンからのジットリとした視線は外れない。彼女の腕の中でじゃれつくアーサーを眺めながら、ライは暗記していた質問内容を繰り出していく。


「好きな食べ物はなんだ。やはり肉か」


「訊く気ないでしょう? 肉じゃありません」


「では何だ」


「……当ててみたら?」


どうせわからないでしょ? とカレンの表情は語っている。明らかにこちらを馬鹿にしている口調だ。無理もない。


「スペアリブ」


「外れ」


鼻で笑われる。


「シンプルにステーキ」


「残念」


「厚切りステーキ」


「違うわ」


「サーロインステーキ」


「いい加減にして」


またカレンが怒りはじめた。

789: 2015/10/29(木) 23:26:36.02 ID:dA8mO3kDO
「分かったぞ」


ライは閃き、指をパチンと鳴らしたくなった。出来ないのでやらなかったが。


「ハンバーグだな。それとクレープ」


「え……」


図星だったようだ。勝利を確信する。


「な、なんで……」


「前に行った喫茶店。君はモーニング・セットを平らげていたにも関わらず、ハンバーグも平らげた」


「ま、まあ、嫌いじゃないけど……。あと、平らげたって言うのはやめて」


「クレープの方も同様だ。普段は優雅に食べるのに、あの時はかぶりついていた」


「そ、それが普通の食べ方じゃない」


「しかも口元にクリームが付いていた。いつもの君ならそんなスザクみたいなミスはしない。好物を前にして、我を失っていたとしか……」


「あ、あなたね……!」


カレンが睨んでいる。これではいつもと同じだ。ライはシャーリーから教えられていた『女の子が言われたい言葉ベストスリー』を思い出す。


①可愛い

②セクシー

③センスが良い


知性を感じないし、主な用途は不明だが、なにせ喜ぶ言葉だ。危機回避くらいには使えるだろう。

790: 2015/10/29(木) 23:27:59.13 ID:dA8mO3kDO
「気にしなくていい。可愛いぞ」


思いつきだったのが良くなかったらしい。取ってつけたような言い方だった。おかげでまったく響かない。


「冗談でしょ?」


「冗談じゃないぞ」


事実、嘘ではなかった。親衛隊が結成されるほどの容姿を抜きにしても、美味しそうにハンバーグやクレープを頬張る姿は可愛らしい。


それを言えばいいのに、ライは褒めるコツというものを知らなかった。


「……今日のあなた変じゃない? いつも変だけど」


「そうかもしれない。好きな本はなんだ」


カレンからぶつけられる罵倒に似た何かを受け流しながらも、ライは質問の手を緩めない。


「本……。特にないかしら」


「嘘だな。ナイトメア関連の本を読んでいただろう。しかも素人は手を出さないような専門誌だった」


「なんで知ってるの」


「生徒会室に置いてあったのを見た」


「……そうよ。私の。女子高生らしい趣味じゃないから、他の人には言わないでよ」


「わかった」


ナイフといい、本といい、隠し事が多いわりに管理が雑だ。そう思ったが、ライは言わなかった。いま彼女を不必要に刺激してはいけない。

791: 2015/10/29(木) 23:28:51.24 ID:dA8mO3kDO
「あなたは恋愛小説ばかり読んでいるわね」


「ミレイさんから渡されたからな。人間心理の勉強にもなる」


「ふぅん……。で、何かわかった?」


「もちろんだ。君もル……気になる男性が出来たら僕を訪ねてくるといい。的確なアドバイスをしてみせよう」


「気持ちだけ受け取っておくわ」


カレンは相変わらずそっけない。この手の話題において、自分はまったく実績を挙げていないのだから当然だとライは思った。


彼女はアーサーの後頭部に顔を寄せ、たどたどしい口調で尋ねてきた。


「その、あなたは……気になる人とかいない、の?」


「気になる人。例えば」


「た、例えばって……。シャーリーとか」


「どうして彼女だと思った」


貴重な意見だと思った。自分はシャーリーに好意を抱いているように見えるらしい。恋愛感情にまったく理解の無いライからすれば、聞いておいて損の無い話だ。


「昨日、食堂で仲良さそうにしてたでしょ? 最近は彼女と話すところをよく見るし」


「なるほど……」

792: 2015/10/29(木) 23:29:19.64 ID:dA8mO3kDO
確かに最近はシャーリーと接する機会も増えてきたかもしれない。彼女と話しているとリラックス出来る。


明るく表情豊かなシャーリーと、陰鬱で無表情なライでは対照的だ。自分に無い物を山ほど持っている彼女から、無意識に何かを学ぼうとしているのだろうか。


「シャーリーは魅力的な女性だが、意中の相手がいる。横恋慕はしたくない」


そう返すと、カレンは驚いた顔した。


「意外ね」


「なにがだ」


「普段のあなたなら『僕には恋愛なんて分からない』とか言いそうじゃない」


「そうかな。だが、トラブルの原因にはなりたくない。人間関係では特にな」


本心だった。男女間に起こる痴情のもつれは周囲のコミュニティを崩壊に追い込むのだ。それぐらいのことは、数々の恋愛小説を読んだライにだって分かる。


だからこうして慣れない行動を取り、大変なストレスを抱えながらカレンの内なる目的を探ろうとしているのだ。

793: 2015/10/29(木) 23:30:10.82 ID:dA8mO3kDO
「いつも思うんだけど、あなたって消極的すぎない? 学園に来た直後ならまだしも、今だったら問題の一つや二つ起こしても大丈夫よ」


「…………」


現在進行形で問題は発生しており、それを解決しようとしている真っ最中なのだが、あいにくとそれを言うわけにはいかなかった。


カレンが心配してくれているのは理解できる。ただ、それが問題を引き起こしているのだ。周囲とは一定の距離を置いているせいで、彼女は自身の影響力を正しく認識していない。


自分の知らないところで問題がひとりでに大きくなっていくというのは不憫だ。そしてその相手も悪い。


なんの社会的地位も持たないライでは、カレンの持つ影響力に翻弄されるだけ。彼女と話すだけで、近づくだけで立場は悪化していく。立場なんてのはどうでもいいのだが、それが大規模なトラブルに発展するとなれば話は別だ。


学園全体に迷惑がかかるかもしれないし、周囲の人間が巻き込まれるかもしれない。それは駄目だ。


つくづく、ミレイがいてくれればと思う。彼女はトラブルメーカーだが、その実、集団を操ることに長けている。一〇〇〇人以上の生徒達に適度な娯楽を提供して関心を集め、数ある行事を成功させることで強固な信頼を獲得しているのだ。

794: 2015/10/30(金) 00:01:29.34 ID:2chqpXDDO
今のライを取り巻く現状を知れば面白がるだろうが、きっと良い方向に持っていってくれるに違いなかった。残念でならなかった。


(いや、これは甘えだ)


ここにいない誰かを頼ろうなどと。恥ずべき考えだと自戒した。やるべきことは分かっている。協力者もいる。手札もまだ残っている。これ以上の状況を望むのは完全な甘えだ。


まずはカレンの動きを止める。彼女の厚意を踏みにじることなく、本来あるべき場所へと誘導する。


間違いなく親衛隊を刺激することになるが、それはいい。あの連中を止めることはもはや不可能だ。対処法は既に完成しつつある。結果として被害を受ける人間は何人か出てくるだろうが──それは仕方がない。


「服なんかはどうだ」


「服?」


「ああ。いつもは制服か、コスプレ……だったか。ああいう奇抜で露出度の高い衣服を好んで着ているだろう。プライベートで使用する物も──」


「あのね」


強い口調で遮られた


「あれは会長の悪趣味に付き合わされただけなの。シャーリー達は喜んでたかもしれないけど、断じて私は違うから。覚えておきなさい」

795: 2015/10/30(金) 00:02:44.27 ID:2chqpXDDO
「そうか。君も楽しんでいるように見えたが」


楽しんでいなければ、感想を求めてきたりはしないだろう。そう思ったのだが、カレンにキッと睨まれたので口を閉ざした。


「服装で言ったら、あなただって大概だと思うけど。制服以外の服とか持ってるの?」


「あるぞ」


「どんな服?」


「体操着」


「真面目に答えて」


真面目に答えたつもりだったのだが。ライは僅かな混乱に陥った。


「ミレイさんから支給された物以外は持っていない」


こう答えればいいのだろうか。


「でしょう? そうだと思った」


カレンの機微は目に見えて良くなる。


人間の感性とは複雑なもので、褒められたからといって喜ぶとは限らない。何気ない一言が好転や悪化を招くこともある。


そして、そういった機微を読み取る感覚は他人と触れ合うことでしか育まれない。一か月程度の積み重ねしかないライは、生後間もない赤子と大して変わらないのだ。


本当に難しい。


「…………」


「良ければ一緒に洋服とか見に行ってみる? あなた一人じゃ不安だから」


「ん……そうだな」


確かに制服だけでは色々と問題がある。何か問題が起きた時に、一目でアッシュフォード学園の関係者だと分かってしまうからだ。

796: 2015/10/30(金) 00:04:08.23 ID:2chqpXDDO
第一、仮入学生でしかない自分が、我が物顔で指定の制服を着ているのもおかしな話だ。


「あなた見た目は悪くないんだし、少しはおしゃれに気を使ってみたら?」


「……しかしな」


ライの金はミレイから貰った物だ。ほとんど使っていないために貯まり続けているが、それを娯楽に使うというのには抵抗があった。


人の金で遊ぶのはみっともない行為だ。そう思うくらいの倫理観は持ち合わせている。


「嫌なの?」


ライが黙っていると、カレンはどこか不機嫌そうに尋ねてきた。


「嫌じゃない。……そうだな、プライベートで着る服くらい持っていた方がいいだろう」


「そう? じゃあ決まりね」


今度は一転して嬉しそうに笑う。たった今、面倒事が増えたばかりだというのに。理由はまったく分からなかった、


「すまないな」


「ま、まあ、これもお世話係の仕事だし」


(そうなのか……)


気づけば、いつの間にか主導権をカレンが握っている。これでは普段と変わらない。

797: 2015/10/30(金) 00:04:54.32 ID:2chqpXDDO
一日の授業が始まっても、ライの攻勢は大した効果を挙げなかった。


質問に質問を重ね、相手の弱みを突こうとしても、結局はいつもの如く逆に内情を聞き出されて叱られてしまう。


「あなた、ナナリーにこんな本を読み聞かせているの? 信じられないわね」


カレンから軽蔑の視線を向けられる。自分の席に座ったまま、ライは息苦しそうに呻いた。


ついに持ち物検査まで実施されてしまった。このままではまずい。


「これから気温が高くなる」


「そうね。だから?」


「ナナリーからホラーが読みたいという要望があった。その手のジャンルはルルーシュから禁止されているため、これは極秘の依頼ということになる」


「ホラーって……これホラーなの?」


カレンは持っていた本を開き、流し読んでいく。ぱらぱらとページをめくっていた手が、あるところでとまった。そこには濃厚な黒い障気をまとったタコのようなクリーチャーが描かれていた。荘厳だが、恐怖感を煽る不気味な絵だ。


「コズミックホラーというらしい」

798: 2015/10/30(金) 00:07:30.67 ID:2chqpXDDO
「こんな挿絵がついているような本をナナリーに読もうとしていたの?」


「絵は重要じゃない。ナナリーからの要望を貪欲に盛り込んでいった結果、この本に行き着いた」


夏が近づいてきているとの理由から、怖い話が聞きたいとリクエストがあった。ナナリーはあれでかなり豪胆なので、ありふれた作品では効果が薄い。


加えて、海に行ってみたいという要望もあった。足が不自由なナナリーは海水浴を楽しめない。せめて雰囲気だけでも、とライは思っていた。


しかもナナリーはギリシャや北欧の神話を好んでいる。さらに言えば、魚介類を始めとした海産物はライの趣向に合致している。


つまり、これしかなかった。運命的だとさえ思っていた。


これらを懇切丁寧に、ライはカレンに説明した。


「……あなた、おかしいんじゃない?」


だが、分かって貰えないらしい。理解を得られなかったライは落胆しつつもカレンに言った。


「僕が独断で決めたと思っているだろう」


「違うの?」


「ナナリーと親好の深いスザクにも一緒に選んでもらった。だから間違いない」


「…………」

799: 2015/10/30(金) 00:08:48.87 ID:2chqpXDDO
スザクは幼い頃からルルーシュやナナリーと仲がいい。その彼の意見を取り入れたのだから、この選定には一定以上の力があるはずだ。


「本当にそう思ってるの?」


「ああ。残念だが、君や僕の意見よりも参考になる。間違いない」


「なら、ナナリーに一番詳しいルルーシュの意見が必要ね。はい、没収」


そこはかとなく邪悪な笑みを浮かべたカレンに本を取り上げられてしまった。ライは席に座ったまま取り返そうと手を伸ばすが、叶わない。


「待ってくれ。ルルーシュに漏洩するのは困る」


「困るような物をナナリーに聞かせるなんて論外よ。これは私が返却しておくから」


取り付くしまもなく、カレンは出て行ってしまった。ライは苦い敗北感を抱えたまま、一人ため息を吐いた。


会話をしてしまったせいで周囲からの視線が痛い。コストばかりかさんでいく。


「ぜんぜん駄目じゃない」


シャーリーがとことこと近づいてきて感想を述べた。

800: 2015/10/30(金) 00:09:49.93 ID:2chqpXDDO
「そう見えたか」


「見えた。本当に頭上がんないんだねー」


「…………」


しみじみと言われる。やはり反論できない。


「でも、昨日と比べれば柔らかくなったと思わない?」


「どうだろう。本を取り上げられた」


「当たり前でしょ。ナナちゃんに変なもの聞かせようとして」


「変な物……」


ショックだった。真剣に選んだのだが。スザクは信用出来ないということだろうか。


「質問の方はどう? ちゃんと答えてくれた?」


「お、大方は」


「んー? 大方?」


怪しむようなシャーリーの視線。彼女から貰った質問集の消化率は四割といったところだった。あまり芳しくない。


「彼女のガードは固い。というか、あれは君が訊きたいことだろう」


男のライが化粧品の事など聞いてどうしろというのか。そう言うと、シャーリーの頬が赤くなった。

801: 2015/10/30(金) 00:10:49.97 ID:2chqpXDDO
「そ、そういうわけじゃないよ?」


「…………」


やましい事でもあるのかシャーリーは誤魔化すように笑う。ライとしては助かっているので、特別に言うことはない。彼女とカレンが仲良くなる一助になれれば嬉しいと思うぐらいだ。


「あ、ねえライ」


「なんだ」


「今日の放課後ってヒマ?」


「これといった用事はないが」


スザクは学園にいるが、<特派>はいま忙しいらしい。ロイドが新しい研究を始めたそうで、助手のセシルもそれに付き合わされている。


しかし、テスターであるスザクは研究がある程度の段階に入らないと仕事が回ってこないのだ。近いうちに彼もまた忙しくなるのだろう。


カレンも最近は大人しいので、放課後のライには時間がある。


「良かったら、放課後にちょっと付き合ってもらいたいんだけど」


「わかった」


あっさり答えると、なぜだかシャーリーはつまらなそうに唇を尖らせた。


「なーんかリアクション薄くない?」

802: 2015/10/30(金) 00:12:09.10 ID:2chqpXDDO
「そんなことはない。……また水泳部の買い出しだろう」


「んー。まあ、そうなんだけど」


シャーリーからのこういった誘いは初めてではない。学園に来て少し経った頃、ルルーシュが捕まらないといった理由で声を掛けられ、荷物持ちとして同行したのがきっかけだった。


その後、学園とショッピングモール間を荷物を持って往復出来ないという、ルルーシュの信じられない程の虚弱性が露呈し、ライが水泳部の荷物持ちとしての役割を担っていた。


……担っているのだが、シャーリーはどうしてか、浮かない表情になっている。


「どうした」


「い、嫌だったら断ってくれていいんだよ?」


「嫌じゃないぞ」


「……ホントに?」


「ああ」


その言葉は信じられていないらしく、シャーリーはライの顔を上下左右の様々な角度から見てくる。


「わかんないよ。むぅ……」

803: 2015/10/30(金) 00:13:06.44 ID:2chqpXDDO
「唸られても困る」


「だってキミ、カレンと話してる時はもうちょっと喋るし、表情もちょっとだけ……ほんのちょっとだけ豊かな気がするもん」


「…………」


そんなことを言われても、ライにはどうしようもない。


シャーリーとカレンでは人としてのタイプが違う。人懐っこく明るいシャーリーと、そっけなくて大人しいカレン。その二人を同じように扱うほど、ライも唐変木ではない。


「君だってルルーシュとリヴァルとでは接し方を変えるだろう。それと同じだ」


「そっか、なるほど……って、キミの中で私ってリヴァルと同じような位置なの!?」


「違う。物の例えだ。どうしてそうなるんだ」


彼女はリヴァルをなんだと思っているのだろう。コミュニケーションが滞り過ぎて、ライはほとほと困り果ててしまった。

804: 2015/10/30(金) 00:14:07.77 ID:2chqpXDDO
「むー」


またも唸られる。どうしてだろうか。今までのやり取りから、その理由を推測する。


「…………」


恐らく、シャーリーは数回に及ぶ自身の頼みを迷惑がられていると誤解しているのではないか。そんなつもりは全く無かったが、ライの必要最低限を下回る口調から、そういった考えに行き着いたのかもしれない。


そう過程した場合、いま言うべき事は一つだ。


「君と出かけるのは楽しい。だから迷惑じゃない」


「…………」


誤解を生まないよう心がけた率直な言葉を伝える。シャーリーからは未だに疑うような視線が向けられていたが、その白い頬が朱に染まった。


「そ、そっか……」


「今日の放課後だな。君の準備が出来たら声を掛けてくれ」


「うん。じゃ、じゃあお願いねっ」


こくこくと頷き、シャーリーは足早に去っていった。誤解は解け、機嫌は直ったようだが、挙動不審だった。


「…………」


ライはまたもため息を吐いた。


周囲からの圧力が、また一段と増していたからだ。

814: 2015/11/05(木) 10:57:54.40 ID:+RjyVImDO
放課後になり、ライはシャーリーと共に租界の街を歩いていた。ショッピングモールまでの道すがら、彼女と話すのはもっぱらカレンの事だ。


「えー!? 絶対ウソだよっ」


シャーリーが信じられないといった表情で言う。ライが朝の生徒会室でカレンに尋ねたことの中に、普段愛用している化粧品についてのものがあった。


「本当だ。ほとんど頓着しないらしい」


「だ、だってあんなに人気あるのに……。あ、でも確かにメイクしている感じしないなぁ」


驚いた表情から一転、今度は両腕を組んでうんうんと唸る。ここまで感情豊かで考えを表に出す少女も珍しい。話題の中心にいるカレンとは正反対の印象を受ける。


「でも、化粧品入れるポーチ持ってたよね。あのピンクのやつ」


ライの眉がピクリと揺れた。


言われてみれば、カレンが手の込んだメイクをしていないのは当たり前だ。化粧品を入れるためのバッグには極太の刃物が収納されているのだから物を持ち込むこと自体、不可能に決まっている。


まずい。どうして彼女はこう、変なところでずさんなのか。中身を見られたり、突っ込まれて訊かれたりしたら困るだろうに。


815: 2015/11/05(木) 11:00:38.04 ID:+RjyVImDO
シュタットフェルト家の令嬢が刃物を持ち歩いていると露見するのは非常によくない事だ。


フォローをする必要がある。あのポーチの中身を誤魔化しつつ、シャーリーの興味を他に逸らさなくてはならない。


「あのポーチに近づいてはいけない。あれは……その、カレンにとってなくてはならない物なんだ」


「ふーん? どんなの?」


「言えない。あれは彼女の一部と言ってもいい物で……失ったり、他人に見られたりすると、カレンは精神の均衡を失う。半狂乱になって、周辺におびただしい被害を与えるだろう。氏人や怪我人が出ることも考えられる」


「……また変なこと言ってる」


「とにかく、見てはいけない。彼女自身が見せてくれるまでは」


「そんな大切な物が入ってるの? 化粧品じゃなくて?」


「ああ。だから彼女はとても厳重に取り扱っている。君の日記帳と同じだ。許可無く触れたりしたら、きっと酷く傷つくだろう」


「えー? こないだ見た時はポイッと投げてたけど」


「なに……?」


信じられない。刃が飛び出すギミックが内蔵されているのに、そんな手荒な扱いをしているのか。落とすのも無理はない。


「ライは中身知ってるんだ」


「あ、ああ。ふとした拍子に拾ってしまって……ややこしい事になった。だから、シャーリーもあまり詮索してやらないでくれ」


「うん。けど、珍しいね」


「何がだ」


「キミがそんなに動揺するの、初めて見たから」

816: 2015/11/05(木) 11:01:37.51 ID:+RjyVImDO
「したくてしてるんじゃない」


目を輝かせたシャーリーがぐいぐいと近づいてきて、ライは困った表情のまま後ずさる。かなりの圧力だった。


「やっぱりカレンは特別なんだ?」


「いや……」


カレンは特別というより、特殊だ。隠し事が多すぎる。


そして何故か、ライは彼女の秘密に関わることが多かった。ナイフの件もそうだし、KMFの件もそうだ。ずいぶん前に、中庭で宙を舞っているところを目撃したこともある。


隠せ隠せと本人が言ってくるのだ。彼女の秘密を他人に知られないよう常に注意していては、気疲れしてしまうのも仕方のないことだった。


その点、なんでも明け透けに言ってくれるシャーリーの隣は安心できる。明朗快活を絵に描いたような少女だ。誰にでも分け隔てなく親身に接する。その人柄のためか、クラスや部活動に限らず友人がとても多い。


ライには出来ないことを意図せず、軽々とやってのける。偉大な人物だ。周囲を明るくさせる彼女こそ、特別な人間なのではないかと思う。


「どしたの? 急に黙っちゃって」


「……なんでもない。カレンと仲良くしてやってくれ」

817: 2015/11/05(木) 11:03:23.11 ID:+RjyVImDO
「なによ。変なの」


シャーリーは頬を赤くし、それを隠すように早足になる。前を歩く彼女の背中を眺めながら、ライはトウキョウ租界の街並みに意識を向けた。


建ち並ぶビルのガラスが夕陽を反射してキラキラと輝いている。風は穏やかに吹き、その中を一日の仕事を終えた人々が歩いている。


シャーリーは人波を泳ぐように進んでいく。足取りは軽やかで、どこかリズミカルだった。


ライは人混みを嫌うので、この時間帯に人通りの多い場所はなるべく使わないようにしているのだが、そんなことはどうでもよくなってしまう。


「あっ」


物思いに耽っていると、不意にシャーリーが立ち止まった。


「どうした」


「ほら、ここだよ。覚えてる?」


シャーリーは通りの片隅にぽつんと置かれたベンチを指差した。


「そのベンチがどうかしたのか」


「えー? 忘れたの?」


懐かしむような表情だったのに、一瞬で非難がましい視線になる。しかし悲しいことに、最近はその手のものを向けられるのにも慣れてきてしまった。

818: 2015/11/05(木) 11:04:55.00 ID:+RjyVImDO
「前に、私がここで声をかけたでしょ。ほら、日記帳を一緒に選んでって言ったやつ」


彼女の言おうとするところが分かったライは頷いた。


「ああ。それなら覚えている。大切な思い出だ」


「う……。そ、それよりもキミのことをね」


「僕の……?」


「うん。まだ一か月しか経ってないんだなあって。キミが私たちの学園に来てから」


シャーリーの瞳はベンチを見ているが、実際はそこに何か大切な物を重ねているのだろう。柔らかな声には愛でるような優しさが込められていた。


「…………」


「ずいぶん馴染んだよね」


「そうだろうか」


「そうだよ。最近はちょっとだけ笑ってくれるようになったし。さっきみたいに」


「笑っていた。僕がか」


無意識に笑っていたのだろうか。にわかには信じられず、ライが尋ねると、シャーリーは右手の人差し指と親指でジェスチャーを作り、


「ちょっとだけだよ。ちょっとだけ。ほんのちょっぴりね」


意地悪げに言ってきた。善良な少女が精一杯ワル振ろうとしている様は微笑ましい。

819: 2015/11/05(木) 11:06:01.20 ID:+RjyVImDO
「そんなに変わっていないだろう」


「変わったよ。ここで話しかけた時とか、凄く近寄り難かったもん」


「そ、そうだったのか」


衝撃的なカミングアウトだった。いつもにこやかな彼女からもそんなふうに思われていたとは。


「ぼんやりしてるかと思えば、凄く難しい顔してたりするし。今もそうだけどね」


「……だが、シャーリーはこうして良くしてくれている」


「ふふーん。さあ、それはどうしてでしょう?」


悪戯っぽい笑みを浮かべたシャーリーは両手を後ろ腰に回したまま、体を前に折り曲げて見上げてくる。


「簡単だ。君が優しいからだろう」


ライが即答すると、彼女はたじろいだ。


「え? えと……せ、正解! 私が優しいからっ」

「……?」


どうしてシャーリーが動揺しているのか分からず、ライは首を傾げた。

820: 2015/11/05(木) 11:08:22.99 ID:+RjyVImDO
「でも、それ以上にキミが優しいからだと思うよ」


「……ユニークな意見だな」


とても信じられない。社交辞令の一種だろうと思ったライは適当に受け流し、シャーリーから視線を外す。


「あ、信じてないでしょ?」


「証拠が無いからな」


優しいとはなんだろうか。慈悲や包容、幸福や安寧といった言葉とは無縁のライには、自身がそういったプラス方向の性質を持っているとは思えなかった。


「あるよ。いま、私のお願いを聞いてくれてるでしょ。それが証拠」


「ただの返礼だ。君には普段から世話になっているからな」


「ほーら、またそういうこと言う。キミって変なところで頑固だよね。普段は素直な癖に」


「頑固……。君こそ、他人を信用し過ぎるのは良くない。いつかトラブルに巻き込まれるぞ」


「わ、私だって誰にでも話しかけるわけじゃないよ」

821: 2015/11/05(木) 11:10:10.42 ID:+RjyVImDO
「ふむ……」


「苦手な人だっているし、嫌いだったヤツもいたし……」


「そうなのか」


単純に珍しい、と感じた。だが当たり前の事でもあるのだろう。人に個性というものがある以上、どうしても得意不得意、好き嫌いは発生してくる。


シャーリーは途方もないほどの善人だが、超人ではない。彼女にも嫌いな人間や苦手な相手だっているのだ。


先ほどの言葉通りなら、学園に現れた頃のライはシャーリーにとって少なくとも"苦手"な人間だったはずだ。


だが、そんな相手にも勇気を出して声をかけ、こうして──ライから見ればだが──良好な関係を築ける。それこそがシャーリー・フェネットという女性の持つ清廉な優しさの本質なのかもしれない。


素晴らしい能力だと思う。自分とは雲泥の差……いや、次元そのものが違う。


「キミの方が誰かと仲良くなるの得意じゃない?」


「……嫌味だな」


ライはどんよりとした気分になった。


822: 2015/11/05(木) 11:12:23.71 ID:+RjyVImDO
「だってほら、ルルとかカレンみたいな気難し屋さんと仲良くなってるじゃない」


「……確かに、あの二人は気難しいな」


ルルーシュは偏屈なところがあるし、カレンは排他的な部分がある。そして両者とも周囲に対して強い警戒心を持っている。


「そんなに仲が良いように見えるか」


「見えるよ。普段の二人を知ってる人が見れば、驚くんじゃないかな」


「…………」


「だから、きっとキミも凄いんだよ。優しいって言ったのはそういうこと。……ちょっと羨ましいけどね」


少しばかり寂しそうな笑顔の後、シャーリーは思い出したような表情になった。頭を上げた弾みで長い髪がさらりと揺れる。


「そういえばキミ、部活とか入らないの?」


「部活。……あの騎士研みたいなものか」


「そうそう。会長からも言われてたんだよねー。キミをもっと活動的にしようって」


「…………」


少し前、ミレイからクラブ活動をしてみないか、という提案を受けていたことを思い出す。検討するとは答えたが、実質放置中だった。

823: 2015/11/05(木) 11:13:47.44 ID:+RjyVImDO
それで痺れを切らし、周囲に働きかけたのだろう。生徒会で運動部に入っているのはシャーリーだけだ。


「だから、もし良ければ……だけど、水泳部に入ってみない?」


「僕がか」


「うん。考えてみると、キミが運動してるところとか見たことないし。……なんで体育とか出ないの?」


基本的にライは体育の授業をサボっていた。ノートを取る必要が無いからだ。運動嫌いのルルーシュと一緒になって屋上あたりに逃げ込む。


「運動はあまり好きじゃない」


「えー? キミまでそんなこと言うの? 楽しいじゃん、体育」


「いや、複雑で有機的な事情があって……」


体育の授業ではマットなどを使う機械運動の他、短距離走やマラソンなどの陸上科目もある。それはまだいい。


問題は球技や格闘技の授業だ。


恐ろしい数の男子生徒が今が好機とばかりに殺到してくる。あらゆる手段を講じてライの大して立派でもない名誉を汚すべく、全力を尽くそうとしてくるのだ。


理由が不健全極まりないし、何より鬱陶しい。何人か昏倒させてやろうかと思ったが、キリが無い上に学園生徒に危害を加えたくないという感情が邪魔をした。

824: 2015/11/05(木) 11:15:24.99 ID:+RjyVImDO
「水泳部良いじゃん。楽しいよ。それにほら……み、水着姿の女の子もいっぱいいるよ?」


羞恥心をこらえながらシャーリーが言ってくる。顔が赤いのは夕日のせいだけではないのだろう。


「水着を持っていない。なにより、僕は仮入学生という身分だ。普通の生徒と同列に扱われるべきではないと思う」


彼女が責任感や好奇心から誘っているわけではないというのは分かる。だからこそ、こちらも誠意をもって口にした。


シャーリーはライをじっと見ていたが、しばらくして目を離し、不機嫌そうな口調で言った。


「むぅ。やっぱり頑固じゃない」


「……すまない」


彼女の善意はありがたいが、それでも線引きは大事だ。そこを曖昧にしてしまえば、自分はずるずると周囲の人間に甘え、堕落してしまうに決まっている。


他人から見ればちっぽけな自制心だろうが、ライにとっては大切なものだった。


「でも、気が変わったらいつでも言ってね。見学だけでもいいし。待ってるから」


そう言って、シャーリーは笑ってくれた。

825: 2015/11/05(木) 11:17:16.47 ID:+RjyVImDO
「あっ……!」


しばらく歩き、目的地のショッピングモールも間近という時だった。またも何かに気づいたシャーリーが通り過ぎようとしていた店のショーウィンドウに駆け寄る。


「……?」


食べ物屋ではない。彼女が心を奪われている物に興味が湧き、ライも後に続く。シャーリーの背中越しにガラスを覗くと、そこには鮮やかなデザインの白いドレスが飾られていた。


(これは確か……)


知識の引き出しから言葉を取り出す。


ウェディングドレスという物だ。結婚式などで女性が着る衣服。一着あたりの値段はオーダーメイド品でおよそ三八〇〇ポンドほど。


見れば、ドレスの他にも結婚式についてのカタログなどを置いている。ここはどうやらブライダル・ショップのようだ。


シャーリーは白いドレスに目を輝かせている。異常な関心の寄せ具合だ。近々、婚約の予定でもあるのだろうか……などとライが考えていると、


「私ね……。小さい頃、お父さんに良く言ってたんだ。『パパのお嫁さんになる』って」


柔らかな声で彼女は言った。大切な記憶を思い起こす時の声だ。

826: 2015/11/05(木) 11:18:45.09 ID:+RjyVImDO
「…………」


ライは首を傾げた。ブリタニアでは近親との結婚は出来ないはずだ。なにか特殊で複雑な家庭事情があるのかもしれない。


「結婚なんてよく分からなかったのに、こういうドレスに憧れてね……」


「そうなのか」


結婚式というのは女性にとって人生有数の晴れ舞台だ。好意を寄せ合っている異性と将来を誓い合う儀式なのだから、そこに憧れを向けるのはライにも理解できる。


なにせ、恋愛物の小説は大抵、結婚式の場面で大円団を迎えるからだ。


シャーリーはもう結婚が可能な年齢である。ウェディングドレスという象徴的なアイテムに特別な感情を持つのは、ある種当然のことだ。


「いつも思ってたんだ。いつか着てみたいなあって」


「具体的な将来設計を持つのは良いことだ」


ライのコメントは野暮そのものだった。


幼い頃の思い出を呟いていたシャーリーの声が止まる。ガラスに映っている彼女の表情が羞恥に染まった。耳が真っ赤になっているのが後ろからでも分かる。

827: 2015/11/05(木) 11:19:49.69 ID:+RjyVImDO
彼女は振り返ると、ふいと顔を背けた。やはり真っ赤だ。


「ごめんなさい。意味分かんないよね。急にこんな話されても」


「いや……」


なんて言っていいか分からず、言葉を濁す。そんなライに、シャーリーはまくし立てるように言った。


「忘れてよ。恥ずかしいから」


「恥ずかしいことは無いと思うぞ。女性なら誰でも考えることだろうし、可愛らしい思い出じゃないか」


適当な語句が見つからない。結局、一般論に頼った。恋愛小説を熟読しておいて本当に良かったと思う。


「ん、もう。意地悪」


「……すまない」


赤い顔のシャーリーに睨まれる。目論見は外れたらしい。一連の会話内容に落ち度は無いような気がしたが、それでもライは謝罪した。他にどうしていいのか分からない。


彼女にしろカレンにしろ、こういった表情をする時は非常に気難しくなる。

828: 2015/11/05(木) 12:10:53.86 ID:+RjyVImDO
「も、もういいから行こ?」


「分かった」


シャーリーの後に続く。その時、ふと頭に疑問が浮かんだ。ライには珍しい興味に似た感情だった。


「家族とは仲がいいのか」


「え? まあ、悪くはないと思うよ。パパは単身赴任中だけど、ママとは仲良いし」


「単身赴任……。外国に行っているのか」


「ううん、逆。エリア11にね。だから私もアッシュフォード学園に進学したの」


家族一緒に引っ越して来たらしい。やはり両親との仲は良好なようだ。


「ご両親は何の仕事をしているんだ」


「ママは専業主婦。最近はパート始めようかなぁとか言ってたけど。お父さんは地質調査のお仕事」


「地質調査というと、フジサン辺りか」


エリア11を象徴する山であるフジサンの地下には、世界最大のサクラダイト鉱脈が眠っている。七年経った今でもブリタニアは必氏になって採掘作業に勤しんでいるため、地質調査ならそこだと思った。


829: 2015/11/05(木) 12:24:28.58 ID:+RjyVImDO
しかし、シャーリーは首を振り、その顎先に指を添えた。


「違うよ。うーんと、どこだったけなぁ。な、なる……なり、ナリタ? だったと思うけど。今はそこの麓(ふもと)の街に住んでるみたい」


「ナリタ……」


どこかで聞いた事のある場所だ。


「あの付近には反抗勢力の拠点があるんじゃなかったか」


ナリタ連山は幾つか存在する重要警戒区の一つだとニュースで観た覚えがある。浄水場占拠事件の時、コーネリアが租界を留守にしていたのはナリタの視察に赴いていたからだ。


「そうなんだよね。危ない所には行って欲しくないんだけど……」


父親の身を案じているのだろう。シャーリーの表情が陰る。


「いや、すまない。不躾な詮索だった」


「ううん。キミがこうして訊いてくれることって珍しいもん。でも、どうして?」


彼女に不快感を与えていないことに安堵しつつ、ライは頬を掻いた。


「家族というものに興味があったんだ。他の生徒会メンバーには訊き難いからな」


ルルーシュにはナナリー以外の肉親はいないという。複雑な家庭環境のミレイは言わずもがな。ニーナには質問自体が難しいし、リヴァルも父親との間に確執があるらしい。

830: 2015/11/05(木) 12:25:45.94 ID:+RjyVImDO
スザクは一人暮らしをしている。あの年齢で、しかも軍人。なにより日本人だ。家族のことなど尋ねたり出来ない。


カレンにも直接訊いたことは無いが、言動の節々に嫌悪感を滲ませていることから、おそらくは良好ではないのだろう。


ライに至っては、家族の存在そのものが絶望的だった。一か月経った今でも連絡一つ無く、この身体には一般的ではない特殊薬物の使用歴や科学的処置の痕跡がある。


となれば、円満な家庭環境の中にいるのはシャーリーだけということだ。


「私んちはそんなに珍しくないよ? 普通だし」


「重要なのは希少性じゃない。君の家は円満で、君は家族を愛している。それこそが一番大事だ」


「……あ、愛してるって。キミに言われると、なんか複雑だな」


ライの抱える問題はシャーリーも理解している。褒められても素直に喜べはしないのだろう。持たざる者から持っている者への賛辞というのは、時に皮肉として受け取られる事もある。


「だから、君にも幸せな家庭を築いて欲しい。良い相手が見つかるといいな」


もしかしたら、もう見つけているのかもしれないが。


シャーリーは幸せになるべき人だ。ライは本心を語ったのだが、シャーリーは不機嫌そうにそっぽを向いた。


「やっぱりキミって意地悪だね」


「……なぜだ」


「いいの。どうせ分かんないんだろうし。それよりも、今日はいっぱい買い物するから、覚悟しといてよねっ!」


にこやかに言って、シャーリーは歩いて行ってしまった。これから待っている重労働に先んじて疲労しながら後に続く。


まあ、良いだろう。彼女の笑顔を見ると楽観的な気分になる。鬱々とした気持ちは吹き飛んでしまう。やる気が出てくるのだ。


ならば、これくらいは安い対価だ。


ライはもう一度、シャーリーの背中を見つめた。


彼女の周りだけは、やはり世界が色づいて見えた。

842: 2015/11/09(月) 23:17:33.65 ID:IXU7FTiDO
──またこの世界だ。


薄暗い空の下、乾いた風の中、荒れた大地の上。


大勢の人が泣いていた。物言わぬ骸に寄り添い、声をあげて泣いている。慟哭が空へと打ち上げられる。


そこら中が氏体だらけだった。鉄色の空は小雨を降らせ続けている。ぬかるんだ大地はひたすら荒涼としていて、なにもかも拒絶する冷たさがあった。


周囲の人間に命じて、氏体を集めさせた。敵も味方も、女子供も関係ない。ごみのように積み上げられた氏体は、両の指では足らない数の山になった。


やめてくれと、誰かが叫んでいた。友なのだと、家族なのだと、恋人なのだと。許してくれと懇願された。埋葬も火葬も変わらないだろうに。意味が分からなかった。


薄汚れた鎧を着た兵士が抑えにかかるも、それでも声はやまなかった。


氏体の山に近づいていって、慣れた手つきで粗末な油を撒いていった。全ての山に、自分の手で撒いていった。弔いにしてはあまりに出来が悪かった。


松明を受け取り、それを掲げる。消えない炎が役目を果たした者たちに明かりを灯す。


たちまち燃え上がり、辺りが明るくなる。気温は低かったが、炎の近くだけは暖かかった。それでも悲鳴は止まなかった。


一人ひとりのために墓など作ってやれない。そんな時間も金も土地も無いのだ。


氏体を放置しておけば病が蔓延する。慢性的な飢餓や疫病に苦しめられている国なのだから、こういった処置は当然の事だった。氏んだのなら早々に灰と化すべきだ。


843: 2015/11/09(月) 23:19:29.66 ID:IXU7FTiDO
下らないと吐き捨てる。黒煙が空に昇っていく。雨を吸った銀髪が水を吐き出してきて、酷く癪に障った。


消えない炎を宿した松明を戻し、歩き出す。やるべき事はまだまだ残っている。


氏体の焼けた、生臭い風がまとわりつく。永遠に消えないだろう匂い。烙印のようだった。


空を見上げる。まだ雨は止まない。止む気配もない。これからも何百、何千、何万と氏体の山を築かねばならない。


世界は未だ闇の中だ。太陽は随分と長い間みていない。争いは絶えず、貧困と暴力ばかりが膨らんでいく。待っているのは破滅だけ。暗澹とした未来が手招きをしている。


だから、戦って、頃して、勝利する。それ以外に道は無い。


これからもずっと、それだけは変わらない。戦う必要がある。頃す必要がある。勝利する必要がある。


永遠にも思えるほどの長きに渡って、いつまでも繰り返す。どこまでも続いていく。


もう逃れられない。変えられない。果たすべき目的があるのだから。


この足は前に進む。誰よりも先を歩かなければならない。たとえどれだけ氏体の山を築こうと、振り向くわけにはいかない。どれだけ血と涙が流れようと、それに囚われるわけにはいかない。


前に、前に、ひたすら前に。


そして。


そしていつかは──

844: 2015/11/09(月) 23:20:13.12 ID:IXU7FTiDO
目を覚ます。辺りは闇に包まれていた。耳に聞こえるのは時計の秒針が時を刻む音のみ。時刻は一時二〇分。最近やたらと構ってくるルルーシュと別れて眠ってから、二時間ほどしか経過していない。


「…………」


このところずっとそうだ。


初めて悪夢の残滓に巻かれて以来、ろくに眠れていない。睡眠時間が足りているはずが無いのに、もう眠気は消え去ってしまっている。


瞼を閉じても眠れない。眠りを体が拒んでいる。そんな状態で横になっていても仕方がないので、ライは身を起こした。


布団がこすれる音が聞こえ、凝り固まっていたせいかぱきぱきと骨が鳴る。


シャワーを浴びてから数時間と経っていないのに、体が汗にまみれていた。シャツの襟がびしょびしょになっていて、ひどく気持ちが悪い。体育で長距離走をしても、一日中歩き回っても、汗などほとんどかかないのに。


頭の中は強い不快感と嫌悪感で満たされている。どうやら、また悪夢を見ていたらしい。手にはやはり人を引き裂く感触がべっとりと残っていて、鼻や耳にも同様に氏の残滓がこびりついていた。


肺を空にしたくなって息を吐く。なんだか、ひどく疲れていた。

845: 2015/11/09(月) 23:20:51.08 ID:IXU7FTiDO
立ち上がり、辺りを見渡した。備え付けの家具以外、何も無い部屋。ここで寝泊まりするようになってから一か月ほどだが、ほとんど変化は見られなかった。


住んでいる場所には人間性が色濃く投影される。ならば、この部屋はライの写し身も同然。必要な物以外、なにも無い。


空っぽで寒々しく、生気が無いのだ。


「…………」


自嘲の念が浮かんだが、乾いた笑みすら出てこなかった。真っ暗な部屋の中を素足で歩いて、鏡の前まで行く。


映っているのは虚ろに佇む細身の少年の姿。通気性に優れた白いシャツに、動き易い黒いスウェットのパンツ。灰色に近いブロンドの髪が、窓の合間から差し込む月光を気だるげに散らしていた。


蒼い瞳には感情がこもっていない。網膜が受け取った情報を脳に送ること以外、仕事を放棄してしまっている。


顔も同じだった。白い細面はやはり無表情で、洋服屋に置かれているマネキンと大差が無い。同年代の少年少女が持つ未成熟な多様性は少したりとも窺えなかった。


顔にも人間性は現れる。明るい人、静かな人、冷静な人、軽薄な人。他にもその時によって表面化する感情を、心を映し出すのが表情だ。


自分にはそれがない。


喜び方が分からない。怒り方など知らない。哀しみも楽しみ方も同様だった。


全て忘れてしまった。

846: 2015/11/09(月) 23:22:17.97 ID:IXU7FTiDO
そんな自分は、はたして人間と呼べるのだろうか?


人間の定義とは何か? その種特有の遺伝子情報を有していればいいのか、人の形を取っていればいいのか、そんなことすら分からなかった。


鏡を見ていても疑問は晴れないので、ライは仕方なく汗に濡れたシャツを脱いだ。裸になった上半身から体温が抜けていくが、無視する。どうでも良かった。


シャワーはまだ浴びなくて良い。灯りもいらない。亡者のような足取りで窓の近くまで辿り着く。カーテンをずらし、空を眺めた。


薄い雲が漂っていて星は見えない。それでも風が強いせいか、雲の流れは速かった。細かく千切れた合間から、月がその顔を覗かせる。


美しいとは思わなかった。そんな情緒は欠落していた。これはただの確認だ。


目を覚まし、暗い部屋の中で空が明るくなるまでじっとしているのが、ここのところの日課だった。こうやって日々を過ごしている間にも時は巡り、月は満ちていく。何かを置き去りにするかのように。


出来ることは、ただ待つだけ。ライは空を見上げた。


満月は、もう近い。


847: 2015/11/09(月) 23:23:43.54 ID:IXU7FTiDO
眠い。


朝の教室。一時限目の授業が始まって二〇分ほど経過した頃、強い眠気がカレンを襲った。


早朝から昼までライの監視に時間を割き、夜は<黒の騎士団>の活動に参加する。総帥であるゼロの意向により騎士団は基本的に深夜営業なので、ゲットーから租界へ帰ってくると時刻は大抵、午前の二時や四時を回っていた。


ライは朝早くから行動する。あの男は何があっても生活リズムを崩さない。五時には起床して街を歩き、六時半には生徒会室に現れる。


自然、カレンの睡眠時間は三時間程度に限られてしまう。


体力には自信がある。一日や二日程度なら徹夜しても問題ない。僅かながら眠れる時間もあるのだ。


だが、これが何日も続くと話は変わってくる。しかも近頃、監視対象が突如として積極的に近寄ってくるようになった。これはカレンにとって、大きな誤算だった。


ボロを出さないように気を遣う。何事も無いように振る舞う。いつもと変わらない様子で、笑顔を貼り付ける。ただ目を離さないようにしていれば良いと思っていただけに、その消耗は大きく、致命的だった。

848: 2015/11/09(月) 23:25:00.76 ID:IXU7FTiDO
今までのレジスタンス活動の影響で眠れない事は確かにあった。


だがそこで"病弱なお嬢様"設定が活きてくる。眠くなれば体調を崩したふりをして保健室に逃げ込む事も出来たし、そもそも学園に来ないという手段の方が楽で、簡単だった。いつも使っていた。


認めたくはないが──自分はお嬢様の仮面に頼っていたのだろう。


暴風雨のような眠気の中で、カレンの目は監視対象の少年に向けられていた。彼の席は右斜め前にある。その様子を窺う事は難しくなかった。


「…………」


教師が黒板に描いた文字を一瞥し、それをノートに書き写す。一度見ただけで瞬間的に記憶しているらしい。新たな文字が書き込まれるまで、ライの視線が上がることはなかった。


スザクはちゃんと出席している。ノートを取る必要など無いはずだ。学力を確かめた事は無いが、どうせ全て覚えているのだ。後で読み返す事も無いだろうに。


つくづく不思議な存在だと思う。監視を始めて分かったことだが、ライは何をやらせても上手くこなす。要領が良く、判断力に優れ、非常に高い先見性を持っているのだ。

849: 2015/11/09(月) 23:26:51.68 ID:IXU7FTiDO
もし彼が仲間になってくれたなら、<黒の騎士団>はいっそう強力な組織になることだろう。カレンを含めて団員は皆、一般人上がりの人間ばかり。


一般的なナイトメアである<無頼>の整備すら、マニュアルを読み解きながら何とかこなしている状態だ。機体を動かすOSも数年前の骨董品。ゼロの伝手で良質なパーツこそ潤沢に入手出来るが──それだけだ。


神算鬼謀を誇るあの魔人でさえ、ナイトメアの整備知識についてはそれほど多くは持ち合わせていない。皮肉な事に、ブリタニアの作った第四世代KMFの誇る高い整備性が<黒の騎士団>を助けている。


有能な新人の加入は急務なのだ。


ライは居場所が欲しいと言っていた。学園は眩しすぎて居心地が悪いとも。


その気持ちはカレンにも理解できる。それどころか、能力云々など関係なく、その共感こそが彼を引き入れたい最大の理由なのかもしれない。


自分だけが彼を理解できる。自分ならば彼に居場所を与えられる。自分が一番、彼の記憶探しに貢献できる。そこに疑いは無かった。


昨夜の会議でゼロはライに対して好意的な意見を述べていた。どうしてか日を追うごとに好感度は増している。ミレイの帰還が遅れている事やスザクの職場が忙しい事も含めて、カレンにとっては嬉しい誤算だった。

850: 2015/11/10(火) 00:07:44.25 ID:RQrE+LDDO
追い風が吹いている。強い追い風が。


ゼロが首を縦に振れば、すぐにでも引き入れられる。こうしている間にもタイムリミットは迫って来ているのだ。カレンの中に焦燥感で形作られた炎が再燃する。


「あ……」


そのせいだろうか、強い視線に気づいたライがこちらを見た。目が合う。


意志の窺えない蒼い瞳。月を抱く夜の海にも似た静かな色。彼の貴公子然とした風貌も相まって、幻想的な美しさを宿していた。


まあ、確かに見た目は良いかもしれない。学園中の女子生徒達が噂するくらいに顔立ちは整っている。


「────っ」


しばらく見つめ合っていた事に気づき、惚けていた意識を引き戻す。首元から熱が上がってきた。自分でも顔が赤くなっているのが分かった。


気恥ずかしさが持ち前の対抗心を刺激し、『なに見てるのよ』とばかりに彼を睨みつける。見ていたのはこちらなのだが。ライは怪訝そうな顔をして前を向いた。


視線が外れたことに安堵しながらも、カレンは頭を抑えた。血が昇ったためか眠気は吹き飛んだが、疲労感は増えている。


近い内に、自分は本当に倒れるかもしれないとカレンは思った。

851: 2015/11/10(火) 00:08:31.47 ID:RQrE+LDDO
昼休みを終え、午後の授業。


カレンはまたも憂鬱な気分で教師の声を聞き流していた。


今日の昼休みも行動を共にしておかなくてはと思ってライを探したのだが、それは叶わなかった。クラスの女子生徒に捕まったせいだ。


ここ数日のカレンならはねのけていたのだが、今日に限っては気力が衰えていたこともあり、ずるずると引きずられて行ってしまった。それがいけなかった。


食堂以外にも食事の選択肢はある。購買部でサンドイッチとジュースを買って、中庭まで連行された。天気も良かったし、昼食には悪くないロケーションだった。


一〇人近い女子生徒がかしましく会話をする中、作り物全開の笑顔を貼り付けているだけの時間。小さなサンドイッチなど腹の足しにならなかった。不毛に思えて仕方がない。


だが、そこで気になる噂を耳にした。


ライとシャーリーが一緒になってブライダルショップを訪れていたという話だ。確かに昨日の放課後、連れ立って教室を出て行ったのを目撃している。


もう食事どころではなかった。

852: 2015/11/10(火) 00:09:33.48 ID:RQrE+LDDO
当然、女子生徒達の興味はカレンに向かう。


『どう思います』だの『あの方とはどういった関係なのですか』だの『ライバル出現ですね』だの、好き勝手にまくし立てられた。


こういう時の対応は決まっている。微笑を浮かべて、当たり障りの無い言葉を並べるのだ。ひどく面倒な作業だが、こちらが毅然とした態度を崩さなければ彼女達も踏み込んではこれない。


別に、ライが誰と一緒に行動しようがカレンにはどうでもいい。特殊な感情など抱いてはいないのだから。


シャーリーと交際しようが止める権利も無い。ただマズいのは、<黒の騎士団>に引き入れる手前、一般の人間と交際関係ないしそれを予定するような状態だった場合、色々と問題が出てきてしまうことだ。


租界で特別な相手が出来たら、流石に勧誘は諦めなくてはならない。そこまで無理をさせて入ってもらわなくてもいい。


ただ、自信が無くなってきただけだ。


カレンは自然と、自分が頼めばライは頷いてくれると信じていた。それだけの信頼関係は築いていると思っていたのだ。

853: 2015/11/10(火) 00:11:17.65 ID:RQrE+LDDO
加えて、ライはあの性格だ。彼が色恋沙汰に関わるところは想像出来ない。シャーリーと一緒にいたのは多分、また買い出しか何かに付き合っていたからだ。後で訊けば正直に答えてくれるだろう。


だがどうしてか、気力が萎えるのは抑えられなかった。


その後、いまだに噂話に花を咲かせる女子生徒達から離れて、カレンは屋上へ向かった。眠気がピークに達していたからだ。ほんの三〇分だけでも休んでいるだけで大分変わるのが十代の身体である。


ルルーシュという先客がいない事に安堵しながら、屋上へ入り込む。ようやく一人になれた開放感。ここでは仮面も外せる。


しかし、そこで目撃してしまった。


教室棟の屋上からはクラブハウス近くの庭園が良く見える。そこにランペルージ兄妹とスザク、メイドの姿があった。なるほど、ルルーシュが屋上にいないわけだ。


もう一人いる。ライだ。銀髪の少年はスザクと一緒にナナリーの付近をうろちょろし、ルルーシュから叱られている。もしかしたら昨日の本の事もあるのかもしれない。


ナナリーは膝の上にバスケットを置いている。サンドイッチでも作ってきたのだろうか。


テーブルを挟んで四人が席につき、バスケットが開かれる。

854: 2015/11/10(火) 00:12:21.12 ID:RQrE+LDDO
中には米を丸く握り、それを海苔で巻いたものが満載されていた。あれは日本の伝統料理である──おにぎりだ。


見慣れない料理をライはぼんやりと見つめており、何故かスザクはトラウマでもあるのか注意深く観察している。


他の事は忘れて、カレンはその食事風景を眺めていた。ブリタニア人のルルーシュとナナリー、日本人のスザクと咲世子。誰もが皆、楽しそうだった。


人種の判然としていないライも例外ではない。ナナリーがおずおずと差し出したおにぎりをかじり、頷く。スザクも何かに安心した様子で食べていた。


あの空間だけは、平和だった。


人種も過去も関係ない。そこに彼も入っている。受け入れられている。受け入れている。


「…………」


この胸に燃え上がるのはなんだろうか。強い疎外感と孤独感と、なによりの危機感。それらが混ざったような複雑な感情。


めったに見せない笑顔を浮かべ、楽しそうにしているライを見る。


誰かが囁いているような気がする。数年前から聞き慣れた怨嗟の声。ゼロに出会ってからは無視出来た声。ライに出会ってからは無視出来なくなっている声。


その声が、ずっと消えないのだ。

855: 2015/11/10(火) 00:14:45.59 ID:RQrE+LDDO
それが昼休みの出来事だった。変な気分を引きずったまま、今の今までぼーっと授業を聞いている。


人口密度はいつもより少ない。男子が別の教室を使用しているため、女子のみが残っている。


カレンはふと、シャーリーの方を見た。ブライダルショップの件について聞く必要があったが、こんなところで問いただすわけにもいかない。ましてや昨日の今日だ。また変な誤解を招く危険もある。


亜麻色の長い髪を揺らす水泳部のエースは一生懸命に黒板を見つめ、その内容をノートに書き込んでいた。寝不足と疲労でどんよりとしているカレンと比べると、彼女の姿は生気に溢れている。


ライも、ああいう娘の方が好みなのだろうか。一緒にいるだけで気分を明るくさせてくれるような、快活な異性の方が。


きっとそうなのだろう。


誰にでも優しいシャーリーは男子にも人気がある。人気自体はカレンもあるが、それは自身ではなく"病弱なお嬢様"というキャラクターに向けられている歪なものだ。


ありのままの姿を、自然体を好いてもらえるというのはこの上なく素晴らしいことだ。羨ましいと思う。


あの明るい少女に対して劣等感のようなものを抱いているのは否定出来ない。だからだろうか、どうしてもシャーリーから距離を置いてしまう。


色々と分からないことばかりだった。


今日は誰かを見てばかりいる。これも珍しいことだ。今まで租界の中に興味のあるものなど、無かったというのに。

856: 2015/11/10(火) 00:15:40.28 ID:RQrE+LDDO
シャーリーから目を離す。このまま彼女を見ていても自分に嫌気が差すだけだ。


なんとなく嫌な気分のまま時間は過ぎ、授業は終わった。




「このドレスなどは如何ですか?」


女子の方は定時より早く授業が終わった。カレンの席を囲むように女子生徒達は集まり、持ち寄った雑誌を広げている。


「…………」


話題は社交パーティーに着ていく衣服やアクセサリーについてのものだった。アッシュフォード学園に通う生徒の多くは富裕層の出身だ。男子ならお坊ちゃま、女子ならお嬢様も少なくない。


そしてカレンの周りにいる女生徒達は皆、名家の人間だった。言葉は丁寧で、仕草は洗練されている。行き届いた気遣いも持ち合わせていて、カレンが咳払いの一つでもしようものなら、過剰とも言えるほど心配してくる。


だが、内心は違う。


自分がシュタットフェルトという名家の出身だから近づいてくるだけだ。


カレンは知っている。枢木スザクは入学してきたばかりの頃、日本人という理由だけで陰湿な嫌がらせを受けていた。ルルーシュがそれを止めるまで、動く者は誰一人としていなかった。いま周りにいる少女達の中には嫌がらせを後押しした者もいる。


結局は偽善だ。信じるに値しない。

857: 2015/11/10(火) 00:16:57.59 ID:RQrE+LDDO
「私は……あまりおしゃれについて詳しくないから」


控えめに言った。席を立ちたかったが、それを許さないほど強固な包囲である。うんざりとするカレンの様子に気づくことなく、彼女達の話は続く。


「まあ、ご両親が厳しいんですのね」


「でも、カレンさんもシュタットフェルト家のご令嬢なのですから、もう少しわがままになっても良いと思います」


うるさいと思った。ドレスもバッグも興味ない。そんな普通の、どこにでもいる女子高生が欲しがるような物は必要ない。


無性に苛々する。それが伝播したのか、机の下では右足が揺れていた。


「バッグはどうでしょうか。私この間、お父様に頼んでオーダーメイドを買って貰いましたの」


「ああ、先週末のパーティーに持って来ていた? もしかしてオーラ・カイリーの作品かしら」


「すごい。良くご存知で」


こうして自慢話に花を咲かせる。父の友人が有名ブランドのオーナーだとか、母と一緒にブリタニア本国でオーケストラの演奏を楽しんだだとか、そんな話ばかりだ。特に休み明けはひどい。


カレンは彼女達が普通の生活を謳歌している時、ライと一緒にゲットーでテロに巻き込まれていた。日常と非日常。平和と混沌。日本人とブリタニア人。まったく面白いほど正反対。


最悪の気分だった。

858: 2015/11/10(火) 00:18:08.48 ID:RQrE+LDDO
少女達の体の合間から、シャーリーの姿が見えた。友人達と楽しそうに会話している。冗談を言い合い、悩みを共有する。カレンと違って服やメイクに関心があるし、恋をしている相手もいる。


それと比べて、自分を取り巻く環境の歪さときたら。これは彼女との差だ。今まで何もかも偽り、狡猾に騙し続けていたカレンと、八方美人と揶揄されながらも決して妥協しなかったシャーリーとの決定的で絶対的な差。


足の揺れが大きくなる。


「そうだ、可愛いアクセサリーを売っているお店を見つけましたの。カレンさんもどうですか?」


「え、私は……」


「よろしければ今日の放課後にでも」


「確かに。シュタットフェルト家のご令嬢が来店したとなれば、お店の方もきっと喜ぶでしょうし!」


弱々しい抵抗は呆気なく無視される。一方的な善意。頭の中で誰かが叫ぶ。もう限界だった。


意を決してカレンが口を開こうとする。静かな声がそれを遮った。


「少しいいか」


淡白だが、よく通る言葉。たった一言で少女達の姦しい声は止み、久しい静寂が訪れた。

859: 2015/11/10(火) 00:19:49.02 ID:RQrE+LDDO
声は女生徒達の後ろから聞こえた。珍しい銀髪が人垣の向こうに見える。


感情を映さない瞳に見られた直近の少女は心を奪われたように呆然と立ち尽くし、物乞いのようにただ次の言葉を待っていた。


「あ、あの……」


もう一人の女子生徒が言った。見たからに萎縮している。突然現れたライに戸惑っているのだろう。生徒会のメンバーを除く一般の生徒からは近寄り難い存在と認識されているせいだ。


無口で無気力な無表情はクールに見えるらしい。本当はただぼんやりしているだけなのだが。


ライは声をかけてきた少女に目を向け、


「話しているところをすまない。カレンに用があるんだが、借りていいだろうか」


そう告げた。言われた女子生徒は顔を赤くしてこくこくと頷く。


「ど、どうぞっ」


「ありがとう」


ライも頷きを返し、ようやくカレンに目を移す。なにやら物扱いされたことに若干の苛立ちを感じつつも、蒼い瞳を見つめ返す。


「えっと……なに?」


「今の授業で分からないところがあった。良ければ君に教えてもらいたいんだが」

860: 2015/11/10(火) 00:21:10.97 ID:RQrE+LDDO
至っていつも通りの様子だ。それに釣られたカレンも、特に深い考えが無いまま、


「……別に、いいけど」


周囲の反応を気にする事もなくそう返してしまった。


「それは良かった。時間は取らせない。付いてきてくれ」


ライに連れられて教室を出る。男子の方の授業も終わったらしい。戻ってくるスザクやリヴァルの姿もあった。


(あれ……?)


なんだろうか。なんだか凄く嫌な予感がする。これはあれだ。他人に見られてはいけないものをどこかに置き忘れてきてしまった時のような、後から来る絶望感。


考えればすぐに分かることだ。前の授業の科目は保険体育だった。男子と女子で別れておこなうということは──まあ、そういう内容の授業だ。


問題はライの放った発言である。『分からないところがあった』『教えて欲しい』『時間は取らせない』。そんなことをのたまっていたはずだ。


そしてカレンはそれを受諾してしまった。教室の真ん中、それも知人の目の前で。


「────っ!」


たまらず真っ赤になる。最悪だった。考えられる限り、一番よくない状況に陥っている。

861: 2015/11/10(火) 00:22:31.52 ID:RQrE+LDDO
人気の無い校舎の端っこ、階段の踊り場に辿り着く。そこでようやくライが振り返り、言った。


「今度は文句ないだろう」


「は?」


「以前、困っていた君を放置した事でへそを曲げられたからな。今回はバッチリだった。鮮やかな手際だったと自負している」


「…………」


ライは無表情ながらも自信気な様子だった。『さあ、褒めろ』と言わんばかりの空気を纏っている。


階段から突き落としてやろうかと思いながら、カレンは確認した。


「助けた……つもりだったの?」


「ああ。困っていただろう。見れば分かる」


今度はさっきよりも自信満々な様子だ。カレンは脱力して、息を吐いた。さっきまでの苛立ちは吹き飛んだが、今度は別の疲れが押し寄せてくる。


「はいはい。助かったわよ。ありがとう」


もう投げやりだった。教室では今頃、さまざまな憶測が入り乱れているだろう。リヴァルの輝いた顔が容易に想像出来た。


「……僕は何かミスをしたのか」

862: 2015/11/10(火) 00:24:43.42 ID:RQrE+LDDO
今回はこの辺で。先ほど気づいたんですが、投下の際に抜けがあったようです。せっかく真面目な話してたのに。


では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。

863: 2015/11/10(火) 00:26:26.46 ID:RQrE+LDDO
>>844と>>845の間にこれが入ります。




学園にいると忘れられる。放課後にシャーリーと歩いていた時はやる気に満ちていた。ルルーシュの部屋でナナリーと共に食事をするのは本当に安らいでいた。


寝る前までは、なんともなかったのだ。


いつもそうだった。


夜になると引き戻される。眠りにつくと思い知らされる。そうして、深夜に目を覚ますのだ。


まるで誰かが耳元で囁いているようだった。


『忘れられるな』と。


『逃げられない』と。


暖かい夢など許されない。平穏な眠りなど許されない。安寧も幸福も取り上げられる。過去が迫ってくる。未来は閉ざされている。色を失った世界は乾燥していて、痛みと苦しみに満ちている。


行くあてなど無くて、帰れる場所もまた、無い。


なにも無いのだ。完全な虚無。


「…………」


そんな考えがどんどんと膨れ上がっていく。ライは虚ろな瞳を虚空に向けたまま、自分の内側から吹き荒れる強迫観念に身を委ねていた。


気が付けば、時刻は三時をまわっている。

871: 2015/11/15(日) 23:46:53.38 ID:dxIhcDNDO
「どうかしらね。もしかしたら、取り返しがつかないかも」


「なに……」


一転して深刻そうな表情になる。今まで自信気だったくせに、カレンの一言でこんなにも調子を崩してしまう。いつも無表情なライが、だ。


それがなんだか嬉しくて、いつの間にか口元にはからかうような笑みが浮かんでいた。


「その……すまない。僕はひどい勘違いをしていた可能性がある。復旧の見込みがあるなら言ってくれ。可能な限り力を尽くす」


こんなに慌てるのも珍しい。それもやっぱり嬉しかった。


「もう。別にいいわよ」


他人からどう言われようが構わなかった。もう気にするのも馬鹿らしい。


元より野次馬連中が期待しているような事実は無いのだし、ライの存在が"病弱なお嬢様"設定に悪い影響を与えているわけでもない。


「それより、今日の約束は覚えてる?」


「ああ。服の件だろう」


「うん。私は一度教室に戻るから、あなたは……そうね、いつもの公園で待ってて」


「公園。どうしてだ。まだホームルームが残っている」

872: 2015/11/15(日) 23:48:39.88 ID:dxIhcDNDO
「いま一緒に戻れるわけないでしょう? 荷物は私が持っていくから」


「だが、待ち合わせなら校門付近で良いはずだ」


「それは、ほら。写真部にまた撮られたりすると困るし……」


他人からどう言われようが構わないが、それでも羞恥心が抵抗してくる。手順は必要だろう。


「とにかく、すぐ行くからあなたは待ってて」


「わかった」


ライはこくりと頷く。こういう素直な所は彼の美点だろう。軽くなった足取りでカレンは教室へ戻った。




茜色に染まった空を楽しみながら、公園の敷地内に入る。手には二人分の鞄。シャーリーとリヴァルから当たり前のようにからかわれたが、それはなんとかやり過ごした。


教室を出る直前にシャーリーから『頑張って!』と言われたのは気になったが、それについて考えるのはやめておこう。疲れるだけだ。


(……いない)


公園を見渡すが、ライの姿は確認できない。敷地内はグラウンド並みの広さを持っているし、人や観葉植物も多いので氏角にいる可能性もある。ただ単にトイレ等に行っているだけかもしれない。


こういう場合、いたずらに動きまわるのは下策だ。カレンは見晴らしの良い場所を見つけて、そこでライを待つことにした。

873: 2015/11/15(日) 23:49:45.43 ID:dxIhcDNDO
広場には幾つか屋台が並んでおり、名誉ブリタニア人──日本人の姿も多く見える。こういう場所は租界でも珍しい。カレンが待ち合わせにこの場所を良く使うのにはそういった理由もあった。


自然と頬が緩む。虐げられてばかりの日本人だが、ここにいる人達は活気に満ちていた。


普通のブリタニア人はあまり此処には立ち寄らない。噴水や遊具、時計台のある綺麗な公園は他にあり、そちらの方を好むからだ。この公園は広いが、何も無い。表面上は権利を認めている名誉ブリタニア人用の──言ってみれば隔離場所のようなものだ。


最近は無くなったようだが、以前はブリタニアの軍人や警察関係者が頻繁に嫌がらせをしていた。隔離なんてしている癖に、ストレスを発散をするためだけに立ち寄るという行為は吐き気を催す程に醜悪だ。


だが、それでも日本人は強く生きている。<黒の騎士団>の活躍により若干ではあるものの、租界内におけるナンバーズの待遇に改善の兆しが見られるようになってきたのだ。


自分の所属する組織が彼らの希望になっている。そう思えるこの場所はカレンにとっての誇りだった。


周囲が日本人ばかりだったためか、頬と共に気持ちも緩んでしまっていた。体に軽い衝撃。


「あっ……」


下から短い悲鳴が聞こえた。初等学校低学年くらいの男の子がよそ見をしていてカレンにぶつかったらしかった。持っていたアイスクリームがスカートにべったりと付着している。

874: 2015/11/15(日) 23:52:29.93 ID:dxIhcDNDO
「大丈夫?」


汚れた服の事など気にもとめず、カレンはしゃがみ込んで男の子に手を差し伸べた。メッシュ素材に似た手触りのスカートは汚れに強いし、使えなくなったところで買い替えれば事足りる。


「あ、あの……」


男の子は怯えた表情でカレンの手を見つめている。まるで凶器を向けられた時のような、恐怖と不安に満ちた目。


どうしてそんな顔をされるのか分からずにいると、屋台の近くにいた女性が弾かれたように飛び出してきて、少年をカレンから守るように抱き寄せた。


「申し訳ありません! クリーニング代はお出ししますから、どうかお許し下さい!」


「え……」


状況が飲み込めず、カレンは唖然とした。


すぐに思い至った。そうだ。ブリタニア人は散々、ここの日本人達に対して嫌がらせ目的の暴行を働いている。天上人の衣服を汚した我が子がどんな扱いを受けるか、この母親は怖いくらい良く知っているに違いない。


この人達から見たら、カレンは生粋のブリタニア人に見えるのだ。こちらは敵意なんて無いのに。


身を挺して必氏に我が子を"外敵"から守ろうとする母の姿。その"外敵"が他ならぬ自分だという事実。そしてその誤解を解く方法が見つからない絶望感。


母。

子供。

お母さん。


違う。敵じゃない。私はブリタニア人なんかじゃない。


「あ、あの、私は……」


「申し訳ありません! 申し訳ありません!」


言葉を尽くしたところで理解を得られるわけでもない。

875: 2015/11/15(日) 23:54:34.55 ID:dxIhcDNDO
どうしようもなかった。


ブリタニア人と日本人。加害者と被害者。支配する側とされる側。そんな線引きがカレンと目の前の親子の間にはあった。


こちらがどれだけ好意的に接しても、この親子には届かない。白い肌に赤い髪、碧眼の日本人なんていないのだから。


日本人でもなく、ブリタニア人でもない。そんな自分には許される居場所なんて無いのだと、この平和な公園で唐突に叩きつけられた。


周囲にはどんどんと野次馬が集まってきている。しかしそんな事も認識出来ないほど混乱していた。頭を殴られたようなショックがカレンから思考力を奪っている。


呆然としていると、人混みを掻き分けて誰かが近づいてきていた。


「今日はこんなことばかりだな」


「……ライ」


騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。銀髪の少年は衣服の汚れたカレンと謝り続ける親子を交互に見て、状況を理解したようだった。


「離れよう。ここにいても意味が無い」


「でも、私……」


食い下がろうとするカレンの手から鞄を取り上げ、ライは続ける。ぶつかられた時、とっさに後ろへ回していたらしい。そんなことにも今さら気づいた。


「彼女たちのためにならない。君にも分かるだろう」


「う、うん」


他に方法はなかった。認める他無い。今の自分にあの親子を安心させる方法など無いのだ。カレンは『気にしないで』と告げると、足早にその場を後にした。


後ろでライが何かを言っている声が聞こえたが、耳には入らなかった。強いショックと落胆でそれどころではなかった。

876: 2015/11/15(日) 23:55:53.46 ID:dxIhcDNDO
人の少ない場所を探してベンチに腰掛け、カレンは空を見上げる。スカートの汚れを拭き取る気力すら無かった。


最悪の気分だった。人のいない所を探して、息を潜めているしかない。学園でもこの公園でもそうだ。ブリタニア人でも日本人でもないためか、どこにいても居心地が悪い。


ベンチは木の影に包まれている。涼しく、風通しは良かったが、それで気が晴れるわけでもない。


少しして、ライがやってくる。手には缶ジュースを二つ持っていた。


「今日は災難だな」


ストレートティーの缶を渡される。ひんやりとした感触が、何故か新鮮だった。


「……ありがとう」


プルタブを開け、紅い液体を口に含む。仄かな甘味と慣れ親しんだ香り。どうやら喉が渇いていたらしく、半分近くまでごくごくと飲んでしまった。お嬢様としての外聞など気にならなかった。


「……ふう」


ようやく人心地ついた。冷たい飲み物のおかげか、頭も少し冷えてくる。


「…………」


一気飲みをしていたところをライに観察されていた。カレンの頬が熱くなった。

877: 2015/11/15(日) 23:56:52.78 ID:dxIhcDNDO
「どこに行ってたの?」


最近は食事している所をじっくりと見られる事が多い。照れ隠しに横目で睨みながら、カレンは尋ねた。


「猫好きの知人がいてな。道を案内していた」


「……そう」


ぶっきらぼうに答える。別に彼が悪いわけではないのだが、どこか釈然としなかった。


「前から思っていたんだが、君は日本人への差別が無いんだな」


「……そんなの当たり前じゃない。彼らは悪い事なんて何もしていないんだから」


「衣服を汚された」


「子供のやったことよ。別に悪意があったわけじゃないし、不注意だったのは私も同じだもの。そこに日本人もブリタニア人もないわ」


「そうだな」


「……あなたもそうね。偏見や先入観が無い」


「記憶喪失だからだろう。それに、スザクには世話になっている」


ライの言葉は淡々としていた。世話になっている人が日本人だから、差別はしない。簡単な理屈だ。装飾も何も無い、一種の誠実さが窺える。


「ああいう事は良くあるのか」


最近はやけに話しかけてくる。


「……さあね。覚えてないわ」


「だが、疲れているだろう」

878: 2015/11/15(日) 23:58:02.43 ID:dxIhcDNDO
「なによ、保護者気取り?」


気遣いすらも疎ましい。僅かな苛立ちがそのまま刺々しい言葉になる。助けておいて貰って、こんな事しか言えない自分に嫌悪感が湧いてきた。


「最近は寝不足に見えた。……なにか、無理してないか」


「……してないわよ」


「そうか」


ライは特に気分を害した様子もなく、缶の紅茶を一定の間隔で飲んでいた。背を向けられているため、その表情は分からない。


「あなたも疲れてるんじゃない?」


ライが男子生徒達から疎まれているのは知っている。直接的な嫌がらせこそ無いが、ストレスフルな毎日を送っているはずだ。自分と話したりすれば、それはより苛烈になる。


その事は分かっていたが、カレンはライとの関係をやめなかった。さっきのように迷惑をかけてまで続けている。


嫌気が差しているのではないか。世話になったからという義務感から付き合いを続けているのではないか。


ふと、そう思った。


「そうだな。疲れている」


尋ねておきながら肯定の言葉は予想外だった。

879: 2015/11/15(日) 23:59:12.02 ID:dxIhcDNDO
「そ、そう……」


「僕も最近は寝つきが悪い。……嫌な夢ばかり見る」


懸念は外れたらしい。安堵する間もなく、新たな疑問が浮かび上がる。


「夢? どんな?」


「分からない。目を覚ますと内容が消えていくんだ。感触だけが残っていて……でも、きっと人を頃す夢だ」


「…………」


ライは夕陽を見つめている。声は相変わらず淡々としていたが、その背中からは深く強い孤独が垣間見えた。


「だから、悩みがあるのは君だけじゃない。安心していいぞ」


「……は?」


安心?


深刻な空気はどこへやら、ライは意味不明な事を言った。


「人を慰める時は悩みを打ち明け、共感を餌にすると効果的だそうだ。学園でのミスは挽回出来たと思うが、どうだろうか」


「…………」


言葉の通り、ライはカレンを慰めるつもりだったようだ。計算があるのは良いが言ったら台無しだし、なにより言い方が最低だった。少しくらっとしてしまった自分が情けない。

880: 2015/11/16(月) 00:01:46.36 ID:X7IsvjhDO
「……最悪よ。ばか」


この男はどうしてこうなのだろうか。大抵の事はそつなくこなすくせに、対人関係の事となると途端に不器用になる。


励まそうとしたのは本心だろう。夢の件も嘘ではない筈だ。自分だって大きな悩みを抱えているだろうに、それでもこうして助けようとする。格好はつかなくても手を差し伸べる。


もっとスマートにやってくれれば、こちらも素直に礼を言えるのに。カレンはそっぽを向いて不機嫌な顔をした。困らせたかった。


「なんだ。何が不満だった」


「自分で考えなさい」


「あれ以上は臨めない。僕の全力はあれだ」


「そう。なら、全力が必ずしも最良の結果を生むとは限らないという良い見本ね」


「アドバイスがあるなら聞くが」


「余計なのよ、色々と。いつもは喋らないのに」


「君はよく僕に黙れと言うじゃないか。喋れと言ったり黙れと言ったり、感情的な二重基準はわがままの証拠だ」


「わ、わがままって何よ……!?」

881: 2015/11/16(月) 00:02:49.69 ID:X7IsvjhDO
がばっと立ち上がると、ライの姿勢がカレンの下半身に向かった。


「汚れを放置していていいのか。股間部がべったりだぞ」


「く……」


ライがポケットティッシュを差し出してくる。セクハラにしか聞こえない腹の立つ言い方だったが、カレンは渋々受け取った。


三枚ほど抜き取り、汚れを拭いていく。ティッシュの裏面にはいかがわしい大人の店の名前と電話番号がプリントされていたが、追求しなかった。いつか訴えてやろうと心に誓う。


「だが、ちょうど良かった」


「……なにがよ」


「これから服屋へ行くんだろう。近くにコインランドリーもあった。着替えにも洗濯にも手間取らない」


「まあ、そうかもね」


憮然とした表情でアイスクリームを拭き取っていく。上からは観察するような視線を感じた。ベンチに座ったカレンをライがじっと見ているのだ。


「……なによ」


「いや、なんだ……なかなか上手くいかないと思ってな」


「? 上手くいかない?」


「僕が困っていると、ルルーシュやスザクはスマートに助けてくれる。あのリヴァルでさえそうだ。だが僕は、どうしても上手く出来ない」

882: 2015/11/16(月) 00:04:14.76 ID:X7IsvjhDO
「ただの慣れの問題よ。あなただって時間が経てば同じように出来るわ」


「だが、それまではこうして迷惑をかけてしまう」


夕陽に照らされた彼の横顔は深刻そうだった。度重なる失敗に罪悪感を抱いているのだろうか。


「気にしすぎ」


ライは真剣に悩んでいるのだろうが、それがおかしくてカレンは笑ってしまった。助けた時、やたら自信気だったのは張り切っていたからなのだろう。


「気にしてない……ってわけじゃないけど、別にそれで嫌いになったりはしないわよ」


「そうなのか」


「そうよ」


「……感謝する」


「そうして」


だが、とライは続ける。案外、彼にとって大きな問題だったらしい。


「……最近はナナリーやシャーリーにも頻繁に怒られるようになってきた。悪化しているんじゃないだろうか」


「…………」


二人の名前が出た途端、カレンの眉間にしわが寄った。ライの口から彼女達の名前が出ることは特段不自然ではなかったが、どうしてか面白くない。


あの善良な少女達が叱るのは、それだけライと仲良くなっているからだ。

883: 2015/11/16(月) 00:05:09.32 ID:X7IsvjhDO
「……また機嫌が悪くなったな」


「あなたの勘違いよ」


「君がそう言う時は決まって不機嫌だ」


「…………」


たった一か月で把握されてしまっている。カレンは視線を逸らして誤魔化した。


それからしばらく会話が途切れ、静寂がやってくる。遠くから日本人の子ども達だろう、笑い声が聞こえてきた。あの屋台の近くだ。先ほどの一件を思い出して、また気分が落ち込んでくる。


カレンはライを見た。二人がいる場所は公園の端、木々の付近だ。喧騒や団欒からは遠く離れた所である。近くには日本人もブリタニア人もいない。


「……ねえ」


自然な問いかけ。空を見ているライの背中に向けたものだ。彼の視線の先には──時間的にまだ見え難いが──月があった。明日か明後日には満月になるだろう、日光で霞んだ月。


「なんだ」


いつも通りの応答。


「別に、埋め合わせってわけじゃないんだけど」


そう前置きをする。


「私がお願いしたら、あなたは聞いてくれる?」


「ああ」


「……なんでも?」

884: 2015/11/16(月) 00:06:37.69 ID:X7IsvjhDO
「なんでもだ」

二度ほど即答が返ってくる。あまりにあっさりとしているので、カレンは変な不安に襲われた。


「私が無茶苦茶な事を言っても?」


『氏ね』と言われれば、その通りにするのだろうか。『付き合って』と言えばその通りになるのだろうか。


「おもしろ半分で君がそういった事を言うとは思えない。無茶苦茶だろうが理由があるんだろう。それくらいは僕にも分かるよ」


「そ、そう……」


ライの言葉からは強い信頼感が窺えた。彼が強い意志を見せることは非常に珍しい。


なんだか恥ずかしかった。ライから信頼されている事への照れもあったが、それを疑ってしまった自分への羞恥も大きい。


カレンは顔を背けた。ちらちらとライの背中を見る。


「なにかあるのか」


「え? いや……」


ここで『<黒の騎士団>に入って』と言ったらどうなるのだろうか。彼は引き受けてくれるのだろうか。

885: 2015/11/16(月) 00:07:29.82 ID:X7IsvjhDO
「……ううん。今はいい」


「そうか」


「その時はよろしくね」


「ああ。任せてくれ」


こくこくとライは頷いた。表情は未だ乏しいが、その仕草にはなんだか可愛げがある。


「じゃ、行きましょうか」


カレンは立ち上がり、使用したティッシュを丸めてごみ箱に放った。ライの服を見繕う前にまずは女物の服屋に行く必要がある。


「私のはどうでもいいから、さっさとあなたの方へ行きましょ。選んであげるから」


「なら、君の服は僕が選定しよう。任せてくれ」


「え、嫌よ」


「何故だ」


「ろくな事にならないもの」


「心配しなくていい。女性向けのファッション誌を熟読した事がある。中等部女子用の物だが、流用出来るだろう」


「出来るわけないでしょ。まったく……」

886: 2015/11/16(月) 00:08:55.95 ID:X7IsvjhDO
彼の思考回路がよく分からない。自信満々の時は特にだ。カレンはライの先を歩きながら、背後の少年に言った。たどたどしいが、精一杯の誠意を込めて。


「その……ありがとね。さっきは助けてくれて」


保健室でも同じように礼を言った覚えがある。あの時は最低な事を言われて別れてしまったが、今と同様にこうして助けてもらった。


「役に立てたなら何よりだ。……それに、君の優しいところが見られて良かった」


「な……そんなんじゃないわよ!」


そんな言い合いをしながら、二人で繁華街の方へ向かう。


こうして二人でいる時が一番楽しいのかもしれない。ライが不用意な事を言って、カレンがそれを叱りつけて──そんな、偽りの無い言い合いが、なにより大切な時間だと、失いたくないと、そう強く思った。


納得のいかなそうな顔をした少年の前を歩きながら、カレンは誰に向けるでもなく微笑む。


結局、ライからの挑発めいた発言に触発されたせいで、カレンの服選びに時間が掛かり、当初の目的である彼自身のための衣服を選ぶ猶予はほとんどなかった。

893: 2015/11/21(土) 09:11:53.55 ID:xN9on8TDO
「スザク、買ってきたぞ」


昼休みの生徒会室。ライは持って来たビニール袋を黒猫の世話係主任に渡した。


「ありがとうライ。助かったよ」


「……手遅れだったようだ」


スザクに抱かれているアーサーは酷く不機嫌な様子で、飼い主の手に生傷を作り続けている。食料の供給が断たれていたためか、それとも自身を抱き上げている人間に対して何か思うことがあるのか──きっと両方だろう。


「君はそのままアーサーを取り押さえておいてくれ。餌は僕が用意しよう」


「うん。分かっ……痛っ!」


我ながら的確な役割分担だと思った。アーサーはライにまったく懐いておらず、しかもあの状態だ。スザクに前衛を任せ、自分は支援に専念した方が得策だろう。


「災難だったな」


指定席に座っているルルーシュが言った。アーサーのキャットフードが切れていたために急いで買い出しへ行くことになったライへの言葉らしい。


騒がしいスザクとライを尻目に、黒髪の美少年は読書に興じている。親友が猛獣に襲われて涙目になっているというのに、薄情だとライは思った。

894: 2015/11/21(土) 09:13:44.93 ID:xN9on8TDO
「君は呑気だな」


キャットフードの袋が思いのほか頑丈で手こずりながらライはルルーシュに言った。早く救援に向かわなくては、取り返しのつかないことになる。


「スザクが飼うと言ったんだ。血や涙を流す責任はあいつにある」


「スザクが氏んだらナナリーが悲しむ」


「ふむ。それは確かに」


ようやく大袋が開いた。即座に中から小袋を取り出し、それをアーサー専用の食器にザラザラと流し込む。


既に入れ替えられていた水と一緒に指定の場所に配置したライと入れ替わるようにスザクが抱えていた黒猫を餌の前に降ろした。見事なコンビネーションだった。


待ちかねていた食事に飛びつくと思われたアーサーだが、クンクンと匂いを嗅いだ後、『仕方ねえな』といった様子で渋々と食べ始めた。


これでは傷だらけになったスザクと、学園からショッピングモールまでの都合二キロを一〇分弱で往復したライが報われない。


「……餌に飢えていたんじゃないのか」


「うう……」


「ただ単に機嫌が悪かっただけのようだな」

895: 2015/11/21(土) 09:15:17.37 ID:xN9on8TDO
我が身の不幸に嘆くライとスザクに、ルルーシュの他人事のような言葉が放たれる。


「なんであんなに凶暴なんだ。スザクは一応の飼い主なのに」


「猫は周囲の人間をランク付けするらしいからな。頻繁に餌をやる者ほどピラミッドの上部に置かれるそうだ」


「なるほど。詳しいんだな、ルルーシュ」


見れば、彼が読んでいるのはペットの飼い主向けの雑誌だった。スザクが持ち込んだ物を拝借していたのか。


「僕だって餌くらいあげてるよ。毎日ってわけにはいかないけど」


「性別の違いも関係がある。雄なら女性に懐きやすいんだろう。にしてもスザクは嫌われ過ぎだがな」


「……そういえば、ここ数日はカレンが世話をしていたな」


男子メンバーと比べて、女子メンバーにはかなり懐いているように思える。


ライは既に食事を切り上げ、丸くなっているアーサーに目を向けた。


「……現金な猫だ」


「お前だってナナリーが相手だと態度が変わる。それと同じことだ」


「……? 特に変わらないと思うが」


そう言ったが、ルルーシュは呆れたように肩をすくめ、スザクには苦笑された。

896: 2015/11/21(土) 09:16:42.50 ID:xN9on8TDO
ライも椅子に腰を下ろし、持ってきた本を開く。後ろからスザクが覗いてきて、意外そうに尋ねてきた。


「料理の本?」


「ああ。君も出来るのか」


「もちろん。って言っても、ルルーシュみたいに本格的な物は無理だけどね」


スザクの視線を追って、ライもルルーシュを見た。いつの間にか席を立っていた彼は救急箱を持って戻ってくる。無造作にそれを負傷者の前に置いて、


「……ナナリーにか?」


不機嫌そうに言った。ライは頷く。


「駄目か」


「駄目じゃない。だが、お前にそんな事をされたら、ナナリーも本気になって料理に打ち込むかもしれない」


「そうなったら刃物や火を扱う可能性もある、か」


ライの食事事情に思うことがあったのか、ナナリーは最近になって料理を始めるようになった。ルルーシュか咲世子が傍についた上での、火や刃物を使わないものという限定をしたものだが、それでも小さくない変化だった。

897: 2015/11/21(土) 09:19:50.83 ID:xN9on8TDO
「大丈夫じゃないかな。ナナリーは出来る事と出来ない事をちゃんと分かっていると思うけど」


「同感だ。それらを認識しているからこそ、あの……おにぎり、だったか。危険の無い日本料理という選択をしたんだろう」


スザクの意見にライも頷く。


ナナリーがおにぎりを作った理由はライの不摂生を危険視しただけではなく、日本人であるスザクにも故郷の料理を味わって貰いたかったからだ。


不自由な自分が料理を作る危険性を理解しているからこそ、ルルーシュや咲世子にも話した上で実行した。決して短絡的な思いつきが起こした行動ではない。本当に聡明な少女である。


「……だがな」


そういった妹の考えを理解したからこそ、ルルーシュも手伝った。にもかかわらず、彼はまだ渋っている。


「君の懸念も最もだと思う。だからこそ、僕も料理の知識を得ようと思った」


要は、ライが食事に対する積極性を見せればいいのだ。習熟した料理を振る舞えばナナリーも安心する。


ひいてはこれまで自分をペット扱いし、小馬鹿にしてきたミレイやルルーシュ、カレンやシャーリーといった人物を見返すことにも繋がる。自立するのにも料理の知識は無くてはならないものだ。会得するには良い機会だと思った。

898: 2015/11/21(土) 09:20:59.56 ID:xN9on8TDO
「ナナリーはあれで食欲旺盛だからな。しかも大衆料理を好む傾向がある」


「この間も餃子が好きって言ってたしね」


「ああ。手の込んだ分野ではルルーシュの物には及ばない。僕は違う角度からアプローチしていこうかと思う」


ライが持っているのは初心者向けの料理本だった。入手しやすい材料と一般的な調味料、複雑な工程を挟まずに完成する物ばかりが載っている。


「料理の知識は無いのか」


ルルーシュが面白くなさそうに尋ねてきた。


「あったら今のような状況にはなっていない」


「ああ。合点がいったよ」


今度は鼻で笑われた。


「でも、そういう本は大事だよ。料理する人の中には、間違った偏見を持ったまま信じられない物を生み出す人がいるから」


「信じられない物。昨日の君はおにぎりをひどく恐れていたようだが、それが関係しているのか」

899: 2015/11/21(土) 09:23:01.28 ID:xN9on8TDO
そう言うと、スザクは思いつめたような、沈痛な面持ちになった。


「……うん。正直、ナナリーのおにぎりは本当に安心したんだ。大切なものを思い出させてくれたっていうか」


「それは分かる。ナナリーの手から生み出された物なら、僕は躊躇いなく何でも口に入れるだろう」


二人はどこかズレた会話をしながら本を捲っていく。


「カレンから、日本は食文化が発達していたと聞いた。ラーメンや餃子などにも独自のアレンジを加えていたらしいな」


「そうだね。オムライスやカレーなんかは洋食屋にあったけど、殆ど日本料理みたいなものだったから。その手の物なら、ナナリーも喜ぶと思うよ」


ナナリーが喜ぶ。猛烈なやる気がライの中に生まれた。これまで折り紙や本の読み聞かせなどに終始していたが、新しいレパートリーが増えるとなれば──


「おい、落ち着け」


ルルーシュから冷静な指摘が飛んできた。知らず知らずのうちに興奮してしまったらしい。


「俺は許可を出した覚えは無いんだがな」


「なに。どういう意味だ」


「お前やスザクはどこか抜けているだろう。そんな連中の作った料理を、ナナリーに食べさせるわけにはいかない」

900: 2015/11/21(土) 09:25:56.60 ID:xN9on8TDO
「失礼な。僕達のどこが抜けているというんだ。リヴァルに体操着を奪われた結果、制服で体育の授業に出ていた君には言われたくない」


「そうだよ。いくら最近、ナナリーに構ってもらえないからって、その言い方はどうかと思う」


「お前ら……!」


度重なる挑発的な言動に、ルルーシュがいきり立つ。いつもは彼から一方的に論破されるだけの二人だったが、今回は優勢だった。


「君の料理は非常に美味だが、たまには違う趣の物も食べたくなるだろう。ナナリーがピザや餃子に惹かれるのも無理からぬ事だ」


メイドの咲世子もルルーシュに合わせた料理を作ろうとするため、ランペルージ家の食事はレパートリーこそ豊富でも一本化してしまう。


ナナリーはまだ中等部だ。その年頃の女子は無性にジャンクフードを食べたくなる時もあると、シャーリーやカレンが言っていた。彼女達が図抜けて食欲旺盛だという事を差し引いても、有力な意見であることに変わりはない。


「たこ焼きなんかはどう?」


「あれは駄目だ。危険過ぎる」


スザクの意見にライは真っ向から反対した。以前に彼と一緒に租界の屋台で食べた事があるが、口内に重度の火傷を負うはめになったからだ。


美味ではあったが、ナナリーに苦痛を与える可能性のある物は全て排除するに限る。

901: 2015/11/21(土) 09:26:59.71 ID:xN9on8TDO
あーでもないこーでもないと言い合いを続け、結局は『ナナリーに決めてもらおう』ということで結論がついた。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。


本を閉じ、椅子を元に戻しながら、ルルーシュが嘆息した。


「まったく……」


「迷惑だっただろうか」


あかの他人の分際で差し出がましい真似をしたかもしれない。ライが尋ねると、ルルーシュは微笑んで、


「文句を言いたいところだが、留守にしている負い目もある。あまり妙な物は作るなよ」


ルルーシュもそうだが、咲世子も忙しい身だ。ナナリーが一人になる時間は少なくない。最近はライが彼女の就寝まで世話をすることも珍しくなかった。


「ああ。もちろんだ」


ナナリーの嫌いな食材をリサーチする必要がある。後は成長期の身体に良い栄養素を絞り込み、それらを効率的に摂取出来る料理を作ろう。


「あ、そうだ。ライ、今日の放課後なんだけど……」


スザクが言いづらそうに話しかけてくる。また<特派>の用事のようだ。


近い内に職場となるかもしれない所からの依頼だ。ライは一も二もなく頷いた。

902: 2015/11/21(土) 09:29:29.01 ID:xN9on8TDO
「いらっしゃーい!」


放課後になり、向かいの大学にある研究室にやってきた。軍服に着替えたスザクに連れられ、数台のシミュレータ・マシンがある部屋へ到着すると、白衣の男性に迎えられる。


いつもの笑みを浮かべながら近寄ってきたロイド・アスプルンドに無意識の警戒をしながら、ライは会釈をした。


「……お久しぶりです、ロイドさん。よろしくお願いします」


「はいはい。じゃあこっちに来てシートに座ってね。ちょっと動くから気をつけて」


「ロイドさん……。そんな、美容院みたいな」


ライの肩を掴み、ぐいぐいと押すロイドにスザクが苦笑する。並び立っているシミュレーターのハッチは既に解放されていて、上下に稼働するシートが搭乗者を待ち望んでいた。


「今日はせっかくセシル君が非番なんだから、時間は有効活用しないとね。ライ君はもう準備運動してるでしょ?」


「あ……はい」


「まあ、今日はちょっとしたテストみたいなものだから、そんなに固くならなくていいよ」


訊いておきながら会話をする気の無いロイドの勢いに乗せられ、ライはシート座らせられる。付属のベルトを金具で固定すると、すぐさま筐体の中に座席ごと引き寄せられた。

903: 2015/11/21(土) 09:31:02.60 ID:xN9on8TDO
『今日は新型武器のテスターをやってもらいたいんだ』


ナイトメアのコックピットと同じ、内部のレイアウトを懐かしむ間もなく正面モニタにロイドが映る。


「新型……ですか。僕は一応、一般人なんですが」


言いながらパネルを操作。武装の状態を表示している画面には、確かに見慣れない武器があった。


『へーきへーき。まだどこも開発していない兵器のデータだし、そういうのに"民間の技術者"が協力しているのは珍しい事じゃないから』


「技術者……」


責任者のロイドが言っているのだから良いのだろう。深く考えないことにして、ライは操縦桿のグリップを握り直す。機体設定は一般仕様の<サザーランド>。言うまでもなく機密情報の塊である。


『二種類の兵器があるでしょ。その内の一つ、ライフルを装備してみて』


「はい。……これでいいですか」


『そうそう。今から目標を出現させるから、試し撃ちをお願い』


「手動か自動か……」


『お好きにどーぞ』


回線が切れたのを確認し、ライは自機の右手に握られている火砲を見やった。黒光りする砲身には折りたたみ式のロングバレルが装着されている。


見た目は普通の四〇ミリライフルだ。

904: 2015/11/21(土) 09:33:45.62 ID:xN9on8TDO
ファクトスフィアを解放。露出したセンサー集合体が付近の湿度、風速、気温を読み取り、周辺の地形をスキャンして3D映像で表示する。


試射場に選ばれたのは深い森に囲まれた山岳地帯。天候は晴天。射撃には絶好の環境と言える。


(……やるか)


FCSを部分カット。狙撃用のマニュアル射撃。光学センサ連動の弾道予測装置と通常の反動軽減装置を残し、後はほとんど眠らせる。銃砲の性能を見るなら機体側のサポートは殆ど必要ない。


センサーに反応。一二時の方向、一五〇メートル先に無防備な<無頼>が佇んでいた。


あれが的のようだ。動く気配の無い全高四メートル強の人型物体。確認した今なら目を閉じていても当てられる。


だが、これは試射だ。じっくり狙い、データを集めるのにこれ以上無い状況を作り上げ──発砲。三〇ミリよりも一回り大きい砲弾が吐き出され、目標に着弾。爆炎が上がる。


誤差なし。普通のライフルより高初速。弾道のブレやクセは確認できない。既存の弾薬を使用しているにも関わらず初速を稼げたのは、砲身内部で電磁加速をかけたからだろう。


高威力で反動も小さく、使いやすい。現時点では良い武器だと言える。


新たな反応。ライの<サザーランド>が立っている地点から崖の下、七時の方向。距離は──二九〇〇メートル。先ほどの二〇倍近く離れている。

905: 2015/11/21(土) 09:35:47.91 ID:xN9on8TDO
少し遠い。四〇ミリ弾なら届くには届くが、直撃は非常に難しかった。山岳部特有の不規則な強風が砲弾を遮る天然の防壁となるからだ。


伝説的な狙撃手なら当てられるのかもしれないが、この距離を制覇出来るナイトメア・パイロットのスナイパーは現時点で存在しない。


近づいて当てるしかない。


そう思った時、装備していたライフルがひとりでに変形した。外部からの操作だ。


折り畳まれていた砲身が展開し、ロングバレルが装着される。アサルト・ライフルからスナイパー・ライフルへ。どうやらこの火砲には可変機能があるらしい。


およそ三キロの距離。狙えるのか。届くのか。


(……やってみるか)


<サザーランド>がうつ伏せになり、伏射姿勢を取る。大型のライフルを抱くように構え、さらにファクトスフィアを展開。機体各部への電力供給を最小限にして、その分を射撃能力に割り当てる。


障害物はない。湿度も高低差も無視して良い。注意するのは風速だけ。


「…………」


光学センサの情報を頼りに狙いをつける。ナイトメアのコックピットに座っている状態では、実際に銃を握っている時のような一体感は得られない。あまりにも不利な状況。


頼りになるのは武器の性能のみ。

906: 2015/11/21(土) 09:37:38.63 ID:xN9on8TDO
(──当たれ)


確信が持てないままトリガーを引く。火薬が炸裂し、砲弾が走り出す。それが内部の電磁力により加速しつつ、砲身に刻まれたライフリングで回転をかけられ、遠心力により安定。最善の状態にまで整えられた四〇ミリ弾が砲口から飛び出していった。


三キロの距離を駆け抜け、風の壁を突き破り──着弾。胴体部に直撃を受けた<無頼>は真っ二つになって沈黙した。


『……一撃で当てるとは思わなかったねぇ』


回線を閉じてから数分も経っていないのに、ロイドの声がやたらと久しく思えた。


「良い武器ですね。……ただ、エナジーが」


『ああ、やっぱり?』


たった二度の射撃で<サザーランド>の活動可能時間を示すメーターがごっそり減っている。問題は二度目の方だ。砲身内での電磁加速と全開にしたファクトスフィアの併用。それによってエナジーの二割が失われた。


『<サザーランド>の出力だと厳しいみたいだね』


「画期的ですけどね、可変機構は。強度的な問題はクリアしてるんですか」


『もちろん。基本設計は既存の物を流用してるから。信頼性は大事だよ』


「なら、後はコストだけですね」


『そうだねぇ。まあ、そっちは追々なんとかするとして、もう一つの方いってみようか』

907: 2015/11/21(土) 09:39:40.30 ID:xN9on8TDO
ロイドの指示に従い、<サザーランド>はライフルを後ろ腰のハードポイントに懸下する。そして新たにコックピット・ブロック脇に増設されたアームに格納してある武器を抜き放った。


『形状はただのショート・ソードだけど、切れ味は抜群だよ。今度は試し斬りをしてみて』


言葉通り、もう一つの武器は片手剣の形をしていた。ディテールは何の変哲も無い近接武器だが──


(……剣、か)


胸がざわつく。それを疑問に思う暇も無く、耳をつんざく警報音が鳴り響いた。


後方から敵性物体。距離を取るか、攻撃に転じるか。ライは後者を選択した。


武器を構えつつ振り向くと同時に、敵機を視認。スタントンファを振りかぶった<無頼>がモニターいっぱいに映っていた。迎撃。ライの<サザーランド>は相手の動きに合わせるように踏み込み、その右腕を掴んだ。


当然、敵は拘束を解こうと再度、腕を振り払う。あっさりと放してから、無防備の腹部に剣を突き立てた。そこで異常に気づいた。


武器の切れ味が良すぎるのだ。


一切の抵抗無く刃は敵機の体内に入り込み、動力部をくし刺しにする。ナイトメアが持つ近接武器は数多くあるが、ここまでの威力を誇る物は知識の中に無かった。

908: 2015/11/21(土) 09:41:25.69 ID:xN9on8TDO
大型のナイフや剣に特殊な分子加工を施すことにより、戦車の装甲すら切り裂ける物は存在する。しかし、それらは安価な代わりに耐久性が低く、ここまでの鋭さは有していない。


チタンやセラミックを組み合わせた複合装甲を持つ近代兵器に、薄い剣身しかもたない武器ではあっという間に切れ味が劣化して折れてしまう。


スタントンファが広く普及しているのは威力やコストもさることながら、打突武器の特性上、極めて壊れ難いからだ。


(なんだ、この剣は……)


外見上は鋼を研ぎ澄ましただけの、普通の剣だ。機体が提示してくるデータにも参考になる物はない。秘匿されているということだろう。ロイドにも明かしたくない情報があるようだ。


新たな敵影。<サザーランド>を囲むように<無頼>が三騎。スタントンファ装備が二騎に、ライフル装備が一騎。接近してきたわけではない。何も無い空間に突如として現れた。


嫌な配置だ。


間髪入れずにライフル装備の機体が発砲してくる。降り注ぐ三〇ミリ弾をすり抜けながら、スラッシュハーケンを射出。一基で敵機の火砲を砕き、もう一基を地面に打ち込んだ。


急速に巻き上げ、加速。ランドスピナーが土煙を引き起こす。増した勢いのまま武器を失った<無頼>に頑丈な肩部装甲をぶち当てた。


転倒した敵機にとどめを刺したかったが、背後からもう二騎が迫っていた。スピンを掛けつつ横合いから飛びこんでくるスタントンファ。青いスパークがモニターを埋め尽くす。


ライは斜面という不安定な足場を利用して<サザーランド>の体勢を低くし、すれ違いざまに右腕を振るった。剣先が地面を浅く斬り、スタントンファが自機の右側頭部を掠めていく。


目論見は上手くいった。右脚部のランドスピナーを切断された<無頼>は突進の勢いを殺せぬまま斜面を転がり落ちていく。そのまま大木に激突し戦闘不能判定。

909: 2015/11/21(土) 09:42:54.05 ID:xN9on8TDO
今の攻防でおおかた理解した。左側からスラッシュハーケンが飛んでくる。武器を破壊された方の<無頼>がナックルガードを装備した右腕を打ち込もうと突撃してきた。


右側からはスタントンファを装備した敵機が迫ってくる。挟み撃ちの状況。コンピュータ相手に同士討ちは狙えない。


ライは機体の背部ユニットに保持されていたもう一本の剣を抜き放った。そして、左右の剣の柄尻を連結させる。


一閃。スタントンファが容易く切り裂かれる。さらに機体を回転。上下の刃が一騎の<無頼>を器用に寸断した。頭部から腰部、膝関節の順で脱落する。


後方から殴りかかってくる敵機の一撃も紙一重で躱し、その腹部に両剣を突き刺した。冷却ユニットを貫かれ、最後の敵も沈黙。


さしたる脅威も感じぬまま、ライは周囲の索敵を済ませ、一息ついた。


『素~晴らしい! 良い動きだったよ。初めて使った武器でこの機動。本当に面白いね、君は』


「……いえ、本来ならスタントンファを躱した時に、放電で頭部ユニットを破損していたかもしれません。まだまだです」


やはり、自分はナイトメアの扱いがそれほど上手くないようだ、とライは自戒した。決して褒められるような結果ではなかった。

910: 2015/11/21(土) 09:43:57.55 ID:xN9on8TDO
剣という武器のせいだろうか。自分の体と同じように扱おうとしてしまった。


ナイトメアは人型を成しているが、人体の複雑な構造を再現するまでには至っていない。股関節の稼働域は人と比べて特に狭く、それが先ほどの乱れを生んだのだ。


『使い心地はどう?』


「良いですね。強度、切れ味ともに素晴らしいと思います。近接戦でここまで頼りになる武器を他に知りません」


モニターに映ったロイドは自作の武装を褒められ、うんうんと頷いて喜んでいる。これではどちらがテスターか分かったものではない。


水を差すようだと、ライは言いづらそうな表情で続ける。


「やはりというか、エナジーの消費が……」


<サザーランド>のエナジーは五割を切っていた。普通ならば補給に戻らなくてはならない状態である。


『そうだよねぇ。稼働時間の圧迫は問題かな』


どれだけ強い武器だろうが、敵陣に深く切り込めないのでは意味が無い。補給している時間は敵に態勢を整える時間を与えるばかりか、逆襲を許す致命的な隙にさえなってしまう。

911: 2015/11/21(土) 09:45:40.63 ID:xN9on8TDO
『疲れの方はどう? ここらで休憩を挟む?』


「……いえ。今日はこの後に用事があるので、このまま行かせてもらっていいですか」


『了解了解。じゃあ、早めに済ませちゃおうか。今度はちょっと難しいよ?』


ロイドが言った直後、モニターが暗転した。再び山の上のフィールドが映し出される。


機体は引き続き<サザーランド>。剣の代わりにスタントンファを持っている他は、先ほどと同じ状態だ。


『次は君自身の限界値を計りたいから、やれるところまでやってみて。サプライズも用意してあるから、お楽しみに』


「了解」


ロイドの事だ。サプライズと書いて嫌がらせと読むのだろう。ライは短く答えながら機体を素早く操って、有利な地形ポイントへと向かわせた。


レーダーに反応。光学カメラで確認。三騎編成の<サザーランド>が二個小隊。計六騎が山の下から登ってくる。


(……まだいるな)


上空に攻撃ヘリが二機。ミニガンとロケットランチャーで武装した機体が索敵がてら一五〇〇メートル先を飛んでいる。囮のつもりなのか、やたらと高度が低い。


厄介だと思った。動きを見る限り、敵のAIはこちらに気づいていない。初撃でヘリを落とすのは簡単だが、それだとあっさり位置がバレてしまう。

912: 2015/11/21(土) 09:47:20.43 ID:xN9on8TDO
バレずとも、いずれは敵の捜査網に引っかかる。<無頼>が相手ならいくらでも身を隠せるが、最新のレーダーを搭載している<サザーランド>には通じない。ヘリまでいるなら尚更だ。


ならば、奇襲に乗じて勢いを得よう。


ナイトメアか、攻撃ヘリか。


二者択一。瞬時に判断。


ライの<サザーランド>は足を止め、体勢を低くした。背の高い木々に潜みながら、武装を操作。ノーマルモードからスナイパーモードへ。


レーザー照準及び電磁加速機能をオフ。完全なマニュアル射撃で敵を狙う。


航空機の中でもヘリは図抜けて機動性が高い。直進方向に推力を集中させている戦闘機などと比べて速度では劣るものの、上下左右に、より三次元的なマニューバを取ることが出来る。


光学カメラを最大倍率。ファクトスフィアを使えば位置がバレる。四方八方へと縦横無尽に動き続ける敵機はなかなか照準を合わさせてくれなかった。相手も狙撃を警戒しているのだ。


それでも辛抱強く観察を続け、次第に動きを掴めるようになってくる。複雑な戦闘機動だが、ライの持つ高度な予測能力はコンピューター相手には滅法強い。


呼吸を合わせ──発砲。


四〇ミリ砲弾がロングバレルの先端部から吐き出され、一・五キロ先の目標物を一撃で粉砕した。

913: 2015/11/21(土) 09:48:45.80 ID:xN9on8TDO
僚機が撃墜された事で、もう一機のヘリはこちらにロケット弾を乱射しながら退避しようとする。


しかし、先読みして放っていた二発目の砲弾が吸い込まれるように直撃して、あえなく撃墜。敵の位置関係から回避ルートは容易く読み取れた。一発目が命中した時点で、二発目の直撃は絶対のものになったのだ。


敵航空部隊を殲滅。


武器をノーマルモードに戻し、落ち着いて機体を狙撃の姿勢から立て直す。八発のロケット弾が白煙を引き連れてこちらに向かって来ている。


苦し紛れに発射したものだ。直撃コースにあるのは三発程度。撃ち落としてもいいが、弾薬がもったいない。回避を選択。


広い範囲を爆風が暴れまわる。土と砂利、鉄と木々の破片が飛び回って、あちこちに散乱した。現実の戦闘なら、これらが装甲板を激しく叩く劣る音が聞こえた事だろう。機体は泥まみれになっていたはずだ。


ファクトスフィアを展開。周囲をスキャンする。もう身を隠すことに意味はない。今の爆風がこちらの位置を示すなによりの目印になってしまった。


六騎の敵<サザーランド>が一斉に向かってくる。味方もおらず、トラップも仕掛けていないライが近いうちに包囲されるのは明白だった。

914: 2015/11/21(土) 09:50:51.59 ID:xN9on8TDO
だが、これでいい。


ライの<サザーランド>は素早く身を翻し、当初から目を付けていたポイントへ移動した。再び狙撃モード。


空を飛び回る目標と比べて地を這う獲物は狙うのが楽だ。高精度のマニュアル射撃に脆弱な敵AIは、ほとんど無防備で直撃を受け入れる。まずは<サザーランド>を一騎撃破。


二つある小隊のうち、一つはライから比較的近い地点にいた。もう一つは岩石地帯を挟んで向こう三キロの場所だ。到着までに時間がかかる。


それまでに目の前の部隊を片付けてしまえば、一対八だった戦力差は一対三にまで狭められる。充分に勝利を狙える状態だ。


残された二機の<サザーランド>は散解して左右から挟み撃ちを仕掛けるつもりのようだった。凡庸な選択だ。


ライはわざと足を止め、再び武器を連射の利くノーマルモードに戻す。右膝を地面につけて姿勢を安定させると、ロックオンを確認してからアサルト・ライフルをバースト射撃した。


放たれた三発の砲弾はいずれもよけられる。それでいい。もとより動きを制限するための攻撃だったのだから。


敵からの砲撃。最先端の電子兵装が機体を守ってくれる。周囲に着弾するが、構わない。


今度は良く狙い、マニュアルでトリガーを引く。一撃で股関節を粉々にされた敵機は頭から地面に叩きつけられた。

915: 2015/11/21(土) 09:52:11.89 ID:xN9on8TDO
二機目を撃破。残るは一騎。


距離は三〇〇メートルほど。本来、ナイトメアの交戦距離はこのくらいだ。だが相手はそこまで来るのに数的有利を削がれてしまった。狙撃という技能の有用性がこれ以上ないほど発揮されている。


ライはカートリッジ一つさえ使い切っていない武器をしまい、スタントンファを起動した。


これまでは遠距離からの一方的な攻撃を重視していたが、今なら時間もある。先ほどの接近戦でよぎった違和感を、ここで払拭するのもいいだろう。


三〇ミリ砲弾を乱射してくる敵機。木々を利用して射線を塞ぎ、容易く接近する。ランドスピナーを停止。脚部の力だけで軽やかにステップをきり、その懐へと飛び込んだ。


青いスパークを纏った打撃武器が敵機の右腕とライフルをもぎ取り、続けざまの一撃が胸を砕く。<サザーランド>が崩れ落ちた。本来ならここでコックピット・ブロックが射出されているはずの損傷だ。


「……これで五機」


ライの<サザーランド>はいまだに無傷だった。エナジーにも残弾にも余裕がある。あと三騎の<サザーランド>を相手するには充分といえた。


スタントンファをしまい、火砲を取り出す。先ほどと同じように狙撃で数を減らしてから、じっくりと倒せばいい。さしたる脅威も感じず、ライがOSを弄ろうとキーボードに手を伸ばした、その時だった。


警告音が響き渡る。後方から高速で接近する物体。振り向きつつ、後退をかけた。

916: 2015/11/21(土) 09:54:06.33 ID:xN9on8TDO
モニターに映ったのはきりもみ回転しながら突撃してくる<サザーランド>。猛烈なスピードだ。地形や位置的に、もう回避は出来なかった。


ありえない。計算を崩す完全なイレギュラーだ。


破壊の歯車と化して迫り来る敵機。繰り出されるスタントンファ。咄嗟に持っていたライフルを生贄に差し出す。


正面で爆発。武器を破壊されたライは急いで態勢を立て直しながら、自身もスタントンファを抜き放った。


「…………」


荒い岩石地帯はナイトメアの足を止める。ランドスピナーで走破出来ないからだ。脚部とハーケンを使って突破するにしろ、迂回するにしろ、相応の時間がかかるはずなのに。


空でも飛んできたのか、それとも地中を潜ってきたのか。どちらにしても、この敵が無茶苦茶ということに変わりはない。ロイドの一言が無かったら先の一撃でやられていた可能性もあった。


レーダー・マップに目をやる。やはり、もう二騎の<サザーランド>は遅れてこちらに向かって来ていた。通常ではありえない速度で接近してきた事実。先ほどの信じられないような戦闘機動。


間違いない。


(これがサプライズか)


ライは目を細め、悠然と佇む謎の敵を見据えた。

927: 2015/11/26(木) 21:42:20.18 ID:w5GHjmWDO
突如として現れた<サザーランド>は隙の無い構えを解かない。あれはコンピューターが動かしている物ではないだろう。その物腰からは電子回路には生み出せない、ある種の遊びや、生命の息吹のようなものを感じる。


なにより、あんな機動はどんなナイトメアのOSにも組み込まれていない。


「…………」


相手はこちらの出方を窺っているようだ。僚機との連携は考えていないと見える。だが、どちらにしても時間経過で残りの二騎も到着するだろう。そうなれば勝ち目はほとんど無くなる。


仕掛けるしかない。戦術は潰された。ならば、目の前の敵を少しでも早く倒す他にない。


ライの<サザーランド>が突進。重心を巧妙に前後させることで、相手に手を読まれないように工夫する。スタントンファが電気の火花を散らした。


振りかぶる。横に薙ぐような一撃。右腕を振ったその勢いのまま、左腕での追撃も叩き込む。だが、相手は右の打撃を同じくスタントンファで弾き、やや後退。二撃目をすんでのところで躱すと、無防備になったライの背後に攻撃を仕掛けてきた。


このままではコックピットを破壊される。もともと隙を晒すのは分かっていたので、あらかじめ地面に撃ち込んでいたスラッシュハーケンを巻き戻した。急制動から飛び出すように前へ。危ういところで敵のスタントンファが通り過ぎていった。


「──ちっ」


相手の目論見からは逃れたと思っていた。しかしモニターには回転する敵<サザーランド>の姿。ランドスピナーを使った機動だが、荒れ狂う重心を天才的なバランス感覚で力任せに制御する、曲芸の類のものだった。

928: 2015/11/26(木) 21:44:19.57 ID:w5GHjmWDO
また裏をかかれる。こちらのトンファを盾に、後退しながら両腕をクロスして防御。激突。


あまりの衝撃にライの<サザーランド>が宙に浮いた。完全に威力を頃したつもりだったのに、七トン程度の重さしかないナイトメアがここまでの攻撃を繰り出すとは、にわかには信じられなかった。この一撃だけで、敵の技量をまざまざと突きつけられる。


相手は回転を緩めず、さらに追撃を仕掛けてきた。暴力が渦を巻いて、ライの<サザーランド>に迫り来る。威力が増している。次は防げない。


前進か後退か。


瞬時に判断して、ライは仕方なく前進を選択した。相手は回転の度に攻撃力を増している。後ろに下がったところで勝ち目は無い。


スラッシュハーケンを射出。敵機の足を狙う。だが、それは相手も見越していたようで呆気なく回避された。飛び込んでくる敵<サザーランド>。蓄えた遠心力はまだ両腕の中で生きている。


あれは貰えない。ライの<サザーランド>も突進する。極限のクロスレンジ。両者の攻撃が交差した。


衝撃。お互いの機体が激突し、弾き飛ばされる。これがシミュレーターでなかったら舌を噛んでいたかもしれない。それほどのGだった。


攻撃自体は両者とも外れていた。敵のスタントンファは紙一重で頭上を逸れ、こちらの打撃も腕を掴まれて無力化された。

929: 2015/11/26(木) 21:45:24.34 ID:w5GHjmWDO
「……来たか」


言うと同時に接近警報。息をつく暇もなく、ライは機体を動かした。直前までいた空間を砲弾が通り過ぎていく。乱数機動を織り交ぜ、体勢を維持しつつ位置関係を調整した。


遅れていた二騎の<サザーランド>が到着したのだ。こちらは予想通り。故に危なげなく回避することが出来た。戦況は着実に悪化しているが、分かったこともある。


「…………」


ライは油断なく敵部隊を警戒しながらパネルを操作して、三騎の位置取りを3Dマップに表示した。


やはりだ。


今まで戦っていた<サザーランド>と二騎の増援はまったく統制が取れていない。あのやたらと強い機体にはおそらく人間が乗っていて、指揮を執っているはずだ。にもかかわらず、先ほどの砲撃に合わせてこなかったのには理由がある。


(指揮や連携は苦手か)


そう見て間違いない。近すぎる攻撃ヘリの配置や、逆に遠過ぎるナイトメア部隊の配置。一騎だけ突貫してきたこと、僚機の到着及び援護という絶好の機会を不意にしたこと。全て指揮や連携に慣れていないからだとすれば、説明はつく。


あのナイトメアに乗っているパイロットは恐ろしく強い。接近戦の技能なら間違いなくライより上だ。その上で一対三の絶望的状況。敗北が自分を呑み込もうと口を開けている。

930: 2015/11/26(木) 21:46:35.35 ID:w5GHjmWDO
だが、勝機はある。たったいま見つけたばかりのチャンスが。一泡吹かせてやろう。モーション・サポートを切って出力を最大へ。機体の扱いが難しくなる代わり、今までより鋭く動く事が出来る。


ヴェトロニクスもフル・オープン。この<サザーランド>は既にライフルを失っている。接近戦をやるしかない。


敵部隊が合流し、即席の連携を企てている間、まさに一秒足らずの時間でライは動いていた。現れたばかりの敵機に猛進。相手は撃ってこれない。射線上に隊長機がいるからだ。コンピュータは同士討ちを極端に嫌う。


瞬く間に距離を詰め、一騎のライフルをスタントンファでもぎ取った。後ろから隊長機が迫ってきているが、今は前の敵に集中しなくてはならない。急ぎながらも冷静な機動で続く一撃。胸部に小破判定を与える。これでハーケンは撃てなくなった。


まだ敵は動いている。頭部に力任せの打撃を加え、完全に破壊。ファクトスフィアが宙を舞う。ここでようやくコックピット・ブロックが射出され、撃破判定。待っていたとばかりに近くにいた<サザーランド>が構えていたライフルを発砲した。


五〇メートルほどの距離、格闘直後の硬直状態では回避出来ない。倒したばかりの敵機を盾にする。同時にその腰部から対戦車用の吸着式手榴弾を奪い、アンダースローで発砲している<サザーランド>に投擲した。


即座に退避。下腹部に爆弾がくっつき、敵機の下半身が吹き飛んだ。時を同じく、盾にされた機体も爆散。二輪の赤い華が地上に咲く。サクラダイトが生み出す美しい閃光が、最新の映像技術で忠実に再現されていた。

931: 2015/11/26(木) 21:48:32.22 ID:w5GHjmWDO
瞬時に二騎を撃破。残るは一騎。つい先ほどまで圧倒的な存在感を放っていた敵<サザーランド>からは、呆気に取られたような無警戒さが漂っていた。


絶対的に有利な、勝って当たり前の状況を一瞬で覆されたのだ。しかも直前の攻防における、一対一での単純な力比べでも圧していたのだから、その精神的ショックは計り知れないだろう。


茫然自失状態の隊長機にスラッシュハーケンを叩き込む。それでも相手は当然のようにスタントンファで撃墜した。


ライは勢いに乗ったまま腰部に装備されている予備弾倉を掴み、それを敵機に放った。今のスラッシュハーケンは敵の目を欺くための囮でしかない。


先ほどの手榴弾を見ているのだ。読み通り、身を固くする<サザーランド>。事前にこちらの装備を確認、記憶していなかった証拠である。やはりだ。力はあっても、甘さが目立つ。


だが、常識外れの動体視力で相手はこちらの策を看破し、反撃の姿勢を取った。ライの計算よりも遥かに早かった。


自機の調子も悪い。先ほど砲撃は敵機を盾にしたとはいえ、完全に防ぐことは出来なかった。直後に起きた爆発の影響もあって、機体全域にダメージが蓄積している。動きが鈍い。


それでも回転しながら懐に飛び込む。再びクロスレンジ。またも交差するスタントンファ。敵の<サザーランド>が頭部を吹き飛ばされ、ライの機体もまた、腹部に致命的な一撃を受けて戦闘不能になった。


「……これが限界だな」


両者相討ち。シミュレーターは終了した。

932: 2015/11/26(木) 21:52:39.75 ID:w5GHjmWDO
「……疲れた」


夢から覚めたような感覚。ライは深く息を吐いて、肩をすくめた。戦闘でここまで疲労したのは初めてだった。


シミュレーター・マシンのハッチが開き、狭い室内から解放される。新しい空気が美味い。


隣のマシンも同様にハッチが開いた。中からあの<サザーランド>のパイロットだっただろう人物が現れる。


「凄いよライ。まさか引き分けに持ち込まれるだなんて」


枢木スザクがこれまた同様に疲れた表情で言った。予想していた通り、やはり彼だった。


「ぶらぼー! 素晴らしかったよ二人共~!」


疲労困憊の二人とは対照的に、つやつやしたロイドがスキップしながら寄ってくる。二人はさらにげっそりとした表情になった。


「どうだった? 我が<特派>が誇るデヴァイサーの力は」


ロイドに尋ねられたライはスザクを見ながら、


「恐ろしい強さですね。一騎打ちなら多分、勝てなかった」


労うように言った。


「数の利が足を引っ張るっていうのもなかなか面白いでしょ? じゃあ、次はスザク君ね。新人候補君の印象はどうだった?」


「ライフルを破壊したまでは良かったんですが、後はやられっぱなしでした。戦術面では確実に僕より上だと思います」

933: 2015/11/26(木) 22:04:28.21 ID:w5GHjmWDO
「うんうん。相性は理想的だね~。疲れただろうし、しばらく休憩してて。僕はデータを纏めてくるから」


ロイドはデスクトップから大容量のUSBメモリを引き抜き、それを白衣の右ポケットに入れた。彼は大切な物を決まった場所に入れる癖がある。


スキップしながらシミュレータールームを去っていく未来の上司候補を見送る。


スザクとライは、二人揃ってため息を吐いた。




「はい、コーヒー。ちゃんと冷たいやつだから、安心して」


椅子に座ったライが先ほどのシミュレーションのデータを解析して統合し、数値化をかけていると、ステンレス製のマグカップを持ったスザクがやってきた。


「ああ。ありがとう……ございます。先輩」


「ふふっ、なにそれ?」


「いやなに、ここでは君が先輩じゃないか。仮に<特派>に加入したら、お茶汲みは僕の仕事になる」


「ならないよ。普段はセシルさんが淹れてくれるから」


「今日みたいにいない場合はどうする」


「各自で自由に。ロイドさんはあんなふうに飛び回ってるから、落ち着いて飲んだりは出来ないんだよ」

934: 2015/11/26(木) 22:06:31.16 ID:w5GHjmWDO
「そうなのか」


基本的に三人しかいない職場だ。時間の経過で自然に作られた、独特の慣習があるのだろう。ライは冷たいコーヒーを飲みつつ、そんなふうに思った。


「でも、驚いたよ」


大型モニターには先ほどの戦闘映像がリピートされている。それを見るスザクの目はいつにも増して真剣だった。


「何にだ」


「君にだよ。後続の二騎が到着した時、正直言うと勝ったって思った」


「僕もそう思った。……君は部隊単位で戦うのは苦手だろう。もしくは経験自体が無いか」


スザクは驚いた表情をした。図星だったようだ。


「確かに、ナイトメアに乗って、誰かと協力して戦うのは苦手かもしれない。でも、そこまで分かるものかい?」


「ああ。ヘリの配置や部隊の動かし方を見れば分かる。一人で突っ込んできた時が最も活き活きしていた。そこで、動かしているのは君だと思った」


スザクがライに勝つ方法は簡単だ。あのまま一騎打ちに持ち込めば良かった。味方を囮に使う必要すらない。接近戦を続けていれば、負けの目はほとんど無かっただろう。


「指揮を取れとロイドさんに言われたな」


「……やっぱり、先輩風は吹かせられそうにないね」


「確かに、君のキャラじゃない」

935: 2015/11/26(木) 22:07:44.81 ID:w5GHjmWDO
「……うん。そうかもしれない」


「頼れる相方が出来たらいいな。いくら君が強くても、一人では不可能な事も多い」


ライがそう言うと、スザクは神妙な面持ちで頷いた。




「ポイントL3から敵部隊が近づいている。二分後に会敵。時間を稼ぐ」


『了解』


四〇分ほどの休憩を終え、スザクとライは二人で組みながらシミュレーションをおこなっていた。<サザーランド>二騎でナイトメアや戦闘車両、攻撃ヘリで武装したテロ組織と戦うというものだ。


舞台は荒廃した市街地。前方に配置したスザクの<サザーランド>をライは高層ビルの屋上から狙撃砲で援護していた。


五七ミリの榴弾砲が下を向き、火を噴いた。ナイトメアが持てる最大クラスの砲弾が一直線に飛んでいき、スザクを包囲しようといた敵部隊の真ん中に着弾する。


三騎の<無頼>は機械的な回避機動の後、規則正しく散開。やはり、所詮はコンピュータだと思った。


「ヘリ接近。高度を保っているな。普通はああやって使うんだぞ」


『わ、分かってるって。うるさいなぁ』

936: 2015/11/26(木) 22:09:51.80 ID:w5GHjmWDO
ライは傍らに置いておいたコンテナ型の武装を取り出し、肩に担ぐ。ナイトメア用の四連装対空ミサイルだ。ファクトスフィアを展開しつつ目標をロック。発射。


レーザー誘導式の小型ミサイルは遠距離の敵を狙えるが、その代わりに速度が出ない。ヘリはフレアとバルカン砲をばらまきながら急激に旋回した。


ライはまたも狙撃砲を取り出すと、特に狙いもつけずにトリガーを引いた。レーザー照準器は既にミサイル誘導で使用している。


余裕を持って回避していたヘリの道を塞ぐように放たれた五七ミリ弾はその尾部を吹き飛ばした。テールローターを破壊された敵機は回転しつつ高度を落とす。


機動性を奪われた後で抗えるはずもなく、追い討ちのようにミサイルが直撃。バラバラになった。


地上で交戦していた敵ナイトメア部隊もスザクがほとんど倒してしまったらしい。呆れた強さだった。


『指揮管制車両が……』


「先ほどマーカーを付けておいた。……少し待ってくれ」


二機目のヘリを撃ち落としたライはパネルを操作し、こちらで整理したマップ情報をスザクの<サザーランド>に送信する。


第五世代ナイトメアの持つ強力な通信装置は溺れそうなほどの妨害電波に満たされている戦闘区域でも瞬時に送受信を行えた。

937: 2015/11/26(木) 22:11:02.71 ID:w5GHjmWDO
『受け取った……のかな? これは』


こういった操作は普段、セシルにやってもらっているのだろう。もたつきながらも目標物へと接近したスザクは機体を走らせ、護衛の<無頼>二騎へ躍り掛かる。建築物が邪魔で、こちらからの援護は行えない。


ライは使い終わったミサイル・ランチャーと弾切れの五七ミリ砲を破棄して移動する。今から向かっても幕引きには立ち会えないだろうが、ただ突っ立っているだけというのもなんだか間抜けだ。


警戒する必要の無くなった市街地を疾走しつつ、マップに目を向ける。スザクの<サザーランド>はスラッシュハーケンを巧みに使って、ビルの間を縫うように飛翔していた。推進装置を一切持たないKMFという兵器からは考えられないような機動だ。


あれならランドスピナーによる滑走よりも早く移動できる。真似してみようかと思い立ち、ライは二基のスラッシュハーケンを近い所にあるビルに撃ち込んだ。


二本のワイヤーに牽引され、<サザーランド>が宙に浮く。それから壁面にランドスピナーを当てて、ホイールを回した。瞬く間に機体は建築物の頂上へと到達。頭でやり方は分かっていても、実践するとなると齟齬に苦しむ。


シンジュクゲットーでの戦いからここまで、ナイトメア関連ではずっと付いて回っている違和感。


妙な考えに気を取られていたせいで、機体がバランスを崩す。

938: 2015/11/26(木) 22:12:03.15 ID:w5GHjmWDO
ライの<サザーランド>はビルの頂上からさらに高い建築物にハーケンを撃ち込み、ブランコの要領で空中を移動していた。落下エネルギーと遠心力を器用に操り、勢いが十二分に乗ったところでアンカーを外す。


結果として機体は先ほどよりも高度を上げることが出来るわけだ。後は滞空しながら同じようにハーケンを射出し、ビルの間を飛び回る。先進国の都市レベルで高い建物が乱立していなければ使えない手だが、理論上はこれが最も速度を稼げる方法だ。


しかしリスクも大きい。陸戦兵器であるナイトメアが搭載している姿勢制御システムはあくまで陸上用。空中での複雑な機動は想定していないのだ。そのため、機体から満足なサポートを受けられないまま行うことになる。


少し間違えば体勢を崩して、時速一六〇キロで壁に激突し、そのまま一三〇メートル以上下のアスファルトに叩きつけられるということだ。非常にマズい。なにより格好悪い。


ライは機体の四肢を振って、崩れた姿勢を立て直した。機体の各部重量は熟知している。基礎的な物理学を併用すれば難しい芸当ではない。たるんだワイヤーが手足に絡まないように注意して巻き戻し、しっかり圧力を加えてから再び射出した。


アンカーが前方のビルに食いつき。そこで固定。支えを得た<サザーランド>は地表すれすれを舐めるように飛び、ようやく危機を脱した。

939: 2015/11/26(木) 22:13:42.68 ID:w5GHjmWDO
「……ふう」


今度はミスをしないよう気を張り直す。正直、敵と戦っている時より必氏だった。なにより恐ろしいのは自分自身ということか。


そんなことを考えながら、ライが現場に到着すると、そこにはバラバラにされた二騎の<無頼>と指揮管制機能を備えた装甲車、それと傷一つ無い<サザーランド>が仁王立ちしていた。


間に合わなかったということだ。ライはうなだれた。



「今日はどうだった?」


<特派>からの帰り道、スザクがそう言った。仕事終わりの開放感に満たされた顔だ。


「そうだな……戦い易かった。君の戦闘機動は独創的で、参考になる」


スザクとライの<サザーランド>は一五分間の戦いで<無頼>を一二騎、戦闘ヘリを六機、装甲車を九輌撃破していた。これは本来なら勲章をいくつか貰えるような大戦果だ。


「僕もだよ。君の状況判断力は凄い。敵がどう動くか予測して、一番効果的な指揮が取れる。背後を心配する必要が無くなって、目の前が開けるような感覚は新鮮だった」


「そうか。それは良かった」


スザクからも役に立つと思われているようで良かった。自身の有用性を認めてもらえるのは、ライにとってなにより有り難いことだった。

940: 2015/11/26(木) 22:14:37.98 ID:w5GHjmWDO
「今日は早く終わって良かった。いつもは深夜まで掛かるから」


「そうなのか」


現在の時刻は夜の八時半。仕事をしていたのは実質三時間ちょっとと言ったところだろうか。ライが手伝った分、シミュレーションは早くこなせるし、持ち前の知識を活かしてユニークな報告書も仕上げることが出来た。


ロイドも上機嫌で、成果としては申し分ない。


「はい、今日は新しいやつ」


ベンチに座っていたライに、スザクがクレープを渡してきた。サラミとチーズをトッピングした、スイーツというより軽食としての色合いが強いものだ。


「ああ、ありがとう。いくらだった」


「いいよ別に。報告書も書いて貰ったから、そのお礼」


「駄目だ。こうやって貰ってばかりいるから、生徒会内での扱いが改善されない」


意固地になったライが懐から財布を取り出そうとしていると、スザクがやんわりとそれを遮った。


「ふふ、冗談。実はそれ、サービスだったんだ」


「サービス。どういうことだ」

941: 2015/11/26(木) 22:15:26.63 ID:w5GHjmWDO
「君がこの前、あそこのお店を助けてくれたからね。店主さんからのお礼だよ」


一週間ほど前のことだ。スザクとライがたびたび訪れているあのクレープ屋に、数名のブリタニア人男性が難癖を付けるという出来事があった。


そのブリタニア人は明らかに興奮しており、まともな会話が出来る状態ではなかった。


非常に声が大きく、その発言はあまりに差別的で業務妨害にしか見えなかったので、ライはその男性達を無力化して、軍人として駆けつけたスザクに引き渡したのだ。


そのあと現れたカレンがやたら上機嫌だったのを覚えている。


「助けたわけじゃないぞ」


無力化といっても、暴力を振るったわけではない。ライはただ手頃な位置にいた男性の背中に右の手の平を当てただけだ。


二本の足で直立している人間の重心は、四足歩行動物のそれと比べて酷く不安定だ。外部からの的確な操作を受けただけで容易く乱され、まともに立っていることすら難しくなる。


傍から見れば手を当てられているだけなのに、力が抜けたように膝をつくという極めて屈辱的なシチュエーションを作り出すことが出来るのだ。


しかし、その後がいけなかった。

942: 2015/11/26(木) 22:18:15.25 ID:w5GHjmWDO
ムキになった男性には格闘技の嗜みがあったようで、激しい抵抗を試みてきた。


どんな武芸でも基本は重心の操作、体幹の維持だ。ライがやっているのはそれらを無理やり乱すことなので、事態は悪い方向に向かってしまった。


ただ三半規管に影響を与え、平行感覚を狂わすだけのつもりだったのに、抵抗のせいでそれが行き過ぎて、男性は思い切り嘔吐した。辺り一面が刺激臭に包まれ、道行く人は迷惑そうな視線を送ってくる。


結果的に店主は店の真ん前で吐かれるという、最高クラスの営業妨害を受けたことになる。


ライは張り切ってやったことがこんな事態を招いたことを反省し、後からやってきたカレンに『臭いから近づかないで』と言われて落ち込むはめになった。


だから、あの時の事を感謝される謂われは無い。本当に無い。むしろライが謝罪したくらいだ。


「それでも、きっと君は良い事をしたんだよ」


「だがな、僕でも分かるくらいに悪質な営業妨害だった。非難を浴びるのは当然だが、礼を貰うわけにはいかない」


立ち上がり、ポケットに引っかかっていた財布を苦労しながら取り出す。

943: 2015/11/26(木) 22:19:07.74 ID:w5GHjmWDO
しかし腕をスザクに掴まれる。彼の視線を追ってクレープ屋を見ると、店主の日本人男性と目が合った。


頭を下げられる。なんとなく気まずくなって、ライの方も頭を下げた。本当に申し訳なかった。


「…………」


「ほらね」


スザクはにこにこしながらクレープを食べている。憮然とした表情で座り直し、ライは考えた。いま店主のもとへ向かうのは、なんだか間違っている気がした。


感謝される意味が分からない。店主の男性がああいった態度を取るのはスザクとライが頻繁に足を運ぶお得意様だからではないのか。頭を下げておけば不必要なトラブルを招かなくて済むからではないのか。


自分の外見がブリタニア人に見えるという事は理解している。スザクも軍人だ。名誉ブリタニア人の店主は強く出られないだけなのだろう。


今のライに出来るのは売り上げに貢献する事くらいだ。


「また変な風に考えてるね」


「……最近は同じような事を良く言われる」

944: 2015/11/26(木) 22:19:48.84 ID:w5GHjmWDO
生徒会のメンバーやナナリーはライの無表情に隠されている内心を良く看破するようになって来ている。表情が豊かになるなどの変化があったわけではなく、単純に周囲の人の観察眼が優れているだけだ。


「君も知っていると思うけど、ああいう事は日常茶飯事なんだ。……本当に、毎日のようにある」


「……そうだな」


以前、公園でブリタニア軍人が暴れているのを見た事がある。昨日は同じ公園でカレンがトラブルに巻き込まれた。


日本人とブリタニア人。このエリア11において、なにより高く、絶対的な人種の壁。戦勝国と敗戦国という言葉が生み出す谷よりも深い溝。


ライの隣にいる少年には、この租界がどう見えているのだろうか。彼の黒い瞳には、かつては日本と呼ばれたこの土地が、どう映っているのだろうか。


難しい話だと思った。ルルーシュと話した時は分かったような口を利いたが、実情を知らない、分からないライが言っていい言葉ではなかったのかもしれない。


ライは隣のスザクを見る。彼と話すようになって一か月ほどだが、この少年がブリタニア人に対する怒りや憎しみといった感情を見せることは全く無かった。

945: 2015/11/26(木) 22:21:04.89 ID:w5GHjmWDO
スザクが優しいだけ、というわけではないのだろう。日本人の現状を見て許容できているのなら、それは器が大きいのではない。器に穴が空いているだけだ。


彼からはなによりも強い、悔恨や贖罪を背負っている印象を受ける。日本政府最後の為政者がスザクと同じ性だったが、もしかしたらそれと関係しているのかもしれない。


「まあ、暴力は感心しないけどね」


冗談めかして言った後、クレープを食べ終わったスザクは手をぱんぱんと払ってから立ち上がった。


「追い払いたかっただけだ。あんなに吐くとは思わなかった」


「大事にしたくないっていう君の考えも分かるよ。でも、どこであんな技術を?」


「技術というより、知識だろう。人体の構造や物理に精通していれば誰でも出来る」


「そうかな」


「そうだ。割と便利だぞ」


「大惨事だったけどね」


「…………」


スザクは稀に酷い事を口走る。

946: 2015/11/26(木) 22:22:02.21 ID:w5GHjmWDO
しかし、そんなことではへこたれない。酷い事ならルルーシュやカレンに言われ慣れている。最近はそこにシャーリーやナナリーも加わりそうだが、そのことについては考えないようにしていた。


「だが、軍服を着ればトラブルも鎮圧できるだろう」


ライが<特派>に加入すれば、スザクと同じように軍服が支給される。階級は准尉相当だそうだ。ブリタニア軍の恐ろしさはブリタニア人が一番良く知っている。一般の人間ならまず揉め事は起こしたくない相手だ。


「入る気……なんだね」


「今日は先輩と息が合うことも分かったからな。それに、君の事もある」


「先輩……? あ、僕のこと?」


スザクに自覚が無かったことに内心で動揺しつつ、ライは頷いた。


「ラウンズになると言っていただろう。<特派>に入れば僕にも手伝えることがあるかもしれない」


「そんな……。でも、どうして?」


「応援すると言った。ナイトオブワンまでの道のりは険しいものになる。君ならなることも出来るだろうが……」


そこでライは言葉を切った。

947: 2015/11/26(木) 22:25:10.15 ID:w5GHjmWDO
<ナイトオブラウンズ>になることは難しい。数え切れないほどの騎士達から選ばれる超越者。いくら強いといっても、未だにテストパイロット、しかも名誉ブリタニア人であるスザクが皇帝の目にとまる可能性は極めて低い。


「そこまで辿り着くのには、何かを犠牲にする必要も出てくる」


「もちろん、覚悟はある」


「知っている。だが、それは君が一人の場合の話だ」


「え……」


「簡単な話だよ。一人では出来ないことも二人なら出来るかもしれない。日本のことわざでもあっただろう。三本の槍だ」


「……槍じゃなくて矢だよ」


「そうだった。だが二人なら、こうやって間違いを正すことも出来る」


「そうかもしれないけど……」


いまいち締まらなかったらしい。スザクは嘆息した後、思い出したように笑った。


「どうした」


「いや、やっぱり君は変わってるよ」


「良く言われる」


そう返すと、またもスザクは笑った。


「ありがとう。……そうだね。君と一緒に働けたら、僕も嬉しい」


ライは頷いてから立ち上がり、二人は揃って空を見上げた。


美しい満月だった。

952: 2015/12/01(火) 08:26:08.56 ID:IN4redvDO
「礼儀のなっていない男だ」


二三〇〇時きっかり。夜の公園に着くと、辛辣な言葉が出迎えてくれた。


寂れた街灯がベンチに座る少女を妖しく照らしている。彼女はピザを頬張りながら長い脚を組み直した。


緑色の長い髪。細身の体。金色の瞳。そして何より、周囲と隔絶した人ならざる者の纏う空気。間違いなかった。


C.C.だ。


「時間の指定はなかったはずだが」


「女性との待ち合わせは時間に余裕を持つ。常識だぞ」


「…………」


話が噛み合っていない。夜というだけで時間の指定などなかった。第一、今日と明確に言われたわけでもないのだ。余裕など持ちようがない。


朝から待っていれば良かったのかもしれないが、それはそれでこのC.C.が吐き出す嫌味の内容が変わるだけだ。そんな気がしてならない。


「テレパシーのようなものが使えるんだろう。それなら確実だったんじゃないのか」


「なんだ。私に四六時中、頭の中を覗かれたいのか?」

953: 2015/12/01(火) 08:26:59.99 ID:IN4redvDO
「出来るのか」


彼女が求めていた反応では無かったようで、C.C.はつまらなそうな表情になった。


「出来るわけないだろう。からかい甲斐の無い奴だ」


「そうか」


覗けるのであれば、記憶の手がかりも掴めそうなものだと思ったのだが。


「それで──ギアスとやらの事だが」


探ってみたが周囲に人の気配は無い。無さ過ぎて不気味なほどだ。前にも思ったが、このC.C.という少女は世界を塗り潰すような強い存在感を放っている。


この場にいることを許されているのは、彼女に呼ばれたライのみ。それ以外のものは存在することすら許されない。


「少し待て。食事中だ」


伸びるチーズを器用に巻き取りながら言われた。C.C.の持っているピザには熱が残っている。傍らに置かれた箱には一切れ分だけ切り取られた中身。もしかしたら彼女もいま来たばかりなのではないのだろうか。


それで、この態度。


一筋縄ではいきそうもない。

954: 2015/12/01(火) 08:30:16.06 ID:IN4redvDO
一〇分ほどでC.C.はピザを食べ終えた。指についたトマトソースを舐めてから、ナプキンで拭き取る。


「無遠慮な奴だな」


食事中、ライからじっくり観察されていたためか、見たからに不機嫌な様子だった。彼女が着ている白い服は奇妙な作りで、そこかしこにベルトが付いている。


「食事をするのかと不思議に思っただけだ。他意は無い」


「……失礼な奴だ。私とて、娯楽を楽しむ余裕はある。お前と違ってな」


少女は立ち上がり、肩に掛かっていた髪を無造作に払った。月光を吸い、反射する女性の象徴は妖艶な輝きを放っている。


「僕の事を見ていたな」


「目につくのは当然だ。お互い目立つ」


世界に溶け込めない異物感。通常とは違う理(ことわり)の中を漂う者同士、超常的な力で繋がれているのかもしれない。


ライはC.C.に向き直った。足元の砂が擦れあい、ざりっと音を立てる。


「世間話をするつもりはない。僕の中にあるギアスとやらを目覚めさせてくれ」


「…………」

955: 2015/12/01(火) 08:33:27.56 ID:IN4redvDO
C.C.から笑みが消える。以前は恐ろしかった金色の瞳を、正面からしっかりと見つめ返した。


一際強い風が吹く。


彼女は長い髪を抑えて風をやり過ごした後、閉じていた瞳を開いた。


「……わかった。そこに座れ」


空になったピザの箱をやたらと丁寧な手つきでどかしてから、C.C.はベンチに座り直した。ライもその隣、空いたスペースに腰を降ろす。


「先に言っておくが、力を目覚めさせた後にお前がどうなるか保証できない。これは覚えておけ」


「意識を失ったり、発狂したりするのか」


「その程度で済めばいいがな」


「記憶が戻る可能性もある」


「氏ぬかもしれない。あるいは、もっと酷い苦痛を味わうこともあるだろう」


「どうでもいい。早くしてくれ」


僅かに苛立つ。こうして話すのは二度目だが、C.C.はライがギアスを取り戻すのをやめさせようとしているように感じられた。

956: 2015/12/01(火) 08:34:40.28 ID:IN4redvDO
前に会った際の超然とした態度は鳴りを潜めている。


ここまで待ったのだ。あの時に感じた衝動も今は無い。力は安定したのだから、もう問題はクリアしているはず。なにが不満なのか。


「……忠告はしたぞ」


瞬間、C.C.の瞳に憐れむような色がよぎった。彼女が初めて見せた、人間らしい表情の変化。それに疑問を持つ間もなく、ライの膝に少女が馬乗りになった。


視界を支配するのは冷淡な美貌。世界を知り尽くしたような、そしてその全てから取り残されたような、深い絶望を宿している。吐息が溶け合い、鼻先が触れ合いそうな距離で、二人の視線が交わった。


見つめ合っていたのはほんの数秒ほど。両者を包みこむ、生暖かい風が吹く。C.C.の前髪が揺らめき、その額が露わになった。


「────!!」


心臓を掴まれたような圧迫感。息が詰まり、身体中の血液が瞬時に凍結したかと錯覚し、思考は氾濫した川のごとく混乱する。


C.C.の額には赤い紋様が刻まれていた。


何かの文字か、羽を広げた鳥を思わせる特異な形状。


見たことがある。

957: 2015/12/01(火) 08:36:24.54 ID:IN4redvDO
自分はどこかで、間違いなくこの紋様を目にしている。


そう認識した途端、ライの意識は暗闇の中に放り出された。




誰かが泣いていた。ウェーブの掛かった黒い髪、細い背中。白く細長い指で、その顔を覆っている。


自分はそれを、物陰からじっと見ていることしか出来なかった。幼い我が身に成せることなど何もないと、気味が悪いほど発達、成熟した理性が言っている。


誰かに手を握られた。


小さい背丈。黒い髪に黒い瞳。容姿はあそこで泣いている人物をそのまま小さくしたようだった。彼女の娘なのだから当たり前だ。


少女は母の姿を見て、何かを堪えるように俯いた。しかし堪えきれず、その瞳から涙が溢れる。肩が震え、漏れ出す嗚咽を押し殺そうと、必氏で口を閉じていた。


自分は少女の頭に手を置き、不器用な仕草で撫でてみた。他に方法など思いつかなかった。泣いている人を慰めることは何より苦手だった。


涙は嫌いだ。


強くそう思った。

958: 2015/12/01(火) 08:37:12.29 ID:IN4redvDO
大切な人を泣かせる周囲が嫌いだった。涙を止められない自分が嫌いだった。


奪われるだけなんて間違っている。

壊されるだけなんて許せない。

失うだけの人生なんて認められるものか。


ならばどうする?


簡単な話だ。泣かなくていい世界を作ればいい。そのためには力が必要だ。誰にも負けない力。大切な者を絶対に守れる力。世界を意のままに出来る力。


──力が欲しいか?


C.C.の声がした。また世界が変転する。


泉のほとりに寄り添う丘には、一本の剣が刺さった台座があった。これまで誰にも抜けなかった魔法の剣。所有者に力を授けるという、王の剣。


その柄を握る。


──力があれば生きられるか?


またも変転。


戦場を駆けていた。右手に持つは一本の剣。全てを切り裂く光の剣。その輝きはめったに姿を見せないあの太陽さえ凌ぐような眩しさだった。


その輝きで敵を頃す。異国の民を、蛮族を、反乱を企てた自国の民でさえ。


生きたいのではない。生かしたいのだ。

959: 2015/12/01(火) 08:38:01.99 ID:IN4redvDO
──王の力はお前を孤独にする。


またも変わる。


荒れた大地。濁った空、乾いた風。


ただ一人で、ライはそこに立っていた。他に人の姿はない。大切な二人も、いない。


この手で守りたかった者はもういない。伸ばした手を掴んでくれる誰かはいないのだ。


色の無い、痛みと嘆きしかないこんな世界でただ一人。誰も知らない世界の果てでたった一人。


完全な孤独。


「─────」


何かを言おうとしたが、それは言葉にならなかった。話し方すら忘れてしまったのか。


無力感に苛まれる。何も出来ない。何の意味も価値ない。


『おやすみ』


ライのものでもない、C.C.のものでもない。第三者の声。懐かしい誰かの声。


その声を聞いた瞬間、足元から地面が消えた。


景色は一変していた。無数の様々な映像が現れては消えていく。万華鏡の中に放り出されたようだった。


上も下も、右も左も無い。無限に近い情報の海を漂っている。

960: 2015/12/01(火) 08:39:50.10 ID:IN4redvDO
土星、水星、木星、金星、火星。命を抱く青い星と、それに寄り添う白い月。


太陽を中心に星が回る。星が回れば時代が進む。


馬から車へ、

剣から銃へ、

昔から今へ、


時代が移り変わっていく。


最後に見たのは、大勢の人が集まる広場だった。白い豪奢な服を着た少年が、血の海に沈んでいる。傍らに寄り添った少女に何かを囁き、微笑んだ。


少女の慟哭が天を突き、そこで辺りに散らばっていた一切の映像が消滅した。


残されたのは青い奔流と、電撃のようにはしるシナプスの嵐。その中をC.C.が泳いでいる。


「なにを見せたかった」


ライは尋ねた。目が合うも少女は無表情を崩さず、さらに奥へと泳いでいく。自分もそれに引っ張られるようにして、世界の奥へ連れて行かれた。


変化が起きる。今まで移り変わっていたのは周囲の方だったが、今度はライの中だ。左目の奥から脳の中心へ、火が灯る。


焼けるような痛み。神経が悲鳴を挙げている。抑えつけているものを無理やり引き出そうとすれば、こうなるのは当たり前だった。

961: 2015/12/01(火) 08:41:06.10 ID:IN4redvDO
身体が分解されていく。バラバラになったそれは、再び人の形を成す。散らばったパズルのピースがひとりでにはまっていくようだった。


「────っ!」


景色が戻ってくる。ライは飛び起きてから、自分がベンチに寝かされていたことに気づいた。後頭部に柔らかい感触。


仏頂面のC.C.を見るに、彼女が介抱してくれていたらしい。


「理解したか?」


「……何をだ」


「お前が何者なのか、だ」


「いや……」


記憶は戻っていない。先ほどの体験で見た映像も、いつもの夢と同じで塗り消されてしまっている。


「分からないなら教えてやろう。お前はギアスの力を持つ者。普通の人間とは異なる理、異なる時間、異なる世界で生きる者だ」


「……ああ、思い出した」


ギアス。


王の力。


今の今まで眠っていた、自身の一部。


そう認識した途端、胸に鋭い痛みが走った。

962: 2015/12/01(火) 08:42:35.39 ID:IN4redvDO
「ぐっ……ぅ」


心臓を握り締められたような激痛に、ライは身を折った。C.C.が嘆息しながら近づいてきて、少年の額に触れる。熱を計るような仕草だ。


「お前、ギアスが……」


「構わなくいい。僕の力だ……!」


ベンチから落ち、地面の上で悶えながらライは呻く。激痛の正体はギアスに決まっていた。長い休眠していたのを無理やり起したために、反動で暴れまわっているのだ。


左目が火を点けられたように熱い。胸の痛みは全身に伝播し、収まる見込みはまるで無い。脳から脊髄までを無理やり引っこ抜かれるような痛みだ。


このままの状態が続けば命の危険があることは分かっていたが、それでも力尽くで抑え込もうとする。


これはライのギアスだ。自らの意志で得た力だ。ならば屈服するような真似は出来ない。力に支配されるくらいなら、このまま氏んだ方がましだと思った。


「っ……!」


「……馬鹿が」


倒れたライにC.C.が覆い被さる。またも額に手を当てられ、囁くように言われる。

963: 2015/12/01(火) 08:43:57.66 ID:IN4redvDO
「意地を張っている場合か。人の意志でギアスの力に勝てるはずがないだろう」


「……?」


痛みが収まっていく。左目の熱も消えた。身体に残ったのは疲労と虚無感だけだ。


「なにを……した」


「簡単な整備だ。私とお前の間に仮設のパスを通し、起動権を左目から右目に移してやった。……知覚できるだろう?」


「……ああ」


左目にあった物がまるまる右目に移っているように感じる。ライは右の瞳をおさえ、具合を確認した。息が荒い。


「お前のギアスはかなりガタが来ている。だいぶ使い込んでいたようだな。……つくづく手のかかる男だ」


「すまない」


砂を払い、立ち上がる。


「今ので分かっただろう。お前のギアスは極めて不安定だ。なるべく使うな」


「ああ、気をつける」


「使い方はわかるな? 暴発でもされたら、私も困る」


ライは頷いた。


ギアスの力は人によってその形を変える。

964: 2015/12/01(火) 08:47:17.72 ID:IN4redvDO
発現すれば当人にある程度の感覚的な知識を授けるが、細かい事は使い慣れるまで分からない。


「僕のギアスは絶対遵守の力を持っている。"声"を媒介に"聴覚"へ働きかける」


今のライにはギアスの使い方が手に取るようにわかった。効果の程や、その範囲、持続する時間。試し撃ちをする必要もない。


"絶対遵守"の力は他者を強制的に操るというものだ。『氏ね』と言われた者は笑って氏ぬし、『踊れ』と言えば命じた者が止めるまで踊り狂う。


肉声が届くまでが範囲で、相手が耳で聞き、言葉を認識した時点でギアスが成立するというものだ。極めて強力と言っていい。


欠点があるとするならば、同じ相手には一度しか使えないところだろう。"絶対"の命令は一度きり。当たり前の話だ。


以上の事をC.C.に話した。


「思い出したのは間違いないようだな。だが、さっき私が言った通り──」


「分かっている。無闇に使うなと言うんだろう」


ライのギアスは聴覚に対する絶対遵守の力。これ以上ないくらいに使いやすく、恐ろしいほど強力なものだ。だからこそ、うっかり暴発などしようものなら大変な事態を巻き起こす。


何気ない一言が、周囲の人間を一人残らず頃すことさえありえるのだ。

965: 2015/12/01(火) 08:48:28.74 ID:IN4redvDO
「僕のギアスは"暴走"しているのか」


ギアスの力は使えば使うほど強まっていく。そうして使い込んだギアスはやがて持ち主の制御を離れ、暴走する。普段は意志によって入り切りできるものが、常時発動した状態になってしまうのだ。


C.C.のような特殊な存在以外はギアスに抗えない。生活に大きな支障をきたすのは間違いないし、それ以上に甚大な被害を振りまく。


「していない。していないが……」


「なんだ」


言い難そうにC.C.は言葉を濁した。


「……いや。私にも良く分からん。お前のギアスは特殊だ。普通とは違う契約方法を介しているせいだろう」


その契約方法について訊こうとも思ったが、やめた。分かっているならC.C.は言っていると判断したからだ。


「普通の能力者よりも遥かに、お前とお前のギアスは密接に繋がっている。それは良いことではない」


「…………」


ギアスは元々、超常的な力だ。暴走の件からも分かる通り、どうしても人の手には余る。

966: 2015/12/01(火) 08:49:48.40 ID:IN4redvDO
王の力と言っても結局は呪いの類いだ。両者の距離が近ければ近いほど、ギアスは持ち主にとっても恐ろしいものとなる


先ほどの激痛はライとギアスの距離を示している。通常では有り得ないくらいに馴染んだ力は、身体を蝕んでいると言っても過言ではない。


「使えば、その反動で何が起こるか分からない。また激痛に見舞われるかもしれんし、そのまま命を落とす危険もある」


「分かった。元より使う気はないんだ」


ライは自身に宿るギアスに対して、強い嫌悪感を抱いていた。憎悪や危機感もだ。


この力は不幸を呼ぶ。


他者の意志を、人生をねじ曲げ、最後は周囲を巻き添えに自爆する。最悪の力だ。


「お前は今、アッシュフォード学園に滞在しているのだろう」


「……ああ。だが、もう出て行くしかない」


こんな力を持っているのだ。もうあの学園にはいられない。爆弾が服を着て歩いているのと変わらないのだから。


「それは困るな。まだしばらく厄介になれ」


「なに……?」


「お前のギアスが暴走すれば、私にも迷惑がかかる」


「目の届く範囲に置いておきたいのか」


C.C.は目を細めた。酷薄な笑み。魔女の笑いだ。


「頭は回るようだな。お前がギアスを使わないのなら、そう悲観する事態にもならないだろう」

967: 2015/12/01(火) 08:50:57.46 ID:IN4redvDO
C.C.の言葉に、ライは反論出来なかった。


「……だったら自害するまでだ」


「氏体が残る。お前がいたという痕跡は絶対に消せない。生きていれば欺ける事も、氏ねば明らかになる」


ライは歯噛みした。彼女の言う通りだ。ミレイは既にアッシュフォード家の名義を使ってライの身柄を引き取ってしまっている。血液などの検査もだ。


もう逃げられない。


あの日、学園に迷い込んだ時点で既に巻き込んでしまっていたのだ。絶望感が視界を暗くした。


結局、この身は他人に害を与えるだけだった。普通の人間として暮らすなど、初めからありえなかったのだ。


「……わかった。君の言う通りにしよう」


そう言うほかなかった。


「まあ、そう悲観するな。ギアスを使わないのであれば、今までと同じように暮らすことも出来るだろう」


「無理だ。僕はもう知ってしまった」


「なにもかもを決めるのは結局、人の意志だ。ギアスも例外ではない」


「気休めだな。僕のギアスは人の意志をねじ曲げる。人生を狂わせる。記憶を失う前の僕は、嬉々としてこの力を使っていたんだろう。……そして、こうなった」

968: 2015/12/01(火) 08:52:25.74 ID:IN4redvDO
ライは眉を寄せる。彼女の都合だけでミレイ達を危険にさらすわけにはいかない。


「もちろん、タダとは言わない。定期的に私自ら、お前のギアスを診てやろう」


「断る。リスクが大きすぎる」


拒否した。言葉一つで他人を操れる人間が、平和な社会でのうのうと暮らして良いわけがない。だが、そんなライの考えをC.C.は鼻で笑う。


「……ふん。頑固な奴だな。そしてなにより愚かしい。自分が消えれば済むと思っている」


「……なにが言いたい」


魔女の瞳にはっきりと嫌悪の色が浮かんだ。糾弾するような目つき。敵意さえ混じったその視線を、ライは真っ向から睨み返した。


「お前が消えたとして、何かの拍子にギアスが暴走したとしたらどうする? ブリタニアという国がどんな対応をするか、まさか分からないわけでもあるまい」


「…………」


ギアスなどという得体の知れない力を持った個人は危険だ。世間に露見すれば、ライは殺されるに決まっている。


それだけならまだ良い。C.C.が言いたいのはその先だ。


「……僕に関わった可能性のある人間も、巻き込まれるというのか」


「そうだ。お前が愛してやまないあの学園の生徒達が地球上から消される。名家も貴族も関係ない。ブリタニアはそういう国だ」

970: 2015/12/01(火) 08:53:45.67 ID:IN4redvDO
王の力は人を孤独にする。そうC.C.は言った。正しいと思う。


今のライ自身が何よりの証拠だ。記憶を無くし、探してくれる家族や知人もいない。今は周囲に恵まれているが、それすら壊してしまいかねない力を目覚めさせてしまった。


孤独。まさにそうだ。自分には──なにも無い。


世界が無色に見えるのがその証拠だ。まったく、C.C.の言う通りだと思った。


「お前には力がある」


「歪んだ力だ」


「そうかもしれない。だが、強大な力だ。その選択一つで世界を変えてしまえるほどの」


「そんな力はいらない。世界に通用するような力なんて必要無いんだ。僕は……」


普通でありたかった。


あの学園に通っているような、普通の人間だ。友達と遊んで、テストに憂鬱になって、進路に悩んで、ままならない恋をして。そういう人生を歩みたかった。


なのに、何一つ無い。


友達などいない。テストはさしたる脅威じゃない。現状では進路も閉ざされている。恋なんて欠片どころか粒子一つ分さえ分からない。


結局は無理だったということだろう。認めるしかない。

971: 2015/12/01(火) 08:54:46.40 ID:IN4redvDO
過去の自分が憎くてたまらなかった。氏ぬことさえ出来ない今の自分も、これ以上ないくらい情けない。


「何を思い悩んでいるのか知らんが、お前はこの世界でまだ何もしていないだろう。逃げることばかり考えてないで、少しは努力をしてみたらどうだ」


「……そうだな」


逃げることさえ出来ないのなら、現状を少しでも改善するべく動くべきだ。


ブリタニア軍と距離を取ることになった現状、もう<特派>への加入は無理になった。他の方法を探すしかない。


アッシュフォード学園から徐々に距離を取りつつ、自分の身の置き場所を探す。その過程で恩返しやフォローも平行しておこなおう。明確な手はまだ見えていないが、これがとりあえずの指針だ。


そして最後は、誰も知らない場所で──なにも無い世界の果てでこの身を消し去る。誰にも迷惑をかけず、痕跡の一つさえ残さず。


それが一番良い。


「私は帰る。これでも忙しい身なのでな」


「ああ。今日は世話になった」


あっさりとした別れの挨拶を交わし、C.C.は去っていった。残されたライは満月を見上げ、それから公園を後にした。

978: 2015/12/06(日) 23:42:05.53 ID:vkOYs0mDO
翌日の朝、ライは生徒会室で一人、書類仕事をこなしていた。昨夜からほとんど眠っていないが、思考の方は冴えている。むしろ眠りを体が拒否しているようでもあった。


ギアス。この身に宿る絶対遵守の力。言葉一つで他者を操る恐ろしい力。


(……夢じゃないのか)


右目に意識を集中すれば、王の力がその鎌首をもたげるのがわかった。昨日の夜まではくすぶっていた感覚が、今は明瞭になっている。意のままに扱うことが出来る。


どうしたものだろうか。


八時間近く思考を巡らせているが、一向に答えは出ない。誰かに相談出来るような問題でもないし、今は動けるような状況でもない。


こういった場合は下手に動かず、情報収集して力を蓄えるべきだ。それは分かっている。分かっているのに、どうしても本心から納得できない。芯がブレている。


「…………」


気づけば書類は片付いていた。結構な時間、ぼんやりとしていたらしい。


このままではいけないと思い、立ち上がる。何をする気でもなかった。気分を紛らわせたかった。

979: 2015/12/06(日) 23:44:28.46 ID:vkOYs0mDO
「会長チョ~ップ!」


頭に軽い衝撃。視界が揺れ、僅かな混乱が訪れる。


「な……」


振り向くと、そこにはミレイ・アッシュフォードが驚いた顔で立っていた。右手は手刀の形のまま、なぜだかぽかんとしている。


前にもこんなことがあった。


「み、ミレイさん……?」


接近にまったく気付かなかった。今のような事は過去に何度もされているが、いずれも察知はしていたのに。


待ち人が突然現れた事と、これまでの思考が中断された事、無防備な彼女の接近に気付かなかった事から、ライは完全に虚を突かれる形になった。


ミレイはしばらく驚いた顔だったが、やがてその眉を釣り上げて不満そうに唇を尖らせる。


「なんで驚いてんのよ!? 私カメラ持ってないじゃないっ! 驚くなら驚くって言いなさいよ!!」


これである。恐ろしい女性だと思った。何から何まで突然で、ライは思わずたじろいだ。


「ちょっとルルーシュ!? どうしてくれるのよ、決定的な瞬間を撮り逃しちゃったわよ!」


「今からでも遅くありませんよ。生徒会長の横暴を暴露する、決定的な瞬間が撮れます」

980: 2015/12/06(日) 23:45:40.91 ID:vkOYs0mDO
呆れた表情のルルーシュが扉の近くに立っている。明らかに眠そうだ。朝からミレイに襲撃され、無理やり連れてこられたのだろう。


「横暴じゃないでしょ。あのライよ? 無表情で無表情でどうしようもない最強の朴念仁が驚いたのよ? 撮らなくてどうするのよ?」


「とりあえず落ち着いてください。俺もライも疲れているので」


「な、なによそれ。まるで私と絡むと疲れるみたいな……」


「そう言っています」


「……私がいない間に随分と幅を利かせていたみたいね」


会長と副会長のやり取りを懐かしい気持ちで眺めながら、ライはようやく状況を理解した。


ミレイ・アッシュフォードが帰ってきたのだ。


その後、睨み合いを続ける二人に促され、ライは席に座った。授業の開始までそれほど時間もない。ミレイとルルーシュが並んで座り、ライは彼らと向き合うような位置取りとなる。


「話はだいたい聞いたんだけど、ゲットーに行ったんですって?」


まずはミレイが口を開いた。彼女の手元にはロイドに渡した物と同じ、数枚の報告書が置いてある。

981: 2015/12/06(日) 23:47:24.91 ID:vkOYs0mDO
「はい」

「理由を聞いておこうかしら」

「記憶探しのためです。租界の中はほとんど散策したので」


「カレンも一緒にねぇ。……ボランティア活動? これ嘘でしょ」


報告書をひらひらさせながら、ミレイが疑わしげな視線を向けてきた。


「世話係だってボランティア活動ですよ。条件だけ見れば」


ルルーシュが補足してくれるが、ミレイの胡乱な表情は晴れなかった。むしろ、さらに不機嫌そうになってしまった。


「どっちの提案?」


「僕です。カレンには無理を言って付いてきてもらいました」


「嘘ね。あなたの性格から言って、一人で行くでしょ。女の子なんか絶対に連れて行くはずない」


「…………」


完全に見透かされている。ミレイは生徒会メンバーの性格を熟知しているのだから当たり前だ。そんなことすら重い至らなかった自分に、ライは苦い気持ちになった。


「で、ナイトメアに乗って大立ち回りを演じた……と。え、これホント?」


ミレイに問われ、ルルーシュは肩を竦めてため息を吐いた。ライは固い表情のまま頷く。

982: 2015/12/06(日) 23:48:58.47 ID:vkOYs0mDO
「……とんでもないわね、あんた」


ミレイは咎めるわけでもなく、感心したような様子だった。ライはどうしていいかわからず、ルルーシュの方を見た。目を閉じている。


もしかして、彼は寝ようとしているのではないだろうか。


「その件で、ミレイさんと話がしたかったんですが……」


「私が帰ってこなかったと。まあ、なんとも巡り合わせの悪い」


「それで生徒会副会長のルルーシュと、ブリタニア軍人のスザクに報告しました。僕の処遇を決めるのであれば、適任だと判断したんですけど……」


「どうせあれでしょ。ここから出て行こうとか考えたんでしょ」


「…………」


「ほんっとに変わらないわね。そういうところ」


ミレイから怒られ、ライが縮こまっていてもルルーシュは微動だにしない。


「でも、そのままだとミレイさんに迷惑をかけます。悪い事態になることも考えられました」


大事にならなかったのは単に運が良かっただけだ。バレるバレない以前に、ゲットーでそのまま氏んでいた可能性だってある。

983: 2015/12/06(日) 23:51:12.42 ID:vkOYs0mDO
「下手をしたらミレイさんに、カレンの葬儀の話をしていたかもしれません」


膝の上で組んでいた手に力が込められる。ミレイが言葉を失い、ルルーシュもその瞳を開けた。


「経緯が経緯です。生徒に欠員が出たら感傷に浸る間もなく、責任問題に発展するでしょう。そして僕は、危うくそれを招くところだった」


結局、そういうことなのだ。


ミレイの独断で引き入れた不審者が、ゲットーで氏ぬ。善良な同級生を巻き込んで。しかもカレンは、生徒会長の独断により押し付けられる形で世話係になっているのだから、誰が糾弾されるかは分かりきっていた。


アッシュフォード家そのものにとどめを刺すことになっただろう。そうなれば、この学園がどうなるか、ミレイがどんな思いをするのか──ライは考えていて吐き気がしてきた。


いつかの屋上で、学園を愛していると言った彼女から、あの笑顔を奪ったかもしれない。しかもその原因がミレイ自身に求められるのだ。


「……っ」


背中にじんわりと汗が浮かぶ。自分がそんな未来を何より恐れているのだと、ライは痛感させられた。


ギアスの事もある。問題は何一つ改善していない。

984: 2015/12/06(日) 23:53:35.67 ID:vkOYs0mDO
「でも、そんな事にはなってないじゃない?」


「僕は危険性の話をしています。たった一か月でこれなんだ。また何か起きたとしても不思議じゃない」


「そうかしらねぇ」


ミレイはのほほんとした様子で紅茶を飲んでいる。ライは強い苛立ちを感じた。彼女が問題を正しく認識しているようには見えなかった。


性善説を信じるのも良いが、時と場合を考えて欲しい。ミレイはアッシュフォード家の領分で不審者を保護しているのだ。その不審者が何か問題を起こしたら、それは彼女の責任になってしまう。


「もしかしたら、この学園自体が無くなっていた可能性もありました」


「…………」


「ミレイさん、僕は──」


「あのね、ライ」


静かな声だったが、ライは閉口せざるを得なかった。ミレイの言葉には不可思議な威圧感がある。


もしかして、怒っているのだろうか。だったら良い。真面目に取りあってくれるのなら、叱責でも糾弾でも悪罵でも、望むところだった。

985: 2015/12/06(日) 23:55:05.16 ID:vkOYs0mDO
ミレイは瞑目しているが、その眉間には深いシワが刻まれていた。心なしか頬がひくついているようにも見える。


「前から感じてたんだけど、あなたって私たちの事を馬鹿だと思ってるでしょう?」


「……え」


保護者からの言葉は、ライにとって予想外のものだった。


「第一、いつ私があなたの事を一般人扱いしたのよ? 最初から変だったじゃない、あんた」


「…………」


「ちょっとナイトメアを動かしたくらいで驚くと思った? 残念! その程度の覚悟が無くて身元不明者の保護なんか出来るわけないでしょ。あー、なんか言ってて腹が立ってきたわ。もっと大変な話だと思ったのに。なんとか言いなさいよ、ルルーシュ」


呆気に取られているライに好き勝手まくし立て、さらに話題をルルーシュに振る。


「……知っているだろう。こういう人なんだ」


「…………」


わけが分からなかった。ここ最近、ずっと頭を悩ませ続けていた問題を『その程度』で済まされた事は、ライの価値観を崩壊させるには充分過ぎた。

986: 2015/12/06(日) 23:56:42.90 ID:vkOYs0mDO
──僕は、普段からそんなに変だったのだろうか──


「あんたがカレンを置いて逃げたとか言ったら、温厚で上品なミレイさんでもぶちギレてたかもしれないけどね」


そこで彼女は苛々とした表情をふっと緩めて、にっこりと笑った。


「私が信じた男の子は、必氏で誰かを守れる奴だった。……大事なのなんて、それくらいじゃない?」


「…………」


この学園に迷い込んで、初めて見た笑顔と同じものだった。変わらない笑顔だった。


彼女の言った通りだ。てっきり追い出されるものだとばかり思っていたが、それは自分を受け入れてくれたミレイや生徒会のメンバーに対する、なによりの侮辱に他ならない。


結局のところ、ライは彼女達を信用していなかったのだ。


本当に馬鹿な奴だ。だからこうして、いつも矮小な存在だと思い知らされる。


「信じられないわよね、ルルーシュ。……って、なんで寝ようとしてるのよ!?」


「会長が突然帰ってくるからでしょう」


「いい加減、生活習慣を見直しなさい。ほら、そこのを真似しても良いのよ?」

987: 2015/12/06(日) 23:58:01.56 ID:vkOYs0mDO
『そこの』呼ばわりされても、ライはうわの空だった。


「それで、怪我とか無かったの?」


シャーリーにもされた質問だ。


「……え。あ、ああ。カレンに怪我は無かったと思います。確認させてもらえなかったので衣服の上から見ただけですが」


「衣服の上から? また珍妙なことを言ったんじゃないでしょうね」


「いや、どうでしょう。僕は単に『君の身体が見たい。服を脱いでくれ』としか……」


「え、それをマジで言ったの?」


「はい。しかし何故か、彼女から強い罵倒を受けました」


「……あんた、本当にいつかカレンから訴えられるわよ」


「……?」


ゴミを見るような目を向けられる意味が分からず、ライは首を傾げた。非常時のボディチェックさえ法律に触れるのだろうか。非効率的過ぎる。

988: 2015/12/07(月) 00:01:58.79 ID:Cup4H5wDO
「僕だって馬鹿じゃありません。配慮くらいしました。保健室にはベッドを仕切るカーテンがありますから、そこの中へ誘導しようとして……」


「ああもう。分かった、分かったわよ。分かったからもうそれ以上、罪を重ねないで」


ミレイは手をヒラヒラさせて言った。釈然としない様子のライを尻目に彼女は立ち上がり、大きく伸びをする。あの姿勢だと女子高生とは思えない、ふくよかな胸が強調された。


眠いのだろう。欠伸をかみ頃している。


「とりあえず、今日はこれで解散。授業も始まっちゃうしね」


ルルーシュも立ち上がり──こちらは眠いのを隠そうともしない──生徒会を出て行く。すれ違い様にライの方をちらりと見たが、それだけだった。


自分も彼に続こうと席を立つが、そこでミレイの姿が目にとまった。深刻そうな顔でこちらを見ている。


「どうかしましたか」


尋ねるも、生徒会長は心ここにあらずといった様子を崩さない。たっぷり三秒おいてから、


「えっ? ああ……なんでもないのよ。気にしないで」


ようやく返答してきた。彼女には珍しい、取り繕った笑顔。


「僕の事で、何か悩みが……」


不安から尋ねたライに、ミレイは難しい顔で嘆息した。


「……どうしてこういうとこだけ鋭いのかしらね」


「……?」


「今は……言えないわ。あなたが正式にうちの生徒になるんだったら教えてあげてもいいけど」


「それは……」


「出来ないって言うんでしょ。分かってるわよ。じゃあ、こっちも言ってあげないんだから」


べー、と舌を出してミレイは部屋から消えた。去り際こそ子供のそれだったが、内心を気取られないようにしていたように見える。


きっと、何かが分かったのだろう。それも良くないことが。


ライは心苦しく思いながら、休みのスザクのために自身も教室へ向かった。

989: 2015/12/07(月) 00:13:07.41 ID:Cup4H5wDO
今回はこの辺で。短かったので投下しちゃいました。

次スレはこちら。
http://ex14.vip2ch.com/test/mread.cgi/news4ssnip/1449414469/l20

応援してくれた皆さんのおかげでここまで来れました。これからもお付き合い頂けたら嬉しいです。

では、ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。

990: 2015/12/07(月) 00:25:28.80 ID:4jLtqtSXo

会長はホント良い女だな

991: 2015/12/07(月) 00:27:54.68 ID:Zk9DNdDDO
乙です

995: 2015/12/07(月) 22:18:38.72 ID:MMooW8Wy0

会長は本当にいい女だなあ

引用: コードギアス 【ロスカラ】